今週の水曜日にいつも素敵なお写真を撮っていらっしゃるハム次郎さんに
横浜市港南区に近い里山、瀬上市民の森に連れて行って頂いて写真を撮ったのですが
まだ整理が終わっていません。変わったタイトルですが今日は孫の運動会の帰りに
見た実や花をアップすることにしました。帰り道は途中植木畑と畑の間を通ります。
植木畑の垣根の上の方から除くと「クリ」(栗)のが見え、茶色くなっている栗も見えました。
横浜市港南区に近い里山、瀬上市民の森に連れて行って頂いて写真を撮ったのですが
まだ整理が終わっていません。変わったタイトルですが今日は孫の運動会の帰りに
見た実や花をアップすることにしました。帰り道は途中植木畑と畑の間を通ります。
植木畑の垣根の上の方から除くと「クリ」(栗)のが見え、茶色くなっている栗も見えました。
少し先に行くと、教会があり外の花壇に「アンネのバラ」が5、6株植えられていて
丁度見ごろでした。
丁度見ごろでした。
撮影日 9月30日
ブログを始めた頃に一度このバラをアップしていますが、
今回、丁度綺麗だったので再度アップすることにしました。
その時の説明には下のように書いていました。
「アンネのバラはベルギーの園芸家、ヒッポリート・デルフォルゲ
(Hipplite Delforge1905年~1970年没)氏によって、
1955年に作られて1960年に発表され、後にアンネの父
オットー・フランク氏にアンネの形見として贈られました。
1972年、オットー・フランク氏より、日本に10本のバラの苗木が送られ、
そのうちにの一本が生き延びて、次の年、オレンジにイエローがかかった
美しい花を咲かせました。1976年に再び10本のバラが送られ、
京都で接ぎ木され、この30年の間に、平和と自由という″アンネのバラ″に
託された祈りに共感した人々によって、日本各地に広がっていき、今では
1万本以上になりました。 (アンネのバラキャンページ内記事より抜粋)
オレンジ、イエロー、ピンクと変化していくのだそうですが
この咲いているバラにかすかにそれらの色が見られるような気がします。
今回、丁度綺麗だったので再度アップすることにしました。
その時の説明には下のように書いていました。
「アンネのバラはベルギーの園芸家、ヒッポリート・デルフォルゲ
(Hipplite Delforge1905年~1970年没)氏によって、
1955年に作られて1960年に発表され、後にアンネの父
オットー・フランク氏にアンネの形見として贈られました。
1972年、オットー・フランク氏より、日本に10本のバラの苗木が送られ、
そのうちにの一本が生き延びて、次の年、オレンジにイエローがかかった
美しい花を咲かせました。1976年に再び10本のバラが送られ、
京都で接ぎ木され、この30年の間に、平和と自由という″アンネのバラ″に
託された祈りに共感した人々によって、日本各地に広がっていき、今では
1万本以上になりました。 (アンネのバラキャンページ内記事より抜粋)
オレンジ、イエロー、ピンクと変化していくのだそうですが
この咲いているバラにかすかにそれらの色が見られるような気がします。