先月18日に105才で亡くなられた日野原重明先生が病院長をしていらした聖路加国際病院の近くの
聖路加国際大学(旧館2階 聖ルカ礼拝堂ロビー)に昨日(8月1日)行き献花をしてきました。
昔、先生と同じ頃に働いていた父が20年程前に亡くなった時、
母にお悔やみのお手紙を下さったり、三田にあったライフ・プラニングセンター
(現在は聖路加国際病院連携施設 日野原記念クリニック)で母や妹が
お世話になったこともあってご冥福をお祈りしてきました。
聖路加国際大学(旧館2階 聖ルカ礼拝堂ロビー)に昨日(8月1日)行き献花をしてきました。
昔、先生と同じ頃に働いていた父が20年程前に亡くなった時、
母にお悔やみのお手紙を下さったり、三田にあったライフ・プラニングセンター
(現在は聖路加国際病院連携施設 日野原記念クリニック)で母や妹が
お世話になったこともあってご冥福をお祈りしてきました。
大学の建物を出た後、構内に洋風の建物が見えたのでそばに行くと「トイスラー記念館」でした。
米国聖公会の宣教医師 ルドルフ・トイスラーによって建設された宣教師館を一度解体、その後復元された建物でした。
米国聖公会の宣教医師 ルドルフ・トイスラーによって建設された宣教師館を一度解体、その後復元された建物でした。
トイスラー博士の記念碑が近くにあり、キリスト教精神による病院建設の趣旨が書かれていました。
又、そばには「アメリカ公使館跡石標」がありました。
明治元年[1868年)に外国人居留地が開かれ、アメリカ公使館も、明治8年(1875年)から
23年(1890年)にかけて外国人居留地のこの地にありましたが
後に明治23年(1890年)3月から赤坂の現在のアメリカ大使館のある場所に移転されました。
明治元年[1868年)に外国人居留地が開かれ、アメリカ公使館も、明治8年(1875年)から
23年(1890年)にかけて外国人居留地のこの地にありましたが
後に明治23年(1890年)3月から赤坂の現在のアメリカ大使館のある場所に移転されました。
病院を出た後地下鉄の築地駅に向かう時に道に迷ってしまい、歩いているとカトリック築地教会があり、
古い教会のようだったので中に入ってみました。(外観を撮り忘れてしまいました)
外観がギリシャ神殿パルテノン形式のようだったので聖堂内の柱もそのような雰囲気で質素な感じでした。
古い教会のようだったので中に入ってみました。(外観を撮り忘れてしまいました)
外観がギリシャ神殿パルテノン形式のようだったので聖堂内の柱もそのような雰囲気で質素な感じでした。
祭壇横に築地聖堂献堂90周年の垂れ幕のようなものが見られました。
東京で最古のカトリック教会で明治当初の外国人居留区内(明石町)にあったとのこと。
現在の聖堂は、関東大震災によって明治11年創建の聖堂が焼失したため、昭和2年(1927年)に再建された建物。
東京都の歴史的建造物に選定されているそうです。
東京で最古のカトリック教会で明治当初の外国人居留区内(明石町)にあったとのこと。
現在の聖堂は、関東大震災によって明治11年創建の聖堂が焼失したため、昭和2年(1927年)に再建された建物。
東京都の歴史的建造物に選定されているそうです。
聖堂の後ろには震災前の古い教会ににあった100年前の
アンジェラスの鐘が残って置かれていました。二つあった鐘の小さい方で大きい鐘の方は
東京カテドラル教会に保存されているそうです。
アンジェラスの鐘が残って置かれていました。二つあった鐘の小さい方で大きい鐘の方は
東京カテドラル教会に保存されているそうです。
教会を出てすぐに「暁星学園発祥の地」という石碑が建っていました。
疲れ気味だったのでこの後駅の方角が分かり帰りましたが近くには明治初めの頃の色々な史跡が
あるようで、改めてこの辺りを散策しに来たいと思いました。
疲れ気味だったのでこの後駅の方角が分かり帰りましたが近くには明治初めの頃の色々な史跡が
あるようで、改めてこの辺りを散策しに来たいと思いました。
撮影日 8月1日
『追記』 カトリック築地教会に寄った時、教会内に置いてあった
パンフレットを持って帰ってきていたのが今日見つかりました。
外観を撮り忘れていたのですがパンフレットに写真がありました。
ギリシア神殿パルテノン形式が採用されている建物でした。
パンフレットを持って帰ってきていたのが今日見つかりました。
外観を撮り忘れていたのですがパンフレットに写真がありました。
ギリシア神殿パルテノン形式が採用されている建物でした。
教会内部もパンフレットの方が綺麗に撮れていました。