この島に移住した翌年、オガマルの荷役を始めて、その年の6月初めて硫黄島訪島事業のお手伝いで硫黄島に上陸。そして今回、僕にとっては早4回目の硫黄島と言うことになる。
今回の硫黄島、その4回の訪島の中では、海上コンディションとしてはベストだったかもしれない。今までの4回、海が悪く上陸できなかったと言う事は無かったのだが、昨年などはかなりウネリがあり、御年配の方などの通船にはかなり気を使うような状態だった。長年訪島事業に参加しているベテラン作業員の話では、2日間とも上陸できず、オガマルからの墓参と言う事もあったらしい。
そういった意味では今回の硫黄島、ベタ凪に近い状態、お天気も良く、通船も非常にスムーズに進んだ。
我々作業員にとっては通船が終わった後のお楽しみフリータイム、それぞれ思い思いにその時間を過ごす事になる。その内容については、皆様のご想像にお任せしたいと思う。
ここでは僕の硫黄島でのフリータイムについて少々御紹介。
一日目は通船終了の後、上陸した人達のお弁当運びの手伝い(お弁当はオガマルで製造、10時過ぎに船でお届け)。その後3人でその船で硫黄島沖に釣りに出かけた。釣果はキメジ(キハダマグロの子供)1本、レインボーランナー(ツムブリ)1本、とまあそこそこ。
翌朝4時出発で、通船作業の前に早朝の釣。この時は、1時間あまりでキメジ2本にサワラ3本と十分な釣果だった。因みにこれらの釣果は、硫黄島の自衛隊さんや、鹿島の作業員さんたちの胃袋に納まったはずだ。
2日目の通船終了後、僕は徒歩で島巡り。当初昨年南側半分を歩いたので、今年は北半分の予定でいたのだが、歩いてみると思いのほか時間があまり、結局島を一周歩いてしまった。北の端では、天然のサウナを楽しんだが、恐らくその日僕が一番風呂だったのだろう、熱気が中に充満していて、日焼けした肌が痛く長湯は出来なかった。それでも父島では味わえない大好きなサウナを十分満喫。
その後は、自衛隊の基地の中にあるBBQ場で一服、そして南半分を歩いた。丁度お昼時に近かった事もあるのだろう、歩いている間、全く車にも行き会う事が無く、照りつける強い陽射しを楽しみながら、青い空の下、道沿いを覆う緑の木々、そして延々と続くように見える未舗装の道を、色んな事を考え想像しながら歩を進めた。
この訪島事業、遺族の方も高齢となり、島へのアクセス状況等々を考えると、将来的には中々難しくなるのでは。その一方、遺骨収集事業では、毎回遺骨も収集されているらしい。戦争の傷跡を将来的に如何収めていくのか、簡単には結論の出ない難題である事は確かだ。
コンディションに恵まれた硫黄島訪島事業を終え、父島に帰ってきてビックリ。真夏の太陽が僕らを待ち受けていたのだ。完全に梅雨明けしたようで、海の青さ、木々の緑の色が全然違う。
「硫黄島より、暑いジャン!」
その後のオガマル出港の荷役、流石に皆バテバテだった。
写真は硫黄島、コーストガード跡の入り口にあるパームツリー。硫黄島の中で僕の好きな風景の一つ。
今回の硫黄島、その4回の訪島の中では、海上コンディションとしてはベストだったかもしれない。今までの4回、海が悪く上陸できなかったと言う事は無かったのだが、昨年などはかなりウネリがあり、御年配の方などの通船にはかなり気を使うような状態だった。長年訪島事業に参加しているベテラン作業員の話では、2日間とも上陸できず、オガマルからの墓参と言う事もあったらしい。
そういった意味では今回の硫黄島、ベタ凪に近い状態、お天気も良く、通船も非常にスムーズに進んだ。
我々作業員にとっては通船が終わった後のお楽しみフリータイム、それぞれ思い思いにその時間を過ごす事になる。その内容については、皆様のご想像にお任せしたいと思う。
ここでは僕の硫黄島でのフリータイムについて少々御紹介。
一日目は通船終了の後、上陸した人達のお弁当運びの手伝い(お弁当はオガマルで製造、10時過ぎに船でお届け)。その後3人でその船で硫黄島沖に釣りに出かけた。釣果はキメジ(キハダマグロの子供)1本、レインボーランナー(ツムブリ)1本、とまあそこそこ。
翌朝4時出発で、通船作業の前に早朝の釣。この時は、1時間あまりでキメジ2本にサワラ3本と十分な釣果だった。因みにこれらの釣果は、硫黄島の自衛隊さんや、鹿島の作業員さんたちの胃袋に納まったはずだ。
2日目の通船終了後、僕は徒歩で島巡り。当初昨年南側半分を歩いたので、今年は北半分の予定でいたのだが、歩いてみると思いのほか時間があまり、結局島を一周歩いてしまった。北の端では、天然のサウナを楽しんだが、恐らくその日僕が一番風呂だったのだろう、熱気が中に充満していて、日焼けした肌が痛く長湯は出来なかった。それでも父島では味わえない大好きなサウナを十分満喫。
その後は、自衛隊の基地の中にあるBBQ場で一服、そして南半分を歩いた。丁度お昼時に近かった事もあるのだろう、歩いている間、全く車にも行き会う事が無く、照りつける強い陽射しを楽しみながら、青い空の下、道沿いを覆う緑の木々、そして延々と続くように見える未舗装の道を、色んな事を考え想像しながら歩を進めた。
この訪島事業、遺族の方も高齢となり、島へのアクセス状況等々を考えると、将来的には中々難しくなるのでは。その一方、遺骨収集事業では、毎回遺骨も収集されているらしい。戦争の傷跡を将来的に如何収めていくのか、簡単には結論の出ない難題である事は確かだ。
コンディションに恵まれた硫黄島訪島事業を終え、父島に帰ってきてビックリ。真夏の太陽が僕らを待ち受けていたのだ。完全に梅雨明けしたようで、海の青さ、木々の緑の色が全然違う。
「硫黄島より、暑いジャン!」
その後のオガマル出港の荷役、流石に皆バテバテだった。
写真は硫黄島、コーストガード跡の入り口にあるパームツリー。硫黄島の中で僕の好きな風景の一つ。
おばあちゃんは元気にしてますよ!
よほど父島が気に入ったのか、いつも「もう一度行きたい」と懐かしんでいます。