小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

あれから4年

2009-11-03 14:55:11 | Weblog
2時出港のオガマルの荷役を追えパソコンに向かっている。前回のブログでも触れたが、このオガマルはミニドック明け。その入港日、幸い雨に降られる事は無かったが、予想通りと言うか、矢張りと言うか、とにかくものすごい積荷の量。単純に量が多いと言うだけでなく、そのバライティーも嬉しい事にややこしい荷物のオンパレード。車は軽自動車から高所作業車まで計8台。ゲンチャリ12台、電信柱にハッポースチロール(漁協の物で、空のコンテナを船内に入れ詰め込み作業があり、非常に手間が掛かる)の山etc・・・朝一の打ち合わせの段階から「今日はアウト」と皆観念。

船はスタビライザーも修理完了、おそらく揺れも少なかった事だろう、500名を越える乗船客と共に定刻11時30分無事入港。そこから途中10分ほどの小休止はとった物の、ぶっ続けの作業。それでも荷役が終了したのは5時過ぎ、辺りは既に真暗になっていた。

所で、思い起こせば4年前の丁度この便で、僕は小笠原に初めて観光旅行でやって来た。その年の10月25日で29年7ヶ月のサラリーマン生活にピリオドを打ち、こんな時しか行けないと、ふと思い立ち、何の計画も予備知識もなしにオガマルに乗り込んだ。

そんな風にして来た小笠原が何となく気に入り、もう1便島に滞在する事を決め、妻にTEL。翌日、宿泊先に妻から「私も次の船で行く」との連絡。妻は1航海、僕は2航海父島を楽しんだ。そして、その滞在中にこの島に二人で移住しようと決めた。それからは本当に慌しかったが、翌年の1月我々はメデタク島民となった。

観光で初めて父島の地を踏んでから4年。ついこの間のような気もするが、遠い昔の事だったような気もする。その間、義父や母の不幸があり、世界で一番遠い島‘小笠原’を改めて実感する事になったが、僕の中のこの島に対する気持ちは少しも揺らいではいない。

勿論良いことばかりではないが、それを補って余りある素晴らしさを僕は実感している。

しかし、しかしだ、今日はとても寒い!荷役仲間達と「これから寒い半年が始まるだ、冬なんて来なくて良いのに」なんてぼやいていた。この島での暮らしを始めた1月、「暖かい」と実感した事を今でもよく覚えている。その冬はトライアスロン用の薄いロングジョンとラッシュガードで海に潜っていた。有り得ない!今じゃとても無理、島での生活の月日を重ねるごとに、すっかり寒がりになってしまった。

昨日の昼休みは、サーフパンツ1枚で前浜スイム楽しめたのに!木枯らし1号が吹き、東北、北海道では積雪、冬型の気圧配置がバッチリ決まってしまった状況では致し方ないか。

可哀そうに、スタビライザーが治ったとは言え、今日のオガマルは揺れるぞ!

写真は昨日の前浜、いつもとチョッピリ違った角度から。台風で防風林や、防砂ネットが無くなってしまい、すっかり見晴らしが良くなってしまった。

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