写真はチョコラタリア・サン・ヒネスの表口と裏口。場所はマドリード旧市街のど真ん中、マドリード最古の教会の一つといわれているサンヒネス教会の真後ろである。この教会は9世紀の文献にはすでに書かれているのだそう。
【スペインの独占品だったチョコラテ】
大航海時代の1528年、新大陸にあるアステカ帝国をコルテスが征服しました。そして彼が征服の証の一つとして、スペイン国王のカルロス一世に献上したものこそがチョコラテでした。
以来、約1世紀にわたって、スペインがチョコラテを独占的に支配していました。砂糖をチョコラテに混ぜたのはスペインの発明です。そしてカカオ豆は禁輸品でした。
カカオ豆はそのままでは食べられず、その複雑な製法は、秘中の秘。それでもやがてはヨーロッパに広まっていくのですが、当初は、飲み物としてカカオ豆は利用されていました。
そうはいってもマドリードの、この店のチョコラテは濃い。すでに飲み物ではなく、ディップです。スペインで料理を食べるたびに感じたのが、しょっぱすぎないのに、なぜか口の中の水分が持っていかれること。スペイン人の好みが、濃いチョコラテを生み出したのかもしれません。
【世界初出店は日本だった】
このチョコラテはマドリードでしか味わえないのだろうと思っていたのですが、あとで調べると、スペインでもマドリードに1店鋪しかないというのに、日本に上陸済でした。しかも世界初として。
栄えある世界初出店は2009年、埼玉県の「ららぽーと新三郷」です。同年10月31日放送の『アド街ック天国』三郷編でも取り上げられ、長蛇の列でなかなか食べることができなかったとか。さらに2010年には渋谷の中心である宇田川町に、さらには兵庫伊丹と岡山倉敷と次々と出店していきました。
ところが早くも渋谷店が一年で閉店、新三郷店も2012年には閉店。残念なことに今では日本にすっかりなくなってしまいました。その後、新三郷の店は三ツ星シェフがプロデュースしたパンケーキ専門店に転換したようですが、それも今では閉店。
マドリードの人はタパ巡りの締めに必ず行く、というほど、根付いている店なのですが、日本ではリピーターは生まれなかったのでしょう。味はマドリードと比べてどうだったのか? 今も日本にあれば、試したかったなあ。
参考文献
渋谷にチュロス専門店「チョコラテリア サンヒネス」-国内2店舗目 - シブヤ経済新聞 (shibukei.com)
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