雲南、見たり聞いたり感じたり

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もう一人の雲南回族の功労者・沐英1

2013-07-05 21:33:08 | Weblog
写真は雲南大学のキャンパスにある雲南貢院。ここでかつては、雲南地域の学徒を対象とした科挙の試験が行われていた。雲南大学は1922年の私立の東陸大学に起源を持つ中国西部地域でも歴史のある大学の一つ。1938年に国立雲南大学に改称され、現在に至る。
 キャンパスはこの雲南貢院もある昆明中心部の緑豊かで小ぶりながら立地環境抜群の本部キャンパスと、他に郊外に一つ持つ。2010年から徐々に大学の施設を設置し、移動を続ける呈貢キャンパスがある。ただ呈貢地区は昆明中心部からバス一時間以上の遠いところにあり、つい最近まで田畑や荒れ地だったところを昆明市の拡大をにらんで作った新都市のため、ただ巨大なだけで、移動がたいへんと学生や教職員には不評である。かつて、東京23区から研究学園都市として作られた「つくば」のようなもの。やがては地下鉄が通ることになっているので、そうすれば不満も解消されると見込まれている。

【雲南開発のスローガンに】
 2013年5月25日、雲南大学である会議が行われていました。
中国の回族研究の始祖ともいえる雲南回族研究会と雲南省史学会が主催し、出席者は省内外の歴史研究者47名と沐氏の末裔3名です。

出席者の一人、雲南大学もと党委員会書記にして雲南回族研究会会長の高発元が「歴史上の雲南開発の経験を教訓にして、継続して雲南開発すべきである」と宣言し、サインをした。その会議の名は「沐英と辺境開発」(『春城晩報』2013年5月26日「学者研討沐英与辺境開発」より)

 回族とはイスラム教を信奉する人々。
 多くはアラビアやペルシャ由来の人々で、雲南では元の初期に雲南を治めたサイード・シャムスッディーンが最も有名なことは前の章でじっくり書きました。彼は雲南の回族の範囲におさまらず、中国の回族の尊敬をいまだに集め続ける偉大な回族といわれています。(王鋒著『回族歴史文化教程』中国社会科学出版社、2012年6月出版-中国の回族が歴史や文化を学ぶ教科書より)

 その彼をさしおいて、これから雲南に興ろうとする運動に掲げられた人物・沐英とは何者なのでしょうか?それはその次の回で。                      (つづく)

(しかし、中国は歴史上の人物を政治運動のスローガンにかかげるのがつくづく好きですね。日本人と違って、歴史は過去のものではなく「今」なのでしょう。それが日本人の感覚では理解できず、政治的摩擦の遠因となっていると思われます)

コメント
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