雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

2度目のロンドン12 憧れのリバティへ 下

2023-12-03 12:43:20 | Weblog
写真上はリバティ百貨店の階段の手すり。カメの彫り物がいかにもアジア風。創建当時から店内を見つめ続けているのだろう。

リバティの創業は1875年。

【アジアンテイストな内装】
リバティでは純粋に買い物が目的だったので家人とは公園で別れるつもりでした。ところが「リバティ社は東洋関連だから興味がある」といわれ、二人で行くことに。

 1924年に建てられたリバティの建物は、まるごと日本でいうところの重要文化財に指定されています。しかも当時、流行のものではなく、それ以前にはやった「テューダーリバイバル」と呼ばれる様式を採用していました。テューダー様式はエリザベス1世の治世に発展した様式なので、まさに「大航海時代」がテーマの家人には外せないスポット。さらに建物の材木には当時のイギリス海軍の2隻の軍艦を使用したのだとか。ますます海の歴史には外せない建物ともうせましょう。

こういうわけで買い物目線の私をよそに、入口に阿吽(あ・うん)の獅子像を見つけて「パシャッ」

天井に唐草文様を見つけては「カシャッ」。入るとすぐに高そうな中国の陶製の壺が出迎え、階段の手すりにはアジア風のカエルと亀の彫り物が・・。

濃厚なほどのアジアンテイストです!

有名な現役のロンドン中心部にある百貨店は、19世紀のオリエンタリズムやジャポニスムを体感できる博物館でもあったのでした。
なんだか雰囲気に酔ってしまい、気づくと赤札が付いていたとはいえ、普段、目に入らない高―いシルクのパジャマを2枚も買っていました。
 その後、旅行時に一度羽織ったのみ。しかもパジャマではなく上掛けとして。なんだかもったいなくて、いまもタンスの奥に眠っています。

【サマータイムでも足りない】
 夕方、部屋に戻って、家人が豚肉のソテーとマッシュルームと地元の野菜とジャガイモを焼いて、ワインとともに夕飯に。疲れていたのでありがたい。

 しかし夜9時を過ぎているというのに、外は明るいまま。高緯度地帯というのはこういうものなのでしょうか?
 サマータイムに夏場は一時間時刻が早まっているので、冬時間のままなら夜10時です。ちなみに夏至の時のロンドンの日の出は4時43分、日没は21時21分で日照時間は16時間38分、冬至のときは日の出が8時3分で日没が15時53分で日照時間の差は8時間強。日本ではその差が5時間弱なのでサマータイムがイギリスで導入されているのは必然なのです。
                     (つづく)
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2度目のロンドン11 憧れの「リバティ」 上

2023-11-26 14:24:33 | Weblog
写真はリバティ百貨店(LIBERTY)の正面玄関。建物は、1924年に建てられた当時のものを使用しており、イギリスの第2種重要建造物に指定されている。

【目抜き通りのリバティ百貨店へ】
さてリージェンツパークをポートランドプレイス側から出ると、すぐロンドンの有名なショッピング街・リージェントストリートに入ります。ぶらぶら20分ほど歩くと、人通りの多い街の中心、という場所にたどり着きます。そこでひときわ目を引く雰囲気のある建物が「リバティ(Libaty)」です。

ここは、前にロンドンに来た時に買ったときの印象がよかった百貨店でした。当時、地下へ続くなめらかな木製の階段を降りると、昼だというのもオレンジ色の間接照明が異世界へといざなってくれました。そこにはつば広で縁がやや下降したレモン色の固めに編まれた麦わら帽子が売られていて、最後の旅の思い出に自分のために買ったのです。

かぶるとマイフェアレディのオードリー・ヘプバーンにでもなった気分が味わえて、とても優雅でした。とっても大事にしていたのに、残念なことに帰国後、わりとすぐに電車に置き忘れてしまい、悔しい思いがずっと続いていました。その後、似たような帽子は私の手の届く範囲ではお目にかかることはありませんでした。他に父へのシルクのネクタイや母へのシルクのスカーフを買ったのもここでした。(こちらも残念ながら両親には雑に扱われ、どこに行ったことやら。)

今回は、それらに会いたい、できれば買いたい、と熱い思いがたぎっていました。

もちろん、リバティ柄のファブリックにも興味がありました。

ところが、行ってみると、モードはすっかり変わっていて、当時売られていた品物はなし。冷静に考えれば日本の百貨店だって30年前のものを売っていることはまれなのですから、当たり前。

代わりにイッセイミヤケのプリーツプリーツがアート作品のように飾られていました。もちろん売り物です。日本ならハンガーにたくさん掛けられて色味がわかる程度なのに、ここでは一点一点、空間を贅沢に使って、マホガニーの天井から吊るし、マネキンなしで勝負する贅沢さ。ここに限らず、ヨーロッパではユーズド店でもプリーツプリーツは元値以上の値段で売られ、大切にされていました。

でも、それらは私の求めているものではない。日本で買えます。以前みた、リバティ、ぽいもの、ロンドンぽいものは、どこにいってしまったのでしょう?

がっかりはしたものの、これまたよく考えれば、リバティ社は1875年の創業時より東洋、とくに日本のものの販売を旨としていたので、これこそ王道回帰なのです。しかも、この店がイギリス・ヴィクトリア時代にヨーロッパ全体のジャポニスムをけん引していたそうなので、日本のデザイナーズブランドを取り扱うのは当然なのです。
                (つづく)

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2度目のロンドン10 広大なリージェンツパーク

2023-11-19 11:07:15 | Weblog
写真はリージェンツパークの一角。広大すぎて撮る写真ごとに雰囲気の違う絵になる景色になっている。歴史は国王の所有になったり、貴族のものになったりと、非常に複雑。もとはお狩場でもあった。現在は自然公園。

【やわらかなパステルカラーの緑の群れ】
シャーロックホームズ博物館から大通りを北に100メートル進むと、緑滴るリージェンツパークに吸い込まれます。166へククタークの一角には世界最古(1828年)の、科学目的とされた動物園があるのですが、広すぎて片鱗すら見えません。

 草花が細やかに一株一株植えられ、様々なタイプのイングリッシュガーデンを見て楽しんでいると、突如、厳粛な雰囲気の碑が見えました。
「1982年7月20日にここで起きたテロ事件の犠牲者への追悼」と書かれていました。ロンドンはテロ事件の記憶が数年おきに更新されるほどの地。浮かれていた気分がさっと冷えた一瞬でした。

その少し先に野外劇場がありました。緑あふれるこの場所で、シェイクスピアをはじめとした伝統的かつ意欲的な作品を上演するのが、ロンドン夏の名物となっているのです。上演は3か月以上続くとか。その年のポスターをみると演目は「真夏の夜の夢」。夏の夜の野外劇場なんて、ロンドンっぽくて、おしゃれ! 話の内容は萩尾望都のマンガでしか知らないのですが、さっそく、5日後に予約を入れました。今度来るときは夕方になるわけです。

公園は広くて、どんなに人がいても、まったく気になりません。ロンドン市内には、このような規模の王立公園が8つあり、さらに水辺の遊歩道など散歩道が整備されている上に個人宅の庭も(どんなに小さくても)まとまりのあるイングリッシュガーデンになっています。ロンドンは、不思議なグラデーションをもつ散歩がたのしい街だと実感。

リージェンツパークが、日本の景色と違うなあと感じるのは、その植え方です。一分のスキもなく手植えされた空間はかわいらしさを醸しつつもどこか人工的。そして雑草は少ない。雑草のなさゆえか、草木の緑がやわらかい中間色のせいか、どことなくおしゃれに感じてしまう。
一方、ケンジントンパークに行くと大木の重なる雑木林が多いので、公園ごとに歴史も違えば、成り立ちも違う、それぞれの特徴、というだけなのかもしれません。そもそもリージェンツパークの一角しか歩いていないので、なんともいえません。
                (つづく)
※更新お休みしている間に、一気に寒い季節になりました。体調いかがですか? 私は、数年ぶりに風邪を引き、少しの咳も気になって処方された鼻水止めの薬で却って体調悪化の憂き目に。毎年、少しずつ風邪ぐらいなら引きなれないと、かえって治し方を忘れてしまうもののようです・・。
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二度目のロンドン⑨ シャーロックホームズ博物館

2023-10-29 16:54:15 | Weblog
写真はシャーロックホームズ博物館の2階。ホームズらの居間。実験器具やヴァイオリンなど、本に描写されたもののほか、当時の家具などが細かにしつらえられてあった。


【シャーロックホームズ博物館】
シャーロックホームズ博物館脇のショップでチケットを購入し、列に並ぶこと20分。ビクトリア朝の従者スタイルの係員(ビクトリア朝の警官の立っている時間もあるらしい。)の誘導と名調子を聞いているといつの間にか入口です。

地上4階地下1階の建物に入ると、目の前に雰囲気のいい階段がありました。階段を上がるところからビクトリア朝の調度類やランプなど細かな配慮にいつの間にかタイムスリップ。2階はホームズの部屋です。おおよそ6畳の客間に4畳半の寝室、それにトイレ。シャワーなどの設備はなし。思った以上に天井が低いせいか、想像より狭い感じを受けました。

いかにもさっきまでそこで寝ていたかのような長椅子、使い込まれたクッション、よく来訪者に勧めていた布張りのイスにその後ろの暖炉、立て付けの書棚に革張りの書籍のほか、びっしりと試薬瓶が置かれ、机の上には顕微鏡や実験器具がずらり。それがいかにもさっきまで使っていましたよ、という風情で、名探偵の怜悧にして怠惰な気配を思わず感じてしまうつくりなのです。

じっくりとみていると、執事の恰好をした男性がキングスイングリッシュで一つ一つの調度について解説を始めました。

ヴァイオリンを弾く動作をして

「これによって、彼の頭を休め、イマジネーションをもたらしました。」

 など、話す雰囲気が部屋に見事にマッチ。

耳を傾けながらめいめい勝手に見て回る観光客たち。のろわれたらしき、タカラガイの腰巻が巻かれた人形、はく製の鳥やホームズ愛用のパイプにマホガニーの机まで、じっくり見続けたいほど意味ありげな品々。

肖像画などにまじって、壁には「ホームズ物語のわき役たち」と日本語英語併記の日本人のシャーロキアンが書いたホームズの周りを彩る当時のもの、つまりガス灯や馬車、独特の帽子の解説が書かれた文章が、うやうやしく飾られていました。
日本人シャーロキアンの考察が鋭いと認められているのか、それとも日本人の観光客が多いせいなのか。日本語は、ちょっとうれしい。

さらにホームズの住所が書かれ、今も世界中から送られてくるホームズ宛ての封書の中から一枚が飾られていて現代の空気もさりげなく反映させる心にくさ。

ここに入るまでのちょっと複雑な気持ちはどこへやら。ディズニーランドだって、ディズニーの夢の世界、ミッキーハウスだってある世の中なのです。本場の、ちゃんと考察されたコンセプトでこれだけ、作りこまれていたらこれはもう、本物だ!

3階はワトソンの部屋(DR WATSON’S ROOM)と書かれた部屋とハドソン婦人の住まい。それぞれに調度類にこだわりがあり、ここもなんだか落ち着きます。

4階は、ちょっとこわい。ボヘミアの醜聞の婦人や、ホームズとワトソンが話すシーン、なにやら檻に閉じ込められた男性など、原作の何かの場面を再現した等身大の蝋人形がリアルすぎて苦手。あれは原作を読めば十分なので、蛇足なのでは、と感じました。


写真はホームズの部屋脇にあったトイレ。ホームズ連載時、水洗トイレは最先端の設備。それだけにおしゃれな便器で美しい。当時、じっさいにはベイカー街の表通りに面したビルには備わっていたが、裏通りは部屋でおまるをして、外に出していた。
           (つづく)

※来週と再来週の更新はお休みします。
 夏から秋へと、明らかに変わった気候。くれぐれも体調に注意して、ようやく過ごしやすくなった温度帯に身体と心をやすめたいですね。


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2度目のロンドン⑧ ベイカー街へ

2023-10-22 11:25:51 | Weblog
写真は「ベイカーストリート」駅の地上を出たところに立っているシャーロックホームズ像。たくさんの観光客がツーショット写真を撮っていた。

【ベイカー街へ】
次に地下鉄「ノッティングヒルゲート」駅から「ベイカーストリート」駅へ。改札から地上に出ると、等身大の「シャーロックホームズ」像がお出迎え。ベイカー街といえば、シャーロックホームズなのです。
 その横に大行列がありました。行列の先はマダムタッソー館。蝋人形をみるためにこんなに並ぶんだ、と驚くとともに、学生時代の記憶がよみがえってきました。

 30年ほど前、予備知識なしで迷い込んだベイカー街。そのときもマダムタッソー館はたしかにありました。けれども行列はなく、ひっそりとしていて不気味さ倍増。近くには2階のオフィスから通りに突き出るように横顔にパイプをくゆらせたシャーロックホームズのシルエットの透かし彫りのプレートが、これまたひっそりとかかっていました。
 1階入り口の階段脇に貼られた金の小さなプレートには「シャーロキアン協会」の文字。痕跡はただそれだけ。博物館的なものは、とくに見当たりません。
 シャーロックホームズ関連を探しにベイカー街に赴いたのでプレートに満足はしたものの、他にみるべきものはなく、ちょっと残念に思ったものです。

でもよく考えると、そもそもシャーロックホームズは架空の存在だし、下宿先の「ベイカー街221B」だって、書かれた当時、番地は85までしかなかった架空の住所なのです。実地にあろうはずはない。

 ところが、現代では地下鉄の地上に出れば、彼の銅像、さらにマダムタッソー館の先には「シャーロックホームズ博物館」(※)が世界中の観光客を集めていて、長蛇の列でした。

「シャーロックホームズ博物館」前。

 さらに、その横に「ビートルズハウス」なるものがあり、日本人客が多いのか、日本人の売り子が日本語を話しながら、ビートルズグッズを並べていました(https://beatlesstorelondon.co.uk/ 住所:231/233 Baker St. London, NW1 6XE) なかは原宿のアイドルショップのようなつくりで、ビートルズの顔ばかりがにぎやかに並んでいました。

さて、小学生の時にシャーロックホームズに出会って以来、繰り返し読み、各種映像でも慣れ親しんできた名探偵の博物館。架空とは知りつつも、長蛇の列に並ぶことにしました。
                         (つづく)

※シャーロックホームズ博物館(Sherlock Holmes Museum)のホームページに設立年が1990年とありました。さらにウィキペディアの『ベイカー街221B』の項目に「実業家ジョン・アイディアンツが同地のビルを1990年1月に買収し、5月に博物館をオープンした」と書かれています。その注を見ると、

「オープン前、イギリス最大のシャーロキアン団体、ロンドン・シャーロック・ホームズ会から金儲け主義の施設と批判された。
  - 田中喜芳『シャーロッキアンの優雅な週末 ホームズ学はやめられない』中央公論社、1998年、17–18頁」

 とあります。私が赴いたのが1990年9月初頭。そのころにこの博物館は設立されてはいたはずですが、当時、そちらより、シャーロキアン団体のプレートのほうがまだ目立っていたのかもしれません。少なくとも現在のような賑わいは博物館にはありませんでした。
参考:



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2度目のロンドン⑦ ノッティングヒルの古本屋

2023-10-15 11:41:02 | Weblog
写真はポートベロー通りにあるノッティングヒルの商店街。この通りの後ろの道にはまた違った風情の住宅街が広がり、そぞろ歩きの楽しい街だった。

【古書に古着になんでもござれ】

しずかな住宅街の道路を抜けると、ノッティングヒルの中心をゆるく南北に走る商店街に出ました。商店街という庶民的な感じではなく、ところどころ古びた、歴史を感じるブティック街です。

 映画に出てきたような古本屋も一軒だけですが、たしかにありました。日本のガイドブックがあったので、手に取ると、東京タワーの項目はあっても、スカイツリーはありません。私もロンドン行の準備として、日本で最新版のガイドブックを買ったところ、食べ歩きの項目は増しているのに、歴史的部分や特集のページがだいぶ割愛されていたので、結局、古本で古い版も買ったのですが、このガイドブックも何らかのご縁を、この棚で待っているのでしょう。

古地図屋も数軒あり、それぞれに特色のある古地図を販売していました。
土産物屋には、映画「ノッティングヒルの恋人」をあしらったマグカップがたくさん。ジュリア・ロバーツ、人気です。メキシコの女性画家フリーダ・カーロの自画像がプリントされたマグカップもありました。もしかしたら毅然とした女性が好みのお店というだけなのかもしれません。

アフリカ系の雑貨店もありました。黄色の袈裟をまとった小乗仏教の若いお坊さんもずいぶんと歩いていました。あとは観光客がいっぱい。

街角の張り紙に週末に行うフリーマーケットの案内がありました。8月にはノッティングヒル・カーニバルというのもあるとか。これはアフリカ系イギリス人の祭典らしい。次の週末に行ってみよう。

 白い街だ、高級住宅街だと、最初のうちは思いがけない出会いにひたすら感動の嵐だったのですが、いくぶん、気持ちがおさまってきてよく見ると、けっして高級なだけではないとわかってきました。建物自体は古いのでしょう。ただ表面だけ白く塗っていて、その横の道路に面していないほうの外壁を見ると、黄土色のレンガがそのままの姿で見えていました。

  街並みもなんだか不思議。私のシェアハウスのあるすぐとなりの居住区は比較的南北に道路が走る規則正しい区画なのですが、このあたりは丘の高低差のためか等高線にそったような丸めの形の道で碁盤の目にはなっていません。

建物の成り立ちを調べてみると、どうやらこのあたりはビクトリア朝中期から後期(19世紀末)のイギリス黄金時代の建物がそのままある地区のようです。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Portobello_Road)
 そんな場所で骨董ものが売られていたら、それだけで風情が増してきます。
                      (つづく)
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2度目のロンドン⑥ ノッティングヒルの森

2023-10-08 10:15:41 | Weblog
写真はシェアハウスの裏通りの住宅街に咲くアジサイ。どの家も小さなスペースに見事に緑を茂らせていた。

【日本渡りのお花たち】
まず周辺を散策しました。
シェアハウスの裏手の道には緑の庭を持つ戸建てが並び、昔からのレンガ造りの煙突があり、静かで落ち着いています。玄関の小さなスペースにはアジサイや藤の花がちょうど先誇り、元日本産の植物が見事にマッチしていて、19世紀にはやったという、シーボルトの影響も感じました。

写真はフジの花が咲き誇るお宅の入口。アジサイの家の並びのおうちである。

さらに西に歩いていくと2階建ての白壁にレンガの半円階段の玄関がついたテラスハウスが並ぶ一角があり、ザ・ヨーロピアン。映画やミュージカルのようなしつらえ、と思ってしまう浅はかさ。こちらが本物なのに。

【ノッティングヒルの住宅地】
地名を見ると、ノッティングヒルと書いてあります。映画『ノッティングヒルの恋人たち』は、ただの古本屋のさえないおやじと美女の話なのではなく、高級住宅街で繰り広げられる昔の「フジ月9」みたいな、あこがれの世界の話だったのか、とちょっと意外でした。

みるからに伝統ある高級住宅街。とはいえ身分社会の濃厚なイギリスで貴族しか住めないという場所ではなく、ロンドン西部郊外の、小金持ちなら住める感じの街並みです。

住宅街は大きな円を描いて、白亜のテラスハウスが並び、その中央には公園のような空間があって、そこに生い茂った木々の緑が上空を覆っていました。片側の住宅の並んだ道路の歩道には街路樹が、森側の遊歩道には森の木陰が道を歩きやすくしてくれているのです。その森は住宅街の中央にあり、その周囲をアスファルト道路が囲っていました。さながら大きなロータリーの中心に緑豊かな公園がある感じです。

 木の根元に目を向けると絵本の挿絵のようなイングリッシュガーデンが広がっていました。ピーターラビットが出てきても不思議ではない雰囲気です。これは見事、と思いながら近づくと公園らしきところの周囲にはぐるりと2メートル以上の高さの金網が囲っていました。

 入口には金網のドアがあり、鍵がかかっています。その脇には「住人専用」と書かれたボードがついていました。どうやら、このあたりの住人共有の庭といった位置づけのようです。ちょっとびっくりしました。これこそまさに「囲い込み」?
                  (つづく)
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2度目のロンドン⑤ シェアハウスで暮らす 下

2023-10-01 11:36:26 | Weblog
シェアハウスの台所。写真には写っていないが、手前にテーブルがあり、食事をしたり、いろいろとすることができる。

【シェアハウスの住人たち】
翌朝7時、共同キッチンで家人の作ったスライストマトとベーコンの目玉焼きにパンと牛乳で朝食をとっていると(日本では忙しすぎて家人が私に朝食を作ることは、まずなかった。ありがたい。)はじめて別の部屋の住人と出会いました。

見た感じ40~50代の女性。ふんわりとした麻っぽい浅黄色のワンピースをきています。2週間、ここに滞在されていたとか。彼女は手早くオムレツを作りながら

「系列のシェハウスの中で、ここは格段にいいですよ」

ら話しかけてきました。

「どこがですか?」
 と聞くと
「交通の便が最高だし、設備面もすごくいいです。はじめてのシェアハウスがここなんてラッキーですね。」
と話しだしました。ずいぶん前からイギリス各地を巡っていて、今日、日本に帰るのだそう。シェアハウスの達人のようです。

「あ、そうそう。あなたとほぼ同時に入居してきた若者二人は要注意ですよ。なにかあったら、すぐに担当の方にいうといいです。」
 とのアドバイスをいただきました。

翌日、彼女が言っていた若者二人に会いました。
「おはよっす」と小声で顔をうつむけて、私の挨拶に返してくれました。彼らの部屋は我が家の角を挟んだ隣にあったのですが、ちらっと見たところ、南向きで私の部屋の数倍の広さに2つベッドが見え、あきらかに恵まれた環境にありました。その広さでストレスもたまらないのか、おのおの静かに過ごしていて、よき隣人であり続けました。

 たしかに鼻やら耳やらにメタル色のものをぶら下げ、服も鋲がたくさんささったような、痛そうな黒い皮の服を着こなして、頭も個性的に今時みないようなモヒカン刈り。外で見かけても一目でわかるほどでしたが、中身は挨拶も返してくれる素直な青年たちです。

 たまに、大量の黒髪が彼らの部屋から流れ出てきて
「もしや、事件?」
と思わなくもなかったのですが、聞くとロンドンの憧れの美容学校で学ぶためにやってきたという、見習い美容師さんとのこと。ついでに英語も学びたいと意欲もあるようです。すばらしい。

ほかの住人には、ウインブルドンの期間のときのみ、ロンドンの滞在してウインブルドンに通い詰めている年配の女性、9月から新しい大学に入るための準備で滞在している母子などがいました。
シェアハウスの担当者が朝食後の9時半に現れ、注意事項などの説明を受けました。これで、いよいよロンドン生活がスタートです。
                    (つづく)

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2度目のロンドン④ シェアハウスで暮らす上

2023-09-24 11:56:30 | Weblog
シェアハウスの共有スペース。左奥がマンションの入口のドアで、その右の少し扉の空いたスペースがトイレ、その右手前がキッチンとダイニングテーブル、そのさらに手前右の空間を入るとお風呂場など。目の前にあるのが共有スペースのソファ。これらの共有スペースをはさんで、個人のスペースとなる部屋がある。ちなみにこのソファでくつろいでいる人は、私が見たところ皆無だった。みなにとっての廊下にあたるので、遠慮しあった結果と思われる。

【お風呂に入る】
ハウスの入口すぐの中央にはキッチンやお風呂場などの共有スペースがありました。皆で気を使いあって暮らしているためか、とてもきれいです。でも私にとって、しっかりとプライベートが確保された居住スペースは西の一部屋のみ。6畳もなさそう。

 その部屋にはダブルベッドが一つ。ほかに物を入れる小さなワードローブやテレビ、小さな机といす、洗濯物干し台などはあるのですがそれは私にとってはどうでもいい。最低条件はベッド二つだったのですが、満室のためかなわなかった、というのです。仕方なく、日本から寝袋を持参してきました。何が悲しくてロンドンで寝袋生活を送らなければならないのか。

ほかにも同様に3つの個室があり、それぞれに居住者が暮らしているとのこと。掃除のときにちらっと見たら、我が家が一番せまいようで、後の3部屋は広々としていてベッドもツインで窓も複数ありました。

 家人はフィリピンでの3か月間、浴槽がなかったのが、よほどつらかったのか、必要条件は湯舟、でした。私は洗濯用たらいでなんとなく入った気分になっていたのですが、家人はたらいにおしりすら入らず、純粋なシャワー暮らしに辟易していたのです。

さて、たまたま誰もいないときに到着したので、まずは家人ご推奨のお風呂を使ってみました。お風呂は共同なので、入る前にきれいに掃除してから、湯を張りたいのですが、洗うための器具がぱっと見、見当たらず、結局、さっと手で洗って湯を張りました。

 頃合いを見計らって日本を出て以来の浴槽に浸かります。ここには洗面台もトイレもあります。みんなが使うところです。そう思うと、長湯はまずいし、しぶきを浴槽の外に出しては失礼、と緊張して落ち着けません。湯を張ってから気づいたのですが、目の前に曇りガラスの窓があっても、開け方がわからず、換気の方法もわかりません。浴槽の掃除も不十分だったせいで、落ち着かないお風呂でした。シェアハウスのルールがわからず戸惑うばかり。まずは掃除道具の対策をとる必要がありそう。
(つづく)
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2度目のロンドン③ ベイズウオーター駅近くの住まいへ

2023-09-17 11:32:32 | Weblog
今後、2週間、暮らす部屋から見える景色。ザ・ロンドンという美しい家並みがみえ、ほんとうのイングリッシュガーデンが目の前にあった。

【ベイズウオーター駅の多民族感】
空港から地下鉄に乗って、降り立ったベイズウオーター駅は、世界最古の地下鉄・メトロポリタン鉄道(1868年10月開業)がパディントン駅から西に延伸した際に開業しました。
 現在、サークルラインなど2路線が通るロンドン中心部の西部側にあります。南に200メートル離れたところに上記以外の3路線が通るクイーンズウェイ駅もあり、交通至便。

 駅前を南北に走るクイーンズウェイ沿いには、7階建て程度の高さのレンガ造りの建物が連なっています。それらの建物の1階にはインド料理や東南アジア、中東料理、中華料理店やスーパーが入居し、その前を歩いている人の顔も、様々。多民族の街のようです。ゴミゴミ感はありますが、日本と違う、おしゃれさが漂っています。

 道を南に進んでクイーンズウェイ駅方向に進むと、ほどなくレンガをそのままを活かしたアクセントが美しい基本は白ペンキで外装された7階建ての建物が連なる一角に着きました。この一角でわずか2週間ですが、暮らすのです。

【靴からスリッパへ】
通りに面した扉を開けると、タブロイド紙片手に警備員さんが挨拶。その小さなカウンターの前を慣れた雰囲気で家人が通り、奥のエレベーターで3階へ。


東西に延びる長い廊下には青い絨毯がひかれ、その両側に扉が等間隔に並んでいます。壁が白く塗られていて、電気もついているのでとても明るい廊下です。この西側の奥の扉の中が私の住まいでした。

室内に入ってすぐに左に小さな靴置き場。右にスリッパ。入った左に窓から自然採光が降り注ぐ2畳ほどのキッチンと納戸、その中央に小さなキッチンテーブルとイス、まっすぐ進んで左にシャワーと浴槽、トイレのある一間、それを横目でみた空間に落ち着いた小さなソファと置物。ここまでは共有スペースで、その奥の西日がガンガン当たる部屋が、我が家が借りている部屋とのこと。

 部屋の窓からの眺めはすばらしい。

 借景でジロジロ見るのも申し訳ないのですが、戸建ての家々の巨木がたたずむ芝が敷かれた庭が見え、小さいながらも素敵なイングリッシュガーデンもあり涼やかです。それは裏庭で、その前に2階建ての重厚なレンガ造りの上にすすけた煙突が付いた、ピーターパンなどのイギリス小説の挿絵が飛び出したかのよう。このような家が横につらなり、その奥には十字が掲げられたギリシャ正教会の尖塔まで見えました。
 一方、住まいとなる空間は4畳半ほどで狭く、はっきり言って暑い。けど、クーラーはありません。いままでイギリスは涼しかったのでクーラーが必要なかったのだそう。

これは危険です。

 でもこの部屋以外は我が家であって我が家ではない。なぜなら、ここはシェアハウスなのです。ホテル住まいやマンションの一房を借りるにはロンドンは物価が高いので、日本人向けに貸し出しているアップルハウスと契約したのですが、シェアハウスで暮らすのは生まれて初めて。いったい、どういう生活になるのでしょうか?
      (つづく)
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2度目のロンドン② 

2023-09-10 12:42:22 | Weblog
写真は地下鉄パディントン駅。地下から地上に出るところ。世界最古の地下鉄だけに、たくさんのケーブルがむき身で出ていて、まるで、地下鉄が五線譜の上を踊っているようにみえた。

【首都は古風なレンガの街並み】
乗り換え駅のポスターは、BBCの大人気ドラマ・ベネディクト・カンバーバッチ主演の「シャーロック」。地下鉄車両に爆破装置を取り付けるテロの話がありましたが、日本とは違う、この空間なんだ! とか思ったりして、すでに(ドラマの)聖地巡礼の気持ちです。

さて、車内で耳に入ってくるのは、カクカクと喉の奥で詰まったように一単語一単語発するクイーンズイングリッシュです。小さな子もおじいさんもみんな、です。

アメリカンイングリッシュを学ぶ日本の英語教育だと聞くことのない発音。正直、新鮮でした。日本で聞くのは英国王室や議員の方々のニュースの時が多く、イギリスのテレビドラマは大好きですが、これは吹き替えで聞いていて、イギリスの映画も、映画の音、として認識するばかりで字幕が主。当然、こちらこそ本場の英語なのですが、どんな日常会話でも、すごく格式ばった話をしている風情に見えるから不思議。なんとなく眉間にしわがよりそうな感じです。

一方で、大きな駅での駅側のアナウンスがまるでディズニーランドのよう。

「みなさん、列車が着きますよ。さがってくださーい」

と、ハリのある陽気な声でDJのようです。こういうときは陽気に聞こえます。どこか遠くで話しているのか、と思ったら、隣で駅員さんがICレコーダーのような小さなマイクで直接、話していたので驚きました。

地下鉄がたまに地上に出ると車窓からみえる建物はほぼレンガ造り。赤レンガはほとんどなく黒っぽかったり、黄色っぽかったり。昔の風情があって、なんだかパディントンが出てきそう。

(調べてみると、1666年9月2日、ロンドン大火によってロンドンの家屋の85%が消失したことによって一気にレンガ建築にシフトしたことがわかりました。それまでは木造、かやぶきだったのそうですが、法律で木造建築を規制し、レンガ造りが増えたそう。地震もほとんどないため、古い建築物がそのまま使用できるようです。日本は明治期ごろ、レンガが流行りましたが、関東大震災で地震に弱いことが証明され、以後、構造体には使われなくなりました。赤レンガじゃないのは地質の違いのようです)ォ

そうして小さな地下鉄の窓から小さな街を眺めているうちに目的のベイズウォーター駅に到着しました。
                      (つづく)
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2度目のロンドン① 世界最古の地下鉄

2023-09-03 15:29:23 | Weblog
地下鉄のピカデリーラインの列車内。車内は丸くて狭いので、座席の間に人が立つ空間はなかった。

【違っていた2度目の景色】
2019年7月9日火曜日17時半、飛行機の降下とともに映画みたいなモクモクと沸きあがるような白い雲がみえてきました。その下に深い緑と陰鬱な黒味を帯びたレンガの建物がみえ、18時3分にヒースロー空港に到着しました。

ロンドンは二回目です。一度目は1990年の8月末で、わずかに4日間の滞在でした。今回は13日間ずっとロンドンです。大英図書館が主な目的ですが、もちろん、ちょくちょく回る予定。

 前回は30日かけたヨーロッパ学生ツアーの最終地でした。湾岸危機で帰りの飛行機(イラク航空でした)がなくなってしまったので、ツアー会社が見つけたロンドン発の別会社の飛行機に乗るために急遽、決まった目的地。本来の予定にはなかったので手持ちのガイドブックはなく、予習もしておらず、当時はインターネットもないので調べようがない。つまり、予備知識ゼロで行った不思議な国でした。

当時、よくわからないままパリを列車で出て、気が付くと列車ごとフェリーで海の上。驚きながらドーバー海峡とアタリをつけて緑の波涛を眺めていると、真っ白い岸壁がそそり立つ。あれはなんだと考えていると、まもなくガシャリと線路に連結して昔と変わらぬロンドンの街並みをスルスルと列車でかきわけるように進むという、じつにクラシカルな入国でした(1994年からは地下トンネル開通となり、いまでは遠い景色となりました)。観光も情報がなさすぎて少しトンチンカンだったので、今回はその誤解をとく旅でもあるのです。

【最古の地下鉄・ピカデリーライン】
 迎えに来た家人について、空港の地下に直結する地下鉄ピカデリーラインへ。大きなスーツケースを手に乗り込むと、日本の電車に慣れている身には、おもちゃみたいな空間です。

昔みた映画『デューン砂の惑星』にサンドワームというミミズの巨大版みたいな生物がでてきますが、それが彫りぬいたかのようなほぼ真円の空間。日本人女性の私でも頭上に圧迫感を覚える狭さです。

立っている乗客は大きい人はかがんでいますし、座っている人は膝突き合わせるとまではいかなくても、その間に人が立つことはほぼ不可能。座席は、ボックスシートタイプではなく、車両の側面に沿ってシンプルに2列の席が並ぶロングシートタイプ。
 それでいて、この狭さなので足の長い人のなかには向かいの座席に足を差し渡してしまう人もいるのでしょう。わざわざ車内に「それはダメ!」と書かれていました。

車内の張り紙。「座席から足を離してください」と書かれている。
左側の赤い丸の中の絵から、目の前の座席に足を載せてしまう人に
注意喚起していることがわかる。

ただ、そこからくる一体感は日本ではけっして味わえない独特な雰囲気をもたらしています。さすが世界最古の地下鉄です。
                     (つづく)

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ポルトガルとスペイン113 帰国する② マドリード空港もラビリンス!

2023-08-19 16:31:49 | Weblog
写真はマドリード空港の駐機場よりマドリード空港乗り場をのぞむ。右に見える搭乗口はキャセイパシフィック空港。コロナ禍前の2019年時点では、料理も見た目は華やかではないが、味がよく、サービスもほどよい距離感だが、必要な点は抑えられていて、好みの航空会社だった。

【満員電車で出会った親切な人々】
こうしてマドリード駅ホームに到着した空港行の電車は、なんと通勤客でぎゅう詰めのごく普通の通勤電車でした。荷物があるので、申し訳なく思いながらもじりじりと乗り込みます。

 スリに会わないようにバックを前に抱え、スーツケースを横に置くと、カーブごとにスーツケースや私が倒れそうに。びっくりしたのですが、そのたびごとに3人ぐらいの手が横、ななめ、といろいろな方向から伸びて支えてくれるのです。嫌がる風情も、せきばらいでけん制、とかも一切ありません。ただただ親切心から、さりげなく助けてくれるのでした。

都心を過ぎると、急に車内が空いてきました。

すると今度は黄色い蛍光色のジャケットきた「警備員」のお兄さん二人組が乗ってきました。治安を案じてのことのようです。外国では疑い深い私になるのでしが、電車ではいちいちビクビクしてよくみると、ありがたい人々に感謝しかありません。

こうしてマドリード空港T4駅へ到着しました。駅には空港チケットに書かれたS4駅の表示があり、少しほっとしました。

【遠い搭乗口】
乗り込む航空機のカウンターで荷物を預け、水を飲みほして、手荷物検査を受けてS4駅の方向へ。これで搭乗口まですぐだぞと思っていたのですが、見ると電車乗り場まで「22分」との表示が。どうやら空港カウンターのある棟と搭乗口をつなぐ電車があり、乗り場までが意外に遠いらしい。
 慌てて1階下がると、そこから奈落に落ちるようなエスカレーターがあり、はるか下の方に電車の乗り場が見えました。急に時間が押していることに気づいて冷や汗がたらたら。ゆっくりめのエスカレーターを降りてS4駅につくと、すぐに電車がきました。そこから10分ほどで空港の内部には直通で、入国審査がありました。それも無事に通過し、気づくと航空券に表示された搭乗時刻の10時40分まで10分しかなくなっていました。こんなに空港で差し迫った思いをしたのは初めて。どこで時間を取られたのでしょう?

 とはいえ冷静に考えると出発時刻は11時30分。ということは50分前に搭乗するということ? 早いような? 

 駆け足で航空チケットに表示された43番ゲートを目指していくも、今度は43番ゲートが見当たりません。42番までのゲートと45番からのゲートの案内はあるのに。焦ってはいけない。心を落ち着けて見えない43番を探してやみくもに進むと「43,44」という表示がようやく見えてきました。すでに人が並んでいます。

 結局5分遅れで搭乗は開始され、中にはいると、バス乗り場で、バスはぐるぐると一番はしっこの駐機場に進んでいきました。つまり、キャセイパシフィック航空の飛行機が、だいぶ遠いところにあったので搭乗時刻が早かったのです。

◇今日の格言◇
マドリード駅と空港の表示は出たり消えたりが標準らしい。時間には余裕をもって動こう。

【無事、離陸】
 いろいろあったものの、結局、13時50分、つまり定刻通りに離陸。赤と緑と黒黒とみえる木々や地面のパッチワークに見送られて、スペインを離れました。

 ポルトガル、スペインの旅はこれでおわり。今はとても眠い。
大航海時代の足跡をたどった研究のほうは、今後も続きます。

※来週の更新はお休みします。次回からはイギリス編です。
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ポルトガルとスペイン112  トレドから帰国する①

2023-08-12 12:06:51 | Weblog
トレドのセルコテル・アルフォンソ6世(Hotel Sercotel Alfonso VI)ホテルの朝食会場。早朝のため、食事をとる人はほとんどいなかった。

【マドリード空港へ】
いよいよ、トレドから帰国の日を迎えました。
朝6時に起床して、ホテルの朝食をいただいていると、「シティトレイン」を教えてくれたおじいさんが隅のテーブルで食事をしていました。お礼をいうと、ホテルのセルフサービスのレモン水を継いでくれました。やさしい。


中世の騎士の武具などが、置かれていた。
このホテルのあちらこちらに、
さまざまな種類の甲冑があり、
こわい、というより、おかしみのある、
人形のような存在感を放っていた。

さて気分よくホテルを後にして7時半にタクシーでトレド駅へ向かいます。あらかじめスマホで調べておいたマドリード空港直行便は、便そのものがなぜかなかったので、マドリード乗り換えに不安はあったのですが、7時59分のマドリード行に乗りました。

さてあの迷宮ラビリンスのマドリード駅には今回も悩まされました。コルドバからトレド行きに乗り換える時にはうるさいほど見えた、「空港行の電車のりば」の矢印のついた案内板が今回は見えません。マドリード空港に行く人はトレドからはいない、と一方的に想定されているのでしょう。

 表示が不親切だと腹を立てている場合ではないので、数日前の記憶を頼って、ひとまず地下に行きました。すると、ようやく案内表示がありました。

ひとまず第一段階クリア。次に空港行の切符を買おうとするとまたも不可解なことが起きました。自動券売機の画面を押してさて、購入というボタンを押そうとすると、なぜか画面が最初の表示に戻ってしまうのです。何度やってもダメ。こんなところで遊んでいる場合ではないと、有人切符売り場へ向かいました。すでに5人が並んでいます。

前の3人ほどが英語で
「トレド、ONE WAY(片道で)」
というと
「ここでは売っていません。あちらへ」
と断られていました。あの人もマドリード駅のラビリンスに飲み込まれているのだ、とひそかな連帯感を覚えてしまう。

 自分の順番が来たのでおそるおそる
「空港行のチケット」
 と伝えると、あっさりと買え、しかも
「1番へ」
 とホームの場所まで教えてくれました。

ようやく波に乗れたと、勇んで1番ホームへ行くと、上に掲げられた電光掲示板の1番ホームの行き先は真っ黒。お隣の2番ホームには、知らない地名が表示されています。あわてちゃいかん、と腹をくくって待つこと10分。ようやく1番ホームの掲示板に空港行きの表示が出ました。こんなときに限ってトイレに行きたくなる私。

◇今日の格言◇
マドリード駅で迷ったら、地下に行こう!

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スペインとポルトガル111 トレドのレストラン

2023-07-30 11:49:50 | Weblog
写真はレストラン・ラ・オレザのアーティチョークのグリル。上には生にいくらが添えられている。イカなどの魚介類の風味がなんだか懐かしい味がした。

栄枯盛衰が激しいので、お役に立つかわかりませんが、トレドでよかったレストランを紹介します。

【レストラン ラ・オルザ( LA ORZA)】
エル・グレコ美術館の近くにあり、テラス席からかつてのユダヤ人地区が一望できる。ミシュランガイド掲載店。ランチの時間に20分以上並んで案内されたテラス席は眺望抜群でしたが、アンダルシアの3月の日差しはすでに鋼のような強さなのに、太陽の角度は低いので店のパラソルは役にたたず、帽子を外すことはできませんでした。
メニューは郷土料理を主体としながらも、新たな料理の技術を取り入れた華やかで珍しい取り合わせが目につきました。
ワサビやからしを効かせた「TATAKI」は、ローストビーフ風。中近東でよく食されるナツメヤシの実「デーツ」のサラダにもドレッシングに、わさびが効かせてありました。アーティチョークの上に「いくら」がこぼれるように乗せられた料理も。つまりいろいろなメニューに日本食の影響が感じられました。
郷土料理の炭火焼きローストは、カリカリに焼きこんだ皮目とジューシーな赤身肉のうえに酸味のあるフルーツとトマトのソースがかけられていて最高の仕上がり。値段はトレドの中でも、お高め。地元客も多い店でした。

豚肉のロースト。


スイーツの盛り合わせ。いかにテラス席の日差しが強いかが、わかる。

【アサドール ラ・チュレタ(ASADOR LA CHULETA)】
大聖堂とアルカサール(軍事博物館)の中間あたりの入り組んだ細路地の石畳の庭にテーブルとイスが置かれたレストランです。値段の安さが一番の魅力。アサドールはグリルのことなので、当然、メニューは焼き物中心。リゾットやパンの上にレバーペーストを載せたバル系食材が人気です。


ピザはしょっぱかったのですが、上の具材(マッシュルームやサラミ)はふくらみのある味でした。ミネラルウオーター「ネバタの水」がスペイン料理独特の汁感の少ない口に、水分をもたらしてくれました。街歩きで疲れた観光客がゆっくり座れて、寒い人にはひざ掛けの提供があるといったサービスにほっとしました。

【まとめ】
トレドの旧市街のレストランは、グリル料理と生野菜のサラダが中心です。私は鍋料理やみそ汁文化で育ったせいか、料理の水分量が少なく苦戦しました。スープは野菜をすりつぶしたぽってりとしたポタージュ系が多く、口の中の水分を持っていかれてしまう。お茶文化はなく、料理とともに飲むものはアルコール類となります。アルコールが飲めない方はワインと同等か値段が高いミネラルウオーターになります。

※来週の更新はお休みします。
 猛暑、腹の力を保って、乗り切りましょう!
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