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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



兵庫県立美術館のエントランスホールに入ると内部は、照明を抑え薄暗くした広い空間があり、中央にチケットブースとインフォメーションがあった。

美術館内部の階段



常設展のチケットを500円で買って1階展示室に入ると、「展示室1」は1960年代以降の前衛美術が中心で、パンフにも採用されている呉本俊松のシュールな大作が見事である。



「展示室2」は1950~60年までの抽象と具象の絵画、「展示室4」は版画セレクション、「展示室5東」は近、現代の彫刻を展示していたが中にロダンの作品もあった。

「展示室3」と「展示室5西」は企画展で、「没後10年 菅井汲の作品展」の展示室である。




菅井汲(すがいくみ1919~1996)は、神戸市東灘区に生まれ大阪美術工芸学校に学んだ後、1937年から阪急電鉄宣伝課で商業デザインの仕事に就いている。

1952年渡仏し日本画を学んだこともある菅井の作品は、東洋的なエキゾティシズムがあるとして、パリの美術界で高い評価を与えられた。



菅井は、愛車のポルシェで高速走行している時に浮かぶビジョンを制作のモチーフとしているが、1967年にパリ郊外で交通事故を起こし、頸部骨折の重傷を負っている。

運転よりも次の作品の構想に熱中していたのであろうか。

1970年代からは、円と直線を組み合わせ単純化された作品を描くようになったが、道路標識にどこか共通しているという説がある。



彼の「無駄を省く」姿勢は実生活にも及び、朝食、昼食、夕食のメニューはそれぞれ決まっていて(たとえば朝食はコーヒーとチーズ)、同じメニューを、20年間食べ続けたという。

晩年には「S」字のシリーズを描き続けたが、「S」は「スガイ」の「S」であるとともに、高速道路のカーブを意味しているらしい。



70歳を過ぎた横尾忠則が、「Y字路」にこだわった作品を描き続けているのとよく似ているのが面白い。

南西側から見た兵庫県立美術館



菅井は「なぜ同じ絵を描き続けてはいけないのか」と問い、同じパターンを描き続けること行為自体に個性があると考えたという。

北側の陸橋と美術館



最後まで1億人の日本人からはみ出した日本人でありたいと願っていた強烈な個性の持ち主であったという。


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