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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1595年今井町では太閣検地が行われ、「海の堺、陸の今井」と言われた当時、人口4千人 家数1200軒と伝えられているので、現在の倍以上の人口を保有していたことになる。

まちなみ



江戸期に入った1621年、今井兵部が今井支配を命じられ、今西・尾崎両氏が惣年寄に指名されているが、今西家はいまも今井町の西側にある1650年に建てられた館で生活している。

最も古い今西家(1650年建築)今井の惣年寄



今から350年も前に建てた住居に今も生活している今西さんも凄いが、しっかりとした木造建築物がいかに耐久性に優れているかを物語っている。

道路は江戸期のまま保存されているので幅が狭く、狭い道の両側にびっしりと、江戸時代以来の町屋や長屋が連なっている。



江戸期には近畿一円から多くの商人が移り住み、なかでも繰綿(種の部分を取り去っただけの、まだ精製していない綿)、古手(中古衣料販売)、木綿が隆盛を極めていたらしく、大和の金は今井に7分(70%)と言われていたという。

豊田家(1662年建築)材木商を営んでいたので壁に「木」のマークがついている。



今井町の中には小売店が少なく、生活している人にとっては不便な場所であるが、歴史的景観を保ったままの静かな居住地として今でも住民がこの地で暮らしているのである。

1679年今井氏は、武士を返上し称念寺の住職に専念することになり現在に至っていると由緒書きにあったので、称念寺の住職は今も今井さんが勤めているのであろうか。

河合家(18世紀中頃)今も連綿と酒造業を営んでいるので杉玉が吊るされている



河合家の杉玉(酒林)と蔵元と書かれた看板



中橋家(18世紀後期)江戸期には米屋



現在の今井町の町並みは、東西600メートル、南北310メートル、面積約17,4ヘクタールで、760戸の建物があり約1800名が居住しているという。

高木家(幕末に建築)江戸期には酒造業




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