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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



近鉄郡山駅で降りて、線路沿いを北に10分くらい歩くと、近鉄の線路を西に横断する踏み切りがあり、その突き当たりが鉄門跡の石垣である。

江戸期の郡山城の地図、(ロ)の場所が鉄門



鉄門から北の方角を見ると櫓が見え、盆梅展の会場案内もそちらを示していたので、堀を左に見ながら北に向かって歩くことにした。

堀の向こうは毘沙門郭という本丸に続く重要な城郭で、高い石垣が築かれているが、石垣が直線でなく中央部分が掘に少し張り出しているのが珍しい。



北の突き当たりの石垣の上には追手東隅櫓、その西側に梅林門櫓、その向かい側の石垣の上には追手向櫓があり江戸期の城の雰囲気を良く出している。



これらの櫓と門は1983年に再建されたようで、梅林門の両側には未だつぼみの紅白の盆梅が置いてあった。



梅林門を入ったさらに北側の常盤郭には、1908年に奈良県最初の県立図書館として奈良公園内に建てられ、1968年に郡山城内に移築された大和郡山市民会館があったが、この建物は江戸期には無かったので少し奇妙な存在であった。



梅林門の2階にあたる櫓の入り口が郡山城盆梅展の入り口で、入場料を払って櫓の中に入ると、長浜の盆梅に負けないくらい古い株や、巨大なものが多数展示されている。



しかし時期が早いので、いずれもつぼみの状態で、開花した梅は少ししかなかったのが残念である。



盆梅展の会場は梅林門櫓から追手向櫓まで続き、盆梅の質量共に長浜の盆梅を上回っているかも知れない。

盆梅は櫓の外にも展示されている



盆梅展の会場から毘沙門郭まで少し歩くと、旧柳沢伯爵家の迎賓館として建てられた柳沢文庫がある。



建物の正確な建築年代は不明だが、大広間などは1906年頃とされ、車寄せと玄関は1923年の関東大震災後に港区芝の柳沢本邸の一部を運んで1928年に完成、当主の帰郷の際に使われていたという。



建物は1960年になってから、当時の柳沢家当主であった柳沢保承(やすつぐ)氏から財団法人柳沢文庫保存会に寄贈されている。

追手向櫓と梅林門



柳沢文庫の中は大広間(和室)を使った展示室と、図書室(洋室)があり、展示室には江戸期の郡山藩に関連する資料が展示されていたが、柳沢家が版籍奉還した明治になってからの建物なので江戸期の大名の居宅のような豪華な建築ではなかった。


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