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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



中之島緑道西から8番目の作品は石田 眞利の石を素材とした「くもの椅子」



女性彫刻家の石田は1963年生まれ。多摩美術大学大学院彫刻科卒という、この作品のすぐそばにはホームレスの寝床となっているダンボールが散乱していて残念である。

9番目の作品は斉藤 均の「風標」で、十魚架と同じ中之島緑道の南側に設置されているので、写真を撮ろうとするといつも逆光状態となるのが難点である。



斉藤は1948年神戸生まれ京都在住、ステンレスを使った幾何学的な彫刻を次々と発表している。

10番目の作品は藤木 康成の「日だまりに遊ぶ」



藤木は1952年滋賀県生まれ、京都在住の二紀会所属の彫刻家である。

中之島緑道の彫刻は以上の10点であるが、御堂筋を渡って土佐堀川北側をさらに東に進むと大阪市役所の南側に出る。



市役所の南側公園には、大同生命本社ビルの前にも作品が設置されている本郷 新の力作「緑の賛歌」があった。

この作品は、石の架台の上にあるブロンズ像で、高さが4,3mもり、1973年に制作、設置されたものという。



「緑の賛歌」のさらに東に進むと、東洋陶磁器美術館の北に清水多嘉示の作品である関一市長像がある。

1923年に第7代大阪市長となった関市長は、幅6mの狭い道だった御堂筋を、1926年から11年かけて道幅44m、全長約4kmの大阪のメイン道路に作り直している。



又関一市長は、1935年室戸台風による災害復旧を陣頭指揮する最中、任期半ばで逝去したので、その功績を顕彰するために市民がこの銅像を寄付したらしい。

作者の清水は画家として出発したが、1923年渡仏、ブールデルに師事し、彫刻を学び、帰国後は彫刻家として活躍し、御堂筋の彫刻作品「みどりのリズム」の作者でもある。



中之島から北浜に出ようと、難波橋を渡ると、橋の入り口には阿吽のライオン像が設置されていた。



堺筋が土佐堀川と堂島川を渡るための難波橋は、1915年に架け替えられているが、当時の大阪市内を南北に結ぶメインストリートは御堂筋ではなく堺筋だったので、このライオンも大阪のメインストリートのシンボルとして設置されたのであろう。

難波橋



難波橋のライオン像は、大阪の彫刻家、天岡均一氏の作品で、1915年難波橋の開通時に制作されたものらしいので90年以上が経過している古い彫刻作品である。



北浜の大阪証券取引所の前に来ると若々しい姿の五代友厚像が聳え立っていたが、残念ながら作品の製作者名の表示は無かった。


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