リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

嫌い、嫌いは生まれつき?

2013年08月31日 | 日々の風の吹くまま
8月も今日でおしまい。今日は来週1週間休暇を取る担当者さんが置いて行った週末
仕事で、また小町横丁のドラマみたいな話。まっ、まだ半現役なんだから四の五の言っ
てないでやるっきゃないけど。

ある研究によると、「嫌い」の多い否定的な気質は(おそらく遺伝子も含めた)生まれつ
きの要素と環境で決まるらしい。もっとも、「嫌い」と言っても、世界で紛争の火種になる
「嫌悪」や「憎悪」のことではなくて、日常的な「嫌い」の話。「苦手」から、「好きじゃない」、
「イヤ」といろいろで、拒絶や否定を表す感情であることには変わりないけど、まあ、ネ
ガティブなエネルギーで周囲を疲れさせる程度のレベルかな。

ワタシにも「嫌い」なもの・ことはあるけど、特定の人を「大嫌い!」と思うことはないな。
はっきり「嫌い」と言えるのは、画一性偏重や慣習や権威への服従を押しつける政治・
社会・宗教・文化の思想の類。そういう思想を持つ人でも、人それぞれだから、せいぜ
い「この人、あまり好きじゃない」と感じる程度だと思う。だから、今どきの若い人たちが
「生理的にダメ」と表現する、動物的な臭いのする強い「嫌い」はピンと来ない。世代も
環境も違うからかもしれないけど、相手の人格や思想を露骨に否定しているようで怖い
と感じる。

でも、人間なら好き嫌いはあたりまえとしても、いつも気に入らないことばかりでイライラ、
カリカリしている人もいるな。中には「嫌いなもの(人)は嫌いと言ったら大っ嫌いなの!」
という人もいる。(そういえば、何にでも「ダメなものはダメ」という理由で反対した政治家
がいたような・・・。)でもまあ、そういうのが生まれつきの気質によるところが大きいとし
たら、カレシのネガティブなところも生まれつきと言うことになるのかな。でも、そう思っ
てしまえば、表では嫌いじゃないふりをしながら裏で否定するタイプよりも、「嫌いなもの
は嫌い」とストレートに言ってしまうような人の方が、「あ、そうなんだ~」で済みそうで、
付き合いやすそうだなあ。

奥さんをイラつかせる10の方法

2013年08月30日 | 日々の風の吹くまま
ゆうべの雨は2年に1度あるかないかの豪雨で、落雷千ヵ所以上、停電続出、道路の
冠水もあちこち。買い物によく行くキャンビーとブロードウェイの交差点は歩道まで冠水
して、足首の上まで水に浸かって歩いている人がいた。でも、家の外に駐車してあるう
ちの車はすっかりきれいになったから、豪雨さまさま・・・。

今日は何かやる気が出ないのでネット世界をぶらぶら。英語メディアの「Japan Today」
に「日本の奥さんをイラつかせる10の簡単な方法」と言う愉快な記事があった。下から
「ごみの分別をしない」に始まって、「使用後に便座を下ろさない」、「玄関を閉めない」、
「食事中の会話不足」、「ごみをごみ入れに捨てない」、「靴をきちんとそろえない」、「ト
イレの周りを汚す」、「片付けない」、「電気を消さない」。そして第1位は「汚れた洗濯物
を放置する」だった。(畳の床にアンタの汗くさい下着を置かないでよっ、もうっ!)

いつも小町横丁でおかみさんたちが愚痴っている亭主像というところだけど、あんがい
世界共通じゃないの、これ?便座を下ろす下ろさないは水洗トイレのあるところならどこ
でも夫婦げんかネタでしょ?カレシだって上げっ放しだけど、ワタシが使うときはワタシ
が下ろして、カレシが使うときはカレシが上げればいいわけで、イラっとすることはない
な。カレシに読ませたら、「しょうもないやつばっかり。まっ、オレはこういうことはやらな
いけどさ」とすました顔。なるほど、それでワタシは心穏やかでいられるのねえ。

実は、カレシにはドアをきちんと閉めないクセがあるし、トイレの周りを汚すのもしばし
ばだし、片付けないし、電気やテレビを消し忘れるし、脱いだものは家中のあっちこっち
にポイ・・・な~んだ、ワタシもわりとぐうたらだからいちいちカリカリしないというだけで、
カレシも日本のダンナさんも似たようなもんじゃないの。つまり、オットと名のつく男はど
こへ行ってもみんな上げっぱ、出しっぱ、使いっぱ、脱ぎっぱ、点けっぱ、開けっぱ、食
べっぱの「ぱぱ族」ということなのかな・・・。

ゲリラ豪雨はなしにして

2013年08月29日 | 日々の風の吹くまま
大雨警報発令中。ノースショアなどの山側は多いところでは70ミリ。雷を伴うかも、と。
荒れるなあ。最近やたらと日本各地で暴れている「ゲリラ豪雨」のように降らないといい
けど、うちの古屋根、大丈夫かなあ。何たって「ふるやのむり」は怖いからね。

雨を呼ぶと言うジンクスのある恒例のフェア「PNE」は、最後の週になる今週になって
会場で2度も停電。まあ、百年以上の伝統あるフェアだから、会場全体の電気系統が
老朽化しているのかもしれない。おかげで、遊園地の世界でも珍しい木製ジェットコー
スターもストップして、来週から新学年が始まる子供たちにとっては夏休み最後の遊び
時だというのに、とんだお邪魔ムシだな。

9月の第1月曜日はレイバーデイの祝日。今年は2日なので、新学年はいつもより早め
の3日からということになる。かって教員組合が「早すぎて子供たちがかわいそう」とい
う理由で始業日を1週間遅らせたことがあった。自分たちが余分の休みを取りたいんだ
ろうと言われていたけど、9月分の給料が丸々もらえるとすればさもありなん。労働協
約が切れる年なんか、8月ぐらいからスト計画をぶち上げて、「学校に行けない子供た
ちがかわいそう」と圧力をかけていた。実際にストもやったりして、そうやって、増額され
る教育予算のほとんどを教員組合が分捕った時代があったので、学校教師は人もうら
やむ高年収・・・。

夜も更けて、予報通りにどど~っと雨。雷も予報の通りにゴロゴロ。バンクーバーでは
雷が鳴るのは年平均で3、4回だそうな。そういわれると、雷雨はめったにないという気
がするな。地形が複雑だからかな。土砂降りの雨も長時間続かないと言われていて、
だぼだぼだぼとすごい降りだと思ったら、大雨雲が通り過ぎたのか急に静かになって、
雷も聞こえなくなった。まあ、通り雨と言うにはちょっと盛大すぎたけど、こうしてひと雨
ごとに秋になって行って、いつのまにか「雨期」に入るんだろうな。

☆正しい歴史観って何なの?

2013年08月29日 | 日々の風の吹くまま
8月28日。日本である漫画をどこかの教育委員会が閲覧制限したとかで是々非々の論争が起こっているらしい。件の漫画については、ワタシはまったく知識がないので何とも言えないけど、反戦、反核兵器が主なテーマで、第1部と第2部があって、小町での賛否両論を見たところでは、閲覧制限反対派は第1部の、賛成派は第2部の内容を、それぞれの主張の根拠にしていたから、何だか議論がかみ合っていないと言う印象だった。でも、「過激な描写」が制限の理由として挙げられていたために、多くの人が第1部で扱われていた原爆投下直後の惨状のことだと思ったらしいことはわかった。

日ごろから日本のマスコミ報道記事なんて子供の夏休み日記の作文みたいなもんだと思っているから、さもありなんと思って驚きはしないけど、どうやら実情は第2部の記述内容や描写が子供に「誤った歴史認識を植えつける」から読ませるなという要求が出されたのが発端だったらしい。でも、その要求を突きつけたのが30代半ばの若い男性だったと聞いて、掲示板などで他人を批判するのにやたらと「美しい日本」の文化やマナーを持ち出す人が増えたように感じていたところだったから、最近(日本から見て海外の)新聞でよく見るようになった「日本の右傾化」という言葉が何となく現実的なものに感じられた。(ちなみに、麻生大臣が「ポルノコミックの方がもっと問題」みたいな発言をして、あのアソーさんもたまにはまともなことを言うなあと思ったけど、そう、子供の情緒の発達を考慮して「何歳以上」と推奨年令を付ける形にしたらどうなんだろうね。)

たしかに戦争は人類の最悪の愚行であって、平和教育は何よりも大事だと思う。でも、戦争は悪いことだからやっちゃダメ!と声高に叫ぶだけでは、戦争はなくならないと思うけどね。反対を唱えるのは簡単。戦争しないためにはどうしたらいいのか。まずは人智を尽くして外交でしょ?外交は国と国の関係だけど、それぞれの国を構成するのは人間。じゃあ人間同士がけんかしないためにはどうしたらいいのか。話し合いでしょ?話し合うにはどうしたらいいのか。互いの考えや要求を明確にして、争点や相違点の中に妥協点がないか検討しあって、合理的に問題解決を図るってことでしょ?そのためにはどうしたらいいのか。話し合いの基礎になる価値観や倫理観を持つための「自我」を育てる教育でしょ?

自我を悪として否定するから、「生理的にダメ!」というような、問答無用式のコミュニケーションしかできない民族・宗教・社会集団が地球上を跋扈して、外交も話し合いもやりにくい世の中になっている感じがする。英知を結集して科学技術を発展させることによって、人類はいつでもどこでも誰とでも交流できるようになったはずなんだけど、時空間の壁が取り払われて、見渡せる世界が広くなればなるほど、時空間(歴史)の中の一点に思考や感情が集中したり、「他人の言うことに耳を傾けたら負けだ」と言わんばかりに新しい「壁」を作って、それを越えて来そうなものを撃退しようとしたりして、結果的には集団も個人も「精神的島国」に化しているように見える。No man is an islandと言うけど、今やI am an island、I shall be an islandなのか。(だったら泳いで近くの島を訪ねて行けばいいのに、海で繋がってるんだから。)

歴史というのは、「点」(イベント)のばらばらな集まりじゃなくて、人類という動物が「人間」になってからの無数の点々が互いに何かしら影響し合いながら連綿と繋がった「線」だと思うし、個々の人間の人生も、生まれてから死ぬまでの間に起こる無数のイベント(点)が繋がった「線」であって、紆余曲折と言う言葉があるように、ときには真っ直ぐ、あるときは蛇行しながら、人類の歴史に小さな、小さな、小さな「点」を残して行くのだと(ワタシは)思う。もしかしたらあらゆる点々の間に万有引力に似たような「力」が働いているのかもしれないと思うけど、きっとワタシの妄想・・・。


懐かしくなるのは年のせい?

2013年08月28日 | 日々の風の吹くまま
仕事のない日が続くのにもだいぶ慣れて、来週は得意先の担当者さんが休暇なので、
どうやら来週いっぱいまで「ご隠居さん」モード。もっとも、この際だからまだ全然やって
ない今年の帳簿付けをやった方がいいかなと思ったりして、まあ、99%くらいの隠居と
いうところかな。

欧米がシリアに介入するか、しないか。決まりかけたところでロシアが横槍を入れたら
しいけど、ワタシだったらオバマさんに「やめときなはれ」とアドバイスするな。英語に
「You're damned if you do and you’re damned if you don’t」という表現があるけど、
まさにその通り。何をやってもやらなくても、成功しようが失敗しようが、どの道叩かれ
るだけで誰にも感謝されないんだから、ここは欧州の先輩諸国にお任せしなはれ、と。

ヒマに飽かして、きのうの記事を盛大に拡大して、ワタシの歴史観などを長々と旧ブロ
グにアップしたら何となくすっきりした。ワタシって、ほんとに口数が多い人間だと、我な
がら呆れるけど、書き始めたら止まらなくなるのは小学校以来の性癖。作文の時間が
大好きで、思い浮かぶことを一心不乱に書いて、書いて、しまいには時間が足りなくて
放課後の教室に1人残って書いた。担任の先生はワタシが書き終わるまで辛抱強く付
き合ってくれた。そういえば、よく職員室にワタシを呼んで、自腹を切って買った教材や
本をそっと渡してくれたっけなあ(と、遠い目・・・)。

懐かしい気分だから、今日はYouTubeで岡林信康を探して聞こう。農耕生活中に演
歌に目覚めて作ったのが美空ひばりが歌った『月の夜汽車』。(美空ひばりとは彼女が
死ぬまで深い親交があったそうで、死後になってやっと理解できたという彼女の詩に曲
をつけて『麦畑のひばり』として歌っている。)演歌にはワタシが好きな「ミシシッピ川の
泥の臭い」のするブルースに通じるものがあると思う。岡林自身も演歌アルバムを出し
ていて、ワタシも何だかちょっぴり目覚めそうな気分。あのイチローだって最近は紅白
歌合戦は演歌の方がよくなったと言ってたもんなあ・・・。

うら寂しい匿名のヒーロー

2013年08月27日 | 日々の風の吹くまま
夕食後のワタシはだらだらとゲーム三昧。何か勝てないなあ~と画面を眺めていたら、
いきなり背後から「Hello~」とカレシの声。はあ?と振り返ったら、あっ、スカイプの英
語レッスンか。課題はワタシがオンラインの雑誌や新聞から教材になりそうだと思って
集めた記事が多いので、カレシの質問や説明を聞いているだけでワタシにもけっこう勉
強になる。

レッスンの最中にときどき「お~い」と呼ばれることがあって、今日もお呼びですか~と
振り返ったら、「キーボードヒーローって、何?」 知らな~い。「うちの奥さんが知らない
と言ってるから、まだ普及していない新語だと思うよ」と説明。でも、ちょこっとググって
見たら、ゲーム名らしい記述に混じって、Urban Dictionaryに「匿名なので報復の恐れ
がないのを知っていて、インターネットで他人をいじめたり、イラつかせたり、脅したり、
激しく非難したりする人のこと」という定義があって、ビンゴ!

なるほどなあ。匿名という「盾」の後ろに隠れて、相手には自分の正体がわからないか
ら、どんなひどい個人攻撃をしても仕返しされる心配がない。じゃあこの際だから言い
たいことを言っちゃえ、ということか。つまり、独りキーボードに向かっているときだけは
タフな「ヒーロー」の気分ということかな。掲示板には昔からそういう匿名性やプライバ
シーを盾にやりたい放題の人がうじゃうじゃいたけど、今はSNSやツィッターもあって、
いつでもどこでも・・・。「キーボードヒーロー」とは何とも言い得て妙な名づけ。(カタカナ
語として浸透すれば「キボヒ」に短縮されるかも。)

生身の人間の前では言いたいことも言えない小心者だって、匿名(アノニマス)となれ
ば大胆になれる。相手からのしっぺ返しの心配がないから、安心して日ごろから願望す
る「強い」自分を演じることができる。なるほど。ネットいじめはもちろんだけど、掲示板
で他人に鼻高々で冷たい言葉を浴びせかける人たちも、匿名だからこそ「正義の味方
のキーボード仮面~♪」。何だかうら寂しいね・・・。

戦争(けんか)をしないためには

2013年08月27日 | 日々の風の吹くまま
今日本である漫画をどこかの教育委員会が閲覧制限したとかで是々非々の論争が起
こっているらしい。件の漫画については知識がまったくないんだけど、第1部と第2部が
あって、小町での賛否両論を見渡したところでは、制限反対は第1部の、賛成は第2部
の、それぞれの内容を主張の根拠にしているから、何か議論がかみ合っていないなあ
と言う感じがする。

たしかに戦争は人類の最悪の愚行であって、平和教育は何よりも大事だと思う。でも、
戦争は悪いからやっちゃダメ!と声高に叫ぶだけでは戦争はなくならないと思うけどね。
戦争しないためにはどうしたらいいのか。外交でしょ?人間同士がけんかしないために
はどうしたらいいのか。話し合いでしょ?話し合うにはどうしたらいいのか。互いの考え
や要求を明確にして、争点や相違点の中に妥協点がないか検討しあって、合理的に問
題解決を図るってことでしょ?そのためにはどうしたらいいのか。話し合いの基礎にな
る価値観や倫理観を持つための「自我」を育てる教育でしょ?

自我を悪として否定するから、近頃は「生理的にダメ!」という、問答無用式のコミュニ
ケーションしかできない民族・宗教・社会集団が世界を跋扈していて、外交も話し合いも
やりにくい世の中になっている感じがする。歴史というのは、「点」(イベント)のばらばら
な集まりじゃなくて、人類という動物が「人間」になってからの点々が連綿と繋がった「線」
だと思うし、その歴史を構成する個々の人間の人生も生と死を結ぶ線であって、紆余
曲折と言うように真っ直ぐなときや蛇行するときがあっても、それを構成する点はみんな
どこかで影響しあっていると(ワタシは)思う。

でもまあ、人類は科学技術の発展によっていつでもどこでも誰とでも交流できるように
なったはずなんだけど、時空間の壁が取り払われて見渡せる世界が広くなればなるほ
ど、「精神的な島国」とでも言ったらいいのか、「人の言うことに耳を傾けたら負けだ」と
ばかりに新しい壁を作っているような感じがするんだけど、そこに立ち入ったらちと長く
なりそうだから、旧版の方で冗舌にまかせて論じてみようかなあ・・・。

領事館のレセプションだって

2013年08月26日 | 日々の風の吹くまま
今日は堆肥用ごみとリサイクル品と普通のごみの3種類全部の収集日だったけど、な
ぜか目が覚めなかったから、ずいぶんよく眠ったらしい。朝食のテーブルに今朝の郵便。
Arts Clubからは、来月末に旗揚げ50年を記念する新シーズンが始まるので、そのイ
ベントのお知らせ。

第1弾はスタンリー劇場でジョン・ロビン・ベイツ作の『Other Desert Cities』(日本語題
は不明)で、オープニングナイトは25日。「芸術監督サークル」のレセプションは何とア
メリカ領事館が主催して、作者自身が出席するんだって。この人はハリウッドの映画や
テレビの方でよく知られているらしいけど、その(ピュリッツァー賞候補になった)芝居を
バンクーバーのArts Clubのような「地方」劇団が上演するのに、アメリカ領事館が作
者を(たぶん)呼んで来て、オープニングナイトのパーティねえ。バンクーバーは俗に
「ハリウッド・ノース」と言われているんだけど、へえ・・・。

レセプションの場所はアメリカ領事邸で、領事館から直接招待状が届くのでお楽しみに、
だって。カレシにそう言ったら、「え、オレ、タキシードなんか持ってないよ」。外国公館主
催のパーティなんか行ったことがないけど、これは劇団の初演パーティで、レセプション
からそのまま劇場に移動するんだから、タキシード着用はないでしょ。カジュアル過ぎ
なければいいと思うけど。ま、「領事館のパーティ」に行くなんて経験はそうあることじゃ
ないからおもしろそう、とワタシは今から野次馬気分・・・。

何年か前、イギリスのバスでの会議に行ったとき、いつも前夜にやる非公式パーティが
急遽ローマ時代の温泉でのバス市主催公式レセプションになったことあった。入り口で
にぎにぎしく「chain of office」と言う市の紋章入りの首飾りをかけた市長とひとりずつ
順番に握手して「どこそこの何の誰がしでござりまする」みたいな挨拶をさせられた。私
たちの番になって、「カナダのバンクーバーから」と言ったら、市長殿が「一度アラスカに
行ってみたいですね」と仰るもので、えっとアラスカはアメリカの州なんだけど、まあい
いやと思って、「お越しいただけますればありがたき幸せにござりまする」と返事したっけ。

あれは楽しい経験だったな。ま、今度のはそんな畏まったもんじゃないと思うけど。

カタカナ語に号泣!

2013年08月25日 | 日々の風の吹くまま
きのうのうちに仕上げておいた小さい仕事2つをさっと見直して、さっと送信して、さっと
「遊び」モードに復帰。ジャパンタイムズの「Language」のページにカタカナ英語につい
てのコラムがあって、おもしろかった。カタカナ語って、元外国語の今どき日本語なのか
と思うと、元から日本語だったりして、翻訳者には実に悩ましい存在。

日本語における「カタカナ語」は翻訳者にとってはまさに両刃の剣で、日本語訳するの
に適当な日本語がないときにはエイッと「カタカナ化」しちゃえば便利でいいと思うけど、
英語訳するときにそうして「カタカナ語」として定着してしたものに出くわすと、もう号泣も
の。「何だ、これ?」で始まって、ネットをググりまくって、それでもまったく「イミフ」なこと
がしょっしゅう。だって、カタカナ語から再現した元言語とは似ても似つかぬ意味だった
り、外国語かと思ったら日本語だったり。おまけに4文字とか3文字に省略された日に
はもう「ニッポン語、ワカリマシェ~ン」。

日本語は母語なんだから、錆び付いているとは言ってもわからないはずはないという
精神的な圧力を感じるし、意味がわからなければ適切に英訳できないじゃないか~と
いう焦りもあって、しまいには「もう知らん」と放り出したくなるときもある。昔安倍さんが
ぶち上げたと言う「イノベーションの創造」なんて、はぁ?そもそもinnovationてcreate
するもんじゃないだろうに。自分の言ってることが日本語でもわかってないから、よけい
にわからないカタカナ語で言うんだろ?なんてイジワルに思ってしまったり・・・。

読み進んでいたら、21世紀の日本にはやたらと「カタカナ仕事」が登場して、就活する
人たちを悩ませているとか。最低賃金のdead-end job(先の見えない仕事)でも、カタ
カナ職ならちょっとは魅力的に見えるだろうということかな。わざわざカタカナ名に変え
た職業もあるらしい。まあ、カタカナ語に悩まされる翻訳者がまだ「トランスレーター」に
変身していないらしいのはせめてもの慰めかな、うん・・・。

医療保険制度が違うから

2013年08月24日 | 日々の風の吹くまま
きのうと今日は何となくの「仕事」モードで、ちょこっとやってはすぐネットの新聞や小町
に脱線。小町のタイトルリストを眺めていたら、「個人医療保険をいくらかけているか」と
いうトピックがあって、入院給付保険、がん保険、介護保険、さらには成人病特約付き、
先進医療特約付き保険と、いろんな保険が出てきたのにはびっくり。

よく掲示板で「海外生活」に幻滅した人が日本をべた褒めするのを見るけど、中でも特
に目をウルウルさせるらしいのが日本の医療制度なので、羨むような手厚い医療制度
があるんだと思っていたから、何やかやと自己負担があるらしいのはちょっと意外だっ
た。入院したら食事代まで自己負担があるらしいし、もしも集中治療室にでも入るような
大事になったらすごい出費になりそうで、そのために日ごろからいろんな医療保険をか
けておくということか。

カナダでは公的な皆保険制度によって営利目的の医療機関が厳しく制限されているの
で、いつでも最新設備での診療や検査を受けられる(らしい)日本と比べたら、歯科は
対象外だし、手術や高度な検査は緊急度に応じて順番待ちだから、劣悪に見えるのか
もしれない。でも、去年カレシの組合年金の給付から外された州の医療保険は世帯構
成で決まっている保険料が夫婦では月12000円。これで基本的に「医学上必要な」診
療や検査、手術、入院の費用が全額カバーされるから、過去に入院2回、手術3回の
ワタシの自己負担はゼロ。最先端医療はどこまで可能かはわからないけど、医者にか
かっても支払はゼロ。

薬は別の公的制度があるし、もちろん健康保険の対象外の医療費を補填する民間保
険もあって、団体で加入している企業や年金も多いけど、自己負担が大きいし、給付額
の上限もある。でも、カナダでは州の公的保険だけで公平に必要最低限の治療を受け
られるから、難点はあるとしても、「怖い」というほど貧弱な制度でもないと思うけどな。
まあ、何をあたりまえとして期待しているかにもよるんだろうけど。

やっと慣れて来た半隠居

2013年08月23日 | 日々の風の吹くまま
やっと「ノー目覚ましデイ」。今週は何かと早起きが続いて疲れた。(朝が早い分早寝し
たところで、すぐには寝つけないから結局寝不足。)今日は天気がいいし、涼しげな風
が吹いているので、明日で切れるエコーの保険を更新しに、カレシの提案でゴルフ場
の遊歩道をてくてく。南側を回ると保険代理店まで歩いて片道15分ほど。ハコヤナギ
の大木が何本もあって、別名を「ヤマナラシ」と言う通り、頭の上でざわざわ、ざわざわ。
でも、木立の中を歩くのはいい気持・・・。

シニアになってほぼ4ヵ月。初めは「何かしなければ」という気持でそわそわと落着かな
かったけど、仕事がない日は「ご隠居さん」モード、やりたいことがなければあえて何も
しなくていい、やりたいことがあってもやる気が出なければやらなくてもいい、思い立っ
たらトレッドミルでちょっと汗をかき、その気になったら腹筋運動もして、食事の時間が
近づけばご飯のしたく・・・やっとこういう暮らしに慣れて来たような感じがする。

なんて言っていても、仕事が入るとやっぱり「仕事」モードになるから、芯まで染み付い
た「仕事癖」から抜け出すのは簡単ではないらしい。でも、モードの切り替えが円滑に
行くようになったのか、あまりストレスを感じなくなったのは進歩と言っていいかな。今週
もまたまた飛び込みの週末仕事で、小さいのが2つ。フリーの人たちでも、家族がいた
りすると週末は休みだったりするので、金曜日夕方に持ち込まれる「月曜朝一」注文は
コーディネータさんの頭痛の種。まあ、ワタシは週末も週日も関係ないもので、二つ返
事で引き受けて、ちょこっと「仕事モード」・・・。

保険更新の手続きを終えて、また同じ道をてくてく。風は涼しくても、つないでいる手が
汗ばんでくる。行きは閑散としていたゴルフ場がいつのまにか賑わっていて、おじさん
世代のグループもいる。いくら週末の金曜日でもまだ午後2時すぎなのに、まさか忍び
足で「早引け」して来たわけじゃないだろうなあ。いいのかな・・・。

☆朝めし前の眼底検査

2013年08月22日 | 日々の風の吹くまま
8月21日。水曜日。昨日に続いて、今日はダウンタウンのセントポール病院で眼科の検査を受ける日。午前2時半に寝て、午前7時に起床。4時間足らずではやっぱり半徹夜の気分。寝ているカレシをそのままに、さっと身支度をして、グラス1杯のミルクと賞味期限をとっくに過ぎているクッキー1個の腹ごしらえ。午前7時半、いざ出発。気温は12度。

たまには朝の空気を吸うのも気持がいいもんだな。家から地下鉄の駅まで徒歩15分、ダウンタウンの駅まで15分、病院まで徒歩15分。セントポール病院はバンクーバー市が誕生しても間もない1894年にカトリック修道女会が創立した由緒ある病院で、ブリティッシュコロンビア大学医学部と提携している研修病院でもある。ワタシが卵巣膿腫の内視鏡手術と子宮全摘の開腹手術を立て続けに受けたのもここだった。もう21年も前の話。正面の古い赤いレンガの建物の後ろにあるのが(比較的)新しいプロヴィデンス棟で、入院中、同室で仲良しになったボニーと2人だけだった夜、患者用テーブルを窓際に移動して、高層アパート群の夜景を眺めながら、友だちが差し入れてくれた鶏の唐揚げやかっぱ巻きを楽しんだっけなあ。なつかしい・・・。

そのプロヴィデンス棟の入り口を見つけるのにちょっと手間取ったけど、念のために15分の余裕を取ってあったので遅刻せずに眼科に到着。受付でチェックインして、廊下の椅子に座って待っていると、朗らかな看護師さんが来て両目に瞳孔を開く薬を2種類点眼。3人いる看護師さんはみんなきびきびっとした動きで、点眼したり、視界がぼやけた患者を検査室や診療室に誘導したりの大車輪。ロス先生が研修医らしい若い人にあれこれと指示。ワタシの予約が8時半で、着いてみたらもう10人以上の患者が待っていたから、みんないったい朝の何時から仕事を始めるんだろうな。医療って、タイヘンな仕事だな。

今日2つある検査の最初はPAM(潜在視力測定)。視力検査表を網膜に直接投影するもので、焦点が少々不安定なためか、顕微鏡で細菌がうごめいているプレパラートを見ているような感じがある。普通の検眼だったら、裸眼では一番上のでってい文字でさえ読めない(形から推測はできる)のに、4段目まで全部すいすいと読めた。5段目もなんとか5文字全部、6段目は3文字、7段目と8段目は少なくとも1文字は読めて、一番下の9段目だけは点々にしか見えなくて全滅だったから、びっくり。だって、コンタクトをしていてもこんなに良くは見えたことはないもの。

次は蛍光色素フルオレセインを静脈注射しながらの眼底の血管造影検査。この検査は何年も前に眼科治療用新薬の臨床試験報告をいくつも翻訳したので、だいたい勝手がわかっている。まずは色素を注入する準備。ひじの内側にある一番太くて目立つがなぜか造影剤をうまく通さなくて、別の場所に移ってやり直し。眼底を撮影するのに「目を大きく開けて~」と言われるけど、なにしろ眼瞼下垂気味なものでそう簡単には目を見開けなくて、看護師さんに引き上げてもらった。いやはや、猛烈にまぶしい光を照射されるから、黙っていても涙がぼろぼろ(号泣!)。検査が終わって廊下に出たら、世界中がピンク色・・・。

最後に診察室でロス先生の話を聞く。眼底の血流はいたって正常でAMD(加齢黄斑変性)の兆候はなし。潜在視力はロス先生が「すごくハッピー」というほど極めて良好。ということは、ワタシの低視力の主因は角膜の異常による乱視ということなのかな。そのせいで裸眼と矯正後の視力の差が大きいのかもしれないな。で、先生の結論は「白内障手術は現時点では不要」。コンタクトレンズから解放されるための手術ではない。(検眼医はコンタクトと同じ処方のレンズを目に挿入するので、もうコンタクトを使わなくても良くなると言っていたな。)角膜の凸凹を覆って乱視を矯正しているレンズがなくなったら視力が落ちるかもしれない。文字が薄く見えるなら読書用眼鏡を使いなさい。レンズが曇るならそのつど洗浄しなさい。う~ん、ごもっとも・・・。

ということで、8ヵ月後に白内障の進行具合を検査することになって、午前10時20分検査完了。瞳孔がぽかっと開いてエイリアンになった目にコンタクトを入れて、自力で帰れるとカレシに電話。ちょうと起きたところで朝食はまだというので、腹ペコのワタシは「帰るまで待ってて~」。サングラスをかけてもまぶしくて道路が見えにくかったけど、無事に帰りついたのは午前11時。さっそく2人揃って朝ごはん。超がつく早起きをしたおかげで、いつもならやっと起床している頃の正午までに今日の予定が全部終わって、これがほんとの朝めし前・・・。


誰がための英語レッスン?

2013年08月22日 | 日々の風の吹くまま
今日は今週3度目の目覚ましモーニング。カレシは今日の英語教室を最後にしばらく
「夏休み」。午後の部は1ヵ月弱だけど、夜の部は一応解散して、最低8人の申し込み
があるまで休講。ボランティア先生だって、休みが欲しいよね。

でも、スカイプでの実験授業(無料)は休まず継続。スカイプのフォーラム?で募集をか
けて、最初のポーランド人、次のトルコ人の大学生はいずれも1、2回で挫折したけど、
今はベトナムの大学生2人に週1回、1人1時間ほどの個人授業をやっている。2ヵ月く
らい続いていて、出した課題もきちんとやるそうだから、ヨーロッパとアジアでは英語学
習意欲の切実さが違うんだろうな。レベルは中級の上くらいとか。ヘッドフォンをしてい
るのでカレシの声しか聞こえないけど、けっこう楽しそう。ボケ防止にも最適だね。

経済学専攻の学生は、奨学金をもらえるという理由だけで「一応」共産党青年組織に
入っているそうで、卒業後は銀行に就職するつもりだとか。カレシが見込みはどうかと
聞いたら、「身長が十分あるから大丈夫」という返事。銀行勤めに身長は関係ないだろ
うにと思ったら、何と身長とルックスに最低ラインがあるらしい。社会主義国のベトナム
では「機会均等」のはずだけど、高身長のイケメンの方が「客の信頼を得やすい」のが
理由だというから、何かアジア的というか・・・。

フォーラムには英語を話せるようになりたい人、英語を教えたい人がたくさんいて、カレ
シも「生徒候補」には事欠かないらしい。でも、「ただなんだから本当に英語が必要な人
しか受け付けない」と、レッスンを受けたい理由や目標をメールさせることで生徒を厳選
しているそうな。日本からの応募も多いけど、「I wanna speak English(エイゴしゃべり
た~い)」とか「Teach me English(エイゴおせぇて~)」といった調子のメッセージばか
りだというので、日本人は「ガイジンと英語でペラペラ」を目指す人が多いみたいだよと
言ったら、「オレはチャットサービスじゃないよ」。そうね、せっかく苦い経験を乗り越えて
開花した英語教授の才能、ほんとにためになることに使わなきゃもったいないよね。

人間はボケると本性が出る?

2013年08月22日 | 日々の風の吹くまま
洋の東西を問わず、人間は年と共に怒りっぽくなったり、頑固になったりする。背景要
因はいろいろだろうけど、脳の前頭葉の機能低下で感情を制御できなくなって些細なこ
とでキレる「理性の老化」が大きな原因らしい。(逆に言えば、若い人たちがキレやすい
のは、前頭葉が未発達でまだ自制心が育っていないからだということになるのか・・・?)

日本では高齢者による暴力事件が20年ほどで50倍になったそうで、老人による殺人
事件が起きているし、こっちでも老人ホームで95歳の男性が同室の85歳を殺す事件
が起きたばかりで、介護ホームでの暴力沙汰も毎年相当な数になるらしい。加害者も
被害者も認知症ということで、高齢化社会のメンタルヘルス問題が浮上してきた。この
95歳の「殺人犯」は大戦でいくつも勲章をもらった人だそうで、たぶん戦闘的なところ
があったのかな。戦後は普通に理性的な大人の生活を営んで来たけど、認知症になっ
て隠れていた性格が現れたということか。

認知症が進んだ義父を見たとき、ワタシは人間はボケると隠していた「本性」が現れる
のかもしれないと思った。義父は若い頃から一触即発の癇癪もちで、キレると怖くなる
ほど怒鳴りまくる人だったのが、亡くなる3ヵ月ほど前にはまるで今にも「ママ~」と泣き
出しそうな「幼児」になっていた。そのときにふと、この人は本質的に「不安症」で、それ
を威嚇行動(キレる、怒鳴る)で抑えていたのかもしれないと思ったわけで、それ以来、
性格的に似ているカレシがボケたらどうなるのか時たま考えるようになった。

大人は多かれ少なかれ自分の本性を「理性」で抑えて生きているとすれば、社会に慣
習や集団思考に適合した「常識人」であることを強く要求されて、それに従うほどに常
識人の自分と「本当の自分」との乖離が大きくなって、ボケたときに「人が変わった」と
言われるのかもしれない。だったら、自己の規範や信条に従った自然体の「自分」を生
きる方が「今と昔」の落差が少なくていいかもしれないな。ワタシ自身はとなると、はて、
どんな「本性」が姿を現すやら見当もつかないけど・・・。

白内障手術はまだ早いって

2013年08月21日 | 日々の風の吹くまま
午前2時半に寝て、午前7時に起床。4時間足らずではやっぱり半徹夜の気分。寝てい
るカレシをそのままに、さっと身支度をして、グラス1杯のミルクと賞味期限を過ぎたクッ
キー1個の腹ごしらえ。午前7時半、いざ出発。気温は12度。

地下鉄の駅まで徒歩15分、ダウンタウンまで15分、セントポール病院まで徒歩15分。
たまには朝の空気を吸うのもいいもんだな。眼科のあるプロヴィデンス棟の入り口を見
つけるのに手間取ったけど、念のために15分の余裕を取ってあったので問題なし。受
付でチェックインして、椅子に座って待っていると、朗らかな看護師さんが来て瞳孔を開
く薬を2種類点眼。3人の看護師さんはみんなきびきびっとした動きで、点眼したり、視
界がぼやけた患者を検査室や診療室に誘導したり・・・。

最初の検査はPAM(潜在視力測定)。視力検査表を網膜に直接投影するもので、顕
微鏡でプレパラートを見ているような感じ。普通なら裸眼では一番上のでかい文字さえ
読めないのに、5段目は5文字全部読めて、6段目は3文字、7段目と8段目は少なくと
も1文字で、一番下の9段目だけ全滅だったからびっくり。コンタクトをしていてもこんな
よくは見えないのになあ・・・。

次は蛍光色素フルオレセインを静脈注射しながらの眼底の血管造影検査。一番太くて
目立つ静脈がなぜか造影剤をうまく通さなくて、別の場所に移ってやり直し。目を大きく
開けて~と言われるけど、眼瞼下垂気味なものでそう簡単には行かない。猛烈にまぶ
しい光を照射されるもので、黙っていても涙がぼろぼろ(号泣だ!)。終わった後は世界
中がピンク色・・・。

最後に診察室でロス先生の話を聞く。眼底の血流はいたって正常でAMD(加齢黄斑
変性)の兆候はなし。潜在視力は極めて良好。低視力の主因は角膜の異常による乱
視ということなのかな。それで裸眼と矯正後の視力の差が大きいのかもしれない。結論
は「白内障手術は現時点では不要」。コンタクトレンズから解放されるための手術では
ない。(角膜の凸凹をカバーしているコンタクトがなくなれば乱視が残るかもしれない。)
文字が薄く見えるなら読書用眼鏡を使い、レンズが曇るならそのつど洗浄すればいい。
う~ん、ごもっとも・・・。

ということで、8ヵ月後に白内障の進行具合を検査することになって、午前10時20分
検査完了。またまたエイリアンになった目にコンタクトを入れて、自力で帰れるとカレシ
に電話。起き抜けで朝食はまだというので、腹ペコのワタシは「帰るまで待ってて~」。
超がつく早起きをしたおかげで、いつもなら起床時間の正午には朝食も終わって、これ
がほんとの朝めし前・・・。