リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年3月~その2

2009年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
お悩みをひと言で解決します

3月16日。カレンダーを見てはため息、ためいき、タメイキ・・・。年度末でいつもあたふたする「狂気の3月」とはいえ、仕事、決算報告だとか契約書だとか、やたらと多いなあ。もう雪崩に埋まったような気分。それにしても、今年の決算報告はやっぱりちょいとしょぼいのが多い。名だたる日の丸企業もすごいことになっているらしいけど、それより小さい企業でも昨年度はン百億円も儲かっていたのに今期はみごとに赤字というのもある。経営者にとってはこういう経営報告を出すのはつらいよなあ。(そういえば極楽とんぼも2008年度の決算をやらなければないのに、時間がなあ・・・)

この2週間ひっきりなしに左のまぶたの目じりの辺りがピクピクしてうっとうしい。気がつかないうちに歯を食いしばっているのか、頬骨の辺りがなんとなくだるい。働きすぎかなあ。でも、去年のログを見るともっとすごかった。最初の3ヵ月で年間売上の4割を稼いだもんね。2001年からあるログを見れば、2月と3月はいつも際立って仕事が多い。年度末だからなあ。よく見ると去年の今頃も同じ発注元の仕事をやっていた。きっと、同じように「たいくつだ、たいくつだ」といいながらキーを叩いていたんだろうな。まあ、フリーだろうが、主持ちだろうか、愚痴をこぼしたり、あれこれこき下ろしたり、猛ダッシュしてみたり、だらけてみたりと、「働く」とことはあんがい同じようなもんだけど。

ま、ひとつ納品して息をついたところで、小町のタイトルをいじくって肩の凝りをほぐそうか・・・

「部屋が汚い男なんですが」 - 早くきれいなところへ引っ越しましょう!
「他人の痛みに鈍感であること」 - 鎮痛薬の乱用しすぎかもしれません。
「私病気ですか」 - はい、感覚過敏人見知り自己恐怖不安神経症です。難病です。
「姑(予定)を好きになれません」 - 夫(予定)の先が思いやられます。
「歪んでいく心」 - スチームアイロンでほっこり伸ばしましょう。
「生きることに前向きになるには?」 - 後を見なければいいのです。
「妻に許してもらう方法を教えてください」 - 「ごめんよ、ダーリン」とヴィトンのバッグです。
「恋愛が結婚に至りません」 - 小町では恋愛と結婚は別ものというのが常識です。
「既婚者と独身の見分け方」 - 結婚しているという自覚のない人が多いので不可能です。
「自営業?を始めたいけれど、どうしたら?」 - 自分で仕事を始めましょう。
「私の心が狭いのでしょうか」 - あちらの心が広すぎるのかもしれません。
「悩んでます」 - 浜の真砂が尽きるとも、世にお悩みの種は尽きまじ、なのです。

小町のタイトルは今日も突っ込みどころ満載。本当に真剣に悩んでいる方には、ごめんなさい。

「仕事が山になってしまいました」-営業担当者とよ~く相談してください。

極楽とんぼちゃ~ん、ねえ、ど~するの、こんなに仕事引き受けて来ちゃって?あれ~、いったいどこをふらふら飛び回っているのやら・・・お~い!

就活に婚活に産活の時代

3月18日。窓の外をぼや~っと眺めていたら、道路向かいの桜の木がな~んとなく色っぽい。ピンクとはいかないけど、どの枝も赤みを帯びているのがわかる。やっとのことで春が来るんだなあ。そういえば、歩道脇の芝生にクロッカスが咲いていたなあ。寒そうにしてたけど、やっぱり春は来る。

今日はくたびれた。肩は凝るし、目はしょぼしょぼで、まぶたはピクピク。指の関節は痛い。でも、うんと気合を入れてがんばったおかげで、つまんないものでついだらだらとやってしまう仕事を片づけて、小さい仕事だけど、ゴシップというかスキャンダルと言うかけっこう興味を引かれる文書を片づけて、やっと少し遅れていた予定に追いつくことができた。やれやれ。ばんざ~い。

金融情報サイトの「ブルームバーグ」に、お堅い記事に混じって「日本女性の不況対策は夫探し」という記事があった。どうやら「marriage hunting」というのは「婚活」の英訳らしい。まあ、「就活」の訳が「job hunting」なら、「婚活」はそういうことになるんだろう。コンカツなんて、あんまり響きのいい言葉には聞こえないし、第一にロマンスのかけらも感じられないけどなあ。Marriage huntingとなったら、弓矢をもって、目を光らせてでっかい獲物を追いかけるような印象になってしまいそう。まあ、英語にも「husband hunting」という言い方はあるけど、ここでも英語は対象が「人(夫)」であるのに対して、日本語は「形式(結婚)」と、狙いとするものがぜんぜん違うからおもしろい。

記事の中で婚活中の女性が読んでいるとして引用されていたのが「an an」の『Complete Guide to Marriage Hunting』。「へえ、英語版があるのか~」と思ってリンクをクリックしてみたら、なんだ、日本語の目次だけ。『大人の婚活マニュアル完全版』とか言うすごいタイトルがついていて、ざっと読んでみたら、「即アクション」だの、「マーケティング理論」だの、「男と女の詰め将棋」だの、「弱点強化でゴールイン間近」だの、いやはや、結婚市場は生き馬の目を抜くウォール街よりもすごい。最後に「幸せのゴールを夢見るあなたに婚活を成功へ導く必勝コラム」。いや、その熾烈さには圧倒されてしまった。極楽とんぼが若くて、フェミニズムの洗礼を受けていた頃は、結婚することを「永久就職」と揶揄したもんだけど、どうもほんとうに「結婚=就職」になってしまったような様相だな。

だけどなあ。相手がいなければ気合の入った婚活もどうにもならないだろうに、相手の人間像が見えてこないなあ。やっぱり、「結婚」という形態がゴールで、「夫」という人間は結婚すればついてくる付録なのなあ。でも、日本の高額納税者の奥さんたちについて調べてみたら、夫君たちに負けないくらい高学歴で高収入の人たちがおおかったとか。アラフォー世代でも、学歴や収入の高い(600万以上)女性たちの方が、フツーのOLよりも彼氏がいる割合が高かったそうな。あんがい、女性が三高の男性を選んだバブル時代は過ぎ去って、こんどは男性が将来の保険のために高学歴、高収入のキャリアウーマンを選ぶ時代になったのかもしれないな。さて、「今年中に結婚したい!」と意気込む彼女たちの婚活、はたしてどうなるか・・・

明日の風はどんな風?

3月19日。仕事のスケジュールからの「遅れ」が一応解消したら、気が軽くなって早速なんとなくだらだら。ま、そもそもだらけがちだったから遅れが出たんだけど、そのあたりの反省は別の機会に回すとして、日本は春分の日の三連休だから、こっちもいつもより早い「週末」を楽しむことにしよう。

小町を見ていたら、「自由業の皆さん、ヒマな時どう過ごしていますか?」というトピックが目に付いた。仕事がない、ヒマはあるけどお金がない、大掃除をしてみたけどまだヒマ、貯金は減るし・・・。この不景気でどこもみんな大変なんだなあと読んで行ったら、4月は、5月は、という表現が出て来て、かみ合わなくなって来た。あれ?と思ってトピックの日付を見たら、1年近く前に立って消えていたのを誰かが見つけて「掘り返した」もの。なるほど、やっぱり不況は1年以上前から始まっていたってことか。アメリカ発で金融危機が勃発したときには、実は1年前から景気後退は始まっていたということだった。そういわれると、サブプライムの危うさが囁かれていたのはそれくらい前だ
ったような。

アメリカに今の不況を4年前に予言したエコノミストがいた。まあ、何年の何月何日に来ると言ったわけではないから、予言と言うよりは警鐘を鳴らしたということだけど、そのときはほとんど信じる人がいなかったという。「自分は園遊会に闖入したスカンクのようなものだった」そう。うん、景気が良かったもんな。株価はどんどん上がるし、ゼロを数えなきゃいくらなのかわからないような金額がメディアのいたるところで踊っていた。庶民もそういう華々しい数字を見ているうちにふところが温まった気分になって、高級化志向。プラスチックのカード1枚で買えてしまうんだから楽なもの。そんなときに危ないと言っても、チキンリトルじゃあるまいしと言われるのがオチ。

結局は当のエコノミスト氏が想定したシナリオの展開になったわけだけど、この人、今度は「警戒的ながら楽観的」という見解を打ち出して、またまたスカンク扱いされているらしい。せっかく「終末思考」に浸っているのに水を差すなということかな。当人は「エコノミストは先が見えないから、景気後退の潮目を見逃した連中は回復の潮目も見逃すだろうよ」と涼しい顔。同感。経済統計だの、企業の実績だの、エコノミストが虫眼鏡で分析する数字はとっくに過ぎた過去の状態を記録したものなんで、下がってきたと気づく頃には実際はとっくに底打ち、上がってきたと気づく頃にはとっくに頭打ちということになる。いっそ、さっさと家に帰って、家族や友だちに「このところ景気はどんな感じ?」と聞いた方が経済の舵取りによっぽど役立つんじゃないのかな。まあ、景気がいいのに「かつかつなんだから、もっと稼げ」という返事だったら、これまた経済政策の手元を狂わせることになるかもしれないけど。

極楽とんぼのカレンダーも、3月はみんな年度末の予算消化に走り回るおかげで月末まで仕事がびっちりだけど、4月から先はどうなることやら。もっとも、フリーランス稼業は景気の風がどっちに吹こうと関係なく明日をも知れない崖っぷちのビジネスで、好景気も不景気も「Been there, done that」だから、明日は明日の風が吹くのにまかせてもいいかなあ。まあ、正直に言えば、人生ひと回りして少しは「年の功」という貯金ができただろうし、しばらく暇になって、仕事に追われてやりたくてもやれずにいたことを飽きるくらいやってみたいなあ・・・

桜が咲いた、春一番

3月20日。ゆうべはカレシがまたウイルスにやられたかもということで、思いっきり夜ふかし。スキャンをしたり、アンチウイルスソフトをランしたり、ご当人は塩辛い口笛を吹き吹き、いっしょうけんめい。ビデオ関係のソフトをいじっていたら、ソフトの画面がみごとに吐き気を催しそうな緑色に変わってしまったらしい。他のソフトは変わっていないのに、これだけはインストールし直してもまだ緑色。思いあまってサポートに聞いたら、「画面の隅のアイコンをクリックして・・・」と返事が来たそうな。なあんだ、うっかり色をカスタマイズするアイコンをクリックして、「急に変な緑色になった!すわ、ウイルス!」とあわくっていたわけか・・・。

春分の日は公式に暦の上で春が始まる日。待ちに待った春初日にしては雨っぽいし、あまり暖かくもない。これじゃあ、道産子の極楽とんぼも、さすがにいつまでも爛漫にならない春にうんざりして来るよなあ。それとも、道産子だからこそ「春を待ち望む」気持が強くて、いつもだったらそう思う前に来てしまう春がなかなか来ないから、忘れていた「は~るよこい」が頭を持ち上げたのかな。ゆっくりでいい金曜日と言うことで、ぼちぼちと仕事をしていたら、突如「ゴロゴロゴロ」と大音声で、雨だか雹だか、窓ガラスをカリカリ。え、今度は雷雨?と思ったけど、雷鳴は1回だけで、おそまつさま。嘘みたいな青空が広がった。これって、夏の天気じゃないのかなあ。

あんまり明るいので、二階へ上がって見たら、向かいの歩道の桜の枝の色づきが少し薄くなっている。双眼鏡を持ち出して、よ~く観察して見たら、ある!こっちにちら。あっちにちら。一分咲きにもほど遠いくらいの「ちら咲き」だけど、まあ5厘咲きってところかなあ。天気予報官がテレビで今年は桜の開花が平年より3週間も遅れていると言っていた。この冬は近年でも極端に低温で、乾燥して、雪の多い、記録的な冬だったそうな。ええ?乾燥して、雪が多くてって、なんだか矛盾していない?2週間くらい湿度が100%なんてときもあったんだけど。それなのに、ノースショアの山並みは積雪量がなぜか平年より少ないとか。水源地が雪不足ということは、この夏は水不足になるのかなあ。なんかつじつまが合わない、狐につままれたような話。

桜もちらほらなら、2月は小売業の売上や住宅販売が前月に比べて上向いたというニュースがちらほら。厳冬の世界経済にも春の兆しが見えてきたのかな。北米では自動車の販売台数も住宅の販売戸数も増えたそうな。住宅の価格は全体的にかなり下がったし、車のメーカーやディーラーは値下げやリベートで販売に必死だから、このチャンスを待っていた人たちが買い時と見て出てきたんだろうな。倹約するのはいいことだけど、倹約、倹約とマスコミに煽られて、倹約しないヤツは民衆の敵だ、みたいなことになったら、世の中にお金が回らなくなる。使えるお金がそこそこある人は遠慮せずに使ったほうが世のため、経済のためってもの。ただし、無理しないで使える範囲でやってね。使えないお金まで使いだしたら、元の木阿弥だから。

春うららの土曜日だけど

3月21日。それほど暖かくなくてもなんとなく春らしく感じる土曜日。だけど、極楽とんぼは相変わらず仕事、仕事。カレシは久々に外へ出て庭仕事。こっちが変な表現に引っかかっている時にかぎってカレシが入ってきてちょっかいを出したり、水を飲みに立ったときに目が合ったら窓ごしに手を振ってあげたり(遮音用のヘッドフォンをしてiPodを聞いているから、何を言っても聞こえない)、適当にそれぞれのことをしているうちに、いつの間にか時間が流れる。だからといって、空気のような存在になったという感じはしないんだけど、そもそもこの「空気のような存在」の真意がわからないからかもしれない。

おでかけのついでにエコーの運動と思ったけど、あら、またエンジンがかからない。どうやら遠出しそびれているうちにまたバッテリが上がってしまったらしい。どうも近頃のバッテリは一度干上がってしまったら、相当にぶっ飛ばさないと十分に充電されないらしい。またあしたトウトラックに来てもらって、充電してもらうしかない。あんがい、整備工場へ持って行ってもらって、新品のバッテリに取り替えてもらった方がいいかも。カレシはトラックをぶっ飛ばして、たっぷりバッテリを充電してからエコーをジャンプスタートすると言うけど、サービスは7年分払ってあるんだし・・・。ま、しょうがないから、とりあえずトラックでおでかけ。

ガソリンがなくなりそうだと言うから途中で給油。だけど、カレシはキャップが外れなくて悪戦苦闘。極楽とんぼが降りて行って、「ここまで回して、手ごたえがあったら、ちょっと押しながらさらに回して、引っ張る」と、実演入りで指南したけど、どうしてもタイミングがつかめないのか、「外れない!」(そばで給油していたおじさんが笑いをこらえている・・・。)せっかくトラックに戻ったとんぼはまた降りて行って「実演」。ほんとに簡単に外れるんだけど、カレシがやってみるとキャップは頑として外れてくれない。ま、「ほらね」と外してみせては、「はい、やってみて」とまた閉めてしまうとんぼもとんぼなんだけど・・・(一人のときに外せないと困るもんね)。それでも、数回の試行錯誤でめでたくキャップが外れて、給油に成功。

今日のディナーは久しぶりにお気に入りのLe Crocodileで。土曜日だからかもしれないけど、景気が悪い、大恐慌以来の深刻な事態だ、と騒がれている割には閑古鳥が鳴いている様子がない。シェフのお味見メニューがいい。ワインをペアリングする代わりに、ソムリエに全コースに合いそうなピノノワールのワインを聞いて、ブルゴーニュ地方のコートデュボーヌのものを選んでもらった。最初のコースはフォアグラを詰めたうずらのロースト、次はエビと鮭のスープで、メインはビーフのヒレとロブスターの組合せ。マイルドなワインがちょうど良くマッチした。青りんごのソルベで味覚をリセットして、デザートはグランマルニエのスフレ。このスフレがいつもながら「おぉ」と言うほどおいしい。

それにしても、各コースが小皿料理と言うには少々大振りな量なもので、極楽とんぼ亭の5コースディナーよりはずっと多い。これだけ食べたら、もうおなかが一杯。なのに、近くのスーパーに立ち寄って鴨の足や胸肉をどっさり買い込み、本屋に立ち寄って(もう置くところがないのに)また写真のきれいなおしゃれな料理本をどっさり買い込んで、ご機嫌で帰館した春の土曜日・・・。

カナダの国籍は何なんだろう

3月22日。目を覚ましたら、カレシはとっくに起き出したらしく、影も形もない。正午前だし、今日は2つも納品があることだしと、起きてキッチンに下りてみたら、朝食のテーブルはセットしてあるけど、カレシの姿はない。ベースメントまで行ってみたら、カレシは園芸室で水遣りの最中。よく眠れなくて、10時半には起きてしまったんだそうな。ふ~ん、何かがひっかかっているのかなあ。

仕事をひとつ送って、ソーシャルブックマーキングサイトをのぞいたら、ジャパンタイムズにカナダの市民権法改正の記事があった。カナダ国外で生まれたカナダ人の子供にカナダ国外で生まれた子供にはカナダ国籍は認めないと言う内容。前にそんな論議があったのは覚えているけど、いつの間にか議会で可決されて、来月4月17日から施行されるんだそうで、海外に住むカナダ人には大きなショックらしい。たとえば、もしも極楽とんぼとカレシが日本に住むことを決めて、そこで子供が生まれていたとしたら、その子はカナダ国籍を持てるけど、そのまま日本で家庭を持って子供を作ったらその子供は自動的にカナダ国籍になれなくなるというしくみ。

法改正の発端は何年か前のイスラエルとレバノンの紛争だった。カナダ国籍を持つレバノン人たちがカナダに救助を求め、政府は何十億円もの費用をかけて何万人ものレバノン系カナダ人を救出したんだけど、サービスが遅いと愚痴るは、食事が悪かったと愚痴るは。おまけにカナダで働いて税金を払っているカナダ人がむかついているのに、紛争が終焉したとたんにどっとレバノンに帰ってしまった。もちろん、カナダのパスポートを後生大事に抱えて。つまり、カナダ国籍は「旅行保険」みたいなものというわけで、特に出身国に戻ったままカナダに帰って来ない「不在カナダ人」に何世代も市民権を与え続けるのはおかしいということなのだ。

海外に移住たした日本人たちも、日本国籍を手放さずに外国籍を取れるように日本に二重国籍を認めるように働きかけているそうな。重国籍の容認は世界の流れだと。ところが現実には、人口順に並べた世界100ヵ国のうち70ヵ国が重国籍を認めていないか、継続に制限を設けているそうな。移民してきてカナダのパスポートを手に入れたら、後は自国へ帰って○○人として暮らし、都合の良いときだけ「カナダ国民の権利」を主張するというのは、たしかにいいとこ取りで虫が良すぎるし、何よりもその人たちを受け入れたカナダとカナダ人だけでなく、カナダに帰化して、いっしょうけんめい働いて次世代のカナダ人を育てている人たちまでもバカにしていると思う。それに、親の代からずっと住んでいる国で子供に「カナダ人の誇り」を押し付けるのは、その国をばかにしているような感じもするんだけど。

ついでに、移民でもない人の子供にまで、たまたまカナダ国内で生まれたというだけで自動的に国籍を与える「生地主義」もおかしい。香港の中国返還直前には臨月の大きなおなかを抱えた香港女性が次々とやってきて、産科病棟が満杯になったという噂が流れた。これは子供がカナダで生まれて国籍を持ったからといって親がすぐに移民できるわけではないとわかって、下火になったらしい。まあ、カナダにいるカナダ人としては、カナダのことを何も知らず、カナダの言語も話せず、カナダ市民の義務も果たさず、カナダにちっとも貢献していない人が、「ひいおじいちゃん」がカナダから来たんだから自分もカナダ人。ならば「カナダにめんどうをみてもらう権利がある」と言って来ても、なんだかなあ。まるでひいおじいちゃんの隠し子が遺産の分け前を要求して乗り込んでき
たみたい・・・

英語でゆるキャラと言うと

3月23日。案の定、夕べは時間が切羽詰ってしまって、そろりとベッドにもぐり込んだのは午前5時。正午になる寸前に目を覚ましたら、今日はうって変わって雨。せっかくカレシの腕枕でいい気分なんだけど、午後8時期限の仕事があって、これがまだ手も付けていない。警報が鳴り渡る月曜日・・・。

ねじり鉢巻をきりりとしめて、いざ仕事!と思ったら、先週やった仕事で変な質問が来ている。ふむ、日本語と比べてどうのこうのと言われても、英語は日本語じゃないからなあ。英語でなら「りんごとオレンジを比べる」と言うところ。元から比べようのないものの喩えだけど、それでも比べてどうのこうのと言わないと気がすまない人が多いらしい。根底にあるのはある種の「人間不信」なんじゃないかと思えてくる。日本が違うのはあたりまえ。英語をしゃべる国だって違っていてあたりまえ。もう、東は東、西は西ってことでいいじゃん!と、むかつきながらも、英語ではああだこうだと説明。でも、春のそよ風のごとく、きっと右から左へなんだろうなあ。やれやれ。

所属する協会のメーリングリストではちょっとしたさざなみが立っていた。日本の人名や地名の読み方についての質問に、英語人のメンバーから回答がたくさん来た。もちろん日本語人メンバーも、日本人という強みから解説つきの回答が来た。そこまではいつものことなんだけど、「日本語ネイティブじゃないのに、難しい漢字が読めるんですねえ」とひと言よけいの発言。街角で出会った外国人が相手なら外交儀礼ですむけど、相手は漢字が読めなくては商売にならない日英翻訳者。何十年も日本に住んで、「日本人より日本人らしい」と言われそうな古参もかなりいる。猛烈な勢いでメールが飛び交い、英語と日本語が入り乱れての異文化論を戦わせて、一応は大人の決着。だけど、「外国人が日本の習慣/日本の文化/日本語を理解するのは難しい」という潜在的な観念がぽろっと露呈したという印象は否めないような。それにしても、暇なヤツが多いなあ。景気のせいじゃないといいんだけど。

午後8時の期限にぎりぎりで滑り込み。次の仕事の入稿が遅れて明日の夜ということで、今のうちにちょっと息抜き、とジグソーパズルを始める。自分で画像を集めて来て、好きなように作れるという優れもの。まとめて作っておいたのをながめて、どれからやろうか。そこで目に付いたのが「ゆるキャラ」とかいう、各地のマスコットが勢ぞろいしたイベントの画像。ふむ、日本語で「ゆるきゃら~」と言えばなんとなくゆったりしたリラックス効果がありそうだけど、北海道語では「しんどいこと」を「ゆるくない」(=きつい)と言うから、道産子の耳にはなんかリラックスできない感じだなあ。これを英語に訳すとしたら、「loose character」。おいおい、イメージがぜんぜん違ってしまうよ。Looseには「だらしない」という意味があるし、「尻軽」という、なんとも品のない意味もある。ところ変われば品変わるというけど、ゆるキャラの日本代表みたいな「ひこにゃん」もさぞかし赤面てところかな。いやあ、異文化を比較するって、突っ込みどころが満載で楽しいじゃないの。

もしかして1.75リンガル

3月24日。雨。桜の開花もさっぱり進んでいない。地球温暖化なんて誰かの作り話で、ほんとうは氷河時代に向かっているんじゃないのかな。科学は絶対じゃないし、環境活動家なんてのは明け透けに偽善的なのもいて、ほんとに何が動機なんだかわかったもんじゃないし・・・。ふむ、指を突き出して、暖かいか、冷たいか、ちょっと風向きを探ってみようか。

遅れていた原稿が送られて来て、束の間の「休み」は終わり。頭脳集団とかいわれるところらしいから、書いた人も世界を相手に最前線で問題の快刀乱麻の解決法を考える頭脳明晰なエリートなんだと思うんだけど、「だけど」。日本語の文章がおかしいのではない。証券マンやお役人が書く文章と比べたらずっと明快で、ノー学歴の極楽とんぼにだってちゃんと理解できる。ちゃんと理解できるから、お役所文学にてこずって半徹夜したばかりの極楽とんぼは鼻歌まじりでサイトラ。目が日本語の文字を追い、指先が英文を打ち出す手法で、思考回路は目から入る日本語の方に重心が傾いているきらいがあるから、編集の段階で英語思考に重心が移ると、カルチャーショックのような現象が起きることがある。

最終的には英語中枢がOKを出した文章になるけど、すると、日本人の校正担当者から質問が飛んでくることがある。英語生かじりのような発注元からの質問と違って、校正者から来る質問はかなり鋭い。そのたびに脳の中のシナプスの迷路をたどって行って、自分の思考の経緯を説明するはめになる。なんだかパズルを解くようでおもしろいんだけど、言ってみれば自己洞察でもある。極楽とんぼの英語は「学んだ」と言えるものではなくて、34年間日常の言葉として吸収したものだから、まさに「空気」のような存在。その空気の流れを説明しろと言われても「That’s the way it is(そういうことになってるの)」で片づけたくなる。だけど、英語を生業の種とする身としてはそういう逃げもままならず、自分の思考を客観的に解きほぐすはめになるわけ。いっそのこと、頭を外して、蓋をパカッと開けて、脳みそのしわしわをかき分けて、この目で確かめられたらいいのに。

大学でちゃんと英語を勉強した人たちなら、さくさくと説明できてしまうんだろうなあ、とふと思うのはそんなとき。なぜって、極楽とんぼが正式な英語教育を受けたのは中学1年から高校3年まで。40年以上も経った今となっては、文法だの何だの教えられたことはほとんど忘れてしまっている。裏を返せば、日本語教育も小学校から高校までの12年間だけで、社会人日本語の習得も20代半ばで止まったことになる。敬語の正しい使い方に自信がないのはそのせいかな。その後の日本で若者の敬語が混乱したことに助けれられているようなところもなきにしもあらずだけど。これって、バイリンガルじゃなくて、1.5リンガルくらい・・・?

それにしても、大学の英語ってどんなことを教えるんだろうな。行きたいと思った外国語大学ではどんなことを勉強しただろうな。あちこちの大学院にあるらしい「翻訳科」ではどんなことを教えるんだろう。修士号をくれるくらいだから、きっとすごく高度な理論や手法を教えてくれるんだろうなあ。語学も翻訳もきちんと学校で勉強しなかったとんぼには未知の世界がたくさんあるってことだけど、最高学府で学ぶってどんな感じがするか、いつかちょっとのぞいてみたい気もする・・・

鏡よ、鏡・・・

3月25日。おお、いいお天気。やっと本格的に春のお目覚めというところかな。今日は「納期」の赤いマークが付いていないから(といってスケジュールが緩んだわけじゃないけど)、朝食もそこそこに買出しに。まず、酒屋。地下鉄の工事も終盤で、掘り起こした道路の再建工事。きのうはOKだった左折が今日は禁止になっていたり、2車線が急に1車線になっていたりで、もうあと少しの我慢とは言え、あいかわらずイラッと来る。予定を早めて9月頃には開業するという話だけど、さっさと片づけて、市民の生活を早く元の日常に戻してくれ。

酒屋の次は野菜の仕入れ。「リストを忘れてきた」とカレシ。靴を履くまでは持っていたのに、ひょいとおいてそのままらしい。「みんな必要だからリストはなくてもいいか」と。ほんと、いつも買っている常備の野菜類が全部必要なんだったら買い物リストは要らない。今日はメキシコ産のアスパラガスの束が3つで5ドルと安い。束といっても手で握りきれないくらい大きいから、3束を食べきるのに何日かかるやら。カレシはジュースにするといって果物を大量仕入れ。この前は結局食べてしまったけどな。いつも大量買いするもので、レジのアンジェリーナとはすっかり顔なじみで、他愛のないおしゃべりをしながらお勘定。

最後はスーパーで必需品の買い足し。魚の売り場にいつもよりふっくらして見えるヒラメがあった。食材を解凍するのを忘れて来たから、今夜は久しぶりにヒラメで行こう。ついでに冷凍のベトナムナマズも。カレシが郵便をとりに行っている間に、レジに並んで、そばのゴシップ新聞の一面を横目で立ち読み。いつもながら想像力のすごさには感心する。売れるからいつも置いてあるんだろうけど、こういうの、どんな人が買うんだろうなあ。

買い物が全部終わって、いざ帰館。3時半なのにもうラッシュが始まっている。右側を猛スピードで追い越していった車。カレシだって制限速度を10キロオーバー(一応はフツーの速度)なのに、どんどん追い越しがかかる。「いくらスピード出しても必ず競争しないと気がすまないバカがいる」とカレシ。ハンドルを握ったとたんに性格ががらっと変わる人もけっこういるけど、被っていた猫が取れるのかなあ。みんな普通のスピードで走っているのに追い越しをかけるのは、やっぱり競争心のなせることなんだろうけど、この競争心にも「勝ちたい」と「負けたくない」の二通りの動機があるからおもしろい。両者を競争させたら、どんな結果が出るのかな。

人間の二面性は表と裏の関係なのか、実像と虚像の関係なのか。鏡を見ている自分が実像で、鏡に映った自分は虚像なのか。それとも、鏡の中の自分の方が実像なんだろうか。鏡に映っている自分の「顔」が、写真の「顔」より格段に美しく、輝いて見えるのは、どうしてなんだろう。鏡よ、鏡、この難問の答はいかに?ふむ、哲学やってるヒマがあったら仕事を終わらせなって。

長距離ランナーのありかた

3月26日。仕事に精を出すべきなのに、さっぱり気分が乗らない。何となくくたびれているのかもしれないな。考えたら、旅行から帰ってきてすぐに仕事ラッシュだったから、旅の疲れが今頃出てきているってこともありかな。見かたによっては、楽しく遊びすぎて、気分的に「仕事の鬼」モードに戻れないでいるということもありえるけど・・・

この後に予定の仕事の原稿がまだ入ってこないのをことに、たらたら。ふと、いつ来るんだっけ、とメールをチェックしたら「27日に入稿」。あちゃ、日本時間ではもう今日じゃないの。さっさと進行中のを終わらせておかないと、またぞろ週末に大汗をかくことになりそう。少しはあわてた気分になって、さあやるか~と一念発起しているうちに、4月の仕事が入ってくる。4月かあ。そうだ、所得税の確定申告の月。ちゃんと決算をして書類を揃えておかなくては。4月は極楽とんぼの誕生日の月でもある。鼻息の荒いおうし座なんだから、ちっとはダッシュしなきゃ、ねえ。

心を入れ替えて、仕事にかかったのはいいけれど、もうあたりまえのことで死語になったと思っていた日本にハイテク時代の波が押し寄せた頃のキーワードがずらりと並ぶ作文。惰性で使っているのか、わかっていないからいつまでもひとつ覚えで使っているのか、今ひとつわからない。そこへして「~のありかた」という、まるで禅問答みたいな常套句が出てくるから、あ~あ。日本の文書ではよく「提言」のイメージで使われるらしいけど、「あるべき姿」は描いても、それを実現するための具体的な「提案」がなんにもない。お役人が好んで使うわけだなあ。「Talk is cheap」というんだけど。だけど、これくらい「ありかた、ありかた」と言われると、うるさいなあと言う気分になって来ないんだろうか。ふむ、この「~のありかた」という言い方と、常識だのマナーだのと「であるべき」を押し付ける心理とは、どこかうんと深いところでつながっているような気もするなあ。だから虫が好かないのかもしれないけど。

二つの言語を操るのはそう難しいことではないけど、水と油みたいな言語文化の間を取り持とうという「太鼓もち稼業」はしんどい。おもしろいもので、この世の中には初心者でいるうちが花と言えるものが多い。なんでも初めのうちはどんどん覚えられるから、おもしろくてやる気満々。もっともどんどん覚えられるのは、そもそもやさしい「初級レベル」をやっているからにすぎないんだけど、それでも「な~んだ、思ったより簡単じゃん。あたしってけっこうできるんだ」とつい悦に入ってしまうのが人間。それが動機付けになって、さらに進歩すれば、水はどんどん深くなる。

つまり、深入りするにつれて当然レベルが上がるから、どんどん難しくなって「あれ?」ということになる。伸び悩みを自覚するのもこのあたりかな。いったん学習曲線が上向いたら、その先は永遠に胸突き八丁のような坂道が続く。やっかいなのは、上っても、上っても、「ここを過ぎたら、あとは楽々ゴールへ向かって快走だからがんばれよ」という、その「ここ」が見えてこないこと。それでも、ずいぶん遠くまで走ってきてしまったから、今さら「や~めた」も何もないしなあ。後は楽々で行けるという「ここ」という地点は、道ばたで「あともう少しだ、がんばれ~」と旗を振っている仮想的応援団の空想の産物に違いない。山のあなたの空遠く・・・(どこま~でも、行こう~)。

平穏でない方の金曜日

3月27日。金曜日は週の終わりなもので、何にもない平穏なときもあれば、いろんなことがまとまって起こってわやわやになこともある。今日は、一見平穏に始まったけど、3月最後の金曜日なのかどうか、いろんなことが立て続けに起きる・・・。

まず、カレシは州営の酒屋に2ヶ月前に特別注文を入れてあったマラスキノリキュールの入荷がどうなっているのか問い合わせ。最初は良かったけど、「折り返し電話します」の後がいけなかった。さっぱりかかってこない「折り返し電話」に業を煮やして、フォローアップ。そばで聞いていると風雲急を告げそうな口調。どうやら酒屋とワイン業者が共催するワインフェスティバルにでかけてしまったらしい。で、デスクに戻るのは月曜日。カレシの頭から湯気が立つのが見える。一つ上のレベルの責任者につないでもらっても埒があかないと見えて、カレシは近くの旗艦店へ直談判しにでかけた。やっぱり民営化した方がいいような気もするけど。

カレシが出かけている間に、来週の芝居の席を予約しておく。こっちはきわめてスムーズで、比較的いい席が取れた。と、思ったら、今度はバンクーバー交響楽団。そっか、来シーズンの売り込みの時期。シーズンが始まる前に地下鉄が開業するということなので、数年間保持して来た大学構内でのバロックシリーズから、ダウンタウンの土曜日シリーズに切り替え。思い切ってドレスサークルを頼んだら、最前列のど真ん中。どうやら最後列の4列目が一番人気があるらしい。どうしてって聞いたら、後が通路で人がいないのが好まれるとか。へえ、カレシは通路側の席にこだわるし、ほんとに人の好みっていろいろだなあ。さて、久々にダウンタウンでのコンサート、ドレスサークルだからおめかしして行かなくちゃ。イブニングドレスを着られるように、ちょっと贅肉を落としとこうっと・・・。

さて、仕事に集中しなきゃ、と意気込んだところで、遅れていた原稿が入っている。予想よりずっと少なくなって助かるけど、現在進行形のと納期が同じ日曜日の午後5時。まだ明日1日があるけど、し~らない。そんなところへカレシが帰ってきて、まあ、どうにか責任感のありそうな人と話ができたらしい。今度は電話で「免税限度以上の酒類の持込について問い合わせ。ここでは店頭に並ばない特別注文の商品だけど、シアトルに行けばワシントン州の酒屋に在庫がたっぷりなことはネットで調べて確認済み。あれあれ、復活祭の週末にでもシアトルまでトラックを飛ばそうなんて言っている。あ~あ、4月もあわただしくなりそうな予感・・・。

今日と明日で仕事をほぼ片づけておかないと、期限まで徹夜状態になりかねないから、ここのところはおいしいもので腹ごしらえをして・・・と、冷蔵庫から出した赤ピーマンは、ステロイド肥り・・・?

DINE-INスペシャル第10回

3月28日。さて、仕事は今日と明日の午後がホームストレッチ。その後はもう4月。少しは遊べる時間ができるといいなあ・・・とあれこれ白日夢が浮かんでは消えして、仕事のペースが落ちる。もう10回目になった極楽とんぼ亭のサタデイナイトスペシャル・・・

ロールモップスのバッテラ風。友だちのブログからアイデアを拝借。ロールモップスはピクルスを巻き込んだニシン漬け。すし飯を作っている間に冷水でちょっと酢抜きして、サランラップで細い押し寿司にする。他のコースの下ごしらえの合間に、時々形を整えながら手でぎゅっと重しをかける。彩りにラディッシュと濡れたペーパータオルに包んで電子レンジ数秒の絹さや。

豚挽き肉の豆腐カップ詰め、タイ風ソース。光ものの押し寿司からフランスの田舎料理につなぐのに、はたと思案。ニシンの生臭い後味をなんとかしないと。豚のひき肉はまだ表面だけ解凍。解けた部分だけを取り出して、残りはまたフリーザーにポン。豆腐を4センチ角くらいに切ってゆでて、四角に繰り出して「枡」。そこにさっと炒めたひき肉と赤ピーマンを詰めて、タイの赤カレーの残りをソースに仕立ててかけ回し。ピリッとしたスパイスで味覚がリセットされた感じ。ふつうサイズのフォークは大きすぎて食べにくい、とカレシ。たしかに・・・

鴨の足のコンフィ、チェリーブランディリダクション、温野菜(アスパラガス、ポテト、カリフラワー)添え。メインコースは大好物の鴨の足のコンフィ。したくを始める前からオーブンに入れておく。お酒を置いてある棚の奥で見つけた、少しだけ残ったチェリーブランディ。前のコースを食べている間に火にかけてリダクションに。蒸した野菜の方にちょこっとかけ回してみた。特にポテトにはチェリーの甘さがよく合った。

 カレシ特製のサラダは、グリーンにトマト、黒オリーブ、山羊のチーズにラズベリー酢のビネグレット。

デザート(バニラアイスクリーム、いちごシロップ、フルーツ)。フルーツの在庫が過剰気味ということで、デザートはキウィといちごと青ぶどう。これにカレシ特製のバニラアイスクリームを砂糖入れの丸いスプーンで丸くすくって3つ。これまたカレシ特製のいちごシロップをアイスクリームにたらたら。うん、美味・・・

等(など)化的日本語論

3月29日。目が覚めて寝ぼけ眼で時計を見たら、午後12時半。大変だぁ、午後5時までに終わらせて送る仕事があるんだぁ、起きなくちゃぁ、といい気分で高いびきのカレシを起こして、1日が始まった。PCが立ち上がるのを待っている間にちょっと外へ出て見たら、おお、あったか~い。(最高気温は10度だったとか・・・たったの10度?)

春の陽気は横においといて、とにかく仕事を終わらせるのが先決。まあ、決算報告は前年度のものをカンニングできるから、けっこう楽。おまけに、経費節減ということで、前年度と違う部分だけを抜き出してくれたから、実際の作業量は全体の20%くらで大助かり。たぶんTradosを使ったんだろうけど、こういうご利益もあるのだ。極楽とんぼはTradosが大嫌いだけど、シドニーの会議で同僚が発表したプログラムは使えそうな感じがする。機械翻訳ソフトではなくて、コンピュータ援用翻訳(CAT)ツール。うん、手が空いたら沖縄にいる彼にメールして、聞いてみようっと。まあ、2つのファイルを別々の客先に送信したら、午後4時半。終わった、終わった、終わった~。

それにしても、日本語の「化け語」はこわい。表意文字の漢字はアルファベットにないすごい造語力がある。それを取り入れて、何でも「化かして」しまえる日本語もすごい。もちろん表意文字ならではの芸当なんだけど、この「お化け語」は極楽とんぼにはこわ~い存在。毎日のように、「等」、「的」とともにお目にかかるのが「化IT化、一般化、計画化、構想化、エコ化、環境化。日本企業は「合理化」が好きだし、みんな「国際化」が大好き。まあ、言語にはそれを使う民族の「考え方」が現れているもんだけど、リサイクリングに「再資源化」を当てた人は偉いと思う。まさに「化け語」は言葉の錬金術師とも言えそう。」。「日本語の等(など)化的な用法について」なんて論文を書いてみたいような。

だけど、化け語の概念が必ずしも英語化した語から浮かぶイメージと一致しなくて、満足できる訳語が見当たらないこともあるから、そうそう感心ばかりもしていられない。もちろん、辞書を引けば「~化する」のは「-ize」で名詞の「~化」は「-ization」というパターンが出てくるから、一応対応する訳ということになるんだけど、「IT化」を「ITization」と訳したって意味をなさないから困る。パソコンとインターネットの普及で情報の処理や利用が「コンピュータ化」されたのが情報化ということでなんとか折り合いをつけるけど、結局は同じことを言っているとはわかっていても、日本語の軸足が「もの」にあるのに対して、英語のは「行為」にあるように思える。つまり、視点がまったく別のところにあるような感じがしてしかたがない。すなおに辞書の言う通りにせずに、よけいなことを考えてしまうから、とんぼの脳内回線はショートしてばっかりなんだなあ。

外来語のカタカナ表記もけっこうやっかいなしろもので、おまけに、元のままではせっかちな日本人は長すぎると感じるのか、あっという間に数文字の短縮語になって、やがてそれが「カタカナ語」として定着し、日本語として日常化(!)する頃には元の言語とは意味が違っていたり、幅広い意味合いを持っていた語が「ひとつおぼえ」になっていたりする。せっかく漢字と言うすごい造語力のある表意文字を持っているのに、なんでわざわざ意味不明の記号みたいな言葉にするんだろうなあ。軽いノリで言いやすいから?耳に響きが良く聞こえるから?漢字と違って読みやすいから?外国語でかっこいいと思うから?All of the above?None of the above?それとも・・・

左利きの陰謀?

3月30日。一転して雨もようの月曜日。道路向こうの桜の木には淡いピンクの点々が増えているのが肉眼で見える。本当に今年の春は遅い。到着も遅ければ、足取りも遅い。フライトが遅れた上に、税関でひっかかっているようなものかな。ふむ、持ち込み禁止のやっかいもの(豪雨とか遅霜とか)を見つけられて足止めされているわけじゃないだろうなあ。

さて、残っている仕事は1週間もあればできる量で、納期まで3週間。ここでえいっと羽を伸ばさない手はない。新しい仕事が入ってこなければ、今週いっぱいは休みを取りたいなあと思うけど、とりあえずデスク周りの整理。シュレッダにかける紙類が山とある。雑誌やカタログの山もリサイクルに持って行かないと「ごみ屋敷」になってしまいそう。だけど、カレシは雨だからと、工作室で菜園作りの準備で庭に立てる格子を製作中。なんともせっかちなトンカチの音がして来る。まるでキツツキ。短い釘なんだから、ハンマーのハンドルの端を持って、頭の重みを利用してガン!とやれば、極楽とんぼの腕力でだって2回で入るのになあ。要はスィートスポットを当てることなんだけど、カレシはハンマーの頭の方を握って、ガンガンとがむしゃらに叩く。釘が曲がるのは、出来損ないだからじゃないんだけど・・・。

今日はゆっくりおいしいものを作ろうとフリーザーを点検したら、ふだんの食材はかなり減っているのに、在庫全体はちっとも減っていない。どうやらご馳走の材料を貯め込みすぎたらしい。常備の肉類のバスケットを出して見たら、うわっ、魚の類がある、ある。ナマズにティラピア、スナッパー、オレンジラフィーにオヒョウ、マヒマヒ、ハマチにマグロ、カジキに鮭にイワナにチカに白魚。エビ、タコ、イカに、アワビとホタテとムール貝。スモークサーモンにスモークのぎんだら、サーモンキャビアにまさごにとびこ。そこいらの魚屋より種類豊富。おまけに鴨の足がいっぱいで、ラムもキジも。これではビーフもチキンもポークも居場所がない。珍しいものを見ると買ってしまうからなんだけど、ま、せっかく手が空いたことでもあるし、カレシを(実験的)ご馳走攻めにしてしまおうか。

自分の持ち場のサラダつくりをさっさと終えて、ディナーができあがるのを待つ間にTIMEを読んでいたカレシ。「ね、この写真、変だよね」と開いたページを忙しいシェフの鼻先に突きつける。よく見たらオバマ大統領がボーリングをしている写真。何か変て・・・どこも変なところないけどなあ。だけど、どうしても納得がいかないらしかったカレシ、しばらくして素っ頓狂に「オバマは左利きなんだ!」 そうだけど、それが何か?そういえば、近頃はアメリカは左利きの大統領が多いなあ。クリントン、ブッシュ一世、レーガン、フォードとみんなぎっちょ。トルーマンも左利きだった。オバマの対立候補マケインも左利きなもので、オバマが大統領になったときはワシントンポストが冗談めかして「左利きの陰謀か」なんて書いたくらい。う~ん、左利きには右利きにない何かがあるんだよねえ。プラスアルファってやつが・・・

盛り付けたディナーの写真を撮っていて、ふと思った。これって左ぎっちょの盛り付けなのかなあ。右利きの人の目には「この写真、なんか変だよね」なんて映っていたりして。それよりも、左利きのシェフっているんだろうか?

宇宙人のサンペイ君

3月31日。とうとう弥生3月、最後の日。いいお天気なんだけど、やっぱりまだ「暖かさ」が足りないような・・・。せっかく天気だし、いつ束の間で終わるかわからない休みだし、ということでエコーの運動がてらグルメショップまで「衝動買い」しに行くことにした。いつもはレストランの帰りに立ち寄る程度なので、ゆっくり見て回る時間があまりないから、今日はゆっくり心行くまでおもしろいもの探し。

ところが・・・またまたエコーのエンジンがかからない。この前バッテリが上がってトウトラックに来てもらってから1週間しか経っていないのに。やっぱりバッテリに問題があるんだよ。まあ、とにかく即24時間サービスに電話して、整備工場に連絡。1時間後に到着した差し回しのトウトラックに今度こそ整備工場まで持って行ってもらった。今回は要入院。保証期間は去年の夏で切れているから、だいぶかかるだろうなあ。近頃のキカイって、保証期間が過ぎたとたんに故障続きになるから不思議。あんがいそういう風に設計されているんじゃないかと勘ぐりたくもなる。昔テレビのドラマで、極秘の任務を説明したテープが「5秒で自動的に消滅する」ってのがあったけどなあ・・・

しょぼんと鼻面を引かれて行くエコーを見送って、トラックに乗り換えて「衝動買い」。カレシはオリーブ油にシャンペン酢、イギリス輸入のジャム。極楽とんぼは乾燥したラベンダーの花とビン入りの鴨の脂とココナツ、レトルトのスープ2種類。ブランドを見たら、バンクーバー市長のオーガニック食品会社じゃないの。まあ、スープがおいしかったらそんなのどうでもいいか。

それにしてもなあ。先週やはり出かけ際にエンジンがかからなかったときは、どう考えてもバッテリがおかしいから、取り替えてもらおうと言ったのに、ジャンプスタートしてもらってちょっと走ってくれば大丈夫さ、なんて言ったのは誰だっけなあ。まあ、買い物でも「○○はいる?」と聞くと「まだあるから、いらない」と却下しておいて、帰って来てから「○○がない。買ってくればよかった」と言い出す人だから、車に関しても同じことか。どうやら意識の奥深いところで「人の言うことなんぞ聞くもんか」と固く決意しているらしい。

そんなカレシと重なって見えたのが読売小町で人気上位の「サンペイ」さん。「理想の女性と結婚しましたが、家事をしてくれません」というのが悩みで、結婚するのが夢だった職業の女性との結婚にこぎつけたのはいいけど、奥さんは家事をしない。39才で「潔癖症」のサンペイ君は家事全般をこなしているけど、どうしたら家事を負担してもらえるだろうか?ふむ、フルタイムで働いて家事全般を負担・・・かっての極楽とんぼみたい。さぞ小町の女性陣に同情されるかと思いきや、サンペイ君への風当たりは強くなるばかり。相手の職業の「優しくて働き者」のイメージに恋をしたようで、この辺は「日本女性」のイメージに恋をして、とんぼのことは目に入らなかったカレシとそっくり。夢を描くこと自体は悪いことじゃないだろうけど、ラベルや条件に寄り目になってしまって、「生身の人間」が見えないと、夢のシャボン玉はパチンとはじけるもの。

それにしても、アドバイスへの一見まじめそうで、元の相談事からずれにずれて行くレスを読めば読むほど、「どこぞの宇宙のお方でしょうか」といいたくなるくらい、「人間感」のない無機質な人が浮かんでくる。人の話を聞かないこと、共感力のないこと、(実際は浮気性らしいのに)自分は女性に対して誠実だという思い込みが強いこと、「のぼせ」と「愛」の区別がつかないらしいこと・・・どれをとってもカレシより何枚も上手。トピックを立てて1ヵ月後には「離婚しました」。すぐに婚活を始めて「反応がいい」。今度は「優しくて素直な普通の女の子がいいです」なんだと。いやもう、サンペイ君はすごい。でもこれ、ほんとうに本当のことなのかなあ。なんだか創作じゃないかという気がしてしょうがないんだけど・・・。


2009年3月~その1

2009年03月16日 | 昔語り(2006~2013)
旅で見つけた変なこと

3月1日。弥生3月。子羊のごとくそろそろとやって来たようで、朝から穏やかな日。このまま春爛漫になるのかな。そうだったらいいなあ。

夕べシンガポールのシンボルと言える「マーライオン像」に落雷して、頭と耳の部分が破損したというニュースがあった。カレシが水辺の大きな白い像のそばに立って水しぶきを浴びて涼んでいたのは先々週のこと。向かいにはデッキが延びていて、そこで大勢の観光客がマーライオンを背景に記念写真を撮っていたから、そばに立っていたカレシは一緒に何十枚もの写真に納まった勘定。今ごろは世界のあちこちで「この変な人、だれなのぉ?」、「さあねぇ」という会話が交わされているかもしれない。ニュース写真では頭のてっぺんと左耳が欠けてしまったように見える。マーライオン君、早く治ってね・・・。

[写真] マーライオン像

もちろん、私たちも近くにいた人に頼んで一緒の記念写真を撮ってもらったけど、今回は植物園のラン園で記念撮影用のベンチのそばにいたら、通りがかった人が「写真を撮ってあげる」とボランティアしてくれたので、記録的な2枚!カレシが写真を撮るのは好きでも撮られるのは嫌ということもあるけど、二人だけのときは一緒の写真を撮るのはけっこう難しい。(仲直りの銀婚式旅行だったパリでさえ、頼まれて撮ってあげた人がお礼代わりにエッフェル塔を背景に撮ってくれた1枚きり。)

変な人と言えば、シンガポールのホテル(ヒルトン)の部屋の天井の片隅に見つけた「変な矢印」。

[写真] 天井の矢印

よくよく見たらアラビア語らしい文字が書いてあるところを見ると、どうやらメッカの方角を指しているらしい。なるほど、狭い海峡を隔てたマレーシアやインドネシアは回教国だし、シンガポールにも回教徒がたくさんいて、大きなモスクがある。ホテルには回教徒のお客さんもたくさん泊まるはずだから、礼拝のときに困らないようにと、天井の目立たないところに「メッカはこちらです」と矢印を書いたのだろう。コスモポリタンなシンガポールならではの心憎いサービスだなあ。

シンガポールは英語、中国語、マレー語、タミル語の4つの公用語がある。他にマレー語を下敷きにした「シングリッシュ」と呼ばれる変則英語があって、これがなかなか味があっておもしろい。福建省あたりからマレー半島に移動して来た中国人が現地人と混血したのがペラナカンと呼ばれる人たち(中国語では「土生華人」)で、イギリス人やその他のヨーロッパ人と混血したのがユーラシアン。それがまた混じり合って、道を行く人たちも実にいろんな顔立ちをしている。そういう人たちが融和して暮らしているのがシンガポールという印象で、よく見ると、そこかしこにいるではないか、極楽とんぼに似た顔立ちの人たちが!

カナダでは「マレーシアから来たの?」と聞かれることが一番多くて、「先祖が1万年前までいたの」と言っていたけど、マレー半島の先っぽのシンガポールには極楽とんぼの遠い、遠い、遠い親戚がたくさんいるような感じがして、親近感を通り越して、懐かしさのような心地良さがあった。うん、異国の旅はそういう思いがけない変な発見もまた楽しいんだよなあ・・・

赤いモーセン踏みしめて・・・

3月2日。きのうのクライアントからのメールに「あしたはひな祭りですね」と書き添えてあった。あ、そっかぁ、3月3日はひな祭りだったっけ。そういわれても、とんと無縁になってあまりにも長いから、「へえ、そうなんですか」としか反応できない。ま、極楽とんぼも女の子だったから、子供の頃にはひな祭りを祝ってもらって楽しかった。でも、自分には子供がいないし、娘が生まれていたとしても、日本のおじいちゃんとおばあちゃんからはきっとひな人形が送られて来たと思うけど、両親にしてもらったようにひな壇を飾ってお節句を祝ったかどうかはわからないなあ。

起きてすぐにセロク(ピアノの先生)とのランチに出かけた。駐車する場所を探すのに苦労して少し遅れて着いたのは、「hole-in-the-wall(壁の穴=狭い)」という言葉ぴったりの小さなチャイニーズレストラン。香港育ちのセロクが「ここはおいしいの」というだけあって、テーブルが数えるほどしかない店内は満員御礼。セロクが坦坦麺、上海風スープ入り餃子、そしてバンクーバーで一番おいしいという「酔い鶏」を選んでくれた。小さい甕のような容器で出てきた「酔い鶏」には「わっ、お~いしい!」と大感激。坦坦麺は適度にスパイスが効いていて美味。熱々でおいしい餃子はスープがこぼれないようにれんげにとってから食べる。デザートは胡麻あん入りの白玉団子。砂糖漬けの花びらが浮いた少しだけ甘いジュースがなんとも言えない。久しぶりのおしゃべりをしながらの「変わり朝ごはん」に満腹、満腹。

それにしてもやたらと仕事が降って来るなあ。これでこの1週間にあと1社から仕事が来ていたらパーフェクトスコアになるところだった。旅装を解く間もなく(と言うのは大げさだけど)仕事、仕事。まあ、どこのニュースを見ても「不況一色」に塗られたご時世だから、仕事があることには感謝しないと。それでも、ちょっと忙しいなあ。指示待ちの案件では、発注元が値下げを要求して来たとか。低価格を打ち出しているところがあると言われて要求を呑んだそうな。いいのかなあ、それで。元請けと下請負けでは状況が違うとしても、この業界では、レートを上げてもらえることはめったにないし、いったん下げたレートを元に戻すのは並大抵のことじゃないんだけど。

ニュースによると、カナダの経済は去年の第4四半期に年間ベースにして3.4%縮小したという。1990年代初頭以来の景気後退、ひょっとしたら1980年代初頭以来の厳しい状況かもしれない。まあ、このグローバル時代に世界中がこぞって不況なんだから、カナダだけが無傷でいられるわけがないんだけど、数字を見る限りは、アメリカの6.2%、EUの5.9%、日本の12.7%と比べたら、カナダはまだくしゃみをしている程度と言えるかな。カナダの銀行は自己資本率が10%と、世界のどこよりも高くて、そう簡単には潰れない健全な水準にある。

こういうニュースを、アメリカは終わった、カナダはもうダメ、韓国の破綻は近い・・・と、他人の失墜を言い募って悦に入っている仮想的有能なんちゃんねらがきいたらどう思うんだろう。灯台下暗しというけど、いい大人が子供の服を着たような「かわいい大使」なんて任命して、のんきにロリコン文化の輸出促進を図っている場合じゃないでしょうが。ま、もうそれしか輸出するものがなくなったのなら、しょうがないかもしれないけど、それにしたって・・・。

旅行ガイドに載らない写真

3月3日。旅の楽しみはたくさんの記念写真だろう。名所史跡を背景に写真に納まって自分の足跡?を記録する人もいるし、自分の目で見た名所史跡や珍しい風景を記録する人もいる。お国柄豊かな料理を記録する人もいるだろう。写真がなかった頃はスケッチを残したくらいだから、人間は自分が見聞きしたことを人に見せたくてしょうがない動物なんだろうな。

カレシはかって写真に凝っていた頃、観光地で人間が入っていない写真を撮りたがった。だけど、押し合いへし合いの観光地ではそれは無理ってもので、いつもカリカリしながら観光客の流れが途絶える瞬間を待っていた。極楽とんぼは、史跡や観光名所の写真は本屋へ行けば掃いて捨てるほどあるのにわざわざ撮ることもあるまいと思っているもので、あまり熱心には撮らない。自分の目と心が見たすてきなイメージは自分だけの記憶にとどめて、人さまに見せて回るのはへそ曲がりな写真ばっかり・・・

シドニーにて:

[写真] ホテルからみえる遊園地ルナパーク
[写真] ザ・ロック地区にあった郵便ポスト
[写真] 宴の後は・・・
[写真] 「こっちに来てはダメです。戻りなさい」 - はい、ご親切さまぁ

シンガポールにて:

[写真] シンガポールは今日も洗濯日和
[写真] ミャンマー料理店のデザートメニュー。
[写真] チャイナタウンの石のキティちゃん(おや、口があるぞ)
[写真] ベーカリー。「T」が2つあるのはなんかの洒落?
[写真] 「万引きしてパトカーただ乗りの特賞をゲットしよう!」

ふと目をとめた街角の光景も楽しいけど、植物園では自然の造形美にうっとりすることしばし・・・

[写真] 6枚

春は来るんだってば

3月5日。正午を過ぎての起床。すっかり元の生活パターンに復帰した感じがする。外を見ればぽかぽかとしていそうな青空。もう日曜日は時計が「夏時間」に変わるし、せめてほんとの春が来て欲しいもんだけど、天気予報では週末は雪か雪混じり。おいおい、ママネイチャーは本気なの?

きのう就寝時間ぎりぎりにひと仕事終えて納品したから、今日はちょっと息抜き。といっても、こっちの気も知らずに(といっても知るわけはないんだけど)次々と入ってくる仕事で、カレンダーに書き込んであった作業手順がすっかり狂ってしまったから、ファイルの大きさを見直して、予定の建て直し。手元にある「確定案件」は3つでファイルは4つ。信号待ちの案件が2つ。ふわぁ、ファイルが5つかあ。みんなどこも年度末で、分捕った予算を消化しきれないと、「あら、いらなかったの?」とサックリ削られてしまうから大変。おかげでこっちも毎年きりきり舞・・・

中にはごく普通のマニュアルなのに、Excelをワープロ代わりにしているのがあって、それも文書の幅に合わせて手作業で行を変えてある。翻訳を上書きする方にはこれがめっちゃむかつく。単にExcelしか知らないのかもしれないけど、グリッドがない白紙では不安なのかもしれない。自分の目で見て、自分の手で揃えないと美意識が許せないのかもしれない。でも悪いけど、どう見ても「ばかっぽい」のひと言に尽きる。今どきのオフィスはパソコン育ちの世代がハイテク音痴のおじさんたちに取って代わっているはずと思うんだけど、今でもやっぱり「初めに原稿用紙ありき」で、しかもそれが遺伝子に組み込まれているのかもしれない。なんてぶつぶついいながらWord文書に作り直している間に、確定案件が4件になり、信号待ちも3件。もう知らないよ。盆暮れの交通渋滞もこんなもんかなあ。でも、渋滞して納期遅れってのはまずい・・・

カレシを英語教室に送り出して、ほんのほんの束の間(と言い訳しながら)小町のタイトルだけを眺めて(おもしろそうなのがあるなあ・・・)、組み直した「スケジュール2.0」に従って仕事に手をつける。あ、来週は2009年度の所得税前納の期限があるんだっけ。それから、オフィスの保険も更新しなきゃ。入金状況もチェックしなきゃ・・・と、相変わらずの障害物競走になる。そのうちに、教室から帰ってきたカレシ、家のすぐ外にパトカーが3台も止まっていて、誰かが手錠をかけられていたと報告。え、家のまん前で?やだなあ、もう。(これでも治安は引っ越してきた頃に比べたら格段にいいんだけど。)今メトロバンクーバーではギャングの抗争がまっ盛りで、毎日のようにどこかで銃弾が飛んでいる。メキシコのドラッグ掃討作戦でコカインの供給が激減したせいらしいという話だけど、撃ち合いだけはやらないでちょうだいよね、西部劇じゃないんだから。

それにしても、世の中、金の切れ目で機嫌が悪いのか、荒れるなあ。さかむけ、ささくれ、ひびきれ、ぶっちぎれの彼岸荒れ。冬の後は「春遠からじ」なのに、待てないのかな、やっぱり。浅川マキが『不幸せと言う名の猫』で歌っていた。「もう春なんか来やしない」と。そんなことないってば・・・

二項対立の構図

3月6日。目が覚めたら、ベッドルームが明るい。いやあ、すごくいい天気なのだ。陽だまりの中で思いっきり伸びをしてみたいくらい・・・って猫みたいだけど、あ、極楽とんぼはねずみなのだった。ふむ、ねずみも気持がいいとふゎ~っと伸びをするのかな。ま、すごくいい天気ではあるけど、仕事が積み上がってしまってはお篭りするしかない。やれやれ。せめて小町を冷やかしてから、鉢巻を締めにかかるか・・・。

おや、「子なしは半人前か」。この手のトピックはこれでもかというくらい飽きもせずに出てくる。小町は女の井戸端会議場だからよけいにそうなんだろうけど、よく飽きないなあ。「そうは思わない」といいながらも、自分は子供をもって成長したと「本音」を出す人が多いのは、やっぱり女の敵は女なんだろうな。しまいには、「そういわれる方に問題がある」という書き込みまで出てくる。結局は同じように飽きもせずに出てくる、「結婚していない人は」、「働かない/働く主婦は」、「大学を出ていない人は」、「年収がいくらなければ」といったトピックと同じで、二項対立で優劣をつけることでしか人間の価値を測れない人が多いということなんだろう。裏を返せば、それくらい自分の存在や価値に自信のない人、自己を受容できない人、ひいては自我を確立できていない人が多いということなのかな。自我と言うのは木の根っこみたいなもので、しっかり根を張っていない木はいくら大木に育ってもけっこう弱いもんだけどなあ。

本来すべてにおいて個人差があるはずなのに、それを無視した(あるいは異端視する)「平等」の名の下に横並びを押しつけられるからこそ、他人とは違う自分を求めようとするのかもしれない。だけど、自分が見えていない人にとっては、他人と違う自分は不安なものでしかないんだろうな。よく匿名掲示板に「私のような人、いますか」という一文で締めくくったトピックが出てくるのは、自分を映す鏡を探しているんだろうと思う。つまりは同じような人を求めているわけで、結果として横並びスパイラルに落ち込み、同じ年代、同じ背景、同じ生活環境、同じ趣味の人でなければ、話が合わなくて友だちづきあいが苦痛だと言い出す。でも、もしそういう狭い条件を満たす「友だち」が見つかったとしても、それは友だちというよりは鏡に映った「自分」とつきあっているような感じで、だから
些細なきっかけで嫌いになったりするんじゃないかなあ。

そこに複数のものがあれば、人間は誰だって大きさ、色、形、重さといったいろんな違いを比べてみるものだけど、違いを見分けることと、優劣をつけることとでは次元が違うと思う。優劣をつけるのはどれかを選ぶ必要があるときだけで十分。この「選ぶ」という行為も目的は多岐多様で、選ぶ人がその価値観に基づいて取捨選択するわけだから、結局「優劣」とは相対的な価値判断ということになる・・・というのは、「あばたもえくぼも」という二項共存主義の極楽とんぼの見解だけど、「えくぼはOK、あばたはNG」という二項対立の構図で、「~する自分はえくぼ、~しない他人はあばた」と差別化しなければ落ち着かない人もいる。自分の現状に不満なのか、あるいは自分に対して不安を持っている人なのかよくわからないけど、他人を下げればそれだけで相対的に自分が上がるわけだけど、その他人から見たら逆に下げられているかもしれないな。なんだか、ただでさえ生き難い世の中をお互いによけい生き難くしているように見えるんだけど・・・

さびしがりやのプリマドンナ

3月7日。けっこう風が吹いていたと思ったら、今度は雷らしい。冬の雷って珍しいはずなのに、ここ何年かは1回や2回はあるような気がする。暖かい時期はもちろん雷雨だけど、冬には雷雪というのもあるらしい。へぇ~と思って外を見たら、あら、屋根がアイシングをふりかけたように白い。なるほど、雷雪だったのか、と思ったら実はあられだった。言うならば「雷霰」ってことか(なんて読んでいいのかわからないけど・・・ライサン?)。今さら雛あられでもないだろうけど。

今日は帰国第1回目のディナーにおでかけ。イアンとバーバラとダウンタウンで落ち合って、こちらは旅の体験報告、あちらは孫たちの近況報告。子なし夫婦と子持ち夫婦の組合せだけど、「話が合わない」なんてことはないなあ。子供たちが小さかった頃は自然に子供込み、大きくなるに連れて自然に子供抜きで、もう30年近いつきあいなんだけど。掲示板に載る友だちづきあいの悩みを見るたびに、年令や学歴や生活環境が違うからって、どうしてそんなに苦痛なんだろうなあと不思議に思う。学校時代の仲良しグループでさえ、社会に出てそれぞれにライフスタイルが違ってくると、「話がかみ合わない」と疎遠になってしまうらしいから、友だちて何なんだろうと考えてしまう。友だちづきあいで悩む人たちが「共通の話題がないからつまらない」というのは、とどのつまりはお互いに相手の話や関心事には興味がないってことなのかなあ。

極楽とんぼが「友だち」と思っている人たちは、年はふた回り年下からひと回り年上までの開きがあるし、とんぼと同じ高卒から博士までいるし、人種もいろいろ、独身も所帯持ちも子なしも子持ちもいるし、生活環境も低所得層から富裕層までいろいろで、趣味だって十人十色。それでも会えばいつも時間の経つのも忘れるくらいおしゃべりに花が咲くんだけど、掲示板にこんなことを書き込んだら「みんながそうではないんだから」という反駁が出るだろうな。「そうでない人が嫌な思いをするから言うな」と。つまり「私はそんな自慢たらしいことは聞きたくもない。むかつくからお黙り」と言いたいんだろうけど、そこを「周り(=私)に気を使うのがマナー」と大義名分できれいに包むところが日本流の建前と本音(表と裏)の使い分けなのかもしれないな。

ローカル掲示板でも、「40代、50代」が集うトピックで、たまたま子供たちの高校卒業のプロムの話題で盛り上がったら、とたんに「子供のことしか話題のない主婦たちの会話について行けない。自分にも子供がいるけど、いない(できない)人もいるから気を使って子供の話題は控えているのに、もう少し気を使ってやれないのか」と噛み付いた人がいた。極楽とんぼとしては子なし故にカナダのプロムのことはあまり知らないからすごく興味があったのに、厭味の応酬のうちにプロムの話題は立ち消え。「子供のいない人への気づかい」は大義名分で、ほんとは他人の子供の話などはおもしろくないからやめろと言いたかったんだろうな。ふむ、40代といえば社会的にもいいかげん大人だろうと思うんだけど、さびしがりやのプリマドンナが多いんだろうなあ、きっと。

まあ、せっかくそこまで来た春。Lighten up(力を抜いて気楽にね)。

時計の上ではもう夏・・・

3月8日。日曜日の午前1時59分・・・PCのクロックを見ていると、瞬時に「午前3時」。日曜日から1時間が消えてしまう。年に一度だけ1時間としても、34年間には34時間もの貴重な時間が人生から消滅するってことだなあ。ほぼ1日半。カレシなんか65時間だから2.7日。こうやって見ると、これだけの時間があったらいろんなことができるのにと思って、なんだかえらく損をしているような気になる。だらだらとブログを書いていていいのかなあ。もっとも秋も深まればまた1時間時計を戻すわけで、実際は差引勘定ゼロなんだけど、そのときはよけいに寝てしまうからなあ・・・

そういうことで、今日から「夏時間」なんだけど、外の景色はこんなぐあい・・・

[写真] 夏のオーストラリア、常夏のシンガポールから帰って来たのはたった2週間前。冷蔵庫のドアを見ると、まちがいなく行って来たはずなんだけどなあ・・・

[写真] だけど、デスクの上は・・・

[写真]  [写真] あ~あ、ためいき・・・   でも、こうなればまた常夏のどこかへ・・・ね。

え、日本では逆だったの?

3月9日。一夜明けて晴天の銀世界。通勤しなくてもいい身分には青空の下の雪景色は悪くないな。でも、まだ最低気温はマイナスの予報が出ている。バンクーバーにすみ始めて以来、こんなにいつまでもずっと寒い冬ってあったかなあ。ビクトリアでは、平年なら2月の最後の1週間に行われる恒例の「フラワーカウント」が今年は3月23日からの1週間に変更されたそうな。1ヵ月遅れと言うことはそれだけ異常に寒い冬だったという証拠だろう。

午後5時が期限の仕事がまだかなり残っていて気になったのか、けっこう早く目が覚めた。朝食もそこそこに、腕まくりのねじり鉢巻で猛ダッシュ。前回は正確な翻訳に不可欠の重要情報を後出しされて、修正やら追加で頭に来たけど、今度はわりと理路整然としていて、作業は「同時翻訳」よろしくとんとん拍子。だけど・・・ん?おいおい、2009年3月に決算をする年度は「2008年度」じゃなくて「2009年度」だよ。前にも別の仕事で正誤の確認を求めるコメントをつけたことがあったけど、また同じコメントをつけたら、「日本では年度が始まる年で呼ぶので原文に間違いはありません」と来た。ひゃっ、ほんまかいな。英語圏では「年度が終わる年」で呼ぶことになっているんだけど、日本では逆だったとは・・・。

変なところで変なカルチャーショック。ま、日本にいた頃の会社経験が少ないからしょうがないといえばしょうがないんだけど、翻訳者にとっては文化や習慣、歴史的背景、はては言語の根底にある思考パターンの違いは怖い落とし穴みたいなもの。同じ言語同士のコミュニケーションでさえ、考え方の違いによる誤解、曲解が盛りだくさんなのに、異言語だったらひょんなことから「国際的大事件」が起きかねない。極楽とんぼのうっかり訳で第三次世界大戦勃発、なんてことになったら人類にお詫びのしようもないものね。そういうきわどい仕事は翻訳者冥利につきるのかもしれないけど、まあ、とんぼがそういうのに出くわす可能性が限りなくゼロに近いのはなによりかな。

仕事といえば、「MSN産経ニュース」が、20年後の日本はどうなるのかというテーマで『2030年』と題したシリーズを連載している。完結したばかりの第1部は「働く場所はありますか」で、最終回は「会社に代わるもの」。破綻した銀行にかって勤めていた人が「娘たちには学歴よりも職業観を身につけさせてあげたい」と言っている。親に言われていい大学を出ていい会社に入ったのに、その「いい会社」は潰れてしまい、再就職はしたものの働きがいはない。それは自分にやりたい仕事もスペシャリストの要素もなかったから。だから「娘たちには働く楽しさを、喜びを早い時期から考えてほしい」と。この人の言う「職業観」とはまさに「価値観」に他ならない。人生を豊かにするのは大学の名前でも会社の名前でもない、「何をしたいか、何をするか」なのだ。「何をしたいか」と聞けばいろんな職業が上がるだろうけど、「何をするか」を聞いたらどんな答が返ってくるのかなあ。

極楽とんぼの20年後はどうなのかなあ。その頃は82才の私。あんがい今くらいに元気で、まだバリバリの現役で、相も変わらずあちこちに首を突っ込んで「あ~だこ~だ」と言ってるかも・・・

まず自分を愛してあげないと

3月10日。うはあ、さむ、さむ、さむ~。いい天気だけど、玄関脇の窓の外に貼ってある温度計の針は午後になってもマイナス側。ほんとにどえらい冬だという感じがする。せっかく顔を出した庭のチューリップもヒヤシンスも、首をすくめて、うはあ、さむっ!枇杷の木もすごい姿になっているけど、まだ生きているのかなあ。この冬は1950年/51年以来の厳しさらしいもの。

それにしても、マスコミはこの「○○年以来の~」とか「過去○○年で最高/最低/最悪の~」といった表現がお好きらしい。こういう表現のときはあまりうれしくないニュースが多いけど、「○○年ぶりに」という表現になると明るいニュースの方が多いような気がする。まあ、「久しぶりに」と言うと何かワクワクしててぐすねを引くような感触があるから、その流れで「○○年ぶりに」も「待ってました~」というワクワク感を呼び起こすのかもしれない。たとえば、「1982年以来の大不況」と言うと深刻な感じがするけど、「27年ぶりの大不況」と言うと貧乏神が久々に出番だとはしゃいでいるように聞こえてしまう。これが「27年ぶりの大好況」だったら、はしゃぐのはもちろん福の神だけど。

東京都が小中学生や高校生に(試験的に)「自尊教育」をすることになったというニュースがあった。大規模な調査をして「自分のことが好きかどうか」を聞いたところ、否定的な答が多すぎたんだそうな。小学1年生では圧倒的に肯定的な答だったのが、6年生になると半分近くに減ってしまい、中学、高校になると半分以上が「自分嫌い」。何年か前の国際的な比較調査では、「自分は他人に劣らず価値がある人間」と思っているのは、アメリカの中学生が約52%なのに対して日本の中学生は約9%という極端な結果だったという。まずいんじゃないの、これ。子供たちが自分を肯定できない、人間としての価値を感じないというのは、学力低下よりも何よりも国の将来を危うくしかねないくらいの重大問題じゃないかと思うんだけど。

自分という人間が嫌いだったら人を愛することはできないだろうな。たぶん「愛」がどんなものかもわからないだろう。自分の中に自分を愛する「存在」がないからさびしい。さびしいから愛されたい。みんなに好かれたい。嫌われて疎外されるのが怖い。だけど、自分自身が嫌いなんでは、好かれるためにいくら人に迎合して媚びてみたって、ぐったりと疲れて、嫌われている、見下されている、とますます虚しくなるだけじゃないのかな。そうやって精神的に閉塞してしまったら、まずいんじゃないのかなあ。

謙虚さや控えめを良しとする日本文化が一因というけど、「勝って驕らず、負けて悪びれず」というくらいで、謙虚であることは決して悪いことじゃない。西洋文化だって謙虚さは称賛される美徳なのだ。問題は、日本の社会では「謙虚さ」という美名の下で「自己否定」を要求されることだろう。何かにつけて「引っ込め」と叩かれていれば、いくら自己肯定していても、いずれは「自分は本当にダメなのかもしれない」という自己否定に洗脳されてしまう。これはモラハラを受けた人たちが陥るアリ地獄でもあって、そこから這い出すのは並大抵のことではない。モラハラの狙いが相手の自己評価を下げ、自尊感情を剥ぎ取って一個の人格を破壊することであれば、自己否定を強要する文化は集団モラハラ以外のなんでもない。バブル崩壊以後の日本の社会文化に何が起こったのか知る由もないけど、陰湿なモラハラの臭いが漂っていそう。そんな社会で急にどんな「自尊教育」をするんだろう・・・

ポジティブとネガティブ

3月11日。就寝は午前5時。カレシが「もうちょっと」というのに付き合っているうちに4時になり、のんきにナイトキャップを傾けていたら5時になってしまったわけで、これが真夏だったら東の空が白むどころかとっくに日が昇っている頃。仕事が忙しくなってくると、就寝前のグラス片手のひとときが二人にクオリティタイム。話が盛り上がると、1杯のつもりが2杯になって、おいおい、早く寝ないと日が昇っちゃうよ、ということになる。

そんなんだから、目が覚めてみたらもう午後1時に近い。冷蔵庫が空っぽだ。野菜がない。「買出しに行かなきゃ」とカレシ。「えっ、仕事が詰まっちゃって、そんな時間ないよ~」とごねる私。だけど、ほんとに野菜がない。コーヒーもない。ジュースもない。マティニに入れるオリーブもない・・・これは特に一大事。ということで、カレシがパンを仕込んでいる間に小さい仕事を片づけてから、それっと買出し。ど~んと野菜を仕入れて、スーパーでどんとランチの材料を仕入れて、肉の売り場を見たら、大きなサーロインのロースト用ビーフが「お得意様カード」で半額!

帰ってきて買い物を整理しながら「今日はローストにする」と言ったら、カレシは「おお、いいねえ」。「サーロインの大きいのが半額だった」と言ったら、今度は「ふん、どうせ普段の値段を倍にしてから半額にしてるんだろ」。あのさぁ、あんたってほんっとにシニカルな人だねえ。ひねくれてるというか、否定的な性格というか・・・(きのう自尊感情や自己評価について考えていたせいで、ついそんな目で見てしまう)。昔は「ボクの悲観主義はママに似たんだ」と言っていたカレシだけど、否定的な性格ってどうも悲観的な性格とは根本的に違うような気がするなあ。たとえば、悲観的な人は他人を攻撃しないけど、否定的な人は攻撃的なところがあると思う。

カレシはとにかく「否定的」で、そこはパパの方にそっくり。自分のことには否定的にならないところもパパにそっくりで、他の人やものごとのこととなると、どんなポジティブな話でも最後に否定的な発言をくっつけて中和してしまうことが多い。そうしないと何となく不安になるのかもしれない。こっちはそのたびに「また~」と聞こえなかったふりをして笑ってやり過ごすけど、今になって考ると、長い間そういう否定的な発言に振り回され続け、しまいにはキレて怒鳴りまくるカレシに「私は何もまともにできないバカなの」と泣いて謝るようになって、なし崩しに自分を見失っていったんだと思う。

それが翌朝になって、泣きはらした目をこすりながら仕事に向かうと、私ってダメ人間じゃないよね、何にもできないなんて嘘だよね、と叫んでいる自分がいる。だって、何年もひとりでビジネスを切り回しているんだから、無能なはずがない。何年も注文してくれているお客がいるということは、仕事のできを認められているってことじゃないの。そうやってキーを叩いているうちに、ちゃんとやれているじゃないかという自信が戻ってくる。それなのに、カレシがキレると「私はダメな人間」と泣き叫ぶ。どっちが本当の自分なんだろう。私って、やっぱりどこかおかしいんだ・・・

振り返ってみれば、お客さんの信頼という客観的なものさしがなかったらどうなったかわからない危ない状況だったのかもしれない。もしも、出会った頃にカレシの性格を見抜けるだけの人間経験があったら、私の人生は違ったものになっていたのかな。いや、どうもやっぱりカレシが「運命の人」になっていたんじゃないかという気がするなあ。カレシはこの10年に格段に成長したのは確かだけど、パパにそっくりなところは変わっていない。私だって「リスクを考えた上での楽観主義」みたいな、まあ、ちょっとは賢い極楽とんぼになったと思うけど、猪突猛進する性格はやっぱり変わっていないもんなあ。

葦の髄から見える世界

3月12日。朝食のときに、テレビのニュースをぼやっと見聞きしていたら、芸能界のセレブの名前が出てきた。そこでカレシが「そんなのオレは聞いたこともない」とむくれ顔で言うもので、思わず吹き出しそうになってしまった。極楽とんぼだって聞いたことないよ。今どきのポップミュージックにはとんと関心がないもん。ラップだかなんだか、今どきの若い人たちに流行のセレブでしょうが。カレシが知らなくたって、その人がセレブを騙っているってわけじゃないし、別にカレシの価値が下がるってものでもないと思うんだけど・・・。

だけど、そういう人、いるなあ。何かに反論するのに、自分は聞いたことがないから、見たことがないから、自分の周りにはないから、自分の周りはこうだから、誰か/何かがそう言っていたから/書いてあったから、「それはおかしい」、「間違っている」、「ありえない」と言う人。匿名掲示板のように、悩みごとの相談や意見の交換がある場にはたくさんいるなあ。しまいには、知ったかぶりだの嘘つきだのと相手を非難したり、「あなたがそれだけの人間ってこと」とこき下ろしたり。そういうのに比べたら、カレシがテレビに向かって「有名?オレは聞いたことないね」と絡んでいるのは、野次を飛ばしている程度だから笑える。カレシのパパはテレビを相手に本気でキレていたけど、あれは滑稽なはずなのに「怖い」と思ったな。

登録してあるSBSサイトに、とある「日本在住ガイジンのブログ」へのリンクが貼ってあった。こういうブログは、「海外在住日本人のブログ」と同じく星の数ほどあって、それぞれに「情報発信」をやっている。その情報も、異国で暮らしている人たちのそれぞれの目に映ったことだから、程度に違いはあっても必然的に視野が狭い、世界中の人がアクセスできるネットに発信しても、書き手の心は「同胞」に向いているらしいのも共通しているからおもしろい。リンクされたブログ記事は「愚痴愚痴ガイジンのプロフィール」と題して、日本での(自分の)生活の何もかも不満で、愚痴や批判ばかリ言っている外国人に「ここは日本。いやなら帰れよ」とお決まりのせりふを投げかけている。

それに対して、ガイジンを日本人に、日本を欧米のどこかの国に置き換えたら、「愚痴愚痴日本人のプロフィール」という記事になるというコメントが入ったら、「異議を唱えて悪いけど」と前置きして、「昔ロンドンででいろんな日本人の友だちが大勢いたけど、みんなイギリス文化を楽しんでいて、愚痴を言う人はいなかった」という反論が「日本在住イギリス人」から出た。どうやら日本人を妻として、日本に長年住んで、日本をこよなく愛している御仁らしい。日本のことを愚痴る外人は「自分も知っていて」帰ってほしいと言いながら、イギリスのことを愚痴る日本人は「自分の友だちにはいなかった」から、日本人はそうじゃない(日本人は違うんだ)と言いたそうな口ぶり。

夢見心地の異国びいきに多いなあ、こういう人。ある意味で「かぶれ」なんだろうけど、別の角度から見ると現実逃避的な面がある。自分でその国や人の理想像を作り上げて、それに適ったものだけを見たいがために、自ら視野を狭めているようなところがあるよう思う。その理想像と違うものは「自分の周りに存在しない」からありえないってわけか。だけど、自ら作った理想像は崇めるけど、意識的にせよ、無意識にせよ、それに同化することを頑なに拒む人もけっこういるなあ。特に現実逃避的な異国びいきに多そうだけど、あんがい同胞たちに理想郷に住む自分を見せたいという、一種のブランド崇拝にも似た意識が深層にあるのかもしれない。だから自分の理想像を守るためには、現実は敵なのかもしれないな。

世界はひとつだけど、その中には人間の数だけ小さな世界があって、でも、つまるところはみんな似たり寄ったりってことなのかも・・・

13日の金曜日!

3月13日。さあ、仕事だ、と勢い込んで仕事場に下りて来たら、あ~ら、PCまだ動いている。寝る前にちゃんとシャットダウンしたはずなのに。でも、モニターには何も映っていない。パワースイッチを押してもオフにならない。モニターがオンのままで何もデータがないということは、システム自体はシャットダウンしているってことかなあ。きのうはいたって正常だったのに。まあとにかく、バックアップ電源を切って、5つ数えて、電源を入れ直して、PCを立ち上げてみたら、なんだ、どうやら正常らしい。やれやれ、脅かすなよ、この忙しいときに。

それにしても、ナノ秒単位で回る世の中になると、こういう「故障」のインパクトは昔の比じゃない。昔パルプの生産データを毎日ニューヨークのデータ処理センターへ送っていた。今から31年前の話で、社長のデスクくらいもある「コンピュータ」で、LPサイズのフロッピーにデータを落として、電話で相手を呼び出して、ビデオデッキ3つ分くらいの大きさのモデムを使って送信する。つながって送信が始まると、「ポッケン、ポッケン」と間の抜けた音がする。ニューヨークでの処理がすんで、その日の集計データが出ると、今度はこっちの電話がなって「今から送りま~す」。フロッピーをドライブに落として、また「ポッケン、ポッケン」とのどかなデータ通信。当時のモデムのスピードがどれほどだったのか知らないけど、パカパカパカとテレックスを打った方が早かったかもしれない。(今の人はきっと「テレックス」なんて聞いたこともないだろうなあ・・・)

その送信がうまく行かないときはニューヨークに電話して担当のメアリーと相談するんだけど、あるとき、回線にザーザー、ガリガリとすごい雑音が入って、メアリーの声はアメリカ人がよく語尾につける「Huh(ハ)」しか聞き取れなかったことがあった。次に比にメアリーに「あなたのハ、ハしか聞こえなかったの」と言ったら、「こっちもあなたのエ~、エ~しか聞こえなかったわよ」との返事。「Eh(エ~)」」というのは「Huh」のカナダ版のようなもので、言葉尻につけていろんなニュアンスで使われる。日本語だと語尾に「ねぇ」とか「なぁ」とつけるようなものかな。高い長距離電話で、北米大陸のあっちとこっちで「・・・(ガーガー)ハ?・・・(ザーザー)エ~。・・・(ガリガリ)ハ」と言うやり取りをしていたわけで、あんまりおかしくて、二人とも仕事そっちのけで笑い転げたっけ。

たった31年前のことなんだけど、あの頃生まれた赤ちゃんが今ではもう30代。いい大人といわれる年代であることには変わりはないと思うけど、コンピュータ室に首を突っ込んで、「ポッケン、ポッケン」という雨だれのような音を聞いて、「お、来てる、来てる」と安心してコーヒーを飲んでいた時代とは天と地ほども違うハイスピード時代。ひとたび故障が起これば、即時に速攻で対応しないと世の中が立ち往生してしまうから、み~んなナノ秒単位でバリバリと仕事をしているんだろうなあ。うん、極楽とんぼも、気合を入れて猛烈ダッシュしないと、置いてけぼりを食うかも。

カレンダーを見たら、あら、今日は13日の金曜日。そっか、幻の黒猫が通ったんだ。だけど、朝からやだなあ、なんだか。聞くところでは、今年は13日の金曜日が3回もあるんだとか。や~ねえ。でも、最終回は11月だから、それまでの間にうんと幸運とため込んでおこうかな。

評論家はうるさい

3月14日。オフィスのすぐ外の壁にかけてあるスケジュールボード。その日のマス目には矢印のポストイットを貼って、1日が終わるごとに日付を消して、1週間が終わったら5週先の1週間の日付を書き込む。誰かの来訪があるときは黒、二人で出かけるときは青、カレシだけのイベントは緑、極楽とんぼだけのイベントは赤と、マーカーの色が決まっている。もっともカレシはそんなことにはおかまいなしで、どれでもまっ先に手にしたマーカーを使うもので、混乱が起きることもあるけど、まあまあ予定表の機能は果たしている。

いつもほぼ1ヵ月先まで見えるわけで、なんだか先へ先へとせかされているような気もしないではないけど、クリスマスにはツリーの絵、誕生日には花丸と言うように、特別の日には特別の「印」をつけておけば、楽しみに待つ気分になれるというもの。ボードに載った次の季節のイベントは「復活祭」。今年のグッドフライデイは去年よりぐんと遅くて、4月の10日。イースターのチョコレートを買い忘れないようにと、ウサギの顔を描いておいたら、カレシ曰く、「テレビのアンテナみたいだなあ」。ちゃんと目鼻を描いてあるのに。テレビのアンテナみたいって、そんなのいつの時代の話なんだか。フリントストーン氏じゃあるまいし・・・。

だけど、丸い顔と長い耳だけじゃ、やっぱりちょっともの足りないかなあ。というわけで、ちょこちょこっとグレードアップ・・・。[写真]

おりしも通りかかったカレシに「これで文句あっか~」と言ったら、「この赤い花はポピーかい?ポピーは11月じゃなかったっけ?」 あのぉ、それはチューリップなんですけど。黄色いマーカーがなくて水仙を描けないからチューリップにしたの。しげしげとながめたカレシ、「しおれちゃってるよ、このチューリップ」。おいっ、こらっ!

漢字は難しい感じがする

3月15日。そんなに夜更かしをしたわけでもないんだけど、目が覚めたら午後12時半。外を見たら、ありゃ、ま~た雪が降っている。でっかいぼた雪がわんさ、わんさ。はあ、下界はまだ冬なのに、体だけはさっさと春の気分で春眠暁を覚えずなのかな。これじゃあエコーのバッテリを充電するための遠出は中止だねえ。まあ、仕事がきつくなるからその方がいいんだけど。

朝日新聞を見ていたら、国会で野党議員が麻生さんが書いたという論文から難しそうな漢字を取り出してきて、「本当にあなたが書いたのか」と迫ったそうな。その漢字12問とは:

就中、唯々諾々、揶揄、畢竟、叱咤激励、中興の祖、窶し、朝令暮改、愚弄、合従連衡、乾坤一擲、面目躍如

極楽とんぼの答は:

??、いいだくだく、やゆ、ひっきょう、しったげきれい、ちゅうこうのそ、??、ちょうれいぼかい、ぐろう、ごうじゅうれんしょう、けんこんいってき、めんもくやくじょ

正解は12問中8問。ざっと67%。いいのかなあ、これで。だけど、今の時代、漢字そのものは読めなくても「言葉」を知っていれば、コンピュータがちゃんと正しい漢字に変換してくれるからねえ。それでも、言葉を正確に知らなければIMEもお手上げ。ちなみに、麻生さんの読み違いで有名になった「みぞうゆう」を入力してみたら、「未曾有優」と出てきた。極楽とんぼはてっきり「みぞうう」と読むと思っていたから、人さまのことを笑っていられないなあ。ついでに、首相の名前は英語だとASOと書かれるから「あそ」さんと読んでいた。「あそう」さんなんですか。これは、失礼をば。

でも、読めない漢字に出くわしたとき、みんなどうしているんだろう。極楽とんぼにとっては、読めなければ和英辞書を引けないから、機嫌よく進んでいた翻訳作業がそこで頓挫してしまう。英語キーボードで英語版のWordにローマ字入力しているとんぼは、そこでIMEパッドを開いて部首を手がかりに漢字を探す。見つかった漢字の上にカーソルを置くと音読みと訓読みが表示されるというしかけで、これで見たこともないややこしい漢字でもけっこう読めるようになるから大助かり。ただし、パッドに表示されている以外の読みがあると、間違えて覚えてしまうだろうな。

読みを間違って覚えていて、それらしい漢字に変換されなかったら、みんなどうしているんだろう。たとえば、麻生さんが「踏襲」と打とうとして「ふしゅう」と入力したら、まず出てくるのは「腐臭」で、次に「俘囚」と、なんだか意味ありげなことになってしまう。いくら麻生さんだって、「あっ、こう書くのか」とは思わないだろう。極楽とんぼも言葉は知っている(はずな)のに、変換候補にはうろ覚えの漢字さえ出てこなくて立ち往生することが多い。そんなときには英和辞書で英語から言わんとする日本語を引いて「正しい漢字」を探す。とんでもない読み方をしていたとわかって人知れず冷や汗をかくこともしばしば。人前で日本語スピーチをしなくていいいことで暴露されずにすんでいるけど、みんなけっこう読み違い、覚え違いはあると思うから、なんとなくアソさんには同情を感じる。まあ、麻生さんの場合は「KY(漢字が読めない)」という単純な問題だけではないんだろうけど・・・