リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年6月

2007年06月20日 | 昔語り(2006~2013)
生牡蠣を食べ過ぎた?

6月01日.カレシの風邪もどうやらおさまって胃袋も調子も回復したというから、今日はRodney’sへ出かけた。外食は久しぶりの先週は、せっかくお気に入りのレストランだったのに、カレシはまだへたれモードで、あんまりエンジョイしなかったとか。残念だなあ、ウェイターのラファエル君のフランス語なまりの口元がめっちゃかわいかったけど・・・なんていったらカレシはむくれた表情。え、それってやきもちなの?

今日は金曜日だし、5時を回っていたこともあって、Rodney’sはもうかなりいっぱい。7時に予約が入っているテーブルがあって、それまでにたっぷりと1時間半あれば大丈夫ということで、階上のテーブルに着く。さっと地ビールと牡蠣を3ダース注文して、カウンターで客の相手をしながら次と次と牡蠣の殻を開けていく手さばきにしばし見とれる。素手で牡蠣をつかんでは手先も見ずにあっさりと殻を開けてしまうのがすごい。

今日の「引き潮」スペシャルは、バンクーバーの北、サンシャインコーストの産で、中ぐらいの大きさ、塩気はちょっと強め。あっさりと大きなお皿のかき氷の山に積まれた36個の生牡蠣を平らげて、やっぱり物足りないからと、いつものように蒸したムール貝を注文。ここのはぷっくりと膨れて食べがいがある。おなかいっぱいになるんだけど、かなりの低カロリー。中くらいの牡蠣は1個でせいぜい10カロリーくらいだとか。鉄分や亜鉛やビタミンB 類がかなり豊富だという。媚薬でもあるそうだけど、そのあたりはどうかなあ・・・

Rodney’sがあるのはダウンタウンで今ファッショナブルな人が集まるイェールタウン地区。金曜日の夕方となるといつもよりスポーツカーだの、カッコいい男女がいっぱい。高級レストランやブティックの上に億ションがそびえるイェールタウンを見ると、バンクーバーは好景気なんだなあと思う。ガスタウンやロブソンストリートは観光客とティーンエイジャーに任せておいて、ここはちょっと大人っぽくてお金のある地元人の遊び場だ。でも、メトロセクシュアルというらしい近頃の上から下まですっきり決まり過ぎみたいな男はどうもなあ。まあ、たとえ一人で歩いていてもそういう男に言い寄られる年じゃないからいいんだけど。

帰ってきてコーヒーを飲みながら、カレシが、はしか騒動で足止めを食って帰国できなかった女子高生のニュースを見ていたらみんなそろってヘンな歩き方をしていたといいだした。「ボクのクラスにだってあんなに姿勢の悪い若い子はいない」という。そうだなあ、猫背で、(たいてい口を開けた)あごを突き出して、つま先が内向きで、膝が曲がって、ペタコン、ペタコン、てやつ。あのねぇ、あれはもうだいぶ前から世界的に日本人のオンナノコ独特の歩き方として知られているの。あの歩き方で日本人と目をつけて近づく男がいっぱいいるの。カレシ、「ホームレスのばあさんみたいに見えるって知ってるの?」カノジョたちに聞いてよ、そんなこと。

その後のカレシ、私をしげしげと見ては「その年でそのボディ。やっぱり鍛え方が違うな」と、スリスリ。何を慌てているのか、媚薬の牡蠣を食べ過ぎたのか、おかしくて、おかしくて・・・

特技はスマイルです

6月2日。土曜日はいつも静かでいい。なぜって、日本はもう日曜日だから、仕事のメールが入ってこない。新聞のサイトも日曜休刊日なのだろう、さしたる記事はないし、ついでに掲示板もほとんど更新されない。静かでゆっくりと仕事ができる日なわけ。

ボケッとしていて重なってしまった3つの仕事。まずひとつ完了で、あと2つ。締切の時間が朝と夜だから、どっちを先にやるべきか、ボケッとしていては大変と、3回くらいメールを確認して目の前にメモを置いた。気をつけなくちゃ。それでなくても、あっという間に後が詰まってしまっているから、どれも延長してもらうというわけにもいかない。ドジな秘書に「クビだ!」と怒鳴りつけるわけにもいかないから、ただただひたすら(やかましく)キーを叩く。しょうもない稼業だなあと思うこともあるけれど、さほど飽きもせずにずっと続けて来たのなら、どこかで天職に近いところもあるのかなあと思うし、ときどきは「もうや~めた」と言ってみたいような気にもなる。

日本も転職が盛んらしいけど、そんなに簡単なんだろうか。転職のたびに給料とか、将来性とか、何かが向上するのだろうか。転職のたびに下り坂では意味がないだろうから、きっとみんな上り階段なのだろう。今の稼業も数えると、カナダに来てから就いた仕事の数は5つ。最初は日系の合弁企業で、そこでデータエントリーとテレタイプを覚えた。今どきテレタイプなんて知っている人は少ないだろう。まだファックスがなくて、ジャカジャカとやかましいテレックスが文字通信の主流だった。コンピュータはデスクくらいもあって、フロッピーは昔のLPなみ、モデムはビデオデッキくらいの大きさで、ニューヨークにデータを送信するのに、実に悠長に、ピコン、ピコン、ピコン・・・

2つ目はドイツ系の輸送代理店。超ケチで人使いが荒かった。カナダ国籍になったのもこの頃で、ツテで公務員の仕事が目の前にぶら下がってきたから、3ヶ月でさよなら。州政府の司法省の広域組織犯罪を捜査する部署に入った。朝出勤してみたら夜のうちに玄関を自動小銃で撃ち抜かれていたなんてこともあった。ここで生涯最良の上司、元RCMPの麻薬特捜官だったブライアンに出会った。パーキンソン病を発病して転職してきた。手が震えておまけに左利きのぐちゃぐちゃな字を読んでタイプできたのは私だけ。事務職にはさせない仕事まで任せてくれて、ある殺人事件の解決の糸口を見つけたときは捜査会議で発表させられてしまった。

ストに嫌気がさして転職した最後の職場は会計事務所。日本ではおりしもバブルが大膨張。札束を抱えた成金氏が列を成して、ビルだのホテルだの学校だのと買い漁っていた。醜い日本人をいやというほど見た。オフィスの醜い権力闘争も見たし、もろに側杖を食ったこともあった。仲良し仲間の送別ランチで、4組がそろって泥酔してオフィスに戻らず、翌日は全員が二日酔いで欠勤。しおしおと出勤してみたら、怒るべきか笑うべきか、小言も出なくて困った顔の人事課長が、「今回に限って、半日病休、半日有休」と。

オフィス勤めはかなりはちゃめちゃなこともやって楽しかった。それぞれの職場で新しい技能を覚えては次につないだから、転職のたびに給料も増えた。私の転職人生は上り階段だったと思う。公務員を辞めたときと、会計事務所を辞めたとき、みんながサインしてくれた大きなカードに「あなたのスマイルが見られなくなるのは寂しい」と書いてあった。どんな励ましよりもうれしい言葉を、何と2度も。私の一番の特技はビッグスマイルだったのかもしれない。つまりは、「にっこり」を武器に世渡りしてきたってことかなあ・・・

雑念雑感

6月3日。夏のような天気は日曜日まで。後は1週間、雨、雨。そんな予報だったけど、日曜日が終わるのを待たずに雨が降りだした。もっとも、がっちりと仕事につかまって外へ出られないから、晴れでも雨でも関係ないけど。

土曜日は一日中喉の一角がちょっと赤くなって痛かった。カレシはさっそく、「時期的にどう見てもボクのせいじゃないよ」と逃げの一手。晩生のウィルスかもよ~。あ、ひょっとしたら、はしかかも!ま、そんなことはないのは確かなのに、カレシはなんだかまた慌てて「ボク、なんにもしてない」みたいな反応。おいおい、そんなことはわかってるってば。夜の咳き込みも解消したようで、おかげで良く眠って、良く食べて、この分ならうんとじゃれつていもいいかなあ・・・。

納期が同じ日に重なってしまった仕事、ねじり鉢巻で全部ぶじに完了。でも、ちょっとボケだったなあ。徹夜なんぞするから、頭の回転がスローダウンしていたのかもしれない。それにやっぱり言語の組合せの方向がくるくる変わると、頭の配線がショートするから困る。で、どっちが疲れるかというと、やっぱり日本語だから不思議だ。ときには、徹底したモノリンガルになりたいという気にもなる。

カレシの英語教室は一応終了して、7月までお休み。夏の教室は今までよりも少人数で徹底的に会話をやらせるつもりだそうな。会話といっても、生徒が考えているのはどうも口頭での文法レッスンに近いらしい。そこで、文法の勉強を利用してしゃべらせるわけだけど、英会話というのは英語での会話だから、話すことがなければ会話は成立しない。テニスみたいなもので、お互いにボールを打ち返さなければプレーは続かないわけ。う~ん、会話ってテニスみたいにコーチできるのかなあ。

秋の教室が始まったらいっしょに来て北海道の話をしろという。アジア人がほとんどの生徒さんたちも日本は均質で均一の国だと思っているらしいから、社会科の勉強になるし、ついでに元ESLの人の経験談を聞くのもいい勉強になるんだと。経験談といってもなあ。なんかずっと昔から英語だったような気がするしねぇ。30年も経てばいやでもそうなるんだろうけど、生徒さんにそういって応援してあげればいいのかなあ。ふ~ん、まあ、先の話だけど、おもしろいかもしれないから、一度はカレシの助手をやってみるか・・・。

どっちが強い?

6月4日。雨の月曜日。涼しくなってエアコンもお休み。カレシを送り出して、次の仕事にかかる。これも気合を入れないとまた「残業モード」になってしまいそう。私のスケジュールって、どうしてこうすぐにアコーディオンプリーツ型になってしまうんだろうなあ。

はしか騒動で足止めされていた高校生たちが帰国できることになったらしい。最初にはしかを発症した子をローカル掲示板で「身勝手」だとか「非常識」だとかいっているのを見て、帰ってからいじめに会わなければいいけれど、とけっこう憤慨していた私に、女子高生の歩き方の話を持ち出したカレシ。余計なことをいって「今でも興味を持っていると思われたかもしれない」と気にしていたらしい。若い日本人の話は私にはもう別にタブーでも何でもないのに、どうやらまだすっきりしていないのはカレシの方のようだ。

今日のVancouver Sunに、離婚した後にうつ病になるのは男の方がずっと多いという記事があった。カナダ統計局によると、女性は経済的な打撃が大きく、男性は精神的な打撃が大きいのだそうだ。つまり、実は自分の気持を率直に表現できないだけなのを、「男は黙って、○○」というイメージで包んで、結局自らをうつ病に追い込んでいるということらしい。それに、精神的なサポートを妻に頼って、社交的なネットワークを作っていないことが多いから、離婚すればその「はしご」を外された状態になるのだろう。

女はとにかく手放しで涙が出なくなるまで泣いて傷を洗うのに、男は「強くあるべき」という世間体に縛られて泣くこともままならず、傷を洗って出直すこともできずに、鬱々としてしまうのかもしれない。男社会の重みに押しつぶされているのは、それを作り上げた男自身なのだとしたら、自業自得といえないこともないけれど、地球上の生物は元々は「女」なのであって、「男」は遺伝子の多様化を図るために作られた性。男から女が作られたなんて話は、「だから女は男の所有物」と主張したがる輩がでっち上げた真っ赤なウソなのだ。

そうか、そうか、ぐずぐずした挙句にまたママを探しに出かける男と違って、わあっと泣いて、次に行けるのは女の方。近頃は男を自分の所有物みたいに思っているような女も多いし、やっぱり女は強いんだ。

だけど、もしもあの時離婚していたら、私は今頃溌剌と新しい人生を歩いていて、カレシはうつ病になって引きこもりなんてことになっていたのだろうか。それはやっぱり悲しいだろうと思う。カレシは自分の気持を表現できないどころか、人の悲しみや怒りの感情表現を見るのさえ嫌いだ。たぶん、どう対応したらいいのかわからないから怖いのだろう。そういえば、カレシのパパもおんぶにだっこの幼児そのもののような人だ。それを些細なことでキレて怒鳴り散らすことでカバーして来たことは確かだ。この父にしてこの息子ありというけれど、カレシがキレなくなったのはそんなお手本を乗り越えて成長したということだ。

でも、幼い頃に泣いているママを見て、カレシはどうすることもできずに心を痛めたらしい。ほんとうはきっと優しい心を持って生まれて来た人なのだと思う。ママに何にもできない自分の無力に傷ついてしまって、だから喜怒哀楽の感情が怖いのかもしれない。ママは芯から強い女性だ。だけど、その強さを自分の周りに城壁をめぐらすことに使ってしまったように見える。それではいくら精神的に強くても、男の強がりとさして変わらないような気もするんだけど・・・

早飯も芸のうち?

6月5日。カレシがまた移民向け英語教室の代講を頼まれて、午前8時起床となった。少しは早めに寝たけれどそんなに急に早くは眠れないから、何だか夜明け前に起きだしたみたいで、ちょっと時差ぼけ風の1日。午前中のレッスンは引き受けないというものの、頼まれるとやっぱりノーとはいいにくいらしい。ぶつぶついいながら、それでもちゃんと教材を用意して出かけていくから感心する。

朝が早いとお昼に何か食べなければ夕食まで持たない。でも、いつもの真夜中のランチがあるので、ここはせいぜいスナック程度にして、手間ひまをかけずにインスタントラーメン。それでも1日に4食ということには変わりはないんだけど、夕食のメインは魚。Arctic charという淡水マスの一種で、日本ではアルプスイワナというらしい。ほのかにサーモンピンクで、あっさりした味。

日本の時計会社だったか、レストランで料理が来るまでどれくらい待てるかを東京と大阪で調査したそうだ。「一度行ってみたかったレストラン」という設定だから、ある程度のレベルと評判のレストランというところか。おおむね「15分」という結果だったらしい。注文してから15分!何だかちょっとせっかちじゃないのかなあ。大阪では「10分で出て来ないのはサービスが悪い」という回答もあったそうだから、早飯も芸のうちを実践しているのかな。それにしても・・・。

私たちが出かけると、だいたいはオードブル、メイン、デザートの3コースの食事になる。わりに手軽なところだと入ってから出てくるまで1時間から1時間半。値段の高いところだと普通2時間くらいで、2時間半以上かかるところもある。つまり、高級なところほど急がないのだ。待たせるのは良くないけれど、急ぐのはもっと良くない。客だって、食べるだけじゃなくて、リラックスして会話を楽しみながら、料理やワインを味わうという考えだから、急がされたのではおちおち楽しめない。いかにうまくタイミングを計るかがサービスの見どころ。早飯はサービスのうちにはなりっこない。

それにしても、15分以内って、いったいどんな料理を注文するんだろう。土曜日のおでかけの予約は今年バンクーバーのレストラン・ナンバーワンに選ばれたところ。どのくらいかかるか、ちょっと計ってみようかな。

好きこそものの何とかで

6月6日。うは~間に合った。納期の午前9時まであと20分で滑り込みセーフ。ダラダラしていたわけじゃないけど、原稿の内容がおもしろかったから、たいくつでやる気が右肩下がりの仕事よりずっと気合が入って、それでよけいに時間がかかってしまった。自分なりの表現で訳文を「書く」自由がある程度許されていたせいかもしれない。

こてこての日本的表現はそのまま訳しても通じないことが多い。もう少しグローバルな表現になるように手を入れるわけだけど、そのあたりが50年経っても作家志望の私にはたまらない。元の意味あいを頭に叩き込んだ上で、英語人の色眼鏡をかけて書く。カレシに読ませて、違和感なく読めたらしめたもの。

英語を教えるのが一番難しいのはライティングだという。話すのと同じに書けばいいという人もいるけれど、実は「話す」と「書く」はまったくの別ものなのだ。自分の母語でも書くのは苦手だという人が多い。一方で、口べただけど書かせたら名文家という人もいる。外国語も同じで、かなり流暢に話すのに流暢に書けない人がいるし、逆に(日本人に多いようだけど)一応は読めるものを書いているのに話せない人もいる。

かっての上司は英語環境の真っただ中でコテコテの日本語環境で仕事をしていた。英語でも仕事はできたけれど、あとで「どういう意味かわかる?」と、上司に聞こえないところでそっと聞いて来る人もいた。それがけっこうわかったからおもしろい。欧米では、秘書がつくランクになると、メモだ、手紙だと、とにかく文章を書かなければならなくなる。あの頃はPCがなかったから、原稿を手書きするかテープに口述して、秘書にタイプしてもらっていたわけだけど、私の上司はどっちもダメ。日本語でもいいからといってもダメ。だけど、それなりの地位にあるから、メモや手紙は書かないわけにはいかない。

それではと、私を呼んで、「こういう人/事案があって、こういうことになっていて、ああだ、こうだなんだけど、ボクとしてはこうだから、それ、ちょっとメモ/手紙を書いてみてよ」とやる。もちろん日本語で、端折った話だから速記ができたとしても役立ちそうにないし、いつも詳しく聞く前に電話が鳴って、指示は尻切れとんぼ。私はタイプライターの前に戻ってしばし沈思黙考。アウトプットはもちろん英語だ。そうしてできあがったのが3ページもあるメモだったりするから、代書屋どころかまるで代考屋。いわばゴーストライターというヤツだ。

もともと子供の頃から文章を書くのが好きだったから、日本語から英語になっても、好きなことには変わりがない。数行分の日本語の話を膨らませて数ページ分の英語の話に仕立てるという芸当を覚えたおかげで、ちょっとしたことから数ページのストーリーを紡ぎだすことはお手のものになった。だから、一度書き出すとどんどん進んで自分でも止められなくなる。英語は呆れるほど語彙の多い言語だ。長い間にヨーロッパ中の言語が寄り集まったものだから、ひとつのことにいくつも単語があって、しかも微妙に色合いが違ったりする。だから、「良い文章を書く」作業は、爪を噛み、ため息をつき、呻吟しながらの難行苦行だ。それでも書くのが好きなんだから、我ながらマゾっぽいと思ったりもする。まあ、どうやら不治の病なのだろう。

空気の掃除デー

6月7日。カレンダーを見たら、日曜日の夕方が納期の仕事が2つ。ああ、なんでまた複線なの?といって、余裕があると思ってOKしてしまうからだとはわかっているんだけど。でもまあ、まだ余裕がありそうだと、今日はまず換気装置のメインテナンス。

我が家には建てたときから稼動している熱交換式の常時換気装置がある。低速でファンを回して外気を取り入れ、屋内からの排気と入れ違うときに、冬は暖め、夏は冷やす。いわば一年中昼も夜も窓を開けておくようなものだけど、そんな感じはしない。湿度調節装置もついていて、湿気がたまるとファンが自動的に高速に切り替わって冬の間の結露も防ぐしくみ。二重にフィルターがついているからアレルギーの元になる花粉やほこりも入ってこない。おかげで我が家はあまり窓を開けることがない。

そのくらい便利なんだけど、フィルターを取り替えるという仕事があるし、この季節にはコットンウッドの種がふわふわと飛ぶので、外気の取り入れ口も掃除をしないと虫除けのメッシュが詰まってしまう。フィルターはほんとうは3ヵ月くらいおきに取り替えることになっているけれど、つい忘れるから、半年くらいして何となく息が詰まるような感じがし始めてやっと思い出すことになる。

そこで今日はカレシにブラシを持たせて外の給気口の掃除、私はベースメントにある換気装置の掃除。椅子に乗って、汚れたフィルターを出して、虫の死骸やクモの巣を掃除して、きれいなフィルターを入れて、だいたい30分くらいで運転再開。3枚のフィルターは次回のために洗濯機で洗っておく。しばらくは家中でフィルターを洗ったときの洗剤の匂いがするけれど、それが消えたら、空気のなんと新鮮なこと!

調子に乗って、オフィスにおいてある空気清浄器もついでに掃除してしまった。フィルター不要のイオン式というタイプだけど、ファンと紫外線ランプがついている。コンピュータ3台、プリンタ2台、コピー機1台があるから、いくら換気していても、ファンがかき回すほこりやトーナーの微粒子でオフィスの空気は汚れがちだ。カレシはくしゃみ連発、私も鼻の奥にカビっぽい臭いがして来る。だから空気清浄器は不可欠の健康グッズだけど、これも定期的に三重の集塵筒を取り出して、分解して、吸着したまっ黒なほこりを掃除して、ピカピカにしてやらないと意味がない。

要するに、いくら便利な世の中になっても、「手入れ」というめんどうな作業はついて回るということ。快適な生活をするには、手間ひまを惜しんでいてはだめということだろう。でも、空気がきれいになって、鼻の奥もすっきり。これで仕事の能率もアップして、納期ぎりぎりに慌てなくて済めばめっけものだけど・・・

これがほんとの恐妻家

6月8日。小町に実に痛快なトピックが立っている。あっという間にすごい数の書き込みが並んで、読んでわっはは。『妻が自信をつけて困っています』というすっとぼけたタイトルで、国家公務員と言う40代の男が、後妻が三流の高校卒で、苛々するほど無知で馬鹿にしていたのに、一念発起してあれよあれよというまに資格を取り、大学の勉強まで始めてしまって、成績は抜群。そのうち離婚されるかもしれないと怖くてたまらない、という話だ。最後を「どうしたら良いでしょうか」と閉めているところがおかしくてたまらない。

どうしたらいいでしょうって、そんなこともわからないのかなあ。もちろん、書き込みは圧倒的に奥さん絶賛。トピ主は「器のちっちゃい男」、「何を今さらびびっているのか」と散々だ。前妻よりよくできているらしい妻をさんざん馬鹿にしてきて、しかも親戚まで馬鹿にするのを、妻を弁護するどころかいっしょになってけなしたらしい。それで、奥さんを目覚めさせてしまったんだもの、自業自得だなあ。がんばって奥さんに追いつくか、奥さんに平伏するか、奥さんの足を引っ張るか・・・

「どうして三流高校卒の無知な人と結婚したの。ずっと自分が優位に立てるから?」う~ん、国家公務員という肩書きにこだわっていそうなところを見ると、きっと学歴とか肩書きで突っ張っているけど実は自分に自信がなくて劣等感に苛まれているというタイプなんだろうなあ。だから自分より「弱いもの」に威張って何とか自分につっかえ棒して来たのに、その「弱いもの」に追い越されそう。あんたなんかいらないわ、と捨てられるかもしれない。どうしたらいいんだ~。

そういう器の小さい男は世界中にごろごろいるけれどなあ。イギリスの邸宅に住んで、日本人妻を娶って、中華料理を食べるのが男の至福だとかいうジョークがあるけど、俗にジャパ専、アジ専といわれる男達も多かれ少なかれその手あい。ぜんぜん自分を見ていない。もっとも自分がダメだから仮想的有能感に走るわけなんだろうけど。女が自分を超えないように、宗教や文化や慣習でがんじがらめに縛って、それでも安心できないとなったらDV。

昔のカレシに似てないこともない。私をバカ呼ばわりはしなかったけど、陰で私の足を引っ張って来た。でも、ダメなヤツといわれれば、もうちょっとがんばってみるのが私。そのたびに「なんだ、できるじゃん」と自信をつけて、カレシの「見捨てられ不安」は募る一方。だけど、考えた対策がまずかったから、結局捨てられたら困る方の立場になってしまったのは、まさに人生の皮肉。

この御仁だって奥さんよりずっと年上のはず。「どうしたら良いでしょうか」なんて寝ぼけたことをいっている暇があったら、奥さんを応援して、バリバリ稼ぐようになってもらって、老後の生活基盤をがっちり固めれば良さそうなものだけどなあ。それがイヤなら、自分も奮起して奥さんと肩を並べるか・・・ま、それができないから、よけいに怖いんだろうけど、かわいげもなくはない、か。

お食事タイム

6月9日。今日は予報の通りに1日中雨。冬中山岳地帯の積雪が異常で、融雪時期になって上流で洪水が起きている。我が家から坂を下って行って行き当たるのは「母なる川」フレーザー川。ここまで来るとゆったりと流れているけれど、上流の郊外では避難勧告が出たり、土嚢を積んだりと、洪水を予想した作業が進む。氾濫した内陸部のいくつかの川はやがてフレーザー川に合流するからだ。雨のおかげで気温が下がって雪解けのピッチがスローダウンするから、この調子なら郊外の洪水は免れるかもしれないというけれど。

早めに運動を済ませて、予約を入れてあったWESTへおでかけ。レストラン・オブ・ザ・イヤーの第1位に選ばれただけあって、夕食には早めの6時なのにテーブルはけっこういっぱいだ。さて、今日はどれくらい時間がかかるか。手始めに食前のカクテルから。日本だったら「とりあえず」ビールで始まるらしいけれど、ここではそうはいかない。カレシはサゼラック、私はサイドカー。それからゆっくりとワインリストを眺めながら、メニューを開く。約5分でカクテルが出て来て、ウェイター氏が今日のスペシャルを暗唱し、どうぞごゆっくりということになる。さあ、今日はどれがいいかなあ。

カクテルが空になる頃、ウェイター氏が現れる。カレシはトマトの前菜にサーモンと12種類の野菜添え、私はキハダマグロのたたき風前菜に鴨料理。鴨は焼いた杏ソースの胸肉に、もものコンフィ、フォアグラの組合せとなっている。ワインはフランスのロゼ。キッチンは壁の上半分がガラス張り。かなり人数が多いから驚く。給仕する方もテーブルの数に比べて多すぎるくらい。担当のウェイターの他に、パンを配る人、料理を運んで来る人、空のお皿を下げる人がいる。全員黒ずくめだ。

前菜を待っている間に「シェフの心づけです」と、メニューにない小品が出てくる。バンクーバーのちょっと値の張るレストランならたいてい何かしらこのAmuse bouche(口を楽しませるもの)が出る。日本の「つき出し」みたいなものだろうか。前菜もメインも絶品。チョコレート主体のリッチなデザートとダブルエスプレッソ。最後にカレシはコニャック、私はアルマニャックで仕上げ。勘定書きといっしょにおまけのチョコレートが出てくる。所要時間は2時間20分だった。

食べながら日本の「レストランで15分までなら待てる」という話をしていて、日本では「一度は行ってみたい」レストランでも前菜-メイン-デザートというような注文はしないのではないかということになった。日本では高級レストランに行ったことがないからわからないけれど、普通は1品を注文するのかもしれない。それでもやっぱり15分はちょっとせっかちな気がするけれど・・・

サービスで考えたこと

6月10日。天気のせいか、股関節が痛くて寝つけないでいるうちに午前6。そのあたりでやっと眠りに落ちたらしく、目が覚めたら午後12時半。何となくベッドを抜け出しかねて、カレシとべたべたいちゃいちゃした挙句、あっ、今日中に終わらせなければならない仕事がひとつあったんだ!と飛び起きた。

本来は交響楽団の日曜コンサートの最後の日。けっきょく、2枚のチケットはむだになったけど、まあそれもカレシがクラシックコンサートに少々息切れしていることもあって、しょうがない、仕事優先ということになる。同じような内容がシリーズみたいに続いたから、仕事そのものは順調に進行して、夕方にはどうやらちょっぴり余裕で終わりそうという予測が立って、少しリラックス。

夕食後、カレシが明日のミルクがない、と言い出した。そういえば、真夜中のランチにするものもない。ミルクがないならベーコンと卵にしようかといったら、ダメだ、明日の月曜日はまだ英語教室の代講がある。ということは、と午後10時過ぎにスーパーへ走る。今の季節、午後10時は「日がとっぷり暮れてきた」というあたりで、まだ薄明かりが残っている。出発の頃がちょうど夏至なわけで、ストーンヘンジでドルイドに出くわすかもしれない。おもしろそう。今週は何としてもダウンタウンにポンドとユーロを買いに行かなくちゃ。

シンデレラよろしく、真夜中と共にキッチンに上がってランチ。いろいろとレストランの記事が載った雑誌をめくりながら、ちょっとしたクオリティタイム。レストランの話から、ネットのレストランガイドにずらりと並んだシロウト評論家の話になる。今やネットでは何でも誰でもインスタントに評論家になれる時代。レストランの評になると、絶賛から罵倒まで多種多様だけど、何をほめて、何に文句を言っているかを見ると、シロウト評論家の顔が見えることもある。

まず、高級なところほどウェイターは客を見るプロなのだ。かといって客の足元を見て対応するのではない。慣れているらしい客にはジョークのひとつも飛ばし、たとえば「どれだけかかるんだろうか」なんて懐ぐあいを心配していたり、初めてで緊張している客には肩の力を抜けるように務める。それでも、「金を払うんだからぞんざいに扱ってあたりまえ」と、やたらと威張り散らし、怒鳴り散らす「仮想的有能感中毒症」の客も多い。こういう客は元々サービスというものをわかってないのだ。

サービス産業は人間関係の縮図みたいなところがある。レストランでのサービスがどこまで良くなるかは、客の客としての「技量」に負うところが大きい。どんな高級なレストランでも、対等の人間同士として自然なスマイルとマナーで接したら、ウェイターも楽しく仕事ができて、自然にサービスもよくなろうというものだ。若い子がアルバイトをしているファミレスなどと違って、高級レストランのウェイターはかなり高給取りだから、年齢も高いことが多く、それだけに人生にも仕事にも経験を積んでいる。そんなプロから快適なサービスを引き出すには客もそれなりの研鑽が必要かもしれないけど、基本は何よりも真っ先に「人間同士である」ということに尽きると思う。サービスというものは、受身の姿勢で「黙っていてもしてくれる」と期待して当然のものではないのだから。

たまには一人歩きも

6月11日。仕事にひと区切り。カレシが代講に出かけた後、なくなりかけている化粧品類を買いに行く。もうすぐ夏至なのに、気温はやっと二桁の季節外れの肌寒さ。それでも、ふだんは家の中でカレシと二人だけの世界、仕事に入ればちっちゃな穴から日本を覗いているような世界だから、モールまで歩いての20分ほどは私がいて、私が暮らしている現実世界との触れなおしのような感じ。

住宅市場が活況だから、古い家が取り壊されて新しい家がどんどん建つ。住宅には建てられた年代ごとの特徴があるからおもしろい。昔は小さめの家。次に目いっぱいに床面積を取ったのっぺりした箱のような家。移民が多い東側で建ち始めたから「香港スペシャル」というあだ名がついている。次に80年代の終わりから90年代にかけては出窓や半円形の窓、八角の塔のある家が次々と建ち、21世紀に入ってからはちょっと邸宅風デザインの家が建ち始めた。家の色も一時「カリフォルニアピンク」というのが流行ったことがあったけど、今はかなりのダーク系が主流らしい。この方が落ち着いていて見た目もいいと思うけど。

家の正面は昔はオープン、垣根があっても生垣程度だったのが、今は初めからぐるりと塀を回すことが多い。アジア系に人気があるらしく、少数民族が多数民族になろうとしているバンクーバーあたりでは、新築住宅の買い手もアジア系が多くて、その好みが建売住宅のデザインに反映されているとしてもおかしくはない。まあ、うちは高い塀を回して、その外側に生垣と呼べないくらい伸び放題のシーダーの生垣という二重装備だから、人様のことはいえない。八角形の塔の先が見えるから、近所の人たちが冗談に「眠り姫の城」と呼んでいるそうだけど、ほんとにそうかも。

ジグザグと左へ曲がり、右へ曲がりしながら半分散歩。地下鉄工事の大穴は埋め戻しが始まったところもある。我が家に一番近い主要交差点は未だに爆撃でもされたようにめちゃくちゃ。どうやら想定外の出水があって、その対策に四苦八苦しているらしい。このあたりは、クィーンエリザベス公園のある小高い山からの小川がいくつも地下に埋没しているそうで、カレッジの前庭の隅にある流れと池もその名残り。そのひとつを掘り当ててしまったとしても不思議はない。それが駅の予定地でもあったから難儀しているのだろう。

デパートでどっさり化粧品を買い、地下の郵便局で私書箱にごっそりまたったメールを引き取って、家庭用品売り場をぶらぶら。カレシのセカンドキッチン用にと、すっきりデザインのペーパータオルホルダーを衝動買い。急に重くなった買い物袋を両手に提げて、それでもモールのショーウィンドウのちょっと素敵なドレスを横目で見て歩く。スパゲティ・ストラップという細い肩紐のついた黒いドレスを一度着てみたいなあ。着て行くところがないって、そりゃそうだけど、有名になったらいくらでも着ていくところがあるだろうな。ベストセラーになりそうな暴露本でも書いちゃおうか。それでセレブのパーティにご招待なんてことになったら、カレシはタキシードを着なくちゃならないだろうなあ。きっと「ヤダ!」と逃げ回るだろうなあ。あはは。次から次へと通り過ぎるウィンドウを見て、ひとりでやたらとでっかい想像を広げながら歩くのもいと楽し・・・

つれづれなる一日

6月12日。目が覚めたらまた正午過ぎ。カレシは今日は何にもしなくてもいい日なんだそうだ。レッスンの準備も買い物も何にもない。それじゃあのんびりできるね、といったら、やりたいことがありすぎて困っている、と。退職後の毎日がこんなに忙しいとは思ってもみなかった、現役の頃の方がもっと時間があった、というから、思わず吹きだしてしまった。

日なが一日テレビの前に座っているじいさんにはなりなくないって言ったのは誰だったかなあ?実のところ、カレシは毎日けっこうテレビの前に座っているのだ。もっとも、たいていはリクライナーに大の字になって居眠りしているんだけど。家の外で車の音なんかがするともう眠れなくなるのに、テレビの前ではホッケーの試合が大接戦で沸いていてもぐっすりと眠っているから不思議だ。リラックスしすぎじゃない?

私も少しゆっくり・・・と思うけど、やらなければならないことがありすぎて困る。タイミングが合わなくて仕事を断ってばかりのところから送って来た業務契約書と秘密保持契約書にサインして送り返す。大学の課目の期限延長申請を出す。とうとうコースの終了期限まで後10日。ドロップアウトを認めてもらう手もあるらしい。だけど、最初のレポートを半分まで書いたことでもあるから、1回限りの18週間の延長を申請することにした。劇団の新シーズンのチケット注文が去年の混乱のまま。電話ではちゃんと解決したはずだけど、電話の注文取りはボランティアだから、ここはやっぱり一度きちんと手紙を書いておかないとまた混乱しそうな予感。でも、このままだとあっちの方がマイナスになるんだけど、アーティストはやっぱりのんきなのかなあ・・・

庭仕事をたっぷりやって入ってきたカレシは、何か持ち上げるたびに「イテッ」、動くたびに「イテッ」。ま、最近は風邪のせいもあってあまり運動してなかったからなあ。庭で咲いた大きなバラを「プレゼントだよ」と切ってくれたので花瓶に挿してキッチンのテーブルに置いた。盛りは過ぎているけど、バラは枯れてもバラ。夕食前にいつもより大き目の「ラージ・マティニ」を2杯も作って、コリをほぐすカレシ。ディナーは韓国スーパーで買った肉とゴマソースと残っている白菜でしゃぶしゃぶ。それならば、とついでにご飯も炊いた。32年前の嫁入り道具の電気釜で、お米はアメリカ産のコシヒカリ。スーパーで750グラム入りで売っているけど、一応はちゃんとご飯らしく炊き上がる。残る方が多いけど、後でランチタイムにフライドライスにしよう。

毎日新聞オンライン版によると、ミス・ユニバースに選ばれた日本女性は「かわいくない」と不評なんだとか。勘違いしてない?最近のミスコンはルックスだけじゃない。おつむが空っぽでは勤まらない。第一、日本人受けする「かわいさ」は、やっぱり幼児的すぎて、第一印象から「頭が悪い」ということになりがちだ。先日のG8サミットの法相会議では、児童ポルノ規制が緩すぎると、日本への風当たりが強かったそうだ。さっそくローカルの掲示板で「そんなことをいうアメリカはなぜ銃の規制をしない」と反論するボケがいた。要するに、「そっちこそ○○してるくせに」と焦点をはぐらかす逃げの論理だ。ちょっと常軌を逸しているとしか思えない「カワイさ志向」と児童ポルノ規制強化への躊躇は車の両輪に見える。いくらなんでも一億総pedophile化というわけじゃないとしても、年を食いすぎないうちに少しは大人になれよなあ・・・なんていえばまた「ブスが何たらかんたら」とやり返してくるんだろうな。今の世の中、最後に笑うのは脳みその使い勝手がたっぷりの「ブス」の方だと思うんだけどなあ。自分がカワイクないからってわけじゃないけど・・・

不安症と短気はボケやすい?

6月13日。今日は出発前の最後の掃除の日。留守家のお守りをしてくれるシーラにカレシが庭のことであれこれ説明。終わったところで、今年新しくシーラのパートナーになったジェシーもいっしょに4人でビール。しばしにぎやかなおしゃべり。

メールを開いたら大学からメッセージ。あっ、終了期限の延長はできません、だって。ええ、期限がとっくに切れてるって。てっきり6月22日だと思っていたら、何と6月4日だったのだ。あちゃ。だけど、幸いというかなんと言うのか、まだ1度もレポートを提出していないということで「未了」ではなくて、「受講中止」のような扱いになる。教材が変わっていなければ、受講料だけでもう一度取り直すことができる。ああ、よかった。なにしろ必修科目だから「未了」で落としてしまったら先へ勧めなくなってしまう。中止なら、仕事の状況を様子ながめしながら、いつ再開するか決められるからいい。それにしても、思い込みは危ないなあ・・・

読売小町の『小町ショック 常識、非常識』というトピックがレスの投稿受付停止になっていた。開けてみたことがなかったけど、すごい数のレスがついたらしい。そうなると、これはちょっとのぞいて見なければ、と野次馬気分で開けて見る。小町のいろんなトピやレスを見て、「へぇ、それが常識って、知らなかった~」と思ったことを書き込めということだけど、さっそく水掛け論の常識論が登場するからおもしろい。

日本語の「常識」の観念は英語の「common sense」の観念とはまったく別のもの。常識だと思っていることがまさにその人の個人的な思い込みだったりする。要するに自分のものさし。それに合わないことを「非常識」と糾弾するかどうかはその人の視野の広さ次第なんだけど、「へぇ、そういうのもあるんだ~」とうなずく人もいれば、「許せない」と息巻く人もいる。もっとも、勝手に自分のものさしを当てて合わない人をばっさりと切り捨ててしまう人はちょっと怖い。そういう怖い人が多いみたいだから、小さな穴から日本を見ている私は「日本は怖い」となってしまう。でも、それは自分の(おそらく極端に限られた)見聞や経験を重ね合わせて思うことなんで、「常識」とは考えないけれど・・・

きのうのSUNにおもしろい記事があった。アメリカかどこかで、不安症だったり、怒りっぽかったりという、マイナス感情が強い人は、年を取ってから軽度の認知症にかかるリスクがそうでない人に比べてずっと高かったという研究結果が発表されたという話。軽度のうちはいいけれど、そこからアルツハイマーへと進行する割合も高かったという。それがほんとなら、一億総不安症みたいなアジアの某国ではそのうち一億総認知症になってしまうんじゃないかなあ・・・なんてくよくよ心配するのが良くないらしい。

カレシにその話をしたら、「ボクなんか5つのときから認知症だからね、これ以上悪くならないのさ」という返事。え、不安症より先に認知症って、なんか常識破り。だけど、カレシの物忘れは、初めっから覚えていないから思い出せないのだ。どこに何を置いたか覚えておこうという意識を働かせていないから、思い出そうにもそもそもデータが記憶されていないわけ。こういうのは「absent-minded(上の空)」なの。ま、通りかかっただけで「あ、ここに○○がある」なんて無意識に関係のないことも記憶に取り込んでしまう私みたいな「特異性認知症」もあるから、カレシが「○○が見つからない」といえば、私が「あ、それはあそこ」と、ヘンなところで呼吸があってしまうからおかしい。二人を足して二で割って、その二つを足せばひとつ、というところだろうか・・・

盛りだくさんのおでかけ日

6月14日。目が覚めたらまた正午過ぎ。今日は忙しくなりそうな日だ。銀行へ行ってポンドとユーロを買うのに旅行のファイルを見なければ、とカレシは朝食もそそくさとオフィスへ。後からのこのこと降りて行ったら、おや、何だか半パニック状態。コンピュータを立ち上げたら、ログインしろという今まで見たこともない画面が出て、だけどログインするユーザー名が表示されていないからお手上げ。どうしようと青い顔。デルのサポートに聞いてみたらといったら、何で?何でって、デルがインストールしたWindowsじゃん。電話番号知らないよ。おいおい、CPUの横にステッカーが貼ってあるじゃん。そんなやり取りの後、ヘルプデスクの助けで難なく復旧したからよかったけど、どうやらシャットダウンするつもりが、「上の空症候群」でうっかりログオフしてしまったらしい。あのねぇ・・・いや。もう知らない。

それでも、銀行でポンドとユーロの現金と(念のための)米ドルのTCを買ってひと安心。それにしても、このポンドのお札はでっかいなあ。財布からはみ出しそう。そういえば、昔の円のお札が長くて財布に入らないことがあったっけ。お札にも国際規格くらい作ったらよさそうなものだけど。札束を抱えたままRodney’sで生牡蠣の夕食。今日のはバンクーバー島東側のファニーベイの産とか。この前のよりも少し大きめで、味はずっと上だった。同じ種類でも養殖場の海水の成分が違うから味も微妙に違ってくる。それで最近は薀蓄を傾けるワイン通ならぬ生牡蠣通もいるらしい。

夕食後、Davie Streetをそぞろ歩き。お目当ては新進劇作家クリス・ガチャリアンの本の発表会。クリスは私の先生だ。レセプションがあるのはLittle Sistersという書店で、ゲイとレスビアンの本を専門にしている。この辺りはゲイヴィレッジと呼ばれているところ。カレシは「ボクは別に偏見持ってないよ」といいながらついて来た。クリスはゲイなのだ。フィリピン系でカトリックでゲイ。すごく苦悩したときもあっただろうことは想像に難くない。本は去年見に行った『Broken』。出演した俳優二人のリーディングに感動が蘇って来た。同じせりふを何度も繰り返す、詩を朗読するようなリズムが強烈なイメージを生み出すからすごいと思う。リーディングが終わって、クリスは出版者や恩師や仲間たちに感謝して、最後にお母さんに特別の感謝を捧げた。近くにいた小柄なアジア系の女性がクリスのお母さんだった。芝居には母親とゲイの息子の胸の痛むような場面がある。クリスのお母さんはその痛みを乗り越えて息子を受け入れたのだろう。とってもうれしそうに息子に拍手を送っていた。

本を買って、クリスにサインをしてもらった。「芝居書くの、止めるなよ」と。うん、書きたいの。書きたいけど、時間がない。トレッドミルで走りながら頭の中で書いているんだけど、降りると半分も忘れてしまう。初めと終わりはできてるんだけど、真ん中は生きている自分の身を自分で剥いでいるようで苦しくなるときがある。「そこでめげずにがんばれよ」とクリス。いつか作品をモノにできるかどうかもわからないのに、そういってくれるのがうれしい。ありがとうとおめでとうのビッグハグをして店を出た。

駐車場まで何年ぶりかでウェストエンドを歩いた。コンドミニアムの建築ブームなのに、ここはほとんど昔のまま。アパート群が貧弱に見えるのはイェールタウンに比べたらもう高くはないからだろうか。カレシとの暮らしが始まったアパートのところでは立ち止まって15階のバルコニーを見上げたていたら、カレシがつないでいた手をぎゅっと握って来たから、私もぎゅっと握り返した。30年を過ぎた遠い昔の感慨・・・

塞翁が馬

6月15日。またあっという間に1週間が終わる。ほんとに時の足は速くなる一方。何とか追いついているのか、とうの昔に追い越されて1周遅れて走っているのか、だんだんわからなくなる。誰だろうなあ、時間なんてものを考え出したのは。おかげで人類はバタバタ、そわそわ、じりじり、カリカリ。そんなに急がなくてもいいのに、生き急いでいるような。「ゆっくり走ろう北海道」じゃだめなのかなあ。

出発までに終わらせる仕事が2つ。な~んか気乗りがしないけど、やらないわけにはいかない。困ったな。寄り道をして、会議に持って行く名刺を作る。コンピュータ時代の恩恵のひとつがこういう一見小さなことで、90人ほど集まる予定の会議に40枚ほどの名刺を印刷する。ビジネス用の便箋なら印刷所に注文しても使い切れるけど、通訳をやめて出かけることがなくなってからは、名刺を配ることもなくなって、そのうちに名前が変わって使い残した名刺がシュレッダにかけるものめんどうなほどどっさりたまった。まあ、たまった古い書類といっしょにシュレッダサービスを呼んで処分してもらったけど、不要になった名刺というのは頭が痛かった。今はコンピュータなら折り曲げるだけできれいに切り離せる用紙を買ってきて、必要な数だけを印刷すればいいから楽なものだ。おまけにけっこう見栄えがするではないか。

ランチタイムに何かの弾みで「日本人」の話になった。ときどきほんとに「何かの弾み」で私たちの会話に登場しても、気まずくなることはもうないけれど、カレシの心の奥の奥底にまだ懲りない日本への憧れらしいものがちらりと見えると、やっぱりちょっと複雑な心境になる。そんなときはつい「あなたってほんとに日本人みたいね」と喉まで出かかったのを飲み込む。むきになって日本人を弁護して私に対抗するのに、日本人のようだといわれるのはプライドが許さないらしいから、いい加減だったらありゃしない。

それでも、生まれる時期も場所も間違えたかと思うくらい「今どきの日本人」に似ているのは否定できない。だから、似たもの同士で「ボクのことをわかってくれる」と今どきの女の子に夢中になったのかもしれない。私と会った頃はまだ今どきのように日本人の女の子と出会える環境はなかったから選り好みもできなくて、人間としての私よりも「日本人」という包み紙の方にのぼせ上がってしまい、結婚したら「こんなはずではなかった」ということになったのだろう。このあたりも今どきの結婚移民組の愚痴に通じるからおかしい。

だけど、誰かが私のことを「不治の楽観主義者」といったけど、人生は塞翁が馬。きっと私自身が知らず知らずのうちに愛する人の庇護さえないことに気がついて、自立しなれば、自分の足で立たなければと、持って生まれた強さを発揮したから今の私があるのかもしれないと思えば、カレシは私という人間を育て上げた立役者ということになる。なぜって、私も普通の人間だから、初めら心から愛されて、大事にされていたら、それに寄りかかって「しあわせ~」と甘えるだけで、自分のために何もせずに来てしまったかもしれない。もしそうだったら、カレシは夢に描いた通りの日本人妻を得たかもしれないけど、私はどうなっていたことか。人間、何が災いして何が幸いするかわからない。これからも、塞翁が馬・・・

ラニーニャは冷たい

6月16日。今日は朝からぽつぽつと雨模様。夏至がすぐそこまで来ているのに、午後3時の気温はやっと摂氏11度!今年はラニーニャなんだそうだ。去年の11月と12月に金魚の糞のようにつながってやってきたミニ台風もラニーニャのせいだったんだ。ラニーニャになると、太平洋の西側は猛暑と雨不足、東側は低温と雨過剰。なるほど、西高東低。日本では梅雨が遅れて暑いらしいのはラニーニャのいたずらか。

ラニーニャは2年くらい続くことがあるらしいけれど、その後でエルニーニョが発生したら、バンクーバーの冬季オリンピックは暖冬の最中ということになりかねない。スケート種目は屋内だから関係ないだろうけど、暖かすぎてウィスラーで雪が降らなかったらスキー種目はえらいこっちゃだろう。まあ、オリンピックは別に興味があるわけじゃないからいいんだけど・・・

またまたカナダの寿司は寿司じゃないみたいなトピックを立てたヤツがいる。「これを日本食と思っているカナダの人は変わってると思いました」とくるから笑ってしまう。だって、日本でピッツァ屋のちらしを見て、コーンやカレーや照り焼きチキンの乗ったピッツァがあったから、「こんなのピッツァだと思っている日本の人は変わってる」と思ったから、おあいこってこと。そういえば、日本ではピッツァじゃなくてピザだったかな。ところ変われば品変わる。海外での似非日本食の横行が気に食わぬと、「認証制度」をぶち上げたのは先だって自殺した農相だったと思う。お金の絡んだスキャンダルがあったらしいけど、自分が似非選良をやっていながら、他人の「似非ぶり」に憤るってのは「いかがなものか」と思うけどなあ。

掲示板の書き込みによく出てくるこの「~するのはいかがなものか」というの、一見丁重そうで実はすごく陰湿な人というイメージが沸いてくるから、言葉とは妙な生き物だ。ちょっと考えや好みが違うというだけで、友だちのはずの人を、価値観が合わないから疲れる、距離を置く、疎遠にする、縁を切る、絶縁するだと。そんな、友だち付き合いにまで肩肘突っ張っての防衛態勢だったら、そりゃあ疲れるよ。第一、「価値観が合わない」って、価値観の意味からして勘違いしてないかなあ。鏡に映った自分にそっくりな人じゃないと安心して友だちになれないってことだったら、それも疲れそうな生き方に見えるけど。「友だちが欲しい」といえばたちまち無二の親友ができるってもんじゃないし、「恋愛がしたい」といえば白馬のイケメン王子が駆けつけて目の眩むような大恋愛が展開するってもんでもないし、そもそも友だちも恋人もブランド店では扱ってないから無理。

日本語の「てにをは」は生まれてこの方日本語で暮らしている日本人にも難しいのは確かだけど、近頃の誤用乱用はすごい。恋愛「が」したいといえば、他のことはどうでもいいから何が何でもしたいのが恋愛!という意味かと思っていたけど、どうもそうではなさそうなときがある。「~が売っているところ」なんてのに出くわしては、「~が*何を*売っているところをお探しで?」と突っ込んでは笑っていたけど、あまりにも日常的に出くわすようになってツッコミ疲れの感。言葉って生き物なんだけど、生業の種とあれば疲れるからと疎遠にするわけにも行かず・・・

旅の前の腹ごしらえ

6月17日。日曜日。やっぱり朝から寒い。カレシがイギリスもアイルランドも寒いみたいだという。地球温暖化ってどこの話なんだろう。寒いおかげで庭のトマトはむくれっぱなし。せっかくたくさん植えたのにね。でも、逆にほうれん草やきゅうりにはちょうどいいらしくて、ほうれん草は何度サラダ用に葉を摘んでもまた伸びてくる。カレシはビートでもタア菜でもレタスでもそうやって小さい葉をどんどん摘んでサラダを作る。これ以上新鮮なものはない。

でも、今日は外へおでかけ。PASTISの日替わりスペシャルの日曜メニューがブッフブールギニヨンなのがお目当て。我が家でもときどき作る。かなり大量のビーフシチュー用のランプ肉を、ブルゴーニュワインをドボドボと入れた大鍋でゆっくり煮込んで、小玉ねぎやマッシュルームをどっさり入れたらできあがりという、時間はかかるけどあまり手がかからない料理なんだけど、一応は名の知れ渡った料理だし、ということでフランス料理屋のシェフのバージョンを食べてみようということになった。

手始めはいつものピコンとクロネンブール。ウェイトレスさんが「前にもご注文でしたね」という。半年くらい前の話だけど、「ピコンのビール割り」の注文は少ないから覚えていたとか。(年を食った異人種カップルというのもけっこう見覚えてもらいやすい。)注文が少ないということはいいことだ。貴重なピコンを飲ませるところはPASTISだけ。「秘密にしておいてね」といったら、口に指を当てて「シィー」。そうそう、ヒミツ。

山羊の乳のシェーブルチーズとグリーンアスパラガスと赤と黄色のビートのカルパッチオのサラダは美味。私は山羊の乳のチーズが好き。ビートも大好物だからいうことなし。カレシの前菜はタルタルステーキ。付け合せのフライドポテトを井桁に組み上げてあった。牛肉の生食なんだけど、思いのほかおいしかったそうだ。なんかこの頃は「お試し」に凝ってるみたい。イギリスでは朝食にブラッドプディングを試してみる?

ブッフブールギニヨンは大きな肉がごろごろ。それが信じられないくらい柔らかくて、こってりとワインの味がしてすごくおいしかった。ブルゴーニュワインと合わせて大満足!どうも私はあっさり味よりも、フランス風のこってりソースの味の方が性に合っているらしい。付け合せは、ふだんは(マッシュポテトよりもうんと粗い)スマッシュポテトだけど、今日はフェトチーニだって。ジャガイモと食べ合わせたことはないけれど、パスタの方がおいしいかもしれない。この次に我が家で作るときはオルツォを付け合せてみようかな。

デザートは人気のマドレーヌ。親指の頭より少し大きいくらいのミニミニマドレーヌで、まだ温かい。とっても軽くて、いくつでも食べられそう。満腹になったから、私のをつまみ食いするといったカレシ、ポンポンと口に放り込んではウマい。それで最後に残った1個をさして、「1個残しておいたよ」と。はあ、どうもどうも。

旅行に出るときは冷蔵庫を空っぽにするから、野菜もミルクもなくなって、しょうがないから外食ということになる。今回のイギリスは「まずい料理」の代表みたいなところだから、「ウマいものをたっぷり食べておこう」とカレシは言う。大陸に比べて貧弱な気候だから、食材にも恵まれなくて、工夫のしようがなかったのかもしれない。ステーキアンドキドニーパイみたいなパブ料理は大好きなんだけど、付け合せにマッシュポテトとべちゃべちゃのグリーンピースが山のように出てくるのがどうもなあ。あれにはさすがにげんなりするもの。「ママの料理と同じだ。煮すぎ、茹ですぎ」。そうそう、カレシのママのママはイギリス人だった・・・

さてさて、最後に残った仕事を片付けて、月末処理もして、「休業」の看板を出さなきゃ。

広告を知れば知るほど・・・

6月18日。お昼のニュースでまっ先に「夏はどこへ行った?」 ほんと、どこへ行ってしまったんだろう。正午の気温が10度なんて信じられない。6月の日照時間は平年なら229時間だけど、今年は未だに100時間に達していないのだそうだ。去年は280何時間もあってアウトドア派にはうはうはの初夏だったというけど、それはどうもあまり覚えていない。でも、実感として今年は寒くて雨がちなことはわかる。何しろこの季節に暖房が入っているんだから。エアコンなんか暇をもてあましてしまっているから困ったもんだ。

この頃テレビを見ていると、広告業界か何かのキャンペーンらしいコマーシャルをやっている。誇大表示はしません。うそはつきません。真実が信条で~す、みたいな。で、「広告について知れば知るほど、もっと役に立ちます」なんていうから、カレシは「その通り!知れば知るほどウソっぱちが見える!」とやっておもしろがっている。まあ、確かにそう。ちょっぴりまゆつばで見れば、おいしい話には裏があるということはわかりそうなものだけど、今どきの人間は相当な「感覚肥大」だから騙しやすそうな感じもする。

私のお気に入りコマーシャルは何年か前にあったIBMのもの。小さなシャトーがあってぶどう園が広がる中、一台の高級車が出て行く。せりふはフランス語で、英語の字幕に「もう破滅だ」と悲痛な男性の言葉。どうもワインの出来が悪くてバイヤーに拒絶されたらしい。そこへ若い娘が「心配ないわよ、パパ。インターネットで売ったから」と。カット・・・場面は風船やリボンでにぎやかに飾りつけた典型的な北米のスーパー。「フランスワイン産地直売セール」をやっているようで、どうも飛ぶように売れているらしい。マネジャーが傍らの若い男性に「あと千ケース注文した方がいいな」という。コマーシャルの終わりはいかにもブルーカラーといった感じで鼻の下にごつい口ひげを生やした男が、ちっちゃな試飲カップをつまんで、大まじめな顔で「う~ん、ピーチの芳香・・・」とやるから、そこで私はおなかを抱えて笑ってしまう。

なぜって、バイヤーが買い取りを拒否した不出来のワインをインターネット経由で売った北米のスーパーのマネジャーや店員の制服は青いベスト。青いベストといえば「ウォルマート」だ。フランスを象徴するワインと、アメリカを代表する「廉価多売主義」のウォルマートを同時におちょくったその風刺が痛烈でたまらないのだ。そういえば、FEDEXがやっていた、創業者らしい父親と二代目にしてすでに唐様のぐうたら息子のとぼけたやりとりがおかしい、すごく気の利いたコマーシャルもお気に入りだった。

だけど、最近のコマーシャルはバカっぽさが先に立っていてつまらない。まだ男が牛耳っている広告業界が、箸にも棒にもかからない、どーしょーもないアホな男たちを主役にしたコマーシャルを量産していること自体が不思議だけど、ビールのコマーシャルのように幼児性丸出しの男が登場するコマーシャルで男性消費者に売ろうというのだから、いったいどういうことになっているんだろう?ひょっとしたら、広告業界の、いや平均的今どき男の知性水準を反映しているってこと・・・ないだろうなあ。ありえないよね?

立つ鳥はバタバタと

6月19日。きのうの「夏はどこへ行った」のニュースが効いたのか今日は久しぶりにいい天気。日が照ればそれなりに温度も上がって初夏の感じがする。旅行に出発する前日ともなると、なぜか何やかやと忙しいから不思議。たったの10日ほどの予定で、世界一周に行くわけでもないのにと思いつつ、それでもメモに書いておいたことだけはやっておかなければならない。

まずは洗濯。次にモールへ行って私書箱を空っぽにして、ついでにトラベルサイズの歯磨きとシャンプーを買う。この頃は液体類の持込みがうるさいけど、それに応じてトラベルサイズが出回るしくみになっていて大助かり。次に銀行のサイトにログインして、月末までに期限が来るクレジットカードや電話料金の支払を設定しておく。トしておく。これも何でもオンラインの時代になって大助かり。昔はママの家に郵便を転送して、サインした小切手を預けて、金額だけ書き込んで送ってもらっていた。それから、6月分の請求書を送って、最後に留守家のお守りをしてくれるシーラのためにパンを焼いて終わり。残るは荷物をまとめる作業。

カレシとありあわせの夕食をしながら、旅行に行くのに昔ほどわくわくしないのはどうしてだろうかという話になった。目的地に着くまでが楽しみの半分という時代もあったけど、やっぱり二十一世紀はテロリストの時代。ああだこうだと規則が制限がややこしくなって旅の楽しみも半減というところか。まあ、もう若くないという要素もあるんだろうけど、そこのところは黙っておこう。

それに、若い頃の旅行といっても、日本ばかりで、私にとっては確かにほんの何日でも実の家族に会えてうれしかったけれど、それ以外に楽しい思い出があまりない。どこへ行ったのかも思い出せなかったりする。私の家族に会う時間さえ、カレシにとっては貴重な休暇のむだにすぎなかったのか、削られて削られてほんとうに着いたと思ったらもう帰るような感じだった。不機嫌なカレシをなだめすかす旅だったのは、日本では私がカレシにとって邪魔な存在だったことに気がつかなったからなんだけど。

両親ともとっくに他界して、「実家」と呼べる家がなくなった今、毎年「当然の権利」と大手を振ってひと月もふた月も「里帰り」しているらしい今どきの「国際結婚専業主婦妻」をうらやましく思わないでもないけれど、これは別の世代の、まったく違う時代の話だ。でも、来年こそは私も「里帰り」をしよう。あれから10年経つ。私だってまだ日本に家族がいるんだし、カナダの年金をもらうには日本の除籍謄本が必要だし、まだ挨拶に参上していないクライアントがあるし。うん、たとえ1週間でもいいから、来年こそ日本へ行こう。

会議は今年18回目。初めて参加したのが第3回だったから、隔年で日本の外で開かれる会議は同窓会の感じもする。織女と牽牛みたいに会議で会う親友はもうロンドンに着いている頃だろう。前回はシカゴからニューヨークに繰り出して遊んだ。今回はイギリスからアイルランド。おばさん二人が道連れでカレシはどう思っているのかは知らないけど

さて、それでは7月までこのブログもお休み・・・