リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年6月~その3

2013年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
駆け込み寺じゃないんだけど

6月24日。月曜日。雨。しょぼしょぼなどという半端なものじゃなくて、本気で降っている雨。ポーチの温度計は正午を過ぎてやっと13度。こんな調子じゃあ、暖房が入るんじゃないのかなあ。春が長引いているどころか、夏をスキップして秋深し・・・。

朝食を済ませてオフィスに直行。きのう、真夜中に飛び込んで来た急ぎの仕事をやっつけなければならない。真夜中前後は日本では1日の仕事が終わりに近づく頃で、よく「やる人がいない」と駆け込みの仕事を持ち込まれる。それを「ま、いいか」と引き受けてしまうもので、「あそこならやってくれる」と駆け込みが増える。ワタシは翻訳駆け込み寺じゃないんだけどなあ。たまたまのんきに書いていたブログを中途半端なままアップして、仕事。でも、ブログの最後がどうしても気になるので、何行か仕事をしてはブログの手直し。偉い人の意味深長な言葉の話とお金を動かす仕組みの話の「深くて暗い川」を行ったり来たりで、仕事の方は結局4分の1くらいしか進まなかった。

それで今日は初っ端から焦ったわけだけど、期限は日本の正午だから、こっちの午後8時。途中に夕食の時間が入るので、初めからハイギアで行かないと頭の中の時計のコッチ、コッチがだんだん大きくなる。そうやってワタシが仕事に没頭しようとするとカレシが「かまってチャン」になるのはどうして?でもまあ、それを何とか跳ね除けて、午後5時に完了。少し余裕ができたので、普通に夕食の支度をして、普通に食べて、普通にコーヒーを飲んで、見直しをして、午後7時40分、「送信」ボタンをカチッ。「退職してからの方が忙しくて時間が足りない」とカレシがよくぼやいているけど、ワタシはまだ仕事に追われてご隠居さんをやる時間が足りない。やれやれ、熟考の末に決めたこととは言え、半現役(75%現役?)というのも楽じゃない・・・。

リビングのテレビの前で居眠り中のカレシに「終わったよっ」。「へえ、また失業?」と、ワタシの仕事が終わったとたんに「かまってチャン」モード解除になるカレシ。しばらく一緒にテレビの24時間ニュースを見ていたら、100年に1度あるかないかの大洪水に見舞われたアルバータ州で、被災者たちが助け合いながら泥まみれになった家の修復作業を始めているという話。前例のない大災害で、被害総額は30億ドル(3千億円)とも50億ドル(5千億円)とも言われる。アルバータはカナダの石油・エネルギー産業の要で、その中心都市のカルガリーの中心部が冠水して経済活動はマヒ状態。カナダ経済の6月のGDP成長分からだけでも推定20億ドル(2千億円)が吹っ飛んだ勘定だそうな。

ところで、猫に九生ありというけど、町全体が被災したハイリバーで、水没するトラックから間一髪で脱出して、飼い主と一緒に泳いで助かった猫のモモ。こうして写真を見ると、なんだか堂々と泳いでいる感じだなあ。[写真]

飼い主のイェーツさんは避難の手伝いに出かけて何日かハイリバーに留まるつもりだったので、運転免許証もクレジットカードも現金も、iPodも2台のラップトップもスマホも全部無くしてしまったという。トラックは濁流の下で道路にできた陥落穴に落ち込んだのではないかと言われていて、見つかったというニュースはまだない。濁流は泳いでいて足が地面に触れないくらい深かったとか。共に九死に一生を得て、実家でくつろいでいるイェーツさんと泳ぎ猫のモモ。[写真] (Canadian Pressから拝借)。

よかったね!

夢は心理状態もデフラグするのか

6月25日。火曜日。雨は降っていなかったけど、今日もぐずぐずした天気。去年のちょうど今ごろの記事を読んで、え~っと思ったけど、なあんだ、去年もこんなような天候。ますます(ここだけ)地球寒冷化とか?

ヘンな夢を見ていたような気がする。まだホノルルでの会議の記憶が新鮮なのか、知っている人たちが大勢いて、がやがや。でも、ワタシが持っていたものがなぜか次々と壊れるから、ヘン。それを「預かって」くれる男性たちがいて、ますますヘン。おまけに肝心のカレシの姿はない。どうやら別のホテルで落ち合うことになっているらしいけど、ワタシの携帯まで壊れて連絡が取れない。そのうちに女性たちでおしゃれなレストランに入って、カレシとちゃんと落ち合えるか心配だと言ったら、ひとりが「向こうから探して来るから、大丈夫よ」。あっ、それもそうね・・・と、ヘンに納得したところで目が覚めた。結末を知りたいのに、夢って、どうしてこれから!というところで覚めるのかな。

昔は急にいなくなったカレシを必死で探し回る夢を何度も何度も繰り返して、かれこれ10年以上も見たもんだけど、今度のは「カレシの姿が見えない」のに、「どこかで落ち合うことになっている」(探さなくてもいい)という安心感が加わって、さらには「カレシの方からワタシを探して来る」(待っていればいい)という、何とも泰然とした態度。なんだかずいぶん風向きが変わったというか、それとも雲行きが怪しくなったのか、カレシが聞いたらギョッとするんじゃないかなあ。だって、ワタシの深層心理に変化が起こっているのかもしれないよ。(壊れものを預かってくれた男性たち、あれは何なんだろう・・・?)

夢の中でも仕事をしていることはよくある。たいていは言葉の意味がわからなくて、ああだこうだと考えているうちに、ああ、納期まで時間がな~い、どうしよ~、ということになったり、長ったらしいセンテンスを訳すのに四苦八苦していたりする。難しい言葉と格闘して、ややこしいセンテンスをねじ伏せて、やっと自信を持ったところで目が覚めてみたら、現実の仕事の難題とはまったく関係なくて、起き抜けから「骨折り損のくたびれもうけ」のような気分。そういうときは、何とも因果な商売だなあと思うけど、あんがい、予てからもっと適訳はないのか、もっとしっくりする表現はないのかと知恵を絞っていた課題が解決したりするから、夢のパワーは侮れない。

夢は記憶を整理するための脳内デフラグだと言われるけど、夢の中で眠りに落ちて夢を見るのはいったい何をデフラグしているんだろうな。実際に何度かそんな夢を見た。友だちと話し込んでいるうちに眠ってしまって、何とも奇怪な夢を見て、はっと目が覚めて、友だちに「ヘンな夢を見ていた」と話しているうちに現実に目が覚めて、「ヘンな夢を見た」ということになるんだけど、階段を降りて行くような感じでもあった。そういえば、黙想して浮かんだことをストーリーにまとめる創作講座では、デール先生に引導されて、心の奥深くにある自分の「聖域」に向かって、ゆっくりと「階段」を降りて行った。あの「聖域」は静かで、穏やかで、平和だった。あんがい、眠りの中でもそうやって自分の聖域へ降りて行こうとするのかもしれない。

ワタシは悪夢と言うものを見ることはあまりないんだけど、カレシとのことで人生が修羅場のように思えていた頃は、得体の知れないものに追い回されたり、押し入ってこられたり、しがみつかれたりして、半狂乱で逃げようとする夢を何度も見た。精神的に落ち着いてから下手の横好き流で絵を描くようになって、あの「得体の知れないもの」を描いて見た。

[写真] これを見て「何だか聖母のように見えない?」と言った人がいてびっくりしたけど、もしかして、あの「得体の知れないもの」がワタシの脳内でそんな風にデフラグされたのかなあ。夢って不思議・・・。

雑学は何でも屋のライフライン

6月26日。水曜日。起床は午前11時20分。よく眠っていたのに、カレシに突かれて目が覚めてしまった。せっかくまたおもしろそうな夢を見ていたのに。夢を見るのはレム睡眠のときで、そのときは脳は情報のデフラグで忙しいかもしれないけど、体の方は徹底してリラックスしているんだそうな。システムのメンテナンスみたいなものかな。

夢の解釈に関しては、夢占いから心理学までいろいろとあるけど、嫌な夢や怖い夢を見るのは、心身がストレス状態にあるという「警告」でもあるらしい。そういえば、最近は嫌な夢も心臓がどきどきして目が覚める怖い夢もほとんど見なくなったな。精神的に落ち着いたということなんだろうと思う。ヘンな夢のうちで一番不思議だったのは、自分が殺されてしまった夢。いきなり後ろから頭をガンっと殴られて殺されて、うつ伏せに倒れている自分の死体をまるで体外離脱体験のように見ていた。恐怖感はまったくなくて、妙に「静穏なり」という感じだったな。聞くところによると、自分が殺される夢は、「再生」や「転機」、「問題解決」を示唆する幸先のいい夢なんだそうな。でもなあ、たしかに吉夢は何度でも見たいと思うけど、自分が殺される夢ってのは、やっぱり一度でいいよね。

今日もまた前夜の駆け込み仕事の仕上げで1日が始まる。今度のは小さいから余裕たっぷりで仕上げられるんだけど、内容がまた小町の掲示板に出て来そうな話。やっぱりこういうことが現実にあるんだなあと改めて感心。企業内部の文書だから、当然職場での人間関係が根本問題なんだけど、そこには先行きの不安に始まって、仕事や人間関係に関する不平不満、憤りやら妬み、恨みがてんこ盛り。これが普通の日本企業だったらもっとどろどろしているのかなと想像を逞しくしつつも、もしかしたら(匿名だから)小町の書き込みを拝借して来たんじゃないのかと勘ぐってしまう。小町横町の世相はいつも十分にどろどろしているけど、こういう話を現実のこととして聞くと、やっぱり社会全体がどこかで深く傷ついて、イライラと閉塞感に苛まれているような印象は拭えない。

日本の80年代のバブル景気は経済よりも社会と人間に大きな禍根を残したというのがワタシの持論みたいになっているけど、家族や夫婦、友だち、同僚と言った人間関係の底に疑心暗鬼と憤懣、嫉妬がどろどろと淀んでいるような感じがする。井戸の外から見ただけの印象ではあるけど、他人とどう接したらいいのかわからなかったり、他人との距離や境界をつかめなかったりする人たちが多い。まあ、バブルだけが諸悪の根源ではなくて、不運にも人生の基盤を築く時期が「失われた20年」と重なってしまった世代や、世の中を渡って行くために必要な「知恵」を身につけられないまま大人になった「ゆとり教育」世代が社会の中核になりつつあることも大きな要素なのかもしれない。

ま、こういときの参考に小町横町の掲示板を読んでいたわけじゃないけど、何が重宝するのかわからないのが何でも屋の雑学データベース。仕事の方はしゃかしゃかと2時間ほどで仕上げて、さっさと納品。「営業中」の札をくるっとひっくり返して、「本日の営業は終了しました」。だって、今夜はシーズン最後の芝居『Avenue Q』のオープニングナイトで、6時半から「芸術監督サークル」のレセプションがある。10年ほど前にブロードウェイでトニー賞を受賞したという異色のミュージカルということで、なんとなく、アメリカの「ゆとり教育世代」の自分探しのようなところもあるけど、社会風刺がふんだんに込められているとか。昔、土曜日の朝にNHKで『セサミストリート』を見ていたワタシだし、楽しみ・・・。

国際化がカタカナ英語にならないのはなぜ?

6月27日。木曜日。目覚ましが鳴らなかったけど、午前11時40分に目が覚めて滑り込みセーフ。木曜日専用の目覚まし時計の電池がなくなって、アラームを鳴らせなかったらしい。まあ、10分の寝過ごしで済んだのは何より。今日も湿っぽいけど、三連休になるこの週末の予報は最高気温が何と25度から27度。カナダ建国記念日の7月1日はいつも「夏解禁」のような日ではあるけど、それでも急だなあ・・・。

さて、今日もきのうのファイルの続きの駆け込み仕事で1日が始まった。発注元のご指名でワタシが専属みたいになっている関係上、ひとつ問題が起きると次々とレポートが書かれ、英訳発注となる。外資なので日本語が分からない人もいるからそういうシステムになっているんだろうけど、小町横丁に貼り出されるような箸にも棒にもかからないような類の苦情を、きちんと調べてレポートを上げる姿勢は欧米系外資のいいところかもしれないな。日本企業だったらそうは行かないだろうと思う。まあ、ワタシの日本企業経験は田舎のお殿様会社での10ヵ月だけだし、長いこと日本の世間の風に当たっていないから、ほんとのところはわからないけど。

グローバル化で日本で営業する外国企業が増えたのか、技術や財務、法務とは別の部門で「社外秘」的な翻訳需要が出てきたのかもしれない。昔は英文秘書といった職があって、ワタシも英文秘書を養成X
する学校に行って、そろばんや簿記と並んで欧米式の秘書業務を一応ひと通り学んだわけだけど、今は「英語ができる」人も翻訳者もごまんといるらしいから、特に「英文秘書」なんて職種があるのかどうかわからない。ワタシのときだって、東京じゃない地元での「英文秘書」の需要はないに等しかったな。まあ、「国際化」なんてまだ流通していなかったし、秘書の募集広告にはくまなく「容姿端麗」という言葉が入っていた頃の話だけど。

もっとも、ワタシは未だにこの「国際化」が実際にどんなものなのか分からないでいる。ビジネスの場合はグローバル化と同義語のようなものだろうとわかるけど、一般の感覚で言うと何なんだろうな。ひんぱんに海外旅行に行くことが国際化?「英語ペラペラ」になることが国際化?語学留学やワーホリにでかけるて海外生活をするのが国際化?それとも、外国人の友だちをつくることが国際化?何をするのが国際化なのか?はっきりした「国際化」のイメージがわかないんだけど、この「国際化」を「internationalization」訳されるとますますわからない。でも、日本ではあれだけカタカナ英語が溢れているというのに、「国際化」はなぜか日本語のままなのはおもしろいな。

そのカタカナ英語を使いすぎると、正しい日本語の牙城だと思っていたNHKが訴えられたとか。これに対してNHKは「コメントできない」と言ったそうな。カタカナ英語は、元が英語だから翻訳者には便利なように見えるけど、実はカタカナ化のパターンによっては翻訳者泣かせ。カタカナ化した上で4文字か3文字に短縮したものと、日本的イメージが透けて見える和製英語には悩まされることが多い。前者は元の英語がわからないと訳せないし、PRや広告などによく出てくる後者は元より英語的な英語じゃないからわかるわけがない。そういうカタカナ語の巣窟になっているいわゆる「ガーリーマガジン」の翻訳を頼まれることはないからいいけど。「エロ雑誌」の翻訳をしているなんて、口が裂けても人に言えないもんね。

言語に関する「愚行」となると、カナダのフランス語圏ケベック州の「言語警察」がダントツの一番かな。フランス語を守るというよりは、フランス語以外をケベックから駆逐しようと躍起のようで、コメディタッチの摘発をやっては、カナダ全国は元より外国にまで笑われている。イタリア語の「パスタ」をフランス語に変えろ。レストランの壁の絵に英語の単語があるから外せ。アメリカ系ヨーグルトチェーンのプラスチックスプーンは英語かどうかを捜査中。政府がこれだから、大手スーパーのある店では店長が完璧にバイリンガルの英語系の店員に休憩時間も含めて店内での英語使用を禁じたという話まで出て来て、呆れられている。

もっとも、英語そのものでも、昨今はヘンな英語が増えているから、人さまのことは言えた義理じゃないんだけど、名詞の「動詞化」は流行りのような観さえあって、綴りや文法までが怪しくなって来ている。まあ、言葉そのもののコミュニケーション力が低下しつつあるようにも思えるけど、この調子だと、いくら国際化のかけ声の下で英語を勉強しても、変化が速すぎて追いつけなくなる日が来たりして・・・。

自然体で気楽にね

6月28日。金曜日。目が覚めたらもう午後1時。うわっ、9時間も眠っちゃった。曇り空だけど、何やら暑くなりそうな気配。天気予報は「猛暑」になると恐ろしいことを言っているけど・・・。

起きるのが遅かったけど、夕食をその分だけ遅くすればいいしということで、予定通りにチキンベーコンと目玉焼きで朝食。ときには朝から良質のたんぱく質をしっかり取らなきゃね。

連続ドラマみたいに入ってくる仕事がひとつ残っているけど、日本はもう週末だから後回しにして、今日はのんびり。電話が鳴って、久しぶりにカレシの友だちのイアンからのよう。ハワイの話に始まって、飛行機がどうの、ホテルがどうのと、あれこれ旅行の話。そのうちに、

「どうなんだろうなあ。引退するとかしないとか言ってはいるけどね・・・」。(あれ、もしかしてワタシの噂話・・・?)「まあ、なんかフツーに仕事を続けている感じだな・・・」。(あ、やっぱりワタシの話・・・。)「そうなんだよ。得意先にそこを何とかと言われると断れないタチだからね・・・」。(だって、だって・・・。)「それでも少しは仕事を減らしているようだから、いつかは引退するんじゃないかな」。(あはあ、わかってるんだ。そうそう、そのうちいつかね。)「オレはけっこう忙しくしてるけど、そっちは?」

2人の話題は自分たちの隠居暮らしの現状の方へと流れたらしい。それにしてもまあ、「引退するの?」、「いつ引退するの?」と、外野席のうるさいこと。今年のワタシの方針は「play it by ear」、つまり、臨機応変にぶっつけ本番の出たとこ勝負。まあ、この先の人生は自然体で気楽に行こうじゃないのってところなんだけど。

「どこへ行くの?」郵便局。不在通知が入っていたから取りに行くの。エアマイルのポイント交換で注文したコーヒーメーカーだと思うよ。「へえ、もう来たんだ。ところで、今晩のディナーは何?」生ちらし。ご要望にお応えして・・・。「おっ、やった。合いそうなサラダを考えとこう」。

ま、今日は「ご隠居さん」モードで行こう。では、運動をかねて郵便局までひとっ走り・・・。

急に暑くなって来た

6月29日。土曜日。目が覚めたらもう正午過ぎ。かなりの汗をかいていた。ベッドルームの温度はもう28度。ずっとぐずぐずしていたせいか、けっこう湿度があって体感温度は高く感じる。さっそくクーラーをオンにしたけど、はあ、予報通りに「猛暑」になるのかなあ。暑くなる~と言われただけで、もうなんだかかったる~い気分・・・。

アメリカ南部はすごい猛暑。ラスベガスは46度、アリゾナ州のフィニックスでは48度、テキサス州も軒並み40度で、カリフォルニアの保養地パームスプリングスは何と50度。地球上での最高気温(57度)の記録を持つデスヴァレーでは51度を超え、週末には55度まで上がるかもという予想で、迷い込んだらあっという間にミイラになりそうな、文字通り「死の谷」。ジェット機が安全に飛べるのは52度が限界だそうで、航空会社は温度計を睨んでやきもきしているとか。アメリカは温度の単位に頑固に華氏を使っているから、38度を超えると数字が3桁になる。摂氏50度は華氏では122度。もう数字を見ただけで重篤な熱中症になってしまいそう。この猛暑、アリゾナからネヴァダ、ユタ、モンタナへと北上しているそうで、だらだらと春をやっていたバンクーバーが急に暑くなったのも、どうやらその影響らしい。

カレシは暑くて庭仕事ができずにやきもき。水遣りだけで「暑い~」と飛び込んで来る。我が家のあたりの戸外の気温はせいぜい25度なんだけど、「蒸し暑いんだよ。まるで東京みたいなんだよ」。そういえば、去年、台風が通過した翌日は蒸し暑かったな。でも、東京みたいだと言えるほどには、日本の蒸し暑さを経験してないじゃないの、私たち。「じゃ、オタワに訂正。まるでオタワみたいだ」とカレシ。あ、それならわかるな。夏の蒸し暑さに耐えられなくて、将来有望な連邦政府統計局の職を2年で放り出してUターンして来たんだったね。なにしろ、東部のトロントやオタワは日本の夏に劣らないくらいの聞きしに勝る蒸し暑さらしい。(ワタシは乾燥していればいくら暑くてもいいけど(といって40度はごめんだけど)、蒸し暑いのはたとえ25度でもへたれそう・・・。)

庭仕事で運動するには暑すぎると、今日はカレシもトレッドミル。しばらくピコピコやっていたかと思ったら、「お~い」。はいはい。もう3、4回、ステップバイステップで設定の仕方を説明したんだけどなあ。他のことはちゃんと覚えられるのに、ミニ耕運機だって説明書を読みながらちゃんとひとりで組み立てられたのに、DVDレコーダーだって、iPodだって、ちゃんとひとりで操作を覚えたのに、家の中にあるキカイの操作だけは、いくら手取り足取りで手順を説明しても覚えられないのって、ほんっとに不思議で、不思議でしょうがないんだけど、どうして?

何だかんだと言いながらカレシがトレッドミルを使い終わるのを待って、ワタシも今日の運動。傾斜を上げながら時速3.5マイル(5.6キロ)で15分のウォーキング。傾斜が4パーセントになると坂道!という気分になって、じわじわっと汗が出て来る。今日は暑いから、同じ運動量でもいつもより汗をかいた感じ。でも、運動が終わって、ウォータークーラーの冷たい水をぐいっと飲んで、熱いシャワーで汗を流すのは実に快適。さっぱりして、あ~っとなったところで、夕食の準備の時間。まずはカレシ特製の冷えたマティニを一杯やって、ああ~っ。カレシのマティニの腕はプロに勝るとも劣らずだけど、オリーブは塩辛いのがどうかワタシの顔がくしゃっとなるので、中のピメントだけ食べて空っぽになったのをカレシに、はい。

今日のメニューは夏ばて防止に「豚肉のしょうが焼き」。ときたま脂っぽいものを食べたくなるので、脂の多いばら肉も(脂身が嫌いなカレシに分からない程度に)少し混ぜてしまおう。夕食が終わったら、残っている連ドラの仕事をしゃかしゃかっとやっつけてしまおう。やっぱり目の上のたんこぶのように邪魔っけでのんびりし切れないから困ったもんだ。調子に乗ったついでに月末処理もやろうかな。あしたは6月最後の日で、もう1年が半分終わり・・・。

年と共に穏やかな日常に戻って行くのか

6月30日。日曜日。暑い。前庭は西向きでまだ日が当たっていないのに、ポーチの気温は正午にはもう24度。南からいっぱいに日が当たる裏庭はとうに30度くらい行ってそう。水遣りをしているカレシに声をかけようと、裏のポーチに出たら、わっ、暑っ。うっかりアルミ被膜の敷居を踏んだら、かかとをちょっとやけどしたようで、しばらくの間ひりひり。バンクーバー市内で30度はめったにないから、もうこれは猛暑日。

今日で6月が終わり。というころは1年の半分が終わり。いやあ、早いなあ。だんだん早くなる感じがするのは、やっぱり年なのかな。そういいながら、月末処理。Excelのログを開いて、6月の記録を年間累計のシートにコピーして集計。半年で漠然とした年間売上げ目標の半分。後半年このペースで行けば、今年は8ヵ月分の年金と合わて23年間の平均収入の65パーセント。先細り式引退計画はまあまあの出足というところ。日本は月曜日の朝なので、ささっとインボイスを作って、きのう片付けた納品ファイルと一緒に送り出して、カレシが言うところの「失業中」。

外はとにかく暑いのひと言に尽きるんだけど、家の中はメインのサーモスタットが27度になっているのに、意外と涼しく感じられて、汗もかかないから不思議。二階でクーラーをかけているので、冷えた空気が階段を伝って一階に下りてくるようだし、その排気で常時換気装置が取り入れた外気を冷やして家中に循環させるからだろうな。半地下のオフィスはだいたい夏涼しく、冬暖かいので、室温は年中あまり変わらない。外が猛暑のときは「引きこもり」を決め込むのが一番(といって、ハワイではかんかん照りの中を歩き回って盛大に焼けて来たくせに・・・。)

家の中は快適なのに、気分的「暑い」せいか、せっかく仕事のINBOXが空っぽになっても、特に何をしたいというと言う気持にならない。午後いっぱいだらだらしていて思い立ったのが、ゲームのアプリを探してタブレットにダウンロードしようという、何とも「遊びモード」満開のアイデア。マージャンとソリテアはあるけど、何かおもしろそうなのがないかな。ウィンドウズよりも前のDOSの時代によく遊んだような、ピーコ、ピーコ、ドカンとUFOを打ち落とす単純なゲームがいいかな。探してみると80年代終わりの古いDOSのゲームを今の機械で使えるように手直ししたものがけっこうあるのでびっくり。でも、カラフルになって、黒い画面にオレンジ色だった頃とは雰囲気が全然違う。

結局はグーグルのプレイストアでタブレット用の「Scrabble」(スクラブル)をダウンロード。ワタシが生まれた年に作られたというクロスワードパズル風のボードゲームで、アルファベットの文字のタイルを組み合わせてボードの上に単語を綴って、各文字の点数とボードの上のマスのところどころにあるダブルやトリプルのおまけ得点を足して、タイルがなくなったときの合計点数で勝敗を決める。見つけた(広告満載の)無料ゲームはエレクトロニックアーツのもので、オフラインで2人のプレーヤーの順番を1人でやれるからおもしろそう。

もうずっと昔になるけど、夕食後のひとときや週末にカレシとよくこのスクラブルをやったな。板紙のボードに木のタイル。得点はメモ用紙に手書き。あの頃は住宅ローンを抱えた普通の若い共働き夫婦だったから、コンサートやレストランに行けるような余裕がなくて、(見られる番組が多かった)テレビを一緒に見る以外、2人の娯楽はもっぱらゲーム。カードゲームのジンラミーやクリベッジもずいぶんやったし、チャイニーズチェッカーもずいぶんやったし、バックギャモンもやったし、チェスもやった。(チェスだけはカレシに勝ったことがないけど。)なつかしいな。あの頃の私たちの日常は貧乏なりに穏やかだったな。

はて、加齢と共に私たちはまたあの頃のような穏やかな日常に戻って行くのかな。あんがいそれぞれのタブレットでそれぞれにゲームをしていたりして。で、ときどき互いに「勝ってる?」 「いや、負けっぱなし」なんて笑い合っていたりしてね。それもまあ、穏やかと言えば穏やかでいいか・・・。


2013年6月~その2

2013年06月25日 | 昔語り(2006~2013)
とうとう初めての年金が来た

6月6日。木曜日。午前11時30分に目覚ましで起きるいつもの木曜日。ポーチの気温はもう18度。最高気温は23度の予報。ハワイみやげの夏の空、かな?

でも、あっというまに日常に戻ってしまったような感じがする。「お帰りなさ~い」と、やけに大きな仕事がど~ん。10日以上かかるような量を正味6日でやろうというわけで、まさに昔のままの「日常」。もっとも、このクライアントについてはこれから専門にすると決めた分野だから、むげにノーとも言えないけど・・・。

ハワイから帰って来て、いの一番にチェックしたのが銀行の口座。あっ、来てる!ワタシの年金、ちゃんと入金していた。はあ、何となく肩の荷がほろっと落ちたような気分。カレシの年金3つ、ワタシの年金2つを合わせて、ざっと46万円。この先、カレシは期限の来年、ワタシは6年後に、それぞれが積み立てた個人年金を月々の年金に転換することになっていて、最終的に年金が7つ。

どうやら悠々自適の老後が送れそうな感じだから、それまではやりたい仕事だけをやって、2人で楽しいことをする資金を稼げばいい。明日をも知れない自営業の身で、ああ、ワタシもやっとここまで来たんだなあという感慨のようなものも沸いて来る。うん、life is good(人生はいいものよ)。

だけど、ほんとにいいのかなあ、こんなに大量の仕事を引き受けたりして。酷使してきた指の関節炎がしくしく痛むし、今さら徹夜なんかしたくないし、でもまあ、まだ半現役のワタシ。ここは腕をまくって、やるっきゃないな。

ハワイで見つけた「おかげさまで」

6月7日。金曜日。寝ている間に雨が降ったようで、何となく曇り空。ポーチの温度計は正午で15度。もうあと2週間で夏至だというのにね。

ひとつの案件だけど日程がきっしぎしの仕事に本格的にかかる。たしかに大量だけど、ハワイ行き前にうんうん言っていたお役所的作文のような、髪の毛を引き抜いて苦悶するような内容ではないので、とりあえず頭から訳し始めた。きのうは一応の「ノルマ」は達成しなかったけど、何とかうまく進んでいるので、つい楽観視。あたふたせずに、いざという場面になったら、しゃあねぇなぁ~と肩をすくめて、出口を探るのが極楽とんぼ流。まっ、なんとかなるっしょ。

ハワイでの会議では、アリヨシ元州知事が基調講演の中で特に感動した話があった。ハワイの日系人の間でよく使われ、日系人の「精神」としてしっかりと生きているという、「オカゲサマデ」という言葉。英語ではおおまかに「I am what I am because of you」(このワタシがあるはあなたのおかげ)と訳されているそうで、何とも絶妙な訳だと思った。そこには「誰も他の大勢の人たちの助けなしでは何も達成することができない」という思想が込められているそうな。過酷な労働環境を助け合って生きて抜いて来た日系移民たちが人生の黄昏で「Life is good」というとき、その心の底にこの「オカゲサマデ」という気持が息づいているんだろうな。

「おかげさまで」。ワタシが子供の頃には周りの大人があたりまえのように使っていたように思う。お元気ですか?おかげさまで・・・。風邪はどう?おかげさまで・・・。お仕事はどう?おかげさまで・・・。何につけても「おかげさまで」で始まったポジティブな応答。ずいぶん長いこと聞いていないような気もするけど、日本では、今でも使われているんだろうか。小町横町などで使われる「おかげで」は、何となく攻撃的というか、責任転嫁というか、他人を指弾するような、ネガティブな印象を受けることが多い。言葉遣いはそのときどきの世相を表していることが多いと思うんだけど・・・。

「おかげさまで」は他人への感謝の気持があるのに対して、「おかげで」は自分は(○○のせいで)不快な状況に陥った、恥をかいた、損をした、迷惑した、辛い、苦しい、疲れた、夢がかなわない・・・。「さま」が抜けることによって言葉の極性がポジティブからネガティブに変わって、自分の身に起きた不都合や不快感、不幸せ感の原因を他人やモノに転嫁する表現になったんじゃないかというのは、ワタシの考えすぎかなあ。もしかしたら、日本の日本人は、バブル景気の高揚感から長い閉塞感へと、社会の(遠くから見ると)急激な変化にもまれているうちに、「おかげさまで」の「さま」をどこかに置き忘れたのかもしれないな。

ハワイで出会った「おかげさまで」。忘れないようにしたいな。カナダに移民して来たワタシの人生にもいろんなことがあったけど、幸せになるために来たんだからと、幸せになるためにがんばった。カナダの国も社会も文化も人もみんなワタシにはやさしかった。いろんな人たちの助けあったから、がんばれたんだろうと思う。おかげさまで、life is good。そう、Life is good here。まだまだがんばって、幸せ貯金の恵みを心ゆくまで楽しんで、おかげさまでlife was goodと言って逝けたらいいなあ・・・。

アドレナリン大放出!さあ、いらっしゃい!

6月9日。日曜日。きのう、おとといとちょっと下り坂の天気で肌寒かったけど、今日は何とか初夏の気候。まあ、どっぷりと仕事に浸かっているときは、外の天気なんかどうでもいいんだけど。

夕方、予定通りにだいたい半分を納品。予想にたがわず9000語を超えちゃったけど、訴訟関係の文書は口数が多いからしょうがないな。原稿の量はほぼ4万字(原稿用紙100枚を隙間なくびっちり埋めた量)で、経験則では日本語の2字あたり英語1語。つまり、英語2万語の文書ができる勘定で、普通にちんたらペースでやればほぼ10日かかる作業量。

それを6日でやっつけようというわけで、半量を3日で済ませたということは、今のところ「想定どおり」。がきっと集中すると、どんどんアドレナリンが出て来て、モチベーションが糸の切れた凧みたいに天高く舞い上がって、やたらと元気もりもりになる。指が痛いのも、肩が凝るのも、目がしょぼしょぼするのもどこ吹く風で、しまいには鼻歌交じりでキーをバンバン。ま、こういうストレスには強いたちなのかもしれないけど、それを20年以上もやっているのは、やっぱり左巻きの極楽とんぼといったところか。

カレシ曰く、「頭の上でドルのサインがくるくる回っているのが見える」。うん、ワタシ、お金を稼ぐの、好きだもんね。お金はモチベーションを上げる特効薬。生活のためじゃなくて、楽しいことをするために稼いでいると思うと、ますますモチベーションが上がって、アドレナリンもますます大放出。なんだかパチンコ屋の「軍艦マーチ」が華々しく聞こえて来そうだけど、よし、あと半分、がんばるぞ。もしかして、ワタシはadrenaline junkieなのかな・・・?

忙しいときは思いつきのぐうたらメニュー(6月3日~9日)

6月10日。

6月3日(月曜日)
* 朝食: ジュース、シリアル、(パンがないから)パネットーネ、コーヒー
* 夕食: スティールヘッドの照り焼き風、野菜の混ぜご飯、ブロッコリー二(蒸)
* ランチ: タイ風明太子スパゲティーニ

6月4日(火曜日)
* 夕食: えびの中華風にんにく炒め、玄米麦ご飯、芽キャベツ(蒸)
* ランチ: (冷凍)野菜バーガー

6月5日(水曜日)
* 夕食: アルバコアまぐろのポン酢蒸し、タイの紫米のガーリックご飯、フレンチインゲン(蒸)
* ランチ: 紅しょうがたっぷりのインスタント焼きそば

6月6日(木曜日)
* 夕食: おひょうのイタリアンスパイス焼き、ミックスきのこのソテー、ミニポテト(蒸)
* ランチ: ほうれん草ナゲット+チェダーチーズ

6月7日(金曜日)
* 夕食: 鴨の足のコンフィ、ラタトゥイユ、フレンチインゲン(蒸)
* ランチ: (冷凍)豆腐ラザーニャ

仕事にはっぱをかけなくちゃ、ということで、今日は半手抜き、半カレシ好みのメニュー。地元で起業して大きくなったスーパーに行くようになって、ケベックで100年くらい営業しているブランドの鴨が手に入りやすくなった。特に調理済みのコンフィは、解凍して加熱するだけなので、忙しいときにはまたとない「手抜きグルメ」。タイムをぱらぱらと振って、味アップ。

これをスロークッカーに放り込み、カレシが大好きなラタトゥイユは準備にちょっと手間がかかるけど、これももうひとつのスロークッカーに仕込んで、どちらも「低」にセットして、夕食の手当は完了。あとは心おきなく仕事に没頭・・・。

6月8日(土曜日)
* 夕食: たらと大根の煮込み風、竹米ご飯、青梗菜(蒸)
* ランチ: インスタントラーメン

6月9日(日曜日)
* 夕食: あさりの殻焼き、ズッキーニときのこのソテー、芽キャベツ(蒸)
* ランチ: リングィーニのラタトゥイユソース

午後5時に半量納品の期限。ぎりぎりになりそうだから、前夜から差し渡し10センチはあるアサリの殻に細切れの実でグラタン風に詰めた既製品を解凍しておいて、トースターオーブンで調理。(オーブン、早く修理するか、買い換えるかしないと・・・。)既製品は手抜きのお手本だけど、仕事が詰まっているときには天の恵み。少々お高くても、「グルメ」的なものをフリーザーに常備しておけば、子供の頃、ひとり暮らしの頃に食べた温めるだけの冷凍食がトラウマになっているらしいカレシにも文句はない・・・らしい。

冷蔵庫にあった残りもののラタトゥイユ。2人前のランチには足りないなあと見ていて、アイデアの電球がポッ。トマトベースなんだから、パスタソースにしてしまえばいい。濃縮のトマトパサタを足して少しとろみをつけ、茹でたてのリングィーニの上にたっぷりと載せ、削ったパルメザンチーズをたっぷりかければ、は、フレンチだってちゃ~んといっぱしのイタリアンに化けるじゃないの。あんがいそういう「残りもの、どうしよ~」という発想からできたのがパスタソースだったりしてね。なんだか病み付きになりそうなくらいおいしかった。

大き目のスロークッカーを買ったら、まとめてラタトゥイユを作っておこうっと。

終わったあ、やったあ、ばんざ~い

6月12日。水曜日。午前11時に起床。カレシは気持良さそうにすやすやと寝ているので、起こさずにささっと身づくろいをして、オフィスへ直行。ぎっちぎちに詰まった仕事は今日の午後5時が「絶対」の期限。ハワイ会議でも、新米フリーランサー向けのセッションで言ってたなあ、「納期を厳守すること」。これ、フリーランス稼業の「信用」の基本。よほどの事情がない限り、納期を外したらクライアントの信頼をなくすから、家が汚屋敷になろうが、洗濯物が山になろうが、子供が泣こうが、鍋が焦げ付こうが、納期厳守あるのみ!

とにかく、外国では「ええ、何でそうなったの?」と言うような話で、知らない漢字言葉がいくつも出て来るし、読めない(か読みを忘れた)漢字まであるもので、そのたびに読み方や意味を調べるのにひと苦労。おかげ(さま)で、ワタシの日本語のボキャブラリもかなり豊かになった。コンピュータ時代になって日本語の文書作成がキーボードに移行してからというもの、同音異義語の「誤字」が増えて、翻訳者泣かせ。まあ、英語でも電子タイプライターになってからスペルミスが増えて、スペルチェッカーがあっても別の「単語」になっていれば引っかからないから、これも翻訳者泣かせで、このあたりは引き分け。

とにかく、ややこしい話を弁護士先生口調で、ああたら、こうたら、ああだからこうで、こうだからああで、何とか法ではこうで、どこそこの判例ではああで、あっちがあったらことをいうからこったたらことになたったんであって、詰まるところは「そりゃ、こっちゃの責任じゃにゃぁ~よ」。訴訟関係の文書はドラマの台本みたいでおもしろい。ペリー・メイスンは似合わないかなあ、あんがいホレス・ランポールにやらせたらそれっぽい雰囲気になるかなあ、なんて想像を膨らませながら、それでもひたすらサイトラ式の「ほぼ同時翻訳」。でも、しまいには、いっそのこと原稿をそっくり大阪弁に「翻訳」したら、すご~く人間味の溢れる裁判ドラマになるんじゃないかなあ、なんて考えてしまった。(大阪弁て、いいよね。)

カレシが12時半になって起きて来たところで、朝食。ひとやすみしてまたオフィスへ直行して、見直し作業。最後の行に到達したところでスペルチェックして、(品質管理部長の)カレシに「読んでわかるかどうか」をチェックしてもらって、ちょこちょこっと入った赤ペンの部分を手直し。前半を先に納品してあるので、残りの半分だけ。それでもゆうに1万語あるから、見直し作業もそれだけ時間がかかる。全体で仕上がりは2万語。うわっ、ほんとに6日でやっつけてしまった。徹夜も残業もしないでやっつけた。まだまだ捨てたもんじゃないね。ごくろうさん、えらいねぇ、と自分の背中を(仮想的に)ポン。ファイルを保存したところで、トイレに向かって猛ダッシュ・・・。

ファイルを圧縮して、納品のメールを書いて、ファイルを添付して、「送信」のボタンをカチッ。午後3時半、業務完了!やったあぁ~!カレシとパンッとハイファイブ(日本語ではハイタッチ?)。「なんかえらくややこしい話だけど、あんなのよく訳せるよなあ」と、カレシ。だって、ややこしい話だろうが何だろうが、とにかく読んで訳すのがワタシの仕事なんだもん。これでもワタシはいっぱしのプロなんからっ。「やっぱり引退なんかできないだろ?」 いえいえ、右肩下がりで引退するつもり。でも、この達成感!この爽快感!ああ、なんとも捨てがたいんだよねえ、やっぱり・・・。

枯れたはずのさぼてんの花

6月13日。木曜日。午前11時30分の目覚ましで起床。脳みそがぎゅ~っと絞ったスポンジみたいになるような仕事の後だから、心行くまで寝ていたいところだけど、どっこい今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日。

カレシを送り出して、ワタシはソーダストリームの炭酸カートリッジを取り替えにモールへ。気温は16度とまあまあだけど、さすがに夏至まであと1週間。日差しはかなり強い。東西方向に歩くので必然的に行きは左側、帰りは右側の腕を焼き増し?することになる。もう2週間になるのにまだ「脱皮」中で、目も当てられない。こんなんで東京の電車に乗ったら、小町に「見苦しい。ヒジョーシキ!」トピックがいくつ立つかなあ・・・。

午後の教室から帰って来て温室に入っていたカレシが素っ頓狂な声。

「もう枯れたかと思っていたのに、ほら、これを見ろよ!」 [写真]

ワタシが来る前からカレシが宝にしていたさぼてんのひとつ。45年くらい前に苦労して手に入れたという種を蒔いて育ててきたんだけど、小さいポットのまんまなもので、どれもちっと大きくならずにいた。プラスチックのポットはぼろぼろに劣化して、あちこちが欠けているし、さぼてん自体も茶色で、生きているのか枯れているのかわからない。とげに触るとぽろっと落ちそうな気がするし・・・。[写真]

でも、よ~く見ると、シルキーな光沢があって、何だか文字通りのシルクフラワーのようにも見える。他のさぼてんは、蜘蛛の巣がかかったような丸い種類のはときどき小さいピンクの花を咲かせるけど、これはまた何とも身の丈に不相応な大きな花。

「きれいだろ?ほんとにもう枯れたと思ってたんだけどね」。あんがい、これが最後って感じで、ひと花咲かせてるのかもね。「おいおい。ま、オレ、ちょっと昼寝するから、その間、眺めていていいよ」。はあい。「ご飯ができたら起こしてくれよな」。はあい。

はて、さぼてんは何を語るのか。さぼてんの花言葉、何だろうなあ・・・。

6月も半ばなのに、寒すぎない?

6月14日。金曜日。起床は午後12時半。ああ、やっとゆっくり眠れた。今日は2人とも特にしなければならないこともない日。外は曇り空で、何だか寒そうだから、日がな1日「だらだら、ごろごろ」ということにする。それにしても、来週はもう夏至だってのに、何でこんなに肌寒いんだろうな。日差しだけは強いけど・・・。

カレシは寒いと言ってTシャツの上にフリース地のシャツを前をはだけたまま羽織っている。ずっと元々暑がり屋なんだと思っていたけど、この頃はやたらと「寒い~」とこぼすようになった感じがするなあ。まあ、これも「加齢現象」のひとつなのかもしれないけど、カレシもあと2ヵ月弱で古希。70歳まで生きる人は古来稀だったからそう呼ばれるようになったそうな。うん、やっぱり年なのよ、アナタ。古来そこまで生きるのが稀な年まで無事に生きたんだから、ひとつ、盛大にお祝いしてあげようかな。

もっとも近頃では、70代くらいではまだ「高齢」という感覚がわかなくて、ニュースなどで他界した有名人が「享年78歳でした」なんて聞くと、早過ぎるんじゃないかと思ってしまう。人生を全うしたと思えるのは、やっぱり80代の後半から先かなあ。まあ、ワタシは100歳までしぶとく生きるつもりでいるし、その頃にはもう「人生90年」が当たり前になっているかもしれないな。(一部に、今の若い世代は親の世代より長生きできそうにないという噂もあるけど・・・。)

ぶらぶらしていたら、そのうちに青空が広がって、ちょっと夏っぽい白さの雲が漂って来たけど、ポーチの温度計を見たら、午後3時でやっと14度。6月も半ばだというのに、それはないでしょうが。寒がるカレシの方が正常で、薄っぺらな3分袖のTシャツ1枚にミニスカ、素足のワタシの方がヘンだってことになってしまいそう。まあ、熱血児といえば聞こえはいいかもしれないけど、還暦過ぎの熱血児なんて、ありえないよねえ、ふつう?(もしかしたら、ある日突然「老化スイッチ」が入るのかもしれないけど。)

[写真] ベースメント(半地下)の窓は敷居がちょうどワタシの目の高さなので、通りかかりにちらっと外を見ると、目線にキンギョソウ。もう何年も前に苗を買って来て植えたものが、土いじりが苦手なワタシの「園芸」は植えっ放し主義なのに、毎年しつこく花を咲かせてくれる。英語ではsnapdragon。何でも花が「ドラゴンの顔」に似ているからなんだそうな。そういわれるとそんな気がしないでもないけど、ということは、日本人には金魚に見えたから金魚草になったということかな。

左下奥の塀際に見える小さいピンクの花はナデシコ。これまた植えっ放しの無責任ガーデナーが残したものをカレシが鉢に植えて保存してくれたので、毎年けっこう律儀に花を咲かせてくれる。たぶん、カレシのために咲いているんだろうと思うけど、もしかしたら、キンギョソウは窓越しにワタシに舌を出しているのかな。まあ、ワタシもこのキンギョソウみたいにけっこうしぶとく花を咲かせているつもりだけど、カレシが「寒い」というのに、寒くないよ~と言っているワタシは園芸種じゃなくて野生種なのかもしれないな。それでも、この時期に20度まで行かないのは、やっぱりちょっと寒すぎるか・・・。

ホラー映画じゃあるまいし

6月15日。土曜日。正午をたっぷり過ぎて目が覚めた。きのう、おとといと、よく夢を見ているようだから、きっとぐっすり眠れているんだろうな。今日の空模様は少しはまともな気温になりそうな気配・・・。

久しぶりにカレーをスロークッカーにセットして、ダウンタウンにあるHマートまで1人で行って来ようと思っていたんだけど、起きるのが遅かったせいで、下ごしらえが終わってスイッチを入れて、時計を見上げたら急にめんどくさくなって頓挫。ふむ、だらけモードが定着して来たか。

出かけるのをやめた勢いで、にんにくをローストしようと、棚からロースターを下ろして、ちょっと置こうとしたら、あら、フリーザーの上が何だかべっとべと。とりあえず濡らしたペーパータオルできれいに拭いて一件落着。ところが、30分後にフリーザーを開けようと蓋を上げたら、また上の同じところがぺっとぺと。どうやら何か透明な液体のようだけど、何なんだ。どれどれと見に来たカレシが「酒をこぼしたのかな。でも、酒臭くないね。甘い匂いはするけどさ」。とにかく、今度は洗剤をつけたスポンジで洗って、拭いてさっぱり。

それにしても、何なんだろうなあ。二度あることは三度あるとはよく言ったもので、あれだけしっかり洗って、しっかり拭いたはずなのに、1時間も経たないうちに、またまた同じところが同じくらいにべとべとになっている。もう、いったい何の冗談なんだか、気味が悪いなあ。

「何だか知らないけど、しつこいなあ。味を見てみたの?」ええっ?何なのかわかんないのに、やだ~。「でも、いったいどこから出て来るんだろうなあ」。うん、ホラー映画みたいだよね。最近はゾンビが蔓延っているらしいし・・・。

とにかく何なんだ~と、フリーザーの上の棚を見上げて行ったら、下の2段より迫り出している最上段の縁に何やらポチッと滴り(幸い赤くはなかったけど)・・・。何と、カレシが背伸びして棚から下ろしたのは、すっかり色あせたSchweppesのトニックウォーターの缶!

「うはあ、どのくらい古いのか知らないけど、アルミが腐って漏れ出したんだ」。

それでポトッと落ちるたびにしぶきが飛んでいたのか。なあんだ。でも、見つけなかったら、どうなったんだろう。突然パ~ンと破裂したのかな。そうなったら、そこら中がべとべとになるところだったな。幽霊の正体見たり、忘れられたトニックウォーター。脅かさないで欲しいなあ・・・。

お父さんたちの静かな革命

6月16日。日曜日。またまた正午過ぎに起床。やっとこの時期の普通の天候になって来た。寒がっていたカレシがさっそくクーラーをオン。ええ?24度では寒いけど、27度では暑すぎるの?ふ~ん、許容範囲が狭いというのか、何というのか・・・。

今日は父の日。ワタシもカレシも今はお父さんがいない子。まあ、私たちには子供がいないので元から「ただの日曜日」だったけど、この年になってもまだ、ワタシは20年も前に他界した父を今だによく思い出す。でも、父に比べて母のことをあまり思い出さないのは、もう33回忌を過ぎたからなのか。それとも、娘というのは母親よりも父親への思慕が強いものなのか。その辺は自分でもわからないけど、ワタシにとっては、父はお父さんであった以上に、誰よりもワタシの良き理解者であり、メンターでもあったから、それだけまだワタシの中で大きな存在なのかもしれないな。じゃあ、男であるカレシはどうなんだろう。息子にとっては、母親と父親のどっちが大きな存在なんだろうな。

きのうのNational Postに、カナダやアメリカで、父親が育児や教育に母親と同様に関与するという「静かな革命」が起きているという、父の日にちなんだ記事があった。共働きの夫婦が、両親が共に「家族」にとって理に適った家庭運営をする対等のパートナーシップを築いているという話。ある調査では、子供を持つ男性の61%が仕事よりも家族を優先しているそうだし、カナダ統計局のデータによると、両親が揃った世帯の3分の1(アメリカでは4分の1)で妻の方が収入が多く、母親が外で働き、父親が専業主夫という家庭が11%に達し、出産休暇や育児休暇を取る父親も年々増えているんだそうな。女性の社会進出と機会均等を推し進めたベビーブーム世代の子供たちが親になる年代になって、若い父親たちが静かな革命を起こしつつある、と。

でも、北米の社会にも「男が大黒柱であるべき」という観念がまだ根強く残っていて、父親たちは「男性の家庭進出と親としての機会均等」を実現するために、かって女性たちが男女の機会均等の実現に苦労したのと同じ道のりを歩み始めているのだ、と。アメリカではそういう「新型お父さん」によって育児や家事についての記事を満載した「クールな」雑誌が創刊されたという。また、父親を「役立たずの滑稽な存在」として描写する育児用品の広告やコマーシャルに抗議の声を上げ、それに大手の紙おむつメーカーが応じて、コマーシャルの内容を変更したというから、本気で社会文化そのものを変えようという行動力が感じられる。男たちが家庭での機会均等を獲得したら、本当の男女同権が実現するということかな。

日本では、「イクメン」という言葉で男性の育児参加を促そうとしているようだけど、カタカナ語にしてしまうところに、どうも何か新しい「ファッション」としてもてはやしているような印象を免れない。企業が常習的な長時間の(多くは無償の)残業という異常な勤務状態を改めて、社員の家庭優先を促す気配はまったくなさそうだし、働く夫たちも、家に帰りたくないのかどうか知らないけど、先進国なのにそういう労働環境はおかしいと声を上げ、変えなければと行動に出る様子もなさそう。(家に帰りたくないのだとすれば、それはそれで問題はまったく別のところにあることになるけど。)

日ごろ父親を身近に見ていない子供に、年に一度の「父の日」にだけ商業的なPR行事やプレゼントで「お父さん認定」してもらってもなあ、と思うんだけど、実際のところどうなの、日本のパパたち?

駅徒歩15分は近い。25度は暑すぎる

16月17日。月曜日。起床は今日も正午過ぎ。予報では下り坂のはずなのに、なぜか暑くなりそうな気配。ほんとに天の邪鬼なのがバンクーバーの天気模様ではあるけど、でも、いきなりか~っと暑くなるなんてのはなしにして欲しいな。

今日は土曜日に頓挫したダウンタウン行きを決行すべく、朝食が終わってすぐに出かけるしたく。ストラップの長いトートバッグを袈裟懸けにして「メッセンジャースタイル」。カレシ曰く、「配達おばさんって感じだな」。駅までトレッドミルに乗ったつもりで、歩け、歩けの早足15分。駅では秋から稼動する改札口で何やら作業中で、今までブランクだったスクリーンに文字が見える。「Compass」というSuicaみたいなカードが導入されるので、システムのプログラムをテストしているのかな。子供とシニア用にはオレンジ色の割引カードもあるということで、いちいち切符を買わなくて済むのはいいけど、シニアに見てもらえなくて、「ちょっと」と止められるなんてことはないだろうなあ。

Staplesでタブレットに直接装着できるマイクロSDカードというのを(お試しに)買って、Hマートでトートバッグで運べるだけの買い物をして、元の切符で帰る。昔から90分以内は全方向乗り換えのし放題なので、ちょっとした買い物なら片道切符で行って帰って来れるから便利。地下鉄になってからは時間が短縮された分、買い物に使える時間も増えた。シニアの運賃なら1区間で片道1ドル75セント(約170円)で安いもんだし、ダウンタウンへ行くなら地下鉄に限る。(駅と家の間で往復30分の運動になるしね。)Compassカードに移行してもこのシステムは継承されるらしい。まあ、廃止したら非難ごうごうになりそうだから、ほんとは増収を図りたいところだけど廃止はできないと判断したのかな。

でも、いや~暑かった。夕方までには我が家のあたりで26度まで行ったらしい。もろにハワイの天気じゃないの。そんな中を6、7キロはありそうなトートバッグを袈裟懸けにしての駅からの帰り道。股関節にもろに重量がかかって来るし、腰も痛くなって来るし、背中の筋肉も痛くなってくるし、ストラップをかけた肩も凝ってくるしで、体のあちこちが「年だ~、年だ~。いい年して、まだアラサー並みのつもり~?」と文句の大合唱。あはは、何かにつけて「疲れる、疲れた、疲弊した」と言っている今どきのハタチやアラサーの若おばさんに、重い荷物を運べるだけのエネルギーがあるのかな。

団塊の世代のおばさんは、そこのけ、そこのけと他人をかき分けて、競争に勝ち抜いてきたんだから、そのパワーを見くびっちゃあいかんぜよ。と、まあ鼻息を荒くしてみたところで、誰にでも、たとえすぐには気づかないくらいに少しずつであっても「老化」が着実に進んで行くのは自明の理。時間と同様に止められないとなると、残された課題はそれにどう対応するかだろうな。「あ、そうですか」とばかりにちゃっかりと適応してそのまま進むか、「年なんか取りたくな~い」と抵抗してみるか、「あたしゃ、どうせもう・・・」とふて腐るイジワルばあさんになるか、それとも不老不死の薬を求めて旅に出るか・・・。

そんなことをつらつら考えつつ、それでも何とか背筋を伸ばして、駅からの15分の道のりをてくてく。いつだったか、東京の不動産屋か何かのサイトで、「駅徒歩15分」は遠くて、通うのが辛い、タイヘンと書いてあってびっくりしたっけ。許容範囲は「徒歩10分」なんだそうで、距離感覚が違うのか、時間の感覚が違うのか。きょろきょろしながら歩いていたら、15分なんてあっという間に過ぎるのにね。家の掃除でもしたら15分くらいはすぐに動いてしまうのにね。ふむ、やっぱり今どきの若いもんはひ弱だってことになるかな。とにかく、大汗をかいて家に帰り着いたら、午後4時過ぎ。ポーチの温度計は何と25度。バンクーバーでは真夏日の気分。まあ、これは寒暖の感覚の違いだ。それにしても、いや、暑い、暑い・・・。

人間の心理と言葉と翻訳と演劇

6月18日。火曜日。就寝が遅かったから、起床も正午過ぎ。ゆうべ(と言うか朝方に)ざざっと雨が降って、また涼しくなってしまった。週末までずっと雨模様のぐずぐずの天気の予報。

開店休業のきのうの閉店間際に飛び込んできた仕事があるけど、2、3時間でやっつけられそうなので、今日から新しい本を読み始める。スティーブン・ピンカーの『How the Mind Works』(日本語訳は『心の仕組み』)。Folioのハードカバー本なので、やたらと大きくて厚さが5センチはある。本文は約500ページ。毎日朝食の後で5ページずつ読み進んだら100日。10ページ読んでも50日か。読み終わる頃には秋の気配が漂っているのかな。でも、重さが1キロ以上はあるから、ベッドで読むわけには行かないし、座って読むにも重過ぎる感じで、結局はテーブルの上に開いて読むしかない。はあ・・・。

スティーブン・ピンカーはモントリオールで生まれ育ち、名門マギル大学を出て、ハーヴァード大学に進んで、そのまま帰って来なかったカナダ人。けっこう多いなあ、こういう人。アメリカにはそういう人たちを飲み込んで栄養にしてしまえる容量がある。「静かなる頭脳流出」と言えるのかもしれないけど、だだっ広い国土に人間が3300万人しかなくて、(隣に10倍の人口を抱える大きいお兄ちゃんがいる)カナダでは本領を発揮する機会が足りないのかもしれない。まあ、日本ほどではないにしても、イギリスの精神的な伝統が残るカナダに、その伝統の枷を逃れてマイペースの自由があるアメリカと比べて若干の窮屈さがあるのは確かだろうな。

ピンカーが専門とする分野は実験心理学、認知科学、言語学、視覚認知学、心理言語学。人間の心理と言語は切り離せないものだけど、幅が広そうで、奥が深そうで、思わず、ああ、大学で勉強したかった~と思わせてくれる分野だな。(もっとも、何でも勉強したらおもしろそ~とつい思ってしまうんだけど。)ま、ワタシは自らの意思で大学進学をやめたことが自慢?のあまのじゃくだし、中学1年で初めて英語の教科書を見て、「言いたいことを表現できる媒体が他にもあったんだ~」と感動して英語にはまったんだけど、大学で学びたかったのが「英語」そのものだったのか、それとも言語が支配する人間性だったのかは今でもわからない。(学校が嫌いで、いい加減うんざりしていたので、さらに4年も学校になんか行きたくないと思ったのかもしれない。)

正直なところ、究極的に学歴も専門知識もなしで踏み込んだ「翻訳業」でさえ、天職だったと思うことはあるけど、翻訳と言うプロセスそのものが好きでたまらないわけではないような気もする。つらつら考えてみると、究極的に人間の心の奥にある「ひだ」が織り成す模様に関心があって、そのひだの模様(人間心理)を描く媒体としての言語に興味がわくのかもしれない。10年近く前のTEDカンファレンスでのピンカーの講演の趣旨は、「言語はいかに人間の心の動きを表すか」。究極的には、「どのように言葉を選ぶかによって、思っている以上のことを相手に伝達している」と。

気持をストレートに表現できると言われる英語にだって、能動態と受動態があり、さらに自動詞と他動詞があって、その使い方によって無限に玉虫色のニュアンスを込めることができる。玉虫色だから、思わぬ誤解や間違った印象を招くんだと思うけど、「ストレート」な英語で足りているうちは、その「玉虫色」には気づかないだろうな。それはまだ構造的に母語とは思考の流れが反対の言語を「話すこと」にこだわっている段階だからで、「聞くこと」に慣れて来て初めて言葉の「裏」が見えて来るんだと思う。でも、人間の心の奥深くには、自分の「ストーリー」を他人に伝えたい(聞いてもらいたい)という本能的な欲求があるようで、だからこそ、音楽や絵画のような言葉なしで伝えられる手段が生まれ、言語のひだに依存する文学や詩歌が生まれ、さらに身振り手振りを加えた演劇という形態が発達してきたんだろうと思う。

原稿の真意が掴めなくて苦労する要因には、だらだらと回りくどい悪文だったり、(特に日本語は)主語がない、理屈が不明瞭ということの他に、著者の意識的、無意識的な「選語」から、赤の他人であるその人の心の動きやhidden agenda(隠された動機)を探らなければならないという要素もあると思う。やりがいはあるけど本当に好きなのかどうかわからない翻訳を長年生業としてやって来られたのも、著者の心理に探りを入れなければならないことが多くて、それがある意味で作家の人物の肉付けや俳優の役作りと似たような精神的作業になっていたからかもしれないな。

まあ、ピンカー先生の本については先が長そうだから、その前に手元にある仕事をしないとね。

こだわりにもいろいろなこだわり方がある

6月19日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。天気予報はこれから1週間ずっとぐずぐずと雨模様。最高気温は16度とか17度とか。まあ、クーラーがいらないから、節電になるかもしれないけど、今どきこの天気はないよなあ。今日は掃除の日で、起きて早々にシーラとヴァルがレクシーをお供に到着。シーラがレクシーは耳の聞こえが悪そうなのでクリニックに連れて行くと言うから、ワンちゃん用の補聴器があればいいねと混ぜっ返し。犬でも年を取ると耳が遠くなるんだろうか。(レクシーは12、3歳かな。)

オフィスの掃除が終わったところで、きのうやった仕事の見直しの作業をささっと終えて、納品。今後専念したいと知らせた分野とは畑違いの技術系の仕事だったけど、ワタシのところに回って来たのは、当たった人たちに新分野なのでと敬遠されたせいらしい。確かに新しいと言えば新しいけど、従来の技術が土台であることには変わりないし、参考資料はググればいくらでもヒットするんだから、「できない」とはなにごとだと思ってしまう。でも、近頃は自分の領域をかっちりと線引きして、「専門外」には手を出さない人が多くなっているのかもしれない。小町にも、翻訳志望の人が「特許と医療と医薬のどれがいいか」なんて聞いていたりするから、どこかで「汝、専門を持つべし」と刷り込まれて、「専門外は手を出すべからず」という流れになったのかな。

専門知識を駆使できる分野があって、それを専門とするのが理に適っているのはわかるし、何の知識もないのに「できる」というのはいい加減な話だけど、集学的、学際的、分野横断と、異分野をまたぐ研究開発が盛んな今の時代に、自分の専門領域を守るのは一見して崇高な理念のようだけど、見方を変えれば専門への「こだわり」、あるいは領域外に出ることへの不安の現われとも言えそうだし、現実論としては発展の機会を狭めることが多い。でも、ワタシのような(「専門知識」がない故の)「何でも屋」がそう言うと専門主義者に不遜だと叱られそうだけど、「こだわり」は、その性質によってはチャンスをつかみ損ねる足かせになることが往々にしてある。この仕事だって、新しい研究テーマかもしれないけど、別に突然変異で登場した「新分野」でもなかったから、「専門」にこだわったばかりに楽なひと稼ぎを逃した人たちいたってことになるか。

では、「こだわり」はプラスなのか、マイナスなのか。最近の小町にも「こだわり」についての論議があったけど、「こだわりとは何ぞや」という定義がされていないから、一方で、こだわりがないのは良い、生き易い、他方で、こだわりがない人はものごとに無頓着ということでダメ。そこで、広辞苑を見たら、「こだわり/こだわる=気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する」とあった。拘泥というと、文字通りぬかるみにはまって、もがいているイメージだな。でも、和英辞書で見ると、「こだわり=1.あることに心がとらわれすぎること、2.納得できるまで自己の価値観に従うこと」となっていて、1.にはネガティブな意味合い、(広辞苑にはない)2.はポジティブな意味合いの訳語が並んでいた。「こだわり」にもいろいろな形があるということか。

芸術家のこだわりは名作を生むけど、凡人のこだわりは何を生むのか。2.の「自己の価値観」へのこだわりは、他人からは自己中と非難されそうだけど、納得(自己肯定)できればその人にとってプラス、そうでなければ1.のこだわりのようにぬかるみにはまってマイナス。一方で1.のこだわりは、常識とかマナー、社会通念、社会風俗といった自分が拠り所とする外的な価値観(建前?)に適合していない事象や人間が対象になっていることが多いかな。「自分は自分、人は人」でやり過ごせばいいのに、それができないから、ぬかるみにはまってしまう。「こだわり」もこだわり方しだいで人生にプラスにもなれば、マイナスにもなるということだけど、その決め手になるのは、自分の内と外にある価値観のどっちを基準とするか、ということになるのかな。

大ぶろしきに乗って夢を見る極楽とんぼ

6月20日。木曜日。目覚し起床の日。雨だ。ポーチの温度計は正午で15度。昼のニュースで、「春が長引いています」だって。でもまあ、明日の夏至で公式に「夏」が始まるんだから、公式には今日はまだ「春」でいいわけなんだけど、やっぱり「春が長引いている」という気分だな。

カレシを英語教室に送り出して、飛び込み仕事をひとつ。「お客さまのご指名」ということで担当を継続することにした会社の社内では訳したくない文書の仕事だけど、あちらさんはワタシのことを知らないはずだから、単に同じ人にやらせる方がセキュリティ上得策ということだろうと思う。でも、こういう2時間くらいでちゃちゃっとやっつけられる仕事は、気分的には楽ではあるけど、ちょこちょこと毎日送って来られたら出かけることもままならなくなるから困る。ま、ここはときどき程度だからいいけども。

アメリカの連邦準備委員会のバーナンキ議長が「そろそろ量的緩和を減らさんと」と言ったそうで、アメリカもカナダも株式市場がど~んと下がって、カナダドルはほぼ1セントそっくり下落。まあ、量的緩和というのは、中央銀行が市場にお金を注ぎ込んで、つまりは栄養失調児の経済にミルクを飲ませているようなもんだから、適当なところで「離乳」しないと、経済はいつまでも甘えっ子。市場経済を計画経済のように回そうというところに無理があるように思うけど。それでも、カナダドルが下がるのはちょっとうれしいな。アメリカドルで入ってくる翻訳料をカナダドルの口座に移すと手取りが増えるんだもの。もっとも、下がりすぎると、今度はカナダドル換算で申告する所得が増えてしまうから、あちらが立てばこちらが立たず。

終わった仕事をささっと納品して、「開店休業」に戻る。きのうArts Clubに月曜日が締切りの50周年記念アンケートの回答をポストに入れたとメールしておいたら、パルミーダから「楽しみにしている」とのメール。ぐずぐずしていて、期日が迫ったところであわてて生焼けのアイデアや考えをだらだらと書いて出したんだけど、どうなのかなあ。芸術監督サークルのイベントやパルミーダとのやり取りを通じて、これからボランティアとしてどんな風に劇団と関わって行きたいのかが、ぼんやりとだけど見えて来た気がする。

ワタシは永遠の劇作家志望だし、長いこと言語の意味を扱うビジネスで食べて来たし、英語を母語としない人口が大きな割合を占めるバンクーバーの言語環境が演劇界にどう影響するか理解しているつもりだから、「言語」とは無縁でない方面で関わることになるんじゃないかという気がする。まあ、言葉の壁がなくても、デジタル時代の娯楽は精神エネルギーの消費が少なくて済む受動的なものが多いから、観客に想像力を使って「参加」することを要求する舞台劇にとっては大きな脅威だと思う。

しかもバンクーバーはニューヨークやロンドンの足元にも及ばない田舎の舞台。でも、小さな舞台の火が消えて行ったら、やがてはニューヨークもロンドンも暗くなってしまうと思うな。でも、演劇には何千年もの歴史があるし、人種や民族を問わず、人類の「語る」というコミュニケーション本能を具現したものだから、まずはバンクーバーの火が消えないように、ワタシにできること(今のところは稼いだ「遊び資金」を注ぎ込むくらいだけど)をやって行きたい。そんなこんなで、今回はアーカイブを構築するプロジェクトに参加を志願した。何でもできそうなところから始めなきゃね。それにしてもまあ、人類がどうの、歴史がどうのと、極楽とんぼの夢は相も変わらず大ぶろしきだこと・・・。

お行儀の悪い花嫁さん

6月21日。金曜日。今日は夏至。公式に「夏、初日」。気温はまあまあだけど、あまりぱっとしない夏の始まり。でも、去年のちょうど今ごろも同じような天候だったらしく、台風一過で暑くなった東京から帰ってきたばかりで、2人して寒いっと文句を言っていた。地球温暖化、どうなったんだろう。もしかして、このあたりの気候は逆に寒冷化しているのかな。

今日は2人ともヒマする日。朝食後にゆっくりとピンカーの本を10ページほど読んでから、メディア巡回。月初めに北部で洪水があったお隣のアルバータ州で、今度は南部で豪雨による増水で、避難警告が間に合わないほどの急激な洪水。首相夫人の実家がある町も全域に避難命令が出され、水没するトラックから間一髪で脱出した青年と愛猫が濁流の中を泳いで救助された。ボウ川とエルボウ川が合流する百万都市カルガリーでもとうとう川が氾濫して、ホッケーアリーナの「サドルドーム」では10列目まで浸水したとか。高層ビルが林立するダウンタウンは道路が冠水して、まるでベニスのように見える。山の融雪が進むこの時期はよく洪水が起きるけど、アルバータのは北が高温、南が低温という気圧配置の「逆さま現象」が原因だそうで、ロッキー山脈のこっち側でもあちこちで避難命令が出ている。

自然の力にため息をつきながら、画面をスクロールして行ったら、はあ?という記事に遭遇。オンタリオ州ハミルトンで、友達カップルからもらった結婚祝いが気に入らなかった花嫁がプレゼントの主に文句を言い、メールでの口論に発展して、それが公になったもので、結婚式や贈物についてのエチケット論議が捲き起こっているという話。へえ。プレゼントがなかったとか、もらったプレゼントに不満だとか、プレゼントを張り込んだのにお返しがなかったとか、貧弱だったとか、この手の話は小町横町には前々からずらりとあるけど、いつのまにか太平洋のこっちにも漂着していたとは知らなかったな。

花嫁がグルメや「お遊び」の食材を詰めたバスケットの贈り主にレシートを要求し、「結婚祝いには(現金の入った)封筒を上げるものなのに、あんた達の食事に200ドルもかけて、もらったのがこれじゃ損したわ」とか、「結婚式は将来のための資金を作るもので、他人のご馳走するためのもんじゃないのよ。プレゼントなんて50年も前に廃れちゃってるのよ。ちょっとリサーチしたらどうなの。あんた達はすてきなところでステーキやチキンを食べて、お酒を飲んで、正確に言うと1人97ドルもかかったのよ。ま、30ドルのプレゼント、ありがとね」と。リサーチしろと「非常識」をなじられたカップルが花嫁と交わしたメールをフェイスブックや地元のメディアに投稿して読者の意見を求めたもので、あっという間に世界を駆け巡ってしまった、というのがことの顛末・・・。

大勢としては、マナーの悪い花嫁、エチケット違反という方へ流れているようだけど、贈物と見返りが「贈答」として一体になっている日本ならどうなっただろうな。小町横丁にはプレゼントの価値やお返しの有無、お返しの多寡に関して、もらえなかった、安物だった、少なかった等々という愚痴がけっこうある。日本では、入学、卒業、就職、成人、結婚、出産、定年退職、還暦に古希に喜寿に米寿に、葬式(死んだ後でも法要というのがある)、そしてお中元にお歳暮という「熨斗つき」の贈答が絡む行事の他に、家族や友達、恋人の間での誕生日、バレンタイン、クリスマスもあるけど、祝福や哀悼、感謝や親愛の気持を込めただけではダメなのなか。たとえば結婚式なら、式場のクラスからコストを推測して、それに見合ったご祝儀かモノじゃないと、ケチとか、常識がないとか思われるのかな。だったら、何のイベントであれ、それなりのお金を投じて、それに見合うお返しを期待しても欲張りにはならないのかな。

記事のアドバイスは「プレゼントをもらったら、きちんとお礼を言って受け取りなさい」というものだったけど、小町横町のしきたりでは「謝辞」などという形のないものだけではダメかもしれないな。だって、目に見える形がなければ、感謝のされ具合を測れないものね。プレゼントをするにしても、相手によってはそれなりに値段の張るものにしないと、「あたしってこれだけの価値しかないんだ」と心を折られてしまいそうで、難しい。どっちにしても、形のないものでは価値判断ができなくて不安なのかもしれないけど、世界中がモノやサービスの対価を示す「数字」で愛情の多寡や人の気持、はては存在価値まで量るようになったら、せち辛い世の中ではすまなくなるような、ちょっと怖いような・・・。

山は危ないからボディバッグ持参?

6月22日。土曜日。今日は「ご隠居さん」デイと決め込んで、のんびりと新聞サイトめぐり。お気に入りの「News」のフォルダに入っている新聞を上から順に読んで行く。ローカル新聞に始まって、(一応の)全国紙、Google News、欧米の新聞、英語版の日本のニュース、そして(時差の関係で)最後に日本の新聞・・・。

世界中が騒がしいときには、これだけで午後の時間が過ぎてしまう。(もっとも、この地球上の世界には騒がしくないときなんてないみたいだけど。)それで、いつもなら日本の新聞は社会、政治、経済で終わりなんだけど、今日は何しろ「ヒマをする」日。ずっと下までスクロールして行ったら、思わず、きゃはは~っ。

「何だよ、やぶらかぼうに。びっくりしてクリックするところを間違ったじゃないか」。だって、だって・・・。「何だよ、いったい」。だって、だって、ボディバッグがファッションになってるんだもん。「はあ?」ほら、腰につけるバッグとか、小さいバックパックとかあるでしょ?日本ではそういうのを「ボディバッグ」と呼んでるんだもん。それも、山登りや旅行にどうぞって・・・。(今度はカレシがきゃはは。)「英語、英語と言うわりには、they don’t have a clue, do they?(分かってないなあ)」

商品を見るとなるほどとわかるし、日本のファッション商品のカタカナ語ネーミングなんだからいいじゃないかと言ってしまえばそれまでなんだけど、はたして秀作と言っていいのかどうか・・・。

だって、「body bag」と言うと、実際にカタカナ語の「ボディバッグ」の意味にも使うことは使うけど、まずは戦争や大災害のときに収容した遺体を入れるビニール袋のことを思い浮かべるんじゃないかなあ。

「山に行くのに新しいボディバッグを買ったのよ~」なんて言われたら、ど~しよ~?

言葉は世相を映す鏡か

6月23日。日曜日。正午過ぎまでぐっすり眠って、ちょっとまだ寝足りないような気分で起床。天気はまあまあ。気温もまあまあ。ポーチの温度計は、午後4時過ぎに針が19度の目盛りからちょっとだけはみ出して、ほらっ、もうひと押しっ、がんばれっ、と熱い息を吹きかけてやりたいくらい。この週末はスーパームーンだけど、見えるかなあ。月の軌道が地球に最も近くなるのと満月が重なると、昇ってくるときに並の満月よりずっと大きくて、すごく明るく見える。今回を見逃すと来年の8月まで見られないというから、今夜は曇らないでほしいなあ。

アルバータ州の大洪水は今度はメディシンハットでボウ川下流のサウスサスカチュワン川が氾濫しそうになっている。市の中心部が冠水した石油産業の基地カルガリーではまだ何日かはマヒ状態が続くらしい。アイスホッケーのアリーナの中はまるで巨大な池。来シーズンの前哨戦が始まる9月までに復旧できるのかな。そんな中で、飼い主の青年と一緒に水没するトラックから脱出して、濁流の中を泳ぐメス猫のモモがインターネットのスターになっている。お先に失礼とばかりに水に飛び込んだそうで、尻尾を舵のように動かしてすいすい。猫は濡れるのが嫌いだと思っていたけど、モモはバスタブに水を張ってもらって泳ぐのが大好きという「ヘンな猫」。飼い主のお母さんによると「泳ぎは息子より速い」そうな。

ご隠居さんを決め込んで、小町横町の散策にでかけたら、『嫌いな言葉はありませんか?』というトピックがあった。ワタシは日本語を英語に訳すのが主な仕事なので、古語?から現代語、専門語から流行語まで、実にいろんな日本語に遭遇する。専門語はだいたいは訳語が決まっているからいいけど、ニュースレターやメディア記事、個人の作文など「普通の日本語」で書かれたものには手間取ることが多いな。「わからない」では済まされないから、いつも調べるのに大汗をかくけど、まあ、38年も日本語環境で生活して来なかったので、今どきの日本語がわからなくてもしかたがないと思う。(全体的に38年前の日本語とはずいぶん違ってい感じがする。)

「嫌い」というのはけっこう強い感情だけど、「イヤな言葉はあるか」と聞かれたら、あるあると答えるな。ワタシにだってイヤなものがあるし、好きになれないタイプの人間もいる。ただ、何にしても性に合わないからといって即座に「嫌いっ」と拒絶しないだけの話で、イヤだなあと思うものはいくらでもあって、言葉にしても然り。聞いてイヤだなあと感じる言葉や表現は日本語、英語を問わずたくさんある。日本語の場合はネガティブに感じられるものが多いかな。すでに定着している感があるヘンな「お上品言葉」もあまり好かないけど、使い手に対しては別に「嫌い」という感情はわいて来ない。だって、ワタシにとってはみんなネットですれ違うだけの顔のない不特定多数だから。

新しすぎるのか、遭遇する機会がないのか、ワタシにはさっぱりわからない言葉もあるけど、ざっと読んでみると、人間の感じ方は十人十色でおもしろいし、言葉や表現に「嫌い」と反応する(反感を持つ)聞き手の心理とそれを多用する使い手の心理の絡み合いもおもしろい。震災後にもてはやされた「絆」という言葉の空虚さや、「感動をありがとう」、「勇気を与える」、「させていただく」といった芸能人、スポーツ人が口にする言葉の白々しさを見抜いているし、「痛い」とか「惨め」、「残念」といった本来は自分の(負の)感情である言葉で他人を貶める風潮を憂い、カタカナ英語に置き換えることによる言葉の「軽薄化」を嘆いているのは、まともな言語感覚が健在だということかな。

言語は時代と共に変化するもので、流行り言葉や表現が時代の世相を反映しているとすれば、300本を超す書き込みに見る「嫌いな言葉」からは、「閉塞感」、「不安感」、「不信感」、「疎外感」といった重い空気が感じられるし、幼児化とも言えそうな「何でもちゃんづけ」は漠然とした不安に対処しようとする一種の「赤ちゃん返り現象」のようなもののように見える。カタカナ英語は今に始まったことではないけど、「リベンジ」は早々に廃れた方がいいな。日本語の「リベンジ」と英語の「revenge」は意味が違うから、英語を日本語の意味で使ったらエライことになりかねない。でもまあ、あくまでも日本語化して定着しているのなら、それでいいと思うけど。(英語にも意味が変わって定着した日本語があるし。)

目は口ほどに、口は心ほどにモノを言う

日曜日。せっかくよく寝て、何だかおもしろそうな夢を見ていたのに、カレシに起こされて、眠いよ、もうっ。小雨模様で、ポーチの気温は午後2時で16度。この調子だと20度まで届きそうにないな。日の出は午前5時8分(標準時にすると午前4時8分)、日の入りは午後9時21分(標準時で午後8時21分 )。1日の3分の2は昼間なのに・・・。

きのうのスーパームーンは見ごたえがあった。たしかにいつもより大きく見えて、輝いているといわんばかりの明るさ。キッチンの窓から月見をしながらの寝酒。だいぶ前にも書いた記憶があるけど、「嫁入り前の娘」の年頃にも関わらず天体観測に夢中だった頃、何を思ったのか広角レンズをつけて昇って来る満月に向け、視野を圧倒する月を見ているうちに、なぜかウォ~ッと叫びたい衝動に駆られたことがあったっけ。畏怖と言うのか、恐怖と言うのか、月の光に当たると気が狂うという伝説は嘘じゃないかもと思った瞬間だった。あのときの大きな満月もスーパームーンだったのかな。ワタシはやたらと「はぐれ遺伝子」を持っていそうだから、もしかしたら、アラスカの荒野で月に吼える狼の遺伝子も迷い込んでいるかもしれない、なあんて想像すると楽しいけど、これもスーパームーンの光のせい・・・?

ゆうべは眠りに落ちるまでの間、「嫌いな言葉」のトピックについてごちゃごちゃ書いていて、嫌いだという言葉に聞き手の話し手に対する心証が反映されているケースがかなりあったのをあれこれ考えているうちに、ピンカーが講演で「言葉の選択によって思っている以上に内心を暴露している」と言っていたのを思い出した。なるほど~と思ったところで眠ってしまったけど、改めて考えてみると言語心理学に踏み込むようでおもしろい。まあ、究極的にはそこに注目することによって人類共通の「普遍性」を求めようとしているんじゃないかという気もしないではない。ワタシって、何だって普通に生きるならそんなに奥深くまで考えなくてもよさそうなことをやたらと考えるように生まれついてしまったのかなあ。いったいどこの誰のどんな遺伝子をもらってしまったやら。

トピックの主が「ストレスの発散を」を呼びかけているせいか、たくさんの人たちが「嫌い」思う言葉を挙げている中で、言葉自体が嫌いというよりも、その言葉を使う「同僚/友人/家族」が嫌いなのかと思わせる書き込みがけっこうあった。小町によく上がって来る、キーボードやヒールの音、咳払いなど、他人の一挙手一投足にイライラするというトピックと同じコンテキストで、ある人に対して抱いている嫌悪感または反感を本人や周りに知られたくないか、ストレートに表現できない環境だから、その人が好んで使う言葉を「嫌い」と表明することによって自分の負の感情を転嫁しているような感じがあった。

それにしても、「嫌いな言葉」、いろいろとあるなあ。昔からある言葉の誤用・勘違いから来るものもあるけど、マニュアルの擬似ていねい語に始まって、たぶんほとんどの流行り言葉が網羅されているんじゃないかな。「生理的に無理」は人の鼻先でドアを閉めるような拒絶表現だと思うし、身内に対して「お願いする」のは変な卑屈さが感じられるし、モノに対して「○○してあげる」というのは滑稽でしかないし、「あなたのために」、「悪気はないから」、「悪いけど」、「みんなそうだから」は責任回避の枕詞かな。何とも生々しい「初マタ」には笑ってしまったけど、ちょっと品性がなさ過ぎるなあ。「シンママ」はちょっと軽すぎる感じだし、「働くママ」は選民意識のようなものが嫌われるのかな。前に仕事でお目にかかった号泣と激怒は今や「大号泣」と「大激怒」に発展しつつあるらしい。どうか「上司にミスを咎められて大号泣した」なんて書かないで・・・。

何度か「あなたがなんとなく生きた今日は昨日死んだ人の生きたかった明日」というのが挙げられていたけど、たぶん偉い人がその人の思いを込めて言ったのだと思うから、その人の言葉として聞いて「嫌い」という人はいないだろうな。嫌いと言う人は、その言葉を偉そうに引用する人たちが嫌いなんだろうと思うな。「こんな崇高な言葉を引用して無知な人を啓蒙する自分!」に陶酔している自称ヒューマニストが口にしそうなせりふだもの。たいていの人はそれぞれに毎日を真っ当に生きているのに、「あなたは死んだ人の日を生きているんだ」なんて、まるで人の人生を横取りしたと非難しているように聞こえる。偉い人にそう言われたのなら「さすが」と思うかもしれないけど、そうでなければ「あなたの○○はワタシが欲しかったのに手に入れられなかった○○なのよ」なんて言われているようで気色が悪い。まあ、こういう人はどこにでもいそうだから、「偽善者」として舞台の照明の中に立たせてみたら、悲劇になるのか、喜劇になるのか・・・。

その気になったときにはまじめに料理(6月17日~23日)

6月17日(月曜日)
* 夕食: 紅ザケの照り焼き風、牛肉とごぼうの混ぜご飯、さやいんげん(蒸)
* ランチ: たっぷりのニラ入りジョン

6月18日(火曜日)
* 夕食: おひょうのタイ風スパイス焼き、ミックスきのこのソテー、アスパラガス(蒸)
* ランチ: たらこソースのヴェルミチェリ

6月19日(水曜日)
* 夕食: ロックフィッシュのチーズ焼き、ほうれん草のリゾット、ミニ・ズッキーニ(蒸)
* ランチ: バミゴレン

ロックフィッシュにイタリアンスパイスを振り、削ったモッツァレラチーズをたっぷり載せて、さらにスパイスを振って、トースターオーブンでこんがり。ミニ・ズッキーニはワタシの人差し指くらいの太さで、「ベビーズッキーニ」として売っている。ベビーなのかミニなのかは不明・・・。

バミゴレンはインドネシアの焼きそば。スーパーで売っているオランダ製の袋入りソースの素を使う。今日は麺に太いビーフンを使って、冷凍の茹でえびとねぎをたっぷり。

6月20日(木曜日)
* 夕食: ひらめのカニもどきロール、アスパラガス入りクスクス、芽キャベツ(蒸)
* ランチ: カレシ特製のツナの丸パンサンドイッチ

仕事を終えたところで、カレシを英語教室夜の部に送り出すために特急で夕食の支度。それでも気分がすっきりしたのか、解凍したひらめを見てアイデア電球がポッ。

常備の塩ヨーグルトにレモンとコリアンダーとパン粉を加えて混ぜたものをひらめの上に伸ばし、カニもどきを2本ずつ置いてくるくる。さっとサラダ油を塗ってトースターオーブンで焼いている間に、クスクスを炊いて、さっとソテーしたアスパラガスの尻尾を混ぜ、芽キャベツを蒸して、できあがり。急いだわりにはけっこう見られるディナーとなった。味はもちろん?上々・・・。

久しぶりにカレシがツナ缶でサンドイッチを作ってくれた。Solidというぶつ切りのアルバコアまぐろの缶詰(シーチキンと呼ばれるあれ)を開けて身をほぐし、赤玉ねぎや隠し味(マヨネーズに塩ヨーグルトを混ぜているらしい)と混ぜたのをトーストした丸パンに挟む。ひと口食べて「ちょっと水っぽいな」。ぶつ切りよりは身の崩れたのをオイル漬けにしたchunkの方が味があるかもしれないな。この次のショッピングではchunkの缶を買っておくね。

6月21日(金曜日)
* 夕食: カキフライ、ししとうの素上げ、ミニズッキーニとパティパン(蒸)
* ランチ: タイのインスタント麺(ねぎ風味)

6月22日(土曜日)
* 夕食: 鶏肉のギョーザ、大豆もやしのナムル、八穀米ご飯。
* ランチ: ねぎとたけのこ入りインスタント焼きそば

豚のひき肉の代わりに鶏もものひき肉を使う我が家のギョーザ。台湾キャベツ、まずしょうが、にんにく7、8かけ、コチュジャン少々をフードプロセッサにかけ、ひき肉とごま油を加えてさらにガガーッ。最後にニラをたっぷりと入れてみじん切りになる程度にジャッジャッ。あまりたっぷりとニラを入れたので、出来上がった具は緑色。

今日は28個できたので、お代わりをお皿に出して残った8個をくっつかないようにアルミホイルの上に並べて冷凍。これはランチに食べるラーメンの具として取っておく。

6月23日(日曜日)
* 夕食: ポンパーノのライムジンジャー焼き、マダガスカルのピンク米、さやいんげん(蒸)
* ランチ: たこやき(冷凍)

ゴールデンポンパーノは丸っこくて、おちょぼ口に小さな目がポチッとついていている見た目がかわいい魚(日本名はマルコバンらしい)。アジアからの輸入もので、銀色の皮にはうろこがなくて、ヒレが黄色いのが特徴。ラベルに「生きたまま瞬間冷凍」と書いてあるので、自分で頭を取り、はらわたを取って3枚開きにする。骨も皮も硬めなので2種類の包丁を使い分けてのけっこう手間のかかる作業。今日は骨が親指に刺さって血が出てきてしまった。だけど、脂の乗った身はおいしい。ライムジュースと蜂蜜しょうがジュースにつけておいて、軽く粉をまぶしてムニエルにしたら、美味。うん、手間をかけるだけの価値はある。


2013年6月~その1

2013年06月10日 | 昔語り(2006~2013)
ただ今ハワイの日焼けを脱皮中

6月3日。午前4時50分、バンクーバー国際空港に着陸。東からアプローチする場合がほとんどなんだけど、今日は反対の西の方から。空港の東側は住宅地なので、24時間営業の空港とは言え、降りて来る飛行機に朝の5時前から頭の上をキ~ンと飛ばれたら迷惑ということで、たぶん市街地を避けて、海が広がる西から入ることになっているんだろうな。上空からは山並みの山頂にキラッと金色の一点が見えた。到着便は私たちだけだったので、入国管理はすいすい。荷物を預けていない私たちはそのまま出口へすいすい。タクシーで我が家に向かう途中で前方に目がくらむような黄金の日の出・・・。

帰宅は午前5時20分。とりあえず寝るのに必要なものをスーツケースから出して、歯を磨いて、顔を洗って、そのまま「おやすみなさ~い」。俗に「red-eye flight」と呼ばれる夜行便でホノルルを飛び立ったのはハワイ時間の日曜日午後8時25分(バンクーバー時間午後11時25分)。すやすや眠れる人もいるけど、たいていの人にとってはある意味で「徹夜便」みたいなもので、目的地に降り立つ頃には寝不足の目が真っ赤・・・。それで、レッドアイ(赤目)便というあだ名がついているわけだけど、普通に午前4時前後に就寝する私たちにとっては1時間かそこら「夜更かし」をしたようなもので、普通に正午過ぎまで眠った。

ホテルで8時過ぎに目を覚ましても、ハワイの時計が午前8時過ぎと言っているだけで、私たちの体内時計はバンクーバー時間で午前11時過ぎ。いつもの起床時間と変わらない。朝食もいつもと同じ(体内)時間。ランチと夕食の順序が入れ替わるけど、食べる時間はあまり変わらない。そして、真夜中過ぎの就寝はバンクーバー時間午前3時過ぎ。体内時計と現地時間の生活のリズムがうまく一致していたおかげで、2人とも時差ぼけにならずに済んだ。わずか1週間の旅行での時差ぼけはつらいもの。

ハワイはカウアイ島もホノルルも連日28度以上。いやあ、暑かったのなんのって、あたりまえの話だけどとにかく暑かった。でも、貿易風が吹き抜けているせいで、蒸し暑さがあまりないのはうれしいな。ただ、2、3日もすると、いつもいつも風が吹いているのが煩わしくなって来る。風だけじゃなくて、お日様マークを判で押したような「天気」が何日も続くのもだんだんうんざりして来る。時たま細かな霧のような「雨」がさ~っと降るけど、あんなの雨のうちに入らないと思うけどね。まっ、やっぱりワタシには、数日からっと晴れて、雨でひと息入れて、時にはいつまで何日も曇り空の下で暮らして・・・そういう変化のある気候の方が絶対的に楽だと思うな。どうやらワタシは、太陽が燦々と輝く「常夏の国」ではうつ病になってしまいそうな体質のなのかもしれない・・・。

そういう日に当たることに慣れいていないワタシなもので、最初に行ったカウアイ島では、ビーチに沿ってのんびりそぞろ歩きしていたら、両腕が速攻で日焼けして真っ赤っか。昔から冗談に「片側15分、ひっくり返して15分で、こんがり日焼け」と言っているけど、元々色白の妹が生まれたときに伯母がワタシを見て「この子は玄米だ」と評したという逸話があるくらい色白の美肌にほど遠いワタシのこと、強い日差しの下に出ると超特急で焼ける。(でも、ヒリヒリと痛くて悲鳴を上げるほどの焼け方はしないかな。)ま、それくらいメラニン色素があるんだったら、ちょっとくらいの日焼けで皮膚がんになる心配もあまりないかも。

カウアイ島でもホノルルでも、何かと小さなハプニングがあった1週間で、ちょっぴり疲れもしたけど、まあ、楽しかったな。写真を整理して、旅のエピソードを整理して、ぼちぼちと書きとめておくことにして、きのうからハワイみやげのこんがり日焼けが剥け始めて、ただ今ワタシは盛大に「脱皮中」・・・。

旅はホテルに着くまでがタイヘン

6月4日。火曜日。起床はごく普通の午前11時半。きのうの夜のうちにパンを焼いておいたので、普通に朝ごはん。朝帰り?したきのうは1日がかりで洗濯機を回すこと5回。今日は買い出しに行かないと野菜がない。ま、普通の日常か・・・。

ハワイに向けて出発したのは26日の午後。政府同士の取り決めで、アメリカ行きの便はアメリカの入国管理と通関の手続きをバンクーバーで済ませることになっていて、目的地についてから並んだりしなくてもいいのでけっこう便利。離陸後2時間ほどで夕食時間になるので、USターミナルの寿司屋で自前の「機内食」を調達。なにしろ機内で売ってくれる「食事」はまずいなんてもんじゃない。握り6個(ちょっと分厚いサケとまぐろ)と鉄火巻とかっぱ巻のパックを2個とサラダのパック1個、冷たいお茶のボトル2本。ふと横を見たら、客室乗務員の制服を着た人が寿司のパックを選んでいた。な~るほど、会社の食事がいかにまずいかを証明してくれているようなもんだなあ。あはは。

搭乗して、座席に落ち着いて、出発は定刻。いや、座席に落ち着いたのはワタシだけで、カレシはしきりにもぞもぞ、ごそごそ。カレシはいつも大きなスポーツバッグに持ち物を全部詰めて、それを上の荷物入れに格納せずに前の座席の下に押し込みたがる。で、シートベルトの表示が消えるやいなや、消音ヘッドフォンを出し、iPodを出し、ネットブックを出し・・・とにかく、狭いところでもぞもぞ、ごそごそ。gooが「飛行機で隣に座って欲しくない人」のランキングをやったら、「もぞもぞと動いてばかりいる人」は絶対にベスト3入りだよ、カレシ。

窓際の席に落ち着いたワタシはタブレットを出して、しばしゲームでひとり遊び。でも、カレシは狭いテーブルにネットブックと外付けドライブとミニマウスを広げているもので、ときどき肘がワタシのわき腹に当たる。そういうことが何度かあると、ワタシもだんだんイライラして来るんだえkど、文句を言っても消音ヘッドフォンをかけているカレシには聞こえないから始末が悪い。バケーションに出発したばかりなのに、もう微妙に険悪な空気になって来る。ま、いつものことなんだけど。でも、新型の座席らしく、何となく間隔が狭くなった感じがするし、座席の下のスペースも小さくなったようで、カレシもやっとのことで座席で使う小道具は小さいバッグにまとめて、大きいバッグは格納するのが効率的で快適であると悟ったらしく、帰りは2つに分けて持ち歩いていた。もう・・・。

ホノルル到着は午後6時過ぎで、ハワイアン航空のカウアイ島行きに乗り換え。わずか30分なので、おしゃべりをしているうちにリフエ空港に到着。ここでレンタカーを借りてホテルに行くはず・・・なんだけど、レンタカーのオフィスが移動したらしく、シャトルバスに乗せられてしまった。ええ?調べておいた道順が役に立たなくなっちゃったよ~。もう暗いし、これでは迷子になってしまうよ~。でも、しつこく道順を聞いて、そろそろと出発。何とか幹線の「カウムアリイ」ハイウェイに入ったはいいけど、6マイルくらい行って左折する「マルヒア」ロードがないまま10マイル地点まで行ってしまった。いくらなんでも行き過ぎだということで、レンタカー会社がくれたパンフの地図を見たら「520号線」がマルヒアロード。とりあえずUターンして戻ったら、道路標識には「520号線」としか書いてない。もうっ、グーグルに文句を言ってやるっ。

他に車が通らない暗い夜道をゆっくり走って、何とか「ポイプ」ロードに到達。コアケア・ホテルにたどり着いたのはもう午後10時過ぎ。玄関で車を止めたら、駐車係の人が飛んで来て「○○様ですね?」 ふむ、どうやら3泊分を前払いしてあるのにいつまでも現れないので心配してくれていたらしい。部屋に入って、ラナイ(ベランダ)に出たら、暗闇の向こうから波の音が聞こえて来た。ああ、ハワイだ~。

ハワイ日記-カウアイ島その1

6月5日。コアケア・ホテルは両側を2つの大きなホテルに挟まれて、オフィスとレストランのある建物の後ろ、ブールの周りに3階建ての客室棟を3つ配置したこじんまりしたところ。「最もロマンチックなホテル」とかに選ばれたことがあるというだけあって、子連れはほとんどいない。午後10時以降は「お静かに」タイムというルールがあって、ほんとに静かだった。私たちの部屋はEha棟3階の「海が一部見える」部屋。たしかに、朝起きてラナイに出たら、(端っこの部屋なので)外階段の向こうに海が見えた。

ホテルの客筋は、アメリカがメモリアルデイの三連休だったせいか、ほとんどアメリカ人。いやあ、でっかい人たちが多いなあ。人体ってあんなに「拡張」できるもんなんだと感心するくらいのスーパーサイズの人がぞろぞろ。最近ちょっとぽっちゃりになったなあと思っていたワタシなんぞ「やせっぽちのおチビ」に見えてしまう。おまけに、朝食にコンチネンタルのブッフェを注文したら、「朝食込みのプランですが、よろしいんですか」と不思議そうな顔をされた。ジュースとフルーツ、ヨーグルト、オートミールにクロワッサンにコーヒー。それでも普段の朝ごはんより多いんだけど、込みとなるとみんな張り切って盛大な朝ごはんを注文するのかな。それじゃあ「大幅拡張」になるよねえ・・・。

さっそくホテルの後ろにあるビーチに出てみた。休日とあって、サーフボードやウェークボードを持った若い人たちや、家族連れが大勢。リゾート地というのはこういう「抜けるような青空と燦々と輝く太陽と青い海とどこまでも広がる砂浜」を堪能しに来るところなんだろうな。ビーチに下りるにはサンダルが必要ということで、近くの小さなショッピングセンターに出かけて、それぞれビーチサンダルと帽子を調達。さっそく店の外で履き替えて、ホテルまでビーチを散歩。風に帽子を飛ばされて、あわてて引いていく波の中から取り戻したけど、ハワイの海は地中海ほどではなかったにしても、かなり生ぬるかった。

午後はみんなと同じようにごろごろするつもりだったけど、遠くから来て1日ごろごろなんてもったいないと思って、車を出してもらって、カウアイ島名物の「Spouting Horn」という、いわゆる潮吹き岩を見に行くことにした。ホテルで各観光名所への道順を書いたカードをたくさんもらったので、ラウンダバウトの出口さえ間違えなければドライブは簡単。標識を見てぱっとハワイ語の名前の道路を見つけるのはちょっと難しいけど、幹線以外は速度制限が25マイル(40キロ)とか35マイル(55キロ)と低速なので、目を凝らしていればあまり見落とすことはない。波が来るたびに潮を吹く穴とブオォ~ンと唸る大きな穴があって、みんな金網をめぐらしただけの「展望台」から身を乗り出すようにカメラを構えて、その瞬間をキャッチしようと必死。でも、デジカメはタイミングが外れるので難しい。

潮吹き岩の道路向かいにある植物園?に寄って、迷わずホテルに帰還。ランチには遅いけど、夕食には早すぎるから、プールサイドのバー(丸い建物)でちょっと一杯。(ホテルの中のバーはまだ開いていない。)メニューはいかにもプールサイド的なドリンクと軽食。バーのスツールによじ登って、心地よい風に吹かれながらフルーツ満載のカクテルを飲んで、おやつに生春巻きをほおばって、リゾート気分を味わった。

夕食はショッピングセンターまで歩いて、買い物に行ったときに目をつけておいたRoy’s。本拠はホノルルにある、ちょっとおしゃれなレストラン。アペタイザーのメニューに「アヒのポケ」があったので飛びついた。サーバーに「本場のポケ」が食べたかったのと言ったら、いろいろとポケの話をしてくれて、「たまに生きのいいサケが手に入ったときに作るんだ」と、自分の「サーモンのポケ」のレシピをコースターの裏に書いてくれた。

その日のお奨めは「モンチョン」という名の魚をマカダミアナッツのクラストをつけて焼いたもの。後で調べたら、ムーンフィッシュともいい、日本語では「シマガツオ」というらしい。見てくれはこんな不細工な魚らしいけど、しっとりした食感で、味にも癖がなくて実に美味・・・↓

う~ん、カウアイ島はのんびりしていて、いいね!

ハワイ日記-カウアイ島その2

カウアイ島での2度目の朝。あれ、曇り空かなと思うけど、すぐに燦々たる熱帯の日差し。前の日1日で両腕が真っ赤に日焼けしてしまった。元々浅黒い方だから、ヒリヒリするほどのものではないけど、剥けるなあという予感。またまた「少食」なコンチネンタル式の朝ごはんを心配された。「メニューからどんどん注文していいんですよ」と言われても、幅が1メートルもありそうなおじさん、おばさんの後姿を目の前に見せつけられるとねえ・・・。

短いカウアイ島滞在最後の日。1日がかりで反対側のノースショアまで遠出。観光の交通の便は良くないようで、観光バスもついぞ見かけなかった。レンタカーを借りて正解だったな。ホテルでもらった道案内を片手に、まずは「ワイルア滝」へ。ポイプ・ロードに出て、左折する代わりに右折。左折してアラキノイキバイパス。な~んだ、空港からの近道があったんだ。グーグルの道順はすごい遠回り。ほんとに怒るよ、グーグル。滝への道はくねくねとした山道を行く感じ。めったに他の車とすれ違わないので、「この道でいいのかなあ」と心配になっても、道を確認する人がいない。アイルランドの僻地ディングル半島を走ったときのことを思い出した。心配しいしい車を走らせて、目の前に開けたのが2本の真っ白な水流がなだれ落ちるワイルア滝。(なぜか人がたくさんいる・・・。)

人がたくさんいるのに途中で会わなかったのは、列を成して行くという時期ではないからかもしれない。元の道を辿ってクヒオハイウェイに戻って、今度はオパエカア滝を目指す。580号線(クアモオ・ロード)の途中に駐車場と展望台があって、遠くに滝を望む。(ちょっとズームインして、こんな感じ。)近くまで行くのは大変なハイキングになるらしい。わりと交通のある道路を渡って反対側の展望台からは、ワイルア川がゆったり流れる谷間の風景。白い平べったい船は「Fern Grotto(シダの洞窟)」へ行く観光船。

またクヒオハイウェイに戻って、一路ノースショアへ。途中の町でマーケットか何かのイベントがあったのか、のろのろ運転。急にスピードアップしたと思うと、車の影もまばらなクヒオハイウェイが延々と続いて、制限時速40マイル(65キロ)。30分以上も走ってやっと「キラウエア灯台」の標識が見えた。またぞろくねくねした道に入ってしばらく行くと、目の前に海が開ける。国立野生動物保護区なので、断崖に海鳥が巣を作り、華麗に舞っている。灯台は修復作業が進められているとかで、そばまで行くには車でさらに細い道を行って、入場料?を払って、歩かなければならない。でも、灯台のそばで育ったワタシからすれば、灯台というのは、広い空と海を背景にして岬の突端に凛と立っているのを、少し遠くから全体像として眺めるのが一番絵になると思うんだけどな。

クヒオハイウェイに戻って、そのまま一路ハナレイの町へ。途中にハナレイ川を渡る1車線きりの橋がある。大雨が降ると通行止めになるところだそうだけど、幸い天気はかんかん照りで、冷房をガンガンかけていないと蒸し焼きになりそう。橋のたもとまで来ると、大きな看板に「5~7台がローカルマナー」と書いてあった。つまり、自分の前に多くて7台くらいいたら自分は止まって、反対方向の車を5台~7台通し、向こう端で車が止まったら、自分が渡る番ということになる。見ていたら、みんなちゃんとマナーを守って、実にスムーズに流れが交代していた。

ハナレイが近づいて来て、なぜかついピーター、ポール&メアリーの『Puff the Magic Dragon』の歌を口ずさんでしまったけど、魔法のドラゴンのパフが住んでいたのは「Honah Lee」で、ここはHanalei。でも、どっちも英語的には「ハナリー」に聞こえるせいで、歌が出てきたんだろうな。鼻歌を歌いながら入って来たハナレイの町はいかにも観光地的で、みやげ屋やレストランがずらり。かっては映画のロケ地にもなったそうで、世界からサーファーが集まってくるという話だった。でも、私たちは遅いランチを食べるのが先決・・・。

ノースショアのハナレイから、サウスショアのポイプビーチまでは約1時間半のドライブ。ここで試しにタブレットのGPSをオンにして見たら、WiFiに接続していなくても機能することがわかった。画面の地図の上を進む青い三角矢印を追って、はい、次の分かれ道で右に入って、次の交差点で左に曲がって・・・と、ナビゲータの仕事は楽々。もっと早くに知っていたら、迷子にならずに済んだのになあ。途中で見えたおもしろい形の山・・・何に見えるかなあ。

これでカウアイ島でのバケーションは終わり。西側のワイメアキャニオンには行きそびれたけど、丸2日しか予定を取らなかったからしょうがない。景色はすばらしいし、のんびりさが大いに気に入ったから、また来ればいいよね。

ハワイ日記-ホノルルその1(ホテル騒動)

6月6日。5月29日にカウアイ島を後にして、会議の開催地ホノルルへ移動。リフエ空港はセキュリティが建物の入り口にあって、中に入ると空港というよりはちょっとした地方都市の「駅」のような感じがする。オープンで風が通るようにできているのは、冷房しなくてもいいようにするためかな。でも、誰でもひょいとどこからでも入れそうで、セキュリティ検査をやる意味があるのかな。

会議のオフィシャルホテルは「クィーン・カピオラニ」。ワイキキのホテル群の東端にあって、道路の向かい側はホノルル動物園。ワイキキの目抜き通り「カラカウア・アベニュー」はすぐそこ。ロビーに修学旅行らしい日本人の中学生の集団がたむろしていて、思わず「ん~?」と言う怪しい予感。会議参加者用の部屋数が足りなくなったのかどうか、私たちは頼みもしないのに「ジュニアスイート」とやらに格上げされてチェックイン。冷蔵庫と流しと電子レンジとトースターと食器類があって、自室で朝食や軽食を食べられる。だけど、だけど・・・。

何なんだ、この騒音は?ガーガー、ゴーゴー、ピーコピーコとひっきりなし。窓が冷房システムがなかった時代さながらのルーバー式だから、遮音効果はゼロ。いったい何十年アップグレードせずに来たんだろうな。とっくの昔に賞味期限が切れたままで戸棚に残っていた乾燥食品みたいなもんだな。腐ってはいないけど、とにかく古い。「ジュニアスイート」は高い部屋のはずなのに、バスルームは古めかしいし、トイレはすんなり流れない。会議の組織委員会は「格安」という理由で選んだんだろうけど、これから4泊するのに、だいじょうぶか、このホテル?

案の定、カレシが「こんなところで寝られるわけがない」と文句。実はカレシは前夜トイレに起きたときに何かにつまずいて転び、足の指を挫いて、朝には2番目の指が目に見えて脹れていた。そのせいで少々機嫌が悪いところへして、この騒音。部屋を変えてもらおうとフロントに談判しに行って、反対側の「安い部屋」は満杯だと言われ、重機の騒音は下水道工事のもので、5時には終わるとの説明に、「下水工事はホテルのせいじゃないもんな」と一応は納得。たしかに、ホテルの外のことはホテルの責任じゃないよね。夜間工事はやらないようだし、昼間は外へ出ているだろうから、まっ、いいか・・・。

ところが、夕方になって、今度は真下のラナイのステージでハワイアンダンスのショーが始まった。カレシはまたフロントへ直行。ショーは8時には終わるという説明で、その間に外に食事に出かけることで一応の解決。午後偵察に出かけて目をつけてあったイタリアンレストランに夕食にでかけた。人気スポットらしく、空席待ちの行列ができている。テーブルは25分待ちということで、私たちはバーのカウンターへ。食事に満足してホテルに戻ったらショーは終わっていた。おお、静かになった・・・と思ったら、部屋に据え付けられたクーラーが重機に負けず劣らずの騒音。薄いシーツ1枚を残してカバーを剥ぎ取り、クーラーを止めてやっと何とか浅いながらも眠りにつくことができた。

朝食はプールサイドのレストラン(ショーをやっていたところ)。特に安くもないコンチネンタル式のブッフェは、何これ?今どきの「機内食」並みにお粗末で、まずいよ、正直・・・。「こんなところにいたくない」と寝不足と足指の痛みでご機嫌斜めのカレシ。他のホテルに移りたいなら異存はないよと言ったけど、「お前がはっきり賛成しないなら移らない」とダダをこね始めた。異存はないと言ったのに。ははあ、他のホテルに移ったとして、そこもダメだったら決定者の責任を感じてしまうから、自分では決断したくないんだなあ。(まさに小町横町的思考・・・。)ああだこうだと言っているうちに2人ともけんか腰。27年前にもホノルルでけんかしたっけね。ホノルルは鬼門なのかな?

部屋に戻って、トイレにこもったカレシ。ワタシはタブレットをオンにして、近くにあるヒルトンの空室状況をチェック。(便利だね、タブレットって。)ビーチと反対側に標準タイプの部屋があって、1泊30ドルほど高くなるだけ。よ~し、決定だ。うじうじ考えてないで、行動しなきゃ何にも解決しないのだ。トイレから出て来たカレシを引っ張ってすぐにヒルトンへゴー。ビーチサンダル履きで、荷物を持っていない異人種カップルがいきなり「部屋、ありますか?」と聞くもので、フロントの人はうさん臭そうに「地元の方ですか?」 いやいや、観光客なんだけど、静かな部屋が欲しいとああちゃら、こうちゃら。

やっと「あります」という返事をもらって、カレシが「見せてもらっていいですか?」(やるじゃん、カレシ。)臨時のカードキーをもらって見に行ったのは18階のどん詰まりの部屋。ドアを開けたら、おおっ、静かだあ~。しかも、私たち好みの設備の部屋(ヒルトン標準仕様というところかな)。速攻でフロントに戻って、チェックイン。すぐ引っ越していいと言うので、元のホテルに戻って、フロントでチェックアウトする理由をああちゃら、こうちゃらと説明。ペナルティなしで残り3泊をキャンセルできることになり、大急ぎで荷物をまとめて、ヒルトンにお引越し。ああ、忙しい。ワイキキって、遊ぶところじゃなかったの?

ハワイ日記-ホノルルその2

ホノルル。金曜日の朝。静かな、静かな部屋でしっかり寝て、すっかりリフレッシュした気分で目が覚めた。カーテンを開けたら、あら、いかにも南国的な雨もよう・・・。

外を歩いていると、ときたま青空からさぁ~っと霧のような雨が通り過ぎて、むき出しの肌がちょっと濡れるけど、すぐに乾く。こういうのを通り雨という言うのかな。いつまでもしつこくしとしと降るバンクーバーの雨とは大違いの、あっけらかんとした雨。南国なんだなあ、やっぱり。ヒルトンの部屋から見えるのは山の斜面を登って行く住宅地。2つの高層ホテルがワイキキの眺望を遮っているけど、ビーチ方面からの騒音も遮ってくれているらしく、信じられないくらいの静けさ。年を取っての旅は、飛行機の座席の狭さは我慢できるとしても、快適に眠れるホテルは何にも代えがたい。

会議前の「自由時間」の最後の日は、ハナウマベイまで足を伸ばす計画だったけど、カレシの足指の腫れがひどくなって来たので、取りやめ。のんびり過ごすことにして、インターナショナルマーケットまでそぞろ歩き。買い物といっても派手なハワイアンドレス2枚と冷蔵庫につけるマグネットなど数品。クリスマスショップがあったので、「ご当地」のクリスマス飾りも2個。

でもやっぱり、私たちにはワイキキはつまらないかな。前の日は引越しの後でアラモアナ・センターまでタクシーで行ってみたけど、北米のショッピングセンターのひとつに変わりはなくて、ドラッグストアでカレシの足指の手当のために医療用テープを買い、フードコードの雑踏の中でテイクアウトのランチ(ポケとカルビのコンボはおいしかった!)。まあ、年次会議で同業の古だぬきたちと旧交を温めるのが目的で来たわけで、木曜日の夜はクライアント主催の会食、金曜日は恒例になった前夜祭パーティ、土曜日は宴会と、パーティ続き。こっちの方はめちゃくちゃ楽しいのひと言に尽きるから、いいか。

会議初日の土曜日は午前6時半に起床。緯度の低いホノルルではこの時刻でもまだあまり日が高くない。日の出の時刻を標準時で比べると、ホノルルとバンクーバーではなんと1時間40分も違う。昼間の長さはバンクーバーで16時間で、ホノルルは14時間以下。もっとも、常夏の国で16時間も日が照っていたら、焼け死んでしまうかもしれないな。ルームサービスの朝食が予約の7時に届いて、曇り空が晴れて行くのを見ながら、ゆったりと朝食。ハワイでは朝起きるといつも灰色っぽい雲が広がっているのに、朝ごはんが済む頃には抜けるような青空に真っ白な雲。どうしてそうなるのかなあ。

会議の会場はハワイ大学マノア校のキャンパスにあるハワイ移民国際会議場。歩いて行ける距離ではないので、タクシーで行く。まずは大きな会議場で開会式。基調講演はアメリカで初のアジア系州知事になった日系二世のジョージ・アリヨシ元ハワイ知事。今年87歳。きれいな白髪に凛とした風格。船員だった父親が上陸して船に戻らず、そのまま居ついた「不法移民」だった話はおもしろかったな。続いてサトウキビやパイナップル農園の労働者として移民して来た日系人の厳しい生活の口述証言を集めて記録している移民史の研究者が講演。写真花嫁として渡って来た一世の女性の証言は感動的だった。貧困の中で農場や工場で低賃金で働いて子供たちを育て、血のにじむような苦労の末に築いたアメリカでの老後を「Life is good(人生はいいものよ)」と。講演者はその言葉を3回繰り返した。人生はいいものよ。生きることはいいものよ。いい生活よ・・・涙が出そうになった。

初日の日程が終わって、タクシーの便が悪いので、ほとんどの参加者が会議場前のバス停から13番のバスでワイキキへ。わいわい、がやがやと、まるでスクールバスみたいな騒々しさ。ふと見上げたら、バスでやってはいけないことのポスターがあって、ありふれた「ダメ」の他に、なんと「うんこ・おしっこはダメ」(下段左から2つ目)とあったからびっくり仰天。マナーの問題も、ところ変われば何とやら・・・。

宴会はワイキキビーチにあるホノルル水族館でのガーデンパーティ。展示の魚を見て、広い芝生に出て、ワインを片手に、中華とハワイ料理のブッフェ。気持のいい風に吹かれて、あっちでおしゃべり、こっちでおしゃべりするうちに、空はハワイアンサンセット・・・。

アクシデントやら何やらとあった1週間だった、終わり良ければすべて良しということで、27年ぶりのハワイ旅行、けっこう楽しんだよね!

ハワイ日記-番外編(植物)

ハワイではいたるところに鮮やかな色の花が咲いていて、それがみんな大きいのは、さすが南国というところ。ハワイで撮った名前も知らない植物の写真の数々。あちこちを調べまくって、初めて知ったものもあるし、知ってはいたけど「へえ、こんな風になってるんだ~」と言うのも多いし、100%確信はないけど、「これかな~?」と言うものもある。あれこれまとめて順不同で・・・。

[写真] 足元に巨大な(は少々大げさかもしれないけど)口を開けていたブロメリア。室内での鉢植え観葉植物として見慣れて来たけど、こんな大きいのはの中には置けないな。
[写真] カウアイ島のホテルの玄関横に咲いていたジンジャー。普通の生姜の木なんだそうで、島のあちこちに当たり前のように咲いていた。
[写真] まだ熟していないパパイヤが鈴なり・・・。
[写真] こっちはマンゴーが鈴なり・・・。
[写真] Spouting Hornの展望台のみやげもの屋の外にあったマンゴスティンの木。
[写真] 同じ展望台の駐車場の端にあった木。どうやらマカダミアナッツの木のようだけど・・・。
[写真] 椰子の木のようでもあるけど、椰子の実には見えない不思議なもの。「ハラ」という名前の実だそうな。
[写真] これまた不思議な形の実。「ノニ」といって、何か薬効があるという話だった。
[写真] 鳥の巣でヒナがいっせいに口をあけてコーラスをしているようで、ちょっとユーモラス。何だろうな、これ。ククイナッツの抜け殻だという人もいるけど、はて・・・。
[写真] みごとに真っ赤な花。ロイヤルポインシアナというらしい。南国の情熱の炎かな?
[写真] ハワイ移民国際会議場の日本庭園の隅にあった竹。Golden striped bambooという札があったけど、日本名はキンシダケというのかな。筍は濃い緑色・・・。
[写真] ピカケの花・・・だと思う。
[写真] ホノルルの大きなホテルの庭にあった樹齢100年余りの巨大なバニヤンツリーの幹をよく見てみると・・・。
[写真] ハワイの州花ハイビスカス。こんな大きいのを髪に飾ったら、アスコット競馬の貴婦人の帽子のようかも。