リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年10月~その3

2010年10月31日 | 昔語り(2006~2013)
病は気から、ネットから                                                                                                               
10月21日。木曜日。湿っぽそうな曇り空。とうとう仕事が半徹夜での突貫作業になってしまって、2日連続で就寝は午前5時半。まあ、普通の時間に起きるわけじゃないし、寝付くまで2時間近くかかるのもめずらしいことじゃないから、大して違いはないと強がってはいるけど、1日は良くても、2日となると、やっぱりちょっと眠いなあ。

今日はカレシが腎臓と膀胱の超音波検査を受けに行く日で、これがここんところ精神的に揺ていた根本的原因なんだけど、ワタシが納品前の最後の仕上げをしている間に、ついでに血液検査(PSA)もして来ると、別のラボへ出かけていった。気になるのはわかるけど、どんな結果が出るかわからないから怖いといっても、検査をしなければ重大な見逃しにつながる危険があるし、検査はしてみなければどんな結果がでるかはわからないのに、なんだか妙なヘンなところで総すくみになっている感じ。それでも、血液検査はサンプルを採取するだけなので、今日は空いていたと言ってすぐに戻って来た。

超音波検査の予約は午後4時半なので、まあ、無事に大仕事を納品したことでもあるし、一緒に出かけて、カレシが検査をしている間に近くのWhole Foodsで買い物をして、終わったら近くで何か食べて帰ってこようということになった。卵巣膿腫ができたときに何度もやって勝手知った手前、「すぐに済むし、頼めば画像を見せてくれるよ」と言っても、カレシはまだ何となく不安そうな顔。レントゲン以外の機械を使った検査は生まれて始めてのことだからしょうがないか。地価駐車場で3時間(その上は12時間)分の料金を払って、カレシは地上へ、ワタシはWhole
Foodsへ。入り口あたりにハロウィンが近いから大小とりどりのかぼちゃをどかんと積んである。

いつものようにお気に入りのグラノーラを袋にいっぱい。どうも日本のカブに似てる白カブがあったのでモノは試しに4個。大きなゴールデンピーツを2個。単体では売っていないグルメきのこのミックスのパックがあったのでこれもお試し。アラスカ産の巨大なえびを4尾(これで300グラム)。オヒョウとスズキは切り分けてもらって、ついでに大きなアヒ。ツナとマヒマヒの冷凍バーガーはランチ用。うん、今日は大漁だぞ~。好奇心で買ったもの: トマトのチャツネ、大豆の粉、コームハニー(蜂の巣入りのはちみつ)。おまけは『Vancouver Cooks』という本。バンクーバーのトップクラスのシェフで作っているNPOがあって、シェフの卵に奨学金を出したり、学校での食育にひと役買ったり、地産地消運動の旗振りをしたりしているんだけど、この本は会員の各シェフの得意レシピを集めて出版した料理本の2冊目。こういう料理本は写真を見ているだけで楽しい。

カレシの検査が予想通りさっさと終わったので、Whole Foodsをチェックアウトして、荷物を車のトランクに入れて、上にあるレストラン(Milestones)へ。なんかファミレスレベルから少しアップしたような感じだけど、とりあえず地ビールで乾杯して、カレシは海鮮サラダ、ワタシは海鮮パスタ。そこで検査の話を聞いてみたら、腎臓は何もなかったけど、膀胱のあたりで何か引っかかるものがあってドクターと相談していたとか。ふむ、前立腺かな、やっぱり。だけど、人間の体は人体模型のようにきれいに一律な形にはできていないから、いびつなだけかもしれないよ。超音波はソナーみたいなもので、MRIのようにきれいな「画像」はできないからねえ。ここで、カレシが超音波検査の画像を見たことがないとわかってびっくり。(帰ってきてぼんやりした胎児の画像の写真がある本を引っ張り出して見せたら、「写真みたいなものかと思ってた」と。画面を見せてもらいなさいよと言ったんだけどなあ・・・。)

家に帰ってきてからのカレシは、どうやら前立腺に関する情報をググりまくっていたらしい。基礎的な情報は知っておいた方がいいと思うけど、カレシのように何でも気にして不安になってしまう人にとっては、玉石混交の情報過多になるとかえって不安が高まってストレスがたまるんじゃないのかな。勝手に自己診断してくよくよする人もいるし、「病膏肓に入る」というのか、存在しない病巣まで見えたり、ありえない症状が出てくる人もいるしね。しまいには「やっぱり自分は病気だったんだ」と思って逆に安心するような人もいるらしいから、人間の心理って複雑怪奇だなあ。次に予定されている内視鏡検査は1ヵ月先だけど、う~ん、病は気からというし・・・。

大きなエビを買ってみたら                                                                                                              
10月22日。金曜日。2人ともひたすら良く寝て、目が覚めたら午後12時半。まあまあの天気。起きるのが遅すぎたので、予定していたベーコンと卵の朝食はあしたに持ち越しということにして、いつも通りのシリアルで済ませる。今日は丸一日「休みモード」だと決め込んで張り切ったものの、家庭の事務がけっこうあれこれたまっていて、午後は結局そっちの処理で暮れてしまった。もっとも、家のことは仕事とは別もので、元から休みもへったくれもないんだけど、それでも、あ~あ。

知らない人から突然こっちの翻訳市場の状況を問い合わせるメールがあった。長いこと日本に住んでいて最近戻って来たそうだけど、どうやら大学を卒業して、そのままバブルの余韻がまだ覚めやらぬ日本へ直行して、(ご多分に漏れず)英会話教師になってそのまま日本に長居した手合いらしい。ときどき同じような問い合わせメールが来るんだけど、みんな大学を出てすぐに社会人経験もせずに日本へ直行して、おおかたは英会話の先生になって、そのうちに「帰るに帰れぬ事情」ができたりして、10年、15年と日本に長居した男たち。まあ、この人はその中でも翻訳者としての能力はあるようだけど、とっくにカナダに帰国しているんだったら、母語が通じるところなんだから、地元の市場調査くらい自分できるだろうになあ。そんな教えてちゃんじゃあ、商売としてやってけないってば。

一日の始まりが遅いと、ちょこちょこっと事務処理をしただけでもうトレッドミルの時間。きのうは運動が「休みの日」だったから、今日はサボれない。こういうのは週に1日だけなら体を休める日としてサボる方がかえっていいこともあるんだけど、「今日も、ま、いいか」と2日連続でサボるとそのまま元の日課に戻れなくなる可能性が出てくるから要注意。でも、カレシは4時になるかならないかでさっさとしたくを始めたからエライ。と思ったら、急に外へ出て行ってしまって、今度はびっくり。両手にiPodと携帯を握り締めて戻って来て、「いつものようにiPodに曲を落とそうとしたら、肝心のキカイがない。きのう持って出かけて置き忘れてきた!とパニックになりかけたけど、思考停止の一歩寸前で、もしかして車の中に置き忘れたかもしれないと思って、ガレージに調べに行ったんだよ」と。うん、思考停止にならずに結論まで行ったのはエライけど、はあ・・・。

汗を流した後は、きのう買ってきた4尾の巨大なエビをどうするか。頭を取ってあるけど、それでも尻尾の先までゆうに15センチはある。しかも、よく見たらどれもおなかに赤い小さな卵がざくざくとついている。子持ちエビなんて初めて見た。このエビはspotted prawnといって、最近はローカルの食材として注目されている。北はアラスカから南はモンテレー湾のあたりまでの北米西岸が漁場で、殻に白い点があるから「スポットエビ」と呼ばれ、日本でボタンエビと呼んでいる種類と近いらしい。そこまでわかったところで、この卵、殻と一緒に外したのはいいけど、はてどうしたものか。

身の方をライムとしょうがと唐辛子でマリネートして(エビの鋭い尻尾でむくときに指を傷つけて、しょうががしみて痛いこと、痛いこと・・・。)、タルタル風にするビンナガを包丁で叩いて挽き肉風にして、赤唐辛子、にんにく、ネギ、しょうがを細かく刻んで、ごま油と醤油で和えて・・・とやっているうちに思いついたのが、バタフライにした身に載せて焼いてしまうという手。イクラやとびこの経験では火を通すと白くなるから、ひっくり返さずに片方だけから焼くことにして、丸まってしまわないようにホイルをかぶせて、鍋の底を重しにしてバター焼きにしたら、それまでやや黒ずんでいた卵の色がみごとな赤に変わったから、またまたびっくり。

[写真] シリコーンのマフィン型の底に炒った白ごまを敷いて詰めたビンナガのタルタルをお皿に伏せて型を外したら、頭にゴマを載せた「何となくプリン風」。カレシが菜園から収穫してきた今年最後のインゲン豆を軽く蒸して添えたら、初めて見た子持ちエビにびっくり仰天しての思いつき料理にしては、今夜の夕食はけっこう「ごちそう風」・・・。

だけど、エビの卵は次の世代のエビなんだよね。生まれて、大きなエビに育って、やがては食材として食卓にのぼるはずなんだけど、それを待たずに食べてしまっていいのかなあ。もちろん、おいしかったんだけど・・・。

学校に何か異変が起きている?                                                                                                     
10月23日。土曜日。起床はまた正午を過ぎた。何となくバテているのかなあ、私たち。だけど、今日こそはベーコンとポテトと卵で朝食だぞ!という意気込みで、ダラダラせずにパッと起きた。だって、ワタシは腹ペコ熊の状態。やたらとおなかが空くのは2日連続の長丁場でちょっと寝不足になったせいだろうな。半徹夜だから どうにもならない空腹感ではないけど、胃袋に「食べようよ~」とせっつかれている感じがする。完全に徹夜したときなどはふつうの食事をして30分も経たないうちにおなかが空くから困る。空腹感というよりも飢餓に近いような感じで、きっt太古の昔にプログラミングされた「飢饉対策遺伝子」が起動したんだろうな。睡眠不足は太る原因になるというのはほんとうだと思う。

というわけでベーコンポテトと目玉焼きの朝ごはんをしっかりと食べて、まずは短い仕事をちゃっちゃと片付けたら、あとはのんびり。今夜は大風と大雨の予報だから、よけいにのんびり気分になる。まず新聞。ガイトナーがアメリカは強いドルの政策を支持すると言ったそうな。ふむ、米ドルのレート、上がるかな?と、欲に駆られてまた米ドル口座にまとまった資金を移動。おいおい、山っ気を出しちゃっていいのかなあ。ま、どっちに振れるか、週が明けてのお楽しみ・・・。

東京の小学校で先生が授業の終わりにとんでもないクイズを出したというニュース。なんでも、「3人姉妹の長女が自殺し、次女はその葬式に来た男性を好きになった。再会するにはどうすればいいか」という質問で、正解は「妹を殺せば葬式で会える」なんだそうな。小学校3年生に出せるようなクイズかいな、それ。この女教師は23歳だそうで、子供たちがせがむものでつい「大学時代に友人と楽しんだクイズ」を出してしまったんだとか。へえ、大学卒って、高校しか出ていない人には近寄ることもできないくらいの高学歴なんじゃなかったのかなあ。そっか、高学歴の女性ってそういうきわどいクイズが楽しいんだ。葬式で男を好きになって、また葬式を出せば会えるなんて、八百屋のお七の現代版のつもりかいな。(たぶん八百屋のお七の話なんて学歴が高すぎてご存じないだろうけど。)女子大生気分が抜けなくて、仕事と遊びの区別もつかないおネエちゃんに子供の将来を託していいものか、親だったら悩んでしまうなあ。

どこかの高校では、中間試験に校長や同僚教師の実名を使って「誰が校長を殺したか」なんて推理小説もどきの質問を出した男性教師がいて、この教師も20代だそうな。出題した本人は「オレってクリエイティブ~」なんて悦に入ってたかもしれないけど、やっぱり「何が適切か」という判断ができない世代なんだろうな。深く考えずにやってしまうところは反射神経が命のゲーム世代だからか、それともテレビに溢れるえげつないお笑い番組の見過ぎか・・・。小学生に「18人の子供を1日3人ずつ殺したら、全部殺すのに何日かかるか」なんてとんでもない質問を出した教師がいたのはついこの間だったと思うけど、教師が盗撮だの児童買春だので逮捕されたというニュースが毎日のようにあるし、相当にかなり芯の方まで腐って来てるんじゃなかろうか。

読売新聞が読書について世論調査をしたら、52%の回答者が1ヵ月の間に1冊も本を読まなかったと答えたそうで、「本」の中にマンガが含まれるのかどうか知らないけど、理由は半数近くが「時間がない」。携帯をいじるのをちょっとやめてみたら、1ヵ月で小説の1冊くらい読める時間ができるんじゃないかと思うけど、常にメールをやりとりして人とつるんで(いる気持になって)いないとさびしくてしかたがない人も多いらしいから、ひとり静かに読書に耽るなんて孤独なことは苦手なのかもしれないな。やっぱり何かがおかしいような感じがするけど、おかしいとは思っても実際にその社会の中で暮らしていないから、「何」あるいは「どこ」がおかしいのかまではわからない。実際に日常生活を送っている人たちは「何かがおかしい」と感じているんだろうか。熱いお風呂だってどっぷり浸かっているとあんがいどれだけ熱いのかわからないってこともあるから・・・ま、よけいなお世話なんだけど。

嵐の秋空に秋刀魚の香り                                                                                                               
10月24日。日曜日。予報の通りに雨と風。起きてみたら、家の周りは落ち葉のじゅうたん。ずっと最低気温が平年より高めで、未だに緑のままだった前庭の隅のカエデがひと晩のうちに紅葉を始めていたからびっくり。フウの木も目が覚めるような赤。花ずおうは鮮やかな黄色。あっという間に秋の景色になってしまった。秋の空と夜叉の心・・・かな?

朝食が終わる頃には雨がやんで、ちょっと雲の切れそうなケイ肺だったけど、またすぐに雨。気象衛星の写真を見たら渦巻き雲があって、長期予報は来週の日曜日までほぼずっと雨傘マーク。典型的なバンクーバーの雨のシーズンだけど、ハロウィンが雨だとけっこう静かでいいな。いつもだったらハロウィンの2週間近く前から、待ちきれないガキン子どもが夜になるとあちこちで爆竹を鳴らしていたし、ときにはヒュルヒュル~と花火を打ち上げる音もしていたんだけど、今年から花火を上げるのに許可がいるようになったとかで、許可証がないと買えないのか、1週間前だというのに爆竹の音が聞こえない。火のついた爆竹を庭の中に投げ込まれたことがあったし、花火から火事になることもあってけっこう危険だから、許可制はいいことだと思うな。(大赤字の市役所も発行手数料が入るだろうしね。)

結局また外は嵐もようになって、買い物に行く気がしなくなったもので、まずは、あて先だけ入力して草稿箱に入れてあった3本のメールを書いて、送信。これで1時間近く。午後の時間は過ぎるのは早い。そういえば、もうひとつ小さい仕事があったんだっけ~と思いつつ、長いこと放り出してあったカレシのスエットパンツのボタン付け。この頃はなぜかコンタクトだけで、老眼鏡を使わなくても針穴に糸を通せるから不思議。この商売を始めた頃は仕事で使う辞書の小さい文字を見るのにコンタクト+老眼鏡+虫眼鏡という視力だったのが、まず虫眼鏡がいらなくなって、そのうちに老眼鏡がいらなくなって、今ではちょっと照明が暗いときや調子が悪くて少し視力が落ちたときだけ虫眼鏡を使う程度になった。おかげで家中に配備してある老眼鏡はほこりをかぶりっ放し。角膜がでこぼこでかなりの乱視、ついでに遠視と近視も同居していて、裸眼の視力は0.1を切っていたのに、どうなってるんだろう。(弱視の家系でひとりだけ目が良かったカレシは、今ではどこへ行くにも老眼鏡が必携品・・・。)

小さい仕事をぼちぼち始めたところで、トレッドミルの時間。時速7キロちょっとのペースで走ること15分。この頃は走った直後の脈拍があまり上がらなくなって来た。せいぜい140くらいまで上がって、すす~っと120以下に下がる。けっこうゆるいペースだから、体が慣れて、心臓がバクバクと働かなくても良くなってしまったんだろうな。ということは、あまり運動にはなってないってことかな。そのうち走時間を20分に延長するか、スピードを上げるか。60歳になる頃に走っていた時速10キロに戻れるかなあ。もし戻れたら、65歳シニアシチズンの地位達成の記念に10キロマラソンに出ようかな。前回の出場は55歳の誕生日祝いで、65分5秒で余裕で完走したけど、10年後の65歳に10キロマラソンを65分・・・う~ん、できすぎてるし、早起きするのは嫌だから、やめとこ・・・。

運動が終わったらもう夕食の時間。今日のメニューはさんま。冷凍の尾頭付き。魚の目を見るのがきらいなカレシのために、まず頭を取って、はらわたを取って、開きにする。そのまま焼くとおいしいんだけど、煙探知機がうるさいもので、開いたのをオーブンの上火のブロイラーで焼く。大根おろしを絞らずに醤油を混ぜたものを載せて、ちょっと火を通して、刻みねぎをパラパラ。メニューを書くとしたら、「さんまのグリル、大根おろしソース」ってところかな。まあ、それでも間違いなくさんまの味がした。

外はまだ嵐もようの雨。さて、仕事を終わらせてしまおうっと・・・。

いつもながら乱視の政治アニマル                                                                                                   
10月25日。月曜日。朝方(かな?)、階段の上にあるスカイライトに叩きつける雨の音でふっと目が覚めた。ちょっと降りすぎじゃないの~とおぼろに頭の中でどこへともなく愚痴りながらまた眠ってしまったけど、正午ぎりぎり前に起きてみたら、まだ降っていた。風もまだある。この嵐もよう、飽きもせずによく続くなあ。テレビをつけたら、今夜も大雨の予報。メトロバンクーバーでは火曜の朝までに50ミリの予想で、大雨注意報発令中。「50ミリってどのくらい?」とカレシ。だいたい2インチ。「うは~」とカレシ。日本の台風が来るあたりじゃそんなの「小雨」だと思うよ。集中豪雨なんてのは1時間でそれ以上降っちゃうんだから。だけど、いつかはバンクーバーの冬の雨も、気候変動の影響で「しとしと、びちゃびちゃ」から「降れば豪雨か豪雪」ってことになるかもしれないな。

このところテレビのニュースは、アメリカの俳優のランディ・クウェイドと奥さんが、カリフォルニア州で逮捕状が出ているということでバンクーバー市内で逮捕されたら、難民申請をしたという話で持ちきり。何でも、カリフォルニアにはセレブ殺しの集団みたいなのがいて、送還されたら殺される危険があるという理由らしい。はあ?ドラッグをやりすぎておかしくなってるんじゃないかと思うけど、こんな人でも「難民申請」を受理して、受け入れる根拠があるかどうかを審理しなければならないのがカナダの難民受入れ制度。申請者ひとりあたり5万ドルの費用がかかるそうで、これはカナダ国民が働いて納めた税金。つい何週間か前にはスリランカのタミル人が大勢ぼろ船でやって来て難民申請中だけど、結論が出るまで生活保護をもらえて、医療や子供の教育のめんどうも見てもらえて、こんなおいしい話はないよなあ。まあ、ハリウッドのスターとなれば生活保護は不要だろうけど、申請が通るかどうかわかるまでに2年から4年かかりそうだとか。難民に関する法律を変えてもらわなくちゃなあ。そういえば、オリンピック中に難民申請した2人の日本人、その後どうしているんだろう。カナダ生活、楽しんでるかなあ。

フランスでは定年を2年延長することに猛反対する労働者がストに次ぐスト、デモに次ぐデモで、国の経済活動はマヒ状態らしい。経済的損失はすごい金額になっているらしいけど、このままだとフランス経済は破綻してしまって、定年になっても政府に年金を払う財源がなくなっているかもしれないよ。金の卵を生むガチョウの首を絞めるようなもんじゃないのかなあ。延長と言ったって、60歳から62歳と、たったの2年。北米なんかとっくの昔から65歳だってのに。世論調査をすれば、65歳を過ぎても働き続けるという人が多いのに。だから労働法から「定年になっ
て退職する義務を撤廃したのに。日本なんか定年の延長を義務付けないままで年金の受給開始年令を5年も延ばしたと言うのに。フランス人にしたら「それが何か?」ってことなんだろうけど、法案はすでに上院で可決されたと言うから、どうするんだろうな。

中国では内陸の地方都市を中心に反日デモが相次いでいるとか。政権内での交代があったみたいだし、ノーベル平和賞の問題もあるし、もっともっと大きな国内問題も山ほどあるそうだし、中国政府も大変だな。ノーベル平和賞に服役中の人権活動家を選んだのは、尖閣列島をめぐる事件以来、最近なにかと金力と腕力を見せびらかす中国をノルウェイが煽ったようなところもあると思う。政治犯にノーベル賞を授与したら中国政府はどう出るか?中国の反応を見ていると、乗せられたなという感じもしたけど、たまっている民衆の不満のガス抜きをするには日本を利用するのが手っ取り早いということかな。でも、経済格差や政府や党幹部の汚職などの身近な不満がふつふつと漏れ出しているとか。世界史を見ても、市民革命が起こるのは生活や教育の水準があるレベルに達してからだそうだけど、中国では経済発展で不満がたまりやすい状況だろうし、ガス抜きした毒ガスが逆流してこないとも限らない。うまく舵取りするつもりでも、中国式ぬらりくらり戦術は政府も人民も同様に長けていて、骨があるからなあ。

今日は東のオンタリオ州各地で地方選挙。注目の的はカナダ最大の都市トロント。党派制度になっていないので市長候補はみんな「無所属」。その中で、歯に衣を着せない発言で有名なロブ・フォードという市会議員が立候補して、なんでもかんでも「トロントでなければカナダにあらず」みたいな鼻持ちならないトロントニアンたちを沸かせていた。メタボの体にふてくさった顔つきはおつむの鈍いフットボール選手のようで、カナダ最大の都市の市長と言う風格はゼロ。だけど、税金の無駄遣いを徹底的に斬りまくって、不在者投票の投票率が前回より80%も跳ね上がったというからすごい。投票日の今日は投票所に有権者の長蛇の列で、投票が終了して即刻始まった開票からわずか8分(!)で「当選」が発表されたというからすごい。ものすごい数が立候補していて得票率が47%だったというからすごい。バンクーバーの市制選挙はたしか来年。ルックスばかり良くて、エコ気取りで自転車専用レーンばかり作って、もっと大きい市長室が欲しいという金食い虫の市長をなんとかしてほしいんだけど、これから1年間のトロント新市長の動きはきっと西の果てのバンクーバーにまで大きな影響を及ぼすだろうな。うん、おもしろくなって来たぞ。

つい浮気してしまう人の言いわけ                                                                                                    
10月26日。火曜日。相変わらず湿っぽいけど、まあまあの天気。今日はさしあたってすぐにやらなければならない仕事はない。あさっての朝はデンバーへ出発だから、仕事戦線は週が明けるまでは平穏ということで、しめしめ。

何をしようかと思いながら、結局はいつものようにオフィスに座り込んでしまって、小町横町のそぞろ歩きで見つけた、ランキング1位の『夫に捨てられました』というトピックを呼んでいるうちにあっという間に午後が過ぎた。夫が不倫でもして出て行ってしまったのかと思ったら、つい魔が差して会社の独身男と一泊旅行に行ったのが夫にばれて、帰って来たら夫が手紙と離婚届をおいて出て行ってしまっていたという話。夫は勤め先も退職していて連絡が取れず、義家族からは着信拒否で誰も居所を教えてくれない。謝る機会も与えられず、謝罪も弁解も何も聞かずにいなくなるなんてひどい。自分の収入では家賃を払うのもキツイのに帰ってくるのを待っている。「今の社会で女性は弱い立場だから、もう一度だけチャンスが欲しい」と。

魔が差して・・・か。読み進むほどに、何度も後出しで「言い訳」が出てくる。「夫が半年以上も出張していて月末にしか帰って来なかったので、さびしくてつい・・・」。


明けて水曜日。雨期一服ですっきり晴れ上がったいい天気。ノースショアの山は白く冠雪。北米大陸では「weather bomb(天気爆弾)」と呼ばれる超特大スーパー低気圧が中西部からカナダ東部へと向かって猛威を振るっている。

きのうは「つい魔が差しての独身男との一泊旅行」がばれて夫に捨てられたという女性の投稿を読んでいるうちに、なんだか古くなりつつある過去のことを思い出したり、いろいろと考え込んだりしていた。投稿者は30代半ばだそうだけど、思考レベルは年令に追いついていないのか、あるいは今どきの普通のレベルなのか、どっちにしても、何もかも「誰(何)が○○でなかったらこんなことにはならなかった」と言うタイプ。一番悪いのは遊び半分で誘惑してきた会社の男、次に自分、三番目は(ほめ言葉も優しい言葉もなく、積極的に自分をつなぎとめてくれなかった)夫。ふむ、10年前、カレシも似たような言い訳していたなあ。

一番悪いのは自分を誘惑してきたオンナノコたち、次にその甘言の誘惑につい乗せられた自分、そして三番目は仕事に没頭して、さびしい思いをしている自分をかまってくれなかった妻(ワタシ)。当時の激しい口論を思い出して心がちょっとチクッとしたけど、そのうち笑いたくなって来たのは時間薬の効能なのかどうか。あの頃は国際結婚ブームだったらしいから、(カレシが釣り糸を垂れていた)ペンパル(ボーイフレンド)募集サイトで「淑やかで優しい日本女性」をアピールしていたカノジョたちは、チヤホヤしてくれる「白人、30代半ば、独身(?)」が魅力だっただけで、特に「カレシ」を誘惑したかったわけじゃないと思うんだけどな。その証拠に、どれもせいぜい何回かのやり取りでぷっつりだったじゃないの。それは「白人、20代、(確実に)独身」のカモが見つかって用済みになったということだったんじゃないのかな。まあ、のぼせた頭ではそこまで考えが及ばなかっただろうけど、ミイラになったミイラ取りのアナタが一番かっこ悪いんじゃない?

ワタシが仕事にのめりこんだのは、カレシが無関心を装ってワタシを拒否するようになって、さびしさや女盛りのエネルギーを仕事に向けたからなんだけど。でもワタシは、カレシがかまってくれなくてさびしいからって、トピックの主みたいに他の男の甘い言葉に「つい」でも何でもよろめくようなことはしなかった。だけど、なの。もしもあの頃まだ会社勤めだったら、もしも苦しんでいるときに優しくしてくれた男性がいたら、どうなったかは自分でもわからない。でも、ワタシはこういう方面でのマルチタスキングは苦手なもので、本気になったら誰が悪いのなんのと御託を並べたりせずにその人のところへ行ってしまっただろうな。まあ、カレシに無視されて、あまりあるエネルギーを仕事に集中したばかりに仕事が成功しすぎて、そのせいで(ほんとは嫉妬だったことはわかっているけど)さびしかったカレシが「ネット浮気」に走って、オンナノコが「下見」に来たりして、独身じゃなかったわかったから「お別れ」されてるのにワタシがいるからだと怒って、別れるのなんのという修羅場になって、だけど原因(遠因)になったその仕事がワタシの救命浮き輪になって、カレシが早期退職させられて、結果的にはワタシとカレシが元の鞘に納まって、ぐるりと輪を描いて完結・・・という顛末は、皮肉といえば皮肉かな。

もっとも、カレシの「浮気」は、ほんとうに世間一般の「浮気」の定義にあてはまる色事というよりは、子供の頃に返って大好きだったビスケット「アニマルクラッカー」で遊んでいる気分だったんじゃないかと思う。なにしろ一度に「交流」していたオンナノコの数が多すぎて、名前を取り違えることなどしょっちゅうだったし、チャットの内容を全部テキストで保存しておいたり、印刷したメールをバインダーに仕分けしたりで、「浮気の証拠」を無造作に残しすぎていたし、まるで母親に気になるった女の子の話をする思春期の男の子みたいな振る舞いが何かと多かったもの。つまりは、オンナノコたちは、子供の頃に汚れて食べられなくなるまで並べ替えて遊んだという動物の形をしたビスケットと同じものだったんじゃないかと思う。つまり、大人の約3割が一生に一度は経験するという(極度の精神不安による)一過性の精神症だったのかもしれない。

まあ、ビキニの写真で迫ったコも、スペイン男に騙されたコも、見事な男あしらいだったキコンのホステス嬢も、み~んなもう「昔の人」。誰がどれだけどんな形でカレシの記憶の中に残っているのかわからないけど、だんだんに色あせた写真のようにかすんで行くんじゃないのかな。それとも汚れたビスケットのように箱ごとそっくり捨てちゃったのかな。それにしても、人種、性別、年令、理由を問わず、「つい魔が差して」浮気をするような人間は、それがばれると実に往生際が悪くて、くどくどと似たような言い訳で責任転嫁しようとするするものらしい。してはいけないとわかっていることをして、叱られて、「だって、だって」と口をとんがらせている子供のようでもある。子供は「人間の器」がまだできあがっていないから必然的に自己中なものだし・・・。

さて、デンバー行きのチェックインが済んだことだし、ささっと荷物を詰めて、あしたは早起きして、空港へ駆けつけなきゃ。

早起きと寝不足と時差ぼけ                                                                                                             
10月30日。土曜日。デンバーでの起床時間は午前6時15分。外はまだ暗い。急いで身支度をして、荷物を持って30階の部屋を出たのは午前6時50分。フロントでチェックアウト。「他にご用は?」というから、後はタクシーを捕まえて空港へ行くだけだからといったら、胸もとにクリップしていた小さなマイクに「タクシー1台」と業務連絡。驚くほど効率よく終わって、外へ出るとタクシーが待っていて、ドアマンが「航空会社は?」と聞くから、ユナイテッドといったら、こっちが乗ってもそもそしている間に運転手に行き先を指示。ホテル出発は午前7時5分。

土曜日とあって交通もまばらで、だだっ広い「荒野」のど真ん中にあるように見えるデンバー国際空港までタクシーはすいすい。地平線が赤くなって、東の空は燃えるようなみごとな朝焼け。空港ターミナル到着は午前7時半頃。そのままセキュリティへ。ここはかなり人がいるけど、流れはスムーズ。並行したA、B、Cの3つのターミナルを串刺しにして結ぶ無人式のシャトル電車でBターミナルへ。この電車がいい。着いたときに「ようこそ、デンバーへ。市長のヒンケンルーパーです」と来たからびっくり。なかなかやるなあ。搭乗ゲートはターミナルの端っこで、行っても行っても見えてこない。腹ペコ状態で途中の食べ物屋(これがすごい数ある)の朝食テイクアウトを除いてみるけど、冷たいサンドイッチはやだなあ。機内で売ってるだろうから、それを買うかと思いつつも、86番ゲートの直前でスターバックスを見つけてコーヒーとスコーンを仕入れて、ゲートへ。なんか私たちの名前を呼んでるみたい・・・。

そのままカウンターへ行ったら、ホテルの端末からチェックして印刷した搭乗券を普通の搭乗券に交換。行きはそんなことなかったんだけどな。もらったとたんに搭乗開始。飛行機はカナダ製の66人乗って満員のCRJ700型。交代で熱いコーヒーのカップを預かって、座席の下に荷物を押し込んで、まずはスコーンとコーヒーのミニ朝食。バンクーバーからのフライトでは誰が持ち込んだのかフレンチフライの匂いがぷんぷんしていたっけ。ホテルを出てから搭乗するまで「待ち時間ゼロ」の連続で、8時14分の定刻にターミナルを離れ、スコーンの入った袋を膝に、コーヒーを飲みながら離陸。あはは、なんだか飛行機より駅馬車みたいで、田舎っぽくて愉快な感じ。機内アナウンスによると販売しているのはカクテルのみとか。えっ、カクテルって、まだ朝の8時を過ぎたところで、もうカクテル?

デンバーからバンクーバーまでは2時間半前後で、時差は1時間だから到着は午前10時ちょっと前。土曜日の朝はあまり人が動かないのか、入管はがら空き。すいすいと通過して、乗り場に並んでいたタクシーに乗って、我が家の玄関を開けたのはまだ午前11時前。とりあえずジュースとトーストとコーヒーで朝食の食べなおし。あまりない荷物を片付けて、そのまま2人とも服を着たままでベッドの上にばた~ん。ぐっすり眠って目が覚めたら午後2時半・・・。

今回は寝不足に悩まされたような気がする。だって、木曜日の朝は結局いつもの午前3時半に就寝して、目覚ましが鳴ったのは午前8時半。身支度をしてすぐタクシーを呼んで、荷物を持って飛び出して空港へ。ここでもけっこうすいすいと運んで、搭乗ギリギリまでゲート側のカフェテリアでエッグマフィンの朝食。その夜は早寝をしたつもりだったのに、カレシがまた「気になって眠れない病」で、もぞもぞ、もぞもぞ。ワタシも眠れなくなって、とうとう午前3時過ぎまでじっくりと話し合い。「ひとりで気に病んでないで、話してみるもんだなあ」というカレシ。ワタシがここにいるのは何のためだと思ってんの?アナタの話を聞いてあげるためここにいるんじゃないのっ!

金曜日の朝の起床は午前10時。ホテルのレストランで遅い朝食をして、とりあえずデンバーの街を観光。午後にコンファレンスのセッションに1つだけ顔を出して、恒例の日本語部会のディナー。ブラジル料理の店とかで、肉類をサーベルにぶすっと刺してテーブルの間を回り、頼むと切り分けてくれる。それが、定番のビーフ、七面鳥、チキンの他にもやたらといろいろ回ってくる。すごいのはガラガラヘビのソーセージ。味は普通のソーセージの感じでおいしかったし、野生のイノシシの肉もおいしかった。一番受けたのはローストしたパイナップルだったけど。正式のディナーの後はこれまた恒例になりつつある二次会。今回はアイリッシュパブ。寒くなっていたし、朝が早いということで、ギネス一杯だけでみんなにお別れ。(来年シアトルで会おうね・・・ちょっぴりオリンピックの閉会式みたいなせりふ。)

日中は25度くらいあって暑かったのに、夜中近くになるとぐんと冷える。海抜1マイルの盆地だからだろうな。ホテルに帰りついたのは午後11時半で、就寝は夜中過ぎで、起床は午前6時過ぎ、これじゃあこれじゃあ寝不足になるのも無理はないよね。でも、今夜はバンクーバー交響楽団「Musically Speaking」シリーズのシーズン第1回コンサート。このために「取るものも取りあえず」みたいな日程になったんだから、なんとか早く普通のパターンに戻らなきゃ・・・。

ハロウィーンの夜は更けて                                                                                                             
10月31日。日曜日。正午過ぎに目が覚めて、人心地がついた気分。カレシはまだぐっすり眠っているようなので、先に起き出して、留守中に送られてきていたフィードバックに対するフィードバックの作業を始めた。チェックをするのはたいていがネイティブスピーカーか英語で育ったバイリンガルの人。究極的に「より質の高い翻訳を」という点で目的も利害も一致しているから、いってみれば「下請業者」のワタシもチームの一員のようなもの。エンドユーザーの自称バイリンガルの担当者とは大違いで、さすがにこの会社だと思えるレベルの人たちからのフィードバックだから、こっちもきちんと目を通して、まじめに返答する。それにしても、解釈に関する質問事項が最後の方にかたまっているのは、やっぱりだらだらしていた挙句に追い込みというときになって集中力を乱されるようなことがあったからだろうな。気をつけないとね。

ほぼ終わりかけたところでカレシが起きて来て、遅い朝食。カレシも人心地がついたらしく、だいぶ生気が出てきたような顔をしている。デンバーでは10年くらい老けて見えたんだそうだけど、へえ、まだそんなこと気にしているのかなあ。「くたびれたらこんな顔になるんだなあと思っただけさ」とカレシ。たった1時間の時差のはずなんだけど、たった3日の世間並みの生活時間だったから、あんがい調整でつかなくてきついと感じたのかもしれないな。ゆうべのコンサートでは、バンクーバー交響楽団にバンクーバー青少年オーケストラが加わっての大人数が奏でる大音響だったから、カレシはいつものように舟をこぐこともできなかったよね。「いや、まじめに聞いてたよ」とカレシ。ま、帰って来たばかりで2、3日は仕事がないと思うから、少し「おうちでのんびり」を決め込もうか。

デンバーはアジア系は少ないようだし、アフリカ系もそれほど多くないようで、基本的に典型的な中西部の都市ということなんだろうけど、開放的な雰囲気があって居心地は良かった。木曜日の午後遅くにホテルに着いて、近所の探検に出かけて、まず目についたのがこれ・・・[写真]

ホテルのとなりにあるコンベンションセンターの外で中をのぞき込んでいたこの巨大な青クマ君、なんだか「みんな何してんの~?ボクも仲間に入れてよ~」と言っているようで、かわいいので気に入ってしまった。デンバーはユーモアのセンスのあるところだなという印象。

コロラド州の州都デンバーは「Mile High City」と呼ばれている。海抜1マイル(約1600メートル)にあるからで、キャピトルヒル(州議会議事堂)正面玄関への階段に「海抜1マイル」のマークがあるというので、16番街モール(建築家のI・M・ペイがデザインした延長1マイルの歩行者天国・・・といっても無料シャトルバスが端から端まで走っているけど)を歩いて、議事堂まで行ってみた。天気が良くて、暑い。午前中はまだ寒かったのに、あっという間に気温が上昇して、午後には20度をはるかに超えていた。モールの行きあたりで、一番高いところに州議会議事堂、反対側の低いところに市庁舎がある。階段を上がって行って、見つけた、海抜1マイル。

ステップの前に刻まれているのは15段目にあるオリジナルのマーク。真ちゅうの板をつけていたら、あまりに何度も盗まれるので、ちょうど1マイルにあたる階段に「One Mile Above Sea Level」と刻んだのが1947年とか。ところが、海抜1マイルは実はもう少し上の方ということがわかって、1969年になって18段目に丸い真ちゅうのマークがつけられた。ところが、測量技術の進歩による計測方法の変化のおかげで、「ほんとうの海抜1マイル」は実は13段目ということになって、2003年に新しいマークがつけられたんだそうな。ま、まだ印のついていないステップはいくつもあるから、いつかまた技術の進歩で「実は・・・」ということになるかもしれないけど、ずっと昔に「1マイル」の段に立って記念写真を撮った人は困っちゃうだろうなあ。

ということで、3つの「海抜1マイル」が一堂に会して、はい、パチリ・・・。[写真]

さて、ハロウィーンの今夜は雨になったというのにあちこちで爆竹がなり、花火が上がって炸裂し、うさん臭い若者連中がうろうろしている。どういうわけかトラックの警報装置が2度も鳴り出して、そのたびにカレシが懐中電灯をつかんで点検に出て行ったけど、被害はなしのもよう。何かが当たったわけではなさそうだけど、悪ふざけもいい加減にせんかい!今までずっと静かで当日になって盛大に花火が上がっているのは許可制になったせいかな。ゆうべはコンサートが終わってグランヴィルの通りに出たら、仮想した男女の大人子供がいるわ、いるわ。しらふなのか、酔っ払っているのか知らないけど、奇声を上げながら警備の警官たちの間を縫うようにぞろぞろ。パーティ会場を目指していたのかな。おかげで帰りの地下鉄は空いていた。でも、ガスタウンでは無差別と思われる銃撃があって、歩道に集まっていた若者たちが何人か撃たれて大けがをしたそうな。

もう子供たちは近所でさえ危険がいっぱいで、キャンディをもらいに家々を回ることができない。風に吹かれて外に立っていたら、ぞろぞろ現れて、我が家のゲートを見て「このうち、なんかあるかなあ」とか「なさそうじゃん」とか騒いでいたのは少なくともハイティーンの女の子たち。ワタシが懐中電灯をもって立っているのを見て、きゃっきゃと笑い転げながら道路を渡って行った。長い長い伝統のあるハロウィーンの行事、いつのまにか大人がおばか丸出しで無礼講をやる夜になってしまったけど、そろそろ子供たちに返してあげたらどうかなあ。


2010年10月~その2

2010年10月21日 | 昔語り(2006~2013)
極楽とんぼ亭:感謝祭の晩餐は鴨づくし                                                                 

10月11日。月曜日。カナダは感謝祭。天気はまあまあだけど、また雨の予報。日本は連休明けの仕事の日。いの一番に今日が期限の仕事を見直して、送ってしまって、後はちょうどよく解凍した「鴨」をどうしようかと考えるだけ。

重さは1.9キロ。最近スーパーで見かける鴨に比べるとやや小ぶりだけど、なにしろ食べ手は2人だけだから、まっ、このあたりが妥当かな。そっくりローストしてもいいんだけど、鴨は鶏や七面鳥のように全体が柔らかくならないし、なにしろ皮下脂肪がすごくて後のオーブンの掃除が大変。そこで、極楽とんぼ亭のシェフは、めんどうな後始末を回避すべく、1羽を解体して何コースの料理ができるか思案してみる・・・。

今日のメニュー:
 鴨のレバーの即席パテ、コニャック風味
 なんちゃら鴨鍋風スープ
 鴨の胸肉燻製入りロール、チェリーブランディのリダクション、シャンテレルきのこといんげん添え
 鴨のもも肉のコンフィ、コーンソテー、アスパラガス添え

バンクーバー随一と(勝手に)定評のマティニ(大きな氷を3個入れたシェーカーでかっきり40回シェークするのが秘訣とか)を片手に調理開始・・・。

[写真] 小ぶりの鴨だからおなかの中に入ってたレバーも砂肝も小さめ。でも、捨てるのはもったいないから、胸肉を外した後に骨に残った肉をかき取って刻んだレバー、砂肝と一緒にして、バター、玉ねぎ、コニャック、粒コショウで炒め、液体卵白を少々加えてフードプロセッサにかけたのをシリコンのマフィン型に詰めてさっと蒸してみた。思いつきだったのに大ヒット。カレシは「ちゃんとレシピを記録しておきなよ」と3回も言った。何がどういう風に受けるかわからないのが極楽とんぼ亭のヒミツ・・・?

[写真] 肋骨から外した胸肉の片側。そういえば日本には「鴨鍋」というのがある。実際に食べたことはないけど、「鍋」とつく料理はたいていスープがつくから、ここは思いつくままに「なんちゃら鴨鍋風」。白菜を少々、生しいたけ2本、小さいゆでたけのこ1個を切って、解体後から火にかけてあった鴨の骨ガラスープでしょうゆ味に仕立てた。肉は薄くスライスして、パテを食べている間にレンジの余熱で仕上げ。正真正銘の「鴨鍋」については知らないから何ともいえないけど、なんちゃら風もそれなりにおいしい。

[写真] 胸肉のもう一方。こっちはバタフライに開いて、まだ在庫があった鴨の胸肉の燻製のスライスを置いて、電子レンジで熱を通したアスパラガスを中心にしてクルクル。下ごしらえの段階で小鍋に入れたチェリーブランディを火にかけてリダクションを作り始め、ロールを糸で縛って冷蔵庫へ。前のコースを食べている間にカレシが庭の菜園から採って来たいんげんを蒸し初めて、「お次」という段階では鴨を転がしながら焼いて、シャンテレルきのこをバター炒めするだけ。前のコースを消化しながらささっと調理する。料理は段取りも大事だから。

[写真] 感謝祭の鴨づくし、メインはカレシのリクエストで「もも肉のコンフィ」。何度か使いまわして冷凍してある脂をキャセロールで解凍して、そこへももを沈め、カレシ菜園産のタイムとオレガノの小枝を何本か置いて、低めの温度のオーブンでことことと2時間半。今年最後になりそうなローカルのとうもろこしの実を外して、オレンジピーマンと炒め、アスパラガスを蒸して、できあがり。

鴨1羽を骨と皮を残してぺろりと食べてしまったカレシとワタシ。ついでにオカナガン地方のピノノワールも1本空けてしまって、ああ、満腹の満足。たまにはコレステロールも飽和脂肪も塩分も何のそのの意気込みでおいしいものを食べなくちゃね。世はすべて(食欲の)秋。すばらしき秋の味覚を神様に感謝・・・。

誰が誰をコントロール?                                                                                           
10月12日。火曜日。大寝坊して目覚めは午後12時35分。おかげでまたFedExの配達を逃してしまった。ゲートにぶら下がっていた不在通知を見たら「午後12時6分」。普通に起きていたら間に合っただろうに。配達のトライはこれっきりで、放っておいたら小包は送り返されてしまう。さっそく電話に飛びついて、「○○のご用は何番を押してください」を繰り返して、やっと人間の声。またまた配達を逃したのでピックアップに行きたいんですが・・・。長ったらしい12桁の追跡番号を読み上げて、「○○さん宛ですね」。そう、そう、それはワタシ。ということで、あした空港に近いデポで引き取れるのを確認して、やれやれ。

朝食が終わるか終わらないかの頃に隣のパットから電話。週末にスコーミッシュに引っ越した親しい友達のニータ(90代の元気なおばあちゃん)を訪ねて行って、義妹のジュディのママが転んで脊椎を骨折したという知らせ。今は退院して郊外の次女のところで介護してもらっているとか。ジュディの両親とニータは長年の付き合いで、パットはニータを通して2人と知り合い、そのパットが我が家の隣人。そういうつながりを知ったのはおととしのクリスマスにパットの招待で行ったニータの家でのパーティというめぐり合わせ。ジュディのパパは去年のクリスマスに会った時に「ん?」と感じたんだけど、その後アルハイマー症と診断されて介護ホーム入り。ママはそれを気に病んでうつ病になり、しばらく次女のジャネットのところに同居していた。どちらも80代後半で、老いて行く親を持つ子供がやがて直面しなければならないことなんだろうけど・・・。

マリルーからのメールには「ママの調子の波が大きくて、こんなことを考えたくないけど、どうも生きる意欲を失くしたような感じがする」と、これも気がかりなニュース。きのうカレシが電話したときは気分が良さそうで、「この次に行った時に農場があったチリワックまで遠出してみる?」と聞いたら大いに乗り気だったとカレシも喜んでいたのに。処方された鎮痛薬のせいもあるのかもしれないけど、パパは食べるのを止めてしまってほどなくして他界した。ママは精神的に強い人だけど、パパがいなくなって生きる目的のようなものを見失ってしまったのかなあ。そういえば、体力的に不可能なことはわかっているのに、最後までパパを自分の手元に置きたがっていた。家族には「24時間介護はお金がかかって大変なの」と言うので、「あと20年以上楽々暮らせるだけの蓄えがあるのに何を言っているの」とみんな笑っていたけど、傍目には軽はずみな結婚で苦労の多い人生だったように見えても、ママにはママなりの、子供にさえもわからない「夫婦の情」があったのかもしれないな。

そのママの息子のカレシもこのところどうもうつっぽいところがある。寝つきが悪くてよく眠れないとこぼすし、胃の調子が良くなかったり、ときどき「おいおい」というような行動があったり。ママのことが自分でも気づかないうちにストレスになっているんだろうと思うけど、ママに「他人にああしろこうしろといわれるのがいやなら、いやと言えばいいじゃないか」とけしかけるのはどうかなあ。カレシにしてみれば「ママが他人にコントロールされる(ママを取られる)のではないか」という危機感があるんだろうけど、マリルーまでが「好むと好まざるに関わりなく介護が必要な状態なんだから、ママをたきつけないように言ってよ」と苦情を言ってくる。カレシが人にああしろこうしろと言われるのを嫌うのはそういう性格だからいいとしても、それをママに押し付けるのは良くないよね。まあ、そういうところは元々ママに似たんじゃないかと思うところがあるけど、カレシの場合「自分で自分をコントロールしたい」と言うのはたぶん「他人にコントロールされたくない」、あるいは「コントロールされるのではないか」という気持が根底にあるのではないかと思う。誰にだって他人の厚意に自分の福祉を委ねるのが最善という場合があるんだけどなあ。

まあこのところワタシが自閉スペクトラムやアスペルガー症候群について話題にして、あれこれと説明語りしていたもので、何となく自分で思い当たって調べてみたのかなという感じもしないではない。そうだとしたら、あんがいそれもストレス要因になっているのかもしれないけど、元々うつっぽい体質なんだろうと思えるところがあるのは確かで、トレッドミルで汗を流した後は気分がすっきりするというから、やっぱり精神的なストレスが睡眠や胃腸の不調になって現れているんだろう。人間は、心の動きに関しては脳よりも体の方が敏感なものだと思う。だけど、カナダには「心療内科」という気軽?に行けそうなところがないから、はてどうしたものやら。まあ、あったとしても他人にコントロールされたくないカレシが行くかどうかは疑問だけど・・・。

秋たけなわの晴れた日に                                                                                           
10月13日。水曜日。かなりよく眠った気分で、目を覚ましたら午前11時20分。お、早いねえ、今日は。カレシも目が覚めたようで、う~んと腕を伸ばしてきたから、ちゃっかり腕枕。よく眠れた?と聞いたら、「3回くらい起きた」と。どうして?「寝る前に水を飲みすぎた」。あら、まあ・・・。

起きてみたら、何だろうな、この陽気。もう10月も半分だというのに。シーラとヴァルが掃除に来て、シーラが二階のバスルームにかかっている間、ワンちゃんのレクシーは「物見の塔」の陽だまりでのんびりと昼寝タイム。階段に座ってシーラとおしゃべりしながら見ていたら、やおらむっくりと起き上がって、窓の下へ。あはは、陽だまりはちょっと暑すぎたらしい。ほんと、空は秋の色だけど、秋たけなわとは思えない陽気。

腰の重いカレシがその気になったところで、シーラとヴァルを残して、まずはFedExのオフィスへ行って「お勉強」DVDの箱を引き取り、その足で今度はモールの郵便局へ行って、私書箱から溢れて保管室入りした郵便物を引き取り。デパートの袋にカタログがどっさりで、ずっしりと重い。中にとっくに支払い済みのクレジットカードの請求書と、今月末が期限のHST(連邦と州の統一売上税)の納付書。今までは連邦の分だけだったのが、HSTでは州の分も申告するから、還付の対象が増える勘定。ちょっとホクホクした気分になったけど、同じ封筒に「申告期限超過の場合は罰則金を徴収します」という通知。へえ、期限までに申告しない人が多いのかな。ぐうたらなワタシだって、時には半分徹夜してでも3ヵ月分の伝票(のつじつま)を合わせて、ちゃんと期限ぎりぎりに申告しているけどなあ。

このところずっと高止まりのカナダドル。今日はとうとう米ドルレートが99.5セントと事実上の等価になってしまった。このレートで米ドル口座に入ってくる翻訳収入をカナダドル口座に移したらえらい差損が出るから困る。ま、困ることは困るけど、米ドル建てのクレジットカードを使ってアメリカの通販カタログから買い物をすれば、こっちは為替が絡まないから損はない。ついでにネット銀行に入れっぱなしの貯金を出して来て、カナダドルがほど良く下がるまで米ドル口座に入れておいたら、今度はだいぶ為替差益が出るだろうな。あはは、FX相場でちょっぴり投機をやっているような気分・・・。

今日はカレシの英語教室の日で、食事を済ませて送り出すまでラッシュ、ラッシュ。トレッドミルに片足を乗せたところで思いついてキッチンに駆け上がり、大きなポテトを2個を洗って、皮ごと切って、フレンチフライメーカーにセット。ポテトを焼いている間にトレッドミルで走って、1分間の特急シャワー。キッチンに駆け込んで、フライパンを熱して冷凍のまぐろのパティを焼き始めてから二階のバスルームへ。とりあえず顔にローションとクリームを塗って、階段を駆け下りて、ロールパンを上下2つにスライスしてトースターオーブンに入れて、カレシの冷蔵庫からレタスの葉っぱを何枚か失敬してきて、ロールパンが温まったところで、ちょうどタイミングよくフレンチフライのでき上がり。ほくほくとできたフレンチフライをお皿に山盛りにして、ファストフードレストラン極楽とんぼ亭の本日のスペシャル、「ツナバーガー・セット」ができあがり。所要時間35分。やったあ。

カレシが出かけるしたくをしている頃、落盤があった鉱山での救出作業が続いていたチリで最後の33人目が地上に出てきたというニュース。おお、やったかあ。こっちまで心が躍ってくる。ここまで来て不測の事態なんかあったら「悲劇」という言葉では言い表せないもの。ああ、良かった。カレシが帰ってくる頃には地下に降りていた救助隊員も上がって来て、世界中が息をのんで見守った世紀のドラマはハッピーエンド。クーデーターや軍事政権で多くの国民が殺された苦難の経験を持つチリの人たちにとっては、誇らしいだけではなくて、国民の心がひとつになったできごとでもあるだろうな。これがもし中国の鉱山で起きた事故だったら、世界からの応援を素直に受け入れただろうか。どのような展開になって、地下に閉じ込められた33人はどうなっていただろうか。それにしても、世界の技術があれだけ迅速に結集して、あれだけのスピードと正確さで難事業を成し遂げたのはすごいと思う。大感激で涙が出てきた。ほんとに良かったなあ。

心の中の開かずのドア                                                                                             

10月14日。木曜日。目が覚めたら薄暗い。午前8時過ぎにごみ収集トラックの轟音で目が覚めて、それっきり眠れなかったというカレシ。時計は午後12時過ぎ。「今日はすごくだらけた気分だから」と、そのまま腕枕でうとうとしたり、おなかが空いてきたワタシがちょっかいを出したり。「そろそろ起きるか~」というカレシのかけ声で起き出したのは午前12時59分!この調子だと、朝食が終わったらもう夕食のしたくの時間になっちゃうじゃないの。

いい陽気だったきのうとうって変わって、今日は午後になっても10度がやっと。明日の朝方の最低気温は5度だって!ふむ、このまま一気に冬に向かうのかなあ。まだ家の周りの冬支度をやってないんだけどなあ。もっとも、あれやこれやと頭痛の種が芽を出して来たり、ここのとろこちょっと仕事のペースが落ちて遅れが出てきたりで、なんだかんだと振り回されて冬支度を考えるどころじゃないんだけど、このまま寒くなるなら、やっぱり考えなくちゃならないか・・・。

今日のカナダドルは瞬間風速的に米ドルより高くなったけど、けっきょくはきのうとあまり変わらない相場。ほんとにネット銀行にある資金を米ドル口座に移動することにして、カレシがログインしたのはいいけど、パスワードが違うと言われ、設定した覚えのない「秘密の質問」の答を要求され、とうとう「そんなの知らんっ」とキレてしまった。腎臓の超音波検査が来週に迫っていることもあるし、ママのこともあるし、英語教室をやめるかどうかで揺れているし、他にも思い通りに行かないことが重なって、よく眠れないし、頭がくらくらするし・・・。そうやって伸びに伸びきったゴムがプッツン。ワタシは「ヘルプデスクに電話してどういうことか聞けばいいでしょ」とだけ言って退散。(ほら、おかげでまた仕事ができないじゃないの。まったくもう、オフィスを引っ越したいよ。二階の日当たりのいい八角部屋なんかいいだろうなあ、明るくて・・・。)

ま、ワタシがオフィスを離れている間にヘルプに電話したようで、10分ほどしてしおらしい顔つきで「わかったよ」と言いに来た。要するに、あまり長いことお金を入れっぱなしだったので、その間にセキュリティが強化されたのを知らなかっただけのことで、システムが変更されたときにパスワードも「無効」になったらしい。ちょこちょこ出し入れしていれば「お知らせ」があったはずだけど、なにしろ口座を開いてまとまった額を入れたままそれっきり。ま、無事にログインできて、見たらいつのまにか利子が5千ドル。ネット銀行だから利率がかなり高いのはわかっていたけど、複利のパワーはばかにできないな。なんだか引き出すのがもったいないような気がして来たけど、とりあえず半端な額を残して元の銀行口座に「移動」をクリック。やれやれ。

久しぶりに突風が吹いて貯まっていた「落ち葉」がクリアされたところで、「他人の指図は受けない」主義の人に向かってあれこれと「説法」を試みる。こういう「大人たるものの心得」みたいな話は、キレたことでバツが悪くてシュンとなっているときでないと聞く耳を持たない人だから、こっちもちょっと必死で、「人間というのは・・・」といつも思っていることを話すんだけど、どこか心の隅には「わかってもらえるのかなあ」という、なんか半分あきらめているような気持もある。最初の創作の先生は「人の心の中にはたくさんのドアが並んでいて、開けるとそこにはいろいろな思いがこもっている」と言い、黙想でそのドアの前を通って心の奥の一番深いところにある自分だけの「サンクチュアリ」に降りて行き、そこでドアを開けて出てくる「思い」と向き合ってインスピレーションを得た。黙想の中で閉じ込められていた「自分」と再会する不思議な体験があって、ワタシの今の名前の源泉になったストーリーが生まれて、そこからワタシの再構築が始まったような気がする。

でも、人間の心には自分にも他人にも開けることのできない「ドア」もあるのではないかという気もする。外側にドアノブのないドア。たとえぴたり合うと鍵を見つけたとしても、ノブがないからドアを開くことはできない。内側からなら開けられるのかもしれないけど、外にいる人にはドアを叩いて、「開けて」と声をかけて、中にいる「思い」がドアを開けるのを待つしかない。カレシの心の中にも、どんな「思い」がこもっているのかはわからないけど、そういう「開かずのドア」があるような気がするな。

しおらしく「短気を起こして悪かった。ごめんね」と言うカレシ。「わかってくれればいいの」とハグして仲直りしてしまうワタシ。こんなときに「どこでもドア」があったらいいのになあ・・・。

秋の空と不器用な乙女心                                                                                          

10月15日。金曜日。きのうはなんかくたびれていた2人。すっかりガスが抜けたらしいワタシはぐっすり眠り、カレシも途中で外の騒音で目が覚めたものの、また眠りに戻れたらしい。小さなことでも一度気になってしまうと、それが頭の中でどんどん嵩が大きくなってしまいに他のことが押し出されてしまうところがあって、外から見ているとまるで罠に足を取られた動物。もがけばもがくほど抜けられなくなるらしいから大変。まあ、一種のこだわり癖といえばそうかもしれない。生きにくいだろうとは思うけど、こればかりはねえ・・・。

今日はまぶしいくらいの晴れ。かなり温度が上がっている。暑くなったり、寒くなったり、また暑くなったり、なんだか落ち着かない。何とかと秋の空というけど、今どきの乙女心って秋の空のごとく変わりやすいのかなあ。今日のカレシは「疲れているから徹底的にのんびりする」と言いながら、こっちは仕事の遅れを取り戻すべくねじり鉢巻なのにやたらとハグしてきたり、話しかけてきたり。嵐の後の青空作戦を展開中なのかな。きのうの「お説教」が利きすぎたのかなあ。それとも「じゃあ出て行く」と言っちゃったのが響いているのかなあ・・・。

「いろんなことがありすぎてやってられない!」と言い訳するカレシに、ワタシだって家事だ仕事だ何だとごちゃごちゃ考えることばっかりあってストレスだわ!と言い返したら、「そんなら考えるのなんかやめてしまえ!」と来た。その応答が「じゃあ出て行く」だったんだけど、「何でそんなことを言うんだよ!」と怒るカレシにこう言った: あのね、アナタもワタシが毎日いつも考えている「ごちゃごちゃ」の中に入っているの。機嫌が悪ければ何かあったのかなと心配だし、にこにこしていれば楽しいことがあるんだなと思ってこっちも気持がいい。簡単に考えるのをやめてしまえと言うけど、それはアナタのことを考えるのもやめるってことで、それではワタシがここにいる意味はない。だって、ワタシはもうどうでもよくなった男と一緒に生活して「仮面夫婦」をやれるほど器用にはできてないのよ!まあ、ワタシとしては、ほんとに愛が冷えきって、どうでもよくなった男と一緒に暮らすなんて考えるだけでもいやだし、ましてや仮面夫婦を演じるなんてできないし、掲示板なんかで「家族愛」と言っている夫婦関係に変えることもたぶんできそうにないから、これは本当の気持・・・。

まあ、仲直りして落ち着いてみたら、なんだかヘンなお説教だと思ったけど、意外にぶきっちょな乙女心が残っていたのかもしれない。きのうの今日というのか、食事の支度をしていても、いつもなら自分のすることだけを済ませてさっさとオフィスのPCの前に戻ってしまうカレシが、今日はキッチンに居残って、あれこれ話しながら夕食ができるのを待っていた。「待つ」ということが苦手な人にとってはかなりの努力ものだろうと思うけど、料理の本を見てグルメサラダの材料を書き出してみたり、自分なりに工夫していたのかな。しまいに「生ごみがいっぱいになったら捨てて来るよ」と唐突に言い出したからびっくり。ま、いわしの頭と腹わたを取ったばかりだったので、すぐに外のごみ容器に持って行ってもらったけど、はて、この風の吹きまわし、春のそよ風なのか、ジェット気流なのか、ひょっとしたら凪なのか。さて、あしたの風は・・・?

美食も過ぎると舌がぼける                                                                                       
10月16日。土曜日。かなりよく眠った気分で午前11時半に目覚め。「鼻が詰まっている。風邪を引いたかも」というカレシとしばし寝ぼけまなこのひとときを過ごして、正午ぎりぎりに起床。今日もまぶしい天気。朝食の準備で動き回ったせいもあるのか、カレシの鼻づまりもテーブルに着いた頃にはほぼ解消。心にたまった「ガス」は抜くのに限る。ただし、夫婦げんかでのガス抜きはほどほどにしたいもんだけど。

今日はいの一番にねじ込み仕事に取りかかった。小さいけど、なぜか2つとも先進医療の話なもので、資料をググって回るのに時間がかかる。今日は久しぶりに2人だけのディナーにお出かけだから、早めにトレッドミルで走って、シャワーをして、おめかしをしたい。そういう「誘因」があるから、脳みその写真やら肺の写真やらを眺めながら、なんとかがんばって、無事に2つとも終了。だけど、こういう週末のねじ込み仕事はそろそろ「ノー」ということも考えないとだめだかな。もちろん客先にとっては便利だから重宝してもらって、どんどん仕事をもらえるんだけど、こっちもそろそろ遊びたい年頃だしね。

ディナーは久しぶりにWestへ。レストラン業界はHST(統合売上税)の導入で税金が5%から12%になったもので、客足が遠のいたり、チップが減ったりして四苦八苦していると聞いていたけど、今日のWestは満席。景気がいいんだか、景気なんて関係ないのか。メニューを見ながら飲むカクテルはここではなぜかいつもアヴィエーション。久しぶりだから、カレシは野菜と魚が中心の「秋の味見メニュー」、ワタシは肉が中心の「シェフの味見メニュー」に決めて、ワインはそれぞれ好みの白と赤をグラスで注文。この頃は2人の注文が肉と魚に分かれてしまうことが多いので、ワインをボトルで注文するのが難しい。

不思議にアジア的な味のするコンソメのアミューズブーシュの後、カレシのメニューはカニ、ホタテ、魚介のリゾット、オヒョウ。ワタシのメニューはビンナガのたたきとポン酢でマリネートしたトロ(海苔のピューレというのがおもしろい)、松茸(イカとウニ、イカ墨のアイオリ付き)、シカの肉のチョコレート煮(おいしい!)を載せたリゾット、28日間かけて熟成したビーフのヒレ(これは感心するくらい柔らかかった)。メロンのソルベで口直しをして、カレシのデザートはバーボン風味のチョコレートクリーム。ワタシは梨のポートワイン煮とカルヴァドスを使ったサヴァラン。食後のエスプレッソを頼んで、小さなプチフールが出てきて、もうおなかがいっぱい。

でも、今日のは今までのWestのメニューで最高だったような感じがする。担当サーバーのダニエルさんにそう言ったら、4ヵ月ほど前にシェフが代わったんだそうな。それまでスーシェフ(シェフの助手?)だった人が昇格したんだそうだけど、この人、なかなかユニークな発想を持っているようだし、将来有望そうだな。満席だったのは新しいシェフの手腕もあるのかな。ほんとに久しぶりに「ああ、おいしいものを食べた」という満足感があった。もっとも、何年も週末ごとに外食していたのが、魚を常食するようになって月1回くらいのペースになったから、「久しぶり」というお楽しみ要素ができたことも大きいと思う。美食もある意味で習慣になると「舌」が鈍ってしまって、ありがた味がわからなくなるのかもしれないな。さて、Westの新シェフは同じオーナーのBlue Water Caféに取られたバンクーバーのレストランのナンバーワンを取り戻せるか・・・?

類友?ドッペルゲンガー?                                                                                       
10月17日。日曜日。今日もいい天気だけど、だんだんに寒くなって来ているような。正午過ぎに起きて、さて朝食、と思ったらパンがない。ま、きのうはパンを焼く時間がなかったからしょうがない。仕込からできあがりまで3時間と15分。ディナーに出かける前にぎりぎりで間に合ったかもしれないけど、パン焼き担当のカレシが忘れてしまったんだもんね。しょうがないから1個のロールパンを半分ずつ。

今日やたらと「あれはどうしたらいい?これはどっちの方がいい?」とワタシの「決断」を仰いでくるなあ。他人の意見を聞く耳を持っているところを見せようというのかもしれないけど、何となくポイントがずれているような気がする。あのね、ワタシが言いたかったのは、他人の考えや意見を反射的に自分への「指図(あるいは支配)」と解釈して頭から拒絶してしまう性向がイライラにつながっているんじゃないかってことであって、人の言うことをはいはいと聞きなさいってことじゃないんだけど。自分に対して、自分の決定の影響を受ける人たちに対して責任がもてるなら、自分の決定の結果に責任がもてるなら、アナタの好きなようにしてもらっても、ワタシはちっともかまわないんだけど。でも、そういう責任を取れる自信がないなら、人の意見に耳を傾けた方がいいっていってるんだけど。役に立たないと思ったら黙って不採用にすればいいんだし、それで気を悪くする人がいたら、その人こそ他人を思い通りに動かそうとしているってことじゃない?

まあ、カレシのことは長い間見ていてわかっていることだからいいんだけど、今どきの若い人たちには、人見知りするというのか、他人とどう向き合ったらいいのか戸惑っている人たちが増えているんじゃないかと思うことがある。世界がリアルタイムで無限大に広がる「はず」のインターネットの時代の趣旨に逆行するような気もするけど、どうやらこの頃は(仮想空間を通した)世界が大きく広がれば広がるほど、人間は狭くて見通しのない世界(安全圏)に閉じこもって、萎縮しつつあるように見える。これも不安に満ちた社会への反動なのかな。物理の原理を借りれば、高く舞い上がれば上がるほど、落ちたときにより激しく地面にたたきつけらる。あるいは、ばねのように、圧縮する力がたまればたまるほど、その力が急になくなったときに跳ね返ってくる力が大きい。ということは、日本の社会に鬱積した鬱屈した気分も、いつかは爆発的なエネルギーとなって放出されるってこと?それとも、たまりにたまったあげくにブラックホールの裏側の方へスポッと抜けてしまったりして・・・。

そういう人たちが集まって「そうそう」と互いの肩を叩き合っているようなのが小町で賑わっている『結局、気が合うのは同じぐらいの学歴(頭の程度)な気がして来た』というトピック。しばらく前には「年収が同じレベルの人としかつきあえない」というトピックがあったから、これもわざわざ開けて見なくても、自分は「高学歴だからそうでない人より人間の格が上」と(たぶん週刊誌に煽られてそうだと)信じている人が立てた「レベルが下の人とは話が合わなくて・・・」という嘆きトピックなんだろうとは想像がつく。同業者の会合でも、たまにだけど初対面であいさつもそこそこに「大学はどちら?」と切り出す若い人がいて、「行ったことないっス」と答えると、たいていの場合は「・・・」。(そこでワタシは「それで20年もぼろ儲けできるんだから、いい商売ですよねえ」と追い討ちをかけて、イジワルばあさんぶりを発揮するんだけど・・・。)

要するに、相手の学歴が自分と同じくらいでないと、言い換えれば、自分が知っていることを知らない人や自分が知らないことを知っている人だと、「気が合わない、話が合わない、感性が合わない、ジョークセンスが合わない、笑いのツボが合わない、一緒にいて会話していて楽しくない」ということで、なぜかというと、(自分は超高学歴ではないけど)あまりに違う方とお話しすると、政治や経済の一般常識すら通じなかったり、モノの知らなさに(わざわざ説明しなければならなくて)イラッとさせられたり、情操的興味や趣味をお持ちでなかったりして、映画や音楽や読書の話題をふってもまったくもって通じないし、感性の共鳴もない、から。まあ、「あまりに違う方とお話しする」とか「情操的興味や趣味をお持ちでなかったり」とか、「人を見下ろしたトピだと受け取られたら前もって謝ります」とか、自分の教養の高さやお育ちのよさをアピールするような文だけど、(無学歴な)ワタシはタイトルそのものを「気が合うのは同じぐらいの頭の程度な気がして来た」と変えたほうがぴったりなんじゃないかとイジワルに思ってしまう。それにしても、「同じように感じる方がいらっしゃいませんか」という問いに対して、「同じように感じる方」がわんさといるからすごい。

へえ、今どきの人間の交流はそういう基準で取り仕切られているんだと感心する一方で、青山学院大学の日置教授が『活字離れは他者離れ』の中で今の若者たちにとっては「自分の幅を広げて成長することより、安全圏を確保してその内側に収まっていることのほうが優先されるのです」と言っていたのを思い出して、なるほどなあと思った。要するに、自分が知っていること、自分が興味を持っていることが自分にとっての「安全圏」なもんで、そこから出たくない、あるいは出るのが怖いから、同じことを知っている人や同じ趣味の人としかお付き合いはしたくないということなのか。なあんだ、自分のドッペルゲンガーとしかつきあえないってことだったのかな。

お子様プロジェクトの「教育指導」の方向を見ていると、そういう(自分たちはもう十分以上に広い知識を持っていると信じて)あえて視野を広げようとしない安全第一思考の人たちが育ってもしょうがないなと思えるんだけど、このままでは日本の将来が危なくならないのかなあ。だって、日本という国は(いや、どの国でもそうだけど)世界の中で人種や文化、言語はもちろん、歴史も性格も考え方もまったく国に囲まれているんだから、生活や経済の水準が違うからといって、あの国とは気が合わないとか話が合わないとか、見下したり、誹謗したりしている場合じゃないだろうに。そりゃあいろいろな水準も関心も同じなら脅威も感じないだろうし、相手を理解しようという努力もいらないから気楽でいいだろうとは思う。でも、そんなわけにいかないから、人間同士には「交渉」と「けんか」の2通りの対応があるように、国と国の関係にも「外交」と「戦争」があるんだと思うんだけど。

それに、ドッペルゲンガーって、反物質かもしれないよ。物質と反物質が出会って握手したらどうなるか、学歴のある人なら知ってるでしょ?

自分と同じレベルのロボットを作ったら                                                                

10月18日。月曜日。目が覚めてみたら、あまり明るくない。天気が崩れるのかな。別にどこへお出かけでもないからいいんだけど、何となく起きるのがめんどうくさい。だけど、そのままベッドでだらだらしていてもおなかが空く。朝食のお盆を恭しく持ってきてくれるジーヴスみたいな人がいたらいいねえ。だけど、ベッドの上で朝食ってなんだか食べにくそうだと思うのは、ヤンゴトナキお生まれじゃないからかなあ。そこで自分の出自にふさわしく言うなばら、「なんだかあずましくないんじゃないかい?」となるか。それとも浜言葉で「な~んかあずましくねぇべさ~」。まあ、正午ぎりぎりに起き出して、ちっともやんごとなくない私たちの一日が始まる。

朝食もそこそこにカレシが下着がなくなったから洗濯をすると言い出した。するって、自分でするということ?おいおい、雨が降りだすよ。でも、取り替える下着がなくなったというのは困るから、洗濯してもらえると助かるなあ。「キミが忙しいのはわかっているから」と、カレシ。「洗濯機の操作だけ教えてくれたら、後は自分でやるからいいよ」。あのさ、機械をセットしてしまえば、あとは洗濯機がやってくれるんだけど。側にいて、そのダイアルをセットして、洗剤を入れて、色の薄いものと濃いものを分けて・・・なんて教えていたら、結局いつも自分でやっているのとあまり変わりがないような気がする。それでもせっかくやってくれるというから、そばに付き添って、洗濯機が回り始めるまでの手順をひと通り。この次に洗濯を志願してくれるときには全部忘れているんだろうと思うけど・・・。

たしかに予定が詰まりに詰まってきて、そろそろ「緊急事態」のボタンを押したほうがいいかなというところなんだけど、お子様プロジェクト、だんだん気合いが入らなくなって来た。お子様の将来の学歴にかかわるかもしれないのに、オトナの都合で針路がふらふら。おかげでなんで子供もいないし日本に住んでもいないワタシが頭の毛をかきむしってがんばってるんだろうと、うんざりした気分になって来る。それでも、やっているうちに若い日本人のマニュアル思考の原点が見えたような感じもするから、仕事としてはおもしろい。根本的に手取り、足取り、おんぶにだっこ。しかも、いちいち手順通りにやったかどうかを確認されるし、まとめの質問にはどこに「答」があるかまで親切に教えてくれるから、よほどのことがない限り「正解」しか出ない。そっか、今どきのお子様たちはこういう風にお勉強しているのか。どうりで自分で考えることができないわけだよなあ、とヘンに納得・・・。

おそらくはきのう長々と書いていた「類友探し」に通じるところもあるんじゃないかと思う。よけいなことはやらない。できるかどうかわからないことはやらない。できるかもしれなくてもあえてやらない。だって、ドジなことをやって叱られたり、笑われたり、侮辱的なラベルを貼られたり、疎遠にされたら怖いからやだもんね。だけど、自分が知っていることと同じことを知っている相手だったらその心配はない。ばかにされる危険を冒さなくてもいいから、そういう人は無害で安全。あのトピックは「(自分よりも)学歴が低い人とは気が合わない」という趣旨だったけど、あんがい実際のところは「自分が知らないことを知っている(おそらく自分より知識や教養のレベルが高くて、視野が広い)人とは付き合いたくない」ということだったんじゃないのかな。つまり、自分と「同じ人」にしか安全と安心感を見出せないと言いたかったんだろう。

日本の人が若い女性の姿に似せたロボットを作るのに熱心なわけが理解できてきた気もするな。いつ見てもちょっと気味が悪いと感じるんだけど、ロボットは人間がプログラムする通りのことしかできないから、どんな話題でもご主人様に反論せず、知識をひけらかさず、決して上から目線で脅威を感じさせるようなことは言わず、ひたすらご主人様と同じレベルで・・・。う~ん、そんなロボットと会話して楽しいかなあ。ワタシだったら電池を抜いてしまうかも・・・。

我が家の裏で大捕り物の特訓?                                                                               

10月19日。火曜日。いい天気でまぶしい。正午ぎりぎりに起き出して、今日は朝食を終えたらすぐに仕事にかかる。なにしろ、残っている原稿の量から見たら、絶体絶命くらいに時間が詰まってしまっている。スキャンした文書を印刷するとすんごいページ数になるから、せっかく幅広のモニターに切り替えたんだし、元原稿と翻訳原稿をモニターに並べて表示してやってみることにした。これが慣れるとけっこう楽々。印刷した原稿に目を落として、画面を見上げて、また原稿に目を落として、画面を見上げて、ときどきは電子ファイルの元原稿を確認して・・・と、頭を上下に動かす代わりに、ひとつの画面に横に並んだ原稿をきょろっと目玉を動かすだけで見られる。

世の中、便利になったもんだと、まじめに仕事をしていたら、隣のパットから、どうも近所で強盗事件があったらしいよ、という電話。ええっ、昼の日中から強盗って、まさか。なんでも家の裏のレーンにパトカーが何台もいて、警官がうろうろしているんだそうな。へえ、物騒になったもんだなあ。ま、最近はドラッグ絡みの事件が多いし、昼間っから住宅街でそんな物騒なことをやっているのはたぶんそういう類の輩だろうな。そう思ってまた仕事に集中したら、どうも家の裏あたりで爆竹のような音。まだハロウィンには2週間も早いのになあと思っていると、「庭に爆竹を投げ込まれてはたまらん」と、カレシが外へ点検に・・・。

ものの5分もしないうちに戻って来たカレシ。おなかを抱えて笑いたいくらいおかしなことがあったらしい。「パットの勘違い」と第一声。そっか、強盗事件じゃなかったのか。それは良かったじゃないの。笑い筋の痙攣が少し治まったカレシの説明によると・・・ゲートを出たところでまた爆竹のような音がしたけど、何となく音が違うし、煙っぽい臭いもしない。そのまま家の横の歩道を歩いて行って、道路とレーンの角まで来たときに見かけない男がいて「爆竹の音を聞いたのか」と聞く。そうだと言ったら、いきなり警察のバッジをパカッと開いて見せて、「バンクーバー市警察。今、特別訓練中なのでお引き取りください」と。レーンにはパットが言った通りに何台もパトカーや覆面パトカーが止まっていて、制服、私服のいろんな人間がセカセカ歩き回っている。そのうちにまた(カレシにはどこなのかわからなかったけど)先の方でパンパン・・・。

そっか、爆竹の音だと思ったのは、警官が空包を撃っていたんだ。だけど、よりによって我が家の後のレーンで「特別訓練」って、いったい何なんだろうね。しかも空包までバンバン撃ちまくって、警察が大捕り物の訓練って、人騒がせもいいかげんにしてほしいところだと思うけど。まあ、最近はほんとにドラッグ絡みの殺人事件が多いし、カナダでは拳銃の所持は禁止されていても、銃が溢れ返っているアメリカとは目に見えない国境線を隔てているだけで悪いやつらは簡単に手に入れるし、メキシコのドラッグカルテルが進出して来て、縄張り抗争が起きそうだと新聞に書いてあったし、裏のミシェルの夫氏はバンクーバー市警の警察官だし(関係ないか)・・・。

それにしても、パットが「強盗事件があったらしい」と電話してきて数分しか経っていなかったのに、「うちの外で爆竹なんか鳴らしているのはどこのどいつなんだ!」とばかりに飛び出して行ったカレシ。もしも本物の強盗事件だったら、強盗が警察と撃ち合いを始めたところへのこのこ出て行くってどうなのよ?へたをしたら流れ弾に当たって死んじゃうかもしれないよ。そうなったらもう究極のKYだよね。ドラッグ絡みの銃撃事件なんていつどこで起きるかわからないから、ひょっとしたらカレシみたいな超KYな野次馬をコントロールするための「特別訓練」だったのかもしれないなあ。

この土地に引っ越してきてちょうど28年。第一夜にいきなり7台のパトカーに取り囲まれて度肝を抜かれたっけ。あれは逃げた容疑者を追跡して来て裏のレーンで追い詰めたということだったようだけど、それ以来パトカーが集まったことが2回か3回はあったなあ。なにしろT字型の交差点の突き当たりはゴルフ場の行き止まりだから、警察は獲物を追い込むのにちょうどいい場所だと思っているのかもしれないけどねえ・・・。

ま、ワタシの仕事も追い詰められて来たから、今夜は行けるところまでぶっ飛ばすことにするか。


2010年10月~その1

2010年10月16日 | 昔語り(2006~2013)
こだわりも度を越せば妄念 

10月1日。金曜日。今日からもう10月だって。あ~あ。だけど、これでもう何回「もう10月か」と言ったんだろうな。いや、毎年「もう○○月か~」と12回だから、定番のせりふのトップだろうな。もっとも、子供の頃は「ま~だ○○月?」だったような感覚だったと思うけど。今日は日本ではもう土曜日だから、ワタシも週末の休みモード。午後3時のポーチの気温は21度。夏がちょっと立ち寄った感じで、いい天気。

ビクトリアで逮捕された女子大生は1万ドルの保釈金で釈放され、両親がカナダに向かっていると、新聞に「一面記事」並みの扱い。ビクトリア大学での半年の英語留学のために8月に来たばかりだったそうで、逮捕直後に警察が病院へ連れて行って診察を受けさせ、大学がめんどうを見ているとか。ご本人は学校での勉強に戻って、終わったら日本へ帰りたいと言っているそうだけど、自分が置かれた状況をちゃんと理解しているのかな。半年間の留学に来たということは、ほんとに妊娠していることを知らないでいて、「新生児」とは書かれているけど早産だった可能性はあるな。日本語を話せる弁護士が乗り出してきたそうで、日本文化がどうのこうの、日本人は家族やコミュニティ、国への責任感がカナダ人より強くてなんたらかんたら。やれやれ、それほどの責任感があったらこんな騒ぎにはならなかっただろうに。ハタチのオトナなんだからして。まあ、弁護士だから弁護するのが仕事だとしても、ジャパン帰りのニッポンテイストのなんちゃら日本通じゃないといいけど。

なんちゃら外国テイストといえば、件のフレンチカントリーテイストのおうちのマダムのトピックは、否定的な書き込みへの必死の反駁がさらに否定的な書き込みを呼んで、だんだんにトラジコメディの様相を帯びて来たからおもしろい。なにしろその「フレンチカントリーテイストのおうち」への思い入れと、自分のテイストの「正しさ」への思い込みの強さがひしひしと感じられるもので、反駁すればするほど、それをわざと煽っているような書き込みが出てくる。メーカーのブログにシンプルな家のことを書いてあると「おもしろくもない普通の家なのに」とムッとするとか、珪藻土や無垢の自然なものが子供にもいいと思うのが母親として当然なのに、子供がいるのにナチュラルじゃない家は親としてどうなんだとか、シンプルな家にキャンドル型のライトがついていると「私達のアイテムなのに!」とあまりいい気分がしないとか、「フレンチカントリーテイスト」以外は一刀両断の全面否定。日常生活でも「リネンのワンピースにお団子ヘア」といういでたちというにいたっては、こりゃあもう病気だわと思ってしまう。

もっとも、どんな「おうち」を建てようが、どんなカタカナ語スタイルに飾り立てようが、そこでどんな格好で暮らそうが、人それぞれの「テイスト(好み)」の問題なんだから、自分のイメージした通りでハッピーなんだったら、人さまが何と言おうと「これが私のお気に入りなの」で済みそうなもんだけどな。それで済ませられないで、「認めて!ほめて!」と駄々をこねた挙句に「おうちはこうでなくちゃダメなのよ!」と癇癪を起こした3歳児のように地団駄を踏んでしまうようところまで行ってしまうと、もうそれ以外の世界が存在しなくなっているというか、妄信というか、病膏肓を通り越して、「こだわり」というものさしの限界を超えた病的なobsessionの怖さを感じる。ある意味で、あるモノやイメージに呪縛された「ストーカー」的な心理ではないのかなと思って、悪いけど、背筋がぞ~っとしてしまう。

それでも、この「まのん」と名乗るトピックの主が異なるインテリア趣味の人を貶そうが、自分の価値観を押し付けようが、視野狭窄でフレンチカントリーのインテリアの世界以外には何も知らなさそうな人であろうが、「へえ」で済ませちゃえば何の実害もない。むしろ、トピックを大いに(イジワルに)楽しませてもらって、受付終了なっちゃったのが残念なくらい。だけど、個人的な印象として最近は(日本に)こういうこだわりが病的というか、思い込みが度を越して激しい若い人が増えて来たと感じるのはたしか。誰かが「怖い思想」だと書き込んでいたけど、ほんとうに自分以外の価値観、美意識、嗜好、その他あらゆるものの存在、果ては人間の存在が「ありえない」という思想なんだろうな。遠くからインターネットという節穴を通して眺めているワタシには、何がそういう人たちを生み出しているのかは憶測するしかないし、外にいる人間があれこれ憶測してもああだこうだと撃墜されるだけだとわかっていても、つい「大丈夫なのか」と思ってしまう。そういうことを思わずに済めば気が楽でいいんだけどね。

とにかく、すべてが「AイコールA」しか考えられないような思い込みの激しい人に遭遇することが多くなったと思う。「自称」バイリンガルの新入りの同業者もしかり。ひいき目に見たって「セミリンガル」のレベルに近いんじゃないかとという印象なんだけど、ご本人は自分はバイリンガルで育ったから日本語も英語も完璧と信じて疑わない。疑問を投げかけようものなら、猛烈に反駁して来るし、しまいには英語人による市場閉め出しの陰謀だと騒ぎ出す。なんとなく「仮想的有能感」というのはこういうタイプなのかなあと思うくらい思い込みの激しい人で、さすがのワタシも、この先お目にかかりたくないなあと思ってしまう。こだわりが強いいうのは、ある意味でそれにしがみついていないと不安という「ライナスの毛布」的な要素もあるんだろうけど、そういう人たちに間接的、直接的に遭遇することが増えるにつけ、どこからどこまでが「正常」の範囲で、どこから先が異常なのかよくわからなくなって来る。今の時代は時空間を一瞬に抜けられる便利なハイウェイのそこかしこに正体不明の「妖怪」が徘徊する闇があって、いつそこに落ち込むかわからない、「不安の時代」なのかもしれないな。

ちなみに、「フレンチカントリー」を英語でググって見たら、出るわ、出るわ。そういうスタイルの住宅のできあい設計図を売るサイトがぞろぞろ。その定義はというと「フランスの田舎の家にヒントを得て、19世紀後半のアメリカで住宅建築様式として始まった」。なんだ、フレンチカントリーテイストってのは実はアメリカンてことか。アメリカでは伝統ある建築様式なんだ。いろいろ見てみたら、避暑地に建てるような小さい(日本で受けそうな)かわいいコテージもあるけど、たいがいは郊外の分譲地に建っているような床面積300平方メートル規模の典型的な住宅。中には総床面積が2千平方メートルという、名実ともにシャトー級の邸宅もあったけど、ここまで来ると新世界アメリカ発祥のフレンチカントリー様式もそれなりの風格があっていい。

ふむ、もしもロトで大当たりしたら、広い土地を買って建ててみようかしらね。外箱がアメリカンフレンチカントリーテイストなら、通る人が「お、いいねえ」と言ってくれるだろうし、まっ、インテリアはどっちみちカレシがいろんなものをごちゃごちゃと置きまくって「orange crate modern」様式になるだろうと思うけどね。それはそれで生活感が満点で居心地はよさそうだけど、今日の郵便で来たRestoration Hardwareの分厚いカタログには重厚で鄙びたカントリー様式の家具や庭園の調度品がたくさんあるから、そこから選ぶのもいいよねえ。まあ、すべてはロトが当たったらの話だけど、持ち家というだけでミリオネアになれるバンクーバーじゃあ、少なくとも1千万ドルくらい当たらないとむりだろうなあ・・・。

活字離れは「他者離れ」だって

10月2日。土曜日。今日もいい天気で、今日も「仕事をしない」週末の1日。ほんとはそろそろ始めた方がいいとはわかっているけど、だらけムードに流されて、まあまあ関連のありそうな記事をググって、「リサーチ」と称して読む。お子様プロジェクトにはやっぱり子供の教育に関する背景情報が欠かせないけど、ワタシは子育てしたことがないし、子供が相手だとつい楽しく一緒に遊んでしまうから、子供の指導なるものもやったことはない。ましてや日本の初等教育事情なんて半世紀も昔のことで、それさえあまり覚えていないのは、たぶん授業なんかそっちのけで白日夢をむさぼっていたからだろうな。まあ、ほんとにヘンな子だったから。

それにしても、「教育」は人間の一生を左右するものだから大変。学校教育というのは、自分の子供の将来を「教師」という職業の他人の手に委ねることだよね。で、その教師の上に学校の運営を管理する層があって、さらにその上には文部科学省というお役所がで~んとある。このお役所のお役人たちが(教育審議会とか何とかいう「賢人」たちの助言を聞いて)日本の子供が何をどのように学ぶか決めて、上意下達で教育組織の一番下にいる「教師」がお達しと一緒に与えられるお墨付きの教科書の通りに教える、というシステムなんだと思うけど、昨今の教師がらみのスキャンダルの数々を考えたら、親たるもの相当の勇気がいるかもしれないなという気もする。仕事をしながら、もしもワタシに子供がいたら「学校」にはやりたくない、子供ができなかったのはあんがい幸いだったのかも・・・と、つい思ってしまう。(カナダならホームスクーリングという選択肢があることはあるけど・・・。)

この2010年は日本では「国民読書年」なんだそうな。へえ~と思ってまたあちこちググっていたら、読売が企画したという青山学院大学の日置教授とのおもしろいインタビュー記事が出てきた。文学部日本文学科に入学してくる学生に読書体験を聞くと、夏目漱石すら一冊も読みこなしていないんだとか。試験勉強して、入学願書を出して、入学試験を受けて受かって、日本文学科に入って来たんじゃないのかなあと思ったら、「教科書や教科書・参考書の解説やダイジェスト」を通して文学作品を知ってはいるけど、日置教授が独自の漱石論を展開すると、どの解説にもないと反論して来るし、しまいに「偏ったことを教えられては困る」と言い出すとか。ええ?解説書を読んですでに「正しい」解釈を知っているなら、なんで今さら大学に入って勉強するの?

日置教授の曰く、『現代の若者たちの多くは、自分の興味のあることについては「オタク」と呼ばれるほどに情報を収集するけれど、それ以外のことへの関心はきわめて希薄です』。うん、これも「こだわり」のひとつというのか、そういうところはあるなあ。自分が興味のないことはどうでもいいというか、ジョーホーをくれと言うのに、他人の言うことは無視したり、ウザいとか上から目線だとか言って否定したりね。『自分の幅を広げて成長することより、安全圏を確保してその内側に収まっていることのほうが優先されるのです』。う~ん、やっぱり何らかの不安感があって、精神的に引きこもってしまっているのかな。いうなれば「ライナスの毛布」にくるまっているようなものだよね、これも。『こうしてみると、「活字離れ」と見られる現象の根底にあるのは、他人との濃密な関係を嫌う「他者離れ」なのではないかと、私は考えます』。うん、なんとなくわかるような気がする。だから、年令や育った環境や趣味や嗜好が違う他人にどうやって接していいかわからないんだろうし、いわゆる「友だち」でさえちょっとしたことで疎遠にする、フェードアウトするという発想が出てくるんだろうな。「やだ、できない、や~めた」と。

日置教授のさらに曰く、『むろんこうした他者との関係を、若者たちが自ら創りだし、身につけてきたとは思えません。高度成長からバブルが崩壊し、他人にかかわる余裕がなくなって、自分の領域を守ることで手一杯になった大人たち。その姿を見て育ってきたのが、彼らなのです。』ワタシは前から今の日本が抱える諸悪の根源はバブルにあると思っていた。バブル景気で最も大きな影響を受けたのは経済じゃなくて社会だったと思う。膨らむ過程でそれまでの社会通念や良識がほころび、潰れた後もそれを繕うことができないでいるのではないかと。日置教授の言葉をまた引用させてもらうと、『自己主張を嫌う若者は、実は内に主張を秘めており、それは自分の安全が確保されれば、たとえば匿名の環境でなら噴出してきます。こうした「裏」の声を、主に引き受けているのが匿名で発言できるインターネットです』。

なるほど、自分は安全圏にいると思っているから言いたいことが言えるということか。匿名掲示板なんかでは実に「雄弁」だもんね。教授はインターネットを状況を改善できる可能性のひとつと見ているけど、どうなのかなあ。『最近は、インターネットが決して安全な環境ではなく、こうした「裏」の発言にも責任を持たなくてはならないことに、若者たちも気づいています。ネットの世界は、「裏」と「表」の落差が縮まるある種の過渡期を迎えているのです』。う~ん、ワタシは「表」と「裏」をうまく使い分けていると思っていたけどなあ。つまり、建て前(表)を整えることが「空気を読む」ことであり、本音(裏)は他者には見せたくない(あるいは見られたくない)「自己」の主張だと。

まあ、そんな風に考えていたんだけど、あんがい、ネットの環境が安全でないことに気づいてはいるけど、現時点では行動に移せないでいる、まだ「安全なところ」にこだわっているというところなのか。そういえば、中学生を対象としたある調査では、学力の高い子供ほどいい大学に入って、「日本の企業や公務員」に就職して、安定(と安全)を求める傾向が学力の低い子供に比べて強かったという結果が出たと言ってたなあ。勉強のできる(はずの)子供たちはもう今から失うかもしれないものが多すぎるとびびってしまっているのかなあ。精神医学用語に「失敗恐怖症(hamartophobia)」というのがあるけど、まさか・・・?

ネットの闇でつまずかないように 
                                                                         
10月3日。日曜日。目が覚めたら何と午後12時43分。そんなに遅くなかったのに。カレシを(やさし~く)起こしたら、「今日はすご~くだらけた気分なんだ」と言うのでそのままカレシの腕枕でしばしうとうと。「おなか空いた~」とごそごそ起き出したらもう1時半。これじゃまたリセットするのが大変そうだなあ。まっ、別にこれといった時刻表があるわけじゃないからいいか。今日は雨が降っていないのに、「初秋の晩夏」だったきのうとうって変わって寒い。午後だというのに、ベッドルームの温度はあと2度下がったらヒーターが入るくらい。ふむ、ひょっとしたら体が「冬眠」の季節だと勘違いしていたりして・・・。

オフィスのPCの前に座っていつも真っ先に各国の新聞を読むのが「朝のひととき」。地元のVancouver Sun、The Provinceから始まって、Google Newsの見出しで世界をちょこちょこっと模様眺めして、読売、朝日、産経、毎日、Japan Times, News On Japan、CNN、Reuters、Spiegel(英語版)と見出しを拾って、興味をそそるニュースを開いて読む。いつも思うんだけど、日本のオンラインの新聞の記事は実に短い。「いつ、どこで、どこの誰が、何をして、どうなった」と数行でおわり。つい「で?」と続きを聞く姿勢になるけど、「あ、ニュースはそれだけです」みたいなあっけなさで拍子抜けする。片や欧米の新聞記事はとにかく口数が多くて、いくらスクロールしても続いていたりするから、こっちもけっこう読み応えがあると感じてしまう。

こうして世界から発信されて来るニュースを(英語と日本語だけだとしても)すぐに読めるネットの時代は実に便利だと思う。だけど、この便利さは「表」の世界なんであって、その背後には闇に包まれた「裏」の世界がある。きのうの「自分の安全が確保されれば若者の内に秘められた自己主張が噴出する」という、「匿名」という安全毛布に包まれたネットの「裏」の世界。少し前にはバンクーバーの郊外でraveに行った女子高生が薬を飲まされて集団強姦される事件があって、その様子をビデオに撮ってFacebookに載せた高校生が逮捕された。でも、いったん投稿されたビデオは削除しても削除してもすぐに誰かの手でアップされて警察はお手上げの状態。

何というひどい話だろうと思っていたら、先週はアメリカの大学でゲイの新入生の性行為が寮の部屋に仕掛けられた隠しカメラを通してFacebookに流れ、バイオリニストとして将来を期待されていたらしいこの学生は橋から投身自殺してしまった。日本ではある事件で逮捕された容疑者とたまたま同じ姓だった会社がネット掲示板の書き込みから「実家」だという噂が広まって、「火消し」に200万円も費やしたという話がある。かかってきた電話の主に違うといったら「あなたが違うといっても、その証拠が出ないと」と信じてもらえず、「調べてくれ」といったら「ネットではそういうことになっているから」と言われたそうな。匿名性は「自分の正体を明かさない」ことによって本音を語ることを促せるかもしれないけど、同時に無差別に人を狙い撃ちするスナイパーに安全な隠れ場所を提供することにもなる。相手が見えないから、他人や社会に悪意を持っているけど臆病で直接に行動できない人間をことさら大胆にすることもあるだろうな。

先週で新生児の遺体遺棄で留学生が逮捕された事件に同年代の日本人がどういう反応をしているのかと思って、久しく遠ざかっていたローカル掲示板をのぞいてみたら、案の定いくつか複数のスレッドが立っていた。びっくりしたのは、この女性のSNSへの書き込みを探し出して、コピーした内容やリンクを貼り付けた投稿や、何ヵ月も前のトピックを探し出してきて、「同一人物らしい」と推理した投稿があったこと。特に後者のトピックは警察が感知したら今後の調べにかなりの影響を及ぼしかねない内容なのに、それをまるで雑誌の切抜きを見せているような感覚で載せているから恐ろしい。日本人の掲示板で、日本語で書いてあるから、カナダ人にはわかりっこない(安全圏)と思っているのかもしれないけど、このあたりでは日本語を読めるのは日本人だけとは限らない。それにしても、何十、何百と立っては消えるスレッドの中からよく探し出したものだと感心する一方で、「同じ日本人」という以外には面識も何もない人間に関して(たしかに「新聞に載って」しまったけど)そこまで執拗に情報をほじくり出してばらまける心理は心底から恐ろしいと思った。

このブログだって、どこで誰が、その人が知っているワタシじゃない別の人のだ思って見ていて、「嘘ばっかり。現実逃避だ」と笑っているるかわからないし、あるいは実際にワタシを知っている人が、ワタシのだとわかっていて「見つけたよ」と知らせずに黙って見ているかもしれない。絶対にありもしないことを創作して書かないのは、どこに「現実世界のワタシ」を知っている人がいるかわからない。使う人の分析力や判断力がある一定の水準になれば、玉石混交の情報を選り分けて、あまり嘘八百に踊らされなくなるかもしれないけど、モラルはまったく別の話で、マニュアル化して教えられるものではない。ほんとに、ネットの世界では一寸先は闇・・・。

今日はもう仕事はいいや

10月4日。月曜日。寒い~。なんだか湿っぽいし、どよんとした空模様。ま、10月ってことなんだろうけど。仕事を始めようかなあ~と迷いつつ、朝食を済ませてまずは家の事務処理から。ケーブルテレビの料金、電話料金、電気料金、営業経費用のクレジットカードの請求、そして家の火災保険の支払いを設定。いちいち小切手を書いて、封筒に入れて、切手をなめなくてもよくなったのは、便利な世の中だよね。

そうか、この家も今週で築後22年。何度も改装したから外観も家の中もかなり変わっているけど、古家になりつつあるのはたしかかな。もうちょっと手入れをした方がいいんだけどね。カレシはやらないし、ワタシは仕事にかまけてやれないし、そのうち人に頼んで修理の必要なところを修理してもらうことになるのかな。保険料の内訳を見たら、建物の保険額が34万ドルに近くなっていてびっくり。新築の頃は12万ドルくらいだったのに。まあ、新価保険だから、建て替えのコストは物価や建築コストの上昇に合わせて年々上がるのは当然なんだけど、総床面積
185平方メートルの小さな我が家同じ家をそっくり復元するのにそんなにもかかるようになっているというのはオドロキだな。(今の円レートで換算すると1平方メートルあたり約17万円。)これに土地の評価額を足すと、バンクーバーの住宅相場がいかにバカ高いかが改めて身にしみてくる。

メインのクレジットカードが期限切れになって、送られてきた新しいカードはICチップ入り。口座は彼氏の名前だけど、今までは同じ番号で家族用カードも発行してもらっていた。それをよく見たら、ワタシの名前のカードはまったく別の番号になっていて、暗証番号も別。でも、オンラインで銀行の記録をチェックすると新しい番号ではあるけど、今までどおりにどっちがカードを使ってもひとまとめになって出てくるから、新しいシステムでは同じ番号にはできないのかなと、さして気にも留めないでいた。ところが、新しいカードになってからの請求書が来てみたら、カレシの(元の)番号のカードでの買い物と、ワタシの(新しい)番号のカードでの買い物が仕分けされている。つまり、どっちがいつどこでカードを使ったかが一目瞭然。カレシに見せたら、「夫婦のもめごとが増えそうだねえ」。うん、「アンタ、これ、何よっ?」とか、「オマエ、また新しい靴を買ったのかよ~」とか、請求書をめぐって夫婦喧嘩が起きるかもしれない。し~らない。

午後4時。トレッドミルで運動。シャワーを浴びて、イアンとバーバラの夫婦と食事に出かけるためにリッチモンドへおでかけ。晴れ間が広がって夕日がまぶしい。カレシが「サングラスを持ってくれば良かった」と言うから、貸してあげると言ったら、「まだいい」。まだいいって、何で?「今はまだ問題じゃないから」。ええ?なんで問題が起きるまで待つの?「だって、必要ないかもしれないよ」。はあ、問題が起きなければ必要ないだろうけど、起きたときに慌てるのはハンドル握っているアナタでしょ?必要なかったら外して返してくれればいいでしょ?んったく。ま、サングラスを渡したら黙ってかけていたけど、元々家を出るときに空模様を見て「夕日がまぶしい」という問題を想定してないんだからしょうがない。おもしろい思考だねえ、アナタ。

食事はスティーブストンの「一朗亭(ICHIRO)」というすし屋。夏に遊びに来ていた息子のロバートが友だちと行って良かったと言っていたので来たかったというバーバラ。月曜日だというのにかなり客が入っている。スティーブストンは日系人のふるさとだけど、今のリッチモンドは中国系の街。店の中の会話も中国語が多い。でも、カウンターの後で寿司を握っている若い2人はどうやら日本人らしい。日本流に「とりあえずビール」にして、「松」のディナーセットは、エビの酢のもの、てんぷら、鶏の照り焼き、寿司、刺身、味噌汁(ご飯はなし)と、ありきたりの内容だけど、これで21ドルとちょっとは安い。日本食はすっかり「安い外食」として定着してしまった観もあるけど、この値段としては「うん、よかったよ」と言えるかな。

おなかもいっぱいになったし、イアンとバーバラのコンドに寄って、コーヒーとコニャックでひとしきりおしゃべりして、あ、今日はもう仕事はいいや・・・。

妻が夫を超えたとき

10月5日。火曜日。いい天気だけど、日差しはカリッとした感じで、とにかくまぶしい秋の光。別にアウトドア派でもなんでもないけど、あんまり天気がいいもので、今日も仕事に取りかかる気分が起きてこない。う~ん、あとどれくらいダラダラしていられるかなあ。納期まで15日あるから、木曜日には始めないと余裕がなくなってしまうなあ。そうなると、もしも他に断れない仕事が入ったらきっちきちで、へたをすると半徹夜状態か、もろに徹夜モード。や~だ。もうしっかり還暦を過ぎた「老体」だってのに、まだそんなことやってていいのか・・・。

今日届いたMacLean’s誌におもしろい本の記事があった。「夫を超えてしまった妻」が離婚するか、結婚を続けるかで悩んだときに、いくつかのシナリオに沿ってアドバイスしている本だそうで、なかなか考えさせられるところがある。たとえば、「妻の方が収入が多くて、家事のほとんどを担当していて、幸せでない」場合は離婚した方がずっと良策。「夫にある程度の収入があるのに家庭に対する経済的な責任をまったく全うしない」場合も離婚が良策。「妻が家計を支えるのに十分な収入を得るようになって、夫が自分の収入を自分のために使うようになった」場合は、問題の解決を図らない限り、夫婦が有意義な関係を維持することは不可能に近い。「夫の自尊感情が低い」場合、妻としては、夫が現状のままで自分がたとえば博士号を目ざすなどしたときに夫を尊敬して、愛し続けられるかどうかを自問すべき、と。いつまでも大人になってくれない夫への愛が冷めてきたなんて妻も多いけど、こういう図式では気づかないうちに母と子の関係になってしまいやすいから、気をつけないとね。

でも、そういう夫を「それでもいい」と全面的に受け入れたとしても、夫自身が自信のなさを認めるか、直視して克服を目ざすなど行動しなければ、夫婦として機能するのはほぼ不可能。なぜなら、夫は嫉妬から妻を押し留めようとし、妻は自己の成長を妨げられて憤るから。私たちの場合は最後のシナリオに近かったかな。違っているのは、カレシが前に進もうとするワタシを躍起になって引き戻そうとしていたのに、ワタシは長い間気づかずに、犬ぞりのハスキー犬よろしくぐいぐい引っ張っていたということかな。カレシは「止まれ、止まれ」と手綱を振り回していたつもりが、ワタシは「がんばれ、がんばれ」だと思っていたんだから、空気が読めないというのか、さすが極楽とんぼというのか・・・。

著者は独身の女性におもしろいアドバイスをしている。女性の方からの積極的なアプローチは社会的には広く受け入れられているけど、長期的に見ると、女性は永久に「積極的な方」という役割に固定される恐れがある、というもの。つまり、恋愛関係になってからも、女性がすべてお膳立てをすることになり、それがあたりまえになるとやがて「自分は愛されていない」、「価値を認められていない」と不満を抱くようになるんだそうな。シナリオがどうあれ、「夫が退屈になったから」というのは離婚の妥当な理由にはならないそうで、「こんなつまらない男」と思って別れた夫がさっさと再婚してしまったら、後で気が変わっても戻るところはない。質の良い男はなかなかそう簡単に見つかるものではないから、場合によっては新しい男の欠陥に対処するよりも、すでによくわかっている夫との問題を掘り下げて、解決を図る方がずっと生産的だから。

小町でも何かあると「夫婦は対等でなきゃ!」という意見が出てくるけど、洋の東西を問わず、夫婦の関係には一種のパワーゲームのような要素もあるし、いろんなところでまったく違う2人の人間が作る関係だから、現実には何かにつけて不対等、不平等、不均衡。まあ、女性の方が男よりも頭を使わなければならないことが多いようだけど、女性の方が賢いはずだから、それはそれで自然の摂理だと思う。つまるところ、結婚てのは、国と国の外交ゲームに匹敵するくらい、あるいはそれ以上に難しいのかもしれないなあ。

日本人は声色を読むんだって                                                                                  

10月6日。水曜日。今日もいい天気。寝つきが良かったらしく、午前8時前のゴミ収集車の音で目が覚めただけで、その後2回の通過ではまったく目を覚まさなかった。カレシにいたっては3回ともぜ~んぜん気がつかなかったというから、もう稀なレベルの爆睡。季節の変わり目だからなのかな。年を取るとそういうことに敏感になるのかな。どうも最近は「年だ、年だ」と騒いでいるような気もするけど、自分自身の心身の微妙な変化にすごく興味がある。気になるんじゃなくて、年を取るのが怖いのでもなくて、人間てのは精巧で複雑で繊細で、実に微妙にできているなあと思うようになったからで、自分自身とカレシが観察の対象として一番身近な「人間」だということだと思う。

今日の郵便でマリルーから一枚の写真が送られてきた。7月の初めにパパの遺灰を海に流しに行ったときのもので、船のデッキで、90代のママを囲んで、カレシとジム、デイヴィッドとみんな60代に入った3人兄弟。ママと息子たちがそろっていい笑顔で、すごく良く撮れている。ひょっとしたらこれが最後の「親子いっしょ」の写真になるのかもしれない。やっぱり家族や友だちの写真は印刷しておくべきだよね。ハードドライブに収納された写真はいつ何どき誤操作や不具合で一瞬にして消えてしまうかもしれない。ひとりの人間の人生の記録や思い出がほんの瞬きの間に消滅するということには言葉にはできない怖さを感じる。カレシが2人一緒の写真からワタシを消していた時期があって、それを知ったときは、生きて来た証拠を消されたショックというか、人間としての存在さえ抹消されたかのような恐怖感があったからだろう。(客観的に考えられるようになってみると、「そりゃあそうだよなあ。コクサイケッコンする気満々のオンナノコに「古女房」と一緒の写真を送れるわきゃあねぇよ」と笑えるんだけど、当時は精神的にかなりぼろぼろになっていたから、そんな余裕はなかった。)

デジタル時代で自在に操作できるようになった写真は記録という機能を超えて、ビジュアルなコミュニケーションの道具になっていると思う。指名手配の顔写真を見ると、ああ、そういうことをしそうなやつだなあと感じるし、人によっては悪いやつはああいう顔をしているもんだと思い込むこともあるだろうな。読売で最近読んだコラムの中に「日本人は声色でコミュニケートする」という研究結果の記事があった。オランダの研究者と共同で、「喜び顔」と「怒り顔」、「喜び声」と「怒り声」を組み合わせて、顔と声が一致しているビデオと一致していないビデオを見せ、顔か声のどちらかに着目するように指示して、対象者が顔と声のどちらに強く影響されるかを調べたんだそうな。その結果、日本人は顔に着目するように言われても無視すべき声の影響を強く受け、逆に声に着目した場合は顔の影響を受けにくかったのに対して、オランダ人は顔と声のどちらに着目していても、他方の影響はあまりなく、顔と声の間に影響の差がなかった。

つまり、日本人は自動的に相手の声の調子から感情を判断する傾向が強いという結果だけど、ということは、漢字のような表意文字を使う文化で、マンガやアニメのようなビジュアルな表現が盛んなように見えるけど、人と人のコミュニケーションはあまりビジュアルではないということなのかな。考えてみると、村人たちが総出で田植えや稲刈りをする農耕文化では地面に向きっぱなしの作業なわけで、いちいち体をひねったり、起こしたりして隣でしゃべっている人の表情を見ているヒマはなかっただろうから、声の調子で意志の疎通を図るようになって、そこから「空気を読む」という脳の配線になったのかもしれない。そうすると顔と感情が一致しなくてもいいわけで、心の中でははらわたが煮えくり返っているのに顔はニコニコという、顔と声を組み合わせて判断するコミュニケーション脳を持った人にはとうてい理解できない場面が起きて来るわけか。

このあたりで異文化コミュニケーションの難しさという話題になるんだろうけど、必ずしも日本人は声で、西洋人は顔と声で、という明確なコミュニケーションの図式があるとは思えない。だって、日本人として生まれ育ったワタシは自分自身が喜怒哀楽をそのまま顔に出すせいもあってか、相手の表情を見て判断する傾向が強いんだけど、日本人ではないカレシは不思議なことに(特に負の感情があるときに)顔と感情が一致しない傾向が強い。カレシからのコミュニケーションの形だけをみたら、カレシの方がよっぽど日本人なんだけど、相手の顔と感情が一致していないと人の気持を理解できないらしいから、日本向きではないだろうな。まあ、お互いに生まれる場所を間違えただけなのかもしれないけど。

それに、日本人だから誰でも「声色」を読めるというわけでもないと思う。特に日本のような「察する文化」で、目に見える顔の表情よりも耳から入る声色にコミュニケーションの重点が置かれているとしたら、顔に強く影響されてうまく声を聞き分けられないために、心で怒っているのに顔では笑っている相手を誤解したり、理解できずに困惑してしまう人は多いだろうと思う。そういう人たちが声色に敏感な人たちから「空気が読めないやつ」というラベルを貼られてしまうんだろうな。欧米では自閉スペクトラム上にある子供に「相手の表情を読む」訓練をするそうだから、日本の場合は顔の表情は無視して「声色を読み分ける」訓練をしたら、うまく空気を読むのがどうしても苦手で困っている人たちの生きにくさがかなり緩和されるんじゃないかと思うけど。

文化とコミュニケーションの関係を考えたら、表情と感情が一致しなくてもいいというところから、「建て前」と「本音」の使い分けが生まれてきたのかもしれないし、そこから必然的に「表」と「裏」の乖離が生じて来たのかもしれない。隠したがり文化もそのあたりに源流があるのかもしれないし、その下流にもめごとや都合の悪いことを水に流して「なかったこと」にしたがる思考が生まれてきたのかもしれない。だけど、この研究が外国でも発表されたおかげで、欧米人に「そうか、日本人が相手の時は声の調子に注意すればいいんだ」と知られて、本音まで看破されてしまうかもしれないな。これまで「東洋の神秘」と称えられて来た日本人の微笑が、もう神秘でもなんでもなくなってしまうかもしれないなあ。たしかに異文化コミュニケーションは進むかもしれないけど、いいのかなあ・・・。

みんな遺伝子組み換え生物                                                                                                           
10月7日。木曜日。どんよりして、寒!カレシは「ボクの週末~」とごきげん。ワタシは、ふむ、週の初めも終わりもなくて、いつも、いつまでも、果てることなく「週」。アナタはご隠居だからそれでいいけど、朝っぱらからゾウアザラシみたいな大あくび。何とかならない、それ?

カウンターの上にきのう開けたチューブ入り和風練りがらしの空き箱がまだあったので、捨てようとして何気なく原材料を見たら、「Corn Oil [genetically modified]」というのがあった。アメリカのトウモロコシ大産地で遺伝子組み換えで害虫に強いトウモロコシの作付けを始めて以来数十億ドル近い経済効果があったというニュースを見たけど、きっとそのトウモロコシが原料のコーン油を使っているんだろう。正直に表示してあってエライじゃないのと日本語表示の方を見たら、あら、「コーン油」とだけ書いてあって、遺伝子組み換え作物だなんておくびにも出していない。この練りがらしは日本の大手メーカーのもので、輸出用らしく箱に印刷された表示は「原材料」以外すべて英語。ふむ、何なんだろうね、この差は。まさか、国内用には遺伝子組み換えをしていないコーン油を使って、輸出用には組み換えしたコーンの油を使っているなんてことはないだろうなあ。そんなことしたら採算取れないよね、まず・・・。

カレシにラベル表示の違いの話をしたら、「日本人はneurotic(神経症)が多いからね。生物の多様性そのものが遺伝子組み換えの結果なんだからどうってことないのにさ」と言う。ふむ、日本人に神経症が多いかどうかは別として、なかなか的を得たことを言っているな。まあ、遺伝子組み換えに反対する人たちは、本来その生物が持っていない(あるべきでない?)遺伝子を組み込むことで、フランケンシュタインの怪物やホラー映画に出てくるキラー植物みたいなのができてしまわないのか、あるいはそれを食べた人間にその異常な遺伝子が伝わってしまわないのかを心配しているんだろうと思うけど、と言ったら、「人間なんか、みんな多かれ少なかれ何かしら異常な遺伝子を持ってるんだよ。そのまま生まれて来ても別に問題が起きないから知らないだけ」と。ふ~ん、そういう人は運が良かったということなのかなあ。

じゃあ、アナタも何か変わった遺伝子を持ってると思う?と聞いたら、「親父とばあちゃんの家系を見ろよ。持ってないわけがないだろ」と来た。そういえば、パパもどこか発達障害じゃないかというところがあった。父方のおばあちゃんにいたっては「?」なエピソードが山ほどあるし、そっちの家系は現代の「カリカック家」みたいなところがある。「だけど、持っていても問題はないみたいだから、ボクたちはラッキーだったんだよ」とカレシ。ふうん。じゃあ、ワタシも何か異常なのを持ってるんだろうねえ。「そうそう。みんなが西へ行くのに間違って東へ行ってしまった方向オンチなケルト人の遺伝子とか・・・」。それはワタシがいつも冗談に言っていることだけど、そこまで遡ってたどって来たら、何が異常で何が正常かなんて、ほんとにもうわからなくなってるよね。「そういうこと」。ふ~ん・・・。

でも、神様は「生めよ、増えよ、地に栄えよ」とあっさりおっしゃるけど、受精に始まって、減数分裂を経て胎児に発達するまでの過程をよく考えてみると、かなりの危険を伴うプロセスだと思う。一生懸命に泳いでやっと卵子に到達した精子は卵子の中へもぐり込まなければならないから、そこで染色体にどんな傷がつくかわからない。受胎に成功したら卵子が分裂して細胞を作って行くわけだけど、父と母の2セットの遺伝子を混ぜ合わせて新しい個体の染色体を作るわけで、長いDNAをくしゃくしゃに丸めたような双方の染色体をくっつけたり、分けたり、配列を変えたり、組み換えしたり。その過程で染色体に乗っかっている何千という遺伝子のどれに何が起きるかわからない。想定外の場所にくっついてしまったり、途中で切れてしまったり、切り離しそこねたりすることがあるだろうし、数が足りなくなったり、多すぎたりすることもある。なにしろ1個の卵子が2個、4個、8個と「分裂」するんだから。

地球上の生命がそういうまるでロシャンルーレットのようなことを何億年も連綿と続けてきのであれば、異常は星の数ほど起きただろうし、何も起こらずにそのまま次の世代にバトンタッチされたもののあるだろうから、子孫代々伝わって来た「異常遺伝子」の数は想像もつかないだろう。たぶんその99%は持っていても支障がないだろうから、何が異常で何が正常かの境界がぼやけて来ても不思議はないと思う。なにしろ人類のゲノムはとてつもない数でとにかく複雑なんだから。そういう意味では、この地球上の命あるものはすべて、その命を授かった瞬間から運まかせの命がけで生きていることになるよね。ウィルスも動物も植物も、人間のワタシもアナタも世界の誰もかも、生きているものはみんな染色体のどこかに何かしらミスがあって、それでも一生懸命に生きているってことだなあ。

ところで、朝ごはんを食べているというのに、練りがらしの原料の話がなんだってこんなかたい話になっちゃうの?ヘンな2人・・・。

言語でたどる祖先の地                                                                                                                   
10月8日。金曜日。雨模様。この冬はラニーニャの影響で1955年以来の寒さと降雪が予想されているとか。ヨーロッパなどは千年ぶりの厳冬になるそうで、「地球温暖化」なんて誰かの妄想で、ほんとは「氷河時代」の方が来るんじゃないかと思ってしまう。まあ、「地球温暖化」は同義語みたいに使われている「気候変動」とは受ける印象が違うけど、「温室効果ガスのおかげで暑くなる!」と言った方が素人にはわかりやすいと考えたのかな。たしかに平均気温は上昇傾向にあるだろうけど、極端な猛暑だったり、極端な大雨が降ったり、極端な大雪が降ったりは「気候変動」と言う方がわかりやすいような。

ゲートの外にFedExの不在通知がぶら下がっていた。注文してあった「お勉強」のDVD。アメリカに大学教授による講義を商品化して通販している会社があって、2人の「老後プロジェクト」でいろいろと興味のあるテーマのものを買っているんだけど、今回はカレシの希望で音楽鑑賞と音楽の基礎、ロンドンの歴史、ワインの知識の4本。追跡サイトには正午前に配達予定と書いてあったから、不在扱いになるだろうとはわかっていたけど、チェックしてみたら配達時間は午前9時11分と、まだぐ~っすりお休みの時間。通知には翌営業日(火曜日)に再度配達と書いてあるけど、FedExの配送センターが近いからまた早朝に来てしまいそうだな。こっちからピックアップしに行った方が早そうな。

インドの北東部の寒村で「新しい言語」が発見されたというニュース。チベット・ビルマ語族に属するけど、調査の目的だった周辺地域の2つの言語とは語彙も音もまったく違うんだそうな。この「コロ語」を話せる人は800人くらいで、文字がないらしいから、早晩消滅する運命にあるんだろう。何十世代も使われてきたはずの言語を「新しい」というのはなんだかしっくりしないけど、これまで知られていなかったから「新しい」ということか。2人して言語学の講義のDVDをぼちぼちと見ていたところで、ちょうどインド・ヨーロッパ語族の祖先であるインド・ヨーロッパ祖語の発祥地はどこかという話になっていた。おおむね古代の西アジア、あるいは黒海のあたりと考えられているようだけど、その調べ方がおもしろい。

言語のつながりを調べるには共通点に着目するのが普通だと思うけど、ここではまったく共通性のない名詞を調べて「どこから来たのか」を探っている。共通性がないということは、祖語が話されていた土地から移動したグループがそれぞれ新しい土地で遭遇した見慣れないものに独自に言葉をあてて行ったということになるわけで、おもしろい着眼点だと思う。たとえば「椰子の木」を意味する言葉に共通性が見られないから、祖語が話されていた地域には椰子の木はなかった。同様に「樫の木」を意味する言葉にも共通性がないから、樫の木が生えていた場所でもない。こんなふうに消去法で地図を塗りつぶして行ったら、西アジア/黒海・カスピ海のあたりが残るらしい。この手でウラル・アルタイ語族に属すると考えられている(でも系統図には点線で表示されることが多い)日本語のルーツを見つけることができたらおもしろいだろうな。白雪を戴くアルタイ山脈なのか、シベリアはツングースカの森林なのか、それともモンゴルの大平原なのか。う~ん、言語学って実にロマンチック・・・。

この週末、カナダは感謝祭の三連休。日本はハッピーマンデーの三連休。アメリカはコロンブスデイの三連休。み~んな三連休の休みなのに、なぜかワタシは仕事、仕事。なぜかって、日本の金曜日が終わる間際にどたどたっと飛び込んでくる仕事をみ~んな引き受けてしまったから。なにしろまんがチックなイラスト満載で絵本みたいなお子様プロジェクトよりも、まじめにどんなことを研究したとか、法律が、お金がああだこうだというオトナ仕事の方が確実におもしろいもので、ついそっちの方にふらふら。まっ、クライアントからのメールが3日間は静かだと思えばいいかな。さて、遊んでないで、まじめに仕事しようよね。

さあ、ホッケーシーズンの開幕                                                                                                        
10月9日。土曜日。起床は午後12時45分。雨模様。三連休はずっと雨の予報で、なんと大雨警報が出ている。メトロバンクーバーの予想雨量は30ミリから50ミリとか。30ミリと50ミリではエライ違いだと思うけど、約3000平方キロもある地域だから、微小気候というのがたくさんあって、ひと口にバンクーバーと言っても同じ日で雨と晴れの違いが出る。これも55年ぶりの厳しい冬の前触れなのかな。

バンクーバーは元々10月から先は「雨期」ということで、来る日も来る日も雨なんてのはちっともめずらしくない。カナダに来て初めての10月はもろに「雨期」という感じで、太陽の顔を拝んだ日があったかどうかも覚えていないくらいによく降った。毎日しょぼしょぼ、ときどき本降り。梅雨を知らない道産子のワタシは「えらいところへ来ちゃったもんだ」と思ったけど、霧に閉ざされて日照の少ない土地の育ちだったせいか、日が差さないことはちっとも苦にならなかったな。少々の雨では傘をささずに歩くというバンクーバーの奇習?を覚えたのも35年前の10月。今では毎日が雨でもそれほどうんざりした気分にはならないし、(あの頃と違って車があるから)しょぼしょぼの降りなら自然に傘なしで出てしまうようになったから、慣れというのは大したもんだ。ま、秋雨じゃ、濡れていこ~と気取るのもおつなもんだけど、30ミリとなると話は別か・・・。

ホッケーのNHLのシーズン開幕で、バンクーバー・カナックスは今夜が初戦。アリーナはスポンサーだったGMが降りて、もう「ガレージ」というニックネームも引退か。新しいスポンサーは通信・ケーブル大手のロジャーズ。マイナーリーグからNHLに昇格して満40周年ということで、試合前に記念イベント。40年前のチームメンバーのうち16人がひとりずつ紹介されてリンクに出てきた。当時は16才だったというパット・クインもいる。初代キャプテンのオーランド・カーテンバックは、カナックスがまだマイナーチームだった時代に本拠のパシフィックコリシアムにもぐり込んで練習を見物していた十代のカレシと悪友仲間の首根っこをつかんで外へ放り出したという人。「あの頃は若かったけど、今でもあんまり変わってないなあ」と感慨深げなカレシ。

NHL入り40周年といえばワタシが来る5年前のこと。よくワンルームのアパートでテレビで試合を見ていた。いや、聞いていたという方が当たっているかな。なにしろ貧乏で、お金のないカレシは友だちがいらないというテレビをもらって来ていた。いらないとうのも当然で、画面は雪がちらちら。必然的に音声が頼りで、今考えると当時ワタシの英語で一番の弱点だったヒアリングの特訓になったのかもしれないなあ。なにしろホッケーのようなスピードのあるスポーツの実況放送はみんなすごい早口だから、画像が頼りにならなければ、ありったけの聴覚神経を集中して聞いていないと何が何だかわからない。ふむ、考えようによってはカナックスのおかげで英語環境に楽々同化できたのかもしれないなあ。

シーズン開幕のイベントのクライマックスは新キャプテンのお披露目。それまでゴールキーパーのルオンゴがやっていたのが(動けないGKには難しい任務ということか)、ユニフォームついていた「C」を返上。誰が後釜になるのか。だいたいのところは前のシーズンでポイント数トップでMVPになったヘンリク・セディンだったけど、ヘンリクはチームメートのダニエル・セディンと一卵性双生児。同じラインでプレーすることが多いから双子特有のESP(があるのかどうか知らないけど)で互いにアシストとしあうんだけど、成績はどちらかというとダニエルの方がやや上だったのが、前シーズンのダニエルは怪我でかなりの試合を欠場。ダニエルなしでリーグMVPになったのはエライということで早くからキャプテン候補と目されていた。お披露目では初代キャプテンのカーテンバックが「C」をつけた新しいユニフォームを持って登場。「ヘンリク・セディン、前へ出てください」のアナウンスでそれまで副キャプテンの「A」をつけていたセディンが進み出て、満員御礼のアリーナの歓声の中でキャプテンのユニフォームに着替え。わりと心憎い演出だな。

これは余談だけど、セディン兄弟はスウェーデン人で、シーズンオフは家族共々スウェーデンに帰って過ごし、キャンプインに合わせてバンクーバーに戻って来る。スウェーデンでは早期から英語教育をしていて、まずみんな英語は「できる」。ドラフト以来もう長いことバンクーバーでプレイしているセディン兄弟もシーズン中はインタビューなんかでも「外国人」を感じさせない英語のしゃべり。ところが、キャンプイン初日のインタビューではなんだか「?」な英語になっていたから驚いた。夏の間ずっとスウェーデン語オンリーだったことは想像に難くないけど、やっぱり第二外国語は何年経ってもしばらく使わないとてきめんにさび付くんだろうな。逆にシーズンが終わってスウェーデンに帰ったばかりの数日はどうだったんだろう。彼らもスウェーデン語が少々おかしいということはなかったんだろうか。生まれ育った母語だって長期間インプットがないと衰退するんだから、一度そのあたりを聞いてみたいなあ。

今シーズンのカナックスはチーム史上最強のラインアップだそうだけど、なんか去年もおととしも、その前もいっつもそういう評価を聞いているような気がするけど、はたして勝ち残って、(6月の終わり近くまで続くから)冗談半分に「シーズン2」と言われるプレーオフ戦を勝ち抜いて、スタンリーカップ決勝まで行けるのなかあ。ま、がんばってよね、キミたち。

今日はパーフェクト10の日                                                                                    
10月10日。日曜日。目が覚めたら実にいい天気。ほんとに大雨が降ったのかなあ。(停電の話をしているから降ったんだろうけど、きっと入り江の向こうだろうな。)まったくの無風状態。気温は平年並みの16度で、まさに連休日和(って言葉があるかどうか知らないけど)。クリスマスシーズンにはまだ早いけど、カナダドルがアメリカドルとほぼ等価なもので、国境にはかなり長い待ち行列ができているらしい。市場規模が10倍もあるアメリカの豊富な品揃えには勝てないもんね。カレシまでが11月いっぱいでお子様プロジェクトが終わったら、12月早々にサンフランシスコまでクリスマスショッピングに行こうと言う。いいなあ。ユニオンスクエアにはメイシーズのクリスマスツリーが飾られているだろうし。行く、ほんとに?

今日は2010年の10月10日で10が3つ。10時を目ざせば4つ。10時10分を目ざせば5つ。果てることなく、
10・・・。そういうのが好きな人は切符を買いに駅まででかけたり、「送信」ボタンの上にカーソルを置いてその瞬間を狙ったりするんだろうな。世界中で結婚式ラッシュだそうだけど、バンクーバー島でもそろって10月10日が誕生日のカップルが今日10時10分に結婚式を挙げるそうで、花嫁の方はお母さんもお兄さんも同じ誕生日だそうな。そういう2人がある日たまたまバーでドンとぶつかったのがきっかけでデートに発展して、「あれ、誕生日が同じ?」ということになったとか。これだけ10が重なったら「They lived happily ever after(2人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ)」というおとぎ話のエンディングになってもらわないとね。

この日はついこないだまで日本では東京オリンピックを記念した「体育の日」だったんだよね。東京オリンピックは日本中が本気で盛り上がっていたような記憶がある。恩恵を受けたのはたぶん東京だけだろうと思うけど、国の首都だから世界への看板的な役割もあるってことだしね。今からもう46年も昔のことで、(たぶん)高校1年生だったワタシがよく覚えているのは期間中「体育」の実技がなかったこと。体育の時間が「オリンピック競技をテレビで見る時間」になって、スタンドに鎮座した14インチくらいのテレビを囲むように体育館の冷たい床に座って、その時間に中継されていた競技を見ていた。ただ座っているだけなのに体育着に着替えさせられたのはご愛嬌だったな。まあ、体育が大嫌いだったワタシは大いにハッピーだったけど。

数字の「10」が重なる日だから、日本ではいろいろとおもしろい「語呂合わせの日」があるだろうと思ってググってみたら、ウィキペディアにずらりとあった。「マグロの日」なんてのがある。726年の10月10日に山部赤人がまぐろ漁を称えた歌を詠んだからだそうで、制定は当然その筋の協同組合。(夕食はまぐろにしようかなあ。)「缶詰の日」というのもある。1877年10月10日に北海道で日本最初の(サケの)缶詰が作られたからだそうで、これも当然その筋の団体が制定。どっちもよくも古い記録を探し出して来たもんだと感心する。「目の愛護デー」は2つの「10」を横倒しにすると眉と目に形になるから。けっこう想像力が豊かだと思うけど、大正時代にできたものらしい。昔の人はかなり素直なユーモアのセンスを持っていたような。

他に「アイメイト・デー」、「貯金箱の日」、「肉だんごの日」、「銭湯の日」、「釣りの日」、「冷凍めんの日」、「転倒防止の日」、「トマトの日」、「お好み焼きの日」。なるほどと思わせる語呂合わせもあるけど、なんだかこじつけっぽいのもある。そういうのは販促狙いのご愛嬌だから、わざわざ突っ込むほどのものでもないか。英語だと10が3つで「テンテンテン」。日本語ではなんというのかな。「ジュージュージュー」とか?なんだかおいしそうな日。まあ、日本全国各地で運動会があって、各種「○○の日」に合わせて肉だんごやお好み焼きやトマトや冷凍めんに舌鼓を打つのが10月10日という日なのかもしれないな。楽しいかもね。ハッピー10・10・10!