リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年1月~その1

2013年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
新年の祝い膳はなんちゃらおせち

1月1日。2013年元旦。霧に包まれた穏やかな朝。朝食はオレンジジュースにシャンペンを入れた「ミモザ」で乾杯して、ごく普通に軽く済ませ、夕食まで「休み」最後の日をゆっくり、のんびり・・・。

今日のメニュー:
 おせち風詰め合わせ、お雑煮、茶碗蒸し、鯛の野菜蒸し焼き

[写真] 嫁入り道具だったのか、取っ手のついた塗り物の三段重ねの重箱があったので、おせち的なものを作ってみようと思い立った。何塗りだったか忘れたけど、琥珀のような色合いで、生地の木目が見える。母が作っていたおせちで味を覚えているのはごぼうくらいのものだから、いたって適当な内容で、子持ち昆布の寒天寄せ、鮭の昆布巻き、ごぼうとかぶの煮しめ、ロコあわび、ロブスターのレモンバター焼き、そして5色の具を載せた韓国の卵焼き(既製品)。子持ち昆布は塩抜きして、カレシが育てた赤ピーマンといっしょに出汁で味をつけた寒天でかため、鮭の昆布巻きは日本で買って来た『英語で作る和食』という本のレシピ(かんぴょうがないので細く切った昆布で結んだ)。上二段にそれぞれを1人分ずつ詰めて、一番下の段に2人分のスモークサーモンの押し寿司、ゆずと昆布でしめたエビの寿司、実だくさんのいなり寿司を詰めた。えらく手間がかかったけど、何とかさまになっているような感じ。

[写真] 残りのシャンペンをワイン代わりにして、おせちを小皿にとって食べながら、お雑煮。具は鶏もも、紅白のなると、たけのこ、かぶの葉。カレシはお餅が苦手なので、韓国の雪だるまのような形をしたミニのお餅を焼いてころころと入れた。ひと口で食べられる大きさなので、伸びないし、お餅の歯ごたえもないけど、まあそれなりにお雑煮を食べた気分。

[写真] 茶碗蒸しはカレシの好物。フリーザーに貯蔵してあるうなぎの蒲焼から尻尾の方だけちょこっと失敬して入れてみた。あとは紅白のなると、枝豆(ぎんなんの代わり)、たけのこ。溶き卵と出汁の割合はマスターしたけど、具が沈まないように途中で入れるタイミングがまだ難しい。「茶碗」の大きさによるのかもしれないけど、そろそろと思って枝豆を入れたらみごとに全部沈没。なるとの半分を蒸し上がり近くに上に載せて何とか形をつけたけど・・・。

[写真] 解凍しておいた鯛ははらわたは取ってあるけど、うろこはそのまま。流しの底にフリーザーペーパーを敷いて、スケーラーでごしごし。鯛のうろこは透き通っていてきれいだけど、気をつけないと指を切ってしまうほど鋭い。頭と骨は出汁に回して、身を三枚おろし。大きいので背側の厚いところを前半分だけ切り出して塩を振り、残りはフリーザーに保存。千切りにしたにんじんとしめじをたっぷり載せて、お酒を振って蓋付きのソテーパンで蒸し焼きにしてみた。蒸したオクラを彩りに添えて、新年の祝い膳のメインコース。

けっこう量があるかと思った「おせち」だけど、いつのまにか全部平らげてしまった。特にいなり寿司は、若い頃に学校のバザーで大量に作らせられてからもう一生食べたくないと思っていたけど、『英語で作る和食』に具が入っている「吹き寄せいなり」として載っていたのがおいしそうだったので、レシピを流用して、中華用?の四角い揚げ豆腐で作ってみたら、思いのほかおいしかった。それにしても、「和食」のレシピはどれもこれも「しょうゆ、みりん、酒」。塩分、多すぎないかなあ・・・。
―――
2013年は霧の中で始まった。半ブロック先くらいまでしか見通しが利かない。ワタシの今年の1年の計にぴったりの空模様といったところかな。

きのうまで行く年を回顧していたメディアは、新しい年が明けたとたんに行ってしまった年をいつまでもなつかしんでいてもしょうがないとばかりに、今度はnew year’s resolution(新年の決意)の話で賑わう。新年になって重大?な決心をする人が多いのは、新しいカレンダーをかけることで、いわば黒板をきれいに拭いたような気分になるからかな。何も書かれていないまっさらの黒板にはあらゆる可能性があるようで、何となくワクワクさせるところがある。まあ、新たな決意でなくても、旧年中に実現できなかったことを「今年こそは」と決意する人も多い。

あるサイトによると、最も一般的な「1年の計」のトップ10は、
  1.健康な食事をして、まじめに運動
  2.飲酒量を減らす
  3.何か新しいことを学ぶ
  4.タバコを止める
  5.ワークライフバランスを改善する
  6.ボランティアをする
  7.節約する
  8.整理整頓する
  9.もっと本を読む
  10.家でのしなければならないこと(to-do list)をきちんと実行する。

何だか10年前、20年前のリストとあまり変わっていなさそうな感じだけど、ある意味でここに人間の弱みがよく現れているんじゃないかな。やらなきゃならないのはわかっているけど、なかなか実行に移せない。高揚した気分で始めてはみたものの三日坊主で頓挫。時間ないし、お金ないし、モチベーションもないし、めんどうくさいし・・・。「去年と同じ」という究極のリサイクルをする手もあるな。全然手を付けなかったから、ちょっと埃を払えばまだまだ「新品同様」で、捨てるのはもったいない。たぶん、来年になっても新品同様かもしれないな。人間は基本的にものぐさなところがあるから、それでもいいじゃないの。

真新しい2013年のワタシのnew year’s resolutionは「Play it by ear」。もう少し四角く言えば「Take it  as it comes」 かな。どっちも四角く訳せば「臨機応変にやる」ということだけど、丸く訳せば「成り行きまかせ」とか「出たとこ勝負」といった意味にもなる。要は、遭遇するいろいろな状況をあるがままに受け入れて、そのとき、そのときの最善の対応策を考えて実行しようということだけど、そのためには常に目も耳も心も大きく開いておいて、頭の中の風通しを良くしてやらなければいけない。風にまかせて自由気ままに見える極楽とんぼだって、風向きや風速に気をつけていなければ、いつどこへ吹き流されるかわからないからね。

2013年。巳年。ワタシ、春に65歳。カレシ、夏に70歳。ワタシはいよいよ年金の受給が始まって、また人生の風向きがちょっぴり変わりそうな年。まあ、人間、臨機応変であることが生存の鍵なんじゃないかと言う気がするから、今年のワタシはplay it by earで行こう・・・。

新年の事始はやっぱり仕事始め

1月2日。水曜日。霧もすっかり消えて、いい天気。日本はまだ「正月三が日」のうちだけど、カナダもアメリカも(たぶんヨーロッパも)大晦日の年越しパーティの二日酔いも癒えて、今日から平常通り。もっとも、アメリカはオバマ大統領が休暇を中断してワシントンで「財政の断崖絶壁」を背にしての年越し仕事。ごくろうさまなことだけど、絶壁からの転落は何とか「一応」回避して、大統領は休暇に戻ったそうな。「財政の崖」は大幅増税の回避がネックだったはずだけど、崖は回避してもどっちみちいろんな税金が上がることに変わりはないらしい。ということは、結局は民主党と共和党が「何が何でも譲るものか」と意固地になっていただけなのかな。子供じゃあるまいし・・・。

コンピュータを立ち上げていの一番はいつもニュースサイト巡り。ローカル新聞で始まって、全国紙、それからBBC、ロイターズ、NBC、ブルームバーグ、グーグルのニュースとアクセスして行って、記事を読んでいるうちに午後の時間が過ぎてしまって、日本が(翌日の)朝になるから、今度はJapan Times、読売、朝日、産経、毎日、Japan Todayと回り、時間があれば北海道新聞を開いて「ふるさと」のニュースを仕入れる。News On Japanはニュースとしては一拍遅れているけど、世界各地の英語メディアが報道する日本関連記事へのリンクがあるので、日本のものと読み比べるおもしろさがある。

最近は記事の閲覧を有料にする新聞が増えていて、グーグルのリンクからアクセスすると無料だったり、登録すると一部の記事を無料で読めたり、ローカル新聞のように1ヵ月あたり一定数の記事を無料で読めるところがあったりと、千差万別。でも、ローカルニュースはラジオやテレビで間に合うし、それ以外は系列の全国紙やロイターズなどの通信社の配信や他のメディアからの転載なので、見出しだけを見て元の記事を見つけて読めばいいから不自由はない(今のところ)。日本の(ネット上の)新聞はというと、ワタシが読むもので今のところ購読料を払わないと全文を読めないのは朝日だけ。たまに何かの理由で全部読める記事があるけど、読んでも見出しから推測できる以上の内容はほとんどないから、購読料を払うのはもったいない気がしてしまう。

朝日でなくても、ネットで読める日本の大手新聞は押し並べて見出しだけで内容がわかることが多い。(最近の読売は記事を読ませようと見出しを工夫しているようだけど、バラエティ風の気を持たせる言い回しなのが気になる。)日本語は行間に趣旨を埋め込むコミュニケーション様式だとすれば、短い見出しにニュースが濃縮されているのはすごい。だけど、そうなると記事は蛇足みたいなものかな。現に、たまに記事を開いても「今日は誰が何をしました。おわり」という小学生の作文のような、わずか3、4行の「報告」があるだけで、欧米の新聞が比較的長い記事でニュースの詳細や背景を伝えるのと対照的だけど、このあたりにもジャーナリズムとリポーティングの違いと言うのか、「伝える文化」と「察してもらう文化」のエネルギーの方向の違いが現れているのかもしれない。詳細に伝えようとすれば長くなるだろうし、察してもらうには細かい説明は不要だから短いのかもしれない。でも、あの短い日本の新聞記事からどうしたら時局を読めるのかよくわからないんだけど、ワタシの「察する力」が不足しているということかな。

新聞読みが終わったら、ワタシも仕事始め。まずは、州のライター連盟に年会費の小切手を書き、州の翻訳協会には会費の代わりに脱退届を書いた。ワタシはカナダ、日本、アメリカで翻訳協会に加入しているけど、カナダのは会費が3ヵ国のうちで群を抜いて高いのに、ここを通じて仕事らしい仕事が来たことなく、話が来てもビジネスとしては箸にも棒にもかからないものばかりで、おまけにレートが高すぎると文句。まあ、上にある全国組織が「上納金」として会費の一部を吸い上げるから高いんだろうけど、この組織も全国統一資格認定試験を取り仕切る以外にどんな活動をしているのかはイマイチ不明。というわけで、今年から徐々に「業務縮小」を進めるにあたって真っ先に整理。ちなみに、仕事や交友の上で一番大きな恩恵を受けたのは会員わずか数百人で日本語・英語が主軸の日本の協会。常連客のほとんどがこの協会の名簿を通じて声をかけて来たところだし、年次会議では英語人、日本語人を問わずたくさんの同業者と親しくなったし、イギリスやアイルランド、オーストラリア、アメリカとあちこち旅行することができた。それでいて会費は一番安い(円安になれば実質的にカナダの3分の1になる)から、皮肉だな。

さて、12月いっぱいの「長期休暇」が無事に終わったし、気合を入れて仕事に戻ろうか。特に2013年の納品第1号は「現状維持」を決めた唯一のクライアントの仕事だから、ぐっと腕まくりをして、ねじり鉢巻をきりっと締めてかからないとね。「仕事の鬼」はひと晩では「遊びの鬼」に変身できそうにないし・・・。

名前は誰のものなのか

1月3日。木曜日。カレシの英語教室が再開するので、午前11時半、目覚ましで起床。外はまぶしいくらい。夜の間にマイナス3度まで冷え込んだという話で、2週間前にケーブルから車に氷塊が落ちてけが人を出した新設の橋で今度は40台もの車が次々と追突して通勤時間に大渋滞。何でも管理を委託されている会社が、霧と冷え込みで凍結した路面の除氷を十分にやっていなかったのが原因らしい。いつも渋滞していた古い橋は無料だったのが、新しい橋は有料。通行料金を払わされてこれじゃあ誰だって怒るよねえ。

新聞巡りをしていたら、アイスランドで娘につけた名前を認めろと訴訟を起こしたお母さんがいるという話。何でもアイスランドでは政府が承認した人名台帳があって、そこにない名前は政府が任命した委員会の承認がないと使えないんだそうな。問題の名前(Blaer)はアイスランド語で「そよ風」という意味だそうだけど、牧師が気づかずに洗礼してしまった後で、委員会が男性形の冠詞がつくから女の子にはダメと却下したとか。(国民的なノーベル賞受賞作家の作品の中では女の子のキャラクターに使われているらしいけど。)当の「そよ風」ちゃんは今年15歳だけど、公的文書にはすべて「女の子」を意味するStulkaと記載されているそうな。アイスランドでは苗字ではなくて名前で呼ぶのが習慣だそうだから、行く先々で「女の子さん」と呼ばれるんだろうな。「名無しさん」と呼ばれているようで、嫌だなあ、そんなの。

ワタシが生まれたとき、父がつけてくれた名前は「千尋」だった。でも、出生届を出しに行ったら、「尋」が人名用漢字にないという理由で受付を拒否されて、ワタシは千尋にはならず、別の名前になった。(中学校の同級生に「ちひろ」という男の子がいたけど「千博」という名前だった。)海の見えるところで生まれ、海のそばで育ち、太平洋と言う広くて深い海を渡って来たワタシにはぴったりの名前だと思うけど、ローマ字にしたら、代わりにつけてもらった名前の方が英語耳にはわかりやすくて良かったかな。仮死状態で生まれて生き延びた娘への親の思いを込めてつけてくれた名前だった。でも、カレシのバカな火遊びのおかげで絶対に間違って呼ばれたくない名前と似すぎていることになって、やむなく改名。でも、元の名前をミドルネームにすることで、父がつけてくれた名前を捨てなくても良かったのは不幸中の幸いと言えるかもしれないな。

新しい名前は「抒情詩」を意味する古代ギリシャ語が語源で、悩んでいたある日ジョギング中にふと空を見上げたときに、何となくすっと舞い降りて来て、そのまま自然にワタシの心に居ついてしまった。どうもドラマのようにできすぎた嘘のような話に聞こえそうだけど、これは神かけて誓って本当の話。そんな風に自分で自分の名付け親になるのは奇妙な体験ではあるけど、ワタシの神さまがとくれたのかもしれないし、亡き父がまた親心を込めてつけてくれたのかもしれない。つづりには日本語のローマ字にはない文字が入っているけど、カタカナで書けば日本名としても通用するらしいから、思いがけずそういう名前が浮かんだのは、不思議といえば不思議でもある。

アイスランドでは子供が風変わりな名前をつけられて嫌な思いをしないようにという趣旨で人名台帳があるんだそうな。日本の人名用漢字がどういう基準で決められたのか知らないけど、読みには制限をつけなかったおかげで、最近は漢字に関係なく正しく読んでもらえない名前をつけられた子供が多いらしい。(どうして戸籍に振り仮名がないんだろうな。)そういう子供たちが自分の名前をどう思っているのか知らないけど、日本で子供に「悪魔」と名づけて拒否された親がいたし、北米には(大人になって変えられるからいいけど)セレブに倣って子供に突飛な名前をつけたがる親がいる。(カナダでも、ケベック州ではフランス語系の子供の名づけには制限があるらしく、3ヵ月になる甥孫は英語名をつけるために、英語系の母親の苗字を取ったそうな。)でも、「そよ風」はご本人も気に入っているそうだし、からかいたくなるような名前でもないけどなあ。意外とめんどうくさい国だと思ってしまうけど、「女の子さん」のお母さんは最高裁まで戦うそうだから、一日も早くどこへ行っても「そよ風さん」と呼んでもらえるようになるといいね。

アスペルガーという名前がなくなる

1月4日。金曜日。起床は正午ぎりぎり。2日続きで目覚し起床でばたばたすると、目覚ましが鳴らない3日目はついぐ~っすりとなる。まあ、年と共に、かどうかは別として、日常的に決まった時間に起きなくてもいい暮らしに慣れ切ってしまうと、いつもとちょっとパターンが違うだけで、家にいながらにして何となく時差ぼけ症状になる、おもしろい。

元からない「正月気分」だけど、今日は本格的に腕まくりをして、まじめに仕事を進める。論文本体は特に難解なわけでもないので、この分野特有の専門用語を探す以外はすいすいと進んでいるんだけど、すごいページ数なもので、最後の方までスクロールしてよくよく見たら、うわ、終わりの方にすごい数の図表がある。どれもオブジェクトだから「あとどれだけかなあ」という文字数カウントには出て来ない。もちろん、発注時のカウントには入っていたけど、食べて、飲んでして遊び呆けているうちにケロッと忘れてしまったらしい。去年は「徹夜ゼロ」で突破したのに、いいのかなあ。ああ、ああ、ああ、し~らない・・・。

そう言いながらも新聞サイト巡りをしていたら、NBC Newsに「アスピーよ、さらば」といった見出しの記事があった。今年は精神医学のバイブルとされて来たアメリカ精神医学会の診断ガイドライン(DSM)が改訂されてDSM-Vに変わることになっているけど、個人の癖と言うか、他者に害のない性格の一部ではないかと思われるような行動に新たに「障害」として名前がつけられたりして、旧版になるDSM-IVを読みまくった素人のワタシでもつい「?」と思うようなものも多く、去年から何かと議論が巻き起こっている。人間というのは元々複雑な動物なんだから、ちょっと「普通の人」の枠からはみ出しているからと言って必ずしも「異常」と言えないはずだけど、あらゆるものに名前をつけて、上下、左右に「仕分け」したがるのも人間。

なんでも、DSM-Vから「アスペルガー症候群」という個別の診断名がなくなって、「自閉症スペクトラム障害(ASD)レベル1(軽度)」という区分に変わるんだそうで、アスピーことアスペルガーの子供を持つ親たちの一部から「自閉症児と一緒にしてくれるな」というような異論が出ているらしい。「高機能自閉症」とも言われるように、アスペルガーは「自閉症スペクトラム」の範疇に入っていると思っていたけど、「真性」の自閉症とは違うと考えられていたのかな。たしかに、アスペルガーと診断される子供には知能指数が平均以上の子が多いそうだし、だからこそ教育しだいでは学問などで世界的な功績を残す可能性を秘めているとは思う。でも、自閉症スペクトラムというのは、一方の端は限りなく白に近く、もう一方は限りなく黒に近い、長い「灰色」の連続線であって、その上にはいわゆる普通にやって行けそうな人もいれば、明らかに支援が必要な人もいて、どこでどのように線引きしても恣意的でしかない。

名称を変えたからといって子供の状況が変わるわけじゃないんだけど、アスペルガー症候群を「自閉症スペクトラム障害」と呼び替えることに抵抗があるのは、知能が高い我が子は将来の可能性を持ったユニークな存在で、自閉症と診断された「障害児」とは違うと思いたいからなのかな。自分の子供は特別だと思いたいのが人類共通の親心だというのはわかるけど、現実から目を逸らしているようにも見えるし、「障害」に対する差別意識も感じられる。(障害児ではなくて)将来性のある我が子こそが政府による特別な教育や支援などを受けるべきという、身勝手ではあるけどいたって自然な親心もあるのかもしれない。まあ、DSM-Vでは本当に(治療を要とする)障害なのかと首をかしげるような行動が新たに「障害」と認定されていたりして、商業化しつつある医療業界や「特効薬」を売りたい製薬業界の思惑が見え隠れするし、精神医学の診断のバイブルとしての権威もあまり当てにならなくなっているような気がするけど。

アメリカでは子供の15%が発達障害と診断されているそうだけど、数字だけを見ると左利き人口の割合と同じくらい。左利きが利き手が85%と違うだけの普通の人間なら、発達障害児は脳の作りが85%と違うだけで普通の子供じゃないかと思う。ワタシとしては人類そのものがあらゆる面で「スペクトラム」を形成していて、みんないつもその連続線上のどこかにいるんだと思うけどな。その「どこか」によっては、普通の人以上に生きるための支援が必要な(そしてみんなで支援すべき)人がいるし、「普通」の域にいても周りから慕われたり、嫌われたり、いじめられたりする。だけど、人類スペクトラムの上ではみんな違って、みんないい。ちなみに、ワタシは子供の頃に(真偽はともかく)知能と読書年令の検査で学校を騒がせたという話をきいたことがあるけど、何かにつけて枠からはみ出す(はみ出したがる)ところからして、自閉症スペクトラムのどこかにいると診断されても驚かないと思う。ひょっとしたらワタシもアスピーなのかもしれない。でもまあ、医学的な名称のあるなしに関わらず、こんなワタシでも誰にも生き難そうなこの世を何とか生きているんだけど・・・。

仕事の鬼を改心させるには?

1月6日。日曜日。雨。う~ん、くたびれたなあ、もう。ぐずぐずしているうちに、新年初の「納期」がぐ~んと迫って来て、きのうは一日ねじり鉢巻。なんかだらだらした感じの論文の本文をとりあえず片付けた。モデルを作って、ああして、こうしてと延々と続くんだけど、日本語原稿を読んで、ああなって、こうなってということはわかっても、英語で書き出そうとすると、何がどこにつながるのかわからない。あ~あ・・・。

きのうの夜はお隣さんのパットがウォッカを1本さげて来て、カレシと新年会(?)。カレシと年が近くて、同じご隠居さんの身ということで、よく裏庭の塀と生垣の切れ目で立ち話をしている2人。ワタシは仕事があるので、ささっとおつまみを3点ほど用意して、オフィスへ退却。本文の草稿ができあがったところで、途中で仲間に入って、ベルモットを飲みながら科学の話題。パットは化学工学が専門で、若い頃には大学やカレッジで教鞭をとっていたとか。話のついでに英語の論文の構成についてアドバイスをしてもらった。夜中近くになってお開きになった頃にはパットが持って来たウォッカとカレシの飲みかけのウォッカがみごとに空っぽになっていたから、すごいよ、おじいちゃんたちったら。

今日は朝食もそこそこに残りの図表の処理にかかる。上書きできたり、できなかったり。フォントが小さすぎて漢字が読めなかったりで、目がしょぼしょぼ。それ以上に、川の名前、土地の名前の読み方を探すのがタイヘン。北海道の地名だったら、えっ?というような不思議なものでも読めるんだけど、津軽海峡以南の古来の地名はお手上げ。漢字が読めても地名がわかるわけではないし、読めない漢字の地名となったら、しゃれにもならないけどチメイ的。見覚えがなかったり、画数の多い複雑な漢字だったすると、部首の画数を数えて、IMEのパッドでその部首の漢字表から探さなければならない。漢字の総画数は数え間違う方が多いから、初めからお手上げ。でも、読み方がわからなければ検索のしようもないし、わかっても地名ではそれと似ても似つかない読みだったりするから、あ~あ・・・。

夕食をはさんで、ひたすら、ひたすらキーを叩いた1日。午後10時すぎにやっと最後のページに辿りついた。新年早々からこんなんでいいのかなあ。そういえば、去年の今ごろも仕事前線は新春の嵐(というか年越しの嵐)で大荒れだったなあ。そうだ、ニューヨークからのでっかい訴訟案件があったんだ。あの会社、年の瀬になってまたでかい案件があると言ってたなあ。ロンドンのオフィスからもでかいのがあると言って来たっけ。その後どうなったかな。うまく年内に完了してくれているといいけど。それにしても、仕事、あるところにはあり過ぎて、ないところにはなさ過ぎるような。ワタシのところには多種多彩な言語の翻訳者を名乗る営業スパムメールが毎日何通も来る。ただのスパムかとも思うけど、夫は英語で妻は日本語と言う夫婦の翻訳チームみたいなのもあって、あながちそうとも言えないのかな。きっとどこかで誰かが集めた翻訳者・会社のアドレスを「顧客開拓で収入アップ!」とかいう触れ込みで売っているんだろう。

でも、いったんさあ仕事だぁ~とコンピュータの前にでんと座ってしまうと、けっこうその気になって気合が入って来てしまうから困ったもんだ。少しずつ仕事からの「乳離れ」を図って行こうという年なのに。できるのかなあ。ほんとに遊びの鬼になれるのかなあ、ワタシ。やれやれ・・・。

クリスマスツリーも片づけたし

1月7日。月曜日。正午直前に目が覚めたら、今日も暗いなあ。雨だなあ。まあ、雪よりは何倍もいいか。シャベルがいらないしね。ポーチの気温は5度。平年並みに近い、まあまあの天気。今日から本格的に1年の始まり。でも、ワタシはもう新年の事始をやってしまったから、今日は「休みモード」の事始。まあ、今年からは「ご隠居さん研修生」になるんだから、有意義にだらける練習を積まなくちゃ・・・。

午後いっぱいはメールを書いたり、新聞サイトやら何やらをのぞいて回って、ほんとにだらだら。仕事の鬼になるのは仕事があるときだけってことで、ないときはみごとに「ぐうたら魔」に変身するらしい。なんだ、これだったら、ご隠居暮らしもあまり心配はないような感じ。(段階的な)業務縮小を決めた客先1社には経緯を説明するメールを書いて、完全引退する残りのお客さんたちには「お世話になりました」メール。いろいろとあった23年だもの、ちょっとさびしい気がしないでもないけど、スパッと店じまいするわけじゃないんだし、何年か経って気がついたら仕事をしなくなっていたなんてことになれば引退計画は成功かな。まあ、年を取りすぎないうちにやりたいことがたくさんあるし・・・。

夕食後にクリスマスツリーの解体作業。クリスマスの12日。目にあたる1月6日が、東方の三賢人が遥々と生まれたばかりのイエスに会いに来た日で、習慣に合わせてだいたいこの日にクリスマスツリーを片付けることにしている。でも、きのうは初納品の仕事を終わらせようと必死で、それどころじゃなかったので、遅まきながら今日。考えると去年も似たような状態だったような気がするな。その前の年もそうだったかもしれない。飾りを外して段ボール箱にしまって、ガーランドとライトを外して別の箱にしまって、ツリーをたたんで太い紐でぐるぐる巻いて縛って・・・飾り付けるときは3日くらいかかったのに、解体するときはたったの3時間。一抹の寂しさを感じるというのはこの気分のことかな。カレシに手伝わせて、ツリーと段ボール箱2個を玄関の下の納戸の奥の箱にしまって、クリスマスの季節はおしまい。後の掃除はルンバ君におまかせ・・・。

さて、そろそろ2011年度の帳簿を再現する作業にかからないと、2012年度の決算にかかれなくなる。今年は4月から売上税(HST)がまた連邦の売上税(GST)と州の売上税(PST)に分離するので、めんどくさくなるなあ。しかもHSTなら経費にかかった12%がそっくり戻って来ていたのに、分離したら戻って来るのはGSTの5%だけ。でもまあ、統合を強行実施した後になってやった州民投票で統合反対派が勝ったんだからしょうがない。別々に払っても、まとめて払っても、売上税(消費税)が12%であることには変わりはないんで、統合解消への賛成票は選挙公約で統合しないといっておきながらごり押しで強行した当時の州政権に対するいわば不信任投票だったんだろうな。不人気で辞任した当時の首相はなぜかその後カナダの高等弁務官(大使)としてイギリスへ「栄転」したけど・・・。

あら、業務縮小のお知らせをしたばかりのところから、お仕事メールが・・・。

バイリンガルだとボケないってほんと?

1月8日。火曜日。起床午後12時45分。雨模様でベッドルームが暗いせいもあるだろうけど、2人ともよく眠った。こういうのを爆睡というんだろうな。ポーチの気温は5度。それにしてもよく降るなあ。今日は大雨注意報発令中で、フレーザーバレー(郊外)の方では明日の朝までに70ミリくらい降りそうだとか。で、木曜日と金曜日は日が差して、日が差すと冷えて来るから、週末には雪かみぞれ。雨、雨、降れ、降れ・・・。

ボーイング787がボストンで電源系統から出火したというニュースがあったばかりなのに、同じボストンで今度は燃料漏れだって。どっちも日本航空の機材だったというのは単なる偶然だろうけど、大丈夫か、ボーイング?シアトル郊外にボーイングの組立工場があって、787型を組立てているところを見たけど、素材が素材だからか何となくプラモデルっぽい感じだったな。もっとも、見学デッキがビルの6階に相当する高さで、機体が小さく見えたせいかもしれない。でも、流れるようなラインの翼はきれいだった。機体は世界各地で組み立てた部分を古い747型を改造したドリームリフターというちょっと不恰好なごっつい飛行機で運んで来て、くっつけ合わせたもので、日本企業が全体の3割以上を請け負っているとか。まだ乗っていないから(去年の日本行きは777-300ERだった)、いつかは乗ってみたいな。

NBCのサイトに「バイリンガルは脳を若く、シャープに保つ」みたいな記事があった。このテーマの研究や実験の記事はときどき登場するけど、だいたい同じようなことを言っているな。キーワードは「切り替え」らしい。60代のバイリンガルとモノリンガルの人たちを対象にした実験では、バイリンガルの人はこの「切り替え」がモノリンガルの人よりも速く、若いグループを交えた実験でもバイリンガルの老年グループは若年グループに近い速さだったそうな。どうやらバイリンガルだとこの「切り替え」を掌る脳の前頭前野皮質と前帯状回という部分の働きがあまり衰えないらしい。バイリンガルであることで認知症を防げたり、発症を遅らせたりできるかはまだわからないが、有望ではあるとか。ただし(こういう話にはいつも「ただし」がつくけど)、大人になって外国語のレッスンをしてもあまり効果はないような話で、子供の頃から2つの言語を日常的に使い分け(切り替え)ていることが肝要だとか。うん、「日常的に」というのが曲者だな。

ワタシが英語を覚え始めたのはあたりまえに中学1年のときだったけど、65年の人生のうち38年は英語環境で、昔は職場で英語と日本語を使っていたし、果敢に同時通訳もやったし、今でこそ聞くのと話すのはほとんど英語のみだけど、読み書きは両方なので、頭の中はいつも英語と日本語がごちゃごちゃしている。でも、日本語を読んだり、書いたり、英語に翻訳したりしながらカレシと英語で話をするのは日常茶飯事でまったく問題がないのに、英語を日本語に訳している最中に英語で話しかけられると脳がかっかと熱くなって来るからおもしろい。(逆に日本語を英語に訳しているときに日本語で話しかけられて同じ反応が起きるかどうかはわからない。)ワタシがバイリンガルの範疇に入るかどうかはわからないけど、少なくとも1.5リンガルと言っていいのかな。

だけど、言語能力とは関係なく、女性は家庭を持つと日常的にマルチタスキングで猛スピードの「切り替え」をやらなければならないから、そっち方面での38年の実績を勘案したら、ワタシの前頭前野皮質も前帯状回も真性バイリンガル級の切り替え能力を保てているかもしれないな。そうだったら、脳の老化を防ぐためには怠けがちの「主婦業」にも少しは気合を入れた方がいいのかなあ・・・。

愛され感のものさし

1月9日。水曜日。起床はまたも午後12時過ぎ。大雨がさっさと通過してしまったのか、今日は外が明るい。起きてみたら、捻挫した足の調子がすごくいい感じで、まだいくらかピンク色でふっくらして見えるけど、爪先立ちができるじゃないの。まだ痛めた指の側に体重をかけるのは無理だけど、ここ2、3日で急ピッチで治って来ている感じだな。まあ、もう4週間になるんだもの、そう来なくちゃ。

朝食が終わったら、まずはきのうやり残した仕事。この発注元の仕事は「できるだけ同じ人に」という指定なので、業務縮小はするけど現状のまま継続と決定。英語ができる社員がごろごろいるところなんだけど、内容がデリケートすぎて社内で扱うのが憚られるものを外注して来るらしい。「同じ人に」というのも情報が流出しないようにということかな。まあ、今回のはそうデリケートな内容でもないけど、新年の初仕事と言うことで、ちゃっちゃと済ませて納品。三勤二休とでもいうのか、2日か3日仕事をしては2日くらい休みというペースも悪くないかな。1週間なら四勤三休というところか。まあ、そうそう思惑通りには行ってくれないのがビジネスってもんだけど。

仕事が終わったら、小町横町へ野次馬的散歩。カレシが言う通り「日本のごく一部の人たち」が住む仮想横町だけど、匿名掲示板には基本的にネガティブな人が集まって来るように思う。ポジティブな人はいちいち他人のことをとやかく言わないし、日々の暮らしに満足している人はわざわざ「幸せで~す」なんて書き込まないだろうし、書いたところでネガティブな人にはおもしろくもないからだろうか。「他人の不幸は蜜の味」であることが脳科学的に実証されているそうで、「不幸せ」オーラ満開だからこそまたとない人間観察になるし、けっこう長い間読んで来ると、背景の世相の移り変わりも垣間見ることができて、ちょっとした社会学勉強でもあるかな。まあ、国民性や社会文化の要求というフィルターを外したら、どこの人間でもその心理は根本的にあまり違わないように思えるけど。

相もわらず飽きることなくグチグチ、イライラ、モヤモヤ、ウジウジの小町横町。超ロングランの昼メロでも扱い切れないほどのキャラクターがいる。「ティファニーを贈ってもらえる女性がうらやましい」というアラサーの人。「誰かから贈ってもらった」のが羨ましいんだそうで、ティファニーの「オープンハート」ならひと目で彼氏の贈り物とわかって、愛されている感じがすると、夢見る乙女ぶり。どうやらティファニーのアクセサリーが欲しいというよりも、「愛され感」が欲しい。でも、ブランド品や高いものをくれるかどうかで相手の愛情の深さを計るのって、裏返せば自分の価値をお金で計ろうとしているようなもので、自分に自信を持てていないから、相手に形(価値)のあるモノで気持を見せて欲しいということなのかもしれない。何だかさびしいな、そういうの・・・。

だいたい(特に若い)男ってそういう女心の期待には疎いものじゃないかな。その点では我がカレシなんか(レディファーストで愛情表現が豊かな西洋人のはずなのに)ひどいもんだな。ティファニーのペンダントはニューヨークに行ったときに自分で買ったもので、選んでいる間カレシはエレベーター脇のソファで居眠りをしていた。花をくれたのは結婚する前のたったの一度きり。それもオフィスの受付に飾ってあった萎れかけた水仙を1本引き抜いて来たものだった。(水仙の花言葉が「うぬぼれ」だって、知らなかったでしょ、アナタ・・・。)アクセサリーをもらったのは2度。結婚25年を過ぎて(大嵐を乗り越えて)初めて選んでくれたスワロフスキー(ブランドオンチのカレシには単に「通りがかった店」)の音符のブローチ。60歳の誕生日には「記念になると思って」と、ブランドではないけど鑑定書付きの小さなダイヤをびっしりはめ込んだとんぼのペンダント。40年近くも一緒にいて贈られたアクセサリーがたったの2つ?でも、カレシの気持がこもった2つ。ワタシには200個のティファニーよりもずっと「愛され感」があるけどな。

突風並みの仕事はエキサイティング

1月10日。木曜日。今日はカレシの英語教室の日で、いつものように目覚ましを午前11時半にセットしておいたけど、なぜか2人とも5分前にすっきりと目が覚めた。まぶしいくらいのいい天気。しばらく好天が続いて夜に冷え込むという予報。天気が崩れたところでド~ンと雪が降らないといいけどなあ。

カレシを送り出して、しばらくはだらだらモード。モールで落ち合って、買い物がてらインフルエンザの予防注射をして来ようということになって、2時過ぎにのんびりとおでかけ。家の中で裸足で歩いている分には「完治」したような足だけど、靴の中に突っ込むとプレッシャーがかかるのか、歩くとちょっと痛い。それでもけっこうなスピードでとことこ歩いて30分。まだ開店準備中のCrate & Barrel。外でスーツを着た人たちとヘルメットをかぶった人たちが何やら立ち話。談笑しているということは内装工事は順調ってことなのかな。楽しみにしているんだから、早くオープンする「春」にならないかな。

まずは郵便局で私書箱の郵便物を取り出して、セイフウェイでここでないと買えない物を買って、薬局を見たら、うわっ、ずいぶん待っている人がいる。たちの悪いインフルエンザが東の方から急速に広がっているというニュースがあったばかりだから、みんな慌てて注射にかけつけたというところか。まあ、ワタシたちも「慌てて」駆けつけたクチだけど、思えば去年も今ごろ「まだだった~」と慌てて駆けつけていたような気がするな。ただし、インフルエンザが今ごろ猛威をふるうのは平年よりはちょっと早いそうだからびっくり。ワタシもカレシも普通の風邪ひとつ引かずにもう何年にもなるから、そろそろ運も尽きる頃なんじゃないかなあ。英語教室が終わったカレシがやって来たので、薬局で申し込んだら待ち時間が40分。夜の部の教室があるから、それじゃあちょっと時間的にきつい。ということで、今日は諦めて、注射の前に記入しなければならない質問表だけをもらって来た。ま、にんにくとねぎとしょうがをたくさん食べていたら、とりあえず何とかなる・・・かな?

きのうの残りの豆サラダと買ってきたカニコロッケでバタバタと夕食をして、カレシを送り出してひと息。おととしの帳簿の復元作業にかかろうと思ったら、日本の取引先の社内メーリングリストに「手の空いている翻訳者や~い!」のメッセージ。ここは個別にコンタクトしている余裕がないときにこうしてメーリングリストに載せる。でも、翻訳者の急募は珍しいな。医療方面だけど、は~いと手を上げたら、「何時までにできるか?」と聞いてきた。原稿をもらってから2時間以内だな。そういって原稿が来るのを待っている間に、編集が終わった前の仕事を査読していた社長センセイから「ここがよくわからん。ちょっと見直せ」とメール。編集者がすぐに手が空かないと言うので、急遽元原稿を見直して、そこはこう変えて、でもこっちはそうしか解釈できないよ~と回答メールを飛ばして、ひと息ついたところで、待っている原稿が来る前に、もうひとつ超特急便の予告。おいおい、Floodgate(水門)を開けたのはどこの誰なんだ・・・。

まあ、(仮想)ねじり鉢巻も勇ましく、超特急便は1時間足らずで仕上げて、至急の赤丸をつけて納品。入れ替わりに、見直しはワタシの提案に基づいて解決したとのメール。ああ、やれやれ。ほっとしたところで、もうひとつの超特急便が入稿。「いつまでにできる?」と言うから、ちょっと考えて土曜日の夕方はどうだと返事。はあ、いったいどうなってんだろう。だけど、ちょっとだれ気味だったから、こういうチャレンジも悪くはないな。よっしゃあ!とエキサイトすることで頭の血の巡りが良くなって、寄る年波もへったくれもなく、俄然やる気がもりもり。ああ、これだから止められないんだよなあ、この仕事・・・。

さて、カレシが腹ぺこを抱えてうろうろしているから、お預けにしたランチを作らなくちゃ。風邪の予防に、ねぎをどっさり入れた焼きそばにするかな。

やっとインフルエンザの予防注射

1月11日。金曜日。何時だったか知らないけど、ごみ収集車の轟音で目が覚めて、「あ、ゴミトラックか」と思って数秒後にはまたぐっすり。起床は午前11時40分と、まあまあ。目覚まし不要の日は8時間前後の睡眠が普通だけど、なぜか睡眠時間のちょうど半分くらいの8時半頃にいったん目が覚めることが多い。だいたいはすぐに眠りに戻れるけど、どうしてなんだろう。これも人体の不思議のひとつかな。

明日の夕方が期限の超特急仕事がひとつあるけど、3時間もあればできそうな内容なので、朝食後にしばし読書。10月の終わりに読み始めた『Surely You’re Joking, Mr. Feynman(ご冗談でしょう、ファインマンさん)』もそろそろ終わりに近い。この人は興味を持ったことに関してはとことんまでの「やりたがり屋」の「試したがり屋」で、おまけにしろうとに説明できる大天才。しかも大変ないたずら好きだったそうだし、ボンゴを叩くことに興味を持ったら名手になってしまうし、ひょんなことから絵の勉強を始めたら買い手が付くほどの腕前になってしまうんだからすごい。ほんとに一度でいいから会って一杯やりながらおしゃべりをしてみたいと思う人だな。もうすぐ70歳というところで亡くなってしまったのは惜しい。せめてあと15年か20年生きたら、このインターネット時代に何を思っただろうな。

読書がひと区切りついたところで、きのう見送ったインフルエンザの予防注射をしてもらいに出かけることにした。その前に質問票に答を記入しないと・・・。だけど、カレシがいくら探し回っても用紙が見つからない。なんでも無意識にあちこち適当にポイと置く人だから、いざというときにモノが見つからないのは日常茶飯事。家中探しても出来ないし、きのう乗っていたトラックの中にもない。ということで、トラックまで歩いている間にポケットから落ちて、それに気づかなかったんだろうと結論。ポケットにも無造作にものを突っ込む人だから、その確率は99%かな。まあ、別に通し番号がついているわけでもないから、薬局でまた用紙をもらってその場で書き込めばいいじゃないの。(と、念のためにボールペンをバッグにポン。)

きのうは何人も順番待ちしていた薬局の「予防注射」のコーナーは、今日は誰もいなかった。何年か前からインフルエンザの予防注射でドクターのオフィスやクリニックが込み合うのを緩和して、多くの人が予防注射を受けるようにするために薬剤師に注射の訓練をして、セイフウェイの薬局ではエレインさんがその資格者。そのエレインさんが処方箋の受付カウンターにいて、ラッキー。さっそく質問票をもらって、アレルギーの有無とか(ワクチン製造には鶏卵を使う)、今日の健康状態とか、全部「ノー(問題なし)」。質問の中には「予防注射で失神したことがあるか」というのがあって、副作用か何かのせいかと思って聞いてみたら、注射が怖くて針を見ただけで気絶する人がいるんだそうな。へえ、そういう人、ほんとにいるんだ。「十代の女の子に多いの。でも、実は私も注射をされるのは苦手なのよね」とエレインさん。は?

注射が怖いエレインさんは無類の注射上手で、チクリともしないから、いつ針が入ったのか気づかないうちに絆創膏をペタンと貼って、「はい、終わりました」。カレシは65歳以上なので予防注射はインフルエンザも含めて無料。65歳になるまでまだ3ヵ月半あるワタシは、これまでは「慢性呼吸器疾患」を理由に無料だったけど、今回は65歳以上の人と一緒にいるということで無料。でも、肺炎ワクチンは65歳になるまではやってもらえない。「お誕生日が過ぎたらいつでもどうぞ」とエレインさん。ま、あと4ヵ月のうちに肺炎になることはなさそうだし、インフルエンザの方も抗体ができるまでの2週間に罹る確率はゼロに近いだろうし、焦ることもないか。

それにしても、乳幼児や慢性疾患のある子供のいる家庭の家族全員など、無料の対象を広げたのは、できるだけ多くの人に予防注射をしてもらって、重症患者の治療や入院のコストを減らせたらワクチンの費用の元が取れるということだろうな。保健省のインフルエンザ地図を見たら、バンクーバー周辺はまだ「蔓延」には至っていないけど、郊外の方ではもう「蔓延」状態。アメリカ東部ではかなりの猛威をふるっているそうで、ボストンでは公衆衛生非常事態宣言を出したというから、大変。これからが流行のピーク期だし、早く抗体ができてくれるといいけど・・・。

指導熱心という包み紙をはがすと

1月12日。土曜日。どういうわけか、2人とも目が覚めたら首がコチコチ。寝酒をしながら盛り上がって、ちょっと飲みすぎたせいかな。原則として「注ぎ足し禁止」ということにしてはいるけど、ときたまつい・・・。お開きにしたのは午前5時。外は明るいけど、ちょっぴり寝足りない気分。

それでも朝食を済ませたら、さっそく超特急仕事の仕上げ。今日の夕方が納期だと言っても、アメリカの東部にいる編集者に仕上がったファイルを送ると約束した期限で、ついこのあいだ新年の事始めをやったばかりはずの日本はもう三連休で、中日の今日はオフィスは休み。でも、どうやら早朝からセンセイが「店番」をしているもよう。ちゃかちゃかと見直しをして、スペルチェックをかけて、ファイルを圧縮して、メールに添付して、送信ボタンをクリック。勤務時間はざっと2時間。これで日本の連休が明けるまで、ワタシは「開店休業」ということで、さっそく「遊び」モードに切り替え。(この方向の切り替えはいつも早いな。さすがというか・・・。)

イギリスでキャサリン妃の肖像画が公開されて悪評紛々らしい。老けて見えるというのはなるほどと思うけど、この先何年も経てば実物のケイトだって老けて来るんだから、時代を「先取りした」と思えばいいんじゃないかな。でも、名の通った画家が描いたとしても、最初にぱっと見たときの印象はあんまり良くない。評論家ぶって言うなら、何よりも目が生きていない。ケイトの魅力のポイントはあのいつも微笑んでいるようなきらめき(sparkle)のある目だと思うんだけど、肖像画にはそのきらめきがなくて、表情がくすんで見える。エラそうな顔の政治家の肖像なんかだったら、あんがい目が生きていない方が偉そうに見えていいかもしれないけど、まあ、人間の心の窓である「目」を描くのはプロにとっても難しいってことか。

高校生が部活での体罰を苦に自殺した事件に関して、元プロ野球選手の桑田さんが朝日新聞で「体罰は不要」と訴えていて、大学の研究で野球選手にアンケートを取ったら体罰の肯定派が大多数だったというのを読んで思わずぞっとした。「絶対に仕返しをされない」上下関係の中で起こるのが体罰だと桑田さんは言う。昔の大日本帝国陸軍もそうだった。士官は些細なことで兵士を殴り、上等兵は自分より下の兵卒を殴った。人格を否定する野蛮な行為があたりまえにまかり通っていた日本は遠い過去になったはずだけど、変わったようで実は変わっていなかったのかな。指導と称して子供を殴る教師やコーチを「熱心な先生」と賞賛する社会も社会だけど、桑田さんは「暴力で脅して子供を思い通りに動かそうとするのは最も安易な方法で、指導者が怠けている証拠でもある」と言う。いや、怠けているんじゃなくて、元々「指導力」がないから暴力に訴えて、それを「指導熱心」というギフトラップで包み隠しているだけじゃないのかな。暴力を自分より弱い者に向けるという点で、本質的に虐めやDVと変わらないと思う。

でも、そういう「熱心な指導」はおそらく日本中どこでもやっていることなんだろうな。特に、強豪とか名門と言われるスポーツ部を持つ学校には死守すべき「名声」というものがあるわけで、負けるのは「名前」に傷がつくということか。かってアメリカンフットボールの有名な監督が言った、「勝つことがすべてじゃない。勝つことしかないんだ」と。スポーツは勝ち負けの世界なのはわかるけど、本当に指導力があって、本当に熱心なコーチだったら、選手を殴らなくたってちゃんと勝てるチームを育てられるはずだと思う。

泥棒、スモッグ、インフルエンザ

1月13日。日曜日。どうも月曜日のような気がしてならないけど、去年は1年間ずっと月曜日から始まるカレンダーを見ていたせいな。空模様は曇りがち。ポーチの温度計はぴったり零度。雪、降るかな?天気予報では、明日あたり雪がちらつくけど、気温が上がって、次の週末には平年以上になるらしい。雪は降らないな、きっと。ま、今日は仕事なし。のんびりと行こう。

隣のパットの家に金曜日と土曜日の2日連続で泥棒が入った。金曜日は実際には侵入未遂で、土曜日の夜はベースメントに入られたけど被害はなかったとか。防犯組織Blockwatchのブロック副キャプテンであるカレシはさっそく我が家の後ろに住むキャプテンのミシェル(だんなさんは警察官)にメールで報告し、それをミシェルがメンバーに転送して警戒を呼びかけた。隣の家はパットの前の住人のときも何度か泥棒に入られている。背の高い植栽に囲まれて庭の中が見えない我が家は未遂さえ一度もないのに。我が家は角地で、セキュリティ会社の標識をあちこちに表示してあるし、しかもアクセスがビデオインタコムとロック付きのゲートハウス1ヵ所だけなので、見つかったときに逃げづらいと思われているのかもしれない。(頭のいい泥棒は入りやすさよりも逃げやすさを重視するとか。)

そのおかげかどうか、今日は車のバッテリを充電がてら買い物に行くという話だったのにドタチェン。いつもの不安症で家を留守にしたくない気分なのかな。だったら、昼間のうちにでかけた方が良さそうなものを、午後は人が多いし、道路も込むから夜でなきゃ嫌だと駄々をこねるカレシ。そのくせ、バッテリが上がらなければいいけどと心配するカレシ。冷え込みが続いたから、どっちかを走らせてやらないとまずいかもよ。両方ともバッテリが上がったら、ジャンプスタートもできなくなるけど、よ。いいのかなあ・・・。

車といえば、北京のスモッグがすごい。BBCの記事によると、濃霧のために有害な微粒子が拡散されなくなって、PM2.5の濃度が健康に危険とされる水準の4倍を超えているらしい。(アメリカ大使館での測定では8倍を記録したそうで、中国政府はそのデータを公表するなと圧力をかけたという話。)土曜日には、都心で視界が2、3百メートル。空気を吸うと炭塵と自動車の排気ガスの「味」がしたそうな。Yuck!急激な経済成長で公害対策が追いつかないのか、対策を怠っているのか。追いつかないとしたら、それは高度経済成長期の日本と同じだな。1960年代の後半から1970年代にかけて、日本各地で深刻な公害病が続出したし、東京周辺では光化学スモッグが発生した。当時のナショナルジオグラフィック誌が東京で交通整理にあたる警察官が苦しそうに酸素吸入をしている写真を載せていた。あの頃の日本が(そいて欧米がそれよりもひと足先に)通った時代を中国が今通っているということで、「だから中国は~」とは言えないな。

このスモッグで、北京では呼吸器疾患で病院に行く人が急増しているという。インフルエンザは流行していないのかな。大気汚染とインフルエンザのdouble whammy(ダブルパンチ)になったら、ものすごい数の市民が死ぬんじゃないかなと思うけど。ロンドンで1950年代に発生した大スモッグはわずか2ヵ月ほどの間に1万人以上の死者を出したけど、イギリスは大気汚染防止の法律を作って、数年後には本格的な対策を実施していた。あれから60年経った今、中国政府はどんな政策をとるのか。欧米各国が温室効果ガスの排出を抑える努力をしているときに「お大人」中国が大胆な汚染防止政策を取れなかったら、「まったくもう中国って国は~」と言われてもしょうがないだろうな。

インフルエンザ、ニューヨークでも非常事態宣言が出たとか・・・。

嵐の成人式は人生行路の天気予報?

1月14日。月曜日。正午をちょっと過ぎたところで起きて、なんか薄暗いなと思って外を見たら、あっ、雪!ゆうべ、というよりは午前3時ごろにはらり、はらりと雪が降り出した。ポーチの温度計はマイナス1度だったけど、街灯のあたりに目を凝らさないと見えないくらいの雪だったから、白くなるとは思わなかったな。

まあ、雪が降ったと言っても1センチもなさそうで、車道はすでに解けていたけど、二階の八角塔から見た「冬景色」はこんな具合・・・。[写真]

でも、道路が凍りついて、モールのある41番アベニューでは車庫から出て来たバスが18台も滑って動けなくなったそうな。坂道の多いところではもっと大変だったらしい。でも、12月にケーブルから下を通る車に雪の塊が落ちてけが人を出したポートマン橋では事故はゼロだったとか。つまり、ちゃんと融雪塩で処理していれば防げた事故だったということが証明されたようなもんだな。

ひょっとしてこれ、東京の大雪のおすそ分けだったりして。雨の予報が大外れで、初雪が期せずして大雪になったそうだけど、ときどきこうして降るのはわかっているはずだから、電車がそう簡単に止まってしまわないような算段をしておけないものかなあ。公共工事への支出を大幅に増やすらしい安倍さんに頼んでみたらどうなんだろう。折りしもきのうの日本は成人の日。新聞サイトにはきらびやかな振袖で着飾った新成人のお嬢様たちが傘をさしておっかなびっくり歩いている写真が載っていたけど、大人への門出を祝う日が大荒れというのは何だか皮肉なもんだな。これから40、50年の人生は甘くないんだぞと言う神さまの暗示なのかもしれない。いやでも社会の大波小波に揉まれながら生きて行かなければならないのが大人の人生なんだから。

でも、大波小波をどうやって乗り越えて行くのかはそれぞれの経験しだいだろうな。「人生の快適な過ごし方」のようなわかったような本はたくさんあるけど、いわばトラブルシューティングの章がない「ソフトウェア説明書」みたいなもの。大人の人生にはマニュアルもなければ、ヘルプデスクもない。極端な言い方をすれば、学校で何をどれだけ学んだかを問われるのは「仕事」をするときくらいのもので、人生を少しでも快適に生きるためには、これから積み上げて行くことになる経験から何をどれだけ学ぶかにかかっていると思う。たしかに学校で教えられる知識は生計を立てて行く上では重要だろうけど、同じ知識でも「覚える」のと「学ぶ」のとでは大違いだと思うな。でも、技術が何でも解決してくれるような錯覚を起こさせる今の世の中、人間がそれぞれの経験から学んで行くことの重要さが過小評価されているのも事実・・・。

なんてつらつら考えていて、ふとワタシには成人式がなかったのを思い出した。自発的に行かなかったのでも、理由があって行けなかったのでもなくて、成人式が宙に浮いて「消えてしまった」というところか。ワタシが20歳になった1968年、住んでいた室蘭は「20歳になった人」を対象に成人式をしていたので、4月生まれのワタシは翌年までお預け。ところが、同じ年の春に札幌に引っ越したら、「今年20歳になる人」が基準だったもので、ワタシの成人式は1月15日にとっくに終わっていた。室蘭ではまだ早いと言われ、札幌ではもう遅いと言われ、ワタシの晴れの成人式、いったいどこをどう迷っているんだろうな。でも、未だに自分の「年相応」がわかっていないらしいのは、成人式がなかったせいかもしれないな。つまり、45年も無免許で大人をやって来たということになるのか・・・。

変わっていないもの、それはキーボード

1月15日。火曜日。曇り空。正午のポーチの気温はプラス3度。ほっ。きのうの夕方には曇り空全体が薄っすらと灰色がかったピンク色になって、また雪が降るのかと思ってしまった。週末には最高気温が7度まで上がるという予報。はて、春が来るのかな?中国正月の「春節」まであと4週間足らず・・・。

卵とベーコンの朝食を済ませて、まずはきのうの閉店間際に飛び込んで来た仕事を片付ける。仕事そのものは短くて簡単だけど、ここ、ゆうべは先に編集を経て納品した文書に手を入れて、「英語のチェック」をお願いして来たところ。翻訳を発注して、納品されたものを社内で手直しするのはよくあることだけど、普通は自分たちの言語に訳されたものが対象で、用語を修正したり、スタイルを調整したり場合が多い。でも、外国語に訳されて来たものを手直しして、おまけに「これであってますかぁ」なんて聞いて来るところは日本くらいのものかもしれないな。社内でやれるんだったら、外注せずに好きなように翻訳した方がコスト削減になるだろうに。翻訳を改変するのは、自分の手入れが正しいかどうか自信がないんだったら(ほとんどが改悪だし)、よけいな手出しをしない方が効率的だろうに。未だにそのあたりの心理がよくわからない。

ちゃっちゃと仕上げて、ささっと納品して、勢いに乗って2011年度の帳簿の復元作業にかかった。去年はコンピュータが新しくなったのを機会に新しい会計ソフトへの切り替えを2度試みたけど、どっちのソフトもあまりにも煩雑で、どっちも設定もせずに「クビ」にしてしまった。シーラから借り戻してインストールした会計ソフトは15年以上使い慣れた古いもので、ヘンにかっこよくなっている新しいものと違って、実用一点張りの使い勝手はこの上なくいいし、幸いにも「会社」や帳簿類のデータファイルは残っていたから、改めて復元する必要がないし、まるで「古巣」に戻ったようなホッとした気分。印刷してあった一般仕訳帳のデータを番号順にそれぞれの仕訳帳に打ち込むだけなので、復元作業はすいすいと進んで、夕食のしたくの時間までに6月分までの入力と各月の財務諸表の印刷が終わってしまった。

ほぼメールだけでビジネスができる時代になってからは、会計処理の量が激減したな。旗揚げしたのはウィンドウズ3.0とマウスが登場する前のDOSの時代。お得意さん指定のマックの他に、英語用と日本語用のAT互換機が2台が並んでいたワタシのデスクも今はPC1台で英語も日本語もやれるし、プリンタ、ファックス、コピー機がオフィス中に所狭しとひしめいていたのが今は1台で事足りるマルチ機能。在宅ビジネスもほんとに便利になったもんだなあ。おかげで空きスペースができたオフィスの一隅は(いつでも趣味三昧の生活になれるように)ミニのアトリエに変身。さらに、事務用品費は激減したし、FedExなどのクーリエは不要になったし、常連クライアントへの請求は月末一括処理になったから請求書はそれぞれに1枚で済むし、我が社の「経理課」(ワタシ)の仕事もひと昔とは比べものにならないほど楽になった。ちっとも変わっていないものがあるとしたら、これかな→[写真]

いくつものキーの文字がすり減って消えてしまったワタシのキーボード。これだけは変わらないなあ。パソコンが登場した頃のキーボードはすごく高かったけど、頑丈にできていた。カレシは1989年に買ったNorthgateのキーボードをまだ使っているけど、キーの文字が消えることなんてなかった。それが、価格低下と共に作りも雑になって、今では新品に買い替えても3ヵ月もしないうちにキーの文字が欠け始め、半年もすると文字のないキーが並ぶ。(一番先に消えるのはいつも「N」、次に「I」。)意地になって1年とちょっと使い続けたらほとんどのキーがブランクになったキーボードもあった。これもタッチでタイプしているうちはいいけど、のっぺらぼうになったキーが視界に入るとリズムが狂って打ちにくいから、そろそろ買い替え時かな。まあ、安いんだから文句は言えないんだけど、アカウントを持っているオフィス用品の量販店では安いものしか扱っていないし、通販探すのもめんどくさいし・・・。

さて、あと半年分の入力で、やっと2012年度の決算にかかれる。最終四半期のHSTの申告期限まであと半月しかない。がんばらにゃあ・・・。