リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

遠くなった青春時代

2013年08月15日 | 日々の風の吹くまま
きのうは真夜中のランチの後、PCに向かってゲームをしているワタシの後ろで、カレシ
が「懐メロ」を探してのYouTubeめぐり。懐かしいフォークソングが流れて来る。チャド
ミッチェルトリオの激烈風刺ソング「John Birch Society」をアップデートした「George
Bush Society」は、その過激さに2人しておなかを抱えて笑った。

1960年代後半のワタシは、悩み多き高校生から悩み多き社会人になる、人生の過渡
期。世界では東西冷戦、ベトナム戦争、反戦運動。中国では文化革命。日本では大学
紛争。東大生が大勢で学長を取り囲んで、「自己批判しろ」と罵声を浴びせる様子をテ
レビで見て、「何となく」左寄りだったワタシはなぜか裏切られた気分になった。(当時の
東大生たちも、その後多くが高級官僚になったんだろうね。)

何かと騒然とした時代、ワタシはラジオにかじりついて、東京の文化放送のフォーク番
組に聞き入っていた。雑音交じりの電波をキャッチできるのは夜だけ。でも、アメリカの
フォークの歌詞に込められたメッセージの奥深さが理解できて来ると、日本のフォーク
のフワフワとした軽さに甚く失望を感じて、聞くのをやめてしまった。(岡林信康は筋金
入りだったと思うけど・・・。)

いつも何かがしっくりしなくて不安定な気持でいたワタシの青春時代。フォークを聴きな
がら、どんな夢を描いていたんだろう。小説家になるという「夢」はあったけど、漠然と先
の長い人生を前にして、ひたすら自由になりたくてもがいていたように思う。それも精神
的な束縛からの自由(Liberty)。無理に型にはめられない自由。ひとりの人間としての
生き方を自分で決めて、自分らしく生きる自由。まさしく、自由の女神の台座に刻まれ
ている「…yearning to breathe free」の心境だったのかな。

コヘレトの言葉に「戦うに時があり、和らぐに時がある」とあるけど、自分の精神的自由
のために、戦うべきときには戦ったからこそ、今の幸せ(和らぐとき)があるんだと思う。
青春時代からはずいぶん長い年月が経ったけど・・・。