リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年9月~その2

2008年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
ひとりビジネス経営学

9月16日。あまり暑くはないけどまだ夏の余韻がたっぷり。でも、これも今週いっぱいで終わって、また雨が戻ってくるらしい。カレシはここのところずっと胃腸の調子が悪いとぐちぐち。英語教室は生徒数が少ないから中止しようか・・・だけどやめたらまた再開できるかどうか。「どうしよ~」と思うだけで胃が痛くなってしまう。そういえば、カレシのパパはいつも胃腸の調子が悪いと愚痴っていた。(自制できないからしかたがないところがあったけど。)カレシはそういう父親似のところに思い当たると自分も行く末はパパのようになるのかと気になってなおさら胃が痛くなるらしい。

ボランティアとはいえ自分が進んだ道なんだから、自分で考えて対処しなければならない。でも、失敗が怖くてなかなか決断できない。落ち込むばかりで胃の不調も軽快しない。まあ、読売小町にもよく登場する不安神経症的なタイプにそっくり。あまりにも日本人的な性格・・・といったら、カレシはむくれるかなあ。もっとも、今日の英語教室は生徒数が前回の倍以上だったそうで、当分「引退」を考える暇はなさそうだから、まずはめでたし。感情を表現できない分、身体は正直なものなのだ。

ワタシの方は、仕事の流れがにわか雨模様だったのがしとしと雨になって来たと思ったら、どうやら大雨の恐れ。ここらで本腰をすえて気合を入れなきゃならんなあ・・・と思いつつだらだらと小町を見ていたら、「SOHO 自己管理ができません」というのがあって、あ、イテッ、ワタシの生態を見られちゃった。読んでみると、せっかく念願だったSOHOを始めたのに自己管理ができない。友だちとメールで遊んでしまったり、家では仕事が進まないからと外へ出てもやっぱりだらだら。早くも納期を落としてしまったという。「どうしたら後回しにせずに仕事にとりかかれるでしょうか」。あ~あ・・・。

まず、「SOHOを始めた」と浮かれているうちはだめだなあ。SOHOというのはインターネットの普及で可能になった業務形態を表しているに過ぎないから、「I am doing SOHO(SOHOやってます)」とは言わないもの。日本では初めにSOHOという「流行語」ありきで、なにやら時代の先端を行くイメージが一人歩きしている観があるけど、人類のビジネスは何千年も昔にSOHOから始まったわけで、それが技術の発展と共に変化して来ただけの話。ひとりなら職場の人間関係に煩わされなくて済むと思うかもしれないけど、どうしてどうして。ひとりだからこそ多数でやる以上の対人関係のスキルが要求される。それと、もちろん「仕事を後回しにしない」自己管理の能力は必須だけど、納期までに高品質の製品を納品するという目的を確実に達成すれば、その過程は人それぞれなのがひとりビジネス。

あんまり大きな声でいえないけど、極楽とんぼはその名の通り、仕事が山のように積みあがっていても、あっちへふらふら、こっちでうろうろ。ブログでぶつぶつ、小町でだらだら、挙句に仕事の途中でジグソーパズルに熱中と、ちょっと見にはトピックの主と同じく自己管理ゼロ。まあ、かれこれ20年もやっているもので、仕事のペースや切羽詰るとばか力が出るという性格的な要素がわかっているから、ここまではのんびり構えていても大丈夫という「安全限界」が確立しているという違いはあるけれど。まあ、自分の経営スタイルがわかっているから、臨機応変に徹夜もすれば、仕事を断ることだってできる。これも自己管理のうちだと思うけど、失敗を含めたいろんな経験から得た知恵を蓄積したデータベースがあるからこそできること。小さな失敗に落ち込むのも人間らしくていいんだけど、勇気を奮ってそれに対処することで大きな失敗を回避できる知恵を積み上げることができると思うし、これはビジネスだけじゃなくて、人生そのものにあてはまると思うなあ。

さて、トピックの主は迫っていた納期に間に合ったかな。そういう極楽とんぼもそろそろ・・・。

仕事台風接近中

9月17日。少し曇りがちで、少し涼しい日。電話が鳴って目が覚めた。午前11時半。そういえば、食洗機の状態を点検しに来てくれる日。「午後に」と言ってあったから、予定を知らせてくれるのかと思って出てみたら、「今、門の外にいる」という話。ええ。あの、今、電話で起きたばかりで、5分だけ待ってくれますか・・・。話を聞いてみると、今日は別の人が来るはずだったのが「病気欠勤」ということで急遽カバーすることになったとか。それで回るところが増えて今日は予定がきちきち。それじゃあ待てないよなあ。まあ、うちの食洗機は壊れたわけじゃないから、「後日改めて予約のし直し」ということで話をまとめて、またベッドにもぐりこんで寝なおすこと1時間。起きてからチカチカしている着信番号表示をみたら、9時前に電話があって「11時から12時の間に行きます」というメッセージ。「午後に」って指定したのに・・・。

何日か胃の調子が悪いからと寝酒をやめて少し早寝していたのに、きのうは英語教室から帰ってきてご機嫌のカレシの提案で寝酒をちょっと。昼間はあんなに愚痴っていたのに、帰って来たらケロリ。だから、胃腸の不調は心因性だと言うのに、もう。今日は調子が上々だからと、ベーコンと卵の朝食。週末から雨模様になりそうだと、外へ出て玄関前の「歩道」の工事にかかった。防腐処理をした角材を2本、ポーチと平行に並べて、その間に角材をすのこのように渡して「ボードウォーク」風のアプローチ。これならストーカースカンクの穴掘りも阻止できそう。午後いっぱいかかって7割がた完成したところで、「マティニの時間だぁ」。ふ~ん、なんとも現金な胃袋だなあ、ほんとに。

今日のメニューはコーニッシュヘン。小型の鶏で丸のままローストする。昔は1羽が1人前の大きさで、お皿の上でごろごろして食べにくかったけど、なぜか最近のはずいぶんと大きくなって、1羽が2人前。まさかステロイドで大きくしたってわけではないだろうなあ。まあ、焼き上がってからキッチンばさみで真っ二つに切り分ければいいから、食べやすいことは食べやすい。だけど、大きくなった分、おなかの中が空っぽと言うのもなんだから、適当に何か詰めてやることにする。七面鳥に詰めるような角切りのパンでは大きすぎるから、キノアを玉ねぎとにんにくとスパイスで炊いて、バターでちょっと味を丸めたものに炒ったヒマワリの種を混ぜて詰めてみた。思いつきのぶっつけ本番だけど、キノアの歯ごたえがぷちぷちとおいしくて、カレシは「これしかないの?」 う~ん、小さな鶏なのでねえ・・・

新しいクライアントの初仕事が入って来る予定なのに、常連さんから大き目の仕事が舞い込んで来た。この週末はねじり鉢巻ものだと胸算用していたら、コーニッシュヘンをオーブンに入れたところで、長いことご無沙汰だった地元クライアントからひょっこり電話。独立前からの長いおつきあいだから、無碍に「ノー」というわけにもいかず、月が変わるまで待てるならということでOK。降れば土砂降りと言うけど、ワタシの天地にも台風接近中かあ。ねじり鉢巻をきりりと締めて、用意おさおさ怠りなく、と行くか。ひとりビジネスは、一にも自主管理、二にも自主管理・・・だもんね、うん。

60才は昔の人だって

9月18日。ああ、曇ってきたぞ。天気が下り坂になると仕事気分の方が少しばかり上り坂になるから、ワタシも現金なもの。ゆうべは寝酒のグラスを傾けながら、「友だちとは」、「友情とは」なんて遠大?なテーマでおしゃべりをしていたもので、目覚めはさらに遅くなってほぼ午後1時。しばしベッドの中でだらだらして、「まずいよ、これ」。カレシは「2時には寝るようにしよう」と言うけど、それ、もう数え切れない試して、数え切れないくらいの三日坊主で、無理なことは立証済みじゃん・・・

寝ている間に家電販売店から電話があった。折り返し電話して、食洗機の点検は来週水曜日に予約。午前中は寝ているからと、必ず午後にしてくれるように念を押しておいたけど、今度はどうなるかなあ。玄関口においてあった郵便局の「最終通知」を見ると、ワタシ書箱に入りきらなかったらしくて保留になっている郵便物は何と今日が引き取り期限。銀行や税務署からだったりすると困るなあ。だけど、ジャンクメールだったら、取りに行く時間がむだ。郵便局に聞いてみるか・・・。通知番号と宛先人の名前を確認して、「どこからでしょうか」と聞いたら「野生動物保護協会」。ははあ、資金集めだなあ。「あ、送り返してください」と言ったら、電話口のお兄ちゃんはクスクス。(きっとゴミ箱へ直行しただろうなあ。)

今日の郵便の中に交響楽団からの分厚い封筒。広告メールじゃなくて「普通郵便」と表示してあるから、何だろうと開けてみたらシーズンチケット。あれ、今年は更新を忘れたはずじゃなかったのかなあ。念のためにもう一度カードの請求書を調べたら、まだレシートを整理していない4月の分にあるではないか。なあんだ、ちゃんと更新してあったんだあ。ふむ、芝居とコンサートの二本立てでまた忙しいシーズンになりそう。それにしても、コンサートシリーズの予約を更新したことをたったの4ヶ月かそこいらでけろっと忘れてしまうなんて、ワタシの記憶も少々あやしくなったきたのかなあ・・・?

仕事を始めようにも、今日はカレシの英語教室があるから早目の夕食の日。なんだか、朝食をしたばかりですぐに夕食って感じで、その間の時間はあってないような、まったくもって中途半端。(だから、ほんとうは午前2時の就寝が望ましい・・・んだけども。)中途半端ならそれなりに集中的にだらだらすることにして、小町をうろうろしていたら、「オバフォーだってきれいになりたい!」というお悩み。なんじゃ、それ。てっきり「オバサン」の変種かと思ったら、「40才以上」という意味らしい。英語で言うなら、forty-somethingというところかな。なんだ、やっぱり「オバサン」じゃないの。それともオバサンは「オーバー三十」ってことかな。ま、きれいになりたいのはいいけど、オバケにだけはならないようにね。

ダレついでにしゃれ込んでひとりでウケていたら、「昔の人(今60才くらい?)」という表現に出くわして、ギョッ。おいおい、ワタシはまだ「昔の人」じゃないんだけどなあ。あの、60才といえばあなたの親の年頃でしょうが。親の世代とは少なくともかなりの「時間」を共有して来ているはずだけど。未だに親掛かりの身だったらなおさら、親といっしょに「今の世の中」を暮らしているはずだけどなあ。その親の年代の人を「昔の人」とは・・・。親子の断絶もここまで進んだのかなあという感じがある。1960年代のアメリカで、若者の間に「Never trust anyone over 30(30過ぎたやつは信用するな)」というのが流行ったけど、まあ、若さが生む傲慢さというのはいつの世も、世界のどこでもそんなものかもしれないなあ。誰だってすぐに30才を過ぎ、40才を過ぎて、いつのまにか「昔の人」になる。そうなったら今度は「Never trust anyone under 30」なんて言い出すのかな。三十路が天下の分け目・・・焦るはずだなあ。

ベビーブーム世代の後塵を拝する「X世代」は、30才を迎えて「30才は新たなハタチ」と言い、40才になったときは「40才は新たなハタチ」と言っているから、「昔の人」になってもまだ「ハタチ」のままでいるつもりらしい。ふむ、60才の「新ハタチの子」を昔の人と呼んでみたいような・・・

花金のイェールタウン

9月19日。ゆうべ、家の横の道路の向い側だけにオレンジ色の標識が並んでいるのが見えた。カレシは駐車禁止の札が立っているという。どうやらまたぞろ電力会社が地下鉄駅の送電線の工事でもするらしい。それだけでカレシはさっそくご機嫌が傾く。「これから永久にちょくちょくやられるんだぞ」と言うけど、そりゃそうじゃん。送電線の曲がり角にあたる我が家のすぐ外にマンホールを設置したんだから、時々点検とか補修とか工事が必要になるでしょうが。カレシの論理では「オレに断りなく、けしからん」ということになるんだろうけど、ゲートを一歩出たらそこはうちの土地じゃないからねえ。

まあ、少しは早寝を心がけるつもりで午前3時に就寝して、目が覚めたのは午前11時半。工事はとうに始まっている。重機を動員しての掘削工事と違って、ケーブルの工事は大した騒音とは言えないから、さすがのカレシも耳栓だけで十分に遮音効果があったとみえる。それでも、着替えて階下へ下りて、まっさきに防犯装置を解除したところを見ると、「何をやっているんだ~」と、いの一番に外へ出て行ったらしい。窓から見れば何をやっているか見当がつきそうなものだけど、出して行かないと気がすまないところはパパにそっくりなもので笑える。キッチンに出て行ったら、「ケーブルを敷設しているんだよ」と、まるで文句タラタラの「ワタシ」をなだめるような口調で言うから、つい吹き出したくなってしまう。ま、自分の行動の子供っぽさを自覚して気恥ずかしくなるらしいところはパパとは大違いだけど。

金曜日なんだけど、明日はテレビでフットボールの試合があるとかで、ディナーのおでかけは今日ということになった。前回チオッピーノにサケ不要論をぶち上げた「A Kettle Of Fish」。ディナーとしては早め午後6時だけど、もうけっこうテーブルが埋まっていた。まず、マティニ。ここはかなりいいマティニを作る。カレシは野菜のサラダにメインはマグロ。ワタシは炒めたイカのサラダにメインはギンダラ。付け合せの豚のばら肉のコンフィを魚といっしょに食べてみるようにとシェフが勧めているというから、さっそく試してみたら、う~ん、けっこう相性がいいからオドロキ。デザートのカボチャのタルトに添えてあった「ローストシナモン」のアイスクリームがおいしかった。

ふと見上げた窓の上のほうに、あれ、窓ガラスに弾痕らしき穴・・・。だけど、弾痕にしては穴の周囲にひび割れがない。しかも、内側から何かが当たったように見える。そこで勘定書を持ってきたビル君に「あれ、どうやってできたんですか」と聞いてみた。ビル君曰く、「何かが当たったようですねえ。ちょうどぼくの目の高さにあって気になるもので、できるだけ無視してはいるんですが」。まあ、どうやら料理に不満の客がモノを投げつけたということではなさそうだし、もちろん弾丸が飛び交ったわけでもなさそう。ふ~ん、おもしろい話の種になりそうだけど、ほんとは何なんだろう・・・気になるなあ。

料理がおいしくて、サービスも満点で、おまけに比較的安いときているから、すっかりハッピーな気分になって、カナダで一番セクシーな街と言われるイェールタウンで今一番ホットなバー「George」で一杯ということになった。イェールタウンはウォール街でのてんやわんやなどどこ吹く風で、ファッショナブルな男女の「花金」満開。レストランの客は比較的年配層が多いけど、バーは若い人たちが多い。男だけ、女だけ、男女混合と飲んでいるグループは様々。お金のあるダウンタウンの若い層は、ハウストリート(バンクーバーの金融街)からIT業界に移っているから、金融市場の風雲はまだここまで広がって来ていないのかもしれないなあ。

少し酔いを冷まそうと、花金のイェールタウンをそぞろ歩き。林立する高級な高層マンションに囲まれた一帯には日本のいわゆる繁華街のようなどろどろとしたエロ臭さはなくても、なんとなく「作り物」っぽい雰囲気がある。バンクーバーは「北のハリウッド」と言われる通り、まさにその浮ついた華やかさだろう。かってレンガ造りの倉庫が並んでいた風景を覚えているカレシはその変貌ぶりに感歎するけれど、日本で「嫁入り前の娘」というだけで若い時をがんじがらめに縛られて過ごしたワタシは、なんとなく損をしたような気持になる。それは、今を華やいでいる若さへの羨望というよりは、若いときにしか謳歌できない自由を味わうことがなかったことへの痛切な悔恨と言える。まあ、こうして美食美酒の贅沢ができるのは長いことがんばって、それなりの収穫の季節を迎えたからなんだと思うけど・・・

カラスの赤ちゃんが泣くのは

9月20日。やや、雨が降っているぞ。久しぶりの感じだけど、気温はお昼をずうっと過ぎてなんとか13度がやっと。カレシはまだ青いけど色づく望みのありそうなトマトを収穫してきた。低温と雨のコンビは最悪で、一発で病害が発生する。玄関前のボードウォークも工事中断。それでも、園芸ルームの掃除をしたり、トレッドミルでちょっと走ってみたり。きのうはディナーから帰ってきてそのまま何と3時間もうたた寝してしまったとかで、就寝は午前5時に近かったのによく眠れなかったと、しょんぼりした顔。この頃はどうもテレビの前のリクライナーに座るといつの間にが眠ってしまうらしい。年のせいにすれば済むことなのに、カレシは「親父のようにならない」という密かな使命をもってがんばればがんばるほど行きたくない方向へ行ってしまうらしい。まあ、勤めがあるわけじゃないんだから、眠くなったら眠ればいいのに。

おかげでワタシの方は目がしょぼついてしまったけど、仕事がはかどって助かった。何しろ明日の午後には別々のところからの2つの仕事が同時に納期。ま、どうしてこんな風に詰ってしまったのかは詮索しないことにしよう。結果を出せばいいのがこの商売。日本の税務署からは源泉徴収税は不要というお達しがあったそうだし、対税務署戦は2連勝。ぐいっと腕まくりをして、やるぞぉ・・・なんて。だけど、ときどきはまたちょっとウツっぽいのかなあと気になるときもあるので要注意。おおっぴらに「年だから・・・」と言っていいんだけども、カレシの「眠り猫病」にワタシは「チェシャー猫病」。ひょっとしたら笑ってはいられないようなことが潜んでいる可能性はあるかもしれないけど、カレシの生活リズムはカレシ自身の意志で確立するしかないなあ。う~ん、かっては「テレビの前で眠りこける年寄りになりたくない」からと、ティーンのようなコたちから若さをもらおうとしていたけど、あれもずいぶん過去になったか・・・

さて、2つ目の仕事の仕上げにかかる前に、ちょっとひと息。小町は相変わらず他人の動作について、「許せない」、「がまんがならない」とにぎやかだけど、だんだんに人間として自然なことまで神経過敏の若い人たちに「人(=自分)不愉快にさせるのはマナー違反!」と禁止されつつあるような感じだなあ。カナダに来て馴染めないでいる人には「日本へ帰れよ」と言い、カナダに馴染んで楽しんでいる人には「かぶれている」と言う。いったいどっちならいいのかと思うけど、これにはバカと同様につける薬がないらしい。移民したいと言っても、新天地で人生を切り開くなんて夢はなくて、日本に向かって「外国暮らしの自分」を誇示したいだけと思わせるところもあるから、いくら不満でも帰るわけにいかない。しょうがないから、匿名掲示板で他人を手当たり次第に誹謗することでストレスを発散しているんだろうなあ。ま、とにかく世の中の何もかもがおもしろくなくて、しかも世界のどこへ行っても不満だらけという、精神のホームレスがかなりいるってことかな。ワタシにはおもしろい人たちなんだけど・・・

日本の学者か医者が、若い人たちがやわらかい食品ばかり好んで食べることに警鐘を鳴らしていた。人間は噛まないと、脳への血流が減るんだそうな。つまり、文字通りの「血の巡りの悪いやつ」になる。老人がボケやすいのは年と共に歯が弱くなったりして物理的に噛めない状態になるからかもしれないけど、噛む力を持っているはずの若い人が「とろりと口の中でとろけるような柔らかさ」を追求するのは、ひょっとしたら「お母さんのおっぱいを飲んでいたあの頃」を求めているのかもしれないと勘ぐってみた。限りなく幼い「美少女」に萌えるオタクたちも、三十路でまだ「幼作り」に勤しむオンナノコたちも、精神の成長が5才あたりで足踏みしているってことで、つまりは「赤ちゃん帰り」に近い現象なのかもしれない。だけどなあ、いつまでもカラスの赤ちゃんみたいに「カァカァ」と口をあんぐり開けて待っているわけにはいかないと思うんだけどなあ。人間てさ、驚くほどあっという間に年をとるんだよねえ。だから、噛めよ、噛めよ、よく噛めよって言ったの。太古の昔話に聞こえるだろうけど・・・。

きれいさっぱり流し雛

9月21日。やったあ!納期まであと数分のところで、二つともホームベース強襲のすべり込みでセーフ。やれやれ。話によると日本ではまた明日が秋分の日で休み。あれ、ついこの間連休があったんじゃないのかなあ。休み、多すぎない?あっちの話だから、まあ、いいか。とにかく、横目で「TOKYO」の時計を睨みながら、わき目も振らずにキーを叩くこと約4時間。ささっとメールを書いて、ファイルをつけて、「送信」ボタンをバン!と押して、終了。「TOKYO」時計は午前8時56分を指していた。ふう~。まあ、午後いっぱいをねじり鉢巻でがんばったから、後は早々と開店休業を決め込もう。

それにしても、今日は一日中、月曜日みたいな、土曜日みたいな。予定表のボードの前を通るたびに、あっ、今日は日曜日なんだ。金曜日におでかけなんかするから、脳内時計が狂ってしまうじゃないの。日本の秋分の日は火曜日だけど、こっちは月曜日の朝が秋分で、そこから公式に秋が始まる。だけど、朝方はヒーターが入りそうなくらいに寒くて、とっくに秋たけなわの感じがする。午後は晴れていたのに、夜になって急に土砂降り。バンクーバーの乙女心は激情だ。秋は短命かもしれないなあ・・・

ネットのニュースで真っ先に目に入ったのが福岡の殺人事件で「母親を逮捕」の見出し。ああ、やっぱり。最初に事件の報道があったとき、なぜか直感的に「母親だ」と思った。現場の状況が報道されるたびに、「母親以外の可能性はありえない」と思うようになった。胸の痛む事件だけど、母親が「取り乱した親」を演じて見せていたことは、理不尽に殺された子供を思うとなおさら胸が痛む。自分の病気で将来を悲観した?子供の異常な行動に疲れた?困難な障害を持つ子供を一生懸命に育てている母親はたくさんいる。みんな疲れているけど、子供への愛情に支えられてがんばっている。日本語の「無理心中」という言葉には、「殺人」の概念が見えないけど、英語では「murder-suicide」、犯人死亡の殺人事件なのだ。子供は人格を持った人間。親の持ちものでもアクセサリでもないし、ままごとの「人形」でもない。まるで、「疲れたから、もうやめた」と人間関係を切り捨てるのと同じではないか。

この人は子供を捜してくれた人たちをどんな気持で見ていたのか。バンクーバーの周辺で立て続けに起きたインド系女性の行方不明・殺人事件でも、テレビカメラに向かって涙ながらに「妻に無事に帰って欲しい」と訴えていた夫たちが殺人で逮捕された。通りがかりの見知らぬ人間ではない。家族を殺して遺棄して、それでなお空涙を流して見せられる心理はとうてい理解できない。だけど、この世の中には自分だけがかわいいから、自分の罪や間違いを隠し通すためにそういう隠蔽行為ができてしまう人間がごまんといるんだよなあ。ワニの涙というけれど、悲しいかな、それが現実・・・

中国の有毒ミルク事件は世界に広がってきたけど、日本の事故米騒動も広がる一方。どっちも、人間を尊重する気持はゼロなんだろうなあ。ばれなければ何をやってもいいのだ。万が一ばれたら、しおらしく深く頭を下げて「謝罪」してみせれば、世間は「謝ったんだからもういいじゃないか」と水に流して忘れてくれると思っているらしい。アジアの社会ではそれが「大人」であることだと考えられているのもかもしれない。水に流してくれなければ、「大人げない」と糾弾すればいいんだから、自分が失うものは少ない。嘘をつき、ひたすら嘘を隠蔽し、「謝ればいいんだろう」とふんぞり返る。マスコミにそういう姿が繰り返し映し出されれば、見ている人間にもそれが普通のことのように思えて来て、水に流してきれいに忘れることが「大人」ってことになるんだろう。そういえば、日本には「流し雛」という風習があったなあ・・・。

今年の漢字は「呆」?

9月22日。秋、初日。いい天気だけど、まるで見せつけるみたいなひんやりした風。この秋は低温かも、とテレビの天気予報で言っているのをチラッと聞いた。ほんと、地球温暖化ってのは、ひょっとしたらデイヴィッド・スズキの作り話じゃないかと思ってしまうよなあ。30年くらい前は「氷河時代が来る」って騒いでいた人だけど、今度は「熱帯時代」が来るって騒いでいる。あんがい「オレは地球を救う偉いやつ。オレの言う通りにしないやつは地球を滅ぼす敵だ」みたいなことを言っているように聞こえる。いわゆる「活動家」というのはそういう手合いが多いから、ワタシは9割引きくらいにして聞いているけど、爆弾テロで世界を駆け回っている連中も、身近なところではDV族も、なんだか似たようなことを言ってるけど・・・。

日本はまたまた祝日なもので、手持ちの仕事は小さいのがひとつ。休み明けの入稿待ちが大小2つ。忙しいようでもつられてなんとなく遊びモードっぽい状況。きのうの今日だしなあ。うん、あの滑り込みセーフはスリルがあったけど、しょっちゅうやるとそのうちアウトになりかねないから気をつけなくちゃあ。まあ、PowerPointの作業で元のスプレッドシートに入って処理しなければならないものが多くて、同じことの繰り返しなのに、まとめて置き換えることができなかったという要因がある。これは計算外・・・。

読売サイトに『商品偽装』という特集ページがあるので、ちょっとのぞいたら、2年分の偽装報道がずらり。輸入品を国産と偽るのも、国産で産地をごまかすのも、嘘の表示の方が高く売れるからなのは明らか。「工業用」の事故米を「食用」と偽っただけで、2000%とかいう気の遠くなるような利益があったらしい。賞味期限の改ざんは「売らないと損」ということだろうけど、ほとんどは1日や2日過ぎても危険はないとしても、不誠実であることには変わりない。2年分の見出しをざっと見渡しただけでも、各種ご当地名産食品の他に、有名ブランド、大手企業の名前がぞろぞろ。何年も偽装をやっていたなんて常習犯もいるから、何をかいわんや。「うちのブランドは信用があるからばれない」と思っていたのかな?そういえば、「2007年」の日本を代表する漢字は「偽」だったっけ。はて、今年の漢字は何が選ばれるだろうなあ。「詐」、「欺」、「嘘」、「騙」、「瞞」・・・いろいろあるけど、いっそのこと「呆」ってのはどう?

人生案内で、「苛立っている定年間近のサラリーマンの夫」についての相談があって、回答者の久田恵曰く、「この時期の夫というのは、おおむねヘンになりがちのようですよ」。いた~く同感。日本だと、定年間近といえば60に手が届く頃で、まさに男の「mid-life crisis(中年の危機)」の年頃だもんなあ。「妻の頑張りが、自分のふがいなさを際立たせるようで、逆ギレしちゃうらしいですよ」って、そうなんだよなあ。で、「妻に空威張りして、夫の権威を保ちたい」ということになるのは、夫は妻よりエライと思っているから。定年退職は仕事がなくなるということだけじゃなくて、肩書きもなくなるし、その権威にまかせて指図して来た「部下」もいなくなる。その喪失感たるや、きっと最愛のペットを失ったくらいに切ないのだろう。

ま、人間、落ちるときは、エライと思っているやつほど派手に落ちるもので、夫族も例外ではないらしい。マザーグースの「Jack and Jill」では、男の子のジャックと女の子のジルがバケツを持って丘へ登って行ったら、ジャックはバケツもろともふもとまで転落。泣いて家に帰って、おでこのたんこぶに湿布をしてもらう。でも、ジャックの後に落ちて来たジルのことについてはそれっきり。きっと、自分で起き上がって、パンパンと泥をはらって、また丘を登って行って、きっとてっぺんまで登りつめたんだろうなあ。それが、女の底力ってものなんだよなあ。久田氏さらに曰く、「数年で落ち着いて、妻を頼りにするらしいですが」。ふ~ん、妻としては、頼りにされたいか、されたくないか、ビミョーなところ・・・

郷に入ってはみたものの

9月23日。ここ23日。は午前11時30分に目覚ましがなるようにしている。少しぐらい早くベッドに入っても、放っておくと目を覚ますのが正午過ぎになるから、一応歯止めをかけて、正午前に自然に目が覚めるようにというもくろみだけど、何もない日はしばらくベッドの中でごろごろ、だらだら。まあ、肝心なのは正午前に「目を覚ます」ということなんで、しばらく続けていたらあんがい効果がある・・・かな?

今日はカレシだけが朝食。ワタシはジュースだけ飲んで、ピアノの先生とのランチ。ずっと懸念の離婚問題も、先生が家の夫氏の持分を買い取る形で、やっと家庭内別居から一歩前進。その後あれこれと理由をつけて居座っていた夫氏も弁護士の説得でやっと引越してくれた。先生は50才を目前に11才と9才の2児を抱えるシングルマザー。家のローンの残高が増えて、いつになったら引退できるかわからないというけど、子供たちが落ち着いているのは何より。週3日子供にはやさいいパパのところへ行って宿題を見てもらっているとか。母子とも精神的にも新しい生活に慣れてきたという。めでたし、めでたし。

今日はカレシの英語教室で、早めの夕食の日なのに、朝からおべんとうボックスを食べてしまったから、夕食はカレシの分だけを作ることにした。ボックスと言っても、カリフォルニアロールの半分と鶏のから揚げを子供たちの学校帰りのおやつに「寄付」したし、テリヤキビーフの下のご飯は残したから、いつもよりは食べていないんだけど、帰ってきてから2時間も経たずに夕食。食事の支度をしていたら、イアンから、予定より2週間近く早かったけどアーニャが午前3時に無事に双子を出産、母子とも健全の報。よかった、よかった。これでイアンとバーバラには1ヵ月足らずの間に初孫が男ばかり一挙に3人もできちゃったんだから、まったくすごい。

カレシが出かけている間に飛び込み仕事の算段。離散した家族が決して少なくないお金を巡ってすったもんだ。そういえば、もう20年も昔だけど、バブル成金が節税のためにあらゆる手段を尽くして財産を海外に移転させていた。バンクーバーもまるで門前列を成す盛況だったけど、あの当時の成金さんたちは今頃どうしているのかなあ。今はかなりの高齢になっているだろうけど、あのまま悠々自適でゆったりとカナダ生活を満喫して来たんだろうか。それとも望郷の念に駆られて帰って行ったのかなあ。

外国生活を満喫するとなれば、土地の食べ物を楽しむのもそのひとつだろうけど、ローカル掲示板で「カナダの牛肉、臭くないですか」と来た。挽肉で作ったハンバーグが「家畜くさい」。肉に獣臭がある。ここにも嗅覚過大発達症がいたぞ~・・・と思ったら、我も我も「臭い、臭いにウットなる、食べられない、牛肉だけじゃなくて豚肉も鶏肉も・・・」と行列参加。おいおい、元から牛は「家畜」なんで、着ぐるみとは似ても似つかないものなんだけどなあ。家畜は家畜の臭いがするのが当たり前じゃないかと思うけど、ひょっとして、「日本産」の(とラベルに書いてある)肉は「脱臭処理」をしてあるから無臭だとか?ふむ、そのうち日本は入国する外国人に指紋と顔写真の他に脱臭処置も義務づけるようになるかも・・・

ローカル掲示板に登場する「教えてちゃん」の質問の中には「ええっ?」と言うケッサクがたくさんある。「カナダ人との恋愛のしかた」なんてのは爆笑編に入るけど、一番多いのは、日本でお馴染みのものをどこで買えるか、という質問。「日本人の○○がいるところは」というのも人気上位。日本にあるものならカナダにもあって当然と思い込んでいる人が多いのか、ざっと見かけて覚えているものだけでも、掛け布団、土鍋、和装用品、割ぽう着、レバ刺し、その他、どうみても日本固有の商品の数々。すごいのになると、満1歳になる子供に背負わせる「一升餅」というのを買えるところを探している人がいた。そんな伝統があったとは初耳だけど、蝦夷地の生まれ育ちのワタシが知らないのはしょうがない。まあ、ここはアジア系人口の多いところで、台湾系、韓国系が急増しているから、たいがいのものは見つかるらしい。最近は「厄払い」ができるところはないかという人がいた。年末になると「初詣はどこで?」という質問が登場するけど、厄払いかあ。中国系の仏教のお寺はいくつかあるし、国境の南には本格的な「神社」もあってお清めをしてくれるそうな。ただし、神主はアメリカ人という話だけど・・・

仮想現実は禅問答

9月24日。早朝から電話。予約してあった家電店のサービステクニシャンから。午後2から4時の間に来るとのこと。おお、それなら今度は大丈夫、と喜んで、「午前11時起床励行キャンペーン」の目覚ましをオフにして寝直し。結局、目が覚めたら正午を過ぎていた。なぜか首が凝って頭が痛い。といって寝違えでもないような。年中温度があまり大きく変化しない家の中に篭っていて、季節の変わり目も何もないもんだけど。

ワタシは、「営業品目」にないのは特許とITだけという「翻訳何でも屋」。(特許は特殊な知識が必要だし、IT分野は英日のローカリゼーション華やかなりし頃にさんざんやったけど、やれスタイルガイドだ、何だとワタシには鬱陶しいかぎり・・・。)まあ、日本から遠く離れて、それしか「分野」がない環境で看板を出したという経緯もあるけど、「何でも屋」をやっていると、ほんとに人間の営みのありとあらゆる事件に遭遇する。いろいろなもめごとの文書を扱うわけだけど、日本人の思考や心理を英語で解説しているようでもある。いつも「ふむふむ」とおもしろいもめごとばかりではない。「おいおい」とか「あ~あ」と、ため息をついているうちに気が滅入ってしまうこともある。お金が絡む話は前者が多くて、人間関係が絡む話は後者が多いけど、両方が絡んで来るとまさにメロドラマ。

予定の時間のちょうど中ごろに現れたのは若いクリス君。故障というわけではないので、使用説明書を片手に状況を説明。ドアのカバーを取ると洗剤とリンス剤の容器の裏側が見える。一回ごとになくなっていると思っていたリンス剤、容器は満タン。機械的な仕組みには異常はないらしい。リンス剤を足さずに運転して、容器が空になったことを知らせるライトが点くかどうか様子を見ることになった。「殺菌済」のライトが点かないのは「レギュラー」サイクルだからで、「高温洗浄」サイクルで点灯するかどうか試してみる。そんなことはマニュアルには書いていないと言ったら、クリス君曰く、「ドイツのメーカーだからね、ドイツ語から翻訳したのかもしれないし、ドイツのはオーバーエンジニアリングで、やたらと複雑に設計してあるからねえ。」なるほど・・・。「2週間くらい様子を見て、それでもおかしかったら連絡してください。説明しなおさなくてもいいように、ぼくを指名してね」と言い残して、クリス君は次の仕事に向かった。

カリフォルニア州でシュワルツネガー知事が自動車運転中の携帯メールを禁止する法律に署名したというニュースが流れた。最近ロサンゼルス近郊で起きた列車衝突事故は運転士が携帯メールをやっていて信号を3つも見落としたのが原因らしい。そういえば、春に成田から東京へ向かうリムジンバスの窓からとなりを走っている車を見たら、運転している人がハンドルの上で携帯を操作していた。メールを読んでいたか、打っていたんだろうけど、場所は高速道路のど真ん中。日本では携帯といえばメールと聞いてはいたけど、高速道路を走りながらのメールとは、とびっくり仰天していたら、しばらくしてバスと並んだ小型トラックでも運転手が片手で携帯いじり。ちらちらと前を見てはいるけど、危なっかしいことこの上ない。こういうことではいつも全国にさきがけるのがカリフォルニアだけど、いち早く禁止するのもカリフォルニアらしい。カナダでは、まだ運転中の携帯「電話」の使用禁止を議論している段階だもの。

携帯メールの隆盛も技術の発達がもたらした時代の流れであれば止めることはできない。それにしても、仮想現実空間の気安さ故なのかどうかは知らないけど、はめを外して身を滅ぼす人の何と多いことか。どうも「メール」というやつは、倫理や理性や恥じらいや危機感といった、人間が自らの心にはめてきた「たが」を、SF映画に出てくるレーザー銃のようにZAP!と雲散霧消させてしまうらしい。日本では現職裁判官が墓穴を掘ったし、アメリカではデトロイト市長が失脚。仮想現実が「現実の現実」ではないから、つい安心してその人の本性を現してしまうのかもしれないけど、だったとしたら、現実空間にいるときのその人は「現つの世の仮の姿」ということになるのかなあ。あらまあ、なんだか禅問答・・・

CHANGE!

9月25日。よく眠れて、頭痛もなくなった。若い頃はよく偏頭痛に悩まされたものだけど、いつの間にか卒業したし、普通の頭痛も年令と反比例して頻度が減って、ここ何年かはほとんどなくなっていた。一度ずれた第二頚椎の後遺症の激甚頭痛も運動して来たおかげでほとんど起きなくなった。子供の頃に蒲柳の質だと言われたのが信じられないくらいの健康体になったおかげで、珍しく頭痛がすると「すわ、異常か?」とつい思ってしまうから、げんきんなもの。

トロントの義弟から電話。10月の半ば過ぎに夫婦と娘でラスベガスに行くけど、落ち合わないかという相談。アメリカの協会の会議が今年はフロリダ州のディズニーワールド。なぜかあまり気乗りがしないでいたら、カレシはあっさり「やだ」。じゃあ、その代わりに11月早々にサンフランシスコかラスベガス、ということになっていたところだから、二つ返事であっさり決まり。ホテルは向こうはパリスだとそうだから、こっちは道路真向かいのベラジオにしようか。シルクドゥソレイユのショーも見たいなあ。

3年半前に行ったラスベガスはすごい好況だったらしいけど、今はサブプライム問題の直撃を受けて、抵当流れ処分の件数がマイアミと並んで全米トップだとか。ニュースでも「銀行保有物件」と書かれている「売家」の看板が林立する映像が流れる。小さいマンションは400万円ぐらいで買えるというので、まだ景気に余裕のあるカナダから、等価に近いカナダドルを持って買い漁りに行く人たちが増えているそうな。アメリカドルが強かったときはアメリカ人が大挙してリゾートのウィスラーに乗り込んで来たから、お金は国境を越えて行きつ、戻りつ。まさに天下をぐるぐる・・・。

遊びの予定が立って喜んでいると、今度は保険代理店から電話。家の保険料を再計算したいという。築後20年のこの家、保険は取替原価方式でかけてあるけど、元のコストに消費者物価指数をかけるだけなので、長い間に実際の取替原価とかけ離れてしまっている。住宅ブームと人手不足で建築費が高騰したバンクーバーでは単位面積あたりのコストは20年前の2倍以上で、保険額とは9万ドル近い格差が開いている。結局、保険料はとっくに来ている請求書の額より110ドル増えて、536ドル。これでも、4種類の割引(防犯装置設置済み、ローンなし、過去に保険金支払なし、60才以上)を適用した後の保険料。請求書をよく見てみたら、「アイデンティティ盗難に関する経費1万ドル」というのがある。家を建てた頃にはそんな言葉さえなかった。新しい危険が増えた「現代」を思い知らせてくれるなあ。

英語教室から帰ってきたカレシ、なんだか興奮気味。ごく近いうちに教室を午後の時間帯に戻すという。というのも、増えてきた生徒をよく見たら、ほとんどが高校でESLクラスにいる移民の子供たち。教室に来る理由を聞いてみたら、なんと「オヤジが行けってもんで」。ふむ、無料英語教室を家庭教師代わりにしているな。おかげで、社会人を想定したテーマではレッスンができない。「子守なんかやってられるか」と息まくカレシ、午後の時間に申し込んで待機している人がかなりいると知って、速攻で午後への移動を決めたそうな。まあ、タダなら何でも利用しなきゃ、という、その溢れるバイタリティには脱帽するんだけども・・・

どっちも在宅で時間には縛られずに変則的な暮らしなんだけど、やっぱり「二人の生活」という観点から見たら、午後の時間帯の方が何かとやりやすい。朝食後から早い夕食までの短い中途半端な時間がなくなるし、明るいうちに終わるから、ワタシがモールまで歩いて行って、教室帰りのカレシと落ち合い、野菜や食料品の買い出しをするパターンに戻れるし、週2日は早起きになるから、遅くなる一方の起床時間を多少はリセットできるし、芝居に行く夜の選択肢も増える。ほ~ら、やっぱり午後の方がいいことづくめじゃないの。年を取るにつれて染み付いた生活リズムを長期的に変えることがいかに難しいかを実感させてくれた夜の英語教室だった。

見なれない原風景

9月26日。めずらしく午前中の朝食の後、オフィスに「出勤」(通勤時間15秒!)して、システムを起動して、まずはメールをチェックしたら、終業時間までに入っていなかった原稿が来ていた。送信時間は金曜日の午後10時近く。届きました、と確認を送ったら、今度は「よろしく」という返事。日本は土曜日だから、週末も出勤ということか。うわ、さすが残業魔の日本人。(日本には少なくとも土曜日が半ドンの会社ってまだあるのかなあ・・・?)

やたらと日本のことを書いていることが多いけど、読み直してみると、「日本では~らしい」という表現が出て来る。そうだよなあ。この春に10年ぶりに、たった1週間だけ、それも1日を除いてはずっと東京で過ごして、しかもどこへ行っても「え~と、え~と」の連続だった。家族や友達と久しぶりに会って、食事をしたり、おしゃべりをしたのはすごく楽しかったけど、正直なところ、「ああ、懐かしい日本」という感慨は全然わいて来なかった。それよりも、めずらしさが先にたって、海外旅行のような気分だったというのが実感だったと思う。

ワタシだって国籍こそカナダ人でも、人種は日本人のはずだよね。日本は生まれて、育って、学校へ行って、社会人になるまで暮らした国なんだよね。20代半ば過ぎまで日本文化に首までどっぷり浸かっていたはず。たしかにそのはずなんだけど、日本のニュースや掲示板、ブログを読んでいて、知らないことが何と多いことか。もちろん、日本を離れから30年以上の間に日本でも時代が変わって、ワタシの知らないことがたくさんあるのは当然というのはわかるんだけど、日本にいた頃から知っていてしかるべきらしいことを知らないことに気づかされることが多い。知っていてしかるべき「らしい」というのは、ワタシの知らないことが日本人なら誰もが知っていることとして話されているからそう感じるのであって、ほんとうに知っていて当然なのかどうかはわからない。つまり、まったく日本のことを知らない天然人間ということか。

古くからの伝統文化や生活習慣、食べ物・・・とにかく知らないことが多すぎる。どういうことなんだろう。浦島太郎のように竜宮城で浮かれているうちに忘れてしまったのではなくて、初めっから記憶にない。つまり、ワタシの原風景にはないということだから、原体験と言うものがなかったってことになるのかなあ。日本人ならみんな体験しているはずのことが、どうしてワタシにはないんだろうなあ。ふむ、「こんなワタシって、おかしいですか」と小町の住人に聞いてみようか・・・なんて、つらつら考えていて、ふっと思い当たった。ちっともおかしくなんかない。ワタシの原体験は日本の中の北海道の東の方での暮らしであり、子供の頃に聞かされた昔話は「北海道開拓時代」のものだから、原風景は「北海道」でしかない。おまけに「嫁入り前の娘」として、「箱」に隔離されて育てられた無菌ねずみのようなところがあった。(自由になりたくて、いろいろと抵抗を試みたけど、「母」という大きな壁の前で挫折する方が多かった・・・。)

つまりは、頭の中では「北海道は日本」と思っても、「北海道=日本」という式が成り立っていないということなんだろう。あのまま日本にいたら、いずれは結婚させられたか、あるいはオールドミスになって、世間でもまれているうちに平凡な日本人になっていただろうと思うけど、飼育箱から出ていきなりやって来た異国は北海道によく似た風景。そこで、まるで子供に戻ったように一から原体験のやり直しをした(という構図が精神科医のカウンセリングで見えた)もんだから、日本人があたりまえと思う日本人にも、カレシが思い描いた理想の日本人にもなれずじまいだったということらしい。その理想の日本人は津軽海峡以南だったらいたのかもしれないけど、残念でした。このワタシは蝦夷地を開拓した屯田兵の末裔。つまり、厳寒のカナダ北西部に入植した開拓者の末裔であるカレシと同じ。日本人が知っている「日本」は、ワタシにとっては見なれない風景なのかもしれない。

あらあら、こんなことをのんきに思い巡らしているほど徒然じゃないんだけどなあ。

知らぬが仏のシアワセ

9月27日。目覚まし作戦は案の定「三日坊主」。ほんとは2日でおしまい。正午前に目が覚めたけど、カレシの腕枕でいい気分になってうとうとしていたら、午後1時に近い方になってしまった。外は秋空のいい天気。

朝食後、まっさきに裏庭の「滝」の修理。循環ポンプでくみ上げた水を貯めて落とす部分にひびが入って、池の外に水が漏れている。作ってもう十何年経つから、傷みが出て来るのは当然だけど、handyman(器用)じゃないカレシは「どうしよ~」。はいはい。買い置きの即席セメントとビニール手袋と、そのまま捨てられる古容器を持って、ゴム長靴を履いて、handymanワタシの出動。ひび割れは壷の内側と外側にある。ふむ、水圧がかかるところだからなあ。滝を止めて、セメントと水をこね合わせる。速乾性だから、作業できる時間は5分が限度。手袋をした手でひとかたまりをつかんではひび割れに刷り込み、周り一面にもペタペタ。表面がつるつるだといかにも「人工的」すぎるから、手袋の長すぎて遊んでいる指先でシャラシャラと撫でて肌理を荒くしておいた。ま、これで当分はOKかな。30分くらい経ったら水を通してね。

カレンダーを見ると、明日の日曜日は納品予定が3本もある。いつのまにこんなことになったのかなあ。まあ、下訳の済んだもの、半分進んだもの、最後に小さいの、という状況だから何とかなるか。契約書、内輪もめ、裁判資料と、バラエティも文句なしだし。(明日起きてから慌てなければいいんだけど・・・。)カレシはラスベガス行きのチケットとホテルの手配。エアカナダがなぜか満席に近い状態だと少々パニックになったけど、ユナイテッド系は空席がたくさん。オンライン予約が確認されたところで、今度はワタシがシルクドゥソレイユのチケットの手配。ラスベガスにはシルクの常設劇場が5つはある。べラジオにある「O」を見たいけど、私たちと義弟一家の滞在が重なる日はあいにくの休み。ならばと、Mystereに決めた。古典的なシルクドゥソレイユのショーだ。ちょっぴり横だけども最前列の席を5つ。ほどなくして確認メールが来て、三泊四日のミニ旅行は準備完了。あと、3週間だ。仕事、しなくちゃ・・・

昨日は「日本人なのに日本を知らないのはおかしいか」とぶつぶつと考えていたけど、ひと晩寝てから改めて考えて、「日本人なら知っていてしかるべきことを知らないからといって、今のワタシの人生には何の障害もない」ということに思い及んだら、なんかおもしろいアングルが開けて来た。長いカウンセリングの結果、自分なりに引き出した結論が「日本生まれの帰化カナダ人」というアイデンティティ。カレシに突きつけられた「ぼくの理想の日本女性」は元々ワタシとは似ても似つかないモデルだったわけ。飼育箱の無菌ねずみのような状態から、一足飛びに異国の地の異文化・異言語の中にどっぷりつかったもので、その何もかもをあるがままに学習できる環境で、無菌ねずみらしくすなおにそっくり学習したんだろうと思う。まあ、「日本ではこうなのに、ああなのに」と比べるための材料が不足していたと言えそうで、ワタシの場合は、「Ignorance is bliss(知らぬが仏)」がいい意味に働いたということかもしれない。ほんとに、ワタシは幸せな人間なんだよなあ・・・。

シアワセ気分になったところで、さあ、おめかししてディナーに出かけよう。仕事は・・・なんとかなるって。

持ちつ持たれつ・・・

9月28日。ほんとに、青い!どこまでも抜けてゆくように透き通って、とにかくまぶしい秋空。極楽とんぼもわ~っと叫びながら、どこまでも天高く舞い上がってみたくなる。だけど、仕事、仕事。朝食もそこそこに午後が納期の2つをささっとやっつける。カレシは庭仕事。ほうれん草の葉っぱが摘み菜サラダにできるくらい大きくなったという。(家の中に入ってくるたびに、「今日のメニューはなに?」はないっしょ。)土は昼間に太陽熱を吸収して夜に放射するから、冬の温室は鉢をたくさん置くと暖房費が助かるんだけど、今度は棚の下の大きなプランターいっぱいだから、もっと節約できるかもしれない。いずれはソーラーパネルの導入を本気で考えなくちゃなあ。

ポール・ニューマンが死去。映画ファンとは言えないワタシだけど、吸い込まれるような青い目が強烈な印象に残っている。今日の空みたいな青。いい俳優だったなあ。唇がいつもちょっとすねている子供のように見えた。たくさんあるニューマンの映画の中で、ワタシが見たのは『Hud』、『Hustler』、『Harper』、『Sting』、『Slap Shot』、『Absence of Malice』、『Verdict』、『Nobody’s Fool』くらい。映画はあまり見ない割にはよく見ている。『Verdict』は映画脚本のコースを取っていたときの教材だった。なんだか「映画のひとつの時代」が終わったという感じがする。映画界の人間が上から下まで映画を「フィルム」と呼び始め、自分たちは(高尚な?)アーティストだと肩で風を切って歩くようになってから、「映画」はもう映画ではなくなったように思う。いつも怒鳴り散らす顔が画面から溢れ、何かが爆発し、血が飛び散り、拳が飛び、車が、人間が宙に飛び、それを観客は娯楽として見る。あ~あ・・・

今月からいよいよカレシの公的年金の受給が始まった。CPP(勤労年金)とOAS(老齢年金)とを合わせると1300ドル近い。ただし、これは所得税の源泉徴収がないから、春になってごそっと税金を取られることになる。組合年金の方はCPPの受給開始でその補助分が減額されたけど、税金を引いた支給額は8年前の退職時の支給額とほぼ同じなのでびっくり。年金3つが入金されてみると、やっぱりけっこうな金額だなあ。ワタシの今年の手取りの予測とあまり変わらないからすごい。「不況になって仕事が減っても心配しなくていいなあ」と言ったら、「仕事、やめてもいいんだよ」だと。そう言ってもやめないとわかっていて言ってるのはわかるけど、ほんとにカレシのいう通りで、日ごろの贅沢をカットすればカレシの年金だけで二人が暮らせるなあ。

それでも、少なくともワタシが年金をもらい始めるまでのあと5年は廃業しない。いや、きっと仕事の規模を縮小しながら70才までは看板を下ろさないだろう。そのときには、ワタシの公的、ワタシ的を合わせた年金が、たとえ細々とでもワタシ一人が暮らして行けるだけの額になるはず。そのときにまだ二人が一緒でいれば、やれ食道楽だ、やれ海外旅行だと散財するエネルギーもあまりないだろうから、そろって悠々自適だと思う。まあ、カナダに来たばかりの頃から経済的な自立の重要さを(間接的ながらも)教えてくれたのは他ならぬカレシ。自立するなと圧力をかけたのもカレシなら、その圧力を跳ね除けて経済的に自立して来たことのありがたさを味わわせてくれたのもカレシ。ワタシの今の人生があるのはカレシのおかげなのよ。でもまあ、夫婦は持ちつ持たれつということで、いざというときはお世話になりますんで、そのときはよろしくね。

不況、来るかな?

9月29日。アメリカ議会下院が金融危機回避のための緊急法案を否決してしまった。タイミングがまずかったなあ。11月は選挙の月。大統領だけじゃなく議会も選挙。選挙区に近い下院議員は与党も野党も有権者の意向のほうが気になる。7千億ドルもの公的資金を注ぎ込むという計画だけど、公的資金はそもそもが税金として集めたお金。ウォール街の「ゴールデンパラシュート」と呼ばれる巨額の退職金やばかげたボーナスを横目に額に汗して働いて税金を払っている庶民にとっては「ご冗談でしょ」と言いたい話だ。健全なローンを組めない人たちを頭金は不要という甘言で釣って高金利で金を貸し、それを証券化して売ってさらに金をかき集めるという仕組みを考え出したやつらが悪いんだけど、儲かると聞いただけで目の色を変えて飛びつく欲張りな庶民も悪い。、地道に暮らしている庶民にしてみれば、そういうバカな隣人を助けるために自分の血税が使われるのは納得が行かないだろうなあ。

アメリカは良くも悪くも自由の天地アメリカなのだ。今回の救済法案がまとまるまでの共和党と民主党の思惑の交錯はおもしろい。保守派の共和党はまるで左よりの民主党が考えそうなことを、片や民主党は保守派が考えそうなことをそれぞれ主張している。それだけ途方もない大規模で、複雑な問題だということだろう。ニュースなどで見る限りは、民主党のペロシ下院議長がちょっとよけいなことを言ったなあと思うけど、少なくとも民主主義はこれまた良くも悪くもちゃんと機能していることは確か。金融危機はまだ底辺まで浸透していない。「地道な庶民」に不況が圧しかかってくれば、なりふりかまわず何とかしろと言うに決まっているけど、おりしもユダヤ教の新年ロシュハシャナで議会も休会。代替案をどうするかはその後までお預けと、いたって悠長に見えるのがいかにも楽観的なアメリカ人らしい。その楽観主義が成功のエネルギー源であり、災いの種でもあるんだけど、アメリカが大不況に陥って一番大きな打撃を受けるのはアメリカよりも中国の方じゃないのかなあ。

カナダの連邦総選挙は、自由党か新民主党のどちらが「野党第一党」になるかということが注目されて来たからおもしろい。与党保守党の勝利は確実と見てのことだろう。ハーパー首相は並みの政治家と違って弁護士ではなく、大学は経済学で修士号を取っている。高校時代からすごい切れ者だったとか。おまけに野党同士を争わせて2年間も少数政権を維持して来たんだから、相当の策士でもあるらしい。総選挙になって、ほんとうに野党同士が争う形勢になっているからけっさくだ。こちらは投票日まであと2週間。オンタリオは不況の暗雲もくもくらしいけど、ロッキーのこっち側はまだあまり深刻な影はない。まあ、どこの国の選挙もいざふたを開けてみないとわからない。

日本は新首相の新内閣の大臣が就任わずか数日で辞めたとか。思ったことを深く考えもせずに言っているのか、それとも確信を持って言っているのかはわからないけど、日本は「単一民族」だと言ったとか英語メディアではずいぶん非難されているけど、発言の全体を見るとちょっと割を食ったようなところがないでもない。『外国人を好まないというか、望まないというか』と始めて、最後に『まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない』と言ったのが、この最後のセンテンスを省略されてしまったものだから、まるで国粋主義の鎖国論者みたいに聞こえてしまった。BBCのサイトには誰が首相になろうと日本株式会社には関係ないという記事があったし、ニューヨークタイムズは「ブタに口紅」と評したそうな。バブルが潰れて久しい日本は、もはやサブカル以外には日本人が思っているほどには世界の注目を引かない、いわば「non‐event」になってしまったのかもしれない。

さて、残る仕事は大物ひとつ。2日半でできるかなあ。自営業にとっては、どの仕事にも「これが最後になるかもしれない」という懸念が潜んでいる。まあ、どんな職業にしても、いや、あんがい人生のどんなことにしても、そういう「一期一会」のようなものがあるのかもしれない。ふ~ん、ワタシも年を食って、苔むして来たようなことをいうなあ。ま、そんなことは今はどうでもいいから、それ、鉢巻!

その若さでねえ・・・

9月30日。もう夏の再放送で、久しぶりに昼間だけエアコンをオン。前の日にどすんと落ちた株価が、今度はどんと上がって、カレシが聞いていたラジオのDJは「むち打ち症になってしまいそう」。史上最大の下げの後は史上最大の上げ。まあ、みんなあれだけ売りまくったら、もう売るものがなくなってしまう。売り物が出つくしたところで、今度はそれを買う人がいる。金融危機だなんだと言っても、お金はあるところにはたくさんあるってことなのだ。日ごろからニューヨークと東京の株価の動きと、為替市場の円と米ドルの関係をながめていると、なんとなく大まかな「パターン」らしいものが見えてくる。お金は天下の回り物で、ちょっとしたことで魚の群れのように一斉に方向転換する。証券会社でいくつものモニターの前に座っている人たちはその魚の群れを鵜の目鷹の目で睨んでいるわけ。

今日はカレシの「夜間英語教室」の最終日。午後への移動にネイバーフッドハウスのOKが出て、あさっての木曜日からはこれまでのように午後12時半からに戻ることになった。カレシ曰く、「夜のクラスは実験として失敗だった」。まあ、すでに仕事をしているけど、英語力を磨いてもっと良い仕事につきたいという人たちが対象だったのに、親に言われてしぶしぶ来た高校生が半分以上と、まったくの想定外。午後のクラスは前と同じく無期限のオープン方式。大人の生徒のほとんどが午後に移動するそうで、カレシはほっとしたらしい。大人は英語を磨いて早く就職したい、もっと給料の良いところに転職したいと、ノートを取り、宿題を要求する。生徒が就職先が見つかったからと言ってやめて行くのがカレシにとっては一番やりがいを感じる時だというから、またがんばってね。

日本からバンクーバーの語学学校に留学生を送り込んでいた大手留学エージェントが破産したというニュース。他にも、危ないと言ううわさが流れている会社もあるらしいけど、どこも現地のエージェント(移民して来た日本人が多いという話)と組んで、学校の諸手続きやホームステイ先の手配をやらせている。二重三重に手数料がかかっているわけで、「留学」と言えばかっこいいけど、所詮は便利な「英語学校出席とホームステイつきの海外旅行パッケージ」を売っていたのと変わりない。この会社の倒産でバンクーバーの語学産業にどんな影響があるのかはわからないけど、授業料やホームステイ代がまだ払われていないケースもあるらしい。遊学ブームにも翳りが見えてきたってことか。

ちょっと前に何かの記事で読んだ「若者の海外離れ」も要因のひとつかもしれない。この10年ほどに、海外旅行に出かける二十代の若者の数が35%も減ったんだそうで、そういえば、語学留学も30代が増えているような印象がある。何よりも若者の絶対数が減っていることが大きな要因だろうと思うけど、「金」、「時間」、「好奇心」の3つがないからという話だ。バブル時代と違ってお金がない世代でもあるし、働いていれば休暇が取りにくい労働環境というのはわかるけど、「好奇心」が薄れたというのはどういうことだ?好奇心は若さの特権だったんじゃないのかなあ。まあ、子供だったバブル時代にゴールデンウィークに海外に出かけた若者も多いだろうし、めんどうだなことはしたくないという心理もあるだろう。(それにしては、来たら来たで今度は何としてでも居座りたがるのが多いなあ。それも文句タラタラで。)それにしてもなあ。インターネットで手軽に海外を見られるからだという意見もあるようだけど、あんがいその手軽さが「好奇心低下」につながっているのかもしれない。いつの頃からか、若者が何を聞いても「べつにぃ~」と答えだしたあたりからその傾向は始まっていたのだろう。日本の未来にとっては決して良いことではないと思うんだけど・・・。

あしたからもう10月。あさってからはまた週2回の午前11時起床が始まる。これで遅くなる一方だった就寝時間も多少は早まると思うけど、はたして、どうかなあ・・・。


2008年9月~その1

2008年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
どこにあるの、ニッポン?

9月1日。三連休最終日。国境は北方面が込みだしているそうな。明日から新学年が始まるから、国境を越えてアメリカまで買い物に出かけた人たちが多いらしい。カナダドルがずいぶん上がってアメリカドルとほぼトントンのレベルなんだし、遠出はガソリン代がかかって大変だろうと思うんだけど、アメリカはカナダに比べて品揃えがずっと豊富で、同じチェーンでもカナダ側では売っていないものがたくさんあるらしい。近頃の子供たちには「安くて丈夫」はもう通用しないからなあ。小学生の女の子がファッションにうるさいことがいいのか、悪いのか。ま、子なしのワタシがそんなことを論じてもしょうがないか。

勢いに乗って明日の夜が期限の仕事もまとめて仕上げてしまった。どうも日本の職場はおかしな人が多いのかなと思ってしまう。人事部というのは仏様のような人でなければ勤まらないかもしれないなあ。いや、職場だけじゃなくて、社会全体がおかしいんじゃないのかなと思ってしまう。ま、掲示板でこんなことを言ったら、海外在住にいちゃんねら?に「日本人のくせに日本を批判するな(非国民!)」とやられそうだけど、残念でした。ワタシは日本国民じゃないもん。カナダでお気楽に帰化人をやってるの。

カレシの家族がまとまって住んでいる郊外のメープルリッジで、トラックがモールの寿司屋に真正面から突入して死傷者が出る事件があった。トラックを運転していた男は寿司屋の経営者もと従業員とも店にいた客たちともまったく関係がなく、どうやらいろいろと個人的な問題を抱えていたらしいというから、日本で頻発している無差別殺傷事件と同じように「誰でも良かった」のかもしれないなあ。それにしても、現場が「寿司屋」だったというだけで、犯人は「日本人嫌いなんでしょうか」なんて書き込む人がいたけど、それは自意識過剰の被害者妄想ってものじゃないかなあ。日本人は日本の外に出たとたんに猛烈な自意識過剰になって、「日本人対外人(ほんとは日本人の方が外国人なんだけど)という視点でものを見る傾向があるから、「寿司屋=日本料理=日本=日本人→日本人嫌い(人種差別だ!)」という反応式があったとしてもしょうがないか。

バンクーバーではジャパニーズもチャイニーズもコリアンもみ~んなひっくるめて「アジア人」。アジア人嫌いはいても、「チャイニーズ/コリアンはいいけれど、ジャパニーズは嫌い」というのは日本と戦争した時代に生きた高齢者くらいのもの。そういえば、「日本人はアジア人じゃないですよね」と念を押していた日本人がいたけど、なんだか明治政府の「脱亜入欧」のスローガンを思わせる。明治は遠くなりにけりというけれどなあ。

日本の総理大臣が青天の霹靂で「ボク、もうや~めた」。前のアベさんだか誰だったかもそうだったけど、大学を出て就職して、ちょっと仕事がきつかったり、人間関係がうまく行かないからと「もうや~めた」と言うボクちゃんと同じじゃないのかなあ。祖父や父が丁々発止の駆け引きをしている背中を見て育ったはずだけど、やっぱり「売家と唐様で書く三代目」か。今の日本、政治家も庶民もそろって精神的にひ弱すぎるんじゃないかなあ。世界の経済大国なんだから「もうがんばらなくてもいい」のかもしれないけど、実は国民一人あたりの国内総生産(GDP)は世界第17位に落ちているんだそうな。フクダ君はそれをせめて10位以内に返り咲きさせようとしたらしいけど、次の総理大臣は「Ah, so」で済ませるのかな?ロイター通信によると、日本は過去20年で13人も総理大臣が変わったそうな。ふむ、イタリアとギネスブック入りを争っているわけじゃないだろうけど、これじゃ名前を覚える暇もないだろうなあ。

日照ニモ、雪崩ニモ負ケズ

9月2日。今日から9月が本格的に稼動。日本では夏休みで中断していた学校が再開するわけで、遊びつかれたような雰囲気が漂ってくるけど、カナダは新入学の季節。近くの小学校でも一年生が初登校。といっても、日本のような入学式も何もないから、子供を連れて来る親も別におめかしも何もしていない。ピカピカの重そうなランドセルを背負って・・・といった歳時記的な風景もゼロ。9月の第一月曜日のレイバーデイの三連休が終わったら、幼稚園から大学までしかつめらしい儀式なんか抜きで一斉に新学年。それでも、なんとなく「季節の変わり目」を感じて、ちょっと引き締まった気がするからおもしろい。

仕事のほうもちょろちょろと動き出したような。ひまにまかせて新規取引先のトライアルを引き受けたら、常客の方から仕事がぞろぞろ。どういう風の吹き回しになっているのか知らないけど、「呼び水効果」とでも言えそうな不思議な展開になることが多い。翻訳業界の「トライアル」というのは「オーディション」のようなもので、料金を払ってくれるところと、くれないところがある。翻訳会社にはピンからキリまであるから、「うちの仕事をしないか」と声がかかったからってそこで喜んでいてはいけない。何年も前だけど、シンガポールにある会社から「ビジネス/法律分野」の募集がかかって、まあ、一応は「取扱い分野」と言うことで無料のトライアルにOKしたら、まったく違う分野の原稿をかなり急な期限付きで送って来た。「ご冗談でしょ」とばかりに突っ返したけど、トライアルの名目で手持ちの案件をただでやらせようというケチ臭さにはただただあきれ返ってしまった。

まさに客も十人十色で、長くやっているおかげでけっこう知恵がついて、ここならというところとは無料のトライアルでもやるけど、そうでなければやらないと返事をする。それで「料金を払うからどうか」と言って来たら、さすがに「ノー」とは言えない気分になってトライアルを承知することになるんだけど、そうすると急に仕事が忙しくなるから、ほんとにどうなってるんだろう。まあ、トライアルに料金を払うというところはOKして後悔しない確率は高い。つまりは、商売というのはいい意味での駆け引きなんであって、相手も自分も得をして丸く治まるのが一番だと思う。文学の翻訳ならともかく、実務翻訳は純粋なるビジネス。翻訳は語学力や読解力、文章力があればさほど難しい仕事ではないけど、「翻訳業」というビジネスをいかに潰さないように経営するかということになると話はまったくの別もの。東に無理を吹っかける客があれば、行ってなだめすかし、西に払いの悪い客があれば、眉間にしわを寄せて憂え、南に断れない仕事があれば、楽しみを棚上げし、北に意味不明の原稿があれば、頭をかきむしり、徹夜もいとわず、磨り減るまでキーを叩く。でも、「でくのぼう」とだけは呼ばれるわけにはいかない。ああ、この現実・・・。

日本では若い女性の間に翻訳はなんか「おしゃれなお仕事」みたいなイメージがあるかもしれないけど、所詮はイメージ。だけど、今のご時世は「最初にイメージありき」みたいなもんで、論理よりも理屈よりもまずはイメージ。それもマスコミが「これこそ(みんなに注目される/認められるための)あるべき姿」と盛んに喧伝するから、現実離れした「イメージ」が膨らんで一人歩きしているように見える。だけどなあ、実際には、きらびやかな女性雑誌や翻訳学校のパンフレットに溢れていそうな「語学を生かして翻訳のお仕事をしている知的なあたくし」みいたなイメージに陶酔しているひまなんかないんだけど。

な~んてぶつぶつ言っている間にも、小さな仕事がちょろちょろと流れ込んで来る。おいおい、まだ夏の遊びモードから「ねじり鉢巻モード」に切り替える態勢ができてないんだけどなあ。でも、やっぱり商売だから、商売の神さまにパンパンとかしわでを打って、ヴァーチャルシャッターをガラガラと開けて、今日も「営業中」の看板を出すかなあ・・・

言霊の幸う国で

9月3日。天気はいいけれど、空の色はどうもなんとなく秋っぽい青。陽射しもあまり暑くない。トマトが1個やっと色づいてきたところなのに、もう夏はおしまいなんてないよぉ。そういえば、トウモロコシが出回り始めたけど、今年は去年よりも遅いような気がする。まだ小ぶりでやせているし、ちょっとむいてみると先の方まで実が入っていないのが多い。まあ、9月になったばかりだから、これからもっと大きくなるのかもしれないけど、あまり期待できそうにないようなお天気模様・・・

どうもきのうから左側の耳下腺のあたりが痛い。喉の奥にも痛いところがあるけど、風邪の前触れの、あの喉の痛みとは違っている。さては、おたふくかぜ?というのも、郊外で発生したおたふくかぜが西へ広がっているとニュースで言っていた。とあるコミューンが宗教上の理由でワクチン接種を拒否して来たもので、そこで発生したのがだんだんに西へと伝染しているらしい。人命を救うのが目的のものを禁止する神さまって、どういう了見の神さまなんだろうと思うけど、ワクチンの普及で発生が激減したために、逆にワクチン接種を受けていない子供が増えたせいもあるらしい。おたふくかぜもはしかも水疱瘡も、昔は子供時代の通過儀礼のようなものだったけど、ワタシははしかにかかった記憶しかないもおで、おたふくかぜも水疱瘡もやったことがないというと、大人がかかったらえらいことになるよと脅かされる。もっとも、症状が出ない場合もあるらしいから、妹がなったときについでに感染して免疫ができているという可能性もあるかなあ。

ちょろちょろと流れてくる仕事をしていたら、「いっぱいいっぱい」と言う表現が何度も出て来た。最近は掲示板なんかでもしょっちゅう見かけるから、日常日本語になっているんだろうけど、実にグラフィックな表現だなあと感心する。同じかあるいは似た音を二度繰り返す「擬態語」は日本語に限らないし、実に動画的で便利な用法なんだけど、日本語のは五感に直接訴える表現が多いように思う。「空気を読む」表現とも言えるのかなあ。漢字という視覚的な表意文字を使っているせいだろうか。だったら、マンガやアニメが隆盛する理由が少しばかり見えるような気もする。だけど、この「いっぱいいっぱい」は、小さな子供が抱えているお椀が一杯で今にもこぼれそうなのにべそをかいているイメージが浮かんでしまって、ほんとうにグラフィックに切ない。注がれるスープの量が子供のお椀には多すぎて受けきれない、というところか。器がちっちゃすぎるんじゃないの、とは言わないけれども、言霊の幸う国がいっぱいいっぱいじゃねえ・・・

まあ、最近の日本語が乱れているのかどうかは、後々の世になってみなければわからないと思う。若者言葉と言われる表現がいつのまにか年上の世代にも浸透して「日常語」になることも多い。このあたりも今どきの日本語に限ったことではなく、ワタシが若かった頃もそうだったし、英語だっていつの世代でも同じ現象が起きている。今あたり前に使っている表現にだって昔は「乱れている」と眉をひそめられたものがたくさんあるはず。言葉はそれを使う民族のコミュニケーションのニーズに従って変遷するものだから、百年後の日本人は今どきの「乱れた日本語」を標準語として話しているかもしれないわけで、百年前の日本語と比べても日常的にはあまり意味がないように思うなあ。紫式部の日本語は今や「古語」だし、チョーサーの時代は「中期英語」、シェークスピアの時代は「初期近代英語」をしゃべっていたんだから、300年後には村上春樹や吉本バナナが「中期近代日本語」の古典文学になっているて、高校生が「IF(意味不明)!」と文句を言っているかもしれない。タイムマシンがあったらおもしろそう・・・

困りましたねえ・・・

9月4日。ああ、もうやんなっちゃう!WINDOWSのアップグレードがありますって言うから、「あ、そうですか」と、いつもの調子でクリックしたら、何、これ?さっさと見直しして納品しなきゃならない仕事があるってのに、時間がかかること、かかること。さすがのワタシもイ~ライ~ラ。それでやっとこさ完了ってことで、やれやれと思ったら、日本語入力ができないじゃないのぉ~。日本語はちゃんと表示されて読めるのに、IMEはちゃんと「JP 」の「あ」になってるのに、キーを叩いて出てくるのはaaaaaaa!もう、し~らない。

んっとにマイクロソフトってのはしゃ~ないやっちゃと、ぶつぶつと毒づきながらも何とか納品を済ませて、同業者のメーリングリストにしつも~ん。初めてXP搭載機を買ったときは、賢くなったなあと素直に感心したのに。大昔、巷で「電子計算機」とか「コンピューター」とかいう言葉が聞かれるようになった頃には、みんな人類の暮らしがもっと便利に、豊かになるというばら色の夢を描いたはずなのに、ほんとはどうなんだろうなあ。つらつら考えてみると、人類が生活の質を向上する上で基本的に役立つものはみんな過去のある一点までに発明され尽くしてしまって、そこから先はひたすら「快楽」の追求になったようにも見える。まあ、経済学で言う「限界効用逓減の法則」というやつで、どんなにすばらしいことだって、ある一線を越えるとありがたみが薄れて行くということ。そこが人間の性ってものなんだけど、日本語入力が必要なのはブログとメールと日本語での検索くらいのものだから、辛抱強くIMEを蘇生すればいいんだけど、「マイクロソフト対極楽とんぼ」の根競べ、どうなるかなあ・・・

英語版の日本ニュースサイトを見ていたら、吹きださずにはいられないような記事があった。イギリスの有力紙「Guardian」に掲載されたもので、数日前、伊豆で「死体が捨てられている」という通報があって、「すわ、殺人事件」と色めき立ったのはよかったけど、検視のために寝袋を開いてみたら出てきたのは何と等身大の「使い古された」セックス人形。証拠を保全するための捜査の手順とか何とか言っているけど、袋の上から触っただけで「女性の死体」と思い込んでしまったそうな。ま、ほんとうの殺人事件じゃなくて良かったけど、(日本人の想像以上にたくさんいる)日本語がわかる在日外国人たちがブログに書きまくり、そこからあっという間に世界のマスコミに広がったらしい。形容詞のつけようがない事件は世界のどこでもあるけど、にいちゃんねらが日本の恥を発信していると毎日新聞英語版の「WaiWai」を潰してから、逆に「ヘンタイ天国ニッポン」が注目されるようになった観がある。ばかはへびがいることを承知でやぶをつつくもんだけど、最近の日本が世界に誇れる輸出品といえば「サブカル」ぐらいのものだもんなあ。時代は変わるっていうけど・・・

ブログに投稿するといつも確認画面に出てくるのが広告。無料のブログだからそれはしょうがないんだけど、日本関係の英語版ニュースやブログのサイトにつきもの?の「お友だち募集」の広告(ゲットした相手と別れたのか、売れ残って必死なのか知らないけど、同じ顔が「リサイクル」されている)と同じで、繰り返し見せられるとムカついてくるものもある。エロっぽい無料ゲームもそうだけど、最近はうんざりを通り越しそうなくらいに「くっさ~い」の大攻勢。うら若い女性がせっかくのカワユイ顔を思いきりしかめ、鼻をつまんで、「夫が臭い」、「上司が臭い」、臭い、臭い、み~んな臭い。何もかも臭い。何とかして!マスコミの煽りもここまで来たら亡国近しって感じがしないでもない。

この数年で嗅覚を飛躍的に発達させたらしい日本人の「排斥」のターゲットにされているのがオジサン。某化粧品会社が「加齢臭」ということばを発明して以来、おじさんたちはますます生きにくくなったようで気の毒としかいいようがない。小町にも、若者に「臭い」といわれて、うつ病のあり地獄に落ち込む一歩手前の50代目前のおじさんがいる。「臭いと言われたのなら臭いんだろう」と、脱臭策を授けようとする人が多いけど、ちょっとおかしいなあ。ワタシにはその若者の方が異常に思えるけど、普通の日本人には「臭い、死ね」という子供のいじめをやっているような若者のほうが「普通」なんだろうか。中学生の男の子が「無味無臭になりたい」と母親に言ったという話を読んだときは背筋が冷えた。だって、命があってあらゆる細胞が活動しているのに、「無味無臭」なんて想像がつかない・・・。

ひょっとして、伊豆の「殺人早とちり事件」では、臭わなかったから「死体」だと疑わなかったのかなあ。ふむ、生き物は死んで土に帰るときにはもっと臭うんだけどなあ・・・。

つかの間の夢と悪夢と

9月5日。久々にエアコン陽気。まだ9月になったばかりだから「Indian summer(小春日和)」はちょっぴり気が早いように思うけど、なぜか雨に祟られるPNEが終わって子供たちが学校に戻ったとたんに夏復活というのはよくあること。雨に当たりすぎたのか、去年に続いてまたトマトに病害の兆しが出始めて、肩を落としていたカレシだったけど、向こう一週間の天気予報にお天道様マークが並んでいて、最後の望みをかけているみたい。とにかく少しでも色づいてくれれば、何とかなるんだけど・・・。

今日はまずいの一番に銀行に電話。日本からの送金がどういうわけか2度も入金されている。日本の口座に貯まった翻訳料を円のレートが良くなった時にまとめて送金してもらっているけど、今回は二重送金できるほどの残高はなかったから、ミスは100%カナダ側。円建ての送金をカナダドルに換算して入金するんだけど、2度の処理の間にレートが変わったらしく、後の金額のほうがちょっとだけ大きい。回された担当者が不在だったのでメッセージを残しておいて、2時間くらいたって銀行の残高をチェックしたら、やっぱり後の入金が取り消しになっていた。順序としては後の方が「ミス」なんだからあたりまえなんだけど、ちょっぴり惜しい気もするなあ。もうちょっと後で処理してくれていたらなあ・・・とか。まあ、たった35ドルの違いなんだけど、為替はギャンブルみたいで、時の運というものもあるからなあ。

きのう始まった日本語入力の問題。ブラウザをFireFoxに切り替えたらというアドバイスをさっそく試してみたけど、効果はゼロ。ATOKに切り替えたらというアドバイスもあったけど、どうやら日本語版のXPでなければ動かないらしい。XPになる前は、WINDOWSもOFFICEもわざわざ日本語版を手に入れて、完全に日本語環境に設定しなしていたんだけど、今さらあんなめんどうなことはやりたくない。サービスパックをアンインストールしてみたらというのも、うまく行かなかったら怖い。はああ・・・。だけど、言語の設定はどうしようもなく混乱して、英語モードを示す「EN」の上にマウスを置いてみたら「Japanese」と出てくるのに、日本語入力は頑として拒否。なだめすかしてなんとかアイコンが「JP」になったと思ったら、表示は「English」で、相変わらず日本語入力はいやいや。なんだか2歳児を相手にしているみたいで、さすがにすご~くくたびれたから、お気に入りのレミをたっぷりあおって、しっかりと寝て、きのうの今日。あれこれ設定を弄り回しているうちにメガワット級の電球が点った。XPになる前は完全な日本語環境で日本語も英語も不自由はなかった。今度もデフォルトの入力言語を「日本語」に設定したって不自由はないはず。元をただせば、英語仕様のXPで「アメリカ英語」を入力のデフォルトに指定して、「日本語」も設定してあった。標準の英語キーボードだから、日本語はもちろんローマ字でしか入力できない。そこで、「左Alt+Shift」で英語(EN)と日本語(JP)を切り替え、日本語モードの時は「ひらがな」と「半角英数」を「Alt+~」で切り替えていた。だけど、なのだ。「半角英数モード」でも問題なく英語文を処理できるのに、英語をデフォルトにするなんて、いったい何を考えていたのやら・・・。

というわけで、日本語をデフォルトにしたら、言語障害は雲散霧消・・・まあ、今のところは、なんだけど。おまけに日本語入力が不能になって英語からしか検索しかできなくなっていた電子辞書も元の通りに双方向の検索が復旧。何万円もした3つの辞書が危なくおしゃかになるところだった。ふう、やれやれ。さて、みんな一応の解決をみて落ち着いたところで、そろそろ次の仕事にかかるか・・・

還暦のアルマニャック

9月6日。ああ、やれやれ。一応はなんとなく問題が解決したように見えたけど、そこはどっこい、そんなに甘い夢を見せてくれないのがマイクロソフトってもんで、日本語入力はできることはできるんだけど、ブラウザを開いたらたちどころにノックアウト。WORDに戻ってもふらふらと泥酔の千鳥足。同じ酔っ払って千鳥足なら極楽とんぼの方がよっぽどミリョク的だ。そこまでだだをこねるんだったら、もう知らない。月曜までに大きな仕事を終わらせなければならないってのに、こんな「ごんぼ掘り」に付き合っているヒマはないの。というわけで、えいっと思い切ってSP3をアンインストールすることにして、その間ちょっとお昼寝・・・。

その結果・・・はあ、どうやらこれが一番の解決策だったらしい。この2日の騒ぎは何だったんだろうなあ。とにかく、元に戻って万々歳の気分で仕事にかかったら、「アップデートがあります」とお知らせが出る。見てみたらさっきアンインストールしたばっかりのSP3。そんなのいらないよ、とばかりに閉じたら、またすぐに「お知らせ」。またまたSP3。もういらないって言ったべさ。あんまし人のコンピュータをあやつけてかっちゃまさないでよ。もう、きもやけるったら。それでも無事に原状復帰したようで、あっずまし~い!

ごたごたしていてきのうの郵便が手付かずで山積み。たいていはジャンクメールだけど、Arts Clubのちょっと分厚い封筒があった。おお、新シーズンのチケット。今シーズンは見たいものがけっこう多い。そういえば、バンクーバー交響楽団も新シーズン開幕だけど、チケットが来ていない。いつもだったら、7月には届いているんだけどなあ・・・と、いぶかっていて、電球がポッ。どうもシーズンチケットの更新を忘れたような気がする。いつもは春先に電話で更新するかどうか聞いて来るけど、今年はその記憶がない。クレジットカードの明細書を引っ張り出して、1月の分からずっと調べてみたけど、ない。てことは、更新していない。さては日本に行っている間に電話が来て、カレシが何と言ったのか知らないけど、結局はそのままになってしまったらしい。最前列の中央の席・・・5年も維持したのになあ。ま、バロック音楽のシリーズもカレシの方がちょっと飽きて来ていたらしいから、ひと休みってことにしよう。

ディナーのおでかけ再開で、今日はイェールタウンのBlue Water Cafeにした。ここは料理は魚介類が中心でまあまあだけど、バーが充実している。Rawbarといって、老舗の和食レストランのシェフが担当しているスシバーもあるんだけど、すしシェフの募集でローカル掲示板に「経験不問。ワーホリ歓迎」と書いてあったのを見てから悪いけど試してみる気になれなくなった。今日は、カレシはセヴィチェの前菜とオヒョウのメイン。ワタシの前菜はカニのサラダとイカのから揚げのコンビで、メインはブイヤベーズ。バンクーバーで「ブイヤベーズ」とか(サンフランシスコ風に)「チオッピーノ」とメニューに書いてあったら、ほぼ確実にサケが入っている。要するにBC州=サケという思い込みがあるせいなんだけど、おかげでサケの味が際立って、ムール貝でさえ太刀打ちできない。まさにサーモンシチューになってしまう。でも、今日のはサケを予めさっと焼いてあって、スープにはほとんどサケの味が出ていなかった。これは感心。

Blue Water Cafeには上等のアルマニャックがあるので、いつも食後酒で仕上げ。今日は1940年というのもあった。でも、酒屋にワタシと同い年の1948年物が鍵のかかったケースに入っているのを横目でながめていたので、思い切って1948年を注文。ブランディグラスに1オンス(30ml)入って何と41ドル(約4200円)。ふわ~っと立ち上る香りだけでいつも買う1968年物とは天地の差があるのがわかる。鼻を突っ込んで大感激していたら、サーバーが「お持ちする途中でワタシもひと息だけ楽しませていただきました」と言ったので、カレシはひそひそ声で「チップから引くぞ~」。勘定書を見ながら「今日一番高いアイテムだ」と言うけど、東京のホテルのバーで飲んだアルマニャックはせいぜい15年のもので1杯が2000円した。あれに比べたら、御年60才のアルマニャックが41ドルは涙が出るほどうれしいお値段だと思うけど。あの1948年物のまだ酒屋にあったら、買ってしまおうかなあ・・・

もう一度生きてみたい時間

9月7日。夏がほんとうにUターンして来たような天気。システムが元の環境に戻って気分も軽い。コンピュータというやつは、不具合が起きて初めてどこまで奥深く人間の精神に侵入しているかを意識させてくれて、おまけにもうどうしようもない「腐れ縁」ぶりを見せ付けてくれるから厄介な存在。こっちの意に沿わないからって、距離をおくわけにも、疎遠にするわけにもいかないし・・・

ストーカースカンクが戻って来たらしいけど、埋め込んだ金網に阻止されたらしい。今度はまた前側に戻って、最後に残ったバリケードのない一角を掘り始めた。とりあえず穴は塞いだけど、しゃくにさわったから、石の代わりに靴底の泥を落とすための「ハリネズミ」の置き物をどんと置いた。チクチクとやれて、腹立ちまぎれにブスッとやらなければいいけど。んっとに、もう。まあ、前庭の部分にも早急に金網設置工事をしなければならないなあ。それにしても、二本足のストーカーよりはましなんだろうけど・・・

ニュースサイトを見ていたら、週末に「ジュリアナ東京」というディスコが一夜だけ再現されて、けっこうな人が集まったという記事があって、何枚か写真が載っていた。あの頃は、まだインターネットが普及していなかったので、日本の状況を知るために読売新聞の衛星版を購読していたから、バブル後の世相をもっと近くで見ていたかもしれない。バブルと言う空前の狂乱が破綻したのをまだ知らないかのように、裸も同然の若い女の子たちが羽根のボアと扇をひらひらさせながら腰を振っている図は、煌びやかだけど、なんとなく場末のストリップ劇場ってこんなものかもしれないなあ、と思った。まあ、現代日本は、水商売が女子大生の手軽なアルバイトになったり、中高生が「援助交際」と称して売春をしたり、プロとアマの線引きを取り去ってしまったように見えたからそう思ったのかもしれない。

一夜だけ蘇った「ジュリアナ東京」の饗宴に集まったかっての「お立ち台ギャル」たちにも、十数年という時間の流れはありありと見える。大学生だったとしてももう30代半ば。花のOLをやっていた人たちなら今どき言葉で「アラフォー」。めでたく結婚して、髪を振り乱して育児をやっているのか、結婚しそびれていわゆる「婚活」に励んでいるのか。みんなどんな14年を過ごしてきたんだろう。(それにしても、昔は結婚することを「永久就職する」なんて言ったけど、「婚活」という表現にはまさにその昔に戻ったような感じがある・・・。)週末の一夜をお立ち台に上がって踊って過ごした人たちはかっての華やかで傲慢で楽しかった人生の一時期に帰って、もう一度その時代を生きてみたかったんだろうなあ。

世の中の動きが時代を逆行するように見えることはあっても、ひとりひとりの人間にとって時間は前にしか進まない。過去に遡って現在を変えることはできないし、そんなことができたら人間はたちどころに堕落してしまうと思う。だけど、もしも、今まで生きてきた人生の中での「時」をひとつだけ選んで、それをもういちど「生きる」ことが許されるとしたら、人はどの「時」を選ぶかなあ。もちろん、苦しい時、悪い時はそれを変えようとせずにはいらないないだろうから、選べるのは「人生最良の時」だけにしよう。人生で一番幸せだった時、一番楽しかった時、一番気楽だった時、一番威張れた時、一番豊かだった時・・・人はそれぞれだから、もう一度生きてみたい人生最良の年もそれぞれに違っていそうだけど、一番多く選ばれるのはどの「時」だろう。やっぱり誰にも一番幸せなときかもしれない「子供時代」かなあ。

そう思って、カレシに聞いてみたら、「幸せなことなんか何にもなかったから、子供の頃に戻るのはごめんこうむる。それよりも、友だちがたくさんいて楽しかった大学時代がいい」。そうだったのかあ・・・。さて、ワタシだったらどうするかなあ。実は、まだこれから先に「人生最良のとき」があるような気がしているもので、選択は保留ということにしておきたい。時は未来へと進むんだもの、The best is yet to come・・・

七面鳥でチャランケ

9月8日。仕事をできるだけ終わらせておくつもりでちょっぴり「夜なべモード」になって、おまけにあくびをしながら寝酒を嗜んだりしたもので、寝ついたのは午前4時半。目が覚めたらちょうど11時で、シーラとヴァルが掃除に来る日だから、慌てて起き出した。今日も暑すぎないいい天気。

朝食の最中にシーラとヴァルが来て、ヴァルはベースメントのオフィス、シーラは二階の掃除にかかる。今日はシーラのワンちゃん、レクシーとニッキーがご同伴。裏庭に出して、ドアにリサイクル品の入った段ボール箱でバリケード。レクシーはおとなしく日向ぼっこしているけど、年上のニッキーはびっくりするほど敏捷に段ボール箱を飛び越えて、家の中に入ってきてはシーラに叱られる。カレシがたたんだ大きな段ボールを持って来てバリケードしたら、今度は上からバリバリとかじり出して、あっという間に低くなったハードルを飛び越えてしまった。それを見ていたワタシはおかしくて笑いがとまらない。いやはや頭のいいワンちゃんやねえ。ご本人(犬?)はばさばさと尻尾を振って得意満面だけど、ドッグショーに出たらメダルをもらえるかもしれないねえ。

オフィスがきれいになったところで超特急で仕事の仕上げ。この人、なんかちょっとおかいんとちゃう?といいたいようなすごい文章がだらだらと続いてる。周りがすべて敵みたいに見えてしまって、あることないことすべてがじわじわと狭まる包囲網・・・ひょっとしてパラノイアというやつなのかなあ。まあ、ワタシがそこまで考えることはないんだけど、どうしても気になる。表現に困ってカレシに相談したら、「なぜノーといえないのか。北米だったら考えられない」と言い出す。どうしてだろうねえ、ほんと。ワタシだったらはっきりとお断りして、あっけらかんとしちゃうけど、なにしろ日本文化の日本社会での日本人の思考と行動だからねえ。それにしても、みんな互いに疑心暗鬼で金縛りになっているみたい。きゅうくつそう・・・

勢いに乗ったカレシ曰く、「日本人はいうべきことをはっきりいわないで、変にニコニコして我慢するから、なめられて付け込まれるんだよ」。うん、おっしゃることはごもっとも。だけど、なのだ。「もの言えば唇寒し」の文化だし、「出る杭は打たれる」文化だし、「和をもって尊しとなす」文化だから、言うべきことをはっきり言えば「自己主張が強い」と引かれてひとりぼっちになってしまう。だからきっと顔で笑って心で泣く道化師を演じているんだよね。演技性人格ってやつかもしれないねえ。日本のオンナノコがどうしてそれなりの欧米人に「理想の女」みたいにもてはやされるのか、わかるでしょ?

さて、カナダでも総選挙ということになった。投票日は10月14日。感謝祭の翌日で残り物の七面鳥を食べる日だから、さっそく「Turkey Sandwich Day」と命名されたらしい。「Turkey」には、スラングで「くだらないやつ」という意味があるけど、「talk turkey」といえば「率直にずけずけとものを言う」という意味だし、「cold turkey」となると、タバコやドラッグのような依存しているものをすっぱりやめることを言う。政治はチャランケ(議論)の場。民主主義国の政治経済の方向を決める総選挙と結びつけると、七面鳥もけっこう意味深遠になるからおもしろい。さっそくテレビのコマーシャルでのチャランケ合戦が火花を散らしているけど、予想に反して長続きした少数政権、今度こそ過半数を獲得して安定政権を作れるかなあ。感謝祭の日に七面鳥に聞いてみようか・・・。

英語耳はほんとにある?

9月9日。予想に反して曇りがちで涼しい日だけど、仕事明けでいたってのどか。そろそろまた「さあ、何から始めようかなあ」という気分になる。まず、食洗機の問題から始めるか。食器はちゃんと洗っているんだけど、どうみても機能の一部が完正常に動作していない。買ったときに「最初の1、2ヶ月は細かいことに注目して、おかしいと思ったことはどんなことでも報告してください」とセールス担当者に言われているから、まだ買って2ヵ月半だけど、今のうちにファックスを送って、点検してもらった方がよさそう。

次は歯医者かなあ。上の奥歯の3本並んだ歯。充填が古くなったから、そろそろ恒久的な処置が必要なんだけど、カレシの年金についてくる歯科の保険では金のクラウンは入れられない。クラウンと同じように歯全体にかぶせるセラミックの「充填」ならカバーされるけど、噛み合わせる下の歯がすでに金のクラウンなもので、歯医者は同じ材質の方が持ちが良いと言う。それに、昨今は金の相場が高い。保険外でやるとすれば、かなりのコストがかかるだろうなあ。だけど、だけど・・・と、ふらふら考えているうちに、肝心の歯がなんとなくおかしくなってきた。う~ん、充填が取れてしまったのかなあ。ということはもう待ったなし、か。どうしよう・・・

カレシは今日から英語教室を再開。ただし、6週間の期間限定で、火曜日と木曜日の午後6時半。目覚ましをかけて「早起き」しなくてもいいのは楽だけど、6時ちょっと過ぎに出なければならないから、夕食の時間が1時間くらい早まる。なにしろ起きるのがどんどん遅くなるから、朝食も遅い。そのままで4時には夕食の準備態勢ってのはどうかなあ。まず、あまり手をかけていられないだろうなあ。いっそのこと、「真夜中のランチ」を午後5時に移動して、夕食はカレシが帰ってきてから準備を始めて、午後10時頃にのんびりと食べることにしようか。ま、一日三食に決まった順序があるわけじゃないし・・・。

夜の英語教室は、専業主婦のアジア系の女性が多かった今までのクラスと違って、今度のは、英語である程度は機能できているけれども、会話力の向上が生活の向上に直結する人に対象を絞っている。ごく少人数のクラスで、とにかく「英語をしゃべらせる」ことが基本方針。カレシとしては、夏の「会話教室」の経験を踏まえた上での方向転換なのだ。英語を母国で「外国語」として学んだ人たちは自分の英語力を過大に評価する傾向があるらしい。母語で生活する環境では、英語は日常に直結していない。非日常の場面で使って通じたということで、「できる」と思うのかもしれない。英語圏でフランス語を勉強した英語系カナダ人が自信満々でフランス語圏に乗り込んで撃沈されるのと似ている。英語圏で育った人たちは英語を「英語」と意識せずに使っているし、日本の人たちも「日本語」を意識していないだろう。

母語ではない言語をどこまでその「無意識」レベルに近づけられるかは、やる気の他に時間という壁があるんだけど、さらに「聴覚」という壁もあるらしい。カナダ自由党のステファーヌ・ディオン党首はこってこてのフランス語人。党首になったときはカナダとフランスの二重国籍だったことが問題視されたけど、総選挙となって、英語力が指摘されている。フランス語訛りが強いなんてもんじゃない。まさに「英語をしゃべっている」という緊張感がひしひしと感じられてしまう。ハーパー首相の英語訛りのフランス語のほうがよっぽどなめらかに聞こえて、半フランス語音痴のワタシでさえなんだかわかった気がするってのに、ディオン党首は前政権で閣僚を経験したくらい政治歴が長いし、ずっと英語のレッスンを受けているといっても、どうもあまり上達しているように聞こえない。

へたな英語を指摘されて持ち出したのが「聴覚」の問題。ふむ、英語耳がないってことなの?専門家によると、外国語の習得が苦手だという人たちの間にかなりの割合で聴覚に問題がある人がいるそうで、たしかに音感と言語習得の間にある程度の関連がありそうだけど、総選挙が始まった今になってからなんかわからない英語を話しているのを「聴覚の問題」だからしょうがないと言われても、首相になって国民の声がちゃんと聞こえるんかいなと思ってしまう。ふ~ん、英語が上達しないのを「聴覚」のせいにして、語学習得能力まで「医療化」してしまうのかなあ。(○○一錠、英語さらさら、なんて・・・?)

一期一会も積もり積もれば

9月10日。たっぷりと9時間も眠って、カレシにほっぺたをくすぐられて目が覚めた。あれ、このところほぼ毎日ワタシが眠っている間に起き出していたのに、今日はちゃんとまだベッドにいるではないか。なるほど、英語教室が無事スタートしたもので、ストレスが軽くなたってよく眠れたってことかな。せっかく啓蒙的な夢を見ていたのになあ。「昼過ぎだ。腹へった~」なんて言ってないで、どんな夢だったか知りたくない?

何かすごい芸術家のレセプションのようなところで、かなり自惚れたキモイ男(絶対一緒に飲みたくないタイプ。なんとかいう俳優に似てたなあ・・・)につきまとわれていたと思ったら、いつのまにか庭園らしいところで、これもテレビか何かで見たような女性と腕を組んで歩きながら、カレシのことを「あちこち欠点はたくさんあるんだけども、ワタシにとっては・・・」なんて、「告白」の決定的な瞬間に起こされてしまったから、その後自分がどんなことを言ったのかはわからずじまい。それにしても変な夢だったけど、あれは自意識だったのかなあ・・・?

きのう「暇モード」になるつもりでのんきに「やることリスト」を作っていたら、まるで合図したように仕事が舞い込んで来たから、どこかに気象台のよりも精密なレーダーがあるのかもしれない。遊びたい気分が半分で、「仕事、するか」という気分が半分。こういうのを「テンションが上がらない」というのかな。(この「テンション」の使い方はまだ今ひとつよくわからない。)ファイルの段取りをしたところで小町に寄り道。

「友達の必要性がわからない」というトピックが目についた。べたべたしたつきあいがめんどうで、悩みごとを相談されるのは「絶対に嫌」だそうな。「学校生活を円滑にする」ために仲良しグループに入って、社会へ出たら「業務を円滑にする」ために同期や先輩と仲良くし、母となった今は「情報収集のためと、子供の遊び友達を確保する」ためにママ友グループに入っているんだとか。だけど、それも必要がなくなったから、きっぱりと付き合いを止めるんだそうな。う~ん、それってほんとに「友達」かなあ。

「友達は必要なときに仲良くしていて必要じゃなくなったら切ってしまうという人いますか」という最後の質問がすごいけど、同調する人がて「世の中にワタシと同じ感覚をお持ちの方がいて安心しました」って?めんどうな友達はいらないけど、自分と似た人がいるのを確認して安心するというのは、なんだか矛盾している感じがするなあ。小町でも他の掲示板でもよく見かけるのが、こういうほんとうはさびしいのに、心を開かないのか、開けないのか、自分の「心」に少しでも近づかれたと感じると距離をおくとか疎遠にするとか縁を切るとかいう「人見知り症」の人たち。自分でもわからない「自分」を守るには他人を敵視するしかないのかもしれない。

利用価値があるから友達になって、その価値がなくなったら切るって・・・友達は「必要性」に基づいて「作る」ものじゃないのに、こういう人たちにとって人はモノにしか見えないのかもしれない。一期一会が二会になり、三会になりと、交わりを積み重ねるうちに絆が生まれて来るものだと思うけどなあ。友達という人間関係の「必要性」を論じる時点ですでに利己的な価値基準の議論になっている。でも、こういう無機質な人たちに「一期一会」の意味なんか説いてもむだだろうなあ。誰かが「殺伐とした現代日本の象徴か」と書きこんでいたけど、ワタシが東京で感じた「無機質さ」に通じるようなところがある。

人間には「心」というきわめて「有機的」なものがあって、人と人の交流はその心と心がしなやかな絆で結ばれることで成立するとすれば、友だちの絆は環境や物理的な距離の変化に応じて、まるでゴムのように伸び縮みできるものじゃないのかなあ。だけど、どれだけ伸びるかは誰にもわからない。何十年、何千キロも伸びても切れないときがあれば、無理に伸ばしすぎたり、伸びたままで年と共に劣化したりして、断裂するときだってあるだろう。それが有機的な「一期一会」の原理なんだと思うけど、「必要」だから作った友だちというのは、短い鎖で自分につないだ「道具」や「飾りもの」かもしれないなあ。

狂った時計

9月11日。12時過ぎに目を覚まして、カレシが見ていたという変な夢の話を聞いて、そろそろと起床。今日はなんとなくニュースを見たくない日。目の奥にリアルタイムで見た映像が焼きついていて、毎年この日が来るたびに、神だか主義だか知らないけど、勝手な大義名分に副わない人間を抹殺しようとする存在と、その勝手な大義名分に勝手に敵と決められて命を狙われる者に向かって「お前が悪いから」と言い放つ存在に怒りがこみ上げる。テロは仁義もへったくれもない人類の最も暴力的で最も邪悪ないじめなのに。犠牲者の名前が読み上げられて、鐘が鳴るたびに心がずきんと痛む。鎮魂。

でも、今日はいい天気だ。アメリカは大統領選の真っ最中。カナダも連邦総選挙の真っ最中。そのうちに日本も総選挙の真っ最中になるらしいという言う噂。完璧な制度と言うにはどれほど遠いものであっても、「デモクラシー」は人類の未来に最高の希望の抱かせてくれるものだと思う。テレビでは、「評論家」とか「識者」とか呼ばれる人物たちが引きも切らず、我が世の到来とばかり口角泡を飛ばしてあーだこーだ。各政党の誹謗と懐柔とアピールが入り乱れる選挙広告が流れるたびに、カレシはテレビに向かって毒づいたり、一人相撲の議論をしたり。どんな問題にも快刀乱麻の「解決策」を知っているらしい。いっそ立候補すればいいのに。それにしても、近頃はますますパパに似てきたような・・・(ためいき)。

今日はカレシの夜間英語教室の第2回目。夕食とランチの順序をひっくり返してみようと言う日。まず朝食の後に超特急で仕事を終わらせて、いつもなら夕食のしたくの時間にインスタントラーメンのランチ。それから注文してあった化粧品を引き取りにデパートへてくてく。日没は午後8時半だから、まだ明るい。クリニークがボーナスタイムをやるたびに担当のチュイが注文を聞いてくる。けっこうまとめて買うせいか、ボーナスのパッケージをいくつもくれる。今日はいつもより使いでのありそうなパッケージを6個ももらった。それだけで買わなくても化粧品が間に合ってしまいそうなのは皮肉。使い切れないから、シーラとヴァルとシーラの孫娘にもおすそ分けということになる。

スーパーで買い物をしてから教室帰りのカレシに拾ってもらって、家に帰り着いてから夕食のしたく。午後9時半。いつもの夕食と変わらないボリュームで、食べ終わったのは午後10時半。ふつうの日なら「勤務時間」で、そろそろカレシが「腹減った~」と言い出す時間。なんとなく調子が変な感じがする。三食には変わりないのに、順序を入れ替えただけなのに、カレシ共々どうも変に落ち着かない。時差ボケのような気がするところを見ると、体内時計が混乱してしまったらしい。どうやら、夕食の時間が遅い「地中海標準時」は私たちには向いていないのかもしれないなあ。

商品の偽装が後を絶たない日本だけど、カビや農薬で汚染した「事故米」を安く買って、食用に転売していた会社があるときいて、日本の食と切っても切れない米までが偽装汚染かとためいき。転売の転売で、まるで「ライスロンダリング」だなあ、これ。それも食用には売ってはいけないと知っていてのことだから、「バレなければいい」という思考中枢が活発な人たちなんだろう。カナダでは、大手の肉加工品メーカーの工場でハムやソーセージ製品のリステリア菌汚染が発生して十何人の死者が出ているけど、すごい数のブランドを持つ会社が気が遠くなりそうな膨大な量の製品をリコールした上で、工程を徹底的に調べて、汚染源がスライサーだったことを突き止めたと発表した。テレビには社長や幹部が立ったままで取り囲む報道陣に経過を説明し、質問に答える様子が何度も流れたけど、会社の幹部がひな壇に並んで「謝罪」という光景は見られなかった。まあ、消費者を騙そうという日本の商品偽装と、事故で起きたカナダの食品汚染では次元が違うから比べられないけど、人間に対する意識の違いが現れているように思う。

ジレンマだなあ

9月12日。ほ~ら、やっぱり。あまりにも遅い時間にまともな量の食事をするから、感覚的な生活時間全体が遅くなってしまって、目が覚めてみたら午後12時45分。カレシと顔を見合わせて、「まずいよ、これ」。というわけで、来週の火曜日は「普通よりやや早い時間に普通の夕食/真夜中に普通にランチ」というシナリオを試して見ることにした。若いうちは生活時間が不規則でもあまり影響はないのかもしれないけど、年を重ねるにしたがって規則的な生活が健康維持の鍵というのは確かだなあ。まあ、ここで言う「規則的な生活」というのは、べつに「早寝早起き」を励行するわけではなくて、毎日の生活のリズムが一定しているってことなんだけど。

先月は5年ぶりのヒマな夏だったもので、脳内リズムがすっかり「のんびり」ペースにはまり込んでいる。これもまずいよなあ。カレンダーをめくったとたんに仕事がぞろぞろ。東京でも朝晩が涼しくなって来ると脳が冴えて仕事がはかどるようになるのかな。なのに、ワタシはまだお気楽モード。そんなところへトライアルをしたところから契約書やら何やらが送られて来て、「へえ、受かったんだ~」みたいな気分でいたら、さっそく仕事。うひょ、でっかい。そろそろネジを巻けってことだろうなあ。まあ、仕事も規則的な生活のうちだから。はて、ねじり鉢巻、どこにおいたんだっけ・・・

今日の郵便の中に、またまたカレシ宛のService Canadaからの封筒があって、今度は何だろうと思ったら「老齢年金受給者カード」。裏に署名するところと、「緊急時の連絡先」を書き込むところがある。そしてその下に「このカードの保有者は老齢年金受給者なので、シニア向けサービスの制度を適用してあげてください」みたいなことが書いてある。そっか、これからは火曜日(Senior's Day)にスーパーに行って、カレシがこのカードを見せれば買い物が割引になるってわけ。自動車保険も減額になった差額が戻ってきたし、調べてみたら単に65才以上ってことで受けられる恩典はもっとあるかもしれない。シニカルなカレシでさえ「へえ、年を取るのも悪くないなあ」と感心するくらい「ベネフィット」攻めの観。まあ、いずれワタシが現役を退いて二人して年金生活になったら、そういう恩典をありがたいと思うかもしれないけど、そういうものに依存しないですむような老後の準備ができればいいにこしたことはないかなあ。

石油基地のテキサス州ヒューストンに超大型ハリケーン「アイク」が接近中で、海底油田の掘削などが停止し、備蓄不足になる噂が流れたら、カナダでガソリンの価格がひと晩に10セントも跳ね上がった。選挙戦の真っ最中だから、野党はさっそく「政府の無策」を攻撃しているけど、こういうことはしょっちゅうあることなんで、どの党の政権だってほんとうに打てる手はないんだけどなあ。トロントでは、ニュースを聞きつけてパジャマ姿で給油に駆けつけた人もいたという話だけど、わざわざガソリンスタンドまで車を走らせて行列したら、たかだか数ドルの節約が帳消しになるんじゃないのかなあ。ま、節約と言うよりは「安いうちに買えた」という満足感を求めているのかもしれないけど、それ、「買いだめ心理」と同じようなものじゃないのかなあ。明日急に値下がりしても満タンだから買えなくて、空になったときには逆にもっと高くなっているってこともあり得ると思うんだけど・・・。

SNSなるものが大流行しているそうだけど、実際にどんなもので、何を目的としているのか未だによくわからない。掲示板などから想像すると「友達作り」の手段のひとつらしく、日本では「Mixi」というのが最大手だそうな。首尾よくできた「お友だち」を「マイミク」と呼ぶらしいけど、簡単に削除したり、されたりするそうで、それを「マイミク整理」と言うらしい。まあ、「友だち」とは何か、「仲良し」とはどういうことかと考えさせられるけど、この現象は日本で携帯が爆発的に普及し始めた頃から始まっていたと思う。当時購読していた日本の新聞に掲載された携帯の特集が「電話帳」に登録することで友だち関係と見なす風潮を指摘していて、その頃すでに「電話帳が一杯になったらいらない人を削除する」という、今で言う「友達整理」が行われていた。人を整理するのは企業だけじゃないと知ってぞっとした。「Mixi」では交流することを「絡む」と言うそうだけど、それほど人との交流に飢えている人が多いんだろうなあ。一方では他人に心を開きたくない人たちが増えているようで、このジレンマをどう解決するのか・・・。

メトロセクシュアルかあ

9月13日。相変わらず正午過ぎに目が覚めて、仕事があるってのに相変わらずだらだらの土曜日。これも季節の変わり目というやつかなあと思ってみるけど、外を見たら引き続き夏満開の天気。どうなってんだろう。カレシは外へ出て、庭でなにやら大プロジェクトを展開。ハンマーの音と電動のこの音がする。日が高いうちから仕事をする気になれないでいるワタシは、おでかけの準備のついでにエクササイズ。ウェイトをたっぷりやって、腹筋の運動を25回。ちょっと汗をかいて、シャワーを浴びて洗髪。念入りにお肌の手入れをして、メークをして、鏡の自分ににっこり。(この「にっこり」が大事な仕上げなのだ。)

トンカチの音が止んだので、5時に近くなったことでもあるから、カレシに知らせに外へ出たら、庭はすっかり片付いている。温室に人影があるので行ってみたら、カレシがかがみこんでプラスチックのシートをがさがさ。プランターを作ったんだ。幅60センチくらい、深さ30センチくらい、長さは1メートル半。床においてサラダにする野菜を植えるそうで、これだけの大きさにたっぷり土が入れば、冬に太陽熱を吸収してかなりの保温効果がありそう。野菜と言っても小さいうちに葉を摘み取って食べるので、あまり深くなくていいし、寒いときは保温ケーブルを埋めてやればいい。植物は足下が温かいとあまり文句を言わないらしい。この冬は新鮮なベビーグリーンのサラダが食べられるかな?

登録した会員が見つけてきた英語の日本関連ニュースのリンクを貼るサイトがおもしろい。リンク先のサイトはちゃんとした新聞だったり、在日外人のブログだったり、ガイジンオタク系サイトだったりする。今日のおもしろニュースは「キャベツ余りで需給調整」。つい「気をつけないと牛乳の二の舞になりかねないよ。バター不足のように、トンカツに刻みキャベツがついて来ないなんてことになったらどうする」とコメントをつけてしまった。

ニュースサイトではないけど、ジグソーパズルに使えるおもしろい写真が見つかるのがTokyo Times。今日はのっけから、ボサボサ髪の男とも女ともつかない写真。どうやら道路脇の広告看板だけど、下に写っているトラックよりも大きい。東京で大流行しているらしい「ホストクラブ」の広告を集めたそうだけど、「ホスト」ってことは、「男」・・・だよね?ブロンドやカラコンの、せいぜい二十歳くらいの子供に見えるけど、ボサボサ髪はまるでunmade bed(寝起きのベッド)みたい。キモ~ッ・・・といいながらも、こんな坊やばかりのホストクラブ(ゲイクラブじゃないよね?)にいったいどんな女性が通うんだろうと感心しながら見ていたら、横の「お友だち募集」欄で「ayakobabe」ちゃんが艶然と微笑んでいる。ずっと前からある別のサイトの広告バナーに載っているくらいで、数ある英語サイトの「Meet Japanese Friends」欄の大ベテラン。再登場といっても「再」の字がいくつつくやら。売れ残ってるんかなあ。近頃はどうみたってPhotoshopでアニメ風に修正したとしか思えないオンナノコがよく登場するから、ayakoちゃんもアップグレードしたらどうかなあ。

今日のディナーは久しぶりに「Le Crocodile」。カレシはフォアグラの前菜とヒレ肉のステーキで、ワタシはエスカルゴの前菜と、ソースがアップルサイダーのリダクションというのに興味を引かれて鴨。家で試してやろうと言う魂胆。州の景気に翳りが見られるというけれど、相変わらず7時過ぎにはほぼ満席。メインコースに満足した後、カレシはグランマニエのスフレ、ワタシはチョコレートのプロフィテロールでデザート。待っている間に隣のテーブルについたのは現代ヤッピー風のアジア人カップル。夫婦らしいけど、女性の方がやたらに頭のてっぺんから「ケケケッ」と笑うもので、見とれがちだったカレシはしかめ面。せっかく気合の入ったモテ服なのに「おつむ空っぽ」の印象なのは気の毒だけど、「トロフィーワイフ」ってそんなもんじゃないのかなあ。男性の方も「メトロセクシュアル」というタイプに見える。まあ、東京のホストクラブの坊やたちもメトロセクシュアルの類なんだろうけど、あちらはどうも薄気味が悪い。どっちにしてもワタシの趣味じゃないよ・・・と言いながら、スプーンの先でさらって味見したカレシのスフレは、う~ん、リッチで最高だ~

満月の夜には

9月14日。大きな満月。東洋では「中秋の名月」だけど、西洋では「Harvest Moon」。ちょうど秋の収穫の時期に太陽が沈む頃に入れ替わりに上って来て、畑を照らして作業時間を延ばしてくれたので「収穫の月」というわけ。二十代前半の頃、上ったばかりの大きな満月に天体望遠鏡を向けてみたことがあった。広角レンズの視界の中いっぱいに広がった月面を見ているうちに、何だか無性に叫びたい衝動に駆られた。満月の光に当たると発狂するというのは西洋の言い伝えだけど、あのときは一瞬「本当かもしれない」と感じて、あわてて目を逸らした。地平線から上ってくるharvest moonはほんとに大きくて、ほんのりとオレンジ色。発狂すると言うのは、きっと「月なんかに見とれていないで、早く収穫しなさい」というお達しみたいなものかもしれないなあ。

このあたりから先、お月さんはだんだん小さく、冷たくなる。太陽とは逆に、月は真冬に天高く上る。よく晴れた月のきれいな夜に、どさんこは空を見上げて「今晩はしばれるぞ」という。晴れた日が続くほど、夜の寒さは厳しくなる。寒波襲来・・・。窓の内側一面に厚く凍りついた霜を爪で引っかいて絵を描くのは北国の原風景といえるかなあ。このワタシは根っからのホッキョクグマ。遺伝子系統はどう見ても南方系としか思えないんだけど、遺伝よりは環境への適応が優先したくちかもしれないなあ。もっとも、新雪の日には雪焼けする前から色黒。(そういえば、妹が生まれたとき、居合わせた伯母がワタシを見て「この子は玄米だけど、今度の子はまるで白米だ」と言ったとか。玄米も白米も分けへだてなくみんなにかわいがってもらったからよかったけど・・・余談。)

満月だからというわけでもないだろうけど、世の中はあいも変わらず騒々しい狂想曲。自然も狂えば、人間も狂いっぱなしで、宇宙船地球号はハリケーンにもまれる小船のごとく・・・だけど、地球は丸いし、宇宙には右も左も上も下もないから沈没はしないか。どっかへころころと転がって行ってしまうのかな。中国では有毒粉ミルクで数百人の赤ちゃんが腎臓結石になり、死者も出ているという。農家か牛乳の流通業者がメーカーに供給する牛乳を水で薄め、たんぱく質の量を高く見せる目的でメラミンを加えたらしい。メラミンはプラスチックや肥料に使われるもので、去年は北米でメラミンが入った中国産原料を使ったペットフードを食べた犬や猫が何千頭も死んだり、病気になったりした。メーカーに出資しているニュージーランドの会社が対応を求めても中国政府はなかなか動かなかったとか。オリンピック中とて、スキャンダルでメンツが潰れるのがいやだから隠しておこうってことか。

牛乳を薄めて売れば儲かるってことで、儲けることしか頭になかったんだろうけど、日本での「事故米」事件も「儲かる」から工業用とされた米とわかっていて食用に売ったわけだよなあ。転売に次ぐ転売で出所がわからなくなった「事故米」の中国産もち米を「国産」だと思って、それに「アメリカ産」のラベルをつけて売ったという事件まで派生したそうな。アメリカ産もち米の在庫がなくなって、供給維持のために「高い」国産米を「安く」売ったつもりでいたそうだから、怒るべきか、笑うべきか。殺虫剤に汚染された事故米はこともあろうに神社にも売られていたそうだから、そのうち神さまのバチがあたるぞぉ・・・

日本の消費者が中国製品などに対する不安に駆られている今、少々高くても「国産」なら安心して買うだろうから、輸入ものに「国産」のラベルをつけるだけで相当なサヤ稼ぎになることは確かだろうけど、根底には「わかりっこない」という消費者を小ばかにした意識と、「ばれなければ何をやってもいい」という、倫理観の完全なる欠如があるんだろうなあ。味にうるさいのが自慢の日本の消費者だって食べ比べてでも見なければ、国産品と輸入品の味の違いがわかるとは思えない。わからないのに「○○はどこそこの(ブランド)に限る!」なんて虚勢を張るからよけいに付け込まれるんだと思うんだけどなあ。「カモは1分ごとに生まれてくるのさ」と言ったのはサーカス王のP.T.バーナムだったけど・・・

またかい、ブラックマンデイ

9月15日。月曜日というのは、あっというようなことが起きる確率が高そう。週末明けだからかどうか知らないけど、サブプライム問題が津波のようにウォール街に押し寄せたらしい。リーマンブラザースが倒産し、メリルリンチが身売り。過去にもいわゆる「ブラックマンデイ」は何度かあったはずで、まあ、喉もと過ぎればなんとやらで、今度も何年か経てばまたぞろどこかでバブルがふくらむんだろう。

リーマンブラザースは158年の歴史を持つ老舗だけど、まあ、企業が潰れるときはだいたいこんなものだろうと思うなあ。何百年の歴史なんか「欲」の前にはまったく無力。大丈夫だろうと思っていても、実にあっけなく潰れてしまうのだ。ボースキーとかミルケンといった強欲の権化みたいな連中がのさばって、それにつられてたくさんの人たちが「ジャンクボンド」と言われる本来ならあまり投資価値のない債券をなけなしの貯金をはたいて買い込んで、あっと言う間に丸裸になった時期があった。そんなに昔のことではないから、覚えている人間も多いだろうと思うんだけど、「欲」というのは罪なもの・・・

だいたい家を買うローンを組む余裕のない人たちに金を貸そうというのがそもそもの間違い。そりゃあ、家を買える人が増えれば、家の需要が増えて、家を建てる人たちの仕事が増えて、み~んなハッピー。だけど、なのだ。ない袖は振れないの喩えの通りで、ないお金で家を買うわけにはいかない。だけども買えてしまったのがサブプライム問題の根本原因。住宅ローンを組むとき、銀行は一定割合の頭金を要求するのが普通で、カナダでは購入価格の25%ということになっている。バンクーバーの平均的な住宅価格は数十万ドル、新築なら軽く百万を超えるから、その25%というのは若いカップルには気の遠くなる金額だ。

そこで考案されたのが頭金ゼロのローン。家の値段が上がり続ければ、その分だけ「頭金」ができる。カナダの銀行は政府の監督規制が厳しいので、政府機関の保険をかけなければ貸してくれないけど、アメリカでは高めの金利で貸して、それを証券化して投資家に買わせたからやっかいなことになった。人のふんどしで相撲を取るのが金融業だけど、経営幹部に巨額の報酬をやボーナスを与えるようになって、「我欲」に目が眩んだこともありだろう。でも、人のふんどしで金もうけするって発想がなあ・・・

かくして過去に何度となく繰り返された「ブラックマンデイ」の到来となる。そのせいなのかどうかしらないけど、退職金貯蓄(RRSP)の口座のある証券会社から電話がかかってきた。それも夜になってだから、びっくり。口座にはかなりの金額があるけど、いくつもの銀行に預金保険の限度内に収まるように分散して定期預金に入れてあるので心配はない。株がどんどん下がっているから、現金のままで置いてある分で安くなったミューチュアルファンドを買う潮時かもしれない。それにしても、なんでこんな時間にご用聞きなのかなあ。泡を食っているかもしれない客を落ち着かせようってことかなあ。それとも、うちはまだ大丈夫なので安心してくださいってことかなあ。それとも、今がお買い時ですという営業だったのかなあ。

考えてみたら、景気がどうなっても確実に年金が入ってくるカレシはラッキー。年金は3つとも物価スライド制だけど、物価が下がっても支給額は減らないらしい。自営業のワタシの収入は、いつだって増えたり減ったりの不透明で、そのへんは慣れっこ。世界的な大不況で開店休業ってことになったら、しばらくカレシに養ってもらおうっと。その代わりといってはなんだけど、毎日ごちそうを作るからね。でも、これが25年前だったら、職場は大丈夫か、生活は大丈夫か、と先行き不安を感じただろうなあ。もしもワタシがカレシの当初の希望通りに専業主婦をやっていたら、不安はもっと大きかっただろうけど、ワタシがカレシの「お願い」で働き出したのはマイホームの頭金を貯めるためだった。何がどう転ぶか、ほんとうにわからないのが人生ってものだけど・・・