リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年1月~その2

2007年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
レクイエム

1月16日。阪神大震災から12年。いつものようにシアトルのラジオ局から流れるクラシックをバックグラウンドに仕事をしていた。こちらの日付は1月16日。午後「神戸で大きな地震。死者数百人」というニュース。関西で地震ときいて思わずまさかと思った。その後のニュースのたびに死者の数がどんどん増えた。

神戸は父が子供時代の一時期を過ごしたところ。父の葬儀で初めて会ったいとこたちがいる。うろ覚えの住所は大火災が起きているという長田区だ。幸いいとこたちは全員無事で、住居もたいした被害はなかったということだったが、しばらくは仕事が手につかなった。

私は地震王国釧路の生まれ育ち。一番大きかったのは4歳になる前のひな祭りの直後にあった十勝沖地震。母はまだ生後数ヶ月だった妹を抱きあげ、私に「ついておいで」というのが精一杯。激しく揺れて棚のものが落ちて来る中、私は恐怖で動けなくなって家の中に取り残された。

窓の敷居にしがみついて泣き叫んでいる自分を今でも鮮明に覚えている。寒中に窓が開いていたこと、電柱がゆらゆらと揺れていたこと、近所のおばあちゃんが座り込んでお経を唱えていたことも。かなり長い揺れだったのだろうか。地震常襲地帯で、母は妹を抱き上げる前に反射的に窓を開けたのだろう。その後で家の前の坂道を家財道具を積んだリヤカーの列が押し寄せてきた。津波はあったのだろうか。あの十勝沖地震の規模は推定でマグニチュード8を超えていたそうだ。

太平洋をぐるっと囲む火山帯「Ring of Fire」。日本の反対側にあるバンクーバーも一応はその上にあるけれど、一番近い活火山はセントへレンズだし、地震もめったにない。過去30年に揺れを体感したのはほんの2、3回だろうか。でもビクトリアの州立博物館に行くと、1万年前の大地震で液状化した地層の痕跡を見ることができる。それに今後2百年間のどこかで必ず大地震が起きるそうだ。それは明日かもしれないし、2百年先かもしれない。確実に、しかも対策に十分な時間的余裕をもって地震を予知する方法はまだない。

鎮魂。

シアトルの休日(1)

1月19日。シアトルでの2泊3日の小旅行から帰ってきたところだ。久々の長時間ドライブのせいか、何となく体が熱っぽく、指先が冷たい。往復ずっとドライバーだったカレシも何となくだるいという。

長時間といってもバンクーバーからシアトルまでは、国境での時間を入れてもせいぜい2時間半。家を出てから国境まで約30分。週の中日の午後1時半とあってあまり並んでいない。不要なのはわかっているけど、とりあえずパスポートを見せる。「どこへ行くの?」「シアトル」「何しに?」「明日シンフォニーのコンサートがあって・・・」「へぇ~」、という感じで「国境」を越える。

カナダからのハイウェイ99号線はそのままインターステート5号線(Ⅰ‐5)に続く。やけにのろのろ走っていたと思ったら、「あ、マイルなんだ」とカレシ。アメリカでの運転は久しぶりすぎて忘れていたらしい。世界がメートル法になってもアメリカは頑固にヤードポンド法だ。だから制限速度の「70」は70マイル。つまり時速112キロということになる。そうと分かればあとはひたすら南へ向かって走るだけ。

シアトルは西のピュージェット湾と東のワシントン湖に挟まれて、南北に細長い街だ。シアトル市の人口はバンクーバー市とほぼ同じだけど、郊外を含めた都市圏の人口はシアトルの方が2倍近い。30年前に初めてシアトルに行った時は、何となくうらぶれた、薄汚い街という印象だった。当時は70年代初めまで続いた大不況の爪痕がまだ残っていたからだ。今では見上げるような高層ビルが並んでみごとな変身ぶりだ。ワシントン湖の向こう側レドモンドにマイクロソフト本社があり、オンラインショッピングの雄アマゾンもここで始まり、世界一リッチな男ビル・ゲイツが住んでいるのもシアトルだ。

カナダのバンクーバーから行って違和感を感じないのもシアトル。雨に代表される気候は同じ。自然風景も同じ。違うのはお金と単位。それでもバンクーバーではシアトルのテレビ、ラジオをケーブル放送で視聴しているし、シアトルでもカナダ国営放送のチャンネルをケーブルで流しているから、測定単位が違っても感覚的にはだいたい見当がつく。しゃべる英語は訛りも同じ。ちょっとのんびりした気質も良く似ている。いたるところにスターバックスの人魚マークがあるのも同じ。(「スタバ」もシアトル生まれなのだけど。)自然だけでなく、文化的にも二つの都市は何かにつけて似ているのだ。

実際に、カナダのBC州、アメリカのワシントン州、オレゴン州で独立国「カスケーディア共和国」を作ろうという運動がある。もちろんカナダ、アメリカの両国が各州の連邦脱退を認めるわけがないから、独立国家は白日夢。それでもかって「北海道独立論」に傾倒した私には痛快な夢に見える。

さて、今夜はお風呂でゆっくりと温まって、すばらしかったコンサートの夢を見ながらゆっくりと寝よう・・・。

シアトルの休日(2)

1月20日。北緯49度線の国境を越えて、南へひたすら2時間。ユニオン湖の東側を通り過ぎる頃、クィーンアン地区の丘の陰からスペースニードルとダウンタウンの高層ビルが視界に飛び込んで来た。午後3時半。ラッシュアワーでスローダウンしたのを幸いに「出口165A」の標識に目を凝らす。

ホテルは大型コンベンションがあるということでウェスティンやヒルトンは満員御礼。コンサートは駐車場のチケットも買っておいたので、ダウンタウンから少しだけ離れたシアトル発祥の地パイオニアスクエアの古いホテルを予約してあった。実は私は8年近く前に友だちと一度泊まっているのだけど、その後大改装したとかで居心地は格段に良くなっていた。駐車場は近くのバーキングビルと契約、ルームサービスは隣の隣のイタリアンレストランからの出前という小さなホテルだけど、建物はシアトルの歴史と切っても切れない関係にあって「遺産」扱いだ。

さっそくダウンタウンへ探索に出かける。コンサートのあるベナロヤホールの場所を確認しておくことも狙いだけど、主目的はもちろん食べ物探し。エリオットベイから吹き上げる風が冷たい。同じ文化圏といっても、マイノリティの構成はかなり違う。バンクーバーではアジア系とインド系が圧倒的に目立つけど、シアトルはアフリカ系が目立ち、アジア系もけっこういるけれど、インド系はあまり見かけない。バンクーバーほど多彩ではないということだろう。

ダウンタウンを端っこのウェストレークセンターまで歩いて回れ右。Shuckersというシーフードレストランに気持が傾いた。カウンターでカキをむいているのを見ながら、翌日回し。暮れに生牡蠣の洗礼を受けてすっかり病み付きになったカレシは残念そうだったけど、代わりにクラムチャウダーで冷えた体を芯から温めて、地ビールとメインコース。でも、その後のカレシのデザートがすごかった。揚げたココナツの筒の中にアイスクリームがぎっしり。その上にホイップクリームがどっさり。メインコースよりも大きくて、さすがのカレシも持て余してしまった。

食べ過ぎてよく寝付けないまま朝を迎え、ホテルの無料のコンチネンタル朝食では物足りないと、またダウンタウンまで朝ごはん探し。前夜のレストランのあるホテルのダイニングルームで優雅な朝食となった。スモークサーモンを加えたエッグスベネディクトは美味。一気に急な坂道を下りてパイクプレースマーケットへ。古くからある公共市場で、魚屋や八百屋、手作りチーズの店、その他何でもあり。カレシはある食品屋のワイン売り場で探しあぐねていたオレンジビタースを見つけて大感激。ほんとうに何でもありの感。

コンサートは7時半に始まる。ホテルで着替えできるように夕食を早めに済まようと、戦前からあるIvar‘s Acres of Clamsというシーフードレストラン。Ivarは昔テレビで野生動物の番組のホストをやっていた名物男。故人になってもうずいぶん経つ。観光客向けという偏見があったけど、メニューはかなりグルメ。カレシはさっそく生牡蠣3種類。ワインのようにそれぞれに微妙に味が違うからおもしろい。メインのハマグリ1キロもおいしかった。デザートに移る頃には30年来の偏見はどこへやら。この次シアトルに来たらきっといの一番に食べに来るだろう。

コンサートを堪能して、よく眠って、帰途につく金曜日の朝はSazeracというルイジアナ料理のレストラン。(サゼラックというのはニューオーリンズ生まれのカクテルの名前。)アンドゥイユソーセージの入った煮豆の上に半熟の目玉焼き。その上にちょっとスパイシーなクリオールソースと硬めのサワークリーム。これはとってもおいしかった。

帰り道の寄り道?はスペースニードル。今ならたいしたことない高さ180メートルだけど、建てられた1962年当時、空飛ぶ円盤が串刺しになったようなタワーはさぞかし斬新なデザインだったことだろう。今ではシアトルのスカイラインになくてはならないシンボルだ。あいにくの空模様で視界は良くなかったけど、なぜか屋外の展望台をぐるりと歩くうちに「宇宙酔い」のような気分になった。カレシもそうだという。床が外側へ傾斜しているような感じで体のバランスがおかしくなるから不思議だ。

お風呂でゆっくりと温まって、ぐっすりと眠って、今日は朝から気分爽快。仕事を始めようかどうかと迷いつつ結局は一日のんびり。コンサートの話はまた明日。

なっとうでやせたのだあれ

1月20日。何ともあっけない幕切れ。でも、まさに日本列島豆腐狂想曲。がら空きの棚の前で最後の1個をめぐって客同士が奪い合い・・・なんてこともあったのではないかと思ってしまう。だいたい、人間は雑食動物なのだから、特定のものをひたすら食べていればやせられるなんて、そんなおいしい話はまずはありえないのに。

納豆ダイエット騒動で海の中の「小魚の大群」を思った。誰が決めたのか膨大な数の魚群が一斉に方向転換する大スペクタクル。どうしてもあのイメージが思い浮かんでしまう。おかしくて何だか悲しい。

それにしても、ここまで「嘘八百主義」が蔓延している日本、かっこ悪いことこの上なしだと思うけど、日本の人はどう思っているのだろう。テレビ番組はバラエティではなく「生活情報」の番組なんだそうな。ということは、踊った方も「ジョーホー」に飢えていたのだろうか。人間はものぐさな動物でもあるから、自分で考えるよりはつい「ラクラク」に飛びついてしまう。嘘八百に汚染したジョーホーの垂れ流しは公害じゃないのかなあ。

嘘八百と隠蔽で「正直で勤勉で礼儀正しい日本人」の看板を支えて来たわけではあるまい。張子の看板は映画のセットと同じで後ろに回れば何もない。うわべだけで中身がない人間も映画のセットと同じ作り物。よく噛まずに鵜呑みにしたジョーホーもしかり。少しは自分で考えてみたらどうかと思うけど、自分に自信がなければ結論にもやっぱり自信がないので間違うのはかっこ悪い、ということか。他人が考えたことが間違っていたら「騙された」と憤ればいい。会社のおエラ方をカメラの前に並べて、ペコンとお辞儀して、「ゴメンネ」。喉もとを過ぎるのに何日もかからない。みんな一斉にラクラク遊泳。おかしくて、すごく悲しい。

国際結婚の壁

1月21日。土曜日の夜、カレシの元同僚で退職後も親しくしているラビがひょっこり訪ねて来た。

ラビはインドのムンバイの裕福な家庭の生まれ育ち。アメリカ、ワシントン州に留学中にアメリカ人のサリーと出会って結婚し、徴兵を免れるためにカナダに移民して来た。ラビは温厚なヒンズー教徒。かたやサリーは陽気で世話好きなカトリック教徒。でも、国境の壁、宗教の壁、言葉の壁を乗り越えて、二人の息子に恵まれ、ラビは北米流に家事や子育てに参加し、サリーはインド料理を作り、お姑さんとも仲良しで、「国際結婚大成功」のお手本といえそうなカップルだった。

その二人が銀婚式を過ぎてから突然別居したのはショックだった。あれから5年、コミュニケーションは絶やさず、家族行事もいっしょ。でも、あんなにラブラブだった二人に何が起きたのか。

ワインを傾けながら話をしているうちに、ラビとサリーも思わぬところで国際結婚の壁にぶつかったとわかってきた。決定的なきっかけは「姑問題」だったという。ラビのお母さんは未亡人になってから世界に散らばった子供たちを歴訪して過ごしてきたが、80才を過ぎて体力が衰え、滞在期間が長くなった。ラビは長男。それぞれインド人と結婚した妹たちは欧米流のキャリアとインド流の姑の介護の板ばさみになっているという。アメリカ人のサリーには親を引き取って介護するという観念は元からない。ラビは北米流の夫として努力して来たのに感謝されていないと感じ、サリーはインド文化を抑圧的に感じるようになって、お母さんの長逗留でその溝が決定的になったという。(ちなみにサリーは夜勤のある看護婦だ。)「彼女は責任がなくなって生き生きしている」とラビはいう。「責任」という言葉にインド人ラビがのぞいているのを本人が気づいているのかどうか。

国際結婚では必ずどちらかの文化や習慣が優先される。二人で第三国に住まない限りは中間点で折り合いというわけにはいかない。どうしても生活基盤のある国の文化習慣が優位に立ち、男女に関わりなく異国にやって来た方がそれに合わせる努力をすることになる。その努力の原動力が愛だろう。このとき自国にいる方が文化習慣の違いを理解し、相手の努力を支えて報いる器量があれば、家庭の中でのバランスが確立されるだろう。一方的に見えるけれど、根本的には同じ国の人間同士の結婚で生まれる妥協とさして変わりはないと思う。

私たちの問題の根源は、カレシが私を「異邦人」のままにしておこうとしたことだ。「日本文化には興味がないけれども、ステレオタイプの日本女性には引かれる」-これは愛とはほど遠い、まさに思春期の子供の憧れだ。そのステレオタイプを踏み越えてカナダに同化しなかったら、私は宙ぶらりんのままで、遅かれ早かれ精神的に破綻していただろうと思う。

バブル後に国際結婚してカナダに来た日本女性たちの中には、カナダへの適応を自ら拒みながらパートナーには日本の文化習慣の受け入れを求めている人たちがけっこう多いように思える。日本人としての誇りがあるからだというけれど、実は、自分ばかり努力しなければならないのは不公平だし、かといって努力してやれる自信もないというのが本音ではないかと思う。(なぜか元々そういうタイプの人ばかりがここに吹き溜まって来ているということかもしれないけれど・・・。)

ラビはそろそろ新しい出会いが欲しくなったという。すてきな日本女性を知らないかと聞くから、そんなのバブルと共に消えてなくなったといっておいた。いくら「日本女性の奥ゆかしさ」のアピールに余念のないぶりっ子だって、姑つきでは見向きもしないよ、と。

ハプニング男

1月22日。また雨が降り始めた。今夜はかなりの雨量になりそうだという。まあ、雪よりはいいか・・・

きのうからカレシはハプニング続き。日曜日の午後、早めにパン作りを始めた。材料を計ってブレッドマシンをセットするだけ。カンタンだし、マシンもほぼ新品。ところが、ところが。出来上がった?パンはぺっちゃんこ。しかもべちゃっと濡れて、重くて塩辛い。分量の計り違いの公算大というと、カレシはキカイがおかしいんじゃないかと言い出す。ま、キカイを冷まして、もう一度作ればわかること。今度は目を皿のようにしてひとつずつ慎重に計る・・・と、カレシが頓狂な声を上げた。粉を計るのに使った容器の中のスクープが、1カップサイズだと思っていたら実は半カップだった。つまり、小麦粉の量が半分。どうりでべちゃパンができるはず。めんどうくさがって計量カップを使わなかったらしい。二度目はもちろんおいしそうなパンが焼けた。

日曜の夜、カレシが急にスーパーへ行こうと言い出した。コーヒーがなくなったし、アイスクリームを作りたいし、それにドーナツを食べたいし・・・というわけ。どうも目玉は一番最後のドーナツらしい。ついでに少なくなっているものも買っておこうと車に乗り込んでガレージのドアを開ける。そこでカレシが「何でボクのドアが開いてるの・・・?」え、また・・・?案の定、車はウンともスンとも言わない。バッテリが上がってしまっているのだ。とりあえず、ポンコツ車に切り替えて買い物だけは済ませ、対策を考える。トヨタのサービスを呼ぼう、と私。ジャンプスタートする、とカレシ。しばらくしてフードの開け方が分からないと相当にカリカリした様子で家の中に戻ってきた。なんとマニュアルを読み始める。買って1年半、主に自分が運転している車なのに・・・。

放っておくことにしたら、しばらくして今度は「サービスの電話番号知ってる?」いつもバッグに入れて持ち歩いているカードを渡す。大枚10何万円も払って7年間のサービスパッケージ。カナダとアメリカのどこでもエンストやガス欠までめんどうを見てくれる24時間サービス。ガレージの中でエンストはちょっとかっこ悪いけれども、前回ハッチをきちんと閉めずにバッテリを上げたときも1時間ほどで来てくれた。今回も夜中に近いのに1時間足らずで駆けつけて、充電してくれた。「若い頃は自分でやったけど、オレもいい年だから、人にやってもらえることをやってもらわない手はないよな~」と、カレシ。ついでに、「それに金を払ってあるんだし・・・」と本音を吐く。

あのねぇ、車でも戸棚でも何でも、開いたドアをきちんと閉める癖をつければこういう問題は防げるの。カレシの短所は何かにつけて「中途半端なこと」だ。開けたものをきちんと閉めない。差し込むものをきっちり差し込まない。押しボタンをしっかり押さない。探しものは奥まで見ない。置くものは前の端っこだけに置く。ひょっとしたら空間認識に難があるのかもしれないけれど、他人との距離がうまくとれないようなところもある。ま、そういうところもひっくるめて私のカレシなんだけど・・・

眼科検診、視界良好

1月22日。雨の中、二人で眼科の検診に出かけた。忙しがっているうちに前回の検診から2年半。右眼の視界に黒い糸くずのようなものが浮いているのに気がついたのは何ヶ月か前。そろそろと思っているうちに、1週間前にコンタクトレンズの縁に小さな欠け目を見つけて慌てて予約を取った。

検診の結果、二人とも視力は前回から特に変化はなし。コンピュータの前で酷使しているわりには良い状態だそうだ。欠けたコンタクトで目に傷がつかなかったのはラッキーだった。ちょうど寿命だし、新しいレンズを注文。ふわふわ浮いている糸くずも今のところは老化現象のひとつで問題なし。ただし、もっと大きなのが見えたり、暗いところで閃光が見えるようになったらすぐにおいでとのことだった。

小一時間で二人とも終了して174ドル(1万8千円くらい)。何年も前から目の検診は州の医療保険から外されて自己負担になっている。ただし、カレシが受けた網膜検査は保険対象で負担なし。病気を予防する検診の方を無料にした方が医療コストの削減につながると思うけど、そっちの方は次々と保険対象から外されて来ている。

よい結果で気分も良くなって、チョコレートをひと箱買って、友だちが教えてくれたシーフードレストランで早い夕食。ダウンタウンの南端、キャンビー橋の北のたもとの、かっては倉庫街で今はファッショナブルなエリアになっているイェールタウンという地区にある。新しい高層マンションが林立し、高級レストランやしゃれたブティックが並んでいる。

Rodney’s Oyster Houseでは4時から6時まではLow tide(干潮)スペシャルといって生牡蠣が安い。その場でむいた牡蠣が1個1ドル50セント。カウンターの後の氷の山に何種類もの牡蠣がならんでいる。今日のスペシャルはバンクーバー島のFanny Bayの牡蠣。とりあえず二人分で1ダース半を注文。若いおにいちゃんが素手のまま牡蠣をつかんで殻を開ける。いとも簡単そうにシャカシャカと開けてしまうのだ。要領を熟知していないとできないことだと感心しながら見ていた。

私は何にもかけない素っ裸の牡蠣が好き。口の中に広がる潮の味がなんともいえない郷愁なのだ。カレシはいくつもトレイに並んだソースを試す。「Sea witch(海の魔女)」なんて名前のソースもあった。天にも昇る気分で18個の牡蠣を平らげたところで、カレシはカニのケーキ、私は蒸したムール貝を注文。ふっくらと大ぶりのムール貝はワインとガーリックの香りがほのかにするだけの極上品。カニのケーキも熱々でおいしかったそうだ。カレシはもうすっかりRodney’sの常連になると決めている。

ますます気分が良くなって、新しいビルの二階にできた韓国系の大きなスーパーに寄る。カレシのお目当てはキムチ。今度は大根のキムチを買った。私は大豆もやしと冷凍ブルコキとラーメン。日本食品も多いけど、韓国食品は正体のわからないものがたくさん。職業柄英語のラベルはあまり信用できない。こういうときは食べものの名前だけでも韓国語を読めたら良いだろうなと思う。

今日は良い日だった。さて、そろそろギアを仕事モードに切り替えて本格的に没頭しないと、締切が迫ってきりきり舞いするのは一目瞭然。しっかりと鉢巻を締めなおさなくちゃ・・・。

文、遠方より来る

1月23日。今頃、日本から年賀状が届いた。差出人の名前を見てびっくり。長いこと連絡が取れないでいた小学校の仲良し同級生からだった。

数年前に北海道のM市に引っ越した別の同級生がクリスマスカードといっしょに地元に残っている彼女のことが載った新聞の切抜きを送ってくれていた。家の物置から歴史的に重要なものが見つかったという内容だった。片時も忘れたことのない彼女の元気そうな写真に見入って、新聞社に住所を問い合わせてみようかと思っていた矢先のことだった。

小学校の6年間をいっしょにつるんで遊んだ友達だから、二人とももう50年を越えるつきあいになる。最後に会ったのはかれこれ10年以上も前だろうか。M市に移った彼女とはクリスマスカードに互いの近況を添えて音信を保ってきた。ふるさとの彼女からはこの年賀状が30年で初めての便りだ。それぞれ結婚して、子供を育てて、いろいろな人生の苦労を重ねて来たかけがえのない友達だ。躍り上がるほどうれしい。

カナダに来てから音信が途絶えて所在もわからなくなった友だちは多い。インターネットのなかった時代には海を渡るということはほんとうに遠いところへ来てしまうことだった。でも、みんなのことを忘れたことはない。きっとみんなも私のことを覚えていてくれると思う。それだけでも幸せだ。人生の出会いの多くはそういうものだろう。友だちはモノのように作ろうと思って作れるわけではない。何かの縁でできるものなのだと思うから。

でも、いつかきっと探し当てて近況を知りたいと思う中学時代の友だちが二人いる。ひとりはふるさとでの初恋の男の子(少なくとも私の意識の中では昔のままの「男の子」なのだ)。花も恥らう13才の時だった。あの頃のティーンははまだ純情無垢だった。もうひとりは転校先での無二の親友。新婚旅行で北海道を旅行中に短い停車時間に駅のホームで赤ちゃんを抱いた彼女と会えたのが最後だった。いつかきっと二人と旧交を温めたいと思う。何かで名を立てたいという欲が沸くのも、そうすれば懐かしい友を探し出せるかも、という期待感が心のどこかにあるからかもしれない。

仕事なんぞそっちのけでいい。今夜は遠来のうれしい年賀状に長い長い返事を書こう。

春の胎動

1月24日。朝から青空。午後の気温は10度。冬至をひと月も過ぎると8時前に日が昇り、午後5時を過ぎてもまだ明るい。春がもうすぐそこまで来ているという期待感が芽を出す頃だけど、なぜか今日は何となく熱っぽくて、喉のリンパ腺が不快。今さら風邪でもあるまいにと思うけど・・・

緯度が高いと冬至から春分までの毎日の昼間の長さの変化を視覚的に体感できるから。特に冬至に向かう12月の中旬過ぎは、「あれ、きのうはこの時間にはまだ日があったのに」と思うことが多い。北緯49度のバンクーバーの冬至の日の出は午前8時5分、日の入りは午後4時16分だそうだから、ほぼ昼8時間、夜16時間というところだ。これが夏至になると(時計を進めない標準時間で)日の出が午前4時7分、日の入りが午後8時22分だから、昼の長さが16時間、夜が8時間と、冬とは逆になる。

ノースウェスト準州のイヌーヴィクは北緯68度より北、そっくり北極圏に入っている。ここでは、日の出から日没までの時間は冬至はゼロ、夏至は24時間で、どちらも日の出も日の入りもない。1日中が夜あるいは昼という環境で人はどのように暮らすのだろう。特に極夜が続く冬に、「朝」起きて仕事に出かけるという日課はちょっと想像もつかない。だからこそ、古代のスカンディナヴィア文化が冬至を太陽が生き返る日、リニューアルの日と信じた気持がよくわかる気がする。厳しい寒さの中、どんどん長くなる昼間の太陽の温もりに春が遠くないことを感じたのだろう。それはきっと新しい年、新しい未来への希望の光でもあったのだろうと思う。

私も雨ばかりのバンクーバーの冬にすっかり慣れきってしまったけど、目に見えて日が長くなって来ると、北国育ちの血が春の胎動のようなものを感じる。明日はきっと元気で仕事に突進できるだろう。

つくづく日本人・・・て?

1月25日。小町に「つくづく日本人だなーと思うとき」というトピックが立っている。まだ書き込みの数は少ないけれども、こういうトピックになるとなぜかつい見てしまう。自分の「日本人」を確認したいのかもしれないし、あるいはどういうところが日本人なんだろう、「日本人の感覚」って何だろうと興味を引かれるのかもしれない。

桜・・・バンクーバー市内には1万数千本の桜がある。街路樹として桜ばかり植えた時期があったのだろうか、早咲きから最後の八重桜が終わるまで、3ヵ月近くも延々と桜の季節が続く。見上げてきれいだと感じても、日本人が愛でる「はかなさ」の感慨は微塵もわかない。日本で桜が咲いたからと飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎしている光景を見るたびになぜか「一過性」という言葉が思い浮かぶのだけど、まあ、それも一種の「はかなさ」ということだろうか。

富士山・・・周りに比べるものがないから端正な形が目立つのだと思うけど、私にはちょっと教科書的な感じがする。美醜にこだわる感覚には心地が良いのだろうか。それに、集団志向の日本人が富士山の「孤高の姿」に感慨を覚えるところはおもしろいと思う。私はどちらかというといくつもの山がひしめき合う山脈の方に共感するけれど。

でも、日本人性を定義する大きな要素はやはり「食」に尽きるようだ。白いご飯に味噌汁、お茶。ポン酢にみかんにせんべい、お茶漬けにそばに梅干・・・なるほど。かって私が仕事の研修で1ヵ月ホテル暮らしをして帰って来たとき、真っ先に母に注文したのは「大根おろし」だったっけ。

思うに海外でホームシックにかかる要因は何よりも食の違いではないかと思う。「口に合わない」というのは、つまりは「性に合わない」ということ。人間生きるためには食べなければないけれども、先進国といわれる国では食べたくないものは食べなくても死なないわけで、だから食にこだわれるのだけど。

ということは食の嗜好が「日本人」を定義するのだろうか。私はご飯や味噌汁がなくても平気。(朝ごはんは30年来飽きもせずにシリアルにトーストとコーヒー。)和菓子は元から好きな方ではないし、日本茶は高級なほど飲めない。クリスマス頃のスーパーにみかんの箱が並んでも買おうという気がわかない。家で日本食「らしき」ものを作る回数だって1年に片手で数えて指が余るくらい。寿司も日本料理もすぐに飽きてしまう。唯一たまに食べたいと思うのは札幌ラーメンだけ。それも矢も盾もたまらず無性に食べたいわけではなく、舌が漠然と味を思い出すような感じだから、ダウンタウンのラーメン屋の前はいつも素通りだ。

こんな具合だから「つくづく日本人だな~」と感じることがないのだろうか。かといって私は「帰化カナダ人」だと思っていても「つくづくカナダ人だな~」と思うことがあるかどうかはわからない。日本を恋しいと思ったことはまったくないのに、ビクトリアに引っ越したときはバンクーバーが恋しくて、カレシをビクトリアに残してでも帰りたいと思った。カナダのすべてに違和感がまったくないけれど、30年余りここに根を張って来たのだからあたりまえ。日本のご飯にも、桜にも、富士山にも感慨なし・・・となると、大きな声で言えない(大きな声で言ったっていいだろうに、そう考えるところは日本人かもしれない)けど、やっぱり日本は私には異国だいうことだろうと思う。

いっそのこと、私ってつくづく地球人だな~と思うことを探してみようかなあ。

ノロウィルスでなくて良かったけど

1月26日。昨日の夜のこと。夕食後ずっとコンピュータの前に座っていたカレシが寒気がすると言って奥のソファに横になった。私も1日2日ちょっと熱っぽい感じだったから、やっぱり風邪のウィルスが漂っているのかもしれないよ~と声をかけた。ところがしばらくして上へ行ったまま戻ってこない。それ自体は普通なんだけど、上でテレビを見ている様子もないから気になって来た。

様子を見に行ったら、真っ青な顔で「胃の中のもの全部吐いた。スウェットパンツがちょっと汚れた」。私は子供の頃からかなり簡単に吐くタチなのに胃が弱いカレシが吐くことはめったにない。おでこに触って見たら冷や汗をかいていた。熱はなさそう。「いつ始まったの?」「ディナーの後」「まだ吐き気する?」「いや、楽になった」「熱はないみたい」「うん、寒気も止まった」「じゃあ、ノロウィルスじゃないみたいね」その日の午後、BC州でノロウィルスの集団感染が増えているという記事を読んであげたところだったから、真っ先にそのことが頭に浮かんだのだった。

ディナーはビーフとしし唐とにんにくの茎とアスパラガスの炒め物と大豆もやしのナムル。しし唐にはちょっと辛いのもあったけど、劇症の消化不良を起こすほどではなかったし・・・と思案投げ首しながら洗濯機を回し始めたら、カレシが「キムチを食べ過ぎたんだと思う」とぼそり。そういえば月曜日に韓国系スーパーで大きなキムチを買った。「もうどれだけ食べたの?」「半分近く・・・」「3日で半分?うっそ~」

カレシはピクルスや辛いものが好きだ。「だけど、食べ物の方がボクを嫌う」という。本当は、辛いものと相性が悪いのではなくて、それだけを食べ過ぎるから胸焼けや消化不良が起きるのだけど、いつもそうではない。ふだんは間食をしないのに、しょっちゅう冷蔵庫を開ける「口がさびしい時期」があるのだ。どうもいわゆる全般性不安障害の症状が出る状況と一致している。カレシはストレスが苦手なのだ。

明日から別のネイバーフッドハウスでの英語教室が始まる。来週再開する今までの教室も生徒が入れ替わる。どちらもどのくらい生徒が集まるかなかなか分からないでいた。ひとつの「ネガティブな現象」(ほんとうは自分でネガティブに見ているに過ぎないけど)に引っかかるタチだから、注意散漫になっていろいろな「事故」が起き、それがネガティブ現象として積み上がってまたストレスになり、自分でコントロールできなくなる。前なら緊張期に入ってやがて爆発期という典型的なDVの経過をたどっていたところだけど、それを「冷蔵庫襲撃」でコントロールしているということらしい。

大事をとって明日のレストランの予約を1週間繰り下げた。今夜の夕食は軽いリゾットと温野菜。夜食にはおなかに優しいスープを作ってあげよう。

たかが塩、されど塩

1月27日。食の話になったついでに、外国旅行の日本人が「こってりした洋食はもういい。あっさりした日本食がいい」というのをよく聞く。西洋料理は塩辛いか甘すぎるかで、それに比べて日本料理は「あっさり」しているからいいと。

この「あっさり」とは実際にどういう「味」をいうのかわからないけれども、私が初めて関西に行った時にまず驚いたのは食べ物の味の薄さ。ラーメン屋であまりの薄味に「お醤油ください」といっておじさんに睨まれた。そういえば日本食に片っ端から醤油をかけては日本人妻に眉をひそめられるガイジン夫も多い。「繊細な味の分からぬ野蛮人」と思われるかもしれないが、舌が直接的な「塩味」を求めるようだ。

不思議なことに、私はこの「繊細な薄味」の日本食を食べた翌朝には体重が確実に1キロ以上も増える。体重は1日か2日で元に戻るから「太った」のではない。米は水分を保持する機能があるという炭水化物だ。そういえばパスタを食べた翌日も体重がちょっと増える。というわけで犯人はご飯と断定して、ご飯抜きの日本食にした。ところがそれでも翌朝は体重計の数字が跳ね上がる。どうも納得が行かない。

新たな「容疑者」が浮上したのは韓国系スーパーで買った「おでんセット」を食べたとき。醤油ラーメンと違っておでんのスープはぐんと薄味だ。大根を1本そっくり輪切りにして入れたら、セットについて来たスープはさらに薄味になるけれど、具のかまぼこ類も私はau naturelの味が好きだからそのまま。ところが、食後になって猛烈に喉が渇いた。カレシもやたらと水を飲んでいる。そして翌朝の体重は二人ともほぼ1.5キロの増加。おまけに何となく足が重い。

いわゆる「洋食」ではフライパンに肉を入れて塩をふりかけるから、食べるときに塩の味を感じる。食塩といっているのは塩化ナトリウム。ところが、日本や中国の食品には悪名?高い添加物がある。第五の味覚「うまみ」を作るというMSGことグルタミン酸ナトリウムだ。おそらく日本の加工食材には大量のMSGが使われているのだろう。薄味でも喉が渇くわけだ。なぜならMSGもナトリウム化合物なのだから。

毎日たっぷりMSGの入った食品を食べ続けている日本人は生理的にその大量のナトリウムに適応しているのだろう。でも、ふだん料理にふりかける程度にしか塩を使わない私たちは一過性の高ナトリウム血症になってしまう。北米で一時大騒ぎになった「中華料理シンドローム」の原因も同じではないだろうか。海外の日本人が日本食を食べて「日本人に生まれた幸せ」に浸れるのも、逆に連日の洋食で不足気味だったナトリウムをMSGでたっぷり補給して元気が出るからではないのだろうか。このあたり、科学的に研究してみたらおもしろいかもしれない。

いざ、篭城

1月28日。日曜日。カレシの胃袋がどうやら「正常運転」に戻りつつあるので、遠い方のスーパーへ買出しに出かけた。なくなりかけているものが多いし、週明けからは仕事の方をギアアップしてフルスピードで飛ばさなければならないから「篭城長期戦」の備えも必要だ。

カレシは今度こそ「永久的に」お酒の量を減らして、生野菜も減らして、スパイシーな食べ物も減らすのだそうだ。要するに食べすぎを改めるということだけど、あまり続いたためしはない。それでも、たとえば、旅行が好きなら、何日も日常を離れた環境に対応できるように体力や精神力を養っておくべきだし、食べるのが好きなら、ふだんから消化器系統を整備しておくべき。エンジョイするかどうかは身体しだいなんだから、「詰まるところはセルフコントロールよねぇ」と、説教ともつかないお説教をしたら、苦悶の余韻覚めやらぬカレシは神妙に相槌を打った。

人間には大きく分けて「明日はない」派と「明日があるさ」派がいる。食べ放題のビュッフェに行くとその違いが如実に現れるからおもしろい。「明日はない」派はとにかく何でも皿に大盛り。特にふだん食べられないもの、値段の高いものを胃がはちきれるほど詰め込むが、「明日があるさ」派は「満腹になったらまた明日」というわけで、だいたいこれはというものを適当に食べる。

ラスヴェガスの豪華なビュッフェでは「明日はない」派が圧倒的な多数派だ。普通の量でもだいたいはトントンなのだけど、はるかに見渡すほどずらりと食べ物が並んでしまうと、「食べなきゃ損々」という心理になるのだろう。ほんとうに明日がなくなってしまいそうな食べっぷりだ。高血圧、高脂肪、高コレステロールで好きなものも思うように食べられなくなったら元も子もない。今日セルフコントロールでほどほどに楽しめば、また明日、その次の日も好きなものを楽しめる。行きの車の中でそんな哲学をぶちあげた。

スーパーではファミリーパックのビーフ、チキン、ポークのほか魚類をたくさん仕入れた。魚は最近とみにバラエティが広がった。料理番組が増え、高級レストランが繁盛して、店頭での需要が生まれるのだろう。今日は初めてarctic char(アルプスイワナ)の半身が手に入った。カレシがどうやって食べるのかと聞くから、「ググって決める」と答えた。魚はシンプルで手間がかからないから忙しい時に楽なのだ。家に帰ってすぐ二人前ずつフリーザー用のビニール袋に小分けする。日付を書いて、備蓄用のフリーザーに。これだけで1時間近くかかってしまう。全部で10キロ近かったかもしれない。「なんだか明日がないみたいな買い方だな」とカレシが横から茶々を入れるから、「明日もあさってもないのはヒマよ」とやり返した。

自己主張する!

1月29日。ときどきある種の「期待感」をもってのぞくサイトに加藤諦三教授の早稲田大学研究室のHPがある。精神衛生と心理学が専門分野だそうだけど、かなりいろんなことに首を突っ込んでいるおもしろそうな先生だ。相当数の著書があって、翻訳書もずらり。英語の著書もある。

特に「加藤諦三の言葉」のページがいい。苦しんでいたときにいろいろと考えさせられ、助けられた。見方によっては、今も「加藤先生」のところにカウンセリングに行っているようなものかもしれない。久しぶりにのぞいて、自己主張する人、しない人の話に「なるほど、そうか」と膝を打った。

日本人が「誰それは自己主張が強い」というときはまずその人を貶しているといえる。和をもって尊しとする日本人にとっては「自己主張=わがまま」なのだろう。前にも書いたけど、海外にいて友だちができないと嘆く日本人は、(自分も海外にいる日本人なのに)海外にいる日本人は自己主張が強い人が多くて疲れるという。海外でうまく行っていない人は「~人は自己主張ばかり強くてやりにくい」と憤る。実は自己主張とわがままの違いがわかっていない。そうやって人の自己主張を封じようとする方がわがままではないのか。

私も日本にいるときはしょっちゅう自己主張するなとたしなめられた。「それでは嫁に行けないぞ」と。裏を返せば「じゃじゃ馬を乗りこなせるお婿さん」がいなかったということではないか。その延長線上でいえば、「私たちがガイジン男にもてるのは白人女性のように自己主張しないからよ」といっている日本女性はお相手の男性を今一度よく観察してみた方が良いだろう。

私はカウンセラーに自己主張が足りないと言われて初めて、自己主張ができない人間によって長い間主張すべき「自己」を抑えつけられ、徐々に精神の復元力を失っていたのだと気がついた。自己主張のできない人間、つまり自己を持たない人間は世界のどこにでもいて、同じような受動攻撃型の手口で他人の自己主張を封じ込めようとしているのだと思う。自己がないから他人の自己を横取りしようとするのかもしれない。自分を大切にしなくてはね。

月末、年度末・・・

1月30日。次の大仕事が確定した。現在進行形のピッチを上げなければと、いっそう腕まくりしてカレンダーを見たら、1月末日は2006年の最終四半期に集めた物品サービス税(GST)を納付する期限。

これは大変と、レシートやら請求書を放り込んであるファイルのフォルダを引っ張り出す。いつものことだけど、四半期3ヵ月分の経理事務はそっくりサボって来た。納付するのか還付があるのか見当もつかない。

法人形式を取らないフリーの稼業といっても、カナダではれっきとした個人事業主。会長、社長、生産部長に営業部長に総務部長に経理部長、その下の生産、営業、事務、経理、カスタマーサービス、はてはお茶くみまで、いったい一人で何役をやっているやら。特に毎年1月末はいつもの月末処理と前年度の決算が重なる。経理用ソフトを使っていても、数字を入力しなければ無用の長物。デスクいっぱいに3ヵ月分の伝票の類を広げて、月ごとに仕分けして並べ、日付順に重ねて、ひとつひとつ入力して、月ごとに貸借対照表と損益計算書をプリントして行くのだけど、そこでめんどうなのがこのGST。

GSTは連邦の消費税で、去年7月から6%に下がった。一定ラインを越える売上があれば、在宅営業の個人事業主でもカナダ国内での売上についてGSTを徴収して納付しなければならない。その代わり、事業の経費にかかったGSTは控除できる。自分の脳みそと2つの目と2本の腕で回っているビジネスだから利益率は90%とおいしい商売でもある。カナダ国外からの仕事は「輸出」となって税率はゼロ。今は国外からの仕事がほとんどだから徴収額がゼロで、控除分が還付される四半期もある。受注・納品はインターネットでやれるので、ひと昔前に比べて経費は大幅削減。伝票の数もぐんと減った。それでもやっぱりめんどうくさい。客と示し合わせて現金取引でGSTをごまかす輩もけっこういる。私も、GSTを取らないなら、請求書なしですぐに現金で払ってやる、ともちかけられたことがあった。でも、それは脱税。

還付されるときはオンラインで申告できるのだけど、納付額がある時は、銀行に個人口座しかないから、申告用紙に売上、徴収額、控除額などを書き込んで、小切手といっしょに銀行までもって行かなければならない。郵送する手もあるけれど、「経理係」がいつもぎりぎりまで処理をサボるから期限に間に合わなくなってしまうのだ。一人何役となれば、要領の悪い経理係をクビにするわけにも行かない。仕事を横目で見ながら、経理部長の帽子をかぶって、経理係をせっつくしかないのだ。たしか、効率改善が「一年の計」だったはずだけど・・・

霧の中で

1月31日。たまのやむを得ない早起き。空は青く見えるのに、地表は手を伸ばせばつかめそうな霧の塊。生まれ故郷のずっしりと重い霧と違って、バンクーバーの霧はふわりとして見える。この繊細さもまたいい。霧は私の原風景の背景色のようなものだ。地の底からむくむくとわき上がって、漠然とした悲しさを残して見えない水平線の向こうに吸い込まれて行った知人岬灯台の霧笛は原風景のサウンドトラックというところか。子供心に灯台守たちの徒然のおしゃべりが聞こえて来るように思った。

カレシはこのところ少しばかりもやもやしているように見える。ハネムーン期は3年ほど続くことがあるそうだ。前の緊張期は3年前。家の改装中だった。その前はそのまた3年前。退職してその後の基盤が固まっていなかった頃。大爆発があったのはその3年前。その3年前から言葉の暴力があからさまになっていた。私の仕事がうまく行き過ぎて、支配に失敗したと苛立ったのかもしれない。記憶をたどっていくと、だいたい3年ごとに緊張期を触発しそうな出来事があったように思う。

もし、そのときそのときにその出来事の意味が分かっていたら、私の人生はまったく別のものになっていただろう。「Hindsight is 20-20」という。後目の視力は完璧なのだ。人生は分かれ道の連続。振り返ればたくさんの「選ばなかった道」がある。でも、今となってはきっと草生して、そこに道があるとは思えないかもしれない。なぜならば、私はその道を歩かなかったのだから。時も川と同じようにひたすら前へ、前へと流れる。きっとこれからもまだたくさんの分かれ道があって、そのたびに立ち止まるのだろう。いっしょにいる限りはカレシの「Three-year itch」にも遭遇し続けるだろう。でも、私はそのときそのときに自分の道を選んで行こう。そして、選ばなかった道は雑草の生い茂るままにしておこう。

霧は人間を瞑想に誘い込むから不思議・・・

2007年1月~その1

2007年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
2007年1月1日

1月1日。一年の計は元旦にあり、という。新しい年の初日に改まった気持でその年の目標を立てるのは世界共通の習慣のようだ。カナダでも新年の話題は「New Year’s resolution」。「新年の決意」という意味だけど、たいていが三日坊主に終わるところも世界共通の現象らしい。カレシのNew Year’s resolutionは「特にresolutionなんか考えないこと」だそうだ。なるほど、これなら三日坊主になる心配はない。

さて、私のNew Year’s resolutionは:

  仕事と勉強と家庭のそれぞれにもっと効率的に集中すること。

いくつもの役割をすることをその役の数だけ「帽子をかぶる」というが、ひとつしかない頭に3つの帽子を「えこひいき」せずに被るのはけっこう難しい。仕事と勉強への集中力が高まれば、家庭の方にももっと余裕が出て、趣味の時間も増える・・・というのは希望的観測かな。

要はバランスの取り方なのだけど、それにはまず気を散らさない努力がいる。ワーカホリックと言われた10年前、15年前の仕事への集中力は孤独感や焦燥感から逃げるための「のめり込み」に過ぎなかったと思う。やりたいことがありすぎて気が散る方が本来の私なのだ。長い間の精神的な枷から自由になった本来の私は、放っておくと飛んでいってしまいかねない。ここはひとつしっかりと足を地に付ける術を身につけなくてはと思う。

仕事のときは仕事に身を入れよう。勉強のときは勉強に身を入れよう。創作のときは創作に全身全霊を打ち込もう。そしてカレシとの毎日を1日ずつ楽しもう。

 さて、一年の計が三日坊主で終わるかどうか・・・

健全な肉体に健全な精神

1月2日。心臓に良いことは脳にも良いこと・・・今日の新聞にあった見出しだ。

カナダの総人口の約三分の一を占める巨大なベビーブームの団塊の世代は、先頭ランナーが60才のラインを超えて、引退年令の65才に向かってまっしぐらだ。当然「加齢」に伴っていろいろな健康上の心配事が出てくる。ある全国調査によると、ブーマーたちが一番恐れる病気の第1位はガンで、続いて心臓病とアルツハイマー病がタイの第2位だったそうだ。

アルツハイマー病は、遺伝の影響が大きいケースが全体の10%以下に過ぎないそうで、ライフスタイルの改善によってある程度予防できるのだという。中年の頃にまじめに運動をしていると年をとってからアルツハイマー病や老人性の認知症を発症するリスクが低くなるそうだ。中年といえば、ちょうど毎日が忙しくなってストレスが溜まり、運動量が減って肥満が始まり、心臓血管系の成人病が出てくる年代で、血圧やコレステロールの数値にびっくりして禁煙や運動を始める人も多いはずだ。

  タバコを吸わない。
  酒を飲みすぎない。
  ストレスを減らす。
  肉類を減らす。
  野菜や果物、魚類をもっと食べる。
  もっと身体を動かす。

何のことはない、血液の循環を良くして心臓血管系の病気を予防するライフスタイルがアルツハイマー病の予防にも効果があるというわけ。血の巡りが良くなると脳への酸素の供給が増え、脳細胞を破壊する老廃物が溜まらないからだそうだ。要するに、頭の風通しを良くしておきなさいということなのだ。ついでに人との付き合いを良くして、パズルや趣味で脳細胞を最適な運転状態に保てばなお良いとのこと。

「健全な肉体に健全な精神」といったのは古代ローマの詩人ユウェナリス。これからは、大人の生活指導の標語として知られるようになるかもしれない。

今年は端から目が点々

1月3日。いつも新年早々に郵便受けに入ってくるのが家の評価通知。新年度の市税の課税基準になるもので、いわば地価公示価格だ。

カナダには所得を基準にした市民税がないので、都市の税収入の大半は固定資産税。つまり、査定額が上がると市の税収も増えるということになる。(ということは、査定額が下がれば税収は減るわけだけど、そのときは「税率」の引き上げでちゃっかりとまかなえる仕組みになっている。)

土地いくら、家いくらと別々に評価され、その合計がその年の評価額ということになる。北米では建物を「improvement」という。土地の価値を高めるものという意味合いで、土地は利用してなんぼという考えは、更地にすると価値が上がる日本とは反対だ。評価額の大部分はもちろん土地の価額で、立地や面積によって決まる。ここでも、地下鉄などの駅や商店街に近いほど評価が下がるところは日本と逆かな。

バンクーバーでは2004年あたりから地価が大幅に上昇し、州経済が好況だった去年はまさに不動産ブームの過熱のような感じだった。テレビのニュースでも評価額が平均20%から30%アップしたと報じていた。だから、我が家もかなり上がっているだろうとは思っていたのだけど、やっぱり通知書の数字を見て思わず目が点になった。

土地の部分だけを見ると、25年前に買った当時の約8倍。4年前のざっと2倍。最初に買った値段と、その後の建て替えのコスト、二度のローンの利子、数回の改装費用を全部足してもまだ総合評価額の3分の1がおつりとして残る勘定だ。我が家は60才になると市税を繰り延べできる制度を利用しているので、実際には納付を代行する州政府への借金が年々増えて行くわけだけど、このおつりだけでも70年分の税金をまかなえる。

 個人年金の積立貯金や預金と合わせると、とうとう「ペーパー」ミリオネアだ。あくまでもペーパーの上の話なんだけど、将来介護ホームに入る必要ができたときの財源が増えたと思って喜ぶべきなのかもしれない。

赤ちゃんの名前

1月4日。National Geographic誌の2007年1月号。2005年度のアメリカでの赤ちゃんの名前トップテンが載っている。

男の子のトップスリーは、1位がジェイコブ、2位がマイケル、3位がジョシュア。女の子のトップスリーは、1位がエミリー、2位がエマ、3位がマディソン。

ジェイコブとはいかにも古風な名前だが、男の子の名前にはまだ聖書に由来するものが多いようだ。トップテンだけでも、ジェイコブ(ヤコブ)、マイケル(ミカエル)、ジョシュア(ヨシュア)、マシュー(マタイ)、アンドルー(アンデレ)、ダニエル、ジョセフ(ヨゼフ)と入っている。アンソニーとクリストファーは共にキリスト教の聖人の名前で、宗教に関係がないのは第5位のイーサンだけだ。ちなみにカレシも2人の弟たちも聖書に由来する名前なのだけど、みんなとっくの昔に上位から脱落してしまっている。

女の子の場合は子音の響きのやわらかいものが好まれる傾向にあるという。よく見るとトップテンのうち7つが母音で始まっている。子音もMやSが多い。これも何か世相を反映しているのだろうか。

州ごとの傾向を見ると、これがまたおもしろい。全米が圧倒的にジェイコブとエミリー/エマの中で、ヴァージニア州から南部へ弧を描くように7州で全米のトップ10位に入っていないウィリアムが第1位。ニューイングランド地方は圧倒的に50年前からほぼトップを守ってきたマイケルが首位になっている。

 欧米に古くからある名前には、ウィリアムがビル、ロバートがボブ、ジョンがジャック、エリザベスがベティという具合に、慣習的に使われてきた愛称があって、元の名前よりもずっと通りが良い場合が多い。カレシもずっと愛称で通して来た。所得税の申告も年金の受取人名も愛称になっている。昔はそれで不便はなかった。ところが、物騒な世の中になってややこしいことになってきた。例えば、航空券の名前はパスポートの名前でなければ搭乗できないし、オンラインショッピングも発注者とクレジットカードの名前が一致しなければ受付拒否になる。いっそ愛称に改名すればと思うけど、いつも本名で呼ばれるのはイヤだと言っているくせに、やはり生まれてからの「名前」はそう簡単に変えたくないようだ。やむを得ず名前を変えた私にはその気持はよ~くわかるのだけど・・・

主婦の帽子、シェフの帽子

1月5日。朝起きてみたらまた雪景色。どうやら雨に変わりつつあるらしいけど、どうしてこうも異常な天気が続くのだろう。天を見上げて「いい加減にせんかい、もう」と言いたくなる。

友だちとランチをするカレシを送り出して、さて今日は何を食べようかと「主婦の帽子」をかぶって考える。イカをミンチにして母がよく作ったハンバーグ風にしてみようか。母はミートグラインダーを使っていたけど、私は1ヵ月前に手に入れたフードプロセッサーを使いたくてうずうずなのだ。(「Airmile」というポイントカードで目的もないまま10年も貯め込んだポイントの半分をCuisinartのフードプロセッサーとブレンダーのコンビとスティックミキサーと引き換えた。)

我が家はこのところCuisinartに凝っている感じだ。最初に買ったのはコーヒーミル。ステンレスの何となく堅苦しいレトロっぽいデザインもすてきだけど、タフそうな手ごたえが気に入った。送られてきたブレンダー/プロセッサーもスティックミキサーも渋いステンレス外装。用途の分からないようなボタンがごちゃごちゃとついていないのも良い。ついでに老化したブレッドマシンもステンレス外装のCuisinartに買い換えてしまった。ブレッドマシンは日本ではホームベーカリーというらしいが、我が家ではこれが5台目。これもいかにもレトロ然としたごついデザインに惚れてしまった。

カウンターの上に渋く光るステンレスの器具と並ぶと、さすがにプラスチックのものは見劣りがする。そういえば、Black & Deckerのコーヒーメーカーは調子が良くない。スチーマーなんかたった1年でタイマーの数字と目盛が消えてしまった。(かっては安くて丈夫だったこのブランド、GEに買収されてからは安さを追求しすぎたのか、表面の表示が消えやすくて困るのだ。指先でこすっただけで消えることもある。)トースターオーブンも古くなった。

 調理器具に関してはカレシも「高くても良いもの」志向。安くていいものもあるけれど、やはり値段と品質が比例しているように思える。さて、次はどれをグレードアップすることになるんだろう。

1年の52分の1

1月6日。金曜の夜の瞬間最大風速は30メートル。またまた倒木続出。停電続出。いやあ、荒れる、荒れる。きのうの昼ごろには強風とみぞれでエアドーム式スタジアムの屋根が破れ、急遽ドームをしぼませるハプニング。これ、収容能力6万人の世界最大のエアドームだそうだけど、できそこないのスフレのようなしょんぼりした姿になってしまった。

さて、2007年の52分の1が終わって、まだ「1年の計」を実行中の人たちはどれくらいいるのだろう。ひょっとしたらもう三日坊主の数のほうが多いのだろうか。

カナダ人のNew Year‘s Resolutionのナンバーワンは「減量」らしい。全国の喫煙率が20%を切るまでは「禁煙」がトップだったように思う。たしか、1月か2月に新聞社が「Cold Turkey Day」というキャンペーンをやっていた。「コールドターキー」というのは元々は麻薬常習者の隠語でクスリをスパッとやめることだが、禁煙キャンペーンでは、「この日を限りにすっぱり禁煙します」と公約する人たちの名前が新聞に載った。周りが知っているからプレッシャーがかかるだろうということだったけど、実際に何割が成功したのかはわからない。喫煙率が急降下したのは市条例が公共の場所での喫煙を全面的に禁止してからだったと思う。

カレシは、今年は午前2時頃までに就寝して、午前10時に起床することにしたのだそうな。もちろん私もいっしょ。ただし、仕事の納期が詰まっているときはこの限りにあらずという条件つき。まあ、少し早く起きれば「日中」の時間が増えて、買い物や家周りの仕事を余裕でできるということらしい。今のところは遅くとも2時半には就寝している。ただし、朝10時に時計のアラームで目を覚ますのは私のほう。耳栓をしたカレシは高いびきだ。ちょいちょいとひじ鉄で起こしてあげる。

私の方は、日本の仕事始めと同時に仕事が殺到して、さぼりたくてもさぼれない状況。おかげで今のところはデフォルトでResolutionを実践中。勉強のほうはぼちぼちと本を読むくらい。

今日1月6日は主顕祭でクリスマスキャロルにある「Twelve Days of Christmas(クリスマスの12日)」、つまり降誕節の終わり。我が家ではいつからかクリスマスツリーを片付ける日になっている。腕まくりして、
 ねじり鉢巻を締めなおさなきゃ~

日本政府のお墨付き?

1月7日。仕事の資料探しで日本の農水省(MAFF)のサイトをうろついていたら、「Certification of Japanese Restaurants Outside Japan」というページにぶつかった。日本語のページにはこう書いてある:

「海外においては、日本食レストランと称しつつも、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているレストランも数多く見られます。このため、海外日本食レストランへの信頼度を高め、農林水産物の輸出促進を図るとともに、日本の正しい食文化の普及や我が国食品産業の海外進出を後押しすること等を目的として、海外における日本食レストランの認証制度を創設するための有識者会議(以下、「会議」という。)を設置します。」

すごいことをいうなあ。日本政府は外国にあって「正しい食文化」や「我が国食品産業の海外進出」ではない日本食レストランを排除しようというのだろうか。外国から見れば内政干渉になりかねない発想だけど、外国に来てまで「我が日本命」を振り回す国民の政府だから、さもありなんというところか。バブル時代に染み込んだ傲慢さが抜けていないのだろう。おまけに「農林水産物の輸出促進」という政治的なホンネまで明かしている。

ここバンクーバーにはマクドナルドを上回るといわれる数の日本食レストランがあって、「ジャパレス」と呼ぶワーホリ族の手軽な職場になっている。すし屋が中心だけれど、ラーメン屋もあるし、トンカツ屋もカレー屋もあるという。それだけの数の日系人/日本人オーナーがいるはずもなく、ほとんどは中国系・韓国系の経営だ。このあたりが日本人の気に障るところなのかもしれない。日本政府が外国で日本の制度を執行できるかどうか自体が疑問だけど、認証制度などできたら、日本食レストランの看板を出せるのはおそらくほんのひと握りの日本人経営の店だけになるだろう。多民族国家のカナダでは「人種差別」として糾弾されることうけあい。

 バンクーバーは今アジアの食材を取り入れたフュージョン料理を出す高級レストランがたくさん繁盛している。食道楽の私には変わり映えのしない日本食よりもこっちの方がずっと楽しい。それに北米人にとってスシは安くて手軽でヘルシーな食べ物になっているから、「日本」にこだわるのはジャパフェチくらい。日本だって、レストランのイタリア料理やフランス料理は、ほとんどは日本人コックが作って、食べる客も日本人。日本人の嗜好に合うように自分たち流のイタリア料理、フランス料理を作って売っているのだ。これって日本人以外の人が日本以外の国で日本人以外の客を相手に日本食を作って出すのと同じで、その土地の人間の嗜好に合わせて多少の変化があってもおかしくはないだろうに。伝統の日本料理を味わいたい人は本場へ行けばいいだけと思うけど・・・。

ためいきモード

1月8日。科学研究論文の仕事がどさどさとなだれ込んできてしまった。ノーとはいいたくないところからだから、ノーとはいえない。

これから1週間で10日分の仕事を詰め込むはめになった。月曜日の早朝までぎっちぎち。ほんとうに間に合うのかなあ。夕食はピッツァの宅配なんてことになるのかなあ。カレシは「メインコースのサラダを作ってあげる」なんていっているけど・・・

まあ、仕事は私が自分の二本足で立っていられるための基盤。こういうときは、そんなふうに自分の背中をど突いて、ねじり鉢巻をグイッと締めて、とにかくやるっきゃない・・・なあ。

 でも、あ~あぁ、予定表を見るたびにタメイキが出る・・・。

ねじり鉢巻一日暮れて・・・

1月9日。今日はとっても押せ押せの一日だった。仕事のほうは、予定の先を行っているのか、後塵を拝しているのか、よくわからない。分子生物学、遺伝学、農薬の検出試験と、バラエティたっぷり。今頃あわてて理科の勉強をしているような感じ。

この週末に、バンクーバーのウィメンズホスピタル(産婦人科病院)で6つ子が誕生したそうだ。男の子4人、女の子2人。両親がプライバシー尊重を求めているということで、新聞もニュースも誕生を確認できただけ。でも、状態はきわめて良好らしい。それにしてもすごいなあ。今年3才になるアメリカの6つ子は1週間に使った紙おむつが500組だったという話だけど。

ディッシュウォッシャーの部品が届いて、修理屋さんがガスケットを取替えに来てくれた。ウクライナからの移民だそう。アメリカで買ったという便利そうなLEDの照明道具を見せてくれた。バンクーバーではまだ売っていないとか。欲しくなってしまった。修理屋さんは最近の移民が多い。きっと出身国にはなかなか手に入らないモノを工夫して修理しながら使う習慣があったのだろう。使い捨てが主流の北米ではもう「修理」なんていうめんどうなことはしなくなってしまった。あまり地球に優しくないよなあ、私たち。

午後3時、まるでパッケージ旅行の日程みたいに、嵐第14号が来た。ほんとにいきなり大風が吹き荒れて、あっという間に去って行った。オフィスに篭ってせっせとキーを叩いている間の訪問。またスタンレー公園で大木がたくさん倒れ、しぼんだスタジアムの屋根には破れが増えたそうな。

 夜、急に冷え込んで、今度は雪。どうなってるんだろう・・・

白銀は招かず

1月10日。朝起きてみたらまた白一色の銀世界。こういう天気予報はまず外れてくれないから困る。でも、おかげで仕事の方はフルスピードで進行。なぜか3年ほど音沙汰のなかったところからまで仕事の相談。ふ~ん、人がいなくて焦ってるな。残念でした、もう2月半ばまで予約いっぱい。(どっちみちIT関連は嫌いだし・・・)

気温が急降下して、昨日の午後の大風で停電してまだ復旧していない数千戸はさぞ震えていることだろう。集中暖房はこういうところがネック。停電すると暖房もストップしてしまうからだ。日本のようなポータブルの石油ストーブもあることはあるけど、キャンプ用品扱いだし、気密性の高いカナダの住宅で使うのはちょっと危険。ひと月ほど前の大雪の時は、屋内でガソリン式の発電機を使っていた老夫婦が一酸化炭素中毒で亡くなった。

木曜日はゴミの回収の日。来れるかどうか分からないけど、裏庭においてあるゴミ容器をレーンに出した。収集トラックの機械化で、去年から市役所から支給されたゴミ容器を使うことになっている。大小5種類あるサイズによって年間の収集料金が違う。我が家のは下から2番目。サンプルを見たときはちょうど良さそうだったのが、実際にゴミを入れてみるといっぱいになるのに2週間以上かかる。リサイクルに出すものが多いし、野菜くずなどは堆肥になるから、収集に出す量は意外と少ない。いっぱいでなくても出せばいいんだけれど、そこはめんどうくさがり屋のカレシのこと、「そんなにたまってないからいいや」と、収集日にゴミを出すのは2週間に一度くらいになってしまう。

 今日のカナダは西から東まで大雪に吹雪。なのにトロントのあたりはなぜかゴルフ日和だとか。世界一長いスケート場として有名な首都オタワのリドー運河はまったく凍るそぶりもないらしい。カレシはオタワに住んでいた時に、運河をスケートでスイスイと通勤したそうな。そういえばこの何年かはなかなか凍らなくて冬のフェスティバルにも支障が出ているそうだ。これも地球温暖化の証拠だとすれば、冬中ゴルフができるほど温暖なはずのバンクーバーのこの冷え込んだ雪景色をどう説明するのか・・・

仮想現実の現実

1月11日。仮想的有能感という言葉を見つけた。日本の心理学者の造語だそうだ。他人を見下すことで生まれる仮想現実的な自信のことをいうらしい。男に多いという。世の中みんなバカ――自分に自信のない人間はそうやって他人より自分の方が上という「自信」を持とうとする。もっともうそういう人間はどこの国にもいるけれども、日本では若い世代に疫病のごとく広がっているらしい。仮想現実の自信で自分を甘やかしているから、ごく些細な「障害」でもキレるのだという。

仮想的有能感の裏返しは劣等感だろう。内部から人間性を蝕む病的な劣等感が蔓延っているらしい。日本の男は他人を見下すことでその劣等感と闘っているわけだけど、女のほうはその劣等感を他人を引き摺り下ろす武器にしているようだ。掲示板の書き込みを見れば、仮想でも何でもない、剥き出しの劣等感が一目瞭然だ。とにかく何かにつけて「見下された」、「軽く扱われた」、「無視された」と、まるで受動攻撃型人格が大発生したのかと思ってしまう。

男の仮想的有能感も女の現実的劣等感も、方向を間違うといじめやモラルハラスメントの凶器になりかねない危うさがあるように思える。

 今の日本は「格差社会」なのだそうだ。人間は工場で品質管理されて生産されるわけではないから、いろいろな面で多様な個人差(difference=違い)があるのは当然で、その違いを認めた上で人間としての価値は同じとするのが平等社会の基本だと思う。でも、日本の社会文化はその違いを「格差」と呼んで「社会悪」と位置づけているようだ。どうもこの「格差」という言葉自体に病根があるように思えてくる。格差の「格」という字は「格式」や「格上げ」、「格下げ」というように、まさに「上下のものさし」をいう。また、「規格」、「資格」、「(不)合格」というように、「格」には一定基準への適合につながる意味があって、規格社会では不適合は欠陥品として排除される。(トータルQCを提唱したデミングは統計学者だったが、日本人は統計が大好きな民族で、しかもコンマ以下までこだわる。)集団思考を善しとする日本の社会文化には「いじめ」に通じるものがある。ものさしの目盛でしか人間の価値を読まない(読めない)社会は、いつか弱肉強食の動物社会に戻って行くかもしれない。

だいえっとなっとぉ~

1月12日。日本全国で突然スーパーの棚から納豆が消えてしまったそうだ。聞くところによると、どこかのテレビ番組で「納豆を食べてやせられる」というトピックがあって、それで「一億総納豆フィーバー」となったらしい。

その話を聞いてまっさきに思い出したのがココアだった。何年前だったろう、たまたま日本に行っていたとき、なぜかココアが店頭から姿を消していた。そんなに大量消費されるものでもなかろうにと不思議に思ったけど、どうやら雑誌かテレビで何かの怖い病気を予防するとかいう話を聞きつけて、それっとばかりに一億こぞってココアを買いに走ったせいらしかった。

ココアといい、納豆といい、テレビのニュースでもないショー番組で聞いて、それっと駆け出すところは、瞬間湯沸かし器そこのけの熱狂ぶりだけど、さめるのもかなり早いからおもしろい。今度はいつまで続くだろう。納豆の在庫がだぶついて、張り切って増産したメーカーが倒産なんてことにならないといいけれど。

納豆は純日本生まれだけど、日本人の中でも好き嫌いが明確に分かれる食品だったと思う。あれを朝な夕な食べ続けるのはけっこう大変だろう。さて、納豆は臭くて嫌いといっていた人たちもダイエットのために急遽納豆ファンになったのだろうか。鼻をつまんで我慢しながら食べているところを想像するとなんか笑えてくる。

やせるには1日2回食べなければならないとか。何だかクスリの処方箋のような話だけど、流行のダイエットはやせた「後」が問題。やたらに次々と奇妙なダイエットが流行するのは、目的達成!とばかりに安心して元の食生活に戻る人が多いせいだろうと思う。もっとも、効能書きの通りにみんなが減量できて誰もリバウンドしてくれなかったら商売は上がったり。ダイエット産業は保健福祉サービスではないのだ。

 ひょっとして、そのうち朝夕1日分の納豆の成分を錠剤にして売り出すところが出てくるかなあ。

週末・鬼門・寒!

1月13日。どうして週末は「必勝」の鉢巻モードになることが多いのだろう。まあでも、明日一日の大車輪でとりあえず仕事はひといき。だけど、残業モードは確実。ラッキーなことに、カレシが月曜日に代講するはずだった移民向けの英語教室がキャンセルになった。夜なべ仕事で朝7時半起床はちとつらいもの。(ちなみに、この代講は有給。なぜか無資格教師のカレシの時給のほうがそこらの語学学校のESL教師より高いから不思議だ。)

今日土曜日は今年初めての外食。そろそろホリデイのご馳走のほとぼりも冷めたしということで、お気に入りのLe Crocodileへ。「ワニ」なんて変な名前だけど、れっきとした本格フランス料理。オードブルのメニューにちゃんと「カエルの足」もある。(まだ試したことはないけれど。)今夜は私はラム、カレシはカリブー。これはバファローよりやわらかめでおいしい。食後のディジェスティフは、2007年の外食1回目ということで、欲張ってアルマニャック。コニャックよりとろっとマイルドな飲み口がいい。お勘定のときにはいつもワニの形をしたダークとミルクのチョコレートが出てくる。

寒波がまだデンといすわっていて、一日中凝りもせずに氷点下。なのに、二人ともいともカジュアルにいつものバンクーバーの冬のつもりで出かけたからたまらない。握り合った手までこちこちになってしまった。私は北国の生まれ育ちなんだけどなあ。これも順応性のなせる業というところか。

ついでに車を出そうとしたらガレージのドアが凍って開かない。緊急ロープを引っ張って、ドアを揺さぶってやっと開けたのは良いけれど、今度は自動に戻せなくなってしまった。手動で開閉なんてめったに使うことがないから、二人とも忘れてしまっているのだ。使用説明書をさがさなくちゃ。もし見つからなかったら、また修理屋のお出ましということになりそう。

 それにしてもそろそろ暖かくならないかなあ・・・

日本語力はいかに

1月15日。ぎちぎちの仕事の最後のものを期限ぎりぎりで納品してやれやれ。冷え込んだまま風もなく晴天の日曜日、ブログも書かずに丸一日よくがんばった・・・と、自分の背中をポンポン。在宅稼業では自分で自分をほめて、では次行こう、となる。

小町をのぞいたら「若者に通じなかった日常語」の書き込みの中にこんな「日本語試験」のリンクがあった。第二回となっている。おもしろそうなのでさっそく試してみた。結果は76点だった。「ふつう」だそうだ。ちなみに総合平均点は63.50点(少数二桁なのが日本的!)、海外在住者の平均点は62.81点となっている。言葉は「使わないと忘れるもの」だと実感。

寸評を見ると、「・・・これを機会に手紙に関するマナーを確実に身につけましょう」だと。たしかに封筒の宛名の書き方や敬称のしきたりに関する質問で誤答が多かった。日本で学ばなかったのか、忘れてしまったのか・・・。

 ルーツがおさむらいの時代に遡る言葉も多い。ことわざや慣用句の誤用がめだつというけれど、今どきテレビの時代劇なんかで見聞きしているのでもなければ、字面で感覚的に判断せざるを得ないような気もする。

漢字も、日ごろ文章を目で追って、コンピュータで打っているだけなので、今さら正しい送り仮名はと質問されて、思わず「ン?」となる。「活魚料理」を何と読むかって?キーボードでは「かつぎょ」と入力するとちゃんと「活魚」になるけど、正解は「いけうお」料理なんだそうだ。ちなみに私の解答は「いきうお」で、もちろんバツ。生きている魚なんだから「いきうお」の方が感覚的にしっくりするんだけれどなあ。発音に方言的な要素の影響もあるのではないかと疑ってしまう。(私の母語は北海道語なのだ。)

 言語と格闘する商売なのだから、せめて90点は取れないとなあ。う~ん、内心忸怩たるものを感じます、はい。