リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年2月

2007年02月28日 | 昔語り(2006~2013)
三年目のジンクス?

2月1日。裁判所からカレシ宛に一通の封書が届いた。2月27日午前9時15分に州最高裁判所へ出頭すべしと書いてある。なんと刑事裁判の陪審員の召喚状だ。

年令19才以上でカナダ国民で州の住民でなければ欠格。他に陪審員法に15ほどの欠格条項がある。そうでなければ、陪審員は市民の義務だから、よほどの理由がない限り出頭しなければならないが、たいていの人は召喚状を受け取るとまず「どうやって免除してもらおうか」と考えるそうだ。まず65才以上は申し出ると免除される。その他いろいろな理由で免除してもらえる。英語が分からなかったり、変更できない旅行の予定がある場合も免除されることがある。最後の手段として、出頭して裁判官に直訴することもできる。

陪審員候補は選挙人名簿から無作為に抽出されるので、私のように過去に10年ほどの間に3度も当たりくじ?を引く不運?な人間もいる。最初はフリーになって間もない頃で、出頭して裁判官に「始めたばかりの自営業なので経済的に困る」と直訴して免除してもらった。二度目はその5年くらい後だったか、民事訴訟だったので、当事者同士の和解で裁判には至らず、お役ご免。三度目は6年前。ドクターの「うつ病とDVのカウンセリング中につき、公正な判断は不可能」という診断書を送って、陪審員法第3条(1)(m)に基づいて「欠格」と認められた。短期間に3度も呼び出されて、しかも一度も陪審員を務めなかったというケースも珍しいだろう。

カレシには欠格理由も免除してもらえそうな理由もない。運良く選ばれずに済んでも2ヶ月以内にまた呼び出される可能性があるけれど、陪審員を務めればそれから2年間は呼び出されても自動的に免除される。さっそく「くだらん制度」と大むくれ。出頭してああだこうだと指図されたらガツンといってやるのだそうだ。裁判所とけんかするにせよ、市民の義務を果たすにせよ、カレシにとっては良い経験になるのではないかと思う。

いつからお役所仕事はスピーディ?

2月2日。陪審員の呼び出しでむくれていたカレシだけど、土曜日の英語教室には支障がないとわかって少しは「むくれ」が鎮まったらしい。翌日は市の道路清掃が我が家の側ということで、「ご協力お願い」のちらしに文句もいわず、ポンコツ車を道路の反対側に移し、トラックには「バッテリが上がって動かせません」という大きな張り紙をしておいた。

翌朝、清掃車のやかましい音が家の外を通り過ぎて、二階へ上がって窓から見たら、道路はたまっていた落ち葉やゴミがきれいになくなっている。大きなトラックまでなくなっていたのだから、きれいすぎる。よくよく見渡すと、何と1丁先にフロントガラスに張り紙をしたままのトラックが見えた。どうやら市がレッカー車で移動してしまったらしい。

カレシは「言う通りにしたのに!」と大むくれ。たしかに、「動かない」と表示してあるものを動かしておいて、そのままさようならはないだろう。ジャンプスタートで動かすことはできるけど、木曜は英語教室の日ですぐにはできない。おまけに我が家の近辺の路上駐車は各ブロックの「住人オンリー」。(そうでないと近くのカレッジの「駐車場」になってしまうからだ。)住人が通報すれば、駐車違反チケットを切られる可能性もある。いったん切られたチケットを取り消してもらうのはまた手間がかかって大変だ。電話に飛びついたカレシは、市役所の清掃課に「すぐ元の場所に戻せ!」

清掃課はお役所らしく「調べて折り返し電話します」と。カレシは着替えをしながらイライラ。5分ほどして電話が鳴る。お役所にしてはスピーディと思っていたら、「レッカー車を差し回します」という返事だった。気を良くしたカレシは鼻唄交じりに靴を履きながら、「外を見張っていて、オレのいない間に来たらどこに置くか指図しろよ」と。そこへまたまた市役所から電話で「もうすぐレッカー車が行きます」と。カレシは外へ飛び出して行き、ほどなくしてエンジンの音。トラックが戻ってきて安心したカレシはちょっぴり遅刻して教室へ出かけた。

こうして「動かない」トラックは50メートルほどの距離を往復して、無事に元の場所に落ち着いたのだけど、お役所の対応にはびっくりした。イライラしながらもキレなかったカレシもエラかった。あまりの対応のよさに毒気を抜かれてしまったようだ。おかげで私は仕事がはかどって、「明日はブッフブルギニョンを作ってあげるね」と約束してしまった。

それにしても、やっぱり三年目のジンクスなのかなあ・・・

私はTerra incognita人?

2月3日。今年になってのぞく気もなくなったローカル掲示板だけど、ある情報を探しに行ったら、「日本人を避ける移民」というトピックが目に付いた。

  「移民の人で日本人とつるむのを嫌がったり、日系の会などには一切参加せず、ひっそりと暮らしてる人も
  いますよね。(略)日本人同士でお話したり、相談しあったり(助け合ったり)できるメリットを捨ててまで避け
るということが不思議です。」

案の定、喧々諤々の書き込みが並んでいるけど、日本人とつるまないで「ひっそりと暮らしている」という発想はすごいと思う。移民大国カナダで日本人社会しか見えず、その外は古地図にある「Terra incognita(未知の世界)」ということなのだろう。だから日本人社会を「避ける」日本人は、社会参加の「メリット」を捨てて、つまり世を忍んでひっそりと暮らしているということになるらしい。

日本人が修飾語なしで「移民」というときは日本人移民、それもバブル期から以降に来た人たちをくくっていることが多い。つまり、まだ「日本人意識」を共有しているか、あるいはそれを期待できる範囲の世代。年齢層にすれば20代から40代の初めくらいか。仲間同士で「つるむ」という文化の中で育った人たちだろう。私が日本を離れたときにこの世代は子供だったか、まだ生まれてもいなかった。だから私はこの人たちの「日本」を知らない。要するに年代が違いすぎて共有するものがないから、向こうの方がつるみたいとは思わないだろう。ひっそりと暮らさせてもらえるのだ。年を取ったらこんなメリットもあると思うとおかしくなる。

このトピックはさておき、探していた情報はあったから必ずしも無用の長物ではないのだけど、この日本人掲示板は相も変わらず「愚衆のたまり場」だ。日本には2チャンネルとか言う、何でもありのサイトがあるそうだけど、この掲示板もたぶんそっくりだろう。まあ、ローカル(=カナダ人)のサイトも、書き手の年令層が同じせいかレベルの低さでは違いはないけれど、下には限りなく下があるものだと感心する。

生まれなかった子

2月4日。日本では少子化で将来の年金がどうの、国の人口が減るのとにぎやかなことだ。カナダでも、配偶者を持たない女性の数が有配偶者の数を上回って、非婚化、少子化の傾向にある。けれども、新聞の隅っこに「カナダの女性の出生率が30年前に比べて大幅に低下した」と報じられただけだった。

私には子供がいない。欲しいと思ったから、子供はいらないというカレシを説得して、それなりに努力をした時期もあったけど、結局は産めなかった。

1981年だったと思う。ビクトリアから戻ってきて、カレシも私も州政府の公務員になって、生活基盤が安定した頃だった。あるとき、予定を過ぎても生理が来ない。40日、50日と過ぎてもその気配すらない。ひょっとしたら?と、密かに胸が躍った。ところが、夜中に突然の腹痛。58日目だったろうか。眠りに戻っても20分後にまた。その15分後にまた。ひとりバスルームで、異常な出血に狼狽して、怯えているうちに、一気に大量の出血があって痛みは遠のいた。医者に行ったのはそれから1週間ほど後だった。「流産した可能性が高い。」流産・・・。あの夜、カレシは何も知らずに眠り通した。

私の子供は母である私にその存在すら知らせないまま逝ってしまった。産みたかったと思ったこともある。でも、カレシとの葛藤の中で、あれは神様の思し召しだったと思うようになった。わずか何週間かの命ではあっても、私の中に私の子供がいた。その子は機能不全の家庭に生まれることなく神様のところへ戻っていった。それだけで十分に幸せだと思う。

女の子が生まれたら私が「Maya」と名づけるはずだった。あのときの子が生まれていたら今年25才。私の人生がカレシと会って思いがけない方向に展開した年だ。もし女の子が生まれていたら、マヤと私はどんな会話をしていたのだろうか。

DICHOTOMY考

2月5日。月曜日。午後9時。とうとうまた仕事が「ぎちぎち」の状態になってしまった。前半でちょっと悠長すぎたか、と反省。でも、大学の教科書はかなり読み進んで、これまで頭でだけわかっていた「iambic pentameter(弱強五歩格)」を音楽的に実感できたから、時間をまるきりむだにしたわけでもない。それでも、今週はイェーツだのフロストだのといっていられそうにない。

今日は新しいコンタクトレンズを取りにダウンタウンへ出かけ、スーパーと青果屋に立ち寄って買い物。それだけでいつも「午後」の時間がほぼ暮れる。今日は私のトレッドミルの日だから、4時を過ぎてからいつものように約5キロの距離を30分で走る。息切れはしないけれど、それでも終わる頃には汗だくになる。だけど、そんなにせっせと走っても、トレッドミルの表示板のエネルギー消費量は約280カロリー。

ひたすら走っていると、血行の良くなった脳みそがいろんなことを考え始める。それが日本語だったり、英語だったり、ちゃんぽんだったり、喧しいことこの上ない。夢が醒めている間に蓄積されたいろいろな情報を整理しているとすれば、トレッドミルでひたすら走っている時間も、精神が肉体を放り出して、夢うつつで切れ切れの思考を整理しているのかもしれない。突如として1日悩み続けた問題が解けたり、新しい視界が開いたり、書きかけの芝居がワンシーン前進したり・・・。

今日はふとdichotomy(ダイコトミーあるいはディコトミー)について考えた。日本語では二分法という。辞書を見ると、ものごとを「対立的な概念」に二分すること、と書いてある。たとえば、明と暗、右と左、生と死などは明確な対立概念といえるだろう。さらに突っ込んでいけば、我と彼、男と女、東と西といったものも対立する概念ということになるだろう。

でも、ダイコトミーは二つの物事の間に明確な違いがあって、その上でその二つが両者を包含する大きな「ひとつ」を形成する、と私は考える。つまり、ひとつの宇宙の中で概念的に相反するものが存在することで互いの存在意義を強調する・・・私にとって、ダイコトミーは拮抗して優劣を競うものではなく、異なるものの共存なのだ。

適者生存の動物界から発生して、理性なるものによって「共存」を実現したはずの人類だけど、今だに人やものごとを「勝ち犬と負け犬」というように上下に二分せずにいられないのは、単に異なるものを退けて「仮想的有能感」を得ようというのか、それとも種としてピークを過ぎた人類の必然的な先祖返りなのか・・・

領事館閉鎖

2月6日。カナダ政府が大阪と福岡にある領事館を閉鎖すると発表したそうだ。経費削減が理由だとか。私が日本を離れた頃に日本にあったカナダの外交拠点は東京のカナダ大使館だけだった。カナダの政府は頭からそれ以上の「プレゼンス」は必要ないと公言していた。大阪に、名古屋に、福岡と、相次いで領事館ができたのは、日本のバブルが膨張し続けていた頃だど思う。

バブル経済の恩恵を受けなかった日本人は知らないだろうけれど、80年代後半に「スーパー成金」になった日本人は札束を抱えて世界を我が物顔に闊歩していた。私は会計事務所にいて、そういうのぼせ上がった日本人を何人も見た。その言動はとうてい「醜いアメリカ人」の比ではなかった。そういう成金日本人に世界の一攫千金のビジネスが雲霞のごとく群がったのもバブル時代だ。カナダのビジネスだって例外ではない。日本へ売り込めば儲かると、猫も杓子もこぞって盲目的に「金満大国ニッポン」に群がった。我を忘れて驕る日本人の理不尽な態度に目をつぶったカナダのビジネスも多かったはずだ。

何しろ「ジャパン アズ ナンバーワン」などともてはやされてすっかり有頂天になった日本ビジネスは、「オラオラ~、オマエら、ニホンゴでやらんかい、ニホンゴで!」とふんぞり返った姿勢だったから、フリーになったバブル終焉の頃でも、カナダには英語から日本語への翻訳需要が山ほどあった。

あの頃の日本人はとにかく恥ずかしげもなく肩で風を切って威張っていた。ちょうど彗星のごとく登場したハリウッドのスターのような存在だったと思う。その才能から将来を嘱望されながら、スターダムの煌びやかさに溺れ、甘い汁に誘われた取り巻きに煽てられ、自分を過信して驕り高ぶった挙句に、落ち目になったとたんに冷笑の的。英語でいう「has-been」なのだ。やがて華々しくカムバックして来る往年のスターもいる。でも、それは自惚れを捨て、筆舌に尽くしがたい努力を重ねて新しい何かを生み出した人たちだ。たいていは「何かが変わる」まで、スキャンダルで辛うじて大衆の記憶をつなぎ止めるしかない。

外交政策は自国の利益を保全するためのものであれば、国と国との力関係に敏感だ。人間はその上下関係が逆転したときに過去に忍んだ理不尽を思い出す。カナダが今の日本に媚を売ったところでどれだけの経済的、社会的メリットがあるのだろうかと自問するのは当然のことだ。中国という、リスクは大きいけれど利益も大きい国が台頭して来た今、日本国内の領事館を閉鎖するのは日本が「色褪せた元スター」でしかないというカナダの判断なのだ。それをどう思うかは日本しだい。

今日は何の日?

2月7日。目を吊り上げて仕事をしているうちに疾風のごとく過ぎたけど、今日は何の日だったのだろう。太陰暦には八節二十四節気というのがあって、さらに細かく分けた七十二候というのまであるそうだ。ちょっと調べてみたら、今日は立春の初候で「東風解凍」とあった。

東風解凍というのは、「東風が吹いて氷が解け始める気候」という意味とか。なるほど、「水温む候」よりはまだまだ寒いかなあという感じ。中国正月まであと10日。春節というそうだけど、カナダでは中国系、ベトナム系など旧正月を祝う人たちが多いからチャイニーズ ニューイヤーは主要行事だ。民族にかかわりなく「恭喜發財」(広東語で「ゴンヘイファッチョイ」と発音する)とあいさつを交わす光景はmulticulturarism(多元文化主義)の賜物だろう。ショッピングセンターやデパートも赤や金色の飾りでにぎわい、スーパーなどではアジア食品のセールまである。

さて、私の2月7日はというと、納期ぎりぎりでひとつ終わったけど、まだ東風吹かば~などといっていられない。氷が解け始めるどころか、なだれの上に大なだれで、雪の山の底の底に缶詰になってカチカチの状態。積み上がった仕事を雪山に見立てて、普通のペースなら崩すのに2ヶ月半か。それを6週間足らずで平らにしようというのだから、豪傑ヘラクレスでもついため息をついてしまって、札幌雪祭りの雪像みたいにコチコチになるかもしれない。

ちょっとカレンダーに隙間があるとすぐに「ま、いっか~」と腕まくりをしてしまう自分が悪いのだけど、まあ、深呼吸をして、Next!といくしかないか。春はまだまだ遠いかなあ・・・

熱中症?

2月8日。2月8日。今日は何の日?こんなきっかけでも作らないと、仕事に「熱中モード」の時は、今日が何日かわからなくなってしまう。納期まであと何日とカレンダーとにらめっこのはずの状態のときに逆なのだからやっかい。熱中症なのかな。ただし、熱くなっているのは私の頭の中。そんなときに、カレシが「お~い、コピー機が詰まったぞ」と来る。そのくらい自分で処理してよといいたいけれど、この人、なぜか機械にめっぽうヨワイ。おまけに育ちのせいかどうか、モノが故障するとパニック状態になり、壊した場合は罪悪感が「ボクのせいじゃない!」パニックを煽る。「開けられない!」(そばに使用説明書をおいてあるんだけど・・・)どうやら焦って引き出そうとした紙がびりびりに破れて手に負えなくなったらしい。やむなく、仕事を中断して「営繕係」の帽子をかぶる。

コピー機が復旧して、やっと英語教室へお出かけとと思いきや、戻ってきて「ガレージのリモコンがない!」私、そんなの知らない。「いつものところにない!」私、そんなの知らない。(ちゃんと「いつものところ」に戻せばいいのに!)「きのう、ポケットに入れたままトラックの・・・」じゃ、道路にでも落っこちてるんじゃない?「見たけど、ない!」じゃ、トラックの中?結局のところ、また仕事を中断して、カレシについて外へ出る。のぞいて見るとリモコンはシートにちょこんとあった。カレシは必死で床を捜している。ほら、そこ、シートの上!「え、どこどこ?」もう・・・

遅刻気味のカレシを送り出して、ふと考える。とにかく探し物の多い人だ。年がら年中いつも使っているものを家中捜して回る。自分のすぐ目の前にあっても「見つからない!」。ひょっとして、ものの物理的な見え方が私と違っているのではないかしら。眼鏡もリモコンも、ひょっとしたらこの私も、私に見えている形には見えていないのかなあ。それともものの「形」が記憶装置に登録されないとか・・・?

ああ、私のハードドライブは過熱気味!今日は何の日だっけ・・・?


In pursuit of perfect poesy

2月9日。

My head swims around my eyes,
   Round and round and round.
A school of fish looks for lies,
   Round and round and round.

A puppy dog wagged by tail,
   Round and round and round.
A sagging ship blows its sail,
  Round and round and round.

In a sea of words my head wades,
   Ships and dogs and fish.
Must I write before it fades
   A poem that is my wish?

Ten pages to go.Mumble...grumble...sigh...

えらいこっちゃ・・・

2月10日。土曜日。午前5時半、納品完了。6時就寝。お昼を過ぎて目が覚めた。カレシはとっくに英語教室へでかけて家の中はし~ん。考えたら、金曜日は朝食後から仕事を始めて、食事の時間以外はほぼぶっ通しでキーを叩いていた勘定。こんな集中豪雨みたいなスケジュールは何年ぶりだろう。さすがに頭がクラクラしていた。やっぱり年のせいかな・・・

土曜日の午後はお休みにして、郊外の園芸センターで土や砂をどっさり仕入れるつもりだったのが、肝心のトラックは前日からジャンプスタートもできない状態。こういうことになると少々しつこいカレシもさすがに「新しいのに買い換えたら?」という私に聞く耳を持ったらしい。ただし、トラックとポンコツトヨタを両方とも処分して、新しいトラックはマメに使うという条件をつけた。カレシは「新車なら燃費もいいからオレのメインにするよ」とのことで、これで決まり。とんとん拍子でトラックの買い替えが決まった。やれやれ・・・。

さて、一夜明けた日曜日。えらい緊急メールが飛び込んで来た。他の人に発注した仕事が使いものにならない。納期までもう時間がない。できる?う~ん、できないことはないけど・・・。じゃすぐに始めて!

えらいこっちゃ。また残業モードかあ。でも、良くしてくれるお客には逆立ちをしてでも良くしたいのが人情というもの。よっしゃ、ここのところはひと肌脱ぎましょう・・・じゃなくて、ぐいっと腕をまくってしまいしょう。

がんばるぞ~

ハイファイブ!

2月13日。1週間で二度目のほぼ徹夜。でも、緊急出動の仕事が終わった。やった~。ばんざ~い。

ひと眠りしてちょっと元気が出る。他人の仕事をやり直すのはけっこうなプレッシャーだ。時間的にきついだけでなく、前に誰かがやって「不良品」としてはねられたという背景があるからだ。発注元は自腹を切って5割増の料金を払うわけだから、やり直しが不良品より格段に良くなければ「失敗」ということになる。ほんとにえらいこっちゃなのだ。

でも、こういう「緊急事態」は別に初めてのことではない。子供が風邪を引いて、子供がうるさくて、量が多すぎて・・・と、納期が迫った頃に仕事を投げ出されると、発注元はすぐに代役を探さなければならない。ところが、この稼業はどういうものかみんな一斉に多忙になって、一斉に暇になるようなところがあるからやっかいだ。クライアントが頭を抱えれば、こっちはつい極楽とんぼ丸出しで「OK」となる。困った性分なのだ。

10何年も前、納期の前日になって「できません」と投げ出された仕事が回ってきたことがあった。よく見たら半分も手をつけていない。おまけにできている半分は?なシロモノ。「遊び盛りの若い子はこれだから」と発注元は渋い顔。結局は白紙に戻してやり直し。始めてから完了するまで30時間の間にコンピュータに向かっていたのは25時間。投げ出した人はその後どうなったのかわからない。「家事と育児の手が空いた時間を利用して稼ぐ」・・・つい食指が動きそうなおいしいお誘いだけど、ご用心。小遣い稼ぎと生業はまったく別もので、生業とするなら仕事の手が空いた時間を利用して家事や育児をする覚悟がいる。

今度のは予定通りに仕上がったのに編集者がNGを出した。「内容を理解していない」と。たしかに一行おきに「こら、ググらんかい!」と突っ込みが入りそう。ということで、2日足らずの突貫作業で、ファイルとメッセージが丸い地球の上をぐるぐると回る。ジュネーブの編集者と東京の発注元にファイルを送ってベッドにもぐりこんだのは午前5時。

明日はバレンタインデイ。毎年同じレストランに行く。暮れのうちに予約を入れてある。ああ、昨日でなくてよかった。

外国語と日常語

2月14日。火曜日は1日中熱っぽくて、ぼうっとして過ごした。ひと昔前のように「ではお次」というわけにはいかない。こんなときにはやっぱり年令を感じる。いつの間にか「創業17周年」を通り過ぎてしまっている。万年引きこもりのような稼業もついに18年目に突入、か・・・

朝からカレシについてネイバーフッドハウスでの英語教室関係者の中国正月パーティに行く。中国語、朝鮮語、ベトナム語が飛び交ってとにかくにぎやか。英語は圧倒的なマイノリティになってしまう。このハウスにはボランティア先生の教室2クラスの他に政府が資金を出している移民向け英語講座がある。移民向けの講座は資格のある先生が有給で教える正式なプログラム。レベル分けして、レベル3までは無料。移民の就職を支援しようというものだけど、実は700時間かけてレベル3まで終了しても、母国での職歴に見合った職に就ける英語力には到達できないらしい。

カナダは技術者や医者、看護士といった高学歴の専門職経験者の移民を選別している。単純な労働力として片言の英語で事足りた昔と違い、どんなに資格や経験があっても英語が話せなければどうにもならないのに、なぜ政府は移民審査の段階でもっと「言葉」の能力を重視しないのだろうか。移民する方も移民審査にかかる数年の間に英語を習得する努力をしないのだろうか。いつも疑問に思う。

カレシ曰く、「自分の国で外国語を学ぶ環境ではどうしても自分のレベルを過大評価しがち。その外国語の環境に住むようになって初めてそれがわかる」と。たしかに、外国語として学ぶ環境と、日常生活で使う環境とでは、相手の期待がまったく違う。極端な話、前者では外国語だから「わからなくてあたりまえ」、後者では外国語ではないのだから「わかってあたりまえ」ということだろう。その言語の環境に自ら望んで移民してきて、「でも自分には外国語なんだから、ちょっとぐらい気を使ってくれてもいいじゃないか」という甘えは通じないのだ。(これが「たまたま国際結婚したから来てやった」という結婚移民だったらそういう態度を通せるかもしれないけど。)

さて、今日はバレンタインデイ。今年は忙しさに紛れてカードを探しに行けなかった。ディナーのときにロマンチックに、「口頭」でバレンタインカードをあげようかな。テーブルにバラの花でもあるといいけれど・・・

ハッピーバレンタイン

2月15日。バレンタインデイのディナーはすばらしかった。デザートを入れて4コースをワインとペアリング。それぞれのコースは大きめのお皿にちょこんとおいて周りにソースをとろとろという感じだけど、デザートまで全部食べるとかなり満腹になる。バレンタインなのに結局は色気より食い気。30年以上いっしょに暮らして、やり直し数年の私たち、やっとフツーにとうの立った夫婦になりつつあるとすれば、それも善きかな。

北米のバレンタインはカップルの日だ。レストランを見渡すと、求愛中らしいラブラブの二人から、赤ちゃん連れの若いカップル、二組の中年カップル、妻と母か年の違う女性二人同伴の初老の紳士と、いろいろ。チョコレートショップには赤いハート型の箱入りチョコが、フラワーショップには赤バラの花束が並ぶ。

もちろん女性が義理チョコを配る風習もないし、プレゼントにお返しという義務はないから「ホワイトデイ」なんていっても「??」という反応が返ってくるだけ。義理チョコもホワイトデイの倍返しも、いかにも日本的な発想だと感心する。職場とはいえ既婚の男が独身の女からチョコレートをもらったからとアクセサリーや下着でお返しなんて、だいたいからして考えられないことだ。義理であろうが何であろうが、そのお返しを妻に買わせるなんて、たちどころに離婚されかねない。私がサラリーマンおじさんだったら、バレンタインデイは客先とのアポをずらりと並べて、オフィスに顔を出さない算段を考えるだろうな。

安い義理チョコに倍返し、三倍返し・・・人の気持にも「相場」があるというのが不思議。そういえば、婚約指輪は「給料の何ヵ月分」とかいう相場があるらしいし、それに対してお返しをする習慣もできているそうだから、ハートの大きさも数字で現さなければ実感できなくて不安なのかもしれない。

バレンタインデイの昼のニュース。出勤して来てテレビカメラに遭遇し、きょとんした顔の男性。同僚らしい男性が背景でにやにや、と思うと女性が飛び出してきてカメラの前で「結婚して」。男性はびっくり顔のままもぐもぐと「ああ、いいよ」。そこへマリッジコミッショナーが現れ、同僚たちが拍手する中でベールだけ被った花嫁と即結婚式となった。どうやら女性の方がしびれを切らして同僚やテレビ局を動員して仕組んだサプライズらしい。突然「夫」になった男性、照れながらも曰く、「15年つき合ったから、まあ、潮時だったかも」と。ハッピーバレンタイン!

名もないランの花

2月16日。カレシの園芸ルームに「入院」していたランが花を咲かせた。元々暗室になるはずだったベースメントの小さな部屋で、窓はない代わり深めのシンクとライトつきの三段の園芸棚がある。(ライトの点滅はタイマーで制御している。)暖房なしでもライトの熱でちょうど良い温度になっているらしく、蒔いたタネはよく芽が出るし、萎れた鉢植えもなぜか息を吹き返す。

花を咲かせたランも、いつもつるんでいる友だち夫婦が園芸ショップで買って花が終わったものを3鉢カレシの園芸ルームに持ち込んだものだった。「花が咲いたらあなたのもの、死んじゃったら捨てて」という条件。そのうちのひとつが半年足らずで花芽を伸ばし、4つもつぼみをつけた。

元々花屋の鉢植えはあの手この手で開花を強要されたものだから、花が終わる頃にはエネルギーを使い果たして、忘れられる運命にある。なぜかカレシはダメもとの鉢を生き返らせる才能があるらしく、退職の少し前にも、同僚から捨てるというグロキシニアの鉢をもらって来た。花盛りのものを花屋から買ったものだったけど、花が終わって水遣りも忘れられ、どうみても枯れていた。まだ根は生きているともらわれて来たそのグロキシニアは、その後3年くらい続けて鉢から溢れるほどたくさんの花を咲かせた。

皮肉なのは、カレシが「入院」した花に特別これといった手当てをしないことだ。ごくたまにちょっぴり肥料をやる程度で、あとは園芸ルームに放っておく。根さえ生きていれば、いつのまにか葉の緑が生気を取り戻し、やがて花芽が伸びてくる。ところが手間のかかるものは、半年ほどで何も変化がなければ「非協力的」とゴミ箱行き。だから、育てなければならない野菜類はうまく行かない。問われるままにリクエストした野菜が満足に実ったためしがないのだ。

愛も結婚もあんがい園芸に似たようなところがあるのかもしれない。ひと時だけ人の目を楽しませるために育てられた花は終われば枯れるしかない。手をかけるのを嫌えばやはり枯れるしかない。よけいな手をかけすぎても枯れてしまう。私にはグロキシニアの豪華さはないし、フリージアの甘い香りもなければ、セントポーリアの愛らしさもない。でも、安定した環境においてくれれば元気いっぱい大輪の花を咲かせることができる。私は自由に咲いてこそ美しい花なのだから。カレシはそれをわかっていなかったのかもしれない。

なんという種類が知らないけれど、捨てられる運命から蘇っていっぱいに開いたランの花は美しい。

失敗を許されない社会

2月17日。失敗を許されない社会・・・ぞっとする言葉だ。日本は今そういう社会になっているらしい。グーグルで検索して見たら、出てくるわ、出てくるわ。Googleの「O」を精一杯ストレッチしても間に合わないくらいある。「失敗を許されない子供達」、「失敗を許されない教育」、「失敗を許されない今の世の中」。果ては、いかにもあやしげなネットビジネスの募集文句にまで「もう失敗は許されないあなたにチャンス到来」とあった。

失敗できない状況というのなら、英語には「burn one’s bridges behind one(背後の橋を焼く=背水の陣をしく)」という表現がある。でも、これは自らの手で逃げ道を断って事態に臨むわけで、いたって能動的な行動であって、失敗を「許されない」状況とはちょっと違う。だいたい、人間はどんなに用意周到であっても失敗することはある。その失敗を認めて贖罪するか、教訓を学んで次に生かして行くのが人間の成長というものだろうに。

みんなが「失敗は許されない」と思い込んで臆病になり、同時に他人にも失敗を許さず、失敗したものは切り捨てて行く。お互いに「失敗は許さないぞ」、「失敗は許されないぞ」というマントラにがんじがらめになって行動できない。なんとも怖い社会ではないか。どうも失敗したら恥ずかしいから行動できないのではなくて、万が一失敗したら責任を取らされる、その責任を「取る」のがイヤ、怖いという心理が見えなくもない。

カレシも失敗をひどく恐れる。自分に責任がかかることも恐れる。今はだいぶ改善されたとはいえ、失敗したと思うと「トカゲのしっぽ切り」をやる。ある意味で失敗を許されない環境に育ったからだと思う。というのも、カレシのパパは人の些細な失敗や瑕疵を執拗にからかい、人が集まればジョーク仕立てで繰り返し披露してみせる人なのだ。当人がそこにいてもおかまいなし。失敗談は何年も何年もおもしろおかしく蒸し返される。当然、不運にも不器用に生まれついてしまったカレシはパパの格好のネタになる。私も耳を塞ぎたくなるほど執拗に聞かされたし、私自身もネタにされた。これはりっぱな言葉の暴力、精神的な虐待だ。カレシは小さいときから失敗しないこと、失敗したらそれを隠蔽することばかりを考えて、結果的に達成感を味わうことなく人生を過ごしてしまったのだと思う。

失敗を許さない社会では、人は失敗しそうなことを回避することを覚える。人間は誰もがそれぞれに固有の能力を持って生まれてくるのに、やがてその能力を発揮して達成感を得る機会を放棄してしまう。やり直しや別の選択を認められないのなら、危ない橋を渡るわけにはいかないと思うからだ。結局は自己中で凡庸な臆病者がはびこることになる。失敗を許さない社会とは、実は他人の成功を妬み、「失敗したら一生負け組」という脅し言葉で達成への努力を牽制しようとする一種の「いじめ」ではないのだろうか。

起きて仕事、寝て勉強

2月18日。どうやら緊急出動の疲れも抜けた。身体の疲れはけっこう早く取れる。日ごろからかなりの運動をしているおかげだろう。精神的な疲れはまた別ものだ。アドレナリン生産が急減したせいだろうか、いつまでも漠然と鬱々した状態が続いて困る。ふっと泣きたくなるのもこんなときだ。それでも、いつもそのうちにうつ病のあの八方塞がりの状態には戻りたくない!と戦う気持が勝ってくるから、まあこれは一種の「心の風邪」なのかもしれない。

それでも仕事は生活の糧と、気を取り直して次にかかる。内容がおもしろいのが救いというところ。なんとか予定通りに終わりそうだ。後には超特大のが控えている。大学のレポートも第1号をそろそろ書き上げなければならない。そういえば、ゆうべは夢の中で宿題をやっていた。テーマの詩を不思議と覚えていて実にまじめにあれこれ考えていた。夢を正確に記録できるキカイがあったら、そのままレポートに書き上げられるのに。

Alliteration(頭韻)、assonance(母音韻)、consonance(子音韻)・・・朝起きてから教科書を読んでみたら、夢の中での勉強のおさらいをしているようだった。この調子でまた今夜も夢の中で勉強できたら効率的この上ないだろうなあ。

私はどこから来たのか

2月19日。このところ何となくおかしいと感じていた。レーダーの隅っこにちらりちらりと「未確認飛行物体」が現れては消えるような感じで、それがただ漠然と不気味なだけで何だかよくわからないから、だんだんに鬱っぽい気分になって来る。鬱っぽいと感じるのは、過去が戻ってきそうな予感がするから。

まさに。カレシとの会話でやたらと反論される。それも一度はこっち、次はあっちというように、方向がまったく矛盾している。トピックが何であっても、逆の立場を取って反論してくるのだ。うっかり引き込まれると、そのうちにこちらが精神的に揺らいでくる。意識的にやっているのか、無意識にそういう反応になるのかはまったく別の問題だけど、どっちにしても狙いは同じ。

頭の上にポッと電球が点る瞬間を「Aha moment」というが、まさにそれ。前回の小爆発からちょうど三年目だし、緊張期の兆候なのだろう。ここしばらくは向こうの手には乗らず、こちらの反応をスイッチオフして、半歩くらい横に飛んでやり過ごすしかなさそうだ。何だかまたアドレナリンが増えてきて、鬱っぽさなど吹っ飛びそう。やはり私には遥か遠くの、どこか中央アジアあたりの騎馬民族の血が流れているのかもしれない。

だって私は蝶々さんじゃないのだ。ピンカートンのような人間のために自らを捨てるようなことはしない。(もっとも、ロング原作の蝶々さんは、オペラのマダム・バタフライとはまったく違う、しっかりした、ある意味でアメリカ的な女性として描かれているのだけど。)

私はメディアだ。アジアの小国コルキスの王女メディアはイアソンを助けるために親を裏切り、親も故国も捨てた。純情なメディアはイアソンを愛した。とことんまで愛した。異郷で最愛の夫の裏切りにあったとき、メディアはその夫ではなく、彼の新妻になる娘とその父を殺し、イアソンとの間にできた子供たちも殺した。実は自力で何もできない英雄イアソンはまさに素っ裸で世界に放り出されてしまうのだ。コルキスは今のグルジアのあたりにあったそうだ。私には間違いなくメディアの血が流れていると思う。

張りぼての英雄

2月20日。エウリピデスは悲劇として『メディア』を書いた。まちがいなく悲劇なのだ。読むたびに涙が溢れる。でも、なのだ。これはいったい誰の悲劇なのだろう?

父も家族も故国もすべてを捨ててついて来た最愛の男に裏切られたメディアの悲劇なのか。父の男としての裏切りのために母の手で抹殺される子供たちの悲劇なのか。これは誰のでもない、これはイアソンの悲劇だ。イアソンという実は根性も器もない男の身にその身勝手さゆえに起きた悲劇なのだと思う。

『メディア』はギリシア神話の「アルゴナウタイ」という長大な英雄譚の然るべき完結編なのだ。テッサリアの王子イアソンは、叔父に王位を返してほしかったらコルキスに持ち去られた黄金の羊の皮を取って来いといわれた。コルキスがあったのはグルジアのあたりというから、エーゲ海の文明人にとっては辺境もいいところだ。イアソンはどうしたかというと、50人もの(どうみても脳力よりは腕力の)仲間を集めてアルゴ号でコルキスに向かう。

アルゴ号チームはあちこちで試練に遭遇する。が、どうみてもあちこちで女性の誘惑に引っかかっては、長逗留の果てに結婚を約束して逃げ出すというあまりほめられた話ではない。それでもやがてはコルキスの地に到達する。めざす金のムートンは夜も眠らない火を噴くドラゴンに守られて木の枝にぶらさがっている。そこで英雄イアソンはびびってしまうのだ。そのとき外野席オリンポスの神々がいい加減なおせっかいをしなければ、コルキスの王女メディアはイアソンに焦がれるような恋をして、理性を失うことはなかっただろう。世間知らずの純情なメディアはイアソンの「手伝ってくれたら結婚する」という言葉を信じて、イアソンが毛皮を手に入れられるよう力の限りを尽くす。そのあたりを読むたびに思うのだ、「なあんだ、イアソンは何にも自分の力でやっていないじゃないか」と。

イアソンはたいした労力も使わずに「英雄」になった。約束通りにメディアを妻にして2人の息子も授かった。そのイアソンに目をつけたのが跡継ぎのないコリント王クレオン。きゃっぴきゃぴの娘がいる。有名な英雄を婿にすれば王家にも箔がつくというものだ。糟糠の外人妻なんぞ子供もろとも国外追放すれば済む。イアソンは王座とかわいいだけであまりおつむの良くなさそうなお姫様にのぼせてあっさり承諾してしまう。そこまではさもありなんなのだけど、そのあとが実にカッコワルイ。動転しているメディアを、子供のためだ。お前のためだ、と離婚の「利点」を並べ立てて強引に説得しようとするのだ。妻を納得させることで自分の身勝手を正当化して、少しでも罪悪感を和らげようというつもりだったのだろうか。

結局のところ、いかれポンチの王女はメディアが送り届けたドレスを着てはしゃいでいるうちに猛毒が回って、助けようとした父と共に目も当てられない死を遂げ、怒り心頭で家に駆けつけたイアソンは母の手で殺される自分の息子たちの断末魔の悲鳴を聞かされる。メディアは子供たちの遺体を抱いて、天空へ飛び去って行く。イアソンは地位も若い女との将来も自分の血を受けた子供も失い、おまけに元々よそ者だからコリント人にも背を向けられて、さびしい末路をたどる。放浪の挙句に老いぼれて、ある浜辺で廃船の陰で眠り込んでいるうちに、落ちてきた朽ち木に当たって死んでしまうのだ。その廃船こそあの栄光のアルゴ号のなれの果てだった。

イアソンのような男は今の世にごまんといる。自分では何もできないのに見栄っ張り。人を利用する知恵だけは長けているからやっかいだ。古代ギリシャ人が驚くべき想像力を持っていたのか、人間は元々そんなもので今でも変わっていないだけなのか。どっちにしろ、これからも芸術のテーマにこと欠かないことだけは確かだと思う。

雑念雑感

2月22日。今日はちょっと眠い。カレシは代講と自分の教室とで合わせて4時間の授業。代講の日の朝は8時に目覚ましが鳴る。私はそのときの気分でいっしょに起きたり、またひと眠りしたり。外では「ノー」と言えない性分のカレシは、めんどうだ何だとぶつぶついいながらも、ひとりで朝食をして出かけて行った。

ひと眠りしそこなった私は起きだして、まず少しだけ残っていた仕事を片付ける。魚と海と気象の話。ネット世界を(寄り道しながらだけど)いろいろと調べて回って、「へぇ~」と感心しつついろいろなことを学びながら仕事を進めて、それで生活の糧が手に入るのだから、何だか良いことだらけ。だから17年も続いたのだろう。

科学はおもしろい。高校時代は生物も物理も化学も本当は好きだった。成績不良だったのは試験問題の計算が大の苦手だったから。どうも私は教えられるのが下手で、教えるのもダメらしいから、自己流で学ぶしかないようだ。何となく損だなという気もしないではないけれど、今はGoogleがあるしWikipediaもあるから、謎解きのようなプロセスは楽しい。それにしても何とたくさんの○○学があることか。私のはさしずめ「門前の小僧学」だ。

終わったところで「いつもの時間」に朝食。これがほんとうの「朝めし前」の仕事・・・。

昼のニュース。警察署長が引退する。前任者と違って署員には人望があったけど、何しろちょっとしたことで「警察による人権蹂躙」の旗を振る活動家が多いからなあ。夜の間に発砲事件が2件。ひとつは我が家から10町ほど離れたところ。物騒といえば物騒な話。もうひとつは高級住宅地の真ん中、駐車している車に激突死かと思ったら実は運転していた人は射殺されていたとか。カナダには銃規制があるのだけど、なにせアメリカとの国境はガンもドラッグもけっこう筒抜けなのだ。別れた女性にストーカーしたとかで逮捕されて自主謹慎?していた郊外のどこかの市長が職務を再開するという。「自分は何も悪いことはしていない」と。前にも家庭内暴力で逮捕されて、奥さんが告訴を取り下げて事なきを得た経歴があるという。でも結局は離婚しているから、「不治の病」なのかもしれない。これに比べたら、お口の緩いどこぞの大臣サンはかわいい。

さて、最後のメガ仕事にかかろう。予定はちょっぴりきつい。猪突猛進で行こうか。いのしし年なんだし・・・

年金暮らしはただ飯食いじゃないよ

2月23日。今夜は久しぶりに芝居を見に出かける。すでに行きたかったのを2つ見逃しているから、三球三振は悔しいし、忙しすぎもほどほどにしないと、こんなことからも鬱っぽくなりかねない。

仕事の前にネットバンキングで請求書の支払手続きをする。VISAとデパートのクレジットに電話代。デパートのはまとめて買い換えたタオル類と3年ぶりに新調したバッグ。バッグはいつもひとつだけで、財布やカード類、めがね、携帯をまとめてすぐに手の届くところにおいてある。これは警察のDVカウンセラーに教えられた「非常時への備え」がそのまま習慣として残ったもの。まあ、「非常時」にもいろいろあるから。

2月末は個人の年金積立制度(RRSP)への払込期限。前年の勤労所得に応じた限度額が決まっていて、税控除の対象になる。けっこう金額が大きいから期限を逃したら税金にもろに跳ね返る。それぞれの積立金は銀行系列の証券会社に口座を置いて運用しているから、私の分はカレシに委任状を預けてある。(カレシは勤労所得がないから払込枠がない。)ところが、今年の払込み額をメモして渡したはずなのに預金口座の残高が減っていない。案の定いつものように先延ばししていてコロッと忘れたらしい。「委任状を撤回する!税金増えたらあなたクビ!」

たまたま小町で両親の年金額が自分の年収より多くてやる気がなくなるとこぼしている男性がいた。すでに働き終わった親と今働いている自分を比べても「リンゴとオレンジ(無意味な比較)」だろうになあ。そういえば、カレシも引退するときに私に仕事をやめろと迫った。「養われたくない」というのが理由。年上の夫が先に引退して年金をもらい、妻も自分が引退するまで働き続けるのはあたりまえで、自立した男は妻に養われているなんて思わない。女を対等に見ていないのか、単なる男の見栄なのか。どうでもいいけど、私の「老後の虎の子」はあのとき「RRSPPが25万ドルになったらやめる」といったその25万ドルを超えた。積立の年齢制限まであと10年。私、40万ドルになったら引退するからね~

お騒がせちゃん

2月24日。知り合いから日本から行く女の子がいるから何かのときに相談に乗ってやってもらえるかと聞いてきた。猫も杓子も語学留学や海外体験の今、こういう相談を持ちかけられるのは避けたくても避けられないらしい。知り合いの知り合いのそのまた知り合いの子だけど・・・なんて笑うに笑えない話も聞く。立っている者は親でも使えとはいうけども・・・。

春休みを利用しての留学かと思い、とりあえず、どんな環境か自分で判断してもらって、とローカル掲示板のアドレスを渡して、どうしても困ったことがあったら相談に乗っても良いといった。でも、メールを送ってから何となく鬱っぽくなってしまった。また困ったちゃんに利用されたくないし、若い日本人は女も男もまっぴらごめんというのが正直な気持なのだ。

返事が来てびっくり。どうやらすでにバンクーバーに来ている女子大生から写真つきのメールをもらって、そういえばと私がいるから相談相手に、と思いついたらしい。しかも、留学ではなくてワーキングホリディで滞在予定は1年。

そのホットメールのアドレスがまたカワイさ丸出し。日本では「カワイさ」表現が命とわかっていても、特に無料メールのアドレスには持ち主の人となりがそっくり反映されることが多いから、二の足も三の足も踏む。送られてきたという添付の写真を見て、「あ、これはカンベン」。何のことはない、半月そこそこでもうclubbing(ナイトクラブ遊び)。たぶん、共通の話題が何もない、年を食った「プライドの高いヘンな日本人」のアドバイスに貸す耳なんぞないだろう。

知り合いには、うまくやっているようだから心配ないよ、といっておいた。親しいわけではないらしく、連絡するかどうかは任せると言ってきた。お互いにうまく話をボツにしたわけで、正直いってホッとした。よほど親しい人の子供でもなければ、やっぱり若い女性と近づきになるのはまっぴらごめんだ。いやらしい面を見すぎてしまった。どうしても思い出したくない苦い記憶が蘇ってくる。偏見といわれようと何といわれようと、いやなものはどうしてもイヤ!

おかげで仕事のペースが狂ってしまったじゃないか。こっちは生活がかかっているというのに。ほんとに、もう・・・

お金の使い方

2月25日。浪費家とケチの違いは脳の感覚中枢が決めるらしい。浪費家は欲しいものを見ると快楽を感じる中枢が刺激され、ケチは値札を見て苦痛を感じる中枢が刺激されるという。浪費家は快楽が勝って買い物をし、ケチは苦痛に耐えかねて欲しいものも買わない。浪費家でもケチでもない大多数はその快楽と苦痛の間で悶々とするわけだ。

家計簿をつけなくなって久しい。二人暮らしが始まったときは家賃と食費で手いっぱい、月1回のマクドナルド行きが唯一の外食という生活だったから、きちんと家計簿をつけていた。それが家を新築するときにスプレッドシートでローン返済計画を立てたのが家計簿らしいものの最後になった。10年のローンをできるだけ早く繰上げ返済しようという心づもりだったから、モーゲージの利息計算のしくみを覚え、それまでの家計のデータを基に毎月の収支を予測して、ローン更新時に返済できる額を計算した10年間の気の遠くなるような収支計画。ローンの方は私が独立して予想外の収入増となったおかげで3年で完済したけれど、その過程で家計のパターンと二人の消費性向がわかったのは大収穫だった。

お金に関するスペクトラム上では、どちらかというとカレシはケチ寄りで私は浪費寄りだ。でも、カレシには(会計士なんだけど)「欲しい→金がある→買う」という衝動癖があり、私には衝動を抑える思考経路があるので、けっこう釣り合いが取れて、がまんしなくても無理なく暮らせている。もっとも30年以上も経つと家計が惰性的になることも確かだけど。

私が生活必需品以外のものを買うときの思考経路は、たぶん根底に親から学んだ健全な消費観念があって、それが社会人になり、家庭を持ち、職業を持つうちに私なりのパターンとして発展して来たのだと思う。例えば、欲しいなあと思うアクセサリーがあったとすると、

  ステップ1: お金があるか? ノーだったら買えないからそこでおしまい。イエスだったら、
  ステップ2: 必要か? イエスだったら買う。ノーだったら、
  ステップ3: 本当に欲しいか? ノーだったら買わない。イエスだったら、
  ステップ4: 好きか? 少しでも考えたら買わない。イエスだったら、
  ステップ5: 本当に好きか? ここで躊躇したら買わない。ためらいなくイエスだったら買って喜ぶ。

特に意識して考え込むわけでもないけれど、まあこんなぐあいで買う、買わないが決まる。おかげで、仕事魔で高収入だった頃には呆れられるような高い買い物もしたけれど、すべて5つのステップを経たものだから、自分にも他人にも言い訳しなくていいし、後でむだ使いだったと後悔したこともほとんどない。みんな今でも大切な宝もの・・・

子供じゃあるまいし・・・

2月26日。明日はいよいよカレシが陪審員選定のために裁判所へ出頭する日だ。ふだんなら夜中の感覚に等しい時間に起きることになる。

実はカレシ、召喚状を受け取って10日以内に返送しなければならない書類を送っていない。忘れたのではない。「ああだこうだ命令されるのはイヤだ」という理由で意図的に無視したのだ。出頭して裁判官に「やむを得ない」事情で免除してもらうつもりだったそうだけど、それと書類とは別のこと。しかも、そのやむを得ない事情は裁判官がすでに耳にたこができほど聞いているはずの「方便」。裁判所というのは、「オレはやってないよ」というから、それがほんとうかどうかを調べるところなわけで、人の嘘の皮をはがそうというところに呼ばれて行ってあからさまな嘘をつくというのは皮肉な話。

そういったら、「社会奉仕の英語教室でボランティアのために代理教師が見つからないので免除して欲しい」ということにしたとのこと。「これは本当のことなんだから」とカレシ。確かにそれは真実。初めからそういって免除を申請するつもりなら、ネイバーフッドハウスに一筆書いてもらって、返送する書類といっしょに送って認められればわざわざ出頭しなくても済んだかもしれない。でも、命令されるのはイヤだとダダをこねているうちに10日が過ぎてチャンスを逃したわけで、時すでに遅し。まあ、こんなふうに子供っぽいツッパリでルールに逆らって、それが自分に跳ね返ってくるのは初めてではないから・・・

うまく選に漏れるか、免除されたらそれで終わりだけど、運悪く?そうならなければ刑事裁判の陪審員を務めることになる。「オレは人の争いは嫌いなんだ」といっているけれど、実は「人間の感情に向き合うこと」が嫌いなのだ。理解できないからか、恐れる理由があるのかは心理学者でもなければ分からないけれど、もしも陪審員に選ばれたら、何かを考えさせるような内容の事件であってくれればいいと思う。

それにしても、カレシを見ていて、子育てってこういう感じのものかしらん・・・となんとなく思ってしまった。

ドキドキの初体験

2月27日。早起きして、裁判所に出頭するカレシをダウンタウンまで送って行った。駐車場探すのめんどうだから送ってくれ。まあ、私が送ってもらうことの方が多いから、たまには運転手役もしなくちゃ。裁判所の近くで下ろして角を曲がる時に何となく心細いような顔をしていたけど、裁かれに行くんじゃないんだしね。

家に帰って、眠いのをがまんして前夜早寝したために遅れた仕事のキャッチアップ。やっぱり少し以上遅れ気味で、大学のレポート書きは当分棚上げ。それでも家の中がしんと静かなので仕事がけっこうスムーズに運ぶ。なるほど、ひとりってこんなメリットもあるなあ、なんてカレシが聞いたら動転しそうなことまでつらつら考えてしまう。

11時半に「迎えに来てくれ」と電話。一人で運転してダウンタウンへ行ったのはずいぶん昔なので待ち合わせの場所を言われてもすぐにはピンと来ない。ま、そんな広いところでもないし、何とかなりそう。車の運転は人の性格が反映されることが多いけど、カレシはちょっとでもスピードが鈍るとあっちの横道、こっちの横道と逸れに逸れて走るのに対して、私は一番曲がらなくて済むルートを取る。私としては幹線を直線的に通る方が最終的には効率が良いと思っているけど、カレシは横道を走る方が速いという。実際はあまり変わらないような気がする。それにしても、制限50キロの道路をみんな70キロで飛ばしているのには驚いた。

指定の角でカレシを拾って家へ。今日は名前を呼ばれなかったけど、木曜日にあと3つの裁判の陪審員を選ぶので、また出頭しなければならない。でも、要領がわかったし、駐車場代くらいの日当が出るので、送り迎えは不要とのことで、ああ、よかった。アジア系の人たちが「英語が不自由」という理由で免除してもらっていたそうだ。(裁判官との応答だけは英語でやれるというのは何かヘンだけど・・・。)それを見たカレシは、英語教室は社会奉仕として免除の理由になると自信を持ったらしい。やたらと機嫌が良くて、やたらと良くしゃべる。いやな経験ではなかったようだ。

ちなみに今日陪審員を選んだ裁判の被告は、おもちゃのピストルで銀行強盗をしたのだそうだ。もちろん、やっていないというから裁判があるわけで、カナダでは被告が罪状認否の段階で有罪を認めたら裁判はしない。「若いけどいかにも頭の悪そうなヤツだった」そうだ。きっと誰もがそうだろうけど、自信がないとか言いながら、人間は心の中ではいつでもちゃんと人をジャッジしているのだからおもしろい。本人がそれに気づいていないだけなのだろう。さて、木曜日は・・・?