リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年3月~その2

2008年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
少なからずはどれだけ?

3月16日。ほんとに詰ってきた。木曜日が終わるまでは110パーセントのペースでやって、間に合うのかなあ。へたをすると今年最初の「徹夜モード」かなあ。(とはいいつつも、ちょこっとブログでも書くか、と思ってしまうから、困ったもんだけど・・・。)推定から見れば、1日あたり英単語の数にして3千語ちょっとこなせればなんとかなる量なんだけど、それは元原稿が良くできていて、快刀乱麻の勢いでぶっ飛ばせるときの話。

ワンセンテンスにいろんな思考がてんこ盛りだったり、やたらとまわりくどい文章だったり、ヘンにもったいぶった文章だったりすると、翻訳者泣かせ。元々が寄り道だらけの迷路みたいな文章だから、苦心惨憺でやっと終止符にたどり着いてほっとする頃には、まさに迷宮入りの難事件のような様相。しょうがないから寄り道先を整理して、いくつかのセンテンスに分けることになる。それで簡潔で読みやすくなれば翻訳者として冥利に尽きるのかもしれないけど、だけど、だけど・・・

それにしても、ひとつの文章にあれもこれもとまとめてしまうのは、どうしてなんだろう。たぶんに、日本的な情緒なんだろうか。短い文章に区切ると、たとえわかりやすくなっても、なんかそっけないように感じて、相手に申し訳ないと思うのかな。電車が1分遅れただけでイライラ、セカセカするんだから、伝えたいことをぶつ切りにしてさっさと言ってしまったほうがコミュニケーションの効率が上がるだろうと思うんだけどなあ。だけど、それでは日本語のテンポにならないから困るんだなあ。どの言語にも体感リズムみたいなものがあるんだけど、日本語の場合はた~らり、た~らりとやらないと、情緒的に感応しがたいのかもしれない。単刀直入というのはまさに急所にグサリという感じで、いわゆる「生理的に受け付けられない」という心情なのかもしれないなあ。日本の「包み紙文化」は言語にもしっかり反映されているということか。

わずか一章、2ページの文に「少なからず」、「少なくない」、「少なからぬ」という表現が9回も出てきて辟易してしまった故の愚痴モードなんだけど、「少なくない」ということは「多い」ってことだよね?じゃ、いったいどのくらい多いの?と突っ込みたくなる。かなり多い?きわめて多い?それとも、まあ多いかも?もちろん、英語でもこういう表現はするんだけど、端的に「多い」と言わないのはそれなりのニュアンスを効かせようとしているからで、統計値を並べたような報告文書で「○○は少なくない」、「少なからぬ××が」とやっても、ちょいともったいのつけすぎに聞こえる。もっとも、単に「多い」とやるより「少なくない」を直訳すれば訳語の語数が増えるから、語数でお金をもらっう身としては少なからず感謝すべきなんだろうけど、そこにはまた少なからぬプライドってものがあるしなあ。あ~あ、少なくとも今ほんとうに少ないのは時間・・・

一日アイリッシュにスロンチャ!

3月17日。ハウスの電話を借りるためにトラックとハウスの間を二往復したというカレシ。「携帯をいつもバッグに入れておけば忘れないのに」といったら、「忘れたんじゃないの。今日はいらないやと思ったの」だそうな。あっそう。(ほんとはどこに置いたか忘れてしまって、出がけに見つからなくて「いらないだろう」ということにしたんじゃないの?)どこにおいてあるの?と探りを入れたら、「家の中にあることは分かってるよ」と来た。う~ん、こりゃ、もういうことなしだあ・・・。

こういう調子っぱずれにはコーダが付くのがオチ。夕食の支度の最中に、カレシがふざけてワタシを抱き上げようとしたら胸のあたりでグキッ!とや~な音。ワタシは息もできない痛みでしゃがみこんでしまったので、カレシは「どうしよ~」とおろおろ。そろそろと立ってみたら、深呼吸はできるし、腕も動かせる。押すと痛くて、動いたはずみでちょっとイィッとなるけど、どうやらたいした被害はなかったようで、やれやれ。ワタシはジャガイモの袋じゃないんだってば。これでもデリケートな女性なんだってば。いい大人なんだから少しは手加減と言うものを考えてよね。この忙しいときに「不戦敗、ヤ、ヤ、ヤ」ってわけには行かないんだから。

おろおろ、はらはらの一日だったカレシはなんとなくお疲れの顔。でも、「今日はこれだけあったから、明日はいいことがあるよ」と。ふむ、「bad hair day(ツキの悪い日)」ってことか。イテッ・・・。

春の陽だまりで

3月18日。ほんとにぽっかぽかのいい陽気。家の外の道路に沿ってずっと地平線まで続く桜並木もだんだん花霞の様相になって来た。もう三分咲きくらいなのかなあ。ジェシーがオフィスを掃除している間のひととき、裏のポーチの陽だまりに座り込んで、来たばかりの雑誌を読みながら、階段下につながれたレクシーのお守り。シーラの姿が見えないとレクシーはワ~ンと吠え、ク~ンと鼻を鳴らす。それがすごくかわいいんだけど、裏のワイリー家のやんちゃ犬ゼファーまでがウワ~ンと呼応するから困る。ははあ、春なんだ・・・

陽だまりのひとときはなんだか久しぶりでなつかしいような気分。日が高く上ってから起き出して、そのまま仕事場におこもりになる暮らしだと、冬の間あまり日光に当たることがない。もっとも冬というよりは雨期といったほうがいい季節だから、来る日も来る日もどよ~んとしていたりして、お日様を拝む機会そのものがあんまりないんだけど、ベースメントに篭ってしまうと外の天気もあんまりわからない。これではビタミンDが不足するんじゃないかというくらい。

そんなことを言ったら、シーラが子供のときにおばあちゃんに飲まされた「肝油」の話を始めた。魚のタラの肝臓から抽出したという、くさくてどろっとした液体で、子供にとっては注射よりも恐怖の存在だったそうな。カレシも同じ経験がある。鼻をつまんで、目をつぶって、えいっと飲み下してそのままならいいけれど、ついゲップのひとつでも出たら悲惨だったらしい。ワタシも小学校の頃に毎日学校で肝油が配給されたけど、液体ではなくて、表面に砂糖らしきものがかかった、ちょっとゼリー菓子風の錠剤だった。年令が少し下でラッキーだったのかもしれないけど、あの錠剤、子供がゴクッと丸呑みするにはちょっとばかり大きすぎた。しょうがないから、ちょっとだけ大急ぎで噛んで柔らかくしてから、味がわからないうちにささっと喉の奥へ送り込んでいたような気がする。それで、ゲップが出て泣きたい気持だった・・・

少しばかり天然のビタミンDを吸収したところで、仕事の前にホテルの予約。成田到着の時間からすると、エクスプレスでも新宿に着くのは夕方のラッシュアワー。小町なんかを読んでいるうちに東京の人ごみが怖くなってきた。そうでなくたっていささか方向音痴だったりするワタシ。ハイスピードの雑踏の中を小さいとは言えスーツケースを引っ張っての移動は、へたをすると「このラッシュに非常識な!」とぶっ飛ばされそうでおっかないなあ。でも、ネット時代さまさまで、成田からホテルまでリムジンがあることがわかった。そっか、少し時間はかかるけど、これなら安心・・・

それにしても、日本へ行こうという気になって、準備を始めたら急に円高になってしまった。1ドルが65円くらいだった超円高の頃は円建で払ってくれるクライアントがいなかった。あの頃はアメリカドルも高かったから、米ドル払いのクライアントができたときは万々歳。それが、円建の仕事をするようになったら、円安。おまけに米ドル安で、なんともついてない話。まあ、お金は天下の回りものだから、You win some, you lose someとは良く言ったもんだなあ。

教室から帰ってきたカレシ、「眠いなあ~」と猛あくびの連発。カレシのあくびはなぜか騒々しくて、こっちの眠気を吹っ飛ばしてくれるからすごい。うん、ほんっとに大まじめに仕事に取り組まないと・・・。

今日から春うらら

3月20日。春分の日。公式に「春」が始まる。先に「夏時間」にしておいて「今日から春で~す」といわれてもなあ・・・。日本はどうやら祝日らしい。というよりは、祝日だった。今は金曜日の朝、午前9時必着の仕事をやっつけなくちゃ。それにしても、1日休んで、1日仕事して、また週末の休みってのはめんどうそうな感じだなあ。もっとも、フリー稼業!なんて自分を煽てて、なんだか年中無休のようになってるヒトもいるけど・・・

今日は久しぶりに牡蠣を食べに行こうよと言って英語教室へ出かけていったカレシ、帰って来るなり、「ダウンタウンまで行くのはめんどうだから、うちで食べよう」と。あのねえ、材料を解凍してないんだけど。ま、どっちみち土曜日にはおでかけ予約があるんだし、いいか。それでも、今ごろになって~と、ぶつぶつ言いながらフリーザーをごそごそ。あはあ、豚のひき肉。なぜか楕円形のギョーザの皮。冷凍のゆでエビもある。冷蔵庫にはこの前買ってきたキャベツ。大根だってある。エノキもあるし、ミニ白菜もある。見渡せばいろいろとおもしろそうなものがあるじゃないの。ふむふむ、今夜の即決メニューは・・・おたのしみ。

ネットを見ていてチラッと「おやじのせなか」という本が出るという話を見た。そんなタイトルを見るとぱっと浮かんで来るのが「父の背中」そのもの。ワタシはとにかく甘ったれのお父さんっ子で、かなり大きくなるまで「おんぶ」をせがんだらしい。まあ、子供はできないかもしれないと言われて闇市まで利用してやっと作ったのがワタシで、おまけに生まれる時にあわや死ぬところだったお騒がせっ子なもんで、「やれやれ手のかかるヤツだなあ」と笑って許してくれたのかもしれない。背中の温もりと整髪料の独特の匂いと、そして何よりもあの絶対的な安心感。還暦に達した人生で、あの父の背中ほど心地の良い「ふるさと」はなかったように思うなあ・・・

母に背負われていたのはもちろん妹ができるまでのこと。昔は綿入れの「ねんねこ」というすぐれものがあって、母は袖口からワタシの手を探って、じわりと熱くなっていれば眠くなったと判断したという。かなりの確率で的中したらしいから、母親のカンというのは侮れない。たぶん、今どきの育児書にはこんなことは書いてないだろうなあ。母乳は出ないし、食糧不足で、アメリカの援助物資の小麦粉をミルクの代わりにしたそうだけど、そのあまりの白さに父と感歎したとか。その小麦粉はほとんどがワタシのおなかに納まって、両親の口に入ることはなかったらしい。長いことパン食があたりまえで、お米のご飯がなくてもちっとも気にならないのは、なんとなく不思議な因縁みたいな感じもしないではないなあ。

もうすぐアイスホッケーのレギュラーシーズンが終わる。4月に入るとプレーオフ戦で、これが決勝に到達する6月まで延々と続くもので、別名セカンドシーズン。我らがバンクーバー・カナックスはどういうわけか、この時期いつもビミョー。シーズン前半にどれだけ快進撃していても、3月にはジリ貧になって地元ファンをイライラさせてくれる。過去2回ほど決勝まで行ったけど、あれはどう見てもまぐれって感じが抜けないのがかわいそうといえばそうなんだけど。今年もプレーオフ出場ぎりぎりのランクに落ちてもう負けられないのに、他の試合の結果しだいではどっちにも転ぶという他力本願。中心的な選手がスウェーデン勢だから、ふむ、ひょっとしたら春の来るのが早すぎるのかも。でも、一卵性双生児のセディン兄弟に双子のテレパシーでがんばって勝ち星を積んでもらわないことには、どんどん増えるのはワタシの罵倒スラングのボキャブラリー。おい、こら、ワタシの品格を落としてくれるなよ。(今日は、今のところ1対0でリード中だけど・・・)

グッドフライデイ

3月21日。今日はグッドフライデイ。復活祭前の金曜日のことで、祝日。日曜日の復活祭をはさんで月曜日も休みで4連休になる人もいる。でも、イースターマンデイは法定祝祭日ではないから、休んでいるのはたいていがお役所関係か労働組合の力の強いところ。おかげで郵便は火曜日まで配達されないし、ゴミの収集日も2日先にずれる。まあ、日本で官庁が一足お先にご用納めをするのと同じことかもしれない。

復活祭は「春分の日の後の最初の満月の後の最初の日曜日」ということになっているもので、毎年3月になったり、4月になったりする。今年は春分の日の翌日が満月なもので、3月23日と計算上2番目に早い復活祭になる。つまり、どんなに逆立ちしても3月22日より早くは来ないし、4月25日より遅くなることはないわけ。前に一番早い3月22日だったのは1818年だそうだ。前回にワタシの誕生日が復活祭だったのはカレシが生まれた年の1943年。次に誕生日と復活祭が重なるのは2038年だそうな。その年、ワタシは90歳を迎える。それまでいけるんかなあ?うん、それまでには「人生90年」の時代になっていそうだから、がんばらなきゃ・・・

復活祭になくてならないのがイースターエッグとチョコレートバニー。イースターエッグは色をつけたゆで卵。これを庭のあちこちに隠しておいて、かごを持った子供たちがイースターエッグハント。子供がいないから自分で作ったことはないけど、絵を描いたりもするらしい。有名なのはロマノフ朝のロシアでファベルジェが作った卵。これは本物の卵じゃなくて、金銀宝石で飾り立てた凝りに凝った芸術品。アレクサンドル三世が皇妃にプレゼントするために作らせたのが初めだとか。ワタシはチョコレートの卵のほうがいいけどなあ。特に二つに割ると中にいろんなキャンディが入っている大きいやつ・・・

チョコレートバニーはうさぎをかたどったチョコ。うさぎは古代から多産の象徴だったらしい。特に野うさぎはねずみ算どころか「うさぎ算式」に増えるし、ついでに卵も多産の象徴ということで、古代ゲルマン族はこの二つを合体して「卵を産むうさぎ」を作り出したらしい。そもそも「イースター」の語源がゲルマン族の再生と豊穣の女神エオストラだそうだから、おそらく自然が息を吹き返す春に多産と豊穣を祈ったゲルマン人の祭祀にイエスの蘇生をかぶらせてキリスト教の布教宣伝をやったのだろう。(キリスト教がヨーロッパ中に広まったのはこのMBAの先駆かと思わせるような「営業力」によるところが大きいと思ってしまう。)

チョコレートバニーにチョコレートエッグと、復活祭はチョコレート業界にとっては書き入れ時のはずだけど、今年のようにあまりにも早いと喜べないんだそうな。というのも、これまたメジャーなチョコレートデイであるバレンタインデイのチョコレートがまだ残っていて、消費者は少々チョコレートに食傷気味だからだそうだ。そういえば、我が家は今年もグッドフライデイになってまだイースターチョコを買っていない。いつも残りがある店を探すのに苦労するんだけど、じゃあ、今年はわりとたくさん残っていそうかなあ・・・

復活祭のぶつぶつ

3月23日。復活祭の日曜日。雨のはずがなぜかただのうす曇のしご~く静かな日。まだどっさり残っている大仕事を片付けて、オーストラリアの片隅で同じようにあっぷあっぷしているらしい編集者に回す日。実は期限までまたあと1日あるけど、次の大仕事にとりかかって、とにかくゴールへまっしぐらに突進しなければならないのだ。これが東京行き前の最後の仕事だといいんだけど、そうは問屋が卸してくれるか・・・。

きのうはディナーにおでかけついでにイースターチョコレートを買いに行った。ほんとうに大小とりまぜてどっさりある。ほんとうに売れ行きが悪いのか、単に作りすぎたのか、わからないけど、こっちはよりどりみどり。大きな卵は殻が半分だけで中のキャンディが丸見え。どうしてかこの頃はドンと大きなのがない。たぶん原料高のせいなんだろうけど、ダチョウのより大きなチョコ卵を耳元で振って、どんなキャンディが入っているか想像する楽しみがなくなってしまった。それでも、高さ20センチほどのダークチョコのうさぎ(卵の入ったかごを背負った標準的デザイン)と、ミルクチョコの半殻卵。ついでにマティニ用のオリーブを買いに入った店でも、キャンディは入っていないけどすごくつやつやとしておいしそうなダークチョコの卵を買ってしまった。つるつるでかじるところがないから、金づちがいりそう。おかげで戸棚はチョコチョコ・・・

何しろねじり鉢巻の日だから、イースターのごちそうはコーニッシュヘン。ミニチキンといったところだけど、この頃は小柄なチキンに迫りそうなくらい大ぶり。昔は一人1羽で多すぎなかったのに、今は二人で1羽。まさか、ステロイドでムキムキにしているわけじゃなかろうけど。ガーリックを詰め込んでローストしてから、キッチンバサミで2つにわける。ソースは復活祭の七面鳥にはバーボンを使ったから、今度はウィスキーソースにしてみようか。それとも・・・ま、その時になってから、そこらのバーよりも品揃え豊富な我が家の酒棚を見渡して決めようっと。ワインはカレシが好きな辛口のロゼと行こうか。で、デザートはもちろんチョコレート。ま、楽々でよろしい。

それでは、きりりと鉢巻を締めて、いざ~

ちゃんぽんエッグ

3月24日。ねじり鉢巻に腕まくりでがんばって、どうにか終わらせた仕事を送り出して、眠りについたのは午前4時。復活祭のディナーが満腹しごくだったせいで、午前零時のランチもしないまま。もっとも、たらふく美食をした日は二食だけでそのままご就寝ということが多い。

きのうのコーニッシュヘンはガーリックの他にネギとしょうがを詰め込んで焼いたもので、わりかしさっぱりした味。そこで「Ginger of the Indies」という名前の、西インド諸島産のショウガを使ったというフランスのリキュールをたっぷり入れてソースを作ってみたら、これが絶品(と、カレシ)。付け合せはローストしたオレンジのピーマンとアスパラガスの穂先と薄くスライスしたポテトのガレット。お一人様用の丸い焼き型に重ねて焼くんだけど、パルメザンチーズの代わりにヤギのチーズを使ったらコクのあるおもしろい味わいになった。忙しいもんでちゃっちゃかと作ってしまったにしては花丸のでき。デザートにチョコレートバニーの耳をがぶりとかじって、満足・・・

今日からINBOXにある最後の大仕事。期限までに仕上げるのはきついなあと思ったけど、始めてみたらなぜかスイスイと進む。何のことはない。前の2つをやったときに、渡された用語集をもとに、これはと思う用語をひとまとめに英語に変換してあったもので、改めていちいち調べなくてもいいし、考える必要もない。その上で繰り返し出てくる表現や定型文も同じようにえいやっと一括変換したもので、仕事は何と2割がたすんでしまった。うっそぉ~。こんなことって、あってもいいのかなあ。これで、カッコの中にまたカッコ、そのまた中にまたカッコと、まるでマトリョーシカにそっくりな感じのうるさい但し書きがなかったら、楽をしすぎてしまうかもしれないなあ。用語集の用語が少しくらい「ン?」でも、気にしない、気にしない。お客様ご指定は変えられないもんね。おかげで何十ページもある文書はちょっぴり変てこ日本語とちょっぴり変てこ英語のウルトラちゃんぽん。それがなんだか読み心地が良さそうに見えてしまうから我ながらおかしい。ふ~ん、スクランブルのちゃんぽんエッグになっているのはワタシの頭の中だったりして・・・し~らない。

ボキャはいいけど調子っぱずれ

3月25日。やっぱり、この春は平年よりもかなり温度が低いそうな。桜は満開に近いのに、これじゃあ花冷えだなあ。痛めた胸は2週間経ってどうやら順調な回復。今は横から強く押すとウヒッとなるくらいで、右側に寝返りを打ってもほぼ大丈夫になった。感覚としてはどうも鳩尾から伸びる軟骨に肋骨がつながるところ。スポーツ選手なんかにけっこうあるケガだそうで、アメリカンフットボールの選手なんか正面からドドッとぶつかって、グキッとやるらしい。ワタシの場合は、粋がってタンゴのまねごとをしてただけなんだけど・・・

ぶつぶついいながらやっている仕事。一括で訳語に変換したおかげで上々の進捗。この調子だとあんまり汗をかかずに「目標期限」に完了できそうな兆し。それにしてもなあ。文章の頭から最後の「。」に到達するまでに500文字を超えるすごいのがぞろぞろある。括弧の中に入った「ただし」、「つまり」、「~を含む」、「~を除く」のような但し書きが多すぎて、だらだら寄り道をしながら学校へ行くようなもので、やっと「。」にたどり着いた頃には何を言っているんだかさっぱりわからなくなるからやっかい。こんな複雑怪奇で難解な文章をさらさらっと書けてしまう人って、何かの天才なのかもしれない。文才とはいいがたいけども・・・

キーを叩きながらのぶつぶつも、そばで聞いている人にはまるでけんか腰に聞こえるかもしれない。長い間にカレシのおかげ?でいろんな罵倒スラングを覚えた。毎日耳から言葉を吸収するだけでなくて、それが使われる状況も同時に目で見ているわけで、文字通り「身について」しまったということだろう。罵倒スラングといっても、「口汚い罵り」から「悪たれ」までピンキリ。争いの武器にもなるし、交流の潤滑油にもなる。スラングもコミュニケーションのうちというのなら、スランゲージとでも呼ぼうか。

作家のマーク・トウェインはスラングを多用したそうだ。どっちかというと「悪たれ」といえるものだったらしく、ミシシッピ川で水先案内人をやっていた頃に「芸術性」を見出したらしい。お育ちの良い奥さんや娘たちの前では慎む努力をしたそうだけど、思考回路をショートさせて出てくるのが罵倒スラング。ある日、呆れた奥さんが聞き覚えの汚いスラングをありったけぶちまけて見せたところ、黙って聞いていた夫曰く、「You got the words right, but you don't know t he tune」とやり返したという。「ボキャはいいけど、調子っぱずれ」というところかな。

スラングは語学留学の若い人たちに人気があるらしく、まっさきに覚えて、「これぞ生きた英語!」といわんばかりに使いたがる。だけど、英語にだって「TPO」のようなものがあるのを知らないから、街中でこってりおしゃれの「かわゆ~い」日本女性がぶったまげるようなスラングを使っているのに出くわすことがよくある。ずっと前にめんどうを見た語学留学の若者も、うれしそうにやたらと「オーマイガッ(Oh, my God)」を連発していたけど、これがみごとな「銚子の沖何千キロ」の調子っぱずれ。状況におかまいなく紋切り型の一本調子なもので、マーク・トウェインの評がそっくりあてはまっていた。それをかわいいと思う人もいるかもしれないけど、こればっかりは教科書で勉強してマスターできるってものではなさそうで、まあ、身ぶり手ぶりと同じで、自然に身についていくものなのだろう。Gotta go・・・

若さなのかなあ

3月26日。ちょっぴり寒いけど春らしい良い天気だなあと思っていたら、何とダウンタウンではひょうとみぞれだって。どうなってるのかなあ。地球温暖化による気候変動では荒れ模様の天気が極端になるといっていたけど、大して大きくないバンクーバーでこれはちょっと変すぎないかなあ。といっても、バンクーバーは真ん中が小高い丘になっていて、北側と南側で天気が違うことがよくある。我が家は日当たりがいい(といわれる)南斜面。たしかに、冬は市内でも暖かいほうだし、夏は海からの風の通りが良くてかなり涼しい。それにしても、歩いたってせいぜい2時間くらいの距離で、こっち側は晴天なのに向こう側は雪模様というのはいったいどういうことなんだろう。

先週からウィスラーで語学留学の日本人が行方不明になっている。どうも一人でスノーボードにでかけて遭難したらしい。捜索願が出されたのは4日目とか。ホームステイの家族は、週末によく友だちのところで外泊していたから、またかと思って気にしなかったそうだ。でも、ホームステイはホテルとは違うんだから、外泊するならそうと言っておくべきじゃないかと思うんだけど。近頃は「金を払っているんだから」とホテルあつかいして、勝手のやり放題という若者も多いという。遭難した女性もそうだということではないけども、日本でも実家住まいだとしたら、ふだんから無断で外泊するようなタイプだったと思われてもしかたがないかなあ。おまけに携帯も持って行かなかったそうで、25才という年齢にしては危険に対してかなり無防備すぎるという感じがする。それが若さのせいだというのなら、ワタシだって25才の頃はたった一人でカナダまで来たりして、なかり無防備で無鉄砲なところがあったけど・・・

ウィスラーはリゾート感覚でも冬山であることには変わりがない。まだ初心者に近かったそうだから、指定区域の外へ出てしまった形跡がなさそうだとすれば、木の根元の穴にはまり込んだ可能性も考えられる。針葉樹はかなり下まで枝が張っていて、まわりに雪が積もっていると下が空洞になっているのがすぐにはわからない。かなりの勢いで滑ってきたスキーヤーやボーダーがこの窪みにはまると、衝撃で枝の雪がどっと落ちて来て埋もれてしまうことがある。そういう遭難事故が前に何度もあった。ちょっとひとことだけ、ホストに予定を意図を告げて出かけていたら。もっと早くに捜索が始まっていただろうに。かなりの新雪が積もった厳寒の山で1週間。両親が日本から駆けつけたそうだけど、生還はまず難しい・・・

スパムは薄く切って・・・

3月27日。インターネットの世界は刑法上で「犯罪」とされる悪事が横行しているけど、同時に匿名という隠れみのをまとった悪知恵もすみずみまではびこっている。匿名性というのはそれほど誘惑が大きいんだろう。だって、自分が誰かということを知られずに現実の世界ではできないことを堂々とやれてしまうんだから、肝っ玉のちっちゃい人間にとってこんなすばらしいことはない。掲示板などはそういう人間性の鏡みたいなものかもしれない。まあ、夢の中で夢を実現しているような感じもしないではないけど、覚めた世界の理想の自分は努力しなければ夢のまた夢ってことが多いから、努力しないで実現できるのなら、たとえそれがいっときの夢だとしても実現できるにこしたことはないのかもしれない。

ニフティという会社の調査によると日本のブログの40%以上は「スパム」といっていいものなんだそうな。アメリカのどこかの新聞が、日本人のブログの数は世界でもダントツで、ほとんどが個人の日記だ書いていたのを覚えているけど、たしかに、仕事に必要な情報を探そうとググって回ってもヒットするのは個人のブログと思しきサイトばかりなんてことがよくある。それにしても、何百万とあるブログの40%というのはすごい数だ。アフィリエートとかいって、要するに「濡れ手であわ」式の小遣い稼ぎのために開設したのも多いらしい。今日のメールに入っていた変なソフトを宣伝するスパムメールはきっとそういう商売に食指を動かす人を狙ったものだったんだろう。努力しないで「寝ていても自動的に」お金が儲かるというおいしい文句に釣られる人もいるんだろうなあ。そうでなければこれほどスパム詐欺が横行するはずがないもの。

最近はスパムフィルタも悪知恵には後れを取っているのか、スパムメールは増えるばかり。メーラー側でKILLフィルタを設定するか、そうでなければ片っ端からDELETEキーを叩いた方が早いくらいだ。メールスパムにも季節性があったりしておもしろいけど、この頃は「男のナニ」をあと何インチ伸ばせるとうたったものがやたらと多い。おいおい、女のモノは同じなんだから、そんなに長くしてみたって「しゃーねぇだろ」と突っ込んで笑っているけど、これほどの波状攻撃にあったら人知れずにコンプレックスを抱えている男のひとりやふたりはひっかかるのかもしれない。

このブログはいったい何なんだろう。日記といえば日記かもしれないし、愚痴のはけ口といえばそうだし、仮想「ハイドバークの演説台」といえばそうだし、「へえ~そうかあ~」的なとぼけた作文といえばそうだし、ほんとに何なんだろうなあ。「情報発信」なんてものでもなければ「論評」なんてものでもない。じゃあなぜワタシ的な日記をネット上で公開するんだと聞かれたって、「誰もすなる日記といふものを、我もしてみむとてするなり」としか答えようがない。(けっこうミーハーな動機なのだ。)まあ、自分なりのモラルというものがあるから、匿名性に隠れてあることないことを書くことだけはしていない。ということは、読み返して自分の心理を客観的に分析できるというご利益はあるはず。とどのつまりは自分自身の役に立っているだけってことで、「読者にとってはほとんど意味のない」のがスパムブログの定義だとしたら、これもスパムかも。(低脂肪スパムはけっこうおいしいけど・・・ん、関係ないか)

丸かじりスパム

3月28日。朝起きてみたら雪。もう週明けには4月じゃない?家の外の桜並木はもう満開に近いじゃない?なんで?「地球温暖化なんて、わかってないやつのいうことなのさ」とカレシ。そうだよなあ。これじゃあ、まるで氷河時代の前兆じゃないの。う~ん、ほんっとに寒い。(ワタシが生まれた4月の下旬は雪が降っていたそうだけど、それはゴールデンウィークに雪がふる土地柄だから話は別・・・)

今日はこの大仕事をほんっとに片付けてしまいたい日。あともうちょっとなんだけど、いいかげんうんざり。ワタシの日本語読解力が低下したのかと心配したけど、そりゃ違う。低下したのは日本人の日本語の文章力。てか(と、今どき風・・・)、コミュニケーションしようという意志がないんじゃないかと思う。もっと突っ込めば、ワタシ的なレベルになるともうコミュニケーションするものがな~んにもないんじゃないかと思ってしまう。別の仕事では、「~をイメージする」という表現の解釈を巡って編集者と頭をつき合わせての謎解きになった。編集者氏は日本人じゃないし、日本に住んでもいないから、いくら日本語が堪能でも日本人のファジーなイメージ思考(これって感性ってやつかな?)は理解できない。この「イメージ化」というのはimagineする(想像する)のとは似ていて非なるものらしいから、やっかい。(ふむ、この「~化」ってやつも安直だなあ。何でも化かせばいいってもんじゃなかろうに・・・文句、文句。)

ま、グダグダ考えててもしょうがないから、今日は掲示板のツアーで適当にパクリスパムしちゃおうか・・・

その1。『カナダの田舎に住む日本人(女)です。いまだに慣れないのが街を歩いてて「チャイニーズ」と呼ばれることが苦痛でなりません。一般的に中国人のイメージは貧乏、出稼ぎといったマイナスな印象があるためそう見られる自分がとっても嫌です。洋服や身なりもとても気をつけているつもりです。』

その2。『カナダで日本人でない人と結婚した友人がいるのですが、生活習慣やしきたりが合わないので不満があるのか、一言目には”日本人だったらこんなことはしない”とか”日本人だったら違う”というように何でもかんでも日本人のやり方と比べる人がいます。』

その3。『バンクーバーで不便なこと: 日本語が通じない。言いたい事が100%言えないのでストレス。』 

その4。『ここで、知り合いになった日本人で、自分より英語ができるとか、いい仕事についてるとかで嫉妬されたり、対抗されて、結局は疎遠になったという人いませんか?』

ふ~ん、ここにはずいぶんとおもしろい人たちが流れ着いてるんやねえ・・・

まっさかぁ~

3月29日。だらだら仕事からやっとのことで解放されて、やれやれと爆睡(すごい表現!)して、ゆっくり起きた土曜日。起きるのが遅いから、ごろごろしているうちにディナーにでかける時間になる。天気予報は大外れで雪は影も形もなく、外は桜がほぼ満開。うろ覚えのブラウニングの詩がなんとなく浮かんだりして・・・

ディナーはダウンタウン。うす曇りだけど、念のためサングラスを持って出た。ところが、ダウンタウンに近くなったところで、あられがパラパラ。やがてみぞれ。おやおやと思っているうちに、本格的な雪になってきた。ダウンタウンに入ると、なんと歩道にはべちゃべちゃの雪が積もっている。ええ、うっそ~。信じられな~い。まあ、雪というよりはみぞれに近いんだけど、それにしてもなあ。3月も終わり。ここはバンクーバーなんであって、トロントじゃないんだよなあ。桜が満開でしょうが・・・

そうとわかっていればブーツを履いて来たのに、たまのハイヒールで、すべりそうな歩道をえっちらおっちら。たどり着いたレストランで聞いてみたら、「きょうは午後中ずっとこんな感じで・・・」。え、南のあたりはずっと春爛漫だったけど。ディナーの帰り、往路であられが降り出したあたりを過ぎると雪なんかひとかけもない。立ち寄ったモールのスーパーで聞いても、バイトらしいレジのお嬢さんは「え、雪?まっさかぁ~」と、信じてくれない。まっさかぁ~って、ふ~ん、ひょっとしたら、どこでもドアで別世界にスリップしちゃってたのかなあ。

ああ、青春の終わり

3月30日。日本は月曜日。発注元のOK待ちだった仕事がOKが出ずじまいで、クライアントは恐縮気味だけど、ワタシはバンザイ。おかげで一日のんびり。この後はよほど小さい仕事でなければ「留守にしますので」ってことでお断りができる。つまりは、うわっ、1週間のお休みになるってこだ。おお、たまにはこういう「ドタキャン」もいいもんだなあ。

真夜中のランチ。世の中の殺人だの戦争だのラジオやテレビをつけても眠れなくなるだけだからと、CDをかける。今夜はサイモン&ガーファンクル。ポール・サイモンの詩はすばらしい。だけど、ガーファンクルのあの声がなければ、せっかくの詩は生きてこないような気もする。『Dangling Conversation』はだまって聞いていると涙が出てくる。お互いにあさっての方を向いてしまった二人の午後。まだ本当は愛があって、向き合いたいはずなのに、宙ぶらりんの会話。すごく悲しい。ベトナム戦争。反体制運動。ヒッピーに反戦運動。アメリカは激動の時代だった。日本でも学生運動が起き、反戦運動が起き、催涙ガスが立ち込めた。

だけども、今になって振り返ってみると、あれは反体制に酔った平和な日本の若者のファッションだったんじゃないのかと思う。フォークソングのブームだって、あれはアメリカの流行にならったファッションだったのかと思う。奇しくも明日3月31日は日本赤軍による「よご号ハイジャック事件」が起きた日。外資系会社の営業所の事務をまかされることになって、研修のために初めて飛行機に乗って津軽海峡を越えた日だった。(大阪直行便運行開始の前日だったから)大阪行きへの乗り換えの羽田空港には警察官だらけ。事情を知らないままワタシは「内地」は怖いところと思ったのだった。半生以上を北米文化に浸かって暮らしてきて、当時を生きた同世代の人たちの体験を聞いて、今、反戦だ、フォークだ、ヒッピーだと浮かれていた自分はいったい何だったのだろうと思う。

古いLPを引っ張り出して見たら、あったのが浅川マキのアルバム。そう、「アングラ」が流行った時代でもあった。1970年。あれから38年。浅川マキはまだ昔のまま活動しているそうな。そうなんだ、浅川マキもサイモン&ガーファンクルもワタシの青臭い青春の終わりを告げる「詩」だったのかもしれない。「あの頃は」というと若い人にそっぽを向かれる年代になったけど、ひとつだけ、今は懐メロになった「あの頃」の歌には「知性」があったことは確かだと思う。日本だって、あの時代がアメリカをまねたファッションだったとしても、戦いの相手が日本的な感性にすぎなかったとしても、大人にさしかかった若者の「ひたむきさ」があったと思う。それがひしめきあって日本の戦後を生きてきた「団塊の世代」というものなのかもしれない。

ベトナム戦争は北米社会を根底から変えたと思う。あの戦争は今のイラクやアフガニスタンでの戦いとは根本的に違う。当時の若者たちには「戦争に行かない」という選択肢などなかった。だからこそ、北米ではフォークロックも、ヒッピーの文化も、マリファナやLSDに酔ったサイケデリックも、ただの若者ファッションなんかではなかったのだ。あの時代の風に吹かれた日本の若者たちの中に、ファッションという「感性」を超えて、ひたむきに人生を燃やした人はどれだけいたんだろう。角材をかざして体制打破を叫んだ覆面の若者たちはどうなったんだろう。日本赤軍も反体制運動も、やがては内に向かって牙をむいた。あの頃を生き延びた若者たちはその後のバブル狂乱時代をどう生きたんだろう。バブルがはじけてからはどうしているんだろう。あの頃のひたむきさはどうなったんだろう。

東京にいる間に、浅川マキのCDを探してみようか。「あの頃」が聞こえてくるかも・・・

精神メタボに気をつけて

3月31日。いつものようにさっさとカレンダーをめくってしまって、今日はエイプリルフールかと思ったら、残念でした。まだ3月の最後の日が残っている。3月は獅子のごとくやって来て、子羊のごとく去るというけど、今年はのそっとやって来て、一応羊のごとく去って行った。誰が言い出したのか知らないけど、秋の空が乙女心なら、春の空は男のむらっ気ということ?

来週の今ごろは東京にいるんだなあと思うからなのか、何となく気分が落ち着かない。まあ、旅の前っていつもそういう感じではあるけど、今回はここ数年とちょっと違う旅だから、心の中に自分で量りきれないウエイトがあるらしい。昨夜は逃げている自分を夢に見た。荒涼とした風景の中を必死で走っている自分。人里らしいものがあるのに、人影のないゴーストタウン。はっと目が覚めて、気持を鎮めて眠りに戻ったらまた同じ風景。そんなことを2度くらい繰り返しただろうか。カレシに突っつかれて目を覚ましたときはなぜかぐったり疲れて、腕枕でしばらくうとうと眠ってしまった。自分の心の深いところにまだもがいている感情が残っているのかなあ。あと1週間。向こうへ行けばきっとあっという間の1週間。大丈夫だってば。

だけど、実際にどうなるのかなあ。小町を見ると、「左利きは見ていて不快」という意見がずらりと並ぶし、人に好かれていると思っている相手に対して「その子の容姿がかわいければ納得して許せるけど、自分がかわいいからモテるって思ってるところが認めてあげられない」というし、一重まぶたの娘に二重まぶたに「お直し」するかどうかで、「女性に関しては、幸せになることと人格はあまり関係ないと、世の中を見ていてつくづく思います」ので二重にした方がいいというし、人さまが持って生まれた外観や形質が自分が見て不快だから変えるか、消えるかしてくれといわんばかりのおっそろしい人が多すぎる。末恐ろしいとはこのことじゃないのかなあ。

左利きが箸を使っていると違和感を感じて自分の食べ物がまずくなるからマナー違反?かわいくない子は人に好かれる権利はないっての?女の幸せは人格と関係ないって、女は人格を持たない「モノ」ってこと?次はきっと障害のある人は見苦しいから外へ出るなと言い出すんだろうな。今どきのアニメ顔でない子がもてるのは社会のルールに反すると言い出すんだろうな。そしたら、年よりは、子連れは、子なしは・・・。和を尊ぶ日本を守るために異端を切り捨てるのもやむを得ずってことなの?こういう人たちにとって自分はどんな風に見えているんだろうなあ。人さまのことをあれこれうるさく言うくらいだから、基準になる自分はちゃんと見えているんだろうなあ。「繊細な感性」はいいけど、それが肥大しすぎて、精神がメタボ症候群になってしまったとか・・・?

いつか、コンピュータで身長体重、ボディパーツの大きさ、配置、釣り合いを測って、不合格者はその場でZAP!と消滅させる、なんてSFみたいな社会になるのかなあ。そして、アニメやゲームのような(敵意むき出しの冷酷そうな)美少年男と(幼児顔に巨乳の)美少女しかいなくなって、不快感も違和感もない安楽な世界になるんだろうか。そんな心配をしても、「そっちだって人のことをとやかく言ってるじゃないか」という、砂場の反論が返って来るだけかもしれないけど、規格外れだとZAP!とやられてはたまったもんじゃないからなあ・・・


2008年3月~その1

2008年03月16日 | 昔語り(2006~2013)
ライノセラスも春の目覚め!

3月1日。晴天と共にやってきた弥生3月。弥生は「いやおう」から来ているんだそうな。つまり木や草が生い茂る月という意味。我が家の裏庭は黄色の冬ジャスミンと真っ白な山茶花が満開。あれ、山茶花というのは「冬の花」じゃなかったのかなあ。ほんとうは冬中ずっとポツポツと咲いていたし、春3月といってもカレンダーをめくるように季節が改まるわけじゃないし。まあ、学校の制服なんか「何月何日から」となっているからと、まだ寒いのに夏服を着せられて震えていたりしたのは、「四季の変化」を誇る日本ならではのことだったんだろうけど、きのうまでは冬だったけど今日からは春です、みたいにいきなり変わるわけがないでしょうが。道産子の感覚では3月はまだ冬だし・・・もっとも、バンクーバーっ子の感覚では雨季の終わり、かな。

ライノセラス党が復活したそうな。ライノセラスというのは皮が厚くて鼻面に角を生やした動物のサイのことだけど、このライノセラス党はれっきとした政党。80年代に大活躍?したけど、選挙を冒涜するとかいって政府が法改正で政党として認知されないようにしてしまった。最高裁がその法規定は非民主的で違憲だと判断したことで、「穴を掘って隠れていた」ライノセラスがネオライノ党となって戻ってくるという。政党として正式に登録されたというから、これからは選挙がおもしろくなるぞ。おりしもバンクーバーのある選挙区で連邦議会の補欠選挙の最中。バンクーバー島に住んでいるネオライノ党の候補者は選挙運動のために近々選挙区を訪れて「Honk if you are horny」キャンペーンを展開するそうな。この「horny」というのは性的なスラングで、もちろんサイの角(horn)に引っかけてある。「ヤリたい人はホーンを鳴らして」と書いたプラカードを持った支持者を道路沿いに並ばせて、通りがかるドライバーに「支持表明」を呼びかけようという、選挙のときはあちこちで見かけるパターンなんだけど、ライノ党は一事が万事この調子で笑わせる。

補欠選挙でのスローガンは「信じられない変化」。もちろん、アメリカの大統領選で民主党のオバマ候補が打ち出した「信じることができる変化」をもじったもの。環境政策では「環境廃止」を主張。「なにしろでっかすぎて、掃除するのが大変だから」というのがその理由。かって連邦選挙で五大湖の酸性化を防ぐ対策として「Rolaids(制酸薬)を投入する」と公約したもので、巨大な湖がゲップをするのを想像して大爆笑した。だじゃれ、揶揄、風刺の連発だけど、ライノ党はいたってまじめ。政治というもの、選挙という制度の本質を考えようじゃないかという狙いがあるから、スローガンや公約に意外と意味深長なことが隠れていたりする。「ジョーク政党」だからといってなかなかバカにできないのがライノなのだ。

つぶれそうでつぶれない保守党の少数政権だけど、この秋に総選挙があるかもしれないとの憶測。政権奪回を狙う自由党は保守党政権をつぶしたいけれども、肝心の自党の支持率が思わしくないものだからつぶすにつぶせないというやっかいな状況にはまったまま。けっこう高い支持率に気を良くした保守党はにっちもさっちも行かない自由党に「妥協か、総選挙か」と迫る。ハーパー首相はどえらく頭のいい政治家なのだ。アフガン派兵問題、新年度予算、刑法改正といった法案を自由党の「妥協」で成立させて、秋に自ら総選挙、という流れかもしれない。間に入ってかき混ぜるのがカナダからの独立を党是に掲げたのはいいけども存在意義が薄れてしまったケベック党と、自由党が左に寄りがちなもので影が薄い新民主党。環境活動家のグリーン党もある。これにやっと冬眠から息を吹き返したネオライノ党が突入するわけ。どの政党も気に入らない人は白票を投じたり、棄権したりしないで、ネオライノ党に投票すれば国民の義務を果たせるから一石二鳥。ふ~ん、エキサイティングな選挙になるかな?政治はまじめなことではあるけど、少しはユーモア精神で楽しくもないとね。ライノの春の目覚め、大歓迎。どどぉ~っと突進してくれ~

知らないもの同士

3月2日。日本行きの飛行機の予約がでいて、もう一歩待ったなしに前進。いったんはエアカナダに決めたんだけど、JALの料金がどかんと下がって、エアカナダとほぼ同じになっていた。座席の埋まりぐあいを見ると、後ろの方に団体が占拠しているらしいところがあるにしても、JAL の方がわりと空席が多いように見える。同じ料金なら成田着が1時間半も早いJALの方が楽だろうということでJALに決めたのだった。(でも、JALはオンラインでは座席の選択を確認しないとかで、チェックインするまで選んだ座席に座れるかどうかわからないらしい。ま、ひとりだからどこでもいいんだけど。)

冗談半分に「迷子にならないようにガイドブックを持っていったら」とかいう人がいたので、ちょこちょこっとネットを調べ回っているうちに何だか「あながち冗談じゃないかもなあ」みたいな気分になってきた。東京に住んだことがない人なら、誰がどこから行っても同じように感じるのかもしれないけど、考えようによっては初めてロンドンやニューヨークに行くのとあまり変わらないのかな。ニューヨークは同じ北米大陸にあって少なくとも表面的には精神風土がそれほど違わないからけっこうリラックスしていたけど、ロンドンはかなり緊張した。パリに行ったときよりももっと緊張して、疲れてしまったから不思議だ。そのロンドンに比べると、東京はさらにもっと緊張して、偏頭痛が起きるところなのだ。

十年ひと昔とはいうけれど、その前の15年に何度も行ったのに、家族のこと以外は観光に行った場所の名前を思い出すのがやっとで、何を見て、何をしたのか、いくら思い出そうとしてもその記憶がすっぽりと抜けてしまっている。とどのつまりは、「変わったよ」といわれても、「ほんとに変わったね」といえる基準になるものがないのだから困る。これじゃあ、一度も行ったことのない国に初めて行くような錯覚が起きても不思議はないなあ。漢字の地名だってすんなりと読めないのが多い。そういうことだったら、いっそのこと初めから「ワカリマセ~ン」と肩をすくめちゃった方が楽ちんかもしれない。そんなことも考えて、地下鉄や電車の情報は地名がローマ字表記になっている英語版をダウンロードした。人間、困ったときはおかしな知恵が働くからおもしろい。

なんて思っていたら、ある在日ガイジンのサイトに、池袋駅で警察官が「外国人風」に見える人を片っ端から止めて身分証明をチェックしていたという記事に出くわした。止められたジャーナリストが撮った写真には警官3人くらいに取り囲まれてパスポートや外国人登録証を調べられている人たちがいる。白人もいればアジア人もいる。何のため?バンクーバーだって、不法移民やテロリストにカリカリしているアメリカだって、警察官が公共の場で「おい、そこのガイコクジンらしいの、身分証明を見せなさい」なんてことはやらない。ロブソンストリートでそれをやったら、遊学生やらワーホリ族が「人種差別、カナダ最悪!」と掲示板に書きまくること請け合い。(かなりの数の日本人が不法残留しているという話なんだけど。)でも、池袋駅で呼びとめられた外国人が「人種差別、ニッポン最悪!」といったら、「ここは日本、いやなら出てけ」というだろう。(ちなみに、ガイジンチェックを池袋駅の構内でやっていたのは、外は雨が降っていたからだそうな・・・)

や~な気分になるニュースだけど、特にバブル以降の日本はそれくらい質的に変わったということらしい。ホテルの金庫にパスポートを置いて出歩かないほうが良さそうだなあ。もっとも、ホテルも外国人客だけはパスポートのコピーを要求するらしい。警察や入管から(潜入したテロリストの足取りを追跡できるように)そうせよと指示されているという話だった。だいじな個人情報なんだけど、軍事機密まで垂れ流しみたいな国で、コピーとはいえパスポート預けて大丈夫なのかなあ。そうそう、公衆電話がないんだってね。携帯の普及で要らなくなったからだろうけど、10年以上前のまだ使い切っていないテレホンカード、もう使えないだろうなあ。まあ、あたりまえといえばあたりまえなんだろうけども。成田空港で携帯をレンタルできるんだそうで、はて、まさかのときにカナダ大使館に助けを求められるように借りておこうか・・・?

ちょっと久しぶりに日本に行ってみようというだけなのに尽きない杞憂。日本は大きく変わったかもしれないけど、ワタシも大きく変わっただろうから、よけいにそのギャップが大きくなって当然かもしれない。まあ、ここはお互いさまってことですな・・・

あなたホントにニホン人?

3月3日。雨の日。どうしても欲しくて、勢い込んで入札した絵だったんだけど、3000ドルの値で落札されてしまった。早起きしていたら、入札の締切前に競り勝てたかもしれないけど、う~ん、残念!ま、あきらめるしかない。何となくホッとした顔つきのカレシ、「そのくらい出すつもりだったんだから、画廊とかで別に好きな絵を探したらいいじゃないか」となぐさめて?くれた。うん、晴れの日もあり、雨の日もあり・・・

もとより気乗りがしない仕事なもんで、だらだら。少しずつ、少しずつ、予定が遅れてきた。山登りで言えばせいぜい二合目か三合目かな。といっても、山に登ったことがないから、どこまでが何合目なんて感覚はわからない。まあ、二合目くらいだったらまだふもとのあたりで雲に隠れた頂上を見上げている感じだし、三合目くらいでもまだまだ頂上は遠いという感じ。たった一度だけ富士山を近くで見たことがあったけど、あの頂上は何合目?十合目?富士山はぽつねんとしているせいか、なんとなく緊張感のない山だなあという印象だった。てくてくと歩いたら頂上まで行けてしまいそうに見えた。実際は、日本一高い山なんだし、ちゃんとした登山装備が必要なんだろうけど・・・。

池袋での外国人チェックの話をカレシにしたら、「呼び止めたのが日本人だったらどうするんだろう」と疑問を提起。ほんと、どうするんだろうなあ。小町を見れば、外人の体型になりたいとか、清楚でかわいい外人顔になりたいとかセツジツな相談が載っているところからすれば、金髪、青い(カラーコンタクト)目の「ガイジンっぽい日本人」がたくさんいると想像していいだろう。何語で外国人と思しき通行人を呼び止めるのかしらないけど、ガイジン造りの人たちは呼び止められて「いや~ん、外人とまちがえられちゃった~」と喜ぶんだろうか。で、「あたしは日本人よ」といえば、「は、それは失礼いたしました」と放免してもらえるんだろうか。いや、「失礼しました」どころか「外国人くさい。証拠を見せなさい」といわれるかもしれないなあ。

運転免許証なら「日本名前」が書いてあるだろうから、それを見せればいいのかな。でも、免許証を持っていない人はどうするんだろう。日本で日本人として生まれ育って、毎日あたりまえのように日本の土の上を歩いていて、ある日突然官憲に「日本人の証拠を見せろ」と検問される。日本人が日本で自分を日本人と証明しなければならなくなって、どんな反応をするんだろう。日本を「外国人」犯罪から守るためなんだからしかたがないやと肩をすくめて「外国人ではない」と証明してみせるんだろうか。それとも、「ワタシを外国人に見間違うなんて失礼しちゃう、許せない!」と息まくんだろうか。

「外人」という言葉にはどうも「白人」のイメージがあるらしく思われる。「外人さん」という呼びかたはしても「外国人さん」というのは見かけないから、「外国人」というときはおおむねある政治家が第三国人と称した人たちを指すんだろうと勘ぐっているけど、日本人はどんなに金髪に染めてメイクに工夫をこらして、外人造りに励んだって「外人風」にはなれっこない。「アジア人顔」は変えようがないんだから、もしも警官に呼び止められたら、それは「外人」と間違われたんじゃなくて、不法滞在者かもしれない「外国人」だと疑われた公算の方が大きいような気がする。そうとわかったら、「アジア人」に間違われたとムカついて、だけど誰にそのムカつきを向けるんだろうなあ。このあたりをもう少しつらつらと深く考えてみたら、けっこうおもしろい論文が書けるかも・・・

背に腹は代えられない

3月4日。きのうの雨に続いて今日は晴れ。3月なんだけど、今年はまだ桜が咲いていない。早い年は2月の末には咲き始めるのに、やっぱりこの冬は極端な寒波はなかったけど、けっこう低温な日々が多かったんだろう。地球温暖化だと騒いでいるやつはどこの誰だ、といいたいところだけど、実は地球温暖化の大きな特徴が天候の「過激化」。台風やハリケーンは猛威を増すし、寒波も猛暑も熱波もみんな極端になるんだそうな。

掃除に来たシーラがペットのレクシーを連れてきた。白い毛がちょっとカールした、マルチーズのような犬。どこかのいいかげんな犬の飼育業者のところで生まれて、虐待に近い劣悪な条件で育てられていたのを救助されて、連れてこられた動物愛護協会のセンターで愛犬カーリーを亡くしたばかりのシーラに出会ったラッキーなワンちゃんだ。まだちょっと急に動いたりすると怯えて後ずさりするし、栄養失調だった上に固いものを与えられなかったために「噛む力」が足りないそうな。でも、レクシーは気立てが良さそうな美犬だ。シーラの姿が見えないと「分離不安」でキャンキャン、クンクンと大変。そこで、ワタシは四つんばいになって、「犬語」で話しかけてあげる。前回は鼻面をなめられたけど、今度はレクシーの方からすりすり。へぇ、ワタシの「犬語」ってあんがい通じているのかも。買い物に行ったらワンちゃんのビスケットを買おうっと・・・

ときどきのぞく『Japan Probe』という在日ガイジンが集まるサイトに、誰かがYouTubeに載った「世界の札束の数え方」といったビデオを転載していた。日本や中国のような東南アジア、アラブ諸国、中央アジア、東ヨーロッパ、アフリカ、欧米英語圏・・・数え方がそれぞれに違っていてすごくおもしろい。ワタシの数え方は(扇形に開く銀行型じゃないけど)まさに日本式で、カレシのはしっかりアメリカ/イギリス/カナダ式。アラブ諸国あたりの数え方は何となくヒミツっぽい。どこだったかお札を一枚一枚並べるように数えているところもあった。まあ、カナダでも小売業などはそうやってカウンターに積み重ねる数え方をするけれど。

カナダ統計局の発表によると、カナダの夫たちの88%が家事をするんだそうな。ただし、妻たちの家事と比べたらまだまた比率は低いけど、家事だけじゃなくて育児にも積極的な共同参画派がかなり増えているらしい。まあ、共働きがあたりまえになっている社会だもんで、二人で協力してやらないと「家庭」の運営が立ち行かなくなるというのが実情だろう。日本だったら、「じゃあ、妻が仕事をやめて家事に専念すれば?」ということになるのかもしれないけど、北米の女性たちは相手が大金持ちでもないかぎり、ほとんどが結婚してもそのまま仕事を続ける。どうやら「結婚して仕事をやめる」という発想がないらしい。機会均等社会に育っているから、要求も多い。それを「気が強くて、わがままで、かわい気がないから日本女性がモテる」と見るのは勝手だけど、家事や育児に積極的に参加する男性が増えたということは、そういうコワイ北米の(白人)女性に萎縮せずにまともに向き合える大人の男が増えたってことでもあると思う。カレシ曰く、「そうでなきゃ、腹はへるし、下着はなくなるし、着たきり雀で出勤だから、男女平等だなんだときれいごとを言ってる場合じゃないんだよな、ほんとは」。ふむ、もしかしてそのあたりが本音・・・?

そんなニュースを見ながら、今日はカレシに料理の手ほどき。といっても、ワタシが日本へ行っている間に自分で料理をするというので、かんたんにできそうなステーキのグリルを教えることになっただけ。グリルを温めて、刷毛で油を刷いてから、まずピーマンとアスパラガスを焼き始める。オリーブ油をさっと塗ってから、塩をパラパラ。アスパラにグリルの焦げ目がついたら、冷めないようにしておいて、ステーキを焼く。これもこしょうをたっぷり挽くだけ。塩は焼いている間にほんのパラパラ。一回だけひっくり返す。竹ぐしを刺してみて、赤い肉汁が出てくるまでどれくらいかかるかで焼け具合がだいたいわかる。カレシは半信半疑だけど、家庭の料理は経験則で判断するもんなのだ。お皿にオレンジ色のピーマンと緑のアスパラガス、グリルの焼き目のついたステーキをうまく配置してできあがり。牛が優れモンだったのか、シェフの腕前が良かったのか、ステーキはちょうどうまくミディアムレア。カレシは「ワインを開ければよかったなあ」と言いながらご満足。日本から帰って来たら腕によりをかけてごちそうしてくれるんだそうだけど、1週間だけだから、はて・・・

きょうのニュースでした

3月5日。弥生3月、しごくうららか。東部はまたもや大雪とのニュース。北国の冬になれているはずのトロントっ子もさすがに「もうたくさん!」と音を上げているという。真冬の1月あたりならまだしも、もうすぐ春が来るという期待が膨らむ季節だから焦る気持になるのは無理ないなあ。トロントではあと30センチ降ったらひと冬の降雪の新記録樹立になるんだそうな。まあ、温帯雨林のバンクーバーではおととしだったか連続雨の日の新記録をあと1日というところで逃した。今日でタイ記録という日にそれまでひと月近く毎日降っていた雨がぴたりと止んでしまったもんで、みんな何となくがっかりしてしまった。マザーネイチャーも罪作りなもんだ。トロントの雪の新記録はそんなわけにはいかないかも。

アメリカはヴァーモント州のある町に「ブッシュ大統領とチェイニー副大統領の逮捕を警察に命じる」条例ができたそうだ。ヴァーモントは東部の小さな州で、日本人ならなぜかグリコカレーでおなじみの名前だろう。左により過ぎているんじゃないかと思うくらいにリベラルなところだそうで、歴史的にも少々変わった人間が多いような気がする。西のオレゴン州と似ているかもしれない。オレゴン州もこれまたアメリカの州としてはかなり異色な風土のように見える。アメリカもカナダも広いし、いろんな人間が集まっているからなあ。

フランスのある小さな村で、墓地のスペースがなくなってしまったので、埋葬のための墓地を持たない人は「死ぬことを禁止する」という条例案が出されたそうで、違反者は厳重に処罰するとか。村では深刻な問題なんだろうけど、何だかこっけいで、ちょっぴり悲しいような。違反者は禁止されているのに死んでしまった人ということだから、死んだ人から罰金を取り立てるわけにもいかないだろうに。墓地がない人は死ねないということは、順法精神でいけば墓地がなければ死なないでいいってことかなあ。だったら、死にたくないからとせっかく手に入れた「永眠の地」を売りに出す人が現れたりして・・・。

カナダ統計局が発表した2006年の国勢調査の結果によると、カナダには200もの母語が話されているそうだ。国勢調査での「母語」は生まれて最初に覚えて現在でも理解できる言語という定義になっている。その母語が200もあるなんてすごい。国政調査では、カレシは「英語」に印をつけるだけなんだけど、ワタシは「その他」の欄に「日本語」と書き込まなければならない。つまり、日本語はマイノリティ言語ということなのだ。家族や友だちの母語を見渡すと、ポーランド語、フランス語、ドイツ語、ヒンズー語、スペイン語、中国語、イタリア語、ベトナム語、フィンランド語と多彩。バンクーバーは「アジアの一員になりつつある」という感じ。いたるところに中国語の看板があって、高校時代の漢文の素養?がこんなところで役に立っているんだから、人生何が幸いするかわからない。まあ、Back Eastのオンタリオやケベックよりも目の前の太平洋に顔を向けているんだから、イギリスやアメリカからの移民の大半が東部と大西洋沿岸州に住み着くという統計を裏返せば、その太平洋の向こうから来た移民が故国に近いバンクーバーに住み着くのは自然の流れなんだろうなあ。

早起きはホントにお得?

3月6日。午前7時。ガガガッーという轟音でパッと目が覚めた。あ~あ、また舗装工事か。我が家は角地なもので、前と横に道路がある。去年の地下鉄用の送電線がその横の道路を通って来て、前の道路を進んでいったから、先月は前の道路、今日は横の道路の再舗装なのだ。きのうの午後、市役所の交通課?が「舗装のため駐車禁止」の標識を立てに来た。1月の下水接続工事のときには修理に出すことで何とか動かしたポンコツトラックは元の場所に戻したはいいけど相変わらずスタートしないもので、カレシは市役所の人に「いったいどうすればいいんだ」と詰め寄ったらしい。答は「こっちで角を曲がったところへ移動させる」。だけど、その後は?またもとの場所に戻してくれるの?返事は「さあ・・・(オレの担当じゃないよ)」。

カレシはしっかりと耳栓をしてすやすや。ワタシも遠のいて行くのを轟音(仮舗装の表面を引っかいて溝をつける音)を聞きながらまた眠りに落ちたけど、午前9時、再び轟音と振動で今度は二人とも目が覚めた。飛び起きて、トラックを移動させずに作業をしているのを見たカレシ、「交通課は嫌なやつが多いけど、外で工事をする連中は根がいいヤツなんだよ」としばし感激。(高校時代の夏休みのアルバイトが道路の測量と舗装工事だった・・・。)それにしても、アスファルトを敷いた上を大きなローラーで行ったり来たりするもので、とっても寝ていられない。結局、目覚ましよりも1時間半も早く起き出してしまった。まあ、トラックを動かさずにやってくれたのはありがたい。早く処分すればこんなめんどうはないんだけども・・・

早起きしすぎて、朝食が終わってもいつもならまだ寝ている時間。カレシが英語教室に出かける前にひとっ走り買い物に行くことになって、朝っぱらから酒屋へ行き、野菜を買い足し、スーパーで食品を買い足して、帰って来たら11時。舗装工事の方は2丁先まで進んでいて、我が家の外はほぼ平常の静かさ。反対から始めてくれていたら、ちょうど目覚ましが鳴る頃に我が家の外まで進んでいただろうに。だけど、早起きは三文の得とはよく言ったもんで、いつもだったらごそごそと起き出す時間に3軒回遊の買い物がすんでしまったんだからすごいなあ。もっとも、そんなにしょっちゅう三文の得はしたくないけど・・・

午後は予約の通り、チュイのところへメークの相談。すっぴんで出かける。家にいてめんどうなときは眉を引いて、薄くアイシャドウを入れる程度なんだけど、おでかけのときは少しきりっとしたい。だって、小町のおばさま方も「メークは女の身だしなみ!」とおっしゃってるでしょうが。まあ、すっぴんだからといって別に「女を捨てている」という意識はこ微塵もないんだけど、春うららということで、ふさわしい少し明るめのアイメークを教えてもらった。ちょっと濃いかなと思ったけど、目がぱっちりして寝不足の顔にめりはりの「めり」くらいはついたから、ま、いいか・・・。

見た目は爽やかなお目覚め顔になって、おまけにチュイがボーナスポイントをうんと水増ししてくれたから、気を良くしたついでに地下の食器売り場で「25%引き」になっていた四角の小皿4枚とシリアルボウル4個、手の平にちょうど良く納まる丸いスープボウル2個、ついでに大き目のサラダボウル1個を買ってしまった。みんな白。どうやら白無垢の食器が流行っているらしい。そろそろ30年近くも使ってきた食器を引退させる時期だし、桜並木がなんとなくほんのり色づき始めた春なんだし、ちょっと華やいでみよっと・・・

腕いっぱいに新しい食器を抱えて帰って来た頃には、見える限りどこまでも立ててあった「舗装のため駐車禁止」の標識が全部なくなっていた。どうやら、小出しの工事はこれで「完」ということらしい。やれやれ・・・。

春の目覚めは・・・

3月7日。やっと静かな金曜日。ゴミの収集日なんだけど、今日はめずらしく目を覚まさなかった。きのうあまり早起きして活動してしまったので、やっぱり疲れていたらしい。本当はもう少しだらだらしていたかったけど、午後2時に二人揃ってヘアドレッサーの予約があるので、しかたなく起き出して、きのう買ったばかりの四角いボウルとお皿で朝食。ボーンチャイナというのはクリスタルグラスと同じようにいい音がすることを新発見。グレードアップしたつもりで、な~んだか背筋がちょっとだけ伸びた。きりっとした姿勢はエレガンスの基本だもんね。

曇りがちだけど暖かで穏やかな日なので、カレシの提唱でモールにあるサロンまで徒歩でおでかけ。まだ住宅ブームで、真新しい家や建築中の家が目立つ。この頃は家のデザインの変化も早くなったのか、見るだけでこれは何年頃、あっちは何年頃の築とわかるからおもしろい。外側に装飾的な要素が増えて、色もダーク系で、全体的には格調のあるデザインが主流らしく、落ち着いた雰囲気がいい。

カレシはアントニオときのこの話をしながら、ワタシはジュゼッペと復活祭のディナーの話をしながら、ヘアカット。ジュゼッペがパティオで食事ができる夏が待ち遠しいというので、ブドウのつるに覆われたレンガの壁を背に、キャンティのびん、パスタの大きなお皿、フォカッチアのバスケットが載った木のテーブルを想像してしまった。ん、これってエリザベス・フォン・アーニムの『The Enchanted April』のヴィラでの風景じゃなかったかなあ。『Shirley Valentine』の先駆けみたいな話で、最後にはほろっと涙が出るすてきな物語だったけど、ジュゼッペとアンナならそんなパティオの食事風景がぴったりだろうと思う。あんがいこれがイタリア版「ほっこり暮らし」なのかも。

今日は、後のレイヤーをこれまでとちょっと趣を変えて「ほら、あの有名なイギリスのサッカー選手の奥さんみたいにしてみた」。え、あの有名なイギリスのサッカー選手ってベッカムのこと?てことは、奥さんはあのポッシュ・スパイスことヴィクトリア・ベッカムのこと?ひゃあ、ジュゼッペ、ワタシ、あんな顔してないんだけど。「もちろん、顔の形が違うから、少し工夫した」っていうけど、だいたい体型からして天と地の差くらいに違うでしょうが。だけど、だけど・・・う~ん、イケてるかどうかは別としても、何となくいい感じがしないでもない。覚えたての(きのうよりは薄めだけど)ぱっちり目のメークには合っているみたい。そう、春だもんね。

なんとかサマになる(と思っている)ぱっちり目の鍵はアイライナーとマスカラらしい。ワタシは生まれついての二重まぶた。社会人になりたての頃、ためしにマスカラをつけてもらったら、目を開けたとたんにまぶたに黒い点々。まるでパンダ顔だったもので笑い転げてしまった。それが、老化による自然な「眼瞼下垂」ではあるけど、年と共にたるみが(駄洒落じゃないけど)目立つようになって、今では下の方がミリ単位で計れるくらいの盛大な二重。いやでも眠たそうな目つきになってしまった。(ちなみに、手術でまぶたを引き上げるという手もあるけど、下がったまぶたが常に瞳の50%以上を覆う状態になるまでは「美容整形」の扱いで医療保険が効かないんだそうな。)めんどうくさがって中途半端なメークをするときに一番サボるのがアイライナーとマスカラ。どうやらこのふたつに気合を入れると、ちゃんと目が覚めた「元気いっぱい」顔になるらしい。なるほどの新発見。おりしも「春眠暁を覚えず」の季節。仕事が山積みになってきちゃっているし、ここで気合を入れて、目を覚さなきゃなあ(と、いつもひとごとみたいにいっているけど・・・)

アメリカ翻訳事情

3月8日。土曜日の朝は静かでいい。何を思ったか、カレシがぼろ布はないかという。トラックを洗うんだと。え、たいして汚れていないけど?「カラスかカモメか大きいのをべチャッとやられたんだよ」。ふ~ん、ターセルなんか10年以上も洗ってもらえなかったし、ポンコツトラックなんか中古で買ってから一度も洗ったことがないのに、どういう風の吹き回しなんだろう。ついでにワタシのエコーも洗ってくれるとか。そういえば、きのうの朝モールに行って、あまり大きくなさそうな鳥にポチョポチョとやられたっけ。トラックと車と両方を洗うって、ほんとにどういう心境の変化なんだろうと思ったら、「まめに手入れをして、早めに下取りに出して新車に買い替えるんだ」そうな。なあるほど、買い替えがめんどう、手入れもめんどうと20年も酷使した挙句に修理だのなんだのと散々な目にあってすっかり懲りたらしい。おかげでエコーはピッカピカ。ありがとね。

だらだら仕事のその1は、遅れに遅れたけど、とにかく完了。今日は息抜きがてら小さいねじ込み仕事にかかる。誰かが訳した去年の文書の追加の部分だけ抜粋したものだから簡単なはず。と思ったらそうは問屋が卸してくれないのがこの商売のおもしろいところで、参考にする「前作」がすごい傑作だったりする。今日のは単語ごとに辞書を引いたらしい訳語がけっこうある。まあ、元々がえらく不親切な日本語なんだけど、思わず香港だか上海だかの三つ星レストランのメニューを思い出してしまった。あれは漢字ごとに訳してあったけど・・・

アメリカ翻訳協会の機関誌に「翻訳・通訳報酬調査」の結果が載っていた。アメリカの協会ではあるけど海外の準会員も多い。まず、回答者の性別は、男性が31.4%、女性が68.6%。本当に女性のほうが語学に優れているかどうかはわからないけど、たしかにこの稼業は女性が多い。ひとりで在宅で好きなようにやれるし、参入のしきいもあまり高くないからかもしれないと、教育水準を見たら、高卒が2.5%、準学士が4.6%、学士32.9%、修士43.8%、博士10.8%で、他に専門資格が5.4%となっている。今は、翻訳者になりたいといえば「大学では何を勉強したの」とあたりまえに聞かれる時代だから、高卒が少ないのわかるけど、修士、博士の割合が大きいのはちょっと驚き。実務経験年数では、一番多いのが「21年以上」で28.5%。次が「6年から10年」で22.5%。「16年から20年」は13.8%で一番少ない。それぞれの時代の経済情勢と比べてみたらおもしろそう。

フルタイムのフリーランサーの年間報酬は平均して60,423米ドルだそうだ。フルタイムのインハウスや公務員の翻訳者とほとんど変わらないのはちょっと意外。専門分野で一番多いのが「ビジネス・金融」で57%、次いで「法律」が55%、「医療」が47%、「IT」が38%の順。逆に少ないのが「自然科学」の16%、「純粋科学」の8%。どうりで科学論文専門のクライアントがいつも人手不足で悩んでいるはずだ。翻訳のペースはターゲット言語で1時間あたり平均540語。今一番レートが高いのは英語からアラビア語。一番安いのは英語からイタリア語とポルトガル語だったそうだけど、それでも、日本円に換算したら、日本での英語から日本語訳のレートよりずっと高いんじゃないかなあ。

カナダでも同じような調査をやったらおもしろいと思うけど、2.5%しかいない「高卒」のワタシは希少価値があるのかな?まあ、商売となったらそんなの関係はないけど、「おまいさん、がんばってるじゃん」と自分をほめてもいい・・・よね。

時計だけはもう夏!

3月9日。今日はカナダ全国、いや北米大陸津々浦々で「時差ぼけ」の日。いわゆる「夏時間」の始まりの日なのだ。午前2時に1時間進むんだけど、うまくしたもので、時計を進める春は「Spring forward(前に飛び出し)」、元に戻す秋は「Fall back(後に退く)」という洒落になっている。覚えやすくていいんだけど、これが何ともめんどうな年中行事で、何にでも時計がついているような近頃はますますもってめんどうくさい。おまけに、同じカナダの中で夏時間を実施している州としていない州があって、その上に同じ州の中でも実施しない地域があったりするからややこしい。つい、いったいどこのトンチキが考え出したんだ~と愚痴のひとつやふたつも出る。(変え忘れている時計、あといくつあるんだろう・・・)

元のアイデアが閃いたのはかのベンジャミン・フランクリンらしいけど、制度として提唱したのはウィリアム・ウィレットというイギリス人だそうで、熱中していたゴルフの最中に日が暮れてしまうもので、時計を進めて日暮れを遅らせようという魂胆だったのだ。最初に夏時間を実施したのは第一次大戦中のドイツだそうだけど、あれはまだ現代のようにライフスタイルが多様化していなかった時代で、特に緯度の高い地域では農作業の時間が増えるというのはグッドアイデアだっただろう。(もっとも家畜は時間なんて知らないから、畜産農家はけっこう迷惑するらしい。)

昔はカナダやアメリカでは4月の下旬に夏時間になって、だいたい6ヵ月後の10月に時計を戻していた。おかげで、4月下旬のワタシの誕生日が時計を進める日曜日と重なって、何だかせっかくの日が1時間減ってしまったような気がしたんだけど、夏時間が早く始まるようになったのは10年ちょっと前。それが去年からさらに早くなって、やっと春の気分がしてきたばかりの3月半ばに始まって、なんと11月上旬まで続くようになった。その背景にはスポーツ用品のメーカーとコンビニの猛プッシュがあったいうから、何をかいわんや。午後の日の高い時間が長くなって、冷房時間が増え、ガソリンの消費も増えて、本来のエネルギー節約の目的から大きく離れてしまって、ちっとも環境にやさしくないでしょうが。

暦の上で公式に「春」が始まる春分の日もまだ。イースターもまだ。今、トロントやモントリオールは大雪で、モントリオールでは春も夏も飛ばしてこのまま次の冬に入るという冗談が出たというくらいの真冬だというのに、「夏」時間も何もないだろうになあ。標準時間は1年のうちでわずか4ヵ月で、夏時間が8ヵ月なんてちょっとふざけすぎじゃないのかなあ。それも金儲けを目論んだ連中に陳情されてのこの不便。つまりは、アイデアはよかったけど、実践はイマイチということだ。ふむ、いっそのこと1月1日から12月31日までを「夏時間」にしたらいいんじゃないのかなあ。そしたら、時計を進めるのを忘れて飛行機に乗り遅れる人も、月曜日に遅刻する人も、睡眠不足で交通事故を起こす人もいなくなって、世のためになるんじゃないの?

もっとも、夏時間になって、いいこともないわけではない。それは日本との時差が1時間縮まること。東京で1日が始まる午前9時が、冬の間は午後4時だったのが夏時間の間は午後5時になるから、期限が迫って時計とにらめっこで仕事をするはめになったときなんかなんとなく気分に余裕ができるのがうれしい。まあ、余裕を感じすぎてしまって、最後に大慌ての猛然ダッシュになることもあることはあるんだけど・・・

1時間はどこへ行った?

3月10日。それ見たことか、という感じだけど、月曜日の今朝は目を覚ましたのが午後1時半。もう「けさ」じゃなくて、何なんだろう。「今午後」かな?寝ぼけまなこのカレシが「時計を変えるの、忘れたんじゃないの?」というから、「これ、正真正銘の現在時刻!」といったら、「12時半かと思った」。本当に必要なのかどうかもあやしいのに、むやみに「時間」をいじくるからこういうことになるんだよなあ。だけど、ちょっと待てよ・・・。時計の時刻が午後1時半だけど変えるのを忘れたせいで本当は12時半かと・・・って、おいおい、それは秋に1時間戻す時のことを考えているんじゃないの?春に時間を変えるのを忘れて1時半だったら、実は午後2時半てことで、えらいこっちゃでしょうが。ねぼけてるねえ、あなた。

だけど、午後1時半はきっと新記録だなあ。まあ、標準時なら12時半で、そんな時間はよくあることなんだけど、1時を過ぎるとさすがに「1日がもう終わっている」という気がしてくる。朝食をすませたら2時過ぎで、あっという間に夕食の準備の時間になってしまう。いっそのこと変てこな夢の続きに戻って、4時くらいまで寝なおすか・・・いや、だめだなあ。夢が変てこ過ぎるもの。病院の大部屋みたいなところで、カレシとワタシの周りを、めっちゃくちゃヘアスプレーを振りまいている(性別不明の)人がいて、なぜかワタシがベッドから転げ落ちたところで目が覚めて中断。だけど、夢はビデオみたいにPAUSEボタンがないからなあ。

出勤しなくてもいいから、目覚まし不要でいつまでも眠っていられる私たちはいいんだけど、月曜日の朝は遅刻する人が多いかもしれない。それで思い出した。まだ勤めていた頃、カレシが出張中の日曜日の早朝に電話が鳴った。時計を見るとまだ5時半。「誰だ、こんな時間に」とぶつぶつ言いながら起き出して(コードレス電話のない時代だったから)電話に出てみたら、その日出張に出かけるはずのボス。この人はどうでもいいようなことで夜間でも週末でもおかまいなく家に電話をかけて来る困った癖があったんだけど、午前5時半なんて冗談じゃない。何ごとかと思ったら、「これから空港に行くんだけど・・・」と。「え、ちょっと早すぎるんじゃないですか」。「え、飛行機は8時半だよ」。え、でも国内線でしょうに。(まだそんなに早くにチェックインしなくて良かったのどかな時代のこと。)しばしの沈黙の後、「ああ、時計を戻すの忘れてた!」そ、そ、きのうの6時半がきょうは5時半なの。あと1時間よぶんに眠れるはずだったのに、まったく・・・

おかげで今日1日(ひょっとして半日?)はやたらと早足で過ぎてしまった。日曜日に消えてしまった1時間。失われた時といえばかっこいいけど、それを取り戻せるのは11月の2日。考えてみたら、仕事の時間まで1時間むだに何もせずどこかへ消えてしまったではないか。ん、これはだらだらモードのときはあまり関係ないか・・・な?

IT'S A BAD HAIR DAY

3月11日。午後3時。電話が鳴り出して、発信番号表示を見たら、カレシが英語教室を開いているネイバーフッドハウス。おや、教室は終わっているはずで、そういえばもう帰ってきていいはずの時間だけど何ごとじゃい、と出てみたら、当のカレシが途方にくれた声で「トラックがスタートしないんだよ~」。トヨタのサービスに来てもらうにも番号を知らないし、おまけに携帯を持ってないから、どうしよ~。どうしようってねぇ・・・。

聞くところによると、帰ろうとしてエンジンをかけようとしたら、うんともすんとも言わないんだそうな。(電気系統をシャットオフしてエンジンがかからないようにする)イモビライザーがおかしいのかもしれないから、スペアのキーを持って行こうかと言ったら、「いや、おかしいのはアラームの方。解除のボタンを押したら、ホーンがいつもは2回なのに4回鳴ったから、アラームがおかしい」と。あっそ・・・。「サービスの電話番号、知らない?」う~ん、ファイルを引っ張り出して調べてみたけど、保証サービスのことを書いたものは何にもない。「保証にちゃんと出張サービスが入ってたよな」。うん、グラブコンパートメントに何か入ってるかも。

トラックに戻って調べて、なかったらまた電話するというもので、とりあえずスペアのキーを金庫から出してスタンバイ。だけど、20分ほどしてのんきに口笛を吹きながらご帰還。出張サービスの電話番号を書いたカードが見つかって、ID番号がわからなかったけど、電話をオンタリオ州の本部から転送に転送を重ねてディーラーにつながった。そこでたまたま出たマネジャーの「ハンドルを左右に動かすとかかりますよ」と言う説明で、トラックに戻ってやってみたら、その通りにスタートしたんだそうな。どうやら、エンジンを切ってサイドブレーキをかけてから、タイヤの向きを変えるのにハンドルを切ったらロックしてしまったということで、要は、駐車作業をきちんと完了してからエンジンを切るべし、という「ポカヨーキ」設計のおかげらしい。

ハウスの電話を借りるためにトラックとハウスの間を二往復したというカレシ。「携帯をいつもバッグに入れておけば忘れないのに」といったら、「忘れたんじゃないの。今日はいらないやと思ったの」だそうな。あっそう。(ほんとはどこに置いたか忘れてしまって、出がけに見つからなくて「いらないだろう」ということにしたんじゃないの?)どこにおいてあるの?と探りを入れたら、「家の中にあることは分かってるよ」と来た。う~ん、こりゃ、もういうことなしだあ・・・。

こういう調子っぱずれにはコーダが付くのがオチ。夕食の支度の最中に、カレシがふざけてワタシを抱き上げようとしたら胸のあたりでグキッ!とや~な音。ワタシは息もできない痛みでしゃがみこんでしまったので、カレシは「どうしよ~」とおろおろ。そろそろと立ってみたら、深呼吸はできるし、腕も動かせる。押すと痛くて、動いたはずみでちょっとイィッとなるけど、どうやらたいした被害はなかったようで、やれやれ。ワタシはジャガイモの袋じゃないんだってば。これでもデリケートな女性なんだってば。いい大人なんだから少しは手加減と言うものを考えてよね。この忙しいときに「不戦敗、ヤ、ヤ、ヤ」ってわけには行かないんだから。

おろおろ、はらはらの一日だったカレシはなんとなくお疲れの顔。でも、「今日はこれだけあったから、明日はいいことがあるよ」と。ふむ、「bad hair day(ツキの悪い日)」ってことか。イテッ・・・。

ワタシだけのネームデイ

3月13日。ヨーロッパのカトリック教徒の間には「ネームデイ」という誕生日に似た祝いの日がある。元々は誕生日を異教徒の祝いと見た中世のカトリック教会が普及させたものらしい。たとえば、友だちのバーバラは1月の生まれだけど、ネームデイは12月の始めで、誕生日よりずっと盛大なお祝いをするんだとか。何年か前に使ったフランス製のカレンダーには毎日に男性か女性の名前が書いてあった。(ワタシの誕生日は男の子の名前だったのでがっかりしたっけ・・・。)アメリカにはグリーティングカードのビジネスを狙ったような創作のネームデイカレンダーまである。

今日3月13日はワタシの「ネームデイ」。どの国のネームデイカレンダーにも載っていないワタシだけの名前ではあるけど、今日は新しい名前が正式に登記された記念すべき日なのだ。ミドルネームになった元の名前で呼ばれることはほとんどなくなった。今日は新しい名前になって生まれ変わった「ワタシ」の満6周年の誕生日なのだ。この6年間にワタシはずいぶん変わったと思う。アイデンティティが確立されてきたと思うし、精神的に自立したと思うし、いろんなことに強くなったと思う。その結果についてはなんだかんだと言われているかもしれない。でも、ワタシはやっと人間として成長して来たのだと思いたい。

名前を変える手続きを始めたとき、カレシは「オレに相談もなく勝手なことをするな」と猛烈に怒った。ほんとのところは、変えたいと言いだすたびに不機嫌そうに話をそらされて、相談したくてもできなかった。あの頃はまだ二人ともそれぞれに自分の傷をなめるのでいっぱいだったんだと思う。というのも、落ち着きつつあった夫婦の関係に棘のように刺さってままだったのが、ワタシのとそっくりだった「あの女」の名前だったのだ。ワタシの友人をカノジョの名前で呼んで気づかないほど夢中になったカレシをいいように振り回した、おそらく水商売と思われたあの既婚の女。日本人にはまったく別の名前でも、英語人には同じに聞こえるらしい。積極的に外へ出るようになって、何も知らない相手にあの女の名前で呼ばれては、また底なしの穴に突き落とされるような絶望感に苛まれて、とうとう名前を変えなければ自分は一生立ち上がれないと思いつめたのだった。

通っていた創作講座で自己再生のイメージを書いていた頃、ジョギングをしていてふと見上げた高い梢の向こうからすっと下りてきた名前があった。語源は古代ギリシャ語の「抒情詩」。新しい自分を生み出して、自ら名付け親になったワタシ。父が万感の思いを込めてつけてくれた名前はミドルネームになって生き残って、新しいワタシを見守って、肯定して、叱って、背中を押してくれる存在になっている。ワタシの中に厳しいママがいるような気もしないではない。そう、新しい名前のワタシは今日で満6才。まだまだ成長しなければならないんだものね。この6年間に自分なりに自分を育てて来たけど、新しい名前になって別の人間になるということは、一人の子供を育てるくらいに大変な作業だったと思う。でも、今ではカレシもごく自然に新しい名前で呼んでくれる。改名は神さまが導いてくれたこと。今日はワタシだけの名前の日。ハッピーネームデイ!

ネコが食べたコピルワク

3月14日。金曜日なのにどうも土曜日のような気がして困る。まあ、今日から先はねじり鉢巻2本体制だから、何曜日だってあまり関係がないんだけど。(いつもだってあまり関係がないし・・・)

フリーザーのふだんの食材が入っているバスケットがほぼ空になったので、やっと買出しに出かけることになった。小出しの買い物は野菜が必要になるたびに同じモールにあるセイフウェイで済ませるけど、肉類だけは別のスーパーへ行く。ここにはけっこう大きなファミリーパックがあるし、立地がら、鴨とかオヒョウの頬肉とかマーリンとか、ちょっと変わった食材があって楽しい。「食べるものがない!」と脅かされたせいもあるけど、カレシにはついでにスーパーの向かいのインドネシア料理店に行こうという魂胆もあった。(空きっ腹で食料の買出しをすると衝動買いしてしまうということだし・・・)

Spice Islandsという小ぢんまりしたレストランで、他のアジア料理店に比べると格段に上品。盛り付けもサービスも高級レストランと比べてあまり遜色がないのに、値段は「ちょっといい」レストランの水準。しかもおいしいと来ているから、立地はあまり良いとはいえないのにいつもけっこうな客があるらしい。少し前に初めて行って気に入った、我が家の「2つ星」レストラン。(この前は日本人女性4人組がかなり大きな声で井戸端会議に熱中していて、最初にワタシの方をちらった見たけど、おそらく日本語はわかるまいと判断したらしく、ジューシーなゴシップが筒抜けで思わぬエンターテインメントだったけど・・・)前回は、40いくつものスパイスとココナツミルクで煮込んだラムのカレーがおかわりをしたいくらいにおいしかったし、デザートのバナナのフリッターもカリッとしていて、食後の「コピトゥブルク」というインドネシア風のコーヒーも良かった。

今回はやかましいグループがいないようでしめしめ。どうやってこんなにカリっと仕上げられるのかと思うくらいのビーフのルンピアを手始めに、ナシゴレンを中心とした盛り合わせ。カレシは前回気に入ったガドガドに、セットメニューのなかで一番良かったというビーフのレンダン。辛さはどうしましょうというから、ミディアムちょっぴりパワーアップしたところで手を打った。「ミディアム」というのがだいたい「カナディアン標準」の辛さなんだそうだけど、聞くところでは、辛さの好みは天井知らずとか。(消化器系統全体が耐火材料でできている人間もいるってこと?)盛り合わせではコリアンダーで味付けしたから揚げ風のチキンが一番良かったから、この次はこれにズームインしよう。「サンバルを加減するんですよ」とオーナーのロッドさん。ミディアムはほんのり汗ばむ程度のちょうど良い辛さでした~。

おなかがいっぱいになったところで、デザート。ロッドさんが「特別にめずらしいコーヒーがあるんですけど」という。高いんですが・・・と。そういえば、ある高級コーヒーショップで1杯16ドルのコーヒーを売り出したというニュースがあった。「めったに手に入らないものなんです」とロッドさん。まろやかで独特の風味があるんだそうで、インドネシアから特にお取り寄せしたものとか。「コピルワク」といって、なんと、ジャコウネコが食べて、未消化のまま排泄したコーヒーの豆を集めて焙煎したもの。ジャコウネコは熟した実だけを食べるから、種であるコーヒー豆も完熟のはずで、しかも消化酵素のおかげで苦味の成分がなくなっているんだそうだ。人間が山に入っていって一粒ずつ(は大げさかもしれないけど)集めるので、1年間でキロの単位しか取れないという、まさに希少品。

そういわれるとつい乗り気になるのがめずらしもの好きのワタシ。イタリアの白トリュフもそうだったけど、よし、二人で1杯を分けて飲もう・・・ということになった。テーブルにセットされたサイフォンで入れたコーヒーは、ほんとうに苦味がない。マイルドだけど、ほのかになんとも形容しがたい香りと味がした。1杯が50ドルの「コピルワク」。これで「ネコのおなかを見ちゃったコーヒー」としてまたゆくゆくまでの話の種ができた・・・。

食い気には勝てない

3月15日。予定が詰ってきた~と騒ぎながら、やっぱり土曜日はディナーのおでかけの日。ちょっぴりおめかしをして、William Tellへ。手始めはブランディ、アンゴスチュラビタース、スパークリングワインのシャンペンカクテル。細めのグラスの底のほんのり赤くなった角砂糖からバブルが立ち上る、なんとなくかわいいカクテルだった。こだわりのマティニもいいけど、ちょっと目先を変えるのはもっといい。カレシはシーザーサラダの後に、フィレミニョンにしようか、タルタルステーキにしようかと迷ったあげく、やっぱりタルタルステーキになった。ワタシは久しぶりのエスカルゴ(20年くらい前に大流行でちょっとしたレストランならどこでもあったような気がする)の後に、鴨にしようか、ラムのラックにしようかと迷ってラム。

デザートはチョコレートのスフレ。きれいに膨らんだスフレの真ん中に穴を開けて、チョコレートをとろ~り。仕上げにとヘネシーのXOを注文したら、サーバー氏が「ヘネシーにはチョコレートのアロマがありますから、チョコレートスフレの後にはぴったりですよ」という。たしかに、ほわ~っとチョコレートっぽい香りがあって、スフレの後味にぴったり。なるほど、ちょっと新発見。

東京版のミシュランガイドの話をしていたら、東京に行ったら高そうなフレンチレストランを見つけて、食べ比べて来いよ、とカレシ。ふ~ん、それも妙案。だけど、日本のレストランは高いよ。長いことデフレだといっても、きっとまだ目玉が飛び出すほど高いよ~。家に帰って、さっそくミシュランガイドに載った店から調べてみたら、いやあ、ものすごいお値段。お一人様3万円から、なんてのがある。ほんとにそれくらいにいいのかなあ。バンクーバーだったら、このお一人様料金ですっごくしゃれたレストランでお二人様が食べられるけどなあ。まあ、味に関してはほんとに人それぞれだから、高いからといって必ずしもおいしいと思うわけじゃないんだけど、本格的なフレンチレストランは「希少」なのかなあ。希少なら高いというのもわかるけど、希少だから「おいしい」ということにはならないし・・・

食べることとなったら熱中してしまうのが食道楽の泣きどころ。行ってみたいところをあれこれ調べだしたらきりがない。新宿界隈の高級ホテルにはけっこう良さそうなところがある。メニューが載っていたら片っぱしからクリックしてみる。ヒルトンも良さそうだけど、京王プラザもいいかなあ。泊まろうかと考えている池袋のクラウンプラザのも良さそう。セットメニューが多くて、アラカルトがあまり多彩でないような感じがするけど、写真を見ると、どれもお皿の上が少し混み合っているけど、あまり大きなお皿を使っていないせいかもしれない。それでも、どれもしゃれているじゃないの・・・と、仕事はそっちのけでググりまくって、バンクーバーの「お味見メニュー」と比較できそうな値段レベルのセットメニューをいくつか見つけておいた。

だけど、東京に行って「これだけは食べたい」と思っているのは、ほんとうはラーメンなの・・・