国際結婚が破綻してもがんばっている母はえらい
11月21日。月曜日。目覚めは午後12時半。雪は降らなかった。ま、夜中を過ぎてから気温が1度上がり、午前3時に店じまいした頃にはまた1度上がって、プラス3度になっていたから、雪が降るわけはないんだけどな。だから当然朝までに「降雪注意報」は解除。この「降雪注意報」というのは「大雪注意報」とは大違いで、道路がちょっと白くなっただけでてんやわんやするバンクーバーの住人に「雪が降りますよ~」と警告するためのもの。予想積雪量が1、2センチでも発令されるから、雪国の人は笑ってしまう。まあ、バンクーバーの冬は「雨期」であって、世界が一般に想像する「カナダの冬」はめったにないし、移民してきて初めて雪を見る人たちもたくさんいる土地柄だからね。ただし、今日は「降雪注意報」の解除と入れ替わりに「大雨注意報」と「強風注意報」が出ている。こっちの方は典型的なバンクーバーの冬って感じだな・・・。
今日はまじめに仕事をすることにして、後から発注されたけど納期が明日になっている方に手をつける。半日程度の小さい仕事だけど、離婚が絡んだ話。改製される前の旧式の戸籍は数字まで全部漢字で、おまけに癖字や金くぎ流の見本みたいな手書きだったから読むのにひと苦労した。新形式のは人名や地名の読みに苦労するのは同じでも、格段に読み易い。1990年代にはよく移民申請の関係で戸籍の翻訳を持ち込まれたけど、野次馬的好奇心をそそるような人間ドラマもあったな。たとえば、ある40代の男性。移民コンサルタントから来た戸籍では未婚だったのが、1年以上経って「変更があった」と送られてきた戸籍を見たら、なんと二十代前半の妻が入籍。それから1年経って「また変更があった」と送られてきた戸籍には子供の名前があった。入籍と出生の日付からして「できちゃった婚」というやつらしい。悪いけど、あまりモテなかったしょぼい40男が「オレ、カナダに移民申請中でね」なんて言ったとたんに海外デビューを目指す若い女性にモテモテになって、うまくでき婚に持ち込まれたのかなと想像してしまった。その後どうなったのかは知る由もないけど・・・。
今、アメリカのウィスコンシン州で離婚係争中に子供を連れて日本へ帰ってしまった日本人女性の裁判をやっている。アメリカでは夫が単独親権を取り、一方日本では妻が日本の裁判所から親権を取って、日米両国で争っていたとか。この春に自分の永住権を更新するためにハワイへ行ったところで、ウィスコンシン州から逮捕状が出ていたために逮捕されて、ずっと拘留されていたそうな。この人、日本へ子供を連れ帰って、実質的に「ハーグ条約未加盟」の壁に守られて暮らしていたことになると思うんだけど、自分のアメリカ永住権を維持するためにハワイまで行ったのは、いずれ親権問題が解決したらアメリカに戻って(子供と)アメリカで暮らすつもりだったということかな。逮捕状が出ていることを知らなかったんだろうか。知っていたけど、ハワイならウィスコンシン州から遠いから大丈夫だと思ったんだろうか。せっかくのアメリカ永住権が無効になりそうになって慌てたんだろうか。まあ、この人は司法取引で子供をアメリカに戻すことに同意したそうだから、実際に子供が元夫のところに戻ったら無罪放免になるだろうと思うけど、そのままアメリカに住めるのかな。それにしても、永住権ってのは魔物というのか何か・・・。
だけど、国際結婚が破綻しても移住先の国に踏みとどまって、働きながらひとりで子供を育てている日本女性はたくさんいると思う。元夫からの養育費が滞っても、低賃金の仕事しか得られなくても、一生懸命に子供を育てている人がたくさんいるはず。働けなくて生活保護を受けている人だっている。カナダでは結婚破綻の責任を問わないので、不倫した方からでも離婚を申し立てることができるし、女性が結婚して家庭に入るなんてもう昔話だから、小町横町でよく聞かれるような「経験も資格もなくて生活できないから離婚できない」と不満足な結婚を続ける理由は成り立たないし、子供がいればDVなどの問題がない限り共同親権になることが多い。それでも(多くは親を頼って)子供を連れて母国へ逃げ帰るという選択をせずに、がんばっている日本女性が世界中にたくさんいるんだということを声を張り上げて言っておきたい。外国人を配偶者に選んだ動機や経緯がどうであれ、彼女たちは離婚するなり、努力して結婚を継続するなりして、ひとりの女性として自立することができた「勝ち組」なんだと。
まあ、ワタシはもう日本には戸籍がないから、結婚の破綻という状況に置かれても日本に帰るという選択肢はないし、あったとしてもたぶん考えてもみないだろうな。それはともかく、戸籍の仕事はさっさと仕上げて、壮大な地球の話に戻ることにしよう。外はかなりの荒れ模様・・・。
「たかり」の新しい意味
11月22日。火曜日。いやあ、夜中ものすごい嵐だった。ゴォ~ッと風が吹くと、雨がばしゃばしゃと窓に叩きつけられて、ときどきどこかでガシャン、バタン。おかげで寝付けなくて、午前5時半頃に急に外が静かになって、やっと眠りについた。目が覚めたのは午前11時過ぎ。停電していなくて、まずはひと安心。テレビのニュースでは、大木が根こそぎ倒れかかって壊れた建物や外壁のレンガがそっくり落ちてしまったホテルの映像が流れる。木が倒れて来る中で間一髪で窓際のベビーベッドから赤ちゃんを抱き上げて助かったという若い両親の話もあって、見ている方も安堵のため息が出る。瞬間最大風速は30メートルくらいあったらしい。停電は数万世帯とか。
我が家は裏庭に置いてあったゴミの容器が倒れていただけで、家の中は雨漏りの形跡もなく、大雨で水が滲み込むことがあるスカイライトも問題なし。風が吹き付ける雨が洗ってくれたおかげで、東側から南側へかけての窓のガラスはどれもすっかりきれいになっていたから、言うことなしだな。庭や歩道の落葉樹はほとんどが葉をむしり取られて一気に冬っぽい風景になり、玄関を開けたら、ポーチには落ち葉の「吹き溜まり」の山。カレシが掃除をしたばかりの雨どいにも落ち葉が詰まっていたけど、あさって配管屋が来て温室に給水パイプを通してくれたら、いよいよ池の跡の穴を埋め戻す段階になるので、堆肥になる落ち葉はいくらあってもありすぎることはない。ついでに風が穴に吹き落としてくれるとなおいいんだけど、そこまではムリか・・・。
ニューヨークのウォール街から始まって、だいぶ前から美術館前の広場にテント村を作っていた「オキュパイヤー」と呼ばれる連中は、市が裁判所から占拠差し止め命令を取り付けたもので、きのう隣のブロックの裁判所があるロブソンスクエアに移転。ところが、今度は州政府が速攻で差し止め命令を取り付けて、どうやらダウンタウンを離れた公園に移動するらしい。ウォール街で始まった「運動」はアメリカの人口の1%が富を独占しているのに99%(の一般人)が抗議するという趣旨だったはずで、バンクーバーでも最初はそういう草の根運動的な雰囲気があった。それが、いつのまにか無職無為の若者たちのドラッグパーティの場と化した感があって、最初は共感を持った市民もそっぽを向いた。何が「強欲な1%」に抗議だ。(働かずに)生活費や住むところを与えられる権利があるとか、まったく連中こそまじめに働いて税金を払っている99%の市民にたかる「強欲な1%」だな。
この「たかる」と言う言葉、この頃小町横町でもよく聞かれるような気がするな。婚活がらみのトピックでも、低収入の男との結婚はムリと女が言えば、結婚するなら専業主婦はムリと男が言い、それを「たかられたくない」と考えているからだと言う人がいる。元々「たかる」というのは人を脅したりしてお金やものを巻き上げたり、無理強いしておごらせたりする行為だったはずだけど、仕事を辞めた妻が生活費を要求するのを「たかられている」という高収入夫がいたりして、どうやら「相手に経済的に依存すること」という意味も加わったということかな。件の高収入夫は自分の収入は(自分の稼ぎだからと)趣味に使い、低収入の妻に生活費や保育費を負担させて来たそうで、その妻が資格勉強のために(相談もなく)仕事を辞めたので、しかたなく15万円の生活費を渡して、「たかられている」。夫婦なのに、なんかおそろしい心理だけど、こんな思考が幅を利かせるようになったら、「強欲な99%」が支配する社会になってしまいそうだな。
自分が稼いだお金なんだから自分だけのために使いたいのに、政府には税金をたかられるし、慈善団体には寄付をたかられるし、飲兵衛の同僚には飲み会でたかられるし、大食いの友だちには割り勘と称してたかられるし、低収入や無収入の妻/夫には生活費をたかられるし、子供には育児費・教育費をたかられるし、しまいに年老いた親にも仕送りと称してたかられる。ああ、たかられっぱなしの人生。いっそのこと、たかってくるしがらみはすべてさっぱりと捨てて、ひとり飄々と托鉢の旅にでも出たらいいのに・・・。
ていねいに、美しく包み隠す文化
11月24日。木曜日。目が覚めたらもう午後1時に近い時間。何たってきのうは仕事がどたばたでくたびれたもの。超特急の仕事、その日のうちにということで、超特急でやって編集担当に送って、次の超特急仕事にかかったら、終わらないうちに送った仕事に「クライアントから新しい原稿が来た」と。急がせておいて・・・とファイルを開けてみたら、手を入れたというよりは書き直し。これでは翻訳もやり直し。割り増し料金を払ってくれるそうだし、原稿自体が短いからいいんだけど、この忙しいときに超特急だと急がしといて、何をやってるんだろうなあ。新旧の原稿両方に料金を払ってもらいたいな、もう。次の特急仕事も何とか無事に済ませたら、午前3時半。カレシに愚痴りながら寝酒をぐいっとやって、つまみにソーセージを半分も食べて、おやすみ・・・。
おかげで大きい仕事が遅れ気味。こっちは内容がおもしろいからいいんだけど、何だかすごい学術用語がぞろぞろ出てきて、用語や表現例を調べながらの作業だから進捗は少しのろい。でも、今日は工事に来る予定だったマイクが「天気が悪そうだから」と明日に延ばしたので、仕事に専念できそう。きのうの夜からまた「強風注意報」が出ている。どうも11月の嵐は単独で来ないで、2つか3つが団子になって来るから困る。先週の雪交じりの嵐、月曜の夜の風と雨、今日もまた風と雨。あしたは日中は「晴れ」、土曜日は「雨(50ミリ以上)」、プロフットボールの決勝戦がある日曜日は「晴れときどき曇りときどき小雨」、月曜日は「雨(50ミリ以上)」、火曜日は「雨(40~50ミリ)」と言う予報で、11月最後の水曜日になってやっと「晴れ」。翌日12月1日。は何と「晴れのち雨かべた雪」になっている。ま、バンクーバー地方の天気予報は地形が複雑なもので当たらない確率の方が高いから・・・。
オリンパスの怪しげな取引に疑問を持って追及したために解任された元社長が日本へ出向いて、取締役会で例の三人組と対峙すると言うことだったけど、肝心の三人組はその前に辞任してしまったらしい。なんだ、敵前逃亡かいな。さんざん日本の慣習を無視して独断的だったとか何とか非難しておきながら、いざとなると面と向かって堂々と説明できない(したくない)ってことか。ま、ガイジンを社長に据えればグローバル企業でございと見栄えがするし、ガイジンだから日本側でやっていることには首を突っ込んで来ないだろうし、突っ込んで来ても「これだからガイジンはダメだ、日本のやり方を理解していない」とその首をすげ替えればいい、と高を括っていたかどうか知らないけど、やっぱりムラ社会的な発想という感じがする。要するに、ムラの外の社会も自分たちのムラと同じであるはず・・・ということかな。やれ国際化時代だ、やれ国際交流だと、あれだけ長いこと鉦太鼓を叩いて来ても、変えれば変えるほど元のまま・・・。
在日外国人の英語サイトに投稿されていたリンクを辿って、ウッドフォード氏が成田に到着したときのインタビューを聞いてみたら、下っ端から叩き上げてきただけあって、なかなか骨太な人という印象だったけど、社長に復帰する気はあるかと聞かれたときに、まだわからないと答えた後でちょっと曇った表情になって「妻も私もトラウマになっているので・・・」と言ったのが耳に残った。そういえば、解任された直後に急ぎイギリスに帰国したという話だったけど、会長や取締役会におかしい取引の説明を要求してから解任されるまでの間に何があったんだろう。いわゆる「反社会組織」が絡んでいるという報道もあって、オリンパスは否定に必死だけど、日本には株主を黙らせるための「総会屋」という、まるでバーの用心棒のような商売もあるし、(会社の内密の依頼で)水面下でウッドフォード氏とその家族が身の危険を感じるような「働きかけ」をする人間がいたとしてもワタシは驚かないけどな。
法律や規制なんていくらでも立派なものを作ることができるわけで、それを所詮は「建前」として見るから、世間の目に遵守しているようにさえ映ればそれで十分という思考になるのかもしれない。つまり、「中身」よりも「見た目」が重要な判断基準ということなのかな。それとも、中身を見られないようにきれいな紙に見栄え良く包むということなのか。日本語に「包み隠さずに言う」という表現があるのはおもしろいし、ふろしきもモノを包んでおくためのものであって、みだりに広げると「大ぶろしき」と揶揄されかねない。まあ、包み紙文化も社会文化のひとつだから、良し悪しも優劣もないけど、外から見える日本は大海の中で先端だけが水面に出ている巨大な氷山に似ていなくもない。水中の部分を見たいとは思うけど、ワタシ、かなづちなんで・・・。
近頃の日本語、変じゃなくないですか?
11月25日。金曜日。午前9時過ぎ、裏庭でドンドン、ガンガンと物音がして目が覚めた。ラジオが聞こえる。マイクが来て作業を始めたということか。まだ5時間そこそこしか眠ってないんだけど。大雨続きの天気予報の中では今日が1日。だけ開いている作業のチャンス、ということで、そのうち配管屋も来るんだろう。でも、まだ5時間しか眠ってない。シリコンの耳栓をしているカレシは何とも気持良さそうにすやすやと眠っているから、ワタシもひたすら目をつぶって、うとうと、うとうと・・・。
結局、眠っているんだから覚めているんだかわからない状態で、起きた頃には11時を過ぎていた。配管屋が来て、マイクと息子が掘った溝に温室への水道管を敷設中。カレシが話をしたところではキェルという北欧系の人で、窓から見たらそれはまあ見事な金髪。先週まで山の中にこもって猟をしていたと言うけど、なんかイメージが釣り合わないような。そのキェルが業務終了で帰った後は、マイク親子がパティオと歩道を作る場所の表土を掘り起こして、池の跡の大穴を埋め戻す作業。まあ、これでプロジェクトその1はほぼ終了で、次のその2はパティオと歩道。これは掘ったところに砂利と砂を均してコンクリートのタイルを敷くだけだから、うるさいのは均すための機械を使うときだけかな。う~ん、5時間しか眠ってないから、ああ、眠い~。
でも、今日は腕まくりして仕事に専念する日。だけど、どういうわけかここのところちょっと調子が出ない。やたらとおなかが空いたり、咳き込んだりするのは、ひょっとしてストレスか。おまけに何かと欝っぽいような気分になる。やっぱりストレスかな。だとすると、何がストレスなんだろうな。楽しかった絵のワークショップが終わってしまったからかな。描きかけの絵がすぐそばのイーゼルで「まあだ?」と言っているような気がする。先生が言ってたな、「普通の職業と創作的な仕事は両立しない」と。そうだな、オフィスで仕事をしていたら、すごいインスピレーションがわいてもそのときはどうにもできないもの。在宅のワタシでも、芝居や短編のアイデアが浮かんだからといって、仕事を放り出すわけにも行かず、かといって、まともなご飯を食べたいから、貧乏作家として夢を追求というわけにも行かない。フラストレーションが溜まる。お役所から年金の明細が来てから何となく仕事はもういいやという気持がもやもやしているのがストレスなのかな・・・。
手を休めて、小町横町をのぞいたら、『「じゃないですか」という言い方が気になりませんか?』というトピックがあって、この頃とみにヘンテコ日本語に頭を悩ませることが多くなったワタシは見逃せないとばかりにのぞいてみた。まあ、「○○じゃないですか?」というのはわかるけど、「私って、○○な人じゃないですか~」って何じゃいな。つい、「ん、で?」と言い返してしまいそうだけど、どうもそういう反応を想定しているのではなさそうだな。もし「アタシってイケメンにモテる人じゃないですか~」なんていわれた日には何と言ったら良いのやら。もう25年も前になるけど、勤め先でワーホリの女の子を4人くらい次々とアシスタントに雇ってくれたことがあった。さすがバブル時代の落とし子たち、本当に役に立ってくれたのはひとりだけで後は全部ダメ。中でもよく遅刻した20代半ばの(名前は忘れた)人。にこにこと悪びれもせずに「アタシってぇ、ほんとは遅刻する子じゃぁないんですよぉ~」。へえ、今日も遅刻したでしょうが・・・。
自分を「○○する人」とまるで他人のように表現するのはどういう心理なのか、研究したらおもしろいかもしれないけど、翻訳原稿には絶対に使わないでよね!他にも、最近出くわしたヘンテコ日本語で未だに謎が解けていないのが「いらなくないですか?」という表現。「いらない」はわかるな。つまり、不要だってことでしょ?それを「いらなくない」と二重否定にしたら「いる」ってことにならなくない?(という風に使うらしい・・・。)何だか、「いらないよね」と言っているのか、それとも「いるんじゃないの?」と言っているのか、さっぱりわからなくないと思わない?最近はどうやらテレビの人間までがナニゲに使っているらしい。この「なにげに」と言うやつも、本来は「なにげなく」だったのに、どういうわけか「なく」がなくなってしまっている。ひょっとしたら「ない」と言う語に対して無意識に不安や嫌悪を感じているのかな。ヘンテコ日本語は果てしに続く・・・。
単語ごとにいちいち疑問符(?)で区切る半疑問形という怪しげな話法もあるそうだけど、言葉は生き物だと言われるし、時代と共に変化するものなので、ある時代に多用されるものはあんがいそのときの世相というか、社会全般のムードのようなものが反映されていたりする。だとすれば、この「私は○○な人じゃないですか~(↓)」という言い回しの裏にはいったいどな心理があって、どんな返事を想定しているんだろう。もしも「私ってそうだよね?」という肯定を求める形なんであれば、「私はそうじゃないよね?」という否定に同意を求めるときは「私って○○な人じゃなくないですか~」と言うの?はあ、さっぱりわかんない・・・。
ハリウッド映画にはならないオリンパス事件
11月26日。土曜日。起床午前11時55分。ぎりぎりで「午前中」に起きたけど、9時間も寝たのにまだ眠い。カレシは天気のせいじゃないかと言うけど、外は天気予報の通りに雨が降っている。ハワイ方面から来るから「パイナップル特急」と呼ばれるこの冬の低気圧、ハワイとカナダの間には陸地がないもので、太平洋の水分をどんどん吸い上げて来て、カナダに到着したところでどば~っと落として行く。しかも単独の「嵐」では来ないで、1週間も2週間もかけて2個、3個と行列で来るから始末が悪い。それでもまあ、雪よりはましかもしれないけど、雨風で被害が出ることが多い。
今日は明日バンクーバーで行われるカナダ式プロフットボールの決勝戦の前日。また大雨注意報発令中だから、景気づけのパレードどころじゃなさそう。スタンレー卿が寄付したスタンレー杯がプロホッケーの優勝杯なら、(たぶん紅茶のアールグレイと関係のある)グレイ伯爵が寄付したグレイ杯はカナダのプロフットボールリーグCFLの優勝杯。プロと言うけどチームの数は少ないし、シーズンもアメリカのNFLに比べたらかなり短いと思う。グレイ杯の試合は1試合だけの一発勝負で、試合開催地はシーズン前から決まっているので、決勝進出チームとはまったく違うところでやっていたりする。でも、今年はバンクーバーが開催地で、地元BCライオンズは出だしの連敗でどうなるかとはらはらさせたのが後半は連戦戦勝で決勝進出。たぶんこの大雨でも盛り上がっているだろうな。楽しく前夜祭パーティをして、(勝ったら)楽しく優勝を祝うことにして、くれぐれも暴動だけはやめとこうよね。
大仕事の持ち時間はとうとう今日と明日だけになってしまった。まあ、ワタシはあまりスポーツ試合に関心がある方じゃないから、カレシがテレビの前で(たぶん)うたた寝している間に、仕事に専念できそう。カナダ式のフットボールはフィールドの規格が55ヤードずつで、アメリカのよりも長く、ダウンの数は3つでアメリカよりも少ない。それ以外はあまり大きな違いはないと思うけど、試合時間の大半はヘルメットで頭でっかちになったでかい男たちがうろうろしているだけに見えるもので、サッカーなんかと比べると退屈なスポーツのような感じだな。何であんなに興奮して熱狂できるのかなと思うくらい。それでも、ボールを抱えた選手が体当たりでタックルして来る敵をかわしながらエンドゾーンまで駆け抜けてタッチダウンするのは痛快でいい。
きのう産経にオリンパスのウッドフォード元社長の外国人記者クラブでの講演内容の全文を日本語に訳したものが載っていて、あとでゆっくり読もうとコピーしておいた。YouTubeにも一部が投稿されていて、肉声の講演を一緒に聞いていたカレシが「記事を全部訳してくれ」と。だけど、カウントをかけたら1万文字くらいあったから、びっちりやっても2日。はかかるなあ。まあ、手があいたらということにしておいたけど、ざっと読んでみたらなかなかおもしろい。社長に抜擢されて日本へ行ったら、盛大なレセプションで祝ってくれて、ヨーロッパでの業績が評価されたと感激したという話があって、最後の方で、スキャンダルが大きくなった後の菊川元会長と森元副社長との最後の昼食では、2人に寿司を食べているのに、自分の前に出されたのはツナサンドイッチだったという話には、やれやれ2人とも何とケツの穴のちっちゃい連中なんだと笑ってしまったけど、「重大な非行」があったからと役員報酬をカットしたり、「内部情報を漏らしたから」と法的措置を取るとぶち上げたり、お仕置きするぞ~と脅しに懸命の様子。アホか・・・。
北米のどこかのビジネス雑誌に『オリンパスはハリウッド映画ではない』とかいう記事があって、ハリウッド映画だったらウッドフォードは不正を暴いたヒーローと言う設定になるけど、日本のサムライ映画では御家の恥をさらした大悪人になって、ハラキリを申し付けられるか、悪くすると殿様直々のお手打ちになる(つまり、クビ)という比喩がおもしろかった。言えてるなあ、ほんとに。臨時取締役会で解任されてすぐに会社の携帯を取り上げられ、マンションでも荷造りするのがやっとの時間しか与えられず、車は出せないから空港までリムジンバスで行けと言われ、香港行きの飛行機に乗ってみたら(ビジネスクラスに格下げして)大嫌いなトイレのすぐ横の席を取ってあったとか。いやはや、すごい会社だな。これが日本人をクビにしたんだったらここまで露骨にやれたかなあ。
ウッドフォード氏も講演で「グリシャムの小説の世界にいるような異様な体験をした」と語っていたけど、「ファクタ」とかいう雑誌に取引を疑問視する記事が載っていたのを最初にウッドフォードに教えた人物についてはオリンパスの社員だと認めただけで、「自分は子供が大きいし、貯金もあるので困らないが」と答をはぐらかしていた。日本にも内部告発者を保護する法律があるはずだけど、彼はそんなのは建前に過ぎないことを身をもって学んだってことかな。バブルの前後に社長だった人(ということは「飛ばし」の火付け人?)が、「ガイジンを社長にしたのが間違いだった」と言ったそうだけど、日本人だけでやっていれば不正が外に知られることもなかったものを、よそ者を入れたばかりに・・・ということか。一方で「会社をきれいにしたら自分の役目は終わりだ」と言ったウッドフォード氏、う~ん、ハリウッドの名画『シェーン』のラストシーンと重なって来そうなせりふ・・・。
優勝(前)祝いのスペシャルディナー
11月27日。日曜日。いい天気。フットボール日和というものがあるのかどうか知らないけど、バンクーバーはドーム型のスタジアムだから関係ないかな。でも、テフロンの屋根を開閉式に改装したのはいいけど、大雨が降るたびに雨漏りもがするから問題。試合前日のきのうもフィールドが水浸しになっていたらしい。そのたびに誰かが屋根に上がって穴を塞ぐらしいけど、何だか堤に指を突っ込むような感じがしないでもないな。
仕事は今日1日。がのるかそるかの勝負の日。だけど、せっかく地元BCライオンズの優勝が確実と言われる決勝戦だから、ちょっと特別ディナーを作ってみた。ただし、忙しいのでコースにしている時間がないから、まとめて「エアライン方式」で・・・。
[写真] Whole Foodsで紅鮭の後ろ半分を買って来たので、最後の最後の尻尾の部分を使って、なんちゃら「石狩鍋」風。だしは昆布の味が利いているレッドスナッパーを湯煮したときの煮汁。じゃがいも、にんじん、ごぼう、大根、ねぎを少しずつ入れて、みそ味仕立て。その昔、妹の結婚式の後で今は亡き叔父夫婦と行った苫小牧の郷土料理レストランで、カレシが「おいしい」を連発しながら大半をひとりで食べてしまったのが石狩鍋だったなあ・・・。
主菜の魚はシーバスの「とろ」。きのことブロッコリーニをバター炒めして付け合せ。副菜は枝豆と大振りのむきエビの柚子醤油和え。
食べ終わる前に試合が終わって、予想通りBCライオンズが大勝。ぴかぴかのグレイ杯を高々と掲げてお祝い。ホッケーでもこういう場面を見たかなったなあ。一試合だけ出し、天気も良くないので、祝賀?の暴動は起きないらしい。ダウンタウンに繰り出してまだ雄たけびだかなんだか、奇声を張り上げて徘徊している大人がたくさんいるけど、明日は月曜日。仕事だろうに・・・。
さて、胸突き八丁の終点はもうすぐ。夕食がちょっとボリュームがあったので、ランチはいらないと思うから、とにかくがんばろうっと・・・。
年を取ってしんどくなるのは女も男も同じ
11月28日。月曜日。大雨のはずなのに、外はいい天気で暖かそう。正午ぎりぎりに起きたけど、なんだか疲れが抜けてくれないような気がする。胃が背中まで抜けるように痛かったり、おなかがゴロゴロなったり、やたらとあくびと酸っぱいげっぷが出たり・・・。何かのストレスなのかなあ、これ。ストレスなんだとしたらいったい何だろうな。いつもより飲みすぎているということもないし、仕事の方もまあまあの量と内容だったし、息抜きもしていたはずだけど。年のせいかな?とにかく、な~んかストレス、ストレスという感じ。
それでもまあ、大きな仕事が期限に間に合って完了。学者さんたちって家に帰ってからもこんなことを考えているのかなあと思っておもしろかった。システム関係の仕事のときは、あまりにもマニュアル的な文章だったので、この人たちってデートのときもこんなしゃべり方をするのかなあと思ったし、法律関係の文書をやつといつも弁護士さんたちは奥さんにも物言いをするのかなと思っておかしくなったもんだけど、実際にはどうなんだろう。むにゃむにゃうやむやがを得意とする政治家センセイたちはどうなんだろうな。こういう人たちのお茶の間の壁にとまったハエになって、聞き耳を立ててみたいもんだ。
ワークショップが終わったばかりだけど、カレッジからはもう来年の1月下旬から始まる次学期の講座のカタログが送られて来た。最新作が好評だったガチャリアン先生がフェイスブックで予告していた通り、久しぶりに劇作講座を開講する。これは水曜日の夜。アトキンソン先生の絵のワークショップもまた日曜日の午後にあるし、同じ先生の抽象画の講座が火曜日の夜にある。迷ってしまうなあ、ほんと。カレシはいっそのこと劇作と抽象画とまとめて申し込んだらいいのにと言うけど、いつも2月3月になれば年度末の予算消化がらみで仕事がどんと増えるから、毎週2夜連続はきついな。特に劇作コースは8回の授業の間に30分ほどの一幕物を1本書き上げるわけで、「宿題」として家で書かなければならないから、これが一番きつい。どうしようかな。いっそ、また即興芝居の方に行こうかな。こっちは劇作講座と同じ水曜日で、3時間も飛んだり跳ねたりは重労働だけど、宿題はないし、おなかの底から声を出すのは息抜きになるし・・・。
こうやって迷っていると、早く引退してカレシのような趣味三昧の老後生活に入りたいなあという気持が逸ってくる。日本とカナダとで通算したら40年フルタイムで働いたことになるし、そのうちの25年はダブルシフトでフルタイムの「主婦業」もやったんだから、もういいよという気分かな。ひと昔前だったけど、ローカルの掲示板に国際結婚の若い夫婦が夫が妻に働くように求めたことで紛糾しているという投稿があって、男は妻子を養ってなんぼなのに!と憤慨していた妻の言い分というのが「年をとって働くのはしんどいしぃ~」。そのときは今から年を取った自分を想像して働くのはしんどいも何もないだろうにと笑ったけど、まあ、たしかに60を過ぎたこの年になってみると少々しんどいなあと感じることはあるな。でも、やりたいことがありすぎて、仕事なんかしていられないというのは、何とも贅沢な悩みだと思うけど・・・。
ま、ぼちぼちと考えて、年明けまでにどうするか決めることにしよう。老後になってあんまり趣味がありすぎても、働くのと同じように少々しんどいと感じるようになるかもしれないから、ふむ、欲張るべきか、欲張らざるべきか、それが問題・・・。
仕事がないといろんなことがはかどる
11月29日。火曜日。午前11時に目覚ましが鳴ったけど、ヘンな夢を見ていたので、もう少しで聞き逃すところだった。何だな知らないけど探偵ドラマみたいな夢で、疲れているときって荒唐無稽な夢を見ることが多いような気がする。まあ、よく眠れたような感じがするからいいけど。
今日は仕事戦線が一段落して静かなので、英語教室の午後の部に出かけるカレシのトラックにヒッチハイクして、モールに出かけた。本格的なクリスマス商戦の始まりで、私書箱に入って来るカタログがどんと増えるから、週に1回は回収に行かないと溢れてしまう。案の定、これ以上は葉書1枚入らないくらいにぎっちぎち。全部出したら10センチ近い山になったから、資源の無駄もいいところだな。今日は国内用の普通切手の他に国内用と外国用のクリスマス切手のシートを買って、いつものようにモールのベンチでカタログのアドレスむしり。中の注文用紙のもびりびりとむしり取って、カタログの山は興味があったらどうぞとばかりにベンチに残しておいた。
それからカレンダー屋探し。毎年今頃になると空き店舗(空きがないときはモールの通路)に店ができて、翌年のカレンダーが並ぶ。日本と違って広告入りのカレンダーをくれるのは保険代理店か不動産屋くらいのものなので、毎年本屋などでいろいろとあるテーマから選んで買うのが普通といったところ。まずはクライアントへの「寸志」用をいくつか選んで、次に家庭用。キッチンには「カクテル」。オフィス用はワタシが好きなエドワード・ホッパーとジャック・ヴェットリアーノ。ホッパーは40年以上前に亡くなったけど、20世紀の前半に今となっては遠い過去になった「アメリカ」の風景を描き続けた人。さりげない場面にドラマがある。スコットランド人のヴェットリアーノは20世紀後半の生まれで、何となく危険な匂いが漂ってくるような、心理ドラマの場面のような絵が多くて見飽きない。並べてみると、ホッパーの作品に通じる雰囲気がないでもないような感じがするな。[写真]
カレンダーもたくさんまとめて買うとずっしりと重い。7冊買って、しめて130ドル。でも、いつもならとっくに12月になってからあわてて買いに走るのに、今年は(ぎりぎりではあるけど)11月のうちに済ませてしまったのは、我ながら上々の出来だと思う。仕事が途切れると、こういう具合にいろんな「懸案事項」がはかどるということで、「臨時失業」も悪くないな。使命?を終えてのんきにウィンドウショッピングをしていたら、開店準備中の新テナントがあって、ブルーに塗った囲いの名前を見たら、おお、ティファニー。何か高級な靴屋と宝飾店ばっかりのような感じになって来たけど、ダウンタウンにすでに店があるけど、モールの西の地域は金満家の移民が十何年前は香港から、最近は中国本土からどっと入って来たから、こっちにも出店するメリットがあるんだろうな。バンクーバーみたいなところでも、お金はあるところにはたっぷりあるんだ~と感心しながら歩いていたら、いつも満員御礼のアップルの店では防犯アラームがわんわんと鳴っていた。でも、なぜか誰も慌てている様子がない。宝飾店にはときどき昼間っから強盗が入ったりするけど、ふむ、こっちは誤作動か・・・。
雨がぽつり、ぽつりと降る中を歩いて帰宅。すぐに冷蔵庫からナスやらズッキーニやらを出して、ラタトゥイユの下ごしらえ。トマトやワインと一緒にスロークッカーのポットに入れてスイッチをオン。これで放っておいても今夜の夕食は半分できたも同じ。ストレスの身体症状も治まってきたので、欲張って「今週いっぱい」は仕事が入ってこないことを指をクロスして祈りつつ、うん、久しぶりにジグソーパズルでもやろうかな・・・。
薬局でインフルエンザの予防注射
11月30日。水曜日。目が覚めたら明るい。今週はほぼ毎日雨の予報だと思っていたら、いつのまにか気が変わって、週明けまでずっと晴れの予報。マザーネイチャーはほんとにお天気屋だから困る。ま、天気が良くて困ることはまずないけど、今の時期に好天が続くと最低気温がぐっと下がる傾向があって、雨雲が接近してくると雪が降り出したりするから困る。でも、今日で11月も終わりで、あしたからは早くも12月2011年も追い込みに入ったと言うことか(誰が何を追い込むのかよくわからないけど・・・。)
今日はバーナビーとの境目にあるイタリア食材の輸入卸問屋へ行く予定だったのが、例によってカレシが土壇場での予定変更で、まさにドタキャンならぬ「ドタチェン」。せっかく天気がいいんだから運動代わりに歩いて出かけて、とっくの昔に口座を閉めた銀行にひっかかったままの退職年金積立て制度の残高を引き出し、ついでに道路向かいのモールのスーパーの薬局でインフルエンザの予防注射をしてもらおうという提案。まあ、イタリア食材は別に今すぐ必要なわけじゃないからそれでいいとして、そうやってやたらとドタチェンしては人を振り回すの、そろそろやめにしない?アナタがやたらと唐突に話題を変えるのと同じで、こっちはちょっと疲れるんだけど。そうやって采配を振るいたいという気持はわかるけど、すごく非効率的だと思うよ、人生・・・。
メインの銀行と交差点を隔てて斜め向かいにあるCIBCの口座を閉めたのは数年前。プロが運用するという投資口座の開設を勧められて、10万ドル預けてみたらわずか半年で何と1万ドルも減ってしまったので、怒って投資口座も預金口座も解約してしまった。でも、年金貯蓄だけは銀行間で移動してもらわないと「引き出し」とみなされて課税されるので、(それでもめんどうな手続きをして)移動できたのは定期だけ。たまたま満期で現金で入っていた分は残高が毎日変わるために簡単に動かせないまま「腐れ縁」のような状態になっていた。それを今年はワタシの課税所得がかなり低くなりそうなので、所得に加算されても税金は増えそうにないと見込んで、思い切って引き出してしまうことにした。手続きをした人は、「臨時に口座を開けばすぐに入金されるけど、そうでなければ小切手を郵送するので2週間くらいかかるけど」と商売っ気たっぷり。いえいえ、今すぐお金が要るんじゃなくて、処理の日付が「今年中」であることが重要なんで、小切手でいいですから・・・。
それでも30分近くかかったけど、何年も懸案だった2人分の年金貯蓄の残高をやっと「取り戻す」ことができた。これでCIBCとの縁はすっぱりと切れた。お金よりもこっちの方がうれしいくらいだな。なんだか意気揚々として、道路を渡ってセーフウェイの薬局へ。インフルエンザの予防注射は去年もしてもらったので記録が残っていて、健康状態の質問票にイエスかノーの印をつけるだけ。新型インフルエンザの流行をきっかけに薬局で予防注射を受けられるように訓練を受けた薬剤師に資格が与えられて以来、予防注射と名のつくものは無料のものも有料のものもすべて薬局で済むから便利でいい。エレインさんの注射はそこらの看護師さんよりもずっと上手で、全然感じないくらいだからすごい。カレシは65歳を過ぎているので無料。ついでに「政府推奨」の肺炎ワクチンも無料。ワタシの場合は、インフルエンザの予防注射は(たぶんストレス性の咳だと思うけど)慢性の呼吸器疾患があるということで、65歳以下でも無料でしてもらえるけど、肺炎ワクチンの方は「無料の分しか置いていないので」ということでしてもらえなかった。ま、いいけど・・・。
懸案事項がまた2つ完了して、せいせいした気分でモールを出たらもう夕焼け。明日から12月で、1年で一番日暮れの早い日ももうすぐそこ。冬の夕焼けは何となく薄紫がかった色合いで、今夜は冷えそうだなあという予感がする。日暮れの道はつないでいる手が冷たい。つないだままでカレシのポケットに居候したけど、それでも冷たい。ねえ、手をつないではめる2人用の手袋を買おうか・・・?