リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ゲリラ豪雨はなしにして

2013年08月29日 | 日々の風の吹くまま
大雨警報発令中。ノースショアなどの山側は多いところでは70ミリ。雷を伴うかも、と。
荒れるなあ。最近やたらと日本各地で暴れている「ゲリラ豪雨」のように降らないといい
けど、うちの古屋根、大丈夫かなあ。何たって「ふるやのむり」は怖いからね。

雨を呼ぶと言うジンクスのある恒例のフェア「PNE」は、最後の週になる今週になって
会場で2度も停電。まあ、百年以上の伝統あるフェアだから、会場全体の電気系統が
老朽化しているのかもしれない。おかげで、遊園地の世界でも珍しい木製ジェットコー
スターもストップして、来週から新学年が始まる子供たちにとっては夏休み最後の遊び
時だというのに、とんだお邪魔ムシだな。

9月の第1月曜日はレイバーデイの祝日。今年は2日なので、新学年はいつもより早め
の3日からということになる。かって教員組合が「早すぎて子供たちがかわいそう」とい
う理由で始業日を1週間遅らせたことがあった。自分たちが余分の休みを取りたいんだ
ろうと言われていたけど、9月分の給料が丸々もらえるとすればさもありなん。労働協
約が切れる年なんか、8月ぐらいからスト計画をぶち上げて、「学校に行けない子供た
ちがかわいそう」と圧力をかけていた。実際にストもやったりして、そうやって、増額され
る教育予算のほとんどを教員組合が分捕った時代があったので、学校教師は人もうら
やむ高年収・・・。

夜も更けて、予報通りにどど~っと雨。雷も予報の通りにゴロゴロ。バンクーバーでは
雷が鳴るのは年平均で3、4回だそうな。そういわれると、雷雨はめったにないという気
がするな。地形が複雑だからかな。土砂降りの雨も長時間続かないと言われていて、
だぼだぼだぼとすごい降りだと思ったら、大雨雲が通り過ぎたのか急に静かになって、
雷も聞こえなくなった。まあ、通り雨と言うにはちょっと盛大すぎたけど、こうしてひと雨
ごとに秋になって行って、いつのまにか「雨期」に入るんだろうな。

☆正しい歴史観って何なの?

2013年08月29日 | 日々の風の吹くまま
8月28日。日本である漫画をどこかの教育委員会が閲覧制限したとかで是々非々の論争が起こっているらしい。件の漫画については、ワタシはまったく知識がないので何とも言えないけど、反戦、反核兵器が主なテーマで、第1部と第2部があって、小町での賛否両論を見たところでは、閲覧制限反対派は第1部の、賛成派は第2部の内容を、それぞれの主張の根拠にしていたから、何だか議論がかみ合っていないと言う印象だった。でも、「過激な描写」が制限の理由として挙げられていたために、多くの人が第1部で扱われていた原爆投下直後の惨状のことだと思ったらしいことはわかった。

日ごろから日本のマスコミ報道記事なんて子供の夏休み日記の作文みたいなもんだと思っているから、さもありなんと思って驚きはしないけど、どうやら実情は第2部の記述内容や描写が子供に「誤った歴史認識を植えつける」から読ませるなという要求が出されたのが発端だったらしい。でも、その要求を突きつけたのが30代半ばの若い男性だったと聞いて、掲示板などで他人を批判するのにやたらと「美しい日本」の文化やマナーを持ち出す人が増えたように感じていたところだったから、最近(日本から見て海外の)新聞でよく見るようになった「日本の右傾化」という言葉が何となく現実的なものに感じられた。(ちなみに、麻生大臣が「ポルノコミックの方がもっと問題」みたいな発言をして、あのアソーさんもたまにはまともなことを言うなあと思ったけど、そう、子供の情緒の発達を考慮して「何歳以上」と推奨年令を付ける形にしたらどうなんだろうね。)

たしかに戦争は人類の最悪の愚行であって、平和教育は何よりも大事だと思う。でも、戦争は悪いことだからやっちゃダメ!と声高に叫ぶだけでは、戦争はなくならないと思うけどね。反対を唱えるのは簡単。戦争しないためにはどうしたらいいのか。まずは人智を尽くして外交でしょ?外交は国と国の関係だけど、それぞれの国を構成するのは人間。じゃあ人間同士がけんかしないためにはどうしたらいいのか。話し合いでしょ?話し合うにはどうしたらいいのか。互いの考えや要求を明確にして、争点や相違点の中に妥協点がないか検討しあって、合理的に問題解決を図るってことでしょ?そのためにはどうしたらいいのか。話し合いの基礎になる価値観や倫理観を持つための「自我」を育てる教育でしょ?

自我を悪として否定するから、「生理的にダメ!」というような、問答無用式のコミュニケーションしかできない民族・宗教・社会集団が地球上を跋扈して、外交も話し合いもやりにくい世の中になっている感じがする。英知を結集して科学技術を発展させることによって、人類はいつでもどこでも誰とでも交流できるようになったはずなんだけど、時空間の壁が取り払われて、見渡せる世界が広くなればなるほど、時空間(歴史)の中の一点に思考や感情が集中したり、「他人の言うことに耳を傾けたら負けだ」と言わんばかりに新しい「壁」を作って、それを越えて来そうなものを撃退しようとしたりして、結果的には集団も個人も「精神的島国」に化しているように見える。No man is an islandと言うけど、今やI am an island、I shall be an islandなのか。(だったら泳いで近くの島を訪ねて行けばいいのに、海で繋がってるんだから。)

歴史というのは、「点」(イベント)のばらばらな集まりじゃなくて、人類という動物が「人間」になってからの無数の点々が互いに何かしら影響し合いながら連綿と繋がった「線」だと思うし、個々の人間の人生も、生まれてから死ぬまでの間に起こる無数のイベント(点)が繋がった「線」であって、紆余曲折と言う言葉があるように、ときには真っ直ぐ、あるときは蛇行しながら、人類の歴史に小さな、小さな、小さな「点」を残して行くのだと(ワタシは)思う。もしかしたらあらゆる点々の間に万有引力に似たような「力」が働いているのかもしれないと思うけど、きっとワタシの妄想・・・。