リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年7月

2013年07月16日 | 昔語り(2006~2013)
夏休みを取ってみようかな

7月1日。月曜日。今日から7月。暑い。暑がりのカレシの要望でひと晩中クーラーを低速にしてかけていたので、何となく風が顔に当たる感じで、ヘンな夢を見たりして、あまりすっきりとしない気分。生理的な感覚なんだろうけど、扇風機をかけっ放しだったり、窓を開け放しておいたりすると、顔が「風」の通りを感じるのですんなりと眠れない。キャンプに一度行っただけで嫌いになったのはそのせいだと思う。風まかせの極楽とんぼにしてはへんだなあ。

今日7月1日はカナダデイ。カナダの146歳の「誕生日」。国としてはまだ青二才なんだろうけど、ワタシが来てからの38年だけでも、カナダは躍進したと思う。週刊誌のMaclean’sに「カナダ人で良かった99の理由」という記事があって、恒例の「カナダ良いとこ、よっこらしょ」。いろんな統計を持ち出して、お隣の「ジャイアン」と比べてカナダの方が上だぞと自慢。幸福度が高いし、平均寿命も長いし、世帯あたりの純資産も多いし、学歴水準も高いし、頭もいいし、肥満率が低いし、離婚率も低いし、銀行は堅実だし、有給休暇も多いし、低所得家庭の子供でも進学率が高いし、女性の就業率も高いし、移民の成功率も高いし、(アメリカの)映画界もプロスポーツもメディアもカナダ人タレントがわんさか、と遊び心たっぷりの記事。だけど、誕生日なんだからいいよね。ハッピーバースデイ!

でもまあ、そこまでよいしょしなくたって、カナダはいい国だ、カナダ人で良かったと思ってるよ、ワタシは。最近のある世論調査では、カナダ人の75%だかか国歌の『O Canada』を歌うときに愛国心と誇りを感じるということだった。スポーツの試合開始前に必ず国歌斉唱があるのも要因かもしれないけど、けっこう愛国心を鼓舞するような歌詞だということもあるかな。ワタシもちゃんと歌詞を覚えていて、いつでも淀みなく歌えるし、しっかり声を出して歌うとじ~んと胸に感じるものがある。だって、ワタシが自らの意思で選んだ「我が国」だから、あばたもえくぼもひっくるめてワタシの愛する国。それって、カレシがワタシが自らの意思で選んだ人だから、あばたもえくぼもイライラの種もぜ~んぶひっくるめてワタシの愛するカレシなのと同じことじゃないかと思うけど。

カナダ生まれのカナダ育ちで、カナダでしか暮らしたことのないカレシは、カナダのこととなるとやたらと白けた態度を取る。まあ、カナダしか知らないからしかたがないだろうな。それが何であれ、自分が知っている唯一の環境に不満があれば、「虹の彼方」の理想郷を夢見るのはどこの国の誰であっても同じだと思う。(ワタシだってそうだったと思う。)人類は太古の昔から「ここよりも良いところ」を求めて地球上をあちこち移動して来たんだと思うから、行き着いた先が求める理想郷とは気づかずに落ち着く幸運な人もいれば、理想郷となる可能性を見出す人もいるだろうし、「不毛の土地」と諦めてさらに移動する人もいるだろうし、敢えてその不毛の地に根を下ろして理想郷に変える人もいれば、逆に諸々の理由で負の感情を抱いたまま不毛の地から離れない人もいるだろうな。移民立国のカナダにはそのどのタイプもいて、それぞれに何とか生きている。ワタシはそういう選択が可能なカナダが好きなの。

それにしても、ヘンな夢だった。親しい知り合いのアメリカ人に「キミは人間心理を深く観察しすぎるよ。少しリラックスして、自分を楽しみなよ」と言われて、どんと渡されたひと山の薄い本を見たら、あら、なぜかピアノの教則本らしい。そういえば、40の手習いで始めたピアノも忙しくなってレッスンを辞めてやめてからはほとんど触れていないなあ。人さまに弾けると言えるようなレベルには行かなかったけど、緩急自在で好きな曲を勝手に弾くのが楽しかった。はて、この夢は「遊び第一、仕事二の次」にしなさいという天の啓示なのかな。だとしたら、何だって怠けることに厳しい学者先生が出てくるの?あ、もしかして、夏休みを取れよ~ということ?

夏休み。何よりも響きがいい。考えてみたら、ちょうど40年前、初めてカナダで過ごした3週間がほんとに夏休みらしい夏休みだったかもしれない。カナダに来て、36年働き続けて、無事に65歳を迎えて手にした年金。ここまで38年ずっと日本語とつながっていたけど、もう仕事では読めてわかればいいんだし、辞めたらやがてボケて忘れるかもしれないから、別に忘れない努力をする必要もなさそうで、カナダでカナダ人として人生を終えるんだからそれでいいという気がする。ここで思い切って長い夏休みを取って、自分を楽しんでみようかな・・・。

どういう夏休みにしたいのかな

7月2日。火曜日。起きてみたら、今日はきのうほど暑くはない。ポーチの温度は正午で21度。これならしのぎやすそう。朝食後、カレシはさっそく庭に出て、水遣りやら、草取りやらに大忙し。ラベンダーが咲き始めたとか。ラベンダー風味のパンナコッタを作ってみたい気もする。大汗をかいてひと休みに入ってきたときに「はい」と差し出したのが茎の長~い赤いバラ1輪。まあ、ロングステムローズ。プリマドンナのように足を後ろに引いて恭しく受け取ろうとしたら、「とげに気をつけて」。ずっこけるじゃないの、もう。

野ばらのようなタイプなので、すぐに開いてしまうけど、庭のバラでも、バラはバラ。何と呼んでもすてきなバラ。細い花瓶に生けてキッチンのテーブルに置いたら、ちょっとばかり幸せ~な気分になるのは、赤いバラだからか。今夜はご馳走を作ってあげようかなあ、なんて気分になってしまう。ロマンチックよりも食い気なのは年のせいかな?でもまあ、何となく心はふわふわ、ほかほか。その気分で調子に乗って、まだ続いているドラマの仕事をささっと片付けて納品。この案件、これで3つ目?4つ目?どうやらまだ「ジ・エンド」には到達していないらしい。夏休みを取ろうかと考え始めていたのになあ・・・。 

庭仕事を切り上げたカレシが持って来たのは派手な黄色い花束。わっ、匂いがきつい。甘いような、苦いような、菊を思わせる匂い。「イエローヤロウだよ」。へえ。そうえいばだいぶ前に植えたのを覚えているけど、そのまま庭の隅に居ついてしまったらしい。(そういうしぶとく生き残った草花は抜かずに放っておくのがカレシの園芸哲学だそうな。)何しろ匂いが強いので、これはカレシが出入りする裏口からときどきハエや蚊が忍び込んでくるオフィスに飾ることにした。ちょっと調べたら、日本名はキバナノコギリソウ。止血や咳止め、胃腸薬などの薬効があって、「庭に植えておくと害虫が来ないんだよ」。へえ、虫もこの匂いを敬遠するのかな。

夕食後はしばらく遊んで、9時近くにトートバッグを2つ持って買い出しに。Whole Foodsで久々に見つけたのがsea asparagus。「海のアスパラガス」という名前がついているけど、あまり似ていないな。北海道では「アッケシソウ」と呼んでいるもので、別名「珊瑚草」。英語の別名はサムファイア。イギリスではよく食べているらしいけど、バンクーバーではめったに手に入らない珍味。蒸して食べるとほんのりと塩味があっておいしいんだけど、1キロ4500円というから、ほんのひと掴みだけにしておく(90グラム)。珍しい食材を買ってしまってから、はて?と使い道を考える能天気なシェフのワタシだけど、好物の「海のアスパラガス」、やっぱりそれに見合ったご馳走を作らないと格好がつかないような。

遊んで、食べてして羽を伸ばすのはやっぱり夏休みだなあ。でも、今年はカレシが夏を通して英語教室を続けるので、英語先生の夏休みはなし。もっとも、ご隠居さんのカレシは年がら年中「夏休み」だけど。今年は夜の部で「最低4人登録しなければ休み」と宣言したら、いつもは生徒さんたちも休みを選ぶのに今年は早々と7人も登録してセンターに教室の使用料(月10ドル)を払ったもので、閉められなくなってしまった。午後の部は続けるつもりでいたから、結局は週1のダブルヘッダーを継続。さらにスカイプを使っての個人教授の実験まで始めたもので、けっこう忙しくなりそうな夏。ま、ご当人はボランティア先生の「引く手あまた」ぶりに気を良くしてやる気満々だからいいけど。

それでは、ワタシの夏休みはどうしよう?ワタシは暑いのが苦手のホッキョクグマなもので、特にこれと言って行きたいと思うところがない。仕事の方はねじり鉢巻をするほどでもなくなって、ちょこちょことやって後は遊びモードでいられることが多い。はて、夏休みって、どんなのがいいのかなあ・・・と、あれこれ考えてみたら、どうもワタシが思い描いていたのは「精神的な」夏休みらしく、仕事からほとんど離れているであろう5年後の日常がどういうものか、プレビューしてみたい気がする。かといって、(四)半現役はまだ初年度だから、客先で人が足りなくなりがちな時期に雲隠れするのもなんだし、ワタシの「どこへも行かない夏休み」、どうしたものかなあ・・・。

こういうのをヤバいと言うのか

7月3日。水曜日。シーラとヴァルが早めに来るというので早めに起きたけど、ヴァルの義理のお兄さんが心臓発作で亡くなったそうで、今日の掃除はキャンセル。まだ70歳になっていなかったそうだから、まだ死ぬには若すぎるな。でも、いつどこから誰の訃報が届くかわからない年代になったなと実感する。

テレビのニュースをつけたら、エジプトで軍のクーデター。民主的な選挙で選ばれたはずのモルシが就任早々から報道規制を図ったりしたと聞いて、何となく危ないと思っていたから、やっぱりという感じがする。長く続いた独裁政権を倒した後で、急に民主的な選挙をやろうと言っても、民主政治を理解している政治家や選挙民が育っていなくて、モルシを選ぶしかなかったのかもしれない。ムスリム同胞団には王政を倒した革命に力を貸しながら、その後ナセル暗殺を企てて弾圧された過去があるし、穏健とは言えイスラム原理主義に変わりはない。まあ、そういう風土でいきなり西洋流の民主主義をやれと言ってもちょっと無理な話かなと思うけど。

おとといのカナダデイに、ビクトリアで州議会議事堂前での祝賀イベントに集まった群衆を狙ったテロ未遂事件があった。ボストンマラソンのときのように圧力釜を使った手口で、最初は何でビクトリアなんだと思ったけど、逮捕されたのはバンクーバー郊外のサレーに住む30代のカップル。名前を聞けば生まれついてのイスラム教徒ではないとわかる。警察発表や新聞報道によると、男は38歳で、元パンクロックバンドのギタリストで、一時期ネオナチに傾倒し、暴行など多数の前科があり、麻薬中毒。元バンド仲間曰く、「モラルの観念がない。イスラムに改宗しても「マニフェスト」を綴るどころか、服従さえできっこない、ただのワル」。なあんだ、ただの犯罪者じゃないの。女は30歳で家族とは疎遠、麻薬中毒。

2人は生活保護で暮らして、ネットなどでアルカイーダとイスラムに傾倒して、self-radicalize(自己過激化)したんだそうだけど、要するに、イスラム過激派が説く暴力肯定が好都合だったんだろうな。本来のイスラム教徒にはいい迷惑だけど、そういうタイプの人間はイスラム社会の外で増えつつあるると思う。彼らが欲しいのは「パワー」。それも動物的なレベルでの支配力だろうな。他人を傷つけたい人たち、他人に苦痛や辛酸を味わわせたい人たち、赤の他人や世間一般に漠然とした処罰感情や復讐心を抱いているような人たちと同類だと思う。ネットで同じ「大量破壊マニュアル」を手に入れられる今の時代には、テロリストもサイコパスも区別がつかないけど、まあ今回もきっと「彼らを疎外した社会が悪い」と言うエライ人たちが出てくるだろうな。DVやレイプの被害者にも非があったと言うのと似ていて、人間の心理って、ほんとに摩訶不思議。

「リーカー」のスノードン君はまだモスクワの空港で立ち往生しているらしい。「アメリカは学校で教わったアメリカではなかった」から、アメリカ政府の秘密中の秘密を大リークしたはいいけど、ある新聞のコラムニストが「秘密漏洩では優秀かもしれないけど、政治についてもっと勉強する必要がある」と書いていた。「なぜ事前に亡命先を選んで、脱出ルートを考えておかなかったのか、無計画すぎる」と。たしかに、子供じゃないんだから、自国に弓を引く以上は「悪い子だ」と叱られるだけでは済まないことくらいわかりそうなもんだけど、周到に計画したようには見えない。ご当人としては心当てがあって自国の政治や外交の情報をリークしたのに、実際の政治や外交がどういうものかは知らなかったということかな。

何でもこの人、日本の米軍基地で働いていたことがあって、そのときに日本のポップカルチャーに魅せられて、日本のことなら武道もマンガも女の子も好きで、日本語の勉強までして、アニメ制作会社で働いたこともあるんだそうな。なんだ、オタクなのか、この人。そう聞いた上で改めて写真を見ると、悪いけど、たしかに「なるほどなあ」と思ってしまう風貌だな。日本にいたんだったら、「その人、覚えてる~」という日本人がひとりくらいはいそうなもんだけど、いないのかな。まあ、いたとしても、状況が状況だから、名乗り出ようとは思わないか。

それにしても、民主主義は人間の動物性と相反するのではないかと思っていたけど、人間が何が、誰が気に入らないというだけで、勝手に過激化して無差別に人を攻撃するようになって行くのかな。それじゃあ、うかうかと外も歩けないけど、自分の安全のために怪しそうな人を監視するとリークされて袋叩きに合いそうで、どうしたらいいんだろう。子供がなくて、先が短くなった年令なのを運がいいと感謝すべきなのか。なんか、しばらく人間世界から休みを取らせてもらいたい気分になって来るような・・・。

ため口をきく自動応答システム

7月4日。木曜日。目覚ましで午前11時半起床。ん、今日はずっと涼しい。寝る頃にはちょうど快適な温度だったので、日が高く昇る午前10時にクーラーがオンになるようにタイマーをセットしておいたら、ちょっと涼しすぎて、あわててクーラーをオフ。ポーチの温度計は正午で15度。いきなりそんな下がってもらっても困るんだけど、まあこの頃のお天気の移り気の早さと来たら。熱気の方はどうやらロッキー山脈の向こう側に行ったらしい。もっとも、週末には戻ってくるつもりらしいけど。

朝食の後でカレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは仕事で1日が始まる。今日も連続ドラマ。もう第何回なんだか。でも、やっているうちに事の顛末がだんだんわかって来て、どんな結末になるか想像できるようになるからおもしろい。それにしても、引き金になった「告げ口」には自分は損をしたくない、貧乏くじを引きたくないという気持が丸見え。やっぱり、景気の停滞や雇用不安で疑心暗鬼なって、周りはみんな目の上のたんこぶ。Carthago delenda est(カルタゴ滅ぶべし)とばかりに、あらぬ噂やら苦情。まあ、職場の人間関係ってのは、ほんとにめんどうくさいな。小町横丁に渦巻く嫉妬と不平不満と愚痴は多かれ少なかれ創作や誇張が入っていると思っていたけど、小町のトピックのような事件だけど、テーマ自体はどこでも日常的にあることなのかもしれない。いや、なんかしなくてもいい社会勉強をした気分。

ま、仕事そのものは1時間ちょっとで片付いたので、次は携帯料金の引き落とし用クレジットカードの有効期限を更新する作業。ログインのデータがあるんだけど、なぜかユーザーIDもパスワードも「記録にない」の一点張り。3年前はちゃんと更新したはずだけど、そういえばオンライン請求書のお知らせメールが来なくなって久しいなあ。(つまり、ずっと請求書を見ていないということか。)とにかく、5回試してログインできなければアクセスを1時間停止するそうなので、オンラインでの更新はあきらめて電話でやることにした。自動応答システムというのは便利そうだけど、利用者にはちっとも便利じゃない。携帯からかけた一度目は、なぜかコールセンターに入ってしまって、やかましいロックを聞かされながら順番を待つこと20分。早くつないでくれないと電池が切れるぅ~。

携帯を耳に当てている手が疲れたので、諦めて今度は電話。こっちも当然自動応答システムで、まずは携帯の番号を入力。次に4桁のPINを要求されて、えっと「ファックス番号の下4桁」は・・・。(ファックスはお払い箱にしたし、電話としても使っていないから、番号がうろ覚え。)まあ最初の難関?を突破して、「アカウントの更新」まで進んだ。でも、クレジットカードの番号を間違って入力して、いつの間にかコールセンター。こっちはまだましな音楽だけど、待つこと永遠の予感。10分ほど待ってギブアップ。5分ほどおいてかけ直し。少し手馴れた感じでまた自動システムの指示通りに進んで、カードの番号も今度は間違えないように慎重に入力したら、番号を読み上げて「間違いないですか」。ないってば!と「1」を押したら、「Thanks(どうも)」。(おい、Thank youと言わんかい。)

次に「カードの4桁の有効期限」というから、やっと!と新しい有効期限を入力したら、「お支払い金額を」と来たもんだ。自動引き落としなんだから、0.00ドルと入力したら、「お待ちください」。で、「プロセスできませんでした」と、ピロン、ピロンとカード番号の入力に戻って、また有効期限を聞くから、また新しい数字を入力したら、どういうわけか今度は、「更新に成功しました」。やれやれと思ったら、「Thanks」。おい、こら、オトモダチじゃないんだから、ちゃんとThank youと言わんかい。まあ、自動応答システムのロボットおばさんに文句を言ったところで、苦情を聞く耳をプログラムされているとは思えないから、ぶっきらぼうに「わかりません」と返って来るのがオチ。自分で考えて判断できるようになったというアシモ君と交代してくれないかなあ。あの子は少なくとも可愛げがあるから・・・。

4桁の数字を変えるだけなのに、結局1時間もかかってしまった。IT隆盛の世の中、ほんとに便利になってるんだか、ほんとは不便になってるんだか、もう・・・。

たまには思考停止

7月5日。[イメージ] ひたすらスクラブルで遊び、ひたすらクロスワードパズルを解き、ひたすらジグソーパズルで遊び・・・。

たまに家事をしてご馳走を食べる

7月6日。土曜日。また暑くなって来た。きのうは料理以外は1日何もしなかったので、今日はちょっとばかり家事。ランドリーシュートがいっぱいなので洗濯機を回し、今週は定期の掃除がなかったからキッチンの床掃除(といっても、これはルンバの担当。)冷蔵庫とフリーザーをかき回して夕食の食材選び。半端な使い残しがけっこうあるから、まとめて遊びがてらの整理・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(えびボールとししとうの揚げ物、ビーツ)
 冷や奴通り(サーモンキャビア、アヒのタイ風ポケ、とびこ)
 ねぎ入り鶏ももロール、ビーツの葉のソテー、サンファイア(蒸)

[写真] ゆうべの寝酒のおつまみだったガーリック味バゲットチップの袋の底に残ったかけらをマドラーで叩いてパン粉にして、夕食にえびの蒸し団子を作って残った種をボールにまとめて、調味料用カップの中に入れたパン粉の中をころころ。ししとうと一緒に揚げて、かっこつけにスティックを差してみた。小指の先ほどの小さなビーツはカレシ菜園から間引きしたもので、さっと茹でて葉っぱといっしょに彩り。

[写真] 賞味期限が過ぎている木綿豆腐だけど、意外と長く持つ。ちょっとつまんで口に入れて、酸っぱくなければ大丈夫、ということで、暑いから冷やっこ。一応茹でて、氷水につけて冷やしたものを半分取って、さらに6つに切って、3通りの味。サーモンキャビアととびこはそのまま、アヒはタイ風のポケにしてみた。ミックススパイスをがりがり挽いて混ぜ、タイの唐辛子ペーストをほんの少し。ねぎ少々とコリアンダー、にんにく、トーストして刻んだマカダミアナッツを刻んで混ぜて、ごま油と醤油。かいわれと作り過ぎて残っていたざるそばのつゆを添えて、ちょっと気取った一品。

[写真] 鶏のもも肉が半端に3枚。包丁で開いて、おろししょうがと醤油、酒に漬けておいて、幅に合わせて切った長ネギをたっぷり載せ、ロールアップして紐で縛ったものに小麦粉をまぶして、転がしながらフライパン焼き。その間にサンファイア(sea asparagus/アッケシソウ)を蒸し、ピーツの葉をバターでソテー。焼き上がった鶏ロールの1個を半分に切って(崩れたけど・・・)、今日のメインコース。

少しずつのつもりでも、これだけ食べるとおなか一杯。今日はランチ抜きかな。たまに「掃除洗濯料理」をやるのもいいもんだね。

鳥が卵を温めるように

7月7日。日曜日。午前11時半に目覚ましをセットしておいたけど、それより早く目が覚めた。今日はちょっと暑い感じ。そそくさと朝食を済ませて、ささっと簡単にメイクをして、劇団関係のガーデンパーティにお出かけ。

バンクーバーのショーネシー地区は古くからのお屋敷町。その一角にある「邸宅」の庭でクロッケーとカクテルのパーティ。クロッケーなんて『不思議の国のアリス』で読んだきりで、実際にやったことないよ~。内輪のサークルではまだ新米メンバーなもので、予めドレスコードを聞いたら、「レセプションほどにはおめかし不要、でもジーンズとTシャツはご遠慮ください」と。ははあ、ファシネーター(アスコット競馬なんかでご令嬢たちが被る奇抜な「帽子」)はいらないんだな。ま、これは冗談だけど、着飾りすぎず、カジュアル過ぎず。暑そうなので、ちょうど膝上の長さでお気に入りのシルクのスリーブレスドレスを選んだ。

パーティ会場のすぐ外にずらっと並んだ車の間に割り込んで路駐したら、うはっ、アウディとかレクサスとかベンツがずらりと並んで、うちのエレクトリックブルーのエコー(トヨタのヴィッツに相当)が目立っちゃう。まあ、地点Aから地点Bに問題なく行ければ車に貴賎なしで、ワタシは高級車に挟まってエラソーにしているおちびのエコーを見て、おもしろい構図の絵になりそうかなあなんて考えている。門のところの受付で「プレイする?」と聞かれて即座にイエ~ス!と答えたワタシ。「じゃあ、赤組のオレンジのボールね」と渡されたルールシート。ミントジュレップを飲みながら、とりあえずルールを覚えることから始める。

パーティに来ているのは数人の若い人たちを除いてほとんどが60代以上に見える。たぶんみんなお金持ち。(お屋敷の女主人は両手で数え切れないくらいの芸術や福祉団体の理事や顧問をしている。)でも、シーズン中何度かのレセプションで顔なじみになった人もいて、みんな演劇が大好きな人たちだから、ここでは元政治家も元実業家も庶民も、ものさしは水平。「クロッケーは初めてなの」というだけで話が弾んで、おまけにいぶし銀のような紳士たちがコーチを買って出てくれる。まあ、ワタシは人さまの地位や肩書きなんぞ聞いても右から左に抜けてしまう能天気だし、「来るものは拒まず、去るものは追わず」的に初めて会った人とでも世間話に花を咲かせる性質なので、ラッキーなんだと思う。カレシは逆に手持ち無沙汰っぽく「誰か相手してくれないかなあ」といった顔で離れたところに立っていることが多い。

結局のところ、ワタシはウィケットを3つ通過したところでゲーム終了。(よし、来年は最低4つ通過を目指すぞ~!)最後に芸術監督から各組の勝者に賞品のワインが渡されて、パーティはお開き。すごく楽しかった。ここのところ頭の中、心の中にもや~っとかかっていた蜘蛛の巣を払いのけてすっきりした気分。この蜘蛛の巣については改めて客観的に考えて見ることにして(だから脳みそがくたびれるんだっつうの)、帰り道でカレシが「人の輪ってゆっくりとできて来るもんなんだな」と言ったのが印象的だった。今日のカレシは他の人にわりと話しかけていたような気がするな。カレシはかなり自意識過剰なところがあって、(上下関係・優劣のものさし上での)自分の位置がわからないと引っ込み思案になる。でも、何か感慨深そうなことを言っているところを見ると、やっと打ち解けて来たのかもしれない。

たしかに、友だちが欲しいと思って募集(友活?)すればたくさんできるってもんじゃないし、自分にぴったりの友だちを見つけてくれる婚活サイトみたいなアルゴリズムがあるわけでもない。恋愛も結婚も然りで、自分がしたいからってできるというものでもない。社交的な集まりでも、新入りですぐに周りに人が集まって来ると思ったら買いかぶりもいいところで、何らかの方法で「集める」ことはできるだろうけど、いつまでつなぎ止められるかはまた別の話。だから、鳥の卵を温めるみたいに、自然体でゆっくりと行けばいい。まあ、期待外れでがっかりしたり、待ち切れなかったりして、もしかしたら不死鳥が孵るかもしれない卵を壊してしまったり、巣から放り出してしまうせっかちもいるけど。

さて、連続ドラマの続きの続きの続きの・・・ああ、また蜘蛛の巣がかからないうちに終わってくれるといいけど。(終わったら、また脳みその半分を開店休業にするのもいいかなあ・・・。)

脳みそフル回転

7月8日。[イメージ]  月曜日。今日は大まじめの仕事日。連続ドラマ、まだ続くのかなあ。早く結論が出ないかなあ。

日本語思考、英語思考。間にがっちりと挟まったワタシの脳みそは右も左もフル回転。

くたびれて来たから、どっちかにしたいけど・・・。

どっちかひとつにしたらどうなの

7月10日。水曜日。今日も朝から仕事、仕事。このドラマにはもう飽きたなあ。でも、数珠つなぎになっているから、今さらもうやめた~と言うわけにもいかない。まあ、引き受けた仕事を放り出すのはプロのプライドが許さないしなあ。でも、午後8時過ぎ、[イメージ]

やれやれ、くたびれた。この商売、座りっ放しだから身体的には楽だけど、ときたまこういう精神的にどよ~んと疲れる仕事もある。

なにしろ、職場での嫌がらせ(イジメ)が根底にあるから、まったくの他人事として自分の気持から切り離すのが難しかったし、元原稿の内容は思いっきり日本人の情緒で、ぼかしたり、はぐらかしたりの言葉の端々や言い回しの裏まで読み解いてから訳さないと、思いもよらない結論になってしまいかねない。ナットとボルトと歯車がどうのこうのとか、海流の温度がどうのこうのとかいう無機質なテーマの方が、内容がどんなに難しくても精神的なストレスが小さくてよっぽど楽だと、ため息、ため息・・・。

それにしても、日本人の情緒にすっかり疎くなったのか、それとも、元から疎かったのか。それとも、年を取って、脳みそが2つの言語の間を取り持つのに疲れて来たのかな。それとも、それとも・・・。何にしても、どっちかひとつだけで考えていられたらどんなに楽だろうなあと思ったこと、今までにあったかなあ。

人工知能の悪知恵

7月11日。木曜日。午前11時30分、目覚ましで起床。今日はわりと涼しそう。夜の最低気温は10度近くまで下がるらしい。菜園の野菜にはちょっと寒いかも。

カレシを英語教室に送り出して、今日はシーツ類の洗濯で1日が始まった。ついでにキッチンの換気扇のフィルターが油っぽくなっているので、食洗機にセット。二階に置いたままだった洗濯かごに残っているワタシの下着やTシャツを畳んでしまって、残りはカレシの分だけ。まあ、そのうちに、下着がなくなるたびにかごの中をかき混ぜて引っ張り出すのがめんどうになって、自分で畳むだろうと思うけど。

ケベック州のラックメガンティックで起こった石油を積んだ貨車の暴走脱爆発事故では、まだ行方不明の30人ほどの人たちはおそらく2千度近い高温で灰になってしまっただろうと言われている。現場のすぐそばで跡形もなく吹っ飛んだパブでは、週末と言うことで若い人たちがパーティをしていたと言う。人口がわずか6千人ほどの小さな町で犠牲者50人余りはあまりにも悲劇的過ぎる。今になって、列車を止めて宿泊先に向かった機関士がブレーキをしっかりかけていなかったのではないかと言われている。緩かったのはブレーキじゃなくて、それを操作する人間の頭の配線の方か・・・。

サンフランシスコで事故を起こしたアシアナ航空のボーイング777も、今のところは機械装置に異常が見つかっていないということで、人的ミスである可能性が強まっているらしい。パイロットが、オートスロットルが機体の速度を維持してくれていると思っていて、警報が鳴るまで気がつかなかったという話で、あわてて機首を挙げて上昇しようとしたけど、説きすでに遅しだった、と。昔は機長と副操縦士の他に、航空機関士が乗っていて、並んだ計器を監視していたもんだけど、今どきの旅客機はエアバスもボーイングも何から何までコンピュータ化されていて、航空機関士は不要になってしまった。これからはザッカー兄弟のヒット爆笑パロディ映画『Airplane!』(日本題は『フライング・ハイ』)に出て来た膨らまし式のオートパイロット「オットー氏」がいれば十分かも・・・。

自動車メーカーは「自動運転」の車を開発中だというし、日本ではああだこうだと手取り足取りの電子レンジが発売されたそうだし、他にも「人工知能搭載」と称してああだこうだと話しかけてくる家電がいろいろと開発されているらしい。そんなに何もかもキカイにやってもらっちゃって、いいのかなあ。(ワタシだったら、毎日冷蔵庫や電子レンジや掃除機に喋りまくられたら「うるせぇ!」とぶっちぎれてプラグを抜いてしまいそう。)まあ、便利だろうとは思うけど、キカイを「操る」技術が衰退するなじゃないかな。前にあった飛行機の墜落事故では、コンピュータが機体の異常を知らせる警報を鳴らしたのに、パイロットが「コンピュータの異常」だと思い込んで、プログラムを再設定しようと「リセット」したのが命取りになったという話だった。何でもかんでも「オート何とか」におまかせしたら、どうなるんだろう。人間がみんな自分の頭で考えるのをやめて、何かあったら反射的に「リセット」ボタンをピッ!ということになるのかな。

そのうちに車も家電も操作ボタンが「START」、「STOP」、「RESET」の3つだけになるかもしれないな。自動車や飛行機やその他の乗り物はひとこと行き先を言うだけで、GPSとオートドライブ/パイロットにおまかせ。目的地に着くまで座席で寝不足を解消したり、スマホをいじったりしていればいい楽ちんな世の中になるかもしれない。冷蔵庫は食品の賞味期限や鮮度を監視してくれて、時間になれば「今日のご飯にはこれとこれを使いましょう」なんて指示してくれるかもしれないし、掃除機は子供が散らかしたおもちゃも片付けてくれるかもしれないし、テレビの前に座れば「見たいのはこれですよね?」とチャンネルを選んでくれるかもしれないし、朝目覚ましが鳴っても、深いため息をつけば「今日は休みます」と会社に電話してくれるかもしれない。人間、自分の頭で考えなくてもいいのって、どれだけ楽ちんなことか・・・。

でも、諸々のキカイの「人工知能」がどんどん発達して、やがて自分の人工頭脳で考えるようになったら、人間を支配する一番の方法はとにかく何も考えなくてもいいようにすることだ、なんて悪知恵をつけてしまって、あらゆるキカイのプログラムに悪巧みをデフォルト設定で仕込んで、人間を意のままに動かすようになるかもしれないな。なんかSF小説みたいだけど、今どきのアプリには考えないユーザーをだしにするようなデフォルトが設定されているものがけっこうあって、特に「無料」と銘打ったものは、たとえ大手の「信頼できる」アプリであっても油断がならない。じゃまっけな広告の他にもいろいろと「おまけ」が付いて来て、タダほど高いものはないことを思い知らされる結果になりかねない。

そうそう、ロシア政府の機関が昔ながらのタイプライターを大量に発注したんだそうな。昨今の相次ぐ秘密情報のリークが背景にあるらしい。ひょっとしたら、人間が機械や道具を自分で考え、考え操っていた時代に戻って行くようになる前兆・・・な~んてことは、ないかな。「タイピスト」がまた花形職業に返り咲いたりして・・・。

要するに日日是自然体?

7月12日。金曜日。2人ともぐっすり良く眠ったと見えて、目が覚めたら午後12時半。まあ、英語教室の翌日(つまり金曜日)はカレシの週末。ワタシも日本の金曜日(つまり木曜日)が終わるまでに飛び込み仕事が入って来なかったので、、「仕事のない日が週末」の方針に従って今日は週末。日本は三連休だそうだから、少なくとも丸々3日の休み。

カレシが運動がてら野菜類を買いにモールまで歩こうというので、朝食後さっそくトートバッグを2つ持って、2人とも野球帽を被って、いざ出発。天気はいいし、海風が通ってあまり暑くない。2人で歩いて出かけるのは久しぶりで、手をつないで、とりとめのないおしゃべりをしながら、それでも「運動」のペース。今朝のニュースで、先週の暑さで遅れていたブルーベリーが一気に熟し始めて、郊外では早生の収穫が進んでいると言っていたけど、Kin’sに入ったら、おお、あった!ブルーベリーを山盛りにした大きな容器がずらり。この夏の初ブルーベリー!さっそく容器ごと買ったら約1.5キロ。うん、粒もけっこう大きくて、食べがいがありそうだなあ。

それほど多くない買い物を2つのトートバッグに分けて詰めてもらって、帰り道もおしゃべりに花を咲かせながら、てくてく。カレシ曰く、「2、3日おきにこうしてモールまで歩くといい運動になるし、地物の旬の野菜や果物が買えて一石二鳥だね」。そうそう。夫婦の会話も 弾むから、クオリティタイムつきで一石三鳥というところもしれないね。「あのね、おじいさん」、「何だい、おばあさん?」なんて、これからはこういう穏やかな日々が何よりのくつろぎになるんだろうか。(大きな桃が流れて来たらタイヘンだ。)

何だか精神的に疲れる仕事に捕まったおかげで、その前から漠然と頭のどこかにあった「もやもや」の形が見えたように思う。2度目の年金の入金を確認したときに、ふと思った。ワタシの人生はあと何年くらい残っているのか。30年近い年月をかけて地を固めたカレシとの「2人の時間」はあとどれくらいあるのか。元気でいれば20年くらいあるのかな。長いようだけど、過去の20年を振り返ると、実はあっという間に過ぎてしまいそうくらいに短い。その20年をどんな風に生きたいのか。「日日是好日」の禅の境地なのか。でもこれ、つまりは「日日是自然体」ということじゃないかという感じもするなあ。まあ、ブルーベリーを味わいながら、じっくりと沈思黙考してみるか・・・。

カレシ菜園は実験農場

7月13日。土曜日。起床は正午。カレシは先に起きいて、菜園の水遣り。気温は平年並みの22度。海風が通って気持がいい。週明けにはまた少し暑くなるという予報だけど・・・。

カレシが収穫(間引き)してきたビーツ[写真]

「きゅうりが伸びて来て、トレリスを超えそうだ~」。
おお、今年はきゅうりが採れるんだ~。
「伸びるばかりで花が咲かないの。頭を切ったら横に伸びるかな」。
エスパリエのように広げてみたら?
「やってみるか。それと、花が咲かないのは水のやり過ぎかなあ・・・」。

「おい、ナスはどれくらいの高さになるんだ?」
う~ん、よく知らない。5、60センチじゃない?でっかい西洋ナスはもっとだろうけど。
「だいたいそのくらいになったから、そろそろ花が付くのかなあ」。
今年こそうまく行くといいねえ・・・。

「おい、芽が出てしまって捨てようとしたにんにく、鉢に植えてみたら芽が伸びてきたぞ。自家製にんにく、いいなあ」。
売っているような大きなのはできないと思うけど・・・。
「でも、自家製は絶対に味がいいはずだ」。
コーニッシュヘンにぎっしり詰めてローストするといいかも・・・。
「うん、ほんとは植える季節じゃないらしいけど、育つといいな。ま、オレの菜園は実験農場ってところだから」。
でも、輸入ものだから、どうかな。今度1個50セント(約50円)のギルロイのにんにくで試してみたら?ローストすると輸入物よりも味がいいから、価値がありそうじゃない?

(サンフランシスコの南にあるギルロイはアメリカきってのにんにく産地。ご当地では「世界のにんにく王国」だと言っているけど、そういえば、もうすぐギルロイの「ガーリックフェスティバル」の時期だなあ。)

ねえ、またサンフランシスコに行って、「Stinking Rose」に行く?(この「くっさいバラ」という名前のレストランはにんにく尽くしのメニューが売り物で、ガーリックアイスクリームのデザートは逸品。)

「去年の12月に行ったから、今度は別のところがいいな、ラスベガスとか」。
じゃあ、秋になったらオカナガンのワイナリー巡りなんてどう?おしゃれなホテルとレストランのあるワイナリーもあるし、トラックで行けば、ケースで買って来れるし・・・。
「そうだなあ、ソーカーホースをセットしとけば3、4日出かけても大丈夫だなあ」。
行こ、行こ!(でも、もう4年くらい、ワイナリーめぐりに行く話をしてるよねえ・・・。)

何もない日曜日の朝ごはん

7月13日。日曜日。起床は正午。少し暑くなって来た。

朝食のオレンジジュースがない。ミルクがない。ひまわりの種もない。コーヒーは1日分ならある。これは非常事態だ、ということで、今日はジュースもミルクもいらない日本の朝ごはん。

[写真] こういうときのために作って冷凍しておく塩ざけ(銀ザケ)、明太子、ニラの卵焼き、大根と油揚げの味噌汁、寝る前に水を入れておいた麦入りの発芽玄米のお粥は、ほんの少しプチプチした食感が残っていておいしい。

なぜか我が家は非常食の方が普段よりも格段にグルメだったりする。それにしても、日本の食事のしたくは時間がかかるもんだ。まあ、ワタシの要領が悪いのかもしれないけど、スペシャルならともかく、これを毎日やるのはワタシにはタイヘンすぎる・・・。

にちようびは

7月14日。[イメージ]

風の吹くまま、気の向くまま・・・

7月15日。月曜日。正午ぎりぎりに起床。まずは業務上の事務処理から。法律専門の翻訳会社のロンドン、サンフランシスコ、ニューヨークのオフィスにそれぞれ予定の連絡(週の後半まではダメ)。世界中の主要都市にオフィスがあるけど、その3つから同時に引き合いが来たのは初めて。はて、何か国際的な商業紛争の大型案件でもあるのか。でも、やる気がわかないから、どうか何も言って来ませんように。

きのうはできるだけコンピュータから離れて、タブレットで遊んだり、ちょっとだけ家事をしたり。ニュースを見ながらあれこれ、食事の支度をしながらあれこれおしゃべりをしているうちに、11月のサンアントニオ行きは最終的に中止。オースティンにも行って、ニューオーリンズまで足を伸ばす10日。くらいの予定だったけど、カレシもそういう旅行は少し億劫になって来たらしい。4、5日の短い旅行の方がいい、と。互いに家の中や庭をうろうろしながら、2人が顔を合わせると野菜作りの話、料理の話、5、60年代のポップスの話、英語教室のディスカッション教材の話。さりげなく密着していた感じで、心行くまでゆったりとした1日が過ぎて行った。

銀行サイトで請求書の支払い処理をしながら、(すべて共同名義になっている)口座の明細を見て考える。年金は今2人合わせて月46万円。それぞれの個人年金が加わっている5年後には(インフレ調整がなくても)月60万円くらいになる。これが私たちが土砂降りの雨にもめげず、竜巻のような大風にもめげずに38年かけて地盤を固めて、準備してきた老後の糧。その悠々自適の「老人2人暮らし」はどんなものになるのか。もしもカレシの方が先に逝ってしまったら、生まれ育った土地を離れて異国の土に深く根を下ろしたワタシの「おひとり様の老後」はどんなものになるのか。

初めて入金された年金を見て「老後」の始まりを実感して以来、ずっとそんなことを考えていた。それが、イジメが絡む事件の顛末を訳す仕事に関わって、何となく心をかき乱されてしまって、そのおかげでというわけでもないだろうけど、やっと方向が見えた。もやもやの正体が見えてみたら、おとなの人生のほとんどを生きて来たこの国の普通の人として余生を送って、「My life was good(いい人生だった)」と言って普通に死ぬと言う、いとも単純なイメージ。その余生が仮にあと20年あるとすれば、それを目いっぱいに楽しむにはどうしたらいいのか。何をしたいのか。

そうだなあ、長いこと在宅で篭っていたから、外へ出て行ってこの国のいろんな人たちと出会ってみたいし、カレシと一緒の時間をたっぷり楽しみたい・・・と考えているうちに、ストーリーを書きたい、絵も描きたい、即興演劇もやりたい、楽器もいじりたいと、かって燃え盛った後にしばらく熾火のようにくすぶっていた「表現欲」とでもいうものがめらめらと燃え上がって来たから不思議。生まれつきワタシの頭の中には「表現したいイメージ」がいつも渦巻いていたような気がする。だからこそ、中学生になって初めて英語の教科書を開いたときに「頭の中のイメージを表現する方法が他にもあったのか」と感動したんだと思う。あれから50年余り。あの感動の原点に戻ってみたい気持がある。

なぜか、カナダに来てから一度も日本に帰りたいと思ったことはないし、「異国で暮らしている」感覚はとうの昔から微塵もないし、掲示板でよく見かける「英語を話すもどかしさに疲れたから思い切り日本語を話したい」という欲求も感じたことがない。(逆はあるけど・・・。)まあ、長年日本に住むアメリカ人の同業者の中にも、年を取るにつれて思考やボディランゲージがすっかり「日本人」になった人たちがいるから、それぞれに自らの「精神的な居場所」を見つけたということで、たまたまそれが彼らには日本であり、ワタシにはカナダだったということに過ぎないと思う。折りしも、カレッジの秋の継続教育プログラムの案内が来る頃。また創作講座に戻って、頭の中や心の奥にごちゃごちゃあることを文章やイメージや動作として表現する楽しさをまた味わいたいと思う。もちろん、へたの横好きはもちろん百も承知の上で・・・。

この数年の間にだんだん日本語で機能することがめんどうくさいと感じるようになって来ていて、最初のうちは心理的なわだかまりが残っているせいだと思っていたけど、これまで30年近くも自然に打てていた日本語のローマ字入力が、最近はなぜか「ローマ字綴り」を意識していないと指が動かなくなって来たから、その意味でも「65歳定年」はひとつの潮どきなのかもしれない。「日本語を錆び付かせないため」に書き始めたブログだけど、三日坊主のワタシが7年間せっせと書き綴ったものを読み返すと、文章も文体も質的に向上しているとは思えない。英日翻訳ではきちんとした教科書的日本語を書けていたのに、もしかしたらワタシの「日常日本語」は27歳で日本を離れた時のまま止まっていたのかもしれない。(家族や友だちに会ったときだけはかなり普通に日本語なのはそのせいかな。)

まあ、今さら日本語の質の向上を図らなくたって何の差し障りがあるのかという気がする。筆不精ながらも家族や友だちへのメールや手紙は書けるし、これからも仕事を続けていれば読まなければならないんだから、忘れるということはまだ当分ありえない。何よりも、自分の食い扶持を稼がなければというプレッシャーがなくなったんだから、これからの時間は38年かけて耕してきた「ワタシの畑」のいわば「収穫の秋」を楽しみたい。こんなふうに蜘蛛の巣を払って行って、たどり着いた結論は、いかにも極楽とんぼ流に「とりあえず無期限のぐうたら休暇」。風の吹くまま、気の向くままに・・・。 [イメージ]


2013年6月~その3

2013年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
駆け込み寺じゃないんだけど

6月24日。月曜日。雨。しょぼしょぼなどという半端なものじゃなくて、本気で降っている雨。ポーチの温度計は正午を過ぎてやっと13度。こんな調子じゃあ、暖房が入るんじゃないのかなあ。春が長引いているどころか、夏をスキップして秋深し・・・。

朝食を済ませてオフィスに直行。きのう、真夜中に飛び込んで来た急ぎの仕事をやっつけなければならない。真夜中前後は日本では1日の仕事が終わりに近づく頃で、よく「やる人がいない」と駆け込みの仕事を持ち込まれる。それを「ま、いいか」と引き受けてしまうもので、「あそこならやってくれる」と駆け込みが増える。ワタシは翻訳駆け込み寺じゃないんだけどなあ。たまたまのんきに書いていたブログを中途半端なままアップして、仕事。でも、ブログの最後がどうしても気になるので、何行か仕事をしてはブログの手直し。偉い人の意味深長な言葉の話とお金を動かす仕組みの話の「深くて暗い川」を行ったり来たりで、仕事の方は結局4分の1くらいしか進まなかった。

それで今日は初っ端から焦ったわけだけど、期限は日本の正午だから、こっちの午後8時。途中に夕食の時間が入るので、初めからハイギアで行かないと頭の中の時計のコッチ、コッチがだんだん大きくなる。そうやってワタシが仕事に没頭しようとするとカレシが「かまってチャン」になるのはどうして?でもまあ、それを何とか跳ね除けて、午後5時に完了。少し余裕ができたので、普通に夕食の支度をして、普通に食べて、普通にコーヒーを飲んで、見直しをして、午後7時40分、「送信」ボタンをカチッ。「退職してからの方が忙しくて時間が足りない」とカレシがよくぼやいているけど、ワタシはまだ仕事に追われてご隠居さんをやる時間が足りない。やれやれ、熟考の末に決めたこととは言え、半現役(75%現役?)というのも楽じゃない・・・。

リビングのテレビの前で居眠り中のカレシに「終わったよっ」。「へえ、また失業?」と、ワタシの仕事が終わったとたんに「かまってチャン」モード解除になるカレシ。しばらく一緒にテレビの24時間ニュースを見ていたら、100年に1度あるかないかの大洪水に見舞われたアルバータ州で、被災者たちが助け合いながら泥まみれになった家の修復作業を始めているという話。前例のない大災害で、被害総額は30億ドル(3千億円)とも50億ドル(5千億円)とも言われる。アルバータはカナダの石油・エネルギー産業の要で、その中心都市のカルガリーの中心部が冠水して経済活動はマヒ状態。カナダ経済の6月のGDP成長分からだけでも推定20億ドル(2千億円)が吹っ飛んだ勘定だそうな。

ところで、猫に九生ありというけど、町全体が被災したハイリバーで、水没するトラックから間一髪で脱出して、飼い主と一緒に泳いで助かった猫のモモ。こうして写真を見ると、なんだか堂々と泳いでいる感じだなあ。[写真]

飼い主のイェーツさんは避難の手伝いに出かけて何日かハイリバーに留まるつもりだったので、運転免許証もクレジットカードも現金も、iPodも2台のラップトップもスマホも全部無くしてしまったという。トラックは濁流の下で道路にできた陥落穴に落ち込んだのではないかと言われていて、見つかったというニュースはまだない。濁流は泳いでいて足が地面に触れないくらい深かったとか。共に九死に一生を得て、実家でくつろいでいるイェーツさんと泳ぎ猫のモモ。[写真] (Canadian Pressから拝借)。

よかったね!

夢は心理状態もデフラグするのか

6月25日。火曜日。雨は降っていなかったけど、今日もぐずぐずした天気。去年のちょうど今ごろの記事を読んで、え~っと思ったけど、なあんだ、去年もこんなような天候。ますます(ここだけ)地球寒冷化とか?

ヘンな夢を見ていたような気がする。まだホノルルでの会議の記憶が新鮮なのか、知っている人たちが大勢いて、がやがや。でも、ワタシが持っていたものがなぜか次々と壊れるから、ヘン。それを「預かって」くれる男性たちがいて、ますますヘン。おまけに肝心のカレシの姿はない。どうやら別のホテルで落ち合うことになっているらしいけど、ワタシの携帯まで壊れて連絡が取れない。そのうちに女性たちでおしゃれなレストランに入って、カレシとちゃんと落ち合えるか心配だと言ったら、ひとりが「向こうから探して来るから、大丈夫よ」。あっ、それもそうね・・・と、ヘンに納得したところで目が覚めた。結末を知りたいのに、夢って、どうしてこれから!というところで覚めるのかな。

昔は急にいなくなったカレシを必死で探し回る夢を何度も何度も繰り返して、かれこれ10年以上も見たもんだけど、今度のは「カレシの姿が見えない」のに、「どこかで落ち合うことになっている」(探さなくてもいい)という安心感が加わって、さらには「カレシの方からワタシを探して来る」(待っていればいい)という、何とも泰然とした態度。なんだかずいぶん風向きが変わったというか、それとも雲行きが怪しくなったのか、カレシが聞いたらギョッとするんじゃないかなあ。だって、ワタシの深層心理に変化が起こっているのかもしれないよ。(壊れものを預かってくれた男性たち、あれは何なんだろう・・・?)

夢の中でも仕事をしていることはよくある。たいていは言葉の意味がわからなくて、ああだこうだと考えているうちに、ああ、納期まで時間がな~い、どうしよ~、ということになったり、長ったらしいセンテンスを訳すのに四苦八苦していたりする。難しい言葉と格闘して、ややこしいセンテンスをねじ伏せて、やっと自信を持ったところで目が覚めてみたら、現実の仕事の難題とはまったく関係なくて、起き抜けから「骨折り損のくたびれもうけ」のような気分。そういうときは、何とも因果な商売だなあと思うけど、あんがい、予てからもっと適訳はないのか、もっとしっくりする表現はないのかと知恵を絞っていた課題が解決したりするから、夢のパワーは侮れない。

夢は記憶を整理するための脳内デフラグだと言われるけど、夢の中で眠りに落ちて夢を見るのはいったい何をデフラグしているんだろうな。実際に何度かそんな夢を見た。友だちと話し込んでいるうちに眠ってしまって、何とも奇怪な夢を見て、はっと目が覚めて、友だちに「ヘンな夢を見ていた」と話しているうちに現実に目が覚めて、「ヘンな夢を見た」ということになるんだけど、階段を降りて行くような感じでもあった。そういえば、黙想して浮かんだことをストーリーにまとめる創作講座では、デール先生に引導されて、心の奥深くにある自分の「聖域」に向かって、ゆっくりと「階段」を降りて行った。あの「聖域」は静かで、穏やかで、平和だった。あんがい、眠りの中でもそうやって自分の聖域へ降りて行こうとするのかもしれない。

ワタシは悪夢と言うものを見ることはあまりないんだけど、カレシとのことで人生が修羅場のように思えていた頃は、得体の知れないものに追い回されたり、押し入ってこられたり、しがみつかれたりして、半狂乱で逃げようとする夢を何度も見た。精神的に落ち着いてから下手の横好き流で絵を描くようになって、あの「得体の知れないもの」を描いて見た。

[写真] これを見て「何だか聖母のように見えない?」と言った人がいてびっくりしたけど、もしかして、あの「得体の知れないもの」がワタシの脳内でそんな風にデフラグされたのかなあ。夢って不思議・・・。

雑学は何でも屋のライフライン

6月26日。水曜日。起床は午前11時20分。よく眠っていたのに、カレシに突かれて目が覚めてしまった。せっかくまたおもしろそうな夢を見ていたのに。夢を見るのはレム睡眠のときで、そのときは脳は情報のデフラグで忙しいかもしれないけど、体の方は徹底してリラックスしているんだそうな。システムのメンテナンスみたいなものかな。

夢の解釈に関しては、夢占いから心理学までいろいろとあるけど、嫌な夢や怖い夢を見るのは、心身がストレス状態にあるという「警告」でもあるらしい。そういえば、最近は嫌な夢も心臓がどきどきして目が覚める怖い夢もほとんど見なくなったな。精神的に落ち着いたということなんだろうと思う。ヘンな夢のうちで一番不思議だったのは、自分が殺されてしまった夢。いきなり後ろから頭をガンっと殴られて殺されて、うつ伏せに倒れている自分の死体をまるで体外離脱体験のように見ていた。恐怖感はまったくなくて、妙に「静穏なり」という感じだったな。聞くところによると、自分が殺される夢は、「再生」や「転機」、「問題解決」を示唆する幸先のいい夢なんだそうな。でもなあ、たしかに吉夢は何度でも見たいと思うけど、自分が殺される夢ってのは、やっぱり一度でいいよね。

今日もまた前夜の駆け込み仕事の仕上げで1日が始まる。今度のは小さいから余裕たっぷりで仕上げられるんだけど、内容がまた小町の掲示板に出て来そうな話。やっぱりこういうことが現実にあるんだなあと改めて感心。企業内部の文書だから、当然職場での人間関係が根本問題なんだけど、そこには先行きの不安に始まって、仕事や人間関係に関する不平不満、憤りやら妬み、恨みがてんこ盛り。これが普通の日本企業だったらもっとどろどろしているのかなと想像を逞しくしつつも、もしかしたら(匿名だから)小町の書き込みを拝借して来たんじゃないのかと勘ぐってしまう。小町横町の世相はいつも十分にどろどろしているけど、こういう話を現実のこととして聞くと、やっぱり社会全体がどこかで深く傷ついて、イライラと閉塞感に苛まれているような印象は拭えない。

日本の80年代のバブル景気は経済よりも社会と人間に大きな禍根を残したというのがワタシの持論みたいになっているけど、家族や夫婦、友だち、同僚と言った人間関係の底に疑心暗鬼と憤懣、嫉妬がどろどろと淀んでいるような感じがする。井戸の外から見ただけの印象ではあるけど、他人とどう接したらいいのかわからなかったり、他人との距離や境界をつかめなかったりする人たちが多い。まあ、バブルだけが諸悪の根源ではなくて、不運にも人生の基盤を築く時期が「失われた20年」と重なってしまった世代や、世の中を渡って行くために必要な「知恵」を身につけられないまま大人になった「ゆとり教育」世代が社会の中核になりつつあることも大きな要素なのかもしれない。

ま、こういときの参考に小町横町の掲示板を読んでいたわけじゃないけど、何が重宝するのかわからないのが何でも屋の雑学データベース。仕事の方はしゃかしゃかと2時間ほどで仕上げて、さっさと納品。「営業中」の札をくるっとひっくり返して、「本日の営業は終了しました」。だって、今夜はシーズン最後の芝居『Avenue Q』のオープニングナイトで、6時半から「芸術監督サークル」のレセプションがある。10年ほど前にブロードウェイでトニー賞を受賞したという異色のミュージカルということで、なんとなく、アメリカの「ゆとり教育世代」の自分探しのようなところもあるけど、社会風刺がふんだんに込められているとか。昔、土曜日の朝にNHKで『セサミストリート』を見ていたワタシだし、楽しみ・・・。

国際化がカタカナ英語にならないのはなぜ?

6月27日。木曜日。目覚ましが鳴らなかったけど、午前11時40分に目が覚めて滑り込みセーフ。木曜日専用の目覚まし時計の電池がなくなって、アラームを鳴らせなかったらしい。まあ、10分の寝過ごしで済んだのは何より。今日も湿っぽいけど、三連休になるこの週末の予報は最高気温が何と25度から27度。カナダ建国記念日の7月1日はいつも「夏解禁」のような日ではあるけど、それでも急だなあ・・・。

さて、今日もきのうのファイルの続きの駆け込み仕事で1日が始まった。発注元のご指名でワタシが専属みたいになっている関係上、ひとつ問題が起きると次々とレポートが書かれ、英訳発注となる。外資なので日本語が分からない人もいるからそういうシステムになっているんだろうけど、小町横丁に貼り出されるような箸にも棒にもかからないような類の苦情を、きちんと調べてレポートを上げる姿勢は欧米系外資のいいところかもしれないな。日本企業だったらそうは行かないだろうと思う。まあ、ワタシの日本企業経験は田舎のお殿様会社での10ヵ月だけだし、長いこと日本の世間の風に当たっていないから、ほんとのところはわからないけど。

グローバル化で日本で営業する外国企業が増えたのか、技術や財務、法務とは別の部門で「社外秘」的な翻訳需要が出てきたのかもしれない。昔は英文秘書といった職があって、ワタシも英文秘書を養成X
する学校に行って、そろばんや簿記と並んで欧米式の秘書業務を一応ひと通り学んだわけだけど、今は「英語ができる」人も翻訳者もごまんといるらしいから、特に「英文秘書」なんて職種があるのかどうかわからない。ワタシのときだって、東京じゃない地元での「英文秘書」の需要はないに等しかったな。まあ、「国際化」なんてまだ流通していなかったし、秘書の募集広告にはくまなく「容姿端麗」という言葉が入っていた頃の話だけど。

もっとも、ワタシは未だにこの「国際化」が実際にどんなものなのか分からないでいる。ビジネスの場合はグローバル化と同義語のようなものだろうとわかるけど、一般の感覚で言うと何なんだろうな。ひんぱんに海外旅行に行くことが国際化?「英語ペラペラ」になることが国際化?語学留学やワーホリにでかけるて海外生活をするのが国際化?それとも、外国人の友だちをつくることが国際化?何をするのが国際化なのか?はっきりした「国際化」のイメージがわかないんだけど、この「国際化」を「internationalization」訳されるとますますわからない。でも、日本ではあれだけカタカナ英語が溢れているというのに、「国際化」はなぜか日本語のままなのはおもしろいな。

そのカタカナ英語を使いすぎると、正しい日本語の牙城だと思っていたNHKが訴えられたとか。これに対してNHKは「コメントできない」と言ったそうな。カタカナ英語は、元が英語だから翻訳者には便利なように見えるけど、実はカタカナ化のパターンによっては翻訳者泣かせ。カタカナ化した上で4文字か3文字に短縮したものと、日本的イメージが透けて見える和製英語には悩まされることが多い。前者は元の英語がわからないと訳せないし、PRや広告などによく出てくる後者は元より英語的な英語じゃないからわかるわけがない。そういうカタカナ語の巣窟になっているいわゆる「ガーリーマガジン」の翻訳を頼まれることはないからいいけど。「エロ雑誌」の翻訳をしているなんて、口が裂けても人に言えないもんね。

言語に関する「愚行」となると、カナダのフランス語圏ケベック州の「言語警察」がダントツの一番かな。フランス語を守るというよりは、フランス語以外をケベックから駆逐しようと躍起のようで、コメディタッチの摘発をやっては、カナダ全国は元より外国にまで笑われている。イタリア語の「パスタ」をフランス語に変えろ。レストランの壁の絵に英語の単語があるから外せ。アメリカ系ヨーグルトチェーンのプラスチックスプーンは英語かどうかを捜査中。政府がこれだから、大手スーパーのある店では店長が完璧にバイリンガルの英語系の店員に休憩時間も含めて店内での英語使用を禁じたという話まで出て来て、呆れられている。

もっとも、英語そのものでも、昨今はヘンな英語が増えているから、人さまのことは言えた義理じゃないんだけど、名詞の「動詞化」は流行りのような観さえあって、綴りや文法までが怪しくなって来ている。まあ、言葉そのもののコミュニケーション力が低下しつつあるようにも思えるけど、この調子だと、いくら国際化のかけ声の下で英語を勉強しても、変化が速すぎて追いつけなくなる日が来たりして・・・。

自然体で気楽にね

6月28日。金曜日。目が覚めたらもう午後1時。うわっ、9時間も眠っちゃった。曇り空だけど、何やら暑くなりそうな気配。天気予報は「猛暑」になると恐ろしいことを言っているけど・・・。

起きるのが遅かったけど、夕食をその分だけ遅くすればいいしということで、予定通りにチキンベーコンと目玉焼きで朝食。ときには朝から良質のたんぱく質をしっかり取らなきゃね。

連続ドラマみたいに入ってくる仕事がひとつ残っているけど、日本はもう週末だから後回しにして、今日はのんびり。電話が鳴って、久しぶりにカレシの友だちのイアンからのよう。ハワイの話に始まって、飛行機がどうの、ホテルがどうのと、あれこれ旅行の話。そのうちに、

「どうなんだろうなあ。引退するとかしないとか言ってはいるけどね・・・」。(あれ、もしかしてワタシの噂話・・・?)「まあ、なんかフツーに仕事を続けている感じだな・・・」。(あ、やっぱりワタシの話・・・。)「そうなんだよ。得意先にそこを何とかと言われると断れないタチだからね・・・」。(だって、だって・・・。)「それでも少しは仕事を減らしているようだから、いつかは引退するんじゃないかな」。(あはあ、わかってるんだ。そうそう、そのうちいつかね。)「オレはけっこう忙しくしてるけど、そっちは?」

2人の話題は自分たちの隠居暮らしの現状の方へと流れたらしい。それにしてもまあ、「引退するの?」、「いつ引退するの?」と、外野席のうるさいこと。今年のワタシの方針は「play it by ear」、つまり、臨機応変にぶっつけ本番の出たとこ勝負。まあ、この先の人生は自然体で気楽に行こうじゃないのってところなんだけど。

「どこへ行くの?」郵便局。不在通知が入っていたから取りに行くの。エアマイルのポイント交換で注文したコーヒーメーカーだと思うよ。「へえ、もう来たんだ。ところで、今晩のディナーは何?」生ちらし。ご要望にお応えして・・・。「おっ、やった。合いそうなサラダを考えとこう」。

ま、今日は「ご隠居さん」モードで行こう。では、運動をかねて郵便局までひとっ走り・・・。

急に暑くなって来た

6月29日。土曜日。目が覚めたらもう正午過ぎ。かなりの汗をかいていた。ベッドルームの温度はもう28度。ずっとぐずぐずしていたせいか、けっこう湿度があって体感温度は高く感じる。さっそくクーラーをオンにしたけど、はあ、予報通りに「猛暑」になるのかなあ。暑くなる~と言われただけで、もうなんだかかったる~い気分・・・。

アメリカ南部はすごい猛暑。ラスベガスは46度、アリゾナ州のフィニックスでは48度、テキサス州も軒並み40度で、カリフォルニアの保養地パームスプリングスは何と50度。地球上での最高気温(57度)の記録を持つデスヴァレーでは51度を超え、週末には55度まで上がるかもという予想で、迷い込んだらあっという間にミイラになりそうな、文字通り「死の谷」。ジェット機が安全に飛べるのは52度が限界だそうで、航空会社は温度計を睨んでやきもきしているとか。アメリカは温度の単位に頑固に華氏を使っているから、38度を超えると数字が3桁になる。摂氏50度は華氏では122度。もう数字を見ただけで重篤な熱中症になってしまいそう。この猛暑、アリゾナからネヴァダ、ユタ、モンタナへと北上しているそうで、だらだらと春をやっていたバンクーバーが急に暑くなったのも、どうやらその影響らしい。

カレシは暑くて庭仕事ができずにやきもき。水遣りだけで「暑い~」と飛び込んで来る。我が家のあたりの戸外の気温はせいぜい25度なんだけど、「蒸し暑いんだよ。まるで東京みたいなんだよ」。そういえば、去年、台風が通過した翌日は蒸し暑かったな。でも、東京みたいだと言えるほどには、日本の蒸し暑さを経験してないじゃないの、私たち。「じゃ、オタワに訂正。まるでオタワみたいだ」とカレシ。あ、それならわかるな。夏の蒸し暑さに耐えられなくて、将来有望な連邦政府統計局の職を2年で放り出してUターンして来たんだったね。なにしろ、東部のトロントやオタワは日本の夏に劣らないくらいの聞きしに勝る蒸し暑さらしい。(ワタシは乾燥していればいくら暑くてもいいけど(といって40度はごめんだけど)、蒸し暑いのはたとえ25度でもへたれそう・・・。)

庭仕事で運動するには暑すぎると、今日はカレシもトレッドミル。しばらくピコピコやっていたかと思ったら、「お~い」。はいはい。もう3、4回、ステップバイステップで設定の仕方を説明したんだけどなあ。他のことはちゃんと覚えられるのに、ミニ耕運機だって説明書を読みながらちゃんとひとりで組み立てられたのに、DVDレコーダーだって、iPodだって、ちゃんとひとりで操作を覚えたのに、家の中にあるキカイの操作だけは、いくら手取り足取りで手順を説明しても覚えられないのって、ほんっとに不思議で、不思議でしょうがないんだけど、どうして?

何だかんだと言いながらカレシがトレッドミルを使い終わるのを待って、ワタシも今日の運動。傾斜を上げながら時速3.5マイル(5.6キロ)で15分のウォーキング。傾斜が4パーセントになると坂道!という気分になって、じわじわっと汗が出て来る。今日は暑いから、同じ運動量でもいつもより汗をかいた感じ。でも、運動が終わって、ウォータークーラーの冷たい水をぐいっと飲んで、熱いシャワーで汗を流すのは実に快適。さっぱりして、あ~っとなったところで、夕食の準備の時間。まずはカレシ特製の冷えたマティニを一杯やって、ああ~っ。カレシのマティニの腕はプロに勝るとも劣らずだけど、オリーブは塩辛いのがどうかワタシの顔がくしゃっとなるので、中のピメントだけ食べて空っぽになったのをカレシに、はい。

今日のメニューは夏ばて防止に「豚肉のしょうが焼き」。ときたま脂っぽいものを食べたくなるので、脂の多いばら肉も(脂身が嫌いなカレシに分からない程度に)少し混ぜてしまおう。夕食が終わったら、残っている連ドラの仕事をしゃかしゃかっとやっつけてしまおう。やっぱり目の上のたんこぶのように邪魔っけでのんびりし切れないから困ったもんだ。調子に乗ったついでに月末処理もやろうかな。あしたは6月最後の日で、もう1年が半分終わり・・・。

年と共に穏やかな日常に戻って行くのか

6月30日。日曜日。暑い。前庭は西向きでまだ日が当たっていないのに、ポーチの気温は正午にはもう24度。南からいっぱいに日が当たる裏庭はとうに30度くらい行ってそう。水遣りをしているカレシに声をかけようと、裏のポーチに出たら、わっ、暑っ。うっかりアルミ被膜の敷居を踏んだら、かかとをちょっとやけどしたようで、しばらくの間ひりひり。バンクーバー市内で30度はめったにないから、もうこれは猛暑日。

今日で6月が終わり。というころは1年の半分が終わり。いやあ、早いなあ。だんだん早くなる感じがするのは、やっぱり年なのかな。そういいながら、月末処理。Excelのログを開いて、6月の記録を年間累計のシートにコピーして集計。半年で漠然とした年間売上げ目標の半分。後半年このペースで行けば、今年は8ヵ月分の年金と合わて23年間の平均収入の65パーセント。先細り式引退計画はまあまあの出足というところ。日本は月曜日の朝なので、ささっとインボイスを作って、きのう片付けた納品ファイルと一緒に送り出して、カレシが言うところの「失業中」。

外はとにかく暑いのひと言に尽きるんだけど、家の中はメインのサーモスタットが27度になっているのに、意外と涼しく感じられて、汗もかかないから不思議。二階でクーラーをかけているので、冷えた空気が階段を伝って一階に下りてくるようだし、その排気で常時換気装置が取り入れた外気を冷やして家中に循環させるからだろうな。半地下のオフィスはだいたい夏涼しく、冬暖かいので、室温は年中あまり変わらない。外が猛暑のときは「引きこもり」を決め込むのが一番(といって、ハワイではかんかん照りの中を歩き回って盛大に焼けて来たくせに・・・。)

家の中は快適なのに、気分的「暑い」せいか、せっかく仕事のINBOXが空っぽになっても、特に何をしたいというと言う気持にならない。午後いっぱいだらだらしていて思い立ったのが、ゲームのアプリを探してタブレットにダウンロードしようという、何とも「遊びモード」満開のアイデア。マージャンとソリテアはあるけど、何かおもしろそうなのがないかな。ウィンドウズよりも前のDOSの時代によく遊んだような、ピーコ、ピーコ、ドカンとUFOを打ち落とす単純なゲームがいいかな。探してみると80年代終わりの古いDOSのゲームを今の機械で使えるように手直ししたものがけっこうあるのでびっくり。でも、カラフルになって、黒い画面にオレンジ色だった頃とは雰囲気が全然違う。

結局はグーグルのプレイストアでタブレット用の「Scrabble」(スクラブル)をダウンロード。ワタシが生まれた年に作られたというクロスワードパズル風のボードゲームで、アルファベットの文字のタイルを組み合わせてボードの上に単語を綴って、各文字の点数とボードの上のマスのところどころにあるダブルやトリプルのおまけ得点を足して、タイルがなくなったときの合計点数で勝敗を決める。見つけた(広告満載の)無料ゲームはエレクトロニックアーツのもので、オフラインで2人のプレーヤーの順番を1人でやれるからおもしろそう。

もうずっと昔になるけど、夕食後のひとときや週末にカレシとよくこのスクラブルをやったな。板紙のボードに木のタイル。得点はメモ用紙に手書き。あの頃は住宅ローンを抱えた普通の若い共働き夫婦だったから、コンサートやレストランに行けるような余裕がなくて、(見られる番組が多かった)テレビを一緒に見る以外、2人の娯楽はもっぱらゲーム。カードゲームのジンラミーやクリベッジもずいぶんやったし、チャイニーズチェッカーもずいぶんやったし、バックギャモンもやったし、チェスもやった。(チェスだけはカレシに勝ったことがないけど。)なつかしいな。あの頃の私たちの日常は貧乏なりに穏やかだったな。

はて、加齢と共に私たちはまたあの頃のような穏やかな日常に戻って行くのかな。あんがいそれぞれのタブレットでそれぞれにゲームをしていたりして。で、ときどき互いに「勝ってる?」 「いや、負けっぱなし」なんて笑い合っていたりしてね。それもまあ、穏やかと言えば穏やかでいいか・・・。


2013年6月~その2

2013年06月25日 | 昔語り(2006~2013)
とうとう初めての年金が来た

6月6日。木曜日。午前11時30分に目覚ましで起きるいつもの木曜日。ポーチの気温はもう18度。最高気温は23度の予報。ハワイみやげの夏の空、かな?

でも、あっというまに日常に戻ってしまったような感じがする。「お帰りなさ~い」と、やけに大きな仕事がど~ん。10日以上かかるような量を正味6日でやろうというわけで、まさに昔のままの「日常」。もっとも、このクライアントについてはこれから専門にすると決めた分野だから、むげにノーとも言えないけど・・・。

ハワイから帰って来て、いの一番にチェックしたのが銀行の口座。あっ、来てる!ワタシの年金、ちゃんと入金していた。はあ、何となく肩の荷がほろっと落ちたような気分。カレシの年金3つ、ワタシの年金2つを合わせて、ざっと46万円。この先、カレシは期限の来年、ワタシは6年後に、それぞれが積み立てた個人年金を月々の年金に転換することになっていて、最終的に年金が7つ。

どうやら悠々自適の老後が送れそうな感じだから、それまではやりたい仕事だけをやって、2人で楽しいことをする資金を稼げばいい。明日をも知れない自営業の身で、ああ、ワタシもやっとここまで来たんだなあという感慨のようなものも沸いて来る。うん、life is good(人生はいいものよ)。

だけど、ほんとにいいのかなあ、こんなに大量の仕事を引き受けたりして。酷使してきた指の関節炎がしくしく痛むし、今さら徹夜なんかしたくないし、でもまあ、まだ半現役のワタシ。ここは腕をまくって、やるっきゃないな。

ハワイで見つけた「おかげさまで」

6月7日。金曜日。寝ている間に雨が降ったようで、何となく曇り空。ポーチの温度計は正午で15度。もうあと2週間で夏至だというのにね。

ひとつの案件だけど日程がきっしぎしの仕事に本格的にかかる。たしかに大量だけど、ハワイ行き前にうんうん言っていたお役所的作文のような、髪の毛を引き抜いて苦悶するような内容ではないので、とりあえず頭から訳し始めた。きのうは一応の「ノルマ」は達成しなかったけど、何とかうまく進んでいるので、つい楽観視。あたふたせずに、いざという場面になったら、しゃあねぇなぁ~と肩をすくめて、出口を探るのが極楽とんぼ流。まっ、なんとかなるっしょ。

ハワイでの会議では、アリヨシ元州知事が基調講演の中で特に感動した話があった。ハワイの日系人の間でよく使われ、日系人の「精神」としてしっかりと生きているという、「オカゲサマデ」という言葉。英語ではおおまかに「I am what I am because of you」(このワタシがあるはあなたのおかげ)と訳されているそうで、何とも絶妙な訳だと思った。そこには「誰も他の大勢の人たちの助けなしでは何も達成することができない」という思想が込められているそうな。過酷な労働環境を助け合って生きて抜いて来た日系移民たちが人生の黄昏で「Life is good」というとき、その心の底にこの「オカゲサマデ」という気持が息づいているんだろうな。

「おかげさまで」。ワタシが子供の頃には周りの大人があたりまえのように使っていたように思う。お元気ですか?おかげさまで・・・。風邪はどう?おかげさまで・・・。お仕事はどう?おかげさまで・・・。何につけても「おかげさまで」で始まったポジティブな応答。ずいぶん長いこと聞いていないような気もするけど、日本では、今でも使われているんだろうか。小町横町などで使われる「おかげで」は、何となく攻撃的というか、責任転嫁というか、他人を指弾するような、ネガティブな印象を受けることが多い。言葉遣いはそのときどきの世相を表していることが多いと思うんだけど・・・。

「おかげさまで」は他人への感謝の気持があるのに対して、「おかげで」は自分は(○○のせいで)不快な状況に陥った、恥をかいた、損をした、迷惑した、辛い、苦しい、疲れた、夢がかなわない・・・。「さま」が抜けることによって言葉の極性がポジティブからネガティブに変わって、自分の身に起きた不都合や不快感、不幸せ感の原因を他人やモノに転嫁する表現になったんじゃないかというのは、ワタシの考えすぎかなあ。もしかしたら、日本の日本人は、バブル景気の高揚感から長い閉塞感へと、社会の(遠くから見ると)急激な変化にもまれているうちに、「おかげさまで」の「さま」をどこかに置き忘れたのかもしれないな。

ハワイで出会った「おかげさまで」。忘れないようにしたいな。カナダに移民して来たワタシの人生にもいろんなことがあったけど、幸せになるために来たんだからと、幸せになるためにがんばった。カナダの国も社会も文化も人もみんなワタシにはやさしかった。いろんな人たちの助けあったから、がんばれたんだろうと思う。おかげさまで、life is good。そう、Life is good here。まだまだがんばって、幸せ貯金の恵みを心ゆくまで楽しんで、おかげさまでlife was goodと言って逝けたらいいなあ・・・。

アドレナリン大放出!さあ、いらっしゃい!

6月9日。日曜日。きのう、おとといとちょっと下り坂の天気で肌寒かったけど、今日は何とか初夏の気候。まあ、どっぷりと仕事に浸かっているときは、外の天気なんかどうでもいいんだけど。

夕方、予定通りにだいたい半分を納品。予想にたがわず9000語を超えちゃったけど、訴訟関係の文書は口数が多いからしょうがないな。原稿の量はほぼ4万字(原稿用紙100枚を隙間なくびっちり埋めた量)で、経験則では日本語の2字あたり英語1語。つまり、英語2万語の文書ができる勘定で、普通にちんたらペースでやればほぼ10日かかる作業量。

それを6日でやっつけようというわけで、半量を3日で済ませたということは、今のところ「想定どおり」。がきっと集中すると、どんどんアドレナリンが出て来て、モチベーションが糸の切れた凧みたいに天高く舞い上がって、やたらと元気もりもりになる。指が痛いのも、肩が凝るのも、目がしょぼしょぼするのもどこ吹く風で、しまいには鼻歌交じりでキーをバンバン。ま、こういうストレスには強いたちなのかもしれないけど、それを20年以上もやっているのは、やっぱり左巻きの極楽とんぼといったところか。

カレシ曰く、「頭の上でドルのサインがくるくる回っているのが見える」。うん、ワタシ、お金を稼ぐの、好きだもんね。お金はモチベーションを上げる特効薬。生活のためじゃなくて、楽しいことをするために稼いでいると思うと、ますますモチベーションが上がって、アドレナリンもますます大放出。なんだかパチンコ屋の「軍艦マーチ」が華々しく聞こえて来そうだけど、よし、あと半分、がんばるぞ。もしかして、ワタシはadrenaline junkieなのかな・・・?

忙しいときは思いつきのぐうたらメニュー(6月3日~9日)

6月10日。

6月3日(月曜日)
* 朝食: ジュース、シリアル、(パンがないから)パネットーネ、コーヒー
* 夕食: スティールヘッドの照り焼き風、野菜の混ぜご飯、ブロッコリー二(蒸)
* ランチ: タイ風明太子スパゲティーニ

6月4日(火曜日)
* 夕食: えびの中華風にんにく炒め、玄米麦ご飯、芽キャベツ(蒸)
* ランチ: (冷凍)野菜バーガー

6月5日(水曜日)
* 夕食: アルバコアまぐろのポン酢蒸し、タイの紫米のガーリックご飯、フレンチインゲン(蒸)
* ランチ: 紅しょうがたっぷりのインスタント焼きそば

6月6日(木曜日)
* 夕食: おひょうのイタリアンスパイス焼き、ミックスきのこのソテー、ミニポテト(蒸)
* ランチ: ほうれん草ナゲット+チェダーチーズ

6月7日(金曜日)
* 夕食: 鴨の足のコンフィ、ラタトゥイユ、フレンチインゲン(蒸)
* ランチ: (冷凍)豆腐ラザーニャ

仕事にはっぱをかけなくちゃ、ということで、今日は半手抜き、半カレシ好みのメニュー。地元で起業して大きくなったスーパーに行くようになって、ケベックで100年くらい営業しているブランドの鴨が手に入りやすくなった。特に調理済みのコンフィは、解凍して加熱するだけなので、忙しいときにはまたとない「手抜きグルメ」。タイムをぱらぱらと振って、味アップ。

これをスロークッカーに放り込み、カレシが大好きなラタトゥイユは準備にちょっと手間がかかるけど、これももうひとつのスロークッカーに仕込んで、どちらも「低」にセットして、夕食の手当は完了。あとは心おきなく仕事に没頭・・・。

6月8日(土曜日)
* 夕食: たらと大根の煮込み風、竹米ご飯、青梗菜(蒸)
* ランチ: インスタントラーメン

6月9日(日曜日)
* 夕食: あさりの殻焼き、ズッキーニときのこのソテー、芽キャベツ(蒸)
* ランチ: リングィーニのラタトゥイユソース

午後5時に半量納品の期限。ぎりぎりになりそうだから、前夜から差し渡し10センチはあるアサリの殻に細切れの実でグラタン風に詰めた既製品を解凍しておいて、トースターオーブンで調理。(オーブン、早く修理するか、買い換えるかしないと・・・。)既製品は手抜きのお手本だけど、仕事が詰まっているときには天の恵み。少々お高くても、「グルメ」的なものをフリーザーに常備しておけば、子供の頃、ひとり暮らしの頃に食べた温めるだけの冷凍食がトラウマになっているらしいカレシにも文句はない・・・らしい。

冷蔵庫にあった残りもののラタトゥイユ。2人前のランチには足りないなあと見ていて、アイデアの電球がポッ。トマトベースなんだから、パスタソースにしてしまえばいい。濃縮のトマトパサタを足して少しとろみをつけ、茹でたてのリングィーニの上にたっぷりと載せ、削ったパルメザンチーズをたっぷりかければ、は、フレンチだってちゃ~んといっぱしのイタリアンに化けるじゃないの。あんがいそういう「残りもの、どうしよ~」という発想からできたのがパスタソースだったりしてね。なんだか病み付きになりそうなくらいおいしかった。

大き目のスロークッカーを買ったら、まとめてラタトゥイユを作っておこうっと。

終わったあ、やったあ、ばんざ~い

6月12日。水曜日。午前11時に起床。カレシは気持良さそうにすやすやと寝ているので、起こさずにささっと身づくろいをして、オフィスへ直行。ぎっちぎちに詰まった仕事は今日の午後5時が「絶対」の期限。ハワイ会議でも、新米フリーランサー向けのセッションで言ってたなあ、「納期を厳守すること」。これ、フリーランス稼業の「信用」の基本。よほどの事情がない限り、納期を外したらクライアントの信頼をなくすから、家が汚屋敷になろうが、洗濯物が山になろうが、子供が泣こうが、鍋が焦げ付こうが、納期厳守あるのみ!

とにかく、外国では「ええ、何でそうなったの?」と言うような話で、知らない漢字言葉がいくつも出て来るし、読めない(か読みを忘れた)漢字まであるもので、そのたびに読み方や意味を調べるのにひと苦労。おかげ(さま)で、ワタシの日本語のボキャブラリもかなり豊かになった。コンピュータ時代になって日本語の文書作成がキーボードに移行してからというもの、同音異義語の「誤字」が増えて、翻訳者泣かせ。まあ、英語でも電子タイプライターになってからスペルミスが増えて、スペルチェッカーがあっても別の「単語」になっていれば引っかからないから、これも翻訳者泣かせで、このあたりは引き分け。

とにかく、ややこしい話を弁護士先生口調で、ああたら、こうたら、ああだからこうで、こうだからああで、何とか法ではこうで、どこそこの判例ではああで、あっちがあったらことをいうからこったたらことになたったんであって、詰まるところは「そりゃ、こっちゃの責任じゃにゃぁ~よ」。訴訟関係の文書はドラマの台本みたいでおもしろい。ペリー・メイスンは似合わないかなあ、あんがいホレス・ランポールにやらせたらそれっぽい雰囲気になるかなあ、なんて想像を膨らませながら、それでもひたすらサイトラ式の「ほぼ同時翻訳」。でも、しまいには、いっそのこと原稿をそっくり大阪弁に「翻訳」したら、すご~く人間味の溢れる裁判ドラマになるんじゃないかなあ、なんて考えてしまった。(大阪弁て、いいよね。)

カレシが12時半になって起きて来たところで、朝食。ひとやすみしてまたオフィスへ直行して、見直し作業。最後の行に到達したところでスペルチェックして、(品質管理部長の)カレシに「読んでわかるかどうか」をチェックしてもらって、ちょこちょこっと入った赤ペンの部分を手直し。前半を先に納品してあるので、残りの半分だけ。それでもゆうに1万語あるから、見直し作業もそれだけ時間がかかる。全体で仕上がりは2万語。うわっ、ほんとに6日でやっつけてしまった。徹夜も残業もしないでやっつけた。まだまだ捨てたもんじゃないね。ごくろうさん、えらいねぇ、と自分の背中を(仮想的に)ポン。ファイルを保存したところで、トイレに向かって猛ダッシュ・・・。

ファイルを圧縮して、納品のメールを書いて、ファイルを添付して、「送信」のボタンをカチッ。午後3時半、業務完了!やったあぁ~!カレシとパンッとハイファイブ(日本語ではハイタッチ?)。「なんかえらくややこしい話だけど、あんなのよく訳せるよなあ」と、カレシ。だって、ややこしい話だろうが何だろうが、とにかく読んで訳すのがワタシの仕事なんだもん。これでもワタシはいっぱしのプロなんからっ。「やっぱり引退なんかできないだろ?」 いえいえ、右肩下がりで引退するつもり。でも、この達成感!この爽快感!ああ、なんとも捨てがたいんだよねえ、やっぱり・・・。

枯れたはずのさぼてんの花

6月13日。木曜日。午前11時30分の目覚ましで起床。脳みそがぎゅ~っと絞ったスポンジみたいになるような仕事の後だから、心行くまで寝ていたいところだけど、どっこい今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日。

カレシを送り出して、ワタシはソーダストリームの炭酸カートリッジを取り替えにモールへ。気温は16度とまあまあだけど、さすがに夏至まであと1週間。日差しはかなり強い。東西方向に歩くので必然的に行きは左側、帰りは右側の腕を焼き増し?することになる。もう2週間になるのにまだ「脱皮」中で、目も当てられない。こんなんで東京の電車に乗ったら、小町に「見苦しい。ヒジョーシキ!」トピックがいくつ立つかなあ・・・。

午後の教室から帰って来て温室に入っていたカレシが素っ頓狂な声。

「もう枯れたかと思っていたのに、ほら、これを見ろよ!」 [写真]

ワタシが来る前からカレシが宝にしていたさぼてんのひとつ。45年くらい前に苦労して手に入れたという種を蒔いて育ててきたんだけど、小さいポットのまんまなもので、どれもちっと大きくならずにいた。プラスチックのポットはぼろぼろに劣化して、あちこちが欠けているし、さぼてん自体も茶色で、生きているのか枯れているのかわからない。とげに触るとぽろっと落ちそうな気がするし・・・。[写真]

でも、よ~く見ると、シルキーな光沢があって、何だか文字通りのシルクフラワーのようにも見える。他のさぼてんは、蜘蛛の巣がかかったような丸い種類のはときどき小さいピンクの花を咲かせるけど、これはまた何とも身の丈に不相応な大きな花。

「きれいだろ?ほんとにもう枯れたと思ってたんだけどね」。あんがい、これが最後って感じで、ひと花咲かせてるのかもね。「おいおい。ま、オレ、ちょっと昼寝するから、その間、眺めていていいよ」。はあい。「ご飯ができたら起こしてくれよな」。はあい。

はて、さぼてんは何を語るのか。さぼてんの花言葉、何だろうなあ・・・。

6月も半ばなのに、寒すぎない?

6月14日。金曜日。起床は午後12時半。ああ、やっとゆっくり眠れた。今日は2人とも特にしなければならないこともない日。外は曇り空で、何だか寒そうだから、日がな1日「だらだら、ごろごろ」ということにする。それにしても、来週はもう夏至だってのに、何でこんなに肌寒いんだろうな。日差しだけは強いけど・・・。

カレシは寒いと言ってTシャツの上にフリース地のシャツを前をはだけたまま羽織っている。ずっと元々暑がり屋なんだと思っていたけど、この頃はやたらと「寒い~」とこぼすようになった感じがするなあ。まあ、これも「加齢現象」のひとつなのかもしれないけど、カレシもあと2ヵ月弱で古希。70歳まで生きる人は古来稀だったからそう呼ばれるようになったそうな。うん、やっぱり年なのよ、アナタ。古来そこまで生きるのが稀な年まで無事に生きたんだから、ひとつ、盛大にお祝いしてあげようかな。

もっとも近頃では、70代くらいではまだ「高齢」という感覚がわかなくて、ニュースなどで他界した有名人が「享年78歳でした」なんて聞くと、早過ぎるんじゃないかと思ってしまう。人生を全うしたと思えるのは、やっぱり80代の後半から先かなあ。まあ、ワタシは100歳までしぶとく生きるつもりでいるし、その頃にはもう「人生90年」が当たり前になっているかもしれないな。(一部に、今の若い世代は親の世代より長生きできそうにないという噂もあるけど・・・。)

ぶらぶらしていたら、そのうちに青空が広がって、ちょっと夏っぽい白さの雲が漂って来たけど、ポーチの温度計を見たら、午後3時でやっと14度。6月も半ばだというのに、それはないでしょうが。寒がるカレシの方が正常で、薄っぺらな3分袖のTシャツ1枚にミニスカ、素足のワタシの方がヘンだってことになってしまいそう。まあ、熱血児といえば聞こえはいいかもしれないけど、還暦過ぎの熱血児なんて、ありえないよねえ、ふつう?(もしかしたら、ある日突然「老化スイッチ」が入るのかもしれないけど。)

[写真] ベースメント(半地下)の窓は敷居がちょうどワタシの目の高さなので、通りかかりにちらっと外を見ると、目線にキンギョソウ。もう何年も前に苗を買って来て植えたものが、土いじりが苦手なワタシの「園芸」は植えっ放し主義なのに、毎年しつこく花を咲かせてくれる。英語ではsnapdragon。何でも花が「ドラゴンの顔」に似ているからなんだそうな。そういわれるとそんな気がしないでもないけど、ということは、日本人には金魚に見えたから金魚草になったということかな。

左下奥の塀際に見える小さいピンクの花はナデシコ。これまた植えっ放しの無責任ガーデナーが残したものをカレシが鉢に植えて保存してくれたので、毎年けっこう律儀に花を咲かせてくれる。たぶん、カレシのために咲いているんだろうと思うけど、もしかしたら、キンギョソウは窓越しにワタシに舌を出しているのかな。まあ、ワタシもこのキンギョソウみたいにけっこうしぶとく花を咲かせているつもりだけど、カレシが「寒い」というのに、寒くないよ~と言っているワタシは園芸種じゃなくて野生種なのかもしれないな。それでも、この時期に20度まで行かないのは、やっぱりちょっと寒すぎるか・・・。

ホラー映画じゃあるまいし

6月15日。土曜日。正午をたっぷり過ぎて目が覚めた。きのう、おとといと、よく夢を見ているようだから、きっとぐっすり眠れているんだろうな。今日の空模様は少しはまともな気温になりそうな気配・・・。

久しぶりにカレーをスロークッカーにセットして、ダウンタウンにあるHマートまで1人で行って来ようと思っていたんだけど、起きるのが遅かったせいで、下ごしらえが終わってスイッチを入れて、時計を見上げたら急にめんどくさくなって頓挫。ふむ、だらけモードが定着して来たか。

出かけるのをやめた勢いで、にんにくをローストしようと、棚からロースターを下ろして、ちょっと置こうとしたら、あら、フリーザーの上が何だかべっとべと。とりあえず濡らしたペーパータオルできれいに拭いて一件落着。ところが、30分後にフリーザーを開けようと蓋を上げたら、また上の同じところがぺっとぺと。どうやら何か透明な液体のようだけど、何なんだ。どれどれと見に来たカレシが「酒をこぼしたのかな。でも、酒臭くないね。甘い匂いはするけどさ」。とにかく、今度は洗剤をつけたスポンジで洗って、拭いてさっぱり。

それにしても、何なんだろうなあ。二度あることは三度あるとはよく言ったもので、あれだけしっかり洗って、しっかり拭いたはずなのに、1時間も経たないうちに、またまた同じところが同じくらいにべとべとになっている。もう、いったい何の冗談なんだか、気味が悪いなあ。

「何だか知らないけど、しつこいなあ。味を見てみたの?」ええっ?何なのかわかんないのに、やだ~。「でも、いったいどこから出て来るんだろうなあ」。うん、ホラー映画みたいだよね。最近はゾンビが蔓延っているらしいし・・・。

とにかく何なんだ~と、フリーザーの上の棚を見上げて行ったら、下の2段より迫り出している最上段の縁に何やらポチッと滴り(幸い赤くはなかったけど)・・・。何と、カレシが背伸びして棚から下ろしたのは、すっかり色あせたSchweppesのトニックウォーターの缶!

「うはあ、どのくらい古いのか知らないけど、アルミが腐って漏れ出したんだ」。

それでポトッと落ちるたびにしぶきが飛んでいたのか。なあんだ。でも、見つけなかったら、どうなったんだろう。突然パ~ンと破裂したのかな。そうなったら、そこら中がべとべとになるところだったな。幽霊の正体見たり、忘れられたトニックウォーター。脅かさないで欲しいなあ・・・。

お父さんたちの静かな革命

6月16日。日曜日。またまた正午過ぎに起床。やっとこの時期の普通の天候になって来た。寒がっていたカレシがさっそくクーラーをオン。ええ?24度では寒いけど、27度では暑すぎるの?ふ~ん、許容範囲が狭いというのか、何というのか・・・。

今日は父の日。ワタシもカレシも今はお父さんがいない子。まあ、私たちには子供がいないので元から「ただの日曜日」だったけど、この年になってもまだ、ワタシは20年も前に他界した父を今だによく思い出す。でも、父に比べて母のことをあまり思い出さないのは、もう33回忌を過ぎたからなのか。それとも、娘というのは母親よりも父親への思慕が強いものなのか。その辺は自分でもわからないけど、ワタシにとっては、父はお父さんであった以上に、誰よりもワタシの良き理解者であり、メンターでもあったから、それだけまだワタシの中で大きな存在なのかもしれないな。じゃあ、男であるカレシはどうなんだろう。息子にとっては、母親と父親のどっちが大きな存在なんだろうな。

きのうのNational Postに、カナダやアメリカで、父親が育児や教育に母親と同様に関与するという「静かな革命」が起きているという、父の日にちなんだ記事があった。共働きの夫婦が、両親が共に「家族」にとって理に適った家庭運営をする対等のパートナーシップを築いているという話。ある調査では、子供を持つ男性の61%が仕事よりも家族を優先しているそうだし、カナダ統計局のデータによると、両親が揃った世帯の3分の1(アメリカでは4分の1)で妻の方が収入が多く、母親が外で働き、父親が専業主夫という家庭が11%に達し、出産休暇や育児休暇を取る父親も年々増えているんだそうな。女性の社会進出と機会均等を推し進めたベビーブーム世代の子供たちが親になる年代になって、若い父親たちが静かな革命を起こしつつある、と。

でも、北米の社会にも「男が大黒柱であるべき」という観念がまだ根強く残っていて、父親たちは「男性の家庭進出と親としての機会均等」を実現するために、かって女性たちが男女の機会均等の実現に苦労したのと同じ道のりを歩み始めているのだ、と。アメリカではそういう「新型お父さん」によって育児や家事についての記事を満載した「クールな」雑誌が創刊されたという。また、父親を「役立たずの滑稽な存在」として描写する育児用品の広告やコマーシャルに抗議の声を上げ、それに大手の紙おむつメーカーが応じて、コマーシャルの内容を変更したというから、本気で社会文化そのものを変えようという行動力が感じられる。男たちが家庭での機会均等を獲得したら、本当の男女同権が実現するということかな。

日本では、「イクメン」という言葉で男性の育児参加を促そうとしているようだけど、カタカナ語にしてしまうところに、どうも何か新しい「ファッション」としてもてはやしているような印象を免れない。企業が常習的な長時間の(多くは無償の)残業という異常な勤務状態を改めて、社員の家庭優先を促す気配はまったくなさそうだし、働く夫たちも、家に帰りたくないのかどうか知らないけど、先進国なのにそういう労働環境はおかしいと声を上げ、変えなければと行動に出る様子もなさそう。(家に帰りたくないのだとすれば、それはそれで問題はまったく別のところにあることになるけど。)

日ごろ父親を身近に見ていない子供に、年に一度の「父の日」にだけ商業的なPR行事やプレゼントで「お父さん認定」してもらってもなあ、と思うんだけど、実際のところどうなの、日本のパパたち?

駅徒歩15分は近い。25度は暑すぎる

16月17日。月曜日。起床は今日も正午過ぎ。予報では下り坂のはずなのに、なぜか暑くなりそうな気配。ほんとに天の邪鬼なのがバンクーバーの天気模様ではあるけど、でも、いきなりか~っと暑くなるなんてのはなしにして欲しいな。

今日は土曜日に頓挫したダウンタウン行きを決行すべく、朝食が終わってすぐに出かけるしたく。ストラップの長いトートバッグを袈裟懸けにして「メッセンジャースタイル」。カレシ曰く、「配達おばさんって感じだな」。駅までトレッドミルに乗ったつもりで、歩け、歩けの早足15分。駅では秋から稼動する改札口で何やら作業中で、今までブランクだったスクリーンに文字が見える。「Compass」というSuicaみたいなカードが導入されるので、システムのプログラムをテストしているのかな。子供とシニア用にはオレンジ色の割引カードもあるということで、いちいち切符を買わなくて済むのはいいけど、シニアに見てもらえなくて、「ちょっと」と止められるなんてことはないだろうなあ。

Staplesでタブレットに直接装着できるマイクロSDカードというのを(お試しに)買って、Hマートでトートバッグで運べるだけの買い物をして、元の切符で帰る。昔から90分以内は全方向乗り換えのし放題なので、ちょっとした買い物なら片道切符で行って帰って来れるから便利。地下鉄になってからは時間が短縮された分、買い物に使える時間も増えた。シニアの運賃なら1区間で片道1ドル75セント(約170円)で安いもんだし、ダウンタウンへ行くなら地下鉄に限る。(駅と家の間で往復30分の運動になるしね。)Compassカードに移行してもこのシステムは継承されるらしい。まあ、廃止したら非難ごうごうになりそうだから、ほんとは増収を図りたいところだけど廃止はできないと判断したのかな。

でも、いや~暑かった。夕方までには我が家のあたりで26度まで行ったらしい。もろにハワイの天気じゃないの。そんな中を6、7キロはありそうなトートバッグを袈裟懸けにしての駅からの帰り道。股関節にもろに重量がかかって来るし、腰も痛くなって来るし、背中の筋肉も痛くなってくるし、ストラップをかけた肩も凝ってくるしで、体のあちこちが「年だ~、年だ~。いい年して、まだアラサー並みのつもり~?」と文句の大合唱。あはは、何かにつけて「疲れる、疲れた、疲弊した」と言っている今どきのハタチやアラサーの若おばさんに、重い荷物を運べるだけのエネルギーがあるのかな。

団塊の世代のおばさんは、そこのけ、そこのけと他人をかき分けて、競争に勝ち抜いてきたんだから、そのパワーを見くびっちゃあいかんぜよ。と、まあ鼻息を荒くしてみたところで、誰にでも、たとえすぐには気づかないくらいに少しずつであっても「老化」が着実に進んで行くのは自明の理。時間と同様に止められないとなると、残された課題はそれにどう対応するかだろうな。「あ、そうですか」とばかりにちゃっかりと適応してそのまま進むか、「年なんか取りたくな~い」と抵抗してみるか、「あたしゃ、どうせもう・・・」とふて腐るイジワルばあさんになるか、それとも不老不死の薬を求めて旅に出るか・・・。

そんなことをつらつら考えつつ、それでも何とか背筋を伸ばして、駅からの15分の道のりをてくてく。いつだったか、東京の不動産屋か何かのサイトで、「駅徒歩15分」は遠くて、通うのが辛い、タイヘンと書いてあってびっくりしたっけ。許容範囲は「徒歩10分」なんだそうで、距離感覚が違うのか、時間の感覚が違うのか。きょろきょろしながら歩いていたら、15分なんてあっという間に過ぎるのにね。家の掃除でもしたら15分くらいはすぐに動いてしまうのにね。ふむ、やっぱり今どきの若いもんはひ弱だってことになるかな。とにかく、大汗をかいて家に帰り着いたら、午後4時過ぎ。ポーチの温度計は何と25度。バンクーバーでは真夏日の気分。まあ、これは寒暖の感覚の違いだ。それにしても、いや、暑い、暑い・・・。

人間の心理と言葉と翻訳と演劇

6月18日。火曜日。就寝が遅かったから、起床も正午過ぎ。ゆうべ(と言うか朝方に)ざざっと雨が降って、また涼しくなってしまった。週末までずっと雨模様のぐずぐずの天気の予報。

開店休業のきのうの閉店間際に飛び込んできた仕事があるけど、2、3時間でやっつけられそうなので、今日から新しい本を読み始める。スティーブン・ピンカーの『How the Mind Works』(日本語訳は『心の仕組み』)。Folioのハードカバー本なので、やたらと大きくて厚さが5センチはある。本文は約500ページ。毎日朝食の後で5ページずつ読み進んだら100日。10ページ読んでも50日か。読み終わる頃には秋の気配が漂っているのかな。でも、重さが1キロ以上はあるから、ベッドで読むわけには行かないし、座って読むにも重過ぎる感じで、結局はテーブルの上に開いて読むしかない。はあ・・・。

スティーブン・ピンカーはモントリオールで生まれ育ち、名門マギル大学を出て、ハーヴァード大学に進んで、そのまま帰って来なかったカナダ人。けっこう多いなあ、こういう人。アメリカにはそういう人たちを飲み込んで栄養にしてしまえる容量がある。「静かなる頭脳流出」と言えるのかもしれないけど、だだっ広い国土に人間が3300万人しかなくて、(隣に10倍の人口を抱える大きいお兄ちゃんがいる)カナダでは本領を発揮する機会が足りないのかもしれない。まあ、日本ほどではないにしても、イギリスの精神的な伝統が残るカナダに、その伝統の枷を逃れてマイペースの自由があるアメリカと比べて若干の窮屈さがあるのは確かだろうな。

ピンカーが専門とする分野は実験心理学、認知科学、言語学、視覚認知学、心理言語学。人間の心理と言語は切り離せないものだけど、幅が広そうで、奥が深そうで、思わず、ああ、大学で勉強したかった~と思わせてくれる分野だな。(もっとも、何でも勉強したらおもしろそ~とつい思ってしまうんだけど。)ま、ワタシは自らの意思で大学進学をやめたことが自慢?のあまのじゃくだし、中学1年で初めて英語の教科書を見て、「言いたいことを表現できる媒体が他にもあったんだ~」と感動して英語にはまったんだけど、大学で学びたかったのが「英語」そのものだったのか、それとも言語が支配する人間性だったのかは今でもわからない。(学校が嫌いで、いい加減うんざりしていたので、さらに4年も学校になんか行きたくないと思ったのかもしれない。)

正直なところ、究極的に学歴も専門知識もなしで踏み込んだ「翻訳業」でさえ、天職だったと思うことはあるけど、翻訳と言うプロセスそのものが好きでたまらないわけではないような気もする。つらつら考えてみると、究極的に人間の心の奥にある「ひだ」が織り成す模様に関心があって、そのひだの模様(人間心理)を描く媒体としての言語に興味がわくのかもしれない。10年近く前のTEDカンファレンスでのピンカーの講演の趣旨は、「言語はいかに人間の心の動きを表すか」。究極的には、「どのように言葉を選ぶかによって、思っている以上のことを相手に伝達している」と。

気持をストレートに表現できると言われる英語にだって、能動態と受動態があり、さらに自動詞と他動詞があって、その使い方によって無限に玉虫色のニュアンスを込めることができる。玉虫色だから、思わぬ誤解や間違った印象を招くんだと思うけど、「ストレート」な英語で足りているうちは、その「玉虫色」には気づかないだろうな。それはまだ構造的に母語とは思考の流れが反対の言語を「話すこと」にこだわっている段階だからで、「聞くこと」に慣れて来て初めて言葉の「裏」が見えて来るんだと思う。でも、人間の心の奥深くには、自分の「ストーリー」を他人に伝えたい(聞いてもらいたい)という本能的な欲求があるようで、だからこそ、音楽や絵画のような言葉なしで伝えられる手段が生まれ、言語のひだに依存する文学や詩歌が生まれ、さらに身振り手振りを加えた演劇という形態が発達してきたんだろうと思う。

原稿の真意が掴めなくて苦労する要因には、だらだらと回りくどい悪文だったり、(特に日本語は)主語がない、理屈が不明瞭ということの他に、著者の意識的、無意識的な「選語」から、赤の他人であるその人の心の動きやhidden agenda(隠された動機)を探らなければならないという要素もあると思う。やりがいはあるけど本当に好きなのかどうかわからない翻訳を長年生業としてやって来られたのも、著者の心理に探りを入れなければならないことが多くて、それがある意味で作家の人物の肉付けや俳優の役作りと似たような精神的作業になっていたからかもしれないな。

まあ、ピンカー先生の本については先が長そうだから、その前に手元にある仕事をしないとね。

こだわりにもいろいろなこだわり方がある

6月19日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。天気予報はこれから1週間ずっとぐずぐずと雨模様。最高気温は16度とか17度とか。まあ、クーラーがいらないから、節電になるかもしれないけど、今どきこの天気はないよなあ。今日は掃除の日で、起きて早々にシーラとヴァルがレクシーをお供に到着。シーラがレクシーは耳の聞こえが悪そうなのでクリニックに連れて行くと言うから、ワンちゃん用の補聴器があればいいねと混ぜっ返し。犬でも年を取ると耳が遠くなるんだろうか。(レクシーは12、3歳かな。)

オフィスの掃除が終わったところで、きのうやった仕事の見直しの作業をささっと終えて、納品。今後専念したいと知らせた分野とは畑違いの技術系の仕事だったけど、ワタシのところに回って来たのは、当たった人たちに新分野なのでと敬遠されたせいらしい。確かに新しいと言えば新しいけど、従来の技術が土台であることには変わりないし、参考資料はググればいくらでもヒットするんだから、「できない」とはなにごとだと思ってしまう。でも、近頃は自分の領域をかっちりと線引きして、「専門外」には手を出さない人が多くなっているのかもしれない。小町にも、翻訳志望の人が「特許と医療と医薬のどれがいいか」なんて聞いていたりするから、どこかで「汝、専門を持つべし」と刷り込まれて、「専門外は手を出すべからず」という流れになったのかな。

専門知識を駆使できる分野があって、それを専門とするのが理に適っているのはわかるし、何の知識もないのに「できる」というのはいい加減な話だけど、集学的、学際的、分野横断と、異分野をまたぐ研究開発が盛んな今の時代に、自分の専門領域を守るのは一見して崇高な理念のようだけど、見方を変えれば専門への「こだわり」、あるいは領域外に出ることへの不安の現われとも言えそうだし、現実論としては発展の機会を狭めることが多い。でも、ワタシのような(「専門知識」がない故の)「何でも屋」がそう言うと専門主義者に不遜だと叱られそうだけど、「こだわり」は、その性質によってはチャンスをつかみ損ねる足かせになることが往々にしてある。この仕事だって、新しい研究テーマかもしれないけど、別に突然変異で登場した「新分野」でもなかったから、「専門」にこだわったばかりに楽なひと稼ぎを逃した人たちいたってことになるか。

では、「こだわり」はプラスなのか、マイナスなのか。最近の小町にも「こだわり」についての論議があったけど、「こだわりとは何ぞや」という定義がされていないから、一方で、こだわりがないのは良い、生き易い、他方で、こだわりがない人はものごとに無頓着ということでダメ。そこで、広辞苑を見たら、「こだわり/こだわる=気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する」とあった。拘泥というと、文字通りぬかるみにはまって、もがいているイメージだな。でも、和英辞書で見ると、「こだわり=1.あることに心がとらわれすぎること、2.納得できるまで自己の価値観に従うこと」となっていて、1.にはネガティブな意味合い、(広辞苑にはない)2.はポジティブな意味合いの訳語が並んでいた。「こだわり」にもいろいろな形があるということか。

芸術家のこだわりは名作を生むけど、凡人のこだわりは何を生むのか。2.の「自己の価値観」へのこだわりは、他人からは自己中と非難されそうだけど、納得(自己肯定)できればその人にとってプラス、そうでなければ1.のこだわりのようにぬかるみにはまってマイナス。一方で1.のこだわりは、常識とかマナー、社会通念、社会風俗といった自分が拠り所とする外的な価値観(建前?)に適合していない事象や人間が対象になっていることが多いかな。「自分は自分、人は人」でやり過ごせばいいのに、それができないから、ぬかるみにはまってしまう。「こだわり」もこだわり方しだいで人生にプラスにもなれば、マイナスにもなるということだけど、その決め手になるのは、自分の内と外にある価値観のどっちを基準とするか、ということになるのかな。

大ぶろしきに乗って夢を見る極楽とんぼ

6月20日。木曜日。目覚し起床の日。雨だ。ポーチの温度計は正午で15度。昼のニュースで、「春が長引いています」だって。でもまあ、明日の夏至で公式に「夏」が始まるんだから、公式には今日はまだ「春」でいいわけなんだけど、やっぱり「春が長引いている」という気分だな。

カレシを英語教室に送り出して、飛び込み仕事をひとつ。「お客さまのご指名」ということで担当を継続することにした会社の社内では訳したくない文書の仕事だけど、あちらさんはワタシのことを知らないはずだから、単に同じ人にやらせる方がセキュリティ上得策ということだろうと思う。でも、こういう2時間くらいでちゃちゃっとやっつけられる仕事は、気分的には楽ではあるけど、ちょこちょこと毎日送って来られたら出かけることもままならなくなるから困る。ま、ここはときどき程度だからいいけども。

アメリカの連邦準備委員会のバーナンキ議長が「そろそろ量的緩和を減らさんと」と言ったそうで、アメリカもカナダも株式市場がど~んと下がって、カナダドルはほぼ1セントそっくり下落。まあ、量的緩和というのは、中央銀行が市場にお金を注ぎ込んで、つまりは栄養失調児の経済にミルクを飲ませているようなもんだから、適当なところで「離乳」しないと、経済はいつまでも甘えっ子。市場経済を計画経済のように回そうというところに無理があるように思うけど。それでも、カナダドルが下がるのはちょっとうれしいな。アメリカドルで入ってくる翻訳料をカナダドルの口座に移すと手取りが増えるんだもの。もっとも、下がりすぎると、今度はカナダドル換算で申告する所得が増えてしまうから、あちらが立てばこちらが立たず。

終わった仕事をささっと納品して、「開店休業」に戻る。きのうArts Clubに月曜日が締切りの50周年記念アンケートの回答をポストに入れたとメールしておいたら、パルミーダから「楽しみにしている」とのメール。ぐずぐずしていて、期日が迫ったところであわてて生焼けのアイデアや考えをだらだらと書いて出したんだけど、どうなのかなあ。芸術監督サークルのイベントやパルミーダとのやり取りを通じて、これからボランティアとしてどんな風に劇団と関わって行きたいのかが、ぼんやりとだけど見えて来た気がする。

ワタシは永遠の劇作家志望だし、長いこと言語の意味を扱うビジネスで食べて来たし、英語を母語としない人口が大きな割合を占めるバンクーバーの言語環境が演劇界にどう影響するか理解しているつもりだから、「言語」とは無縁でない方面で関わることになるんじゃないかという気がする。まあ、言葉の壁がなくても、デジタル時代の娯楽は精神エネルギーの消費が少なくて済む受動的なものが多いから、観客に想像力を使って「参加」することを要求する舞台劇にとっては大きな脅威だと思う。

しかもバンクーバーはニューヨークやロンドンの足元にも及ばない田舎の舞台。でも、小さな舞台の火が消えて行ったら、やがてはニューヨークもロンドンも暗くなってしまうと思うな。でも、演劇には何千年もの歴史があるし、人種や民族を問わず、人類の「語る」というコミュニケーション本能を具現したものだから、まずはバンクーバーの火が消えないように、ワタシにできること(今のところは稼いだ「遊び資金」を注ぎ込むくらいだけど)をやって行きたい。そんなこんなで、今回はアーカイブを構築するプロジェクトに参加を志願した。何でもできそうなところから始めなきゃね。それにしてもまあ、人類がどうの、歴史がどうのと、極楽とんぼの夢は相も変わらず大ぶろしきだこと・・・。

お行儀の悪い花嫁さん

6月21日。金曜日。今日は夏至。公式に「夏、初日」。気温はまあまあだけど、あまりぱっとしない夏の始まり。でも、去年のちょうど今ごろも同じような天候だったらしく、台風一過で暑くなった東京から帰ってきたばかりで、2人して寒いっと文句を言っていた。地球温暖化、どうなったんだろう。もしかして、このあたりの気候は逆に寒冷化しているのかな。

今日は2人ともヒマする日。朝食後にゆっくりとピンカーの本を10ページほど読んでから、メディア巡回。月初めに北部で洪水があったお隣のアルバータ州で、今度は南部で豪雨による増水で、避難警告が間に合わないほどの急激な洪水。首相夫人の実家がある町も全域に避難命令が出され、水没するトラックから間一髪で脱出した青年と愛猫が濁流の中を泳いで救助された。ボウ川とエルボウ川が合流する百万都市カルガリーでもとうとう川が氾濫して、ホッケーアリーナの「サドルドーム」では10列目まで浸水したとか。高層ビルが林立するダウンタウンは道路が冠水して、まるでベニスのように見える。山の融雪が進むこの時期はよく洪水が起きるけど、アルバータのは北が高温、南が低温という気圧配置の「逆さま現象」が原因だそうで、ロッキー山脈のこっち側でもあちこちで避難命令が出ている。

自然の力にため息をつきながら、画面をスクロールして行ったら、はあ?という記事に遭遇。オンタリオ州ハミルトンで、友達カップルからもらった結婚祝いが気に入らなかった花嫁がプレゼントの主に文句を言い、メールでの口論に発展して、それが公になったもので、結婚式や贈物についてのエチケット論議が捲き起こっているという話。へえ。プレゼントがなかったとか、もらったプレゼントに不満だとか、プレゼントを張り込んだのにお返しがなかったとか、貧弱だったとか、この手の話は小町横町には前々からずらりとあるけど、いつのまにか太平洋のこっちにも漂着していたとは知らなかったな。

花嫁がグルメや「お遊び」の食材を詰めたバスケットの贈り主にレシートを要求し、「結婚祝いには(現金の入った)封筒を上げるものなのに、あんた達の食事に200ドルもかけて、もらったのがこれじゃ損したわ」とか、「結婚式は将来のための資金を作るもので、他人のご馳走するためのもんじゃないのよ。プレゼントなんて50年も前に廃れちゃってるのよ。ちょっとリサーチしたらどうなの。あんた達はすてきなところでステーキやチキンを食べて、お酒を飲んで、正確に言うと1人97ドルもかかったのよ。ま、30ドルのプレゼント、ありがとね」と。リサーチしろと「非常識」をなじられたカップルが花嫁と交わしたメールをフェイスブックや地元のメディアに投稿して読者の意見を求めたもので、あっという間に世界を駆け巡ってしまった、というのがことの顛末・・・。

大勢としては、マナーの悪い花嫁、エチケット違反という方へ流れているようだけど、贈物と見返りが「贈答」として一体になっている日本ならどうなっただろうな。小町横丁にはプレゼントの価値やお返しの有無、お返しの多寡に関して、もらえなかった、安物だった、少なかった等々という愚痴がけっこうある。日本では、入学、卒業、就職、成人、結婚、出産、定年退職、還暦に古希に喜寿に米寿に、葬式(死んだ後でも法要というのがある)、そしてお中元にお歳暮という「熨斗つき」の贈答が絡む行事の他に、家族や友達、恋人の間での誕生日、バレンタイン、クリスマスもあるけど、祝福や哀悼、感謝や親愛の気持を込めただけではダメなのなか。たとえば結婚式なら、式場のクラスからコストを推測して、それに見合ったご祝儀かモノじゃないと、ケチとか、常識がないとか思われるのかな。だったら、何のイベントであれ、それなりのお金を投じて、それに見合うお返しを期待しても欲張りにはならないのかな。

記事のアドバイスは「プレゼントをもらったら、きちんとお礼を言って受け取りなさい」というものだったけど、小町横町のしきたりでは「謝辞」などという形のないものだけではダメかもしれないな。だって、目に見える形がなければ、感謝のされ具合を測れないものね。プレゼントをするにしても、相手によってはそれなりに値段の張るものにしないと、「あたしってこれだけの価値しかないんだ」と心を折られてしまいそうで、難しい。どっちにしても、形のないものでは価値判断ができなくて不安なのかもしれないけど、世界中がモノやサービスの対価を示す「数字」で愛情の多寡や人の気持、はては存在価値まで量るようになったら、せち辛い世の中ではすまなくなるような、ちょっと怖いような・・・。

山は危ないからボディバッグ持参?

6月22日。土曜日。今日は「ご隠居さん」デイと決め込んで、のんびりと新聞サイトめぐり。お気に入りの「News」のフォルダに入っている新聞を上から順に読んで行く。ローカル新聞に始まって、(一応の)全国紙、Google News、欧米の新聞、英語版の日本のニュース、そして(時差の関係で)最後に日本の新聞・・・。

世界中が騒がしいときには、これだけで午後の時間が過ぎてしまう。(もっとも、この地球上の世界には騒がしくないときなんてないみたいだけど。)それで、いつもなら日本の新聞は社会、政治、経済で終わりなんだけど、今日は何しろ「ヒマをする」日。ずっと下までスクロールして行ったら、思わず、きゃはは~っ。

「何だよ、やぶらかぼうに。びっくりしてクリックするところを間違ったじゃないか」。だって、だって・・・。「何だよ、いったい」。だって、だって、ボディバッグがファッションになってるんだもん。「はあ?」ほら、腰につけるバッグとか、小さいバックパックとかあるでしょ?日本ではそういうのを「ボディバッグ」と呼んでるんだもん。それも、山登りや旅行にどうぞって・・・。(今度はカレシがきゃはは。)「英語、英語と言うわりには、they don’t have a clue, do they?(分かってないなあ)」

商品を見るとなるほどとわかるし、日本のファッション商品のカタカナ語ネーミングなんだからいいじゃないかと言ってしまえばそれまでなんだけど、はたして秀作と言っていいのかどうか・・・。

だって、「body bag」と言うと、実際にカタカナ語の「ボディバッグ」の意味にも使うことは使うけど、まずは戦争や大災害のときに収容した遺体を入れるビニール袋のことを思い浮かべるんじゃないかなあ。

「山に行くのに新しいボディバッグを買ったのよ~」なんて言われたら、ど~しよ~?

言葉は世相を映す鏡か

6月23日。日曜日。正午過ぎまでぐっすり眠って、ちょっとまだ寝足りないような気分で起床。天気はまあまあ。気温もまあまあ。ポーチの温度計は、午後4時過ぎに針が19度の目盛りからちょっとだけはみ出して、ほらっ、もうひと押しっ、がんばれっ、と熱い息を吹きかけてやりたいくらい。この週末はスーパームーンだけど、見えるかなあ。月の軌道が地球に最も近くなるのと満月が重なると、昇ってくるときに並の満月よりずっと大きくて、すごく明るく見える。今回を見逃すと来年の8月まで見られないというから、今夜は曇らないでほしいなあ。

アルバータ州の大洪水は今度はメディシンハットでボウ川下流のサウスサスカチュワン川が氾濫しそうになっている。市の中心部が冠水した石油産業の基地カルガリーではまだ何日かはマヒ状態が続くらしい。アイスホッケーのアリーナの中はまるで巨大な池。来シーズンの前哨戦が始まる9月までに復旧できるのかな。そんな中で、飼い主の青年と一緒に水没するトラックから脱出して、濁流の中を泳ぐメス猫のモモがインターネットのスターになっている。お先に失礼とばかりに水に飛び込んだそうで、尻尾を舵のように動かしてすいすい。猫は濡れるのが嫌いだと思っていたけど、モモはバスタブに水を張ってもらって泳ぐのが大好きという「ヘンな猫」。飼い主のお母さんによると「泳ぎは息子より速い」そうな。

ご隠居さんを決め込んで、小町横町の散策にでかけたら、『嫌いな言葉はありませんか?』というトピックがあった。ワタシは日本語を英語に訳すのが主な仕事なので、古語?から現代語、専門語から流行語まで、実にいろんな日本語に遭遇する。専門語はだいたいは訳語が決まっているからいいけど、ニュースレターやメディア記事、個人の作文など「普通の日本語」で書かれたものには手間取ることが多いな。「わからない」では済まされないから、いつも調べるのに大汗をかくけど、まあ、38年も日本語環境で生活して来なかったので、今どきの日本語がわからなくてもしかたがないと思う。(全体的に38年前の日本語とはずいぶん違ってい感じがする。)

「嫌い」というのはけっこう強い感情だけど、「イヤな言葉はあるか」と聞かれたら、あるあると答えるな。ワタシにだってイヤなものがあるし、好きになれないタイプの人間もいる。ただ、何にしても性に合わないからといって即座に「嫌いっ」と拒絶しないだけの話で、イヤだなあと思うものはいくらでもあって、言葉にしても然り。聞いてイヤだなあと感じる言葉や表現は日本語、英語を問わずたくさんある。日本語の場合はネガティブに感じられるものが多いかな。すでに定着している感があるヘンな「お上品言葉」もあまり好かないけど、使い手に対しては別に「嫌い」という感情はわいて来ない。だって、ワタシにとってはみんなネットですれ違うだけの顔のない不特定多数だから。

新しすぎるのか、遭遇する機会がないのか、ワタシにはさっぱりわからない言葉もあるけど、ざっと読んでみると、人間の感じ方は十人十色でおもしろいし、言葉や表現に「嫌い」と反応する(反感を持つ)聞き手の心理とそれを多用する使い手の心理の絡み合いもおもしろい。震災後にもてはやされた「絆」という言葉の空虚さや、「感動をありがとう」、「勇気を与える」、「させていただく」といった芸能人、スポーツ人が口にする言葉の白々しさを見抜いているし、「痛い」とか「惨め」、「残念」といった本来は自分の(負の)感情である言葉で他人を貶める風潮を憂い、カタカナ英語に置き換えることによる言葉の「軽薄化」を嘆いているのは、まともな言語感覚が健在だということかな。

言語は時代と共に変化するもので、流行り言葉や表現が時代の世相を反映しているとすれば、300本を超す書き込みに見る「嫌いな言葉」からは、「閉塞感」、「不安感」、「不信感」、「疎外感」といった重い空気が感じられるし、幼児化とも言えそうな「何でもちゃんづけ」は漠然とした不安に対処しようとする一種の「赤ちゃん返り現象」のようなもののように見える。カタカナ英語は今に始まったことではないけど、「リベンジ」は早々に廃れた方がいいな。日本語の「リベンジ」と英語の「revenge」は意味が違うから、英語を日本語の意味で使ったらエライことになりかねない。でもまあ、あくまでも日本語化して定着しているのなら、それでいいと思うけど。(英語にも意味が変わって定着した日本語があるし。)

目は口ほどに、口は心ほどにモノを言う

日曜日。せっかくよく寝て、何だかおもしろそうな夢を見ていたのに、カレシに起こされて、眠いよ、もうっ。小雨模様で、ポーチの気温は午後2時で16度。この調子だと20度まで届きそうにないな。日の出は午前5時8分(標準時にすると午前4時8分)、日の入りは午後9時21分(標準時で午後8時21分 )。1日の3分の2は昼間なのに・・・。

きのうのスーパームーンは見ごたえがあった。たしかにいつもより大きく見えて、輝いているといわんばかりの明るさ。キッチンの窓から月見をしながらの寝酒。だいぶ前にも書いた記憶があるけど、「嫁入り前の娘」の年頃にも関わらず天体観測に夢中だった頃、何を思ったのか広角レンズをつけて昇って来る満月に向け、視野を圧倒する月を見ているうちに、なぜかウォ~ッと叫びたい衝動に駆られたことがあったっけ。畏怖と言うのか、恐怖と言うのか、月の光に当たると気が狂うという伝説は嘘じゃないかもと思った瞬間だった。あのときの大きな満月もスーパームーンだったのかな。ワタシはやたらと「はぐれ遺伝子」を持っていそうだから、もしかしたら、アラスカの荒野で月に吼える狼の遺伝子も迷い込んでいるかもしれない、なあんて想像すると楽しいけど、これもスーパームーンの光のせい・・・?

ゆうべは眠りに落ちるまでの間、「嫌いな言葉」のトピックについてごちゃごちゃ書いていて、嫌いだという言葉に聞き手の話し手に対する心証が反映されているケースがかなりあったのをあれこれ考えているうちに、ピンカーが講演で「言葉の選択によって思っている以上に内心を暴露している」と言っていたのを思い出した。なるほど~と思ったところで眠ってしまったけど、改めて考えてみると言語心理学に踏み込むようでおもしろい。まあ、究極的にはそこに注目することによって人類共通の「普遍性」を求めようとしているんじゃないかという気もしないではない。ワタシって、何だって普通に生きるならそんなに奥深くまで考えなくてもよさそうなことをやたらと考えるように生まれついてしまったのかなあ。いったいどこの誰のどんな遺伝子をもらってしまったやら。

トピックの主が「ストレスの発散を」を呼びかけているせいか、たくさんの人たちが「嫌い」思う言葉を挙げている中で、言葉自体が嫌いというよりも、その言葉を使う「同僚/友人/家族」が嫌いなのかと思わせる書き込みがけっこうあった。小町によく上がって来る、キーボードやヒールの音、咳払いなど、他人の一挙手一投足にイライラするというトピックと同じコンテキストで、ある人に対して抱いている嫌悪感または反感を本人や周りに知られたくないか、ストレートに表現できない環境だから、その人が好んで使う言葉を「嫌い」と表明することによって自分の負の感情を転嫁しているような感じがあった。

それにしても、「嫌いな言葉」、いろいろとあるなあ。昔からある言葉の誤用・勘違いから来るものもあるけど、マニュアルの擬似ていねい語に始まって、たぶんほとんどの流行り言葉が網羅されているんじゃないかな。「生理的に無理」は人の鼻先でドアを閉めるような拒絶表現だと思うし、身内に対して「お願いする」のは変な卑屈さが感じられるし、モノに対して「○○してあげる」というのは滑稽でしかないし、「あなたのために」、「悪気はないから」、「悪いけど」、「みんなそうだから」は責任回避の枕詞かな。何とも生々しい「初マタ」には笑ってしまったけど、ちょっと品性がなさ過ぎるなあ。「シンママ」はちょっと軽すぎる感じだし、「働くママ」は選民意識のようなものが嫌われるのかな。前に仕事でお目にかかった号泣と激怒は今や「大号泣」と「大激怒」に発展しつつあるらしい。どうか「上司にミスを咎められて大号泣した」なんて書かないで・・・。

何度か「あなたがなんとなく生きた今日は昨日死んだ人の生きたかった明日」というのが挙げられていたけど、たぶん偉い人がその人の思いを込めて言ったのだと思うから、その人の言葉として聞いて「嫌い」という人はいないだろうな。嫌いと言う人は、その言葉を偉そうに引用する人たちが嫌いなんだろうと思うな。「こんな崇高な言葉を引用して無知な人を啓蒙する自分!」に陶酔している自称ヒューマニストが口にしそうなせりふだもの。たいていの人はそれぞれに毎日を真っ当に生きているのに、「あなたは死んだ人の日を生きているんだ」なんて、まるで人の人生を横取りしたと非難しているように聞こえる。偉い人にそう言われたのなら「さすが」と思うかもしれないけど、そうでなければ「あなたの○○はワタシが欲しかったのに手に入れられなかった○○なのよ」なんて言われているようで気色が悪い。まあ、こういう人はどこにでもいそうだから、「偽善者」として舞台の照明の中に立たせてみたら、悲劇になるのか、喜劇になるのか・・・。

その気になったときにはまじめに料理(6月17日~23日)

6月17日(月曜日)
* 夕食: 紅ザケの照り焼き風、牛肉とごぼうの混ぜご飯、さやいんげん(蒸)
* ランチ: たっぷりのニラ入りジョン

6月18日(火曜日)
* 夕食: おひょうのタイ風スパイス焼き、ミックスきのこのソテー、アスパラガス(蒸)
* ランチ: たらこソースのヴェルミチェリ

6月19日(水曜日)
* 夕食: ロックフィッシュのチーズ焼き、ほうれん草のリゾット、ミニ・ズッキーニ(蒸)
* ランチ: バミゴレン

ロックフィッシュにイタリアンスパイスを振り、削ったモッツァレラチーズをたっぷり載せて、さらにスパイスを振って、トースターオーブンでこんがり。ミニ・ズッキーニはワタシの人差し指くらいの太さで、「ベビーズッキーニ」として売っている。ベビーなのかミニなのかは不明・・・。

バミゴレンはインドネシアの焼きそば。スーパーで売っているオランダ製の袋入りソースの素を使う。今日は麺に太いビーフンを使って、冷凍の茹でえびとねぎをたっぷり。

6月20日(木曜日)
* 夕食: ひらめのカニもどきロール、アスパラガス入りクスクス、芽キャベツ(蒸)
* ランチ: カレシ特製のツナの丸パンサンドイッチ

仕事を終えたところで、カレシを英語教室夜の部に送り出すために特急で夕食の支度。それでも気分がすっきりしたのか、解凍したひらめを見てアイデア電球がポッ。

常備の塩ヨーグルトにレモンとコリアンダーとパン粉を加えて混ぜたものをひらめの上に伸ばし、カニもどきを2本ずつ置いてくるくる。さっとサラダ油を塗ってトースターオーブンで焼いている間に、クスクスを炊いて、さっとソテーしたアスパラガスの尻尾を混ぜ、芽キャベツを蒸して、できあがり。急いだわりにはけっこう見られるディナーとなった。味はもちろん?上々・・・。

久しぶりにカレシがツナ缶でサンドイッチを作ってくれた。Solidというぶつ切りのアルバコアまぐろの缶詰(シーチキンと呼ばれるあれ)を開けて身をほぐし、赤玉ねぎや隠し味(マヨネーズに塩ヨーグルトを混ぜているらしい)と混ぜたのをトーストした丸パンに挟む。ひと口食べて「ちょっと水っぽいな」。ぶつ切りよりは身の崩れたのをオイル漬けにしたchunkの方が味があるかもしれないな。この次のショッピングではchunkの缶を買っておくね。

6月21日(金曜日)
* 夕食: カキフライ、ししとうの素上げ、ミニズッキーニとパティパン(蒸)
* ランチ: タイのインスタント麺(ねぎ風味)

6月22日(土曜日)
* 夕食: 鶏肉のギョーザ、大豆もやしのナムル、八穀米ご飯。
* ランチ: ねぎとたけのこ入りインスタント焼きそば

豚のひき肉の代わりに鶏もものひき肉を使う我が家のギョーザ。台湾キャベツ、まずしょうが、にんにく7、8かけ、コチュジャン少々をフードプロセッサにかけ、ひき肉とごま油を加えてさらにガガーッ。最後にニラをたっぷりと入れてみじん切りになる程度にジャッジャッ。あまりたっぷりとニラを入れたので、出来上がった具は緑色。

今日は28個できたので、お代わりをお皿に出して残った8個をくっつかないようにアルミホイルの上に並べて冷凍。これはランチに食べるラーメンの具として取っておく。

6月23日(日曜日)
* 夕食: ポンパーノのライムジンジャー焼き、マダガスカルのピンク米、さやいんげん(蒸)
* ランチ: たこやき(冷凍)

ゴールデンポンパーノは丸っこくて、おちょぼ口に小さな目がポチッとついていている見た目がかわいい魚(日本名はマルコバンらしい)。アジアからの輸入もので、銀色の皮にはうろこがなくて、ヒレが黄色いのが特徴。ラベルに「生きたまま瞬間冷凍」と書いてあるので、自分で頭を取り、はらわたを取って3枚開きにする。骨も皮も硬めなので2種類の包丁を使い分けてのけっこう手間のかかる作業。今日は骨が親指に刺さって血が出てきてしまった。だけど、脂の乗った身はおいしい。ライムジュースと蜂蜜しょうがジュースにつけておいて、軽く粉をまぶしてムニエルにしたら、美味。うん、手間をかけるだけの価値はある。


2013年6月~その1

2013年06月10日 | 昔語り(2006~2013)
ただ今ハワイの日焼けを脱皮中

6月3日。午前4時50分、バンクーバー国際空港に着陸。東からアプローチする場合がほとんどなんだけど、今日は反対の西の方から。空港の東側は住宅地なので、24時間営業の空港とは言え、降りて来る飛行機に朝の5時前から頭の上をキ~ンと飛ばれたら迷惑ということで、たぶん市街地を避けて、海が広がる西から入ることになっているんだろうな。上空からは山並みの山頂にキラッと金色の一点が見えた。到着便は私たちだけだったので、入国管理はすいすい。荷物を預けていない私たちはそのまま出口へすいすい。タクシーで我が家に向かう途中で前方に目がくらむような黄金の日の出・・・。

帰宅は午前5時20分。とりあえず寝るのに必要なものをスーツケースから出して、歯を磨いて、顔を洗って、そのまま「おやすみなさ~い」。俗に「red-eye flight」と呼ばれる夜行便でホノルルを飛び立ったのはハワイ時間の日曜日午後8時25分(バンクーバー時間午後11時25分)。すやすや眠れる人もいるけど、たいていの人にとってはある意味で「徹夜便」みたいなもので、目的地に降り立つ頃には寝不足の目が真っ赤・・・。それで、レッドアイ(赤目)便というあだ名がついているわけだけど、普通に午前4時前後に就寝する私たちにとっては1時間かそこら「夜更かし」をしたようなもので、普通に正午過ぎまで眠った。

ホテルで8時過ぎに目を覚ましても、ハワイの時計が午前8時過ぎと言っているだけで、私たちの体内時計はバンクーバー時間で午前11時過ぎ。いつもの起床時間と変わらない。朝食もいつもと同じ(体内)時間。ランチと夕食の順序が入れ替わるけど、食べる時間はあまり変わらない。そして、真夜中過ぎの就寝はバンクーバー時間午前3時過ぎ。体内時計と現地時間の生活のリズムがうまく一致していたおかげで、2人とも時差ぼけにならずに済んだ。わずか1週間の旅行での時差ぼけはつらいもの。

ハワイはカウアイ島もホノルルも連日28度以上。いやあ、暑かったのなんのって、あたりまえの話だけどとにかく暑かった。でも、貿易風が吹き抜けているせいで、蒸し暑さがあまりないのはうれしいな。ただ、2、3日もすると、いつもいつも風が吹いているのが煩わしくなって来る。風だけじゃなくて、お日様マークを判で押したような「天気」が何日も続くのもだんだんうんざりして来る。時たま細かな霧のような「雨」がさ~っと降るけど、あんなの雨のうちに入らないと思うけどね。まっ、やっぱりワタシには、数日からっと晴れて、雨でひと息入れて、時にはいつまで何日も曇り空の下で暮らして・・・そういう変化のある気候の方が絶対的に楽だと思うな。どうやらワタシは、太陽が燦々と輝く「常夏の国」ではうつ病になってしまいそうな体質のなのかもしれない・・・。

そういう日に当たることに慣れいていないワタシなもので、最初に行ったカウアイ島では、ビーチに沿ってのんびりそぞろ歩きしていたら、両腕が速攻で日焼けして真っ赤っか。昔から冗談に「片側15分、ひっくり返して15分で、こんがり日焼け」と言っているけど、元々色白の妹が生まれたときに伯母がワタシを見て「この子は玄米だ」と評したという逸話があるくらい色白の美肌にほど遠いワタシのこと、強い日差しの下に出ると超特急で焼ける。(でも、ヒリヒリと痛くて悲鳴を上げるほどの焼け方はしないかな。)ま、それくらいメラニン色素があるんだったら、ちょっとくらいの日焼けで皮膚がんになる心配もあまりないかも。

カウアイ島でもホノルルでも、何かと小さなハプニングがあった1週間で、ちょっぴり疲れもしたけど、まあ、楽しかったな。写真を整理して、旅のエピソードを整理して、ぼちぼちと書きとめておくことにして、きのうからハワイみやげのこんがり日焼けが剥け始めて、ただ今ワタシは盛大に「脱皮中」・・・。

旅はホテルに着くまでがタイヘン

6月4日。火曜日。起床はごく普通の午前11時半。きのうの夜のうちにパンを焼いておいたので、普通に朝ごはん。朝帰り?したきのうは1日がかりで洗濯機を回すこと5回。今日は買い出しに行かないと野菜がない。ま、普通の日常か・・・。

ハワイに向けて出発したのは26日の午後。政府同士の取り決めで、アメリカ行きの便はアメリカの入国管理と通関の手続きをバンクーバーで済ませることになっていて、目的地についてから並んだりしなくてもいいのでけっこう便利。離陸後2時間ほどで夕食時間になるので、USターミナルの寿司屋で自前の「機内食」を調達。なにしろ機内で売ってくれる「食事」はまずいなんてもんじゃない。握り6個(ちょっと分厚いサケとまぐろ)と鉄火巻とかっぱ巻のパックを2個とサラダのパック1個、冷たいお茶のボトル2本。ふと横を見たら、客室乗務員の制服を着た人が寿司のパックを選んでいた。な~るほど、会社の食事がいかにまずいかを証明してくれているようなもんだなあ。あはは。

搭乗して、座席に落ち着いて、出発は定刻。いや、座席に落ち着いたのはワタシだけで、カレシはしきりにもぞもぞ、ごそごそ。カレシはいつも大きなスポーツバッグに持ち物を全部詰めて、それを上の荷物入れに格納せずに前の座席の下に押し込みたがる。で、シートベルトの表示が消えるやいなや、消音ヘッドフォンを出し、iPodを出し、ネットブックを出し・・・とにかく、狭いところでもぞもぞ、ごそごそ。gooが「飛行機で隣に座って欲しくない人」のランキングをやったら、「もぞもぞと動いてばかりいる人」は絶対にベスト3入りだよ、カレシ。

窓際の席に落ち着いたワタシはタブレットを出して、しばしゲームでひとり遊び。でも、カレシは狭いテーブルにネットブックと外付けドライブとミニマウスを広げているもので、ときどき肘がワタシのわき腹に当たる。そういうことが何度かあると、ワタシもだんだんイライラして来るんだえkど、文句を言っても消音ヘッドフォンをかけているカレシには聞こえないから始末が悪い。バケーションに出発したばかりなのに、もう微妙に険悪な空気になって来る。ま、いつものことなんだけど。でも、新型の座席らしく、何となく間隔が狭くなった感じがするし、座席の下のスペースも小さくなったようで、カレシもやっとのことで座席で使う小道具は小さいバッグにまとめて、大きいバッグは格納するのが効率的で快適であると悟ったらしく、帰りは2つに分けて持ち歩いていた。もう・・・。

ホノルル到着は午後6時過ぎで、ハワイアン航空のカウアイ島行きに乗り換え。わずか30分なので、おしゃべりをしているうちにリフエ空港に到着。ここでレンタカーを借りてホテルに行くはず・・・なんだけど、レンタカーのオフィスが移動したらしく、シャトルバスに乗せられてしまった。ええ?調べておいた道順が役に立たなくなっちゃったよ~。もう暗いし、これでは迷子になってしまうよ~。でも、しつこく道順を聞いて、そろそろと出発。何とか幹線の「カウムアリイ」ハイウェイに入ったはいいけど、6マイルくらい行って左折する「マルヒア」ロードがないまま10マイル地点まで行ってしまった。いくらなんでも行き過ぎだということで、レンタカー会社がくれたパンフの地図を見たら「520号線」がマルヒアロード。とりあえずUターンして戻ったら、道路標識には「520号線」としか書いてない。もうっ、グーグルに文句を言ってやるっ。

他に車が通らない暗い夜道をゆっくり走って、何とか「ポイプ」ロードに到達。コアケア・ホテルにたどり着いたのはもう午後10時過ぎ。玄関で車を止めたら、駐車係の人が飛んで来て「○○様ですね?」 ふむ、どうやら3泊分を前払いしてあるのにいつまでも現れないので心配してくれていたらしい。部屋に入って、ラナイ(ベランダ)に出たら、暗闇の向こうから波の音が聞こえて来た。ああ、ハワイだ~。

ハワイ日記-カウアイ島その1

6月5日。コアケア・ホテルは両側を2つの大きなホテルに挟まれて、オフィスとレストランのある建物の後ろ、ブールの周りに3階建ての客室棟を3つ配置したこじんまりしたところ。「最もロマンチックなホテル」とかに選ばれたことがあるというだけあって、子連れはほとんどいない。午後10時以降は「お静かに」タイムというルールがあって、ほんとに静かだった。私たちの部屋はEha棟3階の「海が一部見える」部屋。たしかに、朝起きてラナイに出たら、(端っこの部屋なので)外階段の向こうに海が見えた。

ホテルの客筋は、アメリカがメモリアルデイの三連休だったせいか、ほとんどアメリカ人。いやあ、でっかい人たちが多いなあ。人体ってあんなに「拡張」できるもんなんだと感心するくらいのスーパーサイズの人がぞろぞろ。最近ちょっとぽっちゃりになったなあと思っていたワタシなんぞ「やせっぽちのおチビ」に見えてしまう。おまけに、朝食にコンチネンタルのブッフェを注文したら、「朝食込みのプランですが、よろしいんですか」と不思議そうな顔をされた。ジュースとフルーツ、ヨーグルト、オートミールにクロワッサンにコーヒー。それでも普段の朝ごはんより多いんだけど、込みとなるとみんな張り切って盛大な朝ごはんを注文するのかな。それじゃあ「大幅拡張」になるよねえ・・・。

さっそくホテルの後ろにあるビーチに出てみた。休日とあって、サーフボードやウェークボードを持った若い人たちや、家族連れが大勢。リゾート地というのはこういう「抜けるような青空と燦々と輝く太陽と青い海とどこまでも広がる砂浜」を堪能しに来るところなんだろうな。ビーチに下りるにはサンダルが必要ということで、近くの小さなショッピングセンターに出かけて、それぞれビーチサンダルと帽子を調達。さっそく店の外で履き替えて、ホテルまでビーチを散歩。風に帽子を飛ばされて、あわてて引いていく波の中から取り戻したけど、ハワイの海は地中海ほどではなかったにしても、かなり生ぬるかった。

午後はみんなと同じようにごろごろするつもりだったけど、遠くから来て1日ごろごろなんてもったいないと思って、車を出してもらって、カウアイ島名物の「Spouting Horn」という、いわゆる潮吹き岩を見に行くことにした。ホテルで各観光名所への道順を書いたカードをたくさんもらったので、ラウンダバウトの出口さえ間違えなければドライブは簡単。標識を見てぱっとハワイ語の名前の道路を見つけるのはちょっと難しいけど、幹線以外は速度制限が25マイル(40キロ)とか35マイル(55キロ)と低速なので、目を凝らしていればあまり見落とすことはない。波が来るたびに潮を吹く穴とブオォ~ンと唸る大きな穴があって、みんな金網をめぐらしただけの「展望台」から身を乗り出すようにカメラを構えて、その瞬間をキャッチしようと必死。でも、デジカメはタイミングが外れるので難しい。

潮吹き岩の道路向かいにある植物園?に寄って、迷わずホテルに帰還。ランチには遅いけど、夕食には早すぎるから、プールサイドのバー(丸い建物)でちょっと一杯。(ホテルの中のバーはまだ開いていない。)メニューはいかにもプールサイド的なドリンクと軽食。バーのスツールによじ登って、心地よい風に吹かれながらフルーツ満載のカクテルを飲んで、おやつに生春巻きをほおばって、リゾート気分を味わった。

夕食はショッピングセンターまで歩いて、買い物に行ったときに目をつけておいたRoy’s。本拠はホノルルにある、ちょっとおしゃれなレストラン。アペタイザーのメニューに「アヒのポケ」があったので飛びついた。サーバーに「本場のポケ」が食べたかったのと言ったら、いろいろとポケの話をしてくれて、「たまに生きのいいサケが手に入ったときに作るんだ」と、自分の「サーモンのポケ」のレシピをコースターの裏に書いてくれた。

その日のお奨めは「モンチョン」という名の魚をマカダミアナッツのクラストをつけて焼いたもの。後で調べたら、ムーンフィッシュともいい、日本語では「シマガツオ」というらしい。見てくれはこんな不細工な魚らしいけど、しっとりした食感で、味にも癖がなくて実に美味・・・↓

う~ん、カウアイ島はのんびりしていて、いいね!

ハワイ日記-カウアイ島その2

カウアイ島での2度目の朝。あれ、曇り空かなと思うけど、すぐに燦々たる熱帯の日差し。前の日1日で両腕が真っ赤に日焼けしてしまった。元々浅黒い方だから、ヒリヒリするほどのものではないけど、剥けるなあという予感。またまた「少食」なコンチネンタル式の朝ごはんを心配された。「メニューからどんどん注文していいんですよ」と言われても、幅が1メートルもありそうなおじさん、おばさんの後姿を目の前に見せつけられるとねえ・・・。

短いカウアイ島滞在最後の日。1日がかりで反対側のノースショアまで遠出。観光の交通の便は良くないようで、観光バスもついぞ見かけなかった。レンタカーを借りて正解だったな。ホテルでもらった道案内を片手に、まずは「ワイルア滝」へ。ポイプ・ロードに出て、左折する代わりに右折。左折してアラキノイキバイパス。な~んだ、空港からの近道があったんだ。グーグルの道順はすごい遠回り。ほんとに怒るよ、グーグル。滝への道はくねくねとした山道を行く感じ。めったに他の車とすれ違わないので、「この道でいいのかなあ」と心配になっても、道を確認する人がいない。アイルランドの僻地ディングル半島を走ったときのことを思い出した。心配しいしい車を走らせて、目の前に開けたのが2本の真っ白な水流がなだれ落ちるワイルア滝。(なぜか人がたくさんいる・・・。)

人がたくさんいるのに途中で会わなかったのは、列を成して行くという時期ではないからかもしれない。元の道を辿ってクヒオハイウェイに戻って、今度はオパエカア滝を目指す。580号線(クアモオ・ロード)の途中に駐車場と展望台があって、遠くに滝を望む。(ちょっとズームインして、こんな感じ。)近くまで行くのは大変なハイキングになるらしい。わりと交通のある道路を渡って反対側の展望台からは、ワイルア川がゆったり流れる谷間の風景。白い平べったい船は「Fern Grotto(シダの洞窟)」へ行く観光船。

またクヒオハイウェイに戻って、一路ノースショアへ。途中の町でマーケットか何かのイベントがあったのか、のろのろ運転。急にスピードアップしたと思うと、車の影もまばらなクヒオハイウェイが延々と続いて、制限時速40マイル(65キロ)。30分以上も走ってやっと「キラウエア灯台」の標識が見えた。またぞろくねくねした道に入ってしばらく行くと、目の前に海が開ける。国立野生動物保護区なので、断崖に海鳥が巣を作り、華麗に舞っている。灯台は修復作業が進められているとかで、そばまで行くには車でさらに細い道を行って、入場料?を払って、歩かなければならない。でも、灯台のそばで育ったワタシからすれば、灯台というのは、広い空と海を背景にして岬の突端に凛と立っているのを、少し遠くから全体像として眺めるのが一番絵になると思うんだけどな。

クヒオハイウェイに戻って、そのまま一路ハナレイの町へ。途中にハナレイ川を渡る1車線きりの橋がある。大雨が降ると通行止めになるところだそうだけど、幸い天気はかんかん照りで、冷房をガンガンかけていないと蒸し焼きになりそう。橋のたもとまで来ると、大きな看板に「5~7台がローカルマナー」と書いてあった。つまり、自分の前に多くて7台くらいいたら自分は止まって、反対方向の車を5台~7台通し、向こう端で車が止まったら、自分が渡る番ということになる。見ていたら、みんなちゃんとマナーを守って、実にスムーズに流れが交代していた。

ハナレイが近づいて来て、なぜかついピーター、ポール&メアリーの『Puff the Magic Dragon』の歌を口ずさんでしまったけど、魔法のドラゴンのパフが住んでいたのは「Honah Lee」で、ここはHanalei。でも、どっちも英語的には「ハナリー」に聞こえるせいで、歌が出てきたんだろうな。鼻歌を歌いながら入って来たハナレイの町はいかにも観光地的で、みやげ屋やレストランがずらり。かっては映画のロケ地にもなったそうで、世界からサーファーが集まってくるという話だった。でも、私たちは遅いランチを食べるのが先決・・・。

ノースショアのハナレイから、サウスショアのポイプビーチまでは約1時間半のドライブ。ここで試しにタブレットのGPSをオンにして見たら、WiFiに接続していなくても機能することがわかった。画面の地図の上を進む青い三角矢印を追って、はい、次の分かれ道で右に入って、次の交差点で左に曲がって・・・と、ナビゲータの仕事は楽々。もっと早くに知っていたら、迷子にならずに済んだのになあ。途中で見えたおもしろい形の山・・・何に見えるかなあ。

これでカウアイ島でのバケーションは終わり。西側のワイメアキャニオンには行きそびれたけど、丸2日しか予定を取らなかったからしょうがない。景色はすばらしいし、のんびりさが大いに気に入ったから、また来ればいいよね。

ハワイ日記-ホノルルその1(ホテル騒動)

6月6日。5月29日にカウアイ島を後にして、会議の開催地ホノルルへ移動。リフエ空港はセキュリティが建物の入り口にあって、中に入ると空港というよりはちょっとした地方都市の「駅」のような感じがする。オープンで風が通るようにできているのは、冷房しなくてもいいようにするためかな。でも、誰でもひょいとどこからでも入れそうで、セキュリティ検査をやる意味があるのかな。

会議のオフィシャルホテルは「クィーン・カピオラニ」。ワイキキのホテル群の東端にあって、道路の向かい側はホノルル動物園。ワイキキの目抜き通り「カラカウア・アベニュー」はすぐそこ。ロビーに修学旅行らしい日本人の中学生の集団がたむろしていて、思わず「ん~?」と言う怪しい予感。会議参加者用の部屋数が足りなくなったのかどうか、私たちは頼みもしないのに「ジュニアスイート」とやらに格上げされてチェックイン。冷蔵庫と流しと電子レンジとトースターと食器類があって、自室で朝食や軽食を食べられる。だけど、だけど・・・。

何なんだ、この騒音は?ガーガー、ゴーゴー、ピーコピーコとひっきりなし。窓が冷房システムがなかった時代さながらのルーバー式だから、遮音効果はゼロ。いったい何十年アップグレードせずに来たんだろうな。とっくの昔に賞味期限が切れたままで戸棚に残っていた乾燥食品みたいなもんだな。腐ってはいないけど、とにかく古い。「ジュニアスイート」は高い部屋のはずなのに、バスルームは古めかしいし、トイレはすんなり流れない。会議の組織委員会は「格安」という理由で選んだんだろうけど、これから4泊するのに、だいじょうぶか、このホテル?

案の定、カレシが「こんなところで寝られるわけがない」と文句。実はカレシは前夜トイレに起きたときに何かにつまずいて転び、足の指を挫いて、朝には2番目の指が目に見えて脹れていた。そのせいで少々機嫌が悪いところへして、この騒音。部屋を変えてもらおうとフロントに談判しに行って、反対側の「安い部屋」は満杯だと言われ、重機の騒音は下水道工事のもので、5時には終わるとの説明に、「下水工事はホテルのせいじゃないもんな」と一応は納得。たしかに、ホテルの外のことはホテルの責任じゃないよね。夜間工事はやらないようだし、昼間は外へ出ているだろうから、まっ、いいか・・・。

ところが、夕方になって、今度は真下のラナイのステージでハワイアンダンスのショーが始まった。カレシはまたフロントへ直行。ショーは8時には終わるという説明で、その間に外に食事に出かけることで一応の解決。午後偵察に出かけて目をつけてあったイタリアンレストランに夕食にでかけた。人気スポットらしく、空席待ちの行列ができている。テーブルは25分待ちということで、私たちはバーのカウンターへ。食事に満足してホテルに戻ったらショーは終わっていた。おお、静かになった・・・と思ったら、部屋に据え付けられたクーラーが重機に負けず劣らずの騒音。薄いシーツ1枚を残してカバーを剥ぎ取り、クーラーを止めてやっと何とか浅いながらも眠りにつくことができた。

朝食はプールサイドのレストラン(ショーをやっていたところ)。特に安くもないコンチネンタル式のブッフェは、何これ?今どきの「機内食」並みにお粗末で、まずいよ、正直・・・。「こんなところにいたくない」と寝不足と足指の痛みでご機嫌斜めのカレシ。他のホテルに移りたいなら異存はないよと言ったけど、「お前がはっきり賛成しないなら移らない」とダダをこね始めた。異存はないと言ったのに。ははあ、他のホテルに移ったとして、そこもダメだったら決定者の責任を感じてしまうから、自分では決断したくないんだなあ。(まさに小町横町的思考・・・。)ああだこうだと言っているうちに2人ともけんか腰。27年前にもホノルルでけんかしたっけね。ホノルルは鬼門なのかな?

部屋に戻って、トイレにこもったカレシ。ワタシはタブレットをオンにして、近くにあるヒルトンの空室状況をチェック。(便利だね、タブレットって。)ビーチと反対側に標準タイプの部屋があって、1泊30ドルほど高くなるだけ。よ~し、決定だ。うじうじ考えてないで、行動しなきゃ何にも解決しないのだ。トイレから出て来たカレシを引っ張ってすぐにヒルトンへゴー。ビーチサンダル履きで、荷物を持っていない異人種カップルがいきなり「部屋、ありますか?」と聞くもので、フロントの人はうさん臭そうに「地元の方ですか?」 いやいや、観光客なんだけど、静かな部屋が欲しいとああちゃら、こうちゃら。

やっと「あります」という返事をもらって、カレシが「見せてもらっていいですか?」(やるじゃん、カレシ。)臨時のカードキーをもらって見に行ったのは18階のどん詰まりの部屋。ドアを開けたら、おおっ、静かだあ~。しかも、私たち好みの設備の部屋(ヒルトン標準仕様というところかな)。速攻でフロントに戻って、チェックイン。すぐ引っ越していいと言うので、元のホテルに戻って、フロントでチェックアウトする理由をああちゃら、こうちゃらと説明。ペナルティなしで残り3泊をキャンセルできることになり、大急ぎで荷物をまとめて、ヒルトンにお引越し。ああ、忙しい。ワイキキって、遊ぶところじゃなかったの?

ハワイ日記-ホノルルその2

ホノルル。金曜日の朝。静かな、静かな部屋でしっかり寝て、すっかりリフレッシュした気分で目が覚めた。カーテンを開けたら、あら、いかにも南国的な雨もよう・・・。

外を歩いていると、ときたま青空からさぁ~っと霧のような雨が通り過ぎて、むき出しの肌がちょっと濡れるけど、すぐに乾く。こういうのを通り雨という言うのかな。いつまでもしつこくしとしと降るバンクーバーの雨とは大違いの、あっけらかんとした雨。南国なんだなあ、やっぱり。ヒルトンの部屋から見えるのは山の斜面を登って行く住宅地。2つの高層ホテルがワイキキの眺望を遮っているけど、ビーチ方面からの騒音も遮ってくれているらしく、信じられないくらいの静けさ。年を取っての旅は、飛行機の座席の狭さは我慢できるとしても、快適に眠れるホテルは何にも代えがたい。

会議前の「自由時間」の最後の日は、ハナウマベイまで足を伸ばす計画だったけど、カレシの足指の腫れがひどくなって来たので、取りやめ。のんびり過ごすことにして、インターナショナルマーケットまでそぞろ歩き。買い物といっても派手なハワイアンドレス2枚と冷蔵庫につけるマグネットなど数品。クリスマスショップがあったので、「ご当地」のクリスマス飾りも2個。

でもやっぱり、私たちにはワイキキはつまらないかな。前の日は引越しの後でアラモアナ・センターまでタクシーで行ってみたけど、北米のショッピングセンターのひとつに変わりはなくて、ドラッグストアでカレシの足指の手当のために医療用テープを買い、フードコードの雑踏の中でテイクアウトのランチ(ポケとカルビのコンボはおいしかった!)。まあ、年次会議で同業の古だぬきたちと旧交を温めるのが目的で来たわけで、木曜日の夜はクライアント主催の会食、金曜日は恒例になった前夜祭パーティ、土曜日は宴会と、パーティ続き。こっちの方はめちゃくちゃ楽しいのひと言に尽きるから、いいか。

会議初日の土曜日は午前6時半に起床。緯度の低いホノルルではこの時刻でもまだあまり日が高くない。日の出の時刻を標準時で比べると、ホノルルとバンクーバーではなんと1時間40分も違う。昼間の長さはバンクーバーで16時間で、ホノルルは14時間以下。もっとも、常夏の国で16時間も日が照っていたら、焼け死んでしまうかもしれないな。ルームサービスの朝食が予約の7時に届いて、曇り空が晴れて行くのを見ながら、ゆったりと朝食。ハワイでは朝起きるといつも灰色っぽい雲が広がっているのに、朝ごはんが済む頃には抜けるような青空に真っ白な雲。どうしてそうなるのかなあ。

会議の会場はハワイ大学マノア校のキャンパスにあるハワイ移民国際会議場。歩いて行ける距離ではないので、タクシーで行く。まずは大きな会議場で開会式。基調講演はアメリカで初のアジア系州知事になった日系二世のジョージ・アリヨシ元ハワイ知事。今年87歳。きれいな白髪に凛とした風格。船員だった父親が上陸して船に戻らず、そのまま居ついた「不法移民」だった話はおもしろかったな。続いてサトウキビやパイナップル農園の労働者として移民して来た日系人の厳しい生活の口述証言を集めて記録している移民史の研究者が講演。写真花嫁として渡って来た一世の女性の証言は感動的だった。貧困の中で農場や工場で低賃金で働いて子供たちを育て、血のにじむような苦労の末に築いたアメリカでの老後を「Life is good(人生はいいものよ)」と。講演者はその言葉を3回繰り返した。人生はいいものよ。生きることはいいものよ。いい生活よ・・・涙が出そうになった。

初日の日程が終わって、タクシーの便が悪いので、ほとんどの参加者が会議場前のバス停から13番のバスでワイキキへ。わいわい、がやがやと、まるでスクールバスみたいな騒々しさ。ふと見上げたら、バスでやってはいけないことのポスターがあって、ありふれた「ダメ」の他に、なんと「うんこ・おしっこはダメ」(下段左から2つ目)とあったからびっくり仰天。マナーの問題も、ところ変われば何とやら・・・。

宴会はワイキキビーチにあるホノルル水族館でのガーデンパーティ。展示の魚を見て、広い芝生に出て、ワインを片手に、中華とハワイ料理のブッフェ。気持のいい風に吹かれて、あっちでおしゃべり、こっちでおしゃべりするうちに、空はハワイアンサンセット・・・。

アクシデントやら何やらとあった1週間だった、終わり良ければすべて良しということで、27年ぶりのハワイ旅行、けっこう楽しんだよね!

ハワイ日記-番外編(植物)

ハワイではいたるところに鮮やかな色の花が咲いていて、それがみんな大きいのは、さすが南国というところ。ハワイで撮った名前も知らない植物の写真の数々。あちこちを調べまくって、初めて知ったものもあるし、知ってはいたけど「へえ、こんな風になってるんだ~」と言うのも多いし、100%確信はないけど、「これかな~?」と言うものもある。あれこれまとめて順不同で・・・。

[写真] 足元に巨大な(は少々大げさかもしれないけど)口を開けていたブロメリア。室内での鉢植え観葉植物として見慣れて来たけど、こんな大きいのはの中には置けないな。
[写真] カウアイ島のホテルの玄関横に咲いていたジンジャー。普通の生姜の木なんだそうで、島のあちこちに当たり前のように咲いていた。
[写真] まだ熟していないパパイヤが鈴なり・・・。
[写真] こっちはマンゴーが鈴なり・・・。
[写真] Spouting Hornの展望台のみやげもの屋の外にあったマンゴスティンの木。
[写真] 同じ展望台の駐車場の端にあった木。どうやらマカダミアナッツの木のようだけど・・・。
[写真] 椰子の木のようでもあるけど、椰子の実には見えない不思議なもの。「ハラ」という名前の実だそうな。
[写真] これまた不思議な形の実。「ノニ」といって、何か薬効があるという話だった。
[写真] 鳥の巣でヒナがいっせいに口をあけてコーラスをしているようで、ちょっとユーモラス。何だろうな、これ。ククイナッツの抜け殻だという人もいるけど、はて・・・。
[写真] みごとに真っ赤な花。ロイヤルポインシアナというらしい。南国の情熱の炎かな?
[写真] ハワイ移民国際会議場の日本庭園の隅にあった竹。Golden striped bambooという札があったけど、日本名はキンシダケというのかな。筍は濃い緑色・・・。
[写真] ピカケの花・・・だと思う。
[写真] ホノルルの大きなホテルの庭にあった樹齢100年余りの巨大なバニヤンツリーの幹をよく見てみると・・・。
[写真] ハワイの州花ハイビスカス。こんな大きいのを髪に飾ったら、アスコット競馬の貴婦人の帽子のようかも。       


2013年5月~その2

2013年05月30日 | 昔語り(2006~2013)
1年後の今はもっと幸せ

5月16日。木曜日。首が痛くて、頭痛がして、目が覚めたら、まだ午前7時。「痛いの、痛いの、飛んで行け」の心境で、ひたすら目をつぶっていたら、どうやら何とか眠りに戻れたらしい。午前11時半の目覚ましで起床。頭痛はほとんど消えていた。

英語教室午後の部にでかけるカレシを送り出して、ゆうべどんとまとめて送られてきた校正担当者からの質問に回答する。何しろ、日本にしかない諸制度の細々とした決まりを訳そうということで、「文化や制度習慣の違い」としか言えないものが多いけど、この場合はそれでは回答にならないから悶々・・・。

終わったところで、gooのメールボックスにかなり貯まっていた「1年前の記事」のお知らせメールの処理。何だか1年前の今頃もやたらと神経の疲れる仕事につかまってカリカリしていたような感じ。その中で、ワタシとカレシの実質的な結婚記念日である「5月12日。」の記事は、読み返してみて、アップした写真を見て、なんだかまたまた目がうるうる・・・。[記事リンク]

お父さん子の甘ったれで、幼いときはいつも父におんぶしてもらっていたらしいワタシにとっては、父の背は原風景の中でも特別な存在で、今でも父の背の匂いが鼻の奥に記憶されているように思う。あの匂い、あの感触はまさに「安心感」そのものだったんだろうな。よく病気をしたし、ほんとに手の焼けるヘンな子だったと思う。小学校2年生の時に全校での読書力検査と知能検査があって職員室が大騒ぎになるようなスコアだったという話を聞いたことがあるから、何となくアスペっぽい子だったのかな。それで、よく学校でひと悶着を起こして先生を困らせたのかもしれない。(小学校ではほんとにいい先生に恵まれた。)中学2年で生まれ育った土地を離れてからは、(思春期でもあったけど)どこへ行っても居心地が悪い感じで、学校が大嫌いなのに「できるのになぜやらないのか」と言われ続けたな。(不登校にならなかったのが不思議。まあ、ぐうたらなところがあるのも確かだけど、英語だけは楽しかったな。)

今年の38周年の記念日は脳みそが焦げそうな仕事をやっているうちに過ぎてしまった。27歳で日本を離れて、カナダで38年。そうか、今年はカナダ国籍になってからの年数が日本国籍だった年数より1年長くなるのか。ワタシには、カナダの社会や制度は優しかった。あの、転校してからの居心地の悪さは、海を隔てたカナダでは感じたことがない。子供はできなかったけど、包容力のある家族に恵まれた。学歴はないけど、天職と言えそうな仕事にも恵まれて、持っているものを目一杯に活用して満足できるキャリアを築くことができた。おかげで、老後の不安もない。去年と同じくやっぱり「今が幸せ」。いや、今月から年金受給が始まって、もう自分の経済基盤を確保するという人生の肩の荷が下りたようなもんだから、今年の「今」は去年よりずっと幸せだと思う。

少しずつ仕事を離れるにつれて、意図しなくても日本語が遠くなっていくかもしれない。完全に翻訳の仕事を離れたら、いつかは日本語を忘れてしまうかもれないな。まあ、ワタシはカナダ人としてカナダで死ぬんだから、それでも不都合はないと思う。だって、ワタシの日本語は38年前の日本語のままだから、ワタシが38年後の今の日本語を「わからなくなって来た」と感じるように、それが40年前、50年前のものになる頃には、もう日本の人たちに通じないバージョンになっているかもしれないもの。

山も谷も、雨も嵐もあって、辛い時もたくさんあったけど、それでもだんだんに良くなって来て、最後には「幸せだった」といって死ねたら本望というところかなあ。

健康のために、歩きながら読書

5月17日。金曜日。起床は正午ぎりぎり。何となく湿っぽい天気で、ちょっとばかり肌寒い。真夏のような天気が続いたのは先々週だったっけ?明日からヴィクトリア・デイの三連休。非公式に「夏解禁」の週末ということになっていて、園芸センターが大賑わいするんだけど、この分だとどうなるかな。

カレシは午後2時半に歯医者の予約。2日くらい奥歯がすごく痛んだときがあったので、診てもらうことにしたそうな。へえ、歯が痛いとか何とか文句を言って、ワタシに歯医者に行ったらと言われる前にさっさと予約を入れたのかあ。どうりで雨が降るはず・・・?ま、いってらっしゃ~い。

今日の郵便の中にワタシのカナダ年金(厚生年金)の金額の通知が入っていた。もうひとつの老齢年金と合わせるとまあまあの金額で、掛け金の払い込みを停止した後で最終的に調整されると書いてあった。実質的には先月で年金掛け金の払い込みは停止したわけだけど、自営業の場合は4月に所得税申告のときに1年分をまとめて払うので、そのときに停止時期を申告することになる。つまりは、今年4ヵ月分の掛け金を勘案して調整した金額になるのは来年の夏くらいか。たぶんそのときに1年分の調整差額を払ってくれるんだと思う。でもまあ、こうして通知を見ていると、いよいよ「pensioner(年金生活者)」になるんだなという感慨みたいなものがわいて来ないでもない。

今日の郵便のもうひとつは最近購読し始めたThe New Yorker。活字満載で読むのに1週間かかるけど、さすがという感じ。今日来た号には、トレッドミルをデスクと組み合わせて、歩きながら仕事をする「デスクトレッドミル」と言いう奇抜な発想の記事があった。有名なメイヨクリニックに勤務する医者が考案したんだそうで、大汗をかいてがんがん走るような激しい運動をするよりは、できるだけ立って歩き回っている方が健康保持のためにずっと効果的ということだった。アメリカではすでに専用にデザインしたトレッドミルを製造販売しているメーカーがいくつかあるそうで、グーグルなどの大企業で採用されて、希望する社員に支給しているというからすごい。

デスクトレッドミルは、客に仕事の電話をしていて息切れしたりしないように、PCのキーを打ったり、字を書いたりしやすいように、時速約2キロ前後のスピードでゆっくり歩くようにできているという。記事の著者は「一番の問題は、電話していてつい、今トレッドミルで歩きながら仕事をしているの~と言いたくなること」と書いている。携帯電話が登場したときにも、用もないのに誰かに電話しては「今、携帯電話からかけてるんだ~」と言っていたのと似たような心理だな。でも、欧米には昔から立ったままで使うデスクがあって、IKEAなどでも売っているそうだし、人間の体にとっては、一点で立ちっぱなしというのも問題だろうけど、座りっぱなしでいるのは有害でしかなく、歩いている(動いている)のが自然だということかな。(おとなしく座っている子よりも。うろちょろする子の方が将来的に健康ってこと?ま、親も後追いして動かざるを得ないだろうから一石二鳥か。)このデスクトレッドミル、何だかおもしろそうだから、いつか試してみたいな。

実は、傷めたふくらはぎも回復したので、きのうから当分はトレッドミルに乗っても走るのも超早足で歩くのもやめて、時速5キロ半くらいの楽々ペースで15分ほど歩くことにした。そのスピードでデッキの勾配を2%くらいに上げてみたら、かなりの汗をかいたけど、膝や股関節にはあまり負担を感じなかったし、脈拍もちょうどいいレベルまで上がったもので、ま、美容体操しているわけじゃないんだから、まだ若いつもりでがんがん走ることもなかろうとの結論に達したところだった。そこで、立ち上がって記事を読みながらキッチン中を歩き回ってみたら、うん、これがけっこういい感じ・・・。

まあ、一定の場所で固定された道具を使って仕事をする必要があるから「デスク」トレッドミルなんで、歩き回りながらでもできることであれば、トレッドミルがなくてもいいわけだな。歩きながら、こうやって読書ができるし、タブレットで新聞を読むこともできる。読みながら歩いていてものに躓かないように気をつける必要があるけど、そこはごたごたあるものをちょっと片付けてすっきりさせれば問題なし。ついでに整理整頓の習慣も身に付くかもしれないな(と、希望的観測・・・)。それでトレッドミルで歩くのと似たような効果があるんだったら、これからは家中をうろうろ歩き回りながら読書することにしようかなあ。はて、どこかにそういう銅像があったような・・・。

セントへレンズだ噴火から33年

5月18日。土曜日。何となく明るいけど、ほんとは雨を降らせたいんだか、晴れたいんだかわからない空もよう。

今日5月18日はお隣のアメリカ、ワシントン州でセントへレンズ山が大噴火して満33年。もうそんなになるのか。やっぱり年月の経つのはけっこう早い。あの日は日曜日だった。前日に6ヵ月住んだヴィクトリアからバンクーバーに戻って来て、引越し荷物に囲まれて朝食を食べていたな。噴火の音が聞こえたとは思わないけど、耳の奥に何となく妙な風圧のようなものを感じたのを覚えている。食後にラジオのニュースでもうすぐ危ないと言われていたセントへレンズがついに噴火したことを知った。翌朝にはタウンハウスのパティオが灰でうっすらと白くなっていたのを覚えている。

セントへレズの北斜面を眺望する場所の観測点にいたアメリカ地質調査局の若い火山学者デイヴィッド・ジョンストンは、「This is it!(ついに来た!)」と噴火の瞬間を伝えた数秒後に火砕流に直撃されて遭難死した。今、セントへレンズに近い火山観測所には彼の名前がついている。あの日からテレビには想像を絶する映像が何日も何日も流れた。雪を被った姿かたちが自慢だった山は、北斜面が一気に崩落して、400メートルも低い惨憺たる姿になってしまった。湖の辺の山小屋に住んでいたハリー・トルーマンというおじいちゃんは頑として避難を拒否して、愛する山で火山灰に埋もれて死んだ。火山噴火がどんなものかを知らない故に、「その瞬間」を見ようと警告を無視して山に入って行って、火山灰や泥流に埋もれて死んだ人たちもいた。降り注ぐ熱い火山灰の中を逃げる過程をテープやビデオの記録に残して死んだ人たちもいた。

でも、早くから立入りを制限したり、その他いろいろな要素があるんだろうけど、あれほどの山体崩壊を伴った火山噴火で死者が57人だったというのは奇跡に近かったと思う。数年前、ラスベガスからの帰りにセントへレンズの真上を飛んだことがあって、噴火でできたクレーターの大きさを空から見て、改めて火山の威力というものがわかった。セントへレンズは北のシアトルから150キロ、南のオレゴン州ポートランドからは100キロに満たないところにある。半径100キロ以内には、日本人移民が「タコマ富士」と名づけたレーニア山(4392メートル)や、「オレゴン富士」と名づけたフッド山(3429メートル)があるし、ときどき我が家の二階の窓からちらっと見えるベーカー山(3286メートル)は国境のすぐ南にあって、いずれも噴火したら巨大災害を引き起こすと言われている。

いずれも富士山級の山で、同じような構造の成層火山。富士山も東京首都圏から約100キロだし、この3つの火山も規模は違うけど大都市圏から近い。もしもベーカー山が噴火したら、風向きによってはわずか80キロしか離れていないバンクーバーにも大量の灰が降るだろうし、郊外に広がる農業地帯は壊滅的な被害を受けるだろうな。もしもそんなことになったら経済的な打撃もすごいことになる。小学生の頃に雌阿寒岳が噴火したことがあったけど、釧路市内で灰が降ったかどうかは覚えていない。ワタシの原風景の中では、遠い地平線でいつも煙がたなびいていたという記憶しかなかったから、セントへレンズを上空から見下ろすまでは、別に怖いものという認識はなかったと思う。

予想を超えた大噴火から33年経った今、厚く火山灰や泥流に覆われていたセントへレンズの山腹にも、なぎ倒された木々の間から芽が吹き出し、新世代の若い森林が広がっているというから、生命のパワーはすごい。自然はちょっとやそっとのことでは簡単にへこたれないんだな。自然には底知れない破壊力と同時に、人間とは比べるべくもないくらいの強靭な回復力を持っているんだと思う。その破壊力と復元力への畏怖から、人間の心に「見えざる大きな力」への信仰心が生まれて来るんだろうと思うけど、近代世界の人間はいつからその素朴な信仰心を無くして、「見えざる力」を侮り、自分の支配力を過信して、果ては競い合うような生きものになったんだろう。だから母なる自然が怒っているのかな・・・。

宝くじで大金が当たったら

5月19日。当選者が出ないまま賞金がどんどん膨れ上がって、とうとう何と6億ドル(600億円)にもなってアメリカ中が熱狂していた大型ロト「パワーボール」。どうやらフロリダ州の小さな町で当選が出たらしい。何と1億7500万分の1の確率だそうで、当選チケットは1枚だけというから、600億円独り占めかあ。まあ、600億円を丸々もらえるわけじゃないけど、それでもすごい金額・・・。

「600億円当たったら、どうする?」と、一度も宝くじを買ったことがないカレシ。
う~ん、気絶するなあ、まず・・・。
「自家用ジェット旅客機が買えるらしいけど、宝くじが当たったら買う?」
買わな~い。それよりもファーストクラスの座席をぜ~んぶ買い占めちゃうか、チャーターする。バーやシャワーがついているやつね。
「それじゃあ、明日行こうと思い立っても無理だよ。ふつうにファーストクラスのチケットを買うのが一番楽だと思うよ」。
あはは、何だか庶民的・・・。

大企業の決算書類なんかでけっこう見慣れている桁の数字だけど、いきなり600億円なんてお金がどんと入って来ても、想像力たくましいワタシでさえどうしていいかわからないだろうな。ぜいたくは好きな方だけど、自分の好みに合わないぜいたくはしてもつまんないから、使い道に困るかもしれない。あちこちに寄付はするだろうけど、恩恵を施したくないところにはしないかな。でも、寄付お願いの電話が昼夜かまわずかかって来るだろうな。いるとは知らなかった親戚が続々と名乗り出てくるかもしれないな。あんまり途方もない金額で、怖いような気もするし・・・。

去年だったか、アメリカで宝くじが大当たりした直後にぽっくり死んだ人がいて、毒殺されたんじゃないかということになって、遺体を掘り起こして調べる騒ぎがあったし、カナダでは何年か前に、賞金の受取り期限ぎりぎりに名乗り出たはいいけど、半年前に離婚した奥さんが婚姻中に当たった賞金だから半分もらう権利があると名乗り出て、独り占めするために、当選を内緒にして離婚したことがばれた男がいた。ついでに、同棲していたという不倫相手にまで分け前を要求されて、お金、たかがお金、されどお金・・・。

「ねえ、キミはまだ6/49を買ってるの?」
うん、1組だけ。何ヵ月分かお金を預けといて、当たったら知らせてねってシステムで。
「でもさあ、宝くじって、むだだと思うけどなあ。ま、もしも当たったらどうするか想像して楽しむところに価値があるんだろうけどさ」。
そうねえ。絶対に当たらないとわかっていたら買わないな。でも、買わなきゃ、当たる確率は絶対にゼロだからねえ・・・。

カナダのロト「6/49」はワタシの唯一の賭け事。水曜日のロトの賞金は7億円になっている。はて、もしうっかり当たったらどうする?

義理ママの96歳の誕生日

5月20日。月曜日。咳が出て良く眠れなかった。どうも、いつか忘れたくらい昔にかかったひどい風邪の後遺症というのか、慢性の副鼻腔炎が残ったらしく、めったに鼻をかむ必要がないワタシだけど、寝ているときは鼻水が喉の方に流れて、その刺激で咳が出る。まあ、いつもベッド脇に用意しておく水を飲んで、しばらく咳き込んでいたら、治まって眠りに戻ったようだけど、何とかしないとダメかな。

起きてみたら、おお、いい天気。三連休最終日の今日はビクトリアデイの祝日。ビクトリアはもちろんビクトリア女王のこと。今年はうまい具合にママの96歳の誕生日と重なった。予告をしてあったので、トラックでおでかけ。ハイウェイを飛ばして約1時間。カレシが3時頃には着きたいというので、迷子にならなければの話、と釘を刺しておいた。何しろ、カレシの運転はちょっと込んでいると言っては、衝動的に横道に反れる癖がある。でも、街中の道路と違って、郊外のは横道に入ったらそれっきり軌道を外れた人工衛星みたいなことになるから困る。それでも、今日はまじめにハイウェイに入って、車線変更の標識を見逃さないように気をつけて、何とか迷子にならずにメープルリッジに到着。

ママの部屋にはジムとガールフレンドのドナ、前妻のマリルーとパートナーのロバートが来ていて、ほどなくしてジムとマリルーの娘夫婦のセーラとロブが子供たちを連れてやって来たもので、小さなアパートは4世代が集まって満員御礼。ママには孫娘にあたるセーラはワタシがカナダに来て3週間くらい後に生まれたので、もうすぐ38歳になる。日本的に言うとアラフォーだな。アメリカの不況とカナダドル高の最中でもジムから引き継いだ会社をしっかり守っているから偉い。でも、細面の顔にはさすがに年が現れているような。ママにはひ孫に当たる息子のエイダンは9月から6年生、娘のアナベルは4年生。イケメンのパパによく似て2人ともルックスは抜群にいい。

100歳のお祝いの話をしていたら、ママが亡きパパの母方の家系図と思い出話をまとめたファイルを見せてくれた。カレシの曽祖父母のヘンリーとメアリーのエヴリット夫妻の結婚100年を記念してもう20年近く前にエドモントンに住む子孫が作ったものだそうな。カレシの祖母のローズは8人兄弟姉妹の7番目。15歳で結婚して男児をもうけ、17歳で未亡人になり、18歳でカレシの祖父と結婚して2人の息子をもうけ、30歳そこそこでまたもや未亡人になり、バンクーバーに移って極貧の中で息子を育て、40代後半になって長年の居候と3度目の結婚をしたけど、数年でまたまた未亡人。ほとほと男運のない人だったようだけど、どうやら金銭感覚も常識もないに等しく、生活もかなりめちゃくちゃだったらしい。「でも料理はうまかった」と、カレシ。子供が8人となると、子孫の数も相当なもの。家系図を辿ってみたら、カレシの名前の横にワタシの元の名前が並んでいて、「1976年結婚」と記してあった。

大人はロブが持って来たビールを飲みながら、ぺちゃくちゃとおしゃべり。何しろ、話題が2つも3つも同時進行するもので、ほんとににぎやかったらない。みんなでケーキを食べて、またひとしきりおしゃべりをして、おいとまは5時。途中のモールのセーフウェイに寄って、遅くなった夕食用に電子レンジて温めるだけのローストビーフと野菜少々、コーヒーを買い、帰り道も横道に反れずにすんなりと帰宅。久しぶりに家族が集まってぺちゃくちゃ、がやがやと、今日はほんとに楽しかった~。

タブレットは新しいおもちゃ

5月21日。火曜日。よく眠って、午前11時半に起床。今日は何だか寒い。小雨もようのせいかな。ポーチの温度は正午でやっと10度。寒い~。

寒いからどこにも行かないことにして、仕事もないことだし、今日は大まじめにタブレットの使い方のお勉強(というか、徹底していじりまくる)。

初めてコンピュータを買ったのが、まだDOSを使っていた時代の1987年。1990年に自営業になってからは、PCとマックを並行して使って来て、やっとマックをお払い箱にできたのが1998年。それからは、ラップトップやノートも買ったけど、ずっとウィンドウズのデスクトップ1本でやって来た。コンピュータ歴26年。そこへ現れたのが、ワタシの65歳の誕生日にカレシにプレゼントされたタブレット・・・。

サムスンのGALAXY Note 10.1という、手になじむ大きさと重さ。でも、スイッチを入れてびっくり。タッチスクリーンはPCで使い慣れているけど、それ以外は何から何まで勝手がぜ~んぜん違うぅ~っ!インターネットやカメラはあちこちいじっているうちに何となく使えるようになった。仕事の合間にPCでダウンロードしたマニュアルを読んでいたら、少しずつ要領がわかって来た。キカイには強い方だと思っていたのに、寄る年波ってやつかなあ。でも、午後いっぱいあちこちをいじくり回したおかげで、かなり進歩したかな。

☆フライトモードをオン/オフにできるようになった。
☆ブックマークをテーマごとのフォルダに整理できた。
☆gメールを使えるようになった。
☆S Noteの使い方がわかって来た。
☆The New Yorkerの電子版に登録できた。
☆プロジェクトグーテンベルク(Project Gutenberg)のサイトから気に入った本を見つけて、オフラインで読めるようにできた。(保存の方法はまだ・・・。)
☆Google Playで「無料」の本をゲットできた。

元々新聞や本を読むのとメールが狙いだったので、ここまで来たら目的はかなり達成したと言えるかな。後は、Polaris OfficeというMS Officeに似たアプリケーションの使い方をマスターしたところで80%くらい。日本語表示はできても、入力用のアプリが付いていないので日本語は入力できない。(どうしてだろうね。)まあ、日本語のメールを送れない程度の不便だし、アプリがあるらしいから、そのうちに、そのうちに・・・。

それでも、新しいおもちゃをいじっていると、何だか子供に返ったようで、好奇心の赴くまま、時間の経つのも忘れてしまうなあ。

情報も使い捨ての時代?

5月22日。水曜日。今日もやけに肌寒い。平年より5度くらいは低いかもしれない。午前11時50分の目覚ましで起床。1時近くなってシーラとヴァルが掃除に来た。どうやらこの2人、ちょっとしたけんか状態にあるらしい。だいたいは何となく元の鞘に収まるんだけど、2人とも「頑固ばあさん」なもので、袂を分かって別々に仕事をしていたときもある。ワタシは2人の顔を見て「ああら、またなのぉ?」 2人とも何となくばつの悪そうな顔だったから、まっ、この次に来る頃には仲直りしているだろうな。

2人が黙々と?掃除をしている間に、ひとっ走り保険屋に行って、旅行保険をかけた。アメリカで万が一病気や怪我をしたら優雅な老後どころじゃなくなるもの。ついでに、レンタカーの保険はクレジットカードと州の自動車保険でカバーされていることを確認して、ひと安心。レンタカー会社の保険はぼったくりもいいところだから。後は、明日ワタシが銀行へ行って当座のアメリカドルを引き出して来れば、残る準備は持って行く物を集めて、荷物をまとめるだけ。今日はカナダドルの対米ドルレートがぐっと下がったけど、アメリカドルで入ってきたのをそのままアメリカで使うので、為替差損はなし。まあ、丸々3日しか残っていないから、急かされるような気分。旅行の前ってのは目的が何であっても、何となくストレスを感じる。

新規の仕事は帰って来るまでないと見込んで、ひねもすタブレットでお遊び。何とか使えると思えるところまで来たようなので、サムスンとグーグルのアプリストアを覗いてみた。へえ、あるもんだなあ。有料、無料のが、ものすごい数。ゲームは当然「うわ~あるある」という感じだけど、「これ、何をするの?」と首を傾げるようなものずいぶんある。それでも、お試しのつもりでサムスンにアカウントを作って、PCで遊びなれているソリテアとマージャンの無料アプリをダウンロードした。Google Playでは本をもう1冊(ジョン・バカンの『39階段』。ちなみに、バカンはイギリス貴族で、カナダ総督だったことがある)。

後は、予めインストールされて来たアプリを開いては「見学ツアー」。まあ、アプリの大半は使い道も興味もないので非表示にしてしまったけど、どれを見てもPCには当たり前にある保存機能が見つからない。まあ、ファイルを開いたり、保存したり、なんてのはこてこてのウィンドウズ思考なのかもしれないな。まあ、SDカードに保存できるらしいけど、別に買ったUSBコネクタを使えばUSBメモリーに保存できるのかな。ドロップボックスというアプリがついて来ているけど、何だか自分のものをそこら辺に置いてある箱にポイっと入れるような感じで、ちょっとなじめない。だけど、どれを見てもメニューには簡単に「保存」する手段がないのは、ドロップボックスのお試し版を使わせておいて、いずれはサービスを売ることになっているからかな?なるほど、ITの世界はそういう方へ進んでいるのか・・・。

でも、あれこれといじり回していて、ふと思った。タブレットは(スマホもだろうけど)元から情報を「保存」することを考えて作られたものではないのだ、と。つまりは、情報を一時的に取り込んで「見る」ために作られたものなんだろうな。その時々の「最新情報」を見たり、聞いたり、共有できればそれでいいんだろうな。なるほど、情報も使い捨ての時代になって来たのかもしれないな。使い捨てなんだから、深く考えさせるようなものはめんどうくさい。手軽に使えるものの方がいい。このままだと人間の思考パターンも変わって来るかもしれないな。これから10年先、20年先の地球人は物事をどんな風に考えて、どんな風に互いに伝達するのか?未来はSF小説の世界のようになるのかなあ。そういえば、ブラッドベリーが1950年代に書いた『華氏451度』には、タブレットの原型のような道具が出てきたっけ・・・。

銀行のスマイル攻め作戦?

5月23日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。今日はやや明るい空模様。出かける日は雨が降っていない方がいいな。でも、もう5月も末だというのに、まだ薄いジャケットがいるのはどうしてなんだ?

カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは空調会社に電話。(たぶんかなり前から)甲高い鳥のさえずりのような音が聞こえるようになって、先週点検整備をしてもらったばかりの換気装置がまた「さえずり」始めた。エレクトロニクスとは無縁の完全に機械的なものだから、何かがどこかでまだ緩んでいるのかもしれない。無視しようと思えば無視できないことはない音量だけど、機械設備の「異常」は根本原因まで突っ込んで解決しないとね。来週は留守なので、ちょうど2週間後の木曜日午後に予約をくれた。それまではまた装置をオフにして、留守番のシーラには窓を開けて換気してもらうことにする。

カレシとモールで落ち合うので、頃合いを見計らっておでかけ。日は差しているけど、中途半端な暖かさ。まずは銀行で、ATMからシーラに払う留守番料を下ろし、ちょうど空いたカウンターでアメリカドルを下ろす。窓口係の若いお兄ちゃん、飛びっきり愛想がよくて、終始にっこにこ。スマイルキャンペーンでもやっているのかと思ってしまった。いかにも手の切れそうな新品の20ドル札25枚。「新しいのでちょっとくっつきますから、お支払いの時には気をつけてくださいね。知らずにチップを弾むのは悔しいですよね」。ついさっきまで帯封がしてあった札束から抜き出したようなピンピンのお札だから、それ、ありえそうだな。

他には?と聞くので、思いついて銀行に登録してある郵送先住所を変更するにはどうしたらいいか聞いてみた。オンラインで可能だけど、家計管理をワタシに丸投げしているカレシがアクセスを設定していないもので、共同名義の口座は変更できない。私書箱は7月末の更新時期に解約の予定なんだけど・・・。「あっ、ここで今すぐできますっ」。ほお。お兄ちゃんがくれた紙に自宅住所を書いて渡したら、笑顔のままでキーをカチャカチャやって、上司らしい人に変更を承認する操作をしてもらって、「はい、完了ですっ」。へえ。でも、クレジットカードはカード会社にリクエストするんでしょ?「いえいえ、当行にお持ちの口座の住所はぜ~んぶ変更になりますっ」。へえ。「でも、共同口座のご主人の記録の変更はご本人にいらしていただきませんとっ」。あっ、じゃ1時間くらいで連れて来るけどっ。「ではっ、私は昼休みで席を外しているかもしれませんが、他の者が承りますので、いつでもどうぞっ」。

うはっ、こんなに顔中がスマイルぴかぴかの人って、初めてだ。それがこのお兄ちゃんだけじゃない。デパートとスーパーで買い物をして、カレシと落ち合って、荷物を車のトランクに入れて、一緒に銀行に戻ったら、お兄ちゃんは昼休みでいなかったけど、隣の窓口の女性が「はぁ~い、今日のご用は~」。あのぉ、1時間前に住所変更をしたんだけど、共同口座はワタシのだけできるということで、えっと、これがパートナーご本人。「はぁい、ご主人さまでいらっしゃいますねぇ」。ワタシはアクセスカードをスワイプして、PINをピッポッパ。「では、ご主人さま、ご自宅のお電話番号はぁ~」 カレシが電話番号を言うと、住所のメモを見ながらカチャカチャカチャ。前と同じ上司の女性が来て、ポンポンとキーを押して、「はぁい、ご主人さまの記録もぜ~んぶ変更しました ぁ~。ご来店、ありがとうございましたぁ~」。

うはぁ、こんなに顔中にスマイルを貼り付けられる人たちって、すごいなあ。もう間違いなしだな。絶対にスマイルキャンペーンをやっている。いやあ、一石二鳥で懸案が解決して、助かった。でも、ちょっとスマイルが過剰で、何だかくたびれちゃったなぁ・・・。

作りっぱなし、やりっぱなし、思いっぱなし

5月24日。金曜日。久しぶりにぐっすり眠った。ずっと夢を見ていたような気がするけど、目が覚めたとたんに忘れてしまった。カレシも一度も目を覚まさなかったというから、何なんだろうな。晴れたり、曇ったりの空模様で、気温もやっと平年並みに戻ったらしい。向かいのゴルフ場に何本かあるcottonwood(ヒロハハコヤナギ)の大木が今年も盛大に種を飛ばし始めた。綿毛があるので、ふわふわとまるで雪が降りしきっているような光景。ピークには歩道の芝生が白っぽくなるし、見ているだけで鼻がむずむず・・・。

朝食が終わってのんびりしていたら、電話。発信元表示は「カナダ政府」。おいおい、と思いつつ取ったら、地元の税務センター。「住所変更願いを受け取ったので確認させてください」と。ビジネス関連の税務処理には私書箱を「営業所」の住所にしていたので、変更願いを送ってあったんだった。ビジネスだからと、事業者番号だけを書いて、個人の社会保険番号は書かなかったので、それを聞いてきたのかと思ったら、「所得税の住所と同じになるわけですね?」と。私書箱を閉じることにしたもので~と説明したら、「わかりました。変更手続きをしますので、次回の四半期申告の通知は新住所に送られます」と、あっさり確認。はい、ありがとさん。だけど、急に「政府」からの電話って、何となくぎょっとするよねえ・・・。

ゆうべ、お隣のワシントン州のインターステート5号線でスカジット川にかかっていた橋の桁が崩落したと聞いてびっくり。I-5は北はバンクーバーからの州道99号線と国境で接続して、南はメキシコとの国境まで、アメリカ西部を縦断する総延長2200キロを超える大動脈。崩落した橋はバンクーバーとシアトルの中間あたりにある。鉄骨で枠を組んだだけで、通るたびに何となく頼りなさそうに見えたけど、約60年前にできたというから、老朽化していたところに、通過中のトラックの大型貨物がゴンッとぶつかって、崩れてしまったらしい。何にでも寿命というものがあるんだけど、鉄骨とコンクリートのものは「半永久的」だと思い込んで安心してしまうのか、つい手入れをサボるところがある。まあ、何であっても、長持ちさせようと思ったら、手入れにけっこうなエネルギー(とお金)がいるもんだけど、人間にはそこがね・・・。

でも、高速道路の橋が崩れて、川に落ちた車が2台だけで、乗っていた3人は大きな怪我もなく救助されたというのは、まさに奇跡と言えるだろうな。この週末はアメリカではメモリアルデイの三連休で、どっと行楽の車が押し寄せるから、橋が落ちるのが1日か2日遅かったら、大惨事になっていたかもしれない。そう考えると、やっぱり世の中には、人間の思惑や願いとはまったく関係のないところで働く不思議な力があるのかなと思ってしまう。それがたぶん「運」というものなんだろうけど。でも、現実には、カナダ、アメリカ、メキシコを結ぶ経済の大動脈が断裂したわけで、当面の物流はどうなるんだろうな。迂回するとしたら相当な距離になるし、応急処置としてベイリーブリッジという鉄骨のプレハブ橋を持って来るという話だけど、へたをすると1車線を上下線が交互に使うことになるかもしれない。渋滞するだろうなあ。野菜などは季節的にまだカリフォルニアやメキシコに頼っているから、もしかして値上がりするかなあ・・・。

まあ、何であれ、作りっぱなし、やりっぱなしはいかんぜよ、マインドレスじゃいかんぜよ!ということかな。もっとマインドフルでなくちゃ。そうは言っても、人間世界ではそういう生き方がだんだんに難しくなりつつあるような感じがしないでもないなあ。それでも、マインドフルでないと周りはキケンがいっぱい。もっとも、「マインドフルに」と思っても、これがまたけっこうなエネルギーを必要とするもんなんで、つまるところは、思いっぱなしになるのかも・・・。

旅立ちの準備完了、ハワイへゴー

5月25日。土曜日。いよいよ今日1日になった。何だかやることがまだたくさんあるような・・・。

朝食後のいの一番は月末処理。インボイスを作って送って、5月の業務ログを閉めて、累計を出して・・・。終わったら、階段下の納戸にある金庫に経理関係の書類と家計の書類を入れて、パスポートを出して、ロック・・・。

納戸の奥からワタシの小さいスーツケースを引っ張り出して、二階の寝室へ運び、戸棚からカレシご愛用のスポーツバッグを出して、これも寝室へ。カレシが現れて、自分の下着やらTシャツ、ドレスパンツなどを集めてベッドの上に積んだので、それを圧縮袋に入れて渡す。自分の荷物は自分で詰めないとね。たった1週間だし、常夏のハワイだから女性の衣類はみんな小さい。おかげでワタシのスーツケースはすっかすか。でも、お酒を買えば、帰りは手荷物としてで預けるので、いつものように小さいスポーツバッグを予備に入れておいた。機内持ち込み荷物には数の制限があるので、財布やパスポート、デジカメを持ち運ぶ旅行用のショルダーバッグは、ひと回り大きい手提げバッグの中にタブレットやビデオカメラと一緒に入れて、ダブルアップ。旅は身軽が一番・・・。

メールをチェックできるようにウェブメールのアクセスをタブレットに設定。カウアイ島ではレンタカーを借りるので、リフエ空港からホテルまでの道順をGoogle Mapで調べ、ストリートビューでだいたいの景色を見ておいて、主要交差点の風景写真つきで道順を印刷。いや、便利な世の中になったもんだな。でも、ハワイの地名は舌を噛みそうのがたくさんあるな。印刷した道順の裏に、大きなフォントで打ち出したものを印刷しておいた。ここらでタブレットの電池がちょうどよく15%。充電器をつないで、ついでにビデオカメラの電池もチェックしたらほとんど空だったので、これも充電。デジカメとビデオカメラのメモリーカードも点検。カレシはカレシで大きいカメラとiPod Touchをいじっているし、うは、何だか知らないけど、やけに重装備・・・。

でも、旅立ちって疲れるなあ、ほんと。あれをしなきゃ、これをやっておかなきゃ、とついバタバタするから、いざ出かける頃には疲れた気分になる。遊びに行くというのにストレスがたまるなんて本末転倒だと思うけど、元から2人ともそれほどの旅行好きとは言えないからねえ。ゆうべなんか、来年の会議に合わせて、最後になるかもしれない日本行きの日程を1ヵ月くらい取ろうという話だったのが、カレシは菜園の繁忙期に1ヵ月も家を離れたくないと言いだし、ワタシは1ヵ月も日本語をしゃべるのはストレスだし~なんて言っているうちに、日本行きはお流れになりそうな雲行きになって来た。まあ、来年の今頃の話なんだけど、そのときはまたひとつ年を取っているわけだし・・・。

夕食後、カレシがエアカナダのホノルル行きとハワイアン航空のカウアイ島行きのフライトにチェックインして、搭乗券を印刷。やれやれ、これでまずは出発の準備が完了して、ハワイへゴー!というところ。タブレットでは日本語を入力できないから、ブログもお休みにして、さて、後は寝酒かな・・・。


2013年5月~その1

2013年05月16日 | 昔語り(2006~2013)
もしも、亭主ロボットや嫁ロボットがあったら

5月1日。水曜日。今日から5月。今日からごみ収集方式が変わって、今日は堆肥ごみとリサイクル品だけを回収。我が家は堆肥ごみに出すものがなくて、リサイクル品だけ。普通ごみは毎週出さないことが多かったから、方式が変わっても問題はない。何だか静かだったようで、いつものようにトラックの轟音で目が覚めずに、正午ぎりぎりまですやすや。でも、普通ごみも回収する日は、リサイクルトラックが1回、堆肥ごみのトラックが1往復、普通ごみのトラックが1往復。ということは、へたをすると、ダブル収集の日の朝は早朝から5回も目を覚まされる可能性が・・・。

今日はまず大洗濯から。ランドリーシュートは積み上がった洗濯物に押されてドアが開き始めている。このままだと洗濯物のなだれが起きそう。家事をさぼるとこうなるのはわかっちゃいるけど、カレシに洗濯するからベッドルームに積んである汚れ物を落としてよ~と言ったら、いそいそと二階へ上がって行って、シャツやらジーンズをどさっ。ほんとうにシュートのドアが開いて大なだれ。うはあ・・・。

洗濯機を回しておいて、キッチンの床掃除。カウンターやテーブルの上のごみやパンのくずを盛大に払い落として、ルンバ君にお任せ。洗濯をしてくれるロボットを作ってくれる人、いないのかな。まあ、大昔は盥と洗濯板でごしごしやっていたことを考えたら、「洗濯機」がそのロボットなのかもしれないけど、色物と白物を選別して、洗濯機に洗剤を入れて、適切な設定を選んで、スイッチをオンして、洗い終わったら乾燥機に入れて、乾いたらアイロンのいるものはアイロンをかけて、きちんと畳んでくれるロボットが欲しい。昔、誰にだったか忘れたけど、そんなことを言ったら、「嫁さん、もらえばいいじゃん」と返された。う~ん、お嫁さんはいらないなあ、ワタシ。だって、ロボットの方が楽しそうな気がするもの。

小町横町を見渡してみたら、『婚活市場でどうすれば売れるか』という質問。猫も杓子もコンカツ、コンカツの日本。「市場で(自分を)売る」というところからして、まさにmeat marketの観。スラングとしての意味はあまり芳しくないので日本語は省くけど、「婚活」も自由経済市場の原理で動くとすれば、当たらずと雖も遠からずかも。では、どうすれば売れるのか・・・難しい問題だな。買い手が重要視するのは何かを見極めなければ、「売れる」商品作りは難しい。買い手市場だとすると、pricing(価格設定)か、packaging(包装)か、status(ブランド)か、あるいはutility(使い勝手)か。場合によっては、買った後で維持費や運転費用その他のコストが発生するから、availability(稼働率)やdurability(耐久性)という要素も考慮に入れないと「無駄な買い物」になってしまうこともある。

お買い得セールというのもあるかもしれないけど、そういうのはあまり選べないから、「安い!」と思って買って後悔ということもありそう。もちろん、買ってみたら「買い得」だったとか、「掘り出し物」だったということもあるだろうけど、そういうのはたぶん、街を歩いていてふと目に留まったものが気に入って衝動買いしたとか、ちょっと規格外れだけど思いがけずぴったりフィットしたという場合かなあ。そういうのに意外と永く愛用するようなものが多いんじゃないかと思うけど、brand(結婚)が目的だとそれを見つける確率は低そう。流行は飽きやすく、移ろいやすい、ブランドは所詮持って歩いて人に見せるものだし・・・。

でも、今どきの結婚って、そんなにドライなものなのかなあ。まず好きな相手がいて、その人と一緒にいて人生を分かち合いたくて結婚するという形はもう廃れてしまったのかなあ。結婚したい!と思って、誰かいないかなあとカタログから相手を探すのが婚活だとすると、こてこての昭和育ちでロマンチストのワタシにはムリだな。まあ、出会いを待っていられない世の中なのかもしれないけど、だったら日本が誇るロボット技術の粋を結集して、結婚相手ロボットを開発したら、好みのスタイルに作ってもらえて、好みのタイプにプログラムもできるから理想的かもしれないな。(マリッジロボットだから「マリンバ」とか。)まあ、あまり夢のある話とはいえないけど・・・。

西も東も春の雪なのに夏の陽気?

5月2日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。ふむ、何だかちょっと曇りがちのような感じ。週末にかけては真夏のような天気になるという話だったけど、どうしちゃったんだろう。

カレシは英語教室ダブルヘッダーの日。朝食を済ませて、いつものように「あれがない、これが見つからない」とひとしきりバタバタして、「じゃあな」と午後の部にお出かけ。

ワタシはきのう洗ったものが山のようになっている洗濯かごから一階に置くものだけを引っ張り出して、たたんで、しまって、夕食の食材をフリーザーから出して、さて、仕事。いつものことではあるけど、日本はゴールデンウィークで、日本にいる人たちは行楽に出払ってしまうから、その間の仕事はみんな太平洋のこっち側にしわ寄せ。連休明けに納品してね・・・はあい。いいなあ。日本ではみんな遊んでいるってのに、その分こっちはねじり鉢巻のたすきがけで仕事・・・。

カレシが帰って来て、夜の部の準備をしている間に、ワタシはトレッドミルで運動。今日からは時速4マイル(6.5キロ)でスロージョギング。このスピードだと、早歩きはちょっときつくなって、走る方がずっと楽な感じ。時間を15分に設定して、1.6キロ。けっこう汗をかく。このペースで1週間くらい足馴らしをしたら、時速8キロになるまで、少しずつスピードを上げて行くのが目標。脇腹から胃のあたりについていたぷよぷよが心なしかちょっ~とばかり減ったような、減っていないような。走り終わったら、熱い1分間シャワーで汗を流して、夕食のしたく・・・。

天気予報によると、明日から1週間くらいずっと晴天で、土曜日から月曜日あたりまでは最高気温が20度を超えるらしい(平年並みは15度前後)。内陸の郊外では25度を超えるだろうな。明日は半袖を通り越して、スリーブレスにするかなあ。日照時間は日の出から日の入りまでたっぷり15時間で、いかにも夏だ!という感じ。そうそう、エアコンを始動させなくちゃ。でも、5月に入ってからの始動はいつもより遅い。去年も4月の末だったし、ここんところなぜか春がいつまでもだらだら続いているような。でもまあ、この週末はご近所中からバーベキューのおいしそうな匂いが漂って来そうだなあ。

我が家の前庭は、藤色の原種チューリップ、ブルーベルとホワイトベル、ヒヤシンス、すずらんがいっせに、でも雑然と花を咲かせて、枯れたと思っていたボケまでが3つ、4つ花をつけている。見上げればライラックも満開に近くなったし、アメリカハナズオウも赤っぽいつぼみがたくさん。このハナズオウはアメリカ東部が原産地で、バンクーバーには数えるほどしか植えられていないらしい。ほんとに今ごろは、桜の季節こそ八重桜が盛大に散ってほぼ終わったけど、道を歩けばあちこちでシャクナゲとモクレンが真っ盛り。こういうのを文字通りの百花繚乱というのか、外を歩くのが楽しくなる。

でも、この週末のバンクーバーにはちょっぴり時期外れの夏の到来だけど、州の内陸部やアメリカ中西部は時期外れの大雪で、ミネソタ州やウィスコンシン州では30センチも積もったところがあるらしい。何だか申し訳ないみたい、と思ったら、北海道でも雪が降っている。オホーツク海側の紋別では6センチも積もったそうで、札幌でも21年ぶりの5月の雪になったそうな。もっとも、釧路に住んでいた子供の頃には、ゴールデンウィークに雪が降るのはあまり珍しくもなかったように思う。よくぼた雪をかぶった傘をさしてメーデー行進をしている写真が新聞に載っていたな。(テレビはまだなかったような・・・。)

それにしてもまあ、どこもかしこも何かヘンな気候だこと。だいじょうぶか、地球・・・?

勝手に人生相談承ります

5月3日。金曜日。起床は正午ぎりぎり。何かすっきり目が覚めなくて、寝起きが良くないような。でも、予報の通りにいい天気で、庭仕事に出て行ったカレシは30分もしないうちに、「暑くてやってられん」と、汗びっしょりになって家の中に入って来た。(水を飲んだほうがいいよ~。年寄りになると脱水状態になっていても気づかないらしいから。)

ワタシは今日も仕事日。ゴールデンウィークの日本はみんな出払ってしまって(あんがい50キロの渋滞にはまっていたりして)、メール前線は静か。(嵐の前じゃないといいけど。)でも、全体の予定を見ると比較的余裕がある(ようにに見える)ので、ちょっとやってはだらだら。大あくびが出るたびに(頭じゃなくて)モニターの画面を切り替えて、小町横町のタイトルだけを眺めて、勝手に人生相談回答者の帽子を被って、突っ込みを入れてみる。たとえば・・・

「チョコケーキやアイスが苦手」――アイス(クリーム)の食べ過ぎは日本人の低体温化の要因のひとつらしいですよ。低体温になるとウィルスやがん細胞が喜ぶだけです。苦手を善しとしましょ。

「グーグルマップで家が小さいのがバレた!」――まさか「うちは大きすぎてお掃除がタイヘンなのぉ」なんて言ってなかったよね。へたな見栄は張りすぎると風船ガムみたいにパチンと弾けて自分の顔にべちゃっと貼りつくんですよ。

「出会いの方法」――出会うことです、はい。

「海外在住。日本の友人との関係」――去るものは日々に疎し・・・。

「アメリカ人の夫とくだらないことで喧嘩になった」――アメリカ人でなくても、みんなしょっちゅう夫とくだらないことで喧嘩してますって。それが夫というものなのです。

「好きになれない子供のタイプ」――自分の子供がそのタイプじゃないといいですね。

「2年間がんばったけど、彼女に昇格できませんでした」――「カノジョ」というのは、がんばって「昇格」する地位だったのですか。それはそれは、お疲れさま。でも、マゾっぽくないですか?次、行きましょ、次。

「アラフォーの恋の始まり方・・・これはありですか?」――恋の始まり方って、実に何でもありです。恋が始まってからも何でもあり・・・。

「電車内で爆睡するひと!」――うん、たっくさんいますね。電車に乗った時のマナーかと思いました。

「40代女性。無資格で離婚します。収入を得るには」――離婚する資格が必要とは知りませんでした。収入を得るには、働くしかないでしょうな。銀行強盗というのもあるけど、不安定そうだし、すごい体力がいりそう・・・。

「40代、年を取っていいことありますか?」――40代はまだダメです。60代になれば何だかんだと割引があったり、電車の優先席に座れたり、言いたいことをずけずけ言っても年寄りのことだからと大目に見てくれるし、いいことずくめになります。あと20年、がんばって生きてください。

「ねむ~い。とにかく眠たい」――おやすみぃ~。Nighty-night. Sleep tight.

はて、ワタシ、こんなことやって遊んでいる暇があったんだっけ?

今日はスターウォーズの日なんだって

5月4日。土曜日。ああ、よく寝た。今日もいい天気。(予報では向こう1週間ずっと「いい天気」。)天気予報サイトのポイントキャスト(我が家のある区域のピンポイント予報)によると、午後2時半の気温は23度で、湿度39パーセント。こりゃ「夏爛漫」だ、もう。

今日5月4日は、何と「(国際)スターウォーズデイ」なんだって。日付を英語で言うと「May the Fourth」なので、ジェダイ騎士のあいさつ「May the Force be with you」に引っかけた、しゃれっ気たっぷりの日。世界中でスターウォーズに因んだイベントがいろいろとあるらしい。こういう遊び心たっぷりの「国際何とかデイ」もあっていいよね。

一番最初のスターウォーズ(後のエピソード4)をカレシと見に行ったときはすごい感動だったな。オープニングタイトルの「A long time ago in a galaxy far, far away....」を見たとたんから胸がわくわく。「むかし、むかし、はるかなたの銀河系で」というあれ、なぜか子供の頃に近所に来ていた紙芝居屋さんの口上を思い出したけど、宇宙船やロボットが登場するSF映画のストーリーを「むかし、むかし」で始めるという発想は新鮮だったな。そうなんだ、あの映画は何もかもが新鮮な感動だったと思う。同じ時期にスティーブン・スピルバーグの『Close Encounters of the Third Kind』(日本題は『未知との遭遇』)もヒットして、インテリ気取りは「Close Encounters」の方を評価して、「スターウォーズは子供っぽすぎ」とこきおろしていたもんだった。まあ、スターウォーズは基本的には古典的なアメリカ西部劇なんだけど。

でも、ああいう映画はめったにない。砂漠の星タトゥーインの地平線に沈んでいく「双子の太陽」のイメージは今も記憶に鮮明だし、ルークがハン・ソロと出会うバーでは奇妙な異星人たちのバンド演奏が強烈な印象として残っている。最後はすごいスピード感に、手に汗を握って座席の縁まで身を乗り出していた。後でテレビで製作過程のドキュメンタリーを見たけど、今のようなCG技術がまだ存在しなかった時代にあれだけの特撮をやってのけたジョージ・ルーカスは天才だと思ったな。あまり映画は見ないワタシだけど、あるいはそのせいかもしれないけど、スターウォーズは映画として類まれな傑作だと思う。

スターウォーズに登場するキャラクターでどれが好きかと聞かれたら、ワタシは何と言ってもチューイーことチューバッカが1番。何だか雰囲気全体に一度仲良くなったら絶対に裏切られることはないだろうという安心感がある。「頼りがいのある人」って感じかな。「かわいい」って感じもするし・・・。2番目はR2D2で、3番目がヨーダ。後のポケモンのピカチューにはR2D2を思わせるところがあると思う。(一人で家で仕事をしていて、よく英語版のポケモンを見ていたワタシ・・・。)

そういえば、スターウォーズを見た映画館は、今Arts Clubのスタンリー劇場になっている。これも何かの縁なのかなあ。ま、May the Force (Fourth)be with you!

激安のモノはどうして激安なのか

5月5日。日曜日。暑い!目が覚めたら汗をかいていた。きのうはエアコンを起動して、ファンに設定して1日運転したので、今日はさっそくクーラーをかける。窓の多い二階は日光がいっぱい。我が家は断熱性が良すぎて、日中暑くなると、夜になってもなかなか温度が下がらないのが悩み。

バングラデシュでのビル崩壊事件。軟弱な地盤の改修もせずに建てられたビルには本来の建築用途ではない縫製工場がいくつもあって、ミシンの数は1000台とも2000台ともいわれる。死者の数は600人以上、負傷者は2千人を超え、そのほとんどが女性。母を亡くした子供たちがどれだけいるのやら。子供を養うために必死で働いていたシングルマザーたちも多いだろう。その子供たちはこれからどうなるのか。違法建築、違法操業を平気でやるような雇用主が保険に加入していたとは思えないから、障害を負ってしまった人たちは補償もないままこれからどうやって生きて行けばいいのか・・・。

先進国からの仕事がなければバングラデシュのような後進国はどうやって自国民の生活を向上させられるんだと言う人もいる。正論ではあるかもしれないけど、こういう議論には「恵んでやっている」という傲慢さがプンプンする。かって、親しい友だちが集まったパーティで海外旅行の話をしていて、費用の安さを理由に貧しい国へ遊びに行くことの是非を議論をしていたら、ある人の奥さんが「でもさぁ、貧乏な国がないと、あたしたち中流階級がバケーションに行けるところがないじゃないの」と口をとがらせて反論して座が白けてしまったことがあったけど、同じ思考なんだろうな。流行のモノが欲しいけど、高くて買えない。でもそれを身につけてファッショナブルな人間だと認定してもらいたい。そんなときに、「そこのファッション感覚抜群の方、お安くなってますよ~」と囁くグローバル商人・・・。

日本にも、発展途上だった明治時代には若い女性たちが鉄格子を設えた製糸工場で毎日13、4時間も埃にまみれて働き、偏った食事や劣悪な労働環境で結核などの病気で倒れて行った「女工哀史」があった。(最近は「女工たちはどっちかというと恵まれていた」と評価したがる向きもあるらしいけど、たぶん「denial」という、自分にとって嫌なことや気まずいことは信じたくないという否定心理がどこかで働いているのかもしれないな。)そうやって先進国になった日本は今、「外国人研修制度」の大儀名分で発展途上のアジア諸国の労働者を劣悪な条件や差別の下で働かせているらしいけど、日本の一般社会はそういうことには無知なのか、あるいは「後進国の人間を働かせてやっている」という思考で見て見ぬふりなのか、そういう「ブラック企業」を蔓延らせているような観もある。

消費経済のウォルマート化(日本だとユニクロ化かな?)というのか、最新ファッションを安く手に入れるのは「権利」があるかのように洗脳された先進国の消費者もけっこう罪深いと思う。モノやサービスにはそれを生産するためのコストというものがあって、その中には人件費という、業種によってはかなり大きな比重を占めるものもある。何らかのコストがかかっていないものなどありえない。安いものはそれなりにそのコストのどこかを削っているわけで、それ自体はビジネスの常套手段として悪いことではないけど、安く買えてあたりまえと刷り込まれた消費者の要求を満たすためにさらなる「激安」を追求して、どこかで一線を越えてしまうと問題が起きて来るし、ときには倫理問題にも発展する。

ワタシは社会主義者でも社会活動家でもなくて、けっこう俗物的な人間ではあるけど、長いこと自分で自分を「雇用」して自分の経済基盤を確保するおひとりさま自営業で生計を立てて来たし、仕事の上でさまざまな日本企業や欧米企業が華やかさの裏に隠し持っている「本音」を垣間見ることも多かったから、明らかな売れ残り品や見切り品ではなくて、初めから意図的に「激安」と銘打って売られているものを見ると、「安い!」と喜ぶ前に、つい何となくなぜそんなに安いのか、コストのどこを削ったのか、誰がその代償を払っているのかを考える。買うかどうかは別の次元の意思決定だけど、あまりにも安いと感じたものは直感的に買うのをやめることが多い。

でも、一般の消費者には目の前にあるモノがそこに到達するまでの「供給連鎖」は見えないのが普通だから、ここは各段階の供給者がその連鎖の上流、下流のもう少し先の方まで目配りすることを要求するしかない。それでモノの値段が高くなるとしたら、今までどこかで妥当な以上にコストを削っていたから安かったんだと納得すればいいんだけど、はたしてウォルマート化された消費者が納得するのか・・・。

トラブルはだんご3兄弟でやって来る

5月6日。月曜日。今日は20度ちょっとで、あまり暑くないはずの日。それでも平年よりは5度くらい高いという予報。きのうは内陸の郊外で30度を超えたところがあったとか。

エアコンを午前11時起動にセットしておいたので、快適に眠って、快適に目が覚めて、身支度をしていたら、キッチンから、「おい、コーヒーメーカーがスタートしないぞ~」とカレシの声。キッチンに降りて行って、あれこれいじってみたけど、ほんとにうんともすんとも言わない。ここのところ少々不調だったけど、いよいよジ・エンドか。

「コーヒー、どうするんだよ」と、少々苛立たしそうなカレシ。
「エスプレッソ用のポットがあるからだいじょうぶ」。
「それだとほんの少ししかできないじゃないか」。
「あっ(と、電球がポッ)!フレンチプレスがあるよ」。
「何だ、それ?」
「コーヒーを入れて、お湯を入れて、プランジャーを押すコーヒーポット」。

ということで、キャビネットの一番上の棚においてあったボダムのフレンチプレスを出して来て、とりあえず問題解決。カレシ曰く、「この方が簡単だし、おいしいから、もうコーヒーメーカーは買わなくていいよ」。

――

カレシは暑いからと庭仕事はやめて、その代わりトレッドミルで10分。カレシが走り出すとフレームの中でカチッ、カチッという音が頻繁にする。あれ、ねじか何かが緩んでいるのかな。でも、その後ワタシが走ったときは初めに3、4回聞こえただけだった。跳ねるように走ってみても、1回だけカチッ。カレシは昔から足取りが重いし、体重が20キロ以上違うし。「チェックしてもらおう」と、電話に飛びつくカレシ。そうそう。

――

「コーヒーメーカーとトレッドミルと、次は何かなあ」と、サラダを作っていたカレシ。
「ワタシのスチーマー!容器のひびが下まで行っちゃったの。オーブンは去年からダメだから、今のところ4つね」。
「そういえば、家電がばたばたと故障したことがあったな」。
「そうそう、VCRとか何とか、3ヵ月くらいの間に8つも壊れたよねえ」。
「8つも?じゃあ、4つはまだそう悪くはないってことだな」。
「ええ?だけど、これ以上壊れたら買い替えの費用がタイヘンだよ~」。

午後4時のポーチの温度計はまだしっかり25度。何かみ~んなヘンだ・・・。

トラブル、もうひとつ

5月7日。火曜日。ほんの少し気温が下がって、今日は爽やかなそよ風。でも、寝つきが悪かったもので、何となく眠い。ゆべはどういうわけか両足の膝から下がパンパンに腫れて、カレシによると顔までちょっとむくんでいた。急に暑くなったせいかと思ったけど、カレシは「いきなりトレッドミルでバンバン走るからだよ」。そうかなあ。今朝はちょっとよくなっていたけど・・・。

きのうは仕事の関係でいけなかったので、今日新しいコンタクトレンズを取りに行った。うっかりレンズを流してしまってから1年近く古いのを使っていたので、帰って来てさっそく入れてみたら、あ~ら、辞書の小さな字がちゃんと読めるではないか!これで、辞書を調べるたびに大きなルーペを持たなくてもよくなるし、老眼鏡をかける必要もないな。ばんざ~い!

新しいレンズで世の中の展望がちょっぴり明るくなった気分で、仕事、仕事。やり慣れた契約書だから楽だけど、ワタシの後ろでカレシが英語教室の生徒さんとスカイプで話をしたり、またぞろ「あれがない、これが見つからない」とうろつき回ったりするので、気が散ってしょうがない。あのね、何をどこに置いたか知らないかって、置いたのはアナタなんだから、ワタシが知ってるわけがないでしょ?

ご飯を食べて、また仕事。寝るまでに終わるかな?アイスホッケーのプレーオフ、バンクーバーカナックスは今年も第1ラウンドで4連敗して、あっさりと脱落。いつもなら窓口に長い行列ができて、ダフ屋が儲かるプレーオフのチケットが、今年はオーナー会社が割引販売したくらいに売れ行きが悪かったとか。ふむ、こっちももしかしたら修理不能の故障かな。Fair weather fan(勝ってる時だけファン)のカレシは「Who cares!」(知らんよ、もう!)

そのうち、オフィスの中でしきりに鳥がさえずっているような、どこかで電話が鳴っているような音が聞こえるから、2人して、耳を澄ましてあっちこっち。どうやら換気装置の給気口からとわかって、ワークショップにある換気装置を調べたら、う~ん、どうもトラブルのおだんごがもうひとつ・・・。仕事を中断されたついでに開けて調べたら、モーターは動いているけど、制御装置のあるあたりが熱い。あした、サービスを呼ばなきゃ・・・。

こういうトラブルって、どうしてこう、だんごみたいに次々と起きるんだろうな。去年から壊れっぱなしのオーブンも入れると、トラブルだんごはこれで5兄弟。もうひとつ故障して6つになったら、もしかして半ダース割引・・・なんてことは、まあないだろうけど。

カレシは「みんな同じ組合に入ってるからなあ」と冗談に言うけど、ワタシは組合に入ってないから、せいぜい「故障選手」の仲間入りをしないように自衛しないとね。

難しい日本語はほんとに難しい

5月9日。木曜日。この2、3日寝酒をグラス1杯(1オンス)だけにして、肴もクラッカー程度で少量にして、就寝時間も1時間くらい早めたら、目覚めの時間はあまり変わらないけど、何となく睡眠の質が良くなった感じ。足もほとんど浮腫まなくなった。右のふくらはぎの下の方の痛みがまだ取れないので、トレッドミルはひと休み。軽い肉離れでもしたのかな。やっぱりカレシの言うように、長い間休んでいたトレッドミルをいきなり昔のペースに近いレベルで再開したのが良くなかったのかもしれないな。うん、過信は禁物・・・。

英語教室の午後の部に出かけるカレシを送り出して、今日から最後に残った一番大きなファイルと格闘。ゆうに5日はかかりそうな量あって、カレンダーの上では6日あるけど、月曜日は交響楽団のシリーズの最後のコンサートだし、火曜日には不調のトレッドミルと換気装置の両方の修理屋が来るし、おまけに冷蔵庫の食料が品薄になって来たし、あ~あ。これって、「半隠居」どころか「25%隠居」にもほど遠いじゃないの、とため息をついてみるけど、あ~あ。まっ、生活ってのはそんなもんだけど。

カレシがお出かけで静かなオフィス。仕事に集中したいのに、きのうから校正担当者が飛ばしてきた質問メールがいくつもあって、まずはそっちの対応に追われる。たいていは英語思考的な観点から説明するか、ちょっとの手直しであっさり解決するんだけど、ときには「ん?」と考えさせられる質問もある。元からやたらと複雑な漢字言葉をちりばめてあって、中には日本語の辞書を引いても出て来ないようなレア?な語まで使っているから、校正担当者さんと二人三脚で解決して行かなければならない。けっこう日本語思考の勉強になるという感じもするけど、納期の関係で翻訳と校正が同時進行するようなときは、メールのたびに思考が中断されるから、疲れることはなはだしい。

でも、お役所的なところの事務方の人たちの「作文」はいつも頭痛の種であることには変わりがない。日本の学校ではもう作文の授業はやってないのかな。大学では論文とか書いたんだろうになあ。まあ、最近は英語人の英語作文もひどいもんだけど、日本語人の日本語作文もそれに輪をかけたくらいにひどくなっているという印象。特に難解な漢字言葉など、もしかして漢字検定とやらの勉強テキストで覚えたのを使ってみたんじゃないかと疑ってしまうようなのがあって、そのまま訳すと意味がおかしくなる(齟齬する)から、ほんとに意味を理解しているんかいなと首を傾げることも多い。(まあ、エライ人はエライ人なりに自分の地位に「相応しい」文章を書きたいのかもしれないけど、読み手に通じないんじゃムダな骨折りだろうに・・・。

何と言うか、高級な道具類は揃えたけど、使い方がよくわからないか使いこなせていない、という感じで、英語の語彙と文法を英語人も敵わないほどばっちり極めたのに、英語人との会話について行けないと嘆く人と似ている。まあ、道具の使い方をマニュアルで覚えただけのうちは簡単そうに感じるけど、マニュアルを卒業して、自分の想像力を使ってその道具で何かをする段階に入ったら、使い勝手が悪いと言い出すようなものかもしれない。生半可に覚えた小難しい言葉も同じことかな。人間と言う生きものが、人間同様に「生きもの」である言語を使って意思伝達を図ろうとするわけで、機械的に文法に従って単語を並べても、「話」として通じないこともあるってこと。

まあ、日本語の字面にこだわらずに文章全体の流れで読み取った方がいいよ、と校正担当者さんに勧めてみたけど、日本語浦島になりつつあるワタシが見落としやすい日本語の行間にまで目配りしてくれる人だし、校正編集という立場上、どうしても「この語はこの訳でいいのか」を考えるのはいたしかたがない。日本語と英語とをすんなりと1対1で置き換えられたらどんなに楽だろうと思うけど、もしもそうなったら、ワタシの商売は立ち行かなくなる・・・よね?ま、文句を垂れている暇があったら、鉢巻を締め直して、いざ、仕事だ~。

甥の肝っ玉嫁さんが・・・

5月10日。金曜日。起床は午前11時50分。いい天気だけど下り坂の予報。まだ、5月の半ばなんだから、夏の陽気は早すぎるな。足のむくみはやっぱり急な気温上昇のせいだったのか、今日はすっかり普通に戻って、1キロ半跳ね上がっていた体重も元に戻った(といっても、まだ自己目標を2キロオーバー・・・。)

今日はねじり鉢巻の仕事日・・・と、意気込んで、でもコンピュータの前に座ってまずメールをチェックして、新聞サイトを一巡し、フェイスブックを開いたら、あれ、タイヘンだ。甥のビルの姉さん女房のサンドラが足首を骨折!サンドラはヘアドレッサー。識字障害のあるビルの書き込みは綴りがめっちゃくちゃだけど、何とかつなぎ合わせたところでは、サロンで仕事中に何らかの事故があったらしい。身体障害のある客がいたそうだから、介助をしていて足首を捻ってしまったということなのかな。何にしても、ヘアドレッサーは立ち商売だから、その足を骨折しては仕事にならない。(腕だともっとタイヘンか・・・。)

サンドラはサロンに勤務しているのではなくて、椅子を借りて商売をしているから、労災補償はあるのかどうか。最初は全治数週間の診断だったのが、明日土曜日に手術でピンを挿入して、日曜日に退院で、全治するのに3、4ヵ月はかかるとか。よほど複雑な骨折なんだろうか。まあ、ワタシが足の中指1本を捻挫しただけでも、普通の靴を履いて歩けるようになるのに3ヵ月かかってしまったから、特に複雑にできている足首の骨折となるともっとタイヘン。でも、肝っ玉母さんのサンドラのことだから、ギプスをした足を引きずってでも仕事に復帰するだろうな。

ワタシがカナダに来たとき7歳だったビルは、今では白髪交じりの中年おじさんになっているけど、識字障害(学習障害)の診断が遅れたため、高校時代はかなり荒れた時期があった。その人生が好転したのは何とか高校を卒業して建設現場で働いていたときに出会った4歳年上のサンドラ。イギリスはロンドンの下町生まれで、コックニー気質そのままの「気風のいい姐御」みたいな、超ぽっちゃりでいかにも肝っ玉母さんといったところがワタシは好き。(コックニー訛り丸出しだった両親も心根のいい人たちで、船乗りだったお父さんとは初対面で意気投合してしまったっけ。)まさに「男の人生は選ぶ女で決まる」を絵に描いたようなビルとサンドラ。未だにビルとラブラブだし、よく稼ぐし、子供たちのいいお母さんだし、もしもワタシに息子がいたら、三顧の礼でお嫁さんに迎えたいくらいの人。

ちなみに、サンドラのお兄さんはプロのサッカー選手で、若い頃はロンドンのチェルシーに所属していたとか。北米サッカーリーグでバンクーバーやシアトルの選手としてプレーした経歴があって、今もサッカー界で選手育成の仕事をしている。さっそくフェイスブックのサンドラのウォールにお見舞いのメッセージを書き込んだら、娘のテイラー(ボクシングをやっている18歳)が「いいね!」を押していた。ちょっと落ち着いた頃を見計らって、お見舞いの電話をしようっと。

さて、仕事、だんだん待ったなしになって来たから、ひとつがんばるか・・・。

夫がいるのか、子供がいるのか

5月11日。土曜日。天気は下り坂。今日はねじり鉢巻3本にたすきがけの仕事日・・・。

そんなときに限って、カレシはまた「かまってチャン」になる。参っちゃうなあ、もう。

「野菜の種をまいたぞ」。
(えらいねえ・・・。)

「おい、換気装置を止めてあるせいか、空気が悪くなって来たと思わない?何かやたらと咳が出るんだよなあ」。
「ん・・・?窓、開けてみたら?」
(あの、悪くなるのはこっちの空気の方なんだけど・・・。)

「おい、給湯タンクがもれているんじゃないのか?」
「ええ?床に水でもたまってるの?」
「いや、タンクの横に、錆みたいな色のしみが上から下までついているから」。
「だいぶ前からそうなんだけど・・・」。
(もれていると思うなら、さっさと配管屋を呼んでよっ!)

「なんかさ、温室の隅の方で雨漏りがし始めたみたいなんだけど・・・」。
(はあ・・・。)
「まあ、20年近く経つから、傷みも出てくるよなあ」。
(ん~!。)
「何だって、永久にはもたないよなあ。しょうがないよなあ」。
(ん~!!)
「ところで、今日の夕ご飯は何?」
(ん~、もうっ!!!!)

明日の母の日にちなんでの新聞記事に、ある夫婦が子供の数を聞かれて、夫は2人と答えるのに、妻は3人と答えたというジョークがあった。ある調査によると、家庭を持つ女性にとっての最大のストレス要因は子供ではなくて夫なんだそうな。わかる、わかる、よ~くわかるっ!

あのね、4日分くらい残っている仕事をあと2日半でやっつけようってところなの。ほら、お母さんは忙しいんだから、あっちでおとなしく遊んでいてくれない?お母さんのお仕事が終わったら、2人でうんと遊ぼうねえ。ん~、ほんっとに、もうっ!

トラブル2つ、解決

5月14日。火曜日。午前10時前に目が覚めて、結局11時過ぎには起き出して、早い朝食。予報に反していい天気。今日はトレッドミルと換気装置の修理屋が来る日だし、州議会総選挙の投票日でもある。でも、うんうんいっていた大仕事を、交響楽団のシリーズ最後のコンサートもすっぽかして仕上げてしまったので、いろいろある今日はうれしい余裕・・・。

まずは、正午過ぎということになっていた空調会社から正午と午後12時半の間に到着するという連絡。修理のような訪問サービスの予約にはこういうのが多い。初めから「何時」と決めても、1日1ヵ所というわけじゃないから、想定外の問題があったりして1ヵ所で長引いたり、交通混雑に出くわしたりすると後続のスケジュールにしわ寄せが来る。それで、「何時と何時の間」というだいたいは2時間の枠を設定しているんだと思う。(トレッドミルの修理は「午前11時から午後1時の間」になっている。)でも、換気装置は緊急事態ではないので大雑把に午後ということにして、近くまで来たら連絡してもらうことにしてあった。

のっぽのお兄さんが現れたのは12時15分。さっそく換気装置のドアを開けて、熱交換フィルターを引っ張り出して、ファンモーターを外して手際よく分解し始めた。毎日24時間のろのろとファンを回して外気と屋内からの排気の間で熱交換しながら換気して来た我が家の「肺」は、過去25年で修理はこれが2度目。寿命はどのくらいかと聞いてみたら、「半永久的かな」。ふ~ん。のお兄さんは、大きなフィルターを外に持って行って、ホースで水をスプレーして汚れを落とし、ファンモーターも掃除して油を差し、換気装置を元通りにして、ドアを閉めて運転再開。あ、静かになった。少しして、家の中の空気が違って来たのがわかる。修理(というよりは全面的な整備)は成功。満足したお兄さんは「請求書は会社から送ります」と言って帰って行った。

換気装置の修理が進んでいる間に、トレッドミルの修理屋から「後15分以内に着く」という連絡があって、。こっちは「11時から1時の間」の予約で、小太りのロシア人のおじさんが到着したのは12時50分。最近は家電などの修理屋にはロシアやウクライナ、東欧から移民が多いなあ。きっとソビエト時代に故障したら自分で何とかしていた一種の「自助の文化」を持って来たんだろうな。マニュアル通りにしか修理できないような今どきの若い人たちと違って、機械の本質をよく知っていると言う感じ。あちこちを揺すぶって、ねじの締まり具合を調べて、自分で走ってみて、「ベルトが緩いんだね」。道具箱からアレンキー(六角レンチ?)を出して、ローラーを調節して、おじさんがもう一度自分でドンドンと勢いよく走ってテストして、「オッケー」。

東欧系の人は話好きなのかな。おじさんは私たちが知らなかったことをいろいろと教えてくれた。中でも目からうろこだったのは、寿命が2、3年というのは真っ赤な嘘で、ベルトとデッキを交換すれば10年以上は使えるということ。値段が高いのはモーターとエレクトロニクスで、ベルトやデッキは安い部品で簡単に交換できるので、労賃を払っても買い替えるより修理したほうが安いこと。そっか、買い替えなくてもよかったのか。でも、「Bremsheyはちょっと問題が多いから、買い替えてよかったよ。このメーカーのはかなりよくできているからね」と、おじさん。売る人と、修理する人とでは、言うことがずいぶん違うなあ・・・。「ベルトが偏ったら自分でローラーを調節するといいよ」と、使ったアレンキーをくれて、カレシにサインオフさせて、おじさんも業務終了。

やれやれ、トラブルが2つスムーズに解決して、やっとリラックスした気分・・・。

あり得そうにないことがあり得た選挙

5月14日。州議会総選挙の投票日だった。与党の自由党はクラーク首相の前任者のキャンベル首相の頃からえらく不人気で、1ヵ月ほど前の世論調査では、支持率が野党の新民主党に22ポイントもリードされる有様で、投票する前から「惨敗」が決まっていたようなものだった。

クリスティ・クラーク首相はキャンベル政権の閣僚で、離婚してシングルマザーになってからはいったん政界を離れてラジオのトーク番組のホストをやっていたけど、キャンベル首相が辞任した後の党首選に殴り込みをかけて党首の座を勝ち取った人。(カナダでは、オンタリオ、BC、ケベック、アルバータを含めて、女性首相に率いられた州の方が多い。ちなみに、オンタリオ州のウィン首相は公然たるレスビアン。)クラーク首相の弁舌はさすがメディア界にいただけあって実にさわやか・・・なんだけど、なぜか女性にはあまり人気がないらしい。

一方、野党の新民主党のエイドリアン・ディックス党首は、1990年代後半のグレン・クラーク(同じ苗字だけど無関係)首相の首席補佐官だった人。(ちなみに、労働組合幹部出身のグレン・クラークは収賄疑惑やら何やらのスキャンダルにまみれて辞任。失業状態のところをカナダで指折りの億万長者のジム・パティソンに拾われて系列広告会社の課長になり、今では3万人以上も雇用するパティソン・グループの社長にのし上がって、パティソン会長の後継者と言われているから、人生、何がどっちに転がるか、わからないもんだと思う。)そのクラーク政権で、ディックス党首はスキャンダルもみ消しのために証拠になるメモの日付を改ざんしてクビになった過去がある。眉間に深い皺があって、ちょっと陰気な印象・・・。

つまり、ブリティッシュコロンビア州には、他の州から見たら、まさに「何でもあり」のクレイジーな政治風土があって、「何で?」ということがよく起きる。さて、投票所は、前回まではメインストリートを渡ったコミュニティセンターだったけど、今回はカレッジ。(選挙区の境界は国勢調査の結果に基づいて、人口分布の変化に合わせて調整されることが多い。)まあ、距離的にはカレッジの方がほんの少し家に近いし、幹線道路を渡らなくてもいいので楽だけど。カフェテリアの一部を仕切った投票所では、細かく分かれた投票ブロックの指定されたテーブルに行って、投票券を渡して、運転免許証で本人を確認して、選挙人名簿にサインして、折りたたんだ投票用紙をもらう。

投票用紙には候補者の名前と党名がアルファベット順に印刷されていて、横の白丸に×印をつければいいだけになっている。(正式な政党は4つだけど、今回はヘンな名前の泡沫政党の候補も2人)。投票ブロックごとにダンボールで囲ったテーブルがひとつしかないので、先に用紙をもらったカレシが「記入」するのを待つ。あれ、何だか誰に入れようか決めかねている様子。ワタシは置いてある鉛筆で支持する政党の現職候補の名前の横にささっと×印をつけておしまい。用紙を元のようにたたみ直して、投票箱のところへ持って行って、係の人に照合用タブを切り取ってもらってから、自分の手で投票箱にポトン。

投票は午後8時に締め切って、即刻開票。ブロックごとの票数が少ないので開票は猛スピード。ブロック○○番はA候補が何票、B候補が何票と、ブロックごとに票数が報告されるので、よほどの接戦でもなければ、1時間もするとほとんどの選挙区の「当選」や「当確」がわかる。今回は9時過ぎには大勢が判明して。それが何と「与党自由党が過半数」。え!?惨敗するはずじゃなかったの?久々に新民主党政権になるはずじゃなかったの?ひと月前には20ポイントもリードされていたんでしょ?投票日が近づいて急に差が縮まった言われていたけど、いくらなんでも「過半数」はありえないでしょ?

ま、そういうあり得そうにないことがあり得るのがBC州の政治で、不人気で負けが決まっていたはずの自由党が85議席中50議席を取ってびっくり仰天の勝利。ところが・・・党は余裕の過半数で政権維持を決めたけど、肝心のクラーク首相は二転三転の大接戦の挙句に僅差で「落選」。ほんと、何がどっちに転がるかわからないもんだ。世論調査なんて信用できないという証拠だな。ちなみに、トリノで車椅子からオリンピック旗を振ったサリバン前バンクーバー市長は自由党から立候補してみごとに州議会初当選。バンクーバー市長から州首相になる例は多いから、もしかしたら・・・?

もしからしたら、叫びたいのかも

5月15日。水曜日。予報に反して晴れ。今夜は『Dreamgirls』のオープニングナイトのレセプションとショーがあるから、雨具を持っていかなくてもいいのはうれしいな。これを楽しみにして、交響楽団の最後の最後のコンサートをすっぽかして仕事を終わらせたんだもんね。

ブロードウェイで1980年代の初頭に初演された、モータウンとシュプリームスをモデルにしたミュージカルだけど、せりふがほとんど歌で交わされるから、ちょっとオペラのような感覚。ステージにはツアーで製作中のものを見た「タワー」が4本。コンピュータで角度を変えたり、ライトの色を変えたり、時にはイメージを投射したり。作業場で見たときはまだ角材で「建築中」だったけど、なるほど。映画のセットと違って、舞台のセットはすごい想像力と高いデザイン力が要求されるけど、観客もかなりの想像力を要求される。映画はどっちかと言うと一方通行といった感じがするのに対して、「舞台劇」というのはある意味で舞台と客席の共同作業のようなところがあって、そこのところがたまらなく魅力なんだけど。

シュプリームスをクビになったフロレンス・バラードは失意のうちに若死にしたけど、彼女をモデルにしたドリームズのエフィーはカムバックを果たす。エフィー役の俳優のパワーはすごかった。最後の方は何か感動してしまって、涙がぽろぽろ。(ワタシってなぜかこういうところでは涙もろい・・・。)カーテンコールではほぼ総立ちで大喝采。シュプリームスの時代を知らない若い観客が多かったし、この分では2ヵ月の間、大入り繁盛というところだろうな。モータウンの歴史などに凝っていたカレシは「筋書がつかみ難かった」と、ちょっと不満そうだったけど、リサーチしすぎたもので、現実の逸話と「劇」の区別がつかなくなったのかもしれないな。シュプリームス、ベリー・ゴーディというモデルはあるけど、あくまでもモデル。(実際に、ダイアナ・ロスも事実と違うと大むくれだったとか。)ドキュメンタリーやリアリティショーじゃあるまいし、芸術にはpoetic license(詩的許容)というものがあるんだけどなあ。

ワタシは脳みそがふにゃふにゃになりそうな仕事と格闘した後だったから、心行くまで楽しめてうれしい。でも、他人さまのさっぱりわからない日本語の思考を読み解いて、英語でわかるように書き出す作業を続けていると、なんか「よくわからなくなってきた」という感じがして来る。まあ、ブログなるものを書いて、まだ大丈夫だと自分に言ってはいるけど、ときには日本語はもういいやという気分になることもある。でも、ときにはその他人さまのわからない思考にハイジャックされて、自分の思考が檻に閉じ込められているような気分になって、豊かな言葉や色彩や音色の中で手足を伸ばしたくなる。無性に自分を表現したくなる。また(ものにならない)芝居を書こうかな?ハチャメチャに自己流の絵を描こうかな?何かしたいな。

人間の心はいくつになっても自由な空間が必要なんだろうな。


2013年4月~その2

2013年04月30日 | 昔語り(2006~2013)
どたんばで、ど忘れする人

4月16日。火曜日。おお、いい天気。今日は久しぶりの友達とのランチなので、寝坊しないように午前11時50分に目覚ましを掛けておいた。カレシが自分の朝食を用意している間に、ささっとしたくをして、ちょこちょこっとメイクをして、ジュースだけ飲んで、出発。駅まで歩いて15分弱。天気がいいと気持ちがいい。

地下鉄の終着駅まで約15分。やっぱり親しい友だちとの語らいはいいな。ほんっとに久しぶりにしゃべる日本語だって、けっこうちゃんと出て来るし。ワタシには朝食だけど、たっぷり肉を食べて、誕生日のプレゼントとカードまでもらって、言うことなしの幸せ。

カレシとBest Buyで落ち合ってタブレットをピックアップすることになっていたので、これから出るよ~と電話。レシートを持って行かなきゃと言うので、どこに置いてあるかを説明。ワタシのごちゃごちゃしたデスクにちょっと手こずったらしいけど、「あった!」

オリンピックヴィレッジ駅で降りるつもりが、つい乗り越して、ブロードウェイ駅で降りた。まあ、どっちで降りても店までの距離はあまり変わらないんだけど。Best Buyでちょっとうろうろしていたら、外から入ってくるカレシの姿が見えた。何だか冴えない顔・・・。

「忘れて来た・・・」。
何を?
「レシート」。
ええ?見つけたって言ったじゃない。
「だから、それを忘れないように玄関のそばに置いといたんだよ」。
で、忘れたの・・・?(ワタシ、むずむず・・・。)
「車のキーを取ったときに、レシートのことはけろっと忘れたんだ」。
あらまあ(むずむず・・・)。
「忘れないように気をつけてたんだよ」と口をとがらせるカレシ。
それで、土壇場で忘れた・・・と(ついに爆笑するワタシ)。
「ラッシュだから取りに帰るのも嫌だし、なしでもピックアップできるかなあ」。
まあ、クレジットカードの記録とか何とかでわかるんじゃない?

ピックアップのカウンターで「ああだ、こうだ」と事情を説明し始めたカレシ。カウンターの向こうのおにいちゃんは「運転免許証とかあればOKです」。免許証を出すのに、いつものように財布のあちこちを探すカレシ。免許証を見て、顔を見て、モニターの名前を見て、「はい、OK」。無事にタブレットをピックアップ。

家に帰って、「まだ早いから」とどこかに隠してしまったカレシ。誕生日まで、どこに隠したのか覚えていてくれるといいけど・・・。

うちのフィットネスジム

4月17日。水曜日。少し曇り空。起床午前11時半。普通に朝食をして、ゆっくり本を読んでいたら、電話。トレッドミルを買ったところから、後60分ぐらいで着くとの連絡。1時間くらいと言うのは普通に聞くけど、60分は初めてかも。

大急ぎで、カレシはゲートを開けておいて、車を動かしてトラックの駐車スペースを作り、ワタシはトレッドミルを置く場所にあるもの(全部カレシのもの)を奥の部屋に移動。ちょうど良く収まるはず・・・。1時間もしないうちに、若いお兄ちゃんとフィリピン系らしいそれほど若くないお兄ちゃんが到着して、さっそく撤去する古いトレッドミルを解体。「どのくらい使ったの、これ」と聞くから、5年か6年と答えたら、「(デッキを)上げられるタイプとしてはずいぶん長持ちだなあ」。うん、うちは別にフィットネスマニアじゃないから・・・。

古いのを運び出したら、新しいのを運び入れて組み立て。ショールームで「小さめ」に見えても、いざ家に来るといつも「大きい」からおもしろい。電源を入れて、試験運転して、ちゃんと作動するのを確かめてサインオフ。マニュアルはPDF版をメールで送ってくれるとか。でも、運動だけならすぐに使える。マニュアルがいるのは「メディア」機能で、音楽やビデオを流せるらしい。ワタシはそんなのいらないんだけど、カレシにはうってつけかな。組み立てと据付が完了[写真]↓

さて、今度は奥の部屋に移したものを移動。カレシは庭仕事で忙しいから、ワタシひとりで、まずファイルキャビネットを50センチくらい動かして、次にカレシの古い勉強机を動かして、壁との間にできたスペースに袖机を押し込んで、机とキャビネットを10センチくらいずつ戻して、トレッドミルがあったところに保存箱を積み上げて、今日は終わり。あしたは棚を吊り替えて、ランプを壁に取り付けたら、模様替えは完了、のつもりが・・・。

「本棚の出し入れがちょっとなあ・・・」とカレシ。(あまり使っていないのに、何で今?)
デッキをおろせば前が空くし、トレッドミルはローラーで動かせるから、大丈夫。
「でも、めんどくせぇなあ・・・」。
でも、あそこに移してからほとんど使ってなかったじゃん。前をふさいじゃって・・・。
「使うつもりだったんだよ。あっ、本棚をこっちに移せばいい。で、ファイルキャビネットと保存箱をその上に積めば解決だな」と、カレシはにんまり。「で、他の運動器具を奥の部屋にまとめたら・・・」。
そっかあ、いよいよ「おうちジム」でフィットネス、待ったなしだねえ・・・。
「オレは農作業でフィットネスだけど、キミは待ったなしだよ」。
はあ?

でも、IKEAの本棚はえらく重いから、動かすのはひと仕事。週末の仕事ということにしたけど、また大汗をかいての作業で、いい運動になりそうだから、トレッドミルで走るのはお預けかも・・・。

理性でもって、辛抱強く・・・

4月18日。木曜日。あら、今日は雨もよう。気温はまた一桁に下がったけど、暖房システムが正常運転に戻ったおかげで、キッチンもリビングも寒くは感じられなくなった。めでたし、めでたし。

ボランティア英語先生ダブルヘッダーの今日は、カレシを送り出して、まずパルミーダにシーズンフィナーレのミュージカル『Dreamgirls』のオープニングナイトのレセプション出席の返事とチケットの手配の依頼。ハワイから帰って来てからゆっくりと行くつもりだったけど、チケットと交換するバウチャーが残っていないのでどのみち買わなければならないし、せっかくの招待だし。交響楽団のシーズン最後のコンサートと同じ週に立て続けで忙しいけど、まあ、カルチャー生活ってのもけっこう忙しいもんだ。「芸術監督のサークル」のメンバーは追加購入のチケットが25%割引ということで、バウチャーよりも安くついたのかな。

次にボトルの水を配達してくれる会社に、明日は間に合わないとしても、次回までに必ず「2本配達」に変更してくれと、要求のメール。水の消費が減ったのかどうか、1週間おきに4ガロン(約19リットル)のボトル3本だと、使いきれずにだんだん貯まってしまって、置いておく場所がない。そこで、2月に3本から2本に変更するように頼んで、ちゃんと「次から2本になります」と確認が来ていたのに、なぜか3本配達されてしまった。しょうがないから、3月いっぱいは配達停止にして在庫調節を図ったけど、4月になって配達が再開したら、やっぱり3本。注文記録を変更してなかったんだろうなあ。サービスデスクの人たちは朗らかで人当たりがいいんだけど、仕事は仕事。やっぱり、その辺はちゃんとやってもらわないと・・・。

次に、きのう配達されたトレッドミルのマニュアルがまだ来ていないので、買った店に電話。配達の人たちがまだオフィスに戻っていないので(って、24時間前だよ~)送っていない。すぐに送ると言うので、別のメールアドレスを指定。だけど、待てど暮らせどマニュアルを添付したメールが来ない。そうこうするうちにカレシが帰って来て、ネットで調べたら、「印刷版マニュアルが付いて来ることになっている」。ふ~ん、店内に展示してあったのを梱包なしで持って来たからなあ。「よし、電話番号!」 はい、これ! カレシが電話して、結局のところマニュアルは梱包ごと捨てられたらしいという印象。(何をかいわんや・・・。)でも、PDF版のファイルがあるというので、カレシは自分のメールアドレスを教えて、「マニュアルがないと使えない。すぐに送れ!」 (20分後にメールが到着。やれやれ・・・。)

そそくさと夕食を済ませて、44ページあるPDFのマニュアルを印刷。ちゃんと型式番号を確認して、これで安心。実を言うと前のドイツ製のは何とも役に立たないマニュアルしかついていなくて、結局はいろんなプログラムを使うことができなかった。今度のはメディア機能もついているからよけいにマニュアルがないとお手上げ。でも、ざっと見たら、モニターの表示のイラスト入りの解説もあって、わりかし役立ちそうなマニュアル。今度はフィットネスのプログラムを試してみることができそう。いやあ、カナダの顧客サービスは客の側に忍耐が要求されることがあるけど、お客は神サマじゃないから、対等な人間としての立場から理性的に対応すれば、まあ、たいていの問題は円満に解決する。短気は損気、傲慢は放漫・・・。

カレシをダブルヘッダー夜の部に送り出して、ひと息。月末に迫った最後のHST(統一売上税)の申告のために帳簿をつける準備。丸々12%戻ってくるのはこれが最後で、4月1日の記帳からは連邦税(GST)5%、州税(PST)7%に分けることになり、還付されるのはGSTの5%だけになる。何だか損をした気分だけど、州民投票にかけた結果の「民意」なんだからしょうがないな。その間、トロントのデイヴィッドが電話して来て、30分ほどぺちゃくちゃ。ワタシと同じ日が誕生日なので、互いハッピーバースデイを交わした。そうそう、テキサスのシャーラも同じ誕生日。高校時代にはまったく同じ生年月日のパリジェンヌのペンフレンドがいた。世界的に生まれてくるには「いい日」なのかもしれないなあ。

カレシが帰ってきて、あら、また浮かない顔。どうしたのかと思ったら、来週のレッスンは休みだと言うのを忘れてしまったとか。レッスンの初めに知らせるつもりが、遅刻の人を待っているうちにけろっと忘れてしまったらしい。「ほんとにがっかりだなあ・・・」。でも、夕食とランチの順序を入れ替えて、帰って来てからゆっくりご馳走を食べたっていいじゃないの、ちょっと早めに切り上げさせてもらって、と言ったけど、まだ納得が行かないような顔つきのカレシ。しばらく自分のデスクでごそごそ探しものをしていて、「あった、生徒のメールアドレス!これで来週は休みにできるぞ」。あのぉ、ほんとに、ワタシの大きな節目の誕生日だからって、無理しなくてもいいんだけど・・・。

アメリカよ・・・

4月19日。金曜日。晴れて来そうな空模様。起きてテレビをつけたら、まだボストンからの生中継が続いていた。寝る前に午前4時くらいまでずっとテレビに釘付け。ウォータータウンで夜が明けて、明るくなるにつれて物々しい光景がはっきりと見えて来た。リアルタイムの映像だから、伝わって来る緊張感もリアル。アメリカは怒っている。こういうとき、アメリカ人には日頃の主義主張の違いを超えて団結するパワーがある。

テレビの様子からは、逃げていたボストンマラソンの爆破実行犯をどこかに追い詰めたらしい。危険人物ではあるけど、何よりも真相を知るために容疑者を死なせてはならないということだろう。重装備の警官隊は突入するそぶりをまったくみせない。容疑者は10年くらい前に難民としてアメリカに来たチェチェン人の兄弟で、アメリカ国籍だそうな。叔父だという人が自首を呼びかけていた。この人も怒っていた、チェチェン人の恥だ、家族の恥だ、と。「やつらはlosers(負け犬)だ」と。カナダにいる叔母という女性は、「映像は信じられない。官憲をやすやすと信じるわけには行かない。証拠を見せろ」とまくし立て、チェチェンにいるらしい父親は息子たちを褒め称えていた。文化的背景が何となく想像できるような・・・。

買い物から帰って来てテレビを付けたら、まだ中継が続いていて、どうやら特定の家を包囲しているもよう。住んでいる人が人質になっていないといいけどと祈るような気持で、テレビをちらちらと見ながら、買い物の後処理。そのうちにストリートビューの写真が映って、庭のボートがどうのこうの。映っているボートには覆いがかかっている。どうやらそこに隠れていたらしい。上空からの赤外線探知で生きた人間が隠れていることを確認したとか。立て篭もり犯人との交渉のプロが来ているらしい。食事の支度を始めたところで、容疑者を拘束したと言う緊急発表。拍手が聞こえる。やった。よかった。引き上げて行く警察車両を沿道に並んで拍手で見送る住民たち。長い1日だったね。

ずっと続いていた生中継を見ていて、40年くらい前に日本であった「浅間山荘事件」を思い出していた。日本赤軍が浅間山荘と言うところで管理人を人質に取って立て篭もった事件。包囲した警官隊が突入を決めた日、たまたま風邪で欠勤したワタシはテレビの前に座ったまま一部始終を見たのだった。何度も銃声が聞こえたし、建物の解体に使う鉄の球で山荘を壊して行くところも見たし、被弾して血だらけになって運ばれていく人も見た。日本赤軍がメンバーを次々と殺していたことは知っていたけど、こんな銃撃戦なんか、日本で起きるわけがない。嘘だろう、嘘だといいという気持がどこかにあったと思うな。でも、あれはドラマじゃなかった。現実だった。若さの勢いで夢想的に左に傾いていたワタシが「現実」を見た日だったかもしれない。

アメリカよ、もう十分に世界に貢献したんだから、世界の紛争地から難民を受け入れるのはやめた方がいいよ。(極言を承知の上で言うけど)自らを統治する能力のない人たちのために、アメリカ市民の血を流すのはやめなよ。アメリカ嫌い、外国嫌い、異教徒嫌いに凝り固まった難民を教育してあげたところで、感謝するどころか恩を仇で返すだけじゃない。地球上にアメリカが存在する前から近隣の部族といがみ合って、復讐を繰り返してきた人たちが、アメリカがいくら努力しても、民主主義を理解できるわけがない。そもそも「友好国」だって、表向きはいい顔していても、裏では嘲笑しているんだから。自国の安全をアメリカに頼る国々には「自分の国は自分で守れ」と言って、アメリカはアメリカを守ることに専念しなよ。自分を守るのは自分であるのは人間も国も同じことで、自分が安心できてこそ、他人を信じることができるんだから。移民も、「いいとこ取り」狙いじゃなくて、アメリカの役に立つ人たちだけを入れた方がいいよ。

自分の頭で考えるのをやめた人間は、安全も物質や精神の豊かさもすべて誰かが与えてくれるものだと思っている。努力しなくても与えられてあたりまえと思っているから、そうならなかったときに「誰か」を責める。そんなとき、自分で考えて努力しない人間は悪魔のささやきに簡単に洗脳されてしまう。人間界には各自が自ら考えて、自己責任で判断することを善しとしない文化がたくさんある。各自が考えて決めるにとどまらずに、他人の分まで考えてあげてしまう「お人よし」文化もある。集団思考文化もお節介思考文化も、まあ、あんまり人類の未来にとってはいいことはないと思うんだけど、人間の理性は人間が自画自賛するほどには発達していないのかも・・・。

簡単な棚を吊るのは簡単

4月20日。土曜日。夜来の雨が上がって、晴れて来そうな空もよう。昼間は晴れて、夜に雨というのは、理想的な天気パターンかもしれないな。夜のうちに庭の水遣りをしてくれるわけだし。まあ、それを便利だと喜んで、のんびりしてしまったら、雑草が蔓延るばかりだけど。

きのうから防犯アラームのパネルがピッ、ピッとうるさい。月の初めにときどき鳴るようになって、操作パネルを見たら「センサー14番、電池」。カバーを開けてセンサーのリストを見たら、14番は二階の階段上の天井に付いている煙探知器。別に家を建てた時からの探知器があるし、アラームを解除したら警告が出なくなったので、後で何とかしようと放っておいた。ゆうべもアラームの解除操作で止まったので、そのまま寝たんだけど、どうもほんとに電池が切れたらしく、今度は止まらない。そこでカレシがカバーに書いてある番号に電話。まず、電池は契約料金に込みなので無料で交換。月曜の午後に予約。次に、「どうしたら止められる?」煙探知器を外して、電池を取り出して、ピピピピッという警告音が鳴ったら解除するだけ。なあんだ、簡単。カレシが二階に行って、ワタシは操作パネルの前で待機。ピピピピッと来たら、即アラームを解除。ああ、やれやれ、これでやっと静かに朝食・・・。

朝食後は予定通り、ベースメントのオフィスの「模様替え」。まず、カレシがデスクや棚の上、本棚においてある細々したものを奥の部屋に移している間、ワタシはワークショップで道具を集める。あり合わせの材料を使っての行き当たりばったりの工作はワタシの得意技のひとつ。長さ120センチ、幅25センチの棚板が2枚。棚受けは大小ごちゃごちゃある中から2種類を3個ずつ。長短のねじ各種。プッシュドリルにラチェット式のねじ回し、テープメジャー、ヤード尺、水準器、鉛筆。カレシのお片づけが終わったところで、まずはファイルキャビネットを動かして、そこへ本棚を移動。(IKEAの家具はほんっとに重いったらない。)本棚が新しい場所に収まったら、今度はファイルキャビネットをトレッドミルの隣の本棚のあったところに移動。これも何やらやたらと詰まっているから重いのなんのって。2人して大汗・・・。

調度品の移動が終わったところで、棚つり作業。カレシの希望で、すでに2段ある棚の下にコンピュータ関係の本を置ける間隔で2枚。2段目の棚から3つの棚受けの下10-3/4インチのところに印。家の設計も含めてずっとインチの分数計算でやって来たので、なぜか未だにメートル法での計算が苦手だから不思議。分数計算と言っても、材木は1インチの1/2、1/4、3/4が基本中の基本だから、こつを覚えるのはけっこう簡単なんだけど。壁の3つの印をヤード尺で結んで、水準器で水平になるように調節して、棚の下側のラインを決定。すでにある棚の棚受けは石膏ボードの後ろの間柱に固定してあるから、その下に3個取り付け。石膏ボードは柔らかいから、本を置くような棚は間柱の位置を調べて、そこに棚受けをつけないと重さを支えられない。棚受けに棚を載せて水準器でチェックして、さらに下の段を同じ手順で取り付けて、棚板を2枚ともそれぞれの棚受けに固定。オープンになっている端には、本の落下防止に、2段目のすぐ下から4段目まで3/4インチの角材を取り付けて、作業完了!

お待ちかねのカレシはさっそく2枚の棚を本で埋めてしまった[写真]

まあ、これでだいたい土曜日の午後が過ぎて、擦り傷ひとつ、引っかき傷3本、青あざひとつ。ねじ回しを臨機応変に左手、右手、両手で使ったので、手首が凝ってしまった。あしたは肩も腰もコチコチかなあ。そういえば、あしたはバンクーバーの恒例10キロマラソン「Sun Run」の日。初参加で10キロを65分で完走したのは10年前、55歳の誕生祝いだったな。参加者は歩く人や仮装組も含めて約5万人。その後毎年参加するつもりだったのが、翌年は風邪を引いて出られず、それっきりになったけど、今でも記念にゼッケンを取ってある。今年は、ボストンの弔いマラソンとでもいうのか、事件直後から参加者が急増したそうで、主催側は締め切り後の参加者ひとりにつき10ドルをボストン事件の被害者の治療費に寄付することにしたとか。天気予報は曇り空。雨が降らないといいね。

2人でひたすら走っていたあの頃

4月21日。日曜日。起床は正午ちょっと前。マラソン日和のいい天気。起き上がったら、ああ、やっぱり肩の後ろがコチコチの感じだし、両手が痛いし、二の腕の後ろ側の筋肉が痛いし、膝頭にはきのう見えなかった打ち身のあざが2つ。カレシがパンを焼き忘れたので、ワタシがバックベーコンを焼いてマッシュルームを炒め、カレシが玉ねぎ入りのスクランブルエッグを作って、トーストしたイタリアンの丸パンに挟んだ、称して「BBバーガー」[写真]

雲が広がってきたけど、今日の10キロマラソンはもう終わっている頃かな。今年は48,000人ちょっとが参加したそうな。子供用の5キロコースを卒業して、初めて父親と一緒に10キロに挑戦した男の子が「9キロ地点がちょっときつかった」と言っていたけど、私たちが走った時と同じコースなら、9キロ地点はキャンビー橋に上がるランプにさしかかるあたり。車のときはわからないけど、徒歩だと傾斜がかなりきつい。それが橋の向こうのゴールまでもう後1キロというところにあるわけで、距離は短いけど、よけいにきつく感じられる。Vancouver Sun Runの「心臓破りの坂」といったところ。でも、ここまで走ったんだから勢いで走り切ってしまおうという気持になることはたしか。

それでも、キャンビー橋に上がってしまえば、高層のコンドミニアムが林立するフォルスクリークの景観がすばらしいし、街並の後ろにまだ雪を被ってそそり立っているノースショア山脈に向かって走っているような気分は爽快。10年前、ワタシとカレシはあのランプを駆け上がって、橋を渡って、下りランプでは互いにちょっとスパートをかけてみたりして、でも最後は2人並んでゴールイン。だから、新聞に載っていた成績は2人とも65分25秒。なつかしいね、と言ったら、カレシ曰く、「いつかまた出てみる?」 そうだなあ、もう一度ゼッケンをつけて走ってみたいなあ。でも、かなり鈍ってしまったから、今からまじめにトレーニングを始めないとね。

ワタシがカレシと一緒にジョギングを始めたのは2000年の晩秋だった。寒い中を高校のトラックを走るカレシをじっと待っているのが辛くて、自分も歩き始めた。自分の身に起こっていることを頭の中であれこれ整理したり、深く考えたり、時には泣いたりもしながら、ぐるぐると何周も歩いているうちに、いつの間にか走り出して、そのまま走ることが日課になり、やがて毎日2人一緒にゴルフ場の周りを走るようになった。ある意味、2人の「心臓破りの丘」を越えたということだったのかもしれない。並んでゆっくり走りながら、とりとめのない会話をすることで、最終的に大雨のあとの地盤が固まったのかもしれない。

雨の日も風の日も、毎日一周2.7キロのコースを走った。ワタシが膝の半月板を傷めて、走るたびに膝が硬直するようになっても走り続けた。膝の手術をする前の日も走った。手術後10日。で歩き始め、3週間後に元のペースに戻った。2人ともひたすら何かに向けて走っていたのかもしれないとも思う。それで、2003年の4月、保険会社のキャッチコピー「Freedom 55」に倣って、55歳の記念に10キロマラソンに初挑戦。膝の手術をしてから6ヵ月後だった。いきなり10キロなんて走れるのかと思ったけど、5キロ地点を過ぎてからの方が楽だったような気がする。あれはまさにワタシのFreedom 55。60歳を目前にしていたカレシが何を思っていたかは知る由もないけど、ワタシにとっては55歳にして自身の解放宣言をしたようなものだったのかな。うん、またいつかSun Runで10キロをひたすら走ってみたいね。

かくして平穏な月曜日

4月22日。月曜日。今日もいい陽気。朝食の最中に外でバリバリと芝刈り機の音。ガーデナーのジェリーが車道と歩道の間の芝生を刈りに来たらしい。

市の土地なのに住人がそれぞれの家に面した部分の芝生を刈る義務を負わされていて、やらないで草ぼうぼうにしておくと、市役所がやって費用を請求して来る。普通は標準区画の幅が10メートルだから庭の芝生刈りついでにやれば簡単だけど、角地の我が家は前と横。芝生の総延長は40メートルを超えて、ひと仕事になるもので、専門のガーデナーに春から秋まで定期的に刈りに来てもらっているしだい。

朝食が終わった頃に早々とセキュリティ会社の人が来て、煙探知器のリチウム電池を新しいのに取り替え、アラームのシステムをテストして、OK。書類にサインオフして、所要時間15分。これで家中の故障案件はすべて解決。なぜかこういうハプニングはいくつか団子になって来ることが多いから不思議。おかげで、そう感じてはいなくても、けっこうなストレスになっているらしく、何だかくたびれたなあ~という気分。

カレシが庭仕事に精を出している間に、ワタシはひと山ある紙類をシュレッダにかける作業。税務上、会計記録は6年分を保存しなければならないところ、去年の書類をしまおうと段ボール箱を開けたら、何と10年分以上。そこで、2006年度から先のを廃棄処分ということにして、きのうからシュレッダにかけ始めた。

数十枚くらいずつ積んで蓋をするとグジョグジョと裁断。容器がすぐに満杯になるから、それをゴミ袋に移して、またグジョグジョ。ファイルキャビネットを移動したときに出した古いフォルダの中身もついでにグジョグジョ。容量45リットルの袋があっという間に6つ満杯になって、床は紙ふぶきだらけ。埃のせいか喉が痛くなってきたので、今日はもうや~めた。

夜、酒類の空き瓶を返しに行くついでに、レミと(ポーランドの)ウォッカとアルマニャックを買いに、閉店間際の酒屋までひとっ走り。5年前に65歳の誕生日に開けるつもりで買った「1948年ヴィンテージ」のアルマニャックはびっくりするくらい値上がりしていた。それだけ5年の間に供給量が減ったということかな。早々と買って正解だったなあ。

人生最大級の節目の誕生日まであと2日。若いこと、若く見えることがもてはやされるこのご時世に、いよいよ「シニア」になるのがうれしくて、指折り数えているワタシって、やっぱりあまのじゃくなのかな。

この世で確実なもの、それは死と税金

4月23日。火曜日。きのうの夜にトレッドミルの試運転のつもりで15分ほど時速6キロで早歩きしたら、なぜか股関節とお尻の筋肉が痛い。座り続けていてお尻が痛くなるのはわかるけど。でも、久しぶりで気分は良かったな。

今日は天気がいいのでモールまでテクテク運動。気温は15度。薄いジャケットを羽織って出たけど、汗をかいた。片道20分。郵便局の私書箱にぎっしり詰まった郵便物(ほとんどがカタログ類)を引っ張り出して、持って帰るには重いから、モールのベンチに座ってカタログから住所の部分を破り取る。カタログはそのまま興味のある人はどうぞといわんばかりにベンチの端に放置。引き返してCrate & Barrelに。見るだけのつもりが、やっぱり何点か買い物。その足でモール外側の青果屋でトートバッグに入るだけの野菜類を買い、さらにセーフウェイに寄って何点か買い物。帰りはすたすた歩くどころじゃなかった。

帰り着いてから、メールをチェックしたら、とうとう来たぁ!2012年の所得税申告書。4月30日が申告期限なので、ちょっとやきもきし始めていたところ。会計事務所からPDFで送られて来た申告書、カレシのは37ページ、ワタシのは55ページもあるから印刷が大変。カバーレターを読んだら、ゲゲッ。去年は日本での震災や節電の影響で不調だったその前の年に比べて倍以上の収入だったから、少なくともワタシの分はがっぽり取られると覚悟していたけど、追加納税分の金額はカレシと合わせて7千ドル超。今の為替レートだと70万円か。まあ、前年度の税額がベースになる予定納税(勤め人の「源泉徴収」に当たる)の額が少なすぎたんだから、当然といえば当然だけど、やっぱりゲゲッ。

でも、明細をチェックすると、ワタシの追加税額のうちで4600ドルがカナダ年金(CPP)の掛け金。勤め人のように月々の給料からの天引きがないので、納税申告のときにまとめて払うわけだけど、自営業の場合は、4600ドルの半分は事業主の分で、残りの半分は被雇用者の分。今年は5月から払い込みをストップできるから、来年の申告のときは少しは「ゲゲッ」度が軽減されるかな。払い込みを続けて年金の追加給付をもらう手もあるけど、スズメの涙みたいな給付金の額を見て、じょ~だんじゃな~い。払い続けると給付額も増えるというけど、2、3年も払い続けたら、元を取れる頃にはとっくに死んでいそうな感じ。

ということで、追加給付はもらわないことにした。でも、大増収のおかげで今年の個人年金への払い込み限度額が1万ドル超。これはそっくり所得控除になるし、まあ、勤労所得がある限り、70歳まで払い込み続けられるので、こっちに目いっぱい入れて将来の年金を増やす方が理に適っていると思う。でもでも、それは将来の話で、ワタシの今年の予定納税は2012年の納税額を4分して3ヵ月ごとに払うことになるから、1回の納付額がけっこうな金額になる。会計事務所が計算してくれた数字を見て、うへっ、これじゃあすぐに仕事を辞めて遊ぶわけには行かないじゃん・・・。

まあ、「死と税金以外は、この世には確実と言えるものなどない」とのたまわったのは、アメリカの百ドル札になっているベンジャミン・フランクリン。それでも来月からは決まった額の年金が毎月確実に入ってくるから、ぼちぼちと仕事をして、それで税金を払ってあげることにするか。(噂をすれば影とやらで、ゲッ、な~んかでっかい仕事が来た・・・。)

その鎧、脱いでみたら?

4月24日。水曜日。よほどぐっすりと眠っていたのか、ごみ収集日なのに、トラックの音で目が覚めなかった。家庭ごみの週一での収集はこれが最後。来月からは、堆肥用生ごみとリサイクル品が週一で、普通のごみは隔週のスケジュールになる。何重にも折りたたんだ大きな絵入りの説明書が来ていた。

シーラとヴァルに掃除をしてもらっている間に、Whole Foodsへひとっ走り。切れかけていたミルクとオレンジジュースを買って、お目当てのケーキ。ケーキを丸ごと買うなんて何年ぶりかなあ。カレシが「どれがいい?」と聞くから、あっちにしようか、こっちにしようかと迷ったけど、一番最初に目を引かれたイチゴやラズベリーを飾ったチョコレートデカダントに決めた。カロリーがすご~く高そうだけど、まっ、あしたはいよいよビッグバースデイなんだもの、ダイエットはその後に始めればいいってこと・・・。

ブログのホストが去年のブログにこんなことを書いていたというメールを送って来るけど、たまたま去年の4月23日の記事を見たら、(移民や難民を)受け入れる側がいくら異文化や異民族に寛容であろうとしたところで、「相手が心を開こうとしなかったり、(遠い外国の)自分たちの常識や規範を鎧のようにまとったままでいたら」、そうそういつまでも寛容ではいられない、というようなことを書いていた。最近立て続けに起きたテロ事件や、小町横町や(昔よく見ていた)ローカルの日本語掲示板に出て来る「海外在住者」の居住国やその国の人たちに対する不平不満や嫌悪感の根底には、ある意味で頑なに母国の「鎧」を脱ごうとしない「不寛容」もあるのではないかと思えて来た。

これは個人的レベルの問題であって、受け入れ側には解決できないものではないかと思う。だって、鎧を脱げと言えば、活動家やリベラル族から差別だ、不寛容だと糾弾されてしまうもの。でも、異なる文化習慣の実践に寛容であることを要求された上に、相手の不寛容さにも寛容であることを要求され、さらには自国の文化や習慣を尊重しない「権利」を認めるように要求されたんでは、どこの国の誰だっていい加減に「帰れよ」と言いたくなるだろうな。大多数は自発的に移り住んだ国に溶け込む努力をして、その社会の一員なっているわけで、そういう人たちにとっても迷惑な話だと思う。でも、「そんなに嫌なら帰ればいいのに」と言えばまた不寛容だ、偏狭だと非難されるから、ひさしを貸して母屋を取られたような、腹ふくるる思いで、「鎧」を脱がない人たちへの不満や反感を溜め込んで行くわけで、何だか負のスパイラルになっているような・・・。

「郷に入らば郷に従え」は世界共通の諺なんだけど、「郷に従う必要はない」、「郷に従うのは母なる郷への裏切りである」・・・そうやって自らを疎外することで自分を保っている人も、どこから来た誰に関係なくたくさんいる。「ムラ社会」的な束縛の強い文化環境から来た人に多いような印象を受ける。大人としての判断で来たはずだけど、慣れ親しんだ環境とは異なる社会で暮らすストレスや異言語での意思の疎通が自在にできないことへの苛立ちや挫折感を乗り越えられない人も、どこから来た誰に関係なくたくさんいる。失望して母国へ帰る人たちもいれば、まるで「chip on one’s shoulder(けんか腰)」とでもいうような姿勢で嫌悪感や不幸感を募らせて行く人たちもいる。(これは「来てやった」と思っているタイプにありがちな態度のような・・・。)

でも、その「鎧」を脱がない限り、郷に溶け込めないイライラは止まらないと思うんだけどな。誰も「鎧」を捨てろとまでは言ってない。脱いだ鎧は家の中の特等席に先祖伝来の家宝(民族の誇り)として飾っておけばいいんだし、大多数はそうしている。みんな何らかの形で幸せになるために来たんだろうに、期待していた「幸せ」を与えられなくて失望しているのか、あるいはその国で「幸せ」とされることが自分規格に合わなくて不満を囲っているのかは知る由もないけど、結果的には「早く鎧を脱いだもん勝ち」であることは否めない。新しい鎧をまとって世界へ出て行く傾向もたしかにあることはあるけど、それを行く先で脱ぐか脱がないかは個人の問題だと思う。重い武者鎧を着てどや顔をしても、自らの身動きを制限して疲れるだけだから、ちょっと脱いで横に置いといて、身軽に街へ出てみたらいいと思うんだけど・・・。

ハッピーバースデートゥミー

4月25日。木曜日。4月25日。「ザ・ビッグ・デイ」のその日は春らしい陽気。(生まれた日は雪が降っていたという話を聞いたことがあるけど、真偽のほどは・・・。)

妹がとてつもなくうれしくなるバースデイカードで祝ってくれた。[写真]

ワタシは自分の誕生日がうれしい。自分という人間がこの世に生まれて来た記念日だし、重ねた年は人として生きて来た歴史でもある。仮死状態で生まれて来て、人生の初っ端で生と死の岐路に立っていたワタシ。たぶんこれがほんとのワタシのComing of Age(成人)かな。総合的に振り返ると、幸せな人生だったと思う。これからの人生は、この積み重ねてきた幸せを楽しまなくちゃね!

いろんな占いやら風水やらを総合すると、春に生まれた子は人生に情熱を持ち、粘り強くてちょっとのことではめげず、好奇心と独立心が旺盛なマイペース型で、女の子ならおてんば。いつまでも子供っぽい雰囲気を持っていて、制約がなければ持てる力をうまく発揮できるんだそうな。ふむ、当たってるかなあ、これ。

ワタシの干支は「つちのえね」。「土」は不動の大地、「戊」は固い地面を押し上げて芽を出すさま、「子」は種の中に新しい生命が芽生えるさま。まさに、命が芽を吹く春だけど、がむしゃらな努力で猛進するように運命付けられているようでもあるな。

ハッピーバースデイトゥミー!

自分でご馳走を作る誕生日

今年も誕生日のディナーは極楽とんぼ亭の気まぐれシェフの思いつき料理。自分の誕生日には、シェフは何でも好きなものを作っていいよね。とっておきのディナーセットを出してきて・・・。

今日のメニュー:
 パースニップのヴェルーテ
 ぼたんえびの蜂蜜ショウガ蒸し、ガーリックアイオリ
 自家製ロブスターのラヴィオリ、ロブスター入りレモンクリームソース
 牛ヒレ肉のステーキ、ラズベリーソース、温野菜添え
 (チョコレートデカダントケーキ)

まずは特製のマティニで乾杯して・・・。

[写真]  パースニップ(あめりかぼうふう)にはかんきつ類のような、ミントのような香りがある。リークといっしょにチキンストックで煮て、梨を少々加えてハンドブレンダーでピューレに。グレープフルーツのビターを数滴垂らして、クリームで仕上げ。ちょっと考えて、デミタスカップで出してみた。

[写真]  ぼたんえびはローカルの産。冷凍だけど、かなり丸々としていた。殻を外して、蜂蜜しょうがでマリネート。これはしょうがを煮出して、蜂蜜を加えて煮詰めたもので、ソーダに入れてジンジャーエールにするもの。えびを蒸して、ローストガーリックのアイオリ(市販)と一緒。もう少し味を利かせると良かったかも。

[写真]  初めて作ってみたラヴィオリ。まずは卵ひとつで作れる粉の量(100g)を量って、オリーブ油を少し加え
ながら、テニスボール大に捏ね上げた。これをパスタメーカーで伸ばして、伸ばして、また伸ばして2枚。オリーブ油でさっと炒めた刻みねぎとにんにくを冷ましておいて、スーパーのフリーザーで見つけてきたロブスターの身を解して塩ヨーグルトと混ぜ、パルメザンチーズをガリガリとおろして、最後にねぎとにんにく。1枚のパスタの上に等間隔で載せて、もう1枚をかぶせ、空気を抜いて、クッキーカッターで丸く型抜きして、食べる直前に茹でた。(生パスタは茹で上がりが早い。)ソースはバターとロブスターの身とレモンとクリーム。飾りにサーモンキャビア。初めてのトライにしてはけっこうおしゃれな1品になった。

[写真]  ここで赤ワインに切り替えて、牛のフィレ肉のステーキ。サリッシュ族の燻製海塩と挽きたての胡椒だけの味付け。ソースはフリーザーにあったラズベリーを解凍して、適当につぶしてワインを加え、梨のスライスを添えた。ポテトとフレンチインゲンを蒸して付け合せ。うまくミディアムレアに焼きあがった。

[写真]  デザートはWhole Foodsで買ってきたデカダントケーキ。スポンジはなくて、中の中までこってりとチョコレートクリーム。まっさらのまま買ってきたので、思いついてステンシルを作って、アイシングシュガーで「65」。ろうそくを65本も立てたら山火事みたいになってしまうしね。ケーキのお供はソーヴィニョンブランのレイトハーヴェストワイン。アイスワインはこってりと甘すぎるけど、レイトハーヴェストはすっきりとした甘さかな。こってりケーキにぴったり。

さて、2人とも満腹すぎて、ランチはスキップ。でも、いい日だったな。後は、この日のために買っておいた1948年ヴィンテージのアルマニャックを寝酒に一杯・・・。

日常は相変わらずのまま

4月26日。金曜日。起床は午前11時半。天気は予報通りに下り坂の気配。

きのうは食べ過ぎて、飲み過ぎて、仕事にならなかったので、今日は気合を入れての仕事日。すごい量があるし、週明けは眼科の検査と芝居があるし、腕をまくって、ねじり鉢巻、たすきがけ。半現役、半引退はどこぞの話だったやら・・・。

今日から本格的にトレッドミルでの運動に戻る。カウントダウンの時間を20分に設定して、足慣らしに1週間ほどは時速6キロ強での早歩き。しばらくすると12月に傷めた右足の中指の辺りが疼いて来たけど、指と関節が少々変形してしまったみたいだからしょうがない。元気良く、大きく腕を振って、歩け、歩け・・・。

ちょっと汗をかくくらいの運動すると、何よりも集中力が向上する気がする。この1年近くはあっちに寄り道、こっちで道草をしながら、何となくちんたらちんたら仕事をしていたのは、やっぱり運動不足が大きかったかもしれないなあ。じっとしていたんでは、酸素が脳みその隅々まで行き渡らなくなるってことか。運動すると気分が爽快。世の中の展望も何となくアップビートだし・・・は、ちと期待しすぎかな。

大きな節目を越えたから、今日から新たな日常。といっても64歳だった24日の自分と65歳になった25日の自分の間に目に見えるギャップがあるわけがない。白髪やしわが急速に増えるわけでもなければ、いかにも「おばあちゃん」という印象になるわけでもない(と思う)。鏡を見ても、24日のワタシと同じ顔、同じ服装、同じ性格、同じ人間。ま、日常にもすぐに大きな変化が起きるわはずがないな。人生はスペクトラム・・・。

この10年ほどの習慣のまま、正午前後に起床、朝食、遊びまたは仕事(または家事)、運動、夕食、仕事、ランチ、仕事、寝酒、そして午前4時ごろに就寝・・・。この「仕事」の部分が「遊び」に取って代わられるのはいつかなあ。まっ、これからは「副収入」みたいなもんだから、遊び資金を稼ぐつもりで、とりあえず目の前の仕事に精を出さなきゃ。

ポイ置き魔のいる家

4月27日。土曜日。寝ている間に雨が降ったもよう。ポーチの温度計は正午でやっと10度。去年に続いて今年も春は低温がちという長期予報だったけど、はて・・・。

今日も大まじめに仕事。日本はゴールデンウィークなので、ワタシのデスクもいたって静かなもの。何個かあるファイルの一番大きいやつは連休明けが期限・・・。

「今日のサラダ~」と、カレシが見せてくれたのはひと握りのほうれん草の若葉。
あはっ、ベビーほうれん草、大好きっ!
「じゃあ、ほうれん草責めにしてやる。摘めば摘むほど新しいのが伸びるから」。
うん、うん、毎日でもいいよ~。
「ねぎは種をまくのが早すぎたみたいで、全然芽が出て来なかったよ」。
でも、忘れた頃に芽が出て来たりすることがあるよ。(あっ、そこにほうれん草を置いて行かないでよ~。)ほうれん草、冷蔵庫に入れておいたらパリッとするんじゃない?

寒いからと早々に庭仕事を切り上げたカレシ、脱いだフリースのシャツを持ってうろうろ。ははあ、どうやらポイ置きするところを探しているな。
「やれやれ、どこに行ってもオレの着るものが見つかるから、驚きだなあ」。
(そうだろうねえ、あっちの椅子の背、こっちのソファの上・・・。)
「ほらっ、4枚もあった」と、ひとかかえのシャツ。

カレシの老眼鏡もそうだけど、上っ張りにしているシャツを暑いからと脱いで、手近なところにポイ。寒くなって来たら別のシャツを着込んで、暑くなったらそれも脱いだところでポイ。へたをすると家中の椅子の背にシャツがかかっていることがある。スウェットパンツをソックスと一緒に脱いで、ポイ。朝起きて足を突っ込んだら、裾から足と一緒によれよれのソックスがぽろっと出て来て、爆笑することもしばしば。

家の中が片付かないことは確かだけど、「専業主婦」はやらない方針のワタシは知らん顔。その代わり、小町横町のウルトラ几帳面ミセスたちのように、だらしないとか、いい加減だとか、マナーが悪いとか、あれやこれやとうるさいダメ出しもしないな。(ワタシみたいなずぼらな奥さんをもらって、幸せだよね、カレシは。)自分がどこかに置きっぱなしにして忘れたものは、自分で探して見つけてね。(どこにあるか知っていても教えてあげないよぉ~だ。)

それにしても、かき集めて来た4枚のシャツ、今度はいったいどこに置いたのかな。まさかひとまとめにポイってことは・・・ありえるなあ。何たって、ワタシのカレシは筋金入りの「ポイ置き魔」なんだから。

緑内障なし、白内障あり

4月29日。月曜日。午前11時に起床。いい天気。でも、朝食後、まずは今日の夕方に納品する仕事の手直し作業にかかる。日本語の堅苦しい原稿をそのまま堅苦しく訳したんだけど、内容から読む人を推測して、少し平易な文体に変えることにした。いうなれば、字画の複雑な漢字だらけで見ただけで疲れそうな文章を、ひらがなの多い「読む人にヤサシイ」ものにするようなものかな。翻訳にも「TPO」みたいなものがあって、それに文体を合わせるのはけっこうおもしろい。

もうあと少しというところで眼科の検査に出かける時間。ささっと着替えて、地下鉄の駅まで早歩き15分。れっきとしたシニアになったので「割引料金」の切符。普通料金より1ドル安くなる。2ドル硬貨を1個入れたら、カチャン!と25セント硬貨が落ちて来た。眼科のオフィスはシティーセンター駅を出たらすぐそこの高層ビルの14階。ガファー先生から引き継いだコマニッキー先生がまずファイルに目を通しながら前回の「おさらい」。(先生の頭はまるでサッカーボールみたいにまん丸!)検眼をしてからコンタクトを外してまた検眼。今回はまぶしい赤と緑の背景が並んでいて、どっちの色の方でその上の文字が見やすいかもチェック。(紫の残像ができちゃったじゃないの。)

だいたいルーティーンの検査が終わったところで、「白内障の手術が必要ですね」。ほお、とうとう来たか。何年か前に第1期だと言われ、前回は第2期に入るかなと言われた。手術が必要ということは、第3期なのかな。この1年ちょっとでかなり進行のペースが早まったのかな。そういえば、PCの画面の黒い文字の色あいが前ほど濃く見えなくなった感じで、ディスプレイの設定をいじってみたりしていたけど効果がなかったのは、ワタシの目が原因だったのか。(よく見ても、それほど濁っているようでもないけど・・・。)

まあ、今年は仕事の整理もあるし、旅行の予定も決まっているので、手術するとしたら早くても来年早々かなあ。今使っているコンタクトレンズと同じく、右目で遠くを、左目で近くを見るように処方したレンズを埋め込むそうなので、眼鏡がいらないらしい。要は、コンタクトレンズを直接目玉にはめ込むようなものか。コマニッキー先生曰く、「目が覚めたときに時計の時間がはっきり見えるよ」。う~ん、別にはっきり見えなくてもいいんだけど。それでも、35年近く(半生以上!)も使って来たコンタクトレンズが不要になるのはうれしいな。毎日朝晩に入れたり、外したりしなくてもよくなるし、保存液や洗浄液を買わなくてもよくなるし、旅行するときにも道具を持って歩かなくて済むようになる。

今日は緑内障の兆候の有無も検査。簡単に手術で機能回復できる白内障と違って、こっちは失明したら一巻の終わりになるからこわい。機械の中で中央の光に視点を合わせて、視野の中でピカッと光が見えるたびにボタンをカチッ。ビデオゲームみたいでもあるけど、いつどこにどれほどの明るさで現れるかわからないから、けっこう緊張する。その結果、眼圧は正常域にあって、数字が前回から変わっていないので、緑内障の心配はまったくなし。実はこっちの方が心配だったので、よかった。緑内障になるリスクは男性よりも女性の方が高くて、アジア人は他の人種よりもリスクが高いらしい。つまり、「アジア人女性」の緑内障リスクは他のどのグループよりも高い。コマニッキー先生曰く、「毎年ゲームをしにおいで」。

白内障の手術は、やると決めたらすぐに専門医に紹介してもらって、いろんな検査や準備を経る。実際の手術は、眼内レンズの技術の進歩と手術のテクニックの進歩のおかげで15分もかからずに済むらしい。まずは一方の目だけにレンズを埋めて、もう一方の目はコンタクトを使用。3週間後にもう一方の目も手術して、最終的に眼内レンズが馴染んで落ち着くまでに3ヵ月くらいとか。でも、手術した翌日にはもう視界がはっきりして、「もっと早くやればよかったと思うよ」というくらいらしい。まっ、世の中、はっきり、すっきり、明るく、ばら色に見えるのが何よりだよねっ。

芝居の開演に遅刻しちゃった

4月30日。火曜日。目を覚ましたら正午過ぎ。いい天気が続いている。きのうはかなり風が強くて、寒いくらいだったけど、今日はわりと穏やかそう。

遅い朝食が終わって、仕事があるというのにのんきにThe New Yorkerを読んでいたら、リビングの窓でコツコツ。外にライラックの木があるので、風で枝が揺れて窓ガラスに当たのかと思ったけど、それほどの風が吹いているようでもない。なのに、休み休みコツコツ・・・。いったい何なんだと思って、窓の薄いカーテンをちょっと除けてみて、びっくり。小さな鳥が下の窓枠に止まって、窓ガラスをコツコツと突いている。どうもsiskinというヒワの一種らしい。目と目が合っても飛んで行くそぶりを見せないのは、ガラスに空が反射して窓の中が見えないのかもしれない。枝に飛び移ったと思うと、また窓枠に移って、コツコツ。何をやっているんだろうなあ。いつだったか、つぐみがしつこく窓に体当たりして困ったことがあったけど、春だからかな。ガラスに映った自分の姿に恋をして、猛アタックとか・・・。

仕事をひとつ片付けて、今日は芝居。『My Turquoise Years』という、地元の作家の小説を脚色した作品で、1960年代のビクトリア郊外のコルドヴァベイの浜辺の家が舞台。世界中を遊び回る母親に捨てられた形で伯母夫婦と一緒に暮らしているマリオンという思春期の少女が主人公で、突然その放蕩ママが来るという電報が来て、てんやわんやという筋書。もう20年以上前になるけど、内陸のオカナガン地方を舞台にした『My American Cousin』というカナダ映画があって、あれも1950年代の終わりという時代設定だった。こういう地元作家の作品は、カレシの家族の昔語りと同じように、カナダ人としてのワタシの「記憶」の空白を埋めて、カレシと共有できる「仮想的過去」を作り出してくれるに貴重な存在でもある。

グランヴィルアイランドの平日の夜は無料の駐車スポットがたくさん空いているので、車を止めるのは簡単。ボックスオフィスでチケットを受け取って、「まだ時間があるから散歩しよう」と言うカレシの後について、劇場裏の水際を散歩。フォルスクリークの対岸はダウンタウンの高層コンドミニアムが並び、「アクアバス」というミズスマシのような小さなフェリー(料金が高い!)が往来し、カヤックを漕ぐ人たちがすいすいと通り過ぎる。写真を取るにはいいところだなあと言いながら、劇場に戻ったら、ん・・・?

芝居はいつのまにか始まっていた。月曜日と火曜日は午後7時30分開演なんだそうで、週の早い日に来たことがない私たちはてっきり普通に午後8時開演だと思っていたのだった。イケメンのお兄ちゃんが、「適当なところで中へご案内しますから、ここで見ていてください」と、二階のラウンジのステージドアそばにあるモニターをオンにしてくれた。持って来てくれた椅子に座って、しばらくの間モニターで芝居を見る。何だかプライベートな「特別映画試写会」みたい。

「適当な」ところで、劇場の中に案内されて、一番後ろの空いた席に着席。休憩時間になったところで、予約した席に行けばいいわけだけど、まあ、半分くらいの入りだから、前に誰も座っていなくて、ステージ全体がよく見渡せる。その休憩時間にイケメンおにいちゃん(たぶん俳優の卵だな)に、カレシが「満員御礼のときに遅れて来た人がいたらどうするの?」と質問。そういうときのために、一番後ろの席の一部をいつも空けておくんだそうな。へえ。お兄ちゃん曰く、「いっつも遅れてくる女性がいるんですよ。この劇場では常連のお客なんですけどね」。へえ、それでいつも遅れてきて、ラウンジで鑑賞するのかあ。世の中、ほんとに変わった人もいるもんだなあ。

作品は基本的にはコメディだけど、テーマは「人間は家族を選ぶ能力を持っている」。単に先祖を共有するというのではなくて、愛と献身を通じて、お互いに「自分の家族」と認め合ってなる「家族」。なかなか奥の深いテーマだけど、ほろっとさせるエンディングは良かった。でも、これからは遅刻しないように気をつけなくちゃね。


2013年4月~その1

2013年04月16日 | 昔語り(2006~2013)
どうせ井の中の蛙なら

4月1日。月曜日。イースターマンデイ。ついでにエイプリルフール。今日から4月。もう4月になったというべきかな。4月はワタシの誕生月。今年はいよいよ65歳。西洋暦には「還暦」という考えがないから、65歳になってやっとシニアで「老後」の始まりカレンダーを見たら、ワタシの誕生日は満月だって!満月の光は人の気を狂わせるというけど・・・。

でも、ワタシって、ずいぶん気が触れたんじゃないかと思われそうなことをやって来たような感じがするな。異人種との結婚がまだ家族や親戚からの猛反対に遭うことが多かった頃に、よりによって「好き」というだけで、今どきの人なら二の足も三の足も踏むような男と一緒になるために太平洋を渡って来たのがその最骨頂だったかもしれない。「クリスマスケーキ」と揶揄された25歳の夏がその始まりだったから、指を折ってみれば、この夏で40年、カレシと切手蒐集を通じて知り合ってから44年か。海を渡って来て38年、1万3800日余り。1日たりとも後悔したことはないし、日本を恋しいと感じたことさえなかったから、筋金入りの狂気だったんだろうな。

おりしも、小町横町を散策していて、変化の激しい先進国でない国(中国か?)に住むこと10年、「日本の生活があまりにも平和で静か」で、自分のいる状況をまったく理解できないし、する気もない「日本にいる日本のことしか関心がない家族や友人との会話や距離感」をどうしたらいいのか・・・という悩みを小耳に挟んだ。悩みの主はその「ずれ」をギャップと捉えて、「自ら好きで海外に暮らしている」人にどうしたらいいのか教えて欲しい、と。考えてみたけど、何が「ギャップ」なのかよくわからないので、アドバイスはできそうにない。だって、日本に住んでいる日本人が日本のことにしか関心がなくたって、日本人なんだからいいじゃないかと思うし、日本の生活があまりにも平和で静かなら、好き嫌いに関わらず「海外に暮らしている人」にとっては喜ばしいことじゃないかと思うけどな。この人は海外で肩肘を突っ張って働いている一方で、その気負いの故に、日本に一時帰国すると「海外在住日本人(海外でがんばっている日本人の私)」の目線になってしまうのかもしれない。

まあ、短期滞在組から定住組まで、日本を出て数年は「日本なら」、「日本だったら」と、現地の「欠陥」に対して不満たらたらな人が多いけど、環境に慣れるまでは、すべての価値判断に「母国」の基準を当てはめては現地(人)(の価値判断基準)との間に「ギャップ」を感じるのは人類共通だと思う。でも、この人の場合はそれを10年経って日本で家族や友達との会話の中で感じるわけで、日本と言う枠組みの外、家族や友達という集団、つまり、「群れ」から外れることへの見捨てられ不安のようなものがあるのかな。おそらく、日々海外で遭遇する「現地(人)とのギャップ」との葛藤に疲れて来て、せめて日本にいる友達や家族にはその大変さをわかって欲しいのに、相手はまったく興味を示さず、平和ボケで幼稚なことに現を抜かしていて、共通の話題さえない。ああ、ここにも深い溝(ギャップ)が・・・というところなのかな。

ワタシが海を渡って来た38年前は、ITは先史時代。インターネットも何も存在していなくて、日本の情報はなかなか入って来なかった。おかげで、毎日の生活のすべてを学び直すことに集中できて、その過程で日本が否応なしに遠くなって行ったんだろうと思う。今は成田に降り立つたびに、外国人専用の窓口で、愛想のない入国管理官が「何しに来たの、あんた?」と疑り眼で質問し、日本国民には不要の指紋と写真を採取して、90日の滞在許可をくれて、日本の土の上ではワタシは「外国人」であり、「日本」はワタシにとって「外国」なんだということを、日本国政府がしっかりと確認してくれる。ワタシとしてはそれに何の不都合も違和感もないので、ごく自然体で日本を闊歩して来る。あまりの天然ぶりに、日本で会う人たちには呆れられているかもしれないけど、違和感は持たれていないんじゃないかな(と思うけど)。でも、今の生活があるところ以外に「帰るところ」がある人にとっては、「望郷」という感情もあって、何年経っても折り合いのつけにくい、難しい問題なんだろうと思う。

トピックにはいろいろな人からの助言や批判、共感が集まっていたけど、その中で「みんな井の中の蛙。違うのは井戸の大きさと風通しだけ」というのがあった。掲示板にはもったいない。名言としてどこかに残しておきたいくらいの名答。まあ、ワタシはどこの井戸の蛙でも、蛙は蛙だと思っているから、「オレんとこの井戸はこんなにでかいんだぞ/すごいんだぞ/名水なんだぞ」と言われたら、ワタシんちの井戸もそうだよっと思いつつも、、「蛙の面に水」でそうなのぉ~と乗ってみるけどな。そこから蛙の大合唱に発展することだってあるんだし・・・。

ちょっとうるさいんだけど・・・

4月2日。火曜日。何だか鼻がむずむずする感じで目が覚めたら、先に目を覚ましたカレシがワタシの鼻をくすぐっている。こらっ、せっかくよく眠っていたのに~。

連休が明けたとたんにちょっと涼しい。空の色も何となく高曇り。また雨になるのかな。ワタシは今日が期限の仕事の見直しと仕上げ。カレシは庭仕事。ニラやモロヘイヤの種を蒔くというけど、日本から買って来たものだから、袋の説明書きは日本語。それをまとめて持って来ればいいものを、ひとつずつ持って来て、クエスチョ~ン。

「これ、何て書いてあるの?」
えっとぉ、種まきは3月下旬から6月ね。プランターに蒔いて、間引きして、庭に植え替えて、ああたらこうたら、なんちゃらかんちゃら(と、同時翻訳)・・・。

仕事は見直しだけだから中断もいいんだけど、3つ目の袋は中国語ときた。写真はほうれん草のようで、そうでもなさそうな。よく見たら、簡体字がある・・・。

「打ち込んで印刷してくれたら、あさって教室に持って行って生徒に聞いてみる」。
でも、中国語だよ、これ。おまけに簡体字だよ。フォントがないよ。このまま袋ごと持って行って生徒さんに聞いたほうが早いんじゃない?
「あ、そうだな。それがいいや」。

夜になると今度はオフィスのワタシの後ろで何やらごそごそ、がさがさ、バタバタ。仕事は終わって遊んでいるからいいけど、う~ん、ちとうるさいなあ・・・。

「めがねが見つからない」。
(あ~あ、また・・・。)置き場所を決めておけばいいのに。
「置き場所は決めてあるけど、めがねがそこにないんだよ」。
(うん、いっつもそうだねえ・・・。)どうして?
「どうしてって、置き場所を忘れて別のところに置くから」。
(あ、ちゃんとわかってるんだ。言うことなし・・・。)
「あった、あった!すぐ目の前にあったのに気がつかなかったなあ」。

探していためがねはケースに入れて置いてあった。どうやら、めがねを探すことに集中して、脳内には「めがね」の画像しかなくなって、目の前の「めがねケース」が見えても捜索レーダーにはキャッチされないらしい。だから、その中に「めがねが入っている(かもしれない)」という思考にならない。しょっちゅう探しものをしているカレシにはよくあるパターンだけど、う~ん、あっちこっちとうろうろするから、ちとうるさいなあ・・・。

年月というものは

4月3日。水曜日。ゲートでチャイムが鳴っているような、夢を見ているような感じがしていたけど、起床は正午過ぎ。チャイムの音は夢ではなくて、郵便局の不在通知が残っていた。バックオーダーになっていた「足のマッサージ器」。コレステロールの治療薬の副作用に遭って以来、カレシが足が冷える感じがするというので、注文してあった。ワタシの捻挫した足指のリハビリにもいいかもしれないな。

郵便局のもうひとつの置き土産はイギリスのFolio Societyからの本。(サインオフしなくてもいいので、いつもロイヤルメールの大きな郵袋に入ったのをどんと置いて行く。)春のセールで3冊注文したら、おまけの本1冊とちょっとすてきなティータオル1枚。注文してあったのはヘンリー・グリーンの『Loving』、ツルゲーネフの『First Love』(『初恋』)、スティーブン・ピンカーの『How the Mind Works』(『心の仕組み』)。おまけについて来たのは分厚い『Memory of the World』(『世界の記憶』)で、ユネスコの世界記憶遺産の本。日本からは山本作兵衛という人が残した炭鉱の絵と記録。これ、去年釧路を訪れたときにJ子に連れて行ってもらった市立博物館でたまたま展示されていた原画を見たっけな。

午後いっぱいのんびりして、Arts Club Theatreの50周年シーズンのキックオフ・パーティに出かけた。去年はキャンペーンがあるたびに寄付をしているうちに金額が一定ラインを超えて「芸術監督サークル」(ADC)に入ってしまって、支援者向けのいろんなイベントに招待されるようになった。(老後はボランティアとして関わらせてもらおうと思っているので、今年はとりあえずその一定額をまとめて寄付したら、芸術監督から直々にお礼の電話が来て、口達者なはずのワタシはびっくり仰天してアワアワ・・・。)

パーティの会場はダウンタウンにある「バンクーバー国際映画センター」。バンクーバー国際映画祭の本拠だけど、かってここに建っていたレンガ造りの元ゴスペルハウスが地元の演劇人の集まるクラブになり、やがて劇団として旗揚げした「原点」。バンクーバー市の「記憶遺産」のようなものに指定されて、今日はその銘板の除幕式の日でもある。このあたりは今でこそ高層コンドミニアムが林立して、おしゃれな地区になっているけど、ワタシが来たばかりの頃は古い家がまだたくさん残っていて、その中にのおんぼろの建物にArts Club Theatreという看板がかかっていたのを覚えている。見たところは場末の芝居小屋という感じだったな。

カレシは二十歳を出たばかりの頃に、当時のガールフレンドに連れられてそのおんぼろ劇場で芝居を見たことがあった。『Hot L Baltimore』(ホテルのEのネオンが消えていて「ホットL」になっている)という、アメリカで物議をかもした芝居だったそうだけど、貧乏な「ブルーカラーワーカー」で、まだ芸術や文化には興味のなかったカレシ。裕福な家の跳ねっ返り娘だったガールフレンドがチケットがあるから一緒に行こうというので、タダならいいかと付いて行ったのが大雨の夜。びしょ濡れのままで固い折りたたみ椅子だった座席に座っていたそうだけど、芝居そのものは楽しんだらしかった。でも、それから50年近い後にその劇団の「懐」に潜り込んで、シャンペンを飲みながら名士の群れを観察しているなんて夢にも思わなかっただろうな。

パーティが終わって、久しぶりにイエールタウンのCioppino’sで食事。なぜか、昔は月に一度だけ、日曜日のランチにマクドナルドでハンバーガーを食べるのが唯一の「外食」だったなあ、と何となくしんみり。そうだったねえ。結婚と同時にカレシが会計学の学位を取るために大学に戻ったもので、1年ほどは超がつく貧乏暮らしだった私たち。ワタシが持って来た貯金で生活して、カレシが無事に卒業して見習い会計士になったときには1ヵ月分の家賃を払えるくらいしか残っていなかったな。見習い会計士の給料はすずめの涙。ワタシが永住権が取れてすぐに運よく就職できて、やっとひと息つけた。そのときのワタシの給料はカレシのとあまり変わらなかった。お祝いに初めてのデートで行ったレストランに行ったね・・・。

おんぼろ小屋で旗揚げしたArts Clubは50年かけてここまで発展して来た。私たち38年かけてここまで発展してきたんだよね。年月って、そうやってレンガのように積み上げて行くものだと思う。

自分がないほど自己中というパラドックス

4月4日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。電池がなくなりつつあるのか、何とも頼りないピーコ、ピーコ。もう少しで目が覚めないところだった。外は小雨模様。気温は11度。

ばたばたとカレシを送り出して、はて、仕事を始めようか、ちょっとサボろうか。結局、サボるほうを取る。何となくサボることに慣れて来た感じがしないでもない。平和ボケと言う精神状態があるなら、余裕ボケというのもあっていいと思うけど。例によって、小町横町をぶらぶらと散歩。あちゃ、また(あるいは「まだ」)左利き是非論をやって、すごい数のレスがついている。今度は彼氏の親に左利きであることを非難されたと言うもの。まったくもういい加減にせんかいな~と思いつつ、まとめて呼んでみたら、ここでもまた例のごとく「親の躾が悪い」。で、かなりある擁護論に混じって、「直せばいいだけのことで傷つくほどのことか」とか、「娘がそういう目に遭わないように矯正する」とか、「息子の嫁に左利きは嫌」。はては、マナーに反する、育ちが悪い。そして、極めつけは、「周囲に迷惑をかけていることが理解できないのか」。

それではたと、昔の日本は「恥の文化」だったが、今は「迷惑の文化」にであるというエッセイ?を読んだのを思い出した。これは、左利きもへったくれも関係ない。「人に迷惑をかけるな」という大義名分を逆手に取った虐めなんだ。誰のエッセイ(あるいはブログ?)だったか忘れたけど、「恥」というのは自己から生まれるもので、自制心が重要であり、これに対する「迷惑」の概念の根底にあるのは他人の意見であって、批判されたくない、嫌われて孤立したくないという怖れによる外部からの抑制だと言っていたと思う。つまり、昔の日本人は「恥」という概念(「良心」の概念に近いような感じ)によって自己を確立し、自らを律していたということかな。「迷惑の文化」では、他人のことを恥ずかしく思う人が多いらしいけど。

民主主義教育で、人のいうことを聞き、人の意見を尊重しなさいと教え込まれたのはいいけど、大前提になる「自分の考え」を持つことをせずに他人の言うことばかりを聞いていたら自分というものがなくなる。それは律するべき自分がないということでもあるな。自分の考えというものがあるからこそ相手の言い分を聞いて理解することができると思う。でも、自分の中に「自分」というものがなければ、他人に「自分」を求めて、それを内なる空白に取り込むしかないだろうな。そうすると、他人は別個の人格を持った人間には見えなくなる。なるほど、「かくありたい自分」のイメージが強い人ほど、他人にそれを具現させようとするのはそのせいか。心理学で言う「自他の境界」を越えるということかな。だから、「自分はこうだ」と自己表現する人に出会うと自分が見えなくて不安になるのか。不安感は本能的な感情だと思うから、それで、他人のあれこれを生理的(本能的)な感覚で「嫌い!」と拒否するのかもしれない。幼児の人見知りと似たような現象かな。

まあ、左利きなどのマイノリティの存在を迷惑だと言ってしまうような人は、他人の何もかもが気に入らなくて、あれこれと難癖をつける人なんだろうと思う。右利きが左利きの左側に座ったら迷惑かなんて、考えたこともないだろうな。左利きの目には、自分が左手を使えないから左利きは不便だろうと決め込む不器用な右利きの方が不便そうに見えるなんて、思いも及ばないだろうな。左利きが頭がいいと言われるのは右利きが支配する社会で常に工夫しながら生きて来たからだとは、想像したことすらないだろうな。これからも淘汰されることなく、しぶとく存在し続けて、人類が適者生存の状況になったときに究極的に生き残るのは左利きの方かもしれない、なんてことは、たぶん聞きたくもないだろうな。

小町に定期的に上がってくる「左利き是非論」も、実は「自分探し」をしている人たちが集まって、互いに「迷惑をかけるな」という呪文を唱え合う「枠組み」の中のひとつにすぎないと思う。呪文の威力は外野席の外れまでは届かないから、野次馬でいる限りは安全で、その呪文に縛られるのは元々自分がない人たち。自分の外見や言動を他人に批判されないように、見下されないように、疎遠にされないように、孤立しないように・・・とひたすら迷惑(嫌われる人)にならないように気を配って(いるつもりで)ストレスをためているように見える。そして、心が疲れて来ると、自分はこんなに大変な思いをしているのに、どうしてみんな思いやりのない、(自分に)気配りのできない自己中ばかりなんだ、という不満になって行くんだろうな。他人に自分を求めるあまりだとしたら、あんがい自己嫌悪のようなものに近い感情なのかもしれないけど、自分とはまったく別の人格である他人が何をどう思っているかなんてわかりっこないのに、自分の存在を確認するために他人に自己否定を要求するって、いったい、どっちが自己中なんだか・・・。

上の空はキケンがいっぱい

4月5日。金曜日。起床は午前11時40分。今日も雨っぽい。ポーチの気温は11度。

今日は珍しく日本風の朝ごはん。2日ほどミルクを切らしていて、低乳脂肪のクリームとスキムミルクパウダーと水で何とかして来たけど、そのミルクもなくなったし、パンもなくなったので、パンもミルクも要らない朝ごはんは?となると、ご飯と味噌汁と焼き魚。

麦入りの発芽玄米でお粥を煮ている間に、白ザケの腹身のあたりに海塩をまぶして冷凍してあった自家製の「塩鮭」とカレシの辛子明太子(ワタシのは生)をトースターオーブンで焼いて、豆腐とシメジとさやえんどうで何ちゃら煮物を作り、大根と油揚げとワカメの味噌汁を作る。起き抜けでコンタクトを入れていないから、0.008の視界はピンボケ状態で、包丁を握る手先もちょっとおっかなびっくり。(日本の薄刃包丁は切れすぎてコワイ・・・。)お盆にまとめて、何ちゃら和風の「朝粥定食」。[写真]

朝ごはんが終わったところで、カレシが郵便局に行く前にパン焼き機をセットするというので、ワタシは二階で、すっぴんに眉だけ描いて、ジーンズに履き替えていたら、

「@#$%&!!!」

何だ、何だと階段を駆け下りて行ったら、カレシがびしょびしょのペーパータオルをポイポイと流しに放り込んでいる。滴った水が床のあちこちに・・・。

「バケットを外したのを忘れてマシンの方に水を入れてしまった」。
ええっ、水を入れたって、マシンの本体の中に?全部?
「だから、水を吸い取ってるんじゃないかっ!」
底までしみ込んで、モーターがショートしないといいけどねえ。(タオルをリレー・・・。)
「水がかかるかもしれないことぐらい想定して作ってるはずだろ?」
(ふむ、本来バケットに入れる水を(上の空で)そっくりドバッと本体の中に空けてしまう人がいるとまでは考えたかなあ。パン焼き機を後ろに傾けてみたら、あら、底から水がちょろちょろ・・・。)
ねえ、だいぶ底まで入っちゃってるよ。ショートするかもしれないよ。
「とりあえず、動かしてみろよ」。

底から出て来る水が止まるのを待って、プラグを差し込んだらライトが点灯。おっかなびっくりでスイッチをオンにしたら、捏ねるサイクルが始まって、普通にぐいぐいと回って、止まる気配はなし。ほっ。クイジナートよ、明日のパンをありがとう。

だけど、カレシ。パン焼きに慣れて、目をつぶっていてもできるのはわかっているけど、「上の空」はやっぱりキケンだと思わない?何とかならないもん?う~ん、昔からだから、ならないか・・・。

謙虚じゃなくて悪かった?

4月6日。土曜日。普通に起きて、普通にいつものメニューで朝食を取って、普通に「今日は何をする日ぞや」と考える。つまり、いつものようにいたってフツーの日。気持が自然に落ち着くもんだな、こういうの。

手持ちの仕事は明日の夕方(日本の月曜日朝)が期限のものがひとつ。まあ、「ジョーホーカジダ~イ」とか「ジョーホーハッシ~ン」というタイプの文書の英訳は、ビジネスの分野に関係なく英語での文体がわかっていれば、日本語の意味をあまり深く考えずにちゃかちゃかとやれる内容だから、楽といってしまえば楽、と高をくくって、まずはのんびりと『自然界における左と右』を読む。まだ鏡映対称性の話が続く。地球上に最初に現れた生物は球形で、海の中を漂っていたから、上下、前後、左右は存在しなかった。それが、固定される種が登場して上と下の概念が生まれ、餌を追いかける生物が現れて前と後の概念が生まれた。右と左が意味を持ち始めたのはずっとずっと後の話。自然界には右回りと左回りのものがいたるところで共存している・・・。

例の左利きトピックには、やっぱり出た~っという感じのレスが出ていた。曰く、「左利きの所作が見苦しいのは、「自分は特別」感が強い人が多く、(食事の所作など)個性と履き違えて周囲を気遣う謙虚さが少ないからだ」と。「自分は特別」感、ねえ。個性と履き違えている、か。匿名掲示板では「一般的な」日本の常識の枠外にある人の相談に対して必ずと言っていいほど出て来るのがこの手の反応。ここでもついに出て来たかと、なぜか吹き出してしまったけど、マナーだの気遣いだのと綺麗ごとを言っても、それが「本音」、つまり他人の「個性」に対する生理的な嫌悪感なんだろうな。人間、みんなそれぞれに他人と違う特別な存在であって、だからこそみんなそれぞれに他人と違う「個性」を持っているのにね。マイノリティ(規格外)はマジョリティ(規格品)を不快にさせてはならない。マイノリティはマジョリティに迷惑をかけてはならない。マイノリティは存在を許してくれているマジョリティに対して謙虚でなければならない・・・。

では、小町横町の住人のように、マイノリティは謙虚になってマジョリティに従うべきという考えを持つ日本人が「外国」に定住することになったらどうなるのか。バブル景気からこの方、外国人と結婚して海外在住になる人が増えたとはいえ、その海外の「居住地」では、まず人種的にマイノリティ。言語的にもマイノリティ。故国の社会から見てもマイノリティ。いろいろな要因から経済的、社会的にもマイノリティだったりする。揚げ足を取ってみるなら、この人たちは居住地である外国のマジョリティに気を遣って、「謙虚に」その文化や習慣に従うべきなんじゃないのかな。「郷に入っては郷に従え」と言うのは日本だけの諺ではないんだから、マイノリティの謙虚さとやらを率先して示して欲しいもんだな。

でも現実には、うまく郷に従って暮らしている人を見ると、日本人を捨てたとか外国かぶれだとか、何かと喧しい。しかも、そういう非難を矢を射かける人に限って、居住地の人間(マジョリティ)は外国人(マイノリティ)である自分(の苦労?)を気遣ってくれない、思いやりがない、差別されていると(日本人同士で)愚痴るのはなんで?まあ、答は小町横丁の掲示板に張り出されているようだから、聞くだけ野暮ってもんだろうけど、一度でいいから、そういう人にイジワルをしたい気分になったときに、面と向かって「なんでマイノリティとして謙虚になれないの?」と聞いてみたい気もするな。でも、そういう気になるのは、これから先の人生ではもう年代的にもそういう人たちに関わることはないと思うからだろうな。たっぷり年を取ることで、一種の安全圏に入ったと言うことか。謙虚じゃなくて悪かったね。なにせ年寄りだからね、ワタシ・・・。

人生最大の節目の誕生日まであと19日。いろいろと考える・・・。

ハワイよいとこ一度はおいで

4月7日。日曜日。相も変わらず雨っぽい週末。家の外の桜並木はもう花吹雪で、芝生はピンク。

まずはきのう終わった仕事の見直しから。何だか知らないけど、やたらと「確認」、「確認」。ふた言目には「確認」。これをあっさり「confirm」と訳してしまえたら楽だけど、全部まったく同じ意味合いじゃないから、つい思い悩んでしまう。confirmだったり、checkだったり、clarifyだったり、ascertainだったり、make sureだったり、reviewだったり、いろいろとあるのに、「(名詞)をご確認ください」で済んでしまう日本語は経済的だなあと感心する。あんがい日本語ではいろいろとなくて、みんな同じ「イメージ」なのかもしれないけど・・・。

納品前の「確認」に忙しいワタシの後ろで、カレシは5月末のハワイ行きの準備。ホノルルとの往復のチケットは取ったし、会議のあるホテルの部屋も予約したんだけど、会議の前にカウアイ島へ行くことになっているのに、まだ何も手配していなくて、日本から来るお客さんにホノルルでの予定を聞かれて、やっと重い腰を上げたしだい。ところが、2人ともカウアイ島についてはまったく知識がないから、滞在するホテルを決めるのがまずひと仕事。リゾート地とはあまり縁がないもので、都会のホテルの感覚で調べていると混乱するばかり。あっちこっちを調べまくって、結局はあまり大きくなさそうなところに決まった。何だか高そうだけど、ウェブで調べた限りでは評判はいいらしい。ま、朝食付きだし、3泊だから、いっか・・・。

予約を入れて、レシートを印刷していたら、ホテルから電話。予約した名前とクレジットカードの名前が違うので「確認」したいと。あはは、まただ。予約の名前は70年来の通称で、クレジットカードの名前は「戸籍」の名前であると説明して一件落着。ついでに、とカレシはカウアイ島での足回りについてあれこれと質問。ホテルの方で空港からのタクシーを手配してくれるという話だったけど、まだ飛行機の予約をしていないので、後で必要ならお願い、ということで落着。リゾートだからねえ。大都会に行くんじゃないもんねえ。路線バスどころか、タクシーだってそうそう走っていないかもしれないね。ということで、思い切ってレンタカーを借りることにして、飛行機の予約と同時に手配。(飛行機は今のところがら空きらしい。)

カウアイ島ってどんなところなんだろうな。前回ハワイに行ったのはなんと27年も昔。ワタシの勤め先のえらい人が持っていたタイムシェアのキャビンがあるモロカイ島に行った。プロペラ機で着いたのは空港というよりは飛行場。「キャビン」というのはゴルフリゾートの寝室が3つもあるユニットだったのでびっくり。カウナカカイという一番大きな町に行ってみたら、西部劇に出てきそうな板張りの歩道が3丁ほどの「ダウンタウン」には小さなスーパーと小さな食料品店。月に2回発行される島の新聞には、斜めに駐車していた車を出すのに、バックしたら道路の反対側に止まっていた車にぶつかったという「交通事故」の記事。ビーチに行ったら、右も左も見渡す限り人っ子ひとりいない。泳げないので波打ち際で日向ぼっこしていたけど、ふいに大波にさらわれても助けてくれる人がいないと思うと、ちょっと怖かったな。ホノルルに戻るのに、夜の飛行場でおじさんが「飛行機、来るよ~」と言うのを聞いて、みんなぞろぞろ・・・。

もうずっと昔のことだし、時間が止まったようなところだったモロカイ島も今ではもっと開けているだろうと思うけど。片や、カウアイ島は観光客に人気らしい。ホテルがあるのはサウスショアのポイプーというところでん、ビーチのランキングがナンバーワンとか。まあ、ハワイと言えば、やっぱりビーチなんだろうな。地図を見たら、どうやらレンタカーを借りて正解だったらしい。けっこう予算が膨らんだけど、これでハワイは全部手配済み。後はその日が来るのを待つばかり。やっとワクワクしてきたような・・・。

タダ働きでは商売上がったり

4月8日。月曜日。起床は午前11時半。ちょっと肌寒い。今日は手持ちの仕事がないから、「休み」モード。

まずは、私たちがハワイに行っている間にトロントで結婚式を挙げる姪のローラに結婚祝いを選ぶ。ブライダルレジストリの長いリストの品物は大半が「お買い上げ済み」だけど、グラスの類はまだ手付かずになっていたので、それをぜんぶ指定の数だけ注文。赤ワイン用、白ワイン用、シャンペン用、マティニ用のクリスタルのグラス。なにせ相手は高給取りの出世株だから、将来はしかるべき人たちをホームパーティでそれなりにもてなすことになるだろうな。まあ、社交的だし、料理も上手だから大丈夫だろうと思う。後は調理用品を何点か加えて、添えるカードやギフトラップを指定して、「注文」をクリック。

懸案がひとつ片付いて、後は小町横町のそぞろ歩き。「マッサージ店に行ったら、翻訳を頼まれました」って、何だ?と思ったら、客として行くマッサージ店のオーナーに、偉い客がドイツ語の本の一部を翻訳して欲しいと言っているからとお願いして来たという話。菓子折りを持って来たというのは、投稿主の察しの通り、タダでやってもらおうという魂胆だな。口の軽いオーナーがそのエライ先生に「ドイツ語ができるお客さんがいるんですよ~」なんてしゃべったんだろうな。で、そのエライ先生は「おお、やれる人を探していたんだよ。やってもらえるかなあ」と言い、上客のエライ先生にいいところを見せたいオーナーは「頼めばやってくれると思いますけど」と言い、エライ先生は本と(礼のつもりで)菓子折りを持って来て、「それでは、ひとつ、よろしく」・・・。

まあ、この投稿の主が翻訳を生業としているかどうかはわからないけど、外国語ができると聞いて「○○の誼で」と、無料奉仕を期待して寄ってくる人はけっこういるな。あるかないかの些細なつながりを口実にして、あわよくばタダでやってもらおうという図々しい人たち。少しだから(プロなら)ささっとできるはずだし、テキトーにでいいし、翻訳会社に頼むとばか高いし、お金ないし、ほんとにほんのちょっとなんだし。お金なんて、そんな水くさい・・・。ずっと昔、戸籍抄本だか卒業証書だかの翻訳を持ちかけられて、無料奉仕を期待されていたとは気づかずに「最低料金の範囲内ですので100ドルプラス税金となります」と言ったら、「何だと?たったこれだけに金を取るのか?ばかにするな」と怒り出した御仁がいたな。(いや、商売としてやっている人にタダでやれって、料理屋へ行ってタダで食わせろと言うのと同じなんだけど・・・。)

日本人相手にあれこれと仲介商売をやっていた人は客の子供の成績表やら何やらをどっさり持ち込んで来た。最終的に英訳料金は700ドルくらい。請求書を送ったら「客が高いから払えないと言っている」と。おいおい、ワタシはあなたのお客さんとは何の関係もないんだけど。英語1語あたりの単価はこれこれで、見積もるとこれくらいで、これに税金、って言ったでしょ?「では、よろしく」と言ったあなたが注文主なら請求先もあなたで、ワタシへの支払い義務もあなた。あなたの注文主であるおっさんがあなたに払うかどうかなんて、ワタシの関知するところではござんせんっ!あわくって請求どおりの額の小切手を送って来たけど、あの人、客から回収できたのかな。当時は古アパートの家賃くらいの額だったから、自腹を切ったとしたら気の毒だけど、ま、商売というのはそういうものなんで・・・。

同業者やごく親しい人たちにだけは商売を離れて個人的に無料で引き受けることはあるけど、ボランティア仕事はボランティアがやるかどうかを決めること。決して安くはない報酬を払ってサービスを買ってくれるお客さんがいるのに、そのサービスをあわよくばタダで受けようとする図々しい人たちに提供するのは、お金を払うお客さんををバカにするようなものだから、つながりが何であれ、タダにしてくれてもいいじゃないかというような人たちを利することはしたくない。時間(労力)を売って生計を立てる商売人にとっては「時は金なり」。殿様商売をしていたらお飯の食い上げ。まあ、こういう図々しい人たちは一度タダで引き受けたら最後、味を占めて何度でもタダを要求して来ることが多いけど、はて、投稿の主はうまく断れたのかな。

芝居の舞台裏ツアー

4月9日。火曜日。寒い。今日はでかけるのに、あまり天気が良くないなあ。

グランヴィルアイランドにある劇団のプロダクション部門のツアー。当初の予定が運悪く木曜日で、残念がっていたら、希望者が多かったので第2回を企画したとのメールがあって、飛び上がって、行く、行く。来月から開演するシーズン締めくくりのミュージカル『Dreamgirls』のセットと衣装の製作現場を見せてくれるというので、ここのところ「モータウン」にはまっているカレシも、行く、行く。始まりが午後4時半だから、また夕食の時間がずれるよといっても、「Whole Foodsでカニコロッケでも買ってくればいいよ」と。

火曜日だし、小雨模様だしで、グランヴィルアイランドはバスで来る観光客と美術大学の学生以外は閑散。駐車スポットも簡単に見つかった。早めに着いてしまったので、劇場の隣の公共マーケットをぶらぶら。東南アジアの珍しい調味料などを売っている小さな店で久しぶりに「竹米」を見つけた。青竹の汁に漬けたという緑色のお米。炊くとほんのりと竹の香りがしておいしい。イベントの前だけど、パーティじゃないから荷物があってもいいか、と1ポンド入りを2袋。イベントは劇場の二階のラウンジが会場で、大きなクッキーとコーヒーが出ていた。集まったのは4、50人くらいで、まずはdramaturge(芝居の脚本の原本や背景などを調べたりする人)のアシスタントと言う女性が、Dreamgirlsのモデルになったシュープリームズとモータウンレコードについて説明。「これはバイブルです」と言って見せてくれたのが分厚いバインダー。背景資料や写真、衣装のスケッチなどがぎっしり。なるほどねえ。

次に劇場の中に入って、舞台装置のデザイナーが始まったばかりの『My Turquoise Years』のセットの説明。舞台の前に大きな流木がで~ん。若い人たちがビーチを探して見つけたのを、えっさえっさと運んで来て据え付けたとか。ストーリーは1960年代。あの当時に流行していたキッチンテーブルや椅子、冷蔵庫、テレビ(古っ!)、ミシンに美容室のパーマの機械まで。20世紀以降は時代ごとの細かな資料や写真が多いから、かえって時代考証が難しそう。家具や小道具は、古道具屋を探したり、ネットのオークションや売買サイトを漁ったりして、集めて来るんだそうな。それで、そうやって集めた数々の小道具はどうなるのか・・・それを見に、みんな霧雨の中をぞろぞろと舞台装置家氏の後についてアイランドの反対側にあるプロダクション部門の建物へ。

グランヴィルアイランドは高架の橋の下にある元は工業地だったところで、今はセメント工場だけが残っている。(工場見学イベントの看板が出ていた。)大きな公共マーケットに、ホテル、レストラン、地ビールの醸造所、大小の劇場や、劇団や演劇グループのオフィス、美術カレッジから昇格したエミリーカー大学があり、アーティストのスタジオや工芸品ショップがある。まあ、一種の「美術工芸文化村」みたいなところか。プロダクション部門は元倉庫だった建物で、一歩中に入るとぶ~んと「おがくず」の匂い。工具や作業台、材木、ペンキのバケツを積んだ棚がずらっとあって、ここでセットの組み立てをする。となりは大道具、小道具の段ボール箱を積み上げた天井までの棚。いろんなスタイルの椅子がある。電気スタンドもいろいろ。調理道具や家電もいろいろで、うわっ、ちょっとした博物館みたい。

狭い階段を上がると、縫製室。布地が並ぶ棚がぐるり。ミシンを置いた大きなテーブルが何台もあって、ラックには男女のいろいろな衣装がずらり。壁には女性の帽子がずらり。コスプレ天国だねえ、これ。どこも足の踏み場もないくらいで、責任者のオフィスはどれもちまちまと隅っこにある。華やかな芸能界を舞台にした『Dreamgirls』の衣装には箱いっぱいのスパンコールが必要なんだそうな。誰かが「これを全部どうやって管理するのか」と質問していたけど、助成金をもらって大学の芸術選考の学生のアルバイトにカタログとデータベース作りをしているところだとか。でも、タイヘンそうだなあ。だって、ものすごい数だもの。ワタシは目をまん丸にして、見回したり、見上げたりのきょろきょろ。いやあ、何か感激・・・。

芝居というのは脚本があればいいってもんじゃないんだな。ストーリーだけでなくて、ステージのことや、舞台装置のこと、衣装のことも含めた大きな枠組みの中で作るものなんだと実感。「永久劇作家志望」を称するワタシにも勉強になった!

人間も家も古くなると・・・

4月10日。水曜日。ごみ収集のトラックの轟音で目が覚めたけど、何とか眠りに戻って、起床は正午ちょっと前。いい天気になりそうなそらもょう。今日は掃除の日で、朝食が終わったところでシーラとヴァルが到着。

「すんごい雨だったのよ」とヴァル。
へえ?そういえば、道路が濡れてたけど。
「でも、日が出てきて良かった」とシーラ。後からワンちゃんのレクシーがぴょんぴょん。
「週末にキャンプに行って蜘蛛に噛まれたの、ほら」とヴァル。(口の脇にまだ赤いマークが。)「顔がぶわ~っと腫れて、頭痛はするし、死ぬかと思ったわ」。
ワタシも藪の中で蜘蛛に手を噛まれてエライ目にあったことがあるから、わかる~。
「でもまた今度の週末にキャンプに行くのよ」とヴァル。(60歳を過ぎても熱狂的アウトドア派で、大雨が降ろうが、蜘蛛に噛まれようが、夫氏のリッチとキャンプに出かけて行くから、大したもんだなあ。)

ヴァルはオフィスのあるベースメントへ降りて行って、レクシーが水を飲んでいる間、カレンダーを見ていたシーラに、ワタシの「成人」の誕生日は満月なのよ、と言ったら、
「Coming of age(成人)って、あなた、65?ほんと?」
そう、そう、ほんとなのよ~。いよいよシニアシチズンなのよ~。
「へえ。いいの、それで?」
いいのって、シニアになったらさ、何を言っても年よりのたわごとで済ましてもらえるじゃない?羽目をはずしたって、ボケてる~で済ましてもらえるじゃない?
「あはは、そうそう、そうなのよ」とシーラ。
ワタシ、かわいいおばあちゃんになりたいから、ご指導、たのんまっせ。
「そんなこと、かわいくないおばあちゃんに聞いたってダメよ。自分でなんなきゃ」。

シーラはカレシと誕生日が9日違いの同い年だから、今年の夏で70歳。いろいろ苦労の多い人生だったようだけど、まだこうやって掃除代行業を続けているし、お客さんの信頼が厚くて、旅行中の家の留守番サービスもしている。ワタシがカレシとのことで辛かったときには「いつでも電話して」と言ってくれて、掃除に来てワタシの目が腫れていたときは黙ってハグしてくれた、かけがえのない親友でもある。

掃除が終わって、2人が帰って行った後、ん?キッチンがやたらと暖かい。日が差しているからかと思ったけど、どうも天井の辺りから暖かい。きのうは暖まらなくて、またぞろ暖房システムがおかしくなったのかと思ったけど、これはどうやらほんとうにおかしい。12月のときと同じく、新しいサーモスタットがコントロールするゾーンだけ。またリレーがおかしくなったのか、それともサーモスタットがおかしいの。またロウルに来てもらわなくちゃ。人間も家も、少し古くなって来るといろいろ・・・。

夫婦はいるけど主婦はいないのが我が家

4月11日。木曜日。いつものように午前11時30分に目覚まし。忙しい日。でも、気温はちょっと季節外れに低いらしいけど、天気はいい。窓の外はもうみ~んな葉桜。家の外の並木の桜は葉っぱが暗赤色と言うのか、紫っぽいような色・・・。

カレシを英語教室午後の部に送り出して、まずは今日の夕方が期限の仕事。雇用関係の文書は一方の意見だけを訳すことが多いので、印象もかなり偏っているだろうと思うけど、日本の雇用条件や労働環境、職場の人間関係の現状がもろに透けて見えるから、おもしろい。場合によっては気が滅入ることもあるけど、これはただのもめごとだから気楽。それでもきちんと対応する会社はけっこうえらいと思う。雇用関係といえば、メディアのサイトで企業の間で最近「追い出し部屋」とかいう新手の人減らしが蔓延っているという記事があったな。表立ってリストラなどをやる代わりに、これはと思う社員をこの「追い出し部屋」部署に「異動」させて、屈辱的な雑用をやらせて自発的に退職するのを待つ・・・うはっ、やることが陰湿だわ。本質的にいじめじゃないのかなあ。こっちでそんなことをしたら人権問題として訴えられてスキャンダルになること請け合いだけど、日本であまり騒がれないらしいのは、普通の日本の人たちの目に触れないところでまかり通っているからなのかな。

仕事が終わったところで、電気屋に電話。12月に起きた問題が再発して何たらかんたら。週明けから何か暖まっていないと思っていたら、きのうは暖まりすぎで、サーモスタットの設定温度を下げても「馬耳東風」。キッチンとリビングの暖房が暴走状態になって何たらかんたら。サーモスタットを手動にして、各部屋のコントロールをオフの状態にしてやっとヒーターが切れたけど、何たらかんたら。こういうことは、ワタシが仕事で忙しいときにカレシが担当してくれるとどんなに楽かと思うんだけど、新築以来25年経つというのに、暖房システムも換気装置も、その他もろもろの設備の仕組みや操作に関しても、カレシは「わからんよ、そんなの」。あ~あ。ワタシが自分で設計した家だからしょうないけど、それでもなあ・・・。

厳寒期ではないので特に急がないと言ったけど、月曜日の午後に来てくれることになった。だけどなのだ。よくよく考えてみると、暖房のスケジュールを設定できるサーモスタットが便利なのは2人そろって定時に勤めに出ている場合くらい。いつも在宅なら、そのときどきの必要性に合わせてまめに調節できると思うし、だいたい11ヵ所ある個別のコントロールのうちの5ヵ所がすでに独立しているんだから、いっそのこと、キッチンとリビングもメインのサーモスタットから独立させた方が合理的ではないのか。まあ、月曜日に相談してみるか・・・。

問題解決のための手配ができたら、猛烈におなかが空いた。ストレスは太る。そそくさと夕食を作って、食べて、カレシを英語教室夜の部に送り出して、木曜の夜は(仕事がなければ)ゆっくりと落ち着けるワタシのひとりの時間。次の仕事は入っているけど、とりあえず今日は「早退モード」ということにして、好きなこと(おおむね「だらだらすること」かな)をしてのんびり。「今年度から業務縮小」という前宣伝が効いたのか、仕事前線の方はけっこう余裕のあるペースが続いている。言うなれば「2割5分引退」というところかな。これがこのまま順調に「3割引退」になり、「5割引退」になってくれれば御の字なんだけど。

でも、我が家には夫と妻はいても「主婦」というものはいないのも同然。(だからこそ、散らかそうが脱ぎっぱなしにしようが、いちいち文句を言われないで済んでいるってこと、カレシは理解しているのかなあ。)いずれワタシが完全引退しても「専業主婦」は登場しないことになっているから、このままだと「男隠居」と「女隠居」の2人暮らしということになるんだろうな。ま、この10年ちょっとは片手間の世話人がいるだけで何とかなって来たんだから、この先も大丈夫だとは思うけど・・・。

テレビに映ってしまった!

4月12日。金曜日。本降りの雨。寒いっ。正午の気温はなんと6度。おまけに週末は高台で雪混じりの雨になるかもという予報。我が家はメトロバンクーバーでは一番暖かい地域だし、高台じゃないから雪混じりはないだろうけど、ああ、暖房システムが不調だってのに・・・。

電気屋のロウルが電話してきて、状況を説明して、月曜日午後に来てくれることを確認。不具合が起きているのは前回と同様にこのサーモスタットが仕切っているゾーンだけだから、どうみても個別のコントロールとの折り合いが悪いとしか考えられないけど。機械も人間さまと同じように権力争いをやるのかなあ・・・はちょっとSF的すぎか。

月曜日までどうしようもないから、この週末は暖かなベースメントにこもって、ぼちぼちと仕事をしながらネット三昧と行くかな。そのつもりでFacebookを開いたら、Arts ClubがCBCのローカルニュースに出た先週水曜日の50周年パーティの様子をリンクしていたので、クリック。YouTubeに、ここが「劇団を旗揚げした由緒ある場所」という銘版の序幕の様子が映っていて、カメラがぐるっと回ったら、きゃあっ、何とカレシとワタシがばっちり・・・。

ねえ、ちょっと来てぇ!見て、見て、これ~。
「何だ、何だ」と、ワタシの後ろに来たカレシ。
(フレームをちょっと戻して)ほらっ!
「はあ?」
テレビに映っちゃってるよ~。
(拍手しているワタシ、後ろに黙って立っているカレシ。)
「何で?」
ほら、先週のパーティのときに・・・。
「うっひょ~」。
(またちょっと戻して)序幕のときは一番前に立ってたんだよねえ。
「オレ、ちゃんと髪をとかして行ったのかなあ・・・」。

まあ、私たちを知ってる人はCBCのニュースなんか見てはいないと思うけど、何となく「ten seconds of fame(10秒間の名声)」といったところかな。ほんのつかの間だけでも、テレビに映っている自分を見るのって、鏡の中の自分を見るのとはまったく違って、な~んともヘンてこな気分・・・。

「ふん、テレビに出るとわかってたら、タキシードを着て行ってやったのに」。

お祭りを逃れてお出かけの日

4月13日。土曜日。午前10時ごろから外ではドンチャカドンチャカ。無視して眠ろうとしたけど、結局11時過ぎに起きてしまった。曇り空。今日はシーク教徒のお祭り「ヴァイサキ」で、パレードが通るメインストリートは我が家からわずか2ブロック。ま、年に一度のお祭りだからいいんだけど、困るのはバナーを引っ張った飛行機で頭の上をぐるぐると何時間も低空飛行されること。ぶお~ん、ぶお~んとうるさくて、仕事にならないし、イライラもするので、この日はとにかくどこかへ出かけるに限る・・・。

冷蔵庫で解凍しておいた夕食の鴨のコンフィをスロークッカーにセットして、出発。メインストリートが交通止めになっているから、我が家の前はパレードを見に来る人たちの車でちょっとした「交通渋滞」。でも、昔は家の回りにぎっしりと駐車されて閉口したもんだけど、インド系の主流が郊外のサレーに集中するようになってからは、バンクーバーのインド系商店街は寂れつつあるらしく、交通量も昔ほどではないような感じ。急いでいるわけでもないので、流れにあわせてのろのろ。キャンビーに出たらここもラッシュ並みの込みよう。カレシはぶつくさ言っているけど、まあ半日のことだから・・・。

買い物のまず最初は去年からずっと懸案だったトレッドミル。数年かなりまじめに使って来て、ベルトの下地がところどころ剥離して危険な感じがするので、古いのを撤去してもらえるなら買い替えということにしていた。これまでのBremsheyのはもうないということで、並んでいる5台ほどのデッキをたためるタイプのトレッドミルに乗ったり、降りたりして、ディスプレイやコントロールが大きくて、心拍を測る端子がハンドルではなくて前のバーについているものを選んだ。メーカーは台湾の会社らしい。税金やら配達料やら撤去料を合計すると1285ドル。古いのよりずっと安い。1年保証の延長なしで、何となく頼りないような感じがしないでもないけど、トレッドミルは常用すれば長くてせいぜい3年の寿命という話。

これでやっと「おうちジム」に復帰できる。胃の周りにぷよぷよと付いてしまった内臓?脂肪を落とせば、最近悩まされている胸焼けも解消するかな、と期待してみる。なにしろ座業だし、仕事がなくても座ってだらだらするし、おまけにストレスがたまると喘息のような痰の切れないしつこい咳がひどくなるから、有酸素運動で肺活量を増やすのは絶対に不可欠。脳に行く酸素が足りないと金魚のようになるものね。それに、軽く20分ほど走って汗をかいた後のシャワーは爽快だし・・・。

もうひとつの買い物はカレシがワタシの65歳の誕生日にプレゼントしてくれるタブレット。Best Buyであれこれといじって、Samsungの10インチのGalaxy Noteが気に入ったので、今のうちに確保しておこうという算段。こういうチェーン展開の大型量販店は店頭在庫が少ないのが玉に瑕で、案の定、来週まで倉庫から送られて来ないという話。入荷する頃を見計らって買いに来る手もあるけど、数が少なければすぐにまた「入荷待ち」になってしまう。そこで、「オンライン注文」扱いで前払いをしておいて、店に届いたというメールが入ったら(72時間以内に)ピックアップに来ることにした。所要日数は5日から9日くらい。まあ、誕生日までまだ10日。あるから、たぶん間に合うでしょ。「ギフトラップなしでもいいよね」って、何が入っているかわかってるんだもの、わざわざ包まなくてもいいよ。

雨の予報だと思ったのに、青空が広がって白い雲がまぶしい午後になった。サングラスを持って出たら、カレシが「本気かよ~」と笑っていたけど、ちゃ~んと晴れたじゃないの。空気はまだちょっと冷たいけど。駐車メーターに1時間も残っていたので、London DrugsとWhole Foodsで時間を潰して、4時過ぎに帰り道に付いたら、お祭りが終わって帰る人たちの車、車、車。方向が逆だから渋滞には巻き込まれなかったけど、家に着いてみたらまだ飛行機が飛んでいた。でも、キッチンの窓から見ていると、メインストリート沿いに飛んで東の方へ回っているらしく、我が家の方には来ない。過去によほど苦情が出ていたんだろうな。後でニュースを見たら、州首相や野党の党首もお出まし(州の総選挙まであと1ヵ月)になって、延長10キロのパレードに今年は約8万人の人出。一時期の20万人を超える人出に比べると見る影もないという感じだなあ、やっぱり。でもまあ、おかげで懸案の買い物もできたし・・・。

主婦がいなくても2人の家庭は回る

4月13日。ヒーターはキッチンだけ一時的に入っていたけど、またダウン。もっとも室温は20度を切っていないから、寒いというわけではないけれど、寒ければ一枚重ね着をすればいいし、それでも寒ければ電気ヒーターを持ち出せばいい。カレシは年のせいで少々冷え性になって来たのか、フリースのシャツを羽織っている。ワタシはなぜか「いい年」なのにいつもの通りのTシャツ1枚にミニスカに素足。今日は仕事を少しだけして、それ以外はだらだら。まあ、「主婦」のいない2人暮らしはそんなもんだけど。

きのうそんなことを書いて、はて「主婦」とは何ぞや?と思った。日本語大辞典を出して来て、引いてみたら、「一家の主人の妻。また、一家の女主人」のことで、対語は「主人」。じゃ、「主夫」は「一家の女主人の夫。また、一家の男主人」ということになるのかな。ついでに「専業」の意味を調べたら、「専業主婦」のように使う場合は「ひとつのことだけを業とすること」。ついでのついでに「兼業」の意味も調べたら、「本業のほかに他の事業を営むこと。またその事業(side job)」となっていた。ふ~ん、じゃ、「兼業主婦」は職業と「主婦業」を営む妻のことか。だけど、夫が公平に家事を分担していても「兼業主夫」と呼ばれないのはどうして?

そもそも「主婦業」というのは何なんだ?基本的には「炊事洗濯掃除買物家計管理」(子供がいれば)プラス育児を職務とするらしい。子なしの我が家は結婚以来25年の間、ワタシがそれを全部やっていた。その上でフルタイムの仕事をしていた。(ワタシが家事で忙しい間、カレシはいったい何をしていたんだろう・・・。)自営業になって、「毎日10時間、週7日」みたいな激務になったときも家事を全部やっていたけど、いつも家にいるからと言っても、とっても全部こなせるもんじゃない。あきらめて掃除を外注するようになった。(カレシの倍は稼いでいたので、それくらいはいいかと思ったけど、カレシは反対したっけな。)洗濯は滞るし、カレシのシャツのアイロンかけも滞る。夜中過ぎにアイロンかけして、6時に起きてお弁当を作るのはつらかった。それでもフルタイム2つの兼業主婦をやっていた。なのに・・・。

表向きは「早く引退できる」と喜んで見せて、裏では国際婚活女子と浮気ごっこ。前から2001年をめどに引退を想定していたら、ごたごたしているうちに2000年の夏に突然の退職勧告。図らずも「想定どおり」になって、まだ公的年金をもらえない状況だし、日本から「おしとやかに夫に傅く、若くてかわいいお嫁さん」をもらうという妄想も夢のまた夢になって、ふくらんだ風船はパチン。小町横町の流儀ならそこでカレシに三行半を突きつけるところだろうけど、あまのじゃくのワタシは土下座も謝罪もさせず、始末書も書かせず、何も言わずに結婚指輪だけを捨てて、「主婦廃業」を宣言して、男女共同参画を要求。(カウンセリングのおかげでもあるけど、強くなったもんだなあ、ワタシ。)

そんなこんなで24時間一緒の暮らしになって、何となく元の鞘に収まって13年。今では「炊事」はワタシ8割、カレシ2割の共同作業。「洗濯」はたまったらワタシが適当に洗濯機と乾燥機を回して、乾いたものはカレシは自分のもの、ワタシは自分のものと共用のものをたたみ、「掃除」は外注を継続(ルンバを走らせるのはワタシ)、「買物」はほぼ完全な共同作業で、「家計管理」はワタシ(カレシは会計士なんだけど)。「ごみ出し」はカレシ。朝食の用意とパンを焼くのはカレシ。設備の管理や修理、故障修理の手配をするのはワタシ。(でも、これは「一般家庭」では一家の主人の仕事じゃないのかなあ。ま、いいけど)。要は、特に話し合って分担を「決める」ことなく、ひとり暮らしなら自分でやらなければならないことを2人で適当にやっているだけの話。

家中が散らかっていても、片付けろとは言わないし、片付かないとこぼすこともしない。(「人間、家が散らかっているくらいでは死なない」というのは、生涯共働きで、家事を全部やって、その上3人の息子を育て上げたカレシママにもらったアドバイス。)忘れっぽくて上の空のカレシにはあれこれとうるさく注意しないし、頼まれないアドバイスもするときは一度だけ。まあ、ワタシ自身がずぼらにできているから可能なのかもしれない。もっとも、カレシはワタシが仕事を辞めたら「専業主婦」になってくれると淡い期待を持っていたようだったけど、「主婦」がいないことでカレシの方も気が楽になったんじゃないかと思うけどな。

あまのじゃくな実験の結果、「炊事洗濯掃除買物家計管理」を担当する「主婦」がいなくたって、子供のいない大人夫婦の家庭はけっこうちゃんと回って行くものだとわかったから、これから先も我が家には主婦は不要ということで、ワタシも気が楽。おかげで、夫婦仲も今では前よりもずっと円満・・・。

情報の海で死滅回遊は悲しい

4月14日。日曜日。まあまあの天気。髪が長すぎると切られたヘンな夢を見ていたけど、目が覚めたとたんに何の話だったか忘れてしまったので、悪夢じゃなかったということだろうか。かなりぐっすり眠っていたということかもしれないな。気温は10度でやっと平年並みに近い二桁を回復・・・。

夕方には日本で月曜の朝が始まるから、まずは仕事を仕上げて送ってしまおうと気合を入れていたら、カレシは先週印刷してあげたBBCの記事が見つからないと、あちこちをごそごそ探したり、行ったり来たり。そこで、元の記事を探して、URLをメールで(同じ部屋の反対側だけど)送ってあげたら、spamhausのブラックリストに載って、ブロックされたと言うメッセージが来た。でも、spamhausのサイトでIPアドレスをチェックしたらブラックリストには「載っていない」。おまけに、最初のメッセージにはスペルミスまである。何なの、これ?だいたい、ワタシはスパムメールをもらう方で、送る方じゃないんだけどっ。

メールアドレスは、メインのISP(A)にドメイン名のアドレスと合わせて全部で4つ、バックアップとしてダイアルアップの契約している別のISP(B)に3つ、それとgooの無料アドレス(C)。(C)以外はメーラーがまとめてめんとうを見ている。URLを送った先のカレシのアドレスは(B)。そこで、(A)から(B)の自分のアドレスにメールを送ってみたら、同じメッセージ付きでバウンス。逆方向に(B)から(A)に送ってみたら問題なくOK(スパムのタグもついて来ない)。(A)から(C)に送ってみたらOK。(C)からのメールは(A)でも(B)でもすんなりOKで、スパムのタグもない。

ということは、このspamhausとやらのブラックリストに載っていないのに載っていると言って(スパム扱いで)拒否しているのは(B)のメールサーバに違いないということになると思うんだけど、(B)のヘルプデスクとチャットしたら、いくらことの顛末を説明しても、質問は「(B)のアドレスからメールを送れない」だと思い込んでいるらしくて、「問題ありませんよ」の一点張りで埒が明かずじまい。まあ、問題はアドレスが(B)の相手にメールするときだけだし、逆にワタシの(B)のアドレスにはちゃんと届くから、しばらくは放置することにして、(B)アドレスの人にメールするときのために、gmailにアカウントを作っておいた。ほんとにもう、情報化時代って、便利になるどころか、逆にめんどうくさくなる一方なのはどうしてだろう。

それにしても、近頃は一般ユーザー用のヘルプデスクはマニュアルとQ&Aの台本にあることしか知らないテクぼけ(あるいは遠いインドあたりにアウトソースされたコールセンター)の連中が多いなあ。マニュアルに書いてないことを質問するとお手上げ。でも、それはヘルプデスクやコールセンターのスタッフでなくても似たようなもので、「専門化」が重視されるようになったせいかもしれないけど、知識や情報の分野がどんどん細分化されて、自分の「専門」(知っていること)以外のことには興味がなさそうな人間が増えているような感じがする。インターネットの普及で情報や知識を見渡せる視野が格段に広がると思っていたら、逆に視野狭窄的な思考になっているのか。ある意味で、知識や教養の「一点豪華主義」なのかもしれないけど、ホモサピエンス、大丈夫か。ネアンデルタール人を愚鈍だったと笑っている場合なんかじゃないかも・・・。

なぜか知らないけど、ふと「死滅回遊」という言葉を思い出した。漁業の話を訳していて出くわした言葉で、普通の回遊領域を越えてしまって、水温の変化や海流の壁によって元の領域に戻れないまま死滅してしまう群れのこと。なんだかものすごく悲しい響きのある言葉だと思ったけど、ひょっとしたら、人類も自らが作り出したサイバー空間で、「視野(思考)狭窄」の状態で情報の海を泳いでいるうちに、うっかり越えてはいけない海流(一線)を越えてしまって、死滅回遊に向かうんじゃないか、あるいはもう越えてしまっているんじゃないかという気もする。まあ、それを進化の過程のひとつと言うなら、人間もこの地球上の生物種のひとつなわけで、進化を遂げて、衰退して、やがて死滅するのは自然の摂理なのかもしれないけど、でもやっぱり「自滅回遊」だけはなしにしたいなあ。

信じられな~い

4月15日。月曜日。起床は午前11時半。まずは最初の電話。トレッドミルを買ったところからで、実は在庫がなくて、店頭に置いてあったのでよければ50ドル値引きするがどうか、と。まあ、別に大勢の人が乗って走ものでもないので、OK。配達は水曜日。ゆっくりと朝食を済ませて、ゆっくりと読書・・・。

午後2時を過ぎて、今日2度目の電話。Best Buyからタブレットが届いたと言う電話。明日の午後にピックアップに行くことになった。(10日。後の誕生日までは開けないでおいた方がいいだろうなあ。待ち遠しいけど、もうすぐだし。)

午後2時半。今日3度目の電話。1日に3度も電話がかかってくるなんて珍しいな。今度は電気屋のロウル。あと15分で着くという予告。カレシがゲートを開けに出て行った。暖房システムは今日も不調。気温が平年並みの2桁に戻ったので、寒くないから問題なしだけど、こういう障害はそのときに手当てをしておかないとね。大きな道具入れを下げてやって来たロウルは開口一番に「ヘ~イ、元気かい?」

ベースメントの工作室にある暖房システムの制御パネルを開けて、テスターを出して、あっちをチェック、こっちをチェック。「何かヘンだなあ」。やっぱりね。ワタシは即席の助手になって、「サーモスタットを30度にあげて」と言われて、階段を駆け上がって行って30度(それ以上にはならない)に設定。「ゼロに下げて」と言われて、また階段を駆け上がって5度(それ以下にならない)に設定。「コントロールを全部オフにして」と言われて、階段を駆け上がって一階、さらに駆け上がって二階へ。「全部目いっぱいオンにして」と言われて、また二階まで。何度も階段を駆け上がったり、駆け下りたり。いい運動にはなったけど。

「絶対におかしい」とロウル。サーモスタットは正常なのに4つのリレーはちっとも言うことを聞いていない。つまり、コミュニケーションが断絶している。またテスターで電圧をチェック。ワタシは今度はテスターの数字を読む係。「全然おかしいよ」とロウル。「変圧器の容量が足りないのかなあ」。スパゲッティのようにこんがらがった配線を、あっちをくっつけ、こっちを外ししてはテスターでチェック。ワイヤ同士をくっつけるとときどきはスパークが飛ぶ。(飛ぶのは生きている証拠・・・。)「配線がおかしいよ。変圧器まで戻ってやり直してみるから、玄関ホールのコントロールをオフにして」と、スパゲッティを解しにかかったロウル。ワタシはまたばたばたと階段を駆け上がって、駆け下りて・・・。

しばらくあれこれとワイヤをいじくり回していたロウル、「どこのどいつか知らないけど、玄関ホールのコントロールとサーモスタットが入れ替わっている」。90年代の初めにベースメントのコントロールを隔離して、10年位前に寝室とバスルームのコントロールを隔離したんだけど。「誰が?」 誰がって、おたくの会社の人、名前は忘れたけど。「てことは、そのときからずっとおかしかったんだ」。へえ、全然気づかなかったけど。あんまり暖まらないなあと思った冬もあったけど。「リレーがいかれて、通電しなくなるまでわからなかったんだ~」と、ロウルはジャマイカンらしく大げさに呆れ顔・・・。

ワタシはついに大爆笑。だって、配線ミスで暖房システムが正常運転していないことに10年以上も気づかないでいたなんて、信じられない話だよねえ。玄関ホールのコントロールがサーモスタットを気取っていたなんて。うんと寒いときに玄関のコントロールの温度設定を上げれば、キッチンもリビングも暖まる。サーモスタットがオンでもオフでも4つのコントロールは知らんぷり。玄関のコントロールがクーデターを起こしたみたい。にぎやかなのに誘われて様子を見に来たカレシも加わって、3人とも、しばしジョークの連発。ほんとに能天気な住人だなあ・・・。

「いや、原点に戻るのは基本だよ」と謙遜するけど、10年以上も前からの「謎」を解いたロウルはやっぱり天才的な電気屋だな。3時間近い作業だったのに「配線ミスが原因だから、今日は無料だよ」と言って帰って行った。ありがとう!


2013年3月~その2

2013年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
仕事のない日が休みの日

3月16日。土曜日。正午過ぎに目が覚めたけど、しばしカレシの腕枕でぐずぐずしていて、起床はほぼ午後1時。ゆうべ(とうか午前3時)、かじりつく勢いで仕事を仕上げて、アメリカ東部にいる校正者に送って、やったぁ~!何とか期限に間に合って、手持ちの仕事がゼロ。フリーランス稼業は仕事のない日が休日。今日はその仕事のない日。

めでたく「休み」になった日は、やることいっぱい、やりたいこといっぱいなのに、いつも1日だらだら。それっ、休みだっ、と気分を切り替えるのが難しいんだなあ。まあ、おいしいものでも食べようと思って、カレシに何が食べたいか聞いてみたら、

「とんかつ!」

ええ、また~?でもまあ、きのうのランチはカップ麺だったりして、ちょっと手を抜きっぱなしだったから、じゃあ、とんかつ。今日の「とんかつ定食」は、ヒレカツに大根おろしとポン酢ソース、ひじきの煮物、八穀米ご飯。キャベツをどっさり刻んで、お代わりは無料サービスで~す。日本でとんかつやフライにあたりまえに付いて来る刻みキャベツ、大根おろし用にポン酢を薄めたソースをドレッシングにすると、もりもり食べてしまうくらいおいしくなる。さて、食後のおなかが落ち着いたところで、

「おい、そろそろ酒屋へ行くぞ」。
え?まだホッケーの試合やってるんじゃないの?
「また負けてるから見る気がしないよ。ど~しょ~もない連中だ」。

ということで、まずは酒屋。トラックででかけて、ハウスワインにしているStarboroughのソヴィニョンブランを1ダース、肉料理用の赤ワイン4本(カレシはボルドーが好きで、ワタシはローヌが好き)。レミは何日も切らしていた反動で2本。あとはスコッチにジンにウォッカにアルマニャック、ベルモット、その他・・・。

州の酒類販売局が出している雑誌「TASTE」の春の号もピックアップ。初めは薄っぺらな雑誌だったのが、今では180ページもある豪華な季刊誌。ワインとマッチしたグルメレシピ満載で、おまけに切り取れるレシピカード16枚。本屋で売ったら千円くらいしそうだけど、これがなんとタダ。(民営化の話が出るたびにサービスが良くなる・・・。)

ランチをしながら、おしゃれなオードブルの写真なんかを眺めて、再来週の復活祭にはどんなご馳走を作ろうか?と、お2人さまの家族会議。いいねえ、こういう休みの日。

みんな1日アイリッシュ

3月17日。日曜日。うわっ、いい天気。まさにパレード日和といったところ。

今日は世界中の人が1日だけアイリッシュになって浮かれ騒ぐ「セントパトリックスデイ」。もちろんお膝元のアイルランドおダブリンでは何日もかけて盛大なお祝い。パレードの道筋は目抜き通りのグラフトンストリートかな。「何でアイリッシュでもカトリックでもない人たちガ世界中で大騒ぎするの?」と、ダブリンっ子。ギネスやアイリッシュビールをおおっぴらに飲んで騒げるからじゃないの?緑色のビールを出すパブもあるそうだし・・・。

昔ジャガイモ飢饉のときにアイルランド移民がたくさん入ったニューヨークのパレードはメイシーズの感謝祭のパレードに匹敵するくらい賑わい。アメリカのブラスバンドはすごくテンポが速くて、躍動感がある。シカゴではダウンタウンを流れるシカゴ川を緑色に染めてしまう。(河畔のワッカードライブ沿いのスカイラインはすてきだったけど、川の水の色は澱んで見えたな。でも、今日のこの日だけは鮮やかな緑色になる。)バンクーバーでもパレードがあるし、お祭りの好きな日本人が放っておくはずがないから、きっと東京でもパレードをしたのかな。アイルランドの守護聖人聖パトリックもさぞかしびっくりだろうな。

私たちはアイルランドには2度行った。最初はウェールズから夜行のフェリーでコーク(フェリーのターミナルはリンギスカディというところにあった)、そしてレンタカーでキラニーへ。(左側通行の感覚がつかめるまでちょっとドリフトしたり、いきなり慣れないロータリーで間違った方向に出てしまったり、ずいぶん冒険したなあ。)ヨーロッパ最西端のディングル半島はゲール語地域で、人里離れた道で通りがかったおじいさんに話しかけたら、英語がうまく通じなかった。なにしろ、標識までゲール語だけだったりするので、ワタシはゲール語の交通用語を見覚えてしまったっけ。

車1台分の幅しかないつづら折の道を行くと、路面にSLOW(スピード落とせ)と大書。しばらく行くと今度はSLOWER(もっと落とせ)。もっと行くとVERY SLOW(徐行)と書いてあって、え、え、え?と思ったら、ヘアピンカーブ。かと思うと今度はGO MALLと書いてある。英語で読むとモールへお買い物になっちゃうけど、ゲール語では「ゆっくりと」の意味。対向車が現れたらどうしようとひやひやしっぱなしだったけど、一度も現れなかった。史跡の「ガラルスの礼拝堂」。小さなかまぼこ型の石組みの礼拝堂。外に磨り減ったケルト十字架が1本。見渡す限り私たち2人だけ。ときおり空で鳥の声。風が吹きぬける音。遠くでかすかに大西洋の荒波の音。いくら耳を澄ましても、聞こえてくるのは自然の音だけ・・・。霧に包まれたディングル半島は道東からオホーツク海にかけての風景によく似ていたな。

2度目のときはロンドンから空路コークへ。前回フェリーで入ってきたときに見えたプチフールのようにかわらしい町並みを見たくて、鉄道でコーヴへ。コーヴは昔クィーンズタウンと呼ばれていて、死者100万とも150万とも言われた17世紀のジャガイモ飢饉の後で大勢のアイルランド人がアメリカに活路を求めて移民して行ったところ。駅で切符を買うのに手間取って発車時間に間に合わないとあきらめたら、ホームから離れない電車のそばで2、3人がしきりに手招き。え?私たちを待っていてくれてるの?それっと百メートルダッシュでホームに駆けつけて乗り込んだら、乗っていた人たちはみんなにこにこ顔。電車は3、4分遅れて発車したけど、何とも大らかな人たちだと感激。

ああ、もう一度アイルランドに行きたいなあ。キラニーで2度ともお世話になったアイヴォリー夫妻は元気でまだB&Bをやっているのかな。なつかしいね。アイルランドの写真、どこにしまってあったかな。思い出話をしながら、ジェイミソンのグラスで、ハッピーセントパトリックスデイ!

スウェーデンのラブストーリー

3月18日。月曜日。好天。カレシはごみ収集トラックの轟音で目が覚めて、眠れなくなったと言って、午前10時半に起床。ワタシはもうひと眠り・・・というか、午前11時半までうとうと。何か中途半端・・・。

カレシは予定していた通り、今日は庭仕事。電動のミニ耕運機でガリガリ、ゴリゴリと前庭の掘り起こし作業。ポーチの横で私の目の高さに突き出して来ていたライラックの枝を切ってくれた。これで、夜、そばを通っても安心だな。ワタシはきのう飛び込んで来た仕事。テーマパークだって。日本にはテーマパークが多いような印象。まあ、固有名詞が多くて、ググればわかるから楽ではあるけど。

今日の郵便はMacLean’sとEconomistの雑誌2冊。Economistの最後のページには最近亡くなった有名人の経歴の記事があって、今週号はスウェーデン国王の叔母さんのリリアン妃。先週97歳で死去。Princessの称号だから日本のメディアは「王女」と呼んでいたけど、「王女」というのは国王や王族の娘。スウェーデンの王子と結婚したリリアンさんは「妃殿下」というのが妥当かな。ま、スウェーデンでは娘でも王子の妃でも称号はPrincessだから、英語なら問題なしか。それにしても、リリアン妃と故バーティル殿下の愛の物語はまるで映画のストーリーみたい。

当時の皇太子が事故死しなければ、バーティル殿下は規定通りに王室を出て結婚したんだろうな。でも、残された王子(今の国王)がまだ1歳で王室を出るわけにも行かず、リリアンさんは33年間も日陰の身で過ごし、ようやく現国王の許可が出て結婚できたときは2人とも60代になっていた。その間2人は子供もあきらめたそうだけど、これが愛というものなんだろうなあ。深く愛し合っていなければできないことだと思うもの。現国王のドイツの平民出身のシルヴィア王妃とは大の仲良しで、その子供たちにも慕われていたとか。ヴォーグのモデルだったと言うだけあって、老いてもきれいで、写真を見ると、ちゃめっ気のある若々しい目がすごくすてき。

王室となるとかのスウェーデンにもそういう古めかしい規範が残っていたというのはちょっと驚きだけど、次世代はと見ると、スウェーデンはジムのトレーナー、ノルウェイはシングルマザー、デンマークはオーストラリア人のコンサルタント、オランダはアルゼンチン人の投資銀行家、スペインはジャーナリスト、イギリスは実業家の娘、日本は外交官、というぐあいにみんなちゃんと平民と出会って、恋をして、結婚しているのは時代を反映しているんだろうな。だって、今どき平民はアウトなんていってたら、運悪く?王位継承者に生まれた人は結婚できなくなってしまいそうで、それこそお家断絶の危機・・・。

ちなみにスウェーデンの現王室はペルナドット家といって、跡継ぎがいなくなったときにフランスからナポレオンのライバルだったペルナドット元帥を養子として迎えてカール十四世として据えたのが始まり。王妃になった妻のデジレはナポレオンの相愛のフィアンセだったのが、ジョゼフィーヌの出現で捨てられて、ジャン・ベルナドットと結婚したという話が残っている。スウェーデンでの生活になじめなくて子供を連れてパリに帰ってしまったそうで、ロシア皇帝が一人暮らしの夫に「縁談話」を持ちかけて断られたとか。王妃になってからはスウェーデンに戻って終生国民に愛されたそうだけど、実は死ぬまで秘かにナポレオンを愛し続けたらしい。(昔マーロン・ブランドーとジーン・シモンズ主演の映画(『Désirée』(邦題は『王妃デジレ』?)があったな。)

それでも、「隠し妻」として33年。バーティル殿下に王妃デジレの熱情が生きていたのかもしれないけど、第二次大戦中の出会いからバーティル殿下が亡くなるまで、50年以上も文字通り陰になり日向になりして連れ添って、添い遂げたってことだよねえ。これが愛というものかと、じわ~っと感動してしまうな。

変えてばかりでいつもきれいな心

3月19日。火曜日。今日もまあまあの天気。カレシは庭仕事、ワタシは商売の仕事。

ワタシとカレシはそれぞれ専用ルータを持っていて、別々のWi-Fiネットワークがある。ワタシのが常時オンになっているもので、プリンタをこっち経由でシェアしようということになって、いつも「できる!」と主張するカレシが例によってああだこうだ。どうしてもダメで、かんしゃくを起こす寸前にギブアップ。プロに設定してもらうことになった。

それが金曜日。最初の予定は月曜日にダウンタウンへ行って、カレシはStaplesでプリンタの相談、ワタシは脱会した翻訳協会へ公証印の返却。ついでに新しいオーブンを見に行く。(方向がぜんぜん違うじゃないの。両方なんか行けっこな~い。)

土曜日。予定変更1回目。オーブンはすぐにいるもんじゃないから、月曜日はプリンタと公証印の件を片付けて、ついでにタブレットの下見をして、Hマートで買い物をして来る。
(ダウンタウンに車を止める気かな・・・?)

日曜日。予定変更2回目。月曜日と火曜日は雨の予報が出ていないので庭仕事デイとする。よって、ダウンタウン行きは水曜日に延期。日曜日の夜、日本は月曜日の午後で、ぽこっと仕事が飛び込んできたから、小さいものをささっとやっつけて送ってしまう。残りは月曜日と火曜日で終わらせて、水曜日を空けておく・・・と。

月曜日。予定変更3回目。水曜日のダウンタウン行きは変わらず。野菜がなくなるので、車はWhole Foodsの駐車場に止めて、地下鉄でダウンタウンへ。プリンタと公証印の件を片付けてから、タブレットの下見をして、ブロードウェイ界隈に戻ってWhole FoodsとSave-Onを掛け持ちの買出し。ついでにBest Buyでタブレットの下見。(午後だけでそんなにあれもこれもやれるわきゃない。)「遅くなりそうだから、どこかでご飯を食べてもいいな」。(あ、そう・・・。)

そして今日。予報の通りに夕方から雨。家に入って来たカレシはかすれた口笛を吹きながらうろうろ。ふむ、ワタシには仕事があるのに(あるから)予定を変えて振り回したもので、「ボクのこと、怒ってないよねえ」という「かまってちゃん」モードだな。でも、うるさいから無視して、ひたすら仕事に神経集中。おかげで近頃なかったくらい猛烈な勢いではかどって、ゆうべ飛び込んできた豆仕事もまとめて、ぜ~んぶ完了。

それにしてもまあ、カレシの心変わりは秋空の乙女心の比じゃないなあ。曰く、「いつもチェンジしてるから、オレの心はいつだってクリーンなんだよ」。あっ、そ・・・。

お出かけ疲れか、買い物疲れか

3月20日。水曜日。雨が降っているはずだったのに、目が覚めたら晴れ。きのうは予報の通りに夕方に雨が降り出したもので、なかなか正確だと感心していたカレシ、「褒めるのが早すぎたな」と。でも、雨、降ってないけど、出かけるよね、今日は?

朝食をして、カレシがな~んかまたどたチェンしたそうな顔。どたチェンはダメよとオーラを出しつつ、今日の郵便をチェックするワタシ。あは、会計事務所から所得税申告のお知らせ。てことは、来週また書類を持ってダウンタウン行きか・・・。

「Best Buyで買いたいものがあるから、プリンタのことも聞いてみようと思うんだ」。
そうねえ。公証印は今日じゃなくてもいいし、来週また税金申告の書類を持って行かなきゃならないしねえ。
「それに、今日は起きるのが遅かったもんな」。
そうねえ。もう1時半だもんねえ。じゃあ、ダウンタウンは省略する?
「そうした方がいいと思うよ、オレとしては」。
そうねえ。Best Buyと、Whole Foodsと、Save-Onと、でしょ・・・。
「それと、Home Depot。小さい鋸を買いたいから」。

あらら、4ヵ所となると、ちょっとしたショッピングツアー。まあ、どの店も2ブロック四方にまとまってあるから、買い物は便利すぎるくらい便利。トートバッグをどっさり積んで行って、空いていたメーターに車を止めて、2時間分のコインを入れて、時間切れになりかけたらコインを足して、車と店の間を行ったり来たり・・・。

どの店も広いから、2人とも、どっちかが買い物をしている間にてんでな方向にぶらぶらと行ってしまうので、互いに行方不明。互いにうろうろと探し回るから、まさに動く標的を狙うようなもの。

「何をお探しですかぁ~?」と、Best Buyでは元気のいい店員さん。
ええ、主人がどこかに消えてしまったみたいで・・・。
「そうなんですよ~。ここ、お客サマを吸い込んでしまうんですよねえ」。
そうねえ。男の人にはおもしろそうなものがたくさんあるものねえ。
「そうなんですよ、ほんとに」。
でも、吸い込んじゃっても、そのうちに吐き出してくれるんでしょうね?
「それはもちろん!」と、レジの方を見るおねえさん・・・。

急に曇って降り出した雨の中を帰りついたら午後5時半。ああ、くたびれた。お出かけ疲れなのか、散財疲れなのか、2人ともくたびれたなあ、今日は。

文字が全部あるキーボード

3月21日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。気温がちょっと低めらしいけど、今日もいい天気。道路向かいの桜もだいぶ咲いて来た。(窓越しにちょっとズームインして・・・。)[写真]

朝食後、英語教室午後の部に出かける準備をしていたカレシ。「印刷できない。キミのでやってくれ~」と。急いでワタシのPCを起動したけど、運悪く寝る前にWindowsの自動アップデートがあったので立ち上がりに時間がかかる。カレシは「遅刻だ、遅刻だ」と、不思議の国のアリスの白うさぎみたいにおろおろ。教材をゆうべのうちに印刷する暇がなかったの?「忘れた。いつも忘れるんだよ」。はあ。(高齢者の3割が死ぬときには(死因ではなくても)認知症にかかっているという話だけど、アナタ、だいじょ~ぶ~?)印刷できた紙をひったくって、ジャケットを着るのもそこそこに飛び出して行ったけど、ほんと、大丈夫なのかなあ・・・。

ワタシはきのうBest Buyでカレシを待っている間に思いついて買った新しいワイヤレスのキーボードとマウスの設定。といっても、買い換えるたびに小さくなって、とうとう豆粒のようなサイズになったドングル(レシーバー)を裏のUSBソケットに差し込むのにひと苦労したけど、マウスもキーボードもすでに電池が入っていたのにはびっくり。ぺらぺらと出している絶縁テープをえいっと引き抜いて、スイッチをオンにするだけ。いつもこうだといいのに。ドライバをダウンロードしているのか、しばらく「アップデート中」みたいなメッセージが出ていて、やがて「再起動して、ど~ぞ」。はいはい。

新しいキーボードはLogitech。キーの上の文字が真ん中にあるのが気に入った。(CapsLockのキーの隅っこにちいっちゃな表示ライトがついているのもうれしい。)いつも3ヵ月くらいから文字が消え始めるので、今度は並んでいる商品のキーをためつすがめつ。マイクロソフトのキーボードの文字はやっぱりいかにもキーに「貼り付けた」という感じ。よく観察すると、文字を四角いキーの左上隅に貼ってあるから、打つときに爪の先が当って削れるのかもしれない。いつも右側の手前のキーから、しかも文字の右下部分から消え始めるのも、指の動きの方向と関係がありそうだな。Logitechのは、これもたしかに貼ってあることには変わりがないけど、キーの中央なので爪はあまり当たらない。少しは長持ちするといいな。

ハワイでの会議に今月中に登録しないと早期割引が適用されなくなるので、とりあえずワタシの分だけ登録して、参加費の支払い手続きを済ませて、午後5時が期限の仕事にかかる。めずらしく行楽関係だから、どっさり送られてきた資料の写真を見ながら、ちゃかちゃかと仕上げる。写真で見る限りはすごいところだけど、ワタシ好みとは言えないな。子供がいなかったせいかもしれないけど、テーマパークや遊園地の類にはあまり興味がわかない。昔、北海道に『赤毛のアン』をテーマにした「カナディアンワールド」とかいうところ(今でもあるのかな?)に行ったことがあって、そこでトーテムポール彫りの実演をしていたおじさんが、ワタシたちがカナダから来たと知って、「それらしく見えるかい?」と聞いてきた。丸太はまっすぐじゃないし、何よりもプリンスエドワード島の先住民はトーテムポールを作らない(だからこのおじさんもどんなものかよく知らない)んだけど、カレシと声をそろえて「よくできてるよ~」と返事。それ以来テーマパークなんてものはあんなもんだと思っているので、よけいに興味がわかない。ま、仕事となれば話は別で、興味も何も関係ないんだけど・・・。

新しいキーボードの手ごたえは上々。マイクロソフトのよりも重いので、使っているうちに左右に滑ることがない。(画面の中心とキーボードの中心が合わないと打ちにくい。)新しいマウスも手にぴたっとなじむ感じで、すべりも良くて使い勝手は上々。衝動買いして正解だったな。余裕で期限に間に合って納品。カレシを英語教室夜の部に送り出すために、早めに食事のしたくをしなくちゃ。

春の陽気に浮かれて買い物

3月22日。金曜日。今日もいい天気。だけど、何だか眠いなあ。ひと足先に起きたカレシに正午前に起こされたからかな・・・。

ヘアカットの予約があるカレシを送り出して、ワタシはトートバッグを肩にモールへ運動がてらてくてく。気温はひと桁。郊外ではかなり大きな雹が降ったという話だったけど、きのうは我が家のあたりでも急に雹が降り出して、何とも落ち着きのない天気。でも、風が止んだので、空気は冷たくても日差しの下を歩いていると汗が出て来る。桜並木はほとんどが5分咲きに近くなったかな。開花が少し遅めの種類の方はちらほら程度・・・。

ヘアカットとハイライトの予約を入れるつもりで、ジュゼッペとアンナが椅子を借りているサロンに行ったら、あら、2人の姿がない。聞いていてみたら、ジュゼッペは常連の予約が入っているときだけ来て、奥さんのアンナは週4回来るようになったとか。そっか、カレシが行っているアントニオと同じく、ジュゼッペも常連だったお客だけに絞っての「半引退」になったわけか。カットとハイライトを別々に予約するつもりだったので、電話してみようっと。まあ、みんなそういう年令になって来たというわけだけど、年金をもらいながらパートタイム型の働き方を選んでいるようだな。ワタシも、従前の通りに継続する1社と担当分野を特定する1社を除いて、5月1日付で引退すると知らせてあるけど、少しは「半引退」近づけるのかなあ。

郵便局で私書箱を空にして、エスカレータのすぐそばにきのうオープンしたばかりのCrate & Barrelの偵察。去年からず~っと首を長くして待ってた。12月にサンフランシスコに遊びに行ったときも、もうすぐバンクーバーにも開店するからと、買いたいものも買わずに帰ってきた。その店が何と家から歩いて行けるところにオープン。テレビのローカルニュースでキャスターが「もう国境の南まで行かなくても良くなりました」と言ったくらいだから、ワタシと同じように待ちかねていたファンがたくさんいるんだろうな。きのうは朝から開店を待つ人の行列ができたという話だった。

一歩入ってみると、うわっ、広い。思っていたよりもず~っと広い。映画館2つと中華レストランとモールの外側にあった小さな店(ジュゼッペのアンナのヘアサロンも)を全部まとめてひとつの店にしたわけだから、広くてあたりまえか。(調べてみたら、床面積2500平方メートルだそうな。)オープンしたばかりとあって店の中はちょっと込んでいたけど、明るくて、第一印象は100点満点。家具もあるけど、やっぱりお目当てはキッチン用品。食器やグラス、カトラリー、鍋にフライパン、調理器具と、サンフランシスコにあるものは何でもある。壊れるのが心配で、買って帰れなかった小さな器やお皿がたっくさん。でも、今日は偵察のつもりだったので、「これ、欲しい」、「これ、欲しい」は心の中で言うだけにしておいて・・・。

と、そのつもりだったんだけど、やっぱり誘惑に勝てなくて、持てるだけにしておかないと、と諌めつつ、小さい器を2種類4個ずつ、すてきなデザインの小型のオードブル皿を2枚、ついでにチーズナイフのセット。そして、ついに見つけた理想サイズのスロークッカー!量販店やデパートで売っているのは家族用サイズで大きすぎる。やっとめぐり合えたのはカルファロンの4クォート(4リットル弱)サイズ。お2人さま用のポットローストやプライムリブのローストを作れる!欲しい、欲しい、欲しい。だけど、かさばるからひとりで持って帰るのは無理、無理、無理。でも、ここはサンフランシスコじゃないんだよね。いつでも買いに来れるんだよね、今日でなくても・・・。

そうなんだ、歩いて30分足らず。これからはいつでも来れるんだっけ。開店記念の15%オフのうちに運び役にカレシをつれて来よう。でも、ほんっとに開店が待ち遠しかったCrate & Barrelはワタシタイプのファッション店。うきうきとスキップしたい気分で家路についた。(春の陽気に浮かれたのかな?)

コース料理で復活祭の予行演習

3月23日。復活祭まであと1週間の土曜日。このところ立て続けにど~んと食材の買出しをしていたせいもあって、ちょっと手が空いた今日は、久々に(ほんとに久々に)思い付きのご馳走を作ってみたい気分で、モチベーションが急上昇。フリーザーをかきまわして、あれこれ・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(トマトゼリー入りチルドトマトエッセンス)
 大西洋サケのみそ味ポケ
 シーバスのフライパン焼き、ヘッジホッグきのこのソテー、アスパラガス(蒸)
 ラムのコンフィ風メダリオン、赤ベルモットのリダクションソース、
 レモンバターライス、フレンチインゲン(蒸)
 セルリアックのサラダ、レムラードドレッシング(カレシ特製)
 マティニ(食前酒)、白ワイン、赤ワイン、アルマニャック(食後酒)

 [写真] 角切りトマトの缶詰をジュースを絞って使うとき、ジュースを捨てずに取っておいて、コーヒーのフィルターで2度くらいろ過したものを冷凍保存しておく。(生のトマトの場合は、つぶしたものを木綿の袋などに入れて、一晩くらいかけて抽出する。)赤いトマトの色はないけど、トマトの「味」が濃縮されていて、冷たいスープを作るのに最適。トマトのパサタを寒天で固めて、スプーンですくったものにバジルの葉っぱを飾って落としたら、予想に反して沈まなかったので、飾りの緑が生きてくれた。きのう買ったオードブルがぺったんこなので、ペーパータオルをはさみでちょきちょきとドイリーに仕立ててみた・・・。

[写真] ポケはまぐろなどを使ったハワイの郷土料理。ここはすし用の大西洋サケをざくざくと切って、ごま油、ラー油、一味唐辛子、醤油、味噌少々で和えて、刻んだねぎを混ぜ、炒った白ゴマをぱらぱら。先々週、Tojo’sで刺身サラダのドレッシングに味噌が使われていたので、さっそく「お試し」。醤油は控えめにして、唐辛子でピリ辛。耳付きの四角い容器はきのう買ってきたもの。

[写真] 普通はひとり分のシーバスの切り身を2つにスライスして、こしょうをがりがり、サリッシュ族の燻製塩をぱらぱら。前のコースが終わるまでスモーキーな塩をなじませる。アスパラガスを蒸している間に、ヘッジホッグきのこ(シロカノシタ)をバターでソテー。カレシの野菜冷蔵庫から失敬してきたトマトをここでも使う。

[写真] こういう小皿料理のコースは軽いものから重いもの、冷たいものから温かいものに進むことが多い。今日の締めはラム。朝食後に骨付きのラムのラックを解凍して、(ミニのスロークッカーでは邪魔なので)骨を取り、脂身を取って、シリコーンのバンドでメダリオンに整え、切り取った脂身や骨と一緒にスロークッカーにセット。赤ワイン、水、オレガノ。後でにんじん、セロリでゆっくり煮込んでいる間に、ルンバでキッチンの掃除。後でボイラーオニオンという玉ねぎを足したら、食べる頃には影も形もなくなっていた。肉に添えるつもりだったのに、何とか使えたのはにんじんだけ。ソースは赤のベルモットを小鍋で煮詰めたもの。炊いておいた長粒米をいるだけフライパンにとって、バターとレモンジュースで味付け。肉が小さいので、カレシの冷蔵庫からバターレタスの葉っぱを失敬してきて、下に敷いてソースをかけた。

今日のサラダ一応の構想を聞いてカレシが決めた特性のセルリアックとセロリのサラダ。塩味はケッパーと塩ヨーグルトのものだけなのに、なぜかちょうどいい塩味になるから不思議。それにしても、コース料理はほんとに久しぶりだな。いつもあるていどのメニューを思い描いて、材料を出しておいてから始めるけど、使われずに冷蔵庫に戻るものも多いし、途中が気が変わって想定外の料理に鞍替えするものも多いし、まあ、そのときの気分と想像力しだい。

さて、来週の金曜日はグッドフライデイで、日曜日は復活祭だし、どんな料理を作ろうか・・・。

赤い糸が結ぶもの

3月24日。日曜日。今日もいい天気。気温もやっと2桁になって、窓の外の桜も急に開花が進んでいるような。東の方も道路の続く限りもや~っとピンク色になって来た。日本だったら、ご近所さんが集まって歩道の芝生にご馳走を広げて花見をするのかな。(芝生どころか歩道がないよなあ、そういえば・・・。)

今日が期限の仕事はきのうのうちに納品してしまったので、今日は「休み」モード。朝食後のコーヒーを楽しみながら、マーティン・ガードナーの『The New Ambidextrous Universe』(『自然界における左と右』新版)を読み始めた。日本語訳された初版を読んだのは40年も前のまだ日本にいた頃。20年後に大幅に加筆、拡張した新版が出て、読み始めた「New」はさらに改訂したもの。その間の科学の世界の変化はすごいから、もう一度読みたくなって買ってあった。鏡に映る像の不思議と対称、非対称の話で始まっているけど、新版は「左と右」のテーマからかなり発展しているらしい。なおさらおもしろそう。

きのうやっと読み終えたビル・ブライソンの『Notes from a Small Island』(『ビル・ブライソンのイギリス見て歩き』)は最後の締めが強烈だった。アメリカ人の著者が20年ぶりに家族を連れてアメリカに移り住むことになり、その前にこよなく愛するイギリスを見ておこうと、バスや鉄道を乗り継いでのひとり旅に出る。ちょっと見るとアメリカ人がイギリスについてあれもこれも文句たらたらという印象なんだけど、読み進むうちに、文句じゃなくて嘆息なんだと思えて来て、この人はそういうイギリスが好きなんだとわかって来る。(だからこそ、イギリス人は「世界本の日」にこの本を「イギリス人とイギリスを最も良く描写した本」として選んだと思う。)そして、旅を終えて、住まいのある北ヨークシャーに帰り着き、目の前に広がる丘陵風景を見渡して、「オレはここが好きなんだ。どのくらいなんて言えないくらい好きなんだ!」

わかる、わかる。生まれ育った国を離れて、移り住んだ別の国を好きになったその気持。あばたもえくぼもぜ~んぶひっくるめて丸ごと大好き。生まれ育った国と比べて、文化がどうの、政治や宗教がどうの、医療や社会保障の制度がどうの、治安や社会問題がどうの、人がどうのといった、そういう「婚活の条件」のようなものさしとはまったく次元が違う「好き」なんだよなあ。「だから~」と好きな理由を説明することができない「好き」。いうなれば、夫婦愛のような「好き」なのかな。一緒にいると心が落ち着いて幸せと感じる「好き」と、ほんっとにしょうがないなあというときの「好き」がごっちゃになっていて、それを「I love you」としか言葉にできないくらいの「好き」。人間同士でのそういう愛を知っている人はどんな気持なのかわかるかもしれない。

そういう人や土地に出会えるのは運のおかげなのか、あるいは縁の力なのか。よく聞く「運命の赤い糸」というのは、人と人だけでなく、人と土地も結びつけるものなのかもしれないな。まあ、自分からその赤い糸の先にある運命の人または運命の土地をたぐり寄せるものなのか、あるいは見えない運命によってたぐり寄せられるものなのか、そこのあたりはよくわからないけど、この地球の上の万物の営みはみんなどこかで何かしらつながっているような気がしないでもない。読み始めたガードナーの本には「スーパーストリング理論」の話があるけど、もしかしてそれかなあ・・・。

何を今さら

3月25日。月曜日。朝食後、きのう遅くに入ってきた仕事にかかろうか、かかるまいかと、しばし思案。その気になれば1日でできる量で、納期までは2日半と余裕たっぷり。どうしようかなあ。

隣のリビングで、テレビを見ながら自分の洗濯物をたたんでいたカレシが、やぶからぼうに、

「キミは大学に行くべきだったよな」。
(リビングに行って)何でなの?
「言語学者とかになってたかもしれないよ」。
ええ?そんなの考えたことないよ~。
「でなければ、ビジネスの才能があるから、起業したらよかったのに」。
ええ?今までちゃんとひとりで自営業をやって来たじゃないの。
「じゃなくてさ、会社を作って、社長になって、社員を雇って。キミならすごく儲けたと思うけどなあ」。
ふ~ん、そっかなあ・・・。(そんなこと、できたわきゃないじゃん!)
「女の方が男よりも正しい決断ができて、ビジネス上手なんだってさ」。
へえ、そうなの。だけど、会社ビジネスは片手間の仕事じゃないからね。ひとりでフリーランス稼業を切り盛りするんだってタイヘンだったのに、会社なんか経営してたら、とっくにカローシしてるよ。

それにしても、何で唐突にそんな話になるのかなあ。テレビで何か言ってたのかもしれないけど、それじゃあ、まるで昼間のワイドショーを見てる奥さんみたい。あはは。

まあ、ひとり身だったら、あるいは、カレシが専業主夫になって全面的にサポートしてくれるタイプだったら、もしかしてということもあり得たかもしれない。でも、働き始めてからずっと仕事100%、家事100%で、自分のことをかまっている暇もなかったくらい。この10年ほどは、カレシも自分の洗濯物くらいは自発的にたたむようになったし、ほんっとに楽になったと思う。

なんたって、今さら「会社社長」なんていう柄でもないでしょう、ワタシ。

時の流れは絶えずして

3月26日。火曜日。午前11時40分に起床。ここのところ、わりと早めに寝て、わりと早めに起きているような感じ。天気は上々だし、いいことだな。

朝食後にダウンタウンに行くことにしていたので、ささっと支度。留守番役のカレシにバイバイして、すっかり春らしくなった日差しの中を地下鉄駅まで15分足らず。切符を買って、(まだ改札口が機能していないので)ホームへ行ったらすぐに電車が来た。終着駅のウォーターフロント駅まで14分。バスだった頃は、バス停まで17分くらい。数分おきに通っているはずのバスが待てども待てども来なくて、突然3台も金魚の何とかみたいにつながって来たり。乗っても途中の渋滞に引っかかったりして、ダウンタウンまで30分くらい、ときにはそれ以上かかっていたな。つまり、約束の時間があったら1時間以上も前に家を出ないと間に合わない。今は家から終着ひとつ前のシティセンター駅まですいすいと30分だから、オリンピックさまさまというところ。

ダウンタウンに着いて、まずは翻訳協会のオフィスに行って公証印を返却。行く前に住所を確認したら、前に行ったことのある住所と違っていた。虫の知らせというけど、確認しておいて良かったな。1914年に建てられたビル(市の「遺産」に指定されている)の5階のジグザグと曲がる廊下のずっと奥のオフィスを探し当てるほうがタイヘンだった。元の袋に入ったままの公証印を渡して、もう少しで名前を言い忘れるところ。まあ、予告はしてあったからわかるだろうけど、20年も昔に払った50ドルを返してくれるそうだから、念のため。退会したので「公認」のタイトルも返上だし、これで、地元市場からは「引退」・・・。

次は会計事務所に所得税申告の書類を届ける。歩きながら、ずいぶん高級ブティックやブランド店ができているのに気がついた。カルティエの店もある。ひと昔前のダウンタウンはいたるところに語学学校があって、一時はその数は160校とか言われていた。不景気だったから古いビルの家賃なんか格安だっただろうな。周辺は学生相手のコンビニや安い食べ物屋が軒を連ねて、何となく場末的な感じがした。学校のあるところはどこも休憩時間の語学生とわかるグループが歩道を占拠していたから、歩行者は車道に下りないと通れなかったし、おまけにタバコを吸っている人が多くて、煙いのなんのって。かなりメイワクだったんだけど、まあ、みんな「お遊学生様」然としていたな、あの頃は。でも、リーマンショック以降は星の数ほどあった語学学校の多くが淘汰されたようで、新しい高層マンションが林立するダウンタウンには都会らしい活気が戻って来ているようだった。

地下鉄駅の後ろ、銀行の隣にあるのっぺりした(薄汚れた)白い建物は大手デパートのEaton’sがあったところ。倒産したのはもうかなり前で、その後に大手のSearsが入ったけど、ダウンタウンの中心にあるのになぜかジリ貧で、今度はアメリカの高級デパートNordstromが進出して来ることになった。すぐにオープンするのかと思ったら、これから2年かけて建物を大改装するんだとか。歩道に歩行者用の通路ができたと思ったら、何とあの建物全体を覆っていたのっべらぼうの外壁パネルを外しにかかっている。またダウンタウンの景観が変わるんだなあ。でも、38年前に比べたら、格段におしゃれな街になったよ、バンクーバー。

帰り道。午後3時を過ぎて、地下鉄は込み始める。いろんな人がいて、いろんなことをしていて(たいていはスマホをいじっているけど)、外国語の会話もあちこちから聞こえる。知らない同士、目と目とが合ってちょこっとスマイル。うん、ワタシはこの街のそういうところが好きなんだ。ああ、春だなあ。

生理的な感覚の違いかな

3月27日。水曜日。起床は午前11時ちょっと過ぎ。何だか早いけど、お掃除の日だから、早い方が掃除前に朝食が終わっていい。シーラとヴァルが現れた12時半には気温がもう15度。道路向かいの桜はほぼ満開で、少し咲くのが遅い並木も五分咲き以上かな。天気予報では、感謝祭の四連休を通して15度前後。きっとこの種馬は園芸センターが大混雑だな。春だ、春だって・・・。

オフィスの掃除が終わってすぐに今日の5時が期限の仕事を仕上げにかかる。残っているのは推定で約500ワード分。質の良い文章なら1時間でやっつけられる量なんだけど、なかなかそうは問屋が卸してくれない。シンクタンクのようなところには饒舌家がいるものらしくて、この文書は最後の「。」に行き着くまで200文字近い文がぞろぞろ出て来る。おまけに、あれもこれもとワンセンテンスに詰め込む(ひと息で言ってしまおうとする)から、「and」でつなぐとへんてこな英語になったりする。うまく「and」でつながればいいけど、つなげないものはセンテンスを分割するしかない(まあ、ワタシの文もけっこう長いけど、100文字さえ行かないと思うな。)

それにしても、どうしてこんなにいろいろと、ときにはあまり脈絡のなさそうなことまで詰め込んだ文を書くのかなあ。いつもながらつらつらと考えてみるけど、結局はわからない。そういう構造にしないと、日本語としては心地よく響かないのかな。法律文書も長ったらしい文が多いけど、筋道は通っているから、漢文の訓読の要領で、返り点を想像しながら「英読」すると問題はない。でも、企業やITの文書屋さんは端的に言っていわゆる「ボキャ貧」が多いように思う。たとえば「情報発信」をそのまま辞書にある英語にすると、日本人が普通に使っている(と思われる)意味合いから微妙にずれたものになってしまう。たしかに、「情報発信」といえば、ハイテクで時代の先端を行くハイカラさんのような感じがしないでもないな。でも、「HPに掲載した」でいいんじゃないかと思うけど、それでは「情報化」の波にスマートに乗っていないような気がするのかもしれないな。

どうやら無事に終わって、全体を見直して、多少の意訳を加えたりして、無事に期限に間に合って納品。やれやれ、こういうのはくたびれるなあ。いったいどんな人が書いたんだろう。こういう文書を書かされるのはだいたいはまだ若い下っ端くんだろうと思うけど、buzzword(キャッチコピー的な流行り言葉)を意味をよく理解した上で使っているかどうか疑問に思うようなところも多い。たぶん、先輩たちが使っているのをそのまま使っているんだろうな。会社勤めには順送り的なところがあるから。でも、そんなにあれもこれもひとまとめに言ってしまわなくてもいいんじゃないかと思うなあ。落ち着いて、あせらないで、と言ってしまいそう。

でも、こういう寄り道文は枝が何本もあって、「訓読」式では読みにくい。そこで、ひとつの文の中に2つも3つもあるトピックをそれぞれ別の文に分けてくれるとすっきりして助かるんだけど、日本語の感覚ではぶつ切りのようで、すらすら流れないことに違和感があるのかな。何か毛筆でさらさらと「候文」を書いているイメージが浮かんで来てしまうけど、やっぱり言語の感覚的な違いということになるのかな。まあ、こういう感覚の違いはたぶん生理的なもので、文化や思考の違いのように説明したり、理屈ですり合わせたりできるものではないんだろうと思うな。そうとわかれば文句を垂れていてもしょうがないけど、もしかして、おかしいのはワタシの日本語感覚の方だったりして・・・。

いいね、春爛漫

3月28日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。ほんとに「いいね」ボタンを10回くらい押してしまいそうないい天気。ポーチの気温は正午で13度。外は桜が満開。

[写真] キッチンの東向きの窓から見える桜並木。料理をしながらお花見ができる。日差しを受けて温室の屋根も満開。

[写真] 実家から種を持って来て(お役所には内緒)植えて、ずいぶん長いこと窮屈な鉢植えでがまんしていた桜。おととしやっと庭に下ろされて、去年は2個しか花をつけなかったけど、専門業者に施肥してもらったら、今年はたくさん花をつけた。もっと大きくなったら、お弁当を作って、裏庭のパティオでお花見ができるかなあ。

[写真] 前庭のライラックにも花芽がたくさんついて、二階の窓から見下ろすと、粒々のつぼみがな~んとなく青みがかって来たような。ひょろひょろと野放図に伸びたレンギョウもそれなりに精一杯の満開。

[写真] キッチンの南向きの窓の外にあるモミジバフウの木。まだ葉が出ていなくて、冬の間に落ちずに残った実がどっさり。カレッジの外にある並木のトチノキみたいに頭に爆弾を落とさないでよね。(でも、これは当たっても痛くないかな。)

[写真] 温室の中は27度。菜園への植え替えを待ちかねている野菜の苗・・・。

でも、家の中に入ると、いたるところにリサイクルに出す雑誌類やペーパーの山。英語教室から帰ってきたカレシに言ってみた・・・。

ねえ、spring cleaning(春の大掃除)ってのをやらない?
「ん・・・」。
ね、ね、やろうよっ。春が終わってしまわないうちに。
「まあ、来たばっかりだから、まだ急ぐこともないだろ?」
はあ・・・?

陽だまりで昼寝を

3月29日。金曜日。グッドフライデイ。キリストが磔刑になった日で復活祭の四連休の始まり。木曜日(というか金曜日の丑三つ時)に店じまいする時間までに仕事が入って来なかったから、ワタシも日曜の夜までは確実にウィークエンド。予算消化期の「魔の3月」もどうやら地獄の底までは行かずに終わりそうな感じ。

もっとも、四連休と言っても月曜日(Easter Monday)は法定祝日ではないので、4日休めるのは官庁と大手企業、労働組合の強い産業の人くらい。州の公務員時代はあたりまえに四連休だったのに、会計事務所に転職したら三連休。まあ、3月、4月は所得税申告の時期で猫の手も借りたいときだからしょうがないんだけど、朝寝坊を決め込んでいるカレシを横目に出勤するのは何となくブルーマンデイ。

もう四半世紀も前の、ほんとに遠い昔のこと・・・。「連休」初日、カレシは庭仕事。ワタシはキッチンの陽だまりでのんびり読書。なんか逆転したような感じがしないでもないな。

[写真] 八角塔の二階の陽だまり。多目的と言うよりは「無目的」な部屋で、あまり使わないまま。窓が5つ。角地なので、南西方向を中心に展望270度。でも、ゴルフ場の木が伸びたせいか「眺望」はなくなった。昔は空港の飛行機の尾翼のライトが見えたもんだけど・・・。

ねえ、屋根の葺き替えのときにスカイライトを埋めるついでに、ドアをつけてちゃんとした部屋にしてもらおうか?
「うん、いいねえ」。
そうしたら、お客があるときに臨時のベッドルームにして泊まってもらえるよねえ。
「うん、いいねえ」。
夏の暑いときは閉めておけばベッドルームが暑くならないかもしれないし・・・。
「おっ、それはいいなあ」。
そうする?
「それはキミがマイクと相談して決めろよ」。

よ~し、そうしようっと。そして、おばあちゃんになったら陽だまりで昼寝をするのだ。

行きはコワイし、帰りもコワイ(1)

3月30日。土曜日。復活祭の連休の2日目。正午をちょっと過ぎて起床。今日も春満開のいい天気。ポーチの温度計は午後1時でもう16度。今日はママのご機嫌伺いに行って、帰りに園芸センターに行って、スーパーに行って、という日程・・・。

いざ出発!と言うところで、トラックのエンジンがかからない。あ~あ、またバッテリが上がったか。カレシはぶつぶつ言いながら、家に戻ってエコーのキーを持って来て、トラックと鼻を突き合わせてのジャンプスタート。さすがにベテラン?になったと見えて、ほどなくして轟音を立ててエンジンがかかった。ああ~。

ハイウェイは込んでいるかと思ったけど、入ってみたら意外と空いていた。このハイウェイは「トランスカナダ・ハイウェイ」という名で、緑の地の白いカエデの真ん中に「1」と書いてある、カナダの「国道1号線」。カナダ国章の標語「A Mari Usque Ad Mare(海から海へ)」そのもで、太平洋岸から大西洋岸まで、ロッキー山脈を越えて大陸を横断すること延々7,821キロ。。「どこま~でもいこ~お~」はタイヤのCMだったけど、今もしも若かったら、端っこまでドライブしてみたいな。何日くらいかかるのかなあ。

有料の橋に迷い込まずに無事「最後の出口」を出て、左折して、右折して無事ローヒードハイウェイの東方面の車線に乗ったのはいいけど、ピットリバー橋への車線に入り損ねて、橋の下を潜ってしまった。あ~あ、また迷子だ。行けども行けども「農村地帯」の風景で、「どこなのか皆目わからん」とカレシ。

しょうがないから途中でUターンして、通って来た道を戻ったのはいいけど、ワタシが左と言うのに右に曲がったカレシ。反対方向の元来たこの道、何とやら。しばらく行って適当な交差点でまたUターンして、やっとピットリバー橋を渡れて本来の道筋。まあ、ハイウェイはどこも効率化や拡張のための工事、工事、工事。通るたびに構成が変わっているような気がするから、あなちがカレシのせいばかりでもないんだけどね。

まっ、せっかくの春の陽気に気をよくして、どこま~でも~ゆこ~ぉ~。みちは~きびしくとも~。くちぶ~えを、ふきな~がら、はしぃ~ってゆ~こ~ぉ~・・・(今、どこ?)

記憶の空白を埋める昔話

久しぶりにママのご機嫌伺いで、話が弾んだ。最近は膝が痛くて歩くのがちょっとつらいようだけど、「この年になったらこんなもんでしょ」と。5月には96歳。歩行の問題以外はいたって元気で、カレシに入れさせた紅茶を飲みながら、いつものように昔話に花が咲いた。

復活祭がもう大きなイベントでなくなっていること。その代わりかどうか、昔はあまり騒がれなかったバレンタインが「絆」の大イベントになり、子供の行事だったハロウィーンが今や大人のパーティイベントになっていること。今年で、ママ、96年、カレシ、70年、ワタシ、65年。それだけの年月を生きて来たということは、世界が変わって行く歴史を見て来たということだよなあ・・・。

遠い郊外の農場育ちで、高校卒業を待ちかねて「都会」(バンクーバー)に飛び出したというママは、下宿しながら金持の家の掃除代行をして生計を立てていた。そのとき、そのひとつの家の奥さんに頼まれてベビーシッターをした男の子がきのう82歳で亡くなったアート・フィリップス元バンクーバー市長。バンクーバーはよく世界の「住み良い都市」のトップクラスにランクされるけど、最初にその枠組みとも言えるビジョンを示したのがフィリップス市長だった。

「とってもいい子だったわ」。
「お坊ちゃま育ちだしなあ」。
「でも、ちょっと内気な子でね」。
「へえ。そんな感じじゃなかったけどなあ」。
「いつも指をくわえて、べそをかいてはお母さんに叱られていたのよ」。

へえ。あのアート・フィリップスがねえ。小さいときは指をくわえてべそをかいていたなんて・・・。長身でハンサムで、大学ではバスケットのスター選手。若くして投資会社を立ち上げ、市内に高速道路を通す計画に反対して市議会に打って出て、やがて市長に当選。独身市長をインタビューしに来た元ミス・トロントの美人テレビジャーナリストに猛アタックして、結婚。奥さんは市長夫人から市議会議員、州議会議員、州の財務大臣になり、今はサイモンフレーザー大学の総長。パワーカップルだよねえ。へえ・・・。

ママとカレシの昔話は、ワタシがカナダの人になるまでの30年近い「記憶の空白」を埋めてくれているような気がして、いつもながら興味が尽きない。

行きはコワイし、帰りもコワイ(2)

ごくたまにしか顔を出さない親不孝息子でもママにとっては息子。実に楽しそうに昔話が弾んだもので、お暇したのはいつもより1時間も遅い午後5時すぎ。(迷子になってせいで着くのが遅かったこともあるけど。)園芸センターは完全にアウト。スーパーへ行くのはどうしようか。おなかが空いて来たし・・・。

「どこかで食べて行こうか」。
どこかって、どこ?マクドナルド?サブウェイ?タコベル?ピッツァハット?
「やだよ、そんなの。Milestone’sはどうだ?」
あそこはねえ・・・。あ、もうすぐ出口だよ。
「じゃあ、Whole Foodsからテイクアウトして、買い物は夜になってからにする?」
うん、それはいいかも・・・。ああああ、出口を通り過ぎちゃったよ~。
「@#$%^&*」。
(あ~あ、また軌道を外れちゃった。)
「このまま行ったらキャンビーに出るから、昔のあの寿司屋に行ってみようか?」
うん、何年も行ってないね、あそこ。行ってみようか?

ハイウェイからの出口を見逃したおかげで、夕食は久しぶりに昔よく行った寿司屋に決まった。けっこう繁盛している寿司屋で、土曜日とあって小さな店内は近辺の家族連れで一杯。それでもカウンターの端に2席空いていた。ここのおすしはおいしいし、イカのゲソの唐揚げは絶品。最後に行ってから何年も経つけど、おすしの味は変わっていなくて、「前菜」がメインの後から出て来るのも変わっていなかった。2人ともゲソの唐揚げとすしの特上盛り合わせで満腹して、チップを入れて50ドル。やっす~い。

でも、寿司屋はどこもそうだけど、スタッフはワーホリ組で接客は今いち。「らっしゃ~い」の連呼は日本的サービスなのかもしれないけど、狭い店内ではにぎやか過ぎだなあと思っていて、来なくなった理由に思い当たった。アジア系の客はワタシだけだったあるとき、ウェイトレスとおかみさん?が大きな声で知人や客の悪口や噂話をして盛り上がっていて、今どき風に言うなら「ドン引き」してしまったんだった。日本語でしゃべってもわからないと思ってたがを緩めていたんだろうけど、バンクーバーには日本帰りで日本語のわかる「外人」がけっこういるのにと思ったな。

スーパーに寄っての帰り道は午後8時過ぎ。西の空は夕焼け小焼け。明日もきっといい天気。ついでに途中にある酒屋にも寄り道して、帰ってきたらもう9時近く。「冒険」がいっぱいの日でくたびれた・・・。

復活祭のディナーは雑食系

3月31日。日曜日。復活祭。予報通り良い天気。郊外ではこの日の高温記録を更新しそうだという話。朝食後、カレシは裏庭へ出て行って、日を浴びながらの庭仕事。汗をかいて労働している間に、ワタシはかねてから約束してあった「極楽とんぼ亭」のスペシャルメニューの段取り・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(シーバスの二色蒸し団子)
 アスパラガスの豚肉巻き、ポン酢大根おろし添え
 鶏ももと野菜の唐揚げ、フレンチラディッシュ
 牛ヒレ肉のステーキ、赤ワインのリダクションソース
 ほうれん草入りマッシュポテトと蒸したズッキーニ添え
 マティニ、白ワイン、赤ワイン(ボージョレー)

[写真] 突き出しは、適当に切った使い残しの小さなシーバスと少量の卵白をチョッパーでペーストにして、2つに分け、一方は中にからし明太子を少量入れてボールにまとめ、もう一方はボールにまとめて、シートに広げた抹茶の上をころころ。シリコーンのマフィン型に入れてスチーマーで蒸した。うっすら緑色の抹茶ボールにはコリアンダーの葉、白いボールには明太子で華を添えて、復活祭ディナーの始まり。

[写真] 小分けにしてある薄切りの豚肉4枚。アスパラガスの穂先を肉の幅に合わせて切って巻き込み、溶き卵にくぐらせてフライパンで転がしながら焼いた。刻みねぎを混ぜた大根おろしにポン酢で味をつけ、付け合せの蒸したフレンチインゲン、生のアジアきゅうりのスライスといっしょに添えてみたら、けっこうさっぱりした一品になって、「これはリピートものだ」とカレシの太鼓判。

[写真] 使い残し鶏もも1枚。ひと口サイズに切って、市販の中華風唐揚げミックスをもみ込み、小いもを4枚に切り、ピーマンも縦に切り出したのを斜めに2つ切りして、肉といっしょに漬けておいた。フライヤーをセットしておいて、前のコースを食べ終わったところで、まず肉、次にいもとピーマンを揚げて、赤と白の細長いフレンチラディッシュで彩り。

[写真] きのうの夜Save-On-Foodsで買って来た牛肉のヒレ。このスーパーではトレイに入れずに真空パックにしてある。少々サイズの違うものが2枚入っていたので、小さいほうをさらに2つに分けて、塩と胡椒だけのシンプルなステーキ。マッシュポテトにさっと熱を通したほうれん草と潰したローストガーリックを混ぜ、ブロッコリのスプラウトで飾り。ズッキーニを蒸している間にステーキをミディアムレアに焼き、コースを食べている間にゆっくりと煮詰めた赤ワインのリダクションソースを添えて、テーブルのワインも赤に切り替えて、今日のメインコース。

魚、鶏、豚肉、牛肉、野菜と、まんべんなく食べるのが雑食系。ほんとに、たまにはこうして食材のバラエティを楽しむのもいいね。量の加減がうまく行ったらしく、2人とも食べ過ぎ感はなくて、ああ、おいしかった~という満腹感。でも、今日はランチは不要かな・・・。


2013年3月~その1

2013年03月16日 | 昔語り(2006~2013)
とんかつ定食

3月1日。カレシが「とんかつ、食べたい!」と言うので、たまには肉もいいなと、今日はとんかつ。カレシがヒレカツに大根おろしとゆず醤油ソースの味を覚えて来た東京のレストランは「さぼてん」という名前だったかな。いっそ「とんかつ定食」としゃれてみようかと思ったけど、「定食」とは何かというイメージがはっきりしない。ググッてみたら、焼き魚、焼肉といったメインの1品にご飯と味噌汁、漬物や副菜を添えたもので、町中の「大衆食堂」のものだとわかった。へえ。なんとなく漠然と上品なメニューだと思っていたけど、あんがい「松花堂弁当」あたりと混同していたのかな。わかってみたら幽霊の正体見たり枯れ尾花で、なあんだ簡単。ということで、ヒレカツ(刻みキャベツ、大根おろし、ゆず醤油ソース添え)、麦入りの発芽玄米ご飯とさやえんどうのかき玉風みそ汁、たけのこと山菜水煮の炒め煮。お盆にまとめたら、けっこう様になっている食堂「極楽とんぼ亭」の「とんかつ定食」・・・。

雨、雨、雨は普通なんだけど

3月2日。土曜日。起床は午後12時35分。ベッドルームが暗いから目が覚めないのかな。外は相変わらずの雨。でも、空港の向こうの南西の空が何となく明るいのは、もうすぐ雨が止むということかなあ。

それにしてもよく降ったもんだな。バンクーバーでは41ミリ。郊外では150ミリも降ったところがあるとか。大雨の元凶は冬の間にハワイ方面から北東へ進んでくるPineapple Express(パイナップル特急)。アメリカでテキサス方面から北東に進んでカナダ大西洋岸、アメリカ北東地域に大雪をもたらすNor’easterとパターンが似ているな。大雪じゃなくて大雨というところが違うけど。まあ、きのうは3月1日。俗に「3月はライオンの如くやって来る」と言うから・・・。

何日も雨の日が続くと、トム・ハンクスとメグ・ライアンが主演した『Sleepless in Seattle』(日本では『めぐり逢えたら』)で、ラジオ番組で存在を知ったシアトルに住む男性のことが頭から離れないと言うヒロインに兄(か弟)が「あそこは年に9ヵ月も雨が降るんだぜ」というくだりを思い出す。そのとき、彼女は「そんなこと知ってるわ。シアトルに引っ越すつもりなんかないわよ。だけど、だけど・・・」。ワタシはロマンチックコメディ映画が好きだし(というか、心理的に安心して見られる映画はこのジャンルしかないんだけど)、シアトルは好きな街のひとつだから、よけいに印象に残ったのかもしれないけど、それくらい雨はシアトルの名物になっているということ。

バンクーバーだってシアトルに負けないくらい雨が降る。シアトルが年に9ヵ月なら、バンクーバーは8ヵ月くらい雨が降っているかもしれない。バンクーバーやシアトルが位置する北米大陸の太平洋北西岸は「西岸海洋性気候」だから、冬は温暖で多雨(でも夏は涼しくて少雨)。とにかく10月くらいから4月を過ぎるまで感心するほどよく降ることには変わりがない。もっとも、いくら雨が多いといっても、実際に8ヵ月も9ヵ月も雨の日が続くわけじゃなくて、長くてもせいぜい3週間くらい。じゃぶじゃぶと降るわけじゃなくて、だいたいはしとしと、しょぼしょぼ、空はいつまでもどんより。土砂降りの大雨はめったにない。それでも、いつも普通に太陽が照って、ときどき雨が降るところから来た人たちには冬中どんより、しょぼしょぼの天気に閉じ込められているように感じられるんだろうな。

ワタシがカナダに来て初めて経験した「雨期」は、2週間ぐらいぶっ通しで降って、2、3日休んでまた何日も雨、雨医。最初のうちこそこれはエライところへ来ちゃったと思ったけど、すぐにそれが当たり前と感じるようになった。まあ、来る日も来る日もしとしと雨かどんよりした曇り空で太陽を見ることがないというのは、霧に包まれて夏の日照時間が少ない蝦夷地の最果ての地で生まれ育ったワタシにとっては、生理的に「原風景」に立ち帰ったようなものだったのかもしれない。いうなればバンクーバーの雨水が合っていたというところかな。考えようによっては、人間の異なる環境に対する「精神的」な適応性においては、生まれ育った土地の気候条件が社会文化的な条件よりも大きな影響力を持つことがあるということかもしれない。

雨に慣れたバンクーバーっ子はちょっとやそっとの雨で傘を差すなんてのはプライドが許さないとばかりに悠々と濡れて歩いている。おかげで、ワタシもいつのまにか堂々と濡れて歩くようになった。生まれも育ちもバンクーバーのカレシもめったなことでは傘を持って出ない。(そのくせ旅行のときは傘を持って行きたがるのはどうして・・・?)相当な数のおとなが雨の中を傘も差さずに歩いている光景は、来たばかりの日本人の目には異様に映るらしいけど、フード付のジャケットでこと足りているし、女性も昼間からこってりメイクはしないから雨が顔に当たってもどうってことないしね。ま、ところ変われば何とやらということで、「バンクーバーの雨じゃ。濡れて行こう」と大見得を切るのもそれなりに風情があると思うけど。

おお、空港の向こうに切れ切れの青空が見えて来た。バンクーバーも雨もあしたは「休業日」かな。

美しい雪には白い牙がある

3月3日。日曜日。起床は午前11時40分の朝のうち。外はうそみたいな好天。八角塔の中は陽だまりがいっぱいでぽかぽか。道路向かいの桜も急にピンクづいて来て、もう2、3日こんな天気が続いたらちらほらと咲き始めそうに見える。弥生3月の今日は桃の節句。はて、桃の花って見たことがあったかなあ・・・。

北海道の猛吹雪でずいぶん犠牲者が出ている模様。湧別で娘を助けるために凍死したお父さんの話に涙が止まらなかった。母親を亡くして父ひとり子ひとりの暮らしだったまだ小学生の女の子が今度は父親を亡くした。雪に埋もれて行く中で、一人娘を抱きしめて温め続けた父親は亡き妻に祈り続けていたかもしれない、この子を守ってくれと。娘は父親の体温が次第に薄れて行くのを感じながら、母親に助けを求めていたかもしれない。孤児になったこの子を誰が育てるのか。北海道だから大丈夫かな。でも、去年北海道に行って初めて知った遠隔地の医療体制の貧しさが気にかかる。何とかしっかり心のケアもしてあげてほしい。道産子だもの、くじけるなよ。

真っ白な雪はたしかに美しい。季節にだけ訪れて純白の大地を堪能するスキーヤーやスノーボーダーにとっては、まだ他の誰の手も(足も)ついていない処女雪はたまらない魅力だろうと思う。(日本の人は初物が好きらしいし・・・。)でも、雪の中で生活する人間には、そんなそのときだけの感動に酔っている暇はない。大雪になれば家が潰れかねない。吹雪になれば吹き溜まりに行く手を塞がれる。日常生活もかく乱される。吹き溜まりは常に変化する砂漠の風紋のように形や場所を変えて見慣れた風景を消してしまう。雪は人間の方向感覚をも麻痺させる。通い慣れている道でさえ見たこともない世界に姿を変えるから、自分の家まであと数歩のところで遭難死することもある。ワタシも20年くらい前に家のすぐ前のゴルフ場のど真ん中で遭難しそうになった。

ダウンタウンに出ているうちにめずらしく吹雪になって、バスを降りてから家までゴルフ場を抜けることにした。(当時はバス通りと家の間にあるゴルフ場を突っ切ったほうが道路を歩くよりもずっと近道だった。)低い柵を乗り越えて、家の前の道路まで直線で400メートルほど。10分もかからないはずだった。でも、深くなる雪をこいで歩いているうちに、自分がどこを歩いているのか不安になった。立ち止まって見渡せばどこまでも同じような一面の銀世界。雪はどんどん降ってくる。すべての音が毛布に包まれたようにくぐもって聞こえる世界で、人のいないゴルフ場は静寂あるのみ。見回しているうちに完全に方向がわからなくなってしまった。あのときはほんとに怖かった。

結局は、ずっと北側の道路を通るかすかな車の音に耳をそばだて、少し進んでは音が左側から聞こえていることを確認してまた少し進むということを繰り返して、30分以上かかって家の前の道路に出ることができた。普通ならのんびり歩いても10分くらいでカバーできる距離に30分以上。でも、近くに交通量の多い道路がなかったら、いったいどうやって方角を定めることができたのやら。何も見えない、あるいは目印がない状態でまっすぐ歩くのは不可能に近い。輪形彷徨といって、人間の足は利き足の関係で左右の歩幅が違うこともあって、気づかないまま円を描くようにぐるぐると同じところを歩いてしまうらしい。

立ち往生した時点で家まではたぶん200メートルくらい。その家がどっちの方向にあるのか。人生、いろいろな形で迷子になったけど、あのときほどひとりぼっちの心細さを味わったことはなかったな。

ペシミズムと悲観主義の違い

3月4日。月曜日。ごみ収集の日で、朝の9時からトラックが行ったり来たり。こっちも目が覚めたり、うとうとしたり。なぜか4回通ったような気がするけど、気のせいかな。今日もいい天気。でも、ニュースの予報では午後には下り坂だけど・・・。

今週は仕事が3つで、まあまあの余裕。gooのメールアドレスに送られてくる「1年前の記事」と言うのを見たら、うは、去年の今頃はすごい激務だったんだ。大型の訴訟案件があったし、どう見ても予算消化の案件としか思えない大きな研究資料の日本語訳が続々とあって、ログによると最初の3ヵ月で去年1年の40%、その前の年の80%を稼ぎ出していた。それに比べたら、今年は楽々。まあ、業務縮小しながら(禁断症状なしで)引退にこぎつける「?年計画」の初年度としては言うことなしというところか。

ワタシのPCにはじっくり読みたいニュース記事をコピーしておくフォルダがあって、放っておくと何本もたまってしまう。そのフォルダに「悲観主義者は健康で長生きする」というなんとも逆説的な記事がある。ドイツの大学での研究結果らしく、一般には幸せであることが長寿の鍵と言われているけど、実際にはよりpessimistic(悲観主義的な)なアプローチを取る方が有用だということだった。ドイツで毎年やっている調査の10年分のデータを分析したところ、将来は明るいと過剰に楽観視している人はそれから10年以内に健康障害や死に遭うリスクが高く、「より現実的な見方」(これが悲観主義?)をする人は健康で長生きする可能性が10%高くなるとか。

でも、この西洋の「pessimism」と日本の「悲観主義」の間には越えがたい深い溝があるような気がする。というのも、人生について「より現実的な見方をする」というこは、状況を分析して問題を抽出し、それに対して「じゃあ、どうすればいいのか」と考える機会があるということだけど、日本的な「悲観主義」にはそういう「現実的な見方」、つまり前向きの(ポジティブな)姿勢が感じられない。ワタシは「悲観主義者」について、何でもダメダメで、いつもくよくよしていて、臆病で、心気症的で、厭世的で、あまり長生きできないという漠然としたイメージを持っていたけど、もしかしたらそれは日本語の「悲観」という字面から来る先入観だったのかもしれないな。

日本語大辞典で「悲観」を調べたら、「①物事が思うようにならなくて望みが持てないこと。失望、落胆。(disappointment)、②事態のなりゆきなどについて否定的な暗い見方をすること。厭世。(pessimism)」書いてあった。「悲」という字だけを引くと、「かなしむ。かなしい。かなしみ」。(二次的?に「情け深い」、「哀れみ」というのもある。)そこで「悲しむ」を引いてみると、「心の痛む思いがする。悲しい気持を持つ。嘆く。悼む。憂える。(feel sad)」。ついでにカタカナ語の「ペシミズム」を見たら、「すべてを最悪の面で考え、人生は、生きる価値がないとする考え方。厭世主義。悲観論」。救いようがないくらいに悲、悲、悲。でも、何だかpessimismとは根本的な違いがあるような気がする。何かが決定的に違う・・・。

Pessimism(ペシミズム)の語源はラテン語で「最低」、「どん底」を意味するpessimus。たしかに最悪の環境という感じではあるけど、逆にその「どん底」には底の底でその下がない(つまり、上昇しか残っていない)という、ある意味ポジティブな面を見ることができる。逆に「生きる価値がない」と言ったらそこで終わりのような・・・。このあたりは、現世を生きる宗教と、死後の幸せを願って「仮の世」を生きる宗教の死生観の違いも影響しているのかもしれない。キリスト教では死んで行くのは「天」、仏教では「西方浄土」。天空は無限に広がっていて、「上昇」への希望がある。でも、西の方を見ると視界を遮る険しい山があり、波荒き海があり、極楽はその向こうの遥か遠くにある。ブッセの詩みたいだけど・・・。

あんがい違いの根源は悲観主義、楽観主義というよりは、ポジティブ思考、ネガティブ思考の違いにあるのかもしれない。つまり、ペシミストだって、人生に「現実的な視点」から対処すればポジティブな結果がう生まれ、それが自信となって、健康と長寿の糧である「幸せ感」につながるけど、初めからダメだと諦めてしまったら、自信を得るチャンスを見失い、思うようにならない人生のストレスが不健康な心身状態につながるということか。要するに、この研究結果が言いたいのは、悲観的でも楽観的もいいから、人生は思うようにならないのがあたりまえなんだと思って、現実的に、ポジティブに対処するのが「健康と長寿」の鍵ということなんだろうと思う。

いつもとひと味違う日常

3月5日。火曜日。起床午後12時10分。今日は雨の予報で、外はかなり湿っぽい。出かけるんだけどなあ・・・。

午後いっぱい、カレシは庭仕事。ワタシは納期を前に仕事の仕上げ。きのうはうんうん言いながら株価がどうの、ボラティリティがどうのと、げんこつで自分の頭をゴンゴン。はては何とかモデルだかのややこしい計算式まで出て来て、もしもこれが理解できたら株を買ってひと儲けできるのかなあ、なんて妄想。ま、んなわきゃないけどね。

仕事が送り出したら、ちょこっとメイクらしきものをやって、ちょこっとおめかししておでかけ。そのとたんに雨がぱらぱら。途中はかなり降ったけど、グランヴィルアイランドへ入る頃にはしょぼしょぼの状態。3時間の駐車スポットを見つけて、マーケットの隣にある劇場へ。今夜は新装なった座席の「寄贈者」を集めてのレセプション。受付に座っていたパルミーダから座席番号が印刷された記念チケットを受け取って、二階のロビーへ。

腹ぺこだったので、ワインをもらってすぐにオードブルのテーブルに直行して、あれこれつまんでもぐもぐ。おいしいけど、レセプションの後は久しぶりにTojo’sでディナーだからセーブしないと。しばらくしてドアが開いて、劇場の中へ。「ワタシたち」の座席は右最前列の通路際2席という特等席で、アームにはそれぞれの名前を刻んだ真鍮のプレート。全450席ほどのどれだけに「寄贈者」が付いたのかと見渡してみたら、ほとんどに名札がついているような。これから予約するときは「B11とB12」が取れるように早めに予定を立てなきゃ。

終わったその足でTojo’sへ。火曜日だから空いているかと思ったら、2人席は半分埋まっていた。辛口の秋田の酒を注文したら、これがまたきぃ~っとした辛口。カレシまでが「これ、いいね」。ん、お酒の味もわかるようになったか。食事はいつもの6コースの「おまかせ」。今日は刺身サラダで始まって、ミル貝、かに、おひょう、ぎんだら、そして寿司。デザートは抹茶のクレムブリュレ。ひょうきんなサーバーくんとさんざん軽口を交わして、ああ、満足、満足。おなかも幸せ・・・。

日常からちょっと離れたおしゃれな夕べだったな。これからもっとこういう「いつもの日常とちょっと違うひととき」を何となく日常的に楽しめるかなあ。そうしたら、極楽とんぼの老後はひと味違うばら色の人生・・・になる?

絶対に私が正しいの!

3月6日。夜中を過ぎた頃、突如として思い出した。2通の郵便、途中のポストに入れるつもりで持って出て、それっきり。まだ車のもの入れに入ったまま。タイヘン、タイヘン・・・。

お~い、どこにいるの~?
「トイレ~」。
なんだ、カレシの「ライブラリー」で本を読んでいるんだ。

郵便を出すの忘れて来ちゃった~。
「いいよ、あした出かけるついでに出してやるよ」。
う~ん、あしたでも間に合うかなあ。ワタシのビジネス保険を更新するための小切手が入っているの。
「保険はいつ切れる?」
12日の真夜中(ま、1日やそこら保険がなくてもどうってことはないとは思うけど・・・)。

オフィスに戻って、PCの前に座ったワタシ。待てよ。あした(というか寝て起きた今日)は水曜日。カレシはどこにも行かないはずだけどなあ。急いで階段を駆け上がったら、トイレから雑誌を持って出て来たカレシと鉢合わせ。

あした出かける時って、あしたはどこへも行かないんじゃないの?
「え?」
だって、明日は水曜日だよ。木曜日じゃないよ。
「え?木曜日じゃないの?」
ないよ。
「てっきり木曜日だと思ってた!」
ははあ。で、昼過ぎに目を覚まして、おい、遅刻だ、何で目覚ましをかけなかったんだ、と騒ぐんでしょ?絶対にあしたは水曜日なの!
「そうかなあ・・・」。

ベースメントへ降りていったカレシ。しばらくして戻ってきて、「キミが絶対に正しい」。そ、ワタシが絶対に正しいの、絶対に・・・。

だけど、一瞬、は?ひょっとしてカレシの方が正しい?と思ってしまったワタシ。もしかして、ボケちゃったのか?いやいや、いつも1日先の日本時間で仕事をしているせいか。でも、これから寝て、目が覚めたら、絶対に水曜日・・・だよね!

はみ出しっぺも売りになる業界

3月6日。水曜日(間違いなく)。起床は正午前。どんより空。カレシは今日が木曜日ではなかったので、「1日得をした気分」と、何だか機嫌がいい。本気で木曜だと思い込んでいたら、その前に水曜日があるとわかって、人生に1日おまけがついたような、得した気分になるのかな。

まあ、おまけの1日はカレシに任せて、ワタシはきのう投函し損なった郵便を出すついでに私書箱を空にしようと、トートバッグを担いでお出かけ。ハワイまであと2ヵ月半しかないから、靴を履いて歩くリハビリもしないとね。銀行に寄って、郵便局で私書箱から溢れて奥に保管されていたひと束の郵便物(ほとんどがカタログ)をどさっと渡されて、ベイでは空になったソーダのカートリッジを新しいのに代えてもらって、セーフウェイで食洗機の洗剤ポッド40個入りの容器を買って、ああ、トートバッグが重い。肩幅が足りないもので、バッグのストラップがずり落ちてばかり。帰り着いたら、なぜかお尻の筋肉が痛かった。いったいどんな歩き方をしていたやら・・・。

メールボックスにはたま~にコンタクトのあるところから緊急の仕事(ノー)、お得意さんから大き目の仕事、納期に余裕(オッケー)、アジアのどこかにあるらしい会社から大型案件の引き合い(ノー)、別のお得意さんから小さめの仕事(はめ込みオッケー)。すでに2つあるのに、これで来週末までいっぱい。やっぱり魔の3月の到来。だけど、毎日のように「フリーランス翻訳者」からのスパムメールが来るのは何なんだろう。どうも「翻訳会社」だと思われているようで、毎日10本以上来る。みんな「経験(長い)何年、正確かつ迅速」。それだけ長くやっていたら、固定客がいそうなもんだと思うけど、今どきはちゃんと営業しないと仕事がないのかな。ワタシはぐうたらすぎてエイギョーしたことがないからわからない。とにかく毎日削除するのがめんどくさくなるほど来る「仕事ないか」メール。どうなってんだろう・・・。

まあでも、この業界もだいぶ様変わりしているから、フリーランスで身を立てようと思ったら、ちゃんと営業しなければならないのかもしれない。ワタシが加入している協会の20年も30年も昔からやっている古参たちには、いろんな産業界や専門分野で働いているうちにひょんなことからこの道に踏み込んだタイプが多い。専門知識と業界の人脈を元手に安定した職を離れて独立したからか、男女を問わずひと癖もふた癖もあるおもしろい人間が多い。最近の若い会員たちはと見ると、日本で英語教師をやっていてそのまま居ついた人たち、初めから翻訳者を目指して大学院で修士号を取って来た人たちが増えていて、翻訳会社などの「社内翻訳」で修行してから独立するケースが多いらしい。そのせいかどうか、少々頭でっかちなタイプが増えて、殺菌消毒されているというか、癖のある人があまりいない感じがする。

まあ、インターネットもグーグルもメールもなかったワタシたち古だぬきの時代と違って、今はグローバル化、デジタル化、情報化、IT化、モバイル化、マニュアル化の時代。何かにつけて便利な環境で育って来ればワタシたちの世代とは違った概念や理論を身につけた翻訳者たちが台頭して来て当然だと思うな。でも、子供の頃からずっと良くも悪くも「はみ出しっぺ」のワタシのこと、会議などで若い人に「大学はどちら?」と聞かれるとすかさず「大学には足を踏み入れたことがないの」とやって、少々イジワルに横目で反応を楽しむんだけど(実はつまみ食いで1年分の単位はある)、看板になる専門も学歴もないのにひょんなことからこの道に「手ぶら」で入って来て強心臓で23年も居座った例はめずらしいのかもしれないな。まあ、「はみ出しっぺ」であることを売りにしているようなところもなきにしもあらずだけど。

さて、ビジネスは結果あるのみだから、油なんか売っていないで、まじめに仕事をしないと、ほんとにはみ出してしまいかねない。

左利きの人格を否定しないで

3月7日。木曜日。午前11時30分、目覚ましで起床。今日はほんとに木曜日。今日もまたどんより空。それでも、道路向かいの桜の木はだいぶピンク色づいて来ている。この春は寒いという長期予報だけど・・・。

小町横町で去年がやがや騒いでいた「左利き是非論争」のトピックを蒸し返した人がいる。ネットで何かを検索していたかしてたまたま見つけたトピックに反応して、書き込まずにはいられなくなったんだろうけど、1年も前に終焉したピックだとは気づかなかったのかな。もっとも、幼い頃に右利きを「強制」されて荒フォーになった今でも吃音やチックに悩んでいるということだから、古いトピックだとわかっていても左利きを「矯正」することの弊害を訴えたかったのかもしれないな。

小町は女性が対象の掲示板だからかもしれないけど、左利きトピックがまるで定期便みたいに上がって来る。「直した方がいい」、「直さない方がいい」、「直すべき」。「直さない方がいい」と言う人は脳の構造がどうの、障害が起きるの、左利きは子供の個性だの。自ら強制されて辛い思いをした人たちも多いな。「直した方がいい」と言う人の理由は、右利き社会では左利きは不便だからという右利き特有の思い込みだったり、「子供が将来困らないように」と暗に(直さないと将来困るのはあなたの子なんだからと)脅していたり。老婆心と取れないこともないけど、詰まるところは「右に倣え」か。でも、この手のトピックでいつも一番ムカッと来るのが「直すべき」派だな。

理由と言うのが、お決まりの「右利きの方が筆遣いも箸使いも、他人の目に美しく映るから」、「せめてお箸と鉛筆は最低限、日本人としてのマナー」、「日本文化においてはお里が知れる」から。いつもこんな独善的な調子で出してくるのが、違和感がある、字が汚い、見苦しい、見る人を不快にさせる、食事の所作が美しくない。つまり、見た目が、見た目が・・・。こだわりというのか何と言うのか、「美しい国日本」を無作法で不快なエイリアンから守れと言わんばかりの意気込みで、そういうのを読んでいると、おなかの底からかっかと炎が上がって来る。このときだけは心底から日本を出て来て良かった!と思う。そういうのを差別意識というんだよっと叫びたくなる。あんたはタリバーンかよっ!と叫びたくなる。

左手を椅子に縛り付けられたとか、左手を使うたびに叩かれたとか、それが親であれ、幼稚園の教師であれ、そこまでやったら児童虐待じゃないのかな。だいぶ前にもここで書いたけど、ワタシは60年の年月を過ぎた今でも、右手で箸を使わせようとする母にハンカチで包まれた自分の左手が脳裏に鮮明に焼きついている。幼稚園に行く前の4歳の頃だったかな。空腹なのに思うように箸を動かせない苛立ちで涙が溢れて来て、それがどんなにしても口に入らずにぽろぽろとこぼれるご飯といっしょになって、子供心にとても、とても惨めだった。「矯正」の方は吃音障害が起きて中止になったらしいけど、今でも日本語のときにふと喉が硬直して言葉がつかえそうになることがある。そのストレスが通訳をするのが嫌になった遠因にもなっていると思う。

左利きは「かたわ」と見なされた時代に女の子で左利きに生まれついた娘の将来を思ってのことだったのだとは理解できても、今でもふと思い出して涙が出て来るのは、あの「縛られた左手」が心の奥深くに深い傷になって残っているからだろうと思う。でも、そこからワタシの「あまのじゃく精神」が芽生えたことも確かだと思うな。あんがい、母は期せずしてワタシの幼い心に「自我」の種をまいてくれたのかもしれない。体育で右手を突き指して左手を使い始め、そのまま本来の左利きに戻ったのが反抗期に入る頃。おかげでほぼ両手利きと言える機能性を得たけど、利き目も利き足も左の「左側」人間が本来のワタシ。

高校時代には進路指導の教師に「就職できないかもしれないからそのつもりで」と言われ、秘書学校在学中にちょっとアルバイトした青年商工会議所とか言うぼんぼんオヤジの集まりでは「親の顔がみてぇ」と言われて、あやうく飛びっ蹴りを食らわせそうになり、大らかな北欧系企業に勤めていたときは昼休みのラーメン屋で知らないオヤジに「まずくなる、早く食って出て行け」と怒鳴られて、あやうくそのすだれ頭にどんぶりごとラーメンをぶちまけそうになり・・・。あのまま日本にとどまっていたら、ワタシの人生は今ごろどんなことになっていたか、想像さえしたくない。

幸いカナダに来てからはそういう武勇伝のチャンスはゼロになったけど、自分でそう望んで生まれたわけじゃない左利きの人格を否定するのはいいかげんにしてほしいもんだ。日本は先進文明文化の国じゃあなかったの?

憎まれっ子、世にはばかるべし                                                                                
3月8日。金曜日。目が覚めたらもう午後12時半。2人ともぐっすりと眠れた気分。外はまぶしい晴天。よ~く見ると日当たりのいい枝に桜の花がひとつ、ふたつ・・・。遅くなったけど、チキンベーコンを焼いて、カレシお得意の目玉焼きで朝食。一緒の暮らしが始まってからずっと向かい合っての食事。ふと聞いてみた。

あのさあ、アナタは右利きで、ワタシは左利きで、向かい合っていたら鏡を見ているみたいだと思わない?

カレシはフォークを持った右手を左右にひらひら。ワタシもフォークを持った左手をカレシに合わせて左右にひらひら。あはは。まるで鏡の前で遊んでいるみたい。

向かいに左利きがいるの、違和感ない?
「別に。どうして?」
初めてデートしたときはどうだった?
「ああ、あのときは緊張してたから、右も左も気づかなかったな」。
(ふ~ん、カレシ、緊張してたんだ~と、一瞬、遠い目・・・。)
左利きって不便だと思う?
「さあ、不便そうな左利きは見たことないなあ。右利きには不便だけどな。キミの左利き用のナイフとか・・・」。
でも、ワタシの左利き用のパンナイフ、長いことちゃんと使ってたじゃないの。
「オレだって不器用なりに適応できるよ。デスクに場所がなくて左手でマウスを動かしてたけど、どうってことなかったよ。必要は発明の母ってね」。

なるほど。左利きは左利きなりに適応して、工夫して、普通に暮らしている。ワタシも左利きで不便を感じたことはまったくないな。だって、左でするのがあたりまえなんだもの。SATのような学力試験では、成績トップ集団の左利きの割合が人口全体の左利き率の2倍だと言われるし、20世紀以降の歴代のアメリカ大統領の左利き率は何と50%(レーガンなんか両手利きだったとか)。

つまり、左利きは右利きだったら考えずに済んだ工夫や努力をして来たってことよね。
「だから、左利きはすごい少数なのに淘汰されなかったんじゃないの?」

ふむ、あんがい適応能力が高くなりすぎて淘汰できなかったのかもね。憎まれっ子は世にはばかるもんだから。聞くところによると、ニホンザルは左利き、両手利き、右利きの順に多いそうだけど、サルの世界ではどうなのか聞いてみたいな。

教科書通りの人生

3月9日。土曜日。今日も明るい。今日も起床は正午過ぎ。夜中にちょっとおなかの調子が悪かったりして、あまり良く眠っていないから、頭がちょっとどんより。明日は「夏時間」への切り替えで1日が1時間減るし、日本は月曜日で朝一番の納期があるのに・・・。

きのう、親しい人からワーキングホリデイに出る知り合いにワタシのアドレスを渡してもいいかと聞いてきた。そういう人に頼りにされても困るし、接触は避けたいんだけど、親しい人の頼みとなれば無碍に断れない。メール限定で、どうにもならないときのみという条件で予備のアドレスを教えたけど、話を聞いてみると、計画性があるようで、ああして、こうして、この関係の仕事をして、と自分視点の「筋書」を描いているだけに見える。(知人もそう感じていたらしい。)まったく甘い。とにかく甘い。社会人なら20代半ばくらいか。ま、現実の海外生活が始まってみれば自分の甘さがわかるだろうから、あとは何ごとも経験あるのみだけど・・・。

若いということもあるだろうけど、ゆとり教育を経験した世代なのかなとも思う。こうやってまず自分が演じる筋書を書く人に遭遇するたびに、数年前に小学生向けの教材の翻訳をするのに参考にした文科省検定の理科の教科書を思い出すな。全学年を通して、実験をすれば「教科書の通りに○○して、○○したら、○○の結果になったよね」と念を押され、夏休みの自主研究はまず(「予想される結果」も含めて)「計画」を立てて、とテンプレート、レポートはこんな風に書いて、とテンプレート。植物を種から育てる過程も含めて、「すべて滞りなく教科書(筋書)通りに運ぶ」ことが前提になっていて、その通りに行かなかった子供はどうするんだろうと心配になったけど、この人はそんな経験をせずに来たのかもしれない。思考パターンがあの教科書そのままだから、驚くべきか、呆れるべきか・・・。

そこへして、小町横町に貼り出された悩みごとが、観光中に知り合って1年間遠距離恋愛して来たアメリカ人にプロポーズされたはいいけど、毎日スカイプする以外3度会っただけ。結婚したいけど、不安で、不安で・・・。この人は27歳なんだそうな。ワタシがカレシと結婚するためにひとりでカナダに来たのも27歳のときだったな。あの頃はもう若くはなかったけど、今はまだ若いうちに入る年齢だけど、この人は、旧知の友達がいないとか、実家まで8時間もかかるとか、まだ結婚してもいないのに出産費用は保険が効くのかとか、毎年日本に帰ってかかりつけの医者に通いたいけど保険はどうなるのかとか、離婚にでもなれば問題が多そうだとか、いやはや、悩みが尽きない様子。しかも、英語が今いちのようで、結婚すれば習得するけど、恋人としては何とかなっても結婚生活では心配。そのくせ、専業主婦になるつもりはない(共働きするつもり)・・・。

何だかややこしい筋書きになりそうだけど、将来を見通せないことが不安なのかな。でも、27歳といえばれっきとした成人だろうに。まだ教科書(マニュアル)がないと(人生の)実験も自主研究もできないなんてことはないだろういに。それにしても、果敢に国際結婚すると決めて(これは意外と簡単に決まるらしい)、本来その相手に聞くべきこと、相手と話し合っておくべきことをこうやって日本人の、しかも匿名の掲示板で相談する人、ほんっとに多いなあと思う。「10年前にこうしました」なんて書き込みが役立つはずがないし、グリーンカードや医療保険のことはアメリカにいる彼氏に調べてもらえば確実なのに。言葉が拙いことを言い訳にする人は多いけど、他人の経験を聞いて、その通りに○○して、○○したら、○○の(幸せいっぱい)人生になる・・・という、文科省検定教科書的思考なのかもしれない。

でもまあ、誰にとっても人生は一度しかないんだから、そんなに相手が好きなら、目をつぶって清水の舞台から飛び降りてみたらいいんじゃないかと思うけどな。ワタシは「不安」よりも「好き」の方が勝っていた勢いでそうしたんだけどね、セーフティネットなしで・・・。

へりくだり過ぎて上から目線

3月10日。日曜日。起床は午後12時20分だけど、今日から「夏時間」なので、きのうまでの時計では午前11時20分の起床。仕事をしながら画面の隅の時刻をちらちらと見ていたら、「午前1時59分」からいきなり「午前3時」。おおむね目が覚めたら起きる生活だから特に「時差ぼけ症状」もないんだけど、それでも何だか時間を盗まれたような気分・・・。

夏時間になると日本時間の朝9時も1時間に進んで午後5時になる。今日から11月2日まで、朝食後の午後に1時間の余裕ができるわけで、納期が目前に迫ってヒィヒィ、カリカリする状況になったときのその1時間の差の意味は大きい。それでも、夏時間に切り替わってからの1週間は心臓病の発作を起こす人がぐんと増えると言う報告があるし、子供の脳の発達にも良くないと言う研究もあるんだから、国民の健康と幸せのために、このなんともめんどうくさくて、すでに技術の発展やライフスタイルの変化で無意味になっている「日照節約時間」はそろそろ廃止してもいいんじゃないかと思うけどね。ま、傍らの時計が午後4時を過ぎるのを眺めながら、「日本時間午前9時」が期限の仕事をゆうゆうと片付けるのは何とも言えない気分・・・。

この案件は日本語と英語の文化的な違いが浮き彫りになって、翻訳者としてはおもしろかった。日本では神サマに祀り上げられているお客サマ向けの文章だから、丁重に、丁重に、どこまでも丁重に。ところが、日本の人は常日頃こうした物言いに慣れていて、あたりまえに読み流すところなんだろうけど、それを英語人向けに発信するとなると、とたんに「ちょっと待て」ということになる。お客サマに書類を送る、お客サマに情報を提供する、お客サマからの問い合わせに回答する・・・それぞれ想定される場面に最適とされる日本語表現を前に、10回くらいため息をついてしまう。おそらく社内で最もマナーや儀礼に通じた人が起草した原稿だと思うんだけど、そこに並んでいる言葉をそのまま英語に訳したら、「ぶっちゃけ上から目線」の物言いになってしまう。あ~あ、またしても2つの言語の深い溝の底で、はらはらと抜け落ちる髪の毛を数えてはため息をつく翻訳者・・・。

言葉はそれぞれの話者の国の文化を反映する。だから、日本語人が日本語を書くときは日本の思考文化が反映される、英語人が英語を書くときは英語圏の思考文化が反映される。理路整然とした文章が要求される論文や不特定多数向けの報告書のような「文書」ならまだしも、それぞれの文化に根ざした上下関係の意識が介入して来る文書になると、(その趣旨は別として)「東は東、西は西。両者は決してまみえることなかるべし」と詠ったキプリングの詩を思い出す。まるで、恋焦がれながらもすれ違ってばかりいる昼メロの悲運の恋人たちの間を取り持ってハッピーエンドに導こうとするキューピッド。イタリアの諺に「翻訳者は裏切り者」というのがあるけど、翻訳・通訳者の使命は異言語人たちの相互理解を取り持つことで、決して仲違いさせることではないのだ。

だけど、当事者Aのいうことをそのままそっくり当事者Bの言語に置き換えると、意図せずして(極端な例だけど)和平のオリーブの枝が足元に投げつけられた挑発の籠手に化けることがある。つまり、日本語では社会であたりまえに通用する丁重な文をそのまま(忠実に)英語に訳すと、ディケンズの小説に出て来るユライア・ヒープの物言いのようなねちねちと嫌味な丁重さになったり、悪くすると上から目線の慇懃無礼になってしまう例がけっこうある。へりくだりがあまりへりくだらない言語では横柄に聞こえることがあるという例だけど、何にしても過ぎたるは及ばざるがごとし。それでも、気持の表し方が噛み合わないのは、どうみても言語の機微や文化の優劣の問題ではないし、ましてや話者集団の性質の優劣の問題でもない。つまりは純粋に社会心理や思考、儀礼的なしきたりの違いとしか言いようがないんだろうな。

おかげで翻訳する方は「日本語は日本語、英語は英語」の狭間で、噛み合わない社交辞令を刷り合わせようと悶々とすることになる。EU議会や国連の通訳者は自殺率が高いと聞いたことがあるけど、何となくわかるような気がしないではない。外交文書の翻訳なんか、もう地獄のさただろうな。お客サマ神への揉み手文を前に抜け落ちる髪の毛を数えているうちはまだいい方なのか。そう思えば、この仕事はおもしろかったと言えるかも(いつもだと気が滅入るけど・・・)。

肉料理再導入案を可決

3月11日。変則標準時で生活するワタシたちのランチはいつも午後11時過ぎ。

ひとつ屋根の下で年中24時間一緒の2人だけど、いつもそれぞれがなんだかんだとやっていて、ゆっくりまとまった話をするのは食事のときと寝酒のひとときくらい。さて、今日のランチメニューはニラと豚肉入りのジョン(チヂミ)。

ほんのちょっとなら、たまに肉を食べるのもいいよね。ときどき肉を食べたくなるもん。
「そうそう。オレもときどき食べたくなる。でかいステーキやハンバーガーを食べたいんじゃないけど、肉もいいなあと思うんだよ。もしからしたら、たんぱく質が足りてないのかもしれないよ」。
(たんぱく質が足りないよ~っていうCMがあったけど、あれは日本のか・・・。)
「おとといの朝にベーコンと卵を食べただろ?」
うん。
「でさ、庭に出てみたら、何かエネルギーもりもりの気分だったんだ。それで、いつもすぐにへたれる感じがするのはたんぱく質が足りないからじゃないかと思ったんだよ」。
魚だってたんぱく質だけど・・・。
「そうだけど、少し肉も食べた方がいいと思うんだ」。
うん、人間は雑食動物なんだから、何でも満遍なく食べるようにできるのよね。
「だから、これからは肉料理を週に1回とか・・・」。

カレシのコレステロール退治のために魚料理に切り替えてほぼ5年。肉料理の復活かあ。でも、たしかに魚と肉ではたんぱく質のパワーというかエネルギーの性質がちょっと違うという感じがするな。

「もっととんかつを作ってくれたらうれしいよ」とカレシ。

いくら好きでも週イチでとんかつはなんだけど、まあ、少な目の量で肉をメインにするのも料理のバラエティが広がっていいな。2人ともいい年だから、ステーキでも何でも小さ目で十分。食べる量が少なければ、Whole Foodsの高い有機飼育の肉を買ってもいいしね・・・。

ということで、提案の「肉料理再導入案」は全会一致で可決されました。(バン!)

感情の連想ゲーム

3月12日。火曜日。起床午後1時。大雨注意報が出ていたのに、それほど降ったような形跡がない。気温は10度。注意報はまだ発令中で、明日は50ミリ、木曜日は35ミリとか、とにかく日曜日までずら~っと「雨」マーク。(これじゃあ彗星は見えないなあ・・・。)

ゆうべはバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズ第4回目。リヒアルト・シュトラウスの『管楽器のためのセレナーデ』で始まって、バースタインの『セレネード』。バイオリンはヴァディム・グルズマン。指揮はゲストのジェームズ・ガフィガン。指揮のスタイルがサンフランシスコのマイケル・ティルソン・トーマスに似ていてかっこいいなあと思ったら、3年間マエストロの下で副指揮者として修行をしたとか。今、世界で引く手あまたの若手指揮者らしい。休憩後の後半はベートーベンの『エロイカ』。実は、全体を通して聞くのはワタシにはこれが初めて。(クラシック音楽専門のシアトルのFM局を聞きながら仕事をしていた頃は楽章単位でしか流してくれなかった。)

バーンスタインの『セレネード』のイントロ、あれっと思った。ララ~ラ~とバイオリンで入ってくるメロディは『ウェストサイト物語』の中で「まり~あ~」と歌い出す、あのメロディだ。音楽ではイントロの2、3小節を聞いて絵のイメージが沸くときがあるし、逆に絵を見た瞬間にイントロのメロディが聞こえることがある。ある画家のアマリリスの絵を見たときは、マーラーの交響曲第5番をオープンするファンファーレが鳴り響いた。嬰ハ短調の和音をばらしたメロディなんだけど、真っ暗な背景の中に凛と咲いた3つの花があの葬送行進曲のイントロを想起させたんだと思う。(後で見たら、絵のタイトルは『音楽』だった。)文学でも、名作と言われる作品にも書き出しが印象に残るものが多いし、映画脚本の勉強をかじったときは「最初の10分でストーリーの雰囲気を印象付ける」と教わった。まあ、人間は「第一印象」や「第一声」がその後の関係に大きく影響するわけで、それが芸術に反映されていると言うことかな。

前半は居眠りをしていたカレシだけど、『エロイカ』は一番のお気に入りとあって、身を乗り出して聞いていた。「指揮がすごく良かった」と。ワタシはもう長いこと埃を被っている自分の芝居台本のことを考えていた。2度目の劇作講座で、「ベートーベンが『エロイカ』を書き上げたときにもしもモーツァルトが生きていたら」という想定で、この2人に歌劇『魔笛』の座元でパパゲーノを演じたシカネーダーを配して書いた一幕もの。8回の講座で4回全面的に書き直してやっと先生が「うん、いいね」と言ってくれた愛着のある作品で、老後プロジェクトに演劇との関わりを選んでから、なんだか埃をさらに書き直しをして、自分なりに完成させてみたい気持になっていたんだけど、ワタシが一番好きな第4楽章が終わりに近づく頃には頭の中はステージのイメージがいっぱい。

モーツァルトは歌劇に情熱を注いだ。歌劇は音楽と芝居が融合したものだけど、音楽を別にして、芝居の方に目を向けると、なかなか色の濃い人間ドラマがある。歌劇が文化の違いを超えて洋の東西で上演され続けるのは、音楽の魅力ばかりでもないように思う。登場人物には強烈なキャラも多い。人間から文化や言語、宗教のドグマを取っ払って、「腹の底」とも言えるようなところで見ると、みんなけっこう同じような感情を持って、同じような性格タイプを持って、同じように葛藤している。日本人の匿名掲示板に溢れる欲求不満や異なるものへの嫌悪感が満載の投稿の主についても、ドグマの包み紙をはがすと「人類共通」の姿が見える。みんな、動物界脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒトの1個体・・・。

小町横町の井戸端散歩がやめられないは、たとえばカナダ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツを舞台にした芝居でもキャラとして違和感なく使えそうな人たちに大勢出会うことができるからかもしれないけど、感情の動物としての「人間」には国境も文化や言語の壁もないということかな。人間のいろいろな形の芸術はある種の連想ゲームのように「感情」でつながっているんだと思う。うん、あの原稿を引っ張り出して、仕事の合間にでも手を入れてみようか・・・。

今日のニュース:デカ目、巨乳、仮病

3月13日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。雨。朝食の支度を済ませたカレシは外へ出て行って、路上駐車しているエコーをバックさせて、掃除に来るシーラがゲートのすぐ前に車を止められるようにする。依然として大雨注意報発令中・・・。

昼のニュースを見ようとテレビをつけたら、どうやら新しいローマ法王が決まったもようで、まだ誰もいないバルコニーの映像。ヨーロッパ以外からの法王は初めて、イエズス会の法王も初めて、フランシスと言う名前も初めてのことで、バチカンに新しい風が吹くかな。イエズス会はカトリックの中でちょっと特異な存在で、政界でいうなら進歩派かな。教育や社会事業に熱心とされる反面、繰り返し政治的、宗教的な弾圧に遭って来ている。日本にも来たフランシスコ・ザビエルはイエズス会の創立者のひとりで、新法王の名前もザビエルから取ったんだろうな。カトリック教会の儀式の煌びやかさと対照的に、なぜかカトリックが主流の国には相対的に貧しい国が多いような気がしていたけど、イエズス会員のローマ法王が誕生したことで、もしかしたら、バチカンがしこたま貯め込んだ巨富を社会福祉活動にどんどん使うようになるのかな。そうなったらいいけど。

オフィスの掃除が済んで、何となく時間が詰まって来てしまった仕事にかかる前に、ニュースめぐり。今日はNational Postの見出しがおもしろい。

イギリスのオックスフォード大学の研究によると、ネアンデルタール人が絶滅したのは「目が大きすぎた」からだとか。ホモサピエンスより前にアフリカを出たネアンデルタール人は、日照の少ないヨーロッパに適応するために目が大きくなり、眼窩の大きさと共に後頭部の視覚中枢も大きくなって、思考や社会性を掌る前頭葉が発達するスペースが足りなくなったらしい。衣類を作るスキルも発達していなかったために氷河時代の到来に適応できず、さらに頑固一徹にマンモスを追いかけて、ホモサピエンスのようにうさぎには見向きもしなかったために、マンモスが姿を消し始めて食糧にも困るようになった。体が大きかったために、あまり満腹にならないうさぎの1匹や2匹を追いかけて捕まえるのはエネルギーの無駄だったらしい。そっか。ネアンデルタール人は「デカ目」だったために脳を高度に発達させられなくて、終には絶滅してしまったということか。目を大きくすればいいってことじゃないんだ・・・。

これもイギリスの大学での研究で、「巨乳好きの男は女性に対して敵意を持ち、女性を「モノ」として見ている確率が高い」という結果が出たとか。ただし、研究の対象になった男性のうちで、「巨乳」に魅力を感じた男の割合は2割弱で、一番魅力的とされたおっぱいは「ミディアムサイズ」(3割強)だったそうな。それでも、この巨乳好き組のうちでも、セクハラをしたり、女性をセックスの対象としか見ない傾向を持つ、女性にとってはメイワクなタイプはさらにその中の何割だけとすると、少なくとも、イギリスの男性に関してはごく少数派ということになるな。つまり、イギリス男はいたってフツーのオトコたちだということか。でも、やたらと巨乳が好きな男って、いるところには相当な数がいるって感じだけどなあ。

オーストラリアのクィーンズランド州の海岸で、遊んでいた子供たちにサメが近づくのを見たイギリスからの観光客マーシャルシーさんが海に入って行って、1.8メートルもあるサメの尻尾を素手でつかんで、深みの方へ引っ張っていって退散させた。たまたまその場で番組の撮影中だったローカルテレビ局のカメラマンがビデオに収め、それがメディアやインターネットを通じて世界に流れて話題騒然。ライフガードもマーシャルシーさんの勇敢な行為を絶賛。ところが・・・。イギリスへ帰ったマーシャルシーさんは妻と共に勤め先から解雇されてしまった。理由?子供たちを救った英雄マーシャルシー氏とその奥さんはなんと「長期病気休業中」の身だった。解雇通知によると、「働けないはずなのに、遠いオーストラリアまで旅行ができただけでなく、サメを尻尾でつかみ、かまれそうになったときは素早くよけることができた」。今の時代いつどこで何がネットに流れるかわからないから、嘘の病気休業でバケーションにでかけるのは勇気がいりそうだなあ。

人間世界は、どこの誰の神サマがどこの誰を見ている、見ていないにはまったく関わりなく、今日もぎっくり、しゃっくり・・・。

イジワルばあさんのひとりごと

ときどきワタシの中のあまのじゃく魂がむくむくと頭をもたげると、ちょっとへそ曲がりの、ちょっと「イジワルばあさん」な気分になる。

もっとも、へそを曲げても、あさっての方を向いて、ワタシ流の屁理屈的ブンセキをして、ブログにごちゃごちゃと書くくらいで、正当と信じる主張はしても人さまに押しつけるつもりはないし、たしかに批判はするけど、八つ当たりや個人攻撃はしない(と思っている)。だって、ワタシにとって、ワタシと言う人間は誰よりも一番大切なんだもの。だから、自分に対して人としての尊厳を傷つけるようなことをしたくないし、自分が大切だからこそ他人もそれぞれに自分を一番大切だと思うのが理解できるから。まあ、どこかで誰かに嫌われているかもしれないけど、ワタシはワタシのことが好きだから、好き嫌いは人それぞれということで、お好きなように。これが、ワタシがこの15年間で学んだ極楽とんぼ流人生の極意・・・。

だから、異国での人生の不満と苛立ちが頂点に達したのか、
「本当にいい加減な事が多いですよね。ミスも多いですよね。でもミスを認めない人も多いですよね。誠意がない人が多いですよね。約束通りに、時間以内にできない人多いですよね。本当に仕事できない人多いですよね。時間がきたら仕事が終わってなくても放ったらかしで家に帰る人多いですよね、裏切られた気持ちになりますよね。そして協調性ない人多いですよね。情のない人も多いですよね。建前では、大げさに励ましたり大げさに褒めたりするけれど、心の中では自分が一番大事って思っている人多いですよね」
と、これでもかというくらいに当たり散らして共感を求めている人を見ると、この人はどうしようもなく疲弊しているんだなあと、気の毒に思ってしまう(ほんとに)。どこかで自分を一番大事だと思うのは「自己中」であって、人間として正しくないと刷り込まれてしまったのかもしれない。「自分」と言う人間を大切にすることの意味がわかっていないのかもしれない。大切にすべき「自分」を見失ってしまったのかもしれない。まあ、植物だって植え替えができるものと、植え替えると枯れてしまうものがあるように、人間にも異国での生活に向いている人と向かない人がいるから、この人は向いていない組だったのかもしれない。

でも、ワタシは異国が向いていたと見えて、すんなりと腰を落ち着けてしまって、さしたる不満も苛立ちもなくのんきに暮らせているので、向いていなかったとわかって苦悩している人に役立ちそうな助言や知恵を持ち合わせていないし、海の向こうにイライラせずに暮らせる真逆のところがあって、夫が自分にとっては異国のその地まで一緒に行くと意思表示しているんだったら、さっさと行動を起こせばいいのにと思うけど、まあ、自分の不満と苛立ちの対極にあるような極楽とんぼの言うことに耳を貸す気持の余裕は、たぶんないだろうし・・・。

だけど、この人の苛立ちから「異国」をはがしてみると、小町横町の同胞の間で交わされる、同僚や家族や友人やママ友などへの不平不満や苛立ち、愚痴とあんまり違いがないように見える。ということは、この人の激しい不満や苛立ちは祖国へ帰れば必ずや解消されると言うものでもなさそうで、問題の根は深そうだな。それにしても、このイライラの吐露っぷりはすごい。よっぽど腹わたが煮えくり返っているんだろうけど、この猛烈な感情のほとばしり、ユニバーサルな登場人物のイメージとしてそっくりいただきだな。いつか強烈なキャラとして肉付けしてみたいと考えるところは、やっぱりイジワルばあさんなワタシ・・・。

結婚式への招待状

3月14日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。まだ雨もようだけど、出ずっぱりだった大雨注意報はとりあえず解除されて、やれやれ。

ボランティア先生のカレシを送り出して、郵便受けを見たら、今日はお知らせが満載の日。

まずは州の選挙管理委員会から[写真]

「BC州選挙管理委員会から、こんにちは」だって。去年からおととしから決まっていた州議会選挙の投票日は5月14日。有権者名簿にちゃんと登録されているかどうかを確認してね、というお知らせ。はい、(A)2人の名前はスペルミスなしで、(B)住所もオッケー。(A)も(B)も正しければ、「アナタは投票できます。後日選挙管理委員会よりご案内いたします」みたいなことが書いてある。間違いがあればオンラインで訂正するか、トールフリー電話番号へ。(B)に住んでいるけど、(A)に名前が載っていない場合は、今すぐ登録!(ただし、カナダ国籍、年齢18歳以上、州に6ヵ月以上居住していて、選挙権を停止されていない人に限る。)まあ、与党が負けると決まっている選挙で、焦点はどれくらい派手に負けるか。投票に行くのがめんどうくさい感じだけど・・・。

次はトロントから、姪のローラの結婚式への招待状[写真]

何かやたらと分厚い封筒だと思ったら、すごく凝った招待状。花嫁と花婿の両親が連名で「ローラとニコラスの結婚を祝ってください」。封筒にはカップルの写真の特注切手。出欠の返事を送る封筒にもカップルの別の写真の特注切手。式と披露宴はお金持がたくさん住むノースヨークのイベント会場だって。遠くからのゲスト用にホテルに特別料金の部屋まで確保してあって、うわ~、すごくお金をかけた結婚式だなあ。よく見たら、あら、差出人は花婿のお母さんで、返事の宛先も花婿のお母さん。

結婚披露宴は花嫁側が取り仕切るのがだいたい普通なので、ちょっと変則的だけど、花婿の家系はギリシャのマケドニア地方の出身(ゆめゆめギリシャ人と呼ぶなかれ)だから、花婿側が取り仕切るのはバルカン半島の慣習なのかもしれないな。それにすごく裕福らしくて、おまけに花婿自身も大銀行のリスク管理のプロですっごい高収入だそうだから、日本だったらローラはまさに「玉の輿」。(でもまあ、ごくあたりまえに共働き路線で行くという話。)披露宴も花婿側の招待客が圧倒的多数だろうな。花嫁側は両親のどちらも大家族ではないので、ちょっとさびしいかも。なのにワタシたちは残念ながら欠席。たまたまハワイ行きと重なってしまったんだけど、まあ、招待状に「ブライダルレジストリー」の案内が入っていたので、惜しみなく結婚祝いを贈って許してもらおう。

ブライダルレジストリーは花嫁が「結婚祝いはここで選んでください」と特定の店を指定するしくみで、日本的な感覚からするとドライかもしれないけど、なかなか粋な方法でもある。ローラとニックは6年くらい交際して来たけど、結婚して初めて一緒に暮らすことになるので、新居には家具から家電、調理道具、食器、リネン類まで何もかもが必要。指定された店のリストの中から予算に合うものを選んで代金を払うと、しかるべき包装をして届けてくれる。堅実なローラが選んだ店はブランド店ではなくて、普通におしゃれな店なのは、さすが。よ~し、かわいい姪の結婚式をすっぽかしてしまう罪滅ぼしに、盛大に山のようなプレゼントを届けてもらうぞ~。

ちっとも変わっていない

3月15日。金曜日。起床は正午過ぎ。雨、一服の感。今日は徹底した仕事日にしないと。きのうはパワーポイントでの上書き処理でひとしきり苦闘。漢字で言葉を短縮表記できる日本語を単語をアルファベットで綴らなければならない英語を置き換えるという作業そのものが土台めんどうな話なんだけど、なぜか日本人が作るプレゼンスライドは、口頭で言えば良さそうな詳細までぎっしり詰めてあるものが多くて、おまけにカラフルだから目がチカチカ。フォントを縮小したり、テキストボックスを広げたり・・・。

7年前の記事は短かったというコメントをいただいて、保存してある2006年のファイルを開いてみたら、ふむ、たしかに短いなあ。でも、こういう記事↓もあって、我ながら、なるほど・・・。

「思ったことを簡潔に書くのは意外と難しい。何か思いついて書き始めたら止まらないのだ。英語でも洪水のごとしなので、日本語だから日ごろたまった思いが溢れて来るというわけでもないらしい。大学のエッセイ(英語)も最初のドラフトはいつも指定の倍以上の長さで、書き直しにとにかく大変な時間がかかる。

この冗舌、なんとかならぬものかと思ってはみるけれど、どうも生まれつきのような気がする。テーマという袋の中からありったけのものをテーブルに並べて、並べ替えたり、不要なものを捨てたりしながら、考えを整理するような思考回路ができているのかもしれない。実際に、取捨選択する過程で自分の考えの焦点が見えてくることが多い。」

7年たってちっとも反省していないらしいのが「自分らしさ」というところかなあ。逆に、冗舌が発達してきたような。でも、こんな↓自分観察もある・・・。

*話しながら手を振り回す癖。 子供の頃からよく「そんなに手を振り回さないの!」といわれたから、たぶんその頃からジェスチャーが大きかったのだろう。夢中になると手が華麗に?踊り、指先まで雄弁になる。何千年も前にどこからかはぐれてきたラテン系の遺伝子が混じり込んだのかもしれない。

*とにかくやってみる癖。 これも子供の頃からだと思う。世の中にはおもしろそうなことが多すぎるのだ。ちょっと興味を持つと、見よう見まねでやってみる。たぶん門前の小僧としては天才レベルかもしれないと内心思ったりする。もちろん、下手の横好きも星の数ほどあるけれど、持って生まれてこなかった才能を恨んでもしかたがない。

*白日夢を見る癖。 コンサートを聴きながら頭の中で詩を書いていたりする。学校時代は先生の話を聞きながら、つい関係ないことを考えてばかり。だから教室にいても講義はあまり頭に入らない。その点、自習しなければならない通信教育は私にぴったり。なんだかADDっぽいけれど、ひょっとしたらそうかもしれないという気もする。

*茫漠としたことを考える癖。 人生の酸いも甘いも噛み分けた(はずの)年なのに、今だに宇宙的なとりとめもない超遠視の議論をしたがる。もしかしたらカール・セーガンの「コスモス」の影響かもしれない。いや、天体望遠鏡を覗いていたのはそれよりもずっと前のことだ。何億年、何十億年も前の壮大な出来事を今ちっぽけな地球から見ていると、宇宙のスケールから見たら人間などまさにナノ秒の存在。その瞬く間をどう生きるかが難しい。

*急いでいないのに走る癖。 別にせっかちではないのに、特に急いでいるわけでもないのに、なぜかよく走る。ある職場で上司が「危なくてしょうがない」と笑いながらキーリングにつける鈴をくれた。猫に鈴とはいうけれど、私はねずみ年の生まれ。おまけに牡牛座生まれなので、ねずみのようにちょろちょろ走るかと思えば、牡牛のように猛進する運命なのかもしれない。

なくて七癖。あとふたつ、何があるかなあ。ま、読み返していると、自分のつらつら思考がついおもしろくなって時が経つのも忘れてしまいそうだから、今日は手っ取り早く過去ログからの「コピペ」でお茶を濁しておいて、今日中にやっつけなければならない仕事に没頭しなくちゃ。3月15日(Ides of March)は危険が潜んでいる日だもんね。


2013年2月~その3

2013年02月28日 | 昔語り(2006~2013)
女は男の3倍しゃべるようにできている

2月21日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。カレシの耳のところで「起きろ~」と言ったら、「何にも聞こえないよ~」。(またいつの間にか耳栓をしている。)それではということで、ワタシの側のスタンドでピーコ、ピーコと鳴っている時計をつかんで、カレシの耳にくっつけたら、「あれ、なんかやたらよく聞こえるな。もう起きる時間かあ」。

あはは。世のダンナサマ族に多く発症するといわれる「突発性選択的聴覚障害」というやつね。このビョーキ、なぜか突発的に女性の声が聞こえなくなるのが特徴で、広い年齢層の成人男子に多発するという。人種や環境にはあまり関係がないようなので、ヒトのオスに何らかの共通する遺伝子異常があるのかもしれないな。

昼のニュースによると、遺伝子の転写調節因子のひとつに、FOX群に属するFOXP2という言語の発達と操作に関わるたんぱく質があって、これがヒトでは男の脳に比べて女の脳に30%も多くあることがわかった。(ただし、ねずみではオスの方がこのたんぱく質を多く持っていて、メスよりもよくチューチュー泣いてママねずみの注意を引いては世話をしてもらうんだそうだけど・・・。)なるほど、どうりで女の子は生まれつき口達者なはずだな。つまり、ヒトでは女の方が言語能力、ひいてはコミュニケーション能力が高いと言うことで、ワタシの生業では女性の同業者が圧倒的に多いのにもうなずける。

何でも、平均して女は1日2万ワードもしゃべるのに対して、男は7千ワードしかしゃべらないんだとか。え、たったの2万語?というダンナサマ族も多いだろうけど、ここはまあ、女が2万語もしゃべるから男の方はたったの7千語しか口を挟めないんだと思ってみたらどうだろうな。だから「突発性選択的聴覚障害」が起きるんだ、と。あんがい、男の脳の聴覚機能を掌る遺伝子を調べたら、耳に入ってくる声のピッチによって聴覚のオン/オフを瞬時に切り替えられる特殊なたんぱく質が発見されるかもしれないな。

そんなたんぱく質が発見されたとしたら、ワタシは「OUTFOXP2」と名づけるだろうな。おしゃべりなFOXP2をoutfoxする(裏をかく、出し抜く)たんぱく質という意味だけど、あまりピリッとした洒落にはならないか。でも、ワタシなんかしゃべらせると3万語は行っちゃいそうだから、突発的にワタシの声が聞こえなくなるらしいカレシには、もしかしたらこのOUTFOXP2があるのかもしれないなあ。

中国では女独身27歳は「残りもの」だって

BBCのサイトに「China’s ‘leftover women’, unmarried at 27(中国の「売れ残り女性」、27歳未婚で)」と言う記事が載っていた。中国版「クリスマスケーキ」というところだけど、27歳を過ぎても独身の大都会で働く高学歴の女性をよりによって政府がそう名づけたと言うところがおもしろい。なんで「27歳」なのか。中国でも都会では晩婚化が進んで、女性の平均結婚年齢が27歳になっているらしい。

英語記事に「sheng nu」とあったので、あちこちググッたら中国語では「剰女」。日本語的に字面を見ると「女性が余剰」という印象だけど、一人っ子政策で人口の男女比が狂った中国では女性は余っていない。30歳以下では女性よりも男性が2000万人も多いそうだから、現実は極端な「男余り」・・・。

じゃあ、中国の高学歴のいわゆるアラサー女性は結婚相手を選り取り見取りにできて、不毛な婚活でお疲れの日本の女性たちを羨ましがらせるんじゃないかと思われるんだけど、現実はそうは問屋が卸さないらしい。家族や周囲、はては国からの圧力が高まるのに、なかなか結婚(したい)相手が見つからない。北京でラジオ局に勤める29歳独身女性によると、年齢や教育水準で「A級の男はB級の女を探し、B級の男はC級の女を探し、C級の男はD級の女を探すから、最後にA級の女とD級の男が残るわけ。つまり、「剰女」はA級の女ってことなのよ」。な~るほどっ。

記事にあった国連の統計グラフによると、2012年の25~29歳の独身女性の割合はイギリスが一番高くて70%以上、次いで日本が60%くらい、アメリカが45%くらいで、中国はまだ20%程度。言い換えれば、80%が30歳になる前に結婚している勘定だけど、政府が先頭に立ってアラサーの未婚女性に「売れ残り」とラベルを貼って、早く結婚しろと圧力をかけているのは、高学歴の女性に子供を生んでもらって人口の「質」を向上させたいという思惑と、溢れかえっている独身男の欲求不満が社会不安を引き起こすのを防ぎたいという思惑があるらしい。

そういう中国政府の旗振り役をしている全国女性連盟は、「カワイイ子は大して教養がなくても金持と結婚できるが、それが難しい人並やブスは高等教育を受けることで競争力を高めようとする。悲しいかな、女の価値は年を取るにつれてどんどん下がるから、修士号や博士号を取得した頃にはとうの昔に古い「黄ばんだ真珠」になってしまっているのだ」と、国営のメディアで結婚相手を「選り好み」をする高学歴女性を批判したというから、ああ、男女平等のはずの「共産主義」中国でも「女の敵は女」ということか。

でも、29歳のプロフェッショナルな女性曰く、「独身はそんなに悪いものじゃないわ。ひとり暮らしだと何でも好きなことができるし、仲良しの独身友達もたくさんいていつでも遊べるし、仕事は気に入っているし、人生は楽しいわ」。そんな彼女もいつか「ぴったりの人を見つけたいとは思う」けど、それは成り行きまかせにしかならない。結婚しなければならないから結婚するなんてごめんよということか。誰に「残りもの」と揶揄されようが、中国の「A級女性」は意気軒昂で、頼もしそう。

ワンコのつもりのニャンコ

2月22日。金曜日(日本時間で仕事をしているとどうしても土曜日に思えてしまう)。いっときかなりの雨が降ったらしいけど、よく眠って、目覚めは午後12時30分。チキンベーコンを焼いて、目玉焼きを作っていたら、食べ終わる頃には夕食時になってしまうので、急遽いつものシリアルとトースト。

電話が鳴り出して、発信人はお隣さんのパット。「ハリスがねずみを捕まえて来た」と。パットは大の猫好きで、ハリスはそれを見抜いてちゃっかりと居ついたオスの元のら猫。ネズミ捕りが得意で、けっこうご近所さんから感謝されている。

これがまた精悍な面がまえのニャンコで、散歩しているパットの後を、あっちのやぶに鼻を突っ込み、こっちの隙間をのぞきしながら、のそり、のそりと歩いているのを見ると、もしかしたて自分はワンコだと思っているんじゃないかな。夜、パットが裏口からピュッ、ピュッと口笛を吹くと、外に出ていたハリスがどこからともなく風のごとく戻ってくるんだとか。う~ん、やっぱりワンコのつもりか・・・。

ハリスは我が家も自分の縄張りにしているようで、ときどきうちのガレージの屋根のてっぺんから世界を睥睨している。ある日、外から帰ってきたら、ゲートの外にハリスが不動の姿勢で座っていて、それが神社の狛犬のようだったので吹き出してしまった。当のハリスはワタシをちらっと見て、「お、帰って来たんか。じゃあ、またな」と言わんばかりにのそっと生垣の角を曲がって行った。猫にまたたび三度笠ってね。人にじゃれたがる犬と違って、猫にはなんとなく孤高の生き物という雰囲気があるけど、そのオーラを振りまくところは、ハリスもやっぱりニャンコなのだ。

ねずみ捕獲の報告を聞いたカレシ、「今日はキャットフードをおまけしてやってくれ」。

ケベックではパスタをパスタと呼べない

歴史的にイギリスとフランスは仲が悪い。どっちもそれぞれの歴史と言語と文化に強い愛情と誇りを持っているし、どっちもまさに遺伝子のレベルで頑固と来ている。だけど、世界史の中で見るとフランスの方が負けが込んでいるような感じ。おまけに、どういうわけかフランスには負け組を選ぶ癖があるみたい。

北米では18世紀の7年戦争でイギリスに負けて植民地ケベックを取られ、19世紀初頭にはナポレオンが広大なルイジアナを新興国アメリカに二束三文(現在の貨幣価値で1ヘクタール当たり100円くらい)で売ってしまって、おまけにそれを(最後には負けた)戦争ですってしまったし、その甥のナポレオン三世は東洋の島国の今にも倒れそうな幕府の後ろ盾になって、結局アジアでの覇権への野望が潰えたし・・・。

フランス軍を打ち破ってケベックを分捕ったイギリスは鷹揚な気分になって負け組ケベック人にフランス語とフランス型統治の維持を認めた。それがそもそもカナダの頭痛の種である「ケベック問題」の始まり。ケベックを慮ってフランス語を英語と共に連邦政府の公用語にしたのに、景気がいいときは自分たちのフランス語、フランス文化が優秀だからとでかい態度を取り、不景気になると独立をちらつかせて連邦政府に無心のし放題。前回の州民投票では独立が否決されたのはアングロフォン(英語系)が「外国人」を煽って反対投票させたせい。ケベックが衰退気味なのもアングロのせい。このままではフランコフォン(フランス語系)は絶滅危惧種になる・・・。

ということで、ケベックでは分離派政党が州政権に返り咲いて以来、反アングロの風潮が高まっているらしい。ケベックは看板や広告などでのフランス語以外の言語の使用を制限していて、違反を取り締まる「言語警察」と呼ばれる機関まである。最近その泣く子も黙る言語警察がメニューの料理名をイタリア語で表示していたレストランを摘発して、全国から「アホか~」と呆れられている。パスタは世界のどこでもパスタで通るのに、ケベックではpâteじゃないと言語警察のガサ入れを食うわけ。オーナーは「イタリア料理の名前をイタリア語で書いてどこが悪い。説明は全部フランス語で書いてあるじゃないか」と大むくれ。唯一イタリア語が認められたのはpizzaだったとか。ピッツァはもろにイタリア語なのに思ったら、相当するフランス語がないからOKなんだと。アホか、まったく・・・。

日頃から気位が高くて、金がかかって、怒ると「離婚届」を突き出して相手をねじ伏せようとする鬼嫁みたいなもんだと思うけど、大きな声では言わないけど、早くリコンして出て行ってくれないかなあと思っている人は多いだろうな。たしかにカナダ全体のフランコフォンの割合は低下するばかりだけど、生粋のケベコワは「じわじわと絶滅に追い込まれている」と被害妄想。まあ、フランスも純正フランス語とフランス文化の栄華の維持に必死だから、本家の血筋なのかもしれないな。そこへもってして、ドイツの大統領がEUを抜ける気満々のイギリスを懐柔する?ためか、英語をEUの言語にしようと提案したらしい。フランス語じゃなくて、よりによって宿敵の英語。はて今度はフランスが侮辱されたとむくれてEUを出るとか言い出すのかな・・・。

ため口で営業トーク?

2月23日。土曜日。近いところで何かが轟音を立てているのを夢うつつに聞きながら、わりとよく眠った気分で、起床午前11時40分。やった、正午前。外は上々の天気。轟音の主は電力会社のトラック。裏のレーンで何やら作業をしていたらしい。

朝食後、カレシは今夜の豆サラダを作り始め、ワタシはぼちぼちと仕事。期限は日曜日の午後4時。まあ、残りは1日分だから何とかなるか。次の仕事は期限までたっぷり余裕があるし。仕事と言えば、きのう来ていた引き合いのメールをどうしよう。ニューヨークの聞いたこともないところから10万語だかの大仕事があるという引き合い。そのメールの口調がもろにため口だったもので笑ってしまった。ざっと訳すと、

「よお。今度うちでで大型の仕事をゲットできそうなんだけどさ、○○協会のサイトで見たら、アンタ、経験がありそうなんで、ちょっとメールしてあげたわけなんだ。どお、やってみる?どんだけやれるか、メール、待ってるよ」

という感じかな。あのさあ、そっちが翻訳会社というビジネスなら、こっちだって翻訳事務所みたいな自営業ビジネスなんだからさあ、一応は。ちょっとばかりため口過ぎやしない?そもそも、仕事をゲットできそうってだけでしょ?ゲットしてから持ち込んでくれないかなあ、そういう話。取引実績も何もないんだから、「仕事を回してやろうと思ってさ」みたいなことを言っても、食指一本動かないんだけど。

アメリカでまた日本企業が絡む訴訟があるんだろうけど、推定10万語が正しいとするど、ひとりなら毎日休まずに作業をしても最低50日はかかるな。ま、そんな悠長な期限があるわきゃないので、フリーランサーをかき集めて分担させるわけで、何社もいっせいに同じことをやるから、同じ案件らしい引き合いが知らない会社2、3社から来たりする。俗に「生徒に教えられない先生は先生に教える」というジョークがあるけど、言い換えると「デキない翻訳者は翻訳会社を作る」。もちろん、デキる翻訳者が作ったデキる翻訳会社はたくさんあるけど、引き合いのやり方からしてプロフェッショナル度が違う。

まあ、こんなため口で営業トークするんじゃ、この会社の信用格付けは「疑問符3つ(???)」。名前はいかにもデキそうなかっこいい響きだけど、なにせ、取引実績のない翻訳者をかき集めるくらいだから、お手軽アルバイトに払うようなレートを提示して来そうだし、それさえ払ってもらえる保証もない。こっちはさあ、オトモダチに「アタクシ、翻訳やってんのぉ~」と言うために翻訳やってんじゃなくてさあ、ナリワイとしてまじめに誠心誠意で仕事してるんだよねえ。だから、アンタもさっ、ちょっとビジネス英語を勉強して、出直してくれる?もっとも、もう「削除」ボタンを押しちゃったんだけどさあ・・・。

バカていねい語もいいけれど

2月24日。日曜日。けっこういつもより早く寝たのに、なんで起床が正午過ぎなのか。季節の変わり目だからなのか。よくわからないけど、ここのところなんとな~くかったるい気分。天気は一転してまた雨模様・・・。

朝食後、読みかけのビル・ブライソンの本を一章だけ読んで「出勤」。午後4時の期限に向けて、最後の見直しにかかる。(あと2週間で「夏時間」。朝一番が午後5時になるのが待ち遠しい。)企業のウェブサイトに載る客向けの情報だから、原稿はこってこての「敬語」。そこまでへいこらする文章を書かなくても良さそうなもんだと思うけど、そこは「お客サマは神サマ」の国。それに、巷でも新種のていねい語を多用して、(相対的に)「人より格が上」の自分を演出しているようなところもあるから、企業の文書にもそれが現れて来るということか。

翻訳は言語Aを言語Bに正しい用語を使って置き換えるだけの作業ではなくて、分野ごとにそれぞれの文体があるから、何でも屋のワタシは弁護士になったり、裁判官になったり、学者さんになったり、企業の課長サンになったり、心療内科医になったり、お役人になったり、ちょっぴり気取った広告クリエイターになったりと、いろんな役を演じることになる。文書を通じて人さまの思考の中に潜り込むようなところもあるんだけど、この何かヘンなねちっこさを感じさせる今どき風ていねい語的な言い回しのビジネス文書に出くわすと、ため息のつきまくり・・・。

件の原稿はたぶん若い人が書いたんだろうけど、バカていねいなのはいいとしても、謙譲語の使い方を間違えて、神サマの方を格下げしてしまった文まであった。そのままで会社の公式サイトに載っていたら、知らないよ、キミ。まあ、神サマの方でもよくわかっていなくて上からものを言われたことに気づかないかもしれない。俗に「あまりにも遅れたもので、先頭に立ったかと思った」というジョークがあるけど、ていねい風表現も行き過ぎると、そのうちていねいでも何でもない、ごく普通の表現になって、そうなったら「格が上の自分」を演出できないから、さらにていねい感を高めなければということになるのかな。たぶん女性雑誌が競ってその上昇願望を後押しするんだろうけど、バカていねい化は現実がそうでないことを反映しているように見える。

きのうのため口の営業トーク(英語)はあまりの馴れ馴れしさに「うへっ」という感じだったけど、文字だけのチャットやメール、ツイッターに慣れ親しんだデジタル時代の落とし子たちは多かれ少なかれ言語の質が低下していて、思考もデジタル化して薄っぺらになりつつあるんだろうと思う。このウルトラていねい語的日本語がその目的?に反して薄っぺらく聞こえるのも、あんがい同じ潮流に乗っているからかもしれないな。まあ、ワタシの日本語も年々レベルが低下しつつあるから人さまのことを言えた義理じゃないのはわかっているけど、いったいどんな国語教育をしているんだろうな。

このままだと未来の翻訳者を泣かせそうな感じだけど、あ、未来はキカイが翻訳してくれるんだっけ・・・。

月曜の朝は何かと騒々しい

2月25日。月曜日。朝の9時に外の轟音で目が覚めた。寝ぼけた頭で、どこのどいつだ~と起きて窓の外を見たら、道路向かいの歩道の桜の木を剪定している。チェーンソーで枝を伐るだけならまだしも、その枝を粉砕するシュレッダと吐き出される残骸を受けるコンテナ車が来ていて、これがまた強烈な騒音。

カレシは「アホか、今ごろ」と大むくれだけど、そうだよねえ。そろそろつぼみが見えて来る時期なのに、遅いんじゃないのかなあ。でもまあ、15分ほどで他へ行ってくれたので、カレシは耳栓をして、ワタシはただ目を瞑って、寝なおし。

と思いきや、今度はごみ収集のトラックがゴゴォッと通過。やれやれと思いつつ、うとうと眠ったところで、レーンの反対側(我が家の側かな?)のごみの収集のために戻ってきて、ゴゴオッ、ゴトン、ゴォッと通過。今日は出すほどのごみがなくて容器を出していなかったから、我が家のところはただ通過しただけ。それでも、なにしろ超大型車両なものですごい轟音。カレシはシリコーンの耳栓のおかげですやすや・・・。

やっと静かになってどうやらまともな眠りに落ちたらしいけど、すっごくヘンてこな夢を見ていたなあ。パーティみたいなところで、いろんな人がいて、ちょっと知っている男2人が「ボクたち、ゲイなんだ」。あ、それはそれは(んなこと、知ってるってば・・・)。

正午を過ぎると言う時間に今度はリサイクル車がドシャン、ガシャン、ゴゴォッと通過。ああ、寝てられないよ、もう。まあ、正午だしということで、おなかすいた~と、カレシをひじでちょいちょいとつついて起こしたら、「あ、リサイクルがまだだったら雑誌を出そうかな」。寝るときはかなりの雨が降っていたので、雨の中にひと晩出しておいたらべちゃべちゃになるだけだからとブルーボックスも出さなかった。残念でした、ごみ関係はもうとっくにみんな通過済み・・・。

あ~あ、今日は2人とも何だかぼけ~っとした気分。

おうち業務は家事のうちに入る?

2月26日。火曜日。今度はまともにぐっすり眠って、普通に起床。でも、運動がてら出かけようと思っていたのに、雨。何だか機先をそがれた感じで、や~めた。でも、伸び放題の髪をそろそろ切らないと・・・。

今日は「おうち業務」に専念。カレシがメインフロアのバスルームのハンドタオルがかなり汚れて臭かったというので、それではと洗濯機を回しにかかる。ついでに、タオルはシンクの下のキャビネットに何枚もあるんだから、「汚れて来た」段階でさっさと自分で取り替えてよ~と言っておいたけど、明日にはたぶん忘れているだろうな。電球が切れていたら、仕事中のワタシに「電気のたまが切れてるぞ~」と報告しに来てくれるカレシなんだもの。で、はいはいと新しい電球を出して来て、椅子を引っ張って行くと、ワタシが取り替えている間がっちりと椅子を押さえていてくれるのがカレシ。もっとも、電球の取り替え方はやっとマスターしてくれたけど・・・。

洗濯機が回っている間にメールをチェック。新しい仕事はなし。(手持ちのは明日でいいか。)劇団の座席の入れ替えに寄付した人たちの名札のお披露目レセプションに「出席」の返事。メインの劇場と小劇場で始まる2つの芝居のオープニングナイトのレセプションは「欠席」の返事。まあ、「芸術監督サークル」のメンバーとして招待されるんだけど、3月は交響楽団のコンサートもあることだし、芝居を見ないでレセプションだけに行くのも何だし・・・。でも、入れ替わりに今度は劇団創立50年目のシーズン開幕パーティへのご招待。ダウンタウンの創立当時の「芝居小屋」があったところでやるんだそうで、これは4月だから「出席」の返事。やれやれ、カルチャー生活のソーシャルカレンダーって、けっこう込み合うもんだなあ。完全引退したら逆に忙しくなるかも・・・。

さて、次は銀行事務。カナダドル安に振れた先週はアメリカドル口座に貯まった翻訳料を移動しておいて、日本の銀行に貯まっていた翻訳料も送金してもらったら、換算して入金する過程で円がひょいと上がって、カナダドルがすとんと下がったもので、ちょっと得をした気分。イタリアさまさまというところだけど、実際は円高のときに帳簿に計上しているから、急な円安で損をしている公算が大かな。まずは、あさってが期限の個人年金への払い込み手続き。前年の勤労所得の18%か限度額まで入れられて、所得控除できるので、老後の蓄えだけじゃなくて、節税対策でもある。限度額がかなり上がっていて、バカ稼ぎしすぎて付加税2つに付加税の付加税まで取られていた頃に上げてくれたら、今頃は基金がもっと増えていたのにと思うけど、ま、ものごとはタイミング・・・。

洗濯は2ラウンド目。メールで「切れますよ~」と知らせてくれていた「Maclean’s」の購読継続の手続き。トロント視点なのが気に障るけど、カナダの有力週刊誌だから続けることにする。逆に、縁のないブランド品の広告ばかりで読むところがないCondé Nastの「Traveler」は購読キャンセルの手続き。ときどき香水やコロンのサンプルを折り込んで来たりして、アレルギーが治まった今でも香水には弱いワタシには迷惑な雑誌だったな。「TIME」もページ数が減って来て読み応えがなくなったので、こっちは更新せずに放置して購読打ち切り。キャンセルした雑誌に代わって、前から興味があったThe New Yorkerの購読を申し込んだ。これで講読する雑誌はEconomist、Maclean’s、The New Yorkerの3誌だけになる。週刊誌はあまり多いと読み古しが貯まり過ぎてリサイクルがタイヘン・・・。

それにしても、おうち事務の「To-do list」(やることリスト)って、なんだかんだとやってるはずなのに、どうしてこう長くなるばかりなんだろうな。でもまあ、今日はかなり片付いた感じ・・・。

返してもらうためにあげるプレゼント

小町横町をうろついていて、『お祝いをくれなかった友人』という愚痴トピックがあった。家を建てて、子供が生まれて、数年に1度会うような大学時代の友人2人が訪ねて来たが、1人は2つお祝いをくれたのにもう1人は手ぶらで来た。「何でお祝いをくれないんだろう」と。自分は(正当な理屈があって)どちらにも出産祝いや新築祝いをあげていない。でも、1人はちゃんとくれた。くれなかった1人は家庭の事情があるけど困窮しているようには見えない。あげなかったことを根に持っているのか?

『誕生日プレゼントはお返ししませんか?』という、プレゼントをあげたのにお返しをもらえなかったというトピックで、「お返しを2回もらい損ねている」と。もらったらそれ相応にお返しをしなければと考えないのか。お返しもないものに払うお金ももったいない。なぜかこういう損得勘定的な愚痴トピックが増えたなあ、最近は。バレンタインの後のホワイトデーにはバレンタインの三倍返しが常識とか。みんな値段がついていて、相場まであるからすごい。お祝いをあげたのにお返しが少なかった。 1万円のものをあげたのに、2千円のものしか返って来なかった。8千円の損・・・。

そういうのが日本に昔からある奥ゆかしい「互助」の習慣なのだと言われたら、「ああ、そうですか」としか返せないけど、これも「型ありき」の文化なんだろうな。プレゼントというのは贈る方が相手への気持を表すものとして贈るものだろうに、日本ではうかうかお祝いなんかもらったら、「うれしい。ありがとう」では済まなくて、後がタイヘン。何しろ「お返し」を選ばなければならないし、粗相のないように、非常識と言われないようにお返しをするには、まずもらったものを値踏みをしなければならない。(ネットで値段を調べたと言う人もいたな。)うっかりお返しの値段が低すぎたら、「お返しが少なかった。非常識」と小町に投稿されてしまうかもしれない。

だったら、初めから値札をつけたままくれたらこっちも楽なのにと思うけど、表をきれいに包み紙で覆う文化はそんなガサツで野蛮な行為を許すとは考えられない。まあ、返してもらう気満々で贈りものをするという思考からして矛盾していると思うんだけど、それを損得勘定とする観念はないらしい。それでも、「お返しをもらえないのにお金は使いたくない」とモヤモヤする人がけっこういるのは、日本的ダイコトミーで「贈」と「答」がワンセットになっているせいなのかな。贈に対して答がなければ儀式は完結しない。贈と答を釣り合わせるには数字が一番わかりやすい。而して、お金・・・。

極楽とんぼのワタシはKYでずぼらなもので、人の誕生日はよく忘れるし、ふと思い立ったときに思いついた人に「これ、いいな」と思ったプレゼントをあげて、喜んでくれたらそれで満足して終わりだし、人生のイベントでプレゼントがなくてもちっとも気にならないし、人からプレゼントをもらったら、素直にありがとうと言って受け取って手放しでうれしいと喜ぶな。それで、もらったことは忘れないけど、お返しをすることまではまず思いつかない。だから、半額がいいか同額がいいかなんて値踏みして苦悶することもないけど、これが日本だったらそうも言ってられなくて、しがらみで「贈答」をしなければならないだろうから、ストレスがたまって胃潰瘍になってしまいそう。現に、小町の風の便りでは、日本でお返し習慣を実行(あるいは期待)している人たちのストレスも相当のものらしい。

でも、考えてみると、「贈」と「答」をワンセットにして普及させるというアイデアは、市場経済の観点から見たら理に適っているようにも思うな。まずは華やかなイベントを盛り上げて、プレゼント用の商品を売る。これは値段が高ければ高いほどもらった人の自己評価を高める(ように洗脳してある)ので、ブランド品へと誘導し、イベントが終わったら返す刀の勢いで、倍返し、三倍返しが常識(つまり相場)だという情報を広めて、お返し用の商品を売る。元の「贈」が高価なほど「答」も高価な商品へと誘導する。釣り合いの取れたものほど美しいものはない。価額の釣り合いはお金の美学というところかな。そっか、そうやって国内需要の拡大に貢献しているということなのかもしれない。もしも贈答儀式を廃止したら、国の経済はどうなるのか・・・?

新聞の読み比べはおもしろい

2月27日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。掃除の日。雨は降っていないようだけど、湿っぽい。朝食後、いつもより少し遅れてシーラとヴァルが到着。シーラがかって掃除のお客さんで今は一人暮らしの未亡人が病院へ透析に行く付き添いをしているので遅くなるらしいけど、ヴァルは「ほんっとにムカつくババアなんだから」と憤懣やるかたない様子。ふむふむ、そういう人間はほんっとに世界のどこにでもいるよね。

オフィスの掃除が終わっても、何となくすぐに仕事を始める気にもなれず、だらだらと新聞サイトめぐり。やや日が経っているけど、日本のサイバー空間を徘徊しているネット右翼に関するワシントンポスト紙お長い記事を見つけた。なんでも、沖縄の学校で英語を教えていた日系アメリカ人の先生が「日本にも差別がある」という授業をして、その成果を踏まえて作ったビデオをユーチューブに載せたらネット右翼の知るところとなって、日本を批判するやつは許せないとばかりの嫌がらせの嵐に困惑しているという話。最初に子供たちに「日本に差別があると思う人」と問いかけたら誰も手をあげなかったのが、アメリカでの差別問題を描いたビデオを見せ、差別の実例を「これは差別?差別じゃない?」と問いかけているうちに、漠然と「差別はアメリカ固有のもの」と考えていた子供たちの目が開かれて来たのだという。

最初は授業を賞賛した教育委員会までがネット右翼の圧力に屈して「削除しろ」と言っているそうだけど、ほめておきながら、トラブルの気配を嗅ぎ付けたとたんに手のひらを返したように、騒ぎが「ムラの外」に知られるのを恐れてのひたすらな事なかれ主義に鞍替えするのは、辛酸をなめさせられた沖縄も日本化が進んだということかな。事なかれ主義ってのはごみを畳の下に掃き込むようなもので、大掃除でもしなければごみはいつまでもそこにある。でも、畳の上に座っている人にはごみは見えないから、掃除の必要性も考えなくて済むけど。ワシントンポストによると、当の先生は削除したら理不尽な威嚇に屈することになると、削除を拒否しているとか。

ニューヨークタイムズ紙には、妊娠したけれど、公立の保育所が足りなくて預け先探しに苦戦している働く奥さんたのち現状を少子化に絡めて伝える、これまた長い記事があった。日本の文化は家に知らない人を招き入れないので、ベビーシッターを雇うということもほとんどない。お役所に行けば「子供を人に預けてまで自分の仕事を優先させるのか」と批判されたり、公立、私立を問わず空きのありそうな区に引っ越したり、保育所が4月「始業」なために法律が認めている産休を短縮しなければならなかったり、そのために「子供がかわいそう」とまるで母親失格のように言われたりと、働き続けたい女性たちの涙ぐましい「保活」の実情を細かに伝えている。

北米の新聞記事は日本の大手新聞のそれとは比べものにならないほど長くて、背景情報やさまざまな視点が提示されているので、特に有力な新聞の記事となるとごく読み応えがある。日本語にしたら原稿用紙10枚くらいの記事はざらで、途中で「XXページへ続く」というのが多い。日本の新聞ではそういうのはなかったような気がするな。一面にできるだけ多くの主要記事を載せるためらしく、記事の要旨を先に述べて、情報や論拠を裏づけしながら詳しく書いて行くスタイルが多いように思う。

さらに、新聞によって保守派だったり、革新派だったりするから、記事を読み比べるという醍醐味もある。日本の新聞は「報道の中立」にこだわって短く浅く起こったことだけを書くのかもしれないけど、実際には米ソ冷戦時代にNHKのニュース解説で「ニクソンさん」、「共産側」と表現を使い分けていたのと同じで、何をどこまで書くか(会員制の場合は何を無料公開するか)によって新聞ごとに右寄り、左寄りのカラーが手に取るようにわかってしまうからおもしろい。人間、いくら中立であろうとしても「心」というものがあるから、完全な中立は不可能だと思うけどな。その心が差別を生み、憎悪を生み、共感も生むわけで・・・。

カナダ連邦最高裁判所は、ある人が配布していたゲイを攻撃するプロパガンダを「hate speech(悪質な差別発言)」と認めて、カナダ権利・自由憲章で保障されている表現の自由に事実上の制限を加える判断を示した。(ネット右翼が聞いたら「オレたちも」ということになるのかな。)人間世界の多様化につれて人類の権利と自由も「あちらを立てればこちらが立たず」の膠着状態になりつつあるようで、はて、どうしたもんだろうねえ。

先日産経の経済面で見つけたコラムの一節はおもしろかったので、長くなったついでに引用してしまおう。
『独り善がりの希望的観測が蔓延(まんえん)するのは近代日本のDNAでもある。司馬遼太郎は西南戦争を描いた『翔ぶが如く』で述べた。「西郷と薩軍の作戦案は、いかなる時代のどのような国の戦史にも例がないほど、外界を自分たちに都合よく解釈する点で幼児のように無邪気で幻想的で、とうてい一人前のおとなの集まりのようではなかった」と。』

同じものが同じに見えていないのかも

2月28日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日。

いつものように朝食のテーブルに着いて、積み上げた容器から、ボウルにグラノーラ、ひまわりの種、かぼちゃの種、小麦胚芽と入れて行って、燕麦のふすま・・・あら。

これも小麦胚芽だよ~。
「ほんとかよ~。似てるから間違えたじゃないか」。

たしかに似ていなくはないけど、色合いが違うし、間違えるほどは似ていないと思うけどなあ。でも、カレシがよく取り違えるので、容器の蓋にマジックでWG(小麦胚芽)、OB(燕麦ふすま)と書いてあるんだけど、黒々と。

蓋を見なかったの?
「蓋を取って横に置いたら、見えないよ」。
それもそうか。でも、袋は見なかったの?
「袋だってどっちもそっくりで区別がつかないんだよ」。

ええ?そんなにそっくりってほどには似てないと思うけど、冷蔵庫のバスケットから袋を出したときに何て書いてあるか見てないんだなあ。

結婚以来ずっと似たようなやりとりをして来たような気がする。いつも不思議に思うんだけど、カレシの目には存在するモノがワタシに見えるのと同じ色や形や位置に見えているんだろうか。探しものをすると戸棚や冷蔵庫の奥まで見ないし、棚にものを置くときは手前ぎりぎりに並べて置いて、後ろはがら空きなのに他のものを置く場所がないと言うし、鍋や保存容器に大きさの違う蓋をしようとするし、緑と青の区別がつかなかったりするし・・・。

もしかして、同じ物体を見ていても脳内に結ばれる「物体」のイメージがワタシとカレシでは異なるということはあり得るのかなあ。味覚や嗅覚、触覚、聴覚は人によって感じ方が違うのはわかるけど、視覚もそうなのかな。単に空間認識能力にちょっとばかり難ありってことなのかもしれないけど、やっぱりちょっと不思議だなあ、この人・・・。

あのさぁ(と、2人分が入るミルク入れを突き出す)、アナタが自分のボウルにどばっと入れたもので、ワタシのミルクが足りなくなっちゃったんだけど・・・。


2013年2月~その2

2013年02月21日 | 昔語り(2006~2013)
今日は靴を履いて歩行テスト

2月12日。火曜日。やっぱり正午過ぎに起床。ゆうべは寝酒もあまり飲まず、肴も少しだけにしたんだけどな。まあ、目覚ましなしで寝るときの睡眠時間はお酒の量とはあまり関係がなさそうではあるけど、ちょっとおなかの具合が良くなかったので自重。もっとも、自重するなら飲まないのがいいんだろうけど、お酒の棚のあるところへグラスを持って行って、1杯だけ注いでおかわりりなしというのがワタシ流の「自重」・・・。

きのうは夕食の後で突発的におなかの具合が乱調。真夜中のランチの頃までにはどうにか落ち着いたものの、かなり調子が悪かった。サルサに入っていた劇辛とうがらし(セラーノというメキシコの濃い緑色の唐辛子)のせいじゃないかと思うな。辛いのが苦手というのではなくて、何気なく食べたもので青天の霹靂みたいな乱調を来たす「不耐性」とかいう、あれ。今までにあったのはビーツのジュースとアヴォカドで、アヴォカドは普通に食べていて問題がなかなったので不意打ちもいいところ。ビーツは火を通せば問題ないし、アヴォカドも茶さじ1杯くらいの量なら大丈夫とわかったけど、今度は青唐辛子か。それでも、おいしいもの大好きのワタシには食物アレルギーだけはない(らしい)からラッキーだよね。

今日はどうやら普通に戻ったので、トートバッグを担いでモールへ出かけた。クロッグで大丈夫だったので、普通に靴を履いて歩いても大丈夫かどうかを運動をかねて試してみようというわけ。ワタシの靴はカレシとおそろいのNew Balanceのウォーキングシューズ。一見してごっつい「どた靴」風だけど、ベルクロ式なので、空港で脱がされるときに便利で、気に入っている。靴を履いても痛くない。歩き始めても痛くない。いいね!ボタンがあったら押したいところだな。まずはお掃除料を払うためのキャッシュを出しに銀行へ。入り口で女性がフォーチュンクッキーを配っていた。中国正月だからかな。バレンタインが近いから、チョコレートの方がうれしいんだけどなあ。ま、クッキーをトートバッグにぽんと入れて、次は郵便局で私書箱から溢れた郵便物を引き取って、ベイの地下売り場へ降りて行って、空になった炭酸カートリッジを新しいのと交換して、エスカレータで上がって来たら、あら、クリニークではボーナスタイム。

化粧品をいくつか買って、ついでに防犯装置のリモートの電池を買いにエレクトロニクスの店に立ち寄ったら、レジでさんざん待たされた挙句に「今追加で7ドル払っておくと切れたときに無料で交換」といういつものspiel(セールストーク)。わかってるの。この電池が切れる頃には無料交換のことなどすっかり忘れていると思ってるんでしょ。で、別の店で普通に買ってくれればおたくは丸々7ドルのもうけ。今どきは交換に来たら店がなくなっていたなんてこともあるし、その手は食わなの何とか。今はどうか知らないけど、昔はよくあったな、保証延長保険ってのが。カレシのVCRがよく壊れるので、地元で名の通った店で新品を買ったときに、価格の3割近い30ドルだかで保証を延長したことがあったけど、1年の保証期間中に修理1回、延長期間中に(修理不能で)新品との取替え2回。日本の有名ブランドだけど、製造は中国だった。日本製を売っていた頃はそんな簡単には壊れないし、値段も高かったから、保証延長保険は売る方の丸もうけだっただろうけど、その店、倒産して、今はないなあ。

トートバッグが重くなったので、「カレシ」タクシーを呼んで酒屋で落ち合うことに。ラッシュが始まる時間だけど、マティニを飲もうにも肝心のジンを切らしていたので、カレシもふたつ返事でお迎えサービス。ワタシもそろっとレミを補給して、今日のお出かけはおしまい。約1時間半歩いても足は大丈夫だったし、靴を脱いでもうずうず痛まなかったので、「歩行実験」も成功というところ。帰って来て、トートバッグの中身を出したら、あらまあ、銀行でもらったフォーチュンクッキーは袋の中でこっぱ微塵。せっかくの幸運を(あったとしたらの話だけど)逃したかな・・・?

赤ちゃんの目

2月13日。書箱を借りている郵便局はリテール郵便局なので、パスポートや証明書などの写真も撮ってくれる。

今日の「モデル」は赤ちゃん。白い背景幕の真ん中になるように、若いお母さんに高々と抱き上げられて、赤ちゃんはご機嫌そのもの。4ヵ月くらいかな。思わず頬ずりしたくなるようなかわいい笑い顔。

きょろきょろと周りを見渡しているその目の何と生き生きと輝いていること。あの年頃は見るもの、聞くもの、あらゆるものが好奇心の的で、何もかも「あれは何だろう?」

あれは何だろう。あっちのは何かな。動くのかな。音がするのかな。さわってみたいな。きらきらした赤ちゃんの目がそう言っている。先入観も、偏見も一切ない純粋無垢で、無限の好奇心。

その赤ちゃんが大きくなって学校へ行き、やがて社会人になり、年を重ねて行くにつれて、あの好奇心の輝きが目から消えていくのはどうしてなんだろう。誰でも無限の可能性を持って生まれて来たはずなのに。その可能性を探求する駆動力が好奇心なのに。

「名前は何と言うんですか?」
「ハドソンです」
「は~い、ハドソンく~ん、こっちを見て~」

ぱちり!

あの笑顔そのものがハドソン君の未来でありますように。

ウマいものもほどほどに食べるのがいちばんおいしい

2月13日。水曜日。午前11時50分に目覚まし。シーラとヴァルが来るので、さっさと起きて朝食。ゆっくりとコーヒーを楽しみながら、ローカルのテレビ番組雑誌に連載のヒスター先生の医療コラムを読む。今週のトピックはコーヒー。健康記事で悪玉にされたり、善玉として賞賛されたりと評価がくるくる変わるけど、いつも飲む人は飲まない人に比べて口腔がんのリスクが低いという話。でも、だからといってがぶがぶ飲めばいいってもんじゃないだろうと思うけどな。何であれ「ほどほどに」がやっぱり一番だと思う。

ラスベガスの「Heart Attack Grill」(文字通り「心臓まひグリル」)というレストランの非公式の「顔」だった客が心臓まひで死んだというニュースがあって、その店の「トリプルバイパスバーガー」は6000カロリー。うぇ~、聞いただけで千カロリーくらいの胸焼けがしそう。去年も食べていた客が心臓発作を起こして危うく死にかけたとか。店のキャッチが「Taste worth dying for(死んでもいいくらいウマい)」だそうで、けっこう繁盛しているらしい。見ただけで気が遠くなりそうな3段構えのハンバーガーを、ほんとに死んでもいいくらいウマいから食べるのか、それともbragging rights(「ドヤ顔権」とでも訳しておくか)が欲しくて食べるのか。どっちにしても、そういう怖いもの見たさはほどほどにしておかなきゃ。死んで花実が咲くものかというじゃないの。

ハンバーガーそのものは特に不健康というわけでもないけど、特大サイズのフライ、特大サイズのこってりミルクシェイクや特大コーラを合わせるとタイヘンなカロリーになる。ニューヨークではブルームバーグ市長のお達しとかでファストフードレストランやチェーンレストランのメニューにカロリーが書いてあったけど、そういうところで人気のメニューはどれも高カロリーで、食べたいけど、う~ん、カロリーが高いからやめとこうかなあ。でも食べたい・・・と悶々。ケベック州発祥の「プーティーン」。フライドポテトに固める前のチーズをどっさり載せて、グレヴィーをどろ~っとかけたもので、カナダの代表的料理だと書いてあったりするけど、西部ではあまり見かけなかったのが、近頃急にファストフードチェーンの人気アイテムになっていて、どこにでもある。このプーティーンもすごくおいしそうで食指が動くんだけど、小サイズでも700カロリーはあるそうだから、う~ん、ど~しよう・・・。

日本でも「高カロリー」が売り物の肝だめしみたいなアイテムがあるらしい。700何カロリーというコンビニのデザートの記事があったし、在日英語人のサイトに東京で「2千カロリーのカレー」を(ランチタイムに)発売したカレー屋があって若い人で賑わっていると言う動画が載っていたことがある。好奇心で見たら、巨大なお皿半分にご飯がどで~ん、もう半分にカレーがどろ~ん。(あまり実が入っているようには見えなかったな。)食べている人はかなり一生懸命の顔だった。日本のカレーは大好きなんだけど、なにしろルーがものすごい高カロリーで超高塩分なのがつらいところ。つい「ふぐは食べたし、命は惜しし」の心境になってしまう。(たま~に誘惑に負けて食べるけど・・・。)

健康食扱いの日本食だけど、まぐろの大トロや脂をちりばめた和牛は(豚の脂身ではそれほど感じないのに)ワタシの舌には「脂」を食べているように感じる。カロリーもかなり高そうに見えるけど、日本でそういう脂身が受けるのは、あんがい野菜や魚介類を常食して来た日本人の生理的な欲求なのかもしれないな。だって菜食と動物食ではエネルギーの質がまったく違うもの。でも、何を食べるにしても、ほどほどにしておくのがやっぱり一番の美食的楽しみ方ということになるのかな。

バレンタイン昨日今日

2月14日。木曜日。小雨模様。バレンタインデイ。昼間のテレビニュースはさしずめ「バレンタイン特集」。

オンラインデーティング(出会い系)やマッチメーキング(婚活系)が花盛りのデジタル時代だけど、何かのアンケートによると、オンラインやバーなどで未来のバレンタインに出会ったのはそれぞれ数パーセント。

オンラインサイトを通じてのお相手探しはカタログショッピング化しているという話。つまり、スペックありきということか。ちょっとした欠陥があったらさっさと返品して別の商品を探す・・・と。もちろん、掘り出し物もあるだろうけど。

職場での出会いは14%だったか、15%だったか。ワタシが勤めていた会計事務所には将来有望な若い見習いクンたちがたっくさんいたけど、ほとんどは大学で出会った奥さんか恋人がいた。それもなぜかほとんどが看護師や教師。伝統的に特定の学部の間で男女交流があったらしい。事務職の女性と結婚したケースはなかった。(独身の子が少なかったこともあるけど。)女性の会計士の卵たちは聡明な美人ぞろい。中国系で南米生まれのロッタは香港系の億万長者のイケメン息子に熱烈求愛されて、彼女のオフィスはいつも大きな花束の山で足の踏み場もないくらいだったな。

でも、一番多いのはやっぱり家族や友達のつながりでの出会いで、30%近い。昔ながらの健康的なパートナー選びもまだまだ廃れてはいないと言うこと。

カレシとワタシの出会いは切手蒐集がご縁。1969年3月だったから、もう44年。切手集めはとっくに忘れてしまったけど、まあ何とかまだ一緒。いい老夫婦になろうね。

ハッピーバレンタイン!

バレンタインはお弁当

だけど、カレシは英語教室ダブルヘッダーの日。普通に朝食をして、普通に送り出して、今日が期限の仕事を済ませて、キッチンへ。恋人たちのディナーラッシュが過ぎたら久々に食事に行こうと決めていたので、カレシはワタシの企みには気づいていない・・・。

今日のメニュー:
 バレンタイン弁当
 白米ご飯、豚肉のしょうが焼き、鶏ももの中華風から揚げ、
 ほうれん草のゴマ炒め入り卵焼き、魚シューマイ、蒸しインゲン)
 豆腐とわかめの味噌汁

[写真] 昔カレシが勤め人だった頃の弁当箱。お弁当はカレシだけだったので同じものが2つない。それでも幸いに2つ残っていた。どちらも日本へ行ったときに東急ハンズで買ったもの。ちょっとなつかしい・・・。

[写真] カレシの弁当箱は二段式。なぜか蓋の上に「A foreign-style pear」と書いてある。

[写真] ワタシのは一番良く使った透明なポリカーボネートの箱。

午後の教室を終えて帰って来たカレシが昼寝をしている間に、38歳になるサンヨー電気釜でご飯を炊いて、鶏を挙げて、豚肉とたまねぎと針しょうがを炒めて醤油で味付け。ほうれん草をごま油で炒めて黒ゴマを混ぜ、卵1個でだし巻き風の卵焼き。フレンチインゲンは半分の長さに切ってさっと蒸して、魚シューマイは冷凍食品を電子レンジでチン。味噌汁を作って、2つのお弁当箱にうまく詰めて、ご飯には白ゴマをぱらぱら。かっこよく割り箸も添えて、ごは~ん!

テーブルに着いたカレシの前にうやうやしくお盆を置いたら、「おっ、ベントーだ。エキベンだ~」と一気に目が覚めた様子。覚えてる、この2つのお弁当箱?「え、これ、ボクのベントーボックス?」そう、アナタが毎日持っていた弁当箱。どんなに夜なべをしても毎日早起きして作った愛妻弁当だったのに、感謝も忘れてよそ見なんかしちゃって、もうっ。(でも、毎日おいしかったと電話してくれたよね。)あのですね、この先、この「おうち鉄道」は終着駅まで途中下車なしですから、お忘れなく・・・。

じゃあ、夜の部に、行ってらっしゃ~い!

考えれば考えるほど・・・

2月15日。金曜日。正午過ぎに起床。空がまぶしいくらい明るい。ポーチの温度計は10度。春うらら・・・。よく眠ったはずなのに、なんとなく寝たりない気分で、やたらと大きなあくびが出る。あ、春眠は暁を覚えずというんだっけ。年齢を重ねるに従って、体がこの季節の変わり目というのに敏感になるらしい。春眠は暁どころか午後の日差しも覚えず。

でも、お客さんにどっさりとバレンタインデイのプレゼント(仕事)をもらってしまったもので、うらうらとした気分に浸っているわけにはいかない。たまたま日本は金曜日で、納期はどれも「月曜日の朝」の置きみやげ仕事。人使いが荒いなあ、日本。でも、予算消化の季節で、「じゃ、これもついでにやっておくか」という翻訳注文が集中する地獄の3月が目前に迫っているから、そろそろ地獄の釜の蓋が開き始めているのかもしれない。仕事は文系でビジネス系でパスワード付の「ひそひそ文書」。こういうのはわりとのぞき見願望を満足させてくれるから、「ガン見」(すごい表現!)しながらやると仕事が速い。でも、まず資料探しとググッているうちによそ見。仕事とは関係のないことをつらつらと考えて、早くも脱線・・・。

Dichotomyは「ダイコトミー」か「ディコトミー」か。カタカナで「どう書くか」だけでもすでに二通りあるのに、この単語の日本語版、英和辞書で調べてみると、文系、理系をとりまぜていったいどれだけあるのやら。まあ、理系はそれぞれの分野でのdichotomousな現象を(たぶん元から)日本語で表したものが多いから、日本語に訳すときはその分野での「正しい」用語を見つければいい。英語に訳すときは、分野が何であれ用語辞典を見れば「dichotomy」・・・。でも、文系はそう簡単には行かない。

論理学用語では「二分法」。「二項対立」という訳語もある。つまり、物事を2つの対立的な概念に分ける論法・・・だそうな。日本語にはそういうdichotomousな漢字2つの単語が多い。思いつくままを挙げてみると:

明暗、強弱、善悪、可否、愛憎、賛否、生死、優劣、貧富、真偽、上下、高低、有無、自他、正邪、軽重、動静、安危、尊卑・・・など等々。

日本語的には「単語」なんだろうけど、英語だとひとつの単語(a word)では表せないから、訳を英語文にうまく収めるのはけっこう難しい。翻訳者泣かせでもある。英語やフランス語ではひとつの単語に訳せないということは、文字の間に何かがあるってことじゃないのか。意味の相反する2つの文字の間にあるのは、本当に「対立」なのか。それとも、文字の間には中黒(・)が隠されているのか。隠されているとしたら、それは「and」なのか、それとも「or」なのか。あるいは、文字の間に空間的な広がりがあるのか。たとえば、「明――――――暗」という感じのスペクトラムのようなものがあるのか。それとも、何もないのか・・・。

ひとつだけワタシにわかることは、dichotomyというのは「物事を2つの対立的な概念に分ける」ことであるけど、その根底には「一方が存在して初めて他方も存在し得る」という概念があること。「明るさ」があるから「暗さ」がわかる。この世に「明るさ」がなければ「暗い」と感じることもないわけで、「明暗」という対照的な事象は存在し得ない。じゃあ、明暗のない宇宙があるとしたら、どんな感じかな。「――――――」的なもやもやした存在なのかな。(聖書はそんなようなことを言ってるな。)それが人間に当てはめてみると、「他人」がいるからこそ「自分」も存在し得るということになるけど、もやもやするのは「自他」の概念が確立していないからなのか、あるいは「自」と「他」の間の「――――――」を把握できないからなのか。

考えるほどに深みにはまってしまって、仕事の方はどうなるの?

くしゃみとしゃっくりとげっぷ

2月16日。ねじり鉢巻で1日中がんばったかいがあって、仕事、ファイル4件をまとめて完了。これであしたの日曜日は休み。しばしの間、ワタシ北向き、カレシ南向き(つまり背中合わせ)で、ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたり・・・。

AHHHH-CHOOOO!!!

カレシの盛大なくしゃみ。くしゃみの大きさは生まれつき決まっているという説がある。ワタシも女としてはかなり大きいけど、カレシのはもっと大きい。

意識、ちゃんとしている、アナタ?
「何とか・・・」(Ahhh-Chooo!)

きゃっきゃと笑ったら、今度はワタシがヒック。(しゃっくりが出やすいたち・・・。)
「あ、しゃっくりだ。止めてやる」
やめてよ~。(ヒック)
「一発で止まるから、やらせて」
いやだ~。ノーサンキュー(ヒック)!
「いや、止めてやる」(Hic)
あっ、しゃっくり!止めてあげようか?
「げっぷだってば。げっぷ!」
しゃっくりに聞こえたよ~。
「Burrrrrp!ほら!」

カレシのげっぷはまるでオンデマンド(おならもかなあ・・・)。ワタシなんかケポッと小さなげっぷをするにもひとしきり苦悶するのに。そういえば、カレシのしゃっくりって、聞いたことがないなあ。

「Ahhh-Chooo!ふは~」
Bless you!(くしゃみをしたはずみに魂が抜けてしまうといけないから、「神のご加護があらんことを」。)ね、魂、ちゃんとある?
「何とか・・・」

ワタシのしゃっくり、いつのまにか止まったみたい。カレシのくしゃみも止まったみたい。めでたし、めでたし。まあ、家の中では二人っきりだから、いい年をして、いつまでもこうやっておちゃらけていられるんだよね。そろそろ寝酒の時間だよ。

わたしの耳は何の耳?

2月17日。日曜日。起床午前11時40分。外はくらくらしすなくらいにまぶしい。下り坂の予報なんてもったいないな。バスルームで身支度をしていたら、キッチンから朝食の用意をしていたカレシの「何てこった~」というあわてた声。何をやらかしたんかいなと思って、急いで下りてみたら、コーヒーメーカーの周りをペーパータオルでせっせと拭いている。カウンターの上はちょっとしたコーヒーの洪水。「他のことに忙しくて、ポットをセットしないでスイッチを入れてしまった」。ははあ、何かに気をとられちゃったのね・・・。

あっちもこっちも溢れたお湯と一緒にフィルターから流れ出したコーヒーの粉だらけ。「挽きたてだったのに」とカレシ。それでも、とりあえず後始末を完了して、コーヒーをセットし直して、朝食。コーヒーの粉が乾いたところで、テーブルのパンのくずやら何やら、キッチン中のカウンターのごみを盛大に床に払い落として、ルンバ君にご登場願った。いす(2脚)をリビングに移して、2ヵ所にバーチャルウォールをセットして、ボタンをポンとやるだけで、ピッポッパーンと出動。こういうときにはほんとに頼りになるね、キミは。(どうして「ルンバちゃん」じゃなくて「ルンバ君」なのかなあ・・・。)

キッチンの床掃除が終わったところで、ささって着替えて、買出し用のトートバッグを持っておでかけ。カレシは郊外の園芸センターへ。ワタシは途中で降ろしてもらってHマートへ。大きなスーパーなんだけど、日曜日の午後とあってけっこう込んでいる。まずは野菜から。台湾キャベツ、貝割れ、大豆もやし、ごぼう、長ネギ、にら、大根、しめじ、金柑。そこから魚と肉の売り場に進んで、薄切りの牛肉と豚肉(1キロくらいのパック)、刺身用の大西洋サケ、冷凍のビンナガまぐろ、ほっけ、さば、アサリの剥き身、ポンパーノ。冷蔵品の棚に回って、寝酒の肴になる魚肉ソーセージ、しらたき、ミックス山菜、カレシの好きな白キムチ(2リットル入り!)。乾物の類はうどん、そうめん、八穀米、ジョンのミックス、パン粉、たらこスパゲッティ、味の素の「豆腐チゲの素」、めんつゆにごましゃぶソース。冷凍食品はおでんのパック、醤油ラーメン、からし明太子、なると、加ト吉のたこ焼き(50個入り)。ついでに「おかずコーナー」で茎わかめのごま油漬けと海草サラダ。カートが重くなったので、カレシに電話してからレジへ。しめて296ドル。レシートの長さ、ほぼ60センチ。お迎えのカレシは目をむくだろうけど、これで当分は食いっぱぐれる心配はないよね。

Hマートはアメリカ東部で創業して、アメリカ、カナダ各地で展開している韓国系スーパーで、韓国から輸入した食材と並んで名の通った日本の食材も豊富にある。(品揃え、値段ともに零細な日本食品店は太刀打ちできないけど、日本人移民が絶対的に少ないからしかたがないな。)今日はひとりなので、(ハングルは読めないから)漢字のラベルのものをじっくりと見て歩いたら、味の素、キッコーマン、ミツカン、明星、S&B、ハウス、グリコ、キューピー、永谷園、紀文・・・。米売り場にはいろいろな韓国米に混じって「ひとめぼれ」、「こしひかり」の文字。ただし、最近の出回って来たカリフォルニア米だけど、古くからの「錦米」や「田牧米」、「国宝ローズ」も健在。麺類も日本のうどん、そば、そうめんが何種類もある。味噌もあるし、醤油も酢もとんかつソースもあるし、キューピーマヨネーズだってある。

だから、カートを押して歩いていると日本語も聞こえて来る。店内放送もほとんどの人の会話も韓国語なので、日本語ならすぐにキャッチできると思うんだけど、なぜかワタシの耳はすぐには日本語だとわからないらしくて、韓国語だと思っていたら日本語だったり、日本語かな?と思ったら韓国語だったり。2つの言語を聞き分けられないのはもちろん意識して聞いていないせいもあるかもしれないけど、耳から入って来る日本語を瞬時に日本語と検知できなくなったのはもうずいぶん前からだったような気もする。それよりも、日本語が耳から入ってくる機会がほとんどなくなってしまった。声に出して話すこともあまりないなあ。もしかして1年に何回と片手で数えるくらいかもしれない。これじゃあ耳も声帯も錆び付くわけだ・・・。

アドレナリンは仕事の必需品

2月18日。月曜日。小雨のち曇りの模様。目が覚めたらもう午後12時40分!まずい。(今どき風には「やばい」というのかな。)今日は飛び込みの置きみやげ仕事があるんだった。

のんびりと真夜中のランチを済ませて、ひと遊びする気分でベースメントのオフィスに戻ったら、あら、赤い「緊急事態」マーク付きの仕事メール!

発信時刻は日本時間で月曜日午後5時。納品期限は火曜日の午前9時。そのとき、太平洋のこっち側では月曜日の午前1時。てことは、期限は同じ月曜日の午後4時。その6時間の間に寝て、起きて、朝ごはんを食べて、仕事をやっつけるということで、なんともまあ忙しない話だけど、そういうのをついつい「よっしゃ~」と引き受けてしまうのが極楽とんぼのワタシ。

フリーランスでやっていると、よくあるなあ、こういうの。ワタシのINBOXに「朝イチでお願いしま~す」なんて仕事を投げ込んでおいて、ご当人たちは飲み会なんてことはないだろうな。ま、翻訳会社のコーディネータさんの仕事がどんなに大変かよく知っているから、たぶん飲み会どころじゃないだろうな。

案の定、メールがあわただしく行き交って、期限を延ばしたり、「いや、やっぱりだめ」と早くなったりで、「それでは」となった頃には日本はもう夜の7時過ぎ。フリーランス稼業もタイヘンだけど、お客サマが神サマになって威張りまくっている日本では働くこと自体がタイヘンそう。サラリーマンが気楽な稼業だったのはそんなに昔の話なのか・・・。

コーヒーカップを片手にオフィスにかけつけて、コンピュータを立ち上げて、ファイルを開いて、パカパカパカと仕事。なんか日本の働きにくい世相が垣間見えるような、ちょっと気の滅入りそうな内容だけど、そんなところに思いを馳せている暇はないのだ。ひたすらパカパカパカパカとキーを叩いて、早くなった期限よりも早く仕上げて、それっと送って、おしまいっ。気分、爽快。(引退したら、こんなアドレナリンが噴出しまくりのエキサイティングな場面はなくなるのかなあ。)

ああ、おなか、すいた~。ご飯にしようっと。

ぶんぶと言うてうるさきはヘリコプターペアレント

2月19日。最近テレビのニュースや新聞の記事で、カナダでも子供への過干渉が度を越した親たちの存在が社会問題になっているという話を聞いた。大学を卒業した子供の就職面接について来たり、給料の交渉をする母親、父親がいて、人事担当者を驚かせているとか。学校での授業に注文をつけ、成績を細かくチェックし、はては勉強の手伝いをする親が増えているんだそうな。そして、ついには子供のキャリアの舵取りまで始めたということらしい。専門家はこれからそういう光景が「あたりまえ」になると警鐘を鳴らしているという話だった。

いつも子供の頭の上を旋回しているから名づけて「ヘリコプターペアレント」。そういう親の下で過保護で育つ子供は「バブルラップキッズ」と呼ばれる。バブルラップは壊れものなどを包むあのつぶつぶのシートのこと。このヘリコプターペアレントという言葉ができてもう20年以上になるから、最初の頃のバブルラップキッズは大学生か社会人になる年頃で、親はちょうど「X世代」の年代かな。X世代(Generation X)はほぼ20年続いたベビーブームの後に生まれ、人生のあちこちで元気なブーマー世代の後塵を拝して来たちょっぴり不運で、不安神経症的で、被害妄想的な、ある意味で失われた世代。自分の子供には、という感情はわからないでもない。

でも、ヘリコプターペアレントの下で育った子供たちは青年期になってうつ病を発症することが多いということだっ。無理もないよ。ごく小さいときからあれはダメ、それは危ない、これはこうしてと、鵜の目鷹の目の親の視点で危険を吟味されて、本人の意思に関係なく「安全な」人生のお膳立てをされていたら、おとなだって抑うつ状態になる。してやまるで親におもちゃのように私物化されて育って、自我に目覚める思春期にその基盤を見いだせなかった、自分の存在感まであやふやになってしまうかもしれない。そうなったらもう甘やかしの域を超えて、虐待に近いよに思う。(心理学の本にも書いてあったな。溺愛は虐待に等しい、と。)

それにしても、どこかで聞いた話だなあと思ったら、そうそう、子供のお勉強、お受験、習い事とお世話をしては些細なことで学校や役所にクレームをつけ、大学生になれば講義にも口出しをし、就職活動では会社説明会に同し、はては面接に付き添い、いそいそと入社式に現れて、子供に代わって「具合が悪いので休みます」と連絡を入れ母親たちの話をつい最近どこかの新聞の記事で読んだけど、あれはアメリカじゃなくて日本で起きている話。モンターペアレント、略して「モンペ」と呼ばれる日本の親たちのこと。親バカを通り過ぎて、今や少子化社会で子供を武器にして徘徊する怪物。思わず炎を吐きながら東京を踏みつけにしてのし歩くゴジラを連想してしまった。

いろんな記事を読み比べてみると、「ヘリコプターペアレント」は捜索救助ヘリで、「モンスターペアレント」は攻撃ヘリという印象かな。子供への「危険」を察知する、前者はさっと降下して子供を救出するのに対して、後者は「危険」に攻撃をかける。社会の仕組みや風潮も違うから、違いが大きいのは当然だと思うけど、どっちにしても、子供のためというよりは、「親として完璧な自分」としての自己肯定や自己顕示の道具にしているような感じ。だから子離れができない、というよりはあんがい子供を手放したくないのかもしれない。そうやって親に手作りのアクセサリーのように育てられた子供は、自分で見て考える「分析力」を培うことができず、社会に出てキャリアや結婚や人間関係で遭遇するちょっとした違いや問題に自力で対処できるだけのヒューマンスキルを身につけずに「成人」になるんだろうな。

子供は成長の過程で乗り越えるハードルとして同性の親を反旗を翻すことが多いようだけど、その点からすると、保護・過干渉の親が父親なら女の子が、母親なら男の子が「何もできない」おとなに育つという勘定になるのかな。長時間労働があたりまえの日本では父親不在の家庭が多そうで、つまり男の子は乗り越えるべき父親が身近にいない。一方、女の子には母親がいつもべったり。こういう状況で、もしも親がモンスターペアレントだったらどうなるのか。ワタシが思うに、父親が普通に家に帰って来ない家庭では、男の子はママにひたすら服従の優しい「マザコン」で、女の子はママそっくりの「モンスターワイフ」になるんじゃないのかな。

そういうモンペママにそっくりなモンスターワイフ、あるいはヘリコプターワイフが、小町横町にはたくさん棲息しているらしい。「育児ってタイヘンなんだから、家事や育児を平等に負担してね。お願いしたことはちゃんとあたしの基準に合わせてやってね。ああ、どうしてちゃんとできないの?だらしがない。マナーがなってない。気が利かない。ああっ、手を洗わないであたしの赤ちゃんに触らないでって言ったでしょっ」。(ボク、おうちに帰りたくない・・・。)夫婦は対等の関係だと言いながら相手を子供扱いにしているような過干渉ぶりは、妻子を養う気概に溢れた頼もしくて完璧な夫に育てようと言うことかな。でも、ヘリコプターペアレントが世界中に広まっているなら、やがてバブルラップキッズが家庭を持つようになると、今度は「ヘリコプターワイフ」が新しい現象として話題になるかもしれないな。昔は亭主をお尻の下に敷いたもんだけど、今は頭の上をぶんぶん・・・。

春はいろいろな季節

2月19日。火曜日。今日は比較的まともに「午前中」に起きた。外はまぶしい。道路向かいの大きな桜の木も、心なしか枝につぶつぶが付いて来ているように見える。いつも花が早い方だから、3月に入ったらぽつぽつと花を開くかな。この木が開花したら、道路が見える限り遠くまでピンク色に染まる日も早い。

朝食後、ワタシはしばしの読書。カレシは好天を待ちかねたように外へ出て行った。温室の北側の床に作ったプランターが冬でもレタスやほうれん草、からし菜といった新鮮な葉っぱものを摘み菜として収穫するほどの大成功だったもので、反対側の床にも作ることにしたらしい。改装工事の余りものの材木やら防水シートを持ち出して、ガレージの中で作業をしているけど、前からカレシなりに準備してあったとみえて、あれはどこだ、これはどこだと聞いて来ない。カレシの温室はポリカーボネート製のかまぼこ型で、幅が約2.5メートル、長さ約5メートルあるので、床置きのプランターもかなり大きいものを作れる。もちろん入れる土の量も相当なものだけど、これが昼の間に蓄積した熱を夜の間に放出して、ある程度の節電になるという効果もあって一石二鳥。

今日は仕事がないので、のんびりと州政府予算の発表を読む。去年はすごい大赤字だったのが、一転して黒字ってのは、何だかちょっと眉唾ものだなあ。法人税と年収15万ドル(1500万円)以上の高所得者の所得税が少し上がるくらいで、後は政府保有の資産を売却したり、歳出を大幅に削減したり、公務員を1200人レイオフしたりして帳尻を合わせるらしいけど、やっぱり何だか眉唾ものだな。まあ、5月に迫った総選挙では与党が99%負けることになっているから、最後まで責任を持たなくてもいいやという破れかぶれのいたちの最後っ屁予算だったりしてね。その予算だって、たった4議席の過半数では、何がどう転んで否決ということになるかわからない。左巻きの新民主党はワタシの支持政党じゃないけど、何だか今回はチャンスをやってもいいかなあと言う気分にさえなる。

選挙と言えば、次の連邦総選挙では議席の数が増えると言う話。カナダでは国勢調査の結果を元にして、選挙区の線引きをし直すことになっていて、人口の増減に合わせて、連邦議会も州議会もそれぞれに各選挙区の人口がほぼ同じになるように、分割したり、統合したり、境界線を移動したりする。国勢調査は5年ごとにあるから、選挙区の境界線はけっこうひんぱんに変わるわけで、長い間日本で違憲だとして法廷で争われているような「1票の重みの格差」といった問題は起こらない。国民の1票の重みが地域によって大きく違うと言う不公平は民主主義に反することだから、誰よりも選挙民が黙っていないと思うな。日本だって国勢調査をやっているんだから、選挙区の境界の見直しくらいできそうなもんだけど、たぶんいろいろに利権が絡むんだろうな。

不公平是正といえば、ブリティッシュコロンビア州では3月18日から「家族法」の改正法が施行されて、同棲カップルにも別れるときに法律婚と同じ財産分与の権利ができる。カナダではほとんどの州で税制や社会保障の上で法律婚、事実婚、同性婚の区別が取り払われたけど、改正法では「2年」以上「同棲」したカップルにもその間に取得した資産や相手所有の資産の値上がり益を半分請求する権利が認められる。おそらく2年が2人の関係が続くかどうかの平均的な節目ということだろうけど、男は同棲を相手の「オーディション」と考え、女は相手との「結婚へのステップ」と考える傾向があるという調査もあるから、デート市場はおもしろいことになりそうだな。(イジワルなおばちゃんだこと・・・。)

でも、結婚せずに事実婚の配偶者として永住権を申請する場合への影響はどうなんだろうな。カナダでは、1年間継続して「夫婦同然」の生活をすると事実婚のカップルとして、カナダ側のパートナーがスポンサーになって「家族」カテゴリーで永住権申請ができるので、相当数の日本人が利用しているらしい。だけど、1年の同棲を経て永住権を申請しようとすると、書類の準備やスポンサーの申請や何やらで手続きに1年くらいかかってしまう。つまり、BC州で申請すると、永住権が取れる頃には財産分与を受ける権利ができるわけで、そうなると同棲相手のスポンサーになることを躊躇する人が出てくることも考えられるな。まあ、どこまでの関係なのかが試されるようなもので、こっちの婚活市場もおもしろいことになりそうな気がするな。春は恋の花が爛漫の季節だけど・・・。

差し向かいのお風呂も乙なもの

2月20日。水曜日。目を覚ましたら正午直前。きのうはあんなにいい天気だったのに、今日は雨。週末まで雨。ま、春の雨は滋養の雨・・・。

きのうは力仕事をやりすぎたカレシ、体中が痛いと言いながらギクシャクと起床。ゆうべは久しぶりに2人でお風呂に入って、背中の汗をごしごし落としてあげたのにな。いつもはさっさとシャワーで済ませることが多いけど、たまには2人で熱いお湯に浸かるのもいいもんだ。

西洋風呂は基本がおひとり様の「個浴」だから、伝統的なバスタブはすごく浅くてまるで腰湯みたいな感じになる。でも、ジャクジーが小型化されてバスタブに組み込まれるようになって、それまではどれも同じに見えたバスタブのデザインが多様化して来た。中には寝室の中に据え付けるハリウッド映画みたいなのもある。ベッドインの前にロマンチックで贅沢なカップルの時間というところか・・・。

実は、我が家にはジャクジー付のバグタブがあったんだけど、ひとり用だし、ジェット噴流にもまれている時間もなかったので、めったに使うことがなくて、宝の持ち腐れ状態。そこで、改装のときに「ジャクジーもムードライトも不要。2人で入れる大きなバスタブ!」と注文。(お風呂の中で色が変わるムードライトって・・・。)元の場所に置けるサイズを探し回って、1人用だけど2人が向かい合って入れる幅があって、座って肩まで浸かれる深さがあって、端が背もたれのように傾斜していないものを見つけて来た。

深さに合わせてデッキの枠を作り直して、重くなるので下にセメントを流して、給湯タンクもひと回り大きい(250L)のに変えて、けっこう工費がかかったけど、ディマースイッチで照明をちょっと落として、テレビからもコンピュータからも離れて、背中を流し合って、のんびりと差し向かいでおしゃべりするもの乙なもの。ワインの一杯もあったらもっといいかなあ。いや、そんなものがなくても、ゆったりとしたクオリティタイムは2人でお風呂に浸かるだけでいいんだよね。


2013年2月~その1

2013年02月12日 | 昔語り(2006~2013)
今日で満23年。老後のイメージが見えた

2月1日。金曜日。起床は正午。日が差している。ポーチの温度計は8度。おお、春の気配かな。今日からもう2月。ほんとに年を重ねるごとに時間の足が速くなるような感じで、だんだん追いつくのが大変になって来た。

早いもので、今日2月1日はワタシのおひとり様ビジネスの創業満23周年。学歴も、これと言った専門知識もなくて、あるのは聞かん気とのん気だけ。それで年金が入って来るこの年までよく続いたもんだと、我ながら感心する。極楽とんぼよ、微風にも負けず、台風にも負けず、乱気流にも負けずに、墜落せずにここまで飛んで来たキミはエライと思うよ(自分で言うのもなんだけど、ま、今日だけはいいか)。実は、勤めを辞める直前から仕事が入っていて、2日前に風邪を引いたと言って残っていた「病休」を取った。後任がいたからできたことだけど、創業からもうすでに納期に追われていたわけか・・・。

あれから23年経って、ワタシのオフィスの隅っこにこじんまりと落ち着いた作業スペース。英語も日本語もコンピュータ1台で済むようになったのは技術の進歩のおかげ。今はオフィスの半分が趣味のスペースになっている。[写真]

それにしても、このオフィスチェア[写真]。1991年に腰痛に悩まされるようになって、思い切って買ったスウェーデン製の人間工学設計の椅子。高かったけど最良の設備投資だったなあ。あれから22年間、座業のワタシを支えてくれて、ありがとう。

今日はパルミーダと会う予定で、Arts Club劇団のオフィスがあるグランヴィルアイランドまで。1時間もかからないだろうということで、カレシは終わるまでぶらぶらしているつもりだったけど、「携帯がない」。あ、玄関の靴箱の上にあったけど。「それを持って来るのを忘れた。終わってからどこで落ち合うか連絡できないじゃないか」。うん、できないよねえ・・・。「いいよ、オレは家に帰る。終わったら電話しろよ」。自分で忘れたのにぷんぷんして走り去ったカレシ。携帯を忘れて良かったね。だって、1時間もかからないはずだったのが、芝居に関する話であれやこれやと意気投合して、しまいには女同士のおしゃべりに花が咲いて、延々と2時間・・・。

年金受給を契機にこれからだんだんに業務を縮小して行くにあたって、カレシがボランティア英語先生に「打ち込める」ことを発見したように、あれこれとやりたいことが多すぎるワタシも「これが一番」と打ち込めるものを見つけたいと思っていたけど、パルミーダと話しているうちにそれが見つかった気がする。エレクトロ二クスに依存するエンターテインメントに押されて苦戦している生の演劇を支援して行きたい。ワタシは劇作家にはなれそうにないし、役者にもなれないけど、Arts Clubには劇作家を育成するプログラムがあるし、劇団を存続させて行くための基本財産も構築中。その活動の端っこの端っこでワタシにできることをしたい。お金の余裕のある限り寄付をしよう。完全に引退したらボランティアも引き受けよう。遺言状でも、ワタシが後に逝くことになったら、どれだけ残っているかはわからないけど残ったものをすべて劇団に寄贈しよう。

考えているうちに、心がワクワクして来た。ワタシは人間が好き。だから、ワタシは生の舞台が好き。遠い古代ギリシャの時代から(きっと世界のどの民族もそれぞれに何千年も昔から)続いて来た「演劇」という、生身の人間が生身の人間の前でリアルタイムに演じる一種の「語り部」と言える伝統芸術の火を絶やしてはならないと思う。ああ、今から興奮しちゃっているけど、何かとっても刺激的な新しい世界が開けそうな予感がしてならない。23年もの長い間ひとりで籠っていた「在宅自営業」の穴ぐらから出たら、いろんな人との出会いがあるかもしれない。新しい交流の輪が広がるかもしれない。ワタシの人生の第3楽章はアレグロだな。まあ、オープニングはそろりとアレグレットぐらいで・・・。

カワイイが売りのアイドルも坊主頭になったら・・・

2月2日。土曜日。目が覚めたら首がごりごりに凝っていた。どうしてだろう。今日はグラウンドホッグデイ。毎年この日に冬眠していた穴から出て来たマーモット(リス科の動物だけどずんぐりむっくりしていて、あんまりリスらしくない)の一種が、自分の影を見たらまだ6週間の冬、影を見えなかったらもうすぐ春、と占ってくれる。まあ、北米版の「啓蟄」みたいなものか。各地にいるグラウンドホッグの予報が一致することはめったにないんだけど、今年はアメリカ代表のフィル君とカナダ代表のウィリー君の2頭が「もうすぐ春だ~」と一致したのに、ノバスコシアとケベックでは「まだ冬の真っ盛りじゃん(何で起こすんだよっ)」。(ま、カナダとアメリカの経済予測でないのが幸い・・・。)日本でも「立春」で、春めいてもいいみたい。

さて、今日は仕事をするか、しないか。急がずに3日分くらいの仕事で、納期まで6日。どう見たって急ぐことはないなあ・・・ということで今日はさぼり。のんびりとサイバー横丁の散歩。「お泊りデート」とやらをすっぱ抜かれて丸坊主になったアイドルちゃんの映像をタレント事務所が削除したとか。あれ、世界中にヒットしちゃったもので、事務所も処置に困ったのかな。BBCのサイトにも載ったし、Guardianにも載ったし、タブロイドにも載ったし、フランスでもアメリカでもカナダでも映像と一緒に報道されていた。坊主になる前の写真は13、4歳の中学生(たぶん北米人の目には10歳くらい)に見えるけど、坊主頭になってみたら、なんだハタチの大人のごく人並みの顔じゃないの。すごい落差だ・・・。

この一件でも、おもしろかったのは各サイトに載っていた読者のコメントで、「長い髪は日本女性にとっては命なんだよ」と(たぶん青い目をウルウルさせて)書き込んでいる人がいたり、「日本はタリバーンの国かよ」とか「プライベートまで拘束するのは奴隷扱いと同じ」とか憤慨する人がいたり、「20歳の大人が人間らしいことをしただけなのに、坊主になって泣いて許しを請わなければならないとは、pathetic(救いようのない)社会だ」と嘆く人がいたり。まあ、日本在住で日ごろから日本の内情?を見聞きしている外国人たちのコメントによると、このAKB何とかと言うアイドルグループは、タレントというよりは、幼げな子とのバーチャルな恋に萌えるオタクたちや、ストレスを溜めているエロい中年のオジサンさんたちに売るために「カワイイ女の子」としてパッケージされた「商品」らしい。つまり、生の男とお泊りデートなんかされたら「処女っぽい」イメージが台無しになるということで、イギリスの某新聞が報じたように「品行方正」が求められているわけじゃないってことか。

だから、お役所のおじさんたちはいつまで経っても児童ポルノの所持を禁止したがらないのかな。「実際に子供がやっているんじゃないから法律には触れない」と。まあ、映像は小学生か中学生みたいでも、実はハタチを過ぎた「おとな」が子供を演じているわけで、その通りといえばその通りか。デジタル新聞だと、そういう記事の横に「52歳。すごいと、妻が・・・」という思わせぶりなサプリか何かの広告が勝手に出て来て、にっこり笑っているその「妻」はどう見ても20代だし、同じ企業の「パパ、いいニオイ♪」と上目遣いに見ている広告には「26歳、会社員」と書いてあるけど、モデルはどう見ても高校生。広告を作る方は商品の対象顧客にはそういう「若い子にもてる」イメージが一番だと思うから、そういう年令のモデルを使って、「これを飲むと若いヨメさんをゲットできるかも/女子高生との援助交際も夢じゃないかも」といった思わせぶりなコピーを考えるんだろうな。

ほんと、広告ほどそのときの世相を鮮明に反映するものはない(そうでないと商品が売れない)か。でもまあ、日本のオジサンたちの「カワイイ萌え」もここまで来ると、中身のない記事を見るよりも、広告を見て「おいおい」と突っ込みを入れる方が楽しくなってしまいそう。ワタシもひねくれて来たのかな・・・。

明日から1セント硬貨が使えなくなる

2月3日。日曜日。正午ぎりぎりにのんびりと起きて、のんびりと朝食で、1日の始まり。外は小雨。天気予報は週末までほぼ連日の雨。でも、最高気温はほぼ平年並みだし、最低気温はちょっと高めで、日の出の時刻はだんたん午前7時半に近づいて来たし、春の気配が濃厚と言ったところ。もうずっと昔になったけど、冬至の前後には通勤する2人の車がダウンタウンに旧キャンビー橋を渡っているときに、朝日が昇って来た。夜通し晴れた朝は冷え込んで、朝焼けも昇ってきた太陽も寒色系の色合いだったな。

今日はアメリカンフットボールのスーパーボウルの日。今年はニューオーリンズ。ハリケーンカトリーナのときに避難場になったスタジアム。セインツの拠点だけど、決勝チームはサンフランシスコのフォーティナイナーズとボルティモアのレイヴンズ。(北米のプロスポーツについて報じるのに、日本のメディアはチーム名で呼ぶのに対して、北米では都市名を使うことの方が多いのはおもしろい対照。)今回は両チームの監督が実の兄弟同士ということで話題になっていた。はて、観戦に来るという家族はどっちを応援したらいいのやら。スーパーボウルに関してよく話題になるのが「チキンウィングの品不足」。ずっと前はポテトチップやポップコーンとビールが主流だったけど、最近は(たぶんコマーシャルの影響で)仲間同士が集まって鶏の手羽先をかじり、ビールをがぶ飲みしながらテレビで試合を見るのが定番になっているらくて、去年やおととしはその手羽先が全国的に品不足になったという話。でも、今年はやや値上がりしたものの、品不足は起きなかったらしい。とすると、月曜日には甘辛ソースたっぷりの脂っこい手羽先を食べ過ぎた人たちが薬局に押しかけて胃腸薬が品不足になるのか・・・?

カナダでは明日の月曜日から1セント銅貨が使えなくなる。1セントという単位がなくなるわけではなくて、あくまでも店頭での現金取引の場合の話。なにしろ世界的な銅の値上がりで、1セント玉1個を作るのに1.6セントかかるんだそうな。つまり、100万個(1万ドル分)作るのに160万ドル!去年の春にすでに製造を中止して、年末商戦の混乱を避けるために2月4日から硬貨の使用は廃止ということになった。つまり、合計が1ドル2セントであれば切り捨てて1ドルに、1ドル3セントなら切り上げ、1ドル7セントなら切り下げてそれぞれが1ドル5セントに、1ドル8セントなら切り上げて1ドル10セントになるわけで、たとえば1ドル2セントの買い物なら1ドル硬貨1個で済んで得だけど、1ドル3セントだと5セント玉を出しておつりが来ないから損。長い目で見れば収支トントンになるらしいけど、人間の心理はおもしろいもので、「損」の方にだけ注目して「釣りを寄こさないのはぼったくりだ」と怒る人がいる。今まで道に落ちていても誰にも拾ってもらえなかったペニーなのにね[写真]。

オーストラリアもニュージーランドも20年以上前に1セント硬貨を廃止していて、2009年の今ごろオーストラリアに行ったときには最初の1、2回だけ何となく違和感があったけど、小銭がごちゃごちゃたまらなくて楽だった。帰りに寄ったシンガポールでも1セント玉がなかったけど、そのときには「へえ、ここもか」と思っただけだった。ニュージーランドでは5セント硬貨も廃止してしまったとか。(カナダでも「次は5セント玉の番だ!」と意気込んでいる議員さんがいる。)ヨーロッパではオランダとフィンランドで1ユーロセント硬貨の使用を止めたそうだし、アメリカでも廃止の議論があって、世界的に通貨の最小単位は帳簿上の数字だけになりつつある。そこかしこに放置されている1セント玉を集めて、50個ずつのロールに包んで銀行に持って行けば「使えるお金」に換えてもらえるという話だけど、ロールが10個(5ドル)にもなったら、重たくて運ぶのが大変だろうなあ。

日本のあのアルミの1円玉。ふわふわと軽すぎて実に扱いにくかったけど、もしもあの1円玉の発行をやめて、102円なら100円玉1個、103円なら100円玉と5円玉でおつりなしという、切り下げ/切り上げ方式に変えることにしたら、はたしてどういう反応が起きるのかな。ま、日本の人は暗算が速いから、すぐに慣れるだろうとは思うけど・・・。

なつかしいね、昭和の雪まつり

2月4日。月曜日。起床は午後12時50分。飲みながらああだ、こうだと取りとめのない話をしているうちに、就寝は午前5時。これが夏だったら空が白むどころか、日が昇ってくる頃だけど、カレンダーを見たら「夏時間」が始まるのは3月10日。。公式の「春」は春分の日に始まって、「秋」は秋分の日に始まるから、時計の上の「夏」は春より先に来て、秋よりも先まで続くわけで、毎年のことながら何だかなあ。いっそのこと4ヵ月しかない「標準時間」を廃止して、1年中「夏時間」にしたら気分的にも爽快で良さそうに思うけどなあ・・・。

今日は何としても仕事日にしなければと、先月から懸案で、ちょびっとかじってはぐずぐずと放置して来た仕事にかかる。続きのファイルがもう来ているから待ったなしの状態。何でも屋の翻訳稼業は世の中の実にいろんなことに遭遇できて、そのたびに何かしら新しいことを学べるところがいい。姪のローラが勤め先のコンサルタント会社で日本語を話せる人材を探しているけど心当たりはないかと言って来ていたので、相当な専門職だからとその方面の同業に声をかけていたら、ベテランがいろいろとアドバイスをくれ、ローラとも話をしてくれた。フリーランスはおひとり様ビジネスではあるけど、知らないうちにいろんな人たちとのネットワークができるものらしい。極楽とんぼのワタシなんか日本とアメリカの2つの協会の会議に行ってはもっぱらパーティで騒いでいるけど、それでも「長いつき合い」の人たちができたし、一生の親友もできた。「運命の赤い糸」というのは男と女の関係だけじゃなくて、生涯の友だちにもあてはまるのかもしれない。人間の関係って、ほんとに不思議・・・。

ともかく仕事を始めたんだけど、新聞サイトをちらちらとのぞいていて、毎日新聞の「昭和毎日」という昭和時代前半の大きなニュースの写真を集めたようなサイトに行き当たったのが運の尽き。終戦直後の昭和20年から高度経済成長期が東京オリンピックで頂点に達した昭和39年まではワタシが釧路で生まれ育った時代。とうとう仕事を放り出してのめり込んでしまった。『古き良き昭和の時代へタイムとラベル』という謳い文句だけど、ほんとに「良き時代」だったんだろうか。大きな自然災害が多かったし、悲惨な公害病が多発したし、政治家の汚職なんか今どきの疑惑がみみっちく見えるくらいだし、東京のスモッグの写真は今の北京とそっくり。でもまあ、バブル崩壊後の何となく鬱々として見える世相と比べたら、良き時代に見えるのかもしれないな。テレビやトランジスタラジオがワタシが覚えているより何年も前に登場していたのは、あの頃は新しいものが北海道の最果てまで届くのに何年もかかったということだろうか。

仕事をしなきゃと思い直して、その前にニュースを読んで、と別の新聞サイトを見たら、お、札幌雪まつり開幕。なつかしいな。毎朝バスを降りて、自衛隊が「訓練」の名目で大雪像を作っているのを見ながら大通公園を突っ切ってすすきのの入り口のオフィスまで通勤していたもので、特に「雪まつり見物」をしたことはなかったけど、昼休みにみんなで(といっても総勢3人だけ)ぶらぶらと散歩はしたな。歩いている観光客がへっぴり腰なのがちょっと不思議だったけど、冬になると靴屋に並んだ「スノー底」のハイヒールはどうやら北海道だけのものだったらしいとわかるのに時間がかかった。夏のと同じデザインのものを履いていたこともあるから、焼き鏝のようなもので普通の靴の底に滑り止めの模様を焼きつけたんだろうな。それを履いて着ぶくれした観光客を尻目にすたすたと歩いていた若き道産子のワタシ・・・。

あれは何年のことだったか、開幕当日の昼休みには抜けるような青空だったのに、あっという間に雲ってすごい勢いで雪が降り出し、夕方の帰宅時間には4、50センチくらい積もって、バスが止まってしまったことがあった。石狩湾にぽこっと小低気圧ができると突発的に起きるドカ雪現象で、夜に予定されていた開会式は中止。黙って見ていると、目の前にどんどん雪が積み上がるのがわかるくらいの降りようだった。(雨なら「雨脚が強い」というけど、雪なら何というのかな?)帰りの足がないから、しかたなく雪の夜道を2時間以上かけて歩いて帰ったけど、ああいうドカ雪のときは「歩く」とは言わないで「漕ぐ」という。ブーツを履いていたのか、スノー底のハイヒールだったのかは覚えていないな。大雪の中では方向感覚が狂うことがあるから、何とか無事に家に帰りつくことしか頭になかったのかもしれない。

古いアルバムを探したら、1975年の雪まつりのときに同僚に撮ってもらった写真があった。何だかずいぶん軽装だけど、あの年は寒くなかったのかな。(雪像が解けて泣き出すような暖冬の年もあったし、雪がなくて自衛隊が山からトラックで雪を運んで来た年もあった。雪まつりはお天気まかせ。)ああ、あの頃はやたらと長いマフラーが流行っていたんだっけ。自分で編んだ(と思う)このマフラーはまだ持っている。思い起こせば、この雪まつりから3ヵ月後の5月、ワタシは日本を離れたのだった。昭和50年。38年前、最後に見た雪まつり・・・と、ちょっと遠い目。[写真] [写真]

さて、ほんとに気合を入れて仕事にかからないと。

プロに「ただでやってよ」はないでしょ

2月5日。火曜日。またまた正午過ぎの起床。ここのところ、寝る前にちょっと一杯やりながらのつもりが、なぜか話し込むことが多いなあ。だいたいは他愛のない話で盛り上がる程度だけど、ときには(カレシがどうみてもわざわざ反対意見を持ち出して来て)議論に発展しそうな雰囲気になる。昔はよくやったなあ、カレシ。やり込めようという気もあっただろうけど、おかげさまで元々口達者なワタシは英語でのthe gift of the gab(口達者)にもますます磨きがかかったし、今はうまく取りとめのない方へと誘導する術も身につけたから、カレシには怪我の功名(でも、たぶん本人はそうは思ってないかも・・・)。

外は雨模様だけど、カレシは春の到来を控えての「農作業」。ワタシはかなりまじめに仕事。でも、何だ、これ。テーマがテーマだから、やたらと判例の引用があるのはわかるけど、その出典である判例集の名前は漢字だらけの略語。裁判所の名前や「平」とか「昭」と言うのはお馴染みだから良いとしても、民間の判例集らしいのが出てきたらお手上げ。そういう風に表記する決まりになっているのは知っているけど、いちいちググって省略されていない名前を探さなければならないから、えらいこっちゃ。ジョーホー時代の到来と喧しかった頃の日本出は、猫も杓子もこぞって世界にジョーホーハッシ~ン!と勇ましかったけど、実のところはどうだったのかなあ。外国がソースの日本語の情報は多いけど、日本からの英語の情報はあの頃の騒ぎのわりには足りなすぎるように思う。いったいどこへジョーホーをハッシンしたのやら・・・。

判例の検索にくたびれて、ちょっと息抜きに小町横町にでかけたら、『好きな人が翻訳を断ってきました』というイマイチよくわからないタイトルのトピックがあった。翻訳と聞いてさっそく野次馬気分で開いてみたら、会社で通訳翻訳をしていた「好きな人」が辞めて、SNSでつながりを保ちながらあれこれと仕事以外で翻訳を頼んでいたら翻訳会社を通してくれと言われ、だけど翻訳会社は高くて頼めないし、その好きな人とつながっていくて、仕事として「わずか」10ページほどの翻訳を仕事の幅も広がるし、勉強にもなるからと「ボランティア」でお願いしたら断ってきた。しかも、メールもしないと。びっくりして、その人を失いたくないから告白っぽいことを言ってみたけどなしのつぶて。「もっとわかりあえるにはどうしたらいいでしょうか?」ええ、ええ、ええ?

書き込みが殺到して、あっという間に200本を超えたけど、だいたいが「相手はビジネスなんだから、ただでやってもらおうとする方がおかしい」という意見だったので、労力の対価についてけっこう常識的な考えの人がまだたくさんいることにちょっとほっとした。だって、翻訳通訳を生業としている人に、好きだから、知り合いだから、SNSのオトモダチだからと、仕事の翻訳を「あなたのためになるんだから」ボランティアでやってと言うのは、いくらお金には敏い今どきの女性でもover the top(やりすぎ)だと思うけどな。さらに、1ページ2~3千円もらえると言われて、10ページやったら2~3万円なんて不自然だし、「本当なら知り合いにお金ちょうだい、と暗に言うのはマナー違反と伝えたいのですが」と言い出す始末。ま、婚活トピックにしても、友情や結婚の破綻トピックにしても、お金、お金の世相が見えるけど、ここまで来ると何だか創作じゃないかという感じもするな。小町にはそういうできすぎたトピックが登場して、あっという間にアクセス人気上位にランクされることがよくあるもの。

同時に、「タダ」をあたりまえに期待する人がいるのも事実。プロがちょっと知っている人から頼まれた仕事をして、それに対して対価を請求するのがマナー違反だというなら、誰が誰とどのようにつながっているかわからない今の世の中、フリーランス稼業で生活するなんてできない話。それでも、いるんだよなあ、そういう人。ワタシはよほどの事情がない限り友だちに頼まれても無料奉仕はしないし、完全に稼業から足を洗うまではでボランティアもしない方針で、どうやら「タダの仕事はしない」という評判が根付いているらしいからもう頼まれることもなさそうだけど、まだ百戦錬磨ではなかった頃には、「高すぎる」とか「たいして手間じゃないのに」とか、「無料奉仕を暗に要求する」人に何人か遭遇した。「立っている者は親でも使え」という人なんだろうけど、一番始末が悪かったのは「同胞のよしみ」を利用しようとする人・・・。

在宅の翻訳・通訳行と言っても、コンピュータやプリンタ、ファックス、辞書類に事務用品と、何百万円もの設備投資をして、額に汗して働いて、生活費を得るビジネスなんだけどなあ。ワタシも23年の間にどれだけの投資をしたことか。1千万円なんてもんじゃないと思う。本当なのか創作なのかはわからないけど、トピックを投稿した女性のあまりの破天荒な図々しさについ笑いながら、同時にたまたま傍らに開いてあった愛用の辞書の何とも悲惨な姿に、ちょっとシュンとなった・・・。[写真]

多重国籍容認の是非

2月6日。水曜日。やっぱり起床は正午を過ぎた。よく眠っているようで、あんまりよく眠っていないような。まあ、季節の変わり目みたいな感じもするから、ここは一年の計の通り、play it by earで行くことにしよっと。わりと暖かくて、雨がしょぼしょぼ。でも、今夜は荒れ模様になるとの予報・・・。

荒れ模様といえば、「大雪」の予報が出ていた東京、JRが混乱に備えて間引き運転をするやらの大騒ぎをした挙げ句、結局は降ったとは言えないくらいだったようで、気象台に苦情が殺到したとか。前回は雨の予報を出したら思いがけず「大雪」になって、大混乱に苦情が殺到したので今回は「大事をとった」ということだろうけど、きつい職業だな、ほんと。日本でクレーマーと呼ばれる人たちは何でもいいから無理難題を吹っかけて相手を叩きのめしたい人種なんだろうと思うから、相手が商売であろうが何であろうが、ちょっとでも弱いところを見つけたら天下を取った気分になるんだろうな。バンクーバー圏では地形的に微小気候とか局所気候の集まりで正確な天気予報が難しく、予報が当らないのがあたりまえみたいになっている。だから、予報が外れたことで苦情を言う人はあまりいないけど、何日も雨が続くと「いったいつになったら晴れるんだよっ!」と怒鳴り込む人はけっこういるらしいそうだから、人間てのはおもしろい。

アルジェリアでの人質事件に続いて、今度はブルガリア政府が去年の夏イスラエル人観光客のバスを爆破したのは「(二重国籍の)カナダ人」だったと発表したもので、ケニー移民大臣がテロ活動をした二重国籍者のカナダ市民権を剥奪する立法措置の必要性を打ち出した。ブルガリアのケースはレバノンとカナダの二重国籍で、両親と共に移民して国籍を取得した後、12歳頃に母親とレバノンに帰ったままだという話。たまたまインド系の連邦議会議員が「カナダ国籍を取得してカナダに対して戦争行為を行った人の市民権を剥奪する」法案を議員立法として提出しているそうで、この法案を拡大して市民権制度改正の政府案として出て来る可能性もあるかな。メディアのコメント欄は帰化カナダ人も含めて「安易に」重国籍を認めている現行制度の見直しに賛成する意見で溢れているのは、市民権を与えた国を踏みつけにする「便宜上のカナダ人」に対する嫌悪感が鬱積しているということだろうな。あたりまえだと思う。(母国カナダに害をなす人間に目をうるうるさせてへつらいたがる連中はもちろん声を張り上げて反対を唱えるだろうけど。)

かって香港の中国返還前にどっと移住して来た香港人の大勢がカナダ国籍取得を保険でもかけたように扱って香港に帰って行ったし、レバノン内戦では、多額の公費を使って「救出」した何千人もの重国籍の(多くはカナダの土を踏んだことすらない)レバノン人がカナダのあれこれを気に入らないと不満をぶちまけた挙げ句に内戦が収まるとそそくさと帰って行ってカナダ人の怒りを買った。(その後、海外居住者のカナダ国籍の継承が3代までに制限された。イギリスはもっと前からそうしている。)まあ、こういう人たちにとっては、市民権授与式でカナダへの忠誠を誓っても、それは「嘘も方便」。カナダのパスポートの方がレバノンやイランのパスポートより便利というだけのことで、カナダ国民としてカナダに忠誠を誓うなんて気持ちは元からこれっぽちもない。それに気づかない(または気づいていても口に出さない)カナダ人はお人よしが過ぎるけど、カナダの市民権にはそれだけの魅力(あるいはメリット)があるということか。それでも、いつまでもお人よしでいていいのか、カナダ。

遵法精神が自慢の日本人でさえ、カナダ国籍になった時点で日本国籍は自動的に喪失したのを知っていながら何とかして日本のパスポートを更新する方法はないかとよく掲示板で聞いている。残念ながら、出生地主義の国か異国籍の両親の間に生まれたのでない限り、原則として重国籍が認められない日本人が日本国籍を失わずに外国籍も手に入れるのはほぼ不可能。それでもなお、どうして誇りとする祖国日本の法律を犯してまで外国籍も持ちたがるのか理解に苦しむけど、カナダ国籍を手に入れてもカナダのすべてが気に入らないらしい人たちが大勢いるということは、単に「二重国籍」という日本ではレアもののタイトルが魅力だったのかなとも思う。だから日本の文化習慣思考で生活できないことへの欲求不満がよけいに募るんだろうな。でも、そういう日本人は自国日本の法律を犯しているだけだし、カナダ嫌いと言っても日本人同士の内輪だけで(仮想的有能感に基づく?)愛国日本人を競うだけでカナダ人と直接対峙しないし、日本に行けば行ったで「カナダの方がいいよ~」と宣伝してくれているだろうし、まあテロに身を投じることもなさそうで、つまるところカナダにとっては実害がないから、「便宜上のカナダ人」を排斥する運動が起こっても標的にされる心配はないだろうな。

去年の秋にケニー移民大臣は交際2年未満で子供のいないカップルには2年の「仮永住権」を与えることにして偽装結婚移民の締め出しに乗り出したから、カナダ国籍を取った後で定住せずに出身国へ帰って、たとえば5年とか10年以上戻って来ない場合はカナダ市民権を取り消すというような法律を作ろうとしているのかもしれない。(出国管理を導入して居住要件を満たさない「便宜上の永住者」を摘発しようという動きもある。)日本では帰化人ルイ・ラモスが「自分は日本人。戦争になったら日本のために戦う」と言って日本国民を感動させたらしいけど、カナダも「自分はカナダ人。戦争になったらカナダの戦う」と言う人に市民権を与えるべきで、そのためには、重国籍容認の見直しがまず第一歩だと思う。このあたりは日本の人も同感じゃないかと思う。だから日本は移民制度にも多重国籍容認にも消極的なんだろうし、と思うから、こういうところはカナダも日本を見習ったらどうなのかな。

旧正月、新年のごあいさつは

2月7日。木曜日。やっと落ち着いて眠りに就いたのに、午前11時30分、目覚まし。カレシがなぜかやたらと寝返りを打ってばかりいて、そのたびに肘鉄や膝蹴りで起こされていた。本人は「眠ってたんだから覚えているはずないだろう」。うん、眠れなかったと文句を言っていないところを見ると、あんがい本当に覚えていないのかも。

ゆうべは風が強くて、一度だけだったけど何かが屋根にぶつかったような音がした。でも、起きてみたらいい天気。別にニュースで何も行っていないから、嵐というほどでもなかったらしい。大荒れの予報が出ているのは東部の五大湖地方。テキサス州からイリノイへとアメリカを斜めに突っ切って来たNor’easter(北東へ進む低気圧)がミシガン州を超え、ヒューロン湖を渡って、明日にはエリー湖の南からオンタリオ湖の西に達するというシナリオで、おまけにアルバータから東進した低気圧が合流するんだそうで、その通り道にトロントがある。数年ぶりの吹雪になるという予報で、エアカナダは飛行機の予約変更を受け付け始めたとか。ニューヨーク市でも「備えは万全」に整えているという話だけど、一番の大雪になりそうなボストンでは市長が最初から「引き籠り」を勧告。暴風雨のような異常天候が凶暴化するのが気候変動の特徴だそうだけど、ロンドンやパリで大雪、東京でも大雪、トロントでも大雪(予報)、ニューヨークも狙われているというのは、はたして偶然なのか・・・。

アメリカ大陸の東の方が寒波になるとバンクーバーでは暖かいことが多い。ジェット気流が大陸の上で南北に蛇行するからなんで、大陸がシーソーのように東西に揺れているわけではないのに、そんなイメージがわいて来るのは、環太平洋地域で地震が多くて、太平洋プレートがふらふら揺れているイメージができているせいかな。まあ、この日曜日は中国正月の元旦だから、好天なのはいいな。バンクーバーでは昔から「中国正月」と呼んでいるけど、要は陰暦のお正月(太陽暦になっているところでは「旧正月」)。中国だけでなくアジアの他の国々でも今も旧暦の正月を祝うところがけっこうあるようで、ベトナムその他のアジア系からは「アジア正月」と呼ぶべきだという声もあるけど、中国系の人口の多さにはかなわないし、旧正月を祝う国々はどこも中国系の人口が多いようだし、英語でも「Chinese New Year」で定着してしている(ワタシのカレンダーにもそう書いてある)から、「中国正月」で変わらないだろうな。もっとも、ご本家?の中国では「春節」というのが一般的らしいけど。あ、だから日本でも「賀春」なのか・・・。

中国語のあいさつは「恭喜発財」。鉄道敷設工事のためにカナダに入って来た初期の中国移民は広東省からだったせいで、バンクーバーあたりでは「中国語」というと広東語だから、新年の挨拶も広東語で読んで「ゴンヘイファッチョイ」。どうやら「お互いにがんがん儲かりますように」みたいな意味らしい。何とも景気のいい挨拶だし、実際に広東語で言ってみると、つい「おお、やりまっせ~」という気になってしまいそうな勢いがあるな。日本でこれに似ているのは酉の市の商売繁盛の熊手かな。大阪だったらさしずめ「もうかりまっか~」というところだろうか。でも、中国語の挨拶を標準語では「コンシーファーツァイ」と言うんだそうで、何となくおっとりした「唐様で書く三代目」風の雰囲気になるからおもしろい。

さて、今夜はカレシの英語教室夜の部の「新年会」。いつものように「奥さんも」ということになったけど、クラスの半数以上を占めるベトナム人の生徒さんたちがお国料理を持ち寄ってくれるそうなので楽しみ。ベトナムも旧正月を祝う国のひとつで、昔のベトナム戦争時代によく聞いた「テト」というのは中国語の「節」のベトナム語読みらしい。新年の挨拶は、ちょっとググってみたら「チュクムンナムモイ」で、日本と同じ「新年おめでとう」という意味のあいさつだとわかった。チュクはひょっとして「祝」にあたるのかな。よ~し、忘れないように三回くらい唱えて、教室へ行ったらベトナム語であいさつをしてみようっと。

へたの横好き、ばんざい

2月9日。土曜日。目が覚めたらとっくに正午過ぎ。きのうもほぼ午後1時で、前の日のお出かけで疲れていたのかなと思ったけど、きのうはカレシ「休みモード」、ワタシ「仕事モード」で、くたびれるような日ではなかったのに。外は曇っていそうだし(出かけないから関係ないけど)、別にさしせまったことがあるわけでもないし・・・と、カレシの腕枕でしばらくうとうと。「腹へった~」というカレシにせっかくの「浅き夢」から起こされて、起床は午後1時の1分前。

カナダ東部とアメリカのニューイングランド地方の吹雪はすごいことになっていて、「Big Dig-out」という名前がついたらしい。「せ~の、よっこらしょ」という感じか。ニューヨークの積雪は30センチだったそうだけど、ボストンのあるマサチューセッツ州やその南のコネティカット州では1メートルも積もったところがあるとか。(ピーク時には1時間に15センチの割で積もったそうだから、どんどん積み上がるのが目に見える「どか雪」。これに強風となると、まさに視界が真っ白の「ホワイトアウト」で、へたをすると生死の分かれ目になりかねない。)65万戸が停電中で、人口2500万人を抱えるニューヨークからボストンの間の地域では道路はほぼ完全に通行不能、吹き溜まりで立ち往生した車の中にいる人たちを救出するのにスノーモービル部隊が出動したところもある。暖をとるためにエンジンをかけておくと排ガスで一酸化炭素中毒になりかねないし、かといってエンジンを切れば凍死してしまいかねない。判断が難しいところ。

マサチューセッツ州では知事が事前に一般人の車の運転を禁止する命令を出していたけど、違反者は罰金プラス1年の禁固刑という罰則つき。それだけ真剣なんだという姿勢だったんだろう。州知事の執行権限でそういう極端な命令を出せること自体すごいと思う。だから甘えるんだというならそうかもしれないし、たしかに一歩間違えば独断、独裁につながりかねない強権だけど、人間を信頼する勇気がなければ、そこに至らないという良識を前提として臨機応変に危機に対応できる権限を与えることはできない話だと思うな。まあ、知事の命令を無視して猛吹雪の中に車を出した人たちがどれだけいたかは知らないけど、「てめぇ、何サマだと思ってんだよっ」とヘンに肩肘を張って墓穴を掘る人たちはどこにでもあたりまえにいるもので、そういうのにかぎって「助けが来なかった」と愚痴るところも同じ。ま、他人の言うことに聞く耳持たずの「耳なし族」の一種ではあるけど、こういう勘違い人は亜種の「無脳型」か・・・。

グッチファーとかいうハッカーがブッシュ元大統領一家のメールに侵入して家族の私的なメールや写真を「てめぇ、何サマだおと思ってんだよ」族のものらしいサイトで公開していたけど、その中に「ダビヤ」こと息子ブッシュが描いた絵が何枚かあってけっこう話題になっている。シャワーを浴びている自画像とバスタブの中の足を描いた絵は、最初にニュースの画面で見たときにデイヴィッド・ホックニーの作風が浮かんで来た。うん、ホックニーでなければエドワード・ホッパーか。いわゆる美術評論家たちはさっそくああだこうだと自分の芸術的、政治的信条に基づいて批評しているけど、ド素人の絵をプロの観点からくそまじめに批評すること自体が滑稽に聞こえる。(でも、こういう人たちも耳なし族の一種のようなもんだから、しょうがないか。)ダビヤは最近になって趣味として絵を描き始めたらしいけど、「へたの横好き派」の絵としては、ワタシはすごくいい線を行ってると思うな。ワタシも「へたの横好き流」のドしろうと絵描きだからかもしれないけど、何か共感のようなものがある。政治家ブッシュとして言葉では表現することができなかった「感性」が私人ダビヤになって芽を出したということかな。

アメリカの数学者ガードナーが『Ambidextrous Universe』(日本語版は『自然界における右と左』らしい)で一次元の世界と二次元の世界の生き物を想像していておもしろかったけど、三次元の世界には縦横左右前後斜めを自在に見られる視界がある。さらには、人間には物理的な目には見えない「内面」という別の次元があって、(その気になればの話ではあるけど)自分の力でその奥行きを深めることができる。でも、他人がその奥行きの深さを測定できるのかと聞かれたら、答は否だと思う。内面の奥行きは知能でも学力でもないから、「深そうだ」とは感じられても、その深さを具体的、客観的に測るものさしはないと思う。本人にだってわからないだろうな。わからないけど奥に「何か」があるのは感じる。それを表現するのが言葉であり、絵の具であり、粘土であり、カメラであり、楽器であり、声であり、体であり・・・それをart(わざ)というんだと思うけど。

Artでも、優れた才能に恵まれた人がやれば「芸術」、そこそこにできる人が好きでやれば「趣味」。才能がなくても大好きな人がやれば「へたの横好き」。へたくそと言われても平気でいるのは耳なし族の「へたの横好き」。うまくなりたいという向上心も他人よりうまくならなければというストレスもなくて、楽しく自己完結している一番幸せな人かもしれない。世界のへたの横好き派アーティストに、乾杯!

ウェブ広告は必要悪とわかっちゃいるけど

2月10日。日曜日。中国正月巳年の元旦。いい天気。目が覚めたら、もう午後12時30分。前の日よりはちょっと早く寝たのに、何となく疲れた気分。もしかして、眠りすぎかな。夢を見ていたような気がするけど、思い出せないのはあんがいうれしい「初夢」だからだったりして。でも、うれしい初夢とはどんな夢かと聞かれると返事に困るな。もっとも、目が覚めて元旦だから、旧年最後の夢ということになるのかな。だけど、寝たのはもう日が変わってからだったし・・・まあ、ど~でもいいことだけど。

今日はまず夕べやり残した仕事のしあげ。寝る前に仕上げて校正者に送ってしまうつもりでがんばっていたのに、よく使っている辞書のポータルサイトで用語を調べている最中で急にインターネットにアクセスできなくなって、ひとしきり原因探し。何しろルータの「インターネット」のライトが消えてしまったので、ルータやネットワークをあれやこれや。最後にトラブルシューティングで診断にかけたら、「ノートンがブロックしているらしい」と出て来た。何で?悪い人が侵入して来たら、黙って門前払いしてくれるんじゃなかったのかなあ。「どうしましょ?」と聞いて来るのは追跡クッキーがたまったときくらい(けっこうたまるんだよね、これが・・・)。ま、ノートン君が機嫌を直してブロックを解いてくれるのを待つことにしたけど、仕事を続けるのがめんどうになって店じまい。結局、アクセスは30分くらいで復旧したけど、何だったんだ~?

アクセスできなくなったときに使っていたのはいろんな出版社や団体の辞書や用語集を集めたポータル。いろんな分野のものがあって便利ではあるけど、最近は網羅した辞書に定義がなければ独自の、それも吹き出すような「訳語」を出して来るようになって、急速におバカになりつつある。まあ、いざとなるとソースへのリンクがあるし、何よりも「会員登録」(無料)せずに「ゲストさん」として使っているので、文句は言えないんだけど、広告のソースを増やしたせいでエロ広告まで出て来るし、さらには検索ランキングやら、はては「いいね」やらツイートまでくっつけて、そういうのがぜ~んぶロードされるまでは画面をスクロールできないから、一番上の定義しか見えない。それがまたやたらと時間がかかる。時は金なりであれば、タダほど高いものはないということの例と言えるかも。

まあ、インターネットは情報がタダで手に入るのが売りだったわけで、タダで提供するためにはどこか他で収入を得なければならない。それが広告なんだけど、インタレストマッチ広告とか、IPアドレスから地域を特定した広告とか、キモイもの、ウザいもの、ウサンクサイものなど実にいろいろなのがあって、ときにはどんなものが出てくるか楽しみだったりするから、けっこう退屈しのぎになったりもする。日本で英語人がやっているブログやニュースサイトには「アジア/中国/フィリピン/日本の独身美女との出会い」みたいなのが必ず出て来るのはインタレストマッチというやつなのかな。(でも、国名は変えても同じ「美女」の写真だったりするから笑っちゃうな。)日本に住むイギリス人の写真ブログサイトには10年以上も同じ(ツバルのドメインの)「国際交流サイト」がリンクされていて、同じ写真がローテーションで何度も出てくるのでうんざりしていたけど、最近フォーマットを一新して、「おトモダチ」広告が専用タブになってすっきりした。だって、せっかくのすばらしい写真をヘンな広告で台無しにすることはないよね。

まあ、日本のサイトをあれこれ見ていると、最近はやたらと「カナダ在住の日本人」をターゲットにしたものが出て来る。資格ビジネスだったり、貿易?ビジネスの立ち上げだったり、「帰省」の格安航空券だったり、「帰国してからの住まい」だったり。ワタシのIPアドレスがカナダだから出て来るわけで、日本のサイトを見ていると今度はカナダの、しかも地元のビジネスの広告が出て来るから、グローバル化もここまで来ると大したもんだ。もちろん、大手新聞のサイトには自社で取った広告が載っていて、某新聞は未だに某結婚相談所のかなりおもしろい広告を載せいているし、別の某新聞には相変わらず「若く、若く、もっと若く」という某大手有名企業のサプリビジネスの広告が出て来る。「NHKワールド」だけには広告がないのは、さすがNHKというところかな。ま、退屈したら広告を見て「世相分析」とかやってみる?

たかが広告、されど広告というところだけど、インターネットには広告があるからこそいろんな情報や資料をタダで手に入れられるわけだから、あんまり文句は言わないことにしておくか。でも、アクセスをブロックされるとメーワクだから、へんな広告をくっつけるのはやめにしてほしいな。とにかく、やり残しの見直し作業をちゃっちゃと済ませて、ちょっと南で猛吹雪を免れたラッキーな校正者のところへちゃっちゃと送信。やれやれ、残る仕事はあとひとつ・・・。

良薬もサプリも、過ぎたるは・・・

2月11日。月曜日。起床午後12時過ぎ。小雨模様。起き上がったとたんに背中の左の肩甲骨の辺りがイタタ。筋違いというやつかな。寝相が悪かったのかな。でも、ベッドから出て、足を見下ろしたら、こっちは99.9%完治というところ。まだ少しふっくらしているような感じがするし、ほんのりと赤茶っぽい色が残っているけど、あちこち押しまくっても痛くない。やれやれ、よかった。ちょうど丸2ヵ月になるんだもの、そう来なくちゃ。だけど、真ん中の指の感覚がおかしくて、足を自然に伸ばすと2番目の指との間にかなりの隙間ができる。ずっと昔に捻挫した左手の小指と同じだから、このまんまということかな。でもまあ、普通に歩けて不便がなければそれでいいけど。

それにしても、足の甲のこの赤茶色というか赤黒い色、消えてくれるかな。両足を並べると皮膚の色の違いが一目瞭然だからちょっと心配する、この女心。はたちを出たばかりの頃だったけど、右手の親指の付け根から手首にかけて、突然紫色に腫れて、それが赤黒くなって、やがて真ん中に水ぶくれができて、やがてべろっと皮がむけて治ることが何度もあった。接触性皮膚炎かと思っていたけど、繰り返し出て、そのたびに範囲が広がるし、治っても皮膚の色が茶色いままになって来たので、やっと思い立ってオフィスの近くの皮膚科に行ったら、先生がワタシの手首をひと目見て「○○○(鎮痛薬)、飲んだでしょ」と。生理痛でポピュラーなその薬を飲んだと言ったら、「これは薬疹と言って、特定の薬を飲むたびに出るんだよ」という説明。みんな普通に使っているのに~と口を尖らせたら、先生曰く、「どんな良い薬でも体にとっては異物だからね」。あれは、まさに目からうろこだった。

どうもワタシの体は薬が嫌いらしい。日本にいた頃に風邪で咳がひどくて行った医院でくれた咳止め(コデイン入り)のせいで1週間も吐き続けたことがあったし、ペニシリン系の抗生物質で3日くらい吐き続けたこともあったし、アレルギーの減感作療法でせっせと注射に通っていたときには、何度か腕が真っ赤に腫れ上がってドクターに強い抗ヒスタミン薬を買って飲めと言われるしまつ。手術をするのに全身麻酔をかけたら何時間もげえげえ。内視鏡で30分もかからない膝の日帰り手術のときは、あまりいつまでも吐き続けたもので、もう少しで入院させられるところだった。(麻酔からさめて「よく眠った~」と言うカレシがうらやましい。)そんなこんなで、下あごの歯根の間にできた腫瘍を切除したときは、ゴルフボールを3個くらいに入れたように頬が腫れたけど、処方された強力な鎮痛剤はがんばってとうとう使わなかったし、膝の手術をしたときにもらった処方箋は完全に無視。何たって、痛みは気を紛らわしたりして我慢できるけど、こみ上げてくる吐き気と嘔吐は地獄・・・。

ほんとに体にとって薬は異物なんだけど、近頃は何かと言うとその異物に頼る風潮が強いように思う。異物ではあってもそれが命を救う唯一の手段だったりするから、現代人は薬なしでは生きられない。でも、抗生物質や抗菌剤を乱用しすぎたためにばい菌たちの逆襲に脅かされているのが人間だし、ビタミン剤やサプリを多用して体の本来の生理的なバランスを狂わせているのも人間。薬害でなくても、健康増進のために食品に特定の栄養素を多く配合したり、精製したサプリとして飲んだりすることで逆に健康を害することもある。オーストラリアでは、昆布由来のヨードが入った豆乳で健康被害が出たそうだけど、その量は海草を常食している日本人にはほとんど害がない程度でも、オーストラリア人にとっては極端に過剰なレベルだったとか。食習慣や生理条件の違いを考えずに、「○○を常食するどこそこの国の人は健康だ」みたいなうたい文句に踊らされるのは何だかなあと思うけど、そこは無病息災でいつまでも若くいたいと思うのが人間か。

人間は太古の昔から食事を通じて栄養や健康成分を摂り、その土地で得られる量にうまく適応した体を作って来たんだろうに、科学技術の発達で「サプリメント」という形で健康成分をたっぷり摂取できるようになったもので、多岐多彩な効能をうたったサプリが花盛り。でも、サプリも体にとっては「異物」なんで、たくさん飲めばそれだけ効果が大きいと思っていると、過ぎたるは何とやらで厄介なことにになる。近年、血液中の中性脂肪を減らして、心臓血管系の病気の予防になるとして喧伝されるオメガ3とオメガ6の脂肪酸。長くオメガ6脂肪酸の過剰摂取と大腸炎やうつ病との関連性が疑われて来ているけど、オメガ3だけを取りすぎても、オメガ6とのバランスが崩れて内出血や不整脈などが起きる危険が出て来るらしい。魚類を食べて摂取する分には過剰摂取になるほど食べられないから問題はないということだったけど、いくら健康増進に効果があると言われても、サプリの類も所詮は「体には異物」と考えた方がいいのかな。

つまり、バランスの取れた食事から健康成分を自然に摂取するのが一番健康的なのかもしれない。でも、先進的な暮らしの中ではそれもなかなか難しいし・・・。


2013年1月~その1

2013年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
新年の祝い膳はなんちゃらおせち

1月1日。2013年元旦。霧に包まれた穏やかな朝。朝食はオレンジジュースにシャンペンを入れた「ミモザ」で乾杯して、ごく普通に軽く済ませ、夕食まで「休み」最後の日をゆっくり、のんびり・・・。

今日のメニュー:
 おせち風詰め合わせ、お雑煮、茶碗蒸し、鯛の野菜蒸し焼き

[写真] 嫁入り道具だったのか、取っ手のついた塗り物の三段重ねの重箱があったので、おせち的なものを作ってみようと思い立った。何塗りだったか忘れたけど、琥珀のような色合いで、生地の木目が見える。母が作っていたおせちで味を覚えているのはごぼうくらいのものだから、いたって適当な内容で、子持ち昆布の寒天寄せ、鮭の昆布巻き、ごぼうとかぶの煮しめ、ロコあわび、ロブスターのレモンバター焼き、そして5色の具を載せた韓国の卵焼き(既製品)。子持ち昆布は塩抜きして、カレシが育てた赤ピーマンといっしょに出汁で味をつけた寒天でかため、鮭の昆布巻きは日本で買って来た『英語で作る和食』という本のレシピ(かんぴょうがないので細く切った昆布で結んだ)。上二段にそれぞれを1人分ずつ詰めて、一番下の段に2人分のスモークサーモンの押し寿司、ゆずと昆布でしめたエビの寿司、実だくさんのいなり寿司を詰めた。えらく手間がかかったけど、何とかさまになっているような感じ。

[写真] 残りのシャンペンをワイン代わりにして、おせちを小皿にとって食べながら、お雑煮。具は鶏もも、紅白のなると、たけのこ、かぶの葉。カレシはお餅が苦手なので、韓国の雪だるまのような形をしたミニのお餅を焼いてころころと入れた。ひと口で食べられる大きさなので、伸びないし、お餅の歯ごたえもないけど、まあそれなりにお雑煮を食べた気分。

[写真] 茶碗蒸しはカレシの好物。フリーザーに貯蔵してあるうなぎの蒲焼から尻尾の方だけちょこっと失敬して入れてみた。あとは紅白のなると、枝豆(ぎんなんの代わり)、たけのこ。溶き卵と出汁の割合はマスターしたけど、具が沈まないように途中で入れるタイミングがまだ難しい。「茶碗」の大きさによるのかもしれないけど、そろそろと思って枝豆を入れたらみごとに全部沈没。なるとの半分を蒸し上がり近くに上に載せて何とか形をつけたけど・・・。

[写真] 解凍しておいた鯛ははらわたは取ってあるけど、うろこはそのまま。流しの底にフリーザーペーパーを敷いて、スケーラーでごしごし。鯛のうろこは透き通っていてきれいだけど、気をつけないと指を切ってしまうほど鋭い。頭と骨は出汁に回して、身を三枚おろし。大きいので背側の厚いところを前半分だけ切り出して塩を振り、残りはフリーザーに保存。千切りにしたにんじんとしめじをたっぷり載せて、お酒を振って蓋付きのソテーパンで蒸し焼きにしてみた。蒸したオクラを彩りに添えて、新年の祝い膳のメインコース。

けっこう量があるかと思った「おせち」だけど、いつのまにか全部平らげてしまった。特にいなり寿司は、若い頃に学校のバザーで大量に作らせられてからもう一生食べたくないと思っていたけど、『英語で作る和食』に具が入っている「吹き寄せいなり」として載っていたのがおいしそうだったので、レシピを流用して、中華用?の四角い揚げ豆腐で作ってみたら、思いのほかおいしかった。それにしても、「和食」のレシピはどれもこれも「しょうゆ、みりん、酒」。塩分、多すぎないかなあ・・・。
―――
2013年は霧の中で始まった。半ブロック先くらいまでしか見通しが利かない。ワタシの今年の1年の計にぴったりの空模様といったところかな。

きのうまで行く年を回顧していたメディアは、新しい年が明けたとたんに行ってしまった年をいつまでもなつかしんでいてもしょうがないとばかりに、今度はnew year’s resolution(新年の決意)の話で賑わう。新年になって重大?な決心をする人が多いのは、新しいカレンダーをかけることで、いわば黒板をきれいに拭いたような気分になるからかな。何も書かれていないまっさらの黒板にはあらゆる可能性があるようで、何となくワクワクさせるところがある。まあ、新たな決意でなくても、旧年中に実現できなかったことを「今年こそは」と決意する人も多い。

あるサイトによると、最も一般的な「1年の計」のトップ10は、
  1.健康な食事をして、まじめに運動
  2.飲酒量を減らす
  3.何か新しいことを学ぶ
  4.タバコを止める
  5.ワークライフバランスを改善する
  6.ボランティアをする
  7.節約する
  8.整理整頓する
  9.もっと本を読む
  10.家でのしなければならないこと(to-do list)をきちんと実行する。

何だか10年前、20年前のリストとあまり変わっていなさそうな感じだけど、ある意味でここに人間の弱みがよく現れているんじゃないかな。やらなきゃならないのはわかっているけど、なかなか実行に移せない。高揚した気分で始めてはみたものの三日坊主で頓挫。時間ないし、お金ないし、モチベーションもないし、めんどうくさいし・・・。「去年と同じ」という究極のリサイクルをする手もあるな。全然手を付けなかったから、ちょっと埃を払えばまだまだ「新品同様」で、捨てるのはもったいない。たぶん、来年になっても新品同様かもしれないな。人間は基本的にものぐさなところがあるから、それでもいいじゃないの。

真新しい2013年のワタシのnew year’s resolutionは「Play it by ear」。もう少し四角く言えば「Take it  as it comes」 かな。どっちも四角く訳せば「臨機応変にやる」ということだけど、丸く訳せば「成り行きまかせ」とか「出たとこ勝負」といった意味にもなる。要は、遭遇するいろいろな状況をあるがままに受け入れて、そのとき、そのときの最善の対応策を考えて実行しようということだけど、そのためには常に目も耳も心も大きく開いておいて、頭の中の風通しを良くしてやらなければいけない。風にまかせて自由気ままに見える極楽とんぼだって、風向きや風速に気をつけていなければ、いつどこへ吹き流されるかわからないからね。

2013年。巳年。ワタシ、春に65歳。カレシ、夏に70歳。ワタシはいよいよ年金の受給が始まって、また人生の風向きがちょっぴり変わりそうな年。まあ、人間、臨機応変であることが生存の鍵なんじゃないかと言う気がするから、今年のワタシはplay it by earで行こう・・・。

新年の事始はやっぱり仕事始め

1月2日。水曜日。霧もすっかり消えて、いい天気。日本はまだ「正月三が日」のうちだけど、カナダもアメリカも(たぶんヨーロッパも)大晦日の年越しパーティの二日酔いも癒えて、今日から平常通り。もっとも、アメリカはオバマ大統領が休暇を中断してワシントンで「財政の断崖絶壁」を背にしての年越し仕事。ごくろうさまなことだけど、絶壁からの転落は何とか「一応」回避して、大統領は休暇に戻ったそうな。「財政の崖」は大幅増税の回避がネックだったはずだけど、崖は回避してもどっちみちいろんな税金が上がることに変わりはないらしい。ということは、結局は民主党と共和党が「何が何でも譲るものか」と意固地になっていただけなのかな。子供じゃあるまいし・・・。

コンピュータを立ち上げていの一番はいつもニュースサイト巡り。ローカル新聞で始まって、全国紙、それからBBC、ロイターズ、NBC、ブルームバーグ、グーグルのニュースとアクセスして行って、記事を読んでいるうちに午後の時間が過ぎてしまって、日本が(翌日の)朝になるから、今度はJapan Times、読売、朝日、産経、毎日、Japan Todayと回り、時間があれば北海道新聞を開いて「ふるさと」のニュースを仕入れる。News On Japanはニュースとしては一拍遅れているけど、世界各地の英語メディアが報道する日本関連記事へのリンクがあるので、日本のものと読み比べるおもしろさがある。

最近は記事の閲覧を有料にする新聞が増えていて、グーグルのリンクからアクセスすると無料だったり、登録すると一部の記事を無料で読めたり、ローカル新聞のように1ヵ月あたり一定数の記事を無料で読めるところがあったりと、千差万別。でも、ローカルニュースはラジオやテレビで間に合うし、それ以外は系列の全国紙やロイターズなどの通信社の配信や他のメディアからの転載なので、見出しだけを見て元の記事を見つけて読めばいいから不自由はない(今のところ)。日本の(ネット上の)新聞はというと、ワタシが読むもので今のところ購読料を払わないと全文を読めないのは朝日だけ。たまに何かの理由で全部読める記事があるけど、読んでも見出しから推測できる以上の内容はほとんどないから、購読料を払うのはもったいない気がしてしまう。

朝日でなくても、ネットで読める日本の大手新聞は押し並べて見出しだけで内容がわかることが多い。(最近の読売は記事を読ませようと見出しを工夫しているようだけど、バラエティ風の気を持たせる言い回しなのが気になる。)日本語は行間に趣旨を埋め込むコミュニケーション様式だとすれば、短い見出しにニュースが濃縮されているのはすごい。だけど、そうなると記事は蛇足みたいなものかな。現に、たまに記事を開いても「今日は誰が何をしました。おわり」という小学生の作文のような、わずか3、4行の「報告」があるだけで、欧米の新聞が比較的長い記事でニュースの詳細や背景を伝えるのと対照的だけど、このあたりにもジャーナリズムとリポーティングの違いと言うのか、「伝える文化」と「察してもらう文化」のエネルギーの方向の違いが現れているのかもしれない。詳細に伝えようとすれば長くなるだろうし、察してもらうには細かい説明は不要だから短いのかもしれない。でも、あの短い日本の新聞記事からどうしたら時局を読めるのかよくわからないんだけど、ワタシの「察する力」が不足しているということかな。

新聞読みが終わったら、ワタシも仕事始め。まずは、州のライター連盟に年会費の小切手を書き、州の翻訳協会には会費の代わりに脱退届を書いた。ワタシはカナダ、日本、アメリカで翻訳協会に加入しているけど、カナダのは会費が3ヵ国のうちで群を抜いて高いのに、ここを通じて仕事らしい仕事が来たことなく、話が来てもビジネスとしては箸にも棒にもかからないものばかりで、おまけにレートが高すぎると文句。まあ、上にある全国組織が「上納金」として会費の一部を吸い上げるから高いんだろうけど、この組織も全国統一資格認定試験を取り仕切る以外にどんな活動をしているのかはイマイチ不明。というわけで、今年から徐々に「業務縮小」を進めるにあたって真っ先に整理。ちなみに、仕事や交友の上で一番大きな恩恵を受けたのは会員わずか数百人で日本語・英語が主軸の日本の協会。常連客のほとんどがこの協会の名簿を通じて声をかけて来たところだし、年次会議では英語人、日本語人を問わずたくさんの同業者と親しくなったし、イギリスやアイルランド、オーストラリア、アメリカとあちこち旅行することができた。それでいて会費は一番安い(円安になれば実質的にカナダの3分の1になる)から、皮肉だな。

さて、12月いっぱいの「長期休暇」が無事に終わったし、気合を入れて仕事に戻ろうか。特に2013年の納品第1号は「現状維持」を決めた唯一のクライアントの仕事だから、ぐっと腕まくりをして、ねじり鉢巻をきりっと締めてかからないとね。「仕事の鬼」はひと晩では「遊びの鬼」に変身できそうにないし・・・。

名前は誰のものなのか

1月3日。木曜日。カレシの英語教室が再開するので、午前11時半、目覚ましで起床。外はまぶしいくらい。夜の間にマイナス3度まで冷え込んだという話で、2週間前にケーブルから車に氷塊が落ちてけが人を出した新設の橋で今度は40台もの車が次々と追突して通勤時間に大渋滞。何でも管理を委託されている会社が、霧と冷え込みで凍結した路面の除氷を十分にやっていなかったのが原因らしい。いつも渋滞していた古い橋は無料だったのが、新しい橋は有料。通行料金を払わされてこれじゃあ誰だって怒るよねえ。

新聞巡りをしていたら、アイスランドで娘につけた名前を認めろと訴訟を起こしたお母さんがいるという話。何でもアイスランドでは政府が承認した人名台帳があって、そこにない名前は政府が任命した委員会の承認がないと使えないんだそうな。問題の名前(Blaer)はアイスランド語で「そよ風」という意味だそうだけど、牧師が気づかずに洗礼してしまった後で、委員会が男性形の冠詞がつくから女の子にはダメと却下したとか。(国民的なノーベル賞受賞作家の作品の中では女の子のキャラクターに使われているらしいけど。)当の「そよ風」ちゃんは今年15歳だけど、公的文書にはすべて「女の子」を意味するStulkaと記載されているそうな。アイスランドでは苗字ではなくて名前で呼ぶのが習慣だそうだから、行く先々で「女の子さん」と呼ばれるんだろうな。「名無しさん」と呼ばれているようで、嫌だなあ、そんなの。

ワタシが生まれたとき、父がつけてくれた名前は「千尋」だった。でも、出生届を出しに行ったら、「尋」が人名用漢字にないという理由で受付を拒否されて、ワタシは千尋にはならず、別の名前になった。(中学校の同級生に「ちひろ」という男の子がいたけど「千博」という名前だった。)海の見えるところで生まれ、海のそばで育ち、太平洋と言う広くて深い海を渡って来たワタシにはぴったりの名前だと思うけど、ローマ字にしたら、代わりにつけてもらった名前の方が英語耳にはわかりやすくて良かったかな。仮死状態で生まれて生き延びた娘への親の思いを込めてつけてくれた名前だった。でも、カレシのバカな火遊びのおかげで絶対に間違って呼ばれたくない名前と似すぎていることになって、やむなく改名。でも、元の名前をミドルネームにすることで、父がつけてくれた名前を捨てなくても良かったのは不幸中の幸いと言えるかもしれないな。

新しい名前は「抒情詩」を意味する古代ギリシャ語が語源で、悩んでいたある日ジョギング中にふと空を見上げたときに、何となくすっと舞い降りて来て、そのまま自然にワタシの心に居ついてしまった。どうもドラマのようにできすぎた嘘のような話に聞こえそうだけど、これは神かけて誓って本当の話。そんな風に自分で自分の名付け親になるのは奇妙な体験ではあるけど、ワタシの神さまがとくれたのかもしれないし、亡き父がまた親心を込めてつけてくれたのかもしれない。つづりには日本語のローマ字にはない文字が入っているけど、カタカナで書けば日本名としても通用するらしいから、思いがけずそういう名前が浮かんだのは、不思議といえば不思議でもある。

アイスランドでは子供が風変わりな名前をつけられて嫌な思いをしないようにという趣旨で人名台帳があるんだそうな。日本の人名用漢字がどういう基準で決められたのか知らないけど、読みには制限をつけなかったおかげで、最近は漢字に関係なく正しく読んでもらえない名前をつけられた子供が多いらしい。(どうして戸籍に振り仮名がないんだろうな。)そういう子供たちが自分の名前をどう思っているのか知らないけど、日本で子供に「悪魔」と名づけて拒否された親がいたし、北米には(大人になって変えられるからいいけど)セレブに倣って子供に突飛な名前をつけたがる親がいる。(カナダでも、ケベック州ではフランス語系の子供の名づけには制限があるらしく、3ヵ月になる甥孫は英語名をつけるために、英語系の母親の苗字を取ったそうな。)でも、「そよ風」はご本人も気に入っているそうだし、からかいたくなるような名前でもないけどなあ。意外とめんどうくさい国だと思ってしまうけど、「女の子さん」のお母さんは最高裁まで戦うそうだから、一日も早くどこへ行っても「そよ風さん」と呼んでもらえるようになるといいね。

アスペルガーという名前がなくなる

1月4日。金曜日。起床は正午ぎりぎり。2日続きで目覚し起床でばたばたすると、目覚ましが鳴らない3日目はついぐ~っすりとなる。まあ、年と共に、かどうかは別として、日常的に決まった時間に起きなくてもいい暮らしに慣れ切ってしまうと、いつもとちょっとパターンが違うだけで、家にいながらにして何となく時差ぼけ症状になる、おもしろい。

元からない「正月気分」だけど、今日は本格的に腕まくりをして、まじめに仕事を進める。論文本体は特に難解なわけでもないので、この分野特有の専門用語を探す以外はすいすいと進んでいるんだけど、すごいページ数なもので、最後の方までスクロールしてよくよく見たら、うわ、終わりの方にすごい数の図表がある。どれもオブジェクトだから「あとどれだけかなあ」という文字数カウントには出て来ない。もちろん、発注時のカウントには入っていたけど、食べて、飲んでして遊び呆けているうちにケロッと忘れてしまったらしい。去年は「徹夜ゼロ」で突破したのに、いいのかなあ。ああ、ああ、ああ、し~らない・・・。

そう言いながらも新聞サイト巡りをしていたら、NBC Newsに「アスピーよ、さらば」といった見出しの記事があった。今年は精神医学のバイブルとされて来たアメリカ精神医学会の診断ガイドライン(DSM)が改訂されてDSM-Vに変わることになっているけど、個人の癖と言うか、他者に害のない性格の一部ではないかと思われるような行動に新たに「障害」として名前がつけられたりして、旧版になるDSM-IVを読みまくった素人のワタシでもつい「?」と思うようなものも多く、去年から何かと議論が巻き起こっている。人間というのは元々複雑な動物なんだから、ちょっと「普通の人」の枠からはみ出しているからと言って必ずしも「異常」と言えないはずだけど、あらゆるものに名前をつけて、上下、左右に「仕分け」したがるのも人間。

なんでも、DSM-Vから「アスペルガー症候群」という個別の診断名がなくなって、「自閉症スペクトラム障害(ASD)レベル1(軽度)」という区分に変わるんだそうで、アスピーことアスペルガーの子供を持つ親たちの一部から「自閉症児と一緒にしてくれるな」というような異論が出ているらしい。「高機能自閉症」とも言われるように、アスペルガーは「自閉症スペクトラム」の範疇に入っていると思っていたけど、「真性」の自閉症とは違うと考えられていたのかな。たしかに、アスペルガーと診断される子供には知能指数が平均以上の子が多いそうだし、だからこそ教育しだいでは学問などで世界的な功績を残す可能性を秘めているとは思う。でも、自閉症スペクトラムというのは、一方の端は限りなく白に近く、もう一方は限りなく黒に近い、長い「灰色」の連続線であって、その上にはいわゆる普通にやって行けそうな人もいれば、明らかに支援が必要な人もいて、どこでどのように線引きしても恣意的でしかない。

名称を変えたからといって子供の状況が変わるわけじゃないんだけど、アスペルガー症候群を「自閉症スペクトラム障害」と呼び替えることに抵抗があるのは、知能が高い我が子は将来の可能性を持ったユニークな存在で、自閉症と診断された「障害児」とは違うと思いたいからなのかな。自分の子供は特別だと思いたいのが人類共通の親心だというのはわかるけど、現実から目を逸らしているようにも見えるし、「障害」に対する差別意識も感じられる。(障害児ではなくて)将来性のある我が子こそが政府による特別な教育や支援などを受けるべきという、身勝手ではあるけどいたって自然な親心もあるのかもしれない。まあ、DSM-Vでは本当に(治療を要とする)障害なのかと首をかしげるような行動が新たに「障害」と認定されていたりして、商業化しつつある医療業界や「特効薬」を売りたい製薬業界の思惑が見え隠れするし、精神医学の診断のバイブルとしての権威もあまり当てにならなくなっているような気がするけど。

アメリカでは子供の15%が発達障害と診断されているそうだけど、数字だけを見ると左利き人口の割合と同じくらい。左利きが利き手が85%と違うだけの普通の人間なら、発達障害児は脳の作りが85%と違うだけで普通の子供じゃないかと思う。ワタシとしては人類そのものがあらゆる面で「スペクトラム」を形成していて、みんないつもその連続線上のどこかにいるんだと思うけどな。その「どこか」によっては、普通の人以上に生きるための支援が必要な(そしてみんなで支援すべき)人がいるし、「普通」の域にいても周りから慕われたり、嫌われたり、いじめられたりする。だけど、人類スペクトラムの上ではみんな違って、みんないい。ちなみに、ワタシは子供の頃に(真偽はともかく)知能と読書年令の検査で学校を騒がせたという話をきいたことがあるけど、何かにつけて枠からはみ出す(はみ出したがる)ところからして、自閉症スペクトラムのどこかにいると診断されても驚かないと思う。ひょっとしたらワタシもアスピーなのかもしれない。でもまあ、医学的な名称のあるなしに関わらず、こんなワタシでも誰にも生き難そうなこの世を何とか生きているんだけど・・・。

仕事の鬼を改心させるには?

1月6日。日曜日。雨。う~ん、くたびれたなあ、もう。ぐずぐずしているうちに、新年初の「納期」がぐ~んと迫って来て、きのうは一日ねじり鉢巻。なんかだらだらした感じの論文の本文をとりあえず片付けた。モデルを作って、ああして、こうしてと延々と続くんだけど、日本語原稿を読んで、ああなって、こうなってということはわかっても、英語で書き出そうとすると、何がどこにつながるのかわからない。あ~あ・・・。

きのうの夜はお隣さんのパットがウォッカを1本さげて来て、カレシと新年会(?)。カレシと年が近くて、同じご隠居さんの身ということで、よく裏庭の塀と生垣の切れ目で立ち話をしている2人。ワタシは仕事があるので、ささっとおつまみを3点ほど用意して、オフィスへ退却。本文の草稿ができあがったところで、途中で仲間に入って、ベルモットを飲みながら科学の話題。パットは化学工学が専門で、若い頃には大学やカレッジで教鞭をとっていたとか。話のついでに英語の論文の構成についてアドバイスをしてもらった。夜中近くになってお開きになった頃にはパットが持って来たウォッカとカレシの飲みかけのウォッカがみごとに空っぽになっていたから、すごいよ、おじいちゃんたちったら。

今日は朝食もそこそこに残りの図表の処理にかかる。上書きできたり、できなかったり。フォントが小さすぎて漢字が読めなかったりで、目がしょぼしょぼ。それ以上に、川の名前、土地の名前の読み方を探すのがタイヘン。北海道の地名だったら、えっ?というような不思議なものでも読めるんだけど、津軽海峡以南の古来の地名はお手上げ。漢字が読めても地名がわかるわけではないし、読めない漢字の地名となったら、しゃれにもならないけどチメイ的。見覚えがなかったり、画数の多い複雑な漢字だったすると、部首の画数を数えて、IMEのパッドでその部首の漢字表から探さなければならない。漢字の総画数は数え間違う方が多いから、初めからお手上げ。でも、読み方がわからなければ検索のしようもないし、わかっても地名ではそれと似ても似つかない読みだったりするから、あ~あ・・・。

夕食をはさんで、ひたすら、ひたすらキーを叩いた1日。午後10時すぎにやっと最後のページに辿りついた。新年早々からこんなんでいいのかなあ。そういえば、去年の今ごろも仕事前線は新春の嵐(というか年越しの嵐)で大荒れだったなあ。そうだ、ニューヨークからのでっかい訴訟案件があったんだ。あの会社、年の瀬になってまたでかい案件があると言ってたなあ。ロンドンのオフィスからもでかいのがあると言って来たっけ。その後どうなったかな。うまく年内に完了してくれているといいけど。それにしても、仕事、あるところにはあり過ぎて、ないところにはなさ過ぎるような。ワタシのところには多種多彩な言語の翻訳者を名乗る営業スパムメールが毎日何通も来る。ただのスパムかとも思うけど、夫は英語で妻は日本語と言う夫婦の翻訳チームみたいなのもあって、あながちそうとも言えないのかな。きっとどこかで誰かが集めた翻訳者・会社のアドレスを「顧客開拓で収入アップ!」とかいう触れ込みで売っているんだろう。

でも、いったんさあ仕事だぁ~とコンピュータの前にでんと座ってしまうと、けっこうその気になって気合が入って来てしまうから困ったもんだ。少しずつ仕事からの「乳離れ」を図って行こうという年なのに。できるのかなあ。ほんとに遊びの鬼になれるのかなあ、ワタシ。やれやれ・・・。

クリスマスツリーも片づけたし

1月7日。月曜日。正午直前に目が覚めたら、今日も暗いなあ。雨だなあ。まあ、雪よりは何倍もいいか。シャベルがいらないしね。ポーチの気温は5度。平年並みに近い、まあまあの天気。今日から本格的に1年の始まり。でも、ワタシはもう新年の事始をやってしまったから、今日は「休みモード」の事始。まあ、今年からは「ご隠居さん研修生」になるんだから、有意義にだらける練習を積まなくちゃ・・・。

午後いっぱいはメールを書いたり、新聞サイトやら何やらをのぞいて回って、ほんとにだらだら。仕事の鬼になるのは仕事があるときだけってことで、ないときはみごとに「ぐうたら魔」に変身するらしい。なんだ、これだったら、ご隠居暮らしもあまり心配はないような感じ。(段階的な)業務縮小を決めた客先1社には経緯を説明するメールを書いて、完全引退する残りのお客さんたちには「お世話になりました」メール。いろいろとあった23年だもの、ちょっとさびしい気がしないでもないけど、スパッと店じまいするわけじゃないんだし、何年か経って気がついたら仕事をしなくなっていたなんてことになれば引退計画は成功かな。まあ、年を取りすぎないうちにやりたいことがたくさんあるし・・・。

夕食後にクリスマスツリーの解体作業。クリスマスの12日。目にあたる1月6日が、東方の三賢人が遥々と生まれたばかりのイエスに会いに来た日で、習慣に合わせてだいたいこの日にクリスマスツリーを片付けることにしている。でも、きのうは初納品の仕事を終わらせようと必死で、それどころじゃなかったので、遅まきながら今日。考えると去年も似たような状態だったような気がするな。その前の年もそうだったかもしれない。飾りを外して段ボール箱にしまって、ガーランドとライトを外して別の箱にしまって、ツリーをたたんで太い紐でぐるぐる巻いて縛って・・・飾り付けるときは3日くらいかかったのに、解体するときはたったの3時間。一抹の寂しさを感じるというのはこの気分のことかな。カレシに手伝わせて、ツリーと段ボール箱2個を玄関の下の納戸の奥の箱にしまって、クリスマスの季節はおしまい。後の掃除はルンバ君におまかせ・・・。

さて、そろそろ2011年度の帳簿を再現する作業にかからないと、2012年度の決算にかかれなくなる。今年は4月から売上税(HST)がまた連邦の売上税(GST)と州の売上税(PST)に分離するので、めんどくさくなるなあ。しかもHSTなら経費にかかった12%がそっくり戻って来ていたのに、分離したら戻って来るのはGSTの5%だけ。でもまあ、統合を強行実施した後になってやった州民投票で統合反対派が勝ったんだからしょうがない。別々に払っても、まとめて払っても、売上税(消費税)が12%であることには変わりはないんで、統合解消への賛成票は選挙公約で統合しないといっておきながらごり押しで強行した当時の州政権に対するいわば不信任投票だったんだろうな。不人気で辞任した当時の首相はなぜかその後カナダの高等弁務官(大使)としてイギリスへ「栄転」したけど・・・。

あら、業務縮小のお知らせをしたばかりのところから、お仕事メールが・・・。

バイリンガルだとボケないってほんと?

1月8日。火曜日。起床午後12時45分。雨模様でベッドルームが暗いせいもあるだろうけど、2人ともよく眠った。こういうのを爆睡というんだろうな。ポーチの気温は5度。それにしてもよく降るなあ。今日は大雨注意報発令中で、フレーザーバレー(郊外)の方では明日の朝までに70ミリくらい降りそうだとか。で、木曜日と金曜日は日が差して、日が差すと冷えて来るから、週末には雪かみぞれ。雨、雨、降れ、降れ・・・。

ボーイング787がボストンで電源系統から出火したというニュースがあったばかりなのに、同じボストンで今度は燃料漏れだって。どっちも日本航空の機材だったというのは単なる偶然だろうけど、大丈夫か、ボーイング?シアトル郊外にボーイングの組立工場があって、787型を組立てているところを見たけど、素材が素材だからか何となくプラモデルっぽい感じだったな。もっとも、見学デッキがビルの6階に相当する高さで、機体が小さく見えたせいかもしれない。でも、流れるようなラインの翼はきれいだった。機体は世界各地で組み立てた部分を古い747型を改造したドリームリフターというちょっと不恰好なごっつい飛行機で運んで来て、くっつけ合わせたもので、日本企業が全体の3割以上を請け負っているとか。まだ乗っていないから(去年の日本行きは777-300ERだった)、いつかは乗ってみたいな。

NBCのサイトに「バイリンガルは脳を若く、シャープに保つ」みたいな記事があった。このテーマの研究や実験の記事はときどき登場するけど、だいたい同じようなことを言っているな。キーワードは「切り替え」らしい。60代のバイリンガルとモノリンガルの人たちを対象にした実験では、バイリンガルの人はこの「切り替え」がモノリンガルの人よりも速く、若いグループを交えた実験でもバイリンガルの老年グループは若年グループに近い速さだったそうな。どうやらバイリンガルだとこの「切り替え」を掌る脳の前頭前野皮質と前帯状回という部分の働きがあまり衰えないらしい。バイリンガルであることで認知症を防げたり、発症を遅らせたりできるかはまだわからないが、有望ではあるとか。ただし(こういう話にはいつも「ただし」がつくけど)、大人になって外国語のレッスンをしてもあまり効果はないような話で、子供の頃から2つの言語を日常的に使い分け(切り替え)ていることが肝要だとか。うん、「日常的に」というのが曲者だな。

ワタシが英語を覚え始めたのはあたりまえに中学1年のときだったけど、65年の人生のうち38年は英語環境で、昔は職場で英語と日本語を使っていたし、果敢に同時通訳もやったし、今でこそ聞くのと話すのはほとんど英語のみだけど、読み書きは両方なので、頭の中はいつも英語と日本語がごちゃごちゃしている。でも、日本語を読んだり、書いたり、英語に翻訳したりしながらカレシと英語で話をするのは日常茶飯事でまったく問題がないのに、英語を日本語に訳している最中に英語で話しかけられると脳がかっかと熱くなって来るからおもしろい。(逆に日本語を英語に訳しているときに日本語で話しかけられて同じ反応が起きるかどうかはわからない。)ワタシがバイリンガルの範疇に入るかどうかはわからないけど、少なくとも1.5リンガルと言っていいのかな。

だけど、言語能力とは関係なく、女性は家庭を持つと日常的にマルチタスキングで猛スピードの「切り替え」をやらなければならないから、そっち方面での38年の実績を勘案したら、ワタシの前頭前野皮質も前帯状回も真性バイリンガル級の切り替え能力を保てているかもしれないな。そうだったら、脳の老化を防ぐためには怠けがちの「主婦業」にも少しは気合を入れた方がいいのかなあ・・・。

愛され感のものさし

1月9日。水曜日。起床はまたも午後12時過ぎ。大雨がさっさと通過してしまったのか、今日は外が明るい。起きてみたら、捻挫した足の調子がすごくいい感じで、まだいくらかピンク色でふっくらして見えるけど、爪先立ちができるじゃないの。まだ痛めた指の側に体重をかけるのは無理だけど、ここ2、3日で急ピッチで治って来ている感じだな。まあ、もう4週間になるんだもの、そう来なくちゃ。

朝食が終わったら、まずはきのうやり残した仕事。この発注元の仕事は「できるだけ同じ人に」という指定なので、業務縮小はするけど現状のまま継続と決定。英語ができる社員がごろごろいるところなんだけど、内容がデリケートすぎて社内で扱うのが憚られるものを外注して来るらしい。「同じ人に」というのも情報が流出しないようにということかな。まあ、今回のはそうデリケートな内容でもないけど、新年の初仕事と言うことで、ちゃっちゃと済ませて納品。三勤二休とでもいうのか、2日か3日仕事をしては2日くらい休みというペースも悪くないかな。1週間なら四勤三休というところか。まあ、そうそう思惑通りには行ってくれないのがビジネスってもんだけど。

仕事が終わったら、小町横町へ野次馬的散歩。カレシが言う通り「日本のごく一部の人たち」が住む仮想横町だけど、匿名掲示板には基本的にネガティブな人が集まって来るように思う。ポジティブな人はいちいち他人のことをとやかく言わないし、日々の暮らしに満足している人はわざわざ「幸せで~す」なんて書き込まないだろうし、書いたところでネガティブな人にはおもしろくもないからだろうか。「他人の不幸は蜜の味」であることが脳科学的に実証されているそうで、「不幸せ」オーラ満開だからこそまたとない人間観察になるし、けっこう長い間読んで来ると、背景の世相の移り変わりも垣間見ることができて、ちょっとした社会学勉強でもあるかな。まあ、国民性や社会文化の要求というフィルターを外したら、どこの人間でもその心理は根本的にあまり違わないように思えるけど。

相もわらず飽きることなくグチグチ、イライラ、モヤモヤ、ウジウジの小町横町。超ロングランの昼メロでも扱い切れないほどのキャラクターがいる。「ティファニーを贈ってもらえる女性がうらやましい」というアラサーの人。「誰かから贈ってもらった」のが羨ましいんだそうで、ティファニーの「オープンハート」ならひと目で彼氏の贈り物とわかって、愛されている感じがすると、夢見る乙女ぶり。どうやらティファニーのアクセサリーが欲しいというよりも、「愛され感」が欲しい。でも、ブランド品や高いものをくれるかどうかで相手の愛情の深さを計るのって、裏返せば自分の価値をお金で計ろうとしているようなもので、自分に自信を持てていないから、相手に形(価値)のあるモノで気持を見せて欲しいということなのかもしれない。何だかさびしいな、そういうの・・・。

だいたい(特に若い)男ってそういう女心の期待には疎いものじゃないかな。その点では我がカレシなんか(レディファーストで愛情表現が豊かな西洋人のはずなのに)ひどいもんだな。ティファニーのペンダントはニューヨークに行ったときに自分で買ったもので、選んでいる間カレシはエレベーター脇のソファで居眠りをしていた。花をくれたのは結婚する前のたったの一度きり。それもオフィスの受付に飾ってあった萎れかけた水仙を1本引き抜いて来たものだった。(水仙の花言葉が「うぬぼれ」だって、知らなかったでしょ、アナタ・・・。)アクセサリーをもらったのは2度。結婚25年を過ぎて(大嵐を乗り越えて)初めて選んでくれたスワロフスキー(ブランドオンチのカレシには単に「通りがかった店」)の音符のブローチ。60歳の誕生日には「記念になると思って」と、ブランドではないけど鑑定書付きの小さなダイヤをびっしりはめ込んだとんぼのペンダント。40年近くも一緒にいて贈られたアクセサリーがたったの2つ?でも、カレシの気持がこもった2つ。ワタシには200個のティファニーよりもずっと「愛され感」があるけどな。

突風並みの仕事はエキサイティング

1月10日。木曜日。今日はカレシの英語教室の日で、いつものように目覚ましを午前11時半にセットしておいたけど、なぜか2人とも5分前にすっきりと目が覚めた。まぶしいくらいのいい天気。しばらく好天が続いて夜に冷え込むという予報。天気が崩れたところでド~ンと雪が降らないといいけどなあ。

カレシを送り出して、しばらくはだらだらモード。モールで落ち合って、買い物がてらインフルエンザの予防注射をして来ようということになって、2時過ぎにのんびりとおでかけ。家の中で裸足で歩いている分には「完治」したような足だけど、靴の中に突っ込むとプレッシャーがかかるのか、歩くとちょっと痛い。それでもけっこうなスピードでとことこ歩いて30分。まだ開店準備中のCrate & Barrel。外でスーツを着た人たちとヘルメットをかぶった人たちが何やら立ち話。談笑しているということは内装工事は順調ってことなのかな。楽しみにしているんだから、早くオープンする「春」にならないかな。

まずは郵便局で私書箱の郵便物を取り出して、セイフウェイでここでないと買えない物を買って、薬局を見たら、うわっ、ずいぶん待っている人がいる。たちの悪いインフルエンザが東の方から急速に広がっているというニュースがあったばかりだから、みんな慌てて注射にかけつけたというところか。まあ、ワタシたちも「慌てて」駆けつけたクチだけど、思えば去年も今ごろ「まだだった~」と慌てて駆けつけていたような気がするな。ただし、インフルエンザが今ごろ猛威をふるうのは平年よりはちょっと早いそうだからびっくり。ワタシもカレシも普通の風邪ひとつ引かずにもう何年にもなるから、そろそろ運も尽きる頃なんじゃないかなあ。英語教室が終わったカレシがやって来たので、薬局で申し込んだら待ち時間が40分。夜の部の教室があるから、それじゃあちょっと時間的にきつい。ということで、今日は諦めて、注射の前に記入しなければならない質問表だけをもらって来た。ま、にんにくとねぎとしょうがをたくさん食べていたら、とりあえず何とかなる・・・かな?

きのうの残りの豆サラダと買ってきたカニコロッケでバタバタと夕食をして、カレシを送り出してひと息。おととしの帳簿の復元作業にかかろうと思ったら、日本の取引先の社内メーリングリストに「手の空いている翻訳者や~い!」のメッセージ。ここは個別にコンタクトしている余裕がないときにこうしてメーリングリストに載せる。でも、翻訳者の急募は珍しいな。医療方面だけど、は~いと手を上げたら、「何時までにできるか?」と聞いてきた。原稿をもらってから2時間以内だな。そういって原稿が来るのを待っている間に、編集が終わった前の仕事を査読していた社長センセイから「ここがよくわからん。ちょっと見直せ」とメール。編集者がすぐに手が空かないと言うので、急遽元原稿を見直して、そこはこう変えて、でもこっちはそうしか解釈できないよ~と回答メールを飛ばして、ひと息ついたところで、待っている原稿が来る前に、もうひとつ超特急便の予告。おいおい、Floodgate(水門)を開けたのはどこの誰なんだ・・・。

まあ、(仮想)ねじり鉢巻も勇ましく、超特急便は1時間足らずで仕上げて、至急の赤丸をつけて納品。入れ替わりに、見直しはワタシの提案に基づいて解決したとのメール。ああ、やれやれ。ほっとしたところで、もうひとつの超特急便が入稿。「いつまでにできる?」と言うから、ちょっと考えて土曜日の夕方はどうだと返事。はあ、いったいどうなってんだろう。だけど、ちょっとだれ気味だったから、こういうチャレンジも悪くはないな。よっしゃあ!とエキサイトすることで頭の血の巡りが良くなって、寄る年波もへったくれもなく、俄然やる気がもりもり。ああ、これだから止められないんだよなあ、この仕事・・・。

さて、カレシが腹ぺこを抱えてうろうろしているから、お預けにしたランチを作らなくちゃ。風邪の予防に、ねぎをどっさり入れた焼きそばにするかな。

やっとインフルエンザの予防注射

1月11日。金曜日。何時だったか知らないけど、ごみ収集車の轟音で目が覚めて、「あ、ゴミトラックか」と思って数秒後にはまたぐっすり。起床は午前11時40分と、まあまあ。目覚まし不要の日は8時間前後の睡眠が普通だけど、なぜか睡眠時間のちょうど半分くらいの8時半頃にいったん目が覚めることが多い。だいたいはすぐに眠りに戻れるけど、どうしてなんだろう。これも人体の不思議のひとつかな。

明日の夕方が期限の超特急仕事がひとつあるけど、3時間もあればできそうな内容なので、朝食後にしばし読書。10月の終わりに読み始めた『Surely You’re Joking, Mr. Feynman(ご冗談でしょう、ファインマンさん)』もそろそろ終わりに近い。この人は興味を持ったことに関してはとことんまでの「やりたがり屋」の「試したがり屋」で、おまけにしろうとに説明できる大天才。しかも大変ないたずら好きだったそうだし、ボンゴを叩くことに興味を持ったら名手になってしまうし、ひょんなことから絵の勉強を始めたら買い手が付くほどの腕前になってしまうんだからすごい。ほんとに一度でいいから会って一杯やりながらおしゃべりをしてみたいと思う人だな。もうすぐ70歳というところで亡くなってしまったのは惜しい。せめてあと15年か20年生きたら、このインターネット時代に何を思っただろうな。

読書がひと区切りついたところで、きのう見送ったインフルエンザの予防注射をしてもらいに出かけることにした。その前に質問票に答を記入しないと・・・。だけど、カレシがいくら探し回っても用紙が見つからない。なんでも無意識にあちこち適当にポイと置く人だから、いざというときにモノが見つからないのは日常茶飯事。家中探しても出来ないし、きのう乗っていたトラックの中にもない。ということで、トラックまで歩いている間にポケットから落ちて、それに気づかなかったんだろうと結論。ポケットにも無造作にものを突っ込む人だから、その確率は99%かな。まあ、別に通し番号がついているわけでもないから、薬局でまた用紙をもらってその場で書き込めばいいじゃないの。(と、念のためにボールペンをバッグにポン。)

きのうは何人も順番待ちしていた薬局の「予防注射」のコーナーは、今日は誰もいなかった。何年か前からインフルエンザの予防注射でドクターのオフィスやクリニックが込み合うのを緩和して、多くの人が予防注射を受けるようにするために薬剤師に注射の訓練をして、セイフウェイの薬局ではエレインさんがその資格者。そのエレインさんが処方箋の受付カウンターにいて、ラッキー。さっそく質問票をもらって、アレルギーの有無とか(ワクチン製造には鶏卵を使う)、今日の健康状態とか、全部「ノー(問題なし)」。質問の中には「予防注射で失神したことがあるか」というのがあって、副作用か何かのせいかと思って聞いてみたら、注射が怖くて針を見ただけで気絶する人がいるんだそうな。へえ、そういう人、ほんとにいるんだ。「十代の女の子に多いの。でも、実は私も注射をされるのは苦手なのよね」とエレインさん。は?

注射が怖いエレインさんは無類の注射上手で、チクリともしないから、いつ針が入ったのか気づかないうちに絆創膏をペタンと貼って、「はい、終わりました」。カレシは65歳以上なので予防注射はインフルエンザも含めて無料。65歳になるまでまだ3ヵ月半あるワタシは、これまでは「慢性呼吸器疾患」を理由に無料だったけど、今回は65歳以上の人と一緒にいるということで無料。でも、肺炎ワクチンは65歳になるまではやってもらえない。「お誕生日が過ぎたらいつでもどうぞ」とエレインさん。ま、あと4ヵ月のうちに肺炎になることはなさそうだし、インフルエンザの方も抗体ができるまでの2週間に罹る確率はゼロに近いだろうし、焦ることもないか。

それにしても、乳幼児や慢性疾患のある子供のいる家庭の家族全員など、無料の対象を広げたのは、できるだけ多くの人に予防注射をしてもらって、重症患者の治療や入院のコストを減らせたらワクチンの費用の元が取れるということだろうな。保健省のインフルエンザ地図を見たら、バンクーバー周辺はまだ「蔓延」には至っていないけど、郊外の方ではもう「蔓延」状態。アメリカ東部ではかなりの猛威をふるっているそうで、ボストンでは公衆衛生非常事態宣言を出したというから、大変。これからが流行のピーク期だし、早く抗体ができてくれるといいけど・・・。

指導熱心という包み紙をはがすと

1月12日。土曜日。どういうわけか、2人とも目が覚めたら首がコチコチ。寝酒をしながら盛り上がって、ちょっと飲みすぎたせいかな。原則として「注ぎ足し禁止」ということにしてはいるけど、ときたまつい・・・。お開きにしたのは午前5時。外は明るいけど、ちょっぴり寝足りない気分。

それでも朝食を済ませたら、さっそく超特急仕事の仕上げ。今日の夕方が納期だと言っても、アメリカの東部にいる編集者に仕上がったファイルを送ると約束した期限で、ついこのあいだ新年の事始めをやったばかりはずの日本はもう三連休で、中日の今日はオフィスは休み。でも、どうやら早朝からセンセイが「店番」をしているもよう。ちゃかちゃかと見直しをして、スペルチェックをかけて、ファイルを圧縮して、メールに添付して、送信ボタンをクリック。勤務時間はざっと2時間。これで日本の連休が明けるまで、ワタシは「開店休業」ということで、さっそく「遊び」モードに切り替え。(この方向の切り替えはいつも早いな。さすがというか・・・。)

イギリスでキャサリン妃の肖像画が公開されて悪評紛々らしい。老けて見えるというのはなるほどと思うけど、この先何年も経てば実物のケイトだって老けて来るんだから、時代を「先取りした」と思えばいいんじゃないかな。でも、名の通った画家が描いたとしても、最初にぱっと見たときの印象はあんまり良くない。評論家ぶって言うなら、何よりも目が生きていない。ケイトの魅力のポイントはあのいつも微笑んでいるようなきらめき(sparkle)のある目だと思うんだけど、肖像画にはそのきらめきがなくて、表情がくすんで見える。エラそうな顔の政治家の肖像なんかだったら、あんがい目が生きていない方が偉そうに見えていいかもしれないけど、まあ、人間の心の窓である「目」を描くのはプロにとっても難しいってことか。

高校生が部活での体罰を苦に自殺した事件に関して、元プロ野球選手の桑田さんが朝日新聞で「体罰は不要」と訴えていて、大学の研究で野球選手にアンケートを取ったら体罰の肯定派が大多数だったというのを読んで思わずぞっとした。「絶対に仕返しをされない」上下関係の中で起こるのが体罰だと桑田さんは言う。昔の大日本帝国陸軍もそうだった。士官は些細なことで兵士を殴り、上等兵は自分より下の兵卒を殴った。人格を否定する野蛮な行為があたりまえにまかり通っていた日本は遠い過去になったはずだけど、変わったようで実は変わっていなかったのかな。指導と称して子供を殴る教師やコーチを「熱心な先生」と賞賛する社会も社会だけど、桑田さんは「暴力で脅して子供を思い通りに動かそうとするのは最も安易な方法で、指導者が怠けている証拠でもある」と言う。いや、怠けているんじゃなくて、元々「指導力」がないから暴力に訴えて、それを「指導熱心」というギフトラップで包み隠しているだけじゃないのかな。暴力を自分より弱い者に向けるという点で、本質的に虐めやDVと変わらないと思う。

でも、そういう「熱心な指導」はおそらく日本中どこでもやっていることなんだろうな。特に、強豪とか名門と言われるスポーツ部を持つ学校には死守すべき「名声」というものがあるわけで、負けるのは「名前」に傷がつくということか。かってアメリカンフットボールの有名な監督が言った、「勝つことがすべてじゃない。勝つことしかないんだ」と。スポーツは勝ち負けの世界なのはわかるけど、本当に指導力があって、本当に熱心なコーチだったら、選手を殴らなくたってちゃんと勝てるチームを育てられるはずだと思う。

泥棒、スモッグ、インフルエンザ

1月13日。日曜日。どうも月曜日のような気がしてならないけど、去年は1年間ずっと月曜日から始まるカレンダーを見ていたせいな。空模様は曇りがち。ポーチの温度計はぴったり零度。雪、降るかな?天気予報では、明日あたり雪がちらつくけど、気温が上がって、次の週末には平年以上になるらしい。雪は降らないな、きっと。ま、今日は仕事なし。のんびりと行こう。

隣のパットの家に金曜日と土曜日の2日連続で泥棒が入った。金曜日は実際には侵入未遂で、土曜日の夜はベースメントに入られたけど被害はなかったとか。防犯組織Blockwatchのブロック副キャプテンであるカレシはさっそく我が家の後ろに住むキャプテンのミシェル(だんなさんは警察官)にメールで報告し、それをミシェルがメンバーに転送して警戒を呼びかけた。隣の家はパットの前の住人のときも何度か泥棒に入られている。背の高い植栽に囲まれて庭の中が見えない我が家は未遂さえ一度もないのに。我が家は角地で、セキュリティ会社の標識をあちこちに表示してあるし、しかもアクセスがビデオインタコムとロック付きのゲートハウス1ヵ所だけなので、見つかったときに逃げづらいと思われているのかもしれない。(頭のいい泥棒は入りやすさよりも逃げやすさを重視するとか。)

そのおかげかどうか、今日は車のバッテリを充電がてら買い物に行くという話だったのにドタチェン。いつもの不安症で家を留守にしたくない気分なのかな。だったら、昼間のうちにでかけた方が良さそうなものを、午後は人が多いし、道路も込むから夜でなきゃ嫌だと駄々をこねるカレシ。そのくせ、バッテリが上がらなければいいけどと心配するカレシ。冷え込みが続いたから、どっちかを走らせてやらないとまずいかもよ。両方ともバッテリが上がったら、ジャンプスタートもできなくなるけど、よ。いいのかなあ・・・。

車といえば、北京のスモッグがすごい。BBCの記事によると、濃霧のために有害な微粒子が拡散されなくなって、PM2.5の濃度が健康に危険とされる水準の4倍を超えているらしい。(アメリカ大使館での測定では8倍を記録したそうで、中国政府はそのデータを公表するなと圧力をかけたという話。)土曜日には、都心で視界が2、3百メートル。空気を吸うと炭塵と自動車の排気ガスの「味」がしたそうな。Yuck!急激な経済成長で公害対策が追いつかないのか、対策を怠っているのか。追いつかないとしたら、それは高度経済成長期の日本と同じだな。1960年代の後半から1970年代にかけて、日本各地で深刻な公害病が続出したし、東京周辺では光化学スモッグが発生した。当時のナショナルジオグラフィック誌が東京で交通整理にあたる警察官が苦しそうに酸素吸入をしている写真を載せていた。あの頃の日本が(そいて欧米がそれよりもひと足先に)通った時代を中国が今通っているということで、「だから中国は~」とは言えないな。

このスモッグで、北京では呼吸器疾患で病院に行く人が急増しているという。インフルエンザは流行していないのかな。大気汚染とインフルエンザのdouble whammy(ダブルパンチ)になったら、ものすごい数の市民が死ぬんじゃないかなと思うけど。ロンドンで1950年代に発生した大スモッグはわずか2ヵ月ほどの間に1万人以上の死者を出したけど、イギリスは大気汚染防止の法律を作って、数年後には本格的な対策を実施していた。あれから60年経った今、中国政府はどんな政策をとるのか。欧米各国が温室効果ガスの排出を抑える努力をしているときに「お大人」中国が大胆な汚染防止政策を取れなかったら、「まったくもう中国って国は~」と言われてもしょうがないだろうな。

インフルエンザ、ニューヨークでも非常事態宣言が出たとか・・・。

嵐の成人式は人生行路の天気予報?

1月14日。月曜日。正午をちょっと過ぎたところで起きて、なんか薄暗いなと思って外を見たら、あっ、雪!ゆうべ、というよりは午前3時ごろにはらり、はらりと雪が降り出した。ポーチの温度計はマイナス1度だったけど、街灯のあたりに目を凝らさないと見えないくらいの雪だったから、白くなるとは思わなかったな。

まあ、雪が降ったと言っても1センチもなさそうで、車道はすでに解けていたけど、二階の八角塔から見た「冬景色」はこんな具合・・・。[写真]

でも、道路が凍りついて、モールのある41番アベニューでは車庫から出て来たバスが18台も滑って動けなくなったそうな。坂道の多いところではもっと大変だったらしい。でも、12月にケーブルから下を通る車に雪の塊が落ちてけが人を出したポートマン橋では事故はゼロだったとか。つまり、ちゃんと融雪塩で処理していれば防げた事故だったということが証明されたようなもんだな。

ひょっとしてこれ、東京の大雪のおすそ分けだったりして。雨の予報が大外れで、初雪が期せずして大雪になったそうだけど、ときどきこうして降るのはわかっているはずだから、電車がそう簡単に止まってしまわないような算段をしておけないものかなあ。公共工事への支出を大幅に増やすらしい安倍さんに頼んでみたらどうなんだろう。折りしもきのうの日本は成人の日。新聞サイトにはきらびやかな振袖で着飾った新成人のお嬢様たちが傘をさしておっかなびっくり歩いている写真が載っていたけど、大人への門出を祝う日が大荒れというのは何だか皮肉なもんだな。これから40、50年の人生は甘くないんだぞと言う神さまの暗示なのかもしれない。いやでも社会の大波小波に揉まれながら生きて行かなければならないのが大人の人生なんだから。

でも、大波小波をどうやって乗り越えて行くのかはそれぞれの経験しだいだろうな。「人生の快適な過ごし方」のようなわかったような本はたくさんあるけど、いわばトラブルシューティングの章がない「ソフトウェア説明書」みたいなもの。大人の人生にはマニュアルもなければ、ヘルプデスクもない。極端な言い方をすれば、学校で何をどれだけ学んだかを問われるのは「仕事」をするときくらいのもので、人生を少しでも快適に生きるためには、これから積み上げて行くことになる経験から何をどれだけ学ぶかにかかっていると思う。たしかに学校で教えられる知識は生計を立てて行く上では重要だろうけど、同じ知識でも「覚える」のと「学ぶ」のとでは大違いだと思うな。でも、技術が何でも解決してくれるような錯覚を起こさせる今の世の中、人間がそれぞれの経験から学んで行くことの重要さが過小評価されているのも事実・・・。

なんてつらつら考えていて、ふとワタシには成人式がなかったのを思い出した。自発的に行かなかったのでも、理由があって行けなかったのでもなくて、成人式が宙に浮いて「消えてしまった」というところか。ワタシが20歳になった1968年、住んでいた室蘭は「20歳になった人」を対象に成人式をしていたので、4月生まれのワタシは翌年までお預け。ところが、同じ年の春に札幌に引っ越したら、「今年20歳になる人」が基準だったもので、ワタシの成人式は1月15日にとっくに終わっていた。室蘭ではまだ早いと言われ、札幌ではもう遅いと言われ、ワタシの晴れの成人式、いったいどこをどう迷っているんだろうな。でも、未だに自分の「年相応」がわかっていないらしいのは、成人式がなかったせいかもしれないな。つまり、45年も無免許で大人をやって来たということになるのか・・・。

変わっていないもの、それはキーボード

1月15日。火曜日。曇り空。正午のポーチの気温はプラス3度。ほっ。きのうの夕方には曇り空全体が薄っすらと灰色がかったピンク色になって、また雪が降るのかと思ってしまった。週末には最高気温が7度まで上がるという予報。はて、春が来るのかな?中国正月の「春節」まであと4週間足らず・・・。

卵とベーコンの朝食を済ませて、まずはきのうの閉店間際に飛び込んで来た仕事を片付ける。仕事そのものは短くて簡単だけど、ここ、ゆうべは先に編集を経て納品した文書に手を入れて、「英語のチェック」をお願いして来たところ。翻訳を発注して、納品されたものを社内で手直しするのはよくあることだけど、普通は自分たちの言語に訳されたものが対象で、用語を修正したり、スタイルを調整したり場合が多い。でも、外国語に訳されて来たものを手直しして、おまけに「これであってますかぁ」なんて聞いて来るところは日本くらいのものかもしれないな。社内でやれるんだったら、外注せずに好きなように翻訳した方がコスト削減になるだろうに。翻訳を改変するのは、自分の手入れが正しいかどうか自信がないんだったら(ほとんどが改悪だし)、よけいな手出しをしない方が効率的だろうに。未だにそのあたりの心理がよくわからない。

ちゃっちゃと仕上げて、ささっと納品して、勢いに乗って2011年度の帳簿の復元作業にかかった。去年はコンピュータが新しくなったのを機会に新しい会計ソフトへの切り替えを2度試みたけど、どっちのソフトもあまりにも煩雑で、どっちも設定もせずに「クビ」にしてしまった。シーラから借り戻してインストールした会計ソフトは15年以上使い慣れた古いもので、ヘンにかっこよくなっている新しいものと違って、実用一点張りの使い勝手はこの上なくいいし、幸いにも「会社」や帳簿類のデータファイルは残っていたから、改めて復元する必要がないし、まるで「古巣」に戻ったようなホッとした気分。印刷してあった一般仕訳帳のデータを番号順にそれぞれの仕訳帳に打ち込むだけなので、復元作業はすいすいと進んで、夕食のしたくの時間までに6月分までの入力と各月の財務諸表の印刷が終わってしまった。

ほぼメールだけでビジネスができる時代になってからは、会計処理の量が激減したな。旗揚げしたのはウィンドウズ3.0とマウスが登場する前のDOSの時代。お得意さん指定のマックの他に、英語用と日本語用のAT互換機が2台が並んでいたワタシのデスクも今はPC1台で英語も日本語もやれるし、プリンタ、ファックス、コピー機がオフィス中に所狭しとひしめいていたのが今は1台で事足りるマルチ機能。在宅ビジネスもほんとに便利になったもんだなあ。おかげで空きスペースができたオフィスの一隅は(いつでも趣味三昧の生活になれるように)ミニのアトリエに変身。さらに、事務用品費は激減したし、FedExなどのクーリエは不要になったし、常連クライアントへの請求は月末一括処理になったから請求書はそれぞれに1枚で済むし、我が社の「経理課」(ワタシ)の仕事もひと昔とは比べものにならないほど楽になった。ちっとも変わっていないものがあるとしたら、これかな→[写真]

いくつものキーの文字がすり減って消えてしまったワタシのキーボード。これだけは変わらないなあ。パソコンが登場した頃のキーボードはすごく高かったけど、頑丈にできていた。カレシは1989年に買ったNorthgateのキーボードをまだ使っているけど、キーの文字が消えることなんてなかった。それが、価格低下と共に作りも雑になって、今では新品に買い替えても3ヵ月もしないうちにキーの文字が欠け始め、半年もすると文字のないキーが並ぶ。(一番先に消えるのはいつも「N」、次に「I」。)意地になって1年とちょっと使い続けたらほとんどのキーがブランクになったキーボードもあった。これもタッチでタイプしているうちはいいけど、のっぺらぼうになったキーが視界に入るとリズムが狂って打ちにくいから、そろそろ買い替え時かな。まあ、安いんだから文句は言えないんだけど、アカウントを持っているオフィス用品の量販店では安いものしか扱っていないし、通販探すのもめんどくさいし・・・。

さて、あと半年分の入力で、やっと2012年度の決算にかかれる。最終四半期のHSTの申告期限まであと半月しかない。がんばらにゃあ・・・。


2012年12月~その2

2012年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
お掃除ロボットと何の話をするの?

12月16日。日曜日。正午をちょっと過ぎて起床。ちょっと明るいけど、夜には荒れ模様で雪混じりになるかもしれないとの予報。微小気候の集まりみたいなメトロバンクーバーでは、地域の気温に5、6度の幅があるので、我が家のあたりはたぶん雨だろうと思うけど・・・。

日本の総選挙のニュースを見たら、わっ、民主党は惨敗もいいところ。ニュースサイトに出ていた広告には仏頂面の総理大臣の写真に「動かす力=決断」みたいなことが書いてあった。たしかに、決断がなければ何も動かない。民主党はその「決断」ができなかったから何も動かせなかった。そういうことだろうな。政権政党が一気に凋落するというのはカナダでもあったな。1990年代の初めに過半数を占める政権政党からたった2議席の「その他」に転落した進歩保守党がそれ。毎年の予算であれこれと税金が上がったのに赤字は膨らむ一方で、不景気の最中にGSTと呼ばれる連邦売上税を導入して国民にそっぽを向かれた。個人的にも汚職の疑惑があったりして嫌われた党首が辞任して望んだ選挙でたった2議席。回復できないまま、やがて解党。カナダ連邦初代首相を出した政党の流れを組む由緒ある政党が姿を消した。うん、民主主義国家の有権者はそのくらい厳しくなちゃね。

朝日新聞サイトのリンクを辿ったら、ロボット掃除機の比較というのがあった。最近ルンバを使い始めたところだったので、どういう結果が出るか興味津々。販売店での実演だと何もないところをすいすいと動き回って、取りやすいところにあるゴミを取るわけだけど、障害物や段差のある実際の日本の住環境ではどうなのか、という実験だった。試したのはルンバ君と日本のメーカーによる2機種。(日本の家電メーカーがすでにロボット掃除機を出していることは知らなかったな。さすがというべきか・・・。)結論を急げば、総合的にルンバ君に軍配が上がっていた。思わず吹き出してしまったのが日本のメーカーの機種。吸引力は抜群だったけど、どうも他の2機種に比べて賢さはイマイチ。唯一のいいところは「愛嬌」。学校から帰ってきた子供が「あ~疲れた」とつぶやいたら「たまにはゆっくりしいや」と(関西弁で!)労ってくれたんだそうな。

はあ?愛嬌のあるロボット掃除機って、いったい何なの?開発したメーカーは何を考えていたんだろうな。人間さまをやさしく労ってくれる愛すべきお掃除ロボット君を作ったのは、今日本で潰れるかどうかという危機的な状況にある老舗の家電メーカー。つい、これだから潰れそうになったんだなあと思ってしまった。まさにガラパゴスのゾウガメ。掃除ロボットというキカイに「癒し」機能とやらを付加することにエネルギーを費やしたとすれば、まさに「ガラパゴス現象」。だって、ロボット掃除機の目的はひたすらきれいに掃除することのはずだけどなあ。ルンバのメーカーははっきりそう言っている。この機種を作ったメーカーが本来の目的である「掃除」をする性能よりも、「愛嬌」で人間を癒すことが消費者に受けると判断したとしたら、わかってないなあとしか言いようがないし、大変な経営難に陥った遠因と言えそうなものが見えてくるような気がする。

だけど、いろんな新開発のロボットの記事を見ていると、日本の人は人間(あるいは動物)の形をしていて、人間の言葉で人間と交流できる「癒してくれる」ロボットが好きなんだなあと思う。しかも人間型ロボットはたいてい今どき風の若い女性の形に作られていて、目が空ろだから人間ではないとわかるくらい精巧なものもある。プログラムされたロボットと交流して癒されるというのはちょっと不可解ではあるけど、ロボットは人間がプログラムした通りのことしかしないから、生身の人間のように嫌味を言わないし、批判をしないし、けんかも売ってこないし、とにかく文句も言わずにひたすら従順でやさしい。まあ、鉄腕アトムで育った(かどうかはしらないけど)日本人にとってはロボットは人間に近い形をしているものという観念があるのかもしれないな。

でも、これからいろいろと有用な仕事をするマシンを開発するためのロボット工学の基礎技術をPRしているんだろうということはわかるけど、やっぱりロボットとは何ぞや(何をするものか)という重要な命題のポイントから外れているような感じは残る。人間の心を癒すのが目的で作られたロボットであれば、その「癒し」効果があればそれなりに目的を達したと言えるけど、本来の目的が掃除をすることなら、つべこべ言わずにきれいに掃除をしてくれればそれで十分だと思うんだけどな。でも、小町に立っている『お掃除ロボに話しかけるワタシ』というトピックを見ていると、「うちの子」に話しかける人がけっこういるらしい。日本のメーカーはそういう心理を理解しているからこそ、おしゃべり機能付きの家電を考え付くんだろうな。

ワタシはルンバ君はきちんと掃除をしてくれる賢い子だとは言っても、がんばってとか何とか話かけることはないな。だって、話しかけたところで、キカイはプログラムされたことしか言い返せないんだもの。

冷え込むのに暖房システムが故障

12月17日。月曜日。起床は午前11時半。このくらいの時間が一番いいような。雨は降っていない。かなりの嵐になる予報だったけど、あまり荒れたような形跡はないな。でも、テレビのニュースを見たら、スタンレー公園の遊歩道シーウォールが高潮で壊れたという話だし、入り江の向こう側のウェストバンクーバーでも被害があったらしいし、雪や雹が降ったところもあったそうだから、荒れたことはたしか。もしかして、我が家の辺りだけすっぽかされたのかな。

ロウルが暖房システムの問題を調べに来てくれる日だけど、忙しい人だから何時になるかわからないので、きのうやっと書き終わったクリスマスカードを午後5時に収集される郵便ポストに入れに行くことにした。我が家から2ブロック先にある郵便ポストは収集予定時刻が午前9時なので、収集は明日の朝になる。今夜は気温が氷点下に下がって雪が降り出すかもしれないという予報なので、2、3センチくらいでも雪が積もれば収集に来ない可能性が大きくて、そうすると次は早くて水曜日の朝。これじゃあクリスマスに間に合うものも間に合わなくなる。モール近くのポストなら収集は午後5時だから、今日中に集めてもらえる・・・。

痛めた足がまだ少し腫れているので、まだぎごちない足取りで半分くらい行ったところでカレシから携帯に電話。ロウルが到着したので迎えに行こうかと思ったけど、不要だというのでとりあえず携帯をオンにしておけという「指令」。もうしてあったんだけど・・・。まあ、午後5時のポストにカードをどさっと入れて、銀行に寄ってずっと持ち歩いていた小切手を口座に入れて、青果屋に寄ってカレシに頼まれたトマトとその他ワタシが使う野菜を買って、家路の半分まで来たところでまた電話。暖房システムのリレースイッチの名前がどの部屋を指しているのかわからないという質問。自分の家なのに、カレシはこういうことになると未だに何も知らないから困るなあ。歩きながらいろいろと説明したけど、歩きながらの携帯はけっこうやりにくい。みんなぺちゃくちゃとおしゃべりしながらすいすいと歩いているように見えるけど、慣れているからなのかな。

帰りついて、ロウルからリレースイッチが不良だという診断。4ヵ所のコントロールが「音信不通」なんだそうな。もうかなり長いこと不良のままだったらしい。あらまあ・・・。たしかに、八角塔の部屋はあまり温度が上がらなかったけど、窓が多すぎるせいだと思っていたし、キッチンとリビングも何となく暖かくないなあという感じはしていたけど、寒くはなかったし、温度計はいつも20度前後を指していたので、そんなもんだと思っていた。なあんだ、知らないで暖房のない部屋で暮らしていたのか。まあ、それも裏を返すと、我が家の断熱・省エネ性能がそれだけ高いという証拠なんだろうけど、何だかなあ。とにかく、全部で11ヵ所のコントロールのうち、反応のない4ヵ所のリレースイッチを新しいものに交換。1ヵ所ずつコントロールをオンにして、作動していることを示す表示灯が点ったのを確認して、作業が終わったのは午後6時。請求書は明日持ってくるから、何か質問があったら電話してと言い残して、ロウルは帰って行った。

でも、でも、でも、まだ問題解決とは行かないような予感。八角塔の部屋はこんなに暖かかったことはなかったと思うくらい暖かい。椅子に乗って(落ちないように気をつけて)天井に触ってみると、うん、暖かい。だけど、キッチンとリビングのコントロールの温度計は、サーモスタットを試験的に24度に設定してあるのに20度を指したままで、天井はまったく暖まっていない。つまり、直っていないということだけど、サーモスタットはOK、リレースイッチもOKということになると、もしかしてヒーターがダメになったのかな。原因がパネルだったら、天井の石膏ボードをはがして取り替えて、新しい石膏ボードを取り付けて、ペンキを塗って・・・と、軽~く何千ドルの修理費が吹っ飛ぶこと請け合い。ロウルはパネルは問題なしと言っていたけど、あちこちで取り替え工事をやったとも言っていたし。まあ、何にでも寿命というものがあるのはわかっているんだけど・・・。

ま、外の温度はゼロに近づきつつあるけど、家の中は一応快適だから、明日、明日・・・。

深まる暖房システム故障の謎

12月18日。火曜日。少し早寝したので、起床は午前11時10分。ベッドルームは暖かい。八角塔の部屋はぽっかぽか。日当たりがいいこともあるけど、ちょっと暖かすぎやしないかなあ。だけど、キッチンに下りたら18度で、ちょっとばかり「肌寒い」。テレビをつけたら、かなりの雪が降って交通事故続発だったという話。二階に上がって外を見たら、屋根の谷に少し残っているだけで、そんなに降った形跡はない。ポーチの温度計は摂氏3度・・・。

朝食後、さっそくロウルに電話してバッドニュースを伝える。「どうしてかなあ」と思案の様子。今日のスケジュールが終わったら来てくれることになった。暖房がないと言っても、キッチンとリビングだけで、真下のオフィスの温度を少し上げれば、何となく床暖房の代わりになって、昼間は寒い感じはしない。夜になると少し冷えるけど、最悪の場合は温室用の予備においてあるポータブルの電気ヒーターを持ち出せばいいけど、ちょっと雪が降ったくらいでもこの18度~20度を保てるなら、必要ないかな。それにしても八角塔の部屋(リレースイッチには「サンルーム」と書いてあった)は暖かすぎる。午後1時には暖房モードから設定温度が低い「節約」モードに切り替わったけど、天井はポッカポカで、室温は25度。コントロールを最低の15度まで下げて様子をみたけど、やっぱり25度。どうやらサーモスタットもコントロールも無視して勝手に暖房しているらしい。ロウルに報告しておいたけど、どうなってんだろう・・・。

シーラが明日の掃除の件で電話して来て、午後には雨になるから行けると思うとのこと。シーラが住んでいるニューウェストミンスターでは10センチくらい積もって、車で仕事に出かけるのに坂道に差し掛かったら、前の車がスリップしてずるずると下がって来たので危なくぶつかりそうになったとか。今夜もまた10センチくらい、ところによっては20センチの積雪だけど、明日の午前中には気温が上がって雨に変わるという予報。どうやら雪かきしないで済みそうだけど、道路に積もった雪がべたべたになると車の運転は怖い。今年最後の掃除が終わった後の「打ち上げ」はお天気しだいと言うことにした。こういうときは、仕事にでかけなくてもいい在宅稼業はラッキーだなあ。

ロウルがやって来たのは夕食のしたくを始めた午後5時過ぎ。さっそくリレースイッチのパネルを開けて、サンルームのリレーを見て「あれ、開いていない」。設定した温度になると接点が開いて電流が切れるしくみなんだそうな。で、キッチンとリビングの場合は設定した温度に程遠いのに接点は開いたまま。つまり、電流が流れないからいくら待ってもヒーターは暖まらないというわけ。そういえば、ゆうべはパネルのあるところからブルブルという雑音が断続的に聞こえていたと言ったら、今度はとなりのパネルを開けて、変圧器のチェック。それにしても、どうしてこういうときに限って故障が起きるんだろうと言ったら、「こういうときに故障するんじゃなくてさ、寒くなってやっと故障に気がつくたんだよ」。そっか、暖かいときは暖房を使わないから故障していても気づかない。後はロウルに任せて、私たちは夕食。

私たちの夕食が終わった6時過ぎ、ロウルが「ミステリーだ。あしたの朝メーカーと問題を話し合ってから来る」と言って帰って行った。腕前ピカイチの電気工のロウルにも解決できない難問ということらしい。でも、どうやら天井に埋め込んだヒーターパネルは原因ではなさそうだからちょっと安心した。こうなったら変圧器でもリレーでも、どんどん最新のものに取り替えて、暖房システムを正常化してちょうだい・・・。

ああ、あったか~い

12月19日。水曜日。とうとうベッドルームとバスルームの暖房もダウンして、二階は全域が暖房なしになってしまった。毛布を1枚足して、電気ヒーターを入れて寝たけど、それでも2人とも午前10時過ぎに目が覚めて、結果的に早起き。やっぱり冷え冷え感が出て来たまあ。寝る前に降り出した雪は5センチくらい積もったけど、降って来るものは固体になったり、液体になったりで、雪にするか雨にするかを決めかねている感じ。

ベッドルームで使ったヒーターをキッチンに持って行って、朝食は熱々のオートミールで中から暖める。暖房が機能しているゾーンが半分以下(居住部分はベースメントの2ヵ所のみ)になってしまったので、少し気温が上がってくれないと、いくら断熱性の高い家でも時間と共に熱は失われるから、ちょっとした緊急事態に発展して来た様相。郊外は道路事情が悪そうだけど、リレーの交換が必要かもしれないと、とにかくロウルに電話でアップデート。「そっちへは今から2時間くらいで行きたいけど、道路の条件しだいかな」という返事。シーラが掃除を延期したいと言って来たので、かなり悪いことはたしか。ひと冬に1回雪が降るかどうかという土地柄、積雪5センチは大雪、10センチならドカ雪という感覚で、車はたいていがオールシーズンタイヤだし、ドライバーは雪道に慣れていないし、はたして、ロウルは来れるのか・・・?

クリスマスまであと1週間を切ったのに、買い物の予定は狂いっぱなしで、この分ではどうなることやら。でも、暖房システムが復旧しないことにはクリスマスを祝うどころじゃなくなるから、珍しくカーディガンを羽織って(それでもまだ裸足で)、ロウルが来るのをじっと待つ。最近開通したばかりの橋のケーブルの上から氷の塊が落下して、混雑でのろのろと通過中の車が何台か被害を受け、2人が怪我をしたというニュースが入って来た。この分ではロウルは来れないかもしれない。夜はベースメントのソファベッドで寝るか、なんて話をしながら夕食のしたくをしていたら、ロウルが到着。午後5時。3時半にこっちへ向かったそうだから、普通なら30分くらいところを2時間半もかけて来てくれたんだ。感謝感激!「だって、あんた方が寒くて震えているんじゃないかと思って気が気じゃなかったったんだよ」。おお、ありがとうね。

で、謎は解けたのかと聞いたら、「間違ってTがついている型式のリレーを寄こしたんだ」。あはあ、Tは変圧器(transformer)のTね。「そう。変圧器なしのをと言ったのに、んっとにバカすぎて頭に来たぜ」とロウル。さっそく正しいリレーに取り替える作業にかかって、ほどなくしてベースメントから「キッチンはOK」と言う声。数分待ってから、カレシが椅子に上って天井に手を当てて、「おお、あったまってるぞ」。不具合だったリレースイッチが次々と作動し始めて、ああ、家中があったかくなって来たぁ・・・。6時過ぎに作業を終了して帰るロウルに、フリーザーからスモークサーモンとスモークサーモンのパテと鴨の胸肉の燻製を出して、手近にあったレジ袋に入れて、ほんのお印だけど、ありがとうの気持ち。メリークリスマス!

食後にそれっとトラックでIGAと酒屋。幹線道路はほとんど雪は解けて、交通量の少ない中をすいすい。スーパーの駐車上はがら空き。まず2人ともそれぞれの野菜をどっさり。手持ちが少なくなっていた白身の魚もどっさり。カレシはわざわざ印刷した自分専用の買い物リストを見ながら、スーパー中をあっちへうろうろ、こっちへうろうろ。ベーキング用のダークチョコレートを3箱も買ってにこにこ。ホリデイのデザートには、大きな箱のパネットーネとラム入りシュトレン。また太るかなあ。これで一番大きなトートバッグ2つと予備の小さいエコバッグ3つが満杯。酒屋ではなぜか(!)すぐに空になってしまうレミと、久しぶりに入荷したアルマニャックの1982年ヴィンテージを2本。我が家のハウスワインになっているStarboroughのソヴィニョンブランを6本。クリスマスのディナー用にシラズ(赤)にヴィオニエ(白)をブレンドしたオーストラリアの赤ワイン1本。そして毎日のマティニに欠かせないジンの大瓶。ついでにめったに入らないプリマスジンも1本(マティニの味が微妙に違う)。

やれやれ。これでグルメ三昧のホリデイの準備は80%くらい完了。後は明日ママのところへご機嫌伺いに行く途中のHマートでお正月用のアジア食品の調達を残すだけ。雨が降ろうが、雪が降ろうが、世界が終わろうが終わるまいが、ぬくぬくとした我が家で、2人で飲んで、食べての冬ごもり。また太るなあ。でも、この年になれば、花より団子の方が健全じゃないのかな。

家が暖まったら、買いすぎた食品の保存が問題

12月20日。木曜日。ぐっすり眠って目が覚めたら正午過ぎ。毛布の下からそろ~っと腕を出してみたら、あれ、寒くないし、逆に暖かい感じもしない。最適温度になっているんだろうな。バスルームも普通に暖かい。ああ、うれしい。でも、一階のサーモスタットが制御している「サンルーム」はまるで「お日様かんかん」の暖かさ。まだ問題があるのかなと思いつつキッチンに下りたら、こっちもあったかすぎ。どうやら設定温度(23度)がまだ高めらしい。古いアナログ式から精度の高いデジタル式サーモスタットになったんだから、頭を切り替えて、最適な設定になるまで微調整しないと・・・。

一般的な温風をダクトで送る集中暖房システムと違って、輻射熱暖房は空気そのものよりも(人間を含めた)物体を暖めるので、効き過ぎると炎天下にいるように頭がのぼせ気味になるけど、体が十分に温まっていれば、寒気の中に出てもすぐには寒いと感じない。そこで外気温がマイナス10度でもTシャツ1枚で裸足にサンダルを突っかけてゲートの郵便受けまで行くという芸当ができるんだけど、寒くないからとぐずぐずしていると「蓄熱量」がゼロになって、家の中に戻っていきなりブルルッと震えが来る。システムそのものは70年以上前にノルウェイで開発されたもので、ワタシは(自分でリサーチして選んだから身びいきがあるとしても)これほど快適な暖房システムはないと思うんだけど、北米での普及度は未だに低い。

外は雨だけど、雪はすっかり消えたので、予定通りにママのところへ行って、帰りにHマートで買い物をして来ることにした。でも、雪がないのは我が家のある区域だけらしく、場所によっては芝生はまだまっ白、道路にも解けた雪が残っていたりするから、改めて大変だったんだと実感。週中の日中だからなのか、きのうの今日でまだ混乱しているのか、どこも交通量がすごい。フリーウェイにつながる幹線道路はのろのろ運転なので、せっかちなカレシはいつものように「渋滞」を迂回しようと左折するところを右折。で、案の定、よく通る交差点でワタシが「右」と言ったのに「いや違う」と左に曲がったもので、結局ぐるっと回って渋滞していた道路に出てしまった。闇雲に流れに逆らうのも考えもんだよねえ・・・。

途中はどしゃ降りになって、カレシは運転に集中、ワタシは標識の読み取りに集中。昔よく出口を見落としてうっかり渡ってしまった橋(きのうケーブルから氷塊が落ちて来て大騒ぎした橋)は架け替えで「有料」になったから、ワタシは出口の標識に目を凝らして、何とか迷子にならずに無事にナビゲータの任務遂行。フリーウェイを下りて、橋を見上げたら、レーンの数が多い広い橋なので、ケーブルを吊るパイロンが中央にあって、ケーブルが合掌するようなデザインになっている。なるほど、これじゃあケーブルから落ちた氷塊が車を直撃するはずだ。ゼネコンは「想定外の天候条件だった」(どっかで聞いたせりふ・・・)と言うけど、専門家によると同じようなデザインのつり橋ではよく起こることらしい。バンクーバーじゃそんな心配はないとか高を括っていたのかな。政府は今後の対策の費用だけでなく、「雪爆弾」の被害を受けた車の修理などの費用も設計施工を請け負ったゼネコンに全額負担させることにしたそうな。

紅茶を飲みながら1時間ほどママとおしゃべりをして、今度はラッシュの中をHマートへ。駆け込みでクリスマスショッピングをする人が多いから、大小のモールが並ぶ辺りの渋滞がものすごくて、1時間以上かかってしまった。お正月用の食材を中心にど~んと買い物をして、帰ってきた午後7時過ぎ。すぐに冷凍してあった寿司飯を一旦電子レンジで温めて、酢を足して冷ましている間に、冷凍品を解凍しながら、買い物の整理。う~ん、これ、みんな納まるところに収まるのかなあ。ま、ささっと生ちらしを作って、春雨がないからビーフンでちょこっと酢の物を作って、インスタントのお吸い物を作って、夕食は午後8時。いつもならそろそろランチのことを考えている時間・・・。

氷点下までは下がらないという予報なので、野菜や要冷蔵品はしばらくガレージに保管することにして、冷凍食品が全部フリーザーに納まるかどうかが問題。あんがい、家の中が寒いままだった方が収納的には良かったのかも。まるでジグソーパズルのような感じだけど、いっちょうやってみるか・・・。

みんながそうじゃないのはあたりまえ

12月21日。金曜日。午前11時30分、夢を見ていたところを目覚ましにたたき起こされて、しばし茫然。湿っぽいけど雪の気配はなし。家の中は暖房がオンになっているのかどうかもわからないくらい快適。システムが安定して来たようで、めでたし、めでたし。

ほどなくして予告通りにシーラとヴァルが延期していた掃除に来てくれたので、ささっと朝食をして、いつもお中元・お歳暮の発送を頼んでいる会社のオフィスで、私たち用の半年分のスモークサーモンやらイクラを調達。これでホリデイの準備が完了。掃除が終わった後、シーラとヴァルにクリスマスボーナスととサンフランシスコみやげのクリスマス飾りを渡して、ワインを開けて恒例の「忘年会」。しばしのおしゃべりに花を咲かせていたら、ほんの束の間だったけどまぶしい日が差してきた。そっか、今日は冬至。一番夜が長い日。そういえば、世界が終わる日でもあった。はて、きのうまでの世界は私たちが寝ている間に終わって、目が覚めたら今日から始まったばかりの新しい世界になっていたということなのか。だったらいいけどなあ。

全米ライフル協会のおエライさんが「銃を持った悪いヤツを止められるのは銃を持ったいいヤツしかいない」から、すべての学校に武装したガードをおけと言って、世界中から呆れられている。アホか、ほんとに。アメリカ市民*もいっせいに「アホか」。支持者*でさえ「アホか」。テレビに映った人は狂信的な宣教師のようで、あまり賢そうな印象ではなかった。アホだなあ、ほんとにアホ。だけど、これでまた「だからアメリカ/アメリカ人はバカ/暴力的/野蛮云々」というひと括りの話になるんだろうな。まあ、国や人種、民族に関するステレオタイプ(既成概念)は、誰かのふとした体験から生まれ、経験値や視野が限られている人たち*によって(フェイスブックの「Share」を押すように)拡大され、やがてひとり歩きを始めるもので、今に始まったことではない。

劇作の講座を取っていたときに、ステレオタイプについての議論が沸騰したことがあった。生徒は外国生まれも含めて男女7人。架空の芝居の登場人物たちの現状からそれぞれの背景を憶測するわけだけど、生徒それぞれが持っているステレオタイプが反映されていておもしろかった。ポジティブなものもあったけど、ネガティブなものがどちらかというと多かったと思う。(ワタシも特定タイプのキャラクターにかなりネガティブなステレオタイプを投射していることを指摘されたっけ。あれは目からうろこだったな。)先生はかなり過激なテーマの作品を書くカナダの新進劇作家。さて、どういうイメージが浮かぶだろうか。「カナダ」、「新進」と言うキーワードから「白人の若い男性」のイメージが浮かぶかな。(北米では必ずしも「新進」イコール「若い」ということにはならないんだけど。)ワタシの先生は「30代の男性で、童顔のフィリピン系、ゲイ」。親子ほど年の違うワタシを熱心に指導してくれたおかげで、ワタシは「永遠の」劇作家志望・・・。)

ステレオタイプ的ひと括りでおもしろいのは、自分が見聞きしたことないか、あまり体験がない他国や他民族については(経験値が小さいからだろうけど)国土や人口の大小に関係なく簡単にひと括りにするのに、自分の国や民族を(ネガティブに)ひと括りされると「みんながそうじゃない」と抗議する人がかなりいること。ひと括りは一般論であって、みんなが同じではないことは暗黙の了解事項だと思うんだけど、(決めつけにならないように「~が多い」と表現しても)自分ことを言われたように怒り出す人もいる。痛いところを突かれたための反応と解釈できないこともないけど、「証拠を見せろ」、「統計を示せ」と絡む人もいるから、ある意味で自己主張が嫌われる環境で「自分はみんなとは違う」と自己主張しているのかもしれないとも思う。でも、そういう人ほど括りがポジティブだったり、異なものを批判したいときに「同じ○○として・・・」とあっさり自分を「みんな」とひと括りにするから、人間の心理はおもしろい。

全米ライフル協会の副会長を「あまり賢そうでない狂信的な宣教師」なんて評したら、「賢い狂信的宣教師もいる」、「すべての宣教師が狂信的なわけではない」、「すべての宣教師が賢くないなんてありえない」といった反論が出るかな。ただそういう風に見えたという個人的な印象なんだけど。だって、よけいなお世話の物言いの多いワタシだって、主観的に一方的に決めつけるのは政治的に正しくないことくらいわかっているつもり。まあ、銃規制に関してはアメリカ人が自ら解決しなければならない問題であって、傍からああだこうだと口を挟むことではないと思うんだけど、ここでも自分の主義主張こそ正義だと思っている人たち*や何につけてもアメリカのやることに批判的な人たちほど*、アメリカにああすべき、こうすべきと頼まれもしない助言をしたがるようなところがあるな。おっと、これはあくまでもワタシの経験値のみに基づくステレオタイプ的イメージ・・・。

*みんながそうだと決め付けてはいない。そうでない人もいる。

宗教と信仰は似て非なるもの

12月22日。土曜日。なんだか不思議な夢を見ていたら、カレシに起こされた。正午をちょっと過ぎたところで、ベッドルームは薄暗い。今日も雨。天気予報は「来年」までほぼ毎日雨。慣れていない人には気が滅入りそうな予報だけど、雪よりは何倍もましだな。

クリスマス前の最後の週末。ぎりぎりまで腰を上げない「先延ばし族」がどれだけいるのか知らないけど、モールはごった返しているのかな。2桁インフレから2桁金利を招いて猛烈な不況に陥った80年代初め、ワタシは最後のクリスマスプレゼントを買うために意を決して昼休みにデパートに行ったことがあった。店に入ったら「見る人」ばかりで、レジには誰も並んでいなかったからびっくり仰天。あれは、それまでは失業保険をもらって呼び戻されるのを待てばいいブルーカラー層が中心だった大量レイオフが、労働組合に属さないホワイトカラー層にまで及んだ大不況で、公務員だった私たち2人も安穏としていられない状況だった。まあ、結果としてかなりのサラリーマンたちが経験や人脈、知識を生かして起業したり、在宅自営業を始める起爆剤になったのも確かだけど。

最近、テレビで盛んに「帰っておいで、カトリック教徒よ」みたいなコマーシャルが流れていると思ったら、National Postに、カナダ人の半分が自らをreligious(信心深い)であると言う一方で、自らをspiritual(精神的)であると言う人は3人に2人の割合で、信仰心が組織宗教から離れつつある傾向を示す調査結果が出たという記事があった。実際に教会での礼拝に出席する人口は減少を続けていて、組織宗教の衰退が目に見えているとか。世界各国のデータを基にした研究調査でも、西洋社会のほとんどが大きな変化の入り口にあって、宗教よりも個人の精神性を重視する方向へ進んでいることが示されたそうな。それでも、「無宗教」と回答した人たちの4人に1人は神の存在は信じているそうで、組織宗教が教える「神」は信じていなくても、生と死、自然現象などから「魂」(spirit)の存在を感じているということらしい。

ワタシとしては、宗教と信仰心はまったく別のものだと思っているし、ワタシの精神性のルーツがキリスト教にあるとしても、キリスト教会が教えることとイエスが教えたことには大きな違いがあると思っている。イエスは神の無限の愛と赦しを説いたはずだけど、その死後に形成されたキリスト教は宗教という名の組織であって、それ故に階層化され、各階層の権威(あるいは権益)を確保するために戒律や規則で信者を縛り付けているとしか思えない。去年モントリオールで家族と大聖堂を見学したときに、一緒だった姪の夫モンティがそっと抜け出したのに気づいて後を追ったら、寒そうに立っていたモンティが「ぼく、カトリックの信仰を捨てたんだけど、教会に入ると罪悪感で苦しくなるんだよ」と言った。そのとき、マリルーの夫でオーストリアのカトリックの家庭で育ったロバートが「カトリック教会は命令に従わないと地獄に落ちると信者を脅すから嫌いなんだ」と言ったのを思い出した。

信じる人を脅す(あるいは脅して信じさせる)宗教は何もカトリックに限ったことではないけど、組織宗教がそっぽを向かれつつあるとしたら、それは思想の自由を得た人たちが自ら信仰の原点に近いものを見出したからじゃないのかな。ワタシが信じる神さまは、宇宙を超えるところに存在する、人間には把握することも具象化することもできず、故に制御することもできないとてつもない「力」であって、その縛りも縛られもしない茫洋さがイエスの言う「無限の愛」であり「無条件の赦し」なんだと思う。ワタシの神さまはワタシにも他の誰にも「ああしろ、こうしろ、でないと地獄に落とすぞ」という怖いお説教はしない。(地獄は現世にごまんとあるし・・・。)バカなことをやって失敗したら「ちょっと思慮が足らんかったなあ」とため息をつくか、「ほんっまにしゃあないやっちゃなあ」と苦笑して、「まあ、ええけど、この次はもうちっとよ~く考えて、しっかりやるようにするんやでぇ」と言ってくれる、いわばワタシの「良心の声」のようなものかな。

神さまは唯一だけど、その「魂」はいたるところにあると思う。まあ、信心深いキリスト教徒にしてみたら許しがたい異端だろうな。不信心きわまりないと怒るかもしれない。もしも中世に生きていたら、宗教裁判にかけられて、魔女として焼かれただろうと思うな。でも、ワタシの自己肯定感を支えるspirituality(精神性)がワタシの世界観、人間観、人生観の骨格を形作っていることは確かだと思う。いつも「まあ、いいか」の極楽とんぼのワタシだけど、ちゃらんぽらんに飛び回っているようでもワタシなりの信仰心を持っているから、自分が決めたことについてさしたる後悔をすることもなく生きていられるんだと思う。

痛がるのがめんどうくさいだけ

12月23日。日曜日。起床は正午。寝返りの打ち方でも悪かったのか、足がずきずきと疼いて目が覚めて、なかなか眠りに戻れなかった。おかげで頭の中は何となくどんよりして、外のどよんとした曇り空とそっくり。クリスマスの予報は「雪混じりの雨」。ホワイトクリスマスじゃなくて、「ごま塩」クリスマスかいな。 

せっかく12月1ヵ月を丸々休みにしたのに、何だかんだとあったもので、さっぱり休み気分になれなかったけど、明けない夜はない(暮れない日もないけど)。きのうは洗濯機と乾燥機を4ラウンド回して大洗濯をしので、今日から2人ともやっとひたすら食べて、飲んで、ごろごろするばかりの「冬眠」モード」。(ふむ、動物は冬眠するために太るけど、人間は冬眠したために太る・・・。)まあ、冷蔵庫もフリーザーもぎっしりだから、2人隠居の予行演習だと思ってしばしのぬるま湯暮らしと行く。2人とも根がぐうたらだから、さて、どんな具合に行くか・・・。

椅子から落ちて挫いた足は、もう10日も過ぎたのにまだ腫れが残っていて、いつまでもうずうずと痛いから困ったもんだ。圧迫包帯を巻いてあるけど、おかしな姿勢で歩き回るから健常な方の膝がぎくしゃくするやら、股関節が痛くなって来るやらで、とほほな感じ。腫れているのに靴を履いて外を歩き回っていたのが良くなかったのかもしれないけど、じっとしていたら何もできないし、何もできないとクリスマスも正月もなくなるから困る。これがカレシだったら「治るまでは安静」を宣言するところだろうなあ。でも、ワタシはドクターに痛みの閾値が高すぎるから気をつけなさいと言われるくらいに「鈍感」らしい。ワタシとしては、「鈍感」はないだろうと思うんだけどな。少なくとも神経は鈍感じゃないんだけど。忙しかったりすると痛いのを相当なところまでがまんしてしまうだけの話。ドクターはそれがいけないと言うけど、痛い、痛いとさわぐのがめんどうくさいというか、疲れるというか・・・。

まあ、今の時期は医者も休暇を取って不在だったりするから、救急センターもクリニックも混雑して、捻挫が治らないくらいで行っても、重病の人が運ばれて来るたびに順番が下がる。たぶん何時間も待たなければならなくて、それで「骨折はないから、圧迫包帯をして、痛かったら鎮痛剤を飲んで、安静にしていれば大丈夫」という診断で、処方箋を渡されるのがオチ。ずっと昔、金づちで叩いて爪が真っ黒になった指を抱えて飛び込んだときは、氷嚢を渡されて、4時間待ってやっとレントゲンを撮って、さらに1時間待ってドクターに診てもらえて、「冷やしておきなさい」と言われて、強力な鎮痛薬のサンプルみたいのを渡されて帰って来た。これじゃあ痛がるのがめんどうくさくなるはずだと思うけどな。ま、今のところはいい年をして暗いところで椅子に上って背伸びするのは危険という教訓を忘れないことにして、年が明けてもまだ歩くのに支障があったらクリニックにでも行ってみるか。

クリスマスイブはおフランス

12月23日。月曜日。クリスマスイブ。足が痛まなかったおかげで、午後1時近くまで寝てしまった。圧迫包帯を外して寝たのがよかったのか、起きてみたらきのうよりは改善された感じ。

朝食が済んだら、さっそくクリスマスイブのご馳走を作る「作業」にかかる。

今日のメニュー:
 かきの燻製入りポレンタの揚げ団子
 フレンチオニオンスープ
 カスレ、温野菜(蒸したフレンチインゲンとレインボーにんじん)
 デザート(パネットーネとシュトレン)

[写真] 今夜のワインはオーストラリアの赤。赤のシラーズに白ワインのヴィオニエをブレンドしたところがちょっと変わっている。どっちもこくのあるバラエティだから互いに負けていない。Chookというのはオーストラリアのニワトリ。赤と白のだんだら模様のマフラーが何ともおしゃれ・・・。

[写真] 前菜は、戸棚を探していて奥から燻製のかきの缶詰が出てきたので思いついた揚げ団子。かきは燻製だから小指の先ほどの大きさ。いろいろとある変わった粉を使ってみることも考えたけど、一番無難そうなところでポレンタを作って包むことにした。イタリアのポレンタは粗挽きのとうもろこし粉を練ったもので、固めに練って冷ますと団子にまとめやすい。かきを1粒包んで、パン粉をつけてフライヤーにぽとん。レタスの葉っぱに載せて、竹串を刺して飾り。かきの他にも試せるものがありそう。

[写真] あっさりのフレンチオニオンスープ。大きな玉ねぎ1個。隠し味はブランディ。今年はオーブンが壊れていてバゲットを焼けなかったので、ガーリック風味のバゲットチップにチーズを載せて代用。

[写真] メインコースは久しぶりのカスレ。ラタトゥイユと並んでカレシが大好きなフランスの田舎料理。食べるのは少量でも、ちょこっと作ってはおいしくないので、盛大に大きなスープ鍋いっぱいに作った。鴨のもも肉、ラム、豚のあばら肉。いつも入れるソーセージは今日は抜き。鴨を骨からはずのがちょっと大変だったけど、3種の肉を別々にオリーブ油で焼いて、玉ねぎ、にんにく、セロリも軽く炒めて、後は缶詰のトマトとカネリーニ豆、白ワイン。タイムの束、ローレルの葉、クローブの粒を入れて、3時間ほどことこと。赤いミニのココットに盛って、蒸した野菜、フランスパンのクリスプとアイオリを添えて、ちょっとおしゃれに・・・。

[写真] コースをイタリアのポレンタで始めたので、デザートはイタリアへ戻って、クリスマス名物のパネットーネと(ちょっと足を延ばして)ドイツのシュトレン。ああ、おなかがいっぱい。メリークリスマス!

クリスマスの晩餐は鳥肉3種

12月25日。火曜日。クリスマス。カレシに起こされたのが午前11時。寝るのが遅かったけど、その前に2人ともおなかがいっぱいで1時間くらい眠ってしまったので、まあ、睡眠は赤字になっていないか。今日も曇り空のち雨。外はし~んと静まり返っている。

クリスマスの朝食スペシャルは、チキンベーコン、スモークサーモンと野菜と卵のココット。ほうれん草を電子レンジでさっと「湯通し」してココットの底に敷き、スモークサーモンをざくざくと切って並べ、卵を割り入れて、アスパラガスと(カレシが二階の窓際で育てた)赤ピーマンとさっと炒めたしめじを散らして、トースターオーブンで焼いている間にチキンベーコンをかりっと焼いて、カレシがしぼってくれたオレンジとグレープフルーツのジュースを添えて、ちょっとおしゃれにクリスマスブレックファスト。

さて、朝食もそこそこにクリスマスの晩餐の準備。と言っても2人分だから、大汗をかくほどの大仕事ではないけど、大枠だけ決めておいて後は行き当たりばったりだから、けっこう知恵を働かせなければならない。今年のテーマは「ロール」。七面鳥の胸肉と鶏のもも肉と鴨の胸肉を少しずつ。これを3通りの詰め物でそれぞれロールに仕立ててみようというわけだけど、トースターオーブンで焼くから、生焼けや焼きすぎにならないために、肉の中の温度を測れる電子温度計を用意。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(スモークサーモンのかいわれ包み
           鶏のもも肉のルーラード、コーンとオクラ添え
           鴨のロール、チェリーリキュールリダクション、
              シャンテレルのバター炒め、枝豆
           七面鳥のロール、ポートワイン入りクランベリーソース、
              スマッシュポテト白ワインリダクショングレヴィー、
           サラダとバルサミコ酢

[写真] 朝食の残りのスモークサーモンにカイワレをちょこっと包んで、少々ありきたりだけど、マティニのお供の突き出し。

[写真] 鶏の詰め物はもものひき肉にしいたけとねぎを混ぜたもの。ラーメンには使わないけど取ってあるインスタントの粉末スープを味付けに使ってみた。もも肉はさらに薄く開いて、ひき肉を均等に広げてきちっと巻き、ホイルに包んで両端をキャンディのようにしねじって置く。付け合せはHマートで見かけたカラフルなコーンと蒸したオクラ。

[写真] 鴨の詰め物は「にんにくと玉ねぎのジャム」の残りをベースに、さらに玉ねぎとローストしたにんにくを3粒刻んで混ぜて、パン粉とコーンミールでまとめたもの。胸肉は筋っぽいところを切り取って、薄く開いて形を整え、詰め物を広げてきっちりと巻いて、ロースト用のネットをかける。ソースは干しチェリーをうるかしておいて、チェリーリキュールを徐々に煮詰めてから加えたもの。付け合せはバターで炒めたシャンテレルきのこと蒸した枝豆。

[写真] さて、クリスマスになくてはならないのが七面鳥。(ヨーロッパの国によってはガチョウや鴨を食べるそうだけど。)たまたま小さな胸肉の塊を見つけたので、この日のために買っておいた。詰め物は基本的な玉ねぎ、セロリ、パン粉にハーブ(パセリ、セージ、ローズマリー、タイム)。これに大豆肉のイタリアンソーセージをほぐしたものをまぜてみた。白ワインでしめらせて、薄く広げた七面鳥の上に広げて、ぎゅっと押さえつけ、ロールアップしてネットを被せ、乾かないようにホイルに包んで準備完了。ソースはまず料理用の白ワインにセージ、ローズマリー、タイムのブーケを浸してリダクション。ほんの少しだけ出て来た肉汁を混ぜて、粉でとろみをつけてしあげたら、意外とお上品なグレヴィーになった。七面鳥のローストにはクランベリーソースがつきものだから、ポートワイン入りの「ほろよいクランベリーソース」を小皿に入れて添えた。付け合せはスマッシュポテト(最近流行っているマッシュにせずに粗く潰したポテト)。レタス、トマト、かいわれのサラダに熟成したバルサミコ酢。

今年は何かと忙しなくて、去年ほど手をかけることができなかったけど、クリスマスらしいご馳走だったな。鳥肉が3種類だけど、普通なら1人前の量で2人前にしてあるから、特に食べ過ぎたという感じはない。ま、カロリーはけっこう高いだろうけど、年に一度のクリスマスの晩餐だもの(といってイブにも晩餐をやってたけど)。伝統的なクリスマス料理だったら、七面鳥に詰め物にマッシュポテトにその他の温野菜がつくから、軽く1000カロリーは行ってしまいそうで、その後にパイやら何やらとデザートを食べたら、次の日は秤に乗るのが怖いくらいにリッチ。その点、我が家は少量精鋭主義というところ。だけど・・・

[写真] チョコレートを入れてあるクリスマスストッキングに手を突っ込んでいるのは誰だ?ああ、そのおなか・・・。

遺言状という名の責任

12月26日。水曜日。ボクシングデイ。目が覚めたらもう正午過ぎ。2日連続でごちそうを食べ過ぎて、2人とも何かくたびれたのかな。

きのうのクリスマスに続いて今日も祝日。ボクシングデイセールをめがけて、早朝から(人によって前夜から)行列して、量販店に開店と同時にどっとなだれ込むのが習慣になったような感もある。60%オフとか70%オフとか、とにかくどこも大安売りで、売る方はどれだけ店が混雑したか、買う方はどれだけ安く買ったかを競い合う日でもあるような感じ。プレゼントに欲しかったけどもらえなかったものや、前から欲しいと思っていたものを買うには絶好の機会だろうと思うけど、大半の人にとっては「参加することに意義がある」恒例のイベントというところじゃないのかな。まあ、売る方はもうすぐ旧型になる商品の在庫をクリアできてうれしいし、買う方はとにかく安く買えてうれしい(と思う)し、双方めでたくしゃんしゃん・・・。

起きてみたら、電話のボイスメールにマリルーとロバートとそれぞれから私たちが金曜日に行く予定なのを土曜日に変えられないかとメッセージ。きのう電話したときは(何しろ大家族が集まるから)周囲がわいわいがやがやで、うっかり金曜日に予定が入っていたことを忘れていたという話。さっそく折り返しOKの電話。ロバートが「念のためにパジャマと歯ブラシを持っておいで」とお泊りの誘い。車で1時間半くらいかかるところだし、1年に何度も会わない2人だし、ゆっくりとおしゃべりするには泊り込みがいいかもしれないな。土曜日はマリルーとロバートの息子、娘たちの家族も集めてディナーに繰り出そうという話になった。ざっと暗算したら、三世代で少なくとも総勢16人・・・。

人数はともかく、私たちとしてはマリルーの娘のセーラに相談することがある。セーラはワタシがカナダに来てまもなく生まれた子で、今は父親(カレシの弟)の会社を継いで、2人の子供を育てながら社長として(営業担当の)夫のロブと共にアメリカの不況とカナダドル高の中で奮闘しているバリバリのビジネスウーマン。そのセーラに私たちの遺言状の執行人になってもらえるかどうか話をしようというわけ。遺言状についてはもう何年も前から作ろうと言いながら先延ばしにしてきたもので、来年はワタシも年金受給が始まることでもあるしというわけで、やっと重い腰を上げる気になったしだい。ところが、遺言状にはその内容を忠実に実行する遺言執行人を指定する必要があるんだけど、子供がない私たちは親族や信託会社や弁護士に頼むしかないわけで、けっこうめんどうくさい。

何しろ、カナダには日本のように遺産を誰がどれだけ相続するかを決めた法律がないもので、遺言状を書いておかないと、政府の検認機関が遺産の処分を決めることになる。もっとも、夫婦の共有財産をすべて生存者権つきの共同名義にしておけば、自動的に生き残った方のものになるから、「後は野となれ山となれ」式に考えるなら遺言状など書かなくてもいいんだけど、問題は個人名義の財産がある場合に、遺言状がないとその処分にがっぽりと手数料を取られること。子供がいなければ、相続権のある親族を調べ上げなければならないので、手数料は膨大な金額になって、庶民のささやかな財産だったらそれだけで消えてしまうこともありえないことではない。つまり、遺言を残さずに死ぬと、政府に最後の確定申告で税金を取られ、残った遺産をさらにごっそり分捕られるわけで、なんか間尺に合わない気がする。

でも、基本的に自分の財産は自分で管理し、自分の最後は自分で始末する責任があるということだから、それをやらないで死んだら文句を言えた義理じゃないな。まあ、私たちの財産のめぼしいものはすべて共同名義になっているから、どちらかが先に逝っても遺言がなくてもそっくり「生存者」のものになるし、今は(不動産がバカ高いバンクーバーに住んでいるというだけで)それなりの財産があっても、2人の老後の生活資金として消化して最後に残るのは微々たるものじゃないかと思う。だから、遺言なんかどうでもよさそうなんだけど、英語で遺言状のことを「Will」(意志、意向というの意味もある)というように、残ったものも私たちが夫婦として築いた財産なんだから、不要に政府に献上するよりは、誰にもらって(あるいは何に役立てて)欲しいかを決めておくのが自分たちの責任を全うする逝き方だと思うな。

意外なことに、取られる額が大きい大富豪ならしっかり遺言状を作っているかというと、どうもそうとは限らないらしい。それで、遺産相続争いが起こって、セレブであるが故にマスコミを賑わすわけだけど、一族の誰かが何億ドルという「棚ぼた」を持っていたら、期待するなと言っても無理なのかもしれないな。でも、いくらお金がざくざくあっても、あの世へ持って行くことはできないんだから(それでカレシは「持って行けないならボクは行かない」と言うわけだけど)、金持は金持なりに自分が貯めこんだお金に責任を持ってもらわないとね。まあ、我利我利亡者を争わせて、あの世でドラマを楽しもうってことなら別だけど・・・。

知りたがり屋だけど勉強オンチ

12月27日。木曜日。起床午前11時50分。ごみ収集トラックの轟音で目が覚めた。外はただの曇り空のようで、何となく霧がかかっているような、湿っぽい色合い。ポーチの気温は摂氏5度で、まあ平年並み。北米大陸の東の方ではアメリカからカナダにかけて1200キロもの地域で相当な荒れ模様になっていて、空も陸もマヒ状態。クリスマス休暇から帰る人たちが立ち往生しているらしい。なぜかこの時期には荒れることが多いような・・・。

きのうのボクシングデイはかなりの人出だったそうで、隣町のバーナビーでは混雑のために大きなショッピングセンターの駐車場から出られなくなった買い物客からの(日本の110番と119番にあたる)911番への電話が相次いで警察はおかんむり。買い物を終えて広大な駐車場から道路へ出るのに1時間かかったという人もいるから、混雑は相当なものだったらしいと想像がつくけど、だからといって警察に通報してもどうなるってもんじゃないと思うけどな。どこの世界でも「アホか」というような電話があるそうだから、これもそのうち「迷(惑)通報百選」の殿堂入りしたりしてね。いい大人がいったい何を考えているんだろうと思うけど、どうやら近頃は便利になりすぎて人間は考えなくなっているらしいから始末が悪い。

クリスマスの2日間あれだけ食べたのに、きのう、今日と体重がほんの少しだけど減った。半日キッチンに立って動き回っていたからかな。それとも足の不具合が「喫緊のストレス」になったのかな。まあ、どっちでもいいけど、前者だとすれば仕事に戻れば元の木阿弥、後者だとすればほとんど普通に歩けるようになったから元の木阿弥ということになるのかな。足はまだ腫れっぽくて赤みが取れないけど、階段の上り下りも普通に近くなったから一応は「治った」。でも、立つと何となく包帯をしているように感じるのは、ワタシの足が後天性の偏平足だからかな。Fallen archesと言うやつで、土つかずはあるんだけど、立つとアーチが潰れてしまう。(家の中では裸足だけど、靴の中には矯正用の底板を入れている。)おまけに歩いていると腫れているところがプヨプヨ、タプタプとして、何ともいや~な感じだなあ。

今日は平日だから(というわけでもないけど)、置きみやげの仕事の段取りを始める。原稿用紙にして30枚ちょっとの量で、納期は1月7日。年が明けてからお屠蘇気分で仕事を始めてもいいけど、そうのんきに構えていて新年早々から期限ぎりぎりになって慌てるのは良くないと思うから、とりあえずファイルを開けて読んでみる。テーマはどうやら地球温暖化で、分野は水文学。この会社はいつのまにか「環境科学」をワタシのデフォルトの専門にしている感じだけど、ひと口に環境科学といっても「環境」に関わる学問の範囲が理系、文系に広くまたがっているので、専門の学歴がなくて好奇心だけでやっている何でも屋のワタシにはうってつけと判断したらしい。それにしても、世の中には「何とかology(学)」というものが星の数ほどあるということは、基本的に人間は「知りたがり屋」なんだろうな。知りたがりの範囲は半径5メートルから無限大まで人それぞれではあるけど、ゼロという人はいないんじゃないかなあ。

ワタシは好奇心の方は多すぎるくらいだけど、一貫していないというか、要するに学校という集団環境で教育指導要領に沿って教えられることを学習するのが苦手で、高校時代は数学も物理も化学もテストの点数は赤点すれすれ。数学も物理も化学も地学も生物も、とにかく理科には興味があって好きだったのに、最後には成績が悪すぎて危うく高校を留年しそうになった。でも今考えると、あの散々な成績はテストが「できない子」だったということじゃないのかなあ。それなのに、英語ができ過ぎるから数学も物理もできる「はず」と思われて、テストのたびに先生にやる気が足りないと説教されたもので、もう学校はこりごりの気分になって、大学進学はノー。(後悔したことはないけど、そもそもあの成績じゃ骨折り損・・・。)

だけど、今こうして科学者博士たちの論文を、ググりまくっては楽しく学びながら翻訳してけっこうな報酬を頂戴しているんだから、ワタシが科学オンチだったはずはないと思うな。5年生のときに通信簿に(誰も何のことかわからなかった)釣鐘型のグラフがついて来て、ワタシの「成績」が右側のぺちゃんこになった部分のずっと先で子供心にすごくがっかりしたのを覚えているけど、生まれついてのぎっちょ思考だから、「学校」というセッティングでは「勉強オンチ」だったということはあり得るかな。まあ、少なくとも大の知りたがり屋だったら、学校での勉強がダメでもまだ望みはあるってことだと思うけど。

2000本目で今年の書き納め

12月28日。金曜日。薄日の差す穏やかな日。気温は5度。テレビのニュースチャンネルはどこも回顧モード。今年もいろいろあったな。その前の年もいろいろあったし、その前の前の年も、その前の前の前の年も・・・。

今になって気がついたけど、ワタシの饒舌ブログ、「今日の風の吹きまわし」カテゴリーはこれが2000本目の記事。ほんと、ああだ、こうだ、ああでもない、こうでもないと、よくもそんなに書くことがあるもんだと感心するけど、饒舌もここまで来ると我ながら大したもんだと思う。実際のところ、ワタシの脳内はああだ、こうだ、ああでもない、こうでもないと、いつも騒がしい。おまけに翻訳業という仕事柄、人さまの脳内で発生した何千文字、何万文字の「ああだ、こうだ」の(言わずもがな的)真意を思いやって、それを言わずもがなの通用しない思考パターンの言語で「ああなんだ、こうなんだ」と書き出す作業を20年以上年中のべつ幕なしでやっているもので、ワタシの脳内の騒々しさは盛り上がっている飲み会の騒音レベルどころじゃない。うっかりすると通訳の先生に「大きい」ことをほめられた自分の声が聞こえなくなって、庇貸して母屋を何とか・・・。

と、「前置き」だけでも一気に原稿用紙1枚いっぱいの文字数になる。どうもワタシの記事は「ソナタ形式」風だったり、「起承転結」風だったりで、まとまりがないな。小説やら映画脚本やら芝居脚本やらと、あれこれと文学作法をかじって来たけど、まだ「作風」というやつができていないからかな。まあ、決められた形に従うのが苦手(だからマニュアルやレシピ通りにやれない)だし、他人が作った型枠にはめられるのも嫌いだから、自分を型にはめることもしない、自分には思いっきり甘ちゃんの極楽とんぼなもので、何をやってても「何とか風」だから、それが「ワタシの作風」というところか。それにしても、やっぱり言葉数が多いなあと思うけど、たとえ無言でいても、ワタシの頭の中も、心の中も言葉で溢れかえっているからしょうがない。もしも誰かにその言葉を取り上げられたら、ワタシは消えてなくなるかも。

言葉は人間が人間であることの証拠。「人間は普遍的な心的言語で考える」と言ったのはスティーブン・ピンカーだったかな。西洋文明の基盤となった新約聖書にも「初めに言葉ありき」と書いてある。だけど、日本文明の場合は「初めに形ありき」じゃないかと思うな。人間が持って生まれた心的言語を日本人は目に見える「形」として表現しているのではないかということで、それで言葉としての日本語があいまいなのではないかと思っている。「言葉」そのものは目に見えないから、音声や表記によって初めて意を通じることができるけど、そこに明確な「意」がなければ有意な言葉をつなぐことはできない。一方で、「形」は目に見えるものだから、「意」が明確でなくても一定の型をきっちり決めさえすれば無言でも意を通じることができると言える。つまり、伝統芸術の世界の「流派」という宗教にも似た階層組織と、「金銭価値」が伝達する意思の解釈基準になる形式的な贈答習慣はその「形ありき」の代表的な例だと思う。

そういう形式文化も集団のみんなが暗黙のうちに要件を理解して、習慣・風習という形に従って実行しているうちは「美しい」文化だっただろうけど、集団主義の上に平等主義、個人主義という西洋由来の思想を塗り重ねることで期待感や価値観が多様化した現代では、誰それにはいくらが適切(相場)か、お返しの相場はどれくらいか、はてはお返しがなかった(少なかった)と、思い悩んでいるような観がある。まあ、「初めに言葉ありき」で、日本語ではそういう習慣を贈るのとそれに答えるのをセットにして「贈答」と言う言葉にしているせいかもしれないけど、「形」に従ってやりとりされる物は具体的な価値(金額)を伴っていることがほとんどだから、その数値で贈り手の自分に対する気持や受取人による自分の評価を計ろうとする人もけっこういるらしい。「ありがとう!」という感謝の言葉だけではお礼として不足らしいのは、「形」でもらったものには相応の「形」で謝意を示さなければ釣り合わないということなんだろうか。

たしかに、「形」というのはマニュアルのようなもので、要件と手順を頭に入れてしまえばけっこう便利だけど、目に見えない「言葉」でのコミュニケーションのためのマニュアルを作るのは難しそうだな(聖書や聖典を宗教の「マニュアル」と見立てられないことはないけど)。日本では「言霊」といって、言葉には「魂」が宿っていると考えられていた。自分の言葉はやがて自分に跳ね返って来るから物言いには注意が必要ということだとも言われるけど、言葉に出して言質を取られたり、発言に対して責任を問われたりするといけないからできるだけ言葉を使わずに済ませようという趣旨が含まれているとしたら悲しいな。言葉は人の心の発現であり、心の機微は人それぞれ。その人の心を伝えるのに、どの国も民族も自分たちの言語が他の誰の言語よりも美しいと思っている。その美しい言葉を発しないなんてもったいない・・・。

でもまあ、風まかせの極楽とんぼが日本では受けないという長ったらしい記事を書き続けること2000本。2012年は残すところ後3日。ここんところはしばし口をつぐんでじっくり行く年を振り返ることにして(3日もあったら来し方も行く末も熟考できるか?)、新年になったら2001本目から書き始めることにしよう。ではどうぞ良いお年を!I wish you all a happy New Year! 

大晦日は1年の最後の晩餐

12月31日。月曜日。大晦日。1週間の始まりであり、1年の終わりでもある日。起床は午後12時15分でまあまあ。きのうは延々とおしゃべりをして寝室に入ったのが午前3時半。その間ホットワインと濃いコーヒーを飲み過ぎたのか、ほとんど眠れなかった。まだ寝足りないような、それでいてまだしゃべり足りないような気分で帰って来たけど、たっぷりと10時間近くも眠ったのはその反動だったのかな。

起きた頃には日本はもう年が明けてお雑煮を食べている頃だけど、こっちはまだ大晦日。朝食後はぶっ通しでキッチン業務。まずは元旦の祝い膳の下ごしらえから始めて、1年の最後の晩餐の準備にかかったのは4時過ぎ・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(枝豆、エビ、紅白なるとのゼリー寄せ)
 いかのゆず胡椒マリネ
 かぶと昆布の煮物
 ミニすき焼き鍋
 ビンナガのたたき、イカと野菜のグリル、あさりの澄まし汁、ロコ貝ご飯

[写真] 寒天の残りに出汁でさっと似た枝豆、エビの切れ端、紅白のなるとを入れて冷やして固め、飾りに(寿司用の)開きエビとコリアンダーの葉。ほんのひと口の突き出し。

[写真] イカそうめん風に細く切ったものをゆず胡椒ソースにつけてマリネート。刻みねぎを散らして彩り。

[写真] かぶと昆布を普通に出汁としょうゆとみりんとお酒で煮てみた。飾りにこんぷのリボン。

[写真] 実家の大晦日のご馳走はすき焼きと決まっていた。のん兵衛のワタシは父と1升ビンのお酒を酌み交わしているうちに酔いつぶれたこともあったなあ。カレシが魚をメインにして欲しいというので、少しだけのすき焼きを1人用の鍋に持って、家族伝統の大晦日の晩餐をちょっぴり再現、というわけでもないけど。

[写真] メインはビンナガまぐろのたたき。外側をこんがり焼いて、水に落として冷やして、スライス。いかはレモンを塗って焼いただけ。たけのこと白ねぎとカレシの赤ピーマンを一緒にグリルして、かぼすのジュースとゆず胡椒ペーストであっさり。玄米ご飯に半日がかりで炊いたロコ貝(アワビの代用)をスライスして入れた。お吸い物はカレシのリクエストでねぎとあさり。

さて、シャンペンもしっかり冷えているし、後は新年が明けるのを待つだけ。半量の年越しそばでも作ろうかな。でも、半量では「めでたさも中くらい」になるかな。まあ、日本はもう元旦がとっぷりと暮れる頃だけど、太平洋のこちらは、もうそろそろ・・・。