リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年8月~その2

2009年08月31日 | 昔語り(2006~2013)
極楽とんぼはどこへ行く?

8月16日。日曜日だけど、日本では週明けの月曜日。だらだらしていてやり残した仕事は今日の午後5時が期限。朝食もそこそこに、赤字、赤字を連発しているなんともしょぼい報告の仕上げ。こういう仕事をしていると、景気の動向をちらっとでも見ることができておもしろい。それにしても、誤変換が多くなってきたなあ、この頃。たぶんワタシもときどきチョンボをしているだろうから、人のことはあまり言えないんだけど、翻訳原稿に漢字の誤変換があると、思わず文の意味がわからなくなって、読み返してやっと誤変換だとわかることがある。初めから読めない漢字も多くなったけど・・・。

人もすなるブログを我もしてみむとす・・・なんて言って、ぶつくさ、ぶつくさ書き続けること3年。これが990本目。ふむ、「よく続くなあ~」と呆れるべきか、「よく続けたね~」と自分をほめるべきか。まあ、そのあたりはどうでもいいんだけど、あと10本で1000本。その後どうするかがさしあたっての問題だなあ。To quit, or not to quit: that is the question....

ここ最近ずっと1000本に達したら閉めて、英語のブログに引っ越すか、まったく別なことでも始めようと考えていた。飽きて来たのか、自分にとってのブログを書くことの役割が終わりに近づいたと感じたのか。おしゃべりなワタシのことだから、ネタ切れというわけでもなさそう。ただ、何となくまた日本に背を向けてしまいたい気持になっていたようにも思うから、もやもやして「や~めた」という方向に傾いて行っていたのかもしれない。過去のいろいろなことと折り合いをつけたつもりでも、ときには振り回されている自分に気づくことがある。

あるところで紹介されていた「性格診断」をやってみたら「優しい自信家」と出てきた。3度やって同じ答。とっさに思ったのが、「日本の人には言わない方がいい」。日本語の「自信家」はあまりいい意味ではないようだし、そういう人が「優しい」というのも矛盾しているようだし・・・。遊びなんだから「うへ~」と笑えばいいのに、そのときはまだ視界不良の中を飛んでいたんだろうな。まあ、ワタシは(いい意味で)「自信家」だと思うし、自分では根は「優しい」人間だと思っているから、元からしていろいろ矛盾した人間ということで、診断は当たっているのかもしれないけど・・・。

たしかに能天気なワタシではあるけど、やっぱり血の通った人間だから、よけいなひと言もある(というか、多すぎる?)し、いろいろな見聞に人知れず心を痛めたり、憤ったりするし、ときには「こんなことで」というようなことで傷ついたりもする。でも、そこでもろくも崩れなくなった自分がいることも確かで、それを実感できるようになったのは、ブログが思わぬ「自分探しの旅」になっていたからかもしれない。幸福の青い鳥と同じようなもので、「自分」というのは結局はこれ以上身近なところはない、「自分自身」の中にしかいないということ。

はて、このブログ、そもそも自分にぶつぶつと話しかけるのを書きとめておくつもりで始めたんじゃなかったっけ?だから3年間もぶつぶつと書いて来られたんじゃないのかなあ。だったら・・・

自分という名の青い鳥

8月17日。月曜日。少しだけ夏が戻ってきそうな予報。久しぶりにエアコンをかける。今日の午後は、地下鉄開業で、午後9時までただで「試乗」できるという。ただとなればどっと人が押しかけるのは、どこへ行っても同じで、ダウンタウンの始発駅では4時間くらい前から行列ができたそうな。2時間以上も晴天の下で並んでやっと乗れたという。結局8万人が試乗会に集まったと言うからすごい。だって、改札口がなくて無賃乗車が横行する交通システムじゃあ、無料試乗会でも、本格営業でも、さして変わらないような気もするんだけど。

我が家から最寄の駅までは歩いて15分くらい。ダウンタウンやホールフーズへ行くのには便利になると思う。二人分の料金を払っても、90分以内で回れ右すれば、ダウンタウンの駐車メーターの料金よりも少し安い。おまけにカレシはシニア割引があるし、回数券を買っておけばさらに安くなる。ワタシもあんがい気軽にダウンタウンへ出向くようになるかもしれないな。お天気がいいからちょっとダウンタウンまでショッピングゥ・・・なんてね。

きのう、ブログを書き続けることが期せずして「自分探し」になったかもしれないと書いたら、小町のタイトルに『本当の自分てなに?』というトピックがあった。開けてみてびっくり。「自分が自分をどんな人間と認識することは必要なんでしょうか?」。え?29歳にもなってそんなことを人に聞いてどうするの?と思いつつも読み進んだら、「ほかの人が思う私=本当の自分」だと思うから、「ほかの人にどんな印象を与えていてどんな人に思われているのかをできるだけ的確に理解したい」ので、コツや方法を教えて欲しいと来た。他人がこういう人間だと思っているのが本当の自分って、本気で考えてるのかなあ、この人。だから、他人にどう思われているか「的確」に知りたいって・・・?

他人はそもそもひとりじゃないし、十人十色と言って、もしも十人の他人がこの人について十通りにこういう人だと思っているとしたら、他人にこうと思われる人間が本当の自分だということなら、わっと、多重人格ってことになってしまうよ。的確も何も、混乱して気が狂ってしまわないかなあ。他の人にこんな風に思われたいという「自分像」なら、まあ、誰でも心のどこかに持っていると思うけど、そういう自分じゃなくて、他人が描いている自分像を知りたい・・・いや、他力本願もここまでくると脱帽するしかないか、といいたいけど、アドバイスへの返事を読むとと、どうもこの人は「自分」あるいは「自我」の意味することがまったくわかっていないという感じがする。この先の人生、大丈夫なのかなと、ひとごとながらなんか心配・・・。

小町には実にいろんな人がいる。どれだけ書き込む人がいるのかわからないけど、たとえそれが1億2千万人の万分の一だとしても、すごい数の人間がいて、その数だけの視点からアドバイスしたり、批判したり、叱責したり、揶揄したり、皮肉ったり・・・いろんな日本が見える。言葉の選び方、使いかた、表現のトーンに日本の世相が反映されているんだろうと思う。そうやって見ると、顔の表情は見えなくても、メラビアンの法則があるていど働いているようなところがあるし、なんか社会学や心理学の教科書のようでもある。はて、このあたりから観察して見たら、ワタシも自分の中でこうだと思っている「自分」を的確に理解できるようになるのか・・・。

ワーカホリックのワタシもとうとう来週1週間の「夏休み」を取ることになった。あさっての終わりくらいまでに何も入ってこなければ、しめて10日くらいは休める。いい機会だから、このブログの行く末ともども、自分のこと、自分の人生、カレシとの人生など、未来の飛行計画をばつらつらと考えてみようか。(定年まであと3年と8ヵ月と1週間・・・。)

ほんとの嘘は誰についている?

8月18日。ゆうべは、「遅くなってもいいから、ひと区切りつくまで仕事したら?」というありがたいお言葉で、手持ちの最後の仕事を片づけた。納期まで2日の余裕を残して、あとは見直しだけ。久しぶりにカレシと寝酒のグラスを傾けながら、午前4時すぎまで、しばしのおしゃべり。高コレステロール騒動からもう3ヵ月になるけど、何かにつけて計画通りにものごとが進まないカレシが、食事についてはほぼ厳格に守って、寝酒もやらないでいたからびっくり。どんなものぐさ人間だって、やればできるんだねえ・・・なんてことは、ワタシも似たようなものだから言わないでおく。

目が覚めたら、ちょっと早い午前11時。カレシは10時に目が冴えてしまったとかで、とっくに起き出していた。ブルーベリーもイチゴもなくなったから、アプリコットを入れての朝食。夕食は何にしようかなあとフリーザーをかき回して、オレンジラフィーに決め、仕事の算段にオフィスへ下りて行ったら、あら、カレシは奥の部屋のソファに長々とひっくり返って、すやすや。そんなに早くに起きるからよ、もう。(放っておいたら1時間もたっぷり眠っていた・・・。)

ワタシのけさの血圧は105/65。(自宅でやると低めに出るらしいから、ドクターがやると110/70くらいになるのか。これ、30代の頃の数字だけどなあ。)実は、きのうは「不整脈」のアイコンが表示されたものでぎょっとしたけど、いたって健康だし、ちょっと疲れがたまっているってことだろうな。毎日10時間、週7日のペースで、ぶっ通し何ヵ月も仕事をしていた頃は、鼓動がぐぃっとつまずくのをよく感じたものだけど、あの頃は仕事だけじゃなくて(とういか、それ以上いに)私生活のストレスがものすごかったから、今とは違う。まあ、今日は何も出なかったから、「まぐれ」だってことにするか。だって、カレシのダイエットに付き合ったおかげで2キロ半減ったし、カレシと同じくワタシのコレステロール値も下がっているはずだと思うけど。でもやっぱり一度は健康チェックに行っておいた方がいいだろうな。ただし、夏休みが終わったら、ね。

不正事件のレポート記事の仕事を仕上げながら、どうして人間はすぐにばれるような嘘をつくのかなと思った。ばれないとたかをくくって嘘をつくのか、それとも動転して保身のためについ嘘をついてしまうのか。初めの嘘が露呈して、嘘を上塗り。それがばれてまた上塗り。やがては二進も三進も行かなくなって、結局は大恥をかくという図式になりやすい。たしかに一番最初の嘘は誰でもごく簡単につける。しんどいのはその後だな。天性の詐欺師なら別かもしれないけど、嘘を隠すための嘘は前のよりうまくつかなければならないし、それには相当の記憶力が要求されるし、高く積み上げて行くうちにいつかは破綻するというプレッシャもあるだろうし、へたな嘘つきが嘘を通すのはかなりしんどいことだと思うな。かってのカレシのように「自責の念」でがんじがらめになる人にとっては地獄だろうな、きっと。それでも嘘に嘘を重ねるのはどうしてなんだろうなあ。ひょっとしてマゾ・・・じゃないよね?

そうそう、ローカルの掲示板にはひと目で嘘とわかる「ほら話」が多かったなあ。匿名掲示板だし、日本からポッと来た短期滞在組にはわかるまいと思っていたのかもしれないけど、彼女たちの「夢に描いた海外在住生活」が手に取るようにわかっておもしろかった。日本の小町にだって、トピックの性質にもよるけど、なんとなく眉唾っぽい書き込みがときどきある。たいていは格差社会での上昇志向を反映した「上方偽装型」の嘘らしいけど、日本の事情がわからないから、どこからが嘘なのかは知る由もなし。でも、逆の「下方偽装型」の嘘ってのはあまりなさそうだからおもしろい。あんがい、ふだんからほめられても「いえいえ、私なんかだめなの」と否定する「嘘」をつかされているからだったりして。ほんとうのところはうれしくても、形式的には否定するのが美徳になっているから(したくなくても)否定する。これって自己否定なの?それとも相手の気持ちを否定しているの?自分に対する嘘なのか、相手に対する嘘なのか?は、ワタシ流「ぶつくさ分析」にもってこいの、なんだかおもしろそうなテーマを見ぃっけた~。

その意志なくして変革なし

8月19日。また暑くなって来た。シーラとヴァルが掃除に来て、その間に野菜と果物の買い出し。ついでに、月曜日に切れるエコーの自動車保険を更新。ずっと無事故だから基本料が40%くらい安くなっていて、今年は1200ドル。でも、古くなるから、あと2年したら「排ガス検査」の対象になって、合格しないと保険を更新できなくて、車を使えなくなってしまうからめんどう。まあ、あと2年なら、それまでにトヨタがエコーサイズの電気自動車を売っているかもしれないな。絶対にバッテリが上がらない電気自動車なら、喜んで買い替えるけど。

青果屋には地物のとうもろこしの大きな山。おお、やっと太くて粒も大きいのが出てきた。例年よりは全体的にちょっぴり短めな感じもするけど、7月末の猛暑であわくって熟したからかもしれない。値段は3ドルで6本とまあまあ。皮をちょっとめくってこれはと思うのを6本。大鍋にお湯を沸かして、盛大に茹でて、久々にバターをしたたるくらいに塗ってがぶり。カレシはと見たら、最初の1本だけ少しバターをつけて食べたけど、2本目は「バターがあってもなくても味が変わらないから」とそのままで食べていた。甘くて水分たっぷりの新鮮なものだから、何もしないでそのまんまが一番なのかもね。とうもろこしを3本とお皿いっぱいのサラダで、今日はベジタリアン。

国連の女性差別撤廃委員会が、さんざんだった前の審査から6年も経ったのにまだ「目に見える結果が出ていない」と、日本政府に条約の履行を迫ったとか。日本政府は「ちゃんとやってるよ、ほら」と説明したらしいけど、条約ができてから30年も経つのに、まだ性差別は温存されているのは、政府も役所も経済界もそろって「やればいいんでしょ、やれば」という態度で、「やっている」ように見せかけて裏で「旧態依然」を維持して来たからかな。法律や制度はいくらでも作れるけど、それを運用する人間とその総体的な意識を反映する社会はそうそう変われるものではない。まあ、外から眺めていると、女性の側にも差別をなくそうという強い意志はないように見えるし、それどころか、女性同士で差別し合っているような印象もあるし、特に若い女性は男に(経済的に)依存する方に傾いているようにも見える。やっぱり、そういうのが心地がいいんだろうけども。

ウーマンリブの運動が始まったのは女性が経済的な自立を求めたからで、その過程で教育や職業の機会均等へと進んだといえる。最初にそうやって社会に進出して闘った女性たちはどうしても「男と同じ」を意識しすぎていたきらいがある。カレシに「ああいう女に感化されるな」と何度言われたことか。でも、法律や制度が整備されるにつれて、男は男、女は女として、互いに自立して協力して行こう、という方向に動いたと思う。そういう共同参画社会になじめないでいる(自信のない)男が日本女性の「ステレオタイプ」に熱を上げて、当の日本女性に(女の敵は女とはよく言ったもので)「白人女性は気が強すぎるのよね」と同情されている面もあるけど、やっぱりそれなりにそういうのが心地がいいんだろうな。

まあ、意志のないところに変革はないわけで、国連がいくらダメ出ししたところで、きっと次の審査のときになっても、まだ変わっていないだろうな。・・・

今日から夏休みだ!

8月20日。眠れているのかいないのかよくわからないうちに1日が明けた。寝る前に手持ちの最後の仕事を済ませて、送るだけにしておいたから、「送信」ボタンをクリックしてしまえば、後はいよいよ夏休みになる。そう、「イェ~イ夏休みぃ~」なのだ。そのせいだったのかなあ。遠足の前の夜にワクワクしすぎて寝付けない子供みたいでもあるけど、まあ、仕事に遊びを中断されない10日はやっぱりちょっとワクワクするな。何しよう?何しよう?メールを書きたい人がたくさんいるし、見たいDVDもたくさんあるし、片づけたいところもたくさんあるし、う~ん、忙しくなりそうな予感・・・。

「送信」ボタンをクリックしたら、ワインセラーの在庫拡充のため、まずは酒屋へ。今日はバスケットじゃなくてカート。カレシがソーヴィニョンブランにはまっているので、初回在庫はこれが中心バラエティ。目的ショッピングだから、カレシには「目安は20ドル以下で、甘さのコードが00(ドライ)のもの」という指針だけを示しておいて、ワタシはじっくりと見て回る。しばらくして、カレシが困ったような顔をして「フランスワインにはぶどうの名前が書いてないんだけど」と言ってきた。さては棚の上の方に並んでいるAOCの銘柄ばかり見ていたらしい。下の方で安い値札のついているヴァン・ド・ペイを探してみてね。

フランスのワインは伝統的に原産地表示なので地名で選ぶけど、新大陸のワインはぶどうの種類で選ぶ感じなので、初心者にもけっこうわかりやすい。その昔、カリフォルニア産のワインをラベルに「ボルドー」とか「ブルゴーニュ」と銘打って売っていたのが、フランス政府が商標権の侵害だ、(アメリカのワインごときが)けしからん、侮辱だ!と騒いだもので、ぶどうの種類(バラエティ)でラベル表示するようになったとか。そのおかげでアメリカのワイン消費が増えたという説もあるらしいけど、バラエタルワインと言われるものはフランスワインと肩を並べる高級ワインになっているし、の頃はフランスワンでも、ヴァン・ド・ペイにはバラエティを表示してあるものが多い。

結局、飲み比べるために各国のソーヴィニョンブラン7本とヴィオニエ4本のほか、フランス、アルゼンチン、ポルトガル、アメリカ、カナダ、スペイン、ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリアの白と赤、ロゼを取り混ぜて、合計30本を買い込んだ。ま、ああだこうだとうんちくを傾けて「やっぱり~は○○に限る」と言うようなこだわり方をしない質だから、いろいろと飲んでいるうちに特に気に入ったのがあったら、ケース買いして極楽とんぼ亭の「ハウスワイン」に指定しようというわけ。持参のエコバッグとワインの空き箱2個に詰めてもらって、帰って来てワイン棚に並べてたら、おお、まだ半分は空いているけど、どうやらちょっとばかり「ワインセラー」の体裁になってきたぞ。

と言うわけで、ワタシの夏休み初日はワクワクと楽しく過ぎた。さて、明日は何をしようかなあ・・・

ワタシの現在位置は

8月21日。ああ、よく寝た!レミが助けてくれたせいもあるだろうけど、寝つきも早かった。前の夜に正常に眠れなかったせいで、きのうは夜中を過ぎた頃にはもう頭がどんより。体のほうは別に疲れたというシグナルを出していないのに、頭は「もうだめだ~」と今にもぶっ倒れそうな「疲労困憊」シグナル。グラスから立ち上るレミの香りを胸いっぱいに吸い込んだだけで、「ああ、もう死んでもいい~」と、なんだか終末的な恍惚感が沸いてきてしまった。(だけど、陶酔して死ねるんだったら、断然あの百年もののアルマニャックの方がいいなよあ・・・。)

仕事が忙しくても徹夜をしなければそれほど疲労感はないけど、脳みその方は確実にくたびれる。こういっちゃなんだけど、「文化の壁」と「言葉の壁」で一番苦労しているのは実は翻訳・通訳を生業とする人間だと思う。いわゆる海外在住者にとっては、居住国の文化と言葉がわかれば、その国や文化や人間が好きか嫌いかにかかわらず、機能できるはずだと思うわけ。だって、その国の言葉ひとつで、その国の人間の反応や態度に対応すればいいんだから。一方、翻訳と通訳は2つの言語中枢を働かさざるを得ないし、日本語の原稿を読みながら、英語を書く(あるいはその逆)というきわどい芸当をやらされる。生活のためにそれをやっているわけで、まるで気性の違う客がいる「お座敷」を2つかけ持ちして、なんとか盛り上げようとしている太鼓もちみたいなもので、これじゃあ脳みそもくたびれるってもんでしょうが。

まあ、メガサイズのファイルだの何だのと仕事が続いて疲れてはいるんだけど、このところの心理的な揺れから来る精神的な疲労の方が大きいように感じる。いくら「ま、いっか」主義のワタシが信条のつもりでも、地面にしっかり足を踏ん張っているつもりでも、ときどきその地面が揺らぐ。そのたびによろけたり、転んだりしても、起き上がって、気を取り直して、がんばって来たのがワタシ。だけど、やっぱりときには座り込んでしまいたくなる。立ち上がらなければどうにもならないのはわかっていても、地べたに座り込んだままで周囲を見回して、人間地図の上での自分の立ち位置を確かめて見たくなる。北緯49度30分、西経123度6分・・・というぐあいに。

まあ、その問題は夏休みの間にゆっくりと対処することにして、2日目の今日は洗濯機を回しながら、キッチンの戸棚や引き出しを大々整理。オーブンの下の引き出しは古いベーキングの道具がひと山。いつのまにか朝食担当になったカレシが「ブレックファストセンター」と呼んでいる戸棚のスライド式の棚はいつのものかわからない使い残しの食べ物や、こぼれたコーヒー豆やナッツがごろごろ。引き出しからは、航空会社の名前が入ったナプキンリングや寿司屋の名前が入った割り箸の袋、何の部品かもわからないものや使い道のないプラスチックの小物がぞろぞろ。どうも「念のため」に取っておいてそれっきりだったと見える。キッチンの全面改装からそろそろ9年になるから、古いものはそのくらい古いってことで、その間使われなかったものはこれからも使われることはなさそうだから、思い切ってぜ~んぶ「非リサイクルゴミ」の箱に直行。

これでかなりスペースに余裕ができた。なんだかスペースが欲しくなったのかなという気がする。自分の周りに精神的なスペースが欲しいのかもしれない。もうあっちとこっちを器用に渡り歩くのに疲れたのかもしれないな。家中の引き出しや戸棚を片づけて、ガラクタや不用品や、「念のため」にとってあるけどじゃまっけなものをどんどん捨てて、ゆったりとスペースができて「我が家」で思いっきり深呼吸をして、思いっきり大の字にひっくり返って、ぐっすり眠りたいような気がする。夏休みのワタシ、現在、北緯49度30分、西経123度6分を飛行中・・・

ヘルシーライフは継続から

8月22日。起床午後12時半。だんだん遅くなって来た感じだけど、いいのかな。ま、今日は土曜日。「日本では日曜日だから・・・」とカレンダーを先読みしなくてもいいのはやっぱり気が楽だな。時間的には「同時」なのに、向こうはいつも先へ先へ。地球が丸いからいけないんであって、向こうがせっかちというわけではないのはわかるけど、なんとなくそのイメージが沸いてしまう。まあ、こっちがいつも忙しなく「納期」を追っかける側だからそう感じるのかもしれない。何を好き好んでこんなめんどうな生活をしているのかとも思うけど、とりあえず今日は一日中ひたすら「土曜日」・・・。

今日はきのうに引き続いてキッチンの整理。いろんな食品を入れてあるキャビネットの引き出しを開けて、点検。あら、賞味期限が1999年なんてのもある。日本食の材料を買い出しに行っていた食品店の値段のシールが貼ってある。あの頃はどえらい円高だったなあ。それでもごくたまには日本食らしい夕食も作っていた。カレシのランチは日本製のお弁当箱に日本風の愛妻弁当。どんなに遅くまで仕事をしても毎朝の6時半に起きてせっせとお弁当を作っていた。それでも働きすぎで稼ぎすぎの妻は、あの頃のカレシの目には「愛すべき(日本人)妻」に見えなかったということか。目の青いのは節穴から空が見えてたってことかいな。それで、おつむ空っぽのオンナノコたちにひっかけられたんかいな(と、ちょっとtongue-in-cheekでイジワルに言ってみる)。

とにかくけっこうな量を捨てた。古そうなパッケージ食品、使いかけの調味料や食材をどんどん捨てていたら、引き出しにはびっくりするくらいのスペースができてしまった。少し古そうな食品は栄養成分の表示を見ると「トランス脂肪酸」が入っていたりするから即NG。このトランス脂肪酸だけはデータを読めば読むほど恐ろしくしろもので、心臓病だけでなく、認知症になる危険も高まると言われているから、ヨーロッパでも北米でもかなり厳しく規制されているし、食品メーカーも使うとラベルを見た消費者にそっぽを向かれるもので、逆に「トランスファットフリー」を売り物にするようになっている。たまにはバターも卵もOKのカレシも「トランスファットだけはダメ!」とうるさい。(日本では脂肪の摂取量そのものが欧米より少ないという理由で規制がないそうで、北米で油を切り替えたファストフードチェーンも日本ではトランス脂肪酸の油でフレンチフライを揚げているそうだし、マヨネーズもマーガリンもスナック菓子も相当入っているんだろうなあ。)

夕食後にコーヒーを飲みながらテレビを見ていたら、生活習慣病予防の番組をやっていた。あわただしくて、ストレスに満ちた現代は食生活や運動が疎かになっているという医者の説明と共に、若い家族、独身者、退職者カップルがアドバイスを受けるというもの。ダイエットも運動も、過激に3ヵ月やって目標を達成したからと元の習慣に戻ったら元の木阿弥になると言うと、カレシは「まさにその通り」としてやったり顔。うん、コレステロール値が正常になったのは「食事療法」のおかげで、それをやめたら振り出しに戻るだろうね。そのへんの理屈は誰だってちょっと考えたらわかりそうなものだけど、それが難しい人が多いんだろう。大事なのは日頃からのバランスのとれた食事と運動。継続はパワーなりなのだ。運動といっても難しく考えることはない。とにかくまめに体を動かしなさい。突如、「散歩に行こう!」とカレシ。(そうやってすぐその気になるんだから。)

まあ、夕暮れの早足散歩もいいかなということで、開通したばかりの地下鉄の駅を下見しに行くことにした。早足なら10分ほど。改札口がない以外はごく普通の地下鉄の駅。リッチモンド方面行きが発車して、ダウンタウン方面行きが到着。土曜日の夕方にしてはけっこう人が乗っている。来月の新学年にはカレッジの学生の利用で混むのかな。さらに歩いてモールの外にある次の駅。主要駅ということでちょっと大きい。売店も入るらしい。どちらの駅もエスカレーターは上りだけ。ちょっとケチな感じがするけどなあ。ま、せっかくモールまで来たから、スーパーでシリアルと地中海の天然塩を買って帰って来た。往復で約3キロだから、まあ、適当な運動にはなったかな。

人生の考古学的検証

8月23日。日曜日。夏休みになってまず寝る方の調子がよくなって来たみたい。ぐっすり8時間。起きたら昼過ぎ。カレシの方が先に起きて、食洗機から寝ている間に洗い上がった食器を出して、片づけて、朝食のテーブルをセットして、それから菜園の水遣りをしながらワタシ女房が起き出して来るのを待っていた。「寝酒なしでそれだけよく寝られるってことは、100%夏休みモードになった証拠だな」と。うん、生活の「一元化」って心身ともに楽でいいよね。「65になったらすぱっと引退したいと思うだろ?」 えっ?う~ん、それはねえ・・・(起き抜けから誘導尋問しないでよ~)。

今日はリビングの本棚からガラクタを排除する作業。リビングはどこを向いても天井までの本棚になっていて、そこにワタシが老後のための本を買い込んでは積読するもので、蔵書数は半端じゃない。ところが、カレシは並んだ本の前のスペースに何でもやたらと置きまくり、本棚の隙間には何を録画してあるのかわからないビデオやDVDが並び、買ったのはいいけど置き場所から溢れたDVDが並び・・・もうっ。片づけ始めると、これがまるで考古学の発掘現場。6年前の銀行の明細書、前回5年前の運転免許証更新の通知書、誰のかわからない電話番号のメモ、壊れて処分した道具の説明書、そして小銭、小銭、小銭。

紙以外をどんどん「非リサイクルゴミ」の箱に放り込んでいったら、そういうガラクタに埋もれて埃をかぶっていた古いワタシの写真が何枚も出てきた。会計事務所時代のクリスマスパーティで同僚が扮したサンタクロースの膝で笑っている(30代半ばの)ワタシ。家を新築して間もなかった頃か、カレシが育てたほっそり美人の大根を持って微笑んでいる(20年くらい前の)ワタシ。髪を腰まで伸ばしていた(15年前くらいの)ワタシ。自分で言うのもなんだけど、ワタシだって若かりし頃はけっこうかわいかったのだ。たしかに、マレーシアかインドネシアかって容貌だけど、童顔だからそれなりにかわいい。

きわめつきは、MacのSEとPCのモニタを置いて、その前に2つのキーボードを並べたデスクの前に座っているワタシ。翻訳業の看板を出してまだ間もない頃のもので、PCの画面を見るとそこは懐かしいDOSの世界。日本語は全角と半角の明朝フォントしかない原始的なソフト。名前は忘れてしまったけど、千ドルもする「設備投資」だった。それでも日本で買ってきたポータブルのワープロから見れば、飛躍的な進歩だった。PCがあるのにMacを使っていたのは得意先が当時はMac一本だったからで、銀行から借金して買ったSEは当時6千ドル以上もしていた。しまいにモニタの隅にアップルのロゴが焼きついてしまうくらい使い込んだMacはまだ納戸の奥のどこかにあるはず。もう前世紀の骨董品もいいところだけど、ワタシの翻訳業も来年2月で満20周年・・・。

写真の中でカメラの方を振り向いてにっこりしているワタシはその頃40代前半。数字からして若かったなあ。まだ若かったからこそ、カレシが熱心に在宅稼業への転身を勧めた本心など知る由もなかったし、自分のスペースが徐々に侵食されて狭められていくなどとは夢にも思っていなかった。フリーになって最初にもらった小切手の額面が秘書時代最後の給料の倍以上で、びっくりするやら、うれしいやら。カレシもうれしそうなことを言っていたから、喜んでくれているとばかり思って、そのまま勢いに乗って仕事にのめり込んだ。まだ若かったんだ、あの頃は・・・。

でも、よく見ると、この写真の顔は若すぎるなあ。いや、幼すぎる。どうみたって幼すぎる顔なのだ。自営業の看板を掲げた40代のおばさんの風格なんてこれっぽちもないのだ。普通のカナダ人に見せたら、へたすると「12才くらいかな?」と言われそうなくらい子供っぽい顔なもので、我ながらゲゲゲッと来る。カレシは「ボクなんか教室で中国人のおばあちゃん生徒にあんたの嫁さんはあんたには若すぎるって叱られたよ」と、わかったような、わかってないようなことを言う。あのねぇ、よく見てよね。これは20年近く前の写真。あんたの「若すぎるお嫁さん」はたったの20年足らずで、ほら、こんなおばちゃん顔になっちゃったの。その責任、とってくれるよね?

あしたは36年目の「あの日」。人間として、自分がしたことの責任はきちんとしなきゃ。

あの日・・・そして36年後

8月24日。人間の長い、長い歴史の中には、その後の民族や国家、いろいろな共同体や個人の運命を変えた「あの日」が数え切れないほどある。いや、人間は未来を知ることはできないから、ほんとうに「運命」が変わったのかどうかはわからない。だから、過去を振り返って「ありえた運命」を推測するしかない。何か大きな事件や重大な決断をすることがあって、その選択の結果(outcome)が予想や期待に沿うものだったら、「あの日」は人生最良の日ということになるんだろうけど、そうでなかったときには、もしも「あの日」にあの決断を選ばなかったら、こんな人生にはならなかった「かもしれない」と思うだろうな。あの日の決断が「運命」を変えた、いわば「運命の日」だったと。

生きると言うのは阿弥陀くじみたいなもので、二択、三択の決断の連鎖。誰の人生にも下した決断と同じ数の「ありえた運命」がある。その中にはいつまでも「もしも?」と問いかけてくる「あの日」があるはずだ。能天気に生まれついたようなこのワタシにも「あの日」がある。それが36年前の8月24日。「あの日」を境に、一連の決断がワタシの人生の流れを大きく変えた。カナダでの夏休みが終わって明日は帰国の途につくという夜。デートの後、滞在先の友だち夫婦の家の玄関先。当時の結婚適齢期を過ぎて「彼氏いない歴=年令」だったワタシに「一緒にいたい人」ができた。告白はなかなかロマンチックだったけど、実はその3日後に「二人の将来」を大きく変えるイベントがあるのをワタシは知らされずにいた。

カレシは「黙っていただけで嘘は言わなかった」と主張したけど、相手が妥当な決断をするために不可欠な重大な情報を秘匿したというのは騙すこととさして変わりないと思うなあ。もっとも、そういうカレシがやがて、投資家の正常な判断を狂わせるための「重要情報の故意の秘匿や虚偽の表示」を洗い出す仕事についたのは皮肉な展開だった。カレシが「あの日」の自分の行動を覚えていたら、どんな気持で仕事をしたんだろう。ひとつの嘘を隠すためにまた嘘をつくと、さらにそれを隠すための嘘が必要になる。そうやって嘘を重ねていくと、やがて自重で崩壊する。こういう図式になる嘘はどうも自分の「何か」を隠すための嘘であることが多いように思う。他人の目から隠しているようで、実は自分がその「何か」を見たくない故の嘘ということもある。

「あの日」、そしてその後も、カレシは虚像の「日本女性」しか見えていなかった。目の前にいた「ワタシ」という25才の女性も、一緒の生活の中での「妻」も見えていなかった。ワタシはカレシという「一緒にいたい人」しか見えていなかった。後で海の向こうの何にも知らない人たちにぼろくそに言われて自分を見失ったのは、長い間カレシの心のお荷物をまるで自分の重荷のように背負わされて来たからで、自分にもカレシにも糾弾されたような嘘はついていなかった。自分にそんな無責任なことはできないものね。もし、やましい動機があって「カレシが好きなんだ」と自分を騙していたら、カレシとは10年ともたなかったろうな。あのときの決断を後悔して、その責任をどこかに転嫁していたかもしれない。自分に対する嘘で傷つくのは究極的に自分だということなんだろうな。

カレシへの気持が、36年の間にえくぼもあばたも身近に見ながら変わらずにいられたのは、自分のその気持が嘘ではなかったからだよね。ずっと自分を信じていたんだよね。運命の「あの日」から36年・・・ワタシはそんなことをつらつらと考えながら、引き続き夏休みの大掃除。外で庭仕事をしていたカレシがひと休みしに入って来て「今日のメニューは何?」と聞くから、「魚!」と答える。いつもの受け答えなのに、いつものように一拍おいて二人で大笑い。うん、「あの日」に出会った「一緒にいたい人」と36年かけてここまで来たのは、これが「ありえた運命」だったからなのかなあ・・・

999本目と数秘学の9

8月25日。火曜日。夜来の雨で気分はすっきり。ワタシの感情の軌跡と雨が降るのとは全然関係はないんだけど、まあ、人間というのはどこの誰でも何かにつけて「おしるし」を見つけたがるからね。正午を過ぎて、というよりは午後1時近くなって起床。あはは、「朝」がだんだん遅くなって来た。夏休みなんだからこうでなくちゃあ。だけど、「結婚は生活」という井戸端小町の住人たちの口癖の通り、運命の日だの人だのと追想にひたっていられない。いやでも「生活」が追っかけてくる。

さて今日はベースメントのオフィスの整理に着手するぞ、と意気込んで下りていったら、ああっ!バックルームと呼んでいる小部屋のカーペットがびしょびしょ!夜の間にウォータークーラーの水が溢れたんだ。ごく普通の19リットル入りのボトルを逆さまに置くタイプで、ボトルにひびが入っていたりすると、水圧と空気圧の均衡が破れて水がどんどんタンクの中に流れ込み、タンクから溢れた水でクーラーの周りは洪水となる。そういえば、ゆうべ新しいボトルに変えたばかり。ボトルを外して調べたら、底に近い部分にひび。ときどきあるんだよなあ、こういうの。とにかく古いタオルを何枚もカーペットの上において、ぴょんぴょんと「朝の体操」。ぐっしょりとなったのをドライヤーに放り込んで、乾いたのをまたカーペットの上に敷いてダンスすれば、濡れた足跡が点々。こんなときにテレビの通販コマーシャルでやっている「驚異的な吸水力のシャムワウ」があれば、カーペットはあっという間に乾くのにねえ。(このシャムワウという雑巾、日本の通販ではアメリカの3倍以上の値段で売られているとか。)

整理整頓どころか、洪水の後始末に追われてひと汗かいたら、カレシが庭のライトがつかないと報告して来た。庭中を照らす強力なハロゲンランプ。はしごに上って、手で触れるなというめんどうな注意書きつきのランプを取り替えるのはなぜかワタシの仕事。カレシは「ちゃんとはしごを押さえていてあげるから大丈夫」と。あのぉ、この10年、ワタシは高所恐怖症なんだけど・・・。新しいランプを持って庭に出てみたら、カレシが持ち出してきたのは古いアルミのはしごで、段が1本抜けていて、おっそろしくぐらぐらするしろもの。「だって、エクステンションはガレージから出すのがひと仕事なんだよ。ボクがちゃんと押さえているから大丈夫だよ」とカレシ。

じゃあ、とサンダルを脱いで、裸足で上る。一段ごとに左右にゆ~らゆ~ら。ランプの位置は地上3メートル半。ガラスのふたを外して、長さ10センチほどのチューブ型のランプを外してポイッ。その後に新しいランプをはめ込むんだけど、スプリングが強すぎてはまってくれない。そのスプリングの位置もどうやら右利き用にできていて、左利きのワタシの右手は力が足りない。左手でやるしかないけど、頭にくる。苦戦していたら、生垣の向こうでとなりのパットが手を振っていた。なんとかはめ込んだら、とたんに点灯。うっ、まぶしい!手早くガラスをはめ込んで、そろりそろりとはしごを降りたけど、よく見たらミニのドレスのまま。緊急時とはいえ、あの高さに上ったら生垣の高さも間に合わない。いやあ、ワタシの後姿、奇観だったろうなあ・・・

午後いっぱいもう十分に生活したし、オフィスは竜巻の被災地みたいな状態だから、整理整頓はあしたにしよう。よく見たら、このブログは今日で999本目。この999という数字には大いなる意味があるらしい。黙示録の悪魔の印が「666」で、ひっくり返すと「999」になって天使の数字だというので、ググってみたら占いサイトらしいのがたくさんヒットした。イギリスでは警察や消防署の緊急番号だとか。気が動転しているときには911よりも押しやすそう。ま、簡単すぎて笑うに笑えない間違いやいたずらもあるらしいけど。999はまた「達成」に限りなく近い数字でもある。このブログも次は1000本目。もう一段上を行って「9999」を目指したらどうなるか。もっとすごいことに限りなく近くなるように見えるけど、人間はなぜか3つが好きだから、9999では4つになっていいことがないのかもしれない。人間の世界は三次元だから、なんでも「3つ」の方が落ち着くんだろうか。三角形は最も安定した形だそうで(三角関係という危なっかしいのもあるけど)、その3に3をかけたら9。その3に3を3つ並べた333をかけたら、9が3つの999。なんか意味ありげな・・・。

そういえば、名前の文字数からその人の性格や宿命を占う数秘学(numerology)というものがあるあるときにそのサイトを見つけたので、試しにワタシのフルネームを入力したら、出てきた数字が「9」、「魂の衝動」とかいう数字が「3」、「内なる夢」とやらは「6」だった。9+3+6は18で名前の文字数。9+3は12で、3つ目の「6」で割れる数字。9+6は15で、これは「3」で割れる数字。で、3+6はワタシの数字である「9」。このあたりの関係の意味合いはよくわからないけど、州の法律に基づく「改名申請書」で、理由の2番目が「数秘学」となっているところを見ると、東洋で「字画」を気にするように、西洋でも易学上の「数字」を気にする人がたくさんいるんだろうな。

たぶんどんな数字でもうれしくなるようなことを言ってくれるんだろうけど、「9」のワタシも読んでいるとほかほかとうれしくなるような性格(その通りかどうかはまったく別の話だけど)。で、ワタシの「魂の衝動」を掌る「3」のエネルギーがとてつもないおしゃべりの源泉になっているらしい。うん、やっぱりやめられないってことかなあ・・・

999の吉日まで休止符

8月26日。いよいよ。1000本目。

相も変わらずいろいろと考えることがあるけど、今日はあえて何も言うことなしということにしよう。

少なくとも中国では、「9」は「長久」、つまり長く(永遠に)続くというので、めでたい数字なんだとか。数秘学でのワタシのナンバーは「9」。それが3つも重なる縁起のいい日に(100)1から始めることにして、ワタシの日本語思考も夏休み。

はたして、(1)999まで続くのかな・・・?


2009年8月~その1

2009年08月16日 | 昔語り(2006~2013)
短すぎる北国の(自営業の)夏

8月1日。あああ~気持ちよく眠れた。暑さがひと息ついたのもひとつだけど、何よりもきのう出かける間際に配達されたテンピュールのマットレスパッドの功績。かかとが触れていてもそんな感じがなくて、おかげで痛みで目を覚まさずにすんだ。たった3センチかそこいらのパッドでこれなら、うん、マットレスをそっくり取り替えたら、赤ちゃんみたいにすやすやだろうな。ときどき頚椎の古傷が痛むから、テンピュールの枕も買っちゃおうかなあ。年をとるにつれて寝心地のいいベッドは何ものにも代えがたいもんね。とうに買い替え時を過ぎているマットレスを買い替えるときは、メモリーフォームにするだろうな・・・

今日から8月。まだ暑い方ではあるけど、30度までは上がらない予報。うん、猛暑日はもう十分に満喫?したからいいよ。8月といえば、月半ばには恒例の「PNE」が始まり、それと共にジンクスの雨が降り始める。やっぱり北国の夏は短い方がいい。夜空の花火みたいなもので、暑ければ暑いほど短い方が美しいのだ。北国の生まれ育ちだからそう感じるのかもしれないけど、見ようによっては、短い桜の季節を美しいと感じるのと同じ日本的な美感なのかな。バンクーバーの桜の季節は2ヵ月くらい続くから、「あら、まだ咲いてるの?」って感じだけど、10月ともなれば来日も来る日も雨がしとしとの「暗い冬」が半年以上続くから、ぱっと来てぱっと去る夏への思い入れが強くなってあたりまえかも。

きのうは7月分の月末処理で請求書をまとめ書きして、仕事ログを見たら、去年の10月末の水準まで行っている。てことは、今年はあと2ヵ月だけ仕事をして店じまいしてもいいか・・・なんて言ってみたいけど、円とアメリカドルとカナダドルの三つ巴の為替相場に左右されるから売上の金額で比べてもしょうがない。出来高(語数)で見れば去年の8月末の水準で、つまるところは単価の高い仕事が多かったということで、ビジネスとしては効率アップ。だけど、だけど、やっぱり、まとまった夏休み(秋休みでもいいけど)がほしいよなあ・・・

オフィスのカレンダーをめくったら、あらまあ、猛暑ボケしているうちに、いつの間にか7件も仕事が入っている。おまけに納期が同じ日なんてのが3つもある(しかも2つは明日の午後!)。し~らないよ、もう。し~らないから。短い北国の夏がさらに、さらに短くなってしまうじゃないの。家におこもりなら、まるで線香花火の夏。考えたら、まだぜ~んぜん夏休みをやってない。暑すぎるのは別としても、休みを取ってない。ふ~ん、日本のお盆休みっていつなんだろうなあ。ご先祖たちの霊も帰省して極楽も空っぽになるらしいから、ワタシも便乗して「休暇」としゃれこむとか・・・

人見知りオーラ

8月2日。どっかり座っていた内陸の超高気圧も息切れしてきたのか、どうやら平年並みに近いところまで気温が下がってきた。午後4時で24度。これならいたって快適。これだけ「暑い、暑い」を聞かされたら、外に出なくても「暑さバテ」みたいな気分になってくるものらしい。木曜日には待望の雨の予報。ああ、やれやれ・・・。

なんとか庭仕事のできる気温になったので、カレシは買い物の予定を変更して、ワタシが日本みやげに買ってきた唐草模様の被り物をして、庭へ出て行った。きゅうりは相変わらずで、今度はトマトの収穫期。だけど、今日の収穫のニュースはこれ。[写真]。春にバジリコだと思って種を蒔いたら、どうしてもハーブには見えない大きな葉っぱがにょきにょき育って、「すわ、カリフラワーだったのか」と期待感いっぱい。でも、いくら茂った葉の中をのぞいてもカリフラワーは兆しさえない。何なんだろうなあと思案しているうちに、茎の葉の付け根に小さなたんこぶがぽつぽつ。あはは、バジリコのつもりでカリフラワーを植えたと思ったら実は芽キャベツだったのか。大豊作、し~らない。ま、正真正銘のバジリコの方も大豊作だから、いっか・・・。

いつものように悩み多い小町のタイトルを見ていたら、『欧米ではって・・・(苦笑)』というのがある。たしかにこの「欧米では~」が翻訳原稿に登場すると(すんなり英語にならないので)「やめて~」と思う。でも、なんか皮肉っぽいタイトルだなあと思ってトピックを開いてみたら、職場で何かにつけて「欧米では」とやるオヤジにうんざり、というもの。書き込みが100本以上ついて、ああだこうだとけっこうにぎわっている。ま、トロントの人間が「トロントでは」とやるとバンクーバーっ子は「うぜぇ」となるから、そういう人間の感情はどこの誰でも同じようなものかな。こういう攻撃は何らかのコンプレックスの裏返しなんだろうけど、でも、トピックへの書き込みをざっと読んだだけで、「日本の人には何も言えないなあ」という気持になる。そう感じるのは他のトピックでもしょっちゅうなんだけど、何も言えないと感じるのは、表面的には発言に対する反論でも、行間からは「他人」全般に対する嫌悪感のようなオーラが伝わってくるからで、今の日本の人って人間嫌いが多いのかなあと思ってしまう。その気持の理由を説明してくれたような書き込みがあった。

『自分の周りのことにしか興味がないから、欧米はおろかとなりの市の話さえ嫌な人が多いんですよね。最近の日本は不況で守りに入っているのかそういう方が多いですが・・・』

人さまの言動をあれこれとあたかも一般論のように批判するトピックも、結局はトピックを立てた人が「例」として挙げた人個人が嫌いなんだろうとしか思えないことが多い。思い切り極端に勘ぐるなら、その「人」に消えていなくなって欲しいと思っているんだろう。精神的に閉塞してしまうと、自分の感情にしか関心が届かなくて、その自分とは違う周りの人間は不快な存在としか思えなくなってしまうのかもしれない。だけど、自分はいい子でいたいから、面と向かって攻撃しないで、その人の行動を「常識外れだ」として排除しようとするのかもしれない。これも「自分を守る」心理の裏返しなのかなあ。人見知りオーラってところかな。攻撃的なうつ病もあるそうだけど・・・

やっぱり社会全体にかなりの閉塞感があるんだろうな。限られたメディアという「節穴」からのぞいているだけではあるけど、ここ数年特に若い人たちの世界がどんどん偏狭になっているように感じていた。遠く離れて、外から見ているからそういう印象が際立つのかもしれないとしても、それを「私はそう感じるのですが」とさえ言えない雰囲気になりつつあるような気がする。匿名掲示板の知らない人たちの書き込みなんだから何も言う必要はないし、友だちには「こう思う」、「そう感じる」と言えないということはない。だとすれば、何も言えないというよりは、どんな風に表現したら通じるのかわからなくなったということかもしれない。ワタシが日本語を忘れたわけではないと思うけど、だったら、いったいどういう風に言えというのか・・・。

ここのところ「日本では~」、「日本の人は~」みたいなことをあまり書かないでいたら、このブログへのアクセス数がぐっと増えるという現象が起きていた。まあ、どうでもいいんだけど、なんとなく何でだろうなあと考えていて、う~ん、なんとなくわかったような、わからないような・・・。

人見知りオーラの正体は

8月3日。そういえば今日は三連休の月曜日。さして意味のない祭日で、まあ、ハッピーマンデイのカナダ版といったところか。炎々と続いた酷暑も和らいで、どうやら少し暑いと感じる程度だけど、相対湿度は47%でまだちょっと高めの感じ。この暑いのに加えて州全体がからからに乾燥しているそうで、そういうときに限って、スタンレーパークで立ち木に火をつけて回っているバカがいるらしい。400ヘクタールもある公園は原始林ではないけど森林地なんだから、燃え広がったら山火事になってしまう。今のところは大事に至らずに消し止められているけど、喫煙さえ禁止されているのに放火もなにも、バカも休み休み・・・いや、永久に休みにして欲しいもんだ。

ウィスラーを通り抜けてさらに行ったところにリルエットというかわいらしい名前の町がある。その昔のゴールドラッシュの拠点だったところだけど、落雷で発生した山火事が4千ヘクタール近くを焼き尽くし、今町から1キロのところまで迫って、2300人の町民に避難命令が出ている。なのにまだ100人くらいが避難を拒否して留まっているとか。その前に避難勧告が出たときは、避難を呼びかける町のラジオで、避難しない人は歯医者の名前を教えて欲しい、遺言状が家にあるならそのコピーを預からせて欲しい、と怖いことを言っていた。歯医者というのはもちろん遺体の身元確認のためで、避難しないなら死ぬ覚悟をしろというわけ。それが命令に変わって、町全体が消失してしまうかもしれない事態なのに、頑固に家を離れようとしない人たちがいる。「いくらホースで水をかけても、
1500度の炎に太刀打ちできるはずがないのに」と、消火作業の指揮官は嘆く・・・。

きのう、「日本の人には何も言えない(どのように表現したら通じるのかわからない)」と感じる、と言ったあと、いつかどこかでこんな気持を抱えていたことがあったような気がしていた。日本にいた頃のことかな。たしかに、政治や経済の話をしては「そんなことをしゃべったら嫁に行けなくなる」とオトナにたしなめられた記憶はある。でも、息苦しさを感じる雰囲気があったとは思えない。「だったらおヨメなんか行かない」とか何とか言いながらのんきに天体望遠鏡をのぞいていたくらいだし。いつかどこかで抱えていた「何も言えない」気持・・・『彼の機嫌を常に気にしないといけないし、波風立てない為には不安や不満があっても言えない状態』。これは「婚約者との生活が楽しくない」というトピックを小町に立てた女性の言葉。そうか、カレシと結婚して10年目くらいから徐々に感じ始めた「息苦しさ」を思い出していたんだ。

どんな風に言ったらわかってもらえるのか。どんな風に言ったら攻撃されずに話を聞いてもらえるのか。あれは自信がもてなくて不安な自分を守りたいカレシの人見知りオーラにまかれて、その気持を先取りすることを何よりも優先させて、「自分」を見失って行った過程だった。こんなことを言ったらキレるから言わないようにしよう。これを聞いたらキレるから聞かせないようにしよう。これを見たらキレるから見せないようにしよう。でも、自分の意志でどうにもならないことまで、聞いてしまったら、見てしまったらどうしようと怯えたことがどれほどあったか。あの精神的重圧はやがて人の心を押し潰してしまう。会社機能のすべてを自分でする個人事業主という形で仕事をしていなければ、あのまま救いようのないところまで潰れてしまったかもしれない。

うん、たぶん、小町に描き出される職場や家庭や世間や社会にあの「重圧」を感じたんだろうな。閉塞感、抑圧感、鬱屈感、屈折感・・・なんと呼んでもいいけど、人見知りオーラがスモッグのように立ち込めていかにも息苦しそうな気配を感じたんだと思う。迷惑!非常識!許せない!ウザい!臭い!うるさい!そんな圧迫的なオーラを触発しないようにと、首を引っ込めて上目使いに、迷惑でしょうか?非常識でしょうか?いいでしょうか?ダメでしょうか?どうしたら、どうしたら・・・とご機嫌うかがい。それじゃあ息苦しい。うつ病にもなる。世の中もいつまでも明けない梅雨のようにどんよりと停滞・・・と、外国の話だからと黙っていればいいものを長い間圧迫されていた反動からか、何も言えないなあと言いながらもついよけいなことを言ってしまうのがワタシ・・・

思うように行かないこともあるさ

8月5日。おお、今日は涼しい。シーラとヴァルが掃除をしてくれている間に、カレシは外でシュレッダのエンジンをかけている。修理に持って行くつもりだったけど、念のためにもう一度ということらしい。おお、一発で轟音。青い煙も出ないし、ガソリン臭くもないし、息切れもしない。なあんだ、故障してないじゃないの。やっぱりオイル切れが原因だったんで、足したオイルがひと晩たって落ち着いて、「故障」はなくなったというところ。

なにしろきのうはガソリンを入れるポンプがうまく動かないことから始まって、シュレッダの排出口のプレートがうまくはまらなくなり、エンストが起き、とうとうエンジンがかからなくなり、しょうがいないからと生垣の刈り込みにかかったらトリマーの調子が悪い。とにかくあれもこれもとうまくいかないことばかりで、イライラ、ぶつぶつ。ワタシは納期を睨みながら仕事をしているというのに、手を貸してくれ。ちょっと見てくれ。あのさぁ・・・。結局、寝てから何度もトイレに起きたり、足の裏がチリチリしたりで、あまりよく眠れなかったらしい。起き抜け一番に「やっぱりストレスになってたんだなあ」と妙に感心したようなことを言っているからおかしい。ま、何をやってもスムーズに行かないってことは誰にでもあることだし、「bad hair day」ということで、ひょいと肩をすくめてしまえばいい。きのうはきのう、今日は今日。あしたはあしたの風が吹くっていうじゃない。(だから、天気予報が当たらないのかも・・・?)

おかげで重いシュレッダをトラックに積み込む必要がなくなったけど、それでもきのうすれ違って「不在通知」が入っていた荷物を引き取りにトラックを出した。荷物の中身はワインを50何本か貯蔵できる組立式の棚。けっこう大きな箱だし、女手では持てない重さがある。これを普通の郵便配達で持って来たけど、塀越しに庭に押し込むにはちょっと重すぎたんだろうな。手が空いたらさっそく組み立てなくちゃならないけど、置き場所になるところにはもう10年以上も古いビール瓶のカートンがいくつも積んである。自家製のビールを作っていた頃に貯め込んだもので、ずんぐりむっくりの茶色の瓶はもう使われていないから、酒屋も引き取ってくれない。この前郊外で原料の供給元を見つけはしたけど、もう自家製ビールを作ることもなさそうということで、ゆうに20ダースはあるビール瓶はぜんぶリサイクル行きとなった。あとは組立係のワタシがいつ休みを取れるか・・・。

今日の仕事はなんだか内容がどよ~んと重い。不可解に思うところが多いけど、なんだか小町の相談を読んでいるような感じだし、ローカルの掲示板でも似たような話があったから、つまりは今どきの日本女性の現実なんだろうな。自分の「いや」という感覚に敏感なのはいいけど、そこに注意が一点集中になってしまうのか、自分の行動にまでは注意が行き届かないらしい。根本的には、受動態の「自分」しかないから隙だらけになるんだけど、それは子供の無防備さと同じじゃないのかなあ。いくら自分を大切にしたいと思っても、その「自分」がわかっていなければ肯定のしようがない。う~ん、自分を大切にすると言うのはかなりのエネルギーを要する「能動的」なことなんだけど、受動態でいることを求められる環境ではもっと莫大なエネルギーが必要かもしれない。それは疲れるよなあ。ストレスもたまるはずだ。ま、気が滅入ってくる前にさっさと片づけて、次、行こ。

秋立ちて、夏、ひと休み?

8月6日。ゲートのチャイムがピンポンと鳴っているような気がしたけど、むにゃむにゃ。そのうちカレシがもそもそ。え、また眠れないの?と思っているうちに、起き出してしまったので、ワタシも半分寝ぼけ眼で起きた。午前10時半。やっぱりまた「不在通知」が入っていた。今度のは果物や野菜の保存容器。ふたを閉めるたびに自動的に空気を排出して、真空状態で長持ちさせると言うもの。明日また引き取りに行ってこよう。まあ、通販の配達予定はこれが最後だからいいけど。

寝ている間からずっとエアコンがいらない涼しさ。起きてみたら17度しかない。まさかもう秋の気配というわけではないだろうけど、日本の暦では「立秋」らしい。季節だって時間の流れなんだけど、あんまり急がないでほしいなあ。加齢族だけじゃなくて、子供たちもきっとそう思ってるだろうな。そろそろ「Back to school sale(新学期セール)」のコマーシャルが流れ始めた。新学年の学用品や、靴、衣料品を買い揃えるときで、クリスマスショッピング並みに大変らしい。ワタシは子供ができなかったから経験がないけど、神様の思し召しと感謝した方がいいかな。

朝食後いの一番にカレシの運転免許証を更新しにでかけた。免許を取ったのが16才のときというから、運転歴は50年!おじいちゃんの車を遺産としてもらったから、16才になってすぐに免許を取ったんだそうで、ひと月も経たないうちにご近所の庭に突っ込んで塀をぶっ壊したとか。自分の落ち度で起こした事故はそれが最初で最後というから大したもの。大学へ行く前に市役所の交通課に勤めていて、交通事故の現場調査に立ち会わされたせいで、事故の怖さが良くわかっているからだそうな。それにしては、せっかちな運転をするよねえ。いつまでも反射神経に頼っているわけにも行かないと思うけどなあ・・・。

昼休みどきだったので、順番待ちの番号をもらって30分待ち。いろんな人が待っているから、ながめているだけでワタシは退屈しない。にこやかな美人(名札によるとリサーチ会社のヴェルヴェットさん)が新しい特殊な免許証についてアンケート。運転免許証にパスポートの情報を収録したチップを埋め込んだもので、普通の免許証より30何ドルだか高い。車でアメリカへ行くのにパスポートを持ち歩かなくてもいいというだけで、国境での処理時間が短縮されるわけではないし、飛行機でのアメリカ行きには使えないから、うちは「けっこうです」。免許証の更新そのものは5分で終了。写真のない黄色い紙の「臨時」の免許証をもらっておしまい。それにしても、4月に免許証を更新したワタシは75ドルも払ったのに、カレシは「シニア」だからって、たったの17ドル!まあ、ワタシだってこの次に更新するときにシニア割引の恩恵にあずかるわけだけど、5年先・・・。

帰ってきて、しんどい仕事をささっと片づけて納品。報告を受けた方がどう対応するかしらないけど、あまりにも突っ込みどころ満載の日本人的な対処なので、どう見ても分が悪い。小町に相談したら「あんたにも下心があったんじゃないの?自己責任!」という書き込みが並ぶかもしれない。ほんとにどうなってるんだろう、今どきの(日本の)女性は。背中をどん!とどやしつけて喝を入れてやりたいところだけど、「内柔外柔」のやわやわで脆い質らしいから、そんなことをしたら潰れてしまうかもしれないな。あくまでも、やさしく、やさしく、かあ・・・。

大規模な山火事がすぐそこまで迫っていたリルエットの町。窮余の策の「向かい火」が成功して、避難していた町民に帰宅許可がでたそうな。向かい火というは火の手の進行先に人工的な山火事を起こして燃料を絶つという、高度な技術が要求される消火方法で、失敗すれば逆に火災の規模を広げてしまう危険な作業。着火装置を下げて飛んで行くヘリコプターの後を一筋の火の帯が追って行く光景は思わず息を呑んでしまう。消火作業の指揮官は、「10点満点のできだ」と満面の笑み。おりしも、オーストラリアとニュージーランドから応援の消防隊が到着したというニュース。そうか、今年2月のヴィクトリア州の大火災のときにカナダの消防隊が応援に行ったっけ。BC州内では山火事による森林の焼失面積が今年はもう7万ヘクタールをゆうに越えている。東京都にたとえるなら、23区を焼き尽くしてまだ燃え広がっている勘定になる。う~ん、早く秋が来てくれたほうがいいのかなあ・・・

ゆとりにもいろいろあって

8月7日。曇り、曇り。雨はまだかなあ。明日あたり、降るかな?まだ降らないかな?

安眠しすぎて、起床は正午過ぎ。イチゴとブルーベリーにシリアルを加えたような朝食をして、きのう不在通知をもらった荷物を取りにでかけた。たいして大きくも重くもないはずだからと、カレシを車に残して、郵便局へ。通知を渡したら、「まだ届いていません」。え?きのうの朝に来て、今日の「午後1時以降」と書いてあるじゃないの。「配達は今日になってますよ」。え?よ~く見たら、あらほんと。日付が「8月7日」になっている。入れて行ったのはきのう6日なんだけど・・・と、ねばっても、そこにないものはない。郵便局といっても、いわゆる街角の「契約郵便局」。カウンターのお兄ちゃんは申し訳なさそうに「今日の夕方には来ると思うんですが」と言うものの、金曜日だから、先だってのクーリアの例もあるし、カナダポストだってあてにはならないよねえ。

手ぶらで帰ってきて、カレシは雨が来る前に刈り込んだ枝葉を処理してしまおうと、シュレッダをフル回転。ニオイヒバとはよく言ったもので、玄関を開けると、轟音と共にうわっとむせるような匂い。ワタシは鼻がむずむずするから家の中に引っ込んで仕事の算段にかかる。仕事メーターは「3」。日本はとっくに週末。余裕があるから(と思って)、まずはのんびりと小町の井戸端会議を冷やかしてみる。

『欧米では~』のタイトルがまだあるのを見つけて、郵便局でのやりとりを思い出した。これがローカルの日本人だったら、「日本ではこんな対応はありえない」とか「日本では責任感を持って仕事をするのに」とかやりそうだなあと思ったら、おかしくなってひとり笑い。いや、実際にローカル掲示板にはそういうのが満載だった。外国に滞在していて「日本では~なのに」とやるような人たちが、日本へ帰ったら「カナダ/欧米では~」とやって日本人のヒンシュクを買っているんじゃないかという気もする。だけど、そういうのは(日本では)明治の文明開化の頃からやっていることなんで、聞くほうは興味がなければ「へえ、そうなんだ~」と流しておけばいいのに、なぜか聞き流せないんだろうなあ、これが。

比べられて「だから~は(NG)」と言う話で「ばかにするな」と思うのはわかるんだけど、単に「りんごはこうだけど、オレンジはこう」と、異質なものを対照しているにすぎないようなことでも、必ずと言っていいほど「見下している」、(外国関連なら)「外国かぶれしている」という苦言がたくさん出て来るから、「聞き流せない」というより「聞き逃せない」人が多いのかもしれないと思えてくる。何かと対照されることを「(優劣を)比べられている」と受け取るから聞き逃せないんだろうけど、やっぱり何らかのコンプレックスの裏返しというか、少なくとも「守りの体勢」のように見える。これも、バブルの絶頂期に始まったらしいゆとり教育とやらで「みんないっしょに並んでゴールイン」と、やさしく、やさしく「内柔外柔」に育てられたのが、社会に出てみたら「並んでゴールイン」なんて真っ赤なウソで、社会は変わっていないどころか、今やなんでもかんでもがランキングゥの「日本型競争社会」だったから・・・かな?

バブル絶頂期に、ワタシがいた職場に門前市をなすがごとく札束を抱えて押し寄せた日本人たちと、とにかく「優しい」人間を育てるという柔軟(やわやわ)教育が共存している構図はワタシには想像できないんだけど、結果的に心に「ゆとり」のない人が増えてしまったように見えるのは、その「ゆとり教育」から根本的に重要なものが欠けていたからだと思う。だから、横に並べた対照も縦にしか見られないらしい人たち、「○○では~」を聞き逃せない人たちは、その教えられなかった「重要なもの」が何なのかを模索しているところのかもしれないな。ゆとりにもいろいろあって・・・

カレシのバースデイ

8月8日。ハッピーバースデイ、カレシ!「誕生日なんてさぁ~」というのがカレシだけど、生まれた日が8月の8日という末広がりみたいな日。あんがい、年をとったら良運が向いてくるよ~という意味の末広がりなのかもしれないよ。今日で66才。バースデイカードには、昔の大ヒットした『ルート66』の歌詞をちょっともじった言葉を添えた。

   When you feel you’re vexed and stressed,
   Take the highway that is best.
   Get your kicks on Route 66.

まだ十代だったワタシが夢中になって見ていたテレビドラマの『ルート66』は、今どき風に言うなら「自分探しの旅」。シカゴに発してロスまでの3755キロ。アメリカの気の遠くなるような「広さ」がまぶしかった・・・。

まずは、久しぶりのマティニで乾杯して・・・

今日のメニュー: アミューズブーシュ(ロコあわびとしめじ)
         ほっき貝とスナッパーの潮汁風スープ
         イカの唐揚げとししとうの素揚げ
         ホタテとキウィのスタック、アスピック、アスパラガス添え
         (サラダ-トマト、きゅうり、フェネル)
         デザート(ブルーベリー、パイナップル、チョコレートいちご)

ワインはきのうの残りの南アフリカ産ヴィオニエ。2杯目が欲しいときのために冷やしたもう1本はオカナガンのシャセラス/ピノブラン/ピノグリのブレンド。シャセラスはスイスやアルサスで栽培されている品種だそうで、きりっとした清涼な感じの白ワイン。

[写真] ロコあわびは早めに大根といっしょに火にかけて、柔らかくなるまでとろ火で煮た。途中でほっき貝も加えて、出汁の大半をボウルに空けて、水と醤油を足してまた煮る。終わり近くでしめじと枝豆を入れて、食べ際にスライス。

[写真] ロコあわびの出汁をベースにして、塩と醤油で軽く味付けた潮汁風のスープ。ほっき貝をこっちに移して、タイの一種らしいスナッパーのひと口切り身を落としてでき上がり。

[写真] カレシの好物のイカの唐揚げ。醤油と酒と生姜に漬けてを味をつけた。ほんとうはゲソだけ欲しいんだけど、今のところ巷で手に入るのはカットしたイカ。ししとうはそのまま何もせずに油に放り込んで揚げた。

[写真] 今日のメインコースは直径が5センチ以上あるジャンボホタテ。厚さは3センチ以上あるので、3枚にスライスして、ライムジュースとゆず入りの唐辛子に漬けておいた。これをさっと強火で焼いて、スライスしたキウィと交互に重ねてみたら、なかなか合う。

アスピックは涼しげで夏らしい(今日は異常低温だけど)からいい。ロコあわびの出汁で軽く風味を添えたゼラチン液に、きゅうり、パイナップル、エビを入れて固めたものだけど、あら、しっかりと固まってくれなくて、盛り付けたらでれ~ん。水の方が多すぎたのかなあ。おいしかったけど、さいころに切れるくらいに固まらなかったのはちょっと失敗だな。ま、思いつきの行き当たりばったりだから、駄作もあるってことで・・・。

[写真] 今日は久しぶりにデザートまで行こう。盛大に1キロ容器で売っている地物のブルーベリー、ミニパックで売っているパイナップル、カリフォルニアのイチゴ。せっかく誕生日なんだから、カレシが大好きなダークチョコレートを、メインコースとサラダを食べている間に溶かしておいて、イチゴをディップ。これでただの果物もかっこよく「フルーツ」に変身というところ。

マティニが出る前にだいたいの下ごしらえを仕込んでおいて、ゆっくりコースごとに料理しながらのディナー。おかげで終わるころになっても心地よく満腹で、食べ過ぎた感じがしない。おいしいものを食べた後は、気合を入れて仕事にかからないと・・・

国際結婚て、二国同盟のこと?

8月9日。雨が降った。起きた頃にはすでに止んでいたけど、道路はまだ濡れていたし、緑も汚れを落としてきれいさっぱり。季節外れに涼しいことには変わりはないけど、雨上がりの空気はやっぱりいい。週明けの火曜日までは雨の予報。予想最高気温は20度以下で平年より5度も低い。7月の終わりに観測史上最高気温を記録して大騒ぎしていたのに、最高気温があのときの最低気温よりも低いんだから、なんだか騙された気分。喜んでいるのはずっと回りっぱなしだったエアコンだけ?

水曜日に納期が来る仕事2件。Wordのファイルは順調に行ったけど、Excelのファイルを開けてみたら、やだ!表でもなんでもなくて立派な「文書」。それをシート数枚に分けて、おまけに文の途中でいちいち「行」を変えてある。ま、それでも「改行」には違いないんだろうけど、なんでWordでやらないのかなあ、もう。よけいな手間がかかるってのにぃ~。まあ、こういう「400字詰め原稿用紙」型の思考は今に始まったことじゃないけど。どっちみちWordに落としての作業だしセルサイズの再調整が必要になるから、Excelファイルは見出しだけを英語にして、「後はそちらでコピーしてくださいね」とWordファイルを送っちゃおう。この仕事が片付けば「仕事メーター」は1にダウン。おりしも日本はお盆休み。そのままうまく行けば・・・?う~ん、胸算用の通りにいくかどうかは神様ならぬお客さましだい、か。

と、グチっぽく始まった日曜日。空は雲がだんだんに薄くなって、切れ目ができて、ちょっと水っぽい青空がのぞいてきた。仕事の算段が終わったところで、小町の井戸端を通りすがる。今日は国際結婚のトピックが多い。ワタシにも状況が理解しやすいテーマということもあって、この手のトピックはつい読んでしまうけど、『国際結婚の難しさとは?』という問いかけは、それ自体がおもしろい。今年国際結婚したばかりで「破綻する理由とはどんなことが多いのでしょうか」と言う件には「おいおい」と思ったけど、「相手が外国人だからというよりも、日本人同士と同じような理由ではないか」と言うあたりはなかなかの洞察。カレシとの35年を振り返れば、ワタシもそう思うもの。

問いに対する応答もいろいろでおもしろい。「日本人同士でも難しいんだから、国が違えばもっと難しいだろう」と言う人がいれば、「相手が外国人とはまったく意識しい」という主に対して、食の好みの違いから自分の夫を「この人はやっぱり外国人」と思うという人がいる。(日本人同士だって食の好みは違うと思うんだけど。)別の人は「国際結婚を意識しすぎる」ことを挙げていたけど、生涯の伴侶をいつまでも「外国人」と思っていたら、夫婦の間に「国境線」を引いたままのようなものじゃないのかな。だったら、毎日の意志の疎通、意見のすりあわせは二国間交渉のようなもので、それじゃあ国際紛争も起こるし、戦争も起こるだろうなあ。(ま、少なくともEUみたいな関係には発展するかもしれないけど。)でもねえ、夫の国に住んでいて、その夫を「外国人」として見ている、というのはなんだかヘンだなあと感じるんだけど・・・。

文化の違いは大きな障害という人もいれば、「文化の壁」は問題を転嫁する言い訳だという人もいる。(日本国内だって文化の壁はあるけど。ワタシは初めて関西に行ってカルチャーショックを感じたもの。)言葉の壁が大きな障害だという人もいるけど、恋愛中は「愛し合っていれば言葉なんか必要ない」とのたまう人は多い。結婚に到達できるだけの「言葉」はあったんだろうけど、察してもらうことがあたりまえという人が言うべきことも言わなかったら、いつまでたっても言葉の「壁」は低くならないかもしれない。人間は必要になれば下手くそでも変でもとにかく「言ってみる」と思う。それをしないなら、(相手の)言葉の壁じゃなくて、(自分の)文化の壁の問題ってことにならないのかなあ。(まあ、そういうアングルは誰も考えないようだけど・・・。)

じゃあ、国際結婚はほんとうに難しいのか。ちっとも難しくないと思う。相手が外国人だから「国際結婚」といういかにも特別そうな名前がつくだけのことで、結婚は相手さえいればできる。難しいのはその先の人生をどうするかだろう。考えたら、「外国人」はカレシの国に来たワタシの方だったんだけど、カナダの水が肌にしっくり合って、違和感がほとんどなかったもので、そんな風に考えたこともない。カレシと会ったときに「この人!」と感じたのと同じに、カナダに来て「ここ!」と感じたんだろうな。それにしても、この「国際結婚」という表現、なんとかならないのかなあ・・・

雨の日の、午後の目線は・・・

8月10日。ゴミ収集車の轟音で目が覚めて、ガーデナーの芝刈り機の轟音で起きだしたら雨が降っていた。こんなに本気で降っているのを見るのは久しぶりだけど、ジェリーはその雨の中で歩道の芝生を刈っていた。(市の歩道沿いの芝生だけど、めんどうを見るのは家の持ち主の責任・・・。)それにしても、寒い!ポーチの温度計は正午で12度。平年より10度も低い。先々週は平年より10度も高かったのに、なんてこった。「マザーネイチャーは更年期かも」とカレシはにたり。おいこら、女をばかにしたらあかんよ。特にマザーネイチャーはコワイんだから。でもまあ、ワタシも更年期だったときは熱くなったり寒くなったりだったけどね。あれって、サーモスタットが壊れたようなものだったのかな。(雨もずいぶん降ったし・・・これは、言葉のあや。)

まずは荷物を引き取りに郵便局へ。ふたを閉めるたびに自動的に空気を抜いて、果物などを真空状態で3倍くらい長く保存できるというもの。バナナとキウィを入れてふたを閉めたら、ガガ~っと空気抜き。それから、酒屋、青果屋、スーパーと巡回するのに、トートバッグを4つ持って再度おでかけ。酒屋の駐車場はがら空き。カレシ、「ひょっとして休みじゃないのか」と。まさか。今日は月曜日だからでしょ。月曜日の日の高いうちから酒屋の駐車場がいっぱいになったら世も末じゃないの(と、「この人、大丈夫?」という目線でカレシを見る)。カートンいっぱいのワインの空き瓶を返して、改めて2本。ついでに切らしていたカルヴァドス。カレシは「トラン先生がいいと言ったから」とギネスを半ダースといっしょにアーガイル模様のトートバッグに。

モールの外側にある青果屋へ。雨が降っているからもう少し近いところに車を止めればいいのに、先まで行ってなかったら困るからと、反対側。あの~、月曜日の午後なんだけど・・・(と、「この人、何を考えてんの~」という目線でカレシを見るワタシ)。ま、いっか。店までせいぜい50メートルくらいだし、「雨降りじゃあ、濡れて行こう」と粋に構えるのがバンクーバーっ子だもんね。ひと山の野菜、果物は一番大きなトートバッグに。地物のトウモロコシを試しに1本だけ買ったけど、まだ実の入りはあまり良くないような。ブルーベリーはまだ盛大に並んでいたけど、まだ前回のを食べきっていないから、今日はパス。緑、赤、黄色、オレンジのピーマンの他に濃い紫のと白っぽいのがある。次はブルーだったりして・・・?

最後の「寄港地」のスーパーは建物の反対側なのもので、そっちの駐車場へ車を移動。「雨だから」と、カレシ。「あっ、そう」と、ワタシ。「ひまわりの種、買ってね」とカレシ(と、「あ~あ、やれやれ」という目線で見上げるワタシ・・・)。量り売りのひまわりの種は、レバーを引いて出口の下に当てたビニール袋に欲しいだけ出して、商品番号を書き込んだツイストタイで口を閉めるだけの簡単なしくみなんだけど、いくら説明してもカレシはこのしかけをマスターできないらしいから不思議。こ~んなに簡単なのにぃ・・・と考えていたら、ありゃ、ずいぶん大量に出してしまった。ワタシの買い物リストは真夜中のランチの食材で、二人して気に入っているのが野菜バーガー。大豆タンパクをベースに赤ピーマンやにんじん、じゃがいもを混ぜたもので、肉の代用品と謳っていないから、野菜の味がそのままで、すっかりはまってしまった。他にいろいろ買い込んで、2つのトートバッグがいっぱい。

買い物を終えてモールの駐車場から出るのに、前になかなか道路へ出ようとしない車。「運転のしかたを見たら、頭の中身とか性格がわかっちゃうよなあ」と、カレシ。「ほんとにそうだねえ」と、しげしげとした目線でカレシを見るワタシ。雨、止みそうな気配・・・。

2分間の名声を求めて

8月11日。きのうはずいぶん雨が降ったらしいけど、今日はまた晴れ。広がった青空の色、ちょっと見にはなんとなく秋の色のような印象もないではない。でも、まだ夏が終わるのは早すぎるよなあ。壊れたなんとかみたいにしつこく言ってるけど、ワタシはまだ夏休みをしていないんだもん。

日本のお盆休みと言うのがだいたいいつからいつまでのことをいうのかわからないけど、台風に地震と、それこそ地獄の釜のふたがパッカリと開いたような災難。いつもながら感心する「何十キロ渋滞」というのも、真夏ということを考えたら灼熱地獄みたいなものかもしれないな。ワタシはなぜか子供の頃の「お盆」を思い出せない。お寺がずらりと並んでいるところに住んでいたんだけどなあ。うちに仏壇があったかどうかも覚えていない。父方の祖父の小さい写真に見覚えがあるし、小さな高杯のようなものに盛られたご飯にも見覚えがあるから、仏壇もあったのかもしれない。まあ、我が家は「帰省」とは無縁だったし、盆踊りはあったと思うけど、釧路の夏の夜は霧がかかって寒すぎたし、きっと子供心には印象に残らなかったんだろうな。

先週だったか、ユーチューブで3人の男が湖の鴨をライフルで狙い撃ちしてはげらげら笑っているビデオが見つかって、大騒ぎになった。動物保護協会などから「逮捕」の協力者に賞金が出されて、捕まってみたらサスカチュワン州の実の兄弟2人と義理の兄弟の3人組。禁猟期で当然無許可の狩猟ということで、即刻有罪。ライフルを没収された上でそれぞれ数千ドルという高い罰金を言い渡された。まあ、全国の話題になったもんだから、当然マスコミが田舎の裁判所に押しかけたけど、見たところ20代かな。図体から見る限りはオトナには違いないんだろうけど、やっぱりみんないかにもバカっぽそうな顔をして歩いていた。

その前はケベック州で、父親が7歳の息子にミニバンを運転させて、横からビデオを取ったのを、やはりユーチューブに投稿していたのが見つかった。田舎道で他に車はいなかったそうだけど、父親が「いいぞ、いいぞ、その調子だ」と、けしかけるようなことを言っていた。後の席には母親と幼い子供たちが乗っていて、全員シートベルトなし。警察が道路交通法違反で父親を逮捕することを検討しているという話に発展して、全国からヒンシュクを買った父親はかなり反省していたようだけど、っとにもう、いったい何を考えていたやら。

まあ、いい年をしてバカなことをする人間は老若男女、世界のどこにでもいるけど、自分のバカさ加減を喜々としてビデオに撮って(もらって)、おまけにユーチューブなんかに喜々として投稿して、「オレってこんなにもおバカ。すげえだろ~」と世界中にお披露目しちゃうなんて、いったいどういう神経なんだろうな。まあ、インターネットの普及と並行して、現実空間と仮想空間の区別がつかない人たちが増えたのは確かだろうし、「現実空間の自分は仮の姿で、仮想空間の自分が本当の自分」なんて、SFじみた人もずいぶんといるらしいから、自分のバカっぷりに自己陶酔するってのは単なるアホなんだろうけど、何百万年も、何十万年もかけて「進歩」してきた人類が、ここに来て今度はナノ秒のスピードで「退化」・・・なんてことになったら、この地球はどうなっちゃうの?なんか人類の未来に暗雲が立ち込めてきたような気がするんだけど、それって杞憂だよね、杞憂?

雑念、雑感、雑考

8月12日。また、いい天気だ。この調子なら、夜になったらペルセウス流星群が見られるかなあ。まあ、ふっと見上げたときにすぅ~っと空を流れる星は趣があっていいし、願いごとをするチャンスもあるけど、流星群になって、あっちへすぅ~、こっちへすぃ~とわんさか流れてくると、どれに願いごとをしていいやら。数撃ちゃ当たるってわけにいかないだろうし、欲張ると何もお願いしないうちにみんな消えてしまいそうだし。お願いをしすぎるのも、なんかロマンがないなと言う感じがするし・・・

そんなことよりも、午後が納期の仕事が2つ。発注元は同じなんだけど、英語訳の他に、なぜか「ついでに」と日本語訳の仕事も送ってきた。英語訳の方はああだこうだとわめいていたExcelのファイル。結局、ワタシは「DTP」はやりませんてことで、Wordのファイルで送っておしまい。でもなあ、表計算ソフトであるExcelをワープロソフトが代わりに使うのはやめてほしい。使ってもいいんだけど、契約とかマニュアルの文書はExcelの得意技じゃないってことをわかってほしい。Excelが得意技の人は、ひょっとしたらそれしか使えないとか・・・?

久しぶりの日本語訳は、shall、shall、shallと出てくる、見たところ何の変哲もない契約書。翻訳デビューしたての頃はうんざりするほどやったから、これもシャラ、シャラ、シャラと滑るがごとく、簡単、簡単・・・と、思ったら、あれ、な~んかヘン。まあ、作成元がアジアの某国の弁護士事務所らしいから、現地語が混じっていなければ、ヘンな表現があっても強引に読み進めるのに、これはどうしたことだろうと、よく見たら、コンマがあるべきところにない。コンマが品不足だったのかどうか、まるで将棋倒しの文章を読むみたいな気分。このコンマってのは、うっかり見落としそうな豆ポッチだけど、あるべきところになかったり、よけいなところにあったりしたばかりに戦争が起きかねないくらい重要なものなんだから、もっと尊重してやってよね。それにしても、近頃の日本語訳はひと昔のワタシの頃よりもっと難しいかもしれない。だって、英語だからといって、非英語圏のどこの国の誰が書いたものかわからないし、生粋の英語人でさえ、日本の「ら抜き」、「さ入れ」と同じく近頃は怪しげだから、すごい推理力が要求されそう・・・

というわけで、午後いっぱい自分のしっぽを追いかける犬みたいにきりきり舞い。くたびれるなあ。ここのところ、なぜか血圧が下がり気味。きのうもけさも上が100以下、下も70以下。血圧って、ストレスになると上がるんじゃなかったのかなあ。ワタシはあまのじゃくだってことは重々自覚しているけど、仕事でカリカリ、きりきり、イライラしているのに、どうして血圧が下がっちゃうんだろう。そのせいでよけいにカリカリするのかなあ。今夜はストレス解消に寝酒でもあおるか・・・。

テレビのニュースを見ていたら、オンタリオ州のブランプトンというところで、女性と子供2人が落雷で大怪我をしたと報じていた。なんでも、青空がのぞく穏やかな午後の公園で、何の前触れもなくドカンという音と共に火花が散って、3人が倒れたという。「青天の霹靂」という言葉はたとえ話だと思っていたけど、ほんとうにあることなんだ。窓際に立って雷雨を眺めていた人にガラス越しに落雷したという話も聞いたことがあるし、雷は侮れない。ん?明日はこっちでも雷雨発生の可能性があると言ってる・・・どうしよう?

仕事メーターは「2」。どっちも納期が週明けで、どっちもそれまでは仕事を送って来ない(はず)。ちょっとひと息入れて、明日はワイン棚を組み立てよう。TIME誌に「エクササイズの神話」とかいう記事があった。ある研究で、減量のための激しい運動をすると逆に体重が増えるという結果が出たんだそうな。たしかに運動すれば筋肉が増える。筋肉は脂肪より重いから、最初のうちは体重は増えるだろうな。実際に、ワタシも体重が増えて、服のサイズが下がったし。先に勝手に納得して記事を読んでびっくり。フィットネスジムなどで激しい運動をすると、これだけやったんだから、よけいに食べてもいい、という「自分にご褒美」的な心理になって、つい食べ過ぎてしまうとか。それもありだろうな。減量にはいつもまめに(掃除をしたり、庭仕事をしたり、歩いたり)体を動かすのが一番効果的なんだそうな。つまりは日常の家事やレクリエーションか。トレッドミルで過激にやるよりは楽そうなのに、やらない人が多いみたいなのはどうしてかなあ・・・。

足らぬ足らぬは何が足らぬ

8月13日。朝方、ふっと目が覚めたら、みごとな雷雨。このゴロゴロで目が覚めたらしい。ざざぁ~っとかなりの勢いで雨が降っている。(おかげで気温も上がらない・・・。)ベッドルームで安眠用に「雨」の音を奏でる?サウンドマシーンは、ぽしょぽしょ、ちゃぷちゃぷ。屋根の上の雨はざぶざぶ、バタバタ。午前9時半。ワタシは内と外の雨の二重奏を聴きながらまた眠りについて、起きたのは正午すぎ。本当に雷雨だったのかなあというくらい、拍子抜けの青空。

腹ごしらえをして、ワイン棚の組み立てにかかる。アメリカの通販で見つけたものだけど、箱には「スウェーデン製」と書いてある。開けてみたら、ほわ~んと松材の香り。穴の開いた支柱4本、桟を取り付けてある棚6枚、天板1枚、底から振り出した箱にはスチールの棒14本とTナット28個、ナットドライバ2本。そしてぺらっと1枚の組立て説明書。中国製の靴箱のときは何語だかわからない説明で四苦八苦したから、まずじっくりと読んでみる。(英語圏で売るなら、説明書くらいはまっとうな英語で書いてほしい。それがだめなら、せめてイラストと説明内容と一致させて欲しい。でないと、そのうちPL法で訴えられるかも・・・。)

説明書はごく普通の英語なので、安心して組み立てにかかる。スウェーデンの組立家具は、初めからしろうとが簡単な道具だけで組み立てることを前提にデザインされているらしいから、手順が理解できれば作業は楽々。部品の種類と数の多さからIKEAとして最も複雑なデザインだと言っていた大きなテレビキャビネットも、2日がかりではあったけど、組立てそのものはワタシの女手ひとつで楽々。ワイン棚も大汗をかいたけど、1時間かからずに完了。玄関下の納戸のがらくたを片づけて、コンクリートの床をざっと掃除して、ワイン棚を置くまでの作業の方が時間がかかった。なにしろ天井まで140センチしかないから、おちびのワタシでさえ腰を屈めての作業で、また大汗。それでも、組立作業にかかってから約1時間半で我が家の「ワインセラー」が完成・・・[写真]

上においてあるのが結婚祝いにもらってずっと使っていたワインラック。合わせると63本のワインを貯蔵できる勘定になる。2日に1本の割で飲むと、たった4ヵ月分・・・。横の金庫の上にあるのはワタシ自慢の1948年産アルマニャック。65才になったら引退祝いに開けるつもりで後生大事に寝かせてある。アルマニャックと言えば、月曜日に酒屋で1910年産のを見つけた。二十世紀の世界大戦の戦火を二度もくぐり抜けてきた百年のヴィンテージの値段は2550ドル。ああ、せめてグラスから立ち上る芳醇な香りだけでも・・・。

そんなことより、ポーチに積み上げてあるがらくたを早急に何とかしないと、玄関先までがゴミ屋敷のようになってしまう。まあ、家の中はとっくにそれに近い状態になっているけど、カレシの「男手」を動かすためにはひと工夫もふた工夫も、いや何工夫もいるのだ。そういえば、太平洋戦争中に、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という標語ポスターがあちこちに張られていたのが、誰かが「工」の一字を消したそうな。「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」・・・今どきの人たちにはダサい昔話かもしれないけど、なんだか形を変えて生きているような感じもする。それはさておき、我が家はと見ると、ふむ、「夫」の方はまあ不足はないけど、「工」の方がどうも・・・

極楽とんぼは本人です

8月14日。今日は少しのんびり。といっても、日曜日の午後が期限で2日くらいかかりそうな仕事があるから、あんまりだらけているわけにも行かない。そうは行かないんだけど、やっぱりだらけ気味なのはどういうことだろうな。このところ血圧がなんか低いのと関係あるのかなあ・・・と言ったら、カレシ曰く、「毎日測るから気になるんだよ」。(自動翻訳:「オレは測らないから気にならない」。)

なるほど、そういわれると一理がないでもないな。カレシのために買った血圧計なのに(グッドアイデアと言ったくせに)、当のカレシは「よけい血圧が上がるから」と言って、頑として使おうとしない。それで、せっかくだからというわけではないけど、ワタシがずっと毎日まじめに測っている。あれ、これって、子供がもういらないというお菓子をもったいないと言って食べているママみたいな感じもするんだけど・・・。

月曜日からいよいよ新しい地下鉄が開通するんだって。最初は11月と言っていたのが、10月になり、9月の三連休になり、いつのまにか8月17日。まあ、オリンピックまで後半年だし、予定が遅れるよりは良いことに決まってるけど。当日は「開通記念」で運賃がただになるらしい。ただし、午後の何時間かだけらしいのはケチな話だなあ。だけど、この新路線も「改札口」がないから、特別に無料なんて言っても意味がないかも。86年万博で作ったスカイトレインの伝統?なのか、無賃乗車が横行していたのに、今回も初めから計画させなかったというから呆れる。ま、落ち着いたらそのうち(切符を買って)乗ってみるか。

サイモンフレーザー大学が、剽窃・盗作を防止するために「FD(不正により落第)」という評価を導入することにしたとか。ネットでググれば何でもある時代だから、そういう横着も横行していて不思議はない。あらゆる科目のレポートや論文を載せて、コピーして使えるようにしているサイトもあるし、お金を払えば代筆してくれるところもある。そういうのを見つけたら評価は「FD」。しかも卒業後2年間は成績表に明記されるそうだから、大学院への進学や就職に差し支えるだろうな。カレシに、就職するのに成績表も要求されるって知らなかったと言ったら、「封をしたまま出せというところもある」という返事。へえ、そうなんだ。まあ、高卒のワタシの就活範囲は人材会社でタイピングのテストする程度のレベル。でも、あれはその場でやるからごまかせなかったけど。

高卒と言えば、小町に、「かなりのレベルの大学を出て、人も知る大手企業で働いていた」人が、優秀な人の後任として採用されたのはいいけど、その「優秀な人」は高卒で、この先高卒の前任と比べられて働くのに耐えられそうにないからやめたいという人がいて、えらい剣幕で「普通、高卒者に「優秀」という言葉を使いますか?出来る人だなんて、口が裂けても言わないと思います」な どと言ったもので火だるまになっている。高卒より「優秀」な高学歴なんだから、その人がやってた仕事なんかへのかっぱだろうに、人間はおもしろい。ワタシも大学卒であることが「あたりまえ」になっている業界にいるもので、「大学はどちら?」とよく聞かれる。「あ、大学行ったことないです」と答えたときの反応がけっこうおもしろい。ほんとは「大学卒でTOEIC900点以上」でなければできないって職業でもないんだけど。(ワタシはTOEICもTOEFLもIELTSも受けたことがないので、自分の「英語」のレベルは皆目わかりませ~ん。)それにしても、なんだかんだと「優劣」にこだわる人、やっぱり多いのかなあ。だから詐称だの偽装だのが横行するのかもしれないな。

小町にもうひとつ、すごいトピックがあった。友だちがトピックの主の家や料理の写真を自分のものとしてブログに載せているというもの。プロフィールの写真まで主の後姿だというから、ここまで来ればりっぱな「なりすまし」じゃないの。しかも、ある程度の作り話はあたりまえだと思っているらしい。(ブラジルでは犯罪報道番組のホストが、視聴率を上げるために人を雇って殺人をやらせていたそうだけど。)まあ、作り話はいいとしても、「ブログはやりたし、ネタはなし」だったからかどうかは知らないけど、人さまの家を自分の家、人さまの料理を自分の料理、(後姿とはいえ)人さまの写真を自分、というのは、ちょっと怖すぎるなあ・・・

行かなかった道40年

8月15日。カレシに起こされて目を覚ましたら正午。寝たりない。それもそのはずで、4時過ぎから5時半すぎまで、家の上空をぐるぐると飛行機が飛んでいて眠れなかった。どこかへ飛んで行ったかなと思って眠りに落ちかけるとまたブゥ~ン。しばらくして静かになったからうとうととし始めるとまたぞろブゥ~ン。っもう、迷惑!空港に近いもので大気の状態によっては丑三つ時に発着するジェット機の音が聞こえるけど、こっちは気にならないのに、なぜか低空で飛ぶ小型機にはイライラする。こんな時間に空の散歩も何もないもんだろうに。まったく、やぶ蚊よりもうるさい。対空砲があったら一発で撃墜してやる・・・と思いつつやっと眠りについたのだった。

今日は「ウッドストック」から満40年だそうな。ベトナム反戦、愛と平和のアピール・・・スローガンはどうあれ、ポップ文化としては画期的なことだったのは確か。だけど、当時のファッションに身を包んだメタボおじさんたちがウルウルと遠い目をして「青春よ、もういちど~」みたいなことを言っているのを見ると、40年も何して来たんかいな、マリファナの吸いすぎでハイになったまま人生が過ぎてしまったんと違うんかいな、と思ってしまう。

ワタシも同世代だから、反体制運動、反戦運動、学園闘争のイメージは記憶に焼きついている。大人になりたてで、政治や社会の革新に大きな期待をかけたこともあった。なんとなくヒッピーに傾倒していたところもあった。しがらみや足かせから自由になって、世界を放浪したいとも思った。だけど、ある反戦デモの翌朝、まだ消えやらぬ催涙ガスで目をしょぼしょぼさせながら大通り公園を横切っていて、ふっとヒッピーや活動家、社会主義思想というものにどうしようもない幻滅を感じてしまった。どうしてそう感じたのかは未だにわからないけど、あの時代を象徴する「ウッドストック」の映像を見ていて、あの朝のことをかなり鮮烈に思い出した。あのとき、いったい何にあれほどの深い幻滅を感じたのか・・・。

まあ、あの泥だらけの農場を埋め尽くした50万人も今生きていれば60代。今どきの若者から煙たがられる年頃だけど、その後の人生はきっと50万の流れ星のような軌跡を描いたことだろうな。ワタシの人生だってあの朝から前の日とは違う軌跡を描いて流れて来たんだろうと思う。「ニューヨークには・・・800万のストーリーがある」というのは昔のテレビドラマのナレーションだけど、人生ってふたつとして同じものはないだろうと思う。そういうひとつひとつの人生にも「The road not taken(行かなかった道)」がいくつもあるだろうな。もしもあのとき、あっちの道を行っていたら・・・。

もしも、もしも・・・。もしも今ここにこうしていなければ、ワタシはどこで何をしていただろうか。恋愛がしたいわけでも、結婚がしたいわけでもなかったから、独身のままかなあ。ひとつだけ確実なのは、カナダに来なかったら、いずれはひとりで東京へ出るチャンスがあったということだけど、きっと仕事を終えて安アパートに帰って、売れない小説を書いていただろうな。もちろん、ある日突然売れっ子になって、芥川賞をもらって、今頃は文壇でのさばっていたかもしれない。まあ、ワタシはその時代としては「人があまり通っていない道」の方を選んだわけだけど、2本の道があまりにも大きく分れていたもので、その後の人生がどれだけ大きく違ったかは、想像のみで知る由もない。おかげで後悔することもなく、選んだ道をひたすらに歩いて来れたのかもしれないけど、それで良かったじゃないかと思えるのは、やっぱり年を取ったと言うことなのかなあ。ということは、あのときの深い幻滅感はひとえに若かったからということになるのか・・・