リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2007年10月~その2

2007年10月31日 | 昔語り(2006~2013)
なくてもありすぎても困るもの

10月16日。どうしたことが二人ともあまり良く眠れなくて、けさはそろってとろ~んの状態。それでもカレシは英語教室に出かけて行き、私はそろ~っと腕まくり。中くらいのをもうひとつ同じクライアントだからやっちゃえとねじ込んでしまったから、この先1週間はまったくのきちきち。我ながらしょうのないやっちゃと思う。仕事のログを見ると、今年は今月でもう去年の年間売上を突破している。来月納期の手持ちの分も勘定したら、思いっきり仕事を減らすことにした2001年のレベル、このまま年末まで仕事が続いたら、ワーカホリック時代に近づいてしまいそう。それじゃあ、ここらで店じまいしてのんびり、ともいかないしなあ・・・。

あくびをしいしいでピッチが上がらないので、気晴らしのつもりでローカル掲示板を覗いたらおもしろい話があった。同棲しているカナダ人のボーイフレンドに結婚するときはPrenupにサインしろと言われたとかで、これってフツーですか、と質問。結婚前に主に財産について取り決める、いわゆる婚前契約なんだけど、普通かと聞かれれば、庶民にはそんな契約を結ぶような財産なんかないし、中流の上くらいでもそんなに普通ってわけではないけど、金持ちになるとかなり普通じゃないのかな。特に金持ちの熟年男が若い女と再婚するってときは多いだろうなあ。ドナルド・トランプとだったらサインしなきゃ結婚してくれないだろうし、ジャッキー・ケネディもオナシス夫人になったときにサインしたらしい。ポール・マッカートニーは再婚の時にヘザーの涙に動かされてそれをやらなかったから、ひと財産ぼったくられる羽目になったとか。

件の掲示板のカノジョ曰く、「離婚して彼の財産をふんだくりたいとか、得したいという思いはないですが、異国の地でもし一人身になることを考えるとやはり離婚となれば、ある程度の資金は必要になると思います・・・今後結婚生活をしていく上で離婚した際に今の自分の貯金だけが頼りというのは少し不安な気がします」。あらら、まだ結婚もしていないのに今からもう離婚したときのお金の心配かい。まあ、「やめとけ」の大合唱にカノジョもどうやらその気になったらしいけど、バブル後の日本の若い女性は「男は家族を養ってナンボ」と信じているのか、自立しようという気概はまったくない。それどころか、国際結婚で親から離れて異国の言葉や文化の中で暮らす「辛さ」を理解してくれないと嘆く。つまり、あんたのために辛いんだから、蝶よ花よと甘やかせってのかなあ。なんか、努力せず、損をせずに生きたいといっているような・・・。日本女性はおとなしくて尽くしてくれるとかいう、カビの生えたステレオタイプに浮かれているカナダ人男はいい面の皮かなあ。たとえ、自業自得であっても。

だとすれば、このカノジョのお相手はなかなかの策謀家だ。カノジョの曰く、「私がこっちで将来それなりの仕事に就けないようであれば(飲食店のウェイトレス、受付、秘書などではだめ)結婚する気はない」んだそうな。なるほど、かなりの野心家でもあるようだ。出世して金持ちになるつもりで、そのときに自分の妻はその地位に釣り合っていなければ困るということかな。まあ、日本人同士だって、学歴が釣り合わないだの、相手の収入が低くて不安だのと悩みは尽きないようだけど。だけどこの彼氏、あんがい、結婚を仄めかすようになったところで、Prenupを持ち出してはカノジョたちを撃退しているのかもしれないな。それにしても、まだ結婚するかどうかも決まらないうちから離婚後の生活資金を心配する人もいるんだ・・・

ナニしてナンボ

10月17日。よっぽどぐっすり寝たのかなんか、目が覚めたら12時半。また雨らしく外は暗い。8時前にすごい轟音で目を覚ましたというカレシ、「こんな時間にどこのどいつだ~」とわざわざ外へ出て行ったら、市の道路清掃車が雨水枡を塞いでいる落ち葉を掃除して行ったとか。外勤の仕事は一般に朝が早い。だから市の土木現業所みたいな施設からそう遠くない我が家のあたりは、ごみ収集車も清掃車もみんな朝早くに来てしまう。午前7時半はフツーの生活時間でいえば2時か3時くらいみたいなもので、ま、そういう変則時間で生活しているんだからしょうがない。だけど、睡眠に関して神経質なカレシはむかっ腹を立てるもんで逆に眠れなくなってしまう。そこへ私がびくともせずに眠っていたりすると、「よく寝てられるな」とむくれる。だって、すっごく疲れてたんだもん。でも、よく眠れるっていいもんだなあ。鬱のときはドクターに薬をもらうほど眠れなくてつらかったから、眠れないカレシの苛立ちもわかるんだけど。

日本のボクシング界で起きた大きなスキャンダル。記事を摘み食いして読んだ限りでは、七光りで実力も蓄えないうちに天狗になったガキンコという印象で、なあんだ、ブリトニー・スピアースやパリス・ヒルトンと変わらんじゃないの。プロスポーツは今やほとんどが本来の実力だけでは売れない浮かれた商売に成り下がっている。気の遠くなるような大金が舞うショービジネスであれば、「勝ってナンボ」のものでしかない。フットボールのコーチだったヴィンス・ロンバーディは「勝つことがすべてではない。勝つことあるのみだ」といったそうだけど、オリンピックのドーピングスキャンダルなんかも見ると、予言的でもあるような・・・

ファンにしても、ほんとうにそのスポーツが好きだというよりは、自分の「勝ち犬」願望をチームに投射しているようなところがあるから、チームの勝ちは自分の勝ちというわけで、「精一杯がんばったけど負けた」は所詮は負け犬(=ある意味で「自分」)の遠吠えで聞く耳なし。スポーツの世界は勝ってナンボ、芸能界はモテてナンボだから、勝つためには、セレブでいるためには、手段など選んでいられるか、ということになる。だけど、実力を蓄えて、精一杯がんばってその実力を発揮させる以外に、「自分の価値」を高める手段ってあるのかなあ・・・

この「~してナンボ」という言葉、背筋がぞくっとする冷たさを感じる。人間の価値を「金」で計っているとしか思えないからなんだけど、アスリートは勝ってナンボ、アイドルはカワイくてナンボ、男は女房子供を養ってナンボ、女は子供を産んでナンボ、日本女性はやさしくて従順でナンボ。その反対は「~しなければゼロ」。ひょっとしてこれも「ものさし文化」の産物なんだとしたら、なんかおそろしい思想だと思う。そんな世界では「打算」しか生きる術がないかもしれない。人間の価値はどんなものさしにも計れるもんじゃないと思うんだけどなあ。なのに「ものさし」で計って人間の関係を結ぼうとするから、打算に足を取られてしまうんじゃないのかなあ・・・ふむ、女の考えることとしては哲学的すぎるかな、これ。ま、いっか。仕事、しよう。

台風リンリン

10月18日。今日は朝からかなりの雨。台風が来るんだそうな。Typhoon Linglingというんだって。もっとも台風のままではなくて温帯低気圧に格下げされているけど、フィリピン方面から太平洋を越えて来るんだからすごい。「リンリン」とはいかにもかわいらしい名前だけど、日本に接近していたら「台風18号」かな。

カナダは、東部ではよくハリケーンが北上して来るけれども、西部の方でメキシコ太平洋岸のハリケーンやアジアの台風がここまで来ることはめったにない。だけど、「めったにない」ということはたまにはあるということで、今でもバンクーバーっ子に語り継がれているのが1962年10月13日の「フリーダ」。ハリケーン・フリーダと呼んでいる人が多いけど、ウェーク島付近の生まれだから公式には「台風」。たいした台風ではなかったのが、東へ進むうちに勢力を盛り返して、サンフランシスコからバンクーバーまで大変な爪あとを残していったそうだ。

バンクーバー空港では最大瞬間風速35メートル、もろに太平洋に露出したビクトリアでは40メートルまで行ったという。ダウンタウンのデパートではショーウィンドウが粉みじんに割れて、クリスマスの飾り付けが全部吹き飛ばされてしまったそうだ。(10月半ばの話なのに・・・。)当時19才だったカレシは友だちと連れ立って、大波を見ようとわざわざスタンリーパークまで出かけたというから、怖いものしらずのツッパリティーンらしい。遊歩道の護岸に砕ける波が背丈よりも高くて、「壮観だったぞ~」と今でも目を輝かせる。よっぽどの光景だったんだろうけど、目の前で大木が根こそぎ倒れたのにはさすがに肝をつぶしたとか。

台風というと、思い出されるのは、長崎でカレシが大爆発した翌々日に台風に追われるように九州を離れ、その夜泊まった岡山で、追いついた台風が私たちの真上を通過して行ったことだ。ちょっとググッてみたら、あれは台風10号、何と1998年10月18日となっている。バンクーバーは今10月18日。そうか、あれはちょうど9年前の今日だったんだ。この日に台風の話なんて不思議だけど、すると、来年の今日はちょうど10年になる。あの「カレシ台風」ももう「十年一昔」の域に入るってわけだなあ・・・感慨。

さて、午後には強風警報が出ていたんだけど、外はなんかし~んとしている。嵐の前の静けさというけど、台風リンリンはほんとうに来るのかなあ。

もう知らない

10月19日。台風リンリン、心変わりして南の方へ行ってしまったらしい。雨はよく降ったけど、風はいたって静かだった。やれやれ。だけど、日曜日には次の嵐が来るんだそうな。日本方面では台風19号だって。リンリンの次は「カジキ」。これは日本が提唱した星座の名前だ。こっちまで来ないといいけどなあ。

庭は一面が落葉でびっしり。だけど、カレシは熊手がどこかに行って見つからないという。外で使った後にしまい忘れて、誰かが持っていってしまったのかもしれない。くまでがなくては落ち葉掃除もできない。落ち葉掃除ができないから、家でコンピュータの前に座りっぱなし。それでいて、どうも体重が増えてきたから当分の間ナイトキャップは止めようだって。ふ~ん、ひとっ走り熊手を買いに行ってこようかなあ。

やっと大仕事の第1部に手をつけた。手をつけたはいいんだけど、え、これってWORDの表。何ページも延々続く。フツーの表ならどうってことはないけど、見出しの次のしょっぱなのセル、どこまで行くのかなあとスクロールしていったら、最後のページまで行ってしまった。きゃあ、1行だけってこと?しかもていねいにENTERキーを使ってレイアウトしている。こんなのに上書きしたら左、中、右の内容がずれまくりだ。ったく、何で項目ごとに行を分けないんだろうなあ。おまけに、タブの代わりにこれまたごていねいにチョンチョンとスペースを入れてある。これじゃあ仕事にならないよ~、表機能の使い方くらい覚えてくれよ~と、大騒ぎしながら、表をフォーマットしなおして、それだけで半日かかってしまった。っもう、しらないったら!

EXCELもWORDも、まったく違う企業の人間が作成してこうなんだから、言語文化よりももっと前に何か大きなギャップがあるんだと思うしかない。でも、いったい何なんだろうなあ・・・

そんなときに1ヶ月以上も東ヨーロッパを旅行して帰ってきたばかりの友だち夫婦から遊びに来いと電話。仕事の手順がもう半日遅れてしまってるんだけど、そのままではどうしようもない原稿にストレスメーターは上がりっぱなし。えいっと放り出してでかけてしまった。二人は医者の息子がいるモントリオールに寄って、パリに1週間、トルコでパック旅行1週間、二人の生まれ故郷のポーランドで2週間。いとこたちがいるとはいっても、長い旅はさすがに年を感じさせたそうな。飲んで、しゃべって、帰ってきたのは午前1時。楽しいガス抜きになったけど、あしたはぶっ飛ばして挽回しなくちゃ、次がつっかえてしまう。あ~あ・・・

サラリーマンはツライね

10月20日。目が覚めたら11時ちょっと過ぎ。かなり暗いところを見るとまた雨らしい。カレシがあまりぐうぐうと良く寝ているので、私ももうちょっと寝ようか・・・と思っていたら、なにやら突然むっくりと起き上がって、耳栓をしてまた横になった。「起きないの?」といったら、むにゃむにゃ。耳栓したってほんとは聞こえているのはわかっているんだけど、しゃくだからがっちりと抱きついて、いい気分でひと眠りすることにした。

つい最近の新聞記事にバイアグラやシアリスを服用して突発性の難聴になることがあると書いてあった。ほとんどは一過性で聴力は回復するそうだけど、しない人もけっこういるらしい。へぇ、それって問題なのかしらん、笑ってしまった。男って動物は元々から人の話を聞かないんだから、今さらバイアグラで難聴になったって、大して変わりないじゃん・・・なんて。深夜のトークショー番組でジョーク六連発だろうなあ。

今日はまじめにイライラする仕事に取っ組もうと思ったけど、やっぱり「や~だ」症候群。あっちでダラダラ、こっちでグズグズでちっとも進まない。日本の職場にパソコンが侵入し始めた頃の話。そのせいでソフトのローカリゼーションの仕事が多かったので日本のパソコン雑誌を講読していた。それまではサラリーマンの仕事といえば客先と飲んで商売の話をしていれば良かった?のが、そうでなくても狭いオフィスにパソコンが乗り込んできて、ワープロだ、表計算だとややこしいことになった。キーボードなんかに触れたこともないおじさんたちはOL嬢たちにまでバカにされて、テクノ恐怖症とか、テクノストレスとかになって、エライ目にあったらしい。

そういうのを読んでいたせいか、このどーしょーもないWORDの表、ついついあの灰色のデスクに座って、猫背をよけい猫背にして、さすがに誰もいなくなった丑三つ時のオフィスで必死で仕事をしているおじさんを想像してしまうから、な~んか切ない。考えたら自分もその団塊の世代のおじさんと同じ年頃なんだけど、つい30年前の高度成長時代の猛烈サラリーマンの成れの果てみたいな姿を想像してしまう。浦島さんなもんで、ごめんね、おじさんたち。

だけどねぇ、やっぱりこの表の使い方は落第なんだよねぇ。紙と鉛筆で線を引いて・・・そんな感じがする。WORDの翻訳原稿が来ると、まず十中八九グリッドが設定されている。やっぱり原稿用紙思考なのかと思ってしまう。欧米語の単語にはハイフンを使って分けられるシラブルというものがある。詩を書くときはけっこう重要な働きをするんだけど、日本語は文字単位なもんで、行の終わりにきたらどこでもドア式に単語を区切ることができる。ワープロソフトは昔のタイプライターの延長みたいなものだけど、ここでも昔の和文タイプは英文タイプとは似ても似つかないモノで、たいていの文書は手書きだった。つまり、深夜のオフィスで線引きの便箋に手書きしていた時代と同じようにワープロを打っているおじさんたちには、ワードラップとか、タブとか、インデントとか、みんなエイリアンなのかもしれないなあ。

30年前に東京のホテルの窓から見た夜中のオフィス風景を思い出す。煌々と明かりがついている中で、数人ずつ固まっていたり、ゴルフのスイングをやっていたり・・・きっと、パソコンなんて怪物のいない平和な時代だったんだろうなあ。今どきのサラリーマンはもっとツライのかもしれないな。

根の下ろしどころ

10月21日。目が覚めるとまた暗い感じの日曜日。天気予報どおりに荒れ模様だ。土曜日にお出かけしなかったので、今日はグランヴィルアイランドのマーケットでカニを茹でてもらってくるつもりだったけど、何だかめんどうになって「在宅グルメ」ということになった。へたくそWORDの原稿でストレスになりまくりなもんで、ほんとはどっかに行きたかったけど、雨の中をおめかししてでかけるのもやっぱりめんどう。うん、我ながらかなりのお疲れと見えるなあ。

だったら、フリーザーからマグレ鴨を出してきて、これに何かソースを考えてみることにした。鴨はとにかくすごい油が出るから、オーブンに入れる前にまず熱湯で油抜き、それからフライパンで皮の方だけ焼いてさらに油を出す。さて、ソース。マデイラワインを使おうと思ったらあんまり残っていない。じゃあ、料理用のシェリーを煮詰めて、蜂蜜とブランディを入れる。緑のこしょうと赤いこしょう(実はこしょうじゃないらしい)を入れて、少し煮詰めたらかなりコクのあるソースになった。極楽とんぼ亭のシェフのお得意は即興ソース。今日のは我ながらうまくできていた・・・と自分の肩をポン。カレシはというと、ソースも鴨もほめまくりの感激しまくり。その挙句に、「だけど、カロリー高そうだなあ」と。トレッドミルで走りなさいってば。

父が札幌に残した「我が家」の土地にとうとう買い手が現れた。家はとっくに解体されてしまっていたけど、転勤族の両親にとっては「終の棲家」、娘の私たちにとっては初めてのマイホーム。目をつぶれば、角地の家が見える。オンコ(イチイ)の木があって、桜の木があって、春には芝桜に縁取られた玄関があって・・・。家の中も目をつぶれば今またそこで暮らしているかのように細かなところまで浮かび上がってくる。ごくごくフツーの家庭を絵に描いたような風景。あの家を離れて32年。心のどこか奥深いところでまだ完全にあの土地から抜け切っていない根が残っていたのだろう。それが「郷愁」というものなのかどうかはわからないけど、極楽とんぼがそのまま安穏に極楽とんぼな子供でいられたところだったことは確かだ。

その土地が見も知らない他人の手に渡ったことで、最後の細い根がスポッと抜けた気がした。「いつまでも親がいると思うな」と、ちょっと揺らいでいたらしい私を叱咤してくれたのは亡父だった。子供の人生は親のそれを超えて続いて行くのがあたりまえで、誰もがいつかは親の畑から自分の根っこを抜いて、どこかの別の土に移植して、しっかりと張り巡らさなければならない。誰にも必ずそのときが来る。今、海の向こうの「里帰り先」に目を向けて暮らしている若い人たちにも、この先30年も経てば自分の根っこの下ろし場所を決めなければならないときが来る。そのとき、その根がひょろひょろしていたらどうなるんだろう。

私はデラシネじゃない。よ~し、これからこのカナダの地でもっともっと根を張り巡らしてやろう。たっぷりと栄養を吸い上げて、大きくて華やかで香りのいい花を咲かせて、歴史という本のページの間に「押し花」として挟み込まれよう。

秘密、発見した?

10月22日。なんかやっぱり疲れているみたいで、目が覚めたら12時30分。雨模様外が暗いせいもあるけど、ナイトキャップが効きすぎているのかもしれない。カレシは体重が増えると言いながら、そろそろ店じまいという時間になると「何がいい?」と来る。それで、コニャックにしたり、スコッチにしたり、リキュールにしたり、飲みながらしゃべっているうちにいつのまにか午前4時を回ってしまうから、まあ、昼過ぎまで寝てしまうのもあたりまえ。カレシが思い出したように「午前2時就寝励行」を言い出すんだけど、肝心の提唱者がコンピュータの前に座って動かないもので、三日坊主まで行かずに頓挫する。まあ、二人とも在宅なんだから、それでもさして支障はないけれど、午後1時を過ぎて起きるようになったら赤信号かなあ・・・?

ごみ収集が再開されて2回目の月曜日。たまっているゴミを処理するために、最初の2週間は1戸あたり6袋まで余計にゴミを出せることになっていたんだけど、我が家の地区はいの一番だったからニュースが届かず、容器だけしか出せなかった。そこで、カレシは今度こそはとばかり、リサイクルできないゴミを集めまくってゴミ袋に詰め込んだけど、こっちのゴミ袋は大きいから6つどころかやっと3つ。カレシがなんか損をしたみたいな顔をしたもので、私は思わず吹き出してしまった。二人しかいないのにそんなにゴミが出るわけないでしょうが。トラックの音で目が覚めなかったので、まだ来ないのかと思ったら、ぜんぶすっかり片付いていた。来週からは平常通りにリサイクル品の回収も始まる。

イライラ仕事の第1部を片付けて、息抜きというわけでもないけど、張り切って別の仕事にかかった。少し大き目で、ちょっぴりきつめだけど、こっちは国際法の解説。仲間うちの隠語ばっかりみたいな内規なんかよりずっとおもしろい。だけど、念のためWORDのフォーマットをチェックしたら、ああ、やっぱり、グリッドが設定されている。ページ設定でも「行数」が指定されている。ふ~ん、どうも日本語版のWORDではこれがデフォルトじゃないかという疑惑は当たっている感じがする。だって、みんながみんな同じところにチェックマークというのは、今風に言えば「アリエナ~イ」。やっぱり根本は原稿用紙だったんだ。な~んかナットクしたような、秘密を見つけたような・・・。

この文書、ちゃんとタブでインデントを設定してあるのはいいけれど、パラグラフはみんなくっついているし、章や節の見出しの前後を空けていないから、読みにくいことこの上ない。でも、よく考えるとそういう原稿の方が多いから、これも日本語の文書作成様式なのかもしれない。だけど、こんなにびっちり詰った文書を読むのに、日本の人は目がしょぼしょぼしないのかなあ。と、ああだこうだと文句はいいつつも、フツーの文書にフォーマットされているから、ラクラクの行け行け気分。あとは、何とか条約第何条とか、何とか協定とか、何とか議定書とか出て来たら、聖グーグルのお出ましを願えばいい。どんなに小難しいテーマでも、ちゃんとした文書で内容がおもしろければストレスフリーで仕事は楽し!鉢巻締めなおしてがんばろっと。

全然フリーじゃないけど

10月23日。読売小町で、フリーになりたいという夫に福利厚生のあるしっかりしたところで働いてもらいたいがどう説得したものかという、フリー稼業の妻の相談が載っていた。フリーランスは不安定だから、子供を持つことや老後を考えると不安なのだとか。だから、自分がやっているのはいいけれど、夫にはフリーになってもらいたくない。でも、夫がフリーになるからといって自分が好きでやっているフリーの仕事を辞めて外へ働きに出るのは不公平だし、かといって、自分がフリーでやっているわけだから、夫にフリーの仕事はダメというのも説得力に欠ける・・・キャッチ22。悩むわけだなあ。

相談者には自分が「家事をしながらフリーで働き家計にも貢献する」という理想が前提になっているらしいけど、家事の合間にする仕事って仕事じゃなくて趣味じゃないのかなあ。家計「にも」貢献するといっているあたりで、よくしてもアルバイトか、悪くすれば小遣い稼ぎ程度の仕事なのだろうと想像される。もちろん、自分の小遣いを自分で稼ぐのはすばらしい。それに、その程度だったら家事をしながらでも十分にやれて、おまけに「フリーの翻訳業です」と言える。収入が不安定で不安だといっても、勤め人に生活費を保証してもらっている分には心配することはないから、フリーのお仕事っていいもんだ~となる。

ま、確かにフリーの在宅稼業にはいいこともいろいろある。ラッシュアワーのすし詰め電車や交通渋滞とは無縁だし、うるさいボスもいないし、目の上のたんこぶみたいな同僚もいない。その気になればパジャマのままで仕事をしてもいいし、疲れたらその場でコロンと昼寝をしてもいい。ほんとに気楽なことこの上ない。自分の家というくつろげる環境で、好きなときに、あるいは家事の手が空いたときに仕事ができる・・・

というおいしい話がどこかで作られたイメージであることは、本気で仕事をしようとしたらすぐに現実になる。フリーランス稼業は一人で何役もこなす自営業という「職業」なのだ。一人ぼっちのビジネスだから、注文をとって、品質管理をして、期限までに納品して、代金を回収して・・・会社の機能を一手に引き受ける。客という名の怖い「ボス」がいるし、仕事を分担すれば「同僚」もいれば、「納期」というストレスもあるし、校正や編集という「品質検査」もある。それを職業としてやる以上は、会社で「洗濯物がたまったので早退します」とか、「子供が遊びたがっているので今日は休みます」とか、「掃除に時間がかかったので遅刻します」と言うわけにはいかないのと同じで、サラリーマン並みに稼ごうと思ったら、「家事の合間にお仕事」なんてのんきなことをいっていられない。いきおい「仕事の合間に家事」ということになる。

要するに、フリーランスははぜんぜんフリー(自由)じゃないし、フリー(ただ)でやっているものでもないんだけど、カタカナ語の常套手段で、「フリー」という短縮語にしてしまったから、自由で気楽で魅力的な働き方みたいなイメージが生まれてしまったのかもしれないなあ。世の中って「no free lunch」なんだけど・・・

一瞬真っ青

10月25日。のんきにブログなんか書いていられないという状態で、一夜明けて眩しいほどの秋の空。やっぱり色あいが違うんだ。「来週のご予定は?」なんて、ムンクの絵みたいになってしまいそうなメールには頬かむりを決め込んで、野菜の買出しに出かけた。やっぱり人間たるもの、食べることを無視して仕事に没頭するというわけにはいかない。先立つものは何よりも食べる物!

さすがにシーズンの到来。デパ地下のクリスマスツリーの飾り付けを抜けてたどり着いた郵便局私書箱はカタログでびっしり。その中にクレジットカードや諸々の請求書が混じっている。青果屋で英語教室からの帰りのカレシと落ち合って野菜をどさっと仕入れる。私とあなたの冷蔵庫があるもんで、最後の勘定になって別々のバスケットに同じ野菜が入っていて、レジの人が「あれ、同じのがあったけどいいでんすか」と指摘されて「うちは別勘定なんで~」なんて説明したら、行列の人たちから一斉に注目を浴びたりするからおかしい。私はケラケラ笑い、その場で唯一の白人なことが多いカレシはめっちゃくちゃ困惑した顔になるからよけいにおかしい。

家に帰って、車をバックでガレージに入れる途中でカレシがなくなったと騒いでいた熊手を見つけた。ガレージ脇の植木の中に実に巧妙にカムフラージュされた格好で立っていたから、これもおかしい。二人でゲラゲラ笑っているうちに、カレシガレージのドアの枠に車をゴツン。ペンキなのかこすれ傷なのか、ちょっとわからないけど、バンパーが白くなってる。おいおい。ま、ガレージは無事だったけど・・・

それぞれの野菜を整理していて、私書箱から取ってきたカタログはあるけど4通の封筒がないことに気がついた。レジの途中でバスケットから取り出してカレシに袋に入れてもらったはずなんだけど、あるのは山ほどのカタログだけ。クレジットカードの請求書があったから、ま、いっか~というわけにはいかない。バスケットの中にでも忘れたかと思って回れ右してラッシュの中をモールに駆け戻り、青果屋さんにきいたけど、「さあ、届いてないですね~」。あ~あ、どうしよ~と思って店を出たら、カレシが封筒をひらひらさせながらやってくるではないか。あったんだ~!

何と、車を駐車してあったところで4通が点々と落ちていたんだそうな。たかが15分くらいとはいえ、誰にも拾われなかったのは奇跡中の奇跡だ。どうやらカレシがまとめて車に運ぶ途中で抜け落ちてしまったらしい。ふぅ~。よく見たら4通ともみごとなタイヤの痕がついていて、かなりおもしろいデザイン。やれやれ。でも、これで土曜日のロトで大当たりするチャンスはフイになっちゃったわねといったら、うっかりしただけでアイデンティティを盗まれるこのご時世、2200万ドルよりも無事に見つかったクレジットカードの請求書の方がよっぽど価値があるよ、とカレシ。うん、それに熊手も見つかったことだしねぇ。

それにしても、今日は二人揃って「一瞬真っ青」シリーズの午後だった。おかげで、新幹線並みの仕事のスケジュールはまた遅れ気味。期限はこちら時間明日の午前7時。今夜はまた半徹夜モードだなあ・・・

脳みその充電中

10月26日。すごく抽象的でややこしい仕事で脳みそがかなり熱くなったけど、午前5時半、期限ぎりぎりで完了。法律概念のあまりにも抽象的な論議なもので焦点がつかめない。言わんとすることは分かるんだけど、自分が訳したものを読んで何となく分かるんだけど、編集者にもわかるかなあ。それにしても、学者さんて、家に帰ってももこんなしゃべり方するのかなあ・・・。

寝たのは午前6時。カレシはとっくに高いびき。暖房はとっくに「就寝モード」なので、私の側のベッドはひんやり。そろ、そろとカレシの側に侵入して、まずはそおっと足をくっつけたら、うぅ、あったか。それから、しずしずと寄り添ってみたら、ほんわかとほかほか。これでいびきさえなかったらロマンチックな気分になれるんだけど。それでも、ほどよく温まったところで自分の側に寝返っておやすみなさい。熱交換?でカレシの方は冷えたかと思いきや、ご当人はひたすら高いびき。そうして眠りについて目が覚めたら正午過ぎ。まあ、睡眠6時間は後で疲れの出ない範囲だから上々というところ。

起き出してバスルームの秤に乗ったカレシが「うひょ~」と、まるで大異変発生に出くわしたような声。自分なりに「適正体重」の幅があって、その上限に到達してしまったんだそうな。ダイエットタイムだ、酒を減らさなきゃ、とひとしきりぶつぶつ。確かに、庭仕事で運動しているからと、トレッドミルはサボりっぱなしだったし、ときどき冷蔵庫から摘み食いしているし、きのうは夜中のランチの後にまたソーセージを出して来て、「食べない?」だったから、そりゃあ太るでしょう。ハグすればぽっちゃりしてるのがわかるんだから。まあ、かくいう私も、仕事に追いまくられて(という口実で)トレッドミルをサボったり、仕事が終わらないと(いう口実で)コンピュータの前に座りっぱなしで、そのくせ重(脳)労働なのよ~と(いう口実で)よく飲んで食べて。おかげで極楽とんぼもオニヤンマに変身しそうな予感。う~ん、二人一緒のダイエットなら案外やりやすいかなあ。

さて、難解な法律論議の後は、あの頓珍漢なWORDの表PARTⅡが控えているけど、気乗りがしない。何かおもしろい話はないかなあと新聞を読み漁っていたら、へぇ、あのNOVAうさぎちゃんもとうとう年貢の納め時らしい。異国で路頭に迷うガイジン先生は気の毒だけど、NOVAでの経歴はあまり高く買われないらしい。一時期はNOVAだけで6千人もいたというからすごい。世界中にEFL教師の仕事がある今どき、まともに資格のある教師がそんなにたくさんいるわけがないと思うけどなあ。ま、英語が母語というだけで十分に資格というならカナダには有資格者が何千万人いるってことになるけども。そのせいなのかどうか、日本から帰ってきて英語教師の仕事を探すのに履歴書にNOVAの名を書いたら採用されないという噂もあるという噂。さて、どれくらいが帰ってくるのか。

ここのところ、時事ドットコム(www.jiji.com/)の「きょうの日本語検定」がおもしろい。並んだ広告の下にちょこんとある小さなボックスなんだけど、漢字の読み方だったり、敬語や謙譲語だったり、毎日一問。答をクリックすると、別のページが開いて解説を読めるという仕組みで、へぇ~そうだったのかと感心することもしばしば。解答分布というグラフがあって正答率がわかるのもおもしろい。明日はどんな質問かなあ、と楽しみにしている。

うさぎ、うさぎ、何見てはねる

10月27日。えっと、今日は土曜日。ディナーはどこに行く~?なんて聞きあっているうちに、サンフランシスコに行けば毎日三食外食だしねぇ、ということで「内食」になった。カレシが「少し体重を減らしておかなきゃ」ということもあるけど、私は旅行というと必死で仕事を片付けて前夜に慌てて荷造りということになってしまうから、今回は少しでもスケジュールに先行して、ひと息つく時間を持ちたい。うん、うちで食べよう。フリーザーはまだ「兵糧」がたっぷりあるしね。

そんなわけで、極楽とんぼ亭の「内食」メニューは、カレシが庭に植えてあった巨大なホースラディシュ(西洋ワサビ)をドレッシングにしたコールスローと、ベトナムなまず、蒸したインゲン豆、ポテトのミルク煮(はシェフの即興)。ホースラディシュは刻んでいるときはすごく辛そうな匂いがしていたけど、レシピ通りに氷水と酢で処理してからドレッシングに混ぜたら、香りとワサビ味はあるけれどもあんまり辛くはなかったから不思議だ。ワサビとはいっても根っこの色は白。日本のとは味も違うことは違うんだけど、ワサビって天然で緑色なのかなあ。

すっかり気乗り薄になってしまった仕事、PARTⅡは良く見たら半分以上がPARTⅠと同じか、ほんの少し違うだけではないか。おお、これはシメシメ。大いに手間が省けるのだ。これならWORDの表の不細工によるイライラのカリカリを帳消しにしてあげてもいいかなあ。ふむ、うまく行けば出かける前にPARTⅢまで終わらせられるかもしれない・・・と思うとガゼン張り切ってしまうから、しょーないとんぼや。

NOVAのニュースにはカレシも興味があるらしい。そうだよなあ。あの時日本に行っていたら、今頃は異国で無一文のホームレスになっているかもしれない。あの頃は「日本で働こう」とかいうようなタイトルの本をやたらに買い込んできて、ベッドの中でまで熱心に読んでいたけど、いくら専門職の資格があっても、ろくに日本語を話せない60才に近いガイジンがぽっと出て行って普通に就職できるわけがないのは一目瞭然。だけど、人間というのは、夢に浮かれてその気になってしまったら、マイナス面は見えなくなるもので、カレシもしかり。運命ってほんとに不思議だけど、カレシも「あのとき行かなくてよかった」と、内心胸をなでおろしているのかもしれない。

オーストラリアとイギリスの大使館は自国出身のNOVA教師の支援に乗り出したんだそうな。QANTAS航空などは帰国する人に運賃を割引するとか。大学を出たらまず1、2年日本へ行って・・・という若い人もけっこういるから、カナダ人もかなりの数になるかもしれない。とにかく遊んで来ようと目論んだ向きもいただろうけど、日本へ行ったらガンガン貯金できて、帰って来て学生ローンを返済できると胸算用した向きも多いらしい。何だか西洋版「ジャパ行きさん」と言えなくもないけど・・・

空中のお城

10月28日。今朝は変てこな夢の途中で目が覚めた。(もっとも、夢を結末まで見たって話は聞いたことがないけど。)キッチンにぞろぞろと人が入ってきて、元義妹の仲良しのブレンダ以外はポーカーフェースの知らない顔ばかり。キッチンを見渡して、ここがどーの、あそこがどーの、これはなーに、あれはなーに。ほんと、キミたち、だーれ?そこへカレシが朝ごはんを作って食べさせてやれというので、どうしよう、朝から肉は重いし、卵があるから、アスパラガスと、あとは・・・なんて算段をしていたところで目が覚めた。

夕食のしたくに入る前にトレッドミルでとことこ走っていて、はたと思い出した。友だちの家が汚くて具合が悪くなったという、あのトピック。久しぶりに訪ねて、潔癖症じゃないと断りながら、まるで写真にでも撮ってきたのかと思うほど細かく汚れぶり、散らかりぶりを描写した挙句に「ありえない」。すごいなあと、びっくりするやら、呆れるやら。みんな人さまの家の中をあんなに細かく観察しているのかなあ。我が家に来たら、やっぱり「この散らかりようはありえない」と書かれてしまうのかなあ。ありえないといわれても、ストの間はリサイクル場も閉まっていたから、リサイクルごみが溢れて、現実に散らかり放題の家があるんだけどなあ。私のオフィスと来た日には紙ふぶきの吹き溜まりだから、この人でもさすがに描写に窮するだろうけど。

中教審が実質的にいわゆる「ゆとり教育」が失敗だったと認めるようなことをいったそうな。「生きる力」とか「自ら学び自ら考える力の育成」とか、掲げた理念は高邁でいいんだけど、旗印は所詮風にたなびく旗印。その指導要領の下で育った若者たちには「生きる力」がありそうに見えないし、自分で学んで自分で考える力があるのかどうかもあやしい。役所や学者が作った教育方針が失敗して割を食うのはいつも子供たちだ。北米でも機能的非識字者が増えたという報告があったけど、これは実験的な国語教育が失敗した結果。将来のある子供たちを実験台にして象牙の塔で考え出した教育理論を試すのは困ったものだと思うけど、「教えられる教師は教え、教えられない教師は教師に教える」という揶揄には真実味がありすぎる。この後「教師に教えられない教師は管理者になり、管理者になれない者は政治家になる」と続ける。

日本の平均所得を調べていて、なぜか世界から見た日本とか言う記事のあるサイトに入り込んだ。読んでみたら、これがけっこうおもしろかった。日本人は小学校から日本は優秀な国家であり、日本人は優秀な民族なのだと教えられて、理由のない優越感の中で育っているという。つまりは、日本人に生まれたというだけで他の民族より優秀と思い込んでいるということらしい。著者がかなり左翼よりらしいのを勘案しても、ダウンタウンにたむろしている若い日本人の言動にはなるほどそういうことだったのかと納得するところがある。日本人だからデフォルトで自分は優秀、だから努力しなくてもいいし、異国ではチヤホヤされて当然。空中の楼閣みたいな優越感の中に浮いているからこそ、些細なことでカナダ人、中国人、韓国人ごときの劣等民族に「見下された」と憤慨するわけか。これでは「自ら学んで自ら考える」という力どころか、生きる力もつきそうにない。なるほど、彼らも間違った教育の被害者なのかもしれない。

読み進んでいくと、「日本は世界一貧困な国家か」という節があって、これも目からウロコだった。OECDの「貧困」の定義によると、日本の貧困率は世界のトップを争う高さなんだそうだ。母子世帯の収入の低さや、それよりも低いらしい事故犠牲者の遺家族の収入や、生活保護を拒否されて餓死する人まで出たという話を聞けば、なるほどと思えてくる。それでもまだ日本は世界第2の経済大国なのだ。たぶんに、豊かさも単なる統計のマジックのなせる業なのだろう。

出かける前はどうしてこうも

10月30日。あ~あ、どうしてこう出かける前の日までバタバタなんだろうなあ。明日10月末日は第3四半期に集めた消費税の納付期限。フリーランスの個人事業主でも一定以上の年間売上げがあればGSTという消費税を徴収する義務がある。これが実にしちめんどうくさい。まあ、まめに帳簿をつけないから納付期限が迫ってめんどうだなあということになるんだけど、期限に納付しないと利子がついてくる。だけど、経費にかかったGSTを相殺できるので、輸出扱いで税率ゼロの海外からの仕事の方が多いと還付されることもある。ま、いつものように慌てたもので、結局は3ヵ月分の帳簿を整理するのに一晩中かかってしまった。

保守党政権時代に最初7%で始まったGST、去年から6%に下がって、今日発表された予算案では来年1月からさらに5%に下がるとか。所得税の減税も今年初めまで遡ってやってくれるらしい。保守党の少数政権になってから、カナダはやたらと景気がいい。どの政党だからというよりも、たまたまグローバル経済がカナダに追い風ということなんだろうけど、おかげでカナダドルは上がりっぱなし。とうとう40何年ぶりのレートになって、まだ上がるという噂だ。おいおい、米ドルと日本円の収入は目減りする一方じゃないか。

それもこれも原油価格の高騰とつながっているらしい。なんたってカナダは隠れた石油大国。アルバータ北部のオイルサンドはアメリカ中の車を100年間走らせることができるくらいの埋蔵量があるそうな。東のニューファウンドランドにも大きな海底油田があるし、BC州の沖合いにも今は自然保護派によるストップがかかっているけれども相当な規模の油田があって、先住民が開発したがっている。中近東の石油は汲み上げるだけで安上がりだったから、オイルサンドは今まで太刀打ちできなかっただけの話。テロも反乱軍もいないカナダは石油の「安定供給国」として売り出せるかもしれないなあ。

とにかく、銀行に走ってGSTの納付を済ませ、戻ってきた編集済みファイルの見直しをしていたら、1日が暮れてしまった。バイリンガルの編集者がいなくて、今回はモノリンガルの人が編集。原稿と付き合わせることができないから、「読む人の立場」で編集される。意味がよくわからん、この表現でいいのか、と質問がどさっと来るからけっこう大変ではあるけど、見直して、考え直して、手直しをするという過程はまたとない勉強にもなる。この人は、「明瞭であること」にかけては一段と厳しいもので、おかげでくらいついて、つい気合が入ってしまう。英語は半生以上第1言語として使っているといっても所詮は母語ではないし、学歴もない(とヘンな自慢をしている)私にしてみれば、クライアントに育てられてきたも同然だなあと思う。多謝!

直せるところは直し、なお質問があるところはコメントをつけて、送り出した後は、請求書を書いて10月の営業が終わり。仕事場は散らかり放題なんだけど、ま、いいか。留守番をしてくれるシーラのためにパンを焼いて、そろそろ旅の支度を始めなきゃ。サンフランシスコは寒いかなあ・・・

ハロウィーン

10月31日。ハロウィーンの夜に空を飛んだら、ほうきに乗った魔女とすれ違うかな・・・?


2007年10月~その1

2007年10月16日 | 昔語り(2006~2013)
爪が割れた・・・            

10月1日。けさはカレシが突然ガバッと跳ね起きたもんだから、?という感じで目が覚めた。ゲートのチャイムが聞こえたと、大急ぎで飛び出して行ったけど、私は全然聞いてない。いつも耳栓をしていて目覚ましで目を覚まさないカレシに聞こえて、私に聞こえないなんて、空耳じゃないのかと思っていたら、チャイムはホンモノ。二人の新しいパスポートが届いたのだった。今週中に発送されるという話だったけど、月曜日の朝に到着。お役所も効率のいいときがあるんだ、と二人して感心。

カレシは自分のパスポートをしげしげと眺めて、「この写真、ボクに似てると思う?」と聞くから、あたりまえじゃん、本人の写真なんだもん、といったら、目つきが良くないなあとぶつぶつ。確かにあんまりいい目つきじゃないなあ(なんてことは、本人には言わないけど・・・。)私の写真は何だかやたらと顔がテカって見える。そうか、作り方が変わったから、写真の条件がうるさくなったんだ。オリジナルはそんなにテカってなかったんだけどなあ。それにしても、前のパスポートと比べるとやっぱり少し年を食って見える。ま、5年経っているんだからあたりまえなんだけど。カレシは「いいなあ、40代かな。だけど、年令と見かけがマッチしないから偽造だと思われるぞ~」だと。お世辞を言ってもダ~メ。40代なんかに見えないってば。

民事訴訟書類の仕事は今日が最終日。明日の朝一番が期限だ。AがBを訴えて、BはCとDとEとその他考えつくままどんどん被告を増やして、しまいにみ~んな「こっちのせいじゃないよ、あっちのだよ」。やっている限りはおもしろいんだけど、右手の中指の爪が縦に割れてしまって痛い。おまけに英日なもんで、Kのキーをたたくことがやたらと多い。英語キーボードでは「K」は右手側のど真ん中、つまり中指の担当だから、割れた爪の先がすぐ上の「Ⅰ」のキーにぶつかって、イテイテといいながらの作業。バンドエイドを貼ったら仕事にならないから、応急手当用のテープを貼ってなんとかしのいでいるけど、ほんとに日本語はカ行の言葉が多いなあ。カキカキカクカクだもん。

まあ、仕事は無事に終わったことだし、次のにかかる前にちょっとひと休みしようっと。それにしても、年を取ると爪の伸びもスローダウンするのかな。1週間以上経つのに、まだ割れ目が短くならない。早く伸び切ってくれないかなあ。だけど、ぶつけてばかりいるから、割れ目は進むばかり・・・トホホ

ハッピーマンデーばんざい!

10月2日。カレンダーを見たら、再来週から始める大きな仕事の前に小さいのひとつで、納期は来週後半。ちょっぴり息抜きができそう、感謝祭だし・・・と、しめしめの気分でいたら、カレシの予言?の通り、その息抜きのスペースが埋まってしまった。まあ、今や飛ぶ鳥を落とす勢い?のカナダドル建てだから、円安で実質的賃金カットになっている場面ではあまり文句も言えない。円安なのになんでこんなに仕事が増えるのかよくわからないんだけど。

読売の小町を開いてみたら、「三連休多すぎ!」というトピックが立っていた。そうか、9月には2週連続で三連休があったんだ、と思い出した。でも、東京都民はなぜか10月1日が休みなんだそうで、今年はたまたま月曜日だからデフォルトの三連休。おまけに来週の月曜日もハッピーマンデーなんだそうな。うわっ、三連休が4週連続!ローカル掲示板で「怠け者」の評判をとっているカナディアンはもう感涙を流しそうだけど、書き込みを読んでみたら、「ダンナと子供がごろごろしてうっとおしい」、「出かければどこも人ごみ」、「することがない」、などなど。せっかくの連休なのになあ。

それにしても「ハッピーマンデー反対」の大合唱、さすが働きバチのニッポン人、と思いきや、どうもそんなことでもないらしい。日本には祝祭日が15日もあるんだそうな。ググッて数えたら、ほんとに15日ある。さらにその上に年末年始が休み。たいていの人が少なくとも20日くらい休みの日があって、お盆休みをもらえる人は年間1ヵ月近く会社が休みになる勘定で、おまけに有給休暇がある。連日連夜残業しないと仕事が片付かないらしいのは休みが多すぎるせいかも・・・なんてつい勘ぐってしまった。

一方、「ぐうたら」なカナダの法定祝祭日は10日。確実に三連休になる祝日は5日で、8月、9月、10月と続けて1日ずつで、復活祭の月曜日が休みの人は4連休になるけど、クリスマスは25、26日の2連休で、これが4連休になるかどうかはその年のカレンダー次第。原則として元旦以外に年末年始の休みはない。クリスマスと元旦の間に休みたければ、有給休暇を取ることになる。

勤めていた頃は三連休がすごく待ち遠しかった。だって、いつものように土曜日と日曜日に家中の掃除やたまった洗濯を片付けて、月曜日には私の「休みの日」が取れたから。家事に不参加だったカレシはもちろん3日間ゴロゴロだったけども。退職してからは毎日毎週が「長~いウィークエンド」なのに、忙しくてかなわん、とぼやくことしきり。在宅稼業の私は仕事のない日が週末のようなもので、三連休も何もあったもんじゃない。だけど、日本が三連休になると納期に1日余裕ができたりするから、回りまわって太平洋のこっち側で助かってるってことかなあ。だったら、私は「ハッピーマンデー」大賛成。ばんざ~い!!

想定内の想定外           

10月3日。今日はなぜかすべてが「Plan B」発動の連続。この「プランB」というのは、「押してだめなら引いてみな」の、その「引く」の方。つまりはバックアップのことだ。どんなに綿密な計画でも、想定外に遭遇するときはするし、いざ遭遇したら立往生する。つまり、危機管理の対策でもある。プランAだけで「いざ発進!」と意気込める人は、よっぽどの豪傑か、そうでなければ自信過剰か無鉄砲。すべて「想定内」だったかの有名な御仁はプランBは不要だったんだろうな。逆に、プランBだけでは心配だからと、BがダメならプランC、それがダメならプランD、それでも心配だから・・・石橋も叩かれてばかりでは渡らぬうちに崩れるかも。

電話のベルで目が覚めたのは、正午直前。午後にお掃除に来るはずだったシーラが、今日2軒目の家の中がすごいことになっていて、午後いっぱいかかりそうだから、うちを明日に回してもいいかという。これはシーラのプランB。だいだいいつも誰かが家にいて、そのあたり融通が利くことを知っている。カレシのプランBの方は、夕方からディナーに出かけて、帰りにスーパーで肉類を買い出ししてくる予定を、これも明日に延期。こっちは消化器系が外食できるコンディションじゃないということだけど、原因は自ら「アホだなあ~」を連発している通りなもので、あまり同情してもらえていない。

きのうは「白菜のチゲ」が夕食メニュー。作り始める時に「キムチを使うからね」と予告したのに、作っているそばでキムチをパクパク。それからキムチがたっぷり入ったチゲをたらふく食べて、その後でまたキムチをつまんだのだそうな。これまでに何度も一度にキムチを食べ過ぎてエライ目にあっていて、それでもこれだ。ここんところは、羽目を外しては食べ過ぎて後悔するのに、次の機会にまたまた羽目を外して食べ過ぎてウンウン言っていたパパとそっくりなのだから、笑っていていいのかどうか。「この父にしてこの息子あり」と言うけど、ホントに遺伝子の成せる業なのかなあ、これ。おかげで、寝る前も、寝てからも、朝起きてからも、トイレの座は冷える暇なし・・・

やけどをした子は火を怖がるはずなんだけど、カレシはやけどをしても、治ったらケロリと忘れて、また火遊びをしてやけどをする。それも懲りずにやってるわけじゃないらしいから、困った人だ。懲りたことさえ記憶から抜け落ちてしまうのだ。調子の悪いおなかをさすりながら、「どうしても忘れてしまうんだよなあ」と、他人事みたいにのんきなことをいっている。う~ん、困った人だなあ、っとに。「喉もと過ぎれば」の典型じゃないの、それ。てことは、人生の大やけどを忘れて、また火遊びをしてしまうかもしれないってことかなあ。嫌なことを忘れるのは精神的にはいいかもしれないけど、喉もと過ぎたら、水に流して、後はケロリって・・・う~ん、これじゃあプランAの立てようがないから、プランBの立てようもないか・・・

アメリカン冷酒と難波の商売

10月4日。ほんとに秋らしい光の日。カレシを英語教室に送り出して、入れ替わりにシーラとジェッシーが来た。きのうの家は、とにかくキッチンは汚れ放題で、赤ちゃんのハイチェアのテーブルは食べ物のカスがこびりついていたんだそうな。バスルームには黒かびが生えているし、家中におもちゃが散らかり放題。いやあ、うちもすごいことになっていると思っていたけど、上には上があるというもの。

ジェッシーは大学生の娘の安全のためにと車を貸してしまったとかで自分の車がない。そこで、目をつけたのが外に止まったままのポンコツ車。86年型だから、人間にしたらいくつぐらいだろう。ボディはさすがにガタピシしているけど、21年乗って走行距離はやっとこ10万キロ。来月は保険の更新だ。英語教室から帰ってきたカレシとジェッシーはさっそく「商談」。ジェッシーは解体業者に持ち込めば50ドルにはなるから50ドルでどう?と提案したけど、カレシは「15年洗ってないし、トランクは雨漏りしてるし、新しいマフラーがいるんから、タダで持ってけ」。まあ、タダでは州の消費税逃れってことに見られるかもしれないから、ということでポンコツのトヨタは「1ドル」で身売りすることになった。

今日のディナーは「エン」という創作料理の日本レストラン。大学に近いところにある。何と行ってみたら、かってカウンセリングに通っていた精神科医のコンスタンス先生のオフィスの下で、あの頃は日本帰りのカナダ人夫婦がオーナーで「Wabi Sabi」という名前のレストランだった。「エン」というからてっきり「円」かと思っていたら「宴」。レストラン評論家にはかなり評判がいいところだ。確かに「スシ」と「テリヤキチキン」が売り物のジャパニーズレストランとは大違い。メニューは今流行のタパス風だ。しゃぶしゃぶ風に軽く湯通しした海鮮サラダは、ごま油にトマトだろうか、ちょっと変わったドレッシングが美味だったし、揚げ出し豆腐とエビの天ぷらも濃い目のソースがおいしかった。カレシのサーモンサルサは盛り付けの彩りがきれい。薬味チキンは山盛りの野菜の上に薄めに切ってカラッと挙げたチキン。カレシはいや~うまい、と感心することしきりで、どうやら大学構内でのコンサートシリーズの夜はここでディナーということになりそうだ。

「宴」の飲み物メニューには冷酒がずらりと並んでいた。最近は日本風とウェストコースト風をブレンドした「イザカヤ」が流行で、ジャパニーズ・タパス・バーといって、いくつかの小皿料理を飲みながらつつくのが受けている。そこで冷酒に味をしめる人たちが増えたいるらしく、通気取りになると、ダイギンジョーだとかジュンマイだとかウルサイ。政府の酒屋へ行ったら、ほんと、日本酒の種類が増えている。ついひと昔は「月桂冠」だけだったのが、今や「ゲッケイカン」はカリフォルニアからの輸入。カレシとお試ししたのはこのゲッケイカン「ドラフト」。私は日本酒は冷酒の方が好きだけど、カリフォルニアで作ったのはどうかな。出てきたのはビールの小瓶サイズで、まるでシャンペンのように氷入りのポットに入っていた。付いて来たグラスは日本的なお猪口じゃなくて、そっと青を刷いたようなショットグラス。その青があまりにもきれいで、思わず欲しくなってしまった。お酒の方は、うん、まあまあ・・・

帰りにスーパーで肉類をドンと買い入れ、フリーザーから七面鳥を出して、買ってきた肉を冷凍用バッグに小分けして、フリーザーに入れる作業。1時間以上かかってしまった。これで、月曜日の感謝祭の準備は完了。明日は大車輪で仕事その1を片付けて、感謝祭の日は七面鳥を焼きながら仕事その2を片付けて、その後に仕事その3を片付けて、再来週はいよいよ春から懸案の大仕事。これ、割引を要求してきたのが、どこをどう回ったかのか最後に手を打ったレートは、請求単位が代わっただけで全然割引になっていない。いつもの単位で見積るとほぼ通常のレートで、納期は通常の倍という願ってもないゆとり。それでも、大阪商人のあちらさんは「割引させた!」と喜んでいるらしいから、いやあ、商売っておもしろい。

酸欠とんぼ

10月6日。きのうはずいぶんがんばって、寝たのは午前5時。納品の期限まであと12時間に迫っていたけど、何しろ目はしょぼしょぼだし、中指の割れた爪が「Ⅰ」のキーにぶつかってイテイテ。裁判関係はおもしろいけど、これが特許侵害でもめている場合はおもしろいなどといっていられない。特許はひたすら「言葉」なのだと思い知らされる。何しろ、特許語とでもいえそうな独特の用語がある。その上でひとつやふたつの表現の解釈を巡ってああでもない、こうでもない。なにしろ解釈によって特許侵害になるかならないか決まるようなものだから、訴えた方も訴えられた方も必死なのだ。しまいに皮肉っぽい物言いから裁判官のイライラがひしひしと伝わってきて、こうなるとこちらも言語解釈が商売だからおもしろくなってくる。結局は、後10分というところですべり込み納品。ふぅ・・・

ある研究発表によると、人間は年を取ると前頭葉のどこかが退化して、理性による抑制が効かなくなってしまうのだそうだ。年を取って口が悪くなったり、周りが眉をひそめるようなことをしたりするのはそのせいらしい。カレシにそんな話をしたら、自分のことを言われたと思ったのか、むきになって反論して来た。しまいに「コントロールの効かない選択」だなんてわけのわからないことをいから、「選択はコントロールがあって始めてできることじゃないの」と言ったら、ちょっとおっかない顔をした。あのねぇ、カレシのことを言ってたんじゃないんだけど・・・

また別の研究によると、教育程度が低いほど認知症になる危険性が高いそうだ。でも、これは知能水準の話ではなく、たぶんに、教育程度の低い人たちはそれなりの不健康なライフスタイルになる傾向があって、それが認知症につながりやすいということらしい。ふむ、わかるような気がするけど、これもカレシにはおもしろくない話だったみたい。どっちもカレシのパパがそっくりあてはまってしまうかららしい。ママがけがをして、まったく突然に生活が変わってしまったのはほぼ1年前。パパのボケようはまさに急転直下。性格が似ているカレシは心のどこかで「自分もあんなふうになるのか」と戦々恐々なのかもしれない。父と息子の関係は母と娘の関係よりもずっとフクザツなんだろうなあ・・・

次の仕事が順番を待っているんだけど、気分は高揚して元気なのに、頭がどろ~んとしてしまって、何をしようにも気乗りがしない。納期が迫ったりして、極端に神経を集中すると無意識に息を止めてしまう癖があって、苦しくなって慌てて深呼吸をすることが多い。この「どろ~ん」はきっと脳みそが酸欠状態になったせいかもしれない。あんまり健康なライフスタイルじゃないなあ。う~ん、やっぱりやばいかなあ・・・

チミモウリョウ

10月6日。けさはかなりの嵐だった。そうかあ、そんな季節なんだ。去年は嵐に次ぐ嵐って感じで、しまいにはうんざりだったけど、まだまだラニーニャ。この冬も危ないかなあ。おかげで庭のトマトも「あ、そんな時期なのか」と思ったかどうか知らないけど、色づきかねて残っていたものは青いままで病気がち。ずいぶん食べたからいいんだけど。リコペン過剰できっと雨、雨の冬の間中錆びないですみそう・・・

まだちょっとっぴリダレているけど、次の仕事にかからないことにはまたきつくなってしまう。だけど、ダレた気分はなかなか抜けてくれない。ま、いっか、明日は感謝祭だし・・・でも、締切は2つとも火曜日だぞ~。

小町に何とも不思議なトピックがあった。離婚しようかどうかというよくある相談のようではあるけど、何か作りものっぽくて、その反面何とも真に迫っていて、それが夏から延々続いている。というのも相談の主が「経過報告」みたいなものを書き込み続けるからで、しかも夫の暴言や締め付けでうつ病になってしまったという割には、まるで他人を観察しているような冷静な文章なものだから、「これは作り話ではないのか」と疑問を投げかける書き込みまで出て来るしまつ。「危ない、これはモラハラ夫だ」と思ったり、「優柔不断もいい加減にしなよ」と思ったり。最後はさすがにどうもネタっぽいなあと思ってしまったけど・・・

モラハラにしろ何にしろ、DVに遭った人は「早く逃げろ、離婚しろ」というけど、DVがどんなものか知らないシアワセな人は「思いやりがない、あなたも悪い」という。このあたりが家庭内暴力に対する世の中一般の反応なのだろう。何しろ、DV人間は外面がすごく良くて、「いい人」だと思われるのに長けているから、そのイメージに反することを言うと、世間は「あなたが悪いんでしょ」と見ざる聞かざるになって突っ放す。まあ、聞きたくないというよりは「聞かされたくない」ということらしい。要するに人の痛みがわかるだけの器がないということなんだろうけど、これはまさにセカンドレイプと同じ。それをいやというほど味わった身だからこそ、そういう書き込みにまで終始冷静に整然とした文章で答える相談者に違和感を覚えてしまうのだろう。

まあ、ネット魑魅魍魎の世界は。匿名の掲示板という世界は特にそんな感じだ。書き込みが事実であれ、作り話であれ、レスポンスが親身であれ、中傷であれ、たぶん「本来の自分」が書いているのに違いない。「あるべき自分」や「ありたい自分」を演じられるオンラインゲームもあるというし、ヴァーチャルリアリティの世界がリアルなんであって、疲れるばかりの現実世界が実は「虚構」なのかもしれない。インターネットのおかげで、人類はやっと「浮世(floating world)」から「真の世界」への「どこでもドア」を手に入れたのかもしれない。テクノロジーもここまで来ればすごいもんだ・・・

ターキーデイ

10月8日。今日は感謝祭、ターキーデイだ。寝たときはくたびれていたはずなのに、いつもと違ってなんだか早くから目が覚めてしまった。といっても11時近かったから、高いびきで眠っていたカレシのほっぺたをこちょこちょとやったら、ぽか~んと目を開けて、「何でこんな早くから起こすの」だって。オ、ハ、ヨ。今日は私の番なのよ。これでおあいこ、へへ。

朝食を済ませてすぐに七面鳥を焼く準備にかかる。まず、カレシの後を袋を持ってついて回って庭のパセリとセージとタイムを収穫。カナダの感謝祭はまだ庭に野菜がある時期だからいい。アメリカのように11月の末だったら寒すぎる。(それに次のターキーデイのクリスマスがすぐ1ヵ月後では近すぎるし・・・。)今年の七面鳥はまた7キロ近い大物。持ち上げるにも「よいしょ」とひと苦労。でも4日間冷蔵庫に入れておいたらちょうどよく解凍した。おなかの中に入っているレバーを出して、玉ねぎ、セロリといっしょに盛大な量のバターで炒めてから、松の実とハーブ、サイコロ大の堅パン。スタフィング用のバッグに詰めて、鳥の中に押し込んで、やっこらしょとオーブンに入れて一段落。

仕事をしいしい料理・・・というか、クライアントに「まあ、七面鳥を焼きながらやりましょう」なんていったら、ほんとにそのとおりになっちゃった。付きっ切りでなくてもいいから楽ではあるけど、日本は三連休明け。「ごちそうはいかがでした~?」なんていいながらポイポイと仕事が飛んでくる。おいおい、次の大仕事を始める前にちょっと休もうと思ってたのに、カレンダーが混み合って来てしまったではないか。呆れ返っているカレシには「(仕事に逃げた)昔には戻りたくない」とはいうんだけど・・・。だけど、だけど、生活がかかってるし、さすがの極楽とんぼも、最近の「あれこれ」のおかげで天涯孤独の「老後」がちらりと脳裏をかすめるようになって来ちゃって・・・。(あ、離婚するかもって考えてるんじゃないんだよ。カナダの大地で頼れるのはわが身ひとつ・・・と何だかしみじみ感じただけ。そんな顔しなくてもいいのに。)

七面鳥は惚れ惚れするほどいい色に焼きあがった。グレヴィーにはケンタッキーのバーボンを少し。うちのは「ワイルドターキー」じゃないけど、なかなかイケていた。食べたのは胸の片側の半分がやっと。ロゼのワインを二人で1本空けてしまって、頭がどよ~んとして来た。カレシがトロントの弟に電話したら、もう寝ていたので、私が嫁さんのジュディと延々1時間半もおしゃべり。今の世の中でめずらしいくらいおっとりした人。彼女とはいろんな面で相性がいいのか、いつも長電話になる。(カレシもこの弟とは長電話になるんだけど・・・。)あ~あ~、あした、あさって、しあさってと毎日締切があるぞ。ここはえいっと腕まくりして、腰をすえてがんばらなくちゃ。残った七面鳥で週末まで食いつなぐ「手抜き作戦」で行こうっと。

極楽とんぼはあわてんぼ          

10月9日。小指を切ってしまって、わあわあとにぎやかにぼやきながら、まずはひと仕事を片付けた。ぎっちょの私が右手に道具を持つとろくなことがない。それで痛い思いをするのはいつも利き手の左手。よく見たら、左の方が傷痕が多い。ほぼ両手利きで便利なんだけど、道具が刃物や金づちとなれば話は別。

20年以上も前の我が家が元のボロ家だった頃、カレシが出張するたびに夜な夜な家の中の改装をやっていた。何しろボロ家だったから、壁紙を張って、窓枠のトリムを取り替えて・・・その時に釘を打つのに左手では角度が悪いと、金づちを右手に持ち替えて勢いよくガツン!実は、打ったのは釘(nail)じゃなくて人差し指の爪(nail)。駄じゃれにしかならないけど、指先が真っ黒で、いても立ってもいられないくらい痛い。半泣きの気分で車を運転して救急病院へ行った。そこで待つこと4時間。夜中過ぎてやっと診てくれた若いドクターまで駄じゃれを飛ばして、あげくに「そういえば今夜は満月なんだよな~」

これは右手だったけど、夕食の支度をしていて、人差し指の爪を爪床もろとも3分の1くらいスッパリと切り落としてしまった。もう5年くらい前になる。ハロウィンが近かった頃で、キッチンもバスルームも殺人現場のようなありさま。カレシは今にも気絶したいような真っ青な顔で応急手当をしてくれたけど、あの、頭のてっぺんから足の先までズッキン、ズッキンと響く痛みはすごかった。次の日にドクターに診てもらったら、「いやはや、派手にやったもんだなあ」といいつつ、きちんと包帯をして、破傷風の予防注射をしてくれた。

そう、この極楽とんぼはかなりそそっかしいのだ。おまけにドクターには「痛みのしきいが高いんだなあ」と感嘆されるしまつ。これって、「我慢強いねぇ」とほめられているのか、「キミって鈍感だねぇ」と呆れられているのか、はて、どっちなんだろう?

ま、血なまぐさい話はさておいて、投資の契約書の次はゲノム解析の話。続いて水資源の話で、その後は地殻の研究らしい。この世界にはスペシャリスト派とジェネラリスト派がいて、この頃はスペシャリスト派が「専門化」を唱えてやかましい。まあ、専門知識はあったほうがいいとしても、いろんな専門分野の独特な文体の特徴をつかんだら、それで「専門知識」の5割がたで、我らが守護聖人「聖グーグル」の加護が3割、専門分野を垣間見た経験はせいぜい1割で、後の1割は「怖いもの見たさ」というところ。契約書や訴訟の仕事が好きなのはちょっと弁護士気取りでもったいぶって書くのがおもしろいし、科学は「知りたがり屋」にとっては花とミツバチの関係かな。来る日も来る日も「IT」の仕事ばっかりなんて、とってもやれそうにない。楽しきかな、バラエティ。やっぱり極楽とんぼは注意力散漫なのかなあ・・・

ヘンなデモクラシー

10月11日。見たところ簡単そうな仕事だったのに、ぎりぎりになって、気がついたら日が変わっていた。中身がどうのということよりも、英語文書でほとんど使わない(というよりは日本語IMEを設定していなければ元から存在しない?)WORD機能が常用されているもので、英語を上書きするときはそれを解除しないとやりにくい。レイアウトの概念が原稿用紙の升目単位なんだからしょうがないけど、誰が考案したのか知らないけど、あの原稿用紙は日本的「こだわり」思考の根源じゃないかと勘ぐりたくなる。

バンクーバー市役所のストは内勤の組合だけ解除になった。「100%じゃないけどこれ以上良くなりそうにないから」とかなり合理的な判断。一方、外勤組と図書館組は予想通り「ノー」。図書館組は圧倒的多数が「ノー」だからいいとして、外勤組はほぼ60%が「イエス」に投票したのに、組合の規則では賛成66%以上ということでスト続行。スト決行には50%あれば良いのに、ストをやめるには66%必要なんておかしな話だけど、労働組合というのは昔のソ連や共産主義と同じで権力者の意のまま、あまり民主的ではない。

おまけに、相当な数がスト中に民間企業でアルバイトをしていて、「ノー」に投票した40%にはあまりにも収入が良いもんで、もうしばらく稼ぎたいという連中がけっこういるらしい。テレビカメラに向かって「ストが続いたってオレはちっとも困らない。オレの仲間もみんなガンガン稼いでるよ」と自慢していたおっちゃんがいた。トラックのドアに会社の名前がでかでか。ストで仕事が増えてウハウハの民間のゴミ業者だ。本職のゴミ収集をほっぽり出して、民間でゴミ集めをやっているわけだ。年間の料金を払ってるのに3ヶ月もゴミを集めてもらえない市民はいい面の皮。民間でバイトをすることもできなくて、1日分の給料にもならないスト手当で3ヶ月も細々と暮らしてきて、「イエス」に投票したのにまだストを続けさせられる他の組合員もいい面の皮だ。ピーター・セラーズとイアン・カーマイクルが主演した『I'm all right, Jack』という古い風刺映画を思い出した・・・

あんまり図に乗るから・・・

10月12日。あれあれ、やたらと威勢のいいことをいっていたバンクーバー市役所の外勤職員組合だけど、1日経って180度回れ右、急転直下の妥結に向かっているらしい。ストで仕事を放り出して組合員はバイトに熱中、おまけに少数派が多数派を支配する、いう外勤職員組合の変則ぶりに市民は呆れた口が塞がらないでいるんだけど、何と組合の方から市に交渉再開のための話し合いを申し入れたんだそうな。

それも「妥結寸前のところまで来てたんだから、あとちょっとの微調整だけですよ。お話しましょうよ」って、なんじゃ、いったい?長々とストを打った挙句に調停人を呼んで来たのは組合の方。その調停人が出した妥結案に「オレたちは裏切られた、断固拒絶」と組合員に檄を飛ばしたのも組合。市役所が妥結案を受け入れて、組合員のほぼ6割も賛成したのに、66%が組合の規則だからと「勝つまではスト続行」と気炎を上げて見せたのも組合。それが、「妥結寸前なんだから話し合おうよ」って、何だ?

雇用者はバイトを雇いたくても法律で禁じられているのに、バイトで笑いが止まらないスト中の職員の姿がテレビに大写しになり、翌朝の新聞の第一面にでかでかと載ってしまった。新聞には「そんなに民間がいいならゴミ収集を民間業者に委託してしまえ」、「左派政権時代にできた組合偏向の労働法を見直すべきだ」との投書がぞろぞろ。組合幹部の慌てぶりが目に見えるような展開だ。そうならないと思っていたとしたら、いささか間抜けな話だけど、このままストを続行したらどんどん分が悪くなることくらいわかったんだろう。意気揚々と振り上げたこぶしをそろ~っと下ろして「えへへ」と照れ笑いするしかなくなったってことかな。

で、夕方のニュースで流れたホットな情報・・・「一応妥結、来週にもゴミ収集が再開されるかも」と来たからびっくり。おいおい、交渉を再開するかどうか話し合いを始めたのは今朝でしょ?それで、もう妥結したって、あれだけ強硬だったんだから、そんなに手の平を返したように解決するわけがないでしょ?妥結の詳しい内容はわからないけど、どうやら拒否したのとあんまり変わらないらしい。なるほど、組合の面子を立てるための「window dressing(体裁つくろい)」というわけだ。どう見たってそういうところだろう。

ふむ、公務員組合でしたくもないストを「させられた」経験からして、公務員の労働組合なんてその程度のものなのだ。初めての時(私は30代前半)、ストをするかどうかの投票の前に、組合から派遣されて来た勤続40年とかいうおばちゃんが、ほとんどが20代、30代の事務職の私たちの前でこんな演説をした。「雇用者は長い間まじめに働いて来た私に電動タイプライターを押し付けた。今度は電子タイプライターに代える計画で、それどころか、部門によってはワードプロセッサとかいう新しい装置を導入するという話だ。私のような労働者の権利は踏みにじられてばかりだ。働く者の権利を守るためにも、みんな立ち上がって雇用者の独断的な横暴と戦わねばならないわ」と。ワードプロセッサの導入にわくわくして、誰が訓練生に選ばれるかそわそわしていた私たちは、「恐竜の化石みたいなおばちゃん」に目が点になったのだった。

ほんとにゴミの収集が再開されるかどうかは、う~ん、見てのお楽しみにしとこ。ポスターボーイになってしまったあのおっちゃん、どんな顔で職場に復帰するのかなあ・・・

欲望という名のカクテル            

10月13日。おやおや、ごみ収集のストが終わるというのはどうやら本気らしい。「会いましょうか」ということになって、次の日に会って話を始めて、わずか1時間で「シャンシャンシャン」ということになったんだそうな。組合は超ハッピーで、今度は組合員に受け入れを勧告するそうだけど、それにしても、なのだ。断固拒絶だったはずの妥結案だったのに、聞くところによると、その妥結案にまさに微々たる「微調整」をしただけらしい。やっぱり組合が自分たちの面子を立てたってことだろう。たった1時間やそこらで手を打てるんだったら、ほぼ3ヵ月続いたストはいったい何だったんだ?

早ければ月曜日にゴミの収集が再開されるそうな。スケジュールを見たら、おお、我が家のある「グリーン」地区ではないか。最後に収集トラックが通ったのはストに入る前日の7月18日。今度はいの一番てわけ。まあ、実際にどうなるかはわからないけども、ちょうど腐るキッチンのゴミが容器いっぱいになりかけていたところだ。ベーキングソーダを盛大にふりかけたせいであまり臭わずに済んだし、紙やビニール袋の類を分別して、料理くずだけをビニール袋にギューッと圧縮して捨てると、かなりの長期間「篭城」できることもわかった。これを機会に野菜くずでコンポストを作り始めた家庭も多い。グリーンに志向に追い風になったとすれば瓢箪から駒ってもの。ふむ、そのうちゴミが出なくなったら、ごみ収集課など不要になるなあ・・・

感謝祭以来の残り物攻めにくたびれたところで、久しぶりにLumiereに行った。予約のときにいつも指定するのが42番のテーブル。ちょっと奥まった感じがお気に入りのお二人様用テーブル。担当のフランソワさんはフライトアテンダントの奥さんと休暇中だそうで、代わりの担当は生きのいいドウェインさんと大きな目玉のジャンピエールさんだ。お気に入りのテーブル番号を指定して予約すると、担当スタッフとも馴染みになって対応がかなり違ってくるからおもしろい。だから、お気に入りのレストランで案内されたテーブルが気に入ったら必ず番号を聞いておく。これはあちこち食べ歩いて覚えた、いわば「裏技」みたいなもの。

さて、刷り上ったばかりだという新しいカクテルメニューで、「A Cocktail Named Desire(欲望という名のカクテル)」という思わせぶりなネーミングに誘われてバーマネジャーの創作カクテルを注文した。ベースはブランディで、キルシュとマラスキノ、オレンジピタース。サワーチェリーとオレンジの皮のツイストで仕上げ。強烈な個性のある材料がなんとも不思議な微妙な色と味わいになっていて、ひと口で気に入ってしまった。カクテルの創作に興味を持ち始めているカレシが材料が揃っているから家で作ってみてくれるそうだ。

ここのメニューにはアラカルトがなくて何コースかをセットにしたTasting Menu(味見メニュー)が3種類。今日はシェフの「Signature」コースにした。前菜から魚、肉で6コースの後にチーズ、それからデザートが3コースという、なんか「晩餐会」みたいな豪勢メニューだけど、味見メニューというだけあって、1品ずつはほんの少量ずつお上品に出てくる。でも、全10コースの前には突き出しがあって、最後のコースの後にはチョコレートやクッキーのおまけもあるから、小食の人には向いていないかもしれない。今日のメニューは、突出しがフォアグラのパテのミルフィーユ、コースの初めはカニサラダとウズラの卵、次に玉ねぎのトリュフ入りベルーテ(美味!)。あと、ホタテ、オヒョウ、鴨、鹿(美味!)と進んで、チーズ6種類(エポワッスというフランスのチーズはくっさ~くてとびっきり美味)。この後に「口直し」のソルベに始まって、デザート3種類でめでたく全コース終了。ここでエスプレッソを飲みながらおまけのミニクッキーやキャンディを食べて、ああ、さすがにおなかがいっぱい。ふぅ~満足、満足・・・

何もしないってのも・・・

10月14日。仕事をしない一日って、ほ~んとに久しぶりだなあ。11時過ぎにカレシに起こされたけど、目を開けてむにゃむにゃといってまた寝てしまったんだそうな。覚えてないのと聞かれても、ぜ~んぜん覚えてない。結局12時過ぎに起き出して、寝ぼけ眼でキッチンに下りて行ったら、ディッシュウォッシャーが運転中。「スイッチが入ってなかったんだよ」とカレシ。え、またやっちゃった?我が家では、寝る前に1日分の食器や調理具をまとめてディッシュウォッシャーに入れるのは私の仕事で、洗い終わって乾いたのを取り出すのはカレシの朝の仕事ということに(いつのまにか)なっているんだけど、食器を入れて、洗剤を入れて、サイクルをセットするまで行ったところまではいいけど、そこは注意力散漫とんぼのこと、グラスを洗い始めたりするから、最後の「スイッチ、ポン」のステップを忘れて寝てしまうことがあるわけ・・・

でも、今日は仕事をしなくてもいい日。仕事がないわけじゃないけど、未だに気乗りがしない大仕事に手をつけなくてならないのは明日ということになっているから、1日くらいは何もしないことにしようと決め込む。洗濯くらいはするつもりでいたけど、「するつもり」を思い出したのは午後も遅くなってから。これは仕事があってもできるから明日やればいいか、とパス。デスクのカタログやジャンクメールの山を片付けるつもりでいたけど、いたるところに散らばったままのペンや計算機や虫眼鏡が必要なときに見つけられるうちはいいか、とこれもパス・・・

明日から本当にごみ収集が始まるそうだ。なんだかアンチクライマックスの気分だけど、予定表の通りに月曜日の地区から再開するというから、うちのところ。今夜は忘れずにゴミ容器を外に出しておかなくちゃ。人手を増やして一日で全部集めるとはいうけど、バイト先の民間業者にそのままいつく人もいるという話だから、ほんとに全部集めきれるのかなあ。まあ、88日もストップしていたんだから、あと1回くらい抜けてもどうってことないよって感じ。さて、どんなぐあいかは明日になってのお楽しみ・・・

な~んてブラブラしているうちに、日本は月曜日。またぞろニ方向から仕事が来て、忙しくなりそうな気配。あんまり競争しないでよ、といいたいところだけど、どこもお互いに知らないわけで、競争しているってわけじゃないよなあ。だけど、明日の朝食が終わるまでは何が何でものんびりしなくちゃ。とは思うけど、何が何でも何もしないってのも何となくストレスになりそうなモードだよなあ、と極楽とんぼはワーカホリック的でとんでもないことをつらつらと考える・・・

タイムマシン

10月15日。ほんとうにゴミが消えた!朝の9時頃、ゴミ収集トラックの轟音で目が覚めた。今は自動収集方式といって、容器を機械で持ち上げてトラックに空けるから、人間がゴミの袋を拾ってトラックに放り込んでいた頃よりもすごい音がする。でも、3ヵ月ぶりにうとうとしながら「あ、ゴミを持って行ていったな」と思いつつまた眠りに落ちるのはいいもんだ。安心しすぎたのか正午まで眠ってしまったけど・・・

さてさて、今日から1ヵ月の予定の大仕事に手をつけることになっているんだけど、「はめこみ」がもう2つ。きのうパスした洗濯をしながら、何だか3つのボールを空中で回しているjugglerみたいだなと思った。あ、日本語が思い浮かばない。お手玉なんかでやったあれ・・・辞書を見たら「曲芸師」と書いてあった。私には2つでもできなかったけど、4つくらい回せた子がいたっけ。あれは曲芸だったんだ~と、ヘンなナットク。

カレシのスピーカーから急に「上を向いて歩こう」が流れてきた。坂本九のオリジナル。今でも歌詞を覚えているから、何とも不思議だ。「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように・・・」。これでもけっこう多感なティーンだった私。この、妙に突っ張って見せている若者らしいくだりが大好きだった。昔の青春はまだ純真だったのだ。あれはNHKがやっていた「夢で逢いましょう」という番組の今月の歌として作られたものだったと思う。あの番組は特に深夜ではなかったと思うけど、子供が寝た後に大人がくつろいで見るものという雰囲気があって、私には眩しいほど大人っぽく、洗練されて見えた。うん、あれは「とりあえずビール」の文化とは違ったなあ。マティニの味か、それともコニャック。それとも夏の夜は冷えたロゼか。そのくらいお洒落な番組だったと思う。聞くところによるとDVD版が出ているらしい。でも、日本のDVDだとカナダでは再生できないだろうなあ。

ネットラジオを通じてジャズ演奏をいろいろ集めていたカレシ、1000曲以上も集まったとかで、最近はめぼしいものがなくなったらしく、今度は50年代から60年代(つまりはカレシの青春時代)に流行った懐メロを収集している。ロックンロールが登場し、ジョニーとかボビーとかいった似たような名前の徹底的に「浄化」された若い歌手がぞろぞろ、やがてビートルズが出て、反戦・反体制運動と共にフォークソングが隆盛してフォークロックにつながって・・・カレシとは5才の年の差があるけど、今一緒に4、50年前のヒットソングを聴いていたら、太平洋に隔てられてはいても、二人ともかってティーンエイジャーだった時があると、何だか共通の青春時代があったように感じられるから不思議。カレシのティーン時代は映画『アメリカングラフィティ』を地で行くような感じ。ジェームズ・ディーン気取り?か、革ジャンを着て、タバコをくわえた写真がある。ま、学校はかなり荒れていたらしいけど、私生活まで校則でがんじがらめだった私の高校時代に比べたら、ちょっぴりうらやましい気もするなあ。でも、今が一番だから、タイムマシンで戻って体験したいとは思わないけども・・・