老後の暮らしのイメージ
10月21日。日曜日。正午に起床。しっかり暖房が入っている。この秋初めてじゃないかな。ポーチの温度計は7度。平年並みの最低気温の方じゃないの、これ。エルニーニョになるという話だったけど、去年は寒いと言う予想が外れたから、今年は寒い冬になりそうな予感。
朝食が終わったら、さっそくママのご機嫌伺いにトラックでお出かけ。メープルリッジまでは1時間近く。ハイウェイに入って、バスと2人以上が乗った車専用のHOVレーンをすいすい。規制は月曜から金曜までなので、日曜日の今日はドライバーだけの車も利用できるんだけど、なぜか律儀に普通のレーンを走っているから、人間の心理はおもしろい。標識をちゃんと見ていないのかな。快適に飛ばして、よく出口を見逃して橋を渡ってしまう辺りまで来たら、風景が様変わり。新しい橋が開通して、道路の構成を全面的に切り替えたようで、けっこう合理化された感じ。でも、新しい橋は有料だから、うっかり迷子は困る。こっちのレーンで大丈夫かなあと心配しつつ、それでもすんなりと目指したバイパスに入れて、やれやれ。
トラックを止められるところを探すのに手間取って、ママが住むホームに着いたらもう3時。受付で「訪問者」のシートに名前と時刻を書いて、ママの部屋へ。介護付きホームと言っても、1ベッドルームのアパートと同じで、小さいながらダイニングキッチンがあるし、バルコニーもある。今95歳のママはこの前来たときよりもずっと元気。ほんの少し太ったかな。「お茶を飲む?」と言うので、ワタシがお湯を沸かして、ポットに紅茶を3人分。「私は食べないけどみんなが持ってくるの」というクッキーを食べながら、さっそく5人目のひ孫にあたるエヴァンの話題。それがカレシが赤ちゃんだった頃の話に発展して、さらにおじいちゃんの農場の話。おじいちゃんがライフルと散弾銃で鶏を狙って来る鷹を退治した話。(鶏舎から出した鶏を鷹が急降下でさらって行ったんだそうな。)カレシが子供の頃に入れてもらえなかった「白い小屋」には木の根を吹っ飛ばすためのダイナマイトを保管してあったと言う話。ママが子供だった頃の話は北海道の開拓時代の話とイメージがダブって来るからおもしろい。
話を聞いていて、こんなに生き生きとしているママの表情を見るのは初めてだと思った。未亡人になって2年半。今はホームの行事やお出かけにも参加するし、ラウンジに行って他の住人たちと雑談もするというから、ずいぶん変わったな。初めて会ったときから何となくとっつきにくい人という印象だったし、自分でも人付き合いはめんどうくさいと言っていたし、息子や嫁たちに干渉したこともなく、孫たちに夢中になることもなく、愚痴を言わない代わり楽しそうな表情を見せることも少なかった人だったのが、実に生き生きとした表情で昔話をしている。60代、70代で夫に先立たれた女性は元気になって若やぐことが多いとは聞いているけど、ママはまさにその通り。ひょっとしたら、70年近かった結婚生活はある意味で「呪縛」のようなものだったのかな。その枷が外れて、やっと訪れた自分の時間を楽しむようになったんだろうか。
ママの横顔を見ながら、ふと、ワタシの10年先、20年先はどんな感じなんだろうなと思った。今ワタシは64歳。来年から年金をもらうための手続きをしている。カレシは今69歳。来年は70代に突入する。年を重ねるにつれて5歳の年の差は大きくなるような気がする。10年先はまだ一緒かな。まだ一緒に買い物をしたり、遠くへ旅行したりの生活ができているのかな。20年先はどうなっているんだろう。まだ2人一緒に暮らしているかな。でも、今の家にはもう住んでいないだろうな。ママのように介護付きホームで暮らしているのかな。ボケていないかな。どっちかがひとりになっていないかな。ひょっとしたら、ワタシもママのように「ひとり」の自由を楽しんでいるのかな。ひとりになったワタシはどんな暮らしをしているのかな。ひとり暮らしをしたことがないワタシには老いてひとりで暮らす自分のイメージが湧いて来ない。
でも、ひとりぼっちではないと思うな。元々べたべたしない家族だったのかもしれないけど、異国から入って来たワタシをそっくり受け入れてくれた。カレシとの問題があったときも、みんながワタシを支えてくれた。だから、自分の子供はいなくても、ワタシには家族がいるという実感はある。カナダという国もワタシにはやさしかった。ワタシはこれ以上に何も望めないほど恵まれていると思うから、ひとりになることはちっとも怖くない。きっとママのように生き生きと余生を送るんだろうと思うな。カレシの方は、ひとりになったらどう暮らして行くのか考えてみたことがあるのかな。聞いてみたい気もするけど、まあ、結婚の誓いは「死が2人を別つまで」だし、どっちが「ひとり」になるのかは神さまにしかわからない。
それよりも、「2人の時間」がこの先どれだけ残っているのか。一緒に暮らして37年、結婚して36年。あと14年経てば50年。そこまで行けそうかな。何だか急に2人の時間がすごく大切なものに思えて来た。何とか今日まで2人でいられたのも「縁」なんだと思うから・・・。
コンサートで泣いてしまった
10月22日。月曜日。かなり早朝にゴミ収集車が来て目が覚めた。午前8時前かな。いつもならすんなり眠りに戻れるのに、けさはどうも身体が楽になれなくて、10時過ぎまで寝付けなかった。おかげで、正午に起きたときは何となく頭がもや~。
朝食を済ませて、まずは年金の手続きを終わらせるためにダウンタウンへ。市民権の証明はとりあえず証書カードと期限が切れたばかりのパスポートを持って行った。2時ごろにService Canadaのオフィスに着いてみたら、あら、今日はけっこう待っている人がいる。10人くらいの若い男女が椅子を車座にして、おしゃべり。ワタシが陣取った椅子の前の列には(日本語のダウンタウンの地図を持っていたから)日本人と思しき若い女性が3人。後ろにも数人が待っているから、ちょっと時間がかかりそう。男女の大群は全員が順番に呼ばれて終わったところで、車座にしてあった椅子をきちんと元のように並べてから帰って行ったから感心。ワタシは順番を待つ間、Service Canadaの宣伝?が英語版とフランス語版で交互に表示されるモニターを眺めていた。けっこうフランス語の語彙が増えたような。
結局40分待ってやっとワタシの番。ちょっとフランス語訛りのあるおばさんが、パスポートの方をコピーして、肝心の日付が切れていた永住許可の書類も「あらら、そこが一番重要なところなのにねえ」とコピーし直してくれた。選択肢が増えすぎて、仕事をやめようかどうか悩んでしまったと言ったら、「あら、それはCPPの話。老齢年金は関係ありませんよ。収入が多すぎると税金で段階的に返すことになりますけど」。持参した申請書をチェックして、「では、まとめてこちらから送っておきますね。65歳になるのはいつですか?来年の4月?じゃあ振込みは5月からですね。」。はいはい。ああ、終わった。これで年金関連の懸案事項はすべて完了。肩の荷がストンと下りた感じ。おばさんに3回くらいお礼を言って、何となく軽くなった足取りで地下鉄駅へまっしぐら。
家に着いたのは午後3時40分。今日はバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズ第1回。慌しく夕食のしたくをして、食べて、ちょっとひと息入れて、ローカットの真っ赤なドレスでおめかしして、おしゃれなオペラジャケットを着込んで、小雨模様の中をおでかけ。今シーズンからシリーズを変えて、土曜日と月曜日の2回公演のうち月曜日を選んだ。席は前のシリーズと同じドレスサークル最前列のど真ん中。一流の演奏家が来るので、若手演奏家が中心だった前のシリーズよりも高いんだけど、ドレスサークルにはシニア割引も学生割引もない。まあ、気に入っている席だからいいんだけど。
当初のプログラムでは肩の凝りそうなマーラーの交響曲第9番だったのが、夏の間に変更されたと見えて、チケットを見るとチャイコフスキーになっていた。第1部が『眠りの森の美女』、第2部が『白鳥の湖』と、どちらもバレエ音楽。席についてプログラムを見たら、常任指揮者で音楽監督のマエストロ・トーヴィがあまり大編成のオーケストラで演奏されることがないバレエ音楽を交響楽団用にアレンジしたものだそうな。まあ、バレエ公演での生演奏はオーケストラピットに納まる比較的小さい編成だもんね。前のシリーズで使っていたステージ両側の大きなモニターに、場面ごとに簡単なあらすじが映し出されるので、バレエになじみがない人でもストーリーの流れを追うことができるから、なかなか粋な企画だな。
『眠りの森の美女』は魔女の呪いで100年間眠っているオーロラ姫を、魔女を退治した勇敢な王子がキスで目覚めさせて、結婚を申し込むという話。100歳年上ってすごい年の差婚だねえ、と言ったらカレシは爆笑して「魔法で眠っていたんだから年は取らないんだよ」。だけど何しろ100年の差があるんだから、ジェネレーションギャップはすごいと思うけど。ファッションだって違うし。でも、おとぎ話の世界は100年経っても何も変わらないんだろうな、きっと。休憩を隔てて『白鳥の湖』。ワタシ個人としては、バレエ作品の中でドラマ性と緊張感と感情表現の深さでは『白鳥の湖』を越えるものはないと思っているんだけど、それをフル編成の交響楽団が演奏するともの凄い迫力がある。
ジーグフリート王子とオデット姫が踊る「グラン・アダージョ」はいつ聞いても息を殺してしまうほど切ない。2人の間に恋が芽生え、しだいに燃え上がって、甘美な愛の語らいになって行く過程がバイオリンソロと後で加わるチェロの音色に凝縮されていて、これほど美しくて、exquisite(ぴったりの日本語を思いつけない)な曲はないと思う。一方、舞踏会のシーンに現れた黒鳥オディールと王子の「グラン・パドドゥ」はバイオリンのピッチがやや高めで、ときどき「グラン・アダージョ」に似たやさしい響きになるけど、すぐに高い音色に戻って(つまり、魔性を隠し切れていない)、オデット姫の「なりすまし」であることを表現しているのがすごい。
だけど、ジーグフリート王子はそれを見抜けなかった。(男ってのはこういうところで何かが抜けているみたいなんだなあ・・・。)すっかりオデット姫だと思い込んでオディールに愛を誓ったもので、呪いは永遠に解けなくなってしまう。それを知って、湖へ駆けつけて、悲嘆しているオデット姫にひたすら謝っても遅いよなあ。なりすましを永遠の恋人と間違えてしまうなんて、もう・・・。そこへ魔法使いのロットバルトが現れて、最後はシンバルもティンパニもバンバンと鳴り響いて、この世で結ばれることができなくなった2人は湖に飛び込んで死んでしまう。このあたりは何となく古典的な日本の「心中」のようでもあるな。でも、2人の死によってロットバルトは魔力を失い、今度こそ永遠の愛を誓った2人は手を取り合って黄泉の国へ。白鳥が水面を滑るようなメロディが真実の愛の勝利を謳い上げつつ、高く、高く、昇華して行って、感動のフィナーレ。涙が溢れて来てしまった。
マエストロがバトンを振り切ったとたんに、わ~っと拍手。ワタシも思わず立ち上がってしまった。いや、すごい。客席がほぼ総立ちになって、「ブラヴォー」の声が飛び交う大喝采。いやあ、ずしんっと全身に響くような聞き応えというか、何と言うのか。これほど感動したのは久しぶりだなあ。やっぱり『白鳥の湖』を超えるバレエ音楽はこれからもないだろうな。
何となくちょっと違った感じ・・・
10月23日。火曜日。2人ともいい気持でぐっすりと眠って、起床は正午。寒い。湿っぽい。まあ、10月も下旬だし、あと10日で8ヵ月続いた「夏時間」が終わり。時計を1時間戻してわずか4ヵ月の「標準時間」。いつもおかしいんじゃないかと思うんだけど、変わりそうな話はないなあ。
今日中に入って来ることになっている仕事が入ってくるまでは「休み」。寒いから、まずはTシャツの袖のごく短いもの(肩口を覆う程度のものは3分袖というのかな?)をまとめて、7分袖のシャツと入れ替える。ついでにショーツやタンクドレスもしまって、これでワタシの衣替えはおしまい。でも、一度も着ていないのがけっこうあるなあ。身体はひとつしかないのに、ずいぶん買い込んだもんだ。カレッジの駐車場の隅にある衣料品の寄付ボックスに入れて来ようかな。
そういえば、今日はロンドンのFolio Societyから大きな郵便袋が届いて、注文してあった4冊の本とおまけの本が3冊。カレシが「いったいどこに置くの?」と聞くけど、はて、どこに置こうか。本棚はもう満杯に近いし、とりあえずそこらに積んで置くことにするかな。でも、昔の貧乏時代に会員制の本の通販サービスから買い込んだ(一応はハードカバーだけど)安っぽい本がたくさんあって、新しいものとダブっていたりするから、モールの入り口にある本の寄付ボックスに入れて来れば、スペースができそう。本のボックスの隣にはCDやDVDの寄付ボックスも置いてあって、慈善団体が集めて、仕分けをして、施設に配布したり、Value Villageのような中古品の店で売ったりするんだろうな。ま、これもリサイクルのうち・・・。
老後の娯楽のためと言い聞かせて買い集めた本がいったい何百冊あるのかわからないけど、年金の申請を出した昨日の今日で、その「老後」が水平線に見えて来たと思うとちょっとした感慨が沸くな。今日はほんとに今までと何だかまったく違った気分になっているワタシ。気持だけでなく、身体まで軽くなったような気分。まあ、フリーランスというのは常にいつ仕事がなくなるかわからないリスクと背中合わせだから、必然的に気持の底に「大丈夫か、ワタシ?」という緊張感があったんだろうと思う。それが、来年からは働かなくても毎月決まった収入があるわけで、これまでの「食いはぐれないために働く」というプレッシャーがなくなる。そのプレッシャーがどれほどの重さだったのかは、はっきり意識していなかったからわからないけど、とにかく今日は起きたとたんから「何かが違う」。こういう気持になるとは想像もしていなかったから、何とも不思議・・・。
休みが終わらないうちに、ネットショッピング。カレシが冬のシャツを新調したいと言うので、LLビーンのカタログとフラグを渡しておいたら、すごい数のフラグがぴらぴら。でもまあ、今あるシャツはどれも着古して、色があせたり、擦り切れたりしているから買い替え時。カタログを見ながら、マークしてあるものを探して、希望の色をクリックしてショッピングカートに入れて行くと、あら、カシミアのセーターを何と色違いで2枚。たっかいよ~、アナタ。でも、ま、いっか。一緒のおでかけのときにおしゃれをしないカレシがすてきなカシミアのセーターでかっこよく見えたらめっけもの。チェックアウトしてから全部でいくらと報告したら、「えっ、何でそんなになるんだよ?」と来た。カシミアのセーター2枚だけで40%行ってるんだから。「セーターなのにそんなにするのか」。だってカシミアだもん。選んだときに値段を見なかったんかいな、もう。今さら気が変わっても遅いからね。もう注文しちゃったから。
まあ、カナダドルのレートが下がるまでは、アメリカドルの口座に貯まる翻訳料を移すと差損が出るし、かといって外貨建ては預金保険の対象外だから、貯まるにまかせているのもちょっと心配。そこでアメリカドルのままでアメリカで(バーチャルに)買い物をするのが今のところは最善の策。ということで、盛大にカレシの買い物をした後は、Hammacher Schlemmerのカタログで見て目をつけていた「ポテチメーカー」も買ってしまう。薄切りのポテトなどをシリコーンのトレイに並べて電子レンジでチンとやれば低カロリー、低塩分のポテトチップができるというもの。ティファールの「油で揚げない」フレンチフライメーカーは優れものだったので、これも能書きほどに優れものかどうか、高いものではないから、試してみる価値はある。何しろせっせと塩ヨーグルトを作ってはいろいろなハーブを混ぜて試しているところなもので、クラッカーやチップの消費量が半端じゃない。それにしても、キッチン道具となると新しいもの好きだなあ。
久しぶりのネットショッピングを楽しんでいたら、おや、次の仕事の原稿が入って来た。うん、ちょっと散財したから、仕事、ぼちぼちとやるか・・・。
英語、フランス語、その他(いろいろ)語の国
10月24日。水曜日。雨っぽい。朝食が終わった頃にシーラとヴァルが到着。掃除を始める前に、パスポート更新の申請書に記入する「身元確認」用の(親族以外の)人になってもらって、住所をもらっておいた。何しろ戸籍とか住民票とか言うものがない国だから、年金の申請と同じで、申請者が本人であることを確認するには生きた人間の証言が頼り。(ただし、「照会するかもしれない」としか書いてないけど。)まあ、日本の人が絶大の信頼を寄せる「戸籍」だって、元々ふり仮名が(たぶん今も)ないから、ワタシの戸籍名だって2通りに読めたように、「別人」になりすます抜け穴がないとは言えないと思うんだけどな。
今日また統計局から去年の国勢調査の結果の一部(言語)が発表されて、ニュースで話題になっている。カナダは英語とフランス語が公用語だけど、過去40年ほどで急速に多民族国家として発展した来たので、必然的に「多言語国家」のようになりつつある。国勢調査にも「母語」と「家庭で主に話される言語」に関する質問項目があって、それぞれにカレシは英語と英語、ワタシは日本語と英語と回答する。「母語」の項目では、カナダ全体では、英語57.8%、フランス語21.7%、「その他」20.6%。ケベック州だけを見るとフランス語が78.9%、英語が8.3%、「その他」が12.8%。ケベック州以外のカナダでは英語が73.1%、フランス語が4%、「その他」が23%と、フランス語は圧倒的に劣勢で、カナダ全国に英語とフランス語の表示を強要する必要はないだろうにと思わせる数字でもある。(まあ、おかげでフランス語が何とな~く「読める」気分になって来たけど・・・。)
「家庭で主に話される言語」となると、カナダ全体では英語が66.3%、フランス語が21%、「その他」が12.6%。ケベック州だけだと、フランス語が81.2%、英語が10.7%、「その他」が8.1%。ケベック州以外のカナダでは英語が83.5%、フランス語が2.4%、「その他」が14%となる。もちろん「その他」は公用語以外の言語で、先住民の言語を除いては「移民言語」のこと。この移民言語のうち上位25言語(日本語は入っていない)の前回の国勢調査と比較した増減では、増加率が最も高かったのはタガログ語で64%。次いで中国標準語、アラブ語、ヒンズー語、カリブ海のクリオール語、ベンガル語、ペルシャ語、スペイン語、ウルドゥ語と続き、減ったのはギリシャ語、ポーランド語、イタリア語などで、最近の移民がどこから来るのかが手に取るようにわかっておもしろい。(日本語が出て来るのは都市圏別の上位12言語を示したグラフのうちのバンクーバー圏(230万人)だけで、最下位の1.4%。)
ケベックは別として、家庭で主に話される言語というのは、移民一世の代はほとんどが出身国の言語だろうけど、特にカナダで生まれた移民二世は最初に覚える言葉こそ両親の言語でも、就学すると英語が主言語になって、やがて母語を忘れてしまうケースも多い。ポーランド系の友だちの場合も、子供たちが早くにポーランド語を使わなくなったので、夫婦でも英語で話しているうちに「ポーランド語はけんかのときだけ」になっているそうな。カレシの英語教室に通ってくる中高年の女性たちの中にも、母語で育てたのにいつのまにか英語1本になった子供や孫との意思の疎通を図るために英語力を高めたいという人たちがけっこう多い。母語の維持率が最も高いのはパンジャブ語で、次いでタミル語、ウルドゥ語、韓国語、中国標準語、ペルシャ語。西欧系の言語はぐんと低くて、完全に維持しているのは50%以下。まあ、社会文化的なものもあるだろうけど、アジア系、中東系の移民が増えたのはごく最近で、まだ世代交代が進んでいないという要因もあると思うな。日本語も1970年代以降に来た「新移民」はまだほぼ100%維持している段階ではないかと思う。
いわゆる国際結婚など、夫婦の母語・日常言語が違う「異言語婚」の場合で、一方の言語が英語であれば、カナダの英語圏で家庭を営んで行く上ではどうしても英語が「共通語」にならざるを得ないように思うけど、国勢調査ではそこまで細かなデータは出て来ない。でも、互いに相手の言語を話せるからどっちも使うという夫婦はけっこういるし、英語話者の方が相手の言語を話せるから(少なくとも相手の英語が上達するまでは)相手の言語を使っているという家庭もあるだろうな。それでも子供ができればいずれ英語が主言語になるんだろうと思うな。まあ、「言葉が通じなくても愛し合っている」カップルもいるだろうけど、「結婚は日常生活」だと言われるから、互いに言葉がよく通じないままで「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」となるのかどうか。掲示板などの投稿を見る限りでは「言葉の壁」は大きな障害らしいから、いずれは夫婦の「言葉」が必要になって、いずれは生活基盤がある国の言語(カナダならだいたい英語、日本なら日本語)に落ち着くんじゃないかと思うけど、どうなのかな。
記事を読んでいて笑ってしまったのは、いっそのこと衰退するフランス語の代わりに「その他」を公用語にすればいいじゃないかとコメントした人がいたこと。いっそのこと多言語国家をめざすか。何だかおもしろそうだけど、バベルの塔になってしまってもいいのかなあ・・・。
あるところにはあるのがお金
10月25日。木曜日。午前11時半に目覚まし。いつもの木曜日のようにバタバタと起きて、朝食を済ませて、カレシを送り出して、ひと息。今日はちょっといい天気で、正午の気温は9度。この調子だと久しぶりに10度を超えそうかな。(平年並みなら最高気温は12、3度なんだけど・・・。)
まずはメールをチェック。LLビーンから注文品発送のお知らせ。バックオーダーになっているものが何品かあるけど、それは注文時に承知済み。Hammacher Schlemmerからはクレジットカードの追加情報が必要とのメッセージ。あれ、番号か有効期限を間違えて入力したのかな。さっそく電話してみたら、カードの名前のところでミドルネームを入れるのを忘れたみたい。この頃は銀行のファイルの情報とぴたり一致しないと通らないことが多い。セキュリティの見地からはいいことだと思うけど、めんどうくさいときもある。アメリカ東部特有の鼻にかかった声で「では、発送の手配をします」と言われてひと安心。ポテチメーカー、楽しみだな。このカタログは164年の歴史があるとかで、つい欲しくなるようなおもしろいものがいろいろとあって楽しい。音声で知らせてくれる計量カップはどうかなあと思うけど・・・。
そろそろクリスマス商戦のカタログがどかどかと届く時期になったけど、見ただけで目が点になって、ため息が出てしまうのがNeiman Marcusのクリスマスブック。カタログは有料だったし、買えるもの(欲しいもの)があまりないからカタログも買わなくなったけど、毎年「ファンタジーギフト」と言って、自家用潜水艇とか、メリーゴーラウンドとか、自家用ジェットとか、金色の自家用ヘリコプターとか、買う人なんているのかなと思ってしまうような、まさに「ファンタジー」の商品がある。今年の目玉はVan Cleef & Arpels特製のペアの時計で、パリとジュネーブへの旅行つきで値段は109万ドル。でも、ドットコムバブル時代の何千万ドルもした潜水艇やジェット機と比べたら、109万ドルはつつましい方かな。カタログの商品の40%は250ドル以下だそうし。それでも、世界的な不況に逆行するように高級品の売れ行きは伸びていると言う話で、カタログに載った35万ドルのマクラーレンの真っ赤なスポーツカーは(何台あったのか知らないけど)2時間で売り切れたそうだから、お金はあるところにはちゃんとあるということだな。
そう思ったら、ありそうに見えて、なさそうという人もいるから、お金って不思議。何でも、川向こうのリッチモンドの警察がプレートなしで走っているランボルギーニ(2012年型アヴェンタドール)を見つけて止めたところ、法律で義務付けられている自動車保険をかけていなかったので、罰金568ドルの違反切符を切ったら、22歳のドライバーが「高すぎる」と文句。金がなくて払えないと言うので、ランボルギーニはその場で押収されたとか。あちゃ、すごいアホもいるもんだ。でも、このランボルギーニ(平べったくてどこがかっこいいのかわからないけど)はバンクーバーで買うと一番安くても43万ドルするものなんだそうな。(日本でも4千万円以上らしい。)
そういう車を買うお金はあるのに、保険をかけるお金も罰金を払うお金もないって、どういうことなんだろうな。まあ、転がり込んだ遺産か何かを全部注ぎ込んで夢の車を買ったものでピィピィの金欠ということもあり得るけど、ドライバーが裕福な住人が多いウェストバンクーバーの22歳ということからすると、パパかママが大学卒業祝いかなんかに買ってくれたんじゃないかと思うな。最近はそういうあっけに取られるようなケースが増えているようで、お金はその真価のわからない人たちのところほどどっさりあるということかもしれない。もったいない話だけど、そういうところに集まってしまうなんて、天下の回りものたるお金には自尊心てものがないのかなあ。
でもまあ、お金ってのはありがたみを感じていられるうちが華で、貯めることだけのために貯め込んだり、やたらとたくさんありすぎたりすると、ちょっと重くなって来るんじゃないかという気もするから、一番はまじめに働いて稼いで、まじめに使うことだと思うけどな。ということで、今日が期限の仕事をちゃっちゃと片付けて、洗濯機を回して、仕事の見直しをして送信して、帰って来たカレシにご飯を食べさせて、またいってらっしゃいと送り出して、また洗濯機を回して、カレシの要望で(日曜日に郊外で1キロ入りのバッグを買って来た)ガーリックを3個ロースターにセットして、先に洗い上がった洗濯物を乾燥機に押し込んでタイマーをセットして、次の大仕事の算段。うはあ~。だけど、やっぱりお金であろうが、時間であろうが、可もなく不可もなしで、ごく普通の毎日を過ごせるのが、一番心地がいいってことじゃないかと思うなあ。もちろん、思いがけずすごい大金がざくっと転がり込んで来たら、舞い上がって喜んで、せっせと使うのは間違いないけど・・・。
パスポートとアキアジと
10月26日。金曜日。正午を大きく回って起床。湿っぽいけど雨は降っていない模様。朝食を済ませて、すぐにダウンタウンへパスポート更新の申請に出かける。期限切れがちょうど1ヵ月前で、早く更新しないとサンフランシスコへ遊びに行けない。
さっと行って、さっと手続きをして、さっと帰って来るつもりだったのが、カレシがいつものサラダに飽きたから特製サラダを作る材料を買うというので、Whole Foodsまで車。駐車場に入れて、午後6時までのチケットを買って、そのまま坂を下りてオリンピックヴィレッジ駅から終点まで地下鉄。Service Canadaと同じビルにあるパスポートオフィスに着いてみたら、受付窓口に並んでいるのは2人だけで、何列もある椅子に座って順番を待っている人たちも、見たら空席の方が多いくらい。申請用紙を取りに来たときはオフィスの外まで行列していたのにな。金曜日だから空いているのかな。窓口では申請書類と切れたパスポートと写真をチェックして、整理番号と一緒にビニール袋に入れてくれた。番号は「F324」で、受付時刻は午後2時31分。
番号の文字はAからFまであって、見ていると一番よく出て来るのはDで600番台。次に多いのがFで、ときどきE、たまにA。BとCは一度も出て来なかった。どういうロジックになっているのか、カレシとあれこれ憶測してみたけどわからない。でも、Fは11番と12番が多いし、ちょうど12番が空いたので12番だなと言っていたら、「F324→7」と出て、大はずれ。カウンターではひとり分ずつ手続きをするけど、お役所にしてはスモールトークの合いの手まで入れながら実にてきぱき。昔は仏頂面のおじさんやおばさんがつっけんどんに応対していたもんだけどな。郵送で2週間半くらいかかるというので、取りに来るといったら、「ピックアップは10ドルの追加になります」。はあ?自分で電車賃をかけて取りに来るのに10ドルよぶんに取られるのって、どういうロジックなのかなあ。まあ、よくわからないけど郵便で送ってもらうよりは安心だから、やっぱり取りに来ることにして、おひとり様あたり97ドル。ピックアップは再来週の金曜日。2人分をまとめてクレジットカードで払って、手続きの所要時間は待ち時間を入れて25分。
一枚の切符を往復使ってオリンピックヴィレッジ駅まで戻り、まずは道路を渡ってSave-on-Foodsへ。郊外の園芸センターに行ったときに、「ついで」に切らしていたものを買いに入って、なぜかカレシがいたく気に入ってしまった巨大なスーパーで、ママに会いに行った帰りに買い込んだ野菜類の質の良さに感心して、ドライブがてらときどき来ようと言っていた。そのスーパーがWhole Foodsのすぐ近くにもあるのに入ったことがなかったのは、「郊外族のスーパー」という偏見?だったのかな。ここでも野菜の質はいつも行くモールのセイフウェイや青果屋の比じゃない。しかもよく行くIGAよりも安い。カレシは「野菜類はここだな」と宣言。2人とも「○○は××でなければ」というこだわりはないんだけど、それぞれのスーパーに「○○は××のが他よりもいい」というものがあるから、今日はあっち、明日はこっちと「遠洋漁業」。ま、当分は野菜類(と日用品)はSave-on-Foods、魚類はIGAとWhole Foods、アジアの野菜や魚、食品はHマート、急ぎのときは距離が一番近いセイフウェイかな。どこかに新しい店ができればまた変わるだろうけど。
野菜類を詰め込んだトートバッグを持って、Whole Foodsの中を通って地下駐車場まで。別のトートバッグを出して、今度はWhole Foodsでの買い物。魚の売り場で丸ごと氷を入れた魚箱に並べて売っている大きなニジマスとニュージーランドのタイを包んでもらって、ふと見たら珍しいシロザケの特売をやっている。シロザケは日本でアキアジと言っているもので、日本の方へ回遊するのでカナダではめったに獲れないし、獲れても下魚の扱いだから、魚屋に登場することはまずなかったんだけど、イクラはシロザケが(歩留まりが)一番ということで、アラスカでは注目されているらしい。ここでは英語名のchum salmonでは売れないと思ったのか、学名を取ってketa salmonとして売っていたけど、40センチ以上ある大きな半身が今日だけ激安。アメリカ産というから、もしかして、日本の川へ帰る前にアラスカ沖で捕まってしまったのかな。(魚はパスポートなど持ってないもんね。)でも、となりの明るい赤橙色のタイセイヨウサケと比べるとちょっと見劣りがするな。と思いながら、シロザケとタイセイヨウサケと両方買ってしまった。
帰って来てから、シロザケは3つに切り分けて冷凍。腹身はオホーツク海の塩をすり込んでおいた。朝粥が食べたくなったときに出して来て焼こうと思うけど、はて、日本の塩鮭の味になるかなあ・・・。
東はハリケーン、西は地震
10月27日。土曜日。やっと何もしなくてもいい日になって、起床は午後12時半。外は今日も雨模様で、気温は8度。何となくあたふたと忙しい1週間だったな。仕事が詰まっていなかったのが幸い。久しぶりにママのご機嫌伺いに行けたし、年金の受給申請を完了したし、パスポートの更新手続きもしたし、ワタシも今日はだらだらモード・・・。
きのう夕食後に思い立ってトロントのデイヴィッドに電話して、そのまま延々と3時間近くしゃべって声がすれてしまったカレシだけど、起きたら普通の声に戻っていた。何しろこの2人はどっちがかけても長電話。いつもだいたい同じようなことを話題にしているけど、長女スーザンに生まれた初孫の話と来年6月の次女ローラの結婚式の話が加わって、超が付く長電話になったのかもしれない。でも、たまには声が枯れるくらいおしゃべりするのもいいと思う。この年になっても兄弟仲がいいのは何よりだから。そのうちに思い立って遊びに行くかもしれないと言ったら、クリスマスに来いと言う話になったとか。ジュディが昔から引っ越した先々で教会のオルガン奏者をやって来たので、子供たちが大きくなった今はデイヴィッドはクリスマスになるとちょっとさびしくなるらしい。だけど、12月のトロントは雪が降って寒いだろうなあ。
雪といえば、去年の今頃はアメリカ東部が季節はずれの猛吹雪に見舞われて、ちょうど会議でボストンに行っていたワタシたちは、ホテルの窓からだんだんひどくなって来る雪を眺めていた。翌朝にはトロント経由でモントリオールに行く予定だったけど、ボストンで雪が降り始めた頃にはヴァージニアからニューヨークまで飛行機は軒並み欠航で、ボストンのローガン空港も閉鎖になるかもしれないというニュース。各地で倒木などで送電線が寸断されて広域停電(アメリカからカナダにかけて約400万戸)が起こり、そのうちつけっ放しだったテレビの天気チャンネルもダウン。何か情報があるかとロビーへ行ってみたら、帰れなくなった会議の参加者でごった返していた。結局、朝になってみたら嵐はボストンをかすめて行ったらしく、雪はあまり積もっていなかったし、空港も機能していたので足止めを食わずに済んだけど、プロペラ機に乗って出発というときに、緑がかったピンク色の除氷剤を上からどば~っとかけられたのにはびっくりしたな。
あの「Halloween Nor’easter」から1年経って、アメリカ・カナダの東部に今度はハリケーン・サンディが接近中。カテゴリとしてはぎりぎりでハリケーンになっているらしいけど、北大西洋の高気圧が頑として動かないので、時速18キロくらいで半ば足踏みしているところへ、大陸から湿った空気がどっと流れ込んで猛烈な大雨が予想され、さらには月曜日が満月なために高潮の危険があるということで、歴史に残るハリケーンになると言われている。上陸すればアメリカだけでも6千万人、高気圧に阻まれて内陸に向かえばオンタリオ州の7割が影響を受けるという予測で、フランケンシュタインをもじって「フランケンストーム」というあだ名がついている。折りしもまたハロウィーンの時期。近頃の魔女はイジワルだな。ニューヨーク市では非常事態として、日曜日の夜からバスや地下鉄を止め、道路や橋を通行止めにすることを検討しているというし、もしも広域停電が起きて復旧に手間取れば大統領選挙にも影響が出かねないとか。(ちなみに、サンディの後はハリケーンの名前はトニー、ヴァレリー、ウィリアムの3つしか残っていない。名前がなくなったら、アルファ、ベータとギリシャ文字を付けることになっているけど、今年はそこまで行くのかなあ。カトリーナの年にはゼータまで行ったんじゃなかったかな。)
テレビも新聞も東部のハリケーン・サンディのニュースで賑わっていると思ったら、今度は西部で午後8時過ぎにけっこう大きな地震が発生。震源地はBC州北部のハイダグワイ島(旧クィーンシャーロット島)の西の海底で、発表ではマグニチュード7.7。その後マグニチュード5.8の余震があった。すぐに津波警報が出されて、ハイダグワイの北端では69センチ、バンクーバー島北東部で55センチの津波が観測されたとか。一時は遠く離れたハワイでも津波警報が出たと言う。北アメリカプレートと太平洋プレートとの境界が横にずれたらしいという話で、大津波を引き起こすタイプの地震ではないそうだけど、去年の大震災で巨大な太平洋プレートが大揺れしたんだから、バランスを取り戻すまでは環太平洋のあちこちで地震が起きるのも不思議ではないな。
でも、何百キロも南東のバンクーバーやビクトリアでは揺れを感じた人はほとんどいないらしいけど、ロッキー山脈の向こう側で感じたという報告もあるからびっくり。ワタシたちは全然気がつかなかったけどなあ。カナダで1700年以降に起きた最大の地震は1949年のマグニチュード8.1で、震源地はやはりハイダグワイ沖の2つのプレートの境界にあるクィーンシャーロット断層だったとか。そういえば、先月だったか、メトロバンクーバーでも、(明日か200年先かはわからないけど)いつか来ると言われている「ザ・ビッグワン」の災害に備える訓練をやっていたように思うけど、カタカタ程度の地震さえめったに来ないところなもので、我が家も特に備えはしていないなあ。ワタシは北海道の地震多発地の生まれ育ちなんだけどなあ。まあ、一応は手回し充電式のラジオとソーラー充電できる非常電源とバーベキューコンロくらいはあるけど、そろそろ考えた方がいいのか・・・なあ。
鯛はどこまでも鯛
10月28日。日曜日。起床は正午ちょうど。雨かと思っていたら、まあまあの天気。のんびりと朝食。のんびりと読書。やっと『The Darling Buds of May』を読み終えた。これはおもしろかった。ロンドンから税金の取立てに来たチャールトン氏。ラーキン親父にうまくはぐらかされ、ぐでんぐでんに酔わされて週末を過ごす羽目になり、長女のマリエットにぼ~っとなり、親父に「顔色が悪い。病気だ。休め」とそそのかされて病休を取る羽目になり、仕事に戻らないと年金がもらえなくなると言ったら、「40年後には半分の価値しかなくなる」と返されて納得し、ついにはマリエットと結婚してそのままラーキン家に居つくことになるという破天荒なストーリー。久々におもしろい本を読んだ気分。
午後いっぱいぼちぼちと仕事をして、夕食はちょっと手をかけて、Whole Foodsで丸ごと買って来た鯛。ニュージーランド産で、鯛の英語名の「Red sea bream」ではなくて「Tai snapper」として売っている。まあ、最近まで(格下の)ロックフィッシュもsnapperとして売られていたくらいで、昔から赤い魚の名前として普及しているから、通りがいいかな。はらわたは取ってあるけど、うろこはそのまま。うろこがやたらと飛び散らないようになっている使い勝手のいいスケーラーがあるので、流しでしゃかしゃかと作業。魚の大きさとうろこの大きさは必ずしも一致しないからおもしろい。きれいになって、ご対面したら、まあ、なんともエラソーな顔。でも、ごめん、食べちゃうから・・・。
[写真] 頭を落として、三枚おろしにして、頭は鍋に入れて煮立てないように気をつけながら出汁を取る。この出汁を冷凍しておけば、冷え込んだ夜に熱々のおいしい海鮮うどんのランチ・・・。中骨はすでに冷凍してある他の魚の骨と一緒にして、そのうちフュメドポワソンを作る、と。最後はみんなミミズのご飯になって、来年の野菜になるから、無駄がない。
カレシがカネリーニ豆とフェネルと黒オリーブの特製サラダを作ったんで、おろした半身は「クックパッド」で見つけたレシピを参考にして、刻んだ野菜と一緒に白ワイン蒸し。生のバジリコの代わりにペストソースをオリーブ油でゆるめてかけ回してみた。付け合せは蒸したブロッコリーニとベビーズッキーニ。なかなかいい味だった。鯛はどう料理しても鯛、誰が料理しても鯛か・・・。
[写真] ハイダグワイ島沖ではまだ余震が続いているそうだけど、東部ではハリケーンがニューヨークを直撃しそうな気配らしく、明日はニューヨーク証券取引所も臨時休業。スーパーは軒並み空っぽになっているとか。何しろ、湿気をたっぷり吸って来た熱帯低気圧のハリケーンと、西から来る冬型の低気圧と、北極から下がって来た冷たいジェット気流が一堂に会してしまうという稀なパターン。沿岸部では何メートルもの高潮、内陸部では大雪をもたらす可能性があって、最悪のシナリオではマンハッタンの地下鉄のトンネルが水没して電気や通信網も不通になる恐れがあるとか。大丈夫か、ニューヨーク・・・。
好奇心は身を助ける
10月29日。月曜日。早朝にゴミ収集車の轟音でちょっと目を覚ましたけど、そのまますんなりと眠ってしまって、起床は午後1時過ぎ。1日が半分終わっている。ボツボツと仕事を始めたけど、水曜日夜の芝居の座席予約を忘れていたことを思い出して、終わってしまわないうちにと、急いで電話。2日前なのにいい席が取れたのは、もしかしてハロウィーンの夜だから・・・?
大陸の西岸ではまだM6クラスの余震が続発している。地震発生と同時に日本では早々と「日本への津波はない」と発表していたけど、津波は八丈島まで届いていたとか。数十センチ程度だったとしても、情報がいくら早くても外れではどうしようもない。ハリケーン・サンディは人気テレビ番組『Jersey Shore』の舞台になっているニュージャージー州南部に上陸。暴風域の直径は何と1500キロ!で、瞬間最大風速が40メートル以上。直径1500キロの円を描いたら、日本列島の北海道から九州までがすっぽり入ってしまう。こんな大きいのがやって来たら、時速50キロで進んだとしても、にもなる暴風域が通り過ぎてくれるまで30、40時間はかかる勘定で、うは、大変だあ。穏やかそうなバンクーバーも今日はヘンな天気で、午後4時、日が差しているのにいきなり風呂の栓を抜いたような土砂降りの雨。でも、1分もしないうちに止んでしまった。西の空を見たら、何か不気味な形の雲に横に2つ並んだ切れ目から日が差していて、それがまるで悪魔の目のようでぎょっとした。あさってはハロウィーンだけど・・・。
今日からノーベル賞受賞した物理学者リチャード・ファインマンの話をドラム仲間が録音して本にまとめた『Surely You’re Joking, Mr. Feynman!』(日本語タイトル『ご冗談でしょう、ファインマンさん』)を読み始めた。この人の本は2冊をまとめた『Six Easy Pieces and Six Not So Easy Pieces』が本棚にあるけど、これはまだ読んでいない。子供の頃から科学はワタシにとって何だかよく理解しきれないんだけど、よくわからないが故に何とも抵抗しがたい好奇心をかき立ててくれる存在だった。高校の試験は計算問題ばかりで、計算式を暗記できなかったワタシはいつも赤点すれすれ。それでも、科学が嫌いにならずに、今こうして科学論文を大学の経験もなしで果敢?に訳せているのは、子供っぽい好奇心の延長線なのかもしれない。
もっとも、仕事となれば「よくわからない」では済まされないので、ググりまくって基本中の基本だけでも付け焼刃で勉強することになるんだけど、そうでなければ、この「未知」の世界はうっとりと無限の想像に浸れるすばらしいロマンの世界。「わからない」、「知らない」と肩をすくめて済ませてしまうのはもったいなさすぎる。昔から「Curiosity killed the cat(好奇心は身を滅ぼす)」ということわざがあるし、似たような格言に「Curiosity is endless, restless, and useless(好奇心はキリがなく、落ち着きがなく、役立たず)」というのもあるけど、キリがないからこそどこまでも追究できるんだし、落ち着きがないからこそあちこちに首を突っ込んで新発見につながるんだと思うから、役立たずのはずがない。ファインマンは好奇心の塊のような人だったから、科学の発展に大きく貢献したんだし、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言うし、「好奇心は危険」と言った人は考えが足りなくて怪我をしたか、よっぽど臆病で自信のない人間だったのかもしれないな。
そろそろ気合を入れなければならない大仕事は地学系で、地震に関する話があちこちに出て来るから、まったく絶妙なタイミング。まっ、へえ、何で?へえ、それで?と好奇心で押して行ったら、あんがい無理なくすいすいと終わってしまうかもしれないから、がんばろうっと。
ツイートってこんな感じ?
10月30日。火曜日。雨模様。でも、サンディの猛威の爪跡を見ていたら、まっすぐおとなしく降ってくる雨はありがたいな。気温は平年並みだけど、最低気温が平年よりぐんと高くなって、夜間に温室にヒーターを入れなくていいのもありがたい。朝食をしたら、今日はまじめに仕事。いつの間にか、予約が入っていた小さい仕事とぼちぼちやっていた大仕事の間にねじ込み仕事がはまり込んで、急にあっぷあっぷ。ねじ込み仕事は思わず断ろうかと迷ったけど、「前と同じ人に」とリピート指名されちゃうと何だかノーと言い難くなって、結局のところ、ま、いっか。最終期限は変わらないから、みんなこれから10日間で順次やっつけないと納期を外しかねない。やれやれ。
まあ、外は雨でやたらと薄暗いし、ということでわりとまじめに仕事。ときどき休憩して頭の切り替え。ワタシはシステムについて来たソリテアとか麻雀のゲームをちょこちょことやって気晴らしをするんだけど、大流行らしいツイッターに四六時中ぶつぶつとつぶやいている人たちは、仕事の合間にツイートしているのかな。いつも冗舌なワタシでも、仕事の合間にちょっとつぶやいてみたら、息抜きになるのか・・・。
★ ニューヨークは、水没した地下駐車場から浮き上がって来た車が折り重なっていたり、浸水による漏電が原因の大火が起きたり、すごいことになっている。変電所で爆発があって停電は続くらしいし、地下鉄もいつ運転再開できるやら。でも、ニューヨーカーは強靭な精神を持っているからね。
★ 仕事は地震がテーマ。ハイダグワイ沖では今日もM4くらいの余震。おまけにアラスカでも地震があったらしい。あちこちで揺れてるなあ。ニューヨークではサンディの風で超高層ビルが揺れたんだって。
★ 企業の決算はどれも毎年同じようなことを言っているから、退屈で気が散っていけないな。新聞サイトを覗いたら、オークリッジモールの大規模再開発の記事。高層マンションが何棟も建つらしいけど、早くても5年くらい先の話とか。
★ 情報産業は時代の最先端という感じだけど、企業の経営幹部はIT時代になる前からサラリーマンだった
はず。やたらとカタカナ語を使うけど、どんなものかちゃんとわかってるのかな。
★ ふむ、ツイートって、ぜんぜんおもしろくない。やっぱり、ああだこうだと考えてはごちゃごちゃと御託を並べたがるワタシにはツイッターのようなつぶやきは向いていないみたい。11時半。おなかがすいたから、ランチにしようっと。
スカイツリーの宣伝と東北復興の関係
10月31日。水曜日。目が覚めたら正午過ぎ。今日も雨。仕事ひとつは午後が期限。月末処理もあるし、夜は観劇だし、ついでにハロウィーン(は忙しいのとは関係ないか)。
ニューヨーク証券取引所が発電機を回しながらの取引を開始した。ナスダックも再開するのかな。フェイスブックの一般社員がやっと持ち株を売れるようになったところへハリケーンで取引所が休業。上場後に株価が急落したりして、気が気じゃなかっただろうな。
今BBCやニューヨークタイムズを初め、世界中の大手メディアが日本の11.7兆円の震災復興予算の25%が震災とはまったく無関係のことに使われていたと報道している。1000キロも離れた沖縄に道路を作ったかと思うと、同様に被災地から遠く離れた地方のコンタクトレンズ工場への助成金、東京の官庁の庁舎改修工事、レアアース生産の研究費、研究のための捕鯨の支援、戦闘機パイロットの訓練、スカイツリーの宣伝等々。どう見たって大震災の被災地復興とは関係がなさそうだけど、予算の配分を担当するお役所にはどういう説明をしたんだろうな。もっともらしいからお役所の審査でOKが出たんだろうに。
それともお役所は沖縄から被災地に物資を届けるために新しい道路が必要だとかなんとか言われて、ろくに考えもせずにめくら判を押していたのかな。スカイツリーの宣伝には3千万円が出たそうだけど、外国から観光客を呼び込んで、「ついでに」東北も観光してもらえば被災地復興に役立つとか、東京の庁舎を改修して快適な環境にすれば、(建設工事の許認可とか)被災地復興に「関わっている」お役人の仕事もはかどるって被災地の役に立つとか、なんとかかんとか言って復興資金を分捕った人たちが官民を問わずいるってことだな。被災地では34万人もの人たちが未だに生活を立て直せないでいるというのに、被災地から予算を申請して認められなかったケースがたくさんあるというのに・・・。
不思議なのは、日本の新聞サイトではあまり大きく取り上げられていなかったこと。たしかに復興予算が関係のないことに使われていたのがわかって、総理大臣が「今後そのようなことがないようにする」とか何とか言ったという記事を見た記憶はあるけど、いつもの日本のメディアの「淡々とした」スタイルで突っ込んだ内容ではなかった。それが英語メディアでは監査で明るみに出たいい加減ぶりにびっくりして、あきれ返ったわけだけど、元々付け焼刃で通した東北復興のための法律がなんともあいまい表現が多くて、おそらくそういうあいまいなキーワードに付け込んで資金を引き出したということなんだろうな。総理大臣の口約束だけで、どうしてそうなったかを調べようという動きもないようだけど、どうしてなのかな。法律や手続きの抜け穴を塞ごうにも、どうしてそうなったかをはっきりさせなければ、どこを塞げばいいのかわからないだろうに。(まあ、調べるにしても何とか委員会を作って1年も2年もかけてやったんでは無意味に等しいと思うから、やらない方がこれ以上よけいな出費にならないでいいのかもしれない。)
でも、日本の人、どうして怒らないのかな。ほんとにこういうことになると怒らないね。どのメディアも記事といっても殺人事件に盗撮、スポーツに芸能。他国での暴動や略奪の話があっても、どうしてそういう状況になったのかまで解説しない(たぶんわからないからだろうと思うけど)で、「日本人はあんなみっともないことはしないよね」と暗に牽制しているような書き方だったりする。苛烈なハリケーンが通り過ぎて、まだ停電が続くマンハッタンでは警察が商店の略奪を警戒している。もしどこかで略奪が起これば、日本のメディアはいつものように「だからアメリカは」という調子で報じるんだろうな。たしかに、アメリカでは災害のときによく略奪が起きるけど、それは一部の個人の行動であって、政府の救済活動は早い。アメリカの大統領にはそれだけ強い権限がある。一方で、どんな人たちが震災復興予算に群がったかを見ると、日本ではひとりひとりの国民は略奪や暴動を起こさない代わりに、企業や役所という「組織」になったときにその「略奪」をやるということではないかと思ったな。