リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年10月~その3

2012年10月31日 | 昔語り(2006~2013)
老後の暮らしのイメージ

10月21日。日曜日。正午に起床。しっかり暖房が入っている。この秋初めてじゃないかな。ポーチの温度計は7度。平年並みの最低気温の方じゃないの、これ。エルニーニョになるという話だったけど、去年は寒いと言う予想が外れたから、今年は寒い冬になりそうな予感。

朝食が終わったら、さっそくママのご機嫌伺いにトラックでお出かけ。メープルリッジまでは1時間近く。ハイウェイに入って、バスと2人以上が乗った車専用のHOVレーンをすいすい。規制は月曜から金曜までなので、日曜日の今日はドライバーだけの車も利用できるんだけど、なぜか律儀に普通のレーンを走っているから、人間の心理はおもしろい。標識をちゃんと見ていないのかな。快適に飛ばして、よく出口を見逃して橋を渡ってしまう辺りまで来たら、風景が様変わり。新しい橋が開通して、道路の構成を全面的に切り替えたようで、けっこう合理化された感じ。でも、新しい橋は有料だから、うっかり迷子は困る。こっちのレーンで大丈夫かなあと心配しつつ、それでもすんなりと目指したバイパスに入れて、やれやれ。

トラックを止められるところを探すのに手間取って、ママが住むホームに着いたらもう3時。受付で「訪問者」のシートに名前と時刻を書いて、ママの部屋へ。介護付きホームと言っても、1ベッドルームのアパートと同じで、小さいながらダイニングキッチンがあるし、バルコニーもある。今95歳のママはこの前来たときよりもずっと元気。ほんの少し太ったかな。「お茶を飲む?」と言うので、ワタシがお湯を沸かして、ポットに紅茶を3人分。「私は食べないけどみんなが持ってくるの」というクッキーを食べながら、さっそく5人目のひ孫にあたるエヴァンの話題。それがカレシが赤ちゃんだった頃の話に発展して、さらにおじいちゃんの農場の話。おじいちゃんがライフルと散弾銃で鶏を狙って来る鷹を退治した話。(鶏舎から出した鶏を鷹が急降下でさらって行ったんだそうな。)カレシが子供の頃に入れてもらえなかった「白い小屋」には木の根を吹っ飛ばすためのダイナマイトを保管してあったと言う話。ママが子供だった頃の話は北海道の開拓時代の話とイメージがダブって来るからおもしろい。

話を聞いていて、こんなに生き生きとしているママの表情を見るのは初めてだと思った。未亡人になって2年半。今はホームの行事やお出かけにも参加するし、ラウンジに行って他の住人たちと雑談もするというから、ずいぶん変わったな。初めて会ったときから何となくとっつきにくい人という印象だったし、自分でも人付き合いはめんどうくさいと言っていたし、息子や嫁たちに干渉したこともなく、孫たちに夢中になることもなく、愚痴を言わない代わり楽しそうな表情を見せることも少なかった人だったのが、実に生き生きとした表情で昔話をしている。60代、70代で夫に先立たれた女性は元気になって若やぐことが多いとは聞いているけど、ママはまさにその通り。ひょっとしたら、70年近かった結婚生活はある意味で「呪縛」のようなものだったのかな。その枷が外れて、やっと訪れた自分の時間を楽しむようになったんだろうか。

ママの横顔を見ながら、ふと、ワタシの10年先、20年先はどんな感じなんだろうなと思った。今ワタシは64歳。来年から年金をもらうための手続きをしている。カレシは今69歳。来年は70代に突入する。年を重ねるにつれて5歳の年の差は大きくなるような気がする。10年先はまだ一緒かな。まだ一緒に買い物をしたり、遠くへ旅行したりの生活ができているのかな。20年先はどうなっているんだろう。まだ2人一緒に暮らしているかな。でも、今の家にはもう住んでいないだろうな。ママのように介護付きホームで暮らしているのかな。ボケていないかな。どっちかがひとりになっていないかな。ひょっとしたら、ワタシもママのように「ひとり」の自由を楽しんでいるのかな。ひとりになったワタシはどんな暮らしをしているのかな。ひとり暮らしをしたことがないワタシには老いてひとりで暮らす自分のイメージが湧いて来ない。

でも、ひとりぼっちではないと思うな。元々べたべたしない家族だったのかもしれないけど、異国から入って来たワタシをそっくり受け入れてくれた。カレシとの問題があったときも、みんながワタシを支えてくれた。だから、自分の子供はいなくても、ワタシには家族がいるという実感はある。カナダという国もワタシにはやさしかった。ワタシはこれ以上に何も望めないほど恵まれていると思うから、ひとりになることはちっとも怖くない。きっとママのように生き生きと余生を送るんだろうと思うな。カレシの方は、ひとりになったらどう暮らして行くのか考えてみたことがあるのかな。聞いてみたい気もするけど、まあ、結婚の誓いは「死が2人を別つまで」だし、どっちが「ひとり」になるのかは神さまにしかわからない。

それよりも、「2人の時間」がこの先どれだけ残っているのか。一緒に暮らして37年、結婚して36年。あと14年経てば50年。そこまで行けそうかな。何だか急に2人の時間がすごく大切なものに思えて来た。何とか今日まで2人でいられたのも「縁」なんだと思うから・・・。

コンサートで泣いてしまった

10月22日。月曜日。かなり早朝にゴミ収集車が来て目が覚めた。午前8時前かな。いつもならすんなり眠りに戻れるのに、けさはどうも身体が楽になれなくて、10時過ぎまで寝付けなかった。おかげで、正午に起きたときは何となく頭がもや~。

朝食を済ませて、まずは年金の手続きを終わらせるためにダウンタウンへ。市民権の証明はとりあえず証書カードと期限が切れたばかりのパスポートを持って行った。2時ごろにService Canadaのオフィスに着いてみたら、あら、今日はけっこう待っている人がいる。10人くらいの若い男女が椅子を車座にして、おしゃべり。ワタシが陣取った椅子の前の列には(日本語のダウンタウンの地図を持っていたから)日本人と思しき若い女性が3人。後ろにも数人が待っているから、ちょっと時間がかかりそう。男女の大群は全員が順番に呼ばれて終わったところで、車座にしてあった椅子をきちんと元のように並べてから帰って行ったから感心。ワタシは順番を待つ間、Service Canadaの宣伝?が英語版とフランス語版で交互に表示されるモニターを眺めていた。けっこうフランス語の語彙が増えたような。

結局40分待ってやっとワタシの番。ちょっとフランス語訛りのあるおばさんが、パスポートの方をコピーして、肝心の日付が切れていた永住許可の書類も「あらら、そこが一番重要なところなのにねえ」とコピーし直してくれた。選択肢が増えすぎて、仕事をやめようかどうか悩んでしまったと言ったら、「あら、それはCPPの話。老齢年金は関係ありませんよ。収入が多すぎると税金で段階的に返すことになりますけど」。持参した申請書をチェックして、「では、まとめてこちらから送っておきますね。65歳になるのはいつですか?来年の4月?じゃあ振込みは5月からですね。」。はいはい。ああ、終わった。これで年金関連の懸案事項はすべて完了。肩の荷がストンと下りた感じ。おばさんに3回くらいお礼を言って、何となく軽くなった足取りで地下鉄駅へまっしぐら。

家に着いたのは午後3時40分。今日はバンクーバー交響楽団のコンサートシリーズ第1回。慌しく夕食のしたくをして、食べて、ちょっとひと息入れて、ローカットの真っ赤なドレスでおめかしして、おしゃれなオペラジャケットを着込んで、小雨模様の中をおでかけ。今シーズンからシリーズを変えて、土曜日と月曜日の2回公演のうち月曜日を選んだ。席は前のシリーズと同じドレスサークル最前列のど真ん中。一流の演奏家が来るので、若手演奏家が中心だった前のシリーズよりも高いんだけど、ドレスサークルにはシニア割引も学生割引もない。まあ、気に入っている席だからいいんだけど。

当初のプログラムでは肩の凝りそうなマーラーの交響曲第9番だったのが、夏の間に変更されたと見えて、チケットを見るとチャイコフスキーになっていた。第1部が『眠りの森の美女』、第2部が『白鳥の湖』と、どちらもバレエ音楽。席についてプログラムを見たら、常任指揮者で音楽監督のマエストロ・トーヴィがあまり大編成のオーケストラで演奏されることがないバレエ音楽を交響楽団用にアレンジしたものだそうな。まあ、バレエ公演での生演奏はオーケストラピットに納まる比較的小さい編成だもんね。前のシリーズで使っていたステージ両側の大きなモニターに、場面ごとに簡単なあらすじが映し出されるので、バレエになじみがない人でもストーリーの流れを追うことができるから、なかなか粋な企画だな。

『眠りの森の美女』は魔女の呪いで100年間眠っているオーロラ姫を、魔女を退治した勇敢な王子がキスで目覚めさせて、結婚を申し込むという話。100歳年上ってすごい年の差婚だねえ、と言ったらカレシは爆笑して「魔法で眠っていたんだから年は取らないんだよ」。だけど何しろ100年の差があるんだから、ジェネレーションギャップはすごいと思うけど。ファッションだって違うし。でも、おとぎ話の世界は100年経っても何も変わらないんだろうな、きっと。休憩を隔てて『白鳥の湖』。ワタシ個人としては、バレエ作品の中でドラマ性と緊張感と感情表現の深さでは『白鳥の湖』を越えるものはないと思っているんだけど、それをフル編成の交響楽団が演奏するともの凄い迫力がある。

ジーグフリート王子とオデット姫が踊る「グラン・アダージョ」はいつ聞いても息を殺してしまうほど切ない。2人の間に恋が芽生え、しだいに燃え上がって、甘美な愛の語らいになって行く過程がバイオリンソロと後で加わるチェロの音色に凝縮されていて、これほど美しくて、exquisite(ぴったりの日本語を思いつけない)な曲はないと思う。一方、舞踏会のシーンに現れた黒鳥オディールと王子の「グラン・パドドゥ」はバイオリンのピッチがやや高めで、ときどき「グラン・アダージョ」に似たやさしい響きになるけど、すぐに高い音色に戻って(つまり、魔性を隠し切れていない)、オデット姫の「なりすまし」であることを表現しているのがすごい。

だけど、ジーグフリート王子はそれを見抜けなかった。(男ってのはこういうところで何かが抜けているみたいなんだなあ・・・。)すっかりオデット姫だと思い込んでオディールに愛を誓ったもので、呪いは永遠に解けなくなってしまう。それを知って、湖へ駆けつけて、悲嘆しているオデット姫にひたすら謝っても遅いよなあ。なりすましを永遠の恋人と間違えてしまうなんて、もう・・・。そこへ魔法使いのロットバルトが現れて、最後はシンバルもティンパニもバンバンと鳴り響いて、この世で結ばれることができなくなった2人は湖に飛び込んで死んでしまう。このあたりは何となく古典的な日本の「心中」のようでもあるな。でも、2人の死によってロットバルトは魔力を失い、今度こそ永遠の愛を誓った2人は手を取り合って黄泉の国へ。白鳥が水面を滑るようなメロディが真実の愛の勝利を謳い上げつつ、高く、高く、昇華して行って、感動のフィナーレ。涙が溢れて来てしまった。

マエストロがバトンを振り切ったとたんに、わ~っと拍手。ワタシも思わず立ち上がってしまった。いや、すごい。客席がほぼ総立ちになって、「ブラヴォー」の声が飛び交う大喝采。いやあ、ずしんっと全身に響くような聞き応えというか、何と言うのか。これほど感動したのは久しぶりだなあ。やっぱり『白鳥の湖』を超えるバレエ音楽はこれからもないだろうな。

何となくちょっと違った感じ・・・

10月23日。火曜日。2人ともいい気持でぐっすりと眠って、起床は正午。寒い。湿っぽい。まあ、10月も下旬だし、あと10日で8ヵ月続いた「夏時間」が終わり。時計を1時間戻してわずか4ヵ月の「標準時間」。いつもおかしいんじゃないかと思うんだけど、変わりそうな話はないなあ。

今日中に入って来ることになっている仕事が入ってくるまでは「休み」。寒いから、まずはTシャツの袖のごく短いもの(肩口を覆う程度のものは3分袖というのかな?)をまとめて、7分袖のシャツと入れ替える。ついでにショーツやタンクドレスもしまって、これでワタシの衣替えはおしまい。でも、一度も着ていないのがけっこうあるなあ。身体はひとつしかないのに、ずいぶん買い込んだもんだ。カレッジの駐車場の隅にある衣料品の寄付ボックスに入れて来ようかな。

そういえば、今日はロンドンのFolio Societyから大きな郵便袋が届いて、注文してあった4冊の本とおまけの本が3冊。カレシが「いったいどこに置くの?」と聞くけど、はて、どこに置こうか。本棚はもう満杯に近いし、とりあえずそこらに積んで置くことにするかな。でも、昔の貧乏時代に会員制の本の通販サービスから買い込んだ(一応はハードカバーだけど)安っぽい本がたくさんあって、新しいものとダブっていたりするから、モールの入り口にある本の寄付ボックスに入れて来れば、スペースができそう。本のボックスの隣にはCDやDVDの寄付ボックスも置いてあって、慈善団体が集めて、仕分けをして、施設に配布したり、Value Villageのような中古品の店で売ったりするんだろうな。ま、これもリサイクルのうち・・・。

老後の娯楽のためと言い聞かせて買い集めた本がいったい何百冊あるのかわからないけど、年金の申請を出した昨日の今日で、その「老後」が水平線に見えて来たと思うとちょっとした感慨が沸くな。今日はほんとに今までと何だかまったく違った気分になっているワタシ。気持だけでなく、身体まで軽くなったような気分。まあ、フリーランスというのは常にいつ仕事がなくなるかわからないリスクと背中合わせだから、必然的に気持の底に「大丈夫か、ワタシ?」という緊張感があったんだろうと思う。それが、来年からは働かなくても毎月決まった収入があるわけで、これまでの「食いはぐれないために働く」というプレッシャーがなくなる。そのプレッシャーがどれほどの重さだったのかは、はっきり意識していなかったからわからないけど、とにかく今日は起きたとたんから「何かが違う」。こういう気持になるとは想像もしていなかったから、何とも不思議・・・。

休みが終わらないうちに、ネットショッピング。カレシが冬のシャツを新調したいと言うので、LLビーンのカタログとフラグを渡しておいたら、すごい数のフラグがぴらぴら。でもまあ、今あるシャツはどれも着古して、色があせたり、擦り切れたりしているから買い替え時。カタログを見ながら、マークしてあるものを探して、希望の色をクリックしてショッピングカートに入れて行くと、あら、カシミアのセーターを何と色違いで2枚。たっかいよ~、アナタ。でも、ま、いっか。一緒のおでかけのときにおしゃれをしないカレシがすてきなカシミアのセーターでかっこよく見えたらめっけもの。チェックアウトしてから全部でいくらと報告したら、「えっ、何でそんなになるんだよ?」と来た。カシミアのセーター2枚だけで40%行ってるんだから。「セーターなのにそんなにするのか」。だってカシミアだもん。選んだときに値段を見なかったんかいな、もう。今さら気が変わっても遅いからね。もう注文しちゃったから。

まあ、カナダドルのレートが下がるまでは、アメリカドルの口座に貯まる翻訳料を移すと差損が出るし、かといって外貨建ては預金保険の対象外だから、貯まるにまかせているのもちょっと心配。そこでアメリカドルのままでアメリカで(バーチャルに)買い物をするのが今のところは最善の策。ということで、盛大にカレシの買い物をした後は、Hammacher Schlemmerのカタログで見て目をつけていた「ポテチメーカー」も買ってしまう。薄切りのポテトなどをシリコーンのトレイに並べて電子レンジでチンとやれば低カロリー、低塩分のポテトチップができるというもの。ティファールの「油で揚げない」フレンチフライメーカーは優れものだったので、これも能書きほどに優れものかどうか、高いものではないから、試してみる価値はある。何しろせっせと塩ヨーグルトを作ってはいろいろなハーブを混ぜて試しているところなもので、クラッカーやチップの消費量が半端じゃない。それにしても、キッチン道具となると新しいもの好きだなあ。

久しぶりのネットショッピングを楽しんでいたら、おや、次の仕事の原稿が入って来た。うん、ちょっと散財したから、仕事、ぼちぼちとやるか・・・。

英語、フランス語、その他(いろいろ)語の国

10月24日。水曜日。雨っぽい。朝食が終わった頃にシーラとヴァルが到着。掃除を始める前に、パスポート更新の申請書に記入する「身元確認」用の(親族以外の)人になってもらって、住所をもらっておいた。何しろ戸籍とか住民票とか言うものがない国だから、年金の申請と同じで、申請者が本人であることを確認するには生きた人間の証言が頼り。(ただし、「照会するかもしれない」としか書いてないけど。)まあ、日本の人が絶大の信頼を寄せる「戸籍」だって、元々ふり仮名が(たぶん今も)ないから、ワタシの戸籍名だって2通りに読めたように、「別人」になりすます抜け穴がないとは言えないと思うんだけどな。

今日また統計局から去年の国勢調査の結果の一部(言語)が発表されて、ニュースで話題になっている。カナダは英語とフランス語が公用語だけど、過去40年ほどで急速に多民族国家として発展した来たので、必然的に「多言語国家」のようになりつつある。国勢調査にも「母語」と「家庭で主に話される言語」に関する質問項目があって、それぞれにカレシは英語と英語、ワタシは日本語と英語と回答する。「母語」の項目では、カナダ全体では、英語57.8%、フランス語21.7%、「その他」20.6%。ケベック州だけを見るとフランス語が78.9%、英語が8.3%、「その他」が12.8%。ケベック州以外のカナダでは英語が73.1%、フランス語が4%、「その他」が23%と、フランス語は圧倒的に劣勢で、カナダ全国に英語とフランス語の表示を強要する必要はないだろうにと思わせる数字でもある。(まあ、おかげでフランス語が何とな~く「読める」気分になって来たけど・・・。)

「家庭で主に話される言語」となると、カナダ全体では英語が66.3%、フランス語が21%、「その他」が12.6%。ケベック州だけだと、フランス語が81.2%、英語が10.7%、「その他」が8.1%。ケベック州以外のカナダでは英語が83.5%、フランス語が2.4%、「その他」が14%となる。もちろん「その他」は公用語以外の言語で、先住民の言語を除いては「移民言語」のこと。この移民言語のうち上位25言語(日本語は入っていない)の前回の国勢調査と比較した増減では、増加率が最も高かったのはタガログ語で64%。次いで中国標準語、アラブ語、ヒンズー語、カリブ海のクリオール語、ベンガル語、ペルシャ語、スペイン語、ウルドゥ語と続き、減ったのはギリシャ語、ポーランド語、イタリア語などで、最近の移民がどこから来るのかが手に取るようにわかっておもしろい。(日本語が出て来るのは都市圏別の上位12言語を示したグラフのうちのバンクーバー圏(230万人)だけで、最下位の1.4%。)

ケベックは別として、家庭で主に話される言語というのは、移民一世の代はほとんどが出身国の言語だろうけど、特にカナダで生まれた移民二世は最初に覚える言葉こそ両親の言語でも、就学すると英語が主言語になって、やがて母語を忘れてしまうケースも多い。ポーランド系の友だちの場合も、子供たちが早くにポーランド語を使わなくなったので、夫婦でも英語で話しているうちに「ポーランド語はけんかのときだけ」になっているそうな。カレシの英語教室に通ってくる中高年の女性たちの中にも、母語で育てたのにいつのまにか英語1本になった子供や孫との意思の疎通を図るために英語力を高めたいという人たちがけっこう多い。母語の維持率が最も高いのはパンジャブ語で、次いでタミル語、ウルドゥ語、韓国語、中国標準語、ペルシャ語。西欧系の言語はぐんと低くて、完全に維持しているのは50%以下。まあ、社会文化的なものもあるだろうけど、アジア系、中東系の移民が増えたのはごく最近で、まだ世代交代が進んでいないという要因もあると思うな。日本語も1970年代以降に来た「新移民」はまだほぼ100%維持している段階ではないかと思う。

いわゆる国際結婚など、夫婦の母語・日常言語が違う「異言語婚」の場合で、一方の言語が英語であれば、カナダの英語圏で家庭を営んで行く上ではどうしても英語が「共通語」にならざるを得ないように思うけど、国勢調査ではそこまで細かなデータは出て来ない。でも、互いに相手の言語を話せるからどっちも使うという夫婦はけっこういるし、英語話者の方が相手の言語を話せるから(少なくとも相手の英語が上達するまでは)相手の言語を使っているという家庭もあるだろうな。それでも子供ができればいずれ英語が主言語になるんだろうと思うな。まあ、「言葉が通じなくても愛し合っている」カップルもいるだろうけど、「結婚は日常生活」だと言われるから、互いに言葉がよく通じないままで「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」となるのかどうか。掲示板などの投稿を見る限りでは「言葉の壁」は大きな障害らしいから、いずれは夫婦の「言葉」が必要になって、いずれは生活基盤がある国の言語(カナダならだいたい英語、日本なら日本語)に落ち着くんじゃないかと思うけど、どうなのかな。

記事を読んでいて笑ってしまったのは、いっそのこと衰退するフランス語の代わりに「その他」を公用語にすればいいじゃないかとコメントした人がいたこと。いっそのこと多言語国家をめざすか。何だかおもしろそうだけど、バベルの塔になってしまってもいいのかなあ・・・。

あるところにはあるのがお金

10月25日。木曜日。午前11時半に目覚まし。いつもの木曜日のようにバタバタと起きて、朝食を済ませて、カレシを送り出して、ひと息。今日はちょっといい天気で、正午の気温は9度。この調子だと久しぶりに10度を超えそうかな。(平年並みなら最高気温は12、3度なんだけど・・・。)

まずはメールをチェック。LLビーンから注文品発送のお知らせ。バックオーダーになっているものが何品かあるけど、それは注文時に承知済み。Hammacher Schlemmerからはクレジットカードの追加情報が必要とのメッセージ。あれ、番号か有効期限を間違えて入力したのかな。さっそく電話してみたら、カードの名前のところでミドルネームを入れるのを忘れたみたい。この頃は銀行のファイルの情報とぴたり一致しないと通らないことが多い。セキュリティの見地からはいいことだと思うけど、めんどうくさいときもある。アメリカ東部特有の鼻にかかった声で「では、発送の手配をします」と言われてひと安心。ポテチメーカー、楽しみだな。このカタログは164年の歴史があるとかで、つい欲しくなるようなおもしろいものがいろいろとあって楽しい。音声で知らせてくれる計量カップはどうかなあと思うけど・・・。

そろそろクリスマス商戦のカタログがどかどかと届く時期になったけど、見ただけで目が点になって、ため息が出てしまうのがNeiman Marcusのクリスマスブック。カタログは有料だったし、買えるもの(欲しいもの)があまりないからカタログも買わなくなったけど、毎年「ファンタジーギフト」と言って、自家用潜水艇とか、メリーゴーラウンドとか、自家用ジェットとか、金色の自家用ヘリコプターとか、買う人なんているのかなと思ってしまうような、まさに「ファンタジー」の商品がある。今年の目玉はVan Cleef & Arpels特製のペアの時計で、パリとジュネーブへの旅行つきで値段は109万ドル。でも、ドットコムバブル時代の何千万ドルもした潜水艇やジェット機と比べたら、109万ドルはつつましい方かな。カタログの商品の40%は250ドル以下だそうし。それでも、世界的な不況に逆行するように高級品の売れ行きは伸びていると言う話で、カタログに載った35万ドルのマクラーレンの真っ赤なスポーツカーは(何台あったのか知らないけど)2時間で売り切れたそうだから、お金はあるところにはちゃんとあるということだな。

そう思ったら、ありそうに見えて、なさそうという人もいるから、お金って不思議。何でも、川向こうのリッチモンドの警察がプレートなしで走っているランボルギーニ(2012年型アヴェンタドール)を見つけて止めたところ、法律で義務付けられている自動車保険をかけていなかったので、罰金568ドルの違反切符を切ったら、22歳のドライバーが「高すぎる」と文句。金がなくて払えないと言うので、ランボルギーニはその場で押収されたとか。あちゃ、すごいアホもいるもんだ。でも、このランボルギーニ(平べったくてどこがかっこいいのかわからないけど)はバンクーバーで買うと一番安くても43万ドルするものなんだそうな。(日本でも4千万円以上らしい。)

そういう車を買うお金はあるのに、保険をかけるお金も罰金を払うお金もないって、どういうことなんだろうな。まあ、転がり込んだ遺産か何かを全部注ぎ込んで夢の車を買ったものでピィピィの金欠ということもあり得るけど、ドライバーが裕福な住人が多いウェストバンクーバーの22歳ということからすると、パパかママが大学卒業祝いかなんかに買ってくれたんじゃないかと思うな。最近はそういうあっけに取られるようなケースが増えているようで、お金はその真価のわからない人たちのところほどどっさりあるということかもしれない。もったいない話だけど、そういうところに集まってしまうなんて、天下の回りものたるお金には自尊心てものがないのかなあ。

でもまあ、お金ってのはありがたみを感じていられるうちが華で、貯めることだけのために貯め込んだり、やたらとたくさんありすぎたりすると、ちょっと重くなって来るんじゃないかという気もするから、一番はまじめに働いて稼いで、まじめに使うことだと思うけどな。ということで、今日が期限の仕事をちゃっちゃと片付けて、洗濯機を回して、仕事の見直しをして送信して、帰って来たカレシにご飯を食べさせて、またいってらっしゃいと送り出して、また洗濯機を回して、カレシの要望で(日曜日に郊外で1キロ入りのバッグを買って来た)ガーリックを3個ロースターにセットして、先に洗い上がった洗濯物を乾燥機に押し込んでタイマーをセットして、次の大仕事の算段。うはあ~。だけど、やっぱりお金であろうが、時間であろうが、可もなく不可もなしで、ごく普通の毎日を過ごせるのが、一番心地がいいってことじゃないかと思うなあ。もちろん、思いがけずすごい大金がざくっと転がり込んで来たら、舞い上がって喜んで、せっせと使うのは間違いないけど・・・。

パスポートとアキアジと

10月26日。金曜日。正午を大きく回って起床。湿っぽいけど雨は降っていない模様。朝食を済ませて、すぐにダウンタウンへパスポート更新の申請に出かける。期限切れがちょうど1ヵ月前で、早く更新しないとサンフランシスコへ遊びに行けない。

さっと行って、さっと手続きをして、さっと帰って来るつもりだったのが、カレシがいつものサラダに飽きたから特製サラダを作る材料を買うというので、Whole Foodsまで車。駐車場に入れて、午後6時までのチケットを買って、そのまま坂を下りてオリンピックヴィレッジ駅から終点まで地下鉄。Service Canadaと同じビルにあるパスポートオフィスに着いてみたら、受付窓口に並んでいるのは2人だけで、何列もある椅子に座って順番を待っている人たちも、見たら空席の方が多いくらい。申請用紙を取りに来たときはオフィスの外まで行列していたのにな。金曜日だから空いているのかな。窓口では申請書類と切れたパスポートと写真をチェックして、整理番号と一緒にビニール袋に入れてくれた。番号は「F324」で、受付時刻は午後2時31分。

番号の文字はAからFまであって、見ていると一番よく出て来るのはDで600番台。次に多いのがFで、ときどきE、たまにA。BとCは一度も出て来なかった。どういうロジックになっているのか、カレシとあれこれ憶測してみたけどわからない。でも、Fは11番と12番が多いし、ちょうど12番が空いたので12番だなと言っていたら、「F324→7」と出て、大はずれ。カウンターではひとり分ずつ手続きをするけど、お役所にしてはスモールトークの合いの手まで入れながら実にてきぱき。昔は仏頂面のおじさんやおばさんがつっけんどんに応対していたもんだけどな。郵送で2週間半くらいかかるというので、取りに来るといったら、「ピックアップは10ドルの追加になります」。はあ?自分で電車賃をかけて取りに来るのに10ドルよぶんに取られるのって、どういうロジックなのかなあ。まあ、よくわからないけど郵便で送ってもらうよりは安心だから、やっぱり取りに来ることにして、おひとり様あたり97ドル。ピックアップは再来週の金曜日。2人分をまとめてクレジットカードで払って、手続きの所要時間は待ち時間を入れて25分。

一枚の切符を往復使ってオリンピックヴィレッジ駅まで戻り、まずは道路を渡ってSave-on-Foodsへ。郊外の園芸センターに行ったときに、「ついで」に切らしていたものを買いに入って、なぜかカレシがいたく気に入ってしまった巨大なスーパーで、ママに会いに行った帰りに買い込んだ野菜類の質の良さに感心して、ドライブがてらときどき来ようと言っていた。そのスーパーがWhole Foodsのすぐ近くにもあるのに入ったことがなかったのは、「郊外族のスーパー」という偏見?だったのかな。ここでも野菜の質はいつも行くモールのセイフウェイや青果屋の比じゃない。しかもよく行くIGAよりも安い。カレシは「野菜類はここだな」と宣言。2人とも「○○は××でなければ」というこだわりはないんだけど、それぞれのスーパーに「○○は××のが他よりもいい」というものがあるから、今日はあっち、明日はこっちと「遠洋漁業」。ま、当分は野菜類(と日用品)はSave-on-Foods、魚類はIGAとWhole Foods、アジアの野菜や魚、食品はHマート、急ぎのときは距離が一番近いセイフウェイかな。どこかに新しい店ができればまた変わるだろうけど。

野菜類を詰め込んだトートバッグを持って、Whole Foodsの中を通って地下駐車場まで。別のトートバッグを出して、今度はWhole Foodsでの買い物。魚の売り場で丸ごと氷を入れた魚箱に並べて売っている大きなニジマスとニュージーランドのタイを包んでもらって、ふと見たら珍しいシロザケの特売をやっている。シロザケは日本でアキアジと言っているもので、日本の方へ回遊するのでカナダではめったに獲れないし、獲れても下魚の扱いだから、魚屋に登場することはまずなかったんだけど、イクラはシロザケが(歩留まりが)一番ということで、アラスカでは注目されているらしい。ここでは英語名のchum salmonでは売れないと思ったのか、学名を取ってketa salmonとして売っていたけど、40センチ以上ある大きな半身が今日だけ激安。アメリカ産というから、もしかして、日本の川へ帰る前にアラスカ沖で捕まってしまったのかな。(魚はパスポートなど持ってないもんね。)でも、となりの明るい赤橙色のタイセイヨウサケと比べるとちょっと見劣りがするな。と思いながら、シロザケとタイセイヨウサケと両方買ってしまった。

帰って来てから、シロザケは3つに切り分けて冷凍。腹身はオホーツク海の塩をすり込んでおいた。朝粥が食べたくなったときに出して来て焼こうと思うけど、はて、日本の塩鮭の味になるかなあ・・・。

東はハリケーン、西は地震

10月27日。土曜日。やっと何もしなくてもいい日になって、起床は午後12時半。外は今日も雨模様で、気温は8度。何となくあたふたと忙しい1週間だったな。仕事が詰まっていなかったのが幸い。久しぶりにママのご機嫌伺いに行けたし、年金の受給申請を完了したし、パスポートの更新手続きもしたし、ワタシも今日はだらだらモード・・・。

きのう夕食後に思い立ってトロントのデイヴィッドに電話して、そのまま延々と3時間近くしゃべって声がすれてしまったカレシだけど、起きたら普通の声に戻っていた。何しろこの2人はどっちがかけても長電話。いつもだいたい同じようなことを話題にしているけど、長女スーザンに生まれた初孫の話と来年6月の次女ローラの結婚式の話が加わって、超が付く長電話になったのかもしれない。でも、たまには声が枯れるくらいおしゃべりするのもいいと思う。この年になっても兄弟仲がいいのは何よりだから。そのうちに思い立って遊びに行くかもしれないと言ったら、クリスマスに来いと言う話になったとか。ジュディが昔から引っ越した先々で教会のオルガン奏者をやって来たので、子供たちが大きくなった今はデイヴィッドはクリスマスになるとちょっとさびしくなるらしい。だけど、12月のトロントは雪が降って寒いだろうなあ。

雪といえば、去年の今頃はアメリカ東部が季節はずれの猛吹雪に見舞われて、ちょうど会議でボストンに行っていたワタシたちは、ホテルの窓からだんだんひどくなって来る雪を眺めていた。翌朝にはトロント経由でモントリオールに行く予定だったけど、ボストンで雪が降り始めた頃にはヴァージニアからニューヨークまで飛行機は軒並み欠航で、ボストンのローガン空港も閉鎖になるかもしれないというニュース。各地で倒木などで送電線が寸断されて広域停電(アメリカからカナダにかけて約400万戸)が起こり、そのうちつけっ放しだったテレビの天気チャンネルもダウン。何か情報があるかとロビーへ行ってみたら、帰れなくなった会議の参加者でごった返していた。結局、朝になってみたら嵐はボストンをかすめて行ったらしく、雪はあまり積もっていなかったし、空港も機能していたので足止めを食わずに済んだけど、プロペラ機に乗って出発というときに、緑がかったピンク色の除氷剤を上からどば~っとかけられたのにはびっくりしたな。

あの「Halloween Nor’easter」から1年経って、アメリカ・カナダの東部に今度はハリケーン・サンディが接近中。カテゴリとしてはぎりぎりでハリケーンになっているらしいけど、北大西洋の高気圧が頑として動かないので、時速18キロくらいで半ば足踏みしているところへ、大陸から湿った空気がどっと流れ込んで猛烈な大雨が予想され、さらには月曜日が満月なために高潮の危険があるということで、歴史に残るハリケーンになると言われている。上陸すればアメリカだけでも6千万人、高気圧に阻まれて内陸に向かえばオンタリオ州の7割が影響を受けるという予測で、フランケンシュタインをもじって「フランケンストーム」というあだ名がついている。折りしもまたハロウィーンの時期。近頃の魔女はイジワルだな。ニューヨーク市では非常事態として、日曜日の夜からバスや地下鉄を止め、道路や橋を通行止めにすることを検討しているというし、もしも広域停電が起きて復旧に手間取れば大統領選挙にも影響が出かねないとか。(ちなみに、サンディの後はハリケーンの名前はトニー、ヴァレリー、ウィリアムの3つしか残っていない。名前がなくなったら、アルファ、ベータとギリシャ文字を付けることになっているけど、今年はそこまで行くのかなあ。カトリーナの年にはゼータまで行ったんじゃなかったかな。)

テレビも新聞も東部のハリケーン・サンディのニュースで賑わっていると思ったら、今度は西部で午後8時過ぎにけっこう大きな地震が発生。震源地はBC州北部のハイダグワイ島(旧クィーンシャーロット島)の西の海底で、発表ではマグニチュード7.7。その後マグニチュード5.8の余震があった。すぐに津波警報が出されて、ハイダグワイの北端では69センチ、バンクーバー島北東部で55センチの津波が観測されたとか。一時は遠く離れたハワイでも津波警報が出たと言う。北アメリカプレートと太平洋プレートとの境界が横にずれたらしいという話で、大津波を引き起こすタイプの地震ではないそうだけど、去年の大震災で巨大な太平洋プレートが大揺れしたんだから、バランスを取り戻すまでは環太平洋のあちこちで地震が起きるのも不思議ではないな。

でも、何百キロも南東のバンクーバーやビクトリアでは揺れを感じた人はほとんどいないらしいけど、ロッキー山脈の向こう側で感じたという報告もあるからびっくり。ワタシたちは全然気がつかなかったけどなあ。カナダで1700年以降に起きた最大の地震は1949年のマグニチュード8.1で、震源地はやはりハイダグワイ沖の2つのプレートの境界にあるクィーンシャーロット断層だったとか。そういえば、先月だったか、メトロバンクーバーでも、(明日か200年先かはわからないけど)いつか来ると言われている「ザ・ビッグワン」の災害に備える訓練をやっていたように思うけど、カタカタ程度の地震さえめったに来ないところなもので、我が家も特に備えはしていないなあ。ワタシは北海道の地震多発地の生まれ育ちなんだけどなあ。まあ、一応は手回し充電式のラジオとソーラー充電できる非常電源とバーベキューコンロくらいはあるけど、そろそろ考えた方がいいのか・・・なあ。

鯛はどこまでも鯛

10月28日。日曜日。起床は正午ちょうど。雨かと思っていたら、まあまあの天気。のんびりと朝食。のんびりと読書。やっと『The Darling Buds of May』を読み終えた。これはおもしろかった。ロンドンから税金の取立てに来たチャールトン氏。ラーキン親父にうまくはぐらかされ、ぐでんぐでんに酔わされて週末を過ごす羽目になり、長女のマリエットにぼ~っとなり、親父に「顔色が悪い。病気だ。休め」とそそのかされて病休を取る羽目になり、仕事に戻らないと年金がもらえなくなると言ったら、「40年後には半分の価値しかなくなる」と返されて納得し、ついにはマリエットと結婚してそのままラーキン家に居つくことになるという破天荒なストーリー。久々におもしろい本を読んだ気分。

午後いっぱいぼちぼちと仕事をして、夕食はちょっと手をかけて、Whole Foodsで丸ごと買って来た鯛。ニュージーランド産で、鯛の英語名の「Red sea bream」ではなくて「Tai snapper」として売っている。まあ、最近まで(格下の)ロックフィッシュもsnapperとして売られていたくらいで、昔から赤い魚の名前として普及しているから、通りがいいかな。はらわたは取ってあるけど、うろこはそのまま。うろこがやたらと飛び散らないようになっている使い勝手のいいスケーラーがあるので、流しでしゃかしゃかと作業。魚の大きさとうろこの大きさは必ずしも一致しないからおもしろい。きれいになって、ご対面したら、まあ、なんともエラソーな顔。でも、ごめん、食べちゃうから・・・。

[写真] 頭を落として、三枚おろしにして、頭は鍋に入れて煮立てないように気をつけながら出汁を取る。この出汁を冷凍しておけば、冷え込んだ夜に熱々のおいしい海鮮うどんのランチ・・・。中骨はすでに冷凍してある他の魚の骨と一緒にして、そのうちフュメドポワソンを作る、と。最後はみんなミミズのご飯になって、来年の野菜になるから、無駄がない。

カレシがカネリーニ豆とフェネルと黒オリーブの特製サラダを作ったんで、おろした半身は「クックパッド」で見つけたレシピを参考にして、刻んだ野菜と一緒に白ワイン蒸し。生のバジリコの代わりにペストソースをオリーブ油でゆるめてかけ回してみた。付け合せは蒸したブロッコリーニとベビーズッキーニ。なかなかいい味だった。鯛はどう料理しても鯛、誰が料理しても鯛か・・・。

[写真] ハイダグワイ島沖ではまだ余震が続いているそうだけど、東部ではハリケーンがニューヨークを直撃しそうな気配らしく、明日はニューヨーク証券取引所も臨時休業。スーパーは軒並み空っぽになっているとか。何しろ、湿気をたっぷり吸って来た熱帯低気圧のハリケーンと、西から来る冬型の低気圧と、北極から下がって来た冷たいジェット気流が一堂に会してしまうという稀なパターン。沿岸部では何メートルもの高潮、内陸部では大雪をもたらす可能性があって、最悪のシナリオではマンハッタンの地下鉄のトンネルが水没して電気や通信網も不通になる恐れがあるとか。大丈夫か、ニューヨーク・・・。

好奇心は身を助ける

10月29日。月曜日。早朝にゴミ収集車の轟音でちょっと目を覚ましたけど、そのまますんなりと眠ってしまって、起床は午後1時過ぎ。1日が半分終わっている。ボツボツと仕事を始めたけど、水曜日夜の芝居の座席予約を忘れていたことを思い出して、終わってしまわないうちにと、急いで電話。2日前なのにいい席が取れたのは、もしかしてハロウィーンの夜だから・・・?

大陸の西岸ではまだM6クラスの余震が続発している。地震発生と同時に日本では早々と「日本への津波はない」と発表していたけど、津波は八丈島まで届いていたとか。数十センチ程度だったとしても、情報がいくら早くても外れではどうしようもない。ハリケーン・サンディは人気テレビ番組『Jersey Shore』の舞台になっているニュージャージー州南部に上陸。暴風域の直径は何と1500キロ!で、瞬間最大風速が40メートル以上。直径1500キロの円を描いたら、日本列島の北海道から九州までがすっぽり入ってしまう。こんな大きいのがやって来たら、時速50キロで進んだとしても、にもなる暴風域が通り過ぎてくれるまで30、40時間はかかる勘定で、うは、大変だあ。穏やかそうなバンクーバーも今日はヘンな天気で、午後4時、日が差しているのにいきなり風呂の栓を抜いたような土砂降りの雨。でも、1分もしないうちに止んでしまった。西の空を見たら、何か不気味な形の雲に横に2つ並んだ切れ目から日が差していて、それがまるで悪魔の目のようでぎょっとした。あさってはハロウィーンだけど・・・。

今日からノーベル賞受賞した物理学者リチャード・ファインマンの話をドラム仲間が録音して本にまとめた『Surely You’re Joking, Mr. Feynman!』(日本語タイトル『ご冗談でしょう、ファインマンさん』)を読み始めた。この人の本は2冊をまとめた『Six Easy Pieces and Six Not So Easy Pieces』が本棚にあるけど、これはまだ読んでいない。子供の頃から科学はワタシにとって何だかよく理解しきれないんだけど、よくわからないが故に何とも抵抗しがたい好奇心をかき立ててくれる存在だった。高校の試験は計算問題ばかりで、計算式を暗記できなかったワタシはいつも赤点すれすれ。それでも、科学が嫌いにならずに、今こうして科学論文を大学の経験もなしで果敢?に訳せているのは、子供っぽい好奇心の延長線なのかもしれない。

もっとも、仕事となれば「よくわからない」では済まされないので、ググりまくって基本中の基本だけでも付け焼刃で勉強することになるんだけど、そうでなければ、この「未知」の世界はうっとりと無限の想像に浸れるすばらしいロマンの世界。「わからない」、「知らない」と肩をすくめて済ませてしまうのはもったいなさすぎる。昔から「Curiosity killed the cat(好奇心は身を滅ぼす)」ということわざがあるし、似たような格言に「Curiosity is endless, restless, and useless(好奇心はキリがなく、落ち着きがなく、役立たず)」というのもあるけど、キリがないからこそどこまでも追究できるんだし、落ち着きがないからこそあちこちに首を突っ込んで新発見につながるんだと思うから、役立たずのはずがない。ファインマンは好奇心の塊のような人だったから、科学の発展に大きく貢献したんだし、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言うし、「好奇心は危険」と言った人は考えが足りなくて怪我をしたか、よっぽど臆病で自信のない人間だったのかもしれないな。

そろそろ気合を入れなければならない大仕事は地学系で、地震に関する話があちこちに出て来るから、まったく絶妙なタイミング。まっ、へえ、何で?へえ、それで?と好奇心で押して行ったら、あんがい無理なくすいすいと終わってしまうかもしれないから、がんばろうっと。

ツイートってこんな感じ?

10月30日。火曜日。雨模様。でも、サンディの猛威の爪跡を見ていたら、まっすぐおとなしく降ってくる雨はありがたいな。気温は平年並みだけど、最低気温が平年よりぐんと高くなって、夜間に温室にヒーターを入れなくていいのもありがたい。朝食をしたら、今日はまじめに仕事。いつの間にか、予約が入っていた小さい仕事とぼちぼちやっていた大仕事の間にねじ込み仕事がはまり込んで、急にあっぷあっぷ。ねじ込み仕事は思わず断ろうかと迷ったけど、「前と同じ人に」とリピート指名されちゃうと何だかノーと言い難くなって、結局のところ、ま、いっか。最終期限は変わらないから、みんなこれから10日間で順次やっつけないと納期を外しかねない。やれやれ。

まあ、外は雨でやたらと薄暗いし、ということでわりとまじめに仕事。ときどき休憩して頭の切り替え。ワタシはシステムについて来たソリテアとか麻雀のゲームをちょこちょことやって気晴らしをするんだけど、大流行らしいツイッターに四六時中ぶつぶつとつぶやいている人たちは、仕事の合間にツイートしているのかな。いつも冗舌なワタシでも、仕事の合間にちょっとつぶやいてみたら、息抜きになるのか・・・。

★ ニューヨークは、水没した地下駐車場から浮き上がって来た車が折り重なっていたり、浸水による漏電が原因の大火が起きたり、すごいことになっている。変電所で爆発があって停電は続くらしいし、地下鉄もいつ運転再開できるやら。でも、ニューヨーカーは強靭な精神を持っているからね。

★ 仕事は地震がテーマ。ハイダグワイ沖では今日もM4くらいの余震。おまけにアラスカでも地震があったらしい。あちこちで揺れてるなあ。ニューヨークではサンディの風で超高層ビルが揺れたんだって。

★ 企業の決算はどれも毎年同じようなことを言っているから、退屈で気が散っていけないな。新聞サイトを覗いたら、オークリッジモールの大規模再開発の記事。高層マンションが何棟も建つらしいけど、早くても5年くらい先の話とか。

★ 情報産業は時代の最先端という感じだけど、企業の経営幹部はIT時代になる前からサラリーマンだった
はず。やたらとカタカナ語を使うけど、どんなものかちゃんとわかってるのかな。

★ ふむ、ツイートって、ぜんぜんおもしろくない。やっぱり、ああだこうだと考えてはごちゃごちゃと御託を並べたがるワタシにはツイッターのようなつぶやきは向いていないみたい。11時半。おなかがすいたから、ランチにしようっと。

スカイツリーの宣伝と東北復興の関係

10月31日。水曜日。目が覚めたら正午過ぎ。今日も雨。仕事ひとつは午後が期限。月末処理もあるし、夜は観劇だし、ついでにハロウィーン(は忙しいのとは関係ないか)。

ニューヨーク証券取引所が発電機を回しながらの取引を開始した。ナスダックも再開するのかな。フェイスブックの一般社員がやっと持ち株を売れるようになったところへハリケーンで取引所が休業。上場後に株価が急落したりして、気が気じゃなかっただろうな。

今BBCやニューヨークタイムズを初め、世界中の大手メディアが日本の11.7兆円の震災復興予算の25%が震災とはまったく無関係のことに使われていたと報道している。1000キロも離れた沖縄に道路を作ったかと思うと、同様に被災地から遠く離れた地方のコンタクトレンズ工場への助成金、東京の官庁の庁舎改修工事、レアアース生産の研究費、研究のための捕鯨の支援、戦闘機パイロットの訓練、スカイツリーの宣伝等々。どう見たって大震災の被災地復興とは関係がなさそうだけど、予算の配分を担当するお役所にはどういう説明をしたんだろうな。もっともらしいからお役所の審査でOKが出たんだろうに。

それともお役所は沖縄から被災地に物資を届けるために新しい道路が必要だとかなんとか言われて、ろくに考えもせずにめくら判を押していたのかな。スカイツリーの宣伝には3千万円が出たそうだけど、外国から観光客を呼び込んで、「ついでに」東北も観光してもらえば被災地復興に役立つとか、東京の庁舎を改修して快適な環境にすれば、(建設工事の許認可とか)被災地復興に「関わっている」お役人の仕事もはかどるって被災地の役に立つとか、なんとかかんとか言って復興資金を分捕った人たちが官民を問わずいるってことだな。被災地では34万人もの人たちが未だに生活を立て直せないでいるというのに、被災地から予算を申請して認められなかったケースがたくさんあるというのに・・・。

不思議なのは、日本の新聞サイトではあまり大きく取り上げられていなかったこと。たしかに復興予算が関係のないことに使われていたのがわかって、総理大臣が「今後そのようなことがないようにする」とか何とか言ったという記事を見た記憶はあるけど、いつもの日本のメディアの「淡々とした」スタイルで突っ込んだ内容ではなかった。それが英語メディアでは監査で明るみに出たいい加減ぶりにびっくりして、あきれ返ったわけだけど、元々付け焼刃で通した東北復興のための法律がなんともあいまい表現が多くて、おそらくそういうあいまいなキーワードに付け込んで資金を引き出したということなんだろうな。総理大臣の口約束だけで、どうしてそうなったかを調べようという動きもないようだけど、どうしてなのかな。法律や手続きの抜け穴を塞ごうにも、どうしてそうなったかをはっきりさせなければ、どこを塞げばいいのかわからないだろうに。(まあ、調べるにしても何とか委員会を作って1年も2年もかけてやったんでは無意味に等しいと思うから、やらない方がこれ以上よけいな出費にならないでいいのかもしれない。)

でも、日本の人、どうして怒らないのかな。ほんとにこういうことになると怒らないね。どのメディアも記事といっても殺人事件に盗撮、スポーツに芸能。他国での暴動や略奪の話があっても、どうしてそういう状況になったのかまで解説しない(たぶんわからないからだろうと思うけど)で、「日本人はあんなみっともないことはしないよね」と暗に牽制しているような書き方だったりする。苛烈なハリケーンが通り過ぎて、まだ停電が続くマンハッタンでは警察が商店の略奪を警戒している。もしどこかで略奪が起これば、日本のメディアはいつものように「だからアメリカは」という調子で報じるんだろうな。たしかに、アメリカでは災害のときによく略奪が起きるけど、それは一部の個人の行動であって、政府の救済活動は早い。アメリカの大統領にはそれだけ強い権限がある。一方で、どんな人たちが震災復興予算に群がったかを見ると、日本ではひとりひとりの国民は略奪や暴動を起こさない代わりに、企業や役所という「組織」になったときにその「略奪」をやるということではないかと思ったな。


2012年10月~その2

2012年10月21日 | 昔語り(2006~2013)
最後は笑える非常識な注文

10月11日。木曜日。午前11時半起床。曇り空。平年並みだと14度は行くそうだけど、今にも10度を切りそうな寒さで、ちょっと無理。さて、今日は忙しい。ワタシは美辞麗句の仕事を片付けて、次の大きいやつに取り掛からなければならない。カレシの方は英語教室が午後の部と夜の部のダブルヘッダー。その間にまた両手にいっぱいのサヤインゲンを収穫して来て・・・あ~あ。

とにかく、カレシを送り出して、がんばる。納期は日曜日の夕方だから焦ることはないけど、すぐ次にかからなければ後がきついからから、とにかくあくびをかみ殺してがんばる。おかげで、カレシが帰ってくる頃には完了。すぐに夕食の支度をして、食べて、カレシを夜の部に送り出して、すぐに次の仕事。これも大きいけど、まあまあ興味が持てそうなテーマ。でも、分野が法律系から年次報告になったと思ったら、今度は環境科学になったり、医学系になったりと、くるくる変わるから、頭の切り替えがタイヘン。まあ、自ら選んでの「何でも屋」だから、注文が入ってくれば(特許と嫌いなIT以外は)「何でも」やるっきゃない。おかげでひとつ終わって次の仕事に没頭する頃には、よぽどおもしろいと思えるテーマでもない限り、せっせとググり回って学んだことを忘れてしまう。忘れなければそのうち大学勉強に匹敵するくらいの教養を身に付けられるかもしれないのに、もったいないなあ。それにしても、もしもノーベル賞に「雑学賞」なんてのがあったら、ワタシ、もらえるかも・・・なんて。

そうこうしているうちに、とうとう期限の重なる引き合いが来てしまって、もっとおもしろそうな医学系の内容なので、3分くらい沈思黙考してみたけど、初めっからできない相談ということで、止むを得ず見送り。まあ、予定が少しきつくなる程度なら、ちょっと無理してでも引き受けてしまうところなんだけど、さすがにこれは2日くらい連続して徹夜しないとまずできそうにないから、その「無理」も無理な話。魔の10月ではあるけど、ここんところの仕事の洪水、どうなってるんだろうなあ。もしかしたら、去年の夏休みを自粛した分もまとめて徹底的にリフレッシュして来たもので、やる気満々・・・なんてこと、あり得る? 

まあ、次の仕事の要領がわかったところで、同業者のメーリングリストを見たら、「最も呆れた仕事の引き合い」のスレッドで盛り上がっている。まず、「2000ページの英語原稿を2日で日本語訳」。マジっすか、それ?投稿主曰く、「読むだけだって2日じゃ無理」。それを日本語に訳して打ち出すのにどれくらい時間がかかると思ってるんだろうな。キーボードのキーはこっぱ微塵で、手の指は全部根元まで磨り減ってしまいそう(労働災害だ)。次に「文字数が3万近くある論文を2日で英訳」。どんなにしゃかりきになっても5日で終わるか終わらないかだな。投稿主曰く、「そっちが1年かかって書いたものを2日で訳せるわけがない」。まあ、できると思っている人がいるから、椅子から笑い転げるような引き合いがあるわけだけど。「10万文字の契約書を10日で」。投稿主、「どっちみち不可能だから、1文字40円と吹っかけてみようかと思った」と。10万文字なら400万円!1年の残りを南国のビーチに寝そべってのんびり暮らせるなあ。

「1000ページの小説を2ヵ月で訳して、翻訳料35万円」。ええ?冗談がきついなあ。「30ページの論文を明日の朝までに(もう夜なのに)」。できるわけがないと返事をしたら、「質なんか気にしなくていいから、やれるでしょ?」やれないよ。4年後、同じ人から突然「250ページを1週間で」。投稿主は黙って電話をガチャっ。翻訳会社のコーディネータというのは相当に神経のいる仕事で、百戦錬磨の人が多いから、ある程度はったりをかましていることが多いし、ちゃんとした編集機能のある会社なら何人かに発注して集団作業でやるもんだけど、個人の依頼客の場合は、元々翻訳のプロセスどころか翻訳とは何かもよくわかっていなくて、原稿を翻訳者の口に突っ込めば下から翻訳がするすると出て来ると思っているようなところもある。もっとも、「○○語わかるから、翻訳するよ」という肝っ玉の据わったなんちゃって翻訳者もいるわけで、無知ほど怖いものはないという話かな。

ワタシにも呆れたエピソードがあるな。ロッキーの向こうのカルガリーでコンピュータ用の(写真を見ると何とも安っぽい)KD家具を作っているという会社。日本へ輸出したいので説明書その他を日本語訳して欲しいと、センテンスをひとつサンプルにファックスして来た。(インターネットもメールもなくて、ファックスがライフラインだった原始時代の話。)まあ、語数が少ないから、ご祝儀で無料ということにしたら、何日か経ってまたセンテンスひとつ。ささっと訳してファックスで送り返したら、次の週にまたセンテンスひとつ。おい、こらっ。そこで、請求は月締めにするか、一定額ごとにするか、どっちがいいかと聞いたら、その会社はそれっきりなしのつぶて。ふん、こっちだって商売でやってんだから、なめるんじゃねぇよっと(心の中で)快哉を叫んだけど、世の中、いろんな商売人がいるもんだ。20年も前のちょっとしたことなのに未だに思い出しては快哉を叫んでしまうけど、あの会社、その後どうなったかなあ。

笑って気分が切り替わったところで、さあ、仕事、しごと、シゴト、お仕事・・・。

死ぬんじゃないよ

10月14日。日曜日。金曜日あたりから降り出した雨。まるで記録的に雨が降らなかった夏の埋め合せを一気にやろうとしているかのような降りよう。まあ、10月は「雨期」の始まり。昔、バンクーバーっ子はこの時期に雨が降り始めると「マザーネイチャーは止み時を知らないからなあ」とどんより暗い空を見上げて言っていたけどな。

起床は午後1時。金曜日と土曜日の2日はずっぽりと仕事に埋没。おかげですご~く眠い。でも眠いのに寝つけないから、目が覚めるのも遅くなる。それでも、がむしゃらに3日分ちょっとの量を片付けたので、後はそれほど無理しなくても期限に間に合う見通しができた。内容としては難しくはないんだけど、ぞろぞろ出て来るある発展途上国の法律やら制度の名前を、それも英語で調べないことには埒が明かない。そのリサーチに半日くらい時間を取られたけど、元々英語のアルファベットとは違う文字を使う国だからと悲観的なことを考えていたら、法律の英訳版が次々と出て来たからびっくり。しかも決してあやふやな英語ではないからすごい。ああ、助かった。

パキスタンでタリバンに「暗殺」されそうになった14歳の少女はわずかずつではあるけど良い方に向かっているというニュース。「私は教育を受けたいだけなの。私は怖くない」と、ひとり果敢にタリバンに立ち向かい、タリバンの頑ななシャリアに逆らって「西洋文化」を広めようとしたとして狙い撃ちされた。大人だってなかなかそんな勇気は出せない。思想を異にする者を嫌ってその殺戮を厭わない野蛮人の群れに素手で立ち向かうことは、宇宙の縁から飛び降りるよりも勇気のいることだと思う。それにしても、タリバンはどうしてそこまで暴力的に女性の教育を阻止しようとするのか。真の教育を受けていない無知な人間だからこそ、表向きは威風を繕っていても、内心では未知の世界に怯えているのかもしれないな。弱いものは常に自分よりも弱い(と思う)ものを標的にするから、「弱い」女性を支配することで自分たちの臆病さを打ち消しているんだろう。だからこそ、自分たちが怖れるもの(知識)を女性に与えたくないんだと思う。マララ。なんというすばらしい響きの名前なんだろう。生きて欲しい。人が人として生きる権利のために、何としてでも生きて欲しい。

先週、近郊で自殺した15歳の少女が死の前にユーチューブに投稿したビデオで、今ネットでの「いじめ」の問題が大きくクローズアップされている。少女の名前はアマンダ・トッド。ビデオでは、SNSで相手を信じてしたことがきっかけで何年も学校やSNSでいじめを受け、転校してもいじめが追って来て、自殺未遂をしてさらにいじめを呼んでしまった経過を書き綴ったカードをカメラに向けて黙々とめくっていて、顔は見えない。それだけに、追い詰められた絶望感が伝わって来て、ひとりの人間を自死に追い込む悪魔のような行為にワタシの心の方が怒りで破裂してしまいそうになる。せめてもの救いは警察が20人専従の特別班を置いて、捜査に乗り出したことか。大津で自殺した中学生は大人たちの醜い思惑によっていじめを否定され、もう少しでまるで臭いもののように蓋をされるところだった。

アマンダを追悼するフェイスブックのページにも、心ない暴言が次々に書き込まれているらしい。インターネットに掲示板やSNSが普及して、些細な失敗や失言をとことんまで追い詰めるようになって、いったい人間はどうなってしまったんだろう。弱いものがサイバー空間という砦を得たために、プライバシーを盾に、「匿名」という武器を振りかざして、他の人間を攻撃するようになってしまったのかな。それとも、人間は元からそういう魔性を持っていて、たまたま匿名空間が出現したことで大胆になった内弁慶たちがそれを発露し始めたということなのかな。それとも、インターネットをそういう妖怪が徘徊する世界にしたのは、後先を考えることなくひたすら「もっと便利に」だけを追求して来た人間なのかな。それとも、後先を考えずにひたすらその「もっと便利」を要求して来た方の人間なのかな。

便利が便利を生み、その便利さに慣れ切った人間がさらに一番めんどうくさいこと(自分で考えること)から解放してくれる究極の便利さを求めて来た結果なのかもしれないけど、何であれ、人類が気の遠くなるような時間をかけて進化させてきた「考えること」がやがて自分たちの衰退につながるとしたら皮肉な話。でも、人間、「自分で」考えるのをやめたら結果的にそうなって行くんじゃないかと思う。もしもそうなったら、地球が「猿の惑星」になるのかどうかはわからないけど、今を生きているキミたち、まともに考えることのできない無知な人間の利益のために死ぬのはなしにしようよ。

わかるはずなのにわからないのもストレス

10月16日。火曜日。起床正午。雨、ひと休み。気温は12度。何となく眠くて、何となくかったるい気分だけど、今日は大丈夫らしいから、ちょっと安心。

大きな仕事がのるかそるかの大詰めに差しかかって、具合が悪いなんて言っていられないときに限ってちょっとした故障が起きるのは、やっぱりストレス信号なのかな。きのうはもろに胃腸系。目が覚めたときから胸焼け。そしていわゆる腹下り。しまいには胃の辺りがチクチク。困ったなあ。寝込んでなんかいられないってのに。そこが自営業のつらいところで、そもそも「病休」なんてものがないから、椅子に座っていられる限りはキーを叩くしかない。たしかに、誰かに「働けっ!」と強制されるわけではないんだけど、納期が迫っているときは、やっぱり「やるっきゃないじゃん」と自分に鞭打ってしまうんだなあ、これが。

でも、今回はどうも寝冷えではなさそうだと思うんだけど、何なんだろう。疲れているのかなあ。たしかに疲れた気分ではあるけど、少々くたびれたくらいでは音を上げないのがワタシの胃袋。別にヘンなものを食べたわけでもないし、飲みすぎているわけでもないし、何なんだろうな。消化不良かなあ。魚のような柔らかいものばかり食べていたら、胃腸に怠け癖がついてしまったということかな。でも、繊維の摂り過ぎは消化不良の原因になるという話。この前はたけのこを食べ過ぎたせいじゃないかと思うけど、今度は何なんだろう。献立のメモを見ると、忙しくなるほど手抜きがひどくなって、野菜や玄米のような穀類の量が増えている感じがする。そこへ生野菜のサラダで仕上げをしたら、おなかは中から冷えるし、消化も良くないということか。でも、ワタシは生野菜はそんなにたくさんは食べないんだけど。困ったね、まったく。

でもまあ、今日は起きてみて調子はまあまあだったから、大詰めの大詰めのところまでこぎつけた仕事をやっつけにかかる。これもたぶんタブを使う人、スペースを使う人、オートナンバリングを使う人と、複数の人が書いたらいけど、それでも見かけだけはきっちりと体裁を整えてあるからすごい。でも、こっちは書式を統一して体裁を整えるのがひと仕事。おまけに、いかにもお役所文学的ではあるけど、とにかく日本語がヘン。ほんとに日本語ネイティブが書いたのかと疑ってしまう。ワタシの日本語だって十分にヘンなのは承知しているけど、ここまでひどくはないと思って安心してしまうくらいにヘン。どうみても現地語から訳して挿入したとしか思えない部分もあって、こっちはもっとヘン。わかりまへんなあ。ひょっとして上司がゆとり教育世代の新人に「おい、おまえが書け」と丸投げしたとか・・・は、まさか、ないだろうと思うけど、そのくらいにヘン。

時計を横目で睨みながら、何が言いたいんだ!と毒づいているうちに、またみずおちのあたりが何となくチクチクして来た。もしかしたら、この3回は読まないとわからない日本語がストレスの根源になっていたりして・・・。たしかに、小町なんかではよく、国際結婚で海外在住という人たちが、毎日が外国語という生活で自分が言いたいことを言いたいように言えないもどかしさがストレスになって辛いと嘆いている投稿を見るけど、もしかしたらその裏返しで、自分にとって外国語でないはずの言語で書いてあることがすんなりわからないというのもすごくもどかしくて、同じようにストレスが溜まるということかもしれないな。

でも、もうあと少しだというところまで来たんだから、あしたの夕方までの辛抱なんだから、とにもかくにもやるっきゃないんだから、がんばれよっ、ワタシ。

自分磨きもやり過ぎると地金が見える

10月17日。水曜日。起床は正午。気温は10度。胃腸系はいつもの元気に戻った感じ。ずっと格闘して来た仕事は今日が期限だから、終わればちょっとだけ「休みモード」になれる。そう思っただけで、やる気満々になるゲンキンなワタシ。朝食後はホームストレッチで一直線にゴールを目指すランナーの気分で快走。2時間で、1時間の余裕を残してゴールイン。やったぁ。ふぅ、はぁ・・・。

ちょっとだけど手間をかけた夕食をして、「休み」。仕事のことを考えなくていいのは楽だなあ。と言ってもすぐには頭が切り替わらないから、例によってぶらりと小町横町の散歩。ふむ、相も変わらずの風景だけど、この「女子力」ってのはいったい何なんだ?英語ならgirl powerか(と、まだ翻訳モード・・・)。だけど、Girl powerというのは、オックスフォード英語辞典によると「女性が行使する力。特に少女や若い女性の野心、自己主張、個人主義に示される気骨のある態度」。ふ~ん。でも、トピックの趣旨や書き込みを読む限りでは、「女子力」というのは「girl power」とはまったく似て非なるものらしい。そこでちょこっと調べてみたら、「女性のメイク、ファッション、センスに対するモチベーション、レベルなどを指す言葉」という定義が出てきて、(最近やたらとおバカになりつつある)あるオンライン辞書で調べて見たらそれをストレートに英訳したような定義が出てきた。ワタシがおば(あ)さんだからかもしれないけど、よくわからない・・・。

要は、30代に入った独身女性が、自分磨きや女子力UP(アルファベットなのがミソ?)に努力し、英会話をやったりして内面も磨いているのにさっぱり相手が見つからず、片や特に美人でもなく、メイクもせず、ファッションセンスもなく、気も利かない同僚が努力しないで爽やかなイケメンと結婚できているのはどうしてなんだ、つまり、自分はこんなに努力していても報われないのに、「努力せずに」いいとこ取りする人が許せない、努力が虚しいという愚痴で、あっという間に投稿本数の限度に達しそうなくらいの賑わいを見せている。男性もけっこう参加して「女の言う女子力は男から見たら魅力がない」。結婚相手を引き寄せるために磨くのが女子力であり、「自分」であり、「内面」なんだろうに、ここでもミスマッチか・・・。

昔から「玉磨かざれば光なし」と言うから、自分が魅力的にきらきら光るためにはせっせと磨かなければ、ということなんだろうけど、どれだけ磨けばどのくらい光るかは原石である「玉」の質によるんじゃないのかなあ。もちろん、石炭だってしっかり磨けばみごとな黒光りになるし、道端の石っころだって磨いてみたら実はすばらしい珠玉だったということもあろうだろうな。ダイアモンドなんか最初からけっこう光っているけど、磨けば磨くほど中(内面)の不純物が際立ってしまう場合だってあると思う。玉によっては無理して磨かない方がいい場合だってあり得るだろうな。さらには、何を磨き粉にして、どのように磨くかによっても、玉の光ぐあいが違ってくると思うんだけどな。ワタシなんか、磨いているんだかいないんだか、いい加減で自分でもわからないから、まだら模様の蛇紋石みたいになっているかもしれない。(貴蛇紋というのもあるらしいけど・・・。)

磨き粉となるものが英会話であれ、ワイン講座であれ、稽古事であれ、おしゃれな雑貨趣味であれ、グルメ趣味であれ、お嬢様的挙動であれ、マナー本で読んだ気遣いであれ、とにかく何であれ、磨くときの「手加減」と言うものもかなり重要じゃないかという気がする。内面磨きというのはたぶん「教養」と関係があるんだろうと思うけど、あまり力を入れて磨くと外面まで穴が開いてしまうことだってありえると思うな。同様に外面を磨くのだって、芯までしっかりと地金であれば、磨けば磨くほど光るだろうけど、もしも表面がめっきだったら、あんまり磨くと地金が露出して目も当てられないことになりかねない。(つまり、メイクやファッションなどで決まるらしい「女子力」とやらがその「めっき」なのかもしれない。)でも、めっき層の厚さを過信して、剥げるまで磨いてしまう人もいるだろうな。まあ、めっきし直す手もあるけど、何度もそれをやったらコスト高・・・。

世の中は玉石混交。自分磨きをするなら、まず自分の「品位」(鉱石のグレードのこと)を確認してから、相応の磨き粉やテクニックで、ていねいにていねいに磨いてやるのが無難かもしれないな。もしかしたら、幸せを呼ぶパワーストーンになるということもあり得ないとは言い切れないし・・・。

たまには主婦業もやらないと

10月18日。木曜日。目覚ましで早起きの午前11時半。仕事がひとつ終わって気を緩めていいはずだけど、今日はカレシの英語教室ダブルヘッダーの日だから、残念ながらゆっくり寝ているわけには行かない。何となくばたばたと身支度をして、朝食をして、カレシを送り出す。

カレシが勤めていた頃には毎日がこんな感じだったな。どんなに遅くまで仕事や家事をしても、毎朝午前6時に起きてカレシのお弁当作り。日本のお弁当箱に(冷凍食品を温めたものの多かったけど)けっこういろいろと工夫して詰めていたっけな。カレシを玄関先で見送ってから、ひとりで朝食をして、すぐに仕事。ひとりでランチを食べて、また仕事。カレシが帰って来たら夕食を作って、食べて、また仕事。カレシに叱られて真夜中に半泣きでカレシのシャツをプレスしていたり・・・。1990年代は毎日がそんな、何か自分にかまっている暇がないという感じだったような気がするなあ。

今日は雨。降り出したらいつ止むかわからないのがバンクーバーの雨期。かなり寒くなって来たから、今日はまず冬用のフランネルのシーツに取替えて、夏のシーツを洗濯。(新しい洗濯機を買わなきゃ・・・と、もう何年もそう言っている感じ。)洗濯機が回っている間、ファイルのキャビネットから老齢年金の申請書に添付する書類を集める作業。説明書をじっくりと読んでみたら、書類はService Canadaが(無料で)コピーして証明するから、窓口に出向けない場合に「適格者」に証明してもらいなさいと書いてある。ワタシの場合に必要なのは市民権証書、永住権の認可書、永住ビザのスタンプがある日本のパスポート。この永住ビザの日付が1977年4月12日で、あと2ヵ月半遅かったら改正法の施行に引っかかって、老齢年金は満額支給にならなかったから、ラッキーなワタシ。市民権の証書は1980年9月17日付。つまり、64年の人生の半分以上をカナダ人として生きて来たということだな。まあ、いろいろあったとしても、カナダ人としては良い人生を送れたと思うから後悔はないけど・・・。

洗い上がったシーツを乾燥機に押し込んで、今度はレンジ換気扇のフィルターを洗う仕事。仕事と言っても洗うのは食洗機なんだけど、これだって家事のうち。カレシが帰って来たら、もう夕食のしたくを考える時間。手をかけていて食後のコーヒーを飲む時間がなくなるといけないから、木曜日は簡単料理の日。サヤインゲンをエリンギと一緒にきんぴら風に炒めて、やれやれこれで最後と思っていたら、庭に出ていたカレシがまたビニール袋いっぱいに収穫して来た。トレリスを覆っていた葉っぱはもうほとんどが黄色くなっているのに、まだぶら下がっていたのか。もう蒸しただけで食べるには固そうだから、調理法を考えないとね。とにかく、午後5時過ぎには夕食。カレシを送り出したのは午後6時20分。すぐに前から約束していたラタトゥイユの仕込みにかかる。小さなスロークッカー2つにセットしてから、乾燥機をチェックして、まだ少し生乾きのシーツをさらに乾燥機にかける。ふはあ、家事ってのもけっこうタイヘンだなあ。

やっとオフィスに下りて、メールをチェックして飛び込み仕事がないことを確認して、まずはニュースめぐり。神奈川県のどこかの駅に「バルーンアート」なるものを展示したら、市民から「いやらしい。卑猥だ」という苦情が出て撤去することになったという話。写真を見てみたら、なるほど、ブラジャーやTバック風の下着をつけた大きな風船がいくつもぶら下がっていて、その下を子供連れが歩いている。中には「下半身から生足2本」みたいなのもあって、制作者は「サンバ」をイメージしたんだそうだけど、サンバの「セクシー」さを強調しているようで、その人にとっての「サンバ」観が出ているような感じだな。まあ、アートはいろいろだし、見る人の印象もいろいろだから可も否もないけど、まっ、ワタシのテイストではないな。でも、女性の下着を覗きたがる盗撮ってもんが横行しているご時世だから、小さな下着をつけたお尻のような風船を見上げて、女性のスカートの中を覗いているようなヘンタイ気分になってしまったらどうするんだろうとよけいな心配をしてしまったけどな。

ひと通り世の中のあれこれを見渡したところで、老齢年金の申請書を書き始める。たいがいは先に送ったCPPの申請と同じなので、コピーを見ながら書き込んで、後は「連絡先」になってくれる人を探すだけ。これはワタシの居所がわからなくなったときに問い合わせるために必要なんだそうで、血縁や婚姻でつながっている人以外であることと書いてある。おひとり様になったり、認知症になったりしても、こういう角度から生きているかどうかをチェックしてくれるということかな。ということは割と若い人の方がいいのかな。ま、友だちにあたってみるか。とりあえず、申請書はほぼ完成で、あした書類のコピーを証明してもらえば、週末には郵便ポストに入れられるかな。何だかこれでかなりの肩の荷が下りそうな気がする。あんがい、一番のストレス源はこの年金申請だったのかもね。政府が一見おいしそうなにんじんを鼻先にぶら下げて「こっちの年金水は甘いぞ~」なんてそそのかすから悪いんだよね、うん。

さて、カレシが帰って来たら、ほっかほかのラタトゥイユでランチと行こう。ああ、主婦業ってほんとに何だかんだとやることが多いなあ・・・って、読み返してみたら、たいしてやってないみたいなんだけど。

お役所の窓口で

10月19日。金曜日。起床は正午ちょうど。何だか心地よく夢を見ていて、なぜかジョージ・ブッシュとビル・クリントンが2人して何やら楽しそうにやっているのにそばから茶々を入れていたような気がする。今日はいい天気。朝食を済ませてすぐに出かける準備。ひとりでさっさと行って来ようと思っていたら、カレシがイーストを買って来ないとパンを焼けないので、一緒に行くからついでにパスポート用の写真を撮って来ようと言うので、モールまで車で行って、そこから地下鉄でダウンタウンへ。

Service Canadaのオフィスは混んでいるかと思ったら、椅子に座って順番を待っているらしい人は4人くらい。あとはキオスクと言うコンピュータを置いた囲いのあるテーブルで何やら調べものをしている人が数人。順番待ちの番号札を出す機械があるのかなと見回したけど、よく見たら番号表示のスクリーンがない。うろうろしていたらカウンターから声がかかったので、え~と、老齢年金のことで書類の証明が必要なんですけどぉ~と言ったら、「アカウントを作りますから」と名前と自宅の郵便番号を聞いて入力して、「座っていてください」。退屈屋のカレシはいろんな言語のパンフレットをながめて、教材に使えそうなものを物色。そのうち、にこにこした女性がワタシの名前(ファーストネームだけ)を呼びながら近づいて来て、手を上げたら、「一番へどうぞ」。

一番端の囲いをしたテーブルが「一番」で、持って来た書類を見せてコピーと証明を頼んだら、「これは市民権の証書ではないので使えませんよ」。へえ?「写真入りの市民権カードはありませんか?」へえ、あれが「証書」だったのか。持ち歩かなくなって長いんだけど、家のどこかにあるのは確か。(5年ごとに更新する永住者カードと違って、市民権のカードは更新されないから、改名しなければ32年前の若かったワタシの写真が入ったカードを持っているはずだったんだけど。)「パスポートでもいいんですよ」。あっ、パスポートは1ヵ月前に期限が切れて、今日これから写真を撮る予定だったので、現物は持っていない。「どちらかを持って来てくださいね。今日はとりあえず移民の記録の方をコピーしましょう」。

ということで、移民許可の書類と日本のパスポートのページをコピーして謄本証明のスタンプとサイン。ついでに申請書の項目について質問して、月曜日に市民権カードを持って出直して来ると言ったら、「記入済みの申請書も持って来れば、こちらから直接送れますよ」だって。なるほど。郵送先は同じ省のビクトリアのオフィスだもんね。こういうお役所は自前のクーリアを持っていたりするから、郵便局より早くて確実かもしれないな。一般市民が相手の窓口業務取り扱いが専門のお役所だからか、終始ていねいで、いい感じだった。「バンクーバーの市役所なんかとは天と地の違いだなあ」と感心するカレシ。うん、市役所は態度の悪いのが多いよねえ・・・。

地下鉄の切符の有効期限に余裕があったので、Hマートによって少し買い物。カレシの提案でパスポート写真はモールの郵便局で取ってもらうことにして、期限切れ15分前に地下鉄駅へ。改札口はできていたけど、CompassというSuica式のカードは来年秋から使用開始と張り紙してあった。無賃乗車が横行してるってのに、悠長だなあ。モールの駅で降りて、エスカレーターで郵便局へ。私書箱に詰まっていたカタログの類を引っ張り出して、まずワタシ、次にカレシと写真を撮ってもらって、出来上がるまでの間に荷物を車のトランクに入れて、セイフウェイでイースト(と、ついでにあれやこれや)を買い、カレシが車に運んでいる間に、ワタシは(途中でもう来年のカレンダーの店が出ているのを見つけて、道草してから)写真を受け取りに行き、今日の日程は終了。

帰って来て、証明してくれたコピーを見たら、あちゃ、永住許可の日付の肝心の「年」の部分が切れているではないの。なんだ、これではどっちにしても出直し。ま、市民権カードが見つかったし、申請書を仕上げて持って行って、まとめて送ってもらおう。65歳になる6ヵ月前の3日前。でも、かっきり「定年」で廃業するわけじゃないから、もしかしてプロセスが遅れても困らないんだけど、何かいつもぎりぎりだなあ・・・。

いじめの種はこうしてまかれるのか

10月20日。土曜日。雨の予報なのに、外はまぶしいくらいの天気。今日も正午起床。でも、ぐっすりよく眠れているし、胃腸の機能も快調。仕事の忙しい時期だし、やっぱり自分で気づかないうちにストレス度が高くなっていたのかな。ふむ、ワタシって、これでも意外と繊細な方なんだろうか・・・まさか。

友だちの許可が出たので、老齢年金の申請書を完成。振込先となる銀行口座の(線を引いて無効にした)小切手を添えて、あとは月曜日に書類ふたつの証明付きコピーを作ってもらって添付すれば、年金関連の処理はぜ~んぶ終了。処理が遅れなければ来年の5月の終わりには2つの年金が振り込まれる。ああ、やれやれ。まあ、年金が振り込まれるようになってもすぐに仕事をやめるつもりはないけど、共働きして来たこの35年間(特に子供を諦めた後は)、根本的にはひとりぼっちになっても路頭に迷って野垂れ死にしないためにがんばって来たんだと思うから、これから生きている限り何がしかのお金が黙っていても毎月入って来るというのは何となく心強い気がする。潮時だと思ったときにいつでも仕事をやめればいいわけで、「趣味優先、ときどき仕事、たまには家事」というのがいいな。

小町に胸の痛くなるような投稿があった。小学生の息子が机の上に「しね」と書いたメモが置いてあったそうで、その日はずっと涙ぐんで「死んだ方がいい、嫌われている」と言い続けていた、と。それを聞いて悲しくて、でも自分の対応に自信がないとアドバイスを求める母親。どこの誰が何を言い出すかわからない匿名掲示板なんかに相談している場合じゃないと思うんだけど。担任との面談で「元気にしている」と言われて、本人の話とのギャップにどっちが本当の状況なのかわからなくなる、息子の被害妄想なのか、と。我が子を疑うような反応はまずいよ、お母さん。親に疑われては、いじめられている子供は四面楚歌を感じて孤立してしまう。教師に「じゃれあっているだけだ」と言われて「そうですか」と引き下がって来るなんてお母さん、テレビのニュースを見てないの?新聞を読んでないの?

同じ小町には「咳のひどい後輩を出勤停止にして欲しい」と上司に頼んだけど、出社可能と言う診断書を持って来ているからと取り合ってくれないというトピック。何か病気を移されるのではないかと気が気でないし、子供が保育園で病気をもらってくるので看病休暇は使い果たしたので、残っている年休は年末の海外旅行のために取っておきたいから、後輩のために(病気をもらって)休んでいるわけにはいかない。(はて、この「大手企業」では病気になったら年休を取るの?)咳の主には(ばい菌が飛ばないように)マスクをさせ、(ばい菌が付かないように)共用の備品に触れないようにさせているらしい。怖い人だなあ。相手が後輩だから可能なんだろうけど、強要すればパワハラだな。とにかく、狭いところで一緒にいるのが苦痛だから。何といえば休んでくれるか知恵を貸してくれ、と。医者の診断書があるなら、伝染性の病気ではないと思うんだけど、上司に「そんなに気になるならキミが少し休んだらどうだ」と言われたと憤慨している様子。

ワタシは発作的にひどい咳が出る状態がもう30年も続いているけど、ストレス性の気管支過敏症のようなもので、いくら精密検査しても「肺は健康そのもの」と言われるだけで病名が付かない。迷惑がったのはカレシだけで、オフィスや公共の場で咳き込んでも消えて失せろみたいな扱いを受けたことはないな。知らない人がキャンディや咳止めをくれたりするし、イギリスのケンブリッジの銀行で発作が起きたときは、「救急車を呼べ」、「ソファに横になって」と大騒ぎになって、息がつけないでいたワタシの背中をさすってくれた人もいて、恐縮のしまくりだった。でも、この人のいるところで咳き込んだら「病気を移されるかもしれないから、国外退去させて」とか、「旅行が台なしになるから、搭乗禁止にして」ということになりかねないのかな。くわばら、くわばら。

このトピックは立ったばかりで、これからどんな「知恵」が出て来るか興味のあるところだけど、読んでいて、ああ、きっとこうして「いじめ」が始まり、エスカレートして行くんだなあと思って、背筋が寒くなった。もちろん、トピックの主はいじめだなんてとんでもない、病気を移されたら年末の海外旅行が台なしになってしまうから、咳の主を「出勤停止」にしろと上司に「お願い」しただけだと言うだろうけど、懲罰的な言葉を使う心理が怖い。大企業の就業規則に咳をして同僚を不快にさせた場合は「咳ハラで出勤停止処分」なんて規定があるとは思えないけどな。それでも「子供が保育園で病気をもらって来る」のは気にならないらしいから、人間の心理は不条理だな。そのうち、ばい菌が散るから口を利くな、自分の近くを通るなと言い出したり、はては自分が咳をして「病気が移った、死ぬかも」と妄想したりしなければいいけど。

ワタシが特に咳き込みが長く続いて、精密検査を受けていた頃、レントゲン撮影で肺に影があると主張したやぶ医者がいた。(呼吸器の専門医なのにタバコをもくもくと吸って、ガラガラにしわがれた声で「ほら、影が見えるだろっ」。)どういうつもりだったのか、何が何でもワタシを結核患者にしたかったらしいけど、そのときのワタシの専門主治医が「そりゃあ先入観を持って見れば、ないものも見えて来るよ」と一蹴してくれたおかげで事なきを得た。あのときは、かかりつけのドクターも「偏見に基づくハラスメント」と言って、いじめだと判断していた。このトピックの主は新型インフルエンザが騒がれたときも、咳をしている人やマスクをしていない人を見るたびに「危険な病原菌」として敵視しただろうと思うな。大人だから口には出さなくても、子供だったら「バイキン、来るな。しね」と言い立てたかもしれない。まさにいじめだと思うけど、もしもパラノイアなんだったら、あんがい休めという上司のアドバイスが一番的確なような・・・。


2012年10月~その1

2012年10月11日 | 昔語り(2006~2013)
婚活にも市場原理?

10月1日。月曜日。今日から10月だ、もう。ちょっと寒い。正午の気温は15度。でも、涼しさが増して来て、トマトもインゲンも熟すペースが落ちたからあまり文句も言えないかな。

カレシがガレージのドアの修理屋に電話。言われるままにいろいろテストしてみて、「では、1時半に行きます」ということに。そういうときになると落ち着かなくてうろうろするカレシは家とガレージの間を行ったり来たり。「壁のスイッチだとちゃんと動くようになった」。でも、リモートは?しばらくして「スイッチもリモートも、上がるけど、下がらない」。センサーの近くに何かゴミでも置いてない?しばらくして「材木がセンサーをブロックしていた」。やっぱり。ドアの内側の両側床上10センチくらいのところに障害物を感知してドアが下りないようにするセンサーがある。子供やペットがドアに挟まれる事故を防止する安全装置なんだけど、ガレージには古い材木がごちゃごちゃあって、それでトレリスなんかを作っていたカレシが動かしているうちにセンサーをブロックしてしまったんだろうな。さっそく電話してアポをキャンセル。カレシの「しつこくいじる」癖もこういうときには役に立つから捨てたもんじゃないな。

次の仕事にかかる前にと新聞サイトめぐりをしていたら、あるサイトで必ず出て来る(大手らしい)結婚相談所の男性向けの広告がちょっと変わっていて、まずベッドで何かを読んでいる男性(なぜか若いモデルだ)が「今日もひとりで寝るか・・・」とつぶやき、キャッチが「そろそろ再婚相手、探さない?」(2分間で「理想の相手」をチェックしてくれるとか)。ニュース記事をクリックしたら、男性が「あの子と結婚してたら独りメシなんて・・・」とわびしそうに手酌で一杯。何だか敗者復活戦みたいなイメージ。一方の女性向け広告は相変わらずきらきら目のお嬢さんたちがモデルで(キャリアウーマン風だったり、カワイイ奥サン風だったり)、しきりに「結婚力診断」とやらへのお誘い。何だかイメージがすごいミスマッチという感じで、どうりで結婚したいのにできないと嘆く人が多いはずだと思ってしまう。

小町横町にも婚活トピックが多いけど、中に『婚活は男が売り手市場』というのがあって、えっ?結婚て、売り買いの話だったの?男が売り手で女が買い手ということは、結婚は女が男を買う取引だってこと?で、それが今は売り手市場で、買い手の女には厳しい時代ってこと?で、読んでみると、若い盛りだったバブル時代は「三高」とかいって学歴、年収、容姿に厳しい条件を付けられて婚活に苦労したおじさんが、売れ残っていた同世代が今頃になってひと回り若いきれいな女性と結婚しているのがうらやましくて、焦らずに待てば良かったと悔やんでいる話。安定した年収が700万円くらいあれば容姿、外見に関係なく「好条件」で結婚できるらしい、と。若い嫁が来てくれるのが好条件?へえ・・・。

世界の国や地域によっては、「娘+ヤギ3頭ではどうだ?」とか、「ヤギ3頭で娘をくれないか?」とか、バザールの「売買交渉」みたいな結婚風習があったりするそうだけど、日本の結婚市場では、男性が「年収700万円だよ。ちょっととうが立っているけど、お買い得でっせ~」と呼び売りをして、女性が「少しとうが立っているけど、年収700万なら買ってもいいかなあ」と手を上げるのかな。だとしたら「買い手市場」のように見えるけど、まあどっちにしてもこの「700万円」とか「600万円」という年収が売り買いのいわば「損益分岐点」ということか。(ワタシもそれくらい稼ぐけど、男じゃないし、婚活してないからお呼びじゃないか。倍くらい稼いた頃は家事の時間がなくて「嫁サン欲しい~」と言ってたけど、男じゃないから見向きもされなかった。)でも、その年収レベルの独身男性はほんの数パーセント(たぶん大半が40代以上?)なのに対して、独身女性の3割以上が相手にその収入ラインを希望しているらしいから、すごいミスマッチ。どうりで結婚したいのにできないと嘆く女性が多いはずだ。タイヘンだなあ、ほんとに・・・。

ワタシなんか団塊の世代のど真ん中で、結婚対象年齢の男の絶対数が少ないのに、25歳で売れ残りのクリスマスケーキと言われた時代にいわゆる適齢期になったんだけど、女の子は結婚するものだと言われるとその逆の方向に行ってしまうのが天邪鬼なワタシ。結婚なんてたまたま出会って互いに好きになった人と一緒になろうということになったときにすればいいやと考えていたもので、出会いゼロの無菌環境なのにお見合いなどまっぴらゴメンとそっぽを向いていたら(というか父が縁談をことごとく阻止したと言う話だけど)、ほんとうに25歳を過ぎてしまったんだけど、宇宙の壮大なドラマに夢中で危機感も何もなかったな。かえって「賞味期限」という枷が取れてやっと自由になれたという気持だったように思う。

結果としてワタシは「たまたま出会って好きになってずっと一緒にいたいと思った」人と結婚できたわけだけど、今でもその結婚観は変わっていない。収入(将来の収益性)も容姿も性向も義家族もみんな結婚と共に双方に付いて来るもんだし、しかも5年、10年先のいろんな環境が「今」のままで変わらないと言う保証はゼロだし、究極的には結婚は「今」を基準にしてするもので、後は2人して学習と努力を重ねて行くしかないと思う。それでどうしてもやって行けないと判断したときに自分の「将来」を考えればいいんじゃないのかな。それにしても、ほんとに日本で今どきアラサーとかアラフォーとか言っている世代に生まれなくてラッキーだった。何たって市場原理主義的過ぎて、生きるのがすごくタイヘンそうだもの・・・。

仕事に邁進した後はひだの深い芝居でリセット

10月3日。水曜日。起床午前11時40分。今日も明るいけど、内陸部や北部からは雪の便り。まあ、BC州は広い(94万平方キロ以上)から、北の方はとっくに冬に入って不思議はないけど、ニュースで雪の便りを聞くと、ああ、もうそんな季節になったのかという気持になるな。最低気温が10度以下に下がるようになったので、トマトもサヤインゲンもペースが落ちて、キッチンの窓から見ると、サヤインゲンがまだかなりぶら下がっているけど、食べる方が追いついて来た感じで、やれやれ。でも、軽く5、6分蒸したのを口に入れるとキュッキュッと鳴るサヤインゲンもあともう束の間の楽しみだと思うと、ちょっとさびしいかも。

目が覚める直前まで何だかヘンな夢を見ていた。どこかのレストランのようなところで、でっかい楕円形のお皿にどんどん食べ物を盛り上げてくれる。フライドチキンみたいな塊もソースもいっしょくたで、それを見ながら、「あっちのレストランに持って行って食べてもいいかな」と聞いているワタシ。「聞いてみたら」というウェートレスさん。道路のようなところへ出て、そのレストランの方を見たら、カレシが外に立っていて、「早く、早く」と腕を振り回している。差し渡しが1メートルくらいありそうなず~っしり重いお皿を持って、運ぶのを手伝いに来てくれても良さそうなものを、とむくれるワタシ。ははあ、この週末はご馳走を食べる感謝祭の三連休。個々のところ、頭の中で何を作ろうか思案投げ首。だけど、あの大皿に山盛りの食べものはきっと週末に入って来る特大サイズの仕事の象徴だろうな。期限までの10日間、ぶっ通しでやってもきちきちだから気にかかっているんだと思う。仕事、ちょっと食傷気味だもん・・・。

仕事、きのうは気合を入れてがんばった。何しろ奇想天外の表作りに出くわしたおかげで作業量が倍になって、ちょっとばかり遅れ気味だけど、期限は変わらないから、結局3日分の仕事を1日半でやるはめになる。ま、社内文書だから楽と言えば楽で、きのう1日で2日分をやっつけて、今日は期限までの半日で残りを仕上げ。夜に芝居を見に行く予定だから、期限通りに送らないとね。とにかくがむしゃらに進んだけど、このへったくそなフォーマット、なんとかならないのかなあ。いつも思うんだけど、日本の人は神経質なくらいに見てくれの「良さ」を要求するのに、作る文書は書式設定がぐしゃぐしゃ。まあ、「書式設定」という観念からして理解していないのかもしれないけど、タブを使わずにいちいちスペースを入れるし、自動改行するのに、いちいち先回りしてを越して行末で強制改行するし、Wordに任せないで自分の手でやりたがる。この文書も原稿用紙な人が作ったのかな。あの「四百字詰め原稿用紙」はとっくに日本人の美感DNAに組み込まれていたりして・・・。

ぎりぎりに仕上げて、ささっと納品して、シャワーに飛び込んで、洗髪して濡れたままで食事のしたく。こういうときはパスタが早い。フリーザーにあった去年のカレシ製トマトソース。これをペースにして、ひき肉もどきで「ミートソース」を作る。コーヒーを飲み終わらないうちに、ささっと簡単にメークをして、ドレスパンツとおしゃれなTシャツに着替えて、ハイヒールを引っ張り出して、午後7時ちょっと前に出発。週中の水曜日だから劇場近くの駐車も楽々。今週末で打ち上げになるブルース・ノリス作の『Clybourne Park』。絶対に見たかった作品。風刺劇だから笑いどころがいっぱいだけど、舞台はシカゴの郊外の家の居間で、第1幕は1959年、第2幕は50年後の2009年。引越し準備をしている白人夫婦の家の買主はアフリカ系の家族ということで日本で言うなら「町内会」が大騒ぎ。やがて白人が次々と出て行ってアフリカ系のコミュニティになっていたのが、50年経ってその家を買った若い白人夫婦が大きな家に建て替えようとしてコミュニティとひと悶着。

昔はどうだった、ああだったと、現代アメリカの心の複雑なひだの中に滓のように溜まっていた歴史上の恨みつらみが一気に表面に噴き出して、何となく尖閣諸島を巡る中国と日本のやりとりにも通じるところがないでもない。第1幕では夫婦の息子が戦争で民間人に残虐行為を働いて訴追され、コミュニティに背を向けられて自殺した話が語られる。父親が穴を掘るといってシャベルを持っていたのは、その息子の遺書が入っている従軍トランクを庭に埋めるためだったことが第2幕になってわかる。1950年代だから朝鮮戦争。夫婦の息子が殺戮したとされる人たちは当然アジア人。ここに人種問題のもう1本の伏線がある。最後はフラッシュバックの場面になって、軍服姿の息子が現れて両親に宛てた遺書を書き始め、そこへ現れた母親が「これから良い方へ変わろうとしてると信じているの」と言う。アメリカでは大統領候補者の討論会。アフリカ系のオバマ大統領は「Change(変化)」を掲げて当選したけど、いったい何が変わったのか、あるいは変わらなかったのか。人種とは何か。コミュニティとは何か。偏見とは何か。表現や思想の自由とは何か。笑いが満載ながらも、胸にずしんと来て、すごく奥の深いドラマだった。

島国でなくても島国根性はある

10月4日。木曜日。午前11時30分に目覚ましが鳴って、反射的に時計の頭をポン。でも、カレシは今日から午後と夜の英語教室のダブルシフトだし、ワタシもきのうの今日でまた夕方が期限の仕事があるから、ちょっと眠いけど、また鳴り出す前に起きた。

朝食を食べながら、きのうの芝居の話。第2幕で「町内会」を代表するアフリカ系のカップルがコミュニティの変遷に触れて、「ほら、今はWhole Foodsがあるところ」というくだりがあった。そのひと言だけで、アフリカ系の流入で不動産が値下がりし、貧困や犯罪が横行した時期もあっただろうけど、都心への近さ故に地価が上昇して所得が比較的高い層に入れ替わり、さらに偏見を持たないと自負する「politically correct(政治的に正しい)」白人たちがファッショナブルな地域として注目し始めていることを描いているから、すごい。もっとも、スーパーストアやWhole Foodsが何であるかを知らなければ、ただのせりふでしかないけど、かなりの笑いが起こったのはピンと来た人たちがたくさんいたということだろうな。(ちなみに、スーパーストアはウォルマートのような安売り量販店、Whole Foodsはちょっとお高く止まった自然食品が主力の高級スーパー。)

昼のニュースはアメリカ大統領選のオバマ対ロムニーの討論でどっちが「勝った」かという話で持ちきり。どうやら第1回戦はロムニーに軍配が上がったらしい。オバマ大統領は大群衆に向かって演説するときは確かに格調が高いんだけど、カメラ(視聴者)に向かって語りかけるようなスピーチはあまり上手な方だとは言えないと思う。ワタシなんか聞いていてイライラしてしまうことがあるくらい。まあ、ワタシはいわゆる「活動家」タイプの人たちにありがちな上から目線的(英語的には「holier than thou」というのかな)な物言いが嫌いだから、偏見が入っているんだろうと思うけど。それにしても、アメリカの社会とそれを反映する政治って何だってこんなにも「島国」的なんだろうと思うことが多いな。

たしかにアメリカは広い国だし、経済力も軍事力もダントツなんだけど、何かと視野が狭いという点では日本や中国とどっこいどっこいじゃないかなと思う。日本は地理的に元から島国だから、それが一番落ち着くのかもしれない。一方の中国はアジア大陸に広がっていて、何千年もの昔から地続きの中東やヨーロッパと接触して来た国なんだけど、現代中国の指導者は共産党内部の熾烈な権力争いにあらゆる手段を尽くして勝ち抜いてきた人たちだと思うから、いつも内なる敵に視線が向いていておかしくはない。そのせいか、上にたったと思うとつけ上がって高飛車になるところがある。(まあ、バブル景気だった頃の日本もけっこうつけ上がっていたけど、日本の場合はたぶん周囲に「21世紀はキミたちの時代だよ~」と煽てられて舞い上がったんじゃないかと思うな。)

アメリカは、元々宗教的迫害を逃れて来た人たちが礎を築いた国だから、未だにどこか被害妄想的なところがある。つまり、アメリカにも中国や日本と同様の政治的、社会的「島国根性」があるということだけど、同時にそういう経緯があるからこそ世界の「虐げられた大衆」を受け入れる懐も持っている。かといって何でもOKというわけではなくて、どこかで同化しようとしない「異なるもの」を警戒し、あるいは嫌悪する人たちは多い。それでも、移民が持ち込んで来るさまざまな「異なるもの」と格闘し、ときには偽善を働き、ときには違いを超えて結束しすることで何とか「民主主義」を機能させて来ているのは、アメリカ人が建国以来培ってきた試行錯誤と失敗と嫌われることを恐れない精神的な強さだと思う。逆にそこがよけいに嫌われるところでもあるけど、嫉妬の要素があることをアメリカ人は百も承知なんじゃないかな。

まあ、今日はカレシを送り出して、仕事。午後の教室を終えて帰ってきたところで、急いで食事のしたく。夕食を食べさせて、飲む暇のないコーヒーを魔法瓶に入れて持たせて、夜の教室に送り出して、ひと息。カレシには、いろんな国から来た人たちに接して「目からうろこ」の経験ができ、その人たちがカナダに同化する自信をつけることがボランティア英語先生としての何にも代え難い報酬なんだそうな。今回はアジア系だけでなくて、南米や東欧出身の生徒もいる、ちょっとしたミニ国連らしい。あんがい、新聞の風刺漫画のように、世界の各国を擬人化して円卓会議を開いてみたら、とうに賞味期限の過ぎた国連総会なんかよりもよおもしろいかもしれないな。

子供の名づけは大変だ

10月5日。金曜日。またヘンな夢を見ていたけど、今日は覚えていない。まぶしいくらいのいい天気。晩夏というやつかな。予報では、この感謝祭の三連休の間ずっとこの好天が続いて、気温もあす、あさっては20度を超えるらしい。

朝食が終わるか終わらないかの時間にデイヴィッドから電話。(トロントは3時間先だから、もう夕方に近い時間だけど。)モントリオールから帰って来たばかりだそうで、新米おじいちゃんは孫息子のことを「she(彼女)」と言っては、ずっと娘2人の家族だったもんでまだ慣れてないんだよと困惑気味。フェイスブックの赤ちゃんの写真(ママのスーザンが生まれたときの顔にそっくり!)は名前が「エヴァン」になっているのはどうしてか聞いたら、出生届を出す間際に変えたという話。パパのモンティの希望で綴りにXの入った「ジャクソン」と決めていたのが、「やっぱり流行りの名前では将来・・・」とジジババたちが難色を示し、モンティが折れて、ミドルネームの「エヴァン」に変えることで決着したんだそうな。で、空欄?になったミドルネームは「ジャクソン」ではなくて「スペンサー」。「エヴァン」は「ジョン」に相当するウェールズの名前で、ジョンの愛称「ジャック」の息子を意味する「ジャクソン」をミドルネームにしたらちょっと格好がつかないし、苗字は母親の姓なので、「エヴァン・スペンサー・○○」は全体的に何となく格調のある響きになっていい。それにしても、スピード改名はギネス級じゃないのかなあ。

考えたら、ワタシも出生届の段階で「千尋」は人名漢字にないからダメと拒否されて、元の名前になった経緯がある。あのときにお役所が「千尋」を受け付けてくれていたら、カレシが熱を上げた「夜のお仕事」のオンナの名前が似すぎていたために、改名しなければ立ち直れないと思いつめるところまで落ち込むようなことはなかっただろうな。ま、ジョギングの最中にふと見上げた梢から舞い下りて来たような感じで思いついた今の名前に変えて、でも父が仮死状態で生まれて来て生き延びたワタシを表す意味で改めてつけてくれた名前はミドルネームとして残して、起死回生の心機一転。生まれ変わった自分の名付け親になるなんてめったにあることじゃないと思うけど、自分という人間に対して「親の責任」みたいなものを感じることがあるから不思議。What’s in a name? 名前が何だというのか。でも、子供の名づけはその一生を左右しかねないから、世界のどこでも、親たるものは責任重大でタイヘンだなあ。

さて、コーヒーを飲み終わって、今日はまず買い出し。ジュースもミルクも卵もないし、パンを焼こうにも必要な脱脂粉乳もないし、サラダ油もないし、野菜も(トマトとサヤインゲン以外)ないし、魚も少なくなって来た。そこへもってしてこの週末は感謝祭の三連休と来ているから、今日の午後のうちに行っておかないと混雑することは必至。今日はカートに山盛りの気配だから、一番大きなトートバッグを2つ持って行く。フリーザーの中は図体の大きな七面鳥がごろごろ。中に混じっている鴨もひと頃に比べたらずいぶん大きくなった。コーニッシュヘンも昔は1人で1羽の大きさだったのが、今では丸々とした1羽を2人で食べる。ニジマスも同じ。エビもホタテも「ジャンボ」という冠が付いている。はて「大きいことはいいこと」なのかどうなのかと考えつつも、カウンターで「ジャンボ」ホタテを包んでもらい、後はロックフィッシュ、ティラピア、マヒマヒ、ヒラメ(これがまた大きい)、ぶ厚いアヒまぐろ、ギンザケ半身、ケフィアに特大容器のヨーグルト。カレシは野菜と果物をど~っさり。在庫切れの必需品も調達して、金曜午後のラッシュが始まる前に帰って来た。

冷蔵庫もフリーザーもいっぱいになって、これでしばらくは食いっぱぐれがないと安心したところで、考えただけで目が回りそうな大仕事の山の算段にかかる。これからほぼ2週間ぎっしり。まあ、豊穣と飢饉が背中合わせなのがフリーランス稼業で、仕事があるときは過労死しそうなくらい入って来るし、ないときは心配で青くなるほどない。経験則的には、10月はだいたいいつも仕事ラッシュの月のような気がするけどな。Work by any other name・・・仕事はどんな名前で呼んでも楽ちんにはならない。まっ、これがワタシの生業なんだから、腕をまくってやるっきゃないな。

大人でも寝冷えするとは知らなかった

10月6日。土曜日。夕べはやっとよく眠れた気がする。どうも寝付けなくて悶々としているうちに、ん、何だか寒い。おなかの調子もおかしい。寝ているのに何となく腰が痛い。シーツやブランケットを肩まで引っ張り上げてもまだ寒い。寒い。すっごく寒い。とうとう起き出して、夏中ベッドの近くに置いてあるひざ掛けサイズの毛布を引っ張り出して、ベッドの上にふわ~っとかけて寝たら、これが温かくて何ともいい気持ち。夏っぽさを感じさせるいい天気なんだけど、やっぱり10月は10月・・・。

ここしばらく朝起きるといつも何となく腰が痛いような感じで、仕事でオフィス用の椅子に座っていても、いつの間にか背中をそらせ気味にして腰を前に突き出しがちにしていることが多かった。運動をさぼっているうちに背筋が弱ってきたのかと思っていたけど、キッチンなどで立っているときはできるだけ背筋を伸ばして、おなかを引っ込めていたから、そこまで弱っているとは思えない。だけど、腰が痛いとドクターに言ったら内科の病気もあり得ると言われ、やがて卵巣嚢腫が神経を圧迫していたことがわかり、それが(ちょうど今のようなしっちゃめっちゃか仕事が忙しいときに)破れて、3ヵ月後の内視鏡手術で手の付けられない子宮内膜症が発覚してダブルヘッダーの手術になった苦い経験があるから、痛いのは腰だけど、ひょっとしてまた何か?そこへして、きのうは買出しの最中におなかが痛くなり、がまんにがまんして家に帰り着くなりトイレに飛び込んだもので、よけいに「ひょっとしたら?」

後でちょこっと調べてみたら、腰痛と腹痛はつながっていることが多いらしいとわかった。どっちが問題なのかということになると、「ニワトリと卵」の話になるらしいけど、人間を取り巻く世界と同じで、人間の体内の世界もいろんなものがけっこう複雑に絡み合っているんだと納得。でも、実際のところ、どっちが先なんだろうな。野菜だの何だのと、あんがい食物繊維の摂り過ぎになっているのかな。でも、ベジタリアンを称する人たちの食事はもろに野菜と穀類の食事だよなあ。食物繊維の摂取量なんかすごいと思うけど、それで問題ないのかなあ。もしかしたら誰にも言わないだけで、ほんとはおなかの調子を整えるのに困っているんじゃないのかなあ。ベジタリアンと暮らしたことがないからわからない。そんなことよりも、いったい何なんだ、この不調は?

毛布をかけてしばらくしたら、おなかのあたりがほかほかして来て、そのうちに腰のだるい痛みまで和らいで来た。そして、気持ち良くなっているうちに眠りに落ちて、かなりぐっすり眠ったらしい。ここんところ、日中はけっこう気温が上がるけど、夜は急激に冷えて、最低気温はひと桁まで下がる。その気温が一番低くなる明け方に近い時間がワタシたちが深い眠りに落ちる頃ということで、寝室のサーモスタットの設定温度は20度くらい。我が家は冬は保温性の高い純毛の毛布に替えるだけで、日本のような掛け布団は使っていないし、今はまだ夏物のシーツと秋用の毛布1枚。何のことはない、おなかのあたりが冷えて眠れなかったんだろうな。腰が痛いのと、おなかを壊した原因はたぶん「寝冷え」。寝冷えと言うのは寝相の悪い子供の問題だと思っていたんだけどなあ。なるほど、寝相が悪くなくても、いい年の大人でもおなかが冷えれば「寝冷え」をするということか。

おかげで今日は何となく眠いけど元気はいい。腰も痛くないし、おなかの調子も普通。でも、しばらく仕事漬け状態だから、「急病でダウン」なんてことになったら困る。卵巣嚢腫が漏れ出したときはまさに青天の霹靂で、そのまま緊急入院になってカレシに仕事キャンセルの電話を入れてもらわなければならなかった。(おひとり様だったらどうすればいいんだろうな。)うん、今夜は初めからおなかのところにしっかりと半毛布をかけて寝ることにしようっと。

感謝祭の前夜祭ということで

10月7日。日曜日。今日もいい天気で、目が覚めた頃にはちょっと汗をかいていたけど、腰は痛くないし、おなかの調子も正常だし、暖かく、ぐっすりと眠れるのはいいもんだ。

三連休だけど、今日も仕事、しごと、シゴト、お仕事。日本でも三連休ということで、同業仲間のメーリングリストでまたぞろ議論が沸騰するかと言うときに誰かが「みんな、ウィークエンドじゃないの」と茶々を入れ、別の誰かが「ウィークエンドって、ティーンの頃には知っていたけど、もう何のことか忘れたな」と言えば、最年長の大先輩が「忘れたなんてことはないだろ。クライアントが月曜日朝一でっていうやつをやっつける時のことじゃないか」と解説。そうそう、フリーランス稼業の週末なんて、いつも「月曜日午前9時」を目指しての突貫作業みたいなもの。最近「1年前のあなたのブログ」なんてメールが毎日gooから届くようになって煩いんだけど、1年前の今頃も仕事、仕事と騒いでいたらしい。うん、魔の10月・・・。

今日はまた1件片付けたところで、思いついて感謝祭の前夜祭。久しぶりにコース料理でもと思っていたけど、残念ながら明日も仕事、仕事、仕事。まあ、ちょっとしたご馳走を作るつもりではいるけど、「晩餐」にならない分、手っ取り早く刺身で「前夜祭」としゃれ込むことにした。

今日のメニュー:
 刺身盛り合わせ(びんなが、サケ、タコ、きはだ)
 サヤインゲンと松茸のあんかけ風
 あさりとねぎの吸い物
 松茸入り麦ご飯
 (サラダ)

[写真] 食前酒はいつものマティニに代えて特製のミントジュレップ。カレシが砂糖のシロップを作り、冷めるのを待っている間に庭からミントを採ってきて、カクテルのレシピを見ながらマドラーでごりごり。ケンタッキーダービーなどのときに金属のカップで飲むのが正統らしい。ちょっと甘かったけど、何杯でも飲めてしまいそうなくらいおいしい(カレシ曰く、「3杯も飲んだらひっくり返るぞ」)。

[写真] 刺身で食べられる魚の種類が限られているもので、いつも変わり映えがしない取り合わせだけど、少し残っていたキハダを小さく切って、ゆず胡椒ペーストをもみ込んで、かつら剝き大根の巣の中に盛って、白ごまをぱらぱら。大根おろしは刺身用。ご飯はまだ残っていた松茸の小さい方の2本をスライスして、濃縮めんつゆにつけておいたのを炊き上がり近くに混ぜ込んでみた。吸い物はカレシご所望のあさりの出汁だけで作ったもの。冷凍の殻付きあさりをさらに足して、ねぎを入れるだけで実に適当なもの。

[写真] ちょっと庭に出て行っただけですぐにこれだけ採れてしまうサヤインゲン。でも、蒸しただけで食べるには少々固くなって来たから、特に太いのを選んで、残りの大きな松茸をスライスして、一緒に出汁と醤油で煮て、スターチ少々であんかけ風。まあ、悪くなかったな。松茸は香りがだいぶ抜けて、いわゆる「賞味」期限は過ぎていたけど、パックに入っていたコケと一緒にビニール袋に入れて冷蔵庫に置いておいたらずいぶん長持ちしたから感心。ま、「消費」期限ぎりぎりで間に合ったというところ。

明日の感謝祭はこれもカレシご所望で鴨。電源を落としたままのオーブンが壊れていないといいけど。

思いがけない豊作を感謝するディナー

10月8日。月曜日。取りとめのない不思議な夢を見ながら、よ~く眠った。今日は感謝祭。もちろん、その年の収穫に感謝しておなかいっぱいご馳走を食べる日。我が家も思いがけない豊作に感謝しつつ、元気でご馳走を食べられることにも感謝。人間、人生の大波、小波を乗り越えるには、とにかく心身共に健康でなければ先へ進むのがタイヘン。ま、心身の健康はどっちが先かということになるけど、「身」の健康を支えて行くには「心」の健康がやっぱり先立つものなんじゃないかと言う気がするけどな。

さて、仕事まみれの感謝祭。朝起きて、配電盤のオーブンのスイッチを入れてみたら、あ、こりゃだめた。温度を設定すると温めようとするけど、すぐにピーコ、ピーコ。止めるにはキャンセルするしかない。ということは、オーブン以外の方法を考えなければならない。でも、ローストではなくて脂の中でゆっくりと調理するコンフィだから、ま、鍋でとろとろと煮込めばいいか。そこで、大きなスープ鍋を出して来て、夕べから解凍しておいたありったけの鴨の脂を入れて、メタボみたいな鴨の足を2本、ガーゼに包んだタイム、オレガノ、ベイリーフを加えて、まずは加熱。温度計を突っ込んで脂の温度を調べ、泡の立ち具合を調べ、何とかうまく行きそうな温度を突き止めて、後は「とろ火」に設定して、仕事場へ一目散・・・。

今日のメニュー:
 フォアグラのフライパン焼き、カルヴァドスリダクション、トマト
 鴨のコンフィ、ハーベストポテト、サヤインゲン
 (サラダ)

[写真] 前菜はまだ残っていたフォアグラ。早目にカルヴァドスを小鍋に入れて火にかけ、ゆっくり、ゆっくり煮詰めて、できたのはやっと小さじ半分の濃いリダクションソース。「スペシャルイベント」用にとっておきのお皿を出してきて、スライスしたカレシ菜園産の赤と緑のトマトを並べ、焼いたフォアグラをのせて、ソースをたらたら。緑色のトマトは「グリーンゼブラ」という種類だそうで、黄緑色に濃い目の緑の縞模様に熟して、赤くはならない。何か未熟そうだけど、食べてみると酸味が少なくてすっごく甘い。数個しか実ならなかったけど、カレシ菜園の思いがけないヒットになった。

[写真] メインは午後いっぱいかけて大なべでことことと煮た鴨の足。去年だったか1羽の鴨を解体したときに、胸肉だけを料理して、ぽっちゃりした足はフリーザーに保存してあった。出来上がったら、オーブンで調理したのと同じように、身が柔らかくて、ぽろぽろと骨から離れて来る。(大成功だな・・・。)コンフィに使う鴨の脂は、肉が完全に埋没しなければならないので、かなりの量が必要になるけど、市販の瓶詰めの脂は(フランス直輸入だからか)すっごく高い。そこで、ぶ厚い脂肪がついている皮などをまとめておいて、自分で煮出して、精製する。これもちょっと試行錯誤してコツを覚えるとけっこう簡単で、ビニール袋に入れてフリーザーに貯蔵。凍って固まった脂はほぼまっ白。スパイスや肉のかけらなどを漉し取りながら、何回か使えて便利。必要は発明の母と言うけど、人間、はたと困って「はて、どうしたものか?」と考えると、けっこういろんなアイデアが浮かぶものらしい。

マッシュポテトにするつもりで冷蔵庫の野菜入れをかき回していて見つけたのが近郊チリワックのトウモロコシ。カレシが普通のマッシュポテトを「まずい」と言うので、ここはトウモロコシの実を削り取って、ズッキーニとにんじんと一緒に炒めて、粗く潰したじゃがいもと混ぜ合わせてみた。適当に「ハーベストポテト」と命名したけど、意外とカレシに大好評だった。

ああ、これでもうおなかいっぱい。ブリューゲルの絵のイメージがわいて来るけど、夏の間のきつい農作業を終えた開拓者たちは、収穫を祝い、神の恵みに感謝しつつ、冬眠を控えたクマのごとく、おなかがいっぱいになるまで「がっつり」とご馳走を食べたんだろうな。それは冬を越えて命をつないで行けることへの感謝でもあっただろうと思う。凶作の後には飢餓の冬が待っていた。新大陸の感謝祭は豊穣だけでなくて、生きていることにも感謝する日なんだと思う。そこで我が家も今年の晩餐はカレシ菜園の収穫に感謝する気持ちを込めて、トマトとサヤインゲンをさりげなくあしらってみた。来年も作物の種類を増やして、また食べきれないくらいの大豊作になるといいね!

今頃あわてて年金の申請

10月9日。火曜日。急に秋が深まった感じ。そのせいかな、何だか疲れた気分なのは。きのうは仕事と感謝祭のご馳走作りとその他大勢のあれやこれやで、ちょっときりきり舞い。おまけに次の仕事の算段と、しばらくご無沙汰の別のところからの引き合いと、とにかくやたらとメールが飛び交って、返事を書くのに大わらわ。まあ、魔の10月だもんなあ・・・。

まあ、鴨に満腹でランチをスキップした分、仕事が進んで期限に間に合う目処が付いたので、ゆうべは早めに切り上げて、カレシとゆっくり寝酒。新発見のタイの米クラッカーとなぜかはまってしまった塩ヨーグルトとイクラ。フェイスブックでリンクを見つけて、さっそく試してみた塩ヨーグルトがめちゃくちゃおいしい。ちょこっとイクラを乗せるともっとおいしい。しっかり水を切ると量が減ってしまうので、前回の買出しでは750グラムのサイズを買って来たけど、カレシまでがはまってしまったもので、2回に分けて作ってもあっという間になくなってしまう。誰が考案したのか知らないけど、はめられちゃったなあ。

今日はまずゆうべ少しだけ残した仕事をやっつけて、期限ぎりぎりで滑り込みセーフ。うんざりするほど邁進、邁進、また邁進。やる気満々だということを伝えたいんだろうけど、美辞麗句が並びすぎて、何か今ひとつだな。どこぞの大臣の国会答弁みたいな感じ。まあ、この手の文書はどこの誰が書いても「きらきらネーム」ならぬ「きらきらレポート」。たくさんの人が目を通すような性質のものではないから害はないけど、訳す方はどこまできらめかせたらいいのかと悶々とする、一番やりにくいタイプ。同じ「きらきら文」なら宣伝広告の方があっけらかんときらめいてよぽど楽でいいな。結局、英語人が読むんだからと思って、かなり英語人的なトーンにしたけど、何か日本語を英語で書いたような感じがしないでもないな。元原稿がとにかくふわふわした文書だからなんだけど、翻訳にもGIGOの法則があてはまるのかな。つまり、「Garbage in, garbage out(ゴミを入れればゴミが出て来る)」。ま、割ときれいなゴミだと思うけど。

次の仕事の量と期限を秤にかけて、納品した後は「タイムオフ」。夕食後に(日本の厚生年金に当たる)カナダ年金CPPの受給申請書を書き始めた。説明書には受給開始の6ヵ月前に申請しなさいと書いてあって、「6ヵ月前までに」とは言っていないんだけど、誕生日が基準なら後2週間ほどしかないから、とりあえず、証明書の類の不要な厚生年金の申請書を先に送ることにした。まず、社会保険番号。ワタシの番号は7と8がずらっとあって、何となく幸運を呼びそうな番号だな。氏名を書き、出生時の氏名を書き、住所を書き・・・手書きなんて最近はあまりやらなくなったなあ。おしまいの方に「外国からの給付」という項目があって、カナダ国外に住んで働いたことがあると、その国から給付を受けることができるかもしれない、と。ワタシは日本で5年勤めたし、カナダは日本と相互年金制度の協定を結んでいるけど、年金番号なんて聞いたことがないし、記録がめちゃくちゃな日本で今さらわかるはずもない。ま、ダメもとで日本での就労期間を記入して、年金番号は「不明」と書いておいたけど、99.999%「該当せず」だな。

老齢年金の申請の方は1977年の制度改正の経過措置の適用を受ける資格があることを証明するために、永住ビザのスタンプが押されている日本のパスポート(古い!)だ、市民権証明書だ、何だといろんな書類を添えなければならないんだけど、コピーを送るのに政府指定の適格者に「真正なコピー」であることを証明してもらわなければならない。会計士の資格を持っているカレシはその「適格者」なんだけど、赤の他人じゃないから残念ながらダメ。これは大仕事が終わったところで、ダウンタウンにあるService Canada(窓口省とでもいうのかな)へ思いつく限りの書類のコピーを持ち込んで、どれを添付するのか聞いて、ついでに証明をしてもらって来れば誕生日の6ヵ月前には間に合いそうだから、一番手っ取り早いかな。はて、「お年寄り」になるのって、ずいぶん手間がかかるもんだなあ・・・。

ポジティブ過ぎると言われても

10月10日。水曜日。寒いっ!ポーチの温度計は正午過ぎでやっと10度。感謝祭の連休の間、まるで夏の名残りみたいないい天気だったのに、何で急に平年並み以下になっちゃうの?今日はお掃除デーだから、正午前に起床。いつものように朝食の最中にシーラとヴァルが来て、二階とベースメントに分かれて掃除を始め、わんこのレクシーはキッチンの私たちの周りをうろうろ。

食事が終わったら、すぐに着替えてモールへ。ばたばたしているうちに銀行へ行って掃除代や当座の現金を下ろすのを忘れていた。いつも1ヵ月分をまとめて先払いしているけど、隔週の掃除は今月は2回。当座の現金は少額の買い物や電車代などを決済するためだけど、普通はまとめ買いしてクレジットカードで決済するので、月に100ドルもあれば間に合ってしまう。その代わり毎月のクレジットカードの請求はけっこう大きいけど、概ねカレシの年金の範囲内に納まっているから、どんぶり勘定としては上々の部類に入るかな。結婚したての頃は家計簿的なものをつけていたし、共働きになってからはカレシの給料が生活費の基本だったし、家を買ってからはローンの繰上げ返済を目指して5年間の長期予算を立てていたんだけど、ワタシがバカ稼ぎするようになってから「どんぶり勘定」になってしまった。でもまあ、40年近く家計を回していると互いの金銭感覚がわかって、収支の勘も培われるらしいから、どんぶり勘定でも今のところは問題はないけど・・・。

次の仕事にかかる前にちょっとぐうたらしていたら、gooのページに、題して『ポジティブ過ぎて面倒くさい人の特徴』ランキングというのがあって、おもしろそうなので覗いてみた。いきなり「ポジティブシンキング」は・・・はっ?Positive sinking?ポジティブ過ぎて沈没する?と、1拍おいてどうやら「positive thinking」のことだとわかったけど、沈没がポジティブなわけがないし、「ポジティブ思考」じゃダメなのかなあ。まあ、カタカナ語の方がカッコいいと思われるのかな。ランキングの第1位は「遠回しにダメ出ししても全く伝わらない」。う~ん。第2位は「自慢話が多い」。ふ~ん。第3位は「声が大きい」。へえ。第4位「嫌いは好きの裏返しだと思っている」。はあ第5位「直接的な言葉でダメ出ししても受け流される」。ふむ。第6位「仕切り魔」。あ、そう。第7位「人が話をしているのに、関係ない話題をかぶせてくる」。何、それ?第8位は「何にでもいちいちリアクションしてしまう」で、第9位「他人の感情の機微に疎い」、第10位「失敗を気にしないので、作業にミスが多い」と続く。

ポジティブシンキングが過ぎるとこういう「面倒くさい人」になるという指摘なんだろうけど、ワタシが想定する「ポジティブな人」とはずいぶん違うなあ。ちなみに、11位以下をざっと見渡してみると、「ダメな部分を指摘されると「嫉妬」と受け止める」、「「若く見えますね」などのお世辞をすぐ真に受ける」、「ウソをウソと見抜けない」、「本人は気づいていないが、相当なかまってちゃんである」、「苦手なことも長所のうちととらえている」、「早口すぎて何を言っているのかわからない」、「嫌なことをすぐ忘れられるから、忘れっぽいのは長所ととらえている」などなど、延々と30位まで続く。ふ~ん、よっぽどいわゆる「ポジティブな人」が気に触るんだなあ。でも、過ぎたるは及ばざるが如しとは言うけど、こういうのが「ポジティブ過ぎる」人の特徴だと言われてもねえ・・・。

アメリカのメイヨ・クリニックによると、「ポジティブ思考」になると、寿命が延び、鬱になりにくく、深く悩まず、風邪に対する抵抗力が付き、心身の健康度が高くなり、心血管系疾患で死ぬ危険が減り、困難に直面したり、ストレスになったときの対処能力が向上するそうで、いいことだらけだけど、これが過ぎると(おそらく「ネガティブシンキング」の人たちに)「めんどうくさい人」というラベルを貼られてしまうということなのか。よくわからないから、もう一度第1位から30位まで読み直してみると、人の話を聞いていない(聞かない)、自己中、鈍感、天然・・・。ふむ、ポジティブ思考の人と言うよりも、単に「ノンシンキングな人」という感じがするんだけどな。Non-thinkingなら「考えない人」、non-sinkingなら「沈まずにコルクのようにプカプカと浮いている人」かな。そういう人だったら、たしかに付き合うのがけっこうめんどうかもしれないとは思うけど、とどのつまりは、ネガティブな人にとっては「疲れるだけでめんどうくさいから付き合いたくない人」ってことじゃないのかな。

メイヨ・クリニックのポジティブ思考のご利益を裏返すと、「ネガティブ思考」は寿命を縮め、鬱になりやすく、悩みが大きくなり、風邪を引きやすく、心身ともに不健康がちで、心血管系疾患で死ぬ確率が高くなり、困難やストレスに対処する力が足りなくて、心(マスト)が折れて沈没する。何だか人生の見通しがあまり良くない感じだから、もう少しポジティブに・・・と言いたいところだけど、これも「ポジティブ過ぎて面倒くさい人の特徴」にランクされていたから、たぶん伝わらないだろうなあ。ポジティブ過ぎとネガティブ過ぎとで、まあ、両極端は相通ずというところかも・・・。