食い物の恨みは恐ろしい
7月21日。水曜日。起床は最近の「普通」の11時半。どうやら今日も夏日だなあ。ひょっとしたら「真夏日」になってしまうかも。大停電のすぐ後で電気料金の請求書もないだろうけど、隔月の請求書が届いた。5月半ばから7月半ばまでの1日平均の消費量は44キロワット時で、去年の同じ期間よりも5キロワット時少ない。たぶん5月と6月がやや低温でエアコンを使わなかったせいだろう。カレシの菜園の野菜類も去年に比べると少し生育が遅れ気味だったけど、この分ならどんどんピッチを上げて育ちそう。もっとも去年が記録的に暑い夏だったんだけど。
カレシはボランティアでやっている英語教室の再開を9月まで延期して、夏休みをとることにした。さっそくあれをしようよ、これをしようよと、取らぬ狸の皮算用。まあ、庭仕事でやらなければならないことがたくさんあるし、1ヶ月なんてあっというまに過ぎてしまうだろうけど。ワタシだってのんびりバカンスしたいなあ。8月に入ってお盆前のラッシュで忙しくならなければいいけど、稼げるときに稼いでおかないとならないのが自営業だからねえ。とか何とかぼやきつつ、掃除が済んだオフィスでまず1件納品。次の仕事はなんと子供が読むもの。う~ん、これは頭を使いそうだ。弁護士口調でやるわけには行かないもんね。ワタシは子育てしたことがないから、子供と話した経験も少ないし・・・ど~しよ。ま、そこが何でも屋の醍醐味でもあるんだけど。
おとといのボリュームたっぷりのランチできのうは2人とも体重がピ~ンと跳ね上がった(といっても1ポンド半だから、せいぜい700グラムぐらいなんだけど)けど、けさはそろって「普通」のレベルにすとんと戻った。やっぱり元凶はカロリーよりも塩分過剰だったのかな。まあ、夜中のランチだからと、前菜的な一番量が少なそうなものを選んだのにすごい量だったもので、我が家ではきちんとゴハンを食べていないのかと思ってしまった。ファストフード店や郊外に多いチェーンレストランはボリュームが目玉なんだろうけど、東京で2000カロリーのカレーを売り出したところがあったり、コンビニが700カロリーのデザートを売り出したと言うニュースがあったり、ニューヨークのファストフード店でもメニューにハンバーガーとフレンチフライ、飲み物のセットが1600カロリーと書いてあった・・・。
飽食の時代と言われて久しいのに、超特大の大盛がモテモテなのはどういうことなんだろうな。コマーシャル風に言えば「このお値段でこのボリューム!」みたいな、いわゆる「bang for the buck」式の考え方なのかな。「もっとたくさん」というのは「もっと安く」というのと同じにごく普通の消費者の「得したい」心理だと思うけど、それにしても、誰も飢えているわけではないのに「特大食」がもてはやされるのは、あんがい「食」とは違うところで飢餓感のようなものがはびこっているんだろうか。何か満たされない気持があって、おなかがはちきれるくらい食べることで満たそうとしているのかもしれないな。大食いすることで飢餓感が満たされるんだったらいいけど、満たされないままにメタボになって命を縮めては元も子もないような気がするけどなあ。食い物の恨みは恐ろしいと言うから・・・。
言葉は人間が作ったのに
7月22日。木曜日。ひと足先に起きていたカレシが朝っぱらからカリカリしている。何でも市役所がまた我が家の外に「臨時駐車禁止」の標識を立てていったんだそうな。歩道の角の修復がまだ残っているから、いよいよそれをやるということなんだけど、家の前と横に1本ずつ立ててあるのを見たら、「午前7時から午後5時」となっているけど、いつのことなのかわからない。明日かもしれないし、月曜日かもしれない。それよりも、駐車禁止の範囲がわからない。そりゃあちょっとムカッとくるよねえ。
だいたい駐停車のような交通規制の標識は「どこからどこまで」を示す矢印がついているのが普通で、ブロックの端に矢印のないのを1本だけ立てて行かれると、理論的にはそこから道路が続く限り延々と隣の市との境界までが駐車禁止になる。括弧を閉じていないようなものかな。もちろん常識で考えたら、交差点の歩道の角を1ヵ所だけ修理する工事にそれはありえないってことはわかるはずだけど、標識担当の部署は「立てろというところに立てただけ」と言うだろうし、工事担当の部署は作業に必要な範囲内に車が駐車していなければ後は「我関せず」だろうで、部署間のコミュニケーションがまったくできていないらしいから、カレシは「こんなバカ共にオレの税金で給料を払うとは!」とムカつくことになる。
だけど、お役所のおバカぶりを証明する決定的な証拠がひとつあるのだ。「駐車禁止」の標識を立てていったところには消火栓がある。条例によると消火栓の両側6メートル以内は何が何でも絶対的に「駐車禁止」。だから、我が家は買い物の荷物があってもゲートの真正面に車を止めることはできない。つまり、元々からして緊急車両以外は誰も駐車できないところに、わざわざ「駐車禁止」の標識を運んで来て、立てて行ったということになる。っとにもう、アホか。カレシはさっそく市役所に電話して苦情を言ったらしいけど、まあ、寝ている間に消火栓からかなり離れたところにあるトラックをよそに動かすかどうかはその日になってのお楽しみ・・・。
きのう手を付けた子供向けテキストの翻訳。年令レベルに合わせて言葉や表現を選ばなければならないから、法律文書をやる倍の時間がかかる。一応訳したところで、スペルと同時に文法チェックをやって、最後に表示されるFlesch-Kincaid Gradeのレベルを見る。これはアメリカの何年生なら読んで理解できる文書かということを示す難易度のものさしで、1センテンスの単語数と単語の音節数をベースにした公式で計算される。「できるだけ平易な英語にしてください」といった指示があったときにはすこぶる便利なツール。最初に出て来たスコアは対象読者より少し高いレベルなので、音節の多い単語を短い同義語に置き換えて再度チェック。スコアは0.2下がった。ちょっと長めのセンテンスを書き直して再度チェックしたら、さらに0.1下がった。と、スコアをチェックしながら要望のレベルになるまで手を入れるから、時間がかかって仕事としての時間単価は半減するけど、なかなかおもしろくて翻訳者冥利に尽きるようなところもあるな。
翻訳には原稿を読みこなして内容を理解する能力が要求されるのは言うまでもないことだけど、同時にコミュニケーションの媒介業務のようなものだから、訳文を書くときに「どんな人が読むのか」を考える必要がある。そのあたりがわかっていてもなかなか難しいところで、つい文章の解釈や正しい用語の選択や正確な訳文といった方面に気を取られて、読者のことまでは思慮が回らないことが多い。そこで気をつけないと、広告宣伝の文書なのにまるでお役人が書いたようなコチコチの文章になったり、法律関係の文書なのにやたらと軽い文章になったりする。元の文書が(たいていは)特定の読者を対象にして書かれているんだから、訳文もそれなりの文体であるべきだと、ワタシは思うんだけど。(ありゃ、お子様英語の次は法律英語か・・・。)あ~あ、同じ言語でも異言語でも、言葉は人間が発明したものなのに、なんで人間のコミュニケーションってこうも難しいのかなあ。
70万人の引きこもりたち
7月23日。金曜日。目が覚めたのは午前11時過ぎ。外で工事をしているらしい音がする。カレシは10時前にコンクリートカッターの音で目が覚めて、そのまま起きてしまったそうで、「よく寝てられるなあ」と感心?してくれた。漠然と騒音を聞いたような気もするけど、たぶん「あ、来たか」くらいに思ってまた眠ってしまったのかもしれないな。どうもこの数年は朝方になってから眠りが一番深くなるらしく、電話が鳴っていても目が覚めないことも多い。昔は寝入りばなが一番よく眠れたんだけど、年のせいなのか、生活のリズムが変わったからなのか、そこんところはどうなのかな。
外を見たらカレシのトラックは元のところにちゃんとあって、工事の人たちは「ちっとも邪魔じゃないよ」と言ったとか。正午ぴったり(!)に急に静かになったので外へ出てみたら、歩道の角は壊したコンクリートの山で、周りをオレンジ色のテープで囲ってある。そのために今度は「臨時停車禁止」の標識を6本くらいテープをくくる杭の代わりに立てて、消火栓まで使っているから、ああ、もう・・・。午後には別のトラックが来てコンクリートの破片を運んで行ったけど、そこで本日の工事は終了(花金だもんね)。ということは、少なくとも月曜日までは歩行者が角を曲がるのに車道を歩かなければならないってことか。ま、道路向かいに街灯があるし、満月が近づいて月明かりもたっぷりあるから夜も大丈夫だろうけど。
Google Newsを見ていたら、日本のニュースのセクションに「引きこもりが推定70万人」という見出しがあった。内閣府が15歳から39歳を対象に調査した結果を人口に当てはめてはじき出した数字だという。男性が66%で、30代後半、前半、20代の順に多かったとか。理由は「職場になじめなかった」が一番で、「家庭や学校でうまく関係を築けないまま成長し、社会でも溶け込めず不安を抱えてひきこもる人々」の姿が浮き彫りになったという。調査の座長という大学教授の話では、「今の社会は言語コミュニケーション能力の高さが重視されており、そこができない人は流れから外れ、ひきこもる傾向にある」そうだけど、今の日本で言語コミュニケーション能力が重視されているというのは初耳だなあ。考えや気持を言葉で伝えようとすれば「自己主張が強い」と批判されかねないし、小町横町でも言葉でのコミュニケーションを嫌がるような風潮が感じられるし、「空気を読め」というのはまさに非言語コミュニケーションを要求しているように聞こえるだけど。
「人の気持には言葉にできないものもある」というのは諸手を上げて同感だけど、それを言葉を使わずに伝え合う「非言語コミュニケーション」こそが日本社会の真髄だったんじゃないのかなあ。良く言えば「察し」の文化、悪く言えば「なあなあ」の文化。その能力がなぜか低下しつつあるところへ昔からの「出る杭は打たれる」式に言葉で自己を表現できる人を抑え込もうとする力が強くなって、気持を表現するどころか、口を開くことさえ大きなリスクが伴う世の中になっているように見える。他人とどうやって向き合えばいいかわからないままで大人になって、黙っていても察してもらえるものと思っていると「言わなければわからない!」と怒られ、言葉に出して言えば「うるさい。空気が読めんのか!」とやられる。そうやって「否定されること」の繰り返しで、やがて「もう、いいや」と人生を投げ出してしまうのかもしれない。家で自室に引きこもるところまでいったら、もはや生まれるのを拒否して母の胎内に帰ってしまったようなものかもしれない。
もちろん、心理的な問題による引きこもりは何も日本社会の専売特許じゃないんだけど、推定で70万人もいて、人生のピークであるはずの40代に近づいた人たちが多くて社会問題になっているとしたら、日本という国の将来にとっては看過できないことだろうと思う。引きこもりの多くが「他人がどう思っているかとても不安」と言っているところに、他律的で、ネガティブで、抑圧的な心理風土を感じるんだけど、かの座長先生は「子供たちへの教育も含め、気持ちをうまく表現できない人を受け入れる社会を作る必要があるのではないか」と言う。だけど、その必要性は昔からずっとあったものだと思うし、教育指導要領を変えて、標語ポスターさえ張り出せば簡単にそんな寛容な社会を作れるってわけじゃないだろうと思うけど。いくら政府が「人の痛みがわかる子」が育てるとぶち上げても、ひとりひとりが自律的なものさしを持って、他人を自分とは違う人格として認めることができなければ、人の痛みなどわかるはずがないだろうに。
超新星のように輝いたバブルが崩壊して、その後をどうしたらいいのか決めかねているような感じで10年が失われ、いつのまにか失われた20年になり、へたをすると失われた30年になりかねない。それくらい日本は変わりにくい国なんだろうと思うけど、変わらなければと思っても変われないのか、それとも変わりたくないのか。そのあたりは遠くから見ているワタシにはわからないし、日本国民じゃないから「日本よ変われ!」とは言えないし・・・。
湿度は同じなのにこの違い
7月24日。土曜日。今日は静かだけど、暑くなるという予報。ま、暑いといっても、酷暑(それとも猛暑の方が暑いのかな?)の日本やヨーロッパほどじゃないけど、ちょっと暑いことには変わりがないな。今日の午後の気温は玄関ポーチで摂氏25度。相対湿度が50%とちょっとだから、体感温度にすればだいたい28度でちょっと暑めだけど快適ということろ。
東京が4日連続で35度と聞いて、さぞかし蒸し暑いだろうと思ったら、相対湿度はバンクーバーとあまり変わらない。へえ、なのに東京ではすごく蒸し暑そうなのはどうしてだろうと、もうちょっと調べてみたら、まず「相対湿度」というのはある温度のときに大気中にどのくらい水分が含まれているかという数字で、相対湿度が同じでも気温が違うと体感温度も大きく違って来るんだそうな。つまり、相対湿度が50%のとき、大気1立方メートル中に含まれる水分は、気温25度のバンクーバーでは11.4グラムなのに対して35度の東京では19.5グラムになって、同じ湿度でも格段に蒸し暑く感じるということらしい。ふむ、なるほど。
カナダの天気予報では夏によく「Humidex(ヒュミデックス)」という指数が使わるけど、これはカナダの気象学者が考案したものだそうで、気温と相対湿度の関係から人間が感じる「温度」のことを言う。これがアメリカ系の天気予報だと「Feels like(~くらいに感じる)」という表現になるんだけど、数字は同じ。日本では昔(今でも?)「不快指数」というのを使っていたけど、あれはアメリカで考え出されたもので、計算の方法が違うから数字もヒュミデックスとはまったく違う。ヒュミデックスが29以下の場合は「不快感なし」、30から39だと「やや不快」、40から45では「きわめて不快」、45以上で「危険」、54を超えると「熱射病の危険」となる。つまり、相対湿度がどちらも50%の場合、気温が25度のバンクーバーでは指数は28で「不快感なし」なのに、猛暑で気温35度の東京では指数が45にもなって「きわめて不快」な状態になる。これはきっと高温で大気中の水分の量が多くなるために、汗がなかなか蒸発できなくて体内に熱がたまってしまうからだろうな。だから、そういうときには体温をさらに上昇させるような激しい運動はしないほうがいいんだろうな。
夕食を済ませて、カレシを相手にだらだらしながら明日が納期の仕事をしていたら、午後10時きっかりにドド~ン。そっか、今日は花火の国際コンペCelebration of Light(たしか去年まではSymphonies of Fireと言っていたっけ)の第2回。先のワールドカップで優勝して意気揚々のスペインの出番で、テーマは『地獄と天国』とか。我が家は山の反対側なので花火は見えないけど、音だけはベースメントにいても華々しく聞こえて来る。このコンペは花火と音楽のマッチを競うものだから、打ち上げられる花火の音の間隔やリズムを聞いているだけでも作品の雰囲気は感じられるからおもしろい。毎回40万人がイングリッシュベイやキツラノに集まるそうで、警察は酒類の持ち込みの阻止に大忙し。条例で公園やビーチでの飲酒は禁止されているんだけど、そこはひと騒ぎしたい若者たちのこと、ビールをケースごと持ち込もうとする。そこで、バックパックや大きな袋の中を調べて、ビールが見つかればその場で雨水溝にどぼどぼっ。ふはっ、今夜は酔っ払いドブネズミの大パーティだぞ~。
午後10時の気温は19度。今夜のビーチはさわやかでいいだろうな。花火大会はこの後、水曜日がメキシコの番で、来週土曜日はしんがりの中国。週間天気予報はお日様マークがずらり。バンクーバーの短い夏、今がたけなわってところ・・・。
極楽とんぼ亭:何となくフランスの田舎風
7月24日。水曜日にジノリの食器と引き換えできるスタンプを目当てにIGAまで買い物にでかけて、ぶつ切りにしただけのどでかいオヒョウのパックや冷凍のターボット(ヨーロッパ産のカレイ)の大袋といっしょに、鴨のもものコンフィもどさっと仕入れて来た。一応調理したのを脂と一緒に冷凍して売っているので、ちょっと小さめ。(小さめだからそういう風に売るんだろうけども。)
鴨の脂を足して、カレシ菜園のタイムの小枝を入れて、低めの温度のオーブンに。後は食事の時間まで、たらたらと仕事をしたり、サボったり・・・。
鴨のもものコンフィ
なすとぶどうのグリル
黄色いズッキーニとアスパラガス、白いんげん豆のカスレ風
(サラダ)
黄色のズッキーニを輪切りにしてオリーブ油で炒め、なぜか3本だけ残っていたアスパラガスを切って混ぜ、缶詰の白いんげん豆を加えて、さらに残りものの黒オリーブ。塩をひとつまみと胡椒をパラパラ。小さいビンにとってあった残りもののワインを加えて、なんとなくカスレ風のものができあがった。けっこう上出来。
ボージョレーを開けて、今夜はちょっとだけまだ見ぬ南仏の田舎の風景に思いを。
フリーザーの中身
7月25日。日曜日。今日も暑いなあ。気温は正午でもう摂氏21度。午後には25度まで上がってしまいそう。ワタシは北極熊なんだから、暑いよ、それ。あまり暑いから真っ赤なミニのタンクドレスで思いっきり露出。カレシの評は「へえ、まだそういうのを着られるんだねえ」。感心してるの?それとも怪しげなことを考えている・・・?まあ、この年でミニを着るのは「年齢相応服装規律」違反なんだろうけど、それはどこぞの国の話で、そんなファッションナチの目もここまでは届かないから、平気、平気。ミニといったって膝上10センチだから、背筋をぴんと伸ばして、おなかをぐっと引っ込めて、脚をすっと振り出して颯爽と歩いていれば、アジア系は実年令よりかなり若く見えるらしいし、何とか「年齢不詳」で通せるかもよ。ま、ワタシは自分の年を百も承知で「そういうの」を着ているんだから、今さらお世辞を言ったって何にも出ないよ~だ。
今日の夕方が期限の仕事はきのうのうちに送っておいたから、今日は一応ヒマな日。土曜日にシーラとヴァルとリッチを呼んで、シーラの誕生日ディナーをすることに決まったので、メニューを考える前に、まずはフリーザーの在庫調査をすることにした。つい先日大きな「仕入れ」をしたので、200リットルのフリーザーは上まで満杯。だけど、買い物に行くたびに魚売り場を漁っては大量に買い込んで来てしまい込むもので、一番上の常用食材のバスケットの下には何があるのかわからなくなるから、ときどきこうして棚卸をしなければならない。まず、パスケットには、サケ、オヒョウ、ティラピア、バラマンディ、ターボット、岩ガレイ、ニジマス、キハダ(ステーキ)、ベトナムナマズ、スナッパー、アサリ(むき身)、ギンダラ、サバ、メルルーサ、ヒラメ、スチールヘッド。魚類は肉類と違ってあまり場所を取らない。一番下に鶏のもも肉があった。
バスケットを出して、下のものを取り出してはカウンターと洗濯機の上に積み上げる。刺身用のビンナガ、サケ、タコ、キハダ。エビ、イカ、ゲソ、とっておきのオヒョウにマヒマヒ(シイラ)、アヒ(マグロ)、スズキ、オレンジラフィー、ブリ、軽くスモークしたギンダラ、シシャモ、ホッケ、サンマ。ホタテにロコ貝、ホッキ貝。スメルト、シラウオ、トビコにイクラ、スモークサーモン、マグロの燻製、おまけに自家製の塩鮭・・・いやはや、ほぼ毎日が魚料理だから、これくらいバラエティがなければ、とは思うけど、魚の種類は魚屋よりも豊富じゃないのかなあ。底の方で何だか申しわけなさそうにあるのが肉類で、既製品の鴨のコンフィの下にフォーに使う薄切りの牛肉。チヂミに使う薄切りの豚肉。ギョーザに使う鶏ももの挽き肉。小分けしてあるベーコン。ロースト用のビーフとポーク、バッファローのミニバーガー、ラムの骨付きヒレ、コーニッシュヘン、鴨のもも肉と胸肉、胸肉の燻製。そして、なんと鴨が丸々1羽!
フリーザー焼けの兆候がないのを確認して、取り出したものをテトリスよろしくすき間なく詰めて、在庫調査は終了。手が冷たくてしもやけになってしまいそう。でも、いくらおいしいものが食べたくても、飢饉が迫っているわけでもないのに、こんなに貯め込んでいいんだろうか。世の中にはその日の食事にも困る人たちがたくさんいるというのに、贅沢のしすぎだと叱られてしまうかな。もちろん、街の作りが毎日その日の献立を考えながら近所で買い物をするという想定になっていないから、貯蔵型フリーザーが普及していて、停電などで貯蔵していた食品が被害を受けたときのための損害保険まである。まあ、何人もの家族で、子供が育ち盛りだったりしたら、中身はかなり違っていただろうけど、在宅自営業のワタシにとっては、貯蔵型では一番小さいこのフリーザーと食洗機と、そして掃除をしてくれるシーラとヴァルが「三種の神器」・・・。
それにしても、食道楽もいいけど、食べてもらうためにある食材なのに、このままじゃあ食道楽が泣きそう。むだにしないように、もっとまじめにおいしいもの作りに精を出さなくちゃ・・・。
日本は恐竜の化石?
7月26日。月曜日。起床午前11時。うぅ、今日も暑いぞ。(明日はもっと暑いという予報・・・。)外では何やらトントン、コンコン。先に起き出していたカレシは、午前9時頃にごみ収集トラック(たぶんリサイクル車)の通過で目が覚めて、早すぎるからと寝なおそうとしたら、今度は10時前に歩道の角の補修工事開始で、眠れなくなったんだそうな。歩道の工事はコンクリートを流すための型枠作り。車道との段差をなくすために傾斜をつけてある湾曲した角の部分は電線工事のときに掘り起こさなかったので、枠が必要なのは芝生との境だけでいたって簡単。静かになってから見に行ったら、後はコンクリートを流すだけになっていた。(てことは、明日も早起き・・・?)
土曜日のディナーの主賓のシーラから、土曜日には仕事があるから金曜日でもいいかと電話。最初に「金曜日と土曜日とどっちがいい?」と聞いて土曜日にしたので、もちろん金曜日でOK。みんなに食べに来てもらわないと、フリーザーが一杯で買い物に行けないと言ったら、「じゃあ、おなか空かして行くわね」とシーラ。よし、極楽とんぼ亭のシェフは腕を振るうぞ、と腕をまくる。後で考えたら、土曜日は花火大会の最終日。シーラの行き先から考えたらまずダウンタウンの交通規制に引っかかりそうな感じなので、金曜日に変更して正解だったな。
TIMEのサイトに『A Clouded Outlook』というタイトルで「日本ではなぜ変革がそれほど難しいのか」というかなり突っ込んだ記事があったので読んでみた。常に明日へ、明日へと動き続けるアジアの中で、日本は「惰性の島」と化して、そろそろと後退している。なのに、日本では誰も何とかしようとしていない。バブルが崩壊して以来、日本は極低温状態に近い。ギリシャの財政危機に懲りた投資家たちは先進国の悪化した国家財政に注意を向けている。その中でも最悪の日本では政治家の指導力はマヒ状態、企業トップはボケ状態で、国民は将来の不安に悶々。かって世界のダイナモだった国は今や恐竜になりつつある。高齢化社会、財政危機、競争力の低下の3つの課題を抱える日本は、アメリカやヨーロッパでも国内政治の打算やイデオロギーの硬直に対処しないとこうなるという未来を垣間見せてくれるものである・・・。
「日本の現状がよけいにじれったく感じられるのは、この国がそれほど遠くない過去に変革の最前線にあって、世界の羨望を一身に集めていたからである」というあたりに「いったいどうなってしまったんだ」という苛立ちが感じられるけど、過去に「変革の最前線」に立てたのは、たまたま日本の官僚制度や企業風土がその時代にマッチしたからに過ぎないんじゃないのかなと思う。だって、日本の政治、経済、社会は世界の羨望を集める前も、バブルが潰れて注目の的でなくなった後も、さして変わりがないように見えるもの。すばらしく見えたのは建物の外装(建前)のペンキを違う色に塗り替えただけで、建物の中は昔のまんまだったんだろうと思うな。それでも、欧米は日本を他山の石とすべきというのはまったくもって同感。アメリカもカナダも来年あたりからベビーブーム世代が本格的に定年退職して年金を受け取るようになるけど、ブームが20年近くも続いたおかげで、その人口の規模は3年で消滅する日本の団塊の世代とは比べものにならないし、出生率は低下する一方で移民受入れでなんとか人口を増やしているんだし、「日本は特殊な国だから」なんてのんきに構えていたら、今の日本に似たような状況に陥りかねないと思うな。まあ、最近こういった日本関連記事をよく見るようになったのは、警鐘を鳴らそうということなんだろうけど、それにしても、ワタシの年金、大丈夫かなあ・・・?
ところで、この記事の日付は「8月2日」になっている。ということは、明日あたりに配達される最新号を先に読んでしまったのか。アメリカでの発売と同時にウェブに載せてしまうのかな。そんなんだったら、わざわざ購読しなくてもカナダでは印刷版が来る前にタダで読めてしまうけど。ま、アメリカの雑誌だし、カナダ版は去年から廃刊になっているから、どうってことないのか・・・。
極楽とんぼ亭:暑い日は涼しく食べよう
7月26日。仕事が途切れたのはちょっとうれしいけど、とにかく暑い。西向きのポーチの気温はひさしの陰で午後3時で摂氏25度。暑い、暑い。
こんな日は涼しい夕食を、ということで、まず刺身用のサーモンを解凍。これにビンナガやタコではいつもと変わりがないから、冷蔵庫の中を眺め渡したらソフト豆腐がある。冷やっこもいいかと思ったけど、刺身に冷やっこではどっちも醤油で塩分の摂り過ぎになるし・・・。
サーモンの刺身
すくい豆腐と枝豆、出汁ソース
インゲンともやしのコチュジャン炒め
七穀米
(サラダ)
パックに入った豆腐はソフトすぎて扱いにくいので、しょうがと酢を数滴入れた鍋でゆでてから氷水に取って冷ました。ソースは、少量残っていたそうめんのつゆを薄めて温め、しょうがを入れて味をつけて冷ましたスープ風の「出汁ソース」。冷めるのを待っている間、刻んだインゲンともやしと炒めて、コチュジャンだけで味つけ。
冷めた豆腐はスプーンで適当な大きさにすくって、冷凍庫で冷やしておいたガラスのボウルに入れて、その上から枝豆をパラパラ。ソースは好きなだけかけて食べるように、小さなソース入れで出してみた。出汁ソースはごく薄味だったけど、ほんのりとしょうがの味がして、すっかり冷たくならずにまだほのかに温かみが残っていた豆腐にぴったり。
鍋で炊いた七穀米を添えて、冷えたオレゴン州産のにごり酒、百川の「Pearl」と共に、暑い日のちょっと涼しい夕食はヘルシーだけど、早々とおなかが空いてしまいそう・・・。
肉なし肉と食べられないハム
7月27日。火曜日。起きたときからもう暑い。正午前ですでに22度。歩道のコンクリートの流し込みは寝ている間に終わっていて、我が家のゲートのすぐ外には大きな「歩道通行止」の標識が立っている。この後は型枠(といっても縁取りみたいなものだけど)を外して、芝生を剥がしたところに土を入れて、種をまくだけ。それほど騒々しい作業はなさそうなので、やれやれ。バンクーバーの住宅地を歩いていると、ブロックの端に近いあたりの歩道に4桁の数字が刻まれているのに気がつく。これはその歩道を舗装した年度の数字で、散歩の徒然に探してみると、意外と古いものが見つかったりするからおもしろい。
今日もヒマかなあと、のんきにメールを開いてみたら、あちゃ、「至急」マーク付きの仕事メールが入っている。きのうは工事の音で睡眠を端折られてもいいようにと、少々早めに寝酒なんぞ飲んで寝てしまったんだけど、ちょうどそれと入れ違いに入って来たらしい。今夜は即興演劇講座の最終日だから、指定の時間には家にいないので、すぐさましゃかしゃかと仕上げて、さっさと納品。仕事がヒマになって何にもしないでいると血圧が下がりがちなので、たまにはこうやって朝っぱらから腕をまくっちゃうような場面も健康にいいかも。うんと高齢になって血圧が低い人は痴呆症になりやすいとか、死亡率が高いとかいう怖い研究データもあるからね。まあ、ワタシは低血圧でも機嫌の方は「低気圧」じゃないから元気がいいのかもしれないけど。
今日の夕食はスパゲティーニと「肉なし」ミートソースのボローニャ風。大豆を原料にした「肉なし挽き肉」を使う。我が家ではmock beef(ビーフもどき)と呼んでいるけど、トマトソースのような味の濃い調味料を使えば十分に牛挽き肉の代用になって、コレステロールはゼロ。メキシカンの味付けにすればタコスも作れる。スーパーのベジタリアン用のセクションでは大豆のソーセージやチキン、はてはごていねいにグリルの焼き目までつけたハンバーガーも売られている。味も食感もけっこうイケるのは、食品加工の技術が進歩したからだろうな。願わくは、そのうちどこかの大学の研究者が、牛肉の味を出すのに使われる材料には「発がん性がある」なんてことを言い出さないといいけど。自然のものだって危ないときがあるのに、人工のものとなればなおさら、いつどこで危ないことがわからないとも限らない。
最後のクラス、ワタシは唯一「皆勤賞」。いつも最初にやる「近況報告」では、盛大に日焼けしてほぼ3週間が経ち、現在「脱皮中で~す」とやって大笑い。(背中に始まって、肩が剥けて、二の腕が剥けて、今は脛が「脱皮中」・・・。)しゃれたジョークのひとつも言わねばと必死で考えているうちにとんでもない方向にプロットが発展したりで、いつものように飛んだり、跳ねたり、笑い転げたり。即興芝居で一番難しいのはblocking(心理学で言う「阻止現象」)をしないことかな。ドロレス先生から「Yes, and(うん、そして)よ。Yes, but(うん、だけど)はダメよ」と檄が飛ぶけど、つい「うん、だけど・・・」とやって、話の展開をぎくしゃくさせてしまう。即興芝居はまたとない脳みそのエアロビクスなのだ。一回のクラスは3時間で週1回、2ヵ月。ハム(大根役者)はハムでも、スーパーの安いハムから、パルマハムとまで行かなくても少しは上等なハムになったかな・・・。
帰ってきてみたら、あちゃ~、仕事が団子。短かったなあ、思いがけない暑い夏の「ヒマなとき」。でも、まだバリバリ?の現役なんだから、しゃかしゃか仕事をして、がっちり稼がないことにはね。ねじり鉢巻、まず1本で、がんばろ・・・。
三つ子の魂は一生モノらしい
7月28日。水曜日。今日も暑い。天気予報もまるでテープ録音のような感じになって来る。キッチンのラジオを聞いてたら、ダウンタウンでは正午前にもう23度。バンクーバーではたぶん一番涼しい地区にある我が家でもポーチの温度計はもう21度。午後には「真夏日」の25度だな。きのうコンクリートを流した歩道の角はいつのまにか枠が外されて、歩道の通行止めは解除。まだ土を入れていない芝生の穴に赤い標識が立っているだけになっていた。(ん、誰かのランチだったらしいハンバーガーの包み紙まで、ちゃんとたたんで置いてあるぞ。)
きのう、甥のビルから「さっきおばあちゃんが転んで入院した。意識はあるって」と緊急メールが来た。すぐさまカレシに伝えたら、「じゃ、あした電話して様子を聞いてみる」と。どうしてあした?と聞いたら、「今すぐ電話しても誰もいないだろうし、あたふた電話したって邪魔なだけだよ」と。そうか、みんな病院の方へ行ってるかもしれないね。ところが一夜明けて、会社に電話してもボイスメールにつながるだけなもので、カレシはおろおろ、カリカリ。誰からも直接に電話がなかったのは「深刻な状況」ではないということだと思うけど、父親を亡くして間がないのに母親が入院となれば無理もない。そうこうしているうちに、ジムから電話。ホームの自室で床のコードにつまずいて転んで、4年前に骨折したのと反対の大たい骨を骨折。本人は「またやっちゃったわ」と気丈だけど、今度は車椅子が必要になりそうで、前回と同じくアボッツフォードの病院で手術の予定。生死に関わる状態でなくて一応は胸をなでおろしたけど、気持はしっかりしていても、体は確実に92歳。自由になったから旅行したいと、20年ぶりにパスポートを申請したばかりだったのに・・・。
今日のProvinceのサイトに「幼少時の性格は大人になっても変わらない」という、アメリカでの研究報告の記事が載っていた。小学生を対象に教師による性格の観察コメントを集めた4、50年前のデータを基に、その中から144人を無作為に選んで成人した「今」の性格と比べてみたら、ある程度のぶれの余地はあるけれども、総じて「コアパーソナリティ」といわれるものは大人になってもそのままだったという結果が出たという。つまり、順応性の低い子は大人になっても対人関係が苦手で、自分を卑下しやすく、人に意見を求めることが多いのに対して、順応性の高かった子は快活で対人関係能力が高く、新しい状況を楽しむ大人になっていた。自己評価の低い子は大人になっても不安で安心を求め、自己憐憫の感情が強かったし、おしゃべりな子供は話し上手で知能が高く、大志を抱くタイプの大人が多かった・・・。
引っ込み思案で不安な子だったカレシはどちらかというと自己評価の低い不安な大人になり、おしゃべりな子だったワタシは大人になっても(話し上手かどうかは別として)口も手も目もみんな相変わらずおしゃべりでやりたがり屋と、けっこうあてはまっているからおもしろい。どっちかというとネガティブなカレシと、どっちかというとポジティブなワタシでは、「両極端は相通ず」でodd couple(おかしなカップル)としてちゃんと成り立っているってことかな。まさに「三つ子の魂、百まで」のことわざの通りだということが立証されたみたいだけど、結婚するときには相手の親を観察しなさいと言われるけど、あんがい「三つ子の魂」の方が容姿や学歴、職業といった「今現在」よりもよりも重要なことかもしれない。だとしたら、「年収おいくら?」と聞くよりも、子供時代の話をじっくりと聞いて相手のコアパーソナリティを知った方が、結婚生活での夫婦としての相性の度合いを予想できて、「こんなはずじゃなかった」と後悔しないで済むんじゃないかなあ。
夕食後、ビルからメール第2報。ママはアボッツフォードの病院に移って、マリルー(ビルの母)にクロスワードパズルと鉛筆と消しゴムを持って来てと要求しているそうな。おばあちゃんはタフだから心配ないよ、とビル。またあした会いに行くからメールするよ、と言ってくれる。この甥っ子(といってももう40過ぎのオジサンだけど)は読字障害があったのに、周囲からやる気がないと言われ続けて診断が遅れたために、十代の頃には苛立ちから少し荒れていたけど、サンドラというしっかり者の姉さん女房を持って、今ではなかなかすてきな2児の父。ときどき「おばちゃんたちは元気ですか?」とメールをくれる。障害のせいでスペリングはめちゃくちゃだけどちゃんと読めてわかるのは、生まれてきた事情がどうであれ、ビルの「三つ子の魂」が気立てのいい心優しい子だから、気持が伝わってくるんだろうと思うな。
もっとも「三つ子」の自分がどんな子だったか覚えている人は少ないだろうし、ワタシもどんな子供だった?と聞ける両親はもうとっくにこの世にいない。だけど、母が大切に取っておいてくれた幼稚園から小学校卒業までの通信簿やら夏休みの絵日記やら作文やら絵が大きな段ボール箱にびっしりある。うん、たまにはあの箱を開けて、ワタシも自分自身の「三つ子の魂」とじっくり向かい合ってみようか・・・。
今がワタシの青春かも・・・
7月29日。木曜日。朝から調子が良くない。起きたとたんから腹下しで、胃もむかむか。どばっと汗が出る。また自律神経失調かと思ったけど、考えてみたら一種の二日酔いじゃないの。カレシが「寝酒、飲む?」というので、カレシが焼いた初期のロックンロールのCDなんか聞きながら、ちびちび。カレシの高校時代のダンスパーティや悪友と(祖父の遺産としてもらった)車を乗り回して遊んだ話を聞いているうちに、ワタシの中学高校時代ってなんであんなに禁止、禁止ばっかりだったんだろうと思い、せっかくの青春時代に楽しいことが何もなかったような気がして悲しくなった。
ワタシも若いうちに男の子とダンスをしたり、デートをしたり、クラブへ行って遊んだり、年を取ってから「ああ、ワタシの青春」と懐かしめるようなことをやりたかった。規則や因習や社会文化にがんじがらめに縛られた青春。なかったに等しいワタシの青春を返してくれ・・・てな気分になって、ああだった、こうだった、つまらないかった、とぶつぶつ愚痴りながら、ちょいと(以上かな?)飲みすぎてしまったのだった。(悲しい酒ってわけじゃないけど、このごろはなぜか深酔いすると泣きたくなる。昔はぶっちゃけ楽しいヨッパライだったのに・・・。)
高校時代は異性との交遊は校則でご法度。バンドをやっていたクラスメートが衣装のボタンを買うのに付き合ってあげただけなのに職員室に呼ばれてお説教。高校を出て社会人になっても「嫁入り前の娘」が男と付き合うなんてとんでもない。会社ではオヤジ課長が卑猥な話をしては、何も知らないのをおもしろがって笑う。引っ越して外資に勤めても、親元で一人暮らしなんて自分だけじゃなくて妹の縁談にも差し障るからダメ。そうこうしているうちに、25歳になったら世の中は「あとはもう好きにしたら?」とでも言っているような感じ。それまで男との付き合い方を学ぶ機会も与えないで来たのに、いきなり好きにしろも何もあったもんじゃないと思ったな。そんな窮屈さに窒息しそうだったから、カレシが「どこか遠い国の王子様」に思えてしまったってしょうがないんじゃないのかな。年を取るにつれてこの「王子様」ともいろいろあったことはあったけど、今になってつらつらと考えると、あれはきっと神様の思し召し・・・。
朝食を少しだけ食べたけど、とにかく具合が良くない。明日のための買い物もあるのに、仕事もあるのに、月末処理もあるのに。どうしようもないから、ベッドに戻って寝たけど、2時間ほどしてこむら返りの痛さで目が覚めた。あ~あ、今日はついてないなあ。それでも、夕食時までには回復したと見えて、今度は猛烈な空腹。こういうときはおなかにやさしいほうれん草とマッシュルームのリゾットに野菜(なす、オレンジピーマン、黄色のズッキーニ)のグリル。大事を取ってお酒はワイン1杯だけにしておく。自重、自重。大人なんだから・・・。
午後できなかった買い物にHマートまでひとっ走り。ハイウェイを走っていたら「走行距離」の数字がちょうど9900キロ。1万キロまであと100キロか。この車、あと1ヵ月で買ってから満5年。ママのお見舞いに行けば、それまでに1万キロ達成できそうかなあ。なんて言っていたら、燃料ゲージがピカピカ。おいおい、ガス欠警報だよカレシは最後の短い1本になったゲージをチラチラ見ながら「まだ5、6本見えてると思った」。マーフィの法則にあるでしょうが、「Assumption is the mother of all screw-ups(思い込みは失敗のモト)」って。目的地近くでガソリンスタンドを見つけて給油したら、ほとんど40リットル(=タンクの容量)。いやはや、間一髪だったのか。まあ、ちょっとしたハプニングのおかげで完全に元気回復。きのこ類をいろいろ、70センチもあるごぼうやら極太のにんじんやら野菜類をどっさり仕入れて、カレシはお気に入りの白キムチの大ビンを買って、mission accomplished(任務完了)。さて、おなかが空いたから、今夜のランチはニラを盛大に入れてチヂミと行こうか。
極楽とんぼ亭:DINE-INスペシャル第27回
7月30日。金曜日。元気いっぱい。今日もまたちょっと暑め。久しぶりにお客を呼んでのディナーパーティ。シーラと、ヴァルと夫氏のリッチ、隣のパット、そして私たちの6人。まあ、極楽とんぼ亭シェフお得意のかな~り思いつきのメニューだと、4人でも6人でもあまり作業量に違いはない。ヴァルとリッチが我が家に食事に来るのは初めて。リッチはアメリカ生まれでバスの運転手を退職したばかり。ベトナム戦争に兵士として送られて負傷し、除隊してからカナダに移って来た経歴を持つ、話をしていてなかなかおもしろい人。
午後3時半頃から、カレシはサラダとドレッシングの準備をはじめ、ワタシは下ごしらえ。といっても、ポークをマリネートして、マグロとホタテとサケのタルタル風トリオを作ってしまうだけのことで、あとはコースの合間にささっと調理できるものばかり。
今日のメニュー:
アミューズブーシュ(白魚のフライとしその葉)
マグロ、ホタテ、サケのタルタル風トリオ
豆腐とスモークギンダラのスープ風
ローストポーク、南国フルーツソース、ぶどう、ブルーベリー添え
バファローのミニバーガーと山羊のチーズ、
マルサラワインのリダクション、アスパラガス、枝豆、トマト
(サラダ)
(デザート:イチゴのタルト)
お客が勢ぞろいしてテーブルに着いたところで、白魚を小麦粉とコーンミールを混ぜた衣でさっと揚げて今日のアミューズブーシュ(写真略)。カレシが庭から取ってきた大きなしその葉を半分に切って彩り。
[写真] キハダマグロはポケ、ホタテはオレンジとライムとバニラで、サケはコチュジャンを入れたごまソースで、それぞれ和えておいて、長いお皿にトリオ。シーラは寿司を食べたことがないというので驚いたけど、トリオは好評・・・。
[写真] ソフト豆腐とひと口大に切ったスモークギンダラとしめじを水から煮て、小鉢にすくった。味は魚の塩分だけで、なぜか赤い色がついているのが豆腐に移ってほんのりピンク。今度はヴァルが豆腐を食べるのは初めてだというからちょっとびっくり・・・。
豆腐を出す前からオーブンに入れておいたローストポーク(写真略)。ピリピリソースに漬けておいたのをふたをしないで焼き、輪切りにしてほんの3切れ。さっとフライパンで焼いた白ぶどうと新鮮なブルーベリーを添え、ソースは南国フルーツソース。10日ほど前に作って残ったのを冷凍してあったので、さらに白ワインを少し加えて味を調整。
[写真] ハイライトはバファローのミニバーガー。びんに半分ほどあったマルサラワインをそっくり小鍋にあけて、リダクション。バーガーの周りにかけ回して、丸い山羊のチーズを乗せた。付け合せは蒸したアスパラガスと枝豆、チェリートマト。これはバーベキュー好きのリッチに好評。
みんなサラダをどっさり食べて、赤と白を合わせて9本のワインが空になったところで、デザートはヴァルが持って来てくれたイチゴのタルトとコーヒー。テーブルをはさんで、会話が交差して、にぎやかなこと。お帰りになるお客の「すばらしいディナーだったよ」が何にもまさるシェフへの心づけだよね。いや、楽しかった!
7月の終わり、夏たけなわ
7月31日。土曜日。今日は少し雲がある。今日はカレシの方が二日酔い気味。ずいぶん飲んだことは事実だけど、胸焼けがするやら、トイレへ走るやらでひと晩中あまり良く眠れなかったそうな。どうも赤ワインのどれかに対する一種のアレルギー反応のような感じで、我が家では買うことのないメルローに疑いがかかっている・・・。
今日で7月が終わり。ということは月末処理を済ませないことにはカレンダーをめくれない(ほんとはもうめくってしまったけど)。まずは大慌てでGST(物品サービス税)の四半期申告。来四半期からはHSTベースでの申告になるけど、まだ今年はまったく帳簿の整理をしていない(!)し、課税対象の売上がないから納付はゼロだしで、経費からGSTを概算して申告してしまった。還付といっても大した額じゃないから、新しい経理ソフトをインストールして、データを移行してからゆっくり精算すればいいやと思うけど、う~ん、この調子だとまた最終四半期に慌てそう。税務処理が済んだら、お次は請求書か。あ~あ、手をつけなければならない仕事もあるのに、何だかめんどくさいなあ・・・。
7月の平均気温は平年より1度高く、雨量は平年40ミリなのに対してたったの0.6ミリ。雨不足は州全体の現象で、州内で延焼中の森林火災は現在300ヵ所以上。キャンプファイアはほぼ全面的に禁止のところが多く、見つかったら罰金345ドル(約3万円)。もしもキャンプファイアが原因で森林火災が起きたら最高100万ドルの罰金か懲役3年という厳しい罰則がついている。落雷による自然発火もあるけど、走行中の車からのタバコのポイ捨てや作業機械の火花、子供の火遊び、はては放火といった人間の手による災害であることが多い。バンクーバーでもこの週末に火災の危険度が最悪レベルになって、ビーチを含む公園が禁煙になり、公園でのバーベキューも、テーブルなど地面から30センチ以上の高さに置けるガスコンロ使用以外は禁止された。そりゃあ観光名所のスタンレー公園が灰になったら大損害だもの。もっとも、9月1日からは市条例で公園やビーチ、遊歩道での喫煙が全面禁止になるんだけど、これは野火の危険とは別の次元の話。
ついおとといは隣のバーナビーでけっこう大きな野火があった。原因は近くに住む小学生の子供たちのマッチ遊びで、フットボール競技場2つ分の面積を焼き、近くの住人たちに避難命令が出る騒ぎになった。夕方のニュースでは、警察に避難を命じられてテレビカメラに向かってぐだぐだと怒っている若い人がいてちょっとびっくりした。「何なんだよ。いきなり来てすぐに避難しろだとさ」と、いかにも警察の強権発動に振り回されて迷惑していると言わんばかりだったけど、山火事の恐ろしさを知らない都会っ子だからなのかなあ。火が迫って来て危険だから避難しろと言っているのに、わからないバカなのか、それとも取材に来たテレビカメラを見てパフォーマンスの見せどころと思ったのか・・・。
考えてみたら、この週末は三連休。今夜は花火大会の最終回。こんなにカラカラで花火を打ち上げても大丈夫なのかな。あしたは恒例のゲイプライドパレードで、週末中はかって日本人町があったところで日系のお祭りがある。来たばかりの頃に1、2回のぞいてみたことがあったけど、30年以上も前の当時は古くからいる日系人が中心で、日本から来たばかりの感覚ではあまりおもしろくも楽しくも思えなかったような気がする。日本から若い人たちがたくさん来ている今は、あんがいもっとおもしろいお祭りになっているのかもしれないな。だからといって、行ってみようかなという気にはならないんだけど、なぜか。いろんな人がたくさん行き交う都会は好きなんだけど、大勢の人がどっと1ヵ所に集まるイベントはあまり好きじゃないのはどうしてかな。幼い頃に祭りの人ごみで迷子になって両親が半狂乱で探したという話を聞いたことがあるように思うけど、そうだとしたら、人ごみ嫌いと関係があるのかなあ。
さて、まだ胃の調子がすっきりしないというカレシのために、今日の夕食はわらびの水煮としめじを使って「山菜がゆ」を作ってみようかな。明日からはいよいよ8月。今年はもう何だか仕事なんかどうでもいいから、少しのんびりとしたペースで行ってほしいような気もするなあ・・・。