リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年7月~その3

2010年07月31日 | 昔語り(2006~2013)
食い物の恨みは恐ろしい

7月21日。水曜日。起床は最近の「普通」の11時半。どうやら今日も夏日だなあ。ひょっとしたら「真夏日」になってしまうかも。大停電のすぐ後で電気料金の請求書もないだろうけど、隔月の請求書が届いた。5月半ばから7月半ばまでの1日平均の消費量は44キロワット時で、去年の同じ期間よりも5キロワット時少ない。たぶん5月と6月がやや低温でエアコンを使わなかったせいだろう。カレシの菜園の野菜類も去年に比べると少し生育が遅れ気味だったけど、この分ならどんどんピッチを上げて育ちそう。もっとも去年が記録的に暑い夏だったんだけど。

カレシはボランティアでやっている英語教室の再開を9月まで延期して、夏休みをとることにした。さっそくあれをしようよ、これをしようよと、取らぬ狸の皮算用。まあ、庭仕事でやらなければならないことがたくさんあるし、1ヶ月なんてあっというまに過ぎてしまうだろうけど。ワタシだってのんびりバカンスしたいなあ。8月に入ってお盆前のラッシュで忙しくならなければいいけど、稼げるときに稼いでおかないとならないのが自営業だからねえ。とか何とかぼやきつつ、掃除が済んだオフィスでまず1件納品。次の仕事はなんと子供が読むもの。う~ん、これは頭を使いそうだ。弁護士口調でやるわけには行かないもんね。ワタシは子育てしたことがないから、子供と話した経験も少ないし・・・ど~しよ。ま、そこが何でも屋の醍醐味でもあるんだけど。

おとといのボリュームたっぷりのランチできのうは2人とも体重がピ~ンと跳ね上がった(といっても1ポンド半だから、せいぜい700グラムぐらいなんだけど)けど、けさはそろって「普通」のレベルにすとんと戻った。やっぱり元凶はカロリーよりも塩分過剰だったのかな。まあ、夜中のランチだからと、前菜的な一番量が少なそうなものを選んだのにすごい量だったもので、我が家ではきちんとゴハンを食べていないのかと思ってしまった。ファストフード店や郊外に多いチェーンレストランはボリュームが目玉なんだろうけど、東京で2000カロリーのカレーを売り出したところがあったり、コンビニが700カロリーのデザートを売り出したと言うニュースがあったり、ニューヨークのファストフード店でもメニューにハンバーガーとフレンチフライ、飲み物のセットが1600カロリーと書いてあった・・・。

飽食の時代と言われて久しいのに、超特大の大盛がモテモテなのはどういうことなんだろうな。コマーシャル風に言えば「このお値段でこのボリューム!」みたいな、いわゆる「bang for the buck」式の考え方なのかな。「もっとたくさん」というのは「もっと安く」というのと同じにごく普通の消費者の「得したい」心理だと思うけど、それにしても、誰も飢えているわけではないのに「特大食」がもてはやされるのは、あんがい「食」とは違うところで飢餓感のようなものがはびこっているんだろうか。何か満たされない気持があって、おなかがはちきれるくらい食べることで満たそうとしているのかもしれないな。大食いすることで飢餓感が満たされるんだったらいいけど、満たされないままにメタボになって命を縮めては元も子もないような気がするけどなあ。食い物の恨みは恐ろしいと言うから・・・。

言葉は人間が作ったのに

7月22日。木曜日。ひと足先に起きていたカレシが朝っぱらからカリカリしている。何でも市役所がまた我が家の外に「臨時駐車禁止」の標識を立てていったんだそうな。歩道の角の修復がまだ残っているから、いよいよそれをやるということなんだけど、家の前と横に1本ずつ立ててあるのを見たら、「午前7時から午後5時」となっているけど、いつのことなのかわからない。明日かもしれないし、月曜日かもしれない。それよりも、駐車禁止の範囲がわからない。そりゃあちょっとムカッとくるよねえ。

だいたい駐停車のような交通規制の標識は「どこからどこまで」を示す矢印がついているのが普通で、ブロックの端に矢印のないのを1本だけ立てて行かれると、理論的にはそこから道路が続く限り延々と隣の市との境界までが駐車禁止になる。括弧を閉じていないようなものかな。もちろん常識で考えたら、交差点の歩道の角を1ヵ所だけ修理する工事にそれはありえないってことはわかるはずだけど、標識担当の部署は「立てろというところに立てただけ」と言うだろうし、工事担当の部署は作業に必要な範囲内に車が駐車していなければ後は「我関せず」だろうで、部署間のコミュニケーションがまったくできていないらしいから、カレシは「こんなバカ共にオレの税金で給料を払うとは!」とムカつくことになる。

だけど、お役所のおバカぶりを証明する決定的な証拠がひとつあるのだ。「駐車禁止」の標識を立てていったところには消火栓がある。条例によると消火栓の両側6メートル以内は何が何でも絶対的に「駐車禁止」。だから、我が家は買い物の荷物があってもゲートの真正面に車を止めることはできない。つまり、元々からして緊急車両以外は誰も駐車できないところに、わざわざ「駐車禁止」の標識を運んで来て、立てて行ったということになる。っとにもう、アホか。カレシはさっそく市役所に電話して苦情を言ったらしいけど、まあ、寝ている間に消火栓からかなり離れたところにあるトラックをよそに動かすかどうかはその日になってのお楽しみ・・・。

きのう手を付けた子供向けテキストの翻訳。年令レベルに合わせて言葉や表現を選ばなければならないから、法律文書をやる倍の時間がかかる。一応訳したところで、スペルと同時に文法チェックをやって、最後に表示されるFlesch-Kincaid Gradeのレベルを見る。これはアメリカの何年生なら読んで理解できる文書かということを示す難易度のものさしで、1センテンスの単語数と単語の音節数をベースにした公式で計算される。「できるだけ平易な英語にしてください」といった指示があったときにはすこぶる便利なツール。最初に出て来たスコアは対象読者より少し高いレベルなので、音節の多い単語を短い同義語に置き換えて再度チェック。スコアは0.2下がった。ちょっと長めのセンテンスを書き直して再度チェックしたら、さらに0.1下がった。と、スコアをチェックしながら要望のレベルになるまで手を入れるから、時間がかかって仕事としての時間単価は半減するけど、なかなかおもしろくて翻訳者冥利に尽きるようなところもあるな。

翻訳には原稿を読みこなして内容を理解する能力が要求されるのは言うまでもないことだけど、同時にコミュニケーションの媒介業務のようなものだから、訳文を書くときに「どんな人が読むのか」を考える必要がある。そのあたりがわかっていてもなかなか難しいところで、つい文章の解釈や正しい用語の選択や正確な訳文といった方面に気を取られて、読者のことまでは思慮が回らないことが多い。そこで気をつけないと、広告宣伝の文書なのにまるでお役人が書いたようなコチコチの文章になったり、法律関係の文書なのにやたらと軽い文章になったりする。元の文書が(たいていは)特定の読者を対象にして書かれているんだから、訳文もそれなりの文体であるべきだと、ワタシは思うんだけど。(ありゃ、お子様英語の次は法律英語か・・・。)あ~あ、同じ言語でも異言語でも、言葉は人間が発明したものなのに、なんで人間のコミュニケーションってこうも難しいのかなあ。

70万人の引きこもりたち

7月23日。金曜日。目が覚めたのは午前11時過ぎ。外で工事をしているらしい音がする。カレシは10時前にコンクリートカッターの音で目が覚めて、そのまま起きてしまったそうで、「よく寝てられるなあ」と感心?してくれた。漠然と騒音を聞いたような気もするけど、たぶん「あ、来たか」くらいに思ってまた眠ってしまったのかもしれないな。どうもこの数年は朝方になってから眠りが一番深くなるらしく、電話が鳴っていても目が覚めないことも多い。昔は寝入りばなが一番よく眠れたんだけど、年のせいなのか、生活のリズムが変わったからなのか、そこんところはどうなのかな。

外を見たらカレシのトラックは元のところにちゃんとあって、工事の人たちは「ちっとも邪魔じゃないよ」と言ったとか。正午ぴったり(!)に急に静かになったので外へ出てみたら、歩道の角は壊したコンクリートの山で、周りをオレンジ色のテープで囲ってある。そのために今度は「臨時停車禁止」の標識を6本くらいテープをくくる杭の代わりに立てて、消火栓まで使っているから、ああ、もう・・・。午後には別のトラックが来てコンクリートの破片を運んで行ったけど、そこで本日の工事は終了(花金だもんね)。ということは、少なくとも月曜日までは歩行者が角を曲がるのに車道を歩かなければならないってことか。ま、道路向かいに街灯があるし、満月が近づいて月明かりもたっぷりあるから夜も大丈夫だろうけど。

Google Newsを見ていたら、日本のニュースのセクションに「引きこもりが推定70万人」という見出しがあった。内閣府が15歳から39歳を対象に調査した結果を人口に当てはめてはじき出した数字だという。男性が66%で、30代後半、前半、20代の順に多かったとか。理由は「職場になじめなかった」が一番で、「家庭や学校でうまく関係を築けないまま成長し、社会でも溶け込めず不安を抱えてひきこもる人々」の姿が浮き彫りになったという。調査の座長という大学教授の話では、「今の社会は言語コミュニケーション能力の高さが重視されており、そこができない人は流れから外れ、ひきこもる傾向にある」そうだけど、今の日本で言語コミュニケーション能力が重視されているというのは初耳だなあ。考えや気持を言葉で伝えようとすれば「自己主張が強い」と批判されかねないし、小町横町でも言葉でのコミュニケーションを嫌がるような風潮が感じられるし、「空気を読め」というのはまさに非言語コミュニケーションを要求しているように聞こえるだけど。

「人の気持には言葉にできないものもある」というのは諸手を上げて同感だけど、それを言葉を使わずに伝え合う「非言語コミュニケーション」こそが日本社会の真髄だったんじゃないのかなあ。良く言えば「察し」の文化、悪く言えば「なあなあ」の文化。その能力がなぜか低下しつつあるところへ昔からの「出る杭は打たれる」式に言葉で自己を表現できる人を抑え込もうとする力が強くなって、気持を表現するどころか、口を開くことさえ大きなリスクが伴う世の中になっているように見える。他人とどうやって向き合えばいいかわからないままで大人になって、黙っていても察してもらえるものと思っていると「言わなければわからない!」と怒られ、言葉に出して言えば「うるさい。空気が読めんのか!」とやられる。そうやって「否定されること」の繰り返しで、やがて「もう、いいや」と人生を投げ出してしまうのかもしれない。家で自室に引きこもるところまでいったら、もはや生まれるのを拒否して母の胎内に帰ってしまったようなものかもしれない。

もちろん、心理的な問題による引きこもりは何も日本社会の専売特許じゃないんだけど、推定で70万人もいて、人生のピークであるはずの40代に近づいた人たちが多くて社会問題になっているとしたら、日本という国の将来にとっては看過できないことだろうと思う。引きこもりの多くが「他人がどう思っているかとても不安」と言っているところに、他律的で、ネガティブで、抑圧的な心理風土を感じるんだけど、かの座長先生は「子供たちへの教育も含め、気持ちをうまく表現できない人を受け入れる社会を作る必要があるのではないか」と言う。だけど、その必要性は昔からずっとあったものだと思うし、教育指導要領を変えて、標語ポスターさえ張り出せば簡単にそんな寛容な社会を作れるってわけじゃないだろうと思うけど。いくら政府が「人の痛みがわかる子」が育てるとぶち上げても、ひとりひとりが自律的なものさしを持って、他人を自分とは違う人格として認めることができなければ、人の痛みなどわかるはずがないだろうに。

超新星のように輝いたバブルが崩壊して、その後をどうしたらいいのか決めかねているような感じで10年が失われ、いつのまにか失われた20年になり、へたをすると失われた30年になりかねない。それくらい日本は変わりにくい国なんだろうと思うけど、変わらなければと思っても変われないのか、それとも変わりたくないのか。そのあたりは遠くから見ているワタシにはわからないし、日本国民じゃないから「日本よ変われ!」とは言えないし・・・。

湿度は同じなのにこの違い

7月24日。土曜日。今日は静かだけど、暑くなるという予報。ま、暑いといっても、酷暑(それとも猛暑の方が暑いのかな?)の日本やヨーロッパほどじゃないけど、ちょっと暑いことには変わりがないな。今日の午後の気温は玄関ポーチで摂氏25度。相対湿度が50%とちょっとだから、体感温度にすればだいたい28度でちょっと暑めだけど快適ということろ。

東京が4日連続で35度と聞いて、さぞかし蒸し暑いだろうと思ったら、相対湿度はバンクーバーとあまり変わらない。へえ、なのに東京ではすごく蒸し暑そうなのはどうしてだろうと、もうちょっと調べてみたら、まず「相対湿度」というのはある温度のときに大気中にどのくらい水分が含まれているかという数字で、相対湿度が同じでも気温が違うと体感温度も大きく違って来るんだそうな。つまり、相対湿度が50%のとき、大気1立方メートル中に含まれる水分は、気温25度のバンクーバーでは11.4グラムなのに対して35度の東京では19.5グラムになって、同じ湿度でも格段に蒸し暑く感じるということらしい。ふむ、なるほど。

カナダの天気予報では夏によく「Humidex(ヒュミデックス)」という指数が使わるけど、これはカナダの気象学者が考案したものだそうで、気温と相対湿度の関係から人間が感じる「温度」のことを言う。これがアメリカ系の天気予報だと「Feels like(~くらいに感じる)」という表現になるんだけど、数字は同じ。日本では昔(今でも?)「不快指数」というのを使っていたけど、あれはアメリカで考え出されたもので、計算の方法が違うから数字もヒュミデックスとはまったく違う。ヒュミデックスが29以下の場合は「不快感なし」、30から39だと「やや不快」、40から45では「きわめて不快」、45以上で「危険」、54を超えると「熱射病の危険」となる。つまり、相対湿度がどちらも50%の場合、気温が25度のバンクーバーでは指数は28で「不快感なし」なのに、猛暑で気温35度の東京では指数が45にもなって「きわめて不快」な状態になる。これはきっと高温で大気中の水分の量が多くなるために、汗がなかなか蒸発できなくて体内に熱がたまってしまうからだろうな。だから、そういうときには体温をさらに上昇させるような激しい運動はしないほうがいいんだろうな。

夕食を済ませて、カレシを相手にだらだらしながら明日が納期の仕事をしていたら、午後10時きっかりにドド~ン。そっか、今日は花火の国際コンペCelebration of Light(たしか去年まではSymphonies of Fireと言っていたっけ)の第2回。先のワールドカップで優勝して意気揚々のスペインの出番で、テーマは『地獄と天国』とか。我が家は山の反対側なので花火は見えないけど、音だけはベースメントにいても華々しく聞こえて来る。このコンペは花火と音楽のマッチを競うものだから、打ち上げられる花火の音の間隔やリズムを聞いているだけでも作品の雰囲気は感じられるからおもしろい。毎回40万人がイングリッシュベイやキツラノに集まるそうで、警察は酒類の持ち込みの阻止に大忙し。条例で公園やビーチでの飲酒は禁止されているんだけど、そこはひと騒ぎしたい若者たちのこと、ビールをケースごと持ち込もうとする。そこで、バックパックや大きな袋の中を調べて、ビールが見つかればその場で雨水溝にどぼどぼっ。ふはっ、今夜は酔っ払いドブネズミの大パーティだぞ~。

午後10時の気温は19度。今夜のビーチはさわやかでいいだろうな。花火大会はこの後、水曜日がメキシコの番で、来週土曜日はしんがりの中国。週間天気予報はお日様マークがずらり。バンクーバーの短い夏、今がたけなわってところ・・・。

極楽とんぼ亭:何となくフランスの田舎風

7月24日。水曜日にジノリの食器と引き換えできるスタンプを目当てにIGAまで買い物にでかけて、ぶつ切りにしただけのどでかいオヒョウのパックや冷凍のターボット(ヨーロッパ産のカレイ)の大袋といっしょに、鴨のもものコンフィもどさっと仕入れて来た。一応調理したのを脂と一緒に冷凍して売っているので、ちょっと小さめ。(小さめだからそういう風に売るんだろうけども。)

鴨の脂を足して、カレシ菜園のタイムの小枝を入れて、低めの温度のオーブンに。後は食事の時間まで、たらたらと仕事をしたり、サボったり・・・。

鴨のもものコンフィ
なすとぶどうのグリル
黄色いズッキーニとアスパラガス、白いんげん豆のカスレ風
(サラダ)

黄色のズッキーニを輪切りにしてオリーブ油で炒め、なぜか3本だけ残っていたアスパラガスを切って混ぜ、缶詰の白いんげん豆を加えて、さらに残りものの黒オリーブ。塩をひとつまみと胡椒をパラパラ。小さいビンにとってあった残りもののワインを加えて、なんとなくカスレ風のものができあがった。けっこう上出来。

ボージョレーを開けて、今夜はちょっとだけまだ見ぬ南仏の田舎の風景に思いを。

フリーザーの中身

7月25日。日曜日。今日も暑いなあ。気温は正午でもう摂氏21度。午後には25度まで上がってしまいそう。ワタシは北極熊なんだから、暑いよ、それ。あまり暑いから真っ赤なミニのタンクドレスで思いっきり露出。カレシの評は「へえ、まだそういうのを着られるんだねえ」。感心してるの?それとも怪しげなことを考えている・・・?まあ、この年でミニを着るのは「年齢相応服装規律」違反なんだろうけど、それはどこぞの国の話で、そんなファッションナチの目もここまでは届かないから、平気、平気。ミニといったって膝上10センチだから、背筋をぴんと伸ばして、おなかをぐっと引っ込めて、脚をすっと振り出して颯爽と歩いていれば、アジア系は実年令よりかなり若く見えるらしいし、何とか「年齢不詳」で通せるかもよ。ま、ワタシは自分の年を百も承知で「そういうの」を着ているんだから、今さらお世辞を言ったって何にも出ないよ~だ。

今日の夕方が期限の仕事はきのうのうちに送っておいたから、今日は一応ヒマな日。土曜日にシーラとヴァルとリッチを呼んで、シーラの誕生日ディナーをすることに決まったので、メニューを考える前に、まずはフリーザーの在庫調査をすることにした。つい先日大きな「仕入れ」をしたので、200リットルのフリーザーは上まで満杯。だけど、買い物に行くたびに魚売り場を漁っては大量に買い込んで来てしまい込むもので、一番上の常用食材のバスケットの下には何があるのかわからなくなるから、ときどきこうして棚卸をしなければならない。まず、パスケットには、サケ、オヒョウ、ティラピア、バラマンディ、ターボット、岩ガレイ、ニジマス、キハダ(ステーキ)、ベトナムナマズ、スナッパー、アサリ(むき身)、ギンダラ、サバ、メルルーサ、ヒラメ、スチールヘッド。魚類は肉類と違ってあまり場所を取らない。一番下に鶏のもも肉があった。

バスケットを出して、下のものを取り出してはカウンターと洗濯機の上に積み上げる。刺身用のビンナガ、サケ、タコ、キハダ。エビ、イカ、ゲソ、とっておきのオヒョウにマヒマヒ(シイラ)、アヒ(マグロ)、スズキ、オレンジラフィー、ブリ、軽くスモークしたギンダラ、シシャモ、ホッケ、サンマ。ホタテにロコ貝、ホッキ貝。スメルト、シラウオ、トビコにイクラ、スモークサーモン、マグロの燻製、おまけに自家製の塩鮭・・・いやはや、ほぼ毎日が魚料理だから、これくらいバラエティがなければ、とは思うけど、魚の種類は魚屋よりも豊富じゃないのかなあ。底の方で何だか申しわけなさそうにあるのが肉類で、既製品の鴨のコンフィの下にフォーに使う薄切りの牛肉。チヂミに使う薄切りの豚肉。ギョーザに使う鶏ももの挽き肉。小分けしてあるベーコン。ロースト用のビーフとポーク、バッファローのミニバーガー、ラムの骨付きヒレ、コーニッシュヘン、鴨のもも肉と胸肉、胸肉の燻製。そして、なんと鴨が丸々1羽!

フリーザー焼けの兆候がないのを確認して、取り出したものをテトリスよろしくすき間なく詰めて、在庫調査は終了。手が冷たくてしもやけになってしまいそう。でも、いくらおいしいものが食べたくても、飢饉が迫っているわけでもないのに、こんなに貯め込んでいいんだろうか。世の中にはその日の食事にも困る人たちがたくさんいるというのに、贅沢のしすぎだと叱られてしまうかな。もちろん、街の作りが毎日その日の献立を考えながら近所で買い物をするという想定になっていないから、貯蔵型フリーザーが普及していて、停電などで貯蔵していた食品が被害を受けたときのための損害保険まである。まあ、何人もの家族で、子供が育ち盛りだったりしたら、中身はかなり違っていただろうけど、在宅自営業のワタシにとっては、貯蔵型では一番小さいこのフリーザーと食洗機と、そして掃除をしてくれるシーラとヴァルが「三種の神器」・・・。

それにしても、食道楽もいいけど、食べてもらうためにある食材なのに、このままじゃあ食道楽が泣きそう。むだにしないように、もっとまじめにおいしいもの作りに精を出さなくちゃ・・・。

日本は恐竜の化石?

7月26日。月曜日。起床午前11時。うぅ、今日も暑いぞ。(明日はもっと暑いという予報・・・。)外では何やらトントン、コンコン。先に起き出していたカレシは、午前9時頃にごみ収集トラック(たぶんリサイクル車)の通過で目が覚めて、早すぎるからと寝なおそうとしたら、今度は10時前に歩道の角の補修工事開始で、眠れなくなったんだそうな。歩道の工事はコンクリートを流すための型枠作り。車道との段差をなくすために傾斜をつけてある湾曲した角の部分は電線工事のときに掘り起こさなかったので、枠が必要なのは芝生との境だけでいたって簡単。静かになってから見に行ったら、後はコンクリートを流すだけになっていた。(てことは、明日も早起き・・・?)

土曜日のディナーの主賓のシーラから、土曜日には仕事があるから金曜日でもいいかと電話。最初に「金曜日と土曜日とどっちがいい?」と聞いて土曜日にしたので、もちろん金曜日でOK。みんなに食べに来てもらわないと、フリーザーが一杯で買い物に行けないと言ったら、「じゃあ、おなか空かして行くわね」とシーラ。よし、極楽とんぼ亭のシェフは腕を振るうぞ、と腕をまくる。後で考えたら、土曜日は花火大会の最終日。シーラの行き先から考えたらまずダウンタウンの交通規制に引っかかりそうな感じなので、金曜日に変更して正解だったな。

TIMEのサイトに『A Clouded Outlook』というタイトルで「日本ではなぜ変革がそれほど難しいのか」というかなり突っ込んだ記事があったので読んでみた。常に明日へ、明日へと動き続けるアジアの中で、日本は「惰性の島」と化して、そろそろと後退している。なのに、日本では誰も何とかしようとしていない。バブルが崩壊して以来、日本は極低温状態に近い。ギリシャの財政危機に懲りた投資家たちは先進国の悪化した国家財政に注意を向けている。その中でも最悪の日本では政治家の指導力はマヒ状態、企業トップはボケ状態で、国民は将来の不安に悶々。かって世界のダイナモだった国は今や恐竜になりつつある。高齢化社会、財政危機、競争力の低下の3つの課題を抱える日本は、アメリカやヨーロッパでも国内政治の打算やイデオロギーの硬直に対処しないとこうなるという未来を垣間見せてくれるものである・・・。

「日本の現状がよけいにじれったく感じられるのは、この国がそれほど遠くない過去に変革の最前線にあって、世界の羨望を一身に集めていたからである」というあたりに「いったいどうなってしまったんだ」という苛立ちが感じられるけど、過去に「変革の最前線」に立てたのは、たまたま日本の官僚制度や企業風土がその時代にマッチしたからに過ぎないんじゃないのかなと思う。だって、日本の政治、経済、社会は世界の羨望を集める前も、バブルが潰れて注目の的でなくなった後も、さして変わりがないように見えるもの。すばらしく見えたのは建物の外装(建前)のペンキを違う色に塗り替えただけで、建物の中は昔のまんまだったんだろうと思うな。それでも、欧米は日本を他山の石とすべきというのはまったくもって同感。アメリカもカナダも来年あたりからベビーブーム世代が本格的に定年退職して年金を受け取るようになるけど、ブームが20年近くも続いたおかげで、その人口の規模は3年で消滅する日本の団塊の世代とは比べものにならないし、出生率は低下する一方で移民受入れでなんとか人口を増やしているんだし、「日本は特殊な国だから」なんてのんきに構えていたら、今の日本に似たような状況に陥りかねないと思うな。まあ、最近こういった日本関連記事をよく見るようになったのは、警鐘を鳴らそうということなんだろうけど、それにしても、ワタシの年金、大丈夫かなあ・・・?

ところで、この記事の日付は「8月2日」になっている。ということは、明日あたりに配達される最新号を先に読んでしまったのか。アメリカでの発売と同時にウェブに載せてしまうのかな。そんなんだったら、わざわざ購読しなくてもカナダでは印刷版が来る前にタダで読めてしまうけど。ま、アメリカの雑誌だし、カナダ版は去年から廃刊になっているから、どうってことないのか・・・。

極楽とんぼ亭:暑い日は涼しく食べよう

7月26日。仕事が途切れたのはちょっとうれしいけど、とにかく暑い。西向きのポーチの気温はひさしの陰で午後3時で摂氏25度。暑い、暑い。

こんな日は涼しい夕食を、ということで、まず刺身用のサーモンを解凍。これにビンナガやタコではいつもと変わりがないから、冷蔵庫の中を眺め渡したらソフト豆腐がある。冷やっこもいいかと思ったけど、刺身に冷やっこではどっちも醤油で塩分の摂り過ぎになるし・・・。

サーモンの刺身
すくい豆腐と枝豆、出汁ソース
インゲンともやしのコチュジャン炒め
七穀米
(サラダ)

パックに入った豆腐はソフトすぎて扱いにくいので、しょうがと酢を数滴入れた鍋でゆでてから氷水に取って冷ました。ソースは、少量残っていたそうめんのつゆを薄めて温め、しょうがを入れて味をつけて冷ましたスープ風の「出汁ソース」。冷めるのを待っている間、刻んだインゲンともやしと炒めて、コチュジャンだけで味つけ。

冷めた豆腐はスプーンで適当な大きさにすくって、冷凍庫で冷やしておいたガラスのボウルに入れて、その上から枝豆をパラパラ。ソースは好きなだけかけて食べるように、小さなソース入れで出してみた。出汁ソースはごく薄味だったけど、ほんのりとしょうがの味がして、すっかり冷たくならずにまだほのかに温かみが残っていた豆腐にぴったり。

鍋で炊いた七穀米を添えて、冷えたオレゴン州産のにごり酒、百川の「Pearl」と共に、暑い日のちょっと涼しい夕食はヘルシーだけど、早々とおなかが空いてしまいそう・・・。

肉なし肉と食べられないハム

7月27日。火曜日。起きたときからもう暑い。正午前ですでに22度。歩道のコンクリートの流し込みは寝ている間に終わっていて、我が家のゲートのすぐ外には大きな「歩道通行止」の標識が立っている。この後は型枠(といっても縁取りみたいなものだけど)を外して、芝生を剥がしたところに土を入れて、種をまくだけ。それほど騒々しい作業はなさそうなので、やれやれ。バンクーバーの住宅地を歩いていると、ブロックの端に近いあたりの歩道に4桁の数字が刻まれているのに気がつく。これはその歩道を舗装した年度の数字で、散歩の徒然に探してみると、意外と古いものが見つかったりするからおもしろい。

今日もヒマかなあと、のんきにメールを開いてみたら、あちゃ、「至急」マーク付きの仕事メールが入っている。きのうは工事の音で睡眠を端折られてもいいようにと、少々早めに寝酒なんぞ飲んで寝てしまったんだけど、ちょうどそれと入れ違いに入って来たらしい。今夜は即興演劇講座の最終日だから、指定の時間には家にいないので、すぐさましゃかしゃかと仕上げて、さっさと納品。仕事がヒマになって何にもしないでいると血圧が下がりがちなので、たまにはこうやって朝っぱらから腕をまくっちゃうような場面も健康にいいかも。うんと高齢になって血圧が低い人は痴呆症になりやすいとか、死亡率が高いとかいう怖い研究データもあるからね。まあ、ワタシは低血圧でも機嫌の方は「低気圧」じゃないから元気がいいのかもしれないけど。

今日の夕食はスパゲティーニと「肉なし」ミートソースのボローニャ風。大豆を原料にした「肉なし挽き肉」を使う。我が家ではmock beef(ビーフもどき)と呼んでいるけど、トマトソースのような味の濃い調味料を使えば十分に牛挽き肉の代用になって、コレステロールはゼロ。メキシカンの味付けにすればタコスも作れる。スーパーのベジタリアン用のセクションでは大豆のソーセージやチキン、はてはごていねいにグリルの焼き目までつけたハンバーガーも売られている。味も食感もけっこうイケるのは、食品加工の技術が進歩したからだろうな。願わくは、そのうちどこかの大学の研究者が、牛肉の味を出すのに使われる材料には「発がん性がある」なんてことを言い出さないといいけど。自然のものだって危ないときがあるのに、人工のものとなればなおさら、いつどこで危ないことがわからないとも限らない。

最後のクラス、ワタシは唯一「皆勤賞」。いつも最初にやる「近況報告」では、盛大に日焼けしてほぼ3週間が経ち、現在「脱皮中で~す」とやって大笑い。(背中に始まって、肩が剥けて、二の腕が剥けて、今は脛が「脱皮中」・・・。)しゃれたジョークのひとつも言わねばと必死で考えているうちにとんでもない方向にプロットが発展したりで、いつものように飛んだり、跳ねたり、笑い転げたり。即興芝居で一番難しいのはblocking(心理学で言う「阻止現象」)をしないことかな。ドロレス先生から「Yes, and(うん、そして)よ。Yes, but(うん、だけど)はダメよ」と檄が飛ぶけど、つい「うん、だけど・・・」とやって、話の展開をぎくしゃくさせてしまう。即興芝居はまたとない脳みそのエアロビクスなのだ。一回のクラスは3時間で週1回、2ヵ月。ハム(大根役者)はハムでも、スーパーの安いハムから、パルマハムとまで行かなくても少しは上等なハムになったかな・・・。

帰ってきてみたら、あちゃ~、仕事が団子。短かったなあ、思いがけない暑い夏の「ヒマなとき」。でも、まだバリバリ?の現役なんだから、しゃかしゃか仕事をして、がっちり稼がないことにはね。ねじり鉢巻、まず1本で、がんばろ・・・。

三つ子の魂は一生モノらしい

7月28日。水曜日。今日も暑い。天気予報もまるでテープ録音のような感じになって来る。キッチンのラジオを聞いてたら、ダウンタウンでは正午前にもう23度。バンクーバーではたぶん一番涼しい地区にある我が家でもポーチの温度計はもう21度。午後には「真夏日」の25度だな。きのうコンクリートを流した歩道の角はいつのまにか枠が外されて、歩道の通行止めは解除。まだ土を入れていない芝生の穴に赤い標識が立っているだけになっていた。(ん、誰かのランチだったらしいハンバーガーの包み紙まで、ちゃんとたたんで置いてあるぞ。)

きのう、甥のビルから「さっきおばあちゃんが転んで入院した。意識はあるって」と緊急メールが来た。すぐさまカレシに伝えたら、「じゃ、あした電話して様子を聞いてみる」と。どうしてあした?と聞いたら、「今すぐ電話しても誰もいないだろうし、あたふた電話したって邪魔なだけだよ」と。そうか、みんな病院の方へ行ってるかもしれないね。ところが一夜明けて、会社に電話してもボイスメールにつながるだけなもので、カレシはおろおろ、カリカリ。誰からも直接に電話がなかったのは「深刻な状況」ではないということだと思うけど、父親を亡くして間がないのに母親が入院となれば無理もない。そうこうしているうちに、ジムから電話。ホームの自室で床のコードにつまずいて転んで、4年前に骨折したのと反対の大たい骨を骨折。本人は「またやっちゃったわ」と気丈だけど、今度は車椅子が必要になりそうで、前回と同じくアボッツフォードの病院で手術の予定。生死に関わる状態でなくて一応は胸をなでおろしたけど、気持はしっかりしていても、体は確実に92歳。自由になったから旅行したいと、20年ぶりにパスポートを申請したばかりだったのに・・・。

今日のProvinceのサイトに「幼少時の性格は大人になっても変わらない」という、アメリカでの研究報告の記事が載っていた。小学生を対象に教師による性格の観察コメントを集めた4、50年前のデータを基に、その中から144人を無作為に選んで成人した「今」の性格と比べてみたら、ある程度のぶれの余地はあるけれども、総じて「コアパーソナリティ」といわれるものは大人になってもそのままだったという結果が出たという。つまり、順応性の低い子は大人になっても対人関係が苦手で、自分を卑下しやすく、人に意見を求めることが多いのに対して、順応性の高かった子は快活で対人関係能力が高く、新しい状況を楽しむ大人になっていた。自己評価の低い子は大人になっても不安で安心を求め、自己憐憫の感情が強かったし、おしゃべりな子供は話し上手で知能が高く、大志を抱くタイプの大人が多かった・・・。

引っ込み思案で不安な子だったカレシはどちらかというと自己評価の低い不安な大人になり、おしゃべりな子だったワタシは大人になっても(話し上手かどうかは別として)口も手も目もみんな相変わらずおしゃべりでやりたがり屋と、けっこうあてはまっているからおもしろい。どっちかというとネガティブなカレシと、どっちかというとポジティブなワタシでは、「両極端は相通ず」でodd couple(おかしなカップル)としてちゃんと成り立っているってことかな。まさに「三つ子の魂、百まで」のことわざの通りだということが立証されたみたいだけど、結婚するときには相手の親を観察しなさいと言われるけど、あんがい「三つ子の魂」の方が容姿や学歴、職業といった「今現在」よりもよりも重要なことかもしれない。だとしたら、「年収おいくら?」と聞くよりも、子供時代の話をじっくりと聞いて相手のコアパーソナリティを知った方が、結婚生活での夫婦としての相性の度合いを予想できて、「こんなはずじゃなかった」と後悔しないで済むんじゃないかなあ。

夕食後、ビルからメール第2報。ママはアボッツフォードの病院に移って、マリルー(ビルの母)にクロスワードパズルと鉛筆と消しゴムを持って来てと要求しているそうな。おばあちゃんはタフだから心配ないよ、とビル。またあした会いに行くからメールするよ、と言ってくれる。この甥っ子(といってももう40過ぎのオジサンだけど)は読字障害があったのに、周囲からやる気がないと言われ続けて診断が遅れたために、十代の頃には苛立ちから少し荒れていたけど、サンドラというしっかり者の姉さん女房を持って、今ではなかなかすてきな2児の父。ときどき「おばちゃんたちは元気ですか?」とメールをくれる。障害のせいでスペリングはめちゃくちゃだけどちゃんと読めてわかるのは、生まれてきた事情がどうであれ、ビルの「三つ子の魂」が気立てのいい心優しい子だから、気持が伝わってくるんだろうと思うな。

もっとも「三つ子」の自分がどんな子だったか覚えている人は少ないだろうし、ワタシもどんな子供だった?と聞ける両親はもうとっくにこの世にいない。だけど、母が大切に取っておいてくれた幼稚園から小学校卒業までの通信簿やら夏休みの絵日記やら作文やら絵が大きな段ボール箱にびっしりある。うん、たまにはあの箱を開けて、ワタシも自分自身の「三つ子の魂」とじっくり向かい合ってみようか・・・。

今がワタシの青春かも・・・

7月29日。木曜日。朝から調子が良くない。起きたとたんから腹下しで、胃もむかむか。どばっと汗が出る。また自律神経失調かと思ったけど、考えてみたら一種の二日酔いじゃないの。カレシが「寝酒、飲む?」というので、カレシが焼いた初期のロックンロールのCDなんか聞きながら、ちびちび。カレシの高校時代のダンスパーティや悪友と(祖父の遺産としてもらった)車を乗り回して遊んだ話を聞いているうちに、ワタシの中学高校時代ってなんであんなに禁止、禁止ばっかりだったんだろうと思い、せっかくの青春時代に楽しいことが何もなかったような気がして悲しくなった。

ワタシも若いうちに男の子とダンスをしたり、デートをしたり、クラブへ行って遊んだり、年を取ってから「ああ、ワタシの青春」と懐かしめるようなことをやりたかった。規則や因習や社会文化にがんじがらめに縛られた青春。なかったに等しいワタシの青春を返してくれ・・・てな気分になって、ああだった、こうだった、つまらないかった、とぶつぶつ愚痴りながら、ちょいと(以上かな?)飲みすぎてしまったのだった。(悲しい酒ってわけじゃないけど、このごろはなぜか深酔いすると泣きたくなる。昔はぶっちゃけ楽しいヨッパライだったのに・・・。)

高校時代は異性との交遊は校則でご法度。バンドをやっていたクラスメートが衣装のボタンを買うのに付き合ってあげただけなのに職員室に呼ばれてお説教。高校を出て社会人になっても「嫁入り前の娘」が男と付き合うなんてとんでもない。会社ではオヤジ課長が卑猥な話をしては、何も知らないのをおもしろがって笑う。引っ越して外資に勤めても、親元で一人暮らしなんて自分だけじゃなくて妹の縁談にも差し障るからダメ。そうこうしているうちに、25歳になったら世の中は「あとはもう好きにしたら?」とでも言っているような感じ。それまで男との付き合い方を学ぶ機会も与えないで来たのに、いきなり好きにしろも何もあったもんじゃないと思ったな。そんな窮屈さに窒息しそうだったから、カレシが「どこか遠い国の王子様」に思えてしまったってしょうがないんじゃないのかな。年を取るにつれてこの「王子様」ともいろいろあったことはあったけど、今になってつらつらと考えると、あれはきっと神様の思し召し・・・。

朝食を少しだけ食べたけど、とにかく具合が良くない。明日のための買い物もあるのに、仕事もあるのに、月末処理もあるのに。どうしようもないから、ベッドに戻って寝たけど、2時間ほどしてこむら返りの痛さで目が覚めた。あ~あ、今日はついてないなあ。それでも、夕食時までには回復したと見えて、今度は猛烈な空腹。こういうときはおなかにやさしいほうれん草とマッシュルームのリゾットに野菜(なす、オレンジピーマン、黄色のズッキーニ)のグリル。大事を取ってお酒はワイン1杯だけにしておく。自重、自重。大人なんだから・・・。

午後できなかった買い物にHマートまでひとっ走り。ハイウェイを走っていたら「走行距離」の数字がちょうど9900キロ。1万キロまであと100キロか。この車、あと1ヵ月で買ってから満5年。ママのお見舞いに行けば、それまでに1万キロ達成できそうかなあ。なんて言っていたら、燃料ゲージがピカピカ。おいおい、ガス欠警報だよカレシは最後の短い1本になったゲージをチラチラ見ながら「まだ5、6本見えてると思った」。マーフィの法則にあるでしょうが、「Assumption is the mother of all screw-ups(思い込みは失敗のモト)」って。目的地近くでガソリンスタンドを見つけて給油したら、ほとんど40リットル(=タンクの容量)。いやはや、間一髪だったのか。まあ、ちょっとしたハプニングのおかげで完全に元気回復。きのこ類をいろいろ、70センチもあるごぼうやら極太のにんじんやら野菜類をどっさり仕入れて、カレシはお気に入りの白キムチの大ビンを買って、mission accomplished(任務完了)。さて、おなかが空いたから、今夜のランチはニラを盛大に入れてチヂミと行こうか。

極楽とんぼ亭:DINE-INスペシャル第27回

7月30日。金曜日。元気いっぱい。今日もまたちょっと暑め。久しぶりにお客を呼んでのディナーパーティ。シーラと、ヴァルと夫氏のリッチ、隣のパット、そして私たちの6人。まあ、極楽とんぼ亭シェフお得意のかな~り思いつきのメニューだと、4人でも6人でもあまり作業量に違いはない。ヴァルとリッチが我が家に食事に来るのは初めて。リッチはアメリカ生まれでバスの運転手を退職したばかり。ベトナム戦争に兵士として送られて負傷し、除隊してからカナダに移って来た経歴を持つ、話をしていてなかなかおもしろい人。

午後3時半頃から、カレシはサラダとドレッシングの準備をはじめ、ワタシは下ごしらえ。といっても、ポークをマリネートして、マグロとホタテとサケのタルタル風トリオを作ってしまうだけのことで、あとはコースの合間にささっと調理できるものばかり。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(白魚のフライとしその葉)
 マグロ、ホタテ、サケのタルタル風トリオ
 豆腐とスモークギンダラのスープ風
 ローストポーク、南国フルーツソース、ぶどう、ブルーベリー添え
 バファローのミニバーガーと山羊のチーズ、
 マルサラワインのリダクション、アスパラガス、枝豆、トマト
 (サラダ)
 (デザート:イチゴのタルト)

お客が勢ぞろいしてテーブルに着いたところで、白魚を小麦粉とコーンミールを混ぜた衣でさっと揚げて今日のアミューズブーシュ(写真略)。カレシが庭から取ってきた大きなしその葉を半分に切って彩り。

[写真] キハダマグロはポケ、ホタテはオレンジとライムとバニラで、サケはコチュジャンを入れたごまソースで、それぞれ和えておいて、長いお皿にトリオ。シーラは寿司を食べたことがないというので驚いたけど、トリオは好評・・・。

[写真] ソフト豆腐とひと口大に切ったスモークギンダラとしめじを水から煮て、小鉢にすくった。味は魚の塩分だけで、なぜか赤い色がついているのが豆腐に移ってほんのりピンク。今度はヴァルが豆腐を食べるのは初めてだというからちょっとびっくり・・・。

豆腐を出す前からオーブンに入れておいたローストポーク(写真略)。ピリピリソースに漬けておいたのをふたをしないで焼き、輪切りにしてほんの3切れ。さっとフライパンで焼いた白ぶどうと新鮮なブルーベリーを添え、ソースは南国フルーツソース。10日ほど前に作って残ったのを冷凍してあったので、さらに白ワインを少し加えて味を調整。

[写真] ハイライトはバファローのミニバーガー。びんに半分ほどあったマルサラワインをそっくり小鍋にあけて、リダクション。バーガーの周りにかけ回して、丸い山羊のチーズを乗せた。付け合せは蒸したアスパラガスと枝豆、チェリートマト。これはバーベキュー好きのリッチに好評。

みんなサラダをどっさり食べて、赤と白を合わせて9本のワインが空になったところで、デザートはヴァルが持って来てくれたイチゴのタルトとコーヒー。テーブルをはさんで、会話が交差して、にぎやかなこと。お帰りになるお客の「すばらしいディナーだったよ」が何にもまさるシェフへの心づけだよね。いや、楽しかった!

7月の終わり、夏たけなわ

7月31日。土曜日。今日は少し雲がある。今日はカレシの方が二日酔い気味。ずいぶん飲んだことは事実だけど、胸焼けがするやら、トイレへ走るやらでひと晩中あまり良く眠れなかったそうな。どうも赤ワインのどれかに対する一種のアレルギー反応のような感じで、我が家では買うことのないメルローに疑いがかかっている・・・。

今日で7月が終わり。ということは月末処理を済ませないことにはカレンダーをめくれない(ほんとはもうめくってしまったけど)。まずは大慌てでGST(物品サービス税)の四半期申告。来四半期からはHSTベースでの申告になるけど、まだ今年はまったく帳簿の整理をしていない(!)し、課税対象の売上がないから納付はゼロだしで、経費からGSTを概算して申告してしまった。還付といっても大した額じゃないから、新しい経理ソフトをインストールして、データを移行してからゆっくり精算すればいいやと思うけど、う~ん、この調子だとまた最終四半期に慌てそう。税務処理が済んだら、お次は請求書か。あ~あ、手をつけなければならない仕事もあるのに、何だかめんどくさいなあ・・・。

7月の平均気温は平年より1度高く、雨量は平年40ミリなのに対してたったの0.6ミリ。雨不足は州全体の現象で、州内で延焼中の森林火災は現在300ヵ所以上。キャンプファイアはほぼ全面的に禁止のところが多く、見つかったら罰金345ドル(約3万円)。もしもキャンプファイアが原因で森林火災が起きたら最高100万ドルの罰金か懲役3年という厳しい罰則がついている。落雷による自然発火もあるけど、走行中の車からのタバコのポイ捨てや作業機械の火花、子供の火遊び、はては放火といった人間の手による災害であることが多い。バンクーバーでもこの週末に火災の危険度が最悪レベルになって、ビーチを含む公園が禁煙になり、公園でのバーベキューも、テーブルなど地面から30センチ以上の高さに置けるガスコンロ使用以外は禁止された。そりゃあ観光名所のスタンレー公園が灰になったら大損害だもの。もっとも、9月1日からは市条例で公園やビーチ、遊歩道での喫煙が全面禁止になるんだけど、これは野火の危険とは別の次元の話。

ついおとといは隣のバーナビーでけっこう大きな野火があった。原因は近くに住む小学生の子供たちのマッチ遊びで、フットボール競技場2つ分の面積を焼き、近くの住人たちに避難命令が出る騒ぎになった。夕方のニュースでは、警察に避難を命じられてテレビカメラに向かってぐだぐだと怒っている若い人がいてちょっとびっくりした。「何なんだよ。いきなり来てすぐに避難しろだとさ」と、いかにも警察の強権発動に振り回されて迷惑していると言わんばかりだったけど、山火事の恐ろしさを知らない都会っ子だからなのかなあ。火が迫って来て危険だから避難しろと言っているのに、わからないバカなのか、それとも取材に来たテレビカメラを見てパフォーマンスの見せどころと思ったのか・・・。

考えてみたら、この週末は三連休。今夜は花火大会の最終回。こんなにカラカラで花火を打ち上げても大丈夫なのかな。あしたは恒例のゲイプライドパレードで、週末中はかって日本人町があったところで日系のお祭りがある。来たばかりの頃に1、2回のぞいてみたことがあったけど、30年以上も前の当時は古くからいる日系人が中心で、日本から来たばかりの感覚ではあまりおもしろくも楽しくも思えなかったような気がする。日本から若い人たちがたくさん来ている今は、あんがいもっとおもしろいお祭りになっているのかもしれないな。だからといって、行ってみようかなという気にはならないんだけど、なぜか。いろんな人がたくさん行き交う都会は好きなんだけど、大勢の人がどっと1ヵ所に集まるイベントはあまり好きじゃないのはどうしてかな。幼い頃に祭りの人ごみで迷子になって両親が半狂乱で探したという話を聞いたことがあるように思うけど、そうだとしたら、人ごみ嫌いと関係があるのかなあ。

さて、まだ胃の調子がすっきりしないというカレシのために、今日の夕食はわらびの水煮としめじを使って「山菜がゆ」を作ってみようかな。明日からはいよいよ8月。今年はもう何だか仕事なんかどうでもいいから、少しのんびりとしたペースで行ってほしいような気もするなあ・・・。


2010年7月~その2

2010年07月21日 | 昔語り(2006~2013)
左利きは右利きとは逆なだけ

7月11日。日曜日。少し気温が下がってきたような感じでさわやか。なんたって25度を超えたら「真夏日」の感覚だもんね。入っていた仕事はあまり大きくなさそうだから、ぼちぼち手をつけることにして、もうちょっとだけ「休養」をとるか。後で慌てないといいけど・・・。

小町横丁の井戸端ではまたまた左利き論争をやっている。同居している姑に2歳の娘の左利きを直すように言われて、左利きはダメなのか、左利きの女の子はそんなに変なのかという相談。日本の人口を1億2千万人とすると、少なくとも1200万人の左利き日本人がいるという勘定になるんだけど、未だに(右利きの)矯正主義者が多いらしい。日本中で「左利きブーム」だったのはそんなに前の話じゃなかったはず。何がきっかけだったのかは知らないけど一躍「ブーム」になって、(おそらくマスコミに)ちやほやと祭り上げられ、踊らされた挙句、冷めやすい国民性のおかげで、また一躍「異質な嫌われもの」に格下げされたということか・・・。

左利き是非論は何度も上がって来るトピックで、だいぶ前にも大いに盛り上がっていた。左利きの人たちは右利きの人たちを敵視したり、排除しようとしたりしないのに、右利きの人たちは左利きはマナー違反だ、みっともない、箸や筆は右手で使うようにできている、と誰かの書き込みの通り、「左利き嫌いな右利きの方々のヒステリックな批判には呆れます」。「何がそんなに気に入らないのか」って、要するに、周りと違うのは(見ている自分にとって)違和感があるからダメということなんじゃないのかな。「もともと日本にあった、日本ならではの美的感覚も大事にしてくださいね」と暗に矯正を勧める人もいるくらいだから、とどのつまりは(自分の)美的感覚を撹乱されて気分的に落ち着かなくて迷惑だ、「生理的に嫌なもの」は自分の前から消えるべきということなんだろうな。人格を否定するのもいい加減にせいと言いたくなる。ったく、もう・・・。

矯正否定派は当然のごとく左利きを貫いている人たちがほとんど。親に右手を使うことを強制されてつらい思いをした人、吃音障害になって大人になっても苦労している人、自律神経失調症になった人。そういう左利きたちを「ヒステリックなバカが多いのか」とこき下ろす右利き至上主義のバカもいるけど、小さな子供がわけもわからずにコントロールできて使いやすい手の使用を禁じられて、意のままにならない手を使うことを強要されることのストレスは、実際に子供として経験した人でないとわからないだろうな。左利きに生まれついたワタシも一時は吃音障害に
なったそうだけど、今はほとんど解消したし、英語ならまったく問題がないからいいとしても、学校でも社会でも「変わった子」だったようだから、脳神経系や精神面でマイナーな後遺症はあるかもしれないと思う。矯正が正しいと主張したいなら、たとえ3日でもいいから左手だけで日常生活をやってみて、生まれついた利き手を使えないもどかしさや苛立ちがどんなものか知ってからにしてほしいもんだと思う。

誰かがある有識者の言葉だといって引用してくれていた。『左利きの子を拒否するということは、自分と違う個性を持つ人たちを拒絶するということ。その感情は「差別意識」、「自分と違う者へのイジメ意識」と同じです』と。ワタシは食事時になると母に左手をハンカチで縛られ、右手に箸を持たされた。還暦を過ぎた今でも、あの「縛られた左手」が鮮明に記憶に残っていて、ご飯を口に運べなくて泣いた悔しさや屈辱感と共に甦ってくる。反抗期にはさっさと左利きに戻ったけど、就職できない、嫁の貰い手がないと脅かされいたっけ。何とか社会人になっても、ラーメン屋に入ればサラリーマンおやじに「まずくなるから出て行け」と衆人の前で怒鳴られたりもした。今のワタシだったら、「ええ、そうですかあ?ここのラーメン、すごくおいしいですよ~」とやり返せただろうけど、あの時は何も言えなかったな。返す返すも残念無念・・・。

それにしても、日本にはそこまで自分とはちょっと違うだけの人間を「異質」として排除しないと気がすまない人が多いらしいのはどうしてなのかなあ・・・。

協調性のパラドックス?

7月12日。月曜日。起床は午前11時。どうやらそろそろ平常の生活時間に戻りつつある。ま、「休養」の効果が出て来たというところか。金曜日の夜にバンクーバーを発車したデイヴィッドとジュディの列車は今日の朝にトロントに到着したはず。車中で3泊の旅、お疲れさま。今日のバンクーバーはちょっと涼しい。朝方にはかなりの風が吹いたらしく、倒木やら停電やら、キツラノでボートごとビーチに打ち上げられた人までいたらしい。天気の変わり目なのかなあ。

朝食を済ませて、さて今日はまず「仕事」から、と仮想ねじり鉢巻を締めたところで、何やら外で騒音。飛び出して行ったカレシが戻ってきて、「道路の舗装を始めるんだってさ」。そういえば、ウィスラーに行っている間に仮舗装した縁を防水したらしく、黒々とタールが塗ってあった。昼だというのに工事とは仕事熱心だと思ったけど、「5分で済むってさ。ついでの仕事だな」とカレシ。なるほど、モールまで行くにもあっちこっちで道路工事の通行止めに遭遇するから、そのひとつが早く片付いたらこっちへ回ってくるんだろうな。ほんとに舗装といっても、幅が5、60センチで、直角に曲がった延長は20メートルそこそこなんだから、たしかに「ついで仕事」の規模と言えそうだけど。アスファルトが届いて、伸ばして、ローラーをかけて、ほんとうに5分もかからずに終わってしまった。ごくろうさま。

きのう左利き矯正論にちょっとばかりカッカしたので、どうして異質なものを排除したがるのかを調べてみたら、おもしろい論文やブログがかなり出て来た。中には外国人の「日本ではなぜ~」という疑問を集めたコレクションがあって、ワタシもなぜなのか知りたいと思うことがたくさんあったけど、こういうのはたぶん外国人による日本批判と受け取られて、「それが日本のやり方/伝統/文化なんだから」といった答しか戻って来ないような気がするな。それでも、「日本人の英語にはなぜ"We Japanese"という言い方が多いのか」という疑問では、日本から来たクライアントが何かというと「我々日本人は~」と言うのにうんざりしたと、故郷のアルバータの小さな事務所に移籍した日系三世の弁護士のことを思い出した。まあ、根底に「我々日本人」という日本文があって、それをそのまま英語にするからなんだろうけど、たぶん「同じ日本人として~」というのと同じで、、「日本人」と言う集団への強い帰属意識の現われなんじゃないかと思う。

あれこれ読んで考えてみたけど、結局はよくわからない。片思いをするのは浜のあわびくらいのもので、人間の交流は一方通行じゃないから、ワタシを異質なものとして批難・排除した(したい)人たちはたぶん、ある人にとってワタシが「異質」なものなら、その人がワタシにとっては「同質」なものだということはまずありえないとは考えないだろうな。まあ、ワタシは自分だけではなくて他人についても「人それぞれ主義」なもので、どこの誰がどれだけ自分と違っていても苦痛は感じないけど、生理的に受け付けられないという強い嫌悪感を持つ人もいるのも現実。これだって英語でいえばvisceral、つまり本能的なレベルでの違和感や嫌悪感への反応だろうから、原始の時代にまで遡らないとわからないことなのかもしれない。

何のサイトか忘れてしまったけど、「日本人論/日本文化論」のテーマで興味深い意見を見つけたので、ここで勝手に引用しておこう。『本当に協調性があるなら異質な人を受け入れることもできるはずだし 、異質だというだけで排除しようとするのは協調性の無さの現われだと思う』。まさに和をもって尊しとする日本のパラドックスと言えそうな・・・。

なぜなぜの検証は楽しい

7月13日。火曜日。午前11時起床。天気はいいけど、ちょっと涼しい。朝食が終わって、ごそごそと活動を始めた正午で15度。先週が暑かったから涼しく感じるだけで、ま、平年並みというところか。人間の感覚と言うのはたいていは「相対性理論」式だから、暑いと騒いでいて、普通になれば寒いと騒ぐし、寒いと騒いでいて、普通になれば今度は暑いと騒ぐ。自然よりも人間の調節機能の方が不順なんじゃないかと思ってしまうけどね。ま、今日はスリーブレスは露出度が過剰だから半袖にして、だけどまだ膝下の丈に替えるほどには涼しくないから・・・と、着るものを選ぶ。

きのうの「日本人はなぜ~」の疑問の中に「なぜ6月1日と10月1日という特定の日に「衣更(ころもがえ)」と称して着衣を替えるのか」というのがあったけど、たぶん四季の変わり目が定期的な気候だからだろうな。もっとも6月1日と10月1日でOKなのは津軽海峡以南の話で、これを北海道の北の方に適用しちゃうと、学校の制服がまだ寒いうちにもう夏服になり、もう寒いのにまだ夏服という奇妙なことになる。鳥肌を立てている子供には「何で?バカじゃない」という疑問でも、学校当局としては「文部省のお達しだから」ということらしかった。あのお、亜寒帯に属する北海道も日本国領土の不可分の一部なんですけど・・・といっても「温帯低脳圧」のお役人には通じそうにないか。まっ、いいんだけど。

四季が予定通りに変わってくれないバンクーバーでは「予定通り」の衣替えなんかできない話。おかげでクローゼットやたんすには四季の衣類が混在して、年中その日の気候に合わせてとっかえひっかえ。日本人の間で「カナダ人は片づけべたでだらしない」というのが通評になっているらしいのも、あんがいこんなところから来ているのかもしれないな。まあ、猛暑になればあわてて扇風機を買いに走り、雪が降ればあわてて雪かきシャベルを買いに走るくらいだから、「我々バンクーバーっ子」の適応能力はかなり高いと思うんだけど。だって、カレンダーってのは「仕事をする日」と「遊ぶ日」を見分けるためにあるようなもんでしょうが。

NewsOnJapanの記事の見出しを見ていたら、Incubator Bankという名前を見つけて、宮崎の街を歩いていて「ヘンな銀行だねえ」といいながら看板の写真を撮ったのを思い出した。日本新興銀行と言うんだそうで、中小企業金融公庫のような政府系の金融機関かと思ったら、どうもそうではないらしい。いったい誰がIncubator Bankなんていう英語名を思いついたんだろうな。まあ、「incubator」というのは鳥の卵を孵化させる人工孵卵器や未熟児を入れる保育器のことだから、銀行名としての発想としてはなるほどとわかるんだけど、「細菌培養器」という意味もあるもので、記事を読んでついそっちの方(ばい菌)を連想してしまった。

日本の商品や会社のネーミングはいつみてもおもしろいなあと思うんだけど、最近は銀行にもけっこうおもしろい名前が登場しているらしい。昔は明治の国立銀行設立にルーツを持つ番号が名前の銀行がたくさんあったけど、近頃はひらがなで書く名前も多いらしい。銀行だけでなく、ひらがな名の企業も見かけるから、柔らかいイメージが狙いなのかもしれないな。「もちもち」という食感が好まれているらしいのとあんがい関連があったりしてね。つい「うわ!」と思ったのは「あおぞら銀行」。直訳すれば「Blue Sky Bank」で、blue skyというのは俗に「いんちき証券」のこと。19世紀に、放っておけば悪徳業者が青空まで投資対象にしかねないと、アメリカの各州が設けた証券規制法がBlue-sky lawといわれる法律だけど、「あおぞら」銀行という看板を見て真っ先にこのblue skyの方を連想してしまったわけ。英語名がAozora Bankなのは、ネーミングした人がそういう背景を知っていたからだろうな。

かってトマト銀行(今でもがんばっているらしい)が有名になったけど、ちょっとググって見たら、ワタシのお金を預かっている「みずほ銀行」の他に「りそな銀行」。地方へ行くと「みなと銀行」に「みちのく銀行」。ここまではいいけど、「もみじ銀行」、「きらやか銀行」、そして「ゆうちょ銀行」。「もみじ銀行」って、秋の夕日のもみじ・・・お金、預ける気になるかなあ。ネット銀行には「じぶん銀行」というのもあるけど、これはWindows式の「Myなんとか」的発想か。お堅いはずの銀行がこれなんだから、いろんな企業の名前に調べてみたら発想の根拠を知りたくなるようなおもしろいのがたくさんありそう。

さて、カレシは今週は英語教室が休みだけど、ワタシは即興演劇教室。今日は何人来るのかな。小町横丁で観察した人間模様を使えたらおもしろいだろうな。小町のおかげで、人間は人種がどうの、民族がどうの、宗教がどうの、言語がどうの、文化がどうのとやかましいけど、つまるところは根本的に似たり寄ったりの性格をやりくりしている「動物」なんだと思えて来たけど、そう言うとまた「みんな同じであるべきだけど、自分だけは違う(特別)」と主張したい人をいたずらに刺激してしまうかもしれないなあ・・・と思ってみる、ときどきイジワルなワタシ。

一生のうち文句に費やす時間

7月14日。水曜日。今日もいい天気で、ちょっと暑くなりそう。仕事が途切れたので、今日はフリータイム。天気予報も「お日様」マークがずらりで、予想最高気温は平年並みだから、このまましばらくこんな風にヒマだといいな。ちょっとは片付けないと家中がごちゃごちゃ。親元で暮らしていた頃の自分の部屋はちゃんと片付いていたんだけど、これは絶対にカレシの影響だと思うな。なにしろ、片付けるも何も、その前にモノをどこかに置いたことさえ忘れちゃう人なのだ。ご当人が「5つのときからそうなんだからしょうがないだろ!」と言うもので、たとえば1日平均30分を「アレ、どこに置いたっけ?」に費やしたとすると、1年を365日として182.5時間(7.6日!)。5歳の時から毎日30分モノ探しをすること62年で11,315時間。約472日。
こうやってみると、長い人生には一見して「むだ」な時間がずいぶんあるもんだなあと感心する。毎日「文句たらたら」の人なら、たとえ1日あたりわずか30分でも、ちりも積もれば何とやらで、人生85年のうち80年間としたら、なんと600日以上もたらたら、たらたらと文句をたれっぱなしということか。いや、ほんとの文句たれだったら、1日30分ではすまないだろうな。たとえば、毎日あたり1時間くらいグチグチ言っているとしたら、寿命が来る頃には1200日以上、ひょっとしたら4年分くらい愚痴って暮らしたことになるかもしれない。う~ん、これはちょっとばかり考えものだなあ・・・。

まあ、世の中にはたらたらと文句を言うことで生きるエネルギーを感じる人もいるだろうし、愚痴ることが唯一の楽しみのようになっている人もいるだろうし、そういう人たちは毎日何時間でも文句をたれっぱなしかもしれなくて、傍から「文句言うな」と言われたら生きている意味がなくなったみたいに感じてしまうかもしれないな。それでも、文句をたれ続けるほどに一度しかない生涯の貴重な時間がどんどん流れて行くわけだけど、そうして消費される時間をむだと見るか、有益と見るか。まあ、むだな時間もあんがい有益だったりするから、自分の時間を費やしているうちは人それぞれで「みんないい」ということになるか。自分の時間で間に合わなくて、他人の時間まで横取りするようになると、ちょっと以上に考えものだけど・・・。

そういうけっこうむだなことを漠然と考えながら、今日はクローゼットにごちゃごちゃと押し込んである衣類の整理。ハンガーのいらない衣類は寝室にそれぞれ専用にしつらえてある4段の棚に積んだり、バスケットに入れたりして置いてあるんだけど、Tシャツを12枚、スカートを3枚も新調したのに突っ込むすき間がない。しょうがないから、古くなって捨てるもの、着なくなって寄付するもの、まだ着られるものに仕分けすることにして、とりあえず全部出してみたら、棚の奥のほうからサイズ10号のドレスが出てきた。ここ10年は4号で落ち着いているから、もろに前世紀の遺物。おもしろ半分に着替えて鏡を見たら、あはは、やっぱり大きすぎ。ワタシもこんなに大きかったときがあったのかとちょっぴり感慨もあったけど、迷わず寄付。

午後いっぱいかけて、捨てるものはゴミ袋ひとつ、寄付するものはホテルから失敬してきた洗濯物を出す袋に3つ。大汗をかいたおかげでクローゼットの棚はきちんと分類整理してすっきり。ふむ、まだあと何枚か詰め込める余裕がありそうだなあ・・・。

これも読心術のうち?

7月15日。木曜日。午前11時半起床で、ほぼ平常の時間。今日も暑くなりそうな空模様。仕事はあるけど、納期が来週の月曜日(つまり、日本時間で火曜日で、原稿の量からみると余裕ですいすい行けそうだから、今日はサボり。なんでこんなに余裕たっぷりの納期?と思ったら、そっか、日本では連休なんだ。何の記念日か知らないけど、ハッピーマンデイというヤツだろうな。

西日本や九州で「猛雨」で被害が出たと新聞サイトにあったけど、この言葉は初めて見た。従来の「豪雨」とはどれくらい違うのかな。広辞苑には「激しく降る雨。豪雨」と書いてあったけど、つまり「大雨」という言葉では足りないくらいの雨が降ったということかな。Japan Probeには日本のテレビニュースのビデオクリップがよく上がるので、のぞいてみたら「Dailymotion」のクリップがあって、洪水やがけ崩れの様子が映っていた。膝までありそうな濁流の中を片手で傘を差して自転車をこいで行く人がいたのにはびっくり。いつもは映像だけ見るのが珍しく音声を聞いてみたら、どこのテレビ局なのか知らないけど、背景にアニメか何かのナレーションのような独特の語り口の声が流れていたのにはもっとびっくり。ドキュメンタリー風にまとめたニュースなのかな。まあ、「猛雨」がどんなものかわかったし、これからはまた音声だな。あのおどろおどろしいナレーション口調はどんな場面で聞いても気持が悪い・・・。

カレシの発案で、トラックの運動がてら気分転換に菜園用にミックスした土をトラック一杯売ってくれるというところを見に行くことにした。気温は20度というのにもっと暑く感じる。でも、これがバンクーバーの夏。背中の日焼けが盛大にむけて来たけど、例によってショーツにタンクトップ。目当ての「店」は土や砂の山があちこちにあって、ジムショとおぼしき建物は今にもばらばらに壊れそうなぼろ屋。トラックを乗り入れて、土の山をチェックしていたら、中からメタボおじさんがのそ~っと出て来た。積んだ量がわかるように大きな袋を持って来い。払いはキャッシュか小切手で・・・と、あんまり商売に興味がなさそうな口調でぼそぼそ。じゃあ、袋をもって明日にでも来るからと、トラックに戻ったカレシ曰く、「あの土じゃ何も育たないよ」。

せっかくだからよく行く園芸センターへ行くことにしたけど、どこへ行っても道路工事だらけだなあ、今年は。おかげでヘンなところで曲がってしまって、ぐるっと回り道。こういうときになるとカレシはああだこうだと愚痴っぽいことをよくしゃべる。ひとしきり文句をたれては「ま、どうでもいいけど」とか「オレはかまわないけどさ」。そういえばカレシの愚痴にはいつも「酸っぱいぶどう」的なコメントが入るなあと思っているうちに、100ワットの電球がポッ。ははあ、よく「I’m thinking out loud(口に出して考えている)」と言うのはまさにその通りで、実はワタシとの会話じゃなくて、カレシの独り言、あるいは自分との対話だったんだ。ワタシはカレシの頭の中の思考を聞いていたわけなんだ。なるほど、なるほど。これは新発見・・・。

文句の多い人って、あんがい深慮遠謀なタイプじゃなくて、ものごとを頭の「外」で考える傾向があるのかもしれないな。注意を引きたいだけなのか、聞いてもらいたいのか、そのあたりはよくわからないけど、目の前の問題を分析して、解決を探っている、その思考経路がネガティブなもので、外の人間には文句たらたらのように聞こえるのかもしれない。自分との対話に夢中だから、外から何を言ってもかみあわないんだろうな。今度から、文句たらたらにちょっとイライラを感じて来たときには、「カレシテレビ局」のニュースの画面に流れるテロップを読んでいるつもりになってみようかなあ・・・。

一過性自律神経失調症?

7月17日。土曜日。ぶっ通しで11時間も眠って、目が覚めたのは11時。疲れがたまっていたのか、知らないうちに何かストレスがたまっていたのか、あるいは本当に体調を崩したのか、よくわからない。起きてみたら血圧はいつもより低くて、おまけに「不整脈」のマークまで出たけど、まあ、普通の自分の感じはするから、やれやれ・・・。

きのうは午後いっぱい何となく頭が軽くて(という言い方が日本語にあったかどうか忘れたけど)、要するに目の焦点が合わないような、ふわふわしたような気分。それが夕食後になって、突発的にそれも顔だけに猛烈な汗が出たかと思うと、さっと引いてぞくぞくと寒くなり、急に下痢はするし、胃はむかむかしてくるし、カレシまでが「真っ青な顔しているよ」と言い出すしで、ちょっと横になった。1時間くらいして起き出してちんたらとブログを書き始めたけど、やっぱりおかしいから、今度は念のために二重にしたビニール袋持参で、ベッドに入ってまた2時間くらいうとうと。吐き気は治まったもののやっぱり調子が良くないから、起き出して全部シャットダウンして、本格的に寝てしまったのが真夜中。カレシはひとりでポテトチップとババガヌーシュのランチを食べていた。

カレシがそ~っとベッドに入って来たのはおぼろげに覚えているけど、とにかくぶっ通しで眠ること11時間。いったい何だったのかなあ。ああいうのを自律神経失調症というのかもしれないな。とりあえず、「自律神経失調症」でググって見たら、Wikipediaが真っ先に出てきて、心療内科の領域みたいなことが書いてある。だけど、英語名は「dysautonomia」と書いてあるから、そっちの方をググって見たら、やっぱりWikipediaが真っ先に出てきたけど、書いてあることが日本語版とは全然違うからびっくり。症状は英語版の方が一致するものが多いんだけど、考えられる原因として上げられているのは神経系統の身体的疾患ばかりで、ストレスのスの字も見あたらないからこれまたびっくり。ついでに「autonomic ataxia」、「autonomic imbalance」でググって見たけど、どうも日本人がいう「自律神経失調症」に当たっていそうなものがほとんど出てこない。こっちには「心療内科」なるものがないし、ひょっとしたら日本人と非日本人では病気のなり方が違うのかな。どうなってんだ・・・?

まあ、徹底的に寝ただけで治まったところを見ると、日本型自律神経失調症だったということか。たぶんに、ストレスが原因なんだろうけど、じゃあ何がストレスだったのか。つらつらと考えるに、おとといの夜、今まで機能していた広告ブロックがなぜか機能停止して、「見たくない」広告が視界に入って来た。最近IEがアップデートされて、広告をブロックするアドオンが働かなくなったのかと思って、その夜は新しいバージョンをダウンロードしてインストール。そしてきのうの午後。新バージョンも機能していない。「見たくない」広告どころか、どこを見てもうるさい広告がべたべた。頭にきてアドオンをアンインストール。午後いっぱいかけて、IEの設定をいろいろいじり回したら、うるさい広告はある程度ブロックされるようになったけど、「見たくない」広告はまだ視界に入ってくる。そして夕食後、また・・・。

たぶん前日の聞きたくなかったアニメ口調のおどろおどろしいナレーションや「見たくない」広告の再発現がストレスにつながったんだろうな。日本のテレビニュースのクリップを映像を見るだけで音声を聞かないのは、やたらとピッチの高い女子リポーターの声(「キイキイ」と入力しようとしたら「奇異奇異」と出てきてしまった)とわざとピッチを下げたようなナレーションの声にぞっとするからなんだけど、どうしてなのか考えると、聞きたくないのに聞こえてしまって、見たくないのにチラチラと見てしまったアニメに行き着いてしまう。ごく普通にテレビで放映されているものらしかったけど、ワタシにはあの凍りついた炎のような陰湿な残忍さはとっても正視できるものではなかった。でも、画面は見ないようにはしても、音声だけはいやでも耳から入って来る。それが、ワタシの深層心理のずっと深いところに癒しきれずに残っているトラウマをかき乱したのかもしれない。

胃のむかつきや息苦しさを抑えながら、眠りに落ちるまでそんなことをぐるぐると「分析」していたように思う。それにしても、ワタシの個人的な印象でしかないかもしれないけど、日本のアニメやマンガに描かれるキャラクターには、憎悪に燃えているような顔、怒と哀の感情した知らないような顔をしたのが多いように見えるのはどうしてなんだろうな。まあ、人間は誰でも何かしら心の奥にトラウマを抱えているだろうけど、一番つらいのはそれを一番理解してもらえそうな人たちから攻撃されることだろうな。もちろん、理解してもらえると思うからつい気を許すんだろうけどな。なぜかワタシのトラウマを一番良く理解してくれたのは(文化や言葉の壁に阻まれて)一番理解してもらえそうにないはずの人たちだったから、この世はみんなパラドックス。

寝すぎたせいで背中が痛いけど、自律神経の方は自律を取り戻したようだし、まあ、どっちも頻繁に見るサイトじゃないのにいちいち自律神経をかき乱されるのもあほくさいから、これに懲りて、ニュースクリップは音声を聞かなければいいし、「見たくない」広告はおバカちゃんたちが相変わらずおつむの空洞の大きさを宣伝していると思えばいい。ここは極楽とんぼ流の「ま、いいか」の精神で行ってみるか・・・。

海外にはうまいものがない??

7月18日。日曜日。起床はごく普通の午前11時半。相も変わらず「夏日」。さあて今日は仕事をしなくちゃ、という日だけど、だらけたい気持の方がちょっとね。ま、65歳になって年金をもらうようになったら、それを税金で取り返されない範囲で仕事を続けるとすれば今のようなのんびりペースになるだろうと思うから、それまでは、だな。

元気回復したきのうの土曜日。前日は結局2食だったし、大汗をかいたりなんだりでかなり脱水したとみえて、ひと晩で体重が1キロ減っていた。おお、人生は塞翁が馬、は大げさだけど、ゆうべはイアンとバーバラと連れ立ってディナーに出かける日で、ダメかもしれないと半ばがっかりしていたから、体調が回復しておまけに体重が減ったのはなんともラッキー。4人連れでのディナー、本当は水曜日にPastisの「巴里祭」のスペシャルに行くはずが、カレシがイアンのメールを見落としたおかげで予約の電話を入れたときはすでに満員御礼。それなら、とイェールタウンにあるCioppino’sに行こうということになって、木曜日に予約の電話を入れたら土曜日は予約満杯。二戦二敗でイアンにバトンタッチして、バーバラの希望でワタシも前から一度行きたかった郊外のラドナーにある老舗のLa Belle Aubergeに決まったのだった。

行って見たら、百年以上も前に建てられたいかにもお屋敷というたたずまいのヴィクトリア朝様式の白い家。まだ「村」の雰囲気が残るラドナーの中心をちょっと外れた住宅地にあるから、前庭を玄関に向かって歩いていると、まるで誰かの「おうち」にお伺いするような気分になる。中は昔の間取りのままらしく、各部屋をテーブルが3つ、4つというダイニングルームにしつらえてあって、なかなか落ち着いた雰囲気。栄枯盛衰の激しいレストラン業界で、客が車で30分も1時間もかけて来るような場所で30年も「高級レストラン」として続いているのはすごい。世界料理オリンピックで優勝したことがあるオーナーシェフのブルーノ・マーティはスイスの出身だそうな。最初に出されたアミューズブーシュは芸術品。ワタシは雉のコンフィの入ったコンソメとラム、カレシはグリーンサラダとフライパン焼きのイワナ。蒸したか付け合せの野菜類も歯ごたえのある新鮮さで、うん、満足、満足。

ここのところ小町横町の井戸端をにぎわしていたトピックのひとつが『海外にうまいものは存在するか?』という問いかけ。自称「うまいもん好き」のトピックの主は過去に世界30カ国ぐらいを旅行したけど「真にうまいと思った料理がない」と嘆いている。外国人の夫の国の料理はまったく口に合わないそうな。グルメ本に必ずといっていいほど載っているところでも首をかしげるような味なのはいったい何なんだろう?日本人(もしくは自分)の舌が肥えすぎているのか?あるいは味オンチなのか?日本以外に絶品は存在しないのか?それとも存在するがたまたま自分の口に入らないのか?いるなあ、こういう、実は味オンチらしい人。食べ慣れないものを「まずい」としか表現できない人、舌の肥えた美食家を気取ってはいるけど、ラベルが「地鶏」と言えばブロイラーでも美味だと思ってしまう人。(ほんとに舌の肥えた人たちだったら、食品の偽装事件は起こらないだろうと思うんだけど・・・。)

トピックの主は後出しで「日本で食べるフレンチやイタリアンはうまいのに」と言い出したもので、「味覚の幅が狭くて決まった味しか受け付けない舌」、「日本人の味覚のまま食するからおいしくないだけ」、「日本風の味付け以外への舌の順応度が低い」などとかなりの言われようだけど、まさにそういう人なんだろうと思うな。外国の料理でも日本で食べればおいしいんだったら、舌と脳がグルタミン酸ナトリウム依存になっていて、それが入っていないとおいしいと感じないのかもしれない。単に日本(自分)の「ものさし」に合わないものには何でもダメ出しする人というだけだということかもしれないけど、それじゃあせっかくあちこち外国を旅してもダメダメばかりであまり楽しくなさそう。

まあ、200本近い書き込みを読んでいると、味覚というものはまさに本能に近い主観であって、だからほんっとに人それぞれなんだと思う。日本人が日本食が一番おいしいというのは日本人だからなんであって、他の国の人たちが同じように感じるわけじゃないのに、たまたま日本食好きの外国人がいただけで「やっぱり日本食は世界で一番うまいんだ」と言い立てる短絡思考の人も多い。まあ、うまいものが食べたいと外国へ出かけて行って、日本で食べるとおいしいのにこの国ではどうしてまずいんだ・・・このあたりではつい笑ってしまったけど、とどのつまりは見るもの聞くものを日本と比べて「日本が一番」を確認するための旅になっているようにも思うなあ。トピックの主にいたっては、イタリア人やフランス人に「日本で食べるフレンチの方が旨いんじゃない?(白状しなさい!)」みたいなことを言うからすごい。イタリア人やフランス人がこれを聞いたら何と返事をするだろうな。

そもそも「おいしい(旨い)」の反対語は必ずしも「まずい」ではないと思うし、ワタシは元からどこで何を食べても「おいしい」と思える能天気な人間だし、たしかに「ちょっと口に合わないな」とか「自発的に食べようとは思わない」というものには出会っても、ほんとうに「まずい」と感じたものにはまだ遭遇したことがない。日本食は特に際立って「おいしい」とは思わない。むしろ「退屈な味」だと思う。ご飯が大前提にあって、おかずの味つけの基本は醤油か味噌(そして化学調味料)だから、個性がないと言ったら叱られそうだけど、どこへ行っても似たり寄ったりの味がするように感じる。日本食の代表選手みたいな寿司だって、日本ではどこで食べても酢飯と生の魚とわさびと醤油という基本は同じ。まあ、「伝統」だから創意工夫の余地がないのかもしれないけど、食人生の半分以上を「出汁、醤油、味噌、化学調味料」のセットから遠ざかっていたから、ワタシの味覚の基準が「日本の味」でなくなっているのかもしれない。このあたりは、欧米に行って「海外にはうまいものがない」と言う日本人旅行者とどっこいどっこいというところかな。

我が家(といっても2人だけど)の食生活はいたってコスモポリタンだと思う。カナダに来たばかりの頃は経済的にも日本食には手が届かなくて、とにかく手に入るもので作れるものを作って来たんだけど、それをどうひいき目に見ても貧弱な食生活で育ったカレシがおいしいと食べてくれたから、そのまま我が家の「食文化」に発展したんだろうな。ワタシの母は料理上手だったのに、その料理を食べて育った娘が「おふくろの味」が口に入らなくてもなぜか苦痛に感じなかったのは、あんがいたいていのものをおいしく食べてしまえるごく単純な幸せな「舌」を持っているということかもしれないな。もっとも、それも母にそのようにしつけられたところが大きいんじゃないかと思うんだけど・・・。

ある夏の日の食卓

7月19日。月曜日。午前11時半、ゴミ収集車の轟音で目が覚めた。誰かがカナダはゴミ収集車も消防車も音がうるさすぎると文句を言っていたことがあったなあ。まあ、東京のゴミ収集車や消防車とサイズを比べてみたらどうしてうるさいのか納得できそうなもんだけど。今日も暑くなりそう。今の時節、このくらい暑くないと夏はどうしちゃったんだ~で終わってしまう。暑いといっても25度まで行かないごく普通の夏日だし、あとひと月もすれば恒例のPNEが始まって、ジンクス通りに雨がしとしとと降り始めるし、バンクーバーの夏を楽しむなら今のうち・・・。

久しぶりに朝食はベーコンと卵にしようということになって、それっと起きる。カレシがいつものように食洗機を空にして、テーブルをセットして、コーヒーメーカーをセットして、パンをスライスしている間に、まず大きなジャガイモ1個を細かなさいころに切って水にさらし、ベーコンを2枚、これも細切れにして炒め始める。ベーコンは細いときは3枚だけど、今日のはちょっと厚めで幅があるから2枚だけ。いもはユーコンゴールドという中が黄色のジャガイモ。いっしょに炒めてしまうから、ひとり分のベーコンの量は半分。だいたい火が通ったところで、カレシが卵を焼き始める。カレシ2個、ワタシ1個の目玉焼き。黄身が少し流れるくらいのがいいということで、もう何年も目玉焼きはカレシの担当。ワタシが盛り付けをしている間に、カレシがトマトをスライスして、パセリをちょこっと飾って、思いのほかおしゃれな朝食・・・。

見直しが終わっていた仕事をさっさと納品してしまって、さて、今日は何をしようかな。ランドリーシュートのドアを何気なく開けたら、あら、どさどさっと洗濯物のなだれ。は~い、今日は洗濯日ということね。カレシがおでかけに着て行ける半袖のシャツがないと言っていたけど、洗濯物の中に全部入っているんだからそのはず。今日は3ラウンドか、4ラウンドか?これが日本だったらとっくに「ダメ嫁」認定かなあ。洗濯機が回っている間、ちょっと(だけ)パックマンで遊んで、ときどき庭に出て、カレシがガレージの中でトマト用のトレリスを作っているのを見学。丸鋸の深さの調節方法がわからないというので、このねじをゆるめて、このシューを動かして位置決めして、ねじを締める・・・あ~あ、前にも教えたのにめったに使わないから忘れている。温室の外には青いトマトがそこかしこ。パセリもネギもミントも、ひょっとして大きなやぶになりそうな勢い。暑いから、ミントジュレップを作ってもらおうかなあ。

なんとなくのどかに夏の午後が過ぎて、夕食の時間。今日は厚みのあるオヒョウ。白さがきれいな魚は少々塩とこしょうでさっと焼くだけにして、ソースで食べるのが一番おいしい。今日は冷蔵庫に残っていたカップ入りのパイナップルとパパイヤ。ジュースごとなべに空けて、少しだけ残っていた白ワインも空けて、ついでにまだ残っていたサングリアも半分入れて、ハンドミキサーでピューレ。あとはゆっくりとリダクションして、最後にひとつまみの塩で仕上げるけだけの「南国風思いつきソース」。甘みのある白身の魚にはトロピカルフルーツがよく合う。

付け合せは何がいいかな。野菜はインゲン。あとはキノアにしようか、イスラエル式クスクスにしようか。いや、今日はリゾットにしよう。ポルチーニやシャンテレルのミックスきのこを水で戻して、味の出た水にチキンストックを足してリゾットのベース。刻んだきのこのほかに、蒸すときに長さをそろえるために切り落として取っておくアスパラガスの根元の部分を輪切りにしてリゾットに加えて、少しずつストックを足しながらゆっくり炊き上げて、仕上げに白トリュフのオリーブ油を数滴。白トリュフはイタリアのアルバ地方産のが特に有名で、1キロあたり1万ユーロ以上するそうだけど、ワタシはその香りをつけたイタリアのオリーブ油をパスタやリゾットにたらっと落とすだけでもう十分にしあわせ・・・。

[写真] オヒョウのフライパン焼き、南国フルーツソース
きのことアスパラガスのリゾット、白トリュフオイル風味
蒸したインゲン
(サラダ、カレシ特製ドレッシング)

カレシのお気に入りのソヴィニョンブランをお供にして食べながら、今日のソースは全部残りもので作ったと言ったら、カレシ曰く、「レストランのリダクションだって同じだよ、きっと。客が残したワインとか売れ残ったポートとかさ、まとめて煮詰めるんじゃないのかな」。ふむ・・・。そこのところは知る由もないけど、レストランの料理がおいしいのは、「たまに」食べるからということもあるかもしれないな。どんなに料理のおいしいレストランでも、あまりしょっちゅう食べに行くと何となく「ありがた味」が目減りするような気がする。それで、本格的に再開することにした週末の外食も、今度は前のように毎週じゃなくて月一度くらいにすることで意見が一致したのもそういう理由だった。まあ、(おそらくは観光案内や他人の「おすすめ」の)旨いグルメを求めて世界を歩くのも楽しいけど、身近で手に入る食材を家でおいしく食べる方が、なんだかおなかのシアワセ度メーターがぐんと上がるような気もするけどなあ・・・。

停電もまた楽しからずや

7月20日。月曜日、午後11時過ぎ。突然、停電。ま、停電というのは突発的に起こることなんだけど、デスクのライトが消えて、ん?と思っていたら、カレシのバックアップ電源がビーコビーコと鳴り出した。あ、停電だ。ワタシのバックアップは十分に電池があると見えて、煌々とモニターが点いている。急いでシステムをシャットダウンして、暗闇の中を手探りで懐中電灯を探しに一階へ。自分で設計した家なもので、未だに目をつぶっていても歩けるからおもしろい。カレシは見つけて渡した懐中電灯を持って外へ。ワタシはLEDのランタンを持って二階の「物見やぐら」へ。

ほぼ見渡す限り真っ暗なところを見ると、これはかなり広域だな。変電所の故障かな。携帯に入れてある電力会社に停電を通報するトールフリーの番号にかけて、言われるままに電話番号や住所のデータを入力したら、「停電発生中です。予想復旧時間は火曜日午前2時30分頃です」というメッセージが流れた。あと3時間もかかるのかあ。リビングへ戻ったら、外に消防車と救急車の赤いランプ。そうだ、ご近所に重度の障害で人工呼吸器をつけている人がいる。停電で呼吸器が止まってしまったら、命に関わる問題だな。

外から戻って来たカレシが手回しで発電して使えるラジオを持ち出して来たので、リビングのテーブルにランタンを置いて、しばしラジオのニュースに聞き入る。ニュースによると、ランガラ地区は数千戸が暗闇の中。復旧はまだ「午前2時半頃」と言っている。ラジオの電池が切れるたびにカレシはハンドルを回して発電するけど、停電したときってほんっとに何にもすることがないんだよねえ。そのうち、カレシが懐中電灯が見つからないと言い出した。あのぉ、停電で真っ暗だから懐中電灯なんでしょ?それをそこらにホイと置いたら見つかるわけがないでしょ?それってnot very bright(あたまワルイ)じゃない?でも、しょうがないからランタンを持って家中を懐中電灯を探して歩く。懐中電灯はラジオを置いてあったところにあった。やれやれ。ラジオのニュースでは市内の2ヵ所で停電中。どうなってるんだろう、まったく。

ランタンの明かりでとりとめのないおしゃべりをしていたら、夜中のランチの時間が近づいて2人とも「おなか空いた」。カレシが「何か電子レンジでさっと温められるものないの?」はあ?あの、ただ今そこら中が停電しているんだけど。笑ったらよけいにおなかが空いてくるから困ったもので、ドライブがてら開いているファストフード店を探そうということなった。この際、コレステロールがどうのこうのと言ってはいられない。トラックで街灯も信号も消えた道路からキャンビーへ出たら、片側は停電、反対側は明かりが煌々。明暗を分けるとはこのことだろうな。市役所のそばのWhite Spotはとっくに店じまい。少し先のWendy’sはドライブスルーだけ営業中。そのときに点ったのが頭の上の電灯(駄洒落が多いなあ、こういうとき)。デニーズがあるよ、「いつも開いている」デニーズが!あそこならきっと停電していない。

一路、トラックを逆方向へ。あれ、来るときは真っ暗だった東側の街灯が点いている。念のため、回り道をして家の前を通ってみたら、ちゃんと門灯が点いている。午前12半。早々と復旧したようで何より。だけど、家に戻ってランチを作るのもめんどうだからと、そのままデニーズへ。週日で真夜中を過ぎているのにけっこう客が入っているからびっくり。メニューはと見ると、これがもろにジャンクフード。コーヒーも昔ながらの「コーヒー風味のお湯」。それでも、カレシの注文に山のようについて来たオニオンリングから玉ねぎだけ引っ張り出して食べては、2人でくすくす。何だかティーンエイジャーのデートのような気分。カレシも「夜中過ぎに食いものを探しドライブして回ったのは十代の頃以来だなあ」と、何だか楽しそう。うん、これなら大停電も楽しからずや。

帰宅、午前1時。停電したときに点いていた明かりは何事もなかったように煌々。ほんとに久々のジャンクフードでおなかがかったるい。さて、狂ってしまった時計やタイマーの類をリセットして回らなくちゃ。いったい、いくつあるのか・・・。


2010年7月~その1

2010年07月11日 | 昔語り(2006~2013)
ハッピーバースデイ、カナダ!

7月1日。木曜日。どうもすっきりしない天気だけど、今日はカナダデイ。カナダの143回目の「誕生日」。首都オタワでの祝典は、今年はエリザベス女王とフィリップ殿下が参加してことのほか盛大でにぎやか。カナダは新大陸北アメリカの国だけど、れっきとした「立憲君主制国家」なのだ。つまり、エリザベス女王は「カナダ女王」でもあり、「カナダ総督」に国家元首の機能を代理させているわけ。女王陛下がカナダに来るときは、「イギリス女王のカナダ訪問」じゃなくて「カナダ女王」として領地に来るわけで、代理の総督は引っ込むことになり、現にミカエル・ジャン総督は上海に出向いて、万博でカナダ国家元首の代理業務をやっている。

ワタシにとっては35回目のカナダデイ。1960年代のピアソン政権以来、1970年代前半にかけて、カナダでは国旗のデザインが新しくなり、公用語がバイリンガルになり、多文化主義に則って移民法が大改正されてアジアからの移民に門戸が開かれ、公的な医療保険や年金の制度ができ、メートル法が施行されて・・・まあ、ワタシが来た頃には今のカナダの形が整ったところだった。あの頃にも日本では「カナダ移民ブーム」みたいなものがあったけど、今と違ってほとんどが家族同伴の男性で、数もせいぜい年間数百人くらいだったらしい。自分たちを「新移民」と呼んで、戦前からの日系人と区別していたけど、今では「新一世」ともいうらしい。とすると、バブル以来続々とやって来て、「新移民」とは一線を画している若い移民世代は何と呼べばいいんだろうな。ひょっとして、「新々移民」?いや、ローカル掲示板でカナダが長い移民は性格がどうのこうのと言っているうちは、あんがいまだ「海外在住日本人」なのかもしれないな。まあ、若い人たちだから、「長い」といっても、想像できる範囲は自分がまだ生まれてもいなかった35年前の大昔までは及ばないだろうと思うけど。

それはともかく、ワタシにとっては35回目のカナダデイだけど、カナダのすべてがあたりまえに感じるし、この日には必ずテレビのニュースになる新市民の宣誓式も、ワタシにとってはもう30年も前のことだし、35年はワタシの人生の半分以上だから、それが長いかどうかはもうどうでもいいよねえ。正式にカナダ人になった30年前の宣誓式ではカナダの女王としてのエリザベス二世への忠誠を誓う一節があったっけな。今はもうやらないけど、あの頃はまだギデオン聖書協会の人が新市民全員に新約聖書を配っていた。まあ、35年の間にカナダもいろいろと変わって来たけど、ワタシはずっと変わることなくカナダが好き。カエデの国旗が好き。国歌「O Canada」が好き。だって、カナダという国も社会も優しかったから。少し変わった人間でもそのまま受け入れてくれたから。苦しんでいたときにも踏みつけにしないで、抱き起こして自力で歩けるまで支えていてくれたから。

カレシは「ボクの生徒たちでも、市民権を取った人たちほどカナダへの思い入れが強くて、みんなカナダが好きだと言うなあ」と感心したようなことをいうけど、それはあたりまえ。自分の意志でカナダに移民しようと決めて、カナダに生活の場を築いて、自分の意志で「カナダ市民」になることを決めた人たちなんだから。もちろん、カナダ国籍を保険かなんかのように考えたり、外国籍や二重国籍をグッチのバッグと勘違いしていそうな人たちもいるけど、そういう人たちはある意味で根無し草のようなものなのかもしれないよ。だって、後にして来た母国への誇りや愛国心や、あるいは執着が強い人は、強制されていないのにわざわざカナダ国籍を取ろうと思わないだろうし、(たとえ幻でも)二重国籍をひけらかそうとも思わないだろうから。まあ、そういう人たちにでも国籍を欲しいといえばあげてしまう能天気さもまたカナダのいいところなんだけど。

なにはともあれ、ハッピーバースデイ、カナダ!

祝日と週末の間の平日

7月2日。金曜日。朝の7時過ぎにトントコトントコいう音で目が覚めてしまった。それほど大きな音ではないのに妙に気なる音。平日の金曜日だし、午前7時過ぎだしということで、どこかでトンカチ仕事をしているのかなと思ったけど、それにしてはトントコトントコ、トトトトトントコと、ちょっとリズム感が良すぎる。ん、これってドラムの音じゃないのかな。だけど、ロックバンドのようなズンズンというベースの音がしていないから、太鼓のようなものか。カレシは耳栓をしたままですやすや眠っているから、騒音と言えるものじゃないのかもしれないけど、ヘンに中断された眠りはやっかい。

それでも何となく眠り直して、起きたのは正午。まだトントコトントコ。外へ様子を見に行ったカレシがふくれっつらで戻って来た。ブロックの向こうの歩道で野外パーティをやっていて、インド音楽をガンガンかけているんだそうな。ははあ、太鼓の音だったんた。それにしても、野外パーティって、カナダディの行事はきのうだったはずだけど。そう思いつつ窓の外を見たら、ブロックの向こう端に大きなパーティ用品レンタルのトラックが見える。なるほど、コミュニティのパーティというよりは、あっちの通りのインド系の家族が結婚祝いか何かのパーティをやっているのかもしれない。パンジャブ地方の伝統かもしれないけど、とにかく人が大勢集まって、朝から夜遅くまで「外」でガンガン音楽をかけて大変な騒ぎをやらかすので、時としてご近所との軋轢も起きるけど、これは庭で足りなくて歩道まで占拠してのパーティか・・・。(まあ、音源の方向に窓がある寝室と違って、半地下のベースメントではほとんど聞こえないから、いいんだけど。)

となりのブロックで歩道パーティをやっているかと思えば、ふと下を見たら我が家の横の歩道の芝生に「臨時駐車禁止」の標識が寝かせた形でおいてある。道路も向かいもそうだから、どうやら舗装工事をするという「予告」らしいけど、「駐車禁止」というだけでまた「日時」の表示がないから、カレシがむくれる。市役所のコールセンターに電話して問い合わせても、祝日と週末にはさまった金曜日とあって、工事担当の部署は「本日の業務は終了しました」というメッセージ。おいおい、冗談じゃないよ。今日は「平日」でしょうが。なのに「業務終了」って、これだからお役所ってのは~と言われるんだってば。もっとも、そんな調子だったら週末の作業はないだろうから、トラックは日曜日の夜に移動しておけば問題ないと思うけどね。それにしても、何だかまた睡眠パターンがかく乱されそうな予感で、日曜日午後に納期の仕事が、これを済ませたら後は1週間の休みだというのに、あ~あ、調子が上がってこないなあ。

だらけたついでにのぞいてみたgooのランキング。『実は本来の呼び方を知らないカタカナ略語』というのを見たら、トップはハイデフ(ハイデフィニション)。テレビの最新技術じゃないかと思うんだけど、初めから略語で普及しちゃったのかな。後はオフレコ、インフラ、ゼネスト、リストラ、ゼネコン、ハンスト、ナンクロ、チューハイ、ボディコン。次いで、トレカ、フリーター、エアコン、ラジカセ、デフレ、ファミコン、インフレ、セクハラ、メタボ、パソコン。う~ん、ほとんどはふだんからフツーに使っているカタカナ語だよねえ。ワタシが?だったのは20語中で「ナンクロ」と「トレカ」だけ。まあ、このランキングに参加する人たちの年齢層から推測するに、ラジカセやファミコン、ハンストはちょっと昭和すぎてわからないのはしかたがないか。だいたい、iPod隆盛の今どき、ラジカセが何か知っている人はいなんじゃないかと思うけどなあ。

それにしても、日本人の造語力にはいつもながら驚くばかりだけど、今どきはたいていが「カタカナ語」で、しかもそのほとんどが4音節なのはどうしてかなあ。シラブル4つが日本人の語感なのかな。何にしても、英語もやたらと略語が作られる世の中になったけど、近頃の日本語は「略語化現象」が前にも増してものすごい勢いで進んでいるという感じがする。言葉をどんどん端折って軽量化してしまう心理って、何かあるのかなあ。こういうのがどんどん翻訳原稿に登場するようになったら、どうしよう。日本語の「短語帳」を作って勉強するか・・・まっ、しゃれにもならないけど。

海の上で野辺の送り

7月4日。きのうの土曜日は午前10時に目覚ましをかけて起きて、あわただしくあっという間に過ぎたような気がする。なんとなく疲れが気分が取れないのは、たぶんに精神的なこともあるんだろうけど、おかげで早目に寝たはずなのに、今日は二人ともなんかどんよりとしたままで目が覚めた。

雨がちとと曇りがちと、2つに分かれた土曜日の天気予報。どうやら曇りがちの方に軍配が上がって、薄雲から青空が垣間見える天気。あわただしく朝食を済ませて、海の上は少々涼しいかなと思って、ジャケット持参でチャーターした船が係留されているダウンタウンのマリーナへ。11時半には4世代の家族と近い人たち17人全員が揃ってチャーターした船に乗った。パーティ用にキャビンにバーやテーブルをしつらえた船は長さが12メートルくらいで、定員30人。船長と助手と2人で運行。

フォルスクリークの奥、カジノの隣にあるマリーナを出て、キャンビー、グランヴィル、バラードの3つの橋の下をくぐってイングリッシュベイに出る。北側ではジャズフェスティバルのコンサートをやっているし、南側のグランヴィルアイランドからバグパイプの音が聞こえて来る。カレシのパパがかってボートを係留していたマリーナがある一番外側のバラード橋をくぐると、キツラノのビーチでは夏の風物になっているシェークスピア劇のテントが張ってあるし、海の上はヨットレースの最中。両側のビーチにはたくさんの人が日向ぼっこ。その後のスタンリー公園の反対側から延々と続いている遊歩道はサイクリストやそぞろ歩きの人の列。キャビンの上のサンデッキに立って気持のいい海風を受けていると、バンクーバーにも夏が来たんだなあという感じがする。港を見下ろす丘の上で生まれて、太平洋を見下ろす丘の上で育ったワタシには、やっぱり海の景色が一番しっくりする。

パパが日曜日ごとに釣りに行っていたところまで約1時間半。ウェストバンクーバーを過ぎて、ハウサウンドの喉元にあるボウエン島の南西側の、「小さな灯台があって、その先のがけの上に白い家が見えるところ」がパパのお気に入りの釣り場だったらしい。自家用の船着場を持った高級住宅が点在する島の南を回って、あった、まるで鉛筆を立てたような細い灯台。そのまま数分行くと、がけの中途に白い家が建っている。少し先まで行ったみたけど、白い家はその1軒だけなので、船をUターンして「このあたり」というところでエンジンを止めてもらった。薄日が差してきて、風もなく、波も穏やか。次男のジムが遺灰の入った箱を開けて、まず69年連れ添ったママにひとすくい。こっちの火葬は日本と違ってほんとうにさらさらの灰になるまで焼くから、白い遺灰は海の上にさあっと広がって、それから波に揺られて徐々に沈んで行く。

サンデッキに座ったままでためらっていたカレシだったけど、みんなに促されて降りて来て、渡されたひとすくいの灰を無言で海に落とした。ジムと末っ子のデイヴィッドに続いてワタシも「大きな魚を追いかけてね~」とひとすくい。血のつながりはなかったけど誰よりもおじいちゃん子だったビルは目をしょぼしょぼ、鼻をぐすぐすさせながら散灰。4人のひ孫たちもそれぞれに散灰して、ひいおじいちゃんとお別れ。最後にジムのガールフレンドのドナと、マリルーの親友でよく家族の集まりに来ていたブレンダも加わって、パパの遺灰はすべて海に流され、船の周りの海はしばらくの間緑がかった乳白色になっていた。みんな一斉に手を振って、海の上の野辺の送りは終わり。船のエンジンがかかると、海面近くに漂っていた灰も波にかき混ぜられて海中に消えていった。

ハウサウンドを少し回って午後4時にマリーナへ戻り、そのまま郊外の中華料理屋に場を移して、わいわいと飲んで食べて、にぎやかに故人を偲ぶ夕食会。ま、パパは湿っぽいことが大嫌いだったから、きっと喜んでいるだろうな。カレシは元々自分の感情をうまく言葉で表現できない人だから何も言わない。だから、どう感じているのか、何を思っているのかはわからないけど、ここのところ何となくピリピリした雰囲気が感じられたから、カレシなりに思いをめぐらしていたんだろうな。ワタシは40代の半ばまでに両親とも亡くしてしまったけど、カレシにとっては自分も老後に入ってからの親の死。きっと折り合いのつけ方も違うだろうと思う。

でも、死んでから広い太平洋をゆらゆらと漂うのはいいと思う。ワタシもやがて死を迎えたら、灰を「太平洋の真ん中」に撒いてもらって、東のカナダか、西の日本か、あるいは半分ずつ両方に行くか、究極の行き先を太平洋の波に任せてみたいな・・・。

ワタシとカレシと、これから・・・

7月5日。月曜日。今日から晴れて「休みモード」。まだいくらか疲れた感じが抜けないけど、なんとなくひとつの「読点」がついたような気がしないでもない。男にとって自分の人生に多かれ少なかれ影を落として来たであろう父親の死がどんな意味合いを持つのか、兄弟がいない女のワタシにはわからない。同名の父親がいる限り、息子は何歳になっても「ジュニア」。世の中で功名を成し遂げた親であっても、箸にも棒にもかからないダメ親であっても、心理的に越えられない「壁」のようなものがあってもおかしくないと思う。でも、カレシにはその「壁」がもう存在しないのだから、これからは頭の上のつかえも背中のつっかえ棒もない自分だけの「自分」。それを実感したときに、自分の足で立つか、どこかに寄りかかるか・・・。

何となくそわそわした様子のカレシを見ながら、ワタシもここでちょっと気持を入れ替えたい気持がしきり。それぞれの親と過ごした時間よりもずっと長い年月を一緒に暮らしてきたのがワタシとカレシ。そこで(といってもあまり脈絡がないけど)、きのうはテンプレートをこれと思うものに変えてみたんだけど、う~ん、ちょっとまぶしい。底抜けの青空に白い雲がぽっかりというのは、たしかにすかっとしそうな明るさがあるけど、やっぱり霧深い最果ての街で生まれ育ったワタシは「夏の子供」じゃないもんなあ。ということで、あれこれ試してみて落ち着いたのがこの「サンマ」。「ふるさとの魚」のようなものだし、いずれは太平洋を終の棲家とするつもりなんだし、まあ、のほほんと泳ぐ姿がなんとなく・・・。まあ、ブログのテンプレートを変えたからって、書いている人間の中身が変わるわけはないんだけど、親なし子のワタシと、もうジュニアじゃなくなったカレシが、これから少しずつでも「いい老夫婦」になって行けたらめっけものの、・・・。

市役所が知らない幻の道路工事

7月5日。さて、「休暇初日」の月曜日の朝。目覚ましをセットしてあった午前10時にあと3分というところで、家の外の騒音で目が覚めた。金曜日に歩道の芝生に寝かせてあった「臨時駐車禁止」の標識が、きのう日曜日の午後に忽然と姿を消したもので、予定が変わったと思ってトラックはそのままにしておいた。やっぱり作業を始めたらしいけど、10時というのはどうも半端な時間。とにかく路上のトラックが心配になって起きてみたら、道路を通行止めにしただけで、道路の真ん中で市のトラックが1台と作業員が3人で「何となく」アスファルトをカットする作業をしている。駐車禁止の標識はないし、トラックが邪魔になっている様子もないから、こっちはひと安心。

工事といっても、電力会社が掘った幅がせいぜい50センチくらいの溝をアスファルトで仮舗装してあったのが冬の間に沈下したので本舗装するだけ。半日もあれば済みそうことなんだけど、そこがお役所仕事のおもしろいところで、金曜日の早朝に標識を置いて行ったのは交通規制担当の部署。日時を指定していないを怒ったカレシの苦情電話と関係がありそうだけど、なぜか休みの日曜日のうちに誰かが標識を全部回収して行ったらしい。(休日出勤手当稼ぎかな?)。それで作業は中止かと思ったわけだけど、ボイスメールには午前8時37分に入った市役所からのメッセージで、「道路工事の日程表にはお宅付近での作業予定は入っていません。予定が決まったら改めてお知らせします」。はあ?実際に外で作業をやってるんだけど。物好きなカレシがさっそく電話したけど、向こうは予定にないと言い張っているらしい。道路に赤ペンキでマークをつけていた(市の)人は歩道の縁石の修理を含めて舗装工事をすると言っていたけどなあ。

まあ、カレシが担当者と押し問答をしているうちに外は静かになって、本日の「予定にない」工事はおしまい。といっても、舗装したわけではないから、明日あたりまた来るつもりなのかもしれないけど、市役所の工事日程表には予定がなくても市のトラックが作業をしに来るというところがなんとも不思議なお役所仕事。ま、あしたも午前10時に目覚ましをかけておこう・・・。

旅籠屋「極楽とんぼ旅館」

7月6日。火曜日。目覚ましを午前10時にセットしておいたけど、案の定、9時半に外で重機の音。なんで午前7時始業の部署が9時半なのか不思議だけど、これも「予定にない」工事なんだろうな。きのうカットを入れたアスファルトを剥がして、トラックで搬出。そこへほかほかと湯気の立っているアスファルトが到着して、ざざっとおろして、ローラーで均して・・・あはは、朝食が終わる頃には今日の作業はおしまい。でも、よく見たら、新旧の舗装に少しばかり段差がある。なるほど、これはまだ予備の作業で、そのうちに「どこかで手が空いたら」仕上げるつもりらしい。あしたか、あさってか、神のみぞ知る、かな。

遠い郊外のマリルーのところに泊っていたデイヴィッドから電話が来て、今夜から我が家に来ていいかという。あさって4人でウィスラーへ1泊旅行する予定に合わせて明日の夜から我が家に泊ることになっていたけど、ジュディの妹夫婦のところで食事をするので、そのまま我が家に来て、明日はレンタカーを返してしまいたい、と。今夜はカレシの英語教室があるし、ワタシは即興演劇のクラスがあるので午後9時15分くらいまでは誰もいないから、それ以降に来てね、ということで話がまとまった。ジュディのお父さんがアルツハイマーは発症して介護ホーム入りしたのをお母さんが気に病んで食事も喉を通らない状態になって、次女夫婦がめんどうをみているそうで、ジュディにお母さんとゆっくり過ごさせてあげて、我が家には寝に来るだけでいいからね。

それでも朝食用のパンを焼いて、野菜を仕入れ、地物のいちごとブルーベリーを大盛パックでどっさり仕入れ、ビールを中心にお酒を仕入れて、旅籠屋「極楽とんぼ旅館」の開業準備。あとはフトンを引っ張り出して、寝るところをしつらえるだけ。ワタシもカレシもお客に行って手取り足取りでがんじがらめの溺愛サービスをされるのは窮屈でしかたがないから、我が家に来るお客にも遠慮しいしいの窮屈な思いはしてほしくない。いつも散らかっているけど不潔なわけじゃないから、客が来るからといって大みそかの大掃除のような大騒ぎはやらない。予めこういう形になるけどと説明しておいて、「何のおかまいもしませんが、気兼ねなくごゆるりと」と、手みやげもお返しも求めないのが我が家のホスピタリティ。まあ、我が家には小町に「家は片付いていないし、こっちは客なのにまともなもてなしもしてくれなくて・・・」なんて不満をぶちまけるような疲れる客がそもそも来ないから楽なんだろうけど。

今夜の演劇クラス、D氏ははたして現れるのか。というのも、先週のクラスでいつのまにか忽然と教室から姿を消してしまったのだった。大柄な人なのに、出て行くのに気がついた人がいなかった。だから、どうして途中でいなくなったのか誰もわからない。先生の説明を理解しかねていることが多くて、コミュニケーションがすれ違いがちな人なんだけど、初日の自己紹介では「日本で9年英語を教えたことがあって、バツ1で元妻は日本人」と言い、干支がどうのこうのと言いながら遠回りに「三十代後半」と自己申告。隣に座っていたときには、ペンを出して自分の腕に「いい男」と日本語で書いて見せたから、おいおい、キモイおっちゃんやなあ、あんた。(ワタシは干支がふた回りも上なんだからね!)そんな風にぬ足差し足で姿を消すのはなんか大根役者的だけど、はたして来るのかな、今夜は・・・。

3日がかりの鉄道の旅

7月7日。水曜日。きのうの即興演劇教室に現れたのは結局パーシーとワタシの2人だけ。去就が注目?されたD氏は先生が残したメッセージにも応答しなかったそうな。やっぱり「合わない。やめた」ということらしい。パーシーと2人だけで観客は先生だけだったけど、「台本つきの即興劇」という一見矛盾したスキットをやってみたら、これがおもしろい。台本は他愛のない短いせりふのやりとりなのが、役どころ、2人の関係、場面の設定、直前の状況の組合せを何通りも自在に変えてやってみると、単純なせりふがそれぞれに意味を持つようになり、ひとつの短い芝居ができ上がる。3本ほどの台本を6通りくらいずつやって、なるほど・・・。

デイヴィッドとジュディが来て、隣のパットを呼んで、5人で飲みながら夜中過ぎまでおしゃべり。パットは共通の友人を通してジュディの両親をよく知っているし、デイヴィッドとは大学の工学部で1年違い。ほんとうに世の中は狭いなあと思う。午前2時を過ぎてから、大急ぎで寝るところをしつらえて就寝。道路工事があるかどうか心配だったけど、どうやら今日はほんとに「予定なし」だったと見えて、4人とも起き出したのは10時過ぎ。カレシとデイヴィッドは少々二日酔い気味。

得意のベーコンポテトとアスパラガス入りスクランブルエッグで朝食。ちょうと終わった頃にシーラとヴァルが掃除に来たので、人口密度が高すぎるから、デイヴィッドはレンタカーを返しに行き、ジュディとワタシは地下鉄でWhole Foodsへショッピング。今日は予報どおりにすご~く暑い。同じように熱波が襲来して、湿度が75%もあって体感温度は45度近いというトロントに比べたら、湿度が50%そこそこのバンクーバーはましだから、文句は言えないな。それでも、60代のおばさん2人、スリーブレスのTシャツにショーツ、サンダル履きのいでたちで、トートバッグを袈裟懸けにして、つばの長い野球帽を目深にかぶっておでかけ。だって、暑いんだもん。

思いつきでメルルーサに南アフリカのペリペリ入りのあんずソースとパン粉を混ぜたクラストを載せてオーブンで焼いた夕食。初めてキノアや粟を見たというジュディのリクエストで付け合せは黄色いピーマンとアスパラガスを刻んで炊いたキノア。これに蒸したインゲンを添えて、リビングの一角にあるダイニングテーブルで、今や「ハウスワイン」になったニュージーランドのKim Crawfordのソヴィニョンブランで乾杯。まあ、見映えのするご馳走メニューになったかな。今日はカレシの英語教室のワンサイクルの最終日なので、デイヴィッドとジュディを見学がてらの会話の練習台に同伴してお出かけ。

残ったワタシは明日のウィスラー行きの準備。朝早起きして行けば、ウィスラーに着くのは昼ごろ。土木技師のデイヴィッドの希望で、ウィスラーとブラッコムの2つの山を結ぶ地上からの高さが450メートルとかいう壮大なゴンドラに乗って、夜は私たちがずっと前から行ってみたかったAraxiでディナー。ちょっといいホテルに1泊して、金曜日は夕方までにのんびり帰ってくる、という日程。デイヴィッドとジュディはその夜8時発のカナダ横断鉄道でトロントまで3日がかりの旅。カナダ国鉄OBのデイヴィッドは鉄道運賃が無料になるからそんな長い旅をするんだけど、ちゃんと料金を払って乗ったら何と800ドル近く(プラス食費)かかるんだそうな。それだったら飛行機の方が安いんじゃないのかなあ。時差ぼけはするかもしれないけど、5時間でトロントに着いてしまうから、3日分の食費がかからないし、何よりも(飛行機よりは心地はいいとしても)座席で寝なくてもいいし・・・。

だけど、時差ぼけの体でいきなり体感温度45度の熱波の中に飛び込むのはちょっとつらいかもしれないな。まあ、大西洋岸から太平洋岸まで広がるだだっ広い国をかって幌馬車に揺られて西部まで移動してきた開拓者の子孫なんだし、のんびりと本を読みながら旅するのも悪くないかもね。さて、ワタシもそろそろウィスラーへ持って行くものをまとめるか・・・。

ウィスラーは猛暑だった!

7月9日。ウィスラーは猛烈に暑かった!木曜日。朝8時に起きて朝食。午前9半にエコーで出発。ウィスラーまではハイウェイを125キロ。途中の景色はいいんだけど、ぶっ飛ばすドライバーが多いから、見とれていると危ない、危ない。ウィスラーヴィレッジまでは順調だったけど、デイヴィッドのGPSシステム(カーナビ)の指示通りに行ったら、住宅地のようなところでホテルは影も形もない。おかげで、船頭多くして何とかのことわざの通りに4人であっちだ、こっちだとぐるぐる走り回ること20分。何のことはない、ホテルのある「ブラッコムウェイ」がヴィレッジの駐車場をぐるりと回るようにカーブしているもので、ハイウェイからホテルのあるアッパーヴィレッジに通じる道路を行くと、同じ道路に二度ぶつかるためにGPSは混乱してしまったらしい。ホテルは二度目にブラッコムウェイに出会うところにでんとあった。ふむ、GPSに頼りすぎるのも考えものだな。

それでもホテルに着いたのはチェックインより2時間以上早い昼前。チェックインを済ませて、部屋の用意ができたら携帯に知らせてもらうことにして、レストランに直行。オリンピックと冬スキーのシーズンが終わって、今はいわゆる「ショルダー」シーズン、つまり閑散期。客がまばらだからサービスは極上。部屋の用意ができて、荷物を置いたら、早速アッパーヴィレッジ(ブラッコム)にゴンドラとリフトのチケットを買いにでかけた。だけど、暑い!当初はチケットだけ買って後はレストランの予約がてらヴィレッジをそぞろ歩きのつもりだったので、背中丸出しのドレスのいでたちで出かけたのに溶けそうなくらいに暑い!湿度が低いからべとつかないけど、暑い!!

それが10ドル足せばリフトとゴンドラが2日間乗り放題ということで、2日通用のチケットを買ったもんだから、そのまま4人乗りリフトに乗ってしまった。集めた資料によると、最初のリフトで垂直に565メートル、乗り換えてさらに623メートル。ウィスラーヴィレッジの標高が670メートルだそうだから、一気に垂直距離で1800メートルも登ってしまう勘定(ブラッコム山は標高2284メートル)。あたりはまだ(少々汚れているけど)雪景色なのに、ちっとも涼しくない!そこからお目当ての「Peak2Peak」の赤いゴンドラでウィスラー山へ。壮大なロープウェイは全長が直線距離で4.4キロ。地表から一番高いところで436メートル。タワーの間隔は最長で3キロ。3キロもケーブルを渡すんだからヘリコプターを使ったのかと思ったら、実は山→谷底→山とケーブルを敷いて行って、両側から何日もかけて引っ張り続けて張り渡したんだそうな。雪解けの急流がある谷底を見下ろすと、流れが止まって見えるくらいに高い!

ウィスラー側に着いて、そのまま別のゴンドラでヴィレッジまで降りて、お目当てのレストランに行って予約。ホテルまで炎暑の中を道に迷いながら帰りついて、しばし休養。テレビをつけたら最高気温は摂氏32度だったとか。山の上のリゾートなのになんでこんなに暑いの!?ま、ひと休みしたら、駐車係に車を出してもらって、ヴィレッジの駐車場までほんの2、3分。ヴィレッジの中心には車を乗り入れることはできない。ディナーは期待通りにすばらしかった。レセプションにおいてあったAraxiの料理本が欲しいから勘定に追加してと頼んだら、サーバーがワタシの名前をメモして行って、表紙の内側にシェフのメッセージ入り直筆サインをもらってくれた。食道楽には最高のおみやげ!

夜はお疲れ気味のジュディをホテルに残して隣のシャトーウィスラーのバーへ遠征。当初はこっちに泊るつもりだったのが、大きな会議があって満室ということでフォーシーズンズに乗り換えたたんだけど、どうやらアップル関連らしく、いたるところでノートを持った比較的若い人たちがごろごろしている。バーでも片隅で3人の男性がカクテルを飲みつつ、それぞれのノートの画面をにらんで(たぶん)仕事をしている。我々3人組は反対側のテーブルに陣取って1時間ほどのんびりとおしゃべり。夜が更けるとさすがに涼しいと感じるけど、暑い、暑い、とにかく暑い木曜日の終わり。

金曜日。午前7時過ぎに起床。ウィスラーはまだ暑かった。部屋のエアコンが効きすぎたのか少々涼しいなあと思ってバルコニーに出てみたら、う~あじあじ~。この分だとまた30度は行きそうな気配。隣の部屋の2人と連れ立って朝食。レストランには家族連れがちらほら。気を利かせてか奥の静かな一角に案内してくれた。今日はコレステロールも何も気にしないでしっかり腹ごしらえ。チェックアウトして、荷物を預けて、またきのうと同じルートでPeak2Peakゴンドラの駅まで行く。こんなに暑いのに、これ、この通りの雪景色![写真]

今日は赤いゴンドラではなくて、銀色の床の一部がガラスになっているのに乗る。レールに寄りかかって見ていると、きた、436メートルの谷底。箱の中なので怖いと言う感じはしない。さて、ウィスラー側に渡ってアイスクリームを食べてたりしていたら、観光案内係なのか、別のリフトまで10分ほど歩くと、ウィスラー山の山頂(2182メートル)まで行ける、と地図を渡して勧誘?していた。見ると駅はかなり下のほうだけど、ケーブルをたどって見上げてみたら・・・ええっ、あんなところまで行くの・・・?[写真]

リフトの駅までの道はクログを履いた足にはちょっと難儀だったけど、行く先を見上げると、うへ、なんだか怖そう・・・。それでも一路頂上へ。これがまたくらくらしそうな急角度で登るからすごい。絶壁が衝突するかと思うくらい目の前に迫って来て、う~ん、やっぱりちょっと怖いなあ。(高いところは平気のカレシもさすがにちょっとばかりぞくっとしたそうな。)足をぶらぶらなんて気分にはなれなくて、無意識にしっかりとつかまっていたような。不気味なくらいにし~んと静まり返った空間をまるで吸い上げられるようにして山頂に着いてみたら、おお、日差しはきついけどやっと「涼しい!」という気分。ぐるりと360度、つい「ヤッホー」と叫んでみたくなるような山頂の風景。登山者に人気のBlack Tusk(黒い牙)と呼ばれる古代の溶岩ドーム。ハイウェイ側から見ると三角の庇のようにせり出して見えるけど、こうして反対側から見ると「牙」というよりはゆったりと構えた人の形に見えなくもないかな。Black Tuskの標高は2319メートルとか。[写真]

チェアリフトは山頂まで上がるのがちょっと怖かったけど、前向きに降りて行くのは急斜面を落ちて行くような感じになったりして、尾てい骨の辺りがぞくぞく。それでも、10年ほど前に急に始まった高所恐怖症が完治したのか、緊張はしても「凍りつくような恐怖感」はなかった。急な上り坂を息を切らせながらゴンドラの駅に戻ってブラッコム側へ戻り、またチェアリフト2本を里へ向かって降りる。途中で熊の親子連れに出会った。といっても、こっちは空中からの「高見の見物」。2匹の小熊がなんともかわいい。カレシが上がって来るチェアの4人組に「熊がいるぞ~」と知らせた。リフトの下は熊の生息地になっていて、「熊に遭遇したら」という標識があちこちにあるけど、野生の動物はやっぱり遠くからそっと見るのが一番。[写真]

最後のリフトに乗り換える頃にはショーツから出ていた足が腿から足首まで真っ赤。露出した肩も首筋も胸も真っ赤。日焼けはいけないと言われるけど、これではもう焦げる一歩寸前くらいの焼け方だなあ。まあ、太陽が燦々と輝く青空の下で宙吊りの一日だったもんね。顔だけはSPF40の日焼け止め入りのクリームを下地に塗っておいたから、大丈夫そうだけど・・・。

ヴィレッジでおみやげ屋をのぞいて、冷蔵庫マグネットとクリスマス飾り、貴石のペンダント3個。ホテルで車と荷物を引き取って、いざ帰りなん。食事のタイミングが合わないままバンクーバーまで来てしまって、急遽スーパーに寄って冷凍ピッツァを仕入れ、家に帰りつくなりオーブンを温める。ピッツァとビールの夕食をあわただしく済ませて、VIA Railでトロントへ向かうデイヴィッドとジュディを駅まで送り届けて、けっこう忙しかった1週間の終わり。「これでやっと普通に戻れるなあ」とは、少々お疲れ気味のカレシの言葉。でも、4人でつるんで遊んで回って楽しかったよねっ。デイヴィッドとジュディのなんともかみ合わない口げんかを聞いていておかしかった。夫婦も十人十色、百組百様だなあと改めて思ったけど。

さて、待ちきれないクライアントからもう仕事が入っているから、明日だけゆっくりと休養して、また鉢巻を締めるか・・・。

パワーストーンとは知らなかった

7月10日。土曜日。起床は午前10時半。きのうは疲れて早寝してしまったので、どうもまだ「早起きモード」のままらしい。ウィスラーへ行く前からずっとかけっぱなしだったエアコンがちょっと涼しく感じられたけど、まだ暑いことは暑い。ワタシは外へ出なくてもいいから助かるけど、カレシは(今頃になって)日焼け止めを塗って庭仕事。デイヴィッドとジュディが乗った列車はまだBC州を抜けていない。アルバータ州のジャスパーに着くのが夕方で、州都エドモントンに着くのが午後11時。うん、なにしろ4,466キロを乗り通す長い旅だから・・・。

仕事は明日からはじめることにして、今日は骨休めの一日。赤くなるほど焼けた胸や背中、足がかゆくてしかたがない。まさにサンバーンというやつで、これは盛大に皮が剥けそうな予感。そこはメラニン色素が多めのアジア人種なのでそれほどのことでもないけど、コーカサス人種の中でも特にアイルランド系に多い赤毛の人は大変らしい。夏が来ると1回30分で色よく焼けてしまうワタシは長い睫毛まで赤毛だったカレンにいつもうらやましがられた。同僚だった彼女は文字通りのホットピンクになって見るからに痛々しい。それでもなお小麦色の肌を目ざして週末はビーチに寝そべっていたから何をかいわんやだけど。

きのうウィスラーで買った3個の貴石。それぞれに小さな説明書が付いて来たので読んでみたら、これがけっこうおもしろい。おもしろついでに日本語でググって見たら、なんとどれも「パワーストーン」というなんだかわからないジュエリーの区分に属するらしい。どうやら「healing stone(癒しの石)」と似たようなものらしく、日本ではこの「パワーストーン」なるものを売る小さな店をあちこちで見かけたから、たぶん日本で流行っているものなんだろう。まず、ラピスラズリ。この石と共に瞑想すると、知恵と知性と決断力がアップして、ポジティブ思考になって、表現力がアップして会話がうまくなるんだそうで、ついでに美肌効果まであるとか。鉱物としては青金石という名前だけど、夜明けが近づいているときの空の色というか、夜の深さと朝の光の間の青というか、「瑠璃」という名の響きの方がふさわしい。

ショーケースの中で目に止まったとたんに「あっ、欲しい!」と思ったのが、小さな目玉が点々とあるなんとも不思議な模様のオーシャンジャスパー。混じりこんだ鉱物が粒々になって見えることからオービキュラージャスパーとも言うそうで、マダガスカルを始めとする世界のごく限られた海岸地域で採れるらしい。じっと見ているとちょっぴり和風の柄のような感じもしないではないな。精神的、感情的な問題の解決に力があって、包容力がつくらしいし、芸術性も高めてくれるというから、万年劇作家志望で大根役者でへぼ絵描き、言い換えれば「へたの横好き」アーティストのワタシにはぴったりの石かもしれないな。

3つ目はロードライトという水晶の一種で、いろんな鉱物が内包されてミニチュアの箱庭のように見えるせいか、ガーデンクォーツ(庭園水晶)とかランドスケープクォーツ(風景水晶)とも呼ばれるそうな。特にこれは紅葉した秋の山の感じがするから、ガーデンよりはスケールの大きいランドスケープかな。学校で習った唱歌で「綾錦」と表現された山の紅葉を一度だけ見たことがある。ワタシの原風景にあるのは針葉樹の森だから、秋の風景も綾錦にはほど遠いけど、それぞれに個性のあるものからどれを選ぼうかと思案していたときに、これが飛騨高山へ行く列車の窓から見た紅葉を思い出させてくれた。まあ、ガーデンクォーツは心を癒してバランスを取り、自然のエネルギーを与え、ひらめきや集中力、創造力をを高めてくれて、おまけに商売繁盛と金運を呼び寄せてくれるというすごいパワーがあるそうだから、大切にしなくちゃ罰があたりそう。

アクセサリーとして買った貴石が「パワーストーン」だとは知らなかったけど、あんがいそれぞれのパワーでワタシを引き寄せたのかもしれないなあ。日本語だと「ご縁」というやつかも・・・。