リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年9月~その2

2012年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
飛べないけれどもビジネスクラスの気分

9月16日。日曜日。よく寝たけど、まだ腰が痛い。それでも、きのう遊んだ分だけ気分は元気で、朝食後にさっそくカレシのリクエストでラタトゥイユを作り始める。小ぶりのナスが2個、ズッキーニが2本、トマトの缶詰2個で、ミニのスロークッカー2つ分をまとめて作る。ハーブはあまり使わずに、たっぷりのにんにくと赤ワイン酢、白ワイン、砂糖、胡椒だけでさっぱりした味になる。

ラタトゥイユがゆっくりと煮えている間にワタシはちょこっと仕事。半年以上やっている民事訴訟。日本では双方の弁護士が法廷に出向いて主張や議論をやる代わりに、たいがいの訴訟は要点を書いた紙をやり取りするらしい。おかげさまで、少なくとも一方の当事者が外国人だったり、外国人の権益が絡んでいると、ワタシのような翻訳者がご飯を食べることができる・・・。

きのう買って来た松たけをスライスしてフライにすることにしたけど、汁気のあるラタトゥイユと同じ皿に載せるのはちょっと困りもの。どうしようかと考えているうちに、よし、今夜はさっぱり飛ばない極楽とんぼ航空をちょっと飛ばしてみることにした。

今日のメニュー:
 えびの突き出し風(チリマヨネーズとゆず胡椒ソースの2種類)
 ラタトゥイユ
 イカのリングと松たけのフライ、コリアンダーの葉とレモン添え、
                      蒸したサヤインゲン
 (サラダ)

[写真] 松たけスライス4枚では溶き卵が余ってしまうので、きのうひと袋買って来たばかりのリングにスライスしたイカを6個出して解凍。ついでに目に留まったえびも解凍。イカは別のスープを使うので使わないインスタントラーメンの粉末スープを少々絡めてマリネート。揚げ物は少量にしておけばおなかにどさっとたまらないからいい。きのう使い残したカレシ菜園のサヤインゲンを蒸して、大きなお盆にそれぞれを小皿に盛ってテーブルへ。これならせっかくカリっと揚がった松たけがラタトゥイユの汁でべちゃっとなってしまわずに済むし、食べるのもけっこう楽しい。

では、はいつも視界良好、天候良好で揺れない極楽とんぼ航空000便は(どこへ行くのかパイロットにもわからない盲飛行だけど)まもなく着陸態勢に入りま~す。カレシはあっという間に全部ぺろりと平らげてしまったけど、シートベルト、締められる・・・?

出不精の2人がでかけると

9月17日。月曜日。今日も暑めで、カレシがいつの間にかエアコンをオンにしていた。天気予報は晴れ、晴れ、晴れ。予報最高気温は23~25度。平年並みだと18度前後だから、残暑どころかまさに夏、継続・・・。

朝食後、まっさきに今日の午後5時が期限の仕事を片付けて、送信。カレシがコードにつまづいて壊したUSBポートを修理できるかどうかBest Buyに持って行ってみるというので、おつき合い。前に聞いたときは部品があるという話だったけど、果たして取り替えてもらえるのかどうか。カレシがサービスのカウンターで話をしている間、ワタシはとなりのCanadian Tireをぶらぶら。量販店ではあるけど、郊外と違ってこのあたりの店は単身世帯や子なし世帯向けの小型の家電をけっこう置いてある。対流式のトースターオーブンが欲しいなあ。小さめのフライヤーも欲しいなあ。小さめのスロークッカーも欲しいなあ。だけど、最終的に買ったのはカレシが欲しがっていた新しいコーヒーミル・・・。

パネルを開けてみたら、修理不能で部品交換が必要と言う診断だったそうで、結局メーカーのDellに部品があるかどうか問い合わせなければ交換できるかどうかもわからないとうことになって、修理はお預け。カレシ曰く、「ペーパーワークの方が時間がかかったよ」。カレシがDellのカナダ会社に電話したときはアメリカから持って来れるかどうかわからないと言っていたから、いくら大手の量販店でもたぶんダメだろうな。まあ、ちょっと不便なだけで別に困ることはないらしいからいいんだけど、ほんとに近頃はメーカーが「修理」というものをしなくなったような気がする。新しいのを買えってことか・・・。

駐車メーターの残り時間20分。カレシが生垣のトリマーを買いたいというので、コインを足して1時間に延長。Home Depotでひとつだけ残っていた充電式のヘッジトリマーを買って、カレシ曰く、「ここんところ、ずいぶんいろいろと買い物をしたねえ」。うん、ほんと。食料の買出し以外は家にこもってめったに出かけない2人が食料以外の買い物に出かけると、あれもいる、これもいるということになる。あれやこれやが必要だとか、欲しいとか言いながらもなかなか重い腰を上げないからこうなるんで、まあ、しょうがない。それでも一見してかなり浪費しているようで、クレジットカードの請求を見るとだいたいカレシの年金の範囲内に納まっているからおもしろい。節約はせず、かといって特に浪費と言えるほどの浪費もせず。ワタシたちって、もしからしたら小売業界にはあんがい面白味のない消費者かも・・・。

メーターの残り25分。ジンを買いに道路を渡って酒屋へ。妊婦は飲酒しないようにという、若いカップルを使った啓蒙ポスターがあって、ふと女性は白人(東欧系かな?)、男性はアジア系なのに気がついた。そういえば、ある銀行のウィンドウを覆っている宣伝ポスターも、男性が白人、女性がアジア系のカップルがモデルだったし、異人種カップルがモデルになっている広告にはお目にかかることが多くなったな。他民族都市バンクーバーは異人種カップルの比率がかなり高いので、見慣れてしまって違和感を持つ人はあまりいない。(人種が違うカップルを見ると即「国際結婚」と思うのは日本だけの観念だと思う。冬季オリンピックのときにも、日本の大手新聞がバンクーバーを「多国籍都市」と呼んでいたけど、他民族=多国籍という等式ができあがっているんだろうな。)ちなみに2006年の国勢調査によると、カナダでの異人種婚の比率は、白人以外の移民一世で12%、二世は51%、三世の世代になると69%に達するそうで、広告ポスターがそういう人口構成を反映するようになったのは良いことだと思うな。

帰って来て、納品したファイルがちゃんと届いたかどうかをチェックしたら、入れ替わりにラッシュの仕事。ま~た裁判書類だ。日本の裁判はもっぱら文書で弁論をやるような感じだな。それにしても、大きいなあ。しかも、たっぷり2日はかかりそうな量があるのに、それをった1日半でやるの?あ~あ、何だかいきなりたすきがけのねじり鉢巻モード。ま、いっちょがんばるか・・・。

ひとり暮らしが新しいステータスシンボル

9月19日。水曜日。午前11時半起床。暑くなりそうな予感。もぞもぞと身支度をして、キッチンに下りて、カレシがきのうのパスタソースはほんとにうまかったな」と言っているのを半分夢うつつに聞いて・・・きのうはびっしり仕事に頭を使ったので、とにかく眠い。ふだんのペースを50%アップして、なんとか期限に間に合いそうなところまでこぎつけたけど、手の関節炎がしくしく・・・。

なにしろ、原稿が何とか国際協定がなんたらかんたら、何とか条約の第何条にああたらこうたらと、やたらと引用するもので、それだけで頭痛がして来るのに、引用は日本語だから、それ英語に訳さなければならない。自分で訳してもいいけど(昔はそうするしかなかった)、今はインターネットと言う便利な「教えてちゃん」ツールがある時代だから、仕事の効率化のため(つまり、めんどうを省くため)にも、まずは必死でググリまくって原文を探す。なんとまあ国際条約や国際協定の数の多いこと!そして、条約や協定をこと細かに解説する文書や本やウェブサイトの多いこと!それでも(というか、それだからこそなのかもしれないけど)もめごとは起きるし、戦争も起きるし、騙し合いや殺し合いも起きるんだから、人間というのは何をかいわんやだな、まったく。

今日、去年の国勢調査の結果のうちで、家族構成に関するデータが発表された。事実婚世帯や単親家庭が増えて、比例して法律婚世帯の割合が低下。単親家庭で増加が目立ったのが「シングルファザー」の家庭。最近は子育てに積極的に関与する男性が増えているそうだから、離婚家庭の場合は親権は共同でも子供は父親と住むケースが増えているんだろうな。同性カップルの割合が増え、そのうちでも(合法化に伴って)法律婚が飛躍的に増加。既婚世帯では子なし夫婦の割合(35.1%)が子供のいる夫婦の割合(31.9%)よりも高くなった。成人しても親と同居している年令20歳から29歳の割合は42.3%。失業や離婚などで親元に戻った成人の子供を「ブーメランキッズ」と呼ぶけど、子供が配偶者連れで同居している世帯は2.1%。ただし、夫婦で同居と言っても日本の「同居」とはちょっと違って、親の家に間借りする形になる。大都市ほど20代になっても親と同居している割合が高いのは、自立したくてもひとりでは家賃などの生活費をまかない切れなくなって来たからだろうな。

そういえば、カナダの新聞サイトに若い人たちの間で「ひとり暮らし」がひとつのステータスシンボルになりつつあるという記事があった。ルームメイトとの共同生活や交際相手との同棲が若い世代のごくふつうの生活様式になっている今、あえて「ひとり暮らし」を選択する人たちが増えているというのはおもしろい。これまで孤独な存在でかわいそうと同情されることが多かった「ひとり暮らし」を選択する最大の理由は「Because I can(自分にはそれができるから)」なんだそうな。つまり、自分にはアパートを借りるかコンドミニアムを買うかして、独立したライフスタイルを構築できるだけの所得があるから「ひとり暮らし」を選ぶということらしい。世界的な景気の停滞で失業率も高止まりし、多額の学生ローンの返済に追われて経済的に苦しい若い人たちが多い中で、自活を可能にする余裕があるということがステータスシンボルになるんだろうな。

現代人の「三種の神器」とも言える「自由」、「自己管理」、「自己実現」を促進し、大人になったと実感させてくれるのが今どきの「ひとり暮らし」で、経済的に少々きつくても工夫によってひとり暮らしを心豊かに楽しむ男女が増えているという。自分の城を持ったおひとり様たちにとって、ひとりでいたければひとりで、ひとりでいたくないときは友だちと一緒というライフスタイルはある意味ぜいたくな生活で、結婚はひとつのオプション。記事に登場した若い女性(30歳)は「誰かに出会って結婚したらそれはそれですばらしいけど、そうならなくてもひとりで生きて行くことに不安はない」と胸を張っていた。

対照的に、日本の新聞サイトを見ると、婚活会社の広告で、前はヨメさんを欲しがっていた冴えない独身クンのコピーが「オレ、ずっと独身で頑張るの?」に変わっていて、ある記事のページを開いたら「そろそろ結婚とかどうなの?」と「おかん」が心配しているという漫画になり、別の記事を見たらその「おかん」がさっぱり結婚する気配のない息子に「いい年して友達と遊んでばっかりで!」と拳骨を振り上げて怒っている。日本では大学生の就活に関わる親が増えたという記事をどこかで読んだけど、「おかん」はとうとう息子の婚活にも乗り出して来たというわけか。まあ、結婚観が根本的に違っているということもあるけど、自立した大人の「ひとり暮らし」がステータスシンボルになる日はまだまだ遠いみたいだなあ・・・。

フリーザーがもう1台あれば

9月20日。木曜日。今日はカレシの英語教室があるので午前11時半に目覚ましをかけておいたのに、何だか涼しい感じがしてそれより先に目が覚めてしまった。いつの間にかカレシがエアコンをオンにしたらしい。寝なおしの時間がないので、そのまま起床。このインディアンサマー、いつまで続くのかなあ・・・。

カレシを送り出して、メールをチェックしてから、運動がてらモールまでてくてく。真っ先にアンナとジュゼッペがいるサロンへ。ジュゼッペが「ほお、ずいぶん伸びたねえ」。それを聞いたアンナが「伸びすぎっ!」うん、そのうち、そのうちと思っているうちに髪が伸びすぎて手に負えないの。もう。伸びすぎてじゃまっけ。パスポートの写真を撮らなければならないから、何とかして・・・ということで、土曜日の午後に予約。長すぎるから、いつもと逆の手順でまずジュゼッペがカットしてから、アンナがカラーを入れる。良かった。これで来週は見苦しくないかっこうで芝居と友だちとのランチにでかけられる。

次にモールの郵便局。私書箱はカタログがぎっしり。ははあ、クリスマス商戦の火蓋が切って落とされる予兆。たくさんあって重いのでモールのベンチに陣取って、アドレスをむしり取ったカタログを積み上げて、ささっと立ち去る。手に取ってみる人がいるかどうか知らないけど、興味のある人はど~ぞ。ずっと閉店セールをやっているキッチン用品店に何かいいものが残っているかどうかチェック。まあ、残り物には福があるというから。すてきな赤の楕円形のおひとり様用キャセロールを2個。シリコーンの油はね防止用のふたを2枚。ぜんぶ75%オフ。トートバッグが重くなったけど、その足でセーフウェイへ。カレシが寝酒の肴にチーズがいいというので、粒胡椒入りのグーダと緑の胡椒入りのハヴァーティ、それとプロシュットを巻き込んだモッツァレラのロール。ついでにワタシ用に丸いブリー。

フリーザーにはでっかい七面鳥の山。10月8日はカナダの感謝祭。ご馳走を考えなくちゃね。2人だけだから鴨にしようかなあ。ま、考えておかなきゃ。長~いフリーザーに沿って中を覗いて歩いていたら、おお、ズワイガニの足の身。もちろん、ズワイガニもどき。カレシが気に入っておやつや肴にするので、1キロ近い大袋を2つ。ついでにニシンの酢漬けの大瓶。だんだんバスケットが重くなって来た。メキシコ風味とプレーンの「ひき肉もどき」を買い、インスタントラーメンを買って、最後に歯磨き。前回うっかりいつもとは違うブランドのを買って、そのせいかこのところずっと口の中の粘膜が荒れてヒリヒリ。一種のアレルギーかもしれないから、いつものブランドに代えたら解決するかどうか実験。ドナルドダックの口になってはかっこ悪いもの。トートバッグはすでに重いし、バスケットもそれ以上にずっしりと重くなったので、携帯を取り出して、「カレシ」タクシーを呼ぶ・・・。

カレシ菜園のトマトとサヤインゲンは人の気も知らずにどんどん熟するもので、少々手に負えなくなって来た感じ。特にトマトは真っ赤に熟れたのがカウンターに30個くらいごろごろ。カレシ特製のV3ジュースがおいしかったから、また作って漉しかすを冷凍すればいいな。それとパスタソースも作ってね、食べきれないほどできたらそれも冷凍すればいいから。だけど、あんまりたくさん作ったらフリーザーに入り切らなくなるなあ。いっそのこと、貯蔵用フリーザーをもうひとつ買おうか。とりあえずカレシに提案したら「置く場所がないよ」。たしかに。でも、ベースメントの廊下をつぶして作った納戸に押し込んであるガラクタを始末すればキッチンのと同じ200リットルのフリーザーを置けると思うし、もうひとつあればサケや鴨(や鶏や七面鳥)を丸ごとストックできるし、野菜が採れすぎたら保存処理して冷凍しておけるねえ。それと、自家製のトマトソースとかも。(お、カレシ、だんだん乗り気になって来たような感じ・・・。)

男が料理をすると

9月21日。金曜日。目が覚めて、うわっ、寒い!思わず暑がりのカレシが早々とエアコンをオンにしたのかと思ったけど、エアコンはまったくの音なし。正午を過ぎていたので起き出して、サーモスタットを見たら華氏であと3度下がったら自動的にヒーターが入るところ。何でこんなにいきなり寒くなるの?

日本が土曜日なので、金曜日と土曜日が実質的にワタシの「週末」。まだ「未決箱」に残っている仕事は月曜日に回すことにして、この週末はダウンタイム。エイミスの『Lucky Jim』を読み終わったので、今度はH.E.ベイツの『The Darling Buds of May』。20年ちょっと前にイギリスでテレビシリーズになって、長女マリエットを演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズのハリウッドスターへの道を開いた。まずのっけから総勢8人のラーキン一家の超が付く大らかさぶり。そこへロンドンから来た冴えない徴税官が(所得税の申告をしていない)ラーキン親父に申告書を書かせようと躍起になるものの、親父にはのらりくらりとはぐらかされ、マリエットにはほんわかと誘惑され、親父に何杯もカクテルを飲まされ、とうとう帰れなくなって泊まることに。しかもマリエットのパジャマで・・・。さて、どうなることやら、読んでのお楽しみ。

今日はカレシがキッチンでトマトソース作り。セカンドキッチンのカウンターやラックを占領しているトマトの数を数えてみたら34個もあった。少なくとも4種類の違ったトマト。最初は名前を書いた札を立てていたのが、植え替えしたりしているうちにどれがどれだかわからなくなったそうで、ひと目で見て識別できるのは「Black Russian」くらいのもの。でもまあ、種類が何であれトマトはトマトに変わりがないし、勝手にどんどん赤くなる。(菜園にはまだいったいどのくらいあるやら。)特に大きくていびつなのを5、6個選んで、庭からバジルをひとつかみ採ってきて、玉ねぎ、セロリ、ピーマン、にんじん、にんにくを冷蔵庫から出して来て、塩コショウの調味料も手近にそろえて、カレシ専用のカウンターで「男の料理」の始まり。

[写真] 作業開始・・・ 前にもやったから慣れたもんさ。
[写真] 切って・・・ うう、玉ねぎで目がうるうるして、もう手元がかすんで来たぞ。
[写真] 刻んで・・・ セロリをざくざく。細かく刻むものが多くてタイヘンだ・・・。
[写真] かき混ぜて・・・ とろ火ってのはじれったいなあ・・・。
[写真] できた! あんなにたくさん入れたのに、こんなに減った。このままでも・・・。

まだトマトの皮やセロリの筋、バジルの茎が残っているので、まずざっとピューレ。(熱いなべの中で使えるワタシのハンドミキサーを貸してあげた。)目の粗いプラスチックのざるを使って固形分を漉す作業に入ったけど、なかなかすんなりと行かない。そこで、ワタシがじゃがいも潰しに使っているカクテル用のマドラーを持ち出して来て、ごしごし、ごりごり。「そんなこと、レシピに書いてなかったよ」とカレシ。(まあねえ、食材そのものにばらつきがあるんだから、レシピというのは単なる「枠組み」だと思って、その場その場で考えながら調理する方がわりと失敗が少ないように思うけどね。)漉せるだけの固形分を取り除いたら滑らかなソースのできあがり。あとは冷ましてからフリーザー用の袋に小分けして冷凍保存。3回分くらいあるかな。冬の間、このトマトソースをベースにして、パスタを楽しもうという心づもり。

まだまだラックにごろごろとある赤いトマトを見て、「この冬は必ず納戸のガラクタを整理する。約束するから、もう1台フリーザーを買えよ」と。お、いいね!ばんざ~い!

車を売るのはやめた

9月22日。土曜日。午前11時半、目覚ましで起床。秋分の日で、今日から公式に「秋」が始まる。朝方にちょっとだけ雨が降ったらしい。ポーチの気温は14度。ついおとといくらいまでは気温が平年より5度くらい高かったのに、今度は5度くらい低い。どうして?

今日はヘアカットの予約があるので、大急ぎで身支度をして、大急ぎで朝食。土曜日の昼だからモールの駐車場は混んでいると思って、急ぎ足で歩いて行くつもりで靴を履いていたら、カレシが「送って行くつもりだったのに」。それを早く言ってくれればいいのに、もう。帰りに切らしている玉ねぎを買ってくるねと言ったら、「あ、にんじんも。それとセロリ。それから、ジュースもなくなりそうだし・・・」。おいおい。結局、ヘアカットが終わったら電話して、スーパーで落ち合うことになった。

いやに積極的にタクシーサービスを買って出てくれるのは、車を売るのをやめたからだろうな。3、4日前に「車を売って、トラックは買い替えず、カーシェアリングに登録して、人を乗せるときに利用する」ということで話がまとまって、タイミング良く前に問い合せて来た人から買う気満々の留守電が入っていた。なるほど、いざ買い手がついたとたんに手放したくない心境になったというわけか。(売れるとわかったんだから、今売らなくてもいい・・・と。)まあ、そこがカレシらしいところなんだけど、じゃあトラックを処分するのかと聞いたら、「あれはオレのベイビーだからダメ」。ということは白紙に戻って現状維持。出不精の2人に車2台は不要ということで売ろうとしたんだから、2台ともキープするんだったら両方を適度に走らせないとダメだよと、こんこん?と諭して「不精せずに出かけてバッテリが上がらないようにする」という約束を取り付けた。それで今のところはいそいそとタクシーサービスをしてくれる、ということらしい。

だけど、いつまで現状維持できるのかなあ。どう考えたって、近くに地下鉄の駅ができた今では、ワタシたち出不精な2人には車とトラックは不要で、どちらか1台でも十分すぎるくらいだと思う。でも、カレシには、そのあたりを理性では理解していても、心の深いところで「自分のもの」を手放すこと、あるいは自分から離れて行くことにパニックに近いストレスを感じるらしいところがある。モノを捨てられない人はストーカーの素因があると言われるし、一説にはADHD(注意欠陥多動性障害)があるとも言われるし、見捨てられ不安のようなものがあって心理的に不安定だったり、気になることが頭から離れない強迫傾向の強い人が多いとも言われるけど、カレシの「手放したくない」心理の根っこにはそうした要素が少なからずあるように思う。

もっとも、ヨーロッパではどうなのか知らないけど、北アメリカでは趣味は何かと聞かれて「ドライブ」と答える人はまずいないから、よっぽどのカーキチとか、ランボルギーニやフェラーリを持っているなら別だけど、普通の人で車を走らせること自体を目的にして出かける人はいない。カレシも生来めんどうくさがりだから、そのうちに「出かけるのめんどくせ~」が打ち勝って、いざと言うときにバッテリが上がっているということになるんじゃないかと思うけど。ま、とりあえず、これからカレシとバッテリを充電するための「ドライブ」をする機会が増えて、2人だけの空間でのクオリティタイムができれば、当面だけでもエコーを売るのを取り止めにしたことで、逆に恩恵があるかも・・・。

人口構成と国の将来性の関係

9月23日。日曜日。よく眠れた気分で、起床は午後12時半。毛布を取り替えたおかげかな。子供は「寝る子は育つ」で大いにけっこうなんだけど、大人になると逆に「寝ない子は育つ」ということになるらしいから、望ましくない方向に育たないようにするには、何よりもしっかり睡眠を取ることが大切(なんだそうな)。

今日のNational Postに、アルバータ州バンフで開かれていた会議での人口統計学者の講演の記事があって、人口動態統計学の観点から世界各国の経済成長性を予測していた。要は、経済発展とその持続の鍵を握るのは人口構成における若者と老人のバランスだという話で、なかなかおもしろい。まず、「アラブの春」の勃発は若年人口の失業率の高さから予測できたとし、これらの諸国での出生率の急上昇と女性の教育水準の低さによって若年層の就職難が恒久化されるから、独裁政権が倒れた後も不安定な状態が続き、民主化が進まないことも予測し得たという。これら諸国に比べると、トルコとイランは女性の教育水準が高く、出生率は低めで、若年層と老年層のバランスが取れているので将来性は高い。ただし、イランでは政治がせっかくの経済的成功を台無しにしているとか。

大規模経済の中で、ドイツ、ロシア、日本は高齢化があまりにも急速で、衰退あるのみ。(やけにあっさり言ってくれるなあ・・・。)ただし、ドイツは積極的な自動化による生産性の向上で高齢化を克服し、輸出を通じた経済成長を実現している。ヨーロッパ全体を見ると、南欧は出生率、経済活動共に「絶望的」で、社会政策によって出生率を維持して来たフランスと北欧は例外的存在。中国は一人っ子政策によって若年層が縮小して相対的に高齢化が進むものの、日本がそうだったように高級市場へ移行して付加価値製品を作れば豊かになれる。でも、若年層の人口が多ければいいというものでもなく、中国と並んで注目されているインドは、その大人口が市場で言われるような競争力の源泉にはならず、将来は失業が増えて政情不安が起きる危険性を抱えているそうな。

もっとも、人口構成だけが経済成長の成否を占うわけではなく、政治の役割がきわめて大きい。(そりゃ当然だな。)政治を勘案すると、最も将来性が見込まれるのはブラジル、トルコ、メキシコで、インドネシアとベトナムは人口構成から見ると有望でも政策が足を引っ張っている。人口の多い国で人口構成と政策がうまくかみ合っているのはアメリカとブラジル。北米自由貿易協定(NAFTA)3国ではメキシコが一番「若く」、アメリカも比較的若いけど、カナダは急速に高齢化しつつあり、年間25万人の移民を受け入れ続けても追いつかない。カナダの移民大臣が外国人留学生の受け入れ拡大を検討しているのは、少子化による大学入学者の減少を埋められるだけでなく、留学生たちが将来カナダに移民として戻ってくる可能性に期待を寄せているからだとか。

ケニー移民大臣は一番近いメキシコが狙い目だと考えているそうだけど、最近イギリスで大問題になったような、金儲けが目当ての「お留学ビジネス」が、ただ「移民権」なるもの(そんなものないんだけど)が欲しいだけでカナダなんかに興味はないという「なんちゃって移民」希望者を留学生として送り込むのを阻止する方策さえしっかり講じれば、カナダの将来のためにもいいアイデアだと思う。たしかに、外国人留学生の教育はカナダ側の負担にはならないし、卒業する頃には移民を悩ます「言葉の壁」もなくなっているだろうし、カナダの文化や社会習慣も経験済みだから、カナダ社会に根を下ろしやすいかもしれない。実際に、留学が終わってもそのままカナダに留まりたいという人たちは多い。大学を卒業した後で一定期間の就労許可をもらえる制度もあるし、カナダでの就学就労経験によって優先的に永住権を得ることもできるから、帰国しても戻って来やすいと思う。でも、あくまでもカナダを選んでくれた人を優先すべきで、ふらふらした「腰かけ移民」は人口構成がどうであっても願い下げにしておいた方がいいと思うけど。

講演は「老年人口はより多くの電気とガスを消費し、スポーツをする人が減り、スポーツの試合を見に出かけることも少なくなり、ゴルフ人口は増えるが、テニスやホッケーは減り、フィットネス教室やガーデニング、散歩を好む」から、上は国から下は市町村まで、行政はその政策決定に人口動態統計の現実を反映させなければならないと言っている。それは言うまでもないことだと思うんだけど、バンクーバーなんかマイホームが高嶺の花だったりして若年層には住みにくいところなのに、市政の中心が「若い」もので、やれ自転車専用レーンを増やすとか、何とかと若年層向けの施策が多い。老年層の入り口にいて、年金受給申請書を書き始めたワタシとしては、自転車レーンなんかよりも電動車椅子が楽々すれ違えるように歩道を拡張してくれた方がいいと思うんだけど・・・。

ちょっぴりノスタルジックなご飯

9月24日。9月23日(日曜日)‐えびとたけのこのチリソース炒め、サヤインゲンの唐辛子炒め、ゆかり麦ご飯、サラダ

[写真] 冷蔵庫をかき回して在庫調べをしていたら、真空パックのたけのこが出てきた。さて、何を作れるかなあと考えて、車えびとペアリングすることにした。殻なしの車えびを解凍しておいて、久しぶりに電気中華なべを持ち出して、少し残ったアスパラガスも加えて炒め、にんにく風味のチリソースで中華風の味付け。サヤインゲンは太いのを斜めにスライスして、ごま油で炒めて、醤油と七味唐辛子、かつおぶしで味付け。ずっと昔に母がよく作ってくれた味に近いと思うけど、どうかなあ。ワタシが「嫁入り前の娘」だった頃、食事の支度を手伝っていたときに、母が鍋の出汁を箸の先ですくってワタシの掌に落とし、「この味を舌に覚えさせなさい」と言ったことがあった。神妙に手をなめて、わかったと言ったワタシ。「その味だからね」とうれしそうにうなずいた母の顔が何となく浮かんで来た・・・。

9月24日(月曜日)-豚(ぶた)汁、ししとうご飯(雑穀ご飯)、蒸した青梗菜、トマトサラダ

[写真] きのう冷蔵庫の在庫調べをしたときに出て来たごぼうとししとうの使い残し。ちょっと古いけど、どっちもまだ大丈夫。食べられるうちに食べてしまおうと、使い道を考えていて思いついたのが「豚汁」。きのう出汁の味を舌で覚えさせられたことを思い出して、舌がなんだかノスタルジックになっているのかな。大根があるし、にんじんがあるし、小さいじゃがいももあるし、味噌もある。豚肉はブルゴキ用の薄切りがあるから、材料は揃っている。ということで、今夜は豚汁・・・。

どうやら「豚汁」にはご当地レシピがいろいろとあるらしく、津軽海峡以南では「とんじる」と呼ぶところが多いらしいと知ったのはけっこう最近のことで、里芋が入った「とんじる」というのは未だかって食べたことがない。(里芋はあまり好きじゃないし・・・。)ワタシが食べて育った北海道の豚汁はほこほこしたじゃがいもが入っている「ぶたじる」。津軽海峡以南には「芋煮会」という行楽があると、これもごく最近になって知ったけど、北海道ではたぶん「ぶたじる会」ということになるのかな。(そういえば、日本ではお弁当を持って出かけたことはあっても、野外で料理した経験はないような・・・。)どっちにしても、秋の風物詩だそうだから、収穫を祝う感謝祭の饗宴の日本版というところか。

カレシ菜園で収穫したサヤインゲンも加えて、ほんっとに久しぶりに食べた道産子風「ぶた汁」は格別においしかった!(塩分の摂り過ぎにうるさいカレシが味噌汁をきれいに飲んでしまったからびっくり。)

ガラパゴスのゾウガメと冷蔵庫

9月25日。火曜日。なぜか身体がなかなか楽にならなくて寝返りばかり。おかげでよく眠れなかったのに、カレシに起こされて、寝ぼけたままでしばしの間いっちゃいっちゃ。「腹減った。起きよう」って、ワタシは眠いのよ。眠いけど、もうひと眠りするには中途半端な時間だしなあ・・・。

のんびり納期の仕事のその納期が今週いっぱいと言うところまで迫って来て、やっときのうから作業開始。そこまでは良かったんだけど、何だ、これ?アルファベットスープみたいに数式がぞろぞろ出て来るすごく長ったらしい論文。数式は訳さなくてもいいとしても、どうやら数学だか経済学だかのモデル理論か何かの何とか分析のようで、チンプンカンプンもいいところ。おまけに日本語の文章が何ともわかりにくいので、よけいにチンプンカンプン。あ~あ、し~らない。量的に2日で済むだろうと高を括っていたけど、3日はたっぷりかかりそう。とりあえず、半日キーワードでググリまくって、集めた資料を読みまくって、基礎知識の仕込み。ま、おぼろげながらもどうやら数学ではなくて、数学的な経済学の話だと結論。

こんなややこしいことを常日頃あれこれと考えるだけでも頭がどうにかなりそうなのに、それを長々と論文に書いて発表しなければならないんだから、学者ってけっこうタイヘンな稼業だなあと思う。「Publish or perish(発表、つまり成果を出せなければ消えるのみ)」という言葉があるけど、世はグローバル時代に成果主義。その論文を世界の学会機関誌に掲載してもらわないことには、成果を出したと見なされずに十分な研究予算をもらえないかもしれないし、何よりも住み慣れた「象牙の塔」に籠っていてはいずれガラパゴスのゾウガメになってしまうかもしれないしね。

この夏だったか、ガラパゴス諸島である島に最後に残ったゾウガメの「ひとりぼっちのジョージ」が死んで、その島のゾウガメは絶滅したと考えられると言うニュースがあった。そのときになぜか思い出したのが、ずっと昔のNHKの子供番組で現代人のレポーターが地球上最後の恐竜の死を「実況中継」していたことがあった。着ぐるみらしい「恐竜」が横たわっていて、ときどき長い首を持ち上げて悲しそうに吼え、やがてガクッと首を落として息絶え、レポーターが「とうとう恐竜が絶滅しました~」みたいなことを言っていた。まあ、子供番組だから子供にわかりやすいように「その瞬間」の中継という形にしたんだろうけど、なぜかワタシは、地球上に栄えた生物種が死に絶えるのを実況で放送するなんて、大人って何だかなあと漠然とした違和感を抱きつつ、地球上最後の人類が死ぬときには「人類絶滅」をレポートする人も、それをテレビで見る人もいないんだなあと、子供心に寂寞とした気分になったような記憶がある。

島国日本についても「ガラパゴス化」が言われるようにだいぶ経つ。携帯電話などが日本市場の事情に合わせて独自に発達しすぎて、気がついてみたら世界の事情と大きく乖離していたからであって、別に技術力が衰退しているわけではないと思う。まあ、法規制やら日本独自の規格やら行政の方針やらに縛られていた結果そうなったんだろうけど、日本の消費者の要求もかなり特異だったということはないのかな。鬱陶しくなるような過剰サービスだって、客を大事にするというよりは、消費者の「サービス」への期待が特異化した結果、そこから外れるとクレームがつくので、それを回避するためにそうしているのではないかと思う。(それで鬱陶しく感じるのかもしれないな。)まあ、日本独特の「察してちゃん」文化にうまく適合しているということかもしれないけど、せりふからスマイルまでが見事に同じなのは、サービスのJIS規格みたいなものがあるのかな・・・。

たとえば、6ドア冷蔵庫。何で冷蔵庫に6つもドアが必要なのかと思ったけど、除菌に除臭に真空何とかになんちゃら機能と実に細かくて、さすがニオイやばい菌に神経質な日本人向けだな。(そのうちパックの「消費期限」を読み取ってピーコピーコと警告してくれるようになったら、ヒットしそう。)おまけに、このドアは野菜、こっちのは肉類、これは氷用と収納領域が決まっていて、温度の設定が別だったりするから、電力消費量がすごそう。(実際に北米のものよりも消費電力が大きいらしい。)北米では未だに昔ながらの2ドアか、冷蔵庫がフレンチになった3ドアを使っていて、家庭用に6ドアなんてのは見たことがない。まあ、こっちにも除菌好きな人はいるけど、ばい菌が気になるならまめに掃除をすればいいし、ニオイ移りが気になるなら密閉容器に入れればいい。つまり、日本のメーカーは使う人がやればいいことまでやってくれて親切なんだろうけど、ところ変わればよけいなお世話だったりするという例だな。もっとも、「そっちのメーカーがずぼらで進化していないだけのことでしょ」と言われたらそれまでなんだけど。

何となくガラパゴスな私

9月26日。水曜日。カレシにつられて正午前に起床。いい天気。このまま月が替わるまで雨が降らなければ、降水量がもっとも少なかった9月として新記録を樹立すると言う話だけど、いつだったか、雨の日の連続記録を更新するかどうかと騒いだことがあって、そのときは今日も降ればタイ記録という日になぜか1滴も雨が降らなくてみんな何となくがっかりしたものだった。マザーネイチャーはむら気だから、もしかしたら9月最後の日にどぼ~っと大雨を降らせたりして・・・。

きのう通販の注文品がどさっと段ボール箱で届いて、今日はさっそく新しいスカートを着用。選んだのはカーゴパンツ風のデザインで、両側にフラップ付きの大きなポケットがついている、ちょっとタイトなミニスカート。とはいってもせいぜい膝上8センチくらい。東京あたりではいていたら「その年でミニスカートはありえないっ」と言われそうだけど、ワタシはこの年になってもミニが好き。ミニスカートやドレスを着ると、なぜか意識的に背筋をすっと伸ばして、おなかをぐっと引っ込めて歩くようになるから不思議。少なくとも良い姿勢を保つ上ではいい運動になっていると思うけど、背筋が伸びるから自然に気持も若やぐのかもしれないな。いくら若くてかわいくたって、背中を丸めて歩いていたら老けて見えるもの。

きのうガラパゴス化のことをごちゃごちゃ書いて、ふと何だかワタシもかなりガラパゴス化しているんじゃないかなあと思ってしまった。もちろんワタシは日本生まれの日本育ちで、人生の最初の27年は日本であたりまえに日本人として暮らしていたし、日本の(旧)文部省の検定教科書で教育を受けたから、日本という国の歴史はちゃんと知っている。ところが、カナダに移り住んでからは自分があまりにも「日本」という国を知らなすぎるのではないかと思うようになった。つまり、ワタシが日本だと思っていたのは「北海道」という島でしかなくて、日本文化だと思っていたのはその北海道の地域文化に過ぎなかったのではないかという疑問を長いこと持ち続けて来た。島国の中の島国とでもいうのか、もしかしたら、ワタシは最初からガラパゴスのゾウガメみたいなものだったのかもしれない。

さらに、生まれ故郷で小学校の同級生たちと昔話をしていてワタシの家庭環境が友だちのそれとはかなり違っていたことを知り、そして「ひとり暮らしが新しいステータス」とという記事を読んで、何だかワタシが育った世界は島国の中の島国の、その中の小さな孤島だったのではないかという気がして来た。小学校時代は普通に友だちと行き来して遊んでいた。転校してからの中学時代にはそういう友だちはひとりだけ。高校を転校してからは学校の外で一緒に遊ぶ友だちはいなかったように思う。新しい土地で成人してからのワタシは何をしていたんだろうな。オフィスと家を往復していただけだったような気がする。ワタシにとっての外界は望遠鏡の視野に見える宇宙と本の中の未知の世界。やれやれ、何だかすごく狭い閉ざされた空間で育てられたような気がしないでもない。

まあ、カレシと結婚することになってやっとその「島国の中の島国の中の小さな島」から出て来たわけだけど、その頃にはすでに「ワタシ規格」にガラパゴス化していたんだろうな。それが元の島から遠く離れたカナダに来て、まったく新しい環境に合わせて37年の間にさらに進化を続けて、自分でも気がつかないうちに日本から見たらとんでもなくおかしな「日本人」に変わってしまったんだろうな。でも、外国にカブれて突然変異したわけじゃないし、伝統的な日本で大人の生活をしたことがないんだから、「日本」のことを知らなくたってしかたがないか。ちょっとググって「へえ、そうなんだ」と知ることができればそれでいいような気がする。何だかずっとガラパゴスだったワタシが自分の島を見つけて、やれやれと腰を落ち着けたということで、それが適者生存と言えるのかどうかわからないけど、もっと年をとってご隠居さんになったら、ガラパゴスのゾウガメみたいにのっそり、のんびり、ゆっくり、まったりで行こうっと。

でも、その前に仕事を片付けてしまわないと・・・。

ネットで寄付と称して物乞い‐その2

9月28日。金曜日。曇り。起床午後12時45分。何だか寝すぎて腰が痛いなあ。きのうは買い物に行けなかったので、今日は切らしているシリアルの代わりにオートミール。涼しくなったから熱々のオートミールにミルクをたっぷりかけて食べるのも乙なもの。きのうは友だちとほんとに久しぶりのランチ(ワタシには朝ごはん)に出かけて、カジノの中にあるブッフェでローストビーフを初め、牛肉ばかりがつがつと食べて来た。楽しくおしゃべりをしながら、どんと肉を食べるともりもりと元気が出るなあ、やっぱり。

でも、帰って来た後は脳みそがぐちゃぐちゃになりそうな仕事の続き。とにかく、この数式であれがこうなって、するとこれがああなるから、今度はこの数式でなんたらかんたら・・・というのが延々30ページ。こういうことを考えるのが仕事の学者さんたちなら何の話をしているのかスパッとわかるんだろうけど、こっちはキーを叩いているうちにおぼろげにわかったようなわからないような気分になって、薄っすらと浮かんできたイメージが頼りの翻訳作業。大学で経済学専攻だったカレシさえ「新しい理論はわからないよ」。それでも、訳上がりを見てもらったら、赤ペンを入れながら「ふむふむ、なるほど、ははあ。だいたいわかるから、まあ合格だな」。カレシが天使に見えたことって今まであったかなあ。難易度はワタシの「確実にできる」自信レベルより2段か3段くらい上だったかもしれないけど、たまにはこういう仕事で背伸びをするのもいい刺激になる。学習には終わりというものがないし・・・。

ファイルを最終的に仕上げて、校正担当者に送って、やれやれとひと息。しばしネットをうろうろ。ふむ、在日外国人のニュースブログにまたぞろヘンなガイジンのヘンな「寄付金募集」の話が載っている。日本で起きていることだけど、日本のメディアにはまず出て来ない話で、この前は九州住まいのアメリカ人が「フクシマの放射能が怖いので、日本人妻共々アメリカに帰るための資金を寄付して」というのだったけど、今度のはビザ切れが見つかって逮捕されたニュージーランド人を助けるために「弁護士を雇う費用を寄付して」という話。SNSの隆盛でサイバー乞食も増殖中というところかな。

でも、今度のはやたらときな臭い。まず、寄付金集めのサイトの写真というのが、ネオングリーンのふわふわしたかつらを被った何とも軽薄そうな顔の人で、SNSを使ったビジネスをしているとか、していないとか。いるか漁のドキュメンタリー(また?)を作るという人の通訳と言う触れ込みで太地に行って、そこで有効な滞在ビザがないことがばれたということらしい。いつから日本にいたのかわからないけど、日本で「一生の恋人」ができて、このまま日本にいたいと言っている、と。だけど、ビザの期限が切れていたなら「不法残留」。間違いなく強制送還だろうな。ま、そのときは自分で飛行機代を払わなければならないから、奇特な人の寄付金は助かるんじゃないかな。でも、ビザの延長を申請したのに日本政府が書類を紛失したために手続きができていなかったと主張しているそうだけど、いったい何のビザ?

何やってんだろうなあと思っていたら、この人を知っていると言うアメリカ人が、「実はニュージーランドには別れた妻と子供が2人いて、日本には3年住んで2人の日本女性との間に子供が2人。一生の恋人(婚約者)というのは3人目。定職はなく、もっぱら活動家ぶってイベントなどに首を突っ込んではただ飯食いをして来た」と裏の事情を投稿。女性にも食べさせてもらっていたということか。ビザはどうやら「観光ビザ」らしく、ニュージーランドはビザ免除国なので実際にはパスポートに貼られる90日の「入国許可」。延長を申請したと言うけど、あれって延長できるのかな。第一、観光ビザでは働けない。(あ、だからただ飯食いだったのか。)それにしても、今の婚約者という女性は「日本で2度結婚して離婚、子供2人」ということを知っているのかな。いや、日本にいた3年間に2度結婚して離婚したというのも嘘っぽいな。だって国際結婚だったら婚姻具備証明書というのが必要で、日本人同士のように婚姻届と離婚届を出せば済むってわけじゃないもの。第一、日本人の配偶者がいるのに正規のビザを取らなかったのかなあ。

いろいろと突っ込みどころ満載なのを指摘されて、今度は「パスポートを所持していなかったのは盗まれたからだ」と言い出したそうで、言い訳がころころ変わるのはまったくもって怪しい。(パスポートを盗まれたらまず警察に届けるでしょう、フツー。)ま、良くして寄生虫、悪くして詐欺師。ニュージーランド行きの航空券を買えるくらいの寄付が集まったそうだから、こんな人は早々に強制退去させちゃった方が日本の(特に女性の)ためだと思うね。

生まれた甥孫はバイリンガルに育つのか

9月29日。土曜日。いい天気だ。今日もシリアルがないから、何年ぶりかで普通にベーコンを焼いて、ついでにトマトもスライスして焼いて、その間にカレシがスクランブルエッグを作って、しっかりと朝ごはん。

メールをチェックして、きのう送ったファイルが無事に届いたことを確認して、シリアルを買いにWhole Foodsへ出かけた。土曜日の午後だから、道路はそれほど混んでいないと思ったのに、この平日のラッシュみたいな混みようは何なんだ?別に連休でもないけど、秋の好日という感じの空模様につられて、買い物に行楽にとみんな出て来たのかな。もう9月も終わりだし・・・。

お気に入りのシリアルを1キロと、オレンジジュースやらランチ用の食材やらを買い込んで帰って来たら、トロントのデイヴィッドからのボイスメールが入っていた。長女のスーザンが午後1時半に第1子を出産。体重3200グラム。35歳の初産だったけど、安産で母子とも元気。ワタシたち、また大伯父さん、大伯母さんになって、これで甥孫、姪孫合わせて5人。だけど、なのだ。赤ちゃんは男の子?女の子?どっち?初孫の誕生で興奮したのかどうか、「kid(子供)」というだけで肝心の情報がない。カレシが電話したら留守電だったので、ちょっといたずら心を起こして「性別が判明したら知らせてくれ」とメッセージ。夕方に返電があって、赤ちゃんは男の子で名前はジャクソン(綴りは今どきっぽくJaxon)。実はかなり前から超音波検査で男の子とわかっていたんだそうな。じゃあ、男の子のお祝いを考えないとね・・・。

スーザンのパートナーのモンティはケベック州の生まれだけど、両親がフランスからの移民一世だったことから、純正フランス語(カナダではケベックのフランス語と区別するために「Parisian French(パリのフランス語)」と呼んでいる)で育ったそうな。本国から離れて何百年も経ったケベックのフランス語とはかなりの違いがあるそうで、子供の頃にはずいぶんいじめにも遭ったらしい。(その後何年も英語圏に住んだので今は完全に英仏バイリンガル。)その純正フランス語をちょいと田舎っぽく崩して話すとケベックのフランス語になるんだそうで、そうやって「Pure laine(純毛)ケベコワ」との摩擦を避けていると笑っていた。フランスでもフランス語の「純血」を守るために「国語審議会」みたいなうるさい組織があるという話だけど、純毛ケベコワのフランス語死守へのこだわりには、ある意味で宗教の原理主義に通じるところがあるようにも感じられる。(ま、自分が属する国や民族の文化や習慣を守るために束になって異端者を排斥しようとする行動そのものが、ワタシには宗教に近いものに見えるけど。)

生まれたばかりのジャクソン君がバイリンガルに育つかどうかはまだわからないけど、最近カナダ政府はこの11月から市民権を取得する人に英語かフランス語の運用能力の証明を要件に加えることになったそうな。市民権(国籍)を持っていても英語/フランス語を話せない人はけっこういる。ワタシが申請した頃には市民権判事と1対1の差し向かいでの面接試験があって、カナダに関する知識について質問に答える仕組みだった。それが移民の数が大幅に増えて対応できなくなった今は4つか5つから正しい答を選ぶという筆記試験になって、英語/フランス語で会話ができなくても、送られて来るガイドブックの内容を暗記すれば合格できるようになった。(それでも不合格になる人がけっこういるらしい。)おかげでカナダの公用語で機能できない「カナダ人」が増えてしまった。まあ、自由党のトルドー政権時代あたりからやたらと条件を緩めて来た結果でもあるんだけど、それでは国として困るから、英語/フランス語が「できる」という証明を求めることにしたらしい。

でも、IELTSにしてもTOEICにしても、(特に試験勉強に長けた日本人の場合は)スコアが高くても必ずしも英語の運用能力が高いということにはならないんだけど、言語能力を正確に測定できる方法はないと思うから、何もしないよりはましというところかな。たかが英語、されど英語で、いくらTOEICのスコアが900点以上あっても、(特に会話という双方向の)コミュニケーションに活用することができなければ、ただの「知識」でしかない。知識は「勉強」すれば受け身でいても取得できるけど、活用となるとそうは問屋が卸さないから難しいところだな。カレシのところにはさっそく口コミで英語教室のことを聞きつけた人たちから入れて欲しいというメールが舞い込み始めているとか。ワタシが来た頃は移民のための英語学校などなかったから、ひたすら活用あるのみだったけど、今考えてみると、そういういきなり深みに飛び込むような環境だったのが幸いしたのかも・・・。

いったいどういう発想なんだろう

9月30日。日曜日。いい天気。普通に起きて、普通に朝ご飯を食べて、さっそく仕事。何しろ、大型台風が東京を吹き抜けている間に、こっちにも大型の「何だ、これ」台風・・・。

どどっと来た2つのファイルの小さい方、パッと見たところは似たりよったりの表がずらり。まあ、Wordのファイルだから、表の扱いは慣れたもんだし、元原稿の量からして普通に4時間もあればできそうだし、似たような項目がたくさんあるから「コピペ」もできそうで、要するに「あ、こんなの軽い、軽い」という感じの仕事・・・のはずだった。ところが、表のセルに見えたのは、実はテキストボックス。日本語と英語の訳文では長さが違うから、元の大きさのボックスには訳文が入り切らないのが普通で、図の中のボックスなら訳文が納まるように大きさを調整すればいいんだけど、これはページいっぱいの大きな表。10個も20個もあるボックスをジグソーパズルみたいに寸分の隙もなくきっちりと組み合わせてきれいな「表」の形にしてあるから、どれかひとつのサイズを1ミリでも変えたら作った人の苦労は水の泡・・・。

いやはや、20年以上ありとあらゆる形式や構成の文書を訳して来て、びっくりするような「何だ、これ」には慣れていたつもりだけど、これはもう芸術品だな。期限が今日の夕方で、どうにもならないことと格闘していてもしょうがないから、原稿を印刷して、まっさらのWordファイルを作って作業。たぶん、書式を作れと命じられた人はWordの表機能の使い方を知らなかったんだろうな。そうとしか思えない。そうでなければ、いったいどういう発想なんだろうな。昔はExcelをまるで線を引いた筆記用紙のように使った文書によく遭遇したけど、それが400字詰め原稿用紙の発想だということは想像に難くなかった。日本から送られて来る日本語文書で(たとえば「MS P明朝」のような)プロポーショナルフォントが使われることはまずない。(各行の文字の位置が揃わないから嫌いなんだろうな。)上書き処理で英語をポンポンと打ち込み始めて「ん?」と思ったときはたいてい1ページ何行、1行何文字と設定されている。まさに原稿用紙的なんだけど、それはそれでグリッドを解除すれば済むこと・・・。

それにしてもあまりにも奇抜な表作り技術に感心しながら、作業を進めて行くうちに、いくら進んでも終わりが見えて来ないことに気がついた。3時間やってもまだ全体の半分。ははあ、わかった。テキストボックスの中の文字はカウントされない。つまり、最初に言われた原稿の文字数には十何ページもある表の中の文字数が入っていないということで、ざっと見渡したところでは仕事量が倍かそれ以上になって、とっても期限には間に合わない。えらいこっちゃ。これをさっさと片付けて次にかからないと2つ目の期限の方が詰まってしまうというのに、もう。でも、お客さんの方でも「表」が表ではないことに気づかずに、普通に文字をカウントして発注元に見積もりを出しただろうから、それを訂正できるかどうかはわからないけど、とりあえず台風一過の月曜の朝の東京にバッドニュースを伝えるメールを飛ばした。

まあ、何とか無事に片付けて、半日遅れながら納品を済ませたけど、それにしても、見れば見るほどため息が出るような精巧な「作品」。印刷してじ~っくり調べたらほんのたまにごくごくわずか角がずれているところがあったりするけど、それでも1ミリ以下で、普通に見ていて気がつく人はまずいないだろうな。Wordの表機能を使えば半日でできてしまうものを、いったいどれだけの時間をかけたんだろう。マウスを動かす手が痙攣を起こしたんじゃないだろうか。完璧を要求し、完璧をめざし、完璧な結果にこだわる人の発想なのかもしれないけど、この人も原稿用紙型の思考パターンの持ち主なのかなあ。いや、もしかしたら驚異的な独創性を持った人かもしれない。いったいどんな人なのか、会ってみたいような気もするなあ。この年になったら少々のことには驚かないけど、いやはや、ほんっとにぶったまげた。


2012年9月~その1

2012年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
今度の大仕事はなぜか超特急

9月2日。日曜日。もう9月になってしまっている。今日は目が覚めたときのまぶたの開きが良くなかった。もしかしてドライアイかなあ。きのうは実に良く、たぶん年不相応にがんばったもので、店じまいをしてキッチンに上がった頃には目が充血してまるでエイリアン。カレシにほらっと見せたら、え、カレシも片目が真っ赤。どうやら庭仕事をしていて汚れた手で目をこすったもので、異物が入ったらしい。自分の異常は気になってしょうがない性質だから、ややご機嫌ななめ。胃の調子も良くないからと寝酒をパス。(カレシの胃弱は父親似で、年を取るにつれて何かと亡きパパに似て来たように思う。)ま、2人して赤い目をしょぼしょぼさせながら、ワタシはいつもの寝酒。あれだけガシガシ仕事をしたら、頭の中が花火大会になって、すぐに眠れるもんじゃない。

ファイルを見たときはどこまで続くのかと思った大仕事だけど、何と3日で80%やっつけてしまった。いわゆるホームページのローカリゼーションというやつで、何をクリック、これをクリック、あれをクリック。だいたい似たようなことばかり書いてあるから、けっこうすいすいと進んでしまう。順調に進むと先へ、先へと突進したくなるのがワタシで、この分ではいつもなら10日くらいの見積もりになる仕事を5日弱で終わらせられそう。あ~あ、目はしょぼしょぼするし、手指の関節炎は痛いし、おなかのあたりはひときわ弛んでくるし、女の細腕もだんだん細くなくなって来るし、稼ぐというのは大変なことなのだ、男でも女でも・・・。

ワタシが仕事をしている間に、カレシは今日も庭仕事。となりパットが最近ねずみが出没すると言っていたけど、ニャンコのハリス君が2匹捕まえたらしい。ひとり住まいのパットは大の猫好きで、ガンで弱った「前任」の雌猫を赤ちゃんのように抱いて散歩をしていた。その雌猫が死んだ後に、風来坊のように現れて居候を決め込んだのが雄猫のハリス。散歩するパットの後をエラソーに歩いていたり、日当たりのいい我が家のガレージの屋根の上から世間を睨んでいたり、我が家のゲートの外に狛犬みたいな姿勢で番犬よろしく座っていたり、ちょっと猫っぽくないところもある。カレシ曰く、「うちの庭も自分の縄張りのうちだと思ってるらしいよ」。どうやら、カレシとはお互いの存在を表面的に無視しながらも暗黙のうちには認め合っている関係にあるらしい。ハリスは雄猫だから、男同士で気持が通じるのかもしれないな。ワタシを見るとのそ~っと立ち去るのは、「女なんかうぜぇんだよ」ということか・・・。

夏休み最後の三連休となる「レイバーディ」の週末で、PNEの最終日。火曜日から一斉に新学年が始まる子供たちにとっては夏休み最後の遊び時。連休でも連休でなくてもワタシたちには全然変わりはないけど、う~ん、明日中に終わらせられるかなあ、この仕事。そうしたら、火曜日からせめて二連休くらいにはなるかな。がんばってみるか。休み、ほしいなあ・・・。

夫を家事に参加させるには

9月3日。月曜日。猛烈なこむら返りで跳ね起きてしまった。午前10時ちょっと前。叫びたいくらい痛くて、痛くて、涙がぽろぽろ。何だか永劫の地獄みたいな気がしたけど、しばらくして治まったようなので、また寝なおし。昔は足の裏の土付かずがよく攣ったけど、あれは歩いていればすぐに治った。それがしばらく足の指が攣るようになって、これも攣っていない方の足で踏んづけていたらけっこうすぐに治った。だけど、この頃はふくらはぎが攣るようになって、これはまだ対処法を見つけていないから何ともやっかい。まあ、しょっちゅうじゃないのが幸いだけど、こういう痙攣は加齢現象なんだろうか。

きのうはかなりがんばったので、大仕事の残りはせいぜい10%。トンネルの出口が見えているので、今日は朝食後すぐにオフィス入り。残りは10%もないから、気合が入ってすいすいと進んで、午後4時すぎには終了。見直しは夕食後と言うことにして、キッチンに上がったら、カレシがとなりのランドリールームで洗濯機の上にかごにいれて置いたままだった洗濯物をたたんでいた。いつもは自分のものだけしかやらないのに、今日はタオル類もたたんでくれているからエライ。一見してけっこう雑なたたみ方だけど、せっかくたたんでくれているんだから、それで十分。カレシは元々ぶきっちょだし、空間認識に難があるみたいだから、何をやっても完ぺきには程遠い。でも、どんなたたみ方をしたって、見えないところにしまうんだし、使うときに広げたら同じことだもんね。

そういえば、先週のMacLean’sに、「あなたの愛する人が母親のように振る舞うとき」といったタイトルのおもしろい記事が載っていた。のっけから「最も不幸せな結婚は同じ理由で不幸せである」。つまり、妻は夫がぐうたらなせいで家事をすべてやらなければならいと怒り、夫は妻がガミガミと命令がましく、おまけに何をしてやっても妻の基準に合格できないと非難する。何とも普遍的な問題じゃないの。小町横町の妻たちもいつも「どうしてみんな私がやらなければならないの?」と怒っているし、ローカル掲示板の国際結婚妻も「どうしてカナダ人夫ってきちんとやれないの?」と愚痴っていた。そして、夫たちがやってくれる家事を「いい加減」と採点して、自分で(自分基準に合うように)やり直し。で、夫がぐうたらだから自分が全部やらなければならないと愚痴・・・。

記事の元はオンタリオ州のあるマリッジカウンセラーが書いた本らしく、称して「マザーシンドローム(お母さん症候群)」。妻の側から見ると夫は伴侶ではなくて子供。子供は監督して、教えて、しつけて育てるもの。なるほど、掲示板でもよく「夫を教育する」とか「夫をしつける」とか言う怖いアドバイスが並ぶのはそういうことだったのか。もしかしてそれが女の本能なのかな。恋愛中は女性本能満開でも、結婚したら今度は母性本能が満開ということか。洋の東西を問わず、長い間「家事と育児は女の仕事」とされて来たから、男女平等、男女共同参画の時代になってもその「習い性」が女性の深層心理から抜けなくて、結婚したら夫も子供もいっしょくたにして「お母さん」になってしまうのかな。夫に平等な家事負担を要求しておきながら、夫がする家事は妻の基準でなければダメというのは、ちょっと無理があるんじゃないのかなあ。ましてや、結果が気に入らないからといって、ダメ出しをして、はては(たぶんイライラしながら)やり直しはないだろうと思うんだけど、女の完ぺき主義の潔癖症はなかなかの難病みたいだから。

ワタシはカレシが退職して在宅になるまでのほぼ25年間、ずっと家事を100%やって来たもので、「ワタシ基準」は相当に低くなっている。だって、フルタイムで働きながら家事も全部なんてのは、普通の勤めだってきついのに、自営業で年中無休の10時間営業ではムリを通り越していたんだもの。それでも、あの頃のカレシは洗濯ものをたたんでいない、シャツにアイロンがかかっていないとキレまくっていた。自分が出勤している間のワタシの労働量を知らなかったからかもしれないけど、掃除を外注することにしたら機嫌が悪かったのはどういう心理だったんだろうな。そういえば、新築のときに食洗機の導入を計画したら「そんなもん、いらん」と言ったのは食器洗いを手伝いもしなかったカレシだったな。まあ、まったく家事を手伝わなかった父親を見て育ったからだろうと思っていたけど、どうなんだろう。

記事には「厳格な基準を押し付けなければ、男はもっと家事を手伝うかもしれない。でも、女はその家事をやり直さなければという衝動を抑えなければならない」と書いてあった。せっかくやったことをこれ見よがしに「やり直し」されては誰だってプライドが傷ついて怒るだろうな。人格を否定されたと感じるかもしれない。でも、そういう奥さんはどこにでもいるということか。子供のすることなら過保護ママということになるのかもしれないけど、夫が相手では「control freak(コントロール狂)」と言われるかもしれないな。

カレシは離婚の危機に懲りたのか、わりと自発的に「家事」の一端を担ってくれるようになって、ワタシもずいぶん楽になった。だから、カレシが自分の仕事にしていることには口も手も出さないことにしているし、カレシの仕事ぶりがイマイチでもダメ出しはしない。やり直しなんて、そんなヒマは元からないしね。そもそも自分の基準が「ま、いっか」主義だし、カレシが不器用なのはわかっているし、何よりも作業するのは「いいオトナ」のカレシなんだから、カレシの基準でやってくれて十分。だって、ワタシはカレシのお母さんじゃないんだもの、今さら「夫教育」なんて、めんどくさいし・・・。

異言語コミュニケーションの2つの車輪

9月4日。火曜日。ちょっと夏のぶり返しのような陽気(だけど暑くはない)。今日は外の道路がラッシュアワーみたいな騒々しさ。そっか、今日から一斉に新学年。我が家の近くにあるランガラカレッジでも入学手続きが始まったんだな。地下鉄駅ができて便利になったし、学生組合の会費にU-passという公共交通の激安パスが含まれているので、授業が始まればこの車のラッシュもだいたい落ち着くことになっている。

カナダの学校は入学式をやらないので、カレッジや大学は最初の週がRegistration Week。入学手続きをして、教科と授業のスケジュールを決めて、教科書を買ってと、カレシに言わせると大学生活の中で何よりもストレスフルな時らしい。ランガラカレッジは元々バンクーバーコミュニティカレッジの分校だったのが18年前に独立したもので、大学編入コース(短大)と専門学校と夜間の継続教育部を一緒にしたところ。今では4年制の学士課程がいくつかある「公立大学」ではあるけど、厳密には「ユニバーシティ」ではない。それでも独立してからは、校舎の建物も1棟から3棟に増えたし、学生数も昼夜を合わせて2万人以上(夜間の方が多い)というから、大きくなったもんだ。(ワタシはコミュニティカレッジ時代に夜間部で法廷通訳科に通って修了証書をもらったけど、独立後は専ら創作や演劇のコースをつまみ食い・・・。)

通訳といえば、仕事に没頭してしばらく見ないでいるうちに日本の協会のメーリングリストがすごいことになっていた。最近「通訳グループ」が分科会を立ち上げたんだけど、そっち方面の投稿が増えて「迷惑だ」と噛みついた人(日本在住外国人)がいる。その理由が「自分は翻訳者の団体と思って加入したんだし、自分は通訳に興味がないし、自分には暇もないから」。でも、ヒマがないと言いながら、反論にいちいち反駁するもので、リストは喧々諤々のメールの洪水になって、結局みんなが迷惑の様相。おまけに、反駁すればするほど駄々をこねているように聞こえて来る。(小町横町流に言うと「ツーヤクの話は生理的にダメなのぉ。やめてぇ~」というところか。)なんとなく病的なこだわりのようにも感じられるけど、最近の若い人にはそれほど珍しくもないのかなあ・・・。

協会の古参会員には翻訳と通訳の両方をやっていた人、やっている人が多いし、ワタシも旗揚げ当初の数年は普通に両方をやっていた。(たった1週間の集中訓練だけで、図々しく同時通訳もやっていたし。)両立が難しいときがあるのは、在宅でやれる翻訳と直接現場へ出向かなければならない通訳という業務形態の違いが大きな要因なんであって、両者が互いに相容れないスキルだからではないと思う。だけど、近頃は何でも「専門分野」としてきっちり細分化されつつあって、一旦境界線を引かれたらもう「同類相見えず」のような時世みたいだから、この人のようなこだわりも罷り通るということなのかな。まあ、あまりにも細かく「専門化」しすぎて、専門分野の外のことには無知、無関心の人も増えているようにも見える。でも、究極的には翻訳と通訳は異言語コミュニケーションの両輪だと思うんだけどなあ。

現に、ワタシの翻訳技法(と言えるかどうかは別として)のルーツは「紙に書かれたものを見ながら口頭で訳す」という、「サイトトランスレーション」と呼ばれる通訳の訓練にある。翻訳原稿を目で「聞き」ながら、訳をキーを叩いて「話す」という工程は、目に見える文字を「聞いて」、「通訳」したことをキーを使って打ち出しているところが違うだけで、実際には通訳作業とほとんど変わらないように思う。ときには、頭の中の日本語をそのままかってのように自然に発声できるようになれば、通訳業務に復帰することだって可能なのではとも思ってしまう。だから、「翻訳と通訳は似て非なるものだ」という主張はどうしても理解できないなあ。いつか会議でこの人に会うことがあったらどうしてそう考えるのか聞いてみたい気もするけど、ご当人はどうやら(通訳が乗っ取ろうとしている)協会を退会することにしたらしい。なあんだ・・・。

なぜか印象が薄かった富士山だけど

9月5日。水曜日。夏がぶり返したのかな。週末に向けてちょっと夏日に戻るらしい。ここ数年の間に夏らしい天候になるのがだんだん遅くなって、それにつれて夏の終わりも秋にずれ込んでいると、テレビのニュースで気象予報の人が言っていて、農家の人たちも耕作期間がずれて来ていると証言していた。栽培期間が短くなっているわけではないそうだけど、太陽の活動が変調をきたしているのか、地球の傾きがおかしいのか、人間由来の気候変動なのか・・・。

大仕事を超特急で終わらせたので、今日は休み。新聞サイトを見ていたら、富士山が噴火するかもしれないという記事があって、びっくり仰天。何でも、去年の大震災でマグマだまりにすごい圧力がかかって、数年経って噴火する可能性もあるという話だった。富士山の真下に活断層があるかも知れないことがわかったのはつい最近だったけど、日本列島が乗っているプレート全部が集まるところで海底から噴火した山の上に溶岩や火山灰の山を重ねて高くなったのが富士山だそうだから、断層なんか数え切れないくらいあるだろうな。富士山はずいぶん長いこと噴火していないとはいえ、眠っているわけではなくて、れっきとした活火山だそうだから、いつまた噴火するがわからないし、日本で一番高くて、しかも裾野が大きい山だから、噴火したらえらいことになるのは想像に難くない。

もしも富士山が噴火すると、山体崩壊という想像もつかないような山崩れが起きる可能性もあるそうだけど、富士山は成層火山だから、積もって固くなった何層もの雪の上に新雪が積もったような感じになるのかな。雪山では積雪の層が不安定になると雪崩が起きるけど、富士山は噴火すると溶岩や火山灰が積もってできた地層が不安定になって山崩れが起きるということか。あの富士山が崩れるというのはほんとに想像がつかないな。ワタシは雲の上に頭を出しているのを飛行機から2、3度見たことがあるけど、周囲に連なる山がないから、ちょっとばかりニキビのように見えた。地上から山全体を見上げたのは20年くらい前の1度だけ。富士吉田のホテルの窓いっぱいに迫って見えたけど、なぜか感動と言えるような感慨はあまりなかった。今度は近すぎたのか、上り坂がずっと続いているという感じだったな。日本の象徴である富士山を見て感動しなかったと言ったら顰蹙を買うかもしれないけど、やはり高さを競うように連なる山並みがないことが、初めて間近に見た印象を薄くしたのかもしれないな。

せっかくの休みだからひとりでダウンタウンへお出かけ。カレッジ前のバス停では若者たちがみんなバスが来る方向を向いて一列に並んでいた。いつもはシェルターの周辺にてんでにかたまっているんだけど、新入生だからかな。地下鉄駅までの歩道は学生でびっしり。初々しい顔がいっぱい。駅に着いたら、いつの間にか改札口ができていた。ただし、稼動するのは来年なので、装置を設置したというだけ。3つの改札口のうちで、ひとつは車椅子が通れるように幅が広くなっている。これからガラスの壁が設置される両側はまだ何もなくて広々としているのに、律儀に改札口を通り抜ける人がたくさんいるからおもしろい。

歩道の混みように反して、地下鉄はそれほど混んでいなかった。終点のウォーターフロント駅で降りると、バラード入り江の向こうにノースショアの山並みが迫って見える。1500メートル前後の山が連なって、天気の良い日は双子のライオンズが際立ってまさに絶景。日本を恋しく思ったことがないのに、わずか半年のビクトリア暮らしで居ても立ってもいられないホームシックになったほど、この山並みの景観のおかげでワタシはバンクーバーを離れて暮らすことができない。(ゴメンね、富士山。)駅から道路を渡って、パスポートオフィスで更新の申請用紙をピックアップ。2人とも9月26日にパスポートが期限切れになるので、更新しておかないとアメリカへ行こうと思っても行けなくなる。既発行のものを更新する場合は保証人のサインが不要になったおかげで、写真と申請用紙と更新するパスポートを持って行くだけで良くなったから、昔よりはめんどうが減った。それでも写真を撮ってもらわないとね。でも、その前にヘアカットに行かないとなあ・・・。

パスポートオフィスから上り坂を歩いて(いい運動だ!)Hマートへ。トートバッグに詰められるだけの買い物をして、ダウンタウンでの日程を終了。乗降客の多いシティセンター駅は改札口が6つ据え付けてあって、そのうち2つが幅広になっていた。ここでも改札口を通り抜ける人の方が多いような。持っていた切符の期限切れ5分前に通過。1枚の切符(2ドル50セント)で往復の利用ということで、実質的に半額料金になる勘定。ずっと長い間バスも電車も90分間乗り放題だったんだけど、改札と同時にCompassというSuicaのようなカードを使うようになったら、この特典はなくなってしまうのかもしれないな。時間のかかるバスと違って地下鉄は早いから、いろんな用事を足せる時間が増えて便利だったんだけどな。カレッジの角を曲がったら、我が家までは道路の北端に見えているノースショアの山を背に南へ一直線・・・。

そうか。富士山が噴火しそうという話が出たのは、土曜日が関東大震災を記念する防災の日だったからなのか。遅ればせながら願わくは、富士山が噴火しませんように。山体崩壊が起こりませんように。南海トラフが滑りませんように。東京の真下で大地震が起こりませんように。万が一、どこかで大きな地震が起きても原発が壊れませんように・・・。

あの人だあれ、誰でしょね

9月6日。木曜日。起床午前11時30分。今日はカレシが午後の英語教室を再開するので、久しぶりに目覚ましで起きた。夏、再び真っ盛り。朝食後、いそいそとお出かけのカレシを送り出して、ちょっと庭で日光浴をば。

まだ青いけどトマトがたわわ・・・。[写真] 
まだ釘のように細いのがほとんどだけど、サヤインゲンもさやさや・・・。[写真] 

今日は仕事があるけどもまだ急いで取りかからなくてもいい日。怠けモード満開にして、カレシが帰って来るまでの間、午後いっぱいのんびり。小町横町で『賞味期限切れ使った料理を捨てられた』というトピックが目に留まったので開いてみたら、夫が週に3回も冷蔵庫をチェックして期限切れのものを捨てるが、2日過ぎた肉を(チェックしてから)野菜炒めにして出したら「こんなもの食えるか」と全部ゴミ箱に捨てられたという話。何てひどい旦那さんだという書き込みが殺到するかと思いきや、買い物に計画性がないとか、在庫管理ができていないとか、さんざん。たとえ1日でも期限切れのものは嫌、嫌なものは嫌!へえ、意外とこだわる人が多いんだなあ。たしかに、ワタシもSell by(販売期限)とかconsume by(消費期限)という日付がある生ものはある程度は注意するけど、それでも冷蔵庫に入れておいて2日や3日過ぎたくらいなら使っちゃうし、Best before(賞味期限)なら1、2週間超過なんてざら。火を通して調理するんだし、目で見て、鼻で嗅いで、手で触って判断することを母に教わっているから、そんなに神経質に「数字」にこだわらないなあ。日本とカナダでは食品の安全に対する観念が違うのはわかるけど・・・。

こだわりで協会の翻訳・通訳論争を思い出した。モデレータがストップをかけて終焉したけど、ある辞書はこう定義しているというのに対して「その辞書はでたらめ。自分に都合のいい定義を持ち出すな」と言っておきながら、じゃあどの辞書がいいのかと聞かれて「この辞書に(自分の)定義が正確に載っている」と別の辞書を名指してきた。いるなあ、こういうあくまでも自分が正しいという人。昔アメリカで、ウォーターゲート事件の聴聞会が開かれていた頃に、「事実なんか持ち出して混乱させないでくれ」と言った政治家がいたけど、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うで、しまいに通訳も加入できると見えるところに表示していなかったのは偽装だ、あったら協会には入らなかった(だまされた)とのたまう始末。何か異常なほどこだわりの強そうな人なので、ふとイジワルを思いついて名前をググってみたら、いた。あっちこっちのSNSにいた・・・。

ふむ、日本の古典芸術大好き。日本文化に憧れて住み着く外国人にけっこういるタイプだな。(日本政府が発信する月刊のメルマガにも、アメリカ人の尺八師範の話があって、自分の竹林の中で作務衣姿で尺八を吹いている写真が載っていた。ま、この人はプロの音楽家への道を究めたらしいけど。)でも、この人はは現代日本のサブカルも大好き。ふむ、大学出たてくらいで日本に行く欧米の若い男にけっこういそうなタイプで、何かオタクっぽい印象だなあ。キーワードは環境、オーガニック、ベジタリアンなど。環境保護に熱心らしいのはわかるけど、農業はオーガニックでなければダメ!というタイプかな。どうやらベジタリアンかもしれない感じだけど、「人間は肉を食するべきではない!」と普通に何でも食べる人に説諭したがる菜食主義啓蒙活動家のタイプなのか。それとも「肉なんか危険で食べられないよ」というタイプか。それとも「オーガニック志向のベジタリアン」の自画像に惚れ込んでいるタイプなのか。(ベジタリアンにもいろいろといるから。)どうやら翻訳歴は浅いようで、別に情熱を燃やしている仕事もあるらしい・・・。

それにしてもインターネットってすごいな。SNSはもっとすごい。名前やちょっとしたキーワードを入力するだけで、会ったこともない人のいろんなことがわかってしまうんだもの。たしかに便利ではあるだろうけど、これでいいのか、なんだか考えもんだなあという気もするな。もちろん、本人が自分の意思でインターネット上のそういうサイトで情報を公開しているから、どこの誰でも簡単に見ることができてしまうわけだけど。ふむ、つい昔歌った歌が口をついて出て来る。「あの人だあれ、だれでしょね。インターネットのかたすみで、オトモダチと遊んでる、どこかの誰かさんじゃないでしょか」なんて・・・。

たかが婚活、されど婚活、だけど結婚は・・・

9月7日。金曜日。目覚ましで起きたきのうの反動かどうか知らないけど、起床は午後12時半。今日もちょっと暑そうだな。日本の金曜日の夕方までに急ぎそうな仕事が入って来なかったので、今週末は文字通りの週末ということにして、隠居暮らしの予行演習・・・。

カレシは今年の収穫が終わった後で使えるようにと、途中まで組み立てて放り出してあったミニ耕運機の仕上げ。でも、同じベースメントにあるワークショップからな~んか問題が起きていそうな雰囲気が伝わって来る。そこを意識的に無視してのんびりとネットを覗いていたら「あのさ~」と来た。「ナットが固くて締まらないんだけど・・・」。たしかに刃のアセンブリを本体に固定するボルトが1本緩い。締付けナットが途中で引っかかっている感じで、2人がかりで回してもびくともしない。カレシは「これが締まらないと耕運機は使えないよ~」とオロオロ。昔ほどではないにしても、カレシは問題に遭遇すると思考回路がショートしてしまうらしく、どこに問題がありそうかということを考えてみる前に意地になって弄りまわした挙げ句にモノを壊してしまうか、癇癪を起こしてこんなのはガラクタだ!と放り出すことが多い。でも、このミニ耕運機、すごく高かったからおいそれと捨てるわけにも行かないよねえ・・・。

まず初めからやり直してみようということで、ナットを外したら難なく外れたので、どうやらカレシの回し方が悪くて曲がって入ったのではなさそう。まずその点を指摘しておいて、ボルトにナットをはめて回してみたら、2回ほどで立ち往生。何度やっても同じ。カレシがやっても同じ。ははあ、ボルトかナットのどっちかに問題がありそうだな。まずは問題解決の第1関門を通過。問題はボルトかナットにあることを指摘しておいて、ボルトのねじ山を指先でなぞってみたけど異常なし。次に強力なルーペを持って来て、ナットの内側のねじを観察したら、あったぞ、ねじ山のはみ出し。よ~く見ないとわからないような小さいはみ出しだけど、明らかに製造工程での欠陥で、これではいくら2人がかりで力をいれてもボルトは通りっこない。

「じゃあダメだ~」とへこむカレシにはナットはたぶん標準寸法だからHome Depotで見つかるよと強調しておいて、いろんなものを解体して外したボルトやナットを保存してあるワタシの「宝の箱」をかき回して、これはと思うナットにボルトを通してみる。大きすぎたり、小さすぎたり。でも、形は違うけどボルトにフィットするナットが1個だけ見つかった。さっそく耕運機に取り付けて、2人がかりでボルトとナットを回したら、ガシッ。おお、やったあ。これで問題解決。カレシは「指が太すぎて見づらい」とこぼしながら、改めて欠陥ナットをルーペでしげしげと観察。何とか自分の目で欠陥部分を確認して納得。「ぴったりのナットがあってラッキーだったなあ」。まあ、三人寄れば文殊の知恵というけど、夫婦は頭が2つあるから、くつっければ文殊の知恵とまでは行かなくても何とかなるもんだよね。

昨今のワタシたち夫婦はこんなぐあいで回っているんだけど、小町のトピックに『婚活で見るべき男性のポイントを教えて!』というのがあって、避けるべき?ポイントを読むほどに、こんなんで武装した女性が相手では、カレシは売れ残ってしまいそうだと笑ってしまった。この「婚活」、海外のメディアでも日本の世相としてときどき紹介されるようになったけど、とにかく「結婚すること」だけを考えて焦っているような人が多いという印象で、だけど、焦っていながら、相手の年収が、職業が、学歴が、性格が、価値観が、過去が・・・。そういうのは出会いがあれば必然的に相手にくっついて来るもので、職探しじゃないんだから、肝心の相手が見つかってもいないのにあれこれ悩んでもどうなるものでもなかろうにと思う。いや、「どうなるもの」と思っているんだろうな、たぶん。

機会均等法前のワタシの世代の女性は、学校を出たらちょっとお勤めをして、(少なくとも地方では)縁談があったら見合いをして、いい話だったら結婚・・・というように漠然と人生が決まっていたように思う。植木等が「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ~」とぶち上げていた頃だから、サラリーマンの奥さんも気楽な稼業だったのか、結婚相手がサラリーマンなら三食昼寝つきの永久就職・・・おや、あの頃も結婚は自分で探さなくても良かっただけで「就職」だったということか。跳ねっかえりだったワタシは結婚なんかまっぴらだと思っていたのに、カレシと出会って、今の婚活女性が挙げる条件のほとんどに×が付きそうな人だったにもかかわらず、好きだという勢いだけで結婚。今だったら「恋愛と違って結婚は生活。好きなだけではやっていけないよ」と止められそうだけど、まあ、ワタシは向こう見ずながら後悔というものもあまりしない方なので、40年近い紆余曲折を経た今でもまだ一緒にいるから、好きというだけで結婚しても何とかなることだってあるということかな。

ある新聞サイトに結婚相談所の独身男性向けと思われる広告がよく出て来るんだけど、「嫁さん、ほしいな」という男性は女性(妻)に冷ややかに上着を着せかけてもらっているし、その女性は「亭主元気で留守がいい」みたいな目つきで、所詮は広告なんだけど、うまく行きそうな夫婦のイメージではないな。これが「婚活結婚」なのかな。「そろそろ独身を卒業したいな」とつぶやいている男性は、ジャージー姿で頭からタオルをかぶり、缶ビールを傍らにカップ麺か何かを食べている。嫁さんをもらえばまともなメシを食わせてもらえるということか。女性がモデルの場合は、きらきらした感じで「大人の婚活、してみない?」とか、「ひとりでさびしくない?」とか、アピールするところがまったく違っているからおもしろい。

それでは、今の人たちは結婚に何を求めているんだろう。結婚そのものに求めているものは男女とも昔からあまり変わっていないようなのに、これだけ婚活ビジネスがあっても結婚できないで焦る人たちが増えたのは、もしかしたら相手に求めることが男と女で大きくすれ違ってしまったからなのかな。言い換えれば、「ハードウェアの互換性かソフトウェアの動作環境の範囲が狭まった」ということかな。今どきの男女が互いに何を求めているのかよくわからない(昔のワタシもわかっていなかった)けど、結婚する(している)というのは大変な精神力が要求されることなんだということはわかる。だから、今だったらワタシも人並みにカレシの「条件」を考えて、結婚してもいいのかどうか悩むんだろうか。やっぱり、好きだと思ったらまず突っ走って、先々の問題はそのときにそのときの状況に従って対処すればいいと考える方だろうな。結婚するにはある程度向こう見ずなところが必要じゃないかと思うし・・・。

生理的に無理ってどういう意味?

9月9日。日曜日。きのうはまだ残暑っぽかったのに、今日はいきなり15度。曇り空。雨の予報。ただし今日だけらしいけど。

午後いっぱいぐずぐず、だらだら。仕事がないんだから、あれをしなきゃ、これをしなきゃという「悪魔の囁き」はとりあえず無視して、人間、たまには本気でだらだらするのもいいもんだと思う。いいもんだといいながら、小町横町なんかに散策にでかけるから、わかるようでよくわからない日本の人の心理や、これまた訳せるようでうまく訳せない日本語表現に引っかかって頭をひねってしまうのがワタシの悪いクセ。仕事モードとオフモードをしっかり切り替えなきゃねえ。なあんにもしないでぐうたらしているはずなのにっ!とはいえ、よく目にする「生理的に無理(受け付けない)」という表現、英語に訳せそうで今ひとつうまく訳せないんだけど、具体的にどういうことなのかな。「大嫌い」、「耐えられない」という意思表示であるらしいとまではわかるんだけど、だったら「○○は大嫌い」と言えばいいのに「○○は生理的に無理~」と表現するのは「大嫌い」以外に言いたいことがあるからなのか・・・。

まずはどう英訳するか考えてみた。ほんとに大嫌いなら「I hate it (him/her)」と言える。動詞のHateを辞書の通りに訳せば「憎む」だけど、口語表現としては「大っ嫌い!」という意味になる。さらに強調するなら「I hate  its (his/her) guts」となる。Gutsは腸のことだから、あれ(あいつ)の「はらわた」まで憎らしいくらい大嫌いということで、「生理的に無理」に近いのかなと思うけど、何だかしっくり来ない。でも、ふと思い当たったのが、日本語は主語を使わなくても(少なくとも日本人同士では)機能する言語なのに対して、英語は主語によって「自己主張」する言語だから、嫌悪感を表現するにしてもその感情の持ち主が明確に識別されるということ。だけど、対面でのコミュニケーションでは日本語だって喜怒哀楽の表現は主語がなくてもたいていは話者がその感情の持ち主であるとわかるもんだし、英語のでさえ自分の強い感情を相手に直接(特に面と向かって)伝えるときは主語を省略することが多いな。

いろいろ英訳の例を考えてみたけど、どれもピンと来ない。でも、「生理的に無理」は女性が使うことが多いようだから、女性心理が現れているのではないかという気がする。この場合は日本語だから、人やモノに対してそういう表現を使う日本女性の心理が現れているということか。日本女性の「奥ゆかしさ」が直接的に「嫌い」と表現することを良しとしないので、婉曲表現を使うと言うことか。でも、いわゆる「奥ゆかしさ」があたりまえに日本女性の美徳とされた時代にはそんな生臭い婉曲表現はなかったように思うんだけど、どうなんだろうな。第一、「生理」と言うのは諸々の身体活動をひっくるめた「生命体の機能」のことだから、そのレベルであの人が嫌、あれやこれやが嫌というのは、「本能」的な感情なんだからしょうがないと言っているように聞こえる。まあ、人間も動物だから、理屈なしの感情はあるんだけど。

要するに、「○○を否定するのは自分じゃなくて、理性とは関係のない生理現象が無理だと言っているんだからどうしようもないでしょ?自分が悪いんじゃないのよ」という含みなのかなあ。たしかに、生理的に蜘蛛や蛇がダメ、ぞっとする、無理!という人はごまんといるし、そう言っても「ひどい人だ」と批判されることはまずないものね。う~ん、わかったような、だけど深く考えすぎてよくわからなくなったような。まあ、翻訳原稿に出て来なければどうでもいいことなんだけど、ワタシのところに入ってくる「人文」関係の原稿にはときどきワタシの「旧現代日本語」の辞書にはない新現代日本語の巷の表現が出て来るから、こうやって小町横町でお勉強させていただいているわけで、現に、ごちゃごちゃ考えているうちに、噂をすれば何とやらじゃないけど、日本では月曜日の朝になって、のっけから「人間関係」の仕事が飛び込んで来たじゃないの。急ぎだと言うので、とりあえず目を通したら「逆鱗に触れた」なんて言葉がある。ほんとに、よくもめるなあ、人間同士。ああ、お願いだから号泣しないでくれ・・・。

いつの間にか外は雨。夕食のしたくの時間だし、サヤインゲンを収穫して来なくちゃ。

憧れの舞台に立ってみた!

9月10日。月曜日。正午過ぎに起床。今日はちょっとウキウキした気分。いつもの朝食を済ませて、直ちにオフィスへ直行。きのう入って来て、寝る前に済ませてあった急ぎの仕事の見直し作業。これが人間ドラマの要素が満載で、まるで小町横町の相談に出て来るような話。そのおかげで野次馬っ気丸出しになって、仕事はささっと済んだわけだけど、それにしても「女の敵は女」とはよく言ったもんで、怖いなあ。

仕事が終わったところで、シャワーをしておでかけのしたく。今日はちょっと変わったパーティに招待されていて、ずっと前から楽しみにしていた。ここ数年地元の劇団Arts Clubに機会があるごとにちょこちょこと寄付をしていたんだけど、それが1年単位で見るとけっこうな額になっているらしい。それで新シーズンの開幕パーティへの招待状が来て、特典?が3つある劇場のうち本拠になっているスタンレー劇場の舞台と舞台裏の見学。永遠に劇作家への夢を見続けるであろうワタシにはたまらない誘惑。さっそく「出席」の返事を送って、今日がいよいよその日。いつもの夕食の時間と重なるし、パーティと言ってもちょっとしたレセプションなので、夕食は帰って来てからということにして、クラッカーを2、3枚・・・。

スタンレー劇場は80年前にボードビル劇場として建てられて、戦前から映画館として使われていたのを、映画館が閉鎖になったのを機に劇団が買い取って、劇場に復活させた。市の文化遺産に指定されているので、内装を極力復元しながらの改装で、客席数約650席の劇場として12年前にオープン。映画館だった頃に、一度カレシと入ったことがあったな。たしか、『スターウォーズ』の第1作目だった。あちこちが擦り切れた座席を覚えている。客席は全面改装したので座り心地は上々だけど、舞台が奥行きの割には幅が広いので、あまり前の方だと見づらいときがある。(一度だけ、『ゴドーを待ちながら』を見たときは最前列の端っこ近くで、よく見えなかった。)ワタシとしてはバルコニーの中段あたりがいいけどな。

まずは芸術監督のビル・ミラードの挨拶があって、Arts Clubとしてはこれが49回目のシーズンで、別の劇場で月末に開演するオペラ歌手マリア・カラスをテーマにした芝居のプレビュー。次に出席者からの質問で、毎シーズンのプログラムはどうやって決めるのか(主に監督が考える)、衣装の調達はどうしているのか(衣装デザイナーがいて、作ったり、借りたり、古着屋で買ったり・・・)、汗などで汚れる衣装はどうするのか(もちろん担当者がいて必要に応じて洗濯や修理)、公演が終わった後の衣装はどうするのか(Craigslistで売ったり、保管して貸し出したりするが、保管スペースの確保が頭痛の種)、取り上げる作品にどれくらい支払うのか(興行収入の何パーセントのロイヤリティを払う)等々。なるほど、なるほど・・・。

いよいよ新シーズン最初のプログラム『Clybourne Park』の室内セットが整っている舞台に上がって、舞台裏へとツアー。狭いので1度に20人くらいずつ、ということで2組目に入るかなと思ったら、ワタシとカレシが舞台に上がったところで、ワタシの前で「はい、ここまで」。でも、そのまま舞台にいてもいいと言うので、2組目がセットのドアから舞台裏へ下りて行ったところで、ワタシたちの番が来るまでの数分の間思う存分に舞台を歩き回ることができた。観客席に向かったら、うわっ、まぶしくて目が眩みそう。そうか、役者はこんなにもまぶしいライトを浴びながら演技をするんだ。客席はライトを落とすので、舞台から見えるのは前の1、2列くらいだそうな。カレシが案内係をつかまえてあれこれ質問している間、「永遠の劇作家志望」は客席に向かって、ライトを浴びながら空想に浸る。ああ、何ともいえない幸せな気分・・・。

セットのドアから舞台裏へ。階段を下りて行くと途中の壁に鏡やコートかけがあって、1人何役で早変わりするときなどにここで着替ええるんだそうな。舞台の真下に当たる地下に天井の低い狭い廊下があって、両側に電気設備の部屋、大きなソファを置いたグリーンルームと言うキャスト用の控え室、大小2つの楽屋(シャワーとトイレがあった)、衣装室、回り舞台を動かす装置と天井に跳ね蓋のある部屋(出演者が多いときは楽屋にもなる)、舞台監督のオフィス。どの部屋も壁にはポスターや写真がびっしりで、あちこちに小道具やらメークの道具やら脚立やら何やらがごちゃごちゃ。舞台監督のオフィスの一角には大型の洗濯乾燥機が2台置いてあった。なるほど、これがほんとの舞台裏・・・。

反対側の袖から客席に出て、ロビーのレセプションでちょっとの間(車だからワインは飲まず)チーズやフルーツをつまんでおいとま。おみやげに『Clybourne Park』のポスターをもらって来た。来週か再来週に席を予約しなきゃ。それと、来月から始まるカレッジの即興演劇教室に行こうかなあ、また・・・。

今どきの世相なのか・・・

9月11日。火曜日。家の中から見ていると暖かそうな日差しだけど、外へ出ると空気がちょっと冷たい。

今日はやたらと電話がなる。発信番号表示を見て登録していない名前や番号だったら出ないのが普通だし、キッチンの子機は午前1時から11時45分まではベルが鳴らないように設定してある(ナイトモード)から、ボイスメールにメッセージを残しておいてくれればいいんだけど、メッセージを残すのは嫌という人もけっこういる。今日の人は4回目でやっと「車を見に行きたい」とメッセージを残して行った。エコーを売るつもりであちこちに声をかけてあるので、家族や友だちのそのまた友だちみたいな人からときどき電話が来る。2005年型トヨタ「エコー」(今はヤリス、日本でヴィッツ)、ブルー、5ドア、オートマチック、エアコン付き、走行距離はたったの13,500キロ。シティカーを探している人向き。売り急いではいないので、カレシはかなり吹っかけているらしいけど、売れるかな?

日本の大臣が突然自殺したそうで、政局がごたごたしているせいかと思ったら、週刊誌に女性問題の記事が載ることになっていたらしい。まあ、政局のごたごたはずっと続いていることだから、突然死にたくなるというのもヘンだと思ったけど、女性スキャンダルが明るみに出るからというのもなんかヘンだな。そんなの、上は政治家から下は巷のサラリーマンまでもはや「日常生活」の一部になっているような今どきの世相なんだから、週刊誌に不倫をすっぱ抜かれたくらいでは開き直っておしまいじゃないのかな。まあ、誠実の人だったとか、信念の人だったとかいうありきたりの故人評だけど、政治家であろうが一般人であろうが、そういう誠実な人間は20年も不倫なんか続けないと思うけどね。いや、本当に誠実な人はそもそも不倫なんかしないって。

今どきの世相と言えば、よくわからないのが盗撮。毎日のようにどこそこの誰それが女の子のスカートの中を盗撮して逮捕された記事が社会面に出ている。ポルノが溢れかえっているこのご時世に、本屋へ行けばそういう雑誌がずらっとあるんだから、いくらなんでも女の子のパンツが珍しくて~なんて言いわけはしないだろうな。毎日、毎日、きのうは学校の教師、今日は警察官、明日は一流企業のサラリーマン。公務員、裁判官、銀行員、マスコミ人間、大企業の元社長まで。ヘンなところで「職業に貴賎なし」を地で行っている感じだけど、この人たち、新聞を読まないのかなあ。毎日、毎日、誰かが盗撮現行犯で逮捕されたという記事があるんだけど。立派な職業人なんだから、逮捕されたらどんな社会的制裁を受けるかぐらいわかっていそうなもんだけどな。悪くすると解雇だよ。妻子が路頭に迷うかもしれないのに、他人事だと思っているのかな。

若い女の子のスカートの中を覗くのってそれほどワクワクすることかいなと思うけど、おじさんたちには「変態行為」ってそれくらいたまらない魅力とスリルなのかな。それとも、あまり毎日ニュースになるもので、「みなもすなる盗撮というものを我もしてみむとてするなり」ということなのかな。そういえば小学生だった頃に男の子たちが後ろから女の子のスカートを手でパッとめくってはワイワイ騒いでいた。まあ、6年生といえばそろそろ思春期に入って異性を興味を持ち始める年頃だけど、まだまだ子供ではあるし、先生にこっぴどく叱られたし、ワタシのようなおてんばな女の子にほっぺたをピシャッとやられる危険もあった。だけど、まさかその子供っぽい好奇心から来る悪ふざけの延長線で、女の子のスカートの中にカメラを突っ込んでいるんじゃないだろうな。そうだとしたら、いい年をした男の「幼児返り」か、あるいは大人になり損ねたということかのどっちかということになるけど、何にしてもヘンな世相だなあ、まったく。

日本で結婚契約書と言いうものを作るカップルが出てきたらしい。掲示板などによく国際結婚の相手から「婚前契約書(プリナップ)」を交わすことを要求されたというトピックが上がって、欧米では普通だというようなことを書き込む人もいるけど、プリナップはだいたいが「離婚した場合」の財産に関する取り決めだから、実際にはよほどの財産があって、それを相手に持って行かれたくないセレブが作るくらいじゃないかな。日本の「結婚契約書」というのはちょっと違っていて、家事や家計の分担から将来の介護問題まで、結婚生活を続ける上でのルールブックのようなものらしい。ルール好きの日本では、夫婦でいるためにも「マニュアル」が必要ということなのかな。まあ、それで離婚が減るなら言うことなしだけど、逆に何だか「決めた通りにやってない(くれない)」ともめることが多くなるんじゃないかなあという予感。まあ、これも今どきの世相を反映しているんだろうな。ほんとに世の中、いろいろ相があるもので・・・。

お片づけしなさい!

9月12日。水曜日。ちょっとだけ夏っぽいいい天気。ヘンな夢を見ている最中に目覚ましがなって飛び起きた。バスで空港かどこかのようなところに着いて、ホテルにスーツケースを忘れたことを思い出して、スーパーのレジのようなサービスカウンターで送り届けてもらう手配をしていて、ホテルをチェックアウトして来なかったことに気づいて、一緒にいたカレシを先にラウンジに行かせて、どうしたらホテルに駆けつけてチェックアウトして戻って来れるか、と時計を見ながら思案していたところ。どういう意味があるのか、夢占いの人がいたら聞いてみたいな。

目覚ましをかけておいたのは、シーラとヴァルが掃除しに正午ごろに来るから。留守番サービスをしてくれるシーラは我が家の鍵を持っているし、アラームの操作も知っているから、ワタシたちが起きていなくても問題なく入って来れるんだけど、そこはやっぱり起きていて玄関のドアを開けて入れてあげるのが礼儀のような気がするから、掃除に日には午前11時50分に目覚ましで起きるわけ。今日はシーラが借りているアパートの敷地の一角を野菜畑にして育てたトウモロコシを持って来てくれた。長さが普通のトウモロコシの半分くらいしかないけど、カレシが庭で作ったときもやっぱりすごく短かいのしかできなかったから、育て方のコツがあるのかもしれないな。でもおちびトウモロコシは抜群に甘かったから、これも甘くておいしいと思うよ。

オフィスの掃除が終わってキッチンに上がってきたヴァルから「デスクの上のゴミ、何とかしなさいよ」とお小言。うん、カタログだの何だのがごちゃごちゃあるのはわかっているんだけど、ついついポイッと積み上げてしまうのが問題。「5分もあればきれいに片付くじゃないの」とヴァル。あはは、まるでお母さんみたいなもの言い。「いろんなものがあってうっかり動かせないから、デスクの上の掃除ができないのよ」と叱られて、ワタシはしおらしく「お片付け」を約束。掃除サービスにはきちんと料金を払うけど、それ以外は長年の友だち同士。シーラはワタシより5歳上でヴァルは4歳下なんだけど、ときどき「お母さん」が2人いるような感じがするな。2人が帰って、オフィスへ下りてよくよく見ると、ふむ・・・。

カタログ、レシート、ダイレクトメール、ずっと前のメモ。パスポートの更新申請書や年金の受給申請書が紛れ込んで見つからないなんてことになったら厄介だから、よ~し、片付けよう。ヴァルは5分もあればと言ったけど、名前や住所に隠蔽スタンプを押しながらだから、15分かかって、一応デスクの上から「ゴミ」を排除。(デスクの下は見なかったことにする。)

これで何とかデスクの上はすっきり。(これで片付いたつもり・・・。)でも、ゆったりと肘を張れるスペースができた。片付いているのっていいもんだな。(ブログもこのくらいすっきりと簡潔に書けたらいいのに。)だけど、リサイクル品の箱に積み上げただけだから、ゴミを捨てたんじゃなくて「移動」しただけ。今度はリサイクル品の箱が溢れてしまって、床のあっちこっちに雑誌やカタログの山。ヴァルが見たら「これじゃあ掃除機をかけられないから、何とかしなさいよ」と言うだろうな。ま、そのうちトラックに積んでリサイクルデポに持って行かなきゃ・・・。

収穫の秋といろんな欲の秋

9月13日。木曜日。午前11時30分、今日も目覚ましで起床。今日はカレシの英語教室。2日連続で目覚まし起床はちょっと「生理的」にきついなあ。だけど、今日もいい天気。ほぼ9月いっぱい好天が続くらしい。最低気温は10度くらいまで下がるという予報だけど、日中に20度くらいまで上がれば、トマトもサヤインゲンもどんどん熟するかな。色づき始めたところを収穫して家の中で熟させるよりは、やっぱり庭で日を浴びて熟した方が新鮮だし、味もいいし・・・。

[写真] カレシがワタシの背丈より高く育った「トマトの木」からもいで来た大きなトマトのひとつがこの結合三つ子。狭いところでなぜか3つに分裂しようとして失敗してこんないびつな形になったらしい。トマト君、大きなグラブをはめてシャドーボクシング?それとも座禅で組んでいるのを上から見たところ?どんな味がするのかな。「トマトの木」からは大きなのがもう2つ。そろ~っと色づき始めたところだから、りんご1個と一緒に(蓋をすると自動的に空気を抜いてくれる)保存容器に入れておく。りんごが出すエチレンガスが熟成を促進するんだそうな。入り切らなくなったら、後はセカンドキッチンのカウンターにごろごろ転がしておくと、けっこう赤くなるから、場合によっては11月になって自家菜園のトマトを食べることができる。

カレシを送り出して、ワタシはちょっとショッピング。Coldwater Creekのアウトレットで家着のスカート7枚、Tシャツ7枚。スカートは膝丈くらいの短めのものにして、Tシャツは襟ぐりがちょっと深いもので、半袖か七分袖。(腕が短いらしくて、長袖はプティットサイズでもちょっと長すぎるので冬物は七分袖。)ウェストをきちっと締めていないと、座業の悲しさ?で油断するとすぐ寸胴になってしまうから、このあたりが一番着心地がいい。ほとんどが40%オフなので気を良くしてどんどんクリックしていたら、最終的にさらに全体の25%オフ。やったあ。ついでにベルトが傷んで買い換えが必要になったトレッドミルのリサーチ。やっぱり使い慣れたBremsheyのがいいな。問題は古いのをどうするかで、何しろ重いから2人がかりでも動かせない。新しいのをセットアップしてもらうときに古いのを持って行ってくれると理想的なんだけど、とりあえずメールで問合せをしておいた。

今日のニュース。プロホッケーのNHLのオーナーと選手会の団体交渉が不調で、どうやら今シーズンはロックアウトで始まるということだけど、年に何億円、何十億円という報酬をもらうプロ選手の労働争議が金銭問題というのは何だかしっくりしないな。たしかに職業としての選手生命は短いのはわかるけど、それでも、三流の選手でも引退するまでには相当な額の「生涯報酬」になるはずだし、その後は失業してどこにも雇ってもらえないわけじゃないんだから、う~ん、やっぱり報酬の桁と付き合わせるとしっくり来ないな。ま、誰でも稼げるときに目いっぱい稼ぐ権利があるんだから、稼げばいいんだけど(ワタシ、プロスポーツのチケットは買わないし)・・・。

「青い目のシーク」と呼ばれたピーター・ローヒード元アルバータ州首相が死去。カナダのプロフットボールであるCFLのエドモントン・エスキモーズの選手だったこともあり、その後弁護士になり、ハーバード大学でMBAを取ったと言う人。アルバータの石油ガス資源を中央から支配しようとするトルドー政権に盾ついたことから、カナダ東部の旧体制がいかに西部を搾取して来たかを西部の人たちに知らしめた人とも言える。(北海道に欲しいような人だなあ。)なかなかのハンサムで、亡くなったのはカルガリーの自分の名前を冠した病院だったという。

そろそろ来年のカレンダーが出回ってくる季節。メトロバンクーバーのイケメン消防士たちが肉体美を披露するチャリティカレンダーが今年も発行された。スーパーやドラッグストアで売られるけど、いつも買おうと思っているうちに完売。今年は早めに書いたいな。北米の消防士たちは胸の筋肉もすごいけど、フル装備になると実にセクシー。こんなむきむきの男にお姫さま抱っこで救助された~いと妄想する女性は多い。(ワタシもフライパンを焦がして煙探知機が鳴って、消防車が来てしまった時にはそう思った・・・。)で、新聞サイトを見ていたら、沖縄でも消防士のチャリティカレンダーが発行されるという話。こっちも去年初めて作ったら完売して、今年もということになったそうな。いやあ、筋骨隆々でかっこいい。世は食欲の秋だもの、やっぱり肉食男子の方がおいしそうだなあ・・・ウフ。

進化のしすぎはありえるか

9月14日。金曜日。ピーっ、ピーっという音で目が覚めたら午前8時半。4時間しか寝ていないのに・・・。

キッチンへ下りてみたら、オーブンがまたピーピー言っているところ。これで3日連続で、表示パネルには「F1」の文字がフラッシュ。キャンセルを押したら止まったのでベッドに戻ったけど、またすぐにピーっ。何じゃいな。またキャンセルしにキッチンへ。どうもタイマーが勝手に作動して、温度設定がないと騒いでいるような感じ。タイマーなんか一度も使ったことないんだけどな。もう一度キャンセルして、ベッドに戻ったけど、眠りに戻る前にまたまたピーっ。いい加減にせんかい!と腹を立てて、今度はベースメントに直行。コンタクトレンズなしでは配電盤の横にあるリストの手書きの文字が見えないので、古くてぐらぐらするスツールによじ登る。オーブン専用のブレーカーは「30」と「31」が2個つながった双極ブレーカー。それをパッチンとやって、どんなもんだ!

オーブンの表示パネルが消えているのを確認してベッドに戻って、安心して眠りに戻ろうとしたら、今度は外でゴミ収集車の轟音。やれやれ。それでもいつのまにか眠ったと見えて、起床は正午過ぎ。でも、疲れるなあ、こういうの。おまけにやっと探し出した操作説明書には「F1」の意味について何も説明がない。(「F」が故障を意味することはわかるけど、何でもエレクトロニクスになって、逆にみんな不便になりつつある気がする。おまけに何もかもピーコピーコとうるさいし・・・。)先週だったか、古くなった洗濯機と効率の悪いレンジフードを買い換えたいねと話していたのをオーブンが聞きつけて、みんなが「故障モード」と勘違いして、自分も故障しなきゃ!ということになったのかな。ワタシとしてはめったに使わないオーブンには不満はないんだけど。ま、エレクトロニクスがリセットされるかどうか、当面はブレーカーを落としたままにしておくことにする。

中東各地でアメリカで作られたという映画に触発されてアメリカ大使館や領事館の襲撃が続いているけど、映画を作ったのはどうもエジプト出身のコプト教徒らしいという話。出演した人たちはせりふが台本とは違うものに吹き替えられて、まったく内容が変わっていると言っているらしい。今どきはちょっとした知識とソフトウェアがあれば吹き替えくらい簡単にできるだろうな。エジプトにはイスラム教徒とコプト教徒の対立がある。いわゆるアラブの春の波に乗って、エジプトでも独裁政権が崩壊してイスラム色の強い政権ができた。民主主義などくそ食らえ、異教徒とは共存できない(したくもない)という連中だから、コプト教徒の弾圧に出たとしても不思議はない。アメリカはそういう抗争の側杖を食った形で、おまけに世界の一般大衆からは「自業自得だろ」という態度を取られるんだから、まったくもっていい迷惑だと思うな。

そもそも「民主主義」というのは人類の政治史の中では例外的とでも言える現象だと思うから、民主主義を理解しているかどうかもわからない民衆が独裁政権に反対してデモや反乱を起こしたからって、民主化を求めていると考えたのは甘すぎたんじゃないのかな。今の世界を見渡して、本当に民主主義が機能している国や地域がどれだけあるというのか。選挙をやっているからって、必ずしも民主主義国家ということにはならないと思うんだけどな。統治には一定の規律が必要なのは当然だけど、それを統治の当事者である国民ひとりひとりが自分の頭で考えなければ、民主的な統治は難しいと思う。だって、鵜呑みにしたルールはなかなか身につかない(人に押し付けるのは簡単らしいけど)。でも、ひとりひとりが自分の頭で考えるためには、それぞれが「自由な個人」であり、他人も同様に自由な個人だという認識が必要だと思うんだけど、問題はどれだけの宗教や文化がそういう認識を持っているのかということかな。何らかの権威を鵜呑みにすることを教え込まれて来た人たちにとっては思想や言論の自由という観念は理解しがたいだろうし、そういう自由を持つ人たちの存在は自分たちの拠りどころである権威を脅かすものにしか見えないのかもしれないな。

それが人間がまだヒトに進化していなかった頃の本能的な恐怖や動物的な攻撃本能に根ざしているのかどうかは知る由もないけど、どうも(人種や民族、宗教、文化すべてをひっくるめて)異なるものの存在に「生理的に無理」を感じる人が多すぎるような気がするな。人間個人の育った環境がみんな違うのと同じで、民族や宗教や文化が形成された環境も違うはずだけど、大昔はそういう違いに遭遇するのはそうそうなかったのが、情報化時代とやらになった今は「遭遇」という体験をしなくてもいつでも異なるものが視界に飛び込んで来るから、日常的に違和感を覚えっぱなしでストレスになっているということかな。たしかに、異なるものほど「考えること」を要求するものはないと思う。でも、人間て、頭を使って考えることを覚えて、文明を作り出して、文明の利器を生み出して、本能を制御できるだけの理性を身につけた賢い動物に進化したはずじゃなかったのかな。自分の頭で考えるなどというめんどくさいことはしなくてもいいくらいに進化したもので、考えるよりも生理的な感覚や本能にお任せした方が楽ちんだと知ってしまったのかな。それとも、もしかしたら、アダムとイブが禁断のりんごを食べ残してしまったもので、中途半端な知恵しかつかなかったとか・・・?

久しぶりに土曜の午後のおでかけ

9月15日。土曜日。起床は正午過ぎ。ぐっすり眠ることを「sleep tight」というけど、あまりタイトに寝すぎたのか、起きてみたら腰が痛い。今日もインディアンサマーだけど、やっぱり身体は季節の変わり目に敏感なのか、何となくもや~っと疲れたような気分・・・。

カレシが仕事のスケジュールはどうかと聞くので、日本はまたハッピーマンデーだから時間の余裕があると言ったら、郊外の園芸センターまで殺鼠剤を探しに行きたいという話。最近になって庭にねずみが出没するようになったので、(政府の規制が厳しいので)買えるかどうかわからないけど、トラックのバッテリの充電がてらのんびりドライブして、土曜日で込んでいそうだけどHマートで買い物をして、最後に今夜行く予定になっていたスーパーに寄って来ようということになって、いざ出発。

最初に行った隣町のセンターでは「もうどこでも売ってませんよ」。まあ、危険物だから普通に店においてあるとは思っていなかったけど、「庭をきれいに整頓しておいて、どうしてもダメなら駆除会社を呼ぶことですね」とにべもない応対。それなら午後もまだ早いしということで、さらに郊外まで足を伸ばしてこのあたりでは昔から名の通っているセンターまで行った。昔は幹線道路からガタガタと田舎道を行ったものだけど、今はすぐそばに大きなショッピングセンターができて、その中を通らなければならない。どうやら殺鼠剤は政府に登録しないと売れないらしく、ここにはちゃんとあった。有毒物の管理担当者らしい人がいてカレシの名前、住所、電話番号を記録している間、ワタシは園芸じゃなくて雑貨のセクションをぶらぶら。そこで見つけて「これ、欲しい!」と手に取ったのが、キッチン用のインテリア雑貨(というのかな)。ちょっとカントリーっぽい、温かなユーモアが気に入った。[写真]

目的を果たしたついでにショッピングセンターにあったスーパーに寄ることにして、中に入ったら、うわっ、でっか~い。さすが郊外と言う感じで見渡す限りの・・・スーパーマーケット。品物もバンクーバー市内のスーパーでは見かけないような大袋や大箱サイズが多くて、おまけに値段が安めなのは、新興住宅地に住む子育て世代が週末にまとめ買いをするからだろうな。(バンクーバー市内は子供のいない世帯の比率がすごく高い。)あまりの広さにカートを押してうろうろしながら、オレンジジュース(4リットル入り!)やミルク(4リットル入り)、コーヒーの大袋、トイレットペーパー、食洗機用の洗剤など日用品を買い込んで、最後にHマートへ。そろそろ家族連れが家路に着く時間になって、道路はちょっとしたラッシュだったけど、駐車場には予想通りにあちこちに空きができていた。

そこでまず目に付いたのが「本日入荷」の松たけ。ウィスラー周辺の山でかなり採れる松たけは極上品を日本に輸出して、地元で買えるのは残りの2級品だけど、それでも松たけは松たけ。去年より高かった(100グラム千円くらい)けど、初物の誘惑に負けて、それでもなるべく安いパック(小さいのが2本と大き目のが3本)を選んでカートに入れた。後は冷凍のホッケの半身(3枚入り3パック)、刺身用のビンナガマグロ1本(長さ50センチくらいで、100グラム120円ほど)、Red Big Eye(2匹入りで、日本名をキントキダイというらしい)、あさり、めんたいこ。チヂミのミックスにパン粉、梅しそ味のインスタントパスタソース、コチュジャン、ゆず胡椒ペースと。見つけてうれしかったのは発芽玄米(2キロ入り。これに押し麦を混ぜて炊くとおいしい)。ほんと、食道楽にとっては、食べ物ショッピングは最高のレクリエーションだなあ。

午後5時を回って目的を完遂。太陽が傾き始める中、フットボールの実況中継を聞きながら意気揚々と家路へ。久しぶりに午後いっぱいお出かけを楽しんだ気分・・・。