リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から(その2)~一路シンガポールへ

2018年11月30日 | 日々の風の吹くまま
11月30日(金曜日)―海の上。曇りがち。ゆうべ7時にクチンを出港して、クルーズの終点シンガポールへまっしぐら。到着予定はあしたの午前7時。月が変わって12月。はっ、12月ってことは帰ったらすぐにクリスマスの準備だなあ。ゆうべは食事の後でジャズバーに寄って食後の一杯の後、プールデッキでの打ち上げパーティに参加。「死ぬまでチョコレート」がテーマなのでチョコレートのデザートがずらり。短いショーの後でディスコパーティになって、おなかでっぷり、ヒップぽっちゃりになったかっての若者がにぎやかに踊りまくり。ワタシも汗だくになって思いっきり踊りまくり。だって、ディスコで踊るなんてワタシにはなかった青春。カレシの心臓発作からちょうど1年で、カレシと踊れるなんてもしかしたらなかったかもしれないし、うん、今がほんとに幸せで楽しい時。
   
   

8時過ぎに朝ご飯のバフェに行ったら、ほぼがら空き。夜遅くまで遊び過ぎて、みんなまだ寝ているんだろうな。それとも足腰が痛くて起きられないとか。ボルネオ島の沿岸を離れて広い海に出たので、船は横風を受けてゆらゆら。今日はシンガポールの入国管理の用紙にサインしたり、朝下船してからホテルのチェックインタイムまでの時間を利用してホテルへの送迎バスで市内観光をすることになったArts Clubグループのランチがあって、午後はいよいよ荷造り。午後11時までに新しいタグを付けた荷物を廊下に出すようにとのことなので、明日の朝に使う歯ブラシや化粧品は手回り品バッグに入れるとか、ホテルまでだし、観光中はバスに置いておけるので楽ではあるけど、それなりにちょっと工夫が必要かな。

結婚以来ずっと「個人旅行」に慣れて来た私たちにとっては初めての「団体旅行」で、上げ膳据え膳の旅にはとまどうこともけっこうあったけど、やっぱり年を取ったら楽でいいなあと実感。若い頃は荷物も身軽でいいけど、年を取るとなぜか持って歩くものが増えるようで、行く先々で大きなスーツケースを自分で引っ張って回らなくてもいいのが一番助かる。特にクルーズはホテルごと移動するようなものだから、頻繁にホテルが変わる陸上のパッケージ旅行より何倍も楽で、年配の人たちが多いのもうなずける感じがする。このクルーズで見かけた子供は1歳くらい赤ちゃん1人と10歳くらいのお坊ちゃま風の男の子1人(遊び相手もなくて退屈そうでちょっとかわいそうだった)で、30代、40代くらいのカップルもわずか。お一人様も男女とも年配の人が大半で、毎日シングル専用の集まりがあったくらい。まあ、2千人、3千人単位の大型クルーズと違って、いわゆるブティッククルーズは3桁の規模なのが売り物の故の構成なんだろうけど。

帰ったらすぐにカレシの心臓手術から満1周年の日。ほんとに、生き延びてくれてありがとうね。「第2の誕生日」のお祝いをしようね。


旅の空から(その2)~わが遺伝子のルーツはここにあり?

2018年11月29日 | 日々の風の吹くまま
11月29日(木曜日)―クチン(マレーシア)。曇りのち晴れ。午前7時前、最後の寄港地サラワク州のクチンに入港。香港を出てからここまでで2041カイリ(3780キロ)の航海で、大きな港の一角に停泊した船の位置は北緯1度37分。ちょっと大風でも吹いたらあっという間に赤道の南に行ってしまいそうな近さ。ここまで来ると昼も夜もなく文句なしに暑い。船内は冷房が効き過ぎなので、ベランダのドアを開けるとむわぁ~っと熱風が入って来る。でも、涼しすぎるからと言ってベランダのドアを長時間開け放しているとサーモスタットが狂うそうなので、ほんのちょっと開けて暑くならない程度に室内を温める。ツアーのバスも冷房付きだから、暑い中に降りたり、冷えた中に乗って来たりで、体内温度計が狂ってしまわないかな。

今日は船に乗って初めて7時にセットしておいた目覚ましで起きた。そろそろ疲れが出て来る頃なのかもしれないな。ホテルごと旅しているようなもんだから楽でいいはずなんだけど、2週間ともなればやっぱり疲れて来るものらしい。Silverseaは2020年に南極を含む7つの大陸をめぐる140日間の世界一周クルーズを売り出しているけど、北半球と南半球を回るので夏と冬の衣類が必要だと言う説明に、誰かが「いくつのサイズが必要か」とまぜっ返しの質問。うん、これでもかってくらいにリッチな食事を1日3食140日も続けていたら、3サイズくらい大きい衣類を用意して行った方がいいかも。でも、上げ膳据え膳のクルーズ船で140日はいくらご隠居さんでもねえ・・・。

クチンは古くから海上交易の拠点ということもあって、古くからいろんな人種や文化が入り混じって来たところへ、サラワクには100年ほどイギリス人の「藩王」がいた時代があったというからおもしろい。かってボルネオ島を支配したブルネイが今の(超大金持ちだけど)小さな、小さな国になってしまったのはこの「ブルック王朝」のせいだという話で、19世紀の帝国主義、植民地主義の勉強には持って来い。でも今は、ボルネオでは宗教や人種の違う「マレーシア人」がけっこう交じり合って暮らしているらしい。サラワク川の河畔の歩行者ブリッジからの眺めはまるで絵葉書のよう。
   

おもしろいのはこの辺りにはワタシと顔立ちや雰囲気がよく似た人が多いこと。おかげでみんなやさしい。白人がほとんどのツアーに交じっている「アジア人」のワタシを、今日のガイドはマレー系だと思ったそうだし、ブルネイでは中国系と現地部族の混血の(かっちりと二重瞼の)ガイドが「私のおばちゃんによく似ている」と言ったし、サバ州では(南方の)中国系、フィリピンのコロンではタイ人だと思われたしで、ワタシの遺伝子のルーツはここにありという感慨は深まる一方。クルーズには日本人や韓国人、中国人も乗っているけど、怪訝な目でワタシを見ている感じで、カレシ曰く「キミは謎なんだと思うよ」。うふっ、謎めいた女なんてかっこいいじゃないの。もっともワタシはみんなと同じく普通の地球人なんだけど。

旅の空から(その2)~大海原の真っただ中の1日

2018年11月28日 | 日々の風の吹くまま
11月28日(水曜日)―海の上。最後の寄港地マレーシアのクチンに向けて波静かな南シナ海を航行中。ゆうべはジャズクラブ風レストランで生のジャズを聴きながらゆっくりと晩ご飯を食べて、その足でシアターでのビートルズをカバーするショーへ。船には数人のエンタテイナーが乗っていて、レストランで歌っていた女性歌手はすごく良かった。(大きなラウンジで演奏しているトリオもすごくいい。)乗客の大多数が60代以上らしいし、イギリス人、アメリカ人がけっこう多いので、ビートルズのショーは受けるだろうと思ったら、両手を振りながら一緒に歌う場面では関節がキシキシ言うのが聞こえそうなくらいの盛況で、大いに楽しんで船室に戻ったら11時過ぎ。そのせいか、目が覚めたらもう7時半で、8時過ぎに朝ご飯のバフェに行ったらがら空きの状態。ははあ、みんなsleep in(朝寝坊)を決め込んでいるな。マニラを出てからずっと毎日ツアーで忙しかったもんね。

Silverseaのクルーズコンサルタント(つまり営業マン)から「今来られますか」と電話。うん、再来年の地中海クルーズの見積もりをもらってあって、カレシ共々大いに乗り気。実は2020年の予定表が来た時にロンドンからアイルランド、スコットランドを経てアイスランドに行くクルーズが気に入って、ジェフに見積もりを取ってくれるように頼んであったのが、早々と「チャーター」されてしまって一般募集はなし。(どこのどいつなんだ?)それじゃあと代わりに選んだのがローマからシチリア、マルタ、サルディニアを経てバルセロナに行くプラン。往復の飛行機が含まれているところ、特別キャンペーンで格安にビジネスクラスにアップグレードというのがいいし、マルタでは昔行ったときに行けなかったゴゾ島に立ち寄るのがいいし、おまけに航海中にワタシの72歳の誕生日が来るしで、えいっと予約金を支払い。再来年の春の話だから鬼は笑うどころか卒倒するかもしれないな。

正午過ぎ、船の位置は北緯4度15分。赤道がもうすぐそこって感じ。海はきれいなブルーで、時折遠い水平線に巨大な石油掘削やぐらが見える。あのおかげでブルネイが超リッチで、マレーシアが繁栄しているんだろうな。すぐ北のフィリピンには恩恵がなかったようで、地の利によって格差ができるってことだとしたら厳しいね。こればかりは与えられた条件にどのように対応して、それをどう活かすかによって明暗が分かれるわけで、人間が持って生まれたものをどう活かすかという問題と似ていなくもないかな。

   
   

ランチに10階のプールデッキに行ってみたら、うわっ、打ち上げられたクジラがごろごろ。ほんと、ちょっと太ったかなと心配しているカレシがすっきりして見えてしまうほどで、よくあんだけ太れるもんだと感心するくらいにぶくぶく、ぼてぼての人が多い。女性の太ももなんぞ皮下脂肪がしわしわ、プルプルで、それでもビキニで闊歩しているところはまさに圧巻。はて、食べ放題、飲み放題のクルーズで客1人あたりの1日のアルコール類や食材の消費量の統計を取ったらおもしろいかもね。


旅の空から(その2)~ブルネイはきんきらきん

2018年11月27日 | 日々の風の吹くまま
11月27日(火曜日)―ブルネイ。晴れ。午前8時ブルネイのムアラ港に入港。世界で3番目に大きい島であるボルネオ島のマレーシア側の中にぽっちんとあるサルタンの国っていうとおとぎ話みたいだけど、長い、長ぁい歴史はかなり波乱万丈。島の名前はこのブルネイが訛ったものだそうで、かって遠くは現在のフィリピンからインドネシアまでを支配していたとか。ムアラからブルネイの首都までバスで約40分ということで、ガイドさんが国家体制や社会制度、社会習慣などをかなり細かく説明してくれた。ブルネイは厳格なイスラム教の国として知られているけど、中国人と現地部族との混血というガイドさんはキリスト教徒で、イスラム法(シャリア)の対象になるのはムスリムだけなんだとか。

それにしても石油マネーの国らしく、どこを見てもキンキラキンのキンキラキンで、しかも、どれもこれもスルタンの何とか記念。国民は所得税がなく、医療費、教育費が無料で、必要なら無料で住宅をあてがわれるブルネイは、いたって平和で暮らしやすい国だという話、何かこんなに何もかも面倒を見てもらったら、何か酔生夢死的な感じで、誰も反抗する気にもならないだろうな。スルタンにとってはうなるほど(自分の自由になる)お金があるんだから、アラーの神が喜ぶことにじゃんじゃん使えば超特急で楽園に行けるってことのようで、ガイドさんが「ポイントを稼ぐようなものです」と言ってたけど、現実的には安泰をお金で買っているような感じ。でも、これでもかってくらいにキンキラキンぶりを見せられると、顕示欲と誇示欲と成金趣味と(アラーへの)おべっか使いを大鍋でかき混ぜたようにも見えて、何となくこっけいな感じもするというのが正直な感想。
   

王宮の門前まで行った後で立ち寄った川岸の公園(「ワニに注意」の標識があった!)を離れる頃に降り出した雨が(歴代のサルタンの数を象徴する)29の金のドームがあるモスクへ行く途中で突然すごい土砂降りになってびっくり。なるほど、これが熱帯モンスーンってやつか。歩いていて遭遇したら肌までずぶ濡れになるのに1分とかからないような降りよう。(ガイドさんによると2、3時間降るときもあれば、突然ピタッと止むこともあるとか。)でも、市内の別の(これまたキンキラキンの)モスクに着いた頃には青空が広がって、今度は暑さに加えて猛烈な湿気。湿度200%じゃすまないかも。
   
   

ツアー最後のロイヤルレガリア博物館は現サルタンの即位を記念したものだそうで、入り口で靴を脱いで中に入ると、即位式典で使われた乗り物やお供の装具などがあって、撮影禁止(カメラやバッグを預かられる)になっている展示物はサルタンの生い立ちで始まって、玉座や三種の神器みたいな剣などが展示されていて、世界各国からの贈り物もずらり。よくまあこれだけあけっぴろげにキンキラキンにできるもんだと感心するけど、世界には富は誇示すべしという文化もあるからね。でも、あんまりすごくて、おなかが空いちゃった・・・。

旅の空から(その2)~オランウータンに会って来た

2018年11月26日 | 日々の風の吹くまま
11月26日(月曜日)―コタキナバル(北緯5度59分)。晴れ。ゆうべ夜中近くに突然頭上のスピーカーからけたたましく警報が鳴りだして、せっかく早寝したのになあ。廊下やベランダで同じように目を覚まされた人たちの声。カレシがジーンズをはいて様子を見に行こうとしていたら、頭上から船長のアナウンスで「警報は装置の誤作動で、非常事態ではありません。現在原因を調査中です」。警報は止んだようなのでまたベッドにも繰り込んでしばらくしたら、またもやけたたましい警報。今度は同時に汽笛までが鳴り出す始末で、おいおい、町中が目を覚ましてしまうじゃないの。ま、短い3度目で誤報騒動は終わったようで、何とか眠りに戻って、起きたのはほぼ7時。今日のツアーは出発が早いので、とりいそぎフルーツ山盛り、クロワッサン2個のコンティネンタル朝ご飯。警報の話をしたら、サーバーの女性が「私はシャワーをしているところだったの」。ありゃ、これまた都合の悪い時に起きたもんだねえ。

今日のツアーは半分が野生生物公園であと半分がきのう行ったサバ州立博物館とヘリテージ村。公園まではバスで30分ほど。サバ州は石油があるせいで、コタキナバルは洗練された都会という印象で、政府の庁舎の建物はその富を誇示するような感じ。海辺沿いの公園はきれいに整理されていて、きのうの日曜日は家族連れでにぎわっていたし、やたらとショッピングモールがあるところを見ると。生活水準はけっこう高いんだろうな。バスの窓から見える住宅地域も整然としていて、前庭に車が2台、3台。(ガイドさんは「銀行が持ってるんですよ」(つまりローンで買ったもの)と笑っていたけど、ローンで買えるようになるというのも経済発展の一面ではあると思う。

さて、野生生物公園での目玉はオランウータンとテングザル。大きいのがでんと座って、無関心を装って人間を観察しているのかな。穏やかな表情が何ともいえない。テングザルはつい「見ざる言わざる聞かざる」が浮かんで来たけど、思ったよりかわいいね。近くの木の上ではテナガザルのやかましい声がよく響き渡っていた。動き回るので写真を撮るのにちょっと苦労したけど、おサルはどんなサルでもそれぞれに愛嬌があるもんだね。
   
   

   

もうひとつの行き先はきのうすでにヘリテージ村を見学したので、今日はきのうゆっくりできなかったサバ州立博物館の方に集中。ボルネオの首狩り族の展示があって、再現された家の天井からは頭蓋骨がぶら下がっていたけど、敵が頭蓋骨の数を数えて、あんまり多いと勝ち目はなさそうだとと逃げ出したんだそうな。自分たちの縄張りに侵入してい来る敵からを守るための戦略の一環だったということかな。昨日、今日となかなか学ぶことの多いツアーだった。Silver Museは午後10時コタキナバルを出港の予定。


旅の空から(その2)~コタキナバルに入港

2018年11月26日 | 日々の風の吹くまま
11月25日(日曜日)―再び南シナ海~コタキナバル(マレーシア)。晴れ。ときたま遠くの水平線に島影が浮かんで見えるだけの大海原。南に進んでいるせいか、だんだん暑くなって来ている感じがする。この先はボルネオ島の西岸に沿ってマレーシアのコタキナバル、サルタンの国ブルネイ、マレーシアのクチンと回った後は一路シンガポールへ。今日の朝食バフェは7時半からなので、プールデッキの上のジョギングトラックで朝の運動。カレシは持って来ていた運動靴に履き替えて、軽くトラック8周(1600メートル)のジョギング。おお、心臓手術後初めてのジョギング!思えば突然の心筋梗塞で救急センターに駆け込んだのがほぼ1年前の11月29日。「足慣らし程度だけど問題なしだった」とカレシ。うん、完全回復したってことだね。おめでとう。

朝ご飯のバフェでは、今日はオムレツを作ってもらって、あとはフルーツどっさりとクロワッサンやチョコパン。珍しい熱帯の果物も登場して、今日はパッションフルーツと皮がぼこぼことごっつい梨のようなアティスという果物。アティスは特に甘くもなく、水っぽくもなく、でも何かおいしい不思議な味。部屋に戻ったら、あさってブルネイに上陸するために必要な入国管理の用紙が来ていて、だいたいはパスポートを保管している船側で記入してくれているので、サンプルに従って質問項目に答えて署名するだけ。今日の正午までに5階デッキのコンシエルジュまで提出せよとのことなので、朝ご飯の後でささっと記入して、ささっと提出。洋上なので、午前中はいろんなアクティビティがあって、私たちはカテリーナ先生の楽しいイタリア語レッスンの2回目。

予備知識をばとググって見たら、ボルネオ島は何と日本のほぼ2倍の面積があって、最高峰のキナバル山は富士山よりずっと高い4095メートル強だって。コタキナバルの沖は貨物船の交通が活発で、そのうち視界に入って来たのは高層建築が並ぶ近代都市の風景。でも遠くには水際に沿って水上生活らしい家屋がびっしり。岸壁が近づいて来る頃には埠頭に民族衣装に身を固めた男女が集まって、どうやらまた歓迎演奏か踊りのキューを待っているもよう。私たちの船室のちょうど下辺りで乗降用タラップをセットする作業が進んでいて、ワタシは興味津々。作業が終わったところで黒い車から降りて来た黒い制服の男何人かがタラップをすたすた。マレーシアの入国管理官かな。
   
   
   

ツアーの参加者は船を降りて埠頭に集合とのアナウンスがあって、私たちも5階デッキのコンシエルジュのデスクでアメリカドル50ドルほどをリンギットと交換して、タラップを降りて埠頭へ。ボルネオ北部の部族の女性が手作りしたというビーズのネックレスをかけてもらって、ターミナルへ。うぅ、あっつぅい。オーブンと蒸し風呂がいっしょくたになった暑さ。でも、冷房の効いた大型バスが待っていて、ああ、助かるぅ。では観光客をやって来まぁす。


旅の空から(その2)~プエルトプリンセサと巨大なワニ

2018年11月25日 | 日々の風の吹くまま
11月24日(土曜日)―プエルトプリンセサ(フィリピン)。晴れ。あっつぅ~いっ!午前7時過ぎ、パラワンのプエルトプリンセサに入港。かなり都市化された地域だそうだけど、クルーズ船のように観光客が大集団で来るようになったのはかなり最近のことらしい。市内観光は大型観光バス3台に分乗して出発したけど、地元の人たちの足は狭い道路でも小回りのきく輪タクやバイク、小さなジープニーがメインで、政府の施設や公共施設も大型観光バスのアクセスを想定していないもので、どこでもバスを止めるのに手間取って、最後的にはツアーの予定が1時間長引いてしまった。

ガイドは免許を取って10年以上になるというからベテランのうちに入るのかな。言葉尻にやたらと「Ma’am」、「Sir」が付くので、たぶん世界のどこかへ使用人として出稼ぎしていたことがある人だろうと踏んでいたら、直感の通り、スイスでナニーをしていたことがあるんだとか。フィリピンでは小学校からほとんどの科目を英語で教えているだそうだけど、まとまった観光客が来るようになると、一度は海外に出て実用英語を学んで来た人にとって有利に働くのかもしれない。(学校教育は英語という割には一般的に今いちであるけど・・・。)

パラワン近辺では太平洋戦争中に日米の大きな戦いがあったんだそうで、戦争の記念館や博物館があちこちにある。日本軍、アメリカ軍、オーストラリア軍などの武器や砲弾を展示してある記念館では、その火力の違いについ「だから負けたんだな」。まあ、精神論で勝てた戦争なんかあるわけないと思うけどね。大きな教会のすぐ傍にあるプラサクウアテルというところは日本軍によるアメリカ兵捕虜の虐殺があった場所だそうだけど、知っている日本人はまずいないだろうな。ツアーの圧巻は野生動物保護センターのワニ!なぜか日本の援助がからんでいるらしいけど、赤ちゃんワニはかわいく見えても、数メートルに成長したのは怖いっ。出口で子供のワニを抱っこした係の人が「ワニを抱いて写真を撮りたい人ひとはいませんか」(撮影料50ペソ)。うはっ、ちょっと触るのだって気味が悪いのに抱っこなんて無理。ぜぇったいに無理。

ランチには遅すぎる時間に戻ったので、スナックバーの小さいサンドイッチとコーヒーで間に合わせて、午後は洗濯。客用の(無料)「洗濯室」に小さい洗濯機と乾燥機があって、下着やTシャツを洗濯できるのがいい。ちょっと長めの旅の場合、荷物を最小限にするためには洗濯が重要になって来るけど、ホテルのランドリーサービスはどこでも高い。オールインクルーシブのクルーズでもランドリーは有料だから、細かなものだけでも自分で洗える設備は重宝この上ない。初めてのクルーズも今日で日程のほぼ半分。こういう旅もいいもんだなあという気分になって来た。

旅の空から(その2)~パラワン島コロンのラグーン巡り

2018年11月24日 | 日々の風の吹くまま
11月23日(金曜日)―コロン島(フィリピン)。晴れ(ときたまいかにも南国的なスコール)。ゆうべは早々と寝てしまったおかげで、今日は元気回復。朝ご飯を食べている間にコロン島に到着。船室に戻ったら、外でにぎやかなマーチ。ベランダから見ると埠頭で子供たちの鼓笛隊が歓迎の演奏と踊りを披露しているところ。コロンの産業は観光と漁業なんだそうで、特に若いダイバーには人気があるらしい。私たちのツアーは現地のアウトリガーに乗ってのラグーン巡り。10時発のところ9時20分に5階デッキの劇場に集合せよとのお達しで行ってみたら、うん、相当な数の人。ボートは1隻あたり12人しか乗れないので、人数分けするのがひと仕事。私たちは5番目のボートに乗って、いざ出発。

ボートが走り出してしばらくの間は濃い緑に覆われた島々が点在していて、その向こうに茶色のはげ山が連なっている。海の上をカラフルなアウトリガーが縦横に走り回っていて、救命胴衣を着けた観光客を乗せたものが多い。このアウトリガーはスパイダーボートとも呼ばれるらしく、細い船体の両側に竹で組んだ浮きをつけたところは蜘蛛のように見える。かなりのスピードでも驚くほど安定していて、これならまず転覆はしないだろうな。いつも重たい鉛色に見える北太平洋と違って、ほんとに水の色が青い。おおらかな青さというのかな。国立公園であり世界遺産でもあるラグーンの一帯に入って行くと、おぉぉ、何とも言えない不思議な景観。切り落としたような崖がそそり立ち、鮮やかな緑の樹木がその荒っぽい崖にへばりつき、奥の方は(たぶん)人跡未踏のジャングル。そういう「島」が無数にラグーンを囲んでいる感じで、ところどころに開けるビーチはいかにも南国の水辺。
   
   
   

揺れるボートの上に立って写真を撮りまくりで、絶好のバランス運動。ツアーから戻るとランチタイム。今日は夜は予約がないとは入れない「Kaiseki」という日本料理レストランで、サッポロビールにスシと刺身。ツアコンのジェフもいて、「楽しんでる?」と聞くので、イエェ~ス!面倒を見られるのに慣れて来たといったら、「そう来なくちゃ」。ランチの後でコンシエルジュに船を降りて町に行って来てもいいか聞いたら、「もちろん。ただし、出港の30分前までに戻って来ていないとバイバァ~イですからね」。そこで再び下船して、村と言った方が良さそうな小さな町の「大通り」を散歩。道路はバイクと輪タクと人と犬が雑居している感じ。もっとも走っている方は避けるのに習熟しているようで実に小回りが利くので、すれ違う程度ならそれほど怖い感じはない。途中で見つけたちっぽけなおみやげ屋で昼寝から覚めたお兄ちゃんからマグネットを2個買って帰船。見送りの子供鼓笛隊のスマイルがかわいくて、チィ~ズっと写真をパチリ。
   

午後6時今夜は「フォーマルナイト」なので予約不要のIndochineに行くのにカレシはスーツ、ワタシはカクテルドレス。三々五々入って来る人たちの中にはタキシードやキラキラのイブニングドレスの姿もちらほら。昔インドシナと呼ばれた地域の料理がテーマで、なかなかおいしかった。窓の外では昇って来た満月の光が波に映えていい感じ。明日はフィリピン最後の寄港地プエルトプリンセサ。ゆっくり寝ておこうっと。

旅の空から(その2)~ロンブロン島はジープニーで

2018年11月23日 | 日々の風の吹くまま
11月22日(木曜日)―ロンブロン島(フィリピン)。晴れときどき小雨。波穏やか。ゆうべは10時から毎晩ショーラウンジである「キャバレーショー」を見に行って寝るのが遅かったので、目覚めは6時半。遠くに島影が2つほど見える。ロンブロン島に着くのは正午の予定で、「文化遺産」のツアーは12時45分出発。白い大理石の産地なんだそうで、ツアーの目玉も古い聖堂以外は大理石関連。小さなところで観光バスがないので、マニラのいたるところで見た「ジープニー」で行くらしい。朝ご飯のバフェが開くのは7時半なので、まず大階段を4階デッキまでぐるぐる降りて、そこから10階のプールデッキまでぐるぐる上がって、11階のジョギングトラックを8周。海風は気持がいいけど日差しは暑い。船尾の左舷のコーナーだけがなぜか風が強くて、ワタシは強風だった最初の朝に吹っ飛ばされそうになったくらい。しっかりウォーキングしてエンジンがかかったところで、しっかり朝ご飯・・・。

船は沖合いに投錨して、観光に行く人はグループごとにtenderという船に備わっている補給艇で島へ。私たちは大理石の採掘や加工のようすを見学するので、島に着いたらまず古色蒼然とした教会を見学してからジープニーに乗って大理石の山へ。トラックを改造したようなこのジープニー、すんごいポンコツで、背丈のある男性陣は頭をぶつけないのにひと苦労。もちろんエアコンなしだけど、ま、窓ガラスがないので風通しは完璧。でも、走り出したら走り出したで、ショックアブソーバーって何じゃいなという感じで、舗装はしてあるけどでこぼこの道路をガッタン、ドッタンと飛び跳ねるように走るもので、腰が痛くなっちゃった。

   

ぐるぐると山道を登って最初に着いたのが大理石の採掘現場で、工芸品用か大きなハンマーでーでぶち割ったひと抱えの塊を運び出しを待っている山の上に放り上げていた。次に大理石の工芸品を作っている村?のようなところ。外国人がまとまって来るのはめずらしいようで、人懐っこい笑顔の子供たちがたくさん集まって来た。全体を大理石で作ったまるで王座のような椅子はさすがに圧巻で、みんなで何トンくらいかなとあてずっぽ比べ。次に行ったのはタイルやカウンターのような建築材料を作っている作業場で、工芸品もそうだけど、周りのヤシの木が真っ白になっているくらいに大理石のほこりが舞う中でマスクもせずに切削や研磨をしていて、どうみても健康にいいわけがないな。(私たちはマスクを渡されたけど。)船着き場の横に大理石の破片がたくさん捨てられていて、ガイドが持って行ってもいいと言ったので、小さいのを3、4個拾って来た。

   

ツアーの最後は高台の上に1644年に築かれたサンアンドレス砦。塔からロンブロンの町が一望できる。ツアーは波止場近くのみやげ屋センターで解散。大理石のすり鉢と乳棒がたくさんあるのを見つけたカレシが欲しいというので、(大理石は重いから)荷物の負担にならない一番小さいセットを買って、おまけにマグネットを1個。フィリピンペソの値札を見てアメリカドルで払うので、損をしているのかどうかは知らないけど、ま、やっすぅ~という感じだからいいかな。

   

ちょうど波止場に着いた補給艇に乗り込んで帰船。蒸し暑さでかいた大汗を急いでシャワーで洗い流して、最上階の奥の展望室であるArts Clubのカクテルレセプション。昼前には初めてSilverseaのクルーズ船に乗った客を対象にしたカクテルレセプションがあって、飲まずに話だけ聞いて来た。(乗客521人のうち約半分が「ファーストタイマー」だそうで、けっこうな数が集まっていたけど、クルーズそのものが初めての人は?と聞かれて手を挙げたのは私たちともう1組のカップルだけだった)。Arts Clubのレセプションでは、カレシがシャンペンのトレイを持ったサーバーにマティニを所望したら、けっこう上出来のが出て来た。でも、その後晩ご飯に行った「予約不要」のレストランでワインも飲んだので、2人とも部屋に戻るなり着替えをしてバッタン。まあ、今日はわりと疲れるツアーだったし、少々脱水気味だったし、(ちょっと飲みすぎたかもだし)・・・。


旅の空から(その2)~マニラは雨がちだった

2018年11月21日 | 日々の風の吹くまま
11月21日(水曜日)―マニラ。曇り時々小雨。きのう1日船を揺らし続けた風が収まって、夜通しかすかに揺れを感じる程度の穏やかな航海。6時過ぎに目を覚まして、カーテンの間から白み始めた外を見たら、遠くに船影。ベッドの前の鏡の壁に埋め込んであるテレビをつけて、ちょっと粋なBGMと一緒にブリッジから見える映像を流しているチャンネルを見たら、遠くの水平線に陸地の影らしいでこぼこ。寝直しするのも中途半端なので、ささっと着替え。カレシも起き出して来て、おぼろに見えて来たマニラのスカイラインをモニターで見ながら朝ご飯を食べに行くしたく。(海水のしぶきでドアのガラスもベランダの床もてすりも塩気でべとべとなので)スリッパを履いてベランダに出たら、船腹に(たぶん)水先案内人を乗せたボートが横づけ。朝ご飯に出かける頃には2隻のタグボートが来て、おお、いよいよマニラ港に接岸・・・。

きのう晩ご飯(とてもいいイタリアン)を食べたレストランでバフェの朝ご飯を済ませて、船室で今日の(マニラ市内)観光のしたくをしていたら、天井のスピーカーから観光のために下船する人たちに、出発の10分前までに下船してバスのところに集合という案内。私たちの「マニラ旧市街観光」は9時15分なので、ジーンズとTシャツに着替えて、携帯必須のカードキーと上陸許可証を持って20分前に5階デッキに降りて行ったら、埠頭でブラスバンドが演奏中。簡単な(バッグのスキャンを含む)手続きの後、歓迎?の演奏の中をタラップを降りて、指定されたバスに乗り込んで、クルーズ第1回目の観光。

マニラ市は人口170万人、メトロマニラは1200万人超で、マニラ湾の埋立地に沿って「将来は香港やラスベガスの競争相手になる」高層建築やカジノやホテル、ショッピングセンターがどんどん建っている。どこの道路も混雑しているけど、無数のバイク(多くが2人乗り)が車の間を縫って走り回り、ぎっしり客の乗せたカラフルなジープニーが目まぐるしく行き交って、ああ、危なくないのかなあなんてハラハラしてしまった。フィリピンの人たちって何かこう小回りが利くって感じで、香港の人たちの方がのんびりしていたような・・・。みんな一生懸命に働いていることには変わりないけど、このあたりがお国柄の違い。

   

リサール公園はたまたま中国の習主席がマニラを訪問中のために立入禁止になっていて、リサールの記念碑は柵越しにパチリ。次のマニラホテルでは入り口でバッグをスキャン。ホテルでしょ?何で?もしかして習主席様がお泊り?ふぅ~ん。ロビーはクリスマス飾りが金満豪華なんだかやりすぎなだけなのかわからないごてごて。ここのラウンジで飲み物(私たちはビールよりもフレッシュなマンゴージュース)を振る舞われて、エディンバラから来たスコットランド人夫婦とチャールストンから来たアメリカ人夫婦と他愛ないおしゃべり。みんな70前後で、見回すと杖を突いてよろよろ歩いている高齢者もけっこういて、クルーズ船Silver Museは老人クラブに見えちゃったりしてね。次のイントラムロスとフォートサンティアゴでは(わらわらと寄って来る物売りを振り切って)おみやげ屋で観光マグネット2個と貝殻のクリスマス飾り2個を買ってアメリカドルで支払い。

最後に世界遺産に登録されているフィリピンで一番古いというサンアグスティン教会を30分かけてじっくり見学して、バスを待っている間、とにかくたくさんいる物売りを見物。帽子、怪しげな真珠のネックレス、時計、おもちゃと売り物はいろいろ。買う人、いるのかな。安いことはやっすいから、つい買っちゃう人もいるのかな。あの手この手の売り込みは見ているとおもしろいね。

小雨の中を午後1時に帰船。いつの間にか塩だらけだったベランダのドアと床を掃除してあった。軽いランチにするつもりで朝ご飯をしっかり食べて行ったのになぜか腹ペコで、バフェでまたしっかりとランチ。ただし、ワインはなし。船の上では何かにつけてシャンペンやワインを持って来て誘惑するので、健康な食生活を維持するのがけっこう難しい。まあ、執事のアルンがタンカレイのジンとベルモット、オリーブを(ワタシ用のレミも)調達してくれたので、今夜はレストランに行く前に船室でマティニで乾杯と行こうっと。


旅の空から(その2)~波に揺られての1日

2018年11月20日 | 日々の風の吹くまま

11月20日(火曜日)―船上。曇りのち晴れ。最初の寄港地マニラまでは約1日半の行程で、今日は1日中海の上。見渡す限り水平線で空と区切られた大海原だからか、船は前後左右にゆぅ~ったりと揺れ続ける。ワタシは船酔いしないたちなので、まるでゆりかご揺られている赤ちゃんのような気分でかなりよく眠れた気がする。今日は風が強くて、船の揺れも大きいし、ベランダもプールデッキも波のしぶきでびしょびしょ。船室での朝ご飯を頼んであったので、その前にプールデッキ(10階)に行って、さらに上の船の外側に沿ってぐるっと設えられたジョギングトラックを8周のウォーキング。特に風の強いところではワタシは飛ばされないために駆け足。しぶきを浴びながら歩いたので肌がしょっぱぁい。8時過ぎにアルンが朝ご飯を持って来て、テーブルをセッティングしてくれたので、三角波を眺めながらのんびりとジュースにフルーツ、ヨーグルト、クロワッサン、コーヒーの朝ご飯。

ご飯が済んだら、とりあえず船内の探検。私たちの船室は船の中央あたりで、両側にずらりと船室が並んでいるのが船首の方向、すぐ近い中央の大階段の向こうがレストランや娯楽施設のある船尾で、8つのレストランの他、ラウンジ、バー、劇場、スパ、サロン、ジム、ブティック、カジノ、プール(ジャクジー付き)、子供のプレイルームがある。飲んで食べて遊んでがたいていの人の狙いかと思ったら、ジムではトレッドミルもエクササイズバイクも中年男性に占拠された感じでびっくり。あんがいカレシのように成人病疾患があってドクターに運動するように忠告された人たちなのかもしれない。まあ、エレベーターを使わずに大階段をぐるぐる上り下りするのもけっこういい運動になるけどね。

アルンが持って来る船内新聞のアクティビティのスケジュールを見たら、11時からビギナーのイタリア語レッスンというのがあるので行ってみた。Silverseaはモナコが本拠のイタリア企業だから、船長をはじめスタッフもあっち方面の人たちが多い。レッスンには数人が集まって、あいさつや簡単なやりとり、そして1から10までの数え方を習って来た。スペイン語をかじっていたときからRの巻き舌発音が苦手なんだけど、もしかしたら舌が短すぎるとか?ま、クルーズ船ではお遊びのひとつだから。ランチは同じ7階デッキのレストランでバフェ。食べ物を盛ったお皿を持って歩いていたらサーバーが「テーブルまでお持ちします」。あら大丈夫、大丈夫。甘やかしすぎないかと思ったけど、後になって、船が揺れたときによろけて熱い物をこぼしたり、その時にやけどでもしたら危険(訴えられるかも)だからじゃないかな。だって、東京あたりで若い男がデートで女の子のカバンを持ってあげているのと同じようなもんじゃない?まあ、船って常に揺れているから、平衡感覚を養うのにはいいかもしれないけど。

今日は午後3時からフィリピン当局による体温検査。全員がこの検査を受けないとマニラに着いても上陸できないんだそうで、会場のラウンジに行ったら赤外線カメラをのぞいているお役人風の人がいて、成田でやってるようにこれで熱のある人(伝染病を持ち込むかもしれない人)をキャッチするんだな。何事もなくカメラの前を通り過ぎて、別のデスクで「上陸許可証」をもらって、おしまい。国が違うと出入国や検疫の管理もいろいろ違うね、あたりまえだけど。

今日の「予定」が済んだので、シャワーで肌や髪についた塩を洗い落としてさっぱり。客室係のフィリピン出身のアモル(「愛」なんていい名前)がオリーブやポテチやナッツを載せたお盆を持って来た。注文したっけ?と思ったら、アルンからだって。あ、そっか。カレシがマティニを作るのでグリーンオリーブも必要だと言っておいたからだろうな。今夜はドレスコードが「フォーマル」で、6時45分から船長主催のカクテルレセプションがあるそうなので、7時半にレストランの予約もあることだし、カレシはスーツ、ワタシは真っ赤なカクテルドレスで(それなりに)おめかしして顔を出してみようっと。



午後5時半ごろ、南シナ海の遠い水平線に沈む太陽。明日の朝にマニラに入港して、午前中には旧市街の観光があるから、あぁしたてんきになぁ~れ!

旅の空から(その2)~初めてのクルーズに船出

2018年11月20日 | 日々の風の吹くまま
11月19日(月曜日)―香港。薄曇り。いよいよクルーズに船出する日。地階のクルーズ会社のデスクに行って船までのバスに登録。ホテル出発時間は12時45分。少し遅れて来たチオンとケルヴィンと一緒にホテルのバフェで朝ご飯。いろいろと世話を焼いてもらったお礼と残っている香港ドルを使い切るのが目的で、たぶんランチの暇はないだろうからたっぷりおしゃべり。後は一緒に部屋に上がって、船に届けてもらう荷物を廊下に出してから、東京での写真を見せてまたたっぷりおしゃべり。11時半ごろにチェックアウトして、バスの時間まで向かいのスタバでさらにおしゃべり。2人にとっては1年分の英会話レッスンをまとめてやったようなものかな。バスが到着して、30代半ばで揃って博士号を取ってこれから2人の生活を築こうという、実に微笑ましいかかあ天下のカップルに生活が落ち着いたら絶対にカナダに遊びに来てねと念を押して、バスの窓から手を振って名残惜しいお別れ。

ターミナルで入管のパスポート検査を通って、乗船。乗客定員が596人という小ぢんまりしたクルーズでも諸手続きには行列ができる。これが乗客3千人とかの大型クルーズだったらさぞかし時間がかかってタイヘンだろうな。乗船したら5階デッキのロビーでチェックインして、クレジットカードを登録して、午後2時から香港当局の「対面検査」をしてから船室に案内するというので、そのままぶらぶら。私たちは最後から2番目のバスだったのでそれほど待たずにそのままぶらぶら、ここでパスポートの写真と本人の顔を比べて、パスポートはそのまま預けて、係に案内されて7階デッキの船室へ。居間のテーブルの上にシャンペンが冷やしてあったからびっくり。(チェックインのロビーで歓迎のシャンペンを飲んだばかり。)さっそくすでに届いていたスーツケースの荷ほどき。ジャケットやドレスをハンガーにかけて、その他は引き出しに入れて、整理整頓。これから2週間の「我が家」に大きなクローゼットがあるのはうれしいね。

ちょっと昼寝をして元気が出たあたりで、私たちの船室担当の「執事」アルンが来てご挨拶。スマイルがさわやかな若いインド人。お酒の注文取りにカレシがさっそくジンとベルモットを所望して、ワタシもレミをお願い。バスルームのシャンプーや石鹸はブルガリ以外のものがよければ入れ替えるというのでびっくり。いやいや、常備品を使うのに慣れているから大丈夫。船室の設備も個人旅行で自分でいじるのに慣れているから大丈夫。「お呼び出しは電話の執事のボタンを押せばページャーが鳴るのでかけつけますからね」とアルン。ふむ、イギリスの時代物ドラマみたいだね。ベルを鳴らすひもを引っ張るとしばらくして背中がピンとした執事が「お呼びになられましたでしょうかか」と現れる、あれ。う~ん、私たちは自分でやるのに慣れてるから、急に上流階級の紳士淑女のように振る舞えるかどうか・・・。

午後6時、4階デッキの超高級という触れ込みのレストランでArts Club仲間と集合して、添乗役のジェフの音頭で(また)シャンペンで乾杯。メニューを見ると前菜はキャビアやフォアグラがずらり。食事は高級食材を使っていたけど、全体的には私たちお気に入りのHawksworthの方が格段に上。そうか、こういうオールインクルーシブのお任せクルーズは小金持の「大富豪生活の疑似体験」が売り物なのかもしれないな。チェックインに並んでいたのはお金には余裕がありそうだけぢいかにも庶民という感じのシニアが圧倒的多数だったし、ほんとの貴族や大富豪は大型ヨットを持っているだろうからクルーズなんか行かないよね。うん、ピープルウォッチングがおもしろくなりそう。

食事の間にエンジンの振動が感じられて、おお、いよいよ香港を出港だ。急に疲れが出たのか、船室に戻ってぶらぶらせずに9時半にはベッドにもぐり込んで、波に揺られながら就寝。おやすみなさい・・・。


旅の空から(その2)~香港の休日を満喫

2018年11月20日 | 日々の風の吹くまま
11月18日(日曜日)―香港。曇りのち晴れ。前夜午後6時、定刻で香港着。まずびっくりしたのが空港の広さ。飛行機を降りてから延々と歩いて、シャトルの電車に乗って入管へ。「Visitor」の方を見たら、これまた延々の行列。うはぁ、30分や40分はかかりそう・・・と思ったら、列はどんどん進んだし、入国管理官は2人のパスポートをスキャンして、入国管理票の1枚目をはぎ取って、スタンプの代わりに出て来た小さな「滞留票」をパスポートに挟んでおしまい。うはっ、ものすごい効率の良さ!税関も申告なしの出口をすいっと出て、うわっ早っと感心していたら、チオンとケルヴィンが駆け寄って来て、初の対面。タクシー(広東語で「的士」)で九龍のシャングリラホテルまで直行。チェックインして、18階の部屋に入って、目の前に広がる夜景に4人そろっておおぉ~!

ネイサンロードの商業ビルの中にある世界的に有名だという台湾料理のレストランで中国式の夕食。鼎泰豊という、たしか新宿の高島屋の上に会ったような記憶のあるところで、メニューには英語と日本語もあるからわかるんだけど、如何せん中華料理屋にはめったに行かない私たちにはどんなものかイメージがわかないので、結局は香港在住経験のあるチオンにおまかせ。(私たちには)すごい量の料理がテーブルいっぱいに並んで、さっそくにぎやかに中華料理の洗礼と英会話レッスンの始まり。

目が覚めたら7時前。カーテンを開けたら曇り空を背景にゆうべの夜景とはまったく違った香港のスカイライン。白い船がしずしずと入って来るので、部屋に備え付けの大きな双眼鏡で見たら、おおっ、あれは明日私たちが乗る船だっ。朝8時にロビーで落ち合って、(部屋は朝食込みなんだけど)広東料理の朝ご飯。スマホのGPSを見ながらのチオンについて行って着いたのは地元の人気レストランだそうで、日曜日とあって家族連れが続々と入って来る。ワタシの好きな中国粥を2、3種類注文してもらって、うん、おいしいっ。朝ご飯の後はカレシがお願いした香港の「市井の風景」。行ったのは「深水埗」という地区で、窓の外にクーラーと洗濯物がずらりと並ぶアパートの壁に挟まれた道路では路上マーケット。歩いているうちに天后廟というお寺に遭遇。次いでタクシーでフェリーの乗り場に行って、何となくぼろっちい(けど風情のある)フェリーで超高層のビルの後ろにびっくりするような高い山がそびえる香港島へ。二階建ての路面電車に乗ってチオンが香港大学留学時代によく行ったというレストランでランチの後、ビクトリアピークへ。超混雑のトラムの駅で1時間並んで待って、急斜面をピークタワーまで。
   
   
 
日曜日とあって大賑わいのタワーでちょっとン?なスシのディナーの後、夜景の名所を目指して夜の坂道をてくてく。崖の上には邸宅がいくつもあって、山の下は庶民の高層アパート。そのコントラストが香港の醍醐味かな。スカイラインは東京と比べると昼も夜景も香港の方が意外に整然として見えて絵になっていた。山頂からタクシーでホテルに帰って、目いっぱい香港を満喫した1日が終わり。こまごまと気を配ってもてなしてくれたチオンとケルヴィンに謝謝、多謝。

旅の空から(その2)~出発前の波乱万丈

2018年11月18日 | 日々の風の吹くまま
11月16日(金曜日)。晴れ。バケーションその2はまたもや波乱万丈の始まり。前回は東京に着くまでは順風満帆だったけど、今回はいつも出発前夜を過ごす空港のホテルの玄関まで.。タクシーを降りて、ガラス張りの自動回転ドアに入ろうとして、おでこをゴンっ。入口だと思ったのは何とガラスの壁で、夜のことで内と外でいろんな光が交錯していて、壁とドアを見分けられなかったらしい。瞬時に左の瞼の端が膨らみ始めて、フロントに着いたときはもうぷっくり。やぁだ。デスクの人に玄関のガラス戸にぶつかったと言ったら、「それは大変。すぐにお部屋までアイスパックを届けさせます」。おお、それは助かるなあ。

しばらくしてホテルのマネジャーが電話して来て「空港に救急救命士がいますので、念のために来てもらいます」。おいおいおい。ちょっと腫れてあざができている程度なんだから、それは大げさすぎ。「それでは、夜の間にもし悪化した場合はすぐに連絡してください。救命士を呼んで、必要なら救急車を手配しますから」。おいおいおい。これから遊びに行くんだから、病院なんてヤダよぉ。「では、とりあえず氷をお部屋にお届けしますね」。ということで、ほどなくして部屋に届いたのはバケツ一杯分くらいの氷を入れたビニール袋が入ったシャンペン用のバケツ。おいおいおい。目じりを冷やすのにちょっと多すぎるだろ。

せっせと冷やしたおかげで、目が塞がるほどの腫れにならずに朝。前夜にカレシが耳栓を忘れて来たと言い出したので、思いついて朝ご飯の後で電車に飛び乗って4つ先の川向こうの駅まで行って、そこのドラッグストアで調達。ついでに大きめのサングラスも調達。香港に着く頃には目の周りが赤黒い痣になっていたから、これは正解だったな。隠せるもんね。ま、荷物をチェックして、ラウンジに入って、そのまま何事もなくエアカナダ007便に搭乗。当然だけど、機内の案内は英語、フランス語、広東語、北京語。非常口など案内ビデオは英語とフランス語と北京語の音声に広東語の字幕(広東語のありがとうは「多謝」なのでわかる)。うん、香港は広東語圏なのだ。だから、最初に広東人がどっと入って来たバンクーバーでは中国語と言えば広東語のこと。

その香港着は17日午後6時。広大な空港らしいから、うまくお迎えと会えるかな・・・。

遊びに行く準備ってどうしてこう忙しいの?

2018年11月16日 | 日々の風の吹くまま
11月15日(木曜日)。雨がち。いよいよで、朝からてんてこまい。まず、シーツ類と乾燥機にたまった衣類の洗濯。洗濯機が回り始めたら、カレシに持って行く衣類をベッドの上に集めさせて、自分の夏の衣類とちょっとかしこまったドレスを集めてベッドの上に積んで(カレシの山より断然小さいっ)、「わりと隙間がありそう」というカレシによけいなものはもっていかないのっと釘を刺して、まずカレシのものをたたんで真空パックの袋にぎゅっ、しゅぅ~っ。それでもまだけっこうかさばるなあ。次に自分のものを同じように真空パックして、化粧品や歯ブラシを2つのバッグにまとめて、カレシの薬17日+1日をオーガナイザーに仕分けして3つめの化粧バッグに入れて・・・これでもうランチタイム。

シーラがフライドチキンを持って来てくれたので3人でランチ。留守番料の小切手と12月1日のマーケットでブリオシュローフを買っておいてもらうためのメモと20ドル札、そしてビジター駐車場のパスと鍵のフォブを渡して、いったん自宅に戻るシーラにじゃあよろしくお願いね。次に手荷物として預ける2つのスーツケースにそれぞれ真空パックした衣類と靴やサンダルなどを詰め込んで、今回は1個になった機内持ち込みのバッグに預けられないものをつめ、それぞれラップトップのバッグを詰めて、荷造りが完了。

洗って乾燥し終わったシーツ類でベッドメーキングをして、今夜泊まるホテルにオンラインでチェックイン。早めの晩ご飯はテイクアウトにして、買いに行っている間にカレシに飛行機のチェックインと搭乗券の印刷をしてもらって、やれやれ、準備完了。朝と昼の食器を食洗機に入れて、晩ご飯は最低限の食器だけ。ささっと手洗いして、洗濯物を片付けて、カレシのウォーキングに付き合って、ごみやリサイクル品を処理して、ああ、くたびれたぁ。どうして出発の前ってこうバタバタするんだろうなあ。そばに先延ばしの名人がいるからかなあ。

まあそれでもバケーションその2の出発準備ができたので、それでは行って来まぁす!