リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2006年11月

2006年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
ニューオーリンズ

11月7日。YVRからデンバー経由でニューオーリンズへ。(YVRはバンクーバー国際空港のコード名で空港の愛称でもある。)アメリカの入国管理と税関の手続きはカナダの空港で済ませることになっているからおもしろい。どういうわけかアメリカの空港ではカナダ便は「国内線ターミナル」で発着するのだ。互いにパスポート不要で往来して来たから、カナダは「外国」ではなく、航空路線も国際線には当たらないということなのだろう。理屈はどうあれ、目的地で入管に並ばずに済むから便利なことこの上ない。デンバーで時計を1時間進め、ニューオーリンズに着いてまた1時間進める。まとめて2時間の時差よりは楽だ。

去年ハリケーン・カトリーナとハリケーン・リタのダブルパンチで壊滅的な被害を出したニューオーリンズは、観光名所のフレンチクォーターが水没を免れたおかげで周辺の大手ホテルでは大型コンベンションが繁盛している。それでも、周囲は窓に板を打ち付けたビルや空き家のようなビルが目に付いた。

ニューオーリンズ市の人口はカトリーナ前の半分にも満たないらしい。閉まったままの商店や「貸」や「売」の張り紙のある店。人が戻ってこないからビジネスが軌道に乗らない。人は戻りたくても住むところがない。壊れた家を建て直そうにも保険金が下りないのだ。保険会社は堤防の決壊はそもそも連邦政府の工事監督が不十分だったためだから保険金支払の対象外といい、連邦政府は自然災害だから責任無しといって争っているのだそうだ。間にはさまって難儀するのはいつも弱い庶民だ。完全復興までどれだけの年月がかかることか。

翌日はさっそくミシシッピ川の河岸に出てみた。ニューオーリンズ市内を大きく蛇行する延長約3800キロの川は幅も広く、大きな貨物船の姿も見える。上流のミズーリ川と合わせると総延長6000キロを超えるそうだ。フレンチクォーターの外れから線路を渡ると、外輪船「ナッチェス」号が停泊している。10代の頃に家にあった「世界の国々」というシリーズ本で見たのと同じ船が、悠々と流れるミシシッピ川を今だに観光客を乗せてクルーズしているのだ。フレンチクォーターの通りを歩いていると、ときどき汽笛が聞こえていた。

フレンチクォーターは昼間から夜遅くまでにぎやかだ。有名なバーボンストリートにはカラフルなマルディグラのマスクやビーズを並べたお土産屋が並び、バーやキャバレーの大音響のロックやラップが不協和音の火花を散らす。ジャズの発祥地というけれど、期待したジャズはついぞ聞こえて来なかった。北部の工業化でシカゴへ移動した黒人たちといっしょにジャズも生まれた土地を離れていったらしい。おみやげに粋なサングラスをかけてサックスを吹いているサンタクロースのクリスマスツリーの飾りを買った。

会議では分科会の仲間たちと1年ぶり、2年ぶりの顔合わせ。同業者だから、「仕事はどう?忙しい?」と互いにちょっと探りを入れる。参加者はほとんどがアメリカ国内からだけど、日本からも顔なじみが何人か来ていた。日本語人、英語人が入り混じって、年令層も30代から60代と幅が広いから、職業だけが共通点の集まりだ。ひとしきりおしゃべりをして、飲んで、食べて、また来年。そうそう、来年は日本の協会がイギリス、アメリカの協会がサンフランシスコで会議を開くから、何人かは2度会うことになりそうだ。

食べもの探しの空の旅

11月08日。かっての空の旅は機内食が楽しみのひとつでもあったが、もはや今はそんな楽しみはない。それどころか乗り継ぎ時間などを利用して食べておかないと食いっぱぐれることになる。(機内では朝食パックやサンドイッチを売るけれど、とても食事とはいえるシロモノではない。)そんな事情を反映してか、主要空港には搭乗ラウンジのあるコンコースにレストラン、カフェテリア、テイクアウト、と多彩な食べ物屋が増えた。

水曜日。バンクーバーから乗り継ぎ地のデンバーへ。着く頃には時差1時間でちょうど夕食時にかかる。ニューオーリンズまではさらに2時間半で、時差は1時間だからホテルに到着するのは午後11時近い。乗り継ぎ待ちの間に何とかおなかにたまるものを食べておかないと、家で食べた遅い朝食だけがその日の食事になりかねない。デンバーでは長いコンコースを探して、ステーキのサンドイッチとコーラを買って腹ごしらえ。長いパンに薄いステーキや野菜を挟んだサンドイッチは半分サイズでもけっこうボリュームがあった。ニューオーリンズに着いてみると、案の定ホテルはレストランもルームサービスも店じまい。外へ飛び出して見つけたウェンディーズでフライドチキンを買い、酒屋でビールを買ってなんとか夕食を確保した。

土曜日。ニューオーリンズからサンフランシスコへ。出発は午前7時半。乗り継ぎのロスアンゼルスまでは約4時間で機内食サービスはない。朝の5時半にはホテルを出るとなると朝食は空港でチェックイン後ということになる。あまり大きな空港ではないから開いているのはカフェテリアひとつ。味のないびしょびしょのスクランブルエッグとソーセージとスコーンのようなビスケットとコーヒーがその日の朝食。サンフランシスコでグルメ料理にありつけるとわかっていなければ、わびしいことこの上ないメニューだ。

ロスアンゼルス空港にはファストフード店が4軒ほどまとまったエリアがあって、ここではタコスとトルティヤチップとコーラで早いランチ。サンフランシスコでは6時にイタリアン・レストランを予約してあるので、それまで持たなければ行きつけのパブでビールを飲めば良い。

月曜日。バンクーバーへの便は午前10時50分。サンフランシスコ空港は食べるところがたくさんあるから、朝はぎりぎりに起きて、空きっ腹のまま空港へ向かう。今度はたっぷりすぎるほど時間があるのでレストランでゆっくりと座って朝食。ジュースにコーヒー、目玉焼きにベーコン、フライドポテトとトースト。おもろしいことに、フォークとスプーンは普通のステンレスなのに、ナイフだけはプラスチック。セキュリティを通った後にレストランのナイフを失敬して機内に持ち込まれたら危ないからだろう。

家に着いたのは午後2時。早めの夕食をとることにして、早速スーパーへ買い物に出かけた。これでやっと平常の食生活に戻れる。大昔の人たちは食べ物を求めて旅に出た。現代の旅は食べ物を求めながらの旅になってしまったようだ。

仕事モード

11月10日。旅行に出るときはクライアントに「休業」を知らせて行くから、その後何日かおまけの休日が付くことが多い。これ幸いと荷物の片付けや写真の整理をしながらゆっくりと旅の疲れを休め、ついでに今年このままは店じまいしてもいいかなあ、などと徒然に考えたりする。

月曜日に帰ってきて、メールをチェックして、仕事が入っていないのを確認。しめしめと思いながら写真の整理を始め、大学の次の課目に登録し、どうか週末までこのままで・・・。

そうは願っていても思い通りに行かないのが世の常。火曜日の朝には「帰ってますかあ?」とローカルのクライアントから電話。翌水曜日には大きな仕事が送られて来る。これを2日でやってくれとは・・・。でも、上得意にはよほどの手詰まり状態でない限り「ノー」といわない主義。やれやれと思いつつ仕事モードに戻ってぽつりぽつりやっていると、今度は「スケジュールの状態は?」と日本から社長直々の電話。来週からずっと空いてますというと、「じゃあ何とか埋めなくてはならないなあ」と、アメリカ人特有のユーモアで攻略してくる。大きな仕事が入るかもしれないし、入らないかもしれない。入ってきたら今年はそれで暮れてしまいそうな量だ。夕食の前にマティニを2杯ひっかけたせいか、「2週間もあれば十分だから」と返事をしてしまう。酔いが回ってその夜は「勤務時間」に眠り込んでしまった。

木曜日。金曜日の朝までに納品する仕事がまだ8割も残っている。大車輪でやればいつもの終業時間までに片付けられそうだと、カレシを英語教室に送り出して即仕事にかかる。静かな時間で思ったよりはかどって、これが終わる頃は日本では週末だし、と胸算用。そんなところへ社長直々からメール。別件だけど火曜日までにできないか、と。これも大きい。日本の火曜日はこっちの月曜日。う~ん、3日しかない・・・。でも、超特急の仕事には倍近い料金を払ってくれる上得意中の上得意とあればやっぱり「ノー」とは言えない・・・。

金曜日。夜来の大雨は小康状態。気温は6度。カレシは「クリスマス前にトロントへ遊びに行こうか」と誘いをかけて来た。食指は動くけれど、「忙しいんだから、誘惑しないでよ」とやり返す。どうやら仕事モードにはまってしまったようだ。ほんとうはまだ遊び足りないのだけど・・・

終の棲家

11月12日。近所の人が亡くなった。かって何かのことで意見が衝突したときに「アジア人にしては鼻っ柱の強い女だ」と近所中に触れて回った御仁だ。享年80才くらいだろう。未亡人は家を売ってコンドに移るらしい。また古くからの住人が去って行く。

私たちが今の住所に落ち着いてから満24年を過ぎた。正面の道路はバンクーバー市を大きく東西に二分する境界で、ここから東西方向の道路は「西××番通」、「東××番通」と反対方向に番地が付けられている。我が家は西向きなので、向かいの市営ゴルフ場はウェストサイド、我が家から東はイーストサイドということになる。

昔は、ウェストサイドは主にアングロサクソン系の中流、上流層、イーストサイドはブルーカラーや移民層と住み分けができていた。ちなみに、カレシは生まれも育ちもイーストサイドだ。その住み分け地図が急速に変わったのは1980年頃だった。ブーマー世代が一斉にマイホームを買い始め、住宅の値段が急騰した時期にあたる。西のゴルフ場と2丁東の幹線道路に挟まれた我が家のあたりを、不動産屋が「ほとんどウェストサイド」と宣伝し始めた。それ以来、住宅市場がホットなときはウェストサイドになり、冷えるとイーストサイドに戻る、いわばグレーゾーンになっている。そのウェストサイドも香港の中国返還前に香港からの移民がどっと入って、様変わりした。ユダヤ系が多くて「ヒブルーハイツ」というあだ名だった地区は今や「ホンコンハイツ」というあだ名になっている。

どっちつかずのいっぷう変わった一角だからか、ご近所には一人暮らしの家が多い。防犯グループ12軒だけでも、画家、弁護士、エンジニア、女医、不動産屋、引退した人。住人の平均年齢が高いから子供の数も極端に少ない。過去24年間で一番多いといっても、2軒に中学生1人、乳幼児2人。すぐ近くに小学校があるのに何とも不思議な話だ。

ここ2、3年の住宅ブームもどうやら翳りが見えてきたという。私たちがマイホームを買ったのは物価狂乱が極端な高金利につながって大不況に転じ、住宅が値崩れし始めた頃だった。遺産分けのために売りに出したものの、兄弟で欲張っている間に値下がりしてしまったらしい。それでも半分近い頭金を積んでぎりぎり手が届く値段だった。ローンの金利は下がったとはいえまだ18.5%というとてつもない率。とにかく頑張って早くローンを完済し、建て替えたときのローンの金利は12%。今はわずか数パーセントなのが嘘のようだ。それでも、市内の家の値段は24年間で5倍以上になっている。若い人には共働きでもちょっと手が届かない。ご近所の「高齢化・少子化」はこれからも続くのだろう。

雨、雨

11月13日。旅行から帰ってきて1週間。バンクーバーは雨の毎日だ。

留守中にはフィリピンを襲った台風のなれの果てだという低気圧で記録的な雨が降ったという。1日で300ミリ降ったところもあるという。日本の集中豪雨には比べようもないけど、温帯雨林のバンクーバー周辺ではニュースになる雨量だ。郊外ではチリワック川が氾濫してかなりの住宅が浸水したそうだ。

普通なら雨季に入っている10月に天気の良い日が続いたせいか、ひと月分まとめて降ったようなものだろう。庭の土は飽和状態で、歩くとジュクジュクと音がする。これから4月くらいまでこんな状態が続く。おりしもプレーリーや東部から雪の知らせが来る頃とあって、バンクーバーっ子の口癖は「雨かきしなくていいじゃん」。

初めてのバンクーバーの秋には、10月中どんよりと暗い雨の日ばかりで、とんでもないところに住み着いたものだと思ったくらいだ。ダウンタウンのお土産屋に、「バンクーバーっ子は水かきが生えてます」とか、「世界で唯一泳いで通勤できるところ」とか、雨をジョークにしたバッジが並んでいた。生粋のバンクーバーっ子であるカレシは全然気になったことがないという。よくしたもので、ワタシもいつの間にか数ヶ月も続く雨続きの暗い日々がまったく気にならなくなり、今ではご当地流に少々の雨では傘をささない癖までついてしまった。

ひょっとしたら、そのうち足の指の間に水かきが生えてくるのかもしれない。

ママのその後

11月14日。退院してから次男の家で暮らしていたカレシのママの新居が決まった。介護ホームに仮入所していたパパも同じ施設に移ることになった。でも、居住棟は別々だという。

というのも、パパは認知症が急速に進んで24時間介護が必要なのだそうだ。ママの方は家の中なら歩行器なしで歩き回れるまでに回復したので、いわば「介護付アパート」に入る。小さなキッチン付で独立した生活ができるようになっているそうだから、自分で食事を作っても良いし、大食堂でパパといっしょに食事をすることもできる。一人で好きなように暮らして良いし、退屈になれば施設のリクリエーションに参加することもできる。何よりも心強いのはいつでも必要なサービスを受けられることだろう。

タウンハウスは売りに出して、もう何人かが見に来たという。郊外の住宅市場はまだ活発だから、かなり良い値段で売れることは確実だ。すでに家具や身回り品の必要なものは新居に運び込み、いらないものは廃棄処分にする手はずが整って、週末には悠々自適の一人暮らしが始まるという。

カレシはママに落ち着いたら様子を見に行くと約束した。引っ越し祝いを持ってご機嫌伺いしよう。そのときは、私たちにもやがて訪れる将来のためにしっかりと見ておきたいとも思う。

パイナップル特急

11月15日。今日は朝からハリケーン並みの風雨。元凶は通称「パイナップル・エクスプレス(パイナップル特急)」。冬の間、ハワイ方面からジェット気流に乗って来る湿った暖かな空気が北極から延びる冷たい気圧の谷に入り込むと大雨が降る。沿岸沿いにコースト山脈が連なるアメリカのワシントン州からBC州にかけての地域は、台風銀座ならぬパイナップル特急の沿線地帯。気圧の谷が居座ると、嵐が次から次へと団子のように連なってくることがある。

バンクーバー都市圏では建設中の建物が倒壊したり、あちこちで木が倒れて道路が通行不能になった。入り江の向こう側の丘陵地では、取材していたテレビカメラの前で木が倒れ、住宅の正面の壁が壊れた。思わぬ実況中継になったけど、倒木の下敷きになった車の数はいったいどれだけあるやら。ニュースでは無残にぺしゃんこになった、いかにも高級そうな車の映像が次々と流れる。

バンクーバー島の西岸では大嵐の最中に津波注意報が出ていたようだ。北海道の沖合いで大地震があったという。この一帯は過去にも津波の大被害を受けている。暴風雨と津波なんて、まったく泣き面に蜂。幸い、津波の方は早々に警戒解除になったという。それにしても、今日のマザー・ネイチャーは機嫌が悪い。何にそんなに怒っているのだろう。

最大風速は時速100キロ以上あったらしい。(カナダでは風速を「時速何キロ」で現す。)秒速に換算すると30メートル近い。台風やハリケーンには及ばないかもしれないけれど、とにかくよく木が倒れる。あまり根が深くないらしく、ひと抱えもふた抱えもある木が根こそぎ横倒しという光景は珍しくない。我が家の塀のすぐ外にある大きなシラカバの木も頭の部分が吹きちぎられた。「暖炉の薪にしよう」と拾いにいったカレシ、「大きすぎて庭に運び込めなかった」と、びしょぬれになって手ぶらで戻って来た。吹き飛んで窓ガラスにぶつかるようなことがなくて良かった。ゴルフ場でもポプラの老木が軒並み大揺れだ。どれもここ2、3年の夏の旱魃でかなり弱っているから、倒れるものが出そうだ。

お隣のトウヒがそのままだったら我が家の電線は切られていただろう。すでに数万世帯が停電というから、すぐには復旧作業に来てくれないだろう。そうなったら暖房も調理もすべて電気の我が家は機能が完全に停止してしまう。嵐が晴れたら、幸運の星を数えてみよう。

出る杭はなぜ打たれる

11月16日。常々不思議に思うことがある。日本語の掲示板にはどうして「見下された」、「ばかにされた」、「自慢された」という悩みが多いのかということだ。

当人たちは傷ついて、腹を立てて、自信喪失に悩んで、相手の言動を非難しているわけだけど、相手はほんとうにそのつもりだったのだろうか。たまたま相手の言動から勝手に相手の方が自分より「上」だと感じて、自分が「見下された」、「ばかにされた」、あるいは相手が「自慢している」という結論に飛びつくのではないのか。問題は相手の「傲慢さ」ではなくて、悩める人自身の自己評価の低さではないのか。自分自身に対する不安を他人のせいにしているのではないのか。

こんなことを掲示板に書き込むと大荒れになるけれど、日本はタテ社会だから、日本人のものさしは物事を縦方向にしか計れないのだ。だから、自分の評価も他人より「上」か「下」のどちらかしかない。類友などといっても、ミリ単位で計られる友情であれば、いともあっけなく「見下している」、「自慢している」となる。

ところが、日本は横並び社会でもある。ということは、自分より「上」があっていいわけがない。相手が「下」であれば相対的に自分の価値が高まるからいいけれど、目の上のたんこぶは自分の「低さ」を否応なく見せつける。自信のない人間は自分の存在の軽さに耐えられない。出る杭は打たなければならないのだ。

少なくとも、出る杭を自分と同じレベルになるまで叩かなければならない。それが見下された云々の苦情の根底にある心理だろうと思う。自分を相手の傲慢さの被害者に仕立てることで相手を攻撃しているといえる。心理学でいう受動攻撃性人格に近いものかもしれない。「出る杭は打たれる」ということは、裏を返せば「ワタシより上に出ることは許さないよ。出たら叩いてやる」という脅しではないのか。つまり、タテ社会と横並び社会の交差点、つまりは自分がいる中心点から外れる人間は叩かれて当然だといっているようなものだ。出る杭が打たれる文化はいじめの文化ではないのか。

どこかで「打たれるかどうかは杭の出方による」といった人がいた。つまりは、はみ出して邪魔っけな杭を打ちたいのは当然の心理であって、杭が打たれて痛い思いをするのはその出かたが悪いのだということか。それでは「いじめられる方が悪い」という加害者側の理屈と変わりはないではないか。

 そういうことであれば、出る杭はできるだけ打ちにくいように出なくてはなるまい。傾くのもよし。曲がるのもよし。叩かれてポンと弾け跳ぶのもよし。自ら徹底してタテのものさしからも横並び一直線からも外れることに「出る杭」の活路がありそうに思える。

こっちの水は・・・?

11月17日。金曜日。きのうからバンクーバー圏全域に「水道水は煮沸して使うように」という注意が出ている。水曜日の大雨で水源地で土砂崩れが多発して大量の土砂が貯水池に流れ込み、攪拌された堆砂で大腸菌などへの塩素の効果が激減してしまうからだとか。

大雨の後に水道の水が茶色に濁るのは珍しいことではない。バンクーバーの水源は冬に背景の山並に積もる雪。春に融け出して来るのを貯水池に貯めている。(だから冬に雨が降らないと夏に水不足になる。)山奥の水源地への立ち入りが厳重に規制されていたので長い間水は塩素を少量投入するだけで済むほどきれいだった。きれい過ぎてろ過施設を作るのを忘れてしまったらしい。おかげで豪雨や土砂崩れで貯水池の水がかき回されると水道の水が濁る。

バンクーバーに長い人間は水が濁った程度では驚かないけれど、煮沸の注意が出たのは初めてのことだ。あくまでも「注意の呼びかけ」であって命令ではないという。時間刻みで水質試験をしているがまだ大腸菌の増加は検出されていないという。数年前にオンタリオ州のある町で水道が大腸菌に汚染されて数人の死者をを出し、水道の責任者が業務上過失致死で有罪になった。保健所はその教訓を生かして「転ばぬ先の杖」と先手を打ったのだろう。

我が家の水はほとんど濁っていない。地下鉄工事で水道本管を移動したりしているから、給水系統がほとんど濁ることない新しい貯水池につながっているのかもしれない。留学生やワーキングホリディの短期滞在日本人が集中しているダウンタウンのアパート密集地帯はかなり濁りがひどいらしい。シャワーも怖い、風呂も怖い、手を洗うのも怖い、見ただけで気持が悪い、いつまで続くのか、何とかして欲しい、カナダって給水車もないの・・・まあ、ろくに英語がわからなければ情報の消化不良もしかたがないだろうけれど、まさに不安症、潔癖症の悲鳴だ。ついには死者がでたという噂まで飛び交うしまつ。こうなると、悪いけれども、何かにつけて杞憂する人がかかるチキンリトル症候群という病気なのだと思うしかない。

テレビのニュースでは街中のスーパーで水が売り切れ、飲料水の会社は急増した注文に配達に大童だと報じていた。先月だったか瓶詰めの水の品質は水道水と変わらないから、わざわざ飲料水を買うのはお金の無駄遣いという誰かの調査結果が発表されていたから、何とも皮肉な顛末だ。現代人はメディアから流れる情報に即反応する。それを見て「なんだ、ばかばかしい」と水の配達をキャンセルした人がいても不思議はない。「さぞかし後悔してるだろうさ」と、カレシは笑う。

 実は、我が家では10年ほど前からワタシのオフィスに冷水器を導入して、2週間ごとに20リットル入りの飲料水を3本配達してもらっている。特に水の味が違うわけではないし、冷水器のレンタル代を含めて毎月6千円くらいかかる。でも、いちいちキッチンまで行かずにいつでも冷たい水が飲めるのが便利だし、カレシは絶対にコーヒーの味が違うと主張する。まあ、お金の無駄遣いなのか、見栄っ張りのすることなのかは人様の判断に任せるとして、この雨続きの中を「安全な水」を探し回らなくてもよさそうなのはありがたい。

よくわからないこの気持

11月18日。MACLEAN’S誌最新号の表紙は真っ赤。黄色で大きく「カナダを立て直すには」とある。曰く、アメリカ人と同じくらい働いているのに所得は20%も低い。世界の貿易交渉ではオーストラリアに席を取って代わられ、G8はスペインに席を狙われている。今年カナダより経済成長率が高かったのは135ヶ国/地域。カザフスタンでさえカナダを越えた。今こそ何とかしなければ・・・。

誰が何とかするのか。もちろん政府を指さしている。この国は「親方カエデの葉っぱ」なのだから。カナダが世界に後れを取っているとすれば、それは歴代の自由党政権が世界の賞賛を求め、世間受けすることしかして来なかったからだ。その結果、カナダは世界が尊敬する大国、「カナダ」ブランドは黙っていても売れると傲慢に構えてきた。それが今度はひがみ根性丸出しというわけか。

ワタシは連邦総選挙では保守党に投票する。自分が特に保守的な人間だとは思っていない。同性婚の合法化には大賛成だ。妊娠中絶にも反対しない。多元文化主義も大いに結構。考え方はリベラルなところが多い。それなのに保守党を支持するのは、ただ自由党が嫌い(新民主党はもっと嫌い)だからだ。

たぶんリベラル族の表と裏、おためごかしの偽善が嫌いなのだ。ワタシは異人種・異文化に寛容なカナダが好きだ。移民が母国の文化を継承するのはすばらしい。でも、いつまでも頭にハイフンをつけていては、カナダは結束した国家にはなれない。多元文化を奨励する裏に「我々はなんと寛容なすばらしい人間なんだろう」という自己賞賛が見え隠れする。いつも強大な兄の陰に隠れてしまうことをひがんでいる弟が自己顕示の手段を見つけたというところか。

ひがみっぽいくせに傲慢。それは(バブル後遺症の)日本人に通じるものが感じられる。日本で生まれて日本で育った日本人以外の何ものでもなかったワタシを規格外だからとまるで不適合品のように扱った「日本」が、ワタシが他に安心できる場所を見出すと今度は手のひらを返したように「日本人を捨てた」と非難し、そのくせひがみと傲慢を代表するようなバブル女たちはカレシがエサに撒いた甘い蜜に群がって、自分たちは誰からも愛される魅力的な人種なのだと驕った。

 突き詰めて見ると、リベラルを称する政治家や活動家のおためごかしがワタシの深層心理の奥底にある、「日本」というものから受けたトラウマを疼かせるから嫌いなのかもしれない。今のワタシはたまたま人種が日本人の帰化カナダ人(Naturalized Canadian)なのだから、もう国民でもない国の人間が何を言おうとワタシにはかかわりがないことだと割り切ってしまえば楽なのに、それができないほどまだ怨念は深いのだろうか。よくわからない・・・

ネガティブ・エネルギー

11月19日。ここのところ、なぜかいろいろな思いが心の中を交差して、なんだかちょっとブルーになっていたような気がする。心が疲れてしまった。

川向こうのリッチモンドでひき逃げ事件があった。亡くなったのは日本女性。語学留学中のカナダで韓国人の夫に出会い、しばらくそれぞれの母国へ戻った後、出会いの地カナダで結婚して2年半。ふたりで一生懸命に働いて、やっと遅れた新婚旅行ができるという矢先だったという。泣きながら情報提供を訴える夫の姿にもらい泣きした。

濁り水騒動のことでローカルの掲示板を見ていたら事件のことで書き込みがあった。例のごとく、彼女は美人だった、美人かどうかは関係ない、いや美人だからニュース性がある・・・むしょうに、むしょうに腹が立った。どうして神様はほんとうに愛し合って、手を取り合って頑張っている二人に幸せを授けて、こんなどうしようもない連中の方に災厄を与えないのか。バスルームにこもって、フェアじゃない、フェアじゃないと大泣きした。

そうなんだ。連中は世界のどこへ行っても同じように不平不満、中傷誹謗に明け暮れるのだろう。ここにはそういうどうしようもない連中ばかりが集まっているのだ。そういえば、ずっと昔のメイドインジャパンは「安くて粗悪」を意味していた。優秀なメイドインジャパンの進出に驚いて「昔は・・・」と言い出す人にワタシはよく言った、「昔は日本人が買わない粗悪品を輸出していたのよ」と。バブルという大きな社会変動があって、歴史はまた繰り返すというわけか・・・

 ここのところ連中のネガティブ・エネルギーを浴びすぎていたようだ。ネガティブなエネルギーは人を疲れさせる。ぐずぐずしているうちにまた仕事が詰まってくる。ここらで気持を入れ替えて、陰鬱な影を振り払わなければ・・・。

喉もと過ぎれば

11月20日。月曜日。水道水の注意は東と南の郊外を除いてまだ解除されていない。対象は百万人に上る。このままで週末まで続くかもしれないという。

毎日何度かコップの水を透かして見る。じっくりと観察すれば心なしか透明度が落ちているような気もするけれど、濁っているというほどではない。この程度の濁りは大雨のたびによくあることだ。給水系統の途中で何度か塩素を追加するから、よほど濁っていない限りある程度の殺菌効果は確保されているはず。水質検査でもずっと病原菌は検出されていない。医者に駆け込む胃腸炎の患者が増えた様子もないそうだ。

ということで、我が家では、水道水はほぼ安全と結論した。「殺菌も何もしていない海や湖で平気で泳ぐのになあ」と、じゃあじゃあと水道の水を流しながら野菜を洗うカレシ。「スーパーで売り物のブドウを洗わないでつまみ食いする人もいるのにね」とワタシ。乳幼児や免疫の低下した人がいる家庭は注意するにこしたことはないけれど、抗菌グッズの愛用者でもない限り、健康人への危険性は低い、というのが我が家の理屈だ。 (もっとも抗菌グッズといってもカナダではせいぜい一部の石鹸や洗剤くらいのものだけど、何から何までが抗菌グッズという国もあるらしい・・・)

もっとも、水パニックは注意が出た最初の1日2日のことで、もう水を買いに走り回る人はあまりいないというから、喉もと過ぎれば、ということか。赤ちゃんのいる裏の家では赤ちゃん用と飲み水以外はふつうに水道水を使っているというし、元化学エンジニアで水質処理に詳しいお隣さんにいたっては「命令じゃないんだし、別に何もしてないよ」と涼しい顔だ。そういえば、保健所も「念のための注意。気になる人は煮沸するかボトルの水を買いなさい」といっていた。

 ケ・セラ・セラで行くか・・・

夢うつつ

11月21日。仕事が詰まって、もう待ったなしになってしまった。こんなにブルーな気持でだらだらしていたのほんとうには何年ぶりだろうか。でも、ワタシの中でもやもやと交錯していたこだわりが少し見えてきたと思う。仕事も珍しく日本語だったりして、少し日本語に浸かりすぎたせいだろうか。どうも日本語と英語とでは自分が違うような気がする。ひょっとしたら2人の自分がいて睨みあっている・・・かといってどっちかを捨てることは不可能なのだけど。

カレシは「気分を悪くするとわかっていてなんでそんな掲示板を見るんだ」とおかんむりだ。今のカレシは「バブル日本人」が嫌いなのだ。膨らませすぎて破れた「夢」に対する反動だろうと思うとちょっと滑稽に見えるけど、ひょっとしたら一番痛い目にあったのはカレシのほうで、ワタシが足元をすくわれて揺れるたびに心が痛むのも彼のほうなのかもしれないと思うことがある。どう見たって自業自得なんだけれど、傷ついた心の痛みには違いはないだろうし、気持を揺さぶられて泣いたり、怒ったりするワタシに付き合うのはカレシなのだから、ついムカつく気持もわかる。

 このところ続けて朝カレシの腕の中で目を覚ました。彼なりに気遣ってくれているのだ。気持がゆったりとしてまた眠ってしまったりする。「そろそろ起きようか」という声を聞きながら、30年かかってやっと得た幸せな一瞬であればこそ「もうちょっとこのままでいたい」と思う。仕事が重なって制限時間待ったなしになると、たとえ10分でも朝ベッドの中で抱き合ってうとうとと過ごす時間はうれしい。自分同士の答のない葛藤なんかどうでもいい。すっと肩の力を抜いて、カレシに甘えていいかなあ・・・

人間のカタチ

11月23日。黒のジーンズが色褪せて灰色になってしまったので、新しいのを注文した。ついでにちょっとおしゃれなモールスキンのパンツも。そして、ついでのついでにブルージーンズも・・・。

衣服を買うときに悩まされるのが体型のアンバランス。北米のドレスサイズは偶数で、6号と8号がS 、10号と12号がM、14号と16号がLに相当する。18号と20号はXL、その上にはXXLという大きなサイズもある。逆に、2号と4号はXSという。XLが日本式のLLなら、XSはSSといったところか。さらにプティート、レギュラー、トールと、身長に合わせて長さの違うサイズがある。身長155センチのワタシはもろに「チビ」サイズで、この5年ほどドレスサイズは4号だから、ラベル表示は「P4」か「PXS」となる。

これなら文句なしのはずだけど、体の各部分のバランスが悪いから、何を着ても収まりが悪い。まず肩幅が狭くて、腕が短いから、チビサイズでも袖が長すぎてしまう。次に一番下の肋骨が自然なウェストラインより下。つまり首とウェストの間が寸詰まりで、ドレスはみんなローウェスト。ウェストを絞ってあると胃の辺りでだぶついてしまう。ベルトでおしゃれなど夢のまた夢だ。いきおいストンと落ちるロングドレスの方が着やすい。

まあ、ウェストラインが高めの分相対的に脚が長めに見えるから喜んでいいのだけど、パンツ類はもっとやっかいだ。チビサイズのジーンズだと丈が短すぎて何となくつんつるてん風になってしまう。しかたがないからジーンズはレギュラーサイズを買う。これでタテの問題は解決するけれど、まだヨコの問題が残っている。どのカタログもサイズ表を見るとヒップの数字がバストより5センチから7センチ大きい。ワタシのはバストと同じサイズで、へたをするとヒップの方が小さい逆三角形になってしまう。だから4号だとおなかはぴったり収まっても、後ろは下の方がだぶつき気味になって、どうあがいてもすっきりした着こなしにはなってくれないのだ。自分の後姿は見えないからいいけど・・・

 つまるところは、人間の身体は理想のひな型通りには作られないということなのだ。オーダーメードでもしない限り、平均的な形に合わせるしかないなあ。

天国に一番近い席

11月24日。朝から雨が降ったり、日が差したりで、気温は低い。週末には雪がちらつくかもしれないという。バンクーバーでは水道の注意はまだ解除されていない。我が家のバスタブ一杯に張ったお湯はどう見ても普通なのに、テレビニュースで流れる映像では確かにかなりの濁りだ。昔よく濁ったことを考えると不思議でしかたがない。

木曜日だけど、ニューオーリンズから帰ってきて以来初めて外食。旅行の後はすぐに食事にでかける気分にはならないし、さてこの週末はというときに「水道水注意」の騒ぎ。レストランはどこも営業しているということで、お気に入りのひとつPASTISに予約を入れた。

カレシのお目当てはフランスのピコンというアペリティフ。フランス流にクロネンブールというフランスのビールをミックスして飲むのが何ともいえない。ピコンはフランスが輸出していないということで、州営の酒屋に特別注文しても手に入らない。PASTISではオーナーが直々フランスに行って買って来るのだそうだ。

ワタシの前菜は表面をさっと焼いてカルバドス・ソースをかけたフォアグラ。甘みがあって溶けるような舌触りが何ともいえない。生牡蠣を食べるような、ある意味で官能的だ。ケベック州でのフォアグラ生産が増えて、ちょっといいレストランのメニューに頻繁に登場するようになった。アメリカは中西部で生産しているが、最近シカゴの市議会が動物愛護を理由にフォアグラの販売を禁止してしまった。デイリー市長は「ドラッグ中毒やホームレスの人間の問題が山ほどあるのにガチョウの心配とは何ごと・・・」と嘆いたそうだ。幸いなことにバンクーバーではまだそんな話はきかない。

メインはカスーレ。フランスの田舎料理で、ワタシが作るときはいんげん豆、ソーセージ、鶏もも、豚肉、ラムが定番だけど、今回はぐっと上品に豆とソーセージと鴨のコンフィだけ。コンフィは鴨肉を鴨の脂の中でで長時間かけて煮込んだもの。驚くほどやわらかくなるけれども、家では肉がかぶるほどの脂が手に入らないから作れない。もっとも、家庭では作れないものを食べることも外食する楽しみであるわけだけど。

 デザートはかごに入った小さなマドレーヌ。パティシェをぎゅっとハグしたいくらいおいしい。ここまできたら食道楽は昇天。おいしいものを食べるとほんとうに体の芯までハッピーになる。カレシはかなりおいしいもの好きになったけれど、まだあまり冒険はしない。(ワタシはバファロー、カリブー、シカ、ウサギ、はてはダチョウもハトも食べた--気をつけないとPETAに襲撃される?)ニューオーリンズでもワタシが大振りの生牡蠣に感激しているのを横目で見物。この次はオレも、とはいうけれどもどうかな。でも、フォアグラだって最初は敬遠していたのだし、あんがい・・・

大雪警報発令中

11月25日。土曜日。雨が落ち着いたと思ったら、今度は急に冷えてきた。午後2時の気温は2度。

天気チャンネルの画面がときどき真っ赤になる。よく読んでみると、バンクーバーに「大雪警報」。今夜から降り始めて、日曜の夜までには20センチから30センチの積雪、とある。30センチも!2、3日前から週末は雪がちらつくかもとは言っていたけれど、これじゃちらつくどころじゃない。明日はコンサートに行くどころではないかもしれない。

 カナダに来た頃は日本の友人たちに「ホワイトクリスマス、すてきでしょうね~」と言われた。確かにカナダは
「Great White North」というくらいの北国なんだけど、実はバンクーバーはほとんどいつもびしょびしょのグリーンクリスマス。アメリカのカスケード山脈から続いているコースト山脈が北極圏の冷たい気団を遮り、州の沿岸を暖流が流れているからなのだ。この暖流は「北太平洋海流」といって、何と日本の黒潮とつながっているそうだ。

それでも、日本の天気図に「西高東低」の冬型気圧配置があるように、ここでも「冬将軍」の到来を知らせる特有の気圧配置がある。コースト山脈の向こう側に居座る強い高気圧が西へ張り出して来ると、北極の寒気が沿岸部まで下りてくる。いわば、山脈という「堤防」を越えて溢れてくるので、これを「北極気団の流出(Arctic outflow)」という。さすがのバンクーバーも氷点下、時にはマイナス二桁まで冷え込んでしまう。その高気圧が緩んだときに湿った暖かい低気圧が入ってくると雪が降る、というしくみだ。ふつうは1日かそこいらで雨に変わるのだけど、雪かきシャベルを買いに走り、道路がてんやわんやの騒ぎになる光景が全国ニュースになる。

 今度はいつもと違って大雨続きからいきなり大雪警報。頭の上に停滞前線が居座ってしまっているので、数日は冷え込むらしい。クリスマスにはちょっと早すぎる雪なんだけどなあ・・・

雪やこんこん

11月26日。土曜の夕方、天気予報の通りに雪が降り出した。気温は0度。まだ雨混じりのようなべた雪だ。ほんとうに30センチも積もるのかなあと思いつつ午前4時就寝。

日曜日。ふと目が覚めたら、あたりが不気味なくらいにし~んとしている。かなり積もったらしい。時計を見るとなんと午後12時45分。これでは雪が積もっていなくても2時の日曜コンサートはすっぽかしだ。シューマンのピアノ協奏曲、楽しみだったのに・・・。

起き出して見ると、まだ雪が降っている。20センチくらいは積もっているようだ。黄色い葉を落とし切っていなかった白樺や落葉松にベタ雪が積もって、絵に描いてみたい色合いになっている。我が家の「望楼」(八角形で視界270度)から見る一面の雪景色はまるでクリスマスカードの絵のよう。たまにはこんなファンタジーのような風景もいいなあと見とれてしまう。

でも、ちょうどよく?ミルクにシリアル、コーヒーと、必需品がそろって品切れ。しかたがないから今年20才のポンコツ車のほうに乗ってノロノロ運転で買い物に出かけた。バンクーバーは雪道の運転を知らないドライバーだらけなので、こっちならぶつけられてもかまわない、というわけだ。それでも駐車場は危ないからと、路上駐車してモールまで歩いた。ほんとうは、融けかけたベタ雪の歩道を歩く方がよほど危ないのだけど。

 この雪は日曜いっぱい続くという。月曜日朝の通勤ラッシュはきっとてんやわんやだろう。こんなとき、カレシは退職してよかったといい、ワタシは在宅稼業でよかったと思う。

雪景色

11月27日。一夜明けて、静かな、静かな月曜日。二階の窓から見たらどこまでもファンタスティックな白銀の世界・・・

 

雪景色(その2)

11月27日。裏のポーチから。ここも積もりに積もった感じ。池の方を見ると、滝の水はまだ凍っていない。気温はマイナス3度。温室は電気ストーブを2つ動員して暖房中。せっかく秋に探し回ってやっと買ったプロパンヒーターを準備していなかったから、またまた電気代が思いやられる・・・


 
バベルの塔

11月28日。気温はマイナス10度。週末の大雪はがっちり凍りついて、その上にまた雪がちらついている。木曜日には雨か雪の予報。やれやれ、また大混乱になりそう。

水曜の朝午前3時(昔のサイモン&ガーファンクルの歌にそんなタイトルがあったような・・・)。でもワタシの生活時計ではまだ火曜日。カレンダーに並んでいた締切の最後の最後に赤線を引いて「勤務時間」が終わったところだ。

二つの言語を同時に扱う仕事はくたびれる。今回は参考にと渡されたヨーロッパ連合の研究センターの報告書にびっくり仰天の連続。英語の文書だけど、表紙を見るとドイツ語の名前が並んでいる。連合にはイギリスやアイルランドというれっきとした英語国があるのに、有能な翻訳者がたくさんいるだろうに、編集者だってたくさんいるだろうに、EUのマークの入ったきれいな印刷文書はいったい何語なんだか。

ためしにカレシに読ませてみたら、最初の2ページで「こんなの読めないよ。英語じゃない」とさじを投げた。並んでいる単語は確かにみんな英語なんだけど、つないでみても英文にはならないのだ。第一に「コンマ」がほとんどない。コンマなしの「文」がだらだらと数行も続いてやっとピリオドに遭遇。語順はきわめてアヤシイ。前置詞もアヤシイ。単語の選択もアヤシイ。

 まさに現代版バベルの塔。読んでいるうちに脳の細胞がだいぶこぼれ落ちたような気がする。本当にくたびれる稼業だ・・・

我が家の生活標準時

11月29日。一夜明けてみると仕事がない。するべきことはたくさんあるのに、仕事がないから何となく落ち着かない。原則として、ワタシのオフィスは仕事があるかぎり週7日営業。それが3週間も続くと、慣性モーメントが働いてしまって、仕事が途切れたときにそれを変えるのが難しい。いつも丸1日はダラ~ンとしてしまう。

我が家の生活時間はいたって変則的だ。カレシは子供の頃から夜型人間。ワタシも相当な宵っ張り。今にも昼夜が逆転しそうな、我が家の「標準時」をざっと見るとこんなぐあい・・・

起床: 午前11時から正午の間。(ただし、カレシの英語教室がある日は目覚ましで午前10時半起床。)寝るのがうんと遅かったりすると、正午を過ぎて目が覚めることもある。

朝食: 昼のローカルニュースを見ながら、ジュース、シリアル、トースト、コーヒーの朝食。全部カレシがセットするので、ワタシはテーブルに着くだけ。たまには温かいオートミールを作ったり、ワタシがベーコンを焼いて、カレシが卵を焼いたりもする。午後は家事や買い物、「自由時間」。仕事が混み合って来たら、ここでワタシは「超過勤務」をする。午後4時半頃からは1日交替で30分ほどトレッドミルで大汗をかく。

夕食: 午後5時くらいから、ローカルニュースを見ながら、二人そろってマティニ片手に夕食の支度。メニューはワタシが作る肉/魚のメインと温野菜に、カレシが作るサラダかサルサと、いたってシンプル。コーヒーを飲み終わって、午後7時すぎ、仕事があればワタシはベースメントのオフィスに「出勤」。日本では翌日のお昼あたりだから、メールや電話はちょっとした即応体制。少し飽きっぽいカレシはコンピュータの前に座ったり、リビングへ行ってテレビを見たり、ついでにうたた寝したり。仕事のない日は二人でDVDを見たりもする。

ランチ: 午前零時。冷凍のピッツァやスナックをオーブンや電子レンジで温める。手をかけてサンドイッチを作ることもある。ここでカレシ手作りのアイスクリームがデザートに出る。ディッシュウォッシャーが1日分の食器を洗っている間に、オフィスに戻って午前2時半頃まで仕事をして、本日の営業は終了しました、となる。後はのんびりと1日の総括をしながらナイトキャップを傾け、気が向けばバスルームのライトを落として二人でゆっくりとお風呂に浸かる。

就寝: 午前3時半から4時の間。ときには4時半。夏至の頃はもう東の空が明るく、小鳥のさえずりを聞きながら眠りにつく。

このパターンが定着してもう4年以上になる。変則的ではあっても、それなりに規則正しい生活なのだ。

 さて、明日こそは、デスクの上にたまった紙類を片付けて、洗濯をして、ご無沙汰メールを書いて、勉強して、その後はスープ作りでもしよう・・・

いよいよ師走かあ

11月30日。11月最後の日。やっと気温がプラスになった。雪をかぶって深く頭を垂れていた木々も肩の荷が下りたのか、裸になった枝がそろそろと伸びをしている。ベタ雪の重みで折れるのはだいたいが旱魃で弱った木、年老いた木。健康な木の枝はしなやかだ。森林ではこうして自然が枝払いをしているわけだ。

今日も仕事は休み。洗濯を始める。カレシは英語教室にでかけた。ときどき屋根の雪が滑り落ちる雪崩のような音がする。我が家の屋根は急勾配。凍りついた塊になって北側へ落ちるとお隣のベースメントの窓を直撃するかもしれない。心配になって外へ出て塀越しに覗いてみたら、お隣さんはすでに窓のところに合板を立てかけてあった。

洗濯機が回っている間に11月分の事務処理をする。といっても、請求書を作るだけ。経理係の仕事は3ヶ月ごとの消費税申告期限までさぼる。もっとも、その時になってみたら、忙しすぎてきりきり舞いということが多いのだけど。仕事のログを集計してみると、やはり去年1年間よりもずっと多い。この分なら12月は仕事の依頼がゼロでもいいかなあ、とのんきに考えていると、案の定「これ、できますか」と引き合い。小さいし、納期は来週までたっぷりだから・・・結局はいつもの調子で「できます」と返事。日曜日にでもやろう。

3時半。カレシが帰って来た。英語教室は来年まで休みにしたそうだ。この頃少しマンネリ気味なのか、水曜日のクラスはすでにキャンセルしている。毎日、毎日英語教授を生業としている人たちはマンネリにならないのかしらんと思う。

 明日からいよいよ12月。年を取れば取るほど、それに合わせるように時間の足も速まるような気がするのは、やっぱりを年のせい?明日は食料の買出し。仕事が(ほとんど)ないのを幸い、スーパー、酒屋、青果屋を周遊することになりそうだ。そろそろクリスマスディナーのメニューも考えなくては・・・