リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年3月~その3

2011年03月31日 | 昔語り(2006~2013)
精神的なホメオスタシス

3月21日。月曜日。小雨模様。久しぶりに咳の発作もなく、ヘンな夢も見ずにわりとよく眠ったし、少し上がり気味だった血圧もいつもの範囲に戻った。きのうの夜もう日本の新聞サイトをチェックするのをすっぱりやめて仕事にかかったら、生産性がどんどん上がった。やっぱりずっと精神的なストレスを感じていて、ホメオスタシスが崩れていたのが落ち着いてきたということか。

まあ、この10日。はワタシにとってもある意味で「非日常」だったんだと思う。そういえば、先々週の木曜日、前日のブログのアクセスが150何万中の「9971位」になっていてびっくり仰天した。(上位1万位に入ると表示されるらしい。)何かそんなに人の気を引くようなことを言ったのかと思ったけど、瞬間風速100メートルみたいな出来事だろうな。地震のニュースが飛び込んできたのはその日の夜のこと。まったく関係はないんだけど、今思うと何となくヘンな気分。で、きのうの記事は1500本目。へえ、よくもまあそんなにぶつぶつと続いてきたもんだなあ、と我ながら感心。ほんとに、ワタシって・・・。

仕事のピッチを上げて遅れを取り戻す前に、好奇心に駆られてローカルの日本語掲示板のタイトルを見渡してみたら、当然のごとく大地震と原発の話題がずらり。日本の災害への反応にカナダ人夫と温度差を感じてムカついている日本人妻。(リビアでの空爆が始まったら)日本の地震のニュースが減った、カナダ人はもう飽きたのかと怒っている人。ここは日本じゃないんだし、と思ってのぞいてみたら、なんだ、いつものことながらどっちもすぐに日本人同士の罵詈雑言の応酬戦になっている。だいぶ前の尖閣列島事件の後だったけど、日本外交の失敗要因について「日本は他国を本質的に(日本と)同じだと考える」と論じていた記事を読んで、なるほどと膝を打ったのを思い出した。筆者の名前は覚えていないけど、大学教授か何かだったと思う。国家をそれを形成する国民に置き換えれてみれば、「日本人は他(国)人を本質的に自分と同じだと考える」ということになるか。同じだと思って接するから、そうでないとホメオスタシスが撹乱されて不快指数が上がるということになるのかな。あの記事、コピーしておけば良かったなあ。

まあ、大きな満月のせいばかりではないだろうけど、この10年とちょっと悶々としながら再構築を図って来たワタシ自身のアイデンティティについては、揺れ続けたこの10日。の間にやっと答が出たように思う。日本からの情報が思うように得られないことで、言わなくてもいいことを言わなくてもいいところで言っていて、「日本で1日。テレビを見てみろ」と言ってくれた、会ったこともなければ本当の名前も何も知らない日本の人にお礼を言わないといけないな。いつだったか、「拒絶されても、はねつけられても、抱きしめて欲しくて母親に近づく幼児のようだ」と言われたことがあったのを思い出した。ほんとうにそうだったのかもしれない。ワタシにとって日本という国は「生みの母」。互いにうまく気持が通わない親子なのかもしれなくても、子供は母親に抱きしめて欲しいと思うものだと思う。子供はね・・・。

だけど、抱きしめてくれる「母」がいなくても、日本には数えるほどであっても「友だち」と呼べる人たちがいる。相手はそこまで思っていないかもしれないけど、少なくともワタシには警戒心を捨てて近づける人たち。いや、日本にいる日本人だけじゃない。日本の外にいる日本人も、いや、アメリカにいるアメリカ人、日本にいるアメリカ人、カナダにいるポーランド人、フィリピン人、中国人、ベトナム人、○○人、何々人・・・みんなワタシにとっては「友だち」という括りなのは、ワタシの中では人間同士のレベルでたとえ小さくてもわかり合える、合えないを通り越した結び目があるんだろうと思う。あれだけの大災害の中で、家族も友だちもみんな無事だった。今それ以上のことを求めたら神様に叱られそうな気がする。どんなに小さな結び目であっても大切にして行かなくちゃね。

「いつまでも親がいると思うなよ」と言ったのは(何のことだったか忘れたけど)ワタシがふと弱音を吐いたときの父の言葉だった。子供はいつか大人になって独り立ちしなければならないのだと教えてくれた。「生みの母」が抱きしめてくれようがくれまいが、それがひとりの人間としてのアイデンティティを確立するときで、いうなれば精神的なホメオスタシスの確立ということなのかもしれない。じゃあ、少しは大人になった(と思う)ワタシのアイデンティティは何なんだろうな。ふむ、勤め人時代に「あんたは何人?」と聞かれるたびに「地球人!」と答えてきたワタシだから、赤、白、黄色のチューリップということで、カナダに咲く黄色い花の「地球人」ということでいいんじゃない?これなら誰にも揺さぶることはできそうにないし・・・。

平常があたりまえでなくなったとき

3月22日。火曜日。久しぶりにぐ~っすりと眠った気分で正午前に目を覚ました。すっかり春のいい天気。家の外の桜並木もかなりピンク色が濃くなってきた。もう五分咲きくらいになってるのかな?

今日は連邦政府予算発表の日。このまま予算案の否決で総選挙になだれ込む公算が大。ま、与党の方もずっと前から予想していたと見えて、この何ヵ月かしきりに野党第一党の自由党のイグナチエフ党首をこき下ろすテレビ広告を流していたし、野党も最近になって与党の施策を攻撃する広告で応戦。予算案発表という最重要イベントを控えて与党議員や首相の元補佐官が絡むスキャンダルが発覚したり、地盤である西部の主力議員が3人も引退を発表したりで、見たところはーパー首相の与党保守党にはあまり風向きが良くない。

総選挙となれば7年間で4回目。政府には確実にマイナス要素になる(はずの)スキャンダルで与党には優しくない政治環境のはずだし、世論調査でも国民の関心は「政治倫理」が「景気」を抜いてトップ。イギーことイグナチエフ自由党党首が今度こそ政権奪取!という意気込みになったのは当然だろう。ところが、同じ世論調査で、「政治倫理を正すのに最も適任なのは誰か?」という質問ではスキャンダルまみれのはずのハーバー首相が断然トップ。「信頼する政党はどれか?」の質問には首相率いる保守党がトップで、イギーの自由党は3位ということで、何ともややこしい。まあ、イギーは長年ハーヴァード大学で教鞭をとってきた歴史学者だから、未来を読むのは苦手なのかもしれない。(ハーヴァードでは「アメリカ人」のイメージで著作活動もしていたらしく、カナダに帰国して自由党党首になったその日から与党にそこを突っ込まれている。)

それでも、野党は予算案否決を決めたようだし、だいたい予算案の内容からして否決されることを承知での「キャンペーン予算」だから、ひょっとしたら策士ハーパー首相の台本通りに展開してるのかもしれない。左派の新民主党のレイトン党首の要求の「さわり」を取り入れて、新民主党が否決に回れば、選挙戦で「せっかく国民のためにと思って要求を取り入れたのに否決するとは何事だ」と攻撃できる。何よりも、圧倒的多数の国民が「選挙はまっぴらごめん」と言っている世論調査を後ろ盾にして、「選挙はやりたくないけど、野党がどうしてもというので・・・」とやれる。ハーヴァードで教えるくらいの大学者のイギーが実務派のスティーヴィーにかなわないのはどうしてかなあ。世論調査から推測される限りでは、鳴り物入りで総選挙をやって、結局は大山鳴動してまたハーパー首相率いる保守党少数政権・・・つまり、政治すごろくは「ふり出しに戻る」。ふむ、絶対にスティーヴィーは孫子の「兵法」を読んでるぞ。

だけど、連邦議会の総選挙。統合売上税の是非を問う州民投票。州では与野党とも新党首になって、たぶん州議会総選挙。そして、11月は市長と市議会の選挙。その間に、教員組合、州政府職員組合、その他の公務員組合の労働協約が期限切れになるそうで、不況のせいで2年ほど昇給ゼロだった後だから交渉は荒れそうだな。はあ、忙しい年になりそう。こういうのはカナダでは平常と言えば平常なんで、民主主義はごく平凡な市民もけっこうなエネルギーを費やさないと護持できない。独裁政権だったら何もしないのが一番楽で安全かもしれないけど。

きのうローカルの日本語掲示板でカナダのメディアから「震災のニュースが減った」と言って怒っていた日本人がいたと言ったけど、投稿の最後に、「自分も平常の生活に戻ったほうがいいのか?」とあって、たまたま地震も津波も放射能も停電も品不足もないカナダで暮らしているくせに「平常の生活」に戻るも何もないだろうがと笑ってしまった。(自分は仮想現実的に日本にいると思っているのかもしれないけど。)たしかに、人間は心身ともに「非日常」を長いこと維持することはできないようになっていると思う。だからこそ、東京で電車が時刻表通りに走らない、ガソリンが足りない、停電するのかしないのかわからない、行きつけのコンビニやスーパーの店頭に商品がない(聞くところによると高級スーパーでは品不足は起こらなかったらしい)、放射能が降って来る・・・あたりまえがあたりまえでない状態になって、対処しあぐねている人は多いと思う。

こんないつもとは違う状況が長く続けば誰だって疲れてしまって、あたりまえの「日常」に戻りたくなる。だけど、平常の生活に戻っていいかどうかなんて掲示板で他人に聞いてみなければ決められないような人は、もし「まだダメだ!」という答が返ってきたらどうするんだろうな。あんがい「平常じゃない生活をどうやってすごしたらいいか教えて」ということになるのかな。こういっちゃ何だけど、今の日本にとってはこういう「自己中及び/または教えてちゃん」が海外にいてくれて良かったのかもしれない。太平洋戦争以来の非常事態であっても(太平洋戦争がどれだけの「非常」だったのか知らないだろうし)あんまり母国の役には立てないんじゃないかというという気がするから。ま、みんなそれぞれに自分の「平常」に戻って、前方を見渡して、何をどうするのが一番いいのかを考えてみるのが一番じゃないのかと思うけど。

やっぱりこれが私の日常

3月23日。水曜日。よく寝た。正午前に起床。すっごくいい天気で、家の外の桜並木は目に見えてピンク色が濃くなってきた。トロントでは雪だそうな。ついでにオタワも大雪に埋もれて、という具合になればいいんだけど、あっちは総選挙がほぼ現実問題になってやたらと熱くなっているからなあ。それにしても、先頭で政権打倒の旗を振っているイグナチエフが「ボスである国民が決めることで、ボスが選挙を要求しているんだ!」とぶち上げていたけど、どの世論調査でも「今は選挙なんかしたくない」と言っているのに、全然国民の声を聞いてないじゃないの、あんた。

きのうの夜から始めて寝る前に仕上げる予定だった超特急の仕事。なにしろ与えられた時間が短い。社長がわざわざ時間帯を超えて電話して来たりで、ちょっとあたふたしたけど最後は少し時間が延びた。それで今日は朝食後から一心不乱に仕上げの作業。たまの英日で、すいすいと行くかと思ったらどっこいそうは行かない。こんなめちゃくちゃな英文書を書いたのはどこの誰なんだ!とぶつぶつ言いながらキーをたたく。グローバル時代で猫も杓子も世界への情報発信は英語。それで日英の需要が増えてワタシも潤っている。だけど、たまに英日を頼まれると、なぜか英語のようで英語になっていないような、英語という言語が崩壊しつつあるんじゃないかと思ってしまうくらいにキョーレツな英語文書ばかり。昔は中国発のにすごいのが多かったけど、最近はEU発のにもすごいのがあるどうしてワタシのところにばかり来るんだろう。あいつなら何でも引き受けるからと思われているのかなあ。疲れるよ、もう・・・。

カナダ食品検査庁(CFIA)が日本からの輸入される食品の放射能汚染監視を強化することにしたそうな。ま、福島を中心とする4地域の乳製品と果物、野菜だけが対象らしいけど、新聞によると、日本からカナダに輸入される食品は上位品目はごま油、ホタテ、ソース類や調理品、緑茶といったもので、輸入量はカナダが輸入する食品全体のわずか0.03%以下だそうだから、(当面は)監視強化というのは妥当だろうな。もっとも、0.03%以下なんて微々たるシェアだったら、韓国系スーパーに韓国産の代替品がたくさんあるし、輸入禁止になっても日本の食材がなくなっていることに誰も気づかないかもしれないな。逆に、生鮮食品の供給元であるメキシコやカリフォルニアで原発事故があったら大変なことになる。そうでなくても、メキシコとカリフォルニア州南部の霜害の影響でトマトの収穫量が激減して、バンクーバーでは今トマトの値段がばか高い。放射能汚染で輸入制限・禁止なんてことになったら、夏まで野菜が食べられなくなってしまう。それはだんぜん困るな。

同じ新聞にカナダの医療支援チームがまた日本での支援活動のためにバンクーバーを出発したと書いてあった。ハイチの大地震で活動した経験者がほとんどで、宮城県出身のボランティアが通訳として同行して、今度は2週間ほど活動して来る予定だという。放射能は気にはなるけど、リスクを冒す価値があるんだと言って飛び立って行ったそうな。よし、カナディアンの心意気を見せて来いよ!

ああ、これがワタシの普通の生活。この2週間の間にいろいろと考えて、いろいろと改めて発見することが多かったけど、その一番は「言わなくてもいいところで言わなくてもいい人に言わなくてもいいことを言わないのがいい」という教訓。まあ、人間大好きで口数の多い極楽とんぼのことだから、日本的に空気を読むことができなくて、つい気を許しては言わなくてもいい(あるいは言わない方がいい)ことを言ってしまうかもしれないけど、少なくとも自分の日常に戻ってほっとした気分でいる間はここだけの話にしておけそう・・・。

コスモポリタンなところが好き

3月24日。木曜日。いい天気。きのうのばたばた仕事でくたびれたせいか、まさに爆睡という感じ。なんか元気が出てきた気分・・・。

ニュースサイトをチェックしていたら、みずほが滞っていた振込みを全部クリアしたというので、まだ早いかと思ったけど、銀行のサイトをチェック。う~ん、15日。に日本のクライアントから送金されるはずだった先々月分の支払がまだ入ってない。時差のせいで明日になるのかなあ。まあ、今月は日本円にして10万円くらいだから、こっちも別にあわてないけど、ひょっとして小口過ぎて後回しにされていたりして。何が起きているかわからないから、それでも別に驚かないけど、明日になっても入金してなかったら、クライアントに連絡しといた方がいいだろうな。もしも未処理だったら送金依頼をキャンセルして来月分とまとめてもらってもいいんだけど、そんなことをしたらまたみずほのシステムが混乱してダウンしてしまうかも。しょうがないなあ、もう。

産経新聞のサイトに、「恩返しをしたい」という諸外国からの支援が日本側の杓子定規な扱いで受け入れられず、善意が中に浮いているという記事があった。東南アジアのある国が送ろうとした数万枚の毛布は、日本側が指定した規格サイズに合わないと受け入れに難色を示したとか。救助犬の派遣を要請しておきながら検疫ががどうのこうのと言い出して派遣は土壇場でキャンセル。米は余剰米があるから「いらない」。食料品は「安全基準のチェックができていないし、日本語の表示がないからダメ」。おそらくほとんどが東南アジアの国々なんだろうな。アメリカが食料品やアメリカサイズの毛布を送ると言ったら、やっぱり同じだったのかな。何十万人が寒い避難所で苦難を強いられているのに、お役人は規格だの検疫だのって、困ったお国だねえ・・・。

朝食の後、日当たりがぽかぽかするキッチンでコーヒーを飲みながら、バンクーバーで開かれていた移民に関する国際会議に関連でテレビでやっていたニュースの話になった。移民が今のペースで続くと、20年後の2031年にはカナダの15歳以上の人口の半分が外国生まれか、少なくとも片方の親が外国生まれということになると予測されていて、スウェーデンとポルトガルについて世界で3番目に移民の受容に成功している国ということになっている。それでも、急速な「国際化」に対する不安や不満が表面化してきているという。まあ、昔の移民と違って、今は宗教や生活習慣をそっくり移住先に持ち込んで、頑なに故国と同じ生活を続けようとするグループも多いし、はては宗教の自由をたてに逆に戒律を押し付けようとする集団もある。それができるところがカナダの「いいところ」なんだけど、カナダの文化や慣への同化を拒むグループが大人数になったときにその「いいところ」が失われはしまいかという懸念を持つ人たちが増えても不思議はないと思う。

メトロバンクーバーなんかすでに200あまりの「ethnic(民族)グループ」が住んでいて、5人に2人は外国生まれという「コスモポリタン」。これくらい雑多な民族がいれば、A国人はいいけど、B国人はダメとか嫌だといちいち区別して付き合おうとしていたら日常生活が立ち往生してしまうと思う。バンクーバーっ子のカレシ曰く、「英語教室の生徒はみんないつもバンクーバーには人種差別がないからいいと言っていた」。ワタシも「差別」と言えるような扱いに遭遇したのはビクトリアに住んでいたときくらいで、それも2度か3度。もう31年も前の話。あの頃は異人種カップルはまだ珍しかったから、2人のときに「?」な場面がなかったとは言えないけど、それでも日本でほどには人目を引かなかったな。近頃は異人種カップルなど8組に1組とか言われるくらい増えたから、誰も気にも留めないどころか、すれ違ってもたぶん男と女の人種が違うことなんか気づきもしないだろうな。(ワタシだってカレシが「外国人」とは気づかないもん。)

ちょっと皮肉のつもりで、ワタシはいつもカナダ人は人種差別主義だ、白人至上主義だと不平たらたらの民族グループからずいぶん差別されたと言ったら、カレシは「そうだろうなあ」と思いのほか肯定的に聞こえるような返事。へえ、わかってるんだ、アナタも・・・。

遠くへ旅に出たくなるとき

3月25日。金曜日。起きたときは雨模様。よく眠っているけど、まだなんだかぐったりと疲れたような気がするときがある。まっ、日本にいたらとっくに「定年」になっている年だんもんね。カナダの定年まであと2年と1ヵ月。このまま尻つぼみになれば深く考えなくてもいいから助かるけど、なんだか仕事が増えてきそうな、うれしいのかうれしくないのか自分でもわからない予感・・・。

連邦議会では野党3党の不信任案を通して、いよいよ選挙。まあ、どう見ても「さあ、選挙だあ」と張り切っているのは、うまく勝てたら総理大臣になれるイグナチエフだけ。といっても、自由党は支持率で与党保守党にかなりリードされているから、無謀と言ってもいいギャンブルだけど、なんだってそんなにニコニコ張り切ってるんだろうな。どうしてか説明でないけど、この人はテレビの画面に映っているだけで、イラ~っと来る。もって生まれた顔の好き嫌いはどうしようもないとしても、象牙の塔から降りてきた人の鼻持ちならない上から目線の物言いが障るのかな。まあ、選挙は投票が終わるまで何がどっちにどう転ぶかわかないから、5月の初めになるらしい投票日まで、おもしろくなりそう。

ロンドンのFolio Societyに注文してあった本のうちの3冊が届いて、そのうちの1冊を朝食後のコーヒーのお供に読み始めた。ジャック・ケルアックの『On The Road』で1957年に出版された作品。かってはヒッピーたちのバイブルみたいなものだった。読み始めると、これが「ビート詩人」のスタイルなのかと一気に目を覚まされるような新鮮な文体で、1日。座り込んで読んでしまいそう。少し前にイギリス暮らしが長かったアメリカ人ビル・ブライソンの『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』を読み、その前にはこれまたヨーロッパが長かったジョン・スタインベックの『Travels with Charley』を読んで、アメリカ人には「何かを求めて彷徨する」遺伝子があるのかもしれないと思ったけど、きっと人間には誰でも「ここにない何か」を探したいという欲求を持っているんだろうな。今のワタシが還暦を過ぎたおばさんでなかったら、いたたまれずに「あてもない旅」に出てしまうかもしれない。いや、もしもひとり身だったら、年など考えずに迷うことなく旅に出てしまっているかもしれないな。

そういえば、ワタシが不安いっぱいの青春時代に入った頃、『遠くへ行きたい』と言う歌が流行っていた。人生の夢多きときのはずなのに、どこを向いても窮屈な規則や社会通念やしがらみばかりで、悶々としていたのがワタシの青春時代だったかもしれない。日本に伝播したヒッピー文化もすぐにただの表層的な流行に成り下がって、失望したワタシはヒッピーにはなれずじまい。大学へ行っていなかったから学生運動は末席にさえ加われず、内部闘争に発展するに至っては「知識人」にいやと言うほど失望し、ベトナム反戦運動のデモ隊もうさん臭い集団にしか見えなくて、ワタシの人生の展望はお先真っ暗・・・は大げさだけど、いつも自分の居場所は「ここではないどこか」にあるはずで、その「どこか」を探しに出る自由がないだけだと思っていた。

クリスマスケーキ年令の25歳の夏に、ペンパル夫妻の招待を受けて夏休みを過ごしに単身でカナダに来たのは、霧の中を見透かそうとしているだけのようだった「青春時代」に訣別するつもりだった。だからこそ自由を与えられたんだろうけど、そこで会わないはずだったカレシに会って、ワタシの人生、方向が見つかったのか、それともコンパスが狂ったのか。Somewhere over the rainbow・・・虹の向こう。でも、宝物はその虹のふもとに埋まっているという。ひょっとしたら、ワタシは38年前に「青春」という虹が消える間際にそのふもとにたどり着いたのかもしれない。紆余曲折の自分探しはまだまだ続くのかもしれないけど、少なくとも居場所にたどり着けたのは、ワタシの彷徨遺伝子の導きだったのかどうか。しきりに旅に出たいという気持になるのは、季節のせいだけではないのかも・・・。

ジャーナリズムと国際化と我々主義

3月26日。土曜日。春うららの陽気で、外の桜並木はほぼ満開。気の早いのはもうちらほらと散り始めている。すごくしっかり眠った気分で、けさはここのところ少しばかり上がっていた血圧も105/66といたって普通のレベルに戻った。

正午のニュース、一番手はもちろん選挙。総督に議会解散の許可をもらい、投票日は5月2日。。月曜日か。そういえば、カナダでは日曜日に投票することはないな。いつも週日の午前8時から午後8時まで。投票所に行くという名目で2時間くらいの遅刻か早退が認められるのは、労働法にそういう規定があるらしい。選挙と言う形での政治参加は国民の義務だからだろうな。モントリオールの新聞が世論調査の結果を各政党のシンボルカラーで色分けした円グラフにして載せていた。「首相として適任なのは?」という問いには、青49%、オレンジ34%、赤17%、水色なし。「下心があるのはどの党首だと思うか?」という問いには、赤46%、青39%、オレンジ10%、
水色5%。「どの党首を一番信頼するか?」という問いには、青42%、オレンジ34%、赤15%、水色9%。ちなみに、青は保守党(ハーパー)、赤は自由党(イグナチエフ)、オレンジは新民主党(レイトン)、水色はケベック連合(デュセップ)。選挙の焦点はトップから「医療」、「景気」、「税金」、「雇用」の順で、野党が不信任案を通した「政治倫理」は5番目。なんだか、やらなくてもいい税金のむだ使いになるだけの選挙・・・。

朝食後はしばし読書してから、オフィスに下りて「お気に入り」のニュースのフォルダを開いて、まず地元の新聞をチェックして、Google News(カナダ版)をチェック。トップニュースの他に(すべて英語だけど)「ワールド」、「日本」、「EU」、「アジア太平洋」、「ヘルス」、「科学技術」、「カナダ」とセクションを設定してあって、ベースメントに篭っているワタシの「世界に開かれた窓」。それからBBCとロイターズをチェックして、日本が朝になる頃に(Japan Timesを含めて)日本の大手新聞サイトをチェック。こんなところがだいたいの日課なんだけど、地震以来日本の新聞サイト(読売、朝日、産経、毎日の順)を集中的に見ているうちに「優先順」が大きく入れ替わって、今はMSN産経の「[速報]ニュース一覧」が一番になってしまった。Yahoo!速報ニュースもスポーツ新聞が出回る早朝の時間をやり過ごせばもう読売を見なくてもいいくらい。でも、一番の収穫は北海道から沖縄までの地方の新聞が集まった「47News」に出会ったことだろうな。ネットの大手新聞はあたりまえのように「Tokyo-centric(東京中心)」の視点でしかないという気がしていたけど、なんだかここで改めて「日本」を発見したような感じがする。(なつかしい「道新」こと北海道新聞もあるし・・・。)

ジャーナリズムと言うのは、世界にいろいろな出来事を伝える役目だろうとは思うけど、災害や戦争や犯罪やとにかくいろんな「できごと」の現場を見聞きしていれば、自然とその人の感じたことや信条が報道記事に入ってくる。だからこそ、ワタシはできるだけ多くの記事を読んで、報道する人の政治色や文化や価値観のバイアスをできるだけ仕分けして、自分なりに「理解」したいし、そうすることが他の誰でもない「自分」という主体性を維持する最後の防衛線だと思うから、毎日時間をかけてニュースを読んでいる。でも、やっぱり日本に関しては「現場」にいない悲しさなのかどうか、日本にいて常時テレビで映像を見ることができる人に「日本のてテレビを1日。見たらどうだ」と言われて、一瞬足下がぐらりとよろけて、改めて日本はワタシには遠い外国になったんだと悟って、(カレシが見ていないところで)つい泣いてしまった。悲しくて泣いたのか、別の感情で泣いたのかはわからないけど・・・。

世界のどこの国であれ、たぶん人間は根本的に細かに仕分けされて、自分がそのどこに属するかが見える方が精神的に安穏なのかもしれない。たまたま日本にある翻訳団体の理事会選挙。日本の法律に基づく非営利団体に改組して、日本人の会員が増えたのはいいけど、(客観的に見てセミリンガルのたぶん若い)自称完全バイリンガル日本人がゆくゆくは「日本国籍者」を加入要件にするとぶち上げて立候補したり、それに異議が出ると日本の政治家に働きかけるぞとでもいうような(ガキっぽい)威嚇をしてみたり、日本にある団体なんだからもっと日本色を出すべきで、非日本人会員は欧米の常識を押し付けるなと言い出したり、(ワタシがカナダで英語で暮らしたのと同じくらい長く日本で日本語で暮らしたドイツ人の)どうみたってそこらのゆとり教育日本人よりも立派な日本語の投稿を「カトコトだ」と評したり、英語では言いたいことを表現し切れないと言うから「日本語の投稿は問題なし」と言ってるのに、今度は日本語の投稿を読みきれていないと文句を言ったり、なんか荒んでいるなという気がして来る。

元々日本在住の非日本人の日英翻訳者たちが別の非日本人の(モノリンガル分野の)団体から分離して立ち上げた団体なんだけど、日本の法人に改組したら「我々日本人」派の日本人会員が増えたんだろうな。(日本人だけの団体が他にいくつもあるんだからそっちに加入すればいいのに。)まあ、日本に「庇を貸して母屋を取られる」ということわざがあるから、国際化の最前線にあるような翻訳業界にまでそれに逆行する一種の「国際化はがし」現象が及んで来ているということなのかもしれない。この団体もやがて日本人だけのものになって、そうなれば毎年バイリンガルな交流を続けてきた国際会議もなくなるのかもしれないな。ま、母屋を支えてきたベテランは大方が「前世代」の人間だし、なぜそういう流れになったのかは日本社会に日常生活の拠点がないワタシには考えるのもめんどくさい。(いつでも脱退できるわけだし。)

それにしても、北米人が、ヨーロッパ人が、アジア人が、そして日本人がそれぞれに描く「国際化」、「交際交流」、「国際コミュニケーション」って何なんだろう。孔雀の尻尾じゃあるまいし、そんなにも「我々○○人は」と虚勢?を張り合うほどに違うのかな。やっぱりキプリングが言った通り、「東は東、西は西。交わることなき・・・」なのかな。この丸い地球の上で、人類は何万年、何千年も交わってきたはずじゃなかったのかなあ、確かに戦争もして来たけど・・・。

世界は放っておいても刻々と変わる

3月27日。日曜日。いい天気。起床は正午前。まあ、いい傾向かな。ヨーロッパは今日から「夏時間」になるらしい。ロシアは「夏時間」のままで恒久的に固定することにしたとか。日本では節電のために「夏時間」を検討するとか、しないとか。世界大戦後の占領時代に導入したそうだけど、日本にはなじまないとかで、主権を回復したとたんに廃止にしたらしい。エネルギーの節約と言っても、仕事が終わっていつまでも明るいとつい車に乗って遊びに出かけてしまうから、ガソリンの消費が増えて逆効果だという説もある。でも、夜中まで残業して家路につく頃は暗くなっているだろうから、サラリーマンには関係ないかな。ま、何にしても慣れればなんとかなるんだけど、今は何でも時計がついてるからめんどくさいことこの上ない。果たして日本で普及するのか・・・。

ケルアックの『On The Road』は主人公がヒッチハイクを重ねて、やっと目指すデンバーに着いたところ。降り立ったところが「ラリマー・ストリート」。はあ、たった6ヵ月前にワタシたちが歩いていたあのラリマー・ストリートか。赤レンガの建物が並んだ古いダウンタウン。60年経った今は見る影もなく寂れていたらしい通りは、倉庫などを改装してレストランなどが並ぶファッショナブルな通りになっている。なんとなくなつかしい。再来月のシアトルの会議も、会場から歩いて行けるところにレンガの古い街並みが残るパイオニアスクエア地区があるな。たしかスターバックスの本社があるところで、エリオット湾に向かって突き抜ける道路にシアトル草分けの人の名前がついている。「ラリマー」という名前も「西部」を目指して移動して行った開拓者の名前なのかな。

メールをチェックしたら、協会の理事会選挙はまだがたがたやっている。候補者の1人が「国籍条項」を持ち出したのは、日本の公職選挙法でそうなっているからなんだそうな。ちょっと待てよ。非営利団体がいつから人口500人足らずの「村」になったんだろう。村議会選挙じゃあるまいし、日本国籍の村民だけに投票権があるなんて法律はないし、公職選挙法が政策論議を禁じているんだから黙れと言われてもねえ。しまいには「会に別の規則があるのはわかっているけど、公職選挙法に則るのが自分の方針だ」と来たから、ワタシも口をあんぐり。「日本人の、日本人による、日本人のための」団体にするのが「政策」なら、それはそれで理事に当選したら理事会に諮って、会員に諮って決めればいいことだと思うけど。まあ、いくら日本人の感性を逆なでするからって、外国籍の会員を排除したら協会は「限界集落」になるだけなんだけどな。最終的にはさすがに国籍条項は政策から外したらしいし、公職選挙法違反で訴えるのもやめたらしいけど、「規則ではそうでもオレの方針はこうだから」って、若い人だろうに明治の頑固じじいみたい。

それにしても、この団体も最近はずいぶん変わって来たと思う。日本人が日本語で応答したら、「やっぱりツーカーで伝わって、ほっとする」と言う人がいた。そうか。そうじゃないと言いながら、結局は日本語を深く理解できない非日本人とはツーカーで気持が伝わならないから疲れると言うことか。それじゃあ小町なんかで外国人夫とわかり合えなくて疲れると嘆いている国際結婚妻とあまり変わらない。結局は、伝える努力をしなくても伝わる付き合いを求めているということかな。だけど、日本語人は英語人の英語を深く(あるいはまったく)理解できなくて、できても英語人並みの英語は書けないし、片や英語人は日本語人の日本語を深く(あるいはまったく)理解できなくて、できても日本語人並みの日本語は書けないのが共通の事情。だからその間に「翻訳業」という職業が成立して、我々翻訳者が日々そのギャップを埋めようと汗をかいているんだけど、相手の思想や文化やユーモアが日本人のツーカー的感性や思想や文化に合わないなんて言っていたら、いったいどんな翻訳になることやら。

まあ、ワタシは投票を済ませたし、ここで意見をぶち上げても何にもならない。堂々と意見を投稿すればいいんだろうけど、やっぱりこういう人たちは怖いから場外観戦ということにしておいて、今日からニュースのフォルダにBloombergを追加。カナダ連邦議会選挙の舌戦2日。目の様子を読んで(といってワタシは浮動票じゃないけど)、リビアの方に目を向けてみる。フランスとイギリスは本音はアメリカを先頭に立てて空爆させたかったんだろうけど、NATOに指揮権を持たせたヒラリーは頭がいい。大統領選挙に打って出ないのはもったいない気がする。アメリカだって、先頭に立った火中の栗を拾ってみたところで、やけどをしても同情も感謝もないどころか、またぞろ「オマエが悪いから」と言われるだけだと思っているだろうな。でも、今度はなぜかフランスが珍しく威勢がいいと思っていたら、カレシ曰く、「カダフィが大統領選挙の選挙資金を出したと言ったもので、サルコジは怒り心頭でカダフィの首を狙っているのさ」。ふむ、ほんとかなあ・・・。

わかり合えるのは死と税金だけかも

3月28日。月曜日。正午少し前に目を覚まして、そのまま起床。夜来の雨。ニュースで日本の原発から飛来したと思われる放射性物質が雨水と採取した海草から検出されたそうな。じこニュース専門のラジオ局は「ついに来たぞ~」と(欧米人のユーモアで)煽っておいて、続けて「でも、健康には害はないのでご安心を」。あはは、日本の政府発表やマスコミの報道と同じことを言ってるじゃないの。カレシが「コーヒーカップを持って外へ出たらnuke itできるぞ」となんとも冴えないジョーク。Nukeはもちろん「核」のスラングだけど、「nuke it」と言うのは「電子レンジでチン」すること。電子レンジが一般家庭に人気家電になった頃には「電子レンジを使うと放射線に被爆して危険だ!」と騒ぐ人たちがたくさんいたっけな。その電子レンジも今はどこにもあるし、たぶん誰も冷凍食品を温めるたびに放射能を浴びているとは思いもしないだろうな。実際のところ、浴びているのかどうかもわからないし・・・。

朝食が済んで、『On The Road』の一節を読んでから、午後5時が期限の仕事に突進。仕事自体は毎年やっていることだから勝手がわかっているんだけど、郵便局のBeckyちゃんが定期的に巡回チェックしては「メールですよ~」と知らせてくれるもので、中断されてばかり。クライアントからだったら返事を出さなければならないから無視するわけにもいかず、メールをチェックしてみたら、非営利団体の理事会選挙を公職選挙法に則ってやりたい人と、英語では言いたいことが日本語のようにツーカーで伝わらないことで切れたらしい中年おじさんとが、まあ怒涛のごとく投稿。英語人の英語流のウィットを「日本人には失礼」と言いながら、自分は駅裏の赤ちょうちんで管を巻いているサラリーマンのような口調で、これが自分のスタイルだとおっしゃる。他人の反論やコメントに対していちいち反応して投稿していたら仕事の方がお留守になるんじゃないかと思ってしまう。実際にヒマなのかもしれないけど、「言わなくてもいいところで言わなくてもいいことを言わない」という方針もありだと思うけどなあ。仕事、はかどるし・・・。

まあ、「オレ様ルール主義」の人はワタシの理解の限界を超えているから横においておくとして、日本語人対英語人のつばぜり合いだったのが、何だか日本語人同士で上から目線だの子供っぽいだのとう舌戦になりそうな雲行きだったから呆れていたけど、とにかく仕事の邪魔でしょうがないから、この御仁の投稿は「Killフィルタ」をかけて、期限に向けて猛烈ダッシュ。何とか午後5時の期限に間に合わすことができて、息抜きにトレッドミルでとことこ走りながら、つらつらと考えてみた。(ひたすら走るトレッドミルは漠然とした思考にうってつけ・・・。)昔から、日本暮らしが長い英語人会員とアメリカ暮らしが長い日本語人会員の間で論争が大げんかに発展して、双方とも投稿停止処分になることがよくあった。言語は英語。それでも、どっちも個人攻撃ぎりぎりまで行きながらも、翻訳者としての信条に則ってけっこう辛抱強く持論を展開していたけどな。

対照的に、きのう「国際結婚妻と変わらない」と評した「ツーカー日本語人」(男性)の主張は、かねてから小町などで漠然と感じていた「気分」とでもいうものに共通する心理があるように思う。どこの誰であれ、翻訳者、国際結婚者、海外駐在・在住者には常に異言語と異文化と対峙して、その影響に晒されているという共通点がある。国際関係もビジネスも人間関係も、異言語同士の関係であれば、どちらかが相手の言語を使うか、両方に精通する媒介者を立てるかしないと、コミュニケーションが成り立たないと思う。そういう状況で国際結婚妻がよく嘆くような、「あっちは自分の言語でしゃべっているのに、こっちには外国語だから言いたいことの半分も伝えられないのは不公平」、「私だけ努力するのは不公平」という感情が出てくるのはわからないでもない。

この「何で私ばかりが」という感情の裏には、「私が損をしている」、「私の損になることは嫌」という気持があるのでないかと思う。日本人は平等イコールみんな同じと教えられて来ていると思うから、日本にある団体の板なのに、英語人は何の苦労もなく自然に自分の言語で議論できて、母語でない言語で対応して疲れるのは自分ばかりなのはフェアじゃない、と言う気持を持つのもわかるような気がする。ま、たまたま選挙運動で日本人会員が人種差別されていると言って国籍条項を持ち出した人がいたもので、鬱積していた「不公平だ(損をしている)」という気持が表面に出た、要するに、キレたということなんだろうな。

だったら何で異言語を扱う商売を選んだのかと聞きたくなるけど、たぶんそれは「言葉の違いでわかり合えない」と嘆いている国際結婚妻に何で異人の嫁さんになったのかと聞くのと同じようもなものかな。絶対に100%分かり合えることはないというなら、せめて99%に近づけるように互いに努力すればいいだろうと思うけど、バブル崩壊の後の失われた10年が20年を過ぎてしまって、漠然とした(今どき風にちょっと過激にいうと)疲弊を感じている人が多いのかもしれない。それが、ワタシが蔓延しつつあるように感じていた「伝染病」で、(匿名掲示板と言う特定の狭い集団の)女に限らず、実社会の普通の人間も感染するということなんだろう。

人間て、なまじっか言葉と豊かな感情と空間を超越する伝達手段を持ったばかりに、逆に互いに大いなる努力しないと分かり合えなくなって来ているのかな。それとも、言葉の壁というのは、今なお残る「バベルの塔」の廃墟なんだろうか。まあ、ワタシにはわからないし、別にわからなくてもいいことなのかもしれないけど。さて、みんな息切れして自然休戦になったようだし、所得税の確定申告の書類をそろえる作業にかかろうか。死と税金。世界共通で100%わかり合えるのはこれくらいなのかも・・・。

十年一日の毎日は贅沢な暮らしかも

3月29日。火曜日。雨の予想だったけど、起きたときは曇り空。出かけなければならないから、うれしい天気。昼のニュースで、福島原発からと思われる放射性よう素が検出されているけど、健康に害のあるレベルではないから心配ない、と言っていた。ありゃりゃ、BBCで顔なじみになったエダノ氏と同じことを言ってるなあ。でも、よくよく考えたら他に言いようがないだろうなという気もしてくるな。「検出された」という事実を伝えるからには、「でも大丈夫」と付け加えておかないと、何千キロも離れて半減期を過ぎているとは言えパニックが起きる可能性は大きいと思う。まあ、そうでなくとも、二十一世紀は「不安の世紀」というタイトルがつきそうな様相だし・・・。

朝食のテーブルで、まずカレシが今日の「巡回ルート」を決定。酒屋で空き瓶を返して、レミとベルモットとジンを買って、ダウンタウンではまず会計事務所に確定申告の書類を届けて、Hマートで野菜などを仕入れて、帰りにWhole Foodsによってお目当てのシリアル等々を仕入れて、セイフウェイには寄らずにそのまま帰宅、という段取りだそうなで、朝食が終わったとたんに「早く出ないと時間がなくなる」とせかせか。何のことはない、5時からテレビでホッケーの試合があるんだそうな。そっか、今日の試合に勝つと西部カンファレンス初優勝だもんね。一卵性双生児のセディン兄弟は総合点で1位と2位。昨シーズンは兄のヘンリクがアートロス杯を獲得したけど、今シーズンは弟のダニエルが首位。「シーズン最後の試合で同点だったら絶対にあいつにパスしないよ」とヘンリク。おもしろくなりそうだもんね。

カレシのスケジュール通りに順に用足しをして、買い物を済ませて、帰ってきたらまだ3時半で余裕たっぷり。やれやれ、急がしといて・・・。セイフウェイに寄れたのになあ。ゆうべのうちに送るだけにしておいた仕事をさっと送って、今日はもう開店休業ということにして、買って来た魚の処理にかかる。Whole Foodsではオヒョウのステーキと、直径10センチはあるでっかいほっぺた。顔なじみになったカウンターのお兄ちゃんに6個頼んだら「大きいよ。今朝入ったばかりで新鮮だから、多すぎたらフリーザーに入れるといいよ」とアドバイス。そこで、4個と2個に小分けして冷凍。Hマートでは高麗人参の一番小さいパックを買ってみた。ここのところカレシが風邪気味だと愚痴っていたから、これでなんちゃってサムゲタン風のスープができたらしめたもの。

少なくとも秋まで休むつもりでいた英語教室が急に再開することになって、カレシはこの2週間ほど打ち合わせやらなにやらでイライラ。こういう折衝は苦手な方だから、ストレスになりまくって、オレ様になってみたり、やたらと絡んできたり。でも、どうやらもう1人のボランティア先生が水曜日のクラスを担当してくれることになって、カレシは火曜日に初級クラスを担当することで話が決まったらしい。宗教上の理由からボランティアをしているというバハイ教徒の青年で、ESL教師の資格を持っているそうな。カレシがずっと前から教えたがっていた初心者クラスだし、週一回なら生活のリズムにもさして障害にならないし、ずっと居眠りやあくびをしていたカレシのボケ防止にもよさそうだし。

ま、来週からまた火曜日は特急簡単ディナーの日になるわけだけど、ちょうどよく近くのカレッジで5月の末から始まる演劇クラスは火曜日の夜。早速受講の申し込みをしようかな。体中を動かして、大きな声を出せる演劇は何よりのガス抜き。にぎやかなヨガみたいなもの・・・と、遊ぶ気満々でいたら、なんか大きそうな仕事の話が舞い込んで来た。テーマは資源開発らしい。ふむ、福島原発の問題が起きて、あんがいこの分野でも仕事が増えるのかもしれないな。忙しくなりすぎるのは困るけど、俗に年よりの冷や水と言うけど、実際に年を取って来ると、刺激一杯の毎日よりも、一見してつまらなそうな毎日が健康法と言えないこともないな。つまり、カレシはボランティア先生をしながらの隠居生活、ワタシは(当面は)金稼ぎをしながらのぐうたら主婦生活で、ちょこちょこ思いがけないことは起きるけど、毎日同じような暮らし。ある意味、すごく贅沢なことだと思う。月が替わるし、気持をリセットして、10年かけてでき上がった文字通り十年一日のごとき二人の日常に戻ろうね。(あのさあ、そのトドみたいな大あくび、何とかならない?)

味覚のツボと笑いのツボ

3月30日。水曜日。なぜかあまりよく眠れないまま、正午前に起床。何か頭の中に淀んでいることがあって深く眠れないのに、午前7時前にはもうリサイクルトラックがガラガラガッシャン(早すぎるって。)しばらくすると、今度はごみ収集トラックがゴォ、ガァ、ガシャン、ゴォ。ほんとにこの自動収集方式と言うやつは騒々しい。おまけに、まず北方面、そして南方面と片側ずつ往復するもので、いつも2回起こされるから、春眠なのに暁さえないような感じ。予報では雨がざあざあ降っているはずなのに、多少は湿っぽいけど曇り空。弥生3月も今日と明日。いつもの時間にシーラとヴァルが掃除に来て、ヴァルは玄関を入るなり「もうすぐ私たちの月だよ~」と第一声。うん、ヴァルもワタシも4月が誕生月。ああ、もう4月か・・・。

家の中がすっきりきれいになったところで、ぽちぽちと仕事を始める。これを済ませて、月末と四半期末の処理をやっておかなければ、きのう問い合わせがあった大きな仕事が「ゴー」になったら、またあたふた状態になってしまう。現実になるかどうかは営業さんの腕次第だけど、あたふたするかどうかはワタシのやる気次第。どうも今年はのりが悪いから・・・と、言いつつ、半ページくらいのところで脱線。新しいWordのカスタム化を始めた。デフォルトで並んでいるコマンドはほとんど使わないものが多いから、カスタム仕様のタブを4つ作って、「All Commands」のリストからいつも使うものや手近にあると便利なものを片っ端から取り込んで、グループごとに並べ替えたり、外したりと、午後いっぱい試行錯誤して、一応「マイWord」の体裁ができた。残るは古いWordで使っていたマクロとショートカットキーの設定だけで、デフォルトのままで使っている人には「使えない」Wordのでき上がり。仕事よりこっちの方がおもろしろいから困るけど。

食事の支度の時間になって、今日の食材を解凍していないことに気がついた。魚類はけっこう流水で速く解凍できるけど、ランチのフォーに使うつもりでサーロインのローストを冷蔵庫で解凍してあったので、思い立って「カレー」。電気釜を持ち出してご飯を炊き、玉ねぎとにんじんとじゃがいもと薄切りにした肉をいためて、水を入れて、グリコカレーを入れて、カレー粉をおまけにたくさん入れて、日本式カレーライスのできあがり。福神漬けがないけど、カレシが作ったトマトと玉ねぎとハラペーニョのサルサがうまく合っていた。ご飯にたっぷりカレーをかけて食べながら、二人して、去年新宿駅の小さなスタンドで立ち食いしたカレーはおいしかったね、と懐古の気分。うん、あのカレー、たぶんC級グルメで、2人で食べて500円玉でおつりが来たし、「実」がほとんど入っていなかったけど、なぜかすごくおいしかったなあ・・・。

久しぶりにまとまった?肉を食べて、仕事の続き。いやになるくらいにはかどらない。キーを叩いているところへ、カレシが後ろからまとわりついてくるもので、ちょっぴりイジワルな、だけど飛び切り冗談っぽく切り返したら、カレシがおなかを抱えて笑い出して、結局、二人とも大爆笑。そこでふと、ワタシたちっていわゆる「笑いのツボ」が同じみたいだなあと思った。ずっと昔から同じようなタイプのコメディが好きで、一緒に見ていて同じところで笑っていたよね。毎日生活を共にしている人と「わかり合えない」もどかしさのひとつに笑いのツボが違っていて、笑いを共有できないことを上げる人がかなりいた。たしかに何がユーモアなのかは人種や文化によって感性が違うだろうし、同じ国の中でも地域間で微妙に違っている。ということは、ワタシたち、わかり合えているってこと・・・?

まあ、どこまでわかり合えているかは神のみぞ知るだけど、36年も同じ文化社会の中でひとつの言語で笑ったり、ふざけてみたり、、けんかをしたりしながら曲りなりにも毎日を暮らしていれば、いやでもそれなりに「似たもの夫婦」になって来るのかな。あっ、仕事をしないと・・・。

4月は何かと「新」がつく月

3月31日。木曜日。就寝した頃はかなりの雨が降っていたけど、起きた頃には晴れ上がっていい天気。日差しも強くなってきていると見えて、昼にはもう温室の屋根が開いていた。野菜の種が次々と芽を出して、「早く庭に下ろさないとひょろひょろになってしまう」とちょっと焦るカレシ。うん、温室育ちのひょろひょろトマトは食べられないかも。

今日のローカルニュースは、2013年からスカイトレインと地下鉄に導入される改札システムで使うカードの名称が決まったという記事。公募で集まった名前から3つを選んで、その中から「Compass」が1位になったそうな。交通機関の「パス」だからなかなかいい選択だな。ロンドンや香港のシステムを設計、運営している会社が請け負っているそうだけど、要はSuicaと同じようなシステム。1986年のバンクーバー万博(交通博)でスカイトレインが開通して以来「改札口」と言うものがなかったのが、ひとっ飛びで近代化というところかな。おお、やっと!という感じ。なにしろ改札口がないから無賃乗車が後を絶たず、交通警察なるものを作って、抜き打ちで切符の検査をやってみても焼け石に水で、運賃収入の損失は25年間で1億ドルとも言われる。(ワーホリなどで来た日本人も無料だと勘違いするのかどうか知らないけど、ちょくちょく無賃乗車で捕まるらしい。)去年東京で初めて使ったSuicaは西も東もわからない観光客には便利この上なかった。導入されたら真っ先にCompassカードを買うぞ。2013年が楽しみ・・・。

仕事をひとつ片付けて、また「休みモード」。ほんとに気持が乗ってこないなあ。はて、日本は金曜日だから、引き合いの仕事が今日中に確定しなければ丸々「ウィークエンド」。しばらくの間まとめて休みたいような気がしきりにしているんだけど、3月はほんっとに疲れたという感じがする。災害に遭った人たちや、放射能や停電や品不足に対処しなければならない人たちはもっともっと疲れているだろうと思うけど、ワタシも(「も」なんて言うと叱られそうだけど)足下がぐらついたり、心が彷徨っているような感じがして落ち着かなかったせいで、どろ~んと疲れた気がする。エダノさんも菅さんもあの防災服とか言うのをやめてスーツに戻ったそうだし、ワタシも(関係ないけど)カレンダーをめくって気持の切り替えをするか。それにしても、なんで災害が起きるたびに閣僚がみんなおそろいの制服を着なければならないのかな。誰だったから忘れたけど、ずっと前に防災服を着ていなくて批判された政治家が「いいわけ」をしていたような記憶がある。どっちみち対策本部とかいうところで座っているだけだろうに、ジーンズにシャツじゃだめなの?

小町を見ていたら、震災に関連して「被災した彼との婚約を(見捨てたという評判を立てられずに)解消したい」という相談で盛り上がった後、今度は海外在住組に「日本に行こう」と呼びかけるトピックで盛り上がっている。日本へ行って、国内旅行して、外食して、たくさんお金を使って日本経済に貢献しようと言う趣旨だけど、被災しなかったために支援金や復興資金をもらえない中小企業や零細な自営業は多いはず。被災地から遠く離れていても、観光客が激減して困っているところも多いだろうう。ああだこうだと言うのはしばらく休みにして、母国のためにこぞって出かけたらいいと思う。バンクーバーのダウンタウンにたむろって何から何まで文句ばかり言っているニちゃんねら日本人の(仮想的に有能な)若者たちも母国に駆けつけて腕まくりをしたらどうかと思うけど、彼らの場合はあんがいどいている方が母国のためになるかもしれないな。みんながそれぞれの思うところに従ってできることをするのが一番いい。

陸前高田市で数万本の松が根こそぎになった中、津波が去った後にたった1本だけ立っていた松の木の凛とした姿を見て、この3週間で初めて声を上げて泣いた。あの松の木が枯れてしまうことのないようにしたい。うんと涙を流して泣いて気持が落ち着いてきたところで、ワタシなりに東北の人たちのために何ができるのか考えてみよう。日本の4月は「新」の月だもの・・・。


2011年3月~その2

2011年03月21日 | 昔語り(2006~2013)
日本よ、沈没するなかれ

3月11日。金曜日。咳き込みがひどくて、あまり眠れないままで起床。特に夢は見なかったけど、幼い頃からいろいろと経験した地震の記憶がじわじわと滲み出して来るようで、夢を見るほど深く眠れなかったということかな。東京周辺の親しい友達やクライアントの無事はかなり早くに確認できたけど、妹一家の状況がわからない。電話しようと思ったけど、ローカルの日本語掲示板をチェックしたら、国際電話の回線が込んでいて通じにくいいうことだったので、あきらめてメールで問い合わせ。でも、いつもすぐには返事が来ないし、夕食時間でもあるしと思って、返事が来る前にシャットダウンしてしまった。同業者のメーリングリストに日本在住の会員が自分たちの状況を投稿していて、同じ区に住む人が「棚のものが落ちて散らばっている」程度と書き込んでいたので、大丈夫だろうとは思ったけど、やっぱりどうしても気になったんだろうな。だって、遠く離れていてもたったひとりの肉親なんだもん。

起きて一番にメールをチェックして、妹一家の無事を確認。地震多発地帯で生まれ育った彼女が今まで経験したことのない揺れ方だったというから、ほんとにすごかったんだと、改めて実感。ずいぶん長いこと揺れたらしい。今日のテレビのニュースは日本の巨大地震と大津波の被害を伝えるのに相当な時間を割いている。地元の正午のニュースも1時間のうち15分くらい費やして、地元の日本人移民や語学留学生が日本の家族と連絡を取ろうとしている様子を流していた。春休みの時期ということもあって、「修学旅行」の高校生たちが地震発生直後で乗っていた飛行機が成田に着陸できず、札幌で立ち往生しているということだった。

朝食後からずっと1日。PCの前に張り付いて、ニュースサイトを行ったり来たり。太平洋プレートと北アメリカプレートがぶつかる境界で数百キロもの長さの断層が破壊されたらしいという話を読んで、昔ベストセラーになった小松左京の『日本沈没』を思い出した。最初のほうで、潜水艇に乗った学者たち?が崩壊する大陸棚を見て、日本列島は太平洋に沈むと予知していたと思う。もっとも、プレートの配置から見ると、本州の中央あたりで北アメリカプレートとユーラシアプレートに分かれているから、日本列島がそっくりひっくり返って沈没することはありえないように思うけどな。太平洋プレートとの境界でのことなら本州の東半分と北海道、フィリピン海プレートの境界でのことなら本州の西半分と九州が沈むんじゃないのかな。本州の真ん中には日本海側から太平洋側まで「フォッサマグナ」という巨大な断層が走っていると子供の頃の理科で習って、本州が二つに折れてしまわないのかなあと、つらつら考えていたんだけど。

津波警報が出ていたバンクーバー島西岸では1メートル弱の津波が観測されたそうな。カリフォルニア州北部では何人かが津波にさらわれて、1人が死亡、1人が行方不明だそうで、警報が出ていたのにわざわざ津波を見に行ったらしい。たぶん、押し寄せる津波を撮影してユーチューブにでも投稿しようと思ったんじゃないのかな。馬鹿につける薬はないというけど、インド洋の大津波の映像を見てなかったのかな。それとも、あの映像に刺激されて「オレも」ということだったのかなあ。命あっての物だねだってのに。

津波の惨状の画像だけでも胸が痛むのに、今度はひょっとしたら原子力発電所からの放射能汚染の可能性。日本のような地震大国になぜそんなに原子力発電所があるのかといつも思うけど、今回の地震は安全システムが想定した規模を大きく上回っていたと言われても、何だかなあ。たとえマグニチュード9の地震を想定して設計しても、それは「設計強度」であって、それを超える地震が起きないという保証は付いて来ないし、自然が相手ならなおさらのこと人間の想定通りには行動してくれないし・・・。これから原子力発電だけじゃなくて、エネルギー利用そのものを見直すようになるのかな。

少しは仕事をしなきゃと思って、ファイルを開いてみたけど、手をつけようという気分になれなくてやめた。だって、研究テーマはもろに「地震」。なぜかいろんな思いが交錯して揺らいでいる気持が静まるまで、あと1日。か2日。は実質的に開店休業ということかな・・・。

鎮魂、祈り、そして未来の希望

3月12日。土曜日。雨が降ってるなあ。安否が気になる人たちの無事を確認して、とにかくひと安心。おかげで咳き込みもなく、けっこうおyく眠れた。トレッドミルの運動もする気にならずにサボっていたのに、体重はちょっとだけダウン。こういう減り方はあまりいいとは言えないけど、やたらとおなかが空いて1日。4回くらい食べていてこの状況というのもあまりいいとは言えないかな。

まだ仕事をするに気になれないから、今日も休み。カレシは「向こうで少し落ち着くまでは商売はヒマかもしれないねえ」とのんきなご託宣。それでもいいんだけど、希望的観測にならないともいえないな。阪神大震災のときもそういって言っていたけど、よく考えてみたら、仕事量が殺人的なレベルに増えたのはあの後だった。それと一緒にワタシの収入も(税金もだけど)うなぎ上りに増えて、ピークにはカレシの3倍近くにもなって、ワタシの人生がこんがらがって、とうとう燃え尽きてしまった。今さらまたあの頃のワーカホリックは戻りたくないよね。「アナタの年金で養ってよね」と言ったら、「う~ん・・・」。おい、こらっ。

まあ、あの頃とは仕事の様相がかなり変わっているから、また仕事量が増えるのか、あるいは逆にこのまま先細りになるのか、そのあたりは神のみぞ知る。電力不足で「輪番停電」というのを実施するらしいから、少なくともここしばらくは低空飛行かもしれないな。もう10年くらい前かな、カリフォルニア州でエンロンなどの投機やら詐欺商法やらの狂騒の挙句、ひどい電力不足に陥って「rolling blackout」が盛んだった。電力料金も急騰して、会議で泊まったホテルの請求書には、航空会社がやっている燃料サーチャージと同じように「電力サーチャージ」なるものが上乗せされていた。まあ、もしも21年のキャリアで最低だった2003年のレベルまで落ちたら、そのときはまた「劇作家の卵志望の夢」を追えばいいんだし、下手の横好きの絵を描けばいいんだし、あと2年と1ヵ月とちょっとになった「年金受給開始」までゆるゆると下降していけたらめっけものかも・・・。

今夜はバンクーバー交響楽団のMusically Speakingシリーズ第4回目で、テーマはスペイン。メインはロドリゴのギター協奏曲『アランフエス』。美しいアランフエスを描写した第1楽章、死んで生まれた子への鎮魂と重症の病の床に着いた妻への祈りの第2楽章、そして未来の希望を前向きに思い描く軽やかな第3楽章。ゲスト指揮者のジョン・ラッセルと若いギタリストのダニエル・ボルショイが登場して、「この曲を甚大な悲劇に見舞われた日本の人たちに捧げます」とアナウンス。ポピュラー音楽としてもよく知られている第2楽章は切な過ぎるくらいに美しい。自然と目頭が熱くなってきて、涙がこぼれそうになる。日本の人たちに鎮魂と祈りと、未来の希望・・・。

休憩時間にギフトショップをのぞいたら、前回のコンサートのときにもう少しで買いそうになった黒のオペラジャケットがまだあったので、今回は迷わずにいただき。ちょっと毛皮っぽい光沢のある地に襟から裾までぐるりと黒いレースの縁取り。支払をしていたら、二人連れのおばさまが「まあ、うらやましい。それ、欲しかったのに着られなかったの」と言い出した。先月のコンサートで見てから忘れられなくて~と言ったら、しまいに「着ているところを見せて」と言うから、着てみたら、「あなにはすごくお似合い。うらやましいわ~」と、お世辞なんだか、羨望なんだか。60年の人生でこんなにべたべたにうらやましがられたのは初めてだな。なんだかちょっぴり付け焼刃のセレブ気分。でも、サイズが合わないんでは「ど~ぞ」と譲るわけにも行かない。下がっていた札のサイズは「S」。たぶんそのせいで売れないでいたのかもしれない。

コンサートの第2部はマヌエル・デ・ファーリャの『三角帽子』組曲の第1と第2を通しで聞き、最後はシャブリエの『エスパーニャ』。第1部で聞いたリムスキー・コルサコフの『カプリチオ・エスパニョール』がリオハの赤ワインなら、こっちは白ワインというところかな。最後はみんなすっかりスペインの気分になって、マエストロが盛大にバトンを振り切ったところであちこちから「オーレ!」の声がかかった。やっぱり、ちょっと気持ちが塞ぎがちなときには、いい音楽は効果てきめんの特効薬だなあ。さて、明日あたりからぼちぼちと仕事にかかろうかな・・・。

たとえば不要不急を見直して・・・

3月13日。日曜日。今日から「夏時間」。いつもながら、公式の春である春分の日までまだ1週間もあるのにサマータイムもへったくれもあるか~と思う。コンピュータも含めて切り替えが自動設定されているキカイ類は午前1時59分からいきなり午前3時になる。就寝は午前4時。まあ、表面的には普通の時間だけど本当は1時間早い。それでも起床は正午過ぎだったから睡眠8時間を確保したということかな。切り替え時間を日曜日の午前2時にしたのは、日曜日1日。あれば体内時計を調節できて、月曜日の労働には支障はないはず、ということだったんだろうけど、夜も眠らぬ24時間体制の21世紀にはちょっと時代遅れかもしれない。標準時がたったの4ヵ月で、特別の夏時間が8ヵ月も続くなんてアホくさ。いっそこのままにしてくれるといいのになあ。

東京圏では電力不足で今日から「計画停電」を実施することにしていたそうだけど、どたんばになって需要が供給を下回っているとか何とかで停電はしないことにしたけど、後で場合によってはするかもということになったらしい。ひょっとして停電しないと聞いた人たちが「なあんだ」といっせいに電源を入れたんじゃないだろな。ぎりぎりまで決定ができなかったり、発表に間違いがありすぎたりで、首都圏のラッシュアワーの交通は大混乱したというから、計画性のなさ過ぎもはなはだしい。できるだけ客に不便をかけたくない、できることならしないで済ませたい、という企業心理はわかるんだけど、この「ぎりぎり思考」を何とかできないものかなあと思う。事故原発で海水注入に踏み切るまでに無駄に過ぎた時間と同様に、ぎりぎりまでぐずぐずして問題を増幅してしまっているんじゃないかと思う。現代の都会人はマニュアル化に慣れているだろうから、いっそのこと「今週の停電時間割」みたいなのを決めて、後は電力供給に余力があろうがなかろうが予定表通りに停電を実行するほうがうまく行きそうに思えるけど。

それにしても、大都市というのは見かけによらず脆いもんだと思う。一極集中といわれて来た東京圏の場合は、物資やエネルギーといったその原動力を本質的に「地方」の人たちによる生産に依存しているのにもかかわらず、その生活の豊かさに驕って地方(いなか)を下に見て来たことは否定できないだろうな。今その物質的な繁栄を支えて来た「地方」が壊滅的な状態になって、大都会の依存体質のようなものが露呈したということかもしれない。人間の場合は、他人への依存志向が強い人ほど、実際に依存している相手を貶めようとする傾向があると思う。世の中はあらゆるものがどこかでつながっていて、そこでは貴賎も優劣もなく、一方が存在しなければ他方の存在意義がなくなる。地方がエネルギーや物資を生産していたから、大都市では電車が時刻表通りに走り、スーパーには食品が溢れ、華やかな都会生活があったということで、一種の「Day of reckoning」として考えてみる機会になるんじゃないかと思うけど、ま、喉もと過ぎれば何とかというから、果たしてどうかなあ・・・。

菅さんは第二次世界大戦以来の国難だと言っているそうだけど、戦争があったのは平成っ子に「ダサい」と鼻先で笑われる昭和時代のそれも前世紀の前半のこと。戦争中と戦後の窮乏生活を体験した人口もかなり少なくなっているだろうから、あの頃の暮らしの知恵を伝授できる人たちがいったいどれだけいるのか。よく考えたら、便利さを追求してきたのが人間だけど、便利すぎて「非日常」への適応力を失いつつあるとしたら、知らないうちに過去60年間のどこかの時点で「最大限」を通り過ぎてしまったのかもしれないな。戦後まもなくの窮乏ぶりを実際に体験した親の世代から聞いたり、読んだりして育ったワタシだって、いざというときにそういう生活にどれだけ耐えられるのか見当もつかない。それだけ日常の便利さと豊かさに慣れ切って、流されつつあるということか。まずは、日常に「不要不急」なことがどれだけあるかを見直すところから始めてみようかな。それでも、無駄をしないことが習慣になるには時間がかかりそう・・・。

天罰の下しどころが違っている

3月14日。月曜日。ちょっとまだ時差ぼけ風の気分。飛行機で太平洋を9時間くらい飛んで、時間が16、7時間違ってもそれほどひどい影響はないのに、見慣れた時計がたった1時間変わっただけでしばらくもやもやするのは不思議だけど、あんがい「見慣れた」時計、見慣れた景色だからかもしれない。いきなり1日。の長さが、それも1日。だけ23時間になってしまうんだから、体内時計が混乱してもおかしくないな。まあ、失われた1時間は晩秋の11月に取り戻せるんだけど・・・。

今日もニュース番組は日本の巨大地震、大津波、原子力発電所の危機の報道でいっぱい。太平洋の反対側にあるバンクーバーは特に原発問題に関心が高くて当然だろうな。もしも大気中に放射性物質が大量に放出される事態になったら、約10日。でここまで届くという話だった。(カナダのメディアがこういうことを言うと、ダウンタウンあたりにたむろしている「海外在住日本人」がカナダ人は自分たちのことしか考えていない、身勝手だと言い出すからおかしい。カナダ政府が日本からの要請がまだ来ていないからと救援チームの派遣を控えているのに、カナダは何もしていない、ケチ云々と来るからつい失笑してしまう。貧乏だとかダサいとかぐうたらだとかさんざっぱらこき下ろしておいて今さら何なんだろうね。最近はこういうにいちゃんねる的な手合いが多いような気がする。まじめな人たちには迷惑なことだろうけど、そういう非生産的な同胞ニートの吹き溜まりになっているのかもしれないな。ま、これは余談・・・)

東京ではかの知識人知事氏が「天罰だと」とのたまわって撤回、謝罪するはめになったとか。こういう手合いもどこにでもいるんだよなあ。まあ、大地震津波が我欲を戒めるための天罰だったのなら、日本の我欲の中心みたいな「東京」に下るのが妥当だと思うんだけど、人間というのは非日常のときにこそ、その本性が言動に露呈しがちだから、知事氏の発言もそういう類だろうと方をすくめてやり過ごすのが一番だろうな。東京ではあちこちで買いだめによる品不足が起きていて、「売り惜しみ」の懸念さえ出ているらしいけど、それも人間の本性の表れ。ひとりや二人がやっているなら個人が顰蹙を買うくらいのことだけど、たくさんの人が我勝ちに走り出したら問題になる。品行方正な日本人はスーパーを襲って略奪するようなことはしないかもしれないけど、買いだめだって、代金を払っているから合法というだけのことで、その身勝手さにおいては略奪とあまり差がないように見える。ま、誰だって生き延びたいという本能があるのも確かで、最終的にはそれぞれの「我欲」の発露ということになるのかあ。

今日は家族や友達から「日本にいる妹さんは、お友達は大丈夫だった?」というメールや電話が次々に来た。みんな週末中ニュースを見ていて、ワタシが生まれ育った国で大変なことが起こったことをよく理解して、「日本の人たちに」と哀悼の意を表してくれている。そうやって心配してくれて、ありがたい。さっそく「みんな大丈夫だったよ。ありがとうね」と返事を出した。義捐金の募金運動も盛んで、カナダ赤十字だけでもすでに100万ドル以上が集まったそうだし、その他にもいろんな団体が募金活動をしている。電話会社は特別の番号を設けて、そこに電話をすると一定額の募金を自動的に電話料金に加算するしくみを作ったそうだし、同様にあちこちの店で買い物をするとレジで募金するかどうか聞かれるようになるだろうな。「イエス」と言えば、1ドルなり2ドルなりが買い物の合計金額に加算される。ハイチの大地震のときにもスーパーでそういうのをやっていた。カナダ人だってみんな心を痛めて、犠牲者に祈りを捧げて、これからの再建を応援してるんだってば。

買い置き、買いだめ、買占めはどう違う?

3月15日。火曜日。雨模様。正午過ぎまで、寝すぎ。今日も日本の状況を心配してくれている友達や家族から電話がちょこちょこと来る。みんな日本の地理(というよりも日本のこと)には疎いもので、東京のすぐ隣町で原発が爆発したのかと思ってしまうらしい。もっとも、ワタシもあの辺(というよりも津軽海峡以南)の地理には結構疎いもので、手首を捻挫しそうなくらいに重い大世界地図帳を開いて、拡大鏡で見て初めて東京っと茨城、福島の位置関係がわかったので、人様のことは言えないな。ま、モントリオール五輪のときに、日本の人にまるでバンクーバーの隣でやっているような質問をされて面食らったから、知らないことではお互い様ってところだけど。

朝食後すぐに洗濯機を回し始め、トラックで遠いほうのスーパーへ野菜と魚の買出し。山積みになっている野菜類や隙間のない商品棚を見ながら、「買い置き」と「買いだめ」、「買占め」はどう違うんだろうと考えた。「買い置き」というのは誰でも日常的にやっていることだと思う。要するに「備蓄」というやつで、それだったら、どこの政府も非常時に備えて貯め込んでいる石油やら小麦やら米やらはれっきとした「買い置き」ということになる。昔から「備えあれば憂いなし」と言うし、カナダでも災害に備えて72時間生き残るための非常用パッケージを用意しろと言われているから、「買い置き」は美徳なのかもしれないな。電球が切れたらすぐ取り替えられるように予備の電球を買っておいて、切れて取り替えたら使った分を補充して次に備える。あるいは、週に1回しか買い物に行けないから、常に1週間分の必需品を買っておく。こういうのは人間の日常生活における世界共通の知恵だと思う。

その知恵のある人間が何らかの非日常に遭遇したときに走るのが「買いだめ」。アメリカだって、ハリケーンが接近すれば、スーパーに水や非常食を大量に買おうとする客の行列ができる。買い物ができない状況や不足が一定以上続くと予想されるから、それに合わせて今必要な量を貯めておこうというもので、この場合は「不安」という共通要素があるから、みんながいっせいに同じことを考える。おかげで、早い者勝ち、お金のある者勝ちの、極端な表現では「弱肉強食」に近い状況が生まれることもあるだろうな。今の日本で言うなら、被災地では輸送や暖房の燃料が足りなくて困っているのに、「いざということに(自分が)逃げ出せるように」と、あちこちを走り回って行列してとにかく満タンにしようとする光景がそうかもしれない。北米でもガソリンの価格が急騰すると少しでも安いところを求めて車を走らせる人たちが出てくるけど、それだけ余分に貴重なガソリンを燃やしている、たとえば50円安く買うためにわざわざ遠くまで走らせて50円分のガソリンをよけいに消費しているかもしれないということには思い及ばないらしい。「安物買いの銭失い」の一種なんだろうな。

それでも人間はなくなるかもしれない、買えなくなるかもしれないという状況になると買いだめをする。日常生活に必要なものであれば、使ってなくなったらおしまいなんだけど、「ある」ということに安心感を覚えるんだろうな。人によっては「他人が手に入れられないもの」を手に入れたという優越感を覚えることだってあるかもしれない。日本では新型インフルエンザでパニック状態になった人たちがいっせいにマスクを買いに走って今と同じ品不足が起きた。そのときに、ネットのあちこちにマスクが相当な価格で出回ったという。必要以上に買って儲けを出そうというわけで、ここまで来たられっきとした「買占め」、いわば経済的な略奪ということになるだろうな。かってのトイレットペーパー騒動のときも、どこかで大きな倉庫に買い占めたペーパーを隠していたのが発覚したケースがあったけど、天井までぎっしり詰め込まれた段ボール箱の映像は壮観で、ただただ唖然としたっけ。

今は空っぽの商品棚の映像に煽られてパニックになっている人が多いんだろうけど、非日常の環境ではその人の本性がつい現れがちだから、長引けばみんな互いに疑心暗鬼になってくるかもしれない。小町の投稿にあった「懐中電灯を50個くらい買ったおじさん」、いくらたくさん懐中電灯を買い占めたところで人間性はちっとも明るくならないんじゃないかと思うけど・・・。

うまく欲を張るのはけっこう難しい

3月16日。水曜日。どよんと疲れて眠い。時間が変わったせいばかりでもないのかな。それでも、シーラとヴァルが掃除に来る前に間に合って起きて、朝食。(まあ、シーラは鍵を持っているから、寝過ごしても勝手に入ってきてアラームを解除してくれるから別に問題はないんだけど。)今日は二人とも開口一番に「みんな、大丈夫だった?」うん、大丈夫、大丈夫。で、ひとしきり原子力発電の話になって、どうして大地震が起きる日本に原発を作ったのかと聞かれても困るんだけど、最後は「あんな危ないものいらない」という結論になった。たしかに、世界で唯一核兵器の惨禍を経験して、あれだけ核実験反対、核兵器廃絶を訴えて来た日本が今度は自家製の「核」の危機に晒されているというのは皮肉な気がしないではない。(テレビではオンタリオ州にある原発でごくごく微少な放射能漏れがあったと報道していた。ついでにケベック州とオンタリオ州にわたってちょっとした地震があって、首都オタワでも揺れたという。ピリピリしていることは確かだ。)

放射能が振ってくるかもということで、このあたりでもよう素系のサプリなどを買いに走る人がかなりいるらしい。アメリカ西岸でもそういう現象があるらしい。要するに、こういうときの人間の反応や行動は人種も何もなくて、合理性も何もすっかり忘れて、ほんとに条件反射としか言えないレベルにリセット?されるのかもしれないな。よう素剤なんか差し迫った必要もないのに服用していたらかえって健康に良くないのに。きのうのガソリン代を50円節約するために50円分世敬意に使うのと同じようなことだろうと思う。木を見て森を見ていないというか、視野狭窄的だと思うけど、それが二十一世紀の人間空間なのかもしれない。

小町に立っている「買占め」のトピックの書込みを読んでいると人間心理の観察になる。300本以上の書込みでやっと誰かが「メディアが煽っているのでは」とコメントしていたけど、当たっているだろうな。画面いっぱいに「商品棚が空っぽです!店が空っぽです!モノがありません!みんな何かを買おうとして押しかけています!」とキイキイ声でやられたら、世のチキンリトルたちは「お空が落ちてくる~」と騒ぐのも当然だろうに。何でも「断捨離」とかいうブームでモノを持たないのが流行っていて、それで非常用の買い置きさえない人が多いという人もいる。(そういえば、彼氏を「断捨離」したいというトピックもあったなあ・・・。)つまりは、物欲(我欲)を断ち、捨て、離れることで運が向いてくるとか言うご託宣があったんだろうけど、モノを貯め込まずに、必要なときに必要なものを(即ゲット!)というのはご立派だけど、非常f時の備えは「オンデマンド」というわけにはいかないと思うけどなあ。

そんなことを斜めに構えてつらつら考えていたら、円レートが急上昇。ついでにバカ高くなっていたカナダドルの対米ドルレートも下がって来た。しめしめ、日本の銀行に払い込まれて、かなり貯まっている翻訳料を生活通貨のカナダドル口座に移動する絶好のチャンスと(ワタシなりに我欲を発揮して)張り切ったら、口座のある銀行がシステム不具合でダウン。おまけにアメリカドルで送金してくる客先も同じ銀行を使っているもので、支払日の送金がまだ処理されていないと連絡して来た。外国為替の取引はまだ処理できないでいるらしい。あはは、こんなときにヘンな欲を出したから、神様に見られちゃったんだ、きっと。幸い今日明日に入金しなければすぐにどうこうというわけじゃないからいいけど、うん、欲張りってなかなかうまく行かないもんだなあ・・・。

断捨離の後は昭和の暮らしはどう?

3月17日。木曜日。いい天気。いい気持ちで眠っていたら、先に起き出していたカレシにこちょこちょとくすぐられて、「昼だぞ~」と起こされた。あ~あ。

昼のテレビニュースを見たら、今日はカナダドルが上昇。日本円は各国政府の介入がありそうだから、こっちはまた下がりそう。投機的なことで儲けようとしたら、夜も寝ないで相場を監視していないとダメってことだけど、ワタシはそんなことをやっているヒマはないな。たまたま機会があって、たまたま運良くいくらか想定外の利潤が上がったらそれでハッピー。(宝くじで大当たりしたら、そのお金を管理するだけでもフルタイムの仕事になるという話があった。)株式や外国為替市場は当面かなりの乱高下だろうから、ヘンな欲は出さないほうが無難・・・。

午後はやっぱり気になるからニュースサイトを巡回。ふむ、外国メディアのサイトには「大災害に瀕してなおストイックで冷静な日本人」みたいな記事がけっこうある。まあ、たしかに商店の略奪なんて光景はない。今の日本にはお金があるからモノがあれば買えるけど、災害や内乱のたびに略奪が起こったり、難民がどっと移動するところでは買いだめや買い置きをしたくても先立つお金を持っていない人が多い。それで払わずに持ち出すわけで、個人がやれば万引き、みんなでやれば略奪。やっぱり首都圏の買いだめなんかも経済的な略奪に匹敵するような気がするな。でも、日本だって江戸時代には飢えた庶民が米問屋を襲って略奪した歴史があるから、できないわけじゃないし、極限の状態になればやると思う。西洋人が自分たちの目を通して見た日本人の美徳を持ち上げてくれるのはいいんだけど、日本側のニュースサイトを見ると、震災にかこつけた詐欺や窃盗が頻発しているそうな。学校の非常備品を盗んだり、他人の車からガソリンを抜き取ったり、被災者を思う心情に付け込んで振り込め詐欺や募金詐欺をやったり、みんながみんな法を守って粛々と災害に立ち向かっているとうわけではない。外国メディアは彼らの目に見えること、つまりは「建前」だけしか報道していないということでもあるかな。

それにしても、被災地でもないのにカップラーメンや麺類やパスタを大量に買い込んでいる人たちは、いざ自分のところで災害が起きて電気もガスも水道も止まってしまったら、それをどうやって食べるんだろうな。パスタ類はゆでるのに大量のお湯を沸かさなければならないし、即席めんだって同じことじゃないのかな。冷凍食品だって、冷蔵庫についている冷凍室では溶けるのが早そうだし、貯蔵用の強力なフリーザーでもせいぜい3日。か4日。。我が家は魚がどっさり入っているから、カレシは非常事態になったら「サシミを食いつなげばいい」とのんきなことを言っているけど、ふむ、夏の乾燥した時期なら塩を振って日干しにすれば少しは長く持つかな・・・?

災害による大規模停電となると、これからエコカーとして普及しそうなプラグイン充電型の電気自動車も困ったことになるかもしれないなあ。そのまま走っていて電池が切れたらどうすればいいんだろうな。自家発電式の給電ステーションみたいなものを作ることを考えなければならないだろうと思う。エコ運動そのものが「電気」というエネルギーが常にあるという前提で進んできたのかもしれないけど、水や食糧は汲み置き、買い置きができるけど、電気ばかりは大型化、強力化する家電や機器を動かせるだけを家庭で蓄える手段が普及しているとは言えない。目には見えないものだから、ないという感覚がつかめないのかもしれない。まあ、最後にはいろんなことが手動で操作ということになりそうで、電気のありがたさが身にしみてきた。(でも、原子力発電はやめとこうね。)

もっとも、ワタシが子供だった昭和半ば過ぎの(大)昔は、庶民の毎日の生活がおおむねそんなもんだったと思うな。自家用車なんて金持でさえ持っているとは限らなかったし、電話もどの家にもあるものじゃなかったし、冷蔵庫だって我が家に登場したのは1960年前後だった。今流行の「断捨離」とやらを実践したくても、元から不用品があまりなかったのがあの時代。だけど、あの頃の「昭和」の人は特に不便な生活だとは思っていなかった。ま、50年後の「便利さ」を知る由もないから当然なんだけど、便利になりつつあることは肌で感じていても、みんなけっこうあれやこれやと工夫をしていたと思う。

まあ、高度経済成長時代より前の、「昭和の暮らし」も悪くないだろうと思うから、断捨離が一段落したら、ちょっとやってみる?

行動力はあるのに決断できない人たち

3月19日。土曜日。どうしても睡眠時間の半分くらいのところで咳の発作が始まって目が覚める。ひとしきり咳をしていると気管が充血でもして潤うのか、水っぽいタンがたくさん出てやっと治まる。そこで改めて眠りについて、短いながらもなんとか熟睡。精神的になかなか集中できなくて進まない仕事が終わって疲れていたのか、今日の目覚めは午後12時50分。春らしい好天。道路向かいの桜は2分咲きくらいかな。東の方へ見える限り続く桜の並木もぼやっとピンクにかすんで見えるし、前庭と裏庭のレンギョウも黄色い花をたくさんつけている。ああ、春・・・。

リビアでの空爆作戦が始まって、テレビの原発関連のニュースはかなり減った。それにしてもフランス空軍機が一番乗りというのはちょっと皮肉に聞こえるな。きのう、イギリス政府の最高科学顧問(というのかな)がフランス政府が放射線を浴びる危険があるからと日本にいるフランス人によう素剤を配ったり、東京からの退避させることを決めたのは「科学的根拠に基づいていない」と言っていて、同じサイトに誰かが載せた「白旗を持ったフレンチプードル」を思い出して笑ってしまったのだった。サルコジはメンツ挽回を狙ったのかな。それにしても、世界が福島の原発危機に釘付けになっているうちに、いつの間にかリビア空爆に国連のOKまで取り付けたのは誰なんだろう。

野菜や水道の水から放射性物質が検出されたと大々的に報道されている。カリフォルニアでも放射性の粒子が飛んで来たといって騒いでいた。ドラッグストアや健康食の店の棚からよう素入りのサプリが消えたそうな。保健当局がよう素の摂りすぎは健康上危険だと注意しても、まあ、すぐに「怖い!」と反応するような人は元から聞く耳は持っていないかもしれないけど。テレビに映る顔はけっこう若い。ということは、大国がこぞって大気中で核実験をやっていた頃にはまだ生まれていなかった人たちか。アメリカとソ連は自国の上空でやったけど、太平洋に散らばる環礁などはアメリカもフランスもイギリスも核実験場にしていた。

あの頃も大気中核実験があるたびに放射能が降って来ると大騒ぎしていた。セシウムとかストロンチウムとか小学生でも怖いものを代表する言葉のような感じで使っていたな。大気中に拡散した放射性物質の量は相当なものだったろうから、子供だったワタシが浴びていた1年間あたりの放射線の量も今の国の基準をずっと超えていたんじゃないかな。(だいたい安全基準なんてものがあったかどうか知らないけど。)ちょっと調べてみたら、セシウムが1㎡あたり2500ベクレルくらい降った年もあるらしい。それに比べたら、グラフの離れたところにあるチェルノブイリ事故の降下量はごく微量。(こうやって数字を挙げても理解できる人は少ないと思う。ワタシも危険な量だったのかどうかわからない。)だけど、チェルノブイリ関連でガンになった人たちは放射線を浴びたためというよりも、何も知らされないままに汚染された土壌で栽培した食料を食べたり、汚染された牧草を食べた家畜の乳を飲んでいたためだと言われる。それでも、茨城のほうれん草の放射能は1年食べ続けても1回のCTスキャンの放射線量の半分にもならないそうな。日本の医療ではけっこう簡単にスキャンをしてもらえるという印象だけど、判断に不可欠のデータを隠されてはたまったもんじゃない。それでも、むやみに不安を煽るような発表や報道もどうかと思う。みんながピリピリしている今、「基準値を超える放射能」と聞いただけでパニックになって、後に「健康に害はない」と続いていても、誰もそこまでは聞かないんだから。

まあ、ある状況でどうするかを決断するにはその状況やデータを分析するそれなりの力が必要だと思う。日本人はいったんこうと決めたらびっくりするような行動に出られるんだから、決断力も行動力もちゃんとある。日本政府も企業もマスコミも頼りにならない印象なのは、どうも情報や状況を分析する能力が足りなくて、なかなか決断に踏み切れないからじゃないかと思う。自分の頭で考えなくても、稟議みたいに「みんな、どう思う?」とぐるりと意見を聞き回して、批判されなくてすみそうな、責任を問われずにすみそうな、とにかく無難そうな決断をする心地よい習慣ができているからかもしれないけど、秒単位で情勢が変わる今の世の中で、それでずっとやっていけるのかなあ・・・。

私は満月に向かって吼える狼

3月20日。日曜日。ゆうべはすごく大きな満月だった。月の軌道が地球に最も接近する18年ぶりの「スーパームーン」だそうで、ふつうの満月よりも14%大きく、30%も明るく見えるとか。二階では窓から差し込む月明かりだけで本の扉の大きな活字のタイトルが読めたからすごい。西洋には満月の夜に月の光に当たると気が狂うという言い伝えがあって、「lunacy(狂気)」という言葉の語源にもなっている。天体観測にこっていた20代の頃、望遠鏡に広角レンズをつけて昇ってくる満月を見たことがあって、視界から溢れそうな月面を見ているうちに叫びたい衝動に駆られて怖くなった。ひょっとしたら、あのときにワタシの思考経路の配線が少々狂ったのかもしれない。でも、ゆうべのスーパームーンはすごく明るくて、きれいだった。

先週の仕事はテーマがタイムリーすぎて気乗りがしなかったけど、今日からはまたごくふつうのビジネスの仕事。東京では福島の原発危機の影響で商談などがストップしたために、通訳の案件が軒並みキャンセルになっているらしい。通訳はその場にいなければならないから、人が動かなくなると商売にならない。1991年にイラクのクウェート侵攻がきっかけで湾岸戦争が勃発したときは、決まっていた同時通訳の仕事がドタキャンになった。日本からの参加者がみんな旅行を取りやめたためで、フリーになってまだ11ヵ月しか経っていなかったワタシはお先真っ暗の気分。それでも経済活動は続くから、翻訳の仕事はあった。人間の営みはどんな時でもコミュニケーションを絶やすことができないから、the show must go on。

大地震から10日。で、テレビのニュースはリビア情勢がトップ、次いで日本の地震。原発の冷却作業は毎日ほぼ同じ光景だからか、あまり時間を割かなくなった。そのほぼ同じ光景の中で、最初に見たときからワタシの記憶に焼き付いているのが、原子炉の建屋の外壁の模様。青空に白いひつじ雲がふわふわと浮いている(としか見えない)。クリーンでエコなエネルギーを生産している工場というイメージのつもりだったのかもしれないけど、爆発で骨格だけになった部分との対照がすごく印象に残った。原発のニュースが減った代わり、津波の被災地の様子や救援・復旧活動の「ストーリー」が増えて来た。日本のマスコミはなぜかあまり外国からの救援隊の活動を報道しないので、海外にいて日本の情報を日本のマスコミに頼っている日本人たちの中には、滞在国の政府が自国の人間の安全ばかり考えて日本の被災者のために何もしてくれていないと不満をもらす向きもあるらしい。どこの国も自国民を優先するのは当然だと思うし、あまりにも次々と災害が起きている日本のマスコミだって日本人のことで手一杯なんだろうけど。

原発と放射能にばかり集中している(ように見える)日本のマスコミの報道姿勢についてちょっと思ったことを言ったら、日本のテレビを1日。見てみろと言われてしまった。そう言われても日本にいないワタシには見られるわけがないんだけど。見られないからネットで日本の「有力」新聞のサイトに頼るほかないんだけど。でもまあ、落ち着いて考えたら、ネットの新聞は日本国内で小さな携帯の画面で新聞を読む人たちのためにああいうたった何行かの短い記事になっているのかもしれない。そこに有意義な情報を求めること自体が無理ってことかもしれない。海外にいて滞在国に不満たらたらな日本人たちも、頼りにしている日本のソースから欲しい情報を得られないことに苛立っているのかもしれない。

まあ、そういうのはいつも世界のどこに行っても不満だらけの一部の若い日本人だろうと想像はつくんだけど、ワタシはまたぞろ自分のアイデンティティを揺さぶられているような気分になって、生まれ育った国の激甚な災害に胸が痛み、だけど被災者とはまったく無関係なひと昔も前のトラウマが蘇って来て胸が痛み、しまいにはカレシにけんか腰になったりして、この1週間というものワタシの心は揺れっぱなしだった。幼いときの大地震で大揺れする家の中に取り残されて泣き叫んだ記憶が今も鮮明に残っているように、自分のアイデンティティを土台から激しく揺さぶられたトラウマも10年くらいの年月ではすっかり癒えていなくて、まだときどき余震が来るのかもしれない。でも、こんなことを言えばまた2万人を超える人たちが犠牲になった大災害につまらない個人のトラウマを重ねるのは不謹慎だと言われるかもしれないな。

ゆうべの大きな満月が明るすぎたのかな、やっぱり。ひょっとしたら「満月に向かって吼える狼」がワタシのアイデンティティなのかも・・・。


2011年3月~その1

2011年03月11日 | 昔語り(2006~2013)
内も外も春の嵐注意報

3月1日。火曜日。曇り空。気温はプラス。午前10時30分の目覚ましで起床。早起きといえば、早起きだけど、今日はカレシが親友のリチャードとランチをする日。ちょっと仕事の手が空いたから、一緒にダウンタウンまで行って買い物をすることにして、そろって早起き。朝食のテーブルでああだこうだと日程を話し合って、今日はダウンタウンまで車で行くことにした。

車を止めて駐車メーターに(今度は忘れずに)しっかり2時間分、2ドル硬貨を3個入れて、カレシはあっち、ワタシはこっち。けっこう風が冷たいけど、雪は歩道の日陰の片隅にちらほら残っている程度。まずは銀行できのうママから届いた小切手をとりあえず口座に入金して、地下街に下りたくなるのを無視してそのまま事務用品のStaplesへ直行。ポストイットやらクリップ、カレシのプリンタのインクカートリッジやら細々したものを買い、コンピュータ売り場で、そういえばこんところマウスの反応が鈍くなったなあと思いつつぶらぶらしていたら、(いつもそうだけど)店員が「何かお探しで?」と来た。いや、ぶらぶらしているだけで・・・と応えて、ふと思い立って新しいPCとプリンタの出張セットアップについて聞いてみた。別の大手エレクトロニクスの店のテクニカルサービスに来てもらおうと考えていたんだけど、キカイはここで買ったものだし、せっかく「何かないか?」と聞いて来たんだし・・・。

販売が専門の店員が若いテクニカルアドバイザーを連れて来て交代し、そのアドバイザーが店のマネジャーを連れて来て、まずはオフィスの様子や設備、何をどうしたいのかを説明して、ブレーンストーミング。しまいにオフィスの見取り図を描いて、ここにこれがあって、こっちにあれがあって、ここに何を置いて、こっちは何。まずボトルネックになったのはプリンタをシェアするPCが2つの別々のネットワーク(と電話回線)に接続しているつながっていることで、ワイヤレスの設定は中間にサーバを置くなどしなければ難しい。結局はUSBでつなぐのが一番と言うことになったけど、今度はPCとプリンタの置き場所が離れていて、その間に出入り口があるために、オフィス中にケーブルを引くことになって、コストがかかる。そこでマネジャー氏が、サイドテーブルのようなオフィス家具がちょうどプリンタを置ける大きさなので、これをPCに近いところに置くことができれば問題は解決するし、ケーブルよりも安くすむよと提案。じゃあ、ワタシとカレシの空間を分ける本棚の端に置けばいいや、ということで即座にOK。家具はあした午後に配達して、組み立てておくということになった。ふはあ、「ちょっと聞いてみよう」が延々と1時間半・・・。

候補に上げていたところに頼めば、この1時間半の話し合いに99ドルかかるところだったから、コンサル料なしで、おまけに推定4時間の作業の出張料金を持ち込み料金にしてもらったのはめっけもの。「ちょっと」聞いてみるもんだな。出張作業の予約を木曜日の午後に入れて、完了。木曜日ということはあさって。ということは、ワタシもカレシもあした中にデスクの周りやオフィスを片付けておかなければということか。だけどなあ、帰ってきて、毎日こもっている半径1メートル?のオフィスを改めてじっくりと見回して、ああ、出てくるのはタメイキ。まるでカテゴリ5のハリケーンが通過した後のようなこのオフィス(↓)、片付けると言ったって、いったい・・・。

今夜半からあすにかけてハリケーン並みの嵐が来るそうで、強風注意報が出ている。数年前にスタンリー公園の樹木を1万本もなぎ倒して行った嵐くらいの「凶悪」さなんだそうで、市役所も電力会社も倒木や停電に備えて準備万端とか。窓を開けておいたら、ワタシのオフィス、起きる頃にはきれいさっぱり片付いているかなあ。あ、オフィスの窓は開かないんだった・・・。

渡る世間はパワーゲーム

3月2日。水曜日。午前8時ごろ、ちょっと目が覚めたら、おお、かなりの風。天気はだいたい西から変わって来るんだけど、台風のように渦を巻いてくる低気圧の時はいつも南東の方向から吹いて来るおかげで、長辺が南側にある角地にあって、雨風が来る方に露出していて我が家は、東向きの切妻の下端で風がひゅうひゅうと鳴り、雨がもろにベッドルームの窓を叩く。けさは、あまり雨の音がしなかったけど、風はかなりのものだった。それでも、また眠ってしまって、改めて目を覚ましたら、まるで台風一過の青空・・・。

バンクーバー島と本土を結ぶフェリーは午後まで欠航だったというし、郊外ではかなりの停電があったそうだし、とにかくこの冬の最大の嵐だったことはたしかで、できることなら最後であった欲しいな。そういえば、きのうは3月1日。。やっぱり言い伝えの通り、3月はライオンのごとく吠えながらやって来たと言うことか。少し遅れて夜になりはしたけど。我が家の周りは停電も被害もスカイライトからの雨漏りもなしで、とにかくやれやれ。

あした予定の新しいコンピュータとプリンタの接続と設定のために、急遽いくつかオフィスの家具を動かして、模様替えすることになって、そのためにまずはゆうべ寝る前にパラパラッとにわか雨のように降って来た小さい仕事2件を特急で仕上げて納品。まあ、模様替えそのものはさして大げさなものではないけど、本棚一つを動かすにも、まずあっちこっちにうずたかく積み上げてある「ガラクタ」を撤去しなければ始まらない。家を建てたときに八角塔からずっと壁に沿って造り付けにしたデスクは、不規則な形で端から端まで10メートル以上。その上も下も、段ボール箱やらバインダーやら、とにかく目も当てられない状態で、徹底的に片付けるには今を逃したらチャンスはなさそうだもんね。

京都大学を初めとする有名大学の入学試験の問題がネットに投稿された事件は、投稿した学生が特定されたらしいけど、翻訳教育にも関わっている同業者がそのうち2つの和文英訳の問題とそれに対する「ベストアンサー」の回答を仲間内の掲示板に載せて、ひとつの答に「う~ん」の評。たしかに、翻訳者の目から見たら「う~ん」としか言いようがないんだけど、もうひとつの答は英語としてはまったく意味をなしていない。どうもネットの自動翻訳機能を使って訳したものを「答」として投稿したらしいということだった。それってカンニングと似たようなことじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。少なくともいい加減だな。でも、ネットを使ってのカンニングには、ネットを使ってのカンニングで応じる、というのは皮肉といえば皮肉だな。少なくとも褒められたもんじゃないけど、ちょっと何かをググると同じ文面を掲載したブログがわんさとヒットするくらいだから、考えずにいわゆる「コピペ」するのが習い性になっているのかもしれない。

夜、テレビのニュースを見ていたら、どうも5月あたりには連邦議会の総選挙がありそうという話。なにしろ数年もの間ずっと少数政権だったんだけど、野党3党のうち、自由党とケベック連合がすでに予算案反対を決めていて、鍵を握るのは一番左よりの新民主党。この3党がそろって反対投票したら予算は確実に否決され、予算案の否決は内閣不信任と同じだからs、即議会解散、総選挙となる。もっとも、世論調査ではハーバー政権の支持率はライバルの自由党に対するリードを開いていて、今すぐに総選挙をしたら、保守党が過半数を確保する可能性があるというから、野党にはあまり有利とはいえない状況なんだけど、ま、そこは政党同士のパワーゲーム。どうなることか、おもしろそう。

だけど、今年は11月に市制選挙があるし、去年の7月から実施された統合売上税(HST)の賛否を今ごろ問う州民投票が当初予定の秋から6月に早まる可能性があるし、その州政府は与党が新しい党首を選んだばかりで、野党ももうすぐ党首選の投票があるから、ひょっとしたら今年中に州議会の総選挙もありそう。なんだか投票所に通い詰めのような忙しい年になりそうだなあ。ま、政治談議大好きのワタシは、なんとなく楽しみな気もするからいいけど。

さて、クライアントには臨時休業のお知らせをしたし、そろそろ「本日の営業終了」の看板を出して、腹ごしらえをしてから、デスクの下にもぐっての春の大掃除の前哨戦と行こうか・・・。

外では雷様が暴れても・・・

3月3日。木曜日。やっぱり割とは役目が覚めた。そそくさと朝食を済ませて、オフィスの春季大掃除。まあ、よくこんなにガラクタやら何やらがあるもんだと思うくらい、どこもかしこも山積み。作業ができるスペースを確保したところで、コンピュータの電源を外したり、当面は2台併用になるので、じっくりと配置を考えたり・・・。

結局、古いCPUはほぼ元の位置のままで、モニタを右側に90度移動。元のモニタの位置に新しいPCを置くことにした。これなら椅子を90度回すだけで両方を楽々使える。なにしろ、新システムにすっかり慣れるまでの「当面の措置」。

どんどん雲が厚くなる中、テクニシャンが登場したのは3時半を回った頃。さっそく旧システムのクリーンアップにかかり、「おっそいなあ」と感嘆。「よくこんなんで仕事できるね」と。いや、できなくなってきたから新しいのに切り替えようというわけなんだけど。システムの診断をやっている間に、新しいPCを手早く設定して、ネットの接続があっという間に完了。Office 2010をインストールして、新しい経理ソフトをインストールして・・・さすが、手際の言いの何のって。立ち上がった新システムの大きなモニター、明るいし、何よりも15インチから21インチへの格上げだから、すごく大きく見える。でっかい箱とでっかいCRTモニターの時代がずいぶん遠い昔になったような気がするなあ。

さて、一番の作業はプリンタのネットワーク化。新旧4代のPCでシェアしようと言うので、USBケーブルやら無線LANやら、聞いているだけで頭がこんがらがってくる。作業をテクニシャンに任せて、キッチンに上がって夕食のしたくを始めたところで、雪なんだか、あられなんだか、猛烈な降り。とたんに、突然バッと外で閃いたものがあって、頭上で猛烈な雷鳴。おいおい。こんなに近くゴロゴロやられては困るんだけど。それでも、2度目は少し遠のいて聞こえ、3度目はなく、そのうち雲が切れてさあっとさして来た夕日が虹をかけた。ベースメントでの作業には支障はなかったらしい。電源のバックアップとサージ防止のキカイを使っていたおかげかもしれないな。なにしろ、ゴロゴロドッカンなんてもんじゃない、あんな雷は初めてというくらいのすごさだったから。

できあがったスモークサーモンのパスタを「スナックにどうぞ」とオフィスで奮闘中のテクニシャンに差し入れして、夕食。終わった頃にはプリンタの設定も完了して、テクニシャンを送り出し、さあて、これからがいろいろとめんどう。まずは日本語環境の設定から。その後はメールソフトをインストールして細々と設定して・・・と、始めたはいいけど、メニューは日本語で表示されるのに、受信箱も送信箱も何もかも日本語の部分だけ「?」に化けている。困ったなあ。まあ、どれがどれなのかはアイコンを見ればわかるから何とかなるけど。、どうしよう。そうこうしているうちに、飛び込んできたメール第1号が仕事の話。あ~あ。

でも、タッチスクリーンはいいなあ。何でも指1本でやれてしまう。無線のキーボードとマウスのスイッチを切って、アプリケーションを起動したり、終了したり、画面をスクロールしたり、ファイルを選んだり、指先でちょいちょい。入力が必要なら左の端に隠れているソフトキーボードを引っ張り出せばいい。マウスを持つ手が痛いことが多くなったから、これからはちょっと楽をできそう。こういうことなら、技術の進歩はいいもんだなあ。

まあ、オフィスの後片付けはあしたにして、少し遊んでみようか・・・。

異国で立ち往生する女性たち

3月4日。金曜日。きのうはいつもの日常と違う一日でくたびれたのか、ベッドに入ったとたんにぐ~っすり。カレシはかなり早めに起き出したらしいけど、ワタシはとにかう正午近くまで寝て、それでもまだ何となく疲れた気分で起床。年なのかなあ、やっぱり・・・?

細かなファイルがごそごそと入って来たけど、今日とあしたは時差の関係で日本は週末。まあ、オフィスの整理整頓が半分、仕事が四分の一、遊びが四分の一と言う割り振りかな。カレシは「なんだ、iPadのお化けみたいなもんだな」と言うけど、タッチスクリーンの操作はマウス世代にはちょっと体得すべきコツがあるような感じがする。でも、カレシの言うとおり、近い将来の「マウス」の絶滅を予言するような技術だと言えるかもしれないな。新しいプリンタだって、コピー機、スキャナとして使う場合はタッチ方式のパッドで操作するわけだし、地下鉄でダウンタウンへ行くのに切符を買うにもタッチスクリーン。カレシとワタシが初めてPCを買ったのが1987年だったから、わずか四半世紀の間にコンピュータ技術は人類の歴史の観点から見たらナノ秒で進歩したということか。まあ、指先だけでさまざまな文明の利器を操作できるというのは、これからどんどん高齢化する先進社会では大きな意味があると思う。

DOSの時代から初めたワタシは、最初に普及したWindowsの(たしか)3.0に移行したときも同じようにマウスを操作するコツをつかむのにイライラした経験があるし、それよりずっと、ずっと前にたどって行けば、就学前に左利きを「矯正」するという、言うなれば脳全体の「新システム移行」を経験したおかげで、「やり慣れた方法が変わる」ということが相当なストレスになり得るのはよくわかるけど、理不尽とも言える左利き矯正のストレスに比べたら、コンピュータのOSの更新で脳みそが被るストレスなんて問題にならないと思うけどな。だって、キカイの思考過程なんて、人間がてんで好き勝手に使って来た「脳力」に比べたら、「あたりまえ」から外れることがないだけ、「mind reading(読心術)」が不要で、コツを体得してしまえば楽々じゃないの?

新聞サイトを巡回していて、地元のVancouver Sunのサイトにローカルの日本語掲示板に掲載されたら炎上しそうな記事があった。バンクーバーのYWCA(キリスト教女子青年会)理事長の話を取材した記事で、カナダ全国で衣食住どころか教育や医療サービスさえ受けられないでいるカナダ生まれの子供たちが数百人、いや数千人いて、バンクーバーだけでもYWCAが世話をしたケースでは50人以上になるとか。子供たちが基礎的な社会サービスさえ受けられないのは、父親がカナダ人であっても、母親が永住資格を持っていないためで、市内でYWCAが運営するシェルターのうちの1ヵ所だけを見ても、そこにいる女性の70%がそのケースに該当するという。

子供の父親とはカナダ渡航前に知り合っていたケースがほとんどで、インターネットで知り合ったり、女性の国で出会ったケースもあるが、学生ビザや短期就労ビザなどでカナダに来て知り合ったケースもある。共通しているのは、この女性たちがDVに遭いながらも永住権申請のスポンサーになるという相手の男性の言葉を信じて我慢をしていたのが、どうにもならなくなって別れを切り出したら男性がスポンサーになることを拒否、あるいは関係の破綻を理由に撤回してしまったために、生まれた子供がカナダ国籍を持ちながらカナダ国民としての当然の恩恵を受けられなくなってしまったのだという。

こういう話は移民大国のカナダでは別段めずらしいことではない。何年か前に移民法が大幅改正されて、それまで10年間で撤回可能だったスポンサーシップが撤回不能の3年間になったのは、外国から来た妻がスポンサーの地位を利用したDV夫の虐待に耐えてきたという歴史がある。第二次大戦、朝鮮戦争が生んだ戦争花嫁しかり。自国で出会いのない男たちがアジアから呼び寄せるメールオーダーブライドしかり。スポンサーが降りてしまえば、永住権を剥奪されて、子供をカナダに残して出身国に強制送還される可能性が高かった。カレシがワタシのカナダ国籍取得に猛反対した背景にもそういう心理がなかったとは言えない。つまり、今は「家族クラス」で永住権を申請するにはまずスポンサーとなる人が資格申請をしなければならなくなっているから、この記事の女性たちの相手が「スポンサーをやめた」と言うのは、スポンサーとなる承認を得るための「申請」を撤回したということになる。

記事を読んで日本人が知ったら騒ぎそうだと思ったのは、バンクーバーYWCAに相談に来た女性たちの三分の一が日本人だったということ。他にはメキシコ人が13%、アメリカ人が13%、その他がアジアとヨーロッパの各国から来た女性だったという。つまり、この数字では「カナダに来て、カナダ人男性との間に子供を産んだけど、何らかの理由によって永住権を得られないまま、働くこともできず、医療保険に入れず、子供に教育を受けさせることもできないでいる日本人女性」が他国からの女性に比べて目立って多いということになる。そこにはいろいろな解釈があるだろうけど、結婚するなり事実婚として認められる実績を作るなりして、永住権の申請手続きを完了してから子供を作っても遅くはないだろうに、どうしてそんな状況に陥ってしまったんだろうという疑問が浮かんでくる。
                                    
というのも、いったんスポンサー資格が認められて、相手が永住ビザを取得したら、たとえ結婚・事実婚の関係が破綻しても、契約期間中は扶養義務が継続し、相手が公的な生活保護などを受けた場合には政府がその費用を請求するしくみになっている。つまり、そういう手続きが完全に終わって、カナダでの地位が安定しないうちに子供が生まれてしまっているということだけど、先進国日本で大学教育を受けたであろうはずの日本女性がバンクーバーYWCAが扱った相談の三分の一を占めたというのは、どういう意味を持つんだろう。もちろん、子供の父親であるカナダ人男性のいい加減さは責められるべきだけど、日本では妊娠してから結婚する、いわゆる「できちゃった婚」が多いそうだから、その延長線上でのことだったのかな。でも、日本の法律では婚姻届を市役所に持って行って受理してもらえばそれで結婚が成立するけど、カナダの法律は違う。国境を越えたら「自国と同じ」を期待することはできないということは思い及ばなかったんだろうか。

この記事が日本のメディアの目に止まることはないだろうけど、ここにいる日本人たちがもし記事を読んだら(だぶん読んでいないだろうけど)どういう反応をするのかな。まあ、だいたいの見当はつくけど・・・。

報ハイウェイは渋滞中です

3月5日。土曜日。何となく疲れた気分のまま、正午直前に起床。朝食のオレンジジュースが、きのうスーパーが閉まる前に買い物に行くつもりで忘れてしまったせいでコップに半分ずつしかないはずなのに、ほぼいっぱい。カレシが冷蔵庫にあった白ワインを足したんだそうな。なるほど、オレンジジュースにシャンペンだと「ミモザ」。シャンペンは基本的にワインだから、バブルなしのミモザというところか。

今日はまずあしたの午後が期限の仕事の方を先に片付けて、納品を済ませてから、新しいシステムの設定をいじることにした。ネットへの接続は新システムの方に移ったので、旧システムは完全にオフライン。勝手に常時アップデートしていたものが停止したせいか、全体的にスピードアップして、作業がやりやすくなったから皮肉。やっぱり一番の元凶はエクスプローラだったんだろうな。カレシが自分のPCを調べて、いろいろなアプリケーションのアップデート探しがメモリの半分を食ってしまっていたとこぼしていた。なるほど、ノートン君はライブでアップデートしていたし、Flash Playerだ、Javaだと、やたらとアップデートのお知らせがあったし、Officeもいつのまにか微妙に変わっていたりしていたから、こういうのが勝手に「常時接続」で場所取りをしていたんだろうな。便利なようでどんどん不便になるような気がするのは、情報ハイウェイが渋滞しているせいってことなのか・・・。

新システムは現在一番の問題がメールソフト。ノリマツさんという日本人が作った「Becky!」というソフトをもう長いこと使っているんだけど、Windows 7対応の最新版をインストールしたのに、スムーズに行かない。送受信には問題がないし、日本語メールの表示も問題はないんだけど、メニューの文字がぜんぶ疑問符に化けてしまっている。「受信箱」も「???」だし、「送信箱」も「???」だし、メニューを落とすと、まあすごい「?」の行列。いや、「?」なのはこっちの方なんだけど。Beckyちゃん、どうしちゃったんだろう。あ~あ・・・。

まあ、あっちこっちをいじり回して、コントロールパネルの言語設定に戻って、「Unicodeに対応していないプログラムの言語」というのがあったので、ためしにSystem Localeというのを「日本語」に変えて再起動してみたら、あ~ら、見慣れた日本語のメニューに早変わり。なあんだ、簡単じゃないの・・と思ったら、今度は日本語のファイル名がついた添付ファイルを保存することも、開くこともできなくなってしまった。あ~あ、Localeを変える前にはファイル名は文字化けしたけど、とにかく指定のフォルダに保存できたんだけど、ファイル名が英語ならまったく問題がないのに、日本語だといくらクリックしても何も起きないし、転送もできないし・・・。困ったねえ、もう。

システムの切り替えというのは、仕事に支障が出ないようにやらなければならないから、ほんとにストレスがたまる。これが使い慣れたPCが壊れて、急遽買い替えという場合だったら、仕事どころじゃなくなって大変なところだった。タッチスクリーンはだんだん慣れて、これはすごく便利で使いやすいと思うようになって来たけど、稼業の心臓みたいなOffice 2010となるとまったく別の話で、はい、そうですかと引っ越すわけには行かないから、よけいにストレスがたまりそう。込み入った法律文書を訳す方がずっと楽だと思ってしまう。人間語と機械語のバイリンガルじゃないもので、思い通りに動いてくれないキカイを相手にしていると疲れる。(キカイはくたびれたときに機械語でなんと愚痴るんだろうな・・・。)ああ、情報ハイウェイのどっかにサービスエリア、ないのかなあ・・・。

大そうじをすると出てくる過去のこと

3月6日。日曜日。いい天気だけど、頭はなんとなくぼや~ん。身体はまだいいけど、脳みその方はとっくにあちこちで配線がショートしているような気がするけど、とにかく、今日は日本で月曜日の朝が始まる前にオフィスのレイアウトを整理しないど・・・。

デスクは新しいPCを古いPCがあったところに置いて、古いのは時計回りにL字型。これだと古いCPUを動かさずに済むから楽だし、新しいので資料を検索しながら、古いので翻訳作業を進められる。もう20年近く前、まだOSがあまり賢くなかった頃は(といっても今でもあまり賢いとはいえないけど)、当時は主力だったMac他に、PCがWindowsの日本語版と英語版1台ずつあって、1台のモニターをスイッチで共有していた。あの頃はKさんという日本人にシステムの日本語環境化や設定をしてもらっていたから、OSやソフトの世代が変わっても電話1本で出張して来てくれた。今頃はもう引退したのかか、あるいはビジネスをたたんで日本に帰ったのか・・・。

ハードウェアの配置が決まって、次は今まで足元にあったバックアップ電源をデスクの上に移動する作業。退役する古いファクスがモデムと共有している電話線を外したら、どれをどうつないでいいかわからなくなって、デスクの下に何本も這っている電話のコードとしばし格闘。一番長いのはなぜか7、8メートルはあるから呆れる。結局はモデムだけを保護することにして、不要になったコードは段ボール箱に貯まった「コレクション」行き。デスクの下にもぐったり、ドリルでコードを通すための穴を開けたりの大奮闘で、ああ、腰が痛い。でもまあ、夕方までにはオフィスは一応の「新装開店」にこぎつけた。やれやれ。ついでに山になっていたごみやガラクタを整理したから、デスクの上はすっきりした感じ。ま、いつまでこの状態が続くかは、極楽とんぼ流の風まかせだけど、こんなぐあい↓[写真]

大掃除のときの定番のようなもので、デスクの下に放置されて埃まみれになっていた書類のバスケットから印刷した古いメールが何枚も出てきた。日付は1999年。その頃、日本在住の外国人たちの「プライベートクラブ」みたいなPandAという小さなメーリングリストに、同業のイギリス人の紹介で仲間入りしてあれこれと議論や他愛のないおしゃべりをしていた。今は自然消滅して数年になる。メールの主はオレゴンに住んでいたアメリカ人のリーと東京に住んでいたイギリス人のロジャーで、どれもカレシとのことで悩んでいたワタシへのアドバイス。何度か離婚した苦労人のリーはワタシのことを「小さな妹」と呼んでくれて、第三のカウンセラーのような存在だった。一人娘を乳がんで亡くして、しばらくひとりになりたいからとリストを退会してから音信普通になった。ロジャーは男性の視線でワタシの疑問に答えてくれている。読み返してみて、あの頃いろんな人たちに話を聞いてもらって、みんなの精神的な支えに助けられて、人生最大の荒波を乗り越えられたんだと思うと、涙が出で来そうになった。今、リーは70代、ロジャーは80歳に手が届く年になっているだろうな。他の仲間たちもほとんどが60代後半から70代。みんな、元気でいてほしい。

今の自分の幸せを実感しながら、なつかしいメールをファイルキャビネットのパーソナルファイルに大事にしまって、新システムでWord 2010を使う練習を始める。いきなり2003からの移行だからか、かなり勝手が違うなあ。まあ、ぼちぼちカスタマイズすることにして、まずはブログ関連のファイルを移して練習、練習。Beckyちゃんはまだ少々ぐずっているけど、新システムへの移行はちゃくちゃく・・・と行っているといいけども。

カスタマイズできること、できないこと

3月7日。月曜日。いい天気。昨夜は霜が降りていたけど、日が昇ると春の陽気。それにしても朝っぱらからやたらと騒々しいと思ったら、家の外の三叉路を半分交通止めにして電柱を取り替える工事。今日中に納品する仕事があるんだから、電線をショートさせて停電なんてことにならないように気をつけてよね。

朝食の後、コーヒーを飲みながら、今日届いたばかりのMacLean’s誌をのんびりと読んでいたら、「Cross-border love」という記事に目を引かれた。グローバル時代とインターネット時代が重なって、カナダ人が世界のあちこちで異性と出会う機会が増えた。まあ、異国人同士の出会いなんて、人類が地球上に広がり始めた太古の時代からあったことだけど、二十一世紀の今はポスト9・11の時代。国境を越えて愛しあったカップルが結婚してカナダに落ち着こうとすると、「ビザ」という大きな壁が立ちはだかるというもの。それだって、ビザや永住権申請のプロセスを経験した身としてはさして新しい問題とは思えないけど、あれから世界の事情は大きく様変わりしたし、カナダの移民法も何度も改正されたし・・・。記事に登場するカップルは夫がカナダ人、妻がイギリス人で、留学先の香港で出会ったんだそうな。

紆余曲折を経て、法律の学位を持つ彼女は弁護士事務所で受付をしながら、永住権が承認されるのを待っている。その一方で、駐在先のメキシコで出会ったカナダ人男性とメキシコ人女性のカップルは、ビジターとして婚約者に会いに来るためのビザさえ拒否されて、とうとう別れてしまったという。年間25万人近い移民の大半は「家族」のカテゴリで、偽装結婚も多いらしく、毎年5組に1組は(たとえ法的に結婚していても)永住権申請が却下されているという。移民手続きを商売にしている弁護士たちは、役所には人間のロマンスの真偽を判断する権利はないと言うけど、偽装とまではいかなくてもカナダに留まるための便宜上の結婚が多いのも事実。「夫婦」とみなされるだけの関係があってもそこに「愛」があると立証するのは難しい。同じ国の人間同士だって、愛し合って結婚したのか、条件が合ったから結婚したのか、それを知っているのは当事者だけだろうと思う。

まあ、この世に男と女がいる限りは、人種や文化の違いに関係なく、どこかで出会えば熱烈な恋に落ちることがあるだろうし、逆に打算的な理由で結婚することだってあるだろう。地球上をいろんな人たちが駆け巡るグローバル時代になって、これまでの常識や法制度が対応しきれなくなっているということかもしれない。考えたら、ワタシたちの頃はカレシの側に法的な障害があったのに(移民の数そのものが少なかったから)移民局は個別の対応をしてくれて、今とは比べものにならないほど短期間で永住ビザが降りた。あのときの状況を今現在にあてはめたら、ワタシが配偶者として永住権を得られるどうかわからないな。ま、ワタシとカレシにとっては「国際結婚」はもう遠い昔の話。申請料などは一銭もかからなかった、ほんとにのどかな時代だったんだろう。生まれるタイミングが良かったということかもしれない。

記事によると、年齢差のある「国際結婚」の場合、妻がカナダ人で外国人の夫より年上だと却下される確率が高いのに、逆の場合はかなり低いとか。何だかすごく旧弊な思考があるような感じがするな。要するに、カナダ人のじいさまたちは外国から若い嫁さんをもらえるのに、カナダ人のばあさまたちはイケメンの若いツバメをゲットしても、カナダに連れて来れないということで、何だか不平等もはなはだしい。カレシは若いオンナノコと楽しい第??の人生を夢見ることができるのに、ワタシがカッコいい若いオトコと結ばれるのはダメって、男女同権、機会均等に反するでしょうが。ふん、かわいいだけでおつむは空っぽの若い嫁よりも、元気のいい若い婿さんもらうほうがカナダの経済にはずっとメリットがあると思うんだけどなあ。

さて、今日は背中と肩が痛いけど、オフィスは一応普通に営業できる状態になった。小さい仕事をやっつけて、新しいシステムのカスタマイズを始める。普通のユーザーはマニュアルと首っ引きでやるしかなかった大昔と違って、何だって「マイ何とか」でカスタマイズできる今はコンピュータとの付き合い方も十人十色だからおもしろい。ま、婿さんをカスタマイズすることはできないけど、キカイのtinkering(いじくり回し)はワタシの得意とするところ・・・。

宝くじで老後の生活資金って?

3月8日。火曜日。正午前に起きたけど、まだ何だか寝足りない気分。どうしてかなあ。ちゃんと寝ているつもりなんだけどな。やたらとおなかが空く感じがするし、やっぱりここんところちょっとストレス気味だったせいかもしれないな。でも、ここでへたれているわけにもいかないから、とりあえず朝食を済ませて、元気が出たところでまずは買い物。

今日は3ヵ所を巡回。その一は、Williams Sonoma。炭酸水を作る炭酸ガスのカートリッジが2本とも空になったので、新しいのと取り替えてもらいに行く。Soda Streamというブランドで、空のカートリッジを持って行くと新しいのが約4割引きになる。ロケット砲弾のような形をしたカートリッジ1本で約30リットルくらいの炭酸水ができて経済的だし、空き缶やボトルのリサイクルの手間もないのがいい。巡回のその二は酒屋。ワインの空き瓶を返して、新たに我が家のハウスワイン「Starborough」ソヴィニョンブランを1ケース。ついでにワタシのレミを買って、『TASTE』の最新号をピックアップ。これは無料の季刊誌で、公営の酒屋が発行しているとは思えないくらい豪華な雑誌で、有名レストランのシェフのおしゃれなレシピが楽しみ。巡回ショッピングの最後は野菜類の買出し。まだそれほどの値上がり感がないのはカナダドル高のおかげだろうな。

騒乱やら旱魃やら洪水やらで、世界的にいろんなものが値上がりしているそうだけど、北米のメディアの関心はもっぱらガソリン代の高騰。まあ、車社会だからなんだろうけど、公共交通機関の利用率が高まっているというのは環境的にはいいことだと思うな。電気自動車の改良と低価格化も進むだろうし、バイオ燃料に向けられる食料作物の割合も減るかもしれないな。食料品の輸入コストが上がれば都市近郊農業の「工場化」による地産地消が発展するだろうし、北国で1年を通して新鮮な野菜を栽培するためにソーラー発電の技術革新も進むだろうな。その先には何が待っているんだろう。あんがい物流と消費のグローバリゼーションが後退して行くのかもしれないな。

きのう読んでいた雑誌には義務教育のカリキュラムにお金の扱い方や経済知識を教える科目を取り入れる州が増えていると書いてあった。なにしろカナダでは世帯あたりの借金の割合が借金漬けといわれるアメリカのそれを超えているんだそうで、インフレが起こって金利が上昇し始めたらかなり危ない状況の仮定が多いという。もっと危なっかしいのは老後が視野に入っているベビーブーム世代の生活設計。ひと頃は世論調査をすると、「親の遺産」が老後の生活資金源の上位に上がっていたもんだけど、最近は「宝くじの賞金」が上がっているんだそうな。公営の宝くじは低所得者層の生活資金を吸い上げるから悪であるという意見がよくあるけど、どうやら最近は中流階級が宝くじ購買層の主流になっているらしい。一攫千金で悠々自適の老後を、ということらしいけど、その確率は何千万分の一。宝くじに投入する資金をコツコツと貯めたほうが効率的なんじゃないのかなあ。

バンクーバーは家の値段が超ばか高くて、平均的な市民にはどんなに条件が悪いところでも戸建てはおろかタウンハウスやコンドミニアムも高嶺の花。特にオリンピックで開通した地下鉄沿線は相場が急騰して、市がもくろんでいる総合再開発の計画もご破算になりそうな状況だとか。でも、今日ウェストサイドで目に付いた「売家」の看板には軒並み「売約済」の札がついていた。日本円にして軽く1億や2億はするはずだけど、普通のカナダ人が買えないとしたら、いったい誰が買うんだろうと思うけど、ほとんどが中国本土からの移民だそうな。中国経済が日本を追い抜いたのは知っているけど、国民の所得水準がまだ高いといえない中国で、いったいどうしたらそんな資金を貯められて、国外へ持ち出せるのか、ちょっとしたミステリーだな。みんなジャンボ宝くじで大当たりしたラッキーな人たちなんてことは、どう考えたってありえないよなあ。

ま、あと2年と1ヵ月に迫った「定年」の後の人生を一攫千金に頼らなくてもいいように、ワタシはぐいっと腕をまくって、きりりと鉢巻を締めて、しっかりと日々の糧を稼ごうっと。

女の敵は女は女の敵

3月9日。水曜日。なんかあまりよく眠れていない。ごみの収集で騒々しかったせいもあるけど、1時間かそこいらおきに目が覚めて、別にごちゃごちゃ考えごとがあるわけじゃないのに、眠りに戻れない。ま、それでもシステムの切り替えは順調だし、あちこちをいじってみては、「あ、なんだ、こうするのか」と発見して、さっさとカスタマイズ。だんだんワタシ「らしい」システムになって来た。

きのうは「国際女性デー」だったんだって男女同権、機会均等、女性の自決権の確立を求めてウーマンリブが先進世界を席巻してからずいぶん久しいな。最近は「ウーマンリブ」という言葉さえ聞かないから、きっともう死語になったのかもしれないな。ワタシがカナダで公務員になった頃は女性の地位向上のための運動が盛んだった。どんな運動でも先駆者が変革を急ぐあまりに極端に走る傾向があるけど、北米のウーマンリブもその例にたがわず先頭に立った女性たちは「男偏重」を社会の隅々から排除しようとしたっけな。その多くは女性を含む一般社会に定着することなく忘れられけど、たとえば、「man」を「person」に置き換えた多くの語が今ではごく普通の語彙になっている。この30年に法制度も社会制度も男女の機会均等の精神を踏まえた変化を遂げてきたと思うけど、最近は「男のおちこぼれ」が話題になる。大学は医学部も男性の領域だった工学部も今では女性が大変を占めるようになり、女性が元気すぎるために男性が意欲をなくしているという議論さえ出て来る。おいおい、それも女のせいだと言いたいの・・・?

対照的に、中国に抜かれたとはいえまだ世界トップクラスの経済大国である日本は、国連の人間開発指数や女性の社会進出度のような評価は先進国グループにさえ入らない低いランク。政界にも産業界にも男性に立ち混じって指導力を発揮している女性が極端に少ないし、機会均等法があるのにキャリアを伸ばす女性は少ないし、世界の先進国に倣って産休や育児休暇の制度を導入しても、子育てをしながら働き続ける女性は専業主婦になる女性よりもずっと少ないだろう。若い女性たちは働き続けうるよりも男に養われたいと思っているらしい。収入の少ない男は家族を養う気概がないと批判されるし、身を粉にして養ってやれば家事や育児に参加しないのは最低だと批判されるし、結婚したくなくなる気持ちもわからないではないな。女性の社会進出を促進する制度は一応は先進国並みなのにどうしてだろうと思うけど、小町横町の井戸端会議から察するに、建前と本音を使い分ける企業文化に加えて、女性自身が専業対兼業、子持ち対子なし、既婚対未婚等々、女性同士で足を引っ張り合う二項対立の社会観に縛られているように見える。

昔からの政治戦略に「divide et impera(分割統治)」というのがあるけど、日本の女性社会の現状はまさに分割統治の観があると思う。女性社会を分断して、おいしい思いをしているのが誰なのか。やっぱり古い世代の男だろうな。自分がなければ結局は他人のものさしで自分を測ることになる。たぶんそこをうまく利用して、表向きは女性を蝶よ、花よと煽てて、裏ではすべてを自分の位置を基準にした上下関係で評価する風潮を作って煽られた女性同士を対立させて、自分たちの領分を守っているのかもしれないな。女性同士が団結して政治や企業を動かせば、専業主婦でも働く奥さんでもアラなんとかの独身でも、みんながそれぞれに生き易い人生を選択できると思うんだけど、うまく謀られてしまっているような感じがしないでもない。

最近の小町に、たとえデスクワークでも長く働き続けるのは無理だという20代の女性からの投稿があってかなりの賑わいだったけど、「働く女性はなぜ働かない女性に冷たいのか」とこぼし、体力がどうのこうのと言い訳をした挙句、しまいに「なぜ働かないという選択が評価されないのか」というよくわからない主張になったから非難ごうごう。まあ、要するに働きたくないということなんだろうけど、理解ある婚約者がいるんだったら「働かない」選択をして、後は自分がしたいことをのんびりやって人生を過ごせばいいだろうに。若い人が身体も精神もすごくひ弱そうなのがいつも不思議なんだけど、今からそんなへたれだったら、老後まで行き着くどころか、先に国が滅びてしまうかもしれないよ。せっかく「女性の日」があるんだから、女性は何をしたらいいか、何ができるか、ちょっと考えてみたほうがいいかもね。かのジェームズ・ボンドだって女装して考えたんだから・・・。

何もかもそれどころじゃない

3月10日。木曜日。わりとよく眠れた気分で目が覚めた。システムの移行が軌道に乗ってきて、おまけに今日は納期の心配がないからかもしれない。人間の身体のシステムはうまくプログラムされているらしい。旧システムではよくプログラムが応答しなくなって、強制終了するたびに「問題を報告せよ」というメッセージが出た。いつもその頃にはかっかと頭に来ているもので、「送るな(Don‘t Send)」をカチッ。あれと同じようなものなのかもしれない。ワタシの身体のシステムはプログラムがうまく作動しなくなったら(つまり、ストレスホルモンのグルココルチコイドが増えすぎたら)自動的に報告を「送る」ことになっているんだろうな。ふむ、なんか単純にできているような気がしないでもないけど・・・。

外は明るいけど、かなりの風。まっ、雨や雪をご同伴してでなければ春何番目が吹くのも乙なもんだなあ、と思っていたら朝食の最中にささ~っと曇って来て、さ~っと雨。へえ~と思っているうちにいつの間にか雨が上がっていた。まずは洗濯機を回して、電話料金とケーブル放送の料金の支払い。新システムのキーボードは無線だから、タッチのソフトキーボードでパスワードを入力した。どれだけ安全性が向上するのかはわからないけどね。郵便をチェック。ロンドンにあるFolio Societyから新しい限定版発行のお知らせ。スペンサーの『The Faerie Queene』で、箱入り3冊セットが通し番号つきで1000セット。白い革に金色のデザインは豪華そのもの。だけど、送料・保険料・税金込みでゆうに1000ドルを超えるから、小さい頃にデパートで母によく言われた「触らないで見るだけよ」を実行。こういうのは番号が「1」ならいつか少しは価値が上がるのかもしれないけど、そうでなければ趣味の域を出ないな。まあ、本を積読するのが(今のところ)ワタシの趣味だから。

・・・のんきにブログなど書いていたら

カレシがどたどたと階段を駆け下りてきて、「日本の北の方で大地震だって」と。さっそく日本の新聞サイトを見たら、震度6とか7とか。マグニチュードは8前後というから、被害がたくさん出そうだな。津波警報も出ているし、何でもかんでも「それどころじゃない」という感じ。東京でもすごい揺れだったようだけど、みんな、大丈夫なのかなあ。火事も発生しているというし、ほんとに大丈夫なのかなあ。テレビをつけて、BBCのニュースを見なくちゃ・・・。