またかの事件
4月16日。あるまじきことなのに「またか」と思うことが起きた。ヴァージニア工科大学の乱射事件。犯人も死んでしまうから動機の真相はわからずじまいが多いが、カナダででも何度が起きている。私の記憶に今でもはっきりと焼きついているのは、1989年12月にモントリオールの工科学校エコール・ポリテクニークであった事件で、犠牲者は工学部の学生12人を含めて女性ばかり14人。自殺した犯人はフェミニズム打倒を叫んだという。
「モントリオールの虐殺」と呼ばれるようになったこの事件は女性差別や女性に対する暴力をなくそうという意識を高め、政府も様々な施策を打ち出すきっかけとなったし、また銃規制の強化を求める機運も高まった。20年近くを経た今でも毎年12月6日にはカナダ各地で追悼行事がある。
それにしても、学校やモールでの無差別乱射事件が起こるたびに、私の頭の中にはある共通したイメージが浮かんでくる。それはビデオゲームの世界。廊下や道を遭遇する敵を殺しながら進む。そのイメージに学校の廊下やモールの通路を、目の前に現れる人間を片っ端から銃撃しながら進んで行く犯人のイメージが重なる。まったくそっくりのパターンではないか。チャイルドポルノを摘発した専従捜査官が言った、「見ているだけでは物足りなくなって、絶対に手を出すようになる」と・・・。
日本のニュースサイトには、もっとおかしくて、それでいてふっと笑うに笑えない気分になる「またか」が載っていた。今度はどこの企業の番なのか、幹部がひな壇にずらりと並んで、一斉に45度のお辞儀で深くお詫びする、あれ。こっちは乱射事件なんかよりもっと頻繁に登場する光景だ。めんどうだから、不祥事対策として経営幹部揃ってお辞儀の「お詫び」写真を作っておけばいいのにと思ったりする。
でも、「またか」と思った後には、これも謝っておしまいか、という気分になる。とにかく謝ってしまえばこっちのもの、「謝ったんだから後は水に流せ」と、表面的な儀式をやって「解決した」という既成事実を作ろうとする。日本の「包み紙文化」の変形だろうか。何たってザバッと水に流してしまったんだから、誰も問題の根本には触れたがらない(うっかり触れて自分が「責任」という火でやけどするのは嫌だから)。だから解決のないまま、喉もと過ぎて熱さを忘れては元の木阿弥で、「は~い、お詫びぃ!せ~の!」ということになる。国際関係から、国内政治、企業経営、はては個人の関係にいたるまで、「こっちが謝ったんだからそっちも潔く忘れろ」という問題解決法・・・はて、どっかでそういう人をイヤというほど経験したような気がするけど。
人と人の間
4月17日。納品したばかりの仕事は職場の人間関係。外資系では細かな人事問題もいちいち翻訳して報告しなければならないのだろう。セクハラ、パワハラ、モラハラと何でもあり。まあよく次々と問題が起きるものだと思うけど、逆の見方をすれば、そこは外資系だから、なあなあで済ませずに解決しようと努力している証拠なのだろう。日本企業だったら波風が立たないように、問題そのものをカーペットの下に掃きこんでしまうだろうから。
報告書を受け取る方はどんな反応をするのだろうか。だって、どの問題も日本人同士のいかにも日本的な人間関係のあり方をバブル後遺症で悪化させたようなものだから。自分と他人の間の距離感をつかめない人が増えているとしか思えない。悪く言えば、まだ自我ができていない5歳児の自己中心的の対人感覚。人生の視野を広げる時期が昔よりも遅くなっているとすれば、情報過多時代のパラドックスといえそう。
日本人のローカル掲示板は20代~30代が中心。ここに集まる若者たちはいかにも携帯メールやチャットで育った世代らしく、仮想空間ではきわめて雄弁になるからおかしい。ヴァージニア工科大学の乱射事件には、さっそく「だからアメリカは、アメリカ人は」と反応し、犯人が韓国系と報じられると「韓国人は暴力的、いつになったら韓国人はこういうことを止めるのでしょうね」と。なぜか彼らは中国人や韓国人を目の敵にする。
不満だらけの日常を離れて外国に行けば何かが変わってくれると期待して来たのに、肝心の外国の日常が住み慣れた日本とは大違い。言葉も違えば習慣も人間関係も違って、毎日が思い通りにならないから不満がよけいに募る。彼らの中にはカナダイコール白人の国というイメージがあるらしいが、どっこいバンクーバーはどこへ行ってもアジア人だらけ。カナダ人と紹介されたのに良く見たらアジア系。誰もチヤホヤしてくれない。自分が目立たないのは中国人、韓国人が多すぎるからだ、とますます不満が募る。(日本人が多すぎてイヤだという不満もある。自分もその日本人のひとりなのに、その矛盾がおもしろい。)
他人と自分は別々の人格ということを学んでこなかったのか、現実空間で生身の人間と対等に向き合うにはあまりにも未熟な若者たちがバンクーバーに吹き溜まっているということかもしれないけど、そういう若者たちだって、多くは「帰国したら英語を梃子に外資系企業に就職して・・・」という夢を描いているに違いない。だけど、仮想的有能感ばかり肥大させて帰ったのでは、いつの日か彼らが主役の「人事問題」レポートの仕事が私のところに舞い込んで来そうな予感がする。
なぜ自慢話はダメなの?
4月18日。読売小町に立った「日本の不思議」というトピック、私がまだ知らない不思議もいろいろあっておもしろかったのに、いつものように日本人が外国を標準にしてものを言うのが不快という横レス(横やりの新語かな?)が入って興ざめ。どうしてこうもネガティブな人間が多いんだろう、と思っていたら、もっと怖いトピックがあった。「自慢話はやめて~」というやつ。
これも日本の不思議だと投稿したくなったけど、日本批判だともろに非難ごうごうになるから止めておいた。ずらりと並んだ書き込みを読んで思ったのは、日本には相手の話をとにかく何でも「自慢話」と受け取る人がたくさんいて、それを当然とする人がもっとたくさんいるということだった。「自慢屋の困ったちゃん」の報告が続々。友だちの集まりで単に近況報告しても自慢、「どこへ行った」、「何を買った」も自慢。「忙しくて」と言うだけでも自慢していることになるらしい。おいおい、いったい何を話せばいいの、自慢され屋さんはいったいどんなことを話すの、と突っ込み。でも、ちょっと怖い状況。
自分のことを言えば自慢話と取られるからと相手の話に乗れば、今度は「見下された」と来ること請け合い。要するに、人の話は聞きたくないのだろう。特に自分の日頃の不満や嫉妬や羨望を思い知らされる話には「自慢話はやめて~」と口を封じる。それではとアンハッピーな話をすれば今度は「愚痴はやめて~」となる。口封じで自分が上に立った気分になるのかな。
能動態で「自慢する」というのは話し手本人が自分のことについて有頂天になっている状態。聞き手を感心させたいけど、反応がなくてもどうってことはない。自慢の子供、自慢の家、自慢の秘蔵品・・・どれも自分につながったことで、本人はそれでハッピーになるのだからいい。逆に受動態で「自慢された」というと、まさに聞き手が相手の話を自分の劣等感やネガティブな気持というフィルターを通して解釈したものでしかない。まさに自分のコンプレックスを暴露するようなものというか、モラハラ族のコントロールと通じるところがないとはいえないのが怖い。
このブログもきっと「自慢話と愚痴ばっかし」ということになるだろうな。だって、やたらと仕事のことを書いて忙しいのよ~、ポストバブルの日本と日本人のことは批判のし放題、かと思うと、どこのレストランに行ってどんなすてきな食事をしたかをダラダラと書くし、それから、それから・・・。だけど、不特定多数が列を作ってアクセスするわけじゃないからいい。今度、私の「日本の不思議」と「自慢話」をずらりと書いてみようかしら。まあ、日本人の繊細な神経を逆なでしてみようなんて、私もイジワルばあさんになった・・・
ノーコネクション
4月19日。きのうはほぼ1日ADSLがモデムのライトがたま~にチラッと光る程度の実質ノーコネクションの状態だった。どうやら北米中でBlackBerryのメールシステムがダウンして大量のメールがネットワークに滞留したらしく、その余波による交通渋滞ということかな。プロバイダが違うカレシのADSLには影響がないようなのに、ビジネスが主流の私のプロバイダの方は夜には完全にノーコネクション。まあ、調べものが必要な仕事でもないし、バックアップに別のプロバイダのダイアルアップをがあるからメールは下ろせるので、さしたる支障はないんだけど、ちょっぴり落ち着かないのが自分でもおかしくなった。いわば、サイバー空間の無人の孤島に漂着というような感じかな。
常時接続に慣れきってしまっているのだろう。いや、メールもウェブもいつでもアクセスできる便利さに慣れてしまっているのだろう。BlackBerryは忙しいビジネス人のステータスシンボルみたいなもの。そのシステムがダウンしてしまったら、いわばライフラインを断たれたようなもので、かなりのパニックだったそうだ。便利さに慣れてしまうのは怖いことだという警鐘だったのかもしれない。人間、何だって楽な方がいいのがあたりまえ。だけど、不測の事態に対処できるという意味では、少しは不便も残しておいた方が頭の風通しが良くなっていいかもしれない。
ネットに接続できなくて、注意を逸らすものがなくなって仕事がはかどったかというと、これが全然はかどっていない。いつものように「気分転換」と称して新聞や掲示板を冷やかす代わりに、ジグソーパズルを開けて、ちょこちょこと切り替えては何個かはめ込む。しまいには、もうあと何個と・・・これでは仕事がはかどるはずがない。やっぱり私はAD児なのかな?(契約書の類はたいくつ・・・ふはぁ)
まあ、一夜明けてみたら渋滞はクリアされたらしく、メールもすいすい、ウェブもすいすい。さて、今日は仕事がはかどるかな。何だかまた並行処理のぎりぎりの滑り込みセーフになりそうな予感。し~らない・・・
ツッコミ大特集
4月20日。仕事が詰まってくるほど息抜きがしたくなく。おまけに外は春爛漫の良い天気。そこで思いっきりノー天気に掲示板トピックのタイトルだけ見て、いい加減に盲滅法のツッコミ特集と行っちゃおう。
★読売小町:
「結婚の約束をしてるのに二股されてます」 ← されていると言っていてはさせてるのと同じ。自分でしなさい。
「妻が潔癖症で息が詰まります」 ← 判断のものさしの目盛がナノメートル単位なんでしょうね。
「手をつながないのは変なのでしょうか」 ← もちろん誰とつながないかによるけど・・・。
「夫婦茶碗がかけたら」 ← 取り替え時。茶碗、それとも・・・そんなのしらない。
「デートの別れ際の態度はどうしてますか?」 ← 「すぐにメールしてね」
「彼の収入。。。」 ← 結婚したい、でもカレシはビンボー、アタシの将来どうなるの?
「夫に守ってもらっていない人いらっしゃいますか?」 ← はい。おかげさまで、つよ~い女になりました。
「5、6歳児の英語の吸収力は?」 ← 吸収力はPampersのごとく、忘却力は水に流すかのごとく・・・。
「英語を生かした仕事(主婦)」 ← 英語を殺す仕事ってある?(あるんだ、きっと・・・)
「1日中PCに向かって仕事する人の息抜き(SOHO)」 ← 掲示板にツッコミを入れることで~す。
「どうしても嫌なんです」 ← 私も・・・。ていうか、な~んだかヤバそうだから、引いちゃおうか?
「白のスーツ着ても大丈夫??」 ← もちろん!ただし、ミートソースはヤバイですが。
★ローカル掲示板:
「バンクーバーでカッコイイ日本人は??」 ← 同じ日本人だといって他の日本人の足を引っ張らない人。
「カナディアンの彼の子を堕ろしたくない」 ← ハーフじゃん。彼の半分だけ産んだら?
「玉の輿にのりたい♪」 ← う~ん、カナダ人はビンボーだってみんないってるよ~♪
「カナディアンの彼氏欲しくないですか?」 ← 中古品?余りもの?キズもの?間に合ってま~す。
「何が結婚においての優先順位?」 ← 結婚する相手。
「中年カナディアン男と付き合ってる日本人女」 ← 「たまたま族」という。
おそまつ・・・。くだんないことやってるヒマがあったらマジで仕事せんかいな。
今、食道楽が楽しい
4月21日。あっという間に土曜日が来て、あっという間に過ぎる。それでも退屈してダラダラとやっていた銀行契約書もねじ込みの相変わらずの人事の仕事も無事納品。時計の上では日曜日の午前2時ではあるけど、我が家の標準時ではまだ土曜日の夜。だからきっと「今日は何曜日だっけ?」なんてことになるのだろう。
ホッケーのバンクーバーカナックスはプレーオフ第1ラウンド第6戦でまた負けて、結局またのるかそるかの第7戦までおあずけ。月曜日に地元の試合。負けてせっかくのプレーオフを第1ラウンドで敗退なんてことになったらさあ大変、ダウンタウンでまた暴動が起きかねない。日頃のうっぷん晴らしに何でもいいから暴れる口実があればいいドン・バカッチョが多いからなあ。まあ、地元の試合のたびに警備費がかさむから、いっそ負けてくれた方が予算節約に貢献てことになるかな?
今日のディナーは久しぶりに日本食。といっても、このJAPONEという店のオーナーシェフは町外れみたいなところで日本食屋をやらせておくにはもったいないくらいの才能のある人なのだ。いつも野球帽をかぶって、スシバーで黙々と包丁を動かしている。品数は少なくなったけど、創作フュージョン料理は、たまには外れがあったにせよ、バンクーバーの一流カリスマシェフに負けないものだった。今日のトリプルサーモンサラダは、たたきのようなベニザケとこんがりしたサケの皮、それとイクラを、青シソのドレッシングでシャキリとしたベビーグリーンと合わせて、まさに絶妙の味。前菜2つとサラダ1つと特上の刺身2つとビール3本で、チップ15%を足しても1万円以下。これでは安すぎるという気がする。
空前の好景気にわくバンクーバーはカリスマシェフのレストランが大繁盛。ケーブルTV放送に「食」が専門の「Food Channel」というチャンネルが加わって、高級食材を使った料理やレストランを1日24時間見られるようになったことも大きいだろう。日本のテレビ番組「料理の鉄人」のアメリカ版「Iron Chef」でバンクーバーの若いロブ・フィーニーが難攻不落といわれた森本シェフに挑戦して勝ったことも大きい。彼のLumiereは1週間以上前に予約を入れないとダイニングルームにテーブルが取れない盛況だ。料理はさすがにすごい。まあ、値段もすごいけれど、サービスもそれ相応に質が高い。(あまり場数を踏んでいない客筋には時には不評だったりすることもあるけど。)サンフランシスコでの私たちのお気に入り、Michael Minaのシェフ、マイケル・ミナとIron Chefで対戦させたらすごいだろうなあ。
要するに、食道楽にとっては今がバンクーバーの旬なのかもしれない。移民の流入で世界の食材が集まり、才能豊かなシェフが、まさにアジアと北米の接点にある太平洋西岸ならではフュージョン料理を楽しませてくれる。バンクーバーいいとこ、一度はおいで、あ、どっこいしょ・・・満腹ぅ。
アースデイの午後
4月22日。今日はまた日曜のアフタヌーンコンサート。ダウンタウンのコンサートホールの入口前には大型バスが2台も横付けされていた。介護ホームの「おでかけ」だ。車椅子の数もいつもより多い。ステージから見たらきっと雪原のような感じかもしれない。それにしても、白人のおばあちゃま方の白髪はほんとうに真っ白でため息が出るほどきれい。そういえば女王様の白髪もきれい。自分の頭にだんだん増える白いものを見ながら、せめてあんなふうに新雪のごとく、エレガントな白髪頭になりたいと思うんだけど・・・
今日のオープニングはスメタナの『モルダウ』。山の奥深く、雨が降り、木の葉から滴り落ち、小さな流れができ、小さな流れが集まって渓流となり、やがて川となって滔々と流れ出す。私の頭の中では交響詩というより交響風景画のよう。チェコの田園を流れる母なる川ブルタバ(モルダウはドイツ語)。農民たちのお祭でもあるのか、軽やかなリズム。そして嵐。波立ち、溢れる川は堤に体当たりする。川を制しようとする堤は自然が作ったのか、人間が作ったのか。でも、やがて嵐は去って、川はまたひたすら流れて行く。共存しようじゃないか、と。今日はアースデイなのだ。
プログラム2番目はスティーブン・ハフが弾くブラームスのピアノ協奏曲第2番。ピアニストが登場してまず目についたのは何と靴!ラメっぽい薄いグリーンの、サンフランシスコのNeiman Marcusの紳士靴売り場で見た800ドルのプラダの靴にそっくり。グリーンはアースデイだからかな?演奏は顔が赤くなり、おかっぱ風の髪が飛んで行ってしまいそうに見えたりで、すごい気合が入って、しきりにハンカチで汗を拭いていた。
聞いている方も息を詰めて、汗びっしょり。終わって深呼吸をしたとたん、後ろで「なんだ、あれでも音楽か」と声。休憩で席を立ったついでにチラリとみたら、いかにもビジネスマン風のおじさま。さては定年退職して、熟年離婚防止のためか、奥さんといっしょの文化的なセカンドライフを構築中・・・?まあ、先は長いですよ。
プログラム後半はハイドンの交響曲第104番『ロンドン』で肩の力を抜く。パーキングメーターにコインを足してコリアンスーパーに立ち寄って、カレシは大根キムチ、私は大豆もやしとカレシが好きだという味噌味の冷凍ラーメン。前によく行った日本食品店が日本サイズだったのに比べると、新しいビルの二階を占領しているこのコリアンスーパーはとにかく大きい。日本食品もたくさんあるけど、大豆もやしやにんにくの茎がいつもあるのがうれしい。私にできる韓国料理はナムルとキムチチゲくらいだけど、他にいろいろ試してみたいなあ。
気が散れば火花も散る?
4月23日。月曜日。ほんとうは今日いっぱいで最後の仕事を終わらせたいけど、どうも気の散ることが多すぎる。まず、コネクションがまた断絶。小一時間ほどで復旧したけど、仕事のときはやっぱり困るんだなあ。カレシの電話会社の回線は切れないからよけいに頭に来る。
カレシはトラックをスタートさせて見せると、ポンコツトヨタのエンジンをふかしている。何しろマフラーに穴が開いているので、かなり近所迷惑かもしれない。オフィスのあるベースメントは遮音性がかなり良くてふだんはあまり車の音は聞こえないけど、今日は盛大に聞こえる。しばらくして「エンジンがかかったぞ」とご機嫌。ついでに積みっぱなしのゴミを捨てに行くのかと思っていたら、それは後日だそうな。今週で保険が切れるけど、新しいのを買うまでの間1ヵ月だけ保険をかけるという。その間荷台のゴミはどうなるの?
それで気が散っていると、今度はアラームが鳴り出す。リビングのモーションセンサーの電池が切れていて、1日2度必ず「障害」アラームが鳴る。そのたびにいったん「テスト」モードをオンにしてから、「解除」モードでオフにする。めんどうなことこの上なし。でも、これは明日セキュリティ会社の人が来て電池を交換してくれるまでの辛抱。まったく、安全は手間がヒマがかかるのだ。
カレシが外で草むしりをしている間にトレッドミルで運動。夕食メニューのコッコヴァンは初めて作ったにしては上出来。残ったワインを食卓に出して、仕事が終わって時間ができたらバゲットを作るからね、と約束。さっさと食べ始めて、早食いで終わったとたんにコーヒーマグを手にテーブルを離れようとするカレシをや~んわり制して私が終わるまで引き止めておくのに成功。シェフに失礼でしょ!といいたいけれど、そこはやんわりと。どうもテーブルマナーを教えられなかったようなところがあるけど、今さら遅いので、とりあえず自分だけさっさと食べ終わってコンピュータの前に駆けつけないという約束は守ってもらわなくちゃ。なんせ、食事時は(四六時中顔をつき合わせているのに)忙しい二人のクオリティタイムなんだから。
夕食後は私の平常の「営業時間」。さて気合を入れて、と思ったのに、今夜はホッケープレーオフの第7戦。バンクーバーカナックスにとっては何が何でも勝たなきゃならない試合。リビングのテレビで観戦しているカレシ、コマーシャルのたびに経過報告に下りて来る。あのね、この仕事は珍しく逆方向だから、そうでなくても漢字変換でイライラするのに、日本語思考に没頭しているときに話しかけられると、配線がショートしてしまうのよ~。だから、あっち行ってよ~。終わったら勝ったか負けたかだけ教えてよ~。もう!
ま、カナックスは無事プレーオフ第2ラウンドに進出。やれやれ、明日の夕方までに間に合うのかい、仕事。
ふ~ん、何やら・・・?
4月24日。今日は朝から(といっても昼過ぎだけど)カレシはトラックの荷台のゴミを捨てに行ったまま帰ってこない。あれ、さては途中でエンストしたか?と思いつつも、私はどうしても今日中に片付けなければならない仕事で手一杯。だけど、そういえば、郵便局の私書箱にしばらく行っていない。クレジットカードの支払期日が近いはずなんだけどなあ、と銀行にログインしたら、小切手口座から20ドルの引き出し。誰だ~と思って日付を見たら今日だった。あはは、そっかそっか、いつもお金を持って歩かないカレシ、ゴミを捨てるついでにモールにでかけて、急遽キャッシュが必要になったらしい。そういえば、カードがどうのこうのと言ってたっけ。
明日は私の誕生日なのだ。レストランから予約の確認の電話があった。ちょうどよく仕事に区切りをつけて、明日は「祝日」のお休み、なんていっていたところだった。モールにはカードショップがあるから、きっとそこでバースディカードを選んでいるのだろう。そう思うだけでうきうきしてしまう。いくつになっても誕生日はうれしい。
こんな誕生日が来るようになったのは、私たちの騒乱期が終わってからだった。昔はクリスマスも誕生日も「プレゼント、何欲しい?」のひとこと。リクエストがアクセサリーや衣類だったら「オレにはわからないから、自分で好きなのを買って来い」だった。当然、女性のファッション売り場などには二人いっしょの時でも足を踏み入れたことはない。アクセサリーやジュエリーもそう。おそらく前の結婚でも同じだったろうと想像が付く。(もっとも、オンナノコの気を引くためとなると積極的にアイデアが浮かぶらしいけど・・・それは昔の話。)
結婚してから初めて自分で考えたプレゼントをしてくれたのは6年位前かな。ジャージーのセットだったけど、私のサイズが見つからなくてとうとう飛び込んだ店で店員さんに選んでもらったとか。いい年をしたおじさんがティーンファッションの店で「ワイフへのプレゼント」を探しているなんて、店員さんはどんな顔しただろうかと想像するとちょっぴりおかしくもあるけど、カレシは必死だったのだ。上下ともぴったり合って、実は私も胸をなでおろしたのだった。だって、せっかく意を決しての買い物だったのに、着られないなんて悲しいもの。
ご機嫌で帰ってきたカレシ。銀行のATM で30ドル下ろそうとしたらダメだったから、20ドルだけ下ろして明日の朝ごばんに必要なコーヒーとシリアルだけ買って来た、と。(銀行はATMに10ドル札を入れていない。)トラックは何とか動くし、ゴミは処分したし、「キミの分も」買ったし、今日はすごく効率的な日だった、と。なんかやたらとご機嫌だなあ。ふ~ん、いったい何を隠しているんだろうなあ・・・
十年紀最後の誕生日
4月25日。いよいよ来た、誕生日。50代最後の1年の始まり。
生まれた日は雪が降っていたそうだ。予定日をうんと過ぎて、大変な難産で、おまけにへその緒を巻きつけて仮死状態でこの世に出てきた。なかり長い時間自発呼吸をしなかったらしい。人生の玄関口に立ったとたんに生きるか死ぬかの狭間でうろうろしていたわけだ。障害らしいものもなく「生」の方に振れたのは、それだけの生命力を神様がくれたということだろう。それは精神のresilienceにも通じるのかもしれない。
朝食のテーブルにカレシがカードとプレゼントを置いてくれた。カードはちょっとコミックなほのぼのイラスト。HAPPY BIRTHDAYの文字の周りにXと○をぐるりと書き込んで、「これからだよ」。これからだ・・・いいなあ。プレゼントは夏のTシャツ3枚。この夏は新しいのをと思っていたからうれしい。「どうしても自分の好きな色になってしまうんだよ」と。みんな私の好きな色だからいいじゃないの。ありがとうのキス3つと「おまけ」。
妹からはケーキのイラストがいっぱいのカードがメールで届いていたので、さっそく壁紙にした。初めて私の年を知ったという友だちからは「めちゃめちゃ若く見える」とメッセージ。う~ん、若々しく見えるのはうれしい。だけど、やっぱり中身が年令相応でなければ。自分の年を感じていないから、どうもそのあたりがあやしい。はて、感じていないということはあまり成長していないということか。まあ、年を取ることと人間として成長することはまったく別もの。中身は成長したけど若々しく見えるのか、あるいは「めちゃめちゃ若い」見かけ相応の中身でしかないのか?はて・・・?
50代は大嵐と共に始まった。一時は人生が音を立てて崩れたようにも思ったけど、瀬戸際で「生きる」方に振れたのは、やはり両親からもらった生命力なのだと思う。明るい前途が見える今は幸せだと思う。10年は長いようで短い。あっというまに次の十年紀がやってくる。50代最後の1年、私らしく極楽とんぼに、それでも確実に前を向いてやって行こうっと。
誕生日の余韻
4月26日。去年の誕生日は忙しすぎて、ディナーに飛び出して、帰ってきてまた仕事で、もらったプレゼント以外はとんど覚えていなかったけど、今年はゆっくりできて思い出に残りそうな1日だった。ディナーはLumiere。しっかりおめかしをしてお出かけ。何を思ったかマスカラまでつけてしまったけど、黒のロングドレスだと馬子にも衣装。アクセサリはスワロフスキーの八分音符の形のブローチだけ。これは初めてカレシが選んで買ってくれたクリスマスプレゼントだから何よりもお気に入りの宝物。たまの盛装は背筋がしゃんと伸びて気持がいい。
この前と同じ壁際のちょっと奥まったテーブルで、ヘッドウェイターも同じフランソワさん。英語とフランス語がちゃんぽんで陽気な人だ。こっちもついサンキューになったり、メルシになったり。まずはシャンペンで乾杯。先にローヌワインを選んでおいて、カレシは前菜はグリーンとホワイトのアスパラガスにトリュフのソース、メインは骨付きのローストラム。私は生とムースのフォアグラのダブルと鴨と鳩の胸肉のコンビ。相変わらず変わったものに目が行ってしまうのが私。鳩といっても公園を飛んでいる鳩とは違って、郊外の農場で食用に育てた若鳥。ほんのりと鴨ともまた違う味がしておいしい。サンフランシスコで食べたのよりもずっと良かった。
デザートの時には私のお皿の端に火のついたバースディキャンドルが1本。食べる前にふっと吹き消したらフランソワさんが「ちゃんと願いごとしましたか」と聞くので、「二つもしたの」というと、「おやおや二つもですか。それではもう一度火をつけましょうか」とライターを取り出したので大笑い。デザートのスフレに添えてあった金柑のシャーベットがとっても良かった。カレシが作れるというから、今度作ってもらおう。
ここは駐車サービスがあるから、お勘定のときにいつも「お車は?」と聞いて来るのだけど、カレシは係に渡されたチケットをコートのポケットに入れたまま預けてしまった。でもフランソワさんは「お車は何でしょうか」とそつがない。車のモデルと色を聞いただけ。「ナンバーとか聞かなくてもどれかわかるのかなあ」とカレシ。「だって、エコーで乗り付けるなんて私たちくらいのもんでしょ」と私。BMWとかベンツだったらナンバーも必要だろうけど、エコーなんか1台きりに決まっているもの。
勘定を済ませて出てくると車がちゃんと前に止めてある。ドアのそばに何とアイアンシェフ、ロブ・フィーニーが立っていて、「ハッピーバースデイ」。握手してますます感激!「またどうぞ」というオーナー直々のお見送りですごい思い出のバースディになったのだった。
と、余韻を楽しみながら、残っていた小さい仕事を片付けて、カレンダーに書き込んだ締切に赤線。このまましばらくは何もない日が続いてくれるといいけれど、実は「ご予定は」という問い合わせ2件に頬かむりをしているから、どうしよう・・・?
今のうちだ!
4月27日。カレシの友だちランチがキャンセルでゆっくり寝られるはずなのに、朝から(といっても11時過ぎだけど)電話で目が覚めた。警備会社がシステムのアップグレードの話で・・・と思いきや、会計事務所。納税申告をアップロードするのにまだ承認をもらっていない、と。そうだ、すっかり忘れていた。申告期限は月曜日30日。飛び起きて、朝ごはんを済ませて、書類にサインして、カレシにもサインさせて、とりあえずファックスで承諾書を送った。ついでに足りない税金の小切手も書く。私は仕事が増えたからしょうがないけど、減税があったのに年金暮らしのカレシが増えたのはどうして?私の追加納税12万円、カレシ7千円・・・
トラックは毎日エンジンをかけると何とか走ってくれる、というわけで、まずは家から遠くない市営のリサイクルデポでカタログ類やビン類を捨てる。好天の週末は行列ができるくらいだけど、金曜日とはいえ週日の午後でおまけに小雨模様だからガラガラ。プラスチックはこのコンテナ、透明なビンはここ、グリーンのビンはこっち。雑誌はこっちで、その他いろいろの紙類はそのとなり。最後に運搬に使った段ボールも潰して捨てておしまい。
ホームセンター(DIY店というのかな)の途中にある排ガスの試験場。入口の待ち時間の電光標識は「ゼロ」で、ほんとに並んでいる車がない。制度が始まった頃は30分待ちだったりしたけど、新車は最初の7年間が試験免除になってからテスト対象の台数が激減したらしい。制度自体が廃止されるのではという噂もある。なにせ、この排ガス試験に合格しないと、州の強制保険をかけられないし、保険のステッカーがないと車を動かせなくなる、というわけで保険が切れる前に試験場へ出向かなければならないのだ。走行中とアイドリング中の炭化水素、一酸化炭素、窒素酸化物の排出を測定する。幸いこのトラック(86年)もポンコツトヨタ(87年)もまだ不合格になったことはないし、環境保護のための制度だから文句はいえないけど、やっぱりめんどうなことこの上ない。でも、ポンコツトラックは今回も好成績でパス。一酸化炭素の排出はなんとゼロだった。
次はホームセンター。去年の夏からカレシのセカンドキッチンになっているランドリールームにたくさん棚を吊る話(棚を吊るのは私・・・)になっていたので、とりあえず今のうちに材料だけでも確保しておくことになった。センターは端まで見通しが利かないほど広い。(日本だったら戸建が何十軒建つだろう・・・?)あれこれ探して、けっこうな距離を歩き回ることになる。そのせいか入口に高齢者用らしい電動カートまで用意してある。とにかく12インチ×4フィートの板2枚、10インチ×4フィートが7枚、8インチ×4フィートが3枚。野菜入れになりそうな壁付けの4段ワイヤラック1個。合わせて3サイズのブラケットを必要量と100本入りの木ねじをひと箱。楽にビットを変えられるねじ回しを衝動買い。カナダでは-、+、□と3種類のねじ回しがあるからめんどうくさい。
ついでにデイライトというブルー系の渦巻き型蛍光電球も買い込む。カナダは5年で白熱電球を禁止する方針らしいけれど、ずっと気候変動に関連のある仕事をやっていたせいで、白熱電球に比べると値段はまだかなり高いけど、やれることはやれるだけやった方がいい。この蛍光電球はあまり熱くならないし、低ワット数だから最高60ワットの器具でも100ワット相当の電球(27W)を使える。もちろん電気代もずっと安い。スーパーでももうかなりのスペースを占めるようになったけど、このデイライトタイプだけはまだあまりない。従来の蛍光灯に近い色なので明るすぎて抵抗感があるのかもしれないけれど、老眼には明るさが何より・・・
DIY工務店開業
4月28日。もうすぐ初夏が来そうな土曜日の1日。カレシが英語教室に行っている間に、テープメジャーで棚を吊る算段を始める。まず問題なのは間柱の位置を確認しておくこと。ツーバーフォー工法は普通心心16インチの間隔で間柱を立てて、その上に厚さ3/4インチの石膏ボードを貼る。石膏ボードは文字通り石膏をだから、荷重を支えるためのねじはまったく効かない。つまり、棚受けを間柱の位置に合わせるか、それがダメならねじの位置にアンカープラグを埋め込まなければならないから、作業のステップが増えることになる。
我が家の場合、外壁は設計図に合わせて工場生産した特殊なスタイロフォーム構造なので、間柱の間隔は24インチの部分と標準の16インチの部分がある。工事中に毎日写真を撮ったので、家のたいていの部分で石膏ボードを貼る前の壁の構造が写ったものがあって、今頃大いに重宝している。今度棚を吊るのは北側の外壁。洗濯機用の配管と排水パイプ、コンセントが写っている。コンセントのボックスは間柱に取り付けるので、こういうときにかっこうの基準点になる。問題は柱の両側に電気配線が通っている柱が一本あること。見当が狂ってねじが柱を外れたらえらいことになりかねない。そこでDIYの鉄則。測って、測り直して、もう一度測る。どうやら問題の柱は使わずに済みそうでひと安心。後はカレシと相談して棚の間隔を決めるだけ。
仕事場もカレシのデスクも、壁を埋めている本棚は全部私がひとりで吊ったのでけっこう手馴れている。水準器と1メートルのものさしと電気ドリルとねじ回しと鉛筆があれば十分。壁ひとつあたり3段~4段の棚でだいたい半日の仕事。棚を吊る壁は3面だから、半日の暇を見つけては1面ずつやって行けばいいと胸算用。おりしも日本は今ゴールデンウィーク。仕事もちょっと一段落だから、今のうち、今のうち。
まあ、これでずっと懸案だったセカンドキッチンの整理整頓が少しでも実現するといいけれど、水平にものを置くカレシのことだし、それに、「スペースはあればあるだけモノで埋まる」というから、はたして・・・?
ネットがないと・・・
4月29日。朝食を終わって、さて、とPCを立ち上げたら、またまたノーコネクション。この2週間ほどで4回目か5回目か。いくらなんでもこれはないだろと、プロバイダに電話したらのっけから「ただ今障害が起きて復旧作業中です。復旧予定は不明です」とのメッセージ。おいおい、これは重大だよ。最初の2回かそこらのときは「サポートは何番を押して」なんて言っていたのに、きのうはイライラした女の子が出て「復旧作業中だってば!」みたいな返事。それで今日は録音メッセージ。小さな障害であちこちいじっているうちにお手上げになってしまったのか。明日の月曜日は所得税の申告期限。ノーコネクションでクライアントの申告書をアップロードできないという状態になったら大騒ぎだろう。し~らない。
ネットワークにしろ、何にしろ、どっちみち人間が作ったものだから、どこであってもいずれは大障害が起きる。フールプルーフ、フェイルセーフなんて本当は存在しないのだ。だったら、日本がゴールデンウィークで大して影響がない今が私にとっては障害発生の絶好のチャンスだったということになる。おまけに別のプロバイダの今どき古風なダイアルアップのアカウントがあるから、まったくのサイバー孤島にもならない。
Eメールを使い始めたのはインターネット時代の前のこと。もちろん当時はダイアルアップだけで、専用の電話回線が必要だった。モデムも今では考えられないほど超スロー。おまけに料金は1ヵ月何時間までという契約。それがインターネットが普及し始めて、午後9時あたりから接続できない状況が起きるようになった。それでは仕事にならないからと、別のプロバイダにアカウントを作って、こっちがダメならあっちがあると二股作戦に出た。ところが、プロバイダ間の競争が激化して「接続時間制限なし」を打ち出し始めると、夕食後の時間帯から先は接続できない元の木阿弥状態になってしまった。結局、法人客の多い(当時は)小さなプロバイダに乗り換え、ついでに念のためと、電話会社にもアカウントを作った。
仕事用メインの前者が常時接続になってからは、後者のダイアルアップには接続する必要がなくなったけれど、思いがけず役に立って、「地獄に仏」とはこのこと。バックアップが重要なのはファイルだけじゃなかった・・・。
おかげで、のんびりと棚をひとつ吊って、ジグソーパズルで遊んで、たまっていたクロスワードをやって、今年の第1四半期の帳簿を整理して・・・ネットのない頃の方があんがい生産的な生活をしていたのかもしれない。
でも、やっぱり早く復旧してくれないかなあ。
プロジェクト第1期完成
4月30日。あれよあれよというまに4月まで終わり。どうも年をとるにつれて時間の足が速くなるのか、それともこっちの人生の足が遅くなるのか、よくわからないけど、日にちの経つのがやたらと早い。
のんびり洗濯を始めて、さて棚つりのプロジェクトと古いジーパンに着替えていたら、仕事の電話。そっかあ、ゴールデンウィークは日本だけの話。まあ、小さめだし、納期まではゆとりがあるから、いいでしょう、と返事。でも、いいのかなあ・・・。
それで、洗濯機を回しながら、その横で壁一面の棚つり作業にかかる。一番上が1.8メートルで幅30センチ。まず間柱を探し当てて、棚受けを取り付ける。それから水準器で測りながら真ん中の棚受け。ここで棚板を乗せて固定。松材は軽くて扱いやすい。端っこの棚受けをつけて出来上がり。2段目は長さが1.2メートルで、幅は25センチ。間柱を使えるのはどうしても片側だけ。しょうがないからアンカープラグをはめ込んで、一気に2段目と3段目。一番下4段目は長さ1.2メートル、幅20センチ。ここまで来ると、踏み台代わりのスツールでカウンターに上ったり下りたりしなくても良いから楽ちん。棚板を全部固定して、今日の仕事はおしまい。所要時間は3時間半。
庭仕事にくたびれたカレシが入ってきて、さっそくあれこれ棚に並べ始めた。見ていたら、何だか私よりも台所用具が多いような・・・。それでもモノがごたごたして使えなかったカウンターの上がすっきりした。これでもう「場所がない」なんていわせないぞ。
それにしても、ふだんトレッドミルで走っていても使わない筋肉がたくさんあるらしい。特に上半身は少しばかり弛緩していたのか、腕の筋肉が痛い。両手利きをフルに利用するもので、明日の朝起きたら両方ともコチコチかもしれないなあ。でも、久しぶりの大工仕事はけっこう楽しかった。やっぱり好きなんだなあ、こういうこと。
さて、月末処理ということで請求書を書かなくちゃ・・・