リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年9月~その3

2011年09月30日 | 昔語り(2006~2013)
他人の秘密はばらしたくなるもので・・・

9月21日。水曜日。目覚ましがピーコ、ピーコ。午前9時。目は覚めたけど、ぐずぐずしていたら、ピピピピ。(こっちの目覚ましは小さいくせにうるさいなあ・・・。)あ、今日はマイクが池を壊しに来る日だったんだ。建設業の1日。はだいたい午前7時に始まる。家の改装工事だと、途中で材木屋などに寄ってその日の作業に必要な資材を仕入れたりすると、現場到着は8時ごろということになる。ワタシたちにとっては丑三つ時ということで、マイクとしては大いに譲歩して「午前9時以降」。それで、今日は午前9時に起床ということになった。(実際にマイクが現れたのは11時に近かったけど・・・。)

狭い庭に重機を持ち込むのに、2メートル以上ある生垣のシーダーを何本も掘り起こしたり、内側の塀の一部を壊したりするのは大きな手間がかかるし、市の歩道を傷めるリスクもあるということで、マイクは人力でやるのが一番効率的で安上がりと判断したとのこと。重機をトラックから下ろして車道から歩道に上げるときにコンクリートの縁石が欠けたり、舗装にひびが入ったりすると、市の土木部から修理費の請求が来る。これはワタシたちも家の新築工事のときに歩道のコンクリートが割れて、今の価値にしたら10万円を超えるくらいの修理代を取られたことがある。(自然にひび割れた歩道はなかなか修理しないのに、こういうときは迅速すぎるくらい迅速なのがお役所・・・。)

今日は人工の岩壁を一ヵ所だけカレシの希望で装飾的に残すことになっていて、その周りを崩す作業。元々鉄筋で全体のフレームを作って、金網を被せた上にコンクリート流してから、左官用のこててかなり自然な「岩場の滝」を成形してあるから、中は大部分が空洞。ちょっと肥満気味のマイクが「いい運動だよ」と言いながら大ハンマーをふるって、ガンガンと壊して行く。元々大工としてこの道に入って、(我が家の新築から付き合いの)ケンが会社を売って引退したのを機に独立したので、自宅のオフィスに座っていると体がうずうずして来るんだそうな。小型でも重機のレンタルは高いから、使わずに済めば客にはコストの節約になっていいし、裏庭へのアクセスはゲートハウスの裏庭側の板壁を剥がすだけで済むし、夜の間は合板を打ち付けて塞いでおけば、早朝から作業に来ても剥がせばいいだけなので、ワタシたちも早起きをしないで済む。もっとも来週は削岩機を持って来るそうだから、果たして寝ていられるかなあ・・・。

早く起きすぎたので、なんだか仕事のテンポがつかめないから、しばらくはさぼりモード。新聞サイトを見ていたら、九州のどこかの町の役場の管理職が自分のブログに職場の女性の容姿について実名で悪口を書いたり、役場の発令前の人事異動を公表したり、はては職務上のメールまで公開したりして懲戒処分になったという記事があった。思わず先日エアフォース・ワンのフライトプランなどを公表しいていた羽田の航空管制官のことが頭に浮かんだ。羽田の管制官も自分のポジションでなければ手に入らない特殊な情報を航空マニア仲間に見せびらかしたかったんだろうと思う。役場のオジさんの場合は「読む人が喜ぶ内容にした」そうなんだけど、人の容姿の悪口は喜ばれるという認識だったのかな。あんがいどっちもアクセスやランキングがブログの目的になってしまっているのかもしれない。

役場のオジさんは46歳、航空管制官は50代だった。男の人生で大人の責任感を最も重く感じるはずの年代のオジさんたち、何だってこうもたがが緩いんだろう。おまけに自分の立場さえ目に入らないらしい極度の視野狭窄症と来ている。そういう人が、ちょっと注目される(と思っている)職業だったり、部外者には知りえない情報に触れる職場にいたりすると、つい「ど~や、すごいだろ」と言ってみたくなることはあるだろうな。(勝手に管制室のツアーを企画した人たちも同じ心理だったんだろうと思う。)そこんところはワタシも部外者立入禁止の職場で「TOP SECRET(極秘)」、「CONFIDENTIAL(部外秘)」とスタンプを押してある警察情報を扱う仕事をしたことがあるからわかるんだけど、上から守れと命じられる「ヒミツ」には、なんともくすぐったくて、体中がかゆくなるところがあるから厄介。何となく「レアもの」を持っているという気分になって、意識していなくても「コレクター心理」が働いて、人に見せて羨ましがられたい誘惑に駆られやすい。

もっとも、そういう悪気がないというか、あっけらかんと他人のプライバシー侵害をするブロガーは年代や人種や国を問わずたくさんいると思う。ソーシャルメディアの隆盛で、深く考えずに情報を垂れ流す風潮になって来たし、匿名掲示板などでは、自分と他人の境界がわかっていない人が増えているな感じもする。まあ、ひと口にブログと言ってもテーマや目的は千差万別だけど、日本語のブログに断然多いといわれる個人の「日記」ブログでは、自分のことを書いているつもりでも、孤島で暮らしているのでもなければ、家族、友人、知己、知らない人といった人たちも記事に登場することになる。距離感の違いに関わらず、軽い気持で悪口や愚痴を書こうものなら、「中傷だ」、「プライバシー侵害だ」と非難されて、ブログは炎上、友情は断絶、悪くすれば名誉毀損で訴えられかねない。特に狭小な海外の日本人村では、ちょっとした描写で「あの人だ」とわかる可能性は高いと思う。

他人に関する情報がネガティブであれば、なおさら大胆になる傾向があるのは、スキャンダルをすっぱ抜く特ダネ記者の心理なのかな。まあ、匿名だから何を書いても「自分」だとはわかるまいという安心感のようなものがあるのかもしれない。人をほめない文化というのもあるかもしれない。書かれる方が(書き手にとって)非常識で不快なんだから、批判されるのは自業自得だという意識もどこかにないとは言えないだろうな。そういうところには、「注目される」ことしか眼中にない役場のオジさんよりも怖い悪意が潜んでいるように思う。でも、ブログは閲覧を制限していない限りは不特定多数の目に触れるわけで、悪口を書かれた人が「自分のことだ」と気づいて、逆襲してくる危険もあると思うんだけどな。ま、人の口に戸は立てられないというから、自分の口の戸締りを心がけよう・・・。

出たり入ったりの忙しい日だったけど

9月22日。木曜日。午前11時30分に目覚まし。早起きの予定が入るたびにいちいち時刻をセットするのがめんどうで、ベッド脇においてある時計はカレシの英語教室がある毎週火曜日に合わせて「午前11時30分」にジジジジ。旅行用の小さい時計はその日の予定に合わせてピーコ、ピーコ。だけど、独身時代から数えて何十年もの勤め人生活では目覚まし時計で起きるのが普通だったはずなのに、いったん目が覚めた時に起きる生活が身についてしまったら、目覚ましで起こされるのがおっくうでしょうがない。ま、人は易きに流れるもんだから・・・。

今日は、カレシが午後1時にヘアカットの予約で、ワタシが午後5時20分に歯医者の予約。午後は仕事になりそうにないから、カレシにくっついてモールへ。途中で別れて、ワタシはベイが新しいクレジットカードと一緒に送ってきた割引クーポンで買いたいものが頭にないままの「浮遊」ショッピング。めったにいかない二階売り場に上がったら、どうやら婦人靴のセール。ちょこっと見てみるけど、元よりワタシの足に合うサイズはない。それにしてもまあ、最近のヒールの高いこと!となりが「おちびサイズ」の売り場なので、何となく見ているうちに目を留めたのがポンチョ風デザインのおしゃれな黒いTシャツ。Vの字にカットが入った首まわりと袖から裾までの縁取りが真っ赤な刺繍で、胸の辺りには点々と光もの。79ドルは高いと思ったけど、ここで25%オフのクーポンを使用。となりの(ベイの)ディスカウントショップの家庭用品の棚を見ていたら、2人分を料理するのにぴったりのサイズのスロークッカー。ま、13ドルに15%オフのクーポンを出してもあまり得していないような気もするけど、鴨のコンフィを作るのに便利そうだから・・・。

カレシと青果屋で落ち合って野菜を買い足し。カレシはヘアドレッサーのアントニオから前からの約束だったイチジクの苗をもらってご機嫌。庭に植えてから3年くらいすると甘いイチジクの実がなるんだとか。スーパーでも青果屋でもイチジクは季節限定で地元では栽培されていないし、日持ちが悪いらしくていつも目玉が飛び出るほど高い。そのまま食べてよし、ジャムにしてよし、肉や魚のソースにしてもよし。桃栗3年というけど、早く実をつけるようになるのが待ち遠しいなあ。

歯医者の予約がなぜか午後5時20分という変則的な時間。実は右下の臼歯のオーバーレイに傷でもできたのか、この2、3週間ほど舌の横が荒れてひりひりしていたので、念のために見てもらうことになっていた。見るだけだから時間はかからないだろうということで、カレシがタクシーサービスをしてくれることになって、ラッシュの中をウー先生のところへひとっ走り。中国系の若いウー先生、まずオーバーレイを調べて「歯は問題なし。舌を出して」。ワタシの舌はけっこう短めだから、そんなにべろっと出てこない。ガーゼに包んで引っ張り出して、右にひねり、左にひねり。「う~ん、赤くなっているところがあるし、ちょっと白っぽいかな」ということで、口腔病理学の専門医に見てもらうことになった。「念のためにね」って、舌ガンの兆候がないか診てもらうってことでしょと言ったら、「心配なさそうだけど、念のためにね」と。ところが、紹介状をもらって帰って来たら、ひりひり感がほとんど気にならなくなって、このまま治ってしまいそうな感じ。ゲンキンだなあ、ワタシ。ま、診てもらって得はしても損はないから、予約は取っておこう。

ヘンな時間にヘンなお出かけをしたから、夕食はいつもより1時間以上の遅れ。そこでささっとできてしまう非常食ということで刺身。マグロはビンナガ、サケにハマチ。大根を桂剝きにして、残った芯は真ん中を刳り出して、昆布出汁でさっと茹でて冷ましたのにイクラを載せてカイワレで飾ってメインコースはできあがり。松茸であっさりした澄まし汁。ほんのちょっぴり柚子の汁を落としたら、これがすごくおいしい。ご飯はほのかに青竹の香りがする緑色の竹香米。

帰り着くなり、カレシが「腹減ったあ。何でもいいから早く~」と騒いでいたのが、30分ちょっとで非常食が一転してごちそう風になった。冷蔵庫に残っていたオレゴン州の濁り酒を出してきて、ご満足のカレシは「Good(うまい)」の連発。(日本のテレビのうまいもの番組にタレントとして売り込んであげようか・・・。)さて、今夜のランチは太短いとうもろこしにしようね。雨が降る季節になって、今年はもうこれで新鮮な地物はおしまいかな。

秋の初日、原始平成のハイテクが生きていた

9月23日。金曜日。3日。ぶりに目覚ましをかけなかったら、正午過ぎまで寝てしまった。それでもまだ眠いから困るなあ。やっぱり季節の変わり目というのは何となく生理的にもスイッチの切り替えに迷うときなんだろうか。今日23日。は秋分の日で、公式の「秋初日」。ゆうべテレビの天気予報で「明日から秋の初日が始まります」と言っているのを聞いて、カレシが「で、いつ終わるの?」と突っ込んで、「んったく、近頃の英語は乱れとる」とご隠居グチ。たしかに、「明日は秋の初日です」という方が正しいんだけど・・・。

今年の初めからずっとカナダドル高が続いていたのが、きのうあたりから一転してカナダドル安。アメリカドルで収入を得ているために実質的な賃金カットになっていたワタシとしては願ってもない状況で、さっそくアメリカドル建ての口座からまとまった資金を移動。もう少し下がったらさらに残りの半分くらいはカナダドルに振り替えようともくろみ中。別にFX投資をやっているわけじゃないから、アメリカドルでもらってそのままアメリカドルで使う分には為替相場なんかどうでもいいんだけど、カナダで生活しているからカナダドルに変換しなければならない。そこで、カナダドル高になると、たとえば1000ドルの報酬が950ドルにしかならず、逆にカナダドル安になると、同じ1000ドルが1050ドルになる。(その分申告する所得の額が増えて、税金も増えることになるけど・・・。)

あさってから始まる近くのカレッジの「アクリル画手法ワークショップ」で必要な画材のリストが先週の初めにメールで来ていたのをすっかり忘れていて、あわてて印刷。こまごまと2ページもある。まず最初は絵の具。指定の色は7つ。同じ「色」でも暖色系と寒色系があるし、同じ温度でも顔料の成分によって色合いがが違う。さっそく絵の具箱を開けて点検したら、厳密に足りないのは2色だけど、指定のLightの代わりにMiddleがあるから、とりあえずそれで間に合わせられるかも。後は絵筆もナイフも揃っているし、まっさらのカンバスもある。「コ」の字のオフィスの反対側で何年も資料やカタログの山に占領されてきたワタシの小さな「スタジオ」、久しぶりに芸術の秋の花が咲くかな。へたの横好き流の「お絵かき」にはスタイルも何もあったもんじゃないから、さて、どんなインスピレーションがわいて、どんな絵ができあがるか・・・。

カレシが裏庭のコンクリートの塊や土を前庭に移動している間に、ワタシは仕事を始める。まとめてフォルダに入れてどんと来たファイルのうちで一番大きいやつ。文字数を原稿用紙に換算したらざっと45枚になるから、4日。はかかりそうなんだけど、動植物の名前が続々と出てくる。辞典はたくさんあるし、ググれば見つかるだろうけど、なんだかめんどう・・・と思案していて、90年代の半ばに日本で買って来た電子辞書で『科学技術用語大辞典』というのを使っていたのを思い出した。検索は漢字変換なしの原始的なものだけど、動植物や魚類、鉱物の名前がけっこう入っていた。問題は肝心のキカイが動くかどうか。何しろ15年も前のハイテクは今や博物館の陳列物にしかならない。それでも、キカイに真新しい電池を入れて、探し出した辞典のディスク(MDというサイズ)を入れて、うんともすんとも言わないのをリセットしたりなんだりとあちこちをいじっていたら、おおっ、動いた。ガタガタ、ジイジイといかにも古ぼけた音がするけど、まだ使えるではないか。

それにしても、15年前はこのキカイを使って、「世の中、便利になったもんだなあ」とシアワセな気分で仕事をしていたんだなあ。オンライン辞書もグーグルもない時代だったから、何でも屋翻訳業のワタシは、日本へ行くたびに紙の辞書と一緒にCD-ROMの辞書を買い漁っていた。あの頃は円が高かったから、すごい「設備投資」になったけど、今になってこのキカイ(ソニーのData Discmanというやつ)を見ていると、これだって平成の産物だというのにほんっとに原始的で、なんだか感動すらわいて来るような・・・。

道具の価値は使いようで決まる?

9月24日。土曜日。明るいな、けっこう。先に起きていたカレシが「うへ、蒸し暑いぞ~」と。そうか、インディアンサマーというやつね。とっくに夏の乾燥期は過ぎているから、気温が上がるとそんなに暑くなくても体感温度は5、6度高くなる。今日みたいに昼過ぎに20度まで行っていると、ほんとに蒸し暑い。

朝食の後、おととい買って来たスロークッカーに鴨の足のコンフィをセットして、画材屋のOpusにでかける。ここで買い揃えて学生番号を提示すると10%割引になる。昔いつも行っていたのはグランヴィルアイランドの美術学校の向かいにある店だけど、今はダウンタウン外れの老舗デパート跡地にも支店ができているらしい。どっちも地下鉄の駅から歩いて行ける範囲。乗ってからあれこれ考えて、グランヴィルアイランドの行き慣れた店に行くことに。オリンピックヴィレッジ駅で降りて西へてくてく。初期の都市再開発でできたコンドミニアムやタウンハウスとフォルスクリークの間にスタンレー公園から延々と続く遊歩道/サイクリングロードがあって、油の匂いが混じった海風に吹かれながら歩くのは気持がいい。港町育ちにはなつかしい「香り」・・・。

うろ覚えにどこかの掲示板に地下鉄駅から徒歩30分で行けると言う投稿があったので、地下鉄の駅まで15分、駅から駅まで10分弱、そこから徒歩30分はまあまあかと思っていたら、投稿者の足が遅すぎるのか、ワタシの足が速すぎるのかわからないけど、地下鉄を降りて20分でアイランドのコミュニティセンターの裏に着いてしまった。いや、便利になったもんだオリンピックの前だったら、バスで(そんな距離でもないのに)途中で乗り継いで1時間半はかかったから、これなら天気のいい日にはカレシを誘い出して、運動がてらの買い物に来られそうだな。自動車は個々の目的には便利だけど、便利すぎてしまうと逆に不便なことが多くなる。特に車が増えすぎた都会ではどんどん不便になるという皮肉な現象も起きる。

目指すOpusはコミュニティセンターからすぐのところ。いつもながらごちゃごちゃと乱雑な感じの店で、手持ちがなかった絵の具やら、(必要ないのに)新しい絵筆やら、2Bから8B の鉛筆のセットやら、画用紙やら、あれやこれやを買い込んで、学生割引10%でしめて130ドル。書く方の講座なら罫線を引いたパッドだけで済むけど、美術系はちゃんとした材料を買うと高いなよあ。カレッジから送られて来たリストには「20本セット20ドルの絵筆は買わないこと」、「学童用の絵の具は買わないこと」なんてこまごまと注意書きがある。まあ経験から言って、「弘法、筆を選ばず」という通り、道具の良し悪しを問わなくてもいいのは、どんな劣悪な道具でも使いこなせる技量を持ったプロであることはたしかで、初心者こそ初心者向けよりもちょっと上のレベルの道具で始めた方が無難なような気がするな。もっとも、初心者が「道具」そのものに凝ってしまっては本末転倒もいいところだと思うけど。

トートバッグがずっしり重くなった帰り道はストレートに大通りまで出て駅まで一直線。くねくねと曲がる遊歩道と違ってまっすぐだから時間を短縮できるかと思ったら、反対の南側にしか歩道がない。結局のところ、駅までの所要時間は20分。時間的にほぼ同じだったら、対岸のダウンタウンの風景を眺めながら、(時たまおバカなサイクリストにヒヤリとさせられるけど)海風に吹かれて遊歩道を歩く方がずっと楽しめる。それに、車で来ると駐車スペースを探すのがけっこう大変なので、めんどうくさがりのカレシは初めからアイランドの外の何ブロックも離れたところに駐車して10分くらい歩くことが多い。帰りの地下鉄の中であれやこれやと「分析」して、グランヴィルアイランドへは地下鉄と徒歩が最も効率的である、と結論・・・。

帰ってきたら鴨の足がちょうどいい頃合になっていて、後はつけ合せの野菜を洗って、切って蒸すだけ。お出かけして、帰ってきたら夕食のメインができているなんて、こんないいことはないな。衝動買いした名もないブランドのたった13ドル(約千円)のいかにも安っぽそうなスロークッカーだけど、ふむ、かなり役に立ちそうな感じがする。つまりは、選んでも選ばなくても、しょせん道具の価値は使いようで決まるってことなのか・・・。

へただからこそ楽しめるへたの横好き

9月25日。日曜日。正午に目覚ましが鳴って起床。だって、アクリル画のワークショップ第1日。目だから寝坊して遅刻したら嫌だもの。起きてみたらかなりの風が吹いていて、しかも雨。困るなあ、持っていく荷物がどさっとあるのに・・・。

午後1時を過ぎて、ちょっと本格的な雨になって来たので、ゆうべ2つのバッグに詰めてあった物を全部出して、ジッパーが着いている大きなトートバッグに移した。これならぬれなくて済みそうだけど、絵の具箱は重いし、ジェッソだのバーニッシュだのメディアムだのと半液体のものが多くて、そこへカンバスやらパレットやら何やらと入れたら、いやっ、重~い。感謝祭のメタボ七面鳥よりも重いから、10キロ近くはあるだろうな。これを担いで雨の中をよろよろと行くのか・・・と、何となくため息をついていたら、カレシが車が外に置きっぱなしだから送ってあげるといってくれた。学校と言っても、我が家からカレッジA棟の南側にある教室まではせいぜい300メートルという近さなんだけど、トートバッグをよっこらしょと肩にかけると、うう、重いなあ。

生徒はワタシを含めて6人。男性2人、女性4人。アジア人が3人で、白人が3人。教室の後ろにあるイーゼルをそれぞれに持って来て、アトキンソン先生のテーブルを囲むように配置したテーブルに道具を並べて、筆洗に水を入れて、準備完了。各自の自己紹介から始まる。ワタシのとなりはイギリス訛りのあるウェンディ。職業は映画撮影のマイクの操作監督。バンクーバーはハリウッドの映画やテレビ番組の撮影が多いから、そういう珍しい仕事もあるんだな。フリーランスの自営ということで意気投合。ひと回りしたところで、半分が初めてということでまずは道具の簡単な説明。その後で、とりあえず描き始めようということになって、先生が貝殻を3個ずつ配って回る。深く考えずに見えるがままを描きなさい。(考えずにと言われても・・・。)所要時間は5分。ええっ、5分!?

それ~っと5分で描き上げたのが、これ↓[写真]

題して「3つの貝殻」。縦にしても横にしても貝殻には見えっこないなあ。みんなのはスタイルこそ違ってもちゃんと貝殻に見えるのに、ワタシのはカラフルな渦巻き。でも、先生の評は「貝殻の特徴を良く捉えている」。あはは、ワタシは渦巻きを描くのが好きなの。というよりは、実は具象画が大の苦手。だから、デッサンもかなり苦手。たまにはやるけど、目に見える通りには描けないから、中学の美術の時間にやらされた胸像のデッサンなんか似ても似つかない人物の顔になっていた。(これでも小学校時代は子供絵画展みたいなのに何度か入選したんだけどなあ。)色彩だって、寒色、暖色の見分けが何となくつく程度で、補色、反対色といったことはまだよく理解できていないから、適当に絵の具を混ぜてみて、気に入った色を使っているようなところがある。このあたりは極楽とんぼ亭のシェフの流儀に似ているな(あたりまえだけど)。だから、もう少
し基本的な知識やテクニックを学ぼうということなんだけど、さて・・・。

カレシが「モデルになってあげてもいいよ」と言うけど、やめておいた方が良さそうな。ピカソの絵のようになってしまうかもしれないよ。ひょっとしたら、昔のロバート・レッドフォードの写真を見ながら描いたら、あんがいカレシの肖像のように見えるかもしれないな(まさか)。ま、ワタシのスタイルはあくまでも門前の小僧が覚えたお経をラップで唱えてみるようなもので、絵の具だらけになるのが気分がスカッとしてすごく楽しい。そこそこに才能があればまともな作品ができるだろうけど、他人にああだこうだと批評されることが多くなる。だけど、へた過ぎればみんな唖然として何も言わない(言えない?)から、せっかくの自己満足に水を差されることがない。つまり、へたはへたなりの流儀でやればいいのが、「へたの横好き派」に属する極楽とんぼ流画道の楽しさなんであって、だからやめられないんだなあ、もう。

結婚しないうちに馬脚を現す花嫁さん

9月26日。月曜日。目が覚めたら、ベッドルームは暗くて寒い。そろそろ毛布を取り替えなければ、なんてつらつら考えながら起きてみたら、嵐だ。雨はじゃあじゃあ降っているし、風もすごい。これがやがて来る「雨期」の前兆じゃないといいけどと思いつつ、テレビの天気予報を見たら、どうやらこの嵐、日本方面からやって来たらしい。東京の上を通り過ぎて北海道の沖まで行った台風ロケ(15号)のお流れがここまで来てしまったということか。遠いところをわざわざ・・・。

いつものことでジンクスのようになっているんだけど、なぜか少し余暇ができたかと思って趣味に乗り出すと仕事がどさどさと降って来る。ちんたらやっていて少々遅れ気味になりそうな大仕事をまだ余裕はあるしぃ~とよけいにちんたらやっていたら、閉店間際の駆け込み仕事やら、割増料金つきの特急仕事やら、来るのかどうかあてのない引き合いやら・・・。おまけにニューヨークの会社から法律関係の翻訳者募集のコールがあって、つい「OK」と返事を出したら4ページもある登録用紙を送ってきた。大学はどこだ、専攻は何だと何かこまごまと質問があるけど、1日。当たりの処理語数を聞いてもレートのことは何も書いていない。おまけにワタシの仕事内容を問い合わせたいから取引先を最低2つだと・・・おいおい、トライアルをやればいいだろうに。ワタシはどの取引先にも他にどこと取引しているかは教えない方針。ふむ、こういうところはめんどうなこと多いから、どうしたもんかなあ。やめとこうか・・・。

法律や会計の分野の日英訳は、やる人が足りないのかどうか知らないけど、不景気になっても何の資格もないワタシのところにけっこう仕事が回ってくる。まあ、証券や金融と違って、法律も会計も専門家は「士」がつくから、本業に精を出す方がずっと実入りがいい。弁護士も会計士も1時間何百ドルと請求して年収何十万ドルだけど、翻訳業はその足許にも遠く及ばない。だから、翻訳が好きで副業としてやっている人の方が多いのかもしれない。小町などでよく「翻訳の勉強をしたいが、どの分野がいいか」なんて能天気な質問が出るけど、この稼業、教育歴や職業経験の有無がけっこうものを言うから、「翻訳をやるなら○○の分野がいいよ」なんて答は出てこないと思うんだけど、どの分野が「一番仕事が多くて実入りがいいか」という基準でアドバイスが寄せられる。まあ、得意不得意、向き不向きを考えずに「○○は高収入だから」と大学の専攻分野を決める人もいるわけで、生活の糧を稼ぐんだからそれはそれでいいとは思うけど。

だけど、世の中、やっぱりお金がものさしなんだなあと思う。小町にも最近は男性からの彼女や妻に関わる「お金」の相談トピックが増えている。小町には「男性発」というタブがあって、女性の上げるトピックがつまらなくなって来たので、男性の相談事を集中的に見たら、これが実におもしろい。色恋沙汰は相変わらずだけど、彼女・婚約者とお金のことでもめて相談しているトピックがけっこう多い。親が資産家だとわかったとたんに慎ましかった彼女が豹変したり、、逆に親の遺産を相続しないことにしたら彼女に婚約解消を言い出されたり。何というか、二十一世紀の金色夜叉たちの婚活攻勢に戸惑っている男たちの悲鳴が聞こえて来そうな感じで、今どきの日本の独身男性って、ほんとにかわいそうだな。

それにしても、いざ結婚することになってからお金でギクシャクするカップルが多いな。そういうところを付き合っている間に話し合って、価値観が合うことを確認したからプロポーズしたんだろうになあ。どうやら女性たちの猫かぶりの方が一枚上手だったということなんだろうか。たいていは「結婚前に彼女の本性がわかって良かった。別れなさい」のアドバイスがずらりと並ぶ。たし
かに悩める花婿のお相手にはお金に目が眩んでいるとしか思えない手合いが多いけど、そこで不思議なのは、どうしてそういう動機を正式に結婚する前に露呈して元も子もなくしてしまうのかというところ。セレブ奥様の自分を想像して気が緩むのか、あるいはひょんなことから裕福な暮らしは望めないとわかってパニックになるのか、いずれにしても結婚式までもう少しというところで馬脚を現してしまうのは賢い女性とは言えないだろうなあ。だけどまあ、猫をかぶり通すというのは明晰な頭脳ときめ細かな心配りが必要だと思うから、人のお金に目が眩むような賢くない彼女たちには難しいのかな。ま、閑話休題ということで、仕事に戻ってちょっと稼ぐか・・・。

朝ごはんは点心、晩ごはんは玄米酢入りおでん風

9月27日。火曜日。今日は明るい。台風一過というところか、青空はほんとに秋のブルー。気温も少し上がりそう。コーヒーだけを飲んで、短い半袖のTシャツだけで正午過ぎにおでかけ。

今日は午後の英語教室の「野外実習」。いつも使う教室が今日だけ別のプログラムに使われるので、中華レストランで飲茶をしようということになって、生徒さんたちが選んだのが我が家からそう遠くない「フラミンゴ」(中国語の看板は「紅鶴酒家」と書いてある)という中華レストラン。商店街から離れたところに場違いな感じでぽつんとあるんだけど、もう何十年も前から点心がおいしいという評判の老舗。ワタシたちもワタシが日系商社の小さな子会社(総勢10人)に勤めてい
た頃に会社のパーティで行ったことがある。もう30年以上も前の話だけど・・・。

起きて早々から飲茶というのはちょっとばかり「ん?」な感じで、カレシは「きついなあ~」とぶつぶつ。でも、みんなにとってはランチタイムなんだし、みんな中国系なんだからランチは飲茶というのは普通の発想でしょうに。来ていたのは女性ばかり7人ほど。カートが回ってくるたびに食べ物がどんどんテーブルに貯まる。おしゃべりをしながらもせっせと食べる。太くて長くて重い中華箸と格闘しながら食べている間に湯飲みはいつもお茶が満々。お皿の上にスペースができたら、すかさず誰かが料理を取り分けてくれてしまうもので、起き抜けの胃袋はさぞかしびっくりしただろうな。でも、話の中でワタシがコンジー(中国粥)が大好きだといったら、いつの間にか注文してくれたらしく、しばらくして出てきたほかほかのお粥のおいしいこと!今まで食べた中で一番おいしいコンジーだった。(レシピ、どこかにないかなあ・・・。)

はちきれそうなおなかを抱えて帰って来たらもう3時近く。カレシを夜の部に送り出すための早めの夕食のしたくにかかるまでの間、メールをチェックしたら、ありゃ、また仕事が増えている。明日の午後5時の期限に2つも重なってしまった。日本も秋風と共に節電の夏から解放されて、どっこいしょと腰を上げで仕事に精を出し始めたのかな。それは喜ばしいことだけど、ひとつは(時節柄)放射能に関係があって、もうひとつは貿易と法律に関係がある。はあ、右脳と左脳を使い分けて同時進行できたらいいのになあ。実際に、昔はある種のてんかんの治療に右脳と左脳をつなぐ脳梁を切り離す方法を使っていたことがあるそうで、分離すると左目で見て右脳に伝わった物体の情報が言語中枢のある左脳に伝わらないために物体の名前を言葉で表せなくなるということだった。てことは、脳の両側に英語と日本語の言語中枢を作っておかない限り、右目で
しか仕事ができないってことか。なあんだ・・・。

ま、カレシを送り出してから仕事に突進することにして、まずは夕食。おなかが減ってないんだけど、カレシが帰ってくる9時近くまでは持ちそうにないから、「何か」作ることにする。フリーザーを開けたら一番上におでんセットがあって、閃き。フリーザーの底の方にいつ作ったのか覚えていないおでんの汁の残りがある。よし、Hマートで買った韓国風さつまあげがあるし、大根があるし、白菜が残っているし、ごぼうがあるから、今日はなんちゃっておでん。ガチガチに凍ったおでんの汁を鍋に放り込んで液化している間に、ごぼうを切って、水に漬けてあく抜き。そこで酢をたらすつもりがうっかりしておでんの鍋の方に!でも、玄米酢をたぶん大さじ1杯くらい入れたと思うんだけど、恐る恐る味見をしたら、おでんの汁に何だかコクのようなものが出てきたからびっくり。おでんお汁に「コク」があるべきかどうかは知らないけど、まさに怪我の功名。ついでにしらたきもひとつかみをざくざくと切って放り込んで煮込んでいる間に、ししとうを焼いて、冷凍しておいた松茸ご飯の残りを電子レンジでチンして、これが極楽とんぼ流「吹き寄せ(集め)」料理。カレシはおでんのスープがおいしいと言って、浅いお皿に盛ったのをきれいに飲んでしまった。

では、カレシがおでかけして、静かになったところで、腕まくりをして仕事にかかる。いくつあるんだっけなあ。とにかく、納期が一番近いものからちゃっちゃと処理しないことには・・・。

さびしいからと浮気をしたら本当にさびしくなるかも

9月28日。水曜日。いかにも秋晴れという空模様。本当は雨の予報じゃなかったのかなあ。ま、乙女心と秋の空というから、天気予報官も大変だな。ワタシは乙女から果てしなく遠い年代になったもので、もう秋空のごとくころころと心変わりすることはなくなった(と思う)けど。はあ、眠い。就寝は午前5時過ぎ、納期の順位が一番早いものを仕上げて送ってから。ぎりぎりまで頭をこき使っていると、いつまでもニューロンがあちこちでパチパチと火花を散らしていて、なかなか寝つけなくなる。かといって、水曜日はシーラとヴァルが掃除に来る日だから、いつまでも寝ているわけには行かないので、やむなく正午に起床・・・。

ヴァルがいつも気を利かせてワタシのオフィスをいの一番に掃除してくれるので、きれいになったところで(と言っても、竜巻発生現場並みの有様なので、本棚の埃を払って掃除機をかけるだけ)、午後5時期限のもうひとつの仕事をやっつけにかかる。約3時間を想定して、3時間で完了、納品。ひとまずしゃんしゃんと手を打って、夕食は何にしようかと考える。期限が午後5時というのはかなり気持の余裕を感じるけど、これがあと1ヵ月とちょっとで時計が標準時に戻ったら自動的に午後4時になって、気持の余裕なんて吹っ飛んでしまう。ま、近年は標準時の期間の方が短いからいいけれど。ひと息つけるかと思ったら、寝る前に終わったはずの仕事の続きがどかっと入ってきて、棚上げ中の大きな仕事はそのまま棚上げ。このままだと納期まで残っている時間枠の最後の方にぎゅぎゅっとアコーデオンプリーツになってしまいそうなんだけど。なんでこう急に忙しくなるんだろうなあ、もう・・・。

とりあえず、夕食が終わってから最初のセクション。眠気がして来るけど、これはわりと簡単だったからささっと済んだ。そこで眠気払いに小町横町を散歩。いつものように、結婚しようかしまいか、離婚しようかしまいか、行くも地獄、戻るも地獄なのが小町横町の世相。どんな泥沼劇が展開されようがちっとも変化がないという点ではある種の安心感があるのかな。でもまあ、『妻の不倫がどうして私のせいなのか』と聞いている人がいる。なんでも、妻の不倫が発覚して、離婚前提で実家へ帰したら、向こうから話し合いに来いと言われ、離婚の条件のすりあわせかと思って行ったら「出来心だから水に流せ」と言われ、はては仕事が忙しくて妻をかまってやらなかった夫にも責任があると言われてしまった。その程度で浮気が許されるのなら世の中は不倫だらけになるではないか、と。まさに・・・。

浮気や不倫の言い訳はいろいろとあるけど、「かまってくれないでさびしい思いをさせたそっちが悪い」というのは、どうやら洋の東西を問わず普遍的なものらしい。オンナノコに夢中だったときのカレシも「キミがボクにさびしい思いをさせたからだ」と空涙を流して見せてくれた。(そうそう、「妻(夫)とうまく行っていない」というのも、カレシも活用した世界共通の浮気コール。)でも、相手が家計(または子育て)のために身を粉にしているときに、忙しくてかまってくれないから「外で遊んで来る」と言うのは大人のすることじゃないし、それが許されるんだったら夫婦をやっている意味がない。ちなみに「夫婦でいる意味がなくなったから」というのは、カレシが離婚したら家族や友達にワタシが「自分の大事な趣味」を受け入れなかったせいだと説明するつもりだと脅して?おいて、「キミはどう説明するつもりだ?」と矛先を向けてきたときのワタシの返事。だって、一方があさってのほうを向いたままだったら、もう夫婦でいる意味がなくなったということで、他のどんな説明も不要だと、ワタシは思うから。

一生懸命に働いて疲れているかもしれないパートナーを尻目に「恋愛ごっこ」を楽しんだあげくに、ばれたら「さびしい思いをさせたそっちが悪い」はないだろうと思うなあ。まあ、悪いことをして「悪いのは自分じゃない。自分にそうさせた方が悪い」と言う責任転嫁も人類に共通の心理であることは間違いない。だけど、原因が何であれ夫婦でいる意味がなくなったのなら、浮気だの不倫だのとひと騒動を起こして人生をややこしくするよりは、天下晴れての独り身になって堂々と理想のパートナーや新しい人生のポテンシャルを追求した方がいい結果に遭遇する可能性は高いと思う。夫婦でいたくない相手にぶら下がったままでは二進も三進も行かなくなるし、ストレスも溜まる一方だろうし、不毛なけんかにエネルギーをとられてしまうし、浮気や不倫の相手も優柔不断な「恋人」にイライラするかもしれないし、何にもいいことがない。もっとも、夫婦を解消したら、かまってくれなかった人もかまってくれる人もいなくなって、ほんとに「さびしい人」になることもありえるけどな。Be careful what you wish for(軽率な願いごとは怪我のもと)・・・。

ストレス太りしたり、ストレスやせしたり

9月29日。木曜日。ごみ収集車の音で一度何となく目が覚めて、また眠りに落ちて、目が覚めたら午後12時40分。カレシを肘で軽く突いたら、パカッと目を開けて「ヘンな夢を見てた~」。ここんところ、老朽化してもうろくしたコンピュータと格闘していたから、カレシの脳もデフラグが必要になったのかな。「ボクたち2人とと、顔のわからない2人とでリゾートのようなところにいて、顔のわからないやつが特別サービスをさせるとか何とか言っていて・・・」って、なんかおもしろそうな夢。

起きてバスルームの秤に乗ったら、きゃっ、きのう増えていた分がまだ残っている。ふむ、おとといの飲茶の影響がまだ抜けていないのかなあ。体重は毎日欠かさず就寝直前と起床直後に同じ条件(下着のみ)で計る。夜と朝の体重の違いが寝ている間の基礎代謝量の目安になっていて、それを数年続けていると自分の新陳代謝のパターンがある程度わかって来る。だいたいのところ、日課的に運動をしているときは夜と朝の差が大きいし、運動をさぼっていると差が縮まり、かなり長いことさぼるとまじめに運動をしていた頃の半分になって、同時に体重がじわ~っと右肩上がりになる。ときどきは急に体重がパターンを外れて跳ね上がり、だいたい2日。くらいで何となく元に戻ることがあるけど、浮かび上がった共通点がなぜか出汁(の中のいわゆる「旨味」成分)や醤油のようなナトリウム分の多い調味料を多用する料理。ということは、ふだんがわりと低塩の食生活なので、急にたくさん食べたら一時的に「むくみ」が起きる・・・のかな?

もちろん、ストレスがかかっているときはすぐに空腹状態になるから、食べる量や回数が増えて体重が増えることもある。徹夜などしようものなら、2日。くらいは冬眠から覚めた熊みたいな状態になって、普通に食事をしていても30分も経たないうちに「おなか空いた~」ということになる。この頃は精神的なストレスを感じることが少なくなって、やけ食いをすることもなくなったんだけど、年とともに肉体的なストレスには敏感になって来たということかな。思えば、在宅自営業が多忙な上に家事も100%やっていて、おまけにカレシからの精神的なストレスがどんどん高まっていた1990年代にはBMIが25まで行った。あの頃の写真を見ると、ほんとに「太って」いた。マッチ棒のようなオンナノコと比べたら百年の恋(があったとして)が冷めるのも理解できると思ってしまうくらい「どっしり」していた。何であんなに太ったのかって、カレシが家にいないランチタイムに、インスタントラーメンを2つも食べるというような大食いをしていたことに尽きるんだけど、あれはまさにストレス太り。

逆に、急激に強いストレスに襲われると食欲がなくなるから、当然やせる。カレシご狂乱の場になって、半年でBMIが20まで急降下したのはまさにそのストレスやせだった。何しろ口論が始まったらいつ終わるのかわからない。終わりそうになってはまた始まるという繰り返しで、食事時が近いと食べる気が失せる。夜だと空が白んでくるまで延々と続くから、翌日は寝不足で仕事。最悪のときには2日。がかりで大喧嘩をしたこともあった。表向きは普通に仕事をしていたから、大量の仕事をこなしながらうつ病の治療とカウンセリングを受け、頻繁に派手なけんかをやり、合間にオンナノコが「ひょっとしたら」の期待感に胸を膨らませて日本からノコノコとやって来るし、夜のお仕事のオンナには「同じ」日本人として恥ずかしいと攻撃されるし、しまいにはカレシがストーカーまがいの行動に出るし・・・うん、ワタシにとっては破壊されそうになっている自分という「人間」の生存をかけて戦っていたような気がするから、ストレス食いなどしていられなかったんだろうな。

それが10年前で、今のBMIは22。おなかのあたりがちょっとぽっちゃりして来たように思うんだけど、まあ、着るもののサイズを変えないで済んでいるうちはいいか。体重増加の大半はお酒だということ(つまり、酒量を減らせばいい)はわかっているし、ストレス食いに気をつければ「メタボ」は回避できるだろうし、人間、年を取ると服のサイズよりも何よりも中身の健康だから。

スマート何とかはほんとに賢いの?

9月30日。金曜日。午前11時40分起床。きのうとは一転して暗い。もうインディアンサマーも終わりかな。今日で9月は終わり。夏至の頃と比べると、日の出は2時間遅いし、日の入りは2時間以上も早くなって、これからどんどん目に見えて日が短くなる。バンクーバーの日の出から日の入りまでの昼の長さは夏至前後でだいたい16時間半、冬至前後では8時間とちょっと。夏は日が長い上に晴れ上がる日が多いから、バンクーバーの夏はすばらしい!ということになり、冬は日が短いところへ雨や曇りの日が多いから、よそから来てうつっぽくなってしまう人が多いんだろうな。

今日はワタシはダウンタウンのOpusへ行きたくて、カレシはネットブックを買いたくて、地下鉄で出かけた。終着駅まで行って、まずはOpusまで。昔Woodward’sのデパートがあったあたりと見当をつけて行ったけど、うっかり道路を反対側に渡ってしまったので行き過ごして逆戻り。デパートの跡地が再開発されたおかげで、ずっとさびれていたこのあたりも少し活気がでて来たような感じがする。Woodward’sはバンクーバーの地場企業で、札幌なら(まだあるのかどうかは知らないけど)「丸井今井」のような存在かな。北米のデパートとしては珍しく地下に食品売り場があって、カナダに来たての頃はよくカレシとよく行った。古いレンガの建物で、木の床が歩くとぼこぼこと音を立てたもんだった。ダウンタウンの中心が西へ移って周囲がさびれ始めたときに動かなかったために取り残され、経営者一族の内紛もあって創業100年目についに倒産してしまった。もうずいぶん昔のような・・・。

ダウンタウンの中心までの間は英語学校やら留学生目当ての専門学校がやたらとたくさんある。一時はダウンタウンだけでも百何十校もあった英語学校だけど、最近はどうなんだろうな。留学生目当てのいわゆる専門学校的な「何とかカレッジ」というのがずいぶんあるのは、英語だけでは生き残れなくなっているのかもしれない。でも、わざわざカナダまで来てESLでネイリストだとか客室乗務員のお勉強をしても、帰ってからのキャリアに役に立つのかな。せいぜい3ヵ月か半年の英語留学じゃ婚活にもならないだろうし、どこまで英語を伸ばせるのかも疑問。相当な費用がかかっているんだろうけど、日本でまともな英語学校に行った方が成果が上がるんじゃないかな。まあ、そういうグループとはまったく接点がないから、ワタシにはわからないけど、留学することに意義があるということなのかもしれないな。それが「国際化」だったりして・・・。

ワタシの買い物はあっさりと済んで、今度はカレシのネットブック探し。Future Shopにはしばらく前までいくつもあったのが今は2機種だけ。ネットブックが並んでいたところはタブレットがずらり。でも、質問しようにもスタッフが見つからないので、それではとStaplesの方へ回ってみたら、ここもタブレットが主流。なんかスマートフォンとネットブックの融合したのがタブレットという感じだな。それでも、ネットブックは4機種あって、ひとつに触っただけで「ご質問は?」とスタッフが近づいてきた。ワタシが新しいキーボードを選んでいる間に、あれこれ質問していたカレシはHPの一番安いのが気に入ったようで、「この値段なら練習用にちょうどいい」とお買い上げ。どうやらボストンへ持って行くつもりのようだけど、順調に操作できるようになるまではワタシの後ろで何が動かない、何がうまく行かないと、うるさいことだろうなあ・・・。

ワタシの方はワイレスのマウスはうまく行ったけど、ワイヤレスのキーボードがうんともすんとも言わない。ふん、仕事が終わったらゆっくりいじってみるか。スマート何とかもいいけど、入れ替わり立ち代りで目まぐるしく変わる技術に追いつくのがそろそろめんどうになって来た気もする。初めてPCを買ったのはもう24年も前だけど、なんだか24年も「過渡期」が続いていたような観もあって、ほんとに進歩しているのかどうかもわからない。人間同士の係わり合いも歩調を合わせて大きく変わりつつあるのはたしかだけど、果たして良い方に向いているのかどうか。いや、人類がほんとに進歩しているのかどうかもあやしいような・・・。

そうだ、電力会社が「スマートメーター」を取り付けに来ると通知してきたな。電気の使用量がリアルタイムで電力会社に送信されるんだそうな。(検針員がいらなくなって経費節減か。)自分の電気の使用パターンをネットでチェックして節電できるっていっても、そんなヒマないけどな。何でもかんでもスマートって、ほんとにsmartに(賢く)なっているのかなあ・・・。


2011年9月~その2

2011年09月21日 | 昔語り(2006~2013)
あれから10年

9月11日。未来へ向かって踏み出そう。でも、あの日はこれからも私たちと共にある。

鎮魂・・・

不惑どころではない男の更年期

9月12日。月曜日。きのうは精神的にすごく疲れた。でも、やっぱりひとつの節目だったんだという気がする。今日はちょっとどよ~んとした気分で眠い。それでも正午前に起きて、先に起きていたカレシを探して裏のポーチに出たら、うわっ、風だ。それもそよ風なんてやさしいものじゃなくて、本気で吹いている。日本の「秋のイメージ」で描写するなら、一面のすすきをなぎ倒すように野原を渡って行く秋の風というところかな。(実際にすすき野原の風景を見たことはないんだけど。)季節が変わる前兆を肌で感じるような風・・・。

今日はカレシの弟ジムの67歳の誕生日なので、ハッピーバースデイのメールを飛ばした。「いくつなのか忘れちゃったって?自分がいくつなのかもう考えなくてもいいってことで、いいじゃないの。自分の年を覚えていないのは、覚えているには若すぎるってことだから」と。もう20年くらい前、ある日突然ジムは真っ赤なスポーツカーを買った。みんなが仰天しているうちに、不倫が始まって、夫婦でカウンセリングを受けてみたりしたけど結局は離婚。でも、2人はそれぞれできた新しいパートナー(とその子供の家族)/ガールフレンドもひっくるめて和気藹々の関係。まあ、離婚したおかげで「家族」の人数が増えるなんて珍しいだろうと思うけど、そこはマリルーの人徳と、未婚の母だった彼女の幼い息子を養子にしてかわいがって育て(実父がわかったときには会いに行かせ)たジムの懐の深さによるところが大きい。

そういう人が何で浮気なんかと思うけど、やっぱり「中年の危機」で血迷ったとしかいいようがないだろうな。かってはジョークのネタでしかなかった「男の更年期」が最近やっと「LOH症候群」として医学的に認知されたそうだけど、生理的な変化である更年期は「老化」を意識させられるという点で男女を問わず精神的にかなりのストレスだろうと思う。で、ずっと見ている『ストレスと身体』の講義で、サポルスキー先生が「強いストレスがかかると衝動をコントロールする脳の前頭葉の活動が低下して、見境のない行動を取るリスクが高まる」と言っていた。つまり、男が「不惑」の40歳を過ぎてから、かっとしてとんでもない事件を起こすのも、むらむらとして女子高生のスカートの中を盗撮するのも、浮気や不倫に走るのも、赤いスポーツカーを衝動買いするのも、そうでなくても社会的にストレスの多い年頃で、男としての機能が低下して、当惑した故ということなんだろうか。

この「男の更年期」、女の更年期と違って「過ぎてしまえば後は楽」というわけではないらしいのがやっかいなところ。女性の場合は閉経という通過儀礼みたいな現象が最後にあって、そこを過ぎればせいせいした気分になり、俄然更年期前よりも溌剌としてくる人も多い。(還暦を過ぎたおばちゃんたちのバイタリティはすごい・・・って、ワタシも還暦過ぎのおばちゃんなんだけど。)ここで「男、40にして困惑」と言ってしまっては身も蓋もないけど、実際に40代あたりで「ミッドライフクライシス(中年の危機)」が訪れて、理性のたがが緩んでしまうのは、男の更年期の通過儀礼がどうも最初に来るせいではないかと思う。

つまり、人生のストレスの多い時期に(あるいはそういう時期だからこそ)男のプライドが揺らぐことが起きて、それがストレスを倍増させ、20代半ばまでかかって発達して大人の男の理性を支えてくれていた前頭葉が萎縮させるために、衝動を抑えることができなくなるんだろうと思う。現に、盗撮や痴漢で捕まった男はたいていが判で押したように「ストレスがたまっていた」と言い訳している。仕事でも家庭でもストレスがいっぱいで、いつもストレスホルモンの栓が満開の状態だと、ストレスホルモンの受容体が多い脳の前頭葉でニューロンが萎縮し、層が薄くなる。そうなると、判断力と衝動を抑える力が低下して、何かのきっかけで「つい」とんでもないことをやらかす時限爆弾になる。ただし、ストレスが軽減すると、萎縮したニューロンは再生できるんだとか。でも、前頭葉の配線はストレスに遭う前とは違ったものになるらしい。

男40にして、すわ男の更年期かと「当惑」、それでは若い女性と男の春をもう一度と浮かれて「浮惑」、出会いを求めてこそこそと携帯をいじっては「疑惑」を招き、つい事件を起こしてクビにでもなれば家族にとっては「迷惑」。はて、現代人はいったいいくつになったら「不惑」の境地にたどり着けるのやら・・・。

男の(女も)器は大きさよりも中身が大事

9月13日。火曜日。午前11時30分、目覚ましで起床。あらっ、涼し~い!そういえばきのうの夜の天気予報で「夏を楽しむなら今のうちですよ」なんて言ってたなあ。だからといって、まるで「更新」ボタンをクリックするみたいに、いきなり夏から秋に切り替えるなんてのはなしにしてほしいもんだ。

朝食を済ませて、カレシを英語教室「午後の部」に送り出して、夕方が納期の仕事をやっつける。いたって機械的な企業事務の書類は慣れていることもあって楽ちんでいい。ワタシの後ろに忍び寄ってきては思考の流れをかく乱しようとするカレシもいないから、固有名詞の検索以外は辞書を引くこともなくて、すいすい。カレシが帰ってくる前に終わってしまったから、きのうの閉店間際に入ってきた大きそうな仕事の算段にかかる。文字カウントをかけて出て来た数字を原稿用紙の400字で割ったら、あちゃ、約60枚。まったくテーマが違う別の仕事とパケット交換よろしくの並行処理になりそうだなあ。なんか仕事が増えて来そうな感じがするけど、お盆と節電のシーズンが終わったせいかな。少し趣味の方に精を出そうと思っていたのに・・・。

カレシが「午後の部」から帰ってきて「夜の部」に出かけるまでの時間は3時間足らず。ひと休みしてから、夕食を食べさせて送り出すまでがけっこう忙しい。だからメニューはいつも簡単手抜き料理。手っ取り早くパスタで済ませることが多いけど、今日はマグロのグリル。ステーキに市販の餃子のたれを塗っておいて、オレンジ色のピーマンをグリルパンに載せ、付け合せのインゲンを蒸し始め、頃合を見計らってマグロを焼き、最後に白ぶどうをひと掴みさっと焼いて完了。所要時間30分足らずで、これがほんとのファストフード。

いつもながらあれがない、これがいると言って最後に「遅刻だ~」と出かけて行くカレシを送り出して、きのう目に止まった小町のトピックにじっくり目を通す。『「器の大きい男性」って?』という、いかにも小町横町らしい質問。でも、男女を問わず「器が大きい」というのはどういうことなのかを考えてみる気にさせるトピックではある。もっとも、そもそも人間の「器」について明確に定義しないままでの質問だから、当然のっごとく返って来るのは小町横町の半径から見た「器の大きさ」、つまり、トピックの主が言う「金銭的、精神的、体力的に己を切り詰めても常に女性を最優先する男性」、端的に言えば「女にとって都合のいい男」のイメージが浮かんで来る。「己を切り詰める」って、大きな器を切り詰めたら元も子もなくなりそうだけど、もしもワタシが男だったら、「やってらんねぇ~」と悲鳴を上げて逃げ出すかもしれないな。

そこで、久しぶりに広辞苑を引っ張り出して「器」を引いてみたら、「事を担当するに足る才能、器量、また、人物の大きさ」というのがあった。でも、「人物の大きさ」っていったいどうやって測るのかな。体重計とテープメジャーで事足りるなら、いわゆる肥満体の人たちはみんな「器の大きい人」ということになる。それは冗談だけど、要するに表面的には見えないかもしれない内面的なものの大小を言っているんだろうから、現実的にその表面に見えない「大きさ」をどんなものさしで測るんだろうな。まあ、「器」というからには何らかの容積単位で測るんだろうと思う。だとすれば、英語では「capacity」、あるいは「caliber」というところか。

そこでまず「capacity」を辞書で引いて、トピックで議論している「器」に相当しそうな語を見てみたら、まず「包容力、度量」、次に「適応力、耐久力」、さらに「可能性」。他に「(学問などを)学び取る力、学問的才能、知的能力、理解力」というのもある。次に「caliber」を引いてみたら、「(心の)度量、(知識の幅、知的能力などの)力量、才幹、(人物の)器量」とある。このcaliberは鉄砲の口径を表す単位でもあるところがおもしろいけど、「金銭的、精神的、体力的に己を切り詰めてでも(特に)女性を最優先」なんて犠牲的精神は微塵も感じられないし、だいたい(西洋の騎士道精神はいざ知らず)日本の武士道精神にそんな女性崇拝的な思想があったとも思えないな。つまりは、「器の大きい男性」というのは(わがままで自己中な)女性が夢に描く(ちょっと古いけど)「3高 の王子様」のことかな。中国では大都市で「公主病(お姫様病)」というのが蔓延しているそうだけど、小町横町でもバブル頭いまだ弾けやらずということなのかもしれないな。

人間は誰でもが持って生まれて来る「器」があって、人それぞれが違うように、その器の容量もみんな同じということはありえないと思う。でも、人間には「成長」の過程でその容量を大きくする機会も与えられていると思う。それが「capacity」に包含される「可能性」の意味ではないかな。まあ、人間の「器」がどっちの方向に変化しているのか知らないけど、いくらでっかい「器」を抱えて生まれて来ても、(書き込みにあったように)それをゴミで満杯にしたらたしかにどうしようもないだろうし、逆に、与えられた器が少しくらい小さめでも、きれいな宝石がいっぱい詰まっていたら、その人の心はきらきらと輝いているだろうし、温かなスープで満たされていれば、人をほのぼのと幸せな気分にさせるだろうし、滋養の高いスープだったら病める人も元気なるかもしれないな。つまり、容積の大小に関係なく、その「器」に何を入れるかによって、嫌われる人間にも、好かれる人間にもなり得ると言うことで、何を入れるかはその器の持ち主しだいだと思う。

それにしても、小町横町女性たちが定義する「器の大きい男」って、いったいどんな人だろう。たぶん、年収が1000万以上あって、女のおねだりに気前よく応じてくれて、女のどんなわがままも笑って聞いてくれて、絶対に女性を下に見ることなく、結婚したら「ボクが養ってあげるから」と専業主婦をさせてくれて、おまけに家事や育児も平等に分担してくれて、寝ても覚めても女性のためならエンヤコラ・・・いるのかなあ、そんな男?

何となく居酒屋スタイルの晩ごはん

9月14日。水曜日。正午の気温15度。このまま本気で秋に突入する気だなという感じ。朝食が終わる前にシーラとヴァルが掃除に来て、シーラが黄色いズッキーニのぶっといのを2本持って来てくれた。「留守番サービス」のお客さんが1ヵ月もハワイへ行っていて、庭で育っている野菜を放っておくのはもったいないから、どんどん食べるか友だちに分けるかしてと言いつかっているんだそうな。そんなに長く留守になるのにどっさり野菜を植えるとはのんきな人だと思うけど、丸々としたズッキーニは甘くておいしい。ごちそうさま。

きのうの夜にカレシがひょっこり「明日のメニューをリクエストしてもいい?」と聞くから、いいよと言ったら、「ワインがなくなりそうだから、酒に合う日本食を作って」と。物置のワイン棚を見たら、ケースで買った我が家の「ハウスワイン」は後1本しかない。白は他に何本かあるし、赤もあるけど、よ~し、オレゴン州産のにごり酒を開けるか。ということで、またフリーザーをごそごそ。つい先だっての日曜日にコース料理をやったばかりだから、ここはちょっと目先を変えて「イザカヤ風晩ごはん」というのはどうだろう。和風の小皿料理を出す「イザカヤ」はバンクーバーでもけっこう人気がある。イェールタウンではファッショナブルな若い人たちがしゃれたイザカヤのパティオのテーブルで「ダイギンジョー」で一杯やりながら器用に箸で「ジャパニーズタパス」をつついている風景が見られる。

日本の食卓の「晩ごはん」式に並べてみたら、汁物(北寄貝とねぎ)、煮物(ミニイカの醤油煮)、焼き物(シシャモの大根おろし添え)、蒸し物(ぼたんえびの酒柚子蒸し、しそ風味)、揚げ物(サツマイモ、エビ、しその葉のてんぷら)が揃っているから、我ながら感心。ご飯は発芽玄米。ワタシが漬物を食べないから、香の物はなし。だけど、何品も冷めないうちに一度にテーブルに並べるというのは、段取りを考えたり、調理時間のタイミングを計ったりのけっこう大変な作業で、作り始めてからテーブルに並べるまで1時間もかかってしまった。どうりで日本では共働き主婦が家事の負担で悲鳴を上げるはずだなあ。ご飯作りだけは毎日なんだもの。小皿のコース料理を作りながら食べる方がよっぽど楽ちんだというのがワタシの実感・・・。

これでフリーザーに少し空き容量ができたことだしということで、エコーのバッテリの充電がてら、夕食後にコキットラムのHマートまでひとっ走り。カレシは大好きな白キムチの一番大きな(1リットル?)の容器を見つけてご満悦。後は果物や野菜。ワタシはニラや大豆もやしや白菜を買って、長~いごぼうを買って、野菜売り場の端まで来たら、おお~っ、マツタケ。そういう季節なんだなあ、やっぱり。極上品はもちろん日本に輸出されてしまうから、地元で買えるのは日本人が買わない等級ってことかな。それでも、一番価格が一番低いパックで大きなのが3本入って46ドル(3500円くらい)。う~んと思案して、また週末が来るし、季節の短いものだしということで、(どこだったか忘れたけど)高いところから飛び降りるつもりで買ってしまった。さあて、どうするか、帰ってから考えないと・・・。

後は、キンキ丸ごと1本と刺身用の大西洋のサケ、冷凍ものではキハダマグロとビンナガ、ハマチ、たこの足、塩サンマ2本、アサリ、(何を思ったか)うなぎの蒲焼、めんたいこなど。Hマートのフリーザーには食べたことのない魚がいろいろあるし、カエルの足やスッポンのような「え~っ」というようなものもあって、見るだけでもおもしろい。スッポンは丸ごと冷凍で、甲羅から引っ込めた頭の先と手足がちょこんと見えていて、食べるのがかわいそうな気もするけど、スッポンスープはどんな味がするんだろうな。

のんびり買い物をしていたら閉店時間間際。レジでは持参の大きなトートバッグに入れてくれるように頼んだけど、にこにこしながらていねいに店の袋に入れてトートバッグに入れてくれる。アジア人は包装癖が抜けないのかな。そういえば冷凍して真空包装してある魚でもトレイに載せてラップで包んであるのが多いから、帰ってからせっせと外すのがひと仕事で、空きトレイはひと山のゴミになる。あ~あ。

今夜のランチは久しぶりにたっぷりニラを入れたチヂミと行くか・・・。

葉っぱが一枚落ちたら何の秋?

9月15日。木曜日。何となく薄暗いこともあるけど、どうもどんよりした気分。起きてみたら小雨模様。いかにも肌寒いという感じがする。ちゃんと寝ているのに寝たりなくて疲れたような気分なのはやっぱり季節の変わり目ということなのかな。週明けまでずっと雨模様の予報では、元気づけにモールまで歩くというのもめんどうそうな気分。でも、歩かなくても何だかやたらとおなかが空くし、かといって、「グー」信号にいちいち反応して食べていたらまずいような感じだし・・・。

秋といえば、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋、スポーツの秋、行楽の秋、読書の秋、芸術の秋、文化の秋、収穫の秋・・・他に何があるのかな。あれもこれもと忙しい季節だなあという感じがするけど、たぶん蒸し暑くてかったるい日本の夏が過ぎて、みんな俄然元気になってやる気が出て来るからだろう。季節感まで几帳面に仕分けされているようでおもしろい。たぶん日本人の体内時計にそういうカレンダーが組み込まれているんだろうな。でも、大雑把に短い乾期と長い雨期しかないようなところに長い間いれば、体内時計がリセットされてそういう季節感は薄れて行くものらしい。もっとも、蝦夷地の霧の最果てで生まれ育ったワタシには日本標準規格の季節感はピンと来ないんだけど、それは幼稚園の出席帳の各月の季節を代表する絵柄がその月々の自分の周りの風景とは全然違ったもので、未だに季節感覚が混乱したままなのかもしれない。

先週M6.4の地震が起きた同じ震源地で今度はM4.1の余震があったんだそうな。午前4時頃だったそうだけど、ワタシたちがそろそろ寝ようかと言っていたあたりか。先週のもそうだったけど、何も感じなかったから、寝て、起きて、昼のニュースを見るまで知らなかった。でも、実際には余震とされる小さな地震が何十回もあったらしい。前回ブリティッシュ・コロンビアで大地震があったのは300年以上前だそうで、次の大物がいつ来てもおかしくないとか。そうだろうなあ。地図を見れば、カナダの西岸はもろに「環太平洋火山帯」にあるんだもの。地球が生きている以
上はいつかは来るだろうけど、問題はそれが明日なのか、200年先なのかわからないことか。

地球は太陽系の中でたまたま生命の誕生や生存に適した位置にできた惑星だけど、太陽系の外にもたくさんの惑星があるはずだとして、いろんな観測や研究が進んでいる。これまでに生命を維持できそうなものも見つかっているそうだし、太陽系とはまったく違った不思議な惑星系もあるそうだし、すごいのになると何らかの理由で「太陽」を失ったらしいみなしご惑星が宇宙空間をふらふらと浮浪しているというから、宇宙にもホームレス問題があるんだとびっくり。そこへ発表されたのが惑星探査機ケプラーが2つの太陽を持つ惑星を見つけたというニュース。白鳥座にあって太陽系から200光年ぐらいという話だから、宇宙のものさしではけっこう近いじゃないの。この惑星は「ケプラー16b」と命名されたけど、天文学者たちは名作『スターウォーズ』の処女作に登場した2つの太陽を持つ惑星にちなんて「タトゥーイン」と呼んでいるとか。うん、まさに科学は小説より奇なりだな。

『スターウォーズ』は最初に作られた3作しか見ていないけど、双子の太陽が沈んで行くシーンはあまりにも強烈な印象で今でもはっきり覚えている。育ての親の叔父夫婦を殺されて独りぼっちになったルークが辺境の惑星タトゥーインで悲しみにくれながら眺めていた赤い2つの夕日。これからひとりで荒々しい世界へ出て行かなければならない若者が沈んで行く夕日に決意を新たにする・・・(サウンドトラックも含めて)まさに正真正銘の古典的西部劇のシーンだったけど、じーんと来るほど清冽な感じがした。(『スターウォーズ』の第1作(今はエピソード4)は正統派のアメリカ西部劇をしっかり踏襲した名作だと思う。)辺境の砂漠の夕日に2つの太陽を想像した人はすごいと思たもんだけど、それが現実になったんだからもっとすごい。宇宙に何十億とある連星。ひょっとしたらタトゥーインは数え切れないくらいあるのかもしれないな。白鳥座の2つ星アルビレオにも惑星があるのかなあ。青と黄色の宝石のようにうっとりする美しいカップルの太陽が綾なす夕焼け空を見上げてみたい!

でも、この太陽系の三番目の惑星の西半球の北の方の大陸の西側にある街の南の方の小さな家のベースメントにズームインしてみたら、ああ、ここは「仕事の秋」一色。それも大きめの仕事ばかり。この週末はねじり鉢巻だなあ、もう。だけど、何となく、ほんとに微妙に何となくなんだけど、日本に「復興の秋」が訪れつつあることを感じさせるような内容の仕事が出てきたような気がする。May the Force be with you、ニッポン!

ダサいファッション世界ワースト10

9月16日。金曜日。曇り空。眠い。涼しい。そろそろもう少し厚いブランケットに取り替えなくちゃ・・・と、つらつら考えながら正午に起床。ポーチの温度計は13度。なんだか眠くてやる気が出ない・・・。

それでも、朝食を済ませてオフィスに下りてきて、奥の小部屋に行ったら、ああ、ウォータークーラーがまた水漏れ。水のボトルに欠陥があったのかなあ。クーラーの上に約19リットルのボトルを逆さまにセットして下の方にある栓から水を出すと、その分だけ中の冷蔵タンクに水が補充されて、ボトルには空気が送り込まれるしくみ。タンク内の水の量は気密状態での圧力の釣り合いで溢れないようになっているんだけど、ボトルに小さなひびが入っていると、そこから空気が入って気密性が破れ、ボトルの水がどんどんタンクの中に流れ出て、タンクから溢れた水がクーラーの下から床に流れ出して来る。ボトルは何度も再利用されるから、2、30本に1本は事故が起きる。気がつけば使わずに取り替えてもらえば良いけど、知らずにクーラーにセットしてしまったら洪水が起きてしまうからやっかい。

ま、何度かそういう事故があった経験から、クーラーの下にビニールシートを敷いてあったので、床の被害はごく微少で済んだけど、それでも4センチくらいの深さに水がたまっていたから、いったい何リットル溢れたのか。眠いな~なんていってる場合じゃない。電源プラグを抜いて、まだ水が残っているボトルを外して、タンクの水をボウルに出し切って、軽くなったクーラーを床に敷いたタオルの上に移して、まずは溢れ水の処理。そばにあったプラスチックのコップですくってはバケツに空ける。すくえなくなったら、残った水をシートの四隅をまとめて持ち上げて園芸ルームの流しへバシャッ。シートが劣化していたので、去年のバスルームの改装で使った残りの内装用の分厚い防湿シートのロールからはさみで適当な大きさを切り出して、四隅をステープラーで止めて新しい水受けを作った。ついでに、酢を持って来てタンクの中を掃除して、部屋の隅においてあったテーブルの天板を置き台にして、水受けを置いて、クーラーを設置。新しいボトルをよっこらしょっと載せて、電源プラグを差し込んで、事故の後始末とメインテナンスの作業は完了。あ~あ、くたびれた~。

おかげで眠気はすっかり吹っ飛んだけど、思わぬ「大仕事」でやる気の方がちょっとあやしい。でも、日本は三連休だから、とりあえず日本時間の火曜日朝が期限のものは土曜日と日曜日でやっつければ十分間に合うと(またまた)高を括って、洪水騒動で読み損ねたニュースを読んで回る。どこかのメディアのファッショニスタがバンクーバーを「ダサいファッションのワースト10」に上げたということで、ああだこうだ。バンクーバーっ子のファッションがダサいのは、スパンデックスのヨガパンツをはいて街を闊歩しているからだとか、新聞サイトに載った写真はぴちぴちに締まったヨガパンツのお尻の大写し。う~ん、小さくて全然ふくよかじゃないワタシのお尻と比べたら、ウェストから逆さハート型に形が整ったお尻はセクシーで女らしくて羨ましいんだけど、それを見せるのはダサいの?ま、好き勝手にカジュアルで、他人のファッションにいちいちケチをつけないのがバンクーバーっ子の気風で、それがウェストコースト文化のいいところ。

この「ワースト10」にはカナダの首都オタワが「保守的過ぎる」という理由で8位に入っているから笑ってしまう。対照的なのがバンクーバーに次いで第4位だった「原宿」。世界のサイバーパンク・フュージョンのファッションのメッカである原宿が選ばれたのは、「みんなが人と違って見えるようにがんばった結果みんな同じに見える」から。写真には水玉模様のピンクのふりふりドレスを着て茶髪の頭にピンクのおリボンをつけた「カワイイ」ファッションの(20代後半っぽい)オンナノコ。そういえば、日本国政府はアニメやカワイイ・ファッションを「クール・ジャパン」とか言って、車やエレクトロニクスに次ぐ日本が誇る輸出品として世界に広める方針だとか。じゃあ、ランキング大好きの日本でも「ダサいファッション」ランキング上位入賞は新聞に載らないだろうな。お披露目をしたばかりのロゴマークはちょっとダサいと思うけど。

原宿の下、第5位に入ったボストンは「プリーツのカーキで、ソックスを履いてボートシューズ」という悪趣味ぶりが認められたらしい。あはは、それってもろにLLビーンのカタログのイメージじゃないの。第7位になったサンフランシスコ/シリコンバレーは、Facebook創始者のマーク・ザッカーバーグを引き合いに出してひと言、「スタイル(品格)の欠如」。そうか。彼はいつもTシャツにジーンズだもんな。改まった服装をさせたらまるで案山子みたいに見えてしまう。でも、そういうカジュアルなところが学生気分の抜けない若者が億の財を成せるシリコンバレーの文化なんだと思うけど。ちなみに、ランキングのトップは「デニムの短パン、Tシャツにビーサン」のフロリダ州オーランド、2位は「アロハシャツ」でハワイのマウイ島。まあ、どっちもバケーションで行く観光地なんだから、気を許してダサいファッションでもいいんじゃないのかなあ。

まったくもって、ファッショニスタは「うるせ~な」。人さまの服装にいちいちチェックを入れてイケてないの何のと言っている方がよっぽどダサいと思うけど、あ、「ダサい」もそろそろダサい言葉かな。ファッション(流行)の移り変わりは加速度的に速くなるから、目が回りそう・・・。

ブサカワとはみったくなしめんこと見つけたり

9月17日。土曜日。雨模様なのか、曇り空なのか、どっちでも寝ぼけ眼にはどんより。ちゃんと寝ているのに眠い。季節の変わり目は体調を崩しやすいというけど、なんか今ひとつすっきりしないのは急に気候が変わったからなのかなあ。でも、別に体調が良くないというわけはなくて、寝足りなくて、やたらとおなかが空くというだけの話。ストレス食いしているような感じもするけど、自分の一部が自分のものではないような、心の中にざわざわと風が吹いてさざ波が立っているような気分。何なんだろうなあ、いったい・・・。

ひょっとしたら9月だからかな。正確には9月11日。が巡って来る月だからなのか。自分自身に直接の被害があったわけではないのに、いつも1日。中つかみどころがなくて、だからやり場もない怒りと悲しみでめちゃくちゃに涙もろくなってしまう。ある意味で、「アメリカがなんたらかんたらだから」と言い切れる人が羨ましくなる。まあ、年齢的に涙もろくなるのは必然なのかもしれないけど、悲しみの涙は静かに流れるからまだいいとして、怒りの涙は、ほんと、すごいストレスになる。感情によって涙の化学成分が異なるそうだけど、だとすると怒りの涙には有毒成分が満ち溢れているんだろうな。だったら、泣くことで毒を体の外へ流すのがいいということか。

あんがい、悲しみは時間の流れによって癒されることはあっても、やりどころのない正体不明の怒りはいつまでも昇華せずに心の奥の奥に燃えさしのように居すわるということか。自分が「自分」という人間を一番良く知っているつもりで、実は自分にとって一番わかりにくいものかもしれないな。他人が考えていることや感じていることを察するより、自分が何を考え、何を感じているかを把握する方が難しいと思うことが多い。だからこそ、何かにつけて「んっとにワタシって何を考えてたんだか」という場面が出てくるんだろうな。やれやれ、人間てのはほんっとに厄介な動物だなあ。ま、何がどうなんだかよくわからないけど、何となく調子っ外れなのはやっぱり季節の変わり目のせいだということにしておこうっと。「もの思う秋」というし・・・。

きのう、「ダサい」はもうダサいのかなと考えていたら、小町に『ダサいに替わる表現は何ですか』という質問があって、『ダサい』はもう廃れ言葉だったんだとわかった。ワタシが日本にいた頃にはなかった言葉だから、さっと流行ってさっと廃れたのかもしれない。じゃあ、何といったらいいのか。『現代用語の基礎知識』も『Imidas』も買わなくなって久しいし、日常を日本語で暮らしていないので最新の「日本語」を話す人との接触もないから、流行語の変遷にもすっかり疎くなった感じ。最近は服装などで「イタイ」という表現をよく見るけど、「イケてない」ともいうのかなと思っていたら、どうやら今どきの若者は「ない」と言うらしい。「ない」となったら、「イケてない」から来たのか、「ありえない」から来たのかはわからないけど、ダサいとかイタイというのはそれでも「感想」を表現していたのに対して、「ない」は問答無用の全面否定。なんだか寒々とした感じがするなあ。

それにしても、ワタシがかろうじて覚えている「大きいことはいいことだ」の高度経済成長時代の流行語に比べると、バブルがはじけてこの方の流行語は人やものについて否定的なものが多くて、ポジティブな語感のものが出て来なくなったような印象を受けるんだけど、実際にはどうなんだろうな。(まあ、道産子のワタシの日本語はカナダに来てから覚えた「標準日本語」だから、元から微妙なズレがあるのかもしれないけど。)同時に感情表現が過激化し、生理感覚が過敏化しつつあるような印象も受けるけど、ま、そのあたりは外の遠く離れたところから部外者的な目で見ているからそう見えるだけなのかもしれないな。日常語の英語でさえ流行り廃りについて行くのがめんどうなのに、めったに翻訳原稿に出てこない今どき日本語の流行り廃りにまで気を配るのは季節に関係なくすごく疲れそう。

そうそう、ずっと「ブサカワ」という言葉の意味がわからなかったんだけど、その形容詞の典型例らしい犬の画像を見て、やっとわかった!「みったくなしめんこ」の平成標準語版だったのか。なあんだ、そう言ってくれたらどんな感じかがすぐにわかったのに。まあ、ところ変われば言葉変わる、時代変われば言葉変わるってところかな。変わるのは言葉だけではなくて、それを使う人間も時代やところと共に変わる。じゃあ、ところも時代も変わったワタシは何語人・・・?

フェイスブックと運命の赤い糸

9月18日。日曜日。寝つきが悪くて、外が明るくなってやっとぐっすり眠れたのに、正午前にカレシに起こされた。ワタシは「まだ寝ていた~い」オーラをばんばん出して抗議?したけど、カレシは「腹減った~」。まあ、今日は丸1日。分の仕事があるからしょうがないか、とぐずぐずとベッドから抜け出したら、「せっかくよく寝ていたのに起こしてごめんな」と、いかにも取ってつけたように殊勝?っぽい顔のカレシ。あ~あ、眠いんだけど・・・。

今日の朝食には「ポメロ」のウェッジが出てきた。カレシが英語教室の生徒さんからプレゼントされて来たもので、グレープフルーツのお化けのような大きさ。秋になるとアジア系のスーパーなどで山積みされていることが多いのは、9月の中秋節と関連しているらしい。そういえば満月のようなイメージでもある。食べてみたら思ったよりあっさりと甘かったけど、皮が分厚くてほとんど果汁がないのでポメロジュースは無理そう。このポメロ、中国では「文旦」、日本では「ザボン」と言うんだそうな。子供の頃に読んだ本に「ザボン」という言葉が出て来て、どうやら柑橘類らしいことは薄々理解できたものの、その変わった語感からどんな不思議な果物なのかと想像をたくましくしたけど、そっかぁ、なるほど、これがその「ザボン」か・・・。

Facebookで友だちが増えた。Friendはこれで16人。ほとんどが(拡大)家族のメンバーで、たまにチェックする程度だけど、友だちや家族の近況がさっとわかっていい。Friendの中で一番活発なのは劇作のガチャリアン先生と映画脚本口座のクラスメートだったダニカ。先生はフィリピン系の若手劇作家でゲイの活動家、ダニカはその後カレッジで教えながら作家デビューした才媛だから、どっちも交友関係は広いなんてもんじゃない。今までの「Friends」の他に「Close Friends」と「Family」にもカテゴリ分けができるようになったおかげで、友だちと家族の方にズームインしやすくなったから、チャットの使い方も勉強したら、ときどきリアルタイムで交流ができていいだろうなそうだな。10人いる「家族」の中で書き込みが一番活発なのはサンドラかな。

サンドラは甥のビルの4つ年上の姉さん女房。生まれはロンドン。「コクニー」と呼ばれるこてこての下町っ子で、16歳で学校を出てから美容師ひと筋。何度か会ったお父さんは船乗りだったそうで、コクニー訛り丸出しの実に愉快な人だった。日本の港に寄港したときの冒険談を話してくれたけど、テレビでイギリスの下町コメディをよく見ていたので、うまく聞き取れて話が弾んだ。(ちなみに、サンドラのお兄さんはプロサッカーのチェルシーの元選手で、カナダで女子サッカーの監督をしたこともある。)サンドラが行っていた友だちのパーティに、ビルがマリファナがあると聞いて招かれていないのに押しかけたのが2人の出会いで、最初は互いにそっぽを向いたらしいけど、いつの間にか相思相愛になってもう20年を超えた。ビルはしっかり者のサンドラに頭が上がらない、完ぺきなるかかあ天下。そのサンドラがすてきな言葉を書き込んでいた。

「人生の苦難の数々を生き延びてきたすべての強き女性たちに!私が強いのはかって弱かったことがあるからこそ。私が人に同情できるのは苦しみを味わったからこそ。私が今生きているのは(生きるために)戦う人だからこそ。私が分別を持っているのはかって愚かなことをしたからこそ。私が笑えるのは悲しみを知っているからこそ。私が愛せるのは失うことがどういうことかを知っているからこそ。嵐をくぐり抜けて来て、それでもまだ雨の中で踊るのが大好きなあなたは逞しい!」

そういえば、学習障害児で十代の頃はちょっとぐれたこともあったビルがまじめな良き夫、良き父親になり、40代に入って渋いイイ男になる片鱗さえ見せるようになったのは、サンドラという良き伴侶に出会えたからに他ならない。大西洋を越えて、カナダとイギリスで太い「運命の赤い糸」が張り渡されていたということか。この決して切れるはずのない赤い糸、恋愛観、結婚観の変化を反映しているのか、太そうに見えて意外に切れやすかったり(百均ショップの安い糸だったりして)、今にも切れそうに細く見えて実は何があっても決して切れない強いものだったりする。まさに、男と女の「縁」というのは摩訶不思議としか言いようがないな。

バカがつく丁寧は丁寧じゃないし賢くもない

9月19日。月曜日。まだちょっと眠いけど、きのうよりはややしゃっきり感が高まった感じ。正午前に起きたら、外が明るい。どんより空模様はひと休みというところか。もうすぐ秋分の日(公式に「今日から秋」という日)で、その先はどんどん日暮れが早くなる。クリスマスが来る頃には「昼」の長さが(実際には8時間くらいだけど)ワタシたちの「生活標準時」ではわずか4時間くらいになって、今起きたと思ったらもう外は真っ暗なんてことになる。北極圏の常夜の冬もあんがい気にならないかもしれないな。

テレビをつけたら、エアカナダの客室乗務員組合があさってからストに入りそうというニュース。まあ、ワタシたちのフライトは1ヵ月先だし、連邦議会が召集されたばかりの政府は経済活動の足かせになるとして「スト中止命令」を出す気満々らしいから、やるんだったらすぐにでも始めてくれれば早く終わりそうでいいな。今年から来年にかけては労働協約が期限切れになるところが多いそうで、ストが多発しそう。2008年のサブプライム問題で始まった不況のときに妥結したところが多いから、組合(特に公務員系)はあのときに我慢させられた分も合わせて賃上げを獲得するぞと鼻息が荒いけど、使用者側も賃上げができるような経済状態じゃないと強気。

州の公務員組合のうち、「基幹業務」に指定されていて職場放棄が禁じられている教員組合が一種の順法ストをやっている。左派政権の時代には毎年大幅に増額された教育予算のほとんどを自分たちの給料に分捕って高給取りになった先生たち、今回も要求の内容を見たら「過剰」、「唖然」、「失笑」。一番すごいのは「友人の死亡時に忌引休暇2週間」というはちゃめちゃな要求。1年を10ヵ月で暮らす教師たちの友人が死ぬたびに2週間も休暇をやっていたら、いったい学校の授業はいつやるのかいな、もう。何でもいいから「へたな鉄砲」式にとにかく要求してみようという戦術もありだろうけど、学校教師という職業柄、もうちっとは分別ってものを働かせても良さそうなもんだ。賢くない教師に教えられると子供たちまで賢くなくなってしまいそうで、国の将来にとっては困ったことじゃないのかなあ。

まあ、ボストン行きはひと月先の話だからということで、朝食が済んだらまずは同時進行で午後5時が期限の仕事2つの仕上げにかかる。ひとつは比較的簡単で楽なんだけど、もうひとつは企業PRで、頭がくらくらするくらいもったいぶった「キーワード」が出てくる。もっとも、元の英語のbuzzwordをそっくりカタカナ化した言葉ばかりだし、PRだから言わんとすることはわかる。わかるんだけど、何だか「最先端業界語」ってれっきとした日本語の一方言なのかもしれないという気がして来る。これを書いた人たちは標準語を知らないのかもしれない。(自分の日本語を棚に上げて)いったい国語教育はどうなってるんだと思うけど、まあ、教育が賢くないと育つ人材も賢くないということか。不特定多数のビジネスへの宣伝にばかていねい語を使いたがるのはご愛嬌と言えなくもないけど、ビジネスの一般的な呼称に「様」をつけるのは滑稽な感じがする。まっ、訳してしまえば普通の英語の無味乾燥なPR文書・・・。

そういう文書を仕事の視点から離れて読んでみると、上目遣いでもみ手をしながら背中を丸めてしきりにぺこぺこしているイメージが浮かんで来て、何となく背中がかゆくなってくる。どこの言語でも、新しい言葉や用法はそのときどきの世相を反映していることが多いけど、そういう言葉があたりまえに使われる日常の中にいるときは、あんがいそういう世相を肌で感じることはないけど、その日常生活圏の外で字面だけを見ているときに「ん?」という違和感を覚えるのかもしれないな。川柳を一句思いついた。「お売家様と今様に書く今どきの人」・・・字余り。

察しの文化ともの言う文化のすれ違い

9月20日。火曜日。午前11時30分、目覚ましがジジジジ!今日はカレシが英語教室ダブルヘッダーの忙しい火曜日。20度まで届きそうないい天気。だけど、眠いよ・・・。

朝食を済ませて、カレシは第1ラウンドへ。すでに英語がかなりのレベルに達している人たちなので、新聞や雑誌の記事をテーマに活発なディスカッションが進むらしい。英語が国語の国に移住すれば、英語での会話能力を向上させないことには日常生活に困るし、就職にも差し支える。だから英語教室に通うわけだけど、初級レベルの生徒は終始うつむいて自分から話そうとせず、当てられても口を開かないことが多いとか。アジアの学校では先生が絶大な権威を持っていて、生徒は授業を静聴するものという観念を刷り込まれているらしいけど、たぶんにアジア的な心理も働いているんだろう。それが、一度勇気を出して英語を口にしてうまく行ったら最後、ほとんど
が積極的に「会話」に参加するようになり、「ネイティブ並み」の完ぺきな英語にはほど遠くても自信を持って外へ出て行くという。素人先生のカレシの英語そのものを教えるよりもその「勇気」の敷居をまたがせようという教え方はそれなりの成果を上げているということだろうな。なんたって英語で生活できるようになるためには英語を「しゃべらにゃ損々」なんだから。

もっとも、英語は目的ではなくてコミュニケーションの手段だから、しゃべるためには相手が必要。独り言でも、テニスなら壁にボールを打ちつけたり、ゴルフなら打ちっ放しで自分のフォームを研究するようなもので、練習にはなるだろうけど、会話にはならない。小町でもよく「英語を話せるようになる方法」についての質問トピックが上がる。TOEICのスコアが高いのに会話ができない、どうしたらいいかという質問のよく見かける。だけど、文法も、発音も、語彙もTOEICもゴルフやテニスのフォームのようなものじゃないのかな。練習すればするほど「英語を話せる」ようになるかもしれないけど、それは必ずしも「英語で話ができる」ということではないように思う。これは英語に限らずとも、すべての外国語学習に共通することで、しゃべることはひとりでもできるけど、おしゃべりは相手がいないとできない。で、おしゃべりがテニスのラリーのように続くにはよく弾むボール(話題)が必要で、さらにボールから目を離さない(その話題に関心や知識を持つ)ようにしないとネットを越えて打ち返せない。(これは母語が同じでも普通にあることだけど。)

だけど、「言わなくてもわかるはず」式の相手に察してもらうことを期待するコミュニケーションが基本の人たちは、相手にボールを送る「言わなければわからない」式のコミュニケーションを学ぶところから始めなければ、いくらTOEICが満点でも「英語で会話をしたい」という願いはなかなか叶えられないかも。早い話、「しゃべらにゃ損々」の前にまずは「しゃべらにゃならぬ」ということになるわけで、それは自分の能動的エネルギーを消費しなければならないということに他ならない。だから、ある程度の年月を海外で生活していて、英語(あるいは現地語)が上達しないと愚痴っている人はあんがいこの「言わなければわかってもらえない」コミュニケーションが苦手なのかもしれないと思う。でも、そういう人は「(日本語と違って)英語では自分の気持をうまく伝えられない」と、いかにも英語が粗雑な言語のように言うことが多いけど、あんがい本音は相手が「自分の気持を察してくれない」ということなんじゃないのかな。つまり、期待のすれ違い・・・。

ああ、言葉、されど言葉。同じ言語で育った同士が口も手も目も駆使してさえ、勘違いやら思い違いやら行き違いやらで悲喜こもごもの毎日なわけで、人間同士が気持をわかり合うのはほんとに難しい。それでも、やっぱりわかり合いたいのが人間の人間らしいところ。だから、ワタシも人さまの「気持」のすれ違いに悶々としながらも翻訳稼業をやめられないのかなあ・・・。


2011年9月~その1

2011年09月16日 | 昔語り(2006~2013)
若者は車を飛ばし、年よりは歩いて骨を鍛える

9月1日。木曜日。ん、今日はちょっとばかり涼しい。もう今日から9月なんだなあ。午後1時のポーチの気温は摂氏15度。9月と言えば、第1月曜日のレイバーデイ(労働祭)の連休が追われば一斉に新学年。親たちは子供を連れて学用品や衣服など、新学年に必要なものを買い揃えるのに奔走し、テレビには親たちは鼻歌ルンルン、子供たちはふてくされ顔という「Back-to-School Sale(新学期セール)」のコマーシャルが流れる。もっとも、日本のような入学式とか始業式とかいった儀式はないから、後は親たちは子供たちを学校に送り込むだけの話。(BC州では相も変わらず州の教員組合が現実離れした要求をして、どうやらスト決行の構えだけど。)

現実離れした話と言えば、郊外のサレーで、猛スピードで路上レースをしていたらしい車13台を摘発したら、運転していたのは(女性1人を含む)全員が20歳以下で、半分が仮免許か暫定免許中、中には18歳以下の高校生もいた。免許を取れるのは16歳からだから、このあたりまではよくある怖いもの知らずのティーンの話で終わるんだけど、話題をさらったのが彼らが運転していた車。なんと揃いも揃ってものすごい高級車で、ランボルギーニが3台、マセラティが2台のほか、フェラーリ、ベンツ、アストンマーティン、アウディ、ニッサン。どの車もほぼ新車らしく、その価値は合わせて200万ドル(1億数千万円)を越えるというからすごいし、13台中の12台は親の名義だというからまたすごい。さらに、それを十代の子供たちが平日の午後のハイウェイを200キロのスピードで飛ばしていたというのもすごいし、レースのスペースを作るために速度を落とした後尾の2台が並んで走って交通の流れを妨害していたという悪知恵の発達ぶりもすごい。もしもワタシが裁判官だったら、10年くらい免許停止にして、車は没収だな。車は7日。間押収されるけど、実際に彼らがもらった違反切符は196ドルの「注意散漫運転」の一枚だけ・・・。

ニュースの映像に映った若者たちを見て、彼らの親たちの背景についていろいろと疑問がわいてくるけど、ま、ワタシは自分の二本の足の運動代わりに、モールまで郵便箱のチェックと野菜の買出し。玄関を開けたとたんにパラパラと雨粒の音がしたので、カレシの勧めで急遽かさを持参。運動だから、背筋を腰から首筋までしゃき~っと伸ばして、おなかをぐい~っと引き締めて、足も爪先まで気合を入れて、ランウェイを歩くファッションモデルの気分になって、モールまで早歩き。まっ、おちびのおばちゃんじゃあ、誰もモデル気分で歩いているなんて思わないだろうな。だけど、郵便を引き取って、青果屋に回ったら、おお、ぷっくりと実の入った地物のとうもろこしの山だ・・・。

誘惑に負けて買ったとうもろこしは、夕食メニューがアメリカなまずの南アフリカ風カレーだから、真夜中のランチにするか。他にモヤシにアスパラガスにインゲン、ブロッコリ、ほうれん草。トートバッグがずっしりと重くなって、これではモデル歩きは無理。スーパーに回って、ソーセージやら大豆タンパクのチキンナゲットやらを買い込んで予備のバッグに詰めて、トートを袈裟懸けに担いでいる肩はストラップが食い込んで痛いし、伸ばしている背中は筋肉が凝ってくるしで、行きはよいよい、帰りはコワイ。何キロ担いで歩いたのか知らないけど、こういうのを「負荷運動」というんだろうな。垂直に荷重をかける負荷運動は骨を丈夫にするんだそうな。年を取るにつれて、丈夫な骨は自立を失わないための秘密兵器。でも、雨にも遭わずに帰り着いて、文字通り肩の荷を降ろしたら、なんだか背丈が10センチくらい縮んだような感じがしたけどなあ・・・。

難しい話はやめて、寝冷えの話をしよう

9月2日。金曜日。きのうの予報ではまた夏らしくなるということだったので、カレシの要望でクーラーを午前10時過ぎにセットしておいた。ベッドルームは東向きなので、分厚い遮光カーテンをしてあるけど、朝の日が窓に当たるとどうしても室内の温度が上がる。夏の間はシーツ1枚と薄い木綿のブランケットだけなのに、暑がりで汗っかきのカレシはパンツ一丁で寝ていても目が覚めて、そおんまま眠れなくなってしまう。だけど、けさのカレシはむっくりと起きたと思ったら、ワタシの側においてあるリモコンを取ってクーラーをオフにしてしまった。予報ほど気温が上がっていな
かったらしい。午前11時半。

いったんベッドに戻ったカレシが起き出して、ついでにワタシの目も覚めてしまったので、身支度をしてキッチンに下りたらカレシがいない。庭に出て水遣りをしている様子もない。あれ?と思っていたら、トイレから出て来た。どうやら起きてからずっとこもっていたらしい。ワタシの顔を見るなり曰く、「腹具合が悪い。寝る前に食べるのはやめる」と。違うと思うなあ、それ。スモークサーモンをちょっとつまんだけだし、その後でチーズを食べたのはワタシだけだし。あ、それはきっと「寝冷え」。涼しいのにクーラーが入ったから、寝冷えしたんじゃないのかなあ。朝食の後で熱いコーヒーを飲んだらおなかの不調は治まったそうだから、やっぱり寝冷えだったんだろう。

だけど、この「寝冷え」、実際に患ったことがあるかどうかは記憶がないけど、子供の頃には母に「寝冷えする!」とうるさく言われたなあ。だからみんなが食べていたアイスキャンディを食べさせてもらえなかったのかな。不思議なことに、英語には直接「寝冷え」に対応する単語がない。「睡眠中に体が冷えたためになんたらかんたら」とくどくど説明するしかないんだけど、いわゆる「欧米人」は寝冷えなんかしないのかな。元々体温が高めだからそんなに簡単に寝冷えなんてしないのかな。でも、現にカレシが寝冷えした(らしい)ってことは、ふむ、カレシの老人化が進んでいるってことか・・・な?

まっ、たいしたことではなくてよかったね。カレシ曰く、「夜は気温が下がるから、朝からそんなに早く暑くなるはずがない。電気代の無駄もいいところだな」と。ごもっとも。(タイマーをセットしておけと言ったのはアナタなんだけど・・・まっ、自分でオフにしたからいいか。)安心したところで、今日のワタシはお洗濯。大きなベッドのシーツをはがすのに、背中が痛い。膝の関節もちょっと硬いし、歩くと足首の関節がパチパチ言うし、きのう重い荷物を担いで歩いたせいかなあ。つまりは、ワタシも老人化が始まりつつあるってことか・・・な?

日本は週末。ワタシも週末。洗濯機を回している間、小町横町を散策していたら、「奥さん、旦那さんを異性として見れない方、いらっしゃいますか」だって。(この頃はみんなもろに「ら」抜き。)世間一般の結婚は異性婚だから、奥さんは「女」、旦那さんは「男」。それを異性として見られないってのはどういうことなんだろう。妻には夫が「男」に見えなくて、夫には妻が「女」に見えないということだとしたら、いったい何に見えるんだろうな。投稿を読んでみたら、「(結婚10年で)異性としての魅力はまったく感じないけど、嫌いでもなく、仲が悪いわけでもない」。それなりに家族としてやっているということだけど、つまり「家族の一員」という存在は「無性」ということなのかなあ。それとも単にセックスアピールを感じなくなってしまっただけなのか。(それで浮気や不倫が蔓延するのかな。)

ヘンな質問のおかげで、ちょうどちょっかいを出しに来たカレシを思わずしげしげと見てしまったけど、初対面から38年経った今では男盛りはとっくに過ぎているものの、結婚して36年ずっと見てきたこの人、どこをどう見たって「男」という異性以外には見えないし、おじさんになろうが、おじいさんになろうが、男のセックスアピールを感じるけどなあ。カレシにワタシのことを「異性」として見られるかと聞いたら、「異性にしか見えないけど、何に見えたらいいの?この世には男と女しかいないんだし、ボクはゲイじゃないし」と怪訝な顔で答えた。質問の背景がわからないんだから怪訝に思うのも無理はないけど、説明がしにくそうな感じがする。それよりも「寝冷え」の危険について説明しておいた方がよさそうかな。

天高く、脳内を整理整頓する秋

9月3日。土曜日。目覚めは午後12時37分。クーラーのタイマーをセットしないで寝たら、けっこう汗をかいていた。まあ、昼過ぎだし、今日からまた1週間ほど遅れに遅れてやって来た短い夏の最後の足掻きのような予報だからと、起きてからクーラーをオンにする。(二階の寝室のクーラーで冷えた空気が熱交換式の換気装置を通して一階、ベースメントと降りてくるので、これで家中どこにいてもけっこう涼しい。)

きのうの寝酒の友はイワシの燻製。これがまたスコッチにぴったりと来ている。ワタシたちのお気に入りのスコッチはシングルモルトのグレンモレンジー、オリジナル10年もの。スコッチとしてはちょっと薄めの色で、甘みを感じるくらいに軽やか。スコットランドだからかどかは知らないけど、スコッチはスモークサーモンやニシン、イワシといった魚によく合うような感じで、対するワタシの恋人レミ・マルタンは(アルマニャックもだけど)やっぱりソーセージやチーズかな。特にとろりとしたブリーはたまらない。でも、よ~く考えたら寝酒の「友」は4食目にあたるから、食べ過ぎに気をつけないと・・・。

仕事はないし、家事はサボり放題の週末だけど、三連休が明ければ「気分も一新」の9月。何となく何かどこかをちょこっと変えてみたいような気がして来るときでもある。カレシもそういう気分なのか、自分のドメインに英語レッスンのサイトを立ち上げるんだといって、どこかに押し込んであったプログラミングの教科書を探してデスクの周りをごそごそ。整理整頓はいいけど、不用品をリサイクルデポに持って行かないと、いずれ足の踏み場がなくなりそうなんだけど。近頃の日本語には「汚部屋」とか「汚屋敷」とかいう言葉があるらしいよ。丁寧語の「御(お)」をもじることによって、丁寧そうな語感を残したままで他人の「汚さ」をこき下ろす「侮辱語」というところかな。もっとも、我が家は目を覆うような散らかりようではあっても、汚くはないと思うけどな。

と、ここでまたぞろ文化談義に突入しそうな気配。ゆうべ2人で久しぶりにMcWhorter先生の言語学の講義で、話し言葉と書き言葉の差異について勉強した。どこの言語でも日常の話し言葉と本や新聞に使う書き言葉の間には語彙や文法の上でギャップがある。だから、外国語としてまず書き言葉を教えられた人たちが、語彙や文法の知識が完ぺきであるにも関わらず、会話ができないというのは、そういう要因も作用しているんだろう。これは英語しかり、日本語しかり、フランス語しかり。(文法に自信がある人ほど話し言葉が整理されることなく使われる会話で苦労するのかもしれない。)

ところが、どうやら最近の本や文書はどんどん厚く、長くなって来ているという。それはワープロが登場して自在に修正や削除、挿入ができるようになったため、ペンと紙で書いていた頃のように考えをいったん整理してから書き出すのではなく、とりあえず頭に浮かぶままを書き(打ち)連ねるようになったからだろうということだった。ワタシのブログもやたらと冗舌になって来たと思っていたところなので、このあたりはちょっとばかり耳が痛い。そこで読み直してみたら、日記的な部分と、「たわごと的文化論」の部分の二本立てが典型的なパターンで、しかも2つの部分の間には合理的な脈絡がないことが多い。キーボードを前にしているとやっぱり頭に思い浮かぶままをごちゃごちゃ、だらだらと書いてしまうからだろうな。

というわけで、新学年・新スタートの9月をきっかけとして、小町横町の井戸端会議のテーマにまつわるやじ馬的な感想文やその他の文化談義の部分を、日記的な節から切り離してみることにした。ま、一緒くたでも切り離しても、さしておもしろくもないものがおもしろくなるわけがないし、記事はちょっと短くなるかもしれなくても、怪しくなるばかりの日本語の文章力が向上するというわけではないんだけど、思いついたら何とかのものは試しというところ。思考回路もニューロンが絡まって混線や断線にならないように、少しは整理整頓しないと。

おいしく楽しく食べるのが老夫婦円満のコツかな

9月4日。日曜日。汗をかいて目が覚めた。午前11時半。今日は暑くなりそう。カレシがさっそくクーラーをオンにする。予報だと週の後半にかけてかなり気温が上がるらしい。あさってから学校が始まる子供たちはさぞかし「遅いんだよっ!」と青空を見上げて怒っていることだろうな。もっとも、またラニーニャに戻って、この冬はちょっと厳しくなると言う話だけど、前の冬もそういっていたのに結局は寒波は来なかったし、雪も降らなかったからあてにならない。まっ、こういう予報は当たらないほうが良いに越したことはないけど。

朝食を食べながら、「今日のメニューは何?」とカレシ。起きたばかりなのにせっかちだなあ。まだ決めてないと言ったら、「ゆうべのランチはおいしかったね」とカレシ。いわしの燻製と玉ねぎとオリーブ油だけの思いつきパスタだったけど、そういえばずいぶん「おいしい」を連発しながら食べていた。(思った以上においしかったけど・・・。)医者にコレステロール値が高すぎるから魚を多く食べるようにと言われて困った顔をして帰って来たのはもう3年前のことかな。あっさりその日からほとんど毎日が魚中心のメニューにしたら、そのままいろんな魚を食べては「おいしい」と言ってきた。特定の食材について「好きではない」と言うことはあっても嫌いだから食べないというものはないし(それはワタシも同じだけど)、ワタシが作った食事に「まずい」と文句をつけたこともなかったなあ。

うん、男女、人種を問わず世の人間すべてがそうであるようにカレシもいろいろと「ン?」なところがあるけど、こと食べることに関してはたぶん「願ってもないすばらしいだんなさん」ということになるんだろうと思う。まあ、「おふくろの味」と言えるものがないようだし、(特に魚中心になってからは)いつもどんなものが出るかわからない思いつき料理を食べさせられているから、味を比べるものがなくて、それで何でも「おいしい」という評価になるのかもしれない。まっ、テーブルの向かいの「食べる人」が喜んで食べてくれるのが「作る人」としては一番の花丸。命のあるものは死ぬまで食べなきゃならないんだから、何でもおいしく楽しんで食べるのが健康な老後を送るコツかもしれない。

我が家では、「ホームバー」はサラダバーと並んでカレシの牙城。毎週レストランで外食して「食」という名の夫婦のかすがいを作っていた頃、カクテルブームのということもあって、ちょっとしたレストランに行くと必ずと言って良いほど食前のカクテルのメニューが出て来た。そこから今どき風にいうと「おうちグルメ」が始まり、カレシがカクテルを作り始め、凝り性のおかげで今ではバー「極楽とんぼ」のマティニに勝るものはないというくらいの腕前になったからすごい。最近よく作るシンガポールスリングだって、伝説的なラッフルズホテルのものよりも(よけいな果物が入っていないから)ずっとおいしい。おかげで1年に食費と同じくらいの酒代がかかってしまうけど。

考えてみたら、何をおいしいと感じるかは人によってずいぶん違うから、他人がおいしいと言うから自分にもおいしいとは限らない。だからこそ、異なる食環境で育った2人が結婚してみたら「味覚の不一致」という問題も起きて来るんだと思う。でも、自分にとって何がおいしいのかということも実際には一朝一夕でわかるものではなくて、毎日の食経験を通して自分なりの「味覚」が発達するものだと思うから、夫婦の一方か両方が頑固な偏食家でもない限りは、長く食卓を共にしている間に共通の味覚ができて来て、それが子供のない夫婦、あるいは子供が巣立って2人に戻った夫婦の「かすがい」になることは可能だと思うんだけど。

うん、食欲の秋でもあるし、久しぶりににまた極楽とんぼ亭自慢の何ができるかわからない「お味見スペシャル」をやりたくなって来たなあ・・・。

お金はどこをどう回るやら

9月5日。月曜日。三連休の最終日は夏休みの最後の日。午後1時でもう20度を超えている。今日も暑くなりそう。マイクが庭の改修工事の見積もりを持って来ることになっていたけど、両親が遊びに来てしまったとかで水曜日に延期。三連休じゃないの、急ぐことないって。

それでも少し早めに起きたので、ベーコンとポテトと目玉焼きの朝食。マイクが3通りの見積もりを作ったというので、一応の予算枠と工事項目の優先順があるから、どこまでできるか2人してああだこうだ。第一は、池と滝の撤去と埋め戻し、温室への電気供給と給水。生垣の木を何本か抜いて、塀の一部を開けて小さい重機を入れるから、けっこうかかるな。第二は裏口のポーチと階段の取替え。ペンキ塗りするのがめんどうだから、手すりは金属にするかな、やっぱり。第三は数年来カレシが自分で作ると約束して来たパティオ。これに歩道をつけると、敷き詰める素材によってはけっこう高くなる。見積もりによっては地均しだけになるかもしれない。運よくすべてが予算枠に収まって、厳しいという予報の冬に備えて外回りの修理を頼めたらめっけものだけど、建設業界は人件費が高いし、まだ12%のHSTがかかるし・・・。

カナダには積立金が税控除になる個人の退職年金制度(RRSP)があって、預金保険の枠の関係で2つの銀行に分散したことがあった。その後メインの銀行のアドバイザーが系列の証券会社を通じて複数の銀行の定期に分散できるようにしてくれたので、資金をひとつにまとめるためにもうひとつの銀行にあった定期を移転してもらったんだけど、現金であった分が正確な金額がわからないために取り残された形になってしまった。政府登録の年金口座なので、銀行間での書類による移転の手続きを取らずに、自分で口座を解約して現金の形で引き出すと「所得」とみなされて課税されてしまうからやっかい。おまけに微々たるものでも日歩で利子が付くもので、銀行同士でやってもらおうにもその日の金額がわからないし、銀行に電話しようにも近頃の電話問合せは「○○は1、××は2」というメニューの壁で阻んでくることが多い。(うまく行ってやっとつながるかと思ったら担当者が不在だったりする。)

そんなこんなで、残高明細が来るたびに今度こそは移そうと言いながら、う~ん、いったいもう何年になるのやら、この腐れ縁。それが、ワタシの売上が日本の震災と原発にカナダドル高のダブルパンチで今年はかなりの減収になりそうな予測になって、カレシが「現金で引き出して税金を払った方が簡単だ」と提案して来た。そうだなあ、今年というタイミングで考えると名案かも。ワタシの分を加算しても去年の所得より多くはならないと思うし、2人分を合わせるとちょっとした「ボーナス」みたいな金額(庭の改修工事の予備費とか?)になるし、ずっと前に投資させておいて半年で1割も損を出したこの銀行にいつまでもお金をおいておくのも癪にさわるから早く手を切ってしまいたいしなあ。

なあんてつらつらとのんきに考えていたら、仕事がばらばらと降って来た。ひょっとして、ワタシの日本のお客サマたち、太平洋の反対側まで見通せる超能力があったりして・・・。

肥満は人間に逆襲する食い物の恨み?

9月6日。火曜日。レイバーデイの三連休が明けると、いつも何となく改まった感じがする。(日本で言えば4月1日。のような感じかな。)孫世代最年少の姪孫アナベルも今日から一年生。といっても、こっちにはランドセルというものがないから、何を持って行くのかな。ママのセーラはカレシひとつ違いの弟ジムの娘で、ワタシがカナダに来た翌月に生まれた。父親の会社を継いで社長になり、営業部長の婿さんと共に2児を育てながら、母と異父兄も勤める文字通りの家族会社で、36歳の背に一家の生活を担って経営の舵取りをしているしっかり者。今はアメリカの不況とカナダドル高で大変だろうと思うけど。

今日からカレシも英語教室再開。別の教室に行っている台湾系のグループに新聞の読み方を教えて欲しいと頼まれて、「ノー」というのが苦手なカレシ、「火曜日午後、生徒数最低6人、教室の確保」を条件として出したら、期限ぎりぎりで条件を満たして来た。というわけで、毎週火曜日は午後1時から3時まで「新聞」クラスのレッスン、家に帰って夕食をしてとんぼ返りで6時半から8時半まで「初級」クラスのレッスン。ご隠居さんになってからボランティア先生を始めて丸10年になるけど、がんばってるなあ、カレシ。えらいと思う。ワタシもまじめに仕事、やらなきゃ・・・。

午後2時で25度の「真夏」。カレシの教室が終わる時間に合わせて、モールへ。今日は短パンにサンダルに野球帽。いくつになってもこんなかっこうでサングラスをかけて街を闊歩できるのがこの国のいいところ。銀行へ行き、郵便局へ行き、スーパーへ行き、最後に青果屋に行って、遅ればせで旬のとうもろこしを品定め。今日は2ドルで4本(今の為替で1本40円)。山の下の方から太そうなのを引っ張り出して、先の方をちょっとだけ剝いて実のつき具合を見る。今日のは丸々とした大きな粒がびっしり。あれやこれやとじっくり比べてぷっちりとしたのを6本。これで今日の特急ディナーの手当が完了。ミニトマトやブルーベリーを買って、モールの外で帰り道のカレシに拾ってもらって帰宅。さっそく22リットルの大なべにお湯を沸かし始める。

今週の『TIME』誌に「食べ物に関する迷信を解く」という大特集記事があって、日ごろから「あれはダメ」、「これは良くない」、「あれを減らせ」、「これを増やせ」という医学や医療関係の役所のいわゆる研究発表に少なからず疑問を持っていた2人は、心臓外科医のドクター・オズがいろいろな食べ物について広く喧伝されたり、正しいと信じられて来た栄養や健康維持の効果が必ずしも正解でないことを解き明かすのを頭をくっつけて読みながら、うんうん、そうそう。最終的には「バランスの取れた適量の食事とビタミン摂取と運動」が一番もっともなことなんだと思えてくる。いくらダークチョコレートや赤ワインにポリフェノールが豊富に含まれているからといっても、食べ過ぎればメタボになるし、飲み過ぎれば(オズ先生曰く)飲酒運転で裁判所に出頭する危険が高まる。過ぎたるは及ばざるがごとし・・・。

同じものを食べてもメタボ症候群になる人とならない人がいることから、栄養と遺伝子の関連を研究する新分野が開けて来たということは、人間は「食」に関しても人それぞれの個性があって、極論的には、流行ダイエットなどは99.9%の人にとって百害あって一利なしということかもしれないな。特集記事は、人類は食べ物の供給を完全にコントロールできるようになった唯一の生物であり、今直面している最大の挑戦はその食べ物にコントロールされないようにすることだと結ばれていた。

でも、自分が健康に生きて行くためにどういうものをどれだけ食べるかをコントロールするには「自律」という名の努力がいることで、これがなかなか難しい。人間にとっては「自分」が一番思い通りに動かないやっかいな存在だから、舌や味覚に限らず感覚的に自分にとって心地のよいものがあればついその支配に屈してしまうわけで、先進国で肥満が蔓延しているのはそれだけ多くの人がすでに食べ物の支配に屈したということだと思う。食い物の恨みは何とかというけど、ひょっとしたら食べ物の逆襲が始まっているとか・・・?

金の切れ目が縁の切れ目というけれど

9月7日。水曜日。暑ぅ~。なんかヘンな夢を見ていたなあ。最初のうちはカレシがいて、たくさんの人に混じって女王様に拝謁する順番を待っていたみたい。女王様というのは、もちろんバッキンガム宮殿にお住まいのあの女王様。それだけでヘンな夢なんだけど、いつの間にかカレシの姿が消えて、へえ、ひとりずつなんだ~なんて思っているうちにどうやらワタシの番。通されたところには女王様がいて、ワタシは前に進み出て左足を後ろに引いて上体を落とす「curtsy」という優雅なご挨拶。いただいたひと言、ふた言は間違いなく女王様の声だったけど、まるで『不思議の国のアリス』のチェシャー猫の相手をしているみたいで、いつのまにかスポーツバーのようなところにいて、いつまで待っても女王様もカレシも再登場しないので、「そろそろおいとました方が良いのでしょうか」なんて聞いていた。ほんっとにヘンな夢・・・。

寝ぼけ半分で起きてしまったけど、まずはマイクが来る前に午後5時までに納品する仕事を仕上げておいた。マイクがきたのは2時過ぎ。事実上3つのプロジェクトの見積もりの説明を受けて、全部足してみたら2万ドルの予算枠にきっちりと収まった。ということはそれで決まり。手付金の小切手を渡してしゃんしゃん。工事の日程が決まったら、当面は否応なしに早起きだなあ。それでもまあ、「耕作面積」が何倍にもなるカレシがもう今から来年の作付け計画?を立てているのを見ると、ワタシも来年はグルメ野菜の料理法をリサーチしといた方が良さそうだな。うん、まあ今の時点では取らぬ狸の皮算用なんだけど・・・。

マイクが帰って後でカレシがちょっと心配そうな顔で「この予算でいいの?」と聞くから、我が家の経理部長(ワタシ)は「想定内だからOK」と回答。この10年、カレシはちょっと値の張るものを買うときになると、最初から買う話をして2人とも了解済みでも「買ってもいいの?」と聞いて来る。ふだんからワタシに家計の管理をまかせっぱなしで、実際に残高がどれくらいあるのか知らないからだろうと思うけど、みんな共同名義の口座なんだから自分でチェックして大丈夫かどうか判断してくれないかなあ。会計士なんでしょ、アナタ?それに引退したんだから、「家に帰ってまで金勘定はやりたくない」という理屈はもう通用しないでしょ?(だいたい今度のは基本的にカレシのプロジェクトなんだし。)

ワタシは共働きの稼ぎはその多寡に関係なく「夫婦共有」のお金という主義だから、日ごろから赤字になったり、破綻したりしない範囲であれば「使うのに互いの許可は不要」と言っているんだけど、カレシは「ボクのは遊んでいて入って来る金だけど、キミのは働いて稼いだ金だから」とちょっとひねくれた理屈をこねる。「キミがこんなに稼いでくれるから、ボクは早期退職ができそうだなあ」と言っていたのは誰だったっけなあ。まあ、アナタのは長年働いて給料から払い込んだ年金だから「遊んでいていいよ」というお金で、ワタシはまだ年金をもらう年じゃないから働いて稼いでいるんであって、そのときになれば「遊んでいていいよ」というお金が入って来るというだけの違いじゃないかと思うけど。(働かないで入るお金で遊んでいて悪いと思うんだったら、掃除洗濯ぐらい引き受けて・・・は、無理だろうなあ。)

どこかで北米の離婚原因の一位は「お金」という話を聞いたことがあった。ワタシたちは共働きの給料をすべて共同口座に入れて、ワタシが家計を管理していたけど、それでけんかになったことはなかったから、意外に思ったものだけど、あの頃は共働きがあたりまえになりつつあったときだから、新しいお財布2つの家庭経営の方法を模索していたのかもしれない。ワタシが知る限りではお金の扱いでもめて離婚に及んだカップルは2組でどちらも若いキャリア組だった。最近は(アメリカでは)お決まりの「浮気/不貞」、「意思疎通の問題」、「DV」が離婚原因のトップ3になっているそうな。でも、アメリカの不況が長引けば、また「金の切れ目が縁の切れ目」になるカップルが増えるかもしれないな。

小町を見ると、日本でも共働きが増えて家計の分担で悩んだり、もめたりするカップルが増えているらしい。収入と家事をくっつけて、収入比率は○対○だから家事分担比率はその反比例というような分担は、一見して公平そうではあるけど、日本流の「平等感(=自分が損をしない)」が働くとどっちも不満を抱えてけんかに発展する確率が高くなりそう。やっぱり、結婚した2人が稼いだお金は「2人のお金」と考える方が妥当な気がするな。でも、内心では格差に引け目を感じていたらしいカレシの例のように、金の切れ目でなくても縁が危なくなることはある・・・。

(脳内の整理整頓をしてみたけど、「小町横町の井戸端会議のテーマにまつわるやじ馬的な感想文やその他の文化談義の部分を日記的な節から切り離してみる」のはやっぱり無理だなあ。日ごろ見聞きすることをやじ馬的に頭の中でああだこうだと談義しているのが、どうやらワタシの不可分の「日常」ということらしい。だから何ともヘンな夢を見るのかなあ・・・。)

懐かしい丸の内ホテルに泊まれるかな

9月9日。金曜日。暑いなあ、今日も(といっても、午後3時で25度。少し早めにクーラーがオンになるようにタイマーをセットしておいたら、朝から肘がだる~く痛い。冷えちゃったのかなあ。

木曜日のきのうは、金曜日午前7時の期限を目指してのるかそるかの仕事日で、1万メートルを全力で走るような勢いで集中して仕事、仕事。いや、こんなに気合を入れて仕事をしたのは何だか久しぶりの感じ。もっとも、相変わらずだらだらとやっていたら、期限間際になって気合を入れざるを得なくなったというのが真相なんだけど、とにかく2日。分に近い仕事を崖っぷちで1日。に詰め込むのはあまりほめられたもんじゃないな。でも、科学論文と違って、社会学系統のは何が言いたいのかすぐにはわからないことが多いから・・・。

それでも午前4時ちょっと過ぎに完了して、ふう、間に合ったあ。今回は校正者が日付変更線の同じ側のずっと東の方にいて、こっちの午前4時は向こうの午前7時。ちょうど朝起きて朝ごはんを食べている頃だから、いいタイミングではあるな。次の仕事もちょっと大きくて、う~ん、1日。半分の量がありそう。期限は土曜日の午前7時。ということは今日一日でがんばって、寝る前に仕上げて送っておかないとならない。これは校正者がオーストラリアのあっちの端だから、送る頃にはもう夜になっていて店じまいしている頃。丸い地球の上での「グローバルビジネス」はなんともややこしい限り・・・。

カレシは大あくびをしながら終わるまで付き合ってくれたけど、この仕事の報酬で来年は丸の内ホテルに3泊か4泊はできるからね。去年の会議で日本へ行ったときに、丸の内ホテルのすごい変貌ぶりにびっくりして、2人して感慨にふけってしまった。新婚旅行を兼ねた結婚後初めての里帰りで、日本に着いた最初の夜に泊まったのが東京駅そばの丸の内ホテル。ずんぐりむっくりの古い建物で、窓のカーテンを開けると向かいに同じようにずんぐりむっくりしたオフィスビルがあった。どの階も窓に煌々と明かりがついていて、午後10時過ぎだというのに、あちこちにかたまった灰色のデスクの間を縫ってワイシャツ姿の男たちがたくさん歩き回っているのが見えた。カレシ曰く、「どうして家に帰らないの?」

あれは35年前の1976年の月。高度成長時代を経て、経済大国になりつつあった日本だったけど、スチールとガラスの高層ビルの建設はまだ始まったばかりだったのかな。全体的に何もかもが古ぼけて、薄暗く見えたような気がする。(パチンコ屋だけは目が眩むくらいにまぶしかったけど。)ま、バブル時代さえ記憶にない今どきの若い人たちにはそういう「東京」は想像もつかないだろうな。電車の駅には改札係がいて、通る人の切符にパチパチとハサミを入れていた。乗客の流れが途絶えたときでも、手に持ったハサミを止めずにカチカチと鳴らし続けているのを、カレシはかなり感心して眺めていたっけ。あれは生身の人間が東京を、日本を動かしていた時代だったと言っていいのかなあ。

さて、次の仕事に没頭しないと。これはPRだからさしてめんどうはないだろうけど、なんかびっしりとああだこうだとご託宣が並んでいるなあ。お堅いところだからそうなってしまうのかな。ひとつ、バリバリがんばったら、新しい丸の内ホテルのいい部屋にもう1泊できるかな。(ふむ、36年前の新婚旅行で東京着の初めての夜に泊まった思い出のあるホテルなんだと言ったら、もしかして日本流に特別サービスしてくれるかな・・・?)

でも、文字数が数千字もあって、しかも意味を調べるにも読めそうにないような難しい漢字がやたらと多いなあ、これ。はて、午前3時の完了目標、大丈夫なのか・・・?

地震があったんだって

9月10日。土曜日。正午をずっと過ぎて、午後1時に近くなってやっと起床。なんだかまだ寝たりない気分。きのうもがんばって、目標の午前3時をちょっとだけ過ぎたところで仕事が完了。肩が凝るやら、目がしょぼつくやら。でも、とにかく起きてから「休みだ~」と猫のようにいっぱいの伸びをして、ああ、仕事がなくて自由なのっていいもんだなあ・・・。

きのうはバンクーバー島の北西沖でM6.4の地震があった。このあたりではちょっと珍しいくらいの大きな地震だけど、ワタシたちは5時のニュースを見るまで知らないでいた。発生時間は午後12時41分で、ダウンタウンの高層ビルでは照明やブラインドがかなり長い時間揺れたそうな。日本のような「震度」という単位がないからどれだけのものだったかはよくわからないけど、テレビの映像ではたしかにシャンデリアがゆ~らゆ~ら。カレシもまったく気がつかなかったようで、2人して地震があった時刻に何をしていたか思い出そうとしても、何にも感じなかったんだから、思い出せない。まあ、震源地はバンクーバーから300キロ近くも離れているし、ビルの中にいても気づかなかった人も多いそうなので、地盤や建物によって違ったのかもしれない。

これが「200年以内」に起きると言われている「The Big One(でかいやつ)」だったんならそれに越したことはないけど、M 6.4じゃあどう見ても違うだろうな。バンクーバー島の西側は、島の北端からずっとオレゴン州の南端まで、北米プレートと太平洋プレートに挟まれたかっこうで細長いフアンデフーカ・プレートがあって、太平洋プレートに押されるように北米プレートの下に沈み込んでいるもので地震が起きやすい。なんでこんなところにかけらみたいなプレートが挟まっているのかというと、フアンデフーカ・プレートはほんとに太古の昔にあったプレートの「かけら」だから。

何千万年か前にはここに大きな「ファラロン・プレート」が北アメリカから中央アメリカまで続いていたのが、太平洋プレートが楔のようにごりごりと押し込んで来たもので、ファラロン・プレートは2つに分断されてしまった。そのひとつがフアンデフーカ、もうひとつはバハカリフォルニアから中米にかけて残っているココス・プレート。太平洋プレートが北米プレートに向かってごり押しを続けたもので、分断されたプレートはどんどん引き離されてしまい、小さい方のフアンデフーカ・プレートは1千万年くらい先には北米プレートの下に完全に押し込まれて消滅してしまう運命にあるんだそうな。壮大な地球の物語といったところだけど、きのうの地震は後ろからぐいぐい押して来る太平洋プレートに「押すなってば!」とばかりに肘鉄を食わせたせいかも。地球もこの大きな宇宙の中ではひとつの生き物なんだなあと思う。

そういえば、月曜日は満月。9月の満月は「Harvest Moon(収穫の月)」と呼ばれる。明るい大きな月が秋の収穫を急ぐ畑を照らしてくれるからだとか。