リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2010年1月~その2

2010年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
極楽とんぼ亭: 簡単手抜きのもてなし料理

1月15日。思いがけず晴れ間がのぞいた日。食前酒を飲みながらおしゃべりに花を咲かせている二人におつまみを出したので、ディナーは軽い魚料理のコースにした。

今日のメニュー: スィートコーンとバーボンのスープ
         蒸したぎんだらの燻製とキャベツのソテー
         シーバスのキャシスリダクションソース、温野菜添え
         (サラダ)
         (デザート: チョコレートにディップしたいちご)

[写真] みんなコレステロールや塩に気をつけなければならない年代だから、調味料の加減が難しい。生のスィートコーンの実をこそげて、玉ねぎと炒め、チキンストックで似てピューレ。バーボンで味をつけ、クリームは入れないでさらっとしたあっさり仕上げ。

[写真] キャベツロールを作ろうと思っていたけどめんどうくさくなった。そこで、刻んだキャベツをソテーして、ごくごく少量の粉末かつおだしとちょっぴりの醤油で味をつけ、軽くスモークしてあるぎんだらを何も手を加えずにそのまま蒸して載せた。付け合せはブロッコリとしめじ。彩りはかいわれ。小さい方のお皿で。

[写真]  シーバスも軽く塩こしょうして焼くだけにした。ぎんだらを食べている間に、スライスしたゴールデンビーツとアスパラガスを蒸しておいて、南フランスの甘いリキュール、キャシスをリダクション。トーストしたカレシ特製のハーブパンにイタリアの黒トリュフのタペナードを載せてアクセント。

極楽とんぼ亭シェフが得意な簡単手抜きであっさりの「おもてなし」料理・・・

あ~あ、3人とも千鳥足・・・

1月16日。予想外にいい天気になった土曜日。デイヴィッド、カレシ、そしてワタシの順に起き出して、順繰りに朝食。

(中略・・・大々的に中略)

 地下鉄でダウンタウンへ夕食に出かけて、それぞれビールを2パイント。ホッケーの試合のせいで割りと空いていたGeorgeでカクテルを2杯ずつ。3人そろって楽しく千鳥足で帰ってきて・・・(続く)

自分の街で一日観光客

1月17日。また雨模様の「普通の冬」に戻って、どよっと暗い。けさはPCまでがスローモーション。なんでPCの方が二日酔いみたいなんだろうな。デイヴィッドが遠い郊外のジムのところに移るのに、日曜日のブランチをすることになって午前7時に起床・・・のはずが、カレシがワタシを起こして「外にまだ車があるけど、起きなかったのかなあ」。片目を開けて見た時計は午前7時20分。ワタシは「起きてるんじゃないのかなあ」とむにゃむにゃ。カレシが起こしに行ったら、どうやら身支度ができて出るところだったらしい。じゃあ、またあとでママのところで・・・

さて、きのうの続き。朝のうちはまぶしいくらいの晴天で、デイヴィッドが地下鉄の高架部分を見たいというので、空港まで行ってみることにした。ダウンタウンへ行くよりずっと短いのに、リッチモンド側に入るからか、運賃は「2ゾーン」だけど、平日午後6時以降と週末は全区間が1ゾーンになるらしい。新しい地下鉄は私たちの駅のひとつ南から高架になる。リッチモンドも空港も川の中州だから、地下水面が高すぎてトンネルを掘れないからだろう。電車は私たちが若かった頃に住んでいたタウンハウスのあるあたりから地上に出る。交通の激しい幹線道路の側でうるさかったけど、その上に電車の通過音が加わって住みにくくなったんじゃないかなあ。リッチモンドの分岐点の駅は大きなカジノリゾートの外。そこから空港ターミナルまでは駅が3つで、最初の駅は新しい巨大な駐車場のそば、次はエアカナダのオペレーションのビルの外。月曜日からが空港から切符を買って乗ると5ドルの追加料金がかかるけど、どうもタクシー業界に配慮した政治的な料金の感じがするなあ。

空港ターミナルに着いて、降りずにそのままダウンタウンまで行くことにした。終着駅のウォーターフロントまでは25分。昔はカナディアンパシフィック鉄道の駅だったところで、廃止になって寂れた駅舎はやがてオフィスに改装され、86年の万博でスカイトレインの終着駅ができ、バラード入り江を渡るシーバスのターミナルができ、朝と夕方だけ既存の鉄道を走る通勤列車が入るようになり、そして今度は新しい地下鉄の終着駅。一部再現された全盛時代の華やかな装飾やひっきりなしの人の流れはニューヨークのグランドセントラル駅の独特の雰囲気を片鱗だけながら醸し出していて、なかなかいい感じ。そこからガスタウンの方へ歩き、甦ったウッドワーズの「W」を見に行く。外郭だけ保存した元の建物の屋上に鉄塔を作って、その上に赤いW。高層ビルの少なかった昔はいろんなところからよく見えていたけど、今は43階建てと32階建てのタワーに挟まれて、近くまで行かなければ見えない。それでもやっぱりなつかしい気持になるから不思議だなあ。

ウッドワーズからチャイナタウンへ回ってペンダーストリートを西へ。高層ビル街に出る手前に(外国人向けの)何とかカレッジと名づけた英語学校や専門学校が固まっているような一画があって、あたりは安さが売り物のピッツァ屋、スシ屋、インターネットカフェ、コンビニが並んでいる。大学のダウンタウンキャンパスもあるから、まあちょっとした学生街的なところなんだけど、目立つのは安っぽさだけ。たぶん学生街らしい「性格」を確立できないまま、この次に建設ブームが来たときには高層ビルやマンションに建て替えられるだろうな。ダウンタウンにたむろする短期滞在組はバンクーバーはダサいとこぼすけど、安さを要求する語学留学生やワーホリが大勢やって来て、それに対応する安いビジネスがダウンタウンに集まってしまったんだからしょうがない。まあ、次のブームではキャンビー橋を渡ってブロードウェイを越えるあたりが新しい「ダウンタウン」としてバンクーバーっ子で賑わいそうな予感がするんだけど。

こんなふうに自分の住み慣れた街で「一日観光客」をやるのもなかなか乙なもので、ノスタルジアもさることながら、新しい発見にびっくりしたり、感心したり。カレシとデイヴィッドは「あのバーへはよく行ったなあ」、「あそこに○○があったっけなあ」と、血気盛んだった若き日を懐かしむことしきり。今でこそ悪臭の漂うスラム街になってしまったけど、半世紀近く前の「あの頃」のダウンタウンイーストサイドは商業や娯楽の中心街だったから、前夜の「W」の点灯式に集まった大勢のバンクーバーっ子たちと同じくように、カレシ兄弟にとっても子供時代から青年時代にかけての思い出が染みついたところなのだ。

ちょっとしたセンチメンタルジャーニーの午後を過ごした後は、Rodney’sで生牡蠣の夕食。ドラフトのエールを飲みながら、「干潮スペシャル」の牡蠣を3ダース平らげて、デイヴィッドとワタシはクラムチャウダー、カレシは海鮮サラダ。エール/ビールの2パイントはほぼ1リットル。ほろ酔いになったところで、Georgeをのぞいたら空いている。みんなホッケーの試合を見に行っているんだろう。カウンターに座って、カクテルを注文。最初の1杯を飲んでいるうちに、テレビに映るホッケーの試合は第1ピリオドで1点リードされていたバンクーバーが同点に持ち込んで、グラスが空になった頃にはいつのまにか逆転して2対1。車じゃないから酔ってもいいかと、同じカクテルをもう一杯注文して、飲み終わった頃にはスコアが5対1になっていた。そこで切り上げて地下鉄で帰館。駅から家までの道のりは3人とも千鳥足。とにかく歩道がまっすぐになっていない。右に傾いたり、左に寄ったり・・・。

無事に帰り着いて、試合の残りをテレビで見始めた兄弟。ワタシはブログを書き始めて・・・だんだん眠気が。ちょっと横になろうと上がっていったら、おや、二人ともテレビの前でそろって沈没。ワタシはそのまま二階のベッドにごろり。突然目が覚めたら「11時50分」。一瞬、あっ、寝過ごした・・・と思ったけど、外はまだ夜。リビングへ降りていって、カレシを起こして、朝が早いデイヴィッドを起こして、3人はまた千鳥足でそれぞれのベッドへ・・・おやすみ。

だけど、どうやら誰も二日酔いにならずに済んだのはなにより。さて、まだちょっと寝たりない感じもするけど、これからパパの90歳の誕生日を祝う昼食会・・・

浅川マキが死んでしまった

1月17日。浅川マキが死んでしまった。

日本にいたときから彼女の歌が好きだった。彼女のアルバム『浅川マキの世界』は後生大事にカナダまで持って来て、今でも大切な宝物。北海道の二十歳のワタシには、東京のアングラ劇場はまさに遥か遠い異国の夢の世界のようなものだったけど、彼女が歌い続けてきたことを知ってからは、いつか、必ずいつかライブを聴きたいと思っていた。その「いつか」が来ないうちに、彼女はさっさとあの橋を渡って、遠くへ行ってしまった・・・

浅川マキ。享年67歳。泣きたい・・・

どこへも行かずに時差ぼけ

1月18日。いやあ、ものすごい嵐だった。風の音で目が覚めて、つい「おい、屋根、大丈夫?」と心配してしまったくらい。起きた頃には風も止んでいたけど、あちこちで停電したり、大木が吹き倒されて道路を通せんぼしたりで、朝の通勤ラッシュはかなりの難儀だったらしい。こういうことがあるたびに、勤めてなくて良かったなあととつくづく思うから、人間てのは勝手なもの。

さて、月曜日。きのうは浅川マキの訃報にちょっと落ち込んだ気分になって、おまけに金曜日から早起き続きだったり、飲みすぎたり、遠出したりしていたおかげで、さすがにお疲れ。3時間もあればできる仕事が終わらず、期限の今日になってねじり鉢巻。無事に完了して、間に合って送ったと思ったら、今度は別のところからなんだか急いでいるらしい大きな仕事の打診。一応OKの返事をしておいて、やれやれ。と思ったら、今度はマイクから「明日の朝から作業を開始します。9時くらいには到着します」というメール。うはっ、いよいよ本格的に「早起きモード」。

ま、丑三つ時までやっている営業時間を昼間に移動するわけだけど、実際は昼間の方がずっと効率が上がるような気がする。オフィスはベースメントの内側だし、すぐ外は塀なので昼間だからといって日が差すこともないんだけど、あんがい、体内時計ならぬ「脳内時計」のようなものがあるのかもしれないな。それでも、生活時間をシフトしてから最初の2、3日は、生理的なリズムが狂うせいで、いつも低めに出る血圧もちょっぴり上がって普通の「正常域」になるし、中途半端な時間に大あくびを連発したりして、もろに「時差ぼけ症状」になる。ということは、旅行で重宝した時差ぼけ防止のサプリを飲んだら効くかもしれないってことかなあ。

カレシも同じように大きなあくびを連発しながら、「なんか寝不足のときよりも頭が重たいなあ」と首をかしげていたけど、ほんとうに徹夜したりして寝不足になったときの眠さとは眠気の感覚が違う。あくびは出るけど、すぐに眠れるかというとそうはいかない。寝ようとしたとたんに目が冴えてきてしまったりする。つまりは、時差ぼけの直接の原因は長時間の旅行による寝不足じゃなくて、生活時間がシフトして体内時計が狂うことなんだろうな。どこかにそういう説明があったような気がするけど、この体内時計ってやつ、針を指先でぐるっと回して現在時刻に合わせれば済むってもんじゃないからやっかい。でも、どこへも行かないで、家にこもっているのに時差ぼけってのはおもしろい。

「時差ぼけ」って何なんだろうと好奇心にそそられて調べてみたら、外界のリズムと体内のリズムがシンクロナイズしないためい起こる現象だという。主な症状には「睡眠障害」があるのはわかるとして、「昼夜逆転生活」というのもある。ありゃ、私たちはもう10年も「昼夜逆転生活」をやっていて、日本標準時以外の外界のリズムとはあまりうまくシンクロナイズしていないんだけど。それがあたりまえなもので別に睡眠障害もなかったのに、今回はそれを逆転させて世間一般のリズムに合わせようとするから時差ぼけ症状が起こるんだけど。ふ~ん、なんだかよくわからない。まあ、ワタシは得意の「ケセラセラ」方式でけっこう順応できるけど、カレシは大丈夫かなあ。時差ぼけの症状がなくなっても、「家の中で工事」というストレスは残るからちょっと心配だけど、そこはケセラセラ・・・

改装工事、初日・・・

1月19日。起床午前8時30分。早めに寝て何とか「寝不足」にならない程度の睡眠時間は確保したけど、窓から朝日が見えたときの違和感ときたら。夏の間なら、そろそろ日の出という頃に寝ることもあるけど、実際には徹夜でもしないと朝日そのものを拝むことはないからなあ。

午前9時20分。マイクが2人の若い人を連れて到着。なかなかイケメンのウェスとダレル。話をしていると、きっと2人とももてるだろうなと思うくらいのまじめな好青年たち。人を見る目があったケンの下で長い間プロジェクトマネジャーをしていたマイクだから、きっと人事の方もケンの哲学を受け継いだんだろう。住宅関係の工務店のプロジェクトマネジャーってのは端から見ていてもキツイ。私たちはもう何回目かの改装で勝手がわかっているから、作業スペースを明け渡して、後は質問がなければ「おまかせ」。自分の領域である家に赤の他人がいるとストレスになるカレシでさえ、今回はあまりイライラしていない(まだ初日だけど・・・)。これが初めての改装工事だったら、あれこれ口出しをする施主もいれば、神経質になって作業している人の周りをうろうろする施主もいる。住人が住んでいるままでの工事だから、かなり神経が太くないとストレスがたまってしょうがないだろうな。

マイクから作業の説明を聞いた2人。さっそく、バスルームの中を取り壊しにかかった。小さな部屋だから身動きもままならないと思うのに、2人一緒に入って、埃が外に出ないようにとドアを閉めてくれている。トイレを外して運び出し、キャビネットを外して運び出し、シャワーのガラス戸を外して運び出し。ガレージを通って、レーンにおいたトレーラーに残骸を積むから、その間、裏のドアは開けっぱなし。これが去年の今頃だったら家中が「厳寒の地」になってしまっただろうけど、エルニーニョのおかげで3月並みの暖かさ。オリンピックは心配だろうけど、こっちはラッキー!

調度類を運び出してしまうと、今度はドンドン、ガンガン、ドタン、バタンと石膏ボードの壁と天井を剥がし、シャワーストールの壁をタイルを張ったまま剥がして、バスルームはがらんとしてしまった。天井を剥がしたもので、断熱材が落ちてしまって屋根裏が見える。床のビニールタイルもすっかり剥がして、残った接着剤の上を歩くとペタペタ。家の中に古くなった材木の匂いがほのかに漂ってくる。

早起きしたので正午過ぎには空腹。週末にデイヴィッドが泊った部屋にある簡易キッチンにひと口の電気コンロと鍋を持ち込んで、インスタントラーメンを作り、それぞれのデスクで食べた。勤め人時代を思い出すようなランチ風景。ウェスとダレルは「空気がいい」と寒いガレージでラジオを聞きながらランチを食べていた。ランチバケットに温かいコーヒーの入った魔法瓶。ふ~ん、誰か毎日お弁当を作ってくれる人がいるのかな・・・?

午後2時過ぎにはバスルームはもうすっかり空っぽになってしまって、後片付け。体を使って労働する人たちの1日は午前7時に始まって午後3時に終わる。残骸は釘1本でもていねいに拾って運び出して、廊下のカーペットに掃除機をかけてくれて、翌日の作業に使う材料の寸法を測って、「明日の朝は午前8時から始めます」と言い残して帰って行った。ということは、目覚ましは7時半・・・。

静かになって、英語教室へ行くカレシのために早い夕食を作っていたら、国際電話で「今日中にやって~」という超ラッシュの仕事。きのうの急ぎ仕事は期限を延ばしていいというから、それなら何とかなりそう。カレシを送り出して、ねじり鉢巻で突貫作業。納期の時間ぎりぎりに間に合って、ほっ。ほんとに時差ぼけしているヒマもない。さあて、明日の朝はもっと早いから、今日は真夜中を過ぎたらさっさとベッドに入らなきゃ・・・

改装工事、2日目の成果

1月20日。水曜日。午前7時30分に目覚ましが鳴って起床。日の出まで後30分ほどで、地平線が明るい。今日も雨は休みモードでいてくれるらしい。高いびきで寝ているカレシはそっとしておいて、メールをチェックしたり、新聞を読んだり。8時15分にウェスとダレルが到着。ガレージを開けて、裏から資材を搬入。この2人、感動するくらいにてきぱきと仕事を進める。10分後にはトンカチの音・・・。

カレシが目を覚ましてきて、朝食。裏口から出たり入ったりするので、ちょっと外の冷たい空気が入ってくるけど、天井からの放射熱で体が温められるから、特に寒いとは感じない。ワタシは相変わらず素足のまま。かなづちの音、ドリルの音、ガレージからは電動鋸の音。だんだんに新しい材木の匂いが強くなってきて、ちょっとワクワクする気分。廊下には裏口からバスルームまで泥除けのシートを敷いてあるし、大きなゴミ入れも置いてある。人が住んでいて生活しているすぐ側で工事をするというのはけっこう神経を使うだろうなあ。朝食が終わったワタシとカレシはさっさとベースメントのオフィスに引っ込んで、stay out of their way・・・。

昼近くにマイクが残骸を積んだトレーラーを引き取りに来て、シャワーヘッドをどっち側にするかを相談。最初に予定した場所は外壁なので、省エネなどを考慮して反対側に変更して、ついでにトイレの周りのスペースを広げるために二階からのランドリーシュートの奥行きを縮めることにした。こういうのを「スペースを盗む」と表現するからおもしろい。シュートは「細く」なるけど、今までは奥まで手が届きにくかったし(それなのにソックスは一番奥に落ちる・・・)、底を床まで下げてもらうので容量としてはあまり変わらない。ついでにバスルーム側の投入口のドアを外して、キャビネットとおそろいのを作ってもらうことにした。何よりも、いかにも場違いにとってつけたような安っぽいドアが消えてくれるのはうれしいなあ。

オフィスに陣取って仕事を始めたものの、気が散ってばかりのワタシは、バスルームの調度器具のディーラーのサイトでカタログショッピング。中を覗いて動かしてみて・・・というものでもないので、まず斜めに設置する場合を考えて、タンクの幅が狭いトイレを選定。便座の位置が高くなったものが多い。標準的な椅子の高さだそうで、これも高齢化社会に対応したデザインらしい。シンクはカレシが角ばった長方形のものを選んだ。普通の埋め込み型のシンクと違って、いうなればカウンターの上に「手水鉢」を置くような新しいデザイン。カレシが選んだのは蛇口はカウンターに設置するタイプなのでデザインが限られてくる。おまけに冷水と温水のハンドルは別々がいいというので、あれやこれやと見て回ってちょっとテクノデザインっぽいのを見つけた。次はシャワーヘッドだけど、カレシはこれまた「大きいのがいい」と注文。ワタシは固定せずにハンドシャワーとしても使えるタイプが希望で、蛇口と同じメーカーのもので直径が15センチというのを見つけた。同じモデルには直径が20センチという固定型もあって、雨のように頭の真上からシャワーが出るデザインになっている。さて、後は取り替える照明器具の選定。これは数が多いから大変そうだけど、出向く前にカタログを見られるネット時代は便利でいいな。

[写真] きのう、石膏ボードを剥がして、断熱材が脱落した後の天井。梁は2×10。左上の縞模様の部分は放射熱暖房の電気パネル。電気屋さんが来て取り外すことになる。改装では床暖房になるので、お役目ごめんになる。予備に取っておいてもいいけど、どうしようか。

[写真] トイレとシャワーの排水管を配置転換するためにバスルームの下にあるカレシの園芸ルームの天井を外したところ。金属のダクトは常時換気装置の排気管と給気管。他に排水管、冷水と温水の給水管もあって、さらに左端の肘の形の白いパイプはセントラル式掃除機の集塵パイプ。白いワイヤは電気系統。茶色のワイヤは暖房の温度調節系統。これだけのものを通すために、この部屋だけ天井が低くなっている。たまたまバスルームの真下にあったのはラッキーだった(と、設計したワタシの背中をポン・・・のつもり)。

[写真] 新しいシャワーストールのベース(敷居)とベンチの枠組みができた。機械をおいてあるのがベンチ。座ってのシャワーでリラックスしたり、ハンドシャワーで足だけを洗ったりできる。年よりにやさしいデザインとして推奨されているらしい。脚立の陰になった壁に間柱の空間を利用したニッチがあって、シャンプーや石鹸を置ける。ストールの中はタイル張りで、囲いは枠なしの分厚い強化ガラス。いいホテルにあるシャワーストールのような感じになるのかな。きっちりフィットさせるために、まずは固定部分を取り付けてから、開口部分のサイズを正確に測ってドアを作るんだそうな。

[写真] ポケットドアを入れるために間柱を取り外されて石膏ボード1枚になってしまった廊下側の壁。左は元シャワーがあったところで、ここにトイレが入る。右奥は洗濯室兼パントリー。突き当たりは裏口。

今日の作業終了は定時を過ぎた午後3時半。ランドリーシュートの枠を組み直すのに材料が足りなくなったとか。残りは明日の午前中に完了の予定。ということは明日もまた午前7時半起床か・・・。

ふたつの「女の一生」

1月21日。早起き3日目。今日はちょうど日の出の頃で、曇り空の下、東の地平線のあたりだけが晴れていて、朝焼けがまぶしいくらいに鮮やか。カレシも起き出してきたので、ポテトとベーコンと卵のコレステロール一杯の朝食を作って、ちょうど食べ始める頃にウェスとダレルが到着。例によって、ドンドン、ガンガンとハンマーの音が響く中で、食べ終わったらさっさとオフィスへ退却。今日は残っていたランドリーシュートの枠組みだけなので、正午前には作業完了。あとは電気屋と配管屋のスケジュールしだいで、来週前半くらいまでは静かで、夜更かしの朝寝坊ができそうかな。まあ、まだなんとなく時差ぼけしたように変な時間に睡魔が襲って来たりするから、どうなることか。

先に期限が来る仕事の方に少し集中して、ランチタイムまでまじめに「勤務」。その後はやっぱりだれてきて、また蛇口だのシンクのカタログ検索。カレシがカウンターの上におくシンクはやっぱり気に入らないと言うので、シンク探しは白紙に戻って、別のディーラーのサイトでカウンターの下に取り付ける長方形のを見つけた。深さが20センチもあって、水を跳ね散らかす人にはうってつけ。蛇口の選択肢もぐんと広がって、ワタシも文句なし。

今日はイアンとバーバラの夫婦と一緒にディナーと芝居。二人はRodney’sが希望だったけど、先週行ったばかりなので、劇場のすぐ近くになるルイジアナ料理のビストロにした。ルイジアナの中間をとって「Ouisi」という。ジャズをテーマにしたポスターや絵がたくさん。絵は地元のアーティストのものらしく、売値がついていた。新装なったバスルームにいいかも。ここは量が多いので、前菜のほうれん草サラダをカレシと分け合って、メインはクリオール料理を代表するジャンバラヤ。けっこう辛いけど、その辛さがおいしい。

芝居はカナダの劇作家ジョアナ・マクレランド・グラス作の『Mrs. Dexter and Her Daily』。突然未亡人になった隣の仲良しをイタリア旅行に誘ったために夫を取られてしまったミセスDことイーディスと、通いのお手伝いさん(デイリー)のペギー。第一幕は、優雅なセレブ生活しか知らないでお手元不如意になったデクスター夫人が家を売り出すことになり、掃除にアイロンかけにサンドイッチ作りと忙しいペギーのモノローグ。(庭で本を読んでいるデクスター夫人とときどきドアを開けて言葉を交わすけど。)年金をもらう年になって物忘れはするし、足腰も肩も痛い。どうやら男運が悪くて、1人で子供を育てながらさんざん苦労して生きてきたらしい。だけど、工員だった経験から電気器具の修理などお手のもののバイタリティ溢れるおばあちゃんで、子供たちの(女たらしでろくでなしの)父親が2つ年金をもらっているので、便宜上また一緒になって、嫌いな福祉住宅を出て普通のアパートを借りようとしている。ペギーを演じるのはバンクーバー演劇界のピカイチのニコラ・キャヴェンディッシュ。

第二幕は、ペギーが帰った後1人になったデクスター夫人のモノローグ。もう午後なのにまだネグリジェにガウンのまま。まずお酒を注ぎ、庭から摘んで来た花を生けたり、冷蔵庫の掃除を始めたり、息子に電話でお金の無心をされたり。夏はいつまでたっても夜が来ないから辛いと嘆く。その間に、夫を奪った仲良し友だちが住んでいた家の方に向かって癒されない苦しい心のうちをぶちまける。いっしょに旅行に出かけたイタリアのポルトフィーノで、友だちとできてしまった夫に「一生モノの恋をした」と言われて、「なぜ?」と問い続けたというイーディスに、夫は「単調さ」が嫌になったと言った。夫は「加齢」という現実が怖かったのに、だったらなぜ30才や40才の若い女じゃなくて、60才の女なのよ!と叫ぶイーディス。フロリダに移っても「北の単調さ」が「南の単調さ」になるだけなのにと。

なに不自由なく育って、結婚して上流の暮らしをして来た人生が、夫の裏切りで崩れてしまったセレブ夫人のイーディスと、社会の底辺で十代の頃からろくでなしの踏みつけにされながらもしぶとく生き抜いてきたペギーはどちらも60代。モノローグ2つで構成された芝居はまさにpoignantという形容詞がぴったり。「痛切」、「身にしみる」、「胸に刺さる」といった意味合いのフランス語由来の言葉だけど、最後には涙が出そうになったくらい、心に激しく響いた作品だった。

仕事の雨も降れば土砂降り

1月22日。よく寝た。早起きしなくてもいいと思うと、やっぱり就寝が遅くなる。元のリズムには戻りやすいってことだろうな。寝酒をやりながら、シャワーのタイルの色やデザインの相談をして、就寝は午前2時半。そのままぐ~っすり眠って、目覚めは午前11時。まあ、朝が早かったから、くたびれていたということもあるけど。外を見ると今日もいい天気で、気温はまだ平年より高い。スノーボードの会場などあちこちで地肌が露出して目も当てられない。いっそスケートボード競技に切り替えるとか・・・?

どうしても土曜日のような気がしてしょうがないけど、カレンダーを見るたびに「まだ」金曜日なんだ、と安心する。この週末は仕事ラッシュ。改装の方に気を取られているうちに、ど~しよ~という状況になってしまった。ああ、ど~しよ~、ほんと。そんな状態なのに、メールをチェックしたら、マイクから「月曜日に電気屋を連れて行く」とのメッセージ。おまけに「早急にショールームに行ってシャワーの器具を選んでおいて」と。メーカーごとに、モデルごとに配管の位置が違うから、工事をする前に決めておかなければならない。ということは、電気屋に続いて配管屋が来るということか。まあ、天井がないのでじわ~っと外の冷たい空気が入ってくるから、作業がどんどん進んでくれるにこしたことはない。シンクも蛇口もトイレもほぼ決定したので、土曜日に目で見て確認した上で注文を入れておくと返事。シャワーシステムについてはドイツのグローエの製品がお奨めということで、ヘッドだけは決めたけど、蛇口ハンドルのデザインはやっぱり現物に触って、操作してみないわからない。この後に鏡やタオルバー、ペーパーホルダー、照明器具等々の品定めが・・・。

今日はとにかく仕事を進めておかなきゃと、ねじり鉢巻を締めてかかったら、「ひとつ入れてあるのはわかっているけど」といいながら別件の仕事。え、社長から直々にお仕事って?とメールの送信時間を見たら朝の7時前。「案件が多くてパンクしそうだ~」と。それはこっちも同じことで、ただ今3つのお手玉を操っているんだけど。いいのかなあ、こんなに積み上げちゃって。ひょっとしたら、もうパンクしてしまっているかもしれないのに。まあ、今頃の時期から4月までは、めちゃくちゃに仕事が入って来てINBOXは堤防決壊、脳みそは百年洪水の状態になるのが恒例行事のようになっている。日本では予算消化の季節で、特に2月は不眠不休の修羅場になったりする、いわば鬼門なんだけど、今年はちょっと修羅場の始まりが早いような気がする。やれやれ、先が思いやられるなあ。月末までにはサボって来た9ヵ月分の帳簿を整理して、2009年度の決算もしなければならない。う~ん、この分だとねじり鉢巻を10本くらい用意しておかなくちゃならないかなあ・・・。

降れば土砂降りとよく言うけれど、仕事の雨も降り出すと土砂降りが多い。会社に属さないフリーの身だから、このご時世には仕事の方からやって来てくれるのは、ワタシがよっぽどの「強運」を持っているからなのかな。だとしたら、せっかく運が運んで来るものをむだにしたらバチが当たるな。よ~し、この週末は、完成した新装バスルームで慈雨のごとくやさしく降り注ぐシャワーを浴びながら、ベンチに腰掛けてゆったりと瞑想に浸っている自分の「ほっこり」イメージをニンジンみたいに目の前にぶら下げて、一心(もしかしたら二心?)不乱にがんばろう。

カレシ、大いにこだわる

1月23日。土曜日。起床午前10時半。なんとなくぐったり疲れた気分でほぼ「平常」の時間に寝たのに、やけに早々と目が覚めてしまった感じ。やっぱりちょっと調子が狂っているのかな。

朝食を済ませて、さっそくマイクが指定したリッチモンドのショールームへ。工業地区にあって普通の小売店ではないのに、けっこう普通の人が入っているのは土曜日だからかな。まあ、自分でやろうという人にとっては土曜日しか時間がないということもあるだろうな。それぞれにカタログを見ながらで値段を調べてもらったりするから時間がかかる。セールスの人が空くのを待つこと20分くらい。やっと順番が回ってきて、これこれ云々でと探しているものを説明。のっけから「在庫がなくて、取り寄せは4週間くらい」という返事。でも、同じメーカーで少しだけ違うのがあると、倉庫から持って来てみせてくれた。どこが違うのかよくわからない。それでいいかと思っていたら、急にカレシが「サテン仕上げはないの?」と質問。鈍い光沢の仕上げのことで、普通の磨き上げたクロームめっき仕上げに比べて格段に値段が張る。残念ながらこのモデルはクローム仕上げだけ。

カレシは「ぴかぴかのは絶対にダメ」と、急にぷいっとどこかへ行ってしまった。となりで順番を待っていたおじさんは「おいおい」という顔。セールス君は「・・・?」。ワタシは「っとに男ってしゃあないわねえ」といった顔で、別のメーカーで同じようなスタイルでサテン仕上げのがないかと聞いたら、ハンスグローエはどうかと。ハンスグローエとグローエは元はひとつの会社だったのが創業者の2人の息子の代に別々の会社になったんだそうで、分家したのか、袂を分かったのか知らないけど、今では孫たちの代になっているらしい。見せてくれたのは高さを調節するバーがないだけでヘッドはグローエのとそっくり。いつの間にか再登場したカレシもシンプルでいいと気に入った様子。同じ仕上げの混合栓は3種類。温度調節と水量調節が別々なのは賢いけど、すっごい値段。だけど、カレシがサテン仕上げにこだわる以上は、う~ん、ま、いっか・・・と、それでも一番安いのに決定。

とりあえず、シャワーについて注文を入れて任務は遂行。カタログやショールームの展示を見て気に入ったものを注文しておくと、配管屋が必要なときにピックアップして代金を払い、それを請求された工務店が工事料に含めて施主に請求してくる仕組みで、業者価格は小売より2割くらい安いけど、最終的には小売とそれほど違わないだろうな。まあ、シャワーや蛇口は小さいけど、トイレやシンクをえっちらおっちら運ぶわけには行かないから、その代行料みたいなものと思えばいいか。とりあえず、これで配管屋のトニーに配管工事に必要な寸法データが届くから、また一歩前進か・・・。

それにしても、カレシはやけに「サテン仕上げ」にこだわるなあ。二階のメインのバスルームは照明器具まで全部が一緒に選んだぴかぴかのクローム仕上げなんだけど、一度も文句を言ったことはないのに、今回は「サテン仕上げじゃなきゃやだ!」と子供みたいに駄々をこねる。これからタイル選びもあるのに、この分だと、というよりはとっくに見積もり大幅オーバーだなあ。生活空間での工事というストレスの中で、デザインやスタイル、色、仕上げ、価格といったパラメータが絡み合う決定事項が多いところへ、工事日程を遅らせないようにというプレッシャーが加わるから、家の改装がきっかけで夫婦が離婚に至ったなんてのはよくある話。普通に仲良くしている夫婦だってついけんか腰になることがあるのに、すでに亀裂の入った夫婦は家の改装に夫婦仲の「改善」への期待をかけることが多いそうだから、結局は逆に亀裂が深まって破綻へと突き進むことになるのかもしれないな。まあ、見積もり予算なんておおまかな目安だと思った方が気が楽。ちょっとやそっとオーバーしても何とかなる。よ~し、カレシのこだわりのバスルームにしよう。

誰からも好かれる人って

1月24日。雨模様になって来た。つかの間の静けさみたいな日曜日。マイクがメールで、「月曜日は残念ながら朝寝坊はできません」と言ってきた。電気屋といっしょに午前8時半から9時の間に来て、配線工事を始めるという。うはっ、明日からまた超早起きモード。やっぱり早起きはなかなか慣れるのが大変だけど、「夜更かしの朝寝坊」へはあっという間に逆戻りするからおもしろい。。まあ、10年も昼夜逆転のような生活をやっていると、体のほうがそういう「標準時」になっているのかもしれない。

ワタシのスケジュールは月末まで満杯状態で、いったいいつになったら帳簿付けにかかれるやら。(なんていいながら、こんなところで油を売っていてはいかんではないか、おい・・・。)消費税の申告期限は1月31日。日曜日なんだけど、申告用紙にはちゃんと31日と書いてある。ちょっと前までは期限が日曜日の時は(銀行が閉まっているから)翌日の月曜日に繰り下げになっていたのに、オンラインで処理できるようになってからは、ばっちりと期限日の通りになってしまった。まあ、ずぼらしてサボってきたつけだから、自分で自分のお尻を叩いてがんばるしかないんだけど・・・。

それでもがんばる前にちょっと息抜き(!?)。ブログの画面にあった『意味がわからない昭和語ランキング』がおもしろそうだったので覗いてみたら、あら、上位10のうち「キモサベ」と「BG」の2つしかわからない。ワタシはもろに昭和の人間なんだけど。でも、考えたら、ワタシは昭和50年までしか日本にいなかったのだ。わかる2つはどっちも昭和でもワタシが子供だった頃の昭和に聞かれた言葉だから、「アラカン」とか言う年令以上でないとわからないだろうな。「BG」ってのも古い、古い。大戦後にオフィスで働く若い女性をかっこよがって「ビジネスガール」ともてはやし、略してBGといった。つまり(もう死語かもしれないけど)「OL」の前任。ところが、「英語の本家では売春婦をbusiness girlと呼んでいる、これではまずい」ということになって、ワタシが高校生ぐらいの頃に「オフィスレディ」に変わった。そこで「女性会社員」とせずに、あくまで和製英語にこだわったところがおもしろい。均等法なんて言葉さえない時代で、お茶くみやコピーの雑用係兼企業戦士の花嫁予備軍みたいなものだったから、「会社員」としては扱われなかったということか。

おもしろついでに、『誰からも好かれる人の傾向ランキング』というのも覗いてみた。トップテンは「気が利く」、「聞き上手」、「人に不快感を与える行動をしない」、「約束は必ず守る」、「相手によって態度を変えない」、「明るくて元気な雰囲気を持っている」、「誰にでも親切に接する」、「優しいオーラが自然と出ている」、「自分のことより相手のことを考えて行動している」、そして「人と接する時は笑顔」。ふ~ん、なるほど、日本でこういう人が「誰からも」好かれるってことか。11位以下を見ても、「他人に迷惑をかけない」、「愚痴をこぼさない」、「弱音をはかない」といった性向が並んでいる。このあたりがなんとなく釈然としない。約束を守る人や、明るい人、いつも笑顔の人はどこでも誰からも好かれる。でも、気が利いて、聞き上手で、人に不快感を与える行動を取らず、優しいオーラ満開で、自分のことより相手のことを考えて行動し、他人に迷惑をかけず、愚痴をこぼさず、弱音もはかない人・・・そういう人が「誰からも好かれる」、ということは、このランキングに投票した人たちはそういう人間が「好き」と思っているってことで、なんだか「自分にとって都合のいい人」を求めているような感じがしないでもないな。まあ、ワタシは八方美人じゃないから、誰からも好かれるってことはまずないだろうし、それはそれでいいんだけど・・・。

下位のランキングには「何ごとにも一生懸命に取り組んでいる」、「常に前向き」、「自分の意見をしっかり持っている」、「話し上手」、「積極的に話しかけてくる」といった性向も上がっているけど、これもなんだか釈然としない。少なくとも、小町横町の住人の間ではこういうポジティブな人は好かれない傾向が見える。自分の意見を言うと「上から目線」と批難され、前向きの姿勢だと「自分に都合のいいように考えている」、話に熱中すると「自分ばかりしゃべる」、積極的に話しかけると「うっとおしい」と言われて、評価が低い。だけど、こういう人たちはあんがい「おんぶにだっこ」ちゃんたちに都合がいいと思われるのかもしれないな。よくわからないけど。実際のところ、そういうポジティブな性格の人は好かれるの?好かれないの?いったいどっちなんだろう・・・?

改装工事、また一歩前進

1月25日。というわけで月曜日。午前8時10分に目覚ましがなって、がばっと起きた。こういう起きかたをするとさすがに一瞬くらっとする。ささっと身づくろいをして、とりあえずオフィスへ。夜の間に来ていたメールに返事を書いて、送って、9時に近くなった頃にマイクが来た。電気屋のロウルはちょっと遅れているということで、水周りの配置の相談。電源つきの洗面キャビネットを提案したら、壁に埋め込めないから見映えが良くないと「却下」。うん、そこんところが引っかかっていたんだけど、何しろカレシが収納場所をたっぷりとって欲しいというので、どうかなあと思った。結局は、キャビネットと同じ縁の鏡を使うことにした。実際のところ、そのほうが格式が何段も上がるんだけど。

印刷して用意しておいたトイレの仕様書を見ながら、マイクはトイレがコーナーに45度に収まることを確認。シンクがフルサイズになったもので、ここが懸念事項だったけど、収まるとなれば後は特注キャビネットのサイズを合わせればいい。なにしろそれはそれは小さなバスルームなので、普通に配置するとカレシの膝がつっかえてしまう。そういえば、30年以上前に新婚旅行の京都で泊ったホテルでそういうトイレに遭遇したっけ。カレシがおもしろがって撮った写真が今でもどこかにあるけど、今だったら若い日本人だって膝がつっかえるだろうな。マイクにシンクと蛇口の仕様書も渡して、配管屋のトニーに回してもらうことにした。

カレシが起きてきて、朝食が終わったところで、ロウルが登場。ジャマイカの出身で、前回の二階のバスルームの改装でも電気工事を担当したので顔なじみ。まずは現場の点検。「スイッチをつける場所がないよ」。廊下側にしてもいいけど。「だめ。法律でシャワーから1メートル以上離すことになってるから」。はて、それは困ったなあ。入るときにつける照明のスイッチだから、手近なところにないとねえ。昔はそれでよかったのに、いつのまにか法律が変わったなんて、困ったねえ。「モーションセンサーをつけたらいいじゃない?」えっ、そんなものがあるの?「あるんだよ。ドアを開けたら鏡の両側のライトが点くようにして、後は必要に応じて天井の照明を点けられるようにすればいい」。へえ、なるほど。我が家が建ってから21年、技術の進歩はたいしたもんだ。

ま、日本にはドアを開けたら自動的にふたが開いて、ついでに音楽も流してくれるトイレがあるそうだから、同じようなアイデアか。なるほど。動きが感知されなくなったら自動的に消えるそうだから、これまでしょっちゅうあった消し忘れもなくなるなあ。よ~し、それにしよう。決定。「じゃ、これで問題解決」とロウルはにんまり。じゃ、あとはおまかせと言ったところで、今度はつるつる頭のトニーがコーヒーを片手に下見に登場。彼も前回も配管の担当だったので顔なじみ。マイクに送ったメールのコピーを持っていたので、トイレ、シンク、蛇口の型式と仕上げを確認。「じゃ、あした」と行って帰って行った。

ロウルが作業をしている間、ワタシはだんだんアコーディオンになってきた仕事をなし崩し(これがなかなか崩れてくれないんだけど・・・)。午後3時半にロウルが「じゃ、またあさって」といって帰った後でのぞいた現場は、ワイヤがスパゲティ状態。天井につけた3つのポット型照明は取り付け枠は大きいんだけど、実際は小さなハロゲンランプを使うもので、トイレの上のライトはトイレにこもって本を読む習癖のあるカレシの読書灯といったところかな。シャワーの中にもあるから、「防水の本があれば、シャワーを浴びながら本を読めるね」と二人で大笑い。もしかしたらスキューバダイビングのマニュアルとか・・・?[写真]

明日はトニーが来て、あさってはまたロウルが来て、とんとん拍子に進めば今週中に壁と天井の取り付け作業も可能かな。ということは、そろそろマイクから「シャワーと床のタイルを選びに行け」という指令が来るのかなあ・・・。

今日もまたびっくり玉手箱

1月26日。また午前8時に目覚ましが鳴って、一発で跳ね起きた。ほんと、こういうのは心臓に悪いような気がする。ちょっと血圧を測ってみたら、あ、やっぱり上がっていた。まだ「正常値」までは行ってないけど、上は110を超えたし、下も70を超えている。ということは、ふだんの暮らしがのどかすぎて血圧までだらけてしまっているってことなのかなあ。まさかあ。これで2日連続で6時間弱の睡眠で、寝不足が続くといつも手足の指先がじわっと冷たくなる。血圧の上昇と矛盾しているような気もするけどなあ。

けさもまだ高いびきのカレシはそのまま寝かしておいて、ワタシはオフィスへ降りて行って、とりあえず詰まって来た仕事。10時頃を過ぎてやっと起きてきたカレシは「なんか寒いなあ」と、よぶんのセーターを着込んでいる。うん、そういえばけさはちょっと冷えたのかなあと思った。サーモスタットを見たら、「要電池交換」なんてメッセージがヒカヒカ。現在時刻がぜんぜん違っている。これではヒーターが入らなくて、どうりで寒いはず。きのうロウルが30分くらいバスルームと廊下の系統の電気を止めたときに、停電時用のバックアップの電池が古くて機能しなかったために設定がすべてご破算になってしまったらしい。ねじ回しを持ち出して来て、なぜか3本という半端な数の電池を交換。カレシが朝食のしたくをしている間に、改めてタイマーと温度を設定し直し。タイマーは「週日」、「土曜日」、「日曜日」と分かれていて、それぞれの生活サイクルに合わせて、「起床」、「外出」、「帰宅」、「就寝」の4つの温度設定がある。設定さえすれば、生活時間を変えない限り、後は何もしなくても寒くなればヒーターが入り、設定温度になれば切れてくれるから便利この上ない。

朝食が終わる頃に資材を仕入れて来たトニーが登場。注文してあったシャワーセットだけでなく、トイレとシンクまで持って来た。それと、いったい何に使うのかセメントミックスの袋。ワタシは仕事に戻り、カレシは英語教室の準備。今日はまず排水管の移動と排水口の設置。壁の内側に収まるものを取り付けるので「ラフ・イン」と呼んでいる。頭の上で盛大にガリガリ、ゴリゴリ。そのうちにトニーがオフィスに来て、「トイレの仕様書、ある?」と言って来た。印刷してあったのを渡したら、首をかしげている。「どうもタンクが違うように思う」と言うから、上がって行って見たら、うん、タンクの形が少し違うし、蓋のデザインはショールームで見たのとまったく違う。トニーはさっそく交換に出かけた。きのうの照明スイッチの一件といい、ほんとに改装工事って、文字通り蓋を開けてみるまでは何があるかわからない「びっくり玉手箱」。

タンクの一件が解決したら、今度はシンクの排水管の問題。「キャビネットに引き出しがあったら邪魔になる。でも、移動するのは場所が場所だから大仕事。どうする?」と。どうする?う~ん、そこはまだマイクに任せっぱなしなんだけど、どうしよう?まあ、小物を入れるだけなら、ちょっと工夫すればいいから、キャビネットは引き出し抜きでもいいんだけど。今日も「どうする?」、「どうしよう?」の緊急会議で、仕事の時間がますます圧縮される(といいながらも気が散るのをやめられないのが極楽とんぼなんだけど)。今日の最後の作業はシャワーストールの床の仕上げ。バケツ一杯にセメントと砂を混ぜて、どばっと床に流して、ていねいに均してできあがり。[写真]

へえ、そうなんだ、シャワーの床はコンクリートなんだ。この上にタイルを貼るわけか。これなら水もりしそうにないな。前のは出来あいの強化プラスチックの「トレイ」だったけど、排水口から水漏れが始まったのはそのせいかもしれない。やっぱり手軽なものはそれなりってことかな。次は金曜日の9時くらいに来ると予告して、残った砂の袋をかついでトニーが帰ったのは午後5時。カレシを送り出して、静かになったところで、さ~て、ねじり鉢巻をきりりと締めて・・・

ああ、見渡せば期限だらけ

1月27日。水曜日。けさは目覚ましが鳴る寸前の午前7時57分に目が覚めた。ふむ、あと3分。どうしようか?あと3分だけど、たったの3分。目が覚めてしまったんだし、寝ていてもしょうがないから、起き出して着替え。早朝だから少し冷え気味だけど、今日もいい天気。

9時過ぎにウェスとダリルがポケットドアのフレームを持って現れた。ガレージを開けて、車を道路に出して、迷路みたいな庭の中をそろそろと家の中に運び込んだのはいいけど、なにしろ小さな空間。開口部と引き込み部分が反対になって入ってしまった。はて、この狭いところでどうやって180度回転させるか?いったん運び出して、正しい方向にしてもう一度運び込むか?だけど、今さら取り出すのもちょっと大変そう。どうするのかと見ていたら、二人してあっち側、こっち側と枠の中をくぐって往来しながら何とかバスルームの中で回転させてしまった。う~ん、えらいなあ。

フレームの取り付けが済んだところで、ガレージや庭に残っていた石膏ボードや材木、排水管の残骸をきれいに片づけ。フレームを積んで来たトレーラーに載せて、次の現場へと向かった。正午を過ぎてもロウルの姿はなし。ドアフレームの取り付け作業があるということで他へ行ったのかもしれないな。金曜日にはトニーが今度は給水系統の工事に来るから、ひょっとしたら明日か。住宅リフォームの税額控除の対象になる期間がこの日曜日までなので、みんな大忙しなのだ。自分でやるのならこの日までに資材を買い込んでおけば控除を受けられるけど、請負業者がやる場合はこの日までに終わった作業について控除を受けられるしくみで、みんな施主に急かされているだろうとは想像がつく。まあ、そういう事情があるから、税務署のほうも1週間やそこいらの工事終了の遅れには目をつぶってくれるのではないかという話だけど、はて・・・。

トンボの方はといえば、期限が迫り来る大きな仕事にうんうん。体内時計が狂っているから、ヘンなときに眠気がさしたり、脳みその思考回線のスピードが落ちたりして、やりにくいったらない。持ち時間は今夜と明日。明日も早起きとなれば、日中の数時間で追い込み。誰も来なければ、夜なべをして、明日はゆっくりと朝寝坊。まあ、金曜日にはまた早起きと決まっているから、誰も来なくても少しは早起きした方が規則的な生活の維持という観点からはいいのかもしれないけど、はて、いったいどっちになるのか。お~い、マイク、いったいどっちなの~?

12時間勤務の後は

1月29日。いつのまにか金曜日。配管工事のトニーが来るのは11時過ぎということで、起床はゆっくり10時半。まあ、寝たのは午前3時半で、必死でがんばって大きな仕事を終わらせて、とにかく一杯引っかけて心身の凝りをほぐしてばった~んぐう!という感じだったけど。

前の夜にマイクが「ロウルが木曜日の9時頃、トニーが金曜日の9時頃」という予定のお知らせメールをくれたので、夜なべするかわりに朝一番で胸突き八丁を乗り切ることにして、午前8時45分に起床。これで月曜日から4日連続して6時間以下の睡眠だから、さすがにちょっときつい。冷たい水をぐいっと飲んで、しゃっきりと目を覚まして仕事にかかったら・・・あら、カレシがむす~っとした顔で起きてきた。「目覚ましを止め忘れたから目が覚めてしまった」と。あちゃ、オフにする代わりに寝ぼけてスヌーズボタンを押しちゃったのか。ゴメン、ゴメン。だけど、止めてまた寝ればよかったのにと言ったら、「止め方、知らない」とひと言。そんなばかな。もう20年も使ってる目覚ましなのに。ふむ、カレシも寝ぼけてスヌーズボタンを押して止めたつもりだったな。ま、せっかく2人とも起きたんだからと、ここで朝食。あはは、まだ寝覚めの悪い顔してる・・・。

本格的に仕事を始めたところで、マイクから予定変更のメール。どうやらロウルが木曜日はトニーの出番と思い込んで他へ行ってしまったらしい。仕切りなおして、「トニーは金曜日の午前11時過ぎ、ゆっくり寝られるように、ロウルは月曜日の午前11時過ぎ」ということになった。しめしめ、1日仕事に集中できる。(携帯やブラックベリーがなかった頃にはこんなぐあいに連絡はつけられなかった。便利な時代になったもんだ。)スーパーの閉店が締切よりも早いから、カレシを引っ張って買出し。コーヒーもシリアルも切らしてしまったから、これも今日中に待ったなし。超特急でスーパーと青果屋を回ること1時間。ここから先は「仕事最優先」モードで、カレシがトドみたいな大あくびを連発したり、腹減った~とポテトチップをバリバリ食べたりして挑発しようとしても、「お母さんは忙しいん
だからねっ!」とばかりに一心不乱・・・。

どうなるかと思ったけど、とにかく間に合った!ほぼ2日分に近い量を何とか12時間勤務で仕上げて、やった、やったと自分の(仮想的)背中をポン!おしまいの方には10本の指がそろって脳みその言うことをきかなくなって、スペルチェックの赤い波線がぞろぞろ。あ~あ、やっぱり年かなあ。いざ仕事!となれば、頭の中は今どき風に言うならハイテンションで、たまには徹夜だって押せ押せ気分で腕まくりしてやっちゃうんだけど、タイプライターに始まって45年もキーを叩き続けてきた10本の指は「も~だめ~」と実に正直に白旗を揚げちゃっている。うん、ほんとに長いこと酷使して来たんだもんなあと、じっと手を見る。う~ん、なんかおばあちゃんっぽい手だなあ、これ・・・。

そうして一夜明けて、昼近くになってトニーが登場。今日は給水系統の作業なのでしばらく水道の元栓を閉める。その間、トイレは使えるけど、流せない。古いシャワーの配管を外してトイレ用の冷水パイプを1本。シンクに通す2本のパイプを新しいものに替え、二階のバスルームに通じる2本の給水管の途中に新しいシャワーの配管をする。古い配管は灰色のPVCパイプだったけど、新しいのは半透明のPEX(ポリエチレン)パイプ、昔は銅だった継ぎ手のクランプは、大き目の赤(温水)と青(冷水)のプラスチック。住宅建築の法律も技術も材料も、20年の間にいろいろと変わったってこと。おおかたの配管工事を終えたトニーは、1時間ほどの作業が残っているから月曜日の10時頃に来ると言い残して帰って行った。

ということは月曜日はまた早起き。よし、この週末はゆっくり寝て、のんびりして、鋭気を養うぞ。

ごり押し、五輪押し

1月30日。やっと週末。雨模様。小さな仕事をほぼ片づけて、ゆっくり寝酒をして、まともな時間に寝て、まともな時間に起きた。やっぱり慣れきった生活習慣に戻るのはあっという間。禁煙やダイエットを続けられないという人の心理もわかるような気もするな。あんがい自分の体と意志の支配権争いみたいなものかもしれないけど、相手が体内時計の場合はあんまり勝ち目がなさそうに思う。

目が覚めて一番に左手の親指の調子がおかしいのに気がついた。関節を伸ばすとカックン、曲げるとカックン。ああ、これ、きっと「ばね指」ってやつだ。ちょっとかしこまって言えば「弾発指」。もったいぶって言うなら「狭窄性腱鞘炎」。痛くはないけど、なんだかカックンとなるたびに気持が悪い。おまけに右手と比べたら間違いなく付け根が腫れていて、こっちはちょっとばかり痛い。まあ、他の指も似たようなもんだから、老化現象の関節炎なんだろうけど、水曜日は使いすぎたもんなあ。両手を並べて甲の方から見たら、元々短めの指がますますずんぐりむっくりになった感じで、小指なんかもろに曲がっている。うん、ワタシの手は30何年働いた手なのだ。少しは労わってあげなくちゃ・・・。

今日はまず日曜日に切れるトラックの保険の更新。キャンビーの通りを走っていたら、「オリンピック専用レーン」の標識。オリンピック関係の車以外は走れない車線で、市内のあちこちがオリンピック専用になっていて、タクシーの運転手も配達業者も文句、文句。だけど、オリンピック様は「世界の人が集うありがたいイベントなんだから文句などもってのほか。下におれ」と言わんばかりの知らんぷり。観光客や選手には恨みはないけど、IOCもVANOCも超上から目線の支配魔ぶりが度を越しているから頭に来るのだ。おまけに市役所までが服装からヘアスタイルからソックスの長短からスマイルの様式までを細々と「規定」した分厚いエチケットマニュアルを市の職員全員に配布したというから、ここまで来たらもう日本の「マナー警察」や「常識警察」といい勝負だろうな。なんとなくおかしな世の中になったもんだという気がするけど。

ポンコツ時代と違って新しいトラックは排気ガスの検査がいらないから、通知書を保険代理店へ持って行って、(保険を4つかけているので)すっかり顔なじみのミレアと軽口を叩きながら、ちゃっちゃと処理してもらって、1300ドルなり。新しい保険証とステッカーをもらって任務完了。その足でモールまで行って、主にきのう急いでいてあまり買わなかった果物類を集中的に仕入れ。車のトランクに入れておいて、今度は地下鉄に飛び乗ってWhole Foodsまで。ホームに「オリンピック期間中は電車に自転車は持ち込めません」みたいな看板があった。あっ、そ。ブロードウェイ駅で降りたら、出口への通路が2つに分かれている。まあ、混雑を予想しているんだろうけど、っとに、もう。

買い物をしての帰り、今度は交通警察が通路を通せんぼして切符の検査。ポケットをあっちこっちと探すワタシ。だから、最初から改札機を置けばいいのに、何にもないからどこに切符を入れたか忘れちゃったじゃん。やっとトートバッグのポケットにあったのを見つけて、ほら!と突き出したら、なんか愛想よく「OK」。あのさあ、当日限り有効なんだから、ちゃんと今日の日付になっているか、有効期限の時間を過ぎていないか、確認くらいしたらどうなの?ま、オリンピック期間中は人の輸送を円滑化するために切符の検査はやらないんだそうで、なんか無賃乗車天国になりそうな予感。ほんとに、世の中って、なんだかおかしなことになってるような感じ・・・

さて、帳簿を整理して入力して、2009年度の決算をして、1月分の請求書を書いて、ああ、忙し・・・。

人生は日々の積み重ね

1月31日。日曜日。なんだか知らないけど、いつのまにかひと月が終わり。というせりふも、まあ、毎月言っているような気がするけど、とにかく時の足は速まるばかり。考えてみたら、20年前の今日はフリーランスというまったく未知の世界に踏み出すべく、勤めを辞めた日。同じフロアの人たちがお別れランチに連れて行ってくれて、かなりたくさんの人がサインしてくれた「さびしくなるよ~。グッドラック」という大きなカードをもらって、さあ、明日からはどんなことになるんだろうと、ちょっとどきどき。早いものであれから20年・・・。

だけど、感傷に浸っているひまはない。やり残した帳簿付けを終わらせて、消費税の申告をやってしわなければならない。オンラインの申告は日曜日は午後1時30分(なんで「30分」なの?)から午後11時まで。今どきオンラインの処理で24時間体制じゃないのも不思議だけど、なにしろ税務署だから、時間が来たらキカイを止めて、入ってきた税金をざざ~っと大きな箱に空けている図を想像してしまう。なぜか「大判小判がざっくざく」のイメージだから我ながらおかしい。とりあえず通常の勘定を12月まで整理して、還付される消費税は42ドル。「売上」は2008年度より増えたけど、去年はコンファレンスが2つあって出張費が膨らんだので、減価償却の処理をしたら「純利益」は2008年並みかな。ふむ、この分だと所得税は増えずに済むか・・・。

帳簿が終わって、消費税の申告手続きをした後は、超特急で1月分の請求書を書いて、もう2月になっている日本へ送信。ああ、やれやれ。これで無事にひと月が終わった。せっかくの早起きなしの週末だったけど、まだ親指が痛いし、なんだかやたらとくたびれた・・・。

さて、明日はいよいよ「創業20周年記念日」。ほんとはちょっとしたお祝いパーティでもしようと思っていたんだけど、あたふたしているうちにその日が来てしまった。思い起こせば(といってもあんまり懐かしく思い出したいとは思わないけど)、「創業10周年」の時はまさに地獄の底。カレシの倍以上も稼ぐようになってしまったのもその一因ではあったけど、それで(表向きは喜んでくれていた)カレシがぶっちぎれたのは、心の奥に「○○のくせに」という憤懣やるかたない気持があったんだと思う。その「○○」が何だったのかはカレシしかわからないけど、あのときに山ほどの仕事があったおかげで、「外の世界」とのつながりにしがみつく形で、潰されてしまいそうな「自分」を何とか持ちこたえて来られたんだろうと思う。あのとき仕事をしていなかったらどうなったことか。それを想像するのは今でも怖い。

だけど、あれから10年。十年一日のごとくとは言うけれど、実際は1日1日と少しずつ変わって来たような気もする。仕事も20年の間にずいぶん変わったし、つまるところ、人間の一生というのは日々の「繰り返し」じゃなくて、果てしない「積み重ね」ということなんだろうな。

2010年1月~その1

2010年01月16日 | 昔語り(2006~2013)
今年も食べて飲んで楽しく

1月1日。雨の元旦。起床は正午過ぎ。年越しの残りのシャンペンを朝食のオレンジジュースに入れたミモザで一応改めて「明けましておめでとう」のご挨拶。ま、1年経ったところで、ポチッと「。」を書いて、また次の1年・・・て感じかな。たとえば、きのう39才だった自分が今日から40才だからといって何が変わるわけでもないのと同じで、きのうまで2009年だったのが今日からは2010年と言っても、新しいカレンダーに替えたくらいで、世界はきのうと何にも変わっていない。オフィスにかけた今年のカレンダーはよくアートポスターなどで見かけるジャック・ヴェットリアーノの絵。この人の作品は昔の映画の場面をカットしたような実に不思議な雰囲気のある絵が多くて、じっと見ているとドラマチックな感情がむくむくと呼び起こされて来る。頭や心が疲れたときにじっくり眺めてストーリーを想像するのも楽しいだろうな。

ゆっくり晩餐の時が過ぎたところで、さっそく今日から仕事始め。日曜日の夕方が納期の仕事に手をつけた。久しぶりの英日だけど、どっち方向でもやりなれた内容だからさして時間はかからないと高をくくる。でも、原稿は東南アジアの某国で書かれた英語だから、気をつけていないとでんぐり返しになりそう。英語が実質的に世界の共通語になったのはいいとしても、英語圏の外ではそれぞれに土地柄が投入された英語になって、解読するのにきりきり舞いすることがある。まあ、謎解きをするようでおもしろいし、その国の思考や文化を垣間見られるのも楽しいおまけなんだけど、それは期限が迫っていないときの話。ま、今年も商売繁盛を期して、がんばろっと。

カレシはと見ると、きのうからずっと何やらHTMLのコードをいじっているらしいけど、マイクロソフトだかアップルだかなんだかのアプリケーションから邪魔が入るとかで、思うようにことが運ばないとイライラ、カリカリの欲求不満。ついにはこっちにまでネガティブなオーラを飛ばしてくる。もう、正月早々からイライラしていたら~と言いたいけど、まあ、正月早々にイライラしていたら1年中イライラすることになるなんて考える文化じゃないからなあ。だけど、まったく別々のPCで、設定も使用目的もやっていることも何もかも違うんだから、ワタシにはイライラをなだめようにもなだめようがないの。メモリが足りないと愚痴っているかと思えば、新しいマシンを買うの、ラップトップを買うの、あ~だのこ~だの。子供じゃあるまいし、さっさと行動を起こしなさいってば。おかげで、こっちはもう正月早々から疲れて来ちゃったよ。1月1日なのに。あとまだ364日もあるのに。もう・・・

それでも、夕方には気を取り直したのか、解決のめどがついたのか、鼻歌まじりにサラダを作り始めたので、一応の「新年の祝い膳」を整えて、まずはめでたし。

[写真] ごく簡単に、ジャンボほたてにレモン醤油を塗ってバターで焼き、びんとろとししとうをグリルで焼き、水にさらしたねぎを盛り付けて、ご飯は大根おろしといくらを載せたお椀。(このご飯がおかわりしたいくらいおいしかった・・・。)今年も、機嫌よく、おいしいものを食べて、楽しくやって行こうね。

リタイアしたら若返るんだって

1月2日。今日も雨。カレシは正午前に飛び起きてそそくさと着替え。つられて目が覚めたワタシは寝ぼけまなこで、え、どうしたの?「月曜日だよ」とカレシ。え?まっさかあ。まだ新年第1号の仕事を納品してないってのに、今日が月曜日だったら納期を外しちゃったってことじゃないの。冗談じゃない。「ブロックウォッチの引継ぎをするんだろう?」とカレシ。まさかあ。それは月曜日だけど、今日は月曜日じゃないでしょうが。きのうは金曜日だったんだから、フツーだったら今日は土曜日でしょうが。寝ぼけているのはどっちなの、いったい。「なんだ、そうか」とカレシ。せっかく着替えたのに、また脱いでベッドにごそごそともぐり込んで来て、二人して寝なおし・・・

ローカルのテレビ番組表をまとめた週刊誌に、地元でテレビやラジオで「ドクター・アート」として知られるお医者さんの健康コラムがある。この先生、テレビで見るとめっちゃおもしろい人で、コラムでも「健康」について軽快な切り口でごくまともなあたりまえのことをわかりやすく説明してくれる。最新号のコラムは「引退は健康にいい」という話で、退職した人たち(ここでは男性の話)は平均して8年くらい若返った気分になり、その効果は飲み食いや宝くじの大当たりや24才との結婚なんかよりずっと大きくて、しかもそれが退職後7年くらいは続くんだそうな。ただし、24才(の女性)との結婚ではほとんどが逆に老け込んでしまうんだそうな。 つまり、仕事やキャリアのストレスから解放されて、心身ともにリラックスするからだろうな。あたりまえといえばあたりまえだけど、アート先生曰く、「引退は健康にいいとは言っても、そこの20代のお若いキミたちはまず仕事といえることをやってからじゃないとね」と。そうだなあ。働いていなければ引退はないし、そもそも若返りを楽しめるような年金だってないだろうしね。

たしかにカレシも早期退職してからはかなり若返ったような感じだな。オンナノコとの恋愛ごっこに夢中だったあの頃は、カレシにとっても人生の中で解決せず(できず)にため込んだいろんな問題が一気に噴出してストレスが病的に高じた時期だったんだろうけど、50代半ばだというのに、写真を見たら愕然とするくらい、まるで10年も20年も老け込んだ顔をしていた。それが、定年を待たずに退職して年金生活に入って、それまで重圧と感じていた要素がなくなったら、ものの見事に若返ったというわけで、実際のところ、頭のてっぺんから後頭部へ広がっていたハゲが目に見えて小さくなったからオドロキ。胃の調子が悪いと言っていつも「食べていた」制酸剤にほとんど手をつけなくなったし、睡眠の質がぐんと改善されたこともたしかだし、アート先生の言葉を待つまでもなく、引退は健康にいいという証拠を見ているようなもんだなあ。

そこで、65才の定年まであと3年とわずかになったワタシはどうするかということになるんだけど、どうしようか。たしかに明日はどうなるかわからない「一匹狼稼業」のフリーランスの仕事は生活に区切りをつけにくいところがあるけど、けっこう好きでやっていることだし、お金を稼ぐことだって好きだし、それに「すわ!」というときには腕をまくって張り切ってしまう性質で、そうやって充電どころかせっせと自家発電しているようなところもあるしなあ。カレシの問題がストレスになってうつ病になっていた頃はワタシもやっぱりぞっとするほど老けて見えたけど、この10年の間に人生で今が一番健康だと思えるくらいに元気になった。そんな跳ねっ返りワタシが引退なんかして大いに若返ってしまったら、いったいどんなことになるのやら。どうしよう。しらないよ・・・

オリンピックが来たら逃げよう

1月3日。日曜日。たまたま元旦が金曜日だったもので、何となく「正月三が日」のような週末。ま、カレンダーの上でそう見えるだけで、実際はホリデイシーズンの終わりの週末ってことなんだけど。ひと足先の日本では今日から「仕事始め」。すぐに仕事がぞろぞろと入って来ることはないだろうから、おまけの休みということにして、しばしのんびりしておくか。

寝る前に仕上げて送っておいた仕事、「受け取りました」というメッセージが成田空港から来た。年末年始の一時帰国から任地に戻る途中だったらしい。ふ~ん、大変なんだなあ。それにしても、今年の初仕事のあの原稿、すごく「難解な」英語だった。まあ、グローバル化時代だから英語もいろいろなんだけど、教科書英語では意味が通じないらしい。日本の文書で多用される「等」をそのつどていねいに訳したような文体だったので、日本語英語なのかと思ったけど、作成者を見たら日本人にはありえない名前(半分日本人ということはありえるけど)。だけど、実に日本語的な英語。出所は日本じゃないけど、日本のお金が入っていそうなところ。あんがい日本語として読んだ方がわかりやすいかもしれないけど、日本語思考で読んで日本語訳なんて、そんな器用なことはできないしなあ。ワタシは日本流にいえば学歴がないから、教科書英語はやっていないも同然。そのせいかどうかは知らないけど、なぜか教科書に出てこない英語はしっかりわかるもので、たまに社内の教科書英語がわかる人がさじを投げた仕事が回ってくるらしい。たかが英語、されど英語、だけども英語・・・。

でも、お正月早々で成田は混んでいるかもしれないけど、日本から出る飛行機は混んでいないだろうな。日本ではどこかの高速道路で延々と30時間も都会へ帰る車の渋滞が続いたとか。少しずつは前に進めるんだろうと思うけど、途中でトイレに行きたくなったらどうするんだろう。サービスエリアはずっと一杯だったそうで、やっとたどり着いても入れないだろうし、ほんとにどうするのかなあ。それにうまく駐車場に入れても、今度は渋滞している道路には出られなくなるだろうな。数年前にサンフランシスコからシリコンバレーを抜けて行くのに、猛烈な渋滞に出くわしたことがある。あれはたまたま月曜日が祝日の三連休に入る金曜日の午後だったせいもあるけど、片道数車線あるカリフォルニアのハイウェイをどこまでものろのろ、のろのろ。目的地に着くのに「通常」の3倍以上の時間がかかったけど、あんな状態なのかな。やっぱりトイレに行きたくなったらどうするのかが気になるなあ。

オリンピックまであと1ヵ月とちょっとで、バンクーバーのあちこちで駐車禁止に停車禁止に通行禁止。なにしろ「オリンピック様のお通り」だもんなあ。泣く子も黙るオリンピック様だから、市民の生活なんか目には入らない。ダウンタウンでは駐車禁止のおかげでメーター料金の収入が何億円も減ってしまうというということで、市役所は料金値上げと稼働時間の延長を打ち出した。はあ、オリンピック様のために、またもや市民は財布からなけなしのお金を抜き取られるってことか。だから、ワタシはオリンピックなんて金食い虫のブランド品と同じだからやめときなって言ったんだけどなあ。ま、人間て、商業的であろうがなんであろうが、華々しいことになると、つい浮かれて乗ってしまうもんなあ。

カレシはオリンピックの間バンクーバーを脱出して、モントリオールとケベックシティに行こうと言う。冬のケベックシティかあ。風情がありそうな感じがする。トロントでデイヴィッドとジュディが合流して、モントリオールまで汽車の旅。それもいいなあ。だけど、ケベックシティはマイナス20度になるって話だよと言ったら、「道産子だから平気でしょ」だと。それは昔の話。バンクーバーの冬に慣れきった今では、氷点下と聞いただけで、うう、さむっ!

カナダ式新年の仕事始め

1月4日。月曜日。午前11時20分にセットしておいた目覚ましが鳴る前に目が覚めた。今日はブロックウォッチのキャプテンと副キャプテンの引継ぎの日。この「ブロックウォッチ」というのは、警察の防犯課と連携した町内の防犯グループみたいなもので、私たちのグループは住所の上二桁が同じ(1ブロック)家が8軒と、隣接する未組織のブロックの家4軒で構成する「コ」の字型になっている。結成して登録してから、キャプテンのカヨと副キャプテンのワタシで15年ほどやってきたのが、今度裏のワイリー家の後に引っ越してきた一家の奥さんのミシェルがキャプテンを引き受けてくれることになった。そのキャプテン交代を報告する過程で最新のメンバー地図が必要になり、折りしも仕事が忙しいときに地図の更新をやっていたら、カレシがのんきに「ボクがやろうか」なんて言ったもので、ワタシも渡りに舟とばかりに副キャプテンを(有無を言わさず)バトンタッチ。

やっと4人の時間調整ができて、引継ぎのミーティングをしようということになったのが今日。午前11時45分。寝ぼけまなこのカレシを引っ張って3軒先のカヨの家に。(日本的な名前だけど、カヨはセルビア系。)新キャプテンのミシェルは8ヵ月の男の子がいるママで、なかなか活発そうな人。別姓の夫氏は警察官で、今日は非番で赤ちゃんのお守りをしてくれているそうな。ヘレンから家を買った大学教授がその家を賃貸に出して、なんだか胡散臭い人たちが何人も入居したところで、この住人たちを地図に含めるかどうかを話し合って、家の部分に「賃貸」とだけ表示し、住人には地図を渡さないことに決めた。なにしろ、各戸の住人の名前や電話番号、緊急連絡先といった「個人情報」が書かれた地図だから、定住者とはいえない人たちに渡すのは危ない。ミシェルが住んでいる家が賃貸だったときには麻薬のディーラーや、どうも「盗品故買」をやっているとしか見えない家族が借りていて、なぜか近所で空き巣が多発した経緯があるもので、防犯上やむをえなしという判断。

任務の引継ぎは30分ほどで終わって、朝食。銀行へ行き、野菜を買いに行き、帰りに大みそかの日に不在通知が入っていた小包をとりに行った。通知には「翌日午後1時以降」に引き取り可能と書いてあるから、「翌」営業日は今日のはず、だよねえ。だけど、カナダポストはあてにならない。早めに帰ってしまう人が多い大みそかだったからよけいにあてにならない。そう危ぶんでいたら、案の定、「まだ来ていませんね」と。やっぱり、配達トラックに積んだままデポへ直行して、さっさと早帰りを決め込んだな、このやろ。「明日には来ると思います」って、大みそかの最後の仕事を新年の初っ端に回しちゃってどうすんの?よくあることだけど、肝心のものがそこにないんだから、受け取るだけの人に文句を言ってもしゃあないか。たぶん注文してあった本だろうし、15日間保管しておいてくれるから、まっ、そのうちに・・・。

今日月曜日はカナダも新年の仕事始め。新聞記事によると、カナダの上位企業100社のCEOは、午後1時1分現在で、カナダ人の平均給与1年分($42,305)を稼いでしまうんだって。おいおい、今日が1年の初日でしょ。それなのに、その初日にランチタイムが終わるまで、つまり半日でもう普通の人の1年分の稼ぎってのは、ちょっとばかりもらい過ぎじゃないのかなあ。この平均給与、今のレートで日本円に換算すると約380万円。ワタシもあのまま勤めていたらこのくらいの年収ってことなのかな。それを「CEO」という肩書きがついただけで、たかだか4時間で稼ぐ人たちがいるんだなあ。時給にしたら100万円!やっぱり、桁が違いすぎるわ・・・。

今日届いた家と土地の評価通知。我が家は6%高くなっている。バブルの頃は東京のマンションを売ってバンクーバーに大きな家が2軒買えたという話だけど、今はこの家を売ったら東京都内にマンションか小さな家を2軒は買えそうだなあ。20年で大逆転か。ふむ、1970年代の技術移民ブームでカナダに来た人たちはほとんどが定年退職している年代だろうから、円安でカナダの年金の価値も増えているし、バンクーバーの家をたたんで日本で悠々自適の老後をということも考えられなくはないだろうな。口癖のように日本に帰りたいと言う人たちも多い(実際はどっちかというとバブル以降に移民して来た若い世代が今から「異国での老後」を思いやって心配しているケースが多いようだけど)。でも、この人たちの子供たちはカナダで育って成人して、たぶん孫たちもできている頃だろうから、はて、望郷の念と、子供や孫に囲まれての老後への期待と、どっちが強いのかなあ。ワタシはま
だ現役だし、子供も孫もいないし、まあ、元々から机上の空論だけど・・・。

殺されたら自由も何もないよ

1月5日。予定されていた仕事がキャンセルになって、しめしめ。ん、ほんとはそんなことを言っちゃいかんのだけど、本音はやっぱりしめしめ。なんとなく休み気分が抜けていないような・・・。

今日はカレシの英語教室再開の日。いつものように早めの夕食をして、出かけて行った。と思ったら、すぐに「エンジンがかからない」と戻ってきた。ははあ、またバッテリが上がっちゃったなあ。最後に使ったのは2週間前。その前もドライブに行かなきゃいいながら、結局は週2回、10分先の教室に行くだけだったもんね。「サービスを呼んでおいて」と言い残して、教室へはエコーで。放っておくと引きこもりになりそうな2人に2台も車はなくていいんだけど、カレシはトラックを手放しそうにないし、ワタシは身の丈に合わないトラックを運転するのはイヤ。それで結局は2台ってことになるけど、こんなときには2台あって良かったね、ということになる。

とにかく、カレシが帰ってくる時間あたりにサービスが来るように見計らってトヨタの緊急番号に電話。車がスタートしないと言ったら、第一声が「あなたはセーフですか」と。え、セーフかって?あ、そっか。夜だし、女性の声だから、暗い夜道で立ち往生していたら危険だということかな。もしも道端にいると言ったら、車の中でドアをロックして待っていなさいとか言われるかもしれないな。30分くらいで来るというけど、家の外に来るまでは電話を離せないので、トイレに行くのにも手に持ったまま。なんとなく中途半端でうろうろしていたら、カレシが帰って来た。相変わらず電話を片手に、後について外に出てみたら、トラックの室内灯は点くけど、エンジンをかけようとすると怪しげな音がするだけ。ははあ、完全に干上がったわけではないらしい。そうこうするうちにサービスのトラックが角を曲がってきて、フードを開けて、ポータブルの電池をつないで、キーを回したら一発。やれやれ。

そのまましばらくドライブ。たったの2週間で・・・とカレシはおかんむりだけど、近頃の車は駐車しているときでもいろんな電子装置が電気を使っているからなあ。あまり走らないのも問題かもしれないけど、一番の問題は盗難よけのアラームだと思う。イモビライザーがついているので、自動車泥棒がよくやるようにワイヤをつないでエンジンをかけることはできないから、トラックそのものが盗まれるリスクは低い。アラームは窓を割ったり、ドアをこじ開けたりしたときに鳴るわけで、そのときには車を修理することになって、アラームがあってもなくても結果は同じ。まあ、実際に防犯の役目をしているのは「アラームがついているぞ」という表示ランプなんだけど、この青いランプがピコピコしているのは装置がバッテリの電気を使っているということでもある。と、走りながらあれこれ議論をして、とりあえずアラームはセットしないことにした。ハイテク時代、便利さもほどほどなりや・・・。

ハイテクといえば、カナダでも主要空港にボディスキャナが導入されることになった。これだと全身がヌードになって見えてしまうもので、さっそくいわゆる「市民的自由主義者」の団体がプライバシー侵害だ、市民的自由の侵害だとうるさい。テロリストを刺激するだけだから無意味という「エキスパート」もいる。たしかに、ハイテクに頼ろうがどんな人道的努力をしようが、テロを防止することは不可能だろうな。二十一世紀のテロリストは狂信的に殺せといわれて殺すのが目的で、自分たちと相容れない人間を殺すことしか考えていないんだから、隠れみのに使われる神様だって迷惑していると思う。そういう理不尽な暴力から100%身を守れる方法はない。ないんだけど、できるだけのことはやらなきゃならないのだ。まあ、こういう活動家タイプは、プライバシーや自由を盾にして、「自分」には好きなようにする権利があるんだから、それを規制するなら「自分」の迷惑にならないようにやれと言って
いるようなもので、じゃあどうすればいいかということは知ったこっちゃないらしいけど。

機械が導入されたら、ボディスキャナを通るか、検査官の身体検査を受けるか選択させてくれるらしいけど、去年空港で「実習モデル」にされて、徹底的に身体検査をされたワタシはささっと数秒で済むスキャンを選ぶ。スキャナの映像は機械の側にいる人たちには見えないそうだから、大勢が見ている中で(胸もお尻も)体中をモミモミされて調べられるよりは気分的に楽だもん。プライバシーだの何だのといっても、要するに知らない人に自分のボディを見られるのがイヤだ(恥ずかしい?)ってことなんじゃないのかな。そういう人たちだって、ビーチに行けばきっと裸同然のボディを人目にさらしてはばからないんじゃないかと思うけどなあ。まあ、市民的自由主義者が何を言おうとそれは彼らの言論の自由。ワタシとしては、宗教が、人種が、価値観が違うからというだけで理不尽に人生を破壊されたり、命を奪われたりすることこそが究極の自由とプライバシーの侵害だと思うんだけど。

小町横町のへ~話会議

1月6日。もう水曜日か。目が覚めたときはまあまあの明るい空模様。ちょうど朝食を終わったところで、シーラとヴァルが掃除道具を持って到着。シーラがスーパーのIGAからただでもらったVilleroy & Bochのウィスキータンブラーを使いようがないからと使ってと持ってきてくれた。掃除のお客が集めていないからとスタンプをどっさりくれたんだそうな。ワタシがもらったリキュールグラスと同じシンプルなデザインのタンブラーセット、アイスクリームやソルベを出すのに使えるからとありがたくもらった。前は我が家では買わないから不要の七面鳥のクーポンをもらってきてシーラにあげ、彼女はそれを息子にあげていた。ま、こういうものはほんとに誰かの役に立ってなんぼの回りものだから。

今日はちゃんと一発でトラックのエンジンがかかって、カレシは予定通り英語教室へ。ワタシの方は来週の仕事の予告があったりして、休みぼけモードも今週限りになりそうな雲行きなので、今のうちに休みぼけを満喫しておこうと、のんびりと小町横町をそぞろ歩き。小町はトピックのタイトルを見るだけでも「へ~」の連発になる。えっ、そんなことが悩みなの?(へ~)。えっ、そんなことで激怒するの?(ひぇ~)。う~ん、「~ですよね/ではないですよね(同感しなさい!)」って言われてもなあ・・・(うへ~)。ちょっと見には「専業主婦対兼業主婦」、「子なし対子持ち」などなど、相変わらずの角突き合いの二項対立社会だけど、小町の井戸端はまさに「へ~話(わ)」会議の場。

少子化の影響なのか、最近の日本では「妊婦様」なる種族がいばっていて、「妊婦バッジ」とか「マタニティマーク」とかいうものをつけてお通りになるそうな。最初にタイトルで見つけたときはナチがユダヤ人に付けさせた「ユダヤ人マーク」を連想してしまったけど、どうやら現代版「葵の紋所」のようなものらしい。で、無事ご出産と相成ったら、「子育ては大変なんだから(好き勝手していいでしょ)」という子連れ様のお通りということになるらしい。うへっ、人口ってのは頭数さえ増えればお国の将来が安泰ってもんじゃないと思うんだけど。

「婚活」という流行言葉に続いて、「離活」なんてコワイ言葉が出てきたと思ったら、おやおや「恋活」なんてのもある。結婚する前にまずは恋愛をしとかなきゃってことなのかなあ。(結婚してから「恋愛」する人だってたくさんいるけど。)まあ、「恋愛がした~い」というのは今も昔も変わりないんだろうな。恋愛そのものがしたいのか、1人の人を夢中で愛したいのか、そのあたりは不明だけど、恋活もやっぱり「初めに条件ありき」なのかな。その婚活ってのも、年収とか職業とか年令とか、諸条件に会う相手を選び出すのがなかなか大変なことらしい。で、めでたくご成婚となったらなったで、今度は「結婚生活ってこんなものですか?」と失望が芽生え、やがてお金の悩み、浮気の悩み、義家族の悩みなどなど、結婚生活にまつわるありとあらゆる悩みが湧き出してきて、「へ~話」は続く・・・。

今「お気に入り」に入れてあるのが『他人のイライラする行動について』というトピック。タイトルの通り、何につけても他人の「ささいな行動」にイライラしてしまう人の「お仲間探し」。まあ、大都会だったら狭いところにいろんな人間がひしめいているから、「おい!」ってことは誰にもあるだろうし、カレシみたいに狭いところじゃなくてもしょっちゅう他人の行動にイライラしている人も多い。他人の行動がいちいち気になってイライラしてしまうのは、実は他人が自分の想定通りに行動しないことにフラストレーションを感じるからで、その根底には自分の周りに他の人間が存在すること自体を鬱陶しいと感じる心理があるのかもしれないな。あんがい自分でも気づいていない「人間嫌い」だったりして。

源氏物語の解説を読んでいたら、あの時代の高貴な女性たちは家事も育児も、それこそ何もすることがないから「想像を絶するような単調さと倦怠」の中で生きていて、物質的な贅沢を超えて、感情だけをふんだんに消費するという究極の贅沢ができたという、目からうろこのようなくだりがあった。たしかに一日中座っているしかなければ自由に動かせるのはたしかに感情だけかもしれないなあ。ということは、最近は「号泣」、「激怒」、「謝罪」、「土下座」、「どっと疲れる」といったなんか大げさな表現が増えて、イライラ、カリカリしている人が多くなったと感じるのは、単調と倦怠と物質的な飽食の中で感情を贅沢に消費できる社会になったということなのかな。てっきり漢検とかいうブームのせいかと思っていたけど、まあ、なんたらかんたら言いながらも平和だってことなんだ、たぶん・・・。

言葉や文化の壁って何なの?

1月7日。木曜日。いい天気だ。暖かい。きのう飛び込んできた仕事はきのうのうちに仕上げて、今日はまためでたくプー太郎ワタシ。今日は仕事の持越しなんてやってる場合じゃない。ヘアカットとハイライトの予約が午後1時。午前11時半に目覚ましをかけて、朝食もそこそこに出かける。

奥さんのアンナがカラーを入れて、夫さんのジュゼッペがカットという手順。サロンにはまだ自分の店をもっていなくて、椅子を借りているドレッサーが何人かいて、その人たちとお客が揃うと英語、イタリア語、ロシア語、中国語が飛び交って、バックにフラメンコの歌が流れていたらにぎやかなことこの上ない。2時に予約を入れていたカレシが来てアントニオの椅子に座り、最近の諸々の税金値上がりをめぐって喧々諤々。カッカしているアントニオを家ではテレビを相手にカッカしているカレシが「まあまあ」となだめる役に回っているもので、聞いているワタシはおかしくてくすくす笑い。カットだけだから先に終わったカレシが「お金、持ってる?」と言ってきたので財布ごと渡したら、中を見て「うわっ」。おいおい、そんなところでヘンな感心をするもんじゃないでしょうが。そばに来ていたアントニオは「ここにもかかあ天下の仲間がいる」と言いたそうな顔でにやにや。

イタリア、カナダ、日本と、出身国が違っても話が弾むのは、年代が同じだからかもしれない。つまり、国なり、地域なり、ひとつの文化や制度、習慣の中で長いこと生きて来れば、それなりに共通の人生経験を積んで、互いに共感しやすくなるとういことかな。つい先だってカレシと寝酒をやりながら、小町の国際結婚トピでは「国際結婚は言葉の壁、文化の壁に阻まれて失敗しやすい」(だからやめておけ)という意見(助言)が定番だし、その壁の高さを嘆いている人もいすぎるくらいたくさんいるけど、「その壁の反対側から見たらどうなの?」と話題を振ってみた。生まれ育った国も文化も言語も違うんだから、そういう「壁」があってもおかしくないけど、2人の間にあるものなら両方が存在を感じるんじゃないのか、結婚でなくても、カレシの英語教室に来る生徒たちはそういう「壁」があると感じているのか、と。

カレシの見解は、言葉や文化習慣の違いから来る誤解やコミュニケーションのもどかしさのことを言うのなら、「壁」と言えるものはあるんだろうけど、それを「乗り越えよう」と考えるか、「阻まれた」と考えるかは個人の問題。外国人との結婚には破綻したときにそういう体裁のいい口実があるというだけの話で、文化や言葉の違いには責任はない。曰く、「壁、壁って、まるでこっちがベルリンの壁みたいのを作ってのけ者にしているようなことを言うけど、それは違うだろ?要は、自分の言葉や文化や習慣じゃないから思い通りに機能できないのがおもしろくなくて、それをこっちの文化や言葉のせいにしているんだろ?つまり、壁を作っているのは文句を言っている方じゃないの?」と。ふむ、ちょいとキツイ言いかただなあとは思うけど、その通りかもしれないなあ。人間ひとりひとりの性格が違うように国だってそれぞれに性格が違うから、人間と国の間にも「相性」のようなものがあって、それが悪いもので「壁を作られた」と相手をなじるようなことを言うのかもしれないな。うん。

サロンでの話から、あの夜の会話を持ち出して、今まで二人の間で言葉や文化の「壁」を話題にしたことなかったね、と言ったら、「違いがどうのこうのと言う前にキミがさっさと壁を通り抜けてしまったんじゃないか」と、カレシ。へえ、そうだったんだ。ワタシは言葉や文化の違いに苦労したのかどうか、もうずいぶん昔のことで覚えていないんだと思ってたんだけど。てことは、二人の関係がうまく行かなくなっても「壁」のせいにできないし、どっちか、あるいは両方がその壁を取り除く努力をすれば修復できるという道も期待できないってことか。もっとも、「適者生存」と言うから、一緒になって35年も経つのにまだ文化の壁だ、言葉の壁だとぎくしゃくしている夫婦なんかいないだろうけど。

いうなれば松の内明け

1月9日。土曜日。寝たのが遅かったのにしてはカレシはずいぶん早起き。きのうトヨタディーラーにトラックを持って行って、整備のついでに荷台にカバーを取り付けてもらったので、取りに行きたくてうずうずしていたらしい。弟のジムがつけているのを見て「ボクもほし~」と言い出し、ストックにない色ということで特注したのはいいけど、どういう仕組みになっているかを聞かず、調べてもいなかったので、実際に取り付けてもらう段階になって「ひょっとしたら不便になるかも。やめておいたほうが良かったかも」と、くよくよ虫がわいていたらしい。あ~あ・・・。というわけで、朝食もそこそこに「運動がてら」とか何とかいいながら、小雨の中をひとりで歩いて出かけた。いつもだったらディーラーまでエコーで送れというはずだと思うけど、ふむ、いったい何を考えているやら。

昼のニュースを見ていたら、かって老舗のデパートがあったところを再開発した「ウッドワーズ・ブロック」の建物の頂上に赤い「W」を取り付けている様子を流していた。「ウッドワーズ」はバンクーバーの商業発展の歴史そのもので、ワタシが来た頃には商業の中心が西へ移ってしまって、かなり寂れていたけど、地下にあった大きな食品売り場には自社ブランドのものも多く、カレシが子供の頃はピカイチのデパートだった。レンガの建物で、床は木造らしく、歩くとコトコトと音がしたし、まだ木製のエスカレータもあって、バンクーバーよりずっと大きな都会の札幌から来たワタシの目には「ど」がつくほどダサ~く見えた。実際に、ダウンタウンの中心が移動するのを見過ごしたために急速に貧困地区になったダウンタウンイーストサイドに取り残され、しまいには同族経営による「お家騒動」で経営が混乱し、「創業百年」を祝ってまもなく、ベイに売られて「Woodward’s」(1892~1993)は姿を消した。その本店の跡地が「ウッドワーズ・ブロック」として再開発されて甦り、あの「W」も戻って来たというわけ。[写真]

ゆっくりと回転していた赤い「W」は、ショーウィンドウのモーター仕掛けのクリスマス飾り、毎週火曜日の「Dollar-Forty-nine Days(1ドル49セントセール)」(とそのコマーシャルソング)と共に、いわばバンクーバーっ子の原風景のようなもので、十数年の紆余曲折を経て、分譲コンドミニアムと公営アパート、大学キャンパス、劇場や娯楽施設、ショッピングセンターなどを網羅した総合開発の仕上げとして、昔と同じエッフェル塔風のタワーの上に戻って来たというわけ。ただし、オリジナルの「W」は老朽化が激しかったため、地上に展示されることになり、塔の上に取り付けられたのはアルミとLEDライトのモダンな複製だそうな。よそから来た人には「こんなものに何で騒ぐの」と言われそうな、ごく単純なデザインの何の変哲もない赤い「W」なんだけど、バンクーバーっ子にはいろんな感慨を呼び起こすシンボル的な存在で、ワタシにもやっぱり懐かしい。来週末には「点灯式」があるとか。

トヨタのディーラーまでは歩いて30分程度なので、「じゃあね」とカレシを送り出して、ワタシはクリスマスツリーの解体作業。クリスマスから12日目にあたる1月6日の「Epiphany(顕現日)」の前夜にツリーの飾りを外す習わしがあって、ちょうど日本でもお正月気分が抜ける頃でもあり、ワタシもだいたいは6日あたりにツリーを片づけることにしているけど、今年はそれが週の中日だし、きのうの金曜日はマリルーとママとマリルーの親友で引退したばかりのブレンダがディナーに来ることになっていたので、週末まで待つことにしていた。まずはツリーから外した飾りをテーブルいっぱいに並べ、ガーランドとライトを外してから、上下に分れるツリーをたたんでそれぞれ紐で縛る。飾るときは1週間もかかったけど、ここまではあっという間。飾りを段ボールにしまいこむとなると話は別。年々数が増えるのを同じ箱に格納しようとするから、立体ジグソーパズルをやっているようなもの。それでも今
年はまだ全部ひとつの段ボール箱に収まった。[写真]

これでクリスマスに始まったホリデイシーズンは終わり。いうなれば松の内が明けたようなものかな。年をとるほどに時間の足が速まるような感じがするけど、次のクリスマスまで、できるだけゆっくりと穏やかに時が過ぎてくれるといいなあ・・・。

羽ばたけない鶴丸の翼

1月10日。日曜日か。日本ではもう(というか、またもや)三連休の休みということで、今日は静か。だからというわけじゃないけど、目が覚めたら午後12時半を過ぎていた。二人してなんと9時間もぐっすり眠ったことになるから、驚くべきか、呆れるべきか。ワタシはおかしな夢を見ていた。会議の会場みたいで、知っている人だったか知らない人だったか覚えがないけど、いろんな人と(どっち語だったか覚えがないけど)おしゃべりをしていた。どこかのフードコートでのランチタイムだったらしい。ふだんはフードコートのようなところ食べることなんてないのに。これだから夢ってのはおもしろい。だけど、せめて春の会議でやるプレゼンのヒントになるような夢だったらもっと良かったのになあ・・・。

どうやら日本航空が会社更生法を申請するらしい。上場も廃止になるらしい。株主優待を目当てに株を買ったらしい個人株主が38万人もいるんだとか。そういえば亡き父もどこのか忘れたけど、そういう特典をくれる株を持っていたような気がする。「株を買って○○をもらおう!」みたいなのは聞いたことがないから、きっと日本独特のものなんだろうな。あんがいそういうのもこのご時世では足かせになったのかもしれない。退職したパイロットの年金は相当なものらしいけど、給料だって相当なものだったらしい。バブルの最盛期に日航の機長がバンクーバー線で飛んで来るたびに投資物件はないかと電話をかけて来た。日本に億単位の資産を持っているという話で、円高だったものでまさに「お金がうなっている」という感じ。ついぞ顔を拝むことはなかったけど、ワタシがカナダで見た典型的なバブル日本人のひとりだった。へえ、日航の国際線機長の給料ってそんなにすごいんだ~と、半ば呆れていたっけ。この人も今頃はきっと年金の30%カットに同意するかどうか、苦渋の決断を迫られているかもしれないなあ。

航空業界に寒風が吹き始めたのは、たぶん世界的に規制が外されて運賃の値下げ競争が始まったあたりからだろうな。安ければそりゃあもっとたくさんの人が利用できるようになる。たくさんの人が手軽に世界のどこへでも行けるようになる。人が世界の隅々までどんどん動き回るようになる。人の交流がどんどん広がる。だけど、その代わりサービスの質はどうしようもないくらい低下した。この世に本当に安くて質の高いものはないから、安いということはそれなりの理由がある。安くするには経費の削減が不可欠で、それは削減できるところから始まる。1970年代くらいの日航はサービスで世界ナンバーワンだった。日本語をしゃべらなければ、もう感激してしまうほど良かった。(日本人客と外国人客では本当に態度が違っていた。)それが、おととし乗ったときには、日本人が最低だと文句をいう欧米流の「サービス」があたりまえになっているワタシでさえ「なってない」と呆れるような水準だった。あのときにはすでに凋落の坂の下まで来ていたということだろうなあ。

もしも、仮に昔のように運賃の規制を復活させて、今よりもずっと高くなったらどうなるんだろうな。大昔のように客船で1週間くらいかけて海を渡るようになるのかな。(ワタシが子供の頃にはまだそういう船会社があったのだ。)急がない人にはそれも悪くないかもしれないけど、今はどこを見てもみんな携帯やブラックベリーを耳にセカセカ、スタスタだから、時間の感覚をリセットしなきゃダメかな。まあ、観光客はかなり減るだろう。ワーホリやお留学もやりにくくなるだろうな。国際結婚組は毎年の最低1回のお里帰りが難しくなって、「おうちがだんだん遠くなる」か。気軽に実家へ帰れないとなると、「外国暮らし」の魅力も半減するかもしれないなあ。いずれにしても、人の動きが淘汰されるってことなんだろうけど、テロリストもやりにくくなりそうだから、あんがい空の旅は今よりも安全で快適になるかもしれない。まあ、ネットの時代の今は空間を越えた人の交流を可能にする技術が山ほどあるんだから、別に物理的に何千キロも移動しなくたって「国際交流」はいくらでもできるんじゃないの?その方が化石燃料を燃やしてぶんぶん飛び回るよりはずっとエコでいいと思うけど。

さて、4月の日本行きは、やっぱりエアカナダだな。サービスは元からあってなきがごとしだから気にならないし、日航に乗っだって英語でも日本語でもサービスがなってないんじゃ、もう同じことだしね。逆に、ワタシにとっては(かなり質は下がったとはいえ)おすましサービスよりも、エアカナダ流の客室乗務員とスモールトークができる「ため口」サービスの方が絶対的に居心地がいい。空の旅も変わったけど、時代も変わったし、ワタシも変わったし・・・

身につくか、ビジネス習慣

1月11日。ちょっと寝つきが悪くて、やっとぐっすり眠ったと思ったら、外で轟音。月曜日だから、仕事日だということはわかるけど、何なんだ。同時に目を覚まして、ムカッと来たらしいカレシ。起き出して窓の外を見たと思ったら、そそくさと着替え。そこでワタシはまた眠ってしまったらしく、またの轟音で目が覚めたら、いつのまにかそばにカレシがいる。夢でも見ていたのかなあと、しばしうとうと。結局は「轟音」がしつこく行ったり来たりするので起きてしまった。犯人は道路清掃の車。この大雨の中をごくろうさなまことだけど、家の横の歩道に立っている標識はたしか寝た頃にはまだなかったような。カレシによると、目が覚めて外を見たらいつの間にか標識が立っていて、清掃車が見えたから慌ててトラックをどかした。でも、標識には道路を清掃する日時が書かれていないとか。今までだったら遅くとも金曜日には標識を立てるのに、ちょっといい加減だと思うけど、市役所。

夜来かなりの大雨だったらしい。まだ大雨注意報が出ている。まだあと50ミリくらい降るって、と言ったら、「50ミリってどれくらい?」とカレシ。う~ん、2インチくらい。「うへっ」。パイナップル特急は団子で来るからなあ。午後の気温は摂氏11度で春のような陽気。。だけど、オリンピックでフリースタイルスキーやスノーボードの会場になるスキー場では大雨で解けた雪が流されてしまって、あちこちに地肌が出ている。道路は川、駐車場は湖。あ~あ、オリンピックまであと1ヵ月だってのにどうするのかなあ。いっそのこと、水泳選手や陸上ホッケーの選手を連れて来て、夏のオリンピック種目でもやってみる?ひょっとしたら2年後のロンドンで雪が降るかもしれないし・・・

というわけで、ヘンな起きかたをしたせいか、外が暗いせいか、仕事のない1日はだ~らだら。ブログの画面を開いたら、ランキングの欄に『2010年に身につけたいビジネス習慣』というのがあった。日本のビジネスピープルはどんな習慣をつけたいのかなと、ちょっとのぞいて見たら、何だか耳の痛そうなこともあるなあ。まずナンバーワンから検討してみるか・・・

1. 朝早く起きる ― これは最初っからアウトだな。もっとも就寝時間から見たらけっこう早起きしているうちに入るだろうけど。
2. 「目的」を常に考える ― 目的観のないビジネスは立ち行かないと思うけど。
3. 机の上は常に整理整頓する ― 年末の大掃除?をしながらそう思ったことでもあるし・・・。
4. 新聞を読む ― いつも読んでるからOK。ビジネスに世界情勢や経済の知識は不可欠。
5. 気持を切り替えるために趣味を持つ ― 趣味には困らないんだけど、やる時間が・・・。
6. 言われたことはすぐやる ― あ、いてっ。
7. チャンスに対して自分から手を上げる ― うん、そうしよう。積極性はかなりあるんだし。
8. 人の話を最後までよく聞く ― 人の話を聞きながら同時進行で対応を考えていたりするのがワタシの得意技(でもないか)。翻訳・通訳の訓練と関係があるのかどうか・・・。
9. ビジネス書を読む ― 誰がこうして成功したとか、こうすれば成功するとか、めんどくさ・・・。
10.定期的に振り返りをする ― 私生活に関してならけっこうよくやっているけど。

ついでに・・・
11.もらったメールにはすぐ返事をする ― せっかちだなあ。ま、本当に急ぎなら「大至急」の赤丸をつけて送って。
(12~19は省略)
20.短い昼寝をする ― なんで20位なのか知らないけど、大いに励行したいこと第1位かな?

これだけのビジネス習慣をしっかり身につけたら、ワタシもれっきとしたビジネスウーマン?あやしいもんだなあ。ま、気合いを入れて、がんばってみるけど・・・。

さすがはお役所仕事!

1月12日。朝、また早くから轟音で目が覚めた。カレシが起き出したけど、すぐに戻って来た。そっか、今日はゴミの収集日だったっけ、ということでまた眠ってしまった。正午過ぎで目を覚ましたら、雨、ひと休みの朝。着替えをして、何の気なしに窓の外を見たら、ありゃ、トラックがない!

きのう道路清掃のために歩道脇の芝生に立てて行った「駐車禁止」の標識はまだそのまま。でも、掃除は終わったのに、と思いつつカレシに「トラックがないよ」と報告したら、「盗まれたんだ!」と反応。「標識がそのままだから、市役所が勝手に動かしたんじゃないかと思うんだけど。起きたときに外を見なかったの?」と聞いたら、「見たけど、見なかった」。外は見たけど、トラックは見なかったのか、それとも見えなかったけどないとは思わなかったのか。どっちにしても、トラックがなくなっていることには気がつかなかったってことか。外に出てT字型の交差点を見渡して戻って来たカレシに、とりあえず、市役所の清掃課に問い合わせたら?と提案。

番号を調べて電話したカレシ、状況を説明しているうちにだんだんに語気が荒くなって来る。標識には「月曜~金曜」と書いてあったと主張しているらしいけど、カレシは「書いてなかった。いつだろうと思ってよく見たんだからまちがないない!」とやり返す。市が違法駐車の車などを牽引していく保管場にはカレシのトラックはないらしい。それじゃあどこへ持って行ったんだと聞いても、(牽引するのは市が委託した民間のトーイング業者なので)どうやら「わかりません」の一点張りのようで、ガッチャンと電話を切ったカレシはまた外へ出て行った。結局、トラックは何と2ブロック先の、しかも角を回った場所にあった。戻って来たカレシは今にもぶっちぎれそうな、まさにこれぞ本物の「激怒!」という顔をしているから、ワタシはそうっと退散。少ししてキッチンに現れたカレシ、「少し落ち着いたぞ。うん、落ち着いたぞ」と独り言をいいながら、再度市役所の清掃課に電話。かんしゃく玉を破裂させないようにがんばったようで、なんだかいとおしくなっちゃったけど、う~ん、キレるのも、キレないのも、血圧には良くないよなあ・・・。

かなり冷静な口調で、トラックを見つけたこと、清掃が終わったのに駐車禁止の標識はそのままなこと、標識には駐車禁止の時間だけで日にちが書かれていないこと、責任者と話したいこと、その責任者のタイトルは何なのか・・・。責任者の名前と電話番号をもらってかけ直し、ボイスメールに「かくかくしかじかの経緯につき、確認を取りたく、折り返し電話をください」とメッセージ。「駐車禁止の日付がない」という証拠を残しておこうと思い立ったワタシがカメラをつかんで外へ出てみたら、あれ、標識がなくなっている。よく見たら、1ブロック先の道路のど真ん中に市のトラックが止まっていて、標識を引っこ抜いているやつがいる。最初に問い合わせの電話をしてから15分も経っていないのに、何たるすばやさ。いつもこのくらい敏捷に動いてくれたら、市民生活はもっと快適なのになあ・・・。

端的に言うと、清掃が済んだのに標識を撤去しなかったため、清掃地域を回っていたトウトラックの運転手が移動させたという話。なにしろ清掃車を走らせる課と交通標識を立てる課が違うから、きっと清掃課の方は交通課が忘れたのが悪いと言っているんだろうな。まさにお役所仕事の見本みたいなもんだけど、おかげで「盗まれた!」と一瞬心臓が飛び出すような経験をさせられる方はたまったもんじゃない。それにしても、標識が立ったからトラックを移動させて、清掃が終わったのを見届けてから元の場所に戻したのに、市役所が標識を撤去しなかったのがそもそもの問題で、移動した場所は我が家の外と同じ居住者専用指定区域だから駐車違反チケットを切られるかもしれないと言われて、これ以上めんどうなことになってはいかんと、「即刻撤去」の指令を飛ばしたんだろう。

考えてみたら、清掃トラックを運転して通り抜けるだけの作業なのに5日間も駐車禁止にするってのもいい加減な話だけど、お役所仕事がいい加減なのは世界共通だもんなあ。それでいて、自己防衛となると、お役人はほんっとにすばしっこいのだ。やれやれ・・・

バブル時代の普通の人って?

1月13日。てんやわんやのきのうと違って、今日は穏やかな目覚めで、ちょっとのんびりの午後。若々しいつもりでいてもやっぱりそれなりの年令だもんで、どたばたするとくたびれるのだ。特に、ぶっちぎれずにがんばったカレシは「どっと疲れた」といったところだっただろうな。大人ってけっこう疲れるんだよね、ほんと。どうりで子供のままでいたい人間が多いはずだなあと思うけど、そうしてもらうわけにもいかないのが人類が築いてきた社会の要求・・・。

のんきに小町をのぞいていたら、『バブルOL世代って・・・』というトピがあった。アラサーとかいう世代のOLが後から入ってきた「バブル時代に20代だった」40代の人たちに何から何まで指示待ちで、言われたことだけをやって給料をもらうというのが多いと言っている。さっそく槍玉に挙げられたバブル世代が「偏見だ」と反撃し、「氷河期世代」はそれに反発し、果ては「ゆとり世代」を槍玉に挙げて、二項、三項入り乱れての対立。ある書き込みの曰く、「バブル世代、氷河期世代、ゆとり世代…まとめておけば楽だし、どこかに入らせてもらえば「時代のせい」「社会のせい」って言い訳がきく」と。なるほど。だけど、砂場の子供たちのけんかじゃあるまいし、どうしてこうもすぐ「組」に分れてそっちがこうだから、そっちこそああだからという非難合戦になるんだろうな。炎上するローマを眺めながら竪琴を奏でていたのは暴君ネロだったけど、日本の社会の背後に国民を二分して対立させて、高見の見物をしてほくそ笑んでいるやつがいるんじゃないのかなあ。それが政治なのか、ビジネスなのか、マスコミなのかは、ワタシにはわからないけど、「○○組対××組」の不毛な議論を見ていると、何となくそんな気がしてくる。

だけど、かの有名な「バブル」については、ほんとうにどんなものだったの、もっと知りたいと思う。そう思うんだけど、経済や政治の観点から見たバブルの記述はたくさんあって、中でもWikipediaの解説はかなりの量なので大いに参考になるけど、日本の社会という視点から見た記述はあまりないように思う。ワタシが出会った「バブル時代人」は札束を抱えて「ニッポン人様のお通り」と言わんばかりに肩で風を切って歩いていた成金投資家たちか、上司がワタシのアシスタントとして雇ってくれた(ひとりを除いてまったく使いものにならなかった)ワーホリのお嬢さまたち。ワタシに「日本人と結婚しないで損したねえ、あんた」とのたまわったおじさんもいたし、「白人のおネエさんのいるところ教えて」と夜遊びの相談を持ちかけてきたおじさんもいたし、毎回違う「奥さん」を連れて来たフーゾク成金のおじさんもいて、みんな「安い、安い」と不動産を漁っていた。ワーホリお嬢さまにいたっては、何を頼んでも「できな~い」、「わかんな~い」。遅刻して来ては「私ってこんな子じゃないんですよぉ」と悪びれずにおっしゃる。たがが外れっぱなしで、ワタシの仕事を増やしてくれただけだった。

だけど、なのだ。いくら日本が金満大国になったからといって、日本中の人があんな振る舞いをしていたわけじゃないはず。ひょっとしたら、バブル日本というのはバブル東京のことで、バブル人も東京に一極集中していたのかもしれない。それでも、東京中の人がみんな成金だったわけじゃないはずで、バブルのご利益に預からなかった人たちの方がずっと多かっただろう。そういう人たちは濡れ手にバブル踊りに浮かれていた人たちをどんな目で見ていたんだろう。冷ややかな目で見ていたのか、妬ましい思いで見ていたのか、関係ないやとそっぽを向いていたのか。どうなんだろう。バブルに踊らなかった、あるいは踊りの輪に入れなかった「普通の日本人」はどんな暮らしをしていたのか、ワタシはそこが知りたいんだけどなあ。

よけいなことだけど、書き込みを見ていたら、思わず膝を叩いた「誤変換」があった。「人権費削減でカツカツの職場環境・・・」というもの。労働人口の三分の一が非正規雇用とかで、おまけに派遣切りに育休切りに・・・。「人権費」の削減とは、言い得て妙とはこのことか・・・。

結婚は生活、生活はお金

1月14日。すごい雨。大雨注意報が出ている雨。山の雪、盛大に解けるだろうなあ。しらないよ、オリンピック。

この雨の中、工務店のマイクが見積もりを持って来た。まあ、我が家は改装プロジェクトはもう何回目かで慣れていて、およその見当はつくから、「まずは悪い知らせ」とマイクが差し出した見積書の合計数字を見て、「まあ、こんなもんでしょうね」。マイクの方が拍子抜けした表情で、項目ごとに細かな説明。小さなバスルームだけど、壁も天井も床もすべてを取り壊す全面的な改装なので仕事そのものはかなり大がかりになる。床暖房に切り替える電気工事も大がかり。シャワーは設置場所の寸法に合わせての特注だし、狭いところなのでシンクを置くキャビネットも特注。キッチンの窓の下におく本箱も特注。そんなこんなで、請負手数料や税金を加えると3万ドル。来週の火曜日か水曜日に開始して、工事の項目が移るときに多少のオフの日をはさんで約4週間。早起きモードに切り替えて、工事のある日は真夜中みたいな午前7時半起床。うはあ、大変だ・・・

マイクが手付金の小切手を持って帰った後、「この金額でどうなんだ?」とカレシ。うん、予想の天井をちょっと出たけど、特別仕様が多いからこのくらいにはなると思う。カレシは「ふ~ん」と納得したのかしないのか。まあ、ふだん家計管理をワタシに任せっぱなして、どのくらい流動資金があるのか把握してないんだからしょうがない。この口座にいくら、あっちの口座にいくら、ついでにINGにいくらで、合わせてこれだけ、と説明したらやっと納得がいったような顔になった。あの、イチャモンつけるの、もう遅いからね。でも、特別の税額控除が満額の1350ドルになって、4月の確定申告で半分ずつ税金から控除できるからいいじゃない。それに老後の算段ができた後は、お金を貯め込んで「こんなに貯まったぞ~」と数えたってちっとも楽しくないでしょうが。そういうお金は有意義なことに使って初めて価値があるんだから、役立つことに使って楽しまなきゃ。

それでもなぜかお金のことが頭から離れなかったのか、食事をしながら「ボクたち、お金のことでは一度もけんかしたことがないね」と言い出した。そうだねえ、ほんとにお金のことでもめたことはないよね。「カップルのけんかの最大の原因はお金なんだってさ」とカレシ。そうなんだって。それは洋の東西を問わないことらしい。たぶん、「自分のお金は自分のもの」と考えるようになって、「私たち」という観念が薄れて来たからじゃないかと思う。まあ、男女同権、機会均等の副作用なのかもしれないけど、ここでも互いに「損をしたくない」心理が働いているのかもしれない。まあ、結婚はたしかに「生活」だし、日常生活にはお金がいることもたしかなんだけど、近頃はその「結婚生活」を2つの「一人暮らし」のようにとらえて、それぞれが重なる部分の費用を「合理的に」配分しようとしているような印象もある。だから、「自分は~なのに不公平」とか「自分ばっかり負担して損だ」とか言い出すんだろうな。割り勘デートはいいとしても、結婚てのは割り勘では割り切れないもんなんだけど。

いろんなことにルーズで、特にお金に関して「ルーズ」を絵に描いたような母親の下で育ったカレシのパパは、結婚以来ずっとママに給料をそっくり渡して家計を一任していた。毎日食卓にご飯が出てきたらそれで良かったんだそうな。実際のところは、大人の人間として自立しないままだったんじゃないかと思うけど、ママは共働きしながら家事全部と家計管理と3人の子育てを背負わされていたようなもの。それを見て育ったカレシもあたりまえのように働いているワタシに家事も家計もそっくり丸投げしたんだろう。だけど、「結婚生活」をすべて相手に丸投げというのは、おんぶに抱っこの「依存症」ってことにならないのかなあ。それってちょっと危ないんじゃないかと思うんだけど・・・。

泊りのお客、遠方より来る

1月15日。夜の間、かなりの大雨だったのか、何度もめが覚めた。今日はデイヴィッドがトロントから来る日。朝の5時に起きて早朝便に乗って来るけど、時差が3時間遅れのバンクーバーでは午前2時で、少し早めに寝ようかという時間。目的はパパの90歳の誕生日祝い。(日曜日にホームのパーティルームを借りて家族が集まっての昼食会がある。)目覚ましを10時半にかけておいたけど、結局は10時を過ぎたところで目が覚めた。ふむ、雨は小雨に近いけど、まだちょっと風がある。

空港でレンタカーを借りて、デイヴィッドが我が家に到着したのは午前11時過ぎ。こっちは朝食を済ませたけど、ランチの時間を過ぎているので、ハーブパンをトーストして、パテとチーズの軽食。カレシとおしゃべりをしている間に、ベースメントの部屋をちょっと整理してフトンを敷けるようにする。そう、我が家のお客さまベッドは「フトン」。日本の布団をまねたもので、十何年か前には折りたたんだりの融通が利く安くて手軽な家具として、若い人たちにかなり受けて、専門店までできていた。今はあまりないような気がするけど、なにしろ融通が利くから正式な「ゲストルーム」のない我が家では便利グッズ。

まずは地下鉄でWhole Foodsへ行って、帰りに酒屋でワインやその他諸々のお酒を仕入れることにした。返す空瓶を車に積んでモールの近くに止め、そこの駅から地下鉄に乗る。デイヴィッドは橋梁が専門の土木エンジニアなので橋や鉄道にはいつも興味がある。去年開通したばかりの地下鉄に乗るのは今回が初めて。ちょうど良く前の車両の前の方に乗れた。早速レールの周りにかなり水がたまっているのを見て、「接続部分から雨漏りしているんじゃないか」と指摘。この2日ほど大雨が続いたけど、こういう気候だからあんがい水はけの処置はしてあるんじゃないかなと思うけど。

食料品を仕入れて外へ出たらまぶしい日が差していた。天気予報は晴れるなんて言ってなかったけど、こういう「外れ」には文句は言いっこなし。元の切符でモールの駅まで戻って、車を酒屋に回して買い物の第2ラウンド。かなり在庫が薄くなっていたので、ワインといっしょにコニャックもバーボンもスコッチもまとめて補充。白を中心にいろいろと合わせて2ダースちょっと。男性の荷物持ちが2人もついているっていいもんだなあ。ワインを詰めた段ボール箱を納戸の中のセラーまで運んでもらって、バラエティごとに仕分けしながら整理。初めてラックが満杯になった!

今夜は我が家でディナーということにして、軽く3コースにサラダとデザート。仲の良い兄弟なので話が弾む。家族の昔話を通して、いろいろな背景情報がワタシの耳に入ってくる。元々おとなしいジュディがお母さんの締め付けでシャイな子に育って、学校ではジョークの種にされたり、苛められたり。そのおかげで未だにどうしても自分に自信をもてなくて、人生の大きなマイナス要素になっているという話。大学生の頃に、教会の庭の芝生を刈っていたジュディに、たまたま友だちと車で通りかかったデイヴィッドが(ナンパ気分で)「手伝ってやろうか」と声をかけたのがきっかけで付き合い始めたとか。ジュディにとっては初めて(で最後の)のボーイフレンドだったそうな。二人は今年の夏で結婚満35年になる。子供の頃の話になると、カレシもデイヴィッドも早くからパパの本質(幼児性)を見抜いていたこと、ティーンの頃の悪さの数々が、今になれば「笑い話」として語られるけど、そばで聞きながら、家族って、子育てって、友だちって・・・人間関係って難しいなあと改めて実感した。

明日は地下鉄でダウンタウンまで出て、しばらく見ていないウッドワーズ周辺を散策して、Rodney’sで生牡蠣のディナー。ついでにイェールタウンで人気のバーGeorgeにも寄ろうかという話になった。それでは、兄弟が話に花を咲かせている間に、きのう「閉店間際」に駆け込んできた仕事をできるだけやっておこう・・・。