リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2012年2月~その2

2012年02月29日 | 昔語り(2006~2013)
何度やってもいいね、バレンタイン

2月17日。金曜日。起床は午後12時40分。雨模様。念のために鎮痛薬のタイレノルを1錠だけのんで寝たのが功を奏したのか、咳で傷めた首からの頭痛で目を覚まされずにぐっすり眠れた。普段から市販薬はほとんど使わないせいか、いざというときには用量の半分でもパシッと効くような感じがする。ふつうの鎮痛薬でも常用していると耐性ができてしまうということなのかな。日本で若い頃に何度も手首にできた火ぶくれのような痛い発疹が鎮痛薬による薬疹だとわかったときに、皮膚科の先生が言ったっけ。「たとえどんなに良い薬であっても、人間の身体にとっては異物であることに変わりがないんだよ」と。

今日は雨でポーチのデッキ板の取替えができないので工事は休み。きのうはトレリスの取り付けが終わって、裏庭は完全にカレシのもの。午後には電気屋のロウルが来て、ベースメントのドアの外に照明を付けてくれた。家を設計したときにどうしてそこだけ照明を付けなかったのか、今になっては思い出せないけど、真向かいのガレージの壁に照明をつけたら、カレシが庭に上がる階段のステップが見えなくて足を踏み外しそうになったと言うもので、まあ、「高齢化世帯」の安全対策といったところ。マイクが「変わっているけど電気工としてはピカイチ」と評するロウルはジャマイカの出身で、おしゃべりしていると実に楽しい。配電盤の「池」と書いてあったスイッチを切っておいたと言ったら、「ええ、電線はどうしちゃったの~?」と来る。まだ地面のどこかに埋まったままだと言ったら、「あ~あ、知らないよ~、知らないよ~」と言いながら、電源を落とさずにいとも楽々と配線を外してくれた。(うっかりスイッチを入れたら、地面に漏電して、カレシが感電してしまうとか・・・?)

ここのところ仕事の波に乗った感じで、ブログを書いていないことも忘れてどんどん進んだもので、とうとう納期よりも3日早く仕上がってしまった。そこで、今日は遅ればせのバレンタインデーのディナー。久しぶりにPastisに決めた。しばらく行っていなかったけど、店のデータベースに名前があるので、オーナーのジョンさんが「お久しぶりです」。(お客は覚えていてくれたか!という気分になってチップを弾んじゃったりして。)ワタシは前菜にスィートブレッド(羊の胸腺)、メインは鴨の胸肉、コンフィ添え。ソースに何と中華料理の五香を使っていて、それが何とも不思議な味わいになってすごくおいしかった。カレシは前菜がきのこのキッシュ、メインはヒラメのノルマンディー風。ムール貝とアサリが一緒にお皿に乗っていておいしそう。料理が肉と魚に別れたので、ワインは赤と白と別々にグラスで注文。デザートはカレシはプロフィテロールで、ワタシはこの店の特製のプチマドレーヌ。甘みを抑えたチョコレート味とレモン味のひと口マドレーヌは焼きたてのほっかほかで、口に入れるとふっかふか。ああ、天国ぅ~という気分になってしまう。

バレンタインが終わったばかりでレストランは空いているかなと思ったら、どうしてどうして。あっという間にほぼ満員。ほとんどが年配層の客なのがおもしろい。ワタシたちのようにバレンタインデーのラッシュをやり過ごした人たちなのかもしれない。久しぶりの外食でワタシもカレシもすっごく楽しかった。あんがい久しぶりだからかな。世紀が変わった頃から7、8年くらいは週末ごとに食べ歩いていたけど、どんなに高級なレストランでもカリスマシェフのグルメ料理でも、毎週となるとやっぱり飽きが来るものらしい。カレシのコレステロール問題で魚食に切り替えた頃にはほとんど惰性のようになっていたから、ぱったり外食をやめてもちっとも気にならなかった。まあ、「久しぶりに」とか「たまには」とかいうのはそれだけでプラスアルファの要素になるってことか。Less is moreと言われるけど、ひっくり返せばmore is lessと言うことだろうな。

おなかいっぱいでほのぼのした気分になった帰りは、Whole Foodsに寄って好物のシリアルに、魚を何種類か(今日の掘り出し物はストライプバス!)、切らしていた柚子と酢橘のポン酢、ランチ用に冷凍のチキンもどき(大豆タンパク)のオレンジ煮とサケ、マグロ、マヒマヒの3種類の魚バーガー、寝酒のつまみ用にはニシンの燻製を調達。その足でさらに酒屋に寄って、忙しがっている間にみんな切れてしまった酒棚の補充(レミ、アルマニャック2種、ジン、ベルモット、そしてワインの補充。ハウスワインにしていたニュージーランドのStarboroughのソヴィニョンブランはカレシが2010年ものが前の年より甘いと言うので、ニュージーランドの別のワイナリーのものを数本と新入荷らしいStarboroughの2011年ものを数本。ワイン造りはデリケートだから、年毎に天候条件などで味に微妙な違いが出る。だからワイン通はヴィンテージがどうのこうのと熱くなるんだけど、カレシも違いがわかるようになったのかなあ。ふ~ん・・・。

今日はいい日だったね。遅ればせの(というか二度目の、というか何度やってもいい)ハッピー・バレンタイン!

放射能難民を申請した日本人の却下第1号だって

2月18日。土曜日。かなりの雨。薬なしでも頭痛で目が覚めることなくぐっすり8時間。仕事もほんのちょっとだけ一段落したので、今日は休養日。(次に納期まで20日足らずで原稿用紙換算250枚の仕事が控えているから、1日だけの休みってことなんだけど。)

朝食が終わる頃には雨が止んで、日が差してきたから、キッチンのテーブルでコーヒーを飲みながら、仕事にかまけてごぶさたして読みかけの本を開く。今読んでいるのはレイ・ブラッドベリの『華氏451度』。なんとも背中がぞくぞくと寒くなって来る本だな。だって、焚書による言論統制がテーマかと思っていたのが、読み進んでみると「恣意的な愚民政策」の話で、書かれた頃にはSFだったかもしれないけど、描かれている近未来の「情報が映像化、感覚化されて思考停止した社会」がどうしても「今」と重なってしまう。特に主人公モンタグの行動を怪しんで様子を見に来たビーティ隊長の説諭?はまさに恣意的な愚民化の過程を説いたもので、読むほどに「今」を予言しているようでぞっとした。おかげで、怖いもの見たさもあるのか、あっという間に半分ほど読み進んでしまった。

おとといだったかケニー移民大臣が難民受け入れの制度を抜本改革して、「安全」と思われる国から来た人の申請はさくさくと審査して、さくさくと片付ける(送り返す)と発表して、あちこちの利害のある方面からブーイングが起こった。ワタシとしては、そういう(一応であっても)民主主義が機能している国から来た「難民」はおそらく身勝手な理由でカナダに住む権利を得ようとしていると考えるから、日々身を粉にして稼いで決して安くない税金を払っているカナダ国民としておもしろくない。どこの国の人だって自分の国でそういうことが起きていれば同じような感情を持つだろうと思うけどな。

ところが、今日のトロントの新聞「Toronto Sun」紙に、日本人女性の難民申請が却下されたという記事が出ていて、目が点々。2年前のバンクーバーオリンピックのときに観光ビザで来た日本人が2人だか3人だか難民の申請して、その報告を受けた大臣が「アホか!」と言った(とか言わなかった)という新聞記事を思い出した。何でも、今回の女性は福島原発の放射能の影響が怖いし、日本政府は信じられないという理由で、「自分の身が危険に曝されている」と難民申請をしたらしい。アホか~と思ったら、この女性は正式な判定が下った「最初」のケースで、あと何十人だかの日本人の「原発難民」が受け入れ可否の判定を待っているというから、ますます目が点点々。なんでぇ・・・?

そうまでしてカナダに住みたい理由は何なの?デフレとはいえ未だに世界第3位の経済大国なんでしょ、ニッポンは?日本人同士の「絆」を大事にする人間にやさしい国なんでしょ、ニッポンは?海外をチラ見した日本人が「ああ日本人で良かった(○○人じゃなくて~)」と声高に自慢できるすごい国なんでしょ、ニッポンは?放射能が怖いからって、それでも1億何千万人が折り合いを付けながら暮らしているんでしょ、ニッポンでは?もしもうまい具合に難民として認定されて永住できることになっても、どうせカナダはあ~だこ~だと愚痴るんでしょ?国も人もバカでしょうがないけどいてやっているんでしょ、カナダには?まあ、この人たちは何でもいいけど何とかしてカナダに長居できる方法を探していて、「なあんだ、難民ビザってのがあるじゃん!」とダメ元の気分で申請しただけなのかもしれないけど・・・。

カナダにはいろんな国から「難民」が何千、何万と来る。その人たちが判定を待つ間、そして判定を不服として抗告して、さらに上告して最終的に決定が出るのを待つ数年の生活費や医療費のめんどうを見るのはカナダ人が払った税金なのだ。いつまでもお人よしの国だと利用されているのを「世界から尊敬されている」と自己満足している場合じゃないと思うけどな。そんなんだから、国民がこぞって「安全」と自慢する経済大国からまで「迫害から逃れて来た」んだから入れろと要求して来る人たちが出るんじゃないの?

つらつらと思うに、移民大臣が抜本改革を打ち出したのはたぶんあのオリンピックのときの日本人難民の出現がきっかけだったのかもしれないな。放射能からの「難民」が続々と申請して来たもので、ケニー大臣はやっと難民政策のお人よしさかげんを何とかしなければと気がついたんだろうな。不要不急の自称「難民」を食わせるために使う税金をそれを納める自国民の福祉のために使うときじゃないかと思うよ。日本人だってきっとそう考えるだろうと思うけどね。ま、あと何人判定待ちなのか知らないけど、日本国政府が「棄民政策」を打ち出したのでない限り、早々にお帰り願って、未曾有の大災害に遭った愛する母国の復興に尽くしていただく方が日本にとってもいいことだと思うんだけど、そういうとまたああだこうだとうるさそう。ほんとにもう、世の中には不思議な人たちがいるもんだと思うしかないか・・・。

縁は異なものスルメの味わい

2月19日。日曜日。晴れたり曇ったり。気温はちょっと低めの5度。ゆっくりと寝て、正午を過ぎたところで起きて、1日の始まり。まず朝食後に本を開く。ますますページの後ろに「今」が見えて来るような錯覚が起きる。10ページほど読み進んで、今日はこれまで。

園芸センターに行くカレシにHマートの近くで下ろしてもらって、ひとりで買い物。日曜の午後だからすっごく混んでいたけど、すぐ退屈してそわそわし始めるカレシがいないから、棚の商品をじっくりと見て歩く。ラベルがハングルだけのものが多いけど、調理法を英語で簡単に説明する札が下がっているものもある。へえ、韓国の人たちはこんなふうに食べるんだ~。聞こえるのはほとんど韓国語なもので、ちょっぴり観光客の気分になって楽しい。(食いしん坊のワタシは世界のどこに行ってもマーケットやスーパーを「観光」するのが大好き・・・。)あちこちのテーブルで試食品を調理していたり、大きなストーブのような機械で焼き芋を作っていたり。焼き芋の売り場はすごい人だかり。へえ、韓国の人たちも焼き芋が好きなんだね。漬物を甕から売っていたテーブルにあったのは化粧箱に入って売っている九州の明太子の倍くらいある大きな明太子。コリアンスタイルと書いてある。高いけど日本のよりはずっと安いのでパックに5本入れてもらったら、おばさんが計量して値段のラベルを貼った後で「エクストラ!」と言いながら大きいのをもう1本入れてくれた。うわっ、すごいおまけ!カムサハムニダ!

新しい菜園を作るボーンミールや肥料を買いに行ったカレシの収穫はコルシカミントの苗。池を撤去してガレージとパティオの間に唯一残った「岩」が不規則な形だったので、通路の敷石との間に点々と隙間ができている。とりあえずマイクに砂利を詰めてもらったけど、そこに縁取りとして植えるつもりらしい。うん、いいよねえ、雨上がりに歩くと足下からミントの香り・・・。うん、仕事が早めに一区切りついたおかげで、何かと2人で楽しんだ週末だったね。カレシ曰く、「キミも引退すれば2人でいろんなことやれるよ。だから、早く引退しなよ」。う~ん・・・。

先週はバレンタインデーのある週ということで、ローカルテレビのニュース番組がいろんなトピックを取り上げていて、その最後が「バンクーバーは出会い砂漠」(日本流に言えば「恋愛氷河期」というところか)という話。元気な独身女性だちが男が消極的過ぎていい出会いがない!と嘆いているという話で、え、バンクーバーの男たちも草食化してるの?と思ったら、けっこういい男が「だってアプローチして振られたら嫌だ」と言うのを聞いて、なるほどっ。でも、ダウンタウンに行けば「ニッポン女子求む」という男は草食、肉食、雑食取り混ぜてまだまだたくさんいるようだし、明らかに(日本だったら絶対に婚活の対象にならないような)欠陥ありの男でも恋に落ちる(恋愛体質?の)ニッポン女子も絶える気配がないようだから、必ずしも「出会い砂漠」というわけではなさそう。まあ、娯楽系のIT/デジタル産業があるせいでオタクっぽい男が多いのかもしれないし、女性が賢くなって男を見る目が厳しくなったのかもしれないし、つまりは、需給関係のミスマッチというところか。少なくとも縁が「異なもの」であることは確か。

だけど、草食化やオタク化を抜きにしても、「デート難民」問題の根底にはデジタル育ちの若い人世代がイメージ先行型で、何でも完全保証書付き、できれば取扱いマニュアル付き、組立て不要で故障なしの「完成品」を求める傾向を強めているということじゃないかと思う。テレビでよく流れているe-HarmonyやMatchドットコムという、いわゆる恋活/婚活サイトのコマーシャルは、どれも売りは(最新のIT技術を駆使して選別した)「パーフェクト・マッチ」。画面には「完璧に合う」相手を見つけてもらって、ラブラブで幸せ絶頂のカップルがいかにも楽しそうに笑っている映像が流れる。ひょっとして、欠陥(ミスマッチ)があったら、一切不問で全額返金とか無償修理とか、新品お取替えとかいう保証書をつけてくれるのかなあ。

いつも思うんだけど、人間は死ぬまで完成し得ない、いわば「生涯仕掛品」なんであって、デザインも構成部品の形も数も千差万別なのに組立て説明書も完成図も(完成予想図さえも)一切ないし、おまけに完全保証なんてついて来ないし、(トラブルシューティングの章がある)取扱いマニュアルもついて来ない。このあたりは親として子供を育てた人なら良く知っているだろうと思うけど、まさに手探りでの関わり合い。成人した男女となればその縁も関わり合いもきっと先史時代から解き明かされていない人類最大の「謎」で、こればかりは終わり良ければすべて良しとするしかない。ひとつだけ確かなのは、人間の関わりに関する限りでは、結婚にしても友情にしても、(すぐに使える)組立て不要の完成品は金の草鞋を履いて世界の果てまで探しに行っても見つかりっこないということか。

そういえば、シリーズの最初に恋愛アナリストとかいうおばさんが「ニュースがあります。男性はあなたの気持ちを読めません」と言うので、そんなのニュースでも何でもないよ、誰だって昔から知ってることだよねえ、とカレシに振ってみたら、カレシは苦笑。あんがい女性って世の東西を問わず察してちゃんなのかなあ。でも、男には女心なんかわからないし、女にも男心はわからないんだから、ここは痛み分け。そこが縁は異なもの味なものという所以で、まあ、「味」の方は腐っていたり、カビが生えていたり、口に合わなかったりするものはペッと吐き出してしまうだろうし、たとえ口に合っても、その「味わい」は10年、20年、30年と噛んでみないとわからないかもしれない。あら、何だかスルメの話みたい・・・。

人間の権利について来る義務って何だろう

2月20日。月曜日。曇りのちちょっと雨もよう。いつの間にか風邪も首から来る頭痛も消えてしまって、連夜かなりの熟睡。よく眠れるのは何よりも気分がいいな。カレシは天気が好転してマイクが残りの作業ができるようになる日のために、裏のポーチの周りに野放図に広がっているウィンタージャスミンの刈り込み。ベースメントからの階段に沿ってトレリスを立てて植えたら、とにかく旺盛に茂って、上のポーチの周りにもびっしりと緑の壁。名前に「ウィンター」とついている通り、いつも1月から黄色い花を咲かせる。日本では黄梅とか言うらしいけど、梅の花にはあんまり似ていないような。本州の暖かいところで梅が咲き出す季節に咲くからなのかな。

寝る前にニューヨークに仕上がったファイルを送っておいたワタシは、今日からまた仕切り直して次の仕事とがっぷり。いや、これはでかいぞな。ちょっとピッチを上げてがんばらなくちゃね。今日の月曜日はアメリカが同じ月にあるリンカーンとワシントンの誕生日にちなんだ祝日で三連休。東のオンタリオ州でもなぜか「ファミリーデイ」という祝日。そういえば、元旦から次の復活祭(早くて3月下旬)まで三連休の「飢饉」が続くと言うので、2月に祝日を設けるべきという議論はだいぶ前からあったな。ファミリーデイというのはその頃から候補に上がっていたもので、オンタリオ州では4年前に施行したそうな。へえと思っていたら、BC州でも来年から2月の第3月曜日が「ファミリーデイ」の法定祝日になるという記事。へえ、ハッピーマンデーか。これでもまだ日本より祝祭日は少ないけど、ま、ご隠居と自営業の我が家は連休も週末もぜ~んぜん関係ない。

首都オタワでは、テイヴズ公安大臣がインターネットの児童ポルノ摘発の目的で警察に「のぞき見」の権限を与える法案を出したもので、連邦議会は騒然。猛反発する中道より左の野党は「プライバシー侵害」の旗を振るのは当然だけど、それを大臣が「反対するやつは児童ポルノを支持しているのも同然だ」とやり返したものでますます騒然。そこで誰かが大臣の離婚裁判記録をツイッターに流し始め、オタワの新聞社が「おとり」のリンクを送って投稿者のIPアドレスが議会お膝元の下院内にあって過去にWikipediaに左派政党を持ち上げる記事も投稿していたことを突き止め、さらにはハッカー集団まで乗り出してきてテイヴズ大臣のプライバシーを洗いざらいぶちまけると脅迫するやらで、「プライバシーの保護」を訴える抗議のつもりだったんだろうに、逆に「インターネット上にはプライバシーなぞ元から存在しない」という現実を見せつける何とも皮肉な展開になって来た。正々堂々の議論をせずにネットの匿名性を利用して相手を攻撃して黙らせようとするのが今どき流「権利」運動の手法なのかもしれないけど、それは怖いな。

他人にあれこれ個人的なことを探られたくないのは誰だって同じ。だからそこに「プライバシー」という壁を作って、知られたくないことを公にされない権利を認められているんだけど、権利というのはある意味で「特権」でもあると思う。プライバシーだって「その壁の後ろで他人を害するようなことをしない」という信頼に基づいて与えられる特権ではないのかな。だから、ワタシとしては、プライバシーを盾にしてこそこそと他人を害することをするのは信頼を裏切る卑怯な行為だと思う。犯罪を犯せば一定期間「自由」という権利を取り上げられる。国によっては犯罪によっては自由どころか「生きる権利」を取り上げられることもある。でも、悪用して他人を害しないと言う信頼に基づいて与えられた権利のその「信頼」に背いたんだから当然の報いだと思うけどな。よく権利には義務が伴うと言われるけど、「他人の権利を尊重する」義務という形で説明されることが多い。でも、ワタシは何であれまず権利を与えてくれた人間社会の信頼を裏切らないことが自分の権利に付帯する最大の義務だと思うんだけどな。まあ、裏切るようなことをするやつほどことさらに(自分の)権利を尊重しろとうるさいみたいで、人間って何なんだろうと考えてしまうけど。

何となくだけど、「人類」という地球上の生物種はすでにピークを過ぎて、徐々に衰退しつつあるという予感がしなうでもないな。あの、人間さま、だいじょーぶ?西暦3000年まで行けそう?

持続ストレス性腹ぺこ症候群だ

2月22日。水曜日。ふと目が覚めて時計を見たら「12:23」。起きて仕事をしなきゃ!といい気持ちで眠っているカレシを肘で突いて起こしたら、がばっと頭を持ち上げたカレシが時計を見て「なんで?まだ10時じゃないか」。よく見たら、ほんと、時計は「10:25」。ひょっとしたら、あまりガシガシと仕事をやりすぎて、また視力が下がったのかな。ま、なあんだということで寝なおして、起きたのは正真正銘の「12:13」。予報に反していい天気。寒気が下りて来て、週末には雪が降るかもって、冗談でしょ?

きのうは常連のところから引き合いがあって、断ってばかりでは何だからと引き受けてしまった。ほんとは立錐の余地もないところにぎゅっと押し込んだわけで、後でしわ寄せが来そうな予感がするけど、常連のお客さんはそこを曲げても大事にしないとね。だけど、今年が明ける前から仕事ラッシュだったせいか、ストレス性腹ぺこ症候群で、あまり動かないのにやたらとおなかが空く。まさにサポルスキー先生の講義の通り、気づかないうちにストレスが溜まっていて、原始時代に組まれた生存プログラムが起動して、すわ飢饉!と勘違いした脳が「大変だ、とにかく食べられるだけ食べてエネルギーを蓄えろ」と叫んでいるような感じがするな。徹夜で仕事をしたときなどはてきめんで、普通に食べても30分もすると腹ぺこ感が襲って来て、脳が「ストレス警報解除」を発令するまで2、3日は「おなか空いた~」の連発だもの。

だけど、「口がさびしい」という感覚ではない(というかこの感覚はワタシにはわからない)ので、元々しない間食をするまでには至っていない。それでも体重はやや右肩上がりで、1990年代後半のストレス太りにじわっと近づきつつあるような感じもする。やぁ~だ、どうする?あの頃は洪水のような仕事の忙しさだけじゃなくて、更年期とかカレシとのこととか、何やかやがどっと重なった「複合ストレス」で、今になって当時の写真を見ると思わず「げぇ~ッ」となるくらい太った。たぶん、難しい思春期真っ盛りの高校時代以来の太りようだったと思うな。それがカレシとの大嵐に遭遇したら、ほとんど普通に食べていたのに半年で7、8キロもやせた。サポルスキー先生によれば、あれは飢饉とは別の「戦うか逃げるか」という瞬発的なエネルギーを要求するストレスに対応するために、よけいな荷物を捨てて身軽になろうとした結果ということになる。

つまり、今は持続的なストレスにエネルギーを蓄えることで対応している状況ということか。ストレスが去って空腹感がなくなれば、体重も徐々に減って、まじめに運動をすることでBMI22くらいの普通レベルに戻るよね(とのんきに構える極楽とんぼ・・・)。もっとも、花も恥らう婚活女子なら、「デブ」と言われたら猛省して(誰のか知らないけど)基準に合わせる努力をすべきなんだろうけど、この年(あと2ヵ月で64!)になったら、ぽっちゃりを放置するのもダイエットで矯正するのも本人の勝手で、健康でさえあればいいと思う。だって、他人にスタイルがいいとかモデル体型だとか言ってもらうためにやせようとしてもよけいストレスになるだけで、身体よりも心の健康に悪いんじゃないかと思うな。(ま、ワタシとしてはダイエットなんかめんどうくさくて、やろうと思ったところでやれっこないと思っているから、負け惜しみを言っているのかもしれないけど。)

それでも、「最盛期」の水準までまだまだ余裕があるなんて言ってはいられないかな。午前4時の寝酒とおつまみ、やめてみる?やめらないよねえ。やめたら仕事の後の緊張をほぐす楽しみがなくなってしまって、それじゃあよけいにストレスかも。納期まであと2週間。原始の脳が命じるままに食べて、飲んで、エネルギーをため込むことにするか。あ~あ・・・。

また次々と家電が壊れ始めた

2月23日。木曜日。今日も予報外れのいい天気。起床は午後1時。ゆうべは地元産のイワシの燻製をつまみながら、お気に入りのシングルモルトのスコッチを傾けて、ゆったりした気分で就寝。ごみの収集日なのに、トラックの轟音でもまったく目が覚めなかったくらいの熟睡。疲れてきたのかなあ、やっぱり・・・。

朝食後に『華氏451度』を読み終えて、しばし黙考。小説としてはかなり荒削りで、人物の肉付けが足りないような気がするけど、テーマは意味深長だな。小学校時代によく読後感想文というのを書かされたけど、最終的にはもっと本を読みたい、本を読んで頭がクラクラするまでいろんなことを考えたいというのが今回の「感想文」。いつもいつも参考資料のような、要するに実用書みたいなものばかり読んでいたような気がして、ほんとに久しぶりに書物と「つながった」という実感があったから、それだけでも大きな収穫だと思う。老後の娯楽のためにと稼ぎを注ぎ込んでせっせと買い集めて来た本。リビングの壁3つにある本棚にいったい何十冊、何百冊あるやら。その本を開くのに老後まで待つ理由なんかあるはずがない。ということで、勢いに乗ってこれにしようか、あれにしようかと迷って、次はポール・オースターの『ニューヨーク三部作』。

カレシは庭仕事、ワタシは仕事。コンピュータの前に座ったら、立ち上げる前の真っ黒な画面に映ったワタシの顔・・・あ~あ、しっかり二重あごになっちゃってる。元々首が太短くてあごも奥行きがあまりないワタシ、激やせしても首を傾げると二重あごになるんだけど、少しでもぽっちゃりになると、ああ、ほんとの二重あご。何とかしなくちゃダメかなあ、これ。必要以上に食べているということは火を見るより明らかだけど、「持続性ストレス警報発令中」の脳みそは聞く耳持たずで、困ったもんだな。まあ、風邪のときのように仕事に没頭したら「腹ぺこ」メッセージをやり過ごせるかもしれないけど、後でどっと「腹ぺこ」になって元の木阿弥になる予感。

そんなときに先日のコーヒーメーカーに続いて、今度は電子レンジが急死。前の夜はちゃんと動いていたのに、次の日にはうんともすんとも言わないなんて、そんなあ・・・。何かひとつが壊れると2つ目が壊れて、2度あることが3度になるのはどうして?何年か前にも、家電やエレクトロニクスが2、3ヵ月の間に次々と壊れたことがあった。カレシは「みんな同じ組合なんだよ」と冗談を言っていたけど、5つも6つも壊れるとやっぱりちょっとばかり気味が悪かった。もっとも、この電子レンジはかなり長いこと使っているから、あんがい寿命だったのかもしれない。しばらく新しいのを買いに行く時間がなさそうだけど、普段からあまり使わないし、いざとなったらベースメントにある500ワットので間に合わせられて、あまり不便がなさそうなのが勿怪の幸いか。だけど、どうしてこういうときに限ってこういうことになるのかなあ。もしかして何かの陰謀・・・?

そういえば、先だって日本のどこかの新聞に「買ったけど期待ほどではなかった家電」の調査結果なるものがあって、トップは「食器洗い乾燥機」、次いで「衣類乾燥機」、そして「ホームベーカリー」の順だった。ワタシの三種の神器は「食洗機」、「全自動洗濯機・乾燥機」、そして「貯蔵用フリーザー」だから、ほとんど逆だな。日本の家庭では食事のたびに茶碗や小鉢の類をいくつも使うから、それを洗ってくれる機械は主婦の省力化の花形だろうと思ったけど、機械の洗い方に満足できなくて、結局手で洗い直すという人がけっこういるらしい。要するに自分でやった方が早くてきれいだということか。日本の主婦は潔癖症が多いみたいだし、期待通りに洗ってくれないのでは使えないやつになってもしょうがないな。ワタシの食洗機もたまに洗い残しのかすがついていたりするけど、ずぼらなワタシは濡らしておいてまた食洗機に入れてしまう。(おたくに食事に呼ばれたくないわ、と言われるか・・・?)

ホームベーカリーというのはパン焼き器のことらしいけど、我が家ではもう20年くらい朝食用のパンを焼いている。現在の機械はたしか7代目。最初はワタシが使っていたのに、いつのまにか自家製好きのカレシが自分の「持ち場」にしてしまった。朝食のパンを焼いている。まあ、日本はご飯を食べる文化だから期待することもかなり違うだろうと思うけど、ホームベーカリーに関しては、カナダでも買ったはいいけどキッチンのカウンターの隅っこで埃をかぶっているというケースが多いんじゃないかと思うな。貯蔵用のフリーザーは日本ではあまり使われていないから出て来なかったんだろうな。こっちでは共働きがあたりまえだし、ショッピングセンターのスーパーまで車で買出しに行かなければならないところなもので、まずどこの家にもある。我が家のは中でも一番小さい200リットルだけど、離婚する前のジムとマリルーの家には倍くらいの大きさのが2つもあった。

さてさて、二度あることは三度あるというから、次は何だろうな。テレビかな。カレシの野菜用冷蔵庫かな。それとも洗濯機かな。知らないよ。ちょっと戦々恐々・・・?

1億の絆があるはずなのになぜ孤独死?

2月25日。土曜日。きのうの朝の雪まじりの雨に続いて、今度は強風注意報発令中。高台では予報通りの「雪」だったけど、たぶんバンクーバーで一番気候温暖な我が家のあたりでは、カレシによると「大きいのが3枚か4枚」。もう来週は弥生3月なんだから。弥生って草木が芽を出して茂るという意味じゃなかった?

中小企業の年金を運用していた会社が2千億円も無くしていたという嘘みたいな本当の話。運用に失敗して損が出て、それを客に知られないうちに取り戻そうあがいているうちに2千億円が消えたということかな。日本の新聞サイトではほんの数行の電報文みたいな記事しかなかったけど、『ウォールストリートジャーナル』紙にかなり詳しい記事があった。ま、オリンパス事件以来、日本のビジネスの隠蔽体質が注目されているから。何でもリーマンショックの後の2009年頃に「利益が安定しすぎていておかしい」と警告を発したアナリストがいたそうだけど、「有名な」ところじゃなかったから、お金を預けていた企業は信じなかったんだろうな。それとも、株価も景気も不安定な状況で「安定した」利益を得ていることに安心したのかな。年金の掛け金を払っていた人たちはどうなるんだろう。中小企業で働く人たちが額に汗して稼いで、老後のために積み立てたお金なのに。

世界第3位の豊かな国でひっそりと餓死する人がいる。各国の新聞も「kodokushi」という日本語の表現をそのまま使って報道していた。かって「karoshi」という日本語がメディアをにぎわしたけど、日本語をそのままローマ字で表記するのはその国にそういう現象を表現する言葉がないから。東京圏のようなカナダの全人口に匹敵するくらいの人たちがひしめき合っているところで、電気やガスを止められたことや病気や飢えを誰にも知られずに死ぬ人がいて、それを何ヵ月も誰も気づかずにいる。部屋で死なれては迷惑だからと孤老に部屋を貸したがらない風潮さえあるという。福祉担当の役人は「プライバシーの壁に阻まれた」、薄々でも問題に気づいていた人たちも「プライバシーに立ち入るのは・・・」。ひょっとして他人のプライバシーを自分が見たくないものを見ないですませるための遮断幕にしているんじゃないかと勘ぐってしまう。

母親と幼い子供が死んだ事件では、障害児を持った母親が福祉の助けを求めなかったのは日本に「恥の文化」があるからだと言った評論家?がいた。恥じることを美徳とするのが日本文化だということはわかっているけど、それは自分に対して恥ることじゃないのかな。母親が障害児を持った自分を恥じていたということなのか、障害を持った子供のことを恥じていたのか。漢字を見るとわかるけど「恥」は「心の耳」、つまり自分の「良心の耳」だと思うんだけど、日本の美徳とされる「恥の文化」は世間が見たくないものを見せるなかれということのようで、だから助けを求める(つまり見たくないものを見せる)人には「恥を忍ぶ」という屈辱(罰)を与えるのかもしれないな。あんまり人に優しいようには思えないけど。

母親が自分自身を恥じるのは勝手だけど、障害を持って生まれてしまった子供のことを恥ずかしいと思うのは、子供の人格を否定することではないかと思う。出かけるのに着るものがない言うのと変わらないように思う。ほんとうに着るものがないんじゃなくて、自分が恥ずかしくない(つまり他人の目に映える)ものがないということが多い。最近の小町にもファッション感覚ゼロの友人と一緒にいるところを知り合いに見られたら恥ずかしい、どうしたら友人を変えられるかという相談があったけど、これも友人は着る物と同じで自分が他人の目に映えるための小道具でしなくて、だから自分が世間に対して恥ずかしいと、見事に友人の人格を否定している。理解しがたい心理だけど、小町横町にはそういう住人がひしめきあっているから、やはり文化の影響かな。いつの時代か誰かが元々美徳であった文化を都合がいいように定義しなおしたのかもしれない。見たくないものを見ないで済む、つまり問題を隠蔽すれば対応の努力をせずに済むんだから、こんなに楽なことはない。

他人が窓にカーテンをしていないために家の中が見えてストレスになるという感覚も、ワタシには理解できないけど、小町横町には多数派なのかと思うくらいたくさんいるらしい。人間、意識していないものは見えないんだから、見えるということはつまり見ているということじゃないのかな。見てストレスになるんだったら見なければいいのにと思うけどね。そりゃ素っ裸でいるのが見えて不快だというのならまだわかるけど、自宅で日常生活を営んでいる人たちに向かって、見えるのがストレスになるから見えないようにしろというのは、俗に言う逆切れってやつじゃないのかな。「私がストレスを感じなくて済むようにカーテンの陰に隠れて暮らせ」、つまり「私」の視界から消えろと言っているようなものだと思う。きっと自分の視界のどこまでが自分のスペースなのか、つまり、どこまでが自分でどこからが他人なのかがわかっていない人なんだろうな。

自分と他人の区別を心理学ではバウンダリー(境界線)と言うけど、自分の境界線が見えないということは「自分」が果てしなく漠然と続いているような感じなのかな。そういう状態では漠然とした不安感が起こってもおかしくはないかもしれないな。常に漠然と不安を感じているところへ他人が視野に入ってくると、その他人はその人自身のスペースにいるだけなのに、視野の持ち主はその他人を別のスペースにいる人格として認識できないから自分のスペースを侵犯されたように感じてストレスになってしまうのかもしれないな。漠然とした不安を呼び起こすものは「見せるな」、「隠せ」、心の耳に不快に響くものは「聞かせるな」、「黙れ」という「恥の文化」を作り上げたのは、いつの世だったのか知らないけど、あんがいそういう人たちだったのかも。

それじゃあ人と人の間の空気は薄くなるだろうし、絆も切れてしまうだろうな。中小企業で懸命に働いて、老後のために払い込んできた年金を知らない間にごっそりなくされた人たちに飢えて孤独死するような運命が待っていないことを祈るばかり・・・。


2012年2月~その1

2012年02月16日 | 昔語り(2006~2013)
おかげさまで創業満22周年

2月1日。水曜日。ドンッ、ドンッという地響きのような音で目が覚めた。まだ午前10時前。へえ、マイクがパティオや通路の地ならしをしているのかなあと思いつつ、うとうと。時おりガーッとコンプレッサの音がして目が覚めて、静かになったと思ってうとうとしたら、またドシン、ドシン。窓がピリピリ、棚のものがカタカタ。とうとう11時過ぎに起きてしまった。外は絶好の工事日和・・・。

キッチンへ下りて行って、びっくり仰天。裏口のポーチの遮蔽壁がない。手すりもない。ドアを開けてそっとのぞいて見たら、階段までなくなっている。もちろん、ポーチの階段の改修はプロジェクトに入っていたんだけど、何で今?マイクが連れてきた2人息子のひとりが初めてなので、まず「これ、スコット」と紹介。最初に来たのは物静かなキャメロン君、次に来たのは農業の勉強をしていると言うアンドルー君。で、今日はアンドルー君とスコット君か。親父の指揮で黙々とシャベルを振るって土方仕事をするけっこうイケメンの息子が(少なくとも)3人。いやあ、チーム・フィリップスは金メダルものだねえ。

目を細めていたら、「ちょっとアイデアがあるんだけどね」とマイク。階段の方向を90度変えて、家の壁沿いにパティオに着地するようにしたら、そこから唯一残した池の石壁に沿ってガレージまで続く道のデザインがすっきりする。あはは、ポーチの階段、元は壁沿いに付いていたのを、池と滝を作ったときにガレージへのアクセスが不便になったもので、90度方向転換したのだった。つまり、また元の配置に戻るってこと。今日のカレシはちゃんと話を聞いて、ちゃんと質問をして、玄関から裏庭に回って実際に歩いてみて、「その方が合理的だと思う。じゃ、そうしよう」と賛同。ほ~ら、冷静に考えて合理的に話をすれば、普通の人は「何だ、こいつは」なんて思わないし、互いに聞く耳を持って話をすれば、たいていのことはうまく行くものなのよね。嫌なやつだと思われたくないという思考が先に立ってヘンな防衛線を張ってしまうと、自分が思っていることは言葉にしないで相手に推察させようとしがち。でも、相手は読心術者ではないから気持は通わない。けっこういるみたいだけどね、そういうおんぶに抱っこ式でコミュニケーションしようとして、わかってくれない、理解力がない、気遣いできないと相手の方を非難する人。ま、一種の責任転嫁なんだろうけど・・・。

早くも2012年は最初の月が過ぎ去って、2月1日の今日はワタシのフリーランス在宅ビジネスの創業記念日で、満22年。今日から23年目が始まる。早いもんだなあ。「家にいてできる仕事だから」と言うカレシに背中を押されるようにして旗揚げしたんだけど、1990年2月1日のあの日、出勤するカレシを送り出して静かな家の中で、ひとり設備投資第1号のマックの前に座ったワタシ、う~ん、どんなことを考えていたんだろうな。寒い日だったような気がするな。独り立ちはしてみたものの、いったいいつまで潰れずに続くのか、どれだけ長く続けられるのか、どれだけ仕事が入ってくるのか、急に仕事が来なくなったらどうするのか・・・そんなことまでは想像もできなかったような気がするけど、今となっては覚えていない。いったい、続けられなくなったとき、ありは続かなかったとき、どうするつもりだったのか。ふ~ん、リスク管理もへったくれもあったもんじゃないな、んっとに・・・。

それでも延々と22年もやって来られたのは、自分を「翻訳家」じゃなくて、翻訳と言うサービスを売る「ビジネスウーマン」だと自負していたからかもしれないな。フリーランスの在宅稼業というのは、カレシが期待したように家事の合間にちょこちょこっとやれるもんじゃない。キャリアとして生計は立てるなら、仕事の手が空いたときに家事や育児をするくらいでないと長くは続かない。両立できないと愚痴るよりも前にお客の方がいなくなってしまうのが現実で、主婦の小遣い稼ぎのアルバイト気分でやっていたら、どんなに才能があっても長くは続かないと思う。まあ、ワタシの場合は、英語が口達者だったのと、どんな仕事が来ても怖いもの知らずの強心臓でがっぷり四つに組んだのと、早くに「納期」は絶対だということを肝に銘じたことがプラスに働いたのだと思う。

カレシとのことや、倒産する前に自主清算するつもりでいながらその3日前まで何食わぬ顔で仕事を送って来て1万4千ドルの不良債権を残して逃げた客のことや、まあ、何かといろいろとあったけど、常に安定しない売上の22年間の累計は155万ドル。あのまま秘書稼業を続けていたらたぶん5、60万ドルがせいぜいだったと思うから、大学卒の「学歴」なしで飛び込んだワタシとしては、たいしたもんじゃないの、とほめてもいいかもしれないな。でも、ワタシにとっては稼ぎの多寡よりも、人との関わり方を学べたことが何にも代え難い報酬だと思う。まぶしいくらいな学歴や肩書き、職歴のクライアントや同僚がわんさといる中を犬かき泳ぎで溺れずにここまで来られたのは、そういう人たちとの出会いがあったおかげなんだけど、それも突き詰めて考えると、動機が何であれワタシの背中をごり押ししたカレシの「けがの功名」ってことになるかなあ。

ま、人生ってほんとにフォレスト・ガンプのチョコレートの箱のようなもんだな。箱の蓋のイラストはきれいでおいしそうだけど、開けてみないと実際にどんなものかわからないし、食べてみないとどんな味がするのかわからない。ワタシのはいろんな味がして、それぞれにおいしかったと言えるだろうと思う。やっぱり運が良いんだろうな。さて、もののついでということもあるから、いっそのこと切りのいい満25周年まで突っ走ってみる・・・?

同じ餅でも鏡餅とあんころ餅では大違い

2月2日。木曜日。工事の音で目が覚めることを想定して少し早めに寝たのに、工事よりも早い午前8時に道路清掃車の轟音で目が覚めてしまった。お化け掃除機に四輪を付けたようなものだから、まず音がすごい。それをのろのろ運転で走らせるから、轟音がいつまで経っても遠ざからない。これまで1年に2度、3度来るか来ないかだったのに、今年に入ってからたぶんこれで4度目か5度目。我が家の外の道路に週一で掃除機をかけている勘定になるけど、なんで?(今日は午後にも一往復して行った。ほんとに、なんで?)この調子だと、道路に落としたせんべいを拾ってそのまま食べられるくらいにきれいになるかも。ひょっとしたら、道路にゴミひとつ落ちていても気になってイライラするような人が市の衛生部に採用されたとか・・・?

やっと静かになって少しまともに眠れて、11時に起床。いつのまにか道路わきに砂利が配達されていて、アンドルーとスコットがシャベルで手押し車に移しては裏庭に運んで、通路に敷いていた。敷き固めた砂の上に雑草を通さないためのシートを敷き、その上に砂利を敷き詰めて行く。カレシが何年も自分でやる、やると言っていた作業だけど、見ていたらひとりで午後のひとときを使ってちゃっちゃとできるようなものじゃない。そのカレシ曰く、「自分でやらなくてよかったなあ」。午後にマイクがパティオに敷くコンクリートのスラブを持って登場。ここも砂の上に雑草除けシートを広げて、30センチ四方のダークグレイのスラブを、水準器を使いながらきっちりと敷き詰める作業。後でスラブの間に細かな砂を掃き込んで固定するんだそうな。カレシがパティオを作ってくれると約束したのはもう数年も前だったけど、実現しなかったわけがわかるような気がする。スラブをおけばいいってものじゃないのだ。ま、やっぱり餅は餅屋ということ・・・。

さて、今年度からカレシが経理を担当してくれることになって、ワタシが買ったままインストールせずにいた経理のソフトを自分のコンピュータに入れて、ワタシ会社の経理課ができた。毎月でもさしたる出入りのない微細ビジネスだけど、それでも会計処理はけっこうめんどうくさい。めんどうくさいから、ついつい帳簿付けをさぼっては売上税申告のときに数字がない!と慌てることになる。12月31日終了の2011事業年度はまったく帳簿をつけていないから自分でも呆れ果てるけど、そういうめんどうなことを月末に売上税の四半期申告の期限が迫ってカリカリしていたワタシを見かねた?カレシがやってくれるというので、これ幸いの渡りに船と俗に言う「靴の箱」に放り込んでおいたレシートやら請求書やらをハイッ・・・と思ったら、勘定科目表を設定するのに、何がどこへ入って、どこから出るのかといちいち聞いてくる。請求は売上と売掛金、入金したら銀行と売掛金、クレジットカードでオフィス用品を買ったら経費と買掛金、請求が来て払ったら銀行と買掛金・・・。

だけど、だけど、なんで?昔ベニスの商人が考案したというこの複式記帳法って世界の常識じゃなかったっけ?で、借方と貸方の帳尻が合うと貸借対照表というのが出てきて、ついでに損益計算書というのが出て、ビジネスが困るくらい儲かっているのか、赤インクの中に沈没しかけているのかがわかる、と。あのさ、アナタって、経済学と会計学の学位と会計士の資格を持っているんじゃなかったっけ・・・?カレシ、にっこりして曰く、「会計(accounting)と簿記(bookkeeping)は畑が違うんだ。ボクは会計士(accountant)であって簿記係(bookkeeper)じゃないから、帳簿のつけ方なんて大学で習ったけど覚えてないよ」。ふ~ん、餅は餅屋だと思ったけど、同じ餅でも鏡餅とあんころ餅の違いがあるってことか。

そうか、会計士だからって金勘定ができるってわけじゃないのか。つまり、簿記係は会社(自分)のお金の出入りを知っているけど、会計士は人さまのお金の使い方にああだこうだと意見をするのが仕事だから、必ずしも自分のお金の出入りを管理できているわけではないということか。それで、カレシも我が家の経理をワタシに丸投げしたわけか。なるほど。でも、たまには監査のひとつもやらないと、明朗会計かどうか(あんころ餅にちゃんとあんこが入っているかどうか)わからないと思うけど、いいの・・・?

英語の勉強が重要なのはわかっちゃいるけど・・・

2月3日。金曜日。今日はやかましい道路清掃車も来なかったし、マイクと息子たちも資材調達の寄り道で午前11時過ぎまで来なかったので、きのうの寝不足を少し取り戻した感じがする。起きたところでマイクたちが登場して、20分ほどで建材屋のトラックがれんがサイズの敷石と階段を作る木材をクレーンで歩道に下ろして行った。今日もいい天気の工事日和。

今日はまずちょっと小さめの英日の仕事をひとつ片付けてから、月曜日にねじ込まれた(と言うよりは、例によってワタシがつい食指を動かしてねじ込んでしまったんだけど)に取りかかる。これもなぜか裁判関係の書類だけど、内容はもっと人間味があっていい。月曜日からはまた先週までやっていた大きな仕事の(もっと大きい)第2弾と格闘しなければならないから、ぐずぐずしていたらまたぎりぎりになってしまいかねないもの。やれやれ。ストレッチのために立ったときに窓から裏庭をのぞいたら、息子たちが土方仕事をしているそばで、マイクがポーチの階段を作っていた。電動の鋸で2本の桁にジグザグと切り目を入れて、ポーチに取り付け、踏み板を取り付けるだけの簡単なものだけど、踏み板の奥行きを古いのより深くしてくれたので安全性もアップ。材料にヒノキの親戚のレッドシーダー(米杉)の心材に近いところを使ったので、ほんのり赤みがあって、ヒノキのようないい香りが漂ってくる。ピカピカの階段、歩くのがもったいないような・・・。

英日の仕事は小さい割には難しい単語がぞろぞろ出てくるから、最近愛用しているオンラインの辞書のやっかいになる。日本語を検索しているときは出て来ないので気がつかなかったけど、英語の単語を入れると、横の広告が並んでいるところにその単語の「学習レベルの目安」というのが出て来て、これがなかなかおもしろい。「レベル」を表す数字があって、その下に「学校」、「大学入試」、「英検」、「TOEICスコア」の各レベルが出て来る。試しにたまたま目に付いた「remainder」という単語を入力したら、「レベル」は7、「学校」は大学以上の水準、「大学入試」は最難関大対策レベル、「英検」は準1級以上合格に覚えておきたい単語、「TOEICスコア」は730以上取得に覚えておきたい単語、と出てきた。へえ、おもしろいと思って、もうひとつ原稿にあった「resumption」という単語を入れてみたら、レベル11で「英検1級以上合格に覚えておきたい単語」だって。え、英検て「1級」より上があったっけ?

まあ、じきに飽きて仕事に戻ったけど、誰がレベルを決めたんだろうな。お試しに入力した単語はどっちもちょっとかしこまってはいるけど、ニュースなんか聞いているとけっこう普通に使われているから、さっぱりピンと来ない・・・と思っていて、ふと気がついた。これ、日本で「ある試験のある級に合格するための目安」ということじゃないの。つまりは「お受験英語」の一種かな。ということは、英検は2級の試験を受けるんだから、TOEICは600点を目指しているから、どっちの単語も覚えていなくてもいいという理屈にならないのかな。要するに、「どこまでやればいいんだ?」という、まあ、力の出し惜しみのための目安のようなものか。そうなったら、せっかく勉強するエネルギーがもったいないような・・・。

そういえば、先週だったか日本の新聞に、文科省の教育政策の研究機関が中学3年生に英語学習について調査をした結果が出ていた。それによると、「どちらかというと」を含めて85%が「英語の学習が大切」と答えたそうで、「英語を学習すれば好きな仕事につくことに役立つと思うか」という質問には「どちらかというと」を含めると70%が肯定的で、2003年にやった前回の調査よりも23ポイントも増えていたとか。ほお、いいことじゃないの・・・と思ったら、英語が好きと答えたのは22%、どちらかと言えば好きと答えたのは30%。さらに、「将来、英語の勉強を生かした仕事をしたい」と答えたのはたったの11%で、逆に実に43%が「生かした仕事をしたくない」と答えたそうな。読売英語版では、「グローバル時代で英語学習の重要性はよくわかっているけど、英語の勉強をしたくないのか、するのがめんどうくさいのでしょう」と研究者がコメントしていた。なるほど、「わかっちゃいるけどめんどくさい」ということか。

でも、海外の大学への留学は激減しているそうだけど、町かどの語学学校にはまだまだ英語留学の日本人がけっこう来ているらしい。英語を話せたら、もっといい仕事につけるかもしれないと思って来る人が多いんじゃないのかなあ。特に近頃は求人の条件にTOEICのスコアが何点以上というのも増えているという話だし、「英語を使う仕事なんかしたくない」なんて言ってていいのかな。東京の大きな本屋には英検やTOEICの受験対策の本がずら~っと並んでいて、立ち読みしている人たちもずら~っと並んでいたけど、あれは中学校のときに「めんどくさ~い」といってまじめに英語の勉強をしなかったツケが回って来た人たちなのかな。「やれない、やらない、やりたくない」は後で高くつくということだと思うから、学校でちゃんとやっておいても、少なくとも損にはならないと思うんだけどなあ。

人間、どんなときでも息抜きはしないと

2月5日。日曜日。今日もいい天気で、(夜は冷えるけど)気温は右肩上がり。何だか厳寒のヨーロッパや日本に申し訳ないような。ワタシはよく眠れたけど、カレシは鼻水が出て、咳が出て、よく眠れなかったとぼやくこと、ぼやくこと。(でも、鼻水にイライラしてもむずからない努力はしているような感じだから、ありがと・・・。)ひょっとしたら風邪かなあ。インフルエンザの予防注射はしたんだし、特に蔓延しているというニュースもないから、風邪だとしてもただの鼻かぜだろうと思うけど。

それにしてもヨーロッパに居座っている大雪と寒波は桁外れに異常だな。東欧ではホームレスの人たちの凍死が多い。寒波の日本ではホームレスの人たちはどうしているんだろうな。河川敷や公園に青いテントが点々と見えたし、新宿の高層ビルに囲まれた公園の中を夜通ったら、昼間にはひとつもなかった青いテントがたくさんあってびっくりした。あの人たちはどうやって皇居のお堀に氷が張るような厳しい寒さをしのいでいるんだろうな。キリスト教社会で教会がよくやるように、たくさんあるお寺や神社が広々とした本堂や本殿を開放して、ホームレスの人たちが寝られるところを提供するということはないのかなあ。もしかしたら、ホームレスだと凍死しているのが見つかってもニュースにはならないのかな。だから、迷惑というレベルの問題ではあっても、社会問題とは思われないのかもしれない。Out of sight, out of mindということで・・・。

バンクーバーにもホームレスの人たちがたくさんいて、寒くなると市や福祉団体がやっている臨時シェルターや教会に収容する。特に寒波が来たときは、警察官や福祉団体の人たちがホームレス人口の多い区域を回ってシェルターに行くよう勧めて歩くんだけど、頑として拒否する人も多いらしい。理由はいろいろだけど、強制収容するわけには行かないので、そうできるような市条例を(左翼会派の市議会が)作ろうとしたら、「反貧困活動家」たちが、拒否する人を強制的にシェルターに連行するのは「拉致だ、人権侵害だ」と抗議したもので、条例案は結局そのままになってしまったらしい。いくら凍死させないための人道的処置であっても、成人である本人の意思に反して強制的にシェルターに引きずって行くのは、その人の自己決定権の侵害、人権蹂躙だというのはたしかに正論だけど、もしもそうやって拒否したホームレスの人が凍死したら、人権云々を掲げて反対した連中が、今度は警察や市や市民が見殺しにしたと、義憤やるかたなしとばかりにテレビカメラに向かって社会を糾弾する。いったい何をどうしろといいたいんだろうな、この手の「活動家」って。

さて、きのうは今日午後4時が期限の仕事があったのに、久しぶりのコンサートに行ってしまった。どうしようかと迷ったけど、月曜日からまた1ヵ月は雪崩の中に閉じ込められるから、ここで息抜きしておかなきゃと思って、仕事を放り出しておでかけ。テーマはロシア音楽。前半の3曲目はアレンスキーによるチャイコフスキーのテーマの変奏曲だったけど、ちょっと趣向を変えてバイオリンとビオラの奏者を全員立たせて演奏。普通は椅子に座っているから、弓の動きがきれいに揃って見えるけど、全身が自由になったら演奏スタイルの個性が出て来て、見ているだけでもおもしろい。直立不動のままの人、体が左右に揺れる人、前後に揺れる人、渦巻き型に揺れる人がいて、弓の方向もばらばら。でも、元々うっとりするような曲の表現上の「ひだ」が豊かになったように感じられて、ますますうっとりして聞き入ってしまった。

後半は『ピーターと狼』。近々ある子供コンサートで、大きなホールいっぱいの「教育ママにいやいや連れて来られた」子供たちの前で演奏するんだそうで、マエストロはナレーションを担当。「そのリハーサルのつもりです」とやって笑わせて、まずは登場人物と楽器の説明。副指揮者がオーケストラを指揮する中、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、ピーターは弦楽器、猫はクラリネット、おじいさんはバスーンで、「こわ~い狼」はフレンチホルン等々。マエストロがなかなかの役者なもので、みんないつの間にか絵本を読み聞かせてもらっていた頃の子供に戻ったような気分。これだったら、クラシックコンサートなんかや~だよ~とふくれっつらで座っている子供たちが相手でもぜったいに大丈夫だよ、マエストロ。

久しぶりのコンサートを満喫して、すっかり楽しくなって帰ってきたら午後11時ちょっと前。ずいぶんと気持が高揚したと見えて、ランチの後で放り出した仕事にかかったら、猛烈な勢いで、しかも楽々と進んだから自分でもびっくり。今日の納期には余裕で仕上がってしまった。『ピーターと狼』のロンドン初演は第二次大戦中のドイツ軍による空爆が続いていたときだったそうだけど、大人は戦争をしていても子供たちには楽しい時間を与えなければということだったらしい。うん、どんな非常事態が起こっていても、どんなに多忙であっても、人間は息抜きが必要なんであって、たとえ束の間であっても「楽しいなあ」とか「気持がいいなあ」と感じることでがんじがらめになっている心が自由になったら、難局を乗り越えられるだけの余裕ができるということかな。

なぜか急に風邪引きが2人

2月6日。月曜日。ゆうべは風邪気味のカレシとゆ~っくりとお風呂で温まって寝たもので、目が覚めたらなんともう午後1時。揃って9時間も眠った勘定で、カレシは一度だけ咳で目が覚めたけど、おととし東京から持ち帰った浅田飴が効いてすぐに眠りに戻ったとか。それでも、「キミがひどく咳き込んでいるときの辛さがよくわかったよ」とのことで、なんで今頃になってという感じもしないではないけど、人の痛みがわかるというのは人間の器に余裕があるということだと思うから、カレシも心にちょっぴり余裕ができたのかなあ。だったらいいね、少し生きやすくなるから。

だけど、今日もいい天気で、ポーチの温度計は12度なのに外は静か。マイクはまだ来ていないのか、それとも予定が変わったのか。裏庭の改修工事はあと2、3日で95%くらい終わりそうな感じだけど、週の後半はまた天気が崩れるとの予報だから微妙だな。と思っていたら、マイクから「風邪を引いた」とのメール。ありゃ。「子供が学校から持って来るんだよ」。あら、キャメロン、アンドルー、スコットの他に、まだ学校に行っている子供もいるの?へえ、マイクは子福者なんだ。ま、それはともかく今日は仕事は休み。お大事にメールを送っておいた。カレシと同時に風邪って、ひょっとして共通の感染源かなと思ったけど、ウイルスをやり取りするほど近くで過ごしたわけじゃないから、まあ、ふつうに風邪が流行っているってことか。

朝食が終わったらもう午後2時。ぐずぐずしていると夕食のしたくの時間になってしまう。今日から2週間の予定の仕事にかかる前に、電気料金、電話料金、ワタシの経費用のクレジットカードの支払。隔月で請求される電気料金は11月半ばから2ヵ月の1日あたりの消費量が87kWhで、去年の同じ期間の103kWhよりぐんと少ないのに、請求額は去年より多い。「向こう何年間で合計十何パーセントの値上げ」ということで、いつの間にかじわじわと上がって行く仕組みになっている。ま、うちは夜型の生活だし、暖房を含めてすべて電気で、おまけに冬は温室の暖房があるから高いんだけど。でも、使用量データが自動的に送信されるという「スマートメーター」を付けて行ったんだから、夜間料金とか深夜料金といった使用時間帯に合わせた料金体系にできるだろうと思うんだけど、そうなったら夜行性生活の我が家の電気料金はぐんと安くなるのになあ。ま、使ったものは払うっきゃないのはわかっているけど・・・。

支払のついでにちょこっとネットショッピングして(七分袖のTシャツばかり9枚)、裁判関係の仕事にかかる。今度のはスキャンした文書なので文字数はカウントできないけど、クライアントの推定では原稿用紙換算で100枚。とすると2万語くらいかなあ。でも、何しろページが真っ黒に見えるくらい漢字だらけの文書だし(英語の単語数が増える)、例によって「もっと直訳」の注文どおりにやったら3万語くらい行ってしまいそうだなあ。3万語を2週間でやるのはかなりきつい。でも、1枚目をやったところで、どうやらその先何十ページは元々英語の文書だったものを日本語に訳したものらしいとわかった。つまり、英語の原本がどこかにあるということだけど、ま、ことがことなので発注元は相手方に「原文をください」なんて言えるわけがないし、日本語が読めないから翻訳させるわけで、元が英語だということも知らないんだろうな。まあ、いわゆる「逆翻訳」というのは翻訳者にはけっこうおもしろくて、直訳に近いほど原文が訳文から透けて見えるから、用語さえ押さえれば意外に楽だったりする。英語の原文とワタシの英訳を比べてみることができないのがちょっと残念であるけど。

今夜のランチは、鼻づまりがして、声がおかしなカレシのためにスロークッカーで作る「何ちゃらサムゲタン風」チキンスープ。ママのチキンスープというのはユダヤ系の「コンフォートフード」(一種の「おふくろの味」かな)だそうだけど、これは高麗人参を入れてアジア風。だけど、たまたま冷蔵庫の引き出しにあった玄米の「モチ」を切って、トースターオーブンで少し膨らませてから入れてみたら・・・あちゃ、モチは跡形もなくなって、とろとろのスープになってしまった。あらあら。まあ、体が温まりそうでいいんだけども・・・。

わが子を殺して被害者を装える親

2月7日。火曜日。今日もいい天気。早寝したのに、外が静かなものでつい正午まで寝てしまった。マイクは今日も休み。明日あたりからまた何日か雨の予報なのを気にしていたけど、風邪が1日で完治するわけがないからしょうがない。カレシは鼻づまりが治ったけど、今度はドナルド・ダックが風邪を引いたようなかすれ声。声、出なくなるのかな。ここはあまりしゃべらないで喉の養生をした方がいいんじゃないのかな。(あんがい静かで仕事がはかどるかも・・・と、イジワルなことを考えるワタシ。)

朝食後のコーヒーを飲みながら開いた今週のMaclean’sには、オンタリオ州でのアフガン人移民家族の「名誉の殺人裁判」の特集記事。アフガニスタン、ドバイ、カナダと移動して来た一家の背景に始まって、事件に至るまでの数ヵ月は公表された事件の記録や裁判での何十人もの証人の証言から、刻々と日を追う形に組み、事件後の捜査の詳細や尋問での受け答え、検視医の報告などを、雑誌の半分くらいを割いて詳しく総括している。少女たちが何度もいろいろな機関に助けを求めたのに、制度の欠陥や判断の誤りが重なって、自由の国カナダは「自己決定権」を含めてその自由を享受しようとした彼女たちを救うことができなかった。裁判で検察側の証人として出廷した親族たちは今、一族やアフガン人社会から村八分に会っていて、身の危険さえ感じるという。ワタシは、父親と長男の揺るぎのない「歪んだ名誉観」に、読んでいるうちに恐怖で体が震えて止まらなかった。

裁判長が「冷血な殺人者」と評した父親は、沈んでいた車から娘たちの遺体が発見されたときに、テレビカメラに向かって愛児を失って悲しみにくれる親を演じて見せた。容疑がかけられた後もくるくると変わる嘘の数々。最後までその嘘が通じると思っていたふしがあると言うくだりで、あるジャーナリストが「真実は明かさずに相手が期待していることを言う文化なんです」と言っていたのを思い出した。(そのときは漠然とあの地域も「空気を読む」文化なんだなあと思っただけだったけど。)常に風景が変化する砂漠から生まれる文化なのかもしれない。そういう風景の中には「絶対的な真実」なんて存在し得ないのかもしれない。真実が存在しないから、根本的に「他人の目に映る自分」でしか自分の人間としての価値を測ることができないのかもしれない。よくわからないけど、わからないでもないような気もする。それも何だか怖い・・・。

今度の事件で、これから異文化に盲目的に寛容であることを善しとする、いわゆる「多重文化主義」に疑問を持つ人たちが増えるかもしれない。カナダ人であるということの意味を改めて問う人たちもいるだろう。この国には、どこから見たって普通のカナダ人で、カナダ人であることに誇りを持ちながら、民族のアイデンティティや誇りもしっかり持ち続けている人たちはたくさんいる。おりしもバンクーバーでは移民異文化や宗教に根ざした家庭内暴力の芽を最悪の事態に至る前に摘み取ってしまうにはどうしたらよいかという会議が開かれていて、ここでは「名誉の殺人」を「報復の殺人」と呼んでいた。まさに。男の専制支配に反旗を翻した、つまり男の(内弁慶的)プライドを傷つけた女への「報復」以外の何ものでもないと思う。たまたまそういう器の小さい人間たちが「不変」というもののないところで多数を占めたことで、そういう民族の価値観ができ上がったのかもしれない。だけどなあ、文化だの宗教だのと偉そうなことをいうけど、世界中どこにでもいるモラハラ、DV人間と変わらないじゃないの。人間としての器、ちっこいよ、ほんとに。

それにしても、どうしても、どうしても、どうしても理解できないのは、実の子供を自分の手で殺した親が、子供の行方がわからなくなった、一刻も早く無事で帰って来て欲しいとメディアの前で涙を流して見せられる心理。どうしてそんなことができるのか。日本でも前に何度もあったし、つい最近もあった。カナダでもあった。アメリカでもあった。ヨーロッパでもあるだろう。世界のどこでも同じことが起きる。いったい誰を、何を欺こうとしているんだろうな、あの人たち・・・。

幸せを2倍にするためにひたすらがんばる

2月8日。水曜日。正午に起きたら、予報通りの雨。カレシの声はだいぶ平常に戻ったけど、今度はワタシの鼻がむずむずする。し~らない。でもまあ、座業だから、風邪のひとつやふたつくらい何とかなるでしょ。だけど、一日ほとんど座りっぱなしでキーを叩いていたもので、背中が痛くなって来た。少しストレッチしなきゃ、と思い切り腕を伸ばしたら、ああ、二の腕も痛い・・・。

この2日ほど新しい方のPCとネットブックを新しいプリンタに接続しようとあれこれやっていたカレシ、どうやら成功したようで、「テクニシャンに出張してもらわないで済んだ」と鼻高々の顔。デスクの配置換えをした後に設定しようとしたときにどうしてもうまく行かなくて、癇癪を起こしたあげくにドライバをアンインストールしてしまっていたのを、思い直して(仕事に没頭しているワタシの後ろで)ごそごそ。難航したらしいけど、HPのサイトで調べたりしてやっと成功。これで4台のコンピュータ全部がひとつのプリンタを共用できるようになって、めでたし、めでたし。

と、思ったら、今度はスライドやネガをデジタル化するキカイをいじり始めた。何年か前のクリスマスにプレゼントしたものだけど、「そのうちに・・・」と使わずにいた。10年以上もボランティアでやってきた英語教室を「諸般の事情」で無期休講にしたところなので、手持ちぶさたになったのかな。我が家の旅行の写真はなぜかほとんどがスライドで、デジカメになるまでの20年分くらいあるんだけど、プロジェクタを処分してしまってからはいくつもの段ボール箱に入ったままになっていた。それをデジタル化しようというわけだけど、古いものは劣化が進んでいて、Photoshopで修正しなればならないとか。

スライドからプリントした写真のアルバムが見つかったと言って見せてくれたのが20年近く前の旅行の写真。「キミはちっとも変わってないねえ」。(おせじぃ~。)「ボクなんか、腹が出ちゃって」。う~ん、今のアナタの方が渋くていい男だと思うけどなあ(おせじぃ・・・なんかじゃないよ)。でも、なつかしいなあ。一緒の旅行の思い出が記憶からすっぽりと抜け落ちてしまったのはもう10年以上も前になる。自分ひとりのことはよく覚えているのに、2人一緒にどこへ行って何を見たのかは思い出せなくて、カレシが話題にしても覚えていないとしか答えられないのが辛かった。最近は断片的ばイメージを思い出すこともあるようになったけど、こうやって古い写真やスライドを見たら、2人の「楽しい思い出」が一気に蘇るかもしれないなあ。

仕事戦線は、ニューヨークから「今の仕事の後の予定はどうか」というメールが来て、ぎょぎょっ。このプロジェクト、仕事がわんさかわんさか入って来ているんだそうな。3月の半ばまで仕事、仕事で「生活する」時間もないと返事をしたら、「3月半ばまでダメだなんてすごく悲しいよ」と来た。どうやらこのコーディネータ氏、その頃を狙って仕事を送り込むつもりでいるらしい。カレシ曰く、「気に入られたんだよ。覚悟した方がいいぞ~」。まあ、仕事があってこそのフリーランス自営業なんだけど、この調子だと写真を見て思い出にひたる暇も、ブログでのんきにぼやいている暇もないかもしれないなあ。

カレシ曰く、「キミが好きでやっていて、やりがいを感じているんだったら、ボクは応援するよ」。でもなあ、こういうクランチタイムになると、ほんとに好きでやっているのかどうかわからなくなることもある。ま、一番確かなのは、お金は好きだってことくらいかな。そう、お金では幸せは買えないけど、今の幸せを2倍にしてくれるってね。引退してからの2人一緒の幸せを2倍にするつもりで、ここはとにかく、ひたすらがんばる!

風邪の特効薬は仕事とホットラム

2月12日。日曜日。相変わらずぐずぐずした天気。でも、起きてみたら、きのうよりは少し調子が良いような。見事にカレシからもらってしまった風邪。カレシは声が出なくなりかけたけど、かなり急速に回復中。ワタシも同じように軽く済むかもしれないと思っていたら、咳が出てきて胸がぜいぜい。とうとう軽い気管支炎の様相になってきた。やれやれ。それでも、どよんと重い頭やしきりとざわざわする背中から注意を逸らすつもりでひたすら仕事に没頭していたら、いつの間にか予定より先に進んでしまったから、我ながら呆れる。おかげで、今日1日は予定外の休養日。木曜日は1日わきめもふらずに仕事をしていたら、夕食後のコーヒーがマグに半分しかなくて、コーヒーメーカーが頓死したことが判明。なんでこんなときに!と思うけど、こんなときに限って何かが起きることになっているらしい。翌日の朝食のコーヒーはエスプレッソを入れて、ミルクを泡立ててカプチーノ・・・と思ったら、あら、泡立て用のポットでいくらやっても泡が立ってくれない。どうも乳脂肪1%のミルクでは泡が立たないことになっているらしい。おかげで朝のコーヒーは予定外のラテに。仕事が思ったより進んでいると言うことで、何となく園芸センター行きを予定していた金曜日の午後は、まず新しいコーヒーメーカーの調達ということになった。同じデパートだからということで、ついでに使い切った炭酸水メーカーのカートリッジも取り替えてもらう。さらに同じデパートだからついでのついでに切らしているワタシの化粧品も買おう。

その前に郵便局の私書箱からたまった郵便を引き取ったら、デパートの封筒。差出人が「社長」の名前になっていたのでピンと来てその場で開けたら、やっぱり。20ドルの割引カードが入っていた。(買い物をする前にチェックしてよかったねえ。)その足でデパートの地下に下りて行って、並んでいるコーヒーメーカーを見る。つや消しステンレスのクイジナートがやっぱりいいけど、12カップは大き過ぎ。フィルターは昔のドリップ用のよう三角のではなくてバスケット型じゃなければダメ。たくさん並んで入るけど実はさして選択肢がないのに、行ったり来たりしてああだこうだ。結局、コーヒーミルも磨り減って来たからということで、10カップのバスケット型フィルター使用、保温ポット使用で、コーヒーミルが付いているのを買った。豆と水をセットしておけば、自動的に豆を挽いて、コーヒーを入れてくれるから、挽き立てのコーヒーもこれ以上の挽き立てはない。

炭酸のカートリッジ2本を新しいのに交換して、クリニークのカウンターに行ったら、ボーナスタイムだって。いつものナイトクリームを2個買ったら、顔なじみになったリビーが伝票を2枚持って来て、「別々にお勘定したからボーナスパックは2つね」と思わせぶりなひそひそ声。お、うれしいね。いつもバッグやワタシが使わないアイシャドウや口紅はシーラとヴァルにあげるので、2つあると助かるの。(で、シーラは孫娘に、ヴァルは息子のガールフレンドにあげるらしい。)レシートと一緒に渡されたのが今度は25ドルの割引券。月末まで有効だから、何を買おうかなあ。

買い物の途中で園芸センターには行かないことにしたんだけど、結局金曜日のラッシュの中を隣町の園芸センターまでトラックを走らせ、重さが50キロくらいありそうなピートモスの巨大パックと、パーライトとバミキュライトの一番大きい袋。カレシは池を埋め立てた後の新しい菜園の準備を始めたくてうずうずしているらしい。金曜日の夕食は出かける前にスロークッカーにセットしておいたビーフカレー。日本のカレーはやっぱり日本のご飯で食べなきゃとストウブのポットでご飯を炊いて、2人して汗をかきながらたらふく食べた。(日本のカレーは盛大に食べなきゃおいしくないもの。)1人分にもならないくらい残ったカレーは夜のランチのカレーそうめんに化けた。

このあたりまではまだ元気いっぱいで、風邪のひとつやふたつなんてと粋がっていたんだけど、きのうの土曜日がたぶんピークだったのかな。頭はどよ~ん、耳の下はしくしく、体中がざわざわ、胸はぜいぜい、はれぼったい目はしょぼしょぼ。時々深呼吸しないと苦しくて、深呼吸すると盛大に咳が出る。でも、仕事はがんばったかいがあって、予定の2日くらい先まで進行。さすがにぐったりした気分になって、カレシが作ってくれたホットラムを飲んで、熱いお風呂で身体を温めて、バタンキューと寝てしまった。カレシのホットラムはラム酒とレモン、蜂蜜、シナモンを熱いお湯で割ったもの。ラムの代わりにブランディでもいいし、シナモンの代わりにナツメグやクローブを入れることもある。風邪を引いたときに熱々を飲んで寝ると、そこらへんの風邪薬よりも効き目がある。うん、今夜はホットブランディにしてもらって、風邪ウィルスにダメ押しするか・・・。

ちょっとリッチな気分のおうちバレンタイン

2月14日。火曜日。早くに猛烈な頭痛で目が覚めた。どうやら風邪の頭痛ではなくて、頚椎の古傷を傷めたときの頭痛。もう30年近くも前にベッドの中でくしゃみだったか咳をしたはずみに第二頚椎がずれて、元に位置に戻してもらうまで気が狂いそうな頭痛と吐き気に悩まされた。あれは何年後かの卵巣膿腫が破れたときの急性腹症の痛みなど足下にも及ばないくらいの過酷な痛みだったな。たぶん夜中に咳き込んだときにまたちょっとギクッとやったんだろうけど、頭痛は仕事の邪魔なので、買い置きのタイレノルのチューブを見たら、あら、有効期限2012年1月。中には10錠そっくり残っている。念のために買い置きして使わないでいるうちに期限切れ・・・薬いらずはいいことなのかもしれないけど。ま、ホットパックで温めてみるか。

今日はマイクが早めに来て通路に敷石を並べる作業の残りを急いでいた。「僕も息子もデートがあるから早く上がろうと思ってね」と。早々、今日はバレンタインデーだもんね。午後4時にはプロジェクトが95%くらい終わった感じ。あとはトレリスをつけて、階段に手すりをつけて、電気屋のロウルが来て小さな電気工事をしたら「竣工」。でも、おかげで何年も約束手形のままだったワタシのパティオができた。[写真]

裏口から階段を下りてすぐで、ちょうど小さいテーブルといすが置ける大きさ。頭上には照明があるから夜でも使える。階段下の桜の木はまだひょろひょろだけど、大きくなればキッチンの窓のグリーンカーテンになる。ま、いよいよこの夏は冷たいマティニのグラスを傾けながらの夕涼みができるかな。滝の水音を聞きながらのつもりだったのが肝心の滝がなくなってしまったけど、新しい菜園にイチゴを植えたら、もぎ立てをつまみながらデザートワイン・・・なんてね。[写真]

その菜園、今はまだ掘り起こした土の山だけど、「耕作面積」は一挙に3倍以上。左下の「岩」の反対側にある野放図な高山植物ガーデンを前庭にうつせば、菜園の面積はさらに広がる。トウモロコシだって植えられそう。塀に立てかけてあるトレリスを温室とガレージの前につけたら庭の工事は終わり。トレリスはパティオから見ると温室やガレージの目隠しになるし、菜園の端で日当たりがいいからきゅうりや豆類の栽培に使えて一石二鳥。カレシの胸算用は膨らむ一方で、ウォール街の「投機話」に似ていなくもないけど、ま、我が家は、カレシ、育てる人、ワタシ、料理する人・・・。

で、今日はバレンタイン。レストランはどこもバレンタイン・スペシャルで予約が1ヵ月以上前に埋まっているのが普通だし、予約をして行ったとしても流れ作業的な雰囲気でちっともロマンチックな気分になれない。ということで、バレンタインのおでかけはこの日じゃなければダメという恋人たちに席を譲って、レストランが「平常」に戻る週末に遅ればせでゆっくりやることにした。その代わり、冷蔵庫とフリーザーをかき回して寄せ集めた材料で思いつくまま「極楽とんぼ航空」の機内食ディナー。四角い揚げに鶏もものひき肉を詰めて蒸し、いっしょに蒸した豆腐にはイクラとめんたいこ。エビとイカのチリソース炒め。たけのこ、しいたけ、なるとの煮もの、ねぎとアサリの吸い物にうなぎの蒲焼ご飯。コース料理と違って、一斉にしあげるタイミングが難しいな。[写真]

仕事の追い込みに戻る前のひととき、今夜はテレビをつけないで、カレシがCDに焼いた懐かしい50年代のロックを聴きながら、ファーストクラスの空の旅を想像してちょっとリッチな気分。食後はスーパーで買って来たチョコレートの箱を開けて、ハッピー・バレンタイン!