リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年12月~その3

2011年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
紅鮭に思いつきのクリームソース

12月21日。水曜日。正午前に起床。いい天気。今日は今年最後の掃除の日で、午後1時を過ぎた頃にシーラとヴァルが掃除道具と一緒に赤と白のワインを下げてやって来た。掃除が済んだ後で、毎年恒例になった「忘年会」をやろうというわけ。

3時過ぎに大皿にスモークサーモンやサーモンキャビア、エビのパテ、鴨の燻製を盛り付けて、野菜チップとクラッカーを入れたバスケットを添え、カレシがワインをグラスに注いで4人で乾杯。いつもはワタシが仕事をしていたり、2人が次の客のところへ向かわなければならなかったりして、ゆっくりおしゃべりをする時間がないけど、毎年最後の日は我が家を最後にして、きれいになったキッチンのテーブルでぺちゃくちゃ。カレシがワイングラスを割ってしまうアクシデントがあったけど、ワインが2本とも空になり、ワンちゃんのレクシーがおなかを空かせてご飯の催促を始めたあたりでお開き。2人に今年の感謝のボーナスを入れたクリスマスカードを渡して、楽しいホリデイをとハグしあって忘年会が終わった。

午後いっぱい食べて飲んだので、今日は午後9時過ぎの遅い夕食・・・。

[写真] 紅鮭のグリル、リークと枝豆のクリームソース

思いつきで、小口切りにしたリークとかけらが残っていたスイートポテトの細かいさいころをバターで炒めて、電子レンジで解凍した枝豆を添え、スコッチと乳脂肪分10%の軽いクリームを加えたソースを作ってみた。紅鮭は、ガーリックをローストした後の汁とオリーブ油をとっておいたので、それを塗って塩と胡椒でシンプルにグリル。ソースの上に紅鮭を載せ、周りに残ったサーモンキャビアを散らしてみたら、けっこう見栄えがする。付け合せは蒸したブロッコリーニ。

この分では、今夜はランチは抜きだな・・・。

食道楽クリスマスの準備完了!

12月22日。木曜日。正午ちょっと前に起床。今日もいい天気。でも、天気予報では今夜から高気圧が崩れて、これから1週間は雨、雨、雨。ふむ、サンタクロースのそりに幌をつけたほうがいいんじゃないかな。プレゼントがびしょ濡れになってしまうよ~。

今日はカレシがヘアカットに行く日なので、便乗してモールへ。すっきりしたカレシを落ち合って、IGAへクリスマス前最後の野菜類の買出しという予定。カレシにお金を渡して(なんで自分のお金を持って歩かないんだ~)、郵便局へ行って私書箱を空にして、まずはベイの地下へ直行。先週買ったVilleroy&Bochのお皿を2枚ずつ買い足して、ついでに先週はいいなあと見ていただけの細長いお皿と3個の小さなボウルのセット(セットではないらしいけど)を2組買った。ボウルなしでもけっこうかっこよく使えそうでいい。それからこれまた先週思くてかさ張るし~と思ってやめたお盆セットを2つ。小さいのはおまけということにして、お目当ての大きい方は「機内食風」ディナーにぴったりのサイズ。(カレシは「小さいのはエコノミークラスで、大きい方はファーストクラスだな」と・・・。)トートバッグがずっしり重くなったところで、モールの外に止めた車に運んでトランクに置いて、買い物の第2ラウンド。(駐車場は空きを探す車がぐるぐる回っていて大混雑・・・。)気に入ったミニのスロークッカーがもう1つあれば便利かなと思って、大枚13ドル(約千円)のをもうひとつ買った。

何だか角ばったトートバッグを肩に、目に付きやすい場所に移動したゴディバの店に入ったら、チョコトリュフの半分を差し出されたので、試食。サンタクロース模様のフォいるに包んだダークチョコを買うか、買うまいかと思案していたらカレシから「終わった」と電話があって、結局は買わずじまい。ヘアカットをしてすっきりとかっこよくなったカレシがコアントロがいるというので、道路を渡って酒屋へ。午後3時を過ぎたばかりでもうラッシュ。ここでいつものドタキャンムードになって「IGAは道路が空く夜になってから行こう」と言い出した。ほんっとに今夜行くよね?「行くったら行くって」。金曜日の明日はもっと混むんだからね。「わかってるよ」。それならそれでいいかと納得しかけたところで、「トマトがないからKin’sでトマトだけ買って行こう」。もぉ~っ!

トマトだけ買うんだったら必要な野菜果物をみんな買って、ついでにセーフウェイで買い物リストにあるものを買えば、夜になって出直さなくてもクリスマス明けまで買い物をしなくても済んで効率的だと思うけど・・・と諄々と諭して、とにかく買い物をすることで合意してしゃんしゃん。どうしてこうも生活の手順をややこしくするんだろうなあ。合理的に考えたら超が付くほど簡単なのに、そのときの気分に翻弄されてわざわざ非効率化するなんて、いったい何を考えているやら。まあ、そういうのもカレシの個性なんだろうけど、自分で非効率にしておいて結果について文句を言うのはなしにしてほしいなあ。

それでも、Kin’sもセーフウェイもさほど混んでいなかったので、何とか向こう1週間の冬ごもりの食糧を備蓄し終わったからバンザ~イ。ラッシュの車の流れを離れて駐車場に入って来る車がひっきりなし。そういえば、買い物袋を提げて駐車場を歩いていたら、追い越せるのにそうしないでのろのろとついて来る車があったな。「お、買い物が終わって帰るんだな」と、駐車スペースが空くのを見越して後をつけているんだろうな。まさにIt’s a zoo(すんげぇ混雑)。何で混雑が動物園につながるのかは知らないけど、この分では夜になってもIGAの駐車場は混むかもしれない。今日中に済ませておいてよかったな。

冬ごもりといえば今日が冬至。北米ではこの日が公式に冬の始まり。だけど、実際は明日から少しずつ日が長くなって、じわじわと春が忍び寄ってくる。クリスマスであれ、ハヌカであれ、夜が長い高緯度地方ではしだいに明るさを増し始める光に「再生」を託して祝うのが今の季節なんだと思うな。北緯49度にあるバンクーバーの日の出は午前8時5分、日の入りは午後4時17分で、「昼」は約8時間。もっと緯度の高いところではもっと短いし、正午前後に起きるワタシたちにとっては昼はたったの4時間。ほんと、何か派手に騒いでぱぁ~っと気晴らしができる行事でもないと、春が来ないうちに欝っぽくなってしまいそうだもんなあ。

というわけで、手始めにこれからルイジアナ風コーンブレッドを焼いて、気が向けばバゲットも焼いて、週明けまでひたすら飲み食い三昧で行くぞ~。

クリスマスカラーで気分を盛り上げる

12月22日。今日は買い物で午後いっぱい立ちっぱなしで膝が痛くなって来た。でも、これでクリスマスとボクシングディの4連休が終わるまでは、のんびりと冬ごもり・・・。

買い物が終わるとやっぱり気分がぐ~んと盛り上がってくる。これからイブとクリスマスのメニューを考えないとね。前景気をつけるつもりで、クリスマスカラーである赤と緑のディナーにした。

[写真] アヒまぐろのたたき風とぼたんえびの蒸し煮

まぐろは山椒を振っておき、夏にドックで漁船から買って冷凍してあった地物のぼたんえびは頭と殻を取って柚子とポン酢で下味。赤ピーマンはグリル、青梗菜は2つに割って蒸し、3分ほど経ったところで下味のついたえびを入れた小鉢をスチーマーの中央においてさらに5分ほど。まぐろはグリルで中まで焼かずになんちゃら「たたき」風。

どたん場のどんでん返しの予定変更ばかりだったカレシもさすがにカレンダーまで変えることはできないから、後は目が覚めたら起き、気の向くまま食べて、飲んで、眠くなったら寝るばかりの究極的ぐうたら生活。だってホリディなんだもん・・・。

穏やかに訪れる2人だけのクリスマス

12月23日。金曜日。ゆっくりと寝て、正午を過ぎてのんびりと起きた。ここのところ、寝る前と起き抜けの体重の差が少し大きくなっている。寝ている間の基礎代謝率が上がっているということで、オフィスの大掃除をしたり、午後いっぱいモールを歩き回ったりしていたから、それなりに運動効果が出て来たということかな。座っていてばかりで身体を動かさないと、体重差はてきめんに小さくなるから、人間の身体は正直だな。ま、年明けまでにカレシにトレッドミルの周りの「ゴミ」を片付けてもらって、食べて飲んで寝ての冬ごもりの脂肪を落とさないと・・・。

クリスマス前最後の平時の今日は、どこへ行っても最後の最後のどたん場ショッピングの人たちで混雑する日。必要のない外出はしないのが一番無難だから、きのうのうちにカレシのお尻を叩いて買い物を済ませておいたわけだけど、カレシはそんなことはどこ吹く風で、起きた早々に「くたびれたから、今日からもう何もしないぞ~」と。うん、それもいいね。ワタシもきのうのうちにコーンブレッドを焼いて、グラヴラックスを仕込んでおいたので、今日の仕事はバゲットを焼いて、あとはご馳走の食材の在庫チェックをするくらいのもんだから。

グラヴラックスは言うなれば「しめ鯖」の北欧版のような感じで、しめ鯖は酢を使うけど、こっちはサケを使って北欧のいも焼酎ともいうべきアクアヴィットで作る。サケはサケでも、太平洋のサケは紅ザケでも銀ザケでも身のとろみや甘みが足りなくてあまりおいしくできない。北欧のサケは大西洋のサケなんだから、元々魚としての種がちがう太平洋のサケではうまく行かなくて当然だろうな。そこで、最近出回っている養殖ものの大西洋サケの大きな切り身を2つ買って来て、塩と砂糖でちょっともんで刻んだディルをまぶし、アクアヴィットをかけ回して、間にディルの穂を挟んで、身と身を合わせて容器に入れ、平たい缶詰のような重石になるものを載せて蓋をカチッ。グラヴラックスはとろっとして食感で、スモークなしのスモークサーモンのような味わいがあって、我が家のご馳走行事の定番になりつつある。

今日のディナーはフリーザーの中で場所を取っているヒラメ(あるいはカレイ)。夏にドックで漁船から買ったものが2匹残っていた。大きさの割には、頭と尻尾を取り、ひれを取り、内臓を取ったら、ほんの少しの身と見かけの割には硬くてごっつい骨。開きにしたら食べるところがなくなりそうなので、そのままアーモンドバターとパン粉を混ぜたクラストを作って、トースターオーブンで焼いた。昔は魚は骨がどうのこうのとうるさかったカレシも、自分から言い出して魚を常食するようになってからは、少々の小骨もなんのその、けっこうなれた手つきで身をほぐしているから、経験というのは大したもんだと思う。食べ終わって残った背骨と肋骨。きれいに取れたので、昔子供の頃に父がよく作ってくれた「骨せんべい」にした。冬の間、宗八ガレイなどを食べた後の骨を石炭ストーブの上でカリカリに焼いてちょっと醤油をつけたものを「骨せんべい」と称してワタシたちに食べさせてくれた。気候が悪くてカルシウム不足になりやすい土地柄だったからだろうけど、これがまたパリパリと香ばしくておいしい。ストーブはないからトースターオーブンで焼くけど、いわばワタシの「お父さんの味」で、今ではカレシも大好物。

食後にバゲットを作るための生地をブレッドマシンに仕込んだら、カレシも黒オリーブのタペナード作りを始めた。ラジオのホッケーの中継を聞きながら、こうやってキッチンのあっち側とこっち側でクリスマスの準備をしていると、2人して穏やかなクリスマスホリディを過ごせるようになってもう10年も経つんだなあという感慨がわいて来る。まあ、半歩か一歩くらい後退したり、何かのきっかけでずるずると逆戻りするのではという不安を感じたりすることもないとは言えないけど、確実に十歩くらい前進したことは違いない。2人とも年令とともに賢くなって来たのか、それとも老化で人間が丸くなったのか、それはわからないけど、食べて、飲んで、笑って、ぬるま湯のような平和な時間にゆったりとひたろうね。

クリスマスイブの前祝いディナー

12月24日。土曜日。クリスマスイブ。起きてみたら、雨がざぶざぶの天気。まあ、予報どおりではあるけど、朝食後に二階の窓から外を見たら、南側の雨どいが風で飛んできた落ち葉が詰まったらしくて水が溢れている。溢れていると言ったら「どうすればいいんだよ、今さら」と言ったカレシ。あ、そう。それでも外へ点検に行って、「このままじゃ土台に良くない。今になってもう何なんだよ~」と。

とにかく2人して汚れジーンズに着替えて、雨の中をガレージから大きなはしごを持ち出して来て、カレシが登って雨どいの掃除。地下の排水管につながるパイプへの排出口の辺りで何やらごそごそやっていたら、急にどば~っと水が流れる音がして開通。どうやら元凶は落ち葉じゃなくて、先ごろの嵐で屋根に吹き付けられた落葉松の針が雨で洗い落とされて、土ぼこりやゴミと一緒になって排水口を塞いでいたらしい。耳を澄ますと、隣のパットの敷地では詰まった雨どいから滝のごとく水が溢れ落ちる音・・・。

のんびりする代わりに久しぶりに緊急ハプニングが起きたクリスマスイブ。びしょ濡れになって雨どいを掃除したというのに、1時間も経たないうちに雨が止み、やがて雲が切れて日が差してきた。ふ~ん、車を洗うと雨が降るという都市伝説の逆バージョンかなあ、これ・・・。

それでも後はのどかな午後が過ぎて、さて、プレクリスマスの前祝ディナーの時間。

今日のメニュー:
 シーバスの三色クネル風
 酔いどれのホタテとエビ
 銀ザケのほうれん草ソース
 (サラダ)
 デザート (パネットーネとフルーツ)

[写真] シーバスの尻尾の方がフリーザーにあったので、玉ねぎとさっと電子レンジでゆでた少量のジャガイモと液体卵白をフードプロセッサにかけて、2つのカップに大さじ2杯くらいずつを取り分けて、ひとつはトマトのパサタ、もうひとつは抹茶で色をつけてみた。これをステンレスのカップに入れて蒸し器で蒸したら、卵白が多すぎたのかふわ~っと膨れて来たもので、盛り付けたらひっくり返るかもと心配したけど、うまく小皿に外せた。飾りはコリアンダーの葉を1枚。赤い実のついたひいらぎならもっと気分が出たかも・・・。

[写真] 厚いのを開いておいたホタテをスコッチとマイヤーレモンに漬けておいて(だから酔いどれ)、バターでさっと小エビといっしょにさっと火を通した。ゴールデンビーツを下敷きにして盛り付けてから、少し煮詰めたスコッチバターソースをかけて、思いつきでブルーベリーを彩りにパラパラ・・・。

[写真] 今日のメインは銀ザケ。少しくたびれていたほうれん草を玉ねぎ、にんにく、キャラウェイでポタージュに仕立て、明日のために少し取り分けておいてから、さらに煮詰めて、白トリュフ風味のオリーブ油で香りつけてソースに仕上げた。銀ザケは塩と胡椒だけで焼いて、お皿に広げたソースの中に置き、まわりにサーモンキャビアを散らした(なぜか沈没してしまったけど)。時間がかかるので食べ始めからローストしていたミニピーマンと蒸したアスパラガスをあしらってできあがり。

[写真] カレシのデザート作りが間に合わなかった?ので、イタリアのパネットーネをスライスして、いちごとミニみかんを添えてみた。ゴルフボールくらいの大きさのこのミニみかん、箱入りのものよりもこっちの方が甘いからと言われて買った袋入りは、たしかに昔から覚えているみかんよりもずっとずっと甘い。小さいから皮をむくのがめんどうかと思ったけど、意外とすんなりとむけて、白い筋もするりと取れた。甘くなっているだけじゃなくて、扱い方も便利になっているのかな。

ディナーが終わる頃、テレビのニュースで、サンタクロースのそりはアイルランドを飛行中だと言っていた。後は大西洋を(アイスランドを忘れずに)越えるだけか。明日のバンクーバーはまた雨だって・・・。

クリスマスの朝はちょっとエキゾチックに

12月25日。クリスマスの朝。正午を過ぎて目を覚ましたら、外はかなりの荒れ模様。強風注意報が出ていて、気温は何と8度。

まず、ツリーのライトをつけて・・・[写真]

クリスマスの朝食はちょっと趣向を変えて、キリストが生まれた地域で常食されるというシャクシューカにペルシャ風のパン。

[写真] シャクシューカは北アフリカのチュニジアかアルジェリアのあたりが起源だそうで、(少しずつ変化しながら)エジプトからイスラエルまで、よく作られる料理だそうな。使ったレシピはイスラエル式らしい。材料は玉ねぎ、にんにく、ひよこ豆、トマト、ハラペーニョ、フェタチーズ、卵。スパイスはパプリカとクミン。彩りはパセリとコリアンダー。(パセリはカレシ菜園の片隅で未だにしぶとく青々としているイタリアンパセリ。)

オリーブ油で玉ねぎとにんにくを炒めて、ハラペーニョとひよこ豆とスパイスを入れて、缶詰のトマトを汁ごと入れてちょっと煮て、オーブンに入れられる鉄のフライパンがないので、ここではミートパイ用のココットに。崩したフェタチーズを散らして、その上に卵を割ってオーブン焼き。

またしても雨が止んで、でき上がった頃には雲が切れて、薄日が差して来た。カレシがゆうべのうちに絞っておいたオレンジとマイヤーレモンのジュースで乾杯。イランのバルバリというパンをトーストして添えて、刻みたてのパセリとコリアンダーを散らした熱々のシャクシューカをふうふう言いながら食べる、ちょっぴりエキゾチックなクリスマスの朝。食後はポットでボコボコと入れたイタリアのエスプレッソで・・・。

クリスマスの晩餐は三羽鳥のバロティーヌ

日が差してからは穏やかな午後が過ぎて、ほのかにばら色の夕焼け。急に気温が下がって来た。でも、今夜はまた雨、高台ではみぞれという予報だから、忙しい。4時頃にマリルーに電話してクリスマスのあいさつしてから、ご馳走の準備にかかった。今日のメニューは下準備に手間がかかるので要領よくやらないと・・・。

今日のメニュー:
 (食前酒: シャンペン)
 アミューズブーシュ(グラヴラックスのばら)
 ポタージュのトリオ
 骨抜きうずらのポルチーニ詰め
 (マイヤーレモンのソルべ)
 三羽鳥のバロティーヌ、シャンテレルと野菜添え
 イチゴのチョコレートフォンデュ
 (食後酒: ポートワイン)

下準備が整って、主食をオーブンに入れたところで、シャンペンを抜いて乾杯。カレシの手際はなかなかのもので、コルクの部分をタオルに包んで持ち、びんの方をゆっくりと回しながら抜く。こうするとコルクが飛ばないし、シャンペンも溢れない。(天井にかって勢いよく飛んだコルクが当たってできた凹みがある・・・。)ポンッと軽快な音がして、まずはバブリーでメリークリスマス。

[写真] アミューズブーシュは食べごろになった自家製のグラヴラックス。パセリの葉を使ってバラの花のデザインにしてみた。ケッパーをあしらってアクセント。

[写真] マイケル・ミナがやるような「三通り」をやってみたくて買った皿とボウルのセット。まずはポタージュのトリオ。緑色はほうれん草、クリーム色はじゃがいもとリーク、赤はトマト。ほうれん草のスープはきのう作ったもの。ジャガイモとリークはコニャックで味付け。トマトは玉ねぎとポルチーニにトマトのパサタ(ピューレ)。小さいボウルには大さじ4杯くらいしか入らないので、小さいスプーンでひと口ずつのスープ。カレシ曰く、「イタリアの国旗はこんな色じゃなかったかな」。あはは、そういわれてみればそうだねえ。

[写真] 食べてもいいのかなと思うくらい小さなうずら。それでも一人前に骨がある(あたりまえだけど)。骨抜きにするいい方法はないかとググっていたら、YouTubeに実演をしているクリップがあったので、3度くらいじっくり見て「わかった」。あるかないかの手羽だけを残してももを切り取り、背中から両側に骨に沿って肉を外すようにナイフを入れて、手で肋骨と胸骨を剥がす。最初のは手間取ったけど、次のはけっこう簡単。詰め物は鶏のもものひき肉ごく少量と刻んだポルチーニきのこを混ぜ、少しのパン粉でボールにまとめたもの。実演で見たとおりにうずらで包むようにして形を整えたら、ちょっとした七面鳥のミニチュアのようになった。これをローストして、赤ワインのリダクションを回りに流したら、詰め物に吸い取られてしまった・・・。

[写真] ここでひと休み。カレシが作ったマイヤーレモンのソルベをクラシックなシャンペンソーサーに盛って舌をリセット。温州みかんとの交雑種と言われるマイヤーレモンはレモンの香りがたっぷりだけど、顔がくしゃっとなるような酸っぱさはない。シャンペングラスは今はフルートと呼ばれる細長いグラスが主流で、昔のハリウッド映画に出てきたようなソーサーと呼ばれる平たいグラスはすっかり廃れてしまった。平たいグラスではバブルがすぐに消えてしまうから細長いグラスになったという話。シャンペン以外にも使いようはあるんだけどな。

[写真] 今年はカナダでも話題になったのがアメリカはアラバマ州の田舎町の肉屋が作っているターダッキンという名物。ターキーとダックとチキンをつなげた命名で、1950年代に客に頼まれて、七面鳥の中に鴨を詰め、その中にチキンを詰め、その中にナッツやレバーなどの詰め物をしてローストしたのが始まりだそうだけど、実際はイギリスなどで中世から何種類もの鳥を順に詰めた料理を作ったという記録がいくつもあるとか。何となくマトリョーシカの料理版というところか。家庭で3種類の鳥を骨抜きにして詰めるのは不可能なので、手っ取り早く、胸肉を屏風のように開いて、叩いて平たくしたものを間にハーブを散らしながら重ねて巻いて、タコ糸で縛ってバロティーヌ。2時間ほど焼いて、さて、どんな具合に仕上がったかは、切ってみてのお楽しみ・・・。

[写真] 三羽烏ならぬ「三羽鳥」のバロティーヌは、思ったよりきれいに層になっていた。外側から七面鳥、鴨、鶏。中心は鴨の胸肉の燻製と黒オリーブ。ベーキング用のパーチメントペーパーにしっかり包んで焼いたので、あまり乾かずにできあがったけど、やっぱりまだちょっとぱさつくかな。カレシは「クランベリーソースとかチェリーソースがあればいいかもしれないよ」とアイデア。そうだなあ、七面鳥には(ジャムのような)クランベリーソースが定番だけど・・・。

[写真] 3時間近くかかって主食までたどり着いて、残るはデザート。カカオ70%のダークチョコレートを溶かして、いちごでフォンデュー。フォークにいちごを差してとろけたチョコレートをたっぷりすくって・・・おお、なんとデカダント。

ポートワインを食後酒にして、2011年のクリスマスの晩餐はお開き。おなかいっぱい。でも、食べ過ぎて胃が重いという感じはない。まあ、家族が大勢集まって10キロくらいもある大きな七面鳥を囲むディナーだったらこうは行かないだろうなあ。2人だけだから少量ずつをゆっくりのペースで消化しながら食べられるわけでね・・・。

今日はキッチンのスパイス・キャビネットを整理

12月26日。月曜日。ボクシングディ。雨にしたいんだか、晴れたいんだか、さっぱり腰の据わらないお天気模様。雨でも晴れでもいいから、どっちかにしてくれないかなあ・・・。

正午に起きて、2人ともきのうの今日でヘタレ気味。どっちみち今日はどこへ行っても恒例のボクシングディセールの人ごみで大変だから、どこへも行かずにもっぱら冬ごもり(ま、そうでなくてもそうなるんだけど・・・)。先週はけっこういろいろと忙しかったから、今週は大晦日までは日がな一日のんびりと行こう。とは思ったものの、断捨離作戦を始めた勢いで、ずっと前からやろうと思っていたキッチンのスパイスキャビネットの整理整頓に取りかかってしまった。

キッチンを改装したのはカレシが早期退職になったばかりのときだったから、もう11年になる。ワタシたちの関係はまだぎくしゃくしていたけど、2人が四六時中ひとつ屋根の下に一緒にいることになる暮らしを想定して、天井から床、壁を全部剥がしての大改装だった。そのときに注文したのがスパイスやハーブを取りやすいところに収納すること。キャビネットを作る「あたしゃこの道50年なんだよ」というセルビア人のオヤジさんとプロジェクトマネジャーのジョーを交えて、いろんなアイデアが浮かんでは(だいたいが)オヤジさんのダメ出しで消えた。思い余っていたところでジョーの頭に閃いたのが階段とキッチンの間の壁にキャビネットを埋め込むアイデア。壁の間柱は2×4で奥行きは十分以上。職人気質で気難し屋のオヤジさんが「それだ!」と膝を打って、さらさらとデザインをスケッチ・・・。

両開きと片開きのセクションがあって、スパイスのびんは両開きの部分に並べ、幅が半分の片開きの部分には旅先で買って来たご当地のショットグラスやデミタスを入れていたのが、グラスやカップの方がだんだん増えて溢れてしまった。そこで前後に2列にできるスパイスを片開きの方へ移そうという話になっていたのを、年末大掃除はちょうどいい機会ということでやっと決行。ついでに古くなって香りが抜けたスパイスを処分。カレシが庭で育てたハーブが入っているらしいラベルのないびんも、これなあに?と聞いても本人でさえ「さあ・・・」ということで、中身の正体が不明のびんはすべて廃棄処分。おかげで、めったに使わないものは後ろの列、よく使うものは前の列に並べたら、棚のスペースが半分になったのに余裕で納まって、両開きのセクションに移った旅の記念品も余裕たっぷり↓

[写真] 片開きのセクションの下の方はカレシがジャムや調味料を入れるところで、両開きの方は元からあった階段下の物置。取ってつけたような無粋なドアがあったのが、キャビネットのデザインに取り入れてもらったおかげで物置には見えなくなったけど、開けてみれば昔のまんまのごちゃごちゃ状態で、かさばるペーパータオルやトイレットペーパーのパッケージを無造作に放り込んである。奥の方にはいったい何がいつから入っているやら見当も付かない。ということは、なくても困らないし、あることさえ忘れている不用品ということで、ま、いずれはここも大掃除しないとね。(左側の低いキャビネットはオフィスの小部屋から持って来たCD/DVDキャビネット。右側のカレンダーをかけてあるドアは新築のときに階段の上の方の下を利用して作った食品収納庫。向かい側の冷蔵庫の横には「盗んだ」スペースに作ってくれた同じ両開き+片開きのガラスドアのデザインのリカーキャビネットがある。)

またひとつ懸案が片付いて、気分はさっぱり。まったく仕事をしない「休み」って、家の中のいろいろなことが捗って、いいもんだなあ。もっとも、1月は仕事の予定がもうほぼ満杯になっているから、、そろそろ仕事モードに切り替える心構えをしないとね。整理整頓のすっきり気分を楽しむのも今のうち・・・。

これからお正月なのに休みはもうおしまい?

12月28日。水曜日。起床、午後12時35分。相変わらずの雨もよう。(このままで春になればいいな・・・。)お客があったきのうの今日ということで、今日は一応の休養日。カレシや、1日。のイベントのたびに1日。は休養しなければダメってのは、やっぱりあれのせいだと思うんだけどな。(あれって、ほら、ローカゲンショーとかいう、あれ・・・。)

でも、きのうは楽しかったな。ワタシたちからすれば「若い」2人と、むぎゅ~っと抱きしめたくなるようなかわいらしい幼児。早く言えば、「息子夫婦と孫」が訪ねて来たようなもので、好奇心が満開であっちこっちと動き回る子供を追いかけながら、ああ、おばあちゃんになるってこういうことかなあと感慨がわいて来たり、かいがいしくオムツを取り替えに立つパパを見て、ああ、カレシには到底できなかっただろうなあと思ったり、持参のおもちゃはそっちのけで単純な「引き戸」に興味津々の様子を見て、幼児の無限の想像力に感心したり、大の字になって眠ってしまった子供の無垢なあどけなさにちょっぴり胸がキュンとなったり。かなり遅くまで話が弾んで、ほんっとに楽しいひとときだった。来てくれてありがとう!

まあ、小さい子供がいることでよけいに疲れたのかもしれないけど、午後はゆっくりと過ごして、夕食後はホッケーの試合を聞きながらうたた寝のカレシ。今夜に行く予定になっていたHマートへは明日の夜でもいいからね(ただし、明日は行かないと大晦日とお正月のご馳走ができないよ)と譲歩。ワタシはそれで良かったんだけど、しばらくして「しゃきっと目が覚めたからこれから行こうよ」と言って来た。まあ、それもいいかということで、カレシの気が変わらないうちにしたくをして、いざ出発。雨はしょぼしょぼていど。

ハイウェイに向かってウィリンドン・アヴェニューを北へ向かって走っていたら、突然パトカーが何台もいて通せんぼ。整理の警察官の示す方向に行ったら、あまり知らない名前の道路に入って、いつのまにか迷子に。昼間なら影の位置を見て方角の見当をつけられるけど、勝手のわからない夜道ではお手上げ。ワタシが通り過ぎる道路の名前を読む役目で、カレシが方角の見当をつける役目。どうやらしばらく南の方へ走っていて、いつのまにか東に方向転換したらしく、そのうち行く手にノースショアの夜景が見えて来て、方向感覚が戻って来た。そのうちにハイウェイに入ることができて、やれやれ。車の中ではホッケーの中継を聞いていて知らなかったけど、通行止めになっていたのは交差点で歩行者がバスに轢かれて車体に足を挟まれる事故があったためとか。命には別状はないらしいけど、雨の夜は視界が悪いから気をつけないとね。時間の余裕があったので、閉店時間を気にしないで済んだけど、なぜかHマートへ行くときに限って何かが起きるような・・・。

今日は生のほっけ2匹とめんめ1匹をきれいに処理してもらい、切らしていた醤油や濃縮のめんつゆを買って、後は刺身用のサケやら冷凍のアサリやゲソ、ロブスターの尻尾やロコあわび、寿司用のエビやら何やらと、しめじやエリンギ、えのきのきのこ類、ニラやししとうや大豆もやしも買い込んで、八穀米とチヂミのミックス。緊急食用のおでんセットに、夜中のランチ用の冷凍たこ焼きやラーメン。カレシは大好物の白いキムチとごま油味の海草サラダ、黄色くない大根の漬物を丸ごと1本。まあ、これくらいあればのんびりと食べて年を越せるような・・・。

帰り道のカレシは疲れてきたのかちょっぴりご機嫌ナナメ。(明日でいいよって言ったはずだけどなあ。)クリスマスが終わったばかりで、家の外の飾りにカラフルなライトが煌々とついているところがかなりあって、ながめていると楽しい。中には道路を挟んでご近所さん同士で一種のライトアップ競争でもしているのか、派手に飾り立てた家がずらりと連なっているブロックもある。広い前庭いっぱいにサンタクロースやらトナカイやらツリーやらの大きな飾りに何百個というライトが点いてまばゆいくらいの家もある。でも、こうやって車で通り抜ける分にはすごく華やかで、見ごたえがあっていいな。

帰ってきて、真空包装の品物にまで不要についてくるトレイとラップを外して、フリーザーの中を整理して詰め込み、まだいろいろと混雑している冷蔵庫に野菜類を詰め込むのに1時間。過剰包装はアジア文化なのかもしれないと思いつつ、ベースメントへ降りて行ってメールをチェックしたら、あ~あ、また仕事の話。し~らない。日本では今日は29日。の仕事納めじゃなかったのかなあ。こんな日に正月明け早々の朝一番の納期を指定して仕事を発注する企業もあるとは驚き。置きみやげというのか、いたちの何とかというのか。カレンダーがまだ変わっていないというのにもう1月の予定が立て込んでしまっているのは、来年は商売繁盛でてんてこまいになるという予兆なのかなあ。何だか明日あたりから本気になってぼちぼちと仕事を始めた方がいいような気配になって来た・・・。

緊急事態で救急センターに駆け込み

12月29日。木曜日。いつの間にか起き出していたカレシがいきなり明かりをつけて「救急センターへ行く」。びっくりしてどうしたのか聞いたら、前からときどき再発するようになった泌尿器系の問題が「急に悪くなった。出血して痛くてがまんができない」と、ハアハア言っている。飛び起きて、一緒に行こうかと聞いたら、「とにかく一刻も早く診てもらいたいから、どっちでもいい」との返事。付き添うなら身支度をしなければならず、パニックに近いような青ざめた顔をしているカレシを待たせることになるので、行かない方が良いと判断して、携帯を持たせて送り出した。

午前11時20分。総合病院の救急センターまでは車で15分ほど。出血と痛みがあると言っても、心臓発作のような一刻を争う問題ではないから、救急車を呼ぶほどではないんだけど、カレシは痛みの敷居が低い方だし、大きな病気や手術の経験がないので平常と違うことが起きると不安症が一気に噴き出してパニック状態になってしまう。コレステロール値が高いからと処方された薬で副作用が起きたときはワタシが病院まで運転して行ったけど、ホットラインの看護師が「すぐに救急へ!」と指示したことでパニックになって、歯がガチガチと言うほど震えていた。けさも痛そうにしていたので、あせって事故を起こさなければいいけどと思って心臓がどきどきするし、何とも落ち着かない気分で立ったり、座ったり、うろうろしたり・・・。

電話が鳴ったのは午後12時半過ぎ。テーブルに突っ伏して眠ってしまったみたいだった。番号表示を見るとカレシの携帯。意外と元気な声で「今ドクターが来るのを待ってるんだけど、退屈しちゃってさあ」。ええ?どうやら救急センターの第一線であるトリアージュのカウンターはすんなりと突破して、問題の性質上なのかカーテンで仕切っただけのベッドでなくて、ちゃんとドアのある個室のようなところに入れられたらしい。昔は重病も軽症もみんな大きな待合室のようなところで待たされたものだけど、最近は救急センターの玄関を入るとトリアージュを兼ねた受付があって、自力で行くとそこで緊急性を判定して中に入れてくれ、診察ベッドに案内されるようになっている。前回は早朝だったせいか混んでいなかったけど、今回は時節柄もあって「すんごく混んでいる」。そうだろうなあ。かかりつけの医者が休暇に行って留守というケースも多いだろうから、たとえば高熱が出たら救急センターに行くしかないだろうな。

他の患者を診ている救急医の手が空くまで待つしかないカレシは「退屈で、退屈で・・・」。前回は心電図やら点滴チューブにつながれて退屈している余裕はなかったけど、今回は「こうやって待つんだったら、iPodを持って来ればよかったなあ」と。おいおい、iPodなんか準備して行ったら緊急性ゼロと思われて、受付の外で何時間も待たされちゃうよ。ま、退屈して女房に電話してくるくらいなら、生死にかかわることじゃないのは100%確実。看護師が入ってきた、ドクターが来たと言っては電話を切り、10分か15分くらい経つとまた電話で進捗状況の報告・・・。

午後1時半を過ぎて、泌尿器科の専門医が来るのを待っていると言う電話。何らかの処置をしてもらえるらしい。午後2時20分、その「処置」が終わって、「いやあ、痛かったの何のって」と報告。点滴のチューブを外して、処方箋をもらったら帰って来るとか。ワタシの方はひと安心して、少し仕事を進めておこうと思ったけど、こういう状況では全然集中できず、1行も進まないので諦めた。午後3時過ぎ、抗生物質の処方箋と去年診てもらった泌尿器科専門のフェンスター先生の予約を持って帰ってきた。出かけてから4時間近く。朝から何も食べていなかったカレシに、ポルチーニきのことパンチェッタ入りのオムレツバーガーを作ってあげた。腹ペコだったカレシはそれをほおばりながら、微にいり細に入って説明。ま、夫婦だから話せる内容なんだけど・・・。

聞いてみると、あと3時間くらい放置したら組織が壊死し始める可能性があったそうで、とにかく緊急の状態だったことは確からしい。だから混雑にもかかわらずかなり優先的に手当てを受けられたんだろう。年が明けてフェンスター先生のところへ行ったら、前回(ちょっとびびって)保留した外科的処置を今度はカレシの方からリクエストするんだそうな。まあ、男子のプライドに差し障るのか頑として拒絶する人が多いらしいけど、「なくなっちゃうわけじゃないんだし、このくらいの年になったらプライドなんかよりも医者要らずの方が断然いいに決まっているでしょ」とカレシ。ごもっとも・・・。

ああ、今日はワタシもぐったりと疲れた。でもまあ、病院のベッドで年越しなんてことにならなくて良かったよね。

何だか仕事に疲れてきたような・・・

12月30日。金曜日。どろ~んと眠って目が覚めたのは午後1時半過ぎ。やっぱりきのうは疲れたな。起きていつものように秤に乗ったら、体重がきのうの朝と比べて1キロ減っていた。別に食べなかったわけでも飲まなかったわけでもないし、10キロ全力疾走したわけでもないのに1日。で1キロ減ることはめったにない。じわじわと太るのとはまったく性質の違うストレスだったということかな・・・。

とりあえず、カレシが処方された薬をもらいに行くことにして、運動代わりに歩くのもめんどうだなあと意見が一致したので車で行く。明日は大晦日だし、今週は休みを取っている人も多いだろうし、モールの駐車場は混むと見越して初めから路上駐車。駐車場が満杯でもだいたいはいつも空きスペースが見つかるから不思議。2時間までの時間制限付きだけど無料だし、幹線ではない道路を渡るだけの近さなのに、モールの駐車場ではスペースを探す車がぐるぐる・・・。

スーパーの薬局で薬の用意をしている間に、酒屋へ行って底をつきかけているレミを買う。見たら箱の外に「XOのミニボトルのおまけつき」とステッカーが貼ってある。機内に持ち込めるサイズだから来年日本へ行くときに便利ということで、レミの箱を2つ。前回の「おまけ付き」のときは棚に並んでいた箱のどれにも実際にはおまけが入っていなかったというハプニングがあったので、今度はまず開けてみてミニボトルがちゃんと入っていることを確認してからバスケットに。レジでその話をしたら、若いキャッシャーが素っ頓狂に「ありえな~い」。ありえないよねえ。でも、ほんとうに輸送途中でおまけが蒸発してしまっていたんだよねえ。「うわっ、ありえな~い」とアルバイトらしいお嬢さん。若い人のボキャ貧は世界的な現象なのか・・・。

スーパーに戻ったら薬の用意ができていて、小さな容器の塗り薬が40ドルなり。カレシの場合は年間の処方薬の額が一定以上になると州政府の医薬品の保険が利くし、年金についてくる拡大医療保険も控除額を超えると2人の薬代を払ってくれるんだけど、高脂血症の治療薬とかバイアグラでも常用していなければ、そんな金額にはならない。まあ、そういう高価な成人病の薬を常用せずに済んでいるのは比較的健康な証拠だろうから、保険が払ってくれなくても別に損だとは思わないけどな。年を重ねるに従って、そろって医者いらず、薬いらずの健康でいられることが何よりの生命保険のように見えてくるから。

夕食を済ませて、納期が年明け一番の仕事にかかった。きのうとうとう先に進まないままだったので、ちょっとがんばらないと年越しのシャンペンどころではなくなりそうな気もするけど、これがまた美辞麗句の羅列のような自画自賛PRで、おまけに場違いなバカていねい表現がぞろぞろと来ているから、最初のパラグラフをやっただけでもう気が滅入ってきてしまった。考えてみると、窮屈で居心地が悪かったと言っても生まれ育った文化なんだし、そこでほんの数年だけど社会人をやったし、実質的に部外者になってからも社会の動きとは無縁にならなかったし、そんな中で見たくもない醜い部分をいやというほど見せつけられたし、いくら「我々はこんなに先進的なんだぞ」と世界に威張ろうとしても、ワタシには「タテマエ」という言葉しか思い浮かばない。孔子先生が言ったでしょうが、「巧言令色少なし仁」と・・・。

アホくさくなって来るけど、仕事は仕事。ちゃんとやらないとご飯が食べられなくなる。でも、こういう内容のものはまじめにやろうとするほど気が滅入って来て、胸の内やおなかの底にいろいろな負の感情が発散できないままに滓のように沈殿するばかりで、なんでその出所の表向きを飾るようなことに労力を使っているんだろうという疑問が膨らんで来るからつらいところ。仕事と割り切ってまじめにやろうとするから、いつまでも自分の気持を整理できないでいるのかもしれないと思えて来る。あるいは、異質の2つのものをうまくとりなそうとすることに疲れて来てしまったのかもしれない。もしもそういうことだったら、やっぱりフルタイムのフル稼働は来年2012年を以って終わりにするのが最善の策なのかな。ま、考えるだけで鬱っぽくなりそうだから、今夜のところは別の仕事に取りかかることにしよう。何といっても科学方面はやりがいがあるし、人の役に立つものだし、何よりも美辞麗句の解釈に悶々としなくてもいいし・・・。

おおみそか、今年もいよいよ食べ納め

12月31日。土曜日。おおみそか。カレンダーの曜日の列のどん尻で、1年のどん尻の日。正午ぎりぎりに起床。(ぐずぐずしていたら今年が終わっちゃうってば・・・。)フリーザーをのぞいて大晦日のディナーの算段をしながら、太平洋の向こう側はもう「新年」で、日本ではお雑煮のお餅が膨らんでいる頃だなあと思い、いつもながら奇妙な感覚に陥る。だって、世界中が「来年」になのに、こっちはまだ「今年」の最後のディナーの準備をしているんだから。いっそのこと、サモアのように日付変更線をロッキー山脈のあたりまでねじ曲げたら、世界でいの一番に新年を祝えるのに。

まあ、西洋的には(老人の姿で)去って行く「旧年」をどんちゃん騒ぎで見送り、午前零時きっかりに誕生する(オムツに包まった赤ちゃんの)「新年」をにぎやかに歓迎するのが基本。新しいカレンダーにかけ替える以外は特に改まった感じはないな「時間のベクトル」の感覚に農耕民族と狩猟民族の違いのようなものがあるのかもしれないな。新年の決意は話題になるけど、一年の計は元旦にあり!と拳を握り締めるような気迫はない。きのうは酒屋のレジで「新年の決意はしたんですか?」と聞かれた客が「去年のをね。手付かずだから新品同様さ」と笑い飛ばしていた。ま、とりあえずシャンペンを冷蔵庫に入れて、夕方までは少し腰をすえて仕事・・・。

大晦日のプチ晩餐メニュー:
 昆布巻きのてんぷらと小エビとコーンのフリッター
 寿司ロール2種
 すき焼き風ビーフスープ
 刺身盛り合わせ、野菜と海草サラダ添え

[写真] 真空包装の昆布巻きがあったので、そのままでは退屈だなあと思案して思いついたのが「てんぷら」。そういえば、とフリーザーからほんの少しの小エビを持ち出して来て、生とうもろこしの半分から実を外してフリッターにして合わせた。

[写真] 寿司用の開いたエビがあるけど、ご飯に載せるだけではただの寿司・・・ということで、ねぎを入れて巻き寿司。ついでに、ししとうをトースターオーブンで焼いて醤油をまぶし、冷ましておいてビンナガといっしょにこれも巻き寿司。ししとうの味とちょっと脂っぽいビンナガの味がけっこう相性がいいみたいで、ときにはピリッとしてなかなかおもしろい思いつき寿司になった。

[写真] フォーなどに使うために小分けにしてある牛肉の薄切りを使って、白菜、豆腐ですき焼き風のスープ。味がしみるようにゆっくりとろ火で温めた。スープはすき焼き鍋の割り下ほど濃くしないで作ったら、意外とあっさりした味わいになって、カレシはおいしいといってきれいに飲んでしまった。

[写真] ひと休みしてプロホッケーの試合を観戦(旗色は良くないけど)。カレシが大根おろしを食べたいと言っていたので、ちょっとポン酢を加えて刺身と合わせることにした。刺身を食べられるようになったと言ってもまだあまりバラエティがないのが悩みだけど、今日はビンナガ、サーモン、ハマチ、イクラ。つまはきゅうりをカップにしたイクラと、他のコースを食べている間に玄米酢で即席に漬けておいた花ラディッシュ。付け合せは大豆もやしとしいたけのごま油炒めと海草サラダの白ごま和え。赤米が混じっているので炊くと薄い赤紫色に染まる雑穀ご飯を添えて。

調理の時間のタイミングがけっこううまく行って、中休みは20分ほど。終わった頃には「極上吟醸酒」の小瓶も空になったけど、食べたなあという満足感はあっても、食べ過ぎておかながきついという実感までは行かずに無事終了。調理の段取りというのも、仕事の段取りと似たようなもので、つまるところは経験と慣れというところなのかな。必要以上に材料に手をかけないことが鍵かもしれない。

さて、2011年もあと2時間とちょっと。きのうは総数160万以上もあるブログの7300何十位だかにランクされていて、ワタシ、いったい何を書いたの?とびっくりしたけど、頭の中の雑音をとりとめもなくだらだらと書き散らしてばかりのワタシのブログに来てくださったみな様、どうもありがとうございました!

それでは、2012年の訪れを待ちつつ、またちょっと仕事をば・・・。


2011年12月~その2

2011年12月21日 | 昔語り(2006~2013)
年末の大掃除、夫もリサイクルに出せる?

12月11日。日曜日。11時過ぎにちょっと目が覚めたけど、また眠ってしまって結局寝すぎてしまった。きのうは2度に分けて外出したから疲れたのかな。外出そのものよりは、カレシのドタチェン癖に付き合う方が疲れるんだけどな。そのカレシ、今日は出かけるのは休みにして、家の中いたるところにたまっているリサイクル向けのガラクタを整理するんだそうで、ま、狭まりつつある生活空間が広くなるんだったらそれもいいけど、外に出かけていても予定を端折りたがることが多いカレシのこと、家の中ではどうなるのかなあ・・・。

それでは、とワタシはたまった洗濯。白いものと色物と、洪水騒ぎでカーペットの水の吸い取りに使ったありったけのタオルの類で、合計3ラウンド分の大洗濯。合間にクリスマスカードやカレンダーを送る準備をしていたら、外したままになっていた棚を持って来て、「元のところにつけようと思うんだけど・・・」と。大きな段ボール箱にごちゃごちゃと入れてあるものを棚に移して、空き箱になったら別の箱に入れてあるガラクタを移して、そうしたらワタシがリサイクルに出す紙類の容器にしていた箱を空にして返せる、というもくろみらしいけど、言葉にしない「・・・」の部分がくせ者だから、ワタシはいいと思うよと賛成して、後は自分の作業。壁の元の場所にはねじ穴が残っているし、棚板には支えの金具がついたままだから、取り付けるのは造作もないことだし・・・。

造作もないことのはずなんだけど、しばらくうろうろしていたかと思ったら、まず「ねじのサイズはこれでいいか」、次に「ドリルを使ったほうがいいか」と、ひとつずつ聞きに来る。しょっぱい口笛を吹きながら棚を壁にあてがってみたり、穴にねじをあわせてみたり。しまいに、「プラグのある穴とない穴があるのはどうして」。(ない穴は石膏ボードの後ろに間柱があって、ある穴はそれがないからプラグで補強するの。)ああ、やれやれ。しょうがないから、ねじとねじ回しを持って来て、支えを1本外して壁に取り付け、そこに棚板を載せて残る2本の支えをねじで固定したら、ほら10分もかからないでしょうが。あ~あ。ワタシにやらせたいんだったら、威圧的な手段なんか使わなくたって、ひと言「やって」といえばいいものを何ですなおに頼めないんだろうなあ。37年も連れ添った女房を相手にして男の沽券もへったくれもあったもんじゃないと思うけど・・・。

棚ができて、目論見どおり?にいろんなものが並んだけど、空っぽになるはずの大きな箱はまだ空になっていない。空っぽになっていないから、ガラクタを移せない。ガラクタを移せないから、ワタシのリサイクル箱もまだ戻ってこない。このあたりは案の定というところだけど、もしもワタシが明日ぽっくり逝ったらどうなるかと、ちょっぴりイジワルな想像をしてみる。すぐに後釜を探すことになるんだろうけど、今どきの日本の奥さんは思い込みというか、こだわりの強い人が多いみたいだから、お嫁に来てくれても、やりっぱなしで片づけができないと文句を言いそうだし、家事を分担しなければ文句を言いそうだし、やっても奥さん規格に合格しないとまた文句を言いそうだし、並以上の収入がないと(自分の)将来が不安だと文句を言いそうだし、けっこう厳しい毎日じゃないかと思うけどなあ。そんなことよりも、70に手の届くご隠居さんじゃあ、結婚がしたくて焦っているアラフォーさんにも敬遠されてしまうかもしれないなあ。ひとりで大丈夫?ワタシ、知らないから・・・。

まあ、そういうイジワルは空想だけにしておくことにして、ワタシも来週になったら早々と仕事納めしてしまうから、2人でちゃっちゃと年末大掃除をやってしまって、すっきりした気分でホリデイを楽しもうじゃないの。(でないと、アナタもリサイクルに出してしまうかもよ~。)

レーザープリンタのトナーは品不足

12月12日。月曜日。午前9時に目覚ましをセットしておいたけど、10分前に目が覚めたので、オフにしてからリビングの窓際のベンチに寝床を移した。金曜日に注文した新しいシュレッダなどが午前9時から午後5時の間に配達されることになっていて、この事務用品店は物流倉庫がすぐ川向こうにあるもので、いつも9時台のけっこう早い時間に来てしまう。そこで、9時に起きてゲートに近い窓際のベンチに横になってうとうとしながら待つわけだけど、カレシが起きて来たときにはもう午前11時過ぎ。ついぐっすりと寝込んでしまってゲートのチャイムで目を覚まさなかったのか、それとも週明けなので配達量が多くていつもより遅れているのか・・・。

郵便をチェックしに出て行ったカレシが「来たらしいぞ」と言って見せてくれたのは「不在通知」。やっぱり眠り込んでしまったのか、と悔しがったのはいいけど、よくよく見たら配達時間のところに「午前8時20分」と書いてある。おいっ!配達は「9時」から5時の間で指定は不可というから、こっちは早起きしてうたた寝しながら待っているのに、9時より40分も前に来るとはけしからん。「翌日に再トライ」のところをチェックしてあるけど、2日。連続で9時起きはしんどいし、ましてやそれより早く起きなんて半徹夜のようなもので冗談じゃない。(カレシのシュレッダが壊れて、ワタシのデスクの下にあったシュレッダがいつの間にかカレシの側に移動してしまって戻って来ないから、新しいのを注文したのに、もう・・・。)

結局は、カードの一番下に受け取りのサインなし(つまり盗まれても責任は持たない)で置いて行ってくれると書いてあったので、ゲートのドアのロックを外しておいて、ポーチに置いて行ってもらうことにした。ま、またまた早朝に来たとしても、ワタシたちが起きるまでせいぜい2、3時間のことだし、我が家の玄関ポーチに何があるかは外からほとんど見えないし、木の枝をかき分けて覗いて出来心に襲われたとしても、庭の中に入って来てきてくすねて行くにはちょっとばかり嵩があるものだし、大丈夫だろうと思うけど。カードに書いた指示の通りにドアをロックして行ってくれればもっといいけど、そこまで気の利く人が配達しに来る確率はかな~り低いだろうな。それにしても、早すぎる配達には会社に文句を言っておかないとなあ。時刻を指定できないというなら、せめて指定の時間内に来てくれればいいのにと思うけど、配達はたぶん下請けがやっているだろうから、会社の方は「カンケーない」かな。

とりあえず一件落着ということにして、メールをチェックしたら、別の事務用品店から発送のお知らせ。プリンタのカラーのトナーが半分以下になって、シュレッダと一緒に注文しようとしたら「在庫切れ」。ここは前にも黒のトナーが「在庫切れ」で、慌てて探し回って別の会社で見つけて買った。プリンタを売っておきながら、トナーが在庫切ればかりでどうするんだ~と突っ込みを入れながら、前回在庫があった会社に、今度はアカウントを登録して、青、赤、黄をそれぞれ2本ずつと、ついでに黒を1本注文。それが、カラーは全部入荷待ちのバックオーダー(3週間くらい)になっていて、黒だけを発送したというメッセージ。配達はクーリアになっているから、もしも不在のときに来たら(このクーリアは再トライしないので)こっちから取りに行けばいい。オフィスの場所はわかっているから早起きするめんどうがない・・・と思っていたら、いつの間にか配達に来て、黙ってゲートハウスの中に置いて行ってくれていた。サインオフ不要かあ。ふむ、将来の事務用品の注文もこっちの方に鞍替えしてしまおうかなあ。

それにしても、HPプリンタのトナーがどこへ行っても「在庫切れ」なのはどういうことなんだろう。2つの会社はどちらも各地に事務用品の量販店を展開している大手中の大手だから、HPにも流通業者にも最優先で卸したい客筋だと思うんだけど、どっちも在庫切れになってばかりというのは不思議な話だなあ。プリンタは比較的新しい機種だから、普通に生産しているはずなんだけど、いったいどうなってんだろう。あんまり不思議で好奇心がムラムラして来たから、「どうしてだ~?」とググって回ったら、トナーの品不足の元凶は「東北大震災」という思いがけない答が出て来た。へえと思って箱を見たら、たしかに「Made in Japan」と印刷してある。そうか、HPのプリンタのエンジンはキャノン製だという話を聞いたことがあるから、のHP「純正」トナーは東北にあるキャノンの工場が作っていたのが、大地震の影響で停電やら材料供給の中断やら夏場の節電やらがあった結果生産量が激減して世界的にトナーの品不足が起きているということなのか。カラーは2本ずつ注文しておいたから、その「在庫」が切れる頃までには東北地方の産業の復興も進んで、トナーの生産も正常に戻っているといいけどなあ。

遊びたいのに年越しの仕事だって

12月13日。火曜日。目覚ましが鳴る前の午前11時ちょっと過ぎに目が覚めた。ゆうべは配達品の置き場所を指示した不在通知をゲートのドアノブにかけて、ロックを外したままにしておいたので、先に起きたカレシが真っ先に玄関のドアを開けたら、来ていた。ポーチの玄関脇に大きな箱が2つ。指示通りにきちんとゲートをロックして行ってくれたそうな。

その昔、読売新聞衛星版というのを仕事の情報源として購読していた。まだインターネットが普及していなかった頃で、ロサンゼルスで印刷してバンクーバーへ空輸されていたから、空港に近い我が家に配達されるのは夜中前後。それはいいんだけど、ゲートハウスの鉄の門扉を開けっ放しにして行かれるもので、「門を閉めてください」と張り紙をした。ところが効果がまったくない。ひょっとしたらとしたらと思って日本語で書いてみたけど、これも効果なし。もう一度ひょっとしたらと思って、ピアノの先生に中国語で書いてもらったら、その夜から門扉の開けっ放しはなくなった。ちょっと「目からうろこ」的な経験だったな。ボランティア先生10年のカレシの経験からすると、耳から入る英語を理解できても新聞やパンフはあまり理解できない、相手が理解できるレベルで話せてもまともな英語は書けないという人はかなりいるらしい。まあ、職業によってはそれでも何とやって行けるんだけど。

ひとつ懸案が片付いたところで、カレシを英語教室午後の部に送り出して、お歳暮宅配の注文をメールで送って、モールの郵便局までひとっ走り。クリスマスメールの季節で行列しているかと思ったら、それほどでもなくて、カレンダーの発送は20分で完了。海外向けのカードもポストに入れて、もうひとつの懸案も完了。時間が余ったので、ベイの地下の売り場に降りて行って、食器類のウィンドウショッピング。竹を使った大きなお盆があって、とんぼ航空の機内食にちょうどいいかと思ったけど、スーパーに寄るのでお荷物になるから出直し。食器売り場を歩いていて、アミューズブーシュ用の陶器のスプーンの6本セットと、Villeroy&Bochのちょっと変わった形の小皿を2種類4枚ずつ。レジで支払をしていたら携帯が鳴って、カレシが「そっちで落ち合う約束を忘れて家に帰って来てしまった。これから出直すけど、どこに行けばいい?」と。あ~あ・・・。

カレシは夜の部があるから、帰ってきて即夕食のしたく。解凍しておいたイカとエビに冷蔵庫にあった玉ねぎ、にんにく、スナップえんどう、ブロッコリ、もやしを、タイのスパイスペーストでジャジャッと炒めて、炊き立てのジャスミン米のご飯の上にかけて、何だかわからない即席ごはん。カレシを送り出して、今朝届いたシュレッダを箱から出して、3ページくらいしなかい説明書をざっと読んで、さっそくたまっていた紙類の処理。上に100枚まで載せてスイッチを入れると自動的に細かくクロスカットするというもので、カレシに取られた?シュレッダの倍の値段で4、50倍の効率。あっという間に200枚以上あった書類の山が大きなゴミ袋2つに化けたからすごい。

仕事上書類を印刷することが多いので、裏表使っても、ちょっとぐうたらをするとあっという間に「ゴミ」がたまってしまう。クライアントの社内情報が多いし、人事関係なら懲戒解雇の通知とかセクハラの苦情といった個人の赤裸々?な内情が一目瞭然だから、日本語原稿ではあってもそのままリサイクルに出すのがはばられるような気がして、つい「シュレッダ行き」の箱に入れてしまう。そのときごとにデスクの下においてあるシュレッダにかけてしまえばいいんだけど、ついついシュレッダの上にも置きっぱなしになってたまってしまう。でもこれからは100枚までため込んでまとめてジャジャッと処理できるわけで、う~ん、あんがいぐうたらを助長するだけかなあ・・・。

カレシが帰ってきて、英語教室の午後の部は生徒の数がカレシが決めた「最低6人」の定員を割ったので無期限休講にしたから、あと1回夜の部があるけど3週間の休みに入ると宣言。冬休み、いいなあ。来週から休みに入ろうともくろんでいたワタシだけど、1月上旬いっぱいが期限のでっかい仕事が入って来てしまった。年が明けてから始めることにすると作業期間が短くなりすぎて、期限ぎりぎりで慌てることになりかねないから、遊び呆けることに専念するというわけには行きそうにないなあ。ちっともフリー(ひま)じゃないのがフリーランス稼業ではあるけど、よりによって年越し仕事はないだろうに。これから遊ぶ気満々でいたというのに。でも、科学ものはけっこう楽しみながらやれるし、夕食後にほんのちょこちょこっとやる程度で大丈夫そうだ(と思う)し、こういうのももう今年と来年だけのことになるかもしれないし・・・ま、いっか。

65歳を高齢とは失礼な!

12月14日。水曜日。何だかどこかでヘンな声を聞いたような気がして目が覚めた。寝ぼけ半分で顔を洗っているところへカレシが階段を上がって来たから、ひょっとして起こしに来た?と聞いてみたら、「お~いと言ってみただけで、あまり大きな声じゃなかったよ」という返事。つまりは、起こしに来たってことじゃないの?

オリンパスがやっとこさ5年も遡って決算のやり直しをして、期限通りに提出して上場廃止を免れたのに、純資産が千億円も減ってしまったもので、株価が20%も下がってしまったとか。上場を維持できると見込んで買っていた投機筋はさぞかしがっかりしたことだろう。要するに、世界に名だたる日本の「優良」企業オリンパスは、株主や投資家に1千億円もの「見せ金」をちらつかせて来たということになるけど、経団連はまだ「あれは一企業の問題で、日本の企業統治には何も問題はないっ」と強気で、外部取締役の任命を義務化する会社法改正案は潰すつもりでいるらしい。企業経営の自由が制限されるし、外部取締役がいても企業統治が良くなる保証はないという理由で、オリンパスには3人もいたのに粉飾を見抜けなかったではないかと意気盛ん。まあ、オリンパスとしては「3人もいれば体裁がつくだろう」と当たり障りのない連中を集めたんだろうし、法律で義務化されても「建前」としての外部取締役であることには変わりはないだろうから、別に差し障りがあるとは思えないけどな。

月曜日のロイターズには「日本にはオリンパス事件後の大改革への意欲はない」とかなり手厳しい分析記事があった。要するに、これだけ日本の企業統治の現状について注目が集まっているのに、企業経営者も政治家も本気で改革を断行する意欲はなさそうだという結論だったけど、「やれない、やらない、やりたくない」のないない主義が蔓延っているような現状では、そんなものかもしれないな。ない袖は振れないんだからしょうがない。イギリスでは、かって世界で強大な勢力を誇った大英帝国が落ちぶれて久しい頃に「イギリス病」というものが蔓延していたらしい。かってバブルという名の強大な経済力を謳歌した日本も停滞して久しいから、そのうち世界のあちこちで日本では「日本病」が蔓延しているなんて言われなければいいけどな。

企業経営の自由を守るべく会社法改正を潰すと鼻息の荒い経団連は、希望者の65歳までの雇用継続を義務付ける厚労省の法案も潰してやると威勢がいい。経団連会長の曰く、「人間は高齢になればなるほど健康(と能力)に個人差がでて来る」から一律な義務化は困ると。あれ、朝に見た記事ではカッコに入れた能力という言葉があったけど、いつの間にかなくなっている。誰かが新聞社に文句を言ったのかな、「高齢になっても能力のある人はいるんだから、ひとくくりにするのはいかがなものか」と。なるほど、日本では60歳になったらもう「高齢者」なんだ。てことは、来年の春に64歳になるワタシはかなり高齢化が進んでいるってことか。うへっ。高齢者というのは「elderly」と言われる80代くらいから先かと思っていたけどなあ。

高齢、高齢と軽く言っちゃってるけど、ここでは「65歳」までの話。カナダもアメリカもずっと昔から「定年」は65歳だったし、カナダでは何年か前にその「65歳定年」を労働法から消してしまったから、年金を受け取りながらでも働き続けられるんだけど、日本の人は60歳を過ぎたらもう体力も能力も衰えて、労働市場では役に立たなくなるくらいひ弱な人が多いってことなの?まあ、消耗品扱いのような労働環境のせいで60歳に達する頃には体力も能力も枯渇してしまうということじゃないのかな?だったら、それを改善するのが政治家や企業経営者の仕事だろうに。もしも本当に60歳が働く限界なんだったら、何で年金年令を65歳まで引き上げるの?60歳でお役ご免になって年金がもらえるまでの5年間をどうやって生活しろというんだろうな。何となく昔話の「姥捨て山」みたいだけど・・・。

会社法改正に大反対で、「高齢者」の雇用継続義務化にも大反対と鼻息の荒い経団連会長は今年74歳だそうな。体力・能力に個人差が出る60歳を14年もオーバーしているけど、まだ大企業の会長をやっているらしい。こういうエライ人たちは60歳を過ぎても体力も能力も劣化しないからエライんであって、だから60歳定年は不要で「雇用継続可」ということなのかな。というよりは、大企業の会長なんてそれくらいの超高齢者でも勤まる仕事だということなのかな。まあ、年を取っても元気であることに越したことはないけど、74歳になってもまだ経営者に居座っている人が、自分の年を棚に上げて10年以上も年下の労働者は高齢になって体力や能力がなんたらかんたらだから、65歳までの雇用継続の義務化には反対って、いやあ、エライ人ってそれくらい劣化のしかたが一般の人間とは違っているということなのかな。う~ん、どこかで「老害」という言葉を聞いたことがあるような記憶があるんだけど・・・。

2011年の断捨離大作戦

12月15日。木曜日。午後1時前に起床。そんなに夜更かししたわけではないのに、どうしてこんなに寝坊したんだろうな。外は何だか湿っぽそう。きのう、おとといあたりは高台で雪が降るかもという予報だったけど、気温が予想外に上がったらしく、結局は雨。こういう外れはいいことだと思うけど。

朝食のしたくができて座ろうとしたところで、ゲートのチャイム。ケーブルテレビの会社がデジタルコンバータのセットアップに来てくれた。でも、予約は午後2時から4時の間ってことだったんだけどな。まあ、いいけど。我が家のコンバータはカレシがどうしてもDVDレコーダと一緒にセットアップすることができなくて、この2年間毎月レンタル料を払いながら放置されていた。それを返してしまおうということで、ケーブル会社に電話したら、近々数字の大きいチャンネルはコンバータがないと見られなくなるということで、テクニシャンを寄こしてくれることになった。その予約が今日で、やって来たおにいちゃん、コンバータをDVDレコーダにつないで、いろいろと説明しながらリモートをいじっていたと思ったら、5分でセットアップ完了。どうもカレシがDVDレコーダのチャンネルを設定する必要があったのを知らずにいたために機能しなかったということらしい。ただし録画しながら別のチャンネルを見られないそうだから、進歩したのかどうかわからないな。テレビごとに別個のコンバータが必要ということで、カレシはぼったくりだと怒っていたけど、キッチンでいつも見ているニュースはこれからも見られるんだし、1年間レンタル料をただにしてくれるそうだし、そのうちにコンバータ不要のテレビが出回るだろうから、これでいいと思うけどな。

懸案がまたひとつ解決して朝食が済んだところで、カレシはシュレッダにかけた紙ふぶきの袋をリサイクルデポに持って行って、帰って来たら今度はベースメントにたまったガラクタの整理。まずは床の上にごちゃごちゃと置いてあるカレシの不用品をまとめることから始める。積み上げるという発想がない人だから、放っておいたら「そのうち処分する」つもりのガラクタ類が水平に広がって、掃除のヴァルにまで「何とかして~」と言われるくらい足の踏み場のない状態になってしまっている。(トラックがあればいつでも市のゴミ捨て場に持って行けるし・・・といったのは誰だったかなあ。)そこで、今年のクリスマスはモノを買うのをやめて、片付けてできる「スペース」を共同のプレゼントにすることにした。我ながら妙案だと思うけど、さて、どこまで片づけが進むかは、サンタクロースのそりの空きスペースしだいか・・・。

というわけで、週末はベースメントの年末大掃除。月曜日に注文してあるスモークサーモンなどをピックアップしに行くついでに、途中にあるゴミ捨て場に寄ればいいね、と「にんじん」をぶら下げてみた。一番場所を取っているのはエレクトロニクスの不用品で、キーボードだけで5、6個あるし、モニターも3台、CPU3台、ラップトップ1台、プリンタ1台、その他ドライブやら何やら、ゴミとして出せなくて何年もたまる一方だった厄介もの。これはカレシがまとめておくと料金50ドルで引き取りに来てくれるところを見つけた。どうやら業界の非営利団体らしく、使えるものは修理して福祉団体に送り、使えないものは貴金属などをリサイクルする会社に売るということだったので、年明けに来てもらうことにしたとか。

2人でこれを処分して、あれをどこそこへ動かして、と我が家の「断捨離作戦」の戦略?を練りながら、とにかく文明生活ってのはゴミが出るもんだと感心することしきり。コンピュータが普及して来た頃は「ペーパーレス社会」になると言われたものだけど、実際のところは紙の量が増えたような気がするし、キカイの類は壊れても修理するよりは買い替えた方が格段に安いものが多いし、まだ使えるものでもすぐに「便利な新機能」の甘い誘いで買い替えを迫られる。アップルなどのような企業は新しい機能を一度に搭載せずに、バーションアップと称して小出しにすることで意図的に買い替え需要を作り出しているという話もある。ま、20世紀の後半からそうやって大量生産、大量消費でグローバル経済を拡大してきたわけで、ワタシもその恩恵?を享受して来たんだけど、それでもつくづく人間のやることにはむだが多すぎるなあと思う。

「スペースが増えると、ガラクタも増える」というのはマーフィーの法則だけど、まあ、「2011年度断捨離大作戦」が功を奏して、我が家って実はこんなに広かったんだなあと2人して感激するくらいにすっきり片付いたら、来年はそのスペースをいらないモノで埋めてしまわずに済むような生活習慣を考えたいもんだよねあ。

今日は一日いい汗をかいたかな

12月16日。曜日。いつの間にかカレシの腕枕で寝ていて、目が覚めたら午後12時50分。きのうの夕食後にテレビの前でうたた寝しなかったカレシは正午少し過ぎまでぐっすり眠れたとか。外はあい、変わらずぐずぐずした天気。まあ、こんなとことが典型的なバンクーバーの冬なんだけど・・・。

朝食後、ゆうべちょうどボトルの水がなくなったので、ウォータークーラーの切り替えにかかる。段ボール箱から出して、所定の場所に設置して、説明書の通りに新しいボトルのキャップを外して、汲み上げパイプを入れて、しっかりと密封。ボトルをスライドしてクーラーの底にセットしてドアを閉めて、電源を入れたらボコボコとポンプの音がした。簡単、簡単。作業の途中でまたも貯蔵してあるボトルの1本が漏れているのを見つけた。ビニールタイルの床が濡れていただけで済んだけど、どうもボトルのデザインが持ち運び用の取っ手付きに変わったあたりから水もれ事故が多くなったような気がするな。ま、欠陥ボトルの水は別のボトルに移せば新しいクーラーで使えるので、いちいち払い戻しを請求しなくても済むからいいか・・・。

クーラーの切り替えが簡単だったので、勢いに乗って半年以上も放置してあったテーブルの組み立てを始めた。プリンタを置くつもりで買ったのに結局不用だったもので、トップはガラス、下はファイル収納の引き出しになっている。部材は1から13まで番号が付いていて、まずは下準備ということでカムねじ用のボルトの取り付け。イケアの家具に昔から使われているカムねじのおかげで、今どきのノックダウン家具は素人でも組み立て易くなったな。中国製のものの組立て説明書と違って、台湾製のこれは正確かつビジュアルで使いやすい。(中国製品には宇宙人語かと思うような意味不明の説明書がついて来たりする。)それでも、下準備、本体の組み立て、ファイル収納引き出しの組み立てまで、12のステップがある工程を完了するのに汗だくになって約1時間半。古いステレオのケースをスタンド代わりにしていたテレビとDVDプレーヤーをこのテーブルに置いて、お払い箱になったスタンドはカレシがさっそく分解。(ふ~ん、我が家はワタシ、組み立てる人、アナタ、分解する人・・・?)

夕食後は、コの字型のデスクの中央部の下から古いプリンタとファックス機を追放して、そのあとにアトリエ部分の下にあった家具を動かして、空いたところに長いこと小部屋にあった二段の本箱を移動。本箱の高さがぎりぎりのところでつっかえてしまったので、造り付けのデスクをちょいと持ち上げて強引に押し込んだけど、ああ、背中は痛いし、大汗はかくし・・・。ファックスはごくたまに必要なときだけ電話線につないで使っていたけど、新しいプリンタではPDFファイルにスキャンしてメールに添付できるので、もう使うことはなさそうと判断して廃棄処分。1990年代は仕事の原稿のほとんどがファックスで来ていたから、在宅自営業にはまさにライフラインだった。最初に買った機械はカッターがついていなかったので、何十ページもある大きな仕事のときは用紙が機械の後ろでとぐろを巻いていて、それを1ページずつ定規を当ててビリッ!と切り離していたもんだな。のんきといえばのんきな時代だったけど、まあ、いつの世でも「昔」はのんきな時代ということになっているのかもしれない。

動かすものを動かして、何年分もありそうな雑誌の山をリサイクルボックスに入れたら、せっかくきのうカレシがリサイクルする紙類や古雑誌をデポに持って行ったのに、もうそれ以上になったから我ながら呆れるなあ。昔カレシの同僚だったアリスが、1年間納戸にしまったままだったもの、一度も使わなかったもの、持っていることさえ忘れていたものは、未練に惑わされずにすっぱり廃棄すると言っていたな。そうでないと、ほんとにモノがたまってしまう。1年間一度も使わなかったということはそれで不便しなかったということだから、捨てるのが理に適っていそう。だけど、「いつか使うかもしれない」、「他に使い道があるかもしれない」、「そのうちに捨てるから」と言ってため込みたがる人もいるから、我が家の片づけを始めるたびに、「こんなものが出て来た」とまるで考古学の発掘調査のようなことになる。そういう発見自体は楽しくもあるけど、それがしまいに「これ、まだ使えるかなあ」とか「せっかく出てきたから取っておくか」と、方向音痴の「モッタイナイ」運動になってしまうと、元の木阿弥・・・。

それでも少しずつ断捨離大作戦の進捗が目に見えて来たかな。今夜の真夜中のランチは夕食前にスロークッカーに仕込んでおいたアイリッシュシチュー。アイルランドのコーヴで食べて感激したあの味にどれだけ近づけるかなあ。ああ、今日は1日。中ほぼ立ちっぱなしで、肩も腰も凝ったし、膝は痛いし・・・。

ツリーを飾って、うきうきとクリスマスムード

12月17日。土曜日。今日も起床は午後1時ぎりぎり。まあ、寝るのがほぼ午前5時にまでずれ込んでいるからしょうがないんだけども、冬至に近い今頃は、起きて1日。の活動を始めたと思ったら、すぐに日が傾き始めるから、「どげんかせんと」だなあ。(お国言葉の響きには趣があっていいなあ・・・。)

来週はクリスマスイブ、再来週はおおみそかという、今年もまさにホームストレッチのゴール前。遅い朝食が済んだら、納戸にもぐり込んで、クリスマスツリーと飾りを出す作業。ここもいつのまにかいろんなガラクタがたまっているもので、背中かをかがめて奥の奥にあるツリーの箱にたどり着くまでが大変。途中でシュレッダにかける紙が詰まった段ボール箱が出て来た。奥にはとうてい使いそうにない古いスーツケースがいくつもあったりして、ふむ、ここも断捨離大作戦の対象にしないといかんなあ。ね、いらないものを捨ててしまえば、どうしても捨てられないものを収納するスペースもできるんだからと、もう息切れ気味になったのか大掃除を渋る気配を見せ始めたカレシを相手にキャンペーンを張ってみたけど・・・。

今年はツリーの置き場所をダイニングになっている八角塔の反対側に変えてみた。キッチンからは見えにくいけど、重いエンドテーブルを動かさずに済む。えんやこらと階段を抱え上げて来たツリーをスタンドに立てて、まずはライトのコードを3本つないでぐるぐる。たぶん全部で150個くらいあるだろうけど、LEDに変えてからは点滅しなくなったのがちょっと寂しいかな。でも、最近はそういうのもできているらしいので、そのうちに買い替えればいいか。次にガーランドをぐるぐると巻きつけて、できるだけライトを反射するように微調整。これだけで午後いっぱい汗だくになっての作業。ふはぁ~。

夕食後はさっそく飾りつけ。今年はボストンで買って来た3個が加わって、いったい全部でいくつあるのやら。なぜボストンでロシア民話の火の鳥がモチーフの木の玉飾りを売っていたのかよくわからないけど、真っ赤な地に手描きされた火の鳥が気に入って、買わずにはいられなかった。この10年ほど旅先で買うようになったご当地モチーフの飾りもだいぶ増えて、ひとつひとつがワタシたちの10年の積み重ねの足跡。あり地獄に落ち込んで辛い気持をいっとき忘れて友だちと思いっきり遊んだサンフランシスコの思い出はクリスマス飾りをしたケーブルカー。結婚25周年を祝って、改めてやり直しの一歩を踏み出したパリの思い出はノートルダム寺院にサンタクロースをあしらったもの。初めて行ったニューヨークで買ったのは自由の女神像の足下に立つサンタクロース。あのとき、エンパイアステートビルの展望台からWTCがあったところにぽっかりと空いた空間を見たとき、やり直しの旅のマルタで突然起こった高所恐怖症がすっと消えた。今では高いところで凍りついて金縛りのように動けなくなっていたのが信じられない。

誕生日のプレゼントにシルクドゥソレイユのショーを見に行った初めてのラスベガスの思い出は『アレグリア』のシャントゥーズ。粋なサングラスをかけてサックスを吹くクールなサンタクロースはハリケーンカトリーナの翌年に行ったニューオーリンズのみやげ屋でひとつだけ残っていたもの。カレシと行ったサンフランシスコの思い出はステンレスのマティニグラス。再び訪れたニューヨークの思い出はティファニーの陶磁器のエレガントな飾り。他にも、アイルランドの思い出はレプレコンとボラン、太平洋を北から大回りして延々28時間かかって行ったシドニーの思い出はクリスマスのソックスに入ったコアラとカンガルー。カレシからプレゼントされたインゲグラスの『クリスマスキャロル』のキャラクターセットにはイギリスと同時に、まだ見ぬドイツへの思いも・・・。

午後11時、クリスマスツリーの飾りつけが完了。去年は2日。かかったのに、今年は早かったな。ツリーを立てる場所を変えて、身動きが取りやすかったからかな。ああ、これでやっとクリスマス気分になって来た。子供も孫もいないし、サンタクロースも来ない、カレシと2人だけのクリスマス。それでもなぜか心がうきうきと弾んで来る。小さいときからそうだったけど、もしもいつかおひとり様で暮らす日が来ても、やっぱりいそいそとツリーを飾って、おいしいものを用意して、ひとりだけのクリスマスを楽しむんじゃないかと思うな。スクルージもさぞかしびっくりするだろうなあ。

リサイクル、紙も天下の回りもの

12月18日。日曜日。まちがいなく日曜日・・・だよね。「あ、忘れたっ」とカレシが飛び起きたもので、せっかく夢を見ていたのに目が覚めてしまった。ゴミを出し忘れたんだそうな。容器がいっぱいで次の収集日まで待てないのに、と。そそくさと着替えたカレシは大急ぎで外へ出て行った。時計を見たら午前11時50分。う~ん、普通はトラックの音で目が覚めるんだけどなあ。連日の汗かき作業で疲れてぐっすり眠っていたのかな。眠いけどもう正午だしと起き出して気がついた。あまりにもくたびれて眠り姫になったのでなければ、今日は日曜日のはず。何を寝ぼけてんだか、もう・・・。

クリスマスツリーも飾り終わったことだし、今日は廃棄するものをまとめる日ということにして、まずはワタシの古い、古いコンピュータの分解。筐体の大きさと重さにびっくり。15年くらい前のものかな。Windows XPになって英語環境でも日本語の処理ができるようになったけど、その前は少なくとも日本から買ってくるか、日本語版のOSやソフトを入れて日本語環境に変えるかのどっちかだった。日本から買って来る人たちが多かったけど、えらい円高(というよりはカナダドル安)だったし、大きなスースケースひとつ分はありそうな機械を抱えて帰るのがめんどうくさくて、ワタシは日本人がやっていたサービス会社にカスタム仕様で組み立てて、日本語環境にしてもらっていた。カレシが筐体を開けてみたら意外に中はすかすか。たまった埃の塊がすごくて、そばにいるだけで、ああ、鼻がむずむず。

次に廃棄するつもりでThinkPadを持ち出したら、カレシがハードドライブをフォーマットして空にしてからじゃないとダメという。これも10年くらい前のもので、バッテリはとっくに死んでいるし、元々使い勝手もあまり好きじゃなかったし、ムリに日本語環境にしたものだから、このまま捨ててもいいんじゃないかと思うけど、ま、一応は電源を入れて見た。のっけからエラーメッセージが出てきて、CMOSのバッテリがどうのこうの。えいっとENTERキーを押したら、ウィンドウズが立ち上がったけど、カレシは「何だ、これ?読めないよ」。だから言ったでしょ、日本語版のウィンドウズが入っていて、日本語環境なんだって。しょうがないから、ワタシが日本語メッセージを即時翻訳(サイトラ)して、カレシがあれこれと試してみたけどうまく行かない。そのうちググってみたらフォーマットの手順が見つかって、今度はカレシが読み上げる手順をワタシが日本語に即時翻訳しながら操作して、どうやら成功してCドライブの容量と空き容量がぴったり同じ数字になった。これで廃棄していいのかと思ったら、カレシが英語のウィンドウズを入れて、少しいじってみたいと言い出した。古いからRAMは小さいし、USBのドライバがないし・・・ま、ラップトップだから、おもちゃ代わりに取っておいてもいいけど。

コンピュータ2台の処理が終わったらもう午後4時で、外は暗い。冬至が迫っているのになぜか最高気温が8度という春めいた気温。冷えて雪が降るよりはいいけど、厳しい冬になるという予報はどうなったのかなあ。(噂をすれば何とやらだから、黙っていた方がいいか・・・。)夕食後は朝から予定していたシュレッダ作戦。ワタシ用とカレシ用と2台になったシュレッダをフル稼働させて、まずは納戸にあった段ボール箱の中身を処理。一度に100枚まで連続処理できるワタシのに業務関係の紙を積み上げ、グチャグチャと裁断している間に、手差し専用のカレシのキカイで請求書やレシートの類をジャリジャリ。容器がいっぱいになるたびに45リットル入りの袋にくずを詰めて、またグチャグチャ、ジャリジャリ。オフィスの床は紙ふぶきが散らばって、水曜日に掃除に来るヴァルに「なあに、この散らかりようは~」と叱られるかな。(忘れずに今年1年の感謝のチップを包んでおかなくちゃ。)

裁断される紙から出る粉が埃になって舞うのか、鼻はむずむずするし、ゴホゴホとやたらと咳が出て、けっこう痰がでて来る。ゴミ袋3つが満杯になったところで、今日のシュレッダ作戦はおしまいにした。いったい何千枚分あるのかな。もっと早くにリサイクルしていたら、どれだけの再生紙ができて、どれだけの木が伐採されずに済んだのか。やっと新しい紙に生まれ変われることになった古紙・・・↓[写真]

いつままたプリンタ用紙になって戻って来るか、それとも世界情勢を伝える雑誌になって戻って来るか、リサイクル時代は紙も天下の回りものということか・・・。

食い気一番のクリスマスの準備

12月19日。月曜日。ごみ収集車の通る音で目が覚めたから、今日が月曜日でまちがいなし。胸がむずむずしたけど、最近になって軽く握ったこぶしを口のあたりに当てていると咳が出ないことに気が付いたので、赤ちゃんのおしゃぶりよろしく握りこぶしを唇に当てて眠り直し。(適度の湿気を吸うことになって咳が抑えられるんだろうと思うけど、よくわからない。)起床は正午ぎりぎり。雨模様で薄暗いけど気温は5度。

朝食が終わったら、即リサイクル品を集めてトラックの荷台に移し、今日の順路を決める。カレシが木曜日にヘアカットの予約を入れてしまったので、クリスマス前の予定を(またも)微調整。何となくクリスマスのご馳走は洋風、大晦日と元旦のはアジア風というテーマみたいなものができて来たので、それでもいいんだけど、今日はドタチェンはなしだからね!と釘を刺しておいて、まずはリサイクルデポで紙ふぶきと雑誌、カタログ類を処理。次に注文しておいたスモークサーモンその他をピックアップ。ここは海産物などの輸出が商売だけど、いつもお中元・お歳暮の季節には日本向けの宅配を頼んで、同時に自家消費用のストックもまとめ買いしている。今年はおまけの品までいただいてしまった。うれしいな。

家に帰ってすぐに冷凍品をフリーザーに押し込んで、今度は反対方向のイタリア食材のBosa Foodsまでひとっ走り。まだ3時前だというのに道路はかなり混んでいた。カレシがうっかり標識を見落として危うく(帰り道方向の)ハイウェイに入ってしまいそうになり、たまたま変わった赤信号に助けられてUターン。さらにもう一度Uターンして目的地の方向に戻った。やれやれと思ったら、今度は左折すべき道路を行き過ぎて、また信号でUターン。前回初めて来て迷子になったときのうろ覚えの記憶が頼りで、違った道路に入ったらのろのろ運転の車の列に割り込むのが大変なので、たまたま空いた路上駐車のスペースに止めて、「たしかこの道だったなあ」と小雨の中をテクテク。たしかに。店に着いてみたら駐車場はいっぱいだったから、路上駐車できたのはラッキー。(月曜日の午後なのにこの混みよう・・・。)

ここは食品輸入卸会社の小売部のようなもので、イタリア料理の食材を中心にほぼ卸値で売っている。普通の小売業ではないので、支払は現金か銀行のデビットカードだけ。クレジットカードが使えないのはちょっとだけ不便だけど、多量の買い物をするわけではないからだいたいは手持ちの現金で間に合う。(デビットカードも持っていることは持っているし。)狭い店の中はクリスマスの食材を買う人たちで混雑していた。カレシの目当ては年代もののバルサミコ酢とイチジクのジャムやイタリアのエスプレッソコーヒー。ワタシはイカ、タコ、イワシの缶詰に、プロシュットとパンチェッタ、サラミ、鴨のパテ、それと冷凍の(四つ割りの)ポルチーニきのこ。ついでにレジのそばに積んであった小さいパネットーネ。これはイタリアのクリスマスケーキで、クリスマス模様のきれいな箱に入って、ツリーに吊るせそうなリボンの輪がついていた。

お買い上げ100ドル以上ということで、すてきなティータオルを粗品にもらって、ついでにひと口サイズのトローネを2個。いわゆるヌガーで、これもイタリアではクリスマスの伝統なんだそうな。ナッツが入っていて、おいしいことと来たら、もう。イタリアのクリスマスってどんな感じなんだろうな。イブの夜にはみんなで教会へミサに行くんだろうな。サンタクロースは名前からしてゲルマン系だと思うけど、イタリアの子供たちのところにも来るのかな。クリスマスの日にはきっと家族が集まって、テーブルには山のようなご馳走が並ぶんだろうな。たぶん七面鳥はないだろうから、ガチョウのローストかな。ん~、やっぱりどうしても食べる話の方に行ってしまうなあ・・・。

まあ、我が家のクリスマスはもっぱら食い気。食道楽プランもこれで8割がた準備ができたかな。帰りの道はラッシュとはほぼ反対の方向なので渋滞もなく楽々。しょぼしょぼと雨が降っているのに、西の空にはピンク色の夕焼けが広がっていた。好天になってまた寒くなるのかなあ。

ああ日本語よ、きみはどこへ行くのか

12月20日。火曜日。何だか早くから目が覚めたり、うとうとしたりで、このままずっと冬眠したいような気分。週末からけっこう忙しかったから、ちょっと疲れたのかな。きのうの夕焼けの予告通り、まぶしいくらいのいい天気。あしたとあさっては晴れの天気で最低気温がちょっと冷え込むけど、クリスマスになる頃には雨、雨、雨で最高気温は7度というから、サンタクロースも汗だくになるかも。

カレシが「本日休業」の看板を出したので、英語教室はどうするのかと思ったら、先週のうちに夜の部も年明けまで休講にしていた。早くそういってくれればいいのに。「言わなかったっけ?」と寝ぼけ顔のカレシ。午後の部は閉めたと聞いたていたけど。何でも教室にしている部屋がネイバーフッドハウスの行事に必要になったので、これ幸い?と完全休業にしたらしい。じゃ、今日は夕食も急ぐことはないから、ワタシも「本日休業」。明るいキッチンでゆっくりと朝のコーヒーを飲みながら今日届いた雑誌をめくる。エコノミスト、Maclean’s、タイムの3冊は、どれも2週間分をまとめた年末年始特別号でいつもの倍くらいの厚さ。

Maclean’sの表紙はカナダの国旗をケープのようになびかせたビーバー。「アメリカは意気消沈、ヨーロッパはボロボロ。我々は違う。なぜカナダ人は未来に先例のない自信を持っているのか」。ひと言でいってしまえば、これまで15年間の銀行などの規制強化、国の負債の削減、税制と年金の改革といった公共政策のおかげでいち早くリーマンショックを乗り切ったからだとか。たしかに銀行の監督と規制の効果は大きいだろうな。カナダの銀行は世界でも最も健全だという話で、ついこの間大手各行が膨大な純利益を発表したばかりだし、中央銀行のカーニー総裁が世界の金融安定理事会の議長に指名されたしな。ちなみにこの人は今年まだ46歳。リーマンショックの前に43歳の若さでカナダの中央銀行総裁に任命されて、金融政策を巧みに舵取りして来た。ハーバードで経済を学んで、オックスフォードで博士号を取り、証券会社時代には日本にいたこともあるとか。頭が切れて、ルックスも良くて、イギリス生まれの奥さんもオックスフォード出身のエコノミストだそうな。

小町横町を散歩していたら「モーニングを食べる」という表現に遭遇した。へえ、日本にはそんな料理があるのかいなと思ったら、どうやら昔から喫茶店などでやっている「モーニングサービス」のことを言っているらしい。好奇心を起こしてググって見たら、どこそこのモーニングというのがぞろぞろでて来る。ホテルの宿泊客が「モーニングに行く」と言うのは朝食サービス券を持っているということかな。ここまで来るとモーニングサービスというよりは単に「朝食を食べに行く」という感じがするな。つまり、朝ごはんの外食版か。でも、「外モーニング」というのもあったところを見ると、もう「モーニング」は単に朝食をすること、あるいは朝食そのものを意味するようになっているのかもしれない。とすると、家で食べる朝食は「内モーニング」になるのかな。まあ、日本語では昔から「朝は食べない」というような言い方があるから、その「朝」が英語的カタカナ語化しただけのことかもしれないけど、日本語よ、どこへ行く・・・。

そういえば、同業仲間のサイトで最近の英日翻訳におかしな傾向が見られるといって議論をしていたな。翻訳そのものの傾向よりも客先での校正の段階で極端に機械的な直訳の文体を要求されるケースがあるらしい。どうやら企業などが上がってきた翻訳のチェックにマニュアル化された機械的な品質管理を持ち込んでいるという印象で、例を見ているとまさに無料翻訳サイトの訳文にちょこっと手を入れただけという感じがするものが多い。かっては「翻訳調」と呼ばれた日本語だけど日本語でないようなスタイルが批判されたもんだけど、こんなギクシャクした日本語訳が企業の文書として通用するようになるのかと思うと、日本語よ、どこへ行く・・・。

かっては英語と日本語は動詞と述語の順が逆だから後ろから訳し出すことを教えられて来たのが、最近では中学高校の英語の授業でさえ「頭から訳す」ように教えているという話だった。そういう英語の読み方を学んだ人たちにとっては、マニュアル頼りの機械的な校正はやりやすいのかな。英日翻訳をやりたいと言えば日本語の文章力はどうなんだと言われたのはつい最近のことだと思っていたけど、「品質管理」をする側としては翻訳者の文章力よりも原文の単語が「もれなく」訳されているかどうかが焦点になるということか。どう考えても、翻訳を発注する企業側の都合ばかりが優先されて、最終的に翻訳された文書を読んで使用する人たちのことはまったく念頭にないとしか思えないけど、そこまで社会的な視野狭窄が進んでいるとしたら怖い現象としかいいようがない。

まあ、英日翻訳だけの問題なら、ワタシは日本語訳はほとんどやらないので傍観者でいられる。だけど、どうも同じ傾向が「意訳を嫌う」という形で、日英翻訳にもじわじわと浸透しつつあるらしいのが気にかかる。ワタシのところにも1、2ヵ月くらい前だったか「英語のナチュラルさや文法の正しさよりも、日本語の原文に忠実に訳して欲しい」というエンドユーザー側の校正者(日本人)のコメントというものが送られて来たことがあった。言葉になっていない含みが多い日本語を言われる通りに直訳したら英語人が読んでも理解できない英語になるんだけど、おそらくは翻訳の品質管理マニュアルに沿って日本語が「もれなく」訳されているかどうかをチェックした結果のコメントなんだろう。ここでも翻訳文を読む人への配慮はみじんもなくて、あくまでも(翻訳者が英語を母語とするしないに関係なく)翻訳をチェックする立場の自分が(あるいは英語オンチの上司たちが)「もれなく」訳されているとわかればそれで良しという思考が透けて見える。

昔も、いわゆる「英語屋」と呼ばれる人間が意訳を直訳に変え、意図的に省かれた冗長な語をすべて拾って入れ、質の高い翻訳を目も当てられない粗悪な英作文にするということは珍しくなく、英文のチェックを任されたからにはどんどん赤ペンを入れて自分の存在と能力をアピールしようということなのかと勘ぐったもんだった。ワタシもある省庁の白書を英訳して、カレシが太鼓判を押してくれるくらい会心の作だったのに、偶然ホームページに掲載されていたものを見たら、相当に改悪されていて唖然としたことがあった。まあ、翻訳者の名前は表に出ないし、「んったくアメリカ人は英語がわかってないやつらばかりだ」なんてため息をつきつき、せっせと英語を添削?している英語おじさんの姿を想像しておかしくなったけど、自分が理解できる英語でなければ、あるいは外国人が翻訳したものは信用できないということなのかとも思ったな。

英語から日本語、日本語から英語のどっちの方向に訳すにしても、誰が何のために読むのかという視点が重要なんだけど、翻訳はコミュニケーションの仲介手段であるということが忘れ去られつつあって、言葉を機械的に置き換えようとするマニュアル思考が跋扈するようになりつつあるのかもしれない。あ~あ、何だかこの商売から早く足を洗ってしまいたくなって来た・・・。


2011年12月~その1

2011年12月11日 | 昔語り(2006~2013)
左利きはどうのこうのと、しつこいなあ

12月1日。木曜日。ちょっと曇りがち。今日から12月。師走。英語の「December」は本来ラテン語で「10番目の月」。どういうわけで10月が12月になってしまったのか。(かなり眉唾ものの)一説によると、7月に生まれたジュリアス・シーザーが無理やり自分の誕生月に自分の名前をつけて割り込ませ、8月に生まれたアウグストゥスがそれならオレ様も~と同じように割り込みしたので、「7番目の月」を意味したSeptemberが9月になり、8番目を意味したOctoberが10月に、9番目を意味したNovember が11月にずれてしまったという話。もっとも、7月のジュリアスはシーザーではなくて、もっと後の皇帝らしい。でも、いくら伝説でも、2千年も先までカレンダーを狂わせっぱなしというのは偉業の一種かもしれない。

カレシはつなぎを着込んで庭仕事。ワタシはまずは最後のワークショップで未完のままだった風景画の仕上げ。なぜか行き止まりだった歩道を右と左に曲げて「道の角」の風景にして、秋の風景らしく落ち葉を散らして、できあがり。だけど、青空なのにどこにも陰影がないからなんだかフラット・・・。歩道の色が気に入らないし、構図も気に入らないし、描き直しだな、これ(な~んて、芸術家っぽく聞こえるけど)。まあ、お絵かきが終わったところで、今度はのんびりと小町横町の散歩。ふむ、またぞろ「左利きはマナー違反かどうか」なんてやっているから呆れる。日本だってもう何十年もグローバル化だの国際化だの人権尊重だの個性尊重だのと言って来たんだろうに、小町でまだ執拗に左利きトピックが上がって盛り上がる。よほど左利き嫌いが多いんだろうな。いや、左利きが嫌いというよりは、生理的美醜感覚が異なるものに拒絶反応を示しているのかもしれないな。

飲食店で肘がふつかるとか何とか、箸のおき方が間違っているとか何とか、見苦しいとか何とか、右利きが多数の世界で合理的でないとか何とか、日本にいた頃に耳にたこができるくらいにさんざっぱら聞かされた「右利きの理屈」が繰り返される。しつこいなあ。「左利きで字をうまく書く人、お箸をきれいに使っている人を見たことがない」って、近頃は右利きでも「うまく」字を書けなかったり、お箸を「きれいに」使えなかったりする人が多いようだから、社会全体の風潮と違うのかな。「左利きの人を見ると、躾をしてくれなかったんだと親は家などのバックグラウンドが見えてくる」って、近頃は右利きでも「躾をしてもらわなかった」人たちが多いようだけどな。「きれいな人はダンディーな人の左で持つお箸は見たくありません」って、じゃあ目をつぶっていればいいのに。「世の中は右利きを基本として作られているから、その世界を壊さない配慮とマナーが人一倍必要」って、自分がいかに恐ろしい発言をしているかわかってないだろうなあ・・・。

今までと少しだけ風向きが違っていておもしろいのは、左利きでも「問題はない」、「何とも思ったことはない」と肯定しておいて、「○○であるなら」と条件を付ける人がけっこう多いことかな。その条件というのが、たとえば「きれいに箸が使えれば」、「うまく字が書ければ」というような、要するに見た目の判断基準。つまり、きれいに箸を使えるなら、字が上手なら、(右利きが見て)見苦しくなければ、左利きでも我々と共存してかまわないよってことか。似たようなところで、「自分は気にしていないけど」と強調しておいて、他の人たちが気にしたり、親の躾が悪かったと思うかもしれないから矯正した方がいいという人もけっこういる。条件付き認知派と同じく、ほんとは自分が気になるのを他人に転嫁して、(少数派に対して偏見を持たない)「心の広いわたくし」を演出しているかのような印象だけど、ある意味で今どきの社会心理に通じているところがあるような感じがするな。

東京大学には一般世間の倍の割合で左利きがいるそうなんだけど、よく左利きは頭が良いとか言われるのは、偏見に満ちためんどうくさい社会では何よりも賢くならないと生きにくいからだと思うな。偏見がなくなったところでは、誰の目にも普通にどこにでもいる人間ということで、利き手の違いをしつこく指摘されるどころか注目もされないから、左利きの方が賢いというわけでもなさそうだけどな。適者生存というし・・・。

ああ、若き日の左利き人生

12月2日。金曜日。晴れ。目が覚めたらもう正午を過ぎていた。またヘンな夢を見ていたような記憶があるけど、どんな夢だったのかは目が覚めたとたんに忘れてしまった。いい夢はすぐに忘れて、悪い夢は覚えていると言う話だけど、だったらいい夢を見ていたんだということで納得。見た夢を覚えているかどうかはその人の記憶力によるという説もあるそうで、枕元にペンとメモ用紙を置いておいて、目が覚めたらすぐに夢を記録する訓練をすれば記憶力を高められるという話だけど、ワタシは嫌な夢、怖い夢、不吉な夢を思い出したくないから、そこまでして記憶力を高めたいという気にはなれないなあ。

夢でなくても、誰にでも思い出したくない記憶のひとつやふたつは脳裏の奥深くにしまい込まれてあるだろうと思う。きのう小町横町の井戸端で盛り上がっていた左利き論議を読んでいるうちにだんだん熱くなって来たのは、日本という国で左利きに生まれついたことで経験した「屈辱感」に対する怒りがおなかの根底からむくむくとわき上がって来るからだろうな。小さい頃に箸を持てないようにと母にハンカチで縛られた左手のイメージは60年も経った今でも鮮明で、幼い心に深く焼きついた「屈辱感」はワタシの性格形成に少なからず影響したことはたしかだと思う。でも、心のどこかに母に対する「恨み」があったとしても、小町で矯正派の理屈を読むほどにあれはそういう社会で生きて行かなければならない娘の将来を思いやってのことだったと納得できたように思う。そもそも日本の最果ての地で生まれた娘に利き手をとやかく言われないところで自由に生きる未来があるなんてことは想像できる由もなかったんだし。

それでも、心のどこかに「異質なものを拒絶し、差別する社会」への漠然とした怒りがあったのもたしかだと思うな。小学校時代の夏休みに隣接する2つの学校の合同絵画教室があって、絵が得意だったワタシは6年間参加したけど、5年生のときだったか、両手でクレヨンを使っていたら先生に「両手はダメ」と言われ、左手だけにしたら「右手を使いなさい!」と大きな声で叱れ、クレヨンを取り上げられて泣きそうになり、そのとから絵を描くことが苦痛になってしまった。中学時代に田舎に住んだときは、何かにつけて「いずい~」と言われた。北海道語で「違和感」や「異物感」があるという意味で、今どき風に言うなら「うざい」とか「きもい」ということか。高校時代には進路指導の先生に「就職できないかもしれないから、そのつもりでいて」と言われたな。ま、父が(両手を使う)英文タイプの学校に入れてくれたおかげで無事に就職できたけど。

札幌で秘書学校に入って、卒業間近に青年商工会議所というところでしばらく実習を兼ねたアルバイトをしていたことがあって、そのときに中小企業の社長のぼんぼんが「女のぎっちょかよ。嫁に貰うやつがいたら見てぇな。親の顔が見たいよ」と絡んで来たことがあって、(あったかどうかわからないけど)二十歳の結婚願望はすっと失せてしまった。まあ、そろそろ出席日数が足りなくなりそうだったのでさっさと辞めたけど、こんなのが男というものなら結婚なんかしない方がよっぽどましだと思ったな。(そういう男と見合いもせずに済んだのは防衛線を張ってくれた父のおかげ・・・。)そうやって英文タイプと英語を磨いて再就職したのがスウェーデンの会社。学歴が同じなら男女同賃金、必要なら女性社員にも旋盤や工具の研修をするという破格の環境でやっと深呼吸ができたのもつかの間、昼食に入ったラーメン屋で、おやじ客に満員の客がいる中で「オレのがまずくなるから早く出て行け」と怒鳴られた。(そこのラーメンはおいしくて好きだったんだけど・・・。)

それが、27歳で日本を離れるまでのワタシの左利き人生。たぶん、幼い頃の葛藤で植えつけられた反骨精神が人さまの神経を逆なでしてよけいに事を荒立てた(と日本の人に言われたことがある)のかもしれない。カレシが理想像として押し付けてきた従順な日本のオンナノコらしく、しおらしく振舞って、「右利きを基本として作られた世界を壊さない配慮をして」、神経の繊細な人たちに不快感を与えないようにひたすら身を縮めていたら、果たして今のワタシのような、生きていて良かったと思えるような人生があったんだろうか。ワタシは(おそらく父の遺伝子という)縁があって左利きに生まれついたの。右手も使えるようにしてもらったけど、あくまでも左手がワタシの利き手なの。ワタシの脳がそういう作りになっているんだから、それが矯正すべきことだというなら、「利き手障害」とでも、「利き脳障害」とでも、好きなように名前をつけたらいいと思う。

あ~あ、やっぱり熱くなって来るなあ、この話になると。もうひと昔前になるけど、日本語を話そうとしても声にならなくて、話せなくなったことがあった。普通に日本語を読んで、書いて仕事をしていたのに、頭の中にはちゃんと日本語があるのに、話そうとすると喉の奥に絡んで口まで出て来ない。まあ、特に話す必要もなかったから良かったのかもしれないけど、つっかえを感じないで話せるようになるまでに数年かかったな。心理的に話すことを拒否しているのかとも思ったけど、今になって考えると、あれは「日本」というものがワタシの中でどうしようもないくらい複雑にもつれていたときで、白いハンカチで縛られた左手が「ワタシ」という人間の存在を否定された「屈辱感」と重なって、大きな心理的なストレスが幼いときの吃音障害を蘇らせたのかもしれないな。三つ子の魂は何とかと言うけこ、まさにそのとおり・・・。

イギリスから迷子の郵便が来た!

12月3日。土曜日。ぐっすり眠れた気分で目が覚めたらとっくに正午過ぎ。今日は早めの時間にディナーの予約を入れてあるから、ぐずぐずしていると朝食が済んだらもうお出かけのしたくなんてことになってしまう。2人して飛び起きて、朝食はいつもよりちょっぴり少なめに・・・。

カレシは日々のパンをセットしてから庭仕事。ワタシはめったに引き受けない翻訳チェックの仕事。それにしても変更履歴をオンにしてやると見づらいなあとぶつぶつ。そっか、新バージョンのワードになって、挿入したところと削除したところを別々の色に設定するのを忘れていた。ま、色を別々にして、やっと何とか見やすくなった。やれやれ。マイクロソフトにお任せしておいたら仕事がやりにくいもので、2003年バージョンを使っていたときはせっせとツールバーをカスタマイズしていたんだけど、めったに使うことのない変更履歴はあまりいじったことがなかった。旧バージョンのはカレシにお下がりしたのはいいけど、あまりにも徹底的に「仕事仕様」にスタマイズしてあったので、カレシは「おい、○○のアイコンはどこだ?」の連発。(昔からキーでやるのに慣れていたコマンドは全部ツールバーから外してあった。)まあ、カスタマイズの極意を伝授したから、少しずつカレシバージョンへの移行が進んでいるようだけど・・・。

カレシが入って来て「これを見てごらん」と手渡されたのがちょっとしわになった茶色の封筒。イギリスからの料金支払い済みの郵便。「きのうキミの本が届いたときの郵便袋に落ち葉を集めようとして広げたら底に残っていたんだ」と。そうそう、ロンドンのFolio Societyに2012年度分として注文してあった本のうちの1冊が届いて、いつものようにサックレースに使えそうなくらい大きな頑丈なメッシュ入りの袋に入っていた。郵便局で袋に入れるときにくっついて一緒に入ってしまったのかな。でも、本は一応段ボールに包んだ小包で、こっちは封書なんだけど・・・。

封筒は印刷用紙を2つ折りにしたくらいの大きさ。切手の代わりに「料金支払済み」と印刷されていて、何となくお役所っぽい。イギリス郵便公社(Royal Mail®←登録商標になっている!)の青い「航空便」のステッカーが貼られている。全部大文字で手書きされた宛先は、かなくぎ流だけど猛烈に丸っこくてDとOの区別がつきにくい。受取人は「フィーリー氏」。住所を見たら、あらまあ、何とアイルランドのスライゴー州!裏を見たら、配達不能の際の返送先が「労働年金局」で、住所は北アイルランドのベルファストになっていた。ん~ん、てことは、北アイルランドのベルファストで投函された郵便が、地続きのアイルランドに行く代わりに、なぜか(おそらく誰かがうっかり「航空便」のステッカーを貼ったもので)イングランドに行ってしまって、本の発送地のウィルトシャーかロンドンか、どこかでカナダ行きの郵便袋に紛れ込んでしまっということか。

ちょこっと調べてみたら、ベルファストからスライゴーまでは車で3時間くらいの距離らしい。だいたいバンクーバーからシアトルへ行くのを同じくらいか。それって、航空便で送るような距離じゃないでしょうが。つまり、元々たった3時間で行けるところへ行くはずだった郵便が波荒きアイリッシュ海を越えてイングランドに渡り、大西洋を飛び越えて、さらにはカナダを(ひょっとしたら鉄道で3日。半かけて)横断して、はるばるとバンクーバーの我が家まで来てしまったわけか。いやはや、どえらいはぐれ郵便だなあ。なんだか、海に流されたメッセージ入りのびんが遠い国の砂浜に打ち上げられたような、「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る やしのみ・・・」みたいな、う~ん、ロマンがあるような、ないような・・・。

だけど、現実問題として、この迷子の郵便、どうしたもんだろうな。私書だから捨てるわけにはいかないし、年金か何かの重要な書類だったら受取人のフィーリー氏は届かなくて困っているかもしれない。宛先が手書きと言うのはお役所の郵便にしては「?」だけど、ひょっとしたらフィーリー氏だけに関係のある特別な用件なのかもしれない。そうだとしたら、フィーリー氏は首を長くして待っているかもしれないな。別の封筒に入れて、「迷子になって来ました」とメモをつけて、フィーリー氏に送ってあげよう。でも、匿名だとまた迷子になったら困るな。ちゃんと我が家の住所を書いた方がいいのかな。クリスマス切手があるから、それを貼ってあげようか・・・。

シェフが描いてくれた3匹の魚

12月4日。日曜日。片目を開けてベッド脇の時計を見たら、午後12時56分!寝たのは5時近かったからムリもないけど、起きないとすぐに日が暮れてしまうよ~と、カレシを肘でちょいちょい。今日は仕事があるんだし、いつまでも寝ているわけにはいかないの。

と言いながら、朝食の後、しばしコーヒーを飲みながら、きのう食事に行ったレストランで買って来た料理本を開いてみる。大きな本で、きれいな写真がたくさん。シーフードのレストランだから、どれも魚、魚、魚。久しぶりに行ったBlue Water Caféでの食事。ワタシはたこ、貝類、えびのセヴィチェで始めて、メインはアルプスイワナ。カレシはカニとアスパラガスのパンナコッタで始めて、メインはチョウザメ。このチョウザメは地元フレーザー川で獲れたもの。成長すると数メートルになる大きな魚で、150年くらい生きることもあるとか。昔はうんざりするほどいたそうだけど、豪快な釣りができるというので乱獲されてめっきり減ったという話しで、持続可能な漁業を支持する地元の有名レストランも加わって資源保護の取り組みが進んでいるという。白身でオヒョウのようだけど独特の味わいがあって「おいしかった」とカレシ。

料理の本があるのは前から知っていたので、サーバーに持ち帰りたいと言ったら、名前をメモして行って、しばらくして勘定と一緒に持って来てくれたのはシェフのサイン入りの本。去年だったかバンクーバーの「シェフ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたフランク・パブストはドイツ人。バンクーバーの有名シェフにはフランスのアルザス地方出身の人がけっこういるけど、ドイツ人は珍しいかな。だいたい、ドイツ料理屋というものはあるらしいけど、レストランガイドに載るようなのはない。まあ、シェフ・パブストの修行経歴は、ドイツのアーヘンのレストラン(フランス料理)の他はほとんどがフランスのミシュランの星付きレストラン。まあ、地元の食材を使ったウェストコースト料理は概ねフランス料理を基本にして、アジア料理を加味したものだから、何国人でもいいわけだけど・・・。

[写真] そのシェフがサインしてくれた中表紙を見たら、あ~ら、何とかわいいお魚が3匹、あぶくをプクプク。テーブルから見えるオープンキッチンにいたシェフは、いかにも(ステレオタイプの)ドイツ人らしい、ジョークをかましても笑いそうにないなあという印象だったから、サインのついでにさらさらと描いたらしい、いかにも楽しそうな魚とのコントラストにびっくり。人は見かけによらないって言うけど、ほんとに見た目だけで人を判断してはいけないということだな。なんか、感動・・・。

きのうは店の一番奥のブースに案内されて、2人で占拠するには申し訳ないくらい大きなテーブルでデザートまでゆったりと食事を楽しめた。あんまり気に入ったので、テーブル番号を聞いておいて、帰りがけに「お気に入りのテーブル」としてデータベースに記録してもらった。コンピュータ化のおかげで、たいていのレストランで、一度予約を入れると名前と電話番号が記録されて、次に電話するとリピーターだとわかる仕組みになっている。(名前より先に電話番号を聞いて「○○様でいらっしゃいますね」とやるから、ちょっといい気分にさせる。)そこで、特に気に入ったテーブルがあったら、その番号を備考に記録しておいてもらえば、先約がない限りそこにマークしてくれるから、いつもお気に入りのテーブルに座れるという寸法。まあ、せっかくちょっといいところで食事をするんだったら、気持が落ち着くとか、外の景色がいいとか、気に入ったテーブルでリラックスして味わいたいもん。

好きなことだけをやるのもいいけれど

12月5日。月曜日。今日は正午前に起床。いい天気で、八角塔から燦々と日が差し込む二階はぽかぽか。ごみ収集日だから、ゴミのトラックとリサイクル車が轟音を立てて通ったはずだけど、目が覚めなかった。それくらいよく眠れたということかな。慢性的な睡眠不足は低体温の原因にもなって、基礎体温が低くなると免疫機能が低下するということだから、年を取るほどにしっかりと睡眠をとるのが何よりの健康法というところ。

今日は小さめの仕事が2つ。午後にひとつ、夜にひとつ・・・と思っていたら、夜の分は期限が午後10時ではなくて8時。日本時間の13時と15時とかん違いしたのかとちょっぴり慌てた。まあ、午後のうちに猛ダッシュで仕上げて、2つまとめて納品できたからいいけど、こうやって地球上のある時間帯に住んでいて、半日以上も先に進んでいる別の時間帯で(仮想的に)仕事をするというのは、少々めんどうくさくなって来たような気もするな。日曜日になると1日。中漠然と月曜日だと思っていて、月曜日の予定をすっぽかした!と慌てることが多い。ひとつの時間帯で、ひとつの言語で、ひとつの文化習慣の毎日だったら楽かなあと思う。やっぱり、そろそろ引退する潮時ってことなのかなあ・・・。

仕事といえば、小町横町でおもしろいトピックが盛り上がっていた。レストランで1年ほど料理見習いをしているという30代前半のおにいちゃんが「好きなことだけしたいというのはダメなんですか」という相談。なんでも「ボクの本音は好きなことだけしたいんですよ」ということで、めんどうなことは嫌だし、興味があるのは「おしゃれな料理を作ったり、パンを焼くこと」。今の店はあまり好きなことをやらせてくれないし、厳しいので、もっと華やかな有名店ならがんばれそうだと思う。で、質問というのが、「仕事で好きなことだけをしようとしちゃだめなんですかね!?」

この「~ですかね」という表現、見るたびにひょろひょろっと吹けば飛びそうな今どきの若者を連想するんだけど、このおにいちゃんは30代だそうだから、若者じゃあないなあ。でも、文章を読む限りでは高校生、せいぜい20歳前後かなという印象。どうやら人気マンガに刺激されて料理人を目指したらしいけど、「ボクは基本自分が好きなものしか作りたくないんです」。挙げ句に、有名店に行けば「ぼく」のことをわかってくれるな~と(夢想的に)思い、「給料安いんだし、好きなことやらせてもらえなきゃ意味ないと思っていますよ」。かっこう肩で風を切っている感じだけど、好きなことだけやりたいのなら自分の店を持て、趣味でやればいい、いつまでバンドに目覚めた中学生のようなことを言っているのかと、さんざん意見されたら、「こんなに怒られるとは思いませんでした」。でもまだ有名店、有名店と言っているところを見ると、誰の意見も右から左へノンストップで通過というところだな。

いったいどんな教育を受けて来たんだろうな、この人。バブル時代あたりから、叱らない育児や教育、個性や感性の尊重と称して、とにかくひたすら子供にやさしくという教育方針で、「やりたくなければ/やりたくないことは、やらなくてもいい」という風潮が生まれたらしいけど、その教育の観点から見れば、この人は優等生の部類に入るのかもしれない。仮想的有能感から来る過信もあるだろうし、華やかなメディアに「夢は見続けていれば(当然)かなう」と洗脳されて、「かなえる」ために学び、努力するという能動的なプロセスがあることを知らずにいたのかもしれない。あるいは、「シェフになりたい→今すぐここをクリック」のようなデジタル思考なのかもしれない。甘いといえばそれまでのことだけど、高校生じゃあるまいし、30歳を過ぎてもまだそんなんでいいのかなあ、おにいちゃん。しっかりせんかい。

ま、人間誰しも「好きなことだけやっていられたらどんなにいいだろう」と思うだろうけど、好きなことだけを「やり続ける」というのは意外とめんどうくさそうな気がしないでもないなあ。

ブランド品もマークを取ったらただの品

12月6日。火曜日。午前11時30分に目覚まし。なんだか薄暗い。雨かな。スヌーズボタンをポンと叩いて、肘で突いてカレシを起こしたら、「う~ん」、「ふはぁ~」と寝ぼけ声。温かいのでくっついていたら、ワタシも目覚ましがまた鳴り出すまでついうとうと・・・。

朝食後、カレシを英語教室午後の部に送り出して、イギリスから来た迷子郵便をアイルランドへ送ってあげようと、封筒に入れて宛名を書いていたら、スライゴー州の綴りが間違っている。そこで念のため、ググって町の名前もチェックしたら、こっちにも綴り違い。おいおい。番地が大丈夫かなあと思ったけど、ケリー州のキラーニーで2度お世話になったB&Bの住所も家の名前だけで「番地」にあたる数字がなかったのを思い出した。つまり、フィーリー氏は「マウンテンビュー」という名前の家に住んでいるということで、きっと山が見える景色のいいところにあるんだろうな。あんがいB&Bをやっていたりして。封筒には正しい綴りの住所を書いて、クリスマス切手を貼った。今度こそ、迷子にならずにアイルランドまで行ってほしいなあ。

郵便局で私書箱を空にして、モールを歩いていたら、サンタクロースのコーナーでちょうど写真を撮ってもらっている子供がいた。お誕生を過ぎたくらいの男の子。頭をぐっと反らせて、まじまじとサンタクロースの顔を見上げていて、ママらしい人とサンタのヘルパーが鈴を鳴らしたり、呼びかけたりして、手を叩いたりして、カメラの方に注意を向けさせようとするんだけど、赤ちゃんは丸くした目でじぃ~っとサンタに見入ったまま。その顔が何ともあどけなくて、思わず立ち止まってしまった。ワタシだったらそのまま写真を撮ってしまうけどな。サンタと一緒にカメラの方を向いている写真はごまんとあるけど、不思議なものを発見したときの幼い子供の驚きの表情は絶対に演出できるものじゃない。せっかくのシャッターチャンスなのに、ああ、もったいない・・・。

諦めたママが赤ちゃんを座り直させたので、その場を離れてまずは25%割引のカードにあって気に入ったタータンチェックの小さなバッグを買いにCoachへ。まあ、2年ほど使った黒革のが少々くたびれて来たから新しいのを買ってもいいかなと思ったわけだけど、何だか昔の○○商店のおじさんの集金袋のようなデザインで、手首からぶら下げて歩けるから「リストレット」。小さい割には財布とクレジットカードケース、携帯がみんな収まって、それをトートバッグにポンと放り込んで歩けるからいい。カードの写真を指して「これをください」と言ったのに、店員さんは「お買い上げトータルの25%引きになっておりますので~」と、他にも何か買わせようと誘惑して来るから、ご用心。

ワタシは元々ブランドのバッグ類は好きではない(とは、店員さんに言わなかったけど)。特にあのヘンな茶色にブランドのマークを散らしたようなバッグや財布はもらっても持ち歩きたくないな。まあ、かなりのファッション音痴のワタシにだって一応のワタシなりの「ファッション」があるわけで、たまたま最初に買ったリストレットが用途にぴったりと合って気に入ったまでのこと。新しいバッグも、家に帰ってすぐに縫い付けてあった革製の光るロゴマークをナイフで縫い目を切って取ってしまった。(タータン生地の上に散らしてある「C」のマークは取れないけど、革バージョンにがっちり止めてあった銀色の駅馬車マークほどには目立たないからいいか。)帰ってきたカレシに外したロゴのプレートを見せて「取っちゃった」と言ったら、「みんなそれがついているから高い金を出して買うんだろうに、わざわざ取ってしまうやつもいるんだ。へえ~」と感心したんだか、呆れたんだか・・・。

日本では偽のシャネルを販売していた店が摘発されたというニュースがあったけど、正規品なら20万円以上するものが「3500円」だったそうで、買った人が「マークがおかしい」と相談に来て発覚したという話。高いのが売りのはずのブランド品を激安で買えることを「おかしい」と思わなかったのかなと不思議なんだけど、人間の心理自体がそもそも不思議なものだから驚くにはあたらないのかもしれない。重ねた「O」に細工をしてシャネルのマークに見せかけていたそうだけど、ワタシならマークを取ってしまうだろうから、無印になってしまえば偽物も本物もただのバッグ。それにしても、自社のロゴ入りデザインの商品を高額で買わせておいて、ついでにブランドの宣伝広告をさせて「商品価値」をさらに高めるというマーケティング戦術を考え出したのはどんな人なんだろうな。心理学の専門家なのかなあ・・・。

妻の更年期障害は夫のせいだって

12月7日。水曜日。今日はカレシに「もうそろそろ11時半だぞ~」と起こされた。シーラとヴァルが正午あたりに掃除に来るの、起きて大急ぎで身づくろいをしてキッチンに下りたら、まだ午前11時20分。11時半だなんて!とちょっぴりむくれてみせたら、「11時半だとは言わなかったぞ。そろそろ、と言ったんだ」とニヤニヤ。でも、せっかくよく眠ってたのに、10分も水増しするなんて・・・。

今日は仕事なしで始まった1日。。結局はだらだらしてしまったけど、ノートのように綴りになって売られているカンバスに石膏を塗って、滑らかにする作業を始めた。元々練習用の安いものだから、生地の目が粗い上に下地の石膏が薄くて絵の具の乗りが悪い。そこでさらに石膏を塗って、へらで均したらどうやら織り目が目立たなくなった。石膏のペーストはアトリエの必需品で、描き損ねたカンバスに塗れば再使用できるから無駄にならないし、どうしようもないへぼ絵の「隠蔽」にはうってつけ。まっさらになったカンバスを見ていたら、何となくイメージがわいて来るからおもしろい。冬の日の夕焼けなんてどうかなあ・・・。

今日の郵便にクリスマスカードの第1号。ほお、ちょっと知られたあるビジネスの共同経営者になったんだって。すごいなあ。ワタシとはひとつしか年は違わないけど、野心と頭脳でいくつものハンディキャップを乗り越えた人。見た目は華やかだけど淘汰の激しいビジネスだから大変だろうとは思うけど、がんばってね。でも、クリスマスまであと2週間とちょっとしかないのに、ワタシはクリスマスカードをまだ1枚も出していないし、お客筋への「寸志」も送っていない。これは少しばかり慌てないといけないな。カレシはもうクリスマスから新年にかけての「グルメホリデイ」の話ばかり。巣ごもりして、おいしいものを作って、食べて、飲んで、暖炉に火を入れて、2人でゆっくりDVDを見て、のんびりするんだそうな。ふむ、ワタシも「年末年始の休業のお知らせ」を出して、再来週あたりから休みにしようかなあ・・・。

日本で「男性更年期外来」という珍しいクリニックをやっていた石蔵文信という先生が『夫源病』という本を出版したそうな。サブタイトルが「こんなアタシに誰がした」。クリニックに来る男たちに夫婦同伴で出来てもらったら、妻たちの方も更年期障害で苦しんでいたということで、心身を守る働きのある女性ホルモンが減少する時期に(男更年期の)夫たちの何気ない言動によって傷ついたりして受けるストレスによって、自律神経失調症や体調不良など更年期障害を誘発する、と言うことらしい。カウンセリングで改善されるそうだけど、それにしても、「夫源病」という命名は単刀直入ですごい。ワタシが更年期障害の症状に気がついたのは、ちょうど40代の終わりから50歳になる頃。カレシが一過性の精神変調を来たした頃と一致するから、ワタシのうつ病もりっぱな「夫源病」だったんだろうな。「こんなアタシに誰がした!」と言ってやりたいけど、どっこい今のワタシはその結果の「こんなアタシ」でハッピーだから、ま、カレシの場合は怪我の功名かな。でも、この本、一度読んでみたいような、翻訳してみたいような・・・。

ロイターズのサイトを見ていたら、日本の泣く子も黙る経団連の偉い人が、「投資家は企業の業績や日本経済の動きを見ているんであって、企業統治の実績だけを見て投資するわけじゃない。スキャンダルは一企業が起こしたことで、日本の企業(統治)制度には問題はない」と言ったという記事があった。どうやら「同じ日本企業として」恥ずかしいとは言わず、「ひとくくりにするな」ということか。エダノ大臣も同じようなことを言っていたな。「日本の企業統治はアメリカと同等かそれ以上なんだ!」と。何かまずいことを指摘されると、「そっちこそ」とか「○○だって」と、まるで砂場の子供の口げんかみたいだけど、問題の本質は見ないで済むから便利な議論でもある。

まあ、これだけ世界の経済界が「日本の企業統治」(本質的に江戸時代の藩みたいなもの)に関心を持っているのに、日本の経済界は会社法改正は必要だ(立派なタテマエ)と言いながら、社外取締役(=よそ者)の導入が義務化されたら「経営の自由」が損なわれると心配しているらしい。損失を隠すのも、事故を隠すのも、正論を述べる人を飛ばすのも、これ経営の自由という、か。経営の責任も真っ当に果たさないで経営の自由も何もないと思うけど、オリンパスは外国人というよそ者中のよそ者を入れたからあんなことになったんだと言いたいのかもしれない。まあ、たぶんこれがホンネなんだろう。オリンパス事件はさしずめ「他源病」で、「こんな会社に誰がした」というところかな。ちなみに経団連には『企業行動憲章』なるものがあるそうだけど、どんなに崇高な理念が掲げられていることか・・・。

水もれ洪水騒動の後始末

12月8日。木曜日。正午前に起きたけど、何だか眠い。寝たのは午前5時過ぎ。4時前におなかがすいたから寝酒とスナックにしようとシステムをシャットダウンして、いつもベッド脇に置いておく飲み水をびんに入れようと奥の部屋に言ったら、きゃあ、洪水!

ウォータークーラーの上に逆さまにセットしてあった19リットル入りのボトルの底に目に見えないひびが入っていたらしい。ボトルの内外の気圧を同じにすることで一気に水がタンクに流れ込まないようになっているんだけど、プラスチックのボトルのどこかに目に見えなくても空気が通るほどのひびが入っていたら、気圧の均衡が破れて、水はどんどんタンクに流れ込み、3、4リットル程度の冷却タンクはすぐ満杯。溢れた水はクーラーの底から床に流れ出すことになる。たまにそういう欠陥ボトルに当たってカーペットが水浸しになることがあるもので、厚いビニールシートの上に板を置き、その上に四辺を折って箱のように作ったビニールの「受け皿」を置いて、その中にクーラーを置いていた。きのうはその受け皿があふれてしまって、周りのカーペットはぐちゃぐちゃ。セットしたばかりのボトルの3分の2が床に溢れてしまった勘定で、2人して大騒ぎしながら、ありったけのタオルやバスマットで吸い取った。

まあ、ベースメントだから、コンクリートの床にスタイロフォームの断熱材、合板の下地板、ゴム系のカーペットの下敷き、そしてカーペットの順になっているから、最悪の場合、乾く前に合板が腐るかカーペットにカビが生えるか。小部屋の暖房の温度を上げて、カレシが二階のパスルームから吸水性の良い大きなバスマットを持ち出して来て被せて、とりあえずそれまでということになったけど、2人とも何だかぐったり。水を配達してもらうようになって15年くらい経つけど、昔はごくごくたま~にあった欠陥ボトル、オンタリオの会社に買収されてからは何だか年に2、3回は当たるようになった気がするな。コスト削減もいいけど、洪水騒ぎは困る。請求書にはいつも社長が「何かあったら直接電話かメールをください」って書いてあるから、苦情メールを送ってやろうか。寝酒をやりながらそんな話をして、ちょっと気を取り直して就寝・・・。

起きてから調べたら、バスマットはかなり水を吸って濡れていた。カーペットが完全に乾くまでに2日。や3日。はかかりそうなので、クーラーは別の場所において、新しいボトルをセット。水漏れを示しそうな泡がないことを確かめて、電源を入れて冷却開始。コンプレッサーには被害はなかったようだけど、早めに重いボトルを逆さまにしなくて済むポンプ式のクーラーに買い替えて、洪水とはおさらばしたいな。ま、あしたは水の配達日なので、空にした欠陥ボトルに太いフェルトペンで「欠陥ボトル!水漏れ洪水でカーペットに被害の可能性あり。要代金払戻し!」と書いておいたけど、やっぱり頭に来るから、社長にメールして文句を言ってやろうっと。「ゴメンネ~」ぐらいは言ってくるのかなあ。

朝食後、郵便受けを見に行ったカレシが白い封筒2枚をヒラヒラさせて戻って来た。おお、CIBCからの小切手。2週間くらいかかると言っていたけど早かったじゃないの。これでほんとに、ほんとにCIBCと縁が切れた。バンザ~イ!税金が源泉徴収されても、2人分を合わせるとちょっとした額になる。ワタシたちのものなのに何年も手を出せないでいたお金がやっと戻って来たという感じで、日本だとボーナスが出たような、なんか急に懐が暖まった気分。折りしもクリスマスの季節だから、ちょっと贅沢をしてみたいなあという気もする。だけど、なかったのも同然のお金だからパッと使ってしまおうというのもちょっと抵抗感があるな。その気になればけっこうパッと使えてしまいそうな金額だし、元々2人の「老後の資金」の一部だったんだから、宝くじのように空から降ってきたわけじゃないし・・・。

ま、とりあえず銀行の口座に入金しておくことにする。たぶん、2人ともたいして贅沢なことは考えつかずじまいになりそうだけど、12月にもならないうちからカレシがご馳走の話をしては「何だか今年はすごく楽しみなんだよね」と言っているクリスマス、やっぱりワタシたちには食い気を満たすのが一番の贅沢かな・・・。

のどかに過ぎた普通の1日

12月9日。金曜日。正午前に起床。カレシは9時半に目が覚めてしまったけど、早すぎるからとがんばって寝なおしたんだそうで、今度はなかなか目が覚めないとぼやくことしきり。やれやれ。起きてみたら、水の会社から「水もれボトルの件は倉庫の管理責任者に伝えます」との返事。ふむ、倉庫での扱いが粗雑ってことなのか、配達前の点検を強化するってことなのか。どっちにしても、水もれボトルが配達されなくなればそれに越したことはない。カーペットはまだ湿っていて、見るとかなり広い範囲で濡れたのがひと目でわかるから、あ~あとため息が出る気分になるもの。

カレシは何となくダレちゃったということで、予定していたクリスマスとお正月のご馳走の食材探しはあしたに変更。またまたドタチェンか。明日は土曜日だからどこへ行っても混むんだけどな。ま、野菜がなくなったし、日ごろ食べるものもなくなって来たから、とりあえずは明日のご飯の話。でも、あれが欲しい、これが欲しいと言っておいて、いざとなると買いに行こうというときにめんどうくさくなって頓挫するのはけっこう経済的でいいかもしれないな。もっともカレシがあれが欲しいねえ、これを作りたいなあと言い続けるときは、実は(ワタシに)「買って来て」、「作ってくれ」という信号を送っていることが多い。そういうところは幼児が母親の愛情を試すのと似ていなくもないけど、たぶん「してくれる」ということで自分の愛され度を測りたいのかもしれないな。だから自分でちょっと買いに行けば手っ取り早いのに、あれが欲しいなあ、あれがあるといいなあ、あれを作りたいなあ・・・。

でも、ダレているわりには外へ出て行って、落ち葉でいっぱいになったポーチの雨どいの掃除を始めたからエライ。ワタシもあちこちに放置してある雑誌やカタログを集めて、宛名のところに「隠蔽スタンプ」をポンポン押して、リサイクル用にひとまとめ。ウォータークーラーの隣に置いてあったビデオとCDのキャビネットをえっちらおっちらとキッチンに運び上げて、壁に埋め込んだスパイスキャビネットの隣に置いたら、仕上げの色合いもほぼ同じで収まりがいい。最近はテレビのニュース番組も同じ話を繰り返し流してつまらないから、キッチンで音楽を楽しもうということなんだけど、上にちょっとした飾り物も置けるから、季節がらクリスマスカードを並べた。後は2段の本箱と収納キャビネットをどこかに移せば、昔ワタシのランチルームだった奥の小部屋を普段は納戸代わりにして、泊り客があるときはガラクタを外に出して「開かずのベッド」になっていたソファベッドを活用できる。水もれ洪水騒ぎのおかげで整理整頓になればしめたもの・・・。

日本ではもう週末で、ワタシは仕事が入っていないから、夕食が終わったら「趣味の時間」ということで、絵を描き始めた。我が家から見えるゴルフ場の向こうの夕焼けのイメージ。まず下地に普通の空の色を塗って、少しずつ夕焼け色に塗って行く。最終的には「青空」はなくなるんだけど、この下地があるのとないのとでは微妙な違いが見えることがあるから不思議。太陽が沈んだばかりの夕焼け色を出すのに、赤、深紅、黄色、青を、混ぜ合わせてみたり、塗り重ねたり、ぼかしたりと、絵の具だらけになりながら3時間ばかり悪戦苦闘。その間に太陽は地平線の向こうにだいぶ深く沈んでしまったようで、日没直後の夕焼け色とはちょっと違う色の空になったけど、その地平線を塗って今日はおしまい。こうやって遊びごとに気持を集中できるのはいいな。やっぱり今年は早めに休みにしてしまうか・・・。

1日中食べ物を追いかけた日

12月10日。土曜日。目が覚めたら、外は何となく薄暗そう。来週半ばくらいまでずっと晴れの日が続くはずじゃなかったのかなあ。窓から外を見たら、小ぬか雨というのか、それとも霧雨というのか、よくわからないけどかなり湿っぽいことだけはたしかだな。

朝食が終わってすぐに、スロークッカーに夕食に仕込み。といっても、カレシが久しぶりにカレーを食べたいというので、少量の牛肉をスライスして、お決まりの玉ねぎ、にんじん、じゃがいもと一緒に炒めて、適量の水と市販の入れただけ。普通ならセーフウェイのような普通のスーパーでいつも普通に売っているグリコカレーなんだけど、今日はHマートで買った「ジャワカレー」というのを使ってみることにした。何しろカレシは去年新宿駅西口のちっちゃな立ち食いの店で食べたカレーの味が忘れられないで、ときどき日本式のカレーライスを食べたくなるらしい。あのとき、カレシは野菜カレーでワタシはビーフカレーを注文したけど、具らしいものがほとんど入っていなかったから、実際にはどっちがどっちを食べたのかわからない。でも、500円玉ひとつでおつりが来て、しかも未だになつかしがるくらいおいしかったから言うことなしだけど。

まずはWhole Foodsへ行って、高いけどやめられない大好きな量り売りのシリアルを袋にいっぱい買い、最近はまっているTERRAというブランドのサツマイモやビーツ、タロ、カッサバなどの野菜チップを大量に仕入れ、ついでにアルメニア式クラッカーも買ってホリデイシーズンの準備。肴売り場では、鯛とブランジーノを2匹ずつ鱗と内臓を取って(鯛は尾頭付き)包んでもらった。ブランジーノはヨーロッパのスズキ科の魚で、最近ときどきレストランのメニューに登場するようになった。資源が乏しくなってからは養殖されているそうで、仕入れ過ぎて余ったのが魚屋に現れるということかな。お正月用の鯛も養殖ものだけど、潮汁風にしてみようと思って頭を残してもらった。本式の鯛の潮汁はお椀に頭が入っていて見上げているんだと言ったら、カレシは「イ~ッ」という顔。まあ、鯛ってなんか気むずかしそうでエラソーな顔をしているから、ワタシだってお椀の中から睨まれたくないなあ。

食べ物の手当が付いたら、隣のLondon Drugsにポンプ式のウォータークーラーを見に行った。さして重くはないけど、問題は車に納まるかどうか。ポンプ式はひとつしかない。配達してもらえるかどうかを聞くのに、サービス(とは名ばかりの)カウンターに並ぶこと15分。配達の手配はするけど、バンクーバー市内は最低50ドルかかる(からやめといたら?)とそっけない返事。はいはい。車の後部座席に納まらなければ座席の片側を倒せばいいだろうということで、2人がかりでえっちらおっちら箱をレジへ運んで、駐車場まではエレベーター。ま、買ってしまえばこっちのもので、今クーラーに載っているボトルが空になったら切り替えればいい。とにかくボトルを逆さまにしなくてもいいから楽だし、洪水の心配もなくなるのはうれしいな。(ずぶ濡れになったカーペットはまだ湿っぽい・・・。)

家に帰ると夕食のカレーがほぼ出来上がっていて、普通の日本米が足りなかったので、タイのジャスミン米にしようか、インドのバスマティ米にしようかとちょっと思案したけど、結局は発芽玄米を炊いた。だって、カレーライスはれっきとした「日本食」で、日本食には日本のご飯が一番合うんだもの。日本から輸入される日本米はレストラン業界向けのごく少量なので、この発芽玄米も産地こそ日本ではないけどジャポニカ米なんだから、日本のカレーに合わないはずはない。実際にカレーをかけて食べてみたら、玄米のナッツのような味わいがスパイスとぴったり合っていて白米で食べるよりもおいしかった。この次は八穀米でカレーを食べてみようかな。

満腹になったところで、今度は西の方のスーパーへ野菜の買出し。2人とも冷蔵庫の野菜が底をつきかけていたので、あれもこれもとカートいっぱいに盛大に買い込んだら、レシートの長さが何と40センチになった。そのほとんどが野菜と果物。なんというか、今日は1日。中食べ物を追っかけ回していたような気がするなあ。