リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

今ごろになって、もう!

2014年05月31日 | 日々の風の吹くまま
5月、終わり。もう1年の4割ちょっとが過ぎたということで、早いもんだ。さて、新しいSLRカ
メラを買うつもりでいたカレシ、欲しい機種も決めてやっと腰を上げるのかと思ったら、別の
機種に目移りして、Amazonなら今から注文しても間に合う、と。ええ?出発まであと1週間
しかないから間に合うはずがないよ。「でも1日から3日で発送と書いてあるから大丈夫だ」。
ええ?大丈夫なわきゃないよ。「発送」であって、「配達」じゃないでしょ?発送してから配達
されるまで何日かかるかわからないよ・・・。

ちょっとしおれたカレシ、最初の機種は注文すれば翌営業日に指定の店でピックアップでき
るのに「こっちの方がいいんだよ」。じゃあ、「みんなのヨドバシカ・メ・ラ」で探せば?免税枠
が1人800ドルあるし、円安だからあんがいその方が割安かもしれないよ。「でも、日本は
機種名が違うだろうから・・・」。だったら、スペックと実物写真を印刷して持って行けばいい
でしょ?「でも・・・」。ああ、もうっ!と、じれったくなって、カタカナで機種名を入力して検索し
たら同じ名前で出て来た。ただし、2012年発売らしいけど、まあ、同じ機種名なんだから、
ヨドバシで聞いてみたら?

そういうことになって、2人揃ってヘアカットにアントニオのところへ行って、すっきり、さっぱ
りして帰って来たら、もう夕食の支度の時間なのに食材を出していなかったことに気がつい
た。やれやれ、出かける前のカメラの1件でごちゃごちゃして、すっかり忘れてしまったじゃ
ないの。ま、こういうときは、特急で解凍して作れる刺身に限る。フリーザーをかき回して、
サーモン、アルバコアまぐろ、はまち、たこ。流水で解凍している間に、少しだけ残っていた
寿司飯を電子レンジでチン。寿司酢を足して混ぜて冷まして、いくらのボート。残りはミニの
ポケ丼。大根と冷凍はまぐりのスープを作って、大根は桂むきの代わりにおろしにして、程
よく解凍した魚をスライスして、できあがり。さっと梅酢を振ったカレシ菜園のラディッシュを
彩りにして、フリーザーで冷やしたお酒を注いで、お~い、ご飯だよ~。

     

温める旧交があるのは幸せだね

2014年05月30日 | 日々の風の吹くまま
ベーカリー当番のカレシがパンを焼くのを忘れたので、カリッと焼いた減塩スパムと目玉焼
きを半分にしてトーストしたピタの中に入れて「モーニングピタ」としゃれてみた。ちょうど食
べ終わる頃に電話。番号表示を見たら、フレデリクトンから。ダイアンとカレシのほぼ50年
ぶりの会話。これくらいの遠い昔話になると、良く弾むボールみたいなもので、あっちの方
へ飛び、こっちの方へ飛びして、延々と続く。ワタシとR子も、おととし50年ぶりに会ったとき
は延々と5時間もしゃべったくらい。

積もる話に埋もれているカレシを置いて、ワタシはオフィスに退散。月末処理やら、銀行の
残高のチェックやら、留守中に期限が来る請求書の整理やら。けさ来ていた固定資産税の
繰延べ契約の更新申請書の記入やら。後は新聞サイトを回って、小町横丁をのぞいて・・・。
カレシとダイアンの関係は「男女の交際」というよりは大の「悪友」だったんだそうで、昔の
「悪行」の数々を懐かしんでいるのか、ときどきカレシが爆笑している。彼女もカレシのこと
を忘れないでいてくれて、よかったね。

話が始まってから2時間ちょっと。カレシが耳をさすりながらオフィスに降りて来た。あはは、
50年の空白を埋めようと言うわけで、耳も痛くなるよね。ま、互いに「人生の履歴書」を交換
したらしい。カレシが自分ことをどれだけ話したか知らないけど、ダイアンの人生もけっこう
波乱万丈。結婚相手は大学の体育学の先生で、転職する夫氏についてマニトバ、アルバー
タ、テキサスを転々として、30年ほど前にフレデリクトンに落ち着いたという話。揃って遊び
においで、10月初めは紅葉がすばらしいよ、とのこと。カレシは「キミとダイアンだったら、
永久におしゃべりが終わりそうにないな」とにやにや。うん、何だか意気投合しちゃいそうな
予感がするのよねえ・・・。

カレシの微に入り細にわたっての報告を聞きながら、ワタシはトレッドミル。今は傾斜を上げ
ながら時速約5.5キロで20分。距離は約1.8キロで獲得標高210メートル。げらげら笑
いながらの早歩きはちょっとばかりきついなあ。でも、半世紀も互いに忘れることのなかった
「旧悪友」との糸がつながって、ほんとによかったなあ。ぜひ会いに行こうね!

幸運な「たまたま」の結び目

2014年05月29日 | 日々の風の吹くまま
雨模様で、正午の温度は11度。5月の終わりにしては寒すぎる。カレシを英語教室に送り
出して、メールをチェックしたら、やった、仲良しのJ子と東京で会える。小学校から中学1年
までクラスだった幼友達。おととしは釧路の彼女の家に泊まってふるさとを堪能したけど、
今年は行けないので、埼玉に住む仲良し同級生のR子にもしかして東京まで来てくれるか
なあと聞いてみたら、「たまたま」群馬に住む娘に会いに行くつもりだったのを急ぎ予定変更
して、東京に寄り道してくれることになった。

さっそく、R子に私達のホテルに部屋を取ってJ子に東京の休日をプレゼントしようよと提案。
R子夫婦に私たち夫婦とJ子で高層ホテルからの夜景を楽しみながらの夕食の後、2人の
部屋で心行くまでおしゃべり。次の日はホテルで朝ごはんをしたら、J子が群馬に行く前に
一緒に遊ぶ時間もありそう。2人とも小学校に入学して「たまたま」同級生になって、それか
らかれこれ60年。音信が途絶えていた長い空白もあるけど、今は会えば放課後にランドセ
ルを放り出して遊び場に集まった子供みたいになる私たち。

先日カレシが「たまたま」ほぼ50年ぶりに見つけた元カノ(というか「友達以上恋人未満」)
のダイアン。メールが忙しく行き来して、明日電話をすることになった。「いたずらっぽくて、
ユーモアが鋭いところは昔のままだ」とカレシ。十代で「未婚の母」になった彼女、その後は
大学で教育学の学位を取り、フランスに留学して学位を取り、60歳目前で修士号も取って、
教育活動や文筆活動、政治活動で毎日が多忙というから、すんごいバイタリティ。今の夫氏
との間に娘がいて、孫もいて、おまけに今年初めに息子に孫ができて、65歳で「ひいおば
あちゃん」になったというから、言うことなしにすごい。明日が楽しみだなあ。

カレシがしんみりして曰く、「50年も60年も経っても昔と変わらない友達もいるんだなあ」。
そりゃあいるでしょ。幼な友達はどんなに年をとっても絆は変わらないと思うし、意図的に疎
遠にしたんでなければ青春時代の友情も同じだと思う。長い年月の後で「たまたま」再会し
てすぐ昔に戻れるのは、宇宙には不思議な力が働いていて、人の縁や時代の糸が「たまた
ま」幸運な結び目を作ったということじゃないのかなあ。生きているのっていいもんだと実感
する瞬間だと思うなあ・・・。

機械には言葉の綾はわからない

2014年05月28日 | 日々の風の吹くまま
先日のディナーで同席したワイナリーの販売部長さんに約束した通り、今日はワイナリーの
HPの日本語を読んでみた。なかなかおしゃれなデザインだけど、一番下にある「日の丸」を
クリックしたら、出て来たのは何とも??な日本語。(予想はしていたけど。)他にもいくつか
国旗が並んでいるから、翻訳機能がついているんだろうな。でも、会社名からしてみごとに
「誤訳」。意味としては正しいけど、使われている翻訳ソフトには固有名詞と普通名詞の区
別がつかないらしい。

機械翻訳はヨーロッパ系の言語対ではかなり精度が向上しているけど、英語と日本語の対
ではまだ「まあ、いいか」と言えるレベルにさえない。1990年代の情報化ブームの頃に翻
訳ソフトが登場して、仕事に追いまくられていたワタシも効率化のために導入を検討してみ
たけど、手を加えないと納品できないしろものだったので断念したことがある。だって、言葉
のひだや表現の綾がわからないキカイが訳した「何ちゃって日本語」を自然な日本語に「訳
し直す」には大変な時間と労力がかかりそうだったんだもの。

あれから20年、ウェブにはまだいかにも「キカイで翻訳しましたぁ」みたいなのが溢れてい
る。機械翻訳で翻訳費用を節約したつもりなんだろうけど、母語への翻訳ならキカイを過信
して翻訳文を見ていないのか、外国語ならわからないから良し悪しの判断ができないのか、
目も当てられないものが堂々と掲載されている。それに比べたら、このワイナリーのは日本
語としてはめちゃくちゃでも、ひどい誤訳や珍訳は少ないからまだいい方かもしれない。でも、
大体の内容がわかれば十分ということなら機械翻訳でもいいけど、宣伝や販売促進のため
の文書としてはやっぱりまずいよね。

新規の顧客は取っていないと言ってあったら、販売部長さんが「お礼にお気に入りのシャセ
ラスを何本か進呈します」と言ってくれたので、それならばと、内容を細かく検討して、「コン
サルティングレポート」を送ることにした。カナダのワインと言えば日本ではナイアガラ地方
のが主流らしいけど、最近は国際的にも高く評価されるようになったBC州のオカナガン地
方のワインは贔屓目に見なくてもナイアガラ産を超えていると思う。それを日本の人にもっ
と知ってもらうためには、HPのこの日本語、何とかしないと・・・。

カナダの領土になりたがっている島

2014年05月27日 | 日々の風の吹くまま
カリブ海の西インド諸島には無数の島があって、そのうちのキューバの東側、バハマ諸島
のすぐ近くにあるのがタークス&カイコス諸島。イギリスの海外領土で、40の島のうち人が
住んでいるのは10にも満たず、人口は3万人をやっと超えたところ。どこまでも青い海と青
い空とさんご礁と輝くビーチの熱帯のパラダイス。そのタークス&カイコスの首相がカナダを
訪問中で、またぞろ「併合」の話が浮上して来た。

「またぞろ」というのは、このタークス&カイコス諸島はもう100年近くもカナダの11番目の
州になりたがっていて、何度もカナダに「併合」をお願いしてはお断りされているところだか
ら。領土の分割や併合は歴史の定番みたいなもんで、たいていは流血の紛争が絡むけど、
向こうから併合を望んでいるのにお断りというのは歴史にもあまりないかもしれないな。ワタ
シがカナダに来てからも、あっちの方から併合案が出されたことがあって、「そんなことをし
たら島民がみんなカナダに移って来てしまう」と騒いでいたけど、熱帯の楽園の人たちが
「Great White North(偉大なる白い北国)」にこぞって引っ越すわきゃないだろうと思ったな。

タークス&カイコス諸島のユーイング首相は「カナダとの経済的、文化的結びつきを深めに
来た」と言うけど、アルバータ州選出の議員が「カナダもハワイが必要だ。アメリカはハワイ
を持っている。我々だって自分たちのハワイが欲しい」と言い出してメディアをにぎわす始末。
オタワからだったら、たしかにエドモントンの選挙区に帰るよりはタークス&カイコスに遊び
に行っちゃった方が距離的に近いだろうな。特に東部のカナダ人は「燦々と輝く熱帯の太陽
の下の青い海とビーチ」を夢見ながら長くて厳しい冬を耐えるそうだし。でも、ベアード外相
が「カナダはカリブ海の島々を併合するつもりなんかないよ」と言ったので、「自前のハワイ」
もまた見果てぬ夢で終わりそう。

それにしても世界のいたるところで年がら年中、あっちの島、こっちの半島、あの山は、この
海は誰のものかともめているというのに、「おたくの領土になりたいです」とお願いされて、そ
れを「けっこうです」と断っちゃうなんて、ちょっともったいない気もしないではないなあ。だっ
て、写真で見る青い空と青い海と白い砂はうっとりするくらいきれい。けんかしなくてもあれ
がカナダのものになるってのに・・・。


半世紀前の元カノ発見!

2014年05月26日 | 日々の風の吹くまま
おとといだったか、カレシが突然「やっぱりダイアンだっ」と素っ頓狂な声を上げた。何のこと
はない、20代の初めに一時カレシのガールフレンドだった「ダイアン」。当時の彼女は10代
後半。あの年令での5、6歳の年の差は大き過ぎて、本格的ロマンスには発展しなかったけ
ど、何となく「兄と妹」のような関係が続いたらしい。結婚以来、何度もダイアンの話を聞いて
いたので、ネットで偶然彼女のお母さんに関する記事を見つけ、そこからいわば「元カノ」の
ダイアンを探し当てたと聞いて、ワタシまで何だかワクワクした気分になった。

ダイアンは上流家庭の生まれだけど、小さい頃に両親が離婚して、ダイアンを引き取ったお
母さんはいくつもの慈善団体の理事として忙しく飛び回っていて、ダイアンはあまりかまって
もらえなかったらしい。20歳を過ぎてからはドラマになりそうな波乱の人生で、カレシが大
学に入って交友範囲がずれてからだんだん会うことがなくなり、オタワに就職してバンクー
バーを離れた時点で交流が途絶えたということだった。カレシ若かりし頃のガールフレンド
については、人並みに何人か遍歴したことは家族の集まりで聞いて来たけど、カレシが自ら
思い出語りをするのはダイアンだけ。

50年近い年月が過ぎた今、そのダイアンは東のニューブランズウィック州フレデリクトンに
住んでいて、探し当てたHPの写真は「丸くなっているけど、ダイアンの顔だ」と。苗字が変
わっているからある時点で結婚したんだね。プロフェッショナルライターとして、カレッジでラ
イティングを教えたり、雑誌などに記事を書いたりしている。さっそくHPにあったアドレスに、
彼女がつけて彼女だけが使っていたカレシのあだ名を添えてメールを送ったら、返事が来
た。昔のあだ名で呼びかけて、「その後どうなったのか聞かせて」と。カレシはもうすっかり
有頂天。こんなにうれしそうなカレシの顔はめったに見られないと思うくらい。

しきりに「ダイアンに会ったらキミは絶対に意気投合すると思うよ」と言うカレシ。ワタシも何
となくそんな予感がするな。ずっと昔から親しかった人のような気がするんだもの。いつか
ふるさとの面影を探してニューファウンドランドに行きたいから、そのときはニューブランズ
ウィックまで足を伸ばして、ダイアンに会いたいね!

和製ジョブスより世界のヤマダでしょ?

2014年05月25日 | 日々の風の吹くまま
いつものようにブックマークしてある20紙近い新聞サイトを巡回していたら、日本の総務省
が「和製ジョブス」の育成を目指す支援事業を始めるという記事があった。情報通信分野で
世界を席巻するような奇抜なアイデアの持ち主に研究費を出すということらしいけど、ふと
「?」と思ったのは何で「和製」ジョブスなのかということ。スティーブ・ジョブスのような人材を
育てたいと言うけど、何か「コピー商品」を作ろうという感じがする。二番煎じでしょ、それ?
何でジョブスを超えるオリジナルの「ヤマダ」を育成しないの?

それにしても日本には「和製○○」とか「日本の○○」が多すぎる。外国の「○○」を日本で
も作った(日本にも似たものがある)ということだろうけど、どうみても「模倣」でしょ?まあ、
「和製英語」という、日本でしか通用しない正真正銘純正の和製「輸入品」もあるけど、役所
が想定するのは「日本製のスティーブ・ジョブス」。はて、お墓の中のジョブスがどう思うかな。
「天上天下唯我独尊のジョブスをマネすんなっ」と怒るのか、それとも「オレは日本がコピー
を作りたがるくらいにすごいんだ」と喜ぶのか。

昨今は特に日本(人)はと声高に誇り高いわりには、アメリカに「アメリカ製ヤマダを育成しよ
う」と思わせるような人材を育てるという発想がないのはどうして?それこそ世界への「和魂
和才」の発信と言えると思うけど、世界で既に名を成したものや人に模して「和製/日本の」
と冠をつける時点で「日本」と言う小さな枠に閉じ込めているということ気付かないのかなあ。
誰もイチローを「和製何とか」とは呼ばないよね。(逆に日本のある選手を「和製イチロー」と
評していた人がいたけど。)だって、イチローはそのうちに「アメリカのイチロー」と呼ばれる
選手が出現するかもしれないワン&オンリーの「イチロー」なんだもの。

日本国総務省も情報通信分野の「イチロー」を育てることを考えるべきだと思うけど、霞が
関のお役人には元からそんな発想はないんだろうな。最近よく、日本の若い人が将来の夢
として語る「イメージ」はメディアで見た既製のイメージで、自分で思い描いたものではないと
感じているんだけど、何だか大外れでもなさそうに思えて来た。「和魂洋才」と横並び主義
が無限の可能性を秘めた「ヤマダ」を「山田金太郎飴」で終わらせているとしたら、もったい
ないこと甚だしい・・・と、思わない?

☆ふるさとは遠くにありて想うものなれど

2014年05月25日 | 日々の風の吹くまま
5月24日。小町の掲示板で最近ちょくちょく見かけるようになったトピックのテーマが「日本に帰りたい」。重度のホームシックで、何年も帰っていない日本に帰りたい。でもお金がなくて帰れない。帰りたいけどお金がないと夫にも両親にも言えないという人がいる。国際結婚らしく、在米7年とか。日本の何もかもが恋しい。老いた親に孫の顔を見せたい。幼い頃の日本の暑い夏の風景(網戸に扇風機、ラジオ体操、花火大会、夏祭り、夜店、蚊取り線香の匂い、イグサの匂い、東京の雑踏、山手線の音楽・・・)が瞼に浮かんで泣けて来る。子供や親の年令からすると、この人はおそらく40代か。日本に帰りたくて、いても立ってもいられないと投稿するのは40代半ばから先の人が多いという印象だけど、女性はそろそろ更年期に入る年頃だから、ホームシックもその影響ではないのかな。

「ホームシック」という焦燥感はワタシにも経験があるからよくわかる。ただし、カレシが州公務員になってビクトリアに移ったときの話で、たった6ヵ月間だったけど恋しかったのは日本じゃなくてバンクーバー。カレシを置き去りにしてでもバンクーバーに帰る!と駄々をこねたワタシ。幸い?カレシもビクトリアが嫌いで、何とかバンクーバーに同じ省の別の部署のポジションを獲得して一緒に帰って来れたんだけど、もうすぐ40年になるカナダ暮らしでワタシがホームシックになったのは後にも先にもあのときの一度だけ。当時は日本を離れて4年とちょっと。生まれ育った日本については「帰りたい」という気持は微塵もなかったのに、バンクーバーとは日帰りできる距離にあるビクトリアで猛烈なホームシック。今考えてみると、住環境が悪かったし、「行政」が主産業の土地では職の選択肢が限られ、「専業主婦」状態が退屈でたまらなかったのが要因かもしれない。(就職の機会は何度かあったけど、まだ「外国籍」だったのでアウト。)

海外での生活の最初の数ヵ月、1年は、留学生も企業の駐在員も移住者も同じで、家族や友達と離れたさびしさや不慣れな日常への苛立ちや疲れからホームシックになるケースが多いだろうな。でも、留学生や駐在員はやがて日本へ帰って、ホームシックも懐かしく思い出せる身分だけど、移住や国際結婚で異国に永住する人たちはそうはいかない。ひと口に「海外」と言っても先進国から開発途上国までピンキリだから、移住先の生活環境や文化習慣にもよるだろうし、膨らませた「期待」の大きさにもよるだろうけど、海外生活に慣れたはずの数年後、十数年後になって、頻繁に里帰りができていた人でさえ取り付かれるらしい「帰りたい病」はホームシックや懐かしさよりもっと根の深い心理的な原因があるように思える。

年齢的な要素もあるだろう。住みついた土地に馴染めなかった、期待と現実の落差が大きすぎた、生活に疲れた、結婚が破綻した、といった要素もあるだろう。海外で何年生活していても「日本では・・・」と言う逆出羽の守だったり、「日本だったらこんなことはないのに・・・」と愚痴っている人は、少なくともワタシにはあまり幸せではなさそうに見える。(ワタシには比べられるほど近い日本の記憶がないから、愚痴は普通のカナダ人の愚痴にしかならないということもあるけど。)移住先の環境との相性が悪ければ悪いほど、心地の良かった祖国の環境がどんどん美化されて行くものらしいから、やがて「もうこんな国は嫌い」という心境になったときに、もっと良い日本に帰りたいという気持になるんだろうな。でも、帰りたくて矢も盾もたまらない「日本」が記憶の中で美化された国なんだったら、帰ってハッピーエンドになる保証はないと思うんだけど。

人間なら誰でも記憶の中に「ふるさと」の原風景があると思うから、懐かしいという感情も誰もが持っているだろうな。ワタシにだって「北海道」という故国があって、生まれ育ったふるさと釧路の風景は今でも懐かしい。夜な夜な子守唄のように聞いていた霧笛。浜での焚き火の潮風と煙の混じった匂い。干してある昆布をちぎって食べて漁師さんに追い払われたこと。ガス(海霧)が押し寄せてくると遊びを中断して家にカーデガンを取りに帰ったこと。みんな黄色のさんま漁船。幣舞橋の下に浮いていた流氷。太平洋いっぱいの豪快な夕焼け。どれもこれも思い出すと懐かしくて胸がじ~んとするワタシの原風景。でも、帰りたいという気持はわいて来ない。なぜって、それはワタシの人生の過去であって、「今」ではないから。今が幸せで、今いる「ここ」から逃げ出したい理由がないから。

ワタシのご先祖さまは明治初期に開拓者として蝦夷地に分け入った人たち。ご先祖さまは後にした故郷を二度と見ることはなかっただろうけど、厳しい開拓作業の中での望郷の念は大変なものだったろうな。じゃがいも飢饉でアメリカに渡ったアイルランド人移民と何かしら通じるところもあるような気がする。(アイルランドの霧に包まれたディングル半島の風景はワタシの原風景そのものだった。)明治の頃にハワイやアメリカ本土に移住した日本人たちは多かれ少なかれ「故郷に錦を飾る」ことを夢にみていて、(アメリカンドリームが生きていた頃に)貯めた金を土地などに投資したりしてやがて巨富を築く日系人が出なかったのはそのためだという話を何かで読んだことがあるけど、望郷の念に浮き足立っている現代の日本人(移民)にとって、持ち帰る「錦」があるとすればどんなものなんだろう。


「行かなかった道」はどんな道?

2014年05月24日 | 日々の風の吹くまま
カレシに饒舌ブログで「ホームシック」についてだらだらと書いた話をしたら、「あのときキミ
がオタワまで来ていたら、オレたち、今もオタワかもしれないな」とちょっと遠い目になった。
あのとき(1973年)、連邦政府公務員だったカレシは蒸し暑いオタワの夏に嫌気がさして、
ホームシックになっていたらしい。まあ、格安航空券なんてない頃だったから、バンクーバー
から5千キロ近く離れたオタワまで行けなかったし、何よりも、4年間文通したとは言え会っ
たことのない独身男のところへひとりで行くのは「嫁入り前の娘」の行動としては「いかがな
ものか」だったんだし・・・。

あのときオタワに行っていたら、私たちは普通に恋をして、結婚して、そのままオタワに住み
着いたのかなあ。カレシは一応キャリア組だったから、連邦政府の官僚としてかなりいいと
ころまで昇進できたかもしれないね。カナダの首都だから、いろんな文化活動が盛んだし、
夏は週末ごとに湖畔か森の中のコテージに出かけて、冬はリドー運河でスケートを楽しん
で・・・う~ん、ばら色だなあ。でも、ワタシは専業主婦向きじゃないから、退屈で気が狂いそ
うになって、日本に帰る!と駄々をこねたかもしれないよ。

ビクトリアでもワタシは猛烈なホームシックになって、カレシを放り出してバンクーバーに帰
るとごねたじゃないの。だって、公務員はカナダ国籍者が優先されたから、「行政」が中枢産
業のビクトリアもオタワも、永住権だけでは仕事の選択肢が狭まってしまう。ビクトリアでは
実際にそれで何度か就職のチャンスを逃した。(だからバンクーバーに戻ってすぐに市民権
を申請したわけ。)「でも、ビクトリアはオレにとっても腰掛だったから、バンクーバーで募集
があったらすぐ応募するつもりだったよ」と、カレシ。うん、住宅難でやっと見つけたアパート
は粗悪で最低だったし、休みの日もあまりすることがなかったし、まあ、2人してホームシッ
クだったのかな。

「でも、オタワだったらオレの給料で十分に暮らせたから、キミは大学に行けばよかったんだ
よ」と、カレシ。なるほど、そういう手もあったのか。大学で勉強している間に市民権を取れ
ば、ワタシもキャリア組の公務員になれたのかな。だったら、翻訳者にはなってないだろう
から、日本は遠い存在になっていたのかな。ま、あれは「行かなかった道」。想像しているう
ちが花だけど・・・。

ワイン6種類でとうとう沈没

2014年05月23日 | 日々の風の吹くまま
ゆうべはArts Clubの招待でワインとのペアリングを楽しむディナー。ちょっとおめかしをし
て、地下鉄でダウンタウンまで。レストランはイェールタウン駅から歩いて5分ほどのウォー
ターフロント。この一帯はお高い高層マンションが立ち並んでいて、お高い有機食品のスー
パーがあって、遊歩道にはヨガウェアに身を包んでジョギングする人、サイクリングをする人
がぞろぞろいて、マリーナにはボートやヨットがゆらゆら、というファッショナブルなところ。

レセプションはスパークリングワインで。ガメイノワールだけど色はロゼ。ちょっとおとなしい
けど、おしゃれな感じだから日本で受けそうかなあ。みんながテーブルに着いたところで、ワ
インマスターからペアリングしたワインの説明があって、ワイナリーの代表の紹介。内陸部
のオカナガン地方を中心とするBC州のワイン産業はまだ若いから、作っている人もかなり
若い。ワタシとしては(贔屓目をつむっても)カリフォルニアよりも上質のワインが増えて来た
と思う。最初のコースはアスパラガスとワタシの大好物のフィドルヘッド(日本名は「こごみ」
というらしい)とモレルに山羊のチーズの温サラダ。ソヴィニョンブランにセミヨンを10%だけ
ブレンドしたというワインがことのほか気に入った。

続いてギンダラにワインはシャルドネとピノグリの2種類。ワタシの向かいのすごい美人が
シャルドネを作ったワイナリーの販売部長で、昔好きだったシャセラスはもう作らないのかと
いう話(ブレンドがある)から、ナイアガラの大手ワイナリーの本の日本語版の翻訳がひど
かったという話になり、いつのまにかHPの日本語ページを点検してあげることになった。
次の肉はビーフのヒレ。ワインは若い夫婦が作っているシラ。これもオーストラリアのシラズ
に比べると「性格がいい」という感じ。最後はラズベリーとチョコレートのポドクレームにポー
トワイン。6年物で若いけどいい味。ワタシが来た頃はお話にならないしろものだったBC州
のワインもついにここまで来たかという感じで、そのうちアジアに「発見されて」高嶺の花に
なるんじゃないかと心配になって来た。

サイレントオークションでドイツのシュピゲラウのすてきなワイングラス6個セットを射止めて
意気揚々と帰って来たけど、6種類のワインを大きなグラスで飲んだもので、夜中を過ぎる
頃には沈没。二日酔いはないけど、何と10時間も寝てしまった・・・。

エアコン、再稼働

2014年05月23日 | 日々の風の吹くまま
きのうは午後1番にちょっとイケメンの若いお兄ちゃんがエアコンを見に来てくれて、原因は
プラグが少々錆びていて屋外コンセントとの接触不良。「汚れてますねえ」と、屋内機、屋外
機もカバーを開けてこびりついた汚れを溶かすというスプレーで掃除してくれた。帰りがけ
に、「室内機のフィルターは洗剤にしばらく浸けてから洗ってよく乾かして入れてくださいね。
入れる方向わかりますか?」わかりますっ。だって、フィルターの枠に「マエ」とか「押す」とか
日本語で書いてあるんだもん。(とりあえず、古い歯ブラシを持ち出してフィルターの掃除。)

表示が日本語ということは、あの頃はまだ英語表記の部品を作るほど輸出していなかった
ということかな。英語の説明書は思いっきり日本的なイラスト入りで「日本で印刷」と書いて
あるから、ほんとに「日本製」なんだろうね。(今は日本の有名ブランドでも製造地も日本で
あることの方が珍しい。)よく見たら、東京本社の住所と一緒にテレックスの番号があった。
ファクスの普及で姿を消したから、今どき「テレックス」を知っている人はいないかもね。北米
では30年くらい前まではどこにでもあったから、アジアでもけっこう最近まで使われていた
のかもしれない。(カナダで最初の職場で見よう見まねでテレックスの操作を覚えて、その
後の転職に重宝したっけ・・・余談だけど。)

日本式のスプリットタイプのエアコンは、温風暖房のようなダクト工事が不要なので「ダクト
レス型」と呼ばれてそれなりに普及して来ているけど、20年前は市内に1社だけ三菱電気
のものを輸入する業者があって、取り付けられる業者も提携している1社だけというくらい珍
しかった。まあ、バンクーバーは元々夏は涼しくて乾燥しているから蒸し暑さとは縁がなくて、
夏そのものも短いから、窓にはめ込む安くて簡単なタイプ(コンプレッサと一体だから音がう
るさい!)で間に合っていたというのが真相だろうな。

お兄ちゃんに、あと1年や2年はもつかしらと聞いてみたら、「かも、ですね」。はあ、かも、ね。
何にだって寿命と言うものがあるし、そろそろ買い替え時ではあるんだろうな。秋に屋根の
葺き替えをするついでにマイクに取り替えを手配してもらおうか・・・。

スマイルは元気の素!

2014年05月21日 | 日々の風の吹くまま
いい天気だけどあまり暑くないのはうれしい。うんともすんとも言わないエアコンを見てもら
えるのは明日。たぶん「もうダメだ」ということになるんだろうけど、その後で新品に取り替え
てもらうのにどれくらいかかるかが問題。東京に向かうまであと2週間半。メーカーの営業
所はあることはあるけど、家電販売店で普通に売っているものではないので、在庫がある
かどうか。ま、ここは成り行き任せにするしかないけど。

掃除の日なのでシーラとヴァルがいつもの時間にやって来て、ヴァルが開口一番「孫娘よ、
孫娘!」と絶叫。おお、初孫は待望の女の子なんだ。ばんざぁ~いとワタシも拍手。ヴァル
ははたきを振り回して、「もう、うれしくて、うれしくて!」とスキップしながら、ベースメントに
降りて行った。息子ばかり3人だったもんね。(前妻との間に娘がいる)再婚相手のリッチが
我が息子のようにかわいがってくれたおかげで3人ともしっかりした大人になって、一番先
に結婚した末息子に待望の初孫。そりゃあ、うれしいよね。ワタシだって気持がワクワクして
しまうもの。

掃除が終わったら、炭酸水のカートリッジを取り替えにモールまでひとっ走り。途中でベビー
カーとすれ違ったら、乗っていた2歳くらいの男の子がにっこりして手を振ったので、ワタシ
もにっこりして手を振ったら、きゃっきゃとうれしそうな笑い声。ベビーカーを押していたママ
もウフフ。つられてワタシもウフフ。バンクーバーでは知らない人とすれ違って目が合うとス
マイルを交わす習慣?があって、軽く「ハイ!」と挨拶する人たちも多い。だから昔はいつも
ニコニコして歩いていたような気がするけど、最近来たらしいアジア人はシャイなのか、むっ
つり顔で通り過ぎる。ただの通りすがりでもにっこりし合うだけで心がほかほかして気持が
いいのに、もったいないなあ。

空になった2本のカートリッジを新しいのと交換して、ついでに新しく1本追加したら、トート
バッグがずっしり。スーパーで切らしたものを何品か買ったら、バッグはさらに重くなって、ス
トラップが肩に食い込むし、金属のカートリッジがごつごつと腰骨に当たって痛い。カレシに
タクシーサービスを頼もうかと思ったけど、うわ、もうラッシュが始まっている。しゃあないな。
元気に歩いて帰る。いい運動だし・・・。

数学と算数とお金の勘定

2014年05月20日 | 日々の風の吹くまま
連休明け。今日はカレシママの97歳の誕生日で、カレシはまじめにお祝いの電話。すぐ後
にArts Clubのパルミーダから、木曜日のワインの宣伝を兼ねた会食イベントに劇団のゲ
ストとして来ないかと言う電話。木曜日はカレシに予定があったので参加の申し込みをしな
かったんだけど、ちょうどそれがキャンセルになってカレシもフリー。ゲストとして招待という
ことはタダメシ!残りものに福があるというけど、ラッキー!

小町横丁で、数学がすごく苦手な彼女に1個200円のお菓子を7000円でいくつ買えるか
と聞いたら、(ちょっと考えて)「200円が5個で1000円。1000円が7枚で7000円。だか
ら5×7で35個!」と答えたので、「数学の苦手だった人は回りくどい計算をするんだな~と
微笑ましかった」と、のろけているのか、バカにしているのかわからない投稿をした男がいる。
じゃあ、数学が得意らしいご本人は即座に7000÷200=35と答を出すのかな。ま、公文
の算数ドリルが得意だったらできるだろうけど、この質問はお金の絡む応用問題・・・。

誰かが質問は税込みかと突っ込みを入れたので、ワタシならどう計算するか考えてみた。
まず200円に8%は16円で、1個216円。10個で2160円、20個4320円、30個6480
円。この時点の残高は520円で、3個だと超えるから「買えるのは」2個。つまり、合計32個
(とおつり)!でも、トピックの主はきっと7000÷216=32.407407407・・・と(永遠に)
計算するのかな。小数点以下はお菓子の「かけら」だから、売り物にならないよ。ま、(数学
的な)計算はちゃっちゃとできても(常識的な)勘定ができない人には分からないだろうけど、
結婚しても家事は彼女任せだろうから、家計も任せとけば大丈夫そう。

いろんな人が数学と算数の違いを指摘したり、自分の計算方法を披露したりして、小町横
丁の四辻は今日も賑やか。まあ、計算のプロセスがどうであっても「答」が正解ならそれで
いいんじゃないかな思うけどね。お金(と年令)の計算では何かと「割り切れない」ことが多
いけど、「歩く計算機」みたいな数学力がなくても、それ以外のコモンセンス的な能力を駆使
すればちゃんと帳尻を合わせられるから大丈夫。暗算が苦手で数学の計算式を暗記できな
いでもちゃんと生活して来たワタシがいうんだから・・・は説得力ないか。

今日はビクトリア女王の日

2014年05月19日 | 日々の風の吹くまま
ビクトリアデイ。ビクトリア女王の誕生日に因んだ祝日。大英帝国が繁栄したビクトリア朝は
遠い、遠い昔の19世紀だったけど、ワタシがカナダ国籍になって初めてのパスポートには
「本旅券の保持者は英国民である」と書いてあったな。あれはカナダの「憲法」が「英領北ア
メリカ法」というイギリスの法律だった頃の話で、カナダの議会はイギリス議会にお願いしな
いと自国の「憲法」を改正できなかった。それで「英国民(British subject)」だったんだろうけ
ど、だからと言ってカナダ国籍=イギリス国籍ではなかった。

カナダがイギリス議会にお願いして自前の憲法を作らせてもらった(つまり、正式に立憲君
主制の独立国になった)のは1982年のこと。実はケベック州だけはフランス語系を特別扱
いしていないといってまだ憲法を批准していない。このあたりが連邦制のめんどうなところで
もあるけど、先の州総選挙で独立派のケベック党が惨敗したので、批准に向かう可能性が
ないとは言えないかな。このケベック党、打ち出す政策がはちゃめちゃなで、過半数を取る
と言われていたのに蓋を開けたら惨憺たる敗北で、ポーリーヌ・マロワ党首も落選・・・。

イギリスと言えば、先週の水曜日に観に行ったモンティパイソンの『Spamalot』(『スパマロッ
ト』)はしっちゃかめっちゃかで笑いっぱなし。映画の『Monty Python and the Holy Grail』を
下敷きにしてミュージカル化したもので、アーサー王と円卓の騎士の伝説の徹底的なパロ
ディ。アーサーに魔法の剣を与えたLady of the Lake(ちっとも乙女っぽくない「湖の乙女」)
の侍女たちはLaker Girlsと言って、プロバスケのロサンゼルスレイカーズのチアリーダー
仕立てだし、宮廷「キャメロット」の看板はラスベガスの有名なネオンだし、ランスロット卿が
閉じ込められている「姫君」を助けに言ったら実は「夢見る王子様」で、最後には同性婚して
「これから千年経って、オレたちみたいのはまだ物議をかもしてるぜ」。

カレシはみんなおもしろくないところで笑っていたというけど、ワタシにはイギリス流の正論
なんぞくそくらえというユーモアが逆に痛快だった。(モンティパイソンのメンバーはほとんど
がオックスフォードとケンブリッジの出身。)最後は満員の客席全員が総立ちで舞台に並ん
だキャストと一緒に「Always Look on the Bright Side of Life(いつも人生の明るい方を見
ていよう)」の大合唱。アップビートな歌がすっかり頭にこびりついて、何だか1日中Always
look on the bright side of lifeと鼻歌・・・。

とっても昭和な日本語

2014年05月18日 | 日々の風の吹くまま
三連休の中日の静かな日曜日。小さな仕事が入っているけど、今日の夕方(日本の月曜日
朝一番)が納期ではないことを確認して、「だらだら」モード。土木工学の仕事は日本語の原
稿の読解に苦労して疲れてしまった。校正担当も「最初ざっと見たときはわからなかったけ
ど、ひどい作文だなあ」と嘆息。うん、誤変換もざらだし、偉い学者先生にしては雑なんだよ
ねえ、文章が・・・。

ワタシの日本語も劣化しているから人のことは言えないけど、平成の日本語はわかりにくく
なって来たと感じる。その平成日本語を昭和50年の日本語で解釈して翻訳しようというわ
けで、どうりで白髪が増えるはずだな。そのうち『源氏物語』を原語で読むような感じになら
ないといいけどね。英語人が今の英語とは(特に綴りが)かなり違う「中期英語」で書かれた
『カンタベリー物語』を読まされるようなものかな。あ、『源氏物語』は円地文子訳で読んだけ
ど、ワタシは何と言っても「宇治十帖」・・・。

平成日本語でおもしろい?のが「きらきらネーム」現象。外国風な響きに漢字を当てた名前
らしい。日本人に外国名をつけることに苦言を呈する向きもあるけど、外国語を何でもカタ
カナ語にする国だからいいんじゃないの?子供には「外国風」よりも「漢字から想像もできな
い名前」ということの方が問題になりそうな気がするけど。ワタシの元の日本名は平凡だけ
ど2通りの読みがあったので、別人だと思って返事をしないことがよくあった。カナダに来て
ローマ字になったら、今度は音の違いがわからない英語人に似たような日本名で呼ばれる
ことが多かった。

諸般の事情で、親からもらった名前をミドルネームにして、ファーストネームを古代ギリシャ
語由来の名前に変えたのはもう10年以上前。北米では女の子の名前の上位1000位に
入らない「珍しい」名前で、漢字を当てて日本名としても通じそうだけど、もしかして「きらきら
名前」の部類に入るのかな。でもそれは日本での話で、長年の英語苗字と一致して落ち着
いた気がするし、アイデンティティが固まったし、違和感を表す人もほとんどいないし、運気
も上がったと思う。言葉も名前も時と共に変わるもので、ちなみに北米では最近は古風な名
前に回帰する傾向があるらしい。芸能人が子供につける「きらきらネーム」への反動なのか
な。そのうち日本でも「昭和な名前」(と昭和な日本語)が復活する・・・かな?