リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2009年6月~その2

2009年06月30日 | 昔語り(2006~2013)
能力の形が違うってことで

6月16日。二人ともわりと良く眠った気分で同時に目を覚ました。「起きる?」 ん~、まだ・・・。「腹へった~」。ん・・・。そうやって10分ほどのクオリティタイム。ロマンスもすきっ腹には勝てないから、ごそごそと起きて1日が始まる。カレシは今夜の教材の準備。ワタシは今日、明日、あさってときれいに並んだ納期のその1の仕上げ。発注元がアメリカ企業の団体なもので、英語的「英語」に訳してもちゃんと通じるし、ときには「花丸」フィードバックをくれたりするから気分が楽でいい。

テレビではこの夏に総選挙があるかどうかで騒いでいる。野党第一党自由党のイギーことイグナチエフ党首が雇用保険制度問題や政府の経済運営で「金曜日までに納得のいく説明がなければ不信任案を提出する」とぶち上げたけど、その金曜日はとっくに過ぎて、月曜日まで待ってやると言ったはいいけど、きのうも何も起こらなくて、今日もまた首相官邸を出たり入ったり。野党連合で保守党少数政権を打倒しようとしてやり損ねた末席野党の党首はいつものようにあ~だこ~だ。こういう社会活動家とかいう人たちって、勝手に「差別的不適切語」を拾い出して、自分たちが良しとする婉曲語に変えさせれば問題は解決だと信じているらしいけど、苦い薬をパステルカラーの糖衣錠にすり変えてみただけじゃないの。まあ、国民は「選挙なんてやりたかない」と言っているのに聞こえないらしいから、やりたいんだったらさっさと政権打倒しなって。

小町を見ていたら、先だって国際コンクールで優勝した日本人ピアニストに対する「デリカシーのない質問」というトピックがあって、かなりの書き込みがある。どうやらテレビのワイドショーか何かのリポーターが生まれつき目の見えないピアニストに「1日だけ目が見えたら何を見たいか」と質問したらしい。「目の見えない人に対してデリカシーがない、当地アメリカのメディアで流れたら叩かれる」というのがトピックを立てた人の言い分。同調する書き込みが多いけど、よく読んでみるとほとんどが「もしも目が見えたら」という部分について「デリカシーがない」、すべきではない質問だと言っている。そういう質問はアメリカあたりではけっこうするし、それなりに成功した人はふつうに答えるんじゃないかな。ワタシは「1日だけ」という前提条件の方が気になったけど、目が見えなくて、「もし見えたら何が見たい?」と聞かれたら、「色を見たい」というかもしれないな。

質問が失礼か無礼かは聞かれた人が決めることじゃないかと思うから、するべきでないと決め付けるのは、まるで障害者にその不具合をことさら指摘するようなことを言ってはいけないと言っている印象を受ける。でも、障害はその障害を持っている人が一番良く知っているはずだと思うんだけど。政治的に正しい「活動家」が押し付けてくる「言替え語」には反発を感じるワタシでも、健常者(本音では「正常者」と言いたいんじゃないのかな・・・?)にできることをそれと同じにできない人たちは、「disabled(不能)」なんじゃなくて、「differently-abled(異能)」なんだと思っている。でも、異なるものに反感や嫌悪、畏怖を感じる人がいても、これまたしかたのないことなんだよね。

どうやら、父親が質問したら息子が「お母さんの顔を見たい」と答え、「お母さんの顔を見ることができたら、次の日にまた見えなくてもいい」と言ったという話が下敷きになっているらしい。なぁんだ、「感動をありがとう!」、「あの感動をもう一度!」式のマスコミのあおり演出の場面だったのかな。リポーターが自分の浅慮ぶり、いや、企業の一員としてのスクリプト通りの行動だったのなら企業全体、ひいてはそういう企業でもやって行けるマスコミ業界全体の素顔が見えてしまったということかもしれない。番組を見ていないから、あれこれ言っても意味はないんだけど、まあ、そんな印象だってことで・・・。

先天的に角膜に不具合があったために近視と遠視と乱視が同居して、おまけにかなりの低視力だったワタシに見えていたのはいつも二重、三重のぼやけたイメージの世界だった。30才を過ぎて初めてコンタクトレンズを入れて、風景がはっきり「一重」に見えたときの感動は今でも覚えている。もっとも、50才に近くなってコンタクトをして、老眼鏡をかけて、さらに虫めがねが必要という状態になったけど、なぜか今はコンタクトだけで辞書の小さな文字が見えるから不思議。この世の中には「常」なんて言えるものはないってことなんだろう。だからこそ自分の「常」を確かなものにしておかないと・・・あはは、一見して矛盾に満ちた楽しい禅問答になるかな、これ。じゃ、次の仕事をかたづけてから、ゆ~っくりと沈思黙考してみようか・・・

及ばざるは過ぎたるがごとし

6月17日。きのうは串団子のように並んだ仕事の2個めが終了。「会計報告の項目名だけでは正確は期せませんので今後は報告書全体を資料としてもらってください」とコメントをつけて送り出した。リストのように並んだ単語や語句を訳すのは簡単なように見えるかもしれないけど、実はこれが一番やりにくい。指定のセンテンスやパラグラフのみというのはよくあることだし、経費節減のためにそうする気持もわかる。だけど、文書の中で必要な単語や語句を蛍光ペンで表示すればいいのに、わざわざ何百個も抜き出した「リスト」を送って来るのは、日本語と他の言語は単語帳のように1対1で対応していると思っているからなのかなあ。困るんだなあ、そういう短絡した思考は・・・

久しぶりにたっぷりとレミで「心の凝り」をほぐして寝たら、目が覚めたのが正午過ぎ。よく寝たという気分だけど、鏡の中の顔はまだなんだかすっきりしていない。ゆうべバスルームで寝るしたくをしているときに、カレシに「目の周りがダークだ」と言われて鏡を見たら、ほんと、メークもマスカラもしていないのに、なんとなくぼやけたパンダのような目。ほっぺたも少しばかりげっそりして見える。そのときはライトのせいだろうと思ったんだけど、昼間の自然光で見ても、やっぱり目の周りに濃い影があって、頬もちょっとこけ気味。秤に乗ったら体重がまた少し減っている。まあ、体重が減ったのはカレシの食事療法に付き合っているせいもあると思うけど、かなりの間じっくり休養していないような気がするから、やっぱり疲れがたまっているのかなあ。

ワタシはもう十何年も、毎日起床してすぐと、就寝の直前に体重を計っている。人間の身体はいっときも同じ状態でいてくれないから、きのうは増えた、今日は減ったと一喜一憂しても意味がないわけで、毎日同じ条件で計り続けることで見える「傾向」を自分の身体の状態を知る目安にしていると言った方が早い。夜と朝の違いが基礎代謝量ということになるんだけど、身体というのは精神状態にもけっこう敏感に反応する。座業になって次第に増えた体重が、カレシとのごたごたが始まってわずか半年で8キロ減り、夜明け前の一番暗かった頃には50キロ以下になって、医者に減りすぎと言われる始末だったけど、落ち着いてからはまた徐々に増えて、いつのまにか(医者が理想と言う)上限(120ポンド)を少し超えるようになった。まあ、それが1ヵ月足らずで上
限以下に下がったわけで、おかげでいくらかきつくなり始めていた(北米サイズ)4号のジーンズに余裕が出てきたから、カレシのコレステロールに感謝しなくちゃ。

血圧計を買ってから体重と同じように定期的に測り始めたら、血圧は体重よりもずっと身体の状態に敏感だということがわかった。心臓は常に動いて血液を全身に回しているんだからあたりまえだけど、ばたばた動き回った後は当然上の値が上がって、精神的なストレスがあるときは下の値がはね上がる傾向にある。いろんな研究でもそういった結果が報告されているらしい。精神的にストレスになっているときは、心臓がいつも緊張状態にあって、拡張期に十分にリラックスできないでいるということだろうな。そんな状態が長く続けばいいことがないのはあたりまえ。そっか、下の数値が上がったら、沈思黙考でリラックス、リラックス・・・。

カレシのために買ったのにご当人は「やだ!」のひと言で見向きもしないから、ワタシがひとりで毎日朝食後の一日の活動を始める前に測っている。今まで90%以上カレシと同じものを同じ量食べて飲んでしていたので、当然ワタシの血圧も高くなっているだろうと思っていたら、上が105~115、下が65~77と、「正常」と出てきたからびっくり。もっとも、ワタシの年令層だけを見ると、平均が134/87で、最低でも121/83はあった方がいいらしいから、ちょっと低すぎることになるのかな。くたびれた顔をしている今日なんか106/64。少々の疲労感以外は健康だと感じるんだけど、過ぎたるは及ばざるがごとしなら、及ばざるは過ぎたるがごとしで、低ければ低いほどいいってものでもない。(薬用の)レミをもっと飲まなきゃだめかなあ・・・

夏休みをください

6月18日。なんとなくの疲れがなんとなくのまま抜けないから困ったなあ。串団子のさいごのお団子が終わって、そろそろ気になっていたメガ仕事に着手できそうな雲行き。日本は金曜日だから、こっちで夜中さえ過ぎてしまえば、ワタシも週末(といっても、またおきみやげがあるんだけど・・・)。この週末に少しずつでもかからないと、また徹夜になりかねない。ま、退屈な決算報告ばかりが続いたから、まったく違う分野は楽しみでもある。それにしても、今頃の季節に中小企業の決算報告を英訳する需要っていったいどんなことなんだろうな。投資業界で何かおもしろいことでも起こっているのかなあ。

今日の血圧は109/70で、まあまあ。でも、やっぱりいろんなことがありすぎたのか、ここのところやたらと咳が出る。昔はほんとうの空せきだったけど、年のせいなのか、咳き込むと喘息のようにぜいぜい、ヒューヒューと、「すわっ」と周りが総立ちになりそうな派手な「発作」に聞こえてしまうからいけない。本人はそれほど苦痛でもないんだけどね。日本には「心療内科」という医療分野があるそうで、ときどき来る人事問題の書類にもよくセクハラやパワハラで心療内科にかかっているというのを見るけど、そこへ行ったら心因性の喘息は治してもらえるのかな?それとも「心の風邪」のほうを治すのかな?あの、心の風邪って、ひいてない(と思う)んだけど・・・

長年のお客さんからある分野が専門の人の紹介を頼まれたので、お隣のワシントン州の人を推薦しておいたら、話がまとまったと言って来てひと安心。翻訳業も人が余っている分野もあれば、いつも人手が足りないところもある。特許や医療といった特に専門性の高い分野は万年人手不足らしくて、有望だと思われているのか翻訳学校に専門のコースまであったりする。もっとも、分野の如何にかかわらず翻訳のメカニズムだけ学んでも即戦力というわけにはいかないから、翻訳学校が増えても、人手不足はあまり解消されていないらしい。まあ、ごまんとあるらしい翻訳学校が「在宅でできるサイドビジネス!」なんて宣伝してくれていたりするから、まるでアルバイトか小遣い稼ぎでやるなんちゃって仕事のような感じで、そんな動機では使えるプロは育たないだろう。かくして今日も、(手を出さない分野はあるけど)一応は「何でも屋」のワタシのデスクには雑多な分野の仕事が降り続ける。これって、喜んでいい状態なのかどうか。

まあ、仕事に追われている方が今はまだ深く考えなくてもいい「課題」を考えなくて済むからいいといえばそうなんだけど、深く考えられる余裕がないだけのことで、考えることは考えてしまうから、そっちの方がストレスが大きいかもしれない。(と、自分でややこしくしているところもないではないけど、そこがワタシの悩めるところ。)だからこそ、どこかでゆ~っくり、の~んびりできる夏休みがほしいんだけど、自営業はどこに「休暇届」を出せばいいの?

もやもやは人生の潮目か

6月19日。ゆうべは目が覚めていたのか、夢を見ていたのか、よくわからないけど、いろいろと考えごとをしていた(らしい)。はっきり覚えていないと言うことは、たぶんほとんどが夢だったんだろうけど、ひとつだけ何となく記憶に残ったトピックがある。誰かが聞いてくれていたのか、ブログを書いていたのかはわからない。日本語で覚えているからブログだったのかもしれないけど、コンピュータの映像が記憶にないところを見ると誰かにしゃべっていたのかな。それにしては、相槌を聞いた覚えがない。でも、薄暗いところだったから、眠りに落ちる頃にはとっくに日が昇っている今なら、眠れないままぐずぐず考えていたということでもなさそう。話の内容をかいつまんで言うとこんなこと・・・。

『彼は、私が疲れているとボクはすごく疲れていると言い、具合が悪いときはボクも何かの病気かもしれないと、自分の方がつらいとアピールするから、私の疲労や病気は労わられることも慰められることもなく、まるで椅子取りゲームの敗者のように押しのけられていたの。夫婦という空間は二人のものなのに、私たちの間には安らぎを得る「椅子」がひとつしかなくて、いつも彼に先を越される私には疲れても、具合が悪くても、座れるところがなかったの。そのうちにその空間が彼をチヤホヤする人たちで溢れてしまって、私は隅っこに立っているのがやっとになって、あるとき、何もかも投げ出したくなったのよね。あの「もうどうでもいいや」という気持はどんな疲労や病気のつらさよりも暗くて、どろんと重くて、何かに飲み込まれるようだった。今、あのときの「もうどうでもいい」という気持を漠然と感じるからちょっと怖いのよね・・・』

いったい誰にこんなことをしゃべっていたんだろうなあ。夫婦の間の「椅子取りゲーム」とはいい得て妙だけど、二人の間に椅子がひとつしかなければ、どっちが座るかという問題になるだろうな。でも、ほんとうはどっちが座るかじゃなくて、どうしてひとつしかなくて、しかも片方ばかりが座っているのかということの方が問題じゃないかと思うけど。まあ、この点に関してなら、「もうどうでもいい」が「何とかしなければ」になり、「何とかなりそう」に向かったあたりで、カレシが自分も疲れていると言うなら二人で床に寝そべればいいし、自分も具合が悪いと言うのなら、二人いっしょに寝込んでしまえばいいじゃないかと思い当たってから、押しのけられたような気持はなくなったんだけど、じゃあなんで今ごろになって、あんなことを愚痴っていたんだろうなあ。

目が覚めてもやもやと気になるのは「もうどうでもいいや」という気持。何がもうどうでもいいというのか、自分でもわからないから困る。来年は満20年を迎える仕事がもうどうでもよくなって来たのかなあ。そろそろ飽きてきたんだろうか。それとも、単に忙しすぎて絵を描くことも、創作に浸ることもできないでいるもどかしさが募ってきたんだろうか。なにしろワタシはexpressionistだからなあ。カンバスも絵の具も絵筆も創作ノートも、すべていつでも手を伸ばせるところに置いてあるのに、イーゼルに立てたカンバスはまっさらのまま、創作ノートは山のように詰み上げた書類やカタログの下に埋もれたまま。これじゃあ、見るたびに腹ふくるる思いになるのも当然かな。あのさあ、身の回りを片づけようよ、少しは。もやもやするときは人生の潮目なのかもしれないんだから・・・

買い物ついでに日光浴

6月19日。起きたときは中途半端な寝不足もあってか、脳内にもやもやとくもの巣がかかっているような気分だったけど、日曜が納期の置きみやげ仕事は小さいし、お天気はまだ青空だし、野菜の冷蔵庫は空っぽ。ということで、今日は概ね「休み」ということにして、ワタシの絵柄の大きなトートバッグを持って、二人で徒歩で野菜の買出しに出かけた。

いつのまにかどこもバラの花盛り。よそさまのおうちの花壇を見物が楽しい。カレシは菜園の生育状況の報告をしてくれる。きゅうりが実を付け始めた温室のきゅうりのつるが照明を吊るしているバーにからんで、この分だと温室中にきゅうりがぶら下がるかも。トマトも順調に育って、この夏はトマトソース作りに忙しくなるかも。もう実をつけないかと思っていた二十世紀梨の木に小さな実が鈴なりになっていること、などなど。コンピュータが目の前にないもので、行き帰りは絶好のおしゃべりタイム・・・。

去年秋までの不動産ブームが崩壊して、売り家の看板はほとんど見かけなくなった。この2、3年ほどに建った家は、どれもちょっと古風なデザインで、全体が濃い色だからどっしりとした感じがする。20年くらい前に大流行だった「ゲッ」と来そうなけばけばしいピンクの建売住宅は、かなり色がくすんでしまってもうあまり目立たない。暖かいところからの移民がどっと増えて、半年以上は曇り空と雨の薄暗いバンクーバーで、燦々と輝く太陽を思わせる「カリフォルニアピンク」という名前の派手な色がもてたのかもしれない。それでも、いかにもしょぼく見えるピンクハウスでも、このあたりでは大幅に下がったとは言ってもまだ百万ドル前後はするんだろうな。どうりで売り家の看板を見かけなくなったはずだ。

青果屋に着いたら、おお、地物のいちごが出ている。山盛りのパック1個は多すぎて食べきれないから、半分だけ袋に入れてもらう。ブルーベリーはカリフォルニア産だけど、これまた大きな容器に いっぱい。アスパラガスは大きな束が2つで5ドル。この頃は年中あまり値段が変わらないな気が する。小ぶりだけど太い大根とかいわれ。ほかに付け合せのフィドルヘッド、オクラ、さやいんげん、平茸、インスタントラーメン用のもやし。カレシはトマトにアボカドに赤ピーマンにバナナ。トートバッグに詰めてもらって、取っ手を片方ずつ持って、またおしゃべりをしながら家路。日差しが暑いくらいで、じっとりと汗ばんで、今日のエクササイズということにする。気分がちょっとすっきり。

今日のディナーはみじん切りの生姜と白ワインで緩めた味噌を塗ったティラピアを焼き、カレシの要望でローストしたガーリックを少し使ってポテトと平茸のソテー、そして蒸したアスパラガス。サラダはカレシ特製のライマビーンと赤いキドニービーンとさやインゲン。白っぽい緑と、濃い赤と濃い緑色の彩がきれい。これで魚ダイエットは4週間。その間、魚以外のメニューだったのは4回だけというなかなかの好成績。赤身の肉は月一回くらいはいいというから、週末は久々の肉料理にしようかなあ。

魚料理は手間がかからないだけでなくて、比較的コストが低めだから、その分たまに食べるだけの肉は高いものを買っても懐に響かない。レシピは魚をよく食べるアジアのものにシンプルでいいものが多い。おいしいものを食べられるなら、食事療法もまた楽しからずや。おまけに健康向上に役立つならなお言うことなしだなあ。コレステロールさまさま・・・

知らず嫌い

6月20日。土曜日。うす曇なれど夜来に雨が降った形跡はなし。シアトルでは29日ぶりに雨が降ったというから、いつも反時計回りに回る雨雲がこっちに回って来るかと思ったのに。それでも今日は20度以下でぐんと涼しく感じる。

議会は、イギーが振り上げたこぶしを下ろして、しゃんしゃんと予算案を可決。夏の総選挙は一応秋まで(また)お預けで、議員さんたちも安堵しての長い夏休み。総選挙に対する世論は「ノー」だし、イギー率いる自由党はハンパじゃない借金を抱えているもので、実は今すぐ選挙を戦える状態ではない。一方のハーバー首相率いる与党保守党は少数政権。いうなれば三すくみの状態なのがカナダの政治事情。一説によると、政権党だった自由党が大敗した5年前の総選挙でどっと誕生した新人議員が悠々自適を約束する年金をもらえる資格ができるのは来年の6月以降。特に躍進したおかげで新人を多数抱えるケベック連合としてはそれまでは選挙を避けたい。三すくみにもうひとつひねりが入ってややこしい。景気回復のほのかな光明が見えるということで、野党とし
ては回復しないうちに選挙をやりたいだろうから、思惑の入り乱れはさらにややこしくなる。でも、誰も総選挙に乗り気じゃないなら、選挙回避のための妥協も吝かではないわけで、与党が野党の主張を真剣に考慮するという利点もないではない。ここが「民主政治」のおもしろいところ。

イランはえらい情勢になりつつある感じがするけど、だいたい、ごり押しの独裁を脅かす力の矛先を「悪いのは欧米だ」とテロリストお気に入りのターゲットに向けようとした時点で独裁者はもう終わっている。おもしろいのは、世界のどこであれ他国の内政問題に便乗して「西欧が過去にああしたから、アメリカが過去にこうしたから」とほじくり出して欧米叩きをやりたがるのがぞろぞろと登場すること。そういうのに限って「ではどうしたらいいのか」という建設的な意見はまず持っていないから始末が悪い。意見がないどころか、逆に「てめえのところだってああだこうだ」と矛先を変えて来るのになると、不毛の「砂場の子供のけんか」になってよけいに始末が悪い。イランの未来のために命をかけている人たちにしたら、今はそんなことどうでもいいんじゃないかと思うけど。

さらには個人に対するごく個人的な嫌悪感と(少なくとも民主主義社会の)国民の意思に基づいている国家を混同して、擬人化した嫌悪の対象について感情的に「○○(の言動)が悪い」と、件の独裁者やテロリストと似たようなことを言い出したりするのもいる。当人たちはそのつもりはないから、そう言えば猛反発してするだろうけど、「ダメなものはダメ、嫌いなものは嫌い」という、昔からある「My mind is made up. Don’t confuse me with the facts」というジョークを地で行っているようなもの。「こっちの考えは決まってるんだから、事実を持ち出して混乱させないでくれ」といった意味あいで、昔は進歩派が因循姑息な保守派を揶揄するのに使ったらしいけど、最近は「進歩派」の、特に若い世代にそういうタイプが多いような気がする。まあ、昨今は情報がもたらす世界の広
がりと情報の受け手の視野の広さが反比例の方向に向かいつつあるような感じがするし・・・。

だけど、個人的に知りもしない人間や行ったことも住んだこともない国を感情的レベルで嫌ったり、憎んだりできる人がたくさんいるらしいのは驚きだ。見るだけ、考えるだけで胸くそが悪くなったり、排除したくなるのは「嫌悪感」によるものなんだろうけど、それが消えてほしいとか、抹殺したいという感情に進展したのが「憎しみ」なんだろうか。喜怒哀楽は状況の変化や時間の経過によって薄らいだり、和らいだりするもので、そうでないと前進がなくなってしまうけど、「憎しみ」は一筋縄では行かない強い感情なんだろうな。「大嫌い」の段階で似たような反応をする人もいるけど、見た目やファッションを生理的に受け付けられないというのならまだしも、やっぱり内情を知らないものや人をどうして憚らずに「嫌い」と言ってしまえるのか不思議だな。食べ物の好き嫌いには「食わず
嫌い」と言うのがあるけど、その延長線で「知らず嫌い」なのか、あるいは「人見知り」なのか。まあ、マスコミやネットの情報に曝されているうちに、「知っている」という感覚になるのかもしれないなあ。「己の知らざるを知らざるは知を知らざるより危うし」と孔子様は・・・言ってないって?あ、そう。

脳内めざましが鳴った

6月21日。ゆうべ、やっと雨が降った。いつものように何か物音を聞きつけて外に出たカレシが入ってくるなり、「雨だ。降ってるぞ」。何日ぶりだろうな。だけど、しばらくしてまた外に出て行ったカレシ、「止んじゃった」と言いながら戻ってきた。これでは庭の水遣りにもならないと残念そう。シアトルではかなり降ったらしいから、あまり残ってなかったんじゃないのかな。夏至。今日から公式に「夏」。それにしては、なんか急に涼しくなってしまったけど・・・

いつものようにひと仕事の合間にのぞく小町だけど、この頃はもやもやしていて、タイトルを見るだけのことも多くなった。ワタシにとっては、不特定多数の匿名掲示板は「日本人」の擬人化に他ならないから、人種が同じという以外は共有するものがなくなった「話の合わない友だち」との間に距離を感じるようになって来たのかもしれない。何だかつまらなくなって来たということもあるのかもしれない。まあ、Out of sight, out of mind(去るものは日々に疎し)というから、しょうがない。

でも、あるトピックへの書き込みを読んでいたら、頭の中でけたたましく目覚ましが鳴って、どろんとかかっていたもやが少しだけど晴れて来たような感じがした。背中でしきりともぞもぞしているお化けを引きずりおろせるかもしれない。そう思ったら、うつっぽかった心がちょっと軽くなって、よっしゃ、仕事をせにゃあ、という気分になって来るから、ワタシもいい加減なもんだなあ。ワタシ追跡レーダーがあるのかどうか知らないけど、あれもこれもと仕事を送って来るクライアントもなあ。メガ仕事の期限が近づいているってのに。ま、いっか。ワタシは仕事のオニヤンマ・・・

だらだらやっていた仕事の方にやる気エネルギーを向けることにして、背中のお化けの対処は少しずつ考えていくことにしよう。まとめて考えようとするから、考えすぎてしまうんだろうし、そうやってずるずるとあり地獄に落ち込んで、二進も三進もいかなくなるのかもしれないからね。とにかく、今夜はぐっすり眠りたいなあ。眠れるだけ眠って、眠りまくってみたい。もちろん、気分さわやかに目が覚めてくれないと大変なことになるけど・・・いや、ちゃんと覚めるって。

ワタシの目は乱視の複眼

6月22日。大手新聞社の編集部が目を通している小町のような掲示板でも、日本国外に住む日本人が日本や日本人について疑問を投げかけるのは短い導火線に火をつけるようなものらしく、トピックを立てた人は「外国かぶれ」だ何だとさんざんに叩かれるし、他人のトピックに自分が住んでいる国の例をあげて書き込むことさえかなりのリスクを伴うように見える。海外在留邦人同士なら助け合いのひとつもするのかと思いきや、バンクーバーのある掲示板は一触即発の火薬庫のようなもので、日本や日本人に関する批判がましい発言をしたり、カナダの方がいい、好きだなどと言おうものなら、必ずといっていいほどバッシング。

まあ、異文化と異言語の中で、夢と現実の間に挟まっていろんな欲求不満やかなり複雑に屈折した感情が吹き溜まっているんだろうけど、日本人同士で中傷誹謗貶し合うのは、金魚蜂のような狭い日本人社会での「言論統制」のように見えた。こんなことを書くとまた「お前は何様のつもりだ」と匿名メールが来るかな。いつだったか、ブログの「メッセージを送る」機能から送ったらしいメールが届いて驚いたことがある。たまたま行き当たったブログで日本を貶していると憤慨したものらしく、コメントを残せばいいものを、表に出ないでひとことガツンと言ってやろうと思う人もいるってことだろう。(「いかがなものか」なんて文章だったけど・・・)

たしかに日本のことをいろいろと書いているけど、カナダと比べて、欧米と比べて、日本がどうのこうのとは言っていないつもりなのだ。日本は日本、日本人が日本で何をどうしようと日本人の勝手だということは百も承知だし、自分の考えること、感じることをまとめておこうというだけなんだけど、小町なんかを読んでいると、日本国外にいる日本人が日本のことをあれこれ(悪く)言うと、なぜか反感を持たれるんだなと感じないわけにはいかない。ある発言者曰く、「たった5年アメリカにいただけで、アメリカ人として日本人を語っているから不快なのだ」と。Bingo!とどのつまりは、欧米にいる日本人が「欧米人」になったかのようにふるまって、「欧米に比べて日本は(劣っている)」みたいなことを言うから気に触るんだろうな。これは明治以来の永遠のテーマじゃないのかなあ。

日本では「外国人」が書いた比較文化論的ニッポン評ならけっこう読まれるらしい。某氏が英語で書いた日本女性の生態観察記みたいな本でさえ日本語に翻訳されて出版されるという噂だから、「欧米人」がワタシが書いて来たような「ワタシの見たニッポン」といったエッセイを書いて出版したら、おもしろいかもしれない。実際に、ポール・ボネという名前で『不思議の国ニッポン』という、「フランス人が見た」ニッポン評をシリーズで書いていた日本人(誰だったか忘れたけど)がいて、相当な数の著作はかなり売れていたらしいから、ワタシが本名で「不思議の国ニッポン-二十一世紀編」みたいなエッセイを書いたら、どんな反応があるんだろうな。そんな悪文なんか読めねぇよと言われるかな。(ガイジンが書いた日本語なんだからしかたないでしょ。)

友好的外来帰化種

6月23日。きのう、ディナーの後でひと息ついて、やおら仕事にかかったところで、カレシの弟のジムから電話。「まだ薬、飲んでるの?」ジムはコレステロール値が高くてもう7年も薬を飲んでいる。この前カレシが医者がどうの製薬会社がどうのと文句たらたらだったので、どんなことになっているかと、様子伺いというところらしい。うん、まじめにやってるよ。文句は多いけど。ジムは「あはは、そうだろうと思った」。(カレシがパパに次ぐ文句たれという家族の評は昔からのことだけど。)

代わったカレシはひとしきりのおしゃべり。末弟のデイヴィッドから電話があるときもそうだけど、この頃の兄弟の電話はえらく長い。時差が3時間あるトロントに住むデイヴィッドは眠れないときにかけて来て、最長通話時間は今のところ2時間とちょっと。車で1時間半の郊外に住むジムとも、それほどではないにしてもしゃべり始めるとかなり長い。ひとつ違いで子供の頃からあまり仲がよくなくて電話をかけ合うことがほとんどなかったジムとも、去年あたりから電話で話したり、互いの「地元」のレストランで食事をしたりするようになった。互いに年を取ったと感じ始めたせいなのかもしれないけど、自分の妹にはご無沙汰の不義理のしっぱなしなのを棚に上げて、いつも口を酸っぱくして「兄弟の付き合いを大切にしなさい」と言っていたワタシにとってはうれしい展開。

コレステロールの話から食べ物の話、幼友達の話、昔のガールフレンドの話、誰それが死んだという話が延々と続く。照明器具の製造会社を経営するジムは交流範囲が広いから、実によくいろいろな人たちの消息を知っている。その会話の片方をそばで仕事をしながら聞くともなしに聞いているのがワタシだけど、ローカルの掲示板でよく目にした投稿を思い出して、おもわず忍び笑い。カナダ人夫の家族との交流にムカついている日本人妻の愚痴がいろいろある中で、「家族(特に母親)との頻繁な電話や長電話」も槍玉に上げられていた。

まあ、小町でも日本在住の日本人妻が外国人夫の長い国際電話に愚痴をこぼしているし、日本人同士の夫婦でも夫が実家に密着しているのを嘆く妻は多いから、「義理の家族」は国籍人種を問わずムカつく存在なんだろうな。アタシと結婚したからにはアナタはもうアタシだけのもの、脇目もふらずにアタシだけをかまってねってことか。我が家はどっちかというとカレシの方に「ボクだけをかまってほしい」的なところがあったよなあ。でもさ、日本じゃそういう夫は「濡れ落ち葉」と言われて、妻にうっとうしいと嫌われるらしいよ。憧れの国に行って憧れの今どき妻を娶っていたら、カレシはとっくに大爆発していただろうなあ。Count your blessingsといったところだよね。

先月から3部に分けてやっているメガ仕事の一番でかい最後の部にやっと着手。文字数で見れば原稿用紙に詰め込んでざっと130枚強。期限まで2週間しかなくなってしまった。テーマが興味をそそるものだから、おもしろくてけっこう進むんだけど、それが「侵略的」外来生物。第1部をやっていたときにふと、ワタシもいうなれば「外来種」かなと思ったのがあれこれ考え出す引き金になったのかもしれない。カナダの土に根を張ってけっこうはびこってはいるけど、live and let liveの精神で生物の多様性を善しとするから(だって、みんな同じじゃどれが自分かわからない)、まあ、侵略的じゃなくて「友好的」外来帰化植物ってところだよね。

地球は今日も左巻き

6月24日。久しぶりに本格的な雨が降って、空気も気分も洗われてちょっとさっぱり。週末に駆け込みでねじ込まれた仕事を片づけて、来週はいっぱいですと予防線を張って、ひと息。これで落ち着いてメガ仕事にまい進できる・・・かなと思ったら、先に終わった仕事をチェックしている日本人の担当者から質問が飛んで来る。英語の文だって暗黙の了解があったり、行間に本音が埋め込んであったりするんだけど、この人はそういうところを実に的確に(しかも日本人の観点から)ついてくるから、自分の思考を見直して、長ったらしい講釈で答えることになる。実はこっちの方が翻訳をやっているよりもずっと刺激になって楽しいくらい。(文学の造詣が深い人なので、たまにオフで交換する文学談義のメールも楽しみな刺激剤。)

メガ仕事にかかる前に、小町のタイトルをざっとながめる。一歩下がって見渡したら、なんだか変わり映えがしないなあと感じる。ま、ある意味で「離乳期」にさしかかったというところなのかもしれないけど、国際結婚してどこにも属するところがないという嘆きトピックは、あまりにも孤独そうなタイトルに引かれて開けてみた。現地の言葉や文化、日本人社会との交流など、悩みの種は同じ。優しい夫がいて、生活も安定しているのにさびしい、生きがいを見出せない。難しい問題だなあ。グローバル時代の今はそういう人は国籍人種を問わず世界中にごまんといるだろう。言葉、文化、制度、習慣・・・どこを見ても壁、壁、壁。だけど、国際結婚トピックを読んでいる限りでは、日本人にとっては日本社会を取り巻く壁が一番高いんじゃないかと感じる。(外から見ているワタシにはどれだけ高いのかわからないけど、かなり高そうに思える・・・。)

この人もそうなのかなあと読んでいたら、最後の方で「日本人に嫌われる=この世の終わりではない」というレスのタイトルに出くわして、おもわずドッキリ。「傲慢に聞こえるかも知れませんが、私はもう日本人にどう思われようが、気にしない事にしています。嫌うならどんどん嫌えば?位に思いながら生活しています」と。うは・・・。住んでいる国が好きだという。どこの国か知らないけれど、それでもきっといろんな思いを乗り越えてきたんだろうな。たしかに、嫌われても日々の暮らしにはどうってことないだろうし、住んでいる国の人に嫌われる方がよっぽど生きにくい人生になりそうだし、そこまで割り切れたら怖いものなしだな。ワタシも、まあ、好かれなくたっていいんだけど、そこまで言い切ってしまえるかなあ。ああ、グローバル時代の国際化、されど国際化・・・

遠くて近きは男女の仲というけれど、アメリカはサウスカロライナ州の知事が1週間も所在がわからなくて騒いでいたら、なんとアルゼンチンにいる愛人に会いに行っていたんだそうな。功なり名を遂げた男が女で身を滅ぼすというのもまた国籍人種を問わないグローバルな現象みたいだなあ。どうしてなんだろうねえ。しょうがない男がなぜか出世する世の中なのか、しょうがない男が出世して思わずそのしょうのなさを露呈したのか。日本ではどこかの元県議会議員が公園に勝手に自分の銅像を建てようとしたとか。自分の尽力で公園ができた功績を後世に残したかったんだって。聞くところによるとこの元県議氏は公職選挙法違反で辞職したという。それじゃあ誰も銅像なんか建ててくれないだろうなあ。だからって、じゃあ自分で建てればいいやという思考もなんだかなあ。

漢字の読み違いで有名な日本の総理大臣が電子辞書を買ったという新聞記事に「麻生さんが間違いをしなくなったら、我々はどうやって正しい漢字の読み方を学べばいいのか?」というイントロをつけて登録してあるブックマーキングサイトに投稿したら、8時間でトップページに移動した。これで113本の投稿すべてトップページ入りの百発百中。(麻生さんは「しゃべる辞書」を買ったのかな?)別のサイトを見たら、ヘンな英語で「外国人の中にはEROGEに嫌悪感を持っている人がいるようです。したがって我々の文化を守るために外国からのアクセスを禁止しました。外国に住むファンのあなたにはお気の毒です」みたいなことを書いた日本のエロゲメーカーのウェブページがあった。日本製のレイプゲームをめぐって国際的なひと騒ぎがあったせいだろうけど、「我々の
文化を守る」ってのはなんだかねえ・・・

引退、する?しない?

6月25日。きのうはおしゃべりしながらゆっくりとお風呂に入って、それでもいつもより早めに眠りについて、それで目が覚めたらなんと正午過ぎ。外を通るゴミ収集車とリサイクル収集車の轟音にも気づかずに9時間も眠って、それでもまだ眠り足りない気がするけど、眠いのに眠りにつけないで悶々とするよりはずっと気分はいいな、と、カレシに言われるまでもなく、自分を他人みたいに観察している自分がいる。別に体外離脱しているわけじゃなくて、ただ自分という人間を観察しているだけのことなんだけど・・・。

ワタシにはたぶんに物事を考えすぎる傾向があるのかもしれない。外から見ると行き当たりばったりのお気楽なワタシなんだけど、内なる自分は何でも「どうして、ああして、こうなって、而して・・・」と分析して考えたがるところがある。ずっと前に「なんというかintrospective extrovert(内省型の外向的人間)だねえ」と言われたことがあるけど、まさにそういう矛盾した人間なんだろうな。この世に内なる矛盾を抱えていない人がいるのかどうかはわからないけど、まあ、外向的な人はアルツハイマーの発症リスクが低いそうだから、内省型分析癖をうまく活用すれば、100歳になっても頭脳明晰でいられるかな。まあ、フツーにボケる可能性もあるけど、そうなったらいろんなことに思いをめぐらせることもなくなって、ほんとのワタシばあちゃんになるだろうな。なんかそれがハッピーエンドの人生かなあという気もするけど・・・。

カレシに「65になったら仕事をやめようかな」と言ったら、「ボクはやめられないほうに賭けるな」とにやにや。なんだ、なんだ。そっちが「やめたらいいのに」と言うから、やめるのが怖いと言ったら、「やめて何の不利益があるのか」と突っ込んできたのは誰だったの?おかげでああだこうだ考え出して、しまいには解決していたはずのアイデンティティの問題まで蒸し返して、自問自答のあげくに考えすぎてもやもやしてしまったじゃないの。いや、今はやめられるという気がして来た。仕事をやめて日本とのつながりなくなっても、今つながっている人たちとも切れてしまうわけじゃないもの。ワタシはどこの何国人に関係なく、自分もひっくるめて「人間」が好きなんだと思う。まあ、追い払われても立ち去らないのはどうかと思うこともあるけど、なにせ向こうも人間だから・・・。

まあ、こんなふうに頭の中のめざましが鳴って、だんだんに目が覚めてきて、もやもやが晴れて来たということもあるけど、「65才で定年退職するのもいいかなあ」という気持になって来た背景には年金という現実的で色気のない要素もある。RRSPという個人の年金積立制度があって、現在高や積立額、年令などを入力すると退職予定年令に達したときの「年金」がいくらになるかを計算してくれるサイトを見つけた。さっそく現在の積立残高や退職までの年間の積立予定額で、65才で退職して、90才まで受け取るとしたらいくらになるか試してみたら、かなり大きな数字が出てきた。これに2つの公的年金を合わせるとカレシの年金合計額を少し下回る程度で、ひとりになってもゆとりで暮らせる金額。二人いっしょなら現役世代の平均世帯収入よりもずっと多い。な~んだ、それなら、65になったらさっさと商売をたたんで、カレシとのんびり隠居暮らしをした方が割に合いそう・・・。

あと3年と10ヵ月。カレシが「やめ(られ)ない」に賭けるというなら、こっちは「やめ(られ)る」の方に賭けようか。いいのかなあ、カレシ。この賭け、ワタシの勝ちかも・・・。

やせたい人には言えない話

6月26日。きのうはカレシに頼まれて英語教室の「記念写真」を撮りにでかけた。あと1回で9月までの夏休みに入ることになっているので、生徒さんから記念写真はどうかという提案があったんだそうな。というわけで、ワタシはデジカメ持参で即席カメラマン。夜のクラスは午後のクラスと違ってほとんどが仕事が終わった後で来ている人で、そのうち半分は男性。中国から移住してきてまだ半月という女性もいる。この人たちにとっては、言葉の壁は「通せんぼ」ではなく、未来のためのチャレンジくらいでしかないらしい。みんな少しでも英語のレベルを上げて居心地を良くしようと熱心だから、カレシ先生もやり甲斐があるというもの。全員2列に並んで、一番背の高いカレシ先生は一番後ろの真ん中。うまくフレームに収まったところで、は~い、Cheese!

写真撮影が終わったら、仕事に追われるワタシは文字通りワタシ返り。教室が終わって帰って来たカレシが「おい、大変なことになったぞ」。そういいながら火急の一大事が起こったような顔はしていないから、へえ、大変て、何が?「ネイバーフッドハウス協会の総会か何かでボランティアを表彰するのに、ボクのことを推薦したんだって」。なんだかよくわからないけど、つまりはハウスの団体が表彰してくれるってこと?「そうらしい。イタリア文化センターで集まりがあって、ただ飯を食わしてくれるらしいけどね」。ただ飯はまあどうでもいいけど、カレシが表彰されるのはすごいじゃないの。もう8年もTESLを独学で勉強しながら教えて来たんだもんね。社会貢献が認められたってことで、ワタシもすごくうれしい。あのとき英語教師を続けたいというカレシをやめさせ
なくてよかった・・・。ハウスは政府の補助金や交付金をかなりもらっているから、ひょっとして市や州議会の議員たちや市長も(ただ飯を食いに)来るのかなあ。

一夜明けて、カレシは朝から「ボク、体重がどんどん減ってるんだよ。きっとどこかが悪いんだ。ドクターに行かなきゃ」と、今にも死んでしまうかのようなパニック声。カレシはティーンの頃にあまりにもやせっぽちだったものでだいぶ苛められたらしい。太ることよりもやせすぎることが怖いたちで、急に体重が減ったから慌てているらしい。でも、いくら減ったのかと思ったら1ヵ月で2キロちょっと。あのさあ、カレシはトレッドミルで汗をかいて2キロちょっとだけど、ワタシは仕事にかまけて運動しないのに同じ1ヵ月で1キロ半減ったよ。だって、まず1ヵ月の間で赤身の肉を食べたのは1回だけで、魚が26日だったでしょ。ミルクは全乳を2%にしたでしょ。料理にバターを使わないでオリーブ油とカノーラ油だけにしたでしょ。アイスクリームもやめたし、お酒だってディナーのワイン1杯だけにしたでしょ。それだけカロリー摂取量が減ったってことなのよ。

だけど、カレシは「どこまで減るんだろう」とまだおろおろ。まあ、1日のカロリー摂取量と体重が釣り合ったところで下げ止めになるんじゃないのかな。だって、飢饉じゃあるまいし、毎日ちゃんと三食ふつうに食べているんだし、おなかが減って飢え死にしそうなわけでもないでしょ?それよりも、そうやってやみくもに心配するストレスの方が身体に悪いと思うんだけどね。はあ、ふ~んとまだ納得が行かない顔。だけど、いつものようにあちこちググって回って、「ストレスに強い人は善玉コレステロール(HDL)の値が高い」という情報を見つけて、いくらか納得が行ったらしい。そう、ネガティブなエネルギーは悪玉コレステロールと同じようにねばっこいから、心の気流のあちこちにべっとり張り付くと文字通りの「心筋梗塞」になっちゃうんだよねえ。だから、ポジティブなエネルギーをどんどん補給して気の流れを良くしてやらないとね。

結局は、コレステロール対策と減量防止の兼ね合わせについては、カロリーを落とさずにコレステロールと飽和脂肪の摂取を減らせる食事方法をプロの栄養士に相談することで話がまとまった。それじゃあ、がんばってジャンボ仕事を終わらせて、時間を作らなきゃ!

女運、男運、人生運

6月28日。どうやら夏らしさが戻って来た気配なのに、カレシは相変わらず手足がチリチリする、背中が痛いと、どっかしら「正常」でないところがあるのが気に食わなくて文句たらたら。目覚めたときの手足のしびれはどうも寝ている間に過換気症候群になっているんじゃないかと疑ってみるけど、こればかりはご当人がドクターに行かなければわからない。おろおろ心配するから身体症状が起きて、それがさらに心配になって別の身体症状が出て、それがまた・・・と負のスパイラルに陥りやすいのは、あまりありがたくない父親譲り。カレシもそれを認識しているんだけど、似ていると思うと急激にボケてしまったパパの姿がよけい重くのしかかってくるらしい。精神的にリラックスするのが苦手なら黙想でもやってみたらいいのにと思うけど、何もない時空間を怖いと感じているようなところもあるからなあ・・・

いちご山盛りの朝ごはんを食べながら、テレビを見ていたら、「なぜこうも政治家の不倫スキャンダルが続くのか」という特集みたいなことをやっていた。(日曜日だからニュースも暇なのかなあ。)何もアメリカだけってことじゃないんだけど、そういわれればちょっと続きすぎかな。モラルのたがの緩んだご時世ではあるとしても、将来は大統領と目されるほどの有力政治家が次々と女性問題で身を滅ぼすのはちょっと異常だな。そういう大物だから大々的に報道されてしまうんだろうけど、テレビカメラの前で謝罪声明を読み上げて去って行ったのを何人も見ていたはずなのに。英語文化にだって「他山の石」という観念があるんだけど、オレは違うと思ってしまうのかな。

評論家らしい人物が、「女性問題を起こす有力者には高校時代に女の子たちに振り向いてもらえなかったタイプ(nerd)が多い」と言っていた。キッシンジャーは「権力は媚薬だ」と言ったそうだけど、もてなくて悔しい思いをした人が権力を手にして(男女にかかわらず)人が寄ってくるようになると、自分はもてると勘違いして舞い上がるってことなのかな。だったら、自国の女性に振り向いてもらえない男が日本へ行って、チヤホヤされて「オレはもてる」と舞い上がるのと同類じゃないのかな。裏を返せばそういう男にチヤホヤされて「アタシってもてるのよ~」と舞い上がる女性の方も同じレベルだろうけど、つまるところは、抑えられていた「もてたい願望」を満たせる状況になったもので、理性を見失ったということなのかな。

ホワイトハウスで不倫をやって弾劾されかけたビル・クリントンはそんな「大物」の最たる例だろうけど、スキャンダルにまみれた任期を終えても元大統領としての政治的存在感は大きいし、政治家としての評価も高い。ジミー・カーターの「最良の元大統領」のタイトルを奪取したかもしれない。それはひとえにヒラリーという女性がいたからだと思う。民事弁護士の全米100傑に選ばれたくらいの凄腕で、フェミニストの鏡のように思われていたヒラリーは、不倫を繰り返す夫ビルと離婚しなかったことで、「自分の野心のために誇りを捨てた、打算的な女」と同性からさんざんに非難を浴びていた。きっぱりと離婚すれば不幸な結婚に苦しむ多くの女性たちに勇気を与えられるのに、「耐える妻」を演じるのは女性解放と自立の潮流に逆行する、と。

ヒラリーはそれでもビルを捨てなかった。あれだけの屈辱にさらされながらも「夫を愛している」と公言し続けた。任期が終わってホワイトハウスを去った後で、執務室に入ったビルの頬が真っ赤だった、ヒラリーの目が腫れていた、寝室から激しい口論や泣き声が聞こえたというホワイトハウススタッフの話がTIMEのような雑誌などで報じられた。そうか、バカ夫の横っ面を張り飛ばしたこともあったんだ。苦しくて夜通し泣いたこともあったんだ。ヒラリーは女として、妻として、深く傷つき、怒り狂い、泣き叫びながら闘ったのだと思う。それはとうてい野心や打算のためだけにできることではない。稀代の「できる女」であるヒラリーなら、しょうもない夫を許し続けて同性の反感を買うことが政治野心の妨げになることくらいわかるはずだ。(実際に大統領選の予備選では女性の支持が思いのほか低かった。)ヒラリーはビル・クリントンという男を心の底から愛していたのだと思う。なんと運のいい男なんだろうなあ。それに気づかずに自滅しそうになるなんてほんとにおバカだと思うけど、まあ、人間たるもの男女を問わず、自分の運の良さはそれを無くして初めてわかるものらしいから、なくしかけたところでわかれば、それも運の良さなのかも・・・

丸いものを四角くすると

6月29日。夏も再開の満開。あさってからもう7月。またあっというまに1年の半分が終わり。ついでにあさってはカナダの建国記念日。トロントでは市役所のストでゴミの収集がストップしているから、花火大会は中止とか。こっちではおととしのストで3ヵ月もゴミの収集がなかったけど、トロントはカナダで最大の都市だから、たまるゴミの山もバンクーバーの比じゃないだろうな。トロントの夏は蒸し暑いことで知られているから、うわ・・・。

7月といえば、この月に還暦の誕生日を迎える日本の友だちから「初孫誕生」の知らせがあった。元気そうな男の子。件名の後についた音符マークに彼女の喜びようがいかんなく発揮されていて、思わずこっちも満面のスマイル。そっかぁ、彼女もおばあちゃんになったんだ。子供のいないワタシにとっては、友だちの孫はみんな自分の孫も同然。自分のことのようにうれしい!

ジャンボ仕事はそろそろ没入しないと、上り坂の傾斜がだんだんきつくなる。どうもまた胸突き八丁の心臓破りの丘になっちゃいそうだなあ。ねじり鉢巻が締めても、締め直しても、なんだかだらんと緩んでくるから困ったもんだ。目にゴミ。コンタクトレンズにはゴミは一番の悩み。痛くて目を開けられないから、バスルームに上がって行って、レンズを外して、洗って入れ直し。ああ、すっきりした、とオフィスに戻ろうとしたら、あら、階段がよく見えない。確か左目を押さえて上がってきたんだっけ?さては・・・?毎朝レンズを入れるときは、黒点のついている右用のレンズを必ず先に入れる。そうなんだ。左用のレンズを右目に重ねて入れてしまった。ああ、この習い性。

オフィスに降りて行ってカレシにその話をしたら大爆笑。涙が出るくらい笑って、「ボクだって老眼鏡を2つ重ねてかけようとするからね」と。そうなんだ。カレシはリビングで使っている老眼鏡をかけたままでオフィスに下りてきてコンピュータの前に座り、やおらデスクにおいてある老眼鏡を・・・なんてことをよくやっている。あはは、これも senior momentなんだよね、お互いに。

LeeさんのTokyo Timesに載っていたのが四角いメロン。丸いメロンを四角にしてど~すんの?と思うけど、不思議な発想をする人もいるわけで、まあ、贈答用だったらギフト紙に包みやすいし、リボンもかけやすくて便利かもしれないな。でも、丸い味が四角い味になるのかはわからないけど、丸かろうが四角かろうがメロンはメロンかな。それとも、四角いのはセロンとか?形はなんらかの型にはめるんだろうけど、縞々が完璧じゃないのはどうなるんだろうな。欠陥品だと捨てちゃうのかな?世にも不思議な四角いメロン・・・

ま、とりあえず、「引退まであと3年10ヵ月」とかけ声をかけて、鉢巻を締めなおそう・・・。

ワタシがいなかった日本の夏

6月30日。今日で1年の半分の最後の日。すっきりと夏らしい天気、といっても仕事に埋まってさすがにひいひいと言っている(わりにはだらけている)ワタシにはあんまり実感がないな。しょうがないからというわけでもないけど、NHK Worldのサイトにあったカレンダー壁紙から「7月」をもらって来た。どこまでも濃い青空にまぶしいくらいのまっ白な雲。草むらの向こうには入道雲がわき起こって来そうな予感。きっとセミがうるさく鳴いているんだろうな。

NHKの「日本の夏」だから、これが日本の夏のイメージなんだろうけど、やっぱり子供の頃に過ごした「夏」とは違う風景だと感じる。空の色が違うし、セミは見たことも聞いたこともなかったし。中継所ができてNHKテレビが見られるようになったのは小学校半ばくらいの頃だったかな。夏休みが終わって始業式に来た子供たちが日焼けの黒さを競っているという光景を見てピンと来なかった。午後にもなれば海から霧が立ち込めて日焼けどころじゃなかったし、北海道ではとっくに夏休みが終わっていたしなあ。蝦夷地のほぼ最果ての地だったから、社会科の教科書に載っていた日本の四季の描写も子供心に「どこの国のことかいな」と感じたのも当然だったかもしれないけど。

テレビで思い出すのは、夫が「北海道に転勤になった」と暗い顔で言うと、妻も「よよよ」と、二人してまるで世の中の終わりのように嘆くドラマのシーン。あの頃は北海道に転勤することは「左遷」を意味することになっていたらしい。まだ「左遷」が何であるかは知らなかったけど、「お父さんが北海道に引っ越しさせられるのは恥ずかしいことなんだ」という意味合いは理解できた。いつまでそういう風潮があったのかは知らないけど、そんなシーンを見るたびにいや~な気分になった。北海道で生まれて育ったワタシにとっては、北海道は生まれてからずっと住んでいた「我が家」なわけで、その北海道に転勤することをまるで時代劇の島流しのように描かれるのは子供心にも気分のいいものではない。まあ、「津軽海峡以南の日本」に違和感を持ち続けるきっかけになったのかもしれないな。

今日配達された『MacLean’s』誌。いろんな統計や調査の報告を寄せ集めていいとこ取りしたら、カナダ人はアメリカ人よりも裕福で、フランス人よりもおいしいものを食べて、イタリア人よりも恋愛体質で、ドイツ人よりも勤勉で、スウェーデン人よりも長生きで、日本人よりも持っているテレビの台数が多い、という結果になったんだそうな。そのカナダでもバンクーバーは世界で一番住みやすいところ。あはは、明日はカナダの142才の誕生日。The Best Place on Earth、カナダ万歳!


2009年6月~’その1

2009年06月16日 | 昔語り(2006~2013)
GM破綻とコレステロールと

6月1日。いよいよ6月!と、張り切ってみたところで、カレンダーの絵が変わったくらいで、別にきのうと何かが違うわけじゃない。「仕事せにゃ」とはっぱをかけるわりにはだらだら。今日は暑いなあと思ったら、ずっと内陸の郊外では26度もあったそうな。ところが、オンタリオ州のどこかでは雪が降っているという話。へえ。

今日から陸路でカナダとアメリカの国境を越えるのにお互いにパスポートが必要にになった。この世紀はテロリズムの時代だから、「世界一長い無防備の国境」なんてかっこよがっている場合ではない。チップを埋め込んだ特殊な運転免許証で代用できるらしいけど、空路のアメリカ入りにパスポートがいるようになって以来、カナダでは全国的に53%、BC州では60%以上の人がすでにパスポートを取得しているそうだし、普通に往来するカナダ人は指紋を取られないから、だいたいは「あ、そう」という反応らしい。よっぽど経済的影響が大きいのは、取得率が30%前後というアメリカ人がめんどうくさがってカナダへ遊びに来なくなること。先週ジョージ・ブッシュとビル・クリントンがトロントで公開対談をやりに来ていたけど、新しい規則のことを聞かれて二人とも「それは知らなかった」と言ったそうな。(パスポートが必要になる前にお帰りになって良かったね。)さて、今年の夏休みの行楽シーズンはどうなることやら。不景気だっちゅうのに・・・

そのアメリカで創業100年のジェネラルモータースが日本の民事更生にあたるという「チャプターイレブン」を申請して、事実上の倒産。政府が筆頭株主になって事実上の国有化。自由資本主義のアメリカで大企業の国有化なんて、と思うけど、アメリカの民主党は意外と社会主義的なのだ。クライスラーに次いでGMの破綻で、ウォール街は・・・と思ったら、ダウ平均は急上昇。あらまあ。もっとも「潰れる、潰れる」といわれて来たから「やっと・・・」という気分だろうし、巷では景気回復の芽生えもあるらしい。どうも創業100年あたりで潰れるケースがけっこうあるようだけど、長いこと君臨していれば、雲の上の「裸の王様」になってしまうのかもしれないな。希望退職した組立工の年収が12万ドル(1千万クラス)だったそうな。うわ、共働きの多いアメリカの「世帯」あたりの平均所得の倍以上だ。高給の上に医療費や年金まで手厚くめんどうをみてもらって、それで作る車がイマイチ・・・。労働組合も働く人もみんな「裸の王様」になっていたってことだなあ。

カレシのコレステロール問題は対応の体制が一応軌道に乗ったところで、疑問がたくさん出て来た。赤身の肉は月1回程度というけど、なぜ鶏肉は良くて赤身はだめなのか。エビやイカはコレステロールが多いと言うから食べない方がいいのか。酒類はワイン1杯というけど、なぜ他の酒はだめなのか。二人してググって回ってみたけど、矛盾する情報がどっさり。気をつけて見るとサプリや健康食品の広告リンクがずらりと並んで、信憑性や公平性があやしいものも多い。これじゃあ自分に都合のいい情報だけを切り取りする人も増えるわけだなあ。(やっぱり小学校から第4の「R」、つまり「リサーチ(情報収集と分析)」を教えないと、玉石混交の情報社会を生きられなくなりそう。)

それでもかなり信憑性のある総合的な情報が見つかって、コレステロールの80%は体内で脂肪を原料にして作られていること、魚貝類は良いコレステロールの方を多く増やして、中性脂肪のトリグリセリドを減らすこと、アルコールは少量なら健康にいいけど、飲みすぎると体内で作られるトリグリセリドが増えること、コレステロールに関する限りは、赤身の肉そのものよりは肉についてくる「脂身」に含まれる飽和脂肪酸が悪いこと、などがわかった。つまり、調理方法を工夫して飽和脂肪酸を除外すれば、赤身の肉も少しくらいは食べていいというわけ。悪いコレステロールにしても人間の体が機能する上で不可欠だから体内で作っているわけで、要は、作りすぎて在庫がだぶつかないように「生産調整」をして、生産分は「販売促進運動」をやればいいってことだな。人間の体の働きというのはすごいビジネスなんだ・・・。

ちっともオチないブログ

6月2日。なんか夏っぽくなって来たと思ったら、一気に真夏になってしまった感じ。今日ポーチの温度計は午後2時で摂氏25度。うわ、バンクーバーじゃ真夏日だよ、これ。予報では週末までノンストップで「太陽がいっぱい」。そっか、夏なのか。ま、毎年のごとく、忙しがっているうちに、え、もう秋なの?ってことになるんだろうけど。

日本でも花粉アレルギーを振りまいている雑草の話を訳していて、ググって見つけた「花粉満載」の写真。うわ、見ているだけで鼻がむずむずしてくる。普通のもあるけど、大型種となると人間の背丈の倍以上にも育つというからすごい。それがわっと飛ばす花粉は200キロ離れたところまで届くことがあるというからますますすごい。そのくらいの生命力だから、よそ様の土地に侵入して、憎まれっ子としてはばを利かせるんだろうなあ。(極楽とんぼのことじゃないよ・・・)

小町で喧々諤々の議論になっているのが『オチのないブログ』。「楽しかった~」、「おしかった~」ではもの足りないんだそうな。読むほうのテンションが下がるからオチをつけろということらしい。日本は圧倒的な「ブログ大国」で、その圧倒的な数のブログの圧倒的な割合が「個人の日記」的なものだと、アメリカのどこかの新聞にあった。そうだろうなあ。日本語のキーワードで資料を探していると、ものすごい数の個人のブログ(と通販サイト)がヒットして、いくらページを繰っても、使える情報が出てこないということがよくある。英語のキーワードで検索すると企業や大学や官庁のサイトが多くて、個人のブログはそれほど出てこない。まあ、日本では平安の昔から「日記文学」というジャンルが発達していたから、そのデジタル版だと思えばいいだろうな。

苦情の趣旨は、「見てと言われたから見てみたらオチがなくてつまらなかった。こっちのテンションが下がるからオチをつけろ」ということらしいけど、ネット上で公開しているとはいえ、日記とあまり変わらないブログにオチなんてなあ。オチがないからつまらないと言う人は、お寒いギャグ満載のバラエティ番組を見すぎたのかもしれない。会話やブログにまで「オチ」を要求するらしいのは、裏を返せば「笑わせてくれ」ということで、世の中の閉塞感を反映しているのかもしれないけど。もっとも、見に来てくれとしつこく言われて行って見たら、「ブログランキングで今何位です。もっと見に来て!」としか書かれていなかったという、傑作ブログもあるらしいけど、そんな豪傑?でなくても、コメントを残せと強要するブロガーはコメントを数えるのを楽しみにしているのかもしれない。まあ、携帯が普及し始めた頃は「電話帳」に記録した番号の数を数え、SNSが普及すればマイ何とかの数を数えるのと同じ、一種の「自己肯定」の手段なのかもしれない。

要するに、個人のブログは動機も目的も視点もスタイルも、個人なんだから千差万別。お義理で読んで「つまらない」と掲示板で愚痴っても変わるもんじゃない。と、書いているこのブログだって、つまんないだろうと思う。だって、思うことをとりとめもなく書くだけで、さっぱりオチないし、ちっともほっこりしてないから癒しにはならないし、すてきなインテリアの写真もなければ、おしゃれなカフェでのランチやショッピングの話題もないし、「カナダ生活」の情報発信なんてのはまだ見るもの聞くものが珍しくてしかたがない新規移住組に任せているし・・・う~ん、じゃあ、いったい何のために書いているんだ、これ?

料理は後で使うための記録になっているけど、やっぱり「日記的」なものなんだろうなあ。ずぼらな極楽とんぼが近況報告を家族や友だちにばらまいているようなところもある。(そういう意味では、家族や友だちのブログを読むのは楽しみでもある。)未知の人たちもけっこう来てくれているらしい。きっと、「へえ、こんな暮らしをしている人がいるんだ」とか、「うわ~、ヘンなことを考える人がいる」とか、「な~に、この人?いったい何様!」とか、「オチがないじゃん。つまんないの~」とか、ちらっと「無言」のコメントが頭をよぎることもあるだろうな。だったら、とんぼはそれで満足・・・

教科書が教えてくれない英語

6月3日。ちょっと早すぎる真夏がまだ続行中。午後4時でポーチの温度計はなんと28度を示している。けさは、カレシがELSAの代講を引き受けて来たおかげで午前8時に起床。ELSAは政府が資金を出している移民向けの英語学校。資格のあるESL教師が1日3時間、週5日の授業をしている。教師は有給だから、無資格のカレシにも30ドルくらいの時給が出るわけで、そのせいか常勤の教師が休みたかったりすると気軽にカレシに声をかけてくるらしい。なにしろ午前9時からの授業なもので、いつもはうまく断わるらしいけど、今日は教師の勉強会があるということで、午前と午後のレベルの違うクラスを引き受けてきた。おかげで、朝日の差すキッチンでお弁当を作ってあげたりして、ちょっとした「出勤風景」の再放送ってところ・・・。

午後4時過ぎに「1日の勤務」を終えて帰ってきたカレシ。自分で用意した教材で授業をやったら、今回も生徒に「知らないでいたことを教えてもらった」と喜ばれたそうな。カレシはいろんな場面を描いた絵などを使って、カナダでの「普通」の暮らしの状況や人間関係でのコミュニケーションを円滑にする実際的な表現を教えるけど、本職の教師が教える学校では生徒の「レベル」に合わせて語彙を制限した教え方をするのか、「実用英語」になっていないことが多いような感じ。いわゆる「英語学校」では、英語という「言語」を教えられても、「日常でのコミュニケーションのための英語」は教えられていないらしいと、カレシは言う。

つまり、英語の習得度がまだ初級、中級の(英語人には「子供レベル」と感じられる)人たちが相手だからということで、「正しい英語表現」なんだけど「実際にはそういう言い方はしない」とか「そういう言い方をするとこういう意味合いに受け取られる恐れがある」とか「こういうトーンの時はこういう感情の表現」といったところまで踏み込んで教えていないということだろう。たとえば、ひと口にスラングといってもピンからキリまでスペクトラムが広い。「生きた英語」とか「ネイティブの英語」とかいう謳い文句を掲げる学校も多いけど、スラング表現に力を入れすぎて、生徒は「かっこいい英語」ができると思い込んでいたりする。でも、使っていい/使えない場面や相手などを理解しないまま使えば人物評価を下げてしまうことだってある。

まあ、「生兵法は怪我のもと」の典型例といえそうだけど、英語は敬語や謙遜語がなく、言いたいことをストレートに(歯に衣を着せずに)言える言語だと思い込んでいる人も多いから、知らずに失礼な表現で相手の気分を害していることもけっこうあるはず。そんなところから、相手には間接的に「これだから~人は!」という反感や偏見を生み、本人は「英語が下手だからバカにされた。人種差別だ」といきり立つという要因になっていそうに見える。たしかに、日本語と違って「敬語」という明確な語彙群や文法がないし、フランス語やドイツ語の文法と違って、相手が誰であっても「you」だけで済ませられる。だからといって、思っていることを言いたいように言っていたら社会は円滑に回って行かないから、言い回しや単語(ニュアンス)の選択、声のトーン、表情、ボディランゲージなどの手法を駆使する「待遇表現」を編み出して来たのだと思う。

ここで英語を教える方にも学ぶ方にもやっかいなのは、こうした文法や語彙以外の重要な要素が英語の教科書で説明できる具体的なものでないということだろう。カレシが正式に英語教授法を学んで資格をもっていたら、教科書通りに文法と語彙と発音ぐらいを教えていたかもしれない。しろうと教師として10年近くも試行錯誤で教えてきたからこそわかることもあるのだ。だから、その経験を生かして、移民のためのボランティア英語教師の養成をやったらいいのに、と一生懸命に背中を押しているんだけど・・・

怪獣KYサウルス出現!

6月4日。いやあ、何といっても暑い!テレビも新聞も急にやってきた夏の話で持ちきり。紫外線指数がピンと跳ね上がって、やれ日焼け止めを塗れ、直射日光に当たりすぎるな。だけど、ビーチは裸同然の人たちがごろごろ。と思ったら、郊外ではスモッグ発生で、慢性呼吸疾患のある人はなるべく外へ出ないようにとのお達し。ブタ風邪注意どころの話じゃない。なにしろバンクーバーの排ガスは海風に吹かれて、ぜんぶ川沿いに郊外へ流れて行く地形なもので、市内のほうが田園地帯の郊外よりずっと空気がきれいという、一種のねじれ現象が起きる。ああ、だけど外へ一歩出ると、暑いなあ・・・

発注元から「もっと論文調の堅いスタイルで翻訳せい」と言われていた仕事。論文調といわれても、元のスタイルが「主体」のぼやけたお役所文学の極めつきなもので、翻訳する方も、編集する方も「はあ?」という反応。「こんな風にやれ」と送ってきた別の論文と比べて見たけど、極楽とんぼが翻訳して、腕利きの編集者がレビューしたファイルのスタイルと、はてどこがそんなに違うのか・・・。だいたい、「する必要がある」という語句がやたらと出てくるけど、いったい「誰」がするべきなのかがわからない。まあ、直訳すれば「It is necessary...」で済ませられるんだけど、それでは「直訳調」すぎるのだ。日本語訳に「翻訳調」といわれる文体があるけど、英語訳にもそういうスタイルはある。たしかにあるんだけど・・・なんだよなあ。

パート2にかかるのになんか出鼻をくじかれた気分で、なんとなくだらだらしていたら、「要求があれば有料で書き直しをする。現針路を維持」と司令室から指令が飛んできた。イエッサー!やっと調子が上がってきたところで、書き直しを担当することになる編集者が「我々の文書とさして違いのないスタイルを手本にしろと言われても困る。読心術の心得がないのでいったいどうしてほしいのかわからない。それがはっきりしない限り別の文体に書き直すなんてムリ」。そう、そう。まったく象牙の塔のお人は何を考えてんだか。司令官はそれをそのまま発注元へ「回答」として送るつもりらしい。うん、がんばってくれ~、司令官殿

それにしても、日本語の特徴とされる「あいまいさ」は、奥ゆかしさでも慎ましさでもなんでもなくて、単に「意思の伝達に不可欠な情報」を行間に埋め込んで(あるいは意図的に隠して)、相手に意思を推測させようという陰謀みたいなものじゃないかと思えてくる。自分は考えるエネルギーを使わなくて済むし、相手が推測を誤ったら、結果として起きる誤解は「空気を読めない」相手の責任にできるわけだし。。(ん、このあたりはなんとなくカレシに似てなくもないなあ・・・?)だけどなあ、そうやって「正しく空気を読め」と互いに暗黙の圧力をかけあっていたら、みんな怪獣KYサウルスに恐れをなして、他人とかかわるのはめんどうだからごめんだと思うようにならないのかな。そんなことじゃあ、コミュニケーションは成り立たないんじゃないの?

まあ、比ゆ的に言うなら、ぼこぼこと立った埃も落ち着いたことだし、期限まであと2日、くじかれた鼻の機嫌を直して、エンジン全開でがんがんぶっ飛ばしたろ。

おもしろニュースばかりだったら

6月5日。今週ずっと続いていた異常高温。どうやら高気圧が弱まって、終息の兆し。だいたい6月の初めに25度を越える「真夏日」なんて早すぎるっつうの。湿気がないのが何よりもの慰めだけど、体機能も追いつけなくて、家の中にいると体感はふつうの6月で「暑い」と言う実感がない。それがドアを開けたとたんに「あっつ~っ」となる。まあ、週末は急な下り坂で、土曜日は雨模様、予想最高気温は14度。はあ、ちょっとばかり極端すぎない?

さて、今日のニュースは・・・と。ふむ、国交省が官僚たちに対人スキルを磨いてもらおうと、吉本興業のコメディアンを雇って漫才の特訓をしているんだそうな。入省4年の若手官僚90人がにわか漫才師って、ま、「国交」を掌るお役所なら、気の利いたジョークのひとつもかっ飛ばせるスキルが必要だろうな。いや、国土交通観光省だから、不況克服の戦略として「観光」に力を入れようという魂胆なのかもしれない。霞ヶ関寄席なんてよせよ~なんてね。行政にだけは下手なオチをつけて突っ込まれないようにした方がいいんじゃない?

カナダの造幣局で監査をしたら、金や銀などの貴金属の在庫が帳簿の記録より少なかったんだそうな。特に金はかなりの量が足りなかったとか。技術的に進んでいるカナダ王立造幣局は、自国だけじゃなくて世界各国の金貨や銀貨を作っているから、金や銀、パラジウムがなくなっていて、盗難の可能性も否定できないとなると国際的な信用問題。盗難防止策は万全で厳格というけど、造幣局へ新硬貨の鋳型をクーリアで送って途中でなくしてのほほんとしていたところだからなあ。あれは1ドルを紙幣から硬貨に切り替えたときで、結局新しい硬貨は公募で次点だった北極圏の水鳥「あび」になったのはいいけど、英語の「loon」には俗語で「気ちがい」の意味があったのは笑うに笑えない偶然。おかげで1ドル硬貨の愛称「loonie(ルーニー)」がカナダドルの通称になってしまった。のは、ご愛嬌と言っていいのかどうか。この「珍事」には、行方不明になった鋳型は10年後だかにどこかの倉庫の隅に置き忘れられていたのが見つかったというオチがついている。

日本で緑茶味のコカコーラが発売されるそうな。ネッスルが定番製品「Kit Kat」に日本で「えっ」というような味(枝豆味、ぜんざい味・・・)を付けた限定版を次々売り出しているけど、コカコーラまでそれをやっているんだな。まあ、珍しいもの好きの日本のことだから、そういうのを限定販売で出せば、話題性も手伝っていい商売になるんだろうな。ヘンな組合せといえば、オーストラリアでスーパーのお酒売り場を見ていたら、ラムやウィスキー、リキュールなどとコカコーラと組み合わせたものがいろいろあってびっくりしたっけ。コカコーラ入りスコッチって・・・う~ん、まあ、やめとこ。

東京在住のLeeさんという写真家がやっている「Tokyo Times」に載っていた「犬の洗濯機」に思わず爆笑。この人、東京を歩き回っては「えっ」というおもしろい風物を見つけて来る。ネーミングも含めてバカっぽくて安っぽいプラスチック美容道具にも笑わされるけど、このペットの犬のコインランドリーもおかしくて、それでなんとなくもの悲しいような。料金千円でペットを洗ってくれるキカイ。中からガラスのドア越しにオーナーに何かを訴えているワンちゃんの表情がたまらない。

ひとしきり笑ったところで、ごはんを食べて、仕事に精を出さなきゃ・・・

お月さまは何色?

6月6日。やっとエアコンがいらない普通の気候に戻ってくれた。ほんと、まだ真夏は早すぎるってば。雨の予報が少しずれたらしく、最高気温14度の予報は火曜日。ほんとなかあ。下がる、下がると先送りしているうちに秋になってやっと予報が当たったりしてね。カナダの地理的な広さを実感するのが気候のずれ。今日はロッキーの向こうのカルガリーでなんと20センチの雪がつもり、トロントでは早春の気候に逆戻りだそうで、西から東まで見渡すと冬、春、夏が同居している観がある。これも地球温暖化による異常なのかも。

夏が近づくと、高くなって行く太陽とは逆に月が低くかかるようになる。真冬に高々とかかって冷たく凍えてみた月が、地平線からあまり高くないところに大きく、ほのぼのとした感じの色でかかるわけなんだけど、明日の満月を控えた今夜の月、うわ、なんか汚れたオレンジ色。どよ~と汚い色をしている。1週間続いた異常高温で大気の質がすごく低下していたそうだから、たぶん空気が汚れているせいでお月さんの色も汚れてしまったんだろうな。2日くらい前も、午前3時過ぎにカレシに「見に来い」と呼ばれて道路へ出てみたら、ゴルフ場の林の切れ目、水平線ぎりぎりのところに不気味に暗くて赤い月が沈みかけていた。ちょうど空港のある方角だから、飛行機の排気ガスで空気が汚れてあんな色に見えるんだと思ったんだけど。それにしても、気持の悪い色だなあ。

さて、あしたは極楽とんぼ亭にお客さまがある日。あした午後が期限の仕事2件、がんばって終わらせておかなくちゃね。お月さん、おやすみなさい・・・

画期的な日曜日

6月8日。いつのまにか月曜日が終わりかけている。日曜日のきのうは、朝食もそこそこにがんばって仕事を終わらせて、極楽とんぼ亭にお客様をお迎えして、魚介づくし5コースのディナー。おしゃべりに夢中で写真を撮るのを忘れてしまった。赤身の肉は食べないけれど相当にレベルの高い食通の彼女からせっかく「三つ星」をもらったのになあ。メニューはかぶとスモークぎんだらのだし風味のポタージュ(前に作ったもの)、しょうがとしょうゆで味をつけて蒸したマヒマヒにあんずのクーリ、えびと豆腐のレイヤーケーキ(えびとネギのペーストを薄切りの豆腐と交互に重ねて蒸し固めたもの)、メインはオレンジラフィーのほうれん草ソースにキノアと焼きぶどう添え、サラダの後のデザートは自家製のソルベのトリオ(ライチ、マンゴー、ピーチ)。

少し熟れすぎのあんずにあんずのブランディを加えて、ハンドブレンダーで一気にピューレにしてできたのが「あんずのクーリ」。これがおろししょうがと少々のしょうゆをもみ込んで蒸したマヒマヒとぴったり合ったから、思いつきは大成功。オレンジラフィーと白ぶどうも相性が良かったし、白い魚にはフルーツが「秘密の味」。豆腐と重ね蒸しにしたえび団子は、えびとネギにつなぎの卵とパン粉少々を入れて、サンバルでスパイスアップしたのをフードプロセッサでペーストにしたもので、余ったのをラップに包んでいっしょに蒸したら、ちょっとえびソーセージのような仕上がりになった。なるほど、今度は「えびのソーセージ」を作って、冷製の前菜として出してみようか・・・

ディナーの大成功に大いに気を良くして、次の仕事にかかっていたら、どうもカレシのご機嫌がよろしくない。脈拍数がどうのこうのと聞いてくるかと思うと、背中が痛くて、胸骨にまで痛みが回ってくるとくどくど。脈拍を知りたいんだったらと、血圧計を持ち出したら、「血圧を計るのはいや」と駄々をこねる。脈拍の数字だけ見りゃいいじゃないのと、カフを巻いてスイッチを入れたら、あら、やっぱり高血圧第1期の下限あたり。「おかげで気が滅入ってしまったじゃないか」と怒り出すから、「だから血圧は見るなって言ったのに」と売り言葉に買い言葉。カレシは「背中や胸が痛くなったりして、何が悪いのか怖くて眠れないんだ。同情してほしいだけなんだ」と必死。

まあ、ひと昔だったらここで爆発的なけんかになったところだけど、「あなたは同情のされ方を知らない。暗に他人を威圧するようなもの言いをするから同情どころか反感を買うの」と、静かに言ったら、「ボクはつらい気持をシェアして、わかってもらいたいだけなのに」と、ますます必死になる。「ずっと前にあなたのママが私に言ったのよね。あなたは自分が不安で狼狽すると周りのみんなが同じく不安になって狼狽すべきだと思っているって。でも、それではみんなも同情したり共感したりする心の余裕がなくなってしまうのよ」と、こっちもちょっと必死に冷静な口調で言ったら、「そんなつもりじゃないんだよ。ボクの気持をわかってほしいだけなんだ」と、カレシは今にも泣き出しそうな子供の顔・・・。

少し前に、親からの言葉の暴力にさらされて育った子供は「言語性知能」が低くなるという研究結果が出たという記事を読んだ。言語で意思を疎通する機能に障害が起きるらしい。5才くらいの頃(両親の関係が最も険悪だった頃)のカレシは緘黙児だったらしい。育った環境の影響はあるんだろうな。要するに、自分の気持をすなおに言い表せない人なのだ。感情に触れない知識や他人の評価になると弁舌が立つのに、自分の気持は言葉で伝えられない。それで「(言えないんだから)言わなくても察してわかってほしい」という他力本願のコミュニケーションに頼る。そういうあたりはなんか日本人的な性格といえなくもないかな。言わなければわかってもらえない社会で、すごく生きにくい人生だったんだろうなあ。

ずっと、自分の気持を言葉で言い表すのが怖かったんだろうね。相手の反応が怖いのか、感情を吐露することそのものが怖いのか、よくわからないけど、わかってほしいのに言いたくても言えなかったんだろうね。それでどんどんストレスを溜め込んでいたんだろうね。でも、けんかにならずに、肩の力を抜いて静かに話し合うことができたのは、二人にとっては画期的なことだと思うよ。ベッドに入ってから、しみじみとうれしい気持で胸がいっぱい・・・

広告byぐうぐるもまた楽し

6月9日。火曜日。てことは次の締切まであと2日半しかないってこと?どうみても4日はかかりそうな仕事なのに?てことはまた半徹夜ってこと?きのうは少し疲れた気分で仕事のペースが上がらなかったからなあ。日曜日の遅れにきのうの遅れをプラスして・・・あ~あ。でもまあ、二人の暮らしに「画期的」な前進が確実にあったわけだし、やっぱり仕事よりもそっちの方がずっと大切だもんね。

なんていいながら、すぐに仕事に取りかかればいいものを、ついニュースめぐり。それでふと目を引かれたのが朝日の記事の下の方に出てくるAd by Googleというやつ。たぶん記事の内容とIPアドレスに合わせてつながっていそうなものを検索して来るんだろう。思わず「え?」というようなのがあったりするもので、ついおもしろくなって、あの記事、この記事と開いての広告ツアー。

  ♪カナダで早期リタイア生活
   - 永住権を取得して悠々自適なカナダリタイア生活を実現!

永住権を取って悠々自適って・・・投資移民募集なのかな?それとも専業主婦募集?

  ♪英語はメールで身につけろ
    - 質の良いメールで学べば英語ペラペラ。無料で学ぶ英語。豊富なサンプル公開中

ミソは「メール」というところ。毎日何分だか聞き流すだけで、ある日突然に口から英語がペラペラと出て来る!というのもよくあるけど、こっちは「質の良い」メールを読んで、(たぶん)書くだけで、ある日突然英語がペラペラ・・・。読むと聞くは別だし、話すとなったらもっと別もの。メール読むだけで「ペラペラ」と英語で話ができるんだったら、誰も苦労しないって。

  ♪留学で発音に困らない為に 
   - 在米30年日本人ハリウッド俳優による理論でアメリカ人俳優並み発音力へ!

う~ん、発音は抜群にいいんだけど、全然「英語の会話」なっていない人が多いような気もする。まあ、そっちは「留学」が解決してくれるのかもしれないな。

  ♪海外の友達検索サイト 
   - ユーザー数170万、220カ国地域以上。無料で世界中の友達に出会う

あ、これだ、これ。日本在住外国人のサイトに行くと必ずといっていいほどリンクがある、ツヴァルのドメインを使ったペンパルサイト。もう何年も同じオンナノコたち(ときにはオトコノコたち)の写真が周期的に出てくる。あまりの「ヘビロテ」に、まだお相手が見つからないのかしら、それともお別れして「次、行こ」と戻ってきたのしから、とついつい老婆心で心配してしまう・・・わけないよ~。

時間の経つのも忘れてツッコミを入れていたら、極めつきのヒット作が登場・・・。

  ♪日本人の男はモテない 
   - 国際恋愛の参考書。決定版。英語がダメでもなんとかできる!

う~ん、ツッコミどころが多すぎる。いうことなし。仕事にかかろうっと・・・

世界一住みやすいところ

6月10日。何日かぶりでよ~く眠れていたのに、早々と(といっても10時過ぎだけど)目を覚ましたカレシがちょっかいを出してくれるので、半ボケ状態。けっこう不思議な夢を見ていたような気もするんだけど、思い出せない。てことは悪い夢じゃなかったってことか。カレシが起き出してくれたので、もうひと眠りと思ってとろとろしていたら、今度は「シーラとヴァルが来たよ~」。そっか、今日はお掃除の日なんだ。「午前中の家が早く終わって、買い物も済んでしまったのよ~」とシーラ。彼女の肩にもたれて、ぼや~んのとんぼ。「まだ朝だものね」とシーラ。「ほんと。早すぎぃ・・・」ととんぼ。

だけど、シーラが二階、ヴァルがオフィスを掃除している間に、その間で朝食。今日のフルーツはブルーベリー。先週あたりの異常高温が功を奏して、生育が遅れがちだった地物のいちごがいっせいに熟れだして、大粒が甘いのがどんどん採れているそうな。ラズベリーとブルーベリーもすぐに後に続いて、今年は豊作らしい。毎日「魚!野菜!フルーツ!」のかけ声がかかっているから、豊作はうれしい話。あんずをピューレにして作ったソースがヒットして以来、魚にフルーツをあわせるアイデアばっかり考えているから、ふむ、次は何を試そうか・・・

どうも4日はかかるなあとため息をついていた仕事は、きのうと今日とバンバンとキーを叩いていたら、なんと2日かっきりで終わってしまった。まあ、やるとなったらなぜかやれてしまうのが、極楽とんぼの底力というか、ばか力というか。もっとも、発注元には規程やら規則やら要綱やらが大小で三桁の数あるというけれど、業務はと言えば人さまのお金で「売る、買う、借りる、返す」くらいのもので、それをせいぜい4、5種類のバリエーションでやっているから、しまいにどれも似たり寄ったりになってくる。おかげで去年うんうんいいながらやっていたのを引っ張り出して、あっちこっちから「コピペ」して、ちょこちょこっと修正すればどんどん仕事が進むから楽ちん、楽ちん。さっさと送ってしまって、せいせいしようっと。

さて、ひと息ついたところで、明日は大洗濯をしなきゃ。カレシの英語教室も今年は今月末で夏休みに入る。9月の新学期?まで2ヵ月。今年こそはパティオを作ってくれると言うし、ゲートから玄関までの「歩道」も完成させてくれると言う。その代わり、とんぼにも「できるだけ時間を見つけて、家の中のプロジェクトをやってほしい」と。そうだねえ。まずはメインフロアの洗面所の改装計画を前進させないとね。シャワー室を取り払って、シニア用に開発されたウォークインバスというのを導入したい。転倒事故を防止するために、バスタブへの出入りをドア式に、中をベンチ式にしたひとり風呂で、小さな洗面所にうまく収まるかどうかが鍵。まあ、今年中にやれば費用は税額控除になるから、ぜひともやらなくちゃね。

イギリスの『エコノミスト』誌による世界の住みやすい都市ランキングで、なんとバンクーバーがトップになったというニュース。カレシは「みんながどんどん来たら住みにくくなるからあまり宣伝するな」とテレビに向かって抗議。テレビでインタビューされていたバンクーバーっ子も「どこを見て言ってんだか」というそっけいない返事が多かったけど、トップテンに3都市ずつ入ったのがカナダ(バンクーバー、トロント、カルガリー)とオーストラリア(メルボルン、パース、シドニー)。日本は、大阪が13位に入って最高位、東京は19位だったそうな。(最下位はジンバブエのハラレ。)そういえば、このニュースは日本のメディアでは見なかったような。関西空港が世界の空港ランキング第6位だったと言う記事はあったけど、トップテンじゃなきゃ注目に値せずってことかな。まあ、どこかのサイトで「ランキングゥ」が好きということでは日本は世界第1位という記事があったけど。

だけど、世界一住みやすい都市で仕事に追われて「おこもり」ってのも何だかなあ・・・

背中を押してくるお化け

6月11日。雨、降らないなあ。おかげで郊外の農場では先週の高温で春先の遅れを取り戻したいちごが旬。めんどうなひと仕事を終えたところで、今日は「家事」をやる日。漢字を見ると、「家の事」。それで、「家事」は女の仕事と思い込んでいる男が減らないのかな。まあ、それはどうでもいいとして、洗濯物が、まるでカレシのクローゼットの中身が全部移動したんじゃないかというくらいある。うん、ほぼ毎日大汗をかきながら庭仕事をしていたからなあ。(ごめんねえ。)

仕事を減らして、絵を描くとか、貯まりっぱなしの本を読むとか、できないでいることをやったらいいのにというカレシの言い分もわかるのだ。いったんはほぼ半分にした仕事量がこの3年くらいでじわじわと増えているのは自分でもわかっている。チャレンジと見ると腕をまくってしまう性分ということもあるんだけど、それ以上に90年代のいつも駆り立てられているような気持はもうないのにもかかわらず、まだ見えない何かに背中を押されているように感じるのはどうしてだろうなあ。

こんなことを考えるのも、日曜日以来カレシと話をするときの自分の視点が少し変わったように思うからかなあ。今まではいつひとりになってしまうかわからないから、という気持が強かったんだけど、どうもこの「ひとりになる」は「離婚」を意識していたんだという気がしてきた。自分の性格からして「これ以上はもうだめ」となったら後先も考えずに飛び出すだろうから、もう実家というものがない身では、どこにいようとひとりになったら自立するしかない。そういう考えを植えつけてくれたのはほかでもないカレシで、新婚の働き始める前の頃に「ボクは生命保険が大嫌い。キミはひとりで生きていけるだろ」と言ったのが、ずっと心の奥にこびりついていたんだと思う。(発言の趣旨はどうあれ、自分で経済的基盤を確立しなければならないということを教えてくれたわけで、今は感謝しているんだけど。)

それが、別れないままで二人とも60代に入った今になって、「ひとりになる」ということは「死別」も意味していることに急に気がついた。年金受給開始まで4年を切って、3年後の今頃はきっと受給申請の書類が送られてきているだろう。私的な年金を積み増すためにも、仕事を非拠出の老齢年金を減額されないレベルまで減らして続けるつもりでいたけど、離婚しなくても自分がひとりぼっちになる確率は五分五分だから、別れずにいっしょにいるということは、それまでの時間は「二人」の時間でもある。急になんだかそっちの方が仕事よりも何よりもずっと貴重な時間なんじゃないかと思えてきた。

だけど、なのだ。今の仕事をやめるということは、ずっと保ってきた日本との「接触面」にぽっかりと大きな穴があいてしまうことを意味する。もちろん今の時代、カナダに来たばかりの頃のような「隔絶状態」にはならないかもしれないけど、点々とした接点に細い糸でつながっているだけになるんだろうと思う。ということは、背中を押し続ける「見えないお化け」というのはこの「日本との接触」を維持することへのこだわりなんだろうか。でも、すでにあちこちに大きな溝や断絶ができていて、それがどんどん広がって行くのを感じていながら、それを一度ばらばらにして組み立てなおしたのが「自分」だからしかたのないことなんだと納得していたはずなのに、どうしてかなあ。

まあ、頭が疲れているだけってこともありえるけど、だったらよけいに命も洗濯しなきゃ・・・といっても、この洗濯機、なんだかきちんと脱水してくれていないような。うん、早いところ新しいのに買い替えたほうがいいかもしれないなあ。もう3年もそう言っているけど、今度こそは・・・。

背中のお化けの正体

6月12日。なんだか眠れなくて、うとうとしているような、目が冴えているような、そんな中途半端な状態で頭の中を英語、日本語入り乱れてぐるぐる回っているうちに、やっと午前6時半すぎになって眠りに落ちたらしい。正午近くにはっと目が覚めて飛び起きたら、足の先が冷たい。ざわっ、ざわっという寒気がする。11時前に起きたと言うカレシに言わせると「ボクが洗濯物を畳んだり、しまったりしてベッドの周りをバタバタしてしていたのにピクッともしなかった」。そうか、眠った後はぐっすり眠ったんだ・・・。

夜中のランチをしながら、翻訳の仕事をやめたら日本とのつながりが切れそうで、それが怖くてやめたくないのかもしれないとカレシに言ったら、「切れたところでどんな不利益があるの?」と返してきた。「家族や友達とのつながりが切れるわけじゃあるまいし、どうしてつながっていたいと思うのか理解できない」と。「そりゃ、ビジネスなんだから、クライアントとうまく折衝して、きちんと仕事をするためには日本のいろんなことを知っていなければならないのはわかる。だけど、それが精神的な依存になってしまっているとしたら、依存すべきところを間違っていると思う」と。精神的な依存か・・・

「正直なところ、ボクは日本という国は好きじゃない。たまに英語教室に来る若い日本人の振る舞いを見ていて、あの世代の日本人も嫌いになった。どうして自分を見失うほど憧れたのか、自分でもわからない。あれは人生最大のミステイクだった。そのおかげでキミの心がまだ揺れ動いているのがわかるから、見ているボクはつらい。キミは日本人であっても精神的な文化はもうすっかりカナダ人なんだよ。今のボクはそういうキミでいてほしいんだ。だけど、キミはボクに日本人らしさを否定されたと思ってまだ葛藤しているんだと思う。ボクにとってキミは言葉も文化もみんなボクと同じ国の日本人なんだ。良いところも悪いところも全部ひっくるめてカナダが好きだと言っているじゃないか。それはカナダがキミの国だから言えるんだよ。それでいいんだよ」と、カレシ。

そうか、自分探しの方向を間違えてしまっていたのかもしれないな。このブログだって日本批判と取られる記事が多い。単に「しんどいだろうなあ」とか「やりにくいんじゃないかなあ」とか思うことを書いているだけのつもりでも、日本語だから読むのは日本人。たぶん外国にいて日本を批判している「むかつく外国かぶれ」ということになるんだろうな。そうか、あんがいまったくおかど違いのところでおかど違いのことを言って、ひとりでもやもやしていたのかもしれないな。少しゆっくりしていろいろと考え直してみた方がいいのかなあ・・・そんなことが頭の中をぐるぐる。だけど、自分の考えていることを書きとめておくつもりで始めたブログは記事の数がもうすぐ千本。カレシの言うとおり、あんがい目的を果たして、役目を終える潮時に来ているのかもしれない・・・。

今夜はアンドレ・リウのコンサート。気を取り直して、気分を入れ替えて、壮麗なウィンナーワルツを楽しんでこよう。

べラジオの噴水のように

6月13日。きのうは、アンドレ・リウのコンサート行くのに、近くのお気に入りレストランで早いディナーをするつもりだったのが、カレシが木曜日のうちに予約を入れるのを忘れたおかげで、プレシアターの時間枠は予約が満杯。しょうがないから取り急ぎディナーは極楽とんぼ亭ということになった。それでメニューも取り急ぎで、えびソーセージ、チキンのケープマレイ風カレーとサラダを4人分。

6時ぎりぎりになってやって来たバーバラは玄関を入るなり、「私、臭わないよねえ」。どうも未だに双子の孫の子守に「通勤」しているらしい。あはは。思いっきり大げさに、「いやぁ、ベビー臭いってば~」と応酬。たしかに、ほのかに赤ちゃんの香りがするもの。子なしの極楽とんぼにとっては、たぶん自分が赤ちゃんだった頃の「母の匂い」を思い起こすのかもしれないな。とにかくイアンが持って来たワインをあけて、ぶっつけのぶっちゃけディナーだけど、話が弾むもので、途中で「そろそろ行かないと遅れるよ~」ということになる。

バーバラに合わせて、新調の鉤針編みのスカートにスリーブレスのT シャツに着替え。このところ最低気温が高めなので、日が暮れて肩を出していても寒くない。コンサート会場はアイスホッケーのアリーナ。数千人は入っているだろうな。私たちの席から見ると、まるでSea of White、つまりは「白髪頭の海」。時間になって登場したミュージシャンたち。女性は華麗なローブデコルテ。子供の頃に思い描いた王子様のお城での大舞踏会の雰囲気。スカートをちょいと気取ってつまんで、燕尾服の貴公子と優美なワルツのリズムに乗って大広間をくるくる・・・。まあ、そんな雰囲気なんだけど、口の悪いとんぼは、となりのバーバラに「なんかローレンスウェルクのショーみたいねえ」。バーバラと二人してきゃっきゃと笑い転げてしまったけど、ま、これは還暦過ぎのおばさんじゃないとわからないだろうな。(ローレンスウェルク楽団は毎週土曜日にテレビ番組を持っていて、スタジオの観客は年寄りばかり。スポンサーは「Geritol」という老人用栄養強壮剤だった・・・。)

一番感動的だったのは大好きな『Con Te Partiro』 。アンドレア・ボチェリがラスベガスのべラジオがオープンしたばかりの頃のコマーシャルで歌っていた、なんともいえない高揚感がすばらしい。ショーのフィナーレはベートーベンの『歓喜の歌』。圧巻・・・なんだけど、その後に続くアンコールがなかなか終わらない。この調子だと本番よりもアンコールの方が長くなったりして~と思っていたら、アンドレ・リウが突然弾きはじめたのが『O Canada』。カナダの国歌だから、みんな反射的に起立。あはは、これはショーマンシップ100%。なかなか席を立って帰らない観客に国歌を聞かせて立たせてしまうとは心憎い。もちろん極楽とんぼもみんなといっしょに大きな声で歌う。(まあ、自分の国の国歌をちゃんと歌えてあたりまえなんだけど、やっぱりじ~んと来るものなのだ。)

いい音楽はいつもいい。どこの誰のなんとかなんてへったくれも何もなく命の洗濯。心の洗浄剤。うん、おなかの底から思いっきり声を張り上げて歌いたいなあ。低域アルトのとんぼには女性歌手の歌は音域が高すぎて歌えない。(父がすごい低音だったせいかどうかわからないけど、男の子並みに声変わりしたときは音楽の時間に男の子といっしょに歌わされてしまった・・・。)今はまあ女らしい声だと思うんだけど、いざ歌うとなるとテナーの歌しか声が届かない。だったら、お風呂の中で、あのべラジオの噴水を思い浮かべながら『Con Te Partiro』を歌っちゃおうか・・・。

ただいま夫婦げんか合宿中

6月14日。ああ、ねむ~い。よく眠れないでいて、今夜こそはと思っていると、今度は大した量じゃないなと高をくくっていた仕事に細々と指図がついていて、その通りにやっていたら、時間がかかること、かかること。翻訳モードの思考の流れも中断されっぱなし。納期の日曜日の夕方は日本では月曜日の朝だから鬼門中の鬼門。おまけに、1日休みを取ってどこかへ出かけようねという約束になっているから、なんとしても終わらせて送っておかなければならない。めんどうな仕事を終えて、もうひとつ同じ期限のミニ仕事を終えたら午前5時半。夜明けどころか、とっくに日が昇ってしまっている。日の出とともに眠りにつく暮らしって、おかしいよね、やっぱり。

うとうとした程度で起床は午前11時。カレシのご機嫌がえらく悪そうなオーラ。眠れなかったという。テレビにデジタルのコンバータを取り付けようとしたら、「テレビが映らない、DVDも映らない。何から何までがおかしくなってしまった」そうな。ありゃりゃ。アメリカはつい先日地デジに移行したばかりだけど、カナダはまだ2年くらい先の話。特にこの辺は40年も前からテレビと言えばケーブル放送なもので、地デジ移行でテレビが見られなくなるわけじゃない。だけど、アナログのテレビで見られないデジタルチャンネルは月額100円相当の追加料金でコンバータが必要。そのコンバータをやっと重い腰を上げて取り付けようとしたら、テレビもDVDプレーヤーもみんなめちゃくちゃになってしまったというわけ。

もう一度やるというから、オフィスに下りて翻訳ファイルを送り、メールを書き、ニュースめぐり。ところが急に現れたカレシが「テレビのケーブルの接続口が見つからない」とぶつぶつ。「手を貸すよ」と言ったけど、返事もせずに上へ戻って行ったから、愚痴るために来たのか思っていたら、上から「来るのか、来ないのか、どっちなんだ!」と怒鳴り声。あのねぇ、「手を貸せ」と言わなかったじゃないの。どうして?「やりたくないだろうと思った」。あのねえ、断るかどうかは私が決めることでしょ?勝手に人の気持を決めておいて頼まなかったのに、「頼まなくても察して手伝いに来くるべきだ」って、日本人じゃあるまいし、なんで素直にひと言「手伝ってくれ」と言えないの?「失敗して気恥ずかしいときは頼みにくいじゃないか!」 ああ、バカかっ、もう!

そこでまたここ1、2週間ほどちょくちょくやっている「けんか」が始まる。昔のように二人とも黙ってしまわないで、気持を落ち着けて話し合おうと努力しているのはたしかにすごい進歩なんだけど、非難の応酬になったり、涙が溢れてきたり、自己防衛モードになったりするから、二人とも疲れる。まあ、35年分の「けんかと話し合いと仲直り」を集中合宿式にやっているようなものかもしれない。それでもうやむやにせずに、ひとしきり互いに気持をさらけ出しあって、言い分を聞き合えるようになったのは自賛してもいいだろうな。今日も深呼吸で気を取り直して、テレビとDVDプレーヤーとコンバータの接続作業にかかる。テレビとDVDについては不調の原因はカレシの「ポカミス」とわかって簡単に復旧。ところが、コンバータをつけるとDVDは見られるのにテレビ番組が映らない。「きのうの夜と同じになってしまった」とカレシ。はてな・・・?

コンバータの不具合でないことを試そうと、オフィスのとんぼの(液晶)テレビにつないでみることにした。よけいなビデオ機器がない分、接続はごく簡単。映るかな?う~ん、映らない。やっぱりコンバータのせいか・・・。マニュアルにトラブルシューティングのこと書いてない?マニュアルを繰っていたカレシが突然「あっはは~!」え?「接続が済んだら、ケーブル会社のウェブサイトからアクティベートするんだってさ」。へえ。「そこまでは読んでいなかった」と笑いこけているカレシ。ま、とんぼもアナログ人間でマニュアルをあまり読まないから、文句を言えないけどさぁ・・・。

アクティベートされて何やら映り出した映像。自動設定で30分ほどで「オン」。どんなチャンネルがあるのかと調べてみたら、あるわ、あるわ。百何十もある。だけど、う~ん、一日中、けんかして、大汗かいての大騒ぎをしたわりには、見たいものってやっぱりないねえ・・・。

月曜日だけど半ドン

6月15日。きのう日曜日は1日中デジタルコンバータに振り回されて終わったから、今日が約束の「半ドン」。コンバータをベースメントのオフィスの続きにある小部屋のテレビにつないでしまったので、ソファもあることだし、いっしょにテレビを見たりするレクリエーションルームにしようかということになった。それはいいんだけど、ごちゃごちゃと積んである廃用電子機器をなんとかしないとねえ。ということで、半ドンの今日は不要になった電子機器の類をまとめてリサイクルセンターへ持って行くことにした。市のリサイクルデポも空きびん類の収集センターもこの電子機器センターも、まとまって近い距離にあるんだけど、近いからと思えばなかなか腰が上がらないものらしい。

集めたのは、テレビ1台、ビデオデッキ3台、コンポーネントステレオ1組、ミニコンポ1組、LCDのモニター1台、キーボード5個、マウス8個、昔々のモデム1台、博物館クラスの「UHFコンバータ」が1台。よくもこれだけため込んだもの。ま、ゴミとして捨ててはいけないといわれれば捨てるわけにもいかず、かといってリサイクルセンターへ持って行こうにもついめんどくさ~となって、二人しかいない家の中では「部屋の隅っこ」が手ごろな物置になる。キーボードは極楽とんぼが叩いたおかげでキーの文字が消えてしまって、どれも壊れてはいないのに使えない。それにしても、UHFコンバータはなんて20年くらい前のものだと思うけど、木目を印刷してあるからよけいに古臭い。でも、当時は「古き良き時代」から「ハイテクデザイン時代」への過渡期だったから、金属の箱物もやたらと木目模様だったっけ・・・

リサイクルの後はトラックのバッテリ補強のためのドライブ。少し郊外の石材屋までぶっ飛ばした。造園用の石材ならなんでもありの大きなセンター。大小の敷石に玉石、玄武岩の板。庭の飛び石もあれば、どうやって運ぶんだろうと思うような巨大な庭石もある。道しるべのような縦に細長い庭石には古代のオガム文字で「我ここに来たり」とか「地の果てにようこそ」とか刻んだらおもしろそう。上から見たら真ん中に丸い穴を開けてあるのはガーグラーといって、湧き水をまねたもので、石の中からふつふつと溢れて来る水が石の表面を伝って流れ落ちる。庭に水盤で小さな池を作って、ポンプにホースと電源コードをつないで置けば、木漏れ日の下でちょろちょろと涼しい水音がするしかけになっている。いろんなデザインがあるから、前庭のあそこに湧き水の聞こえる池、カエデの木の下には石のベンチ・・・と、カレシとしばし「夏の日の午後のひととき」の夢を描く。水の沸くところにLEDライトをはめ込めば、ちょっと幻想的な「真夏の夜の夢」のひとときもいいなあ。

だけどなあ、裏庭のパティオも玄関先の歩道もまだ完成していないねえ。工事中断保険なんてものをかけたら、保険会社はきっと破産してしまうねえ。ここで新規プロジェクトを始めるのはねえ。そう思ったら、しばしの夢のしゃぼん玉はパチンとはじけてしまった。まあ、いつになることやら見当もつかないけど、いつかきっと・・・と、なんとなく妙に名残り惜しい気分で、「半ドンの午後のひととき」はおしまい。帰り着けば、ああ、仕事が待っている。カレンダーにまたひとつ納期のマークが増えて、ためいき、ためいき。極楽とんぼもそろそろ遊びたい年頃なのかもしれないけど・・・。