リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年11月~その2

2008年11月30日 | 昔語り(2006~2013)
1万回の朝ごはん

11月16日。くたびれているのに、なんだか寝つけなくて、体のあちこちで皮膚がチクチクするようで、寝返りを打ってばかり。ベッドに入ってカレシに「1万回の朝食」の話をしていた。何千ガロンのオレンジジュース、何千ガロンのコーヒー、2万枚のトースト。小説か芝居のタイトルになりそうだねえ、と笑っているうちにカレシは高いびき。だけど、ワタシの頭の中では「Ten thousand breakfasts」で始まる詩がぐるぐる。「1万回の朝食・・・あなたとワタシ・・・焦げたトースト・・・こぼれたジュース・・・濃すぎたコーヒー・・・1万回の朝食・・・あなたがいて、わたしがいて・・・笑ったときも、泣いたときも・・・テーブルを挟んで、あなたとワタシ」。なんかそんな詩だった。いっしょうけんめいになって韻を合わせようとしていたような・・・。

おかげで目が覚めたら午後1時。ああ、まずいよ~。午後4時が期限の仕事が2つ。見直しが終わっていない!おまけにあっち方向とこっち方向。まぶたが重い。大きなあくびが出る。眠い、眠い、眠い・・・。この10日ほどは、仕事が団子みたいにかたまって、おまけに日英、英日とせわしなく方向転換だった。交流電流じゃなあるまいし、これじゃあ脳みその配線だってショートしてしまう。どよんとした空模様ではあるけど、思いっきりう~んと伸びをして、外の空気をいっぱい吸いたい。だけど、あと3つ、明日が納期。だけど、だけど。結局はカレシの提案に乗せられて、運動がてら歩いて野菜を買いに行くことにした。気温は10度。めんどうだから半そでのTシャツの上に毛糸のジャケットだけ。それでも、トマトともやしと大根を買っての帰りにはかなり汗ばんだ。ちょっと元気が出て、明日の仕事をひとつ片付けて、残るはあと2つ。その後は2日でできる仕事の納期が12月の初め。ここらで臨時休業、できるといいけどなあ。

カレシは仕事を減らしたらって言うけれど、自分だって減らしてもっと好きなことをしたいと思うけど、テレビのニュースで何か抗議行動をしている2人の子供がいるシングルマザーに「子供を作る前に考えなかったのかよ~」と毒づいているカレシを見ると、ああ、自分のためにも仕事はやめられない、と思ってしまうのだ。あのね、子供は女ひとりで作れるもんじゃないのよ。子供が生まれたときには幸せに結婚していたかもしれないでしょうが。そんなことを言って、ふと「いいかげんなこというんじゃねぇ~」とぶっかましてやりたくなった。まあ、カレシも何かストレスになっているのか、こんなところで本性がポロッと出てしまうんだよね。心ない物言いは概してその人のコンプレックスや不安が鏡に映ったもの、とどこかで読んだ。だからこそどんなことがあっても、誰よりもまず「自分」をしっかりと守って行くことが先決だってことを図らずも「再確認」させてくれてしまうのがカレシってわけか。

小町に「結婚生活を漢字一字で表すと何か」とか言う駄トピが上がっていた。結婚して年数の浅い若い人たちはもちろん「幸」、「楽」、「満」と、我が世の春爛漫なんだけど、これが10年、15年となってくると、「忍」、「耐」、「悩」。なんだか雲行きが怪しくなってくる。はて、ワタシの頭に浮かぶ漢字は?それは「謎」。人を好きになるってこと自体が、なりたくてもなれないし、嫌いになりたくてもなれないから、「謎」。焦げたトースト、こぼれたジュース、焼けすぎたベーコン、濃すぎたコーヒー、新聞や雑誌から顔を上げようとしないカレシ、涙でぼやけたカレシの顔・・・テーブルを挟んで二人だけの1万回の朝食。おいしく焼けたトーストも、絞りたてジュースも、ちょうどの焼け具合のベーコンも、グルメのコーヒーも、ワタシを見た目が笑っていた日も、それもこれもみんな二人だけの「ten thousand breakfasts」のうち。夫婦って、ほんとに謎だらけ。おまけにその謎は深まるばかり。そのうちに「奇」になってしまうのかなあ。1万回もいっしょに朝ごはんを食べても、答はまだまだ・・・

男女格差というけれど

11月17日。穏やかな月曜日。午前11時45分にセットしておいた目覚ましが鳴って、お目覚め。お気に入りのレミをちょっと嗜んだからかな、わりと良く眠れた気分。(ふむ、こういう状況って、ひょっとしたらまずいかも?)シーラとヴァルが来る日で、前日に電話がなかったんだけど、ま、1週おきの月曜日と決まっているから黙っていても来るだろうと目覚ましをセットしておいた。朝食の最中に掃除道具を持った二人がご到着。「パブに行ってて、帰るのが遅かったの」と。シーラは二階へ、ヴァルはベースメントへ、私たちは朝食の続き。一週おきの月曜日の風景。

不況、不況とマスコミが騒ぐほどに、郵便受けに入るカタログが増えるような感じ。土曜日にディナーに行った「West」は満席だったし、その前に行った高級キッチン用品のウィリアムズソノマもかなりの人が入っていたし、グルメスーパーのマインハートにも買い物客でにぎわっていたから、「不況ってどこの話だろうねえ」なんてのんきなことを言っていたけど、ほんとに1980年代初めの不況のときはクリスマス直前になってもデパートは閑散としていた。まあ、建設中のコンドミニアムが資金繰りに詰まって工事を中止したというような話はちらほらと聞くものの、小売業やサービス業はまだ人手不足らしく、モールを歩くと、ブランド店に「求む」の張り紙が目に付く。まだ地震の前兆みたいなもので、本揺れはこれからなのかもしれないけど、どこを見ても不況風が吹いている兆しはない。

キッチン用品のカタログに愉快なものがあった。EXという名前のナイフホルダー。「Ex」というのは「元」何とかというあのexで、デザインを見ればこの「元」が何を意味しているか一目瞭然。クリスマスにこんなプレゼントなんて、ブラックジョークだなあ。キッチンにおいて使うなんてのも、もろにモラっぽい。それより「失恋祝い」とか「離婚祝い」にあげるほうがびったりかも。日本でも通販で売っているらしいけど、赤、黒、白、ピンクなど6色あるそうな。だけど、こんなもの考えつく人って、な~んだかおっかないなあ・・・

世界経済フォーラムが発表した男女格差の調査報告で、日本は130ヵ国中の98位だったそうな。よく見ると、年ごとにずるずると下がっている。日本の下には開発途上国やイスラム国家がずらり。調査の対象国が拡大されたら、格差是正への取り組みが日本より高く評価される国が多かったということか。日本が健闘したのは「健康」と「教育」。健康では世界一の長寿国ということで堂々の第1位、教育では38位で、これで点を稼いでもやっと98位なのは、経済で102位、政治で107位と、下から数えた方が早いから。ほんとうの男女平等ではすごい後進国だってことになるけど、日本では格差の是正に向けて女性が努力しているのかというと、ふむ、どうなんだろうなあ。「してほしい」、「してくれない」の他力本願思考が多そうだし、はては容姿がどうのこうのとか、専業主婦対兼業主婦の角突き合いとか、女同士で足を引っ張っているようなところもあるから、こんなランキングは「カンケイな~い」なのかもしれないね。まあ、それで満足だというのなら、外野席の野次馬が何を騒いでも馬の耳に念仏だろうけど・・・

とんぼジムでフィットネス

11月18日。日差しがまぶしいいい天気。久しぶりに仕事のことを考えなくてもいい日。仕事はあるんだけど、納期はずっと先だから、この際しばらくは棚上げってことで・・・。二階の八角形の小部屋にあるよけいな家具を整理して、1週間前に配達されて玄関脇に置いたままだった腹筋と背筋のエクササイズベンチの組立作業にかかった。まず、箱から部品を出して、床に並べて欠品がないことを確認。頑丈なスチール製でとにかく重たい。でも、今度のは説明書がまともな英語でしかも簡潔明瞭、組立説明図もわかりやすい。おかげで作業は簡単だったけど、小1時間も重いフレームやドライバーと格闘していたら、それだけでかなりの運動。部屋いっぱいの陽だまりの中で汗だくになってしまった。

これで「ホームジム」の設備は、有酸素運動用のトレッドミルとバンジーコードを利用したウエイト運動のベンチに、腹筋と背筋のトレーナーが加わって3つ。フィットネスジムに行かなくたって手軽(足軽?)に全身のエクササイズができるわけで、言い訳なしの待ったなし。運動不足になったらバチがあたりそう。人間、還暦を過ぎたら容姿もへったくれもない。快適な老後はまず健康な体からってね。おいしいものをおいしく、楽しく食べられるのも健康であればこそ。ちょっとしたことで落ち込まずに、腕をまくって「さあ、来い」とチャレンジに立ち向かえるのも健康であればこそ。クライアントがSOSを送ってきたら、それっと出動できるのも健康であればこそ。人間が生きると言うことは自己の身体をよく整備して大切に「運転」することでもあると思う。

我が家の「ホームジム」の陣容はトレッドミル、ウエイトベンチ、腹筋/背筋トレーナー。トレッドミルはドイツのBREMSHEY製。使わないときはデッキを上げておけるので便利。走るスピード、時間、距離のどれかひとつをセットしたり、組み合わせてセットしたりできて、傾斜も変えられる。体重を入力すれば消費カロリーを表示してくれて、ついでに脈拍も測ってくれる。

ウエイトベンチはバーベルを持ち上げる代わりにバンジーコードを引っ張るしくみ。抵抗力の違う3本のコードを1本ずつ使ったり、組み合わせたりして、2.5キロから18キロまでの7通りの「ウエイト」を設定できる。筋骨隆々にはならないけど、胸筋を鍛えるから、意外とバストアップに効果的なのだ。

新登場の腹筋/背筋トレーナーは、足を押さえてくれるだけの簡単なもの。今までクローゼットのドアの下に足の先を突っ込んでやっていた腹筋運動が、ベンチを使えばこんな風に「本格的」っぽくなる。[写真]

ウエイトベンチもトレーナーも折りたたみ式だけど、たぶんセットしたままになりそう。部屋がいっぱいになってしまうけど、一度たたんだらそれっきりになりかねないから、その方がいい。そうじゃないと買った意味がないもん。まあ、仕事の合間にでも上がってきて、ちょこちょことがんばろうっと。

驕れるものは・・・

11月19日。けさは突然のものすごい轟音に叩き起こされてしまった。午前8時半。寝ついてからまだ5時間も経っていない。がば~っと跳ね起きたカレシ、窓の外を見てムカ~ッ。すごい勢いで着替えをして、すごい勢いで、アラームを解除しないで外へ出て行った。戻ってくる気配がないから、しょうがない。起き出して解除。外を見たら、また送電ケーブルを埋設したマンホールで何か工事をやっている。いったい、これでもう何回目になるのか。なんでこう小出しにちょこちょこやるんだよ~、と、人さまの仕事には理解があるつもりのワタシもさすがにムカッと来た。1時間足らずで終わったらしく、静かになったから寝なおし。目が覚めたらほぼ午後1時で、ふむ、今度は家の前で歩道の芝生を掘っている。やれやれ・・・

それにしてもこの1年半の間に何と掘ったり、埋めたり、ケーブルを敷いたりしたことか。どうも見たって行き当たりばったりの観がある。地下鉄駅の送電線だというけど、設計段階で電力がどれだけ必要かぐらいはわかっていただろうに。オリンピックという錦の御旗を振りかざして市民の生活をかき乱すのもいいかげんにしてほしいなあ。そういえば、最近オリンピック委員会はメトロバンクーバーのビジネスにオリンピック開催中は社員に「強制的に」休暇を取らせるように要請したんだそうな。つまり、通勤者は交通混雑を招いてオリンピック関係者の「円滑な移動」の邪魔になるってわけ。小学校も休校にしろと言い出すし、いやはや、この人たち、どこの世界に住んでいるだろう。驕っているとしか思えない。

驕っているといえば、アメリカでは、自動車ビッグスリーを公的に支援するかどうかの議会の公聴会に、CEOがそろって会社の専用ジェット機でワシントン入りして、「自家用機で物乞いに来た」と非難轟々。なのに、いかに自社の車が優れているかをぶち上げて、議長に「コマーシャルは後にしてくれ」と言われ、会社が潰れそうなのにCEOが何十億円もの報酬をもらっていることについて聞かれて、あっけらかんと「ワタシ的には不満はありません」とか答えたらしい。いやはや、もうこれ以上はない究極の「KY」だよなあ。おかげで民主党が出した「救済案」は否決されそうな雲行きとか。こんな連中が一国の経済の大黒柱のような企業を経営するんだもの、金融危機も起きれば不況も起きるはずだよなあ。やれやれ・・・

驕りといえば、かって「Charisma Man(カリスマ・マン)」という漫画があった。日本人の間でも知られているらしいけど、1998年から2002年にかけて日本で外国人向けに無料配布されていた英語新聞に連載されていたもので、本に収録したものは何千部も売れてコレクター本になっているそうな。カナダで女の子にぜんぜん相手にされないしょぼいヤツだった主人公が、英語教師として日本に来たとたんに何でもできて、「かわい~、セクスィ~」と日本人の女の子にめちゃモテの「カリスマ・マン」にヘンシ~ン、という話。(ただし、白人女性が現れると超能力は雲散霧消するらしい。)作者は「ガイジン」というだけで日本でチヤホヤされて「オレはすごい」とのぼせ上がる勘違い白人男を風刺するのが狙いだったらしいけど、同時にその白人男に群がる「ガイジン好きのJガール」の生態にもスポットライトが当たった形で、「カリスマガール」という言葉まで生まれたらしい。ローカル掲示板で相変わらず国際結婚の女は顔が微妙だとか、性格悪いとか囃し立てているのと重ねると、「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉が浮かぶけど、まあそういう「国際交流ブーム時代の1シーン」があったということだろうな。

ちなみに原作者はバンクーバーの人で、英語教師として日本へ行っている間に発案したものだそうな。その後バンクーバーに戻って、英語学校の経営者になっているらしい。驕れるものの末路はいかに?と、カリスマ・マンの続編を書いてくれるといいのに・・・ん、しょぼんマンじゃ売れないか。

雨のち晴れ、のち虹

11月20日。しっかりと寝酒をして、いつもより1時間以上も早くベッドに入ったのに、そんなに急に早寝なんかできるわけがない。うとうと、とろとろ、時間ばかりが経ってしまう。カレシも眠れないのか、やたらとバタン、バタンと寝返りを打つから、こっちは波浪にもまれる小船みたい。やたらとひじを突っ張ってはワタシの頭にこつん。どうも、「オレが眠れないのになんでお前は高いびきなんだよっ」と意図的にやっているふしがある。コノヤロ・・・。でも、ここはでんでん虫を決め込むのが一番の得策と、ひたすら目を閉じて眠りの精の訪れを待つ。ああ、早いうちに振動が伝わらないシーリーの新型ベッドに買い換えようかなあ。

午前7時半。予告通りに外で重機の音。まあでも、きのうの朝の機械とは違ってパワーシャベルだから、後退するときの「ピーピー」以外は思ったほど神経に障らない。ベッドルームの中でかけている「ホワイトノイズ」よりはうるさいけど、音質はあまり変わらないもので、二人ともいつの間にかまた眠ってしまった。カレシはシリコンの耳栓を二重に詰め込んで、馬耳東風の高いびき。(コノヤロ・・・。)まあ、4時間ほどだけど、かなり良く眠ったらしく、目が覚めたらまたも午後1時近く。工事の轟音でたたき起こされるからとむきになって早寝をするよりも、いつもの時間に寝て、目を覚まされたら「あ、やってるな」くらいの気分でまた目をつぶった方が眠れるものなのかもしれない。起きて窓の外を見たら、この春に「工事が終了した」からと本舗装したばかりの道路にL字型の溝を掘っている。んったく、むだなことばっかりやる連中だわい。

起きるのが遅かったから、騒音から避難するつもりで買い物に出かける予定が、朝食が済んだ頃には作業終了ということらしく、道路際に砂利の山とパワーシャベルを残して、みんなお帰り。だけど今日はせっかくの「カレシの日」だからと、「駐車禁止」にされたおかげでご近所さんの前に止めてあったトラックでお出かけ。まずはガソリンを入れる。ついこの間まではリットル1ドル50セントに達して大騒ぎだったのが、95セントと三分の一。クレジットカードでセルフで給油すると値引きに鳴って91.5セント。去年は「高い!」と騒いでいた値段に今は「安い!」と感激しているんだから、人間はいい加減なもんだ。

次に行ったLee Valley Toolsという、ちょっと高級なDIY工具店ではなぜかキャンプ用の石油ランプを二つ。使わずじまいの灯油がたっぷりあるから、庭の照明にするんだそうな。へえ。さて、次の目的地はHome Depot。途中、すぐ後ろでやたらとホーンを鳴らすヤツがいる。「うるせぇなあ」とサイドミラーを覗き込んだカレシ、「あ、いけねえ」とひと言。ガソリンを入れた後で、キャップを閉め忘れたらしい。後ろを走っていた車が気づいてホーンで知らせてくれていたわけ。トラックを止めて、キャップを閉めたところで、雨が本降りになった。あのままだったら、タンクに雨水が流れ込むところだったねえ。高いときだったら、サイフォンで盗み取られたかもね。あのさぁ、ツレアイく~ん、だいじょぉぶぅ・・・?

Home Depotでは砂と園芸土の大きな袋。こういう買い物にはやっぱりトラックが便利だ。家の近くまで来たら、ほぼ止んでいた雨が急に土砂降りになった。というよりは、「また雨雲の下に入った」ということだろうけど、土砂降りは長く続かない。家に着いた頃には雲の切れ目から西に夕日が差し始めていた。虹が出そうな条件が整っているから、大きいのが出るかな?今日はカレシの英語教室の日だから、家に着いて、着替えたらすぐに夕食のしたく。カレシが「今日はボクにつきあってくれてありがとう」だって。「あなたの日だもんね」と言ったけど、カレシにまじめに「ありがとう」と言われたら、やっぱりうれしさいっぱい。予期したとおり、キッチンの窓からきれいな虹が見えた。いいこと、あるかな・・・?

眠れなかった子

11月21日。雨の金曜日。二人ともほぼ正午まで眠って、起きて外を見たら、きのう我が家のそばの道路際に残していったパワーシャベルがなくなっている。朝のうちに取りに来たらしいけど、どうやら眠りを邪魔されずにすんで、やれやれ。連続2日の寝不足で、3日はしんどいもの。生活のリズムが狂ったおかげでずっと延期になっていたベーコンと目玉焼きの朝食。今日のコーヒーはおいしいね・・・と、ここまでは良かった。

突如、またまた外が騒々しくなった。いつものように飛び出すカレシ。残っていた砂利を引き取りに来たんだそうな。「これで全部終わったと言っていた」と。う~ん、前にも「これで全部終わりました」って言ったじゃないの。あてにならないよ~。それでもまあ、しばらくは元の生活にどっぷりと浸れそうかな。カレシの胃の調子も改善するかな。ちょっと目立っていたカレシの「天邪鬼」も下火になるかな。なんて思いつつ、コーヒーを飲みながらまたどっと届いたカタログを眺め、カレシはパンを焼く準備。世はこともなく・・・のはずが、ま~た轟音。カレシは作業の途中でまた外へダッシュ・・・。

今度はおととい掘った歩道の芝生を埋め戻すのに、ダンプが土を運んで来たんだそうな。なんだ、まだ終わってなかったのか。でも、土が多すぎるから少し持っていっていいと言ってくれたとか。「金を出して買って早まったかなあ」と言いながら、パン焼きの準備・・・「しまった、バターを入れ忘れた」と。ちゃんと分量を切ってあげたじゃないの。っとに、カッと来たら何をやっていても上の空になってしまうから困る。まあ、セットする前に気づいたからいいか。あのさぁ、ワタシもちょっとばかり疲れてきたような気がするんだけど・・・と言ったところでどうなるってもんじゃないしなあ。

カレシが赤ちゃんだった時、戦争中だったし、貧しかったこともあって、1軒の古い家を3つくらいに仕切ったところに住んでいたそうだけど、隣の住人が昼も夜もおかまいなしにピアノをガンガンと弾いていたという。どうやらそのピアノは薄い仕切り壁の反対側にあったらしく、おかげでカレシはぐっすり眠ることができなくて、昼も夜も目を覚ましては泣き叫んでいたそうな。子供を育てたことのないワタシにはよくわからないけど、普通の赤ちゃんは十何時間も眠るんだと思う。ある研究では、しっかりと眠らずに育つと、正常な認知機能と社会的発達が妨げられる可能性が指摘されたそうだし、攻撃的になったり、うつっぽかったり、キレやすい人間になるとも言われる。そうだろうな、寝る子は育つと言われるように、眠るのが仕事みたいな赤ん坊が眠らせてもらえないなんて、どんなに苦しくて、つらかったことだろう。でも、赤ちゃんは泣き叫ぶしかすべがない。もし、カレシに発達障害か人格障害があるとすれば、眠らせてもらえなかったという要因も大きいだろう。たぶんカウンセリングでもそこまで掘り下げることはできないだろうし、成長の過程でしてもらえなかったことをワタシが代わってしてあげればいいってものでもないから、こっちもけっこうつらいんだけど。

思い立ってリサイクルに行ってみたり、なんだかんだと落ち着かない午後を過ごしたカレシだけど、どうやら危機は乗り切ったようで、夕食後に明日の「内食」のデザートにと、久しぶりにクレムブリュレを作り始めた。キッチンで何か「料理」をやっていると精神的に落ち着いて、いい療法になるんだそうな。あしたは土曜日だから静かだと思うよ。これで工事がほんとに「全部終わり」だといいんだけど、そこんところは、ふむ、どうなんだろうなあ。外は嵐模様だけど、まあ、今夜こそはゆったりと眠ろうね。明日は極楽とんぼ亭でのディナー。楽しみにしててね。(ふむ、メニューはどうしようかなあ・・・思案、思案。)

新しい宝もの

11月22日。期待したとおりの静かな土曜日。自然に目が覚めて、自然に起きて、明るい日差しの中で自然に朝食。やっぱりのどかな日はいい。まずはきのう郵便受けに不在通知が入っていた小包を取りに郵便局へ。注文してあった本がロンドンから届いたらしい。郵便局は東へ2ブロック、左に曲がって南へ11ブロック。持って歩ける大きさのはずだから、わざわざ車を出すのはめんどうくさい。ラスベガスで買ってきて愛用しているメイシーズのエコバッグを肩に散歩としゃれ込んだ。このバッグ、ナチュラルコットンのカンバス製で、メイシーズの「星」を真ん中に赤ではなくて緑色であしらってある。かなり大きくて、縫製もしっかりしていて、これで4ドル(400円くらい)というはものすご~いお買い得。

郵便局といっても郵政公社との契約でやっている小さなワタシ設局で、ワタシ書箱と切手販売だけではやっていけないから、何かしら別の商売を兼業しているところが多い。バス通りに出たら、郵便局まではずっと下り坂。ということは帰り道はずっと上り坂。小包は軽いけど、我が家の2、3ブロック先まではかなりの傾斜のある道なので、背中に日差しを浴びて汗びっしょり。ここ何年かの住宅ブームで建て替えられた新しい家々を「ふむ、落ち着いたデザインで落ち着いた色の家が増えたなあ」と観察しながら、けっこういい運動になった。たまにはオフィスの穴倉を出て外の空気を吸うのもいいもんだなあ。

届いた本はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の原本である『アリスの地下の冒険』の復刻版。オックスフォードでいっしょに舟遊びをしながら7才のアリスに即興で聞かせた話を清書して、皮装丁の本にしてアリスにプレゼントしたと言う、世界に1冊しなかい本で、手書きで、作者自筆の挿絵が入っている。アリスが老年まで大切に持っていた小さな本は、やがてオークションで売られてアメリカに渡り、第二次大戦後に再び売りに出されたのを買った大金持ちが、「勇敢にヒトラーと戦ったイギリス人への感謝の気持」として、ふるさとのイギリスに帰したんだそうな。カンタベリー大司教が英国民を代表して受け取った本は大英図書館に収められていて、ウェブサイトでページをめくって読むことができる。ワタシがどうしても欲しくて買ったのはこの原本の復刻版で、3750冊の限定出版のうちの「540番」。同じ色の山羊皮で装丁してある。そ~っと開けてみたら、読みやすいきれいな字がびっしり・・・

新しい「所蔵品」にしばし有頂天になった後で、今度はカレシと食材の買い出し。酒屋に行ったら、すごい混みようで、レジにはカートいっぱいのビールやワインを買う人の列。おいおい、クリスマスにはまだ早いんじゃぁないの・・・と突っ込みかけて、そっか、あしたはカナダのプロフットボールの決勝戦で、今日はその前夜の「グレイカップパーティ」の夜。それにしても、不況はどこ吹く風なのか、不況だからこそ飲んで大騒ぎして憂さを吹っ飛ばそうと言うのか、どっちなのかなあ。カレシが空き瓶を返している間にサンセールワインを買って、次は青果屋とスーパー。買い物が終わった3時半頃にはすっかり太陽が傾いていた。なんか冷えそうな気配。あとひと月で冬至。4時には日が沈んで、起きたと思ったらもうすぐに夕方になるような日々が来るんだなあ・・・

素直にのろけていいよ

11月23日。二人してゆ~っくりお風呂に入って、ゆ~っくりとよく眠って、ワタシはいつもの極楽とんぼに戻って気分爽快。そういえば小さい仕事があったっけと思い出して、そういえば日本はまた三連休なんだ、急ぐことないやと思い直して、遊びモードにリセット。今のうちにのんびりしておかなくちゃ・・・というのはあんまりのんびりした暮らしに聞こえないか。

週末だから何かと騒がしい世の中もちょっと息継ぎの感。金曜日だかにアルバータとサスカチュワンの境あたりに隕石が落下したらしい。夜空を飛ぶ巨大な火の玉を目撃して、ビデオに撮影した人がいた。目撃するチャンスだって一生に一度あるかないかなのにラッキーな人。ビデオに写った巨大な火の玉は一瞬夜空を明るく照らして消えた。遠くで爆発音が聞こえたという人もいるそうな。あれはもう36年前になるかなあ。眠れなかったのか、夜中に窓から夜空をながめていたら、後ろから火の玉が飛んできて、隣の屋根の向こうに消える直前に「爆発」した。ほんの一瞬だけ空が真っ白といっていいくらいに明るくなった。音はまったく聞こえなくて、あまりにも神秘だったもので、「なにかの天啓かもしれない」と漠然と感じたように思う。まだ文通3年半のペンパルだったカレシのことが何となく気になりかけていた頃だったからかもしれないけど。(火の玉の流れ星なんてあまりいい天啓ではなかったのかな・・・。)

小町で「ご主人とお風呂に入りますか」と聞いている人がいる。うっかり友達に一緒に入ると失言?して恥ずかしかったとか。我が家ではいつも一緒に入るし、あっけらかんとそう言っちゃうけどなあ。どんな言い逃れ?をしたかと聞かれても、夫婦が一緒にお風呂に入るのに別に言い訳はいらないでしょうに。西洋風呂は元々「個浴」が基本ではあるけど、この数年はジェットバスとかソーカーというのがけっこう人気で、二人サイズは普通にある。てことは夫婦一緒のお風呂なんて別に珍しくないってことじゃない。我が家のバスタブはゆったり入るために深めになっているソーカーというタイプで、二人がぶっちがいに向き合うのにちょうどいい大きさ。夫婦としてどん底にあったときに、嫌がるカレシを説得して一緒に入るようになって、落ち着いて二階を改装したときに大きいソーカーを入れた。今では照明を落として、おしゃべりしながらちょっかいを出してみたり、背中をこすりあったり。じっくり向き合えるクオリティタイムなんだけど、友達に恥ずかしくて言えないことなのかなあ。まあ、のろけていると思われたらいやだとかあるのかもしれないけど、へたに謙遜を装ったのろけよりもストレートでいいと思うなあ。(トピックの主はあんがい「恥ずかしい」と言いながらのろけちゃっているのかもしれないけど・・・)

きのうの今日で夕食は簡単にということで、照り焼き風ステーキとアスパラガスのグリル、シャンテレルきのこのバター炒め。カレシが胃の調子がいまいちというので、大根おろしに梅酢を少し垂らして、オレンジピーマンのみじん切りを混ぜたのをステーキの横にちょこっと付け合せたら、肉の味によく合う。そういえば、どこかで和風のステーキと大根おろしの組合せを見たような記憶もないではない。たぶん頭の隅っこにひっかかっていたんだろう。せっかくきれいな盛り付けだったのに、写真を撮るのを忘れてしまったけど、カレシは「これは我が家のレシピブックに記録すべき逸品だ」と大ヒット。といっても、レシピに書くほどの手順はないんだけど、色のきれいなみじん切り野菜をいろいろ混ぜて、「大根おろしソース」のバリエーションはどうだろう。ものごとは何だってやってみないとわからないから・・・。

歴史はなぜ繰り返されるか

11月24日。ああ、もう11月も最後の週。仕事だなんだとバタバタしていなくても、時間は勝手にさっさと先へ進んで行くものらしい。きのう日本は連休だからとやらずじまいになった仕事があったけど、そういえば、その仕事は今日の午後が納期なんだ、と思い出して、とりあえずバタバタ。小さい仕事だから良かったけど、どうもこのところなんか「しだれ柳モード」のような気分。ふむ、別に体調が優れないわけじゃないから、精神的な疲れがたまっているのかなあ。だとしたら、ちょっと脳みそをデフラグしてやらなくちゃ・・・

いつもカレシが朝食のセッティングをしている間に身づくろいをする。冷たい水で顔を洗って、鏡に映る自分ににっこりして、「お、今日もいい顔してるねえ、きみ。かわいいよ~」と挨拶。(これは誰も見ていないところでやらないと・・・。)数年前に化粧を始めたものの、やっぱりめんどうで出かけるときだけ。年が年なんだからしわもシミもあってあたりまえだ~と、スッピンに戻って眉を描くだけなんだけど、その方がいい顔をしているように(自分自身には)見える。そうやって自己陶酔?しながら髪をとかしていてふっと気がついた。ありゃあ、髪がえらく薄くなっている!うんと若い頃にはポニーテールにしたら重くて頭痛がしたくらいに髪の量が多かったはずなのに、なんてこっちゃ。両手で頭を押さえたら、ほんっとに薄くなった感じがする。そういえば、洗髪のたびにブラシいっぱいに抜け毛がつくようになったなあ。ま、男と違って女はつるつるに禿ることはないだろうけど。それにしては、引退してからのカレシは禿の面積がかなり減ったように見えるなあ。ふむ、ちょっと心中おだやかじゃないような・・・

世の中は今日も、大企業や大銀行が破綻しそうだとか、デフレ時代が来るとか、にぎやかなことこの上なし。寄らば大樹の陰というけど、大樹ほど大風であっけなくぶっ倒れるような気がするのは、経営者も社員も安心しきって「平和ボケ」しがちだからかもしれないな。安心しきってしまうと「どうしよう」と考える必要も感じなくなるのかな。カナダの消費者マインドは急速冷却らしくて、1982年と1990年の不況の水準に落ち込んだという話。でも、1982年て、そのときに30才だった人はまだ56才で現役のバリバリじゃないの?てことは、26年前の深刻な不況の波をもろにかぶったはずだろうに、喉もと過ぎて熱さを忘れたってことかなあ。

いや、人間は記憶する動物だから、いろんな体験の記憶が蓄積されているはずだし、文字があるんだから、歴史の本を見れば過去に何が起こったかがわかるはず。もっともよく見たら、いかに「歴史は繰り返すもの」かってことがわかるけど、それは人間が体験から何も学ばなかったからなのかなあ。人間は学習する動物でもあるはずだから、学ばなかったということはないだろうに。いや、学んだはずだと思うけど、一番重要なこと、つまり、企業や他人がどんなバカな決断をしたかは分析しても、自分もどこかで判断を誤ったかもしれない、それはどこだったんだろうと分析してみることを学び損ねたんじゃないかという気がする。それで、個人が同じ過ちを繰り返して、それがまとまったときに歴史的な危機が起きるのではないかと。そんなことをカレシに言ったら、「自分を責めろということか」と反論してきた。

違う、違う。自分が悪かったんだとか、バカだったとか、ダメな人間だとか、そんな自分を否定するようなことをしろと言ってるんじゃないの。自分の見解と判断と、その根拠と、その結果取った処置を分析して、客観的にどこに問題があったのか調べるべきじゃないかってことを言いたいんだけど。自分の行動なら自分の記憶にあるわけで、それってそんなに難しいことなのかなあ。あんがい、すごく難しいんだろうね。だから、人間は他人の判断や行動を非難する。もちろん、他人だって間違った判断をしたんだろうから、それが一番手っ取り早いし、何よりも「自分」を見つめなくてもすむ。だけど、肝心の「自分自身の経験」から何も学ばないで終わるから、人間は累々と歴史を繰り返し続けてきたのかなあ。この地球上にある人間世界はそれぞれが体験を分析して、学習する能力を持った「個人」の集合体だと思うんだけど。

今日もこの世はやかましい

11月25日。けっこう爽やかに目が覚めて、朝食が終わったらもう午後もたけなわの時間。今日はカレシの英語教室の日だから、おでかけしている時間はない。何にもない「あしたは」ということにしたんだけど、この「あした」という日、「Tomorrow never comes」というくらいで、幻の日で終わることが多いからなあ。

二人ともそれぞれPCの前に座り込んで、平穏な・・・と思いきや、またぞろ家の前が騒がしい。どうやら電力会社が電線の架設をやっているらしい。それも先週掘ったり埋めたりしていた暗渠じゃなくて電柱。先月あたりに古くなった電柱を取り替えたのは知っているけど、電線も取り替えるなら、なんでまとめてやってしまえないのかなあ。効率悪いなあ(ってのは日本人的な反応かな)。まあ、作業は30分ほどで済んだらしいけど、精神の安穏?な領域をかき乱されたカレシは「終わったといったのに」といたくおかんむり。ははあ、ひょっとしたら「オレの仕事は終わったよ」って意味だったのかもねえ。

まあ、現場で穴掘りをする人に「工事」が終わったのかどうか聞いても、彼らは「何日にどこそこでこんな穴を掘れ」と指示されて、その通りにやっているんだろうから、正確な答を期待する方が無理ってもの。だけど、期待してしまうのが人間の性なんだろうなあ。で、期待通りに行かなくて「おまえらは@#$」と、不平不満をぶつけられるほうはいい迷惑だよね。「そんなのおエライさんに聞いてくれ」とやり返したくもなるだろうに、「(オレの仕事は)全部終わったよ」。あはは、技あり1本、座布団1枚。

小町では、「2、3分は遅刻かどうか」と喧々諤々。「遅刻」派は「うちの会社」では遅刻だから遅刻という意見が多いような。まあ、小町ではおなじみの光景なんだけど、自分の「常識」は世間(日本)の常識であるはずということらしい。その延長で、日本で(つまり自分にとって)あたりまえのことは世界のどこへ行ってもあたりまえのはずだと期待していれば、期待通りでないと「~人て@#$%」ということになる。それにしても、わずか90秒の遅れのために数多くの犠牲者を出したJRの事故を思い起こさせる。杓子定規の管理社会って、窮屈じゃないのかなあ。第一、1億人が毎日一斉に原子時計に合わせるんでもなければ、すべての時計がきっかり同じ時刻ってことはないと思うんだけど。うちの時計なんかみんな少しずつ時刻が違うけどね。あ、みんなときっちり合わせるのが正しいマナーになっていたりして・・・

おもしろいと思ったのは、ある長期海外在住者の「しみじみ日本はすばらしい国だ。アメリカ人は平気で10分20分遅刻する」という書き込み。長い間アメリカでアメリカ人に混じって日本の常識で働いてきた人なのかなあ。「井の中の蛙、大海を知らず」というけど、その井戸ごと大海を渡って来る人いるってことなんだろう。その井戸の中で蛙でいるうちはまだいいけど、井戸の底で山椒魚のようになってしまったら生き難い人生になりそうだなあ。ローカル掲示板なんか、ほんとにどっちを見て暮らしているんだろうと思うような人が多いけど、日本という居心地の良い井戸をそのままカナダに持ってきて、その底で心地よく暮らしたい人たちなのかもしれない。

たしかに、すべてが機械仕掛けのように、一糸乱れず、1秒とて狂わずに期待通りに展開してくれたら、苦労はないし、精神的に安穏かもしれない。だけど、極楽とんぼは疲れても自由に飛びたいな・・・

眠りの森が開けた!

11月27日。今日はガーデナーのジェラルドが野放図に伸びた生垣を剪定しに来る日。生垣といっても高さがゆうに4、5メートルもあるヒバの「林」。伸び放題にさせておいたから、下の方の枝が疎らになって生垣の用を成さなくなっている。これを2メートル半まで切り詰めて、強制的に下の枝を厚くしようというわけ。相棒と二人がかりでチェーンソーを使っての大仕事だ。だけど、11時半くらいになって目が覚めてみたら、もう半分ほど終わっていた。外の物音に敏感なカレシもぐっすり眠っていたそうだけど、考えてみると、ジェラルドが朝早く歩道の芝生を刈りに来ても目を覚まさないらしい。やっぱり、カレシにとっては「音」そのものではなく「音源」が苛立ちの原因なんだろうな。

朝食のテーブルについたら、キッチンが明るい。窓の上の方がまっ白に見える。曇っているけど、空が見えている。テーブルのそばの窓は滝の波紋が広がる池をモチーフにしたステンドグラス風の装飾になっていて、空が見えるのは池の向こう。この風景をデザインしたのは、それまで底流のように続いていたカレシのモラハラが加速的にひどくなった頃だった。カレシを宥めるための不要な改装で、張り出し窓の4面の窓を曇りガラスにするというのを、オーバーレイというステンドグラス風の窓にすることで妥協してもらった。その窓にワタシが描いたのは波紋が広がり、睡蓮が浮かぶ池。その向こうに素のガラスを通して空が広がって見える。きっと「閉じ込められる」という直感から来た発想だったのだろう。そうか、なんとなく心が重くなるように感じていたのは、伸びすぎた生垣の「眠りの森」に閉じ込められていたからかもしれないなあ。

ゆうべは思わず感涙を流すことがあって、書き始めたブログ原稿のとりとめのなさに涙が出て、とうとう書き終わらないままでベッドに入ってまた涙が出た。悲しいわけでも、つらいわけでもないのにどんどん涙が出て来た。だけど、池の向こうに広がるまっ白な空が見えたら、胸がふわっと軽くなったような気がした。思いっきり羽ばたいたらひらりと飛び立てそうな感じ。そうか、「閉じ込められる」という危機感は最近気づいていたカレシの「置き去り行動」と裏表の関係にあったのだろう。その置き去り行動が、幼い頃のカレシがママに足手まといだからと繰り返しデパートの人ごみの中に「置き去り」にされた記憶と深く結びついていることは想像に難くない。そのときに深く植え付けられた「見捨てられ不安」が、ワタシを閉じ込めようとする行動につながっているのだろう。心理的、物理的にわざと置き去りにすることで「見捨てるぞ」という脅しをかけて、自分が見捨てられないようにしているんだと思う。

いろいろなパーソナリティ障害のひとつに「境界性パーソナリティ障害」というのがある。アメリカの精神医学会のマニュアルDSM-IⅤにこの障害の診断基準が挙げられているんだけど、どんなに客観的に観察しようと努力しても、カレシの場合は80%くらいあてはまってしまう。「強いストレスで一過性の統合失調症のような症状がでることがある」というのは、大爆発してから修羅場に突っ込むまでの間のカレシの言動に完全にあてはまってしまう。ほんとうに「精神異常」としか思えないときがあったんだけど、もちろんワタシは精神科医ではないし、系統的に心理学を学んだわけでもないから、「もしかしたら、ボーダーラインなのかもしれない」と思うだけで、実際のところはわからない。

ワタシはカレシのいいところも悪いところもひっくるめて、「あばたもえくぼもみんな」好きだから、見捨てようという気持はこれっぽちもないんだけどなあ。ワタシがママの代わりになればカレシが子供時代に戻って自己を確立できるというものでもないしねえ。だって、ワタシはカレシを人ごみの中に置き去りにしたママじゃないんだもの。ワタシはワタシで、カレシはカレシで、二人の人間がいて「私たち」なんだと思うから、カレシが境界例なのかどうかわからなくても、「そうかもしれない」という前提で対応して行くのが最善策だろうなあ。人間て、ほんとにややこしい動物だねえ・・・

これだから政治は・・・

11月28日。雨の金曜日。きのうのうちに生垣の刈り込みを完了できてよかったね。二階の窓から見下ろすと、太い幹の切り口がずらっと並んで見える。枝は道路側の方をちょっと幹より高くしてある。これだと歩道から見上げると、きれいに刈り込まれた手入れの良い生垣に見える。そこがプロの腕なんだけどね。生垣の総全長はたぶん45メートルくらいありそうだけど、全部で何十本あるのかわからない。生垣は塀の外に植えてあるので、実際は市有地を占拠していることになる。でも、歩道に枝を広げて通行人のじゃまにならなければ目をつぶってくれる。まあ、市が邪魔だと判断すればこっちの承諾なしに撤去できるので、言ってみれば市に寄付しているようなもの。歩道の芝生刈りだって、寄付と同じだもんなあ。

何日か前に納品した原稿を「こんなふうに修正してくれ」との要望。えっ、元の原稿はそんなスタイルじゃなかったですけど。それでもアフターサービスということで、コチコチの文体に書き直してあげた。文書の用途を考えて訳文のスタイルを合わせるのも翻訳仕事のうちで、英語にも用途ごとにそれなりの文体と言うものがあるから、契約書や裁判資料ならちょっと弁護士気取りで、宣伝資料なら広告マンになったつもりで、お役所文学ならちょっぴり役人風を吹かせるつもりで・・・みたいにそれぞれに見合った文体で訳文を書く。昔、語学お留学帰りのお嬢様にビジネスレターを訳させたら、みごとに「wanna、gonna」体だったという笑うに笑えない話を聞いたけど、文章にもTPOのようなものがあるわけ。だけど、メモ風にやわらかく書かれた日本語を、法律解釈みたいなお堅い英語にしろといわれたのは初めてだなあ。

総選挙が終わってスタートしたばかりの少数政権。財務大臣が歳費節減のために「政党への公費補助制度」を廃止するとぶち上げたから、さあ大変。これは企業や労働組合からの献金を禁止する代わりに、各政党に総選挙での得票数に応じて補助金を支給する仕組みで、個人献金の集金力の弱い政党には命綱のようなもの。先の選挙ではこの補助金を担保に銀行から選挙資金を借りていたらしいから、野党各党は「宣戦布告だ」と法案否決を表明。だけど、野党3党が反対票を投じれば、少数政権の不信任ということで発足したばかりの政権は倒れるのに、野党の猛反対でそれが現実になることがわかりきっている措置を持ち出したのはどういう算段なんだろうなあ。

カナダでは、不信任された政府は首相が国家元首である女王に議会の解散を求めることになっているけど、実際は総督がいて女王様の代理をやる。(施政方針も首相が演説するのではなく、イギリスならエリザベス女王がやるように、総督が議会に出向いて、「我が政府はかくかくしかじかの政策を・・・」と読み上げる。)問題はわずか1ヵ月半前に総選挙をやって、最多議席の保守党が政権をとって、議会を召集したばかりだということ。アメリカ大統領選挙もあったりで、すっかり選挙疲れした国民はとてもまた選挙をやるだけのムードにない。そんなとき、総督には議会を解散せずに野党に政権を与える権限がある。そこで、選挙中は犬猿の仲だった野党3党が勇んで「連立政権構想」をぶち上げたわけだけど、最大野党の自由党はディオン党首が敗北の責任を取って辞任することになって、党首選の真っ最中。つまり、ここで連立政権を作ると、総理大臣が2ヶ月足らずで交代することになるから、ややこしい。

もしかしたら、与党はこういった展開のシナリオをいつくか練り上げた上で、確実に不信任される提案を持ち出したのかもしれない。カナダ経済は今のところはあまり深刻なムードにないけど、不況の悪化と失業増大はすぐそこまで来ているはず。連邦政府関係の労働協約の期限切れも目白押し。おまけに、均衡予算で景気刺激策を実施することは奇跡でも起きなければ無理だろうけど、野党自由党は「赤字予算は許せぬ」と与党に噛み付いてしまっている。それに、「好みじゃないけど条件がそこそこいいから結婚する」みたいな連立政権を作っても、国民が納得するような施策なんか無理ってもんだろう。ここはあいつらにやらせて、おれ達は高みの見物。機を見て・・・

ふむ、深謀遠慮ってやつで、なんか策略でもあるのかなあ。いやあ、これだから政治はおもしろい。Plot thickens。だんだんおもしろくなって来そうで、たまらないスリル。うひうひ・・・。

すなおにほめ合おうよ

11月29日。雨の中、イアンが酒屋でジョニーウォーカーのブルーラベルの試飲会があるというので、野菜を買いに行くついでに酒屋に寄ってみた。土曜日でもあるし、けっこうな人出。政府直営で一番大きい酒屋には試飲会やセミナーのためのコーナーがあって、今日は椅子が並んでいた。ブルーラベルはすごく高い。その化粧箱を積み上げて、ちょっと試飲させて販売促進を図ろうというんだから、メーカーも大変だな。一応説明もあるらしく、次のセッションの始まりを待っているらしい美人のそばでスコッチにはあまり関心なさそうな人たちが隅のテーブルにおいてあるオードブルをぱくついていた。

イアンは見つからなかったけど、野菜を買って帰ってきたら、今日のディナーにいっしょに行きたいとのメッセージが入っていたので、予約を変更して、インドネシア料理店で久しぶりに4人で食事。孫の話にひとしきり熱中して、今度は映画の話、料理の話と、私たちのテーブルはかなりにぎやか。胃袋も心も満腹になって、ああ、いいひとときだった。4人で食事をするときは、それぞれの注文はおかまいなしで、いつも夫婦単位で割り勘。レストランで勘定書を見ながらこっちは誰ので、こっちのは誰の、と仕分けをするのは、照明を落としているところが多いので4組の老眼には楽なことではない。カードを2枚おいて半分ずつ払った方がよっぽどスマートというわけだけど、まあ、もう30年近く親しく付き合ってきたからすんなりできることかもしれない。

午後のひとときは、ニュースのサイトを巡回して、ソーシャルブックマーキングサイトに3つリンクを投稿。東京大学の卒業生が「教科書で学んだことと現実が違っていた。だまされた!」と文科省幹部を殺すとにいちゃんねるに予告して逮捕されたというニュースにはひっくり返った。無職らしいから、東大を出ても就職できなかったのかなあ。現実が教科書で習った通りじゃなかったからって、大学を出たいい大人がいったい何をほざいてるやら。きっと、東大に入ることが人生のすべてで、缶詰状態で受験勉強だけに没頭して来たんだろうなあ。大学卒はただの「学歴」で、東大卒が「高学歴」ということになるらしいけど、その「高学歴」でこの程度の思考力って、いったいどんな勉強をしているんだろう。あ、教科書を鵜呑み丸呑みしたってことは、マニュアルを読んでいるつもりだったとか・・・。クレーマーか、キミ。

石川県で長い間人と悩みを共有することでコミュニケーションを学ぼうという活動を続けて来た女性が娘といっしょに「ほめ言葉のシャワー」という冊子を作ったら、口コミで1600冊も売れたそうな。活動で蓄積された「言ってほしいほめ言葉」が65収録してあるという。元々文化的にほめられることが下手な日本人だけど、現代は人をほめることまで苦手になってしまったような観がある。新聞の記事にはごく一部の、あたりまえそうだけどもらったらうれしい「ほめ言葉」が紹介されている。もっともっとたくさんの人に読まれて、ベストセラーになってほしいと思わずにはいられない小さな本。

人間というのは、誰だってほめられたらうれしくなるもんじゃないかと思うけど、日本には「謙遜」という、ほめられたらそれを否定しなければならない不思議な「文化」がある。どうしてすなおに「ありがとう」と言ってはいけないのかと今でも納得が行かない。だって、ほめられて「うれしい」というのはほめてくれた人への「感謝の気持」の表現じゃないのかなあ。ほめられて「自分はそんなんじゃない」と否定するのは、ほめてくれた人の気持を否定するようなものじゃないのかなあ。極論を言わせてもらえば、自分を否定することで相手を否定しているようにも思えるんだけど。それに、謙遜や卑下を強制され続けていれば逆に自己顕示欲が増長されて、ときには考えの足りない人間が事件を起こして自分を認めてもらおうとするのかもしれないよ。

謙遜は「日本人の美徳」なんだからといわれるけど、う~ん、ワタシにはやっぱり理解できないなあ。(だから、高慢ちきとか、外国かぶれとか言われるんだけど、ワタシは自分をほめてあげるし、かぶれといわれても、ワタシは日本の外からしか日本を見られないからなあ・・・。)やっぱり、ほめるべきことは、すなおにほめてあげて、ほめられたらすなおにうれしいって言ったらいいんじゃないかと思うけど・・・

極楽とんぼの大チョンボ

11月30日。日曜日は月曜日。だって、仕事の相手の日本が月曜日。ということは・・・と、時計を見たら11時57分。大変、大変、大変。ああ、今日は大変なのだ。日本で朝一期限の仕事がある。書かなければならない請求書が11件。それよりも、それよりも、見落としてやっていなかった仕事がある!あああ、し~らない。

きのうの夜、ファイルがひとつどこに保存したのか見当たらない。再送してくれない?というメッセージ。あらまあ、いつやった仕事だっけなあ、とあっちのフォルダ、こっちのフォルダと探してみたけど、あれ、訳したファイルがどこにもない。あるのは元原稿だけ・・・ってことは、あ~あ、やっちゃった。見落としてしまって、やってないのだ。やってないんだから、客先で探したってあるはずがない。ああ、し~らない。送信日付を見たら10月の半ば。そっか、秋口からちょろちょろと続いたプロジェクトなもので、あちらも最後の「締めくくり」のときまで翻訳が終わっていないことに気づかなかったらしい。それが、月曜日から最後の仕上げに入ることになって・・・それがわかったのは午前2時。し~らない、もう。

朝食もそこそこに大車輪の超特急で納期の仕事を片付け、一緒に送る請求書を作り、送り出してから、見逃したファイルにかぶりついて、全作業の完了は午後4時。日本では月曜日の朝が始まる時間・・・。焦っちゃったなあ、ほんと。アドレナリンがどぼどぼと出たもので、これでは3日くらい眠れないかもね。たまにはワタシも、いやワタシだからこそ、そういうチョンボもやるんだけど、幸い、小さい仕事だったから徹夜はしないですんだ。ああ、あぶない、あぶない。鉢巻を締めなおさなくちゃ。

来年から始まる裁判員制度で、候補者になった通知を一斉に発送したら、「来た~」という書き込みが一斉にブログに登場したんだって。匿名のものならまだいいけど、自分の名前や写真を載せたブログに「通知が来た」と書いた人もいるらしい。そんな情報公開がどんなふうに規制されているのかわからないけど、日本のブログの大半が個人の「電子日記」と言えるものだそうだし、初めてのことで制度に対する概念が確立されていないだろうから、まあ、「来た、来た」と興奮して書き込んだんだろうな。いろいろと個人的な見解も意見もあるだろうし、「来ちゃったのよ~」と友だちに触れて回りたい人もいるだろうし、ブログ大流行のご時世で、人間は「見て、見て」が好きなんだから当然だろうに、時代の後塵を拝してばかりのお役所にとっては「想定外」だったということかな。

何とか無事に月末を乗り切ってほっとしたところで、何かおもしろいニュースがないかと、JAPANDITをのぞいてみる。会員が集めてくる日本関連ニュースはアキバ系からお堅いニュースまで何でもありで、へえ、こんな情報が海外に流布されているのか驚くものもあるけど、どっちかというと政治経済、社会に関連するものが多いかもしれない。ワタシも読売や朝日、毎日の英語版から記事を集めては、ちょっとウィットを気取った紹介をつけて投稿して反応を見たりする。前回はリオで閉幕した「児童の性的搾取反対会議」の宣言に関する記事。同じ新聞社のでも、英語版は普通の記事だったけど、日本語記事は国際条約ではないので「法的な拘束力はない」と、まるで、児童ポルノの所持や閲覧を禁止しなくても、アニメや漫画の過激な描写を規制しなくても、「別におとがめはないから安心していいよ」と言っているような締めだったので「?」と思ってしまった。限りなく、「幼児的なかわいさ」を追求する日本では、児童ポルノも「見るだけがなんで悪いの」ということなんだろうけど、周囲の評価をすごく気にする文化なのに、ロリコン大国として世界から顰蹙を買っていることに気づかないのかなあ。

今日の投稿は、麻生さんがアキバじゃなく東京駅の本屋に行って、マンがじゃなく「国際政治と外交」に関する本を買ったという話。麻生さんがが漢字音痴だということはすでに世界に知れ渡っているから、「お買い上げの本、振り仮名がついていたんでしょうかねえ」とコメントをつけてしまった。日本だったら、国際政治と外交といったお堅いテーマの本でも、漢字の少ないマンガ版がちゃんとあるんじゃないかと思うんだけどね。麻生さん、もし新しく仕入れた国際政治の知識をひけらかすつもりなら、ちゃんと国語辞典を引きながら読んでね。へんてこな読み方をされたら、ワタシは通訳できませんから・・・


2008年11月~その1

2008年11月16日 | 昔語り(2006~2013)
外国系日本人は日本人?

11月1日。ハロウィンから一夜明けると「万聖節」。といっても、カトリック教国以外では特に行事もなにもないけど、まあ、長い間にあまりにも大勢になった聖人たちをまとめてお祝いしようと言う日らしい。その前の夜に地獄の釜のふたを開けて、ひと晩だけもろもろの悪霊を「仮釈放」してしまうところがおもしろい。それで朝が来たら、もろもろの聖人たちがひと晩暴れまくってストレス解消した悪霊どもを地獄に戻して、「神、そらに知ろしめす。すべて世はこともなし」ってことかな。もろもろの人生もそうだといいんだけど・・・

読売新聞に、警察署が「話し口調で中国人と思い込んで日本国籍を持つ女性を逮捕」したという記事が載っていた。日本だからこそ起きそうな事件だなあ。今日は英語版にも記事が載っていたから、さっそくソーシャルブックマーキングサイトに投稿しておいた。記事によると、万引きの疑いで駆けつけた警官が任意で事情を聞いたら、話し方が「日本人」じゃなかったもので、外国人だと思ってパスポートの提示を求めたところ、持っていなかったので、本当ならそこで入管当局に問い合わせるべきなのに「外国人」という思い込みでそれをせずに入国管理難民法違反(旅券不携帯)で逮捕したんだそうな。パスポートを提示できなかったのは「日本国籍」だからとわかって、「女性の話した内容や口調から日本国籍を取得しているとわからなかった」と弁解。へえ、、そうなんですかぁ・・・

日本人らしく日本語を話して、日本人らしく行動しない人=外国人/外国籍。日本なんだなあ、ほんと。日本の警察は路上で「外国人」と思しき人間を呼び止めて「職務質問」して、パスポートやビザの提示を要求するとは聞いていたけど、外国籍の人が日本にいるときはいつもパスポートを持っていないと逮捕されるとは知らなかったなあ。東京での1週間、ワタシのパスポートはホテルの部屋の金庫の中にあった。つまり、日本で「犯罪」を犯していたわけか。日本語で話して、「変な日本語だから」と職務質問されたら、へたをすると逮捕されてしまっていたかもしれないわけか。まあ、「念のため」にとカナダ大使館の電話番号だけはを肌身離さず持っていたんだけど、ふ~ん、もしも逮捕されたら電話1本かけさせてくれないかもしれないなあ。日本はカナダじゃないもんなあ。はあ、こわ~。

それにしても、まさにxenophobia。そういえば、日本に長いこと住んでいる人で、たまたま「職務質問」されて、外国人登録証を持っていなかったために「始末書」を取られたという人がいたっけ。ユダヤ人を識別するために「ダビデの星」をつけさせたナチスと発想が似ていなくもない。日本も怖い国だなあ・・・。それよりもっと怖いのは、日本人一般がそれを「人種差別」とも「人権蹂躙」とも思っていないらしいこと。よそ者のことだから自分の世界とは関係ないということかもしれないけど、そういうのに限って一歩外へ出ると仮想的有能感を振り回したがるようなところがある。カナダに来て、期待に沿わないことがあると「日本人だから差別された~」と騒ぎたてて、「カナダには人種差別がある。差別のない日本に生まれてよかった~」とやるノー天気ぶり。あのさあ、そりゃあ日本では日本人を差別しないでしょうが・・・。

まあ、「差別のない平等社会」というのは建前であって、実際には日本人同士でも厳然たる「差別」が種々あるそうだけど、自分が不利益を体験しない限り、この人たちにはそれを認識するほどの想像力も視野も器量もないんだろうなあ。まあ、「日本はいい国、日本人でよかった~」と喜んでいる人たちは、日本で「平等」を謳歌できる恵まれた人たちなんだろうけど、「格差社会はけしからん」といって是正に立ち上がることはないんだろうなあ。何はともあれ、また日本に行く機会があったら、いつでもどこでもパスポートを持って歩くのを忘れないようにしよう。もしも、おまわりさんに呼び止められたら、「ワタクシ、ガイコクジン。美しい国日本におじゃまさせていただいてま~す」と、にっこり。効き目、あるかな・・・?

冬時間が来た

11月2日。今日からやっと「標準時」になった。PCの前に座っていると、午前1時59分がピッと午前1時に変わる。そこで家中の時計を1時間遅らせる作業にかなる。めんどくさい話。来年の3月初めまでのつかの間のなのに「標準」てのも変な話だよなあ。いっそのこと「標準時」を「冬時間」と呼ぶことにして、「夏時間」を標準時にしたらどうなんだろう。それよりももっといいのはどっちかに統一することなんだけど。

きのうは午後1時半というとんでもない時間に目が覚めたせいか、1日中なんとなく眠いような、だるいような。日本は三連休で1日余裕があるもので仕事はサボり。それでもディナーにでかけて俄然元気がでるからワタシはほんとに食いしんぼ。Gastropodはかなりにぎわっていた。ま、不況感が西の端っこまで波及するにはまだ間があるし、バンクーバーへは影響は小さいという強気の観測もあるらしいから。カクテルはバーテンダーの創作という「アールグレイフィズ」。シャンペンとポーランドのウォッカと紅茶のアールグレイのシロップ。ほんのりベルガモットの香りがして、かなりいける。

5コースの「味見メニュー」のスタートは松茸スープ。今年の松茸は豊作だそうだけど、クリームスープになって出てきた。ビーフとホタテのコンボの後に出てきたのが、ギンダラと豚の三段腹肉の組み合わせ。テーブルでダシをかけてくれる。(「ダーシ」と「だ」にアクセントがつくのがなんとも愉快。)何よりも興味をひかれたのが、魚の下にある「Cod udon(タラのうどん)」なるもの。たしかに「うどん」らしいけど、魚の身の味と舌触りもある。あんまりおいしかったもので、どうやって作るのかとサーバーのジャニスさんに聞いてみたら、わざわざシェフに聞いてきてくれた。「タラと白ワインでムースを作って、うどんの生地に混ぜ込んで、熱湯の中に絞り出す」。そうかあ、生地を切るんじゃなくて、ニョッキやシュペツレのように直接熱湯に落として作るわけだ。こうして手の内を明かしてくれるシェフはうれしい先生。デコレーションケーキ用の袋と口金を使えばいいかな。うん、いつか自分で試してみよう・・・

ご機嫌で帰ってきて、また眠くなった。オフィスのソファにころん。まじめに仕事をやっている夢を見た。男の声がして「知らない人」がオフィスに入ってきた。「え、誰、この人?なんでお母さんじゃないの?」と思ったら目が覚めて、カレシがいつものようにPCの前に座っていた。だけど、とっさにカレシと認識できなかったのはねぼけていたからなのかなあ。お母さんの声を期待していたのも不思議だけど、33年もいっしょに暮らしてきた人が夢の中で「知らない男」になっちゃったなんて・・・。

カレシがCDに焼いたラヴァーン・ベイカーを聞きながら、ナイトキャップのスコッチを傾けていたら、なぜか「めぐり会いそこねた人」の話になった。出会って「運命の人」と思った相手がほんとうは「その人」ではなかったことは簡単にわかるけど、「めぐり会うべきだった人」なのかどうかは添い遂げてみるまでわからないなあ、なんて言ったら、カレシはちょっと困惑した顔つき。カレシにとってワタシが「その人」でなかったことはわかっちゃったからねえ。でも、ワタシにとってカレシが「その人」だったのかどうかはまだわからない。他の誰かに心が傾いたことがないから、「その人だったんだろう」と思っているだけかもしれない。そこのところは「死が二人を別つまで」わからないだろうなあ。

体内時計が狂ったせいもあるのか、ナイトキャップを傾けすぎて、就寝は午前4時半(夏時間では午前5時半)。ベッドに入ってからも、また夢の中でせっせと仕事をしていたワタシ。Dream Dictionaryを見たら、「まじめに仕事に戻らなければ」という意味なんだそうな。はあ、そうですかぁ。それじゃあ・・・

昨日のブログに追記: 日本の「入国管理難民認定法」の第2節第23条に、日本に在留する外国人は「常に」パスポート(または外国人登録証)を携帯していなければならないと書いてあった。つまり、ワタシは1週間の日本滞在中に日本国法に違反していたわけ。カナダのパスポートオフィスの海外旅行者用のページには「パスポートはホテルの金庫に入れるなどして保護すること。ただし、外国人にパスポートの常時携帯を義務づけている国があるから注意」と書いてあった。は~い、これからは気をつけま~す。

蜜月はどのくらい甘いか

11月3日。今日はシーラとヴァルがお掃除に来るので、11時半に目覚ましをかけておいたら、11時29分に目が覚めてしまった。あと1分、寝なおす?まさか~。ということで、ごそごそと起き出して、朝食。

カレシは退職年金の口座をおいてある証券会社に電話して、他の銀行から移して、現金のままになっているのを定期に入れることにした。ワタシの口座はかなりの金額になっているもので、いくつもの金融機関に分けて入れないと預金保険でカバーしきれない。それで銀行から系列の証券会社に移したんだけど、投資の指図は「東部時間午後4時」までに出さなければならないので、けっこう早めに起きないと間に合わない。それで、いつものものぐさをしているうちにで金利がどんどん下がってしまった・・・

と、思っていたんだけど、ブローカーが2年の定期で4.5%というのを勧めてきた。あれ、なんか前より上がったみたいな感じだけどなあ。どこの国も中央銀行が公定金利を下げられるだけ下げているのに、どうしてなんだろう。たぶん、銀行は流動性を確保するためのお金がほしいということなんだろう。少し高めの利子を払うから、お金を預けてくれ~ってことか。そういえば、「貸し渋り」とか「貸しはがし」とかいう言葉も聞くなあ。日本ではバブルの後でしばらくBIS基準がどうのこうのとうるさかったけど、銀行は手元にお金を置いておきたいってことらしい。それにしても、2年定期で4.5%。ローンの金利とあまり開きがないように見えるけど、いいのかなあ。

シーラとヴァルが来て、オフィスから追い出されたカレシ。庭に野菜くずを埋めに行ったと思ったら、血相を変えて飛び込んできた。池に給水するパイプをシャベルで切断してしまったんだそうな。あらまあ。またなんでそんなところを掘ったのかと思ったら、「こんな浅いところにパイプがあると思わなかったし」。出て行ってみたら、ほんとに、せいぜい20センチくらいの深さのところに、みごとに分断されたパイプが見える。池と温室に給水する工事をやったときは、たしかにもっと深かったんだけど、いつのまにか踏み固められて「地盤沈下」したらしい。やれやれ。だけどさあ、野菜くずを直接埋めてコンポストにするなら、なんで菜園じゃなくて通り道なんかに埋めるのよ~?ま、カレシのことだから、思い立ったところにやおらシャベルを突っ込んだんだろうなあ。事故が起こってから「予防処置」を説いても意味がないか。配管屋に来てもらうことにして、作業しやすいように穴を広げてパイプを露出させておくことを「おススメ」しておいたけども・・・

アメリカの大統領選もやっと投票日が来て、これでテレビも少しは平穏になるかなあ。今度の選挙戦は、ユーチューブやコメディチャンネルなどでの「ユーモア」合戦が目新しいところだったそうだけど、う~ん、ユーモアにもいろいろあるからなあ。ネタにされていたのは共和党候補が圧倒的だったように思うけど、ユーモアとは言いがたいようなえげつないのも多かった。ご当人たちがユーモアだと思っているだけか、あるいはユーモアに名を借りた誹謗なのか、そこのところは良くわからないけど、民主党派にはそういう性格の人が多いのかもしれない。誹謗だと批判したら、「冗談がわからないのか」とかみつきそうだなあ。巷のブッシュ批判があまりにも憎しみがむき出しだったもので、民主党派は「ブッシュ勝利」を個人的な敗北と感じたのか、自分の心の奥にわだかまっている誰か、親なのか人間一般なのかわからないけど、「誰か」への個人的な遺恨を「ブッシュ」というはけ口に向けて一気に爆発させたのかと思った。それがあまりにもカレシの爆発とよく似ていたもので・・・。

ともあれ、「オバマ大統領」が誕生することは確実。アメリカはとにかく「変化」が必要なんだと思うから、それはそれで、少なくとも民主主義が曲がりなりにも機能している証拠と言える。でも、「Talk the talk, walk the walk」という言葉の通り、勝利の甘いハネムーンが過ぎたら、約束をどこまで実現できるか。それにしても、民主党派、活動家、リベラル、エコ派・・・まあ、何でもいいけど、少なくともこの人たちの露骨な憎悪の情は、はけ口がなくなってしまうわけで、またそれぞれの心の奥に淀んで行くんだろうか。てことは、やっぱりハネムーン期・・・?

極楽とんぼのやぶにらみ評論

11月4日。予期されたとおり、オバマ候補の勝利。やれやれ、これでやっと終わった、と言う感じがする。アメリカのテレビ局やケーブルのチャンネルはほとんどがカナダでも見られるから、いやでもアメリカさんの政治におつきあいをさせられる。でも、アメリカ人だったらマケイン/ペイリン派のワタシだって、アメリカはほんとうに変革の潮時、潮目にあると思うから、オバマ大統領に期待する気持はないでもない。それにしても、セーラ・ペイリンはすごい人だなあ。田舎町の市長から、だだっ広いばかりで人口の少ない州の知事になったばかりでいきなり百戦錬磨の猛者がごろごろいる中央政界に引っ張り出されて、マケイン候補を食ってしまった。いやあ、すごい。アメリカ初の女性大統領になれるか・・・と、ほのかな期待。

アメリカの選挙地図を見ると、共和党、民主党の住み分けパターンのようなものが見えるからおもしろい。おおざっぱに分けて、民主党は東海岸と西海岸で、共和党は真ん中から南という色分けがされている。東西の端はそれぞれに巨大都市をいくつも抱えているけど、真ん中はテキサス州以外は人口が希薄な農業地帯が多くて、一般に保守色が強い。こんなところに、都市対地方の構図も見えなくはないなあ。

先の連邦総選挙で、うちの選挙区は野党の現職がたった32票の差で当選したため、選挙法の規定で再集計が行われた。その結果、現職の当選が確認されたんだけど、票差は22票とさらに縮小。無効票だけ調べた結果と言うので、今度は落選した与党候補が投票用紙を全部数えなおす再々集計を要求。その結果、現職の再選が確定したんだけど、票差はなんと20票と、さらに縮小。集計のやり直しを続けたら、ひょっとして逆転・・・なんてのは冗談だけど、それぞれ1万6千票台の得票だから、20票差での落選はほ~んっとに惜しい。この選挙区はうなぎの寝床みたいに東西に長い形で、うちの前の道路を境に東西に分かれて、東はインド系が多く、西は中国系が多い。再選した現職は元州首相のインド系で、落選した保守党候補は中国系だった。選挙区の人種構成の影響はかなり大きいだろうと思う。

バンクーバーはあと10日で市長・市議会選挙の投票日。州議会議員をやめてまで立候補した左派の市長候補が、スカイトレインで2区間のところを「うっかり」1区間の料金で乗って交通警察につかまり、百何十ドルのチケットを切られて、「こんなに高いのはけしからん」と抗議するつもりで罰金を払わずにいたんだそうな。それが明るみに出たら、こんどは「低所得者に厳しすぎる法外な罰金だ」と裁判で争うらしい。改札のないスカイトレインは開業以来「ただ乗り天国」で、日本人も「改札をしないんだから払う必要ねぇだろ」とただ乗りしては捕まって、「将来のカナダ入国に差し支えるか」とあわてるけど、結局は払わないままで日本へ帰るのが多いらしい。低所得だから高い罰金は払わなくてもいいということなら、低所得者は万引きしても処罰すべきではないという理屈にならないのかなあ。活動家タイプというのはとかく不思議な論理を考えつくもんだ。

まあ、2008年は政治が熱かった年ということか。テレビはスーパーボウルの後みたいに「解説番組」が延々と続いている。だから、ワタシもつい評論家気取りになって解説してしまうんだけど、政治ってほんとにおもしろいから、あれこれ分析してみる。これはもうやめられないらしい。もちろん自分の国の将来を決めるとなれば大まじめに考えるけど、人さまの国のは野次馬をやっていられるからおもしろさ倍増。だけど、公人である政治家に自己の心の闇を投影するのはやっぱりいささか幼児的な行動だと思うなあ。生きるのが不安だからって、有名人をぶん殴っていいわけがないでしょうが。集団は個人が集まって構成するものだから、構成員の平均的な性格が反映されていると言えるのかもしれないけど、人類の全般的な幼児化傾向はブッシュ時代よりももっと前から始まっていたような感じもするなあ・・・

風雲急だよ、仕事戦線

11月5日。熱狂から一夜明けて、これからが本番ビジネスへの準備だなあ。初の「黒人大統領」と、オバマさんが黒人であることが強調されるけど、半分白人なんだから、人種の溝を越えて橋をかけられる存在であることを前面に出した欲しかったような気もする。まあ、黒人性を強調しているのはオバマ本人じゃなくて、周囲の思惑とも取れるかな。どっちにしてもホワイトハウスに入ってからが大変。期待感が高揚すればするほど、それが実現しなかったときの失望感は底なしに深いもんだからなあ。

ワシントン州では「尊厳死」を認める提案が通り、カリフォルニア州では州の最高裁が認めたばかりの同性婚を禁止する提案が通った。カリフォルニア州といえば、「何でもあり」のハリウッドがあり、かってヒッピーたちが集まったサンフランシスコがあり、エコ運動でも先進的で、まるでリベラルの牙城といった観があるけど、そのカリフォルニアの人たちが同性婚の合法化に「ノー」といったんだから、わからない。同性婚のカップルは「合法」だった結婚が「非合法」になってしまうのかなあ。そんなのないでしょうが。異人種混血の大統領を選んでおきながら、次は「異人種婚」も非合法にしようなんて言い出しかねないような矛盾を感じるなあ。昔は南部でそういう州法があって、勇敢に戦った異人種カップルがいた。その名もLoving夫妻。戦後の二十世紀後半のこと。もう二人とも故人になったけど、「愛のために戦った」と言っていた。

今日は昼過ぎに配管屋さんが来てくれて、カレシが切断した給水パイプを診察。どうやら、直せるらしいとわかって、カレシはほっ。部品を調達するのに23日かかるから、その間に穴を広げておいてくれとのこと。よかったねえ。この2日、カレシはあまりよく眠れなくて、ちょっぴりむずかっていたけど、今夜はきっとよ~く眠れるでしょ。カレシを見ていて思うのは、ネガティブな人の思考は「ダメだったらどうしよう」という悲観的な方向に配線されているらしいということ。しんどいだろうなあと思うこともあるけど、そういう性格だとあんがい特にしんどいってわけじゃないのかも。でも、気をつけていないと、こっちがそのネガティブなオーラに汚染?されそうになるんだけど・・・。

そんなことを言っているうちに、なんだか仕事の方が修羅場になりそうな気配。客先4つから一斉攻撃。大なだれに大津波だなあ、これ。ま、いっか。盛大に腕をまくって、ねじり鉢巻をしめて、やるか。

おまわりさんに叱られるよ

11月6日。暗いなあ、朝。雨、雨、雨の、まあ、典型的なバンクーバーの晩秋(というか、雨期の始まり・・・)。だけど、今日は目が覚めて暗いからといってベッドの中でぐずぐずしていられない。「起きよ!」と起きて、朝食もそこそこにオフィスに「ご出勤」。草稿を書いた人の顔を見たいくらいの文だけど、なんかずう~っと昔の法律みたいだから、「顔」は仏壇の中かなあ・・・なんてダークなこと考えて、あれ、隠れストレスかなあ。右へ左へすいすいの一見ノンシャランなワタシだけど、ほんとは「ここぞ」というときに俄然エンジン全開にして、すぱっとひと肌脱いでしまう。まあ、これは言葉のあやってものだけど、ある意味で姉御肌なのかなあ・・・と勝手に想像してほくそ笑んで、勝手に「いいじゃん」と自分をほめる。わりと俗に言う「money player」的なところがあるのは確かで、あんがい、大ばくちに向いているのかもしれないなあ。もっとも、いつも張り切りすぎて調子に乗っては身動きが取れないくらいに仕事を詰め込んでしまって、ムンクの「叫び」になるんだけど。「ま、いっか」もほどほどにしとかなきゃあ、とは、言うは易しで・・・。

ひと仕事終わったところでカレンダーを見ると、いつの間にか向こう1週間で締切が6つ。いいのかなあ。ふむ、木曜日の夜は日本では金曜日の午後で、翻訳会社のコーディネーターさんたちは週末にかかる翻訳注文を引き受ける翻訳者を探さなければならない。いわば「魔の時」ってところだけど、そこへワタシが「ま、いっか」と、すぃ~っと飛んで火に入るというわけ。同じオフィスのコーディネーターさんが「とんぼ採り合戦」を始めるという話も聞いたなあ。冗談であってくれればいいけど、なんか視界に白い網がヒラヒラ。や~だ・・・

ともかく、腕まくりとねじり鉢巻は明日ということにして、まず息抜き。はっ、深呼吸。で、世の中360度を見回してみると、オンタリオ州で感謝祭の日に親にXboxを取り上げられて家出して行方不明になっていた15才の少年が遺体で見つかった。凍死らしい。かなりのはにかみやだったそうだけど、スポーツの才はあったし、勉強もできたらしい。それが、オンラインゲームにのめり込んで、寝ても覚めてもゲーム。とうとう学校をサボるようになって、両親にゲーム機を取り上げられた。怒って家を飛び出した勢いで、きっと家に帰りづらかったんだろうなあ。現実の世界ではほとんどいなかった友達がゲームの世界では何百人もいたそうな。ゲームは相当な腕前だったらしいけど、互いが見えないサイバー社会で現実では実現したい「すごいボク」の人生を謳歌していたのかもしれない。ネット依存症やゲーム中毒は笑っていていいことではない。薬物中毒やアルコール依存症と同じ「心の病気」なんだから。

日本では人をはねて引きずって殺した若い男が捕まったけど、こいつ、被害者が死ぬとわかっていて、それでも「とにかく逃げるっきゃない」しか頭になかったというから、ほんとに「人間」なのかなあ。防犯カメラが捕らえたあの顔。仲間といっしょに楽しそうに笑っている顔。捕まりたくない。逃げてしまえばいい。幼児の自己中か悪魔の自己中かはわからないけど、「捕まらなければいい」というのは、昨今大流行の種々の不正の根底にある「バレなければいい」という判断に通じるなあ。日本人は清廉潔白という評判になっているので、ベールをめくってみると、これだもんなあ。どうしてなんだろう?

過去30余年の日本のことは実体験がないから見当さえつかないけど、ひとつ思い当たるのは子供の叱り方。日本では、これまでにどれだけの親が、「みんなに笑われるから」、「あの子が見ているから」、「あのおじちゃんが怒っているから」、「おまわりさんに叱られるから」と、子供を叱ってきたことだろうか。なぜ「悪いことだからやめなさい」と叱れないのか。それは叱る側としては子供を叱るという(たぶんに)不快な行為を「「怒っているのはママじゃない」と他人のせいにしたいのかもしれないし、「悪いことだ」と言える自信がないのかもしれないし、あるいは単に自分もそういう風に叱られてきたからかもしれない。理由はどうでもいいけど、そういう風に叱られる子供は、「人に見られなければ、ばれなければ、捕まらなければ」何をやってもいいんだと思ってしまわないんだろうか。これでもかというくらいの偽装事件の多発の裏には、そうやって連綿と伝えられてきた「責任転嫁意識」が深く根を張っているのかなあ・・・。

何語で考えようか

11月7日。いつもの寝酒の代わりにワインを開けようか、ということになって、「酒蔵」からボルドーを出して来た。玄関下の納戸にあるのが我が家の「酒蔵」。この納戸だけは完全な地下室なので、温度が比較的安定していて、ワインの保存にはうってつけ。といっても、金庫の上に9本くらいおける小さいワインラックがあるだけなんだけど。ラベルによるとボルドーのうちでもアントルドゥメール地区の産でぶどうはメルロー。成田空港に80トンだかのボジョレーヌーヴォーが到着したという記事の話が、なぜかずっと前に流れていたIBMのコマーシャルに飛んだ・・・

フランスのワイナリー。バイヤーが「時代が変わったんだよ」と去っていく。「もう終わりだ」と失意の父親。そこで若い娘が「インターネットでいい値段で売れたから大丈夫」。「どこへ」ときく父親。場面が変わってアメリカのどこか郊外のスーパーで「フランスワインの試飲販売セール」。マネジャーが部下に「もうあと千ケース注文だ」。すごい口ひげのごついおっちゃんが、小さい試飲カップをもって、「う~ん、ピーチの香り・・・」とやるところでワタシは笑い転げ、コマーシャルは終わり。なんかウォルマート風刺が見え隠れしているようでおもしろかった。ウォルマートはアメリカの「安売り大量消費主義」の象徴みたいなものだけど、それにしても、成田に今年のボジョレーヌーヴォーが到着したニュースと、バイヤーが拒否したワインをインターネットで売って大成功という話がどうして重なっちゃったのかなあ・・・

起きてみたら今日もまた雨。インドネシア料理を食べて、その向かいのスーパーで買い物をして、帰りに酒屋に寄ってこようという話だったのに、カレシ曰く、「うちで食べて、その後で野菜を買いに行って、その足で酒屋へ行こう」。ま、いいかということで、夕食もそこそこにまず野菜を買いに行き、スーパーに寄ってランチの食材を買ったまではいいけど、「酒屋は後にしようよ」と言い出す。まだ8時半。閉店まで2時間以上あるんだけど、ふむ、2時間後には「明日にしよう」と言い出すなあ、きっと。土曜日の外食も1週おきにして家で食べようと言うし、ふむ、なんか「引きこもり」っぽくなってきたぞ・・・と、ワタシのレーダーに暗点がポチッ。「どっちでも好きなようにしていいよ~」といったら、声に出して「考え」ながら酒屋まで行ったけど、落ち着いたと言えるようになって7年。7年目の何とかというし・・・

トライアルに同意したもので、久しぶりにみっちり英日翻訳。このブログのおかげなのか、一時のような抵抗感があまりない。いつでもそっちの方に戻れるような気もする。ただし、これは仕事の上でのこと。自分のブログを読み返すたびに、「日本人に受け入れられる日本人」に戻ることはできないんだなあという気持になってくる。今さらだけど、カナダに来てから「友達」と呼べる日本人がほとんどいなかったし、日本人の自分を探しているようなところもないではないけど、「日本」についての無知を思い知らされるばかりだし、元からして「JIS規格外」のワタシは「戻る」と言うよりは「なれない」というのが妥当なところかもしれないなあ・・・なんて、めずらしく羽ばたきも重く感じられていたんだけど、ふっと「英語でブログってみたら?」とひらめき。方向音痴のワタシにはいつもここぞというところで標識を指差してくれる守護天使がいるのだ。

自分を表現したい欲望が人一倍強くて、長い間、ひょっとしたら人生のほとんどかもしれないくらい長い間、その気持をいろんなこと、いろんな人に遮られてきたのではないかという思いがあるからこそ、精神だけでも外に解き放って自由にしてやりたいという願望が強いのは自分自身が一番よく知っていること。英語はワタシの養母国語じゃなかったの?日常の人との交流の言語じゃなかったの?自分を守るための言語じゃなかったの?そうなんだ。まあ、日本語のブログを英語にするところから始めてみてもいいかな。なんだかbusman’s holidayになっちゃうけど、両刀使いで行けばいいじゃないの。「地球人」の自分が見つかるかもしれない。今ここでちょっぴり迷子になっているワタシに輪をかけたような方向音痴の極楽とんぼだったら困るけどなあ・・・

オフィスの壁紙

11月8日。あ~あ、今日も雨。お気に入りのレミのナイトキャップで機嫌よくベッドに入ったはずなんだけど、なぜかよく眠れなかった。どっちに寝返りを打っても体が落ち着かない。そうやってうとうとしているうちに夜が過ぎてしまう感じがする。よくわからないけど、どうも漠然とした閉塞感があるような気もするなあ。ふむ、天気のせいか、季節のせいか、年を食ったせいか、それとも何となく疲れているだけか、何なんだろう。

カレシのリクエストでおこもりの土曜日。フリーザーに頭を突っ込んで、今夜のディナーメニューは何にしよ~。目が回るほど仕事があるんだけど、う~ん、やっぱり土曜日はちょっと手のかかったものが食べたい。どんなものを作ろうかなんて考えていると、仕事に気合が入らない。あせってもしょうがないからと、だらだらしているうちにソーシャルブックマーキングサイトのJAPUNDITに、ホンダが開発した歩行補助器、通訳技能試験会社の閉鎖、なつかしいレトロゲームの3つの記事リンクをまとめて投稿。日本関連の英語記事を集めるサイトで、日本語新聞サイトで見つけたこれはという記事の一拍遅れで出てくる英語版を探して投稿する。ワタシの常で調子に乗ってコメントしたり、投票したりするもので、現在のランクは13位だそうな。おかげで、顔見知りならぬ「ハンドル見知り」もできてきた。

歩行器はホンダが10年近くかけて開発したそうで、足腰の弱い年寄りやリハビリ中の人たちが自力で歩くために役に立ちそう。それだけではなく、ホンダは屈んだ姿勢をとることの多い組立工場に導入してより楽に作業ができるようにするという。なるほど、写真で見ると歩行器兼腰かけのような感じだ。別のサイトの記事には、この補助器を装着した組立工が、中腰になって車体の下に部品を取り付けている写真があった。椅子と違って屈伸が自在で、自由に歩きまわれるから、膝や腰の故障は過去のものになるかもしれないなあ。「ムダ」を省いて効率化、と景気が傾れば人間まで「ムダ」扱いしそうなトヨタとは「労力」に対する考え方がちょっと違うのかもしれない。(カナダで流していたトヨタのTVコマーシャルで、「ムーダ」、「ムーダ」と連呼された日には、秋葉原事件を思い出してムカついた。ムウ・・・)

通訳技能試験は「日本通訳協会」というところがやっていたそうで、「協会」というからNPOかと思ったら、れっきとした株式会社なんだそうな。同業者によると、検定試験のレベルはけっこう高くて合格すれば「通訳士」というタイトルの資格がもらえるとか。この同業者は「フリーとしてこの道に入ってやっていけるレベルかどうか」を知りたくて受験したと言っているけど、実際は「通訳士」というタイトルを目指す人の方が多いんじゃないかな。だって、外から眺めていると、日本人は無類の「資格好き」のように見える。ちょっと検索してみるだけでも、あるわ、あるわ。国家資格や公的な資格はそれなりの理由があることはわかるけど、へえ、こんなことにも「資格」がいるのか、とびっくりするのや、カタカナの「えっ、これ、なにするの」的な「資格」もぞろぞろ。まあ、判断の基準には目に見えるものが一番手っ取り早い。きれいな証書に「○○検定1級」とか書いてあったら、そういう紙を持たない人よりは仕事ができそうに見えるのかもしれない。だけど、大学の卒業証書と同じで、その先に発展がなければ、すばらしい資格もただの「壁紙」じゃないのかなあ。(額縁に入れて飾ればけっこう見栄えはするのが多いけど・・・)

ワタシもカナダの協会が認定した「資格」はあるんだけど、実際の仕事は認定対象とは逆の方向に発展してしまって、事実上の「壁紙」。ちっとも見栄えがしないし、名前も変わっている。これがあるから注文が来たり、客が増えたということもなかったけど、協会の名簿に正会員として名前が載って、それを見た引き合いはときどき来るから、まあ、間接的には役立っているんだろう。それに、「事務所」としては何が額縁に入ったものが壁にかかっていると箔が付くだろうし・・・ほんとは誰も来ないんだけど。

明日は元々わからない

11月10日。おや、外は久しぶりに明るい日差し・・・と思ったら、雨の「中休み」だそうな。なあ~んだ。まあ、仕事が集中豪雨なもので、外に出られるわけじゃないから、雨も晴れもないか。

明日は「Remembrance Day」の休日。英和辞書には「英霊記念日」と書いてある。戦没者慰霊の日なんだけど、実は第一次世界大戦が終わった日。その後の戦争での戦死者も合わせて、毎年11月の11日の午前11時に各地で慰霊祭がある。退役軍人会が赤いけしの花のバッジを売るのは、激戦地ったフランダースで、地中に長く眠っていたケシの種が目覚めて多くの戦士が倒れた野に血のように真っ赤な花を咲かせ、その光景を軍医として従軍したカナダの詩人マクレーが「フランダースの野に」という詩に描いたことに由来する。A time for war and a time for peace・・・戦わねばならない戦争もあるけど、平和は何ものにも代えがたい。でも、いつもすぐそこまで来ているようで平和は未だに遠い。いつになったら「平和の時」が来るやら・・・

いつもなら英語教室がある日だけど、ネイバーフッドハウスは祝日の休館日。カレシは生徒さんに電話をかけて、翌日の水曜日に代替レッスンをするから来てくださいと連絡。これが実に大変な仕事。だって、生徒さんは英語力が不十分だからカレシの教室に来ているわけで、すんなりと連絡事項が伝わるくらいならそんな必要はないわけ。そばで聞いていると、カレシはゆっくりとしゃべっている。気がつくと声が必要以上に大きい。ふ~ん、ひょっとしてアメリカ人の悪評は通じない英語という要素もあるんじゃないかなあ、とふと思った。言葉のよく通じない相手になんとかわかってもらおうと、ゆっくりとしゃべる。自然に声も大きくなるのかもれない。身振り手振りだって大きくなるだろうなあ。アメリカ人は図体もでかい方だし、相手にはとてつもなくがさつな野蛮人のように映ってしまうかもしれないなあ。ま、お澄ましで実はわりと気の小さい日本人が、「礼儀正しくて、控えめで、正直で・・・」と評されるのと似てるかもしれない。印象第一とはいうけれど、他人が受ける印象で人格を決められてしまうのはどうかなあ。人に良く思われたかったら良く思われるような言動をすればいい、と言う人もいるけど、人がどう思うかわからないのに、そんなことできるのかなあ。

同業協会のメーリングリストに、「翻訳会社勤務で、仕事が暇で会社が潰れるかもしれないと心配している29才」の話が出た。よく読んでみると翻訳業界の現状とはあまり関係がなくて、日本では男も女も「生存婚」の時代になっているという話。生存婚て、なんじゃ、それ。毎日新聞に載った記事を読むと、どうも結婚に「自分の生存」をかけることらしい。バブル時代にもてはやされた「三高」は、今や低姿勢、低依存、低リスクの「三低」に取って代わられたそうな。さらに読んでいくと、未婚の女性は将来の夫に「安定した仕事/収入」を求めるのに対して、男性は将来の妻に「稼ぎ手」を求めていると書いてある。女性にすがりたい男性が増えているとかいう話だけど、これじゃあ、お互いに「いい人がいない」はず。男も女もあさっての方を向いているような。生き残るための結婚で思いっきりすがりあうのもいいけど、「愛」はどうなっちゃったのかなあ。キューピッドも失業の危機・・・じゃないよね、まさか。

キューピッドが失業する世の中になったら人類も終わりだと思うけど、たかが結婚、されど結婚。利害が一致すればそれにこしたことはないけど、結婚てのは投資に似ていて、一か八かみたいなところもある。堅実な投資をする人もあれば、危ない投機に走る人もあるわけで・・・

まいった、まいった

11月11日。まいった、まいった、まいった~。久しぶりにど~っとまとめてきた日本語訳の仕事。ほんとにまいった。すごい英語なんだもん。知能指数3桁で、毎日むずかしいことばっかり考えている人たちのはずなんだけど、英語が母語でないアジア人やヨーロッパ人が書いた英語。いやあ、まいった。もう、頭がくたくた。そっか、日本語に訳さないとわかりませ~んてことでこっちにお鉢が回ってきたということらしい。

いや、たしかに英語。文法にいささか変なところがあっても、英語として読める。少々あいまいな文でも、「行間」を探って、埋めれば、言わんとすることは何とかわかる。じゃあ、何が問題なんだろうと思うけど、どうも、単語の選択じゃないのかなとうい気がする。「○英辞書」を引けばそうなんだろうけど・・・だけど、だけど、言語は1対1じゃないから、翻訳は単語の置き換えではない。もしそうだったら、ワタシはとっくにおまんまの食い上げ。こうやって食べていけるのは、「オレは神よりもエライのだ」とバベルの塔を作ろうとしたニムロデ王のおかげ。もっとも、バベルの塔事件がなくたって、人間てのは同じ言葉をしゃべっていても人の話を聞かないか、聞いているつもりでわかっていないのが多いんだから、神さまだって別にむかっ腹を立てることもなかったんじゃないかなあ。(Bad hair dayだったんだな、きっと。)

まあ、ちょっと息抜き。あれよあれよという間に積み上がった仕事が5件。何やってたんだろう。粋がって「よっしゃ~」なんて腕をまくるからこういうことになるんだけど、来月のカレンダーにまで納期のマークがついたと思ったら、来年の話まで出てきた。やらせてくれるならぜひやってみたいような大仕事だけど、落札できるかどうかはあちらしだい。でも、小さな会社だから、どうかなあ。でも、毎日連続でなにかしら納期というのもちょっときつい。かといって、1ヶ月とか2ヶ月とか余裕があるからといって、何万語もの仕事を毎日なし崩しに進めていくのもきついなあ。あ~あ、なんだかくたびれた・・・

今夜はヴィンテージのアルマニャックを楽しんで、ゆっくり眠るとするか。なにせ、1日7.5時間の睡眠をとらないと心臓病の危険が高まるそうだから。ふむ、残業だ、飲み会だと夜遅くに帰宅して、朝は定時に出社する日本のサラリーマンはみんな心臓病候補ってことになるのかな。これじゃあ、「生存婚」も何も、安定収入はあっても一寸先は闇の「悪条件」になってしまいそう。さて、気合を入れて寝るぞ・・・

8万4千円のローストチキン

11月12日。ちょっとだけいい天気。午後の気温は摂氏10度。トロントではもう雪が降ったんだって。11月も半ばとなれば、確実に冬の玄関口。外の庭木もほぼ素っ裸だもんなあ。日が差さないと昼なのか夕方なのかわからないくらいに暗い。だけど、年月のしわざなのか、毎日雨で暗くてもちっとも気にならない。「また雨かあ」と、少々辟易したのは最初の冬だけだったような。なんか、生まれてこの方ずっとこの気候の中で暮らして来たような気がするから不思議。

今日はごみの収集日。キッチンの窓から見ていたら、まずリサイクルのトラック。各戸に支給されているリサイクル箱「ブルーボックス」の中身を無造作にトラックに空けて行くから、ガシャン、ガチャン、カラン。次に普通のごみの収集トラックが通る。市が各戸に支給した容器を機械が持ち上げて、トラックの上でさかさまにして空ける。運転手が運転台からひとりで操作するから、人件費の節約になるし、重いごみ袋を持ち上げたりして怪我をすることもない。でも、アームは片側にしかないから、裏のレーンをあっち、こっちと2度轟音を上げて通る。高さ数メートルの植え込みの上に見えるトラックの屋根が南へ動いて行くのを見届けて、カレシが出て行って、ガレージの前に出してあったごみ容器とブルーボックスを回収。ごく、ごく平凡なごみ収集日のひとコマってところかな。

朝食後のコーヒーを飲んでいる頃に、「ガラン」とゲートハウスの鉄の門扉が開く音。今度は郵便配達。カレシが出て行って、郵便を取って来る。メールオーダーのカタログの山。クリスマスシーズンだ。今年はかなり厳しいという予想のせいか、やたらとたくさん来る。すごいのになると、内容は同じなのに表紙を変えて送ってくる。新しいのだと思わせて、よぶんの買い物をさせようという魂胆だろう。積んでおくとけっこうな山ができる。カタログのほとんどがアメリカのもので、どうもカナダはやっぱり広すぎて、人が少なすぎるんだろうなあ。スケールメリットでは初めから勝負にならない。カナダドル安でしばらく途絶えていたカタログもちらほら。去年からのカナダドル高で「売れる」と判断したらしい。レートはかなり下がってしまったけど、それでも、北米自由貿易協定のおかげでアメリカで買ったほうが安くつくものが多いし、市場が数倍大きいアメリカでは品揃えも比べものにならない。カタログをめくりながらしばしの「仮想ショッピング」。

ここ数年はギフトカードがすごい人気で、スーパーでもいろんな店のカードを売っている。誰に何を上げようかと考えなくてもすむから、プレゼントリストを片手にモールを走り回る人には便利この上ないんだけど、その売れ行きが落ちているというニュースが新聞に載っていた。スターバックスは大変な赤字だし、サーキットシティは倒産、他にも足元のおぼつかない小売業がいくつもあるらしいから、せっかくギフトカードをプレゼントしても、使おうとして店がなくなっていたら、フロントガラスの氷を削る道具になってしまうこともあり得るわけ。不況の先駆けみたいな兆候があった今年の1月には、ウォルマートでギフトカードを使って生活必需品を買っていく客がかなりいたという。そのときにその筋の人たちが気がついていれば・・・う~ん、後になってからなら、誰だって「千里眼」だよね。

日本では高島屋が「8万4千円!」のクリスマスチキンの予約を受け付けているというニュースがあった。トリュフとフォアグラとソーセージと栗を詰めたケイポン(去勢した雄鶏)で、フランスの「フォーション」という高級食品メーカーの特製品を12羽空輸するんだという。フォーションなんて知らないけど、ブランド知識が豊かな日本人には価値があるんだろうな。1羽で6~8人が食べられるから「パーティに完璧」というけど、3LDKとかの家で8万4千円なりのチキンを囲んでホームパーティって・・・な~んかちぐはぐ。でも、もう1羽予約が入っているそうな。8万4千円のローストチキンを食べて、パァ~ッと不況を忘れてしまおうというのかな。記事は、日本で1970年代初めからクリスマスの伝統になっているケンタッキーフライドチキンへ行けば、ローストチキンとケーキとサラダと記念のお皿つきのクリスマススペシャルが「5千3百円で買えるよ」と締めくくってあった。思い出すなあ、家族そろってケンタッキーフライドチキンでクリスマスをしたの。おいしかった・・・

値段10倍で満足感も10倍?

11月13日。まぶしいくらいにからっとした晴天。カレシがまず目を覚まして、「今日は配管屋が来る日だ」。次にワタシが目を覚まして、「午後4時までの仕事がある」。ついでに今日はカレシの英語教室の日というわけで、二人ともぐずぐずせずにぱっと起床。午前11時半のこと。

午後、配管屋が乳化した部品を持って来た。ゲートの外から「インタコムを鳴らしたけど返事がない」と電話。あらまあ。玄関から5、6メートル離れたゲートハウスにつけたカメラ付きのインタコムはときどきご機嫌ななめの「むっすりモード」になるから困る。トイレにこもっていたカレシに「来たよ~」と声をかけて、ゲートを開けに玄関から飛び出した。こんなときにはほんとに携帯さまさま。

カレシがシャベルで切断した給水パイプを切り取って、新しいT字型の継ぎ手を取り付けておわり。所要時間1時間15分と部品6個で税込み150ドルちょっと。労賃の方は1時間あたり110ドルになっている。もっとも、会社に所属しているからそれが「時給」ではないけど、配管工や電気工はかなり高収入なのだ。景気が悪くても修理しなければならないものは修理しなければならないから、高学歴のホワイトカラー職よりよっぽど安定しているといえそう。年収が1千万円以上というベテランも珍しくないそうな。たしかに、庭の泥んこのパイプを修理したり、詰まった排水管を掃除したりの、いわば「3K」なんだけど、結婚相手の「条件」としてはよさそうなんじゃないかなあと思うけど・・・。

トイレと入れば、カレシはこのところ消化器系統の調子が悪いと言ってトイレにこもってばかりいる。ぐちぐち、くだくだと続くから、「ドクターに相談したら」といっても、「うん。でもさぁ・・・」という返事が返って来るばかりだから、おなかにやさしそうなメニューを考えるだけ。あとはまあ、ひどくなるか、愚痴で対処しきれなくなったら自発的にドクターに行くでしょ、ってことで、成り行きを静観。(カレシのように何を提案しても「うん、でもさぁ(Yeah, but)」という天邪鬼のことを「Mr./Ms. Yeabut」と言うんだけど、行き過ぎれば「否定的(受動攻撃性)人格障害」の範疇に入ってしまう少々やっかいな性格だから要注意。)おなかのこのあたりが痛い、あのあたりが痛いとさわいでいたかと思うと、ネットで調べまくって「オレ、胃潰瘍かも」と言い出す。(おいおい、胃潰瘍だと思うなら、はよ医者へ行けっつうの。)「ま、気にするとよけいストレスになるから」とか何とか言いながら、落ち葉掃きに出て行ったと思うと、入って来るなり、「やっぱりストレスが原因だった」と自己診断。「運動不足はよくないなあ」とのたまうから、ワタシは笑い出したいのをこらえるのに必死で、なんかパチンと弾けてしまいそう。けさ方の大風で、家の周りは落ち葉だらけ。おなかのためにも、がんばってね。

きのうお高いチキンの話を書いたら、今日は読売に「1杯3000円のラーメン」の話が載っていた。えっ、ゼロがひとつよけいだ・・・と思ったら、やっぱりゼロが3つある。新宿で食べたラーメンは300円だった。昔ながらのラーメンらしいラーメンの味で感激したんだけど、10倍の値段のラーメンは10倍おいしくて、10倍も感動的なんだろうか。作る人は強い「こだわり」で作っていることはわかる。でも、食べるほうにも「こだわり」があるはず。300円のラーメンで幸せな気分になったのは、それが「夢に見た味」だったから。人間の価値観に基づく期待感は多様だから、「このラーメン、3000円もするのに・・・」という人もいれば、「さすが3000円もするラーメンだけあって・・・」という人もいるだろう。「3000円もする高級ラーメン」を食べたから満足という人はそれなりに幸せを感じたんだろう。でもなあ、庶民の食べ物がこんなすごい値段の「高級品」になったらどれくらいの違いがあるのか、一度は試してみたい気はあるけど、「う~ん、何かいまいち・・・」なんてことになったら、「オレがこんなにこだわって作っているのに、その味がわからないのか」と一喝されそうな気もする。こだわるのは人それぞれだから、好きなだけこだわってもらって一向にかまわないんだけど、ワタシには300円のラーメンのほうが「食べて幸せな気持になる味」ということもあるからなあ・・・

今日は夕食が早かったから、もう腹ペコ。ランチはお気に入りのインスタントラーメンにしようかなあ。

なかよく半分こする?

11月14日。午前11時に目覚まし。そうか、今日はカレシが元の前の職場のOB会に出かける日だった。退職する前にいた職場は州の「財務省消費税務局」とでもいうところ。BC州で買い物をしたら7%取られる「セールスタックス」の監査をやっていた。毎年他の州への出張監査があって、4人くらいのチームで1ヵ月出張していた。家に帰れるのは真ん中の週末だけで、同じホテルに泊って、朝食と夕食を共にし、帰れない週末は一緒に時間を潰したりの、いわば「同じ釜の飯を食った仲間」。カレシが同じ省の証券取引委員会に転職したのは21年前で、大半はもう引退して年金生活だけど、今もこうしてときどき昼食会に集まっては昔話に花を咲かせている。

カレシが朝食抜きなので、ワタシはまた眠ってしまって、正午を回った頃に起き出したら、テーブルに一人分の食器をセットして、ジュースも注いであったし、コーヒーメーカーはスイッチを入れるだけにしておいてくれていた。郵便受けに入っていたカタログをめくりながら、のんびり朝食。たまのおひとり様もいいもんだ、と思いきや、ふむ、なんだかちょっともの足りない。だって、365日で33年と半年・・・長期出張のとき、ワタシが一人で日本に行ったときや病気のときを差し引いても、二人いっしょの朝食はゆうに1万回を超えているはずだもんなあ。カレシが新聞を読みながら食べていて、ワタシの顔を見ようともしなかった時も10年くらいはあるけど、それでもテーブルをはさんでカレシと向き合って来た。

二人そろって出勤する前のあわただしかった朝食風景もなつかしい。考えてみると、共働き歴も30年を超えているなあ。そのうちの20年以上はワタシがひとりで家事をやっていた。カレシがイライラしているときに手を抜くと怒鳴られたっけなあ。手伝ってくれたのはお客がいるときだけだった。そのときの甲斐甲斐しさときたら。日本人のお客に「やさしいだんな様なのねえ」と羨ましがられて、返事に困窮したワタシ。「結婚は二人いて初めて成り立つもの」と共同参画制になって数年だけど、よ~く考えてみたら、分担について話し合ったことがない。カレシもけっこうがんばって「家庭運営」に参加しているけど、みんななんとなく、いつのまにか・・・。一番時間と労力がいる「掃除」を外注にしているせいもあるかもしれないけど、あんがい、「なんとなく、いつのまにか」方式で分担ができあがったら、それぞれやる人の裁量に任せておくのが効果的なのかもね。どっちの方が多く稼ぐか、忙しいかなんてことは、この際横においておいて、ちょっとくらい手抜きでもケチはつけない。自分もいっしょになって手抜きをする、と。

小町にはよく共働き夫婦の家事分担問題が登場する。結婚前に話し合ったはずなのに、分担を決めたはずなのに、相手がやってくれない。だけど、どうも「杓子定規」な分担にこだわりすぎているような観がある。共働きなら家事も折半。収入が6対4だから、家事もワタシ6割、あなた4割。ワタシの方が収入が多いんだから、少ない方にもっと家事を負担してもらわないと不公平。家事の項目を列挙して、これはあなた、これはワタシ。で、ワタシはちゃんと分担どおりにやっているのに、あなたはやってない、やってもいい加減、もうストレスが限界・・・。そんな構図が見えて来るんだけど、う~ん、家庭は学校の教室掃除の当番や給食当番とは違うから、いつもまんべんなく公平にってわけには行かないのだ。何でも手のすいている方がやるという手もあるけど、ここでも「損したくない」思考が前に出てきたら挫折は避けられないだろうなあ。あんがい、ボタンをかけ違えたような「平等意識」が「損はしたくない」主義の根底にあるのかもしれないけど、「家庭」は夫婦二人が基本単位だから、きっちり二分は離婚の時でもなければ無理かもなあ・・・

カレシは3時を回った頃にイアンに送られて帰ってきた。イアンが持ってきてくれたのは3人の孫の写真。うわっ、かわいい~!モントリオールに住む息子のロバートの長男はアンドレアス君。アーニャの双子はマテオ君とジュリアン君。こっちは二卵性双生児なので、マテオ君はフィリピン系のパパに似て、アジア系の丸顔に黒い髪、ジュリアン君は東欧系のママに似て、西洋系の顔に茶色の髪と、みごとに分かれたけと、けど、なぜかジュリアン君のほうが浅黒い肌をしているから、混血って不思議なものだ。3人とも抱き上げてムフフ~っと頬ずりしたくなるくらいにかわいい!バーバラはおばあちゃん業にフル活動で多忙らしいだけど、まだ出番のないおじいちゃんのイアンだって分厚いポケットアルバムの孫の写真を見せる表情はまんざらではなさそうな「おじじバカ」。うん、成長が楽しみ・・・

政治参加は疲れるよ

11月15日。早いなあ、11月がもう半分終わってしまった。今月はカレンダーに赤線で消した納期のマークがずらり。今週は2つも3つも重なった日がある。今日、あす、あさっても全部で5つ。忙しいのとだらけたい気分にはさまれて、なんかくたびている土曜日。来週は少し休めるかなあ・・・。

朝食が終わって、だらんとしている間、カレシは運動がてら庭の落ち葉掃き。今月から新方式?で今日はディナーにお出かけの日。はて、今日は15日。市長と市議会の選挙の日。二度出かけるのはめんどうだからと、早めに家を出て、まず投票。選挙区の候補者1人に投票すればいい連邦議会や州議会の選挙と違って、市町村選挙はややこしい。バンクーバーでは市長1人と市会議員10人の他に教育委員会9人、公園委員会7人の選挙と、今後3年の資金調達計画の賛否を問う住民投票がある。

投票所でくれる投票用紙はA4版くらいの大きな紙で、表が選挙、裏が住民投票。フォルダーのようなカバーに挟んである。連邦選挙のときには投票用の囲いが段ボール1個だったけど、今回は十何個もあって、椅子がおいてある。なにしろ、印刷してある候補者の名前の横の○をフェルトペンで、市議会は10人だから10個、教育委員会は9個、公園委員会は7個埋めなければならない。多すぎたら無効票だから、半分くらいのところで上から数えなおして、あと何個。それが終わったら、投票用紙を裏返して、今度は資金計画の内容を読まなければならない。今回は3つの提案があって、何がいくらと書いてあるから、ひと通り読んでイエスかノーの○を埋める。だから投票するのに「椅子」がいるというわけ。

カレシは市長は白紙にしたそうな。右派と左派と2つある会派の候補はどっちも気に食わないんだそうだけど、市長候補は15人もいたんだから、いっそヌードガーデン党(パーティ)の候補に入れたらよかったのにねえ。で、市議会は右と左と5人ずつ、教育委員会と公園委員会は右左同じ数に無所属1人ってぐあいに・・・。投票が終わってカバーにはさんだ用紙を「投票機」のところに持っていくと、係の人が突き出している上の部分をスロットに差し込む。投票用紙はスルッと機械に吸い込まれて終わり。機械が読み取るから即集計で、ディナーが終わって帰って来た頃にはもう結果が決まっていた。

2つの左派グループの共同戦線が市長も市議会も大勝して返り咲き。右派はほぼ壊滅。予想されてはいたけど、オリンピック選手村を建設中の民間開発業者に1億ドルもの資金援助をこっそり決めたのが災いしたんだろうなあ。投票区ごとの結果を地図で見ると、右派と左派が、バンクーバーに昔からあるウェストサイド、イーストサイドの境界線に沿って市をみごと二分している。左派一色のダウンタウンで一区だけ右派なのは高級コンドが建ち並ぶイェールタウンだけ。これがバンクーバー市の政治地図。さて、新市長はオーガニックジュースの会社の社長。若い起業家で、ハンサムではあるけど、なんだか作りものっぽい、いわゆる「プラスチック」な感じがしないでもない。まあ、オリンピックで旗を振るときはテレビ映りがいいかもしれないけど・・・。