リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

時間の大きな流れって振り子のようなもんだね

2022年09月30日 | 日々の風の吹くまま
9月29日(木曜日)。🌫☁⛅🌤。朝霧だ。まだ濃くはないけど、間違いなく霧。そういう季節になったと言うことだねえ。ランチのしたくを始める頃にはすっかり霧が晴れて、青空と白い雲を背景に、楽しそうに大きな円を描いて飛んでいるつがいらしい2羽のハクトウワシ。フレーザー川を遡上して来るサケを狙っているのか、それとも下流の方に偵察に来たのか、羽根を広げると2メートル以上もある大きな鳥なので、大空を悠然と滑空する光景はまさに威風堂々。うん、秋だもんね。

カレシはラップトップとヘッドフォンの間のブルートゥースの接続が不具合続きで、久しぶりにレッスンの予定が入っていない今日丸1日をかけてでも解決すると、何となく悲壮な雰囲気。充電できなくなったままの携帯は、当面はすぐに買い替えるよりも電池を取り替えて使うつもりで入るらしいけど、何しろ「先延ばしの名人」だから、いつになることやら。すぐに電池がなくなると愚痴り始めた頃に早めに買い替えた方がいいと言ったら、そのときの応答が「いや、まだ大丈夫」と(いつもの)「まずは拒否」で来たので、ワタシはそれっきり何も言わずに放置。ワタシはワイヤレスのキーボードとマウス以外はブルートゥースを使わず、ヘッドフォンは直につないでいるので、カレシはあれこれ質問したくてもワタシからは「わかんなぁ~い」の答しか返って来ないので、ランチの頃には諦めてくれたらしい。ほんと、パーソナライズとかカスタマイズとか「お好きなように」が主流になってからは互いにヘルプし合えなくなってしまった気がするな。便利さを追求すればするほど不便さが増えるというのはテクノロジー時代の皮肉。シンプルに勝るものはないのに、どうして何もかも必要以上に複雑にしたがるんだろうなあ。オレってすごいとどや顔したいのかもしれないけど、そこに至るまでのストレスはけっこう寿命を縮めているんじゃないかなあ。

と言うことで、カレシが「問題の自主解決」に没頭している間、ワタシはヘッドフォンをかけてロックを聞きながら、クロスワードをしたり、小町を散策したり、本を読んだりと、自分の時間をノンストップで堪能。カレシがずっと前に焼いてくれたCDをMP3ファイルに変換してくれたおかげで、ヘッドフォンをPCにつないだままにしてあるので、ニュースやユーチューブの動画の音声をいつでも聞けるようになったのはめっけもの。長いこと内紛で何かごたごたしていたカナダ保守党がやっと新しい党首(ピエール・ボーリーヴ)を選んだと思ったら、最近の世論調査で現首相のトルドー君を抜いて首相に最もふさわしい人に選ばれたそうで、カナダでも政治の潮目が変わる兆候なのかな。生後すぐにフランス系の夫婦に養子としてもらわれたからフランス語名前だけど、生まれは保守の温床アルバータ州のカルガリーで、トルドー君の政権の前に9年続いた実務派のハーパー保守党政権で閣僚を経験しているから、「デキる」という印象を持たれたんだろうな。イタリアでは極右と言われる新政権が発足したし、スウェーデンでも先日の選挙で右派が大躍進したみたいだし、その前はフランスのマクロンが極右のルペンを相手に苦戦したし、世界的に政治の潮流が右へシフトしつつのを感じる。どこでも保守への回帰を押しているのが若い世代なのは、本質的に「反体制」の彼らが「体制」化した革新政権に反旗を翻しているということらしい。おもしろくなって来たな。

今日はファーマーズマーケットの日。先週はケイラが家族で体調を崩してマーケットを休んだので2週間ぶり。いつものように長い行列ができていて、ケイラは助っ人のお父さんと一緒にてんてこまい。元気そうでよかったぁと言ったら、「子供が学校から持って来たの。大したことがなくて助かったわ」。あ、コロナだったんだ。それじゃあマーケットに来れないよね。ワタシも先週風邪を引いてコロナの方が楽だったかもと思うくらいひどい目に遭ったのよと言ったら、「そうみたいね。コロナだと思って病院に行ったら風邪だから帰って寝ていなさいと言われた人がいるわよ」。はあ、そうなんだ。ただの風邪でこんなんだったら、インフルエンザはもっと怖いかもねと言ったら、後ろに並んでいたおばあちゃんが「私はもう予防注射の予約をしたのよ」。わ、そうなんだ。「お互いに大事にしないとね」。ほんとにそうだよねえ。こんな束の間の会話が楽しいファーマーズマーケットもあと5回でおしまい。小さな赤い栗かぼちゃ、どうやって食べようかなあ。


かぼちゃ、なす、ズッキーニ、ジャガイモ、レタス、ラディッシュ


インフルエンザがリベンジをしかけて来るらしいけど

2022年09月29日 | 日々の風の吹くまま
9月28日(水曜日)。☁⛅☁。週中のこぶの日。青空がのぞいていたりするけど、おおむね曇り空。今日はちょっと雨が降るという予報がおとといくらいまで出ていたので、期待していたのに全然その気配がないじゃん。(午後遅くに夕方にルーフデッキがちょっとだけ水玉模様になったけど、ほんの10分かそこいらのことで、そんなの「雨」の部類に入らないじゃないの。)ほんとに、メトロバンクーバーの天気予報ほど当たらないものはないって感じだけど、山あり平地あり川あり海ありという複雑な地形で微気候がごちゃごちゃしているために、天気の動きを正確に予測するのが難しいんだそうな。まあ、東の端(内陸平地)と西の端(海)の気温の差も、夏は東高西低、冬は西高東低でかなりの開きがあるしね。新しい「雨」の予報は再来週の月曜日で、感謝祭。三連休を狙って雨なんて、マザーネイチャーも人が悪いねえ。

きのう、ヴィクターのお父さんにこの冬はインフルエンザ(と風邪)が暴れそうだと言っていたら、BC州の保健衛生局長の(コロナ関連の)定例記者会見で、秋から冬にかけての「呼吸器疾患シーズン」について、コロナは下火になっているものの、この冬はインフルエンザがコロナ以上の猛威を振るいそうとの予測で、さらに季節的に屋内で過ごすことが増えてコロナもやや増える可能性を踏まえた上で、十分な病床の確保を図っているとのこと。まあ、この2年はコロナの陰で脇役に甘んじて来たわけで、コロナが息切れして来たところで、やっと我々の出番が来たと張り切っているってことだろうな。一般市民のインフルエンザワクチンの接種は再来週の連休明けに始まるそうで、今年は生後6ヵ月以上を対象に誰でも無料、さらに65歳以上の場合は高用量ワクチンを無料で受けられるようにするという話。インフルエンザワクチンと同時にコロナのオミクロン株ブースターも受けられるそうだけど、ブースターは前回の接種から6ヵ月後ということなので、6月初めに4回目を接種した私たちに通知が来るのは12月初めかな。だったら、インフルエンザワクチンの方をさっさと受けてしまうのが最善の策だと思うけど、はて、安全性を考えたら、この風邪の後始末を付けてからの方がいいかな。


自分の身の安全は自分で考えて積極的に動かないと守り切れないってことだけど、世紀が変わってからというもの、「それにはアプリがあるから大丈夫」というテクノロジーの甘いささやきに載せられたミレニアル族が自分の安全は誰かが守るものだと思ってしまっている節があるけど、先日そんな風潮にスポットを当てるようなローカルニュースがあって、なるほどなあ。世界のどこの誰とでも仮想の空間で瞬時に接触できるソーシャルメディアの技術が生んだヒットビジネスのひとつがマーケットプレイスで、互いに知らない売り手と買い手をオンラインで引き合わせる、いわばマッチングサービス。最近バンクーバーでは、その取引の引き渡しで売り手が現れた買い手に襲われて売り物を奪われる事件が相次いだそうで、一計を案じたバンクーバー市警察が「安全な取引は警察署でどうぞ」。確かに警察本部の外やロビーほど安全なところはないな。照明は煌々と明るいし、セキュリティカメラがいつも見ているし、バンクーバー市警察は角にあって人通りが多いから、逃げるのも大変で、悪い奴には近寄りがたいはず。

それでも、「安全なのがあたりまえ」という思考は何とかした方がいいんじゃないかという気がする。自分の安全は自分で守ると言っても、必ずしも誰でも何でも頭から信用するな、疑ってかかれ、理解できないものは避けろということじゃなくて、突き詰めて行けば、自分自身の直感や判断力を「どこまで信頼できるか」というところに行き着くんであって、それが「自信」というものの本質なんだと思うし、本当の意味での自己責任感じゃないかと思う。で、安全があたりまえの環境で育った世代が遭遇したのがコロナと言う大危機で、アメリカのある大学医学部の研究では、コロナで日常のリズムのかく乱や行動制限による社会的孤立が長引いた結果、若い成人たちはより不機嫌になって、よりストレスに弱く、さらにより非協力的で人間不信が強まり、自制心と責任感が低下したという結果が出たそうな。まあ、若い世代はまだ自分の人生を十分に生きて来てないんだから、それが一時的な変化なのか、持続的なものなのかはまだわからないとしても、これもコロナの(精神的な)後遺症なんだろうな。


決まり切った日常の買い物を楽しくするには

2022年09月28日 | 日々の風の吹くまま
9月27日(火曜日)。🌤☀⛅。起きてみて、お、ほぼ99.5%くらいかな。カレシが水やりしている間に、PCとデスクランプのプラグを瀕死のUPSから抜いて、きのう引き取って来てさっそく充電していた新しいUPSに移動。新しいのは無停電電源コンセント4つとサージプロテクター2つの6口で縦型。やたらと重くて場所を取っていた旧型(8口)と比べるとコンパクトですごぉく軽い。一段下の棚に置いたら、L字型に並べたデスクの端に置いていた書類バスケットも一緒にぴったり収まったので、棚を占領して2段の書類トレーを上に移して、あは、ついでにデスク周りを整理整頓しちゃった。(デスクの上は変わりがない感じだけど。)



メトロバンクーバーでまたぞろガソリン価格が跳ね上がってひと騒ぎ。何でも国境の向こうのワシントン州の製油所が5年に1度の定期点検で稼働を停止して、さらに南のカリフォルニア州でも停止している製油所が4ヵ所もあるとかで、供給が需要に追い付かなくなったせいだと言う話。ちょうど1ヵ月前に給油したときはリットル190円で(運よく)底だったけど、今日は窓から見える(なぜか朝が高くて深夜になると下がる)スタンドで234円で、高い、高いと騒いでいたときの価格に戻った感じ。ラジオのニュースでは240円なんてところもあったそうで、北米でガソリン代が一番高い都市という、あんまり自慢にならない記録を樹立したとか。感謝祭の三連休まであと2週間なんだけど、この後どこまで上がるんだろうな。まあ、我が家のエコーは190円のガソリンがまだほぼ満タンに近いので、給油が必要になりそうなクリスマスあたりまでには、供給問題が解決して値下がりしているんじゃないかと思うけどね。

風邪でぐずぐずしている間に冷蔵庫が空っぽになってしまったので、今日はしっかり買い出し。スーパーのボーナスポイントのサイクルが木曜日~水曜日の1週間だから、最近は買い出し(ボーナスポイントをゲット)1回、必需品の買い足し(+ポイントで買えるもの)1回というパターンになっていて、ボーナスポイントが付く最低額1万7千円をぎりぎり超える額でボーナスポイントをもらおうという、勝手なゲームを楽しんでいるけど、肉類をヴィクターのところで買うようになってからはちょっとした戦略が必要。まあ、買い足しは1日か2日でなくなるものに徹して、それ以上持つものは買い出しリスト行き。買い足しの時に常備品がセールになっているのを見たら、いつまで(普通は水曜日が最終日)かを商品棚の値札の隅っこの小さな日付でチェックして、買い出しまで待てるものはパス。スーパーのチラシはずっと昔からチェックしたこがないけど、買うものがほとんど決まっているからめんどうくさいだけ。それで、品物を棚から取るたびに、量り売りの野菜類は売り場にある秤で、それぞれ値段をチェックして携帯の計算機アプリで累計して行って、必需品を全部買ってもボーナスポイントの額に足りないときは、買い置きできるものを追加。手間暇がかかるから忙しい人たちには無理だろうけど、リタイア暮らしは幸いその時間がたっぷり。と言うことで、今日は最後に断食の日に飲むハーブドリンクを2本足して最低額プラス100円。やった、新記録。もっとも、インフレのせいか最近はくれるポイントの数がめっきり減ったけど、ポイントで買えるものがあんまりないから別にぃ~と言う感じ。

それでも気を良くしたその足で重たいトロリーを引っ張ってヴィクターの店へ。カレシもワタシも年を取って食べる量が減って、特に肉類はちょっと大きめ1人前パックで2人前になって肉類の出費が半減したので、その分で値段の高い上質の肉にグレードアップしようということになったのがそもそもの始まりだけど、ヴィクターの店のは、値段はそんなに高くないのに格段に質がいいし、地産地消でいつも新鮮だし、ケースの中から選んだのをその場で包んでくれるから、安心感があっていい。日本だったら「何とも昭和な~」という感じかな。今日はヴィクターが配達に出ていたので、ソーセージを詰めていたお父さんと、風邪を引いちゃってコロナよりひどい目に遭った話から、この冬は2年もわき役になっていた普通の風邪とインフルエンザが暴れるんじゃないかと言う話。その間にこにことひとつひとつ注文を聞いてくれたのは、最近入った18歳くらいの店員さん。ウクライナからの避難民らしくて、英語がおぼつかないときがあるけど、一生懸命さが伝わって来る。お父さんがウクライナ語で助け舟を出したときは、真剣そのものの顔があまりにもかわいくて、ワタシはつい胸がキュン。がんばれよぉ。おばあちゃんが応援してるからねっ。


野生動物も人間さまもキカイも・・・

2022年09月27日 | 日々の風の吹くまま
9月26日(月曜日)。☀🌤☀。夏。夜中に席で目が覚めるのは1、2回になって、だんだん良く眠れるようになって、風邪ウィルス一掃へまた一歩前進というところ。きのうは掃除だの何だのとけっこうちょこまか動き回ったけど、夜になってもへたれなかったから、回復基調は間違いなしで、やれやれ。ウォーキングを再開して、時間は計らなかったけど、それほどペースは落ちていない感じ。ただ、速足になると横隔膜が揺すられるせいか、しょっちゅう深い咳が出るもので、していたマスクはぐちょぐちょ。

帰って来て、カレシはドイツのエスターとのレッスン。最近夜に車を運転していて小鹿と衝突して、未だにショックなんだって。野生動物はヘッドライトに凍り付いて近づく車の前で止まってしまうからやっかい。すぐに警察が来て死骸を処理してくれたそうだけど、大人の鹿やクマでなくて良かったね。日本でも北海道ではクマ、本州ではイノシシが都会に出没したり、海水浴場でイルカが人に噛みついたりするそうだし、ニュージーランドの首都では野生化した巨大なブタが暴れているそうだし、何だかなあ。そういえば、我が家からすぐ近くのムーディ公園で、つい最近早朝にスカンクとコヨーテのにらみ合いに出くわしてスマホで動画を撮った人がいたっけ。スカンクがピンと尻尾を上げたところでコヨーテが退散して終わっていたけど、ウォーキング中の私たちの前をコヨーテが堂々と横切ったこともあったな。人間世界ではムラムラしての無差別襲撃事件が相次いでいるけど、動物の世界でも何か異変が起きているのかな。コロナによる「引きこもり」で都会でも人間が姿が減ったことで、野生動物が大胆になって活動範囲を広げたと言う説もあるけど、危ない、危ない。

ランチは冷凍しておいたスーパーの海老天を温めて熱々の天ぷらそばにして、スープにはふっくらしたしいたけをたくさん。しいたけには免疫機能を高める効果があるそうだから、風邪ウィルス掃討作戦のひと押し。ま、おいしいものでなかがいっぱいになると自然に元気が出るけどね。午後はのんびりの時間。FBを見ていたら、ヴィクターの店が「14分前後でバンクーバーのウクライナ人コミュニティの活動が報道されている」と(ウクライナ語で)投稿されたカナダ放送協会(CBC)の全国ニュースをシェアしていて、我が家から見えるウクライナ人カトリック教会の神父さんが避難してきた人たちの支援をしている様子に続いて、あは、ヴィクターの店で、ヴィクターが「住民投票はまやかしです。ウクライナは過去も現在も未来も自由な独立国ウクライナなのです」と言って、最後にウクライナからカナダに来て間もない画家が「ウクライナ人は祖国を守ろうとしている。それよりも理由もわからないまま先頭に駆り出されて死んで行くロシアの若者たち方が気の毒だ」。その通りだよね。飛行機は満席で、国境には16キロもの車の列。でも、特に多忙を極めているのが小型ジェット機のチャータービジネスだそうな。富裕層の人たちだけでなく、ハイテク企業までがチャーターして「手放せない」社員たちをロシア国外に移しているそうで、頭脳流出を心配する声もあるらしい。政府高官の息子たちもすたこらさっさと脱出しているそうだし、貧乏くじを引くのはロシアから出る術を持たない階層の若者たち。CCRの『Fortunate Son』を聞かせてあげたいね。

ちょっとやりきれない気分で立ち上がったら、あれ、デスクの下の棚で赤いライトがピコピコと点滅。ああ、とうとうUPS(無停電電源装置)の新調が待ったなし。実は1ヵ月くらい前から赤と緑のライトがゆっくりと交互に点滅し始めていたので、現役の頃から使っていてその間に2、3度は停電があったから、文句なしで買い替え時だということはわかっていたんだけど、極楽とんぼを決め込んでいるうちにUPSがしびれを切らしてSOSを発信というところ。さっそくネットで調べたら、小型の家電やPC関連の付属品の調達に重宝している道路向かいのLondon Drugsに今のワタシにはぴったりの手ごろなサイズのが1個だけ在庫があったので、その場で送料なしの「店頭渡し」でオンライン注文して支払い。この方法だと、指定した店で用意ができたら「取りに来てください」とメールで知らせてくれるので、マンションを出て道路を渡るだけの近さもあって便利至極。ちなみに、チェーンなので最寄りの「マイストア」を指定しておくと、その店の在庫がわかるからなお便利。その店まで徒歩1分なんだから、もう言うことなし。メールが来たら飛んで行って引き取って来ようっと。


チキンスープで元気もりもり

2022年09月26日 | 日々の風の吹くまま
9月25日(日曜日)。☀☀。ちょっぴり夏っぽい空模様。朝から思いのほか元気いっぱいの感じで、まだ咳は出るけど、あまり深くないし、だんだん間遠になって来たし、鼻詰まりもほとんどなくなって、気分がすっきり。悪質な風邪ウィルスへの総反撃が成功して、まあ、95%回復というところで、後戻りなしでこのままなら、あと2日もすれば100%だな。カレシの弟のジムから「じゃあ来週木曜日に」という遅ればせのバースデイランチの予定確認が来たので、いいタイミング。ジムとドナの他に娘のセーラと娘婿のロブも来ると言うので楽しみ。何はともあれチキンスープ用に冷蔵庫で解凍していた鶏ももを出しておいて、朝ご飯。

日曜日は掃除の日だから、まずダスターをかけて、ここで鍋に水と鶏肉とニンニクを入れて火にかけて、一緒に入れる野菜を用意しておいて、箒で掃除。次に、ときどき鍋の灰汁取りに走りながら掃除機をかけ、茹った鶏を鍋から取り出しておいて、灰汁と泡を取った出汁にチキンブロスを足して、適当に切った野菜(玉ねぎ、にんじん、ピーマン、ヘッジホッグきのこ、ベイリーフ)とファロ(スペルト小麦)を入れて、ぐつぐつ煮えている間にモップかけ。最後にひと口サイズにちぎった鶏肉とルーフデッキから採って来たパセリを刻んだのを入れて仕上げ。後はごみをまとめて、掃除機の集塵ボックスを掃除して、キッチンのごみ箱にゴミ袋をセットしたら、スープの味を調えて、さあ、ランチの時間。フリーザーにあった晩ご飯用の鶏肉を全部入れたので、スープとは言え晩ご飯並みのボリュームだけど、回復促進のためにはこれくらい食べなくちゃ。ほぼ即興レシピだったけど、熱々のチキンスープにカレシは「うまい」の連発。うん、ほんとにおいしくできたっ。これから熱いスープがうれしい季節。また作ろうっと。





午後になって、カレシに今日は金曜日からまた中断していたウォーキングを再開するための足慣らしのつもりで一緒に買い物に行こうと提案。切らしたものだけ買うつもりだけど、買い物リストには朝ご飯用のバナナの他にオレンジジュースと牛乳、カレシが飲む砂糖無添加のアップルジュース、レモン果汁と液体ものが多くて重いし、トイレットペーパーはダブルサイズの12ロールパックだから嵩張るので、運ぶのを手伝ってくれる「手」が必要。何となくだらけ気分だったらしいカレシがふたつ返事で賛成してくれたので、2時過ぎにショッピングトロリーを引いて、連れだってスーパーへ。外はちょっと暑いけど、免疫機能が回復しきっていないだろうからと、道路に出てもマスクはしたまま。店の中でも最近はマスクをしている買い物客がめっきり減って、スタッフもいつの間にか半分はマスクなし。職場でのコロナ対策を担当していた労災保険局もマスク着用義務を撤回したのかもしれないな。カレシが野菜売り場をチェックしている間にリストにあるものをさっと集めて、買い物終了。カレシは「けっこう重いなあ」と言いながらトロリーを引っ張り、ワタシはトイレットペーパーのパックをむぎゅっと抱えて、のんびりウォーキング。カレシの携帯が壊れてから、何かこういう2人の時間が増えたような気がするね。

夜のレッスンでタイの生徒と話していたカレシ、終わって一番に「彼女のロシア人の友だちがタイに行けるかどうか聞いて来たんだって」。ははあ、徴兵逃れね。「ロシアではみんなどうやって脱出しようかと必死なんだってさ」。そうだろうねえ、予備役の動員が発表されたと単にロシア発の飛行機のチケットが売り切れたそうだし、空席があっても何倍にも値上がりしたそうだし、はてはネットの検索に「痛い思いをせずに腕の骨を折る方法」が溢れたそうだし、ロシアの(おそらく高学歴で中流の)若者たちも「戦争」や「死」が急に身近に迫って来て初めて冗談じゃないと慌てたという言うところかな。当のプッチンは前線で投降して捕虜になったら刑務所行きとする法律を作ったそうだけど、そうなるとわかっていたからだろうな。うがった見方をすれば、すまし顔で動員に応じてウクライナに(旅費はただで)行かせてもらって、最初に出会った「敵軍」に(武器や装備ごと)あっさり捕虜にしてもらって、そこからロシアに送還されると刑務所行きだからと難民申請してどこか安全なところに行こうと考える人が出て来ないとは言えないな。EUでは動員忌避のロシア人を難民として受け入れるべきかどうかの論議が起こっているし、ドイツは受け入れに傾いているのに対して、バルト三国は早々と受け入れ拒否を決めたようだし、何ともはや・・・。


風邪には大食、熱には小食はまちがいだって

2022年09月25日 | 日々の風の吹くまま
9月24日(土曜日)。☀🌤。朝日がまぶしい。ゆうべは咳も少なくて、かなりよく眠れた気分。きのうはウォーキングを休んで、ひたすら休養に務めていたんだけど、夜の9時を過ぎたあたりになって、もろにガス欠の状態。前の夜に咳がひどくてあまり眠れなかったせいだと思うけど、あくび連発で頭はもやっとして来るしで、どうしても座っていられなくなって、とうとう10時前にソファにバタン。そのまま11時までうとうとしたけど、何とも経験したことのないような疲労困憊感だった。ワタシの身体がありったけのエネルギー資源を総動員して風邪ウィルスに総反撃をかけたんだろうな。寝る前の体重はいつもの朝の体重(だいたい夜の体重マイナス1キロ)に下がっていて、けさ起きて量ったら、さらに減って維持目標からマイナス1キロ。必死の風邪ウィルスと戦うにはそれなりの戦力(体力)がいるってことだね。

朝ご飯を食べながら、体重がちょっと減り過ぎたと言ったら、カレシが「今日の断食は晩ご飯だけにした方がいいかもしれないね。昔からfeed a cold, starve a feverと言うから、食べた方がいいよ」。これ、今でもよく耳にする古い格言で、「風邪には大食、熱には小食」とでも言う意味。でも、風邪をひいて高い熱が出てうんうん言うことだってあるわけで、そんなときはどうすりゃいいの?食べさせるの?食べさせないの?と迷ってしまわないのかな。ワタシの感覚としては、特に消化器系の病気じゃないなら体力をつけるために栄養のあるものを食べさせるのが真っ当に思えるけどね。そう思うとちょっと気になってしまうのがワタシで、さっそくググって見つけたのがずっと昔購読していたことがある『サイエンティフィックアメリカン』の記事。それによると、格言の起源は1574年に遡るそうで、身体がcoldの時は食べて体温を上げ、feverの時は食べるのを控えて体温を下げるということなんだけど、この「cold」の解釈が微妙。今でこそ名詞として使えば誰でも真っ先に「風邪」と解釈するけど、医学的知識の乏しい中世のことだから、ここは体が「冷えている時」(寒気がするとか?)と考えれば、feverは身体が「カッカと熱い時」で、食べ物によって体温を調節すると言う発想だったんじゃないかな。

記事によると、「現代の医学によると格言は間違っていて、feed a cold, feed a feverであるべき」なんだそうで、身体は病気と闘うのにエネルギーを必要とするから、ヘルシーな食事をするのが何よりも役に立つ。発熱は病原体を退治するための免疫機能のひとつで、体温を上げることで新陳代謝が高まって燃焼するカロリーが増える。つまり、熱が上がるにつれて代謝機能を支えるエネルギーの需要が増えるわけで、そのためにカロリーの供給量を増やすことが重要になる。要するに、風邪をひいて熱を出したら、(ヘルシーな)カロリーのあるものを食べなさいと言うこと。だけど、カロリーよりももっと重要なのは水分の摂取。熱が出ると発汗などで脱水しがちで、そうなると粘液が固まってしまって鼻詰まりや咳がひどくなるなので、とにかくただただへたり込みたい気分でも、自分のお尻を叩いて水分を摂りなさい、食欲がないときでも(アルコールやカフェインのない)水分の補給だけはがんばりなさいってことね。

そこで思い浮かんで来るのが、これまた風邪の季節のジョークにしょっちゅう出て来る「チキンスープ」。遠く12世紀に哲学者で医者だったユダヤ人のマイモニデスがその著書に風邪の症状を軽減し、喘息の治療に効果があると書いたとかで、チキンスープは「ユダヤのペニシリン」と呼ばれるようになったそうで、この季節にはあちこちの料理サイトにとっておきのチキンスープのレシピがたくさん登場する。読んでいた記事も、「風邪を引いたらチキンスープを飲むといいと言うのはどうなんだろう」。それによると、チキンスープそのものには「魔法の成分」は何も入っていないけど、代謝に必要なカロリーや最も大切な水分の補給をしてくれるし、ボウルから立ち昇る湯気は乾いて硬くなった粘液を緩めるのに役に立つということで、今のように何にでも薬がある時代じゃなかった昔の人たちの知恵の賜物ということかな。何よりも、ほっかほかのおいしいスープを飲めば身体も心も温まって、自然と元気が出て来るもんね。そうだ、明日のランチにはチキンスープを作ってみようっと。


徒然なるままでも、徒然じゃなくてもクロスワードはやめられない

2022年09月24日 | 日々の風の吹くまま
9月23日(金曜日)。☁🌧☁。雨の予報で、朝からどよぉ~ん。いやぁ、ゆうべはベッドに入ってからまた咳がひどくなって、全身に全力で力を入れて咳き込むもので、うっかりすると脚が攣って痛い、痛い。咳が止まったと思っても、息をするたびにヒューヒュー、ゼイゼイ。こんなひどい風邪を引いたのは(カレシによると)イギリスでの翻訳会議の後でアイルランドに足を延ばしたとき以来。ということは2007年、つまり15年前か。うん、あのときはカレシも酷かったけど、ワタシも酷い目に遭った。アイルランドから乗り換えのトロントまでの間に鼓膜が破れそうなくらいに耳が詰まって、トロントに着いたときはキーンというだけでほとんど聞こえなくなっていたくらい。トロントからバンクーバーまではずっと耳に指を突っ込んで何とか耐えたけど、あれはほんとにきつかった。

起きてしまうと、ちょっぴり肌がざわっとした感じがあるけど、熱を測ったら37.3度でほぼ平熱だし、血中飽和酸素は98%だし、溜まる鼻水もかみやすいし、咳も深い大音量ではあるけど比較的に楽に出て来て、腹筋が起き上がり運動を100回やったくらいコチコチな以外は、あの夜通しの苦悶は何だったんだぁ?という気分。カレシは横になっている時が一番楽だったそうだけど、ワタシは全くその逆で起きて動き回っている方が楽だから、生理機能の個人差っておもしろいね。こんなんだったら、ごく軽症のコロナにかかった方がよかったんじゃないかとFBに投稿したら、さっそくケイトお姉ちゃんから「ウィスキーに蜂蜜を混ぜて飲むと効くわよぉ」とコメント。あはは、さすがはワタシが大きくなったらこんな人になりたいのと見上げているケイトお姉ちゃんだ。やってみようかな。ウィスキーの代わりにコニャックでやったら効き目はどうなんだろう、なぁ~んて。

それでも、普通の風邪は1週間から10日で治るそうなので、今日あたりでピークは過ぎたかなというところ。外は雨模様で寒そうだし、もうひと押しの休養をと言うことで、今日はウォーキングも買い物も休みということにして、ひたすらのんびり。そうなると真っ先に向かうのがニューヨークタイムズのクロスワードパズルで、アーカイブのパズルに挑戦。デジタル化されているのは1993年11月のパズルからで、何しろ年中無休で掲載されるから、そんなに遠い過去まで遡ったら、頭がくらくらするような数。それをこの3年くらいにコツコツとやって来て、今は2006年の4月。毎日その日の分を欠かさずにやるようになった2019年4月に追い付くまでに、あとまだ13年分、パズルの数にして4800個近く。まあ、アーカイブの最初から数えると1万個くらいあったパズルの半分を消化したわけで、よくがんばったじゃないの、ワタシ。でも、これは毎日のメインのパズルだけで、他に枡が5×5のミニパズル(けっこう難しかったりする)、毎月のテーマを設定したボーナスパズル、アクロスティック、そして不定期に掲載されるバラエティというのがあって、そっちにはまだ手を伸ばしていない状態。

洋の東西を問わず、どこの新聞にもその国の言語んクロスワードパズルがあるんだけど、どうしてニューヨークタイムズに固執するのか。それは何たってパズルのあちこちで微妙に効いている英語のひねりだと思う。歴代3人しかいないパズル編集長の椅子に座っているのはウィル・ショーツ。彼が若くして老練な2代目のユージン・マレスカ編集長の後を継いでからというもの、それまでの堅苦しさが取れて、ときには散々苦労した挙句に、思いがけないひねりに振り回されていたことに気づいて、ええっ。すると、中学1年になって初めて英語の教科書を見て、「世界にはこんなにも違う表現方法があったんだ」と感動したあの鼓動が蘇って来るんだよね。まあ、英語圏の人になって、母語ではない英語を国語として暮らして来たワタシにとっては、クロスワードパズルから英語を学んでいると言う感覚は皆無で、毎日使っている言語の表現力の広がりやヒントに隠された思いがけないアングルの発見が刺激的で、病みつきになったんだろうと思う。だって、地球上のどこにいたって世界は広いし、宇宙はもっと広いんだし、そもそも人生にはそれに従っていれば安泰と言うマニュアルは存在しないからね。まあ、死ぬまでに全部解けるのかと聞かれたら、はたと返答に詰まるけど、好きな時に好きなようにちょこちょこと一歩ずつ進んで、ワタシとしての最後のパズルを解いてから死ねたら本望ってところかな。趣味ってのはそんなもんじゃないかと思うけど。


悪いことはいつも海の向こうから来るってこと?

2022年09月23日 | 日々の風の吹くまま
9月22日(木曜日)。☀🌤。何度もひどく咳き込んだり、ぐずぐずの鼻をかんだりで、目が覚めてばかりだったのでたあまり熟睡感がないけど、起きてシャンと立ってみたら、きのうよりエネルギーがある感じがしないでもない。念のため、コロナの抗原検査キットを出して来て、綿棒を鼻の奥に突っ込んでぐりぐりやってチェックしたら、カレシの時と同じくはっきりと1本だけ。喉が痛くなってから1週間経って、咳と鼻水がピークというところで陰性と出たんだから、コロナじゃなくてほんとに風邪と判断してもよさそう。もう2年以上もコロナにかからないように気を付けて来たんだから、出口が見えて来た今になってかかったら冗談にもならないもんね。



ま、間違いなくただの風邪ということでほっと胸をなでおろして、きのうから再開したウォーキング。きのうは19分近かったけど、今日はまあまあ普通に近い17分25秒で、復活基調というところ。年のわりには元気がいいようで、風邪もこれ以上ひどくならずに済むんじゃないかな。カナダ政府が入国する旅行者に義務付けていたワクチン接種とArriveCanというアプリの手続きが廃止されるという観測が先週あたりから流れていたけど、ずっとしぶり続けていたトルドー君がやっとその気になったようで、9月30日を以って廃止されることになるらしい。ワクチン接種もアプリの使用も任意になるってことだけど、未接種で到着した場合は空港で無作為抽出で検査をして、陽性だったら隔離するらしい。オミクロン株はワクチンをしていても簡単に感染するようなので、意味があるのかなあと言う気もするけど、まあ、国内の旅行者と出国者はとっくにワクチン接種義務がなくなっているから、これで空港での混雑が少しは緩和されるのかな。ただし、列車や飛行機内でのマスク着用義務を廃止するかどうかはまだ検討中なんだそうで、義務が廃止になるのは少し先になるらしい。もっとも、着用義務が解除になった街中ではまだマスクをして歩いているがけっこういるから、推奨ってことにして、したい人はする、したくない人はしないでいいんじゃないかと思うね。

脱コロナの光明が見えて来てやれやれと思っていたら、日本も「水際対策」の制限を早期に解除するというニュースがあって、読んでみたら、おお、来月11日からはカナダ人もコロナ前のようにビザなしで個人旅行に行けるようになるらしい。元日本人の場合は、日本にいる家族か親戚からの「招聘状」があればビザを発給してもらえるようになっていたそうだけど、何だかめんどうくさい手続きという印象だったな。だいたいからして「外国からの脅威を阻止する」という鎖国の理屈そのもののように見えたけど、それでも最近は日本国内で毎日10万人、20万人という日本人の感染者が出ていたということは、外国人を閉め出しても意味はなかったということじゃないのかな。聞くところによると、何十年ぶりかの超円安の日本に外国から観光客を呼び込んで経済を盛り立ててもらおうというのが狙いらしいから、いわゆる水際対策は怖がり屋の国民に「やってる感」を見せるためだったのかもしれないけどね。

まあ、私たちが日本に行くとしたら早くて再来年だろうし、その頃にはコロナの記憶は薄れているんじゃないかと思うから、今のところはただの海外ニュース。そういえば、一時すわっと騒がれたサル痘はもう関心を持たれなくなってしまったけど、ゼロコロナ政策で悪戦苦闘している中国では患者第1号が発見されて「すわっ」。そこで出た感染防止の勧告と言うのが「外国人や最近海外から帰国した人との直接の肌の触れ合いを避ける」ということだったそうで、欧米のメディアでは「外国人に触るなと指示」という見出しになっていて、長いこと中国に住んでいる「外国人」も大勢いるのに、中国での外国人排斥、ひいては海外での中国人排斥につながるのではないかと言うコメントがソーシャルメディアに乗ったそうだけど、都合の悪いことは外国/外国人/異質なもののせいなんだから、そういう悪者を排除してしまえば安心という、砂場のいじめっ子の心理が見え隠れしていて、思わず笑ってしまった。何だか日本政府のいわゆる「水際対策」の発想とも深いところでつながっているような気もしたけど、ま、どっちにしても、それが人類の本質なんだろうな。


風邪のお裾分けは困るけどコロナじゃなくて良かった

2022年09月22日 | 日々の風の吹くまま
9月21日(水曜日)。☀☀。気温はまたちょっぴり上昇。でも、公式に秋が始まる秋分の日は雨の予報だから、夏を主張するのも今のうちというところ。カレシの朝一番のレッスンが終わるのを待って、今日からウォーキングを再開。丸々1週間のブランクがあるから、ペースをリセットしてやり直しのつもりでいたら、何と18分55秒。やり始めた頃の記録に近くて、ほんとにリセット。やり直しだし、カレシは病み上がりだし、折り返し点からは少しペースが速まったように感じたから、まあまあというところ。ワタシもこの3日くらいちょっと喉が痛かったけど、今は鼻がぐしゅぐしゅしている程度で、どうやらカレシがほんの少し風邪をお裾分けしてくれたらしい。我が家には(2人とも寝込んでしまうとお手上げだから)「どんなときでも病人はひとりに限る」というワタシが勝手に決めたルールがあるんだけど、平熱が高めのワタシは38度くらいでは全然ヘタレないから、今回も大丈夫そう。

それでも、今日は特に差し迫ってしなければならないこともないので、敢えてだらだら(って、何かいつもそんな感じがしないでもないけど)。カレシがワタシの大のお気に入りであるクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)のChroniclesとイーグルスのCD2枚セットをMP3ファイルに録音してくれたので、午後いっぱいのんびり。ワタシには、リラックスするには懐かしのロックのリズムが一番で、御三家はCCR、イーグルス、(カナダの)Trooper。他にクィーン、レッドツェッペリン、AC/DC、(カナダの)Chilliwack、ハート、ABBA、フォリナー。さらにはロッド・ステュワート、シンディ・ローパー、その他たくさん。もちろんサイモン&ガーファンクルもビリー・ジョエルも大好きだし、シャルル・アズナブールは英語版とフランス語版をとっかえひっかえだし、ジャック・ブレルも好き。現役での最盛期はもっぱらシアトルのクラシック専門FM局を聞いていたけど、世紀が変わってからはバンクーバー圏に60年代から70年代にかけて(最近は80年代まで)の懐かしのロックを1日中流しているラジオ局があったおかげで、ハードロックに目覚めたみたい。ワタシの思考や動きのテンポと特にドラムスのリズムがなぜかぴったり合っているからリラックスできるんだと思う。

のんびりついでに小町横丁に首を突っ込んだら、『お金持ちに見える人、貧乏に見える人』なんて言うトピック。ママ友たちから貧乏人扱いされているというママさんの「何が違うのか」と言う問いかけ。それに対して、服装、身づくろい(髪や肌の手入れ)、身振りや歩く姿勢、マナーの良し悪し、持ち物の嗜好、趣味や子供の習い事等々と、「金持ちに見える」要素が続々と出て来て、しまいには「私は贅沢をしていないのに金持ちに見られますのよ」なんて人が現れたかと思うと、「貧乏に見える方が集られないから楽よ」と言う人もいて、大賑わいの観。でも、ここでは「金持ち」の定義がないし、その対極の「貧乏」の定義もないから、詰まるところは「他者の目に映りたい自分」を演出するのに必要な「規格」を挙げて、他者にその実践を要求しているように見える。他者にしてみればよけいなお世話なんだけど、要求している方は他者を「他者」ではなくて、「鏡に映った自分」として見ているのかもしれないな。それで、すれ違っただけの全く知らない他人の見かけや行動が(なりたい)「自分像」と異なると、モヤモヤ、イライラ、ムカムカとなるのかもね。

でも、ママ友とかなまじ知っている程度の他者が「こうありたいと願っていながらそうなれないでいる自分」だったりすると、少なくとも相手は別人だという認識はあるだろうから、今度は自分に対するあてつけ、みせつけ、ひけらかしと、僻みに妬みでムカつくのかもしれない。何ともやっかいな話だけど、そのあたりが人間の人間たるところで、相手が本当の意味での友だちだったら、ちょっとは羨ましかったりするかもしれなくても、そういう敵対的な感情は持たないんじゃないかと思う。詰まるところは、自分と他者はそれぞれ別の人格という線引きができていないってことかもしれないな。ワタシとしては、お金に不自由せずに私たちなりのリタイア生活ができるだけで満足なので、「金持ち」に見てもらおうなんてめんどうくさいのひと言に尽きるから、基本的に「来る者は拒まず、去る者は追わず」を座右の銘として、いつでもどこでも素のままでWYSIWYG(見ての通り)。もっとも、Arts Clubの集まりでは私たちの何倍も資産を築き上げた本物の富裕層ばかりなので、上辺だけ真似して金持ちぶってみてもまったくの暖簾に腕押し。Arts Club支援という目的を共有している集団だからでもあるけど、まあ、金持ちけんかせずとも言うしね。

きもっ。冬眠できる場所を探して窓の外に現れたクサギカメムシ


今どきのデジタルテクノロジーはほんとにめんどくさい

2022年09月21日 | 日々の風の吹くまま
9月20日(火曜日)。☀☀。今日はちょっと気温が高め。カレシは「回復率90%」ぐらいだそうで、9時から朝のレッスン。しゃべり続けていると咳が出るけど、「風邪を引いちゃってねえ」と言うと、誰もコロナじゃないかなんて言わずにあっさりお大事にと言うそうな。ほんとにコロナの終わりが近いのかもしれないな。中国はまだそこまで行ってなさそうで、南京の大学で教えている生徒のチオンは、先月末に幼友達の結婚式で実家のある成都に行った途端にロックダウンが始まり、きのうそれが解除されてやっと南京に帰れたそうで、パートナーのケルヴィンは転職して深圳に引っ越したとたんにロックダウンされたそうだし、習近平はもう「ゼロコロナ」に意地になっていると言う感じだな。カナダは空港や国境でのコロナ関連の規制を今月末で廃止するそうで、ワクチン未接種でも入国できるようになるのにね。

スマホが使えなくなって何となく手持ちぶさたのカレシが、だいぶ前にワタシがリクエストした曲を集めて焼いてくれたCDをMP3のファイルにしてくれるというので、さっそくおねがぁ~いと4枚。ラジオのCDプレーヤーではちゃんと再生できていたんだけど、嵩張るラジオをデスクから追放してミニのCDプレーヤーを買ったら、フォーマットが合わないとかで再生不能。デスクに向かっている時はずっと市販のCDだけだったのが、カレシがいっそのことMP3ファイルにしてハードディスクにコピーすればいいじゃないかと言うので、好きなハードロックの曲を聞けないでいたワタシは渡りに舟。カレシにはかっこうの暇つぶしになったみたいで、次々とMP3ファイルに録音してSDカードに保存して渡してくれるのをPCにコピー。プレーヤーからヘッドフォンを外してPCのジャックにつないで、ファイルをクリックしたら、メディアプレーヤーで自動再生。おお、安物のプレーヤーよりもずっと音質がいいじゃないの。

ところが、何だか懐かしい気分で聞いていたら、ときたまワワワッと大音声で別の曲のような雑音が入るじゃないの。元のCDには問題がなかったはずだから、何なんだろう。SDカードの不具合か、ファイルの不具合か、はたまたメディアプレーヤーの不具合か、システムの不具合か、ヘッドフォンの不具合か。カレシが自分のCDプレーヤーでかけているのをランチの支度をしながら食べながら聞いていたけど、まったく問題なし。ランチの後でカレシがSDカードのファイルを聞いてくれたけど、まったく問題なし。念のため1枚目をファイルに録音し直してくれて、カードから再生して聞いたら雑音のあった曲に問題がなかったので、喜んでPCにコピーしてブログを書きながら、クロスワードパズルをやりながら聞いていたら、今度は最初のファイルでは問題がなかった別の曲のところでワワワッ。ああ、もう、ほんとにデジタルテクノロジーはめんどくさ。

カレシがどうしてもダメなら改めて曲をダウンロードして録音し直すよと言うので、気を取り直して晩ご飯。カレシがチオンとのレッスンを始めたので、CD4枚目のファイルをクリックして、毎日この時間にやっているようにニューヨークタイムズの今日(と言うか明日の日付)のクロスワードパズルに挑戦。週中はわりとやさしいので、ロックのリズムに乗ってちゃかちゃかとやって、15分かからずに終わった・・・というところで突如としてワワワッ。画面には「おめでとう!」の文字。あはっ、もしかして、もしかして、もしか、とパズルの設定を見たら、あはっ。「完成したらサウンド」をチェックしてあるじゃないの。つまり、高らかにおめでとうファンファーレを鳴らしてくれるってことで、PCのスピーカーはたまに使う時以外は音量をゼロにしていたので、デフォルトでオンになっていたのに気付かなかったみたい。クロスワードを閉じて聞き直してみたら、うん、まったく問題なし。なぁ~んだ。ということで、レッスンが終わったカレシに「大発見」を報告して、んっとに今どきのテクノロジーはねえと大笑い。だって、何でもかんでもポイン、ポロロン、ジャーンと音がするのって、何だか幼児のおもちゃみたいなんだもの。

今どきはもう時代遅れ?


たまには陽だまりでのんびりと

2022年09月20日 | 日々の風の吹くまま
9月19日(月曜日)。☀☀。夜の間ちょっと冷え込んだようで、5時半頃にトイレに起きたら、寝室に暖房が入っていた。朝方の最低気温が9度と言う予報を見て、慌ててフリースの毛布に替えて寝たのは正解だったな。シーツは夏物のままだから、薄手のアクリルの毛布では寒かっただろうと思う。ワタシもそろそろ衣替えをした方がいいね。週中に最高気温が27度なんて、夏の最後の足掻きみたいな予報が出ているけど、夏のTシャツを2枚ほど残しておけば十分。と言うわけで、15分で衣類の入れ替えを完了。はあ、秋が来るんだなあ・・・。

今日はカナダの君主でもあるエリザベス女王の葬儀の日。連邦政府は臨時の連邦法定休日にしたので、連邦政府管轄下の機関のお役人たちはカナダのどこにいても有給休暇。BC州は法定休日にしなかったけど、州政府関係の機関と学校は休み。一般のビジネスは有休を与えるように勧告しただけなので、ほとんどは平常通りの営業ということで、急な休校で子供を預けるところを探さなければならなくなった親たちはおかんむり。市町村のレベルで子供のための1日プログラムを用意したようだけど、やっぱり公務員と教師だけ休みというのは、庶民には納得が行かないんじゃないかな。まあ、これでひとつの「時代」が終わったわけだけど、在位70年ともなると、ほとんどの人にとって生まれてこの方ずっとエリザベス女王が君臨していたわけで、後を継いだチャールズ国王はあまり人気がないから、感慨よりも戸惑いのような感情の方が大きいかもしれないな。女王様、どうぞ安らかに。

カレシは今日もウォーキングをスキップして、午前中はもっぱらソファでうとうとしたり、本を読んだり。ワタシも衣類の入れ替えが済んだら、めったに座ることがない「ワタシの椅子」に座って、オットマンに足を投げ出して、椅子を揺すりながらスマホでニュースめぐり。いつの間にか太陽がずいぶん低くなって、リビングはすっぽり陽だまりなもので、のんびりしていたら眠くなってしまいそう。久しぶりにサレーセントラルのタワー群の後ろにベーカー山が見えているのは、アメリカ側の山林火災の煙が晴れて来たということかな。ランチの時間が近づいて、目を開けたカレシが「スープがいいなあ」。そうねえ、おなかにやさしいしねえ。でも、パントリーにあるのはキャンベルの濃縮マッシュルームスープだけなんだけど、はて、冷凍庫にだいぶ前に作ったSimply Delishのスープがあったっけ。クラムチャウダーとマッシュルームスープ。それじゃあ、マッシュルームスープを半解凍して火にかけて、シャンテレルきのこの形の崩れたのを加えて、さらにキャンベルの「マッシュルーム&ガーリック」スープの3分の1ほどと牛乳を少し。あは、けっこうグルメっぽいおいしいスープができたじゃないの。郊外の若い起業家カップルが作っているもので、基本的にヴィーガンだけど、肉や野菜を好きなように足せるし、材料全部をだんだらに詰めたチューブ1本でランチ3回分のスープができて便利至極。これから寒くなって来るから、そろそろ注文しようっと。

温かスープで元気が出たカレシは「菜園」の水遣り。後についてバルコニーに出たら、あらら、あちこちにミニトマトが転がっているじゃないの。たわわに成って熟したのが、枝から落ちて、ころころという構図で、ちょっと揺すっただけで枝から外れて落ちるから、ワタシは前に収穫したトマトが残っている水切りかごを持ち出して来て、トマト拾い。マティニの時間になって、キッチンからバルコニーの外を見たら、あら、このところ(というかわりと頻繁に)発砲事件や事故で何かと騒がしい川向こうのサレーで黒っぽい煙がもくもく。きのうもサレーで灰色の煙が立ち上っていたけど、また火事かな。ニューウェストミンスターのど真ん中の一番高い丘に突っ立っているマンションの高層階なもので、周りの6つの市のどこかで火事があると煙が見えるから、つい野次馬になってしまう。さて、収穫したてのかわいいトマト、今日もサラダにして食べようね。食べ残した1個のトマトから育ったのが、外にはまだまだたっくさんあるんだから。



いろんな言語をかじるのは楽しいもんだ

2022年09月19日 | 日々の風の吹くまま
9月18日(日曜日)。🌤☀。起床8時。カレシの風邪は一進半退というところで、ときどき咳き込むけど、鼻声はほとんど解消して、残るは疲労感だけ。まあ、初めのうちの咳がひどかったし、風邪を引くのもすごく久しぶりのことだから、かなり体力を消耗してもおかしくないよね。そんなときに、幸か不幸か(はヘンな言い方だけど)カレシのスマホがゆうべから充電不能になったために、ソファに寝転がってスマホをいじっていることができなくなって、「退屈だぁ」と言いながらもっぱら昼寝。休養になっていいじゃないの。断食明けだし、栄養を付けてあげようと、ランチは冷蔵庫に残っていた焼いたベーコンとシャンテレルきのことケイラの農場で栽培している甘みのあるにんにくを刻んでけっこうグルメな卵焼きを作って、ブリオシュローフでサンドイッチ。


シャンテレルきのこ(アンズタケ)

ヘッジホッグきのこ(シロカノシタ)

スマホなしのカレシとおしゃべりをしながらのランチで、小町に日本で日本人なのに英語を話す人が気に入らないという投稿があった話をしたら、「誰がどこで何語をしゃべってもいいじゃないか。人前で外国語をしゃべるなってのはよけいなお世話。外国語は学校でいくら勉強したって、実践的に使わないと上達しないんだよ」と英語先生のカレシ。なるほど、ごもっとも。多民族都市メトロバンクーバーでは、公の言語は当たり前に英語でも、いろんな言語が飛び交っていて、それも当たり前って感じだよね。外国語を話している人を見るとムカつくと言う人もいるだろうけど、そんなことを大きな声で言ったらレイシストだと吊し上げられるのオチ。ワタシは元々好奇心旺盛な方だし、言語を生業の種にして来たせいもあって、あいさつ程度でもいろんな言語で人と触れ合うのは楽しいし、関わりのない人の知らない言語での会話は音楽として聞いているから気にならないし、知らない言語でも、ある期間その中にいたら単語や表現のひとつやふたつがわかるようになって、これまた表現の世界が広がるようで楽しい。去年の改装中は毎日ポーランド語が飛び交っていて、聞くともなしに聞いているうちにほんの少しポーランド語を覚えたのはそのいい例だと思う。

でも、言語は人間の社会性の根幹にあるものだから、いろんな言語を聞きかじるのは楽しいよ。クルーズではいろんな言語の国を訪ねて回るので、行く先の挨拶とお礼の言葉を覚えて行くだけで現地の人たちとの触れ合いの機会が広がって楽しい。ワタシとしては、これは郷に入ったら郷に従うということではなくて、相手の言葉で挨拶したりお礼を言うことでその「郷」に敬意を払うということなんだけど、いつもスマイルが返って来るから「氷を解かす」効果があるのは確か。去年の地中海クルーズでは、最初はイタリア語だったのが一夜明けただけでフランス語になり、最後はスペイン語、船を降りてからは3日間はフランス語で次の3日はスペイン語。くるくると変わっているうちに、言語ごとの微妙に違うボディランゲージまで身に付いて来て、触れ合いのレベルがさらに近くなった感じだった。件のトピックの主が見たら、気分を害して日本人なのにとか間違った欧米かぶれとか言うかもしれないけど、身振り手振りが大きいのもなぜか生まれつきなので、そこはごめんくだされや。

おしゃべりに生まれついたワタシは、相手が誰でも気後れせずに話せる性質らしいので、カレシが言う「実践的に使う」ことで英語が自然に自分の言語になったんだと思う。ワタシの学習スタイルが学校で教えられるよりも自分で見て、読んで、やってみることで学ぶ方がうまく行くタイプなのとも関係があるかもしれない。脳内の思考は英語と日本語がごっちゃになっているし、日本語の読み書きだけは(読めない漢字が増えたし、手書きはできなくなったけど)まだ大丈夫だ(と思う)けど、話す方は「実践的に使う」機会がないせいで劣化しているのは確か。日本で日本語を褒められるのは、たぶん自然な日本語に聞こえないからだろうな。まさに英語のuse it or lose it(使わないとダメになる)の見本と言えそう。それでまったく不便がないから、このままにしておいてこの先どこまで劣化するかわからないけど、読み書きだけは、この日記ブログを書き続けることで何とか維持したいもんだな。でないと芝居の翻訳をするという夢がしぼんでしまうもの。


日本語は日本の公用語だから公の場では日本語を話すべきって?

2022年09月18日 | 日々の風の吹くまま
9月17日(土曜日)。🌤⛅☁。起床8時半。朝ご飯が済んだら、先週はスキップした週一の断食を再開。カレシの風邪は、きのうは額が何となく熱っぽかったけど、けさは普通。咳もあまり出なくなったけど、喉から鼻の方に上がってしまったそうで、今度はちょっと鼻声。咳をし過ぎてエネルギーを消耗したからと、今日もウォーキングをスキップ。まあ、無理に出かけたっていいことはないだろうから、とにかく休養するのみ。ワタシは、いつもの洗濯とキッチンのシンクの掃除。マットが御用聞きして来たので、アンズタケ(シャンテレル)とシロカノシタとシイタケを注文。明日の朝ご飯のバナナがないのに気付いて、スーパーにひとっ走りしてバナナとカレシ用の咳止め飴を買って来て、マットに見せるトフィーノで撮ったきのこの写真を携帯にコピーして、後はひがな1日のんびり。

断食を始めたばかりの頃は、朝ご飯以外は食べない分、料理や後片付けに費やす時間が浮いたもので、何か手持ちぶさたで落ち着かなかったけど、今ではご飯支度のための「中断」に煩わされずに、まとまった時間をひとつのことに集中できるようになった気分。だらだらとクロスワードや小町横丁の散策に費やすことが多いけど、「まじめなこと」に没頭することも増えて来たから、いいことだと思うね。で、今日は心機一転の嵐の前の静けさ的な気分で、小町横丁の散策。相変わらず、恋愛も婚活も友だちも夫婦も家族も仕事も老後も何もかも、何て生き難い世の中なんだろうと嘆息するようなトピックがずらりだけど、若かったワタシがその世の中にいた頃からすでに半世紀が経とうとしているわけで、人は世につれ、世は人につれというところかな。タイトルだけで悩ましさがわかった気分になるものが多い中で、『英語で子供に話しかけるママ』というのが目に留まって、覗いてみて仰天。普通の幼稚園で、家族全員日本人なのに子供と英語で話すママがいて、「日本人なのに英語で話すなんてちょっとやりすぎじゃないですか?外でわざわざ英語で話すなんて英語教育をひけらかされているようで嫌です。他の子供に話すときには日本語に切り替えます。なんかムカつきます。そのママに英語を話すのをやめさせる方法はありませんか?他のママたちと一緒にジロジロ見て視線でやめさせようとしていますが無視されます。本当に癪に障ります」。うはぁ・・・。

案の定、ひがみ、妬み、やっかみと評するコメントが多数だけど、擁護派のコメントはトピ主には目もくれず「ここは日本なんだから日本語を話せ」というお決まり?の主張に始まって、「郷に入ったら郷に従えは国際社会で守るべき大切なマナーだ」とか「日本は日本語が公用語なんだから公の場では日本語を話すべき」とかなんたらかんたらと喧しいこと。わからない言語だと大きな声で内緒話をしているように感じるんだそうな。それ、話している内容がわからないことで自分が劣勢に置かれたような不安な気持になってムカつくってことかな。すごいのになると、現地語が日常生活や世間話に不自由のないレベルに上達してから外国に行くべきで、通訳を連れていても通訳とのやりとりに(周囲にわからない)日本語を使うべきではないという人がいて、はあ。それじゃあ大多数の人たちが外国に行けないし、通訳は商売上がったりじゃないの。島国根性の現れと言うコメントがあるけど、これって「鎖国」根性じゃないのかな。社会文化のレベルで人見知りしているみたい。そういえば大人の人見知りに関する社会心理学のエッセイを読んだことがあったなあ。(あれは演劇講座で登場人物の性格分析をやった流れだったけど。)論議はまだ続いているようだけど、「文科省が国際社会で通用する人材の育成のため、英語教育の早期化を促進しているのに、これじゃあ進展しないわけだ」というコメントと「こんな間違った欧米かぶれが増えているから日本の国力が落ちているんだ」というコメントが対照的でおもしろかった。

何とも皮肉なのはトピックを上げたママさんのハンドルネームが英語で、それもカタカナ化せずにばっちりアルファベット綴りだということかな。それに、「日本では日本語を話せ」という要求の対極は「外国では現地語を話せ」ってことになると思うんだけど、留学とかワーホリで来る日本人は日本人同士ちゃんと日本語でやり取りしているのも、郷に入っても全然郷に従ってなくて皮肉と言えば皮肉。カナダは英語(とフランス語)が公用語なんだけど、日本人に英語で話しかけると件のトピックのような反応(日本人なら日本語を話せ、ひけらかすな、外国かぶれ等々)が返って来るらしい。ワタシも日本人コミュニティの端っこにつながっていたずっと昔に何度も経験したけど、「英語ペラペラになっていかに現地に馴染んでいるか」をひけらかすなということらしかった。まあ、今は英語が押しも押されもしない第一言語になって日本語(話す、聞く)の配線が錆びて来たし、また年代の違いもあって日本人コミュニティとはほぼ疎遠になっているからめんどうなことには遭遇しないで済んでいるけどね。日本では家族と友達以外とは半世紀前の日本語よりも使い慣れた生活言語である英語の方になってしまうけど、店に入ると店員さんが中国語で話しかけて来たり、たまに日本語でやると「お上手ですねえ」とおほめにあずかったりすることがしょっちゅう。日本に行けばワタシは外国のパスポートを持った「外国人観光客」なもので、海外旅行の愉快なエピソードとして思い出になっているけど、はて、この次行く機会が来る前に少し中国語をかじっておこうかな。


人生は芝居のごとしと言った人がいるそうだけど

2022年09月17日 | 日々の風の吹くまま
9月16日(金曜日)。☁⛅🌤☀。寒いよ。ほんの短い時間だったけど、朝のうちにリビング/ダイニングとオフィスで、暖房が入っていたくらい。週末にメトロバンクーバーを煙に巻いた山林火事は、カナダ側の2ヵ所がout of control(制御不能)の状態を脱したそうで、要するに消火隊が優勢になったということで、一応は煙による大気汚染は心配しなくても良くなったと言うことかな。

カレシは、まだ咳は出るものの喉の痛みはなくなったそうなので、今日はウォーキングをスキップして、ついでに喉を酷使するからと夜のレッスンもキャンセルして、ひたすら休養。ワタシはまだ少々だらけてはいるけど、新シーズンに向けてのやる気は十分。トフィーノのOcean Villageにお礼のメールを書いて、月曜日が78歳の誕生日だった(義)弟のジムにハッピーバースデイのメッセージと共に、近いうちにそっちのBrown’sでランチかディナーをしない?と誘い。さっそく大いに乗り気の返事が返って来て、後はカレシのスケジュールしだい。メープルリッジでも人気スポットで夜は混むから、ジムとガールフレンドのドナが良く行くというランチの方がいいかな。チャリティショップに上げる「キッチン」のミニチュアをドナに届ける口実になるしね。ひとり芝居劇団「極楽とんぼ座」はいつも何かと細々とした事務処理があって、その上にステージでも何だかんだとアクシデント(突発事項)があって、いつの間にかてんてこ舞い。あはは、水曜日に観た『Peter Pan Goes Wrong』とよく似ているなあ。人生は芝居のごとしって言った人もいるそうだしね。

と言うことで、ウォーキングも買い物のないので、角の酒屋にひとっ走りしてワタシのムッシュ・ヘネシーを調達することにして、カレシにジンもいるのか聞いたら、「あと2日分ある」。はあ、後2日でなくなってしまうから、つまりは「いる」ってことね。だったら、ワタシがこれから行くんだから、手っ取り早く「いる」と言っちゃえば簡単なのにと思うけど、カレシの思考経路は一筋縄そのものがあちこちで本人でも解けないんじゃないかと思うくらいややこしい結び目になっているらしい。サンダルに履き替えて、財布をトートバッグに入れて、ドアの取っ手に手をかけたら、ソファからむっくり起き上がったカレシが「オレも行こうかな」。これから出かけるから、来たいならどうぞ、トートバッグを担いでくれるなら大歓迎だよと言ったら、ちょっと考えたカレシは「まだ寝ぼけてるから、やめとく」。あはは。何だかさあ、私たちの夫婦の会話、コメディっぽくなって来たよねえ。でも、ムッシュ・ヘネシー2本と1.75リットル入りのタンカレーの大瓶を入れたトートバッグはさすがに肩にずっしりと重かったから、一緒に来てくれたら助かったかなあ。

マティニをやりながらFBを見ていたら、わ、リースちゃんのかわいいスマイル。Arts Clubの芸術監督アシュリーの息子で、今1年2ヵ月。両側の腎臓に遺伝子の異常による小児がんである芽細胞腫(ウィルムス腫瘍)が見つかって、この数ヵ月というもの、化学療法で腫瘍を縮小させて、片方の腎臓を摘出して、さらに化学療法を続けていたのが、先週のMRIスキャンで「がん細胞なし」と診断されて、心配していたみんなを狂喜させたばかり。延長していた育児休暇から復帰したアシュリーが新シーズン第2作を演出するのに、バンクーバー島に住むお母さんが子守のために来ていたけど、家に残っていたお父さんが病気になって急遽帰ることになり、アシュリーが「ベビーシッターを紹介して」とFBに投稿。すぐに見つかるだろうけど、ワタシだって子育ての経験があったらさっと手を上げるところなのになあ。リースちゃんはいたずらっぽいスマイルが何とも言えなくかわいい子。大人だってきついがんの治療に耐えて、自らの意志で結婚せずにシングルマザーになったママと一緒に、ほんっとによく頑張った小さな闘士。芽細胞腫は生存率が極めて高いそうで、地元出身の歌手のマイケル・ブーブレの息子も肝臓の芽細胞腫を克服して今では元気な小学生だから、リースちゃんも大丈夫だよ。「押しかけおばあちゃん/おばちゃん」が何百人もいて見守っているんだから。ほら、空の雲だって応援しているじゃないの。







ポストコロナの人生はリタイア暮らしの新シーズンってことで

2022年09月16日 | 日々の風の吹くまま
9月15日(木曜日)。☁🌧☁。起床は8時。何か薄暗いので、ブラインドを上げて外を見たら、あはっ、ルーフデッキが濡れている。夜の間に雨が降ったらしい。金曜日には雨がちとう予報が出ていたけど、1日早く来てくれたようで、おかげでAQIもごく普通の「2」。ああ、良かった。でも、ダイニング/リビングのサーモスタットの表示を見たら、あと0.5度下がったら暖房のスイッチが入る24度。まあ、アラスカに近い州の北部では雪がちらつくと言う予報が出ているそうだし、そういう季節ってことなんだけど、インフレで電気料金も値上がりしているところに厳寒の冬なんてことになったら、踏んだり蹴ったりになっちゃいそう。

ゆうべの芝居はおもしろいも何も通り越して、笑いっ放し。普通の芝居と即興芝居とパントマイムとその他何でもかんでもとにかくごっちゃまぜと言う構成がすごぉ~く新鮮。タイトルの「goes wrong」と言うのは文字通り思ったように行かないってことで、しろうと劇団の悲しさというか、役者たちもめちゃくちゃ、セットや小道具はいきなり壊れたり倒れたりするし、舞台裏はそれに輪をかけためちゃくちゃぶりで、照明は配線がショートしてばっかりだし、後でティンカーベルが衣装につけたライトで感電してしまうし、コントロールブースでの私語(出演者に関するうわさ話)がスピーカーから流れて来るし、ワイヤにぶら下がって空中を飛び回るピーターパンはかわいそうにセットのあっちにドタン、こっちにバッタンとぶつかって、最後にはドシンと墜落するしまつ。役者ってのはもうほんとに危険な肉体労働だなあと感心することしきり。ピーターパンの宿敵フック船長は鉤の義手が外れてばかりだし(1回は見つからないので止む無く人差し指を曲げて「代用」)、客席からヤジが飛ぶは、ブーブーとけなされるはで、しまいに客席に向かって怒鳴り散らしてけんかを売り始めるしまつ。(ロビーに「こういう場面ではこういうヤジを」と客席の参加を促す表示があった。)ピーターパンとティンカーベルの役者が舞台のセットの陰で怪しげなことを始めて、ウェンディ役が焼きもちを焼いたりしているうちに、回り舞台が止まらなくなってぐるぐる、だんだんにスピードアップしてぐるぐる・・・。

とにもかくにも、うまく行かない可能性のあることは何であれ、これでもかと言うくらいに徹底してうまく行かないから、エライこっちゃ。もっとも、そういう「アクシデント」はArts Clubで会った役者や裏方のテクニシャンからもいろいろ聞いているから、そういう逸話を集大成して抱腹コメディに仕立てた作者たちの発想はすごいと思う。いやぁ、楽しかったよ。顔なじみがみんな口々に「やっぱり生の舞台じゃないとねえ」と、ポストコロナの普通の演劇シーズンに戻れたことを祝って、じゃあ、来月ね。そう、来月は2作目のオープニングがあるの。芝居に先立ってのレセプションでは個人スポンサー(寄付者)担当マネジャーに採用されたばかりのレベッカを紹介されて、Arts Clubの劇場ねずみでぇ~す、ADCは行儀のいい人たちばかりなんで、お仕事を楽しんでもらえるように、みんなでがんばりまぁ~すと挨拶(になっているようでなっていないような)。うん、行儀のいい人たちばかりなのは確かな事実だから、ひとつこれからよろしくね。

きのうはほんっとに久しぶりにおなかの底から笑いこけたもので、今日は何だか身も心もすっきりした気分。予報に反して1日中どんより曇ったままで、ときたま雨がしょぼついていたけど、土曜日に留守だったせいで溜まっていた洗濯をしたり、新しい本を開いてみたり。ワタシの老後人生の一部になっているArts Clubがレギュラーシーズンをオープンしたことで、何だかワタシ自身も「新しいシーズン」をオープンしたいと言う気持になって来た。もっとも、何かに刺激されてそういう気持になっても、何やかやと寄り道ばっかりで迷子になってしまうことが多かったけど、今はコロナのせいで残り少なくなるばかりの人生の2年という貴重な時間を無駄にしたという思いがあるから、意に反する寄り道はお断りで、横道への誘惑には目もくれずに行けるかな。よぉし、断食を再開するこの週末はワタシの新シーズンのラインアップを考えようっと。劇場3つのArts Clubに倣って、書きかけの小説と芝居の翻訳とミニチュア作りの3本立てのシーズンってことで・・・。