リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年2月~その2

2011年02月28日 | 昔語り(2006~2013)
ライラック色の夕空は何の予感?

2月16日。水曜日。ごみ収集トラックの音で目が覚めたらまだ午前7時をすぎたばかり。ちょっと耳をそばだてたら、うわ、窓に雨が叩きつけられる音がする。いつも(外の音に過剰反応して眠れなくなるカレシのために)BGM代わりにひと晩中流している安眠脳波サウンドの「降りしきる雨」の音よりもすごい。雨の音が2つ重なったら土砂降りもいいところだけど、ああ、勤め人でなくて良かったあと思う瞬間・・・。

ちなみにこのサウンドマシン、安眠用、リラックス用、脳の活性化用の3種類の脳波を導き出すのに効果があるちうサウンドがいくつかずつ入っている。マシンを使い始めたのはもう15年くらい前からで、今のはぐんと進歩した2代目。先代のキカイでは「波打ち際の音」をよくかけていたけど、あまり音質は良くなかった。買い替えて5年くらいになる今のキカイは技術の進歩のおかげか、降りしきる雨に混じってぴちょぴちょと落ちる雨だれの音も聞こえるくらい質が良い。まあ、海際で育ったワタシはどっちかというと波の音に揺られて眠る方が好きなんだけど、雨の都バンクーバー育ちのカレシはやっぱり「雨の音」。(じゃぶじゃぶ降る音を聞いた友達に「夜中にトイレに行きたくならないの?」と聞かれていたけど、子供だったらおねしょをしてしまうかなあ。)安眠効果が良すぎて、旅行先にも時計つきの小型のを持って行く始末・・・。

正午前に起きて、朝食を済ませて、シーラとヴァル(とレクシー)が来る頃には雨風が止んで曇り空。気温は5度。カレシがネイバフッドハウスでのミーティングに出かけたので、その間に切れていたドアオープナーの電球を取替えにガレージへ。オープナーがガレージのど真ん中の頭の上にあるもので、車があると取り替えられない。どういうわけか知らないけど、電球が切れているのを発見して「切れてるぞ~」と知らせるのはいつもカレシで、その切れた電球を取り替えるのはいつもワタシ。電球を取り替えるなんて、女子供にだってできてしまうくらい簡単なことなんだから、大の男にできないはずはないと思うけどなあ。そういえば、何かが故障したときにも、「壊れている」と知らせてくるのはカレシで、点検や修理をするのはいつもワタシ。まあ、子供のときによく母に「アンタは器用貧乏」と言われたもんだけど・・・。

車がなくて妙にがらんとして見えるガレージの真ん中で、脚立に登って、照明のカバーを外して、新しい電球に取り替えて、ふと下を見たら、いつのまにかレクシーが入って来て見上げている。プードルとコッカースパニエルの雑種だそうで、「コッカプー」とかいうらしい。クリームがかった白い巻き毛とふさふさした耳と尻尾がいいし、ルックスもワンちゃんとしては「美犬」だな。悪質な繁殖業者のところから救出されてシェルターにいたのをシーラが引き取ったもので、初めはおどおどしていたのが、やっとワタシにも慣れてくれたらしく、この頃は「遊んで~」というモーションをかけて来るようになった。掃除の間、ちゃかちゃかと家の中を走り回ったり、天気のいい日は二階の陽だまりに寝そべったり、束の間だけペットがいるような気分になる。たぶん、ときどきお守りをする孫と同じで、「ときどき」だからかわいいと思うのかもしれないけど。

ミーティングから帰って来たカレシ、ロバータが今後の暫定的なプランを全部OKして、土曜日の午後に教室をやるなら、閉館後でも誰かを受付に残すと言ってくれたとうれしそう。まあ、カレシの英語教室はハウスのプログラムの一部になっているし、微々たるものだけど政府から補助金をもらっているそうだから、継続したいのはわかる。移民向けの公的な英語学級のELSAも最近は受講者が減って、政府からの資金を切られそうになっているらしい。あっちの教師は有給だから、資金が途切れたら教師はレイオフ、ELSAは閉鎖ということになるんだろう。でも、まったく無報酬のカレシは条件さえ合えばいつでも教室を再開する用意があるわけで、ロバータとしてはキープしておきたいというところか。そうか、どうやらカレシの英語教室終了は「引退」じゃなくて、再開の条件が整うか、カレシがその気になるまでの「無期サバティカル」ということになりそうだなあ。あんがい思ったよりも短そうな予感が・・・。

夕方、水平線の雲が切れて、沈む間際の夕日がパッとさして、ちょっとの間ライラック色の夕焼けになった。嵐の後だからなのか、それとも朝方には冷え込んで雪混じりの雨が降るという予報だから、嵐の前の何とかなのか・・・。

天気も家族も何となく機能不全

2月17日。木曜日。正午に起床。キッチンに下りて来たワタシを見るなり、先に起きていたカレシが、「白いものがヒラヒラしていた」と言った。ええっ?たしかに「かもしれない」という予報はあったけど、今ごろ雪なんて困るなあ。

昼のニュースはとなりのバーナビーでの突然の「大雪」のトピックがトップ。5センチくらい積もったらしく、坂道では車がずるずるとスリップ。山のてっぺんにあるサイモンフレーザー大学はバスが登れなくなって休講状態。(あんな山の上に大学を作ろうなんて考えたのはいったい誰なんだ?通学用のゴンドラを作ってはどうかという構想もあるけど、チェアリフトの方がいいかも。)メトロバンクーバーはけっこう面積が広いし、地形が複雑なせいかどうか、微小気候とかいうのがあって、正確な天気予報が難しいんだそうな。だから、バンクーバーではただの雨なのに、隣り合っているバーナビーでは「大雪」なんてことはそれほどめずらしことではないけど、「雪交じりの雨」の予報だったのが朝起きてみたら一面の銀世界というのはちょっとめずらしい。

今日は午後いっぱい仕事をして、夜は楽しみにしていた芝居。予約してあったチケットをピックアップするのに早めに行って、イアンとバーバラが来るまで近くのWilliams Sonomaをのぞきに行った。スタンリー劇場からはグランヴィル通りの反対側で2ブロック先。みぞれ的な雪がちらちらし始めたと思ったら、店に着くまでに猛烈な雪で歩道があっという間に白くなった。帰りは大丈夫かなあと心配しながら、店の中でキッチン道具を眺めて楽しんで、劇場に戻ろうと外へ出たら、雨がしょぼしょぼ。さっきまで雪が降りしきっていたのが嘘のような話。イアンとバーバラが劇場に到着したところで、バーバラが「リッチモンドで少し降っていて、途中は雨で、車を止めた頃は雪だったのに、ここまで歩いて来る間に雨になったの」と。てことは、我が家のあたりは雨ということか。それにしてもマザーネイチャー、ご乱心・・・?

芝居はトレーシー・レッツ作の『August: Osage County』(8月:オセージ郡)。2008年にトニー賞とピュリッツァー賞をまとめてもらったブロードウェイのヒット作だそうで、全3幕、2回の休憩をはさんで3時間の太作。オクラホマ州オセージ郡の暑い夏。詩人の夫べヴァリーと処方薬中毒の妻ヴァイオレット、次女アイヴィー、ヴァイオレットの妹夫婦、雇ったばかりの家政婦ジョナ。そのべヴァリーが行方不明になり、まず(実は別居中の)長女バーバラと夫ビル、十代の娘ジーンが駆けつけてくる。べヴァリーが溺死体で発見され、も自殺したらしいということになる。葬式のために三女のカレンが(いかにも詐欺師っぽい)婚約者を連れてフロリダからやって来て、(それぞれに問題を抱える)三人姉妹がそろい、これでも家族なのかというくらいの機能不全家族が互いに過去の恨みつらみを洗いざらいぶちまけあう中で、中心は母ヴァイオレットと長女バーバラの確執。近々映画化されて、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツがこの2人を演じるという話で、名優メリル・ストリープのヴァイオレットは見ものだと思う。笑ったり、しゅんとなったり、目頭が熱くなったりで、3時間がちっとも長いように感じられなくて、ずっしりと見ごたえのある作品だった。

劇場を出たら、歩道や駐車している車の上に薄く雪が積もっていたけど、天気は小雨。我が家に帰り着いてみたら、雪が降ったような形跡はどこにもない。ふむ、マザーネイチャーも相当の機能不全とみたけど、はて・・・?

日本語を訳すのは大変なのよ

2月18日。金曜日。うわっ、まぶしい。午後の気温はプラス10度。昨日のめっちゃくちゃな天気は夢だったのかなあ?それともまだ目が覚めていないのかなあ?これじゃあ、さすがに移り気な「乙女心」さえ「うっそぉ~」と叫んでしまうだろうな。たまたま昨日雪が積もった区域に住んでいて、スリップ事故で車をぶつけてしまった人には恨めしい春の陽気。たった24時間でこの違い!

カレシは起き出してすぐヒーターをオフにしに温室へ直行。春の日差しがいっぱいで、正午にはもう屋根が開き始めている。キッチンの窓に置いた無線温度計で温室内の温度をモニターして、5度以下に下がったときに電気ヒーターを入れるんだけど、熱効率のいい業務用電気ヒーターだから電気代がかさむ。氷点下に下がる寒波が続くときは、せいぜい12平方メートルの温室の暖房に、185平方メートルの家全体の(電気)暖房の倍以上のコストがかかってしまう。単位面積あたりにしたら30倍以上ということになるけど、まあ、二重壁とはいえポリカーボネート製の温室と省エネ構造の家の暖房効率を比べても意味はないか。園芸はカレシの生涯の趣味なんだし、それに、新鮮な有機栽培野菜を最短距離で地産地消だし・・・。

さて、来週の終わりまで5つ並んだ仕事のその2。ざっと見たところで、当たり障りのない文章だからスイスイかな。寝る前に仕上げて送り出した「その1」は、原稿用紙をびっしり埋めても数枚程度の文字数なのに、英語になったらやたらと語数が多い。五掛けで出す大雑把な見積もりよりも2割も多かったからびっくり。ワタシはこんなに口数が多くないはずだけど・・・と思ってよく見たら、漢字の数がすごい。四文字熟語がぞろぞろ出てくるし、専門的な小難しい言葉も漢字のオンパレード。これがITの分野だったら、カタカナ語のオンパレードでぐっと経済的になるところだけど、表意文字の漢字を表音文字の英語にするには、一文字に複数の単語が必要な場合が多いから、結局は仕上がりの語数が増える。仕上がりの語数が料金請求のベースになっている方としては、ダラダラした文で語数を増やせば儲かるんだけど、そこはそれ、プロの自尊心ってものがあるから、できるだけ簡潔な訳文を心がける。だから、黙っていても語数が増える漢字満載の略語や略称、四文字熟語をじゃんじゃんと使ってくれるエライ人たち、だ~い好き!

でも、そういうエライ人たちがかなりの年だと、難しい言葉を多用するから要注意。漢字は読めないし、何のことかわからないしで、中国語起源の古い四文字熟語が出て来たりすると、まずは日本語訳をば、ということになる。そこではたと困るのが(ワタシには)「読めない漢字」。英語なら単語の発音からスペルの見当をつけて調べることができるけど、日本語は上の漢字が読めなければ、和英辞書を引こうにもどの「音」の項を探せばいいのかわからない。例の「国際結婚は大変」トピックに倣って、「だから日英翻訳は大変なのよ!」と言ってみたところで、「アンタが選んだ商売でしょ!」と、誰も同情してくれないしね。もっとも、ネット時代の今は漢字をコピーして同業仲間に聞くと言う手もあるけど、だいたいは返事を待っている暇がないし・・・。

まあ、一番手っ取り早いのは、英語版ワードで日本語入力するのに使うIMEのパッドを使って、部首の画数を数え、同じ部首の漢字のリストから漢字を見つけ、カーソルを置いて音読みと訓読みを見つけ、それから日本語辞書を引いて定義を調べ、相当する英語がわからなければ和英辞書を引き・・・はあ。漢字の画数を数えるのは部首だけでもめんどうな作業で、角を曲がったら2画?それとも線の続きだから1画?日本語を読み書きして育ったワタシがこうなんだから、日本語育ちじゃない人たちはもっと大変かもしれないな。「止揚する」なんて言葉、和英辞書には「哲学用語。(独)アウフヘーベン」と書いてあったけど、それって独英辞書を引けってことなの?しょうがないから、ネットの独英辞書サイトで調べたら、意味合いの違う定義が動詞だけでも20近くも出てきてしまった。さて、エライ人はどんな意味で使っているのか・・・?

好きでやっている仕事ではあるけど、だけど、だけど・・・。

他人が自分と同じはずはないのに

2月19日。土曜日。いや、まぶしいのなんのって、すっかり春が来たような気分。道路向かいの大きな桜の木をよくよく観察したら、日当たりの良い上の方の枝に3つか4つ、ピンク色の点が見える。おお、桜が咲き始めたぞ。バカ暖冬だった去年よりは少し遅いけど、平年よりはちょっと早い。寒い冬を持って来るはずだったラニーニャ嬢はいったいどこをほっつき歩いているやら(きのうはトロント周辺にふらりと現れたらしい。)ま、週間予報では、来週の水曜日あたりは雪がちらつき、その後は晴れの日が続いて冷え込む(最低気温は氷点下)そうだから、まだ油断はできない。常春のバンクーバーだって、エイプリルフールに雪が降ることもあるんだから・・・。

さて、仕事のパッケージの一番大きいのが済んだところですんだし、世間では週末ということで、今日はワタシも「休み」。何にもせずにダラダラしていたいなあ、とは思うけど、だいたいのところは、ちんたらちんたら仕事をやって、切羽詰ったところで猛然とダッシュしては「ワタシってがんばってる~」と自分の肩を叩いているのが「平常勤務」なもので、仕事が休みだからといってダラダラしていてはまったく区別がつかなくなような気がする。そこで、まあ少しは家事もやらねばということで、まずは洗濯。ランドリーシュートを開けたら、は、また3ラウンドか・・・。

チュニジアで始まって、エジプトで盛り上がった中東の「変化」への要求デモは、あっちこっちへ飛び火してかなりややこしいことになっている。インターネットがグローバル化した今の時代は、都合の悪い情報を管制しようとしても、あの中国でさえ「もぐら叩き」の状態なんだから、デモが始まったとたんにあわててネットを遮断したってムダ。迂回路はいくらでもある。だけど、何十年も政権に居座って来たお山の大将にはふもとのことはわからないんだろうな。だから、急にデモ隊が押し寄せてきて慌てる。慌てるから、バカのひとつおぼえみたいに軍隊を繰り出して制圧を図る。群衆は怒り、デモは膨れ上がり、死傷者も続出する。暴力で制圧しようとすればするほど、火は燃え盛る。わかってないなあ。ま、それほど既得権というのはおいしいもんなんだろうけど、さっさと札束をかき集めてすたこらと逃げ出せばいいのに。

政治や外交というのは、国家や企業や宗教や文化やその他ありとあらゆる利害がスパゲッティみたいに絡み合っているからややこしい。国家が国民の集団で形成されているなら、政治も外交もその国民性が反映されると思うし、その国民性というのは良きにつけ悪しきにつけ国民の大多数の「性格」の表現だと思う。とどのつまりは政治も外交も人間関係の延長線上にあるようなもので、だから天井桟敷から見ていると、人間ドラマとさして変わりがないように見える。最近、どこだったか忘れたけど日本の大手新聞のサイトに(例の尖閣列島事件の関連で)日本の外交史について触れた論説があって、日本外交の根本的な欠陥は相手国が「本質的に自分たちと同じ」と考えることだと書いてあった。日本人同士の交渉と同じ思考で外交交渉をやろうとしたのがそもそも無理な話だということだろう。だから、尖閣列島問題でも、中国漁船の船長を釈放して返すという「温情」を見せれば、中国側もそれに応えて、「事を荒立てずに矛を納めてくれるだろう」と思ったのに、中国は日本が本質的に自分たちと同じだとはこれっぽちも思っていないから、中国流の対応をして来て・・・。

これを個人のレベルに持ってくれば、他人を「本質的に自分と同じ」と考えるのが日本人の国民性ということになるんだろうけど、妙に納得が行った気がした。小町のような掲示板には、自分と他人はまったく別個の独立した人格だという概念がないとしか思えないような投稿が多い。つまり、他人は「本質的に自分と同じ」で、自分が感じることを同じように感じ、自分が好きなものを同じように好きで、自分が嫌いなものは同じように嫌いで、自分がすることには同じように応えてくれるはず・・・。だから、翻訳原稿にもたびたび登場する「同じ○○として~」という表現がいともあたりまえのように使われるのかな。日本人が外国で何かやらかすと、「同じ日本人として恥ずかしい」という反応が出てくる。民族的にはワタシも「日本人」なんだけど、(国籍を問わず)他の日本人が日本の外で事件を起こしたら、「バカなことをやっちゃって」とは思っても、恥ずかしいという感覚はないし、事件を起こした当人が恥じるべきことをなんでワタシが恥じなきゃならないのかわからない。でも、もしも日本という国が他国を攻撃したり、国の品格を貶めるようなことをしたら、「日本人のひとり」として残念(regrettable)に思うだろうけど。

そういえば、カレシのオンナノコたちが、カレシがワタシの欠点(たいていは嘘八百だったけど)をあげつらうたびに、「I am ashamed as the same Japanese woman (同じ日本人女性として恥ずかしい)」と応えていたっけ。まあ、ワタシという人間は元から日本人規格から外れているもので、カレシがガラスのケースに入った日本人形を期待していたなら、「注文したものと違うじゃないか」と文句を言うのはわかる。だけど、カノジョたちがそれに対して「同じ日本女性として」恥ずかしいと思うのはどういうことなんだろう。だって、ワタシの欠点を恥ずかしいと思うと言うことは、あわよくば押しのけてその後釜になろうともくろんでいた相手(ワタシ)を「自分と本質的に同じ」と考えていたということで、つまりはカノジョたちがワタシから欠点を横取りして、自分たちのものとして恥じていたと言うことになるの?なんだか頭がこんがらがってきたけど、だとしたら、何とも滑稽な話だし、本質的に違うワタシをカノジョたちに同化されると言うことはワタシの人格をハイジャックされるようなもので、大きな迷惑なんだけど・・・。

おいしく食べて健康なのが医食同源

2月20日。日曜日。今日もまぶしい。なぜかとろ~んとした気分で起きた。春眠何とかと言うし、春っ気がさしているのかもしれないけど、ちょっとばかりとろんとし過ぎ。月変わりであたふたしていたときには110台/70台に上がっていた血圧もだんだん下がって来て、けさは2度測っても100以下/70以下。どうしてかなあ。ま、別に問題がないからいいけど、日曜日でもあるし、残っている仕事の量を確認して、今日も休んじゃお・・・。

新聞を見たら、メトロバンクーバーでは、2012年の終わりまでに家庭から出る生ごみを普通のごみと一緒に出すことが禁止されるというニュース。植生ごみと一緒に集めて、堆肥としてリサイクルするんだそうで、すでに導入済みの市もあるけど、全域で実施になったら、「グリーンごみ」を毎週1回、普通ごみは隔週の収集になり、生ごみを普通ごみと一緒に出したら罰金を取られるらしい。2015年には業務用の生ごみも対象になるそうで、カナダ全国の平均の3倍も高いメトロバンクーバーのリサイクル率を80%に引き上げるのが狙いとか。いいことだと思うね。もう埋め立てる場所がないんだし、焼却処理場の話は出ては消えするばかり。その話をカレシにしたら、「池の跡に埋めるからいいよ」。うん、裏庭の真ん中に隕石が落ちたような大穴が開くもんねえ。我が家は市が支給する植生用のごみ容器をもらっていない(収集料は固定資産税で取られているけど)。雑草も野菜もみんなカレシが堆肥にしてしまうんだけど、大きなバケツにいっぱいの野菜くずからできる堆肥はひと握り。大きな穴を埋め尽くすにはいったいどれだけの魚の頭やコーヒーかすがいることやら。そんな貴重な原料を「市役所になんかやるもんか」と、なぜか妙に対抗しているカレシ・・・。

ではさっそく、というわけじゃないけど、夕食に食べる魚を3枚におろして、頭やひれ、骨をカレシに提供した。ラベルに「ゴールデン・ポンパーノ」と書いてあるから、調べてみたら「コバンアジ」。[写真]

最近セイフウェイの魚のフリーザーに登場したもので、頭から尻尾まで30センチくらいあって、せいぜい4ドル(400円弱)のお買い得。丸くてなんとなくかわいいけど、全体的にはがっちりとした感じがする。それもそのはずで、骨がえらく硬い。一見ほっそりした尾ひれの付け根は包丁では切り落とせなくて、キッチン鋏でバチッ。内臓は腹側のせいぜい前半分くらいにしか入っていなかったから良かったけど、3枚にするのにちょっと苦戦。クリスマスのプレゼントにもらった専用のナイフが大活躍してくれた。ぽん酢をさっと塗って、細く切ったしょうがと刻みにんにくと赤唐辛子をたっぷり載せて蒸してみた。身がしまっていて、味はあっさりだけど、脂身はとろっとした感じで、なかなかいける。オメガ3がたっぷりなんだそうな。

オメガ3といえば、最近カナダの保健省が卵をコレステロールの「要注意品目」から外したというニュースがあって、卵好きのカレシを喜ばせた。飼料の改良で昔ほどコレステロールが高くなくなったので、他の栄養素の豊富さを考えると「食べた方がいい」ということらしい。カレシのコレステロール事件以来めったに食べなくなって、消費が減った分、鶏舎の中を走り回って、オメガ3が豊富な亜麻の種を添加した有機飼料を食べるニワトリが産んだ「デザイナー卵」を買うようになった。これがまたスーパーで普通に売っている卵と比べたら、殻は硬いし、黄身は色が濃くて、いかにも卵!という味がする。まあ、食べた方がいいと言われたからって、今さらもっと食べようというわけでもないけど、好きだけど健康に良くないんだよなあ・・・というような後ろめたさがない(guilt-free)のがいいな。

赤身の肉をほとんど食べなくなってもう2年近いけど、ベジタリアンに転向したわけじゃないから、2人分のチヂミに薄切りの豚肉3枚、フォーにしゃぶしゃぶ用の牛肉を4枚といった具合に、ときどきは食べるし、ご馳走のときはラムの骨付きヒレのローストを作ることだってある。完全にやめたのは豚と牛の挽き肉で、その代わりに買うのが大豆と小麦のたんぱく質で作った「人工ひき肉」。スーパーでは「ベジタリアン食品」のコーナーにあって、低カロリーでコレステロールはゼロ。おまけに鉄分、チアミン、リボフラビン、ナイアシン、ビタミンB6とB12、それに亜鉛がたっぷり配合されている。我が家ではmock beef(牛肉もどき)をもじって「マクビーフ」と呼んで、挽き肉が必要なミートソースのパスタやタコスを食べたいときに重宝しているけど、これも食べつけるとなかなかいい味がある。

我が家の食は、何でもオーガニックジャなきゃダメなんてこだわらないし、無理にベジタリアンに思想転換することもないし、好きなものを(食べ過ぎない程度に)おいしく食べていればいいわけなので、食べることへのストレスがない。ま、これも医食同源(英語でいうと、You are what you eat・・・かな?)に通じるんじゃないかと思うけど。

絶対に安全で安心なところはあるのかな

2月21日。月曜日。ちょっと曇り空。テレビの天気予報は「北極の寒気が来る」とうるさい。先週は不意打ちを食らって、雪で難儀した地区の住民からブーイングの嵐だった?から、今度こそは先回りしてやれというわけかな。雪かきシャベルとスノータイヤを用意したほうがいいって、どこの話なの?まあ、週間予報を見ると、日中の最高気温はプラスだけど、週中を過ぎて晴れると最低気温がマイナス3度か4度まで下がることになっている。問題は曇りの日。中途半端な気温だから、また雪のところと雨のところが出そうだけど、予想積雪1センチじゃあたいしたことないって。2月が終わる月曜日にはプラスになって、春3月・・・たぶん。

今日のアメリカドル為替レートをチェックしたら、うわ、またカナダドルが上がっている。中東で盛り上がっている民衆デモがリビアにも飛び火して、こっちは大変な流血になっているせいだと思うけど、アメリカドル建ての収入に頼るワタシとしては、手取りが目減りするからちと辛い。リビアはエジプトと違って大産油国だから、動乱が起きて安定供給が危ないということになれば、世界中で石油価格が高騰し、需要側は安定した代替の供給元を探すだろうと思う。カナダは世界で6番目の大産油国で、生産高はリビアの倍もある。埋蔵量だって世界3位で、この先何年持つかとなると世界一で200年近い。石油マネーがカナダの油田に投資をしてきても不思議はない。だけど、それでカナダドルがどんどん上がれば、ワタシの手取りはどんどん下がる。おまけに円安傾向のダブルパンチで換算した収入がさらに目減りすると、回りまわってカナダ政府が手にする所得税だって減ることになる。だから、誰か、何とかしてくれないかなあ・・・。

午後4時半。カレシの後に続いてトレッドミルの時間。着替えをしていて、ひょいと窓の外を見上げたら、おいおい、雪が降っているよ。それも、すご~く大きな雪。まるで大きな花びらがわさわさと舞い降りてくるような感じ。たぶん3センチはあるだろうなあ。真っ白な大輪の花。家の中から眺めている限りは、ちょっと幽玄で、ちょっと華やかですてきだけど、積もりませんように・・・。

ニュージーランドではまたクライストチャーチで大地震。かなり浅い直下型らしい。かって一度だけバンクーバーで直下型の地震を感じだけど、マグニチュードが2くらいの微々たるものだったのに、地震王国の釧路育ちのワタシが瞬間的にわけのわからない恐怖感で目が覚めた。不動であるはずの大地がぐらぐらと揺れ動くのは何ともいえない不気味さで、精神的に動揺せずにはすまないのに、下からずしんと突き上げてくるような直下型地震は魔物に襲われたような気分だと思う。前回の地震で被害を受けて、まだ修復されていなかった建物はひとたまりもないだろうな。昼休みだったそうだから、たくさんの人たちがその建物の中にいたんだろうな。クライストチャーチにはカレシの母方の親戚がいるらしい。系図を調べないと名前もわからないくらい遠い親戚だそうだけど、みんな無事だといいな。

それにしても、日本の新聞サイトを見ると、安否のわからない日本人学生の一行がずいぶんいるらしい。大学の語学研修の時期なのかなあ。2月3月といえば学年末だろうに、期末試験のようなものは心配しなくてもいいのかな。日本からの留学生が減ったのは、就活に支障が出るという理由が大きいとからと聞いたけど、語学学校への短期の「研修ツアー」なら問題ないってことなのかな。(中学生まで団体で語学研修旅行だって。)最近のニュージーランドは日本人の間で語学留学やワーキングホリデイの人気スポットになっているらしいけど、バンクーバーの語学学校の経営が苦しいらしいのは、(大得意の韓国が不況という要因があるとしても)ニュージーランドにお客を奪われているということもあるのかな。こういうことにはやっぱり流行り廃りがあるということで、「世界一住みやすい都市」(エコノミスト誌のランク)で、(今のところ)地震がなくて安全なバンクーバーがまた人気スポットに返り咲くかもしれないってことかなあ・・・。

まあ、お客の都合はどうでもいいんだけど、地球はひとつの丸い球だし、地殻の上に乗っかったプレートもくっついて押し合い圧し合いしているんだから、バンクーバーだっていつグラッと来るかわからないんだけど・・・。

食事作法と縁結びの関係

2月22日。火曜日。今日もいい天気。いくら寒波が来るといっても、晴れれば日中の気温はまさに春うららの陽気だから、生理的なリズムも何となく狂いがちなのか、ふたりして朝から「かったるいな~」。ほんとにもやもや~っとかったるいんだけど、仕事があるしねえ、といったら「ボクもまだ2回レッスンがあるなあ」と。うん、今夜とあしたの夜のレッスンが終われば、英語教室は一応は「無期休校」。だけど、その先はその日その日に予定を決めればいいわけだから、お気楽で良さそうに見えるけどなあ。

もっとも、そうなったらそうなったで、あんがい「旗本退屈男」になってしまうかもしれないな。ふむ、そのときには、「じゃあワタシがばりばり仕事をして稼ぐから、アナタは主夫になって家計と家事とワタシのめんどうを見てちょうだいね」と言ってみたいような気もするけど、ま、それは夢のまた夢のは百も承知。だって、家事なんて、やらないし、やれないし、やりたくもないし。家計だって、会計士だからお手のものだろうと思ったら、「職業だから家に帰ってまでやりたくない」と丸投げしたままだし、ワタシのめんどうを見るなんて、めんどうをみてもらうのは自分の方だと思っているらしいから、どうなることか。だから、やっぱり「痒いところが痒くなる前に手が届くくらいのかいがいしい世話を焼いてくれる専業主婦のかわいい奥さん」の方がこの人にはふさわしかったのかなと思わないでもないんだけど、実際にそういう痒くなる前に掻いてくれるようなかいがいしい世話を焼かれると逆にうるさがる人だから、どうなることか。

長いこと夫婦という関係でひとりの男と親密に付き合っていると、「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもんだと思えてくる。恋をしたいからといって恋人募集をかければ、いいってもんじゃないし、結婚をしたいからといって婚活すればいいってもんでもなさそう。まあ、「運命の赤い糸」なんて言うけど、たぐりよせるのにあまり強く引っ張るとプツンと切れてしまいそうな感じがするし、何本もあってどの色合いにしようかと決めかねることもあるだろうし、これだ!と思った糸がすぐに色あせてしまうということもあるだろうし・・・。やっぱり先立つものは「縁」かな。だけど、この「縁」というやつ、ほんとうにあったのかどうかは何年も一緒に暮らしてみなければ確信が持てないものらしくて、その間にいろいろと「疑い」を喚起するような波風が立つからやっかいだな。

小町で、最近婚活で知り合った人と食事をしていて彼氏がビックリする行動をしたので、『食事マナーができていない彼氏』というトピックを立てて、「お別れしたほうが良いでしょうか」と聞いている人がいる。イケメンでもなく、高給取りでもないけど、優しくて大切にしてもらえそうな彼氏だけど、食事中に(一応上品そうにフォークに刺してだけど)パンでお皿を拭って食べたのが「ありえない」と。トピックそのものは、フランスでは、イギリスでは、作法では、マナー教室では・・・と定番の「半径5メートルの知識」をひけらかしてのマナー論争になっていたけど、それはさておき、同様にマナーのできていない夫たちが続々と登場するからおかしい。(国際結婚関連のトピックにもマナーのできていない外国人オットたちがたくさん登場して来るから、男のマナー問題は人類共通なのかな?)

結局は、マナー違反じゃないと言われた投稿者が「お皿を舐めるような行為と感じて嫌だった」、つまり、相手のマナー云々よりも相手の行動に生理的な嫌悪感を持ったという「本音」を吐露した形になったけど、それだったら気持が冷めて別れようかと思うのは理解できる。誰かがいみじくも「結婚は生理現象だ」と書き込んでいたけど、あんがい男女の縁というのはそういう生理的な感覚での「相性」のことなのかもしれないな。ちなみに、カレシも小町女性のものさしで測ると食事のマナーができていない部類に入る。外では、毎週外食するようになってからだんだんに高級な方へ足を向けるようにしたら、周囲の雰囲気から自分でグッドマナーを吸収したようだけど、家では食事中に何かに気を逸らされて席を立つのはしょっちゅうだし、ゲップはするし、屁はこくし・・・。でも、ワタシが作った料理をいつも「おいしい」と言いながら食べてくれるから、まっ、いいか~となる。

それでも、もしも初デートでのカレシがそんなテーブルマナーだったら、これはダメだと思ったのかなあ。(初デートは2人ともコチコチだったけど・・・。)たぶん、今風に結婚がしたくてコンカツに勤しんでいたとしたら、「縁がなかった」と言ってお別れしたかもしれないな。まあ、恋は盲目の状態になっていたら、あばたもえくぼでちっとも気にならなかったんじゃないかと思う。いざ結婚してそれが「問題」になったときにのそれぞれの反応に、2人の間にほんとに「縁」があった(We were meant for each other)かどうかが見えてくるのかもしれないな。

ちょこっとしばれるんだって

2月23日。水曜日。春眠何とやらと言うけど、目が覚めたのは正午過ぎ。今日は通ったはずのごみ収集のトラックの音にもリサイクル車の音にも反応しなかったもので、すわ、大雪か?と思ったけど、目を開けたらなんだか春爛漫みたいな明るさ。起きてテレビをつけたら、ビクトリアではなんと25センチの「ドカ雪」が降って、街中が大混乱しているというニュース。しかも、まだまだ木曜の朝までは降り続けるんだそうな。そろそろ街中の花を数えて、まだ冬最中のカナダ全国に見せ付ける恒例の「フラワーカウント」の時期なのに、大変だなあ・・・。

ビクトリアではカレシの仕事の都合でほんの6ヵ月ほど住んだ時にも記録的な雪が降ったっけ。もう31年も前のことだけど、州都ビクトリアは公務員の街で、まだカナダ国籍になっていなかったワタシには働き口がない。しかたなく失業保険でぶらぶらしているうちに年が明けて、ある日、雪が降り出し、まあよく降ること。翌日には40センチも積もったからびっくり。カレシの職場は歩いて20分ほどの近さで良かったけど、「臨時専業主婦」のワタシは車でスーパーまで買い物。当時はホンダのシビックに乗っていて、スノータイヤには替えてあったけど、道路はぐしゃぐしゃで、車線のラインは見えないし、止まるたびにスリップして魚の尻尾のように後部が振れるから怖い。何とか事故を起こさずに乗り切れたはいいけど、生まれて初めてすごいホームシックにかかって、ひとりだけでも先にバンクーバーに帰るとカレシにだだをこねた。カレシが州税監査官に転職が決まってバンクーバーに戻ったのは、セントへレンズ山が大噴火する前の日・・・。

今日が英語教室最後の授業になるカレシは「雪が降ったらキャンセル」と予告してあったそうだけど、曇って来たのに雪が降り出す気配はない。それでも午後4時の気温はゼロで、じわじわと冷えてくるのがわかる。家の外にある水道栓は内側からシャットオフしたし、まだ芽を出したばかりの野菜の苗はトレイごと家の中の園芸ルームに避難させたし、これで準備万端、さあ、冬の最後のあがきを見せてもらおうか、とヘンに威張ってみたけど、雪、降りそうにないなあ。まあ、最後の日にキャンセルと言うのはなんだよなあ~と言いつつ、ワタシにとってもご用納めになる超特急の夕食をして出かけて行った。

テレビの天気予報のレーダー地図を見たら、あ~ら、厚い雪雲は国境のすぐ南、ワシントン州を東へ移動中。メトロバンクーバーの予想積雪は2センチくらいだそうで、ちょっと拍子抜け。まあ、雪に埋もれて花の数を数えるどころじゃないビクトリアの人たちには悪いけど、Better you than me(こっちに関係なければ、そっちのことはどうだっていいっつぅ~の)!予報では、あしたの木曜日から晴れで、気温はどんどん下がり、金曜日と土曜日の明け方の最低気温はマイナス7度。うわ、しばれる!(といっても、道産子にはマイナス7度じゃ「厳寒」のうちには入らないけどね。)土曜日の夜から雨交じりの雪になり、最高気温が7度まで上がる日曜日から先は、なあんだ、ただの雨、雨・・・。

どこから来たのか知らないけど、北海道語の「しばれる」という言葉はガチンと冷え込んで金縛りになったような雰囲気がよく出ていると思う。寒波が続けば、何もかも「がんがらがん」になるし、手は「かじかむ」けど、それでもちゃんと「まかなって」いれば心配なし。「雪かき」を「雪はね」というのはいかにも北海道らしいエネルギーが感じられるし、「捨てる」ことを「投げる」というのも豪快でいい。まあ、ごみを「投棄する」というから、「投げる」方が正統派のような気もするけど。昔は雪が降ると「スコップ」を持って外に出たものだけど、今は主婦の仕事になっているらしくて、積もった雪を押してかき退ける道具を「ママさんダンプ」というんだそうな。いやあ、これはもう豪快を通り越して、どさんこ女性のパワーが全開といったところ。うん、北海道語、なつかしいなあ。だけど、仕事があと3つ。のんきに油売ってたらからっぽやみといわれそうだし、たいぎでもはっちゃきこいてやらないと予定がわやになるべさ。

体感温度マイナス17度!?

2月24日。木曜日。目が覚めたら、うん、明るい。雪、降った?と起き出したカレシに聞いたら、「グリーンだよ」という返事。ほっ、雪は降らなかったんだ。だけど、天気予報を見ていたら、明日の明け方の最低気温は2月末としては新記録のマイナス8度で、「風速冷却指数(windchill factor)」、要するに「体感温度」はマイナス17度だって!(ご託宣の主は気象庁の予報官で、その名もコールドウェル(Coldwell)さん・・・。まさか、天気に関係のありそうな名前の人を優先採用しているってわけじゃないだろうなあ。)ま、それでも、どれだけ寒かろうが、雪が降ろうが、せいぜい日曜日の午後までの辛抱らしい。それにしても、バンクーバーっ子は天気の話をするのが大好きということになっているけど、ワタシもここんところ天気の話ばっかりしているような感じ・・・。

天気がいいし、クリニークではおまけがつくし、ということで、トレッドミルの運動に替えてモールまでひとっ走りすることにした。午後1時半の気温はプラス2度。走るといっても、トートバッグを肩に猛烈な早足で歩くんだけど、うわ、風が冷たい!手袋をしていない手がじ~んとする。(だって、手袋なんか持ってないもん。)露出した頬っぺたもじ~んとして、寒冷じんましんが出そう。だけど、背中に日差しをいっぱいに浴びて歩いていると、フリース裏のジャケットの中はじ~んと暑くなって、冬物のTシャツ一枚でも汗が出てくる。カレッジの前には着ぶくれした人たちがぞろぞろ。言葉からして寒がりやで知られるアジア人留学生らしいけど、まだ氷点下になってないよ、キミたち。今からまるで北極圏にいるみたいにぶくぶくに着込んでいたら、もっと冷えるあしたはどうする~?

ベイのクリニークのカウンターでクリームやらローションやらを買って、おまけを2セットもらって、地下の郵便局で私書箱を開けてきしっと詰まっていた郵便物(カタログに混じって、お、売上税還付の小切手も!)を引っ張り出し、ついでにキチン用品売り場に寄り道。新しいスチーマーが欲しいし、フライヤーも欲しいし、フードプロセッサも欲しいし・・・とぶらぶらと眺めて歩いていて見つけたのが、おひとり様サイズの蓋付きのキャセロール鍋。レンジでもオーブンでも電子レンジでも使えて焦げ付かないというもので、直径が10センチくらい、容量は300ミリリットル。おお、コースメニューのときに「なんちゃって○○鍋風」を出すのにうってつけじゃないの!食べる人が蓋をあけるまで中身をヒミツにできるのも、ちょっとしたお楽しみ要素を演出するのにもってこい。黒いのにしようかなあ、それとも外側が赤いのにしようかなあと、1分くらい迷って内側も外側も真っ黒なのを4つ買った。

これだからカレシに急かされないひとりショッピングは楽しい。せかせかしていないときは、思いがけないめっけものがあるってことなのだ。「ゆっくり走ろう北海道」だもんね・・・関係ないけど。ブランドショップのウィンドウに赤が多いのは、ひょっとしたらこの春の「流行色」ってことなのかなあ。赤はいいなあ。ピンクと違って、赤は華やかなエネルギーを感じさせるから好きな色。情熱的ってことかな、やっぱり。流行には関心がないけど、好きな色が主流になれば選択肢が増えてうれしい。

明るい春のファッションを眺めて息抜きをした気分になって、またテクテクと早足で家路に。いやあ、そんなに強くはないけど、南斜面のふもとの川面から吹き上げてくる風の冷たいの何のって。夜間の「体験温度マイナス17度」は脅しじゃなさそう。この分だと、日曜日になって雨が降り出すまでは冬眠だなあ。仕事の方は、はて、はかどるんだろうか・・・?

すずめ百までバイリンガル

2月25日。金曜日。けさもまぶしい。最低気温は空港で午前7時にマイナス8度だったそうな。ここでの観測データがバンクーバーの公式記録ということになる。午前7時と言うとちょうど日の出の頃か。夜明け前が一番暗いというけど、夜明け前は一番冷える時間でもあるのかな。

きのう寝る前に仕事にひと区切りついたので、今日は休み。ちょこちょこと休みが入るのはやっぱり楽だな。再来年の春に年金をもらうようになったら、やっぱりこんな風に仕事をしては休み、休んではまた仕事をするといったライフスタイルにしようかな。小町で普通の女性が働き続けるのは何たらかんたらというトピックがあって、どうも働きたくないらしい(20代の)投稿者が、「(結婚した女性は)のんびりとしたいことを仕事にして自分のペースで生きていくことが、精神的にも肉体的にも大事」と言って井戸端論議をかもしている。まあ、女性雑誌か何かの働く奥さんのイメージに逆行することに気が咎めるのかもしれないな。「働かない」ことを正当化しようと躍起になればなるほど、「働きたくない」ことを肯定してもらいたいのがはっきりして来る。のんびりとやりたいことをやって生きて行けたらさぞかし楽だろうと思うけど、人間として生きている以上はそうは問屋が卸してくれない。自分の人生なんだから、働くも働かないも、自分で決めて堂々と生きて行ったらいいのに。

どうもこの人はフリーで「のんびり」とやりたい仕事をしている友達が羨ましいらしい。のんびりとやっているフリーランスもいるんだろうけど、ワタシはのんびりとやれたことがないな。左脳と右脳をこき使って、2つの言語の間を行きつ戻りつしている身として、つい最近あちこちのメディアに載った「バイリンガルは認知症の発症を遅らせる」という研究発表の記事にちょっぴりはげまされた気分になったくらい。これは別に新しい発見でも何でもないんだけど、2ヵ国語が話せて、日常生活で両方をよく使う人はアルツハイマーのような認知症の発症が4年か5年くらい遅く、両方とも流暢ならもっと効果が高いらしい。ただし、少し先延ばしできるという程度で、予防にはならないらしい。それに、バイリンガルだと知能水準が高いというわけでもないそうで、単にバイリンガルの人は脳内での処理能力のやりくりに長けているということらしい。おもしろいと思ったのは、バイリンガルの人はモノリンガルの人と会話をするときにもう一方の言語が混じることはないということ。つまり、英語をちりばめた日本語を得意になってしゃべって顰蹙を買っているらしい海外帰りの日本人はまだバイリンガルの域には入っていないってことかな。日本の新聞記事にはそこのところが抜けていたような気がするけど・・・。

数年ほど、読み書きには困らないのにしゃべろうとしても日本語が出てこないと感じていた時期があった。翻訳を生業としているんだから、忘れたということにはならない。かなりの悪文でも読んで理解できる。(できなかったら英訳の仕事はできない。)仕事以外には日本語を使わないから、耳から日本語が入って来ない。そのせいで話し言葉とつながらなくなって、音声として出て来なくなりつつあるのかと憶測して、引退すれば日本語はどんどん遠くなるだろうから、それもありでいいかなと思っていた。それが、おととしの春にひとりで日本へ行って来てから少しずつ変わって来て、去年行って帰ってきてからは、単語を思い出せなくてつっかえることはあっても、けっこうすらすらと話せるようになっていることに気が付いた。耳や喉の奥にずっと垢のようにたまっていたものが取れて軽くなったような、なんかすっきりとした感じがする。たぶん日本語を話せなくなったんじゃなくて、日本語「で」話すことができなくなっていたのかもしれない。それが、「日本語での会話」に抵抗がなくなって来たということなんだろうと思う。

ということは、どうやらワタシも数年はボケるのを先延ばしできそうということか。書くことにかけては、日本語でも英語でも饒舌きわまりないのはわかっているし、口の方だって、延々1時間も英語でしゃべり続けたくらいだから、それに輪をかけたような饒舌な日本語のおしゃべりに辟易する人が出てくる日もそう遠くないかもしれないな。あんがい百歳までボケないかも・・・。

ちょうどほどほどのところで・・・

2月26日。土曜日。目を覚ましたのは午前11時40分。ん、何だか薄暗いな。そういえば、お昼前後から雪が降り出すという予報だったから、もう降っているのかなと思って起きてみたら、曇っているだけで、まだ。まあ起き出してしまったからと、顔を洗ったり何だりして、バスルームから出てきたら、うわっ。粉雪がわ~っと降っていて、地面はもう真っ白。ポーチの温度計はマイナス4度。何だか知らないけど、この頃の天気予報は「何時ごろから」とピンポイントで、当たるときはほんとにその通りになるからおもしろい。

外で舞う粉雪を見ながらの朝食で、2人してトーストをかじっては「ラッキー、ラッキー」の連発。というのもこのトースト、もう少しで食べられないところだった。きのうの夕食後、カレシがいつものようにブレッドマシンに材料をセットしてスタート。ところが、2、3回くらい混ぜたところでガキンという音と共にストップ。容器がしっかりはまっていなかったのかと思って、カチッとはめ直してから再スタート。3回くらいでまたガキン。蓋を開けてみたら容器が外れている。もう一回トライして、やっぱり容器が外れる。5年くらい使っているから寿命なのかな。とにかく、パンを焼いてくれそうにない。どうする?木曜日だからモールは9時まで営業しているね。よし、容器にラップをかぶせて、(イーストが働き始めないように)冷蔵庫に入れて、それっ。

モールまでは車で5分足らず。ベイの地下のキッチン用品売り場へ直行して、同じ型のブレッドマシン(といってもクイジナートのこれしか置いてない)の箱を持って、レジへ直行してベイのカードで支払い(土曜日まで15%オフ!)。まあ、ショッピングの最短時間記録だろうな。家まで急行して、冷蔵庫から出した生地が室温に戻るのを待つ間に、新しいキカイを箱から出して、容器を洗って、まだ少し冷たい生地を移して、スタート。3時間10分後、無事にパンが焼き上がった。それにしても、新品のキカイが数年使ったものとまったく同じというのは、モデルチェンジの激しい今の時代ちょっと驚き。デザインも機能もボタンも、何ひとつ変わっていない。(価格は少し安くなっていたような・・・。)

緊急事態が今夜だったら、雪が積もって「ひとっ走り」というわけには行かなかったかもしれない。もっとも土曜日のモールは6時までしか開いてないんだけど、ま、雪雲の来るのが1日。早かったら、けさこうしてトーストを食べられなかったということ。冷蔵庫に入れられたり、容器を変えられたりしたわりにいつもより良く焼きあがっていたのは、新品のキカイが焼いたからかな。数えてみるとブレッドマシンはこれが7代目で、一番長持ちしたのは6代目。つまり、これからまた5年は大丈夫と言うことかなあ。見直したぞよ、クイジナート。

バンクーバーとしてはめずらしく細かな粉雪。ひとしきり降って止んで、気温はマイナス3度。今日とあしたは冬ごもりして、少しゆっくりのペースで仕事をすることにする。ゆっくりだから、PCの前に座れば寄り道三昧。今日も世界のいろんなニュースが駆け巡っている。最近おもしろいのが健康関連のニュース。コレステロールが多いからあまり食べない方が良いとされて来た卵。今度は飼料などの改善で「食べた方が良い」。肥満の原因になる「甘いもの」と一緒にされて来たチョコレートも、カカオ65%以上のダークチョコは酸化防止成分のフラボノイドが豊富で、血圧とコレステロール値を下げる効果があるから「食べた方が良い」。健康に良いのか悪いのか二転三転するコーヒーも、糖尿病やがんにかかるリスクを減らす健康効果があるから「飲んで良い」。成人病の元凶扱いされて来たアルコールも、実は心臓病の予防効果があるから「飲んでも良い」。

もちろん、どれにも「ほどほどに」という但し書きが付いているけど、イギリスでは1日。あたりのカロリー摂取量の基準を引き上げる動きがあるというから、「ほどほど」の線引きもあまりあてにならない。病気で食事療法を必要とする人でもない限り、健康、健康と、細かな数字にこだわりすぎたり、マスコミが流す「危険情報」にいちいち反応してむやみに怖がったりしていたら、今度はストレスホルモンが増えてしまって、せっかくの健康への努力も逆効果になってしまいそう。つまるところ、ゆったりと構えて他人に振り回されることなく、何でもほとほどの量をおいしく食べて、楽しく飲んで、ほどほどの運動をしなさいってことで、医学の進歩に関わらず、健康に生きるための秘訣は昔から基本的には変わっていないんだろうな。「変われば変わるほど、元のまま」という名言があるから。

午後4時すぎ。また雪が降り出した。今度は少し大きめの雪ひらだからけっこう積もりそう。ポーチの温度計はマイナス2度。天気予報を見たら、日曜日の明け方の最低気温はプラス1度、日中の最高気温はプラス5度で、天気は雨。なあんだ、今回も備蓄してある融雪塩の出番はなさそうだな。ま、ほどほどに降って、ほどほどのところで消えてくれれば・・・。

人間も死滅回遊するのか・・・

2月27日。日曜日。薄目を開けて、ん、明るくも暗くもない。起きてみたら、おお、雨だ!正午過ぎのポーチの温度計はプラス1度。あったりまえだよなあ。だって、あしたはもう弥生3月じゃないの。もっとも、3月はライオンのごとくやって来るというからなあ・・・・

ゆっくりやれる仕事の方はきのうのうちに約25%を終了。ふむ、ほんとは50%であるべきなんだけど、ま、いいか。格調の高い英語がご所望なんだそうだけど、日本語の原稿はあまり格調が高いとは言えないなあ。コンピュータが普及し始めた頃に「GIGO」という言葉が流行ったけど、これは「Garbage in, garbage out」、つまり、くだらないことを入力したって、くだらない結果しか出てこないという意味。まさに、フツー(あるいはそれ以下)の日本語文を書いておいて、格調の高い英語文もへったくれもあるもんかという、気分になってしまう。まあ、文章を書いた人たちはみんなエライ学歴と高い学位をお持ちのエライ人たちのはずなんだけど、そういうエライ人が自分で発注業務なんてやってるわけがないから、いくら文句を言ってもむだだけど。んっとに、まったく、もう・・・。

きのう、ロイターズ経由の記事に「日本の女子高校生のほぼ4分の3が自分は太っていると思っている」という見出しがあって、その記事が読売新聞の英語版にも転載されていた。(日本語版では見つけられなかった。)東京のある研究機関が、日本、アメリカ、中国、韓国の7千人以上の高校生を対象に調査をしたところ、自分が太っていると思うと応えた割合は、日本71%、韓国57%、中国39%、アメリカ29%なのに対して、実際の平均BMIを見るとアメリカが一番高くて22.6日。本は一番低くて20.0だという。日本の政府でさえ最近は日本の若い女性は痩せ過ぎだと言っていたのに、それでも「太っている」と思うというのはどういうことなんだろうな。それが女性の美の基準となっているのか、それとも幼児的な体型への憧れなのか・・・。

この調査では、日本の高校生は4ヵ国の中でも「自尊感情」が最も低く、「自分は価値のある人間」と思う割合はわずか7.5%(アメリカ57%、中国42%、韓国20%)。この他にも、自分をポジティブに評価しているか、自分に満足しているか、自分には能力があるかと思うか、といった項目についても、日本の高校生の肯定的な回答の割合はすべて4ヵ国中の最低だったそうな。バブル崩壊以来の経済的の停滞に一因を求める向きもあるようだけど、どうなんだろう。ワタシは自信のなさの元凶はずばり「教育」にあると思うけどな。バブル時代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と煽てられて舞い上がったオトナが作った教育指導要領の影響をもろに受けたのが、バブル崩壊後の様変わりした現実世界で暗中模索を強いられている今の若い世代ではないのかと思う。バブルの後遺症といえなくもないけど、問題はまだ社会に出ていない世代がすでに自分を見失って、閉塞しているということかな。

稲作社会の日本には、元々から村の「和」を尊ぶあまりに個人(自我)の尊厳を否定する文化が根底にある。ワタシは、子供の頃から持って生まれたいろんな要素が「和」を乱すとして叩かれ、成人してからも人間らしく生きるために懸命だっただけなのに「(オレより)上に出るな」と叩かれて、それでも生き延びてきた「ぼっ杭」だから、個人の人格を否定するようことには人一倍敏感なところがあるとしても、今の日本の社会文化は自分を肯定する人、信頼する人、大事にする人を叩いて、貶めようとする「いじめ文化」が疫病のように蔓延しているように思う。人が自分の考えを述べることも、自分をポジティブに評価することも、自分はまっとうにがんばったと思うことも、受け取る側にはすべて悪。目立つな、人の迷惑になるな、人を不快にするな、人の考えや感情を最優先して考え、行動しろ・・・。

そうやって自己否定を強要することを、友だちや家族、夫婦の関係では「モラルハラスメント」、俗に「モラハラ」と呼ぶんだけど、バブル崩壊後の「失われた20年」の間にいつのまにか「常識」とか「マナー」と呼ばれるものになって正当化されて来たように見える。去年の教材関係のプロジェクトで資料として渡された教科書を見て、バブル期に始まっていわゆる「ゆとり教育」で頂点に達した教育政策がその元凶で、基本的にアメリカの教育思想を取り入れたはずなのに、その趣旨とは逆の結果が生まれたように見えるのは、やはり「個人(出る杭)」を尊重するという考えが抜け落ちていたからではないかと思った。他人とは違う自分の存在を認識していなければ、どうやって肯定すれば良いのか・・・。

何年か前に漁業に関する文書を訳していて「死滅回遊」という言葉に遭遇した。魚が海流などの影響で本来の生息域から遠く離れてしまい、元の海に戻れないまま、新しい環境での条件に適合できないために死滅してしまうことを言う。英語では「abortive migration」となっていたのに、海洋生物学の専門家にそんな用語は聞いたことがないと言われて頭を抱えた。どうやら迷子になった外洋の魚がうっかり日本の海岸に来て、釣り上げられたり、死んで打ち上げられたりすることを指す、四方を海と海流に囲まれた日本ならではの表現らしい。でも、こんなところで「死滅回遊」なんて物悲しい言葉を思い出したのは、海流に押し流されて、あてもなく大海を漂流しているような若者たちのイメージと重なったからかな。どこへ行くんだろう・・・。

母の心子知らず、この心母知らず

2月28日。月曜日。車道はほぼ100%、歩道も大半の雪が解けた。気温の予想は日中の最高も夜間の最低も向こう1週間はしっかりとプラス。あさっては相当に凶悪な嵐が来るらしいけど、まあ、白くなければちょっとぐらいの荒れ模様でもいいか。やれやれ・・・。

午後いっぱいは例の「注文の多い」仕事の見直し。元がフツーの文章で、内容そのものがごくフツーのことだったら、訳文も良くして「フツー」のレベルで、それ以上にはやんごとないレベルにはならないんだけどなあ。まあ、やってやれないことはないけど、英語でいうならtongue in cheekとでも言うのか、「やってらんにゃ~い」というような滑稽さが漂ってしまいそうでいけない。早い話が、日本の総理大臣の演説をオバマ大統領のようなレベルの英語に訳せと言っているようなものかもしれない。ひと言で言って、ムリ、no way、nada。ま、このあたりの葛藤があんがい翻訳商売における自虐的な楽しみだったりするんだけど・・・。

仕事にかまけているうちに、いつのまにか州の首相が新しくなっている。3期続いたキャンベル政権が州の売上税の連邦売上税との統合を強引にやってのけたことで与党の支持率が凋落する結果になって辞任を表明。新しい党首を決める選挙が土曜日にあって、選ばれたのが元閣僚のクリスティ・クラーク。キャンベル政権の閣僚だった頃に出産して、赤ちゃんを執務室に寝かせて仕事を続け、わりと美人ということもあって将来を期待されて副首相にもなったのに、なぜか育児と家族に専念すると言って政界から引退。この数年は地元のラジオ局でトークショーをやっていた。ラジオ番組のホストだけあって、立て板に水のしゃべりっぷり。いつのまにか離婚したようで、今回は9歳の息子を持つ45歳のシングルマザーとして州首相に就任するんだから、そのエネルギーはすごい。ま、野党の新民主党も似たような内輪もめで女性党首を退け、もうすぐ党首選があるから、そうでなくても何が起きるかわからないBC州の政治風景、彼女の政治手腕や政治日程は別としても、これからまたちょっとおもしろくなるかもしれないな。

今日の郵便にカレシの弟のジムから一通の封筒。宛名が2人になっていたから、何だろうと思って開けてみたら、小切手が1枚。ぺたんと貼ってあった黄色い付箋には、ジムの筆跡で「ママがみんなにあげると言っているから」という、謎めいた短いメモ。よくみたら、額面は1000ドルで、ジムの筆跡で書いてあるけど、サインは間違いなくママのもの。「ボケが始まって、頭がどうかしちゃったんじゃないだろうな」とカレシ。さっそくジムに電話をして事情を聞いたら、満期になった定期預金の分配だということだった。90代になって改めて定期預金に入れ直してもしょうがないし、かと言って自分の生活は老齢年金とジムが管理している投資信託の配当だけで十分以上だし、今すぐ役に立つところで使われた方がいいと決めて、夜の9時過ぎにジムを呼び出して小切手を作らせて、郵送させたんだそうな。

ジム曰く、「ママは好きなように使えと言っているんだから、そうするのが一番だと思う。いらなければどこかに寄付したっていいし」と。だけど、ポケットマネーと言えるような金額じゃないから、カレシは「ほんとに正気なのか」と心配。たしかに、去年の立て続けの骨折事故と入院の後には、食事を拒否したりして周囲を心配させたけど、今はきちんと食事をするようになって、薬で消耗した体力もかなり回復したし、ホームの中を歩行器具なしで歩けるようになっている。カレシに言わせれば、この先まだ何年もあるんだから、生活に困っていない子供や孫に金を配るなんてどうかしているということらしい。だって、このまま120歳まで悠々と暮らせるお金があるなら、設備も介護も環境もこのあたりで最高のホームに入ることだってできると思う。だって、大恐慌時代と、第二次世界大戦、そして極貧生活の時代を、働いて、家庭を切り盛りして、3人の息子を育て上げたママが築いた老後資金なんだから当然だとみんなが思っているのに、と。

よく「親の心、子知らず」というけど、「子の心、親知らず」も然りなのかな。最後的に、「せっかくだから、何か有意義なことに使おうね」と、納得したのかどうかわからないけど、カレシの結論。うん、120歳まで悠々自適ということなら、安心してありがたくもらっちゃっていいか・・・。


2011年2月~その1

2011年02月16日 | 昔語り(2006~2013)
のるかそるかのクランチタイム

2月1日。火曜日。ゲートのチャイムの音で目が覚めた。そういえば、天文学と気象学の講義のDVDを注文してあったんだ。FedExで送ってくるけど、サインしないと置いていってくれない。ま、あしたまた再トライしてくれるし、またすれ違ったら空港近くのFedExのオフィスまで取りに行けばいいんだけど。今日もこの時期にしては良すぎるくらいの晴天で、窓が5面にある二階の八角塔は、もしも猫がいたら喜びそうな、いや、猫でなくても、陽だまりに丸くなって昼寝をしたいくらいポカポカ。

今日はのるかそるかの「クランチタイム」。あしたの夕方が期限の仕事、あの業界の原稿にふさわしい日本語。へたをすると数百文字がひとつのセンテンスだったりして、びっしりと画面を埋めている文章を「解読」するのに、行を分けてみたり、並び替えてみたりして、どこをどうして、何がどうなって、結局はこういうこと・・・かな?というめんどうな謎解き。英語の法律文書にもたまにすごいのに出くわすけど、どうも日本語の文法ってのは、法律的なことを論理的に、正確に、こと細かに説明するのが苦手なようにできているらしい。書いている人は一生懸命に疑義のないように明確に書こうとしているのはわかるんだけど、肝心なところで平素の日本語になって、「主語」が抜けるから、「~しなければならない」責任の所在があやふやになる。書いている人の文章力の問題じゃなくて、日本語そのものがそうなってるんだろうな、きっと。

そうやって髪をかきむしりながらキーを叩きまくっているところへ、またぞろ超特急の仕事が舞い込んでくる。何時ごろに原稿が来る予定だけど、何時ごろまでに出来上がりそうか。息抜きにねじ込めば、今夜の夜中までには何とか。それまでは先行の方をがむしゃらに進めておいて・・・と算段していたら、入稿予定の時間を過ぎて、超特急の原稿がまだ客先から来ていないという赤丸つきのメール。大雪に埋もれて立ち往生しているわけじゃあるまいし、最近はこういう、まずは「すぐにやって!」と命じておいて、「あ、原稿はまだですぅ」という担当者が客先の組織に増えて来ているような感じがするなあ。ひょっとしたらゆとり教育の落とし子なのかな。それともクリックひとつでインスタントに何かが起きる時代の落とし子なのか・・・。

結局のところ、なぜか知らないけど肝心の原稿が当初完了予定だった夜中過ぎにずれ込んでくれたおかげで先行仕事を完了した後でやれることになった。超特急が鈍行になって、クランチタイム真っ最中のこっちは万々歳だけど、発注担当者は焦ったかもしれないな。いや、ぜんぜん焦らなかったのかもしれないけど、ま、とにかくオツカレサマ・・・。

肉食女子は生の肉も食べる

2月3日。木曜日。正午過ぎの起床。雨もよう。ちょっぴり疲れた気分。何たってきのうはがんばったもん。まるで1万語の迷路みたいな文書を超特急で見直しして、期限間近の午後3時半に納品。漢字満載で延々と続く長大なセンテンス、さんざん苦労して訳したのをカレシに読ませたら、「なんだ、計算の式を言葉で説明しているんだよ」と。なあんだ。そうならそうと初めっから計算式で表してくれたらいいのに。とは言っても、契約文書だからそういうわけにも行かないか。だったら、まずこれを計算して、それからあれを計算して、最後にこれとあれをかけて・・・という具合にもう少し文章を整理してくれたらいいのに。くたびれたよ、もう。その後で急いで夕食をして、入稿が遅れた(そのくせ発注側の最終期限は変更なしの)超特急仕事をやっつけて、赤丸つきの超特急で送って・・・はあ、もういいよ。

納期をメモしてあるカレンダーを見たら、まだあと6つも仕事がある。まだ月が変わったばかりなのに、見ただけで「どっと疲れた」気分になって、もう今日1日。は休みだ、休み!そういえば、1日。は「創業記念日」だったのに、またまた仕事だなんだとばたばたしているうちに過ぎてしまった。ひとりで世渡りみたいな稼業になって21年。まあ、浮き沈みはあったけど、21年の間こんな調子でばたばたして来たような感じもするなあ・・・と、とりあえずの「創業記念日の感慨」。

今日は旧正月の元旦。カナダでは俗に「Chinese New Year(中国正月)」と呼んでいる。中国系の人口が多いバンクーバーでは商店も赤と金と「恭禧發財」の飾りつけ。広東語で「お金に恵まれる良い年を」と言う意味だそうで、さすが香港の伝統だけど、将来、標準語を話す中国本土からの移民が増えたら、バンクーバーでの中国正月のあいさつも変わるんだろうか。旧正月はベトナム系も韓国系も含めて、アジア系カナダ人のお祭りだから、いっそのこと「法定祝日」にしたらどうだろうな。なにしろ、2月には祝日がないもので、きは元旦のあとは復活祭まで祝日がない。この復活祭も3月の下旬から4月の下旬だから、祝日の空白は長い。ちなみに今年の復活祭は4月24日。で、計算の上では最も遅い日。ふむ、ワタシの誕生日の前の日か・・・。

ニュースのサイトを巡回していたら、共同通信発で「生肉の寿司が日本の肉食女子に人気」という記事に遭遇。日本には(食べたことはないけど)馬刺しとかとりわさというものがあるし、世界各地にだってタルタルステーキとかカルパッチオとかユッケとか、肉を生か、少なくとも半生で食べる習慣はあるんだけど、う~ん、肉をのせた握り寿司ねえ。客筋はアラサー世代の女性が多いんだそうな。生の牛肉、豚肉、鶏肉、馬肉、鹿肉・・・まさに「肉食女子」の本領発揮ってところかなあ。カレシに説明したら、(スシだと言ってるのに)なんだか子供の頃にホラー映画で見た「髪を振り乱して生肉を食らっている妖怪女」を想像してしまったらしいけど、今どきの日本女子は比ゆ的な意味で二本足のそれも特にオスの動物も食うという印象がなきにしもあらずだから、あながち・・・?

毎月30/31日。のうちの28日。か29日。は魚介類を主食にしている我が家だけど、記事を読んでいるうちに、何となくたらふく肉を食べたいような気分になって来たからおかしい。まあ、仕事というのは「客」という相手があることだから、いくら自営でもすべて自分の思い通りに運ぶことはほとんどないと言っていい。その点では会社勤めや宮仕えと同じようなもので、ドカ雪みたいにストレスがたまることには変わりはない。それできっと身体が動物性脂肪をたっぷり食べた~いと叫んでいるのかもしれない。ふむ、フリーザーの底に最後のサーロインのローストが1個あったような気がするから、見つかったら久々のローストビーフにするか、それとも大きな鍋いっぱいにど~んとグリコカレーを作るか。ワタシだって肉食女子なんだもの、年を取って少しばかり筋っぽいかもしれないけど、少なくともマグロじゃないんだから、四足動物の肉をたらふく食べたくなるときだってあるのだ。まだ、生身を食うところまでは行ってないけども・・・。

教育ママゴンとタイガーマザー

2月4日。金曜日。穏やかな日差し。温室の中は気温が上がりすぎて屋根が開き始めるほど。おとといの水曜日はグラウンドホッグデイで、北米の東部の各地ではそれぞれに名前のついたグラウンドホッグ(マーモット)が穴から出て来て(というか出されて)、地面に自分の影が見えるかどうかで春の到来を占わされる日。この冬は次々に襲ってくる大雪や吹雪に悩まされ続けたけど、各地のグラウンドホッグ君が眠い目をこすりこすり、「ボクの影、どこ~?」と言ったかどうか知らないけど、影を見なかそうで、「春はもうすぐそこまで来ている」というご託宣だったそうな。

口の悪いカレシは「すぐそこって、あと6日。?6週間?6ヵ月?」とテレビに向かって突っ込みを入れていたけど、影が見えたら「あと6週間冬が続く」。ワタシ突っ込ませてもらえば、グラウンドホッグデイから6週間後には公式に「春」が始まる春分の日が目の前だから、寝ぼけまなこのグラウンドホッグに言われるまでもなく、6週間後には春は来るってことなんだけど。でも、東部にまたまた大雪と寒波の予報が出ている。春は近いというご託宣が希望的観測に終わらないで、当たってくれるかな・・・?

この冬は(というよりはこの冬も)あっちこっちで異常な大雪やら寒波やら大雨だけど、アメリカのさらに南にあるメキシコの北部で雪が降って学校が休校になったという大異変。この日曜日にスーパーボウルがあるテキサス州のダラスも、ひと晩のうちに年間降雪量の倍の雪が降ったそうで、空からの写真を見たら一面の雪景色。ま、屋根があるし、寒いことに慣れているところのチーム同士の対決だからいいけど、11月に決勝戦があるカナダのプロフットボールでは、エドモントンやウィニペグのような冬の訪れが早いところで試合があると、降りしきる雪の中でのプレーということも珍しくはない。

アメリカンフットボールと野球、バスケットボールをアメリカの三大?国技と言っても良さそうだけど、日本の国技となるとやっぱり相撲か。柔道も国技に数えていいのかもしれないけど、プロスポーツとして商業化されている日本固有のものは相撲だけだと思う。いや日本の国技はパチンコだと言った人がいたけど、古来の格式ある大相撲が弟子をしごいて殺してしまったり、賭博に汚染されていたりと、なんか腐りかけた魚のような感じがすると思っていたら、今度は星を融通しあうという八百長スキャンダルで、とうとう春場所が中止になるらしい。格式あるスポーツも何もあったもんじゃないけど、カビの生えた封建的な体質が内部から腐敗し始めたということか。どんな風に変わろうとするのか、どれくらい近代化が可能なのかはわからないけど、一度きれいに解体してしまって、改めて構築し直すしかないだろうな。それも、一般の国民が「国技」としての存続を望むなら、だけど。

今アメリカとカナダで、イェール大学エイミー・チュアという中国系アメリカ人の法学院教授が自分の娘たちの教育について書いた『Battle Hymn of the Tiger Mother』という本がベストセラーになると同時に賛否取り混ぜての大議論が巻き起こっている。彼女が主張する「中国流」の教育法が「アメリカ流」の教育に勝っているかどうかはおいとくとして、まっさきに「ママゴン」という言葉が浮かんで来た。大学受験の試験地獄が過酷になる中で、いい大学に入って、いい企業に就職するためにと子供を勉強、勉強、また勉強と駆り立てていた、いわゆる「教育ママ」を、時の怪獣のブームに乗って「ママゴン」と呼んでいた。チュア教授はそのママゴンと似ていなくもないと思う。

あの頃はまだ機会均等法の前だったから、特に男の子への圧力が大きかったように思う。中には「勉強していい大学に入らないとパパのようになってしまうよ」と息子のお尻を叩いたママゴンもいたそうで、残業に追いまくられる企業戦士の夫たちに欲求不満を抱えていた専業主婦の妻たちがあり余るエネルギーを子供の教育に向けていたようなところがある。チュア教授は自分が父親からそういう教育を受けて成功したからだといいたいようだけど、彼女の父親は中国からの移民で、新天地アメリカで成功するためにはアメリカ人の何倍もの努力が必要だった世代。自分がそういう風に育てられたからと、自分の子供にも・・・というのはDVの連鎖を思わせる。いや、母親が期待する結果を出せなかった娘を「ゴミ」だの「バカ」だのと呼び、すべては「子供のため」にやっていることだと言うのは、DV族の常套句でもある。

ママゴンにお尻を叩かれながら、受験地獄を通りぬけ、一流大学に入って、一流企業や中央官庁に就職した(はずの)男の子たちは、今ごろは一流企業や中央官庁の中堅エリートになって、世界をまたに大活躍しているはずだけど、実際にはどんな人生だったんだろうな。企業も官庁も、汚職だ、隠蔽だ、改竄だ、偽装だ、盗撮だ、買春だ、八百長だ、なんだかんだと、まあいろいろとあるけど。ダボスでハーヴァード大学のサマーズ学長がチュア教授にかみついたそうな。「世界を大きく変えたビル・ゲイツとマーク・ザッカーバーグはどちらもハーヴァード大学中退。タイガーママにとっては失望のいたりだっただろうね」と。チュア教授が自分のやり方に確信を持っていて、娘たちがそれにポジティブに応えていたんだったら、良い結果が生まれるかもしれないけど、彼女の本を買って読む母親たちがみんな大学教授とか企業幹部というわけじゃないし、すべての子供たちが高い能力をもって生まれてくるわけでもない。うまく行かない人生に不平不満を抱え、自分の考えも持たずに闇雲に「タイガーマザー」を模倣して、子供を成功者に仕立て上げることで世の中を見返してやろうというママゴンが大発生したら、未来の人間社会はどんなことになるやら。考えるだけで恐ろしいような・・・。

男にはオレ様遺伝子のスイッチがある?

2月5日。土曜日。ちょっと日があるけど曇りがち。夜には雨の予報。前日カレシがテレビの前でホッケーの試合中を眠り通してしまったとかで、就寝は午前5時に近かった。おかげで起床はあたりまえに正午過ぎ。なんだかこの頃ちょっとばかりヘンだなあ、この人。体重が2キロ増えたといって騒いでいたけど、食事の間にピクルスだのポテトチップだのとやたらとちょこちょこ口に入れていたら、増えても不思議はないでしょうが。三食きちんと食べているのにどうしてそんなにおなかが空くのかなあ。一種のストレス食いというのか、いわゆる「口さびしい」という心理かな。

ときどきカレシの言動を観察してみると、人間の心理、特に男の心理っておもしろいもんだなあと感心することが多い。今日はエコーのバッテリの充電がてら、Hマートに野菜を買いに行って、帰りに園芸センターによってそろそろハーブの苗が出ているかどうか見てくることにした。我が家は市の南の端っこで、コキットラムへ行くハイウェイは市の北側にある。このところ、どこもかしこも道路工事やらインフラ工事で、交通止めだったり、片側通行だったりするもので、渋滞が大嫌いなカレシはあっちの横道に逸れ、こっちの横道に逸れして、市の半分を斜めに横切ってハイウェイに乗るまでに、もうかなりムカついてご機嫌ナナメになっている。

そのハイウェイでHOVレーンを走っていたら、後続の小型トラックがホーンを鳴らした。サイドミラーを見たらかなりくっついて走っている。速度計を見たら制限時速の80キロをちょっと超える程度で、となりの車線の車がビュンビュン先へ行くけど、カレシはスピードを上げる気配なしで、トラックの方もなぜか車線を変えない。ははあ、神経戦か。ちびのエコーとトラックが金魚のウンコみたいにつながって走っている図は滑稽だけど、互いに動物的な以心伝心があるように見えるからよけいにおかしくなる。かってゴルフ場の周りをジョギングしていた頃、散歩をしている犬がこっちの出方を試すようにすぅ~っと遊歩道の中央に寄り、無視して直進するとすぅ~っと飼い主の側に戻ることがよくあった。そう、あれなんだ。カレシとトラックのドライバーはそれと同じような心理行動をとっている・・・。

カレシは何ごともないような顔をして運転しているけど、ストレスを感じたときや自分で気まずい気分になったときにやる、渋い口笛をヒューヒューとやっている。気まずい気分になるならそんな心理戦なんかやらなきゃいいのにと思うんだけど、カレシに限って言えば、イラッとした時点で脳の理性的な領域の思考効率が25%くらい低下し、ムカッと来たら少なくとも50%以上は低下するんじゃないかと思えるところがある。たぶん、そのときに起動して空隙を埋めるのがオスの動物心理なんだろうな。ひょっとしたら、カレシに限らず、男たちはそうやって男同士のコミュニケーションを取ることができるのかもしれないな。昔、男の心理を知りたかったら児童心理学の本を読めばいいと言った人がいたらしいけど、はて、動物心理学の本はどうなんだろう?

そのうちにカレシが車線を変えてスピードを上げたのに、HOVレーンに残ったトラックはスピードを上げない。車間距離がかなり開いたのでゲーム終了かと思ったら、今度はトラックが車線を変更。カレシが(さりげない顔で)スピードを落としたもので、あっという間に距離が縮まって、また金魚のウンコ状態。ハイウェイを降りてしばらく行って、交差点にさしかかったところでトラックは初めてエコーと並んで、ドライバーの顔が見えた。ごくふつうのおじさん的な人で、別にヘンなしぐさをするでもなく、こっちの方をちらりと見ただけで角を曲がって行ったから、この動物ESPによる心理戦はトラックのドライバー氏の方が一枚上手だったというところかな。

まあ、どうひいき目に見たってお子ちゃまっぽい行動としか思えないけど、動物の心理としてみるとオス同士が角を突き合う「縄張り争いのようなものなのかな。それとも、人間の男の脳には、まだ人類が動物だった時代にできた「オレ様遺伝子」というスイッチがあって、理性が効率的に働かなくなったときにカチッと入るのかな。ひょっとしたら、何百万年、何十万年とかけて動物界の頂点に立った人類も、ほんとうのところは自分たちが思っているほどには進化していないってことなのかな。それにしてもまあ、んっとに大の男がいい年こいて、もう・・・。

すてきなオペラジャケットの夢を見て

2月6日。日曜日。目が覚めたらなんだか暗い。また雨もようなのかな。ま、今日はまた期限が迫ってきた仕事にまっじめに取り組まなければならない日だから、雨でも雪でもいいんだけど。

なんたって、きのうは午後は買い物に走り回り、夜はバンクーバー交響楽団のコンサートで、仕事どころじゃなかった。コンサートはドイツ音楽がテーマ。リヒャルト・シュトラウスの『ドンファン』で始まって、リストのピアノ協奏曲。聞きながら、だ~から~ワタシはリストはあんまり好きじゃないんだよなあ、と思っていた。でも、アルメニア人のピアニストはすごかった。第2部のワグナーの『ローエングリン序曲』に続いて、またリストの『死の舞踏』を演奏。聞いているだけでじわじわと汗が出てくるくらいの迫力。最後はシュトラウスに戻って、『サロメ』の「7つのヴェールの踊り」。エキゾチックでなんとなくエロチックなメロディを聞きながら、いやあ、このサロメ、まったくストーカーの先駆者みたいだなあと思っていた。

おかげで、簡単だ~と高をくくっていた仕事、さ~てやっつけるか、と本格的に始めてみたら冗談じゃない。一応はPRの分野に入るものだけど、日本的な発想がほとばしっているという感じで、言葉は平易でも英語的にははなはだしく難解。だいたい、「生活者」ってどういう人なの?「生活」っていったいどういうイメージ?参ったなあ。少なくとも、生きていればみんな「生活」しているわけで、人間として生きていて生活していない人っているの?つまり、人間はみんな「生活者」だと思うんだけど、どうも微妙なところで「生活」についての概念が微妙に違っているような気がする。文化の壁だ、概念の壁だとぶつぶつ言っていたら、カレシが「反対語を考えてみたらいいかも」と提案。う~ん、じゃあ「生活者」の反対語はいったい何なの・・・?

ま、PRなんだから、そう固いことを考えなくても、イメージを表現してあげれば委員じゃないかと思うけど、そもそも日本語の「生活者」のイメージがわかないし、それに対応する英語が浮かんで来ないから困る。たぶんに、英語的には「人間はみんな人間」でしかないんだろうな。つまり、生活者と非生活者、消費者と非消費者、○○と××といった表層的な区分けがない。だからといって、ないで済ませられないのが翻訳業のやっかいなところ。まあ、あしたの午後の期限までに何とかなりそうではあるけど・・・。

文化の「ハザマ」とでもいえそうなところにはまり込んで、なんか今日はストレス。でも、くたびれたら、ゆうべのコンサートの休憩時間にギフトショップで見た「オペラジャケット」のことを考えて、しばし夢想。光沢のある黒の短いジャケットで、フリルやレースがすご~くゴージャス。思わず見とれていたら、「そのイブニングドレスによく合いますよ。袖を通してご覧になりませんか?」とのお誘い。はあ・・・。う~ん・・・。さっさと鏡を持って来てくれたので、着てみたらたしかにぴったりフィットして、何となくセレブになったようなゴージャスな気分。うわわわ、欲しい!だけど、やめといた。やめといたけど、やっぱり気になる。どうやら、ワタシの見栄っ張り心が「欲しい!」って言っているらしい。う~ん、来月のコンサートのときにまだあったら、たまには分不相応にゴージャスな気分に浸ってみたい極楽とんぼに買ってあげようかなあ。(そういえば、値札を見るのを忘れたけど。)仕事、がんばってるもんね。それに、馬子にも衣装って言うし・・・。

生活臭、加齢臭、にんにく臭

2月7日。月曜日。正午ちょっと前、がばっと起きた。外はいい天気そうだけど、今日はそんなことに感心していられない。少なくともは5時までは、トイレに行く時間も惜しんで仕事をしなきゃ・・・。

しっかりと腹ごしらえをして、コーヒーマグを片手にオフィスに出勤。きのう何となく疲れた気分でちんたらやっていて、見直しまで行かなかった仕事。訳上がりの量からして、1時間に千ワードのペースで見直しと書き直しをやらないと間に合わない。それにしても、「生活者」って何なんだろう。やっぱりよくわからない。つまりは「フツーの人」ってこと?バブル時代に高ビーなにわかハイソの連中に「パンピー」と呼ばれた人たちのこと?つまり、一般ピープル?よくわからないけど、「フツーの人」ということにしておいた。

フツーじゃない人たちは生活してないのかどうか知らないけど、いくら雲の上のエライ人だって仙人じゃないんだから、仕事をして、給料もらって、かみさんに渡して(とられて?)、ご飯を食べて、テレビを見て、たまには浮気心のひとつも起こして、くたびれて寝ているはずだよね。つまりは、下界のフツーの人と同じようにまっとうに「生活」しているってことだろうに、「そこの生活者の人~」なんて態度が透けて見えるからおもしろい。うん、「そこの業者の人」と言うのと同じ心理なんじゃないかな。それにしても、この仕事は裃を着たような文体に最近やたらと増殖中の「ばか丁寧語」が交錯していてやりにくいことこの上ない。きっと若い人が書いたんだろうけど、腰を低くしようという努力を褒めるべきか、それとも中身のない腰の低さを批判すべきか。まさに「日本語のゆれ」というところ。こっちは船酔いしそうな気分・・・。

ほんとにトイレにも行かず、飲まず食わずで4時間。がんばった甲斐があって、無事納品。いや、こういうのはくたびれる。あんがい、いちいち考えながら仕事をするようになったのかもしれない。駆け出しの頃はもっとパカパカと快調すぎるくらい快調に仕事が進んでいたような気がするもの。まあ、駆け出しだったからこそ物知らずの怖いもの知らずで、感覚的な判断だけでやっていられたんだろうけど。あの頃の仕事を今読み返したら、きっと顔から猛烈に火が出そうだし、大きな穴をいくつも掘らなければならないだろうな。まあ、日本語の変化に追いつけなくなって来たということもあるかもしれないけど、単語や表現に疑問を持ったり、考えたりして、ウンウン言いながら仕事をするようになったということは、ワタシも少しはプロとして成長したってことかもしれない。ほんとにそうだったらいいんだけど、う~ん、やっぱりくたびれるよ、もう・・・。

夕食のしたくの時間ギリギリで、トレッドミルでの息抜きは後回し。食材をフリーザーから出しておくのをすっかり忘れていたから、一番早く解凍しそうな平べったいカレイを出して来て、袋ごと水につけて急速解凍。なんちゃらケイジャン風に調理して、いんげんとかぼちゃを蒸して、ささっと出来上がり。その間にカレシが「腹が減った」とイラン産のにんにくのピクルスを口に放り込むもので、にんにくのアロマがキッチン中にじわ~ん。あのさ、あんまりぼりぼり食べると、毛穴からもにんにくのアロマが漂って来るよ。ワタシは慣れっこだから別に気にならないけど、あるところのオンナノコたちは何かにつけて他人のことを臭いと言うから、にんにく臭にさらされるストレスはおじさんの加齢臭に勝る凶器になるかも・・・なんて。(よく見たら、「臭」という字は「自」の下に「大」。文字の由来を調べたらおもしろいかも。)

ストレスといえば、今夜は息抜きにサポルスキー先生の講義を聞こう。第10回目のテーマは『ストレスと免疫』。心理神経免疫学という舌をかみそうな分野の話で、なぜストレスにさらされると病気にかかりやすいのか?なぜストレスにさらされると風邪を引きやすいのか?ふむ、ずいぶん長いこと風邪を引いてないなあ、そういえば。ということは、ワタシにはストレスが足りないのかなあ。まあ、だから極楽とんぼなんだろうけども・・・。

寝ているときの咳には気をつけて

2月8日。火曜日。何となく早めに起きてしまって、正午前に朝食を済ませた。どういう風の吹きまわしか知らないけど、近頃はめずらしいなあ、こんなこと。キッチンで電話が鳴っていたのを夢うつつで聞いていたのを覚えているから、それで早くに目覚めモードのスイッチが入ってしまったのかも。ま、どうせあしたの飲料水の配達の確認なんだろうけど。

なぜか今日は朝から腰が痛い。ここのところちょっと咳がついていて、寝ているときに急に咳き込むことが多かったけど、寝ている状態で咳き込むのはリラックスして緩んでいる背骨にとってはかなり危険なことなのだ。一番危なかったのは25年前で、首がおかしくなった。最初はカキンという程度だったのが、じわじわと頭痛が始まって、そのうち痛みが首の後ろから頭頂部を通って鼻の先までっ伝わるようになり、寝返りをするたびに激烈な頭痛で目が覚め、頭痛のおかげで吐き気が止まらなくなり、片方の腕に力が入らなくなった。その頃になってやっとがまんできなくなってドクターに相談したら、即刻近くの物理療法士のところへ送られて、第2頚椎がずれているということで即刻それを元の位置に戻す荒療治。

その後、いつだったか忘れたけど、今度は咳き込みで腰椎を傷めた。痛いときはそろそろと歩くのがやっと。その頃は座業になっていたから、もっぱらヒートバッドを椅子の背において腰を温める作戦が頼りだけど、何かにつけて再発する。あるときドクターにまた腰が痛くて、今度はおなかから膝にかけて鈍い痛みが響くと言ったら、「内科疾患の可能性もあるから消炎剤は出せないよ」と言われてしまった。腰痛がなんで内科疾患?と思ったけど、ワタシはなぜか痛みのしきいが高いらしくて、薬がなくてもちょっとやそっとの痛みは耐えられるから、ああそうですか。ところが、それから1、2ヵ月くらいして「急性腹症」というヘンな名前の病気で緊急入院。まったく知らないうちにできて大きくなった卵巣膿腫が破れたのだった。腰痛とは別のところで膨らんだ膿腫が神経を圧迫して神経痛みたいなことになっていたらしい。ドクターの慧眼に感服したけど、ただの腰痛だと思って鎮痛薬を飲んでいたら、かなり危険なことになっていたかもしれないな。

ちなみに早朝の電話は番号表示が「ニューヨーク」になっていて、ボイスメールのメッセージを聞いたカレシが「急ぎの仕事があるって言ってるよ」と報告してきた。会社の名前を聞いたら、もう5年くらい前に法律関係の英訳のトライアルをやったところで、めったに同意しないトライアルを気まぐれで受けて、審査を依頼された法律専門家からめったにつかないという「A」の評価をもらったけど、スケジュールが合わなくてそれっきり。それでも懲りずにちょくちょく仕事の話を持ち込んでくるのはいいけど、実績がゼロなもので常連が手一杯で他にやる人が見つからないときだけ。残念ながら、そういうときはワタシも手一杯というわけで、未だに恋人もどきのすれ違いばかり。まあ、2年後には仕事を減らす方に傾きつつあるから、今さらクライアントを増やそうという気にもなれないんだけど。

今日はもう大事を取って仕事は休みということにして、背中を温めながら1日。中かなりだらけ気分でPCの前に座っていたら、おお、だいぶ良くなった。ん、座業の仕事と同じようなことをやっているだけなんだけど、そこはストレス誘発性の咳にはサボるのが一番の薬だから・・・。

国際結婚は大変だというよりも・・・

2月9日。水曜日。何度も咳で目を覚まして、やっとまともに眠れたのは午前9時くらいになってから。まだ危なっかしい腰を悪くしないかと心配で、思いっきり咳をすることもはばかられて悶々としていた。おかげで起床は午後1時ぎりぎり。ま、いいんだけど、ふと換気装置のフィルターをかなりの間交換していないことに気づいた。もしかして・・・?

短い午後は向こう1週間の仕事の算段。納期はこっち時間の月曜日に1件、水曜日に2件、金曜日に1件。残る2件はその1週間後だから、とりあえず横においておくことにして、4件合わせて1万5千語。来週の木曜の夜は上演時間3時間プラス休憩2回という長丁場の芝居に行く予定だから、そっくり勤務時間から外してしまうと、あしたから数えて1日。あたりの作業量ノルマは2000語弱。ほっ、これなら普通のペースで行けるな。だら~んとしなければの話だけど・・・。

あしたから数えて、だから今日は休み。腰の具合も考えてトレッドミルも休み。短い午後はほんとにあっという間に過ぎてしまって、夕食を作って、カレシを英語教室に送り出して、換気装置のフィルターの交換。冬なので給気側のフィルターはそれほど汚れていない。吸い込まれる虫もあまりいないから、くもの巣もほとんどない。排気側はと見ると、うわっ、すごい汚れ。熱交換装置がほこりや油汚れで詰まらないように入れてあるフィルターが詰まっては、家の中の汚れた空気がうまく排気されずに残ってしまうんだろうな。それで咳が出るのかどうかはわからないけど。きれいなフィルターを入れて、汚れたのは洗濯機にポイ。ついでに思いついて冷凍庫の引き出しがなぜ外れるのか点検。あは、スライダーにボックスを固定するねじがない。抜け落ちたのか、初めから抜けていたのか。とりあえず、ワタシの「ねじコレクション」の箱をかき回して、これはと思うサイズのをシリコーン接着剤と一緒にねじ穴に差し込んでおいた。(このシリコーン接着剤はちょっとした修理でダクトテープに勝る力を発揮してくれるワタシの良き相棒・・・。)

後は腰を温めながらのんびりと小町横町の人間模様の観察。『国際結婚の何が大変?』というトピックがあって、これから国際結婚をする人の相談かと思ったら、あちこちのトピックに書き込まれる「国際結婚は大変なのよ~」のコーラスに、国際結婚も日本人同士の結婚も大差はないと考える人からの「具体的に何が大変なのか」という質問。同感して大差はない、特別なことはないという人もちらほらいるけど、やっぱり「大変なのよ」勢が圧倒的な流れになっている。何が大変かって、煩雑な手続き、、言葉の壁、文化の違い、人種差別、里帰りの経済的負担、食べ物の問題、義家族との付き合い、異国での老後の心配、国際離婚の難しさ・・・だから、(日本人同士の結婚に比べたら)国際結婚はそれはもう大変なのよ~。

ふ~ん、そんなもんなのかなあ。ワタシはそういう「大変、大変」を小町の書き込みにしょっちゅう出て来る「専業主婦は大変なのよ~」とか「兼業主婦は大変なのよ~」とかその他諸々の「大変なのよ~」発言と同じようなものだと思って読んで、どれもそれぞれの対極にある人たち(専業主婦対兼業主婦、独身対既婚、国際結婚対日本人結婚)と比べて、「アタシの方がずっと苦労していて、ずっとがんばっているんだから(対極より)エライのよ」と言うような、早く言えば、他人と比べることで自分は特別な人間なのだと確認したいという心理があるんだろうと思っていた。要するに、自分の生活にいろんな不平不満や苛立ちがあって、あまり幸せでないということかと。

国際結婚は大変だという理由はわからないでもないけど、自分は国際結婚しているんだという認識が強い人ほど、大変だ、大変だと言っているように、少なくともワタシには見えるな。文化の違いはグローバル時代の今はどこに行っても遭遇する。「社会文化」というのはある社会である性格タイプの人たちが多数であることによって形成されるところがあるから、「文化の壁」は自国人同士の性格の違いから来る「相性の壁」よりずっと高いということはないと思う。「言葉の壁」のせいで、自分の気持を思うように表せない、互いに深く理解し合えなくてもどかしいと言うけど、出会った瞬間から言葉の違いはあっただろうに、恋愛中はどうやってコミュニケーションを取っていたんだろう。言葉で意思を伝えられなくて、どうやって結婚話に発展したのかな。まあ、小町を見れば日本人同士の結婚でも日本語でのコミュニケーションが取れていないとわかる人たちがたくさんいるから、恋愛には不思議な魔法の言葉があるのかもしれないな。恋愛と結婚は別だと言う人も多いことだし。

人種差別は国際結婚とは直接関係はないんじゃないかな。「日本国内では感じられないアジア人差別のようなものが感じられる」という書き込みにはつい笑ってしまったけど、そりゃあ日本人はアジア人であっても日本国内では差別を感じることはないだろうな。自分たちの国なんだし、それに自分たちはアジア人じゃないと思っているらしい人も多い。(これも明治の脱亜入欧政策の所産かな・・・?)だから、日本には人種差別がない、日本人は人種差別をしないと、あっけらかんと言えてしまうんだろうと思う。外から見ている限りでは、同胞も含めて異質な人間を嫌って排除しようとすることにかけては、日本人はどこの国の人種差別主義者にも引けを取ってないけどな。ひょっとしたら、異質なものを排除したいという衝動は生物が進化の過程で自己保存のために発達させた免疫機能と関係しているじゃないのかなあ。ま、人間にはそういう本能を制御できる理性があると思うんだけど・・・。

堅い文化論はさておいて、外野席から見る小町横町の人間模様はほんっとにおもしろい。まあ、国際結婚は大変なのよっ!と言う人がたくさんいるようだから、その人にとってはほんとに大変なことなんだろうし、大変だと感じる理由も具体的には十人十色の人それぞれなんだろう。人間として生きて行くだけでも大変なんだけど、それがたとえ自分の意志で選んだ人生であったとしても、言葉やら文化やらなにやらの高い壁に囲まれての人生だったら、空気を読んで意思伝達ができてしまう(らしい)日本人との結婚生活に比べたらもっともっと大変なんだと言いたいのかもしれない。それでも、不平不満や苛立ちはあっても、毎日がんばって結婚生活を継続しているからこそ、それを知らない人たちに「大変よ~」と言いたくなるんだろうな。つまり、「国際結婚は(私が)どんなに大変なのかちっともわかってない人たちにわかってもらうのが大変なのよ」というところかな。結局は日本人同士の結婚の「大変さ」と格別の大差はないような・・・。

終わり良ければすべて良し

2月10日。木曜日。朝っぱらからどういう風の吹きまわしのかか知らないけど、カレシのキスで(半分くらいだったけど)目が覚めて、しばらくむにゃむにゃ。あの~ワタシは白雪姫じゃないんだけど。せっかく咳もせずによく眠っているのに、んっとにもう~と思ってはっきり目が覚めてからよ~く見たら、我がプリンスはカエルにならずに、ちゃんといつものカレシだった。ああ、よかった。うん、どうも近頃はかわいいお姫様がチャーミングな王子様にキスしたとたんに王子様がカエルに変身してしまうという現象が多いらしいから。それも、かわらしいアマガエル君ならまだしも、ふんぞり返ったお殿様ガエルじゃねえ・・・。

今日はそれほど暖かくはないけどいい天気。向かいの桜の木には間違いなくピンク色のつぼみがちらほら。オリンピック開催を目の前にした去年の今ごろは、開いた花がちらほらしていたっけ。1年が経つのは早い。今日は郵便受けに州の公務員の組合年金の事務所からの郵便。去年の物価上昇率に合わせて、カレシの年金の基本額が35ドルくらいアップ。(国の厚生年金と老齢年金も1月から増額になっている。)一緒に入って来たニュースレターを見ると、来年度からは、今ベネフィットとして含まれている医療保険と特別医療保険のうちの歯科保険を廃止することになったとのお知らせ。州の医療保険料は夫婦2人で月額45ドル、歯科保険はこれも夫婦2人で月額42ドル50セントで、前者は自己負担ゼロ、後者は何割かの自己負担がある。(どっちも日本円にして月4千円以下。)まあ、どっちも保険料は課税対象給付なので、自分で払えば少しは税金が減るってことか。要するに、今年からベビーブーム世代が定年に達して年金をもらいはじめるので、将来にわたって物価調整制度を維持できるための財源確保が目的なんだそうな。たしかに年金の基本額が物価に合わせて増えていく方が、将来(可能性は低くても)猛烈なインフレが起きたときに助かるな。

さて、週末にかけて雨の予報ということで、今日はまずワタシがひとっ走りダウンタウンのHマートに行ってバレンタインデイのディナーにあると良さそうなものを買って、カレシとモールの青果屋で落ち合って野菜類を買い、酒屋へ行って在庫僅少になったものを買う、という算段にした。地下鉄の駅までの途中に最近の新聞の記事に売値が「130万ドル」と出ていた新築の家があって、ぱっとしない家の前を歩きながら、交通の激しい道路に面した標準サイズの区画でコミュニティカレッジの向かいの変哲のない家にそんな大金を払う人がいるんだろうかと思っていたら、裏庭の方から不動産屋らしい女性の声が聞こえた。ふむ、買おうかと思う人はいるってことか。

ダウンタウンのHマートは韓国や日本からの語学留学生やワーホリ族が重要な客筋らしく、郊外の韓国系移民コミュニティ向けのとはちょっと品揃えが違う。たとえば、袋入りの「天かす」は郊外の店にはない。生干し冷凍のシシャモもない。というわけで、天かす3袋、シシャモ2パック、生のサバ1パック、爪を立てたらはじけそうな大根1本、マイタケ1パック、大粒の金柑1パック、きれいな模様の入った赤白の板附かまぼこ1個、そして・・・どういう風の吹きまわしか冷凍の「あんこう」のぶつ切り。土曜日には郊外の店で冷凍の太刀魚の切り身を買ったけど、実はどっちも日本では見たことがなかったし、まだ一度も食べたことさえない魚。どんな味がするのかもわからないのに、どうしたもんだろうなあ。まずはレシピを探してみなきゃ・・・。

一緒に夕食のしたくをしながら、カレシが今月いっぱいで英語教室を閉めると宣言。(ただし、ネイバフッドハウスの方で最低10人の生徒をまとめたら気が変わる可能性あり。)俗に十年一日と言うけど、教えるのが好きというだけでは無報酬のボランティアで10年も続けるのは難しいと思うから、カレシはよくやったと思う。中年の危機だか何だかすっかりのぼせ上がって、日本に行って英語教師になる(そして「カリスママン」になる)ためにコミュニティカレッジでESL教師の養成コースを取って、実習と称して悪名高いナンパクラブに入り浸るようになったのはもうかれこれ12年前。日本で英語教師になる(カリスママンになる)夢は叶わなかったけど、この国で少しでも良い暮らしをするためにもっと英語を話せるようになりたいと真剣に望む人たちに教えて、就職口が見つかった人たちやカナダ生まれの孫たちと会話ができるようになったという人たちに感謝されて、お金の多寡では測れないものを得たんじゃないかと思う。ま、終わり良ければすべて良しというから・・・。

どこの国でも年金は悩みの種

2月11日。金曜日。暗いなあ。あまり暗いから、目が覚めてみたら午後12時50分。ふむ、気持良さそうにぐうすか眠っているカレシの鼻の先をこちょこちょ。ねえねえ、1時10分前だよ、起きないと夕食の時間になってしまうよ~。カレシが片目を開けたので、こら~、もうすぐ1時だよ~なんてだらだらやっているうちに午後1時。「そろそろ起きようか」の何だか知らないけど何とかの一声で起床。ひょっとして、ふたりとも完全にご隠居さんになったら、毎日がこんな風になるのかなあ・・・。

身づくろいをしていると、先にキッチンに下りて、テレビをつけて朝食のしたくをしていたカレシが、「おい、ムバラクが辞めたってさ」。おお、エジプトの人たち、ついにやったんだ。穏やかで辛抱強く受身の国民性と言われるエジプト人が、ここまでデモ攻勢をかけて来られたのは、それだけの「もうがまんがならない!」という状況があったんだろう。ムバラクはその空気を完全に読み損なった、というよりは、あまりにも長く政権を牛耳っていたもので、空気を読めなくなって、ついには読む必要はないと思うようになっていたんだろうな。最後のひと押しは軍部だったそうだけど、日ごろムバラクと接触のあるエジプト軍の上層部はナセル政権の時代にソビエト独裁体制のロシアで幹部教育を受けたのに対して、実際に束ねとなる中堅幹部はアメリカで幹部教育を受けた人が多くて、民主主義国家における軍の役割をある程度理解していると思うから、まあ周辺のいつも頭に血が上っている男が牛耳る諸国よりは見通しは明るそうだな。

今日の郵便にはカレシの公的年金についてのお知らせ。そっか、2月は所得税の確定申告に必要な前年度の利子や年金の支払額を証明する書類が送られて来る月なんだ。カレシは3つの年金をもらっているから証明書は3通あって、今回は2つの公的年金。書類は申告用書類をまとめてあるファイルに直行。ワタシの関心はいっしょに送られてきた「年金制度の変更のお知らせ」。なにしろ、あと2年と2ヵ月とちょっとで、受給申請手続きまで1年とちょっと。カナダ居住年数が基準の老齢年金(OAS)は年度ごとの予算でまかなわれるけど、勤労者と雇用主が年収に応じて拠出するカナダ年金制度(CPP)は一般会計とは別の掛け金を運用する年金基金が財源になっているから、連邦政府管掌の公的年金もカレシの組合年金の基金と同様に巨大なベビーブーム世代の引退、年金受給開始という問題を抱えている。

年金基金を健全なレベルに確保するためには改革が不可欠ということで、2012年から60歳以上70歳までの人でCPPを受給しながら働き続ける場合は、65歳以下の場合は継続、65歳以上は任意という違いはあるけど、勤労者も雇用主もCPPの掛け金を払い続けることになる。(掛け金を払い続けることで年金の受給額が増える。)ワタシのように勤労者と雇用主の両方を拠出する自営業の場合は、2012年1月から、営業を中断されることなく年金を受給できるようになる(ということは、何かワタシが知らないでいた制限があったのかなあ)。さらに、年金をもらいながら仕事を続けて(勤労者かつ雇用主として払い込みを続けて)行けるだけじゃなくて、収入が極端に少ないかゼロの期間が続いた場合は、その期間を年金の支給額の数理計算から除外してくれるらしい。

自営業は収入が一定しないから、景気が良ければ一瞬セレブ気分だけど、景気が悪くなれば貧困ライン以下。CPPは原則として18歳から60歳以上の受給開始までの年数が支給額計算の基礎になるので、そういう「不況年」が多くなると最終的な受給額が低くなってしまうから、そういう特殊事情を勘案してくれるシステムはうれしい。まあ、子育てのために何年か休職したりして無収入になる人たちについてはすでにその年数を計算から除外する制度が導入されているから、老後も働いて自立することを促すという考えも必然的な流れだろうな。まあ、根本的には「65になっても隠居なんかしないで、そのまま働いて年金の掛け金を納め続けてくれれば助かるんだけど~」ってことなんだろうけど。

基本的にCPPの掛け金はどんなに天文学的な給料をもらっていても原則的に一人当たりの平均所得に近い部分についてしか納めることができないから、18歳からずっと働いて目いっぱいの掛け金を納めたとしても、現在では満額のCPPとOASを合わせても相当な貧乏を覚悟しなければならない。つまり、いろいろな事情で老後は公的年金が頼りという人口が増えると想定した上で、受給人口が増える中で年金基金の資産を枯渇させないためには、継続して働いて掛け金を納め続けてもらいたいという魂胆なんだろうと思う。それで、各州とも労働法から「65歳定年」の規定を撤廃しつつあるから掛け金の払い込みを65歳でストップする理由はないわけで、(他に収入のあてがあれば)働かずに年金をもらって悠々自適で暮らすのもよし、老後資金が足りなかったり、仕事が命というのなら、年金は受け取る一方でそのまま働き続けるか、パートなり何なりで働いて、掛け金を払い続けて最終的には年金受給額を増やすのもよし、という選択肢を設けたんだろうな。

あと2年とちょっとなんてあっという間に過ぎてしまうけど、自営業といえば結局は自分の「事業」の経営者であり、同時に社員でもあるわけで、「定年」の日に私物をまとめた段ボール箱を抱えて「はい、さよなら」と職場を後にすることもできないから、それまでに最終的にどうするかを決めなくても良くなったようなのはありがたいな。まあ、その日が来たら、仕事量を今の半分くらいに減らして、当面の間は趣味が本業で報酬仕事は副業ということにしようと企んではいるんだけど、その間も私的年金の積立に加えて公的年金の掛け金も払い続けられるようになるわけで、ワタシの老後の安心度、もうちょっと上がるかも・・・。

バレンタインの贈り物は駐車違反切符

2月12日。土曜日。雨。うわ、かなり本気で降ってるなあ。ま、白いものよりはいいけど。池は満タンになっているし、カレシが新しい土と堆肥を入れてえんどう豆を植えるつもりで掘っておいた溝もお堀みたいなありさま。我が家のあたりは大昔はフレーザー川の川底だったそうで、粘土質の土なものであまり水はけが良い方ではない。それで、あちこちに砂を混ぜたり、野菜類のくずはすべて堆肥にして埋めているんだけど・・・。

今日はいったいどれくらい久しぶりなのかわからないくらいに久しぶりのディナーにおでかけ。まあ、12月はクリスマスを控えて外食を控えがちだし、年明けの1月はレストラン業界が閑散期で、バンクーバー観光協会が地元客の誘致行事としてDine Outというキャンペーンを展開する月で自然と足が遠のくからしかたがない。このキャンペーンには市内のちょっとしたレストランがほとんど参加するし、前菜、メイン、デザートの3コースが安いところでは18ドル、高いところでも38ドルで食べられるから、名の知れたところは予約で満杯になる。だけど、たとえばWestで3コースのディナーが38ドルといっても、普通に3コース選んで食べる場合の半分以下の値段では食材の選択肢がかなり制約されるだろうな。シェフが比較的安価でもふだん来ない客にはわりとなじみの薄い食材を工夫してレシピを書いて、キッチンを助手にまかせて自分は休暇を取るんじゃないかな。よくできたアイデアだとは思う。

レストランは客を呼び込めるし、客も普段行かないレストランを試してみることができるし、良いところの料理は安くてもそれなりに良いから、アイデアとしてはすばらしいんだけど、食事に行こうかと思い立ったときに予約がとれないから足が遠のいてしまうわけ。そこでカレシ、Tojo’sに電話をして真っ先に「おたくはDine Outに参加してるの?」と質問。返事がノーだったので、「普段のメニューをやっているところを探していた。あれ、おたくは参加しなくても別にどうってことないんでしょ?」とお世辞たっぷり。予約の6時に行ってみたら、バレンタインのおまかせメニュー(といっても普段のおまかせとほとんど変わりなかったけど)をやっていて、Dine Outが終わる週末なのに7時にはほとんど満席になったからすごい。

窓際に近いテーブルを取って、ビンナガのたたき、和牛のコロッケ、カニのサラダ、マグロののり巻きてんぷら、スモークギンダラの奉書焼き、と続いて、ふと外を見たら、道路向かいに止めた車のそばに黄色ジャケットの人の姿。いっけな~い、駐車メーターにお金を入れるのをケロッと忘れてしまっていた。かなり長いこと駐車メーターにとめるところへはおでかけしていなかったもんねえ。といっても言い訳にはならないけど、いつもメーターにお金を入れるワタシがすっからかんに忘れていたんだから、これもある意味ですごい。駐車違反のケットをワイパーに挟んで行くのを、道路越しに見物しているしかないわけで、やれやれ。こうなったら急ぐこともないということで、越後の純米大吟醸の冷酒をゆっくりと飲み干して、握りとロールの寿司盛り合わせをゆっくりと賞味して、抹茶とダークチョコレートのガナッシュにハート型のホワイトチョコレートを載せたデザートをゆっくりと味わって、久しぶりのディナーは終わり。

メーターの時間オーバー(メーターにゼロが4個点滅)の罰金は3月18日。までに払えば35ドル。それ以降だと倍の70ドル。まあ、とんだバレンタインのプレゼントになったわけだけど、これだったらヴァレ(駐車係)に料金とチップを払ってめんどうをみてもらった方が安いなあ。メーターだと最高2時間までだけど、ヴァレに頼めば時間切れの心配はないし。(Tojo’sでのディナーの時間がWestなどでの半分で終わるのは日本食レストランだからなのかな?なぜかあっという間に終わるような気がする。)ま、カレシがDine Outが終わったことでもあるし、また少しちょくちょくディナーに出かけるようにしようかと言うので、この次はヴァレがいるところにしようかな。どこがいいかな。まあ、何年か前までのように外へ食べにでかけるのがめんどうになったというわけでもないと思うんだけど、どこもほんっとにしばらく行ってない気がするなあ・・・。

今夜はバレンタインデイ・スペシャル

2月14日。月曜日。カレシの腕の中で目を覚ました。あ~ら、なんだかちょっぴりロマンチックなバレンタインデイというところかな。外はかなりの雨。きのうはスケジュールの少しばかりの遅れを取り戻すべく一日中わき目も振らずに超集中で超特急の仕事。原稿を読んでいる方は超退屈なんだけど、訳文を利用する方にとっては人生の分かれ目になりかねないから、なんとなく責任を感じてしまうような仕事・・・。

朝食後も再び午後いっぱいかかって超特急で見直しを済ませて、なんとか予定通りに送り出して、さ~て、今夜は「極楽とんぼ亭」でバレンタインを・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(アスパラガスのしょうが風味スープ)
 変わりかまぼこ入り茶碗蒸し
 ほたて、きゅうりとしょうがのぽん酢漬け
 なんちゃってあんこう鍋風魚介スープ
 ブルコキビーフ入りポテトコロッケ
 スズキのフライパン焼き、野菜添え
 (サラダ)

いつもながら大枠のメニューとして食材の核となる魚介類や肉を決めて解凍しておく。付け合せは、使いそうな野菜類をカウンターに並べておいて、後は行き当たりばったり。どうなることやらと思うけど、まあ、そこは極楽とんぼ亭シェフ得意の思いつき料理・・・。

[写真] アスパラガスを3本、しょうがの塊と一緒にチキンストックでゆでて、しょうがを取り出してから、ハンドミキサーでビューレ。ほんのちょっぴりの生クリームとフランスのしょうがのリキュールを少し加えて、ショットグラスでテーブルへ。クリームスープにしようと思っていたけど、しょうがの微妙な味が意外とアスパラガスの青い味によく合っていたので、クリームはほんのおしるし程度。グラスを使ったのでスプーンはいらないんだけど、日本で買った漆塗りの小さなスプーンを添えてみた。

[写真] おめでたそうなきれいな模様のかまぼこ。茶碗を使うと量が多くなるので、小さな深皿を使ってみた。卵は1個を溶いて半量くらいを取り分け、卵と合わせるだしには底に入れたしめじをゆでただし汁も足した。今度はすが通らずにうまくできたから合格点・・・。

[写真] スライスしたきゅうりと、刻んだきゅうりとしょうがを混ぜたものをぽん酢に漬けておいて、ホタテはそのままフライパン焼き。きゅうりのスライス、ほたて、刻みきゅうりとしょうが、ほたての順に積み上げて、かいわれ大根で彩り。

[写真] 思いつきで買ってしまったあんこうのぶつ切りは、いろいろ調べて、初トライはごく少量を鍋風に調理してみるのが無難と判断。切り身に熱湯をかけておいて、一緒に入っていたしっぽはだしに入れて味を出し、白菜、ねき、しいたけ、しめじ、エビとイカを加えてできあがったのが「なんちゃってあんこう鍋風」のスープ。写真で見たふにゃふにゃしていそうな姿かたちのわりには歯ごたえがあった。

[写真] 土曜日にTojo’sで出された和牛のコロッケにヒントを得て、挽き肉の代わりに牛肉のスライスを細かく刻んだものをブルゴキソースに漬け込んでおいて、ゆでて潰したポテトの中に「あん」のように入れて揚げてみた。ふた口ぐらいで食べられるミニコロッケ。コチュジャンを入れたらもう少しピリッとしたかもしれない。衣の下の卵は茶碗蒸しに使った1個の残り。すそにさっと残りの残りの卵をつけたアスパラガスとグレープトマトを軽く揚げて、ブルーベリーと一緒に付け合せ。

[写真] スズキ(sea bass)はあまり手をかけない調理方法が甘さが生きて一番おいしい。そこで、こしょうと紫がかった(すごく塩辛い)ハワイのアラエアの海塩をパラパラと振って、オリーブ油でフライパン焼き。大きなシャンテレルきのこは大粒の白ぶどうといっしょにバター焼きにして、蒸したアスパラガスとスナップえんどうと一緒に付け合せ。飾りにグレープトマトとかいわれ大根を添えたら、けっこう華やかなメインコースになった。写真がボケて見えるのは、マティニとワインのほろ酔い効果・・・?

下ごしらえに1時間弱で、アミューズブーシュをテーブルに出してから、各コースを調理して出しながら、メインコースに至るまでの所用時間はだいたい2時間。まあまあ手際よく行ったと思う(駐車時間オーバーの違反切符もないしね。)ハッピーバレンタイン!

さて、気合いを入れて仕事の続きにかかるか・・・。

2400年分の献立!

2月15日。火曜日。目が覚めたときは明るかったのに、朝食の頃には曇ってきた。まあ、予報はずっと雨だから、ちょっとひと息だったのかもしれないな。気温は正午を過ぎて7度。日が差さなければあまり下がることはないし、高台で雪がちらつくくらいに下がっても、確実に春はそこまで来ているという感じはする。道産子のカンみたいなものかな。

バレンタインの東京は雪だったそうな。お客さんが滑るし、靴は濡れるしで、歩くのが大変だったと言っていた。雪が降るといつも雪道で転んで怪我をした人の数が報道されるけど、いちいち報道するのって東京圏に雪が降ったときだけのような気がする。水分の多い雪はスノー底になっていない靴で踏みしめるとよけいに滑りやすくなるからめんどう。まあ、それなりに雪道の歩き方というものがあるんだけど、ふだんあたりまえに何気なく歩いているときにはあまり使わない筋肉までがっちり働かせないと、つるり、すってん。そんなときにもしも、寒いからって手をしっかりポケットに入れていたら・・・。

今日はカレシの英語教室。「今日を入れて後4回で終わりだぞ~」と、なんだか定年の日を指折り数えている勤め人みたい。まあ、最初のときは定年までまだ8年もあったのに雇用主側から「退職」の引導を渡された形での退職だったので、指折り数えて待つチャンスがなかったから、第二の引退を楽しむのもいいかもね。もっとも、あしたボランティアプログラム責任者のロバータと会って話をした結果次第では9月までの「サバティカル」ということになる可能性もなきにしもあらずらしいけど、それはカレシ次第。けさは久しぶりに元同僚でつかず離れずの長いつきあいを続けているリチャードから電話でランチをしようという誘い。さっそく英語教室の準備の時間が不要になる再来週の火曜日に約束を入れていた。(リチャードはカレシより15歳年下で、弁護士と会計士のダブル資格を持つ秀才で、今は投資会社の共同経営者になっている。裕福な家のお坊ちゃん育ちだし、ちょっと見たところは水と油のような2人なんだけど、ウマが合うらしいから、人間関係はおもしろい。)

カレシを送り出して、やおらチヂミのソース(タレというのかな)を作り始める。検索して見つけたレシピが3つあって、共通のコチュジャンとにんにくとゴマ油と醤油以外は少しずつ材料が違う。めんどくさいから3つのレシピに書いてあるものをぜんぶ入れて、すった白ゴマをたっぷり入れて、ミニ鍋で火を通してできあがり。たっぷり入れたコチュジャンが効いてちょっと辛い。あとは、午後11時のランチの時間になったら、チヂミのミックスにニラをたっぷりときのうのディナーで使い残した細切れビーフのブルゴキを混ぜ込んで、ちょっと変わった(でもないかな)コリアンパンケーキを焼いてあげる。これがカレシの大好物で、好きだった日本のお好み焼きよりもふか~くはまってしまって、特にリッチモンドの日本食レストランで注文したお好み焼きにマヨネーズがかかって出てきてからは、そっちには見向きもしなくなった。(日本のマヨネーズはしょっぱいから好きになれないんだそうな。)

今日のジャパンタイムズにクックパッドと楽天レシピの熾烈なシェア争いの記事が載っていた。クックパッドはワタシもどうしていいのかわからない日本の食材を買ってしまったときにのぞいてみるけど、レシピの数87万件、利用者1千万人。うち96.5%が女性で、そのうちの75.3%は既婚。有料の会員は日本の人口の300人に1人に相当する45万人で、会社の売上は20億円を超え、利益も5億円超とか。この87万件もあるレシピを毎日ひとつずつ試してみるとしても、ゆうに2400年近くかかってしまう勘定で、考えただけでおなかがはちきれそうな感じがするけどな。まあ、ワタシはどうもマニュアル通りに事を運ぶのが苦手な性質らしくて、あまりまじめにレシピの通りに料理することがない。手順をざっと読んだ後は「極楽とんぼ流」にやってしまうから、レシピとは似ても似つかない料理が出来上がることが多い。それで誰かが腕によりをかけたあんこう鍋のレシピが「なんちゃらあんこう鍋風スープ」に変身してしまうんだけど、そこはそれ、言葉が生きものなら、料理だって生きもの。おかげで毎日の料理当番も飽きないし・・・。