リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

心筋梗塞と心臓手術から満6年・・・

2023年11月30日 | 日々の風の吹くまま
11月29日(水曜日)。🌫/🌤☁。日が昇った頃に起きたら、窓から見えるのは上半分が空で下半分が分厚い霧。その空も地平線近くに灰色の雲がたなびいていて、朝日はその向こう。ルーフデッキには薄い霜が降りていて、川下の方を見ると眼下のアパート群はどこも屋根が霜で真っ白。でも、濃霧注意報が解除になって、午後には久しぶりに川面と川向こうのサレーの高層ビル群が視界に入って来て、上流のポートマン橋はまだ五里霧中だけど気分はすっきり。





けさは窓の外の霧に覆われた世界を眺めていて、ちょっぴり感傷に耽ってしまった。だって、ちょうと6年前の今日の朝、病院の救急センターで徹夜して、看護師さんに「家に帰って少し寝て来なさい」と言われて1人で帰って来たところだった。夜中に胸の激痛を訴えたカレシが駆けつけた救急センターで心筋梗塞と診断されて、緊急のステント挿入処置を受けて病室に入ったのは朝の5時過ぎ。ステントを入れられない部分にバイパス手術をするために緊急入院ということになって、ひと眠りして入院に必要なものを持って行こうと帰って来たのがまだ暗い6時頃。ベッドに横になってウトウトしたのは3時間足らずで、起き出したのは9時過ぎ。外はしょぼしょぼと雨が降っていたっけ。ワタシが病院を出からほどなくしてカレシに心室細動が起こって、そばで経過をモニターしていた看護師さんの敏速な蘇生術とAEDに助けられたと知ったのは、バイパス手術を待っていた時・・・。

早いもので、あれからもう6年も過ぎたんだよね。次の日から毎日朝から病院に「バス通勤」して、面会時間が終わるまでカレシのベッドのそばにいて、暗くなってから帰って来てひとりDVDを見ながらの晩ご飯。寝ようとしても落ち着かなくて、カレシの枕をしっかり抱いて何とか眠りについていたっけ。カレシの匂いがする枕で気持ちが落ち着いて眠れたなんて、経験のない人にはたわごとに聞こえるかもしれないけど、ほんとの話。トリプルバイパスの手術をしたのは5日後の12月4日。心臓外科の先生に「最高にうまく行った手術だった」と言われて気を良くしたカレシは「あれを持って来て、これを持って来て」と注文が多いので、それじゃあ退院するときに引越しトラックが必要になるよと言ってやったっけ。標準的な入院期間は5日だけど、微熱が下がらなかったり白血球のカウントがよくなかったりして、やっと退院の許可が出たのは12日。丸々2週間、夜は1人で何をしていたのか思い出せないけど、ワタシも4キロ痩せたっけね。

そっか、あれは予期しないおひとり様暮らしだったんだなあ。あれから翌年には日本に遊びに行ったし、(コロナで5回キャンセルされたけど)クルーズが5回。毎日のウォーキングも、足取りこそおじいちゃんっぽくなって来たけど、おしゃべりしても息切れしないし、ときどきはボケが入ってるなと思わせることもなくはないけど、まだまだ2人一緒の日々はたくさんあると思う。再来年は「2人」になってから50年になるんだし・・・。

冬の1日はあっという間に過ぎてしまう

2023年11月29日 | 日々の風の吹くまま
11月28日(火曜日)。🌫☁⛅🌤。起床8時。朝の気温はマイナス1度。霧の上に出た朝日がまぶしい。濃霧注意報は出たままだけど、今日は主に川沿いに集中して厚くかかっているようで、天気が変わりつつあるらしく、あさってあたりからは雨という予報。まあ、雨が降るということは最低気温も上がるだろうから、白いものが降って来る確率はまずゼロ。出かける予定の多い時に雪は嫌だもんね。一寸先が見えない濃霧も、窓から見ている分には幻想的でいいけど、通勤ラッシュの道路はタイヘンだろうな。


午前8時4分(日の出午前7時41分)

朝一番にドイツのエスターからメッセージが来て、9時過ぎから(レッスンと言うよりも)世間話。カレシが「エスターがハローって言ってるよ」と言うので、大きな声で「グーテンターク」。夫氏のハインツが急逝してから9ヵ月経って、借家だった家の整理が済んたので、いよいよ夏に買った新居に引っ越すことになったそうな。ドイツでは借家を出る時には家電や戸棚、備品などを全部撤去して、完全に空っぽの状態で家主に引き渡さなければならないんだそうで、去年の暮れにハンガリーのブダペストで亡くなったお母さんの遺産の処分と重なって、今までかかったということだった。新居は公園の中なので、土地はリースで実際に買ったのは50平米ほどの小さなコテージだけというから、おもしろいシステム。公園の中だったらさぞかしいい環境だろうな。

今日は防火設備(煙探知器)の法定点検の日で、我が家のあるフロアは8時半から10時半の間という通知が来ていたので、カレシがエスターと話をしている間にワタシがスタンバイ。9時半頃に若いお兄ちゃんが来て、我が家には2ヵ所にある探知器を持って来た金属の棒で突いて鳴らしてみて、5ヵ所の天井にある火災警報器のスピーカーから聞こえる話し声に耳を澄まして「はい、オッケー」。せいぜい2分くらいで済む作業のために指定された時間内に在宅していなければならないから、仕事のある人たちには不評だけど、年1回の点検は法律で義務付けられているので、不在の場合は「出直し」ということになって、その費用は住人持ち。でも、みんなの安全のためだからねえ。

もう12月ということで、地下駐車場の収納ロッカーから出して来てあるクリスマスツリーを飾る算段をする頃合い。我が家のツリーは旅行先で買って来たご当地の飾りがたくさんあって、今年はマルタとドゥブロヴニクが加わるから、飾れるスペースが残っているのかどうかが問題。でも、飾りを見ては旅の思い出話に耽るのも楽しからずや。来年の行き先はアラスカと東京だけど、東京にご当地デザインの飾りはあるんだろうか。サンタ姿の侍なんてのは見る人に受けそうだけどな。ダイニングの食器戸棚の上はカレシのクリスマスカクタス(シャコバサボテン/鉢が8つ)が盛大に花を咲かせ始めていて、何だかツリーの飾りつけを急かされているような気分だなあ。でも、こんな早くから咲いていたらクリスマスが来る前に終わっちゃうんじゃないかと思うけど。なんて言っているうちにもう夕暮れ時・・・。


クリスマスカクタス(シャコバサボテン)

午後3時57分(日の入り午後4時18分)

あれこれとけっこう贅沢しているなあ

2023年11月28日 | 日々の風の吹くまま
11月27日(月曜日)。🌫🌥🌫。今日も朝から一面の深い霧で、窓の外の世界はほぼ真っ白。五番アベニューを隔てた20階建てのマンションがほとんど見えないんだから、相当の濃さ。ということは、そこからもこっち側は見えないってことで、何だか不思議な感覚ではある。まあ、今の時期はフレーザー川の水温がまだ高めなせいで、冷え込んだ夜には霧が発生して、霧の層が厚ければ海抜100メートルの高台の23階の我が家も五里霧中ということになり、薄く川面に張り付いているようなときなら、白い霧の海の上に朝日が燦々と輝く青空が広がっていて、何となく南極の大氷原を見ているような感じになるし、時には霧の下の「夜」と霧の上の「朝」の2つの世界の間に挟まっているような気分になる。自然というのはほんとに人間の想像力なんか足元にも及ばないような、生まれながらの芸術家・・・。

のんびりしていたら、モールの2階にある画像診断クリニックから電話。腹部の超音波検査の依頼が来ているので、12月6日の午前8時30分に来なさいとのこと。思ったより早かったな。その日の午前中には予定が入っていないので行きますと返事したら、その日は朝ご飯はなしで、前夜には脂肪ゼロの晩ご飯という注文。晩ご飯に揚げ物なんかたらふく食べて行ったら、もろに「すわ、脂肪肝」ってことになってしまうからかな。でも、いきなり脂肪ゼロの食事と言われても、ワタシはヴィーガンじゃないし、ダイエットもしてないから、はて、どうしよう。まだ松茸が採れるならマットに届けてもらうか、でなければフリーザーに残っているもので、超久しぶりに炊き込みご飯なんてどうかな。要するに脂のない食材ならいいってことで、金曜の夜に給油がてらHマートに行って買って来た大豆もやしやシメジ、マイタケ、シシトウがあるし、冷蔵庫には細い大根半分と豆腐半分が残っているから、いっそのことご馳走にしてしまおうかな。まだクリスマスじゃないのに、何というかぜいたく・・・。

とりあえず週末くらいまでに考えておくことにして、今日のランチはきのうの晩ご飯のポットローストビーフの残り。肩の肉のうちでも首に近いところのチャックアイという味わいのあるカットを、ビーフストックとシメジと一緒にスロークッカーの「強」で5時間ほど。小麦粉でとろみをつける普通のグレヴィーソースと違って、我が家のは肉汁が加わったストックを煮立てて減量してから、シメジと一緒にハンドミキサーにかけたもので、きのこの味が効いて何とも言えない上品なソース。ランチでは残った肉をスライスしてオーブントースターで温めてトーストしたブリオシュローフの上に乗せ、電子レンジで温めたソースをかけ回すだけなんだけど、何となくぜいたくっぽい気取った感じ・・・。

ランチの後は、歯医者に行って今年2度目の歯のクリーニング。下の前歯の裏に歯垢が付いているのか、尖ったところに舌の先がひっかかって痛いので、ちょうどいいタイミング。比較的資格を取りやすいのか移民して来た歯医者が続々と開業したもので、歯科医は不足していないから選り取り見取りだけど、歯科治療は医療保険の対象外なのでかなり高いのが難点。だから歯科保険(我が家はカレシの公務員年金に付随)がある患者の勧誘は激烈な競争で、クリーニングなんか半年ごとに予約を入れさせて確保しようとする。保険の年度末の12月になると行くのをやめたところからも勧誘電話がかかって来て、無視していても「クリーニングの時期ですよぉ」と留守電を入れて行くので、ほんとにうるさい。ワタシは年の初めに2本ほど充填し直したので、保険の限度額はほとんど使い尽くしていて、今回は2万5千円のうち保険から支払われるのは4400円だけ。それでも、舌先の引っかりがなくなったし、歯周ポケットが改善されているそうだし、自己負担額は医療費として税額控除できるから、ま、いっかな。年を取るにつれて歯の手入れをきちんとしておかないと健康に関わって来るから、これはぜいたくとは言えないよね。



午後4時過ぎ、霧の中の夕焼け。夜になってまた濃霧注意報・・・

1日五里霧中で濃霧注意報発令

2023年11月27日 | 日々の風の吹くまま
11月26日(日曜日)。🌫🌥🌫。起きて見たら、うはっ、すごい霧。フレーザー川に沿って霧の川がゆっくりと流れている感じで、北の入江からの霧がフレーザー川を目指して流れて来るバークィトラム地区のあたりはかなり薄れていたけど、ポートマン橋から下流の橋はみんな霧の中。霧の上は太陽が照っているんだけど・・・。





掃除の日の今日は、まずはきのうやらなかった洗濯から。シーツを全部剥がして、マットレスにかけるシーツはベッドのサイズ(クィーン)だけど、上にかけるフラットはひと回り大きいキングサイズなので、この2枚だけで洗濯機はいっぱい。回しながら、枕カバーやキッチンやバスルームのタオル類、テーブルマットなど2回目の洗濯物を集めて来て、すでに1週間分の汚れ物が入っている乾燥機にポン。キッチンとバスルームに新しいタオルを入れて、やっと掃除開始。ダスターで埃を払いながら外を見たら、う~ん、下界はまだまだ五里霧中の観・・・。



でも、箒で掃いて掃除機をかける頃には、高層ビル群が並ぶサレー・セントラルがまるで島のように見えて、建設中の新パタロ橋や電車専用のスカイブリッジの塔、ニューウェストミンスター側の川べりに建設中の超高層マンションがふっくらとぶ厚い霧の中からにょっきり。霧が厚くなったり薄くなったり、ダウンタウンから坂を上るようにアップタウンまで広がって来たりで、あまり深い霧に包まれることのない下流の一帯も五里霧中。フレーザー埠頭のガントリークレーンもアレックスフレーザー橋もどこへ行ってしまったやら・・・。




掃除機をかけ終わったところで11時でモールが開く時間。何となく晴れて来ている感じがしなくもなくて、モップかけは後回しにしてウォーキング。天気アプリをチェックしたら気温は1度。外に出たら、夜の間に融雪塩を撒いたようで、歩くと足元でじゃりじゃりと音がして、歩道のあちこちにはまだ凍ったままの薄氷。モールの中は暖房が効いていて、ウォーキング中に汗だくになるので、たったの1丁だから冷え込む前に中に入れるからと外ではわりと薄着で間に合うのが気楽。外が寒くなったせいか、2階でウォーキングするシニアが増えたかな。どこにも禁止とは書いていないけど、ジョギングをする人はさすがにいないのは「廊下」だからかな。モールの西の端にはフィットネスジムがあるんだけど、いつ見てもトレッドミルでガンガン走っているのはおしゃれな運動着の若い人ばかり。住み分けができているのかも・・・。

帰って来てささっとモップかけを済ませて、シーツを乾燥機に入れて、2回目の洗濯を始めたらもう正午。外はだんだん霧が深くなって来て、ランチが終わった頃には我が家も五里霧中で、なぁ~んにも見えない。薄くなって来たかと思うと大きな塊が流れて来て、さっぱり晴れそうな気配がないまま、日暮れが迫る4時過ぎにはメトロバンクーバー、ビクトリア、バンクーバー島東部、本土の北部沿岸の広い地域に「濃霧注意報」発令。ニューウェストミンスターの予想最低気温は0度。道路に霧が凍り着いたら危ないなあ。まあ、そういう季節になったってことではあるけど・・・。




友だち夫婦もマンションへの住み替えを考え始めたらしい

2023年11月26日 | 日々の風の吹くまま
11月25日(土曜日)。☀。起床は8時。外の気温はマイナス1度。晴れた日が続いているせいか、どんどん冷え込んで来る。ゆうべの夕焼けは冷たぁ~いピンク色だったもの。今日は9時半に友だち夫婦を訪ねることになっているので、朝ご飯を食べたらさっさと支度をして出発したら、道路の両側の芝生が霜で白っぽくなっていた。

土曜日の朝は高速も混んでいなくてすいすい。友だち夫婦の家は元々カレシの実家で、カレシも十代から大学を卒業するまで住んでいたところ。もう30年以上も前に亡きママが年を取って戸建ての維持がきつくなったからと売りに出したときに、ちょうどマイホームを探していたカレシの元同僚で親しかったアルバートと高校の先生だったローリーの夫婦が買ったもので、何度か改装したそうだけど、外見はほとんど変わっていない。ひと回りの年の差夫婦で、半地下に作った貸し部屋にはアルバートが50近くなってできた一人息子のエリックが住んでいて、何年も進路を決められないで、3回くらい学科を変えていたのが、やっと法科を卒業してこの秋から弁護士事務所で見習いを始めたそうだから、とっくにリタイアしている両親もやれやれと肩の荷を下ろしたところらしい。

マルチカルチュラルのメッカみたいになっているコマーシャル・ドライブ(通常「ザ・ドライブ」)のおしゃれなカフェでコーヒーを飲みながら、コロナの前に最後に(ワタシは20年前に)会ってからの積もる話に大輪の花。旅行の話題になって、私たちはクルーズの話、ローリーとアルバートは来年の春に計画しているヨーロッパ旅行の話。アムステルダムを出発点にして、オランダ、ベルギー、フランスと自転車で旅行するというからすごい。若い頃にやったと言っても、アルバートはワタシと同い年でローリーは今年66歳。私たちにはとってもそんなエネルギーはないなあ(ワタシは自転車に乗れないし)。でも、シニアになると限りのある余生は萎むばかりだから、そうそう、今のうちだよねえ・・・。

ローリーが周りの同年代の友だちが真剣に住み替えを考えているのに触発されて、漠然と将来の住処について考え始めたと言い、この一帯がほとんど変わっていないように見えても高密度化の波は確実に押し寄せて来ていると言うのを聞いていて、これはかなり本気だな。アルバートが「引っ越しが大変そうで、ためらってしまうな」と言うので、先輩風を吹かせて、いやいや一番きついのは引越し前の家財道具の整理だよ。そう、特に長く住んだ戸建てから(床面積が半減する)マンションに住み替えるとなると、手放したくないものでも心を鬼にして捨てなければならないの。幸い私たちは売ってすぐに家を明け渡さなくても良かったけど、それでも30年の間に溜めこんだトラック何台分ものがらくたを処分するのに3ヵ月かかって、その間のストレスはすごかった。カフェを出て並んで歩きながら、マンション生活に関するローリーの現実的で細かな質問にワタシも現実的に答えて、人生最後の引っ越しをするなら、年を取り過ぎてしまわないうちにやった方がいいよとアドバイス。私たちの年になったら何でも「今のうちに」と言う精神でやって行かないと、いざとなったときに体力も気力もなくなっていたってことになりかねないから、そのときに後悔しないためにも、ね。


今夜もまた冷え込みそうな予感・・・

スコッチウィスキーの試飲会

2023年11月26日 | 日々の風の吹くまま
11月24日(金曜日)。☀。まだ9時に起床。のんきでいいね。きのう、おとといとイベントが続いたから、今日は休養と行きたいところだけど、買い物があるし、明日の朝友だちに会いに行くには今日中にガソリンを入れておかなければならないしで、ちょっとだらけようかと言う程度かな。

きのうのウィスキー試飲会は楽しくて、おまけにすごく勉強になった。シングルモルトのスコッチをちょっぴりずつ入れたグラスが5個並んでいて、なぜかチョコレートのかけらも5つ。Arts Clubの企業スポンサーになっているLegacy Liquor Storeの店主ダレルさんが講師のジョンさんを紹介して、まずはシングル、モルト、スコッチ、ウィスキーの定義。これがけっこう厳格で、全部を満たして初めて正統なシングルモルト・スコッチウィスキーというわけだけど、英語の綴りはwhiskyで、whiskeyと「e」が入っているのはスコットランドと一線を画したかったアイルランドのウィスキー。それでイギリスの植民地だったカナダでは「e」がなく、アイルランド系が大挙して移住したアメリカでは「e」が入っているんだそうな。本場のシングルモルトスコッチは、ハイランド、ロウランド、スペイサイド、アイランス、アイラ島といった地域に百何十もある蒸留所でそれぞれに個性のあるウィスキーを製造していて、今回はディアジオという大きな企業が所有する銘柄5種類を飲み比べ。





テーブルにチョコレートのかけらが並んでいたのは、スコッチとチョコレートは相性がいいので、試飲する銘柄にぴったりのペアリングを紹介するということで、実際にウィスキーを飲んで、それぞれにペアリングしたチョコをかじってみたら、うん、なかなか味わいがある。スペイサイドのダフタウンで作られたシングルトンから始めて、ハイランドのダルウィニー、アイランズ(スカイ島)のタリスカー、ハイランド西部のオーバン、そしてアイラ島のラガヴーリンと飲んで行くにつれてピートの香りがゼロからほんのりから煙たいまで変化して行ったのがおもしろかった。なので、煙たいスコッチが大好きなワタシが一番気に入ったのがラガヴーリン8年もの。アイラ島にはモルトを作るために燃やす木が生えていないので、熱源になるのは島中にある泥炭地から掘り起こして来たピート。それでアイラ島のウィスキーは特有の煙たさが特徴ということになったんだそうな。

私たちとケイトお姉ちゃんとマーヴィンとアーマの夫妻でテーブルを2つ寄せて、あれを飲んでああだこうだ、次を飲んでああだこうだとにぎやかに時間が過ぎて、ケイトお姉ちゃんはオーバンに1票。ワタシがこれ!と言ったラガヴーリンは煙た過ぎて口に合わないから飲んでと自分のグラスのをワタシのグラスに空けてくれて、ペアリングのチョコもおまけ。試飲会の終わりには試飲したウィスキーの販売があって、ダレルさんが売上の10%をArts Clubに寄付すると言うもので、あっという間に何人も行列。ワタシもラガヴーリンの(8年物が品切れで)16年ものをゲット。高かったけど、ま、自分へのクリスマスプレゼントと言うことにしとこう。だって、この1年、いい子だったんだもん、ワタシ。ねっ。



シルクドソレイユはやっぱり最高

2023年11月24日 | 日々の風の吹くまま
11月23日(木曜日)。☀。目が覚めたら8時半。ゆうべのお出かけでくたびれていたのかもしれないけど、カレシが朝の9時にレッスンを入れなくなったせいかな。リビングもダイニングもオフィスも低くなった朝の光がもろに差し込んでまぶしい。

ゆうべは案の定、VIP専用駐車場(無料)に向かうというところで、右折しようとしたら一方通行でダメ。直進しようとしたら「自転車だけと書いてある」とあっさり左折。そのまま元来た道に戻ってしまって、ぐるっと回って戻って来て、どこから入るのか思案していたら、自転車専用のはずの道路にミニバスが右折して行ったので、よし、直進。車がたくさん止まっている方に左折して、また立ち往生。ワタシが車を降りて最初に見かけた交通整理の人に聞いてみたらそっけなく「ここは一般駐車場ですよ」。少し離れたところにいた女性の係に聞いてみたら、通り過ぎて来た方を指して「あっち側ですよ」。あらら。「私について来てください」と言うので車に戻って、お嬢さんの誘導に従って無事に駐車場入り。入って来た道路を渡って、まず荷物のチェックとボディスキャンを通って、入場口でスマホのQRコードをスキャンしてもらったら「VIPの入口は右に回ったところです」。ああ、ややこし。無事にVIPラウンジの外にあった入場口を通過して、入口で赤ワインのグラスを受け取って、やれやれ。VIPラウンジには思ったほど人がいなかったのでちょっとびっくり。




チケットを買ったときに「早めに来ると出演者と記念写真を撮れます」と書いてあったので、ラウンジを見まわしたら、あ、いたっ。撮影スポットが用意されていて、さっそくそこですてきな衣装のお兄さん2人と記念撮影。回って来るオードブルを摘まみながら待っているうちに「ショーが始まるので席の方へ」というアナウンスがあって、ラウンジからすぐそこのVIP専用口からホールに入って、ポップコーン(VIPチケットは無料)の匂いがプンプンする中を3番ドアから座席へ。かなり前でほぼど真ん中のステージ全体が良く見える特上の席。前座の道化師たちがステージを駆け回っていた。やがてライトが消えて、『KOOZA』の始まり。ラウンジで一緒に写真を撮ったお兄ちゃんたちが出て来たのはDouble High Wireという綱渡り芸。高いところに張った2本のワイヤで飛んだり跳ねたり縄跳びをしたり。しまいに自転車に乗った2人の間に渡したバーにもう1人が椅子を載せて、バランスが取れたところで椅子の上で逆立ち。うひゃあ、ハラハラ、ヒヤヒヤのし通し。高いテントの天井を見上げっ放しで首が痛くなったけど、すごく楽しかった。


大砲から飛び出して頭の上に降って来た紙吹雪



フラッシュなしでなら写真を撮ってもいいということで、携帯で試してみたけど、くるくると変わる照明が明る過ぎるし、スピードが尋常じゃなくて、しっかりした写真を撮るのは至難の業。それでも、しゃれたトートバッグに入れたプログラムとおしゃれなノートブックをもらって帰って来て、大いに満足。VIPタグはクリスマスツリーの飾りにしちゃおうかな。遊びほうけっ放しみたいだけど、今夜はArts Clubのファンドレイジングの「スコッチウィスキー試飲会」。早めに晩ご飯を食べてでかけないとね。そうそう、シルクのおみやげのノートブックを持って行ってケイトお姉ちゃんにあげようっと。



寝ぼけ頭に道順の説明をするもんじゃないね

2023年11月24日 | 日々の風の吹くまま
11月22日(水曜日)。🌫☁。帰って来てから初めて2人とも8時近くまでぐっすり眠って、ほぼ同時に目覚め。何だかすぐに起き出す気にならなくて、今夜のシルクドソレイユの『KOOZA』を観に行く道筋についてカレシが聞いて来たので、きのうのうちにググって道順をメールで送らせてあるから見てちょうだい。起きてから見せるといったのに、キャンビー橋を渡るのがどうのとか前に行ったところと同じかとか、何か意味不明な質問の連続。何度も道順を説明して橋は渡らないと言ってるのにちゃんと聞いていないもので、前に行ったときは橋を渡って行って・・・と食い下がって来るから、こっちはカリカリに目が覚めてしまった。

私たちが『KOOZA』を観に行ったのは10年以上も前の2010年の夏で、バンクーバーの南斜面の戸建てに住んでいて、まだ引越しなんか考えもしなかった頃。そう、あの頃はダウンタウンまで行くのにキャンビー橋を渡っていたんだよね。やれやれ、カレシと来たらもろにタイムスリップしちゃって、あの時の記憶をつい昨日アップロードしたばかりの情報のように見えているのかもしれない。散々堂々巡りの議論をした挙句に、突拍子もなく「あのときは引っ越す前だったから橋を渡ったんだ。今度は違う方向から行くから橋は渡らないんだ」。はぁ~い、その通りでぇ~す。ほんとに、起き抜けでまだ半寝ぼけのときに道順のようなビジュアルで込み入った話なんかするもんじゃないなあ。

生活費以外の出費に使っているクレジットカードの締め日が過ぎたので、今Arts Clubがやっているマッチング寄付に10万円ほど寄付。コロナの影響がまだのしかかっていて、非営利法人である劇団の懐はまだ火の車の状態なのもので、そこで名誉芸術監督のビルがマッチングを提案して、クリスマスキャンペーンとなった次第。カナダ随一のArts Clubでさえこうなんだから、零細劇団の内情は推して知るべしだな。寄付のついでに、来年5月の創立60周年記念のディナーとショーのイベントのチケットもゲット。これで今年も寄付総額の目標額をほぼ達成したかな。メールで来た寄付の税額控除用のレシートをダウンロードして、次はArts Clubの教育部門がやっている劇作ワークショップへの参加申し込み。来年2月末から8週間毎週金曜日の夜にZoomでやるもので、脚本を執筆中か構想を持っているか過去に劇作講座などの受講歴がある人という条件。一応その両方がイエスだから資格は満たしているけど、応募者が多ければダメという可能性は十分。それでも、受講できることになったら、脚本の草稿を仕上げておかなければならないから、先ヘ進む動機付けとしては願ってもない機会。そう、やるっきゃないのよ。

朝の霧から始まって、1日中何となく湿っぽかったけど、日暮れ時になって燃えるようなみごとな夕日。ささっと晩ご飯を食べて、6時少し前にいざシルクドソレイユへ。カレシも道順の90%が良く知っているルートだとわかって、Googleが推薦する通りに行くつもりになったらしい。問題は最後のVIP用の駐車場に入るルートだけど、あの辺は行ったことがないし、夜道だし、うまく行きつけるかどうか。でも、たっぷり余裕を持たせてあるから大丈夫かな。とにかっく楽しんで来ようよ。ねっ。





日常に戻ったら、また夢に向かって前進あるのみ

2023年11月22日 | 日々の風の吹くまま
11月21日(火曜日)。☁🌧。何だか湿っぽい寒さ。もう冬至までひと月で、朝が明るくなるのにどんどん時間がかかるようになって来た(日の出は7時30分)。ベーカー山はかなりの新雪が積もっているようだし、北の遠い山脈も真っ白。ウィスラーもスキーシーンの山開き。エルニーニョの冬はあまり厳寒にならないけど、雨ばかりで閉めっぽいことには変わりはない。



クルーズ旅行の「後始末」もやっと終わったので、今日はさっぱり進んでいない気がする『The Piano Teacher』の日本語訳第5改稿の見直しに戻って、最後の手直し。もっとも、手直しを始めると切りがなくなるので、バックストーリーにウェイトを置いて、それをどうしたら日本語の台詞に反映させられるかに神経を集中して、最後の最後の最後の仕上げ。最後の最後にピリオドを打ったら、東京の先生に送るために印刷してバインダーに綴じて郵便で送るつもり。先生はワタシよりひと回りはお年だから、モニターの前に座って電子ファイルを読むのは少々きついかもしれないものね。ここまで来るのに1年かかったけど、とにかく先へ進まないことにはね。

きのうの買い物で、カレシのベータブロッカーの処方量の残り(90錠)をスーパーの薬局に注文しておいたので、今日は薬をもらい行くついでに、先に上のウォルマートに寄ってクリスマスカードを調達。くるみ割り人形の図柄の16枚入りの箱と図柄ごとに2枚ずつ14種類入った28枚入りの箱を買って、財布に入っていた現金で買ってお釣りをもらって、下のSave-On-Foodsへ。店の前に救世軍の社会鍋があったので、ウォルマートでもらったばかりの小銭をじゃらん。薬を受け取って、ついでにアップルソースにするりんごを(少額だから)現金で買ってお釣りをもらって、店を出たところで「またもらっちゃったから」と社会鍋にじゃらん。これで500円くらいは寄付したかな。空港送迎してくれる運転手さんにチップを上げるために現金を引き出しておいたんだけど、普段は現金で買い物をすることがないから、小銭をもらってもじゃまなだけなのよね。

帰って来て郵便箱を覗いたら、あら、もうクリスマスカードが来てる。秘書時代の上司のお客さんで、カナダ産の数の子を輸入していた会社の今は会長。カナダと北海道の友好を深める活動もしているとってもすてきな紳士で、道産子のよしみでと言うのか、秘書を辞めてフリーランスになってからもリタイアして殻も毎年こうして欠かさずクリスマスカードを交換している長い、長いおつきあい。カナダ政府とのパイプも持っている人だから、図々しいのを重々承知でカナダの戯曲の翻訳脚本の上演に向けてカナダ政府の後押しを取り付ける橋渡しをお願いしてみようかな。北海道の演劇作品をカナダに紹介するために『平治郎』の脚本の英訳と脚色を進めて行くつもりなので、ここはどうしても文化交流振興の制度や機関のネットワークに乗る手引きをしてくれる人やグループの存在が成否にかかわって来ると思う。Arts Clubを通じて交流が生まれた演劇人を見ていると、みんなキャリアと生活がかかっているから、常に自分を売り込んでいるという感じ。天は自ら助くる者を助くと言うし、つまりはビジネスと同じで「営業」をしないとダメなのよね、うん。

やっとブログ記事に写真が追い付いた

2023年11月21日 | 日々の風の吹くまま
11月20日(月曜日)。⛅🌤☁。時差ぼけの影響は完全に解消したようで、元気もりもり。予定ぎっしりの忙しい3週間の始まりだから、晩ご飯の後で眠くならなければしめたもんだな。ワタシのカレンダーはお出かけや支払いや歯医者の予約やマンションのスプリンクラーの点検で、毎日大忙し(に見える)・・・。



朝の日課が終わったら、大車輪でブログ記事のアップデート。手始めはシチリアのパレルモとシラク―サで、記事はアップしてあるから、写真を挿入するだけ。アマルフィ海岸のつづら折りの道路は観光バスと乗用車がこすり合いそうなほどぎりぎりですれ違ったりしてスリルがあったけど、パレルモでも規模は小さいながらつづら折りをジグザグ。イタリアのドライバーはきっと運転上手なんだろうな。山腹をジグザグを上る細い道は歩行者と自転車専用で、走っている人がけっこういたのは驚き。最初の「ジグ」まで行かないうちに息が切れてしまいそう。島の東側にあるシラク―サは遠くにエトナ山が見えていたけど、街そのものはいたって平坦。港に入る時に目立っていた唐傘を半分広げたような建物は「涙する聖母」というカトリックの大聖堂。1966年に着工して1994年にやっと完成したという近代建築で、アイスクリームのコーンを逆さまにしたみたいだとか、レモン絞りみたいだとか、かなり揶揄されているらしい。私たちのツアーの見どころは高台にある古代の砕石場と劇場跡で、あの日は暑かった。

出港したときの夜景をアップしていたマルタにはツアーの写真を追加。私たちが22年前に訪れた時の印象とはまったく違って、豊かな小国というイメージ。ダイサと言う小舟(6人プラス船頭)で水上観光して波止場に戻って来た時に、段ボール箱いっぱいのアイスクリームコーンを岸壁から捨てた人がいて、ちょうど私たちのボートをオールを使って横付けしようとしていた船頭さんがカンカン。怒鳴り散らしながらボートを岸に着けて、私たちを下ろしてから、車で去ろうとする「犯人」を追いかけて、車のドアを開けて上半身を突っ込んでさらにガンガン抗議(あるいは説教?)。私たちはマルタ語がわからないので呆気に取られて見ていたけど、観光用のボートの乗り場にふやけたコーンがぷかぷか浮いているというのはあんまり芳しい光景じゃないから、ご立腹はごもっともだと思うな。おまけのハイライトは狭い道路の両側に並ぶ住居のドアに付いていたすてきなノッカー。そしてマルタのおみやげのひとつはクリスマス飾り・・・。

最後にドゥブロヴニクの写真。郊外に出て養蚕と粉挽きの伝統文化を見学した後で、『ゲーム・オブ・スローンズ』のロケに使われた要塞を通り抜けて降りて行った旧市街でのハイライトは、メインストリートを手をつないで大聖堂へ歩いて行く花婿と花嫁。広々としたメインストリートと交差する細い横道の一方がどれも少し入った奥の方で急な階段になっていて、写真を撮りまくっているうちに聖堂の鐘が華々しく鳴り渡って、外に出て来た新郎と新婦が記念撮影。花嫁さんは美人だったなあ。ついついたくさん写真をアップしたもので、船からアップしていた初めの寄港地の記事は写真が不釣り合いに少ないなあ、足そうかなあと思ったけど、やっと追いつけたんだし、いつか別の記事で写真を追加するのもいいかな。終わった旅はもはや思い出だもんね。

リタイアしても忙しいのはいいことだと思うけど

2023年11月21日 | 日々の風の吹くまま
11月19日(日曜日)。☁⛅。目が覚めてからしばらくぐずぐずしていて、起床は9時。忙しい日じゃないからのんびりでいいか。朝ご飯を食べて、メールをチェックしてひと息ついたらもう10時近くで、ねえ、今日は掃除の日だよ。先週の日曜日は帰って来たばかりということでさぼったので、今日はちょっと念を入れてやらないとね。晴れた朝は、南東に回った朝日が模様替えで遮るものがなくなったリビングの窓からまっすぐに寝室前の廊下まで差し込むので、フローリングの床のゴミが丸見え。おまけに窓ガラスの汚れも丸見え。あぁ~あ。

とにかく掃除を始めて、箒で掃いて、掃除機をかけて、モップをかけたら、うは、真っ黒。大汗をかいての掃除が終わったら11時15分前。日曜日はモールが11時に開くので、ちょっとひと息ついて今度はウォーキング。帰って来ればもうランチの時間。きのこのブロスとマットから買った乾燥きのこを使って作った人工の添加物ゼロのいたってヘルシーなスープでランチ。朝ご飯は「鳥の餌」と呼んでいるミューズリとバナナと砂糖無添加の自家製アップルソースだし、ランチと晩ご飯のデザートは2人ともクッキー1個で間食はしないし、晩ご飯も肉類のボリュームを抑えているから、そんなにカロリーの高い食事をしているわけじゃないと思うし、お酒だって、1日にマティニ1杯と寝酒1杯で、空きっ腹で飲まないようにごく少量のおつまみを添えているんだけど、それでも年を取って来ると問題が起きて来るようになってるんだよなあ。聞くところによると、女性は更年期を過ぎるとそれまで内臓などを守って来たホルモンが激減して、生活習慣病のリスクが男性並みになるんだそうで、カレシにそう言ったら「機会均等の時代だからな」とすっとぼけた返事。まじめな話だってば。

午後になってやっとワタシの時間。ヴェニスの記事を書いて、写真を付けてアップして、やっと遅れを取り戻してひと安心。ケイトお姉ちゃんからメールが来て、「年内はみんな予定がぎっしりだから、集まるのは年が明けてからにしようよ」。そうだよねえ。ワタシもフラグをべたべた貼ってある自分のカレンダーを見てため息。めくってみた12月もフラグがペタペタ。やれやれ。おまけにカレシが思いつきで長年の友だちのアルバートに電話したので、土曜日の朝に奥さんのローリーも一緒にアルバートの家に近いコマーシャルドライブのカフェで会おうということになってフラグがまた1枚。なんとも忙しいこっちゃ。

それでも、よく考えて見ると、悠長な暮らしであることには間違いがないかな。何よりもおひとり様稼業現役時代に常にあったプレッシャーがないんだから、忙しさとそこから来るストレスの質そのものが大違いで、第一に忙しさもストレスも最終的には自分でコントロールできる余地が大きいわけだもの。まあ、それでもやっぱり愚痴のひとつも出るんだけど、その愚痴の矛先は自分自身だから、あんがいそれもばあさまの楽しみのひとつになっていたりしてね。窓の外が騒々しいので目を向けたら、カラスとカモメが空中戦を繰り広げているところ。ぎゃあぎゃあと互いに相手を威嚇しながら、20羽か30羽が入り乱れてカメラも追いつけない猛スピードで飛び回っているのは、ちょっぴりヒッチコッキアン。実際に相手を駆逐しようとするそぶりはないので、あんがいカラスもカモメも暇にあかせて楽しんでいるのかもね。



糖尿病を想定していたら肝臓の方かもって

2023年11月20日 | 日々の風の吹くまま
11月18日(土曜日)。🌤⛅☁🌧。また週末。わりと早く起きてしまって、朝ご飯が済んだら、旅のブログの最後になるヴェニスの写真の整理と取捨選択に集中。それが終わったら、船のWiFiのバンド幅不足でアップできなかったシチリアのシラク―サとマルタ、クロアチアのドゥブロヴニクの記事をアップデートして写真をアップしたら、2023年の旅行記は完というところ。

陸上と違って、大海原を行くクルーズ船のWiFiは通信衛星が頼りなんだそうで、衛星と交信できる範囲を外れるとネットにつながらなくなるし、元々海上の船から何十キロもの高い空のどこかを飛んでいる衛星にテータを信号で送って、さらにその衛星から地上の最寄りのネットワークにリレーするというまだるっこしさなので、写真満載で容量の大きい記事はアップしようとずるとタイムアウトしてしまうことがよくある。クルーズ料金に含まれる無料WiFiのままなら文句は言えないけど、バンド幅を増やすために10日ほどのクルーズで3万円以上のプレミアム料金(デバイス4台まで同時接続可)を払っているので、時には何とかならないものかと思うけど、衛星と船の位置次第だから文句を言っても始まらない。まあ、おととし小さいシルバーシャドウ号で地中海をローマから西へ航行したクルーズに比べると、WiFiの環境はずっと効率的だったけど。

電話診療の予約通りに10時40分に新しい家庭医のシャサヴァン先生から電話。なかなか人当たりがいいなあという感じで、前任?のスラニナ先生に出会ったとき同様にラッキーだったかな。のっけから検査の結果を見ると悪玉コレステロールの数値がちょっと高いけど薬は飲んでいるかと聞くから、ノー。まあ、薬を処方するほどのレベルじゃないから、この先様子を見ようということで、次の質問が「お酒はどれだけ飲む?」で、あのですね、晩ご飯前に1杯、寝る前に1杯。毎日の楽しみなんですよぉと言ったら、先生は「なるほど、なるほど」と高笑い。その後でいくつか質問があって、肝臓関連のγ-gptの数値がちょっと高いので、肝臓の超音波検査をしよう。へえ、糖尿病の方か何かありそうだと思っていたけど、肝臓かあ。脂肪肝の疑いがあるとかかな。ま、どっちでもいいけど、「ロイヤルコロンビアン病院から連絡が行くので、検査を受けてね。その結果を見てこれからどうするか考えましょう」。はぁい。

ワタシとしては、専門医は特定の病気を治すのが仕事で、家庭医は日常の健康状態を把握して、「病気」に達するのを遅らせるのが仕事だと思うので、シャサヴァン先生のアプローチは願ったり叶ったりかな。医学、科学を盲信しない、地に足の着いた人と言う感じで、俯瞰的に患者の健康状態を見ていた昔ながらの家庭医の面影があって、考えなくても何となく信頼感が湧いて来る。検査をして何が出て来るかわからないけど、40代くらいだったらまだ長い人生が残っているから大いに心配になっただろうな。でも、75歳になった今は、限りのある残された時間を楽しくハッピーに過ごすのが最優先。それで寿命が2年や3年縮まったところで人生全体を見渡したら大したことないもの。ま、そのときになってのことだけど。命を伸ばすために(と言うか死ぬのが怖いから)あれはダメ、これはダメと気にしながら生きるなんて、病気で何もできないで余生をだらだらと過ごすなんて、そんなのまっぴらごめんなの。だって、生きているものには誰だって何だっていずれは「終わり」があるんだから。

旅の空から~ヴェニス(終点)

2023年11月20日 | 日々の風の吹くまま
11月8日(水曜日)。🌤☀。ゆうべトリエステを出港してからは猛烈な雷雨で。一瞬の稲妻が空と海面を照らし出して、何だか魔法の世界にいるみたいだった。でも、嵐は北の方へ行ったようで、ヴェニスに近づく頃にはいたって穏やかな航海。ヴェニスの大運河から締め出されたクルーズ船が停泊するのは本土側のフシナというところで、隣で自動車専用船が新車の陸揚げをやっていて、何だかとりあえずそっちに泊まってくれよと言う感じ。まあ、わかるな、その気持。クルーズ会社にとっては高層ビルのような船からヴェニスの眺望を楽しめるというのが売りだったそうだけど、ヴェニスの街並みの上に巨大なクルーズ船が聳えている写真を見たら、あれじゃあクルーズ船が写り込まない写真は撮れそうにないと一気に幻滅したもの。何よりも何千人も乗せたバカでかい船をあんな狭いところに入れること自体が間違っていると思うもの。




私たちのツアーは「サンマルコ広場とドゥカーレ宮殿」。フシナの埠頭からシルバーシーがシャトル用にチャーターした(遊覧船みたいな)ボートでスキャヴォーニ河岸の「サンマルコ広場まで橋4つ」の船着き場まで40分ほど。ホテルやカフェ、おみやげ屋台が並んで、観光客が溢れ、岸にはゴンドラやボートが浮いている河岸を歩いてサンマルコ広場へ。ドゥカーレ宮殿の横の橋を渡るときにガイドさんが奥の方の橋を指して「あれがため息橋です」。ドゥカーレ宮殿の裁判所から牢獄に連れて行かれる囚人が小さな窓から最後になるヴェニスの風景を見て深いため息をついたそうだけど、実際にこの橋ができた頃には宮殿での取り調べや投獄はやっていなかったらしい。ドゥカーレ宮殿の角を曲がると奥にすばらしい時計塔が見え、そこからにぎわっているサンマルコ広場を通ってサンマルコ寺院の中へ。ツアーグループの数がすごいので、自分のグループとはぐれないようにするのがタイヘン。シーズンオフのはずなのにこの人出じゃ、夏の観光シーズンはそれこそ押すな押すなの大盛況で見るものも見られないんじゃないかな。それにしても、サンマルコ寺院もその後で入ったドゥカーレ宮殿も、ヴェニスの繁栄ぶりを示す豪華絢爛たる装飾のすごさはさすが。見上げて写真を撮っていたら首が痛くなったので、えいっとまとめてビデオに収録。









ヴェニスのさわりを見学した後は広場に出て、30分おきのシャトルボートが来る時間までしばしのフリータイム。おみやげの屋台を端から端まで冷やかして、マグネットやティータオル、カーニバルマスクをゲット。持って来たユーロを使い切ってしまおうと思ったけど、なぜかあまり使わなかったな。ガイド付きのグループ観光だとなかなかおみやげを買うチャンスもないもんね。でも、クルーズ船を追い出したおかげで、広場に立っていて見える景色は気持がいい。要するに、ジャンボクルーズ船が入っている時は広場からラグーンの風景を見ることができず、ラグーンを行き来するボートもゴンドラも水上からサンマルコ広場を見ることができなかったということだな。帰りのボートでは屋根の席から写真を取り放題。ボートから見るヴェニスは絵葉書のようにすばらしい。でも、(私たちもその中の2人なんだけど)あんなに観光客でごった返していたら、1度見たからもういいよって気分にもなるな。



船に戻ったら、まずランチを済ませて、いよいよ荷造り。ツアーに出かけている間に、飛行機の時間に合わせて色分けしたタグと下船の手続きの説明を入れた封筒が届いていて、バトラーがベッドの下に入れてあったスーツケースを出して、きれいに拭いてハンドルに(シルバーシーだから)銀色のリボンを結んで、広げた荷物台に乗せておいてくれたので、そのまま荷造り開始。ランチが遅かったせいもあって、夕食はスキップして、ルームサービスでスナック程度の軽い食事をして、午後11時に2個のスーツケースを廊下に出したら、目覚ましを午前3時にセットして午後9時就寝・・・。

旅の空から~トリエステ(イタリア)

2023年11月19日 | 日々の風の吹くまま
11月7日(火曜日)。🌧☁⛈。アドリア海のどん詰まりは雨。少し風もあって、悪名高きボーラの季節が始まっているらしい。ここまで来ると温暖な地中海気候も冷えてしまうと見えるな。でも、今日のツアーはあまりバスを降りなくてもいいそうだから、キャビンに備え付けてある雨傘を持って出発。

トリエステはイタリアだけど、ご多分に漏れず地中海、アドリア海の交通の要衝と言う立地のせいで波乱に揉まれ続けて来たところ。第2次世界大戦の後で、ウィンストン・チャーチルが「ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」と言った、その鉄のカーテンの南の端がトリエステ。冷戦時代に「東側」のユーゴスラヴィアに属していたスロヴェニアはほんの目と鼻の先で、実際にスロヴェニアとの国境までは東へわずか8キロ、クロアチアまでも南へ30キロと言う近さだから、周辺の国と共に同じ征服者に支配されて来た歴史を経て近代国家として「国境」を確定しようとすればそりゃあ揉めるだろうな。地の利と言う言葉があるけど、この辺りは地の不運と言うべきなのかもしれないな。(北緯49度線に沿ってまっすく線を引いて南と北に分けてさしてけんかもせずにいるアメリカとカナダは特異なケースなのかもしれない。)

雨の中をバスに乗って丘の上の聖ユストゥス大聖堂(サンジュストマルティエーレ大聖堂)へ。外にローマ時代の審判所の遺構があって、その向こうはサンジュスト城塞(別名トリエステ城)。このあたりの大聖堂も質実剛健なロマネスク様式が多いようだけど、中に入って見るとバロック調の軽やかな装飾が盛りだくさん。実際には200年の間に別々に建てられた2つの聖堂をつないでひとつにしたんだそうで、床は古いモザイクが残っているし、アーチ型の柱廊は何となくアルハンブラの柱廊を思わせてエキゾチック。聖堂から出て来た頃には晴れ間が出ていて、今度は街の北側の丘の頂上にあって船から見えていた不思議な建物「モンテグリサ寺院」へ。三角形を積み上げたようなモダンと言うのか未来的と言うのか何とも奇妙な建物で、冷戦時代に東西の平和と友好のシンボルとして建てられたんだそうな。この丘からの眺めは絶好で、海に突き出たミラマーレ城や停泊中のシルバームーン号が見えたし、遠くにはウクライナに侵攻したプーチンの所有と言う疑いでイタリア政府が新興財閥から差し押さえたものの、維持費が嵩んで頭を抱えているという3本マストのヨット「シェヘラザード号」。




サンジュストマルティエーレ大聖堂


モンテグリサ寺院

私たちの船

プーチンの船?

トリエステの街並みはこの2つの丘の間にあって、中心地に並ぶ建物はハプスブルグ朝時代の名残りか、端正な品格があるという印象.。派手さはないけど華やかさの片鱗があったて、何だかおすましした貴婦人のような感じ。ええ?と思ったのはバイク専用の路上駐車ゾーン。白線で区切られた枠にバイクがお行儀よくずらりと並んでいたのでびっくり。駐車の標識(P)にはバイクと自転車のアイコン。道路の反対側は概ね自動車の路上駐車場になっているようで、四輪車と二輪車が平和に共存している感じかな。何となくヨーロッパらしい感じでいじゃないの。



こんなところにもスシ屋・・・

旅の空から~ザダール(クロアチア)

2023年11月19日 | 日々の風の吹くまま
11月6日(月曜日)。☁⛅。起き出してカーテンを開けたら、近づいて来る島影の上に大きな朝焼け雲。まずまずの天気になりそう。乗っている船がだんだん港に近づいて行くのを見ていると、旅の空の下と言うこともあるのか、郷愁に似た感情だったり哲学的な気分だったりと、とにかくいろんな思いが湧いて来るから不思議。



バルカン半島の歴史については高校の世界史の教科書で習ったことと、ユーゴスラヴィア連邦の解体の過程で戦乱が続いたことくらいしか知らなくて、今回のクルーズでも唯一名前さえ初耳の未知数100%の寄港地。そのザダールと言う小さな町(人口75,000人)にいったい何があるんだろうと思っていたら、これが紀元前9世紀に始まって、1991年に今のクロアチアになるまで、ローマ帝国、ビザンチン帝国、カロリング帝国、クロアチア王国、ヴェネツィア共和国、ハプルブルグ王朝、オーストリア帝国、ナポレオン支配下のイタリア、オーストリア・ハンガリー帝国、スロベニア、クロアチア、セルビアの各王国、イタリア王国、ユーゴスラヴィア連邦が入れ代わり立ち代わり支配して来て、ヴェニスとアドリア海を隔てて対峙するほど繁栄した時期があったというから、まさにアドリア海とバルカン半島の覇権をめぐる歴史の教科書。

小さい町と言うことで2時間の旧市街のウォーキングツアーを選んだのは大正解。クルーズ船ターミナルからバスに乗って、まずはウォーターフロントの公園へ。Monument to the Sun(太陽への記念碑)という直径22メートルのソーラーパネルがあって、夜になると日のある間に吸収した太陽エネルギーを電気に変えて光のショーを繰り広げるそうで、「上を歩いても大丈夫」と言われてみんな何かおっかなびっくり。ただのアートじゃなくて、実際にウォーターフロント一帯で必要な電力の半分を発電しているというから賢い。すぐ近くから不思議な音色の音楽が聞こえていて、街頭ミュージシャンでもいるのかと思ったら、Sea Organ(海のオルガン)。海面に向かって降りる階段のところにずらりと穴が開いていて、アドリア海の風が石の舗装の下に埋められたオルガンのパイプに吹き込んで、舗装のあちこちに空いている穴から絶妙な自然の音楽が流れて来るという仕組み。じっとたたずんで、何とも幻想的なメロディに包まれてうっとり。





旧市街は公園から少し歩いたところで、ローマ時代のフォーラムの遺跡があって、それを見下ろすようにプレロマネスク様式の聖ドナトゥス教会で背中合わせにどっしりしたロマネスク様式の聖アナスタシア大聖堂。周辺の広場にはカフェが並び、石畳の道路の両側にはおしゃれなブティック。途中に「MAGURO」と言う名前のスシ屋があったのにはびっくり仰天。アドリア海の魚のスシはどんな味かな。最後に1066年に建てられたという聖マリア教会。ベネディクト派の修道院で、大戦中はイタリア領だったために連合軍の爆撃で破壊され、戦後に再建したもの。2階と3階はザダールのかっての繁栄を示す金銀の装飾品のコレクションの展示ルームで、グループが見学している間、ワタシはそっと抜け出して1階に駆け戻って、ギフトショップで修道院の尼さんたちが作ったおみやげをゲット。店番をしていた尼さんが英語で「日本の方ですか?アリガトウ。知っている日本語はこれだけですけど」。へえ、日本の観光客も来るんだろうな。ワタシもフヴァラヴァム(クロアチア語で「ありがとう」)と返したら、やさしくにっこり微笑んで「神様のお恵みがありますように」。ザダールはほんとに素晴らしい発見だった。フヴァラヴァム!


聖ドナトゥス教会

聖アナスタシア大聖堂

ザダールの街角にも・・・

聖マリア教会