リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2008年12月~その2

2008年12月31日 | 昔語り(2006~2013)
ADDの上はなんていうの?

12月16日。今日も寒い。ますます寒くなる。目が覚めたのはお昼。外には大小4台ものトラックが止まっていて、マンホールを開けて歩道のテントの中からなにやら作業中。あはあ、ワタシもカレシもぜんぜん目が覚めなかった。数人も人がいる仕事なのかどうかはわからないけど、flag personという、片側に「停止」、裏に「徐行」と書いた標識を持って交通整理する人はもっこもこに着こんで、がっちりとマフラーを巻いて、それでも丸くなって寒そう。気温は正午でマイナス3度・・・。

カレシが今夜の教材の準備を終えるのを待って、買い物におでかけ。カレシが「ついでにリサイクルデポに寄って行こう」というから、何ヵ月も貯めてあったリサイクルごみを集めて、後ろの座席に積んで、いざ、出発・・・というときになって、助手席側のドアがしまっていない。ああああ!案の定、キーを回しても車はうんともすんとも言わない。最後に使ったのは日曜日。カレシに代わってワタシが運転してきて、ワタシを先に下ろしてガレージに入れたのはカレシだった。ははあ、ドアをきちんと閉めなかったのはカレシ。前もその前もそうだったなあ。

さっそくトヨタの24時間サービスに電話してSOS発信。「30分ほどかかります」とのことで、待つことが苦手のカレシはトラックは大丈夫かなあとそっちの方へ行ってしまったから、ワタシは家の中に戻って物見櫓で見張り。30分経って、カレシが「来ない!」とふくれ出した。この天気ではトウトラックは大忙しでしょ。もういちどトヨタのサービスに電話して(猫なで声で)「先ほどお願いしたんですが・・・」。電話を切って「あと五分で来る!」 あれ、うちの前を大きなトウトラックが通って行くけど。「キーをよこせ!」 はいはい。

「この天気だからみんな忙しいんだよな」とガレージへ飛んで行ったカレシ、ものの1分もしないうちに「キーがない!」と駆け込んできた。あのさぁ、さっきよこせというからあげたじゃないの。ポケットにないの?「探したけど、ない!」 やれやれ。トウトラックを待たせておくわけに行かないから、予備のキーを渡そうとハンドバッグを開けたら、「あった、あった!」ポケットの底にぐしゃぐしゃ突っ込んであったティッシュの下にあったとか。そっか、またしても「中途半端の君」、ポケットの底まで手を突っ込まなかったんだ。やれやれ、さすがのワタシも堪忍袋の緒が切れる一歩寸前。んっとに、やりっ放しに中途半端って、あんた、ADD?

やっとのことでほんの数分先のリサイクルデポへ。エンジンをかけたままにしたおくはずが、着いたとたんにあっさりと切ってしまった。あわててかけ直そうとしたけど、車はだんまり。し~らない。やりっ放しに中途半端に上の空、ときたら、もうADDよりずっと上を行ってるかも・・・。

幸いなことに場所は市の清掃部の作業場。業務用のトラックを回してきてエンジンをかけてくれたけど、買い物は時間切れで中止。あのですねえ、人さまのやっていることにばっかり気を取られていないで、もうちょっとは自分のことに注意を向けられないもんでしょうかねえ・・・。

メタボ車もダイエット?

12月17日。雪、雪、雪。クリスマスシーズンなもので、ラジオまで「Let it snow. Let it snow. Let it snow」。外の電力会社の作業は、きのう暗くなってからも続いていたから、雪を予想して急いで完了させたのか、それとも、雪が降っているから「やめた」ということなのか、だあれもいない。飲料水の配達も、ごみの収集も、郵便配達も、ちゃんとやっているのに。どっちにしても静かでいい。雪に音を吸収されて、ピ~ンと引き締まるような静寂がすばらしい。ああ、これが冬ってものなんだ、という感じがして、子供の頃に母が編んでくれた毛糸の長靴下を履いていたことや、寝るときに足元に湯たんぽをいれてもらったことが、なんか唐突に浮かんでくる。このまま寒気が続いて、日曜日にまた雪が降って、うまく行けば(あるいは、へたをすると)クリスマスまで雪が残るかもしれないそうな。へえ。まあ、どこへも行かないでいいから、たまにはホワイトクリスマスも悪くないなあ。

モールまで旅行の書類を取りに行くついでに、郵便局で客先向けのカレンダーやクリスマスカードを出し、スーパーで緊急のものだけ買い出し。野菜はたっぷるあるけど、フリーザーの肉類が底をつきかけて、このままでは数日で「ふだん着」の食材がなくなってしまう。、雪の閉じ込められて「グルメ食材」の在庫を食べ尽くしたなんて、変な話だけど、今日はとりあえずということにした。幹線道路は塩と砂をまいてあるので、運転には支障なし。「臨時休暇」にした人も多いのか、交通量もぐんと少ないから、ふだんより楽々。だけど、ガレージに入れるのにひと苦労。「エンジンをふかしすぎると逆にタイヤが空回りするから、アクセルは軽く踏むのだ」というカレシ先生の指導で、ワタシが運転、カレシが押し役で、いちにのさんで、やっとバックでイン。エコーみたいな小さい車だからできる芸当。車のドア、ちゃ~んと閉めたよね?

クライスラーが北米に30ある工場を全部1ヵ月も停止するんだそうな。GMもフォードも青息吐息。トヨタもホンダも減産というから、近代工業の花形みたいだった自動車産業も厳冬の時代に入ったのかな。だけど、ある意味、自業自得のような面があることは否定できないと思う。なにしろ、好景気をいいことに、でっかい図体で燃費も悪い「メタボ車」ばっかり作ってたんだもの。乗る人間が肥満体になったから車も肥満体になったのかどうかしらないけど、ビッグスリーの車はとにかくデブのなだ。住宅地の道路では、両側に駐車していたらすれ違うこともできない。昔はこんなことはなかったから、まちがいなく車の方が太ってしまったんだろうな。まあ、買うほうも車で自己表現するようなところがあって、メタボ車で「タフなやつ」を誇示していたら、この夏の原油価格高騰。燃費なんか気にせずにひたすら太ってきたアメリカ車は売れ行きがぱったり。つまり、この世界的不況が
始まる前からとっくに青息吐息になっていたってことなんで、今さら「物乞い」ってのもなんだかなあと思うけど、何十万人が一斉に失業というのも経済にはちょっとばかりショックが強すぎるだろうから、そのへんが難しいところ。

それに引きかえ、やっぱり日本メーカーは北米生産のモデルでも経済性は抜群。我が家のエコー(トヨタ)なんか、タンク半分の20リットルでシアトルまで行って帰ってきたもんなあ。給油するのは年に5回がせいぜい。さすがにタコマ(トヨタ)はトラックだからもっとガソリンを使うけど、なにしろ週に2回くらいしか走らないから、買ってそろそろ1年というのにまだ1000キロも走っていない。給油なんかまだ3回くらいで、燃費の不経済性を使わないことでカバーしているような感じで、それでもビッグスリーのメタボ車だったらとってもこうは行かないだろうなあ。(トヨタはテキサスに作ったトラック工場の稼動開始を延期したそうだけ。)まあ、考えてみたら、思わぬところでみんな環境にやさしくなって来たというところかな。だったら、そんなに悪いことでもないかもしれないんだけど・・・も。

地球温暖化って、ほんと?

12月18日。ええっと、今日は冬日の何日目だっけ?初日はてんやわんやでも、みんなけっこう慣れて来るとみえて、天気予報でもニュースでもジョークのひとつやふたつが出てくる。おまけに先週は突然の季節外れの春の陽気だったというトロントも大雪ということで「ざ~まみろ」。

延期に次ぐ延期だった肉類の買出しにやっと出かけた。道路は塩で白っぽい。めったに雪が降らないバンクーバーには「除雪車」なんて便利なものがないもので、もっぱら雪が降り始めたらほぼ24時間体制で塩まきをやる。それで間に合わないときにやっと鼻先に除雪プラウを付けたダンプカーの登場とあいなる。大学に近いあたりは海に突き出しているせいか、南斜面の側でもうちのあたりよりは気温が低い。それでも、主要道路を使っていれば交通は「平常通り」。

モールにあるのとは別のスーパーで、まず魚のセクション。今日はマヒマヒがあった。珍しいものがあるとつい買ってしまうのがワタシの癖。次にラム、ビーフ、ポーク、チキンと肉のセクションを順に見て、ファミリーパックをどんどん仕入れる。ホリデイ用にレバーのパテを作ってみようと、チキンのレバーを仕入れた。次にフリーザーのセクションに回って、魚の側で久しぶりにお目にかかったオレンジラフィー。骨魚みたいなごっついご面相に反して白身は飛び切り上品。それから肉の側に回って、クリスマスのメインコースになるコーニッシュヘン。おや、いっしょに丸焼き用のキジをおいてある。北上川のほとりのホテルの窓から雉が川べりを歩いているのを見たことがあるけど、こうやって手にとって見ると、へえ、思っていたより小さい鳥なん。まあ初めてだから、とりあえず1キロちょっとの一番小さいのを買った。(クリスマスはこっちの方がいいかなあ・・・?)

カレシはあちこちに山と積んであるチョコレートやボンボンを仕入れる係を勝手に引き受けて、いろいろと買い込んで来た。それから、サフロンオイルを作るんだと本物のサフロン。スパイスのびんの中にパラフィン紙に包んだようなものが入っている。げっ、これで12ドル?代用のアメリカサフロンなら1ドルもしないけど、まっ、クリスマスだからいいってことにするか。ついでに、10キロ入りの融雪用の塩を買って、チェックアウトしたら、レジの人が「冬ごもりの準備は万端というところですねえ」と笑っていた。そう、まるで氷河時代の到来みたいだもんね。地球温暖化なんて誰かの空想じゃないのかなあ・・・

帰り着いたら、肉類を場所をとるトレイから外してパッケージし直して、フリーザーの中を整理して、全部収めるのに1時間半。フリーザーの中はマイナス二桁。手が真っ赤になって、温まってからも少々はれぼったい。(さてはしもやけ?)庭の池も氷が張って、夜だからモノクロになって、よけいに寒そう。今夜はマイナス9度だって・・・

冬来たりなば・・・

12月19日。日本は週末で、久しぶりに仕事のない週末。来週は祝日があるそうだから、うまく行けば、このままクリスマスまで仕事なしで行って、そのまま週末を過ぎたら日本は仕事納め。うまく行けば、新年の仕事始めまでず~っと仕事なしで行けるかも。うまく行けば、の話だけど、あんがい今年はうまく行く予感(もっとも、仕事に関してはワタシの予感はよく外れるけど・・・)。

カレシはクリスマスの日にごちそうを作りながら聞くんだと、ジャズのクリスマスミュージックをせっせとネットからダウンロードして「自分だけ」のCD制作に忙しい。奏者やスタイルによってまったく趣が違うのがおもしろい。自由に発想して生み出されたものを人がそれぞれに自由に「いいなあ」とか「なんだ、これ」と感じるのが芸術だもんね。「Art」の語源はラテン語の「ars」で「技」や「術」、「知識」のこと。カタカナで盛んに使われる「テクノロジー」も元を質せば「art」を意味する古代ギリシャ語の「tekhne」。要するに、artというのは(良くも悪くも)人間が生み出してきた技であり、術であり、知恵であり、知識。それをみんなひっくるめて「学び」なんだろう。

今夜はバンクーバー交響楽団のコンサート。曲目はモーツァルトのディヴェルティメントとメンデルスゾーンのシンフォニア第9番、そしてヴィヴァルディの「四季」。この冷え込みではイブニングドレスだと凍死しかねないもので、セーターにジーンズにブーツという、180度大転換の極端な選択。市内のどこよりも寒い大学構内の、ガラス張りの近代的なホールだから、こんな天気では肩丸出しのドレスなど着ていたら、いかに基礎体温が高めの肉食人種でも鳥肌が立ってしまう。だけど、せっかくだから、スワロフスキーのクリスタルで埋めた八分音符のブローチでおしゃれ。カレシが結婚してから25年で初めて自分で選んでプレゼントしてくれたアクセサリーという、由緒?ある大事な、大事な宝もの。

年末コンサートの恒例になった「四季」は年ごとにリーダーが違うので、解釈が違い、スタイルが違い、雰囲気がまったく違うのが楽しみのひとつ。ワタシが好きなのは「夏」と「冬」。「夏」はローラーコースターのような、急転直下で襲ってくる息詰まる嵐が好き。「冬」はピン、ピンと、氷の結晶がひとつ、またひとつと、触手を伸ばすように水面を覆って行く、あの「きりきりと締め付ける寒さ」の感触がたまらないし、その後の軒下のつららからぽつん、ぽつんと水が滴り落ちるような、「冬来たりなば、春遠からじ」の感触の心地よさもいい。今年のリーダー(バイオリニスト)はイギリスから来たダンカン・リッデル。ちょっとずんぐり型のおじさんだけど、おお、すごいエネルギッシュな演奏。最後の小節を弾き切ったとき、一瞬ホールはし~ん。ステージのミュージシャンは一瞬
「ン?」という顔。そこへ突如として拍手の嵐で、お客は総立ちになった。Standing ovationは最高の賛辞。すばらしい演奏にみんな魔法にかかっていたんだろうなあ。こんなことはめったにない、それくらいパワーのある演奏だった。

さて、真夜中の気温はマイナス10度。土曜日が今回の寒波のピークらしい。日曜日はまた雪模様で、火曜日は雨交じりの荒れ模様になるかもしれないとか。やれやれ。まあ、あしたこそはクリスマスツリーを飾らなくちゃ・・・

心待ちにする楽しみ

12月20日。土曜日の朝。最低気温はマイナス15度だったそうで、40何年ぶりとか。裏庭の池も滝の落ちるところを除いてほぼ全面的に氷が張った。滝も流れてはいるんだけど、びっしりと張った彫刻のような氷に覆われて水は見えない。ウィスラーへ行く途中のスコーミッシュの手前にあるシャノン滝が何年ぶりかで凍ってしまったそうな。水量の多い豪快な滝だから、さぞかし壮観だろうなあ。アイスクライマーが押しかけているらしい。ロッククライミングよりもスリルがありそうな・・・。

久しぶりにベーコンと卵でしっかり腹ごしらえをして、クリスマスツリーを飾る作業に取り掛かる。まずは玄関下の納戸からツリーを出すんだけど、ごちゃごちゃと詰め込んである段ボール箱を出さなくてはならない。例年のことなんだけど、腰をかがめての重い箱類の出し入れはちょっときつい。それでも、2メートル近いツリーを立てて、新調したLEDのライトを3本つないでぐるぐる巻きつけて、飾りをつける準備が完了。大きな段ボール箱にいっぱい、いったい何百個あるのかしらないけど、今年の新入りはシルクドソレイユのCORTEOのおみやげ。ガラス玉の中に実際にショーで使った衣装の切れ端がいろいろと入っている。(シドニーやシンガポールには年中観光土産のクリスマス飾りを売っているところがあるのかなあ。)

久しぶりにディナーにお出かけする予定が、また大雪注意報が出ているおかげで意欲が萎えてしまった。しょうがないから、今夜は「極楽とんぼ亭」でサタデイナイトスペシャル。どこかの国のおっかない飛び道具みたいだけど、ぶっつけ本番で何が飛び出すかわからないところは似たようなものかもね。朝食後にフリーザーから出しておいた材料は、5センチ角の鮭、10センチ足らずのちいさなイカ2杯、雉の胸肉。クリスマスツリーを飾りながら、ぼちぼちとメニューを考える。鼻歌のひとつも出てくる冬の日。これもまた楽しからずや。

やっとツリーも飾り終わって、カードもほぼ出し終わって、どうやらクリスマスを待ちかねるような気分になってきた。子供のときに両親はいろんな季節の行事を経験させてくれた。羽織の着いた着物を着てかしこまったお正月も味わいがあったけど、やっぱり何といっても心が浮き立って大好きだったのはクリスマスだった。家族でデパートに行くたびに「触らないで、見るだけ!」と母に言われ続けた「欲しいおもちゃ」のどれかがプレゼントとして登場したように思う。「欲しい」と意思表示しておけば、そのどれかをクリスマスにサンタクロースが持って来てくれると思っていたからこそ、「触るな」と言われて、けっこうおとなしく眺めるだけで満足していたのかなあ。子供のときの「何かをわくわくしながら心待ちにする」という経験が大人になってからの「待つ楽しみ」になったように思う。何でもかんでも「今すぐ」のナノ秒世代にはわからない楽しみかもしれないなあ。

日曜日は冬至。西洋のカレンダーには「立冬」がないから、冬至が公式の冬の始まりなんだけど、もう「冬」をたっぷりと満喫したような気がするなあ。真夜中に近いポーチの気温はマイナス5度。ゆうべと比べると寒気が緩んで来たような感じ。予報通りにまた雪が降り出した。また10センチくらいは積もるそうだけど、今年は久しぶりにホワイトクリスマスになるかな?

常識外れの料理人

12月21日。いやあ、壊れたレコードかエンドレステープかと思うくらい、「雪」。これはもう20センチではきかない。寒気はかなり緩んだようで、温室はヒーター1個で間に合うようになった。日本の方は月曜なのに静かなもので、日曜日と祝日の間だから休みなのかなと思ったら、そうではないらしい。ま、そんな規則があったら、ハッピーマンデイどころか四連休も大幅増で、いくら残業しても仕事が追いつかなくなってしまうよね(そうでなくても、みんなが深夜まで残業しなければならないわけがいまいちわからないけど・・・)。東京ではもうすぐ仕事納めだというのに、気温が20度近くあったんだそうな。もぅ~、それって、ぜったい、ふこ~へ~!

今日は目が覚めたときから喉が痛い。あくびをするのも痛いし、飲み込むのも痛い。な~んとなくざわついた気分で、「風邪かなあ」という感じがするけど、どうせ引くんだったら、今のうちに引いておいて、大旅行までに回復した方が得策なので、ここは「ま、いいか」。ワタシは子供の頃から病気慣れしているのかどうか、具合が悪くてもむずかったりしないから、看護しやすいはずなんだけど、カレシの方がおたおたするから困る。これくらいのことでで死にゃしないってば~。

さて、静かなうちに事務処理をやってしまおうと、まず請求書7枚ほど書いて送って、シドニー会議の参加登録をして、前夜祭のシドニー湾ディナークルーズのチケットを注文して、アメリカと地元の翻訳協会の来年の会費を払って・・・だけど、地元の協会は1年おきの継続教育のレポートの年で、仕事一辺倒のワタシはどんなに頭をがんばっても最低ポイントに遠く及ばない。どうしよう。困ったねえ。「フリーランス20年」の年季の方がものを言うことが多いから。いっそのこと自主退会しようかなあ。ま、あと10日でポイントが足りなければどっちみち退会なんだけど・・・。

とりあえず、「ま、いいか」ということにして、今日は鶏のレバーでパテを作ってみた。玉ねぎ、にんにく、ベイリーフと一緒に炒めたレバーを、こしょう、ナツメグ、シナモン、ポートワイン、醤油を混ぜてフードプロセッサでペーストにする。おお、なかなか乙な味だ。カレシもちょっと指先にとって味見して、「うん、うまい」。初めてにしては花丸かな。テリーヌの型に詰めて、チキンスープとバルサミコ酢のアスピックを流して、冷めたら冷蔵庫へ。ゼラチンの分量が心配だったけど、無事プリンプリンに固まってくれた。クリスマスのご馳走の準備は進むけど、その分「今日のご飯」の方がなおざりで、今日は牛のひき肉とフードプロセッサで挽いたイタリアンソーセージを混ぜてミートボールにして、残っていたトマトのパサタをどぼっとかけて、オーブン焼きしたものをパスタと合わせただけの超いい加減料理。ミートボールスパゲッティならぬ、名づけて「Spaghetti with screwballs(常識はずれのスパゲッティ)」。ソーセージのスパイスが効いて、かなりイケるできだったから、「料理」っておもしろい。さて、クリスマスイブにはバゲットを焼くのを忘れないようにしなくちゃ・・・

それにしても、雪は1日中降って、まだ飽きずに降っている。この調子だと、カナダ全国がホワイトクリスマスになる可能性が高いそうな。宇宙ステーションから、地図の形に真っ白なカナダが見えるのかなあ。国を挙げてのホワイトクリスマスは1971年以来のことだそうだけど、なにしろ日本の27倍も広い土地が真っ白になったらさぞかし壮観だろうなあ。まあ、森林地帯まで真っ白に見えるかどうかは疑問だけど、宇宙から眺めてみたい気がする。サンタクロースのそりが飛んで行くのが見えたりして・・・。

雪と格闘した1日

12月22日。やっと雪が止んだ!止んだことは止んだけど、どこもかしこも雪、雪、雪。前に降った分と合わせると30センチをゆうに超えていそう。広いカナダの西から東まで大雪と寒波だそうで、どこの空港もこの忙しい帰省シーズにキャンセルと遅延の続出。バンクーバー空港でも国内線の4、5時間の遅れはざらで、予定の便をキャンセルされて、もう2日も空港に寝泊りして乗れる便を待っている人たちもいるそうな。ほぼ40年ぶりの異常気象ということだけど、あさってはまた雪の予報が出ているから、このままでは空港でクリスマスを迎えてしまう人もいるかもしれないなあ。

そんなてんやわんやの状態なのに、注文してあった1年分のグルメ食材を取りに行くことになっていたので、大きな通りなら除雪されているだろうと高をくくって予定通りに出かけることにした。とりあえず、念のためにトランクにシャベルを積んで、ガレージのドアを開けたら、ブーツがすっぽり埋まる雪。やっぱり30センチ以上ある。車体の底よりも高そうだけど・・・。別のシャベルを持ち出して、ガレージ前だけ雪かきして、出発。出るのはOK。右に曲がって道路に出るのもOK。おお、何とかなりそうだ、と左に曲がって大通りを目指そうとしたところで、あ~らら。にっちもさっちも行かなくなった。前から車が来る。おいおい、とっても無理だよ。運転していた人が降りてきて、前からエコーを押してくれて、自分の車が通れるだけのスペースを空けて通っていった。やれやれ。エコーは相変わらずタイヤの空回りだけど、ワタシの後押しで何とか前進に成功。カレシはそのままどんどん行ってしまう。お~い!

レーンの反対側から入ってきた車が半分ほど来て、バックしようとして見事に立ち往生。降りてきたのは四軒隣のアントン。携帯で息子に応援を要請。そこへ同じ方向からカレシのエコーが姿を見せて、レーンに曲がろうとしたところで立ち往生。し~らない。アントンの息子のジェヴァンがシャベルを持って出てきた。おお、しばらく見ないうちに、まあなんとかっこいい高校生に!でも、見惚れているときじゃない。まず、カレシとジェヴァンが二人がかりでアントンの車を押して何とかガレージ入り。うは、ゴムの焼けるようないやな臭いがする。次はうちのエコーの番。アントンとジェヴァンにガレージの前まで押してもらって、そのまま前向きでイン。(勢い良く入ったので積んであった半樽のプランターに衝突したけど、ま、いっか。)アントン親子とクリスマスの挨拶を交わして、さて、当初のおでかけはどうしよう?

「散歩代わりに歩いて行こう」というカレシの鶴の一声で、おでかけに再トライ。どうみても片道3キロ以上ありそうだけど、久しぶりに気温が0度まで上がって手袋のいらない陽気だから、運動代わりにいいか。除雪をしていないところでずぼっと雪に埋まり、車道を歩けばわだちの跡に足を取られるから、ほんとうにいい運動。大きな通りに出て、二輪車も二本足も同じことと自転車専用レーンを歩けば、通り過ぎる車に雪水を引っ掛けられる。汗だくになっての行軍で1時間かかって川べりのビジネス団地にあるオフィスに着いた。川面は上流から流れてきた「流氷」がいっぱい。

注文品を二つのバックパックに詰めてもらって、また3キロ半の行軍。日が傾いて冷えてきたので、道路が凍り始めて危ない。それでも、二人ともけっこう重い荷物を背負って1時間ほどで無事に家に着いた。二人とも60代という年を考えたら、この徹底して歩きにくい雪道を転ぶことなく7キロ近い道を2時間で往復できたのは大したもんだよなあ、とお互いに称賛。おまけに、大汗をかいたおかげで、ワタシの引きかけの風邪も跡形もなく吹き飛んでしまった。もっとも、二人とも立ったり座ったりするたびに、あ、あ、あ・・・。明日は二人ともきっとコチコチだろうなあ。まあ、今夜はゆっくりと熱いお風呂につかろうね。

雪、もういいです・・・

12月23日。テレビのニュースによると火曜日現在のバンクーバーの積雪量は約45センチとか。バンクーバーでは10年ぶりのホワイトクリスマス。窓から見る風景も、出かけないですむ限りは、まるでクリスマスカードの絵のように幻想的。こんなに雪深いのは1971年1月以来だそうな。その頃のワタシは札幌にいた。その年だったか別の年だったか忘れたけど、さっぽろ雪まつりの開会の日、朝から抜けるような青空だったのがランチタイムの頃から急に雪が降り出し、どんどん雪が積もっていくのが見ていてわかるくらいにひたすら降った。夕方までの数時間でたぶん50~60センチは積もっただろうか。札幌のまさに青天の霹靂のドカ雪は石狩湾低気圧という特殊な現象が元凶だそうで、とにかく体験して見ないとわからないようなフツーじゃない降り方をする。あの時はバスが止まって、家まで2時間以上かけて歩いた記憶がある。雪まつりの開会式も中止だったような・・・

バンクーバーでは、トロリーバスが架線に雪と氷がついてダウンしまくっているらしいし、坂道を登れずに立ち往生するバスも多いそうだし、果敢に道路に出てくる自動車も、スリップ事故に追突事故に立ち往生。はやく言えば、市内の交通はマヒ状態。事故車を牽引するトウトラックの運転手が、「四輪駆動だから大丈夫という勘違いドライバーが多すぎる。雪と泥はまったく別ものなのに」と言っていた。そういえば、きのう車道を歩いていてすれ違ったSUVは、若いドライバーが(おそらくはいつもと同じ要領で)携帯を耳に当てて片手運転していた。雪道なんかで車の後部がスリップして左右に振れるのを「fishtail」というけど、普通のスピードで走り去った車はメタボなお尻を左右にふりふり。ふむ、どっかで事故ってなければいいけど、あいつ。

でも、この天気で最大の被害を被っているのは命がけのクリスマス商戦をやっている小売業だろう。幹線道路は除雪・融雪しても、横道で車が立ち往生して幹線道路まで出られない。我が家のあたりは徒歩で行ける距離にショッピングモールがあるから、バックパックを背負って買出しに行けるけど、郊外では車がなければそれもひと苦労だろう。書き入れ時に悪戦苦闘しているというのに、この雪で客足が減ってはまさに泣き面に蜂。航空会社も帰省シーズンのピークに飛行機を飛ばせず、おまけに空港で足止めを食った客たちに恨まれて、踏んだり蹴ったり。地球温暖化というのは世界中がいっせいに暑くなるような印象だけど、実は「気候変動」という方が正確なんだそうな。気候変動の特徴は嵐のような異常気象がますます異常になるということだから、この大雪もその兆候なのかもしれない。あるいは、単に周期的な一時期ということで、人生のある時期に不況に出くわすのを同じようなことかもしれないなあ。どっちなんだろう。

予報どおりにまた盛大に雪が降っている。今、カナダで一番雪が積もっている都市はどこだろう?実はなんとビクトリアなんだそうな。いつもイースターを待たずに咲き始めたすいせんの花を数えて、全国に「春一番乗り」を宣言するビクトリアが、首都オタワを2センチの差で抑えて全国トップ。なんと北極よりも1センチも多いそうな(って、ほんとうかどうかしらないけど)。プレゼントの配達に来たサンタが「なんでここにこんなに雪があるんだ~」とびっくりするだろうなあ。だけど、いざ雪が降るときは本気になって降るのがビクトリア。二人が住んでいた1980年の1月も40センチ以上も積もって、その中をワタシはホンダのシビックのお尻をふりふり買い物に出かけていた。まだ若かったあの頃は、雪道の運転は初めてだったから怖いもの知らずだったんだなあ。今になって思い出すと冷や汗が出るけど、あの頃は「今どきの若いもん」のひとりだったのだ。ふむ、人さまのことは言えないなあ・・・

クリスマスは全国津々浦々ホワイトクリスマス。でも、週末のバンクーバーは雨の予報。おお、このままで雪かきをしないですみそうだ。(北海道では「雪はね」と言っていたっけなあ。)さて、お次は融雪洪水のニュースの番・・・?

記憶に持続するクリスマス

12月24日。クリスマスイヴ。積雪量は1971年を超えて、とうとう1964年以来ということになってしまった。木に囲まれて降雪量が少なめの前庭でさえ、ものさしを突っ込んでみたら15インチ(38センチ)。塀の外は50センチ近くありそうで、徒歩でも無理、と買い物に出るのをあきらめて、篭城作戦。エアカナダは中短距離のフライトをほぼ全面的にキャンセル。ほんとに雪に降り込められたよう。それでも家の中から眺めていて気分が滅入らないのはクリスマスだからか・・・

毎年カードを送ってくれる小学校時代の同級生が高校の同窓会でいっしょになった小学校の同級生3人と撮った写真を送ってくれた。うわ~なつかしい~!商売をしている人、大学教授になった人、お医者さんになった人。3人ともみんないいおじさんになってるなあ。だって、みんなそれぞれ卒業して50年近い人生を歩んで来て還暦を迎えたんだもんね。卒業50周年のクラス会をやろうという話まで飛び出したらしい。ワタシ、絶対に行く、行く!

Merry Christmas to you all!

ホワイトクリスマス

12月25日。おだやかな、静かなクリスマス。1週間以上も続いた寒気がすっかり緩んだらしくて、積もった雪のきめがかなり粗くなっているのがわかる。でも、まだ銀世界。ときどきジェット機の音がするところを見ると、空港も機能を取り戻しつつあるらしい。でも、結局クリスマスに帰省しそびれた人は相当な数だろう。聞くところによると、札幌は吹雪で、かなりのフライトがキャンセルになったとか。向こうも年末の帰省ラッシュで忙しいだろうに、わかる、わかる。

カレシは朝食もそこそこにアイスクリームを作り始めた。まず、チョコレートを溶かして、ざっと刻んだしょうがの砂糖漬けをひとかけらずつにチョコレートでコーティングして、クッキーシートに並べる作業。溶けたチョコレートは(あたりまえだけど)熱い。なのに、味見をするつもりでひょいと指先を突っ込むから、アチチ。水で冷やして事なきを得たけど・・・。残ったチョコレートを少し冷やして混ぜチョコレートのアイスクリームに、チョコレートジンジャーをさくさくと混ぜ込んでフリーザーへ。なんかすごいグルメアイスクリームになりそうだけど、今日はデザートまで行けるかな?

キッチンが空いたところで、クリスマスディナーの準備にかかる。大雪のおかげで、今年はぶっつけ本番度はいつもより高いかなあ。今年はオードブルを冷製と温製の2種類に分けて、メインはコーニッシュヘン。フリーザーから出してあった食材を前に、冷蔵庫を何度もごそごそかき回してはああしようか、こうしようか。冷製は元々作らなくてもいいものばかりだから、午前4時半に焼き上がったバゲットを薄くスライスして、トーストして添えるだけ。温製のほうはそうはいかない。それでも、少量ずつなんだけど、かなりの量になるので、毎年恒例のオニオンスープは大晦日のメニューに回した。頃あいを見計らってメインコースをオーブンに入れ、そこまでの汚れものを朝の食器といっしょに食洗機に入れてオン。しばし胃を休める。

金曜日に入っている日本はあと1時間ほどで仕事納め。こっちの仕事も安全地帯に入って、いよいよ休みが取れるかと思いきや、大小2つのおきみやげは、年明け仕事始めのいの一番が納期。みんながそれくらい効率よく仕事をしたら、不況なんか何のそのだろうにねえ。ま、週が明けたらぼちぼちやるとするか・・・。

雨が降ってきたぞ~

12月26日。クリスマスの翌日はボクシングデイの祝日。発祥地のイギリスではそれなりに有意義な日だったんだけど、カナダのは「消費至上主義」の祝い行事みたいなもので、エレクトロニクスの店などはあっと驚く大安売りをするもので、まだクリスマスが終わらないうちから行列ができる。最近は有名ブランドの店も加わって大にぎわい。またまた朝から雪が降りしきる天気だというのに、不景気もなんのその、あるいは不景気だからこそ大安売りを狙うのか、えらい賑わいだったらしい。

いつもながら我が家はテレビのニュースを見て、悪天候を冒して夜中から並ぶ消費者の心理をあれこれ分析してみるけど、どうも毎年恒例の「大安売り」だからという客が多いんじゃないかという気がする。要するに特別に欲しいものを安く買うというよりは、「こんだけ安く買ったぞ」というところに意義があるらしいような感じがするから、消費者心理と言うのはおもしろい。売る方だって格好の期末の在庫一掃セールだろうし、特にモデルチェンジの激しいエレクトロニクスは、赤字覚悟でも在庫から消えてほしい商品も多いはず。ま、すぐに旧弊になる商品を一掃できる売り手も、とにかく超格安で買える消費者も、双方ハッピーなんだからいうことなしだけど、消費文化を象徴するような日である。

ワタシもカレシも食べ疲れというわけでもないけど、ボクシングデイはごろごろして過ごすのがいつものパターン。卵を使い切って、カレシの野菜もほぼ底をついたし、牛乳もあと2日分くらいになった。主食の食材はフリーザーにいっぱいだから、食べるだけならまだしばらくは篭城して高楊枝でいられるんだけど、明日かあさってあたりは何とかして必要最低限の食料を買いに出なければならないだろうなあ。蓄えが少なくなって来るのはやっぱり気になるもので、いつもよりは心なしか使い方を手加減していたりするから、極楽とんぼ「生活者」としての年季が入ってるなあと自分で感心する。まあ、戦中と戦後の「モノ不足時代」を生きた亡き母がいつもいろんなものを備蓄していたけど、ワタシもその母の娘だから、ふだんからそれなりの買い置きをする習癖はすでにあるんだけど・・・。

夜になって、うんざりするほど続いた雪が急に雨に変わった。今度は大雨警報。ドアを開けて外を見たら、じゃぼじゃぼ降っている。やれやれ。ラジオを聞いていると、幹線道路ではあちこちに巨大な水たまりができて車が通れないらしい。雨を含んだ雪の重みでスーパーなどの屋根が陥没したそうだし、バス停のシェルターの屋根が潰れそうになっているともいう。予報通りに40ミリもの雨が40センチも積もった雪を一気に溶かしたら、いったいどんなことになるやら。ラジオでは道路の雨水排水口の除雪を呼びかけている。すっぽり雪に埋もれた状態では雪解け水の行き場がない。家の構造によってはベースメントに浸水するところもあるだろうなあ。家の前の道路と裏のレーンにあるはずだけど・・・と、シャベルを持って出て行ったカレシ。まず排水口を見つけて、雪をかき分けて、水を誘導する水路?を作っておいたそうな。早く買い物に行きやすくなるといいけ
どなあ・・・

たわごとの言い納め1

12月27日。篭城5日目。予想されたほど気温は上がらず、大雨も降らなかったらしい。それでもポーチの温度計は針が何とかプラスの側にあるから、この調子が続けば積もった雪も少しは解けてくれそうだけど、週間予報を見ると元旦あたりからまた怪しげなアイコン。今年の残る何日かが買出しの機会ということかな。軽すぎるエコーは雪が消えるまで冬眠してもらうことにして、カレシは路上駐車で埋まったままのトラックの掘り出し作業。隣のパットはその隣のヘレンの家のデッキが潰れないように除雪作業。(ヘレンは独身の女医さんで、現在カナダ軍予備役軍医としてアフガニスタンに従軍中。)そこへアントンの車が月曜日と同じところでまた立ち往生して、救援に駆けつけたパットとカレシと、あら、「男の井戸端会議」・・・

力仕事はカレシに任せて小町を見ていたら、大学院の試験に落ちたという21才の大学生が「自分に不満だらけで苦しい」と相談しながら、どうもアドバイスには聞く耳持たずで、「ボクは一番でなきゃいやなの!」と駄々をこねていた。これから視野を、知識を、世界を広げて、人生を開拓して行くはずの若さで「一番の勝ち組」になることに人生目標が凍り付いているらしい。一見素直そうな態度だけど、他人に挑みかかるような、蔑むような視線が露骨で、人に「どうしたらいいでしょう」と聞いておいてそれはないだろうと、読んでいるうちに背筋が冷えて来た。仮想的有能感と失敗したことへのプライドの疼きや自己への不安感の板ばさみになっているのかなあ。でも、自分を肯定できないうちは難しいだろうし、まず肯定すべき「自分」というものがなければどうにもならないもんなあ。困ったねえ・・・

小町ではたくさんの悩める子羊たちが草を食んでいるけど、義母と義姉の顔だちが生理的に嫌で会食が憂鬱だという女性がいる。不細工どころか「普通の範疇に入る顔」だそうだけど、とにかく「生理的に」受け付けられなくて、まともに顔も見られず、食欲も減退するんだそうな。うはあ、本人は理屈ぬきで吐き気がするほど嫌なんだろうけど、人さまの生まれつきの顔をそんなふうに拒絶できてしまう心理はワタシには想像できないなあ。男と女の仲ならありえるかもしれないけど、やっぱり「成人性人見知り症候群」と言えるくらい異常じゃないかと思うけど、同情されているところを見ると、日本にはそういう大人が増えているのかもしれないな。この人はしまいに義母に似たらと思うと怖くて子供を生めないと言っているけど、ふむ、さすがの日本政府も少子化にこんな原因もあるとは考えたこともないだろうなあ。

小町その他の掲示板を見ていてときどき「ん?」と思うのが、「ワタシのような人っていますか」というトピック。悩みごとの一部始終をこと細かに書いて「ワタシのような人」って、「人それぞれ」が常套句の世の中でそうそう見つかるとは思えないんだけど、なんだか「自分探し」をしているようにも聞こえる。同じような悩みを持つ人とか同じような経験をした人というのなら、「同病相哀れむ」という言葉があるくらいで、何か役に立つ知恵を分かち合えるかもしれないけど、「ワタシ」と同じような人を見つけてどうするんだろう。まあ、友達や恋人についても、過去や現在の環境が違う、生活水準が違う、趣味が違う、価値観が違う・・・話が通じないから疲れる、めんどう、疎遠にしたいと、自分と「同じ」でないと交流を維持できない若い人たちが多いようだから、「ワタシのような人」を探し求めるのもその流れかもしれない。だけどなあ、もしもドッペルゲンガーが現れたらどうする・・・?

それにしても、今どきの若い日本人はとびきりのさびしがり屋らしいのに、他人については「生理的に受け付けられない」とか、「違和感がある」とか、「気が合わない」とか、総じて拒食症ならぬ「拒人症」みたいに見える。たぶんTQCの管理が痒くないところにまで行き届いた「飼育室」で、蝶よ花よと三つ星級の白手袋サービスで育てられたんだろうな。だから、外からの空気をそよと感じただけでふにゃ~と萎れてしまうらしい。昔は体力のない都会の子供を「もやしっ子」と言ったけど、今どきは精神的にもひょろひょろにやせ細った「もやしっ子」がはびこっているんだろう。やっぱり「成人性人見知り症候群」が蔓延しつつあるんじゃないのかなあ。それにしては、「何もかもが違う」の見本みたいな国際結婚にはなぜか違和感がないらしいけど、ま、それもちょっと
陽が陰っただけでへたっと萎れる花が多いらしい。こりゃ、もっと肥やしをやらなきゃ・・・

たわごとの言い納め2

12月28日。気温はプラス4度。やっとのことでトラックで買い出しに行って来た。クリスマスの四連休最後の日曜日でモールの駐車場はいっぱいと予想して向かいに路上駐車。雪が山になっているから、助手席側は降りるのがひと仕事。道路を渡るのも足元が滑ってひと仕事。大量の買い物を持って帰るのもひと仕事。一度には運べないから、ワタシが駐車場の端でカートの番をして、カレシがまず持てるだけ持って二往復。それから25セントが入ったカートを放置して、二人で残りを運んだ。やれやれ。でも、必需品はいつもの倍を仕入れたから、これでまた篭城しても当面は大丈夫・・・

小町で目に付いたトピック:「人生が順調にいく人といかない人の違いは?」 まぶしいほど「順風満帆」の人がいる一方で、見ていて切ないほど次々と不幸に遭遇する人もいるのはたしか。でも、誰かが書き込んでいたように、一生を平均したら「幸と不幸は同じ数」と言えるだろうな。若いうちに辛酸をなめる人がいて、人生の後半で壁に突き当たる人がいて、どっちの方がいいとは言えないし、その時々の対応も人それぞれ。「うまく行く運勢」があるのかと聞かれても、それはその人々のその時々になってみないとわからないから、まさに永遠の謎。

でも、人生にうまく行くときと行かないときはあっても、「順調な人生」というのはたぶんないと思う。人生がひとつの「航海」であれば、ひとたび出帆したら、大海は大波、小波、風波、横波、三角波。風だって順風と逆風がいつどっちに変わるかわからないし、大嵐も来るし、ときには凪というにっちもさっちも行かない状態にだって出くわすだろう。難破しないために、風を見て帆を操り、星空を見て方角を知り、六分儀で船(自分)の位置をはかり、目を凝らして水平線の向こうに陸地を探る・・・まあ、ロマンチックに言うならば、人間はいつも「大航海時代」を生きているってことかなあ。

それでも、いろいろな意見を総合してみると「うまく行く人」の特徴みたいなものがなんとなく見えて来る。「前向き(ポジティブ)」、「自分に自信がある」、「心が強い」、「人間が好き」、「住めば都型」、「ストレス許容度(鈍感力)が高い」、「柔軟」等など。逆に言えば、人生がうまく行かないという人は、どっちかというとおおむね後ろ向き(ネガティブ)で、自信がなくて、心が弱くて、人間嫌い、環境の変化に適応できず、ちょっとしたことがストレスになって、おまけに「理想」への思い込みが強いのだろう。だけど、人間は「できない」と思ったらそこで行き止まりだし、「失敗したくない」と思ったら新しいことには挑戦できないし、「人間嫌い」だったら凪で無風状態の大海を漂うようなものだと思う。人生がうまく行くかどうかは、どれだけ経験から学んで、いかに生かすかにかかっているのかもしれない。「苦労は若いうちに買ってでもせよ」と言われるのそういう意味なんだろうなあ。

前向きと言うのはうまく行かなかったことにこだわならいとうことだろうし、自分に自信を持つというのは自分を肯定することであって、決して傲慢な「自信家」になることではない。こだわらなければ柔軟に舵を取れるし、自分を肯定することができれば、他人と比べなくても良くなるから、新しい環境に適応しやすくなるだろうし、どんな人間でも相手にできるだろうし、順風をキャッチしやすくなるだろう。そうなったらストレスだってプラスのエネルギーになるんじゃないかと思うんだけどなあ。

じゃあ、ワタシの人生はうまく行っているのかというと、60年の人生にはそれなりに幸も不幸もいろいろあって、決して「順調」と言えるものではなかったけど、「うまく行った」とは言えると思う。若いうちに「幸」が多かったから、後になって「不幸」が来たのかもしれないけど、どうやら、適当に楽観的で割とへこたれない方らしいし、その時々に「運」も作用していたとしても、少なくともそれを「運」で終わらせない努力はしたから、沈没せずに大波を乗り切ったんだと思う。だって、いくらワタシだって、いい気になって盲めっぽう飛び回っていたら、壁や立ち木にガツンと衝突してしまう。実際にそうやって衝突して痛い思いをしたから、有視界飛行であっても持っている「計器」をみんなめいっぱい使ったほうがいいと学んだわけだけど。

たわごとの言い納め3

12月29日。四連休明けの月曜日は雨と風。雪が混じってみたり、日が差してみたり、突如あられになったり。マザーネイチャーよ、ちょっとどうかしちゃってるのとちゃうの?まあ、天上から見渡して、我が子の人類はとっくにちょっとどころかかなりどうかしちゃってるのを見たら、無理もないか。今度は年が明けるまで篭城になりそうだから、きのう調達した兵糧に次いで今日は酒蔵の手当て。夜遅くなら交通量は少ないと踏んでトラックを出したけど、冷え込んで堅雪になっているもので、道路の中央にできた2本の「レール」に乗るまでが大変。おまけにどの車も斜め駐車で1台しか通れないから、対向車が来ないことを祈るばかり。さんざん苦労して幹線道路まで出たら、今度は融雪水が凍りついてつるつる。やれやれ。あ~あ、早く「普通のバンクーバーの冬」に戻らないかなあ・・・。

今日から大晦日までは「平常営業」だから、ワタシもたわごとをほどほどにして仕事を再開した方がいいんだけど、納期はもちろん正月明け。今から来年のことをやってもなあと、あきもせずにたわごとばっかりぶつぶついってる。だって、何が言いたいんだかさっぱり要領を得ない文書を相手に脳みそを絞っているよりは、やっぱりぶつぶつとたわごとをほざいているほうがおもしろい。何を言いたいのかわからない要領の悪い文章でも自分のたわごとだから自分ではわかっているわけだしね。こうやってだらだらしていると、毎日が暇な暮らしもいいなあという気になってくる・・・と言いたいところをぐっと抑えて、まじめに仕事をしたほうがいいよねえ、ほんとは。

カナダでの初就職は1977年の秋だったから、一時的な転居で1年ほどの失業期間があったことを勘案すると「主婦兼業歴」は30年ということか。ママも義妹もカレシの友達の奥さんたちも、みんな当然のように仕事を持っていたから、「この国ではそうなってるんだ」と思って働き始めて、そのまま30年経ったわけだけど、今どきの日本では結婚が決まると働き続けるか、専業主婦になるか頭を悩ませるらしい。選択肢が限られていた時代から見ると羨ましい話だけど、国際結婚して夫に働けと言われて「思いやりがない」と憤懣やるかたない撫子たちも多いところをみると、平成の女性は「男は稼いで妻子を養ってなんぼのもの」と思っているらしい。「変われば変わるほど何も変わらない」というけど、浦島さんもびっくり仰天の変わりようの日本も本質的には何も変わっていないってことかな。「働く主婦」と思うから疲れるのかもしれないし、元からバイタリティそのものがないのかもしれない。どっちでも夫婦のライフスタイルに合う選択をすればいいのに思うんだけど、そこが日本人、「専業主婦」対「兼業主婦」に分かれて延々と「どっちがエライ」論議・・・。

日本語に「主婦」という言葉が登場したのは明治時代の終わり頃らしい。平成時代も20年を超えようと言う今からみたら、前の前の前のもう相当な大昔の時代。でも、主婦の全盛時代は高度経済成長下の「一億総中流化時代」だったんじゃないかと思う。男は企業戦士として昼夜を別たず日本経済のために働き、女は家庭(銃後)を守って子供(未来の企業戦士)を生み育てる・・・なんだ戦争中の思想そのままみたい。カメレオンは外の色は変えても、中身は元のカメレオン・・・と。

日曜日のジャパンタイムズに、東京都の人口が来年中に1300万人を突破しそうだという記事があった。予想より5年も早いペースとか。国の人口が減少傾向なのに巨大都市の人口がどんどん増えるって、東京はすべてを吸い込むブラックホールなのかな。おまけに「東京人に非ずんば人に非ず」と、人も企業も一流でありたいがためにこぞって東京を目指し、地方経済は崩壊寸前。就職先がなくなって、ますます東京に人が流れる。中国で起きた「盲流現象」は日本ではとうの昔から「出稼ぎ」と言う名で起きていたけど、出稼ぎの人たちには帰る家があった。これからは製造業が集まる地方で「余剰人員」になって失業した帰る家のない人たちも仕事への期待をかけて東京に向かうだろうなあ。でも、別の新聞には派遣やフリーターの収入では東京では生活できないという記事があった。人が集まれば住宅や物資への需要も増えて値段も上がる。超低所得層は「庶民
の暮らし」からさえ押し出されて底辺化される。東京にリオやジャカルタにあるような巨大なスラムが出現しないと言い切れるんだろうか。

やっぱり少しばかり気合を入れなおしてぼちぼちと仕事をしようかな・・・

たわごとの言い納め-終

12月30日。日本は大晦日の夜で、2008年も残すところ数時間だけど、こっちはまだ丸々24時間残っている。いつも日付変更線のこっちと向こうで仕事のやりとりをしているのに、カレンダーの変わり目だけはやっぱり少しばかり「ん?」という感じ。カレンダーのなかった頃は、まあ、地球が丸いと言うこともわかってなかったから、みんなそれぞれの居場所でそれぞれの行く年を送り、来る年を迎えていたはず。太陽暦が普及するまでは、地球のあちこちでそれぞれに特別な意義を持った「新年」が祝われていたんだから。近代の新年は人間が地球上に勝手に作った「時間帯」で、まるでドミノを倒して行くように、次々と明けて行く。イームズ風の映像にしてみたらおもしろいだろうな。

今年もいろんな「新日本語」を覚えた。ビジネス文書の「ら抜き言葉」は日常茶飯事になって来たけど、最近初めて「さ入れ言葉」にお目にかかった。昭和時代の旧日本語を母語とするワタシの耳には、「ら抜き」はただ間が抜けて聞こえる程度に慣れたものの、「さ入れ」はさすがに「は?」という感じがする。敬語のつもりで使っているらしいけど、響きががいかにもぎごちない。日本語に限らず、言語は常に変化する生き物だからしかたがないとしても、どんどん「新日本語」に変化してくると、言語業のワタシは追いつくのが大変。おまけに自分の日本語の自信が揺らいでくるから困る。取得した外国語の能力は母語を超えられないのが真実だとすれば、母語である日本語が低下すれば、「主言語」になっている英語も低下するってことになるじゃないの。いわゆるセミリンガルになるようなもので、それじゃあ商売上がったり・・・

新日本語で笑ったのが「おねだり」。子供にまで「お願いする」という媚びた表現はいやらしいけど、これは今どき女性のしたたかさが現れていると思う。どうも、セレブ雑誌がイケてるコはダーリンに高価なプレゼントをかわいく要求すべしと読者に刷り込みしているらしい。はて、「おねだり」といえばかわいく聞こえるから、男は鼻の下を伸ばしてブランド品を買ってくれるということなのか、あるいは幼い子供が親を試すように「愛しているなら買ってくれる」と相手のふところと器を試そうと言うことなのか。昔の江戸の大奥では、床の中で将軍様におねだりするのは「幕府を傾けかねない」と、きつくご法度だったそうですが・・・。

「仮想的有能感」という言葉もローカルの掲示板を読むのに役立つ新日本語。まあ、人間には誰でも自分が他人より「上」と思うことで自信を持とうとする心理がある。でも、この仮想的有能感というのは、「自分以外はみんなバカ」と他人を見下すことで自尊心を保とうということらしいから、かなりネガティブな感情なんだろう。ローカルの日本語掲示板で、自らカナダに来ることを選んだはずなのに期待外れが大きかったのか、カナダは何もかもいい加減で、遅れていて、後進国で、カナダ人の人間性はひどいもんだとこき下ろし、それに比べて日本はエライ(=自分は日本人だからエライ)と礼賛する人たちの心理にこの仮想的有能感が全開になって出ている。昔、日本人の精神年齢は12歳と言った、かのマッカーサー元帥が見たら何歳と評するかなあ・・・?

つい最近は「カナダ嫌い。みんな死んでしまえばいいのに」と書き込んだのがいた。日本人向けの日本語の掲示板にそんなことを書いて何の意味があるのか疑問だけど、日本語だからこそ言いたい放題を書き込めるんで、英語掲示板でカナダ人相手にやれといってもやらないだろう。でも、カナダの公安諜報機関に日本語に堪能なスタッフがいるかもしれないから、秋葉原事件のこともあるし、「テロリスト」と一緒にされないように気をつけたほうがいいかもね。もっとも、なぜかこの手のトピックが決まって日本人同士での互いのあら探しやバカ呼ばわりのこき下ろし合戦になって終わるところを見ると、カナダへの実害はなさそう。野次馬の目で読めばエンターテインメントだし、本人たちも「日本」という金魚鉢の中で気分すっきり、と言うことならいいんじゃないのかな。まあ、いつまで実体のない自信を振りかざしていられるかは本人しだいなんだし・・・

日本は紅白歌合戦が盛り上がっている頃かな。ワタシもたわごとはこの辺で言い納めにして、まじめに仕事モードに切り替えよう・・・

おおつごもり雑感

12月31日。大晦日。予報に反して日が差している。この分では12月の降雪量89.7センチの記録を更新するのは難しいだろうな。あと7ミリのところまで降ったそうなのに、残念と言うべきか、やれやれと安堵すべきか。テレビのニュースは世界各地の新年の花火の映像が盛りだくさんで、年越しのシャンペンを抜かないうちからなんとなく正月気分。あんがい、子供がいないと自分の老いに鈍感なのと同じで、家族を連れて訪ねてくる子供がいないから、年を取るにつれてこういう年中行事は意味を失って行くものなのかもしれない。まあ、ご馳走を作って食べるいい口実ではあるけど。ということで、とりあえずロゼのシャンペンを冷蔵庫に入れておく。

還暦を迎えたワタシにとっては2008年もまずは穏やかな1年として無事に過ぎていった。カレシ火山の大爆発から丸10年経って、荒れた山腹もすっかり新しい森に覆われたというところかな。10年ぶりの日本は「異郷」として楽しんできたと思うけど、カナダが居場所になってからの年月の方が長くなる一方だから、それもありだなあと自分流に納得がいった。カレシも65才になって「senior citizen」、通称「シニア」と呼ばれる年齢層に入った。日本語は「高齢者」という訳を当てているけど、「中年後期」とか「熟年」といった方がふさわしいくらい元気な世代。日本語の「熟年」の定義はよく知らないけど、日本ほど細かく年齢層を分けないから、当人が感じる「精神年齢」でいいってことにしよう。カレシは組合年金に公的年金が2つ加わって、30%もの収入増で左団扇。現役のワタシが「百年に一度の大不況」の大波をかぶったら、ぬくぬくと養ってもらうぞ~

農耕文化では正月は農閑期の最中だから、特に何日もかけて「遊びだめ」をする習慣ができたのかもしれない。でも、子供の頃には「正月早々に○○すると・・・」と、三が日の行動でその1年の結果が決まってしまうようなことを言われて、少々おっちょこちょいだったワタシはお正月早々から失敗をやらかさないようにと、なんとなく緊張した気分で過ごしたような記憶がある。だからそんな足かせのないクリスマスの方が楽しめたもので、未だにクリスマスが好きなんだろうな。まあ、フリーランス稼業になってみたら、盆暮れも正月もなければ週休2日制なんてものもない。一種の狩猟文化に飛び込んだようなものだから、「正月早々からねじり鉢巻で仕事」というのは「1年間仕事にあぶれない」という幸先のいいことなのかもしれないなあ。

たわごとのおまけにおもしろい誤変換の娯解釈2つ。

短期(短気)な性格 - 何を始めてもすぐに辞めてしまう性格
自給(時給) - フリーランス稼業の所得

さて、2009年は今どのあたりまで来ているのかなあ・・・


2008年12月~その1

2008年12月16日 | 昔語り(2006~2013)
断念と諦めと極楽とんぼ

12月1日。今日の起床は午前11時55分。1時近くなって掃除に来たシーラとヴァルが「あら、ちゃんと朝のうちに起きたのねえ」と。あはは、5分の差でも「午前中=morning=朝」だもんね。もう少し早寝?を心がけたらいいんだけど、「勤務時間」の終了後は、ついつい飲みながらのおしゃべりの時間になってしまう。ふむ、これって、会社が終わったらまっすぐに家に帰らずに、駅裏の路地の赤ちょうちんに足を向けるサラリーマンみたいだなあ。

とうとう12月。シャンペンを開けて「還暦の年だ!」と騒いでいたのがついこの間のような感じがする。ほんとに年をとるほどに時間がどんどん短くなっていくような。ひょっとしたら、足を速めて行く時間にもう追いつけないと感じて諦めたときに人生の終わりが来るのかもしれない。だったら、ワタシは長生きしそうだなあ。なにしろ、諦めないもんね。諦めが悪いのか、諦めどきがわからないのか、そのあたりはよくわからないけど、あまり諦めたことがないような気がする。あんがい、何かを「諦めた」という認識がないだけかもしれないけど。

「諦め」を日本語辞典で見たら「断念」と書いてあった。「諦めがつく」というのは「思い切ることができる。思い切ろうという気持になる」こと。へえ。だけど、「諦め」と「断念」ではニュアンスがぜんぜん違うように感じるけど、どうなんだろう。いろいろ努力してやってみて、自分の限界がわかったから、あるいは目標達成は不可能だとわかったから「断念する」というイメージには積極性が感じられるんだけど、一方の「諦め」には「しょうがないなあ」と肩をすくめるような消極的なイメージがある。でも、「しかたがないよ、やってもダメなんだから」と言ってしまったら、なんか悔いが残りそうな気がするけど、どうなんだろうな。「諦めきれない」という表現は自分の心の中で踏ん切りをつけられないでいる状態で、その優柔不断な気持を吹っ切ったところで、「断念」したと言えるんじゃないかなあ。

「しかたがない」という表現には、諦めざるを得ない理由を漠然と自分の外に求めているようなところがある。だから、「幻滅」や「失望」という感情が生まれ、嫌悪、憎悪となり、人によってはそれが敵意にもなれば、殺意にもなるんだろうと思う。ダメだったのは自分のせいじゃない、自分にはどうにもならないことだったのだ、と防衛線を張っているようなものだけど、何かしたわけでもないのに勝手に期待され、幻滅され、恨まれてしまう方は迷惑だろうなあ。それで精神や身体を傷つけられたり、命を奪われたりしたらたまったもんじゃない。でも、そういうことは世間が想像する以上にあたりまえに起きている。

考えてみたら、ワタシだってけっこう長い人生の中でいろんなことを断念して来た。断念したのは、がんばってみて「ダメ」と結論したからであって、だから、いったん終止符を打ったら後は振り返らない。自助努力で自分の限界を見極めて、それ以上にごり押しに進むのは自分にとって良いことではないと判断したのなら、自分を責めてみても無意味。ワタシが「諦めない」というのはそういうことなんだと思うけど、短絡的に「断念」に到達してしまっているのかもしれない。だから、あまり幻滅感とか失望感を味わわずにすんでいるのかもしれないな。幻滅や失望にとらわれない、ある意味で底なしの楽天家なもので、諦めることを知らずにのんきに夢を見ているということもありえるけど、ま、そこがワタシの極楽とんぼたるところで、こればかりは死ぬまで変わりそうにないなあ・・・

そうやってつらつらと哲学ごっこをやっていると、どこかにお見通しの人がいるのかどうか知らないけど、仕事がどかんと降って来る。おいおい、なんだかでっかそうだよ、これ。期限は木曜日の午後4時。その前にまだ終わってない仕事があるってのに、気合を入れてがんばらないと、徹夜になっちゃうからね。

ペラペラって発音のこと?

12月4日。せっかくいい天気なんだけど、今日もねじり鉢巻。なんか、最近あまり遭遇しなかったような、しっちゃかめっちゃか。「おい、しっかりしろよ」と自分で自分の背中をど突く・・・わけにはいかないから、朝一番に鏡の中の自分に怖い顔をして拳骨を突きつけてみたけど、極楽とんぼはさっぱり威厳がない。

でもまあ、とにかく今日が期限の仕事はなんとかすべり込みセーフで間に合った。やれやれ。のんきに腕をまくって「オッケー」なんて言ってしまうから、自業自得なんだけどもちょっとくたびれたなあ。来週の予定に入っていた大きな仕事が保留になったのをこれ幸いと、残っている1件を片づけて、週末は羽を伸ばそうか。ワタシだって少しやすまないと、集中力が落ちたらくもの巣に突っ込んでしまうもんなあ。

ラスベガスから帰って来て以来、まっ黒だった右足の小指の爪。内出血したんだろうと思っていたけど、色が薄くなったもので治ったんだと喜んでいたら、爪全体が根元のほんの少しの部分を残してパカッと剥がれてしまった。なにしろワタシは家の中では年がら年中はだし。ソックスもスリッパも好きな方ではないから、冬でおかまいなしで素足のまま。おかげでやたらと足の指をぶつけたり、突き指したりする。仕事をしているときでも、足はじっとしていない。デスクは北米仕様の高さだから、それに椅子の高さを合わせると、足が床に届かない。足置きみたいなものはおいてはあるんだけど、宙に浮いているのをいいことに、足はあっちへぶらぶら、こっちへぶらぶら。というわけで、いつものようにぶらぶらしているうちにどこかに小指がぶつかったらしい。それにしても、いっそきれいにポロンと落ちてくれたらよかったのに。せっかく痛くも痒くもないんだから、えぃっと取ってしまうわけにも行かないのだ。バンドエイドで押さえて引っかからないようにしておいたけど、まだくっついている部分、自然に離れてくれるのかな。それより、新しい爪、ちゃんと生えてくるんだろうなあ・・・

気分転換に小町をのぞいたら、『英語が「ぺらぺら」という表現』というのが目に留まった。外国語を話すことについて考える機会があって、ないとキャップをやりながらカレシともああだこうだと話題にしていたところだった。ほんとに、この「ペラペラ」というのはいったいどういう状態なんだろう。「流暢」という意味だとすれば、外国語でよどみなく理路整然と話したら、発音はイマイチでもネイティブスピーカーは流暢だというだろうし、教科書的な発音だったら、イマイチ意味不明でも日本人は流暢だというだろうし。でも、発音がイマイチで思考論理が支離滅裂だったら、どっちも流暢だとは言わないだろうな。だけど、発音の良し悪しを「スコア何点」と計ってくれるものさしってあるのかなあ。たとえば、ワタシの英語。なにしろ口が達者だから、べらべらと実によくしゃべる。誰からも「どこの国の出身?」とか、「中国人?日本人?」とか聞かれなくなって久しいし、カレシは「訛りはないし、抑揚やボディランゲージだって、別に違和感ないよ」というけれど、自分で聞いてみれば「ボツボツ切れる、伸びた蕎麦みたいな発音」に聞こえる。それで「訛ってる」と言うと、「それはキミのしゃべり方であって、訛り(アクセント)じゃないよ」と言われる。まあ、33年もどっぷりと英語漬けで、どういう英語をしゃべっているのかもう意識しないんだけど、「話し方の特徴」と「訛り」の区別はまだつかないのかもしれないなあ。

思うに、日本にいようが、外国に住んでいようが、日本語以外の言葉を「外国語」と認識しているうちは、「ペラペラ」も習得の進歩を計るものさしのひとつにはなるかもしれないな。言葉はコミュニケーションの手段にすぎないというのなら、必要なのは「どれくらい思考を伝え合えるか」というものさしじゃないかと思うけど、日本語は「口に出さなくてもわかる」のが理想ならば、欧米語は「口に出さないとわからない」文化の言語だから、その意味でなら「ペラペラ」は意義がありそう。このトピックにレスした海外在住者が帰省するたびに「何か(英語を)しゃべってみて」と言われるのが不愉快だと書いていたけど、もしもワタシがそう言われたら、(ご要望にお応えして)英語で「でさぁ、○○がああしてね、こうしてさぁ・・・」と、それまでの「会話」を続けるんじゃないかなあ・・・

おおやまととよあきつしま

12月5日。残りの仕事を終えて、期限前に無事送信したのが午前4時半。肩はコチコチ、首はコチコチ、脳みそはぐちゃぐちゃ。そこで凝りをほぐさないと眠れないなあと、ヴィンテージ1960年のアルマニャックを飲み始めたから、就寝は5時半すぎ。これが夏だったら、東の空が白々どころか、とっくに日が昇っている頃だけど、まあ、冬至まであと2週間半の今は、日の出は午前8時近い・・・いいのか、悪いのか、はて?変てこな夢をいっぱい見て(いたような)、それでも正午を少し過ぎたところで起床。保留になった仕事の「空隙」には別の仕事が入ってしまったけど、小さめだからと高をくくって週明けまで無視。金、土、日と、勝手に三連休。こんなことはめったにないから、なんだかゆったりとぜいたくでリッチな気分・・・。

10月半ばの選挙で成立したばかりの少数政権が倒れるかどうかという瀬戸際に立ったのは1週間前。選挙中は犬猿の仲だった野党3党は、政権獲得の絶好のチャンス到来とばかりに、たった数日で「連立協定書」に署名。だけど、自由党と新民主党では数が足りないから、議席多数を確保するにはカナダからの独立を党是に掲げるケベック連合の加担が不可欠。おいおい、ちょっと待てよ。カナダの分裂を標榜する政党に国政の主導権を渡しちゃうの?おりしもケベック州は総選挙の最中。自由党は新党首選びの最中。結局、ジャン総督が「議会停会」を決定して、すべては1月下旬までお預け。クリスマスを楽しんで、ゆっくり考えなさいってことかな。この「議会停会」というのは、イギリス議会制度を踏襲した、いわば伝家の宝刀。だけど、野党3党は政権を横取りする気満々だから、出直し選挙は必死だろうな。世論調査では60%以上が連立政権に「反対」なんだけど、勢い込んで高く振り上げてしまった拳骨は下ろすのがなかなか難しい。ふむ、ひょっとしたら、ハーパー首相がマキャベリの『君主論』や孫子の『兵法』(英訳タイトル:The Art of War)を愛読していたりして。

日本では、9月に就任したばかりの総理大臣の支持率が急降下だけど、首をすげ替えたくてもできず、国会解散・総選挙にもへっぴり腰という八方ふさがりの気分らしいけど、まあ、企業もお役所もこれまで政治家とは別の次元で粛々とやって来られたから、さして困らないのかな。政治は三流、経済は一流というミスマッチがいかにも日本らしいけど、労働市場には「2009年問題」という、大きな社会問題、社会不安につながりかねない問題があるんだそうな。製造業での「派遣」労働者の派遣期間が切れるのが来年。運悪く世界的な不況に重なって、法律が狙った正規社員への転換は不可能に近いだろうなあ。経団連が不正規労働者(人間なのに・・・)を融通の利く「便利な道具」にしてしまったツケが回ってくるといったところか。表向きは日本企業は家族的経営だとか、格差社会はいかんとか、きれいなことを言うけど、後進国での「奴隷労働」や搾取とどれほど違うというつもりだろう。どうみたって『蟹工船』の時代からあまり進歩しているようには見えないけどなあ。海の向こうの遠い「おおやまととよあきつしま」の「あきつしま」は「蜻蛉洲」とも書くらしいけど、「蜻蛉」はとんぼのこと。大昔の日本はワタシがすいすいと飛び交う、のびやかな国だったんだろうなあ。

今日のディナーは、たまには「おふくろの味」的なのもいいよねえ(と言いながら、実はめんどくさ~)と、大まじめにごくご平凡なローストビーフにした。たっぷりのグレヴィーは隠し味にスコッチをちょっと・・・。一緒にローストしたポテトと、蒸したインゲンとアスパラガスを添えて、ほんとうにめんどうがなくていい。これでヨークシャープディングがあれば本格的なイギリスのSunday dinnerになりそうだけど、1キロのローストは半分を食べるのがやっと。後は、カレシに庭のホースラディッシュを掘り出してもらって、残っているカイザーロールでサンドイッチにできるし、薄くスライスしてベトナムのフォーにも使えるから、かなりの使いまわしが利く便利なごちそうなのだ。

クリスマスまであと3週間。仕事なんぞやってられないんだけど、毎年そんなことをぶつぶつ言っているような気がするんだけど、う~ん、せっかくの「三連休」なのに、何となくせかせかした気分になってくるから困る。明日は極楽とんぼ亭の土曜スペシャル第3回目。さて、どんなものができるかな。夢の中にメニューが出てくるといいんだけどなあ・・・

2008年の宇宙人

12月6日。勝手にそうと決めた三連休の中日。外は湿っぽい。テレビのコマーシャルはクリスマス一色というのはあたりまえの季節なんだけど、こっちも心なしか湿っぽい感じが伝わってくる。何年ぶりの不況が、10年ぶりになり、今や26年ぶりの大不況に発展?した。だけど、カナダは全体的にまだあまり深刻ではないらしい。自動車産業がアメリカと直結しているオンタリオ州はすでにぐらついているそうだし、石油ガスで好況に沸いていたアルバータ州も、原油価格の暴落でどうも先行き不透明になってきたらしい。不況は東から西へとロッキー山脈のすく向こう側まで来ているということだろう。お出かけしてもそんな実感はないんだけど、資金繰りに詰まって工事が止まった高層マンションもすでにいくつかあるというし・・・

我が家では、23日。前までの1週間ほど、カレシがテレビのニュースをほとんど拒否してしまって、BBCのチャンネルで世界の動きをのぞき見しているような状態だった。要するに、政権崩壊の危機の起爆剤になった政党への交付金の廃止案をを政府が取り下げたことで「ハーパー首相」にむかっ腹を立てたのがそもそもの始まり。「よくやった。すごいやつだ」と褒めちぎっていたのが、今度は手のひらを返したようにテレビを睨みつけて「あいつは能無しだ」とこき下ろすことしきり。どうやら「オレを失望させやがって」という義憤に溢れてしまったらしい。だだっ子の疳の虫みたいだけど・・・。

まあ、「評論家」とか「有識者」とか称する連中がああだこうだと、はては2人も3人もが同時に声を張り上げて自説を主張するのを聞いていると、いくら議論好きのワタシだってイラッと来ることは来る。それに、ニュースはネットで読むほうが好きなので、不便があるわけでもないから、別に何も言わずに、「なるほど、こういう極端な対人反応がボーダーラインの特徴なんだなあ」とカレシを観察していて、発見したのが、その様子がパパとそっくりだということ。カレシのパパも一触即発で切れるタイプで、親しい人でも、きのうは褒めていたのに今日はくそみそに貶すなんてのはしょっちゅう。だけど、本人の前では「楽しい、いいやつ」を演じる人なのだ。ふむ、パーソナリティ障害って、遺伝的要素があるんだろうか。それとも、親から子へ情報が経験情報が伝達される「家庭環境」という要素のせいなのかなあ。

どっちにしても、カレシは「ハーパー」という個人的には何の交流もない人間が「自分の意」に沿わないことに対する怒りをあらわにしたんだけど、アメリカで「ブッシュが、ブッシュが」と憎悪に近い感情を向けて来た人たちとなんとなく似ている気がする。いや、どうも世界中でそういう自己の不安定さを誰彼かまわず他人に対して不満、嫌悪、遺恨、憎悪といった攻撃的な形で吐き出す人間が増えているように思える。境界性パーソナリティ障害は幼少時の(ネガティブな)体験が原因だと言われるけど、現代の、少なくとも先進国の社会には、大人をこんなふうに「制御不能」に陥らせるような共通する要素があるのかなあ。あるとしたら、何だろうなあ。HAL9000の企みかな。XBOXやプレイステーションやオンラインRPGは現代のHALなのかな?それともモノリス?あ、2001年はとっくに過ぎちゃったけど・・・

だけどなあ、カレシはもう老境だから、変われないだろうねえ。変われなくたって、変わらなくたって、ワタシの頭の中には対応マニュアルみたいなものができ上がっているから、二人は大丈夫そうだけど。きのうの夜に、カレシは1時間もかけてカスタードアイスクリームを作った。キッチンから、ガチャン、バタンと聞こえて来るのを、地下のオフィスで聞きながら、実は内心はちょっと心配だったけど、あえて目をつぶった。やる気になったときに、あれこれと細かく口を出して指導しない方が成功確率は高い、と「HAL(Husband and Lover)操作説明書」に書いてあったような・・・。

極楽とんぼの精神史?

12月7日。三連休最終日。だらだらの最終日になりそうな気配。せっかく大きな仕事が保留になってピンと元気が出たのはワタシだけじゃなかった。「ちょうど良かった」とさっそく穴埋め仕事。小さめだから、まあ、いいかと思っていたら、「先に入れられない?」と、突っ込み仕事。やれやれ。師走で忙しいんだけど。それでも、明日からはもっと有効に時間を使うことにして(と、意気込みだけはいつも一人前で)、今日はしっかりとだらだら(と、こっちの方は実行率が格段に高いから不思議・・・ってわけでもないか)。

久しぶりにじっくりと(といっても、野次馬として興味を引かれるものは1割に遠く及ばないけど)ローカル掲示板をのぞいて、笑ったり、突込みを入れたり。このサイトの存在をはじめて知ったのは、地獄の底で一番大変だった頃。実は八方塞の手詰まりの状態に思い余って、「日本人のサイトなら」と藁にもすがる気持で「なぜ?」という問いを載せた。ワタシも日本人、ここに集まるワーホリだって何だって日本人、という漠然とした同胞意識に基づく期待があったんだろうけど、みごとに自爆。「そういう男をつかまえたあんたの自己責任」というのはいいとしても、ほとんどが中傷や誹謗といった人格否定とも言えるもので、「四半世紀の時の流れ」という越えがたい深い溝があることを思い知り、それに気づかずにいた自分の迂闊さを思い知るという、いわば「目からうろこ」の経験になった。

あれから数年経っても中傷、誹謗、愚痴、不平不満の類は相変わらずだけど、最近はにいちゃんねらと思しき住人が増えている感じがする。嫌中、嫌韓、嫌米、嫌加、嫌英語、嫌日本、嫌み~んな。なんとも不幸せな人たちだなと思うけど、どうも「外こもり」という現象らしい。世界のどこにこもったところで、世の中に対する不平不満や遺恨が変わらないのはなぜなのか、とまでは考えないんだろうなあ、この人たち。こういうのは、たまに「英語圏も英語も消滅する」というSFみたいな傑作もあるけど、だいたいは誰かの主張の受け売りや右翼の煽りのコピーで、自主性ゼロ。まあ、だから外国に来たって不平を抱えたままごろごろしているんだろうけども。このまま中年になって、初老になって、どうするんだろうねえ。

ワーホリなどでカナダに来るのは女性が圧倒的に多いから、恋愛や結婚の相談はいつも大にぎわい。前はカナダ人夫が再婚で継子や養育費などの悩みがけっこうあったように思うけど、最近は結婚よりも離婚や別居の相談が多いような感じがする。結婚して移民手続きが終わったばかりでもう離婚の準備なんて極端な例もあるけど、小さな子供を抱えての離婚というケースが多い。シングルマザーへの公的支援は、生活保護は、福祉住宅に入れるか、みんなはどんな仕事をしているのか・・・。ひとりで働いて子供を育てる経済的、肉体的、精神的な大変さは日本もカナダも同じだと思うけど、結婚してそのまま働いたことのない人たちにとってはもっと大変だろう。日本でどんな学歴、職歴があっても、カナダでの就業経験がなければ一からのスタートだもの。まあ、いろんな悪条件にもめげずにがんばっている人は人種を問わずたくさんいるんだから、不安も何も、思い切ってやるっきゃないでしょうね。

確実にいつも一番盛り上がるホットなトピックは日本女性の話。特に白人男と一緒にいる日本女性の「容姿」は飽きずに繰り返し上がって来る。顔がビミョーだ、カワイクない、ブスだ、ブサイクだ、チビだと、いやもうかまびすしいこと。一人ならば注目もしないだろうに、白人男と歩いているのを見ると俄然注目してしまうのはおそらく、一緒に歩く白人男が(まだ)いない、白人男と歩いている日本人は自分だけでありたい、相手の白人男が自分のより男前に見えるのが気に食わない、といった心理なのかな。顔や容姿に難癖をつける側、難癖をつけられた側の熱い応酬合戦は、分析癖丸出しの野次馬を標榜するワタシにとって今どき日本人の心理を垣間見るかっこうの材料というところ。釣りネタでもなんでも、どんどん楽しませてね。(この釣りネタという煽り目的の書きこみも増えた。だけど、釣られた人を笑うという楽しみがあるから、ある意味「はまって」いる・・・かな。)

まじめなところ、うっかり踏み込んで大きなあざを作ってから、ローカル掲示板を見るワタシの視線の変遷はワタシ自身の再構築の過程を映していると思う。自分が傷つくから、怒りや軽蔑の気持が溢れて来るから、心が痛むから読みたくないのに、駆り立てられるように読んでいた頃を振り返ると、自分が傷つくことはなくなったし、怒りも消えた。軽蔑する気持も「んっとにもうしょーのない」という苦笑に変わったし、心を痛めて然るべきことと、「バカにつける薬は」と笑い飛ばして然るべきことを見分けられるようになったし、のぞいてみる頻度も減った。そうか、これはワタシもやっと精神的に乳離れしたということかな。

これ、日本人の出世なの?

12月8日。さて、月曜日。勝手に設定した三連休、食べて、飲んで、ネットして・・・と、ほんとにだらだらと過ごした。こういうのもたまには悪くないなあと思うけど、これから数年先に引退して毎日がこんなふうになったら、ふむ、何日くらい持つんだろうか。ワタシはけっこう三日坊主でもあるから、文字通り三連休がいいところかなあ。

アメリカでは「パールハーバーデイ」と呼ばれる12月7日、オバマ次期大統領がエリック・シンセキ退役陸軍大将を退役軍人局長官に任命すると正式発表した。この人、イラク侵攻問題で「ラミー」ことラムスフェルド元国防長官に真っ向からたて突いた気骨で人望がある。だけど、日本の新聞は「日系の~」と、シンセキ将軍が日系であることを強調するような報道だった。なんか「日本人」がアメリカで出世したとでもいいたげな口調だったけど、アメリカの新聞は、シンセキ将軍は「アジア人」初の陸軍大将になった人だと紹介しても「日系人」とは言っていない。移民が築いた国ではどこから移民して来ようが、三世の代にもなればもう100%その国の人。ことさらに祖先の人種を強調するのは、あたかも人種が起用の要因という印象を与えて、その人の能力や実力を過小評価したり、否定したりすることになりかねない。まあ、こういう考え方は「単一民族」を誇る日本ではおそらく理解されないだろうけど・・・。

シンセキ将軍はアメリカ陸軍士官学校生え抜きの軍人で元アメリカ陸軍参謀総長。根っからの軍人で、それも「アメリカの軍人」。仮に戦争の相手が日本だったとしても、迷うことなく「東京空爆」を命令すると思うけど、日本では「同じ日本人」という「親近感」(あるいは血縁感覚)が先に立つのかな。もっともそういう「親近感」は日本人に限ったことじゃないけど、宴会でたまたま同郷の人がいるからと、いい機嫌でお酒を注いで「同郷のよしみだ、飲め~」と強要している光景も浮かんで来る。でも、こういう人に限って、「けっこうです」とか「日本酒はやりません」とか言われたら、「てめぇ、オレの酒は飲めねぇってのか」とと管を巻きそうだなあ。(ただ酒なら、一応おつきあいして、こっちも管を巻いてみせる・・・かな?)

結局は「日本の土の上で日本人として生まれたからには、一生涯日本人(日本国民)」なんだろうなあ。日本人=同じ日本人=同じ今どき日本人=(自分と同じ)。だから、世界のどこであろうと、「日本人」を見つけたら。「同胞のよしみで、なあなあなあ」と甘えと期待感を全開にして、期待が外れると「てめぇ、日本人のくせにでけぇ面しやがって」と管を巻く人がいるんだろうな。ま、こういう態度は自分に都合がいいときだけで、都合が悪いときは「あんなのといっしょくたにしないでくれ」と言うことになるらしいけど。てことは、ワタシが傑作をものにして、まかりまちがってカナダの総督文学賞をもらってしまったら、日本の新聞には「日系人作家(あるいは新日系一世だから「日本人作家」かな?)がカナダの権威ある文学賞を受賞した」と報道されるかもね。ぜんぜん日本語の名前じゃないから、ごていねいに旧名まで書いてあったりして。ま、(文筆力は別として)想像力だけはたくましいから、そのうちに傑作を世に出す確率は百万分の一くらいはあるかも。ひまになったら、考えてみようっと。

ワタシの還暦の年も終わりに近づいて、次はいよいよ「定年」の65才が節目。もっとも、カナダでは年齢による差別にあたるということで、「65才」で強制的に退職させることはできないことになっているし、自営業のワタシは自分が雇用主でもあるので、定年なんてどこの話かいなということになる。それでも、4年後の今頃はもう厚生年金(CPP)と老齢年金(OAS)の受給手続きが完了していなければならないから、やっぱりときどき「どうするかなあ」と考えてしまう。今の時点では、65になったら、2つの年金と事業所得の合計が老齢年金の支給額を減らされる年収ラインを超えない範囲に収まるように仕事量を調整(それほど急に減らさなくてもよさそう)、その後は少しずつ減らしながらも私的年金を積み増して、70才になったら完全引退・・・といった構想を描いているんだけど、過去の10年の実感的な長さを考えたら、これからの10年だって、きっとあっという間に経ってしまいそうな予感。ふ~ん、傑作を書くような時間って、あるのかなあ・・・

お気楽なひとりショッピング

12月9日。またまた午後が期限の仕事にがんじがらめ。ゆうべはまたちょっぴりサボってしまったから、自業自得。ぎりぎり10分前にすべり込みのセーフ。ああ、やれやれ。今日は英語教室へ行くカレシに便乗してモールへショッピングに行く予定だから、そのまま大特急で食事のしたくを・・・と、あたふたしていたら、真っ赤な「大至急」マークのついたメール。うわぁぁ、やらなくてもいいといわれていたところまでぜんぶやってしまった!仕事が詰まっているのに何たるむだ骨!あ~あ、なんかチョンボやっちゃうなあ・・・

ガス欠で息切れしちゃっているのか、なんか揺らぎがちだった精神状態が落ち着ききっていないのか。「まあ、年だからね」と言ってしまえばそれまでだけど、ワタシはまだ還暦だぞ。人生はこれからってときなのに。やっぱり、ねじを締め直して、鉢巻を締め直して、腕をまくり直して、しゃきっと座り直して、気合を入れるしかないなあ。とりあえず大きなメイシーズのエコバッグ持参で、モールの近くで下ろしてもらって、さあ、2時間とちょっとの「自由時間」で脳みその凝りを解きほぐそう・・・

まずは来年のカレンダーの調達。日本のように名前入りカレンダーを配るのは保険代理店や不動産屋くらいのもので、12月更新の保険はないし、不動産屋も無縁なもので、ただのカレンダーに縁がない。のほほんとしていてつい買い忘れると、新年が明けたのにめくるカレンダーがない!ということになる。気を利かせて翌年のを最後のページにつけ加えたものもあるけど、1年12月をぺらっと並べたもので、「新年」の改まった気分にはならない。毎年この時期になるとモールにカレンダーを売る屋台?が出る。でも、年末近くはデザインのいいものは売れてしまって、1年中つまらないのを眺めるはめになるから、カレンダー選びはけっこう重要な年中行事ってわけ。まず、常連客にクリスマスカードと一緒に送るのを決め、キッチン用(ビストロをテーマにした愉快な絵)を決め、オフィスのワタシの分(パウル・クレーの絵)とカレシの分(ヨーロッパのすてきな風景写真)を決める。合計5枚でしめて100ドルといい値段。

次にデパート(といっても、モールのデパートはちっちゃい)の地下に降りて、クリスマス用品をチェック。カナダのデパートの地下の売り場は伝統的に「バーゲン売り場」だったんだけど、いつのまにかそんなものはなくなってしまったなあ。30年前はバンクーバーにデパートが4つもあったのに、2つ倒産して、残るは2つだけ。ワタシが行くモールにはそのうちのひとつしかなくて、隣にアウトレットのような安売り系列店がある。まあ、これが今風の「バーゲン売り場」なのかもしれない。モールが所得水準が平均以上と平均以下の層が分かれるところにあるもので、倒産したデパートを買い取った今の会社が低所得層も呼び込もうと、売り場をデパートと安売り店に分けたらしい。初めのうちは二階の駐車場と地下の売り場から二つの店を往来できたのに、いつのまにかそれもできなくなった。住み分けということか・・・

カレシから携帯に「これから行く」と電話がかかった頃には、ワタシの手にはメイシーズのバッグの他にデパートのバック。どっちも重いし、足も膝も痛いから、スーパーでの買いものはお預け。「荷物がいっぱいだから、スーパーの前で待ってるね」。約15分後に現れたカレシ曰く、「うは~、すげぇ」。LEDのクリスマスのライト3箱(計150個)。つららのクリスマス飾り。アミューズブーシュに使う小さいお皿とボウルを3種類、8客分。シリコン樹脂のマフィン型大小を2箱ずつ。おまけはでっかいクリスマスストッキング。まあねえ、ワタシに2時間もモールを徘徊させたら、まずこういうことになるんだけど。「全部でいくら?」とカレシ。う~ん、レシートを見てなかったから知らない。「経済に貢献したぞ」とカレシ。あ、そう?だったら、また明日もがんばるけど・・・

おじゃましますビザ

12月10日。あら、就寝は午前5時近かったのに、なんだか機嫌よくお目覚め。サウンドマシンの音をホワイトノイズから降りしきる雨の音に変えたせいかな。ぴちゃぴちゃという雨だれの音はかなりの精神安定効果があるらしい。外はまぶしい晴天。寒くなりそうな予感。

ささっと起きて、朝食をすませて、寝る前に後は見直しをするだけの段階まで終わらせてあった仕事を完了して送信。カレシの提案でモールにある旅行代理店へ行くことになっていた。だけど、まずは酒屋へ。忘れないうちにとシャンペンを2本、1960年のアルマニャック1本(品切れが近そうな予感)、切らしていたお気に入りのレミー(VSOP)を1本、ベルモットを1本。ワインも赤ばかりになったから、少し白を買おうかなと思ったけど、バスケットがいっぱいで、次の機会に・・・。

2月のオーストラリア行きの飛行機のスケジュールを調べていたカレシ。航空業界が不安定な時期を反映しているのか、2ヵ月前に出た値段より2千ドルも安くなっている。だけど、バンクーバーからはシドニーへもシンガポールへも直行便というものがないから、どこを経由するのが一番かという選択をられる。ここが実にややこしいところで、シンガポールへは香港経由かソウル/仁川経由。ロサンゼルス経由というのもあるし、成田経由もある。値段もそれぞれ雲泥の差だし、乗り継ぎ時間も千差万別で、すっかりこんがらかってしまったカレシ、「トラベルエージェントにやってもらう」と言い出した。そうねえ、アジアは日本しか行ったことがないし、何しろすごく長いフライトの連続だし・・・うん、ここはプロの出番かもね。

というわけで、カレシは調べて印刷して資料をエージェントのゲイルさんのデスクに広げて、日程を説明。最初はバンクーバー→シドニー→シンガポール→バンクーバーの線で計画を立て始めたのが、バンクーバー→シンガポール→シドニー→バンクーバーになったのが、どうも、シンガポールは最初は経由地として素通りして、帰りに同じ経路をたどって「寄り道」したらどうかということになった。出発日も帰着日も変わるなあ。でも、シドニーでの予定は動かせないとなると、そこから逆算して、出発は2月の第一週の終わりで、バンクーバー→(ソウル/仁川)→(シンガポール)と経由して、シドニーに着くのは最初の予定通りの11日。途中に寄り道があるとしても、合計して約26時間という、二人ともこれまでに経験したことのない長時間の旅。うは~、し~らない。

でも、航空会社はサービスがいいと評判のシンガポール航空だから、なんとかなるんじゃないのかな。この際だからちゃんと旅行保険の手当てもしてもらって、シンガポールでのホテルもレストランのたくさんありそうなところに探しもらうことにして、この分ならゆったりした気分になれるか・・・と思ったら、なんと、カナダからオーストラリアに行くにはビザがいるんだそうな。これまではビザ不要のところばかりだったから、考えても見なかったんだけど、それもパスポートを持っていけば手続きをしてもらえるいうことで、ほっとした。やれやれ、よその国の入国ビザなんか先進国ならもう無用になったかと思っていたのに。

カナダの永住権を取ったばかりの頃に、日米間にビザ免除の協定がなかったので、アメリカ領事館へ行って日本のパスポートにB-1観光ビザのスタンプを押してもらったっけ。無期限で何度でも往来できるものだった。(そのときに移民官に「どこでアメリカ英語を覚えたの」と聞かれた。「先生がオレゴン州の出身者ばかりだったので」と答えたけど、あの頃はわりかしコテコテのアメリカ英語を話していたらしい。今はたぶんカナダ英語になっているんだろうけども。)だけど、成田での指紋採取もちょっぴりスリルがあったけど、ビザを持って他国を訪問というのも、なんとなく玄関で「こんにちは~。おじゃましま~す。これ、粗品ですが~」てなスリルを感じるから不思議だなあ。

経済は自転車操業なのだ

12月11日。やっぱり雨が降るぴちゃぴちゃという音は安眠効果があるみたいで、このところ、かなりよく眠ってる。今日はまぶしいくらい明るい空模様だけど、バンクーバーの冬はこの晴天続きが曲者。北からの冷たい高気圧が頭お上にあるということで、どんどん気温が下がり出す。それで、下がりに下がって氷点下になったところで、高気圧が緩んで南から湿った低気圧が入り込んでくると、雪。雪が5センチも降ったら、交通は大混乱。市民はあわてて雪かきシャベルを買いに走り、タイヤのチェーンを買いに走り・・・なぜか毎年そんな光景が繰り広げられる。ひと冬に一度は雪が降るんだけどなあ。

デトロイトのビッグスリーを救助する法案がアメリカ上院で否決されたらしい。共和党と民主党とであれこれ妥協案を模索したけど、賃金をトヨタやホンダのような外国メーカーの米国工場での賃金レベルに落とせという要求を自動車労働組合が蹴ったせいで、とうとう妥協にいたらなかったという。自動車産業は長いことアメリカの基幹産業だったから、労働組合のごり押しパワーは強大で、賃金は断トツに高いし、featherbeddingと呼ばれる、黙っていてもコスト高になるような労働協約ができている。組合が入っていない外国勢に比べて、賃金は時給で3~4ドルも高いんだそうで、つまり、ビッグスリーは年間の一人当たりの賃金が何千ドルも多く、1万人雇えば軽く何千万ドル、10万人雇ったら何億ドルの差がついてしまう。だけど、トヨタもホンダも社員はそれぞれの賃金でやって行けてるんだから、賃金カットを受け入れて職場を守った方が、組合としても得策だろうと思うんだけど、まあ、労働組合と言うのはどこの星の人かいなから来たのかいなと思うような人間の集まりみたいなところがあるからなあ。

クリスマスまであと2週間・・・てことは、今からプレゼントを注文しても、間に合わない!宅配便にしても間に合わないだろうなあ。国境での通関が混みあうだろうし、郵便公社は内勤職員の組合がスト中で、裁判所が郵便トラックの出入りの妨害行為を禁止命令を出したけど、遅れは必至だろうし、いつもの10日で届くかもしれなくても、注文の発送処理が終わる頃には週明けだろうから24日までには間に合いっこない。はあ、どうしてこうなっちゃうのかなあ。そういえば、クリスマスカードもまだ積み上げっぱなし。日本へのお歳暮宅配の注文もまだ。この週末にはツリーを飾ろうと思っていたんだけど、週明けまではお預けかなあ。困ったもんだ・・・

何しろ仕事が途切れてくれない。年末の駆け込み需要といっても、世界中で不景気が忍び寄っているご時世のはずじゃなかったのかなあ。もっとも、ビジネスがモノやサービスを作ったり売らなくなったら、世の中の経済活動がストップしてどえらいことになる。考えてみたら、「経済」ってものはあんがい究極の「自転車操業」なのかもしれない。だったら、世界経済(フラフープ)を回し続けるためにもここはひとつ腕まくりしてがんばろう、というのは大げさだけど、仕事はいったいいくつあるのか・・・大小4つ。ふむ、サーカスみたいにそんなにたくさんのフラフープを回せるんかいな・・・。

冬将軍様のお出まし~

12月12日。またまた電力会社が朝っぱらから家の外でなにやらやっている。今度は家の南側のマンホールにもぐっての作業と西側(玄関前)の電柱に上っての作業が同時進行。やれやれ、二面作戦で来られては、かなわんなあ、もう。さすがのカレシも文句を言い疲れたって顔。昼過ぎにはみんな姿を消したから、まあ被害?はカレシが睡眠を2時間ほど削られたことくらい。(極楽とんぼはその名の通り、ほとんど眠り通してしまったのだった。)

朝食がてらテレビの正午のニュースをつけたら、ほお、メトロバンクーバーはかなりの雪模様だったらしい。この冬初めての降雪で、お隣バーナビーの向こう端の山のてっぺんにある大学は期末試験が中止。誰があんなところに大学を建てようと考えたのかしらないけど、雪が降るたびにバスが坂を登れなくなって止まってしまうので、大学は休校。試験勉強の時間が増えたからいいだろうと言うけど、学生にしてみれば、この週末は試験明けを祝って遊ぶぞ~と意気込んでいただろうから、この雪はいい迷惑だろうな。ダウンタウンも上空ではけっこうな降りだったらしい。ケベック州でスノータイヤ装着を義務付ける法律ができたおかげで、全国的にスノータイヤが品不足になっているそうだけど、バンクーバーなら全天候タイヤで(だいたいは)まず十分。

だけど、いつものように我が家の周りには雪が降った痕跡はゼロで、本格的な雨模様。日当たりのいい南斜面だから、冬はメトロバンクーバーで一番暖かく、夏は海風のおかげで一番涼しい。だから、小高くなっている41番アベニューのあたりまでは雪が降っていたのに、そこを過ぎると雨に変わるということがよくある。同じ市内でも場所によって天気がまったく違ったりするからおもしろい。天気予報は今夜も冷え込んで雪模様とか。う~ん、明日の朝は銀世界になっているかな?夜なべ仕事の今夜は、ちょくちょく休憩して様子を見てみようっと。

明日の朝が期限の仕事。裁判での鑑定人の報告とかで、なんかすごい事故があったらしい。まあ、これは機械のナットやボルトの話だからいいけど、「何でも屋(Generalist)」の看板を掲げて翻訳稼業をやっていると、頭の半分を爆風で吹き飛ばされた人の検視報告とか、「げぇっ」となるような話に出くわすこともある。(元々から法医学に興味があったもので、実際は「げっ」くらいですんで、「げろ~」までは行かなかったけど、実際の話となるとやはり犯罪小説なんかより迫力がある。ま、これは引退したらの思い出話にとっておこうっと。)

さて、両腕を高々とまくりあげて、3本くらいねじり鉢巻をきりりと締めて、今夜はぶっとばすぞ~

雪の降る夜は

12月13日。ローカルの仕事を終えて、「送信」をクリックしたのが午前4時半。土曜日の朝一番が期限というのはなんだか日本的な仕事ぶりに聞こえるけど、まあ、自営業なんてのは週末もへっくjれもないのが普通かもしれない。カレシは「もうだめだ」といって、先に寝てしまっていた。ローマ字日本語のスペルが混乱してきて、指も言うことを聞かなくなってきて、なのにあと○○ページもある、と焦っている極楽(地獄?)とんぼにとってはそのほうがありがたい。だって、仕事が詰まってくるといつもあ~だこ~だと突拍子もないことを話しかけて注意をそらそうとするのがカレシ。日本語訳で時計と競争しているときは「うるせぇやい!」とぶっとばしたくなってしまうのだ。こちとら耳は二つあっても、脳みそはひとつっきゃないんだってば~。

正午を回って起きたら、ん、外はちょっと明るい。ん、雪明りかな?と思って、外を見たら、ん、雪が降った形跡はない。なあんだ、がっかり(していいのかどうか)。起きぬけの身づくろいをしていたら、外れてプラプラしていた足の小指の爪がとうとう取れてくれた。23日前に、下に新しい爪が三分の二くらい生えていたので、乳歯が抜けるのを指折り数えて待つ子供みたいな心境で、まだかなあ。もっとも、足の爪じゃ、Tooth Fairy(抜け歯の精)は来てくれないだろうけど。爪も生きものだから、死んで乾いてくると丸まって来てまだ新しくて柔らかい爪を締め付けるから痛い。それが取れたからひと安心のやれやれ。新しい爪はちっちゃくて、ピンク色なのが赤ちゃんの爪のようで、かわいい。自分の足なんだけど、なんかすごく愛しくなってしまうから不思議。

今日の夜は隣のパットに、彼の友人宅でのクリスマスパーティに呼ばれている。「住所はここ。6時くらいに来て」と急に言われて、めんくらってしまったけど、パットはいろんなボランティアをしているから、その関係の親しい人の家でのパーティなんだろうと思ってOKした。「知らない家にパーティに行くのは大学時代以来だなあ」とカレシ。(10代後半から20代初めにかけては、どこかでパーティがあると聞きつけると、呼ばれていなくても悪友どもと誘い合わせて押しかけたそうな。)手持ちのワインを1本ぶらさげて行ってみたら、あ~ら、まるで国連総会。白人系、黄人系、黒人系が入り混じって、おまけにカレシの元同僚もブロックの反対側のご近所さんもいて、なんだ世界ってやっぱり狭いじゃんと、さっそくワタシはおしゃべりプールにじゃっぽ~ん・・・。

パーティがお開きになった頃には、本格的に雪が降り始めていた。積もりそうな勢いで降っている。50年ぶりという月の大接近で、大きくて明るい満月が見られないのは残念だけど、街灯の明かりの下でひたすら舞い踊る都会の夜の雪もなかなか乙なもんだ。週明けには晴れてくるけど、最高気温が氷点下になるという予報。郊外でマイナス10度なら、我が家のあたりもマイナス5度近くまで行きそう。冷え込んでくると、やっぱり「道産子」の血が騒ぎ始めるような気がする。DNAに組み込まれた北極ぐまの遺伝子が遠吠えしていたりして。幼い頃に(あるいはなつメロ番組で)聞いた『雪の降る街を』という歌は、どうしても北海道の雪の風景とは異種という違う感じ。だって、「この哀しみを~」とか「このむなしさを~」とか、そんな感傷に浸ってたら、街中でも凍死してしまうべさ。

ゆうべ、二階の窓から外を見ていたら、1匹のコヨーテが家の横の「歩道」をとことこお散歩気取り歩いていた。ゴルフ場の中にいるのを見かけたことはあるけど、こんな近くで見ると、これが以外に丸々として恰幅がいい。ゴルフ場のメタボたぬきにメタボリス、近所のメタボ猫にメタボ犬を食べ飽きて、コヨーテまでがついにメタボになっちゃったのかしら。それにしても、いかにもふてぶてしい足取りが印象的だった・・・。

2008年を代表する漢字に「変」が選ばれたそうな。「変化!」と叫んだのはオバマさんだけど、「変」にはいろんな意味があるなあ。改変、変更はまだいいけど、変動となるとちょっと?の予感。異変、変人、変質、変態となると、う~ん、どうみたって、変、変、変。(極楽とんぼは変人じゃなくて「変種」だからね・・・。)ロイター通信の「Oddly Enough」というページを日本の新聞社が『世界はきょうもヘンだった』とか言うタイトルで日本語訳している。いや、ほんと。変なのは世界中らしい。ワタシとしては、やっぱり「呆」がぴったしだと思うんだけどなあ・・・

カレシのスリップ事故

12月14日。おお、まぶしい銀世界。でも、たいして積もらなかったようで、道路はアスファルトが露出している。この分なら買い出しやおでかけにはさして支障はなさそうだけど、屋根の雪が解けていなさそうなのが気になる。ポーチの温度計は頑として氷点下のままで、天気予報をみたら、予想最高気温は週末までマイナス記号がずらり。最低気温は-5℃から-8℃くらいまで行くらしいけど、ロッキーの向こうのカルガリーは最低気温-30度で、風があるから「体感温度」は-40℃とか-50℃と、外へ出たとたんにバシッと凍ってしまいそうな気温。もっとも、冬の間1日中氷点下があたりまえのところで育ったワタシの記憶だと、-20℃を切ったら、あとは何度になっても「しばれている」ことに変わりがなかったような・・・。

今日はモールの旅行代理店にでかけて、オーストラリアの観光ビザの手続きをしてもらった。承認されたという証拠の書類をプリントしてもらったけど、電子ビザなのでオーストラリアの入管でパスポートをスワイプしてビザの有無が確認されるらしい。シンガポールでは出国のときに指紋を取られるんだそうな。へえ、日本やアメリカとは逆なんだ。なんでだろうね。チケット代を払って、旅行の中止や中断、フライトのキャンセル、盗難、医療等々、まとめて保険をかけて、後は発券を待ってシンガポールのホテルを予約してもらえば、大旅行?の準備はほぼ完了。カレシが頭を悩ませていたことが、ゲイルさんの手にかかるととんとん拍子に進んで、さすが、餅は餅屋。おまけに今回は手数料なし。「明日からはかかるけど」って・・・どうやら会社の営業方針が変わったばかりらしいけど、へえ・・・。

帰りに立ち寄った青果屋。車に書類を置きに行ったカレシがげんこつを血だらけにして戻ってきた。すぐ外の階段で氷に足を滑らせて下まで転げ落ちたんだそうな。階段といっても、3段ほどだったのは不幸中の幸い。青果屋の人に「外で滑って転んだんですけど、血が止まらないので、ティッシュもらえませんか」と言ったら、オフィスのようなコーナーにいた店長らしい人が「救急車、呼びますかっ?!」と真っ青。あのですね、指の関節を2、3本すりむいただけなんですけど・・・。まあ、店のすぐ外での「事故」だから、損害賠償の訴訟でも起こされたらどうしようと思ったのかもしれないな。そこら中を引っ掻き回したけどティッシュは見つからなくて、奥の小部屋を探し回って絆創膏を見つけてくれた。売り物は食品だから血がついたら困るからねえ。おかげでカレシのげんこつは絆創膏をべたべた張って、まるでボクサーの手みたい。

買い物が終わって外へ出たら、「事故現場」の階段は、ステップの縁を示す白線の上に氷が張っているのが上からはわからない。ふむ、これでは滑って足を踏み外す人が続出しかねないなあ。帰り道はワタシが運転代行して、着替えのときに点検したら、腰と肘に青あざができていた。でも、骨はまだまだ頑丈だってことが証明されたようなものだから、良しとしなくちゃ。もしも、80代だったら、ママが転んだときのように骨折事故だっただろうねえ。この天気では四輪だけじゃなくて、二本足でもスリップ事故が起きるのよね。いくら旅行中止保険をかけたからといって、けがをして行けなくなったらつまらない。Be mindful。気をつけなくちゃあ・・・

めっちゃしばれてます

12月15日。ううぅぅ、しばれてるなあ。植木も何もかも、凍ってしまったみたいにそよとも動かない。でも、ずっと郊外では強風が吹き荒れて、何万戸も停電したとか。あっちの方はバンクーバー市内より気温が数度は低いから、電気がないとたまったもんじゃないなあ。集中暖房のファンが動かないし、調理もままならない。運悪く停電が長く続いたら家の外と中が同じ温度になってしまう。テレビには吹き飛ばされた看板や倒壊した温室なんかの様子が映っていたけど、我が家の周りはほんとにそよともしないから、どうなってるんだろう。

電気といえば、起きぬけのカレシのご機嫌が斜め気味だと思ったら、また外のマンホールを開けてなにやらやっている。寒いからだろうけど、歩道にテントを張っての作業。まあ、10丁先の地下鉄駅に電気を供給するために新設した系統なもので、稼動前にいろんな試験をする必要があるんだそうな。(ここまではは、カレシがコールセンターにごねまくって電力会社の担当課から電話をさせてやっと聞き出した。公共事業だというのに、ヘンなところで秘密にしたがるヘンな人たち・・・。)でも、コンプレッサらしいモーターの音がするだけで、家の中でベースメントにいればほとんど聞こえないんだけど、カレシはそれでも癇に障るらしい。外へ出て行って聞き出してきたところでは、どうやら明日とあさっても作業があって、その後は「これで全部終わり」だそうな。ふむ、前にも工事のたびに同じせりふを聞いたなあ。「これで(おれ達の仕事は)全部終わり」・・・って。

だけど、おかげでカレシが明日とあさってはクリスマスの「ごちそう」の買い出しに行こうと言い出した。ワタシに何重にも輪をかけたような出不精のカレシが「買い物」なんて一番めんどくさがることをやろうというのは、「外の音から逃げたい」という意思表示。やっぱり単に騒音が気になるってものではなくて、聴覚と情緒がめちゃくちゃややこしい絡み合いになっているんだろう。端から見れば不合理な反応に見えるんだけど、一種の「感覚処理障害」みたいなものがあるんだろうな。まあ、ワタシは津波みたいに続いていた仕事の波が緩んだことでもあるし、カレシの気が変わらないうちに、行こ、行こ!

すぐにひとつ仕事を入れられてしまったけども、お歳暮の注文がすんで、我が家の消費分の注文も確認が来て、やっとクリスマスカード書きにかかった。もう17年近くも前に子宮摘出手術をしたときに、同じ病気で隣のベッドにいて仲良しになったボニーから今年もまたカードが届いた。彼女も引退して終の棲家に落ち着いたので、「ちょくちょくメールでおしゃべりしない?」とメールのアドレスが書き添えてあった。ああ、うれしいなあ。小学校時代の友だちも今年は同じく還暦を迎えて、どうしているかなあ。ワタシにはつかず離れずで息の長い友だちがたくさんいる。牽牛織女よろしく年に一度だけ近況を知らせあう付き合いでも、ワタシは忘れないし、向こうもワタシのことを忘れないでいてくれる。こういうのが「ほっこり」した友だち付き合いなのかもしれないね。

さて、この寒気、ひょっとしたらクリスマスまでずっと続くかもしれないとか。局地的な気圧系がうろうろするもので、どの地域にどれだけ雪が降るかを予報するのが難しいそうで、バンクーバーに降った11センチは「想定外」だったんだそうな。最低気温はマイナス二桁に近くなると聞いて、外からコードを引き入れて、温室にもうひとつヒーターを入れた。ううぅ、電気料金が膨らむなあ。温室はカレシの趣味。趣味はお金がかかるもの・・・だよね。だけどなあ、今年は電力会社に何度も安眠を妨げられて、カレシはストレス溢れんばかりでも切れずに「がまん」して来たんだから、BCハイドロさま、ちょっとくらいは見返りってものを考えてもらえませんかねえ・・・な~んて、そんなこと、考えるはずがないよなあ。

午後11時半。マイナス5度。ううぅ、今夜はしばれるぞぉ・・・