リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

☆朝めし前の眼底検査

2013年08月22日 | 日々の風の吹くまま
8月21日。水曜日。昨日に続いて、今日はダウンタウンのセントポール病院で眼科の検査を受ける日。午前2時半に寝て、午前7時に起床。4時間足らずではやっぱり半徹夜の気分。寝ているカレシをそのままに、さっと身支度をして、グラス1杯のミルクと賞味期限をとっくに過ぎているクッキー1個の腹ごしらえ。午前7時半、いざ出発。気温は12度。

たまには朝の空気を吸うのも気持がいいもんだな。家から地下鉄の駅まで徒歩15分、ダウンタウンの駅まで15分、病院まで徒歩15分。セントポール病院はバンクーバー市が誕生しても間もない1894年にカトリック修道女会が創立した由緒ある病院で、ブリティッシュコロンビア大学医学部と提携している研修病院でもある。ワタシが卵巣膿腫の内視鏡手術と子宮全摘の開腹手術を立て続けに受けたのもここだった。もう21年も前の話。正面の古い赤いレンガの建物の後ろにあるのが(比較的)新しいプロヴィデンス棟で、入院中、同室で仲良しになったボニーと2人だけだった夜、患者用テーブルを窓際に移動して、高層アパート群の夜景を眺めながら、友だちが差し入れてくれた鶏の唐揚げやかっぱ巻きを楽しんだっけなあ。なつかしい・・・。

そのプロヴィデンス棟の入り口を見つけるのにちょっと手間取ったけど、念のために15分の余裕を取ってあったので遅刻せずに眼科に到着。受付でチェックインして、廊下の椅子に座って待っていると、朗らかな看護師さんが来て両目に瞳孔を開く薬を2種類点眼。3人いる看護師さんはみんなきびきびっとした動きで、点眼したり、視界がぼやけた患者を検査室や診療室に誘導したりの大車輪。ロス先生が研修医らしい若い人にあれこれと指示。ワタシの予約が8時半で、着いてみたらもう10人以上の患者が待っていたから、みんないったい朝の何時から仕事を始めるんだろうな。医療って、タイヘンな仕事だな。

今日2つある検査の最初はPAM(潜在視力測定)。視力検査表を網膜に直接投影するもので、焦点が少々不安定なためか、顕微鏡で細菌がうごめいているプレパラートを見ているような感じがある。普通の検眼だったら、裸眼では一番上のでってい文字でさえ読めない(形から推測はできる)のに、4段目まで全部すいすいと読めた。5段目もなんとか5文字全部、6段目は3文字、7段目と8段目は少なくとも1文字は読めて、一番下の9段目だけは点々にしか見えなくて全滅だったから、びっくり。だって、コンタクトをしていてもこんなに良くは見えたことはないもの。

次は蛍光色素フルオレセインを静脈注射しながらの眼底の血管造影検査。この検査は何年も前に眼科治療用新薬の臨床試験報告をいくつも翻訳したので、だいたい勝手がわかっている。まずは色素を注入する準備。ひじの内側にある一番太くて目立つがなぜか造影剤をうまく通さなくて、別の場所に移ってやり直し。眼底を撮影するのに「目を大きく開けて~」と言われるけど、なにしろ眼瞼下垂気味なものでそう簡単には目を見開けなくて、看護師さんに引き上げてもらった。いやはや、猛烈にまぶしい光を照射されるから、黙っていても涙がぼろぼろ(号泣!)。検査が終わって廊下に出たら、世界中がピンク色・・・。

最後に診察室でロス先生の話を聞く。眼底の血流はいたって正常でAMD(加齢黄斑変性)の兆候はなし。潜在視力はロス先生が「すごくハッピー」というほど極めて良好。ということは、ワタシの低視力の主因は角膜の異常による乱視ということなのかな。そのせいで裸眼と矯正後の視力の差が大きいのかもしれないな。で、先生の結論は「白内障手術は現時点では不要」。コンタクトレンズから解放されるための手術ではない。(検眼医はコンタクトと同じ処方のレンズを目に挿入するので、もうコンタクトを使わなくても良くなると言っていたな。)角膜の凸凹を覆って乱視を矯正しているレンズがなくなったら視力が落ちるかもしれない。文字が薄く見えるなら読書用眼鏡を使いなさい。レンズが曇るならそのつど洗浄しなさい。う~ん、ごもっとも・・・。

ということで、8ヵ月後に白内障の進行具合を検査することになって、午前10時20分検査完了。瞳孔がぽかっと開いてエイリアンになった目にコンタクトを入れて、自力で帰れるとカレシに電話。ちょうと起きたところで朝食はまだというので、腹ペコのワタシは「帰るまで待ってて~」。サングラスをかけてもまぶしくて道路が見えにくかったけど、無事に帰りついたのは午前11時。さっそく2人揃って朝ごはん。超がつく早起きをしたおかげで、いつもならやっと起床している頃の正午までに今日の予定が全部終わって、これがほんとの朝めし前・・・。


誰がための英語レッスン?

2013年08月22日 | 日々の風の吹くまま
今日は今週3度目の目覚ましモーニング。カレシは今日の英語教室を最後にしばらく
「夏休み」。午後の部は1ヵ月弱だけど、夜の部は一応解散して、最低8人の申し込み
があるまで休講。ボランティア先生だって、休みが欲しいよね。

でも、スカイプでの実験授業(無料)は休まず継続。スカイプのフォーラム?で募集をか
けて、最初のポーランド人、次のトルコ人の大学生はいずれも1、2回で挫折したけど、
今はベトナムの大学生2人に週1回、1人1時間ほどの個人授業をやっている。2ヵ月く
らい続いていて、出した課題もきちんとやるそうだから、ヨーロッパとアジアでは英語学
習意欲の切実さが違うんだろうな。レベルは中級の上くらいとか。ヘッドフォンをしてい
るのでカレシの声しか聞こえないけど、けっこう楽しそう。ボケ防止にも最適だね。

経済学専攻の学生は、奨学金をもらえるという理由だけで「一応」共産党青年組織に
入っているそうで、卒業後は銀行に就職するつもりだとか。カレシが見込みはどうかと
聞いたら、「身長が十分あるから大丈夫」という返事。銀行勤めに身長は関係ないだろ
うにと思ったら、何と身長とルックスに最低ラインがあるらしい。社会主義国のベトナム
では「機会均等」のはずだけど、高身長のイケメンの方が「客の信頼を得やすい」のが
理由だというから、何かアジア的というか・・・。

フォーラムには英語を話せるようになりたい人、英語を教えたい人がたくさんいて、カレ
シも「生徒候補」には事欠かないらしい。でも、「ただなんだから本当に英語が必要な人
しか受け付けない」と、レッスンを受けたい理由や目標をメールさせることで生徒を厳選
しているそうな。日本からの応募も多いけど、「I wanna speak English(エイゴしゃべり
た~い)」とか「Teach me English(エイゴおせぇて~)」といった調子のメッセージばか
りだというので、日本人は「ガイジンと英語でペラペラ」を目指す人が多いみたいだよと
言ったら、「オレはチャットサービスじゃないよ」。そうね、せっかく苦い経験を乗り越えて
開花した英語教授の才能、ほんとにためになることに使わなきゃもったいないよね。

人間はボケると本性が出る?

2013年08月22日 | 日々の風の吹くまま
洋の東西を問わず、人間は年と共に怒りっぽくなったり、頑固になったりする。背景要
因はいろいろだろうけど、脳の前頭葉の機能低下で感情を制御できなくなって些細なこ
とでキレる「理性の老化」が大きな原因らしい。(逆に言えば、若い人たちがキレやすい
のは、前頭葉が未発達でまだ自制心が育っていないからだということになるのか・・・?)

日本では高齢者による暴力事件が20年ほどで50倍になったそうで、老人による殺人
事件が起きているし、こっちでも老人ホームで95歳の男性が同室の85歳を殺す事件
が起きたばかりで、介護ホームでの暴力沙汰も毎年相当な数になるらしい。加害者も
被害者も認知症ということで、高齢化社会のメンタルヘルス問題が浮上してきた。この
95歳の「殺人犯」は大戦でいくつも勲章をもらった人だそうで、たぶん戦闘的なところ
があったのかな。戦後は普通に理性的な大人の生活を営んで来たけど、認知症になっ
て隠れていた性格が現れたということか。

認知症が進んだ義父を見たとき、ワタシは人間はボケると隠していた「本性」が現れる
のかもしれないと思った。義父は若い頃から一触即発の癇癪もちで、キレると怖くなる
ほど怒鳴りまくる人だったのが、亡くなる3ヵ月ほど前にはまるで今にも「ママ~」と泣き
出しそうな「幼児」になっていた。そのときにふと、この人は本質的に「不安症」で、それ
を威嚇行動(キレる、怒鳴る)で抑えていたのかもしれないと思ったわけで、それ以来、
性格的に似ているカレシがボケたらどうなるのか時たま考えるようになった。

大人は多かれ少なかれ自分の本性を「理性」で抑えて生きているとすれば、社会に慣
習や集団思考に適合した「常識人」であることを強く要求されて、それに従うほどに常
識人の自分と「本当の自分」との乖離が大きくなって、ボケたときに「人が変わった」と
言われるのかもしれない。だったら、自己の規範や信条に従った自然体の「自分」を生
きる方が「今と昔」の落差が少なくていいかもしれないな。ワタシ自身はとなると、はて、
どんな「本性」が姿を現すやら見当もつかないけど・・・。