リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2013年1月~その2

2011年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
現代版「大学は出たけれど」

1月16日。水曜日。午前11時50分、目覚ましで起床。気温はプラス3度。今日は掃除日だけど、シーラとヴァルの到着が遅れていて、ちょっとゆったりと朝食。使った食器を食洗機に入れ、キッチンカウンターのリサイクル品を片付けて掃除の準備完了というところで登場。ヴァルが開口一番に「パトカーがぐるぐる回っているけど、どうしたの」。ええ~?そこへ隣のパットから電話。(真っ昼間に)現れて裏庭に放置してあった銅のパイプを持って行こうとした泥棒を3度目の正直で取り押さえようとしているところを、非番で家にいたキース(警察官)が窓から見て即通報。泥棒はパトカーが来る前にパットを振り切って逃げたそうで、走り回っていたパトカーはまだ近くにいると見て探していたんだろうな。はたして捕まえたのか・・・。

今日届いたMclean’s、誌に「新下層階級」と題して、大学を卒業しても取得した学位とつながる職に就けずにいる若い人たちの話が載っていた。その例として取り上げられた3人の専攻は「応用言語学」、「歴史と政治学」、「広告」。いずれも大学の学位(日本なら「大学卒」の肩書き?)こそがゆとりのある中流階級の未来を確実にすると思っていたのに、その学位を生かせる職に就けず、レストランのサーバーやカフェのバリスタ、小売店の店員をしたり、無給のインターンシップを転々としたりしているという。そういう若者たちの多くは多額の学生ローンの返済に苦しみ、自分たちの親と同じレベルの生活は一生望めそうにないと思い始めているとか。

併せて載っていた『100万ドルの約束』という記事は、大学団体が大学卒と高校卒の生涯賃金を比較して喧伝し続けてきた「100万ドル以上の差」に疑問を投げかけている。(これだけ差がつくんだから、授業料の値上げくらいがまんせい、ということらしいけど。)たしかに、大学教育が高収入を保証て来たけど、何でもとにかく「学位」を取りさえすればいいってもんじゃないのは自明の理じゃないのかな。医者やエンジニアは高度な専門教育が必須の職業だから高収入で、30年、40年働けば100万ドルの差が出るというのはわかる。でも、マーケティングや広告関連、映画関連の仕事などは特に最高学府で4年も勉強して来なくたってやれそうだし、実際に、学位を取ったといっても収入は高卒と比べてそれほど多くないか、悪くすると以下らしい。

一方で、カナダの技能労働者の不足がますます深刻化しているというのは皮肉な話。労働市場にどうしようもない需給のミスマッチが起きているらしい。根底にあるのは中流イコール「ホワイトカラー」という、裏返せば「ブルーカラー」を下層階級として見下す思想だろうと思う。まあ、人間には何につけても少しでも他人より「上」でありたいという願望があると思う。(「下になりたくない」という消極的な上昇願望もあるらしい。)だから、学歴や収入、ルックス、所有物といった目に見えるものに縦軸しか計れないものさしを当てて、自分の相対的な位置を測っては、安心、慢心、失望、羨望、嫉妬、僻み、蔑視といった感情に振り回される人間もたくさんいるわけだけど。教育業界がそういう心理をうまく利用して「平家にあらずんば」式の洗脳をして来たということはないだろうなあ。大学だって運営費がかかるのはわかるけど、そのために「ほんとに学位が必要?」と思うようなMickey Mouse学科を次々と作って来たんだとしたら、日本で流行っている資格ビジネスとあまり変わらないような感じ・・・。

記事の筆者は3つも学位を持っている大学教授だけど、重機の修理工である高卒の娘婿の収入は見習いから始めて数年で義父を追い越してしまったそうな。大学卒の中間管理職より高収入の配管工や電気工、技能労働者も少なくない。どれも「ブルーカラー」の職業だけどな。要は、学びたいから大学へ行くのならともかく、「生涯収入の差」が目的で(場合によっては借金して)大学へ行くのなら、労働市場の需給を見据えないと一生の失望になりかねないということだろうな。でも、「市場」の原理で動く労働市場のことだから、需要と供給を釣り合わせるのは至難の業だと思う。昔あった職業で今は求人すらなくなったもの、どれくらいあるだろうな。

やっと2012年度の経理業務ができる

1月17日。木曜日。午前11時半に目覚ましで起床。今日はいい天気。カレシを英語教室午後の部に送り出して、しばし読書。ファインマン先生の本も残りあと何ページか。次は何を読もうかなあ・・・。

オフィスに下りて、まずは眼科の予約。去年、日本へ行く直前に新調したばかりの右のコンタクトレンズをうっかり流してしまって、(コンタクトは2年くらいごとに検眼して新調して、前のバージョンを予備として保存しているので)古い方のレンズに切り替えた。ワタシのコンタクトは左は手前、右は遠方を見るようになっているので、左は新しいレンズのままにしておいて、日本から帰って改めて新調するつもりだったのが、なんだかんだでいつの間にか半年以上経って、最近は何となく右目と左目がうまく連携していない感じ。と言うわけで、やっと重い腰を上げてオンラインで予約願い。ところが、折り返し「65歳になるまで待てますか?」という電話がかかってきた。目の検査は子供と65歳以上は保険対象外なので129ドルかかるけど、65歳になると59ドルで済むんだそうな。まあ、ちぐはぐなレンズで半年も何とかやって来たから、この先3ヵ月ちょっとでそれが変わるとは思えない。ということで、予約は誕生日の翌週の月曜日に決定。なるほど、シニアになるとこういうご利益もあるわけか。他にどんないいことがあるのかなあ・・・。

カレシが帰ってくる前に、2011年度の帳簿復旧のしあげ。無事に12月まで終わって、仕訳帳の最後の番号が同じなのを確認して、12月の財務諸表を印刷・・・あら、オリジナルと数字があっていないところがある。現金残高が172ドル多くて、売掛金の残高が162ドル少なくて、前払費用が10ドル少ない。数字は小さいし、帳尻は合っているんだけど、所得税申告のために送ったものと同じでないとまずいよねえ。でも、おひとり様の超零細ビジネスはこういうときに解決がシンプルでいいな。まず、売掛金として計上するべき162ドルを現金取引扱いにしていたのを訂正。次にオフィスの保険を、オリジナルでは間違って現金払いの雑費に計上していたのに、「正しく」前払費用からの雑費に訂正(これは2012年度で調整しないとならないな)。それでやっと貸借対照表の数字が全部ぴたりと合って、大震災と原発と節電の影響だろうけど、創業以来23年で下から3番目に低調な年だった2011年度もめでたく「完」。

これでやっと2012年度の帳簿を開くことができる。ログをアップデートしたら、去年の実績は23年のうちで10番目で、23年のほぼ平均。最高の年の売上は最低の年の3.4倍。この収入の波が大きくて安定しないのが自営業の頭痛の種ではあるけど、一匹狼ビジネスで従業員はいないし、扶養家族もいないから楽といえば楽。ほんとにワタシってラッキーだと思う。それを考えたら、少しぐらい忙しくて遊べなくても、文句は言えないなあ。それにしても、カナダドル高、何とかならないのかなあ。比べ物にならない規模だけど、トヨタやホンダが円高で苦労するのと原理は同じ。アメリカドルと円で稼ぐワタシのビジネス、サービスの輸出扱いだから、カナダドル高だと手取り額が目減りしてきつい。おまけに安倍さんが総理大臣になったとたんに円の相場まで転げ落ちるように下がって来ている。ああ・・・。

それでも、カナダでの36年間の「生涯賃金」を推定して、フリーにならずにずっと「事務・秘書」の職種に留まっていた場合の推定額と比べてみたら、その差がなんと100万ドル。うへえ、ずいぶんと荒稼ぎしたもんだ。まあ、一度は燃え尽きてしまうくらいしゃかりきになって仕事して来たんだもんね。俗に「You win some, you lose some(勝つときがあり、負けるときがある)」と言うけど、人生の「勝ち負け」はまさにそのときの運しだい、風向きしだい。順風のときは力いっぱい羽ばたき、凪ぎのときは疲れた羽をちょっと休めながら満を持して順風を待つ、いわば極楽とんぼ的な人生も長い目で見たら悪くはないということかな。もっとも、べた凪がいつまでも続くのは困るけど。さて、次の仕事が後ろから押して来ているから、急いで2012年度の帳簿付けをして、決算をやってしまわないと・・・。

一介の人間が言えばただのノイズ

1月19日。土曜日。目が覚めたらもう午後12時45分。夜の間は冷え込んで霧が出ていたけど、起きてみたらいい天気で、ポーチの温度計は7度。このまま春が来ればいいけど、というのは希望的観測だけど。大きな懸案事項が解決したせいか、ぐっすり眠って夢を見ていた。小学校の同級生たちが、去年会わなかった人も含めて、みんあ大人になって出てきた。でも、見せ合っていた絵や工作は小学生の頃のまま・・・。

一日がんばったおかげで、2012年度の1年分の帳簿付けが完了。円や米ドルの換算がからむので、手間がかかることこの上ない。ちゃんとまじめに記帳をやっていれば問題はないんだけど、去年は仕事量が1年間で前年の2倍の英単語40万語と忙しかったし、会計ソフトの切り替えを2つのソフトでトライしてどっちも失敗したから・・・と、反省するというか、しゃあないよなあと肩をすくめるか。でも、第4四半期の売上税申告に必要な数字が出たから、とりあえず減価償却の計算といった決算の作業は所得税申告の時期までお預けとする。やれやれと経理係の帽子を脱いで、生産係の帽子を被って、仕事・・・。

今日からプロホッケーの「短縮」シーズンが始まる。オーナー会(雇用者)が選手会(組合)をロックアウトして、泥沼的な交渉が続いていた。労働争議といっても、何億円という年俸をもらうスター選手たちが「労働者」というのは想像しがたいけど、プロスポーツはビジネスそのものだからストもロックアウトも起きる。ロックアウトの間、選手たちは自主トレしていたんだろうけど、かなりのスター選手がヨーロッパのリーグで出稼ぎプレーしていた。結局のところ割を食うのは紛糾の当事者たちではなくて、競技施設やその周辺のレストラン、バーで働く低賃金の人たちだから、何だかなあと思うけど。メディアとホッケーファンは欣喜雀躍といったところで、試合のあるアリーナ周辺には行列ができ、メディアも早くもどのチームが優勝するかと予想合戦。何となくローマ帝国の末期もこんな様相だったのかなあと思わないでもない。

ニューファウンドランドの大学で、学生たちの地理の知識に疑問を持った社会学の教授が簡単なテストをしてみたら、「地図を読めない」大学生が多数だったそうな。イギリスやフランスがどこにあるかと聞かれてアフリカ大陸の中に印をつけたり、ヨーロッパはどこかと聞かれて南アメリカに印をつけたり、地図の三大洋の名前を聞かれて答えられなかったり(毎日大西洋を見ているというのに)、世界地図なんか見たことがないのかと思うくらい。小学校の教室に世界地図を貼っていないのかな。貼ってあるけど興味を持つ子供がいなくなったのかな。外へ出ればどこにいるか知らなくても道を教えてくれるGPSという便利な道具があるし、家の中ではテレビやモニターに世界中の出来事がほぼリアルタイムで映し出してくれる。今どき世界地図なんか無用の長物で、ニュースで「マリ」とか「アルジェリア」と聞いても、地図帳を開いてどこにあるのか探す人はいないだろうな。だって、目の前のモニターにちゃんと「ある」じゃないの、ねえ。

テストをした教授は「ニュースに出て来る国が世界のどこに位置するかを知らないで、どうやってそこで起こっていることを歴史的、文化的背景の視点を持って見ることができるのか」と言っていた。地理的な視点も歴史的な視点も、人間の世界観に奥行きを与える不可欠の要素だと思うけど、インターネット時代の今どき、モニターという平たい板の上に表示される情報にはもはや時空間的な奥行きはない。隣町で起こっていることも、地球の反対側で起こっていることも、今現在の情報も、10年前の情報も、一様に平たい画面に表示され、しかもその画面は日に日に小さくなっている。すべての情報がモニターという目の前にある平たい板に「今」映し出されているものであり、すべてが時間も距離も剥ぎ取られて「今」という一点に凝集しているように見える。もしかしたら、人類はしだいに時空間の観念を失いつつあるんじゃないかと思う。

読み終わった『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の最後のセクションはカリフォルニア工科大学での卒業式の式辞。題して「Cargo Cult Science(カーゴカルトの科学)」。ひょっとして21世紀の世界には一種の「カーゴカルト」が蔓延りつつあるのかもしれない。そう思うと、人類の未来に漠然とした不安を感じるけど、政治家でも評論家でも学者でも活動家でもなく有名人でもなく大学教育も受けていない「一介の人間」であるワタシが何を考え、何を言ったところで、モニターの後ろのただのノイズなんだろうな、うん。

人類はやっかいな動物だ

1月20日。日曜日。2人ともかなりよく眠って、起床は正午過ぎ。何となくもや~っと霧っぽい。ポーチの温度計はプラス5度。東京にはまたぞろ雪が降るという予報が出ているようだし、ロンドンやパリでは大雪で空の便が大変なことになっているらしい。でも、今日のワタシははもろにオフィスにこもっての仕事日・・・。

BBCとロイターズが、アルジェリアの天然ガス施設を襲った武装勢力がイギリス人の人質を脅して「探しているのはアメリカ人。(アメリカ人でなければ)殺されないから出て来ても大丈夫」と隠れている外国人たちに呼びかけさせたと報じていた。その後そのイギリス人は「用済み」になって殺されてしまったらしい。呼びかけを聞いて隠れていた人たちの相当数が外へ出たという報道が真実だとすると、武装勢力は(特に9・11以来の)人間心理の底流を理解していたということで、聖戦を隠れ蓑にした砂漠の無法集団といえども侮れないということだな。「自分はアメリカ人ではないから助かる」と安心して出て行ったとしたら、人間が多かれ少なかれ心の奥深くに閉じ込めている不都合な感情が恐怖の極限で檻を破って出て来たということなのかな。もちろん、極限状態に置かれた人間の心理は平穏な日常を享受している人間には想像もつかないし、そういう状況での判断の是非を問う資格はないんだけど、つくづく「人類」と言うのは恐ろしい生物だと思った。帰って来ない人たちに、鎮魂・・・。

自分も間違いなくその人類に属する生物なんだけど、とかく人間と言うのはまあ何とやっかいな動物なんだろうと思うことが多い。第二次世界大戦後の数十年の間に人間の理性によって合理的な民主社会が可能になったように見えたのは、悠久の人類史の中の突風的な「異常」だったんじゃないかとさえ思えて来る。ワタシ個人としては自分に可能な限りの広い視野を培って、「Live and let live(共存共栄)」の精神でなんとか「真っ当な」人間として存在したいと思いはするけど、どうあがいても平和運動家にも、社会活動家にも、環境保護運動家にも、国際政治家にもなれそうにない。たぶんなりたいと思わないんだろうけど、かといって人間界の出来事に心を動かされないわけではないし、人間不信とか人間嫌いでもない。だって、自分も人間なんだから、人間不信は自分さえ信じられないということで、それじゃあ生きて行くのが辛そう。内向きだなあと思うけど、少なくとも他の人間を暴力や脅しや心理的圧力で自分の意に沿わせようとしない(と思う)のがせめてもの救いになっていればいい。ま、裏返せば「自分は自分(Live and let live)」主義のちっちゃな人間だと言うことになるのかもしれないけど。

アメリカの大統領就任式は明日だと思っていたら、今日ホワイトハウスで宣誓式があったというニュース。何でもアメリカ合衆国憲法が大統領の任期が「1月20日」から始まると規定していて、新大統領はその日の正午までに就任の宣誓をしなければならないんだとか。しないとどうなるのかは知らないけど、今回はその日が日曜日なのでホワイトハウスで内輪の宣誓を済ませて、祝日(マーティンルーサーキングJrデイ)の明日改めて議事堂の前で集まった市民に囲まれて「宣誓式」をすることになったそうな。アメリカも国の内外で何かと問題を抱えてタイヘンな時代だから、オバマ大統領もエライ仕事を選んだもんだな。国内を見ると、財政、予算、外交、銃規制などなど、議会(国民の意見)が真っ二つに分かれての角突き合いで、これじゃあ決められない政府じゃなくて「決まらない政府」になってしまいそう。

でも、テレビを見ていたカレシがいみじくも言ったもんだ。「政治があれだけ二極化しても、国中に何億丁もの銃がごろごろしているのに内戦が起きないのはエライ。他のところだったら反対派が武装して、国中で政府側と銃撃戦をやっているところだ」。そうだなあ、曲がりなりにも民主主義を機能させているということだろうな。国を二分して100万人以上が死んだ南北戦争に懲りて、そこから学んだこともあるだろうと思うけど。それにしても、武装して政権を乗っ取ろうとする勢力がいない穏やかな民主主義国って、世界にどれくらいあるんだろう。人類が文明開化して以来、そういう穏やかな国・地域・民族は増えているのか、減っているのか・・・。

夢の中での体験

1月21日。月曜日。起床は正午直前。外はすごい濃霧。普通にベッドに入って、半分も眠らないうちに、怖い夢を見て目が覚めた。あまりにも鮮明だったので、心臓はドキドキしているし、続きを見そうな予感がするしで、なかなか眠りに戻れなくて、おかげでちょっと寝たりない気分。正体不明の「黒いもの」に追い回されて、殺されると覚悟する怖い夢をよく見たのはずいぶん昔の話だけどなあ。でも、楽しい夢は起きたとたんに忘れてしまうのに、怖い夢はいつまでも覚えているのはどうしてなんだろうな。

自分が殺された夢を見たこともあったけど、あれは夢の中で体外離脱を経験したということなんだろうか。夢の中でも臨死体験のようなものがあるのかな。あるとすれば、あんがい肉体の死ではなくて魂の死なのかもしれないな。現実の臨死体験では「光」に遭遇することが多いそうだけど、ワタシがそういうスピリチュアルな意味で「光」に遭遇したのは創作クラスで瞑想しているときだった。自分の奥深くにあるストーリーを書き出すのが狙いのクラスだったので、いつも最初に目を閉じて先生の声に導かれながらそれぞれの心の奥にある「サンクチュアリ」へ降りて行った。その日はそのサンクチュアリに「誰かが会いに来ていますよ」と言うことだった。でも、ワタシの目の前に現れたのはつかみどころのない白い「光」。その光が(女の子の声で)「I knew I’d find you here」と言った。確かにそう聞こえた。「ここならきっと見つかると思っていたの」と。

先生の言葉で我に返って、思い浮かぶまま夢中で書きなぐったストーリーは、身も心もぼろぼろになって暗いところに座り込んでいる「女」が女の子の声の「光」と出会い、誰かと聞いたら「あなたよ」と言われ、その光にせがまれて「あの歌」(アヴェマリアだった)を歌っているうちに、ぱあっと開けた大空に舞い上がって、やがて光の女の子(逸れて迷子になっていた自分)とひとつになる・・・という荒唐無稽なものだった。たしかにストーリーは支離滅裂だったけど、あの出会いの体験は本当だった。本当だったから、そのクラスが終わった後で先生のプライベートスタジオに2ヵ月通って、夕鶴のおつうのように身を削って書き上げた一連の抽象画的な「シーン」がワタシの「Deconstruction & Reconstruction(解体と再構築)」のプロセスになったんだと思う。自分が殺される夢を見たのはたぶんその頃だったかもしれないな。

夢の中で眠りに落ちて、そこで夢を見ていて、その夢から覚めて「ヘンな夢を見ちゃった」とそばにいた人(親しい友だち)に話している最中に本当に目が覚めたこともあったな。夢の中で夢を見たことは覚えていたけど、どんな夢だったかは忘れていた。小さいときに家にあった「明治粉ミルク」の缶に描いてあった女の子が持っていた「明治粉ミルクの缶」に「明治粉ミルク」を持った女の子」の絵が書いてあって、その女の子が持っている「明治粉ミルクの缶」に・・・「明治粉ミルクの缶」がどこまで続くのかと聞いて母を困らせたもんだけど、夢の中で夢を見ている夢を見ている夢を・・・人間の心理は何層になっているのかな。底の底があるのか、それとも無限に続くのか・・・。

人間は夢や瞑想の中で、霊的なというのは大げさだとしても、けっこう形而上学的な、不思議な体験をするものらしい。それを信心深い人だったら(神様のお告げとか)霊的に解釈しようとするかもしれないし、「考える人」だったら拳骨に顎を乗せて哲学的に解釈しようとするかもしれないし、理屈っぽい人だったら心理学的に解釈しようとするかもしれない。信仰心も宗教心も持たないまったくの無神論者だって眠れば夢のひとつやふたつは見るはずだけど、どんな解釈をするんだろうな。何らかの意味合いのようなものを見出すのかな。ニヒリストだったらどうなんだろうな。ニヒリストだって夢くらい見るんじゃないかと思うけど、目が覚めた時点できれいさっぱりと忘れてしまうのかな。なんかもったいないような気がする。たしかに、怖い夢はその方がいいとしても、ワタシとしては楽しい夢やスピリチュアルな意義のありそうな夢は見たいと思うけどな。そうすると、「夢見る夢子さん」の定義がまったく変わってしまうかなあ・・・。

カルチャーの香りと魚の匂い

1月22日。火曜日。起床は正午。やっと霧が晴れた。きのうの夜コンサートから帰って来たときは視界が50メートルもあるかと思うくらいの濃霧で、道路標識も近づくまで見えないから、さすがのカレシも大きくカーブした道路やトラフィックサークルを回るのにいつもよりは慎重な運転。それでもちょっと怖かったくらいで、五里霧中とはまさにこのこと。でもまあ、中国の猛烈スモッグに比べたらただの霧だし、海の塩を含んでじっとりと重く感じた釧路の夏の霧とも違って、バンクーバーの冬の霧はきめが細かくて軽い感じがする。

ゆうべのコンサートのメインはジョン・キムラ・パーカーが弾くグリーグの『ピアノ協奏曲』。経歴に間違って「アメリカ生まれ」と書いてあったりするけど、れっきとしたバンクーバーの生まれ育ち。おじさんとお母さん(ケイコさん)がピアノの先生ということで、弟のジェイミーも、従弟のイアンもピアニスト。でも、3人の中ではこの人がやっぱり最年長の貫禄で一番うまいと思う。顔を紅潮させての熱烈な演奏は、つい引き込まれて、身を乗り出して、息を止めて聞き入ってしまうくらいの迫力で、カレシもかなり身を入れて聞いていたくらい。もっとも、休憩後のプロコフィエフの『交響曲第5番』は、カレシには「前衛的」すぎて、「いつになったら終わるのかと、そればっかり考えていた」。でも、居眠りしてなかったねと言ったら、「あれだけ打楽器を鳴らされて、居眠りなんかできるわけないだろ」とのこと。ごもっとも・・・。

今日は仕事日だけど、何となく気合がかからない。きのうの夕方に半分ちょっと納品して、残りは3000文字くらい。まあ、最終期限が明日の夜だから、まだ余裕はあるか。メールをチェックしていたら、Arts Club劇団から来週水曜日にあるオープニングナイトの座席のお知らせ。いつも何だかんだ機会があるたびに寄付しているし、今年はグランヴィルアイランド劇場の座席を新調するのにワタシとカレシと2席分寄付したので、いつの間にかけっこうな金額になって、「Artistic Director’s Circle(芸術監督サークル)」という優待者名簿に載ってしまったらしい。前回は舞台裏ツアーだけで芝居は別の機会にしたけど、今回は招待客用に良い席をブロックしてあるというので芝居も一緒に見ることにした。割り当てられた座席は前から3番目のほとんど中央。へえ、寄付すると税額控除できるだけじゃなくて、気前よく出せば何かとおもしろい特典があるんだ・・・。

でも、ゆうべは普段のウォーキングシューズを履いて行って、コンサートの後でついでの買い物をして来たら、それほど歩いたわけではないのに捻挫した足が痛み出して、今日はまた少し腫れてしまったから、おめかししてのレセプションは無理かな。ヒールは完全にアウトだけど、まだ1週間あるからペッタンコの靴なら履けるようになるかな。ならないかな。ちょっとググって見たら、靭帯だけではなくて腱に炎症が起きているからいつまでも腫れが引かないようなことを言ってたけど、カレシの言うように一度クリニックに行って診てもらった方がいいのかな。でも、たかが足の中指1本で、何かめんどうくさいなあ・・・。

さて、仕事は夕食後ということにして、今日の夕食はゆうべ初めて見て買って来た「陸上養殖」の銀ザケ。海の中に囲いを作ってのサケの養殖ではよく餌による海洋汚染や寄生虫の問題が起きるけど、陸上に大きなタンクを作って淡水で養殖すると、海洋汚染も寄生虫の心配がないし、餌や健康の管理も行き届くので、環境に優しい養殖方法だそうな。ただし、海に下って育った野生の鮭とは餌が違うこともあって、味はタイセイヨウサケに近く、魚臭さがないという話。そうだなあ、サケを料理すると、いつまでもキッチンに魚の臭いが残っていることが多い。値段は養殖のタイセイヨウサケと同じくらいだそうだし、ものは試し。身はわりと締まっている感じだけど、鼻を近づけて嗅いで見ると、たしかに魚っぽくない甘みのある匂い。味は食べてのお楽しみ・・・。

りんごとオレンジの比べ合い

1月23日。水曜日。雨。ああ、やっと雨になった。気温が上がったということで、今度はずっと雨模様の予報だけど、少なくとも雪よりはずっといい。朝食をしながらテレビの昼のニュースを見ていたら、大陸の東側ではカナダからアメリカにかけて猛烈な寒波。トロントの最低気温はマイナス20度、モントリオールはマイナス26度。内陸のプレーリーやアメリカ中西部はマイナス40度に下がったところもあるそうで、気温がプラスの予報なのはバンクーバーくらい。やあい、あっかんべえ。でもまあ、ワタシはマイナス36度を経験したけど、マイナス20度まで行ったら、後はいくら下がっても感覚は同じような気がするな。

家の中は快適すぎるくらい快適だから、今日は外に出ないで、仕事の残りに精を出すことにした。というよりは、午後10時が期限なのに、何とも扱いにくい表が何ページも続いているから、精を出さないことには間に合わない。日本語から翻訳した英語文が元の日本語文と同じ長さになることなんてないけど、そこを割引しても、Power Pointのスライド構成もWordの表機能の使い方もイマイチという印象。日本人は「形」を扱うのが得意だと思っていたけど、意外とそうじゃないのかもしれないな。もしかしたら、頭の中に「4百字詰め原稿用紙」のテンプレートが刷り込まれていて、文を書くときはやっぱりどうしても縦20文字、横20行の思考になってしまうのかな。同じ意味の文でも、書いてみると日本語よりも英語の方が長くなる(スペースをとる)のが普通で、それは表意文字の漢字と表音文字のアルファベットの違いによるものだと思うけど、つまるところ、日本語と英語はapples and oranges(りんごとオレンジ=水と油)だから、比べてもしようがないか。

そのりんごとオレンジを比べて、「どっちが便利だ/不便だ」とやっているトピックが小町にあって、読んでいるとけっこうおもしろい。質問は「英語を母国語並みに扱える」人に向けられたもので、英語に関して、「複数形は必要か」、「表音文字しかない言語は使いやすいか」の2つ。日本語しか知らないが、質問1については一瞬たりとも日本語に複数形があったらいいのにと思ったことがなく、「人類の言語に複数形はなくてもいいのではないか」と思うし、質問2については、日本語は表音文字のかなと表意文字の漢字が極めてバランスよく配置されていて非常に読みやすいように思うが、「表意文字は便利だと感じるものなのか、難解にするだけのよけいなシステムなのか」。質問自体が何を知りたいのかよくわからないんだけど、いくら母国語並みに扱えると言っても、バイリンガル環境に生まれたのでなければ、所詮は外国語として英語を習得したわけで、その過程で感じた100%主観的な評になるのは当然だろうな。そもそも、英語を母国語並みに扱えるから、英語を母国語並みに理解しているとは限らないんだけど。

でもまあ、日本語が母語の人たちが自分たちの母語ではない、まったく異なる英語について複数形の要不要、表音文字の便不便を日本語基準で論じていると、結局は「だから日本語の方が優れている」という流れになって来るからおもしろい。いうなれば、りんごとオレンジを比べて、りんごは種が芯の中にあって邪魔にならないけど、オレンジは散らばっていて食べにくいから、りんごの方が優れていると言うようなもんだけど、どうも最近は掲示板のやり取りにも「だから(人、文化、思考その他諸々を含めて)日本の方が優れている」と言う含みのある意見の投稿が増えて来ているようで、ここにもある種のナショナリズムが芽を出しているのかな。でも、まったく異なるものをよく知らないで(あるいは主観的な先入観を持って)自分が慣れ親しんでいるものと比べて優劣をつけてみても、どうなるってもんじゃないだろうにな。仮想的な優越感でシアワセな気分になれるというのなら、良かったねえとしか言いようがないけど。

もしも、英語しか知らない人が日本語について「複数形がないのはおかしい」、「漢字、ひらがな、カタカナが混じっていてめんどうくさい」と言ったら、どういう答が返って来るかな。まあ、英語しか知らない人は、複数形は不要だと言われても、表音文字の英語は文字を見て意味を理解できる日本語に比べて使いにくいと言われても、英語しか知らないんだから何とも答えようがないんじゃないのかな。ふと、個々には意味をなさない文字の組み合わせで意味を伝える表音文字文化とは違って、表意文字の漢字は個々の文字を見ただけで意味が伝わるようになっているから、正確な「形」がことさら大事なんだろうし、「言わなくてもわかってくれるはず」のコミュニケーション文化が生まれる土台にもなったのではないかと思ったけど、どうなんだろうな。ワタシにとっては、英語は英語、日本語は日本語。そもそも何のためにりんごとオレンジを比べるかがわからないから、もう一度読み直してみようか・・・。 

両手にますかけ線というのがあると運が良いらしい

1月24日。木曜日。午前11時半に目覚まし。せっかく何かおもしろい夢を見ていたのに、バタバタと起きたら忘れてしまった。残念。今日はカレシが英語教室ダブルヘッダーで忙しい日。ワタシは仕事が終わったから「遊びモード」。外は雨模様。キッチンに下りていったら、カレシが「足を見せろ」というので、ほらっと右足を突き出しら、「まだ少し赤いし、何か腫れてるなあ」。月曜の夜に靴を履いて出かけら痛みがぶり返して、火曜日は1日中痛かったけど、きのう1日中テーピングしておいたら、ほとんど普通に歩けるようになった。今日は調子がいいから、この分ならクリニックに行かなくても、テーピングとマッサージで間に合うんじゃないかと思うけど。「う~ん」と首をかしげるカレシ・・・。

携帯が見つからない、ティッシュを忘れたとひと騒ぎのカレシを送り出して、飛び込み仕事がないようにと(仮想的に)指をクロスしながら、メールをチェックしたら、劇団の個人寄付担当のパルミーダさんから「来週の金曜日にお茶しませんか」みたいなメール。創立50周年記念のいろいろな行事の計画を聞かせてくれるとか。へえ、高額寄付者になっちゃったおかげでこの待遇。まあ、年金が入って来たら、その分の仕事の収入は「遊び資金」ということにして、寄付は続けるつもりだし、遺言状の中にも遺贈先として入れるつもりだし、いずれ仕事よりも遊びの割合が決定的に増えたら劇場の案内係か何かでボランティアしたいなと思っていたから、いいタイミングでこっちからもいろいろと聞いてみようっと。

遊びモードになると気が緩むのか、何かやらかすのがワタシの癖。引き出しに手を挟んでイタタッ。ごしごしとさすりながら、ふと手を見て思い出したのがワタシの「ヘンな手相」。勤め人だった頃にアシスタントとして雇ってくれたワーホリのオンナノコが、どういう経緯だったか覚えていないけど、ワタシの手の平を見て、「ヘンなのぉ~」。何がヘンなのかと思ったら、親指と人差し指の間から始まる2本の線が離れていることで、「ふつうははしっこがくっついてるもんだよぉ」と。たしかに、2本の線は右手も左手もかなり離れているけど、それが何か?「そのてそう、すんごくかわってるぅ」。てそう?手相って、昔よくおいじさんが道路際に椅子とテーブルを出してやっていた、当るも当らぬも何とかのあれ?へえ・・・。

あのやり取りを思い出して、よく手のひらを見てみたら、たしかに、両方とも離れた2本の線の上の方のが手のひらの真ん中あたりでその上にあるもう1本の線と鉄道の切り替え線路のような線でつながっている。へえ、これが変わった手相なのか~と思ってググってみたら、手相の説明や運勢占いのサイトがぞろぞろ出てきて、手のひらに縦横に刻まれている大小のしわしわにみんな名前が付いているから驚き。遊び半分でちょこちょこ調べてみると、離れている2本の線は上が「知能線」で下が「生命線」、小指側から伸びている一番上の線が「感情線」というらしい。生命線と知能線が起点から離れているのは「積極的、大胆、人から指図されるのが嫌い」で、離れているほど「人が思いつかないようなことを考えたり、やらかしたりする」タイプだそうな。で、なんと「国際結婚向き」なんだとか。へえ・・・。

ちょっと下向きの知能線とやや上向きの感情線の間をつなぐように橋渡ししているほぼ水平の線は「ますかけ線」と呼ばれる線の一種らしい。左手にも右手にも同じようにあって、左手の方を横にしてみると「N」の真ん中の斜線のように見える。このますかけ線とやらが小指側では感情線と重なり、親指側では知能線と重なっていて、2本の線が上と下に枝分かれするところが「操車場の線路」のように見えているということらしい。あちこちで見たますかけ線付き手相のイラストを総合してみると、ワタシの手には「二重感情線と二重知能線を持つますかけ線」があるということになるらしい。両手にある人はあまりいないということだけど、どうやら良くも悪くも波乱万丈の人生が運命付けられているらしい。うへっ。

まあ、これまでのワタシの人生は波乱万丈だったかと聞かれたら、仮死状態で、おまけに左利きに生まれて来てこの方、そうだったのかもしれないとは言えるかな。だけど、もう少しで65歳になるんだから、これから先はもう波乱万丈は願い下げにしたいもんだな。まあ、運気とやらの波が激しい手相だとしても、ますかけ線があると強運がついて回るそうだから、それで波乱万丈を乗り切って来れたんだとすれば、ワタシのヘンな手相は神さまの賜物というところか。鰯の頭も何とかと言うことだし、たしかに何かと運が良かったと思える人生、幸運に感謝して、残る年月を大事にしていかなきゃ・・・。

別れてもなお・・・

1月25日。金曜日。また楽しい夢の途中で起こされた。今度は目覚ましではなくて、カレシ。「リサイクルボックスを出しておくのを忘れた」と。あ、今日はごみ収集の日だったのか。収集車の音で目が覚めなかったけど。「さっき通ったから目が覚めたんだよ」とゴミ出し担当のカレシ。ゴミの容器は一杯になっていなかったので、今日はリサイクルボックスだけ出すようにしたのに、結局出し忘れたんだとか。ま、来週でもいいよねと言っていたら、朝食中にリサイクルトラックがガチャン、ドシャン。「なんだ、こんなに遅く来るんだったら、起きてすぐ出したのに」とむくれるカレシ・・・。

今日のテレビはちょっとした騒ぎ。ケベックの大富豪と別れた女性が扶養料と財産分与を要求していた訴訟で、カナダ最高裁判所がケベック州は事実婚のカップルに法律婚の場合と同じ権利を与えなくても良いという判決を出した。この世界的に有名な大富豪は7年も同棲して3人の子供を生んだ女性に対して、法律上は結婚していなかったのだから、扶養料も財産分与も必要ないと主張していた。(ただし、養育費は潤沢に払っているらしい。)ケベック州では事実婚のカップルの割合が全国の倍の30%にもなるのに、州の民法は事実婚を「婚姻」と認めていないのがそもそもの問題。カナダでは、多少の違いはあってもだいたいどの州でも法律婚も事実婚も同性婚も同じ「婚姻関係」として扱っている。だから、同棲して「事実婚」と認められれば「配偶者」として永住権を取れるわけだけど、ケベックではもし別れても一銭ももらえないことになり得るな。最高裁判所の判断が同等扱いしている他の州に何らかの影響を与えるのか、それともケベック州が民法を改正して他の州に倣うのか。はて、どうなるのか。

まあ、法的に結婚してもしなくてもカップルのお金に関しては扱いが同じなら、いつでも別れられるし、事実婚のままで子供が生まれても嫡出子と非嫡出子を差別的に扱う法律もないから、法律婚そのものの影が薄くなって来ているんじゃないかな。ワタシなんか、結婚を民事契約制度にしたらいいんじゃないかと思っているくらいで、そうしたら、法律婚も、事実婚も、同性婚も、みんな「契約婚」。婚姻契約書に互いに違反したらどのような処置を取るかを決めておいて、証人を立てて盛大な調印式をすれば後々簡単だろうと思うけどな。(現実にはそうは簡単にいかないだろうけど。)

カナダでは、結婚するために「結婚法」という法律のお世話になって、離婚するためには「離婚法」という法律のお世話になるわけだけど、「離婚法」の条文の方が「結婚法」の何倍も長いからおもしろい。子供の処遇や親権のこと、財産のことなど、当事者の間で取り決めることが多いからだと思うけど、原則として「破綻主義」が基本なので、日本のような有責配偶者とか慰謝料といったものはない。もっとも、くっつくのは簡単だけど離れるのは大変だという点ではどこでも同じなんだろうけど。それにしても、訴訟で仮に「エリック」と名づけられた億万長者の男性、10億ドル(約1千億円)と言われる資産があるのに、ちょっとケチすぎやしない・・・?

捨てて良いごみ、捨ててはならないごみ

1月26日。土曜日。起床は午前11時55分。「朝のうちに起きるか」とカレシ。だいたいは曇りで、ときどき晴れそうになったり。天気予報では来週には最低気温が5度くらいまで上がるらしい。もうすぐ2月なんだから、そろそろ春の気配がしてもいい(陽気が良ければ気の早い桜が咲き出してもいい)頃だけど、厳しい冬が多かった1980年代にはバレンタインの頃にマイナス二桁ということもあったから、油断はならないか。

今年から2月に新しく何だか趣旨のよくわからない州の祝日(第2月曜日)ができたので、市役所から送られて来ていた新しいごみ収集の予定表に切り替えようとしたら、普通なら1年分なのになぜか5月の半分までしかない。あれっ?と思って説明を読んだら、ゴミ収集のルールが変わるとのこと。バンクーバーのごみ収集は週1回で、祝日ごとに1日ずれて行く仕組みなので、ちょっとばかりめんどうくさい。それで、毎年今ごろに市役所から年間の予定表が送られ来る。市を南地区と北地区に二分して、それぞれの地区をさらに月曜日から金曜日に対応する5つのゾーンに分けて色分け表示してある。我が家は「南地区の緑ゾーン」で、新ルールがいの一番に5月8日から実施される。

改めて送付される予定表に切り替わったら、家庭の生ごみを一般ごみ容器に入れるのが禁止されて、「グリーンカート」と呼ばれる植栽ごみ用の容器に入れることになり、一般ごみの収集は隔週(グリーンカートとリサイクルは週1回)になるということだった。2020年までに「最もエコな市」の栄冠?獲得を目指して、家庭の食べ残しや食品の調理くずを堆肥生産にリサイクルしようというのが狙いで、一般ごみの容器に捨てられなくなるのは、生や調理済みの野菜や果物、ティーバッグ、コーヒーのかす、肉や魚、骨、パスタや麺類、穀類、パン類、乳製品、食品で汚れた紙容器やペーパータオル、ナプキン、その他。どれも(生物分解するものや堆肥化可能なものも含めて)ビニール袋は入れずにそのままグリーンカートに入れなければならない。ということで、後日市役所からキッチンカウンターに置ける生ごみ用の容器が配布されるとか。へえ、親切だなあ。

料理しながらごみを分別するのはちょっとめんどうな気もするけど、専用容器も無料でくれるんだし、ごみ埋立地が満杯にならずに済んで、堆肥の大量生産で化学肥料の使用量が減るならいいか。でも、ゴミ容器とグリーンカートからの収集は運転手がトラックの中からリフトを操作するので、禁止されたものが入っているかどうかなんて実際にはわからないと思うけどな。監視カメラがあっても、ビニール袋や不透明な空き袋なんかにごちゃっと入れたら、逆さまになった容器の中身がどさっとトラックの中に落ちる一瞬に「生ごみだ!」なんて見分けられるはずがない。空港ではよく麻薬や肉類を嗅ぎ出す犬がいるけど、まさか、いちいち犬に嗅がせるわけにもいかないだろうし、どうやって違反を監視するのかな。ごみ捨てホットラインなんかを作って、違反したご近所さんを通報させるのかな。やだなあ、よその家の臭いごみ容器をのぞいて回る人なんか、いるの?

まあ、我が家は生ごみのほとんどを庭で堆肥にしているもので、一般ごみとして出す量は極端に少ないし、紙類はほとんどをリサイクルに回すので、収集の日に一般ごみの容器を出すのも普段から隔週か、ときには3週間に1度でしかない。(その代わり自分たちでリサイクルデポに持って行くつもりの紙や雑誌の類が家中にどんどんたまって困るけど。)まあ、新ルールでも不便するわけではないけど、実は我が家では野菜や魚を庭で堆肥にしているもので、ごみ収集の機械化で、各戸に専用のごみ容器が配布されたときに、カレシが置く場所がないからいらないとごねたもので、(収集料を払っているのに)グリーンカートを受け取っていない。ごみの中には堆肥に入れたくないものもあるだろうし、寒さで虫が不活発になる冬には堆肥化のペースが落ちて生ごみが余るかもしれないから、もらった方が良さそう。ということで、カレシを説得する意気込みでそう提案したら、「あ、レーンに出しっ放しにすればいいから、月曜日にでも電話しとくよ」。は?あのとき、あんなにごねたのに・・・?

自分の考えと違うからって、それはないでしょ

1月27日。日曜日。起床は午前11時55分。ちょっと眠い。なぜかうまく寝つけなくて、1時間おきくらいに目が覚めていたような感じ。どっちに寝返りをしても、仰向けになっても、どうしても体がしっくりしない。どうしてなのかわからないけど、時たまそういうことがある。別にいつもと変わったことはなかったんだけど。

今のところ仕事がないから、とりあえず朝食後はしばしの読書でのんびり。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』が終わったので、今度はビル・ブライソンの『Notes from a Small Island』(『イギリス見て歩き』というタイトルで日本語訳が出ているらしい)。前に読んだ『The Lost Continent: Travels in Small-Town America』は故国アメリカでの失われた原風景探しの車の旅だったけど、こっちは一家でアメリカへ移り住む前に今一度イギリスを見ておくためのひとり旅。ドーヴァーに始まって、ウェールズからスコットランドの北の端まで、イギリスに「居場所」を見つけたアメリカ人がしっかりイギリス英語表現で書いている。

朝日新聞を見たら、アルジェリアの人質事件の実行犯にカナダ人がいたというアルジェリア政府の発表を報道していた。それ、もう1週間近く前の発表だけどなあ。無料で読める部分までの記事には、カナダにはケベック州を中心に多数のアルジェリア出身者が住んでいて、過去にもイスラム過激派やアルカイダ系のテロリストがモントリオールを拠点に活動していたと書いてある。わざわざ説明しているのは、日本人はカナダが多民族国家であることを知らないと思ってなのか、あるいは日本人が一般的にイメージしている「カナダ人」のことじゃないよと言いたかったのか。カナダのメディアは「カナダ人」としか報道しなかった。まあ、ワタシたちにはその「カナダ人」の民族的・宗教的背景はすぐにピンと来るんだけど、アルジェリア人とかモスレムとかは公に言わないし、ポリティカリーコレクト(政治的に正しいこと)じゃないという暗黙の圧力を感じて言えないようなところもある。

たしかに、人種や民族の如何を問わず、カナダの市民権を持っていればみんな「カナダ人」であって、差別や迫害は言語道断。そうなんだけど、「○○系」カナダ人とハイフンをつけて民族の文化的、宗教的アイデンティティを前面に押し出すように推奨していたのは誰だったかな。(白人以外の)マイノリティにカナダの社会や文化への同化を期待するのは(白人の)傲慢であり、ポリティカリーコレクトではないと主張した、いわゆる「活動家」と称する人たちだったな。ワタシからすれば、「ハイフン付きカナダ人」を押し付ける思想こそ差別や疎外を助長するものに思えるんだけど。でも、強制連行されて来たのならともかく、カナダの開放的な移民制度を利用して自由意志で移住して来た人たちに、カナダの文化や習慣を尊重してほしい、いずれは同化して「カナダ人」になってもらいたいと期待するのがどうしてそんなに傲慢なのかなあ。故国の宗教や文化を捨てろとは言ってはいないのに、逆に故国の習慣や風習、法律にそのまま従って生活をする権利があると言う方が傲慢だと思うけど、そういうことを口に出して言うと、いわゆる人権活動家に「ポリティカリーコレクトじゃない」と攻撃されるんだろうな。やっかいな世の中になったもんだと(心密かに)思う。

何にしても人間世界には少なくとも二通りずつあるもので、人権活動家にも二通りある。本当に真剣に虐げられた人たちのことを思いやって命がけで活動している人たちと、自分の思想や行動の正しさと崇高さに自己陶酔して社会を見返そうとする人たち。オタワのカールトン大学の「自由言論ゾーン」に立っていた誰でも何でも書き込める掲示板を「妥当でない意見がある」という理由で破壊した、人権問題専攻で大学生を7年もやっている「キャンパス活動家」のスミスという学生は後者の典型例だろうな。7年かけて悟りを開いたのか、あるいは7年もかけてまだ人権とは何かを理解するに至っていないのか。どっちしても7年も大学生をやっているうちに、自分の思想は唯一正しいものであり、それに同意しないのはすべて偏見や憎悪に満ちた人でなしか狂信家であり、異論はすべてhate speech(憎悪発言)だという思考に固まってしまったんだろうな。

人権活動家を自称して「言論の自由」を封じるという矛盾に陥っているわけで、大学というのは言論や思想の自由を守る砦であって、そういう金縛りにあったようなナルシシスト的思考を育てるところじゃないと思っていたけどな。まあ、ソ連を初めとする「人民の政府」があの頃「西側」と呼ばれた欧米よりも言論や思想の統制に熱心だったから、やっている本人も自分の思考が擁護しようとしている人権の蹂躙、ひいては全体主義につながるものだとは考えたこともないだろうと思うな。別の角度から見れば、自分の考えは絶対に正しいんだから、異論はすべて誤り(ポリティカリーコレクトではない)、つまり、是か非か、可か否か、白か黒かという、二者択一しかしない「デジタル思考」が根底に潜んでいるんじゃないかという感じがしないでもない。

ジャストインタイムにはぎりぎりでもある

1月29日。火曜日。正午を大きく回って目が覚めた。ああ、のんびり寝ていられないのに。今日は午後4時が期限の仕事が残っているのに。2時間はかかりそうなくらい残っているのに。ということで、夢心地のカレシを肘鉄で(やさしく)起こして、せわしない1日の始まり。

日曜日の夜遅く(つまり、月曜日の丑三つ時)、日本時間では月曜日の午後に飛び込んで来た仕事。原稿を見て、あ、契約書か。さして込み入った内容でもなさそうだから、お安い御用。この稼業23年の間に、英日、日英の両方向でいったい何百件の契約書を訳したことか。そう思ってそのまま店じまいして寝てしまったのが運の尽き。起きて仕事にかかろうと思ったら、カレシが「トラックの保険を更新しに行こうと思うけど、歩けるか」と聞いて来る。家の中ではいいけど、靴を履いて歩くのはまだちょっと。(保険の更新くらい、ひとりで十分でしょうが。)新聞サイトを見たら、あらら、VISAのネットワークがダウンして、カナダ中でクレジットカードを使えない状態になっているらしい。じゃあ、今日は仕事をがんばるから、保険と買出しは明日にしよう。

仕事モード100%になってしばらくしたら、テレビの前でごろごろしていたカレシが「VISAの障害は解決したらしいよ」と報告しに来た。良かったね。何しろ、買い物でカードが使えなくて、手持ちの現金がなくて困った人たちが万の単位でいたらしい。(空港でカードが使えないために手荷物の料金がタダになったというラッキーな人もいたらしいけど。)世の中、便利さは人間が望んできたことではあるけど、何でもかんでも便利になればなるほど、その便利が消えたときの不便さがひどくなるな。半分上の空で返事をしながら仕事の方に(半分)集中していたら、急に「保険を更新して、ついでに野菜を買って来ようよ」とカレシ。う~ん、そういえば、ワタシも野菜が不足気味だなあ。

仕事の方は順調だし~ということで、「ま、いっか」の精神でお供することにした。ところが、いざ出かけるとなったところで、エコーのバッテリがほぼ上がっている。もうちょっとでエンジンがかかりそうで、なんかしょぼい音がしてかからない。あ~あ。「金曜の夜には大丈夫だったのに」と大むくれのカレシ。それでも、家に戻って、トラックのキーを持って来て、改めて出発。かれこれ35年もお世話になっている保険代理店のオフィスには先客がいて、カレシのむくれ度が瞬間風速的にピ~ン。オーナーのグレッグが「もう5分くらいかな」というので、後ろのカレシを振り返ったら、何もなかったような顔で「じゃあ、先に買い物をして来よう」。うん、そうそう、ぶっちぎれる前にオルタナティブを考える、と。

というわけで、モールまでひとっ走りして、どっさり野菜を買い込んで、オフィスに戻って、保険を更新する手続き。あっちにサイン、こっちにサインで、1年間ざっと13万円。念のために小切手帳を持って行ったけど、VISAでの支払いはすんなり、あっという間に通って、グレッグが「こんなに早いのは珍しい」。なんでも、カードが「承認」されるまで、遅いときはすごく遅いらしいしばしクレジットカード談義の後、宣伝のカレンダーを2枚もらって帰って来た。すでに午後4時で、夕食の支度の時間。足はずきずき・・・。

中断した仕事は夕食後に突貫作業。最初はありきたりの条項だったのに、進むほどに条文が長くなって、とうとう「反社会勢力」に関する条文まで飛び出した。契約書の条項として初めて見たけど、契約に盛り込まなければならないほどやーさんがはびこっているのか、あるいはもしもやーさんに関わってしまった場合にえらいことになるのか、それともやーさんと関わると法律で罰せられるのか。そこのところはわからないけど、「反社会勢力」の定義はやーさんや総会屋だけなんだろうか。日本の契約書は細かな定義づけが足りないなあと常々思っていたけど、解釈によってはおもしろいことに発展し得るかな。

そんなこんなで、今日は朝食もそこそこにねじり鉢巻でホームストレッチ。スペルチェックをして、ファイルを圧縮して、メールに添付して、「送信」ボタンをクリックしたのはきっかり期限の午後4時。いやあ、これこそトヨタが考え出した「ジャストインタイム生産システム」(カンバン式)の真髄というもんだな(と自分で自分を褒める)。そういえば今日、トヨタからカレシのトラック(タコマ)のリコールのお知らせが来ていたっけ。最近はトヨタやホンダのリコールが多いような気がするけど、何でも電気系統の問題でエアバッグが作動しなくなる可能性があるとか。Just in timeというのは「ぎりぎりの時間で」という意味があって、うまく行って「ふはぁ、間にあったぁ~」という感じなんだけどな。まさか、そうやってJRの駅の階段を駆け上がるような感じで車を作っているわけじゃないと思うけど、もしかして、もしかして、エコーの電気系統にも欠陥があってバッテリが上がってばかりとか・・・?

ボーイングのおかげで・・・芝居の話

1月30日。水曜日。ハッと目が覚めたら午後12時半。いつもより遅れるとはいえ、今日は掃除の日。起きなくちゃ~と言ったら、カレシは「はあ・・・」。シーラとヴァルが来ちゃうよ~と耳栓越しに言ったら、がばっと起きて「忘れてた~」。今日は芝居に行くので、忙しいんだから・・・。

ちょうど朝食が終わる頃に来たので、ヴァルがオフィスの掃除を終えるのを待って、まずはメールチェック。予約が入っていたシリーズの2つの仕事のうち、2つ目のファイルが先に来て、最初のは入稿遅れになっていたのがキャンセルになったとのお知らせ。ただし、この先3つ目、4つ目が入る可能性があるとか。でもまあ、今のうちに2つ目をやっておけば楽かもしれないけど、1日、2日くらいは遊んでいても良さそう。とりあえずHSTの還付申告をオンラインで済ませて、ばんざ~い、後は「休みモード」。

今日は芝居の前に「芸術監督のサークル」のレセプションがあるので、早いうちに軽い夕食を済ませてお出かけ。どうやら個人的に1年に1000ドル以上寄付するとこのサークルに入ってしまうらしい。劇場の前から待機していた(サンフランシスコのケーブルカーにそっくりの)観光用トロリーバスに乗って、レセプション会場の高級自動車ディーラーのショールームへ。「どうですか」と差し出されるおしゃれなカナッペをつまみながら、ワイングラスを片手に、ずらりと並んでいるぴっかぴかのジャガーやランドローバー、ベントレー、アストンマーティンを見て回る。ベントレーの真っ赤なコンバーティブルはさすがにかっこいいな。カレシ曰く、「これが中年の危機の薬か」。銀色のアストンマーティンには2500万円の値札。カレシ曰く、「税は別だってさ」。ということはHSTなどの税金を足したら3千万円・・・?

芸術監督の挨拶があって、新入り(ワタシとカレシの他にあと2人)の紹介があって、理事長のジャンさんと握手して、劇場の真正面までまた観光バス。(住んでいるとまず乗ることはないからいい体験だな。)用意されていた座席は前から4列目のほぼど真ん中。両隣に座った人たちもサークルのメンバーと見えて、同年代同士だったので、名乗りあって握手して、ライトが落ちるまで世間話。なるほど、こういう世界もあるんだなあと、ちょっと馬子にも衣装の気分で目をぱちくり。ほとんどが50代、60代以上と言う感じだったけど、30代くらいの今どきのヤッピーみたいな若い人たちもいる。でも、劇団に1年に1000ドル以上寄付するくらいだから、みんなきっと芝居が大好きなんだろうな。

出し物はフランスのマルク・カモレッティ作の『ボーイング・ボーイング』。フランスで1960年に初演してから19年間も続演してギネスブックに載ったという茶番狂言。原作ではフランス人だったキャラクターが英語版ではアメリカ人になっている。パリに住むプレイボーイのアメリカ人建築家バーナードはグロリア(TWA)、ガブリエラ(アリタリア)、グレッチェン(ルフトハンザ)の3人の国際線エアホステス(CA)と同時に「婚約」している。(3人の名前の頭文字がどれも「G」なのがおもしろい。)航空会社の時刻表はバイブルみたいなもので、3人が同時にアパートに現れないようになっている。一番大変なのはお相手が変わるたびにベッドルームの写真を変え、料理の内容を変えなければならない家政婦のベルタ。(そのせいかパンチとウィットの利いたせりふが一番多い。)

ニューヨーク便に乗るグロリアを送り出し、ランチの時間しかいられないガブリエラを迎える準備をしているところへ旧友のロバートが転がり込んで来て、しばらく泊まることになる。グレッチェンの便が遅れて午後11時着と聞いて余裕たっぷりの気分。結婚願望のあるロバートに「この方法をまず試してみるべき。あきないし、ひとりだけに束縛されないし」と得々とぶち上げたのは良かったけど、航空会社が推進力が高くて速くなった新型ボーイング機を投入したもので、完璧だったバーナードの緻密なスケジュールは大混乱に陥ってしまう。ガブリエラは朝まで搭乗しなくても良くなるし、遅れるはずだったグレッチェンは早く着いてしまうし。3人とも「フィアンセ」バーナードのアパートがパリでの「我が家」と思っているので、オルリー空港から「愛しのダーリン」のところへまっしぐら。2人が顔を合わせないようにとあたふた、どたばたしているうちに、グロリアの乗った便が北大西洋上が悪天候のために引き返して来てしまって、しっちゃかめっちゃか。

1960年代の古典的なスチュワーデスの制服がまたなんともかっこいい。ミニが目新しかった頃。グロリアはピンク、ガブリエラはグリーン、グレッチェンはブルー。それぞれの性格づけと色がつながっているのもおもしろい。昔のスチュワーデスは帽子がかっこよかったな。この芝居がまだパリで続演していた頃、秘書学校の友だちで全日空のスチュワーデスに採用された人がいて、クラス中の羨望の的だったな。(なぜか「性に合わない」と半年で辞めてしまったけど。)最後はグロリアがメキシコ人に求婚されて3人の「フィアンセ」を持っていたことがわかり、ロバートとグレッチェンが恋に落ち、バーナードはガブリエラと結婚することになってしまう。いやあ、こんなにゲラゲラ笑ったのはほんとに久しぶりだなあ。涙が出るほど笑いっぱなしだった。やっぱり芝居はいい。ああ、満足・・・。

ごみのたわごと

1月31日。木曜日。目覚まし、午前11時30分。今日も忙しい日だけど、カレシは目を覚ましたとたんから「よく眠れなかった。眠いよ~」とぶつぶつ、ぐずぐず。どうして?「きのうは一度も居眠りできなかったからかなあ」。あっ、そう。バスルームへ行く途中で寄り道して窓の外を見たら、道路掃除はまだやっていない。

きのうの午後、市役所が「道路清掃のため駐車禁止、1月31日午前9時~午後5時」の標識を立てて行った。秋から冬にかけてよく歩道の際の掃除があって、ブラシの付いた清掃車が来る。落ち葉などが側溝を排水口を塞がないためだけど、以前は「月曜~金曜、午前9時~午後5時」という標識を使っていて、カレシが市役所に「何月何日と指定しろ」と怒鳴り込んでいた。いつ来るかわからないと放っておいたら、いつのまにかトラックを別の場所に持って行かれたこともあった。(そのときはまた市役所に盗難届けを出すとか何とか抗議して、結局元の場所に持って来させたけど。)でも、今度はこうやって要求した通りに「何月何日」と指定して来たんだから文句は言えない。カレシはぶつぶつ言いながらも、小さいエコーは標識のない向かいのマージョリーの家の外に止めさせてもらい、トラックは角を回って家の前に移動。

ゆうべ出かける前に標識をよく見たら、「1月31日」だけ紙に手書きしてテープで張ってあった。ははあ、「月曜~金曜」の標識しかないけど、あのブロックは特にうるさい住民がいるから(初めから決まっているはずの)予定日を書いた方が無難ということだったのか。へえ、相手が市役所でもうるさく言ってみるもんだな。(もっとも、ワタシも何年も前に市の公園委員会にねじ込んで午前5時の芝生刈りを止めさせたんだけど。)道路清掃車が轟音を立ててやって来たのはカレシが午後の英語教室に出かける前で、それも2回。おまけに出かけている間にさらにしつこく4回。カレシが帰ってくる頃には落ち葉のかけらさえないくらいにきれいになっていた。まだ5時じゃないけど掃除は終わったんだからと、いつもの場所にトラックを止めたカレシ、「清掃車なんて大げさなものを使わなくても、置いといてくれればオレが掃除して堆肥にしたのに」とぶつぶつ。え、ほんと?「たぶんやらないけどさ」。はあ・・・。

清掃といえば、日本の有力新聞が福島原発の手抜き除染の問題で関係者からの通報?を募っていたと思ったら、英語版で世界に発信したらしく、有力新聞の一部が取り上げていた。記事は配信記事で別に目新しくないけど、北米の新聞には記者のブログ欄や記事について読者がコメントを書き込む欄を設けているものが多くて、ときにはニュースそのものよりも、コメント欄での喧々諤々のやり取りの方がおもしろかったりする。そういったコメントやブログの一部を今度は海外での反応といったのりでちょこっと報じていた。その中には「日本人らしくない」というコメントがあったそうで、手抜き除染のニュースを読んだときにワタシは真っ先に「ああ、やっぱり」と思ったけど、このコメントで今度は別の意味で「ああ、やっぱり」と思った。日本の政府やメディアが外国向けに意図的に描いて来た「ニッポン神話」を信じている人がまだくさんいるんだな、と。

自分の国ではないどこかの遠い国に理想郷を見て憧れ、崇拝するのは世界共通の人間的現象だと思うけど、日本の人たちも海外に広められた礼儀正しくて、正直で、信頼できて、完ぺき主義で、自然を愛し、家族の絆が強く、思いやりがあって、協調的で、和を乱さす・・・というような「日本(人)」のイメージを心からそうだと信じているのかな。福島の手抜き除染だけでなく、事故や災害のたびに明るみに出る手抜き工事(笹子トンネルもなんか手抜きっぽい)や、さまざまな「ずさんな」処理や呆れたポカミスや、どう見ても根底に「ごみは(外から)見えないところに掃き込んでしまえばいい」という発想がある企業や教育現場でのスキャンダル隠蔽事件などのニュースをどういう気持ちで見聞きしているんだろうな。他人のごみは見たくないと思うのか、汚いものを見せるなと怒るのか、ごみがたまったら掃除しろよと言うのか・・・。

まあ、ごみのたわごというところだけど、家の外へ掃き出したごみは見えないだろうから、いいか。


2011年1月~その3

2011年01月31日 | 昔語り(2006~2013)
ちょっとだけ日常を離れた午後

1月21日。金曜日。午前11時15分に目覚まし。ごそごそと手を伸ばして、アラームを留めるボタンを押したのに、止まらない。もう一度押しても、止まらない。押しても、押しても、ピーコ、ピーコ。そっか、ベッド脇の時計にセットしてある目覚ましの時間を変えるのがめんどうで、バスルームにおいてある旅行用の時計で目覚ましをかけたんだった・・・。

今日はほぼ9ヵ月ぶりにヘアカットに行く日。最後に行ったのは日本へ行く直前の4月末。あれから10センチくらい伸びたかな。明るいワインレッドだったハイライトはすっかり色あせて、裾のあたりに何色なんだかわからないところがあるのがわかる程度。去年は何となく忙しいような、ただせわしないような感じで、とうとう行きそびれてしまった(と自分に言い訳・・・)。だけど、ここまで来たらもうソヴァージュだ~と粋がっているわけにもいかない。何ごとにも潮時ってもんがあるんだから・・・。

モールの外側にある行きつけのサロンは、すぐ外に地下鉄の駅ができたおかげなのか、場所を借りるスタイリストが増えて満席。隅の椅子はロシア系の若い女性で、お客との話はロシア語。よくみかけるかなり年配の男性のお客はいつも年配の女性。イギリス英語なんだけど、ロンドン子のコクニー訛りよりはやや品がある。ランカシャーの話をしていたから、そっち方面の訛りなのかもしれない。ときどき見かけるアジア人の男性美容師は広東語。オーナーのジュゼッペの隣の椅子で女の子にパーマをかけているアジア系の女性は新顔。中国語にしてはちょっと違うなあと思って聞いていたら、携帯で「カムサハムニダ」と言ったから、あ、韓国系か。これだけでもBGMのモーツァルトもびっくりのにぎやかな不協和音なんだけど、ジュゼッペがカットしているところへ奥さんのアンナがチェックを入れて意見が食い違って来ると、けんか腰のイタリア語が加わる。しきりに肩をすくめるジュゼッペ。イタリア人てかかあ天下が多いのかなあ・・・。

気に入っているいつものスタイルにカットしてもらって、ワインレッドのハイライトを入れてもらって、白髪を(アンナに「ずいぶん増えたわねえ」なんて言われながら)しっかり隠してもらって、最後のカットの微調整まで延々3時間。ふだんは手に取ることのない女性雑誌を読むのもけっこう楽しい。ドラッグやお酒で問題を起こしてばかりの困ったちゃんのリンゼイ・ローハン。すっぴん顔の写真を見て、意外と年が行ってるのかなと思ったら、まだ24歳だって。アラフォーぐらいに見えてしまうのは、かなり荒れた生活をしているからだろうな。なんかかわいそう・・・。

クリントン元大統領の一人娘チェルシーが選んだお婿さん、すっご~くハンサム。保守派のユダヤ教徒の花婿と、メソジスト派のキリスト教徒の花嫁。結婚式は2つの宗教の儀式を組み合わせながらも、愛の詩を交換したりして現代風にロマンチック。ちょっぴりの羨望が輝ける結婚式がなかったワタシの胸をチクリ。ほんの、ほんのちょっぴりだけど・・・。チェルシー13歳でマーク16歳の時に知り合って、スタンフォード大学でも一緒だった長い付き合いの2人。花嫁を見つめる花婿はラブラブ過ぎてとろけてしまいそうな、ハートマークがいっぱいの目。う~ん、若い愛はいいなあ。

チェルシーのお母さんはクリントン国務長官。ええっ、あのヒラリーはワタシとたったひとつ違い年だったの?つい雑誌のヒラリーの写真と、鏡の中のワタシの顔を比べてしまうのは女心のなせる業かな。(ヒラリーの方が6ヵ月年上なんだけど。)「ビクトリア・ベッカム風だよ」とジュゼッペが言うヘアスタイルになってすっきりしたワタシ、ほんのちょっぴり若返った気がする。へえ、そっかあ。ヒラリー・クリントンとワタシは同い年も同然・・・。

そんなぐあいに、ちょっと日常の現実から離れた午後がの~んびりと過ぎた。

独居老人になったときの人生設計

1月22日。土曜日。何かヘンな夢を見てはうつらうつらで、あんまりよく眠った気がしないけど、まあ、普通に目が覚めて、普通に起きた。外はけっこう暖かそうだけど、東部の方はとテレビを見ると、わっ、寒波襲来。カナダ全国の天気はいたってあまのじゃくで、アメリカとの国境沿いの地域を端から端まで見渡すと、一般的に西が寒くなれば東は暖かく、東が寒くなれば西の方で暖かくなる傾向があるから不思議・・・。

うかうかしているうちに仕事が重なってしまったので、今日は朝食後からまじめに仕事。学者が書いたものはその筋の学術用語を探して、それらしい文例をネットに山ほどある論文から検索すればけっこう楽なことが多い。仕事によっては、レビューするのが最高学府で最高学位を取った人だったりするけど、極楽とんぼのワタシは「物知り博士と門前の小僧の禅問答」みたいな図を勝手に描きながら、ひとり楽しく仕事をして、後はよろしく~。物怖じしないのか、図々しいだけなのか、ただ怖いもの知らずのおっちょこちょいなのか。どこまで行ったら「限界!」と大書した壁にぶち当たるのかなあと思いつつ来たつもりだけど、ひょっとしたら初めっから目の前にあった壁に肩をつけて、えいえいと押しくらまんじゅうをやってきたのかなあとも思ったり・・・。

トイレに行ったついでに、洗濯物を洗濯機に放り込んでいたら、カレシが後から覗いて、「やろうと思っていたんだ」と。下着がなくなったというから、仕事の合間に洗濯機を回しているってのに、何じゃ、それは。ま、カレシにやらせたって、どっちみち1分おきに「あれはどうするの」、「これはどうやるの」と聞きに来るに決まっているから、かかる手間はあんまり違わない。それに、もしもワタシがひとり身だったら、どのみち自分で家事全般をやるわけだし、そうでなくたって昔は毎日家事を100%、仕事を110%やっていたんだし・・・。

家事の分担でもめる共働き夫婦が多いようで、女の方が年収が何対何だから家事の分担は反比例して何対何という理想論?を持ち出し、すごい人になると家事のリストを作って、所要時間で振り分けようとしたりするの対して、男の方は早く帰って来れる方が多くやればいいと思っていたりするらしい。家事なんてめったやたらとごちゃごちゃあって、リストを作ったら1メートルくらいの長さになりそうだから、それを「これは私、これはあなた」と結婚生活マニュアルを見ながらすっぱり振り分けられるってもんでもないと思うんだけどな。まあ、自分に負担がかかるのは嫌(損をしたくない)という考え方が根底にありそうな感じがするし、男の場合は(奥様が決めた厳しい品質基準を満たすほどに)「できない」からやりたくないのかもしれないけど。

大嵐が過ぎた後の我が家では、カレシは自発的に「自分の仕事」と決めたことをやって、ワタシはその他もろもろをやるという図式がいつのまにか出来上がった感じ。こういう「いつのまにか」は長年一緒に暮らして来た証拠かもしれないけど、ワタシはまだ現役で稼ぐのに忙しいもので、「その他もろもろ」のうちでも、手が回らなくてやらないでいてもさしあたりの支障がないものは、支障が出るまでやらないことにした。主婦業に誇りを持つ人の目には許せないグータラ主婦に見えるだろうけど、そういう「よくできた」専業主婦に限って「主婦の仕事は大変なのよ!」と目を吊り上げてのたまわる。ま、とっくに主婦を返上した極楽とんぼはどこ吹く風の馬耳東風・・・。

だけど、朝日新聞の『孤族の国』の特集を読んでから、もしもカレシが突然ひとり身になったらどうなるんだろうと、ふと考えるときがある。亡きパパの場合と同じで、生活して行けないとだろうと思う。ひとりで生活するためのスキルがほとんどないし、今さら学習できるのかどうかはあやしいもんだし、ワタシの後釜を探そうにもそうそう売れる年でもないし・・・。いちど聞いてみようかな、もしも独居老人になったときの計画はあるのかって。たぶんないだろうなあ。はて、人の指図は受けない人だし、人とのつながりをけっこうめんどくさがる人だし、そのくせ自分からは動きたくない人だし、どんなことになるやら。まあ、夫婦と言う最小単位で作る「家庭」に共同参画せず、日常生活のめんどうは人任せにして、伴侶を蔑ろにするような身勝手なこともやったわけで、ひとりになって人生が立ち行かなくなったとしたら、あんがいそれは「自業自得」という名の神様の罰なんじゃないかという気もする。はて、いいのかなあ、カレシ・・・。

ワタシが独居老人になった場合の計画はというと、たぶんまともな朝の時間に起きて、お日様が高いうちにあれこれと家事をしたり、散歩をしたり、老人センターに行ったり、趣味に没頭したりして、夜になったら(カレシの写真を前に?)ワインを傾けながらゆっくりと食事。後はゆっくりと読書などして、ゆっくりと寝酒をたしなんで、ゆっくりとベッドに入る・・・とまあ、ゆっくり、まったり、ほっこりの毎日を思い描いているんだけど、ひょっこりとすてきな出会いなんかあったら、がたがたに狂っちゃうなあ。へたをすると主婦業か。うん、ときめきは茶飲み友達くらいに留めておくことにするか(と、取らぬ狸の皮算用もいいところ・・・)。

まあ、独居老人になる確率はカレシもワタシも互いに五分五分。それぞれにおひとり様の人生設計を考えることも必要じゃないかと思うんだけど・・・。

スズキとドラゴンフルーツソース

1月23日。日曜日。早いなあ、新年ももうすぐ最初のひと月が終わってしまう。テレビのニュースで寒波でがっちりと凍っているトロントやオタワの風景を見ながら、今にも桜のつぼみが膨らみそうな暖かな日に(なんとなく)感謝・・・。

きのうの洗濯が3回目の最後まで終わらなくて、濡れたまま詰め込んでおいた乾燥機を回して、仕上げ。ワンステップで洗濯から乾燥までできてしまう洗濯機が早く出回ってくれたらいいのに・・・。

のんきにやっていると、仕事をしようかと思っているうちに夕食の時間。まっ白できれいなスズキにはどんなソースを添えようか。冷蔵庫をのぞいて見つけたのが、少しくたびれたドラゴンフルーツ。くせのない白身の魚にはフルーツがよく合うから、さっそく2つに切って、実をすくい出してブレンダーでピューレ。

ソースとしてはちょっと足りないパンチを補うには何かリキュールがよさそうだけど、ぺルノーはどうかなあと言ったら、カレシが「甘すぎるんじゃないのかな」と。たしかに、よく「a touch of Pernod」とメニューに書いてあったりするな。そう、ほんの「タッチ」ね。お酒の棚を見渡して、うん、カチャーサを試してみよう。これはさとうきびで作ったブラジルの無色のラム酒。スプーンに取ったピューレに少し垂らして味見。うん、いけそう・・・。

スズキの実はみごとなくらいに上品な白だけど、皮にも何となく品があるせいか、レストランではよく焼けた皮のほうを上にして盛り付けている。そこで、まずお皿にソースを伸ばして、その中に海塩を振っただけでフライパンで焼いたのを置いてみた。かいわれのようなもやしがあったら良かったかもしれないな。付け合せは、カレシがコーンブレッドを作った残りがあったので、小さいさいころにしたポテトと炒め、細いベビーいんげんを蒸して、あら、何となくおすましのディナー。[写真] 

原稿の入れ替えで仕事の予定が変わったので、買い換えるコンピュータとプリンタを物色。今使っているこのポンコツを、当面の間インターネットから切り離して翻訳作業用においておきたいんだけど、オールインワンという、CPUの横にモニタを貼り付けたようなスタイルは場所をとらなくていいな。マルチ機能のカラープリンタを新調して、テクニカルサービスに無線ネットワークでカレシとワタシで共有できるようにしてもらえば、ワタシのオフィスにはたっぷりのスペースができるし。零細企業向けの税控除は今月31日。が期限だから、ちょっと急がないと・・・。

走る、アドレナリン超特急

1月24日。月曜日。雨。なぜかパッと目が覚めて、パッと時計を見たら午後12時35分。まだ寝ているカレシを横目にパッと起きてバスルームへ。こんな時間に起きては困るんだけど。今日は夕食の前までに送らなければならない超特急仕事が2つもあるんだけど。どっちもまだ手をつけてないんだけど。寝たときにはそんなことちゃんとわかっていたはずなのに、どうしてこういうときに限って正午過ぎまで寝てしまうんだろう。それも、ストレスなんか何にもないようなぐっすり快眠・・・。

気配で目を覚まして起きて来たカレシが朝食のしたくをしている間に、PCを立ち上げて、ファイルを開いて、仕事を始める準備を完了。いつものようにジュースとシリアルで、仕上げはトーストとコーヒー・・・のはずだったけど、端っこだけ残っていたパンをカレシがあまりにも見事に薄くスライスしたもので、トースターに入れたらまっ黒こげ。しょうがないからトースト抜きで、コーヒーを持ってオフィスへ「出勤」。まあ、よく眠ったおかげで、仮想ねじり鉢巻でキーを叩いているとアドレナリンがシュッシュと出て来て、最初の仕事はかなり用語の検索があったけど、1時間とちょっとで完了。超早起きの校正担当者はちょうど早朝の時間帯だから、即刻送信。網ひとつの仕事も、普通ならちんたらちんたらとやるようなさっぱりおもしろくない内容だけど、勢いに乗っていけいけ。ちゃっちゃと1時間とちょっとで片付けて、期限より2時間も早く納品。おお、やった~。

終わってみたら午後5時に近かったけど、カレシの後に付けてトレッドミルでひと汗。こういうときになると何となくかまってもらいたそうになるカレシのタメイキは雑音扱いにして、片目で時計を睨みながらの3時間ちょっと。アドレナリン噴出状態の後のトレッドミルはすごくリラックスした気分になるから不思議。あれやこれやとぐうたらぐうたら考えながら、時速8キロのペースで走ること15分。たっぷりと汗をかいて、熱いシャワーを浴びて、カレシ特製の冷たいマティニを一杯。これがまた何ともいえない極楽・・・。

メインにする魚をフリーザーから出しておくのを忘れていたので、急遽スモークサーモンを水につけて解凍しながら、玉ねぎとにんにくと残りもののコーンと生クリームでパスタソース(コレステロール、高そう)。パスタをゆでている間に、スモークサーモンをソースに混ぜ込んで、付け合せのブロッコリとしめじをソテーして、ゆであがったパスタ(リングィーニ)をソースと混ぜて、所要時間30分弱のスピード食。はあ、なんだかものすごい超特急の今日・・・。

1月最後の週は、税金の優遇措置の期限が迫っているから新しいPCとプリンタを発注しなければならないし、売上税の申告期限が迫っているから、さぼりっぱなしの帳簿整理をして、年度末の決算をしなければならないし、4ヵ月先の会議の参加登録もしなければならないし、それから、あれからと、まるで各駅停車だけど、はて、あと1週間しかないというのに、極楽とんぼ特急は停車駅を通過せずに、脱線もせずに、終着駅まで行けるのか・・・。

未来の日本語、わからないかも

1月25日。火曜日。まあまあの天気。きのうの今日というか、ゆっくりと起きて午後いっぱいダラダラ。もうひとつ仕事があるんだけど、まあ、一種の反動かな。期限はあしたの午後だから、内容をざっと見渡して、まっ、のんびりでいいか。(発破をかけるとか地層がどうのとか、うっかりすると用語探しで手間を取られかねないけど、ま、いっか・・・。)

今月は不動産の査定評価の通知が来る月だからかどうか知らないけど、バンクーバーのマイホームの値段に関するニュースがやたらとある。ばか高いのはたしかだけど、今日の新聞サイトを見たら、世界325都市のうち、バンクーバーの価格はカナダの平均世帯収入の9.5倍で、香港(11.4倍)、オーストラリアのシドニー(9.6倍)に次いで3番目に住宅が高嶺の花だと書いてあった。別の角度から見ると、トップ10に4都市(シドニー、メルボルン、アデレイド、ブリスベン)も入っているオーストラリアはもっとマイホームへの道が遠いと言うことになるけど、需要があるからだとしても、同じ要因によるものかどうかはわからない。ちょっと前に郵便事情を調べるのにローカル日本人の掲示板をのぞいたら、相も変わらずバンクーバーの不動産価格は今にも暴落するという希望的観測のご託宣スレッドが続いていたけど、このままだといくら半額になってもちょっと手が出ないんじゃないかなあ。

小町を見ていて、今どきの日本語(というよりは若い人の日本語能力)に関するトピックが2つもあって、言語稼業のワタシはさっそく井戸端に駆けつけてみた。『号泣した・・・って、ただ泣いているだけじゃない』。出くわしたな、これ。人事関係の文書で、報告の中にもろに「号泣した」と出てきたから、こっちは目を白黒。本来の意味に訳したらどえらい騒ぎになってしまいそうだったので、よくよく考えて、ただの「泣いた」にしておいたけど、感情的な日本語がなんだか過激になってきているような気がする。ひょっとしたら、例の「不動産が暴落する」という予言も本当は単に「値下がりする」と言っているだけなのかもしれないな。

もうひとつの『オドロキの言語ギャップ』と言うトピックは、若い人たちに昔からある日本語が通じないというような話で、思わず笑ってしまった。とういうのは、トロントの日本人の掲示板に(おそらく煽りが目的だろうけど)『どこかおかしい?日本人の移民』というのがあって、ワーホリ半年のお嬢さんが、「10年以上移民している日本人って・・・日本語がちゃんと話せなかったり・・・」と言っていた。人さまのことを「日本語がちゃんと話せない」と酷評しているわりには、今まであった日本人移民はみんな「どこそこ変わっていた」とヘンな日本語で来るからおかしかった。みんな大学教育を受けた人たちなんだろうと思うけど、まあ、外国語の習得はその人の母語のレベルを超えることはできないそうだから・・・。

それにしても、ワタシにもわからない日本語が増えたことはたしか(忘れた日本語も増えたけど)。かしこまった文書は仕事上いつも扱っているから読み書きともまだ大丈夫だけど、口語となるとどうも36年前の(20代後半の)レベルで発達が止まっていたような感じがする。まあ、どっちの日本語が「ちゃんと」しているのかわからないけど、36年と言えば浦島花子は「日本語がちゃんと話せない」と嘆くお嬢さんが生まれる前のことだろうし、36年の間毎日友だちと日本語でわいわいとおしゃべりをする機会もなかったんだから、今どきの日本語と違っていてもしかたがないと思うけどね。そのうちに小町に井戸端会議もちんぷんかんぷんで、誰かに翻訳してもらわないとわからないなんてことになるのかもしれないなあ。まあ、言葉は時代と共に変化する生きものだそうだから、ワタシの日本語がヘンで通じなくなっても号泣はしないだろうと思うな。いや、日本へ行って「通訳さぁ~ん」なんて言って、あんがいおもしろいかも・・・。

今年は10年の節目なのだ

1月26日。水曜日。朝っぱらから何とも騒々しい。まずはリサイクルトラック。人手でリサイクル品の入ったブルーボックスを持ち上げてトラックに放り込むだけなのに、どうしてこう騒々しいんだろうなあ。ドッシャン、ガッチャン、ガラガラと、実に盛大。で、ボックスを取りに出てみると、レーンにはこぼれたプラスチックやら紙類が散乱。なんてことだろう。まあ、今日はいつもよりずっと遅い9時過ぎだったから許すけど。次にどこやらでウワン、ウワンとモーターの音。たぶんゴルフ場のどこかで木を伐って、シュレッダにかけているんだろう。市民には(有料の)許可なしで木を伐ったら罰金と言っておきながら、市営のゴルフ場はよく「伐採」をやっているから不思議。ちゃんと伐った木と同じ数だけ植樹してるんだろうな、おい。最後にごみ収集トラックが来て、起床・・・。

西向きのポーチの気温は正午過ぎでもうすでに10度もある。春が来ている感じ。寒波に見舞われた東部ではまた大雪で飛行機が欠航したりしているのに、なんか悪いなあ。オタワなんかマイナス30度の寒気がやっと緩んだらしいけど、カレシは「オレがいた頃はいつもそのくらい寒かった」と、そんなの寒いうちに入らないとでも言いたそう。たしかに1970年代の初めはかなり寒かったらしい。それに比べたら常夏みたいなバンクーバーから行ってつらかっただろうと思ったら、「いや、蒸し暑い夏の方がきつかった」そうな。わかる、わかる。蒸し暑いときは最後の1枚を脱いだらそれでおしまいだけど、寒いときはいくらでも重ね着できるもんね。

朝食が済んで、今日の午後が納期の仕事にかかる。きのうはカレシのお誘いに乗って、早仕舞いして、レミを飲みながらマクワーター先生の言語学の講義を2コマ続けて見てしまった。ちょうど言葉の変化や受け取り方を考えていたので、特に「書き言葉と話し言葉」の講義で、大学でフランス語を学んだ先生がパリのカフェで自信満々にコーヒーを注文したら、実は覚えたフランス語がパリの人が使う文法スタイルではなく、しゃちほこばった(正統な)スタイルだったもので、「は?」という顔をされたという話はおもしろい。カレシに聞かれて記憶をたどってみたら、高校の教科書の英語もなんかコチコチだったと思うから、教科書で学ぶ外国語は街角のスタイルとは違うかもしれないと思った方がよさそうかな。ま、期末テストの英文和訳で「関係代名詞」を訳していなかったからと減点するような日本の英語教育は元からしてヘンだけど、関係代名詞をいちいち「~するところの~」」なんて訳したらちゃんとした日本語にならないでしょーが。

ということで、今日はのっけからねじり鉢巻で仕事に突入。持ち時間は2時間半。業界用語の検索には汗をかいたけど、何とか間に合って完了。急いで夕食のしたくをして、カレシを英語教室に送り出して、今度は2010年度の決算。今はたいがいのことをオフィスに篭ったままでネットでやれてしまうから、昔ほど経費の項目がない。年間の経費は「創業」の頃の半分で、つまりは利益率がばか高い、実においしい商売なのだ。レシートを月別に仕分けして、月別の請求と入金をリストにしたら、あとはちょこちょとと会計ソフトに入力するだけ。どうやら売上税申告の期限には間に合うかな。

午後9時前に英語教室から帰って来たカレシ、3月から「週一の初級の教室に変えたいけど、金曜日か土曜日の午後のどっちがいいと思う?」と。政府がやっているELSAの初級がやっとのレベルの人たちを4人くらい集めて初歩から英語を教えてみたいんだそうな。カレシの教室のことを口コミで知った移民支援の福祉団体からほんとうに初級レベルの人たちが紹介されて来るようになったけど、今の生徒はほとんどがすでに中級のレベルなもので、そういう人たちはどうしてもついて行けなくて長続きしない。そこで、今の教室を2月の末で終了にして、新しい教室を立ち上げたい、と。菜園での野菜作りや他の趣味にもっと時間を振り向けたいということもあるらしい。まあ、ボランティア先生をやり始めて10年だから、少しは疲れもするだろうし、2人にとってもある意味で10年の節目だから、ここいらでちょっと軌道修正するのもいいかもしれないね。それに、今の夜週2回が昼間週1回になるんだったら、毎度夕食のしたくを急がなくてもよくなるから、金曜日でも土曜日でも諸手を上げて大賛成だけどな。

夕焼け小焼けで五里霧中の日が暮れる

1月27日。木曜日。正午を過ぎて起床して、さし当たって手持ちの仕事2件は納期が長いから、差し迫った仕事もないのでちょっとのどかに過ぎそうな日。カレシは2日。連続の英語教室の後で月曜日までずっと「オレのウィークエンド」なんだって。ふむ、この頃、あくびが多いよねえ、アナタ・・・。

けっこうのんびりと過ぎた午後。午後5時になってもまだ空に明かりが残っているようになって、日が長くなったなあと感心していたら、わっ、すごい夕焼け。午後から雨の予報じゃなかったのかなあ。夕焼けってことは、あしたは晴れってことでしょうが。あんまり見事だったので、二階の窓からパチリ。燃え盛っているような空は空港があるあたり。(冬の方が夕焼けが豪華に見えるのはどうしてなんだろうな・・・)

いつものようにトレッドミルで走って、シャワーを済ませて、テレビのニュースを見ながら夕食のしたく。カナダのマッケイ国防大臣がカリフォルニア州知事を退いてカナダに講演ツアーに来ているシュワルツネガー前知事と会談して、「カナダのBC州はカリフォルニア州と国境を接していますからねえ」と言っちゃったとか。はあ?BC州とカリフォルニア州の間にはオレゴン州とワシントン州と2つもアメリカの州があるんだけどなあ。まあ、マッケイ大臣はカナダの東の外れのノヴァスコシア州の出身だから、西の外れの地理には少々疎いのかもしれないな。(「疎い」ってのはこういうときに使うんだよねえ、たしか。)

カナダの大臣にアメリカの州を2つも端折られてしまったシュワちゃん、モントリオールでの講演で「カナダがイラクに派兵した」ことを称賛したのはいいけど、実はカナダはイラクに派兵する代わりにアフガニスタンに兵を送った。ま、どっちでもあまり変わりはないかもしれないけど、その後でモントリオールがカナダの「首都」であるようなことを言っちゃったらしい。あのぉ、カナダ連邦が発足する前の1844年にはモントリオールが植民地の「首都」になったことはあるそうだけど、カナダの首都はもう長~いことオタワなのだよ、シュワ君・・・。

「失言には失言を」なのかと思ったら、野党自由党の党首のイグナチエフまで調子に乗って、政府のジェット戦闘機購入を批判するのに「ビル・ゲイツ国防長官が・・・」とやったから、ここまで来たらもう「舌禍インフル」みたいなもの。あのね、ビル・ゲイツはマイクロソフトを防衛するのが仕事で、アメリカ合衆国を防衛するのはロバート・ゲイツの仕事なんだってば。まあ、失言一番乗りだったマッケイ大臣、「ゲイツ長官と私は西半球における重要な問題を、オレゴン州とワシントン州の戦略的役割も含めて協議しました」とやって、間違い続きの喜劇は幕となったけど、互いの国境や首都がどこになるかもわからないんだから、まっ、カナダとアメリカが戦争することはなさそうだな。敵を知らなきゃ戦には勝てないもんね。

折りしも日本では、S&Pの日本国債の格下げのことを聞かれた総理大臣が、「そういうことに疎いもので・・・」と言っちゃってかなり叩かれているらしい。まあ、カナダとアメリカの失言騒動は北米人が「地理に疎い」ことが問題の核心なんだけど、菅さんの舌禍はどっちかというと言葉の意味をよく理解していない(つまり、疎い)と言うことかもしれないな。もっとも、「疎い」という言葉には「知らされていない」という意味合いもあるから、あながち失言というわけでもないだろうけど、「世事に疎い」と言うような意味に解釈したら、一国の総理大臣の発言としてはあるまじきことになってしまうかもしれない。政治家諸君さあ、言葉に疎いのもほどほどにしないと・・・。

あんなに豪華な夕焼けだったのに、おや、今度は深い霧。世界は五里霧中ってことか・・・な?

PCのある暮らし24年

1月28日。金曜日。すっきり眠ったような気がしないうちに、目が覚めたら午前8時53分で、セットしておいた目覚ましが鳴る寸前。目覚ましをオフにして、起きて着替えをして、リビングの窓際のシートにごろり。まだヒーターのスイッチが入る前の時間だから、ちょっと寒い。ごそごそと起きて、ベースメントのオフィスの小部屋から枕とひざ掛け毛布を持ってきて、もう一度シートに横になってうとうと。きのう発注した新しいPCとプリンタが配達されるのは午前9時から午後5時の間・・・。

ぐっすり眠ってしまっては困るけど、目を開けると頭が活動を始めてしまうので、ひたすら目を閉じてうとうとしていたら、窓の外でガランというゲートを開ける音。チャイムに応えて外に出たら、うわっ、大粒の雨がばらばら。ゲートと玄関を走って往復しただけでかなり濡れてしまった。大小3つの段ボール箱を運んできた配達の人も肩がびしょびしょ。いつから?ボクのこと?ううん、雨。あ、30分くらい前から。へえ。降りすぎだよ。受取書にサインして、そのまま二階に上がって、ナイトガウンに着替えて、ベッドにごそごそ。午前10時20分。今度は数分でぐっすり・・・。

正午を過ぎて人声で目を覚ましたら、カレシはキッチンで電話中。コンピュータの話をしているから、相手はどうやらトロントのデイヴィッド。雨はしょぼしょぼ程度になっていたけど、きのうのあの真っ赤な夕焼けはいったい何だったんだろうな。何となく眠いような気もするけど、まあとにかく全額の減価償却が認められる期限の1月31日。に間に合って良かった。玄関脇の大きな箱を見て来たカレシ、「VAIOって書いてあるけど、ノートを買ったのか」と。え?買ったのはソニーのオールインワンというタイプのPCだけど・・・。デスクトップなんかみんなやることは似たり寄ったりであまり変わらないだろうしと、写真を見ただけで場所をとらなくていいやと思って買ってしまったワタシ。でもまあ、VAIOを使っている人を何人も知っているから、大丈夫なんじゃない?

とは言ってみたものの、ほんとに大丈夫なのかなあ。まだ箱を開けていないんだけど、ちょっと調べてみたら、日本でもボードPCとか言って同じ「Jシリーズ」を売っていた。PCとテレビとブルーレイプレイヤーの3役をやるそうだけど、ワタシのにはテレビ機能はついていないな。北米仕様だからだろうけど、ワタシは番組を見るためにテレビの前に座るタイプじゃないから問題はないし、第一、元々業務用なんだから、仕事中にテレビなんぞ見ていたら生産性がたまったもんじゃない。キーボードとマウスが無線なのが気に入ったし、タッチスクリーンなのもいい。指の関節がみんな変形性関節炎になって、ときどきマウスを操作していて痛むから、指先でちょいちょいとやれそうなのはうれしいな。

我が家のコンピュータ第1号は1987年だった。Windowsの前のDOSの時代で、昔のテレビみたいにどてっとしたモニターの黒い画面に映るのはオレンジ色の文字だけ。処理スピードはMHzでひと桁だったし、フロッピーは5インチで10枚入りの箱が20ドルくらいしたっけ。20MBのハードディスクを入れてもらったら、周りから「そんな大きいの、無駄だよ」と、まるで物好きの扱い。プリンタはオリヴェッティのプリンタ兼用の電動タイプライターで、バタバタバタバタと印刷しているときの騒々しさに参って早々にドットプリンタを新調した。カレシはソフトのコレクションとプログラミングに凝り、ワタシはその頃一番人気だった表計算ソフトのLotus 1-2-3で家を新築するためのローン返済計画を作ったりして、すごく便利な時代になったなあと感動したっけ。

あれからもう24年。パソコンの変遷はくらくらするほど目まぐるしかったけど、「すごく便利になった」という感動の方はもうほとんど薄れてしまっているのは、新しい機能がどんどん娯楽の方に傾いて行っているからなんだろうか。まあ、いずれ引退したら、ワタシにとっても娯楽のキカイになるんだろうと思うけど・・・。

今ごろ1年分の帳簿の整理

1月29日。土曜日。ゆうべは寝酒もなしでベッドに直行。ぐ~っすり眠って、午後12時35分に目が覚めた。あ~あ、午後もなんか大半が過ぎてしまった感じ。まあ、こっちは土曜日だし、日本は日曜日だからいいんだけど・・・。

きのうやっと手を付けた2010年度の経理事務。どういうわけか知らないけど、昨年度は一度も会計ソフトに入力しないまま。一四半期とか半年くらいサボるのはさして珍しくはないんだけど、丸々1年てのはちょっとなあ。経理担当者はクビだ!と言いたいところだけど、その経理担当者は自分と来ているから、仕事をサボっていたからとクビにするわけにも行かない。自分のその部分を切り分けてポイッと捨てて、新しくバリバリの経理を「移植」するという芸当は・・・不可能。そこが自営業の辛いところなんだけど、きのうはとにかくがんばって5月分まで記帳した。これくらいサボるとあって然るべきレシートが見つからなかったりする。んっとに、うちの経理はアホ・・・。

ということで、午後いっぱい残りの会計処理を急いで、夕食のしたくの直前にやっと12月分が終わった。(トレッドミルに乗る気にもなれなくて、今日は休み・・・。)後は減価償却などの細かな計算と処理があるけど、とにかく第4四半期の売上税(HST)申告の数字は出た。なにしろ、過去3四半期はレシートから計算しただけで申告していたから、ここで最終的な数字を出して申告しないと帳簿の方がややこしいことになるから必死。数字が出たところで、即刻オンラインで申告。はあ~。カナダ国内で納品する仕事がなくて、ワタシの仕事はすべてがサービスの「輸出」ということになってHSTはゼロ。おかげで経費に払ったHSTはそっくり還付される。(このあたりで紛失したレシートが惜しいような気がして来るけど、まあ、たいした金額じゃないから・・・。)

1月もあと2日。。残るは5月の会議の参加登録とトラックの保険、そして1月分の請求事務か。くたびれるけど、創業?から丸21年にして累積売上150万ドルを達成。我ながらがんばったな。カレンダーをめくって2月1日。は極楽とんぼ自営業の創業満21周年記念日。そういえば、満20周年の去年はバタバタしていてとうとうお祝いをせずじまいだったな。仕事のログを見たら、ああ、今年もお祝いどころじゃなさそう。なんか大きそうな仕事が並んでしまっているけど、この分では雪崩警報発令かなあ。その間に新しいシステムのセットアップの手配もあるし・・・やれやれ、また忙しくなるのかな。もう今からみ~んなうっちゃって遊びたい気分・・・。

なにしろ、2月と3月は「予算消化」の季節。年度ごとに年間予算をきれいに消化しなければならないところでは、予算の「鍋」にどのくらい使い残しがあるか調べて、「じゃあ、これと、あれと、それも翻訳に出すかあ」みたいなことになるらしい。おかげで、この時期は雪崩のごとく入ってくる仕事に埋もれて、ワタシはヒィ~っと悲鳴を上げることになる。翻訳会社でもコーディネータさんたちの間で翻訳者や編集者の争奪戦になることがあるとか。ワタシはけっこう狙われるんだそうだけど、それはそれですご~く名誉なことだと思うからうれしいんだけど、どどっと大雪崩に埋もれるとやっぱりかなりしんどい。まあ、おひとり様商売なんだから、2011年度もがんばるっきゃないよなあ。タメイキ・・・。

便利そうで意外と不便なこともある

1月30日。日曜日。いい天気。窓から入って来る日差しは春が近いのがわかるくらいぽかぽか。その分夜はちょっと冷え込むから、そのうち雨雲が近づいてきたらまた雪の予報が出るかも。夜通しやたらと咳が出て何度も目が覚めたり、ふくらはぎの痙攣で飛び起きたりで、ちょっぴり寝足りない感じ。家の中が乾燥しすぎているのかな。ここのところウォータークーラーの水が減らないところを見ると、デスクであまり水を飲んでいないからかもしれない。4年がかりのアレルギー治療でも解消しなくて、もう一種の持病みたいになっているこの咳、喘息のように気管がゼイゼイ言うわりにはほとんど痰が出ないし、肺機能の検査をしても「元気な肺だよ」と言われるのがオチで、30年経ってもまだ原因不明・・・。

さて今日の「31日。期限」はシアトルで開かれる会議の参加登録。主催する協会の会員だと参加費が少し安くなるので、カレシが会員になると言い出した。ふ~ん、たぶん協会初で唯一のモノリンガル会員ということか。でもまあ、翻訳の仕事には欠かせない「ネイティブチェック」をやっていると言えるからと、寝る前に加入登録の手続きをした。なにしろモノリンガルなもので、翻訳でも通訳でもない「その他」にチェック。年会費1万円なりを払って、めでたく?翻訳者の協会の会員になったカレシ。会議でいつも会って顔なじみの会員登録担当の理事がたまたま東京にいて、さっそくユーモアたっぷりの歓迎メールが来て爆笑。

一夜開けて、さっそく会議の参加登録を始めたのはいいんだけど、PayPalで同じクレジットカードを使おうとしたら「拒否」。2度やって2度とも拒否されたら、銀行から確認の電話がかかって来てしまった。そういえば、前にも同じクレジットカードを立て続けに使うことができないことがあったっけ。おそらく何らかのセキュリティ処置だろうということはわかるとしても、不便なことこの上ない。イライラ、カリカリした挙句に「もうやめたっ!」と言い出した。別のカードを使えばと言って、あとは放っておいたら気を取り直して別のカードで手続きをしていたけど、んっとにもう。まあ、世の中は一見して便利になっているようで、実は意外と不便になっていたりするもんだけどね。とにかくこれでまたひとつ片付いた。やれやれ・・・。

それでも今年の春の会議は近場でいい。近すぎるくらいだけど、秋は大陸の反対側のボストンだから、ちょうど釣り合いがいい感じ。来年の春の会議は広島と発表されたばかり。カレシは何となくこれが最後の日本旅行になるかもしれないと思うのか、今から北海道は絶対に行くと決めて、ワタシが生まれ育った釧路をもう一度見たい。十代を過ごした名寄と室蘭もどんなところか見てみたい。札幌では実家のあったところがどんな風になったか見てみたいと、盛り上がっているからおかしい。なんだかワタシのセンチメンタルジャーニーを計画してくれているような感じもするけど、まあ、ワタシも定年が目前だからいいかな。1990年代には何度も2人一緒に日本を旅行して回ったのに、なぜかワタシは地名に心当たりがあるだけで、どんなところだったのか、どんな風景を見たのかはほとんど覚えていない。カレシも去年初めて一緒の日本旅行が楽しいと思えたのかもしれない。まあ、やり直しの締めくくりの大旅行も悪くないなあ。

日本の友だちから先週クリスマスカードが届いたと言うメール。はあ?今ごろ?バンクーバーの消印は12月17日。になっていたそうだから、投函した後すぐに処理されている。それにしても、延々5週間の旅、どこをどうやって放浪していたやら。「カナダでは郵便ストでもあったの?」と言うけど、ふむ、ひょっとしてひょっとしたら誰も知らないうちにストをしてたりして。まさかとは思うけど、カナダポストだからありえないことじゃない。まあ、ワタシとしてはアメリカのホームランドセキュリティが一枚かんでいるような気がするんだけどね。それでも、これでようやっとクリスマスシーズンは終わりかな。んっとに、いつまでもクリスマス気分、正月気分でいるわけにも行かないでしょうが、春が来るんだから、まあ、あと3日。くらいで旧正月ではあるけど・・・。

まずは、なんか大きそうで、めんどうくさそうな仕事、ぼちぼちやるか・・・。

重国籍制度の是と非

1月31日。月曜日。いい天気。咳にもこむら返りにも起こされずにぐ~っすりと眠って、正午過ぎに目覚め。なんだか不思議な夢を見ていたような気がするけど、目が覚めたとたんに忘れてしまった。脳みそのデフラグがうまく行ったということなのかな。今日で1月も最後・・・。

1月の「絶対やらなきゃリスト」の最後はトラックの保険更新と請求書作り。保険の方はカレシのトラックなんだからひとりで行ってやればいいのにと思うけど、なぜかお供がいるらしいから、ついでにスーパーに寄って「買い物リスト」にある数品を買ってきた。リストになかった75ワットのハロゲンのフラッドライトはめっけもの。というのも、1月1日。から75ワット以上の白熱電球の販売が小売店の手持ち在庫が切れたら終了ということになって、買いだめに走る人が多いというニュースだった。たしかに白熱電球があった部分の棚はみごとに空っぽ。我が家はたいていの白熱電球をだいぶ前にCFLと呼ばれるスパイラル型の蛍光灯に切り替えたので問題はないけど、キッチンの天井にある5個のハロゲンのフラッドライトは75ワットで、なぜかわりと「希少種」。ハロゲン灯は白熱電球ではないから当面は禁止にならないだろうけど、めずらしく数個あったからとりあえず4個まとめ買い。ま、これで2、3年はもつかな。

エジプトがえらいことになっていて、カナダは「カナダ人」を避難させるためにチャーター機を飛ばすことになったとか。だけど、レバノンでの紛争で万の単位の「カナダ人」を救出したのはいいけど、その「カナダ人」たちが途中の待遇が悪かったとか、カナダに来ても医療サービスが悪かったとか、とにかく文句たらたらだったもので、自分たちが納めた税金を使われたカナダ国民からめっちゃくちゃに叩かれた前例があるから、今度はカナダのパスポートを保持者とその家族を優先し、チャーター機もカイロからフランクフルトその他のヨーロッパの主要都市までで、その後は各自で行きたいところへ自費で行ってもらうそうな。まあ、カナダのパスポートを見せても(無料で)カナダまで連れ帰ってもらえない人にしてみれば、カナダ政府は役に立たないと愚痴のひとつも言いたくなるのはわかる。だけど、カナダにいるカナダ人が「ちょっと待て」と言いたくなるのにも一理も二理もあると思う。

「カナダ人」というのはカナダに国籍を持っている人のことなんだけど、重国籍を認める国では、カナダ国籍を取得した人が永久帰国して、あるいはカナダ人がその国に永住して、カナダ国籍を何世代も維持して来た人たちがたくさんいる。先祖のひとりがたまたまカナダ国籍だったというだけで、カナダには行ったこともなく、カナダなんてどこにあるのかも知らず、カナダの言語を話せず、自分をカナダ人と考えたこともなければ、カナダには忠誠心どころか一切の関心もないという「カナダ人」が世界に何万、何十万、いや何百万といるわけ。そういう人たちを「居住国」で騒乱が起きたからといって「自国民」として税金を使って救出することにはワタシも「なんだかなあ」という違和感がある。かって香港が中国に返還される直前に移民してきて、資格ができるや否やさっさとカナダ国籍を取った香港人が「カナダのパスポートは保険」と言って大きな反感を買ったけど、どこかで動乱が起きるたびに、カナダに来る移民たちにとって「カナダのパスポートは何かあったときに助けてもらうための保険でしかないのか」という疑問が頭をもたげる。

イギリスは海外永住したイギリス人が国籍を伝えられるのは孫世代までという制限があるそうで、カナダも去年法律を改正して国籍の世襲に制限を設けた。ワタシが帰化した時は子供ができても日本政府が日本国籍を認めなかったから別に考えたことがなかったけど、移民国家において自分のルーツを伝えると言う意味では重国籍は大きな意味を持つものだろうと思う。だけど、カナダ国籍をいざというときに自分の安全を確保するための保険的な手段にすぎないと考える人には重国籍は認めるべきではないとも思う。そういう人たちは概して母国の恩恵に浴していながらも自分の母国を信頼していなくて、重国籍を認める国の国籍を持つことでいざというときにはそっちの国の国民の権利を行使して逃げ出そうと言う、かなり身勝手なところが透けて見えることが多いから、生粋のカナダ人はカチンと来る。日本は出生による以外は重国籍を認めていないはずだけど、移民してきてカナダ国籍を取得(当然日本国籍は喪失)してもなお「二重国籍なの」と自慢?する人がかなりいるらしいけど、この人たちはいざというときにどっちの国に助けを求めるんだろうな。日本かな、やっぱり。カナダのパスポートなんてルイヴィトンのバッグをもって歩くのと同じようなものでしかないような感じだし・・・。

海外に移住した日本人は日本に重国籍を認めて欲しいと思っている人は多いようだけど、いざ重国籍を認めると日本に住む外国籍の特定グループがこぞって日本国籍を併せ持つことになるから怖いという議論もある。自分たちだけに重国籍を認めて外国籍者には認めないというのはあまりにも差別的で世界に通じないからそれはできない。しょうがないから、日本国法の下では違法と知りつつ「隠れ二重国籍」を維持して、日本人を捨てていないことを主張する。なんだかなあ。世界中を人が流れる今は必ずしも国籍イコール民族のルーツじゃないと思うんだけど。カナダもそろそろ国籍の生地主義と重国籍を認める制度を見直しした方がいいんじゃないのかなあ。ある意味で現代の「踏み絵」になってしまうかもしれないのはわかるけど・・・。


2011年1月~その2

2011年01月21日 | 昔語り(2006~2013)
雪が降ると世界は美しく見える

1月11日。火曜日。なんだかわけのわからない夢を見ているうちに目が覚めた。ちょうど正午。天気はまだまあまあ。それでもやっぱり午後8時頃には雪が降り始めて、10センチから15センチ積もると言っているから、今日と明日英語教室があるカレシは朝ごはんを食べながら、どうしよう、どうしよう。でも、トーストを食べ終わる頃には、「今週は休み」に決定。(どうも、実際のところは、あんまり気乗りがしなかったのは先生の方だったらしいけど・・・。)

メールを開けたら、超特急の仕事。編集者の時間帯で考えると作業時間は1時間ほど。わわわ。もっともごく小さい仕事だからいいけど、慌てることは慌てるな。とにかくコーヒーを飲みながら、パカパカとキーを叩いて、終了。編集者に回したのは午後2時ぎりぎりでほっ。やれやれ。ちょっと焦ったけど、このくらいの超特急だと小さい仕事でも割増料金でけっこうな実入りになるから、まあ、文句は言えないな。なんたって地球は丸いから、違う時間帯に住んでいる人たちと組んで仕事をしているとなかなかスリリングな場面に出くわすから。

ここのところ、夕食メニューは「エクスペリメンタル」。実験メニューと言えばかっこいいけど、要するにかなりの思いつきのぶっつけ本番。仕事のペースが緩慢なときにだけできることで、思いつきでやる方にはけっこうおもしろい。日曜日は、エビとえのきとアスパラガスの茎をヒラメに巻き込んだのを台湾キャベツで巻いて、海鮮キャベツロール。ダシとめんつゆで煮たらおいしかった。きのうは白身のタラと赤みの紅ザケの尻尾の部分を別々の味つけでブレンダーで練って作った二色の魚コロッケ。これもけっこう良かった。連続ヒットで気を良くして、今日は軽く燻製したギンダラを大根としいたけで煮てみた。ダシはギンダラの燻製した塩味だけ。これがけっこういけたから、残ったスープを取っておいて、そうめんを煮てみようかな。

午後7時35分。カレシが「雪だ~」と言って来た。ええ?午後8時って言ったでしょ?30分近くも早いんじゃないの。でも、天気予報としては相当の精度と言えるだろうな。ちらちらと降り出したけど、空の色を見るとかなり本気で降りそう。そんなときにカレシが「IGAに行こう」と提案。雪が降り出したのに、どうして?「たぶんが道路が空いているだろうし、スーパーも込んでいないだろうし、雪が積もり過ぎる前に帰って来られるだろうし、トラックを走らせてバッテリをチャージしておきたいし、野菜が底を尽いてしまったし、ついでに酒屋によってジンを買って来ないとマティニを作れないし・・・」。ふ~ん、珍しくお出かけに乗り気だなあ、こんな天気なのに。

それほど寒くないから、雪はかなりのべた雪。確かに交通量は少ない。鼻先にプラウを付けた市のトラックとすれ違った。カルガリーのディスクジョッキーが「あんなの、除雪プラウじゃなくて、スクイージーじゃん」と評したとか。スクイージーというのは窓拭き用の道具で、片側のゴムのブレードでガラス面の水をふき取るようになっている。ジョッキー氏は「バンクーバーの除雪なんかへなちょこもいいとこ」と言いたかったんだろうけど、う~ん、当たってないとは言えないなあ。

平常の夕食に使う魚類が品薄になっていたので、遠洋漁業。アメリカなまずのトレイを2枚、ホタテを1枚、ニジマスを1尾、オヒョウを2枚、紅ザケの半身を1枚。魚のフリーザーでは、久しぶりにオレンジラフィーがあったので、ありったけ(と言ってもトレイ3枚だけど)をいただき。オヒョウのほっぺたもトレイを3枚。ついでに大きなイワシの大きなトレイ。これくらい大きいと開き甲斐もあるってもの。一度「イワシのつみれ」と言うのを作ってみたいなあ、と取らぬ魚の皮算用。丸ごとの鶏を見て、けさシンガポールで買った料理本を見ていて興味を持った「サムゲタン」を作ってみようという気になったけど、もち米も朝鮮人参も手持ちがないから一応お預け。でも、雪の降る夜のスープとしては最高に幸せな味じゃないかなあ。

スーパーを出た頃には、もう見渡す限りの雪景色。とにかくわさわさとひたすら降っているという感じがする。道路の車線が見えないので運転はちょっと危なっかしい。酒屋に寄ってジンを買っての帰り道、横道に曲がろうとしたら、ズルッとスリップしてヒヤリ。全天候タイヤだけど、やっぱり滑るなあ。朝の通勤は大変だろうな。無事帰り着いて、魚のトレイをはずしてフリーザーバッグに入れる処理に約1時間。5センチくらいは積もったかな。予報によると、夜半からじわじわと気温が上がって、午前9時にはプラス4度で、雪はそのまま雨になり、午後2時には7度まで上がるとか。ふむ、べちゃべちゃ、ぐしゃぐしゃか。

午後11時を過ぎて、気温はプラス1度。街灯の下で華麗に舞っている?雪のひらが、心なしか大きくなって来たように見える。「ゆぅ~きぃ~はふぅ~るぅ~。あなたはこないぃ~」と、青春時代に大好きだったアダモの歌を思い出して口ずさんでみる。心地よい家の中にいて見ている限りでは雪は美しい。雪景色も美しい。世界中が静まり返って、そして悲しいくらいに美しい・・・。

マイセックスで孤族予備軍

1月12日。水曜日。目覚めは正午。ベッドルームが明るい。ということは、雨は降っていないのか。なんかがっかりしたような気分で起きてみたら、空模様は薄曇。いやあ、けっこう降ったなあ。15センチくらいはありそうで、せいぜい12時間でこの積雪量はやっぱりちょっとした「大雪」かな。でも、車の通る道路は解けてしまっている。ゆうべ融雪塩をまいておいた歩道は真っ白になっていたけど、5センチも積もっているかどうか。たぶん塩の量が足りなかったんだろうな。ま、何ごとも経験。この次はもう少し多めにまいてみるか。(この次はない方がいいんだけど。)

英語教室を休みにしたせいか、カレシはのんびりモード。同窓会の広報用ブログを作ると言って、アカウントを作ったまではいいけど、ブログの仕組みがさっぱりわかっていない。「書き込めないよ」、「編集できないよ」、「コメントはどうやって書くの」、「なんでパスワードをつけるの」、「特定の人だけに記事を書くときはどうするの」・・・。あなたのブログの設定なんか知らないって。まあ、知らないと言いつつも自分の設定を基準にして、こんな機能、あんな機能があるはずだと、いちいち指南するワタシも、カレシののんびりモードが感染したのか、なんかヒマなんだなあ。曇って来たけど、いつまで待っても雨は降って来ない。午後4時の気温はプラス6度。春っ気がさして来てしまいそう。

いつものように新聞サイトを見ていたら、厚生労働省の調査で日本人の男性18%、女性48%がセックスに関心がないか、嫌悪感を持っていると言う結果が出たという記事があってびっくり。十代に絞ると数字はもっと高くなる。さらに、「めんどうだから」という理由を挙げた回答者が全体の40%もいたというからますますびっくり。異性と関わるのがめんどうくさいということらしい。たしかにセックスは究極の人との関わりじゃないかと思う。それが「めんどうくさい」というのは、何か大変な心理的な地殻変動でも起こっているんじゃないのかなあ。毎日の新聞には児童買春や盗撮、痴漢行為と言った記事があって、性暴力がなくなる気配はないし、ゲームもマンガもセックスが氾濫していて、女性たちはと言えばコンカツ、コンカツと走り回っているようだし、どう見ても「めんどうくさい」からセックスに無関心/嫌いという調査結果とは大きく矛盾しているような感じがする。

でもよく見ると、未成年者がそういう性犯罪の対象になっているケースが多いし、モニターや紙の上の二次元のイメージに「萌えて」いるようで、日本はチャイルドポルノ大国だと言われながら規制は生ぬるいままだし、「性」そのものへの関心が薄れているのではないと思う。つまりは対等な異性と「直接」関わるセックスががめんどうくさいってことだろうな。考えたら、痴漢もレイプも買春もポルノもみんな自分だけの、いわば「マイセックス」。これでは政府がいくら子育て支援策を打ち出してもまったくの的外れになってしまうじゃないの。セックスがなければ肝心の子供が生まれないんだから、子育ても何もあったもんじゃない。何とか結婚しても、「忙しくて」、「疲れていて」40%がセックスレス状態。そうだろうな、サラリーマンはやれ残業だ、やれ飲み会だと深夜まで家に帰れない(帰らない)んだから・・・。

異性と関わるのがめんどうということは、他人と関わるのがめんどうくさい、ひいては人と人とのつながりがめんどうくさいということかもしれない。だとしたら、このままではみんな「孤族予備軍」。まるで、それまでカッチン、カッチンと快調に動いていた「社会」というキカイに不具合が起きて、部品がばらばらと外れてしまったようなイメージが浮かんでくるんだけど、どうしてこんなことになってしまったんだろう。バブルの狂乱の影響なのかな。それとも、社会のいたるところでKYだ、マナー違反だ、非常識だ、不愉快だ、迷惑だと、言葉の端々から一挙手一投足、はては頭のてっぺんからつま先の外見や服装まで、いちいちダメ出しをされるもので、自分から動く気力が失せて、めんどうくさくなってしまったのかな。たしかに、小町の井戸端を見渡すと、まるで一億人の口うるさい小姑にストーカーされているような感じがしないでもない。

長い閉塞状態にみんな疲れてうつっぽくなっているだけなのかもしれないけど、それだけならいいんだけど、やっぱり何か大変なことになりつつあるのではないかという気がする。

近くで死なれては迷惑なんて、そんな・・・

1月13日。木曜日。暖かいというか、生暖かいというか、午後1時の気温はプラス8度。昨日の午後1時はまだ白い風景だったのに、起出して外を見たら、「え、雪が降ったのは夢だったの?」という感じ。冷え込んでみたり、春の陽気になってみたりで、マザーネイチャーはまるでアルミのやかん・・・。

歯医者に行くカレシを送り出して、2010年度の年末処理を少しだけ。おとといあたりから指の関節がほぼ全部痛い。関節がいびつになって来る変形性関節炎。長いことキーを叩き続けてきたのと老化が原因らしいけど、なぜか手を動かしていないときにキ~ンと痛くなったりする。つまりは、キーを叩き始めると痛いことは忘れてしまうわけで、ワタシってけっこう都合のいい人・・・。

新聞を見ていたら、ブリティシュコロンビア大学の敷地内にある高層マンションの隣にキリスト教系の慈善団体がホスピスを建設しようとしたら、マンションの中国系住人の猛反対で計画が宙に浮いているという記事があった。全体の80%を占める中国系のオーナーたちが、「そんなに多くの死んで行く人が近くにいるのは(我々にとって)文化的タブー」だということで、反対デモを計画しているとか。記者は「アジアでは「死」は悪運を招くものとしてタブー視されている」と説明しているけど、「身近に死んで行く人がいてもらっては困る」ってのは、(縁起が悪いから)死ぬんだったらどっかよそへ行って死んでくれ」と突っぱねているわけだし、普通の人にはちょっと理解できないだろうな。そんな冷たいこと言っても、人間はみんないずれは死ぬのに・・・。

夕方のテレビでは、ホスピス反対の先頭に立っている人たちが、「子供が怯える」、「(自分たちや家族に)病気や倒産や離婚のような悪運を運んでくる」、はては「近くに死んで行く人がいると考えるだけでも恐ろしい」と、(かなり必死の形相で)反対の理由をまくしたてていたので、移民して来てまだ日が浅くて、ばっちり母国にいる気分なんだろうなと思って見ていたけど、そのうちに「マンションの価値が下がってしまう」と言い出したもので、迷信や文化的タブー云々というのは建て前であって、どうやらこっちの方が本音じゃないかという印象に変わってしまった。そうでなくても移民集団の中でも圧倒的な割合を占めて、嫌でも目立つ中国人移民。その数の力を頼んで中国の風習や迷信をごり押しで通そうとしているというイメージを持たれたら、先々めんどうなことにならないとも限らないな。多重文化主義の許容性にも限界というものはあるんだから。

だけど、中国人の人間観、生命観、家族観、あるいは人間関係の概念は、いったいどういうものなんだろうな。家族の誰かが死を迎えるときにはどうしているんだろう。まさかよそへ行って死ねと言うわけじゃないだろうな。ドラッグや犯罪者の更生支援施設に反対が起きるのはよくあるけど、由緒ある高級住宅地の邸宅が遺言で寄付されて、子供のホスピスになったときに住民が反対したという話は聞かないな。ホスピスは不治の病気で命を限られた人が、家族に見守られて穏やかな気持で命を終えられるようにしようという安らぎの場で、人間は誰もがそうやって家族を見送ることに思いやりや共感を持つものだと思っていたけど、そうでもないのかなあ。望んだわけでもないのに死んで行かなければならない人たちに対して、自分たちに災厄がふりかかると困るから近くで死なれては迷惑千万というのは、「臭いからあっちへ行け」といういじめっ子の幼児性と通じるものがあるような感じもするんだけどな。(まあ、迷信にはそういう性格もあるようだけど。)

だいたい、二十一世紀のデジタル時代に、いい年をして幽霊が怖いも何もないもんだと思うけど、大学は中国からの留学生や研究投資を呼び込みたいだろうから、最後にモノを言うのは「お金」ということで、このホスピス建設の申請はたぶん不許可になるんだろうと思うな。

お役所仕事の心理学

1月14日。金曜日。朝方にかなりの雨が降ったらしいけど、起きたら日が差していて、正午の気温はプラス10度。まるで100メートルダッシュで春が来てしまったような感じ。(どうせまた100メートルダッシュで冬に戻るのかもしれないけど。)

けさは9時前に道路を清掃するトラックの轟音で目が覚めた。きのうの夕方に道路向かいの歩道に臨時の「駐車禁止」の標識が立っているのに気がついて、カレシが出て行って見たら、「道路清掃のため、午前9時から午後5時まで駐車禁止(月~金)」。月曜日から金曜日までの「どれか1日。」の午前9時から午後5時までの間に標識が立っている側の路肩を清掃するということで、かなりいい加減な標識なんだけど、月曜日から金曜日の間といっても明けたら金曜日だから来るだろうと思っていた。まあ、何度も「いつ」と書いていない標識を立てて行って、カレシが市役所に苦情を言ったことがあるから、のんきなお役所仕事も少しは向上したのかもしれない。

ところが、正午に起きたら、また轟音が近づいて来る。外を見たら、小型の清掃トラックがちょうどカレシのトラックの後を掃いていた。何でこっち側を掃いているの?と思ったら、いつのまにか向こう側にあった標識がこっち側に移動しているじゃないの。寝る前の午前3時に我が家の側は駐車禁止になっていないのを確かめたのになあ。てことはけさになって移したんだ。そんな直前になって標識を立てたって誰も見ていないから、ゆうべからずらっと路上駐車のまま。どこかへ移動しようにも数が多すぎる(市が民間のトウトラックを呼んで無料で適当な場所に移動してくれる)。そこで、駐車している車がなくて、小型の清掃トラックが入れるところだけをちょこちょこと掃いて回っているってわけかな。このあたりでなるほど~と思ったんだけど、朝食が済んだ頃にもっと大きな清掃車が来て道路の向こう側を掃除して行った。夕方になってもこっち側に移った(月曜から金曜までの「駐車禁止」の標識はまだ残っているけど、これって来週の月曜日から金曜日のいずれかの日に掃除に来るってことなのかな。てことは、清掃が済むまでは念のために毎晩トラックをよそへ動かしておかなければならないってことかなあ。どうなってんだろう・・・。

お役所、お役人のやることには見るからにあほらしいことが多いけど、ときとしてあんまり巧妙なもので、時間が経ってから思い出してやっと理解するようなこともやる。そんな例に出会ったのが、10月末にデンバーへ行ったときのアメリカ入国管理官。カナダの空港からアメリカへ飛ぶときは、どういうわけかカナダ側の空港のアメリカ行き専用ターミナルで入国審査と通関をする仕組みになっている。カナダ人は指紋を取られないから、入管の手続きはふつうパスポートを見せて、何の用でどこへ行って、いつ帰ってくるかと聞かれて終わり。ところが、デンバーへ行ったときは2人のパスポートを一緒に出したら、入国管理官が立ち上がってワタシのだけを天井の照明にかざしてためつすがめつ。そして、こっちを見ないでやぶから棒に「キミたち、夫婦?」と質問。もちろん2人は反射的に口をそろえて「イエス」。そうしたら、どさっと椅子に腰をおろした管理官氏、2つのパスポートを読み取り機に通して、にこやかに「Have a nice day」。

搭乗口に向かって歩きながら、2人して「何だったんだろう、あれ」。明らかにワタシのパスポートだけを偽造じゃないかと疑った感じだよね。異人種カップルだからかなあ。でも今までこんなことは一度もなかったよねえ。異人種カップルなんぞ、バンクーバーの空港じゃあ珍しくもなんともないしねえ。ホームランドセキュリティか移民局あたりから「アジア人がカナダのパスポートを出したら詳しく調べるべし」とかいう特別な通達でも出ていたのかなあ。まあ、後になってもっともらしい答を出したのはバーバラだった。「パスポートの生年月日と見かけの年令が合ってなかったのよ」と。つまり、ワタシが偽造パスポートでカレシと夫婦を装ってアメリカに密入国しようとしたと疑われたということらしい。あら、やだ。(そういえば、数年前にニューオーリンズのホテルでも「結婚してどのくらい?」と聞かれたっけ。30年と言ったらお口ポカンだったけど、あれも・・・?)

まあ、今だから「あら、やだ」で済むんだけど、これがひと昔前の「独身妄想」のカレシだったら、イエスと言うのに一瞬ためらったりして、エライことになっていたかもしれないな。お役所って、時には「あれ?」と思うような心理作戦に出てくることもあるから、油断がならない。

美は不公平でも老いはみんな平等

1月15日。土曜日。湿っぽいけど、暖か。正午でもう10度まで行ってしまっている。今夜から日曜日の夜までに40ミリも雨が降るんだそう。雨で40ミリと言うと、雪になって降ってきたら何センチくらい積もるのかな。でも、あんまり春っぽい陽気なもので、ストラビンスキーの『春の祭典』を聞かせたら、植物は芽を出し、動物は萌えてしまうんじゃないのかなあ。だって、春だもん・・・ね。

今日はカレシがヘアカットとの予約を入れていたので、いっしょに行ってワタシの予約を来週に入れた。なにしろ去年の4月からずっとカットしていないもので、前髪が鼻のてっぺんに届くほど伸びてしまって、目の前にかかって邪魔なことはなはだしい。おまけに顔の皮膚を刺激してかゆくなって来るし、一度は垂れ下がってきた髪の毛をコンタクトレンズと一緒に目の中に入れてしまって、いや痛かったの何のって。それにしても、若い頃に比べると髪の量が目に見えて少なくなったなあ。頭の上の毛をすくって持ち上げたら、かなりの白髪が目立つし・・・。

まだ年令よりもいくらか若く見てもらえて、その調子に乗って若々しい気分でいられるのはいいことなんだけど、実年令は本人の意向にはおかまいなしに重なって行くしくみになっているから、黙っていても、誰にでもやがて「老後」が来てしまう。この時間の流ればかりは健康サプリも美肌ローションもボトックスも止めることはできない。止められないと(たぶん)わかっていても、止めたいと思い、「止められる」と囁く巨大産業の甘言に乗って永遠の美肌への夢を買ってしまうのが人間なんだろうけど。でも、年を取るのが嫌だ(怖い)という理由が「老後の不安」だとしたら、どんなに努力して外見の「若さ」を保ったところで、結局は無駄じゃないかと思うんだけどね。働いていれば、一定の年令で「定年」になって老後が始まるんだし、働いていなくたって、配偶者が定年退職すれば自分も否応なしに「老後の生活」に入ってしまうわけだし・・・。

小町のいろんなトピックを見渡してみると、老後の生活が不安でいても立ってもいられない様子が手に取るようにわかる。婚活に熱心な女性たちには、(自分の)老後が心配だから早くそれなりの収入の男と結婚して子供を産んでおきたい人が多いようだし、子持ち派と子なし派の論争でも、子供を持たない選択をした人たちの老後を誰が見るのか(自分の子供に負担がかかって来る)というのが対立の焦点になることが多い。独身の兄弟姉妹がいれば、親亡き後の老後のめんどうが自分に降りかかってくるのはごめんだというし、夫婦の間でもどっちがどっちの親のめんどうをみるかでもめているところが多いし、はては(自分の老後を視野に入れて)手塩にかけて育てた子供がめんどうを見てくれないと嘆いている老親たちも多い。

でも、どのトピックからも自助の精神があまり感じられないのは、やっぱり安心できる老後を誰かに提供してもらいたい、誰かに依存したいということなのかな。(そのくせ他人に対しては「頼られるのは嫌だから、寄りかかって来ないで」と言ってる感じだけど。)たしかに、年金制度はごちゃごちゃのようだし、雇用もめちゃくちゃに不安定らしいし、国の予算の半分以上が借金でまかなわれるというし、年を取ってからの暮らしに不安を感じるのはわかるな。先立つものがあれば介護施設に入ってめんどうをみてもらうこともできるだろうけど、その先立つものがなくては老後は貧乏になるし、最悪の場合ホームレスで孤独死なんてことになりかねないしね。(そうならないために年金制度があるんだし、そうなりかねない事情がある人たちのためにはお金(税金)を出し合ってめんどうをみる社会の仕組みがあるはずなんだけど・・・。)

昔から「寄らば大樹の陰」というけれど、どんな大樹だって、虫食いになったり、大風が吹いたりして、いつ倒れるかわからない。あてになるかどうかわからないものに寄りかかるよりは、自分の根をできるかぎり太く、深く伸ばした方が安心できるんじゃないのかな。ま、かなりの自助自立エネルギーが要求されるけど、後になってから楽じゃないかと・・・。

窓のない家ならいいのかな?

1月16日。日曜日。今日も記録的な暖かさ。日曜日なのに近くの家の新築工事現場で重機を使って何やら作業をしていて、最初に目が覚めたのは10時過ぎ。(市の騒音防止条例では、日曜日は午前10時前に騒音を出す機械を使うことはできない。)そのままうとうとしたけど、11時半には起きてしまった。眺望270度の二階の窓から見える範囲に新築中の家が2軒。まあ、12月は住宅の建築許可の発行件数が大幅に増えたそうだから、高すぎるとか何とか言いながらも、新しい家がどんどん建っているということか。土地の値段と工費とマージンと不動産屋の手数料を合計したら、こんなごく普通の住宅地でもやっぱり軽く100万ドルを超えるな。古い家の建て替えが多いと言うことは、その値段でも売れるってことか・・・。

そろそろ次の仕事にかかろうかなあと思いながらのんびりとオフィスに下りて、PCが立ち上がるのを待っている間にきのうから見始めた『ストレスと身体』というDVDを見る。講師は『シマウマはなぜ胃潰瘍にならないか』という本を書いたスタンフォード大学の教授で、縮れた長髪を後で束ねてひげもじゃの神経病学者。立て板に水のようなかなりの早口の講義なんだけど、その話しっぷりがめちゃくちゃにおもしろくて、とうとうぶっ続けで3コマ(1時間半)も見てしまった。もう30年も夏休みごとにアフリカへ行って野生のヒヒを相手に、ストレスによる病気の研究をしているとか。うん、こういう先生がいたら、学校での勉強もストレスなんかまったく感じなくて、毎日の講義が楽しいだろうなあ。

ストレスと心臓、ストレスとメタボリックシンドロームの関係がわかったところで、小町をのぞいて見たら、カーテンを開ける、開けないの議論をやっていた。マンションで窓のレースのカーテンを妻は閉めておきたいのに夫は開けたがるから夫婦喧嘩になる。勝敗はどっちかという相談なんだけど、まあ、そんなことでの夫婦喧嘩は犬も食わないからいいとして、閉める派と閉めない派が喧々諤々の大?論争。日が当たりすぎるからレースのカーテンを閉めると言うのはわかるな。まぶしいし、夏だったら家の中が暑くなるものね。(ガラス越しでも紫外線は危険だから閉めておけという人もいるけど。)散らかっている家の中を他人に見られたら恥ずかしいから閉めておく、というのはどうかなあ。恥ずかしかったら掃除すればいいじゃないかと思うけど、ま、そのヒマがないのかもしれない。家の間取りや不在や家族構成までわかると「泥棒に入られるかもしれない」から、「子供が狙われるかもしれない」から、閉めないのは防犯上危険というのは「リスク管理派」なんだろうけど、日本がそんなにも物騒なところになったなんて信じられないな。

それにしても神経質な人たちが多いなあと思うんだけど、それも家の外がすぐ道路だったりして、通る人の目が気になるんだろうし、それに「安全」の観念も違うだろうから、そういう環境ではしょうがないか。それでも、他人に見られたくない、目が合ったら嫌だ、見ていると思われたら嫌・・・これって一種の視線恐怖症じゃないのかな。なんだかじっと息を殺して、身を潜めて暮らしているようで、読んでいるうちに緊張感が伝わってきたけど、常にそういう精神的なストレスにさらされていると心臓や血圧に良くないと思うよ。カレシもカーテンやブラインドを閉めたがる方で、わりとアスペっぽい性格だから外の光や音への反応が違うんだろうと思っていたけど、はて・・・。

特にびっくりしたのは、「迷惑だから閉めろ」という意見。曰く、「丸見えにされる周囲の人たちにとって迷惑」、「目のやり場に困るのでレースのカーテンだけでも閉めておいて欲しい」、「覗く気がなくても目に入ってしまって気分を害する者もいる」、「見ないようにするのはけっこう気疲れするから迷惑」、「開けっ放しにされると、逆に見られているような気がして気が休まらない」云々。しまいには、カーテンを開けっ放しの人には相手の立場に立って考えられない人が多いという意見まで飛び出す始末で、なんだかみんな人間嫌いなの?つまりは「私が気分を害したり、気疲れしなくてもいいように(私に)気を遣え」ということなの?人が住んでいるところではおちおち道路も歩けないような雰囲気で、すごいストレスになりそう・・・。

古女房の家庭経営管理学

1月17日。月曜日。轟音が近づいてきて目が覚めた。午前8時43分。どんどん近づいてきて、ぐわ~っと家の外を通過して、かなり急激に遠ざかって行った。道路清掃車のお通り。やれやれという気分になって寝なおして、起床は1時近く。この頃は工事だのなんだのと騒音が多くて、少しくらい早めに寝ても、睡眠時間が半分も行かないうちにいったん目が覚めてから本格的に眠るもので、起きる時間がどんどん遅くなる傾向がある。困ったもんだけど・・・。

ま、とにかく道路清掃が済んで駐車禁止の標識が消えたのは何より。ごそごそと起き出したカレシはトラックを元の場所へ戻すために早速外へ出て行った。家の防犯アラームの解除を忘れなかったのはエライ。寝るしたくをする頃になってトラックを動かさないのかと聞いたら、「何で?」と来た。道路掃除が来るから、寝ているうちにトラックをどこかへ持って行かれるよと言ったら、「勝手に持って行けばいい」とけんか腰。おいおい、ワタシは市役所じゃないんだから、けんかを売られても「あ、そう」と返品するしかないからね。ほんとに「あ、そう」と言ったら、ものの数分もしないうちに「トウトラックの騒音で目を覚まされるのは嫌だから、動かすことにした」と言って外へ出て行った。あっ、そう。でも、押すボタンを間違えたらしく、トラックのアラームがけたたましく鳴り出した。午前3時半。んっとにまったく近所迷惑・・・。

目が点になるようなカレシの行動の決定心理を見ているとおもしろい。ワタシが「○○したら?」と言うと、たいていまずは「ヤダっ!」という反応。このあたりがわかって来るまでは、ここでなぜ○○をすべきかという説諭になってしまって、カレシは実際にするべきとわかっていても亀のように頭を引っ込めてひたすら拒否に出る。結局はしょうがないからワタシが自分でやる。そこでカレシが「オレのもの」と見ているものが絡むと、今度は自分の縄張りを侵害されたと怒り出し、いくらカレシがやらないから、ワタシがやらなければならなかったと説明しても、謝るまで怒っていることが多かった。それで、次は差し出がましいことはしないでおくと、今度は「オマエがやらなかったから(支障が起きた)」と怒る。これは「ああいえばこういう」型のモラハラ族の常套手段なんだろうけど、そこがわからないうちはつい振り回されて疲れてしまう。

そこで、基本的に「提案/サジェスチョンは1度きり」のポリシーを導入して、こっちの「○○したら」というサジェスチョンに拒否や反論が返って来たら、「あ、そう」でピリオド。カレシにはこれがなぜか効き目があるようで、たいていはその「○○」をやる。そのときになんたらかんたらと「やる」理由を並べるからおかしくてしかたがないけど、よけいなことは言わずに「うん」とだけ返事。とにかく、やらなければならないことをやってもらうためにそれとなくやる気にさせるのが狙いなので、カレシのようにとりあえず抵抗してみなければ気がすまない性格には放任主義で行くわけで、カレシとしては自分の発案、自分の主導という気分になって顔が立つし、ワタシもやるべきことが平和裏に実行されるので、めでたし、めでたし。

カレシは手先が不器用なので、そそっかしいワタシよりも物を落としたり、ひっくり返したりすることが多い。時には「あぶないな~」と思って見ている目の前で事故が起きる。その瞬間にカレシはパニック状態で自己防衛モードのスイッチが入って、ああだこうだと「自分の落ち度ではない」理由を並べるけど、ワタシの方はさっと後始末を開始する。ただし、後始末をしてやるというのではなくて、後始末の「行動」をデモンストレーションするだけ。後始末をしながらカレシの言い訳に反論したり、叱ったり文句を言ったりはしないから、カレシは突っ立っているわけにも行かなくなって後始末に加わる。そこでワタシは「手伝い役」に回る・・・要は、何か問題が起きたときに現場をほったらかして責任追及に向かいがちなカレシの視点を「とりあえず何をすべきか」に向けるのが狙い。後始末が終わる頃にはカレシも落ち着いて、自分なりの原因究明をする気持になっていることが多いから、うんうんと聞いていればけんかにもならずじまい。

いうなれば一種の亭主操縦術なのかもしれないけど、こういう戦術は「2人の家庭」を運営して行く上で必要なことにだけ発動しないと、険悪な心理戦に発展しかねないから、かなりの自制が必要になる。それでも、誰だって結婚したときはどんな優しくてかわいい恋女房に見えたとしても、何十年も頭を使って「かみさん業」をやって来れば、良し悪しはともかくとしていろんな「家庭経営管理」の知恵がつくものらしい。知識はパワーなりと言うけど、知恵もパワーなり。つまりは、古女房は強しってことなのかなあ。

どっちの方角に向いているか

1月18日。火曜日。めずらしく静かな朝。と言っても午前11時半だけど、AMだから朝は朝。何だかちょっと冷えてきた。まあ、まだ1月も中旬なんだし、2月になってドカンと寒波が来ることだってあるから、雪さえ降らなければいいか。どれくらい昔だろうな、クリスマスがぽかぽかと暖かで、2月になってマイナス10度というような寒波が来て、「先に春が来てから冬なんて、狂ってるねえ」とあいさつ代わりに愚痴っていた時期があった。そんな冬が2、3年続いたような・・・。

きのう入って来た急ぎの仕事をささっと済ませて、納品ついでに(郵便事情がおかしいので)郵便物が届いているかどうか聞いてみたら、きのう配達されたと言って来た。郵便局へ持ち込んだのは12月15日。。それが太平洋を越えるのに1ヵ月もかかるなんて、大昔の帆船だってもっと早く行けると思うけどなあ。年が明けたというのにまだクリスマスカードがちらほらと届いていてヘンだと思っていたけど、定形外郵便や小包は、アメリカから2週間半、オーストラリアから3週間、ドイツからはなんと5週間(!)。どっち方向を見ても遅れているということは、問題はやっぱりヨーロッパとアジアの間にある「カナダ」なんだろうなあ。まあ、カナダポストは国営だった頃から非効率で不親切なんだけど、いくら郵便物が爆発的に増える季節ではあっても、この遅れは異常だな。テロリストが郵便物に爆発物を仕掛けたりするから、神経質になっていると言うことも考えられるけど、12月には東京から1週間で着いた小包もあったし、ふむ・・・。

大学構内の超お高いコンドミニアムの隣にホスピスが建設されることになって、コンドミニアムの中国系の住人たちが「我々の文化にとってタブー」ということで猛反対しているという話で、中国系カナダ人の団体が、反対する住人たちは中国文化をネガティブな形で持ち出して「中国系カナダ人の評判を傷つけている」として、反論する記者会見を開いた。曰く、中国の文化には敬老と介護の伝統がある、ホスピスが家族にあく運をもたらし、幽霊に悩まされるというのは奇怪な理由で「未知のものに対する恐れと無知」に基づいている。中国系カナダ人の全国組織の会長曰く、「自分は香港の人口が密集したハッピーバレー地区の墓地の隣で育ったが、みんな繁栄しているよ」と。そう、不老不死じゃないんだから、中国だってみんないずれは死んで墓地に葬られるはずで、家族は墓参りだってするだろうにね。

市民教育教会とか言う団体の(中国系名前の)会長は「一部の新移民による自分たちが知らないことへの恐怖感に尽きる」と言っている。でも、外国に移民すること自体が「未知」の世界に自ら飛び込むことじゃないかと思うけどなあ。地元で生まれ育った人たちには超高嶺の花のコンドミニアムを買えるくらいの裕福な移民だったらそれなりの広い視野や教養があるはずだろうに、まさか「これが我々の文化・習慣なんだ!」と凄めば、言葉や文化や習慣が違ってもどうってことないやと思っているわけじゃないだろうな。移住先のあちこちでそういう押し付けやごり押しをやっては反感を買っている人たちもいることを知らないのかな。何世代も苦労してカナダに地位を築いてきた中国系カナダ人が懸念しているのはそこなんだけど、情報管制がある国から来た人たちだから、どんなに高学歴でもあんがい知らないのかも・・・。

まあ、日本人でもそういう「無知」なタイプが世界中にいるのは、小町やローカルの日本語掲示板を見れば一目瞭然だけど、日本の文化や習慣を押し付けてその土地の習慣や制度の変更を迫れるだけの勢力がないから、同胞の間だけで移住先の文化や習慣、(配偶者も含めて)その土地の人間を劣等と見下したり、同胞に「日本人らしさ」、「日本人の誇り」を押し付けることで日本の文化や習慣の固持を図って、排他的という評判を取ったり、威圧的だという反感を買わずに済んでいるだけで、バブルの頃にはその芽が見えていた。ま、「異なるもの」と交わるには誰でも大なり小なりの違和感を克服しなければならないはずだけど、概して教養や視野に広がりのない(内向きの)人がそういう状況に遭遇したときに「自分が慣れ親しんで来た通り」を願うのは人種に関わらず共通する心理なのかもしれない。

それでも、ホスピス反対の根幹にあるのは「資産価値」の問題に尽きることは間違いないと思う。ずっと昔読んだ雑誌に、戦前にアメリカに移民したアジア人のうちで、中国人は少しでもお金が貯まると土地を買ってアメリカに根付き、巨富を築いた一族もいたのに対して、日本人は「故郷に錦を飾って帰る」ことが成功目標だったから、新天地に根を下ろすという考えはあまりなかったと書いてあった。どうやら移住先でどっちに顔を向けているかという違いは今もなおそれほど変わっていないのかもしれないな。(ローマ神話にはヤヌスという前と後ろに顔のある門や入口の守護神がいるけど、その名にちなんだ月が1月(January)・・・関係ないか。)

余談だけど、例のホスピスは元々大学の学生寮の近くに建設する計画だったのが、学生寮側から「静かにしなければならないのは苦痛」という理由で反対があったために、問題の場所に変更したのだそうな。まさに、人はいろいろ、文化もいろいろ・・・。

ストレスとダイエットは孫の代まで

1月19日。水曜日。ゴミの収集日で、リサイクル車のドシャンガッシャンで目が覚めたのが午前6時54分。どうしてこの頃はこんな早くに来るんだろうな。「収集日の午前7時までに出せ」ってことは、午前7時より前には来ないということじゃないかと思うんだけど。ひょっとして時計が夏時間のままになってたりして。むにゃむにゃと考えているうちにまた眠りに戻ったのはいいけど、今度は何かに追われて逃げ回っている夢を見た。こういう怖い夢はだいたい危機一髪!というところで目が覚めてくれる。(なぜか自分が殺された夢を見たことがあったけど、あれは怖くなかった。なにしろ後から誰かにいきなり頭をガンッとやられて、あ、ワタシ、死んじゃった・・・ヘンな夢。)

追われて逃げる夢では、足が地面にくっついて動けないときと、ふわふわと空間を遊泳しているようなときがあるから不思議なんだけど、けさのはなぜか朝もやのようなピンクっぽい色をした空間を鉄腕アトムみたいな感じでヒュ~ンと飛んで逃げ回っていたような気がする。ふむ、悪夢のはずなのに、ヘンなの。鉄腕アトムといっても、まんがを読んだわけじゃないから、ただそんな感じがしただけだし。(子供のときは『まぼろし探偵』が好きで、男の子の雑誌を買って読んだし、どうやって手に入れたのか覚えていないけど、親に内緒でおもちゃのピストルを持っていたことがあった・・・ヘンな女の子。)

カレシを教室に送り出して、『ストレスと身体』の講義の第6回目を見る。テーマは「ストレスと成長」で、まずはストレスの胎児への影響。成人病は胎児期から始まる(FOAD)という説があるそうで、第二次大戦中にナチドイツがレジスタンス活動への報復処置としてオランダへの食料輸送路を断ったため、オランダは「飢餓の冬」に見舞われて何万人もの餓死者を出したという。そのときに妊娠初期の胎児だった人たちは、飢餓に備えるための栄養分や脂肪の備蓄効率が高くて、成人してからメタボ症候群になる確率が普通の20倍にもなり、その中で女性たちが成長して生んだ次世代も同様にメタボ症候群になりやすい体質なのだそう。今ではその孫世代にも同じ傾向が見られると言うから、三つ子の魂なんとやら。見ていて、日本のニュースに低体重で生まれると大人になって生活習慣病になりやすいというのがあったのを思い出した。

さっそく記事を検索して、じっくり読んでみたら、オランダの「飢餓の冬」のことが引用されていた。日本では早産でもないのに低体重の赤ちゃんが増えていて、厚生労働省の統計から計算すると、低出生体重児が約10%と、先進国中ではトップクラスとか。さらに、若い女性の痩せ願望で、20代の女性ではBMIが18.5以下の「やせ過ぎ」が20%以上もいて、カロリー摂取量は年々減少し、妊婦でさえカロリー不足なんだそうな。つまり、おなかの中で戦争中のオランダの胎児と同じような飢餓状態に置かれた赤ちゃんは、ストレスホルモンのグルココルチコイドが生まれつき多く、生理的に常にストレス状態になるために成人病になりやすいという。(ただし、「適切な育児と生活習慣指導で、発症は抑制することが可能」と考えられている・・・。)

新聞記事では言及していなかったけど、いつもグルココルチコイドが多いと、学習能力や記憶力にも悪影響があるし、不安症にもなりやすいそうで、サポルスキー先生の講義と、新聞の記事から垣間見る世相や小町などの掲示板での人間模様の印象を重ね合わせて見て、な~るほど、そういうことだったのかなあ、と勝手にヘンに納得した気がした。そういう状況で低体重で生まれたのが女の子の場合は、効率的に栄養を蓄えるようにプログラミングされているので、大人になって妊娠したときに本来赤ちゃんに行くべき栄養分を横取りしてしまうために、太らないためのダイエットをしなくたって低出生体重の赤ちゃんが生まれて、そのコマンドやがて大人になって成人病になる可能性が高く、おまけに学習力や記憶の問題や情緒不安定に悩まされるかもしれない・・・という悪循環になってしまうらしい。

まあ、飽食の国で命を授かったのに飢餓にさらされて生まれてくる赤ちゃんもかわいそうだけど、国の将来にとってもなんか危機的な状況じゃないのか・・・と、ヘンな心配、かな?

健康な食生活はお金がかかる

1月20日。木曜日。ヘンな夢も見ずにわりとよく寝て、わりとすっきりと起きたら、カレシが「雪が降った~」と頓狂な声。そんな予報なかったけどなあ、と思って窓の外を見たら、ほんと、芝生がうっすらと白くなっている。まあ、ここんところちょっと冷えていたから、雨と雪の境目のきわどい温度だったんだろうな。もっとも、昼のテレビニュースを見たら、バーナビーやニューウェストミンスターのあたりは「うっすらと白く」なんてもんじゃない。テレビカメラの目の前で通りがかった車がスリップして、くるりと方向転換。今来たこの道は、危ない、危ない・・・。

午前4時には雪が降るような気配はなかったから、雨が雪に変わったのは明け方か。かなり突然のことだったらしく、気象台はあわてて「降雪注意報」を出したけど時遅し。交差点の赤信号で止まって、信号が変る頃になって突然左折(あ、日本では右折かな)のシグナルを出すようなもので、直進すると信じて後に付いた後続車はみんな立ち往生・・・ま、そんな感じかな。この「降雪注意報」も午後には早々に解除になったと言うから、いったい何だったんだ?なんか二十一世紀になってから多いなあ、このknee-jerk reactionと言うヤツ。足を組んた膝のお皿のあたりをポンと叩くと、足がピョンと跳ね上がる、あれ。反射的な行動のことを言うんだけど、コンピュータやビデオゲームが普及して、何でもかんでも「クリック!」の世紀だからなのかな。ちなみに、降雪注意報を出してから解除するまでの積雪量はせいぜい3センチかそこいら。雪国の人が聞いたら、おなかを抱えて笑い転げそう・・・。

今日はいくつもの新聞サイトにウォルマートが健康な食品の販売を拡大すると言う記事があった。口うるさいほど健全な食生活が叫ばれている今になってなんでウォルマートが?と思うけど、実は何日か前に、ウォルマートが進出するとその地域の低所得層の肥満率が高まる傾向があるという研究結果が発表さればかり。ウォルマートは一度だけ入ってみたことがあるけど、要は何でもあって何でも安いメガスーパーという印象だった。そのウォルマートが店を出すとどうしてその町の特に低所得の人たちが太るのか?それは、加工食品の値段が安くなるので、それだけ多く買って、買っただけ多く食べるようになるからだそうな。加工肉製品とかレンジで温めるだけの冷凍食のような安くて手軽な加工食品は、低コストで満足感を与えるために塩分や糖分、飽和脂肪が多く使われていて、その分カロリーがぐんと高くなるということらしい。

太古の時代から塩は食品の保存料だし、脂はエネルギーの素。ストレスにさらされた後は甘い炭水化物が食べたくなるそうな。だから、加工食品や冷凍食には塩がたっぷり入っていて、ほんとはうま味なんかないのをカムフラージュしているし、動物性脂肪はそれだけで「食べた!満足!」という気分になるらしいから、たっぷりの大サービス。最近の日本人は動物性の脂が好きなんだと思うことがあるけど、最高級のビーフは肉に脂が混じった「霜降り」だし、マグロならトロ、それも大トロといった感じで、どっちにしても脂肪を味わうために食べられるという感じがするんだけどな。動物を捕まえて主食にして来た狩猟民族と違って農耕民族だから、ひょっとしたら食べられるときにまとめ食いする習慣がついたのかもしれない。

昔はごくごくたま~に食べられる程度だったから健康問題は起きなかったんだろうけど、今では人工的に脂肪分の多い牛やマグロを作れる時代。マグロなんか蓄養とか言う方法で、地中海あたりでまだ産卵していないような若いマグロを捕獲しては囲いの中で超高脂肪の餌を与えて、日本向けに魚体の40%が「トロ」という超メタボのマグロに育てるんだそうな。(まだ産卵したことがないのを捕獲するわけだから、地中海のマグロ資源は増えないどころか、どんどん減って絶滅してしまう・・・それが先のマグロ漁獲規制問題の論点だった。)なんだか、ガチョウに無理に大食いさせて脂肪肝(フォアグラ)にしたのをありがたがって食べるのと似ているな。

話がずれて来てしまったけど、いわゆる「美食」はたしかにお金がかかるけど、そういうのは普通の人はたまに食べるだけだからまだいい。現代は普通に健康的な食生活を維持するにもお金がかかるようになって来たもので、低所得層は健康面でも割を食っているという・・・という話。


2011年1月~その1

2011年01月11日 | 昔語り(2006~2013)
1年のすべてが元旦に決まる?

1月1日。元旦。2011年。晴れ。気温は氷点下。起床は正午。日本的には「正月早々から朝寝とは」ということになりそうだけど、ワタシたちには「今年も普通に始まったね」というところかな。あんがい、幸先が良いと思うけど。バンクーバーの元旦の行事は寒中水泳Polar Bear Swim。1920年に始まった伝統行事で今年は第91回目。午後2時30分にスタート。だけど、超暖冬の去年と違って、かなり冷たそう。もっとも、超寒波の最中だった2009年は水の中にいるほうが温かいくらいだったそうだから、「すべては相対的」。

我が家の元旦は、オレンジジュースにシャンペンの「ミモザ」をお屠蘇代わりにして乾杯するだけで、お雑煮もないし、おせちもない。ずっと昔に1度か2度はお雑煮を作ったことがあったけど、まあ、カレシはおもちが苦手だし、ワタシも特に好きというわけじゃないので元旦だから食べたいという気にはならない。だいたい年越しは大みそかがメインで、みんなパーティでどんちゃん騒ぎをして行く年を送り、来る年を迎えるから、元旦は静かに二日酔いの養生をする日になる人が多い。

考えてみると、祝日は1日。のNew Year’s Dayだけで、「正月」とか「新春」、「迎春」という観念はない。そういえば子供の頃に、寒さの厳しい冬のまっ最中なのになんで「春」なんだろうと不思議でしょうがなかったけど、中国では旧暦の正月を「春節」というし、旧正月の頃には日本の大部分でも梅が咲いたりするだろうから、あれは旧暦の正月感覚をそっくり新暦に移行したということなんだろうな。アジアのほかの地域ではどうか知らないけど、日本人はとにかく区切りをつけては「改まる」のが好きだと思う。(「改める」のはまた別の話だけど・・・。)たぶん四季の変化が定期的ではっきりしていて、うまく「ものさし」の役目をしているからだろうな。それと、日本人は「初」が大好きなんだと思う。だから正月には「初○○」と「○○初め」が満載。

まあ、「お初」は「手垢がついていない」ということで、過剰に清潔好きな人が多いらしいのに通じるところがあるんだろうとも思う。日本のお正月はまた、新年を「祝う」と言いながらも何となく窮屈なところもある。正月早々に何か失敗したり、悪いことがあると、それが1年をコントロールすることになってしまう(からやってはいけない)と言われるから、そそっかしい子だったワタシはお正月が終わって「日常」が戻ってくるまでの三が日をなんとなく戦々恐々とした気分で過ごした記憶がある。正月早々から「あれはダメ、これもダメ」もないもんだと思ったのは大人になってからのことだけど、何かしたら怖いことになるからするなという脅しをかけられるのはあまり楽しいもんじゃない。あんがい、いつも他人が何をする/しない、非常識、マナー違反とうるさい人たちは、お母さんの言うことを聞かずに元旦早々から誰かのことを非常識だ何だとお正月に愚痴ってしまったからそうなっちゃうのかもしれないな。

そういうことで、元旦からトレッドミルをさぼって今年1年はさぼりっぱなしなんてことになっては良くないから、そろそろ着替えをして運動するか。ま、「1年の計は元旦にあり」だし・・・。

極楽とんぼ亭:打ち上げは元旦の祝い膳

明るく晴れ上がった午後、恒例の寒中水泳に2,300人の人たちが参加したとか。気温はプラス2度、水温6度。うぅ、ブルッ。

2011年のBC州のファーストベイビーは午前12時1分に産声を上げた男の子。予定より10日。早くて両親もびっくりしたとか。

濃い夕焼けがみごとな夕方、汗を流した後で、元旦の祝い膳。

元旦のメニュー:
 おせちもどき5種
 生ちらし寿司
 鯛の潮汁

マティニで始まって、少し時間がかかっている間に残りのシャンペンを明け、食事のお供はオレゴン産の日本酒をすてきな江戸切子のグラスで・・・。

[写真] なんちゃっておせちは紅白のかまぼこ、ロコあわび、子持シシャモ、紅白のスズキの蒸し団子、枝豆。スズキの蒸し団子は小分けにするときに切り落とした尻尾のほうをまとめておいたのを玉ねぎと卵白と一緒にフードプロセッサにかけて、半分に食紅で色をつけて、マフィン型に入れて蒸したもの。シシャモは子持ちだから子孫繁栄のつもり。まあ、ワタシたちには今ごろ子孫繁栄もないんだけど。枝豆は豆は豆ということで黒豆の代用。

生ちらしはサケ、タコ、キハダマグロ、ホタテ、エビ、ハマチ、イクラ、イカ。奇数じゃなくて8種類だけど、末広がりってことでいいかな。大きなものは半解凍まで行かないうちに必要なだけ切り分けて解凍。

潮汁はもう1匹を解凍して、頭2つを出汁に使い、切り身と刻みねぎを浮かせた。昔母が作ってくれたのには遠く及ばないけど、塩を控えたのであっさりしておいしかった。

これで飲んで食べてのホリデイシーズンはフィナーレ。少し余裕があるということで、クレムブリュレの残り2個をデザートにして、ついでに生姜のリキュールで打ち上げ。ここまで来て、ちょっと食べ過ぎたかな。(お寿司はご飯が多目になるのでいつも食べ過ぎた感じがするんだけど。)それよりも、マティニにシャンペンに日本酒にリキュールというのは、いくら1杯ずつでも、ちょっと飲みすぎじゃないのかな。でもまあ、これがフィナーレだから。あしたからはいつもの簡単な魚料理の毎日になるんだから。だから・・・。

新年だからちょっと考えてみる

1月2日。日曜日。今日もいい天気。ベッドルームのある二階は八角塔のカーテンを閉めていない窓からいっぱいに日が差し込むので、正午に起きてサーモスタットの表示を見たら25度になっていた。どうりで暑くて目が覚めるはずで、夢うつつにサーモスタットが故障したのかと思ったけど、これじゃあ外がいくら冷え込んでいても、暖房のスイッチは入らない。正午、日陰のポーチの気温はプラス3度。

この冬も地球のお天気模様は極端だな。クリスマス前にはヨーロッパで大雪、大みそか前には北米東岸で大雪、正月前後には西日本で大雪。南半球ではオーストラリアのクイーンズランドで大規模な洪水(ここは2年前にシドニーに行った頃にも州の大半が水に浸かっていた。)人がど~っと移動する時期に重なっているのはどうしてなんだろうな。やっとのことで目的地にたどり着いたと思ったら、もうすぐにとんぼ帰りしなければならないという人も多いだろうな。あんがい、鉄道や車、飛行機といった便利な移動手段が豊富になかった頃は、大雪でもたいした不便はなかったのかもしれないな。極端に過激化する気象は気候変動の特徴なんだそうだけど・・・。

小学生の頃に正月早々に3日。くらい大規模な停電が続いたことがあった。大雪で送電塔が将棋倒しになって、釧路では全市が停電して、水道も止まった。でも、あの頃は石炭ストーブだったので、暖房には困らなかったし、ちょっとした調理もできた。煙突の途中に大きな湯沸しがついていたので、新雪を融かせば湯たんぽに使う熱いお湯にも困らなかった。窓際に陣取って、雪明りで本を読んだような記憶もある。まさに「蛍の光、窓の雪」状態だったけど、子供心にはけっこう楽しい経験だったように思う。ずっと後になって、送電塔が倒れるのは電線についた雪が自重で落ちるときだとわかったという研究結果があった。風があると雪が送電線を巻くようについて太くなり、どんどん重くなるから、鉄塔は足を踏ん張ってそれに耐える。その重みが急にストンとなくなったときに、踏ん張っていた反動で倒れてしまうという話だった。北海道では送電線に着雪を防ぐリングを装着するようになったと聞いていたけど、山陰ではそうしていなかったのかな。

予想に反して今のところは穏やかな冬。やっぱり「のどかな新春」だから、往った年を振り返って、生まれたばかりの新年の行く末を考えてみる。振り返ってみれば2010年はけっこういろんなことがあった。カレシのパパが90歳で他界したのは4月。家族がそろってよく釣りに行った海域に遺灰を流したのは7月。ママが二度目の大腿骨骨折で入院したのが8月。その後の回復が思わしくなくて、生きる意欲をなくしたような時期があったけど、再度の転倒事故で骨盤にひびが入ってまた入院。でも、退院してから思い直したようで無事に年を越した。この5月には94歳。

その間、カレシは感染症やら何やらで、専門医の検査に回されて「もしかして?」とパニック状態。大病をせずに人生を過ごしてきた人間、特に男が「もしかして死ぬ?」みたいなことになると、とにかく周囲の人間、特に女にとっては扱いにくいことこの上ない。あんた、男でしょ!と活を入れたくもなるけど、「ママぁ~」状態になってしまった男にはそれは通用しないから大変。さんざんにパニクって、たぶん慢性化しつつある感染症だろうということになって、少しは大人の対応と自己管理を身につけたように思うけど、なんだか年を取るにつれて亡きパパに似て来たような気もするな。まあ、男は父親を克服することを要求されるようなところがあって、アル中や女遊びやギャンブルで身を滅ぼした男の息子が成人して同じ轍を踏んでしまうことが多いのは、自分には親父になかった自制心がある、自分は親父とは違うのだということを証明したいという心理が働くんじゃないかと思う。まあ、そういう心理自体が自己肯定感のなさの表れじゃないかとも思うけど、男というのは女が思っている以上に生きにくい存在なのかも。そうだとしたら、それは男が作り上げた制度なんだから、女に八つ当たりしないで欲しいけどね。

ワタシはおかげで、というか相変わらずしっちゃかめっちゃかの1年。会議でのプレゼンデビューはほとんどアドリブでナチュラルだったから自分でも呆れたな。元々ちょっとおっちょこちょいで、だけど、ちょっぴり冷めた目で人を見ているところがあって、誕生日の星占いの通りに「形而上学的な疑問」をああだこうだと考えあぐねていて、だけど「最も辛抱強い」おうし座に生まれたおかげで還暦を過ぎてなおまだ人生をギブアップせずにいるし、戊(つちのえ)の子年に生まれたおかげで未だにけっこうがむしゃらに芽を出したがっている。血液型は(医学的には)間違いなくA型なのに、どっかのサイトの性格診断なるものをまじめにやってみたら「B型の性格」という結果が出て来てしまったけど、それもぎっちょのつむじ曲がりの極楽とんぼだからこそ、かな。

2011年。ワタシ63歳。カレシ68歳。カレシの性向を考えたら、少なくとも夫婦としてはある意味で「安全圏」に入ったというところかな。あと2年すれば経済的にもそろって一応の「安全圏」に入って、後はじいさまとばあさまののどかな暮らし。ま、今年も一歩一歩確実に、そして穏やかに年を取ろうじゃないの。結局、人間というのは、年を取ってみなければ良いことを良いこととして味わうことはできないものなのかもしれない。若いうちはそこまで見通すことができないようにできているらしいから、人生はややこしい・・・。

無料だったインフルエンザのワクチン

1月3日。月曜日。今日もいい天気だけど、起きてテレビをつけたら、天気予報で「大雪注意報」が出ていたからびっくり。きのうまで(テレビ局も使っている)天気予報サイトには雪の「ゆ」の字もなかったのに。バンクーバーで雪が降り始めるのはあしたの午後で、積雪量は5センチから10センチ(大雪なんていえるもんじゃないけど)。ところによっては夜には雨に変わり、あさって水曜日の午後には地域全体で雨になる見込み。は、だったら、あした起きてみて雪が降り始めていたら、歩道に融雪塩をまいてやればいいか。どうせ水曜日の(雪かき期限の)午前10時には気温が上がってぐしょぐしょになっているだろうから、もったいないような気もするけどな。

午後には予定通りにモールまでインフルエンザのワクチン接種にでかけた。薬局で資格のある薬剤師にワクチン接種をしてもらえるようになったのは、ごく最近のことじゃないかな。おととしの新型インフルの対策から始まったのかもしれない。大きなスーパーにはたいてい薬局があって、薬剤師がいるから、足りない医者の手を煩わせずに済むのはいいことだと思う。セイフウェイの薬局のカウンターで「フルーショットを2人分」と注文したら、薬剤師の女性がまず州民かどうかを聞いて、次に年令を聞いてきた。カレシは「適格」ということで質問はそこで終わりで、ワタシの方にだけ、職業は、子供との関わりは、慢性疾患は、と次々に質問。薬剤師さん曰く、「有料のワクチンの在庫がなくなって、州の無料ワクチンしか残っていない」と。ははあ、それでカレシは「65歳以上」をクリアして無料で受けられるのに、ワタシにはクリアできる条件がないというわけ。でも、前にホームドクターが「慢性呼吸器疾患」があるからと無料で注射してくれた、といったら、「あ、それなら適格ね。ああ、よかった」。まあ、たしかに30年くらい咳をしているんだけど・・・。

というわけで、2人とも無料でワクチン接種が受けられることになった。有料といってもせいぜい1本20ドルだというし、元からそのつもりだったから有料でいいんだけど、条件付きの無料ワクチンしかないということで、薬剤師さんは夫婦の片方だけというわけにもいくまいと気を利かせてくれたらしい。質問表にずらりと並んだ健康状態や卵や保存料のアレルギーの有無、破傷風などのワクチン接種の有無など確認項目にチェックして、薬剤師さんが重点項目を口頭で質問して再確認して、注射の用意。カレシが「65歳以上で肺炎ワクチンの接種を受けたか」に「ノー」と答えていたので、「ついでにしますか」。何でも、肺炎ワクチンも州のワクチン接種制度の下で65歳以上は無料なんだそうな。ちょっと考えたカレシ、「今日はインフルエンザだけにしておく」と。ま、いつでも受けられるそうだから、いつでもいいんだけど、ワタシは風邪を引くと気管支炎を起こしやすいので、65歳になったらすぐにしてもらおうっと。

右利きのカレシは左腕、左利きのワタシは右腕に注射をしてもらって、無料なのにエアマイルのポイント(スペシャルで通常の10倍)を付けてもらって、「異常がないのを確認するまで15分は店内にいること」という指示で、別に買うものもないけど店内をぶらぶら。結局は手ぶらで帰って来た。(まあ、クレジットカードの残高から、12月の酒屋とスーパー、食品店の請求を拾い出して合計してみて、びっくり仰天したばかりだったし・・・。)

日本も「仕事始め」。懸案のまま年を越した仕事でもない限り、今週いっぱいはまだ「休み」モードでいられるかな。日本には仕事納めぎりぎりに発注しておいて、正月明けまでに!なんてクライアントがけっこういる。よく金曜日午後に発注して、月曜日の朝までにやれと言ってくる発注元に多い。こっちだって週末なのに何なんだと思うけど、(自分が)休みになる前に発注しておいて、(自分の)休み明けにでき上がった原稿で仕事を続ければ(自分の)仕事を効率的にこなしていると思うんだろうな。受注する方は立場が下なんだから(週末だろうが何だろうが)文句を言わずにありがたく思って働けということかもしれないけど、金曜日の午後になると翻訳会社のコーディネータさんたちは大変で、ときには午後7時発の「大至急」メールが飛び込んできたりする。ま、それが日本流の「働き方」なのかもしれないけど・・・。

フリーランスの在宅自営業22年目に入る今年のワタシの仕事前線は「緩やか」でいいってことにしたいけど、はたしてどんなことになるのか・・・。

ベビーブーマーはグレイパワー

1月4日。火曜日。正午起床。気温プラス1度。空模様はいかにも雪が降りそうな色合いの曇り空だけど、まだ降っていない。ほんとに降るのかな。天気予報では、バンクーバーには2センチくらい降ると言っているけど、今どきのブーツの底の厚さよりも少ないのに、それでも「注意報」・・・?

日本ではきのうが仕事始めだからと高をくくっていたら、さっそく仕事が入って来て、やれやれ、こっちも2011年の仕事始め。外資だからかなあ。日本にいたときの最後の仕事は外資だったけど、1月4日。にはわりと早くオフィスを閉めて(ススキノに繰り出したりして)いたような気がする。日本の会社でも、OLたちは振袖を着て行ったりして、新年の挨拶を交わすくらいで仕事らしい仕事はしていなかったような。時代が変わって、この頃は4日。からきちっと仕事にかかるようになったのかもしれないな。年末年始は休みすぎで、国の経済が滞ってしまいかねないもの。

今日の郵便に今年の土地と家の「評価」が入っていた。州政府の機関が前年の夏に鑑定評価して翌年1月に一斉に通知しているもので、バンクーバーは平均12%アップ、川向こうのリッチモンドは中国本土からの移民やアジア系に人気で17%も上がったそうな。ダウンタウンまでの地下鉄が開通したことも要因らしい。我が家の評価額も10%アップで、東京で戸建が2件は買えそうな数字。こんな小さな家にこんな価値があるなんて冗談じゃないよと思ってしまう。市税はこの評価額に対する千分率で査定されて来るから、評価額が上がっただけでも「増税」になるのに、今年は(浪費しすぎて)大赤字の財政を埋めるためにその千分率まで上がることになっている。んっとに、ペーパーの上で資産が増えたってちっともうれしくなんかないけど・・・。

午後3時、白いものがちらり、ほらり。気温はプラス2度。なんだかすぐに雪にはなりそうにない温度なんだけどなあ・・・。

このところメディアにやたらと「高齢化」に関する記事やニュースが登場する。というのも、今年は北米のベビーブーム世代の第一陣が65歳の「定年」を迎える年だからで、年金や医療、介護といった問題が現実になり始める「元年」にあたる。なにしろベビーブームは20年近くも続いたから、人口に占める割合は半端じゃない。人口3300万のカナダでは3人に1人がブーマーというくらいで、良きにつけ悪しきにつけ、「数」の影響力で社会制度や政治、経済の隅々まで変化をもたらして来た。バンクーバーは住宅の価格が高くなりすぎて若い人たちには手が届かないから、郊外に比べて高齢化の進行は早いだろう。自転車レーンだの何だのと若い世代にばかり目を向けたいいかっこしいの市政も、やがて自転車に乗るどころか車の運転もできなくなって「歩行者」になる高齢者に反乱を起こされるかもしれないよ。ベビーブーマーのグレーパワーはそれくらいすごい。

裏返せば、日本のベビーブームはわずか3年しか続かなかったから、政治や社会制度を変えるほどの影響力を持てなかったのかもしれないな。ワタシが小学校に入った頃は1学級に60人近くもいて、「すし詰め教室」と言われた。たしかにあの頃はまだ「戦後」で国が貧しくて学校を増設できなかったのかもしれないけど、行政の方に「3年我慢すれば落ち着く」という、いうなれば「やり過ごせばいい」という考えがあったのは間違いないと思う。すし詰め教室で勉強し、受験戦争の先駆けになり、高度経済成長時代で就職難こそ免れたけど、女性は適齢期の男性の数が少なくて結婚難。なのに、25歳までに結婚しなければクリスマスケーキの半額セールと脅かされ、結婚してもダンナは企業戦士として残業戦線に取られて実質的に母子家庭。そのダンナは身をすり減らして国の発展にまい進してきたのに、団塊の世代と言われて窓際に追いやられたり、リストラされたり。60歳の定年になってみたら、国の年金はまだ5年先。なのに、バブル世代に甘やかした子供が未だに脛をかじっていたり、でなければ現役世代に自分たちの税金で遊んでいると僻まれたりして、なんだか損な世代だなあという気もする。

今日のUSA Todayには、「速く歩く人ほど寿命が延びる」という研究報告が載っていた。65歳以上の人4万人近くを対象にした9つの研究の結果を総合的に分析して、秒速1メートル以上で歩く高齢者は寿命よりも長く生きる確率が高くなるという結論が出たという。特に70代では予想される残り寿命がぐんと延びるらしい。ただし、速く歩けばいいというものではなく、最適な歩行速度は身体が自然に決めるので、歩く速度が健康状態を測るものさしになり得るという話だった。なるほど。そろって60代のワタシもカレシも歩くことにかけてはかなり速い。カレシはワタシよりずっと背が高いんだけど、手をつないで2人とも普通に歩いているつもりでいても歩調が合うからおもしろい。(カレシは脊椎にマイナーな先天的奇形があるせいで、意外と短足。)トレッドミルを時速8キロ(秒速2メートルくらい)に設定しても、ジョギングというよりは「競歩」のような感じだから、ワタシは女性として不相応に早歩きなのかもしれないな。長生き、できるかな?

午後5時。なあんだ、しょぼしょぼと雨が降っている。夜間の最低気温は0度で、まだ「雪」の予報が出ているけど、あしたの朝には雪交じりの雨(あるいは雨交じりの雪)、午後には気温5度で押しも押されもしない「バンクーバーの雨」。今回も塩をまかなくても良さそうだな。では、ぼちぼちと2011年の営業を再開しようか。まずは、オフィスと頭にかかったくもの巣を払って・・・。

あぶく銭はやっぱりしゃぼん玉

1月5日。水曜日。今日はめずらしく正午前に起床。窓の外を見たら、雪は降ったのか、降らなかったのか。よく見たら、日陰の屋根や庭の落ち葉の間に白いものがうっすら。どうにか一応は降ったらしい。今日は12日。ぶりのごみ収集の日で、容器を回収しに出て行ったカレシが、「氷雨だよ、これ」と。ふむ、まだ危ないのかなと思いつつ、テレビの天気予報を見たら、あしたは50ミリくらいも雨が降るんだそうな。雪が降るぞ~と騒いだと思えば、大雨が来るぞ~と騒いで、せわしないったらない。厳冬になるのか、暖冬になるのか、どっちかに決めてくれないかなあ、もう。

カレシを再開した英語教室に送り出して、今年の初仕事にかかる。ま、法律改正の話だから、たいしておもしろいわけじゃないけど、去年は一世一代の大プロジェクトでかなりくたびれたから、今年はあまりすごい仕事はしたくないような気もする。なんていっていると、ぼこぼこと仕事が舞い込んで来る。おいおい、こっちはまだ「おとそ気分」が抜けきってないんだけど。なんでも、日本ではもうさっそく三連休が来るので、「今のうちに発注しとかなきゃ!」ということらしい。やれやれ。でも、そのおかげで、あと何百ドルかでフリーランスの自営業を旗揚げして以来の累積収入が150万ドルに到達する。目がくらみそうで頬っぺたをつねってみたくなる好況の年もあったし、これで終わりかと真っ青になるようなどん底の年もあったけど、あのままオフィス勤めを続けていたら逆立ちしたって夢のまた夢の数字。動機は何であれカレシが背中をど突いてくれたおかげなんで、一時は妬まれて僻まれてのエライ思いもしたけど、まあ、終わり良ければすべて良しということかな。

お金の話では、カナダの高額賞金の宝くじでオンタリオ州の電話会社に勤める19人が最高額5千万ドルを当てて話題になったのはいいけど、後から自分もグループの仲間だという人たちが何人も名乗り出てきて、賞金の支払いが保留になっている。お金を出し合って宝くじを買うのはけっこうどこでも普通にやっていることだから珍しくはないけど、大当たりしたとたんに「参加者」が増えるというのはそうしょっちゅうあることじゃないだろうな。数年前には、バンクーバーの郊外にファストフードの店でオーナーを含めた13人くらいがロトで大当たりしたら、4人の同僚が自分たちも加わっていたと言い出して裁判沙汰になった。最終的には裁判所が後出しの4人にもかなりの分け前(たぶん6けたの額)を認めたそうだけど、そのうちのひとりはそれをあっという間に使い果たして、今また最低賃金で働いているという話だった。まあ、一説に宝くじで大当たりした人は平均3年で賞金を使い果たすとも言われているから、まさにあぶく銭を絵に描いたような話。アメリカではもっともっと大きな目が眩みそうな賞金を当てた人がいるけど、まだ名乗り出てきていないらしい。(ワタシだったら弁護士と会計士を雇ってからにするけどなあ。)

アイスホッケーは、ジュニア世界選手権はカナダがロシアに負けたけど、プロではバンクーバーカナックスが7連勝。破竹の勢いで勝ちまくって、現在リーグ全体の首位というから信じられないような話。だけど、今年はまぐれじゃなくて強い。ふむ、スタンレー杯決勝に出られるか、あるいはスタンレー杯を獲得できるか、賭けてみる?いや、あぶく銭を狙うよりは、まじめに仕事をしたほうが確実に勝てると思うけど・・・。

百万ドルの普通の家を買うのは誰?

1月6日。木曜日。ゆうべはのんきに寝酒なんかやっていて、就寝が午前5時だったので、起床は正午過ぎ。だけど、今日は(仕事の期限以外は)別にこれといって差し迫った予定がないから、しばらくぐずぐずして、おなかが空いてきた頃にゆっくりと起き出した。外は相変わらず湿っぽい。

朝食が終わったら、まずは腕まくりをして今年の仕事第1号を片付けにかかる。夜にはついでにねじ込まれた仕事があって、日本ではもう金曜日だから「鬼門」の日。正月早々からバタバタするなよ~と言いたいところだけど、なんと月曜日は祝日なんだそうな。ええ?年の暮れだ、正月だと1週間近くも休んだばかりだってのに、もう連休なのぉ?それでワタシのデスクにバタバタと仕事が積みあがってしまったのぉ?そんなの不公平じゃないのぉ?といったところで、何ごとも「即」がお家流じゃあ馬耳東風なのはわかっているけど、日本は祝日その他の休みが多いなあ。だから、残業、残業、また残業の毎日になってしまうのかと思ってしまうけど。

のっけからかなりドライな法律関係の仕事をやっつけて、トレッドミルの前にちょっと新聞サイトをのぞいたら、バンクーバーでは去年二階建て戸建住宅の平均価格が100万ドルに達したという記事があって仰天した。カナダの12の主要都市で、バンクーバーが100万ドルで断トツのトップ。2番目に高いトロントはバンクーバーよりずっと大きいカナダ最大の都市だけど、平均価格は60万ドルにあと一歩の数字。全国平均はバンクーバーのほぼ3分の1。まるで狂乱価格のような感じだけど、今年はまだ上昇を続けるって、いったいどうなってんだろう。平均的な世帯所得だと、いくら金利が低いと言っても、いくらベースメントを貸室にしてローンの足しにしても、とっても手が届きそうにない。どこからそんな需要が出てくるのか不思議だな。やっぱり中国や他のアジア地域から裕福な移民が増えているのかな。それでも、ちょっと怖くなる数字だな。

もちろん将来暴落しないという保証はどこにもないんだけどね。ワタシたちが今の土地を買った1982年の夏、高インフレの後の超高金利で経済が失速して大不況になり、住宅価格は急激に冷えていたときだった。買値は数ヵ月前に売りに出たときの売値の60%くらいで、ローンの手続きをしている間にさらに買値から10%も下がって、銀行の担当者に「高すぎる」と文句を言われた。まあ、高すぎるといわれたところで10万ドル以下だったし、ほぼ半分の頭金を払ったから、金利が17.5%でもローンを組めたんだけど、100万ドルじゃあどんなに金利が低くても手も足も出そうにないな。もっとも、この先ベビーブーマー世代が高齢化して戸建を手放すようになったら、供給過剰になって値下がりこともあり得ると思うけど・・・。

まあ、たとえ100万ドルで売れたとしても、劇的にダウンサイズするか、賃貸のコンドミニアムに住むか、バンクーバーを離れるかしない限りは、どこかに別の100万ドルの家を買わなければならないわけで、どんなにマイホームの価値が上がっても、そこに住み続けている間は高級住宅地に住み替えた気分になるわけじゃないし、自慢してみたくても向こう三軒両隣がみんな同じように高くなっているわけだし、結局は売る気がなければどうでもいいじゃないのと思うな。ただし、年に何回も買い手がいるから売らないかと言って来る不動産屋に今まで100万ドルでなら売ってやってもいいと返事をしていたのを、値上げしなくちゃならないなあ・・・。

さて、夕食後はささっと今日2つ目の仕事をやっつけたから、ささっとクリスマスツリーを解体して、家の中を「平常化」することにしようっと。

今年は裏庭の大改修工事?

1月7日。金曜日。目が覚めたときはいい天気。後でだいぶ曇ってきたけど、ゆうべはかなりの雨だったから、ちょっと水気を払うのにいいかな。週末からまた寒くなって、来週の半ばにはまた「雪」の予報だしね。

今日はまずきのう片付けたクリスマスツリーと飾りを納戸にしまう。これがけっこう汗をかく作業。後はエンドテーブルを元の位置に戻し、ダイニングテーブルも拡張板を外して丸テーブルに戻して、これでリビングルームも「平常」の配置に戻った。なんとなくだだっ広い感じがするのは、ぐらぐらしていたダイニングチェア2脚を廃棄処分にするつもりでポーチに放り出したせいかもしれないな。元々湿気の高い東南アジアで作られて輸入された家具なので、北米の乾燥した室内で材料の気が乾燥して、椅子はひとたまりもなくぐらぐら。買ったときは決して安いものではなかったんだけど、その後に買い換えたテーブルは北米産のカシの木で郊外の家具屋が作ったもので、10年以上たった今でも拡張板がぴたっとはまるから、木製家具は材料の産地や組立て地も考えないといけないという教訓だろうな。

今日はトレッドミルも含めて2人とも一日中「休養日」。まあ、休養が必要なのは(やたらとゾウアザラシみたいなあくびをしている)カレシの方だと思うけど、ワタシもぐうたらするのはやぶさかではないから、諸手を上げて賛成。仕事の予定さえ狂わなければ、いつでも休みを取っていいのが自営業のいいところかな。へたをすると週末も何も区別がなくなるのが玉に瑕だけど、たぶんそれも自己管理の腕前次第。もっとも、ワタシはその点ではあまり管理が行き届いているようには思えないけど。ふむ、よっしゃ~とつい気軽に引き受けて慌てる能天気さの改善を今年度の「営業方針」にしてみようかなあ・・・(と、カレシに言ったら、「実行の見込みゼロ!」と笑い飛ばされちゃったけども)。

カレシはサラダの本をキッチンのテーブルに積み上げて、レシピを読みながら、来年はあれも植えよう、これも育てようと、けっこう盛大な構想を練って?いる。問題は裏庭のスペースだな。なにしろ15年前に「他人の生活音をシャットアウトしたい」ということで、かなりの工費で庭の真ん中に大きな池を掘り、滝を作ったんだけど、コンクリートにひびが入り始めて、循環させている水のロスが激しい。おまけに自動給水栓のバルブが壊れて、水が溢れても止まらないし、毎年繁殖のために来ていたカエルもとっくの昔に来なくなった。大がかりな修理をするか、いっそのこと撤去してしまうか。どっちにしても相当な工費がかかるだろうけど、試しにちょこっと池の撤去を提案してみたら、カレシは思いのほか簡単に「うん、そうしたら庭いっぱいにいろんな野菜を植えられるよなあ」。

おお、いい手ごたえ。そう、裏庭の高山植物は前庭に移動して、日当たりのいい裏庭は全面的に菜園にして、何だったらガレージの壁をぶち抜いてがっちりした温室を併設してもいいな。池のポンプに使っている電源を暖房用に回せばいいし、ガレージの屋根にソーラーパネルをつけてもいいし・・・おいおい、だんだん話が大きくなって来たみたい。ついでににわとりを飼って新鮮な卵って、じょうだんじゃない。そりゃあ市の条例でニワトリを飼えるようになったけど、ゴルフ場のコヨーテやらアライグマやらスカンクやらがチキンを食べに集まってきてしまうじゃないの。(日本がまだ食糧不足で飢えていた頃、父が幼ないワタシのために卵を確保しようと庭の小屋でニワトリを飼っていたけど、いつも野良犬の被害に悩まされていた。)ま、ニワトリは抜きで、裏庭の全面改修工事を考える頃合だと思うな。なにせ、カクテルを飲みながら夕涼みを楽しむためのデッキだって、もう5年も待っているのにまだ出現してないもんねえ・・・。

カレシは、梨の木を植えたいね、りんごの木を植えたいね、トウモロコシを植えたいね、かぼちゃやきゅうりもたくさん植えたいね、と今からあれこれ皮算用して、「キミは今年もうんと仕事をしなければならなくなるかもしれないよ」。いいの、いいの。おいしい野菜をたくさん作ってくれたら、ワタシは腕によりをかけておいしい料理をたくさん作って食べるから・・・。

和食オンチはアジア食が得意

1月8日。土曜日。いい天気。寒くなる前兆かな。ゆうべは2人でゆっくりとお風呂に入って、じっくりと芯まで温まって、おまけに寝酒でさらに温めて寝たので、そろって良く眠った。こういうのを「爆睡」というんだろうけど、いつもより早めに寝たのに、目が覚めたらとっくに正午すぎ。年を取ってからよく眠れるというのはいいことからしいから、何時であろうがよく眠れて、それが規則的だったらそれで良しとしとこう。

あんまり天気がいいもので、週末で込んでいるだろうことは承知の上で、少々エンジンがかかりにくくなって来たエコーをドライブに連れ出した。去年の5月に帰ってきて干上がっていたバッテリを充電してもらってからは、かなりまじめに意図的に遠出して来たので一度も上げていない。ま、またぞろ寒波と雪の予報が出ているから今のうちに行こうというわけ。もっとも、天気がいいから「ドライブ」に出かけるという人はあまりいないようだし、日本のようにプロフィールにドライブが「趣味」と書く人もいない。やっぱり生活の上での車の位置づけが違うせいかな。だから、いくら出かけないと車のバッテリが上がってしまうと言っても、カレシはそれだけでは重い腰を上げようとしないけど、手ごろな距離のコキットラムに韓国系移民が集中した結果、大きなHマートができたおかげで、「野菜や魚の買出し」というわりと差し迫った風の理由ができたのは車にとってラッキーだったかな。

帰り道で閑散とした園芸センターに寄って、春の農作業の準備に必要なバミュライトや砂を買って、土曜の午後のドライブは終わり。人間も運動をしなきゃということで、トレッドミルで走ってから、夕食のしたく。カレシがサラダドレッシングを作るのに手間をかけているから、ワタシも大き目のなべにきんぴらごぼうをどっさり。メインはトースターオーブンで炙ったアジの開きとポン酢を入れた大根おろし。冷凍してあった山菜御飯を解凍してめんつゆと山菜を足して炊き直したのを添えて、なんちゃらお惣菜風カフェごはん。ちなみに、「カフェごはん」て、なんちゃらテイストが自慢らしい人たちが騒ぐからどんなにおしゃれな高級食なのかと思って調べてみたら、ひと皿にてんこ盛りの機内食に毛の生えたようなゴハンのことらしい。なんだ、それだったらワタシが毎日30年以上も作って来た「ごはん」と変わりないじゃないの。ま、残りもののご飯とアジの開きときんぴらごぼうでも、一枚のお皿にかっこよく盛って出せば、ちょっとおしゃれな感じがしないでもないかな。盛り付けや食卓への出し方(プレゼンテーション)も食欲増進の要素なんだし。

アジはおいしいからアジ(味)と呼ばれるんだそうだけど、ほんとになかなかいい味で、カレシも「うま~い」。でも、日本にいたときに食べていたという記憶はあまりない。腕を骨折した母の「リモコン」で一度だけアジを処理したことがあるので、それが「一度だけ食べた」という記憶になっているのかもしれない。まあ、アジは熱帯から温帯にかけての海で獲れる魚だそうだから、北海道の東の海は冷たすぎてあまり獲れなかったのかもしれない。それに、ホッケの開きがよく食卓に上っていたから、たぶんあの頃の道東ではアジよりホッケが主流だったんだろうと思う。このホッケもすごくおいしい魚で、アジは何となくホッケに似た味がした。英語の名前を見ると、アジは「horse mackerel」でホッケは「Atka mackerel」と、どっちも「サバ」なんだけど、アジは「スズキ目アジ科」、ホッケは「カサゴ目アイナメ科」でまったく違うからおもしろい。

魚を主食にするようになって、けっこう「なんちゃって日本食」を作るようになった。中国や韓国からの移民がどっと増えたおかげで、T&TやHマートのようなアジア系の大型スーパーができて、日本の食材が手に入りやすくなったせいもあるだろうと思う。カナダに来たばかりの頃は戦前に日本人町があったところに日系人の小さな店があったけど、北海道文化しか知らないワタシにはよくわからない食材が多かった。バブルが膨らむ頃からは日本からの移民も増えはしたけどごく少数だったし、そのほとんどがカナダ人と結婚した女性だったそうだから、日系スーパーを立ち上げられるような規模の新日系コミュニティを作るには遠く及ばなかった。日本食品店もできたけど、折からの猛烈な円高で「ふりかけ」さえ目玉が飛び出るほど高かったし、あまり有用なものがなかった。もっとも、東京に行ってスーパーをのぞいて見るとやっぱりよくわからない食品がたくさんあるから、浦島花子の「和食オンチ」はしょうがないのかな。きっと「なんちゃって日本食」どころじゃなくて、もう「アジア食」と呼んだ方がいいのかもしれないな。

さて、もやしをどっさり買ってきたから、今夜のランチは久しぶりにフォーにしよう。

みんながおひとり様の国

1月9日。日曜日。正午近くなって目が覚めてみたら、カレシがいない。またかと思って、起き出して聞いたら、10時前に起きてしまったんだそうな。「テレビの前で眠りすぎたから」と。きのうはホッケーの中継を見ていたのに、ほとんど覚えていないというから、1時間以上は眠った勘定。おかげで就寝時間を遅らせても、まだ早々と目が覚めてしまう、と。

ワタシは夕食後にテレビの前でうたた寝なんかしないけどなあ。もっとも、テレビを見ないから「テレビの前」でうたた寝しないだけで、たまにオフィスのソファで寝てしまうことはあるけど、それで普通の睡眠が乱れることはあまりないけど。これって一種の加齢現象なのかなあ。つまりはカレシも相当に「じじい」になりつつあるってことなのかな。ま、それはそれでいいんだけど、膝に乗せる猫でも飼おうか。とはいっても、カレシは責任が生じるのが嫌だから生きものを飼いたくない主義なんだそうで、たぶんその延長で子供は持ちたくなかったんだろうし、結婚というコミットメントだって、しないで済むものならしたくなかったのかも・・・。

朝日新聞が始めた『孤族の国』と言う特別連載、紙面に掲載された2、3日。後にはウェブにも全文が掲載される。まず「男たち」にスポットを当てた第1部が終わったばかりだけど、家族どころか社会からも孤立してしまった日本の男たちの姿が痛々しい。国籍こそ「日本」ではなくなっても、「日本人」という民族に生まれたからには一生つながりがなくなるはずのない日本という国なんだけど、読んでいると「こんな国、知らないなあ」とでも言うのか、どこか遠くの知らない国の話のような感じもして来る。加齢や老後の人生といったテーマは、どこの国であったも決して他人事ではない。それなのに、団塊の世代の男たちの孤独で悲しい姿が、世界に喧伝されて来た日本の「家族社会」のイメージとはほど遠いのはどういうことなんだろう。少なくとも民主主義を掲げる「先進国」に連なる経済大国で国民が餓死するというのは異常ではないんだろうか。これだけの人たちがひっそりと死んで朽ち果てるという状況を異常だと思わないんだろうか。何かがおかしいと思わないんだろうか。

高度経済成長と欧米化が「個」の時代の原点だといいたそうな、個人の時代、ライフスタイルや価値観の多様化の時代になって、今そのつけを払うときが来たとでもいいたそうな口ぶりだけど、ほんとうかな。その前の日本では家族、親族、コミュニティが助け合って、孤独死や餓死を防いでいたんだろうか。実際のところ、そのあたりはどうだったんだろうな。個人主義が「孤族」につながるのだったら、本来「個人」を社会の基本とする欧米では常に何万、何十万という高齢者が何ヵ月も隣人にさえ知られることなく孤独死しているはずだと思う。「個人」は必ずしも「孤人」ではないはずなのに、元々個人を尊重する観念がない社会風土に異質な「個人主義」を取り入れる一方で、個人を基本とする社会を構築するような教育や行政を怠って来たのがそもそもの問題だったんじゃないのかな。明治の「脱亜入欧」と「和魂洋才」の文明開化方針で、西洋の文化や技術から都合の良いところだけを取り入れて来た結果なのかとも思う。

去年のお子様プロジェクトをやっていた間も、個性を育てるという方針と、マニュアル的な教育のギャップを実感していた。「考えてみなさい」と言っている割には、手順通りにやって想定通りの結果を出すことを求める、まさに建て前と本音。結果的に、「人の痛みがわかる人間」を育てるはずが、「自分の痛みをわかってくれる人」を期待する人間になってしまうのかもしれない。そうなったらただの自己チュー症なんだろうけど、皮肉なことに、そういう人間ほどその中心であるはずの「自己」がないらしい。頼るべき「自己」がないから他力本願なんだと思う。

生涯未婚率が高まるにつれて、中高年になって「婚活」に励む独り身の男たちが増えているそうだけど、彼らが求めているのは「そばにいてくれる人」。中には外国に出かけて、大金を投じて「妻」を求める男たちも多く、婚活ビジネスの誘いに乗せられて、老後の資金を使い果たしてしまう人もずいぶんいるらしい。だけど、欲しいのは「老いる自分の世話をして、看取ってくれる相手」というのはちょっとばかり身勝手じゃないかなあ。自分が誰かに看取られて死ねればそれでいいと言っているようなもので、それじゃあ、残される妻の暮らしを保障できる遺産を残せるくらいの財産でも持っていない限り、今どきは無理だろうと思うけど。よもや外国から来た妻を金で買った介護要員と思っているんじゃないだろうな。相手の女性をひとりの人間(個人)として尊重しないような自己チュー男は、金目当ての女と悪徳婚活ビジネスに身包みはがされるのがオチだと思うけど。

昔から日本では「家族的な雰囲気」とか「家族的な経営」とか、なんかほんわかとした家族的な社会文化が強調されて来たはずだけど、実は何となく「的」なイメージだっただけで、ほんとうはつながりと言えるほどのものはなかったんだろうか。そんなことないよねえ。だけど、連載を読む限りでは、今の日本はなんか異常に「孤人」の国だよねえ・・・。

B型性格のA型人間の形而上的駄考

1月10日。月曜日。いい天気で、家の中はぽかぽかしているけど、外はかなり冷えているらしい。あしたの夜には雪が降り始めるそうで、予想積雪量は15センチから30センチ。おや、今度は本気らしく、大張り切りの「大雪注意報」が出ている。だけど、「バンクーバーで積雪量を正確に予想するのは至難の業」なんて言いながら、天気予報では「午後8時ごろから降り始める」とけっこう正確な開始時間を予想できるというのは、なんかヘンじゃないのかなあ。ちょっとばかりお芝居の紙ふぶきの「雪」を連想してしまうけど、ほんとにあしたの午後8時くらいに雪が降り始めるのかな。

せっかくの「大雪」で歩道に融雪塩をまいてみるチャンスだと思ったのに、なあんだ、翌日の水曜日の午後にはもう雨なんだって。これでは、午前10時までにと焦って雪かき労働をする人はいないだろうな。どうせすぐに消える運命なんだから、水曜日の朝に頭から布団をかぶってやり過ごせばいいのにな。そうすれば、木曜日には最高気温が7度にもなって、雨。金曜日にも雨。土曜日にも、日曜日にも・・・。だから半日くらいの不便を我慢できないことはないだろうと思うんだけど、何ごとも役所や社会がやってくれると期待するやってちゃん傾向は世界的な潮流なのかもしれないな。まあ、液体として降って来てくれる限りは大歓迎だけど。足の水かきの手入れをしておくかな。

血液型による性格判断の話が出たところで、「血液型 性格 日本」と英語で入れてちょこっとググってみたら、あるある。イギリスのBBCからアメリカのニューヨークタイムズ、CNNまで、日本の「血液型ブーム」を説明(しようと)している記事があった。たいがいは「え、なんで~?」という反応だけど、無理もない。北米には自分の血液型を知らない人の方が多いから、出会った人を判断するのに相手の血液型を聞いても意味がない。カレシだって60代の終わり近くなってもまだ自分の血液型を知らないし、特に関心もない。日本人は靴ひもを結べるようになる前に90%の人がに自分の血液型を知っているとイギリスの大手新聞の記事に載っていた。婚活でも必須情報らしいし、だからFacebookも日本向けだけに特に血液型の項目を作ったんだろうな。

だけど、基本的に4種類の血液型で何億といる人の性格を判断するという思考が不思議だな。「判断できる」と言う人がいるわけで、その人は「この血液型はこういう人間だ」という本を書いて大もうけをしたんだよね。ベストセラーになったと言うことは飛びついた人がそれくらいたくさんいたということだけど、「へえ」という程度の興味だけの人もいたとしても、他人(あるいは自分)を判断するものさしを求めていた人たちも数え切れないほどいたということだろうな。まず相手の血液型を聞いて、「血液型不一致でお付き合いできません」とでも言うんだろうか。実際に付き合ってみたら意気投合するような人かもしれないのに、血液型の本が合わないと言ってるから「合わない」と判断して初めから付き合わないのかな。もったいないという気がするけど・・・。

いや、きっと付き合いはするんだろうな。付き合ってみて、本の説明と違っている(つまり、想定した通りにいかない)から、小町の井戸端で思い通りに行かない人間関係を嘆いたり、憤ったりして、「どうしたらいい?どう対応したらいい?」と見ず知らずの人たちに聞いているんだろうな。不思議な人たちだなあ、ほんと。人間関係にその通りにすれば必ずうまく行くマニュアルなんてあるわけがないと思うんだけど。でも、マニュアルが欲しいんだろうな。何かあっても百発百中のトラブルシューティングのページがついていて安心できるマニュアルが。つまりは、自分の判断を信用していない、自分と言う人間を信頼できないからなのかな。自分を信頼できなければ他人を信頼するのは難しいし、信頼できる「自分」がいなければ人間はすごく孤独だろうと思う。

その「孤独」はそれまで近くにいた人がいなくなったときに感じる「さびしさ」とはまったく違うものだと思うけど、それは何もない見知らぬ空間にいる「孤独」、いうなれば「虚」に通じる「孤」のようなものなんだろうか。だけど、ある社会で「個」の単位が集団であるとしたら、その集団を構成する人間はいったい何なんだろう。マシンの部品ということになるのかな。部品は設計された通りに動けばいい。どれか1個でも(勝手に頭で考えて)想定外の行動をしたら、マシンの運転に支障が出る(つまり、和が乱れる)から迷惑。規格外れや欠陥のある部品はいらないから捨てる。だから、みんな捨てられないようにマニュアルに忠実に動いて、マシンはカッチカッチと軽快に作動する。はて、つまるところはそれぞれに「個(自己)」を育てて来なかった故に「集団の中の孤独」があるということなのかな。う~ん、わかってきたような、やっぱりわからないような・・・。