リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

眼底検査でエイリアンな目

2013年08月20日 | 日々の風の吹くまま
午前10時半起床。就寝は普通に午前4時だったので、眠いけど、今日は11時半に眼
底検査の予約が入っている日。右目に大きなフローター(飛蚊)があって、年が年だし、
目を酷使する仕事だからということで、毎年検査をしてもらうことになって、今回で3度
目。もっとも、このフローターはもう30年くらいフワフワ浮いているものなので、今さら眼
底検査もないだろうと思うけど、念のため。ロス先生が「いやあ、でっかいのを持ってる
なあ」と感心したくらい大きいのがひとつ、いつも目の前に影のように見えるけど、視線
を遮るほど濃くはないので、それほど邪魔にはならない。慣れてるし・・・。

どんな風に見えるのかというと、顕微鏡で見るミジンコを黒っぽくしたような感じかな。
目の動きに合わせて、ふわり、ふわり・・・。左目にも小さなフローターがあるので、退屈
したときには、頭の中で奏でる「スケーターワルツ」に合わせて目玉を右、左、上、下と、
くるくる回して2匹のミジンコを華麗に?踊らせて遊ぶ。だって、なくなるものじゃないか
ら、いっそのこと楽しんで付き合った方が、気にしてストレスを溜めるよりずっと楽なん
だもの。(ストレスも飛蚊症の原因のひとつらしいから、よけいに・・・。)

検査の結果、網膜は今年も異常なし。でも、検眼医に勧められた白内障手術は現時点
では時期尚早かもということで、明日セカンドオピニオンのために病院の眼科で詳しい
検査をすることになった。予約は何と午前8時半で、ワタシには草木も眠る丑三つ時の
ような時間。地下鉄で行くなら7時過ぎ起きになるから、早起きどころか、徹夜した方が
早いような。時差ぼけになりそうだなあ。

検査のために瞳孔を開かれたワタシの目は、鏡を見るとまるで宇宙から来たエイリアン。
裸眼の視力が0.008なもので、ピンポケの視界不良には慣れっこだけど、あ~あ、ま
た明日もこんなエイリアンな目にされちゃうのかあ・・・。

ポカミスはポカよけのせいか

2013年08月19日 | 日々の風の吹くまま
花火大会の会場で起きた爆発事故。炎天下に置いてあったガソリン缶を開けたらガソ
リンが噴き出したんだそうで、減圧弁を開けなかったせいらしい。まったく「アホか!」と
怒鳴りつけたいようなポカ。30年前のある夏の日を思い出した。車に給油するために
スタンドに寄って、給油口のキャップを外したとたんに噴き出したガソリンをバシャッと浴
びたことがあった。あのときはびっくりしたの何のって・・・。

すぐ帰って着替えたので、パーティのために着ていたドレスが台無しになっただけで事
なきを得たけど、それからは必ずキャップを少しねじって一拍おいてから開けるように
なった。(今はカレシにおまかせが多いかな・・・。)品質管理ではうっかりミスのことを
「ポカミス」、その防止策を「ポカよけ」と言って、日本がQC運動の旗ふりをしたせいか、
poka-yokeとして英語にも進出している。

近頃はどうも世界中でその「ポカミス」による事故が多くなったな。「マニュアル至上」の
ような世の中なら、どこでも「ポカよけ」をしっかりと考えてあるはずだと思うけど、何だ
か逆に「ポカミス」が増えているような感じ。マニュアルがあるから自分で考えなくてもい
いやと思っているのかな。そのおかげで、ポカミスの側杖を食って大けがをしたり、死ん
だりする方は迷惑どころの話じゃない。人の迷惑にならないように気遣いするのが正し
いと学校で教わったんじゃないの?だったら、事故だって迷惑なんだから、そっちの方
でも気遣いしなさいって。

まあ、今どきはポカミスだけがポカじゃない。おもしれ~と感じたら何でもスマホで撮っ
て即アップ。頭に浮かんだことを即ツイート。まるで条件反射のようで、後先を考えろと
言ったところでどうせ「どうやって?」と教えてチャン。まずかったかなと思っても後の祭
りで、何年も経って忘れた頃に亡霊みたいに出て来る。はて、人間は進化しているのか、
退化しているのか、考えるの、もうくたびれた~。

オイダシベヤのあるところ

2013年08月18日 | 日々の風の吹くまま
ちょっと薄ら寒くて、夏は終わりなのかと思うような天気。今日はまず、きのうの仕事の
見直しと納品。社内文書だけど、何かしみったれた話。でも、削減されつつあるとしても、
手厚い厚生給付がある会社に勤めている人たちはまだラッキーだと思うな。日本には
国民健康保険や年金の掛け金を払えない人たちがかなりいると聞いたもの。衰えたと
はいえ、まだ世界第3の経済大国でそんなことがあるなんて、信じがたいけど・・・。

もっとも、健康保険に入ったところで医者がいなければ無駄な気がする。地方都市の
「市立」病院に医者がいない。急病で救急車を呼んでも、理由が何であれ病院が「ノー」
と言えば、最悪の場合は車内で死んでしまう。先進国の救急センターが急患を拒否す
るってのも信じがたい話だけど、大都市でもそういうことはあるらしい。でも、元気な病
人ならいつでも診てもらえるようだから、要は「うちで死なれちゃ困る」ということじゃない
かと勘ぐってしまうな。

まあ、まちがっても瀕死の病人にならないようにするのが一番の自衛策だと思うけど、
瀕死の病にならないためには、日頃から医者に通って「悪いところ」を調べてもらって、
何かあれば薬をどっさりもらうなりして、健康管理をしなければならないな。でも、それも
健康保険がないと難しそう。どうして世の中には悪循環が多いんだろうな。

そういえば、金曜日のニューヨークタイムズに、ソニーなどのような日本の代表的企業
に「追い出し部屋」なるものがあるという記事が載っていた。日本ではレイオフができな
いから(ほんとはレイオフしたら世間体が悪いからじゃない?)、狙った社員を送り込ん
で「自主的に」退職するように仕向けている、と。これって、どう見ても「イジメ的手法」と
しか思えないな。まさに「企業ハラスメント」でしょ、それ?まあ、この「オイダシベヤ」も、
「カローシ」のように日本特有の労働用語として世界に知れ渡るかもね。

自営業24年目の問わず語り

2013年08月17日 | 日々の風の吹くまま
午後1時近くに起き出して、ふと白い雲がたくさん浮いている空を見たら、青の青さがい
かにも秋という色合い。今日からPNEの始まりです。百何年か前に農業共進会として
始まったこのフェア、子供たちにとっては夏休み最後の遊び時。でも、PNEが始まると
雨が降るというジンクスがありまして、さて今年は・・・?

今日のワタシは仕事日。なぜか木曜日の終わりによく仕事が飛び込んで来ます。日本
では金曜日の終わりで、納期の日曜日の夕方は月曜日の朝。ご隠居さんと半ご隠居
の暮らしは毎日が週末のようなものだと知ってか知らずか、客先にとってはいたって重
宝ということのようです。ビジネスはギブアンドテイク。客先は発注元を喜ばせられるし、
ワタシはほぼ確実に次の仕事をもらえるでしょうから、どちらにも損はありませんね。

ときたま「どうすれば翻訳家になれるか」と聞かれることがありますが、目的がはっきり
しない人がけっこう多いんです。実は、翻訳って外国語を学んだ人なら誰でもやって来
ているんですよね。外国語を聞いて(読んで)、頭の中で日本語にして理解する。日本
語で考えていることを頭の中で外国語にして口に出す(紙に書く)。ワタシは誰でもやれ
ることをやって(「翻訳」を商品化して)図々しくお金を稼いでいることになりますが、それ
が翻訳をやる目的なんです。

日本語で育って、英語で暮らしているという環境的要素の他は学歴もなく、専門知識の
ようなモノを言いそうな看板もないのに、人に背中を押されるまま無鉄砲にもこの道に
入ったのがワタシなので、「翻訳サービス」を提供するビジネスとしてやるしかなくて、そ
れがかえって良かったんでしょう。潰すとご飯が食べられなくなるので、商品を売れ筋
にするために設備投資をして、生産技術や品質管理、流通、経営効率、顧客満足・・・
トヨタさんじゃないけど、常にカイゼン、カイゼン。

そうやって今は24年目。根がぐうたらなワタシにしてはよく続いたもんだなあと、我なが
ら感心します。さて、「商品」の仕上げにかかりましょうか。

わが青春の歌を聞いてみた

2013年08月16日 | 日々の風の吹くまま
きのうはカレシと寝酒をやりながら、フォークが流行った頃の日本と北米の政治的、社
会的状況について話し込んでしまった。日本で「フォーク歌手」と言えるのはやっぱり岡
林信康だけだと思う。ピートシーガーやボブディランのような存在かもしれない。他とは
ひと色もふた色も違った作品で、よく放送禁止を食らった。ワタシには誰よりも一番感じ
るところがあったフォーク歌手だった。

カレシが興味を示したので、朝食後にYouTubeを探して見つけた『くそくらえ節』を聞
かせた。これは発禁になった作品で、きのうカレシが聞いていたチャドミッチェルトリオ
の歌に通じるものがないとは言えないな。映像はないけど、ライブらしく、リフレインを聴
衆に歌わせていて楽しい。彼の「母語」である関西弁と交えての痛烈な風刺は言葉が
分からないカレシにもフィーリングで伝わるらしく、しきりに「アメリカでも通用したと思う
けどなあ」。

それにしても、YouTubeって便利だな。ワタシもはまってしまいそう。山谷の日雇い労
働者を歌った『山谷ブルース』、差別を歌った『チューリップのアップリケ』と『手紙』、
自作ではないけど貧しい農家の出稼ぎを歌った『お父帰れや』・・・久しぶりにじっくりと
聞いて感動。女性の視点から語られるものが多いからかな、煽るでも、憤るでもなく、
感情に溺れずに、淡々と歌われているところにパワーがある。

左に失望してノンポリに転じたワタシが、岡林信康に「何か」を感じたのは、彼が牧師の
息子に生まれて神学部まで行ったことと無関係ではなさそう。信仰を離れたとしても、
考え方のどこかにキリスト教思想が根付いていると思うから、キリスト教に近いワタシ
は彼の歌にぴんと来るものを感じるんだろうな。だから、『友よ』の中の「たたかいの炎
を燃やせ」は決して暴力による革命を示唆したり、(当時の)学生運動を鼓舞するもの
ではなく、少なくともワタシには「精神的(spiritual)」なたたかいの炎を燃やせと言って
いるように聞こえる。それにしても、よく通る声・・・。

遠くなった青春時代

2013年08月15日 | 日々の風の吹くまま
きのうは真夜中のランチの後、PCに向かってゲームをしているワタシの後ろで、カレシ
が「懐メロ」を探してのYouTubeめぐり。懐かしいフォークソングが流れて来る。チャド
ミッチェルトリオの激烈風刺ソング「John Birch Society」をアップデートした「George
Bush Society」は、その過激さに2人しておなかを抱えて笑った。

1960年代後半のワタシは、悩み多き高校生から悩み多き社会人になる、人生の過渡
期。世界では東西冷戦、ベトナム戦争、反戦運動。中国では文化革命。日本では大学
紛争。東大生が大勢で学長を取り囲んで、「自己批判しろ」と罵声を浴びせる様子をテ
レビで見て、「何となく」左寄りだったワタシはなぜか裏切られた気分になった。(当時の
東大生たちも、その後多くが高級官僚になったんだろうね。)

何かと騒然とした時代、ワタシはラジオにかじりついて、東京の文化放送のフォーク番
組に聞き入っていた。雑音交じりの電波をキャッチできるのは夜だけ。でも、アメリカの
フォークの歌詞に込められたメッセージの奥深さが理解できて来ると、日本のフォーク
のフワフワとした軽さに甚く失望を感じて、聞くのをやめてしまった。(岡林信康は筋金
入りだったと思うけど・・・。)

いつも何かがしっくりしなくて不安定な気持でいたワタシの青春時代。フォークを聴きな
がら、どんな夢を描いていたんだろう。小説家になるという「夢」はあったけど、漠然と先
の長い人生を前にして、ひたすら自由になりたくてもがいていたように思う。それも精神
的な束縛からの自由(Liberty)。無理に型にはめられない自由。ひとりの人間としての
生き方を自分で決めて、自分らしく生きる自由。まさしく、自由の女神の台座に刻まれ
ている「…yearning to breathe free」の心境だったのかな。

コヘレトの言葉に「戦うに時があり、和らぐに時がある」とあるけど、自分の精神的自由
のために、戦うべきときには戦ったからこそ、今の幸せ(和らぐとき)があるんだと思う。
青春時代からはずいぶん長い年月が経ったけど・・・。

日本語を入力できないわけ

2013年08月14日 | 日々の風の吹くまま
小町のトピックのリストを見ていたら、サムスンのギャラクシー(スマートフォン)に日本
語を設定する方法を聞いている人がいた。ヨーロッパに住んでいて、プレゼントされた
けど、なぜか日本語を選択できない・・・。

そうそう、誕生日にカレシからもらったギャラクシーのタブレット(北米仕様のGalaxy
Note 10.1)も、日本語サイトは表示できても入力はできないの。「言語」リストには一番
下に「日本語」があって、選択すると画面表示が全部日本語になるんだけど、その先が
ないの。キーボードはデフォルトのままだし、ローマ字入力しても日本語には変換され
ないし・・・。

日本国内で売っているギャラクシーは日本語入力機能があるそうな。そりゃそうでしょ。
日本語環境でなければ日本では売れないってのは、あたりまえすぎるくらいにあたりま
え。でも、日本以外で売っているギャラクシーはアプリをダウンロードして設定しないと
日本語を入力できないようになっている。サムスンは「韓国」の企業だから、と何やら勘
ぐっている人もいたけど、はたして真相は・・・?

タブレットの言語リストには見たこともない文字を使う言語がずらり。日本語のすぐ上に
はハングルもある。ハングルに設定したら、ハングルのキーボードが出て来るのかな。
ギリシャ語に設定したらギリシャ語キーボードになるのかな。考えてみたら、表記文字
が違っても、どっちも表音文字を組み合わせる言語だから、英語を打つのと同じように、
キーボードからストレートに入力できるのかもしれないな。

だけど、カナかローマ字で入力して漢字に変換する日本語となると話は別で、表音文
字の言語には不要な「変換機能」(PCではIME)がいる。そっか、同じように「変換」が
必要そうな中国語が言語リストにないのは、きっとそういうことだったんだな。日本語と
中国語の辞書と変換機能はモバイルには重すぎるから、どうしても必要だったら自分
でアプリをゲットしてね・・・ということか。

ワタシのタブレットは元の英語の設定のまま。持ち歩いてスタバから日本語メールする
なんて、まずないから、それでいいの。

どうしてそんなにイラッチ?

2013年08月14日 | 日々の風の吹くまま
世の中、何にでも「国際○○デー」があるようで、8月13日は「国際左利きデー」なんだ
そうな。小町横丁では人権問答までやっていたけど、何が何でも左利きを否定しなけれ
ば気が済まないらしい人もいて、何か「お気の毒に」という気分になって来た。オバマ大
統領は漢字を書いていないじゃないか(だから左利きでも構わない??)って、そりゃあ、
何と申しましょうか・・・。

心のどこかで(たぶん自分自身に対して)不満爆弾を抱えている人ほど、誰か自分より
も弱い立場にある(と考える)人を否定したり、攻撃したり、差別したりするらしい。裏を
返せば、こういう人たちは逆襲される心配のない相手に八つ当たりするけど、自分より
も強い者にはまず立ち向って行かない。だって、負けるの、怖いもんね。

自分という人間を信頼できて、ポジティブな姿勢で生きて行ける人は、他人が自分とは
違っていても気にならない。だって、自分が他人と同じ(あるいは他人が自分と同じ)で
なくても、ひとりの人間としての自分の価値が下がるわけじゃないんだし。でも、どうや
らこの「ポジティブ思考」も日本ではネガティブなものと見られるらしい。自分がハッピー
じゃないのに、楽しそうにしているヤツを見るとムカつくよね、たしかに。

The Economistだったと思うけど、短いとネガティブ思考に陥ってうつ病になり易い遺
伝子があって、アジア人種は「短いバージョン」を持っている率が高いという記事を読ん
だことがある。つまり、ネガティブ思考も先天的なもんだから今さらどうにもならないとい
うことか。だったら、ネガティブな人たちとはそういう人なんだと思って、自分の人格を守
りつつ、穏やかに付き合う工夫をすればいいんじゃないかな。でも、今どきの世の中で
は「言うは易し」らしい。何となくだけど、人類は押しなべて「イラッチ」になりつつあるよ
うな気がする。それも加速的に・・・。

何でもキカイがやってくれる世の中になれば、人間はリラックスして平和な世界になる
のかと思ったけど、逆に悩みが深まってしまったのかな。しかもキカイは心の悩みまで
は解決してくれないから、よけいにイライラ、ムカムカ、モヤモヤして、猫を蹴っ飛ばした
くなるのか。はて、八つ当たりの矛先を象徴する猫にも右利きと左利きがいるのかな。
となりのハリス君に聞いてみようか。左利きの猫はどっち利きのねずみを捕まえるの?


文体で違って来る自分

2013年08月13日 | 日々の風の吹くまま
新しいブログ、かけ持ちで続いている形の旧ブログに比べて、何か今ひとつしっくりしま
せん。ワタシが2人いるわけではないのに、何かが違うのです。旧ブログでは思い浮か
ぶまま独り言のように書いていたのを、新ブログでは年を重ねた大人に相応しくと思っ
て、ていねいに「です・ます」体で書いてみることにしました。でも、何だか取ってつけた
ようで、どうしても自分の言葉という感じがしないのです。

フリーになって最初の10年は日本語翻訳と通訳が本業だったのにと思うと不思議です
が、翻訳・通訳は人さまのコミュニケーションの仲立ちなので、脳の自分で考えるところ
とは別のところで相応の「ビジネス日本語」を操っていたということかもしれないですね。
(別々の言語中枢があるかも・・・。)通訳を廃業し、英訳専門に転じた今はそのビジネ
ス日本語も原稿として目で読むだけになり、耳から日本語が入って来ることも、声に出
すこともほとんどありません。

そのうち完全に仕事を離れたら、ワタシの日本語は社会的にも未熟な27歳のレベル
の「日常日本語」だけになるとうことでしょうか。その日本語まで使わなくなったら、将来
は英語だけということですね。今は英語だけでまったく不自由はないとしても、80過ぎ
の高齢になってボケて来たらどうなるんでしょう。もっとも、ボケてしまったら、本人には
わからないでしょうから、どっちでもいいかもしれません。

ある研究によると、バイリンガルの人は年を取ってもボケる確率が低いそうです。生ま
れつき口数の多いワタシが死ぬまでボケないでいられるためには、自分にしっくりする
(27歳レベルの)日常日本語でぶつぶつ独りごちるのが良さそうです。それがワタシの
「自分らしさ」なんだと思います。

・・・なんて、「遊び」モードになると、ああだこうだと当てもない放浪の旅のような思考に
現を抜かすのが極楽とんぼのワタシ。でも、少なくとも、長ったらしいつらつら思考は旧
ブログの方に流すことにして、こっちは「簡潔に書く」ことを心がけることにしようね。

☆外国人ならいいの?

2013年08月12日 | 日々の風の吹くまま
8月12日。小町横丁で続いている「左利きのイメージ」を巡る議論は、増える書き込みを読むほどにおもしろくなって来た。「矯正」とか「直す」とか言う言葉を使っていても、どうみたって、たとえば八重歯は抜いた方がいいのかというような「是非論」じゃないのは一目瞭然。もっとも、左利きに限ったことではなくて、小町横丁には、箸使いを始め、他人のあらゆる生活習慣を不快に思う人が多い。小町横丁特有の文化なのかもしれないけど、(見ている自分が疲れるから)やめて欲しい、やめさせたい。どうしたらやめさせられるかと相談されても、困ってしまう。他人は変えられるもんじゃないし、他人を自分に合うように無理に変えようとすると、最悪の場合は精神的暴力に発展してキケンだし。

左利き(左側利き)であることでその人の健康に害があるわけじゃないので、親切ぶって「体に悪いから治した方がいい」とは言えないし、されど(自分の常識と)違っているところが目に付いて、もう気になって、気になって・・・。それにしても、日本人の「見た目」の完璧性や美醜へのこだわりの強さは並大抵のものではないと、つくづく思うな。他人の見た目にこだわるのは、建前と本音の文化だからなのか。それとも、自分の中に自分を持たない人が、他人が「理想の自分像」を示してくれるはずと期待しているからなのか。

でも、「な~るほどっ」と思ったのは、「美しい日本文化」を守るために右手を使うべきという意見。早い話が、「右利きでなければ正しい日本人に非ず」ということで、さらに裏返せば「外国人であれば左利きでもかまわないよ」ということかな。そうか、だから歴代のアメリカ大統領に左利きが多いことも、イギリス王室に左利きが多いことも、「正しい日本人」という観点からは「関係な~い」ということなんだろうな。

ワタシは成田に降り立つたびに「外国旅券」の列に並んで、指紋と写真を取られて、カナダのパスポートに90日の「上陸許可証」を貼られて、初めて日本国に入国させていただける身分で、つまり、人種こそ日本人であっても、日本国の法律では「外国人」(昔はカウンターの上に「Alien(エイリアン)」という札がぶら下がっていたなあ・・・)。日本国滞在中は常にパスポートを携帯していないと、最悪の場合に入管法違反で逮捕されてしまう。(この点は、ワタシはカナダ人だという自覚があるので文句はないけど。)

要するに、日本国法の下ではワタシは「外国人」なので、日本国に行って堂々と左利きをやってもいいということだろうな。やっと納得できた感じだな。つまり、たとえ見苦しかろうが、日本の人を不快にさせようが、「外国人じゃしゃあないや」と見逃してもらえるってことだよね。ま、それはそれである意味「人種差別」的な感じがしないでもないけど、それについては有道出人氏に任せることにするとして、ワタシは、外国人に日本の固有文化への服従を強要しない日本は捨てたもんじゃないと思うなあ。

外国人ならいいんですか

2013年08月12日 | 日々の風の吹くまま
左利きのイメージを巡る議論は、増える書き込みを読むほどにおもしろくなっています。
「矯正」とか「直す」という言葉を使っていても、たとえば八重歯は抜いた方が良いのか
というような「是非論」ではないんですね。もっとも、左利きに限ったことではなくて、小
町横丁には箸使いを始め、他人のあらゆる生活習慣を不快に思う人が多いようです。
小町横丁特有の文化なのかもしれませんが、(見ている自分が疲れるから)やめて欲
しい、やめさせたい。どうしたらやめさせられますかと相談されても、困ります。他人は
変えられるものじゃないし、他人を自分に合うように無理に変えようとすると、最悪の場
合は精神的暴力に発展してキケンです。

左利き(左側利き)であることでその人の健康に害がある訳ではないので、親切ぶって
「体に悪いから治した方がいい」とは言えないし、されど(自分の常識と)違っているとこ
ろが目に付いて、もう気になって、気になって・・・。それにしても、日本人の「見た目」の
完璧性や美醜へのこだわりの強さは並大抵のものではないと思います。建前と本音の
文化だからでしょうか。それとも、自分の中に自分を持たない人が、他人が「理想の自
分像」を示してくれるはずだと期待しているのでしょうか。

でも、なるほどっと思ったのは、「美しい日本文化」を守るために右手を使うべきという
意見。早い話が「右利きでなければ正しい日本人に非ず」ということで、さらに裏返せば
「外国人であれば左利きでもかまいません」ということでしょうか。だから、歴代のアメリ
カ大統領に左利きが多いことも、イギリス王室に左利きが多いことも、「正しい日本人」
という観点からは「関係ない」ということなのでしょう。

ワタシは成田に降り立つと「外国旅券」の列に並んで、指紋と写真を取られて、カナダ
のパスポートに90日の「上陸許可証」を貼られて、初めて日本に入国させていただけ
るんです。つまり、人種こそ日本人であっても、日本の法律では「外国人」なんですよね。
日本滞在中はパスポートを持って歩かないと最悪の場合は入管法違反で逮捕されま
す。(この点は、ワタシはカナダ人だという自覚があるので文句はありませんが。)

要するに、日本国法の下ではワタシは「外国人」なので、日本で堂々と左利きをやって
もいいということですね。やっと納得しました。たとえ見苦しくても、不快でも「外国人じゃ
しょうがない」と見逃してもらえるんですよね。それはそれである意味「人種差別」的な
感じがしないでもありませんが、それは有道出人氏に任せましょう。ワタシは、外国人
に日本文化への服従を強要しない日本は捨てたもんじゃないと思いますよ。

仕事を減らしたら空の巣症候群?

2013年08月11日 | 日々の風の吹くまま
朝方、ふと目が覚めたら猛烈な雨。天気予報では雨が降るなんて言っていなかったは
ずなのに、どこかで雷まで鳴っています。遠めながら、目が覚めるくらいの音でゴロゴロ。
雨と雷の音を聞きながらうとうとしているうちに、また眠ってしまって、起きたのは正午
過ぎ。ポーチの温度計は16度・・・。

朝食後は「仕事」モード。きのう少し残ったのを仕上げて納品すれば、また「遊び」モード
に戻れます。この切り替え、何となくだんだんうまくやれるようになりそうな気がして来ま
した。でも、仕事は量を減らして続けているものの、今ひとつ何かしっくりしない気分な
のです。暇で退屈というわけではなくて、「遊び」モードになってもその波にうまく乗れな
いという感じでしょうか。

子供を生んで育てることができなかったワタシにとって、天職と言われて来た翻訳のビ
ジネスは23年半も手塩にかけて育てた「我が子」のようなもの。定年退職した後の手
持ち無沙汰と言うよりは、子供が巣立って放心しているような、そんな無気力感に近い
ものがあります。やりたいことはたくさんあるはずなのに、何となく何も手につかなくて
無駄に時間を過ごしてしまうのも、あんがい「空の巣症候群」みたいなものかもしれま
せん。まあ、焦らずとも、元々はどっちかと言うとぐうたらなワタシのことなので、そのう
ちにいつの間にかin the groove(ルンルン気分)になっているでしょう。

今週は、日本ではお盆休みの真っ最中だと思うし、考えるのもイヤになりそうな猛暑な
ので、仕事前線の方も日本に停滞してくれると、「遊び」モード全開になれそう。ここは、
keep the fingers crossed(人差し指の上に中指を交差させる「願い事が叶うように」と
いう仕草)で行きましょうか。

☆古希のお祝いは鯛尽くし

2013年08月11日 | 日々の風の吹くまま
8月10日。 土曜日。ほんの少し涼しくなった気分。もっとも、暑かったと言っても温度計はせいぜい25、6度で、体感温度は確かに高めだけど、日本の猛暑に比べたら涼しい、涼しい。(でも、やっぱり暑い・・・。)

改めて今日カレシの古希のお祝い。カレシの希望で極楽とんぼ亭の思いつきディナーということになって、フリーザーから鯛を出して来て、鯛尽くし・・・。

今日のメニュー:
 アミューズブーシュ(鯛とサケの寿司ボール)
 鯛とサケのポケ風(ゼリー添え)
 鯛と白魚の潮汁風
 鯛のブルスケッタ焼き、彩り豊かな温野菜添え
  (サラダ)
 マンゴーとパッションフルーツのムースケーキ

鯛は小ぶりの1匹。はらわただけは取ってもらったけど、うろこはついたままで買って来て冷凍してあったから、まずはスケーラーでごしごしとうろこ取り。それから3枚開きにして、頭と骨は水をいっぱい張った鍋でとろとろと出汁作り。

[写真] 鍋で半合ほど炊いたご飯で寿司飯を作って冷まし、ラップの上に広げたサケと鯛の上において、ぎゅっと絞って寿司ボールのアミューズブーシュ。カレシ菜園のシソの葉とプチトマト、そして早くも旬を過ぎかけているブルーベリーで彩り。

[写真] メインの切り身を取り分けた残りの鯛とサケの残りでポケ風の一品。ほんの少し残った寒天パウダーを煮溶かしたものにクラマトジュースでほんのり味つけ。ミニ冷蔵庫に付いて来た小さいキューブの製氷皿に入れて、コリアンダーの葉、カレシ菜園のプチトマトとビーツを使って、ちょっと夏らしい寒天寄せ。鯛のポケはゆず胡椒で、サケのポケはギリシャのタラモサラタ(これは鯉の卵)でそれぞれ味つけ。

[写真] ここでとろとろと煮出しておいた鯛のあらのスープで温製料理に切り替え。醤油だけであっさりと味付けをして、具はねぎと白魚。しろうとが作っても何とも言えないお上品な味わいのスープになるのは、鯛は骨まで鯛だからか。

[写真] メインは趣向を変えてイタリアン風にブルスケッタのソースを載せて、オリーブ油でフライパン焼き。付け合せにはサンファイア、ビー玉ポテト、レインボーにんじんを蒸して、にぎやかな地中海の夏の色合い(?)。ビー玉ポテトのうち、黒い(紫?)のポテトは中まで真っ黒。おもしろいマッシュポテトができるかな。レインボーにんじんは黄色と紫を使い、サンファイアで緑を沿え、今日の収穫のプチトマトの最後の2個を2つに切って彩り。これで、2人で鯛1匹丸々食べた勘定・・・。

[写真] サラダの後は、フレンチプレスで濃いコーヒーを入れて、マンゴーとパッションフルーツのムースケーキ。香港系のケーキは甘すぎないし、口当たりがさっぱりしていておいしい。(でも、「サンジェルマン」は日本の店じゃなかったのかなあ・・・。)

カレシも無事に古希の節目を通過。今夜の寝酒は1948年物のアルマニャックにしようね。1943年物をプレゼントしようと思っていたけど、とうとう手に入らなかった。産地のフランスが前の年からナチドイツに占領されていたりして、1943年のヨーロッパはお酒造りどころじゃなかったんだろうな、きっと。

でも、年を取るのって悪くないよね。


古希の本祝いをしました

2013年08月10日 | 日々の風の吹くまま
カレシの誕生日当日の木曜日は仮のお祝いしかできなかったので、今日は「本祝い」。
おでかけしたいか家でしたいか聞いたら、「ご馳走を作ってくれたら、運転手になって、
どこへでもいつでも連れて行く」とのことでした。いや、別に交渉しなくてもご馳走を
作りますけど、ま、極楽とんぼ亭シェフへのチップということにしましょう。

テーマは「鯛」。きのうあれこれと考えて、デザートを入れて5コース、サラダも数えると
6コースのディナーにしました。詳細は旧ブログの「極楽とんぼ亭スペシャル」のカテゴ
リーに載せましたが、だいたいこんな風になりました↓

     
     鯛とサケの寿司ボール
     
     鯛とサケのポケ風和え物とクラマトジュース味の寒天寄せ
     
     鯛の潮汁風(ねぎと白魚)
     
     鯛のフライパン焼き、ブルスケッタ風味。蒸し野菜添え
     
     マンゴーとパッションフルーツのムースケーキ

寿司ボールは手まり寿司にしようとしたのがきれいに丸くならず。鯛はシソの葉、サケ
はイクラで飾りました。ポケはハワイの料理。ごま油をベースに主にまぐろを使います
が、ここでは鯛はゆず胡椒と白胡麻、サケはタラモサラタと唐辛子で味つけ。

最初の2コースが冷製なので、鯛の頭と背骨を煮立てないようにして取った出汁に醤
油だけでと味つけして、ねぎと白魚を入れた温かなスープ。そして、メインは鯛の切り身
にブルスケッタ用のソースを塗って、簡単にフライパン焼き。付け合せは「海のアスパラ
ガス」ことサンファイア、カラフルなビー玉ポテト、レインボウにんじんを蒸して、ブルー
ベリーとカレシ菜園のトマトを添えたら、何ともはしゃいだ色合いになりました。

デザートは誕生日の日にモールにある「サンジェルマン」の店から買ってきたもの。3日
がかりで食べてこれが最後。「サンジェルマン」はたしかバブルの頃に日本から進出し
て来た店だったと思いますが、今は香港系。香港系のケーキは甘すぎなくて、さっぱり
しています。

さて、カレシの古希のお祝いも済んだので、明日の夕方が期限の仕事を仕上げてしま
いましょうか。

躾の悪い左利きです

2013年08月10日 | 日々の風の吹くまま
読売小町でまたやっています。ほんとに、ほんとにしつこいですね。今度は「左利きに
対するイメージ教えてください」というトピック。「良くない」イメージを持っている人は、こ
れも常連の「箸使い」のときと同様に、親にきちんと躾けられていないと思うそうです。
つまり、「いい加減な家庭で育てられて、お気の毒」ということなんでしょうね。裏を返せ
ば、左利きでも箸使いでも学歴でも何でも、そういう目線で他人を否定することでしか
自分を肯定できない人なのだとしたら、おきのどく・・・。

矯正の弊害がわかっているのに、無理に右手に変えさせることを「しつけ」と言うのは、
「しつけ」と称して子供を虐待するのと同列のように思えてなりません。日本の人たち、
特に左利きに嫌悪感を覚えるという人たちは、この点をどう思っているんでしょうね。左
利きが親の躾の失敗なら、虐待されて死んでしまった子供たちは「きちんと躾けられな
かった子」ですか?

見慣れないものに違和感を持つのはいいんです。普通の人間がみんな持っている感
情ですから。ワタシだって、ときどき「右利き」の人の動作に違和感を覚えるので、そこ
はお互いさま。でも、どちらも生理的な感情だとしても、違和感と嫌悪感ではまったく別
の心理による反応だと思いますが、どうなんでしょうね。

左利きの人の親の躾や家庭環境を貶しているのが、頭の古い高齢者世代ではなく、な
ぜかその子供の世代あたりの、社会の中堅と言える年代の人たちなのが不思議です。
他人を自分の尺度に合わせたがるのは昔からとしても、今どきの社会の雰囲気が反
映されているのか、見苦しい、不快、日本の文化に合わないと、生まれつきの利き手を
「変えろ」といとも簡単におっしゃる。逆に右利きを左利きに矯正したら脳の刺激になっ
ていいんじゃないですか?直すのって、簡単ですよね。

長年のびのびと主役を演じて来たワタシの左手、よく見るともうすっかり「おばあちゃん
の手」。脇役の右手もやっぱり「おばあちゃんの手」。ここまで来たら、もう左も右も同じ
ことじゃないかと思いますけどね。どちらがなくなっても困ります。だって、65年も仲良く
助け合って来たワタシの「愛しい手」なんですもの。

さて、きのうぎりぎりに飛び込んで来たおきみやげの仕事でもしますか。キーボードは
左手と右手の共同作業だし、何を「書いて」も印刷すれば同じ文字だし、コーヒーをこぼ
しさえしなければ文句も言わないので、やさしくしてあげなくちゃ・・・。