リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

モーツァルトとベートーベンとフーコーの振り子

2021年01月17日 | 日々の風の吹くまま
1月16日(土曜日)。☁☁☂。何かあまりよく眠っていなかったのか、目が覚めたらほぼ8時。外はきのうとは打って変わって、朝焼けも何もないもっやぁ~っとした天気。日本では「阪神・淡路大震災」から今日で満26年。そんなに長い年月が経ったのか。仕事をしながらいつも聞いていたシアトルのFM局から「日本で大規模な地震があった」という第一声に、とっさに生まれ故郷の釧路かっ?と息を呑んだのを今でもはっきり覚えている。地震は関西だったことがわかってほっとしたのもつかの間、その後の1時間おきのニュースで報じられる死者の(推定)数がどんどん増えて行って、大変なことが起きたとわかって、その日の仕事は手につかなくなって中止。淡路島がワタシの母方の先祖の地ということもあったし、神戸に住む父方のいとこ達が無事だとわかるまでは仕事が手につかなかった。あれからもう26年。時間はほんとに容赦なく流れるんだなあ。鎮魂・・・。

いつもの土曜日の掃除と洗濯が済んで、弾みがついたところで、アミエルに読んでもらうことにした脚本のファイルを開いて、自分でじっくりと読み直し。もう10何年も前にコミュニティカレッジの夜間部で劇作コースを取ったときに書いた1幕もので、ナポレオンが自ら皇帝になる直前のウィーンで、(死ななかった)モーツァルトと『エロイカ』完成したばかりのベートーベンの会話が中心。でも何となく漠然としていたせいでその後放置してあったのを、Arts Clubのキャシーが個人指導を買って出てくれたときに埃を払って、プロローグとエピローグを書き足したんだけど、別の脚本に寄り道しているうちにまた3年以上も放置。でも、今になって読んでみたら何だか今の世の中にも通じるようなところがあるような感じがして、キャシーが書き込んでくれたコメントを読みながらちょっと手を入れてみるかという気になったしだい。

そうなるとけっこう夢中になるのがワタシの癖で、プロローグとエピローグに手を入れるのに1日がかり。現代の都市の片隅の公園でベンチに座っている老人と若者のやりとり。老人は本を読みながらウォークマンでカセットテープの音楽を聴いていて、若者はスマホをいじってはままならぬ時勢に憤っていて、そばにいた老人に絡むわけだけど、フーコーの振り子の話が出て来て、世代間の歴史観や世界観の違いが何となくテーマっぽくなっている感じ。若者がモーツァルトの音楽をエレベーターミュージックとしてはイケてると言ったり、中学校で連れて行かれたオペラ『魔笛』をチックフリックやディズニーのミュージカルと同列に見ていたり、でも夜の女王は声がキィキィし過ぎだったけど、話はわりとおもしろかったと言ったり。老人が読んでいた本がフランス革命の話だったことから、その激動の時代を生きたモーツァルトとベートーベンの対話に場面が移るわけだけど、キャシーのコメントにもあるように、現代からその場面にどうやってうまくつなげるかが一番の難問。

それでもやっているうちに、また少し形が整って来た感じで、明日もう一度じっくり読み直して、アミエルに送って読んでもらうことにしよう。思うように話が固まらなかったり、構成が気に入らなかったりして、なかなかこれなら自分なりに満足できるというところにたどり着けないからこそ、プロの劇作家の意見と指導を仰ぐわけで、はて、どうなることか・・・。