リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

聞く耳は長く、唇は熱く

2014年07月28日 | 日々の風の吹くまま
今日は25度を超えて、夏再来。午後に『The Art of Storytelling』のDVDが届いた。(まだ
勉強を始めていないのがいくつもあるというのに。)「ストーリーテリング」は人類の意識の
中で最も根深い欲求のひとつだと思う。狩猟での出来事や思い出話をシェアしたいという気
持が言語を生み出す原動力になったのかもしれない。満天の星空の下、原始人たちが焚き
火を囲んで狩りの武勇伝やら獲物の自慢話。口達者な人の話には思わず身を乗り出し、そ
こにいなかった人たちにはそれを口ぶりや身振り手振りを真似て話して聞かせる。人間が
人間になりたてだった頃のロマンというところか。

聞き手を魅了した話は別の人たちによって繰り返し語られ、話し上手がのストーリーテ
ラーになり、やがて吟遊詩人が生まれ、演劇が生まれ、文学が生まれ、ジャーナリズムが
生まれた。(同時に言葉を介さないストーリーテリングも音楽や舞踊として発達して来た。)
ワタシの中にもいろんなストーリーが溢れそうになっていて、それを何とかして頭の外に取
り出したいという気持が強い。だけど才能が足りないと分かっているから、才能のある若い
人たちにワタシには紡げなかったストーリーを紡いでもらうためにできる形で支援している。
それが永遠の劇作家志望たるワタシのロマンかな。

でも、最近は他人の話を積極的に聞かない人が増えているんじゃないかという印象がある。
話し声を漫然と耳で受け止めるだけでは相手の言いたいことをどこまで理解できるのかと
思うけど、そういう受身の人が多いのか、聞く気はあっても「耳を傾ける」のは疲れることな
のか、あるいは他人の話など聞きたくないのか。世界中の地域紛争だって、人種や民族、
宗教や宗派の違いや領土問題の恨みつらみの泥沼から足を抜けなくて、誰も相手の話も
平和解決を図ろうとする人たちの話も聞く耳持たずで、果ては「何もしてくれない」と第三者
を非難。受身もここまで来たら、紛争を解決するのは永遠に無理だろうな。

でも、他人の話は聞かない人でも、自分の話は聞いて欲しいらしくて、聞いてもらえないと
相手を恨むから、人間は勝手なもんだな。ま、その過程で人間関係が複雑になったり、喜
怒哀楽が増幅されるからこそ、話術がストーリーテリングという芸術に発展したんだろうな。
人間、聞く耳は長く、物を言う唇は熱い方が話が弾んでいいと思うんだけど。